【奈良】「女王卑弥呼の宮殿」といわれている纒向遺跡から大量の山海の幸 祭祀の供物で並べられたか
1 :
月曜の朝φ ★:
邪馬台国の最有力候補地とされ「女王卑弥呼の宮殿」とも指摘される奈良県桜井市の
纒向(まきむく)遺跡で、昨年9月に大量のモモの種が見つかった人工の穴(土坑(どこう))
の中に、多彩な海産物や栽培植物も埋められていたことが分かり、桜井市教委が21日、
発表した。卑弥呼の時代の、大量のモモと山海の幸を集めた祭祀(さいし)の状況も浮かび、
市教委は「バリエーションに富んだ供物が並んだ祭祀が鮮明になってきた」としている。
土坑(南北4・3メートル、東西2・2メートル、深さ80センチ)は大型建物跡(3世紀前半)の
約5メートル南で、3世紀中ごろの穴と推定される。
市教委が土坑内の土嚢(どのう)400個分の土をふるいにかけ、動物の骨や歯と9760点
の植物の種を採取。骨や歯は宮路淳子・奈良女子大准教授(環境考古学)、種は金原正明・
奈良教育大教授(植物考古学)が分析した。
結果、動物は魚類のマダイ、ヘダイ、アジ、サバ、コイ科、ほ乳類のニホンジカ、イノシシ、
ネズミ、鳥類のカモ科、両生類のカエルの10種で、植物は73種類を判別した。植物の
約半分は食用で、2765点のモモを筆頭にイネ、アサ、コウゾ、ウリ、ヒョウタンが多く、
果実酒原料のニワトコやサルナシもあった。
また、金原教授による花粉の分析で、土坑周辺にモモ林が広がっていたと推定できる
という。
分析で使われた種や骨は桜井市立埋蔵文化財センターで22日〜2月27日に展示される。
■和田萃(あつむ)・京都教育大名誉教授(古代史)の話 「すべてが神饌(しんせん)
として供えられたのかは検討が必要だが、各地から色々な食材が集まっているのは
面白い。纒向遺跡が単なる農村ではなく都市的な場所であったことを改めて明らかに
したことが重要だ」
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110121/art11012117300064-n1.htm
2 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 17:42:23 ID:pSRtozAk0
>両生類のカエル
たまたま冬眠とは違うよな・・
>>2 9月って書いてあるから冬眠中とは違うでしょ。
>人工の穴(土坑(どこう))
要するにゴミ捨て穴だろ。妙な言葉を使うなよ。
但し便壷のことを土坑と言うこともあるねw。
中身をよく調べないと、どちらだかわからない。
5 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 17:45:37 ID:apasfGxb0
桃の林
ということは、桃源郷だったわけか…
6 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 17:48:31 ID:t0+73BJg0
大神実命、って名前まであるんだぜ。
古事記にも重要な植物として出てくるな。
7 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 17:49:53 ID:pSRtozAk0
>>3 いやいや当時の話
地表からすくった埋め戻しの土砂ごとアーレーと
奈良がなんと言おうと
おいどんは九州説を指示するばってん。
9 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 17:51:05 ID:fMLuXKIe0
魏志倭人伝には桃のことが書いてあるの? 書いてなけりゃ卑弥呼とは結びつかない。 いいかげん言いもん勝ち止めたら?
10 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 17:52:55 ID:wGElNQhS0
九州人はいい加減現実を見ろよwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
九州は昔から大和の出先機関に過ぎなかったんだよwwwwwwwwwwwwwwwwww
九州説を唱えたのは奈良県民
豆知識な
12 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 17:56:06 ID:wGElNQhS0
>>10 同感
前方後円墳と一緒で、近畿→九州の流れで見るのが自然
>1
陸続きの南に強大な国家が存在する、
海上1000里を隔てて倭人の国が存在する
これが条件だから
従って畿内説は成立し得ない
14 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 18:00:01 ID:chlFTyTq0
> 3 名前: 名無しさん@十一周年 [sage] 投稿日: 2011/01/21(金) 17:44:02 ID:sanCt3s+0
>
>>2 > 9月って書いてあるから冬眠中とは違うでしょ。
こいつ
15 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 18:01:54 ID:XQleR5F30
奈良説って金印が志賀島から出てきたのはどう説明してるの?
17 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 18:05:31 ID:RkjxXr120
18 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 18:08:01 ID:oYca5XC40
卑弥呼は桃が好物だった ということね
今も昔も女は果物が好きなんだなw
はやく 宮内庁の許しを得て 箸塚古墳の発掘をしなければ
空想だけで 実証がなされない
宮内庁も もう少し 柔軟になって 天皇陵とされ 発掘が禁止されている
古墳を学術的に 発掘させてくれよ! そのほうが天皇家のためになるw。
「卑弥呼」は「姫巫女」の支那流読みであろう。
本来の正しい読み方に直すことを要求する。
20 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 18:10:37 ID:RkjxXr120
魏志倭人伝の記載じたい何処まで信用出来るかなんだよんな
朝鮮半島あたりで原住民に聞いた話をそのままお上に報告してちゃんと仕事しましたって
考えるのが普通だろ
21 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 18:13:07 ID:fMLuXKIe0
>>18 箸墓からは馬具が出ているから、馬がいなかった卑弥呼の時代とは合わない。期待しても無駄です。
あの神の手ねつ造事件以来、ほんとにしんよう出来なくなってしまった・・・
23 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 18:13:53 ID:IfrCNi4h0
邪馬台国は四国にあっただろ。
24 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2011/01/21(金) 18:14:10 ID:FsW347wf0
卑弥呼が倭途途日母母襲比売命かどうかは知らんが
この遺跡は第十代崇神天皇から第十二代景行天皇が宮を置かれた場所であり
崇神天皇の時代に活躍したと言われるのが、桃太郎こと吉備津彦命の姉、倭途途日母母襲比売命である。
桃太郎の時代の遺跡から大量の桃が出てきた事の方が重要ではないか?
もう出雲でいいだろ
26 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 18:20:07 ID:GWXZ2WrBP
>>16 あの金印は、後漢の光武帝が倭の那国(博多のあたりな)の王に贈ったもんだよ。後漢書かなんかに贈ったことが書いてある。
そしてそれが博多のあたりで出て来たというわけだ。
卑弥呼の時代はそれから200年くらい後の時代だろ。
27 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 18:21:46 ID:RkjxXr120
試しに宇佐神宮すべて掘り返してみたら?
比売大神 芸名「卑弥呼」 って名刺が発見されるかもよ
28 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 18:22:33 ID:czTVHSsB0
29 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 18:23:01 ID:x6kWc6FH0
俺の先祖が某巨大掲示板にガセネタ書いたばっかりに
いろいろあるが、
三輪そうめん山本のソーメンはおいしかった
でも邪馬台国は北九州だから
31 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 18:24:18 ID:fMLuXKIe0
>>26 地方の一王に金印は絶対に送られない。九州に首都があった証拠。
なんでも卑弥呼。かんでも卑弥呼
>>2 随分と暑い時期から冬眠するんだな、土の中で干乾びてしまうぞ
34 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 18:26:25 ID:GWXZ2WrBP
>>31 後漢の初期は北九州に倭の中心があったのかもな。
でも、それから200年後は倭の中心が河内や奈良になった可能性はある。
神武の東遷ってのも史実をモデルにした話かもしれないし。
>27
すげー まともなカキコもあるんだ
ひょっとして高木あきみつの子孫か
36 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2011/01/21(金) 18:26:42 ID:FsW347wf0
>>27 「卑弥呼」ってのは支那の学者がつけた当て字なんだから日本国内でそんなもの見つかるわけ無いだろ。
37 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 18:26:43 ID:oYca5XC40
>>21 神武の東征のときに馬が存在していたのだから
馬は卑弥呼の時代以前に日本列島にいたのではないだろうか
貴君はたぶん 四世紀とされる 騎馬民族の列島侵攻を前提
としているようだが そうではあるまい
38 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 18:27:16 ID:RkjxXr120
>>29 だよな
おまいも後世に残るカキコミしないとな・・・・
39 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 18:27:58 ID:x6kWc6FH0
40 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2011/01/21(金) 18:28:56 ID:FsW347wf0
>>37 騎馬民族征服説なんて随分前に否定されてたような気がするな。
まだそんなのを前提に話をする奴がいるんだね。
41 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 18:32:19 ID:f90MFJOB0
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42 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 18:32:50 ID:fMLuXKIe0
倭人伝に馬がないと書いてあって、卑弥呼も倭人伝にしか出てこない。一方は否定して、一方だけは取る。御都合主義の典型になってしまう。
43 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 18:34:49 ID:RkjxXr120
>>35 半村良の子孫かも
>>36 中国に芸能活動のため行ってたから芸名は不思議では無いのではと
邪馬台国は嘘っぱちかもしらんが
大和王権につながるでかい国が畿内にあったのは間違いないのだ
だからそこは、邪馬台国じゃなくて、別の国だって。
46 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 18:38:42 ID:oYca5XC40
>>40 その通り だから 箸塚古墳が 卑弥呼の古墳
宮内庁が 発掘を許可すれば 日本の古代史が明らかになる。
日本古代史の学者の全てが渇望する天皇陵の発掘
もうそろそろ 宮内庁は 発掘の許可しろよ!
ひめみこ
皇女。だな。
48 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 18:40:28 ID:KDF488D30
戦前の邪馬台国って九州説メインで皇国史観に都合悪いから「九州の中心国が勝手に倭の中心と名乗っただけ」扱いだったんだっけ
纏向遺跡が邪馬台国と繋がるのかどうかはわからんけどその時代に大和に強大な政権があったのは確実なんだから
これが邪馬台国じゃなければ邪馬台国の勢力圏は九州だけだったんじゃないかと思えてくるな
50 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 18:44:43 ID:O7OK6oO40
卑弥呼
↑
これシナが勝手につけた蔑称だぞ
どうして日本政府はこのまま使ってんだ?
日巫女(ひみこ) か 日御子(ひみこ)
だろ
51 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 18:49:54 ID:RkjxXr120
遺伝子調べると大陸系(朝鮮、満州、シベリア)の民族が徐々に北に移動し
南洋系(東南アジアから沖縄?)あたりが北進してるみたい
どの年代か知らんが
52 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 18:52:05 ID:Tyi0P1Cr0
邪馬台国と大和朝廷違うから、卑弥呼が朝鮮系でもいいよ!
>>50 でも当時の発音を中国人が聞いて似た音の漢字を当てはめたわけしょ
そんなに近い音だろうかな
似てない事もないだろうけど、似過ぎてて逆に不自然だ
近畿辺りにあった政権は特に中国と関係を持つ必要がなかったんじゃないの?
九州にあった政権の場合、半島との関係とかで持たざるをえなかったので、使節を派遣したとか。
アジア東北部の部族でも使節派遣は大変だったらしいし(アムールが方面)。
55 :
(´-`).。o山中狂人 ◆abcDBRIxrA :2011/01/21(金) 18:59:17 ID:3a2jrHjBP
>>1 <安本美典によれば、卑弥呼は天照大神
<井沢元彦によれば、卑弥呼の墓は宇佐神宮の下
<邪馬台国は北九州。後に神武天皇の時代に東遷して大和朝廷になった
∧_∧___
(・∀・ ) / | <これ、豆知識な
⊂ へ ∩./ .|
i'''(_) i'''i ̄,,,,,,/
 ̄ (_)|| ̄ ̄
箸墓古墳の埋葬者と言われている「ヤマト・トトヒ・モモソヒメ」は、4世紀中頃の人物。
卑弥呼は3世紀中頃の人物。しかも卑弥呼の墓は円墳。直径100歩、145メートル。
3世紀中ごろ、皇室の先祖は九州にいた。ちなみに神武天皇は3世紀末頃の人物。
箸墓古墳は卑弥呼の墓ではない。年代の推定が古すぎる。学者は年代推定をやり直したほうが良い。
もしも箸墓古墳が卑弥呼の墓なら、邪馬台国と大和朝廷は無関係。
∧_∧
⊂(・∀・ )つ- <これ豆知識な。
/// /_/:::::/
|:::|/⊂ヽ ノ |:::| /」
/ ̄ ̄旦 ̄ ̄ ̄/|
/___________________/ | |
| |----------|│
56 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 19:00:15 ID:gOljSr1F0
海産物が多いし海洋民にシフトしたころかもね
地球の氷が溶けたころから日本列島には人は住んでるし
米はいつごろなんだろ?ま、今の中国朝鮮韓国は全く関係無いし、今の
ベトナムやインド方面からだろうな
57 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 19:03:27 ID:E+io6csT0
しかし奈良は掘れば掘るほど
どんどこ遺産が出てくるな、全域が宝の山状態だよ
58 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 19:09:37 ID:vNbX4+hD0
第十一代垂仁天皇 纏向珠城宮御宇天皇(まきむくのたまきのみやにあめのしたしらししすめらみこと) 治世99年
第十二代景行天皇 纏向日代宮御宇天皇(まきむくのひしろのみやにあめのしたしらししすめらみこと) 治世60年
纒向(まきむく)遺跡の人工の穴に、
マダイ・ヘダイ・アジ・サバ・コイ科の多彩な海産物
大量のモモの種、イネ・アサ・コウゾ・ウリ・ヒョウタンの栽培植物、果実酒原料のニワトコやサルナシ
延喜式に出てくる
奥津御年の八束穂とか、大原に生ふる物の甘菜・辛菜とか、青海原に住む物の鰭の廣物・狭物とかかな。
正直、初期大和朝廷の様子には興味あるが、
それが邪馬台国かは割とどうでもいい。
ヒミコだナースだに拘るのはキモヲタだけ。
60 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 19:10:44 ID:ORzBRMhZ0
>>4 ゴミ捨て穴とは限らない。
建物の柱跡かもしれないし、ほかの用途かもしれない。
便宜的に形状から土坑という名前を付けている
61 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 19:11:36 ID:splw5BFM0
卑弥呼?
ああ今俺のチンコ舐めているけど何か?
62 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 19:11:42 ID:bVqSfN0e0
モモソ姫が卑弥呼だよ、既に解かりきってる事だ。
>>56 米の遺伝子調べたら揚子江河口流域からの伝搬とかって聞いた事あるけど(´・ω・`)
「大量の山海の幸」が出土した→いろんな地域の人が来ていた
っていうなら分かるが、卑弥呼の宮殿ってことの証拠にはならんがな
65 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 19:12:57 ID:ORzBRMhZ0
>>57 発掘費用で税金かかりまくりなんですけど。。。
66 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 19:14:25 ID:PK8DKCDg0
奈良から遺跡が発掘されることと支那クソ本に書かれたクソ内容とは何の関係も無い
67 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 19:15:01 ID:3pmBMRFZ0
NHK、きた。
>>64 うん。卑弥呼関係ない。
そんなことより、山の幸海の幸って聞いたら
山幸彦海幸彦を連想したんだけど、出てきたモノを見たら延喜式の祝詞を思い出した。
69 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 19:16:18 ID:xjFrJWBJ0
>>64 いろいろな地域のものが出土するということは少なくとも流通の中心であったと考えられる
プラス有機物からの炭素年代測定でだいたい卑弥呼が存在していた時代にかぶる
ってこととほかに有力な遺跡もみつかっていないってことから消去法的に卑弥呼がいた可能性があるってこと
よほど決定的なモノがでてこないかぎり揺らぐ可能性があるって程度に考えておけばいい
71 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 19:19:01 ID:zSIQ97v70
あーやっぱ機内なんかねえ。九州人としちゃ悲しいねえ
72 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 19:19:28 ID:NbJLN7si0
邪馬台国の存在そのものが疑問なんだけど
魏志倭人伝の適当さにふりまわされてないか?
73 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 19:19:31 ID:Dha/dbpz0
サルナシは確かに美味い
そこいらの果物の何倍も美味い
74 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 19:20:14 ID:XDf1JvCs0
さあ、いつもの水掛論の始まりです
>>70 邪馬台国は九州を渡った先の南の海の上の国だよ。
>>72 「神武天皇」よりは余程信憑性が高いだろうw
>>72 倭人伝は、マツラ国までは、土地の描写は非常に正確だよ。
多分、中国人でないとかけないと思われる。
例えば、対馬の道の事を、禽鹿の経、なんて書いてある。
連中から見たら、もの凄く狭くて獣道のように見えたんだろう。
78 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 19:24:57 ID:NbJLN7si0
>>70 つうか、肝心の魏の使者が九州までしか行ってない
って説もあるしな。
卑弥呼がいたかどうかも怪しいよ。
>>75 と、いうことは今はなきムーかアトランティスか。胸が熱くなってくるな!!
>>76 巻向に宮を置いたのは、第十一代垂仁天皇か第十二代景行天皇だよ
巻向に宮を置いた天皇は他にも居たかもしれないけど、
とりあえず初代神武天皇については、宮を置いたのは橿原だから違うところ。
>>72 何度か魏に朝貢してるんだから邪馬台国自体はあったんだろう
でないと貢物はどっから来たんだって話だし
ただ邪馬台国までの行き方の正確さとか本当に倭の諸国を纏めてると言えるような国だったのかは不明だけど
>>79 ムーとかアトランティスとかには自分は興味無いけども、
興味のある人は海の上の国への道程を書いちゃった陳寿さんに感謝だね。
83 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 19:33:35 ID:fMLuXKIe0
都合のいい時だけ卑弥呼を利用しようとする、近畿考古学とマスゴミのコラボにもいい加減飽きた。
穴っぽこ見つけて、卑弥呼の宮殿。魚骨みつけて、卑弥呼の宮殿。 卑弥呼から離れられない集団は学問止めたら?
84 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 19:35:13 ID:NbJLN7si0
卑弥呼の墓を見つけないことには
どうしようないわ。
85 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 19:36:12 ID:NEKGX0890
奈良は海に面してたから当然だわ
「神武天皇」なんてその実在性に関しては「檀君」と変わらんよ。
歴史は2000年負けてるけどなw
やっぱり桃は特別なのかな。
黄泉の国を抑える力を持つという…
88 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 19:38:23 ID:vNbX4+hD0
89 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 19:39:03 ID:3pmBMRFZ0
桃の種2000年もつのかよ・・・
桃が黄泉の国を抑えるって、なんかエロチックだなw
92 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 19:41:59 ID:62dnhg2p0
「卑弥呼」や「邪馬台国」がちゃんと実在したことを先に立証してから比定したりした方がいいような気もする
95 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 19:45:36 ID:PEfd8/xO0
箸墓が卑弥呼の墓だよ。
周辺から出土した土器などの調査から箸墓の築造年代は従来考えられていたよりも
さかのぼって卑弥呼の時代と重なるみたいだよ。
>>87 桃が悪鬼を払うってのは中国から伝わった価値観
ただの美味しい物としてじゃなくてそういう意味合いで桃を供物にしてたんだとしたら
この遺跡の支配者が中国と交流を持ってたと考える事も出来る
97 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 19:47:05 ID:D63Ef4+B0
>>93 宮内庁により陵墓指定された古墳は、
国有財産法第3条の皇室用財産として宮内庁が管理している。
原則として玄室は開けない(発掘調査できない)んだから、
天皇家の歴史を明らかにするのは不可能だろ
>>95 WIKIみると、箸墓古墳の周辺調査で「馬の鐙」が出土されてからは男性王の墓の可能性が高いと見られているんだって。
>>87 意富加牟豆美命(おほかむづみのみこと)だね>黄泉比良坂の坂本の桃
>>1 >また、金原教授による花粉の分析で、土坑周辺にモモ林が広がっていたと推定できる
という。
やはりミニ中国だったのかな。
いずれにしても、あの辺、桜井市は、
大神神社があるし、
伊勢神宮もあの辺から移されてるわけだから、
代史を語るにおいて重要な場所だよな。
102 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 19:58:43 ID:C1MUtBqf0
箸墓発掘して、埋葬者が女性だったら、決定的になっちゃうんだろうなあ。
陛下が決断していただけないかねえ。
>>91 黄泉の国を抑えるっていうか
黄泉の国に行った妻のイザナミの体に成ってた雷神を追っ払った
・・・あれ?なんかもっとエロくなっちゃった
106 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 20:03:20 ID:KDF488D30
奈良県桜井市に出雲って地名があって
そもそも大国主(大物主)の国譲りはそんときの話じゃねーの?って説もあったな。
古代の桜井にいた出雲の人達は出雲大神宮のある京都の亀岡へ引っ越しさせられて
のちに、島根の出雲大社のある僻地へ隔離されたって話じゃなかったかな。
どうでもいいけどマンコに箸刺さって死ぬなんて怖い
>>108 そのへんがヤマトトトヒモモソヒメに関するひとつの鍵だな。
杼が刺さって死ぬのもヤダけどな
>>108 スサノオを産んだ母神は女陰が焼けて死んでしまった
取り上げた助産婦さんは「ほとほと手を焼いた」と言ったとか言わなかったとか
113 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 20:14:35 ID:vNbX4+hD0
>>106 箸墓古墳に眠るのは、日本書紀で大市に埋葬されて
その墓を箸墓と名付けられたと書かれてるモモソヒメだろうと思うけど
なんでそれと卑弥呼だの邪馬台国だのを関係づけられると思うのかが全く分からない。
陳寿さんが書いた道程の記録によれば、南の海の上の国の人なのに(←何度でもいう
巻向に宮を置いた第十一代垂仁天皇と、第十二代景行天皇の治世は
合わせると160年間程度。
160年前と言ったらまだ江戸時代だから長いな。そりゃ種も溜まるわ。
>>111 それは女陰をなんと読むか知らない人にはわからないジョークだな
116 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 20:47:44 ID:bVqSfN0e0
>>112 墓本体じゃなく周濠内の堆積土だろ?
普通は後年(50〜100年位)紛れた物とみるけどな。
117 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 20:56:12 ID:C1MUtBqf0
この遺跡、後から見に行ったんだけど、埋め戻されて何もなかった。
何か、アピールできるものを建てておけばいいのに。
118 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 20:56:36 ID:iR01Q+x+0
まだ九州説いるのかよ
119 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 20:59:04 ID:bVqSfN0e0
>>117 でも他人の土地だよ。
一番重要らしき場所にはJR駅があるしw
そもそも、昔は日本でも、
「邪馬台国って『ヤマタァ』とか『ヤマトォ』とかいう発音になるし、
『大和国』だよね」
ってのが常識だったんだけど、
本居宣長っていう、皇国史観とかネトウヨの走りみたいな馬鹿が、
いちゃもん付けて、「中国に朝貢するなどありえん!」
「九州の蛮族の話で、「邪馬台国」は『ヤマタイコク」と読むんだ!」
とか言い出して、それが定着しちゃっただけだよ。
支那だ朝鮮だとか笑ってるけど、日本だって酷いもんだ。
日本史系のマニアとか一部の学者とかなんて、
もうほんとそんな感じでうんざりするわ。
>>111 アマテラス・ツクヨミ・スサノオはいざなぎ死んだ後に生まれた神だろw
122 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 21:05:04 ID:C1MUtBqf0
>>119 というか線路と家が建ってるね。駅はちょっとはずれてるかも。
桜井市にカネがあれば何とかなるのかもしれないが、無理だろうな。
つまらん子ども手当てに出すカネがあるなら、こういう研究にちょっとだけ出してほしいなあ。
13000円を12500円にするだけでも、全然違うだろうし。
123 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 21:11:18 ID:mjsY8CZ50
>>104 続きは下手こいたらNTRかもしれんぞ
アマテラスは男神説があり
部下は機織の機械がマンコに刺さって死んだとある
つまり、弟のスサノオがアマテラスのお気に入りを寝取っちゃった?
と言う話かもしれない
124 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 21:14:02 ID:s8fa4YjO0
>>50 字がなかった時代とされる人だからカナでいいじゃないか。
ヒミコ。
125 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 21:16:54 ID:mjsY8CZ50
126 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 21:22:16 ID:BKUmxyyZO
なんでウヨ連呼が湧いてるの?
お前は過疎板で学歴自慢でもしてろ
ネトウヨよりも全てにおいて優秀な優性人種様なんだよな
127 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 21:24:28 ID:aYvipIaI0
桃を神聖視するのはやっぱり道教の影響かねぇ。
魏志に出てくる鬼道を能く使うって卑弥呼と、曹操に保護れて魏の中に独立国作った、例の五斗米道の女教祖だけでしょ。
>>120 陳寿さんの書いた道程を素直に辿ると、南の海の上に行くのに
どうしてそれを無視してしまえるんだ?都合が悪いから?
129 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 21:29:13 ID:aYvipIaI0
志賀島で出土した「とされる」金印は、じつは江戸時代の福岡の儒者がでっち上げたものといわれているんだけどね。
はっきり言えば偽物。
130 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 21:30:45 ID:C1MUtBqf0
巻向からは、東海、近畿、中国、九州、各地の土器が出土しているし、
その当時の日本の首都だったんだろうね。(九州は遅れた時期らしいが)
131 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 21:30:47 ID:s8fa4YjO0
132 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 21:31:59 ID:3pmBMRFZ0
>>123 アマテラスは男神説があり
↓
ホツマツタエでは男だ。
伊勢神宮の神殿に捧げる衣装は男用らしい。
>>132 なんかやたら男神説を唱える人を見ると思ったら
ネタモトは竹内文書かよ!w 電波あああああああwww
134 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 21:34:54 ID:9dEkx4EB0
>>120 素直に読めば「邪馬壹(壱)」だけど、
"やまと"につなげるために、「邪馬臺(台)国」と言い張ったんじゃなかったっけ?
135 :
桜井市民:2011/01/21(金) 21:36:28 ID:K1u29Pvj0
大昔の中国の公務員の与太話をなんでこんな税金を掛けて調べる意味が分からない。
136 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 21:37:31 ID:3pmBMRFZ0
>>133 伊勢神宮の神殿に捧げる衣装は男用らしい。
↓
直接、伊勢神宮に確認してみましょう。
137 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 21:37:45 ID:uQxr65TW0
で、いつ食べられるのかね
138 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 21:37:46 ID:UrbTRt8Y0
ヒミコなんて称号なんだから、あの有名人ヒミコがどこに居ようが構わないが
実際に山の辺の道を歩くと、あの辺りが湾だったのが今でも実感できるね。
巻向東方の桧原神社からの眺めは本当に素晴らしい。
開発されてないが故に、遺跡の軸線とか発表される度に風景が想像できる。
道伝いの小川も数残っていて、オオモノヌシのトイレプレイも妄想できて楽しいw。
139 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 21:38:23 ID:DdqOoO3AP
俺が埋めたんや
邪馬台国研究をしだしたのは新井白石
大和(奈良)のことだと言いだしたのも白石なら、やっぱ九州の山門だと言いだしたのも新井白石
ザ・ひとりでに邪馬台国論争
141 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 21:39:25 ID:UFzU+J710
なんかこう桃ばかりひと月くらい食べて桃のおしっこかなんかして、それを飲んだやつがいて、それが卑弥呼の魔法なんだ。
142 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 21:39:27 ID:qrIeLJd00
死ぬ前に、岡山の白桃100個くらい
一気食いしたい。
143 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 21:40:08 ID:dgpXDZh70
桃の種は発芽せんのかね?一儲けできるのに
日食と日食の間で王の名前が変わるとかじゃ?
160年の間に王の名前は2つだが、世襲制で複数名いるとか
鼠の中の人みたく、中の人はいないとか言い張ってて
なんだっけ、インカとかあっちの太陽信仰と同じパターン
大国主のは、
故郷に還れ大陸系ウザー
だが故郷は既に別の国になってましたので、端っこに留まった
と見るほうが自然じゃね?
邪馬台国のことを魏志倭人伝に適当に書いたがために
卑弥呼の逆鱗に触れ、司馬師はその呪いで顔面が
ひでぶあべしになったのを知らないの?
146 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 21:43:54 ID:PbXJTWJ60
倭と大和は別の国だと何度言ったら
147 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 21:47:12 ID:L4b5/Rx60
>>135 マジレスすると古代日本は文字がなかったので歴史が記憶されていないのですな。
わずかに当時の歴史を記憶しているのが唯一魏志倭人伝なのですよ。
148 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 21:48:22 ID:XcRGtL2U0
>>134 邪馬壹とあるのは現行魏書のみ
魏書を引用したと考えられるその後の史書に邪馬壹とかいてあるものはない
魏書が写本の過程で字を間違えたとみるのが普通
10 名前:名無しさん@十一周年[] 投稿日:2011/01/21(金) 17:52:55 ID:wGElNQhS0 [1/2]
九州人はいい加減現実を見ろよwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
九州は昔から大和の出先機関に過ぎなかったんだよwwwwwwwwwwwwwwwwww
12 名前:名無しさん@十一周年[] 投稿日:2011/01/21(金) 17:56:06 ID:wGElNQhS0 [2/2]
>>10 同感
前方後円墳と一緒で、近畿→九州の流れで見るのが自然
( ´,_ゝ`)プッ
( ^∀^)ゲラ
( ^∀^)ゲラッゲラ
(゚∀゚)アヒャヒャヒャヒャ
ガッハガハガハ(・∀・)ガッハガハガハ
アヒャヒャヒャヒャ ヘ(゚∀゚ヘ)(ノ゚∀゚)ノ ヒャヒャヒャヒャ
アーヒャッヒャッヒャ ヽ(゚∀゚)メ(゚∀゚)メ( ゚∀゚)人(゚∀゚ )メ(゚∀゚)メ(゚∀゚)ノ ッヒャッヒャッヒャ
150 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 21:55:48 ID:C1MUtBqf0
>>135 税金払ってる桜井市民の人には、申し訳ないね。
もっとあの遺跡に人が来るようにして、地元に金が落ちるように考えるのも、行政の仕事だろうに。
せっかくの大遺跡なんだけどなあ。
祈年祭
集侍はれる神主・祝部等、諸聞食せと宣る。〔神主・祝部等、共に唯と称せ。餘の宣るといふも、此に准へ。〕
高天原に神留り坐す皇睦神漏伎命・神漏弥命以て、天社国社と称辞竟へ奉る皇神等の前に白さく、
今年二月に御年初め賜はむと為て、皇御孫命の宇豆の幣帛を、朝日の豊逆登に称辞竟へ奉らくと宣る。
御年皇神等の前に白さく、皇神等の依さし奉らむ奥津御年を、手肱に水沫画き垂り、向股に泥画き寄せて、
取作らむ奥津御年を、八束穂の伊加志穂に、皇神等の依さし奉らば、初穂をば千穎八百穎に奉り置きて、
閉高知り、腹満て雙べて、汁にも穎にも称辞竟へ奉らむ。
大野原に生ふる物は甘菜・辛菜、青海原に住む物は、鰭の広物・鰭の狭物、奥津藻菜・辺津藻菜に至るまでに、
御服は明妙・照妙・和妙・荒妙に称辞竟へ奉らむ。
御年皇神の前に、白馬・白猪・白鶏、種種の色物を備へ奉りて、皇御孫命の宇豆の幣帛を、称辞竟へ奉らくと宣る。
(後略)
延喜式から。
>1に祭祀って出てるのはこういうのからだろうな。
> 昨年9月に大量のモモの種が見つかった人工の穴(土坑(どこう))
> の中に、多彩な海産物や栽培植物も埋められていたことが分かり、
貝塚でしょ。
集落があれば、その周辺には当然あって然るべきもの。
(広辞苑第6版より)
かい‐づか【貝塚】 カヒ‥
人が食した貝の殻が堆積した遺跡。
全世界に分布するが、日本の縄文時代のものが数も多く、内容も豊か。
土器・石器とともに埋葬人骨や各種の自然遺物が出土し、生活や環境
復元資料として重要。
>>147 当時の記録(文書)は無いが当時の記憶(口承伝承)はあるよとマジレス。
154 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 22:08:33 ID:DoyBKvvf0
モモソ姫ってのは桃葬姫って意味だった!のかな?
155 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 22:10:48 ID:B2hAE3Zb0
北九州死亡wwww
>>154 いや「百襲姫」だろ。「遥かな祖先の姫」の意味だ。
157 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 22:21:58 ID:6rcNrbiY0
死亡率の高い感染症の大流行、いざなみにもその兆候は現れた。
見舞いに訪れたいざなぎに、感染者達の群れは病気をうつそうと襲いかかってきた。
なぜならば、健康なものに病気をうつせば自分の病は良くなる信じられていたからだ。
この危機を桃で逃れた故事は末永く伝えられ、感染症の大流行の折りには攻め上がる来る黄泉への入り口を
大量の桃で塞ぐ祭祀が行われた。巻向はその遺跡である。いにえの捧げたにえであろう。
うまいこと言ったつもりなのにガッカリだぜ…
>>27 ロマンだよなあ。
私が読んだのは高校生の時だったが、本当に興奮したよ。
161 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 22:34:20 ID:UFzU+J710
卑弥呼の桃祭りやろう。お姉さんを卑弥呼に見立ててひと月桃以外は食べさせない、水は飲ませるけれどそのほかは飲ませない。
そうなれば桃のおしっこをするからそれをみんなで分ける。
>>157 桃は投げるものであって塞ぐものじゃありません。 ・・・え、食べれるの? byイザナギ
163 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 22:52:51 ID:EUDF9scZ0
卑弥呼=神功皇后
何を今さらw
164 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 22:55:40 ID:UFzU+J710
卑弥呼はシャマンなんだよ。大和朝廷以前だよ。
昔からグルメ
どんな大戦が起ころうと、日本()大和言葉を絶えさせらりゃあしない・・・。
大和言葉絶えさせたら実質自分たち国のストーリ絶えるし、大和ぅ(日本)が築きあげたのおを。
何100年とかかって築きなおすんだ。
>>153 口承伝承はある程度事実を反映してるのだろうとは思うけど、
検証が不可能なので、その解釈論は言った者勝ちだよとマジレス。
>>117 行くと卑弥呼の里って名前の新興住宅地がある。
>>167 記録(文書)も記憶(口承伝承)も、単体では確かかどうかはわからないものだけれど、
記録(文書)も記憶(口承伝承)も、正確さを検証する事は出来るよ。
解釈論って何?陳寿さんの書いた事を都合によって取捨選択するような方法論のこと?
170 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 23:11:13 ID:vZKqSi5V0
>>133 全国の天照って名前が付いてる神社の主祭神が誰かを調べてみようね!
171 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 23:12:24 ID:/goGaQCi0
「親魏倭王」金印発見マダー?
卑弥呼ってやまとととひももそひめのみことじゃねーの?
>>170 アマテラスオホミカミは伊勢神宮だからお社の名前に天照ってつかないと思うよ。
卑弥呼は死に際し、死後この国を自分に代わって守らせるために
鹿と狐と鼠に目を託したんだよ
若い頃はお世話になったもんだよ
ここまでハイキングウォーキング無し
をがはなか ば
あらゆるすじ道を治して、一語ちご述語ありえなしで矢mとが立て直す。
容れなや白人、白刃かしや。
178 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 23:27:50 ID:UFzU+J710
モモ色の羽で扇を作ってそれを持って踊るんだ。卑弥呼踊りだ。女の子が集団でそれをやる。
間にはモモを食べる。いよいよ卑弥呼祭りもハイライト、そこに出てくる。これが卑弥呼。
179 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 23:34:02 ID:vZKqSi5V0
>>173 他他田坐天照御魂神社(奈良県桜井市)祭神・天照国照彦火明命
鏡作坐天照御魂神社(奈良県磯城郡)祭神・天照国照日子火明命
木島坐天照御魂神社(京都市右京区)祭神・火明命
新屋坐天照御魂神社(大阪市茨木市)祭神・天照国照天彦火明大神
粒坐天照神社(兵庫県龍野市)祭神・天照国照彦火明命。
伊勢天照御祖神社(福岡県久留米市)祭神・天照国照彦天火明命。
天照神社(福岡県鞍手市)祭神・天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊。
阿麻氏留神社(対馬下県郡)祭神・天照魂命
いずれも、記紀編纂以前の創建で古い神社。
180 :
名無しさん@十一周年:2011/01/21(金) 23:42:01 ID:U8fwoLhbO
九州と奈良どっちに卑弥呼いたん?
いつになったらはっきりスルンダロウナ
>>179 それアマテラスオホミカミじゃなくて、アマテラスオホミカミの子のオシホミミノミコトの子のアメノホアカリ。
天照国照と書いてあるのは、アマテルクニテルと読む。
アマテラスオホミカミとは違う神様だよ。
あの当時の東夷伝って相当いい加減なんで
そんなもんを元にああだこうだ言っても意味が無いでしょ
卑弥呼なるものが、どの程度の存在なのか自体不明
183 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 02:42:39 ID:7YU/ljwj0
>>180 どっちだろうと
その頃の文化の中心は九州だろ。
>>179 彦天火明命って、すごい気になる神様だよな。
元伊勢の籠神社の祭神も彦天火明命だし。
185 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 02:47:30 ID:/PWd39Fr0
>>182 そうそう
だいたい文献というのは参考程度
発掘して出土したものが重視されるのが学問
文献のままに発掘されることは極めて稀
だからこのまえ日本書記の記述のままに古墳が発掘された時は驚かれた
それなのに九州は魏志倭人伝の記述とあわないとか固執する
まったく学問の態度ではない
九州からは卑弥呼の年代にあう古墳とか遺跡とかははまったく出てきていない
186 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 02:55:24 ID:dAHw6Z5u0
卑弥呼のモデルは やまとととひももそひめ
皇族の系図に乗っている
今で言えば マコカコ
187 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 03:02:27 ID:/PWd39Fr0
>>186 やまとととひももそひめは箸墓古墳だよね
まんこを箸で死んだんだよね
なんでそんな伝説(?)になるのやら
大物主とセックスするときに明かりをつけたら
正体が小さなヘビだったんだよね
で怒って帰っちゃった
それで、まんこを箸で突いたとか
このエピソードって下ネタばかりだよね
大物主という名前がちんこがでかそうな名前だし
ヘビと箸というのもペニスの暗喩だろう
なんで卑弥呼にそんな伝説がつくんだろうね?
188 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 04:54:49 ID:f/toGgyc0
>>185 卑弥呼の時期(弥生時代後期)は都が九州から畿内に移行する期間だったらしい。
元々の国(集落)は九州にあって文献にもそう記されたが、
首都機能(権力を示すもの)は移行先の畿内で残されたと考えれば矛盾しないと思う。
邪馬台国九州畿内併用説とでも言おうか。
早く発掘してはっきりさせてください
卑弥呼せんべいを近くで売りたいです
縁が△になってるせんべいです
よろしくお願いします。
190 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 05:06:33 ID:Ex506gRFO
仁徳天皇稜探ったらなんか出るんでないの
191 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 05:08:03 ID:X1wtAndn0
・出雲が本州での一大勢力
・南(九州?朝鮮の下?)に一大勢力
南の勢力が北上して、出雲と合併。
出雲が本州での王座を移譲。
これは確かだろうな。
192 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 05:26:22 ID:X1wtAndn0
過疎りすぎだろ・・・。
プロバでざっくり規制しまくるから、ニュー速+でさえ過疎ってる。
予算取りの季節か
>>182 国家のアイデンティを作るために、当時の後進国日本が、シナの歴史書を参照しながら、その500年後に作った日本書紀なんてもっとあてにならない。
>>190 残念ながら、もう江戸時代かなんかに盗掘されちゃってるからね。
たいしたものは残ってないかも。
196 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 05:48:01 ID:7YU/ljwj0
>>194 と吹聴する教師が
学校に必ずいるよなw
197 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 06:06:27 ID:6DrpZZnH0
>>152 なんつーか、マキムクに関しては、何でもかんでも無理矢理話を大きくしたい連中が
いるみたいだねwwww
>>185 文献を信用しないのなら、そもそも「邪馬台国」なる国の存在を論じる事自体がナンセンス。
畿内バカは我田引水と針小棒大がライフワークのようですなwwww
>>19 直す必要はねえよ 支那の文字で支那の文化に乗っかって残ってる文化だ
韓半島だなんて見苦しい事言ってる朝鮮人じゃあるまいし
201 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 07:02:40 ID:7s8HnTCB0
九州説は田舎伝説
吉野ヶ里遺跡のとこが邪馬台国なんじゃないの?
203 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 07:14:14 ID:lNWKNgEp0
自分で埋めて発掘しちゃった人のせいで
どうも、この時代の発掘調査は胡散臭いものを感じるようになってしまった
>>197 日本書紀の信憑性に関しては既に見直されている。
隠された十字架は勘弁なw
206 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 07:37:43 ID:57SYGbZt0
中国の書物では九州説じゃなかったっけ。
207 :
名無しさん@十一周年 :2011/01/22(土) 07:58:25 ID:rsbcQFvv0
左翼学者の小中陽太郎が書いた「外国の歴史教科書を読む」
という本によれば、韓国の国史教科書では、天照大神は韓国人
となっているらしい。
小中先生はこれを読んで「嬉しかった」と書いている。
208 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 08:12:56 ID:rrwAl9VK0
>>194 なるほど、日本書紀には日本のアイデンティティとなるものが詰まってるんだな。
邪馬台国九州説論者、ドンマイ!
211 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 08:57:32 ID:z6ip2/5j0
そもそも東夷伝の陸行、水行の記述はその方位が誤っているという考えも
あるよね。コンパスも何も無かった時代だ、十分にその可能性はある。
あるいは方位と距離の部分を誤記した可能性もある。
212 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 09:00:30 ID:rNQGGxcL0
二千年も前の古代に、海のない奈良までどうやって魚を運んだんだろ?
氷で冷やせる真冬に奴隷が大阪湾から全力疾走したんだろうか?
一方、朝鮮半島では20世紀になってもこれと同水準だった。
214 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 09:02:18 ID:6DrpZZnH0
215 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 09:04:51 ID:rNQGGxcL0
大阪湾でとった直後に焼き魚にしたか、干物にしたのか?
それを奈良まで?
どうも想像しにくい。
>212
そのころの大阪は海辺の湿地、
奈良盆地は大半が沼地で大和川経由で海に繋がっていた
船で簡単に運べるよ
・延喜式巻第八神祇八 祝詞
広瀬大忌祭(ひろせのおほいみまつり)
広瀬の川合に稱辭竟へ奉る、皇神の御名を白さく、御膳持たする若宇加能賣命と御名は白して、
此の皇神の前に辭竟へ奉らく、皇御孫命の宇豆の幣帛を捧げ持たしめて、王臣等を使として、稱辭竟へ奉らくを、
神主・祝部等諸聞食せと宣る。
奉る宇豆の幣帛は、御服は明妙・照妙・和妙・荒妙・五色物、楯・戈・御馬、御酒は甕のへ高知り、甕の腹満て雙て、
和稲・荒稲に、山に住む物は、毛の和き物・毛の荒き物、大野原に生ふる物は、甘菜・辛菜、
青海原に住む物は、鰭の広き物・鰭の狭き物、奥津藻菜・辺津藻菜に至るまで、置き足らはして奉らくと、
皇神の前に白し賜へと宣る。
(後略)
明妙・照妙・和妙・荒妙・五色物→アサ、コウゾ
御酒→果実酒原料のニワトコやサルナシ、
和稲・荒稲→イネ、
山に住む物の毛の和き物・毛の荒き物→ニホンジカ、イノシシ、ネズミ、鳥類のカモ科
大野原に生ふる物の甘菜・辛菜→モモ・ウリ・ヒョウタン
青海原に住む物の鰭の広き物・鰭の狭き物→マダイ・ヘダイ・アジ・サバ・コイ科の多彩な海産物
楯・戈・御馬と奥津藻菜・辺津藻菜があれば完全に一致/(^o^)\
218 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 09:09:50 ID:ARfbgkTtO
>>212 脳味噌筋肉なおまえも干物にするなり塩漬けにするなりしようぜ
>>212 川があるじゃまいか
漁師はだいたい船乗り
220 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 09:12:58 ID:rNQGGxcL0
マダイ、ヘダイ、アジ、サバ、コイ科
あれ?これって川魚だっけ??
222 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 09:15:01 ID:2uGNZpra0
正直、日本中のほとんどの地域の住民は、こんな話には興味がないだろうな。
んなもん、九州でも畿内でもどっちでもいいんだよ。なんか影響あるのか?
>>222 もしかして九州よりずっと南の海の上にあったらしい国のこと?
224 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 09:17:47 ID:erFoKKM3O
はいはい、ほぼ捏造だろう。予算くんでもらわないといけないからな。この時期になると新たな発見でチョイス
卑弥呼はいいAV女優じゃった。
インスタント麺が主力の俺より、いいものを食ってるなあ。
果物なんか、最近買った事ないし。
卑弥呼がいたという邪馬台国は南の海の上の国なのに
なぜか必死で巻向と卑弥呼をくっつけようとする陳寿泣かせの人々
卑弥呼なんて、古事記にも日本書紀にも万葉集にも風土記にも出てこない。
オマエラがシナの書物にしか出てこないものを有難がって、
日本の書物の記述をさげすむのは、
気づいていないだけで、中華思想に毒されているってこと。
まったく、無知蒙昧はこれだから困る。
↑
読めるか?
229 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 09:31:18 ID:6DrpZZnH0
>>228 その"中華思想"を導入したから、記紀があるわけで...
>>228 古事記には出てこないね。風土記にも万葉集にもないと思う。
日本書紀にも卑弥呼の名は出て来ないが、神功紀に小さな倭人条からの引用ならあるよ。
でも当の陳寿の書いた道程を辿ると南の海の上に行くから、どれも素直に信じるなら
神功紀での倭人条の小さな引用が半端物。
>>229 この場合の中華思想というのは漢字や仏教や五経四書といった大陸の文物が入ってきたことを指しているのではなく
大陸の中原を中心として物を考える事・考えさせる事を指してるんでしょ。
232 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 09:42:28 ID:NZZL0yc70
卑弥呼が統治してた時代があったという事になると
他の歴史と整合性が取れなくなる
233 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 09:42:39 ID:TExLgP7A0
>205
倭途途日母母襲比売命=卑弥呼説
には大きな欠陥がある。
この類の説を見かけるたびに思うのだが
そもそも日本書紀は卑弥呼を神宮皇后にあてはめている。
このことを考慮しないでさらに神宮皇后より古いとされてる
母母襲比売の事件を笠井新也が卑弥呼に比定していることは
おかしい。
書紀編纂者は卑弥呼=神宮皇后説を採用しているのに
このことを置き去りにして卑弥呼=倭途途日母母襲比売命とは
他の日本書紀の記事をも否定しているのも同然なのだが。
崇神紀のみをピックアップしているのがねぇ。
234 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 09:43:18 ID:6DrpZZnH0
>>231 うん、で、「俺偉い」「俺唯一正当」を日本で応用したと。
我ながらいい加減な言葉遣いだけど。
235 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 09:47:58 ID:ARfbgkTtO
別にいいじゃん
卑弥子が天皇やってたとしてまずいことでもあるのか?
236 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 09:50:36 ID:PzBsXy5w0
卑弥呼って、今で言えば村長か町長程度のもんなんだけど。
237 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 09:52:04 ID:nReHRtBk0
さっさと奸は退陣しろ
>>233 神宮じゃないよ神功皇后だよ。気長足姫尊(おきながたらしひめみこと)だね。
>>234 中華思想=「俺偉い、俺唯一正当」という思想なんだと理解してることは分かった。
けどその当の中華自身が王朝交代が激しいのに、其の思想をなぞるとかえって危うくなるだけなんじゃないのと思う。
国語の、「統治」を意味する言葉は「知る」とか「食(を)す」とか言うんだけど、
知るっていうのは見るってことで、物を見ると言うことは、見て自分の中に取り込むってことでしょう。
をすっていうのは体に取り込むことなんだよね。
「俺が唯一正しい」と思ってる人というのは、他人の意見も様態も見ないんじゃないかな。
だって他は正しくないと思ってる人なわけだからね。
>>211 太陽が見えて方向間違えるわけないだろう。
魏志倭人伝その他の記述が重要視されてるのは、
当時の中国が既に歴史時代に入っていて、
「何年に何が起こったか」が、ほぼ正確に記録されてるからだよ。
特に邪馬台国の記述がよく話題になるのは、
実際に邪馬台国への行程やその間の国の様子なんかが記載されてるから。
こいつを日本側の資料や考古学的な成果と付き合わせていけば、
曖昧模糊としてた、古代通り越して神話の時代に近いような時代の
日本の様子や年代をかなり確定できるから。
卑弥呼=倭迹迹日百襲媛命=箸墓古墳の被葬者
って学説なんて、まさにそうだろ。
241 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 09:59:46 ID:WAhq8kIN0
>>233 神功皇后は子孫がいるのに卑弥呼説は根本的に無理だろう。
242 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 10:01:55 ID:iAyjIFW10
マクモニーグルの透視によると、
女王卑弥呼の国(領有地)は北九州周辺にあったが、
日本の中心は近畿にあり、そこで連合国(大和朝廷)の祭祀をしていたらしいんよな。
243 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 10:02:08 ID:WAhq8kIN0
>>239 方角を間違えて記載している例は結構ある訳だが。
244 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 10:02:39 ID:6DrpZZnH0
>>238 易姓革命認めたくないから、律令では王朝交代規定省いたりしてるよね。
自分の正当性はアピールしたいだろうし、
中国みたいになりたくてプチ中華だったんじゃないの?って意味。
>>240 正確だと確認できるのは地域でしょ。
でもって、九州北部のある地域までは正確で、それ以降は不正確だ
という話にしないと、邪馬台国が日本列島のどこかにあるということには出来ないよ。
行程は全部正確だということにすると、九州よりずっと南の海の上にさようなら。
>>243 実際に行ってか?
単に伝聞で書いたものだろ。
中国の使者は実際に来ているし、方向や距離の記述は細かい。
>>245 ま、そのせいで延々と議論が続いてるわけだが、
実際色々妄想するより、世の中ってのは単純で、
「写してるうちに1カ所方角を書き間違えました」
とかいうのが、一番自然だろうね。
でも、それじゃ飯のタネにならないから、
作家や学者さんは色々言うわけ。
作家は売らんかなだし、学者も既存資料を使う場合は、
やっぱり個性的なこといわにゃならないから。
248 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 10:16:48 ID:iAyjIFW10
のちの幕府で例えると、将軍は権威。
実際の権力を握るのは大老を始めとした親藩、譜代の役職つきの大名。
んで、その大名は幕府という政治体制の中の役職のほかに自分の領地を持っててそこの主でもある。
古代もそれと似た統治、政治状態だったんじゃなかろうかと俺は思う。
卑弥呼は九州に自身の領地を持つ姫巫女。
天の下には日が昇る。
…という自然の道理のもと、天皇のもとで日の役割をもつ者が政治を行う。
…という体制だったんじゃなかろうか。
>>244 記紀にあるのは正当性じゃなくての根拠じゃなくて正統性の根拠だと思うけど、
「わしは神様の子孫じゃ」という正統性は、一つの氏族にしかないんじゃなくて
帰化氏族以外の全ての氏族が持つものだから、プチ中華によしんば成りたいと思っても
不可能だったんじゃないかな。天帝があるんだよ!天帝が選ぶんだよ!(←易姓革命の正当性の根拠)って言ったりしたら、
蘇我と物部の崇仏論争みたいなのがまた起こってたんじゃないの。
>>247 色々妄想するより、陳寿が書いたとおりに理解するのが一番自然だと思うよ。
自分の好みに従った解釈論をぶちまけたって、書かれてる事は変わらないんだから。
>>249 一行目「正当性の根拠じゃなくて正統性の根拠だと思うけど」な。
252 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 10:30:30 ID:WAhq8kIN0
>>246 九州よりはるかに近い済州島の記述で、
東西と南北を間違えて記載している例もあるからね。
253 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 10:33:18 ID:iAyjIFW10
今でも中国とか九州って地域の呼び方があるが、中国ってのはいわゆるナカツクニであって、
もともと日本の中心は中国地方にあったんじゃなかろうかと思うんだな。
で、そのとおりに国譲りの話があると。
んで、九州っていうけど、九州ってのは、中国では皇帝の直轄地のこというんで、
国境地域ってのもあるし、もともと大王(のちの天皇)がそこ出身だからってのもあるかもしれんし、
それで九州なんじゃないかと思うんだな。
実際、神武天皇は宮崎出身だし。
歴史書的にみても、卑弥呼の国(領有地)は九州にあったっぽい。
だが、大和朝廷というのは卑弥呼の国(領有地)とは別の連合国家(政府)であって、
それが近畿にあったんじゃないかと俺は思うんだな。
神武の東征の神話もあるしね。
日本の考古学的成果と、日本書紀・古事記をつきあわせると
この遺跡は巻向に宮を置いたと書かれている第12代景行天皇の頃の宮跡。
>>253 畿内とか中国とか九州とかって
後の呼び名だと思うよ。
だって大和言葉じゃないし。
それと、九州は國が九つある(あった)から九州なんで、皇帝が云々は全く関係ないと思う。
256 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 10:44:06 ID:WAhq8kIN0
>>253 神武東征といっても読めば判るが、
単なる身内が畿内へ戻る話だ。
実際の争いは生駒を越えられずに敗走してるからな。
あとは策略で大和へ侵入、脚色だよ。
257 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 10:45:50 ID:OW983uVL0
卑弥呼の鬼道=原始道教って説があるね
桃=神仙思想
>>256 天神同士だから在る意味身内だけど(しかもその天津神の子である饒速日命とは戦ってない)
戻る話じゃなくて
一番統治のしやすい場所はどこか、といって日向国から結婚とか宴会とかしつつ徐々に東に向かっていく話。
260 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 10:52:33 ID:EHgp0Ese0
当時の中国が、どのような意図をもって卑弥呼や邪馬台という漢字をあてたのかぐらいは
教科書に記述してほしいのだが、歴史に詳しい人から見ればそういうことはナンセンスなのかね
261 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 10:59:57 ID:iAyjIFW10
ここで俺の不満。
そもそも大和言葉を中国語で音韻当て字したから意味不明になった。
しかも、普通に当て字するんじゃなくて、変な字を当て字しやがった。
卑弥呼はおそらく姫巫女なんだろうけど、中国語で姫巫女って書いたら、
音韻が変わっちゃうし、意味も変わっちゃう。
違う言語を翻訳するから仕方ないんだろうけど、だったら意味とか説明とかもかいとけやと。
あと、地理。
いい加減なこと書くんじゃねーよと。
そんなとこに陸地ねーんだよと。
伝聞なら伝聞と書いとけやと。
あと、倭の5王って誰だよと。
さんちんせいこうぶなんて名前のやついねーんだよと。
262 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 11:01:21 ID:wyaCrGBB0
日本を矮小化したい九州説の田舎者はいい加減にあきらめろwww
263 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 11:01:33 ID:RNf2GOkS0
山道を歩いてると方角や距離は分からなくなる
船で海に出ても時間がわからないと
あんがい南東〜南西まで方角は分からないな
日数は間違えないだろう
264 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 11:04:05 ID:erFoKKM3O
奈良が福岡より都会だと思っている馬鹿がいるのが畿内派
265 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 11:05:04 ID:yMEqu9ks0
梅の国=天神(道真以前からあった)と桜の国=天照があって、梅の国から桜の国へ支配者が変ったと、何ぞで読んだぞ。
>>265 こちらでいう天神とは天津神のことであって
天照大御神も天津神だよ
天神地祇と書いて(あまつかみくにつかみ)と読むの。大和言葉に沿って書きなおせば天津神国津神。
267 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 11:11:29 ID:WAhq8kIN0
>>258 生駒越えが出来ない瀕死の集団なのに
紀伊半島周回して大和へ入るなんて絶対無いからな。
実際にあったとすれば、和歌山辺りに落ち着いて足場を固めてから
協力者を得ながら紀ノ川沿いに入るという話だろう。
東征なんて言葉は誤解を招くだけ。
ていうか饒速日命はその子孫の氏族の伝記によれば
天照大御神の子の忍穂耳命の子の天火明命だったはずだから
どっちも天照大御神の系列。
269 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 11:12:31 ID:yMEqu9ks0
>>266 なるほど、ちなみに桃園があったらしいけど、ももは中国ではありがたい果物だよね、
秦氏とかかわりがあるのかな。
270 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 11:13:37 ID:iAyjIFW10
>>263 >日数は間違えないだろう
俺もそう思うわ。
人が移動する時間は方法が限られていれば誰でも大して変わらないけど、
方角とか距離とかは正確じゃないと思う。
実際に言ったり、行ったりしたことがあるやつの大体の主観の方がでかいだろうから。
はかりながらってわけじゃないだろうし。
271 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 11:17:14 ID:ysgStdxG0
古墳にしたって、大陸の墓みたいに墓誌でも入れといてくれれば
こんなに混乱しないのにな
>>263 山なら方角調べる方法はいくつかあるけど、日数は忘れると簡単には調べられないぞ
>>269 桃は名を意富加牟豆美命(おおかむつみのみこと→大神津実命か)といって、
イザナギが黄泉の国から逃げるときに、追いかけてきた雷神に投げたら雷神が退散したという。
秦氏がよく祀ったのはお稲荷さん(うかのみたまのかみ)だったはずだから全然違う。
桃は水分を含んでおいしいからどこでも重宝されたんだろうね。
この時代は幸というと、狩りや漁の道具の事だったのでしょ?
>>274 身のために吉い事。
海の幸山の幸は食べると体にいいからやっぱりこの場合は食い物でしょ。
276 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 11:33:54 ID:WAhq8kIN0
この時代の桃は食用より主は祭祀目的でしょ、仙果なんだし。
水害の多い場所にも植えるとされる。
サイズも小さくて酸っぱい種だから
あるとしたら酒用じゃないの?
277 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 11:36:46 ID:NZZL0yc70
纒向遺跡は近畿から九州までの首都だったのか、卑弥呼政権だと
天皇が乗っ取ったのか、だから東夷を征伐なのか
278 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 11:37:55 ID:rOD6iWFN0
日本の考古学って世界的には信用されてないんでしょ?
279 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 11:40:02 ID:yMEqu9ks0
>>275 うちらの氏神様では、祭りのときは海の物山の物を供える、海のものは鯛、山のものは旬の野菜で一番よくできたものをお供えするよ。
祭りは年4回ほどある。
うちの家の正月も海の物、山の物を意識して供えるし、雑煮にも入れるよ。
邪馬台国は尖閣諸島にあったんだよ。
>>20 いいかげんな奴多いからな。
今も昔も。
俺はきちんとしてるから、視察しにいくけど。
てか処刑も怖いし。
じゃあ間を取って「ひみこ」と「ひるこ」聞き間違えて記したってことで
淡路島に邪馬台国があったってことにしよう
283 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 12:02:06 ID:yMEqu9ks0
古文書をすべてローマ字表記して、世界中の言語と照らし合わしたらいろんなことが読めてくるなんて言ってる人いたな。
前方後円墳の初期型というのは岡山県なんだよな。
そこから大型化して近畿に至る。
九州は円墳。方墳は出雲。
286 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 12:20:50 ID:iAyjIFW10
>>285 >前方後円墳
↑これって融合だと思うんよね。
円墳勢力と方墳勢力の。
国譲りの話とつながってるんだと思う。
287 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 12:26:08 ID:+bXm0ur50
>>285 え、違うけど。盾築墳丘墓と混同してるんじゃね?>岡山
前方後円墳前期は畿内中心だよ。巨大化したときに広がるの。
>>267 紀伊半島を回るのに使うのは海路だよ。
つか、実際にあっただの絶対にないだのなんてそもそも図れない。
神武天皇の話は神話の域だろうから。
290 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 14:08:29 ID:rrwAl9VK0
巻向に宮を置いた第12代景行天皇が200年代となるとあとはどうなるんだろう
291 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 14:13:24 ID:2aqBdBca0
いい加減日本史もきちんとした名称
日の御子に直せ
中韓みたいな下劣な国からの侮辱した呼び方を使い続けるなよ
九州に邪馬台国があったに決まってる。
当時の中国からみたら九州が日本の玄関だしね。
九州で邪馬台国が支配開始して、それから近畿の方まで支配していったんだよ。
293 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 14:39:57 ID:XbjBmfW/0
>>263 そうだよなあ。
そう考えると、この旅程の最後は、水行10日、陸行1月とあるから、九州北部とは思えないねえ。
294 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 14:52:31 ID:k+pgw17K0
当時の纒向何とかの宮があったらすいから磯城郡の纒向村になったんだよな?
なんでヒミコの本拠地とか新聞は騒ぐの?
295 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 14:53:51 ID:4CAd1iIL0
行間空けも数えると
296 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 14:55:09 ID:OVAtumZ10
>>286 もともと祭祀用の作り出しが発達したもので、方墳は関係ない。
昨日、テレビでやってたけど、九州説の学者のインタビューが必死過ぎて哀れだった。
298 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 14:59:39 ID:/9TgrVUM0
「ゴッドハンド」の人って今何やってんだろ?
>>294 きっと新井白石ファンが混じってるんだよ>新聞社
冗談だけど。
300 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 15:05:19 ID:+bXm0ur50
>>297 吉野ヶ里遺跡のある佐賀の大学教授だろ?
纏向遺跡に観光客を奪われたくないから、必死に貶しているようにしか思えんかったなぁw
この時代の九州にはマキムクみたいな巨大宗教都市的なもんが存在しないんだっけ
まあ発掘されて無いだけで実はあるのかもしれんけど
巻向→大和国城上郡。桜井市北部、もと巻向村
紀によれば巻向の宮は
第11代垂仁天皇の珠城宮(記では師木=磯城の玉垣宮)、第12代景行天皇の日代宮。
>>292 出雲の地理も侮れないぞ。
西に玄関があって
雲に囲まれた幽玄な土地。
>>300 邪馬台国の使者がオーバーに言っただけで
実は小国だった可能性もあるのに
余裕を持つべきだよな。
>>307 九州説はそっち方面でいくべきだな
邪馬台国=三世紀の日本の中心っていう考えを捨てない限り畿内説には勝てない
当時の倭の概念なんて適当だし魏の使者も倭の情勢なんて伝聞以外じゃ全く知らないだろうし
>>307 使者が実際に現地にいってるのにオーバーも糞もないだろ
>>309 魏の使者は博多で聞いた伝聞を書いただけで邪馬台国には行ってない説が強い
>>310 そんな説全然強くない
だいたい皇帝の命を受けた使者が邪馬台国に行かないわけないだろ
直接卑弥呼にあって封じたりしたというのも記載がある
312 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 15:51:54 ID:rrwAl9VK0
なんかアサピーの記事が一番詳しくて分かりやすいな。
題はともかくも。
>魚はマダイ、アジ科、サバ科の魚、イワシ類、コイなどと見られる淡水魚の5種類。
>動物はニホンジカ、イノシシ属(ブタを含む)の動物、ネズミ類、カエル類、カモ科の鳥の5種類。
>骨や歯は約1千点にのぼり、8割以上が魚。
>ネズミ類やカエル類の骨の量はわずかしかなく、自然に混ざったものとみられている。
>植物のうち、栽培されたとみられているのは、イネやアワなどの穀物、桃、ウリ類、ヒョウタン類、アサ、エゴマなど10種類だった。
>ネズミ類やカエル類の骨の量はわずかしかなく、自然に混ざったものとみられている。
混ざっただけかいー\(^o^)/
専門家コメント
アサピー:杉山林継(しげつぐ)・国学院大名誉教授(祭祀考古学)は
「神への供え物である神饌(しんせん)とみられ、神道祭祀の源流だろう。
これだけの種類を集められたのは纒向遺跡に相当な権力者がいた証しではないか」とみる
中日:市教委の橋本輝彦文化財係長は
「豊富な栽培植物や内陸の纒向での多種の海水魚の確認が注目される。
山や海の幸が供えられた祭りには大きな力を持つ人物が関わっていたのだと思う」
垂仁天皇もしくは景行天皇のころと、延喜式編纂のころ(905年)の朝廷の祭祀とか勢力範囲とかが
そんなに変わってないってことなんじゃ。
313 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 15:55:07 ID:77benG4p0
>>190 宮内庁が発掘を禁止してるからねぇ
宮内庁さーん、古墳発掘させて下さいよ。
それだけで今まで議論されてきたことも解決するのに。
乏しい資料を使ってあーだこーだ議論するのもばからしくなってくる
上でも指摘されてるけど、邪馬台国イコール古代大和朝廷に
するのに無理があるんじゃないかな。
鬼道を良くしたという卑弥呼を天皇系図に含めたい様子の
考古学者の意図・メリットがイマイチ読めない。
畿内説には無理がありすぎだが、畿内説じゃないと予算が出ない。ゴッドハンド炸裂に期待大。
>>314 巻向に「卑弥呼」とか「邪馬台国」の冠詞を付けてるのは
新聞社だと思う。
ヒミコ婆さんじゃなくてトヨたん13歳のおうちだってば
マンガ 日本の歴史 卑弥呼によると
卑弥呼の恋人は戦争で死んでるんだぞw
九州はありえないから
近畿でいいだろ
邪馬台国の近畿と九州説の水掛け論はもういいだろ。
半島とシナと近いから九州説も乱暴すぎるし。
山口と福島の犬猿の仲と同じだな。
>>315 大体、奈良では鉄器がまともに出ないだろ。戦争に明け暮れた倭国にしてはおかしいよな。
>>315 その頃の日本の中心は九州だからねぇ、
邪馬台国しかすがるものがないんだろ。
>>321 平安末期の京の状況や戦国時代を例にとれば、
戦争に明け暮れていれていたり治安が極端に悪化していると
そもそも多種多様の貢物が「中心地」に集まらない。
>1の地において、これだけの供物が集まったということは
治安状況がすこぶる良かったということ。
324 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 17:16:08 ID:KMZAGKRS0
畿内説はほぼ纒向一本だけれど、九州説って候補地がたくさんあるね。無いところにあった考えるから、そんなことになるんだよ。
邪馬台国論者はまず陳寿の言葉に従って南の海上で探してみるべきだと思うよ。邪馬台国を。
新井白石なんかにいつまでも乗っかってないでさ。
>>323 単なるゴミ集積所を有り難がってどうするの。それに大体、卑弥呼の死後、また戦争があったのに、
その形跡がないねえwww
>>326 うん、だから大和国の巻向は大和国の巻向であって、
邪馬台国とかいう国とは違うところなんだろうね。
そして同時に大規模な建物群があって、供物も沢山運ばれるようなところだったんだろう。
土坑ってSKだっけ
しかし、場所柄なのか、しっかり調査するね
土坑内の土を振るいに掛けるなんて
331 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 17:43:10 ID:3SMZhPQ70
奈文研が調査しているならね
あんな平地でベルコン使っているなんて
うらやましいな
鹿沼に搬入された土から人骨が大量に見つかったことはスルーですね
中世・近世は金になんないからか
>>333 まあ、そう言うこったな。何よりも金が一番だからwww
市区町村のお役人様
研修はしっかりしてね、飲み会はほどほどに
336 :
!omikuji !dama:2011/01/22(土) 18:34:01 ID:AF3Syb8U0
337 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 19:57:51 ID:ARfbgkTtO
卑弥子が天皇家じゃないっていってるやつは天皇家を侮辱している可能性が高いわけだが
アホウヨはその辺どう考えているの?
>>337 いや、卑弥呼は天皇家だ、と言う方が、寧ろ天皇家を侮辱していると思うがな。
>>333-334 東京って所は過去を忘れて成り立ってる土地だしなあ。
東京大空襲でさえ省みられない。
現在が金になるなら、過去はスルーするわな。
340 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 20:12:51 ID:ARfbgkTtO
>>338 むしろ天皇家の可能性が大きくなった現状で
未だにその身分を蔑み卑弥子様を貶めてることはとんでもない不遜不敬
気をつけて物を言え
戦前の皇国史観では卑弥呼=天皇と考えると記紀と色々合わない部分が出てくるし中国に奴隷とか献上してるし
「卑弥呼は勝手に倭の王を名乗った九州の女族長」って扱いだったんだけどな
卑弥呼と天皇家を繋げて考えられるようになったのは戦後に天皇の権威や記紀が無視されるようになったから
>>340 卑弥呼は夷蛮の国の女王として扱われている訳であり、男系女性天皇の扱いとも違う。
万世一系で男系を守り続けて来た天皇家とは相容れないだろ。
>>341 >戦前の皇国史観では卑弥呼=天皇と考えると記紀と色々合わない部分が出てくるし
日本書紀に依るなら「卑弥呼は勝手に倭の王を名乗った九州の女族長」とはむしろ成りえず
卑弥呼=神功皇后になっちゃうわけだが。
九州なんて田舎にあるより奈良にあるからカッコいいんじゃんか。
邪馬台国と卑弥呼は奈良でいいよ。
>>343 神功皇后は身篭りながら三韓征伐とかやって女傑なのに
中国に生口を献上して鏡貰って喜んでる巫女ってのは不都合があるだろう
卑弥呼は後継者も巫女だけど神功皇后の後継者は応神天皇で男だし
指導者になったのも皇后だったからであって巫女パワーによるものではない
卑弥呼と同じなのは女ってだけ
>>346 というか時代が合わない
神功皇后は4世紀の人だし
348 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 21:20:20 ID:ARfbgkTtO
やまとととひももそとかってのが最有力なんでないの?
皇族ってだけかと思ったら天皇の可能性もあったのか
>>310 うんうん。
だいたい「水行」の解釈がいかんのだ。
水と言えば水商売。つまり博多の中洲で風俗に通ってただけなのだ。
350 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 21:25:04 ID:rrwAl9VK0
>>346 誰にとっての何の不都合なのか知らないが、日本書紀の神功紀に「倭人条曰く」と引用があるのだからしょうがない。
日本書紀に合わせるなら卑弥呼=神功皇后になる。「卑弥呼は勝手に倭の王を名乗った九州の女族長」にはなりようがない。
> 2765点のモモを筆頭にイネ、アサ、コウゾ、ウリ、ヒョウタンが多く、
やはり、古代日本の祭祀にカンナビスは付き物だなww
あ、倭人条じゃなくて「魏志に曰く」だったかもしれん。
>>350 しかし、日本書紀は、藤原不比等に都合の良いようにねじ曲げた史書だからな。
神功皇后の所に魏志倭人伝の一部が引用してあるからと言って、それは、藤原
氏の立場として都合がよいからそう言う形にした、と考えるのが妥当だろ。大体、
もし奈良にあった政権が邪馬台国の後継政権だと言うのなら、何で堂々と日本
書紀にそれを書かないのか不思議だ。
354 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 22:06:03 ID:wi6BsCTW0
>>353 俺も卑弥呼は神功皇后じゃないのかとは思うんだが
日本書記の神功皇后は実在すら疑われているもんね
年齢の記述が100才を超えていて
さすがにそれはないだろうということらしい
そういうことから学会で神功皇后=卑弥呼という人はいない
(へんなのはいるけど)
しかし、神功皇后には卑弥呼の娘の台与という説もあるね
秀吉が朝鮮出兵する時には
秀吉は神功皇后の三韓征伐をひきあいにだして正当化したりしたね
355 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 22:09:30 ID:ARfbgkTtO
なぜか卑弥子スレではうまく釣りができないのぅ
356 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 22:14:08 ID:RNf2GOkS0
方角は磁石がないのだからわからなくて当然
実際に山や海で迷ったことがあるが
太陽で方向をはかるのは
いつも太陽が見えるわけじゃないし
見えても時間がわからなければ無理
日数は間違えない
瀬戸内海を水行で10日、東にいったのを、大体南だろうと思ったのは変じゃないだろう
ただ難波に上陸して大和まで陸行一月はかかりすぎでありえない
357 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 22:18:11 ID:3dErnNMQ0
これで九州はゴッドハンドしかないなw
>>356 で、中国人は磁石なしに、どうやって方角を決めたのかね?
日本に来てる間は、ずっと太陽の位置も分からない強い曇りか、土砂降りだったのか?
そんなことは書いてないが。
薄曇りでも太陽の位置は分かる。
一日二日の旅行じゃない。
日数からみても、月単位の旅行なんだが。
359 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 22:22:18 ID:lNN3mV/P0
すみませんが桃というのは
どういう種類なのですか
ただモモと言われても桃もスモモも桃の内ですが???
360 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 22:23:17 ID:ThX/6EBd0
_人人人人人人人人人人人人人人人_
> ゆっくりしていってね!!! <
,、 ,. ̄^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^ ̄ r、 __
__', ( l !. ..,,_ ,-, i‐rr´ヽ,r'`rr‐i ,-, _,,.. .! l ノ,'__,r' ノ
¬‐ ニ,ー ,' '‐,| ┘ ー´ ,r'ー └ |, ‐' ', ー,ニ ‐¬― ''"
,r' ¨¨ `< ´ ̄  ̄` フ´ ¨¨ ヽ
i .,,_ ,、 ..,, i i ,,.. ,、 _,,、 i
! ⌒i ,r' `゙ `、l レ´ ゙´ ヽ i⌒ !
ヘy、 !テ> ;.ir.f ;' '; f.ri.; <テ! 、y/
||` `~ __i` i i ´ ~´ ´||
j!‐,_ ´゙ー' ;' '; 'ー''` _,‐!j
,r'三 '= ..,,_ ¬' .-< >-.`¬ _,,.. =' 三ヽ
.´‐=、゙ヘケ ,  ̄ i、ヘ; ;ヘ、i  ̄ , ケベ、=‐`、
361 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 22:23:46 ID:RNf2GOkS0
>>358 だいたい南かなあと感覚で決めたんだろう
未知の蛮国なんだから
君も山を歩いたり海に船で出てみればわかるよ
太陽は方角決めるのにあまり役に立たない
362 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 22:25:24 ID:wi6BsCTW0
>>356 そうそう
実際、日本の方角を間違えた古地図とかも残っているもんね
同じようなミスはあったんだろうね
363 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 22:28:36 ID:7/vJ/KIC0
客寄せパンダの役割があるとはいえ、この↓一文を加えるところに
マスコミの嫌らしさがある。
>邪馬台国の最有力候補地とされ「女王卑弥呼の宮殿」とも指摘される
大昔に宮があったという伝説から地名になったのに、あくまで
卑弥呼!!のアジトと喧伝するのはどういうことなのか...
とされ される で誤魔化したつもりなのか?
364 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 22:32:00 ID:y2U7XKOc0
邪魔大王国跡地
365 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 22:34:10 ID:2M7ucYN4O
まあどうだろうな
日本も当時の中国みたく複数の有力な支配者が倭国の覇権を争っていたんでないかい?
畿内の女王卑弥呼と九州クマソの王
そして蝦夷の王との三國時代が
366 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 22:36:41 ID:Yq94cTVJ0
マキムクからは魏王が送った宝物も
発見されているのに、九州説を曲げない
学者はアホですか
平原の民は星(北極星)で方角を決めるから、「天子は南面す(北極星を背にする)」とか
北にこだわりがあるよね。
日本は森の民だから星にはあんまり興味がなくて、山の斜面と太陽との関係で
日向かし→東 が基本で、東に向いて右が「みなみ」。
北極星とは違って日の出の方角は移動するし、日当たりの良い悪いで考えてるから、
南も東も似たようなもんじゃんみたいなアバウトさがあるのだ。
368 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 22:42:26 ID:wi6BsCTW0
マキムクから封泥でも出てきたらキマリなんだけどね
>>21 邪馬台国っていうくらいだから、馬が沢山いたんじゃねーの?
>>366 そのうちきっと、魏の宮殿跡の遺跡から有明海産ムツゴロウの佃煮が出土する。
371 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 22:48:34 ID:RNf2GOkS0
>>367 昼の移動は方角も距離もだいたいしかわからないよ
夜になって北極星がみえても
昼間にどの方向に移動したかを測るのには使えない
>>371 そうだよね。太陽から方角を知るのは時計の発明後だもんな。
だいたい、クネクネした山道を歩いてたら、磁石があっても
直線で進んだ方向なんぞわからんw
>>362 では、どうやて渡洋すんの?
方角がままならないんでしょ?
>>373 目的地の島を見ながら「あっちだ!」じゃないのん。
島伝いが基本だよね。
そいや、谷川健一「日本地名」には、「岬の地名はすべて、海上からの目線で
つけられている」みたいなこと書いてあったな。
古代の航海は、直接進行方向の方角を知る手段はなかったので、
おおまかな南北以外は、海流や海鳥や山影をたよりにしていたと言われてるね。
>>371 モンゴルのバイクラリーでは、GPSなしで完走するモンゴル人選手がかなりいる。
>>376 さすが平原の民だw
関係ない気もするが、大空のサムライの坂井三郎さん(ゼロ戦乗り)は、
昼間でも星が見えたらしいぞ。訓練したらできるんだって。
379 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 23:37:24 ID:WAhq8kIN0
>>289 >紀伊半島を回るのに使うのは海路だよ。
海路の事ではない。
新宮辺りから奈良へ向うなんて
生駒すら越えられない集団では絶対無理だろ。
380 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 23:43:40 ID:iUIDZiS50
下手に、卑弥呼なんてあるからややこしいよね。
もし外国の文献に卑弥呼なんて書いてなかったら
藤原京とか何とかの宮が伝承どおりの場所にあったように
大王のいたとこかな? という話で丸く収まるだろうに。
381 :
名無しさん@十一周年:2011/01/22(土) 23:45:07 ID:Iw6MjSJS0
何時の間にか畿内説確定したのか?
382 :
名無しさん@十一周年:2011/01/23(日) 00:08:12 ID:fQaVny6h0
相変わらずアマチュア史家(作家も含む)の商業文献の引用・受け売りの多さに辟易。
鯛や鯵の骨が出てきたってことはあの辺昔は海だったってことだな
>>383 そんな事はない。
海からわざわざ運んだんだよ。
386 :
名無しさん@十一周年:2011/01/23(日) 01:43:12 ID:1zuqDMww0
3世紀の奈良、盆地は湖といっても
広瀬神社周辺の現大和川合流部付近のみで、沼みたいなもんでしょ。
鯛といえばやっぱり播磨か。
淡路島が朝廷の台所と言われてたしな。
387 :
名無しさん@十一周年:2011/01/23(日) 01:49:05 ID:ZHxRZ5zS0
時間が経てばこういう権力者の墓もどこだかわからなくなる。
俺なんか、死んでも誰も気づかないし。
388 :
名無しさん@十一周年:2011/01/23(日) 01:50:41 ID:M5xYEflz0
>>42 ちょろっと嘘を書くな。馬がいないなどとどこの倭人伝だ。
>>385 2枚目の画像。
北九州のあたりは国の間隔がつまっているけど、それ以外はずいぶん大雑把だな。
390 :
名無しさん@十一周年:2011/01/23(日) 05:23:05 ID:rgm2pfVE0
>>353 >日本書紀は、藤原不比等に都合の良いようにねじ曲げた史書だからな。
>神功皇后の所に魏志倭人伝の一部が引用してあるからと言って、それは、藤原
>氏の立場として都合がよいからそう言う形にした、と考えるのが妥当だろ。
根拠のない断定をされても困るし、根拠のない断定を基に妥当不当を決めつけられても困る。
お前、某半島の研究者みたいになってるぞ。
魏志の引用もさることながら百済紀からの引用もある、この関連の記述は帰化氏族の提言で入れたのかもしれないだろ。
魏志倭人条の全てが引用されているのでもなく、取捨選択がされてある。
(そもそもなぜ書紀に魏志・百済紀からのみの引用を、それも極めて限定的に入れてあるのか。
日本書紀は古事記の内容との対比において、記よりも勇ましいありさまを強調した内容になっているがために
対外的な主張をも目的に含むとか考えられているから、もしかしたら外交と関係していたのかもしれない。)
それに卑弥呼なる人物は風土記にも万葉集にも出てこない。また異国に渡った・外交で異国と渡り合った皇女もこの皇后しか居ない。
よって、もし卑弥呼なるものを純粋に伝承上の人物から選んで充てるべしと言われたなら、この神功皇后しか充てられないと思うぞ。
年代が合わないというのはさておいて。(そも720年ごろに神成功皇后の居た年季を特定するのが無理だったんだろうしな)
それと、話していたのは
戦前の皇国史観では卑弥呼=天皇と考えると記紀と色々合わない部分が出てくるし中国に奴隷とか献上してるし
「卑弥呼は勝手に倭の王を名乗った九州の女族長」って扱いだったんだけどな
卑弥呼と天皇家を繋げて考えられるようになったのは戦後に天皇の権威や記紀が無視されるようになったから
といった
>>341やら
>>346のこういう見解こそが、如何にねじ曲がったものであるかということだ。
書紀に神功皇后を卑弥呼と比定した魏志からの引用があるにも関わらず、
「記紀と色々合わない部分が出てくるから戦前は卑弥呼と天皇家を繋げて考えられなかった」などと矛盾した事を。
卑弥呼をして倭の王を勝手に名乗った九州の女族長と扱えるのは古事記・風土記・万葉集にのみ依ったとき、
もしくは日本書紀において、魏志からの引用部分を誤りと見たときだけだ。
391 :
名無しさん@十一周年:2011/01/23(日) 05:32:49 ID:rgm2pfVE0
>>363 第11代垂仁天皇、第12代景行天皇の権勢が凄かったということかもしれない、
という話に持っていかれるのがよっぽど嫌なんじゃないの。>マスメディア
392 :
名無しさん@十一周年:2011/01/23(日) 05:48:42 ID:5Qai3uMB0
歴史書は時の権力者の思惑で作られてるってのは確か。
記紀の記述は事実を語ってるわけじゃないし、鵜呑みにしてはいけない。
>>392 魏志東夷伝倭人条のことか。三国史記のことか。
己の思惑で記述内容を歪めたり、己の思惑で根拠のない断定を加えるのも
そのお前が云うところの権力者の思惑による行為と同じ事だぞ。
394 :
名無しさん@十一周年:2011/01/23(日) 06:18:04 ID:5Qai3uMB0
>>393 記紀の全体、全部。
どの歴史書も権力者に都合の良いことを書いてる。
そんで怨まれるのが怖いから、出雲神社より高い建物を作らなかったり、
未だに伊勢神宮で出雲神を天皇が祀ってるわけで。
>>394 お前が、お前に都合のいい事を書いている。
お前がお前自身の思惑によって歴史を歪めたがる人間だからと言って
他人もそうであると思うな。
396 :
名無しさん@十一周年:2011/01/23(日) 06:32:55 ID:5Qai3uMB0
>>395 なんか勘違いしてないか?
もちつけ。
おまえの考え全部を否定してるわけじゃない。
考える前提として
>歴史書は作られた当時の権力者(記紀なら藤原氏(不比等))の思惑に沿って書かれてる。
>それを踏まえたうえで話さないといけないよね。
って言ってるだけ。
都合の良いことなんて1つも書いてないどころか、一般論を書いてるだけで自分の意見さえ書いてないよ?
他の人と勘違いしてるのか?
ID見れば、分かると思うが、勘違いだぞ?
邪馬台国論者というのはそれが九州説の人であれ大和説の人であれ
書紀のみならず倭人条自体の記述内容も
己の思惑に対して都合の悪い部分を無視している人間だ。
それから、編者や当時の影響力の高かった人物、またその上の人間が、己の都合により
捻じ曲げた編纂をさせたと断定するならば、根拠が必ず必要だぞ。
詳しく分析したわけでも物証に当たったわけでもなしに断定できる人間は、単に嘘つきか誰かの意見を鵜呑みにする阿呆くらいだ。
卑弥呼には昔お世話になったわ
399 :
名無しさん@十一周年:2011/01/23(日) 06:37:04 ID:IbqAUkfq0
この遺跡では、勢力圏各地の土器が出土してるけど
出土してない地域が何故かある。
当時の戦争相手の地域だね。そこには敵としか見られてはいない。
400 :
名無しさん@十一周年:2011/01/23(日) 06:40:00 ID:5Qai3uMB0
>>397 あなたは、邪馬台国はどこだと思ってるの?
>>396 こちらはお前の意見を否定しているのだぞ。
考える前提がまず歪んでいると。思惑に沿って書かれたかどうかは検証を加えない限り判断のしようがしないし
検証をしたからといって必ず判明するとも限らないことだからだ。
まず史実というものを確定させる事に対する慎重さを書いている。
そもそも不比等が関わったのは律令の編纂であり、書紀の編纂を行ったのは舎人親王だ。
>都合の良いことなんて1つも書いてないどころか
よくいう。魏志東夷伝倭人条のことか。三国史記のことか。と書いたのを
「どの歴史書も」とのみ応えるでなく、あえて「記紀の」と返したろう。そして下の二行に対しては何も答えない。
さらに全体全部が思惑に依っていると書きつつ、以下の文で記紀に記された事項を参照に自己創作的叙述を垂れている。
この自己創作こそ「権力者の思惑で作られ」る過程以外の何だというんだ。
402 :
名無しさん@十一周年:2011/01/23(日) 06:50:19 ID:6SJUDiXz0
九州に上陸してから水行十日陸行一月なら
関東とか東北でないとおかしい
>>400 陳寿の言葉に依るなら九州よりもずっと南の海の海上だろう。
したがって、「知るか」となる。そも書紀に書かれた事項も魏志からの引用だ。
>>401 ×慎重さを書いている ○慎重さを欠いている
連投規制キツイ。
>>401 お前さんもお前さんにとって都合の良い事ばかり書いてるなあwww
406 :
名無しさん@十一周年:2011/01/23(日) 07:10:41 ID:5Qai3uMB0
>>401>>403 「答えなんてしらねー」って「推測なんてしねーよ」感じっすか?
だったら、このスレで発言する意味ないね。
他人の意見を批判して、自分の意見を書かないのは卑怯者のやることだし、ディスカッションにならないでしょ。
日本書紀の完成時の権力者は不比等。
時の権力者の意向にそって作られたの見るのは一般的には妥当だとおもうがね。
・当時の一大勢力は纒向。
・トヨという字が多い(卑弥呼の宗女トヨ(いよ)、豊前豊後、豊浦宮。とんで推古天皇がトヨミケ・聖徳がトヨトミミ・蘇我入鹿が豊浦大臣)
ここらへんが鍵かもね。
>>406 >>日本書紀の完成時の権力者は不比等。
>>時の権力者の意向にそって作られたの見るのは一般的には妥当だとおもうがね。
俺もこの意見に賛成だ。魏志倭人伝の記述もいい加減だろうが、夷蛮の国について
書いているからこそ、当時の中国の権力者にとってはどうでもいい事なので、逆に、
「権力者の意向にそって作られ」ていないだろうと考えられるから、その分、信用でき
ると思うね。
408 :
名無しさん@十一周年:2011/01/23(日) 08:07:44 ID:rgm2pfVE0
>>406 「陳寿の言葉に依るなら九州よりもずっと南の海の海上だろう。
これが合ってるかどうかなんて知るか。陳寿に思惑があったかどうかなんてのも分析していない。
ゆえに憶測は無意味」だよ。
このスレは巻向遺蹟から大量の山の幸海の幸の骨や種が出たというスレ。
あくまで邪馬台国について云々したいなら、上記「意見」に対して反論でも試みたらどうだ。
記紀を参照した自己創作的叙述を垂れる前にね。
ついでに、記紀風土記編纂時の天皇は女帝の元明天皇。天智天皇の娘であり、天武天皇の皇子の草壁皇子の妃だ。
息子の文武天皇逝去に伴い即位した。つまり皇族かつ外戚筋の天皇。後に即位する聖武天皇は彼女の孫だ。
そして舎人親王は天武天皇の皇子。なのに何故わざわざ編纂者の舎人親王を無視して
律令編纂に関わった不比等を持ちだすのやら。
410 :
名無しさん@十一周年:2011/01/23(日) 08:22:17 ID:EvpPO8WUO
ふんとにエミシの人って頭悪いよな。山台イコール卑弥呼チャンと言う贋説にがんじがゎらめだわ。
411 :
名無しさん@十一周年:2011/01/23(日) 08:25:01 ID:5Qai3uMB0
>>408 >このスレは巻向遺蹟から大量の山の幸海の幸の骨や種が出たというスレ。
うんそれは「色んなものが出たね。」で終わってるよね。
そっから邪馬台国とかの話になってるわけ。
んで、ビッグネームで観光名所になるから邪馬台国にこだわってる人(地元民・学者)が多いけど、
邪馬台国はおいといても、巻向の出土品から、ここは大国の都市だよねぇ。とかね
スレを読まない・理解できないなんてアホじゃないの?
推測が無意味・記紀を参照した自己創作的叙述なんて、学問そのものを否定してるよねw
理系の学問で仮説立てるときにしろ、まずは直感で当たりを付けてく。
それで本当かどうか確認する作業で、自説・直感が正しいか確かめる。
スレも読まず、学問についての進め方も知らない。
どこまでこの人はバカなんだろう。
>>411 検証もせずに断定する人間が、学問というものを蔑ろにしているんだよ。
「色んな物が出たね」で終わる話でもないものを、終わったことにしようとするのも重ねて酷いもんだ。
お前にとって学問というのは、分析もせず憶測で判断し、自己創作的叙述を行うことなんだろうな。
某半島の研究者そっくりだ。
祭祀ってたまーにするもんでしょ、んなのより日常的なゴミ捨て場のほうがでかいんじゃない。
なんで祭祀限定なん
遺物に煮炊きの形跡がないことと
延喜式にある供物との対応が見られるからじゃないかな。神道祭祀の源流的なものではないかと推察されるんだろう。
415 :
名無しさん@十一周年:2011/01/23(日) 08:45:53 ID:5Qai3uMB0
>>412 409で天皇を列挙してるけど、皇族が強大な権力を持ってったと考えてる?
(いや、もちろん全く権力が無いわけではないけどね。)
そんで、元明はサラブレッドで、舎人の血筋も文句ない!
素晴らしい血筋の舎人が編纂者なのに、なんで不比等が出てくるんだ!
って理屈?
>「色んな物が出たね」で終わる話でもないものを、終わったことにしようとするのも重ねて酷いもんだ。
ほうほう。「巻向は大国の都市と言えるよね。」で終わらないなら、どんなことがあるの?
まさか、当時の貿易だの生活環境だの言い出さないよね?w
上段と下段の反論、よろしく。
とりあえず長文うざい
>>415 平安時代に藤原氏の権勢が強くなった理由は外戚だったからだ。
天智天皇と中臣鎌足が追っ払った蘇我氏もまた外戚だった。
それと409の内容を自分で調べ直して重ねてみるんだな。まぁあんたは憶測で考えてしまうようだから
無意味かもしれんが。
>どんなことがあるの
スレを読めば?上の方に出てくるよ。真上にもあるけど。
418 :
名無しさん@十一周年:2011/01/23(日) 09:14:29 ID:5Qai3uMB0
>>417 答えになってねー。
「元明はサラブレッドだし、編纂者舎人の血筋も文句ない!記紀は舎人が主導した。」とあなたは言ってるんだよ。
その主張の根拠とするなら、「天皇の血筋が権力ある」って根拠を書くのが普通でしょ。
なにかしらの事例を持ってきて、天皇に権力をあったと主張するのが、妥当な方法だよね。
なんで「藤原が権力を持ったのは外戚になってから〜」って主張を持ってくるの?
「天皇に権力がある」と主張できる事例が無いのかな?
大和の国の成り立ちからも、天皇(王)が絶対的権力を持ってるわけじゃなく、合議制で政治が進んでいた。
もちろん数人の独裁的な王もいたけどね。
そこらへんは、すぐに出てくるよね。
だからこそ、外戚なんて言葉持ち出したのかな?w
元を言えば有力者が外戚なのは、天皇が権力あるからってわかじゃなく、逆だよね。
有力な一族と縁戚になる必要が、天皇の側にあったんだよね。
大和の国の成り立ちを見れば、普通な行為だし。
なんか高校の日本史が根拠になってるって感じの主張だね。
>>418 天皇の「権威」と
外戚の「権力」が結びつくということだね。
420 :
名無しさん@十一周年:2011/01/23(日) 09:42:56 ID:mxyuBZV50
>>403 魏志の通りに行けば沖縄あたりだよね。
出土品は無いけど。
421 :
名無しさん@十一周年:2011/01/23(日) 09:56:07 ID:7qL6zu0z0
>>406 >>「答えなんてしらねー」って「推測なんてしねーよ」感じっすか?
史学ってそんなもんでしょ。
422 :
名無しさん@十一周年:2011/01/23(日) 10:13:31 ID:an5TIRY50
倭王武が雄略天皇ってホント?
>>402 今みたいに道路が整備されてないから無理
>>418 >「元明はサラブレッドだし、編纂者舎人の血筋も文句ない!記紀は舎人が主導した。」とあなたは言ってるんだよ。
>>409 「皇族かつ外戚筋の天皇。」
「記紀風土記編纂時の天皇は女帝の元明天皇。天智天皇の娘であり、天武天皇の皇子の草壁皇子の妃」
>なんで「藤原が権力を持ったのは外戚になってから〜」って主張を持ってくるの?
「平安時代に藤原氏の権勢が強くなった理由は外戚だったからだ。」
「天智天皇と中臣鎌足が追っ払った蘇我氏もまた外戚だった。」
国語能力に難ありだな。
>なんか高校の日本史が根拠になってるって感じの主張だね。
そちらは高校の日本史の教科書さえも目を通した事が無さそうだね。
平家の台頭の有り様も、平氏がどういう出自なのかも知らなさそうだ。蘇我氏についても知らなさそうだし。
>>408 陳寿の思惑ってなんだよ
記事全部陳寿が書いたとでも思ってんのかよ
ちなみにさらぶれっどとかいうのは
>>409にもある通り文武天皇であって(ひどい読み違いだな)、
元明天皇は父は天智天皇だが、母は蘇我氏の娘。
ついでにいうと、天皇の父だけでなく妻や母も皇族なのは蘇我氏台頭以前は割と普通。
尤も多妻制だから、皇女だけが妻に成るわけでもないが。
元明天皇は別の意味でサラブレッドだよ。
父は天智、母は蘇我で、持統天皇からみれば
妹であり従姉妹でもある存在。
それを息子の嫁にしたのだから、
持統天皇がどれだけ自分の血にこだわったかわかりそうなものだ。
もちろん、皇統という幹では、
天武と持統との間である草壁と、元明の子である文武天皇が
この王朝の始祖扱いで、称徳天皇もたびたび
この草壁―文武天皇のラインを継ぐ直系であることを強調し、
他の天智や天武の皇子たちの血筋との差別化を図っている。
まあ、この直系・女帝の時代はすぐに終わってしまったが…
日本書紀って、この天武・持統体制の正当化のために
いろいろ細工されているんだろ。
別の意味にしなくても、単純な話
蘇我氏に代わって、天智天皇の皇系に属す皇族が外戚に成っていたってことだよ。
>日本書紀って、この天武・持統体制の正当化のために
>いろいろ細工されているんだろ。
上の話はともかく、またそれか。
>>397>>401の繰り返しになるからもう書かないけど。
そんな感じの主張をして「天照大御神は持統天皇をモデルにしてるんだ」とか言い出した人が居たね。
神話は政治目的で創作されたものだ、と。外国にも似た類型を持つ神話があるんだけど、きっと
昔、世界各地で同様の政治事件が起こっていたことになっているんだろうな。その人の頭の中では。
皇統は天武天皇の皇系。母親からは血は分かれるけども、皇統は継げないし、
孝謙(のちの称徳)天皇は一旦、天武皇系の舎人親王の皇子である淳仁天皇に位を譲っていたよ。
重祚のときに直系とか言うのを強調したかどうかは知らないが、もしそれが本当なら、それは政治的理由によることになってしまうだろうな
「豹変」だから。
彼女はあの悪名高い道鏡事件でお馴染みの天皇だな。称徳の次には天智皇系に皇統が移る。
>>429 皇統は天武天皇の皇系。 ← 文武天皇〜孝謙(称徳)天皇の皇統のことな。
あと、淳仁天皇は逝去したのでなく、位から追われた。不和となった阿倍内親王(称徳天皇)に。
なんか色々書いちゃったけど、この頃って既に日本書紀は編纂時期(元明天皇)でないどころか
奏上されて大分経った頃だからあんまり関係ないね。外戚も違うし。
>>427 >>429-431は続日本紀(797年奏上)の範疇だっけか、続日本紀は宣命体の言葉がのってて面白いけど
手元に無いんだよなぁ。残念。
長文で一人語りしても誰も読まないぞ。
>>428 「創作」じゃなくて「脚色」だっつの。
類型云々については、松前健「日本の神々」(中公新書)を引用しよう。
> 記紀神話のの場合でも、皇室・国家の権威の絶対性を保証し、皇統の永遠の繁栄を宣揚しようと
> して、こうした政治的理念に基づく国家神話のの体系を組み立てた大和朝廷の少数貴族は、
> たとえその動機は現実的・政治的な目的にあったとしても、その素材としては、当時の民間信仰や
> 民譚などを用いることも多かったのである。蛇女房型、メルシナ型と同型の豊玉姫の産屋の神話が、
> 皇室の祖先の一人の出自として語られているのも、その例である。当時としては真実のこととして
> 信じられていたのである。
んでもって、持統天皇アマテラス投影説は、俺が継体天皇スレに書いたやつかなぁ。
これを正面から論証しているのは、筑紫申真「アアマテラスの誕生」(講談社学術文庫)とか、
梅原猛「神々の流竄」(集英社文庫)あたりだな(梅原センセは、ちとあれだがw)。
モチーフとなった神話・伝承を政治的意図で改変した部分の考証例としては、遠山美都男編
「日本書紀の読み方」(講談社現代新書)あたり。
>>433 すまんのぉw
435 :
名無しさん@十一周年:2011/01/23(日) 23:17:02 ID:NPgRMhZR0
436 :
名無しさん@十一周年:2011/01/23(日) 23:22:15 ID:a8FCc/XO0
邪馬台国ですぞ! 卑弥呼ですぞ!
垂仁?景行? 宮があった? そんなのどうでもいいですぞ!
邪馬台国でアピールですぞ!!
437 :
名無しさん@十一周年:2011/01/24(月) 00:19:53 ID:caAnOP2x0
なんだそれw
438 :
名無しさん@十一周年:2011/01/24(月) 00:31:05 ID:ro5wCMSJ0
まぁ、皇統は昔は武なにがしと名乗ってたから。
平安期に、祀られてる神様が武では畏れ多いと、建てに変えられた祭神があるくらい。
戦闘力から、除福の護衛隊で仲が悪かった秦(遊牧民族凶奴系)の軍人で
一番強かった一党だろ。
439 :
名無しさん@十一周年:2011/01/24(月) 01:12:04 ID:Plyz+Sp90
>>434 脚色じゃなくて創作。
その最初の引用のものは類型にわけてこれは○○型、これは○○型といって神話の体系そのものを
分断する人の説じゃないの。また別のものでしょ。
まぁその人も、「神話の体系なぞありえないのだ」と世界中の神話に向かって宣言するんだろうね。
「世界各地の例えば北欧神話もギリシア神話も、王族・国家の繁栄のために少数の王族なりが民間信仰を組み立てたものである」と。
よもや、日本神話だけを差別はしないだろう。
持統天皇と元明天皇が天照のモデルであるとかいう説は「神話は創作されたものだ」という説でしょ。
ちとあれだがとか言ってるけど、そっちの人を引用するのが「正しい」んじゃないの。
卑弥呼ってそもそも固有名詞なのか?
ヒ巫女だろ?なんかトランス状態に入っちゃってる人だろ?
そんなんそこらにいっぱいいたんじゃ・・
そもそも、邪馬台国を過大評価しすぎなんだよ。
444 :
名無しさん@十一周年:2011/01/24(月) 16:46:27 ID:pNkWFDWY0
>>442 その可能性はあるかもしれないが重要な問題じゃない。
重要なのは「鬼道を事とし」と記述される道教によって日本を統治していた事実だ。
後漢末期の道教の黄巾の乱が勃発した時期と魏志倭人伝に書かれた「倭国大乱」の時期は見事に一致する。
滅ぼされた黄巾賊が海を渡って日本列島にたどり着いた可能性もある。
なぜなら今回発掘された同じ場所の同じ時代から打ち壊された銅鐸が発見されているからだ。
弥生時代の象徴的神具である銅鐸が打ち壊されている事実。
これは弥生を否定し新しい変革があった証拠である。
そして道教は桃を神聖な果物として位置づけており今回の発掘で発見された異常な量の桃の種との整合性もある。
そもそも秦の時代に日本を目指し船出して消えた徐福が求めたものこそが不老長寿の薬でありそれは道教の神仙思想と一致する。
もしかすると卑弥呼の時代どころか弥生の頃から直接支那大陸の人々が多く流入していたのかもしれない。
春秋戦国時代の呉の国が滅亡した時期と日本列島に環濠集落が出現した時期とも一致する。
魏国がいきなり現れた倭国の使者に金印という最高級の贈り物をしたという事実はもしかすると倭国は大陸に縁のある高度文明を持った国だというのが当時の東アジアで常識だったのかもしれない。
昨日Nスペでやってたやつかい
446 :
名無しさん@十一周年:2011/01/24(月) 16:59:22 ID:pNkWFDWY0
447 :
名無しさん@十一周年:2011/01/24(月) 18:29:41 ID:1NRRNNpZ0
倭人は江南地方出身だ。
>>444 >後漢末期の道教の黄巾の乱が勃発した時期と魏志倭人伝に書かれた「倭国大乱」の時期は見事に一致する。
東アジア一帯の気候変動だよね。
中国の文献史料から抽出した気象情報をプロットすると、後漢末から寒冷化・乾燥化が
進行しており、(出石誠彦「支邦神話伝説の研究」(中央公論社))、同時期の日本(弥生後期)では、
堆積物に含まれる花粉、子実の解析から、やはり寒冷化の傾向が検出された(Sakaguchi,Y.,1982:Bull. Dept. Geogr. Univ,14
.とか安田喜憲,1983;気象研究ノート,147.とか)。
ちなみに気候変動で社会不安としては、中世末の小氷期のときにも、ヨーロッパではビザンチン帝国が
崩壊し、日本では応仁の乱が起こった(「在盛卿記」によると1459年に琵琶湖が凍って通船が途絶えたらしい)
例などがある。。
とは言いつつも、倭人伝いわく「倭国は暖かくて冬でも野菜があるよ」だから、それほど深刻じゃ
なかった気もするがw
449 :
名無しさん@十一周年:2011/01/25(火) 00:00:21 ID:VlEK3ody0
倭国というものは我々が想像するよりももっと強大な海洋圏勢力として
東アジアに存在した可能性がある。その中心地が瀬戸内海だと思われる。
邪馬台国とか卑弥呼とかちっぽけな話は古代史を矮小化するものだ。
450 :
名無しさん@十一周年:2011/01/25(火) 00:16:03 ID:9vIHaHR30
倭国大乱をもたらした異常気象を乗り越えるための土木技術の発達が邪馬台国ではあった。
それが干ばつへ対するため池、洪水に対する堤の造営へとつながり。倭国を制する要因になった。
卑弥呼の鬼道が国に安定をもたらしたのではない。
そのまつりごとが巨大な古墳を作り出す意欲へと人々を向かわせた。
(奈良時代にも飢饉を治める為に聖武天皇が大仏造営をおこなった)
それが結果として戦争ではなく土木技術の発達をもたらしたと。
その後の大王は土木技術を誇示するために古墳群をつくり、古墳時代へと時代は進んだ。
いってしまえば、このころから日本は土建立国だったんです。
そして水との戦いを制することが富の源泉となったと。
戦国の信長や秀吉、家康の土建への執着心も凄かったでしょ。
江南文化の影響はあるかもしれないが、大陸から直接、大量に人的移動があったなら
漢字を記した石版なんかが出るのでは
朝貢を行ったわけだから漢文を書くことが出来る人間が邪馬台国もっと前には奴国にもいただろうし、
ワカタケルで有名になった剣の碑文は中国系の姓の人物が書いてるけども、遺跡から漢文を書いた
石版も、前方後円墳から墓碑も出ないのできわめて限られていたんだろう
452 :
名無しさん@十一周年:2011/01/25(火) 00:54:59 ID:Tx6DYE400
しまった!!
NHKスペシャル見るの忘れてた!!!
454 :
名無しさん@十一周年:2011/01/25(火) 01:27:28 ID:aMSmKUyu0
>>449 同意見だ。
半島南部まで含めた緩やかな連合国家群だったのではないだろうか?
455 :
名無しさん@十一周年:2011/01/25(火) 01:32:23 ID:P77JLp410
>>453 昨日のNスペは考古学好きには見応えがたったな。
鬼道とは原始道教で魏から伝わった宗教で
卑弥呼が王となることで宗教改革が起こって
それまでの祭司で使われてた銅鐸を壊して回った。
なるほどと思った。
女優名の卑弥呼なのかシリーズ名の卑弥呼なのか…(´・ω・)
457 :
名無しさん@十一周年:2011/01/25(火) 16:52:08 ID:vau2fFlF0
そもそも稲作や文化が朝鮮半島経由で伝わったなんて妄想が異常でおかしな話なんだよね。
温暖な気候で育つ稲がなぜわざわざ厳しい気候の朝鮮半島を経由して伝わるんだよw
文化だって、倭国が中国の史書に姿を現す頃から卑弥呼の時代まで朝鮮半島には国家が存在しないんだぜ?
公孫氏の国が国家だというならそれが歴史上初めて朝鮮半島の国家としての出現だ。
公孫氏はもちろん漢族だw
稲作も文明も中国大陸の南部から直接日本列島にもたらされたというのが研究の進んだ今の常識だよ。
は?
>>457 縄文時代に日本に伝わった陸稲は朝鮮半島でも栽培されていた。
弥生時代に日本に伝わった水稲は朝鮮半島で栽培された痕跡が無い。
現在朝鮮半島で栽培されている水稲はすべて朝鮮総督府が開墾し、
広めたモノ。
>>454 汎東シナ海文化圏って、なんかロマンがあるよな。
それぞれの地域は自分の国の中では辺境だから、海を通じて行き来する奴らの方が
親しくなっちゃうの。中世になっても五島の漁師と済州島の漁師とは日常的に交流があったみたいだし、
古く律令時代では、朝廷に納められた調に済州島産のアワビがあったりする。
また、沖縄産の貝のアクセサリは九州西岸から壱岐対馬、韓国南岸まで分布してるし、
日本の神社の原型である森の信仰(本土では三輪山あたりにしか残っていない)が、
韓国の「モイドン」、済州島の「堂」、沖縄の「御嶽」まで並んでいると(岡谷公二「原始の神社を
もとめて」)。
461 :
名無しさん@十一周年:2011/01/26(水) 00:48:38 ID:AxfiFbB/0
銅鐸の破壊は、大和が出雲を否定したことが窺えて興味深い。
大和王権の成立を説明するような破片だったかも・・
462 :
名無しさん@十一周年:2011/01/26(水) 09:26:10 ID:DucE2UP30
Nスペあったの知らなかったわ。
教えてくれればよかったのに。
463 :
名無しさん@十一周年:2011/01/26(水) 09:29:13 ID:9RC8eJxY0
卑弥呼が王だったんだろうな、天皇の歴史は前半は相当の捏造だな
だんだん壮大なウソがばれてきた
464 :
名無しさん@十一周年:2011/01/26(水) 09:34:57 ID:lXHjwFHn0
でも銅鐸の破片はほんの小さな欠片がひとつだけしか見つかってないでしょ
それでそれまでの宗教が否定されたとか論理が飛躍しすぎじゃないかと思うんだが
まあ桃の種と鬼道の関連は納得できるけど
465 :
名無しさん@十一周年:
涙目九州説厨房が沸いてると聞いてwwwwwwww