【考古学】邪馬台国はどこにあったのか?★6

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1空挺ラッコさん部隊ρφ ★
邪馬台国(やまたいこく)は九州か近畿か−。吉野ヶ里(よしのがり)遺跡(佐賀県吉野ヶ里町)と、
3世紀前半の国内最大規模の大型建物跡が見つかった纒向(まきむく)遺跡(奈良県桜井市)の
発掘関係者らが一堂に会して議論するフォーラムが10日、吉野ヶ里歴史公園で開かれた。両遺跡の
発掘に携わった考古学者が、公開の場で議論を交わすのは初めて。

「吉野ヶ里vs纒向」と題したパネルディスカッションには、吉野ヶ里遺跡の発掘に携わった高島
忠平・旭学園理事長、七田忠昭・佐賀県教委参事ら九州説の考古学者と、近畿説の石野博信・兵庫県立
考古学博物館館長、橋本輝彦・桜井市埋蔵文化財センター係長が参加した。

産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/101010/acd1010101956007-n1.htm
画像 邪馬台国九州説、近畿説の考古学者らが議論を交わしたパネルディスカッション=10日、
佐賀県吉野ケ里町(小路克明撮影)
http://sankei.jp.msn.com/photos/culture/academic/101010/acd1010101956007-p1.jpg
過去スレ ★1 2010/10/10(日) 20:02:30
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1286812246/
>>2以降に続く
2名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 20:58:15 ID:aSW6CQ+d0
志賀島。
終了。
3空挺ラッコさん部隊ρφ ★:2010/10/12(火) 20:58:24 ID:???0
>>1の続き
七田氏は「吉野ヶ里の構造は、土塁の上に柵(さく)を設けた環壕があるなど、魏志倭人伝
(ぎしわじんでん)の記述通りだ」と主張。これに対し橋本氏は「纒向は4つの大型建物が方位を
軸にして建つなど、卑弥呼が女王となった倭連合国の首都であったと考えている。倭人伝にある
楼館跡も発掘が進めば出てくるだろう」と反論した。また、近畿説の根拠のひとつとなっている
三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)について玉城一枝・奈良芸術短大講師は「魏の
皇帝から卑弥呼(ひみこ)に贈られたとする人もいるが、鏡の文様などから中国の工房で作られた
とは、とても思えない」と述べた。

橋本氏は「“敵地”でやりにくかった」と苦笑しつつ「邪馬台国という夢のある話を伝えることが
できてよかった」と語った。(おわり)
4名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 20:58:25 ID:Af2fGP980
2v
5名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 20:59:10 ID:sYpYQy5D0
ミッチーしっかりやろうぜ!
6名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 20:59:17 ID:XUN17aPm0
まだやるのかw
7名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 20:59:42 ID:toS5ZzqTO
サンキュー
8名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:01:21 ID:toS5ZzqTO
守銭奴の畿内派
ロマンの九州派

さぁ、あなたはどっち?!
9名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:03:06 ID:mItpIfcz0
http://www.hancinema.net/korean_drama_Drama_Special_-_Boy_Meets_Girl.php
少年が出会ったのが日本の卑弥呼だった
10名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:03:20 ID:9ZwzJuoFO
定期的に話題に登るな
11名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:04:01 ID:CPXyKqgW0
ココだよココ!ココだって!だからココ!
12名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:05:01 ID:HJiv2v1DO
遅いよ5で終わったと思ったじゃないか!


邪馬台国は九州。
13名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:05:03 ID:ybsRlads0
邪馬台国は、埃及(エジプト)にあったんだよ!
偉い学者もそう言ってるよ!
14名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:05:39 ID:eXdoA39q0
 この前、卑弥呼さまに命じられてすっごい西のほうに行かされたんです。すっごい西に。
 魚とってこい。ついでにニダニダ人が来てないか調べて来い、だって。
 なんで私なのか、と。何で私ばかりこんな任務なのか、と。
 抗議したかったけど首とられるのも怖かったんで何にも言えなかったんです。
 卑弥呼さまって見た目どおりアレだし。
 でも、頭きたんで卑弥呼さまの土器持ち出して埋めてきました、すっごい西の国に。
 ふふふ、ざまあみろって感じで。
 埋めてやったぞ、と。ひょっとして、これを見つけたたず−っと後の子孫たちが邪馬台国
 は西にあったなんて言い出したりして。なんか愉快愉快。ざまあみろ、と。
15名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:05:54 ID:CJ65J3cYO
邪馬台国に限らず、古墳の発掘調査が満足にできないうちは古代史の発展は期待できんよ
16名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:05:59 ID:i8FcGQWK0
17名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:06:29 ID:NmFEZlP70
京王高尾線の山田だ。
ヤマダとヤマタイ、似てるだろ。
これが確たる証拠。
18名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:07:20 ID:H09g0pQr0
>>8
ロマン派www

邪馬台国と名乗って魏に使者を出したのは九州の豪族で、
それが大和に移って(あるいは吸収されて)今に至る、ての
が妥当なような気がする。卑弥呼は当然アマテラスね。
19名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:07:32 ID:vjTViG870

邪馬台国はなかったが正解。

当時日本には村落程度の集落しかなかったけど、
昔の日本人は賢かったからね。
膨大な返礼狙いで、

中国政府を詐欺ったんだよwww
20名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:07:40 ID:yyWCIaht0
金の掛かってるほうが必死の第6ラウンド
21名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:09:33 ID:vYk8qmN40
マルタイ国棒ラーメン
22名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:10:52 ID:CJ65J3cYO
卑弥呼=アマテラスだと、日本神話のスタートが遅くなりすぎね?
アマテラスはもっと昔で、卑弥呼=マンコに箸(棒)が刺さって死んだモモソヒメたんだと思いたい
23( ゚Д゚)<ボクメーツ ◆uhiboKUMEQ :2010/10/12(火) 21:11:44 ID:rvdA/tv20
( ゚Д゚)<九州に
( ゚Д゚)<きま
( ゚Д゚)<っちょるばい
24名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:12:13 ID:nMfoA4LBO
倭国大乱とかクナ国と交戦してたとあるから、武器の出土の比較はどうなの?
25名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:13:35 ID:4IgIjvX60
26名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:13:55 ID:r2T8Y4kC0
>>22 >卑弥呼=マンコに箸(棒)が刺さって死んだモモソヒメたんだと思いたい
それどういうシチュエーションでそうなったの?
原始的な中絶手術でそういうのやりそうだな。
 
27名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:14:11 ID:JHTGnODpO
ヒミコにしてもモモにしても殺せたっぽいよな
28名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:14:13 ID:i8FcGQWK0
図録▽都道府県別の血液型分布
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/7308.html
29名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:15:36 ID:toS5ZzqTO
アマテラスと言えば高千穂の天岩戸、その近辺にヤマト町がある
30名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:17:42 ID:3thhMiRl0
中国の史書なんて適当
邪馬台国なんて日本にはないって説はないの?
31名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:20:32 ID:+RkS0Yvj0
邪馬台国もウリが起源ニダよ!
決まってるニダ!!
32名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:21:09 ID:BmaL7s1f0
宗教観念が古神道と邪馬台国では違い過ぎるというのが、
邪馬台国の存在に信憑性のない理由の一つである。
神道は不浄を嫌うが、邪馬台国では不潔な奴隷を神に捧げる。

また、邪馬台国の人々は全身に刺青をしていたそうだが、
日本書紀には犯罪者に罰として刺青を入れるという記述がある。
刺青が珍しくないのだとすれば、罰にはならないだろう。

さらには、邪馬台国では一年中生野菜に事欠かないらしい。
どうやら邪馬台国が仮に存在したとすれば、それは日本列島
ではなく熱帯地方に有った様だ。
33名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:21:14 ID:uC2Z5uNJ0
まだまだ続くよ〜
34名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:21:48 ID:H09g0pQr0
>>22
記紀の成立から200年以上も前の話(?)だしね。モモソヒメたん
だって、その当時の大和地方の豪族の話を採取しただけの気が
しないでもない。
35名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:21:54 ID:GhttwqQt0
>>26
wikiより
>倭迹迹日百襲媛命大物主神の妻となるが、大物主の本体が蛇であることを知って驚き、倒れこみ、箸が陰部に刺さって死んだ。

事実ならその運の悪さがスゲーし、フィクションならもっとスゲェ。
どーやったらこんな死因を発想できるんだ。
36名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:22:18 ID:c5FL7fJK0
そのうち、チョンがウリナラ起源を主張してきそうw
37名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:22:57 ID:CJ65J3cYO
日本神話マンコ死三傑


・イザナミ、火の神の出産時にマンコが焼けただれて死亡。後にゾンビとなって夫を襲う

・スサノオが天井から落とした馬にびっくりした機織り女、機織りの棒がマンコに突き刺さって死亡

・モモソヒメ、夫が蛇だったことにビックリ。夫が怒って山に返って行ったので後悔してがっくりしゃがんだ際に棒(箸)がマンコに刺さって死亡


38名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:24:36 ID:VLekzZz80
纒向(まきむく)遺跡(奈良県桜井市)

第十一代垂仁天皇 纏向珠城宮御宇天皇 治世99年
第十二代景行天皇 纏向日代宮御宇天皇 治世60年
39名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:25:40 ID:RJNMJIBGO
八幡平→やまたい
40名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:25:53 ID:teUy1snE0
>>36
すでに高天原碑が韓国にありますw
41名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:26:47 ID:toS5ZzqTO
>>35
なるほど、まったくもって、卑弥呼とは関係がないことは、よくわかった。
42名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:27:47 ID:CJ65J3cYO
日航ジャンボ機が墜落した山の名前は、御巣鷹ではなくて高天原
これマジで豆知識な
43名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:28:15 ID:/QAW2G+I0
>>39
それは「ハチマンタイ」
44名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:30:05 ID:o7iOMMpNO
無問題
45名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:30:59 ID:N9po5dZC0
考古学的に決着済みの話を観光の為に粘着する九州派
46名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:31:03 ID:wJLaPWvK0
(前スレへの回答)
@禅譲で国譲りをとらえている方がいましたが、それでも国号は魏→西晋と
変っているよね。分断してたら、「ヤマト」も残らなくても問題は無い。
だから前大和王朝と後大和王朝は、この意味でも別の可能性も残存する。
(前漢→後漢の例もあるから、もちろん残っても問題は無いが)
A成務天皇が大礁で無いという指摘ありがとうございます。でも、主張の
メインとあまり関係ないところでしたね。記紀では一定の方法論がある
という本来主張とは、あまり関係ないように思われますが。
47名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:31:43 ID:2Ya9i0OF0
最近ウチの便所の壁にある扉が、邪馬台国に通じていることが判った。
48名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:32:44 ID:/QAW2G+I0
>>35
梅毒はまだ日本に伝わってないから、淋病かな。
49名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:33:10 ID:QzcHoBXw0
>>35 >大物主の本体が蛇であることを知って驚き
えげつない変態だったとか、
誰にでも手を出しまくる節操のないどんでもないヤリちんだったとかの比喩ではないのか。
蛇=ペニス

それで
>知って驚き、倒れこみ、箸が陰部に刺さって死んだ。
極めて特殊な方法で抗議の意味も込めて自害したと。

地位からして、やりチン当たり前でも
当時の禁忌に触れる、とんでもない粗暴なチ○コ騒動を起こしてしまって
妻として耐えられなかったとか。
50名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:35:02 ID:CJ65J3cYO
古代史じゃないが、チンポ一つで法王にまで上り詰めた道鏡さんは男のカガミだ
51名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:35:08 ID:nmRHt6Fj0
ある学者は
「畿内で決まり。学会でも通説。九州か畿内かなんて論争は外野があおってるだけ」
と言ってた

別の学者は
「九州で決まり。学会でも通説。九州か畿内かなんて論争は外野があおってるだけ」
と言ってた
52名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:36:27 ID:8OQaAqpl0
やっぱヤマトっぽい
53名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:36:40 ID:teUy1snE0
>>35
堕胎の方法だったんだろう。
異民族というか、敵対する勢力の人間とわかって堕胎するためにやったってことだろう。
54名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:37:47 ID:CJ65J3cYO
朝倉(福岡県)と奈良の地名と地形が似てるからどうこうって説を知ってる椰子いない?
55名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:38:17 ID:wJLaPWvK0
でも、この話題で一番大事で、避けて通れない「キーマンの卑弥呼は誰か?」に
ついて、平気ですっとばせる畿内説も学問的とは言い難い。
記紀には女帝が何度も登場しているのだから、女帝と言う理由だけで隠した
(消した)とも思いがたい。神功皇宮もアマテラスも時代が違いすぎる。
モモソヒメとか出してきても、最低でも「大王の代理」程度はできる地位と格
と実権が無ければ、魏志倭人伝の記す所の「卑弥呼」とはイメージがどんどん
かけ離れるばかり。(この意味では、当時の斉宮=ヒミコ説もまだまだ疑問)
56名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:39:23 ID:+CQezdHlO
ヤマイチだしな
57名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:39:39 ID:teUy1snE0
>>55
卑弥呼=日巫女=斎王でしょう。
卑弥呼がシャーマンであったことを考えれば符合する。
58名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:43:09 ID:3zDghhuj0
で、
どっちかに決着が付いたら
片方はみんな失業するわけだろ?

永久に譲らんだろ。
59名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:43:25 ID:JHTGnODpO
アニメ まんが日本史

ヒミコの肩をイヨが揉んでシーンは萌えた
60名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:43:32 ID:wJLaPWvK0
>>57
そうすると、当時は(少なくとも外務的には)シャーマン=斉宮=日巫女=
卑弥呼が、実権王朝の魏の外交官をもって「この国のリーダーはこいつだ!」
「こいつと外交しなければ国交が成り立たない!」と思わせる程度の、地位と
格と実権があったという話になる。斉宮にそこまで権力や政治職務あったっけ?
61名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:44:03 ID:toS5ZzqTO
卑弥呼は九州国の教祖様、ただそれだけの事。
62名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:44:07 ID:8KhGu6NrO
距離と方角で考えたら
パプアニューギニアにあったと思うよ
63名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:44:09 ID:U0S9b+3V0
日本史板だったら★6まで行かなかった。

にわかが多いって事か。
64名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:44:16 ID:bQndoxKI0 BE:861274144-2BP(2100)
また立ってるw
65名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:44:49 ID:VLekzZz80
>>46
自身の主張や持論のため、記紀に記載されている事項を捻じ曲げるその主張に一体なんの意味が。
あなたの行動は政治主張を行わんとして捏造を入れ込めてる某新聞社と全く同じものです。
66名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:45:23 ID:CJ65J3cYO
いわゆる魏志倭人伝ってのは、三国志の中の魏書の中の東夷伝の中の倭人条の記述部分を言うんだろ
中華様が、野蛮な島国の倭のことなんてまともに記述するわけないじゃん
しかも陳寿は倭に行ったこともないんだから、伝聞やらイメージやらで適当に書いただけだろ
肝心なのは、中国から、倭が国家を形成していたと認識されていたことだけだろ
邪馬台国やらそこに至る行程(日数、距離、方角)やら卑弥呼やらはまともに信じちゃいかんよ
67名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:45:26 ID:9q4qfgz9O
昔流行った「邪馬台国はなかった」って本の説はどうなった?
68名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:45:41 ID:QzcHoBXw0
>>50 ラスプーチンも風聞や噂的にはそれっぽいよね。
   
69名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:46:04 ID:0F/9tG3I0
邪馬台国=大和国
卑弥呼  =日巫女=天照大神

248年 卑弥呼没
318年 崇神天皇没
389年 神功皇后没
427年 仁徳天皇没 賛(讃)
432年 履中天皇没 
437年 反正天皇没 珍
454年 允恭天皇没 済
4**年 安康天皇没 興
489年 雄略天皇没 武

古墳の発掘記録などから考えても、これがもっとも正解に近い
70名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:48:14 ID:qxcq5kRG0
みなさん、何のために、霊能力者がいるんだ。
霊で透視したらいい。

TV局も面白い番組になるのでは。
71名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:48:20 ID:FC52nVgj0
>>32
不潔な奴隷って持衰のことか?

持衰って別に不潔な奴隷じゃないぞ。何と表現していいかアレだが
体も洗わずにひげも髪も伸ばしぱなしにして菜食をしセクールもしないで
霊的な能力を高めた一種のシャーマンだな。
霊的な能力が及ばなかった場合は殺されたみたいだけど。

それから、江戸時代にも刑罰としての入れ墨と、火消しや職人が入れた
男気を表わす今でいう刺青の二種類があった。
邪馬台国の文身と、刑罰としての入れ墨は並存していてもおかしくはない。
72名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:48:44 ID:1eMmg38l0
親魏和王の金印が発掘されるまでこの議論は続く
73名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:48:50 ID:0F/9tG3I0
>>22
逆に、アマテラスが紀元前の人だとすると
そこから国が完成するまでに時間がかかりすぎ
74名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:49:04 ID:teUy1snE0
>>60
祟神天皇の皇女だったか豊鍬入姫命だったか、次の人だったか忘れたが
結構長生きして、天皇の行政に影響を与えた斎王がいたはずだが。
名前忘れた。
75名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:49:35 ID:8KhGu6NrO
顔に入れ墨とか
パプアニューギニアあたりの
習俗と考えたら納得だろう
76名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:49:55 ID:lrNVL4ug0
幻の邪馬台国専門スレなんてあるんだね
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1285333636/
77名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:49:57 ID:U0S9b+3V0
もうあれだ・・・・出雲でいいじゃないかw
78名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:50:10 ID:7Ejle2/GO
まだ、九州の女酋長の話やんの

邪馬台国は対馬から始まって北九州の連合国家のこっだろ

中心は博多から春日か大宰府あたりだよ…
79名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:50:13 ID:OBFwidg50
考古学の連中は書物を大事にしないから……。
手前の蔵書すら保管できない。
掘りやすいところ掘って歴史を偽造しやがる。
80名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:50:39 ID:+CQezdHlO
>>70
マクモニーグル
81名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:51:05 ID:bmDdx3Uk0
それにしても古代の日本人はなんで奈良の山奥みたいな所に
定住し始めたんだろうな。
大阪平野に住み着いたほうが、何かと便利そうだけど。
82名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:51:41 ID:qilbIHTG0
>>1
それは僕たちの心の中さ(キラーン
83名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:51:48 ID:wJLaPWvK0
>>65
記紀の記述100%そのとおり以外のねじまげ、類推解釈も全てダメと言う事なら、
君は早く長寿の薬を探すべきだね。神武以降長寿の天皇多し。天皇家じゃない
が、武内宿根とかは数百年生きてる事になる。
ねじまげがだめなら、それこそ100年以上時期が異なる神功皇后=卑弥呼も
ありえない。で、最後はツジツマがあわなくなって「やっぱ記紀は空想物語
部分も多いから」とか「魏志倭人伝はアテにならねー」とかか?どっちが学問
的か?
84名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:52:04 ID:HZVgAfOL0
>>32
神道が不浄を嫌うとか、いつごろから言い出したんだ?
というか、神道自体がいつ頃に成立したんだ?
85名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:52:31 ID:0F/9tG3I0
>>55
いや、客観的に見てアマテラスがもっとも卑弥呼の時代に符合する
崇神天皇が4世紀の人であることは古墳の建造時期からも明らかだからな
86名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:52:43 ID:bQndoxKI0 BE:2260843867-2BP(2100)
>>22
正確には天照大御神∋卑弥呼ね。
天照大御神は卑弥呼と台与と太陽神の複合神格。
87名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:53:11 ID:U0S9b+3V0
もう・・・あれだ・・・卑弥呼=ヤカミヒメあたりにしとけ。
88名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:53:17 ID:nh6koxV/P
魏志倭人伝の邪馬台国の時代に
纒向に全国の産物が出土する平城京と同規模の巨大な都市跡が発掘されて
しかも古墳時代の嚆矢と言われる箸墓古墳の埋葬者が
巫女のモモソヒメって分かっただけだろ
九州説のヤツ元気だせよ
89名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:53:39 ID:nMfoA4LBO
道鏡のは秦のロウアイの逸話を元にしたのかも。
武烈天皇は紂王そっくりだし。
90名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:54:17 ID:qilbIHTG0
>>81
完全に盆地だが・・・・
91名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:54:38 ID:0F/9tG3I0
>>83
神功の三韓征伐は4世紀であることがわかってるから
卑弥呼の時代とは明らかに合わない
よって神功は卑弥呼ではない
92名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:54:56 ID:bQndoxKI0 BE:1507229647-2BP(2100)
>>88
その通りに思ってるから別に落ち込んでないよ。
93名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:54:59 ID:teUy1snE0
>>85
アマテラスは太陽の精霊を擬人化した存在だから
卑弥呼ではないだろう。
むしろ卑弥呼は、そのアマテラスの依代とされた人物。
94名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:55:21 ID:KqOwBIcB0
ソロモンの秘宝も邪馬台国も阿波なんでしょ?
95名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:55:52 ID:0F/9tG3I0
>>93
そういう細かいディテールはどうでもいい
96名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:56:00 ID:CJ65J3cYO
方角や日数や距離にこだわる奴に聞きたい
「魏志倭人伝」という書物があってそこに倭のことが詳細に記述されてるなら分かる
しかし、実際は、「三国志」の中の魏書の中の東夷伝の中の倭人条という部分に記述があるだけなんだが
まともに方角、日数、距離を書くと思うか?答えろや(´・ω・`)
97名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:56:04 ID:VLekzZz80
>>26
大物主神は昼には姿を見せず夜にだけ現れる。百襲媛がそれをなぜかと尋ねたら
疑問を持つのは尤もだ。明日、あなたの櫛入れの箱に居りましょう。どうか驚かないで、と。
翌朝、百襲媛が箱を開けると、小さくてまことに麗しいおろちがあった。百襲媛はしかし驚いて、思わず声をあげてしまった。
すると小さなおろちは人の姿に成り、あなたは秘める事もしないで辱しめた。わたしもあなたを辱しめよう、といって
大空を踏んで御諸山に帰って行った。
それを見た百襲媛は、悔いて陰を箸で衝いて死んでしまった。
98名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:56:28 ID:bQndoxKI0 BE:3875731698-2BP(2100)
>>93
正確に言えば、天照大御神の神話に卑弥呼の記憶が入り込んでるってこと。
99名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:56:54 ID:toS5ZzqTO
>>88
しかも4世紀、ハズレたわけだ、だからと言って捏造していいわけじゃないぞ
守銭奴畿内派はなんでもするからな〜
100名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:57:29 ID:Nuv4weq/0
このテーマは人気あるなあ
101名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:57:50 ID:teUy1snE0
>>95
どうでもいいといわれても、神代で出てくるアマテラスが
卑弥呼の時代に符合するなんてありえないわけで。
102名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:57:57 ID:0F/9tG3I0
>>99
何が4世紀?
103名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:58:09 ID:0PBpX08J0
邪馬台国、卑弥呼はシナ人の蔑称なのに長いことようやるわ
104名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:58:12 ID:bQndoxKI0 BE:1076592645-2BP(2100)
>>96
わかってる部分の距離は結構正確だって何度もこのスレでも出てきてるんだけどな。
105名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:58:33 ID:0F/9tG3I0
>>101
邪馬台国=大和国
卑弥呼  =日巫女=天照大神

248年 卑弥呼没
318年 崇神天皇没
389年 神功皇后没
427年 仁徳天皇没 賛(讃)
432年 履中天皇没 
437年 反正天皇没 珍
454年 允恭天皇没 済
4**年 安康天皇没 興
489年 雄略天皇没 武
106名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:58:54 ID:hVoDggFA0
簡単なことだ
公開の場で議論を交わす程度の資料しか無いから
不明
107名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 21:59:00 ID:wJLaPWvK0
>>81
平野部住居は、農業技術が発展して、人口が増えてきてからだよ。平野部は、
むしろ、「洪水被害・高波被害」があるので、昔はどちらかと言うと、山岳部
でも沿岸平野部でもない、山と平野部の境い目あたりが住居としては好まれ
た。適度に見張れて、かつ自然災害が少ない所が好まれたのでしょう。

現代人は、平野は安全なイメージが高いですが、河川の治水が行なわれる前は
川は嵐によってよく流れを変えるので、特に日本の扇状地平野では、川上の
方まで行かないと「洪水リスク」は高かったと思われます、当時は。
108名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:00:03 ID:zeFxG2YHO
九州でキマリ
終了
109名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:00:41 ID:0F/9tG3I0
>>101
つまり神代とは西暦3世紀なんだよ
おまえは神代がもっと古い時代だと、なんの根拠もなく先入観でそう思い込んでるだけで
本当の神代は3世紀
そして崇神〜応神が4世紀
仁徳〜雄略が5世紀(倭の五王)
110名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:00:43 ID:bQndoxKI0 BE:1076592454-2BP(2100)
>>101
「天照大御神のような方だ」が「天照大御神だ」になることはよくあることだろ
111名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:00:49 ID:CJ65J3cYO
>>104
奴国はすでに1世紀に金印を貰ってた
中国も奴国までは知ってたのだろう
だから伊都国や奴国までの記述はまあ正解だ
しかし、伊都国や奴国より先の記述は……つまり、分かるな?(´・ω・`)
112名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:00:53 ID:Nuv4weq/0
ヒミコと日食と神話の天岩戸の関係性にはロマンを感じる
アマテラスが太陽神なだけに
113名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:00:54 ID:8uVzkrfY0
纒向って、なんて地名だろう。魔鬼向、日向ってのもあるからな。
114名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:01:08 ID:+CQezdHlO
>>81

> それにしても古代の日本人はなんで奈良の山奥みたいな所に
> 定住し始めたんだろうな。
> 大阪平野に住み着いたほうが、何かと便利そうだけど。
115名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:02:04 ID:N9po5dZC0
>>85
ちゃんとした古墳の調査してないんだから
4世紀ではなく3世紀の可能性もあるだろう。
116名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:02:07 ID:/QAW2G+I0
>>103
アホか自称だよ。どう見ても中国語ではないだろが。
117名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:02:18 ID:teUy1snE0
>>81
大阪平野は飛鳥時代の頃は海だよ。
118名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:02:37 ID:toS5ZzqTO
畿内で、それも証拠が出ない出せない場所を特定し、銭を引っ張る。
119名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:02:38 ID:bQndoxKI0 BE:484466933-2BP(2100)
>>111
正確じゃないとしたら人間心理として距離は延びてるね。
つまり実際はもっと短いわけで、畿内はあり得ない。
120名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:02:39 ID:aQD+ofD30
歴史学では過少評価されてるが古代の政治=祭司ではないのか?
卑弥呼=巫女 弟=大君 の構図は十分、考えられるのでは。
魏志の著者は卑弥呼に焦点当てただけで。
121名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:02:50 ID:2in27Ox50
大和朝廷の命で編纂された日本書紀なんてね・・・
政治家は学者ではないんだから、客観的な事実なんて記されてると思うか。
122名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:02:59 ID:0F/9tG3I0
>>115
さすがに古墳の建造時期を1世紀も間違えることはないだろ
123名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:04:01 ID:R+8tgadj0
どちらを応援する訳ではないが、今まで語られてきた内容はここに集約されているので一読されてみては?
■九州王朝説
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E5%B7%9E%E7%8E%8B%E6%9C%9D%E8%AA%AC
<概要>
・紀元前から7世紀末まで日本を代表した政権は一貫して九州にあり、倭(ゐ)、大倭(たゐ)、?(たゐ)と呼ばれていた。
・1世紀には倭国が北部九州を中心にとした地域に成立し、倭国王は博多湾近くに首都をおいて漢に朝貢していた。
・3世紀前半が最盛期であった邪馬壹国は福岡平野の奴国(当時としては大都市の2万戸)を中心としていた。
・倭の五王(讃、珍、済、興、武)も九州王朝の王であり、それぞれ倭讃、倭珍、倭済、倭興、倭武と名乗っていた。
・筑紫君磐井(倭わい)は倭の王であり、磐井の乱は継体による九州王朝に対する反乱であった。
・日本で独自の元号(九州年号)を初めて建てたのも九州王朝である。
・中国の隋との対等外交を行った「?王姓阿毎 字多利思北孤 號阿輩?彌」は、九州王朝の倭国王であった。
・「白村江の戦い」では、総司令官である九州王朝の天皇「筑紫君薩夜麻(さちやま)」が唐軍の捕虜になり、九州王朝側の敗北が決定した、
 これにより、日本国内での九州王朝の権威は失墜し、衰退に向かった。
・太宰府は倭京元年618年から九州王朝の滅亡まで倭京と呼ばれる九州王朝の都であり、日本最古の風水の四神相応を考慮した計画都市であった。
・「壬申の乱」の吉野は佐賀県吉野ヶ里遺跡の吉野であり、倭京とは飛鳥宮ではなく大宰府のことである。勝敗を決したとされる美濃からの援軍こそは畿内大和軍の
 ことである。「壬申の乱」の舞台は九州であり、前年に唐軍の捕虜から解放され帰国した天皇である「薩夜麻(倭薩)(高市天皇)」を巡る九州内の内紛に畿内大和
 の豪族(天武)が介入し日本列島の覇権を得た事件である。
・「大化の改新(乙巳の変)」は九州年号の大和(大化)元年(695年)のことであり、畿内大和の豪族と中臣鎌足(藤原不比等)が九州倭国の実力者(高市上皇)を
 暗殺して皇権を簒奪した、下克上のクーデターである。
・藤原氏は、天武朝が断絶した後、滅亡した九州王朝末裔を天皇に擁立し、これを傀儡として権力を握って行った。
124名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:04:24 ID:jAYITx7s0
まだやってんのー?

>>81
当時の大阪平野なんて湿地帯で住めたもんじゃなかったかと思う
125名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:04:39 ID:teUy1snE0
>>109
神代が現実の話だと思う理由がわからん。
神代は神話で言わばフィクションだろう。
何らかのエピソードを混ぜて奈良時代につくった創作だと思うが
それは伝説を取り混ぜて作り上げたものだから史実とは思わん。
126名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:04:47 ID:yj3hyZTK0
6ラウンドあったんだw読んでて面白かったからいいけど
127名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:05:30 ID:wJLaPWvK0
しかし、畿内説って、多少乱暴な言い方すれば、「金のため」に「関係のあり
そうな皇室陵墓」をかたっぱしから掘っているワケで、それはそれで死者も
オチオチ寝てられなくて大変だろうなぁ。
最近自然災害や天候不順が多いのもあながちうなづけるよな。ゼニの為だけで
国費で国の神様になられた方のお墓を掘り返しているんだからな。
(しかも見当違い上等で)
128名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:06:12 ID:0F/9tG3I0
>>125
逆に100%のフィクションだと思う理由がわからん
どんなフィクションにも現実が色濃く投影されていると考えるのが普通
129名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:06:26 ID:bmDdx3Uk0
>>114
何か書いてえなw
130名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:06:26 ID:XzLli3HF0
九州でいいよ
神武東征で畿内に大和王朝ができて天皇が支配したでいい
131名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:06:54 ID:VLekzZz80
>>83
記紀の記述に信が置けないからと言い訳して記載されている内容を捻じ曲げたうえで
記紀に法則があるのなんのと言っても、結局それはあなたが自ら捻じ曲げて作りこさえたものにしか
なりえません。
記紀に信が置けるか否かは全く問題ではありません。基本的な国語の問題です。
文章の読み取りを問われる問いで、こんな主人公の行動はありえないからここはこのように改変するべきだと答えても
100点はもらえませんよ。
132名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:07:18 ID:8tb+wNVR0
行田
133名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:07:23 ID:0F/9tG3I0
>>130
九州にあったなら、なんで東征する前の、つまり神武以前の代は天皇じゃないんだ?
134名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:07:36 ID:lUM/dzZJ0
邪馬台国の話になると右翼が必死モードに入るから面白い。
要するに天皇家の文脈に乗らない、日本最古の権威だもんなw
天皇家ってなによw っていう話になるw
135名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:08:08 ID:teUy1snE0
>>127
「金のため」にってのは九州説だよ。
根拠なき邪馬台国観光が九州に多すぎて
学界も「九州ではありません」と宣言できない状態w
136名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:08:18 ID:tpeamGYX0
おまえらまだやっとたんかw
邪馬台板でも作って貰えよ
137名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:08:33 ID:toS5ZzqTO
畿内の奈良に用事があるなら、佐賀に上陸するなよ
138名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:08:45 ID:U0S9b+3V0
>>136
あるよw
139名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:09:36 ID:xgxWyMa20
卑弥呼は、「姫巫女」だろうね。
140名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:09:39 ID:UvuRse7y0
えっ、この前までうちにいたけどお前ら知らないの?
141名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:09:40 ID:54JKtEBk0
うちの地元は昔は吉備大国として栄華を極めたところなのだが、
水田の周りを山々が囲んでいる。
当時を想像すると、かりにこの山々がなくて、だだっ広い平野だったら
今実っている稲穂なんか捕られ放題で、速攻で逃げられる。
それを防ぐ見張りの数もハンパ無く要る。
山があればある程度侵入を防げるし、泥棒を見つけても
山に阻んで捕まえる事も出来る。
こうして見ると、やっぱり盆地がいいんだよな。
142名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:09:46 ID:bQndoxKI0 BE:3391265579-2BP(2100)
>>133
神武天皇が建国英雄だからに来まっとろうが
143名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:10:01 ID:XzLli3HF0
都は度々遷都されてきた
奈良、一時大阪にも、そして京都

邪馬台国が九州に首都としてあっても不思議ではない
144名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:10:25 ID:0F/9tG3I0
>>142
じゃあ、九州にあった(と、おまえらが主張する)邪馬台国は何なの?
145名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:10:50 ID:VLekzZz80
>>134
右翼左翼というのは欧州の国でのスタンスの測り方で二元論でもあるし、
全体主義嫌いの私としては右翼と呼ばれるのは嫌なんですが、
日本大好き人間としてはほっておけなくなりますね。
146名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:11:02 ID:tpeamGYX0
>>138
あんのかw
「高地性集落に住んでるやつちょっとこい」とかやってんのかね
147名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:11:32 ID:bQndoxKI0 BE:2583821568-2BP(2100)
>>144
神武天皇の祖国だよ
148名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:11:36 ID:R+8tgadj0
・藤原氏は、天武朝が断絶した後、滅亡した九州王朝末裔を天皇に擁立し、これを傀儡として権力を握って行った。
→やっぱりこちらが宗家なんじゃない?
149名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:11:53 ID:CJ65J3cYO
魏志倭人伝では、伊都国・奴国までの記述とそこから先の記述が違う
奴国は親魏倭王の金印を与えられるくらいのクニだからそこまでは中国も書けた
つまり、当時の中国が知っていた倭の限界がそこにあったんだよ
邪馬台国が近畿にあったら、中国もっと先まで倭のことを知り得てただろ
違うか?(´・ω・`)
150名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:12:01 ID:lUM/dzZJ0
大和朝廷って、邪馬台国の権威を簒奪した征服王朝だったんじゃないの。
「神武東征」はその神話化。
151名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:12:08 ID:wJLaPWvK0
>>131
主人公や主要キャラで間違えたワケでもないのに、ひつこいねぇ。しかも、
主張の本題とはまったく別のトコだし。そういうのくどいとアゲアシトリ
でしかないよ。一応、間違いヶ所は間違いヶ所とこっちは認めたんだから、
あんまりひつこくするなよ。君から100点もらう必要感じないから、もうこれ
以上この件でつっこんできても華麗にスルーしちゃうぞ♪
152名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:12:20 ID:XzLli3HF0
>>133
大王と名乗ってたからじゃねーかな?
中華圏では皇帝に反発する周りの国は天王と名乗っていた
日本もそれからとって天皇と名乗っただけじゃないかな
天皇という称号じたい大して意味はないよ。他の国では王や皇帝って意味だし
153名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:12:51 ID:3Gu3V8sf0
魏志倭人伝を素直に読むと、
2世紀の後半に擁立された。その頃すでに、年増の独身ババア。
で、死んだのが3世紀の中頃。

どう考えても当時としてはあまりに不自然な寿命なんだが
いったい何歳まで生きたんだろう。

そのへんを指摘する学者とか皆無なのだが、理由分かる人いる?
154名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:13:23 ID:ryC9XkAkO
>>101
1年2歳論を採って計算し直せば、アマテラスはちょうど卑弥呼の時代になる。
他の天皇の在位期間についても不自然さは解消される。
155名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:15:11 ID:e3oSGOgf0
>>143
いずれも近畿圏の中でそれ以外に都を遷都したことはなかろう?
藤原京、平城京なのど大和内での遷都、難波京、平安京から何でいきなり九州が出てくるんだ?w
そういうのを詐欺行為って言うんだよw
156名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:15:23 ID:ph9WWqekO
殆どの研究者にも相手にされず何にも根拠ないのに
恥ずかしげもなくヤマタイ村おこしなんてよくやるよな九州説…図々しさだけは認める
157名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:15:38 ID:0io87Kex0
>>81
今の上町台地は陸だったけど、
その他ほとんどは「河内湖」と言われる汽水湖だよーん。
平安辺りでだんだん陸ができていったんだねえ。
158名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:16:10 ID:0F/9tG3I0
>>149
というより、九州北部くらいまでは古来より何度も往来があったから正確に書けた
そこから先は、資料がなかったので、使者の体感をそのまま書いた
ということだろ
159名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:16:27 ID:0F/9tG3I0
>>150
俺はその説だ
160名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:16:36 ID:teUy1snE0
>>154
>1年2歳論を採って計算し直せば、アマテラスはちょうど卑弥呼の時代になる。

そのちょうどの計算方法がわからん。
アマテラスの年代や年齢を感じる記述って何かあったか?
161名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:16:45 ID:U0S9b+3V0
国譲りしてみました。
162名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:17:14 ID:0NVZ+Td40
九州説は、邪馬台国が東征して大和になったんじゃなくて、
勝手に滅んだ。大和とは無関係ってやつじゃないの。

全国の神社などに伝わる話から、古代史を明らかにしようという
神社伝承学では、出雲に滅ぼされたとしてるんだっけ
163名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:18:06 ID:VLekzZz80
>>151
あなたの持論が、そもそもの前提が崩れている持論なだけです。前スレにおいての指摘はこれを示すための指摘だったんですよ。
自ら偽造した「神話」を使って方便を垂れるのを指摘されて開き直るということは、確信犯ですか。

あなたの行動は政治プロパガンダと同じ構造を持つ行動となりますよ。
164名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:18:08 ID:0F/9tG3I0
>>152
意味がわからない
九州の邪馬台国(あくまで、おまえらの主張による)と
大和の大和王朝は、連続するものである
というのがおまえらの意見だよな
だったら、なんで九州の邪馬台国には天皇がいなかったの?
165名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:19:02 ID:0F/9tG3I0
>>153
台与が13歳で即位してるのだから
卑弥呼も10代で即位して70歳くらいで死んだと考えれば
それほど不自然ではない
166名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:19:37 ID:/QAW2G+I0
>>111
何が判るな、だ?
正使が何度も邪馬台国を訪問していることを判っているのか?
魏使が実際に歩いたんだよ。
167名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:19:42 ID:XzLli3HF0
>>164
卑弥呼という女王がいたじゃん

天皇という言葉に惑わされてないか?
神武から現代でも続いてるだけで他の国からしたら天皇って意味は王や皇帝って意味だ
天皇という言葉に特別な意味はない。
168名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:19:45 ID:9YI0JY0+0
>>130

神武東征は紀元前のはるか昔の民族の言い伝え、つまり渡来系の人達が
九州から東遷して大和に住み着いたってことを、初代の神武の功績とした。

天皇家のご先祖様が、大和の実権を握ったのは台与の後の空白の4世紀の頃。
崇神天皇が実質的な始祖。
シャーマン統治の女系中心から、新しい武力政権の男系に移った。
大きな功績を上げたから、神武天皇と崇神天皇に「神」が付けられている。

よって、台与の後の邪馬台国東遷などないので、九州説の大きな論拠は崩れてる。
169名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:20:01 ID:wJLaPWvK0
(・ω・)俺はバッシングを受ける覚悟で「古代日本人は数百歳生きれた」説
を信じてみたい。
これなら、トヨ=神功皇后でも問題無いし、記紀神話部分のご長寿も問題無い。
170名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:20:21 ID:YOMxeJCq0
めんどくさいからもう月面ってことでいいよ
171名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:20:23 ID:uYXeyhLZ0
釧路っぽいな
172名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:20:35 ID:qo6UuSY/P
音韻からすると、卑弥呼の読みはピミヲで、邪馬台はヤバタイか、ヤマダイだそうだ。
さらに、三角縁神獣鏡は書かれてる銘文がインを踏んでないから
国産品で、魏からもらったものではないそうだ。
173名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:20:37 ID:toS5ZzqTO
畿内はない
174名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:20:53 ID:bQndoxKI0 BE:968933063-2BP(2100)
そもそも天皇号の上限は推古朝だってわかってるか?
175名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:21:11 ID:0F/9tG3I0
>>167
じゃあ、卑弥呼は記紀では誰になってるの?
176名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:21:38 ID:0NVZ+Td40
>>158

倭人伝では

自女王國以北 其戸數道里可得略載 其餘旁國遠絶 不可得詳

(女王国から北は、その戸数、道里をわずかに記載できたが、
それ以外の隣国は絶遠しており、詳細を得られなかった)
177名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:21:43 ID:5oXF0Ni00
韓国から渡って来たそして九州から畿内へ
それを隠す為に欠史八代がある
韓国からきた天皇じゃ値打ちないからなぁ
178名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:21:51 ID:XzLli3HF0
>>175
女王じゃないの
179ニキ丸 ◆7Ejq3qJyEM :2010/10/12(火) 22:21:53 ID:KPq8rNDa0
     _人人人人人人人人人人人人人人人_
     >     かなりどうでもいい      <
      ̄^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^^Y^ ̄

               ヘ(^o^)ヘ 
                  |∧   
                 /
180名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:22:11 ID:0F/9tG3I0
>>168
神功、応神にも「神」がついてる
181名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:22:23 ID:UqzLRlFiO
仙台
182名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:22:42 ID:bQndoxKI0 BE:2260843867-2BP(2100)
>>175
このスレでも複数人が天照大御神説を唱えてる。
183名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:22:45 ID:U0S9b+3V0
ヤマトタケルは邪馬台国出身
184名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:22:58 ID:b9gUxRo10
ヤマイチ国は滅んだ
ヤマイチ証券は倒産した
185名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:23:13 ID:0F/9tG3I0
>>178
答えになってない
卑弥呼は、記紀では誰になってるの?
186名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:23:24 ID:4YeUVN9BP
問題は何故、天孫は一旦出雲に降りて九州の日向に降臨したかだなw
出雲は日本じゃないのか、朝鮮なのかもしかして。
187名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:23:59 ID:jAYITx7s0
だれか>>173につっこんであげなさいよと
188名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:24:23 ID:teUy1snE0
>>185
斎王でしょう。
189名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:25:02 ID:SxXo8l4KO
これ いつまで続けるんですか?
190名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:25:07 ID:lUM/dzZJ0
シナの古書を見ると3世紀ごろ「ヤマト」と名乗ってたらしいなあ
  ↓
だけどシナは倭とか言ってるぞ。明らかな蔑称だ、けしからん。
  ↓
じゃあ倭を和に変えて頭に大を受けておけ。これでシナもバカにしなくなるだろう。
  ↓
読み方も昔にならって「ヤマト」な。
191名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:25:18 ID:0F/9tG3I0
>>182
じゃあ、アマテラスが3世紀に九州で邪馬台国を作り
その子孫である神武が東征して奈良に大和王朝を作った?

俺は卑弥呼=アマテラス説だが、畿内説だよ
神武はアマテラスとは無関係の系統で
邪馬台国=大和王朝を簒奪した人物だと思っている
192名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:25:27 ID:PALf7uMaO
魚釣島にあったことにし、大規模な調査団を送れ
193名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:25:41 ID:nh6koxV/P
伊都国からは放射説(キリッとか言ってるけど
それって魏の使者が伊都国までしか来てないってことじゃん
方位や風俗の違いとか無意味になるよね
194名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:25:46 ID:svjF2jXE0
195名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:25:47 ID:9YI0JY0+0
>>180

最初のほうが重要なんだよ。
神武から欠史八代があって(神は付いてない)、崇神が現れた。

後のは段々大げさにしたり、ごますりなど。
ここまで書かないと趣旨が伝わらないとは。
196名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:25:52 ID:RJNMJIBGO
>>164
天皇の祖先であるアマテラスが卑弥呼な気がする
というか、アマテラスと同一視されたのが卑弥呼とその(前?)後の巫女じゃないだろうか?
本来男だったらはずのアマテラスが女になったのはそれを祭る巫女がアマテラスと同一視されたからという説もあるし
197名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:26:19 ID:bQndoxKI0 BE:484466933-2BP(2100)
>>186
出雲には天穂日之命、大和にはニギハヤヒが降臨し、南九州には天孫が降った。
198名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:26:27 ID:hp2rWXC80
博多と銅鐸を合わせて博多銅鐸
199名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:26:45 ID:Yn7e5o3x0
当時の日本列島に統一国家があったと考える方がおかしいと思うんだがなぁ・・・
200名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:27:09 ID:0F/9tG3I0
>>195
いや別におまえの意見を否定したつもりはなかったんだが
否定したつもりはなかったと書かないと趣旨が伝わらないとは
201名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:27:23 ID:fY0DA2HE0
旧唐書東夷伝では、倭国伝と日本国伝が別々になってるんだから
倭国=邪馬台国=九州、日本国=近畿 その後統一 (関東以北は除く)
これで良さそうなもんだが

魏志倭人伝を根拠に邪馬台国論争をするのが理解できない
202名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:27:30 ID:VLekzZz80
>>169
>(・ω・)俺はバッシングを受ける覚悟で「古代日本人は数百歳生きれた」説
>を信じてみたい。

変わってますね。まぁ頑張ってください。
私が信じるのは、そのように伝えてきた人の心のほうです。神話は神話、伝承は伝承。大事なのは
それを伝えてきた人の心情だと思うので。
203名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:27:35 ID:cQk/aw++0
これだけ探してないんだから、
「邪馬台国は無かった」という説を唱えよう。
204名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:27:46 ID:rsrVgeRLO
いまだに九州説とか笑えるw
205名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:27:47 ID:wJLaPWvK0
>>186
当時出雲王権が山陽側まで出ていて、直轄地が瀬戸内海と接していれば、地理
的には充分可能。瀬戸内海を挟めば、日向はワリと目鼻先。
206名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:28:26 ID:qo6UuSY/P
統計から計算すると、神代の各天皇の平均在位は10-12年ほどだったろうと推定されるとのこと。
その後の天皇や、日本と世界の支配者の在位を統計とるとほぼ同じ数値で、昔ほどは短くなってるそうだ。
もちろん、日本書紀の年号はでたらめ。日本書紀の漢文を分析すると、最初はお抱えの中国人によって雄略天皇からかきはじめられ、神話の時代や聖徳太子の時代は
あとから日本人によって書き加えたものらしい。
207名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:28:46 ID:lUM/dzZJ0
>>199
いや疑心倭人伝を見ても宗教的権威による連合国でしょ。
軍事力を背景にした統一国ではない。
208名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:28:48 ID:9YI0JY0+0
>>200

他にも付いてるなんてわかって書いてるぐらい
最初から理解しろよ。
209名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:29:07 ID:rsrVgeRLO
>>199
なんで?
210名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:29:49 ID:4YeUVN9BP
かつて銅鐸が九州説のよりどころだったけど、意図的に
隠してたのは(ねつ造ストーリー上)、大彦だよねw



211名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:30:07 ID:0F/9tG3I0
>>199
当時の日本列島に統一国家があったなんて書き方は
魏志倭人伝ですらしてません
212名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:31:04 ID:CJ65J3cYO
1世紀…奴国が金印ゲット
2世紀…倭国大乱
3世紀…邪馬台国
4世紀…暗黒時代
5世紀…日本の夜明け


3世紀時点で近畿の弱小連合国がわざわざ中国まで使いを送る必要なかんべ(´・ω・`)
213名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:31:08 ID:lUM/dzZJ0
疑心倭人伝ってなんだw
魏志東夷伝倭人条だな。
214名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:31:08 ID:VLekzZz80
>>203
素直に魏志の記述を辿って、「九州のはるか南の海上にほんとに邪馬台国があった説」で対抗してみるテスト
215名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:31:28 ID:cQk/aw++0
魏志倭人伝は、世界最古の冒険物語。
フィクションだよ。
216名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:32:01 ID:rsrVgeRLO
>>212
なんで弱小なの?
217名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:31:58 ID:0NVZ+Td40
>>168

921 名前:名無しさん@九周年[sage] 投稿日:2009/02/01(日) 02:13:24 ID:kbKGGO

神の字がついた天皇が3人いる。神武、応神、崇神天皇だ。
これらの名前は漢風のおくりなで、奈良時代につけられたと言われる。
適当につけたのではなく、その文字には当然、意味があるだろう。

神武天皇はもちろん、応神天皇も九州生まれ。
香坂王・忍熊王という二皇子を討って大和を平定した。
この二人の天皇は東征したという点で共通している。

神という字を使ってるのは、外部からの征服者を意味してるのかもしれない。

崇神天皇にはそのような記録はないのだが、奇妙なエピソードがいくつか残されている。
天照大神を宮中で祀るのはよくないと言って追い出したという話。
天照大神は、54年間に24ヵ所をたらいまわしにされ、
最終的に、伊勢神宮が祀ることになったきっかけとなるエピソードだ。

また神のたたりがあったため、大物主の子孫であるオオタタネコを探した話。

崇神天皇が本当に直系の子孫なら、天照大神を追い出したり、
大物主のたたりを受けるだろうか。

ミマキイリヒコの名にちなんで任那と名づけたというエピソードが
日本書記・垂仁記に書いてあるが、
つまりミマキイリヒコとは、任那から入ってきた天皇という意味ではないだろうか。
218名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:32:08 ID:bQndoxKI0 BE:2260843676-2BP(2100)
畿内説は魏志に銅鐸の記述が無いことに答え得ない。
魏使が見聞したのはあくまで九州の風俗だと言うが、
一体文明を代表する祭器を普及させずに統治するなどあり得るだろうか。
219名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:32:56 ID:wJLaPWvK0
>>202
そうです。この件に関しては、三方面からのアプローチが必要なんです。
@古代にご長寿の薬・高度なアンチエイジング技術があった可能性。
A口承伝説による伝承物語の伝承手段のありかた。
B記紀編集のレトリック。
これのどれかで、古代人の寿命の仮説を引き伸ばせるかもしれない。記紀の
寿命矛盾が解消されるまで、これを信じたい。(てか、誰かこの説潰してw)

実は、古代エジプトのファラオも、この方法論のどれかで、長生きしたので
はないかとも考えていますw
220名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:32:57 ID:0F/9tG3I0
>>212
4世紀は決して暗黒時代ではありません

それどころか、崇神天皇による大和王朝が始まり
海を渡って朝鮮半島に三韓征伐に遠征して
百済、新羅を臣民としてしまうほどの勢いがあったのですよ
221名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:33:25 ID:nh6koxV/P
>>134
邪馬台国自体には何の権威もないよ
むしろ卑弥呼が姫巫女で大物主(大国主)の妃ってことは
古代においては日本の正当な主権者は大国主って考えられた所が重要
まあそれは記紀にも書かれてることだけど
222名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:33:29 ID:VLekzZz80
>>213
東夷伝は七つの条があって、その一つがいわゆる倭人伝なんですね
223名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:34:06 ID:qJkyxcsC0
>>203
>>214
魏志倭人伝には、人々が刺青入れてたって書いてあるんでしょ?
どう考えても日本のことじゃないじゃん。
224名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:34:24 ID:Nuv4weq/0
>>202
その視点から言えば
我らの先祖はヒミコや邪馬台国を
そのままの姿で子孫に伝えたいとは思ってなかったようだな
その理由を考察するのは面白い
先祖が残した謎で今だに子孫がどんだけ楽しんでるか
225名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:34:27 ID:Cmd8/oc6O
卑弥呼=吉永小百合
226名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:34:35 ID:CJ65J3cYO
>>216
争いが絶えない
統一国じゃなく連合国
貢ぎ物少ない





どう見てもショボス(´・ω・`)
227名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:34:41 ID:yBWrEgTZ0
おまえらよくこんな話題で6までいけるな
すげーわ
リスペクトfromニュー速

邪馬台国は州都岡山
228名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:34:58 ID:0F/9tG3I0
>>218
それは現代人の感覚であって
古代人の感覚は違うということだ
229名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:35:19 ID:d2cXE//40
>邪馬台国はどこにあったのか?

ググったら歌舞伎町にあったよ。
230名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:35:25 ID:eLy+k+n10
>>217
よくイリを入りだから外国から来たって言ってる奴いるけど、当時の日本語で入りって言葉が使われてたって研究あるの?
あくまで血縁とかの流れのヒントでしかないと思うんだけどな
231名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:35:38 ID:U0S9b+3V0
>>227
黄泉の国に対抗すべく桃をたくさん植えてみました。
232名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:35:38 ID:VLekzZz80
>>219
あなたはまず基礎的な読解力を身につけることが必要なんじゃないですか。
あとわざわざ書きませんでしたけど、漢字も間違えてましたよ。
233名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:36:19 ID:bQndoxKI0 BE:1076592454-2BP(2100)
また、魏志に登場する国は、九州にあることがほぼ確定できる国々は、皆後の郡の大きさである。
畿内説をとる場合、名前のみ登場する30国を令制下の国に否定する必要があり、極めて不自然である。

>>228
逆。
234名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:36:32 ID:LOEq/nHQ0
九州から近畿にまたがる巨大帝国だった!!
でええやん・・・・・・。

いっそ四国に本社があってそれぞれに支社があった!
でも良いし・・・・・・。
235名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:36:42 ID:rsrVgeRLO
>>221
倭人伝に大国主のことなんて書いてないだろ?
236名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:37:07 ID:bQndoxKI0 BE:1722547384-2BP(2100)
>>233
×否定
○比定
237名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:37:22 ID:qo6UuSY/P
魏志倭人伝は魏がいかに遠くの国とさえ交流があったか、
っていう自画自賛の本なので、記載される距離や日数は
おおげさに書いてある可能性があるそうだ。少なくとも邪馬台国は重要な交易国とは記載されていないとのこと。
従って畿内説と矛盾しない。
一方で、畿内説を補強してた三角縁神獣鏡はいまでは魏から送られたものではなくて国産品だったという説が大きくなってる。
他方、マクモニーグルは四国説をとる。
238名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:38:13 ID:VTu1i3oHO
みんなの心の中に・・・
239名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:38:17 ID:hVoDggFA0
>>218
現代人はパソコンによって統治されてるのだな
祭祀の中心と思われる遺跡からは巨大なサーバーが発掘されるはず
240名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:38:21 ID:VLekzZz80
>>223
当時の日本よりもはるか南の海上に、刺青を入れて冬でも野菜をとって生活するような国が
あったのかもしれないですの意。
241名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:38:48 ID:CRIaMfqC0
邪馬台国→大和国
卑弥呼→日命→天照大神
倭人→和人
ってのをどっかで見た
242名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:39:35 ID:4YeUVN9BP
>>234
ホントそれでいいと思う。常識的にみて、邪馬台国か狗奴国のどっちかが
奈良も含んでいるのは明らかなのに九州説のド馬鹿は、
甘木とか八女とか薄ら馬鹿な事ばかり抜かしてる。

そもそも甘木とか、神功の征伐地だし、全てにもってナンセンス、
人間色眼鏡、偏見ってのは中々抜けないものだな。
243名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:39:40 ID:OLwQN/Qy0
国宝の「海部氏勘注系図」によると9世孫・日女命が邪馬台国の卑弥呼で11世孫・日女命が台与です。
崇神天皇が魏志倭人伝の言う卑弥呼の男弟であり磯城県主・葉江の子孫です。
244名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:39:47 ID:toS5ZzqTO
畿内説には無理がありすぎるんだよな〜
245名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:39:51 ID:0F/9tG3I0
邪馬台国=大和国
卑弥呼  =日巫女=天照大神

248年 卑弥呼没
318年 崇神天皇没
389年 神功皇后没
427年 仁徳天皇没 賛(讃)
432年 履中天皇没 
437年 反正天皇没 珍
454年 允恭天皇没 済
4**年 安康天皇没 興
489年 雄略天皇没 武
246名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:39:55 ID:U0S9b+3V0
>>239
そのサーバーに自我が目覚め・・・
247名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:40:28 ID:teUy1snE0
>>233
邪馬台国と女王国の使い分けに注意
248名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:40:53 ID:ph9WWqekO
一部の九州説信者は歴史の教科書による被害者かも。朝鮮はショボショボで
大和に朝貢してた事実とかも載せないし九州なんて中国地方よりショボい国しか無かった。
なんでも大陸優位な自虐史観洗脳教育だからな
249名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:42:37 ID:9YI0JY0+0
>>217

>>195で「後のは段々大げさにしたり、ごますりなど」と
書いたけど、応神天皇に関しては訂正。
応神天皇は、崇神天皇と同じく天皇家の政権確立に関して、
多大な貢献があった、いわば中興の祖で「神」が付いたんだろ。

神功皇后は、卑弥呼に同定するため、「神」をご進呈したのかもしれない。
250名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:42:39 ID:4YeUVN9BP
>>248
九州説はだいたい、学生運動してたような
頭の固い、頑固な偏見の塊。
頭がカチコチで融通は効かない。
251名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:43:12 ID:mpQP/XoQ0
あの時代には日本はまだ統一されていなかったのだから。
農耕と貿易力で国力が決まる時代だったから、肥沃で温暖な気候な土地、そして中継貿易に適した湾口を持つところが強い。
つまり、西が東より強いことになる。

あの当時でも、大国・連合政権は近畿・九州北部・関東〜東北程度しかなかったと思われる。
その中で、china書の「倭」は邪馬台国に首都があり卑弥呼が女王になったとある。
当然china書に書かれるくらいだから、chinaには近い。つまり九州説が有力。
また、元寇などのことを考えた場合、首都はいくぶん海からは離れているはず。
そう考えたら、吉野ヶ里が卑弥呼時の首都であるといえなくもないが、まだ大きなものが久留米〜基山付近に眠っていると思われる。

一方の纒向遺跡は邪馬台国連合と敵対する1連合政権の首都であったと思われる。
九州産の出土品割合が低いため。
仮に纒向遺跡は邪馬台国にした場合、日本はchinaの属領であったと認めてしまうことになる。
問題はこんな大きくかつ技術力の高い都市を当時の日本人だけで作れたか?

ドラえも〜ん
252名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:43:15 ID:0F/9tG3I0
邪馬台国=やまとのくに
  女王国=邪馬台国を中心とした、卑弥呼に従う国々の総称
   倭国=朝鮮半島南部と日本列島西部の地域
253名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:43:18 ID:wJLaPWvK0
>>217
> ミマキイリヒコの名にちなんで任那と名づけたというエピソードが
>日本書記・垂仁記に書いてあるが、つまりミマキイリヒコとは、任那から
>入ってきた天皇という意味ではないだろうか。

その理窟だと、ノルマンディー地方から、フランス人は撃って出てバイキング
になってしまう。アベコでは?占領地に占領将軍の名前をつける方が事例は
多いと思われます。加羅→任那の名前変更も、時期は定かには覚えていま
せんが、ミマキリヒコの方が先ではないかと類推するのですが?(ご当地
の改名の方が先で、その後にミマキリヒコ登場なら、考えなくは無いですが)
254名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:44:08 ID:bQndoxKI0 BE:968934029-2BP(2100)
また魏志は、倭の範囲を周旋五千余里とする。
一里を100mとしても500`で、九州の範囲を出ない。

>>247
個々の国の話をしている。
255名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:44:19 ID:+CQezdHlO
>>129
時間制限で何度も跳ねられてしまい、さらに痛恨の操作ミス。

その間に書き込みたかった「河内湖」の話しは先に書き込まれ、
うちひしがれて風呂に入った。
256名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:44:37 ID:RM0uRUHQO
ヤリタイ国
257名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:44:48 ID:9uiNen5NO
ヒント <br> 卑弥呼→愛子 <br> 神武帝→悠仁様 <br>
258名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:45:13 ID:uZtGo0ZT0
吉野ヶ里が邪馬台国です
259名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:45:22 ID:CJ65J3cYO
畿内に国家があったとしても、伊都国や奴国を通る必要があるじゃん
畿内で争いばっかりやってた小国家連合が、遠い遠い伊都国・奴国に出先機関を置いていたとでも?
260名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:45:46 ID:sg9B2PEi0
関西にあったのは、はにわ原人がいる邪魔台国だろ・・・
261名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:46:39 ID:sGhiEWFK0
ああ、こういう流れは2ちゃんならではだなw
262名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:46:49 ID:ft3XDwzD0
>>241
大体、邪馬台国を「やまたい」と読むのがおかしいんだよな。「やまとぅ」だよ。

どっちにしろ当て字なんだから。
実は大和はいろんな当て字使われてる。大倭 野馬多、夜麻登、耶麻騰
263名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:46:57 ID:VLekzZz80
>>249
それ以前に、そもそも「漢風の諡号」って日本書紀の編纂された時代に存在したの?
264名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:47:08 ID:teUy1snE0
>>259
一大卒があった。
大宰府だろう。
265名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:48:12 ID:nh6koxV/P
初期天皇の年齢の謎については日本史板に貼られてたこのサイトなかなか面白い
卑彌呼の死
http://www.eonet.ne.jp/~organism/yamato-1_5.html#1-5-50


まあ神話時代の人物が長寿なのは一般的傾向なんだけどね
ノア950歳、アブラハム175歳、モーセ120歳
神農120歳、堯118歳
266名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:48:43 ID:3zIOSD4m0
国民投票で決めようぜ
はっきりした証拠がでるまではそこでいいよ
267名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:49:25 ID:ft3XDwzD0
考古学学会の学者ではもう畿内説にみんな乗り換えちゃったんだよな。
九州は素人がトンデモ本書いたり、嘘でっち上げたりしたのばれてもうダメダメw
268名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:49:27 ID:U0S9b+3V0
>>266
間をとって出雲でいいじゃないか。
269名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:49:43 ID:bV5qIh4s0
よしのがりってさ、遺跡に世間の注目を集めて発掘作業の中止を回避させるために
わざとマスコミをまきこんで全然関係のない邪馬台国を持ち出したんでしょ、たしか
270名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:49:55 ID:XzLli3HF0
天皇陛下万歳
271名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:50:26 ID:bQndoxKI0 BE:1507229074-2BP(2100)
>>259
奴国、つまり博多湾岸の那之津のあたりが二万余戸で、邪馬台国が七万余戸、そんなにでかい国じゃないんだよな。
272名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:51:42 ID:r64dGDoK0
宇佐神宮の真中に祀ってあるのが卑弥呼。
九州と大和の二大王朝が有った。
九州は大和に併合されたか対等合併したかした。
273名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:51:50 ID:toS5ZzqTO
ゴッドハンド畿内説
274名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:52:22 ID:PEGor9AYO
マキムクだって


三輪山に登れは天照のお社もあるよ


天照は日御子で大神だ
大物主が大国主の和魂を鎮めてる
日本という大国を大神が仕切ってるから

大神神社だよ
天津神が国津神を指揮してる土地がマキムクだよ
275名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:53:39 ID:ft3XDwzD0
>>271
投馬国の五万戸よりはるかに小さいだろ。
276名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:54:24 ID:HJiv2v1DO
>>239それなんて言うスプリガン?
277名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:54:47 ID:ft3XDwzD0
>>273
ゴッドハンドは東日流外三郡誌だろw
278名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:54:57 ID:teUy1snE0
>>274
ヤマトとは三輪山の麓の意味で山処だろうね。
そして邪馬台国=ヤマト国。
279名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:55:20 ID:bQndoxKI0 BE:807444353-2BP(2100)
>>275
そうじゃなくて、那之津のあたりで二万戸収まることを考えたら、七万戸と言ってもそれほどでかくないって意味。
280名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:56:09 ID:wJLaPWvK0
>>272
神功皇后はトヨタマヒメ。仲哀天皇と婚姻して、神皇合体完成。これで、巫女神
は権力を得、大王側は神話的に格上の出雲を支配しても全く問題なくなる。
WINWIN合併。
281名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:57:39 ID:ft3XDwzD0
>>279
邪馬台国は都で女王国の都だよ
282名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:57:44 ID:4YeUVN9BP
やまととももそそゆめ
283名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:57:52 ID:VLekzZz80
初代  神日本磐余彦天皇 (神武天皇)
二代目 神渟名川耳天皇 (綏靖天皇)

十代 祟神天皇 → 御間城入彦瓊殖天皇
十五代 応神天皇 → 誉田天皇
十四代仲哀天皇皇后 神功皇后 → 気長足姫尊
284名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:58:02 ID:jAYITx7s0
そもそも邪馬壱国ではないのかとげふんげふん
285名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:58:18 ID:0F/9tG3I0

邪馬台国=やまとのくに
  女王国=邪馬台国を中心とした、卑弥呼に従う国々の総称
   倭国=朝鮮半島南部と日本列島西部の地域
286名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:59:12 ID:ft3XDwzD0
>>284
それは漢字のミスだと思うわ。どっちにしろ当て字で正確な名前じゃないんだし
287名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 22:59:30 ID:bQndoxKI0 BE:2422332195-2BP(2100)
>>281
七万戸は「邪馬台国」の人口ですが?
288名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:00:06 ID:4YeUVN9BP
5年前は絶対甘木とかいう奴が多くいたがずいぶん減ったな、
自殺したかな?
289名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:00:28 ID:CJ65J3cYO
邪馬台国は北部九州で、投馬国は中・南九州(例えば日向)でよくね?(´・ω・`)
290名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:00:36 ID:ft3XDwzD0
>>287
女王国の都である邪馬台国のね。

南、邪馬壱國(邪馬台國)に至る。女王の都する所なり。
291名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:02:39 ID:4YeUVN9BP
おまえらもそれほど若くないだろ、
ゴットハンドも見た、今の前田のねつ造ストーリーもみた、
そういう社会の闇をみれば如何に九州説が闇、古いレッテルで
生まれたかわかろう。
292名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:03:38 ID:bmDdx3Uk0
実はもっとスケールがでかかったりしてな。
邪馬台国=アメリカ大陸だったとか。
293名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:03:41 ID:jAYITx7s0
>>286
台の旧字体は中国の天子を示す字なのでそんな字を東夷の国名に充てるのはという議論もあるようだ
まあ漢書ですでに邪馬台国になっているから誤字なのかもしれん
294名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:05:06 ID:4YeUVN9BP
小学生の時おまえらも明らかに知能が低い奴をみてたと思う。
その連中が成長して大人になっても脳のある部分の欠陥は
修復されない。
それが九州説となって顕在化してきた。
295名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:05:34 ID:fG32Hw3v0
対馬だったりしてな
296名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:06:23 ID:jAYITx7s0
>>292
ハワイも捨てがたい
297名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:06:27 ID:teUy1snE0
>>295
対馬は途中に出てくる。
298名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:06:51 ID:qJkyxcsC0
>>293
誤字も何も、当時日本にまだ漢字は無かったんだから、正解はないだろw
漢書書いた人が好きなように当て字すればいいだけのこと。
299名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:07:24 ID:SvvC0TQL0
「やまたのオロチ」のやまた=邪馬台国

って、常識だろ。
300名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:07:28 ID:tS6+BX3kO
みんなの心の中にあるよ

それでいいじゃない
301名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:08:10 ID:wJLaPWvK0
[邪馬台速報]
( ・(エ)・) クマソが出没しています。ご注意くださいクマ。
302名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:08:21 ID:toS5ZzqTO
畿内説って怠いよな〜
303名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:08:41 ID:bV5qIh4s0
仮に畿内だったとして、九州上陸から畿内までに通過した国って存在しなかったの?
304名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:09:06 ID:teUy1snE0
>>293
周囲をケダモノに見立ててた当時の中国が
倭人にはニンベンをつけて人間と認識してたからなw
305名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:09:26 ID:VLekzZz80
>>294
新井白石は知能が低くて、脳に欠陥があったの?
確かに古い時代の人だけど、それはどうなんだろ(w

現代にあっては、纏向遺跡が折角出てきたのに、日本書紀との照合を行うよりもまず邪馬台国と言いたがる
研究センターの人やマスコミの人の方に社会の闇を感じますけどね
306名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:09:53 ID:38rXD4WG0
お前ら俺が昨日高木彬光を読んでから感想をって言ったの忘れてるだろ
307名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:11:16 ID:LmV9UkaCO
>>293
臺灣(台湾)って偉い地名なんだな
308名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:11:17 ID:KjSDLtGHP
んー、邪馬台国を飛び越えて『ヤマト』の起源まで想像するなら
『山戸』もしくは『山門』であるわけだから、本来のヤマトには象徴的な山があったはず。

あと近畿説の決定的な弱点として『富士山』に言及されていないことが挙げられるんじゃないかな?
奈良県の人はよくご存知だろうけど、富士山は奈良県から見えるんだよ。
名前しか分からない国まで挙げられている魏志倭人伝で富士山(蓬莱山)が挙げられてしないということは、
邪馬台国が富士山が見える場所に無かったという決定的証拠だと思う。

やはり、邪馬台国は出雲じゃないかと思うよ僕は。
309名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:11:25 ID:qJkyxcsC0
>>305
> 現代にあっては、纏向遺跡が折角出てきたのに、日本書紀との照合を行うよりもまず邪馬台国と言いたがる

邪馬台国と言うか言わないかで研究予算が全然違ってくるからな。研究者も人間だし、研究には金がかかるし、
金がからむとビジネスなので綺麗ごとだけではすまない。
310名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:11:26 ID:toS5ZzqTO
奈良に行くには佐賀で上陸するのが近道らしい。あー畿内説ってくだらん。
311名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:12:08 ID:0NVZ+Td40
>>283

日本書紀によると
応神天皇は、太子の頃の名は、イザサワケのミコトと言った。

敦賀の気比神社に参拝したとき、そこの大神・ホムタワケ神と名前を交換して
応神天皇はホムタワケのミコト、神はイザサワケ神になった。


なんで、神様と名前を交換したのか。
へんな話
312名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:12:18 ID:0VxDR88DO
ミッチー!ジーグパーツシュートだっ!
ビルドアーップ!
313名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:12:51 ID:jAYITx7s0
>>307
三世紀当時は偉い字だったわけでな
314名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:12:53 ID:VLekzZz80
>>309
文科省が腐ってるってことかしらん。
315名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:13:08 ID:ft3XDwzD0
>>298
もちろん日本が「やまとぅ」といってたのを中国が邪馬壹國と漢字の音にあてはめたわけで
俺が言ってるのは、今度が中国人がその漢字を邪馬壱と書き間違えたということ。
あとで中国の史書ももとの邪馬壹國に戻ってるからな
316名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:13:35 ID:SpHf8MgUO
倭人伝で王が居たのは伊都國と女王國と狗奴國だけでしょ?
伊都は糸島、女王國は邪馬台国、狗奴國はたぶん熊本あたり。
間の筑紫、筑後、佐賀周辺に邪馬台国があった。
317名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:13:56 ID:qJkyxcsC0
>>308
>『山戸』もしくは『山門』であるわけだから、本来のヤマトには象徴的な山があったはず。


いや、むしろ、日本は山だらけだから、そこかしこに「やまと」があったんじゃないかと思う。
318名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:14:03 ID:O8zelvdT0
>>96
11世紀くらいまで、いまの中国あたりで出回っていた地図は、九州が北だった。
だから南下すると畿内に到達できる。
俺は出雲を避けるために太平洋周りで和歌山のあたりまで水行20日、
そこから岸沿いに陸行1月で奈良(ヤマトの女王国)まで行ったと考える。

書籍としては、魏志倭人伝の倭と同じと書いてあれば充分。
319名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:15:02 ID:teUy1snE0
>>305
>日本書紀との照合を行うよりもまず邪馬台国と言いたがる

あの場所だったら邪馬台国と言いたがるのではなく、邪馬台国=ヤマト国だったってだけだろう。
厳密にはまだ仮説であって、可能性が高まったと言ってるに過ぎないけど。
マキムクが邪馬台国だとなったところで、九州とちがって、爆発的に観光客が増えるわけでもあるまい。
今でも多いから。
320名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:15:44 ID:CJ65J3cYO
伊都国〜畿内まで500キロやで500キロ
小国家連合が500キロにも渡って続くんか?
それに500キロも進んで何の記述もないんか?
記述しなかったんやなくて、伊都国の先をよく知らなくて記述できなかったんちゃうんか
あ?オラ答えんかい(´・ω・`)
321名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:15:50 ID:jAYITx7s0
そろそろ日本史板行ったらどうだろうと

邪馬台国総合スレッドPart99
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1286731828/
322名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:16:37 ID:H09g0pQr0
>>306
高木彬光とか、最近だと井沢元彦や梅原猛あたりを読んでると、
やっぱり宇佐になっちゃうのよね。お話としてはすごく良くできてる。
畿内説も悪くないけどね。
323名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:16:58 ID:+3Jw7n7j0
どこにあろうがもうすぐ中国領になるんだし関係なくね?
324名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:17:00 ID:CCepk0G50
まだやってんのかよ
ここで言い争うのはいいが間違っても外で九州説なんて唱えるなよ
325名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:17:01 ID:ft3XDwzD0
壹= 一同とか等しい と言う意味。このとき、壹の読みは「トゥ」になる。
326名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:18:03 ID:LmV9UkaCO
>>313
3世紀には「邪馬壹國」なのに4世紀以降「邪馬臺國」になる理由は?
327名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:18:22 ID:nHHkcowlO
>>308
伊勢湾の向こう、つまり「海の向こうの別倭の地」なら富士山は出てこないな。
328名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:18:25 ID:dRm2UWqFO
卑弥呼じたい邪馬台国と関係ない人だったりしてな。
329名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:18:27 ID:qJkyxcsC0
>>314
国民やマスコミだって、「纏向遺跡」と言っても興味もたないのに、大した情報もない「邪馬台国」の話になると盛り上がるじゃん。
このスレだって6まできてるし。日本人のこの異常な邪馬台国好きはなんなんだろうね。
トロイみたいない伝説だった話から具体的な遺跡でも出てくれば別だけど、それまでは単なる伝説レベルだと認識すべき。
330名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:19:05 ID:O8zelvdT0
「くに」が幾つもあっただけでは?
九州に100くらい「くに」があったて記述がある書があったはずだが。
331名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:19:21 ID:toS5ZzqTO
>>320
このバカ野郎、車もない、道路も整備されてないんだぞ、単純に500とか数字を出すんじゃねーよ、コラー
332名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:19:35 ID:3cenydX10
シルカボケ
333名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:19:36 ID:wJLaPWvK0
宇佐神社と高千穂の間のどこかに決まっている。それ以外の話が何故出るのか
不思議だ。
334名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:20:12 ID:ft3XDwzD0
壹與は「とよ」
335名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:20:19 ID:0vdWhL1w0

農耕ができる地、九州だと思うな。
奈良は農耕文化的にムリじゃねーの?
336名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:21:29 ID:ft3XDwzD0
>>335
現在の奈良とは地形がぜんぜん違うよ
337名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:21:54 ID:dfO191mj0
>>318
倭人伝には、もっと南のことも書いてるよ。

「有侏儒國在其南、人長三四尺、去女王四千餘里」
>その南に侏儒国がある。身長は三、四尺。女王国から四千余里。

「又有裸國、黒歯國復在其東南、船行一年可至」
>また、その東南に裸国、黒歯国がある。船で行くこと一年で至る。


裸国とか、黒歯国とか、南方の風俗っぽい名。
身長の低い侏儒国は、フィリピンのネグリートか。

もし、日本の地図がさかさまなら、南に船で1年って
北極とかのことかな。
そこで裸国は寒そうだな
338名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:23:01 ID:qJkyxcsC0
>>318
九州が北だったんじゃなくて、昔は地図の上が南だったんだよw
339名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:23:49 ID:VLekzZz80
>>311
記によれば、夢にそのイザワサケの神が出てきて「名前を交換したい」といったと。
答えになってないか。
そういやこの神が居たとある「ツヌガ」は、ツヌガアラシトの名を取ってツヌガとなったと書かれてる土地だっけね。
340名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:24:20 ID:D//9sjDk0
>>322
高木彬光は確かに説得力はあるけど、なぜ小説の形にしたかだよな。
341名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:24:56 ID:ft3XDwzD0
九州説の人って、あの頃の中国が方位とか距離とか完全に正確だと思ってるんだよな。
そんな人らがあんな地図かかんよ。まだ完全に中国を統一しきれてるとは言えない状態なのに
342名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:24:57 ID:CJ65J3cYO
オマエラ、漫画で読むシリーズの古事記と日本書紀読んだろ?(´・ω・`)
343名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:25:59 ID:VLekzZz80
>>329
邪馬台国嫌いもスレに来るし、古代史スレがあまり立たないから
単純な古代史好きもスレに来るよ。
344名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:26:17 ID:5Wyd5kCj0
>>319
そんなに観光客多いのか

それは、邪馬台国の可能性高い(ていうかこれで決まり)って
言ったからだろ。証拠なんてないのに。
他のところもマネすべきだな。
345名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:26:27 ID:O8zelvdT0
>>337
女王国から東、海で千里の裸の人がいる島が隠岐の島、
そこから南に都合4千里の矮人が住む島が佐渡島でどうだろう。

個人的に裸ってきくとパラオとかを連想するけどね。
346名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:26:41 ID:38rXD4WG0
>>322
トンクス。
347名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:26:58 ID:ft3XDwzD0
>>335
ちなみに平城京の時代でこんな地形な。
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/71/6a32e588aeca5bf650c6f33dfd2c8025.jpg
348名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:27:15 ID:er8EYVfC0
>>60
女王と弟(おとと)
ではなく
女王と大臣(おとど)
の通訳ミスだと考えるんだ!

するってぇと皇室と物部氏・曽我氏・藤原氏・平・征夷大将軍・近現代だと内閣と同じような状態になるだろ?
神託を称することで諸豪族の名目上の面子を保ちつつ、若干の差で最有力な豪族=大臣が実権を執ってたけど
諸豪族を納得させれる豪族がいない→次のそのレベルの豪族が立てた巫女が=トヨ
349名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:27:16 ID:SpHf8MgUO
邪馬台国筑後国山門説を唱えました新井白石の名前をみると
石、井、白、新の文字が見えます。
石井は筑紫国造磐井のこと、白や新は新羅のこと。
倭はゐ(い)と読み、イや伊はまつりごとを行うものを差します。
伊都は王朝の拠点を示し、磐井もその地位を示す名前。
新井白石は名前で九州倭国王朝の意義を示しています。
350名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:27:31 ID:toS5ZzqTO
なんだかんだ言って邪馬台国はヤマト呼びだと、そこだけは倭人伝を引用する畿内派、実にくだらん
351名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:27:45 ID:9WcFcR9U0
最新の研究結果だと埼玉県にあったらしいとかなんとか
352名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:28:46 ID:O8zelvdT0
>>338
そうなんだ。列島の向き自体が違うから、地理的な勘違いだと思っていたよ。
では退散。
353名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:29:22 ID:Z6wpwSrk0
日本以外説◎
近畿説〇
九州説×ってか単なる馬鹿www
354名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:29:31 ID:0vdWhL1w0
>>336
> 現在の奈良とは地形がぜんぜん違うよ

そうか、すまんかった。

ところで、邪馬台国って、皇室の系統なん?
それとも、反皇室だったの?
昔の発音だと、ヤマタイでいいのかな?
発音とか、中国読みなんだろうねきっと。
古代中国語で邪馬台って、なんて発音だったのかとか。

いろいろ、おもしろいな、こういうの。
発掘の日とかつくって、いっせいにほじくり返したらおもしろいね。
355名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:30:03 ID:ft3XDwzD0
>>349
上野国の新井村の出身だからだよ
356名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:30:33 ID:wJLaPWvK0
>>337
もし南=東なら、侏儒国は幻の関東王国辺りだろうか。でも、そこらへんに
裸国。。。関東の冬に裸は厳しいだろうなぁ。。。
裸の国が日本本土にあるとは考えにくいです。
357名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:31:30 ID:qJkyxcsC0
奴国の金印はそもそもなんで志賀島の田んぼの中から発見されたの?? へんな話。
358名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:33:02 ID:U0S9b+3V0
>>357
神の手によって
359名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:34:07 ID:ft3XDwzD0
>>354
>ところで、邪馬台国って、皇室の系統なん?
わからない
>昔の発音だと、ヤマタイでいいのかな?
発音とか、中国読みなんだろうねきっと。
古代中国語で邪馬台って、なんて発音だったのかとか。
壹= 一同とか等しい と言う意味。このとき、壹の読みは「トゥ」になる。」「豆」
の部分が発音
360名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:34:20 ID:Z6wpwSrk0
>>358
禿同www
放射線とか当ててみたのかねぇ?
361名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:34:30 ID:8B1zUuei0
七万戸、一家四人で28万人
久留米と筑後諸藩で34万石=34万人

弥生時代は江戸時代ほど生産力は高くないだろうから
肥前(佐賀)と秋月入れて81万石

3倍近いから、これくらい余裕を見ていれば、
人口的にはなんとかなるだろ。
362名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:34:33 ID:f9tvJiAv0
後の大和朝廷に繋がる一大勢力は近畿にあった。
しかし魏志倭人伝が伝えるところの邪馬台国は九州に存在。
2大勢力並立で全て解決、矛盾も生じない。
363名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:35:21 ID:bQndoxKI0 BE:1614888465-2BP(2100)
邪馬台国は九州の有明海沿岸。ヒミコ自身がそう言ってる。

>>362
いや東遷で解決。
364名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:35:26 ID:CJ65J3cYO
3世紀時点では九州にも出雲にも畿内にも国家があり、それぞれが独立して発展
後に畿内の国家が成長して遂には出雲や九州の国家を倒す


こうだろ
日本列島も広い。国家は九州か畿内かの択一式ではなく、いくつも小規模の国家があったんだろう
だとすれば、畿内の国家がわざわざ中国にご挨拶に行くメリットなんかあるか?ねーわな
中国にご挨拶に行きたがるのは九州の国家だろ
根拠はねーが、俺の説が真実だよ(´・ω・`)
365名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:35:49 ID:ft3XDwzD0
>>362
矛盾が生じないからそれでいいというのは陰謀論的思考だよ
366名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:35:53 ID:PmydXtyt0
おれは北九州説支持派だが
「台与」をトヨと読むなら
「邪馬台」はヤマトと読んでも良いんじゃないかなと思ってる。
280〜300年ぐらいに近畿に遷都したんだろう。



367名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:38:20 ID:0io87Kex0
神無月だ。出番だよ、先生。
368名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:38:23 ID:KjSDLtGHP
>>331
いや、道路も地図もない古代の世界にも絶対に迷わない道が存在するんだよ。
昨晩も言及したけど『海岸線』がそれなんだ。

日本列島の山脈にはオオカミやツキノワグマという猛獣が生息していて、
ごく最近までその被害に晒されていたのだから、古代の人たちが好んで山道を歩いたとは思えなし、
そもそも人間が好んで山に住むことも無かっただろうと思う。

皆さんは三毛別羆事件というのをご存知だろうか?
大正時代に「袈裟懸け」とあだ名された巨大なヒグマによって人間の村が壊滅させられた事件である。
山道を歩くという危険性は古代の方がずっと高かっただろうと思う。
369名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:39:12 ID:LmV9UkaCO
>>366
逆。「邪馬台」がヤマトだから「台与」がトヨになった
370名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:39:58 ID:ryC9XkAkO
>>357
志賀島って、安曇族の本拠だよ?彼等が祀る志賀大神とは、綿津見三神。
博多には那の津もあるし、あの辺り那国だったとしても不思議はない。
博多にある筑前一ノ宮住吉神社は、最古の住吉とも言うが、
綿津見三神が摂津に移ったのが住吉三神だという説もある。
371名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:41:13 ID:8B1zUuei0
そういえば台与は悪字じゃないね
372名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:41:57 ID:As6N3r8O0
倭人伝に、船で1年も東南にある国のことが
書いてあるのは、倭人から聞いた話だからだろう。

当時も、そこから倭に流れ着いた連中がいたのか、
もしかして交流までやってたのか。

そんな南方の国まで書いてるのに、東の情報は
海のむこうにも倭人の国があるってだけであまりに少ない。
畿内だったら、蝦夷(北海道のことじゃない。
当時は東日本にいた種族を蝦夷と呼んだ)のことも触れてていいはず。

「旧唐書」では
>西と南は大海に達し、東と北は大山に達する。
>山のむこうは毛人の国である。
となってる。毛人とはまさに蝦夷だろう。
毛が濃いんじゃなくて、防寒着として毛皮を着ていた。
蝦夷までは遠すぎて知らなかったんじゃないかな
373名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:42:57 ID:bAZaC8NX0
近畿に邪馬台国があったなら、瀬戸内海を行ったはず(日本海なら九州には上陸しない)
瀬戸内海を通ったなら、方位を間違えるはずはない(大概東を向いてるから)。
南なんて言うわけないです。

だから、邪馬台国は九州ね。というか近畿なら九州には上陸しないだろう。しtれも一大卒に挨拶ぐらいで、海路続行ででしょう。
374名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:44:23 ID:toS5ZzqTO
>>368
だからなんだよ
375名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:44:37 ID:elKdsPWd0
>>366
北九州から近畿まで、何の障害もなく遷都出来たかが問題。
途中には出雲や吉備のような強大な独立勢力が存在したからね。
376名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:44:37 ID:0vdWhL1w0
>>359
ありがとです。
このまえ 「とめはね」 って漫画読んでたら、古代は表音文字だった
ってあったから、ちょっと読みに興味があった。


 
>>366
> おれは北九州説支持派だが
> 「台与」をトヨと読むなら
> 「邪馬台」はヤマトと読んでも良いんじゃないかなと思ってる。
> 280〜300年ぐらいに近畿に遷都したんだろう。

なるほど、ヤマトゥ みたいだったのかな。
そうすると、神話継続でいけば皇室系ってことになるのかな。
377名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:45:27 ID:CJ65J3cYO
3世紀時点ではすでに日本全国に人が散らばっていただろう
そんな中、九州から畿内までの長距離を経て国家の遷都ができるだろうか
絶対途中で争いばっかりになるだろ
九州にも畿内にも国家があって、結果的に畿内の国家が勝ち残りましたってことだろ
それなら3世紀に奈良で古墳があってもおかしくない
あと、東遷なるものがあるとすれば、それは3、4世紀じゃなくて、さらにはるか昔、つまり大陸と地続きで人が流れて来た時の話だろ
適当だがな(´・ω・`)
378名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:45:46 ID:Nuv4weq/0
>>354
>古代中国語で邪馬台って、なんて発音だったのか
井沢が専門家に頼んで当時の発音を再現してもらったところ
ヤマドゥ または ヤマトだったと
過去スレで誰かが言ってたぞ
379名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:46:35 ID:ft3XDwzD0
>>373
>瀬戸内海を通ったなら、方位を間違えるはずはない(大概東を向いてるから)。
>近畿なら九州には上陸しないだろう。
ど知多も説得力がない
380名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:47:51 ID:0io87Kex0
邪馬台国でも邪馬壱国でもなく、
実はヤマトそのものを指していたなんて・・・
381名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:48:05 ID:bAZaC8NX0
>>378
邪馬台とは書いてないんだけどね。邪馬臺、あるいは邪馬壹。
発音が違うはず。
382名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:48:21 ID:KjSDLtGHP
>>368のつづき
僕は更に想像していて、なぜ古代の日本人は山を信仰したのか?
それは前述のとおり山が猛獣の住処であり、人間にとってこの世とあの世が混沌とした場所だったからなんだよ。

みんな聞こえない振りをしているけど、この感覚をまず理解して欲しい。
古代の人々にとって、とても人間では太刀打ちできない猛獣の住処である『山』は神の領域だった。
383名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:48:24 ID:wJLaPWvK0
日本書紀の編集は大和王朝(持統天皇)による瀬戸内海文化圏のルネッサンス
だと考えたらいいとおもうよ。に、一票。
中世ローマに住んでいる住人が、いろいろ調べてみたら、文明の開祖は実は
ギリシャにあった。みたいな。
武力王朝として、日本統一も終って、外国とも度々衝突して、本気で大陸との
対抗を考えた時に、いろいろ「日本」の源流を調べてみたら、宇佐あたりに
あったんだ。だから、口承では伝わっていた「神武東征」も避けて通れな
かった。しかし具体的に「どこから来た?」はさすがに国書には書けな
かった。だから「高天原=神の領域から来た」とぼかした。

384名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:48:48 ID:qJkyxcsC0
>>370
> 志賀島って、安曇族の本拠だよ?彼等が祀る志賀大神とは、綿津見三神。
> 博多には那の津もあるし、あの辺り那国だったとしても不思議はない。

そうじゃなくて、なぜ金印のような珍品が田んぼの中から出てくるのかって話だよ。大切に神社に祭られてるか、
遺跡から発掘されるとかなら分かるが、田んぼから偶然発見されるなんて不自然だろ。那国の遺跡も見つかってないんだろ?
385名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:49:56 ID:Z6wpwSrk0
東遷説は支持するが、紀元前の話だと思う。
二世紀に九州に邪馬台って国があって、奈良に移ったのなら、
故地にも地名の名残とか残ってなければ変だ!
386名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:50:00 ID:BFUQRxZi0
邪馬台国なんて、どこでもいいじゃないか。
どうせ遠い昔のことだし、今の生活に何の関係も無い。
それより、今のことを真剣に考えよう。
387名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:50:11 ID:PmydXtyt0
>>375
まあ、遷都に関してはあの手この手は使ってるだろう。
遷都に先立って偵察部隊を日本海経由で近畿に
送っていると思う。記紀で言うところのニギハヤヒか。
桜井茶臼山古墳はニギハヤヒのものと思われる。
388名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:50:24 ID:bAZaC8NX0
>>379
なんで?
ずっと太陽の昇る方向を向いて航海するんだけど。
正確には太陽の昇る方向のやや左よりだろうけど、角度的に。
背後に日は沈む。
まさか、南を向いてるとはおもわんでしょ。
389名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:50:29 ID:toS5ZzqTO
>>375
八百万の神々をお忘れではないですか
390名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:50:52 ID:bQndoxKI0 BE:807444735-2BP(2100)
>>375
邪馬台国の出雲征服が国譲りとして神話化され、畿内進出が旧事紀のような物部系の文献に残り、
南九州への勢力拡大が天孫降臨として神話化された。
その南九州の勢力から出た神武天皇が、手勢を率いて畿内を目指し、数代を経て奈良盆地全域を制圧した。
391名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:50:59 ID:qJkyxcsC0
>>377
弥生末期の人口って2万人くらいじゃなかったっけ?
そんなに日本のあちこちに大きな国家があったとは思えないが。それほどの人口じゃないだろ。
392名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:51:50 ID:U0S9b+3V0
>>389
え?なに?その地方豪族w
393名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:52:28 ID:bQndoxKI0 BE:1291911438-2BP(2100)
>>377
うん遷都は無理だね。
遠征ならできる。
394名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:52:34 ID:8B1zUuei0
よその大軍を自由に通過させるような馬鹿な国家はない。
制圧させなければ、そんなことはできない。

軍事制圧しようとすれば今川や武田、織田みたいに制圧、屈服させる作業が必要。
そうやって東海から京へ上洛するだけでも、長い時間がかかった。

できるとすれば神武神話のように、少数部隊によるゲリラ的侵攻しか無い。
395名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:52:36 ID:bAZaC8NX0
>>391
それは縄文。
弥生時代は稲作で人口が急増してたはず。正確な数字はしらないが、百万単位だったと思う。
396名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:53:04 ID:Z6wpwSrk0
>>381
発音についてはWIKIで議論され尽くしているから、いっぺん読んでみ!
397名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:53:23 ID:toS5ZzqTO
>>382
高千穂に行った事ありますか?
398名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:54:11 ID:0io87Kex0
>>73
皇紀って何ぞや?
399名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:55:05 ID:9HHLqHSF0
スレも6か。たいしたものだ。
ここに書かれたことは日本史板と、考古学板のループを、そっくりなぞってるのに、
ここまで伸びるんだから、
邪馬台国にはまだ、商業的政治的価値があるんだろう。

そりゃ先生方も、ついでに邪馬台国に触れておくかってなるわな。
新聞が書いてくれるし、巷間でも話題になる。
400名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:55:15 ID:ft3XDwzD0
>>388
瀬戸内海通るにしてもあちこちに止まらないといけないよ。東に行けば南海も四国や島にぶつかるし
海流も甘くない。まっすぐ行けないんだわ。のちの時代に新羅と戦う時も海流の影響で
内回も止まってギザギザ航行してる。
401名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:56:30 ID:bAZaC8NX0
>>394
そうだね。
神武以降もジワジワと周囲に侵出してるだけだから。
九州には、都の移動とか、内部での争いはあっただろうけど、
主体的な勢力はあっただろうね。
402名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:56:38 ID:hcytISdL0
>>308 奈良から外国人が富士山を見たら、ちょっと遠くにある小さな山にしかみえないような
403名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:56:55 ID:bQndoxKI0 BE:807444353-2BP(2100)
>>394
そう、記紀には神武軍は大和全域を制圧したとは一言も書かれていない。
所謂「欠史九代」の宮が徐々に奈良盆地の深部へ移動していることで、
また、在地豪族と婚姻を繰り返していることで、次第に勢力を伸ばしていったことがわかる。
404名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:57:26 ID:8B1zUuei0
弥生時代は稲作で人口が急増した。
稲作に必要な平野は、西日本以西では
やはり九州と近畿に多い。

地図を見ればわかるが、平野の面積では
やはり北部九州と畿内はずばぬけている。
405名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:58:34 ID:rsrVgeRLO
>>388
瀬戸内海ではまっすぐいっても流されてしまう。
406名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:58:39 ID:toS5ZzqTO
>>392
えー?マジっすか、とりあえず、クグッてこい
407名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:58:55 ID:bAZaC8NX0
>>400
何を言ってるの。大まかな向きはずっと変わりません。
南と北には、陸塊がずっと見えてます。そちらから太陽が昇ることはありません。
水路を通ってて、ジグサグしたって、前後に見える海は確認できますけど。
408名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:59:18 ID:38rXD4WG0
>>383
ついに出たな。
どこにあったか、じゃなく、どこへ飛んでいったのか。だよなこの問題のキモは。
409名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:59:35 ID:0io87Kex0
A:ノシ「真の邪馬台国は俺だ!」
B:ノシ「いやいや、俺の方が真の邪馬台国ふさわしい」
C:ノシ「真の邪馬台国は俺がやる」

A、B「どうぞ」
410名無しさん@十一周年:2010/10/12(火) 23:59:48 ID:KjSDLtGHP
>>395
縄文時代まで遡ると、俄然関東にスポットが当ってくる。
ご存知の通り、富士山や八ケ岳の周辺では主に儀礼用途と思われる奇怪な土器が多数出土している。

さらに『富士山と八ケ岳が背比べをした』という何らかの権力闘争を暗示させる民話が残されている。
そこから想像するに本来のヤマト(山戸、山門)と呼ばれる権力は富士山か八ケ岳の麓に存在したのだろうと想像している。
411名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:00:01 ID:Hf2987ao0
>>406
ググらなくてもいい。




俺の脳内完結で終了。
412名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:00:23 ID:uLXqMW8F0
邪馬台国など存在しない
我が国日本は神の御代から天皇陛下が統べる神聖絶対不可侵の皇国である
413名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:00:26 ID:TWlaS1AS0
九州から近畿に東遷したに決まってるじゃん

地名の類似とか神話との一致とか吉備地方の出土品とか、証拠多数
414名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:02:08 ID:ft3XDwzD0
>>407
ずっと晴れてるとも限らないし真東でもないよ。陸地が直線ならいいんだがな。そもそも瀬戸内海
の形さえわからんだろ。古地図見ろよ
415名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:02:21 ID:PmydXtyt0
>>403
途中吉備などの有力な地域で婚姻を繰り返しながら
近畿まで遷都していったような気がする。
つまり遷都部隊は選り抜きの美男美女集団だった可能性がある。
416名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:02:26 ID:bQndoxKI0 BE:1076592645-2BP(2100)
邪馬台国=高天原
卑弥呼=天照大御神=アポロ=エリア=如意輪観音=大天使ミカエル
417名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:02:31 ID:h2KVyGNH0
>>362
奈良の文化財調査官が邪馬台国の時代他を圧倒する遺跡は大和には無かったと言っているんだよ。
418名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:03:08 ID:bAZaC8NX0
>>413
九州勢力と近畿勢力の衝突の形跡は色々残ってるんだよね。

ただ、九州の巨大な勢力が近畿に行ったかどうかってのは、無いような。
応神のはあるが、なんとなく、異質な勢力の衝突というような気はしないけど。
419名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:03:43 ID:uLXqMW8F0
>>416
エルカンターレはどこに入りますか
420名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:03:44 ID:E3/fibeU0
ヤマタイカの話はもう出た?
421名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:05:37 ID:bAZaC8NX0
>>414
お前はずっと曇ってたとでも言いたいのか?
降水量の極めて少ない瀬戸内海で。

曇っていようとどうしようと、前と後に水路があり、左右に切れ目の内陸塊があるのは、誰にでも分かる。
基本的に同じ方向を向いているのが分からないバカがいるわけない。
422婆 ◆HKZsYRUkck :2010/10/13(水) 00:05:47 ID:B4aQVy0T0
>>384
そこはそれ、那国滅亡の折に王子を託された乳母の女官が
落ち延びようとしたら追っ手に捕まりそうになって後漢の例にならって
井戸に身を投げようとしたら田んぼしかなかったのだ。
みたいな感じじゃないのん?

それはさておき、志賀島の付け根んとこからちょい南のあたり
多々良川下流域は「糟屋の屯倉」といって古くから大和政権の
直営地になっていたのだ。那国滅亡はそんときだな。うんうん。
423名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:05:49 ID:Hf2987ao0
>>415
俺そんな自信ないから
ウサギ助けとくわ。
424名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:05:50 ID:ZbTUncUo0 BE:1614888656-2BP(2100)
>>419
エル・カンターレ=釈迦≠大川隆法
425名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:06:16 ID:ymiVGvtJ0
>>292
入れ墨して、年中野菜を食う
インディアンだったのか。
裸国や歯黒国はどんすんべ
キューバとかにしとく?
426名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:07:05 ID:0g5JQoh00
>>408
何を勘違いされているかはよくわかりませんが。
「神の国」って言っても、当然記紀編纂時期における日本の「神」ですから。
バテレンの神やモーゼがお話した神とか、あまり関係ないですから。
427名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:07:12 ID:VaME9+HtO
畿内の小国家連合が500キロも離れた福岡・佐賀を経て中国に使いを送れるくらいなら、そもそも福岡・佐賀の国家も中国に使いを送れただろ
そもそも奴国は、卑弥呼より200年近くも前に金印もらってるくらいなんだぜ
それに、中国は伊都国・奴国まではかなり正しく地理を把握できてたんだぜ?中国と伊都国・奴国は繋がりがあったんだぜ
なんで北部九州を差し置いて畿内だけ中国にご挨拶に行けたんだ?
あ?オラ答えんかいワレ(´・ω・`)
428名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:07:13 ID:8R8FGqzi0
>>420
    〃                 i,        ,. -‐
   r'   ィ=ゝー-、-、、r=‐ヮォ.〈    /
    !  :l      ,リ|}    |. }   /   .や
.   {.   |          ′    | }    l
    レ-、{∠ニ'==ァ   、==ニゞ<    |    ま
    !∩|.}. '"旬゙`   ./''旬 ` f^|    |
   l(( ゙′` ̄'"   f::` ̄  |l.|   |     た
.    ヽ.ヽ        {:.    lリ     |
.    }.iーi       ^ r'    ,'    ノ    い
     !| ヽ.   ー===-   /    ⌒ヽ
.   /}   \    ー‐   ,イ       l    か
 __/ ‖  .  ヽ、_!__/:::|\       ヽ

429名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:07:44 ID:UdU/GzDpO
>>419
大作=麻原=グル高橋=又吉=エルカンターレ
430名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:07:44 ID:XbEUtSXg0
>>423
オオクニヌシ乙
431名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:07:58 ID:Hf2987ao0
>>425
裸国や歯黒国

レゲェが似合いそうだなw
432名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:08:44 ID:5cYiDkMHO
根拠無しの九州説が学会で少数派なハズだよ
433名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:09:08 ID:C3CNpC9v0
 なぜ魏志倭人伝に書かれた風習について考えないんだろう。
刺青は中国においては刑罰で、はずかしめの対象だったんだが。
さらに海の魚介類を取るというのも、中国においては漁は主に川が主流で
 中国人には、海で漁をし、刺青をするなどの風習は特に異質に感じられたと思うんだが。
だから日本人をさげすむ言葉の「倭」や「卑弥呼」などをあてたのだろうと思うけど。
434名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:09:35 ID:aUMUjawmO

法隆寺から地名から何でも九州から盗みやがって、いい加減にしろよ
奈良のかっぺ

435名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:10:03 ID:ZbTUncUo0 BE:1345740555-2BP(2100)
>>432
畿内説こそ根拠が無いから古墳や遺跡の年代をねつ造してるんだろw
436名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:10:20 ID:WUpF7C3A0
台与の時代に南九州のクヌコクと
和睦または併合したのではなかろうか。
台与自身がクヌコクの娘だった可能性もある。
記紀で言うところの日向三代は併合後の王朝であろう。
437名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:10:28 ID:f3P1Y+Wf0
よく畿内派がいう「九州から大規模遺構が出たか?出てないだろう」ってのは、
つまり「もし出たら九州説に鞍替えするかも」って言ってると同じぐらいな意味に読めるよなw
畿内に比べると調査の頻度とかから考えても不利だし既に都市や宅地のしたかもしれない。
現段階で見つかってないことを理由に「存在しない」ように言い切るのは意味不明。

前スレで数回見た
邪馬台=大和 卑弥呼=日巫女=斎王みたいな言葉遊びなら
邪馬台=八幡(ヤハタorヤワタ) 卑弥呼=日向or肥巫女→時代下って→筑紫の女王 
みたいにも出来るよな。

このスレ読んでて思ったのが、九州から畿内までの連合勢力(首都は宇佐でもどこでも)があって
広開土王んとこで負けて「今度は自分らが攻められるターンかも」ってビビッて
首都と首都機能を勢力範囲内で最も大陸から奥まった位置(畿内)に移動した。
んで、ビビって移動した歴史をかっこよく伝説化→東征ってのもありじゃね?

八幡=ヤワタorヤハタ=邪馬台なら台を『ト』と読ませるよりも読みやすいし
宇佐とかとも関連付けやすいし考えても良いんじゃないかと思う。
438名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:10:37 ID:uLXqMW8F0
>>429
唯一神だけは許してあげて><
439名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:10:56 ID:TWlaS1AS0
>>418
九州、近畿とも、古代日本列島では圧倒的な2大文化圏だったわけで、邪馬台国の位置を合理的に説明するならやっぱり東遷説が一番説得力があると思う
まあ、出雲を含む日本海文化圏というもうひとつの大勢力もあったわけだけど、こちらの方が異質な勢力という気がします
神話的にも
440名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:11:07 ID:u7KzA4PT0
>>413
吉備から東遷した可能性はあるが、九州から吉備への可能性が全くない。
441名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:11:16 ID:uNhVj4c70
糟屋の屯倉は、磐井の弟が掌握していた。
磐井滅亡後に天皇軍に返還するわけだが
それまでは天皇軍の管理下になかったといえる。

つまり、天皇軍は磐井の乱の時は、糟屋の屯倉という
兵站集積所を使っていない。
442名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:11:27 ID:ZbTUncUo0 BE:1884036375-2BP(2100)
>>437
実は出てる。平塚川添とか。
443名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:11:51 ID:roh6oSQ40
邪馬台=ヤマト=ティアマト
でメソポタミア起源の民族が日本に定住・建国説を唱える俺の出番がきたような来ないような。
アラハバキ=ミトラ説はなんかの本で読んだなぁ・・・
444名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:12:10 ID:MJ6mIePmO
「倭」ってのが背が低いって意味があるなら、
侏儒国ってのはどんだけ背が低かったんだ
445名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:12:22 ID:f9SK8cb30
>>421
ずっと晴れてたのか?といいたいんだわ。
>前と後に水路があり、左右に切れ目の内陸塊があるのは、誰にでも分かる。
瀬戸内海が東西にあると思っているならな。少し頭使えば、それで判断するには90度以上の差があるぜ?
ひょっとして、中国のエライさんが実際にそこ通っと思って邪馬台国までいったと思ってるの?
446名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:14:06 ID:pElCzEQsO
畿内説って、オレオレ詐欺に似てるよね
447名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:14:32 ID:5BBzkbrtP
じゃ・・・邪馬台国
448婆 ◆HKZsYRUkck :2010/10/13(水) 00:14:35 ID:B4aQVy0T0
>>407とかその他
うんうん、方角は大事だよな。

中国(というか道教)的には北極星を中心とする絶対方位なのに対し、
日本は東=「日向かし」を基本とする太陽方位なのだ。
つまり日の出の方向が東だから、季節によって東は変わる。

てなわけで、冬に来た陳寿さんと愉快な仲間たちが地元の人に
「東はどっち?」と聞いた「あっち」は実は南東だったのだ。
449名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:15:06 ID:5cYiDkMHO
また日帝に奪われた幻の朝鮮文化論法か根拠のない九州説は相変わらずだな…
450名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:15:42 ID:ZbTUncUo0 BE:2906799269-2BP(2100)
大体邪馬台国が畿内なら、女王国は近畿から九州にかけての広域ということになる。
そんな強大な国が熊襲ひとつ制圧するのに魏の力を借りる?
あり得ないね。
451名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:15:50 ID:WUpF7C3A0
>>444
池野めだか、猫ひろしは侏儒国の末裔と思われる。
452名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:16:44 ID:Hf2987ao0
>>448
タイみたいだな。
453名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:17:07 ID:h2KVyGNH0
>>366
そうだろうね、古墳時代の勃発、神武東征で日本の史書とも一致するな。
454名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:17:07 ID:MJ6mIePmO
>>451
hydeは?
455名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:17:12 ID:ZbTUncUo0 BE:968932692-2BP(2100)
>>449
いいから3世紀の遺跡から鉄鏃出せよw
456名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:17:59 ID:HZV5SdESO
>>407
中国の使者は伊都国に滞在して邪馬台国までいかなかったというのが九州厨の言い分だろ。
457名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:18:04 ID:KCuDvzZz0
>>292
本州が90度傾いてたんだって。
これで、方向も距離も問題なくなる。
458名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:18:05 ID:UunuKCcpO
ヤマタイはヤマトだから畿内。
九州なんかありえない。
459名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:18:09 ID:C3CNpC9v0
 大和地方は、邪馬台国とは別な大きな国と考えてもいいんじゃないかな。平安時代
東北の平泉は日本でも特に大きな都市だったというし。
460名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:18:47 ID:pElCzEQsO
>>448
勝手に話しを創作するな、オレオレ言ってろよ
461名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:18:54 ID:0g5JQoh00
>>448
対馬を釘でぶっさして、日本地図を時計回りに45度〜60度回転させるという、
アレですね?
462名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:18:55 ID:VaME9+HtO
今の日本列島ができて8000年、稲作が伝わって数百年が経った3世紀の日本において、国家が一つしかないわけないだろ
畿内にも中国地方にも九州にも人口集積地はあったと見るのが自然
しかし、稲作するだけで文字も高度な文化もない中、全国を統一できるクニがあるわけない
畿内の国家がわざわざ九州を遠って中国に使節を送る必要があるわけない
邪馬台国はもっと中国に近いところにあったと見るのが自然だろ
畿内厨は反論してみろや(´・ω・`)
463名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:19:37 ID:ZbTUncUo0 BE:861273582-2BP(2100)
>>456
それは畿内派の屁理屈だ。
464名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:19:50 ID:f3P1Y+Wf0
>>382
>なぜ古代の日本人は山を信仰したのか?

日本の祖霊信仰だと海の中の島に住んでる人々は沖縄のニライカナイや瀬戸内の島々の祀り墓・参り墓のように特定の島に亡骸という廃棄物を集積し
陸に住む人々は山に集積する。なので田の神信仰でも見られるように、祖霊は山から下りてきて山に帰る。
また多くの神社などは神社の在する場所もしくはその背後の山が御神体であったり、祭神の中には祖神がある。

イザナギ・イザナミの話も読めば「死者の国に行った=×」で「イザナミのいる所に行った≒死体のあるところに行った=○」って書いてある。
465名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:19:52 ID:Hf2987ao0
持論のためにクルクル回る日本カワイソスw
466名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:20:52 ID:w/tqaQjW0
>>417
邪馬台国時代の奈良はまだまだ小国。国名は日本。
その後成長し九州の邪馬台国を吸収。倭国全体の名を日本とした。
467名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:21:10 ID:HZV5SdESO
>>450
ありえないことはない。
唐だって渤海になやんだし、東にも敵がいる状態で全勢力を傾けるより、中国の力を借りる方が楽だろ。
468婆 ◆HKZsYRUkck :2010/10/13(水) 00:21:22 ID:B4aQVy0T0
>>460
畿内説の方角にあわせるなら、夏に来なくちゃいけないんだてば。
だけど倭人伝には「冬でも野菜を食ってる」という記述があるから、
冬に来たのだ。
469名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:21:32 ID:ymiVGvtJ0
魏志の倭の風俗を見ると
どう見ても畿内の風俗じゃねーんだよな
どちらかというと沖縄ちっく
470名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:21:52 ID:MJ6mIePmO
西日本は昔、東日本とは離れていて、傾いていたんだよ。
西と東がくっついた時に出来たのが日本アルプス。
471名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:22:10 ID:pElCzEQsO
>>456
それ畿内派の理屈だろう
472名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:22:34 ID:5cYiDkMHO
吠えても何にも出て来ない九州()。そりゃ学会でも少数派だわな
473名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:23:27 ID:d9byig0R0
>>445
大まかには東西だけど? 何か?
港とか島とかの関係でしょうかw

仮にそう言うときに方向が変わるとしても、大体の時間は常に水路方向、東方向を向いている。

所で、お偉いさんが行ってないと?
使節は直接、王あるいは女王に何かを渡してるぞ。

>>448
何か勘違いしてないかな?
仮に日本人が太陽の昇る方向を東とみて、冬にそちらをさしたとする(実際は南東だとしても)。
じゃあ、南は南西方向になるじゃないの。そっちには進んでいませんけど。

それとも、中国人は、絶対的な方向を知って他のかな?
じゃあ、聞く必要はないだろう。
474名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:23:46 ID:w/5Q8cZI0
すべて捏造に決まっている。フンドシ土人の村を山鯛だとか。(ショウ)
475名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:23:55 ID:ZbTUncUo0 BE:3014458087-2BP(2100)
>>472
絹も鉄鏃も魏鏡も大量に出てますが?
畿内こそねつ造遺跡だけだろw
476名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:24:04 ID:6fu9aiywO
たかが中国の歴史書一つで答えが見つかるわけも無く。。
477名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:25:32 ID:MJ6mIePmO
>>476
え?
478名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:26:00 ID:VaME9+HtO
なぜ邪馬台国の遺跡が出てこないか
それは、邪馬台国がそれほど大きな国ではなく、しかもそんなに長期にわたって存続したわけでもないからだろ
そんな国が中国に使いを送った理由は、大陸に近かったからだろ
だったら九州がしっくり来るわな
畿内はまた別の勢力っちゅーこっちゃな(´・ω・`)
479名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:26:31 ID:pElCzEQsO
学者なら畿内説をおす、素人なら九州説。だって畿内説の方がお金になるし、考古の権威に逆らってまで仕事を失いたくないよ。
480婆 ◆HKZsYRUkck :2010/10/13(水) 00:26:32 ID:B4aQVy0T0
>>473
みんなが俺を畿内説にしようとしている… orz
481名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:26:33 ID:5cYiDkMHO
まあ一切認められてないんだけどね九州珍説()
482名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:26:35 ID:0g5JQoh00
>>468
そう考えると、冬でも野菜とか、裸に入れ墨の国とか、どことなく南国風味
な当時の倭国。。。
483名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:27:01 ID:f3P1Y+Wf0
>>445
(´・ω・`)俺の経験上だが、曇ってても明るい時間なら太陽(そのものは目視できなくとも)の反対側に陰が出来るハズなんだ・・・
お前の住んでる辺りじゃ違うのか?
484名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:27:45 ID:HZV5SdESO
>>471
いや。水行とか陸行の流さが九州にしては長すぎるために、それを倭人からの伝聞としたはず。
485名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:28:28 ID:ZbTUncUo0 BE:3014458087-2BP(2100)
>>479
それが全てだね。学問的真実とは無関係な話だ。
486名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:28:45 ID:Hf2987ao0
>>484
俺なら谷町4丁目から奈良まで2〜3日あればつくぜ?w
487名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:29:14 ID:d9byig0R0
陸行ってのは、当時の道のない陸地を通る場合でしょ。
今の感覚とは違うのでは。
しかも山がちな地形だと大変だよ。
山登りの感覚でも持たないと。
488名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:29:34 ID:ZbTUncUo0 BE:3014458087-2BP(2100)
>>484
所要日数と距離は必ずしも一致しない。
489名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:29:41 ID:f3P1Y+Wf0
>>425
パスポート作るのメンドイし「裸国有り」でなく「有裸(ウラ)国」で鞆の浦〜吉備あたりにしとかねえ?
490名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:30:10 ID:6fu9aiywO
邪馬台国ってそんなに重要なのかな。
491名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:30:30 ID:0g5JQoh00
こりゃ、ムー大陸の出番かな。。。
九州と沖縄がもし万が一地続きだったら、旅程問題は解決する(逆に失う物も
多そうだがw)海底遺跡も大喜びで浮上してくるな。琉球説、ガンバッテケレ。
492名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:30:38 ID:f9SK8cb30
>>483
中国の使者が邪馬台国まで瀬戸内海を一緒にいって測量したのか?倭人は
「里で数えることを知らず、日で数えることしかできない」んじゃないのか?
493名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:30:51 ID:pElCzEQsO
>>480
めちゃくちゃウケた、腹いてぇ〜(激爆笑)
494名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:31:47 ID:Hf2987ao0
>>492
里とかの概念はまだなかったろう。
495婆 ◆HKZsYRUkck :2010/10/13(水) 00:32:50 ID:B4aQVy0T0
>>482
前スレでも書いたけど、倭人伝の「海に潜ってアワビとか採ってる」ってのが、
面白いよね。地名の「墨之江」とか神社の「住吉」なんかの「スム」というのは
潜水を意味する動詞の古語らしいんだが、その住吉神社が博多と大阪の
どっちにもあるからややこしいw
496名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:33:09 ID:XMndrvb+0
>>485
そういう事情で、九州説を仕事として唱えてる人もいる。
なかなか気の毒だろ?
497名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:33:36 ID:f9SK8cb30
>>494
うん。あとの時代の隋書の記述だよ。ましてその時代には無理っしょ?
498名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:33:54 ID:d9byig0R0
何かと中国側使節の知性をバカにするような意見が多いけど、邪馬台国話では。
だけど、対馬の観察なんて、大した物だよ。
実に的確に表している。

対馬も最近は変わったが、ちょっと前までは、ほんとにあの表現のマンマだった。
ああいう辛辣で、しかも的確な表現には舌を巻く。
たしかに、かつては、優秀な中国人ていたんだなあ、と思う。
499名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:34:05 ID:uNhVj4c70
鉄の出土量だと、弥生時代中期から末期までは九州

古墳時代になって畿内大和から出土し始める。
これは山陰が製鉄技術をもつようになった時期と
一致する。
500名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:35:41 ID:pElCzEQsO
邪馬台国最高、とにかく楽しい(^O^)/
501名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:35:42 ID:ymiVGvtJ0
>>482
邪馬台国 = 沖縄
狗奴国 = 台湾
裸国・歯黒国 = インドネシア・ニューギニア 

完璧
502名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:36:22 ID:f9SK8cb30
>>468
実際に邪馬台国(女王国の都)にいったことのない
伊都国にいた中国の使者が見た「女王国の南部」の風俗じゃないの?
503名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:37:51 ID:uNhVj4c70
仕事にしているといえば、巻向の発掘作業が168回目だそうだ。
逆に言えば、これだけ掘っても、決定打が出てきていないと言える。

この定例発掘作業が終わると、失業する人が出そうだな。
504名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:39:48 ID:h2KVyGNH0
>>473
へー、魏史は季節も理解できない愚か者だというのか?
大体方位は聞くまでも無く星や太陽をみれば判る。
505名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:40:25 ID:0g5JQoh00
>>501
完璧とした上でですが、「それならフィリピンは何処じゃ?」とフィリップ2世様がお怒りです。
506名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:40:43 ID:9T3c8J6n0
邪馬台国はアトランティスですよ。
507名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:40:46 ID:Hf2987ao0
>>504
大体方位は聞くまでも無く星や太陽をみれば判る。

夏至・冬至はどうなっちゃうの??
508名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:41:01 ID:d9byig0R0
>>502
正始元年の項に、
「倭国に詣り、倭王に拝仮し・・」ってあるから、実際に行ったんじゃないの?
509名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:41:19 ID:wjET53jVO
普通に考えて出雲だろが
まあその他豪族に滅ぼされちゃったが日本神話は伊達じゃない
510名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:42:08 ID:HZV5SdESO
>>504
まともな地図も書けないのに?
ましてや自国の基礎も固まってないのに東夷の測量完全にやってたとか妄想レベル
511名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:42:09 ID:f3P1Y+Wf0
>>503
発掘費用の関係上数少ないスポンサーを有効利用する為に
畿内派と九州派の学者が交互に・・・って実は協調関係だったりしてなw
512名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:42:38 ID:C6OLRWNXO
4423
513名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:43:16 ID:d9byig0R0
>>504
わかってれば、間違えないんじゃないの?
私は九州説だけど。
514名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:43:16 ID:ymiVGvtJ0
>>505
フィリピン = 侏儒国

超完璧
515名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:43:46 ID:APj1XvzQ0
>>478
>なぜ邪馬台国の遺跡が出てこないか

マキムク遺跡周辺から
ドンドン発掘されてますけどねw
516名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:43:54 ID:DcMRAZ6s0
これどちらかがニセモノというか、少なくとも邪馬台国ではないとなる訳だろう。
極めて珍しい説としての双方とも邪馬台国の一部であったとかいうのは一応除いてだが。
その場合、邪馬台国ではないとされた側は何であったのか、きちんと説明が付きそうなの?
  
517名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:45:51 ID:0g5JQoh00
>>514
素晴らしい(フィ=ω=) また一つ謎が解けましたね。(深まったとも言う)
518名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:46:12 ID:Hf2987ao0
奈良のは前提で話が進んでるから嫌い。
519名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:47:16 ID:/K950/PDO
出雲は国譲り

吉備は鬼退治
520名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:48:14 ID:f9SK8cb30
>>504
そんなに中国が正確なら、隋書しんじろよ。ちなみにちゃんと日本の方角と距離を正確に書いているが
その隋書に
都於邪靡堆則魏誌所謂邪馬臺国者」
つまり「邪靡堆(大和)の首都は魏誌に言う邪馬臺国である」と大和が邪馬臺国であることを断言してるだろ。
521名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:48:27 ID:9f3mWc7w0
畿内説の方は根拠として、纏向遺跡とか、箸墓古墳とか、
三角縁神獣鏡や土器や古墳が畿内中心に分布してるとか、
隋書の倭国伝における記述とか
(倭國、在百濟、新羅東南、水陸三千里、於大海之中依山島而居
 …都於邪靡堆、則魏志所謂邪馬臺者也
 「倭国の都である邪靡堆は、魏志に謂うところの邪馬臺なるものなり」)
たくさんある

九州説の根拠って、魏志倭人伝だけなの?
今に残る三国志の本文は、12世紀の宋代の刊行本が原典とされていて、
3世紀に書かれてから12世紀までの伝写の時代に、誤記があっちこっちで
発生した可能性が極めて高いんだよ
当然、倭人伝もこれに含まれるから、一語一語に対する信頼性は
高くないと見た方がいいと思うぞ

522婆 ◆HKZsYRUkck :2010/10/13(水) 00:48:39 ID:B4aQVy0T0
>>502
入り口んとこの末盧國でも「潜って魚とってます」だから、倭国全体が
似たような感じだったっぽいけどな。
ちなみに、明石のあたりじゃ弥生時代から蛸壺漁が行われていて、
これは中国大陸にはない漁の形態だから(日本とイタリアだけらしい)、
瀬戸内をずんどこ行ったら「明石焼きおいしかった」とか書きそうなもんだ。


ついでに全然関係ないけど、さっき書き忘れてた刺青の話。
日本側史料に出てくる刺青の人たちは、玄界灘の宗像(胸形)の民だよね。
三女神が美乳だったから「胸形」というわけじゃないのだ。
523名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:49:25 ID:XvrTIz0y0
魏志倭人伝による当時の倭人の風俗(一部抜粋)

・人が死ぬと10日あまり哭泣して、もがり(喪)につき肉を食さない。他の人々は飲酒して歌舞する。埋葬が終わると水に入って体を清める。
・長命で、百歳や九十、八十歳の者もいる。
・女は慎み深く嫉妬しない。
・盗みはなく、訴訟も少ない。
・法を犯した場合、軽い者は妻子を没収し、重い者は一族を根絶やしにする。
・宗族には尊卑の序列があり、上のもののいいつけはよく守られる。

おもしれーな
524名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:50:05 ID:Hf2987ao0
>>521
「倭国の都である邪靡堆は、魏志に謂うところの邪馬臺なるものなり」

「移転しました」のお知らせです。
525名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:50:39 ID:ghdp89YQ0
卑弥呼=天照
卑弥呼の弟=スサノオ
でおK?
526名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:51:01 ID:APj1XvzQ0
>>520
それを言い出すと、九州説のバカ野郎達が
そんな話は隋書のどこにも書いてないって否定します。
2日前からそのループばっかりですw
527名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:52:00 ID:ymiVGvtJ0
沖縄から南の浅黒い奴は皆倭人って認識だろJK
528名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:52:43 ID:8R8FGqzi0
>>433
秦に抗った為に、入刺刑に処せられた連中が指導者となり、
フロンティアを求めて渡海したのが弥生人の祖だとすると、
長に習えで刺青が流行るだろう?
529名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:53:06 ID:romDE6w40
魏志倭人伝に書かれている邪馬【壹(イチ)】国は
邪馬【臺(タイ)】国であって、陳寿の書き間違いだ、
と指摘したのは、江戸の国学者、松下見林「異称日本伝」だという。
見事ヤマタイ→ヤマトと読ませることで皇国派は感涙。

だが、
歴史書としては、邪馬【壹(イチ)】国とした陳寿「三国志」(3C)の方が
邪馬【臺(タイ)】国とした後漢書(5C)より先に書かれている。
つまり、邪馬壹国。
530名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:53:09 ID:d9byig0R0
>>521
旧唐書の倭国は九州だな。
というか、隋書だって近畿確定じゃないでしょ。
推古天皇に後宮千名とかね。
はっきり畿内の政権だって確定するのは、新唐書から。
531名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:53:30 ID:PraTp/l40
>>428
うほっ、いいホモイカネ
532名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:53:48 ID:VaME9+HtO
・伊都国・奴国までかなり正確に地理が分かってるのに、その先は表現の仕方が変わって、しかも内容がいい加減。伊都国・奴国の先は知らないんだろ
・奴国は1世紀にすで中国と交流して金印貰ってるのに、3世紀に交流できないわけない。邪馬台国が畿内なら、奴国と伊都国は、自分らは中国に行かずに、畿内の人が中国に行くのをただ眺めていたというのか。
・畿内説だと、邪馬台国が畿内〜北部九州の500キロにも渡る大国家ということにもなりかねない。そんな大国家は倭人伝と矛盾する
・邪馬台国が畿内にあって、かつ、大国家でないとしても、なんで関係ない伊都国・末盧国経由で行くの?


状況的には畿内説おかしくね?(´・ω・`)
533名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:53:54 ID:0P0MFeSrP
>>508
その前の部分で卑弥呼は男子一人以外誰にも会わないそうだ
って書いてるから矛盾なんだよね
534名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:54:31 ID:MJ6mIePmO
邪馬臺が邪靡堆と改名した理由は?
535名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:55:02 ID:zPxrbgkU0
正始八年の記述は重要。
特に詔書・黄憧で紛争を調停した下りがな。
この詔書と黄憧は何らかの遺物として必ず残っているはずだ。
他にも魏の影響を示すようなものが鏡以外にも出てくるはず。
正しいアプローチで発掘調査をすべきだ。
536名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:55:14 ID:/K950/PDO
聖徳太子は居たのか?
聖徳太子のモデルは居たが
その偉業をトレースして
聖徳太子なる架空人物を作る
その際には法隆寺をわざわざその象徴にしてる念の入れよう

この手法は聖徳太子が始めてなのか?
537名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:55:45 ID:d9byig0R0
>>533
明治天皇みたいに、幕の向こうにいたのかもよ。
538名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:56:10 ID:KCuDvzZz0
>>530
さすがにそのタイミングで変わるのは無理あるわ。
539名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:57:19 ID:f9SK8cb30
>>530
頭痛い。九州王朝説まできたらオウムだよ
540名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:58:16 ID:f9SK8cb30
>>534
所詮当て字だから。古事記と日本書紀でも違うでしょ?
541名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:59:11 ID:MJ6mIePmO
邪靡堆でも、読みは「ヤマタイ」だよね。
大和(ヤマト)のほうが、読みが変遷したんじゃないのか?
542名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:59:31 ID:d9byig0R0
>>538
いや、大化の改新とか、壬申の乱とか、天智の称制(だったか)、
7世紀中、後半には怪しい事件が連続するからね。
白村江の戦いや聖徳太子の子孫抹殺もそうだけど。

あの時期に体制が変わって、それを隠そうとしてた可能性があるから。
543名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 00:59:46 ID:1VpujeE10
>>523
>・人が死ぬと10日あまり哭泣して、もがり(喪)につき肉を食さない。他の人々は飲酒して歌舞する。埋葬が終わると水に入って体を清める。
.>・法を犯した場合、軽い者は妻子を没収し、重い者は一族を根絶やしにする。
>・宗族には尊卑の序列があり、上のもののいいつけはよく守られる。

これ朝鮮の風習じゃねーか
邪馬台国は朝鮮のどっかだろ
544名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:01:33 ID:f9SK8cb30
>>543
よく思うんだけど、風俗の一部が日本から朝鮮に伝わったとどうして考えないんだろうな
545名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:02:26 ID:Hf2987ao0
九州派・出雲派・大和派

1箇所に集まると殺し合いにまで発展しそうだなw
546名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:03:28 ID:uDUVuDuo0
推測の域を脱しないのに、強気で語る奴ってなんなの?
547名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:03:35 ID:d9byig0R0
>>543
いや、
>体を清める。

これがあるから、チョンじゃないだろう。

>>539
お前の頭が痛かろうと、どうでもいいけど、
新唐書をみれば、聞き間違えたとか、書き間違いだとか、滅多に起きないことがわかるはずなんだが。
宋書の段階では確実に文書をだしている。
卑弥呼の段階でも実は文書を出してる。
それを近畿説の連中が、勝手に字や名前を書き換えて解釈してるんだから、話にならない、ってこと。
548名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:04:08 ID:w/tqaQjW0
>>530
だな。
旧唐書では阿蘇山について詳しく述べている。
北九州上陸で近畿に向かったなら阿蘇へは寄らない。
549名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:04:26 ID:9f3mWc7w0
>>542
仮にそうだとしても、「倭国は九州」という理由にはならない
それこそ、「倭国は出雲」でも、「倭国は岡山」でも、構わないだろう
なぜ、九州なんだ?
550名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:04:29 ID:HZV5SdESO
>>543
風俗は卑しくないと中国様が褒めてるから違うだろうな。
551名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:05:00 ID:MJ6mIePmO
>>540
当て字が昔の当て字と変わってるって、わざわざ史書に書くかね?
「邪靡堆則魏志所謂邪馬臺者也」
引っ越したから、他の国と間違われないように注釈したんだろな。
552名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:05:03 ID:rIXbxu4JO
>>529
邪馬臺でヤマダ(ィ)とかヤマドと発音するならば、ヤマトに近いと言えなくもないけど
邪馬壹だったら古シナ語の発音はどうなるんだろう?
553名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:06:05 ID:zPxrbgkU0
日本の国学派は魏志の記述は日本書紀やら古事記には出てこない、魏志はおかしい。
という発想だからな。
そこがベースになって、なかなか魏志の方からの正しいアプローチがされていない。
これを早急に改めるべきだ。
単に地理的な謎解きレベルの遊びの領域から抜け出ないといけない。
554名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:07:31 ID:MJ6mIePmO
>>529
修正された後期の方が正しいんじゃね?
555名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:07:40 ID:xDRiPWEo0
例えば半島では百済は朝鮮人の王朝で倭を服属させていたのが定説ですよ
結局都合のいいようにしか資料も見ないし言わない
結論ありきの学者やなんちゃってだらけ
氏ね
556名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:08:46 ID:Hf2987ao0
>>554
吸収合併したので社名変更してみました。
響きはいっしょですが。
557名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:09:03 ID:HZV5SdESO
矛盾をごまかす為にどんどん無茶苦茶な世界に走ってしまう九州厨。
発掘調査や史跡も眼中から消えて物語が一人歩きしてどんどんあさっての方向に。
558名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:09:49 ID:0g5JQoh00
>>536
ただこれは言える。
「蘇我氏は実は優れた政治家」
「蘇我氏ぬっ殺した中大兄皇子(天智天皇)は、律令改革を優先してない」
「大宝律令を開始し、平城京を整えたのは、持統・文武天皇系」
聖徳太子をスーパーマンにする必要が、持統天皇にはあったと言えよう。
559名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:09:51 ID:9f3mWc7w0
>>551
仮に引っ越したのだとしても、それをもって「邪馬台国は九州にあった」とはならないから

九州説の根拠って、結局、宋代刊行の三国志だけなの?
560名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:10:36 ID:f3P1Y+Wf0
>>520
三国志の時代から隋までどんだけ時間がたってんだよ・・・

隋「倭の国ってオマエ・・・昔、使者をよこした記録がある国から来たんか?」
倭の使節 (・・・大昔っていつの事か知らんけど数年前に下調べがてらツナギをつけに来た時のことかな?)
倭の使節「'`ィ (゚д゚)/そうであります」
隋の記録係φ(`д´)メモメモ...「遣隋使だしてきたのは、昔の邪馬台国」
561名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:11:48 ID:d9byig0R0
>>557
矛盾に満ちているのは近畿説。
方角から、王の名前から無茶苦茶むりしてる。

新唐書をみてみな。
天皇の複雑な名前が、神武から始まって正確に書き写されている(一字一句調べたわけじゃないが)。
所が、7世紀以前の名前などについては、勝手にこれの間違いだろうと書き直してる。
その矛盾に気づいていない。
562名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:12:11 ID:HZV5SdESO
>>560
ほらきたw
563名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:14:43 ID:f3P1Y+Wf0
>>546
畿内信者
564名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:15:24 ID:HZV5SdESO
>>561
そりゃ天皇はおくりなもあるし、文字もなかった時代だからな。
方角とか距離がきちんとわかるほど、中国人が列島いききする必要あると思えんな
565名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:15:27 ID:8R8FGqzi0
邪馬台国が西日本を治めていた大勢力なら注目に値するが、
九州一体を治めていた程度の小勢力ならスルーでよし!
もし後者なら、記紀の記述の信憑性が増す筈だから、皇紀2600年説を否定できなくなる!
566名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:15:31 ID:vqT72O050
遷都だろ遷都
九州の大分あたりに首都の邪馬台国があって遷都されて奈良へそして京へそして東京へ
ただそれだけのこと
567名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:16:19 ID:MJ6mIePmO
「邪馬臺」と「邪靡堆」で当て字が変わってるのは、国交が一時期断絶したからだと思われる。
当て字ってのは史書を書いた人が当てた訳じゃないし。
当時の政府が使ってた当て字なんだろう。「壹」はその誤字。
断絶の時期ってのが、東遷の時期なんだろな。
568名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:16:30 ID:Hf2987ao0
盗ったんじゃないよ!
貰ったんだよ!!
569名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:16:48 ID:HZV5SdESO
>>566
遷都された記録あるのかよw
570名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:17:35 ID:6TRxsQpl0
>>547
チョンだって葬儀の後くらい清めるだろ。むしろ普段清めず汚いから、わざわざ記事にしたんじゃないか?
「10日あまりアイゴーと哭泣」とか「軽い者は妻子を没収し、重い者は一族を根絶やしにする」ような野蛮なことは和人ならありえないよ。
571名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:17:52 ID:h2KVyGNH0
>>557
おいおい、九州説は整合性が高いが近畿説は矛盾だらけだよ。
例えば魏誌には鉄が有ると書いてあるが近畿はその頃殆ど鉄が無かったんだよ。
だから近畿説の学者は近畿の鉄は錆びて無くなったって噴飯物の説を主張しているぞ。
その他気候、風物、方位、距離等々全て九州説に有利だろ。
572名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:18:08 ID:8R8FGqzi0
>>566
宮崎から奈良って、記紀に書いてあるじゃん?
573名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:18:50 ID:HZV5SdESO
九州王朝(笑)
574名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:19:19 ID:d9byig0R0
>>564
何も分かってないようだが、新唐書は、日本書紀などの文書を送って、
それを元にして中国側が書いている。

ところが、新唐書以前もそうだったんだよ。
卑弥呼も宋書などの倭の五王も文書を送って、中国側の史書に掲載されている。
所が、日本側の学者が、それだと日本書紀などと合わないということで、勝手に名前などを書き換えてる。

ちなみに、当然日本側にも記録があった。筆記者がいたわけだし、
旧辞、帝記などの文書があった、焼かれたが。
575名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:19:46 ID:6TRxsQpl0
>>550
> 風俗は卑しくないと中国様が褒めてるから違うだろうな。

当時の朝鮮半島は今ほどは卑しくないだろ。民族も違うようだし。
576名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:20:20 ID:Hf2987ao0
>>570
そういうオマエが一番野蛮だと気づけ。
577名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:21:05 ID:HZV5SdESO
>>572
東征の事か?時代的に無茶苦茶だろそれ
578名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:21:32 ID:e+9jWdO+0
古事記にも日本書記にも唐書にも魏志倭人伝にも
卑弥呼、壱与と天皇家を結びつけるキーワードは無い
倭も、日本も、魏も、唐も、
邪馬台国と天皇は違う国だと明言している。

最も、畿内派の言う「大和王朝」の定義が俺にはさっぱりわからんのだが。
「大和王朝」は何をやった国でどういう統治体制だったんだ。
本当は7世紀まで統一的な王朝など存在せず、
奈良地方の豪族に過ぎなかったんじゃないのか。
579名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:22:21 ID:XbEUtSXg0
>>558
天智天皇より中臣鎌足の方が自分の中ではあやし過ぎる。
これこそ藤原家に箔をつけるためかどうかは知らんけど。
ヒミコは藤原にとって不都合な立場にいたのかもしれんね。
580名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:22:52 ID:HZV5SdESO
>>578
倭の異種ってやつ?
どこが明言だよwww
581名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:22:54 ID:9f3mWc7w0
>>571
>その他気候、風物、方位、距離等々全て九州説に有利だろ。

気候、風物、方位、距離でいったら、南九州か四国か沖縄じゃないか?
北九州じゃないだろ

九州説って、「邪馬台国宮崎説」や「邪馬台国四国説」や「邪馬台国沖縄説」と、実は大差ないってことじゃないの?
582名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:22:58 ID:Iw4u1uXD0
もう真ん中をとって青森でいいんじゃね?
583名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:23:48 ID:Hf2987ao0
>>582
うん。そうだね。
オマエは一生モジャってろ。
584名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:24:00 ID:ultFcn2F0
宇佐の東には国東半島があるけど、国は邪馬台国のことだろう
585名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:24:29 ID:8R8FGqzi0
>>572
どう矛盾するんだ?
kwsk
586名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:24:48 ID:VaME9+HtO
遷都と簡単に言うが、九州から畿内まで500キロもあるんだぞ
2世紀には倭国大乱があったとされ、卑弥呼以前には争いが絶えず、邪馬台国は小国家連合に過ぎないと書かれている
卑弥呼後に九州から畿内にすんなり遷都できるわけねーべ
畿内勢力が拡大していったと見るしかねーべ
遷都の根拠、遷都に至るまでの争いの証拠はあるんか?答えろや(´・ω・`)
587名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:24:53 ID:pElCzEQsO
卑弥呼は皇族ではない
588名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:25:03 ID:0g5JQoh00
持統天皇「ええい!焼き払え!」
巨神兵中臣「ゴゴゴゴゴ!」( 旧辞、帝記の燃える音)
幼い文武「あ、焼き芋焼けた♪」
589名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:27:05 ID:zPxrbgkU0
日本書紀、古事記などの7世紀以前の部分は
発掘しても矛盾だらけな事ばかりで殆どが嘘出鱈目だと考えられている。
これをベースに魏志の内容がどうこう言うのが間違いだ。
大和朝廷は7世紀以降のポッと出の政権であり、
それ以前は少なくとも中央には別の政治体制があったと考えて、
そちらの方面からアプローチする事が重要だろう。
590名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:27:15 ID:9Ghsr/c70
投馬国が出雲説は有名なのか?

いずも→ずも→つま 当時の大陸人には母音の い を聞き取れなかった

と聞いたが
591名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:30:23 ID:0g5JQoh00
>>579
中臣(祖先諸説)&持統(天智天皇の娘、天武天皇の后)にとって、有利
な歴史は上げ、不利な歴史は下げた(或いは消した・隠した・変形させた)、
という傾向はありましょうね、日本書紀には。
592名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:30:29 ID:jnpsVDnoO
ごく普通に考えれば東京やろね!
ブーメランの原理やろ。なぜ今の首都が東京か?
これを理解できんやつは一生邪馬台国の場所がわからんやろうね
593名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:30:36 ID:6TRxsQpl0
>>590
もう何でもありだなw 「も」も「ま」に変わってるしw

母音やら濁点をいじくれるなら、どんな言葉でも作れそうw
594名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:30:44 ID:e+9jWdO+0
>>589
同意
6世紀以前は倭 
7世紀から日本
でいいじゃんね
595名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:31:05 ID:h2KVyGNH0
>>589
逆だよ、
例えば昔は山陰は考古遺物が出ないから記紀は出鱈目ばかり書いていると
言うのが主流だったが、荒神塚の大発見で大どんでん返しとなり出雲は銅鐸文化と銅鏡文化が
集結した場所で記紀の書いてあるとおりだってなったんだよ。
典型的な考古学者敗北の例だね。
596名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:32:01 ID:8HSikI6p0
>>582
キリストの墓もあるしな
597名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:32:49 ID:6TRxsQpl0
考古学って要するに「いかに上手にこじつけるか」という学問ですか?
オカルトと何が違うの?
598名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:34:26 ID:uusSflmG0
おまえら、とうほぐ無視してんでねぇよ!
599名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:34:32 ID:Hf2987ao0
>>597
昔から伝わる日本の「こじつけ」に異議を申すのか?
600名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:34:54 ID:9Ghsr/c70
タイムマシンが出来ればなあ。三国志頃の大陸と列島を見てみたい
601名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:34:59 ID:6TRxsQpl0
>>595

大発見したのなら考古学者の勝利では?
602名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:36:41 ID:Hf2987ao0
>>598
だからお前らはモミアゲとあごひげ連ねてモジャってろって言ってるだろうが!!
(訳:そろそろ風呂でも入ろうかな)
603名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:37:13 ID:1YzqBKuuO
>>595
記紀には本当も嘘もあるからなおのこと質が悪いのですw
604名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:37:40 ID:pElCzEQsO
邪馬台国については、素人に考古学者は敗北しているのが現実
605名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:37:49 ID:ag5nB63/0
>>581
気候で言ったら、四国や南九州より、千葉や静岡(特に伊豆)の
方が暖かいな。黒潮の影響だろう。
富士山の南麓でも4・5年に1度ぐらいしか雪が降らない。
北九州みたいに年に1回は雪が降る地域より遥かに暖かい。
606名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:37:54 ID:8HSikI6p0
>>597
オカルト〖occult〗
超自然の現象。神秘的現象。
ー大辞泉より

考古学は人間の歴史を掘りおこすだけで、人類以外の知的高等生物とか超能力を扱う訳ではない
607名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:39:54 ID:/sGgQwSp0
>>601
つまり考古学者ってのは
「今のところ出ていない」すなわち「ない」
って簡単に言い切ってしまうってことじゃね?
608名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:39:59 ID:h2KVyGNH0
>>586
先進文化の中心地北九州が後進地域を圧倒したのは当然だろ。
鉄器だって九州は大量に所有していたんだが畿内には殆ど無かったんだよ。
609名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:40:02 ID:K6Rxty6C0
伸びすぎだろ。大和朝廷と邪馬台国の関係について語ってくれ。
610名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:41:08 ID:uY0XBs7X0
>>571
鉄については、九州では2世紀頃には農具としての使用が一般化してるね。
この頃の鉄はまだ朝鮮から輸入した鉄。
日本が砂鉄で製鉄を始めるのはもう少し先の事だ。
神武東征は鉄の武器対こん棒レベルの戦争だったかもね。
実際の戦闘は一方的で話にならなかったかもしれない。
611名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:41:19 ID:ag5nB63/0
>>604
違う、魏志の記述を信じたら、該当する場所が一切無くなる。
歴史学的には判らないが正解。
612名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:44:11 ID:XvrTIz0y0
>>595
そういう話知ると
今後どこから何が発見されるやらとwktkできるな
卑弥呼の絵日記とか見つからねーかな
×月×日 晴れ 今日、魏国に派遣した難升米が帰ってきた 金のハンコと銅の鏡もらってきた
613名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:44:22 ID:pElCzEQsO
>>503
ゴッドハンドで乗り切るしかないね、特定しているわりに、なーんにも出ないからね。あっ、研究費はたくさん出たから、OKだよね
614名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:46:06 ID:VaME9+HtO
>>608
大陸の文明のおかげで日本制覇できたのに、その大陸から離れたらダメじゃね?
中国に行きにくくなるし、他の勢力が中国に接近するかもしれない
615名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:46:22 ID:0h3wWCg+0
>>609
名前が似てる以外関係ないんじゃね?
616名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:46:59 ID:0g5JQoh00
>>579(>>599の続き)
そう言えばそこらへんで思い出したんだが卑弥呼は魏(中国)との同盟路線。
そして、天智天皇は白村江の戦いでの敗北の後、唐と組んで新羅を討とうと
してた(半島戦争継続派)という話もあるね。で、天武は新羅と組んで唐と
対抗するという(半島戦争中止派)路線。
卑弥呼を、日本書紀に登場させるのが、新羅征伐ナショナリズムをかきたてる
可能性に発展する脅威は、持統天皇には、あるっちゃーある。中臣がそこで、
どこらへんのポジショニングだったか?は調べてみたい所ではあるね。
617名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:48:19 ID:Hf2987ao0
>>616
俺の続きなのか?w
618名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:49:07 ID:zPxrbgkU0
大和政権は銅鐸なんて存在自体を何一つ知らなかったのに、
何が記紀が書いてある通りなんだ?
出鱈目を言うな。
619名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:50:00 ID:84ggj0mCO
九州とかないわ〜

邪馬台国埼玉説くらい、ないわ〜
620名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:50:05 ID:9Hx3G2S20
中身読んでないけどまた朝鮮人が暴れてる?
621名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:50:09 ID:VaME9+HtO
九州勢力が畿内に東遷したんじゃなくて、畿内勢力が西進してきたんだぜ
それで九州にあった邪馬台国系の国を滅ぼしたわけ
うちの婆ちゃんが言ってたから間違いない
622名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:50:20 ID:y/Icb30E0
まさかの6スレ目・・・
623名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:50:37 ID:f3P1Y+Wf0
>>590
でもさ、末櫨国・伊都国とかの地名レベルなクニの大きさからいって
いきなり出雲ってのは単位がデカ杉るよな

適当にググって出てきた倉敷市鳥羽(とば)とかみたいに地名レベルな大きさで
『投馬』の読みに合う所があるんじゃないかな?

ていうか『投』をズとかヅって読むものなのか?
624名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:53:12 ID:VaME9+HtO
投馬は「とま」で、今の福岡市東区の三苫(みとま)なんだよ
うちの爺ちゃんが言ってたから間違いない
625名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:53:53 ID:pElCzEQsO
大昔に日本が統一されていたと、考えている考古学者なんて実際にはいないだろう

生活があるから、畿内説に乗っかかっている、に過ぎない
626名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:54:55 ID:f3P1Y+Wf0
>>610
鉄の武器で攻撃されたら死ぬけど、こん棒や竹槍なら数発は耐えられるんですか?
先ずは竹槍あたりからでも良いので、ぜひ貴方の体で試してみてください
627名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:55:57 ID:0g5JQoh00
>>579
>>617
うん、間違えてしまった。双方すまん。(>>616に関して)
>>599の続き)・・・間違い
>>591の続き)・・・こっち
628名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:58:37 ID:VaME9+HtO
寝る前にまとめ


・はるか昔、人は大陸から日本への東進した
・邪馬台国は北部九州にあった
・後に巨大化した畿内勢力が西進し、邪馬台国系の九州勢力を倒す
629名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:58:58 ID:Jm/ZUAvgO
>>621ばあちゃんには、かなわないぜ
630名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 02:00:01 ID:ksxRLyZ7O
まだやってんのか
631名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 02:00:06 ID:ldwq9glqO
これって結局、東大と京大の意地の張り合いが原因だって、
代ゼミの日本史講師が言ってた。

東大→ライバルの京大のお膝元に、邪馬台国が存在してたなんて、
認めねぇ。だから九州説。

京大→自分の地域に、邪馬台国があった方が、大学としての
格が高くなる。だから畿内説。


お互いプライドが高いから、一切引かずに議論が長引いてるそうな。

632名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 02:01:00 ID:XqK2VEuMi
>>8
ロマンてwww
九州の方が完全に観光目的の守銭奴状態だろうに。
633名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 02:02:21 ID:Hf2987ao0
畿内派=利権に群がる人達
634名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 02:04:08 ID:M5EtPZ7Q0
邪馬台国と大和朝廷に連続性というか
繋がりがあるなら近畿ないなら北九州
ということにはならないのか
635名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 02:04:32 ID:uY0XBs7X0
>>626
竹槍やこん棒は致命傷にはなり難いね。
黙って真正面からくらう馬鹿はいないでしょう。
防具を全く付けない馬鹿もいないでしょう。
はっきり言って全然威力が違いますな。
鉄のクワと木製のクワで地面を耕してみて下さい。
636名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 02:05:00 ID:0h3wWCg+0
邪馬台国ってさ、吉野ヶ里に金突っ込みすぎて
引くに引けなくなってる佐賀県だけが必死だよね。

福岡とか大分とか宮崎とか興味無さげだよね。

畿内では桜井市が巻向遺跡の発掘結果を見て
最近言うようになっただけで、奈良県自体は今も興味無さげ。
637名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 02:07:22 ID:0P0MFeSrP
九州説最後の拠り所が鉄か
纏向からも製鉄跡は出土してるし
大体、高価な輸入品の鉄よりサヌカイトの矢の雨を降らす方が
遥かに強力だろ
638名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 02:07:25 ID:B+AGTp5n0
邪馬台国はヤマタイ国じゃなくてヤマト国でしょ。
普通、当て字するときは1音1文字だと思うしね。
九州は今で言う入管があったとこでしょ。
後世にも大宰府とかあったわけだし。
639名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 02:08:25 ID:ngFd2JrB0
邪馬台国は九州の山門郡だよ
山門郡の土蜘蛛田油津姫(つちぐもたぶらつひめ)が卑弥呼。
北九州を束ねる連合国家だった。

ニギハヤヒの畿内王国とは血縁で結ばれていた。
640名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 02:09:34 ID:G3b1+Q3l0
利権ってのは、こういうことをいうんじゃないかな?

ttp://www.pref.fukuoka.lg.jp/f17/yamataikokufesuta.html
「邪馬台国フェスタ in 九州」
−「ふくおか県民文化祭2008」参加事業−
1.趣旨
地域文化の振興、地域の活性化、広域的観光の振興などの見地から、
昨年度から福岡県では、「邪馬台国講座」など邪馬台国に関する取り組みが
重点的に進められており、本年秋には東映映画「まぼろしの邪馬台国」が
公開される予定など、邪馬台国の機運が盛り上がりつつあります。
このような機運をさらに盛り上げるため、「ふくおか県民文化祭2008」の
一環として、「邪馬台国フェスタ in 九州」を開催します。


8.後援
福岡県、福岡県教育委員会、福岡市、福岡市教育委員会、福岡文化連盟、
福岡県市長会、(財)九州文化協会、九州観光推進機構、九州・沖縄文化
団体連絡会議、佐賀県文化団体協議会、長崎県文化団体協議会、熊本県
文化協会、大分県芸術文化振興会議、宮崎県芸術文化協会、鹿児島県文
化協会、朝日新聞、毎日新聞、読売新聞西部本社、NHK福岡放送局、
HNK北九州放送局、RKB毎日放送、九州朝日放送、TNCテレビ西日本、
FBS福岡放送、TVQ九州放送、FM FUKUOKA、クロスFM、LOVE FM、
吸収旅客鉄道株式会社、西日本鉄道株式会社、東映株式会社、NPO法人
ボランティアとびうめの会、梓書院
9.協賛
九州電力株式会社、株式会社九電工、株式会社福岡銀行、株式会社西日本
シティ銀行、西部ガス株式会社、九州旅客鉄道株式会社、西日本鉄道株式
会社、株式会社ふくや、株式会社日立システム九州、九州観光推進機構 ほか

↑多過ぎwww
なんじゃこりゃwwwwwww
641名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 02:09:46 ID:HpTnMTvk0
九州説っていわゆるトンデモ学説なんじゃないの?
「キリストは日本人だった!?」
とか、そういう感じの
642名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 02:11:08 ID:ngFd2JrB0
>>641
いやどちらかというと畿内説がトンデモ系。
643名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 02:13:30 ID:VaME9+HtO
畿内説だと、畿内の小国家連合である邪馬台国が伊都国等を出先にできるだけの勢力が必要になる
3世紀の畿内勢力にそんな力はねーべ
畿内勢力が勢力拡大するのはその後
644名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 02:13:44 ID:pElCzEQsO
キリスト?イエスだろう、バーカ、こんなアホが畿内派なんだよ
645名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 02:15:06 ID:0g5JQoh00
唐と組んで新羅を挟撃して戦争を続けたいと思う国内分子が、まだまだ沢山
いる中で、魏に朝貢して西国(朝鮮半島も含む)への覇権を拡大したヒミコ
なる人物が、「日本書紀編集サイド」にとって、得な存在じゃないのは、
これも確か。
日本書紀は、あくまで、唐(大陸中国製力)と対等外交である、と言う構造
だからね。加えて、朝鮮戦争を継続したくない台所事情だが朝鮮に対しては
日本が優位であるともしておきたい。
ヒミコを是とすると、唐の権威を借りて朝鮮とさらに闘い続けようとした故
天智天皇の残存勢力が沢山いる状況では至難。
だから、外交政策が持統天皇に近かった聖徳太子をスーパーマンにして、
まはんたいだったヒミコなる人物は隠された(或いは消された)。だが、
故天智天皇の「怨霊」も畏れたので、神功皇后をスーパーマンにして、朝鮮
半島への成しえなかった思いを物語りに残した。(なので、少しテンコモリ)
とも、考えられるワケで。勿論推論MAXではありますが。
646名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 02:16:34 ID:uY0XBs7X0
>>637
古墳時代始まってるでしょ。
征服された後なんだから鉄見つかるの当たり前ですよ。
647名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 02:16:41 ID:2yyolQy80
>>638
「台」を「ト」と読むの?
648名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 02:17:51 ID:SriGrgfP0
九州説は温暖化CO2説と似ている
649名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 02:17:53 ID:xN24iNUG0
九州じゃなかったら安彦良和が困るだろ
650名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 02:18:07 ID:aBbj30VaO
正当性を主張するために事実関係を整理します。在職中に不正をしてないのに後藤に監視された。親の車をぶつけられた。在職中に不当な金銭の授受がない。
651名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 02:19:14 ID:ngFd2JrB0
>>647
古代中国の読みだと
ヤマドゥコク
652名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 02:19:35 ID:Vvrv7J7O0
一回り前の時代での漢委奴国の金印がでているからなあ

奴国ってどれだけの勢力だったの?
それぐらいの勢力があれば、畿内にヤマト王権の萌芽があっても、九州の有力豪族が朝貢外交ぐらい出来たんじゃないの?
653名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 02:20:25 ID:OgaF59pXO
>>647

台与はなんて読んでるの?
654名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 02:20:53 ID:T1HqXhoGO
現在主流のヤマタイ国か、理論的に妥当なヤマト国か
仮にヤマト国としても、それがどこを中心としたか
大和朝廷との関連は
655名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 02:21:02 ID:aBbj30VaO
退職後も監視された。自分の都合のいいように利用するためにお金を使うなどして親を洗脳した。この洗脳は今も親が無意識の状態で続いているから非常に危険。
656名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 02:21:49 ID:Jm/ZUAvgO
>>635宮本武蔵は、木刀で何人も、叩き殺してるでしょ?
木刀は殺傷能力高いから、剣道では、竹刀
657名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 02:22:05 ID:RURrH8j7O
>>651

沖縄もヤマトゥ言うね
658名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 02:22:35 ID:VaME9+HtO
すでに200年近く前に金印貰った奴国の近辺を素通りして畿内勢力が中国に朝貢するわけないわな
せめて奴国近辺や伊都国やらを通らずに海路で行けよw
659名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 02:23:30 ID:HpTnMTvk0
金印以外には特に九州説の根拠ってないの?
たったそれだけなの?
660名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 02:23:32 ID:VijaItcUO
その当時、日本は幾つかの大国があったんじゃなかったのか?。
661名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 02:24:00 ID:aBbj30VaO
在職中に不当に金銭を授受していない。また交通事故において慰謝料は発生していないので在職中に親は金銭を授受していない。よって在職中に親は金銭を要求していない。
662名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 02:25:00 ID:0P0MFeSrP
>>646
はあ?
邪馬台国の時代は既に古墳時代なんだが
倭人伝にもデカイ墓造ったって書かれている
663名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 02:25:58 ID:G3b1+Q3l0
九州説は>>640みたいに、その観光利権に無数の企業が群がってる状態だから、
退くに退けないところがあるんだろう

どんなに反論されても九州説の人は誤りを認めることはない、
というか"できない"んだから、いくら九州説の人と議論してもムダだと思うよ?
まさに「時間の無駄」

畿内説が正しいかは分からんけど、九州説のキチガイは放置するのが正解だろう
664名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 02:27:23 ID:RURrH8j7O
なんでヤマタイと大和の間が断絶してんの?
665名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 02:27:43 ID:f3P1Y+Wf0
>>635
>黙って真正面からくらう馬鹿はいないでしょう。
正面以外からも試してください。また、鉄製の武器なら黙って真正面からくらうんですか?
B−29を竹槍で落とすのは>>621の婆ちゃんの他は無理だと思いますがね

>鉄のクワと木製のクワで地面を耕してみて下さい。
その場合は鉄器のほうが有利だと思いますが、農業生産性の話でなく
鉄槍と竹槍で1回ずつ刺されてみてください。

もう寝るので貴殿の実験結果は明日の夕方のニュースで確認させていただきます。
666名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 02:28:39 ID:aBbj30VaO
もし私が金銭を要求したとしても在職中に授受していないので退職した時点で危機は去ったと認識できる。また退職後も金銭を受け取っていない。
667名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 02:29:09 ID:0g5JQoh00
>>662
だから何説でも(日本国内なら)、ヒミコの墓は、みんな避けて通れない中心
課題でもあるね。古墳時代ど真ん中の日本での事なら。
668名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 02:30:13 ID:SriGrgfP0
いろんな断片的な証拠を持ってくるが、以後、畿内が政治、文化の中心と考えれば
小学生でもわかる
669名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 02:30:31 ID:T1HqXhoGO
>>663
嫌煙症や喫煙DQNの『科学的調査』と同じで
先ず結果ありきになるんだよな
東北のゴッドハンドを思い出した
670名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 02:31:37 ID:aBbj30VaO
後藤は態度の悪い新入社員を自分の出世の為に利用使用とした。その上司は了承した。そして新入社員の性格を専門家に分析させ4年半も洗脳し続けた。
671名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 02:32:46 ID:HpTnMTvk0
九州から出てきた金印って誰かが途中で落っことしたとか、盗まれたとか、よそから持ってきて
そこに埋めたとか、あり得なくもないし
素人だけどこれが動かぬ証拠、というには弱い気がするけど
古墳とか遺跡とかそういうのもあるの?
672名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 02:32:48 ID:f3P1Y+Wf0
>>668
大和朝廷の前身が邪馬台国って無意味に結論ありきな小学生レベル
673名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 02:32:54 ID:pElCzEQsO
>>670
ところで、お前は一体、何を話しをしているんだ
674名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 02:33:50 ID:QimCeVBmO
いっそのこと地元自治体や企業体によるオークションで決めればいいだろ
落札した金は入札したとこに入札額の割合で分配すればいい
675名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 02:34:16 ID:T1HqXhoGO
>>673
ダメー!
触っちゃダメー!
676名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 02:35:30 ID:Pd9WG2+kO
国体みたいに毎年邪馬台国の場所を日本全国で持ち回りすればおk
677名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 02:35:37 ID:aBbj30VaO
ここからが一番の問題です。自分自身に百パーセント危険が無いことを承知したうえで洗脳し続けた。その上司はトヨタとの交渉においても自分の洗脳以外は無害であることを知ってて交渉した。
678名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 02:36:49 ID:yAqdsePJ0
竹島説や尖閣諸島説はないの?w
679名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 02:37:16 ID:QimCeVBmO
>>669
癌で死ぬ人は肺癌が多いわけだが、タバコをやめても
肺癌の割合が下がるだけで、数年後に他の癌で死ぬから
結局、癌の割合は下がらないんだって
680名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 02:37:53 ID:pElCzEQsO
>>676
それはあり、つーか、そうするんじゃない
681名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 02:38:07 ID:SriGrgfP0
>>672
前身なんていってないわ
九州なんて連続性、必然性に欠けるといっているだけ
存在の有無もわからなのに
682名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 02:38:27 ID:Jm/ZUAvgO
>>651そうだとすると、古代中国語?は、漢字読みが、今の日本と似てる今は全然違うよね
当たり前と言えば当たり前だけど
不思議だ!
683名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 02:38:59 ID:aBbj30VaO
つまり自分が洗脳しているからこそ超能力をもった人間となり得ることを知っていた。不当に個人情報を悪用することによって思い通りにしてきた。思い通りに動かす為に暴力団に監視させた。
684名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 02:39:31 ID:vqT72O050
日本の礎を築いたのは大和朝廷で間違いないの確定的事実
685名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 02:40:24 ID:lOjQ2ZkC0
天皇家がペルシャ系だったという素敵説は?
686名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 02:40:54 ID:T1HqXhoGO
そもそも存在したかって問題もあるな
結局場所が特定出来れば存在も証明出来るが、
現状それは不可能で将来的にも見込み薄だからな
教科書とかで不必要に取り上げ過ぎなんだろうな
687名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 02:40:58 ID:Pd9WG2+kO
>>680
今年は香川だったから、来年は青森、再来年は群馬あたりに邪馬台国を・・・

てな感じになるのかw
688名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 02:41:56 ID:Vvrv7J7O0
>>685
あんたがシュメール系ぐらいなったくないと思う
689名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 02:42:26 ID:yAqdsePJ0
>>686
邪馬台国の存在は魏志倭人伝で証明されてる。
690名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 02:42:35 ID:vqT72O050
>>685
顔をみれば違うとわかる
あの血は濃いぞ
691名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 02:43:31 ID:aBbj30VaO
競馬もバーターと認識出来ます。競馬を使って的中させ儲けたお金を監視させることと競馬で会社に損害を与えているという意識を植え付けることです。競馬はどうでもよかったそれをスケープゴートにして親会社を思い通りにすることが目的だった。
692名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 02:46:19 ID:ultFcn2F0
記紀で神功皇后にすり替えたが正しい
693名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 02:46:53 ID:lOjQ2ZkC0
言語的にはアーリア説も面白いのになぁ
694名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 02:46:59 ID:Vvrv7J7O0
伊勢とか宇佐とか場所の比定は出来ないが、卑弥呼というのは王権から離れた託宣者だったのが、
魏の役人に理解できなかったんじゃないのか?
治めることを失敗したが、弟の王がいたんだろ?
695名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 02:49:49 ID:yAqdsePJ0
邪馬台国が存在したと証明できる年代と大和王朝の年代って違うからなぁ。
まずは場所特定してからじゃね。
696名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 02:50:13 ID:aBbj30VaO
東尋坊の件も自分が暴力団に監視させているから生じた出来事だということを知っていた。でなければ後藤が同じ日に東尋坊にいることはおかしい。監視していなければ出来ない。
697名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 02:50:18 ID:Vvrv7J7O0
記紀の現代語訳を読んだが(講談社学術文庫はパ゜ーぷーな俺には取っつきにくい)


萌えキャラばかり・・・・
698名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 02:51:38 ID:SriGrgfP0
>>689

611 :名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 01:41:19 ID:ag5nB63/0
>>604
違う、魏志の記述を信じたら、該当する場所が一切無くなる。
歴史学的には判らないが正解。

魏志倭人伝を妄信すると九州には行き当たらない
つまり、現存するものからしか推測できない
ロマンを語るのは自由だが
699名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 02:52:19 ID:RURrH8j7O
>>695

おいw
700名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 02:53:39 ID:T1HqXhoGO
>>689
プラトンの書物じゃアトランティスを証明出来ないように
東夷伝じゃ邪馬台国を証明出来ないよ
巍に朝貢した倭の国があったのは別史料から証明されてるけどさ
701名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 02:54:06 ID:aBbj30VaO
後藤の上司は洗脳していることを知っていた。退職後は自分自身に百パーセント危険が無いことを知っていた。そのうえで親会社と交渉した。親会社を利用するために暴力団に4年半も監視させた。この件に関しては自分は思い通りに出来る立場にあった。
702名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 02:57:55 ID:ultFcn2F0
卑弥呼の時代に皆既日食が見れたのは北部九州のみらしい
703名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 02:58:20 ID:aBbj30VaO
また思い通りに出来ることを親会社に伏せた。結論として退職後は自分自身に百パーセント危険が無いことを知っていたが親会社を思い通りに動かそうとして私を利用した。私の態度が生意気だったので洗脳してもいいと判断した。洗脳は犯罪だ。事実関係から背任を立証出来ます。
704名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 02:59:58 ID:yAqdsePJ0
>>699
200年代と300年代じゃ違うだろ。
705名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 03:01:08 ID:RURrH8j7O
水もこぼさない上質の絹織物の品質にビックリしたとか書いてるそうだけど土人レベルかと思ったらそうでもないのな
706名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 03:01:25 ID:HpTnMTvk0
>>703
この人は何でこのスレを選んだんだろう?
707名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 03:01:27 ID:Pd9WG2+kO
とりあえず片っ端から古墳掘っちゃえよ
708名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 03:03:31 ID:aBbj30VaO
後藤の上司は自分の洗脳によって事の端を発していることを十分認識していたと思われます。後藤と上司の関係はわかりません。後藤は自分の出世の為に何をしたかはっきり分かっていたので、刑務所に入るべきです。
709名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 03:05:52 ID:0g5JQoh00
>>692
気持ち的には、俺もその路線で想定してみたいが、神功皇后だと、若すぎる。
239年に魏に使いをやった卑弥呼が、391年に朝鮮出兵して身重のまま、好太王
と大激戦をするというのは、難しいと思う。
だが、神功皇后がヒミコなる者の外交方針を継承する人物の可能性はそれでも
あると思う。
710名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 03:07:04 ID:rIXbxu4JO
>>707
宮内庁が許しません
711名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 03:07:56 ID:vhQ6QxqpP
http://www.youtube.com/watch?v=SghoziTQtH8
http://www.youtube.com/watch?v=mJeFMaP80OE
http://www.youtube.com/watch?v=JxHMdhGDmXg
http://v.youku.com/v_show/id_XMjEwNDc2MjA4.html
http://v.youku.com/v_show/id_XMTk1OTc2Mzg0.html
http://v.youku.com/v_show/id_XMjEwMTA5NTAw.html
http://v.youku.com/v_show/id_XMTExNjA0OTEy.html
上記のベンチャー航空会社に佐賀県(+吉野ヶ里遺跡)
を売り込めば良いかも知れない。
ただし、ボーディングブリッジ(搭乗橋)の使用を
嫌がるので、少しひねった売込みが必要。
712名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 03:08:44 ID:aBbj30VaO
後藤の上司は親会社を思い通りにしようと企んだと思います。私を巻き込んだその企みが失敗することを祈ります。そして早く洗脳状態から解放されて自由になりたいです。
713名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 03:10:05 ID:lOjQ2ZkC0
>>706
ここで嫌な思いをしたとか
どちらかの説を妄信してたりとか
楽しそに馬鹿話してるのがむかつく
てな人なんじゃないの
714名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 03:15:13 ID:uNhVj4c70
畿内説は倭人伝をどう解釈しても
畿内に行き着かないのでどうにかしないとね。

まあ、それで倭人伝と記紀は信用できないという
立場を取っているようだが。

intcal04によるC14を無視して、都合の良い年輪年代で
巻向の年代を修正したところで、畿内説の根拠にはならんでしょ。
715名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 03:16:26 ID:P5SM9z4a0
魏志倭人伝に書いてある通りだよ
海に沈んだ
716名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 03:17:30 ID:aBbj30VaO
後藤とその上司は、4年半自分達だけは真実を知っていた。後藤は刑務所に入るべきだ。
717名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 03:25:59 ID:SriGrgfP0
消去法を使うとすべて消え去る
718名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 03:34:49 ID:+Ba9Ok2A0
じゃあ、ハイキングウォーキングに聞こう。
719名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 03:36:42 ID:xyi/FhD70
九州北部だったら、全然発掘進んでないわけだから、もし何か物的証拠が出てきたら一気に様相が変わるかもね。

博多近辺だったら、コンクリートに埋もれて完全に発掘不可能かもしれんが、
仮に大分宇佐だったとすれば、あの辺ならばまだ発掘する余地はいくらでもあるだろうし。
数十年後は、また九州説が盛り返してたりして。
720名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 03:42:29 ID:AFlEE2NqO
海路を現代と同じように陸にも寄らずに休みもせずにひたすら魏に向かったと
考えるから航路の辻褄が合わなくなるだけだろ。
ずっと海をひた走ってた訳じゃないだろ。マゼランですら世界一周の間、陸に寄っては何日も休んでたわけで。

古代日本の縁起担ぎ(海路の平和を祈り、身の穢れを払う)を途中で何度も行ってから魏に向かったとか思うんだが。

穢れ払いの場所は考えるだけで3箇所ある。
熊野大社、出雲大社、宗像神社。

この3箇所は海事の平穏も司る場所。

1箇所につき1週間とか1ヵ月とか非常に長い間穢れ払いと海事の無事を祈ってた可能性は高い。

宗像神社は場所と神聖さから間違いなくここには長期間逗留していたはず。
由来から言ってここをスルーして海路に就くことはあり得ない。

倭人伝の航路記載はこの「逗留期間」も含めた記述。

とか思った。
721名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 03:43:20 ID:cpqh+6On0
宇佐をCTスキャンすりゃ、いいのにね。破壊したくないなら、電波地層検査
とか、非破壊系の検査方法もいくらでもあろうに。
ま、それ以前にスポンサーつかないとか、誰得でもないので政治力が働かない
とかの方が強いんだろうケド。
722名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 03:43:53 ID:wlRyDX560
>>719
親魏倭王の金印が見つかったら、一発だけどね
とっくに掘り出されて、鋳潰されているかもしれんけど

委奴国の金印の出土状況もネコババされてたら、
(どっかの神社から盗まれたという説もあるらしいが)、
完全に闇の中だったな
723名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 03:45:04 ID:OxGjCzt90
>>695
場所特定としてとりあえず中国の古書には日本は倭国の西にあり
倭国と日本は別の勢力だと記されていること。(旧唐書倭国伝)

日本と中国が通じたのは581〜600年の末と記されていること(旧唐書日本伝)

とりあえず邪馬台国と中国の交流は古いから邪馬台国=日本にはならない。
邪馬台国=大和国かといえば実はそうでもない。
なぜなら倭国と書いてヤマトコクとも読めるからです
例えばヤマトタケルなどは古事記では倭建と表現しています。
日本という国が倭国の歴史をパクッた可能性もあるんじゃね?
中国の古書に倭国と日本は合併したと記されてるのもあるしね
724名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 03:52:45 ID:SriGrgfP0
存在はしたのかもしれないが、かなり脚色された神話だと思う

                           以上
725名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 03:53:55 ID:cpqh+6On0
>>723
「日本」という国号が確立したのは、天武天皇以降だとすると、スムーズに
つながる部分も多いですね。中国の古書はそこらへんを言いたいのでしょう。
反日さんたちが、そこらへんで「日本(皇統)が分断した」とした下心が
働いてしまうのも、そこらへんの古典知識が下地にあるからかもしれま
せんね。(俺個人は、そっちも無いと思いますが)
726名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 03:54:30 ID:oAh70ifF0
パプワニューギニア説わろたwww
727名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 03:55:43 ID:hbmvdnxy0
>>723
卑弥呼や邪馬台国に関する伝承はこちらにはないのでパクる必要が無い。
晋国の人(旧唐書:945年成立・晋・劉?著)が邪馬台国と日本は別であるというなら、
こちらとモロコシの国の古書の間の相異が一つ消えるだけ。
それから「倭」に「やまと」という意味と音を与えたのは日本の人だよ。むこうの人間じゃない。
728名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 04:09:35 ID:cpqh+6On0
倭は、単純に当時の中国から見た「民族呼称」という捉え方が適していると
思います。胡人と言えば、胡の民族の人という解釈が普通だろうし、それを
胡という特定の国の人と考えるのも適していないと思うのですね。
第一、中国の古典自体に、「倭人が百余国に分かれて」とか、民族分類的
・文化分類的に書かれている記述がほとんどかと。
729名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 04:20:59 ID:hbmvdnxy0
>>728
中国から見た「倭」(ワ)の中に「やまと」が含められていて
「倭」の文字に、文字を持たぬ吾らが祖先は「やまと」という大和言葉の訓を充てた。
730名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 04:27:48 ID:cpqh+6On0
>>729
中国側「倭人の邪馬台ではどうか?」
日本側「(意味を知ったので)それは勘弁してくれ。和人の大和でどうか?」
中国側「王朝交代しました。倭人よ、朝貢しろ」(王朝交代の度)
日本側「(面倒だなぁ。。。)この度国号を日本にしました」

「ワ」の音に「やまと」の訓を乗せたのが自然だと思う。
731名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 04:47:32 ID:xyi/FhD70
考古学者にとっては、畿内か。
ただそれは即ち、考古学的な新たな発見があれば、ごっそり九州説になびく、ということでもある。

でも、歴史上の文脈からすれば、宮崎高千穂→大分宇佐→瀬戸内海〜出雲経由で、近畿圏
に到達、という流れにロマンを感じるな。

なんでも奈良桜井で完結させるのはどうかと思う。
宇佐の件を見ても、天皇家との繋がりが古代から今現在まで続いているのは明白。
宇佐で祀られてるのが、ヒメヒコ、で卑弥呼を連想させることも示唆的だ。
この辺が、素人に九州説が多い理由なんだろうか。

奈良説をとると、九州の集落とは歴史的に完全に分断されるってことになるよな
732名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 05:02:25 ID:r3PKcjUg0
>>723
>中国の古書に倭国と日本は合併したと記されてるのもあるしね

具体的にどの古書ですか?
733名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 05:06:19 ID:O0+pA4Ns0
最近俺が買ったばかりの土地だろw
値が上がるまで眠らせておくかw
734名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 05:16:24 ID:0LhDqmcxO
>>709
素人だけど。
卑弥呼の国では卑弥呼の生まれ変わり(ダライ・ラマみたいな)を信じてて、全部一人の卑弥呼だと
認識、伝承・説明したってことは無いかな。
735名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 05:25:05 ID:FyLwx4ll0
>>728
そうですよね。ある種の血統集団だからこそクドイほどの民俗描写が必要。
736名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 05:30:46 ID:cpqh+6On0
>>734
「卑弥呼」という呼称は、あくまでも外国書物上でのとりあつかいだし、
卑弥呼の後に、間を置いて「台与」と呼ばれる女王が立ってるから、卑弥呼
が、例え固有名詞ではなく、役職名だとしても、「卑弥呼が没した」
とされる時点で、少なくとも「卑弥呼」と呼ばれる役職は終演した事になる。

「卑弥呼没」とされる歳以前までは、数千年「卑弥呼」職が続いてた可能性
は薄いですがゼロでは無いと思う。

ただし、あくまでも「外国文献」ですので、国内で「HIMIKO」と呼ばれ
る女性が、どのような実名・役職であったかは、これは国内文献で検証する
以外、方法はないと思います。(それ故、実在していない可能性も有ります)
卑弥呼と台与が、日本の文献で確定しづらい点も謎を深めていますね。
737名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 05:31:43 ID:/ADiyxmw0
>>729
大和の「大」の部分は、大英とか大韓とかの「大」みたいなもんかね
738名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 05:35:05 ID:D52AuAKP0
>>734
ずっと女王じゃないよ

>その国、もとは男子の王であった。
>住まるところ7,80年、倭国乱れ、互いに責め合って年が経った。
>それで一人の女子を共立して王とした。
>その名は卑弥呼。

そして、

>卑弥呼、以て死す。
>男王を立てたが、国中服せず。更更相誅殺し、当時千余人を殺す。
>卑弥呼の宗女、台与、年十三なるを立てて王とし
>国中、遂に定まる。


男王→卑弥呼→男王→台与
739名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 05:43:23 ID:cpqh+6On0
>>735
西日本の民族構成要因を民族的に総称として、「当時の中国人」が「倭人」と
いう名前でとらえていた。と言う事で問題無いと思います。
そうでなければ、あえて朝鮮人と分ける必要がわかりません。つまり、中国人
から見て、「朝鮮半島以東の人達」だが「朝鮮人とは違う」という何かが、
確実にあったのでしょう。それが、風習なのか言語なのか民族的見てくれ
なのか宗教なのか国家形態の違いなのかは、類推の域を出ませんが。

例えば、探検して調べた場合、A人、B人、C人、D人、E人と、次々に
奥地に行くにつれて、発見していったとします。
A人B人は朝鮮人なんだけど、C人D人E人はその探検家は「倭人」と判断
したなら、その判断の根拠となるものが必ずあった筈なのです。残念ながら
後漢書東夷伝や魏志倭人伝は、地理誌目的の書物ではないので、そこらへんの
記述は淡白で残念です。
せめて、「生活慣習」で分けたのか「単なる見てくれ」で分けたのか、それと
も国家形態宗教形態で分けたのかがわかれば、当時の中国人の指す「倭人」
の範囲がもっと限定できるかもしれませんね。
740名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 05:47:48 ID:r3PKcjUg0
>>739
そもそも中国の史書に「朝鮮人」は登場しないわけですが
741名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 05:49:53 ID:cpqh+6On0
>>740
そりゃ、倭人伝には登場せんでしょうな。
742名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 05:52:33 ID:hbmvdnxy0
>>737
ごめん、それは個人的感想の粋から出ないことしか書けない。

ただ漢字表記は対外的な意識を以て改められたろうと思う。
大の訓「おほ」は美称。
743名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 06:04:34 ID:cpqh+6On0
>>738
だから、それが外国文書という点。外国外交官が独自調査して、
>その国、もとは男子の王であった。
>住まるところ7,80年、倭国乱れ、互いに責め合って年が経った。
>それで一人の女子を共立して王とした。
>その名は卑弥呼。
と、判断したと言う事。それ以上でもそれ以下でもない。
中国は当時から男尊女卑だったのでとりあえず目の前の女王(が存在する事)
に驚いたとすれば、当然日本人に「お宅の国は女王ばかりなんですか?」と
聞くだろう。しかし当時日本に男女の差異をそれほど気にしない継承感覚
なら「いや?女の王の場合もあるけど、男の場合もあるよ」と答える。
男尊女卑のあたりまえの中国外交官が「あ、じゃあたまたま今は女王なのか」
(やはり劣性文明だな)と納得する。と、こういう流れだった可能性も残存
する。
中国外交役員が名を「卑弥呼」と判断したからと言って、日本で日本人が
個人名として「HIMOKO」と呼んでいたかは、これは全くの別問題。
744名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 06:09:47 ID:r3PKcjUg0
>>741
で、どの伝に登場するのですか?
745名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 06:12:06 ID:r3PKcjUg0
>>742
というか、単にヤマトだけだと、奈良盆地の一都市を指すことになってしまうので
大ヤマトと呼んで区別したのでは?
746名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 06:22:35 ID:cpqh+6On0
>>744
ま、わかってて聞いてるナンクセだろうから、スルーするよ。
当時の中国の外交担当が倭人を倭人と判別した判断基準は何か?と言うのが
発言した内容の本題だからね。
言いたいのは「当時中国にはまだ朝鮮民族というカテゴライズは無い」って
おっしゃりたいんでしょう?朝鮮を例に出すとピリピリしすぎる人って、
いつもヤヤコシイですなぁ。。。
747名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 06:32:37 ID:hbmvdnxy0
>>739
魏志東夷伝全体をつらつら眺めるに、調べに行ったのでなくて
楽浪郡や帯方郡に置いた官庁で行われた地方政治での記録を書いてる感じがしますが。

>中国人から見て、「朝鮮半島以東の人達」だが「朝鮮人とは違う」という何かが、
>確実にあったのでしょう。
これ
中国人から見て福建省の東の海上の間違いでは。
748名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 06:32:40 ID:5LuQX/njO
銅鐸→国津神
銅鏡→天津神?
出雲は国譲りがあったから併存したのかな。
749名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 06:38:24 ID:cpqh+6On0
>>744>>746続き)
ちなみに、朝鮮人は好きでも嫌いでもないが、古く見積もったら、当時でも
朝鮮人というカテゴライズは三韓時代とか高句麗の存在とか、中国人としては
分けて無くても、半島としては独自だったという考えも成り立つワケで。
例として朝鮮人を出したとしても全く問題無い。(もちろん「朝鮮」という
呼称は当然まだ余裕で発生していないが)
あと、北魏書の文書も散逸も多いかもしれないので、「どの伝に登場する
のですか?」なんて、エサまいても、また半島の人が創作し出すような気も
しますが。。。散逸しているのを知っておきながら、「あるんなら出し
なさい」みたいな聞き方は、朝鮮人相手だけにしておいて下さいな。
俺はここで、そんな話をしてるワケじゃないし。
750名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 06:39:13 ID:hbmvdnxy0
>>745
大倭と書く記述が古事記にありますが、この場合は地域的な意味での畿内のことを指すそうです。
しかし訓は「おほやまと」となる。単に「やまと」とは読みません。
そして「大和国」というと今で言う奈良県のことですが、大和国に朝廷が置かれていたので
朝廷を指してやまと(の朝廷)と言いますと、朝廷の収める範囲の国内が「やまと」に成って行くでしょう。
だから国内では「やまと」は「やまと」で良かったのだと思います。

なので、倭を大和と表記しなおしたのはやはり外交を意識してのことではないかと思います。
751名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 06:39:50 ID:MJ6mIePmO
>>745
松本零士かよ
752名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 06:40:07 ID:fNw6baF/0
邪馬台国は四国、九州を南下して土佐から陸路で阿波これで距離は何とかあう
鳴門に古墳群が存在、忌部が存在、卑弥呼を占い術師だと考えた場合
死国はもってこいの場所、刺青も流刑地なら当たり前

問題は、鳴門じゃなくもう少し山の方で吉野川南岸辺りになんかない?
吉野川を海として見た場合でも、北岸ではつじつまが合わない・・・
753名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 06:40:37 ID:r3PKcjUg0
>>746
「例に出しただけ」ってことで逃げるわけですね?
あなたの>>739の書き方が「例に出しただけ」には見えなかったので
ツッコんだだけなんですけどね
>>741の書き方も、まるで倭人伝以外には登場するみたいな言い方ですし
754名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 06:41:22 ID:vrOG7pH90
銅鐸を日本固有の物と言っている人が結構いるけど、もろ中国の影響受けていると思うのですが。

■古代中国、三星堆遺跡から出土している銅鐸
  5000年〜3000年前
http://3.bp.blogspot.com/_eADIlkTl05g/TEb8lEGWi-I/AAAAAAAABJo/pYBHlcm3Z1Q/s400/sanseitai01.jpg

■殷の編鐘(甬鐘) 楽器として使用していた
 紀元前17世紀頃 - 紀元前1046年
http://img.bbs.cntv.cn/attachments/fx/month_0903/20090316_f8286c919ef3354a684dk2SliHlG6MgG.jpg
http://img.bbs.cntv.cn/attachments/fx/month_0903/20090316_82a60d4d7bab2c67817dHS6s70Wf4SSH.jpg
http://img.bbs.cntv.cn/attachments/fx/month_0903/20090316_85d8abd10b3c4d931268FHehw23TQ3Q2.jpg
http://img.bbs.cntv.cn/attachments/fx/month_0903/20090316_82a60d4d7bab2c67817dHS6s70Wf4SSH.jpg

■春秋戦国 蟠螭紋鐘【中:Pan li wen zhong】 凌源県五道河子村墓葬出土
  紀元前770年に周が都を洛邑(成周)へ移してから、紀元前221年に秦が中国を統一するまでの時代
http://abc0120.net/words03/images/abc2009091205.jpg
755名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 06:41:58 ID:xP9gr//xO
お前ら邪馬台国について詳しすぎワロタwww
756名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 06:43:56 ID:hbmvdnxy0
魏志東夷伝、韓族とか扶余とかなら出てくるみたいだけど
朝鮮人は無いね。まぁ「日本人」も無いんだけど(当然)。
757名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 06:44:02 ID:M5Yj3OjN0
魏志倭人伝では世帯数を読め。
女王の治める国は、倭人の国の中で最大の世帯数を持つ。
758名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 06:44:17 ID:QvePwFMR0
倭国、日本国は少なくとも平安時代まで支配層に至るまで母系社会だった。
宦官がいない。夜這いなんてものが平安貴族の間に平気である。
つまり、「生まれてくる子供の父親が誰か?」というのは別に重要ではなかった。
財産の所有権はあくまで母→娘へといくものだったから。

ただ中華は既に男系相続社会だったので男王(皇帝)が普通。
759名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 06:45:16 ID:9M+5zsI0O
このスレキモ歴ヲタ臭がして気持ち悪いんですけど
スーパーイリュージョンでスレ削除してもらえませんか?
760名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 06:46:19 ID:hbmvdnxy0
魏志東夷伝倭人条、と正式に呼称した方がきっと勘違いがないんだろうね。
魏志倭人伝という通称は邪魔なのかも。
761名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 06:47:05 ID:r3PKcjUg0
>>749
まともに歴史を勉強したことのない人間が
くだらない妄想を書くな

■百済(隋書 百済伝)
>「百済百濟之先、出自高麗國。其人雜有新羅、高麗、倭等、亦有中國人。」
(百済の先祖は高句麗国より出る。そこの人は新羅、高句麗、倭などが混在しており、また中国人もいる。)

明らかに、高句麗系と新羅系と日本系を区別した上で
混在していると書いてる
762名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 06:47:17 ID:Hf2987ao0
>>759
(訳:みんなおはよう!!今起きた)


おはようさん。
763名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 06:47:32 ID:r3PKcjUg0
>>751
なんだその意味不明なレスは
764名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 06:48:08 ID:bEAsDbag0
2chで自分の無知さ加減に愕然としてパニックを起こす奴ってたまにいるよな
765名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 06:48:27 ID:cpqh+6On0
>>747
ルートの問題だが、当時遠洋航海が可能だったら、そっちも考える。
沿岸海岸線の見えない海上で、方位を正確に進めなければ、2〜3日で余裕で
迷子になるかと思われます。
以東を正確な方角としての東でなく、「比較的東に位置する」という広範囲な
意味で言ったのだが。
766名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 06:48:49 ID:VaME9+HtO
「卑弥呼」と「オメコ」は似ている
すなわち、卑弥呼はマンコに箸(棒)が刺さって死んだモモソヒメのことではないか
767名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 06:49:48 ID:r3PKcjUg0
>>761に追加

■新羅(梁書 新羅伝)
>「新羅者、其先本辰韓種也。其人雜有華夏、高麗、百濟之屬」
(新羅、その先祖は元の辰韓(秦の逃亡者)の苗裔である。
そこの人々は華夏(漢族)、高句麗、百済に属す人々が雑居している)
768名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 06:52:19 ID:7+yqai+L0
そもそもその史料に書かれている事自体の
信ぴょう性の精査をしているのかが疑問なんだが。

魏志倭人伝に関しては当時の情勢に合わせて
位置が書かれているという話も聞いたこともある。
769名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 06:54:03 ID:hbmvdnxy0
>>765
いやいや、倭人条に書いてあるでしょ。会稽東冶の東方にあることになる、と陳寿さんが。
770名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 06:54:13 ID:7+yqai+L0
>>768に関しての考察
http://www.3guozhi.com/b/wk1.html
岡田英弘『倭国の時代』で、三国から日本史を知る
01) 司馬懿と邪馬台国の関係
771名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 06:55:53 ID:fNw6baF/0
当時の中国人から見ての倭国だからだろ
772名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 06:56:02 ID:x0o8ASwk0
773名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 06:56:29 ID:7+yqai+L0
>>770の中から引用

陳寿を引き立てたのは、1つ年上の張華だ。
「陳寿を知るために、張華を知る」というテーマで、『晋書』の列伝を読んでみたい。

  張華は、幽州や烏丸を担当した。張華は、東方の現地に赴任したから、事情に詳しいはずである。
  その張華の子分・陳寿が、知識を得て「烏丸・鮮卑・東夷伝」を書いた。
  東方の担当者だったという意味で、ぼくら日本人は、
  司馬懿や張華や陳寿に、近しい感情を抱いてもいいのかも知れない。


倭国の地理は、邪馬台国論争が示すとおり、ワケが分からない。なぜか。
陳寿が邪馬台国を、孫呉の裏手に位置させるため、わざと地理を撹乱しているからだ。
「司馬懿が遼東を討ったおかげで、孫呉の背後を抑えた。
魏晋にとって、今後の戦いが大いに有利になる」という陳寿の操作だ。

  著者の岡田氏は、言っていないが、ぼくは陳寿が邪馬台国の位置を、西晋が孫呉を併呑する前に書いたんだと思う。
  西晋が全土統一した後なら、わざわざ会稽郡の後ろに、邪馬台国を運ばなくてよい。

倭国の戸数が多いのは、司馬懿の手柄を大きく見せるためだ。数字を真に受けて、日本の古代史の参考としてはいけない。

  書名は忘れましたが・・・
  「邪馬台国が遠くて大きいのは、大月氏国と対等に見せるためだ」
  と読んだことがあります。西域を担当し、大月氏と交渉を持っていたのは、
  司馬懿のライバル・曹爽である。曹爽よりちっぽけな東方諸国の担当では、司馬懿がショボくなる。
  (=司馬懿が曹爽に競り負けていたことの証明になる)
774名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 06:57:31 ID:ZSXW+jEm0




         ぶっちゃけ日本国内ならどこでもいい




775名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 06:57:32 ID:7+yqai+L0
>>769
さて、それを用いるには
その記述が正しいとする根拠がいると思うんだよね。
776名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 06:57:51 ID:cpqh+6On0
>>753
倭人伝に登場しようと登場しまいと、半島の三韓時代が既にあった可能性を
考慮する例えで、全く問題無い。
貴方自身が「当時朝鮮人は存在しない」という信念を持たれるのはご自由だ
が、じゃあ逆に北魏出発で「どこからが倭人がいる場所か?」という区分を
言う際に「分類されているかされていないか現在は規定できていない朝鮮人」
を例えに出す事が、なにゆえ、どれだけ「不適切」なのかを、説明するべき
だろう?
こっちはグレーだから、例えでわかりやすい方で言っただけなんだから。
発言の主題じゃない仮題の所で信念の押し付けをしたいだけなら、相手
しないよ。紛らわしいだけだから。
777名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 07:02:37 ID:Jm/ZUAvgO
魏志倭人伝、読んでみたら、最高に面白いですよね
小学生の授業でやればいいのに

凄い管理された社会が2千年以上前から、あった可能性があるんですね
稲作や、織物なんかしてて
確か、漆の櫛は一番古い発見だと2800年前

家が七万戸とか
凄いの一言です
いやもう凄いっす

もう現在の経済社会を捨てて、農業漁業林業中心の国になっても大丈夫じゃないかって思ってきた
江戸時代は、日本中歩いて、お参りとか出来たワケだし
国民全員に、家の建て方とか、畑田んぼの管理の仕方や、義務教育で教えたら良いですよ
うんうん
778名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 07:02:39 ID:hbmvdnxy0
>>775
記述内容が正確かどうかと、陳寿の認識・記述がどうであるかはまた別問題ですよ。
倭人条の内容を語りながら「」で囲ってあれば原典からの引用となるでしょう。
だから「朝鮮半島の東」は違うのではと指摘したまでの事です。
779名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 07:03:06 ID:uuYW0jtI0
倭って明らかな蔑称だからなぁ。

現在の成都ぐらいから南の地域はみんな倭族ってことだろ。
780名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 07:08:45 ID:cpqh+6On0
>>753>>776続き)
例えばもしドイツ人伝があったとして、その中で、ドイツ人の表記しか
無かったら、筆者が何をもって、「ああ、ここの人はドイツ人、ここの人も
ドイツ人」としたかは、判らない。ドイツ人以外の表記もあったら判断基準
が判って今調べてみるぶんにも調べやすいのにね。と、言ってるのに、なぜ
「朝鮮人」が出てきたら、そんなに反応するのか?
全くワケワカメ。逃げたと思ってもらって結構だが、こっちから見てワケ
ワカメな物にこっちからの反応はできるはずがない。
781名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 07:09:05 ID:7+yqai+L0
>>778
え?

筆者の認識・記述が間違っていたら
(というか当時の情勢に合わせて書かれていれば)
その記述内容はそのように書かれていると思うんだけど。

つまり、ある内容が正しいかどうかは
その筆者に因ると思うんだけど間違ってる?

>>779
成都より南って日本ないお。
どっちかってと雲南ベトナム吐蕃レベル。
782名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 07:10:10 ID:jPAGg/xy0
少し前、そこまで言って委員会で
九州派も実は畿内って半分分かってるって言ってたぞw
783名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 07:10:56 ID:r3PKcjUg0
>>776
信念ではなく、単に史書に書いてある事実を追ってるだけですから

おまえのは、単なる妄想!
784名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 07:11:01 ID:7+yqai+L0
>>778
まぁ、どちらにしてもおおざっぱに「東」、
というか、呉の東という風に(魏の味方がある倭国があると)
するのがいいのかなって思ったりスル。
785名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 07:11:43 ID:5LuQX/njO
皇帝についての記述→紀(曹操、曹丕など)
諸将についての記述→伝
(劉備、関羽など)
で構成されてるから、倭人伝という呼称は不適切だな。
786名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 07:12:36 ID:7+yqai+L0
>>783
まぁ、事実というか
史書に書いてあることでしかないんだけどね。
787名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 07:14:02 ID:r3PKcjUg0
■新羅(梁書 新羅伝)
>「新羅者、其先本辰韓種也。其人雜有華夏、高麗、百濟之屬」
(新羅、その先祖は元の辰韓(秦の逃亡者)の苗裔である。
そこの人々は華夏(漢族)、高句麗、百済に属す人々が雑居している)

■百済(隋書 百済伝)
>「百済百濟之先、出自高麗國。其人雜有新羅、高麗、倭等、亦有中國人。」
(百済の先祖は高句麗国より出る。そこの人は新羅、高句麗、倭などが混在しており、また中国人もいる。)

これを読めば、明らかに倭人とフヨ(高句麗系)、新羅人を区別して書いていることがわかる
788三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2010/10/13(水) 07:16:29 ID:NvZy1TtPO BE:635982825-2BP(0)
>>779
イ委が侮称なら委鬼はなんじゃらほい。
789名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 07:17:48 ID:5AbtGf0F0
そんな昔のこと誰も分かんないんだから好き勝手に言ってりゃいいのさ
790名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 07:19:23 ID:hbmvdnxy0
>>781
「原典の記述内容は正確か」、ということと、「原典になんと書かれているか」、は別の問題だという事です。
陳寿の認識の正誤を問題としているのではありません。
原典とは違う事を原典にそう書いてあるかのように書かれるのは問題でしょ。原典自体が正確かどうかは別として。
791名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 07:20:31 ID:VaME9+HtO
畿内〜九州に跨がる国家連合が、わずか30余国なわけじゃん
しかもそれだけの国家連合に対抗できる勢力が隣にあるなんて有り得ないだろ

畿内説論破したお(´・ω・`)
792名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 07:21:56 ID:UKJiAlYZP
まだやってんのかw
おまえらこの話題好きだなあw
793名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 07:22:26 ID:5ulEm8yS0
>>81農業適地
794名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 07:23:54 ID:cpqh+6On0
>>787
その「倭」とカテゴライズした「倭」共有の生活慣習や民族外観や国家的帰属
意識とかが、後漢書・魏志倭人伝の頃に、あったのか、なかったのか?が、
発言したかった事の本髄です。
これのアリナシで、邪馬台国と呼ばれる国とその仲間たち(属国?同盟国?)
との関係性や、古代大和王権がその時点で存在した場合の国家形状が、
見えてくるのではないだろうか?と期待したいです。
795名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 07:23:57 ID:7+yqai+L0
>>790
それでいいとしても
原典の解釈論だと思うんだが。

当時の情勢と人間関係などを見ていて
それが間違いない、異論を許さない程のすべてを握っているならともかく。
796名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 07:24:24 ID:hbmvdnxy0
>>784
原典を無視しちゃだめですよ。
それに帯方郡からするとおおざっぱに東じゃなくておおざっぱに南に成ると思いますよ。
797名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 07:26:04 ID:TzT8TxwqO
上野だろ
798名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 07:27:55 ID:hbmvdnxy0
>>795
解釈論って何?原典に捏造を挟む事?

原典が正確かどうかとはきちんと区別した方がいいですよ。
799名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 07:28:43 ID:r3PKcjUg0
>>794
邪馬台国は国家ではなく「やまとのくに」です
国家ではありません
陳寿は邪馬台国を「女王国の都(首都)」だとしています
つまり邪馬台国は国家ではなく都市だと理解するべきです
女王国とは、卑弥呼の版図のことでしょう
倭は、卑弥呼に服属しない地域も含めた日本全体

倭     =日本
女王国  =卑弥呼の支配地域
邪馬台国=やまとのくに
800名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 07:28:47 ID:7+yqai+L0
>>796
僕は>>773を支持するので、
魏から東であればいい。
呉の東であればいいと思う次第で。

で、それは原典から読み取ることだと思うんですが。


そもそも原典の記述をそのまま素直に受け入れることに疑問を持っているんですが。
801名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 07:30:18 ID:VaME9+HtO
陳寿は伊都国までの経路しか正確に書けなかったんだよ。なぜか。使者はその先に進んでないからだよ
伊都国の先は倭人の言う適当な話を真に受けただけだろ。あるいは見聞のために倭国内を回ってみただけ
802三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2010/10/13(水) 07:30:24 ID:NvZy1TtPO BE:1589955555-2BP(0)
>>791
筑紫豊国肥国日向薩摩阿波讃岐伊予土佐播磨
吉備安芸周防因幡出雲浪速河内摂津大和熊野
丹波近江伊勢越美濃諏訪尾張三河遠江駿河

三十ならだいたい当てはまるんじゃね?
803名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 07:32:00 ID:7+yqai+L0
>>798
解釈論というものは、
解釈の方法論ですね。基本的に。

http://www.google.co.jp/search?num=100&hl=ja&safe=off&client=firefox-a&hs=x4n&rlz=1R1GGLL_ja___JP370&q=%E8%A7%A3%E9%87%88%E8%AB%96%E3%81%A8%E3%81%AF&aq=f&aqi=&aql=&oq=&gs_rfai=
「法の解釈論」が普段使われる中で一般的だと思います。

>原典に捏造を挟む事?
原典が捏造されているかもしれないのに、
それを無視して原典に捏造とか意味不明なんですが。

また、その原典を読むとして
そのまま全面的に正しいものとして読むのか、
または複数の史書を元に読むのか、
また政治状況や人間関係を考慮して読むのか
それで解釈は変わってくると思いますよ。

>原典が正確かどうかとはきちんと区別した方がいいですよ。
なので解釈論だと申し上げているのですが?
解釈の方法論の問題でしょと。
804名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 07:32:30 ID:TmunA8ta0
邪馬台国ってのは




歴史の教科書の中にあるんだよ
805名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 07:33:13 ID:r3PKcjUg0
>>800
ちなみに当時の中国人は
呉のことを東呉と呼んだり、
建業に遷都して、版図が中国の南半分だけになってしまった晋のことを東晋と呼んだりしている
それが当時の中国人の方向感覚
806名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 07:34:10 ID:hbmvdnxy0
>>800
>>773は「『晋書』の列伝を読む」と書いてあると思うんですが。原典は原典でも著作物が違うのでは?
807名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 07:34:36 ID:r3PKcjUg0
>>801
おまえは1回往復しただけで未知の地理について正確かつ詳細に書けるか?
伊都国までの経路が正確なのは、それ以前の知識の蓄積が豊富だからだよ
808名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 07:37:16 ID:CurvtnQt0
>>35
蛇の子どもを身篭ってしまったと思い
中絶しようとして失敗したんじゃね?
809名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 07:39:19 ID:7+yqai+L0
>>806
晋書を読んだのは張華について知る為の記述ですね。
それはわかりますか?
810名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 07:40:17 ID:r3PKcjUg0
伊都国までの経路は、まるで測量でもしたかのように正確
これは、単に数回往復したという程度では絶対に書けない

逆に言えば、伊都国から邪馬台国までの経路が急におかしくなるのは
単に一回または数回往復した以上の情報の蓄積が中国側になかったということ
811名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 07:40:50 ID:KER8Y+lEO
九州にそれらしい遺跡があれば九州なのかもね

海に沈んでたりして……
812名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 07:42:56 ID:cpqh+6On0
>>799
えとね、おぼろげにその理解におおむね同意とした上で、口説くなっては
しまいますが、「(倭人伝等の)筆者は何をもってして倭人とカテゴライズ
したの?」ってのが、俺の最も興味ある事なんですわ。その共有特徴が、まず
あったかなかったか?がキニナル。そして、もしあったとした場合、それは何
だったのだろう?

たとえば、毎日決まった時間にメッカに向ってお祈りしてたら、「ああ、この
人はイスラム人なんだな」と思うでしょう。ま、この例は宗教面だけですが、
そう言った何かが「倭人」にはあったのかな。と、キニナルのです。
入れ墨だけなのかな?それとも、何かイスラム教徒のような、生活習慣に密着
した儀礼的行動とかがあったのかな?と想像がふくらみます。
813名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 07:44:19 ID:r3PKcjUg0
>>812
もっとも区別しやすいのは「言葉」だろ
現代日本においても、関西弁をしゃべってる奴は関西人とみなされることが多い
814名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 07:46:02 ID:hbmvdnxy0
>>803
・中国人から見て、「朝鮮半島以東の人達」だが「朝鮮人とは違う」という何かが、確実にあったのでしょう。
・中国人から見て福建省の東の海上の間違いでは。
・ルートの問題だが、当時遠洋航海が可能だったら、そっちも考える。
・倭人条に書いてあるでしょ。会稽東冶の東方にあることになる、と陳寿さんが。
・さて、それを用いるにはその記述が正しいとする根拠がいると思うんだよね。

そして、「原典自体が正しいかどうか」と「原典になんと書いてあるか」は別問題だと延々書く破目に
なっている私と、原典が全面的に正しいのかどうか解釈論になるんだと力説するあなた。

これはもう、
「どうして倭人条の内容についてどのように書いてあるかを云々するのに
倭人条の記述そのものが正しいとする根拠を必要とするのか」と聞かなかったのが間違いのもとですね。
815名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 07:46:28 ID:f3P1Y+Wf0
>>802
>>791の「畿内〜九州に跨がる国家連合が、わずか30余国なわけじゃん」エリア外の国が入ってないか?
816名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 07:47:52 ID:r3PKcjUg0
>>815
エリア外が入ってても30なら
エリア内だけなら「わずか」どころか逆にもっと少なくていいことになる
817名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 07:48:12 ID:hbmvdnxy0
>>809
>>773のことは晋書という史料があって初めて成り立つ推論なのでしょう。
魏志東夷伝倭人条から読み取る内容ではありませんよ。
818名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 07:48:42 ID:7+yqai+L0
>>805
都の問題かなぁとも?

西晋:洛陽
東晉:建康

ちょっと調べれば出てくるような気もするし。
あとは基準が何かって調べないとなんともいえないね。
819名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 07:48:47 ID:cpqh+6On0
>>799>>812続き)
これは別に、邪馬台国の宗教観を知りたいとか、生活習慣を知りたいという
だけの内容ではなく、もし仮にそこらへんがわかれば、大和王朝と同じか
違うかのヒントにもなるだろうし、もし同じだとした場合、当時の大和王朝
影響下の日本人達の生活慣習や特徴が、よりリアルにわかると思うのですよ。
820名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 07:50:10 ID:VaME9+HtO
確実に言えること


韓半島の輝かしい歴史に比べれば、イルボンのジャマだい国論争なんぞ未開の極みってこと
821名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 07:52:25 ID:WBqb4QiO0
ずいぶん盛り上がるもんだね
822名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 07:52:45 ID:7+yqai+L0
>>817
中身読んだ?
で、僕が何を言ってるか理解してる?


その上で
>>814
倭人条に書いてあるからと言ってそのとおり解釈しても正しく解釈出来ているとは限らない。
前提としての倭人条が間違っていれば
そこから出てくる言葉は全て間違っていることになるわけだし。
823名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 07:52:45 ID:r3PKcjUg0
>>819
邪馬台国王朝と大和王朝を「同じ」とみなすか「違う」とみなすかは
見る角度によって違ってくるだろ

たとえば魏と西晋は一般的には違う王朝だが
西晋の司馬氏は魏の臣下だったのが「禅譲」されて帝になっただけで
魏と西晋の歴史は連続している
824名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 07:53:42 ID:f3P1Y+Wf0
>>816
>エリア外が入ってても30なら
エリア内だけなら「わずか」どころか逆にもっと少なくていいことになる

だから>>791はそういった観点で畿内はしんどくなるって書いてると思うんだが、俺の読解がおかしいのか?
825名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 07:55:23 ID:7+yqai+L0
>>823
議論したいわけじゃなくて普通に聞きたいんだけど、
「歴史が連続している」というのはどういった状態を指すの?

ちょっと思ったんだけど
その理屈だと

前漢から新は禅譲を受け成り立った国なので連続した歴史だけど
新から後漢は禅譲ではなく革命なので連続してないとなるの?
826名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 07:55:52 ID:r3PKcjUg0
たとえば邪馬台国が九州のどっかの僻地にあって
大和王朝との歴史的な連続性がないものだという主張なら
これは明らかに「違う」ということになるが

同じ「やまとのくに」に存在して、何らかの政権交代があったにせよ
歴史的な連続性を持っているなら、一概に「違う」とは言えないと思う
827名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 07:57:15 ID:r3PKcjUg0
>>824
うん、おかしい

わずか30ではなく
30もある、ってことになるから
九州北部だけでは「多すぎる」

出雲、吉備、畿内などを含めても「まだ足りない」
828名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 07:57:15 ID:hbmvdnxy0
>>812
体中にみんな刺青を入れていて、それは、海に潜って漁をするためで、
鮫だかなんだかに襲われないようにするための工夫だ、とか
誰か家の人が死んだら喪に服すとか、海や川で、沐浴のようなことをするとか

想像するより読んでみた方が早いんじゃないですか。
829名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 07:57:48 ID:OurowJCY0
専門スレあるんだね

謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!49.5
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1285333636/
830名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 08:00:00 ID:r3PKcjUg0
>>825
たとえば
魏→西晋 連続している
呉→西晋 連続してない
831名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 08:01:18 ID:7+yqai+L0
>>830
おk−。
832名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 08:01:52 ID:hy9hQHln0
卑弥呼なら近所にいるよ。
833三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2010/10/13(水) 08:05:44 ID:NvZy1TtPO BE:2289536249-2BP(0)
>>815
わずか三十なわけないとか言いながら、今度は多過ぎるとは、一貫性がないですな。
九州から畿内まで治めてて東海北陸まで進出してないわけないじゃん。
畿内説では祟神朝を邪馬台国に比定ているが、紀記によれば北陸道将軍東海道将軍が派遣された時期なんだよ。
834名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 08:05:48 ID:hbmvdnxy0
>>822
倭人条自体が間違っていることと、倭人条の記述を読み間違えるのは
全然違う事ですよね?
そして「どうして倭人条の内容についてどのように書いてあるかを云々するのに
倭人条の記述そのものが正しいとする根拠を必要とするのか」
の答えになってませんよ。

>で、僕が何を言ってるか理解してる?
あのー。「魏志東夷伝倭人条」の話をしているんですよ?
「で、それは原典から読み取ることだと思うんですが。」←これは晋書の列伝を必要としますよね?
原典は原典でも著作物が違いますよね。
晋書を読んで「張華について知る」必要があなたに生じているのは、倭人条の記述が正確な記述かどうかを測るためですよね?
そして、こちらはそんな話はしてないんです。なんども書いてるように。
835名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 08:06:28 ID:cpqh+6On0
>>814
>>803)とは別人だが、俺の発言もチョロットまじっているのだが、俺も答え
た方がいいのか?
> ・ルートの問題だが、当時遠洋航海が可能だったら、そっちも考える。
これだけが俺の発言だが、俺は先述したように「広範囲」で東と言った口
だからその意味でキッチリ正確に東を知ると言うのは、航海ルート上は遠洋
技術が無いと無理という認識だと言った。つまり、「海岸線が見えなくなる
大海原を突っ切った場合」の方位は、確定できないという見解。そしてその
見解は、「福建省の東でないかい?」という質問に対しての物。
逆に言えば、沿岸航海においては、そこまで大きく方角ミスもありえ難いとも
思うが、しかし、古代で当時の方位感覚がどこまで精度が高かったかも疑問。
俺が発言した内容だけに関しては「ザックリした物」と先述済み。
発言の骨子は「倭人を倭人と判別した特長の有無の可能性」これだけ。
836名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 08:07:24 ID:VaME9+HtO
伊都国や奴国まではムラ・クニの規模で、それより東は律令時代の国の規模かよw
837名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 08:09:22 ID:r3PKcjUg0
>>833
はあ?「わずか30なわけがない」と言った人間に対して俺は反論したのだから
一貫性があるほうがおかしいんですがww
838名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 08:10:42 ID:DGVxWGyK0
邪馬台国は尖閣諸島にあったことにしろや
紀元前から日本の領土と認めていたことになる
839名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 08:11:18 ID:r3PKcjUg0
>>836
発展途上なら、それくらいの格差が生じても当然では?
840名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 08:14:19 ID:vrOG7pH90
倭に関しては『魏志倭人伝』と『後漢書』倭伝の2つがあり、『魏志倭人伝』が先に書かれたから『後漢書』は写しと良く言われるが
2つの書は1つのソースから書かれている可能性が高い。

@【ソース】西暦240年魏の使者が倭国を訪れた際の報告書
↓           ↓
A『魏志倭人伝』 B『後漢書』倭伝

【特記事項】
Aから削除されたと思われる内容抜粋
●國皆称王世世傳統其大倭王居邪馬臺國
→中国で倭にわざわざ大を付けることは考えられない為、「大倭」は名称なのではないか。

●建武中元二年倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬 安帝永初元年倭國王帥升等獻生口百六十人願請見
→百六十人という生口の多さは、卑弥呼が魏に献上した生口十人、台与が献上した三十人に比べ桁違いに多い。逃亡や反乱の可能性のある百六十人もの生口を、
 何千キロと離れる洛陽まで送り届けるのは、一大事業である。
 そのような大事業が、単なる中国王朝へのご機嫌伺いや、思いつきによる近隣外交の一つであるはずはない。明確な目的を持つ朝貢である。

Aに追加された部分
・邪馬台国までの航路
→これが混乱の元凶

【結論】
2つの書を比べながら読まないと真実が見えてこない。

http://kodai.sakura.ne.jp/nihonnkennkokusi/3-4hikaku-gokannzyo.htm
841名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 08:14:51 ID:HM3jyHLXO
長野県駒ヶ根市にあったという新説がかなり有力になってきてるらしいね
842名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 08:14:53 ID:r3PKcjUg0
>>833
>畿内説では祟神朝を邪馬台国に比定ているが

畿内説といっても1つだけではありません
私は祟神天皇を4世紀初頭の人だと見てるので
その説は採りません
(崇神御陵の建設時期は4世紀半ばなので、どう考えても3世紀の人ってことはありえない)

>紀記によれば北陸道将軍東海道将軍が派遣された時期なんだよ。

記紀の「時期」ほどアテにならないものはないでしょ
843名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 08:15:14 ID:f3P1Y+Wf0
>>827
壱岐や糸島や松浦ぐらいな範囲でクニって呼ばれてる世界だから>>802>>827な範囲の国を持ってくるのはおかしいって話だろ?
844名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 08:15:53 ID:8IPX9i9Y0
邪馬台国がどこにあったかなんて、どうでもいいことじゃん。
絶対に永遠に結論でないから。
タイムマシン発明されてからでいいじゃん。
845名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 08:16:06 ID:IhrIwq9AO
海底に沈んだんだよ
846名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 08:17:22 ID:hbmvdnxy0
>>835
福建省の東では?というのは、倭人条の女王国に至る道程の記述のあとに
会稽東冶の東方にあることになると陳寿さんが書いてるからです。
だからって、たぶん陳寿さんが航海したのでもないんじゃないかと思うんですが。>>747に書いたとおり
魏志東夷伝全体をつらつら眺めるに、調べに行ったのでなくて
楽浪郡や帯方郡に置いた官庁で行われた地方政治での記録を書いてる感じがしするので。
847名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 08:18:18 ID:r3PKcjUg0
>>843
違う違う
俺はそんな話はしてない
>>802を前提にしたら、対馬〜大和の国の数はもっと少なくなるって言っただけ
>>802を支援したつもりだったのに、なぜか>>833に叩かれたww
848名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 08:18:29 ID:7+yqai+L0
>>834
>これは晋書の列伝を必要としますよね?

別に必ずしも必要としなくても構わないよ。
「三国志」から読んでもいいんだし。
陳寿がそもそもどういう立場でモノを書く人間なのか。
また当時の情勢などを「三国志」から読めばいい。

>答えになってませんよ。
>>822の下2行。

>>840
ぶっちゃけ倭人伝だけじゃなく、
三国志自体読まないとダメかもねぇ。
849843:2010/10/13(水) 08:20:41 ID:f3P1Y+Wf0
>>827
>九州北部だけでは「多すぎる」

だから「九州北部に30の市町村」だったら多すぎる感はなくなるだろ?
850名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 08:21:06 ID:hbmvdnxy0
>>848
>>答えになってませんよ。
>>822の下2行。
ああ、わかりました。結局こちらが言った区別は、つけないってことですね。

あと、三国志から読むのでも言う事は同じです。
「それは魏志東夷伝倭人条以外の史書[原典]の読み取りを必要としますよね」
851名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 08:22:26 ID:r3PKcjUg0
>>846
陳寿が航海してるわけがない

航行したのは魏の使者であって、陳寿は魏の使者が訪日(訪倭というべき?)したときの報告書を
数十年経ってから引き写してるだけ

それから、使者が本当に邪馬台国まで行ったのかどうかについては
前のほうにも書いたけど
「伊都国から邪馬台国までの道程が不正確なことよりも
朝鮮半島から伊都国までの道程が、まるで測量したかのように正確であること」に注目するべき

普通に考えて、数回往復しただけで、まるで測量したかのような正確な地理感をつかむことなどできないはずだ
852三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2010/10/13(水) 08:23:38 ID:NvZy1TtPO BE:1589955555-2BP(0)
>>842
古墳の年代測定は土器偏年でしょ。土器の様式から時代を推定するという。
放射性炭素同位体半減期や年輪法による測定などでもっと古い数値が出てますけどね。
更に祟神天皇の次世代の垂仁天皇の宮があった纏向から都市遺跡が出てますが
こちらも三世紀からの遺跡ですよ。
853名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 08:25:09 ID:7+yqai+L0
>>850
なんで、史書の一部だけを見て全体をみず、
「倭人条」だけで判断しようとするの?
そのほうが正確に読めるの?

という疑問が。

ってか三国志の一部じゃない。倭人条って。

>結局こちらが言った区別は、つけないってことですね。
今の論争に区別を付ける必要があるの?っていう疑問を呈しているんだけど。
854名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 08:26:32 ID:Bw87nLvt0
伝承は九州
墓制からも九州
855名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 08:26:58 ID:cpqh+6On0
>>828
>体中にみんな刺青を入れていて、それは、海に潜って漁をするためで、
>鮫だかなんだかに襲われないようにするための工夫だ、とか
>誰か家の人が死んだら喪に服すとか、海や川で、沐浴のようなことをする
>とか

おお、やっと発言の骨子に関するレスありがとう。そこですよ。それが倭人の
共通項かどうか?そして、倭人の共通項だとしたら何故共通項なのか?例えば
内陸部の漁をしない人も入れ墨をするのか?あるいは、漁しか生業が無くて、
みんなが海岸線を意識した場所にしか住んでいないのか?喪に服す風習、沐浴
する風習に宗教的統一性は当時あったのか?等々。

現に記紀によれば、近い時代に祀り方の違いだけで出雲王朝は大和王朝に征服
されてしまったようですが、と言う事は、権威権力の上部層においては、ある
程度厳格な式典のしきたりなどが当時から既にあったと言う事になります。
つまり、「もっと詳しくわかれば」=「邪馬台国と大和王朝の同異がわかる」
のでは?(文化人類学的に)という残念な気持ちなのです。

もし、万が一「倭人」カテゴリーに、ある程度の共通項がある場合、それは
国が分かれた状態のまま共通項が自然形成される訳も無いですので、やはり
そこには「一度集権か分権にて統合した日本(当時の呼称は不明)が有った」
という結論の可能性も発生してくるワケです。(ま仮定の仮定の結論ですが)
856名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 08:27:09 ID:f3P1Y+Wf0
>>847
まぁ>>791の真意はID:VaME9+HtOでも出てこないと解らないだろけどね
俺も彼(もしくは彼女)の過去レスを読んだ上での感想を書いただけだから〜(゚听)シラネw
857名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 08:28:10 ID:tCtZ/e6dP
狗奴国が邪馬台国と対立する連合勢力の頭目だとすると、邪馬台国配下の国の数だけで相当な数だからとても30では収まりそうにない

狗奴国が一国だとすると、都市国家みたいなのから一地方を統べる大国までいろいろあったと言えるんじゃないかね?
858名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 08:29:12 ID:hbmvdnxy0
>>853
原典を正確に読むときに他の史書は必要としません。必要となるのは言葉に関する知識です。
その原典に書かれた物事の事情について考察するときに他の史書を必要とします。
そして複数の正確に読んだ原典と考古学上の成果を加味して全体像を掴みに行きます。

原典を正確に読めないなら読むだけ無駄というか無意味だと思いますが。
不正確に読んだ複数の原典から導き出される全体像ってどうなると思います?
859名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 08:29:58 ID:r3PKcjUg0
>>587
倭は全部で100余国ってちゃんと書いてある

そんで、卑弥呼に服属しない国のすべてが
狗奴国の味方ってわけでもないんだぞ

860名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 08:30:57 ID:7+yqai+L0
>>858
そもそも原典を正確に読むというのはどういうこと?
861名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 08:31:03 ID:r3PKcjUg0
>>857
862名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 08:31:16 ID:A3Xel3sZO
>>738
中には世襲〜2.3世がいるかもしれんよ
863名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 08:32:54 ID:hbmvdnxy0
>>860
正確な言語の知識に基づき読み間違えずに読むという事です。
864名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 08:32:58 ID:gkV7H7dWO
邪馬台国ってヤマト国を中国が音訳しただけだろ
卑弥呼は日巫女
865名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 08:36:04 ID:VaME9+HtO
畿内〜北部九州を抑えた国家連合に対抗し得る狗奴国とは一体?
それほどの大国家連合なのに貢ぎ物しょぼすぎるし、倭人条の記述までしょぼすぎる
866名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 08:37:00 ID:7+yqai+L0
>>863
それはただそう書かれているだけってことだよね?
867名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 08:40:44 ID:tCtZ/e6dP
861
だから国の数や大きさで、どこどこにあるなんてあり得ない、とは言えないんじゃないの
868名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 08:40:48 ID:ymiVGvtJ0
邪馬台国は九州
遠い遠い歯黒国こそ大和政権
なぜなら公家だから
お歯黒だ

すべて繋がった!
869名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 08:42:46 ID:r3PKcjUg0
>>866
それ(正しい読解)すら理解できないのに
正しい解釈なんかできるわけがないってことでしょ
870名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 08:43:27 ID:r3PKcjUg0
>>867
言えないよ
俺はそんなことを言ったつもりはない
あくまで>>802の前提に立てばって話をしただけ
871名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 08:49:09 ID:7+yqai+L0
>>869
というか、

正しい読解を出来たら
次にその記述を疑えって思うんだけどねぇ。

「陳寿さんが●●と書いていた」と正しく読解出来ました。
だからこの内容は正しいんです。

としか見えない。>>814

だから陳寿さんが書いていても
政治的思惑から書いてるかもしれないし、
正確を期して書いてあるかもしれない、
そこら辺をちゃんと読めなければ
>>769のように「書いてあるでしょ」って言われても
「だから?そう書いてあるだけでしょ?」
っていう意味以上を持たないと思うのよねぇ。
872名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 08:50:07 ID:cpqh+6On0
>>846
陳寿さんの頭の中では、「福建省の東にあるんじゃないか?」とあったと言う
事ですね。その部分をどうとるかは邪馬台国の位置論争上確かに大事ですね。
そこは理解します。
先述で、骨子とは違う点でザックリ言った内容に関してレスありがとう。
「ルートに関しては置いておいて」と申したのも、そこの重要性はわきまえて
いるので、あえて外しました。さっきは倭人文化に関する話題だったので。
873名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 08:53:41 ID:5LuQX/njO
宇佐神宮の近くに百人塚ってあるけど、卑弥呼に殉葬した人と関係ある?
874名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 08:53:46 ID:pElCzEQsO
>>870
ゴウヒロミにしか思い浮かばん
875名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 08:56:59 ID:ARwzMtKcO
邪馬台国の頃の国って数百から数千人単位の村ほどの規模でしょう?
876名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 08:57:12 ID:XbEUtSXg0
ここまでの流れ

・邪馬台国は九州
・邪馬台国は畿内
・邪馬台国は間を取って出雲
・邪馬台国はパプアニューギニア
・邪馬台国は毎年持ち回り
・とにかく墓を掘れ
・ヒミコはアマテラス
・ヒミコは何人もいた
・箸墓のヤマトトトヒモモソヒメはオ○コに箸が突き刺さって死んだ
・そういやイザナミもカグツチを産んだときにオ○コが焼けて…
・とにかく、日本人はオ○コが好き
・だから、お前らも安心しる!
877名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 08:58:15 ID:zl6UmctY0
ココはニュー速なんだから難しいこと言うなよな
邪馬台国と卑弥呼ってのはチャンコロさんの蔑称だよね
日本書紀と古事記は都合よく書かれた歴史書だよね
魏志倭人伝の奴国=博多までは確実だよね
博多から海づたいに関門海峡の方を目指したんだよね
だから最終地点は大分県ってわけだ
不弥国は宗像あたりかな
878名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 09:00:43 ID:VaME9+HtO
結論↓


日本神話マンコ三傑


・イザナミ、火の神の出産時にマンコが焼けただれて死亡。後にゾンビとなって夫を襲う

・スサノオが天井から落とした馬にびっくりした機織り女、機織りの棒がマンコに突き刺さって死亡

・モモソヒメ、夫が蛇だったことにビックリ。夫が怒って山に返って行ったので後悔してがっくりしゃがんだ際に棒(箸)がマンコに刺さって死亡




日本人のマンコ好きはもはや文化
879名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 09:02:17 ID:7+yqai+L0
>>877
つ http://hato.2ch.net/news/

ニュー速民はニュー速へかえってzipでもねだっていればイイ。
880名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 09:03:04 ID:ybMCQJh80
>>878
マンコ好きというか、マンコに棒が突き刺さるような
事故が当時は結構あったってことなんだろうか。
パンツもズボンも無かったから。
881名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 09:05:22 ID:OqXmsLmMO
>>152
「天皇」は紀記を編纂する時に不比等が考えた称号だろう
たぶん同時期に武則天が皇帝の高宗を「天皇」と称したのが元ネタじゃないかな?
882名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 09:07:30 ID:cyWjcXhR0
地図で地形を確認したら分ると思うが

ヤマト盆地の西南部(御所市周辺)が、高尾張(葛城)といわれていた地域であり
ヤマト盆地の東南部(桜井市周辺)が、山処(大和)といわれていた地域。
近畿王権は、やや上流部の高尾張で誕生し
やがて、経済性を重視して、やや下流部の山処に引っ越ししたのが分る。
この引っ越しの過程で、倭国大乱が起こったのであろう。

高尾張(葛城)地方で崇拝の対象になっていたのは
その西南部に広がる高天山(現在の金剛山)で
山処(大和)地方で崇拝の対象になっていたのは
その東南部に広がる三巻山(三輪山)。

このへんの地理観を持つのが重要。

ちなみに、近畿王権が高尾張を本拠にしていた時代は、
ちょうど、神代系図・皇室系図でいうところの
天火明命・ニニギ命(出雲国譲り時代)
〜天叢雲命・若御毛沼命(神武東征時代)
〜欠史八代中ごろ

このあたりの時代が、高尾張時代。
883名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 09:08:49 ID:gjIOUwFv0
クナ国と邪馬台国が戦争していい勝負どころか
邪馬台国が劣勢って言うくらいなんだから

筑紫軍と、肥後軍くらいしかなかろう
884名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 09:15:23 ID:f3P1Y+Wf0
>>876
朝っぱらからなんですが、今日は休み(平日休みな定休)なんで嫁さんとオマ○コ済ませてきました。
おそらく邪馬台国の人達と同じ体位で出来たと思います。
885名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 09:16:21 ID:zl6UmctY0
記紀より古い歴史書があるんだろうな
変な文字で書かれた
全部偽書だってことにされてるみたいだけど
886名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 09:16:52 ID:gFyYWCa10
邪馬台国は、無かった。ガセネタ。
初期の天皇は淡路島出身。
887名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 09:17:44 ID:tnPFX/Jj0
このスレ見てると関西人=チョンってことがよくわかるなwww
888名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 09:19:30 ID:r3PKcjUg0
>>871
正しい読解ができないのに疑ってもしょうがないと言ってるんだと思うけど?
889名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 09:21:14 ID:cyWjcXhR0
狗奴国ってのは、当時の中古音でみると
コノ国って発音しないと駄目。

これって、山城国風土記逸文にも残されている
許乃国(コノ国)のことでしょう?

卑弥呼(モモソ媛命)と対立した狗奴国(許乃国)の領主は
武埴輪安彦命のことだよ。
また、魏略によると、狗奴国の副官には、拘右智卑狗(こうちひこ)がいたそうだが
武埴輪安彦命の母方や妻は、河内彦の家系だよ。
河内には、武埴安彦命に関係する伝承がある。

よって、狗奴国の乱とは、武埴輪安彦命の乱のこと。
ぐーぐれ。
890名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 09:21:41 ID:7+yqai+L0
>>888
んー、正しい読解ができるなら疑って欲しいんだけどねぇ。

あなたはどう思う?
891名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 09:22:29 ID:r3PKcjUg0
>>890
そもそも正しい読解ができてるのか?
892名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 09:22:30 ID:+F6Edsb80
邪馬台国は奈良にあったと思われる。
古代朝鮮語で、奈良は首都の意味であり、古の百済王分家が日本を征服して王朝を開いた。
それが邪馬台国であり、巻向遺跡がその証拠である。

次第に分家の力が後背地である地勢の利もあって強大になり、やがて朝鮮半島を圧迫するようになっていく。
だから、韓国が日本を支配する正当性があるといわれているのはそういうことですよ。
893名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 09:23:23 ID:glwhz6AB0
何度でも言うぞ。

八幡平にあったんだよ。
894名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 09:25:26 ID:cyWjcXhR0
>>892
それは、トンデモ説だよ。
奈良のナラは
均す(ならす)のナラだ。
実際に奈良市の中心部には、奈良須(ならす)町ってあるわな。

日本書紀の崇神紀に、
現在の奈良市のあたりを「均した(ならした)」から
ナラとよばれたとある。
その時代は、半島では三韓時代で、半島の北半分は
中国の楽浪郡、帯方郡の時代だよ。
895名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 09:26:02 ID:r3PKcjUg0
>>892
百歩譲っておまえの言うとおりだとしても
古代史を理由に現代日本を朝鮮人がしないする権利なんてないし
そもそも朝鮮が成立したのは三韓時代よりも後の話だろ
896名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 09:27:16 ID:n6UOu6aaO
邪馬台国と卑弥呼が蔑称なら、正しく書いたらどんな字なんだろう
それよりも、卑弥呼のマ〇コの方が気になるけど
897名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 09:27:34 ID:cyWjcXhR0
>>895
おまえはアホ。
ちゃんと歴史くらい調べろよ。
答えは>>894だよ。
898名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 09:27:46 ID:r3PKcjUg0
>>896
文字がないのにどうやって「正しく書く」んだ?
899名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 09:28:11 ID:7+yqai+L0
>>891
ん?どういうこと?
900名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 09:28:19 ID:cFTUOQfFO
普通に考えて金印が出た場所の近くだろ。
901名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 09:28:43 ID:r3PKcjUg0
>>897
おいおい、なんで俺がアホ呼ばわりされなきゃならんのだよ

「百歩譲って」って書いてるだろ
俺は>>892なんか認めてないよ
認めてないけど、認めた場合に出てくる矛盾を指摘してるだけだ
902名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 09:29:04 ID:ByQORmVF0
卑弥呼と称される人物の墓は岩戸山古墳
903名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 09:29:10 ID:r3PKcjUg0
>>900
じゃあ金印がもしも海底から出てきたら邪馬台国は海底か
904名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 09:30:21 ID:oPNLnu4XO
結論から言うと、邪馬台国はお前らの心の中にある
905名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 09:30:56 ID:7+yqai+L0
まぁ、正しい読解が出来る云々より前に、
読むことができないのであれば

この議論に参加してはダメということなのですね?
906名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 09:31:29 ID:n6UOu6aaO
>>898
ちょっと上のレスに同じ事をしてる人がいるから、こっちでもできるんじゃないかと
そんなことより卑弥呼のマ〇コの方が重要だろ
907名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 09:31:57 ID:cyWjcXhR0
中国の歴史書を読めばわかるが
魏から晋に禅譲されても、
倭国は晋に使者を送っているんだよ。
この場合、親魏倭王の金印は、中国に返却していないといけない。
908名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 09:35:21 ID:ByQORmVF0
結論、中国人が書いた歴史書なんて信じるな!
909名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 09:37:53 ID:rnxSFknbP
>>900
ハンムラビ法典の石版はパリのルーブルにあるから、
古代バビロニアの都バビロンはパリの近くにあったことになるのか?
910名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 09:37:54 ID:cyWjcXhR0
>>908
中国の歴史書を鵜呑みにするべきではないが
だからといって、最初から全否定する奴はアホだ。
911名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 09:38:11 ID:bLGFCbL/O
卑弥呼の墓?うちの庭に掘って埋めたよ
912名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 09:38:41 ID:AGxYx5yT0
>>908
中国の歴史書は日本書紀みたいに政権にある者が作成するのではなくて、
次の王朝が作成するので、かなり客観性は高い。
913名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 09:38:45 ID:GTAJiN060
卑弥呼は現代読みで

ベイミーフー

ミは千年以上たっても変わらない。

914名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 09:43:04 ID:cyWjcXhR0
卑弥呼の倭国というのは
当時の中国が外交をもった国の中では
格式が一番高い。
金印をもらったのは、倭国と大月氏国(イラン、パキスタンあたり)だけ。
高句麗とか鮮卑は銅印くらいだったと思われ。
三韓なんて、みじめな扱い。

にもかかわらず、ヤマト王権が、卑弥呼の邪馬台国(大和国)を
自分達の王権のことなのに否定したかったのかというと
これは様々な理由があるが
その一つが、西暦8世紀のヤマト王権は、
中国への朝貢自体、良しとしていなかったことが大きな理由。
915名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 09:43:06 ID:7+yqai+L0
>>912
いや、次の王朝(政権)の者と考とはいっても、
客観性はある程度あっても、
その王朝に対してマイナスなことは書かないでしょ。

関係する氏族とか、豪族とか。
例えば西晋であれば司馬一族なので、
魏に対してどのようにかくか、
また時期にもよるけど呉や蜀に対してどのように望むか
変わってくる。
916名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 09:49:05 ID:ByQORmVF0
卑弥呼を人の名前にしてしまったことで変な方向に進んでしまったんだよな
917名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 09:51:16 ID:cyWjcXhR0
卑弥呼=ヒメミコ=媛命だろう?
どうみても。

狗奴国の卑弥弓呼は、許乃国(コノ国)の彦命。
で、武埴安彦命のこと。

卑弥呼の死の直前におこった狗奴国の乱は
モモソ媛命の死の直前におこった武埴安彦命の乱。

魏志倭人伝と日本書紀の間が一致した。
918名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 09:52:06 ID:f3P1Y+Wf0
>>906
卑弥呼の女陰は神様のものです。なので老衰で氏ぬまで生娘な巫女タンなのです。
てか洋の東西を問わず神職にある女性が娼婦も兼ねてるみたいな話もあるね。
>>911
頭骨に卑弥呼って書いてなければ贋物だろう。確認したか?
919名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 10:10:20 ID:ARwzMtKcO
女王卑弥呼の邪馬台国は南にある狗奴國の男王卑弥弓呼と
戦争になろうとしてるので載○烏越(スサノオ)を
巍に派遣して援軍の要請を行った?
920名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 10:17:10 ID:m80rvMGHO
邪馬台国のウィキ見たけど、生活の様子の記述見たら、海と酒に関係深い人々だったみたいだね

ギの使者は実際に邪馬台国に行ったんだと思うよ

日常的なことは、そこに住んでる人間には当たり前のことだからわざわざ話たりしないしね

イメージ的には九州南部とか四国が浮かぶ

熊本のおじさんは普通の大工だったけど入れ墨してたし

高知なんか今でも入れ墨してる人多い

奈良なんて四方が陸地に囲まれた地域は違和感があるな

それに献上品や戦争での死者数見ても見ても小さな国ってイメージだけどな
921名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 10:17:51 ID:cyWjcXhR0
>>919
おまえ、漢字の音韻が無茶苦茶だ。
あと文献の解釈も無茶苦茶。
922名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 10:20:43 ID:V53KwyVz0
九州vs奈良じゃ階層が違いすぎるだろ
九州のどこなんだよ
923名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 10:26:11 ID:ARwzMtKcO
>>921
滅茶苦茶ではない解釈をよろしこ。魏志倭人伝のくだり。
924名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 10:26:17 ID:m80rvMGHO
面白いて思ったのは、こんな時期から日本人は「盗み」に対する罪の意識が強かったんだと言うこと

戦国時代の宣教師ルイス・フロイスも日本で盗みを犯すと死刑になると書いてる
925名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 10:32:09 ID:m80rvMGHO
>>922

南にクナ国が無いといけない訳だから

九州なら
熊本、大分、宮崎
四国なら

愛媛

畿内だと和歌山はイメージ的に合うけど南に国が無い(笑)
926名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 10:38:28 ID:rnxSFknbP
>>920
>奈良なんて四方が陸地に囲まれた地域は違和感があるな
「奈良県」という現代の行政区分では奈良県は海に接していないってだけだろ。
残念ながら、弥生時代には奈良県なんて行政区分は存在しないし、
海岸線も現在の大阪府を半分飲み込むくらいの場所まで迫っていたし、
飛鳥あたりからでも3〜4里程度の距離で、徒歩でも半日あれば海岸に出られる。

>それに献上品や戦争での死者数見ても見ても小さな国ってイメージだけどな
どこと比べて小さいとか、大きいとかいってるんだ?
927名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 10:45:19 ID:VaME9+HtO
中国人は「オメコ」に「卑弥呼」の字を当てた
つまり卑弥呼はモモソヒメ
928名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 10:46:39 ID:r3PKcjUg0
>>925
クナ国は女王国の南であって、邪馬台国の南とは限らない
女王国は邪馬台国を含む連合国
929名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 10:46:46 ID:A3Xel3sZO
卑弥呼が可愛い巫女だと思ってる奴がいるのかな?30位のおばちゃんだろ。女王になった時年寄りって言われたんだから、
930名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 10:48:34 ID:ByQORmVF0
邪馬台国は筑紫平野
福岡から大宰府を通り、背振山と耳納連山の山間を抜けると広がる広大な筑紫平野こそが邪馬台国
931名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 11:02:22 ID:ultFcn2F0
献上品の少なさについては、
卑弥呼は大陸側の政変のたび
勝者側に遣使して新政権を真っ先に承認し恩を売るような外交をしたので、
まだ混乱している中を強行突破する使節団が
まともな品を携行できなかったため
といった意見が多い。
932名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 11:04:14 ID:xJykA7UC0
これだけ必死に吉野ヶ里がアピールしまくってんのに、
スレが★6まで伸びて「邪馬台国は吉野ヶ里だ!」ってやつが皆無なのには笑ったw

九州説を考えることは悪くないと思うが、
誰も信じてさえいない邪馬台国=吉野ヶ里説なんて唱えるから九州説が胡散臭くなるんだよ。
933名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 11:04:54 ID:ByQORmVF0
>>932
吉野ヶ里は集落レベルw
934名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 11:08:56 ID:sr2S0n7d0
>>932
吉野ヶ里は奴国らしいが
935名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 11:09:36 ID:B2WcwMzSO
>>930
俺もその辺りが怪しいと思う
吉野ヶ里〜背振山〜那珂川〜春日〜博多湾
全てが繋がってる気がする・・・
936名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 11:13:27 ID:ByQORmVF0
邪馬台国の中心は磐井の墓と言われている八女の岩戸山古墳あたりだろ
937名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 11:16:09 ID:sr2S0n7d0
と思ったら、山門郡ってマンマの地名あんのな
938名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 11:16:15 ID:ARwzMtKcO
大野城 大利
怪しげな名前よ。
939名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 11:16:33 ID:BVpQBxqc0
>>932
九州説の奴でも邪馬台国=吉野ヶ里説なんて信じていないから
スレに「邪馬台国は吉野ヶ里だ!」ってやつが皆無なんだろ。

見えない敵と戦って、勝手に勝利感を感じて笑っているって…幸せな頭だなw
940名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 11:18:05 ID:m80rvMGHO
>>926

半日も常温で運んだら、魚は腐るよ

サメにおそわれませない為に全身入れ墨なんて日常的に漁業を営んでる文化圏しか有り得ないと思うよ

サメがやって来る海域ってのもヒントだね

内覧で死者千人とか戦国期の死者からしたら少ないし

献上した奴隷10人足らずとか少なく無い?
941名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 11:18:49 ID:gjIOUwFv0
吉野ヶ里は有力な構成国の一つだが
時代が若干古い

だが吉野ヶ里の出土物や王都の構成は十分
邪馬台国の参考として重要なものだ。
942名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 11:19:43 ID:cpqh+6On0
全く関係ないですが、神武天皇から成務天皇までの13代の平均寿命を計算して
みました。

なんと、平均寿命97歳!(最高齢祟神天皇168歳、最も若死には45歳。。。)
943名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 11:20:09 ID:ByQORmVF0
>>937
市町村合併前、山門郡大和町あったよw
944名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 11:20:22 ID:ceO1/zlC0
みんなの心の中にあるのさ
945名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 11:21:57 ID:xJykA7UC0
>>939
どんだけ読解力がない馬鹿なんだよw

どうみても規模が小さい吉野ヶ里を九州説の急先鋒の高島が異常に推すもんだから
九州説が胡散臭くなってるって言ってんだろが。
九州説は十分考える価値がある。
なのにその九州説を唱えてる中心人物がこれじゃあ、九州説自体が前に進まないじゃないか。
946名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 11:23:07 ID:gwy1sgCO0
畿内説を唱えているやつの脳内ってチョンの起源説と同じ構造なの!?
947名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 11:29:32 ID:ARwzMtKcO
八女古墳群の岩戸山古墳や石人山古墳から石人、石馬が
出土してる。結構特異な出土品?
熊本あたりから来てるんじゃないかとあったが。
女王國の南の狗奴國は熊本だな!狗古智卑狗は菊池彦!
北部へ勢力拡大して筑紫筑後を支配。謎の4世紀。
948名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 11:30:51 ID:ceO1/zlC0
正直、このままあやふやにした方が畿内も北九州も儲ける事が出来るんだから
このままでいいんじゃないですか?w
949名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 11:35:16 ID:gjIOUwFv0
山鹿、菊水、菊池が石人石馬の出土している所だね。
あと、もちろん八女も。

950名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 11:36:32 ID:m80rvMGHO
俺は、九州にも関西にも住んだことあるけど

鮮度が命の魚を食べるなら九州に行きたいなと思う

福岡じゃなさそうだと思うのは、あの辺の海が荒いから

昔の舟じゃ、ある程度穏やかな海でなければ、サメがいるような沖合いには出られ無いと思うからね
951名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 11:38:53 ID:rnxSFknbP
>>940
>半日も常温で運んだら、魚は腐るよ
肴なんて塩につけたり干物にすればいいだけ。
そもそも半日くらいじゃ大抵の魚は腐らないし。
水田稲作に関しても、あまり海から近いと塩害の心配もあるから、
海岸から徒歩半日程度の場所はベストポジションと言える。
海からの距離なら吉野ヶ里なんかと同じ程度。

>内覧で死者千人とか戦国期の死者からしたら少ないし
戦国持代の日本のは1千5百万人〜2千5百万人程度。一方弥生時代後期の人口は300万人程度。
弥生時代に比べると武器の性能が段違いである戦国時代でさえ死者が千人も出るような戦はそう滅多にない。
ましてや弥生時代に死者千人にものぼる戦となると、かなりの大戦だよ。
952名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 11:40:34 ID:mDsctxP80
953名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 11:42:09 ID:gjIOUwFv0
軍隊は、1割損耗したら劣勢、3割損耗して大敗、半数損耗して壊滅という。
先鋒が1割減ったら、大抵の兵はビビって戦闘にならん。
3割損耗すれば、たいがい先を争って逃げ出す。
954名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 11:45:16 ID:gjIOUwFv0
いま食えば、良しと(魚屋がかつおの)半身置いていき。
恥ずかしや、(腹壊して)昨夜の鰹の値が知れる。

生ものは売る方も買う方も時間の勝負。
955名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 11:45:27 ID:rnxSFknbP
>>950
>サメがやって来る海域ってのもヒントだね
日本の周辺の海なら、太平洋にも日本海にも瀬戸内海にもサメはいる。

>サメがいるような沖合いには出られ無いと思うからね
サメは沖合だろうが、沿岸だろうが出る。
956名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 11:48:38 ID:zl6UmctY0
>>942
2で割ったら丁度いいやん
957名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 11:52:37 ID:qunuCjjl0
時代設定が違うけど、日本書紀の神功皇后のところに、山門の土蜘蛛の田油津姫を討ち取った記載があるし、
魏志倭人伝も参考文献みたいな形で記載されている。

神功皇后が3世紀の人物であれば、邪馬台国九州説で邪馬台国は大和朝廷に滅ぼされた、という考え方も
可能なんじゃないかと思う。
958名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 11:54:08 ID:VaME9+HtO
邪馬台国の人は有明海で魚を採ってたんよ(´・ω・`)
959名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 11:54:15 ID:mDsctxP80
960名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 11:57:19 ID:ByQORmVF0
961名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 11:57:30 ID:A3Xel3sZO
で 7スレ目は必要なの?
962名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 12:01:05 ID:m80rvMGHO
>>951

塩漬けにしないといけないようなものを主食にするかな?

関西は基本的に農作物が特産だけどね

倭人伝に稲作の記述なんかあったっけ?

酒なら芋からも作れるよ

熊本の八代近くなら漁業についてもサメに気をつけなきゃいけないことについてもクリアされると思うけど

地域的に考えてもわざわざ関西圏の国がギに使いを送るより

九州の国が使い送る方が自然だと思うけど?
963名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 12:02:09 ID:Ib8TOKGe0
刺青、酒、鉄と畿内とは文化が違うのは明らかだし、九州でいいんじゃないの
ただ記紀に書かれてないのをみると、出雲よりもはるかに格下
日本の歴史観に大きな影響はない。
964名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 12:03:37 ID:gjIOUwFv0
神功皇后自体が福岡市周辺の勢力だろう
伊都、宇美、博多、香椎、佐賀
などに伝承が残っている。

たぶん俺の知らん伝承もそれ以上にあるはず。

旦那の仲哀は下関から宗像当たりまでの人だな。
965名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 12:04:20 ID:myCjCIkaO
奴国って春日市あたりじゃなかったっけ?
966名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 12:06:19 ID:sr2S0n7d0
あの時代、筑紫平野はどっぷりと海に浸かってるからな
遠浅でいっぱい魚とれたんじゃね?
967名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 12:06:24 ID:gjIOUwFv0
奴国は那珂川から御笠川流域までのほぼ全域だろう。
室見川はまた別の勢力っぽいが。
968名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 12:08:47 ID:gjIOUwFv0
有明海に潜って魚取りたくねえ。
そもそも見えん。
干潟でムツゴロウや飛びハゼ捕まえるならともかく。
969名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 12:11:44 ID:ByQORmVF0
福岡市→大宰府→山の間を抜けると筑紫平野
立地的にここしかない
http://maps.google.co.jp/?ie=UTF8&t=k&brcurrent=3,0x3541817af77eb125:0x97a20ffb4a51384d,1&ll=33.450922,130.540924&spn=0.779152,1.218109&z=10
970名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 12:15:35 ID:ARwzMtKcO
奴國は鳥栖か…
971名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 12:17:04 ID:rnxSFknbP
>>962
>塩漬けにしないといけないようなものを主食にするかな?
近代以前は食卓にのぼる魚のほとんどは干物、塩漬け、味噌漬け、なれずし。
保存ができず、安定供給できないような食料こそ主食にはなりえないわけで、
塩漬けや干物のようなものこそが前近代の食品の王道で、生魚なんてものは
珍品の部類。

>地域的に考えてもわざわざ関西圏の国がギに使いを送るより
>九州の国が使い送る方が自然だと思うけど?
まったく意味不明。
遠い場所から遣いを送るのが不自然であるなら、そもそも日本から魏に遣いを
送ること自体が不自然。

>八代近くなら漁業についてもサメに気をつけなきゃいけないことについてもクリアされると思うけど
これも意味不明。
天草近海はダイビングが盛んだから結構ダイビング情報が豊富だが、サメも結構いる。
天草近海にいるサメが、八代にいないなんてことは考えられない。
972名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 12:20:24 ID:rnxSFknbP
>>962
穏やかな海で漁が簡単というなら、九州西部なんかより瀬戸内海の方がずっと上だな。
973名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 12:31:26 ID:KOHlubqPO
>>962
主食はあくまでも穀物だろ。
974名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 12:42:49 ID:1h0WaRJMO
>964
神功皇后の一族の勢力基盤は越と近江
975名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 12:46:31 ID:qunuCjjl0
神功皇后が卑弥呼を滅ぼして、台与(壹与)になったという説もある。
976名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 12:50:48 ID:LcUkJ2s40
畿内にある地名と同じ地名が
九州に多いのはなぜ?
なんか関係あるの?
977名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 12:52:14 ID:Kht0lp620
もう邪馬台国は日光江戸村になったということでいいよ。
978名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 12:52:53 ID:1h0WaRJMO
>>836
華奴蘇奴(かなそな)は花園という説もある。基本的に都市国家を指しているだろう。
後世に地名や国名として広域を指すようになったものもあるだろう。
979名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 12:55:07 ID:Jgarg8nb0
>>950
サメを防ぐおまじないとして、イレズミをしている
って書いてあったろ。

逆に、そこにはサメがいるってことだ
980名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 12:57:08 ID:zl6UmctY0
>>976
九州にあった地名を畿内が真似しちょるんよ
981名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 12:58:41 ID:VaME9+HtO
伊都国までの記述が正確
中国としては伊都国までは交流があったが、その先とは互いに交流がなかったってことだろ
いきなり500キロも離れた畿内が中国と交流しねーよ
邪馬台国は伊都国のちょい先辺りなんだよ
分かったかオラ(´・ω・`)
982名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 13:00:44 ID:uG9qVQqP0
鋼鉄ジーグに滅ぼされました
             −終−
983名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 13:04:27 ID:kMoppsDV0
あなたの心の中にある
984名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 13:05:07 ID:rnxSFknbP
>>981
>いきなり500キロも離れた畿内が中国と交流しねーよ
日本列島から魏の都である許都や洛陽に遣いを送るなら、畿内と九州の距離なんて誤差。
いきなりもクソもない。
985名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 13:06:01 ID:ByQORmVF0
>>976
九州から逃れてたどり着いた場所だから
986名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 13:08:55 ID:pElCzEQsO
誰か、次スレ頼む
987名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 13:10:06 ID:ultFcn2F0
卑弥呼は神功皇后にすりかえられたというのがリアルで、宇佐では応神天皇と卑弥呼と神功皇后が祀られている
宇佐の4拍手は邪馬台国を滅ぼした応神側が卑弥呼の霊能力を封じる為なのかも
988名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 13:11:13 ID:vqT72O050
出アフリカならぬ出九州
989名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 13:13:33 ID:ARwzMtKcO
倭国は文字で記録を残してないの?
紀元前の漢の頃から外交やってたんでしょ?
990名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 13:14:41 ID:/K950/PDO
鋼鉄ジーグ

案外とこれが正しいんじゃね?

存亡は鉄が原因だろ
991名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 13:26:39 ID:sr2S0n7d0
>>976
ニューヨークとかニューイングランド
992名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 13:35:14 ID:rnxSFknbP
>>976
大まかには、二通り考えられるな。
(1)敗者側の地名が勝者の領地に残る:
敗者の集団が勝者の領地に集団連行されて定住させられたことで、
その値が敗者が昔暮らしていた地名になる場合。
(2)勝者側の地名が敗者の旧領に残る:
勝者が新たな支配地に集団で移住して、旧住所の地名を名づける場合。
993名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 13:35:26 ID:rw3BLHOyO
日本の臍、淡路島
994名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 13:38:36 ID:XbEUtSXg0
>>989
倭国には文字がなかっただろうが
995名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 13:49:56 ID:BMKdZVm6P
>>994
無いわけないじゃないか
紀元前3000年くらいから、中国と貿易してたんだよ。
中国人の貿易商くらいいたさ。
996名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 13:51:32 ID:ARwzMtKcO
何語で喋ってどうやって外交記録を持ち帰ってたんだ…
997名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 14:05:44 ID:ultFcn2F0
古代シュメール文字は残っているけど
998名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 14:09:28 ID:r3PKcjUg0
>>981
池袋までの地理には詳しいが
そこから先が全然わからない埼玉県人と同じだろ
999名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 14:11:01 ID:ByQORmVF0
1000ならミス卑弥呼と結婚できる
1000名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 14:11:09 ID:OkpsfjHe0
1000なら邪馬台国はさいたま
10011001
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