1 :
出世ウホφ ★:
2 :
出世ウホφ ★:2010/10/11(月) 00:37:54 ID:???0
七田氏は「吉野ヶ里の構造は、土塁の上に柵(さく)を設けた環壕があるなど、
魏志倭人伝(ぎしわじんでん)の記述通りだ」と主張。
これに対し橋本氏は「纒向は4つの大型建物が方位を軸にして建つなど、
卑弥呼が女王となった倭連合国の首都であったと考えている。
倭人伝にある楼館跡も発掘が進めば出てくるだろう」と反論した。
また、近畿説の根拠のひとつとなっている三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)について
玉城一枝・奈良芸術短大講師は「魏の皇帝から卑弥呼(ひみこ)に贈られたとする人もいるが、
鏡の文様などから中国の工房で作られたとは、とても思えない」と述べた。
橋本氏は「“敵地”でやりにくかった」と苦笑しつつ
「邪馬台国という夢のある話を伝えることができてよかった」と語った。(おわり)
考古学なんか捏造だらけの世界だからつまらない。
その後の歴史を見ても、どう考えても機内以外にありえないよな
5 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 00:40:57 ID:Q9lpARil0
邪馬台国が畿内にあったことは既に考古学会では定説になっている。
にもかかわらず、「マーケティング」的な視点から九州説と畿内説という
対立軸を温存して大衆向けの文化講演や雑誌特集を生きながらえさせる
ことによって、考古学者が露出できる市場を創出し続けているのである。
このような「世論に媚びる」傾向は日本の考古学会の伝統的な悪弊で、
同じことを韓国相手にもやって韓国に媚びまくった結果、日本の古代に
関する学説を曲げなければならないところまで追い込まれたのである。
6 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 00:41:03 ID:EWIvtjRQO
宮城県仙台市
近畿としても纒向ではないな。
8 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 00:42:44 ID:ZCTJaSLs0
邪馬台国の漢字の意味は何なのだろう?
9 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 00:42:45 ID:DVDZ6FZP0
心のなかに
10 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 00:43:12 ID:NXU1yzN9O
邪馬台国は大和国だろうよ
九州から東に移った可能性は否めないが
基本奈良と考えるのが妥当かと
11 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 00:43:17 ID:88Kg4L6j0
わりとどうでもいい
中国人の脳内
13 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 00:43:52 ID:3YwRr3/j0
神奈川県大和市
14 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 00:44:03 ID:oVZimIX0O
前スレ早かったな〜
15 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 00:44:16 ID:gvU29Whi0
中国人のいいかげんな記述のせいで歴史ロマン
16 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 00:44:27 ID:zlJGEvBL0
邪馬台国は奈良県にありました。ケツに尻尾の生えた野蛮人が住んでいる九州にはありません。
九州説でも吉野ヶ里は少数派だろうに・・・
>>8 当て字だから漢字自体には意味は無い
暴走族の夜露死苦と同じ
まぁ別にどっちでもいいよな
どうしたら決着つくのかね。金印が出土したら終わる?
なに、★2とな?
21 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 00:45:16 ID:tDRQxzEj0 BE:968932692-2BP(2034)
だから纏向は4世紀の大和朝廷だと何度言ったら
22 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 00:46:35 ID:NXU1yzN9O
>>8 当て字
中国以外は野蛮な人間の住むところだから
蔑むような漢字を割り当てただけ
ムー大陸以外に考えられない
24 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 00:47:35 ID:prd22jc7O
ソウル市の邪馬之台だよ
>>19 金印は魏から晋王朝に交代したときに、壹与が朝貢してるから
親魏倭王の金印は晋に戻して、新たに晋から貰ってるはず
だから仮に出てくるとしても親晋倭王みたいなものでは
考古学では、邪馬台国の位置というのはあまり意味が無いものになったからねえ。
まあ客寄せパンダのネタとして捉えておいた方がいいと思うよ。
とりあえず九州説とか東遷説なんてのは、もう学者は誰も唱えていないのだけど
九州の発掘機運が下がるのはあまり歓迎できないので、みんなで盛り上げようって感じかな。
「邪馬台国は存在しなかった」というのが判明してきたからなぁ
どっちも必死だねぇw
28 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 00:49:14 ID:BDabl2Hu0
邪馬台国は韓国だとか言ってる学者いなかったっけ
奈良が本店で佐賀が支店だったんだろ
あるいはその逆か
30 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 00:49:42 ID:tDRQxzEj0 BE:430637142-2BP(2034)
31 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 00:49:53 ID:gyG+GzDh0
>>1 もう9割がた奈良で決定なのに
なんてアホな記事だ
あとは奈良と宮崎(日向)との2世紀からの関係ぐらいしか
ミステリーは無い
俺が時をかけるおっさんになったら真っ先に邪馬台国探してきて報告してやるよ
34 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 00:51:41 ID:ZnaqH/rOO
岩手
35 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 00:51:52 ID:tDRQxzEj0 BE:861273582-2BP(2034)
いいから鉄鏃と絹を出せ。話はそれからだ。
36 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 00:52:49 ID:gyG+GzDh0
今の箸墓の発掘調査で明らかになってきているのは
想像以上に古事記・日本書紀が
実際の歴史と近かったのだなあということ
戦後の記紀無視や吉野ヶ里ブームがバカみたい
>>19 曹叡の墓から、有明海産ムツゴロウの佃煮が出てくるにちがいない。
「卑弥呼」で連想される言葉
1位 ダイヤモンド映像
2位 村西とおる
九州はもう邪馬台国は諦めて、代わりにイッシーブームを再び起こしたほうがいいと思う
40 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 00:53:25 ID:+wDC1TbJ0
金印が発見されたのが九州だからなぁ
41 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 00:53:41 ID:0oyxJpYk0
古代の日本人は靴とズボンはいてたのに、なんで奈良時代になったら草履と着物になるの?
教えて誰かエラいひと!
42 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 00:53:52 ID:jsb6pWlR0
43 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 00:54:11 ID:27osIE3I0
そんな遠い過去のこと考えるより、自分の明日のこと考えろな。
44 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 00:56:46 ID:W7AATP/o0
ゴッドハンドがあと10年活躍してたら東北になってたのにね
>>41 メタボになったら、ズボンであぐらかくのが辛いんだよ。
わかってやれよ。
>>30 モリコーさんはもう5年位前に邪馬台国関連から引退しましたよw
さすがに自説を引っ込めざるを得なくなったので。
今は関東学とかいうのを中心にやってます。
47 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 00:58:17 ID:hJks6Ar00
3年前に確定済みです
考古学・学術的には畿内
町おこし・商売的には九州
48 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 00:58:22 ID:jsb6pWlR0
>>41 靴はいていたら水虫になる危険があるだろうが
だけど昔は水虫用の薬がなかったから草履に切り替えたんだよ
49 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 00:58:33 ID:Gt77R3Y60
これがミステリーだった頃が懐かしいねえ・・・
まあ、女王は卑弥呼として王様は誰だったとか、他の豪族とか
いろいろ研究するべき謎はたくさんあるけどさ
50 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 00:58:37 ID:fU3qHZDHO
間として岡山にあったとしよう
>>50 前から不思議だったんだが、岡山の人のこの自信はどっから生まれてくるんだろう?
53 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:01:03 ID:tDRQxzEj0 BE:1937865694-2BP(2034)
>>47 何も決まってない。纏向からは邪馬台国時代の遺物は何も出てきてない。
前スレからざっと見てきたけど、出雲・吉備、それと当時の先進物資・鉄器についての記述が全く無いね
55 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:01:46 ID:jsb6pWlR0
>>51 大都会だからに決まってるだろう
将来、首都が岡山に移転される可能性もあるから
お前も今の内に大都会岡山県民にひれ伏しておいた方がいいぞ
>>31 考古学を専攻してたときに教授から「お前九州出身だったよね、現在は邪馬台国は近畿説が
優勢だから、君は九州説になりなさい」て言われたと九州説をとなえてる学者の一人が言ってたよ。
奈良とかw地元やーん
岡山って何県にあるの?
59 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:03:30 ID:gyG+GzDh0
>>52 最近「桃」の種が大量に出てきて
「モモソヒメ」の存在が裏付けされてる
>>50 栄えていたヤマトとクマソの真ん中だから
中途半端な 中国地方
61 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:04:17 ID:tDRQxzEj0 BE:3391265579-2BP(2034)
62 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:04:28 ID:hJks6Ar00
>>51 自然災害が滅多になく
気候に恵まれ水も豊富な
今の岡山が2000年間一度も大繁栄しないのは
日本の七不思議だな
63 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:04:49 ID:xjY/tsbwO
間違いなく、畿内はないな
64 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:04:59 ID:+wDC1TbJ0
何で岡山が出てくるの?中国起源の桃太郎?
65 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:05:08 ID:qAD10nCJ0
ネタでも何でもなく真剣に邪馬台国は日本列島じゃないと思う。
山形明郷って人が恐ろしいほどの数の中国の資料の原典を読みあさって精査した結果をまとめた本を読んだけど、ものすごい説得力あった。
66 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:05:23 ID:tDRQxzEj0 BE:3014458087-2BP(2034)
岡山は吉備、ヤマト政権も警戒するくらいけっこう栄えていた
>>52 全国の土器が出てきて、その編年が記紀の征服の順序と一致するってことかと。
東海あたりが早くて九州が遅い。
まあ、邪馬台国とは何の関係もないわけだが。
69 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:07:22 ID:gCeiLYlT0
てか、あんだけ掘っといてまだ分からないか。
日本にあるんだよな?
>>51 千葉駅や前橋になんか近いものがある
あの駅前の柄の悪さは何なんだ…田舎の方はのんびりしてるのに
>>54 出雲・吉備については語ると長くなるってのがあるからねぇ。
まあ九州と畿内のどっちが発展していたかなんて議論をしている段階ではなくなったからね。
日本中に同様の規模のクニがあったと考えられている。
あと鉄器に関しては、その有意性を過大評価しすぎだったという論調のほうが今は主流。
実際畿内の鉄出土量が北部九州を上回るのは、古墳時代中期以降。
にもかかわらずその時代以前から、畿内には大きな王権が存在していたと考えられているから。
72 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:08:04 ID:gyG+GzDh0
>>61 「モモソヒメ」という発音そのものが問題なのよ
漢字のあてかたとはあまり関係ない
それは「邪馬台国」や「卑弥呼」という漢字も同じこと
73 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:08:05 ID:XAsFzlXP0
おいおい朝鮮に決まってるニダwww
邪馬台国の起源はry)
中国との交易とか考えたら九州かな?
異論反論、全て認めるw
昔の中国人「こいつら邪魔ったいなぁ」
↓
邪魔ったい
↓
じゃまったい国
↓
邪馬台国
こんな感じで当て字してそう。
そもそも日本史に邪馬台国なんて国は無い。
78 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:09:38 ID:tDRQxzEj0 BE:1884036375-2BP(2034)
>>68 そもそも大和朝廷と結び付けずに邪馬台国と結びつけたがる風潮に違和感を感じる。
>>71 にも拘らずって何だよ。そこ重要だろ。
79 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:11:12 ID:gyG+GzDh0
あと箸墓とか出雲とか吉備とか日向での調査が
それぞれの神話の古代2世紀ごろからの存在を裏付けている
(戦後は7世紀〜8世紀に朝廷が捏造したものだというアホ学説が主流だった)
80 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:11:33 ID:hJks6Ar00
>>67 頑張っても、そこそこ程度だろ
何が問題なんだろうね
はっきりしたことは分からないんじゃないか?
鎌倉時代の元寇のときでさえ、日本側は首都が鎌倉や京都であることを
徹底的に隠して大宰府に誘導しただろ?
魏志倭人伝に出てくる邪馬台国がどういった場所かなんて分からないよ。
中国の使者が招待された場所が首都だとは限らない。
しかも、大化の改新があった7世紀ですら大和朝廷の北限は
現在の群馬県あたりまでだったわけで。
82 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:12:19 ID:GflhcLnj0
>>75 当時はまだ中国と直接行き出来る航路は無かったと考えられている。
遣唐使とかですら命がけだったのに、その数百年前だし。
日本にあった
これでいいじゃないか
>>78 うん重要だよw
鉄の多寡が王権の発生の前提条件ではないということだからね。
だから未だにアマチュア九州説の中には、鉄の有意性を九州説の根拠とする古い考えの人がいるけど
そういうのはもう、アマチュアからも古い九州説だと認識されている。
85 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:13:05 ID:4kqiN8iA0
岡山でいいよ
86 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:13:10 ID:tDRQxzEj0 BE:2153184858-2BP(2034)
>>80 てか、大和朝廷以降でも都になったのは関西と関東だけなんだが。
邪馬台国・・・ヤマダ王国・・・ヤマダ・・・
群馬じゃね?
88 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:14:19 ID:c2bjAVSl0
邪馬台国とか卑弥呼とかこの頃から中国は日本を馬鹿にしっぱなし。
日本人が名乗るなら「卑弥呼」は「日巫女」か「火巫女」と書くはず。
邪馬台国も「邪」という漢字は使わないはず。
89 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:14:43 ID:tDRQxzEj0 BE:968933063-2BP(2034)
>>84 王権の発生じゃなくて問題は魏志に書かれている事物があるかどうかだ。
>>79 うーん、記紀と考古学を結び付けたいのだろうけど
弥生後期から古墳期あたりの発掘結果ってのは、記紀の記述をほとんど否定するものが多いよ。
まあそれと共にに倭人伝の記述をも否定するものも多いのだけど。
>>88 日本に文字は無かったの
書くはずという考え方がそもそも間違い
奈良遷都説を唱えるのは俺だけかな。
この時代あたりまで百済と西日本を抑えていたので
北九州に首都がおかれていたが、朝鮮半島から離れて
西日本と東日本が勢力圏となったので、それに合わせて
奈良へ遷都した。
奇抜すぎて誰も賛成してはくれないがね
93 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:18:35 ID:tDRQxzEj0 BE:3391265579-2BP(2034)
95 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:19:27 ID:wPwZaGS6O
近畿説なんか絶対有り得ない。ヤマタイ国は朝貢したから記録が残っただけ、強大でも何でもない遺物が無いのも当然。大和朝廷はヤマタイ国とは全く別モノだと思う。
96 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:19:28 ID:tDRQxzEj0 BE:1453400339-2BP(2034)
>>89 >魏志に書かれている事物
それ楼閣とか絹とかのこと?
驚くかもしれないけど、楼閣と目される建造物跡は九州にもないよ。吉野ヶ里に釣られてない?
あと絹もなぜ一時期の九州のみから出土するか、知ってるでしょw
養蚕そのものは縄文末期か弥生初期の三内丸山でも、桑の実の出土からすでに行われていたというのが現在の主説だよ。
98 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:19:47 ID:gyG+GzDh0
>>89 いまだに疑問が消えないのは
魏志倭人伝に書かれている風俗が
南方系の風俗だということ
陳寿が来たのが日向だったと考えれば
(日向はその時すでに奈良と同じ勢力で)
うまく説明がつくかもしれない
>>96 この早いと言っても万葉集のころにはあったというだけで
100 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:21:02 ID:tDRQxzEj0 BE:3014458087-2BP(2034)
>>93 神武東征って・・・それ信じることが前提なの?
記紀では紀元前660年の話になってるけど、その部分は信じずに内容のみが正しいって考え方かな?
102 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:22:11 ID:ZCTJaSLs0
脾を見る子
104 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:23:15 ID:aFc7+NYO0
>>92 世界史的には奇抜じゃない。同じくらいの距離で遷都を行なった外国も結構ある。
古代エジプトの例とか、古代ローマ帝国とか。そもそも「首都」という概念が
必要ない国家という物も、封建時代以降の物という見方もできる。
都市としては、北九州と奈良が「同じ程度」発展していたなら、どっちが首都
であろうが、その時々の権力や行政や外交の都合によっても左右されるだろう。
あと、古代の天皇は、結構遷都している。同じ天皇で数回とかもあった記憶。
105 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:23:29 ID:gyG+GzDh0
>>90 正確性を言えば
記紀は「神話」がくっついてるので「正確」ではないけれど
たとえば「国譲り」みたいなことは
実際にあったことなのではないかと考えられる
そういうおおまかな流れの話
>>94 そか^^;安心した。ども
あと着目してるのは吉野ケ里と宇佐神宮
奈良と伊勢神宮の位置関係かな
それぞれ太陽が見える南東へ神宮を構えている
これは北九州で行ってきたことを東遷したのちも
行うために同方向の場所に伊勢神宮を作ったのではないかと。
ま、脈絡のないことでどうでもいいかも知れんが
107 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:23:43 ID:XAsFzlXP0
ねえハニワ幻人は?ハニワ幻人は?
>>78 うんうん。
>>84 >鉄の多寡が王権の発生の前提条件ではないということだからね。
それは論点が違うんじゃね?
中国の青銅器文明は実際にあるわけだし。
問題は、日本には青銅器も鉄器もいっしょくたに入ってきたことかと。
>>82 そこはそれ、実は遣隋使・遣唐使の船は低性能なのよ。
済州島から五島列島、九州西岸の東シナ海文化圏の人らは、
歴史時代以前からホイホイ行き来してたわけで。
109 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:24:56 ID:tDRQxzEj0 BE:538296252-2BP(2034)
>>101 いやだから神武天皇が古墳時代初めの人だという前提で考古遺物を見たらという話よ。
し! _ -── ‐- 、 , -─-、 -‐─_ノ
昭九 // ̄> ´  ̄  ̄ `ヽ Y , ´ ) 九 え
和 州 L_ / / ヽ 州 |
ま 説 / ' ' i 説 マ
で が / / く !? ジ
だ 許 l ,ィ/! / /l/!,l /厶,
よ さ i ,.lrH‐|'| /‐!-Lハ_ l /-!'|/l /`'メ、_iヽ
ね れ l | |_|_|_|/| / /__!__ |/!トi i/-- 、 レ!/ / ,-- レ、⌒Y⌒ヽ
l る _ゝ|/'/⌒ヽ ヽト、|/ '/ ̄`ヾ 、ヽト、N'/⌒ヾ ,イ ̄`ヾ,ノ!
の 「 l ′ 「1 /てヽ′| | | 「L! ' i'ひ} リ
は ヽ | ヽ__U, 、ヽ シノ ノ! ! |ヽ_、ソ, ヾシ _ノ _ノ
-┐ ,√ !  ̄ リ l !  ̄  ̄ 7/
レ'⌒ヽ/ ! | 〈 _人__人ノ_ i く //!
人_,、ノL_,iノ! /! ヽ r─‐- 、 「 L_ヽ r─‐- 、 u ノ/
/ / lト、 \ ヽ, -‐┤ ノ キ 了\ ヽ, -‐┤ //
ハ キ { / ヽ,ト、ヽ/!`hノ ) モ |/! 「ヽ, `ー /) _ ‐'
ハ ャ ヽ/ r-、‐' // / |-‐ く | > / / `'//-‐、 /
ハ ハ > /\\// / /ヽ_ ! イ ( / / // / `ァ-‐ '
ハ ハ / /! ヽ レ'/ ノ > ' ∠ -‐  ̄ノヽ /
{ i l ! / フ / -‐ / ̄/〉 〈 \ /!
>>100 >鉄鏃
もう10年も前に、ホケノ山から大量出土してますがw
>>106 残念だけど、東遷説は「かつて」あったというのが正しいんだ。
今は一部のアマチュアグループしか主張していない。
112 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:26:47 ID:gDYEeza9O
ここば、大和たい!
で邪馬台国。
つまり近畿にいた九州人がまたまひとに道を聞か(ry
近畿説の場合、崇神天皇を初代天皇とする説が後押ししているんじゃないの?
114 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:26:54 ID:tDRQxzEj0 BE:2153184285-2BP(2034)
>>111 ホケノ山は4世紀だろ。3世紀初期の話だ。
115 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:27:06 ID:gyG+GzDh0
>>101 西洋の暦に合わせた
紀元2600年を唱えているものは
今の学者にはいない
116 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:27:17 ID:t+qsQJGD0
>>111 >残念だけど、東遷説は「かつて」あったというのが正しいんだ。
>今は一部のアマチュアグループしか主張していない。
東遷説が駄目な理由は?
117 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:27:22 ID:LC1xCwYK0
ないものも重要だ。倭人伝には銅鐸、銅鏃が出てこない。
畿内とか北九州ではないということだ。
118 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:27:34 ID:bWhie2eGO
ネラーにゃ巫女がいればどっちでもいいんだろ
>>111 どういった経緯かは知らんが、残念だな^^;
じゃ、俺の百済から逃げてきた連中が関東方面へ住み着いたので
それを抑えるためにも、って説も・・・
結構説得力があったから自説として持ってたんだが。
120 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:28:37 ID:sR0wo7RM0
Q 大和・奈良地方だと内陸部すぎない?
A 今 大阪平野といわれているあたりは 昔は海とつながった内海でした。
魚介類や葦など生活に必要な物資が豊富にとれたようです
後に、ヤマト政権が干拓したといわれています。
Q 邪馬台とヤマトって似てない?
A 似てますね。音韻研究者などは邪馬台=ヤマトだと主張しています。
ほかにも、卑弥呼=姫巫女などですね
Q 昔はいろんな国があったんだよね?
A 出雲などなど有名どころはおいといて、
岡山のあたりには朝鮮半島系の国もあったようです(まもなく滅亡)
北陸地方は、越の国 九州には 豊の国 ヒの国などもあったようです
>>98 それを言い出すと邪馬台国と後の大和朝廷は全く無関係と結論せざる得なくなる。
まあ、実際にその通りなのだろうけどね。
日本列島が統一的な文化を持ち出したのは7世紀ということで仕方が無いのだと思うな。
その当時ですら関東以北は蝦夷地なわけで、2〜3世紀ともなると
せいぜい地方都市レベルのものしか存在していなくて当然だと思う。
122 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:28:57 ID:WPcODcRpO
>>92 そのころは統一国家とは到底思えないのに遷都って無理じゃないかな
ある地方で強力だったとして、基盤の支配地域から離れて別の地方に簡単に移動できるとはとても思えないんだが
123 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:29:14 ID:zkolAadH0
邪馬台国サハリン説とかハワイ説も検討しといてくれ。
当時は今より温暖だったのではないか。それも考慮すべし。
>>109 そんな突拍子もない前提で話をされてもなー。
ハニワ原人が邪魔大国を造ったという前提のほうが、まだまともだよw
>>114 なるほど君は「安本さん」だったのねwww
残念だけど、ホケノは3世紀でおk。「安本さんたち」が意地でもそれを認めないだけだよ。
125 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:29:22 ID:GflhcLnj0
>>108 そう言う島を乗り継いでの航路は沖縄回り、朝鮮半島回り両方あったと推定されてるのは知ってるが、
中国本土との航路もあったの?
126 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:29:23 ID:tDRQxzEj0 BE:322978032-2BP(2034)
>>112 だよなだよな。
博多近郊の山地を掘ってみろっての。
最近の吉野ヶ里、なんかもう必死でしょ・・・。
129 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:29:34 ID:t+qsQJGD0
>>108 >済州島から五島列島、九州西岸の東シナ海文化圏の人らは、
>歴史時代以前からホイホイ行き来してたわけで。
え? ホイホイ行き来してた? そんなの何でわかるんだ???
>>117 当時の中国で青銅器なんかもう時代遅れのものだっただろうから
日本に来て見かけたところで「こいつらまだ青銅器かよ(プゲラ」って感じで
いちいち記述する価値もないと判断したとかw
131 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:29:48 ID:gyG+GzDh0
>>111 政権東遷説は消えたが
神武東征は
別に否定されていない
132 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:30:11 ID:Pilq5/vE0
なんだかこれは結論出ないほうが夢があっていい気がするがな。
ところで、邪馬台国が自分らの県にあったことがわかったら、
どのくらいの経済効果があるんだい?
このスレ昨日からあるのにまだ結論出てないのかw
俺はもう寝るから朝までには決着つけとけよ!
じゃ おやすみぃ
>>122 朝鮮半島の目の前まで敵が来ちゃったから
奈良へ逃げてそこに街をつくった。
それでいいんじゃないかな
邪馬台国を大陸系の大和朝廷が侵略したほうが燃えなので畿内説で
結論が出ちゃうと、興味をなくす人多数で観光価値は無くなるんじゃね。
平城京跡とか藤原京跡みたいなもんじゃん?
ID:d0ZcX2Cq0さん詳しいねー
勉強になるわ
渡来人の東征説は、特ア系信者の学者が神話を根拠に言っていること。
漢字や仏教などいくつかの文化が入ったに過ぎないにも関わらず、
日本文化の全てを外来だとする偏見から脱却できないのものかのう。
>>132 それ突き詰めると、UFOがいた方が夢があっていいという話になるぞ
学問は身も蓋もない結論に落ち着くのは覚悟せんと
141 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:33:08 ID:tDRQxzEj0 BE:1291911438-2BP(2034)
>>124 >ホケノは3世紀でおk
根拠は?
ホケノ山3世紀説を認めないのは考古学者にも結構いるぞ。
>>116 纏向遺跡を始めとする弥生終末期から古墳時代前期にかけて
畿内において北部九州の特徴を持った出土物が極めて少ないため。
この時期、東海、吉備、出雲などの様々な地域の土器が畿内に集中しているが
北部九州のものは韓式土器よりも出土数が少ない。
また前方後円墳というのは様々な地域の墳墓の特徴をミックスされているのだけど
そこに北部九州特有の技術などが介在していない。
まあ副葬品の充実化という慣習だけは伝わったと見ていいから、全然無関係ではないとは思われるが。
143 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:34:12 ID:WPcODcRpO
>>121 だけど隋史に大和は魏史の邪馬台だと書いてあるのだが
>>125 直接航路はずっと後の時代まで運まかせだよな。
季節風は北西(冬)と西〜南(夏)しかないし。
>>129 出土物でわかるのだ。たとえば土器とか沖縄の貝とか。
145 :
えむびーまん:2010/10/11(月) 01:34:47 ID:KOGWYOhf0
日本霊能者連盟所属霊能者は、全員。
邪馬台国は、奈良の巻向(まきむく)だと言っています。
考古学的に邪馬台国の時代で最大勢力の地域は畿内で決まりだ
だが邪馬台国=大和朝廷とか
最大勢力=邪馬台国などと考えるのは科学的ではない
そもそも最大勢力の地域がどうして小国と連合組んだ挙句
魏に使いを出して中国王朝の権威を借りてまで狗奴国と対立しなきゃいけないのか
明らかに最大勢力は狗奴国であり後の大和である
よって邪馬台国は北九州のカス国連合国家
これで決まりだろ
>>132 先生が「場所が決まってしまったら
邪馬台国関連の本が売れなくなるから、わからないままでいい」って言ってたwww
>>139 大本は戦前に亜細亜支配の正当性をいう為に練り出したもんだけどね
百済人は日本人なんだし、当時と今をごっちゃにしてるから
朝鮮人や半島になぜかこだわる人達が日本と朝鮮半島を
結びつけたがる要因になってるな〜と、この当時の議論では
よく感じるな。
埼玉にも大きな勢力があったらしいことは確からしいが
実態はよくわからんみたいだな
150 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:35:50 ID:LC1xCwYK0
>>142 逆に近畿の物が北九州からかなり出ている。近畿から九州に物が運ばれたということ
だろう。となると、九州が畿内を勢力下に収めたということが考えられる。
151 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:36:08 ID:SB6RbmQm0
152 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:36:23 ID:joomVgLiO
我が国の皇室が支那に朝貢などする訳がない
よって邪馬台国は九州の地方政権であり卑弥呼は蛮族の女酋長である
と本居宣長先生が結論付けておる
畿内説を唱えるのは我が国の皇室を貶めようとする国賊である
153 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:36:48 ID:UAgD5Hhd0
銅鑼は隠しておけ
154 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:36:51 ID:sR0wo7RM0
今、学界のなかではだいたい9割くらいの人は
邪馬台国はヤマト地方にあった って感じ。
九州説は今じゃマイナーなんだが、
朝日他のメディアが意地になって九州説を推してるから
一般には どっち?状態が続いてる状態w
155 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:37:21 ID:gyG+GzDh0
>>148 戦前というか
西郷隆盛の「征韓論」のころにはすでにあった
>>141 学者の名前と論文を具体的にどうぞ。
もう「安本さん」のところの人だってバレちゃってるから、もっと違う方向から攻めてきてよw
庄内式の起源とかさw
157 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:37:43 ID:5voAdR5/O
韓国にあったんじゃね?
>>142 >また前方後円墳というのは様々な地域の墳墓の特徴をミックスされているのだけど
これ数年前から結構言われるようになったけど、
こじつけな感じが否めないんだがw
まだ「根拠」って言えるレベルじゃないだろ
159 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:37:59 ID:LC1xCwYK0
>>143 そんなことは書いてないね。隋使が訪ねた先は、倭人伝にいう邪馬台だと
書いてあるだけだ。隋書が書く使者の訪問先がどこか、それが問題だ。
邪馬壱国の壱は尊称
邪馬国が後に転化して邪馬→耶馬→耶馬溪になる
161 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:38:21 ID:aFc7+NYO0
でもね、大国魏と同盟組んでるから、遷都の積極的理由もあるのかな?
162 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:38:30 ID:tDRQxzEj0 BE:2422332195-2BP(2034)
おそらく、邪馬台国がどこに存在したかという問題は日本の古代史上あまり重要ではないのだと思う。
2〜3世紀頃に出雲が発展してその文化圏が朝鮮半島南部(任那)まで広がっていたように、
今日、日本の古代文化として語られているものの"一つ"はかなり西側にズレ込んでいる。
大宰府のあった九州や大和朝廷が置かれた近畿に先入観を持っている段階で、
2〜3世紀の日本の姿を上手く想像できてないように思う。
聖徳太子が『和をもって尊しとなす!!』と一喝したことからも察せられるように、
古代の日本というのは文化的にも民族的にも相当に混沌としていたのだから、
2〜3世紀に現在の日本と関連付けられるような統一的な文明があったなどという妄想は些か子供染みている。
164 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:40:04 ID:WPcODcRpO
>>134 もともとの奈良の勢力はどうなった
移動の途中の地方の勢力とはどう関係をもったの
考古学上の根拠はあるの
キリストの墓のある青森
邪馬台国のことを明らかにしちゃうと
朝鮮がでかい顔するからこのままずっと内緒でw
168 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:42:38 ID:tDRQxzEj0 BE:3445094988-2BP(2034)
>>163 畿内説だと統一的文明があったことになるが、九州説だとまだなかったことになるね。
169 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:43:09 ID:I9oR32dl0
韓国に決まってるジャン
みんな本当は分かってるんでしょ
ただ認めたくないだけなんでしょ
>>150 実はそれも今では考えにくくなっているんだ。
例えば白石太一郎などが、畿内が九州の鉄輸入ルートを奪取したとか
畿内が実質的に北部九州を支配していたとか唱えてたのだけど
現在の殆どの主流は、そういった広域の支配体系そのものがまだ未発達で
北部九州ツクシ連合や畿内ヤマト連合、あとキビ連合やイズモ連合、サンオン連合などが多数存在していて
これらが大同小異の交易連合を形成していたのではないかというものになっている。
これは記紀の王権記述とも倭人伝の女王国記事とも反するわけだけど
数々の出土物から、弥生終末期に巨大な広域王権があったとは考えにくくなってきたから。
>>167 そんなことは全然無いから安心し
あいつらは、どんなことがあっても空想の古朝鮮を空想してホルホルしているから
172 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:44:24 ID:gyG+GzDh0
倭国大乱は
鉄鏃の筑紫平野での出土数を考えたら
北九州が主戦場で「あった」と考えるのが自然
吉野ヶ里はそういう倭国大乱で力を失っていった国の一つと考えられる
邪馬台国とは無関係
ヤマト大国
和の大国
大和
で違和感ないし。言語体系同じくする部族集団が昔からこの列島にいてさ。
その時々で場所も変わるだろう。
>>170 倭国大乱というのはなんだったんだろうな
韓式土器って?
5世紀なのに。
>>173 ヤマトというのは、今の山の手と同じで、日本中のあちこちに有ったみたいだ
177 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:46:38 ID:DSq99q+FO
178 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:46:55 ID:Pilq5/vE0
小学校の社会のテストで、穴埋めの箇所に全部「ひみこ」って書いてたやつがいたの思い出した
>>168 畿内であろうと一緒。
2〜3世紀に日本に統一的な文明など存在していない。
古墳文化が全国に広まっていないことでも分かるんじゃないの?
つまり、邪馬台国がどこに存在したであろうと、
その統治機構が後の日本に重要な役割を果たしたなどとは到底有り得ない。
有耶無耶な統治機構が乱立し、その一つが邪馬台国であったに過ぎない。
なので自分は邪馬台国を美化するつもりは一切ない。
180 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:47:22 ID:LGu2D4p70
考古学って何の役に立つのか誰か教えてくれ
181 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:47:32 ID:t+qsQJGD0
>>170 >数々の出土物から、弥生終末期に巨大な広域王権があったとは考えにくくなってきたから。
単純な疑問なんだけど、出土物程度で広域王権があったか?なかったか?なんて断定できるかな?
今の日本の列島広域王権だって、九州と東北ではもういろんなもんが特徴的に違うし、古代なら尚更なんじゃないの?
広域王権があっても、その王権の支配地域内でも結構特徴的な差があってあたりまえだと思うんだけど。
>>149 うんうん、埼玉はいたよね。
氷川神社の客社におちぶれちゃってるアラハバキさまが怪しい。
ちなみに、あのへんの一ノ宮(氷川、鹿島、香取、寒川)の標高がどれも海抜5mくらい、
つまり縄文海進のころの海岸線ちょい上なんだよな。
延喜式ではスサノオだオオクニヌシだタケミカヅチだとすっかり大和政権の
神々に挿げ替えられているけど、もとは「ヤマト?なにそれそれ?」な神々だったはずだ。
いや、これまた邪馬台国とは関係ないけどw
183 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:48:21 ID:tDRQxzEj0 BE:861273582-2BP(2034)
ところで機内にはヤマトという国名はあっても地域名はありませんね?
これ結構致命的じゃないの?
>176
ありがとう、なんかそんな感じでゆるーい間柄の社会でいいんじゃない?かなーと
185 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:48:54 ID:WPcODcRpO
>>150 中国のものが日本からかなりでてるんだぞ
日本のものは中国ではあまりでてない
日本は中国を支配してたと考えられるのかね
>>160 「邪馬壱」って書いてあるのは12世紀の2冊の写本のうちの「ショウコウ本」のみだよね。
まあ三国志以外の後漢書や宋書その他もろもろ、すべてタイまたはトと読める漢字しか使っていないから
普通に考えて「壱」は「ショウコウ本」の誤写だよ。
>>168 昔はそれが判らなかったから、畿内か九州かってのは重要だったんだけど
今は当時の日本列島の姿のほうが先に判っちゃったから、位置問題はあまり重要じゃなくなった。
187 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:49:27 ID:zkolAadH0
だいたい魏志倭人伝の日本に関する記述、そんなのを信じて論じるのはアホ。
どうやら太平洋の真っ只中に日本という国があるらしい。そうなってしまう。
朝鮮半島内だとかなり正確なのに、こと日本になると、どうしてそんなに不正確になるのか。
いいかげんな聞き語りの採録なんだと、子供でもわかるだろ。
>>166 朝鮮半島で百済が新羅に滅ぼされたのってこの時期じゃなかったっけ。
あんまりこの時代を勉強してないので何ともいえん。
無視してくれても結構ですよ;
ただ個人的にはこの時代って文字が登場する以前の
神代、神様の時代で口語伝承の時代だから
特性としては太平洋諸島の口語伝承とよく似てるんだよな。
そっち方面の研究者も交えた議論とか論文見てみたいけど
お目にかかったことがないのが少し残念
189 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:50:11 ID:SB6RbmQm0
1000年後のマルコポーロのジパング紹介も出鱈目すぎるから、論争するほどのことではないかも知れないね
190 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:50:28 ID:LXNVVERz0
どこかで妄想カルトババアを飼った座敷牢か土牢の遺構が見つかれば、そこが邪馬台国だろ。
191 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:50:50 ID:irpW6grAO
(´・ω・`)本当は「邪魔大国」といって、シナのことなんだよ
192 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:51:16 ID:wPwZaGS6O
ヤマタイ国は国東半島を中心にした一帯、つまりヤマタイ国は大分県にあった。おめでとう!大分県。
193 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:51:22 ID:LC1xCwYK0
>>181 そのとおりだろう。畿内説を主張している連中が、思ったように遺物が畿内説
を裏づけてくれない、それで
>>170 みたいなことを言い出したんだろうな。
卑弥呼が全盛期だった頃の邪馬台国と、台与の頃の邪馬台国では
国の規模や国々の関係も違うと思うんだけどな
まあ、そんなこと実証できる手だても中国の書物しかないんだが
195 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:51:24 ID:tDRQxzEj0 BE:538296825-2BP(2034)
ホケノ山3世紀の根拠まだあ?
196 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:51:37 ID:+XgaZIu/0
まず、我々が理解するべきなのは邪馬台国というのは文字を持たない古代日本文化の中にあって、
中国と関わることで記録に残った稀な例だというだけであって、
その存在が殊更日本史上で重要な役割を果たしたわけでは無いということだと思う。
奈良時代の鑑真ですら日本渡航に苦労しているように、おそらく邪馬台国は中国に近い九州か沖縄にあったと想像されるけれど、
それは単なる都市国家であって、当時の日本を代表する勢力だとかそういったことは一切ないし、
そういったものである以上、これだと分かるような遺跡も残らない。
何が出てきても否定することは可能なんだから
不毛な論争だよな
199 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:54:19 ID:tDRQxzEj0 BE:2260843676-2BP(2034)
200 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:55:01 ID:DSq99q+FO
お前ら、邪馬台国は船橋に決定したからあきらめろ
>>196 他にアピれるものがほとんどないから必死なんだろ
大人の目線で察してやれ
202 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:55:08 ID:vK/9j2e50
そんなことより、銀閣寺は銀色だったのか否かのほうが大事だろ
まだやってたんだ・・・
高天原の宮殿跡が1年くらい前に発掘されて畿内で決着付いたのに…。
九州説って言ってるのは、自分自身も間違いだと分かってる私1人だと、
たかじんのそこまで言って委員会に出た教授本人が洩らした。
204 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:55:14 ID:NSXcRa0m0
>>197 奈良時代は、慣れない大型船を作って逆に船舶技術的には退化しているから。
205 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:55:26 ID:IuBUVEiA0
卑弥呼が死んであとを継いだ 台与 って女王からの歴史は謎につつまれてるんだっけ?
あれどうなってんの?
206 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:55:55 ID:rt8mx1la0
宮崎だろ。
日出る国。日向。日向の巫女。日巫女。卑弥呼。
天照大神。天岩戸。神武。とか。
日本の原点みたいな匂いがプンプンする。
207 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:56:13 ID:WPcODcRpO
博多のあたりまでは確実だ
そこから水行二十日陸行一月
方位は間違えても日数は間違えないだろ
北九州から水行二十日陸行一月の場所だよ
岩手県あたりじゃないのか
奈良は文化財腐るほどあるから邪馬台国はべつにいらん。
九州で欲しけりゃどうぞ。
209 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:56:51 ID:GflhcLnj0
>>197 口語伝承だから、それこそ神社とか神道における神様の話に
なってくるんですよね。
だから邪馬台国うんぬんよりもこの神社はどの神様が祀られ
どうしてこの場所にあるのかといった方に目が行ってしまう。
古代史研究には向いてないんでしょうね、おれは。
211 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:57:14 ID:zkolAadH0
タイ国の山岳部 = ヤマタイ国とか思いついた。
邪馬台国はどうしても神学論争になっちゃうなあ
213 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:57:37 ID:tDRQxzEj0 BE:4360198199-2BP(2034)
>>174 あれは色々解釈があってまだ統一見解みたいなのはないと思う。
高地性集落が瀬戸内に多発した1〜2世紀ごろを指すという説もあるし
後漢滅亡に伴う北部九州の経済力衰退が全国の物流に影響を及ぼした結果
流通ルート混乱による小競り合いが起きたとする説もある。
>>181 一番簡単なのは、他の地域の特徴を持つ遺物特に祭祀器などがまとまって出てきて
次第にその地方独特の祭祀器が消えるとかなったら、文化侵食が起きたと考えられるよね。
同時に大量移住が考えられる新集落が出てきたり、地元文化が殆ど見られないようなのね。
そういうのが活発になったのが弥生終末期から古墳前期にかけてなんだ。
ただ繰り返すが、これは畿内が九州を支配したとは言いがたい。
ただ密接な相互物流と文化のハイブリッドが行われたとは考えていい。
1200レスの中でジーグネタが3レスしかないのに、絶望した
>>200 船橋は今も昔も何もないからあきらめろ
>>206 戦中にそう仕向けただけ。あとづけばっか。
怪しいと言えるのは西都原のオサホ・メサホぐらいのもんだ
217 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:59:32 ID:Ov1FteSZP
こういうスレは地域表示出る板でやれよw
218 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:00:25 ID:LC1xCwYK0
>>207 方位は間違えない。日数はいろいろな解釈が可能だ。
九州からは出ていないよ。
八幡平
220 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:00:28 ID:t+qsQJGD0
昔誰かが言ってたのを聞いたんだけど、そもそも魏志”倭”人伝、ってだけで、倭=日本 と思うのも早計だ、っていうのはどうなの?
もっと時代が下ってからの中国の書物の”倭”は日本とだけ考えるのは間違ってないけれど、この時代の中国ではまだ中国以外のはずれにある地域を大雑把にとらえていて、
自分たち以外の文明圏の蛮族達(当然、ひとつの民族を指しているわけではない)を”倭”として別称で呼んでた、と。
こうなると当然、古朝鮮あたりの古朝鮮民族達も”倭”にはいってくるだろうし。
自分が思うに邪馬台国を重要視して、そこから古代日本の姿を想像しようとする限り、
本当の古代日本の姿はちっとも見えてこないと思う。
邪馬台国なんてどう考えても断片の断片であって、その時代の乱立勢力の一部は
朝鮮半島にまで勢力を伸ばしていたのだから『日本列島の住民』という共通意識すら持っていなかったと考えるのが自然。
つまり、意識の上でもまだ日本は存在していなかったと考えざる得ない。
軍事的な理由で『それを持つべきだ』とする運動が大化の改新であって、
藤原不等人が過去の文化を抹殺して記紀を編纂したのも
『日本は一つに纏っている』というブラフで大陸を牽制する意図があったのだろうと容易に察せられる。
222 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:00:35 ID:tDRQxzEj0 BE:1507229647-2BP(2034)
解釈次第でどうにでもなる話を議論して何になる
想像遊びにすぎない
>>223 日本人は大昔から想像遊びが大好きだから仕方ないw
225 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:02:21 ID:4ripsPYCO
結局九州か近畿のどっちかに決まってしまうと研究費や研究員の仕事にそれを食い物にしてる評論家の仕事が減るからダラダラ続けてるんだろ?
個人的には近畿圏がいいな…
九州だとどっかのバカが邪馬台国の起源はウリニダとか言うからよ…
226 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:02:44 ID:NSXcRa0m0
>>220 古代中国人の記録は、民族名を間違えた例はほとんどないでしょ。
他民族国家の中国では、民族が何かは、一番重要な情報。
場所が特定出来たとしても、だから何?の話だしな。
228 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:03:05 ID:WPcODcRpO
北九州から水行二十日陸行一月の場所だって
奈良じゃ陸行がそんなにかかるはずがない
神奈川県の大和じゃないか?
どうだね
これはノーベル賞かもしらんね
229 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:03:37 ID:LC1xCwYK0
>>220 倭=日本ではないね。倭は周旋五千里程度の比較的狭い領域のことだ。
本州は含まれない。結局、倭=九州しかないということだ。
>>195 あれ?まだ居たのwww
布留0はダメなのかい?それくらい知ってるだろ
主張する学者なら、主なものだけでも寺澤、石野、北條、柳田、広瀬etc・・・
布留0が3世紀初頭という根拠は?とかみっともないことはもういわないでね。
>>224 どうせ想像するならもっと奇抜な奴にしてくれ
義経がモンゴルに渡ってチンギス・ハーンになった奴みたいにw
232 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:04:32 ID:tDRQxzEj0 BE:861274728-2BP(2034)
>邪馬台国はどこにあったのか?
ここだけの話し
俺ん家。
>>227 いや、決まってしまったら観光資源としてフル活用されるからデカイ金は動く。
だから不利になっても、考古学なんか全然知らない地元商工会とかがプレッシャーかけてきて降参できない
235 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:06:10 ID:LC1xCwYK0
北九州だけでは、島とはいわない。
237 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:06:52 ID:4ripsPYCO
もう九州には吉野ヶ里があるからいいジャマイカ
>>226 倭人は呉とか越とかに多くいたらしいが。特に越に。
高々1800年前のこともはっきりしないなんて日本って未開の国と言うか文化が遅れてたんだなあと思う。
海外だと2000年以上前のことでも詳細に記録が残っていたり美術品や絵画が現存してたりするからなあ。
まぁ、北九州でも太陽を信仰している以上は
東東へと東を目指してもおかしくはないんじゃないかな。
241 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:07:33 ID:GflhcLnj0
>>220 まずは現代語訳でも良いから、魏志東夷伝全体を読んでみるんだ。
日本のことを書いてないとすれば、逆にどこなんだという内容だから。
242 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:07:38 ID:WPcODcRpO
>>218 方位は間違えるよ
世田谷を歩いてみればいい
どっちに進んでるかわからなくなる
山や森の遭難者もそう
砂漠でも遭難者は方位がわからなくなってぐるぐる回ったりする
人間は方位は分からなくなりやすいんだよ
日数は間違えっこないでしょ
243 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:07:48 ID:tDRQxzEj0 BE:1076592454-2BP(2034)
>>230 その土器の編年の根拠を聞いてるんだが。
244 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:08:01 ID:zkolAadH0
太平洋の海のかなたに日本という国があります。
(当時、太平洋という言葉はないだろうが)
ヤツは地の果てまで訪れるのに嫌気がさして、
「すごく遠くだよ。そんな所まで行くバカはいない」
とか言いたかったのだろ。
もしかするとインドネシア地域あたりの風聞と混同しまくったのかもよ。
結局金なんですよね。
たかじんのそこまで言って委員会って九州でもやってるんだっけ。
放送してたら間違ってると自覚しながらも九州説となえてる唯一の教授が帰れなくなってないか。
>>234 もうそういう時代じゃないよ。
吉野ヶ里にしても史跡公園の経営は青息吐息だし
遷都1300年で一見盛り上がっているように見える平城京も、今後の維持費の目途が立っていない。
纏向がもし邪馬台国だったら、史跡公園を造ろうと思ったら、住宅街をぶっ潰さなきゃいけなくなる。
観光資源になりうるものじゃないんだよ、縄文弥生の史跡公園ってのは。
247 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:09:26 ID:q4wxoyFkP
ん?畿内説でカタついたんじゃなかったっけ?
まだ九州は悪あがきしてるのか
248 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:09:31 ID:q7XbPe/D0
>>187 マルコ・ポーロの東方見聞録でさえ
「ジパングの人々は人食いの習慣がある」なんてね
講釈師、見てきたような嘘を言ってるんだわ
これより約千年前の魏志倭人伝なんて
>>188の後半
いや、けっこうある気がするぞ。
とりあえずぱっと出てくるのではこんな感じ。
・工藤隆「古事記の起源」(中公新書)
長江流域の少数民族の口承文芸との比較から、無文字文化時代の
神話の構造を抽出。
・岩田慶治「カミの誕生」(講談社学術文庫)
東南アジア・西太平洋の原始宗教を収集して、この地域(もちろん日本も
含まれる)の「カミ」の本質を探る。
・松前健「日本の神々」(中公新書)
イザナギ・イザナミの国生み神話の類型を太平洋、東南アジアの神話から
集め、スサノオ=ヒルコ説を提示。
・吉田敦彦「昔話の考古学」(中公新書)
環太平洋焼畑文化圏のハイヌウェレ神話から記紀神話のオオゲツヒメに
いたる考察をおこない、昔話の山姥は実は縄文の女神の成れの果てだという
仮説を提示。
250 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:10:02 ID:TnuGMYsT0
こんな曖昧なものを教科書にでかでか載せてる意味がわからない。
歴史は創作じゃダメだろ。
場所なんて基本なんだから存在したのかさえ怪しいな。
252 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:10:05 ID:rMAUSge70
弥生時代は、東京文京区弥生町で貝殻が見つかったことによる時代の区切りだから、
つまり、東京には大昔から人がいた。
ってことは、日本全国に人がいた。
集落があったってことでしょ。
てことは、中心部に国が出来なきゃ支配できないから、関西の方じゃないの。
253 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:10:14 ID:0fOM8tPtP
それよりも、今から目玉焼きを食すのだが、しょうゆかソースで迷っている。
このスレで多いほうをかけて食うぞ
日本の歴史学者という連中はどうしても邪馬台国を重要な国にしたがるから、
九州か?畿内か?という論争になっているけど、当時の日本を想像するに
そのような勢力は日本全国に散らばっていたであろうから、実際にはどこにだって可能性はある。
確実なことは大陸との交流が活発であったろう、日本海側だということだけだ。
九州に決まってるじゃん
近畿は別の国があったのよ
畿内説と九州説で問題になってるなら
徳島でいいじゃん(´ヘ`;)y─┛~~
257 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:11:22 ID:IuBUVEiA0
邪馬台国は近畿から九州まで伸びていてクマソとヤマトに分かれたでよくないか?
まるく治まるよ
>>243 九州の土器編年の正しさ。
これが従来の畿内の土器編年を繰り上げさせた。
もうみっともないから、知っていながら必死に誤魔化そうとするのはやめようや。
まあ他の人への説明にはなるからいいのかもしれないけどw
まだやってんのかよ
謎は謎のままにしておいたほうがいい事もあるんだよ
>>248 彼の時代、台湾と日本は地続きだっていう話があってな。フィリピン沖にまで日本列島が伸びているかもという
261 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:13:46 ID:rt8mx1la0
262 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:13:58 ID:t+qsQJGD0
>>241 >まずは現代語訳でも良いから、魏志東夷伝全体を読んでみるんだ。
>日本のことを書いてないとすれば、逆にどこなんだという内容だから。
仮に魏志倭人伝の”倭”を古朝鮮あたり、と仮定すると普通に古代朝鮮について書いてある、と読めばいいだけなんじゃないの?
逆に絶対的に日本だ!っていうハッキリとした記述なんてあんの? 具体的にどんな?
今、ちょっとググってたんだけど、その魏志倭人伝の倭=古朝鮮と唱えている人の要約ページをみつけたんだけど、
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=184427 ここに
>『後漢書巻90鮮卑傳』に「東、倭人国を撃ち」との記述がある。
>西暦170年〜180年頃、鮮卑は遼寧北部から移り、遼西と遼東方面に拠っていたので、そこから鮮卑の騎馬軍団が陸路侵攻しうる範囲に倭国があった。
>よって「倭国」が海を隔てた古代の日本ではなかったことが立証される。
とある。
263 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:14:13 ID:5A90R6+l0
気をつけてください。
近畿説を唱えてる国賊は中共の工作員です。
明らかな中国の属国の邪馬台国と現天皇家の祖先である大和朝廷を
中国側資料を曲読曲解し無理矢理リンクさせて
現沖縄県である琉球と同様に、日本国自体も本来中国領であり
併合されるのは当然という空気を醸成するため日夜工作しています。
264 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:14:25 ID:MPHA0kUCO
中国4000年、朝鮮5000年の歴史に比べれば
神武天皇のフィクション歴史ですら2700年、マジ歴史だと邪馬台国の位置すら不明の
大化の改新からたった1400年しか歴史が無い国だからな
265 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:14:27 ID:Z34Ixx/l0
魏志倭人伝の記述は八割程度九州で一致
一割程度畿内で一致している。
畿内で同時期に独自の勢力があること自体は
否定しないが、魏志倭人伝に出てくる邪馬台国は
九州でほぼ間違いないだろう。
あまりに畿内で一致しないので、畿内説では
魏志倭人伝はすべてでたらめで放棄すべきという
意見が主となっている。
ついでに邪馬台国、卑弥呼の名前も
畿内説で放棄してくれると良いのだが。
なぜか邪馬台国卑弥呼という固有名詞だけは
畿内説はほしがるんだよな。
>>246 いやいや、史跡公園だけが観光資源じゃないでしょうに。
史跡公園なんかそれほど利用価値もないし。
それよりも、決まってしまえば「邪馬台国」の名称がオープンに使えるわけだから
邪馬台国まんじゅう・邪馬台国温泉・ソープ邪馬台国、もうなんでもいいわけよ
「邪馬台国」って名称で客の印象に残るのであれば。
267 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:14:45 ID:YRDLDPQOO
宮内庁が古墳の発掘調査を許可しない理由てなんなんだ?
やっぱ朝鮮の品がわんさかでてくるから?
だったら朝鮮の書物やらにヤマタイの記録がないのはなんで?
268 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:15:19 ID:lNRtbWs50
そもそも、本居宣長が邪馬台国を「ヤマタイコク」などど読む以前は、
邪馬台国は「やまとのくに(大和国)」と読まれ、
奈良地方を指すとされ、異論を唱える者はなかった。
本居宣長としては、その大いなる愛国心から
中国に朝貢していた蛮国を、大和朝廷の前身とは認めたくなかったのだろう。
それで九州の蛮族の親玉が、邪馬台国を名乗っていた事にしたかったのだが、
そんな大人気ないワガママが、この様な不毛な論争の発端になるとは
思いもしなかったに違いない。
>>252 だから、7世紀の大化の改新の頃ですら大和朝廷は日本列島の西側半分でしか無いのよw
上野、下野、上毛高原などの地名にその名を残す『毛野氏』が大和朝廷最北端の豪族。
邪馬台国は宇佐にあったんじゃないの?
宇佐市の隣には中つ国の中津市があるし
東京は何でも一番が良いらしいから関東地方にあったでいいんじゃねw
これは俺の説なんだが
邪馬台国とは邪国と馬国と台国とで形成されていた
それぞれが九州と本州に別れて存在していたのだ
それらの総称を魏志倭人伝では邪馬台国と呼んでいただけなんだ
>>253 ケチャップがオススメw
>>254 繰り返しになるけど、考古学者のみならず歴史学者の間でも
邪馬台国に関しては重要案件ではもはやなくなっているよ。
交易に関しては日本海側のルートも重要なんだけど、実は国内最大の勢力は東海にあったと見る向きも多い。
まあ全国に有力なクニとそれを中心とした地域交易圏があって
これらが一気に相互交流し始めたのが弥生終末期だね。
そのひとつの結実として、前方後円墳や後方墳が全国に拡散する。
274 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:17:37 ID:q4wxoyFkP
日女道丘の姫は卑弥呼の事か
275 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:17:56 ID:wPwZaGS6O
ギの使節は水行しかしてないよ、大量の下賜品を運ぶ必要があるから。水行十日陸行一月は、水行なら十日、陸行なら一月と読むべき。でなきゃ何処まで水行か何処から陸行か書かないのはおかしい。対馬、壱岐、マツロ、ヤマタイ以外の国は紹介してるだけ、実際は行ってない。
博学なお前らが掲げる、古代史を学ぶうえでの必読書を教えてくれ!
とりあえず、まずは九州説をとなえる教授を増やせ、そして九州に卑弥呼の古墳だとか作れ。
九州説の教授が自らも九州説が間違いだと分かってる教授1人じゃ馬鹿にされるだけ。
279 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:19:03 ID:HVnQT3pk0
近畿説を唱える輩は、まず、魏志倭人伝に、
帯方郡から狗邪韓国まで7千里、帯方郡から邪馬台国まで12千余里
とあるのを、どう説明するのかねぇ。
ヤマト王権は、邪馬台国とは別に存在したと、素直に認めればいいものを。
邪馬台国より大きくても、三国志に取りあげないことは有りうるし、
あまり交際がなければ、ふつう取り上げないだろ。
280 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:20:05 ID:5A90R6+l0
>>264 ニニギ降臨から神武が立つまで179万2470余年の時が流れてると
日本書紀にあるよん。
282 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:21:04 ID:oVZimIX0O
そうなんだよな
九州派の方に朝鮮とかレッテル貼るけど
幾内派の方が大和王権が渡来帰化王朝だと言いたげに見える
九州とかの方が南方系の影響がありそう
283 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:21:14 ID:1gDZEzq10
邪馬台国は九州。
その子孫が九州から大和に移動。
これが妥当だと思うがな。
284 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:21:47 ID:q7XbPe/D0
九州観光のツイデに奈良へ行く奴はおらんぞ
交通の発達した現代でもだ
>>265 九州でも記述と殆ど一致していないよ。
それこそ放射読みとか短里とかの無茶な読み方をして無理矢理辻褄あわせてるだけ。
だから文献史学の分野にしても、もう四半世紀も前から魏志倭人伝の解釈をやってないでしょ。
いま頑張ってるのは、我こそが倭人伝の解読に成功した!っていう初心者アマチュアだけだよ。
>>266 いまそれを佐賀県が必死でやってるんだけど、あまり売れてないよw
286 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:23:43 ID:WPcODcRpO
>>275北九州から水行なら十日、陸行なら一月ならまさに奈良か
奈良まで一月もかからなさそうだが九州はなおのこと論外だ
287 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:23:46 ID:Z34Ixx/l0
中国の歴史書
旧唐書には、七世紀頃に
倭国と日本国がそれぞれ別に中国に
朝貢してくるという記述がある。
嘘だと思うならwikipediaで旧唐書を検索してみればよい。
漢籍では割と有名な話だ。
>>283 新興のヤマト王権が、九州の王権の勢力を壊滅させた後、その権威を取り込もうとしたんじゃないの?
>>277 どれか一冊というと、やっぱ「竹内文書」だよな。
宇宙開闢から説き起こしてるので、けっこうお得w
290 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:24:36 ID:lJmc7Lsc0
邪馬台国なら俺の
横で寝息たてて寝てるよ
何度も言うようにそもそも『九州or畿内』という議論が滑稽なんだよ。
現代の状況から帰納的にコジつけているに過ぎない。
『日本海側のどこか』あるいは『沖縄』が正しい推察。
地政学的に考えてどうやったら畿内なんて説が出てくるのか、おかしいにも程がある。
いかにそれぞれの土地で「我が地が邪馬台国!」って教育されてるかがわかるなあwww
>>285 田舎もんだから、そんなのが今は通用しないって現実がわからんのです!www
>>285 ヘロドトスの『歴史』なんかでも「〜の距離はxxスタディオン」の
部分は「ヘロドトスの勘違いで本当はxx」で終わってる部分が多いしな。
理由は分からんが測量は正確にはできんかったんだろう。
295 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:25:08 ID:LC1xCwYK0
>>279 帯方郡から邪馬台国まで12千余里とは書いてないよ。万二千里は女王国までだ。
その距離は、水行陸行の日数と対比するとどうみてもおかしい。
だから、畿内説は万二千里を無視して考えるんだな。
邪馬台国はミャンマーとタイ国だよ
初歩的な質問ですまん、どこにあったかわからないものがなぜあったとわかるの??
298 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:26:47 ID:WPcODcRpO
>>279 そんな遠くの距離は19世紀くらいまで分からなかったでしょ
測定する手段がない
どうやってそんな距離を測れたと?
その距離は適当なんですよ
299 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:27:07 ID:q4wxoyFkP
スプリング8使って解析したんじゃね?
300 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:27:38 ID:GflhcLnj0
>>262 だから自分で東夷伝を読んでみろよ。
それがどれだけ話にならない論か分かるから。
まず第一に、普通は後漢書の倭人国と魏志の倭人伝にある国が同一と見なされてない。
そしてもっと問題なのは、魏志東夷伝自体に朝鮮半島の事は細かく、高句麗、東沃沮、馬韓、辰韓などなどいろいろ書かれてて、
もう朝鮮半島に地理的に倭ほどの広大な面積を持つ国が入る余地はない。
よって倭は島国じゃないと成立しない。
もう一回書くけど、東夷伝全体を読んでみろ。
>>297 魏志に書いてあるから。
だから有った可能性が高いと考えている訳
日本海側を船で進んで、どこから内陸へ。
つまり邪馬台国は埼玉
近畿とは別の勢力
ミャンマータイ国でいいじゃないか
304 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:28:58 ID:LNfSPkpR0
邪馬台国があったのは三世紀なんだろ?
缺史八代が創作だとしても紀元前二世紀にはもう天皇がいたんだから
邪馬台国は大和朝廷の勢力外の僻地にあったんじゃないの?
305 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:29:28 ID:rMAUSge70
>>261 >>269 なるほどね。
俺は古代史は疎いから、史実じゃなくて、生活感として考えるけど。
弥生の稲作が発達した頃にできた国なわけでしょ。
そしたら、稲作がしやすく、広い田畑を持つ地域が当然、食料も豊富で、
人口が多くなり、力も強くなり、国づくりが進むと思われ。
九州と関西。
当時は、どっちが稲作しやすかったんだろな。
それが答えだと、普通に思うわ。
306 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:29:32 ID:lJmc7Lsc0
>>297 魏志倭人伝とかで記録されてるからじゃね?
向こうの厨国の書物
307 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:29:52 ID:Z34Ixx/l0
中国では歴史書というのは、前政権が倒れたあと
新政権が自分を正当化するために編纂すると
相場が決まっている。
古事記、日本書紀が相次いで編纂されたのも
それが理由である。そのころは建国作業のラッシュ
とでも言うべきもので、律令や土地整備、政治権力の
確率など、短時間で激しい政権整備が行われている。
今時魏志倭人伝にマジレスするのは物好きだけ。
309 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:30:39 ID:q4wxoyFkP
明治の人口は
1位新潟
2位兵庫
3位東京 だってよ
もちろんコメが作り易い所が人口多かった らしい
310 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:30:57 ID:H5uQiK+eO
九州と奈良で別の国があったとしか考えられんだろ
どっちかが邪馬台国でどっちかが大和朝廷であるだけで
他にも国あるいはもっと小さな少数民族やら集落もあるだろうし
311 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:31:06 ID:LC1xCwYK0
>>285 九州説にもいろいろあるが、放射読みとか短里とかは、無茶な読み方ではないよ。
文献史学者は、その正しさを主張している。畿内説論者の多くがそれを都合が悪い
からといって排斥しているだけだ。
313 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:31:51 ID:lJmc7Lsc0
消防のガキの頃、学研の教材に付いてた
金印と勾玉を大事に持ってたの思い出したwww
314 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:31:58 ID:WPcODcRpO
>>305 稲というか米はね、弥生の頃だと主食だったとは、今は考えられていないんですよ。
いわゆる高級食材のひとつで、支配者層を中心に食されていて
パンピーはアワやヒエ、栗やドングリの粉とかが主。
それと意外なことに、弥生期や古墳期における最大の農業生産地は東海だったと考えられている。
>>311 文献(史)学っていうのは、現実から文献の校訂を行う学であって、
文献で現実を説明する学じゃない。
こういうのは西洋古典ではちゃんとやられてる。
だから遺跡の調査とかが最優先になる。
日本は遺跡が残り難いからそれができないだけで、
だからといって文献から現実を確定するっていう作業が
文献史学の立場から正当化されるわけじゃない。
317 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:33:40 ID:Mu7ZadRT0
日本書紀に出てくる呉の国ってどこのこと?
半島の向こうみたいだけど。
318 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:34:14 ID:lJmc7Lsc0
319 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:34:46 ID:WPcODcRpO
>>311 具体的に放射読みや短里を「現在も」主張している文献学者を挙げてくださいねw
榎とか昔の説を持ち出すのはナシよw
321 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:36:02 ID:q4wxoyFkP
椎の木研究は兵庫が一番盛んだね
>>315 そういわれると縄文時代の儀礼食とどう違うのかと思ってしまうな
弥生時代以降に人口が増加したわけでしょ?
普通は農業で生産力が上がったと考えるわけだけど・・・
323 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:36:58 ID:oyTWdYpgO
えーもう日本のどこかでいくね?
325 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:37:39 ID:lJmc7Lsc0
今無性にまんが日本の歴史を
読みたくなってきたwww
あれ読んでるとトイレに行きたくなるんだよな
326 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:37:39 ID:Z34Ixx/l0
とりあえず、出発地とされる帯方郡から邪馬台国までの万二千里
畿内説が主張する、中国の中央政府で使用する公定里では
パプアニューギニアに到着する。
もし、遠回りをしたとすれば、5往復ほどしなければならない。
327 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:37:45 ID:aFc7+NYO0
>>307 天武天皇の時に編纂された日本書紀が、なぜに「その時に」編纂されたか?
という点ですね。
俺も権威付けだと思います。「前王朝」の歴史を、塗り替えるべき「新王朝」
の歴史書が、「急遽」必要になったとも見れるわけで。。。
天武天皇時代に、外交がガラリと変わったしね。
328 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:37:50 ID:A01yaRnQO
卑弥呼の古墳なんてあるわけない。
卑弥呼のために作られたのは、墳じゃなくて冢だから。
>>311 論者がというか、九州説の教授が言うに、学会の答えが畿内なんだと。
皇室の正統性が揺らぐと思って、間違ってると分かりつつも九州説を唱えてるんだろう。
個人的にも、歴史を曖昧にし九州説が勝って欲しいと思っている。
畿内には大和朝廷があって、仁徳天皇陵は仁徳天皇陵だ。
で、卑弥呼様は何天皇にあたるのかな?
331 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:38:17 ID:KNoEwK4iQ
九州説の空想ファンタジーにまともに付き合うな。調子乗るだけ
333 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:38:57 ID:WPcODcRpO
邪馬台国はみんなの心の中にあります
でどうでしょう
九州説 論文About 112,000 results (0.10 seconds)
畿内説 論文About 989 results (0.08 seconds)
畿内説の詳しい内容はどこに行ったら読めるんだ?
そのわりにマスコミ(笑)が畿内説プッシュに熱心だよな
335 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:39:47 ID:rMAUSge70
>>315 農民が稗や粟を食ってて、米をあまり食えなかったのは、江戸時代でもあったでしょ。
米と言うより、定住して、稗や粟でも作って食べる。
それが、自然に生えてる草木や動物を取って食べるより、赤ちゃんの死亡率が減り、
大人になるまで生きる確率が増えたってことでしょ。
そういう時代のことだから、食料がちょっとでも安定したら、他より力が強くなるじゃん。
邪馬台国が関東ではない事に間違いないな
>>322 農業=コメではないと考えてくださいよ。
全国の集落遺跡の周りには、栗や団栗の植林の跡が多数確認されていて
団栗などの殻を貝塚のようにまとめて捨ててある、ドングリピッドというものも多数出土しています。
あと人口増加ってのは、今のところまだ仮説でしかないわけで
だいたい日本列島が一斉に縄文から弥生に移ったわけでもなく
地域によっては弥生中後期になっても、土器様式だけが弥生風で
生活実態は縄文のままという集落も多数確認されているしね。
338 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:41:01 ID:LC1xCwYK0
>>320 放射説については、山尾、王金林など。短里については、直木、それに無くなったが
門脇もそうだね。
339 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:41:15 ID:LNfSPkpR0
マスコミが畿内説を推してるんなら九州説が正しいんだろうw
まあ、これだけ探しても出て来ないのだから、
九州か畿内でないことだけは確かだと思うよ。
山口県か島根県あたりが有力なのでは?
341 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:41:56 ID:lJmc7Lsc0
まぁこういうのも5~600年後とかにタイムマシンなんか出来て
あっさり昔を見ることが出来てしまえば
まったく面白みのない会話だったことになるんだろうな・・・orz
342 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:42:02 ID:wPwZaGS6O
むかし、角川春樹が野性号って舟で、手漕ぎと風力だけで釜山から博多まで16日かかってる。水行十日では、そんなに遠くへは行けない。
わかりきった当り前のことを書くより
奇をてらった内容の方が受けるからそっちに飛びつくだけ。
でも、どっちが答えかはわかりきってる。九州説とか悪ふざけはいい加減にしろ。
345 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:42:45 ID:aFbKetH50
いばらぎ
いばらき
346 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:43:06 ID:WPcODcRpO
>>336九州もありえない
北九州から水行十日陸行一月の場所なんだからね
>>342 ちょっとそれはない
300kmを16日もかけたって、それは遭難して漂流してただけでしょう
ID:d0ZcX2Cq0 が書いていることを簡単にまとめてみると
・邪馬台国がどこにあったかはすでにどうでも良い問題
・理由は「統一王権」を持つような巨大勢力は当時なかったから
ということのようだ
言葉を変えると、日本のどの地域にもあった可能性があるが、
どこにあったとしても歴史的にはどうでもいいこと、らしい
つまり、近畿説も、九州説もともにナンセンスということ
352 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:44:53 ID:q4wxoyFkP
あと貝塚跡って結構海抜で上の方だね
平地なんて埋まってしまってそう
>>335 それ嘘らしいよ。
日本人の殆どが米作っていて、米作っている日本人が米を食えないんなら
どんなに米は生産性が悪いんだ。粟や稗はどんなスーパー穀物だ?
という事になる。
70年代に留学生が「江戸時代生産した米は何処に輸出していたんですか?」と
聞かれた大学教授が絶句したと聞いた事が有る。
>>337 縄文文化から変わるのが遅かった奴等が披差別部落民か
355 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:46:29 ID:RczceyNm0
じゃ、邪馬台国・・・
対馬海流に乗って日本海を進めば十日で若狭湾に出るだろ。
そこから一ヶ月の陸路だ。
埼玉辺りだな。
突然、謎のヤマタイ国がポっと出て来たような不自然な学校教育の印象操作のせいで
その辺外から全部入って来たような脳内補完する奴が結構多い
三万年前から人はいるし国内で勢力は育ってる
358 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:47:30 ID:A01yaRnQO
放射読みは無いなー。
「到」と「至」の違いなら、
対馬・一大・末盧も放射読みしなきゃいけなくなるわけで。
359 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:47:31 ID:Z34Ixx/l0
学会は、通説は、畿内だ、という連中がいるが
30年前ならともかく、いまどき学会で審査を受けた論文に
そんな記述はない。
30年前に結論は出ないということが
ほぼ周知されているからである。
論文のほとんどは、出土物や文献の客観的な記録や解釈にとどめている。
学会や論文で畿内説が決まっている、などという文言があれば
99%煽りであり、嘘であると思って良い。
ソースの提供を求めて、出てきた試しはない。
まあ、査読を受けていない脳内ソースの私文献や
怪しげなホームページなら、畿内説と主張したものもあるだろうが。
360 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:49:05 ID:+eSaXVvtO
まあ九州だろうな。畿内は少々無理がある
361 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:49:09 ID:q4wxoyFkP
今のより海面はかなり高く 平地は少ない
橋なんて無いから川があると文化が完全に遮断される
362 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:49:16 ID:Mu7ZadRT0
>>353 マルキストの大学教授だな。江戸時代は農民は虐げられたという史観を作りたかった。
稗問屋とか粟問屋とか巨大市場があったはずだし。
>>337 ヤマト王権が出来ても東北は後縄文文化だったんだっけ?
でも遺伝子分布からすると、弥生人の方が短期間に人口を伸ばしていったのは確実っぽいけど?
364 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:49:54 ID:LNfSPkpR0
同時の交通や行列での陸行で何日かかったか分からんけど
ソウルから対馬、壱岐経由で都合12000余里となると
範囲は限られて来るんじゃないか?
詳しい人計算してくれ
365 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:50:02 ID:LC1xCwYK0
畿内説は、倭人伝を無視しなければいけないってのがどうもね。
366 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:51:57 ID:A01yaRnQO
>>353 五公五民とか言って、5割持ってかれてるのに
農民が絶滅しないってことは、結構な量採れてたってことだよな。
不作の年を誇張し過ぎな感がある。
JAVA、邪馬台国・・・
そもそも邪馬台国って何よって話だ。
「どこか」以前に本質的謎が多い。
369 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:53:39 ID:rMAUSge70
>>353 昔の人は、やたら飯を食ったらしい。
ドラマ「JIN」で、幕末にタイムスリップした主人公が、山盛りのご飯に驚くシーンがあるし、これは本当らしい。
NHKの歴史秘話、大仏建立の話でも、つまり奈良時代、職人さんは一日八合を支給され、
管理する人は5合だと。
他にも、本によく書いてあるけど、一致して、ご飯大盛りの大食漢だとあるよ。
オカズがない時代で、メシばかり食ってたから、農民が食う米が足らず、稗や粟も食べてたんじゃなかろうか。
古代埼玉にはかなり強力な勢力があったし、
魏志倭人伝の行程にも近い。
なぜ邪馬台国埼玉説が学会で唱えられてないのか
俺には不思議すぎる。
371 :
九州説:2010/10/11(月) 02:54:16 ID:J6q4m8/e0
耶馬渓だよ!これで決まり^^v
372 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:54:35 ID:aFc7+NYO0
ところで、すごーく根本的な事だけど。
「魏志」って「倭人伝」以外も無いの?そこでの「他の国への道順と旅程」って
表記無いの?
それと比較したら、一発でわかるんでないの?
卑弥呼ってモモソヒメだろ。
374 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:55:00 ID:q4wxoyFkP
>>338 案の定、山尾や王の名前が出てきてワロタよ、日向厨クン。
君は邪馬台国は宮崎にあったって説だよね。
さあ自説をここで書いて、皆の審判を仰いでみてくれw
376 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:55:05 ID:fEQ/Tc3P0
えーと、、、
話が国自慢になってずれてますが、、、
畿内説の人は地元愛が深くていいですね
377 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:55:20 ID:3j4vfzeW0
韓国にあったニダ
>>369 玄米は完全食だものなあ。
味噌汁でアミノ酸を補給
379 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:55:46 ID:Mu7ZadRT0
神功皇后が卑弥呼でないの。
380 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:55:49 ID:WPcODcRpO
>>342 まじ?
手漕ぎボートで釜山から対馬まで数時間なのに
泳いだ人もいるくらい
381 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:57:49 ID:NoeoQD370
>>372 ヤマタイの場所を推察するために
旅程にあるクナもいろいろな説がある
さすがにツシマは固定みたいだけど
382 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:57:59 ID:7XDhJOxH0
>>359 問題は畿内だと断定したがる
その理由だよな
もう学術上の問題じゃなく
別の思惑で動いてると思う
383 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:58:09 ID:Mu7ZadRT0
上海あたりから出航しても10ぐらいで九州に着くでしょう。海流にのって。
そうやって稲が日本にもたらされたんでしょう。
384 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:58:19 ID:/K3JuivpO
最初からそんな国は無い。
支那のイナゴ本を歴史書だなんて勘違いしたら、あとあと大恥かくぞ。
あれは史書じゃなしに三文小説と同レベルの駄本だ。
385 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:58:33 ID:GflhcLnj0
>>364 詳しくないが、距離だけで行くとフィリピンとかパプアニューギニア、アラスカあたりだぞw
386 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:58:34 ID:aFc7+NYO0
例えば、同じ本で。「A国への行き方は、放射説表記でしるされて」おり、
「その時に用いられている距離単位はこの里である」と言うのがわかって、
「B国」でも検証可能で、それなら「邪馬台国の場合」も、こうだとなるやん。
最低でも、放射説か、放射説では無いか?と距離の客観検証は、可能だろう?
なぜ、「倭人伝」以外の「魏志」の、「他国への旅程や旅順」を、非核検証
せんのん?
387 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 02:58:34 ID:KQ+jYN4R0
>>380 うそこけ。対馬海流の方向と速度からいって手こぎボートは無理。
(野生号は一部区間ボートに曳航された)
ただし逆なら可能。
388 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 03:00:03 ID:WPcODcRpO
>>364 都合一万二千里は無視しましょう
そんな遠くの距離、まして海を挟んでは19世紀くらいまで測れませんでした
389 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 03:00:31 ID:LNfSPkpR0
地図の一つも描いときゃこんなにモメないのに古代人も気が利かねーよな
だいたい水行十日陸行一月なんて書き方で古代人同士で通じたのかよ
なんか知られちゃ困る理由でもあったんじゃねえの?
390 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 03:00:35 ID:Us3DLs8yO
>>330 卑弥呼が神武天皇の子孫であっても天皇である必要はない。
「女王」や「倭王」は中国側の価値観に基づいた記述だから。
卑弥呼が「倭王」に封じられれば、他の「キミ」は中国側からは「倭王」に従う「長官」でしかない。
「倭王」は一人しかいないから。頂点は一人。これが中国の価値観。
二頭体制とかはあり得ない。
また、現地に「倭王」の上の存在があってもいないことになる。
足利義満と天皇みたいに。
卑弥呼が大和側に「天皇」として記録されていなくてもおかしくはない。
>>372 うん西国や南国など他の地域についての記述もきっちりあるよ。
でもそのほとんどの距離も行程も風俗記事も間違ってるw
特に西域伝は、トルコや東ローマにも言及しているから、あちらの文献とまるであわないってのが明白なわけ。
なのに倭国のみに関しては、短里とか放射読みとかいった独自の読み方を開発して
これだと記述が正しくなるという本末転倒なことをやってるわけ。
だから倭人伝だけでなく東夷伝や西域伝なども、記述を鵜呑みには出来ないというのは常識なんだわ。
>>369 米は食料であると同時に貨幣であるという側面もあった
393 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 03:01:34 ID:Z34Ixx/l0
農民に与えられる口分田は
一人当たり男子で2反、女子で1.3反
6歳以上でもらう、となっている。
税率50%でも、一人当たり1反=1石程度の米は残るようになっている。
394 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 03:01:50 ID:eqxT4RLq0
>>326 一番初めの方に、帯方郡から狗邪韓国までの距離が7千里と書いてある。
したがって、12000里は、約350km/7×12=600kmとなるので、
北九州ですんでしまう。
魏志倭人伝の陸路がポイントだって。
九州にしろ畿内にしろ、陸路の必要がないだろ。
わざわざ陸路を進む必要が有ったんだよ。
邪馬台国は、山と台地の国、埼玉で間違いない。
396 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 03:03:00 ID:aFc7+NYO0
卑弥呼の頃から、天皇と将軍と大統領と首相と大司教がいたのだ。
まったく問題無い。
397 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 03:03:42 ID:q4wxoyFkP
あと大陸と文化交流が古代から頻繁にあるなら
なんで半島人が毎日食ってる白菜が日本に渡ってきたのが
明治以降なんだろな
398 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 03:03:44 ID:LC1xCwYK0
>>375 別に皆の審判なんぞ問題ではないよ。ほんとに知りたい人がいれば教えてあげるがね。
畿内説はいくら騒いだところでまともな説明はできない。
君も少しは学者の本でも読んで勉強することだ。
399 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 03:03:56 ID:LNfSPkpR0
そういや魏志の類いって距離表記が単里で80mくらいだって
聞いたことあったのを思い出した
これで計算すると960kmくらいだけど
400 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 03:04:23 ID:q7XbPe/D0
魏志倭人伝
ストリップ劇場「DX天岩戸」迄の道程を記した書
卑弥呼は看板ストリップ嬢
401 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 03:04:27 ID:WPcODcRpO
>>387 でも事実、江戸時代以前は帆船や櫓漕船で数時間で釜山〜対馬は行き来している
遺跡の古さで言えば四国の北側あたりだろ?新居浜あたりだと思う
403 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 03:05:25 ID:Mu7ZadRT0
>>397 白菜は日本から半島に伝わったって描いてあるよ。
半島の農業は日本が明治期に教えた
邪馬台国は沖縄だって
そして韓半島から渡って行った人たちが造った
水行の計算も合ってくる
史書に書いてある事を、邪馬台国の時だけ無視するのはおかしい
沖縄の遺跡群は現代では海中にあり、発掘が進まないのが残念
>>396 実はその説は的を射ているかもしれない。
というのは、弥生墳墓被葬者にも、為政王と目される者や祭祀王と考えられる者など
副葬品に明らかな特徴がある。
これは前方後円墳にしても同様で、そういった二元体制をとっていた時代や地域もあったと見られている。
こういうのは日本特有ではなく、世界中どこでも普通にあった体制だけど。
406 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 03:07:31 ID:WPcODcRpO
>>391 だが、北九州に至るまでは正確だよ
北九州から水行十日陸行一月の場所だよ
方角は間違えても日数は間違えない
ヤマト政権があったから大和国なんだよ
奈良に決まってる
408 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 03:07:55 ID:A01yaRnQO
>>404 流求国は倭国とは別の項にちゃんと書いてあるから
409 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 03:09:58 ID:qa1i6sMt0
じゃあ俺は八幡平(秋田〜岩手)に一票
>>394 郡から七千餘里とは書いてあるが、その郡というのは帯方郡からなのか楽浪郡からなのか、はたまた会稽からなのかは議論の余地がある
411 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 03:10:22 ID:Us3DLs8yO
>>327 白村江の戦いで負けて半島の拠点を失ったんだから、外交は変わるでしょうね。
天武天皇がどうとかではないでしょ。
むしろ敗戦後の建て直しをしていたように見えます。
応神天皇以来の半島の倭人拠点を前提としたやり方を放棄せざるをえなかったのだから。
412 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 03:11:08 ID:WPcODcRpO
>>408 それは尖閣問題ともからんでくるかもしれないな
>>406 それで計算すると茨城あたりになるな、邪馬台国は
414 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 03:11:50 ID:7XDhJOxH0
>>406 その日数だけど
平均行程日数なのか、報告した人物が経験した時の行程に過ぎないのか
どちらか判明していないだろう
当然海岸沿いにいちいち寄航していた場合や
風雨で船足が進まなかった場合なども含めた記述なのかどうか
415 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 03:12:03 ID:KQ+jYN4R0
對馬國…土地山險、多深林、道路如禽鹿徑。有千餘戸、無良田、食海物自活
一大國…多竹木叢林、有三千許家。差有田地、耕田猶不足食
末盧國…草木茂盛、行不見前人。好捕魚鰒、水無深淺、皆沈沒取之
倭人伝がなぜこれらの国の食糧事情を詳しく記しているか。
それは陳寿が倭人伝を書くに当たって依拠した資料が帯方郡などの「報告書」
だったからだよ。
そしてその資料がわざわざ「無良田」「差有田地、耕田猶不足食」などとあるのは
倭国に軍を派遣するケースを想定してのことだ。
つまり軍を派遣する場合、これらの国に駐屯してはいけない、食糧確保が不可能、
ということ。
邪馬台国はこれらの国から近いところでないと、この軍事報告書は意味をなさない。
したがって邪馬台国は九州。それも北部だ。
416 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 03:12:18 ID:+vD6amutO
417 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 03:12:22 ID:aFc7+NYO0
魏の外交官「あのー、日本の一番偉い人にあって親書を渡したいのですが。」
受付 「そちらの番号札を取ってお待ちください」
魏の外交官「急いでいるんですが。それに遠くから来たし」
受付 「しょうがないですね、それでは二階外交科の13番窓口へどうぞ」
魏の外交官「あのー?こちらで日本で一番偉い人に親書を渡せますか?」
受付嬢ヒミコ「一応受け取っておきますが、『一番偉い人』という曖昧な
言い方ですと、処理が非情に時間がかかるかと思います」
魏の外交官「じゃあ、日本で一番偉い人は誰なんですか?」
受付嬢ヒミコ「そんな国家機密、ここで言えると思いますか?とにかく、
受け取っておきます。おって処理して回答を致します。次の方どうぞー?」
魏の外交官「くそー!倭人の卑弥呼めー!」
418 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 03:13:18 ID:eqxT4RLq0
対馬とか壱岐、末盧國に渡る1000里とかは割りと正確じゃないの。
島の大きさは別として、ほかは100里ばっかりだし。
女王国までの距離は、積算したものだろうし。
>>405 為政王は畿内、祭司王は九州とかいう説を
本居宣長が唱えていたようないないような…
そんなことより今の日本の領土はどこなんだよ?
学説は学説にあらず
422 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 03:14:23 ID:4cxhKP8w0
福岡の山門(やまと)郡しらんのね、みんな
でてくるの九州の地名ばっかなのに近畿はないわ
まじで単純明快
>>398 まあ頑張って学者の本をつまみ食いして、宮崎説を唱えてくれw
5世紀の遺物をむりやり3世紀にしたりとか、3世紀のものを4世紀にしたりとかで忙しいんだろうからw
>>406 いやあれは「実際に行った旅行記」じゃないんだわ。
だから日数にしても他地域では全然合わない。先に書いたようにそれは西域伝で証明されている。
あと倭人伝の記述では、壱岐や対馬はかなり寂れたような書き方をしているけど
実際出土するものは、海域の交易大国と呼んでも差し支えないほどのもの。
これは上陸したとされている末蘆国にしてもそうだね。倭人伝の記述からは程遠い。
俺の推理だと新居浜か茨城のつくば学園都市あたりが邪馬台国だな。
この推理の正しさは歴史が証明するだろう
> 近畿説の根拠のひとつとなっている三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)
サンカクである
426 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 03:15:13 ID:LC1xCwYK0
>>413 計算の仕方を知らないみたいだね。小学校に行かなかったの?
正直どうでもいい
天皇家の巻物さえあればいい
邪馬台国は宇佐でしょ
五島列島の何もないただの岬に、昔遣唐使だか遣隋使だかを見送った場所という石碑があるんだが
周囲があまりにも寂れてて、とにかく寂しかった
その寂しい土地の小店で、朝鮮漬けという名で白菜の浅漬けに唐辛子が乗っかったものが売られていた
邪馬台国は僕たちの心の中にあるんだよ
431 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 03:18:03 ID:aFc7+NYO0
>>415 今日いちで、良い事を聞いた気分がします。明晰な分析感謝です。軍略的には
確かに「途中のどこそこは、補給が出来るぞ。どこそこは補給できないぞ」と
言うのは、重要情報ですね。
432 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 03:18:05 ID:LC1xCwYK0
>>423 その手法は畿内説論者の専売特許だろう。私はそんなことはしたことがないよ。
434 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 03:19:15 ID:eqxT4RLq0
>>410 楽浪郡とか会稽は出てこないので、帯方郡からにきまってる。
435 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 03:20:06 ID:Z34Ixx/l0
白村江では5万人近くを3派にわけて送ったと伝えられている。
が、遣唐使は半数が遭難、1/4の遣唐使船が到着できなかったと書かれている。
船舶建造技術と航海技術が違う。
別の文化圏からの派遣と考えるべきである。
436 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 03:21:10 ID:1P5dOlEJO
邪馬台国の場所は畿内か九州か、どちらかわからないけど、
大和朝廷は畿内だったんだし、何かしら繋がりはあると思うなー
その手の書類は出張費を誤魔化すために日数や距離をいい加減に書いてるのが
普通だからまったく信用できない。実際にはすごく近いはず
438 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 03:22:24 ID:s0SH947tO
行き方で推測したら九州だ、て何かで見たけどね。
>>398 国立歴史民俗博物館
ttp://www.rekihaku.ac.jp/contact/faq_01.html よくある質問
>Q3.邪馬台国はどこにあったのですか?
>
>Answer
>これは、たとえば卑弥呼がもらった金印が出てもだめで(後からよそに動かされる可能性があるから)、邪馬台国の位置を書いた地図が中国で出ない限り、万人を納得させるのは難しいでしょう。
>私(佐原)は「どこにあったか」よりも、『魏志倭人伝』の記載が近年考古学的な事実で次々に正しいと確認されていることの方に関心を持っています。
>たとえば、日本から中国に絹織物を献上したという記述も、考古学による検証はとても無理だと思っていたところが、出土品の顕微鏡による調査で中国・朝鮮半島・日本それぞれの絹織物の違いが分かるようになり、立証されています。
>『魏志倭人伝』の考古学との比較については、『歴博』の「真(まこと)の部屋」という欄に連載をしているので是非ご覧下さい(71号〜81号)。
>
>なお、しいて「どちらか」というなら私は大和説で、卑弥呼の使いの時の年号を書いた「三角縁神獣鏡」が近畿を中心に出土していることなどからです。
>大多数の考古学者は大和説です。参考文献として、『邪馬台国への道』(朝日新聞西部本社編 不知火書房 1995年)を挙げておきます。
>(元館長・佐原真)
>大多数の考古学者は大和説です。
>大多数の考古学者は大和説です。
>大多数の考古学者は大和説です。
440 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 03:23:10 ID:7XDhJOxH0
>>423 >倭人伝の記述では、壱岐や対馬はかなり寂れたような書き方をしているけど
また、さらりと嘘つくね
441 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 03:23:34 ID:aFc7+NYO0
卑弥呼が、仮に、後の大和王朝と近親・近所のゆかりがあるならば、なぜ、
大和王朝の記紀に「about卑弥呼」の表記が、全く無いのか?これが誰も説明
できてないだろう?だから、そのpointの所だけは近畿説はチト弱いと思うんだ。
442 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 03:23:53 ID:WPcODcRpO
>>414 経験でしょ
倭人伝のかきかたは北九州まではよく知ってる場所で、そこからは未知の場所だったんですよ
でなきゃ北九州までの正確さと、そこからのアバウトさがわからない
人間は方角は見失うもの
砂漠で太陽が見えてるのにぐるぐる回って元の場所にとか
山や森で道に迷って方角が全く分からなくなって遭難なんて普通
北九州から畿内、関東までほぼ東です
未知の土地を東に行ったのを南や南東に向かってると考えても不思議じゃない
しかし日数は日誌を付けてるのだから間違えようがない
>>418 なんで方を島の広さとするのかね?
集落の広さと理解したほうが自然だと思うんだが。
444 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 03:24:15 ID:HJvqj8hT0
いろんな資料見てると、
結局古事記伝の本居宣長の説等が有力に思えるね
九州北部に駐在または派遣された卑弥呼という為政者を
戦略的に大王に見せかけて、
実は大和の本拠地の大王とは別の存在だったみたいな
445 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 03:24:21 ID:LNfSPkpR0
久しぶりに雷火を読みたくなって来た
あれは九州説で東遷した説ってことでいいのかな
雷火は継体天皇になるのか?
446 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 03:25:46 ID:Zqb15nYB0
>北九州から水行十日陸行一月
これで畿内っぽいんだよな。
水行十日・・・瀬戸内海
陸行一月・・・大阪から奈良まで山道とかを徒歩
447 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 03:26:38 ID:qa1i6sMt0
三角縁神獣鏡
実は盾
449 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 03:27:07 ID:aFc7+NYO0
>>442 >未知の土地を東に行ったのを南や南東に向かってると考えても不思議じゃない
>しかし日数は日誌を付けてるのだから間違えようがない
魏がそんな国家なら、多分蜀の孔明に四回くらい征服されてると思うのだが。
450 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 03:27:45 ID:WPcODcRpO
451 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 03:28:02 ID:KQ+jYN4R0
三角縁神獣鏡
実は銅銭
452 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 03:28:09 ID:i725wWr20
>>93 皇国史観キタコレwwwww
で、その考古学的証拠はどこにあんの
邪馬台国は半島にあった
ヤマト国っていってるのに悪意の邪馬台国表記
支那が悪い
455 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 03:29:25 ID:gvU29Whi0
もう北方領土にあったということでいいよ。
大阪とかあの辺だろ
普通水があるとことか海があるとこが栄えるだろ奈良とか住みにくいだけじゃん
457 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 03:29:50 ID:E4neycRW0
大和と九州に二つの国があったということでいいんじゃね。
正統なのが一つだけと考えるからグジャグジャになるわけだわ。
女王がいたのは九州でいいじゃん。
楼船で関門海峡を通過するのは無理だろう。
日本海航路で宮津(名前からしてそれっぽい)あたりに上陸したんじゃないか?
459 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 03:30:28 ID:WPcODcRpO
>>449 人間、
日にちは方位より正確
これは間違いない
>>441 もしかしたら大王や巫女の本名だからかも知れないな
名前はあっても日本の文献には残さないことが多いジャマイカ
461 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 03:30:45 ID:7XDhJOxH0
>>439 >たとえば卑弥呼がもらった金印が出てもだめで(後からよそに動かされる可能性があるから)
…
>しいて「どちらか」というなら私は大和説で、卑弥呼の使いの時の年号を書いた「三角縁神獣鏡」が近畿を中心に出土していることなどからです。
なんか、自分で言ってた事をすぐひっくり返す人らしいな
462 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 03:30:51 ID:pkT7CsLbO
太宰府を掘り返せば邪馬台国が出てくるんだろ
>>440 えーっ!嘘じゃないでしょw これが対馬ね
>土地は、山けわしく、深林多く、道路は、禽と鹿のこみちのようである。
>千余戸がある。良田がない。海(産)物をたべて自活している。
でもってこれが壱岐
>竹木の叢林が多い。三千(戸)ばかりの家がある。
>やや田地がある。田をたがやしても、なお食に不足である。
過小評価もいいところだよ。
>北に(出て)市糴(米をかうこと)をしている。
とはあるが、交易によって北部九州と比肩し得るだけの規模があるとは、倭人伝からはどうしても読み取れない。
つまり、記事が間違っているという事だよね。
464 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 03:32:16 ID:KQ+jYN4R0
>>459 お前は太陽が南から昇るところがあると思うか?
>>446 大阪から奈良って遅く見ても二日もかからねえよ
466 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 03:32:58 ID:Zqb15nYB0
>>450 じゃあ瀬戸内海じゃなくて458みたいに、日本海航路なら
京都から奈良まで1月かな。
467 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 03:33:10 ID:aFc7+NYO0
>>456 大阪は、堺の商人が地ならしして秀吉が城を立てるまでは、海岸線はかなり
内陸部じゃなかったろうか?古代の頃に「広い(耕作に)優良な平野」だったか
どうかは、微妙。関東平野も、徳川家康が開墾するまでは、ずっと葦の原だった
し。
468 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 03:34:53 ID:7XDhJOxH0
>>442 いや、お前の妄想なんてどうでもいいんだがw
何か「経験だ」と言い切れる史的根拠があるなら別だけど
日数がどのように割り出されたかは結局不明なわけよ。
だから、日数が合ってるから奈良だ、筑紫だ、とはどっちの説にしても
「言い切る根拠」はないわけ。
なのに畿内と言い切るやつが多いんだこれが
旧唐書読め
九州とヤマトは別の国だ
470 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 03:35:35 ID:Zqb15nYB0
>>465 昔だから道もなくて凄い山道かと思ったんだけど
やっぱり1月はかかりすぎか(´・ω・`)
>>464 緯度が違い過ぎて方角を勘違いする可能性はある。
というか古い歴史の方位はかなりでたらめなことが多い。
その理由はいまいち分からんが。
ただ日数も結構デタラメ。
日数なら間違えないというのも嘘だ。
473 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 03:36:57 ID:1znyBuei0
1000年前の大阪はほとんどが海だろ。
生駒山脈と和泉山脈が天然の防波堤で、その切れ目が大和川
そこを上っていくと飛鳥の地になる。
説を支持する研究者の数が、その論の正しさを示すもんじゃないからな
475 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 03:37:43 ID:Us3DLs8yO
>>441 「女王」とかの記述がないと納得しないの?
実質「女王」の飯豊だって「天皇」じゃないし、「女王」としての地位にあったとも記録はない。
魏志の「女王」はあくまで中国側が自分たちの価値観で記述したものだ。
卑弥呼は祈祷をする巫女だ。
大和側ではそうした存在は天皇とは別ものとして記録されている。
>>468 個人的には九州だと言い切る奴のほうが多いと思うけどね。
多いつーか、声がでかくて必死なんだろうけどw
「ボクだけが倭人伝の解読に成功したんだい!えっへん!」みたいなのwww
とりあえず倭人伝の行程記事からは、位置は特定できないというのは同意だよ。
477 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 03:38:32 ID:kjX+1cD30
沖縄説もあるのか
卑弥呼なんて架空の人物
そんなもの初めからいないよ
物証がないのに偉そうに語るな
479 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 03:39:29 ID:7XDhJOxH0
>>463 寂れたような書き方、なんてあなたの主観でしょ
他の国の記述と比べて大差はないよ
やはり大陸に近いほど記述は正確になり
離れるとその逆、という傾向があると見るべき
神武は宮崎の人
481 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 03:40:02 ID:GflhcLnj0
>>470 山道で直線行ったらムリダナ。
でも当時、大勢で通るような道が
紀伊半島をぐるっと回る道しかなかったら1ヶ月くらい掛かるんじゃね。
482 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 03:40:48 ID:LC1xCwYK0
考古学がいかにデタラメを言うかという見本だね。
帯方郡は征服直後でそこを起点にした表記は無理がある。
会稽は魏にとっては無縁の地なのに、会稽の東って一文が出てくる。
そもそも魏志倭人伝は魏志と呉志の寄せ集めであり、簡単に決めつけることは出来ない。
484 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 03:41:48 ID:S9azqJPM0
まだやってんのかよ。北九州〜出雲〜丹後〜大和だよ。
関東には日本王国があった
あんな広大な平野に人がすまないわけがない
>>481 経路もあるし、例えば途中で宿泊する場所とか補給地がある場合、
それを計算に入れてるのかどうかすら分からないからな。
補給地で長期滞在してるのはよくある話だから、
一ヶ月中の半分くらいしか実際には移動してない可能性もある。
だけどそれは記述からは全く分からない。
>>477 それは木村政昭という元琉球大学名誉教授が、町興し目的で吹聴しているんですよw
ちなみに木村氏は、与那国島海底遺跡というトンデモでも町興しをしているw
488 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 03:42:31 ID:z5zFPfX10
で、陳寿は結局どこへ行ったの?わかっているの?
>>482 考古学って笑うよね
勝手に理解解釈して学説を世に知れ渡るようにすれば
立派な考古学なんだ
誰も昔を知っている人いないからね
便利な学問だ
490 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 03:42:57 ID:aFc7+NYO0
もし奈良に前大和王権があって、それが邪馬台国だとすると、卑弥呼が属して
いた「前代の神話体系」は、どこに行ってしまったのだろうか?
大和王朝が、吉野の西から到来して、邪馬台国を制圧したという筋になる。
日本書紀や古事記には、その表記は見出しにくいんだよなぁ。。。
制圧したのなら、わざわざ前王朝を「同祖」にする必要も無いし。仮に、完全
制圧ではなく、討伐して神話体系を組み込んだとすると、前大和政権が
「卑弥呼臭く」なるはずなのに、前大和王朝には鬼道っぽい表記も、シャー
マンっぽい記述も見当たらない。むしろ、この仮定の場合「侵略した側」で
ある、ニニギの方が、よっぽど鬼道・シャーマン臭いような気がする。
>>415 そういや長崎ってじゃがいもの生産高が北海道に次いで2位だったとか聞いたことがある
芋ぐらいしか作れない土地だから芋作ってんのかな
俺が行った時は僅かながら田んぼもあったけどね
何で外なの
495 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 03:45:38 ID:WPcODcRpO
>>472 使者は北九州を離れてから方位がつかめなくなったんですよ
磁石がないから当然なんです
太陽はいつも見えるわけじゃないし、時間がはかれなければ太陽を見ても方位はわからない
山や森を歩いてみればわかりますよ
すぐ方位を見失いますよ
距離は北九州から先は未知の土地なので分からなかった
そこで日誌の日数をそのまま書いたのでしょう
邪馬台国が大和なのはもう常識としてライバルの狗奴国が東海なのか関東なのかが今後の議題
ID:LC1xCwYK0
>398 名前:名無しさん@十一周年[] 投稿日:2010/10/11(月) 03:03:44 ID:LC1xCwYK0
>
>君も少しは学者の本でも読んで勉強することだ。
↓
>482 名前:名無しさん@十一周年[] 投稿日:2010/10/11(月) 03:40:48 ID:LC1xCwYK0
>考古学がいかにデタラメを言うかという見本だね。
499 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 03:47:44 ID:KQ+jYN4R0
>>476 大きく分けて
考古学者=畿内説
文献学者=九州説
という図式がある。んでもって学問として当然のことなんだけど、
考古学=実証主義
文献学=論証主義
ということになる。んでさらに当然のことだが、
「邪馬台国の所在地は?」ということになると、文献に書かれたものなのだから
文献学が有利となり、さらに論証となると文献学者が考古学者を圧倒してしまう、
という図式がなかば常態化してしまっているわけだ。
考古学の分野から文献学に対し「論証」を挑んでもまず勝てない。
当たり前のことだが、文献にあらわれる「邪馬台国」とは文献に存在するのであり、
遺跡から「邪馬台国」という国名が発見されたのではないのだから。
500 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 03:48:04 ID:GflhcLnj0
>>486 もし連続で移動してなかったら、大阪から京都を抜けて琵琶湖の中腹あたりに補給でよらなきゃ
いけなかったとかでも奈良までは1ヶ月くらい掛かるね。
501 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 03:48:20 ID:tIoX9bff0
邪馬台国ってのは「魏に朝貢し冊封された国家」だから、畿内でどれだけ繁栄した国家があっても関係ない。
半島経由で魏に繋がってたのなら最も近いのは九州北部。
「魏志」では使者の路程はどう見ても九州から出てない。
畿内まで行ったのなら瀬戸内海の記述や再上陸後の路程も記述されてるはず。
単純に「筑後川流域」しか候補になり得ないだろ。
「邪馬台国」と「3世紀に日本で最も栄えていた地域」は別の概念だから。
ゴッチャにしてるのが学者にも多いから困る。
>>467 確か仁徳天皇陵のすぐ側まで海岸線、あるいは湿地が来ていたはず。
それに大阪湾から明日香までは竹内街道で真っ直ぐ一本道だ。
実は明日香の地は瀬戸内の真っ正面に当たる。
それと邪馬台国までの日数とか距離とかどんなに議論しても答えなんか出ないぞ。
504 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 03:48:51 ID:aFc7+NYO0
>>473 確か、古代の「船着場」って、淀川のだいぶ上流にあるんだよね。大阪の海岸
線は、今よりだいぶ内陸部かと。
505 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 03:49:15 ID:Us3DLs8yO
>>485 それ、TBSの深夜番組の捏造。
インタビューを切り貼りしたMADだよ。
稲荷山の鉄剣も日本王国の「証拠」として出している。
506 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 03:49:43 ID:WPcODcRpO
>>497 まあみんな推測ですからいいじゃありませんか
好きな場所に邪馬台国を持って行きましょう
507 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 03:50:44 ID:tIoX9bff0
_人人人人人人人人人人人人人人人_
> わりとどこでもいい <
 ̄^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^^Y^ ̄
ヘ(^o^)ヘ
|∧
/
中国との交流を考えると九州が有利だな
畿内にあったとすると山陰地方にまでまたがる国家だということになる
この時期にそこまで安定した国家は国内にない
空白の四世紀に統合が進んだということだろう
>>499 いや誤解なきように訂正したいが
この平成の世では、九州説を主張する文献学者などただのひとりもいない。
こう書くと、じゃあ畿内説なのかよと思うだろうけど
要するに「倭人伝の記述をいくら分析しても、邪馬台国の位置は判らない」というのが一致した見解なんだ。
だから先にも書いたけど、4半世紀近くも倭人伝の新解釈などの論文は、本職の文献学者は誰も出していない。
「判らない」というのが結論で、もう考古学に下駄を預けた格好だから。
510 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 03:53:47 ID:wUbQAB3b0
邪馬台国は現在の千葉県にあったんだってな
511 :
九州説:2010/10/11(月) 03:55:03 ID:J6q4m8/e0
耶馬渓しかなかろうもん^^v
512 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 03:55:17 ID:aFc7+NYO0
_人人人人人人人人人人人人人人人_
> ようこそ邪馬台国へと言う看板を掘り当てた <
 ̄^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^^Y^ ̄
ヘ(^o^)ヘ
|∧
/
>>508 邪馬台国連合にしろヤマト政権にしろ小国家群の連合体だぞ。
ヤマト政権による集権化は古墳時代からようやく始まる。
それまではヤマト政権も合議制だし、大王も世襲だったかどうかも怪しい。
514 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 03:55:45 ID:z5zFPfX10
素人で申し訳ないが、半島経由から来たってのは考えにくいんじゃね?
当時の半島は戦乱だったと思ったんだが、漢民族!?に敵対心があったんじゃないの?
違っていたらスマソ・・・
515 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 03:56:38 ID:prd22jc7O
卑弥呼は足利義満や小沢一郎のように勝手に日本を売って日本地区の「王」にしてもらう密約してたんだろ
天皇とは別なんだし
>>504 大阪市は上町台地以外ほぼ海、あるいは内海だったと言われているね。
517 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 03:58:15 ID:S9azqJPM0
しかしよお、魏志倭人伝の「追剥やこそ泥がなく、争いごとも少ない」
なんて記述を見ると日本人の国民性て1800年前から何も変わってねんだな
と思ってなんか涙が出てくるわ。(いい意味で)
>>514 >素人で申し訳ないが、
ここには素人しかいませんが・・・
仮に専門家がいたとしても、それは肯定できる存在じゃないですので
お気軽に書き込むのがいいかと思います
>>502 そういう、いわゆる「小さな邪馬台国連合」っていう九州説はアリなんだけどね。
行程や方角、戸数などは信用できないという立ち位置が必要になるけど。
でもその九州邪馬台国が消えちゃった過程については、なかなか説明が難しいらしく
九州説の人たちも四苦八苦している。
>>513 そういう事なんだと思うよ。
>>516 それは遺跡分布や後世の文献からも明らかだね。
>>490 神代記や上ツま紀の国生みにしっかり書いてあるやんけ。
まず淡路で勃興して大和を抑え、四国九州山陽を制圧して大和に戻ったって。
つまり二度大和に入ったのに、記紀の編者もその事に気付いてない。
それが記紀の重複記述に繋がっている。
アマテラス=卑弥呼=箸墓の埋葬者
522 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 04:01:05 ID:7XDhJOxH0
結局ヒミコの墓次第じゃね?
魏志にやたら詳しくサイズや副葬品が書かれてるし
年代と内容がそこそこ合えば結論付けていいでしょ
金印と違って墓は動かないし
524 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 04:01:59 ID:1FPBp6SN0
すぐに邪馬台国は韓国だったという偽説がエラ吹きの某国からでてくるよ。
法隆寺は大宰府観世音寺からの移築だ
聖徳太子は九州の王
ヤマト王権は8世紀に出来上がり、九州の歴史を盗んでいる。
527 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 04:04:07 ID:S9azqJPM0
>>520 古事記でも最初に作られるのは淡路なんだよな。
>>525 はい、私は学がありませんが常識はあるつもりです
529 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 04:06:18 ID:aFc7+NYO0
>>519 >邪馬台国が消えてしまった過程
それこそ神功皇后の大政略。奈良大和王権を、「乗っ取って」逆合併をした
のだよ。日本書紀では逆に描かれているが、それはそれまでの口承神話が既に
書き換えられていたのだ。この陰謀によって、「大和王朝」は「ヒミコ教」に
完全に乗っ取られたのだよ。
で、しばらくしてから、持統天皇が、自分の政権安定のために神功皇后を
フューチャリングして、その書き換えられた口承神話をそのまま記したのさ。
>>528 学がないと理解してるのに、詳細を知りもしない学問を非難する常識ってなんだ?
どこで拾ってきた常識なんだい?
解説しようw
>>526は「九州王朝説」と呼ばれるもので
邪馬台国は九州にあり、それが8世紀まで続いたが、新興勢力の大和朝廷に滅ぼされ
それまでの中国史書にでてくる倭の五王などの歴史を簒奪されたとする
九州人のルサンチマンが詰まったカルト擬似歴史である。
元々の提唱者は古田武彦氏で、彼は東日流外三郡誌という偽書に騙されたことでも有名。
九州地方は結局遺跡がしょぼいので、若干の小国連合があって、
そこの王が権威付けのために倭王の称号をもらったという可能性が
あるかもというレベルでは説として成り立つ感じ。
>>530 あなたより常識はあると思いますよ
そもそも謎解きの考古学を議論する時点で
常識を飛び越えているのかもしれないが
興味があるのでROMさせて頂いている次第です
534 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 04:12:07 ID:Us3DLs8yO
>>531 上で「旧唐書」に九州と大和が出ているとかレスしているのもそうだな。
「倭」と「日本」が記述されているが、「倭」が九州で「日本」が大和だと。
>>467 おいおい昔から大阪は超みじけーけど朝廷があった場所だぞ
536 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 04:15:24 ID:aFc7+NYO0
図にすると、こう。
九州ヒミコ教→→→→→→→→神功皇后(直系血脈)→┬→その後の大和王朝
九州ヒミコ教→ニニギの東征→祟神大王(亜流血脈)┬┘
九州ヒミコ教→スサノウ北伐→大国主命(亜流血脈)┘
>>496 埼玉じゃないことだけは確か神奈川あたりだろ
>>533 どちらが常識ある人間か聞いてるわけじゃない
考古学は「学問」であり、歴史学だ
お前がオナニーするための道具じゃねえよ
ROMは、書き込まずにただ傍観してることを指す
またひとつ勉強になったな!!
そりゃ邪馬台にあったと思うな!
540 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 04:18:40 ID:Zqb15nYB0
今後、卑弥呼のお墓って出てきそうなの?
ここにいるみんなが生きてる間に決着付くのかな(´・ω・`)
>>538 >考古学は「学問」であり、歴史学だ
違います
歴史を検証する為の学問です
>またひとつ勉強になったな!!
w
縄文時代から北海道まで交易してたんだ。
この時代に既に日本国という共通認識があってもおかしく無い
京は日本のエルサレムなんだよ琵琶湖に近いと水も多くてええやん
昔から京に大国があって奈良に一時的に移ったんだよ水いっぱい飲みたいやん!
当時の(今も同じかもしれんが)中国人が
他国を卑下する漢字を使用していたことを勘案すれば、
おのずと正解は分かるはず。
倭人=和人
邪馬台国=大和国
卑弥呼=日命
それを、物証だの記述の正確性などで、裏付けを採ろうと思うから分からなくなる。
裏付けは大事だが、古代の出来事については正確な裏付けは期待できない。
近くの半島には邪魔大国があるけどな。
>>531 東日流外三郡誌って初めて知った
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%97%A5%E6%B5%81%E5%A4%96%E4%B8%89%E9%83%A1%E8%AA%8C この「和田喜八郎」って人に興味が出てきた
経歴不明で(同書が刊行される前の69年に無銭飲食で逮捕されとる)、長年にわたって偽書を作成
これがどういう経緯で村の公的資料として刊行されたのかも気になるし
なによりも、これにビックリだw
>社会に与えた影響
>
>その反国家、反権力、反中央的内容により、日本原住民論の影響下にあった日本の新左翼の絶大な支持を得た。
>元ブント活動家の武田崇元は、逸早くこの文書に着目、「霊的ボルシェヴィキ」育成のために、盛んに宣伝した。
>
>この風潮に一番影響を受けたのがオウム真理教である。
>オウムに影響を与えたのは一般に五島勉のノストラダムスの大予言シリーズだと言われているが、東日流外三郡誌も多大な影響を与えていたのである。
>事実、麻原彰晃はオカルト雑誌ムーにて東日流外三郡誌を賞賛し、同書を根拠にして天皇家に代わる新たな支配者の出現を「予言」する論文を掲載していた。
>そして次第に「オウム帝国」の樹立を企むに至り、地下鉄サリン事件を始めとする一連のテロ行為に繋がっていったのである。
548 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 04:23:59 ID:z5zFPfX10
千葉県に古墳群がたくさんあるんですが、これはどこの国ですか?
549 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 04:24:35 ID:aFc7+NYO0
>>542 交易品がみつかると言うのとは、別だと思う。その理窟だと、フランスから
ワインを輸入している日本は、おフランスの一部?
ま、しかし、言わんとしている所はわかる。「当時の世界の果てはどこ?」と
いう意味なら、交易品で確認はできるな。日本の共通認識は疑問だが、
「同じ文化文明を共有する世界が、どこまで影響力があったか?」という目安
にはなると思う。
>>545 長さの単位もあやふやだしな。
当時の中国の首都から東に何キロとか全く当てにならない。
人体の一部を基準に単位を決めていたような時代だぞ。
神武東征とか言うけどこれは帰路のことなんだよ。
淡路発で大和を押さえたヤマト朝廷が四国経由で九州に達した、これが天孫降臨。
九州を制圧したあと山陽経由で大和に帰還したのが神武東征。
このあとスサノオの追放があり、国譲りに繋がる。
時系列はこんな感じだな。
554 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 04:26:40 ID:Zqb15nYB0
この時代に伊能忠敬みたいな人がいてくれればなぁ
アイツは中華中原が大好き。だから大河程度ならともかく、
大海 (当時は日本海も大海扱い) を渡るなんて考えられない (ガクブル)。
だから、行ったこともない地域の話を、ほら話をつなぎ合わせて作っただけ。
人って、他人が喜びそうな話を平気で「捏造して語る」傾向がある。
ましてやエラそぶる中国人や白人が相手だとね。
昔の旅行記なんて、嘘ばかり。
だんだん気づいてきて、最近は控えるようになって来たようが。
それでも中国やシベリアの奥地になると、かなりアヤスイかも。
557 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 04:29:05 ID:aFc7+NYO0
>>554 当時の伊能忠敬いたんだけど、天智天皇か天武天皇に、皆殺しにされたんだよ
きっと。。。「不都合な古代日本史」は、その頃、塗り消されたんだ。
キチガイすぎるwwwワロタwwww
>>540 ぶっちゃけ冷静なことを書くと、判らない。
もし箸中山古墳の発掘が実現し、そこに女性と目される被葬者が確認できたにせよ
それがヤマトトモモソ姫なのか、更には卑弥呼なのかというのとはまったく別の話。
まあ大方の考古学者は畿内説だともいうが
実際のところ考古学者は邪馬台国には興味がない。
九州説を採る考古学者は一人もいないといっても過言ではないが、だからといって畿内説かといえば実情はこんなもん。
ただ蓋然性の問題として、最大の交易連合=邪馬台国連合だったと見るというだけで
それ以外の小さな交易連合が独自に魏に朝貢し、その後埋没して行った可能性もある。
そういう低い可能性を優先しないというのが、考古学的な畿内説の骨子のひとつでもある。
なお繰り返しになるが、文献史学は邪馬台国の位置は判らないと結論付けた。
なのでもし99%畿内だということになっても、残りの1%の可能性がある限り、特定できたとはいえない。
だから倭人伝がどうしたとかのトンデモ九州説じゃなく、きちんとした考古事実を踏まえた九州説を提示できれば、またかつてのように論争になるかも知れない。
561 :
556:2010/10/11(月) 04:33:08 ID:3Wscj89q0
× 控えるようになって来たようが。
○ 控えるようになって来たようだが。
酔っ払いでゴメン。
562 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 04:34:25 ID:aFc7+NYO0
>>553 えー。スサノウの方が、ニニギより少し前の世代だよ?日本書紀ではスサノウ
は、ニニギのお父さんの兄弟。
それに、日本書紀のそこらへんの家系図で言ったら、出雲王朝の方が大和王朝
より、家系的には「格上」になる。(長子相続でも、兄弟相続でも)わざわざ
そんな、自分が不利になるような「神話の作り変え」は、しないと思うけど
なぁ。。。
>>560 小林行雄さんか近藤義郎さんかどちらか思い出せないが
銅鏡の破片を、擬制的共和制とか所謂大和連合の前身だと考える説は面白かったなぁ
>>557 ワンピの空白の100年ってやつか
多分Dの一族(ユダヤ)倒して国を乗っ取って今があるんだな日本(世界政府)
>>547 その東日流外三郡誌を未だに本物だと主張しているのが、古田一派なんだわw
まあ東北のピラミッドやナニャドーレと同じく、東北にユダヤやら古代王朝やらを求めたがる
東北人のルサンチマンと、九州人のルサンチマンが反中央で大同小異で結びついたようなものだね。
まあ古田がトンデモなのは事実だけど、それに飛びついたオウムの責任まで背負わすのは酷だとは思うけどw
566 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 04:40:08 ID:aFc7+NYO0
567 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 04:40:24 ID:Zqb15nYB0
>>557 真実が知りたいw
けど権力者や為政者のやりたい放題だから判らないよね。大昔過ぎる。
>>560 結局、断定はできないんだね。
でも箸中山古墳から女性の被葬者が出てきたら卑弥呼とほぼ断定されそう。
古墳に埋葬される女王なんて珍しいと思う。一緒に埋葬されたと言われる
奴隷の遺骨が数多く出てきたり、副葬品が呪術関係のものとか出てくれば。
古墳調査を宮内庁は許可して欲しい。
どうにもわからない。
つまり、実はそんな実態は無かったのではないか。
中国の小役人が、自分の経歴を喧伝するために作り上げた、おとぎ話だったりして。
よくて伝聞の勝手なつなぎ合わせ。
まあ当時の日本にも人が住んでいたことくらいは確かだけどね。
>古墳調査を宮内庁は許可して欲しい。
そんなことをされたら、都合の悪いことがゴロゴロ出てくると
思い込み・信じ切ってる。だからひたすら隠しているのだろう。
>>565 wikiを見るとすごい面々だね
>現在も真作説を主張する論者および真作説に好意的な論者としては
>古田武彦、上岡龍太郎、笠谷和比古、飛鳥昭雄、高橋良典、吉原賢二、
>北村泰一、内倉武久、松重楊江、久慈力、竹田侑子、西村俊一、
>佐治芳彦などがあげられる。
>この中には大学に職を得ていた者や、有名な人物もいるが、 偽書で
>あるという定説をくつがえすに至っていない。
アメリカの"Intelligent design"とかを笑えないなw
日本にもこういう勢力があったのね
こんな太古の昔話より現代が大切
卑弥呼ロマンはステキだけど
それ以上も以下もない
572 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 04:46:25 ID:S9azqJPM0
魏の役人が来て立派な建物がある、とか記述してるくらいなんだから当時の
倭もそれなりの国だったんだよ。土人に毛が生えたような国だったら魏の
役人がまともに相手するわけないだろ。九州説は邪馬台国を過小評価しすぎなんだよな。
>>563 小林さんじゃないかな、それ。
破鏡の分布から勢力図を導き出そうとしたけど
氏の死後に近藤さんなどが、それは考えにくいと否定してたように記憶している。
>>560 全面調査を許可してほしいのは同意なんだけど
奴婢の殉葬跡とかは今の段階で、すでに期待できないねえ。
箸中山は全く未調査というわけではなく、周辺環濠や表層の調査はすでに行われていて
近々墓室内にトレンチ(試掘坑)が入りそうだから、ある程度のことはわかるとは思うけど。
574 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 04:50:25 ID:aFc7+NYO0
でも、箸墓って、どう見てもあれ軍事拠点だろう?生活感も宗教感も、なさすぎ。
また邪馬台国か
いい加減認めろ
奈良だよ
>>570 困ったもんでしょw
こういった偽書で有名なのは、シオンの議定書とかあるんだけど
日本でも、明治後期や大正期に新興宗教が雨後のタケノコの如く湧き出た時代に
竹内文書とか富士文書などの古史古伝が溢れかえった。ホツマ文字とかもそうだね。
こういうのは偏ったイデオロギーとカルト宗教が渾然一体となってるから、研究するには面白いけど
そばには居て欲しくないシロモノなんだよね。
まあラエリアンとかアダムスキー信者などのUFO系オカルトが、ニューエイジと結びついているようなもんだね。
考えてみると、皇族や宮内庁が古墳調査を妨害するというのも奇妙な話だけどな。
ここまで拒絶するということは、もしかすると江戸期の天皇とすら血縁関係が認められないなんてことも有り得るのだろうか?
ちょっと怪しいよね。
これがわかったとしても未来には何の影響もないのが悲しい
>魏の役人が来て立派な建物がある、とか記述してる
土人 (失礼!) でも、寺院とか神殿だけは立派に造ったりする。
そういう建築物だけを見て報告した可能性はあるね。
見せるほうも立派なヤツだけを見せたがるだろうし。
(日本人は昔から見栄っ張り?)
>>576 皇国史観の影響を受けた旧来の考古学が、それと決別するべく山内や八幡や甲野氏らが実証主義的な方向性へと向かったのは
当然の帰結として、それが一部で多少の隘路となろうとも、現在の考古学に残したものは大きかったということですね
現在もネオ皇国史観なんかが見られるのは残念ですが、主流にはなりえないですからねー
>>577 あれは単なる役人根性で、自分らが許可したという実績をつくりたくないというか
変わったことはやりたくないというだけで、陰謀論に陥る必要はないと思う。
まあ今の通説では、現在に到る天皇制の創始期は、天武・持統あたりからだということなんだけど
無理に神武や応神それに神功なんかを持ち出して、曖昧なままで古く見せようと化しなくとも
世界最古の王家として、十分に胸を張って世界に誇れるものだと思うよ。
万一南北朝時代まで下ったにしてもね。
あと殆どの古墳はすでに鎌倉時代には盗掘されている可能性が高いから
たいしたものはあまり出てこないと思う。
583 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 05:02:03 ID:+wDC1TbJ0
>>579 永久にわからないよ
観光に影響あるくらいかな?
日本の歴史は天皇の歴史だ
大体巫女が国を統べてたっておかしいじゃん
日本はずっと男系社会なんだからさ
中国人の捏造だよw
585 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 05:04:10 ID:YOxm24PW0
平安期の女性を見よ!
何故、自らの容姿、髪に誇りを持てないのか?
日本人の黒髪はどの民族より美しいし、素敵なのに拘らず、商業主義に乗っかり
自らの誇りを捨てている。
また、日本の美しい国土を見よ。
ネトウヨは天皇を中心とした日本政体を愛しているだけであって、日本歴史もまともに知らないし、
郷土の史跡、歴史、民話など知ろうともしない。
上っ面の愛国心はいらない。
に国を愛するとは、過去の時代に生きた人々を愛する、ということである。
586 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 05:04:10 ID:7XDhJOxH0
ID:d0ZcX2Cq0は専攻の人?
しかも畿内説の
九州説の印象を貶める手際は大変結構だけど
畿内説がほぼ間違いない、といえるほどの根拠は提示できてないよなあ
結局、考古学的に言っても畿内だと断定する根拠はない、ということだよね
まあ蓄積が多い分、トンデモ説が九州説に多いのは事実だけどw
畿内説には、その論説や本自体が少ないだけでは?
>>583 >日本の歴史は天皇の歴史だ
そうか?天皇は誕生した時点ですでに脇役(傀儡)だったような・・・w
血縁的にも立場上、書けないだけで実際には何度も断絶しているのだと思う。
頑なにDNA鑑定を拒否している点がそれなんじゃないかな。
日本の歴史を調査するためにはまず天皇制を廃止しないことには仕方が無いと思う。
>>581 専門はもう少し後の時代なんだけど、このあたりはリンクしてるからw
それと学問も未だに戦後処理から抜けきれていないというのが実情かも。
右に左にぶれるのを繰り返しながら、そのぶれ幅を小さくするしかないのだろうね。
少子化ってのも、とどのつまりは埋めよ増やせよ時代の負の遺産のようなものだし
これらの解消と同じく、あと100年くらいはかかるかもw
589 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 05:08:39 ID:CtdIZjkbO
>>8当て字だよ
きっと
今となっては、元々の意味ってか
由来はわからないよね
590 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 05:10:54 ID:gyG+GzDh0
>>ID:DDBA8rQkP
いろんなことをもう少し勉強したほうがいい
2000年代に入ってからの古代研究の本
一冊も読んでないでしょ
いろいろ
ちょっとズレすぎ
591 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 05:11:59 ID:aFc7+NYO0
古代女性大王は、けっこうざらにいるんだが。。。
むしろ、「女性大王」は、別に全く問題無いと内外に示すために、日本書紀が
書かれているような物なのだが。。。
天皇制が「男権的」と言われるようになったのはせいぜい漢籍が流行した
中世以降で、近世ですら、女性天皇は二人もいる。(明正天皇・後桜町天皇)
まだやってんのかw
>殆どの古墳はすでに鎌倉時代には盗掘されている可能性が高い
盗賊は強い。平安期 (特に末期) かもしれない。
世界的にも、古墳を開けてもロクな物は見つからないことが多い。
空っぽのことさえ多いみたい。あれだけの建造物を作って、中身空っぽなんて
信じ難いよ。やっぱり盗み出したヤツがいるんだろう。そう思うけど。
594 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 05:13:28 ID:+wDC1TbJ0
こんなギャートルズ時代の事を議論して
何の意味があるんだろうか?
それより真実の近代史を知る事が日本人として先
595 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 05:14:52 ID:iJaq4Clm0
コンビニやほか弁に入ってるピンク色の漬物くらいどうでもいい
ぶちゃけ畿内説が正しかった場合、魏志倭人伝の記述のほとんどは嘘だったってことになると思うよw
その場合、邪馬台国=大和王権ではないだろう
魏志倭人伝の邪馬台国は嘘で、別に大和って国があったって言ったほうが良い
>>594 あ、日本人だったんだ
てっきり半島の人かと思った
>>590 いや、自分は普通に天皇は嘘だと思ってるんでw
別に国家の誇りとも思ってないしさ。
天皇の存在が日本の進歩に寄与したという事実はこれといって無いと思う。
それに日本人は都合が悪くなると天皇のせいにして言い訳するけど、
現代の日本人に必要なことは自らの意思で大統領を選出することだと思う。
自由主義と天皇制はどうやっても相容れないんじゃないかな?
599 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 05:16:54 ID:aFc7+NYO0
>>593 案外、吉村作治さんみたく、「怪しいトコ本体より、その回り」を掘った方が
より有意義な物が出てくるかもね。いかにも怪しいところなんて、昔の盗賊や
権力者が、とっくに調査済みでしょうしね。
吉野ヶ里より、宇佐神社界隈の方がどう見ても怪しいんでね?
600 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 05:17:10 ID:+wDC1TbJ0
>>586 根拠の提示というか
>>560で書いたように、蓋然性の問題であって
これで畿内説に間違いないというようなものはないし、今後も出てこないと思うよ。
ただ事実として、昔のように学者が邪馬台国論争をしているというようなことは今の時代にはないし
大方畿内を中心とした広域交易連合のことを、邪馬台国だと倭人伝が書いたんじゃないか?というくらいのもの。
蓋然性という言葉を使ったのは、今のところこれが一番可能性が高いからで
ツクシ連合こそが邪馬台国連合であった可能性のほうが高くなれば、当然そっちに乗り換えるw
ただ文献からはもう新史料でも出ない限り、邪馬台国問題を解決することができないというのは前提として考えねばならないということ。
倭人伝からはこう読めるというのは、あまり意味の無いことなんだ。
だからアカデミズムではもう誰もやってないわけ。
マスコミ報道などで畿内説で決まりといった論調には、俺も正直違和感があるよ。
あれは邪馬台国を客寄せパンダにしたリップサービスみたいなものだからw
602 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 05:18:11 ID:gyG+GzDh0
>>598 そんなことは誰も書いてないわけ
キミはこのスレでたくさんレス書いている中で一人だけ
イデオロギーに偏りすぎて
客観性も勉強も欠いた
頓珍漢なことを書いている
604 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 05:19:49 ID:NoeoQD370
605 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 05:19:54 ID:aFc7+NYO0
>>598 スレ違いだし、反日さんもいそうなので、あえて教えてあげませんが、一応、
天皇制と自由主義が両立する方法論は、いくつかある。
608 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 05:21:34 ID:7XDhJOxH0
>>601 畿内の方が九州より蓋然性が高くなる根拠も、また無いわけでしょ
つまり考古学でもロクな確証は得られない、と逃げたいわけかな
どっちにしろ論争の根本は
「魏志倭人伝に記された邪馬台国」の場所はどこか?
という、命題からして文献ありきのものだし
そもそもの魏志を否定するのはナンセンスだろう
九州だろうが奈良だろうが古い遺跡が出たといって、だから何?って話だ
魏志倭人伝の記述との一致がなければ邪馬台国論争そのものが無意味
もう炭素年代測定の精度アップとか、化学分野へ移行したほうがいいかもね
609 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 05:22:00 ID:kkZAvMH70
文字どうり福岡県山門郡(やまと)こそ邪馬台国が
あった場所だ。違いないって。
610 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 05:22:08 ID:93DbCqoj0
かおみりゃわかるよ
日本人は明らかにモンゴルとか華南の少数民族に似てる
つまり最初に東アジアに広まった直系
中原はその次の進化した世代が押さえた 朝鮮はさらに進化したのかも
しれん
ここで言う進化は高等になったとは限らんからそのつもりで
>>601 今、考古学者が論争してるのはどんなことなの?
612 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 05:22:54 ID:WBKGb+nN0
阿波だろJK
>>605 世に言う○○天皇陵が実は天皇の墓ですらない可能性も僕は考えている。
あんなの何の根拠もなく明治政府がデッチ上げただけなのだから。
>>608 邪馬台国は中国の大きな釣り針なのかもな
存在しないから見つけ出すことも出来ない
615 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 05:23:59 ID:ODUtHQUh0
どうでもいいわwwwwwwwwwwwwwwかっぺの観光だろ?wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
616 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 05:25:43 ID:+wDC1TbJ0
「府」というのはキーワードになると思うけど
九州に大宰府がある
あと、不思議な事に出雲大社の支社がある
魏志倭人伝の記述が全て嘘だとしたら畿内説の全ての辻褄は合う
ただし、魏志倭人伝を資料とした研究のすべても価値を失うことになるがwww
618 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 05:27:50 ID:DSq99q+FO
邪馬台国は大都会木更津に決定したからあきらめろ
619 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 05:28:40 ID:aFc7+NYO0
>>613 一応、明治以前のある程度古い「古墳らしき物」を、〜〜陵と明治政府で規定
していったイキサツですね。
俺個人は、ゼロサムで、無い物をあるとしたというまでの大きな捏造は少ない
と思っておりますが、「天皇間違い」はやっちまってる可能性はあると推測
しますね。
ま、明示から続く現在の学閥や宮内庁が、その間違いを正すのに積極的に手伝
うとも考えにくいですし、実際現実、その傾向のようで。。。;^^A
620 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 05:32:34 ID:/TEy27kgP
常識的に考えて、奈良一択だろ。
宇宙の起源は韓国
つまり邪馬台国も韓国
卑弥呼は韓国人
622 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 05:33:49 ID:eRBjOZss0
ほとんど畿内説で決着ついてると思うが。
佐賀県は吉野ヶ里遺跡に税金使いすぎてるからな、他に何もないし、
観光資源として邪馬台国をアピールし続けざるを得ないんじゃないの?
これのホストも佐賀県だし、経済的な大人の事情があるんだよ。
623 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 05:35:27 ID:aFc7+NYO0
俺個人は、吉野ヶ里でも箸墓でもどっちでもない説だな。
宇佐神社か、大分と宮崎の間くらいだよ。そっちを掘った方がええと思う。
624 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 05:36:05 ID:7XDhJOxH0
>>617 いやそもそも邪馬台国が無かった、あるいは信憑性薄いことになるんだから
「畿内こそ邪馬台国」という主張自体がおかしくなるw
畿内にヤマト国があったのは間違いないだろう、考古学的に言って
ただしそのヤマト国は「邪馬台国」とイコールにはならない
現時点ではどう頑張っても
なのに徹底的に九州説を貶め
畿内説で確定、と決め付けようとするのはどういう情熱なのかねえ
625 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 05:36:10 ID:+wDC1TbJ0
>>622 それは拝金主義の盗人の考え
ここはもっと頭柔らかくしよう
>>608 >邪馬台国論争そのものが無意味
ぶっちゃけそう言ってるつもりなんだけどw
比較検討が出来ない文献の内容を精査したところで、それが事実かどうか分からないというのが結論だったわけだから。
否定がナンセンスなのではなく、妄信肯定がナンセンスなんだとは思わない?
三国志そのものも、周辺記事が間違いだらけってのはご存知でしょ。
韓伝のように、実際に支配地域になった部分に関しては信頼度の高い部分もあるけど
大月氏のくだりなどを読むと、印授した地域への理解度はかなり低いといわざるを得ない。
そういうものを根拠として、論争は成立しないということ。
だから繰り返すけど、アカデミズムではとっくにやってないでしょ。
というわけで、趣味としておやりになるのならどうぞって感じなの。
でも無闇に学問成果を否定して貶めるのはやめてねって、まあそんな感じかなw
627 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 05:38:02 ID:DEojgOvD0
じゃ・・・邪魔・・・邪馬台国
筑後国。八女。
629 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 05:41:45 ID:u0C60nYU0
昔の日本人は「女」というモノに幻想を抱いてたんだな・・・
630 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 05:43:58 ID:aFc7+NYO0
傍証が取れない以上、少なくとも「邪馬台国は魏志倭人伝の記述どおりあった」
という大前提は、これ認めないと、九州説も近畿説も、どっちも成り立たない
やろな。それだけは確か。日本じゃないかもしれんしな。
「そもそも無いんちゃうか?」と言う人は、それ以前の邪馬台国存在の是非
の範囲やろな。
631 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 05:45:08 ID:/FsQ0f9R0
邪馬台国はナカータ、パルーマ、ペルージャ
>>624 貶めてるんじゃなくて、実際問題として考えにくいってことなんだけどね。
倭人伝の行程記事の信用度はほとんどない。これは畿内説やら九州説関係なくね。
では戸数はどうかといえば、5万戸や7万戸なんて規模のものが、どうしても九州に見つからない。
これは畿内すらもない。つまりこれも信用できないという事になる。
こうなると倭人伝を元にして邪馬台国を探すというのは
まったく信憑性の無い数字を元にして方程式を作るような作業になってしまうわけよ。
これじゃあ学問とはいえないよね。
貶めているなんてのは被害妄想だと思うよ。
ちょうどエーテル宇宙論が相対性理論の登場によって、過去のものとなったように学問的な流れにしか過ぎない。
しかしそのエーテル宇宙論も、相対性理論にきちんとした異を唱えたからこそ量子力学に昇華したわけで
統一場理論の構築という局面うを迎えているわけだし。
だから考古学的にも矛盾のない、倭人伝から解き放たれた九州説ってのなら大歓迎だよ。
邪馬台国がどこにあろうと、それが日本と何の関係があるんだよ。
邪馬台国が大和朝廷の前身なのか?
それってどうやって証明する?
ちょうどその頃の日本は国の意識のない小国がわんさかいたってことだろ。
その程度の意味の話なんて、わざわざ邪馬台国はどこか論争をする意味そのものがない。
邪馬台国論争を耳にするたびに思うんだが、
「邪馬台国は九州か近畿か」という論争ではなく、
「日本史にとって、邪馬台国論争は必要か無用か」という論争をするべきだと思う。
俺は当然、論争無用派。
仁徳天皇稜やそれ以前のを発掘調査すればいいだろ??
それで今のような論争から脱却できる。
単に宮内庁が許可すればいいだけ。
635 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 05:53:36 ID:aFc7+NYO0
>>633 邪馬台国論争仕分けですか?一応、邪馬台国は「年代」ははっきりしている
ので、実在と実在地がわかれば、今まで記紀でしか、しかも神話としてしか
把握できなかったあたりの年代が、ある程度、「傍証」できるものもチラホラ
出て来るんじゃないか?
直接結びつかないからと言って(それは優先度は減るかもしれないが)無用
とまで行くかどうかも、甚だ疑問。間接的に結びつく論証なども大事にする
のが、学問って物。
天文学を後回しにした東洋は、西洋の大航海時代に遅れをとったワケだし。
早すぎる無用論も、これも学問的ではないと思う。(優先順位は変わりうる
ケド)
636 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 05:55:18 ID:gvU29Whi0
>>622 佐賀は吉野ヶ里の他に熱気球大会も観光資源
637 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 05:55:40 ID:XLeNcNf20
夜中の12時半から朝5時50分までに、630件以上の投稿数とはビックリ。
これだけのファンがいるのだから
考古学者の原稿料稼ぎには、永遠に明確にならないのが理想。
638 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 05:57:57 ID:aFc7+NYO0
>>637 それもあるから、現在の九州説も近畿説も、アサッテの所を掘っているのかも?
そうじゃないかも?そうじゃなくないかも?www
そもそも実在の根拠自体がどうなのか
640 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 06:00:45 ID:aFc7+NYO0
>>639 曹操の部下が、曹操にウソの報告を上げたら、多分首チョンパだど♪
奈良県から弥生時代の宮殿跡が発見されたのだから
大和朝廷の前身が奈良県にあったのはもう確定だよ。
しかもこの宮殿が卑弥呼の時代に符合しているのだから
卑弥呼が使っていた宮殿と言えるだろうな。
この宮殿を中心として連合国家の運営が始まり、大和朝廷へと
踏襲されていったのだろう。
>>635 無用論は言い過ぎかもしれないが、
同じ日本史発掘に金をかけるなら、もっとかけがいいのあるテーマがあるだろってこと。
あと、「近畿か九州かどっちが正しいかがはっきりすれば神話当該部分が明確になってくる」
というのなら、近畿か九州かどっちが正しいかを確定せずに、
「仮に九州説が正しいとすると、記紀周辺の事実関係はこういうことになる」
「仮に近畿説が正しいとすると、記紀周辺の事実関係はこういうことになる」
とそれぞれで深めていけばいいだけの話
それをやっていくうちに片方の説に矛盾が出てくるとか、もう片方のほうがやけにスムーズにいろいろなものが
一本の線で結ばれるとかのはなしになってきたら改めて論争すればいい。
今の論争は、あまりにも不毛。あまりにも感情的。だから無意味と思う。
少なくとも優先順位はもっと低くあってしかるべき。
間をとって島根
>641
>奈良県から弥生時代の宮殿跡が発見されたのだから
>大和朝廷の前身が奈良県にあったのはもう確定だよ。
だから↑こんなくだらないことといってるから馬鹿にされるんだっての。
なら県から発掘されたということが、
奈良県以外からは発掘されないということの論拠にはならんのだよ。
奈良県は、ひとつの可能性を得ただけに過ぎない。
邪馬台国って四国ってテレビで言ってたよ。
何か昔の地図では近畿も九州も位置が合わないらしい。唯一合うのは四国だけだって。
YouTubeに載ってたかな。
646 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 06:05:06 ID:7PZitVvxO
魚釣島
ぶっちゃけ邪馬台国とまったく縁もゆかりもない地域の人間から言わせてもらえば
どこの説も確証がなくてイマイチなんだよね。
で思ったんだけどここまで色々な説が出るってことは別の説も考えられない?
つまり邪馬台国ってしょっちゅう遷都してたんじゃない?
何か災いとかが起こると場所が悪いからだってことでさ。
だからいろんな地域に邪馬台国にまつわる話が残っているんじゃないかと。
そんでその名残りで奈良時代とかもたびたび遷都していたとかはどう?
確定的証拠がない段階で論争していること自体が無意味
時間の無駄。
わからないことはわからないままにしておくのが科学のあるべき姿勢。
わからないことをおのれの心情にもとづき、決め付けるのは科学ではなくオカルト。
確定的な証拠もなしに期限を決め付けるのは、どこかの国の韓国人とメンタルが一緒。
最低最悪だろ、人として。
649 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 06:09:11 ID:aFc7+NYO0
>>641 従来の神話的記紀でも、「大和での天皇家以前の王朝の存在」は隠していない
んだし、その「前大和政権」があっても、全く問題無いでしょう。でも、それ
を「魏志倭人伝の邪馬台国」とするに足る証拠があるか?そこが一番大切なの
ではないでしょうか?「前大和王朝の存在」がただ独立的に見つかっても、
それが「魏志倭人伝の邪馬台国」となるかどうかは、これは全くの別問題。
>>642 「かけがいのある」を演出するために、わざと「邪馬台国幻想」を仮借して
いるきらいは、確かに今の九州説〜近畿説論争には、ありますね。その点が
悲しいと言う感想は共感します。
予算を引っ張るためだけに、双方無理してたり、双方相互を論外で貶めている
という感じが強いですね。
ところで、「もっとかげかいのあるテーマ」って君的にはどこらへんでしょう
か?よろしければ、後学の為にお聞かせ願えれば。。。
650 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 06:09:12 ID:o9GXaEi90
>>647 「国」という字が入ってるから勘違いしてるみたいだけど
邪馬台国は現在で言うなら「県」か「市」だよ
つまり、邪馬台国から遷都したら、そこは邪馬台国じゃないの
651 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 06:12:31 ID:o9GXaEi90
>>649 中国では秦も漢も魏も晋も王朝としてはつながってないんだが
都はすべて洛陽または長安にある
日本も同じことで、王朝が交代しても
邪馬台国(現代の感覚で言うなら「邪馬台市」)をを首都とすれば
それは邪馬台国の政権ということになる
だいわせいけん
じゃばだいくに
(^q^)
653 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 06:13:34 ID:gvU29Whi0
年毎に各都道府県もちまわりで町おこしに使えば経済効果あり
>>650 だってその当時は地域に点在していた小国を統一していったんでしょ?
邪馬台国がどのくらいの大きさだったのかなんてわかってないんじゃないの。
それに当時の邪馬台国がどういう形態を表しているものだったのかもわかってないよね
っていうかそもそもそういう固定概念持ってるからいけないんじゃないかと。
中国人だってわざわざ、魏志倭人伝書くために、全国各地を流浪してないだろ?
そもそも、九州以北の存在を知ってたのかどうかすらもわからんしな。
邪馬台国はヤメツコクと読む。ヤメツとは八女津、
八女津姫が卑弥呼。博多湾から一月、有明海から筑後川か
矢部川で十日。
657 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 06:20:28 ID:2ivedkWX0
>>ID:aQo+A7bl0
電波すぎる
箸墓古墳って実在してて
纒向遺跡も実在してるんだよ
おまえの頭の中じゃ
何もかも無いことになってるみたいだが
どこのパラレルワールドに生きてるキチガイなの??
658 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 06:22:12 ID:PDSnH7Sm0
栃木
壱与はエロかったはず
660 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 06:22:55 ID:bvNETT2v0
纏向といえば第十二代景行天皇
邪馬台国というのは連合国家だから当然規模が大きい。
従って相応の中央庁舎が必要になるはず。
卑弥呼の時代に連合国家があったわけだからこれに相応しい
中央庁舎跡として考慮すれば奈良の宮殿跡がそれだったとしか考えられない。
これが属する弥生時代の集合集落の規模を見てもこの時代のこの規模に匹敵
する集落は他にはない。
つまり邪馬台国が奈良にありそれが大和政権へと受け継がれたと考えられる。
662 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 06:24:30 ID:aFc7+NYO0
>>650 当時の「国」は、今で言う「県」くらいの物だったかもと言うのは、説得力有り
ますね。実際、江戸時代とかも「出雲の国」とかって言い方をしてますしね。
そうすると、県くらいの大きさの「国」が、西日本全土に散在していて、それ
の長が、王であったり、主命であったり、巫女であったり、という郡生体が
邪馬台時代の日本の実情だったのかもしれませんね。で、乱が耐えない状態
が昂じてきて、それより上位概念として「大王」が必要になったという推論
は、自然発生的に可能かもしれません。最終的に、出雲の「主命」と大和の
「大王」と九州の「ヒミコ(漢字はあえて不肖)」の長城決戦で、「大王」
が勝ち残ったのかもしれませんね。
第十一代の垂仁天皇も纏向かな
>>661 大和は中央集権国家だから庁舎はあるだろう
でも、邪馬台国が連合国家だから庁舎があるってつながる意味が分からない
むしろ、連合国家なら庁舎は不要なはず
巫女の祭壇があれば良いレベル
れきしろまん(^Q^)
666 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 06:28:46 ID:2ivedkWX0
>>641 >>661 纒向の近年の調査により
そういう考え方が
プロアマを問わず大勢を占めていると思う
667 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 06:32:11 ID:o9GXaEi90
>>654 邪馬台国の大きさは魏志東夷伝倭人の章に7万戸と書いてある
668 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 06:33:07 ID:aFc7+NYO0
>>661 理窟はわかるけど一部だけ疑問。ソウルには庁舎があります。ピョンヤンにも
庁舎があります。日本から国交が強かったのは、韓国です。
韓国の首都を探して、先にピョンヤンを掘り当てました。てことは、当時の
韓国の首都はピョンヤン?(ソウルはたまたま候補地にならなかったので
掘りませんでした)
669 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 06:34:04 ID:HBw4rfOA0
670 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 06:34:25 ID:o9GXaEi90
>>661 だから、邪馬台国ってのは卑弥呼が治めてる国の総称じゃないんだよ
たとえば江戸時代の武蔵国は日本全体か?違うだろ
邪馬台国なら 今俺の隣で寝てる
それにしても
イデオロギー莫迦ってどこにいても邪魔だな
邪馬台国論争は政治(町おこし)とかイデオロギーとかが絡むから困る
まともな学者は邪馬台国なんて避けてるだろ
とりあえず、箸墓はあり纒向はある
九州には匹敵する遺跡はない
三角縁神獣鏡は畿内を中心に分布している
魏志倭人伝の記された時期の日本がどういう状況だったのかということで、
これ以上は語れることがないよ
674 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 06:35:49 ID:o9GXaEi90
>>664 邪馬台国が連合国家なのではない
邪馬台国は、連合国のもっとも有力な「1つの国」でしかない
>>669 もし畿内〜北九州に広がる国だとしたら少ない
676 :
鐘が鳴れば ◆x49KIgS70k :2010/10/11(月) 06:36:33 ID:LfXht25h0
ムー帝国にあったとするのが惑星連合の一致した意見
正当な古文書「新・竹内文書」によれば日本上空に天空の高等
ヒューマノイド・ムー人がおり。これが、古代人に指令を伝えていた。
このムー人は、宗教・思想・貨幣など遅れた文明・文化を凌いで
おり。高次元の存在であったとされている。
677 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 06:37:06 ID:Nnd6Ukky0
そもそもイザナミとイザナギが阿蘇山と桜島としたら邪馬台国は九州以外考えられないのだが
>>666 最近はそういう流れなんだ。
だったら仲良く九州で邪馬台国でルーツが生まれて
国を統一していって最終的に奈良に遷都したでいいんじゃないの?
それじゃどっちの説の人も嫌?
>>667 そんなこと言われても知らんがな
7万戸っていっても昔なんだから部落が方々に点在してる可能性だって十分あるでしょ?
まさか7万戸が一つの集落ではないでしょ?
それに統一中なら他国を挟んた集落同士が結ばれていた場合だって可能性あるでしょ?
>>676 イデオロギー絡みの歴史解釈って結局そんなんになっちまうんだよなー
ほんと邪魔くせぇ
俺の父さんマジ邪馬台国生まれだから
まじお前とか全島後円墳行きだから
>>674 だとすると大規模な庁舎の必要性が更に薄くなる
3世紀には庁舎だけ作って4世紀になって政治形態を変えたのか?
さすがにちょっと理屈に合わないだろう
考古学的には九州の方が妥当なんだけどな。
畿内説が優勢なのは政治力の差。
奈良でもいいんだけど、東征をどう解釈するかだよな。
それじゃ、あれは嘘って事になるしな。別に神話部分だからどうでもいいんだけど
684 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 06:40:35 ID:2ivedkWX0
685 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 06:41:28 ID:o9GXaEi90
>>678 とにかく、日本という国は弥生時代から江戸時代までずーっと連合国家だったことを忘れるな
卑弥呼の時代においては邪馬台国が政治の中心となり
奈良時代には大和国
平安時代には山城国
江戸時代には武蔵国が政治の中心となった
纏向ってさ、色んな天皇が宮を作ってたんだよな
4、5人は居たような気がする
687 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 06:41:54 ID:o9GXaEi90
>>681 とにかく、日本という国は弥生時代から江戸時代までずーっと連合国家だったことを忘れるな
卑弥呼の時代においては邪馬台国が政治の中心となり
奈良時代には大和国
平安時代には山城国
江戸時代には武蔵国が政治の中心となった
688 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 06:42:37 ID:o9GXaEi90
現在の中央集権的な政府しか連想できない馬鹿は邪馬台国を語る資格がない
現在の中央集権的な政府しか連想できない馬鹿は邪馬台国を語る資格がない
現在の中央集権的な政府しか連想できない馬鹿は邪馬台国を語る資格がない
現在の中央集権的な政府しか連想できない馬鹿は邪馬台国を語る資格がない
>>684 だったらあなたの説を教えてくださいな
そもそも魏志倭人伝に記載されている内容が正しいとも証明されていないのに…
それにあの短い文章から色々な仮説を立てることは出来ても立証することは不可能だと思うよ
690 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 06:43:40 ID:2ivedkWX0
>>683 ?
素直に読んだら
政権が東遷したという話ではなくて
神武兄弟が奈良で豪族を倒してそこにクニを作ったってだけの話だよ
なんにも矛盾してない
九州説が出てきたのは
大和政権が魏に朝貢してたと成る事を
避けるための、でっちあげだぞ
692 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 06:45:15 ID:Nnd6Ukky0
ん? 何言っているの?
大和政権と邪馬台国は別物でしょ
古事記とか読んでもそんな感じ
693 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 06:45:21 ID:0Dw8Vybr0
卑弥呼の墓があるところが邪馬台国のあった場所。
無意味な論争より発掘あるのみ。
695 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 06:46:23 ID:aFc7+NYO0
例えば、同時代に、邪馬台国がある程度の規模の首都庁舎を建設したら、
邪馬台国に対立(対抗)する国だって、それ相応の首都庁舎を建設しますがな。
出雲大社だって、でっかいんだし、前大和政権が、出雲と拮抗した神殿宮殿
くらい当然作っただろう。ましてや後に大和政権が出雲を制圧したんだから。
先述したけど、「前大和政権」が立証されても、それが「邪馬台国である」
と言う事には必ずしもならない。邪馬台国にバカにされないためにでかいの
作っただけかもしれないしな。京城になめられないために平壌を立派にした
北朝鮮の例もあるし。
邪馬台国=大和=奈良のほうが万世一系の思想にとって
都合がいいから。そうしたいだけだろ。
金印にしてもそうだが、じゃなんであの場所から発掘されたかだな。
たぶん、どっかの国、もしくは誰かが乗っ取って、日本書紀をいいように書き換え
たとしか思えん。
>>691 つまり、でっち上げるために魏と大和の人がそれぞれに嘘をついたわけですね、未来の日本人のために
>>696 ふうん、じゃあ万世一系にとって古事記という古典籍は都合が悪いんだ?へー。
699 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 06:49:06 ID:o9GXaEi90
>>696 邪馬台国が大和だからといって万世一系ということにはならない
秦も漢も魏も晋も首都は洛陽または長安だが
朝廷の血統はつながってない
>>694 魏に朝貢してた邪馬台国は九州の地方政権に過ぎない
とすることで、大和政権と切り離そうと言う考えから出発
ようするに結論が先で、其れに見合う証拠固めが後になってる
邪馬台国は東北にあったんだよ
本に書いてあったもん。
>>695 いや、それは順序が違うとおもう
大規模な庁舎をつくるのは、その必要があるからで
それが建てられるのはそれを成し得る権力があるから
もし、邪馬台国にも大規模な庁舎があった場合は連合国家では無くなってるはず
(強権がなければなし得ないなら)
となると、魏志倭人伝の記述とは異なる事態になる
イデオロギー莫迦ってほんと馬鹿なのな。
>>700 つまり新井白石はそれだけ邪馬台国が嫌いで中国が嫌い、と。ふーん。
704 :
鐘が鳴れば ◆x49KIgS70k :2010/10/11(月) 06:51:58 ID:LfXht25h0
>>679 今はアンドロメダに在住する竹内巨麿のエーテル体から霊的指導
を受け。多くのミステリアンと交流がある私だが。地球人の常識
を超える為信用がない。証明する古文書の多くは戦後GHQが焼却処分
してしまったと聞く。
「宮殿跡」が重要なのではなくて
「宮殿跡とそれを含む同時代の集落がどのくらい大きいのか」
ということが重要なのだよ。
>>697 でっちあげは江戸時代から
邪馬台をヤマタイと呼び始めた
普通にヤマトと読めるのに・・・
707 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 06:53:03 ID:vfWEc2/S0
日本一古い神社って桜井市にある大神神社だろ
圧倒的じゃないか
>>700 朱印船貿易やってる時点でそれは……
なんでわざわざそんな過去の話だけ否定するのって話だよ
>>640 曹操が(つーかその時代曹操なのか?)んなこと調べるのか?
こんなもん良きに計らえで終わる事案だと思うが。
710 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 06:53:56 ID:Tmg0GlPhO
邪馬台国なんかなかったんだよ
要するに天皇家と日本の神話をキープしたいから
無理やり繋げようとしてるんだろう。
八女でいいじゃない。新幹線船小屋駅の為に譲ってあげて。
>>708 >朱印船貿易
正に「朝貢」と解釈されない為に
幕府は文書書き換えを、対馬や長崎に
やらせてた訳で・・・
713 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 06:56:07 ID:o9GXaEi90
>>709 晋の時代だから司馬氏の時代だね
ついでにいうと陳寿は蜀の出身だから晋の前は劉禅ww
>>709 曹操さんはいちいち細かくチェックする人
でも時代的には曹操よりも阿斗の時代
715 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 06:57:29 ID:2ivedkWX0
>>711 どっちかというと逆
どうしても大和朝廷と邪馬台国を切り離したい連中が山ほどいたんだけど
纒向を調査したら
やっぱつながってるんじゃねえの
って話
>>711 あのさぁ、日本書紀と古事記って同時期に編纂されたんだよね
まぁ編纂事業開始時期とか上奏される時期は微妙に違うけどさ
そして古事記には倭人伝絡みの記述なんて出てこないんだよね
日本書紀には出てくるけど
で、天皇家と神話のキープがなんだって?
ほんと、バカジャネーノ?
717 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 06:58:39 ID:N+CfsC3a0
>>706 中国語発音でも古来から変わらないのがあるって言ってるだろ?
YAは現在では「しぇ」
「ま〜」や「たい」は変わってないって言ってるだろ?
しかも43%のひとの遺伝子モンゴル系なので謎なのだよ
718 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 06:58:41 ID:qCWIV7UBO
邪馬台国が、あくまでも「中国の史書に記述された倭人の国」であるという前提を無視して、勝手に「日本列島内で最も大きな勢力=邪馬台国」という図式を描くのは間違いだ。
中国の史書では、倭人の領域を一貫して「朝鮮半島の向こうにある島国」と描いている。倭人は稲作漁労民であり、その風俗は南方的で、隋の史書に至ってなお、「倭国には阿蘇山あり」と書き、大和三山だの富士山だの一向に出て来ない。
この事実は、中国が「倭国=九州を中心とする地域」と見なし、そのように記述したことを表している。畿内の大和が、その存在すら中国に認識されていたかどうか、はなはだ疑問だ。少なくとも、かなり遅くまで正式な国交はなかっただろう。
719 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 06:59:10 ID:aFc7+NYO0
>>702 ん?何で?
出雲を中心とする中国地方王国連合体があり(これが出雲王朝)。
奈良を中心とした近畿王国連合体があり(これが前大和王朝(大和王朝とは別))。
北九州を中心とした九州四国王国連合体があり(これを邪馬台国影響圏)
上記の前提なら、出雲と奈良とまだ見つかっていない北九州の王都は、
「互いにライバル視」できるレベルの物を、無理しても作るんじゃない?
箸墓でいいよ。終了。
それはそれとして、箸墓の由来聞いてなんじゃこれと思った。
721 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 07:00:22 ID:gNGk0dAUO
卑弥呼の古墳が作られた記述はどこかにあるっけ?
722 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 07:02:01 ID:0Dw8Vybr0
邪馬台国が連合国家だといってもたかが知れてる。
当時の軍事水準では国なんて町レベル。
連合国家は町内会の連合体みたいなもの。
日本を統一するような国なんてありえないな。
723 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 07:03:33 ID:gNGk0dAUO
古事記や日本書記は大和朝廷の正統性の為に書いたとかではないの?
卑弥呼はいいとして、じゃ、いよ、とよだか知らんがそいつが
誰になるのかってことだな。
該当する人物なんていないだろ。
大体、過去の政権みれば、大規模な内乱起きたら次の政権に
かわってるしな
確実に別勢力に征服されてるだろ
725 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 07:04:03 ID:ClAeb9pAO
726 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 07:05:09 ID:xVgZHSiRO
ヤマタイ=ヤマト=山手
古代栄えてる場所をヤマトとよんだ
だからヤマト=ヤマタイは複数ある
727 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 07:05:13 ID:aFc7+NYO0
>>714 阿斗なら、たしかにアバウトかもしれない。ううう。
>>717 卑弥呼の後継女王「台与」には
2通りの読み方があるよね
「イヨ」または「トヨ」
「タイヨ」なんて聞いたことあります?
729 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 07:05:35 ID:2ivedkWX0
>>723 日向神話や出雲神話は
ヤマト政権にとって
決して都合のよくないこともたくさん書いてあるわけでね
>>719 大規模な物を合議で作ることは難しいから
ピラミッドやアンコールワットやタージ・マハルを合議制で作れるか?ってこと
それを成す権力が邪馬台国の巫女にあったかどうかは疑問
古墳が大和王朝時代から増えるのも同じ理由
その上、庁舎ともなればそこに詰める人が各連合から集まりそれの維持費もかかる
わざわざそんな出費を見栄のためにやることはないだろ
出雲王朝って新潟あたりまで勢力圏あったんでそ
細長すぎるけど海軍で港を制圧していったのかな
732 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 07:07:37 ID:bvNETT2v0
>>723 古事記は伝承を残すため
日本書紀は国史だから正統性を内外に示すためだろーね。
そして古事記には倭人伝絡みの記述は出てこない。
わかりまちたか?
邪馬台国が東征して近畿に植民地を作ったんだっけ
そんで植民地の方が大きくなって立場が逆転したと
>>714 曹操が細かい人であろうがなんだろうが、シナ大陸の勢力争いで精いっぱいだろう?
なんで日本のよくわからない呪術国家に注視するんだ?
いっちゃあなんだが理由がない。
735 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 07:08:48 ID:gNGk0dAUO
卑弥呼 = 日の御子 = 天照大御神
邪馬台国 = 大和国 = 近畿
737 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 07:09:52 ID:ZAMvSoDv0
738 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 07:10:08 ID:qCWIV7UBO
>>722 そろそろ古墳でも作ろうか、という時代だぞ。町内会よりはずっと発展した統治体制はあって当然。
邪馬台国期の日本列島内の勢力図は、まずもって九州vs出雲、その背後に吉備が付き、大和は尾張あたりと組んでようやく頭角を表し始めた新興国家、ってところだろう。
長い事、畿内説の不利な点として、、
北九州には以前から発見されていた、魏志倭人伝の記載にあるような
環濠や高見やぐらを築いた村が発見されなかったことだがね。
最近、マキムク遺跡などで、それが見つかったことで、畿内に魏志倭人伝の記載を裏付ける全てが見つかった
卑弥呼の墓に相当すると思われる巨大古墳に魏より賜ったと思われる銅鏡など、以前から発見されていた
あとは金印が発見されたら、決定的なんだけど。
ま、これはさすがに無理だろうね。
741 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 07:11:08 ID:aFc7+NYO0
>>731 出雲と大和の戦いで、出雲の皇子が、確か美濃とかあたりまで、逃げているん
だかゲリラ戦してるんだか、してるはず。
出雲が中国地方で、大和が近畿地方、っていうイメージからすると、この転戦
は、何か不思議な感じを受けますね。でも出雲が日本海を広く(港だけでも)
制圧していれば、この転戦は充分可能ではありますね。
むしろ地方豪族の中の人も伝承を提出させた
ついでに風土記も同時期編纂で国家事業
イデオロギーに凝り固まってアッチガワに逝っちゃった人は
風土記を根拠に政治的操作を唱えてみたり、日本書紀を根拠に日本書紀を否定してみたり
色々忙しい。
743 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 07:12:01 ID:gNGk0dAUO
>>734 曹操は一度しか会ったこと無い下っ端役人のことまで覚えてて何を提案したかまで記憶してる人だから
もし、外国に国の人物を派遣したらその報告書は絶対に読むと思う
烏丸族をはじめ夷狄には悩まされた時代だし、そのまま放っておくことはまず無い
韓国にあったニダ!
746 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 07:13:19 ID:qCWIV7UBO
>>728 そこで、九州は大分にトヨの国があり、豊後水道の向こうが四国は愛媛、イヨの国だ。
この符合は何を意味するか?
>>743 日本書紀も古事記も大和朝廷の中の人が編纂しましたが何か?
748 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 07:13:50 ID:n3M4WK38O
>723
もちろんそうだけど古代の本にしちゃ異説も載せるなど意外と公平
皇国史観の反動で軽視され過ぎてると思う
そのくせ朝鮮からの文化伝達はピックアップして評価、任那日本府は否定、わけわからんね
751 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 07:15:10 ID:aFc7+NYO0
>>730 それなら、「そんなでかいものをわざわざ集権で作らせた」前大和政権は、
ますます、邪馬台国チックでは無いような気がしますね。。。
でかくで豪華なのを見つければ見つけるほど、記述された「邪馬台国」とは
どんどんかけ離れて行きますな。
752 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 07:15:12 ID:T3pST1QB0
天照大神という女性神を祭るヤマトの国→→→当時のシナ人の超訳→→→女王卑弥呼の邪馬台国
これだけの話
753 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 07:15:17 ID:7/8FADOL0
★2て、
おまえらドンだけ邪馬台国好きなんだよw
754 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 07:15:16 ID:xVgZHSiRO
卑弥呼=貧乳娘
755 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 07:16:50 ID:PCKI0xiQ0
邪魔大国なら知ってるんだがな
756 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 07:17:08 ID:qCWIV7UBO
>>741 美濃じゃなく信濃な。
日本海を船で逃げて、新潟あたりから川をさかのぼればすぐだ。
>>744 一応言っておく。魏志ができたの曹操時代じゃねーから。
根本的に魏志倭人伝ができたの曹操時代だと思っているというのは根本的に歴史認識を誤っているとしか評価しようがないんだが。
卑弥呼がシャーマンでそれで末期のまで持ってたとするなら、
ずっと女じゃなきゃ勤まらんだろ。
途中で男をたてて失敗してるんだから。
下手すりゃ徳川家のように内部分裂、自然崩壊で消滅したのかもしれん。
759 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 07:18:01 ID:DSq99q+FO
邪馬台国は現在の釜山にあったんだよ
高貴で優秀な民族である朝鮮民族が原始民族である日本人に文化や鋳造技術をもたらすために派遣した特使が残した痕跡が銅鐸や銅鏡なんだよ
日本には邪馬台国なんてなかった
760 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 07:19:34 ID:Iww9QR7k0
邪馬台国が畿内にあったことは既に考古学会では定説になっている。
にもかかわらず、「マーケティング」的な視点から九州説と畿内説という
対立軸を温存して大衆向けの文化講演や雑誌特集を生きながらえさせる
ことによって、考古学者が露出できる市場を創出し続けているのである。
このような「世論に媚びる」傾向は日本の考古学会の伝統的な悪弊で、
同じことを韓国相手にもやって韓国の世論・韓国の大衆に媚びまくった結果、
日本の古代に関する学説を曲げなければならないところまで追い込まれた
のである。いまや日本向けの教科書に異口同音に書かれている「日本文化は
朝鮮に教えてもらった論」は、戦後になってから日本の考古学者が考えついた
虚構の物語であり、それを実証する文献も発掘品も存在しない。にもかかわらず
「そのように講演すると韓国の大衆が喜ぶ」というだけの理由で日本の考古学者
がリップサービスとして主張し続けた結果、文献と矛盾した理論が学説となり、
教科書に載るまでになったのである。
>>751 魏志倭人伝の記載が嘘、もしくは勘違いで卑弥呼は強権的な女王だったならば可能性はある
でも、そうするとその記述を否定するための材料がまた必要になるわけで……となってしまう
近畿に大和の前身となる国家があったとして、それを魏志倭人伝の記述と摺りあわせられないんだよな
>>744 くだらん報告なら5分後に忘れてると思うが
>>723 古い時代の歴史書だ。歴史と神話との区別が無かった時代の歴史書であり
しかも政治的な意味合いが強い背景で書かれたものだ。これは、どこの国でもそれは同じ。
特に古事記は、正伝として書かれた日本書紀と違い、天皇の家伝として書かれたものだけに、その傾向が強いよ
>>735 記紀が書かれた当時は、大和朝廷成立の過程の詳しい事情が
各地に伝承やあるいは歴史書の形で残っていたのだろう。
それだけにそこいらと整合性を取る必要があったのではないの?
出雲や日向の伝承にしても、真実を知る豪族も多かったので、全て作り話にするわけにはいかなかったのだろうな
それ以外は考えられない
>>759 やっぱりそうだったニカ!詳しい解説サンクス
幻の邪馬台国って映画あったなぁ
竹中直人と吉永小百合がでてるやつ
あれ実話なんでしょ
766 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 07:21:04 ID:gNGk0dAUO
筑後には磐井ってのが居たでしょ。で、大和が攻めてきたとか
言ってるでしょ。何か重要な意味あるの?
>>743 日本書紀を読んでないヤツハケーン
書紀の公式見解は「神功皇后=ヒミコ」
769 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 07:23:51 ID:aFc7+NYO0
>>757 でも、晋の時代だから曹操流儀が全く無いとも言い切れないのでは?
魏と晋が、全くの分断された王朝なら、いわんとする所もわかるのだが、
一応、魏の官僚や血脈をそのままもって、全土統一して帝位についたのが
晋なんだから。当然官僚システムも、曹操流儀に近いものだったんじゃ
ないか?で、そのノリで書かれた歴史書外交記録だから。方角を60度間違った
ら、ただじゃすまされないだろう?東を東南とか南とかって。。。
あれ?晋じゃなかったっけ?魏の官僚は、晋の時、まるっと入れ替えたっけ?
倭に関する記録は魏志倭人伝だけじゃないからな
隋書倭国伝における倭国の地理表現は正確で、この倭国が大和政権であることに異論はなかろう(遣隋使が対応している)
同書によると
倭國、在百濟、新羅東南、水陸三千里、於大海之中依山島而居
魏時、譯通中國、三十餘國、皆自稱王
夷人不知里數、但計以日
其國境東西五月行、南北三月行、各至於海
其地勢東高西下
都於邪靡堆、則魏志所謂邪馬臺者也
「倭国(大和政権)の都は魏志でいうところの邪馬台なり」と書いてある
これについてはどうなんだ?
771 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 07:23:53 ID:0PT8WapF0
いまだ九州説が生き残っているなんて
こっちが驚き
772 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 07:24:03 ID:ZMiocpGb0
位置同定には香川うどんの遺構が鍵を握っている
>>741 崇神天皇の時代に四道将軍が派遣され、吉備には吉備津彦命が派遣されている。
記紀成立時には有力な地方豪族であった吉備氏に配慮したとも考えられるけど
吉備地方がすでに大和朝廷に従っていたか、少なくとも同盟関係に崇神天皇の時代にあったとも考えられるね
この時代あたりから出雲と大和の力関係に変化があったのではないかね。
774 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 07:24:23 ID:NoeoQD370
776 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 07:24:38 ID:T3pST1QB0
学者は中国の文献を崇拝するからバカ
まずは中国の文献の誠実度がかなり低いことを常に接頭語に置いてから邪馬台国を語れ
777 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 07:24:47 ID:l+RI0HkA0
年代的に卑弥呼時代の天皇は誰?
鯨統一郎さん本に書いてあった八幡平ってギャグだったんですか???
邪馬台国の所在も気になるところだが、倭人が大陸に渡って劉備になった
という伝説のほうが興味を惹かれるな
781 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 07:26:39 ID:TN2jjfh10
畿内で決着したんじゃなかったのか
初めは九州にあり次第に畿内へ移っていったのよきっと
>>31 しかし纒向のほうは
「倭人伝にある楼館跡も発掘が進めば出てくるだろう」
”証拠はこれから出るニダ”ってのは・・・
魏志の記述が謬りばかりだ、もしくは古事記で嘘ばかりついてる
↑
このどちらかを満たせば畿内説もあり得るんだがな……
少なくとも史料学的なアプローチで断定できない
(むしろ、信頼できる部分がかなりあると判断される)
どちらもある程度信頼できるとなると、どうしても矛盾が生まれちゃうんだよな
786 :
名無しさん@恐縮です:2010/10/11(月) 07:27:17 ID:KSIsHVz30
>>771 百年以上も続いた論争だ。
単なる学説の対立にとどまらず、学者同士の学派の対立の様相も呈している
それだけに魏より賜ったとされる金印が畿内から発見されるとか。
誰もが反論の余地を失ってしまうような、よほど決定的な考古学上の発見がなければこの論争は続くだろ。
788 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 07:27:48 ID:QvXoVlHW0
>>759 そうかも知れないね。 でも、仮にそうだとしても、そこに住んでいたのは今のチョウセンヒトモドキじゃなくて、大和民族だからW
>>1 日本人ってさあ
中国人が書いたいい加減な文献に振り回されるの好きだよね
790 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 07:30:13 ID:qCWIV7UBO
>>766 磐井ってのはおそらく「祝いの君」、その息子の葛子は「奇子(クスコ)」でどちらも神聖なる祭祀王の名前だ。
表記の字を変えて誤魔化してるが、この時期(=継体天皇)の九州の王だろう。「地方の反乱」ではなく、明らかに「畿内大和による征服」だ。
791 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 07:31:00 ID:IpRJo2Bw0
九州は邪馬台国の入り口なだけだろ
海路よりも陸路のほうが安全なんだし
>>767 だからその歴史認識が事実に反するということを言っているわけですよ。
あなたの前にはなんらかの端末がありますよね。wikiでもなんでも調べようと思えば調べられるわけだから
あんまいい加減なこと言わない方がいいんじゃないの?としか言いようがない。
>>769 曹操流儀があるだとかないだとかそういう話はしていない。
曹操流儀がないとは誰も言いきってねーし。
誰の発言なんだ?あなたの発言なんですか?
まあいいけどな。
793 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 07:31:11 ID:N+CfsC3a0
>>777 金日成。
ちなみにヒミコは発音しにくオメコ、マンコは発音しやすい。
それにしても例の金印の発見は奇跡的だよな
江戸時代にお百姓さんが見つけて殿様に献上したんじゃなかったっけ
795 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 07:32:06 ID:aFc7+NYO0
>>761 擦り合わせが出来ない以上、前大和政権を邪馬台国とする事は、まず無理だ
ろうね。「他に無いからこれしかない」ってのは、候補の条件でこそあれ、
本人確認にはならない。
で、頑張って掘れば掘るほど、魏志倭人伝の描く「邪馬台国」のイメージから
はかけ離れて行く。
何度も言っているけど、あえて繰り返すと。「前大和政権」は、記紀にも登場
しているし、その存在確認ができたとしても、それが邪馬台国になるには、
それが邪馬台国であると言う刷り併せができないと、成り立たないと思うん
だよねぇ。
>>770 どれくらいしっかり確認したのかが疑問
そもそも遣隋使ってのは日の出国の天子ってヤツだろ?
随からしたら以前は魏に朝貢した蛮国のくせに!って気持ちで書いたのかもしれない
>>790 確かに九州王朝説というのは古代を説明するのにもっとも合理的だね
>>786 神武天皇は紀元前に即位してるから卑弥呼がいた時代にはすでに天皇がいるはず
架空かどうかは別にして、卑弥呼の時代にはだれが天皇となってるのか知りたいだけ
金印って中まで金で出来てるの???
801 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 07:36:11 ID:XsPri0NTO
九州に有ったかもしらんが、それが吉野ヶ里とは全然無い話だ。
他の同時期の遺跡と比べて規模も小さく、そもそも年代が全く違う。
あれはただ、佐賀県民が、ここらへんに邪馬台国が有ってくれたら嬉しいなあ、
と思ってた所に、たまたま弥生の集落の遺跡が見つかったというだけ。
そんなもんで良けりゃ日本中に邪馬台国だらけだ。
>>792 意味が全然分からないだが……なんで曹操の後の時代だと歴史事実と違うわけ?
漢の時代に成立したとか言い出すの?なんか気持ち悪いんだけど……
804 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 07:37:23 ID:hJks6Ar00
文豪松本清張先生が生き続ける限り九州説は続く!
ん?もう死んだの?先生??
>>802 ほんとですかー
答えていただきありがとうございます。
偽造だったらお金かかり過ぎですね。
昔のことをほじくり返すにあたって、いまある証拠類から仮説を立てる
それが正しいかどうか結論出ないけど検討
新しい証拠ブツが出てくると軌道修正してまた結論の出ない検討
ただし証拠類も「たぶんコレだろう」とか、捏造とかでもう何が何やら
こういう学問に意味あんのかw
>>794 甚兵衛さん、だっけ
子供のころに名前を覚えさせられた
>>804 日本の黒い霧に代表されるアメリカ謀略史観も破綻したことだし、
九州説のほうも危ないね
809 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 07:39:36 ID:aFc7+NYO0
>>798 卑弥呼の時代は、魏志倭人伝と日蝕から、かなり限定できるんだよね。なら、
その時代の「大王(=天皇)」は誰なんだろうね?この疑問は、いずれにせよ
まだ残るよね。邪馬台国が畿内でもこの疑問は残る。
>>803 俺もあんたの言っている意味が分からん。
無視していいか?
>なんか気持ち悪いんだけど……
感情的な人ですか?
811 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 07:40:14 ID:hJks6Ar00
>>806 九州説を裏付けるネタ自体もう無いからなぁ
ネタ切れも甚だしい
邪馬台国は、やまとのくにと読む
台与をとよと読むでしょ
>>810 いや、絡んできたのそっちでしょw
それで無視していいかとか、それはギャグで言ってるのか?ww
ここまで鋼鉄ジーグなし
>>813 俺が絡まれてるんじゃないの?
過去ログぐらいチェックできますよねえー?
つーかあんたのいわんとすることはなんなんすかね。
感情的な人だったら無視したいんですが。別にいっすよね?駄目ですか?
816 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 07:44:54 ID:Us3DLs8yO
>>790 その頃はまだ豪族の連合国家だよ。
皇族の出自だが地方領主となっていた家系の継体天皇が磐井をもって「同じ釜の飯を食った者」と言っている。
「同じ釜」つまり連合。
その連合の一部が新羅のことで大和と対立した。
磐井が筑紫の王(キミ)であるのは別に隠しているわけではない。
前スレ読んだら八幡平説の多いこと
俺もとりあえず畿内はないと思う
邪馬台国はアトランティス大陸にあったんだぜ
819 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 07:45:57 ID:NoeoQD370
>>814 おまえの目は節穴か
ページ検索で全部わかった気になってんじゃねーぞ
>>805 偽物もあるって話だよ
真物も含めて複数存在するとか
821 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 07:46:37 ID:AHbuoeiP0
沖縄
>>812 隋書倭国伝の記述からするとそんな気もするけどね
>都於邪靡堆、則魏志所謂邪馬臺者也
遣隋使を送ってきた倭国の都が邪靡堆
邪靡堆ってのが「ヤマト」で、それが魏志でいうところの邪馬台と同じってことかも
東征の件があるから九州説派はあきらめられないで無理な主張をしているのだろうな。
この部分の話しはかなりおもしろいけどね。
中国語の発音では「台」は「たい」で「と」ではない。
同じ音の当て字なのだから「やまたい」で正しいはず。
という事は昔は「やまたい」と名乗っていたのだ。
「やまたい」→「やまと」と変化したのだ。
825 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 07:47:14 ID:aBLTVdeo0
>>815 キモいって言われたのがそんなにショックだったの?w
言われたくなかったらちゃんと会話したら良いだろwww
827 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 07:48:52 ID:aFc7+NYO0
>>816 筑紫が、記紀では、よく反乱おこすんだよねぇ、これがまた。
むしろ「ひょっとして単なる反乱じゃないのでは?」と思うくらい。そして、
その反乱には、いつも半島の影が。。。
829 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 07:49:44 ID:Zs4GLdYC0
ロマンコ、ロマンコ!
830 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 07:50:02 ID:5qOa8VukO
釜山あたりにあったニダ!と、またもやチョンが喚き出すに、500億ジンバブエドル
831 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 07:50:22 ID:9nQfHHd60
当時の日本側には文字はなかったから
「邪馬台国」は魏側が付けた当て字だから
あまり意味はない
832 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 07:50:26 ID:qCWIV7UBO
>>809 卑弥呼の時代は古墳時代の草創期にあたるから、第十代崇神天皇の頃と考えてよかろう。
神武とその後のいわゆる欠史八代が架構だとすると、ヤマト王権の創立者ってことになる。あれ? 創立したばかりなのにいきなり連合国家の首長かい? んなアホな。
使者は前方に見える尾根を指さして案内の者に尋ねた
「あちらの土地はなんと言うのですか?」
案内の小者は応えていわく
「ありゃあ、山タイ!」
邪馬台国の誕生
834 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 07:50:57 ID:2ivedkWX0
吉野ヶ里説や映画「まぼろしの邪馬台国」は
もはやマーケティングの話だけなんだよな
残念ながら何の根拠もない
835 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 07:51:14 ID:XsPri0NTO
大雑把に畿内か北九州かという話なら、まだ分かる。
しかし、なんで巻向VS吉野ヶ里になってるんだ。
そんなもん衆議院代表と参議院代表と勝手に称して、
タイゾーVSオオニタで言い争ってるようなもんじゃ。
一時期みたいに。
836 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 07:51:15 ID:Us3DLs8yO
>>777 現在有力視されているのは崇神天皇とその前後。
出雲系の三輪の神を祭神として戴いていた時代。
魏志にも似た名前の人物達が卑弥呼の周辺に見られることは昔から指摘されている。
>>826 なんつーかキモイってなに?あんたの発言の中にあんの?
ログ見ても無いようなんだが。他のスレとまざってないか?
まあいいや、いっちゃあなんだが捨て台詞としか評価しようがないよね。
やっぱ感情的な人なんですかね。
こっちの質問にも答えてよ。無視していいですか悪いですか?
838 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 07:51:38 ID:gNGk0dAUO
>>824 九州弁の「〜たい」はそこから来ている。
839 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 07:52:29 ID:aFc7+NYO0
>>831 それに関して俺は密かに「ヤマティー王朝だったかもしれない」と思っている。
>>828 そうです!邪馬台国論争はロマンなんですよ
文献資料が限られているからど素人でもいっちょ前な顔で自説を開陳できる
他の学問では考えられない楽しみがあるから人気あるんですよ
841 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 07:53:00 ID:Zs4GLdYC0
「邪魔たい!どけんね!!!!!」
ここから来ております
842 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 07:53:59 ID:LC1xCwYK0
>>498 矛盾していると言いたいのかね? 学者のまちがいが多い説明でも、参考になることは
いくらでもあるものだよ。おかしなことを述べているなと思ったら、その理由等を十分
に考えてみることだ。
それに、考古学者の書いたもの、これは客観的なことと、そこからの推論がある。推論
はでたらめでも、客観的なことは大いに参考になる。
843 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 07:54:23 ID:2ivedkWX0
正確には
「邪馬台国はロマンだった」ってことだな
もうロマンたりえない
>>837 いや、お前マジキモイよ?
ちゃんとログ読むべきなのはお前の方
俺は曹操の後の時代だって言ってるのに違うとか言い出す頭の湧き具合がキモいの、分かる?
845 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 07:54:37 ID:EupA6zQU0
a
民主主義なので多数決で決めましょう。
通説とはみんなが信じるウソだって。
847 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 07:55:45 ID:aFc7+NYO0
>>836 神功皇后が、トヨ(もしくはトヨの娘)なら、ほぼ、ピッタリ♪
古事記や日本書紀をそこでまでアテにできるのかねえ?
記紀は天武天皇・持統天皇の時代に成立したもので、「壬申の乱」という王朝簒奪の簒奪者側が書いた歴史
そういう制限の下に書かれているってことは、注意すべきじゃないかなあ
>>843 卑弥呼の金印でも出ない限りは決定打になり得無いから、状況的にいくら
詰めても開き直ることが可能だからね
まだロマンです
>>849 金印なんてどこにでも持っていけるから証拠にならない
壇ノ浦で、三種の神器が見つかって
「ここが都だった証拠」と主張するようなもの
神功皇后って福岡県にやたら逸話の多い人だよな
852 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 07:58:20 ID:H2I81g7vO
やまたい
やまない
やまなし
山梨
そう、山梨県です!
853 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 07:58:52 ID:2ivedkWX0
>>849 3年ぐらい前だったらそういう言い方も通用したんだけどね
>>844 感情論全開としか評価しようがない。
やっぱからんできたのはあんたの方みたいだぞ。
>>714 キモイだけの感情論だけで歴史学がおさまればいいんですけどね。
855 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 07:59:19 ID:l0gbkeI70
邪馬台国は朝鮮半島にあったって
近所のキツネ目のおじさんが言ってた
>>848 結局、そこの摺り合わせが出来ないんだよな
畿内説派には天皇の権威を伸長させたいって意図の人もいるから古事記・日本書紀を否定したがらない
そのくせに、邪馬台国=大和王朝をどうしても押したいから矛盾が生まれる
もし、畿内説が主流派になったとしても物証がない限り証明できないわw
中華とつながるくらいなんだから朝鮮半島と何らかの交渉はあったでしょうよ
このスレ定期的に立つなw
以前邪馬台国は岩手で結論が出ただろうに
月見里さんおつであります
860 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 08:00:50 ID:aFc7+NYO0
861 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 08:00:50 ID:Us3DLs8yO
>>827 鉄をはじめ交易の利権の争いが絡んでいる可能性は言われている。
862 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 08:00:49 ID:VBHlLHwd0
トヨ>豊>豊の国>宇佐神宮
>>836 崇神は出雲系の勢力を背景にして、神武以来の九州系の勢力を駆逐したとも考えられるな。
天孫降臨以来の重要な御物であったはずのアマテラスの鏡を宮中から放り出すなど、色々不審な伝承が多い。
>>854 じゃあ
>>757はなんだよwww
これでおまえが絡んできたんだろ?
自分を棚にあげるなww
つーか、自分のミスから目を逸らしたいからレッテル貼りしてるだけだろ?
あほらしーわw
865 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 08:02:34 ID:9nQfHHd60
北九州にあった邪馬台国が占領されたあと
戦利品の剣、銅鐸、神獣鏡は
祟りを恐れて出雲の山中に封印(埋めた)した
866 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 08:04:09 ID:aFc7+NYO0
(神功皇后ー_ー) ニヤリ。。。我が術中にはまりおったわ。。。
>>851 瀬戸内にも多い。
ダンナの赴任地だった九州をまとめあげて、瀬戸内から畿内に攻め上ったんだから当然だが。
868 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 08:04:35 ID:qrnj/vRDO
>>850 > 金印なんてどこにでも持っていけるから証拠にならない
王朝崩壊みたいな派手な収奪事件でもない限り
「金印」のありかがホイホイ動くとは思えんが。
現代人の認印や銀行印じゃないんだからさ。
現代人だって「法人代表印」や「実印」なんかそう滅多に場所を動かさないだろ。
現代人レベルですら、法人印や実印のありかが動くのは
「移転」「引っ越し」「離散・解散」の時しかないだろ。
だとすると神武の東征も嘘なんだろうな……
編者の中二病が発症して思わず書いてしまったのだろうか?
870 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 08:05:24 ID:EmDQ2Xhx0
レンホー「こんなことを議論する理由は何があるんでしょうか? 分からなくちゃダメなんでしょうか?」
871 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 08:05:41 ID:gNGk0dAUO
群馬だよ
伊勢崎あたりで色々出てるが学者が認めようとしない
群馬だと困る奴がいるんだろうな
873 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 08:06:06 ID:orwpfYkzO
日本書紀編纂時に葬られた石上神宮と大神神社の記録が残っていれば…。
物部氏と三輪氏についての調査をもっと進めるべきではないかと思う。
畿内にあったと考えても
福岡あたりから、途中すっぽりがないのが気にかかる
875 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 08:07:04 ID:Us3DLs8yO
>>847 トヨは崇神天皇の一族にいるよ、トヨスキヒメ。
876 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 08:07:05 ID:fIAA/sCz0
気持ち悪い町おこしと一体となってるから嫌だ。
歴史なんて興味もない商店主たちが、金目当てに、「我が町に邪馬台国があったに違いない」と
やってる。
アホ
877 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 08:07:06 ID:2ivedkWX0
>>ID:1fMuioAX0
バカ??
これ一部歴史家の立場では九州の方が都合がいいんだけど
考古学の観点からは近畿以外はあり得ないんだよな
本当は歴史家も魏書に加えて晋書以降を読めば倭国=ヤマトってことが一目瞭然なんだが
なぜかそちらは見なかったことにしている
880 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 08:07:56 ID:/Zc7dqos0
邪馬台国は朝鮮半島にあったニダ <丶`∀´>
「俺の考えた神武マジかっけー、そう思わね?」
「これから神武東征すんよ?まだ大和の領土じゃない?知らねーよ、そんなこと」
こんなこと言いながら古事記編集したんだろうなw
882 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 08:08:26 ID:aFc7+NYO0
邪馬台国が、畿内になったら、それこそ、神功皇后の思う壺なんだよなぁ。。。
「大王」の権力と「ヒミコ」の権威を、トヨの家系が掌握することになるの
だから。。。おそるべし! トヨの呪い!
>>864 つまりお前は
>>757のスレで絡んできたと判断しているわけか?
なんつーか、俺の絡んできたというのはそれより前の714なんだが。
結局のところ何がいいたいんだ?言ってみな。
まるで意味が分からない。
時系列的には757の書き込みより714の書き込みの方がどう考えても前だぞ?
>つーか、自分のミスから目を逸らしたいからレッテル貼りしてるだけだろ?
これあんたの発言であり発想だよな?
いいか?人は思いもよらないことを思うことはできないんですよ。
これあんた自身のこと言ってますよねー?
まあいいや、結局のところあんたの言いたいところはなに?
教えてもらいたいよ。
>>819 うるせー人間そんなときもあんだよ、いちいち刺々しい物言いしてんじゃねーよ
さてはお前ハニワ幻人だな…死ねぇぇぇぇぇ
885 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 08:09:21 ID:2ivedkWX0
>>ID:1fMuioAX0
発狂しちゃった・・・
個人的には東征はあったと思うな。
これがないと辻褄が合わなくなる。
>>827 白村江の戦い以来、防人が南九州に置かれたが、しかし九州への唐からの侵略が何百年もなかったのに続いたのはおかしなことだ。
駐留軍を置くのも莫大な費用が必要なんだからな。
それなのに朝廷が防人を置いたのは、大陸への侵攻以上により切羽詰った事情があったとしか考えられず
それは消去法で考えれば北九州の勢力への抑え以外にはありえない。
北九州の豪族は、大和朝廷にずっと抵抗を続け、その支配を拒み
しばしば南九州を攻撃したのだろう。イワイの反乱もその一つだったと考えた方がよい
>>868 単に金印が出て来ただけでは、「畿内の王が代々伝承して来た」のか、「畿内の王が九州の王を攻め滅ぼして金印を奪った」のか、分からないではないか。
889 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 08:10:38 ID:gNGk0dAUO
筑紫筑後から日田を通り大分へ行く途中に邪馬渓があるけど
なんであんな地名がついてるんだ?
890 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 08:10:41 ID:Zs4GLdYC0
諸星先生・・・
>>877 馬鹿はID:mwqcuDXT0
俺は間違ったこと言ってないのに変に絡まれた
>>883 はぁ?
お前の中で絡むってレスすることなの??
意味不明のこと言ってるのはお前の
>>757だろ?
てか、どこでミスしてレッテル貼ったの?
全然意味が分からないんだが?
892 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 08:11:24 ID:DjgSPBv0O
北九州にあった卑弥呼亡きあとの邪馬台国を
朝鮮半島から渡ってきた天孫族が征服して東征して作ったのが大和王朝でしょ。その首長がニニギ。
手塚治虫の火の鳥にそう描いてある。
893 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 08:11:39 ID:hVPv2QJU0
もう九州ってことでいいでしょ
九州も色々事情があるんだから
近畿も空気読んであげないと
894 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 08:11:50 ID:LC1xCwYK0
一番あり得ない説が奈良
これは完全な金目当て目的
896 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 08:12:25 ID:qrnj/vRDO
>>848 > 記紀は天武天皇・持統天皇の時代に成立したもので、「壬申の乱」という王朝簒奪の簒奪者側が書いた歴史
> そういう制限の下に書かれている
とは言うが、そうそう派手なでっち上げも出来ないし、
派手な「事実の握り潰し」も出来ないんじゃないの?
「天武に、三種の神器が祟った」
みたいな洒落にならんスキャンダルも載るレベルなんだから。
編集や正当化と言ってても、誇張・矮小・解釈違いや誤認識、で収まる程度だと思うぞ。
>>868 だから滅んだんだろ
卑弥呼が死んで、内乱になって、トヨを立てた後
中国との交流がパッタリなくなったんだから。
(次に倭から使者が来るのは、150年後)
邪馬台国は滅亡したんだよ。たぶん南のクナ国あたりに攻められて。
898 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 08:13:23 ID:aFc7+NYO0
>>886 東征があった以上、そこより西からしか来れないんだよねぇ。。。上陸地点が
熊野だから、四国か九州からしか来れない。それより西の国が瀬戸内海もしく
は太平洋を、九州や四国に影響も支配も船尾調達もせずに越えられるとも思い
難い。
>>885 こういう馬鹿が一番嫌いなんだよ
意味不明なことしか言わないヤツ
俺は何度も「魏志倭人伝は曹操の後の時代」の時代だって言ってるのにそれの間違いだと言って正しいと主張してる
900 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 08:13:23 ID:Us3DLs8yO
>>863 神武から崇神までは地方領主として周辺の豪族と婚姻を結びながら細々と拡大している感じ。
崇神を神武と別系統と見ず、有力な勢力は他にあったと見てもいいかも。
古代はともかく、
超古代の中心はふぐしま県の海側と
エロい人が言っていました。
>>894 肝心の遺構が出てこないからね
せめてトヨが晋に自慢した三世紀あたりの前方後円墳があれば違ってくるのだが
>>888 九州の王が畿内に遷都するときに持っていったかもしれない
904 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 08:15:29 ID:S8ZkDPBS0
出雲に決まってんだろ
まあそれ以前にゴッドハンド(笑)なんてのが出る考古学じゃ全てのデータが怪しいけどなwww
「魏志倭人伝は曹操の後の時代」じゃなかったらいつの時代の物なんだよw
結局、ID:mwqcuDXT0はそれを一度も説明しないでやんの
906 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 08:15:43 ID:hVPv2QJU0
日本で古いもんと言えば京都なんでしょ
だったら京都でいいじゃん
>>899 別にそこじゃなくてあんたのレス全般がアレな感じなんだと思うよ
触れるもの全て噛み付いてやる ガルルルル 的な態度が
908 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 08:17:08 ID:qrnj/vRDO
>>888 > 「畿内の王が代々伝承して来た」
> 「畿内の王が九州の王を攻め滅ぼして金印を奪った」
んなド派手なイベントがあったら、必ず周囲に証拠や記録が残ると思うぞ。
そこらの雑魚集団ならともかく、「親魏倭王」の国なんだから、
遷都にしても、王朝滅亡&収奪があったにしても
記録や痕跡、少なくとも「記憶」は残ると思う。
>>889 「日本外史」でおなじみの江戸後期のベストセラー作家、頼山陽が名付けたそうです
910 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 08:17:27 ID:JHVOYwAb0
>倭人伝にある楼館跡も発掘が進めば出てくるだろう」と反論した。
アホすぎ これは反論じゃないw
>>907 いや、間違いを分かるように指摘されたら噛み付かないよ
でも、間違ってもないことを間違ってると馬鹿にされて放っては置けないわ
912 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 08:18:28 ID:aFc7+NYO0
>>900 でも地方豪族なら、出雲や前大和政権や(あるとしたら)九州の(邪馬台国)
の残像とも言えるトヨの国に、「権威負け」する。
そこで、地方豪族だが、それらに匹敵する権威を持つには。。。
@ご先祖様は、そこらへんの権威の時代に分派した。とするか、或いは
A今のご権威様と婚姻などを結ぶ。
かの、どちらかあたりでしょうな。(或いはどっちも)
>>896 日本における文字文化は記紀の編纂から始まっていて、それ以前は無文字がデフォ
口伝の世界なんだから、三種の神器なんて存在自体、一般に知られていたとは思えんけど
はっきり人々の記憶に残っていたのは、100年くらい前の継体天皇辺りがせいぜいじゃないかなあ?
914 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 08:20:12 ID:gNGk0dAUO
要するに天智天武以前の歴史は相当官製バイアスがかかっているから
それ以前の歴史の実像がつかみにくいよな
>>913 紙のない時代の人間の記憶力は現代人の何倍もあったと言われてる
ギリシャの哲学者は本丸々覚えてたりするし
ちょっとした覚え違いならまだしも口伝が途絶えるのはまた別の話になる
917 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 08:21:09 ID:Zs4GLdYC0
日美子の末裔に聞いてみたらどうだろう
918 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 08:21:31 ID:n3M4WK38O
しかし日中韓いずれの史書にも天皇が外から来たという記述がないんだよな
よっぽど長く土着してたのかね
919 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 08:21:40 ID:VBHlLHwd0
>>889 そこから海に繋がる先にあるのが中津国と宇佐神宮だぜ
「後付け地名」だと否定する説もあるが
>>916 紙がないことと無文字とは関係ないでしょ
922 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 08:22:09 ID:qrnj/vRDO
>>913 いや、だからその紀記、それも日本書紀に
「三種の神器が天武に祟った」とか記されてるって話。
違ったっけ?
>>899 嫌いだの。馬鹿だの。
日本人であるならば常識的に吐かない感情的な発言が得意な方ということでよろしいですかね?
いいっすよね?
>>俺は何度も「魏志倭人伝は曹操の後の時代」の時代だって言ってるのにそれの間違いだと言って正しいと主張してる
誰言ってんの?これ。具体的な証拠をどうぞ。
>>889 大分の耶馬溪は、江戸時代に頼山陽がつけたと言われている。
だが、もともとも山国(やまくに)と呼ばれていた場所で、
頼山陽がそれに耶馬とあてたものだ。
山国川は、英彦山(ひこさん)から中津市へと注ぐ川で
英彦山はもとは日子山と書いた。
英彦山の近くには日田(ひた)市があるが、ここにおもしろい話がある。
神武天皇が東征へ出発したとされる日向だが、
今の宮崎を日向と名付けたのは、景行天皇が九州へ行ったときと
古事記に書いてある。
では本当の日向はどこか。
九州で、「日向」とつく地名の一覧
http://www.hisatuhime.com/1-himuka.html 宮崎県には、延岡と日向市の2ヶ所しかなく、九州北部に集中している。
「日向」とはその名の通り、日に向かった所。
これらの中心に日があると考えると、それらを線で結ぶと大分県の日田が浮かび上がる。
日向は古くは「ヒムカ」と読んでいたが、卑弥呼を「ヒミカ」と読んで
これと結びつける説もある。
さらに日田は、宇佐・中津と隣接している。
http://travel.rakuten.co.jp/group/hojintiku/prefecture/images/Oita_x.gif 宇佐神宮は神道のルーツとも言われ、卑弥呼の墓説まであるところ。
そして中津だが、天孫が降臨した豊葦原(とよあしはら)の中国(なかつくに)こそ、
この豊前の中津ではないかという説もある。
大分の旧国名、豊を、卑弥呼の後継女王・トヨと関連させる人もいる。
926 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 08:23:14 ID:xjY/tsbwO
私利私欲で歴史を曲げる学者の言い分ほど、あてにならないものはない
よって、奈良はない、九州で決まりだろう。
927 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 08:23:40 ID:Us3DLs8yO
>>887 半島に大和の拠点を作るに至った応神天皇まで大和と筑紫は幾度も戦っているからね。
連合の主導権争いと見てもいいかも。
応神天皇から外交は大和が主導している感じだし。
今の韓国だろ
それでいいや
>>920 記録媒体や形式がない=記憶力に頼るしか無い(専門家の記憶力はハンパなくなる)ってのは同じだと思うけど
ただ、文字がない上での暗記の難しさは想像できないからなぁ……
ナスカ→アスカ
って五島勉先生が(略
931 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 08:26:16 ID:aiRwmf7TO
沖縄の海底に沈んでいる遺跡がそうじゃないのか?
933 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 08:27:39 ID:qrnj/vRDO
>>887 > 駐留軍を置くのも莫大な費用が必要なんだからな。
> それなのに朝廷が防人を置いたのは、大陸への侵攻以上により切羽詰った事情
「トラウマ」って奴だろ。
小国が一つ跡形もなくなるレベルの全滅を経験したら
そら100年オーダーでガクブルするわ。
もう北海道にしない?
935 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 08:28:27 ID:aFc7+NYO0
ところで、邪馬台国=大和王朝とした場合、卑弥呼は誰になるんだ?
先述どおり、神功皇后は、二世代くらい異なるぞ?
936 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 08:28:51 ID:FNo0ttmnO
邪魔大王国
>>832 崇神天皇と卑弥呼の関係が気になりますね
あと崇神天皇と邪馬台国の関係も
938 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 08:30:15 ID:2ivedkWX0
939 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 08:30:20 ID:9WMQGQ9cO
俺が倭人傳に書いたのは全部嘘
940 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 08:30:36 ID:aFc7+NYO0
>>930 超古代には、ヘリウムガスで、自由に空を飛べる世界帝国が三つくらい
あったのです。。。
日本列島の統一なんて平安時代でも達成できてないのに
この年代だと国家乱立状態だろう
栄えてた集落跡が複数あっても当たり前
>>929 記録媒体は紙だけじゃないんだけど
石版、粘土板、羊皮紙、木片、パピルス、木簡、竹簡、布…と
紙の普及はずっとあとの時代の話であって
>>898 記紀の記述から読み解くに、神武は既存勢力の支配が及んでいない「遥か東方の地」を開拓して、王権を打ち立てたかったようだ。つまり、その時点では「九州の王ですらなかった」ワケだ。
おそらく、その頃の九州の王は宇佐に都していただろう。出発前にここに挨拶に行っている。
その後、吉備にしばらく滞在するが、ここで軍事支援や文物の供与を得たのではないか。円筒埴輪の起源が吉備地方の特殊器台にあるというのも、何やら示唆的だ。
944 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 08:31:41 ID:DSq99q+FO
邪馬台国は茂原市にあった、あそこは宇宙と繋がってるからね
>>930 キスカとかナウシカは無視していいのかよ
946 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 08:32:49 ID:ZlSPEYOd0
奈良はPR下手だから
邪馬台国に決まってもまともな観光開発はできない
>>924 うぜえだけで済めば歴史学も楽ですな。
感情的に嫌な歴史はなかったことにするわけですか。いやはや。まるで韓国ですね。
948 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 08:32:55 ID:V+tSISA20
>>933 その後の日本史をみてもあんまり中国へのトラウマって感じられないけどな
平安時代はまともな常備軍ないし、鎌倉時代は元から挨拶に来いと言われても
使者ぶっ殺してシカト決めてるしw
>>925 大分に大規模遺跡が出れば、なにも問題ないんだよな。
倭人伝の記述を見ても、大分辺りならおかしくないし。
951 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 08:33:44 ID:Us3DLs8yO
>>912 実際、三輪の神を祭り、吉備と尾張と結び勢力を拡大した。
その後、三輪を切り捨て伊勢を祭っている。この頃の伊勢の神は丹波だ。
出雲の凋落、丹波の興隆か?
これが神話の国譲りに反映されたのなら。
中国側文献に倭国関連の空白が出来た理由だとしたら。
952 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 08:34:19 ID:8v0wAc62O
邪馬台=大和
953 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 08:34:40 ID:qrnj/vRDO
>>942 > 石版、粘土板、羊皮紙、木片、パピルス、木簡、竹簡、布…と
そんなもん、紀記以前に日本にあったっけ。
つか「文字」がないだろ。
カタカムナだか言うのを持ち出す訳にもいかんし。
>>940 最近とある人から聞いた話では、
例の地上絵はUFOの落書きだそうです。
>>942 紙は記録媒体として超優秀
その伝播の前後では記録”量”が段違いなんだ
記憶するだけなら羊皮紙やパピルスも優秀だけど、生産&保管できる量のレベルが全然違う
紙が現れて完全暗記するなら書き写す、みたいなことが出来るようになった
956 :
947:2010/10/11(月) 08:35:44 ID:mwqcuDXT0
>>919 そうか、豊(=トヨ=大分)芦原の中津国、か
959 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 08:36:23 ID:gNGk0dAUO
宇佐八幡宮はデカいよね。山で囲まれてるから海から
上陸して一大勢力を築いてたとかかな?
あのあたりは古墳群もあるね。
>>953 日本語を書き記す文字がなかっただけで、ヨーロッパで長らくラテン語が
公用語だったみたいにエリート層は漢文の読み書きできたんじゃね?
国史編纂みたいな大事業がなかっただけだと思う
961 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 08:37:01 ID:qrnj/vRDO
>>949 > その後の日本史をみてもあんまり中国へのトラウマって感じられないけどな
トラウマがない筋の連中が仕切るようになったんじゃね?
962 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 08:37:24 ID:2ivedkWX0
>>950 大分と宮崎県北には時代の古い遺跡や古墳が少ないんで
どうしても宮崎平野(ほぼ平野全体が古墳みたいなもん)
という話になる
>>947 だから>俺は何度も「魏志倭人伝は曹操の後の時代」の時代だって言ってるのにそれの間違いだと言って正しいと主張してる
これに対する反論をどうぞ?それが出来ないからウゼェんですよ?
お前は俺が間違ってるって言うんだから、確たる反論があるんだろ?
>>961 なるほどw
しかし民衆レベルでも倭寇に押しかけたり、結構昔から日本って中国の
武をなめている傾向ある気もするな
そもそも白村江からしてその辺の国がアメリカに挑むようなもんだし
965 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 08:39:45 ID:qrnj/vRDO
>>960 > エリート層は漢文の読み書きできたんじゃね?
卑弥呼がどうこう言う時代にそれはないと思うぞ。
966 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 08:39:52 ID:aFc7+NYO0
>>898 ニニギルートとして、以下のように考えています。
(九州説としての)首都を出発→高天原にて拝命→宇佐神社で戦勝祈願
→額田(四国西端)にて四国勢力補給→吉備にて吉備勢力補給→淡路ルート
→熊野上陸
この進軍だと、前大和勢力は、防衛ラインを淀川前後に集結させ、あと大阪湾
防衛にも集中させる。
そこで、熊野から山越えで、奈良の南から侵入。このルートだと思います。
(同時に吉備からも畿内攻め、伊勢からも畿内攻めが、援護的に行なわれた)
>>955 >ギリシャの哲学者は本丸々覚えてたりするし
これに対する話なんだけど
古代ギリシャではパピルス、石版、粘土板、羊皮紙なんかが使用されている
別に丸々覚えていたわけではない
というか無理
現存するギリシャ思想はアレクサンドリアで羊皮紙に転写・編纂されたものが元になっているけど、
ユークリッド原論が口伝を元に編纂されたと思う?
>>963 まあ普通に考えれば魏志は晋代だろうねえ。
969 :
947:2010/10/11(月) 08:40:45 ID:mwqcuDXT0
>>963 は?俺も魏志倭人伝は曹操の後の時代だといっているんだが?
じゃあ、なんであんた絡んできてるんだ?まるで意味が分からないぞ?
そもそもなんであんた俺に絡んできて暴言吐いているんですか?
説明してくれ。
970 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 08:41:20 ID:v6Se3IJ+0
4世紀の記述がないってのはどういうことなんだ。
おそらくこの時期に大和王権が成立しただろうに。
言葉があれば口伝は大体の形で伝えることは出来る
(文字ほどの正確さはない)
古事記が口伝の編纂だとすれば、伝承レベルでの確実性は見いだせると思う
むしろ、古事記や日本書紀にない=伝承さえ残ってないってことだろう
例えば滅ぼされたとか(吸収の場合はどこかに残ってると思う)
972 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 08:43:05 ID:gNGk0dAUO
四国の高知にも宇佐という地名があるな。
>>970 蘇我編纂の国記とかもなくなっているし、あったとしても焼かれたかどっかに
没収されたかもしれないね
>>969 だから意味わからないって言ってるんですが?
じゃあ、なんであんたは
>>792で絡んできたわけ?
ちゃんとログ読めば俺は、
>>767でも曹操の後って書いてるんですが?大丈夫ですか、貴方?
975 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 08:45:09 ID:Zs4GLdYC0
卑弥呼=九州の熊襲の女酋長
これで決まり!
976 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 08:45:45 ID:qrnj/vRDO
>>964 > そもそも白村江からしてその辺の国がアメリカに挑むようなもんだし
まあ日本人そう言うの好きだからなー。
「負けると分かっていてもやらなければならない戦いがある」とか。
それこそ血筋からみの事情があったら
「逃げるよりも戦って全滅するほうを選ぶ」みたいな。
977 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 08:45:53 ID:MHcQU7ft0
邪馬台国(ヤマト)の卑弥呼(日御子)だろう。
978 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 08:45:58 ID:0ky8HbuN0
日巫女だろ
チャンコロの呼び方やめろ
>>967 それは図書館があったからだろ
図書館+パピルスって組み合わせがあったから出来た
逆にそっちの方が稀有だと思うぞ
980 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 08:46:47 ID:vmTVECfz0
981 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 08:47:10 ID:aFc7+NYO0
>>973 蘇我だけに、やはり、天智天皇が燃やしたんでしょう。(と言ってみる)
982 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 08:47:13 ID:JE7uSb1d0
通説では"やまたいこく"と読むことになっているけど、これ
"やまとこく"と読むべきだって説もあるし、そうすると大和朝廷との
連続性は疑いのないものになるだろうな。
983 :
947:2010/10/11(月) 08:48:08 ID:mwqcuDXT0
>>974 だから俺も意味が分からんと言っているよな?
先に絡んできているのはお前さんなんだからお前が説明しろ。
曹操がどうの言ってる二人は、ちょっと黙れ。
985 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 08:49:36 ID:aFc7+NYO0
だから、卑弥呼の記紀上の記述はどこなんじゃい。。。と。。。orz
>>970 そもそも魏志にとって倭人伝なんて枝葉中の枝葉にすぎない。
向こうから来たから邪馬台国を記載したのであって来なければ書くほどのことではない。
>>983 なんで俺が絡んできたことになる?
俺は曹操の後の時代だと言っただけだぞwこれがお前からしたら絡んでるのか?www
むしろ、お前の
>>792の方がおかしいだろ?何が言いたいんだよ全然意味が分からない
空白の4世紀は重要なポイントでこれがリンクしている。
>>976 百済新羅は眼中になくて高句麗とやりあったんだから
けっこう強い
>>985 アマテラスしか該当者がいないのは分かっているはず。
>>982 だから、もうそれ古いって、論破されているヤマトを出すなよ(笑)今だに九州にもヤマトがある
俺が「魏志倭人伝は曹操の後の時代に成立した」ってレスしたのが、 ID:mwqcuDXT0の中では絡んできた事になったのねw
普通に事実を述べただけなのにwかなり危ない人に関わっちゃったんだなぁ……
993 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 08:53:17 ID:aFc7+NYO0
卑弥呼が記紀に見つからない以上、大和政権も前大和政権もどちらも邪馬台国
に記紀上は、なりえないってのは、理窟としてはわかるよね?畿内説論者も。
晋は魏から禅譲を受けてるから、行政文書もおそらく大量に引き継いだはず。
現在の奈良県から佐賀県にまで及ぶ、
当時としては巨大な連合国家だったということで良いのではないのか?
大陸との窓口は九州にせざるを得ない時代だろうし、
かと言って九州に首都を置くのは西に偏りすぎているし。
クマソだあああああ
(・(ェ)・)素
取りあえず畿内説には、魏志倭人伝と古事記日本書紀のすり合わせが必要ってことだね
そうでなければ、物証を掘り当てるかのどっちか
まだまだ先は長いわw
999 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 08:55:24 ID:Us3DLs8yO
1000 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 08:55:31 ID:mfXw8fsU0
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l T! Tl'lT_-r-、ィ_‐_7´ l l! l! |
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\`丶!、l  ̄ l /,ィ ´ / 俺が滅ぼした
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