【歴史】佐賀の考古学者「纒向遺跡は卑弥呼の時代よりは100年は新しいと見ている」邪馬台国はどこに…九州か畿内か研究者の議論は続く
1 :
かしわ餅ρ ★:
古代史の中で最大の謎と言われる、邪馬台国論争に一石を投じそうな発見です。
奈良県の纒向(まきむく)遺跡で卑弥呼の時代にあったとされる日本最大規模の建物跡が
見つかりました。
今回で166回目となる纒向(まきむく)遺跡の発掘調査で見つかったのは南北18メートル
東西12メートルと推定される大型の建物跡。
奈良県の桜井市教育委員会によりますと一緒に出土した土器などから卑弥呼と同じ時期の
3世紀はじめから3世紀中ごろに存在した建物とみられると、しています。
当時の日本では最大規模の建物跡であるとしていて、今年3月に見つかった建物郡や柵と
同様ほぼ西向きに建っている上全ての建物の中心が一直線上に並んでいて弥生時代には
珍しい先進的な都市型の集落であることが確認されました。
(桜井市教育委員会・橋本輝彦氏の話)「先進的な構造、大規模なものが備わった居館が纒向
(まきむく)で出てきたことは近畿説で考えている人には大きな材料になってくると思う」
一方、邪馬台国が北部九州にあったとする説もあります。佐賀では弥生時代の大規模な環濠集落、
吉野ヶ里遺跡の発見が全国の注目を集めました。佐賀の考古学者高島忠平(たかしま・ちゅうへい)さんは
纒向遺跡での今回の発見について次のように語りました。
(考古学者・高島忠平さんの話)「卑弥呼の館かどうか邪馬台国の都というのはこれは全く別の
問題あの(纒向(まきむく))遺跡は卑弥呼の時代よりは100年は新しいと見ている時代がはっきり
言ってずれている今回の発見は卑弥呼と直接結びつくものではないという確信を持っている」
九州か畿内か古代史最大の謎の確たる証拠を求めて研究者の議論は続きます。
http://www.sagatv.co.jp/news/text/news3ch.php#0114178
2 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 20:48:53 ID:aFWseydf0
平成の大横綱・貴乃花親方が2get!!
,r'^⌒⌒ヽ,r''⌒`ヽ、
/;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ヽ;;;;;;;;;;;;;;;;ゝ
/;;;;;;;;;;;;;;;;;;ノノ~~~~`ヽ;;;;;;;;;;;;i
!;;;;;;;;;;;;イ::. /~~~\ ヽ;;;ノ
ゝ;;;;;;;|:::: (●) ,(●) |シ
从从/: \ 、_! / ノ
从从 i 'ー三-' i l
ノ从ヽ._!___!_/
>>1 非常にすがすがしいスレであります。
>>3 2getには心の底から納得しております。
>>4 2getに不惜身命を貫く所存でございます。
>>5 誉であります。
>>6 匠であります。
>>7 >>7氏につきましては〜
>>8 書き込みは2番目にするものです。3番目以降はいかがなものかな〜という
こいつのチンポは機内に吸収される↓
4 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 20:50:13 ID:yUSuPPGSP
佐賀テレビ必死だなwww
既に学会では99%の学者が畿内説とってるからwww
現在の学術問題は邪馬台国がどこにあったかではなくて、邪馬台国と大和王権にどの程度関連性があるのかに移ってるんだよwww
九州説必死に叫んでるのはこの「佐賀の考古学者高島忠平」だけじゃねーかwww
短大の先生とかwww
誰もお前の話なんて聞いてねーよwww
5 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 20:50:56 ID:d2ns7aHTO
だから邪馬台国は山陰なんだって
6 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 20:55:33 ID:2q0X57VQO
まだまだ論争を終わらす畿内から、韓国に奈良ってアラを佐賀してるんだな
7 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 20:58:41 ID:Y89yj9Wu0
そこまで言うのなら、九州全体を掘り起こすしかないなw
魏志倭人伝なんて信用でけんわい
9 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:04:58 ID:4IEA5x/RO
あの男に(ゴッドハンド)連絡だ!
10 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:06:06 ID:cxOCJv+X0
間をとって岡山ということで
11 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:06:18 ID:TrOpPYmZO
従来より古墳時代が古いとほとんどの学者が認識してからだもんな。
九州説からどんどん学者が離れていったのは。
このおっさんはまだカルトから離れられないんだな。
またそういうことを
邪馬台国は無かったって説はあるの?
14 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:05:42 ID:sMIHsSw90
もはや科学の教科書で、地動説と天動説を並立して紹介するみたいな、
おかしなことになってきた。そろそろ地動説だけでいいだろ。
>>1 >(考古学者・高島忠平さんの話)
って、もうちょっとマシなヤツはいなかったのか・・・
思いっ切り利害関係者な上に微妙すぎる肩書きとしか。
>高島 忠平(たかしま ちゅうへい、1939年12月 - )
>佐賀女子短期大学学長
>熊本大学法文学部文科東洋史専攻卒
>吉野ヶ里遺跡の発掘調査に際し、保存設備の計画・指揮をとる吉野ヶ里遺跡保存対策室長に就任
中間の四国でいいじゃまいか
畿内 大和の前身 九州 邪馬台国 って可能性はないの?
単に古墳があっただけじゃ、上記のような可能性もあるし。
単純に畿内が有力にはならないんじゃないのか。
九州からはロクに都市遺跡でてこないのよね
周辺都市が一つもないとかありえないわけで
どちらにしても九州ではなく出雲か畿内
100年は新しいとはいっているが100年じゃ誤差範囲になってしまって
確信を持てるはずがない^^;
20 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:15:16 ID:cnv8xW7l0
九州人はアホだな、
所詮遷都1300年イベントだから、
多少調子合わせてやれよ。
21 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:17:49 ID:eLFGgCLwO
佐賀は観光客が減るのを恐れてるんだよ。
それだけなんだけどね。
22 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:30:49 ID:j5LnfKzZO
非巫女は男やし、山大国は、鳥取って結果でてるやん
振り返すな
23 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:31:06 ID:DoQPYJ7nO
クマソでなにが悪いのか? 好きだけどなあ
24 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:33:16 ID:m34/WToL0
同時代だと圧倒的不利なので100年後にワープさせてみたで御座るの巻
25 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:44:36 ID:hXoP/qKx0
>>2 >>6 素直に「佐賀への観光客激減は免れないので畿内説は引っ込めてください」て言えばいいのに。
26 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:51:36 ID:FVOkaYU2O
27 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 00:04:52 ID:5kEje9qH0
纒向遺跡って案外作ろうとしてやめただけの遺跡だったりして
28 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 00:07:51 ID:d1ihuyqn0
邪馬台国畿内説でいくとこんな感じ?
紀元前後
九州から神武が小勢力をひきいて奈良盆地南部へ東遷
三世紀
その勢力(邪馬台国)が四道将軍派遣して倭が緩やかな連合へ
248年
卑弥弓呼(武埴安彦)の反乱、卑弥呼(百襲媛)の死
四世紀
垂仁天皇・景行天皇により倭国が緩やかな連合から大和朝廷へ
四世紀末
神功皇后による三韓征伐
大和朝廷による半島進出本格化(広開土王碑)
29 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 00:11:34 ID:V4H/S2AjO
畿内説には無理がある
30 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 00:11:43 ID:WTvvrtBR0
卑弥呼=神功皇后じゃないの?
第一、中華王朝の歴史書なんて自国の誇張と他国の蔑視に満ちているのに、なんてそんなもの鵜呑みに出来るんだ?
31 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 00:12:09 ID:ODvtrwXm0
纒向遺跡をもって邪馬台国が近畿にあったと結論付けるのは危険。
近畿説の考古学者は自分の説に都合のいいように事実を解釈してる
ようにしか見えない。
素直に魏志倭人伝読むと、邪馬台国は畿内より九州(都城市か宮崎
市辺り)にあったほうがしっくりくるんだけど…。
纒向遺跡は邪馬台国とは別のモノじゃないの?
32 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 00:12:10 ID:HcPzKQwd0
邪馬台国が畿内だとなると、九州の観光が大打撃を喰らうからなw
まあ、どう考えても畿内だよ。
33 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 00:12:54 ID:GdQijOKTP
いーのーちー さーずーけーよー
34 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 00:13:04 ID:SshanbZI0
はっきり九州派の考古学者が言っても説得力がない
>>28 記紀の神武時代の記述なんて、史料としては参考以上の意味は持たないだろ。
36 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 00:14:48 ID:MfujzlT10
邪馬台国は実在しなかったと思うよ。
「魏志倭人伝」の通りに進むとちゃんとした場所には行き着けない。
大陸からの侵攻を恐れた「嘘も方便」というわけだよ。
邪馬台国が近畿だと確定すると、観光資源皆無な佐賀県には大打撃
38 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 00:15:16 ID:SshanbZI0
高島さんも100年新しいという根拠を示さないとな。
39 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 00:15:28 ID:i46xr4B/0
>>1 >(纒向(まきむく))遺跡は卑弥呼の時代よりは100年は新しいと見ている
圧倒的大多数の学者も同じ考えなんだが、それを言える空気じゃないのよ。
40 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 00:15:36 ID:+K69LDHk0
巫女で権力者なら沖縄地方とかじゃねーの?
句読点打てよな
42 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 00:16:00 ID:AN1jNySf0
中国の正史である『三国志』(魏志倭人伝)や『後漢書』(東夷伝)によると、邪馬台国の成り立ちは、
「倭国には代々男子王がいたが、倭国は争乱状態となった。争乱は何年も続いたが、最終的に邪馬台国の卑弥呼を倭国王とすることで争乱は収まった。」
とある。
この代々男子王がいたとされるのが出雲で、最初の男子王がスサノオ。
古代日本は、出雲を中心とした、九州北部から畿内までの範囲に広がる複数の国の集合体=倭=「葦原中津国」=日本であった。
出雲では年に一回、諸国の王が集まり、諸国間の諸問題を話し合いで決めていた。
何代目かの出雲の男子王大国主命は、畿内勢力のスクナビコナとともに、「葦原中津国」=日本を平定しようとし始め、
それに対し、アマテラス率いる北九州勢力が抵抗して、「葦原中津国」=日本は争乱状態となる。
↑邪馬台国の誕生。これが三国志に記された「倭国争乱」であり、この、アマテラスこそが卑弥呼。
結局、アマテラス=卑弥呼は、大国主命の息子タケミナカタを取り込み、大国主命はアマテラスに、
出雲大社の建設と引き替えに、「葦原中津国」=日本の権力を委譲することを認め、
アマテラスは孫のニニギを出雲に派遣する。
↑出雲の国譲りと一大率の始まり。
その後、アマテラス=卑弥呼の死後、次の王に、畿内勢力が男王を立てたが、北九州勢は男王の正統制のなさを提唱して、
卑弥呼の宗女、壱与を女王とし、再び、北九州勢力と畿内勢力の間で緊張が高まり、
出雲に派遣されていたニニギの二人の子も、北九州派と畿内派に分かれ、互いを牽制し出す。
↑
このニニギの二人の子が、海幸彦と山幸彦。
つまり、海幸彦と山幸彦は、卑弥呼のひ孫。
結局、山幸彦で表される畿内勢力が、海神=魏に赴いて事態を告げて、魏は張政を派遣し、檄文で畿内勢力を弾圧する壱与を告諭し、
北九州勢力による畿内勢力に対しての弾圧は終止符をうつ。
海幸彦は山幸彦に服従し、その後、山幸彦は、魏との関係が密になり、魏の要人の娘トヨタマビメと結婚して、ウガヤフキアエズという子をなし、
出雲は畿内勢力が実権を握るエリアとなり、それとともに、「葦原中津国」=日本の中枢も次第に畿内勢が占めるようになって、
北九州勢力は一地方勢力へと衰退していく。
43 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 00:16:02 ID:r0vko0QMO
話は変わるが
漢委奴国
読みは
かんのわのくに
だろどう見ても
倭奴國 で わのくに
ところで○○国というのは全てが王朝を指すわけでは無く、地方の単位であって二ヵ国三ヵ国持ちの王もいたのでは?
44 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 00:16:08 ID:6kaKhyyEO
>>31 素直に読むと台湾近くにまで九州大陸が存在したか、浮動要塞になります
S・A・G・A さがー
46 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 00:16:32 ID:AN1jNySf0
ウガヤフキアエズを産んだ後、魏の要人の娘トヨタマビメは魏に帰ってしまい、ウガヤフキアエズは変わりに渡来してきた妹のタマヨリビメ(玉依毘売)に育てられる。
のちにウガヤフキアエズは育ての親のタマヨリビメ(玉依毘売)と結婚し、カムヤマトイワレヒコを産む。
カムヤマトイワレヒコは、畿内勢が実権を握るようになった「葦原中津国」=日本をより良くしようと、北九州勢と相談し、兄とともに、畿内攻略に乗り出し、
畿内勢力は果敢に抵抗し、カムヤマトイワレヒコも苦戦するが、結局破れ、畝傍橿原宮の山麓で即位し神武天皇となる。
↑神武東征
神武天皇の死後、北九州勢力は、神武天皇が北九州に来たときにアヒラヒメ(阿比良比売)との間に作った子、タギシミミを次の天皇にしようと企てたが、
この企みを、東征の際に畿内の豪族の娘との間に作った子、カムヌナカワミミ(後の綏靖天皇)が破り、
ここで、「葦原中津国」=日本の中枢は、ほぼ完全に畿内勢が占めることになった。
↑タギシミミの反逆・大和王権の始まり。
魏志倭人伝によれば、西暦239年、中国の魏に日本からの使いがやってきた。
そして邪馬台国という国があり、卑弥呼という人がいたと書いてある。
それでは239年という邪馬台国が存在した、あるいは卑弥呼が魏に使いを出した年というのは、
いったい何天皇の時代であったのか。
天皇は用明天皇で31代目で、それが西暦586年頃。
王の平均在位期間は、日本のみならず、世界的にも、時間をさかのぼるほど短くなるから、
奈良時代の700年も前の弥生時代の平均在位期間を、奈良時代の平均在位期間で考えたとしても、
1代目の天皇が即位したのは、586年の310年前。
つまり、西暦276年前後。
神武天皇以後、全ての天皇が実在すると考えても、
神武天皇の活躍した時代は280年から290年くらいにしかなりません。
つまり大和朝廷の一番初めは、邪馬台国の時代に届かないことになります。
大和朝廷の始まりは、邪馬台国以後であるということになるわけです。
天皇の出現は、卑弥呼のずっと後です。
100年経っても大丈夫
48 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 00:18:12 ID:WTvvrtBR0
神武東征以前
九州(日向の国)
神武東征以後
畿内
ってことでいいじゃん。これだと双方の自尊心に適う。
49 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 00:19:12 ID:sitrRf/eO
(´・ω・`)ノシ もうオレの実家の土地を邪馬台国の跡地にすりゃいいよ。
議論も終息して、それで全てが丸く収まるだろ?早く世界遺産に登録してくれ。
(・∀・)デメタシ、デメタシ♪
>>31 それも大勢の学者が検討済み
その上で可能性が高いって話になってるわけで
実際学者の9割以上は機内説支持って感じ
邪馬台国が元々の日本列島の支配者で、九州出身の後の「大和朝廷」がそれを簒奪したと言うことなんじゃないの。
関連の落ちたスレで
出雲大社の話が出ていたが
ああいう超大型木造建築の技術って
もうオーパーツ化、オーバーテクノロジー化しちゃうのかね
将来的に
53 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 00:20:46 ID:sPVt0t8/O
>>43 中国人が普通に読めば漢は奴国に委すなんだって。
54 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 00:21:23 ID:S37YZMl/0
yamatai
yamato
音韻対応で最も信頼性のある子音が3つとも一致。
母音もほぼ一致。
邪馬台=大和 と考えるのが自然。
素直に考えれば大和=奈良。何も難しい話ではないですね。
難しくない話を難しく考えているだけ。
卑弥呼の時代より100年は新しいと見ている、って何か根拠があってそう言ってるの?
ただ言ってみただけ?
56 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 00:23:44 ID:Z3TPlOyi0
逆に奈良に3世紀ごろのデカイ遺物がゴロゴロ出てきて銅鏡とかも出てきて、
それで邪馬台国が九州にあったとすると、奈良にいたのは誰だ?
57 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 00:23:47 ID:CrKErv1qO
畿内説が正しいなら宮内庁が管轄してる古墳を調査禁止にしないだろ。
邪馬台国が九州だと困るからな。
58 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 00:24:02 ID:SnnFvHFiO
このままいけば奈良県はせんとくんの相方キャラに卑弥呼ちゃんを作るかな
59 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 00:24:38 ID:HcPzKQwd0
「邪馬台」を「ヤマタイ」と最初に読んだのは本居宣長。
なぜヤマタイと読んだかというと、魏志倭人伝に中国に朝貢したと書いてるから
日本の皇室が中国に朝貢するなんて信じられないという国粋て的な考えから
大和朝廷と別の国とするためにわざと違う読み方をした。
ちなみに新井白石は「ヤマト」と読んでる。
61 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 00:25:29 ID:QJq4afmQO
どっちも違うんじゃね?
>>57 そんな理由で調査禁止にしてる訳じゃないから。
63 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 00:27:12 ID:V4H/S2AjO
>>62 その手の陰謀論じみた話を本気で信じてる奴が居るのが困りものだな
66 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 00:28:06 ID:DZIUKYZy0
根拠がないなぁwwwww
67 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 00:28:22 ID:RHXgMh+uO
68 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 00:29:20 ID:CKnxnaGQO
もう中をとって四国でいいだろ。な?
むしろ中をとらなくても四国だよ
>>39 つ年輪年代学
否定するなら、ソースくれ。
70 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 00:30:59 ID:c/WTtZLEO
>>59 普通に考えたらヤマトだよな。
日本(やまと)が魏に朝貢してたのは、
別におかしくもなんともないし。
71 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 00:31:05 ID:QZ2Rt5gjO
大和朝廷の源流は九州王朝だよね。東征がウソじゃあければ。だとするとヤマタイ=大和じゃないね。畿内説だとw
>>63 それは九州に限らない
そういうのは日本全国に○○銀座があるのと同じ理由
いや、ハワイだろ
75 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 00:32:27 ID:V4H/S2AjO
本家九州、分家近畿
76 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 00:32:54 ID:PHYqfPdh0
/ _ノ ヽ、_ \
/ o゚⌒ ⌒゚o \
| (__人__) |
\ ` ⌒´ /
77 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 00:33:51 ID:ODvtrwXm0
>>44 台湾まで行くとか浮遊大陸になるって説も知ってはいるが、
どうも距離の測り方を間違ってるように思えるんだ…
畿内説は魏志倭人伝に書いてある日付や方向を都合の
いいように解釈し直して無理やり畿内方向に持ってっ
てるから違和感あるんですわ
>>42 九州から畿内に広がる地域が倭国ってのは納得できるねぇ
邪馬台国はその中の元首都だった所で、内戦で滅んだ…
と妄想して見る。
78 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 00:33:59 ID:HcPzKQwd0
「ヤマト」=「山のところ」=「三輪山のあるところ」だな。
「敷島の大和」の枕詞である「敷島」とは磯城郡。
磯城郡大和郷=纒向のある場所。
79 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 00:34:20 ID:Hwtlv/sEO
>>52 過ぎた技術は閃きを妨げるのかも
きっと歴史に埋もれた天才がたくさんいたんだろう
80 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 00:34:40 ID:SshanbZI0
>>77 いいように解釈してるのはどっちもどっちだろ
81 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 00:35:04 ID:r0vko0QMO
>>53 それは日本人でも初見ではそう読むでしょ。そうじゃない理由があるんでは?
82 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 00:35:06 ID:i46xr4B/0
>>69 年輪年代学(笑)。
いまだに一度たりとも年輪の測定値を公表していないってことは知っているのかな?
「一度たりとも」だよ。
それで「○○遺跡から出土した木材は××年のものです。」と神のお告げをするだけ。
もちろん、測定値を公表して欲しいという声もある。
この状況が約20年も続いているという異常な事態なので、大半の学者はこの問題から
ちゃんと距離を取っている。
84 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 00:36:58 ID:+K69LDHk0
>>70 つまり九州とか近畿とかじゃなく日本そのものが邪馬台国?
85 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 00:37:03 ID:V4H/S2AjO
胡散臭い近畿説、ごり押し、こじつけに、お金の臭いがプンプンする
藤村新一も畿内派ぽいな
誰か時空警察に頼んでみてきてもらえよw
もう完全に地域の観光産業とつるんでるから事実なんてどうでも良くなってるだろこれ
テレビでCGゴッドハンドしてたなwww
88 :
節子 ◆EPqOr67Ayw :2009/11/12(木) 00:38:59 ID:YwJn+5GXO
>>70 曹魏なら別に貢ぎ物してても文句ないしなぁ
曹操はまじですごいと思っとるで、曹丕の時代でもすごいんやろ
むしろ倭と交流あったのがすごい
89 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 00:39:04 ID:HcPzKQwd0
>>84 そう。
大和朝廷の国号が「邪馬台国」。
つまり「ヤマト国」。
「日本と記してヤマトと読む。以下皆これに習え」(日本書紀)
90 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 00:39:42 ID:sFJxfW0n0
邪馬台国ハワイ説ってのもあったな
>>85 >お金の臭いがプンプンする
九州各自治体をスルーですか?
>>82 もちろん、それだけじゃなく、放射性炭素(C14)年代測定法も使われてるよ。
纏向には木棺の放射性炭素(C14)年代測定法などで3世紀前半の築造であることが
確実視されるホケノ山古墳がある。
93 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 00:41:11 ID:5kEje9qH0
ただ、今回の遺跡の規模を見て
当時、どれだけの強大な国家があったのか
解明されたらワクワクする
94 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 00:42:58 ID:UFE/GPoA0
山の下(やまのもと)つまり山のふもとにあり、海岸付近では無かったのだろう。
95 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 00:44:23 ID:RTdu2zk/0
卑弥呼が魏に使いを送ったのは景初三年。その景初三年と記された銅鏡がマキムク
遺跡の周辺から大量に出土しているのはなぜ?
仮に九州説の人が唱える、銅鏡国産説だったとしても、当時の畿内に漢字を理解し
記入できる技術があったことになるよ。
どっちにせよ、畿内の3世紀の遺跡から漢字が記入された遺物が出土するという
ことは、当時の畿内は中国と関係を持っていたという証拠。
なんで今さら盛り上がってんの
だいぶ昔からマキムクのすごさは分かってたのに
あと対抗軸として毎回吉野ヶ里を映すテレビはどうかと思うぞ
まあ軒並みならぬ観光事情があるのも分かるけど・・・
俺的邪馬台国オッズ
福岡 平原遺跡1.2
佐賀 吉野ヶ里1.8
福岡 平塚川2.5
奈良 纒向9.8
これぐらいのオッズが妥当
99 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 00:47:04 ID:wHwWOJ8y0
今じゃまともな学者はみな畿内説だからな
・金印が出た場所が志賀島
・倭人伝の記述を読むと、邪馬台国から海を挟んだ先に
同じくらい大きな国が有る。更に、海を挟んで別の国が有る
・乱が起きた時、魏に支援を求める程、邪馬台は逼迫してた
て事を考えると、邪馬台が九州一円を抑え、近畿に敵対的な別国、海を挟んだ
四国に、更に別の国が有った、と考えた方がしっくりくる。
101 :
節子 ◆EPqOr67Ayw :2009/11/12(木) 00:48:43 ID:YwJn+5GXO
もう間をとって出雲発祥でいいじゃん
中国地方の中国がナカツクニで、クシナダヒメと結婚した名前忘れたけどなんたらが作った国が九州とか奈良に移動したんや
102 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 00:49:33 ID:RTdu2zk/0
魏志倭人伝には北九州の国々の官名に卑奴守離(ヒナモリ)と書いてあり、
当時からすでに鄙守りと言われていたのだから、都から離れた土地だったんだよ。
103 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 00:49:37 ID:UKxf4aZJO
104 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 00:50:06 ID:fmjzRBFH0
このスレのちゃねらーでも
高島忠平よりは物事が見えているな
反面九州からは掘ってもロクにモノが出てこないんだよな
106 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 00:51:30 ID:r0vko0QMO
107 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 00:51:44 ID:HcPzKQwd0
>>98 大己貴命を祀る神社の裏山は
全国どこでも三輪山なんだよねw
奈良の三輪山には日本最古の神社である大神神社があり
山そのものがご神体。
110 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 00:52:42 ID:CKnxnaGQO
日暮れて道遠い九州説(笑)論者を生暖かく見守るスレはここですか?
111 :
節子 ◆EPqOr67Ayw :2009/11/12(木) 00:53:38 ID:YwJn+5GXO
>>106 ごめんね節子ぜんぜん詳しくないから何を言ってるのかわからなくてごめんね
みんなカシコやね…
3世紀前半には卑弥呼の宗教的権威によって西日本を一体化する連合国家ができていたというこった。
半島南部より遙かに先進的だな。
113 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 00:56:19 ID:Bi6iESJeO
>>59 あれは古代中国人が古代日本人かな聞いた発音に古代の漢字をあてたものだから
実際はよくわからんらしいね。
114 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 00:56:56 ID:/Z0cBizl0
そもそも、金印が怪しいよな。
文化的価値だけじゃなくて物質的価値があるのを蔑ろにするのも変だし、
仮にしっかり保存していてなら、一緒に他のモノが出土するだろうし。
発見したヤツか黒田家の自作自演なんじゃないの?
115 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 00:58:11 ID:HcPzKQwd0
>>113 実は隋書倭国伝に解答が載ってるんだけど
なぜかあまり話題にならないな。
困る人がいるからか?w
116 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 00:58:25 ID:rRfKcovHO
九州は中国と近いからなあ〜。やたら初期の朝廷が中国風なのも
わからないではない。関西だと防衛以外はここしかない感じだけどね
117 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 01:00:15 ID:r0vko0QMO
>>112 半島南部にも何々韓だのの倭人の国があったでしょ
118 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 01:00:26 ID:JVyh8yXBO
出雲大社と卑弥呼はどっちが古いの?
119 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 01:02:13 ID:ej52Nbp8O
卑弥呼キャラバンで持ち回りで移動してたんじゃね?
実は朝鮮半島にあった小国が邪馬台国だったとか無いか?w
九州にも国があって畿内に本州を治める大和王朝に繋がる国があったと。
邪馬台国=日本を治めてた訳じゃないっしょ。
>>118 出雲大社の原型はもっと古いかもな
あの辺は墓の形状も特殊だし
違う文化圏があったのが
邪馬台国の元連合していったとかそういう推測
122 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 01:04:27 ID:Bi6iESJeO
>>116 中国との近さは余り関係ない。
当時はとっくに稲作も鉄器も普及してた。
田んぼの面積と人口がすなわち国力。
>>120 それはないよ
「対馬国」
という記述がある
要するに少なくとも半島から対馬には上陸してるということ
124 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 01:06:43 ID:ZARFcCutO
125 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 01:07:19 ID:CKnxnaGQO
126 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 01:08:10 ID:Re/mo/D7O
>>59 倭=ヤマト
大和=ヤマト
大和武命=ヤマトタケルノミコト
倭武命=ヤマトタケルノミコト
熊曾武命=クマソタケルノミコト
倭を「ワ」って読んでるでしょ?
「ワコク」とか「ワジン」なんて国や民族は居ないよ
そもそもさ「漢文を読む」って発想がアホ
漢字(つか元々は真女人が使ってたから真女字って呼ばれてた)ってのは「語源や言葉の違う民族同士でも、字を使いコミュニケーションが取れる」って目的でアジアの仏教圏に普及した字だよ
「梵字」ってのもこれと同じような目的で造られた字
(梵字の方は一般的に使われてる字を使わない事で、書かれてる内容が門外にばれないようにする為の目的)
意味のみを表す文字だよ。表意文字って奴。
つかねアジアの漢字文化圏内にある全ての民族は、別に漢字なんか無くても、それぞれが自分たちの語源の発音を表す「表音文字」ってのを持ってて、普段はそっちの文字を使ってて、漢字ってのは他民族との交易などで使われる為だけの文字でしか無いよ
んでそれぞれの漢字には、ローマ字の「A(エー)」「B(ビー)」と同じように
「鳥(ウゥウ)」「龍(ロォン)」などそれぞれ子音+母音の発音が付けられてはいるけど、これら漢字に付けられてた発音ってのは、発音したところで、どの民族の語源や言葉になる訳でも無いよ
「漢文の読み方は、、」なんて言ってる奴は、漢字は元々は単なる表意文字でしかないって事すら理解してないだけだよ
漢字って読んだり語源や言葉を表わせる文字じゃないんだし、だからモンゴルも清もベトナムも朝鮮も日本も、ちゃんと自分たちの語源を表現できる表音文字を持ってるし、使ってるんだよ
もし仮にさ「漢字しか文字はありません」なんて国があれば、その国は表音文字を使う文化や文明すら持ってないほど、文字の文明が遅れてる国って思って良いよ
んな国が中国以外にあるのかどうかは知らないけどさ
>>123 西からの侵略になんたらってのが残ってるから邪馬台国があったのなら
普通に畿内だろうな。
九州にもなんらかの国家があったんだろうけど。
128 :
節子 ◆EPqOr67Ayw :2009/11/12(木) 01:08:38 ID:YwJn+5GXO
そーいや、秦の時代に韓福だかなんかそんな名前の人が日本に不老不死を捜しにきて帰らなかったって見た事あって
確か和歌山かどっかに墓あったはずだけど
当時の航路とかってあるのかな?
流されるままに航海してたのかな?
129 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 01:09:05 ID:B5U3MDPa0
一応神話では出雲の神が大和の神に座を譲ったことになってるから
出雲のが古いはず
多分これが4世紀後半には軍事力による強大な統一国家に変貌する(邪馬台国を滅ぼしたかな)。
一方半島には百済のような中国の先進文化を授かった新興国が登場する。
この辺で軍事−文化のバーターによる同盟関係が成立したんだろうね。
>>124 投馬国は吉備系だと思うよ
吉備が山陰地方も含んだ投馬国と考えることもできるよね
魏志倭人伝でも五万戸とかなりでかい国とされてるしね
>>121 そういうの聞くとリアルに胸が熱くなるわ…
古代史や考古学が三度の飯より好き、って連中の気持ちが分かる
133 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 01:14:05 ID:V4H/S2AjO
邪馬台国→大和政権なんて言ってる奴は視野が狭い
134 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 01:14:16 ID:RHXgMh+uO
135 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 01:15:45 ID:HcPzKQwd0
>>126 大和仮名というのを知ってるか?
日本に入って来た漢字というのは音の借字が基本。
1.中国人が「倭」と読んでた
2.日本人が自分の国を「ヤマト」と言った
1と2が出会った時、日本人はヤマトに借字として「倭」を当てた。
これに美称をつけて「大倭」と書いて「ヤマト」と読んだ。
日本に漢字が入って来た最初の使い方は当て字。
136 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 01:18:59 ID:FZDoppBj0
仮に自分の故郷が邪馬台国の後地だったとして
そんなに嬉しいことかね?
137 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 01:20:47 ID:67teP3i6P
往生際が悪いwwwwwwwwwwwwwwww
138 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 01:21:06 ID:Bi6iESJeO
>>136 生活に関わるw
蕎麦の売り上げにもろに響くwww
畿内説取り下げて欲しいわwww
まあ、先進的とは言っても中国の圧力から地理的に遠かった、ということが大きいんだろうな。
百済や新羅の建国は、中国の動乱と関係してるんだろう。
吉野ヶ里って、あれは真実の姿なのか?
立派過ぎるような復元にみえるが。
誰かさっさとタイムマシーン発明しろよ
>>136 新たな大きな遺跡が発掘されても開発優先でその上に団地が建っちゃうなんてこと結構あるよ
だから考古学者はとりあえずこれは「邪馬台国が・・・」というフレーズを言うんだよ
そしたら注目されるからね。
144 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 01:26:05 ID:HcPzKQwd0
>>143 そういえば、今回の纒向の発掘現場は民家と団地に挟まれてたな。
もっと大きな遺跡なんだろうけど、これ以上の検証は無理かもな。
145 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 01:26:05 ID:l7O9FEt1O
倭人伝に出てくる国で場所が特定されているものは、松浦や糸島といった郡程度の規模しかない国なんだよね
邪馬台国が畿内なら、西日本一帯を勢力下にしていないと朝貢なんて出来ない(瀬戸内海と関門海峡の支配が必須)
しかし、西日本一帯を支配する連合体にしては構成要素となる国の規模が郡程度では小さすぎる気がする
少なくても、後に筑紫・豊・火(肥)・吉備等と呼ばれるくらいの規模の国による連合体でないと無理っぽい
三世紀の半島における国家形成段階からみても、同時期の倭国に西日本一帯を支配する連合体が形成されるには早過ぎると思う
146 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 01:26:32 ID:l8UZ+RK5O
三國志の原典が見つかれば絞りこめるってどっかで聞いたな。
写本の段階で異民族の情報が適当になってるんだつてな。
まあ残ってる可能性は限りなく低いだろうけど。
この辺の時代は趣味で勉強する分にはロマンたっぷりでとても面白いよな
歴史と神話の境界って感じで
学者同士の論争は本人同士は真面目なんだろうが、素人からしたらちょっと滑稽に見える
中国の僅かな史書と記紀の怪しげな記述を引っ張り出して屁理屈こねくり回してあーだこーだ言ってるんだから
149 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 01:29:07 ID:CKnxnaGQO
>>126 つまり邪馬台国というのは「邪」と「馬」と「台」と「国」というそれぞれの
字義のみに着目して付けられた名であり、音に着目しても全く無意味ということ?
えーと・・・アホ?
150 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 01:29:25 ID:naP4I0h3O
まあ瀬高駅の看板外さないといけなくなるしな
151 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 01:30:21 ID:FZDoppBj0
>>143 まさに俺の家は遺跡に囲まれてるから
俺んちの庭にもなにか埋まってそうでウザイんだが
畿内説か九州説かというのは、多分に、論理以外の何かが
判断に入ってきてるみたいで、正直、見ていて見苦しい。
もう、関東説でいいよ。
153 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 01:31:55 ID:2kCYPYzYO
何が考古学者だ。
ただの遺跡愛好家だろ。
学者面するんじゃねえよ。学がねえのに。
考古学ほどくだらねえ代物はない。
そういえば関東も時期は知らんが結構大規模な
古墳群があるんだっけ?
155 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 01:32:44 ID:S37YZMl/0
倭/wa/という呼び名は、当時の日本の中国による対外的名称。
今で言うジャパンみたいなもの。
さて、なぜ倭と呼ばれたのかだが、
基本的に当時の中国の異民族に対する呼び方は、
音には忠実、その上で漢字の選択は恣意的な部分があることもある。
waという音は、おそらく当時の日本民族の自称(英語でいうus)に由来するのだろう。
今でも「わたし」「われ」「おれ(をれ)」など全て痕跡が残っている。
倭という漢字の選択だが、これを蔑称だと考える説もあるが私は違うと思う。
その証拠だが、日本書記で歌が記録される際は、万葉仮名のように漢字で日本語の音を転写するのだが、
文脈関係なく日本語の「わ」の発音には、殆どの場合に「倭」の文字が充てられている。
(特にいわゆる渡来人が書いたと思われる部分で)
つまり、当時の中国語には、日本人からすればすべて/wa/に聞こえる漢字がたくさんあった。
中国人が日本語の「わ」/wa/の音を聞くと、和や他の漢字より倭の方が音が近く、それを充てたくなるが、
日本人からすると和とか倭はどれも/wa/に聞こえるので、差別されたような気になるということだと思う。
(今風にいえば、日本人はlockでもrockでも違いが分からないが、
米国人からすれば大きな違いであるということと同じ)
>>145 マキムクを邪馬台国と仮定して
倭国大乱からの政治的連合国であって文化的に武力的に自然統合されたわけではないし
その証拠にマキムクは当時主流の竪穴式住居がほとんどでない今のワシントンDCみたいな都市なわけだし
緩やかな連合はあったと思う
157 :
ぴーす ◆mQup6l1Ha. :2009/11/12(木) 01:34:47 ID:23hJMgziO
信長が関白で秀吉が薩摩出身になる
のがチャイナクオリティーだから
真に受けちゃだめ。
158 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 01:34:52 ID:ZARFcCutO
親魏倭王の金印って、
1.臺与が晋に返却した
2.誰かが掘り当てて既に鋳潰した
3.誰かが掘り当てて密かに所蔵している
4.卑弥呼の墓に埋まっている
5.それ以外の場所に埋まっている
6.そんな物ははじめから存在しない
のうちどれだと思う?
159 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 01:35:42 ID:Re/mo/D7O
>>120 うーん、おしい
まずさ「國」ってのは、これは「地域」って意味を表す字であって「○○國」ってのは「○○地域」って意味だよ
卑弥呼ってのは、倭の邪馬壹の地域を納めてた王だよ
だから当然、卑弥呼は倭人だし、倭人の卑弥呼が治めてた地域ってのも「倭」の範囲になる
例えば大和武命が倒した、筑紫嶋を治めてたクマソ王ってのがいるけど、このクマソが倭人であれば、別にクマソも倭の筑紫を納める倭人の王なんだし
ちなみに「魏国」とか「魏朝廷」とか「魏人」なんて記述は三國史の何処にも書かれてないよ
ちなみに「中国」ってのは日本語の「なかつくに」の意味であって、倭の邪馬壹地域を治めてた女王の卑弥呼にとっての中国(なかつくに)ってのは
倭朝廷(やまと朝廷)の事であって、別に今の中国大陸の中のどっかの民族の朝廷に従ってた女王じゃないよ
ちなみに筑紫王って言ったら筑紫を治めてた王の事だし、吉備王って言ったら吉備を治めてた王の事だよ
んで、倭の邪馬壹地域含めた朝鮮半島の南部を治めてたのが卑弥呼だよ
魏志倭人伝では「百餃」って書かれてる地域で、他の書物では百済とか弁韓とか辰秦とかとも書かれてる場所だよ
辰秦とか弁韓とかにあった國(地域)の名前を調べてみ?
邪馬壹国なんてあっさり見付かるからさ
まあ朝鮮半島の南部はかつて日本人が開拓し治めてた日本の領土だったって事を知らない人には、一生、邪馬壹国の場所は解らないよ
昔読んだミステリーで、邪馬台国が八幡平にあるって話はおもしろかったな
なんか読んでるときは妙な説得力あって一気に読んだ
高天原が近いからマキムクでいいよ
単に、中国が、台風で進路を大きくずらされた船で到着した場所を
「倭」の国と勘違いをした、、、ってことはないのか?
163 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 01:37:42 ID:HcPzKQwd0
>>155 「倭」というのはニンベンがついてるから
当時の先進国である中国人が倭人のことを人間と認めてたってことだわな。
>>145 半島は単に国家形成が遅れてただけでしょw
この土地って、調査が終わったらどうなる?
周りのみたいに森になって、見学できるようになりますか?
別にどこにあったとしてもいいんだけど
結局どこが現実的にあったぽい?って客観的な質問に対して
個人的な感情で九州にあったと譲らない自称考古学者がいるから
いつまで経っても平行線なんだろうね。
畿内説な学者の方がかなり客観的に証拠見て言ってるよな・・
167 :
節子 ◆EPqOr67Ayw :2009/11/12(木) 01:43:53 ID:YwJn+5GXO
でもすごいよなー
漢人にしても倭人にしても、あの時代に海を越えようとすんだから
正直アヒルさんボートで海外旅行するレベルでしょ?
どんだけ命知らずなんだよ…
168 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 01:44:17 ID:55QZsAL10
邪馬台国の位置に関係なく、3世紀の日本は
畿内>>>>>>九州だったことは決定です
169 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 01:45:30 ID:Vg3XBRVY0
隋書・倭国伝には、こう書かれている
新羅百濟皆以倭為大國多珍物並敬仰之恒通使往來
新羅や百済はみな倭を大国となし、珍しい物が多く、これを敬って、恒に使節の往来があった)
倭>>>新羅・百済の力関係は明白
170 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 01:56:07 ID:53/qQUpVP
ヤマトトトヒモモソヒメ=卑弥呼とすると、
三輪山の神(オオモノヌシ)を祭る一族と政略結婚したってことになるのかね。
オオモノヌシ=オオクニヌシと考えると、オオクニヌシの国譲りは
卑弥呼死後に争いが起きて、奈良の地を邪馬台国=ヤマト王権に明け渡して
オオクニヌシ系一族が現在の出雲へ退去したってことだろうか。
171 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 02:00:13 ID:KQ/GbfxIO
卑弥呼の正体はクレオパトラ
172 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 02:04:20 ID:i46xr4B/0
>>92 ホケノ山(笑)
ホケノ山の報告書を本当に見たのか?
普通に読めばあれは4世紀半ばだなあ。
まあC14で古くしようとする連中は都合の悪いものは全部無視だからなあ。
反対論の学者の包囲網を完全無視で都合の良い情報だけマスコミ発表するという
やり方だが、それが一番の批判の的だったりする。
173 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 02:07:29 ID:4I8UG4Bo0
台湾説
国風文化の形成が10世紀なら、それ以前は大陸文化模倣の時代。
それなら、半島の方が日本に先行してるのは否めないな、残念ながら。
邪馬台国探しの本当の狙いはどこにあるんですかね。
歴史的ロマンや観光目的じゃないような気がするんです。
176 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 02:08:21 ID:YF+j8pGb0
九州って過去の栄光にすがりたがるバカが多いよな。
明治維新は薩摩のおかげとか邪馬台国は九州にあったとか、現在の九州人に関係ねーじゃん。
思考が過去ばかり向いてるから所得も低いし犯罪率も高い。九州は日本の恥部だと思う。
177 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 02:09:12 ID:KQ/GbfxIO
俺、思うんだ
死んでから祟りを畏れて墓や古墳を造ったりとか
178 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 02:29:55 ID:vHTWowM70
個人的には高千穂とかサイト付近を丹念に調査してほしい
天皇に不利な情報でてきてもいいじゃないか
179 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 02:29:58 ID:pEoEcPg7O
佐賀とかマジで消えてほしいわ
佐賀県の研究者だから 九州にしたいから言ってるのが見え見えだな
九州は諦めろ
181 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 02:40:59 ID:ndjlXYWt0
>>168 それで問題はないんじゃないか?
邪馬台国九州説と全く矛盾しないだろ。
>>147 発掘から検証しようってのが主流だと思うが
183 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 02:42:07 ID:/UMzPUFy0
とりあえずこれほどこの言葉が似合うニュースも珍しい
必死だな
とりあえず、九州内では邪馬台国は九州にあったということで・・・
185 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 02:44:30 ID:Re/mo/D7O
つか一度、古事記や24史を自分で読んでみたら?
邪馬壹国の場所にしろ、卑弥呼や、もう一人の女王の事や、
卑弥呼が西洋の太秦からの移民の和爾氏との間に子供を作ってしまった事や、死後、海の向こうの故郷にある須見山の南方の山に祀られた事とか、なんで魏志倭人伝以外の漢籍書や和籍書とかにも沢山記述があり、伝承されて来てるような事が
戦後の歴史教育に変わった途端に行きなり「何処にあるのか解らない」「謎」「この邪馬壹国が日本の発祥」だとか言う話になるわけ?
つか俺は邪馬壹国の場所も卑弥呼が誰なのかも、卑弥呼の墓も息子が誰なのかも、卑弥呼の息子を王とする事が許されなかったのかも、その後、血統を戻す為の血統なんたらってのが行われた事とか、、
詳しく書いてあるじゃん
邪馬壹国や卑弥呼の一体、何が謎なの?
つかそもそも「邪馬壹国は日本の発祥」だの「日本は中国大陸にいたとてつもなく偉い皇帝様に必死で貢ぎ物をしたお陰で、黄金の判子を貰い國を名乗る事を許された
。黄金の判子とはその証しに渡されるもので、、、」だの言い出した学者って誰なん?
>>167 時代が下って遣隋使や遣唐使の頃になっても、
がんがん沈没だ漂流だしてるからな。
187 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 03:38:03 ID:Re/mo/D7O
つかさ24史や記紀には邪馬壹国と卑弥呼だけじゃないよ
連合の弥烏邪馬國や、もう一人の女王の卑彌呼のことも書いてあるし、
この倭人の女王は生前、海の向こうの氏の故郷の権山の須見山の南に祀ってくれと言ってた事や、
卑弥呼が王にしようとしてたのが実は太秦からの移民の和爾氏との間に産まれた息子だった事を、朝廷が知りカンカンになった事や
血統を正常化する為のなんとかって言う婚姻の作業をし、血統を戻した事や
この息子が卑弥呼を祀った女神岳の麓に善行寺を建立したいきさつや、、
つかこんな詳しい話まで魏志倭人伝を含めた色々な書物で書きのこされてるし
つか戦後の日本の学者は本当にマジで邪馬壹國の場所すら解らないほどバカなの?
それとも、むしろ解ってるからこそ、「朝鮮半島は昔から朝鮮民族が治めてた土地」って言う歴史にする為に
「邪馬壹国は日本にあった國としてしまおう
って事で、日本の何処かにあったって事にしたいだけなんじゃないの?
マジでどっちなん?
188 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 03:41:06 ID:mBDZKB7q0
>>95 景初3年と言う年号は、存在しないのよ。その時、魏は滅んで晋に変わっていた。
大陸の事情にうとい近畿勢力が、銅鏡を日本国内で製造したから、そんな間違いを
起こした。近畿の銅鏡が魏から朝貢されたもので無い、つまり卑弥子が貰った
銅鏡では無い事の証拠。
189 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 03:47:26 ID:dBpcUu+KO
190 :
節子 ◆EPqOr67Ayw :2009/11/12(木) 03:51:08 ID:YwJn+5GXO
191 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 03:53:02 ID:BTCEspnmO
昔、卑弥呼とか言うAV女優がいたな。
192 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 03:56:42 ID:BTCEspnmO
大和撫子玉の輿
193 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 04:00:48 ID:ABSGtoWn0
普通に考えたら女王だったんだから一番デカイ建物に住んでただろ
そして奈良ではその跡地らしいのが見つかったんだから奈良が有力だと思う
細かい事に囚われるより大きな観点で見たら
卑弥呼以外にも女王がいたのか。
このスレはためになるな。
195 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 04:09:27 ID:itn746YOO
>>193 それは、細かい事に囚われない大きな観点じゃなく
雑に細かな断片を見てるだけw
196 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 04:11:23 ID:ga257JmZO
>>167 中国は卑弥呼の時代の前から春秋戦国時代など
戦乱に明け暮れていたから渡来人とかは亡命者が多いよ
敵に殺されるか、一か八か海にでるか
だから大層な技術者や文化人が多かった
197 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 04:12:51 ID:Ex2h0ND+O
結局、畿内派の捏造&戯れ言が浮き彫りになった訳か…
恥知らず共めwww
198 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 04:21:46 ID:Re/mo/D7O
>>186 つか唐(から)も漢(かん)も乾(かん)も韓(かん、から)も、これ半島の事であって、今の中国大陸は関係無いよ?
まず魏志倭人伝や三國史や唐書や随書などの正志24史ってのは満州國の建国の際に、満州五族の正史として満州國が採用した書物だって事を理解して下さい
それに満州國の前身のマンチュリ帝国(清)も、それ以前のモンゴル帝国や明(これも朝鮮の李王朝の事だし) も、それぞれ自民族の言葉を表せる表音文字を持ってる民族であって
今の中国のように表意文字の漢字しか文字を持ってないような文字文化が無いような民族や国じゃないよ
つか中国は語源や民族や文化の違う多くの民族を統一しようとして建国し、まだ60年しか歴史の無い國だから仕方ないのかも知れないけど、表意文字なんてのは携帯の絵文字と同じで、言葉や語源を書き表せる文字じゃ無いんだってば
つかアジアの漢字圏内でも唯一日本だけだよ、漢字を日本語でも発音出来る文字として使えるように、沢山の訓読みや当て字発音を当てて使ってるのわ
それでもやっぱ漢字だけでは無理があるから、表音文字の平仮名や片仮名を交える事で、日本語も発音も意味も表せる「表音表意文字」として使いこなしてるのが日本
199 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 04:22:59 ID:e3NaVIoc0
つうか、でかめの遺跡が出るたびに
邪馬台国と騒ぐのはやめろ。
恥ずかしいから
支那の文献上のモンキーランドがどこにあったかなんてそんなに重要なもんなのか?
201 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 04:28:14 ID:Ex2h0ND+O
たかり屋どもが物欲しさに騒ぎ出す…
いい加減、似非遺跡発掘なんて止めてしまえ!
202 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 04:48:34 ID:Re/mo/D7O
まあ邪馬壹国の場所にしろ卑弥呼が誰なのかとかにしろ、そもそも倭の範囲すら理解してない戦後の歴史観を前提としてる人達には、一生解らないだろうね
例えばバスコダガマ(だったっけ?)が書いた本の中の「黄金の國、ジパング」
これを「アフリカの何処かにあるはずだから探せ!」って言われて探してても一生ジパングの場所が何処かなんて解らないよ
んで「かつてアフリカ大陸にあったとされる謎の黄金の國、ジパング」なんて言ってりゃ世話無いわ
新羅も百済も弁韓も辰秦も、倭人が開拓して治めてた場所の名前だから、そっちで探してみってば
邪馬壹国以外にも魏志倭人伝に乗ってる楽奴国だとかそんなんもそこにあるから
別に魏志倭人伝以外にも新羅記だったか三國史だったかに、弁韓とか辰秦にあった國(地域)名は書いてあるってば
違う場所探してるから見付からないだけだってば
マジで邪馬壹国の何がどう謎なの?
ちなみにマキムクの遺跡は、これ確か柏原のマキムクでしょ?
だったらこれは邪馬壹国じゃなくイワレビコが遷都した藤原 京の後じゃん
つか考古学者や歴史学者って、日本の史書とか風土記とか全く読んで無いわけ?
いちいち調べなくても、先人の人達が歴史書として書き残してくれてるじゃん
203 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 05:13:50 ID:Re/mo/D7O
1、倭人
2、女王
3、邪馬壹国
4、鬼道
5、楽浪の南
韓三国でWikipediaか何かでとりあえず探してみ?
確か弥烏邪馬国とか他の國とかも書いてあったはずだよ
で、魏志倭人伝にはハッキリと邪馬壹国などの地域を治めてたのは倭人って書いてある訳でしょ?
ようは朝鮮半島南部はかつての日本の領土だよ
それを理解した上で、ちゃんと24史や三国史とかを読んでみ?
新羅も百済も倭って書いてあるから
あれが朝鮮人の國で朝鮮の歴史だって言うバカは、どこに朝鮮人の國だなんて書いてあるのか説明してみろって話だわ
この倭人が朝鮮半島南部に渡り開拓し治めてたときに稲作や水田などが日本から大陸に伝わったとも書いてあるからマジで読んで来てみ?
つか戦後の日本の歴史で言われてる事とは全く逆なんだよ
半島やモンゴルやマンチュリなどアジアの共有文化の多くは、日本から大陸に渡ってるんだよ
漢字を作ったのも中国人じゃなく、日本が半島に渡る以前に漢(これも中国じゃなく朝鮮半島の事)にいた真女人でマンチュリ民族の事だよ
大陸から伝わった訳じゃなく、漢國(半島ね)を開拓した倭人が、そこにいた真女人が語源の通じない同士の間で通訳文字として作って使って文字を「すげー便利じゃん、この文字が世界中に普及すれば言葉なんか解らなくても字で話せるじゃんー」って、アジアに普及させたんだよ
この様子もちゃんと書いてあるよ
204 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 05:18:48 ID:wNden9Zd0
205 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 05:27:27 ID:tCgWLZj0O
>>31 地理的に正確な隋書に飛鳥時代の日本の都=大和の事を「魏史にある邪馬台国である」ってわざわざ説明してる。
魏史は40年前にいったたった一回の使者の話をもとに書かれただけで、測量もしていないし地図もない。
>>55 C14測定だと実際100年くらい下る。
今発表している年代は土器編年の推定による補正を加えた物。
207 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 05:49:19 ID:PFz0+fM80
もう畿内で大昔に結論でてるだろ
隋書
倭國、在百濟、新羅東南、水陸三千里、於大海之中依山島而居。魏時、譯通中國、三十餘國、
皆自稱王。夷人不知里數、但計以日。其國境東西五月行、南北三月行、各至於海。
其地勢東高西下。都於邪靡堆、則魏志所謂邪馬臺者也。古云去樂浪郡境及帶方郡並一萬二千里、
在會稽之東、與?耳相近。
倭国は、百済や新羅の東南、水陸を越えること三千里、大海中の山島に依って居。
三国魏の時代、通訳を伴って中国と通じたは三十余国。皆が王を自称。
東夷の人は里数(距離)を知らない、ただ日を以って計っている。
その国の境は東西に五カ月、南北に三カ月の行程で、各々が海に至る。その地形は東高西低
都は邪靡堆、いわゆる魏志によるところの邪馬臺なり。古伝承では楽浪郡の境および帯方郡から
一万二千里、会稽の東に在り、?耳と相似するという
>都於邪靡堆、則魏志所謂邪馬臺者
208 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 05:58:17 ID:/hrpSB+AO
畿内は結構新しい発見が有るように感じるけど、九州は今回のマキムク遺跡に対抗出来る様な新しい発見ってあるの?
何か素人の感覚としては、とりあえず証拠を出して来る畿内に対してひたすら否定を繰り返す九州ってイメージが出来つつあるんだけど…
209 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 06:03:39 ID:9NL5uk570
>>206 炭素なんて大まかな測定で100年とかわかるか知ったかボケが
木の年輪の気候変動による年輪パターン比較で今は1年単位でわかるんだわ知ったか野郎www
210 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 06:07:51 ID:Re/mo/D7O
>>204 これはさ、戦後のアホの歴史学者達が全部悪いんだよ
>>1とか読んでみて下さい
「最大の謎!」だの「発見されれば日本の歴史上で大変な大発見!」だとか
確か邪馬壹国ってのは戦後に発行された「謎の邪馬壹国」とか言う学者の本が元に「日本にはかつて謎の邪馬壹国があった」として邪馬壹国ブームがあって、
それで一気に邪馬壹国や卑弥呼の名前が定着して
教科書とかにも「かつて日本には邪馬壹国が、、」なんて、まるで日本の発祥見たいな扱いで邪馬壹国が乗るようになったんだよ
そらまあ、こうして「最大の謎!」「いまだ発見されない」
とか言ってりゃ、ミステリアスだしそら興味は引くわな
ただこれ、そもそもが謎でも何でもないんだよ
実際に24史をよんで貰えればわかるけど別に邪馬壹国や女王の話は魏志倭人伝以外の24史にも書かれてる話だよ
あとこれも学者が悪いんだけど、そもそもがこれは別に邪馬壹国やら卑弥呼やらの話じゃなくて「倭國乱」っていって、倭の内乱の様子を伝えてるだけだよ
同じ話は別に日本の古事記にも風土記にもある話だし
「最大の謎」とか「歴史的大発見」とか言う事にしたい気持ちは解るし、「謎だ!歴史的ミステリーだ」と言い続けてるから今なおこれだけの興味を引いてるんだろうし
ただ邪馬壹国の場所なんて初めから「楽浪と境を接する南部」って場所も書いてあるんだし、そこの土地の歴史を探せば誰でも簡単に見付けられるんだよ
211 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 06:10:57 ID:UQ0pip8Y0
金印が九州からでてるから。
どさくさ紛れに西都原古墳群説をねじこんでやる〜∩(゚∀゚)∩
…え?とっくに終わってる?
213 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 06:15:56 ID:BMYFn4I4O
邪馬台国は
普通に
北九州ですよ
素直に解釈すれば
いつまでも屁理屈こねないのw
なんで三世紀だかのことがこんなにも不明瞭なの?
日本民族ってほんと文明が遅れてた未開人だったんだね
>>207 そうそう、魏史だと縦に長かった筈の倭国が、隋書の時代には横長になってるんだよな。
216 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 06:20:51 ID:Re/mo/D7O
>>207 もう漢文の解釈からして俺と全く違うし
まず
「倭は百済と新羅の東西水陸三千里。居は大海中の嶋」
百済と新羅の記述も見てみ?
百済も新羅も倭王が治めてる地だと書いてあるから
どの漢籍書にも倭人の國としか書いてないし、いったい何処に朝鮮人の國と書いてるのか逆に知りたいわ
ちなみに古事記などの日本の歴史書にも、倭人の女王が半島南部を治めてた時の様子が詳しく書いてあるし
217 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 06:26:11 ID:cHK9+sfy0
紀元ごろを境に、漢鏡の分布が、北九州から近畿に移っている。
このころ、経済力が逆転した証拠といえる。
近畿から大量に出てきている漢鏡の一部、
三角縁神獣鏡は、元素比率の分析から、
魏で作られた鏡と確定している。
これは強力すぎる物証になっていて疑いようがない。
もう大部分の学者は、倭人伝に書いてある
魏の使者が持ってきた鏡だと確定したと思ってるよ。
ちなみに朝鮮半島南部では鏡は余り出ない。
漢の出先があった北部では結構多く出る。
朝鮮南部は貧乏だったんだよ。
218 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 06:29:21 ID:55YZdx120
科学的な年代測定が進歩したので、測定結果に関しては異論が差し挟めなくなってきたのはいいことだ。
より根拠のある結果を提示しないとただの負け惜しみにしか思われないからね。
219 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 06:35:13 ID:CmtfCsrh0
ただし、纒向(まきむく)も箸墓(はしはか)も卑弥呼と結びつく遺物が全く出ていないので
ここは邪馬台国だという証拠も無いけどね。
220 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 06:37:02 ID:aeL6V1nd0
邪馬台国と現代人は書くけれどこれは、漢字の当て字だよね。
平仮名で書くと「やまたいこく」で「国」だけ外すと「やまたい」
「やまたい」を何所で切るかで意味が違ってくる気がする。
「や」「またい」
「やま」「たい」
「やまた」「い」
221 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 06:37:49 ID:A7zzds3CO
てか、巻向は古代天皇の地だろ。
卑弥呼と何の関係が?
222 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 06:38:59 ID:gDk7dPW+O
ヒント:やまやのめんたいこ
223 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 06:41:54 ID:cHK9+sfy0
最近の考古学は、出てきた木製品の年輪の幅の変動をみて、
木が切られた時代がわかるようになった。
大体、数千年ぐらいさかのぼれる。
欧米の考古学会では1万年くらいまで推定されている有様だ。
C14法などもあって、あらゆる面で動かしがたいよ。
224 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 06:42:13 ID:6u1wlouf0
九州説ってもう宗教みたいだよな。
225 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 06:44:24 ID:Re/mo/D7O
>>207 あと「中国(ちゅうごく)」って国家が建国されたのは70年前
それ以前の時代には「中国(ちゅうごく)」なんて國は存在してないんだよ
つか中国ってのは「なかつくに」の事だよ
で、ここに書かれてる「なかつくに」ってのは、誰にとっての「なかつくに」の事なのかって事を考えてみ?
これ確か随書の倭人伝でしょ?
倭人にとってのなかつくにはどこ?
ちなみに魏志倭人伝には「なかつくにの京都」って書かれてるよ
卑弥呼は天照大神、皇室の先祖神だよ。
227 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 06:56:19 ID:Re/mo/D7O
>>207 まず「國」ってのは「地域」って意味の漢字
邪馬壹國てのは、倭の邪馬壹地域って意味であって、卑弥呼ってのは倭の邪馬壹地域を治めてた女王だよ
で、その卑弥呼が水銀(当時は黄金は水銀から作られてた)を朝貢した朝廷てのは「なかつくにの朝廷」で、京都と書いてあるよ
邪馬壹地域が畿内? 全然違うっての
倭人にとっての「なかつくに」が畿内であって、邪馬壹地域なんてのは卑弥呼が治めてた倭の地域の名前なだけ
邪馬壹国や卑弥呼なんかじゃなく、卑弥呼が貢いだ「中国(なかつくに)の朝廷」の方が畿内であって、それが大和朝廷なんだよ
あと物部氏族の大和朝廷以前には蘇我氏の飛鳥朝廷も存在してるよ
けど卑弥呼が貢いだのは大和朝廷の方だよ
228 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 07:07:28 ID:+3307sH00
>>225 横レスごめんよ。
まとめて読んでみたいのだけど、どこか良いサイトなり書籍なりがあるなら、教えてもらえないかしらん。
まったくはじめて聞くようなことばかりなので、興味津々な素人な私ですが、お願い。
>>209 問題は、その年輪法をやってる学者が、手の内を公開せずに、結果だけ発表しているって事なんだよなあ。
230 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 07:24:05 ID:ShjXB76rO
>>226 おいおい、それいいだすと出雲も入ってくるよ。
天皇の先祖はファンタジーだよ
231 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 07:24:42 ID:Re/mo/D7O
>>226 今の皇室は「カミブテンノウ」って人を祖としてるじゃん
で、ニニギから三種の神器を受け継いでるんでしょ?
天照の神器ってのは恵那山に治められてた八本の鎌で、この鎌は干ばつ時に雨を降らせたりする神器だよ
たしかオロチノヒレとか言う名前
このアマテラスの神器を含めた天璽十種神宝(あまつしるしとくさのかみたから)を受け継いで来てたのは物部氏族であって御所の「あまのすめらぎ」達が受け継いでたんだよ
その十種の神宝を継いでた大和の朝廷を滅ぼして作られたのが皇居にいる「皇室」って奴で、いまいるのは「あまのすめらぎ」じゃなく、「てんのう」って言う人だってば
ちなみに三種の神器ってのはそもそもが源平物語で平氏だか源氏だかの氏族が継いでる奴だよ
京都の御所にいた、公家13家の「天皇(あまのすめらぎ)」達がが継いでたのが「天璽十種の神宝」祖氏は八百の神々
東京の皇居にいる皇室の「天皇(テンノウ)」が継いでるのが「三種の神器」 祖氏は「ジンブテンノウ」
つか今いる「テンノウ」と、イギリスのグラバーの軍事支援を受けて薩長が滅ぼした「あまのすめらぎ」を一緒にしないで下さい
そもそも今いる「テンノウ」は、「ジンブテンノウ以前の話は単なる神話だ」って言って、「ジンブテンノウ」って人を祖氏としてる人じゃん
ちなみに「ジンブテンノウ」や「神武天皇」なんて名前は古事記には何処にも書かれてない名前だよ
232 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 07:30:11 ID:bnqEY0VCO
邪馬台国畿内説支持者は今すぐ倭人伝を窓から投げ捨てるべきだ。
海洋的で南方的な倭人伝の記述はどうみても九州。
倭人伝の邪馬台国が海ナシの奈良県だって?悪い冗談だろ。
邪馬台国畿内説を成立させるならば
1三国志の著者陳寿がズボラかまして後漢時代の九州ナ国への旅行記を邪馬台国旅行記としてコピペした
2使者である張政がズボラかまして北九州のナ国あたりでお茶を濁して邪馬台国まで行かず引き上げた
3北九州のナ国近辺のクニが勝手に日本代表としてヤマトと名乗って外交してた
4敵国である呉に「南方のクニまで服属した」とアピールするため示威行為として邪馬台国を南国にみせかけた
5朝鮮のように占領されるのを恐れて邪馬台国政府が首都の位置を北九州だと偽った
このくらい言ってのけて倭人伝を全否定するべき。
重ねて言うが、
邪馬台国畿内説支持者は今すぐ倭人伝を窓から投げ捨てるべきだ。
233 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 07:31:22 ID:qoQxisSp0
「ここは卑弥呼の宮殿」とか象嵌された鉄剣でもでればねぇ・・・
234 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 07:33:54 ID:bnqEY0VCO
少なくとも倭人伝に出てくる邪馬台国は九州としか考えように無い。
南方系の風俗、温暖な気候、海と密着した生活、
登場して詳しく紹介されている倭の諸国は北九州のクニばかり。
その北九州の諸国ですら、やっと支配しているという程度の危うい国家体制…
どう考えても九州への旅行記にしか読めない。
倭人伝では九州以東の記述があまりにも薄い。
邪馬台国を畿内にもっていくなら、いっそ倭人伝の記述を否定して
「後漢の頃に北九州のナ国へ金印を持っていった時の旅行記」を引き写しただけで
倭人伝の記述は実際の邪馬台国とは無関係だ、と言い切るくらいしないといけない。
あるいは、使者は北九州までしか来ていなくて、引き返したから九州の様子を倭国の様子としてレポートした、とか。
そのくらい言い切らないと邪馬台国を畿内だと説明できない。
海洋的で南方的な邪馬台国の光景に該当する地域は
北九州が北限。南九州の可能性もある。南方の敵国クナ国ともども邪馬台国は九州島内。
どんなに頑張っても倭人伝の倭国の情景は奈良県の風景じゃない。
235 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 07:34:46 ID:MmDVcjLsO
百年ぐらいしたら
遷都したとか
奈良→平安
平安→江戸
みたいに
九州から上ろうか
→畿内
とか
ないかな
>>42 卑弥呼は漢字の当て字で本当は ひみこ=陽巫女、太陽の巫女っていうのは本当なの?
それならアマテラス確定じゃん。
237 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 07:37:14 ID:Re/mo/D7O
>>236 アマテラスは神様で
巫女は巫女、人間ですから
残念!
マチ興しムラ興し考古学者は市ねよ!
240 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 07:40:10 ID:UKxf4aZJO
>>232 高床式建築自体南方的だがな
海人も南方的だな
どちらも少なくとも九州から東海まで見られるな
241 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 07:42:38 ID:+3307sH00
>>237 書き下してないのかぁ。大変そうだなぁ。
でもありがとう。私はまたロムるので、気にせず続けてくださいな。
243 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 07:44:24 ID:aXwj3O9mO
表札か名前書いたパンツでも出てくれば確定なのにね
244 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 07:45:36 ID:8NQM1pf40
>>232 ・伊都国(いとこく)に魏の使者が常駐している。伊都国から先の航路はおそらく伝聞。
・張政は卑弥呼のところに行ったが、弔問に行ったので邪馬台国への行程なんか報告していなかった。
こうかんがえれば、それほど矛盾しているとは思わない。
>>242 つーか、神話って必ず実在のモデルがいるとでも
って逆に聞きたいわ
そもそも「巫女」なら祀ってる神様がいるはずだしな
247 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 08:00:57 ID:qoQxisSp0
日本の考古学者って資料的根拠が乏しいのに結論だけは声を張り上げるよね。
宗教がかってるのが悪いところだ。「信じる者は救われる」は科学じゃない。
248 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 08:01:10 ID:Re/mo/D7O
>>238 日本の神様ってのは「霊界に行った人」って意味だよ
それと交信するのが神主や巫女だってば
だから「天照命(あまてらすのみこと)」だよ
氏神とかもそうだけど要は先祖とかそういう意味だよ。日本人にとっての神様ってのは。神様仏様だよ
先祖崇拝って奴なんだけど、要は死んだ人は49日間は現世に留まり、んで霊界に行くって考えられてて、お盆とかには帰ってくるから、昔の人はちゃんとお盆には家族と親戚が集まり迎え火を炊いたりさ
なすやキュウリで馬を作ったり、、
まあ悪く言えば要は幽霊を信じてる見たいな事かな?
巫女や神主なんてのはそれらと交信が出来る人がやるんだし、イタコのような神降りとかの儀式は昔からあるよ
そもそもそれらの儀式を執り行う祭祀が「天皇(あまのすめらぎ)」なんだし、別に日本を建国したとか治めて来たとか言うのが天皇じゃないんだよ
今いる天皇はあれ、そういう血統の人じゃないから儀式なんて一切やらないしさ
249 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 08:01:31 ID:tCgWLZj0O
>>225 なかつこくというのは日本も自称していたが、中国も同じ表現をしている。もちろん国の名前ではなく、
詩経以来用いられている地理的中心とかいう意味で
唐書百済伝でも、倭人と中國人は別で中國人は漢人をさす。
中華民国が採用した中国でもないが、日本が自称した葦原中国でもない。
隋書及び唐書の中国は隋にとって中心部をさす隋を表してる。
間違えなきよう。
>>246 アマテラスってもともと太陽を神様としていた巫女さんじゃないの?
そもそも、魏志倭人伝の前半の風俗などの記述は明らかに九州。
なぜなら、張政まで邪馬台国に行かなかったんだから当たり前。
252 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 08:12:06 ID:nwO0SCnJ0
単に畿内はあちこちで発掘しまくってるから、
それっぽい遺跡や物がたくさん出てるだけで、
九州も発掘しまくれば、
それ相応のが出てきそうな気もする
でも、考古学的資料に基づいて判断するのが基本なんだから、
畿内説が主流になるのは当然だな
天孫降臨神話のある宮崎は、
がんばれば一発逆転の遺跡が
出てきそうな気もするけど、
どうなんすかね
253 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 08:12:21 ID:PFz0+fM80
>>216 どの部分?
其人雜有新羅、高麗、倭等、亦有中國人。其衣服與高麗略同。婦人不加粉黛、女辮髮垂後、
已出嫁則分為兩道、盤於頭上。俗尚騎射、讀書史、能吏事、亦知醫藥、蓍龜、占相之術。
以兩手據地為敬。有僧尼、多寺塔。有鼓角、箜篌、箏、?、?、笛之樂、投壺、圍棋、樗蒲、握槊、弄珠之戲。
そこの人は新羅、高句麗、倭などが混在しており、また中国人もいる。そこの衣服は高句麗とほぼ同じ。
婦人は粉黛をせず、娘は辮髪を後ろに垂らし、既婚者は両方に分けて頭上に巻く。俗は騎射を善くし、
書史を読み、官吏は良く仕え、また医薬、蓍龜、観相術を知っている。両手を地に着けて敬意を示す。
僧尼がおり、寺塔が多い。鼓角、箜篌、箏、?、?、笛の楽器があり、投壺、囲碁、樗蒲、握槊、弄珠の遊芸がある。
254 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 08:13:20 ID:Re/mo/D7O
ちなみに今いる天皇じゃなく、薩長に滅ぼされた御所にいた方の天皇が受け継いでた「天璽十種神宝(あまつしるしのとくさのかみたから)」ってのも、有れば全て儀式に使うための神宝なんだよ
全部を知ってる訳じゃないけど例えば天照の八本の鎌は、天照自身も干ばつ時に川に投げ入れて雨を降らしたとか言う雨乞いの為の神宝だし
あとなんだったけな?「とくさゆらゆらなんたらかんたら」って言霊を発しながら使うと死人も生き返るとか、そういう力が備わってるから神宝なんだよ
天皇の血統が大事とされるのは、天皇てのはそうした儀式をとりおこなうシャーマンの血統が天皇って意味だよ
別に日本を建国だの治めてきただの、天皇(あまのすめらぎ)ってのはそう言う意味じゃないよ
そもそもそう言う立場なのは公家では関白だし、武家では大将軍だし
「誰々が○○を倒して天皇の座に付きました」とか言うのが天皇じゃないよ
255 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 08:15:08 ID:PFz0+fM80
>>254 おいおい
>百済も新羅も倭王が治めてる地だと書いてあるから
の原文教えてくれよ。
>>254 >薩長に滅ぼされた御所にいた方の天皇
?
257 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 08:19:41 ID:yyBQuK0o0
宇美国までは九州で確定
それから先の情報がほとんどない。
延々と畿内まで移動したのなら
それ以降の情報もあるはず。
そして、畿内まで行くなら、いくらなんでも
途中で何回かは寄港するはずだが
何の情報もない。
つまりごく近距離である。
258 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 08:21:03 ID:aYVD3OEqO
つまり
九州 → オーディン
機内 → フェザーン
て事?
259 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 08:28:31 ID:g5C+79G6O
>>254 天璽十種神宝はニギハルヒが遣わしたもので、皇統とは関係ないぞ。
それに、江戸時代には既に現存してない(存在そのものが怪しい、または各地の伝承を一つにまとめただけ)
しまった!ニギハルヒじゃなくて、ニギハヤヒだ。
ちょっと閉鎖空間に消えてくる。
261 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 08:32:42 ID:Re/mo/D7O
>>249 だから中国なんて國もなければ、中国人なんて民族もいないってば
何処にも「中国人」なんて民族は書かれてないでしょ?
つかそもそも24史なんてのは中国じゃなく元々は満州国が建国の時に正史と定めたものであって、
満州國ってのは「日本民族、マンヂュ民族、朝鮮民族、モンゴル民族、ハン民族」の五民族が共和した国家として建国された国家であって、24史てのは、それら五民族の民族歴史を採用したものだよ
ちなみに君の言ってる「漢人」と、満州國にいた24史の中に出てくる「漢人」とは別の民族だよ
あれは統一国家を掲げた毛沢東が「我々中国は歴史も語源も民族も、4000年前より統一された1つの国家であり、中国人はみな、偉大な漢族である」として、中国人の総称として「漢族」って名前を付けただけで
、上海人は上海人だし山東人は山東人だし、重慶人は重慶人だよ
だいたいシナは元々「川を越えたら言葉が違う」って言われるほど、それぞれの都市が、それぞれの話す言葉が違う別の民族なんだから
上海民族や重慶民族や山東民族の民族歴史なんて、そもそも24史には書かれてないでしょ
262 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 08:33:16 ID:aYVD3OEqO
263 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 08:37:37 ID:tCgWLZj0O
>>261 そんなこといってるんじゃない。
中国はあんたは倭のなかつこくの事をさしているといってるが、
それは間違いで書の中国は隋のことだと指摘してるんだよ。
264 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 08:40:41 ID:Re/mo/D7O
>>259 だから物部氏が継いでた神宝って言ってるじゃん
まあ、今いる天皇とはそら関係ないさ
今いるのは自称南朝系の大室氏じゃん
天璽十種神宝に関しては、今じゃ俺も良くわからないけど少なくとも天照の八本の鎌の内の1本は明治時代に城が焼かれる以前までは恵那山の麓の岩村藩の岩村城にあったよ
もう一本、光秀とかの土岐氏族がもってたはずだし
残りは知らないし、他の9種の神宝の由来とかも良く知らないや
今度調べてみるわ
265 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 08:42:33 ID:PFz0+fM80
おいおいw 明治天皇すり替え説みたいな陰謀論は恥ずかしいからよせw
正直九州説にはちょっと変なこと言う学者さんが多いな
そういう人だけが残ったのかもしれないないが・・・
268 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 08:52:05 ID:Ou0VoYv/O
俺は日本人がセンピ族の末裔だって信じちゃうからな
269 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 08:53:34 ID:Re/mo/D7O
>>263 随w
じゃあ質問
倭
発音 ヤマト
民族 ヤマト民族
語源 ヤマト語(日本語)
範囲 (帯方から見て)東南の海の中の島&楽浪と境を接してその南側
清
発音 マンヂュ(マンチュリ)
民族 マンヂュ民族
語源 マンダリン語
範囲 ヌルハチ市周辺
随とか魏とか言う前に、まずそれらの國だか王朝だかが中国大陸にあったと言うなら、まずその王朝の民族や、漢字の発音じゃなく、実際にはなんて呼ばれてた國の事なのかとか、解る範囲で良いから書いてみてよ
あ〜、いいや、それらの民族と語源だけでも良いよ
魏って上海民族? それとも重慶民族?
随は? 唐は?
教えて下さい
もしくは「24史には○○人で○○の西って書き方がされてる」見たいな程度でも良いですよ
ちなみに俺が探した限りはどっこにも書かれてなかったよ
270 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 08:55:47 ID:MafQwUDW0
要するに
>考古学者・高島忠平さん
が九州じゃなきゃヤダヤダジタバタという願望を持っているという話ですね?
271 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 08:56:45 ID:C8iJk/jXO
>>1 まるで長野にリニアモーターカー通せという朝鮮長野県民と同じ思考回路だなw
272 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 08:57:22 ID:qoQxisSp0
魏志倭人伝も対馬、壱岐、松浦あたりまで確定できてもそっから先が怪しくなるね
273 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 08:57:37 ID:tCgWLZj0O
>>269 隋と唐が中国大陸にあった事ぐらいは常識。
おまえちょっと電波すぎ。
274 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 08:59:21 ID:PXbgDPwQO
同時期に邪馬台国は2つあった!!とかじゃダメなの?
275 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 08:59:59 ID:g5C+79G6O
>>264 天照大神の鎌ってなんだ?
十種神宝は二鏡、一剣、四玉、三比礼じゃないの?
ちなみに鏡は同じ名前のものが、どっかの神社にある(関係あるかは史実にないからわからない)
剣は草薙の剣、玉と比礼はどうだったか忘れた。
俺も機会があったら調べるよ。
276 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 09:00:04 ID:zrhaWCYkO
いいから早く各地の古墳調べさせろ糞宮内庁
何が幻の邪馬台国だよ笑わせてくれるわ
277 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 09:00:56 ID:Gnls8abhO
実は松浦辺りまでは行ったけど、船旅酔ったし面倒臭くなって、行って来た事にしちゃえ。どうせ皇帝も検証しないよ!で見てきたように書いたのである。
278 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 09:01:56 ID:4w/wCLcsO
九州説ってアンチ畿内説って感じしかしないな
279 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 09:03:27 ID:KtPn/LqqO
宮内庁は魏史だらヤマタイ国だらインチキ資料は無視してんだっつの。
日本の歴史は古事記に書いてあるだろがよ。
なんでそんなノストラダムスみたいなインチキ資料に付き合わねばならん
280 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 09:05:38 ID:a5cnX4uiO
弥生時代って 原始人がいた時代なんだろ
281 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 09:05:57 ID:uUcfh6VOO
こんだけ大きい遺跡が同時期にあったんだから、
卑弥呼が遷都したから、どっちも邪馬台国ってのが、理論的なような気がする。
282 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 09:09:30 ID:a5cnX4uiO
明治時代に歴史を隠して捏造したりした宮内庁は 早く本当の事を 発表しろよ
283 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 09:10:17 ID:Ou0VoYv/O
ギ史は呉史よりは信頼性あるが
まず正確な測距してない文献を信じること前提の論争ヤメレ
285 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 09:10:47 ID:1QagpnJpO
そりゃ、自治体から資金が出てるから意地でも九州節称えるだろ
民主党の無駄金仕分けされ、仕事激減しちゃうし(笑)
286 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 09:11:03 ID:Re/mo/D7O
>>265 すり替え抜きにしても系統が違うんだってば
御所にいたのは北朝で、今いるのは南朝だし
んだから、明治になってから「南朝を正統とする」って言って、北朝の天皇を歴代の天皇から外して、南朝が天皇をやってましたって言う系譜を作ったじゃん
それが、戦前の人が学校で暗記させられてた「ジンブ、なんとか、なんとか」って言う52代とかの奴だよ
つかそもそも記紀に出てくる人物を「○○天皇(テンノウ)」なんて字を漢音で発音する名前で呼ぶようになったのも明治時代以降だし
「神倭磐彦命(かむやまといわれびこのみこと)」
って言う神様の名前をわざわざ「神武天皇(ジンブテンノウ)」なんて呼び方に変えるのは何か違和感あるわ
だいたい俺の中じゃ天皇(あまのすめらぎ)ってのは、あまつ神々と交信する、あまつ神の氏子の神主や巫女の血統の人の事であって、別に日本を納めてようがいまいが関係ないもん
つか実際に天皇が治めてきた訳でも無いんだし
つか逆にいくら國を納めてようが、そうした、あまつ神と交信したり儀式を執り行う血統の人じゃ無い人は「天皇(あまのすめらぎ)」とは思わない
それに出雲は出雲で、天皇は天皇だし
どっちも氏神がいてその氏子な訳だからどっちが偉いとも何もないと思うし
287 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 09:12:18 ID:UKxf4aZJO
>>269 唐は隋王朝の唐国公の称号に由来する王朝名
唐の出自は中原の古い小国の名であり、また、周王朝の親戚の国姓でもある
鮮卑の言葉や文化由来じゃない
288 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 09:13:03 ID:MUq/lZ6DO
>>279 釣り針乙w
宮内庁が、古墳を調べさせてけれりゃ、歴史はずいぶんはっきりしてくるはず
なんだがなぁ。
神話は神話でいいじゃん。
ま、神話って言っても、実際は天武天皇時代の作り話事業だけどさ。
289 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 09:14:05 ID:qoQxisSp0
日本の学界は検証無しで字面だけで論証し合うところがあるよね。
当然結論が出ない。
そのうちお互いに無関心なったりするから、
東北の石器捏造みたいのが起こる。
日本人に科学は似合わないかも。
290 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 09:14:38 ID:Ou0VoYv/O
まあ確かに天皇を日本の君主とするのは明治移行だしな
列強に対する時間稼ぎ目的で君主にしてみたって感じ
291 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 09:17:16 ID:LkTy+ZAwO
>>261 三国志では三国それぞれが自分たちを中国と称してるけど。
293 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 09:20:08 ID:UKxf4aZJO
>>261 支那史書で「中国」と言えば中原の別名
「京都」も古くから王都を差す言葉の一つ
日本の京都はそこからの引用、しかも比較的新しい
漢字のくだりは朝鮮人が最近「漢字は韓字」と言っているのに近いな
唐も半島のことだなんて、秀吉の「唐入り」のは唐は明ではなく朝鮮だと言ったりするんかね
>>289 字面だけで検証してるなんて九州説の事でしょ。
295 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 09:23:04 ID:NKbHzD4YO
邪馬台国は韓国が起源でしたって落ちだろ
奈良の方は黙々と発掘してるイメージあるわ
297 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 09:24:34 ID:Ik2zxGahO
思想や感情で歴史を語るな。真実を求めよ。
文系研究者の大半は研究者とは呼べない代物。
298 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 09:24:42 ID:A94D7vgu0
>>290 日本を天皇主体の国にするために、ねつ造したことが多すぎる
そもそも明治時代は何でもありで作りまくってる
嘘まで 教えた教育が今でも右翼の基本になってるし
靖国すらでたらめ過ぎる
299 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 09:27:40 ID:HcPzKQwd0
>>269 中國というのは中原の国だろう。
魏書にもでてくる。
その中原の中國からみて、異人にあたるものに国号や人種名がある。
中国史の中でも、異人出身の官僚などには人種名があった。
ペルシャ系を「胡人」などと読んだ。
同じように日本人も中原の国の人とは違うから倭人という人種名があった。
ヤマトという名前も、もともと民族の名称ではなく
ヤマトを中心とした勢力範囲をその他の地域の人から見てヤマトになったのであって
ヤマトという民族を自称してたわけじゃない。
ヤマトが国号や人種として意識されるのは外国と交流したときだろう。
中原の中國人が「倭人」と呼ぶ人たち、その倭人と言われて自分たちが何ものかを始めて考える。
それで自分たちはヤマトだと答えを得る。
300 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 09:33:09 ID:aClJtQwt0
どっちにしろこの地味な両県に邪馬台国があったなんて信じられんわw
301 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 09:39:14 ID:Re/mo/D7O
>>287 また新しい國が出てきた
周と唐?
これの説明をまずしてくれなければ全く解らないよ
「鮮卑人では無い」としか言ってないじゃん
あのさ例えば現在ある「国家」って観念は、フランス革命の時に作られた観念であって、それ以前に今のような「日本国家」とか「中国国家」みたいなのは存在してないんだよ
例えば俺、さっきから「新羅も百済も倭人が治めてた國だから、新羅も百済も倭だ」って言ってるでしょ?
これも「百済や新羅は国家じゃなくて倭人が治めてきた地域(國)の事だ」って意味で言ってるんだよ
まずこの時代にはどこにも「国家」なんてのは存在してないよ
倭(ヤマト)にしろ、王朝の名前であり、その民族が治めてる地域全般が「倭(ヤマト)」な訳でしょ?
百済や新羅の王が倭人として
百済國を治める百済王
尾張國を治める尾張王
古志國を治める古志王
吉備國を治める吉備王
それぞれ全部倭人が治める倭だし、別に国家じゃないよ
てか朝廷てのも別に日本でも南北朝時代や、蘇我氏の飛鳥朝廷と物部氏の大和朝廷があるように、必ずしも1つであるとは限らないし
「中国皇帝」とかひとくくりにする人が多いけど、元、明、清は、同じ時代に同時に存在してる訳だし
>>298 具体的に「明治に捏造された」事例を挙げてみて。
靖国のでたらめって一体なにがでたらめなん?
>>300 少なくとも後に都があった事が
確定している奈良は地味じゃないだろw
304 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 09:47:30 ID:9E/W3nuDO
九州北部の地理だけがやたら詳しく記述されてて、いきなり奈良に飛ぶのが納得できないけどな。
305 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 09:48:38 ID:RH+OIgIBO
まきむく遺跡か。
大学受験に出るかな?
306 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 09:48:39 ID:eMsQ2v4A0
>>128 節子、それ徐福やww
邪馬台国論争自体、戦後に考古学が一般教養化して通俗化する過程で
マスコミもからんで増幅されたものだからなあ。
一般の考古学マニアや愛好家の下支えで成り立っていた業界。
加えて、高度成長の開発バブルで一気に市場拡大だったわけで。
今やハコモノすら作れなくなってるから発掘が激減、
人手もいらなくなるから大学も院生も涙目ww
考古学なんてマニアの趣味でいいんだよ。今後は衰退する一方だろうが。
※邪馬台国は栃木県
>>301 何の話をしてるの?隋書の中国がどこかって話じゃなくて?
309 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 09:50:47 ID:Re/mo/D7O
>>299 さっきから「中原」とか「中国」とかさ
んで、その卑弥呼が貢いだ中国の皇帝ってのは「天つ神の命(天命)により任命された、天の子である天子」な訳でしょ?
その天子が中國原を治めてたんだよ
で、その天つ神の子がいた京都に卑弥呼は邪馬壹国から水銀を貢いだんだよ
んで朝廷はその新羅を治めてた女王に位を授けた(印授)んだよ
中国原の天子側からみたその話だと、筑紫から海の向こうに兵を送った女王は、最初の3年間は全く音信をよこさなくて、、、
って、だから君が中国の皇帝って言ってるのは大和朝廷だろ?
つか海の向こうを治めてた女王が水銀を貢いで来た話なんてのは日本の歴史書にも書いてある話だってば
つか日本の歴史まで中国大陸の歴史だって事にしたいの?
310 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 09:50:55 ID:dbxKDGaW0
>>304 遠すぎて詳細が判らないと書かれてるでしょ。
使いが立ち寄る北部九州の伊都国に立ち寄って
情報収集しただけでですね。
312 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 09:53:27 ID:Ou0VoYv/O
周も唐もよくわかってないくせに
やれ国家がどうだと言葉遊びだけは一流ですな
日本人センピ説の面白い否定としては
日本人の男は得てして血が苦手ってのもあるな
313 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 10:03:34 ID:dNR0TKmx0
1
>>309 なんで隋書に中国が二つ、天子が二人出てくるんだよ。
煬帝もそれを聞いたら悦ばないと思うよ?
>>309 中国の歴史書では、日本のことは中原とは言わないし
中國とは呼ばないよw
316 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 10:06:53 ID:mBDZKB7q0
>>217 嘘つき発見。畿内説は、こういう嘘や勘違いの上に築かれているのね。
三角縁神獣鏡は、中国の何処でも発見されていませんよ。三角縁神獣鏡の
スタイルは呉鏡のデザインを真似したものだが、呉鏡そのものでも無い。
三角’は呉の技術者が日本国内で制作したと考えるのが、最も合理的だと
中国、日本、両国の考古学者は合意している。
317 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 10:07:54 ID:Re/mo/D7O
>>310 なんとなく解る
そもそも満州国の五族の分布範囲ってこの程度の範囲だし、その満州國の正史24史の中の話って、これぐらいの範囲の話だよ
上海民族や重慶民族や山東民族とかは、また24史とは関係無い民族だしさ
モンゴル帝国は南京や上海にまで、城壁を作ってるから、モンゴル帝国に関しては、かなりの領土を統治しただろうけど、漢や三国史や唐や倭、、せいぜいこの程度だよ
そもそも北京だってあそこはモンゴル帝国が城を置くために開拓した地なんだし、満州國の大連やその港を開拓したのは、満州建国時に大量に開拓に向かった日本人とマンジュリ人だし
あとそもそもが、戦時中はまだ都市と都市をそんな容易く移動出来る程、道路や交通手段があった土地でもないし
そう言うなら煬帝なんてひどい呼び方してやるなよw
319 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 10:09:42 ID:QgIJAH+zO
卑弥呼
トレーシー早紀時代の蛭子能収とのインタビューにて
中間市出身と答えている。
320 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 10:13:00 ID:j5ixJqa90
ID:Re/mo/D7Oは完全な電波おやじだなw
>>236 日本書紀と魏志倭人伝自体、私は歴史改ざんの為の偽書と考えているので、
あまり信用していません。
日本固有の文字が無かったというのも、渡来人による歴史ねつ造の嘘。
卑弥呼のという漢字にはこだわらないで言霊(コトダマ)で解釈すると、ヒミコ
の三文字にも複数の意味が込められている。
例・・・ヒ(日、火、霊)ミ(神、御、皇)など
日の系統の神の子孫か、仕えていた巫女のどちらかを示す名であろうと思います。
また、神々も人も、み名に「アマテラス」とつく方が複数いらっしゃるので、
そこらがまたややこしい。
たとえば、天照日大神と天照皇大神は、別の神様で、前者は男神、後者は女神。
伊勢の内宮に祀られているのが本当に女神の方であれば、神格の序列を
間違っており、これも非常にマズイのですが。
話を戻すと、異なった時代に、同名や似たような名の人物が出現しているので、
注意が必要と思います。
322 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 10:16:56 ID:Re/mo/D7O
>>315 邪馬壹国を治めてたた倭人(ヤマトびと)の卑弥呼に取っての中国って、普通に考えたら倭(ヤマト)の朝廷だっての
つか魏志倭人伝って倭國大乱の時の倭の話を書いてるだけでしょ?
いや魏志倭人伝にも卑弥呼は中国(なかつくに)の朝廷に水銀を届ける為に京都に向かい印授を受けたって書いてあるじゃん
つかこの「中国(なかつくに)」を、誰にとってのナカツクニで、場所はどこで、その朝廷はどの民族だって言いたいの?
それをまず言ってくれないと、良く解らないんだけど?
卑弥呼というのは「日の巫女」で間違いないと思う。
斎王のことだと思う。
神を司る斎王と統治する大王。
古代に置いては斎王の方が上位と考えられててもおかしくない。
324 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 10:18:35 ID:dNR0TKmx0
柴犬「俺らがここで飼われて暮らし始めてから1万年以上経つよ」
>>322 つまり中国大陸は倭人の支配地だったと言いたいのか?
ないないw
>>322 だ〜か〜ら
何で隋の史書が日本のナカツクニを「中国」って書くんだよ
327 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 10:21:28 ID:V4H/S2AjO
畿内説は嘘と大袈裟でなんとか成り立っているからね、今回見つかった遺跡をどうやって邪馬台国と、こじつけるかが勝負だろう
もうね、畿内派は歴史をめちゃくちゃにしてでも名誉と大金がほしいんだね
>>322 中国(現 中華人民共和国)より、古くからある言葉。
中国5県の中国は「なかつくに」からきてると思うが・・・
329 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 10:25:04 ID:zVyb6uGT0
実際、魏志倭人伝を読めば九州に邪馬台国はあると読める。近畿説は無理。
実際、古事記を読めば「神武東遷」がある。近畿に攻め込んでいる。
実際、九州の祭祀が持ち込まれ近畿の祭祀はある時期から激変した。
実際、近畿は繁栄していたが九州勢力の軍事力に敵わなかったのだと読める。
330 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 10:25:39 ID:KtPn/LqqO
距離問題については隋書で決着ついてんじゃん。
当時の倭人は、倭国を、東西5ヶ月、南北3ヶ月と認識してたんだろ。
なら、その距離感の尺度に、個々の記述を合わせれば良いだけ。
331 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 10:25:43 ID:j5ixJqa90
古典的用法 [編集]
中華思想における世界観中国(ちゅうごく)という語は、中国の古典である『詩経』で「地理的中心部」
と言う意味で初めて用いられた。従って本来は特定の民族ないしは国家を指す語ではない。ベトナム
では阮朝が自国を中国(チュンコック)と呼び、日本でも自国に対して葦原中国(あしはらのなかつく
に)あるいは中国(なかつくに)という美称を用いている。一方、黄河流域で黄河文明を営んでいた
漢民族の間では、「中国」という語は、孔子とその他思想家たちによる潤色を経ながら、中華思想に
基づく「文化的優越性を持った世界の中心」という意味を帯び、中国歴代王朝の政治的・軍事的な
境界を設定する中で、徐々に民族のアイデンティティを境界づける自称として拡張されていった。な
お「中原」とは、黄河文明の発祥地である黄河中下流域に広がる平原のことである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD#.E5.8F.A4.E5.85.B8.E7.9A.84.E7.94.A8.E6.B3.95
>>325 中国で文字の鋳込まれた刀銭が複数出土し、強引に解読されたが、
日本で偽書扱いされている神代文字にあてはめると、「オオクニヌシ」
等、すんなり読めたそうですが。
333 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 10:31:01 ID:YifIXiBC0
文化の発展したためしのない九州の田舎に卑弥呼がいた訳無いじゃん
九州説はしょせん田舎者の町おこしキャンペーン
むしろ九州にリニアでもひく運動したらいいのに(笑)
334 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 10:32:45 ID:hAEFnZAo0
335 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 10:32:48 ID:Re/mo/D7O
>>314 あとそうだ、ちなみに飛鳥朝廷が倒された時には、天子ってのは二人居たんだよ
イワレビコに倒された(てか正確には倒したのはニギハヤヒだけど)ナガツネヒコが「東から天子が来て國を譲るように言われて譲ったのに、こんどは西からも天子を名乗る者がやってきて國を譲れといってきた。こんな馬鹿げた話が、、(西と東は逆かも)」
って言ってた話が残ってるよ
ニギハヤヒがいた信濃の高天原には、ニギハヤヒがナガツネヒコを倒して、イワレビコニにその土地を治めさせた話として伝えられてるよ
あとちなみにこの時のイワレビコが柏原に遷都した辛酉年って2600年前の辛酉年じゃないのは解ってる?
ナガツネヒコをいちいち蘇我山田麿呂って言い方しなくても解るでしょ?
イワレビコの東征の時に出てくる池で血だらけになってたイルカってのは、あれ海のイルカの事じゃ無いよ
イワレビコの話にはエミシも出てくるんだから解るでしょ?
倭国大乱の時には飛鳥朝廷は百済に兵を送ったりしたんだけど負けちゃったね
海の向こうに渡ったタラシナカツヒコの嫁が、船の上でワニを産んだ話や、山幸彦の話のワニと裸でのたうち回る女の話って何の話なのかとか解る?
336 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 10:32:51 ID:lUgKisQV0
337 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 10:32:55 ID:WHsj0k2ZO
九州→近畿の遷都説は信憑性ないの?
両者には似た地名があってさらにその位置関係も似てるらしいんだが…
昔読んだマンガに書いてあったんだ。
338 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 10:34:35 ID:lLol86de0
卑弥呼人気はわかるけど、日本でごくごく初期の大国も萌えるぞ。
邪馬台国関係のスレとか、日本史板とか覗いてみると、
マジで日本もどこぞの国を笑えないなあ、と思う。
つうか、研究論文とかでも、古めの奴は「なにこれ」って感じのも
多いからね、日本史系は。
考古学でも「ゴットハンド」とかいたし…。
341 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 10:36:53 ID:KtPn/LqqO
そう読めるように神代文字とやらを作ったからだろがよ…
後から作ったんだから何だって簡単にできるっつの。
>>335 日本にしろ中国にしろ実際に政権が並び立ってたことがあることぐらい知っとるわ。史書にどう書かれてるかを問題にしてるんだろ?
いくら日本の知識があっても日本語の会話ができんと意味ないぞw?
おいおい、九州派は邪馬台国が東遷したとマジで考えてるのか?
それは、ちょっと無理があるぞw
>>337 九州出身の部族が船で畿内に入植したのかもわからんよ
もし邪馬台国が畿内だとすると、卑弥呼時代よりずいぶん前の話になるな
345 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 10:44:28 ID:dNR0TKmx0
「わたしは・・・
「わたしたちの・・・
「わたしの!」
「WA?...」
弥生人:「我(われ)の国」→中国人「ワ国?」
347 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 10:46:59 ID:Re/mo/D7O
まあとにかくいくら九州や畿内を探した所で邪馬壹国はそこにはないよ
新羅や韓三国を探してみ。すぐ見付かるから
魏志倭人伝にも邪馬壹国の場所は「楽浪と境を接した南部」って書いてあるのに、九州だ畿内だ言っても見付かる訳無いじゃん
新羅や韓三国にあった國(地域)の名前と邪馬壹国やその周辺として書いてある國の名前と比べてみ?
つか何が謎なの?
てか「謎の邪馬壹国」って事にして皆の興味を引く話にしたくて、わざとやってるの?
あとちなみに柏原のマキムクの移籍は、イワレビコが遷都した柏原の藤原京跡だよ
ここはまた直ぐに遷都された都だよ
てか、いちいち遺跡の調査とかしなくてもちゃんと古事記にも書いてあるじゃん
てか、絶対に解ってる癖にわざと「ついに謎の邪馬壹国の発見か!?」みたいな事にしたくてやってんの?
それとも日本の歴史学者ってマジで古事記や魏志倭人伝すら読んだ事ない人なの?
348 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 10:48:06 ID:s8BpwIS/O
>>345 どちらかと言えば、我が国だろ。
我(わ)→倭(わ)国
考古学はトンデモがはびこりやすいジャンルだな
歴史的な書物を読むにも相当な知識がいるだろうし、
それだけに素人が手出しすると、明後日な解釈があちこちに出てくる
当時を見た人なんかいないから、いくらでも夢を見られるんだろうな
自分だけが真実に気付いた、となるともう歯止めがきかない
227なんか、昔は水銀から黄金を作った、なんて言ってる
昔は錬金術が確立していたのか
金の蒸着に使ってた、とかなら分かるが
351 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 10:52:51 ID:V4H/S2AjO
352 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 10:53:49 ID:s8BpwIS/O
地名なんてのは、古朝鮮と朝鮮の関係みたいに、後世の名借りもあるしな。
>>337 奈良には出雲や丹波、吉備をはじめ
各地の地名もありますから。
355 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 10:58:33 ID:V4H/S2AjO
畿内説派は、大和=邪馬台、発音が同じとして、こじつける。それなら地名をあげると、それは違うと言う
畿内派は、今度の発掘した遺跡を強引に邪馬台国として捏造する気、満々ですよ
朝鮮半島と北九州は同じ文化圏だったんでしょ。あと魏の使者は対馬、伊都まで行って、あとは行かずに情報だけですましただろ。
>>355 地名をあげる‥奈良から九州へ移植したと考える視点はないのかw
このスレ思わず読んでしまったわ
まあ、奈良県の人口(140万人)≒福岡市の人口なんだけどw 福岡県は506万人
359 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 11:06:57 ID:++Z2eQfH0
日本史は聖徳太子あたりから大化の改新ぐらいまでが一番萌える
推古帝なかなか死なずに廐戸が先にくたばって迷走して天智天武に続くあたり
藤原氏が権力握るのは鎌足じゃなく三代目の不比等のあたりから頭角表して4人の息子が後の藤原氏の各家を立ち上げてく
>>356 福岡にある後の筑紫館とか鴻臚館みたいなところに滞在して、
倭国情報は現地人の言ったことそのまんま書いただけだろうね
福岡朝倉の三輪山周辺の地名と
奈良桜井の三輪山周辺の地名が
山の配置から地名から地形からほぼ同じなんだよな
どっちでもいいからさっさと決定打掘り起こせwww
とおもう福岡在住
>>358 それを比較するなら京阪神と北九州で比較しないとダメでしょう。
364 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 11:14:12 ID:Re/mo/D7O
>>350 1、倭人
2、鬼道
3、女王
4、邪馬壹国
5、独身
6、二人の女王
7、王になれなかった息子(男王)
8、中国(なかつくに)の京都への水銀の朝貢と印授(位を授かる)
9、朝貢の際の日付や干支
ってまあ、切りがないからもういいけどさ
つかけど日本の歴史学者って何か凄いね
別に魏志倭人伝に書いてある通りに、楽浪と境を接する南部め調べたら良いのに
「接すると言う漢字は、海を隔てて接してると言う場合にも接と言う字を使う場合も全く無くはない!そうだ、きっと九州だ!いや、畿内だ!」
って解釈して、魏志倭人伝に書いてある朝鮮半島南部を完全無視w
これさ、絶対解っててわざとやってるでしょ?w
韓三国や新羅の烏弥邪馬国や、邪馬国や、女王やその女王の日本の朝廷への水銀の朝貢の話なんてwikiで調べるだけで出てくるしw
つかマジで解って無い学者がいるなら、そいつは学者なんて名乗らない方が良いよw
てか流石にそこまでバカじゃ無いってばw
朝鮮半島南部が日本の領土だった事なんて戦争に負ける前までは皆知ってる歴史だったんだし
どーー考えても無理やり朝鮮半島南部を無視してわざと謎にしてるだけだよw
「謎の邪馬壹国!」って事にしといた方が興味そそるじゃん? だからだよw
本当に解らない奴が学者なんてやってないってばw
365 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 11:15:48 ID:uPUtZdkKO
>>28 書紀を見ると、神武の軍兵が「頭推(かぶつち)の剣」(柄の下が丸い輪になってる)で戦ってたようだが
頭推の剣は半島の物で、出土の状況から日本には5世紀以前には伝わってないと思われるので
神武東征の逸話は5世紀以降になる
雄略あたりに東征があったんじゃないかな?
素人見解だけど…
366 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 11:15:52 ID:V4H/S2AjO
福岡が自分とこより田舎だと勘違いして、偉そうに出張で来る奴にいるんだよな
町を案内してやるとポカーンて口開けて「福岡って都会なんですねー」だって、よく聞く(笑)
367 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 11:16:32 ID:I89vXo9ZO
>(考古学者・高島忠平さんの話)「卑弥呼の館かどうか邪馬台国の都というのはこれは全く別の
>問題あの(纒向(まきむく))遺跡は卑弥呼の時代よりは100年は新しいと見ている時代がはっきり
>言ってずれている今回の発見は卑弥呼と直接結びつくものではないという確信を持っている」
もちつけ高島!
息継ぎしながらしゃべるんだ!
368 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 11:17:56 ID:dNR0TKmx0
そう、古代朝鮮半島の南部は日本の領土
そして・・・古代朝鮮半島の北部はシナの領土
・・・
ざわざわ・・
>>361 安本の説だろ?でもどちらの地名が先かというと、
普通奈良の地名を移植したと思うけどね。
大宰府に役人を派遣していたんだから。
例えば博多の地名は先に奈良の御所に「博多山」が確認できるし、
大阪柏原にも存在している。
後の「福岡」も岡山からの移植だしな。
>>329 ifの話だけ、主張だけならいくらでも出来るんだよな
問題はその説にそったモノ、遺跡、生活痕がが一つも出てこないことなわけで
371 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 11:26:39 ID:UKxf4aZJO
>>361 そりゃ、朝倉は白村江の戦いの時に斉明天皇が行幸した場所だからな
そこで崩御した
天皇の為に大和に見立てたかも
372 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 11:27:10 ID:Re/mo/D7O
誰か知り合いに学者や研究者とか居ない?
大学の教授とかさあ
邪馬壹国なんて魏志倭人伝に書いてある通りの場所調べりゃ、なんの引っ掛け問題でもなく直ぐに見付かるサービス問題じゃんw
流石に「本当に解らない。謎だ」は無いわw
あれじゃないの?流石に「いや謎だ!邪馬壹国は歴史上最大の謎だ!イエース!ミステリアッス!」
って、解らない振りの演技をしすぎて、今さら言い出せなくなってるだけじゃないの?w
だれか「ここだけの話にしとくんでw」って学者の人にコソッと聞いてみてよw
373 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 11:33:56 ID:Re/mo/D7O
>>367 いや、その学者もわざと解らない振りしちゃってるんだよw
で、心の中では「プププ、みんな騙されてるwwプププww実は書いてある通り楽浪の南にあるのにwwプププww」
って思ってるんだよw
本当に解らないような奴が歴史学者になんてなれないってばw
彼らの歴史的な知識は半端ないんだからw
そんな学者がこんなサービス問題を「邪馬壹国は歴史上最大の謎だ!」なんて、本気な訳ないじゃんw
374 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 11:34:52 ID:UKxf4aZJO
日本の古名の「葦原中ツ国」は高天原と黄泉国の間にあるから「中ツ国」
地方名の「中国」は、律令時代に全国を畿内からの距離で「近国」「中国」「遠国」と分けたことに由来
>>369 そうかな?普通に考えれば福岡の地名を移植したんじゃないか?
だって日本の歴史というのは神武東征から考えても九州の勢力が大和の勢力を
滅ぼして、そこに大和王権を築いたというのが事実なわけだろ
376 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 11:36:14 ID:5hmFQ5ro0
あれ?
邪馬台国って九州じゃなかったっけ?
いつの間に近畿になったんだ
>>375 神武東征といっても実態は親類間の派遣争いだよ。
現地の勢力に取り入ってるからな。
九州の勢力がそのまま移住したなんて事じゃないから。
>>373 さっきから「楽浪郡と境を接する」と書いてるけど、魏志倭人伝の原文のどの辺りに楽浪郡が登場するのか教えて下さい。
379 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 11:46:45 ID:Re/mo/D7O
てか魏志倭人伝や他の漢籍書の原文を実際に見てきてみ?
女王國の場所は「楽浪と境を接した南」って書いてあるでしょ?
さて、これを見てまずどこを探しますか?
「せや!楽浪と接してると書いてあるんやけど、これは引っ掻けや!ワイがそんなもんに引っ掛かりまっかw
これは楽浪と接してると書いてあるが、ホンマは海を隔てた楽浪とは接してない海の向こう岸の事やで!そこに邪馬壹国があるに違いないんや!これは歴史上最大の謎やがなー!」「いまだに見つからへんがなー!」
こんなの、わざと解らない振りをしてる以外あり得んってばw
>>379 だから原文のどこにそれが書いてあるのかと…
382 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 11:55:34 ID:Re/mo/D7O
>>378 それ原文を探すより学者の解釈を探した方が早いかもw
「楽浪と境を接するとはあるが、これは海を隔てた、、」
って言ってるのは俺じゃなく、そう解釈して九州だ畿内だ言ってる研究者の人だからw
「これだと邪馬壹国は朝鮮半島南部にあった事になってしまいますが、実はこの「接」と言うのは、、」
らしいよw
誰が言ってたのかとか学者の名前とかなんか興味ないから覚えてないけど、学者達の解釈とか調べてみ?
なんかそんな解釈してたよw
384 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 12:00:04 ID:17TcpNGA0
卑弥呼がいたかいないかに町おこしがかかってるから
高島さん必死ですね
385 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 12:00:24 ID:ZEaf2Wh6O
最近考古学関連のスレがやたら立つけど
近い内になんか出てくるのか?
386 :
(´-`).。oO ◆abcDBRIxrA :2009/11/12(木) 12:00:34 ID:3RWhiLaD0
┐(´〜`)┌ 魏志に記述されてる「接」の部分は、「楽浪の南、倭人に接す」。半島の南端に倭人の領域があったということ。邪馬台国とは別の国。
>>382 そもそも魏志倭人伝には「楽浪郡」という地名すら出てこないし(帯方郡ならいっぱい出てくるが)。
漢書にも楽浪郡の境を「去る」こと一万二千里とあるだけで、接するとはどこにも。
てか大見得切っといて原文も知らないんだな。
埼玉県産の「はなわ」を佐賀出身と言い張るようなものか
389 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 12:04:38 ID:KQ/GbfxIO
古代人も楽狼郡が日本の防衛ラインだとわかってたんだな
390 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 12:07:36 ID:Re/mo/D7O
>>386 つかこの「楽浪に接した南」の解釈って結構有名だよね?
まあその君の解釈はそれはそれで別に否定はしないけど、学者達は「接とは海を隔て接してる場合にも使われなくはない、、」って解釈をしてるから、やれ九州だ畿内だになってるんだしw
魏志倭人伝にも楽浪の接した南とあるし、他の書物にも楽浪の南接とか、あと確か韓を通って女王國なんてのもあったはずw
>>390 君の脳内で有名かどうかはいいから、原文出せよ。
392 :
(´-`).。oO ◆abcDBRIxrA :2009/11/12(木) 12:13:29 ID:3RWhiLaD0
古代朝鮮に倭人の国があっては困る人たちもいるのです。
流石に察しが悪すぎてびっくりした
東遷説って今九州にいるのは使い物にならないから
置いてけぼりにされた奴の子孫って説じゃね?
395 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 12:19:58 ID:KQ/GbfxIO
権力を握ったら安全を求める
九州は危険すぎる
396 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 12:20:16 ID:Re/mo/D7O
397 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 12:21:40 ID:AYXjwibJ0
まぁ議論も結構だが邪馬台国の名声欲しさに事実を捻じ曲げるのは勘弁してくれ
399 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 12:23:31 ID:UKxf4aZJO
>>390 狗邪韓国とか倭系の国々のことでしょ
倭の北限
普通に議論されている
400 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 12:30:00 ID:Re/mo/D7O
>>392 大海から来た三人の神様が五穀や稲作などの農耕技術を伝え、農地開拓などをしてくれた、、
ってのが百済や新羅や斉州島などの建国神話なのにねw
ちなみに日本では國作りで乾國(からくに)に降り立った天孫降臨の話だよ
高千穂じゃなく、祖冨里(ソフル)の高千穂だし
ソウルって漢表記だと「漢城」だしねw
あと漢と乾はどちらも「水のない乾いた土地」って言う同じ意味の漢字だよ
韓や唐も調べてみよかな?
銅鐸って卑弥呼の時代にあったの?
402 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 12:35:39 ID:Re/mo/D7O
>>402 まさかとは思うけど、倭じゃなくて韓について書かれた「其北與楽浪、南與倭接」のこと?
邪馬台国の話じゃなかったっけ?
>>402 あんたが日本史板の某コテなのはバレバレだなw
『三國志』魏書第三十烏丸鮮卑東夷傳
倭人在帶方東南大海之中、
宋書
倭國 在高驪東南大海中、世修貢職
南齊書
倭國、在帯方東南大海島中、漢末以來、立女王。
俺は漢文読み下せないけどこれで十分じゃないのか?
406 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 12:46:31 ID:Re/mo/D7O
>>403 ありがと^^
それだ
他の漢籍書にも同じような事が書いてあるよw
つか俺ちょっと勘違いしてたかな?
それみると韓の北側が楽浪で、南側が倭だね^^
つか地理的にもそういやそうか
帯方
楽浪
韓
倭
↑これが当時の朝鮮半島だね^^
邪馬壹国は倭にある地域の名前だよ^^
↑の「倭」の辺りを探してみ^^
三韓とか新羅でwikiで探せば確かあったはず
407 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 12:46:32 ID:UKxf4aZJO
>>404 日本史板は最近いっていないけど、それ古株のコテ?
明治天皇入れ代わり説とかの人?
408 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 12:51:28 ID:Re/mo/D7O
>>405 そこは誰もが倭だって知ってるての
倭人が納めてた地域はそこだけじゃないよって話だよ
たぶ「接」で探せばあるはず
あと「楽浪から韓を横切り倭に」見たいなのもあった気がする
てもまあ別に魏志倭人伝に「韓と接した南は倭」とあるからそれで解釈出来る話だから別に必要ないか
なんだ、百済と倭についてグダグダ言ってんのか?
410 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 13:05:28 ID:Re/mo/D7O
>>403 これは403さんの言うように「韓」の場所を書いてあるもの
・その北は楽浪
・その南は倭と接する
朝鮮半島の南部は本当に倭だったのかどうかは別としても、魏志倭人伝には「韓の南は倭と接する」と書いてあるでしょ?
別に無きゃ無かったで良いんだから、とりあえず魏志倭人伝に書いてある訳だから、韓の南部を探してみ?
あとはもうアッサリっすよw アッサリw
別に魏志倭人伝に書いてあるから、俺は朝鮮半島南部も倭の領土だったって言ってるだけだよ
違うと思うならそれは俺じゃなく魏志倭人伝に言ってよ
でたらめが書いてある偽書に認定でもしとく?
411 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 13:10:16 ID:ZQZKHt/WO
入れ墨って当時近畿で風習化してたの?
九州説=観光客誘致合戦で出てきた説で
文章だけでの推理。実際、発掘しても重要とされる証拠が何も出てこない。と習ったよ
413 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 13:16:58 ID:HFfTkwL9O
畿内で決まりだろ。
万が一九州だったとしても北九州はない。
414 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 13:20:17 ID:HuKjfKfg0
両方にいて引っ越したとも考えられはしないのか
一箇所にずっと留まっていたとも限らないだろう
>>407 名前は忘れたが、一時全部6世紀以前の事は、干支で説明出来ると言ってた電波。
416 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 13:26:27 ID:pDIXfTp40
そもそも国内で卑弥呼そのもののl痕跡はまだ一度も出てなくて、
中国の文献で○○の時期に今の日本と思われる地域のどこかに、
卑弥呼と呼ばれる指導者が居たって残ってるだけで、
それに近い時期に作られた遺跡のどこが卑弥呼関係かで揉めてるんでしょ
本当に居たのか?w
418 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 13:29:06 ID:/lAOFqSn0
終わらないほうが楽しくていいじゃねーか
419 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 13:29:16 ID:Re/mo/D7O
>>415 言ってねーしw
年代の特定なんて出来ないって事しかいったことねーw
今回出てきたのは邪馬台国とは違う遺跡でしょ
「魏志に出てくる邪馬台国」は九州にあるとしか思えない
陳寿?が誤解して書いたかどうかは知らないけど
>>416 そうだ、もんただw
携帯打つのが速いだけのバカ。
地元の学者は単純な好奇心から邪馬台国の場所を探すじゃなくて、
いろいろなしがらみがあって九州説に固執してんだろうな
>>410 あのさあ…自分の書き込みに責任を持ってくれ。
散々「邪馬台国」が接してるって書いてたよな?
あと、「魏志倭人伝に」って言ってたけど、403は後漢書だし倭人伝でもない。
424 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 13:37:59 ID:PuXRXdjJ0
もう崇神まではほぼ実在確定したんだから
倭人伝の邪馬台に関する記述なんかより以前から
大和政権が存在してたって事の方が面白いよね。
425 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 13:39:33 ID:o8xw4yrf0
魏志倭人伝と魏志鮮卑伝混同してるんでしょ
倭人を檀君が拉致したと欠いてあるのは後漢書で魏志鮮卑伝だけ別の名称が使われてるけど
426 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 13:42:40 ID:Re/mo/D7O
>>417 倭人伝ってのは、漢書や唐書などにも書いてある話だけど、あれ別に、邪馬壹国や卑弥呼を紹介してる話じゃなくて「倭國大乱」の時の様子を書いてるだけだよ
倭の邪馬壹地域を納めてた女王の卑弥呼が、倭の中国(なかつくに)の朝廷に邪馬壹国から水銀を貢いで印授を受けた話
(日本では古くから黄金は水銀から錬金されてた)
これと、年号や日付もまっっったく同じ話は古事記にも書かれてるよ
邪馬壹国や卑弥呼なんて、なんも謎じゃないよ
だいたいスサノオだって地域によっては牛頭大王って呼ばれたりするように、んなましてや語源の違う地域の人が、どんな漢字を当てて何て呼んでたかなんて解んないよ
名前や國名が違うのは仕方ないさ
俺のいた大学の史学系サークルでは邪馬台国は大和でFAだった。
理由は和辻哲郎が言ってるとおり、
「魏志倭人伝の記述は、関門海峡を境に東と南がごっちゃになっているから、
南を東に置き換えて、時代は下るが土佐日記に古代の水上路の行程が出ているので、
それから日取りと距離を類推すれば、大方のあてはつく」
というもの。
順当に線を引けば、大阪湾の澪から河内の海に入り、古代の街道で奈良に入るわけだ。
つまり、九州説のほうが無理があるということだ。
428 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 13:44:52 ID:uivnXseyO
え〜祟神あたりも怪しいけどな〜
仁徳辺りからが有力かと
429 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 13:45:52 ID:MqZ0IRYOO
邪馬台国が大和なら、神武東征は、卑弥呼より更に前の時代、丁度光武帝の頃だったりするのかな
まあ東征自体が空想の産物なのかもだが
430 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 13:52:20 ID:UKxf4aZJO
>>424 それどころか大和朝廷草創期との重なりがある
431 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 13:53:43 ID:Re/mo/D7O
つか九州でも無ければ畿内でも無いってのw
魏志倭人伝とかにも書いてあるように、朝鮮の南部も倭だってばw
新羅とか弁韓とか書かれてる地域も倭だよ
邪馬壹国ならそこにあるから探してみってば
で、卑弥呼が水銀を貢いで位を授かった(印授)朝廷ってのは、倭の中国(なかつくに、中心の地の意味)の京都の朝廷だよ
倭の中国(なかつくに)の朝廷じゃなければ、どこの中国(なかつくに)の朝廷に水銀を持ってったと思ってるの?
えっと三國史で倭人以外には鮮卑人、扶ヨ、真女、モンゴル、、、
誰にたいしての中国(なかつくに)の朝廷だと思ってるの?
新羅の女王が京都の朝廷に水銀を貢いだこれと全く同じ話は古事記とかにも書いてあるじゃん
何が謎?
邪馬台国がどこにあったかより、
邪馬台国と大和朝廷が連続した政権なのかどうかってことの方がよっぽど気になる
433 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 14:00:13 ID:ZOo96zcIO
えっとね二カ所にあったらしいよ
434 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 14:02:10 ID:OesTsk9NO
凄まじい皇国デムパが粘着してるなw
435 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 14:02:53 ID:Khefx8X9O
邪馬台国なんて、ねえよ
436 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 14:08:01 ID:Bi6iESJeO
>>422 たかじんで「畿内説だけじゃつまらない」て理由で始まったのがばらされたからな。
その後韓国人の粘着と地元民の郷土愛によって長い論争に発展してしまった。
437 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 14:10:03 ID:IM0N3BLGO
3世紀って言ってるの聞いて300年代だと勘違いしたんだね
まあよくあることだよ佐賀の考古学者さん元気だして
438 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 14:12:02 ID:Ze7QXBCL0
吉野ヶ里って結局なんだったんだ?
いま問題になってる時代って、人間の寿命を100年として20代前、50年として40代前。
そんな最近とも思える、お前らの先祖の事すらまったくわからないって事実。
440 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 14:13:59 ID:RHXgMh+uO
441 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 14:16:05 ID:Re/mo/D7O
>>432 邪馬壹国は単なる地域の名前て、そこの女王が卑弥呼だってば
連続性で言うなら飛鳥朝廷と大和朝廷の時点で違う訳だし
江戸時代までの京都の公家か北朝なのに対して
明治の皇室の人達は南朝の人達だし、神主としての氏子の儀式すらやってないじゃん
連続性は無いよ
日本にはもう「あまのすめらぎ」は居ないよ
(゚Д゚)ハァ?
電波すぎワロタw
444 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 14:22:37 ID:Re/mo/D7O
つかマキムクって「邪馬壹国じゃないのか?」って事でこれだけ調査してるんでしょ?
つか梶原って邪馬壹じゃなく、イワレビコが遷都して藤原京を置いてた場所なんだけど、、、
なんか日本の歴史学者のすぐに遺跡を邪馬壹国と結びつけたがる調査の仕方とか、いい加減にした方が行くね?
こんなもん調べるまでもなく藤原京跡じゃん
もしかして調べてる学者の人って古事記すら読んだことない人なの?
445 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 14:24:56 ID:BJyKQqz7O
ID:Re/mo/D7O
が必死なのが笑ってしまった。
>>444 そんな事より、水銀から黄金作る方法教えてくれ
447 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 14:27:12 ID:Re/mo/D7O
でたw電波扱いw
邪馬壹国は朝鮮半島南部にあるってば
調べて来てみ
すぐ見つかるからさ
新羅とか三韓とかをwikiで探してみ
新羅も弁韓も朝鮮半島南部にあった地域で、魏志倭人伝には朝鮮半島の南部は倭と書いてあるんだからここも倭だよ
そもそも新羅王も百済王も倭人って書いてあるし
逆に百済王や新羅王が朝鮮人だなんてどこに書いてあるの?
449 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 14:29:53 ID:xWYyvncy0
>>5 おれは出雲大社がかつて邪馬台国だったと思ってる
前スレじゃ完全スルーしてたのにおまいらと来たら・・・
読み物としては面白い所もあるけどさ
まあ叩きだけで、まともに反論しない奴は即NGしてるw
452 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 14:43:03 ID:Re/mo/D7O
>>446 しらね
錬金の仕方なんて普通は人に教えないよ
密教とかそっちの世界なんだし
ただこうやって昔の人が錬金術を追いかけたお陰で沢山の鉱物が作られて来たんだよ
あとやり方は知らないけど水銀からは黄金以外にも色々な金属が作れた「らしい」よ
密教都が錬金目的で水銀鉱脈を掘りまくってたのは事実だしさ
つか水銀を金に変えられるなんて最近まで信じられてなかった話だよ
けど、電子分解だかなんかで微量な金が取れる事が発見されて、一応、金に錬金出来る事は判明してるよ
ただ錬金の仕方は多分、近代の研究者がやったやり方と違うと思うよ
錬金できた金が微量過ぎるしさ
ああいう昔の人の技術を「オカルトかよw」ってバカにせずに、継承してりゃ錬金の仕方も解っただろうけどさ
ああいう人達ってその方法を他部には漏らさなかったよ
そのために文字で書くとかいうこともせずに、知ってる人達だけが解るように、それらの方法は梵字や曼陀羅で書き残してた訳だから
最大の問題なのは、70000戸を包括的に統括しうる地域が九州にないこと。
マキムクは単体で25000戸は収容可能で、市域で見れば古代随一の大きさといわれる。
周辺の小都市を囲えば、奈良の土地なら70000戸は確保可能。
第二に九州説ですら矛盾する行程表を、カヤでは筋道がつかない。
日数がおかしいんだ!というが、昼夜と星で航行して距離を類推する古代航法で日数が間違うのはありえない。
方角を勘違いしたと見るのが妥当。
また、マツラで上陸した際に外洋船は置いてきて、奴国から乗り換えていることから、
小型の内海用の舟艇に乗り換えているだろうことは想像にかたくない。
てこぎのガレー船でなければ、当時の帆船では関門海峡は抜けられない。
小型の船に乗り換えた際に方角を失したとみるのが妥当。
あとは土佐日記にある行程表から、日数と距離を類推すれば、
瀬戸内海北岸の主要都市で補給しながら東行するルートが浮かび上がる。
たったそれだけの簡単なことなのだ。
454 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 14:44:45 ID:+C7mBiT40
賀人は朝鮮人だからね
>>446 水銀には金が溶ける。
あるいはもともと一定量の金が溶け込んでいる。
金鉱石を細かく砕いて溶かした水銀を、炉にかけて水銀を蒸発させると、金だけが残る。
大仏の金メッキも同じ水銀蒸発法でなされた。
ただ、この方法は水銀を吸い込む労災がほぼ100%おきるため、
金箔の量産が確立されてからはなされていない。
今回の遺跡の映像見たけど、あれって単に
そこになにかの建物があったようにみせる形に
地面を掘っただけじゃないの?
457 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 14:51:12 ID:Re/mo/D7O
まあ曼陀羅が読めれば錬金だけじゃなく、秘術のカバラの方法まで解るよ
またそれを知りたくてああいう人達は山にこもって修行してたんだし
秘術を極めた人として有名なのが、釈迦、仏陀、空海、さんジェルマン伯爵とかだよ
メーソン達が追いかけてるのもこれだよ
ヒトラーとかもずっと追いかけてたしさ
万物の叡知を知りさえすれば、錬金どころか色んな事が出来るだろうなあってのはなんとなく解るけど、それって誰かが教えてくれるもんなのかな?
釈迦や空海は明けの明星(金星?狼星?)が口から飛び込んで来て習得出来たらしいよ
自称学者とかアマ学者は消えてくれよな。
ゴッドハンドで懲りてないのかよ。
九州在住だけど、地元に媚び売るような輩はうんざりだわ。
459 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 14:55:45 ID:gB3mHLuf0
ホント、九州支持してる自称学者やアマ学者はさっさと消えて欲しいよな
公害だからw
460 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 15:01:23 ID:WHsj0k2ZO
>457
色んな事に詳しい方だなぁと思ってましたが、ムーの読者だったんですね。
>>456 西洋の遺跡なら石造だから構造体自体が残るが、木と紙と草の文明では建物自体は失われてしまう。
しかし建物跡では楚石の欠けらや建材、生活物資の遺物が見つかり、
ついで「人の手が加わった跡」がみつかる。
50a堆積するには千年単位の時間が必要なため、地層が形成される。
50a掘り下げれば地層が損なわれ、埋めなおされた土質のやわらかい跡が残る。
それを移植ゴテやハケで丁寧に土をさらっていくのだ。
日本では上に植生があったり、すでに人がすんでいたりするためあまりないが、
ヨーロッパやエジプトでは土質の違いから来る地面の色を空から見て遺跡が見つかることがままある。
土質が違うと水捌けがかわるため、空から見ると人工的な形が浮き上がるわけだ。
つまりはそういうこと。
無知な建設会社が損なった遺跡も多いだろう、なんせ土の質の違いだけなのだから。
462 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 15:04:13 ID:/fEjyG4tO
やまよりハニワの研究が進むべきだな 縄文が日本人だな
ヒミコたんとオノノイモコたんのレズシーンが見たい
464 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 15:13:07 ID:pDIXfTp40
465 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 15:13:15 ID:Re/mo/D7O
>>455 それ明らかに錬金のやり方を知らない近代の学者が「昔の人の技術だからこう言うやり方だろうなあ」って言ってるだけのやり方
それに単に鉄鉱石に含まれてた金を取り出したってだけの話で、それは錬金とは言わないよ
それだと錬金師じゃなく単なる鉄工所のオッサン
黄金の大仏の話はなんとかって書物にもあるけど、そんなやり方じゃないよ
つか日本では昔から水銀を金に錬金する方法があったんだってば
俺はやり方は知らない
一度体内に入れて体内で変えるのが錬金で、その修行をしてたから沢山の修行僧が水銀中毒で死んだって話は聞いた事はある
ただそれだと仮にそれで金に錬金出来たとしても、それって黄金と成分は同じだとしても、要はその人のウンコでしょ?
まあ確かに金は金だろうさ
ただウンコって言えばウンコだよ
ウンコが金なだけだよ
466 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 15:21:38 ID:wI5aYIrt0
>>447 南部どころか北朝鮮の日本海側あたりまで倭だよ
178年に倭人伝にも出てくる朝鮮の先祖の鮮卑酋長の檀君(檀石槐)が侵略して倭人拉致してるから
魏志だけは汗人と称されているが後漢書他には倭人と明記されてる
何かを得ようと欲すれば必ず同等の対価を支払うものなり。
468 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 15:22:47 ID:hAEFnZAo0
>>465 昔から金と水銀が組になって扱われる記述が多いことや、
大仏の造営に際してもちいられた金属類は量が正確に書き残されている点からすでに確定している。
大仏では金銀銅に加えて大量の水銀がもちいられたが、水銀は一切大仏には残っていない。
これは間違いなく金のメッキの際に水銀蒸発法が使われたからであり、錬金術などではない。
繰り返すように、金箔の量産が確立してからは水銀は化粧品等に使われるようになり、
金を作るために捨てるような使い方ができるような物資ではなくなった。
もし、水銀から金が作られるなら、今でも作られてなければおかしい。
なぜなら富が無限に湧くからであり、日本の黒幕になれるはずなのに彼らは残っていないからだ。
大仏造営の記録に関しては、鋳造後に形を整える際に出た銅と銀の欠けらの重量すらわかっている。
信憑性を疑うのはむずかしい。
とりあえず基地外は置いといて邪馬台国は大和の地あって
畿内を治めてた国家で良いのかな?
南には熊野の国があり西にも出雲を中心に国があった。
大和王朝は邪馬台国を滅ぼした国が作ったかどうか知らないが、
大和王朝と出雲は関係が深い事や時系列を見ればそれが有力かね。
472 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 15:46:42 ID:QPjiDpr00
>>471 >大和王朝と出雲は関係が深い
簡単に既成事実のように書いてるけど、
具体的にどういう関係が深かったの?
俺は畿内説だからこそ、マジメに聞くけど。
出雲との関係って三輪山の大物主=大国主って伝承だけだろ。
その伝承がどこまで真実なのかという問題が一つ。もとは別個の信仰だったかもしれない。
地勢的に出雲より丹波の方が重要だったはず。
丹波を素通りして、出雲とどんな関係を結ぶ必要があるのか?
記紀には、出雲と関係する氏族が登場しない。これをどう説明する?
ただひとり、大田田根子は河内の人間だ。
473 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 15:46:46 ID:Re/mo/D7O
>>469 http://yomi.mobi/wgate/%e9%8c%ac%e9%87%91/132/ ここにも書いてある
水銀の原子番号が80で金は79
原子を崩壊させれば水銀は金に変わる
例えば1つの方法としてガンマ線をあて続けると金に変わる事が発見されてる
ただし長い時間が必要らしい
あとツタンカーメンやインカが黄金の国なんて言われてるけど、日本国内にあった金の量はあんなもんじゃない
日銀の倉庫にはアホ見たいに沢山金塊があるけど、あれらも紙幣を発行して国内から買い集めた金だよ
バブル期には日本人は金箔を酒に入れたりして食べてたでしょ?
どのみち錬金の仕方なんてのは俺らには解んないよ
解んないから作られて無いんだよ
今ではそう言う秘術を真剣に追いかけてるのはフリーメーソンぐらいだろうし
錬金どうこうは置いといてもさ、金にしろ銀にしろ作れるのは確かだよ
だって金や銀が実際に自然界には存在してる訳だから
もしくは自然界にある鉱物は元からその鉱物だったと思う?
で、実際に現代社会でも様々な錬金は行われてるし、様々な新たな錬金を試してる研究者も沢山いる
昔はなかたり、自然界には無いような鉱物が作れるのも錬金してるからだよ
474 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 15:53:00 ID:xnX9P+/k0
邪馬台国は滋賀県だよ
>>449 ちょっとインスピレーションを感ずるな。
出雲といえば、刀をこっそりすり替えて出雲タケルを殺した話とか
ひどいだまし討ちだな
中国人による邪馬台国捏造説ってのは無いの?
478 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 15:56:36 ID:2CmRLylN0
場所なんてどこでもいいよ
一番経済効果のあるところで
479 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 16:01:31 ID:Re/mo/D7O
まあ今でも1つの方法としてガンマ線を水銀に当てれば原子分解が起きて金に錬金出来る
卑弥呼が運んできた水銀も古志の方の氏族が水銀を貢ぐ事に応じなかったから、卑弥呼が運んできたよ
この水銀を錬金して黄金の水銀は作られたんだよ
てか今ある奈良の大仏と黄金の大仏は違う大仏だと思うよ
黄金の大仏があったのは東大寺でも無いし
水銀を黄金に錬金出来るか出来ないかじゃなく、そのやり方を知ってるか知らないかだよ
昔の日本では水銀から金を錬金してたと書いてある訳で、その方法さえ知ってれば、別に錬金なんて誰でも出来るんだと思うよ
俺はやり方を知らないし現代ではガンマ線を当てる方法しか知らないだけだよ
あとは昔の日本人の密教徒達はその方法を知ってたのか知らなかったのかだけ
こんだけ水銀から金を作ったと色々記述があるんだから、知ってたんじゃないの?
俺らは知らないだけだし、当時だって錬金術師以外はやり方なんて知らないよ
あと基本的に密教徒の最大の目標は錬金じゃなく丹生術だよ
不死の生命をえるだとか言うやつ
これも水銀を使うんだよ
480 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 16:04:44 ID:t9cbaRS7P
ID:Re/mo/D7O
↑
この蛆虫電波もつまらなくなってきたな
神代文字ネタとかムーネタやってたから放置してたら
図に乗った
クズが蔓延るとスレがつまらなくなるわ
481 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 16:06:57 ID:ndjlXYWt0
>>453 日数が間違いなのではなく、
古代の倭の表現法を、
現代人や当時の中国人が勘違いしてるだけかもしれないだろ。
絶対的な距離表現は、単位さえあってれば間違いようがないが、
日数表現とその解釈は、勘違いが入り込む余地はあるだろ。
100年じゃ誤差のうちだろ
483 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 16:09:34 ID:ndjlXYWt0
>>294 邪馬台国の存在そのものが史書の文字に依拠しているんだから仕方ないだろ。
考古学の成果はそれを裏付けるものに過ぎない。
今回のように、いくら畿内勢力が大きいと考古学でわかったとしても、
九州の小国が邪馬台国であった可能性を否定できないじゃないか。
少なくとも、史書に近畿の記述なんてないんだから。
484 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 16:13:03 ID:sPVt0t8/O
>>479なんだ原子分解ってw
金にするなら核融合させなきゃならないが白金でも無理。
九州にあったのなら余りにも国として小さいんじゃね?ってのが
そもそもが疑問なんだよな。
486 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 16:16:38 ID:sPVt0t8/O
>>483史書に邪馬台(ヤマト)ってあるのが近畿なんでしょ。
この手の議論になると必ず感情的になる奴いるけど
九州に邪馬台国があった=九州から本州(畿内)まで支配してたと
思いたい感情論が凄く鼻につくんだよなー。
488 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 16:25:09 ID:IWwfM6T50
佐賀でも出てくるくらいだから、日本中、掘り起こせば
どこでも卑弥呼関連グッズが出てくるだろp
邪馬台国が畿内とか倭国を支配してたっていうけどさ、
そんじゃ何か?
関東とか日本は東京が支配しているってのか?
まあ、そうかもしれんが…
490 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 16:35:42 ID:Re/mo/D7O
>>485 今で言う村程度の範囲でも「國」だよ
「國」ってのは「地域」の意味だよ
幾つかの国が集まると郡や州だし
卑弥呼は倭(やまと)の王じゃなく、倭(やまと)の中の邪馬壹地域の王だよ
なんでそんなに邪馬壹国を持ち上げたがるのかが解らんし
やっぱ「謎の邪馬壹国!」「歴史上最大の謎!」っていつまでもしてるから、なんかすげー國見たいな事になってるだけでしょ?
ホントに邪馬壹国の場所が知りたいなら、新羅や三韓の中にあった國を調べればあるよ
別に邪馬壹国の記述があるのは魏志倭人伝だけじゃないんだし
そこに倭の中国(なかつくに)の朝廷に水銀を貢いだ倭人の女王もいるし、海を渡った倭人の女王が日本の朝廷に水銀を貢いで来た話は日本にもあるよ
別に「謎の邪馬壹国!」ってままにしときたければ九州だ畿内だってずっとやってりゃいいけどさ
邪馬壹国の場所は九州でも畿内でもないんだから、そうすりゃ一生、邪馬壹国は謎の邪馬壹国でいられるだろうし
491 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 16:36:58 ID:dNR0TKmx0
畿内説をとれば、3世紀には大和朝廷が西日本全体を支配してたってことに
なるわけでしょ
九州説なら大和朝廷の支配はその100年後ということになる
という話だな
わからないことは多いよ
なに、あの超巨大な仁徳天皇稜はとか
なに、銅鐸をぶらさげてチリチリン鳴らしてたのとか
>>48 だよな
日向にヤマト政権ゆかりの神社あるし
邪馬台って当時の中国が勝手にヤマトの当て字で書いただけだよな
493 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 16:43:40 ID:Re/mo/D7O
>>491 年代の方が間違ってるだけだよ
そもそも漢籍書の暦には干支すら書かれて無いんだから、漢籍書の内容から年代を特定するのは無理
「でもそれだと年代が合わないんだよなあ〜」
って当たり前じゃん
別に219年とかの話じゃないんだし300年頃でもなけりゃ5000年前でも無いんだし
なんか年代を先に決めつけて考え人多いよね?
卑弥呼は九州で、その後に近畿に移動したんでしょ
どう考えてもこれが合理的
まず、卑弥呼の後しばらくして、大陸から天照とかが来て、その時に馬を手にする
そして馬で東の方へと移動
それで出雲とかに来たころがヤマトタケルの頃
そして、近畿に着いたら九州から遷都
で、聖徳太子まで繋がると
こんなところでしょう
よって、両方正解なんじゃないの?
時代差があるだけでさ
出雲→吉備→瀬戸内→難波津→大和川→奈良南部
結構自然な変遷に見えるがね
難波津あたりで越の連中と融合したかな?
いずれにせよ当時の最先端は日本海側で、外敵の脅威もまた日本海側から来る
卑弥呼は人名じゃないだろ。
498 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 16:56:31 ID:Re/mo/D7O
>>472 例えば箸墓周辺は出雲の荘園であったり、
現代でも桜井には「出雲」の地名はある。
それに大和川の周囲には杵築神社が多いのだが、
何故かヤマタノオロチ伝承が数多く残ってる。
ノミノスクネ伝承もこの周囲だし、天理近郊の都祁村辺りにも
何故かヤマタノオロチ伝承があるんだよ。
卑弥呼自体居たのかどうかも解らんよ。
ただ邪馬台国ってのは連合国家だった倭国の権力を握ってた中心国で
統治者を輩出してた国だったんじゃないだろうか。
501 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 16:59:57 ID:Re/mo/D7O
「出雲出雲」言ってるけど、正しくは「伊豆も」だよ
今の伊豆だよ
今ある出雲大社だってあれは明治になって急に出雲大社って名前に変えただけだよ
あの辺は吉備氏でしょ?
502 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 17:01:05 ID:Re/mo/D7O
ヤマタノオロチは「古志のヤマタノオロチ」って書いてあるんだから古志だってば
出雲は魏志でいう投馬国っていう説もあるな
五万戸もあってなかなかの大勢力
504 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 17:09:05 ID:uivnXseyO
正直、名前連想ゲームはお勧めしないなあ
言葉はつねに変わり続けるものだからあまりあてにはできないきが
地政学的に見て、辰韓、出雲、丹波、三輪
長江下流、馬韓、北九州、河内
丹波性が何を意味しているか?
ヤマタのオロチ退治は、三輪王朝と河内王朝の対立を大和川に
謎って表現したんじゃ?
奴国が2万戸←これが北九州の国じゃね?www
投馬国が5万戸←出雲を中心にあった国。
邪馬台国が7万戸で更に20国を傘下に置く←畿内あった倭最大の国家。
507 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 17:13:31 ID:Re/mo/D7O
>>503 伊豆って確かなんか面白い話あったよ
確か島生みの話
さっきのアマテラスのリンクの奴に「まだ何年も雨が降り続いてた頃」って書いてあったでしょ?
これさ、まず國の常立命は「混沌とした海原に大地を作り降り立った」なんだけど、ここがまず日本アルプスだよ
飛騨の位山や乗鞍岳や御嶽山とかの伝承にもある
んで、伊耶那岐伊耶那美の島生みの話
矛で海原をかき回した滴が島となり、、、って奴
伊豆に確か島生みの時の話があったよ
あそこは離島だって、水が引いたから陸続きになったとか言う話
んでアマテラスが産まれた時の話
ここで雨が上がってるよ
記紀に書いてあるのはそういう話なんだよ
邪馬台国は連合政権であって、いわゆる殷のような邑があつまった体制。
卑弥呼が没したあとに瓦解したのはコンセンサスをとれなくなったからだろう。
伊勢を擁する紀伊半島は水銀がとれたし、海産物も豊富。
ヤマトが豊かな国になる要素は揃っている。
足りないのは鉄だけ。
おそらく投馬との連合で相互に補っていたが、卑弥呼の死没で瓦解したのだろう。
諏訪を中心とした古代卜占国家や、九州の熊襲など敵も多い時代だから仕方ない。
畿内の連合国家だったとするなら邪馬台国がどうやって権力を持ち
何故滅んで行ったのか説明しやすいわな。
魏志倭人伝では確か百余国だったけか、今47都道府県。でも地方とかを地図上で確かめると、今とあんまり変わらない数なんだよ。
江戸時代までは生活技術みたいなものは、あまり変化がないはずだから、邪馬台国といっても(実際は大和なんだろうけど)異国的に見てはいけないと思う。
511 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 17:31:08 ID:PI1/Z6+B0
でかい声だせばそれが事実になるってわけじゃ
ないだろうに。
512 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 17:35:31 ID:Re/mo/D7O
大和朝廷が蘇我の飛鳥朝廷を倒した後に、新羅の女王が大和朝廷に水銀を貢いで印授を受ける話があるの知ってる?
ちょうど大化の改心とか壬申の乱とか白村江の戦いとか、大和の大乱の時なんだけどさ、
卑弥呼とこの新羅の女王って、朝貢に至るまでの月からなにから、全く一緒なんだよなあ〜
でも時代が合わないよね〜
この場合さ
・卑弥呼は西暦219年の話じゃない
・別に偶然日付や貢いだものや、なにからなにまで同じ出来事かあっただけ
どっちなんですかあ?
ああそうか、邪馬台国の「邪馬台」は「やまと」なのか
514 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 17:41:07 ID:V4H/S2AjO
やまとの地名なんてそこら中にあるがな
515 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 17:41:18 ID:RJbNBvIF0
俺も初めデカイ声出してる畿内説が無理やりなのかなっと思ったんだけど
色々見てくるとどうやら九州説支持してる人のほとんどが九州のアマチュアや九州の学者みたいだね
そう以外は畿内説中心にバラバラ
516 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 17:42:31 ID:Re/mo/D7O
卑弥呼が水銀を貢いだ中国(なかつくに)の朝廷って、どこの中国(なかつくに)の事?
倭の中国(なかつくに)
韓の中国(なかつくに)
倭(やまと)の邪馬壹地域の王である倭人の卑弥呼にとっての中国(なかつくに)って、倭(やまと)の朝廷じゃないの?
それとも卑弥呼って倭人じゃないの?
邪馬壹国の女王が中国(なかつくに)の皇帝に貢いでるんだから、まあ邪馬壹国は倭の中心の地でもなんでも無い事だけは解るんだけどさあ〜
517 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 17:47:44 ID:PI1/Z6+B0
>>505 多分そうでしょ。
ヤマタノオロチ伝承は肝心の出雲風土紀には記載されてないし。
大和川の上流、下流共に伝承が多く残ってる。
519 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:00:16 ID:Nl8175Fq0
大和の古墳編年って、スルスル上がってくな
何か遺構が出るたびに「大和説でおk」ってマスゴミが決めつける
旧石器の遺構がポンポン見つかっていた時と同じ臭いが…
520 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:02:56 ID:MyV9nR060
九州説では、鹿男あをによしは成り立たんのだ。
やはり、邪馬台国はマキムクでないとダメだ。
521 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:22:06 ID:y0XHR7fwO
九州にはさ
歴史上最初に登場する倭王 師生がいるんだから卑弥呼は譲っとけ
522 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:25:24 ID:VIwX1kdLO
九州説派が必死すぎるww
523 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:36:08 ID:/DTlA9aB0
巻向は166回も掘って、出てくるのは瓦礫と掘っ立て柱の穴だけだろ。
524 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:46:14 ID:I4sJKCwLO
525 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:52:32 ID:4PJyBKdC0
九州のほうでは、どうして「ここが邪馬台国」って遺跡を発掘しないの?
文句ばっかり言ってないで、どこか発掘してみてよ。
吉野ヶ里だって、最初は邪馬台国だって騒がれたのに、
いまじゃ音沙汰なし。
526 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 19:02:06 ID:I4sJKCwLO
吉野ヶ里は伊都国だろ。河向こうの女王国に入る前の関所が
あったんでないかな。倭人伝の記事通りだ。
527 :
(´-`).。oO ◆abcDBRIxrA :2009/11/12(木) 19:07:25 ID:3RWhiLaD0
>>1 <卑弥呼の墓は宇佐神宮の下。神社は古墳の上に建てられている。
∧_∧
⊂(・∀・ )つ-、<これ豆知識な。
/// /_/:::::/
|:::|/⊂ヽ ノ |:::| /」
/ ̄ ̄旦 ̄ ̄ ̄/|
/___________________/ | |
| |----------|│
528 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 19:10:57 ID:4PJyBKdC0
529 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 19:13:36 ID:I4sJKCwLO
河ってのは筑後川ね。倭人伝だと伊都国の南が女王国でなかったかな?
吉野ヶ里を南に筑後川をまたいだ場所が古地名で筑後山門郷。
530 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 19:46:17 ID:ndjlXYWt0
>>525 奈良のように発掘がさかんな地域でもなく、
考古学の研究所が置かれている訳でもない。
予算つかないだろ。出してくれるところはあるのか?
>>523 そりゃ滅亡しないかぎり、遷都の場合は全部バラして新都に持っていくから。
平安京遷都までバラして使えるものは持っていく、ってのはつづいている。
逆に色々見つかり放題の九州は滅亡している証拠。
532 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:25:28 ID:I4sJKCwLO
隋書倭国伝によれば阿蘇山が火山信仰の聖地だったのは明らかだ。
阿蘇のカルデラの西側の切り欠きは高天原の舞台への入り口に見える。
太陽の登る方角に向けて中央に阿蘇山のそびえるカルデラの平野に
入って行く、劇場的な地理だ。
入り口付近は菊池郡山門郷。これは狗奴国かも知らない。
邪馬台国と狗奴国にはどういう関係があったかは知る由もない。
533 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:37:00 ID:t9cbaRS7P
>>495 当時〜天孫族が大陸から〜とか馬とか失笑モノだから
もう二度と口にしない方がいいぜ
534 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 21:14:44 ID:dkt1OSg/O
卑弥呼が遠い魏に何故朝貢したのか考えれば脅威となる勢力への牽制と思われる。その勢力とは近畿に強力な中央集権国家だった。
朝鮮海峡は馬は渡れない。
なぜならあまりの荒れように馬は驚いてしまうからだ。
船のなかにどう収容しようと無理だということだ。
つまり騎馬民族は来ていない。
日本に入ってきたのは、2万5千年前にまだ氷河期で陸続きだった朝鮮海峡を渡ってきた縄文人と、
縄文海進期の終わり頃から阿来奈波島経由で来た百越系倭人、つまり弥生人だけだ。
日本の稲作が最初から完成形なのも稲作の始原地たる越から来たから。
もし騎馬民族がきたなら主食は米ではありえないはずだからね。
>>530 予算がつかないから掘れないんじゃなくて掘っても出ない、説に説得力がないから予算がつかないんだが
因果逆にしちゃダメだと思うわ
なんか○○埋蔵金みたいな話だな。
中国の古文書に書いてあるから掘れば必ず出てくるはずだ!みたいなw
現代ですら、南京事変みたいに100年も経ってない事実を極端に自分たちに
都合良く書き変えちゃうような連中が、1700年前は全然違う民族性でした!なんて
とても信じられないし、それもまた聞きのまた聞き、さらにその写しの写しみたいな話だろ?
そんな胡散臭い話じゃ、流石にTBSですら金は出さないだろうね・・・。
538 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 23:22:18 ID:GFgNt4OP0
大和王朝が邪馬台国で卑弥呼は大王に使える巫女だった可能性ないの?
呼称は幾らでも向こうの解釈で変わるし天皇の系譜見てると紀元前まで
遡る訳で大和王朝が畿内を治めてて周辺を支配してた。
九州辺りも属国にしてたんだろうな。
539 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 23:24:51 ID:GFgNt4OP0
発音が大和→邪馬台
卑弥呼→「卑」が使える巫女と解釈出来るんだけど。
ん、佐賀って何県?
地方単位で争っていた時代があってその頃九州北部は独立していただろう。
九州北部の地は東から攻められるのに弱い。東征ではなく、征服された側に
なってしまった可能性が高いよ。
今の感覚だと半島に近いから技術レベルが高いと思いがちだが、船で移動
と言う意味では出雲のあたり、福井のあたり、新潟のあたりも同様で
そのどこかの国が畿内を掌握して西に向かったならソッチの方が強い。
542 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 23:36:32 ID:I4sJKCwLO
九州説掘り下げた方がこじつけばかりの畿内説より新発見が
いろいろあって面白いんだがな。
543 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 23:40:37 ID:A/B8B2hqO
姫巫女を中華思想で当て字したのが卑弥呼だよ。
幼児期から馬に乗る騎馬民族は埴輪の馬がつけるような頑丈な馬具は使わない
日本の馬具は古代から近世まで大人になってから乗馬を習う農耕民仕様
545 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 23:47:17 ID:GFgNt4OP0
吉備説も面白いね。大和付近を中心に狗奴国がありこれが吉備にあった
邪馬台国を滅ぼして大和王朝を開いたとする説。
その時の生き残りの子孫が吉備氏でその後大和王朝に嫁ぐと。
546 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 23:47:52 ID:qXXpZ42eO
一億総卑弥呼
547 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 23:50:19 ID:GFgNt4OP0
狗奴国が古くからある国ならば天皇の系譜が2600年続いていたとする
説も正しかったりしてね。
九州説で可能性があるのは西都原しかないだろう。
天孫降臨の高千穂峰の北側で神武の故郷と言われる高原、東征の起点となる宮崎、
南には熊襲の勢力である曽於の大隅半島に隣接する場所にある巨大古墳群。
とにかくあの辺を掘りまくれ。
あの古墳群を作ったのは何者でどんな遺跡が出て来るか探索しまくれ。
九州説が生き残るには西都原の正体を暴くしかない。
邪馬台国を畿内大和だとすると、その南にあった狗奴国は熊野ということになるな
近畿から九州までを抑えていた大邪馬台国帝国がたかが熊野1国に手こずり
魏に泣きついたのか。随分おかしな話だな。邪馬台国弱すぎるな
552 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 00:02:35 ID:YU8g+yDqO
新潟
553 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 00:03:14 ID:eAT6RrIt0
>>551 邪馬台国はそんなに強くない。
だからこそ、天皇家・統一王朝に発展する畿内ではないと思うよ。
九州説支持者はなんでそんなに文献神聖視すんのかわからんなあ
海を渡った先のもので、時代も古く、信憑性野生覚醒についても怪しいもんなのにw
>>551 >邪馬台国を畿内大和だとすると、その南にあった狗奴国は熊野ということになるな
邪馬台国は連合国家だし、畿内説だと、その南にあるのは関東だろ。
方角が違うんだから。
>>553 >邪馬台国はそんなに強くない。
>だからこそ、天皇家・統一王朝に発展する畿内ではないと思うよ。
邪馬台国がそんなに強くないというのは同意。
だから、神武に東征されちゃったんだろ。
>>551 海洋民族の熊襲。農耕民族のヤマト。
この差だろう。
熊襲の勢力は熊本から鹿児島、和歌山南部、朝鮮半島では熊津。
ぜんぶ海沿いだ。
おそらくオーストロネシア系の熊襲と、新モンゴロイド系のヤマトという人種の違いが
明確にあったのではないかと思う。
九州で間違いないよ
確認した
559 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 00:06:31 ID:6pj/a9qsO
文献が元ネタだからだろヴォケ
560 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 00:07:58 ID:rwvOeBa40
てかだいたい跡がないといけないってのがおかしい
完全に破壊されたら跡すら残らんだろ
あと例えば博多辺りはいつの時代も栄えていた訳で
そこらへんに跡なんて残るはずもない
>>560 栄えてるといってもあの辺は前線基地、都にする訳がない。
実際何度も奥まで侵攻されてるし。
>>560 文献の記載が正しいか正しくないかを確かめるのは
文献に書かれたような遺跡がちゃんと出て来るかしかないから仕方が無い。
九州には魏志倭人伝の邪馬台国に匹敵する巨大な遺跡が出てこないから
どれだけ文献を読み解いても九州説はどこまでいっても仮説でしかない。
都市あったとこには破壊の後でも痕跡残るよ
全くなにもないなんてことは考えにくい
というか、それなかったことを証明しろって言ってるのと同じだって理解してる?
あったって言う根拠出してくるのが先だろ普通
>>559 なんで書いてあることがそんなに正確だと確信できんの?
国があったのはともかく細かい方角や距離なんてさっぱりあてにならなさそうなもんだが
565 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 00:16:11 ID:Co3Y7hVn0
「南」ってのが当時は怪しいんだわ。
当時の日本の地図を見れば九州が北 近畿がそこから南になってるぜ。
狗奴国はたぶん今なら邪馬台国の東にあった国だろう。
中部辺りまで邪馬台国が支配してて関東に狗奴国があったと思われ。
566 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 00:17:12 ID:6pj/a9qsO
宮崎は投馬国=妻町らしいぞ。文献に一致する。
三関の東側に有力国家があったんだろうなあ
歴史書の類が全く空白なのが怪しすぎるわw
568 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 00:19:32 ID:Co3Y7hVn0
投馬国は出雲だろ。 5万戸の人口=15万人ぐらいいる当時は大国だぞ。
弥生時代(3世紀前半)は多く見ても50万人ぐらいしか居ないんで
かなりの大国だったのが解る。
569 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 00:19:53 ID:rwvOeBa40
>>564 破壊した後その上にまた街作ったら当然残らんだろ
遺跡の発掘だなんだとか始まったのだって近年の話で
その前に城下町でも建ったら当然跡はない
570 :
川柳さん:2009/11/13(金) 00:21:03 ID:6pj/a9qsO
考古学
掘っても掘っても
夢ばかり
>>569 普通に残る
と言うか残らないんならそれこそ奈良はなんなんだよw
別に何回も破壊されまくってる京都でもいいがw
572 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 00:22:18 ID:Co3Y7hVn0
九州に奴国 出雲に投馬国 畿内に邪馬台国
更に東に狗奴国があったとするのが一番自然だわな。
>>571 アレキサンドリア、今でもエジプト首都の大都市だが
地下からは普通に古代エジプト時代の遺跡が出てくるな。
575 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 00:24:49 ID:DEzugtUI0
220年、後漢滅び、曹丕が魏を建国
221年、劉備が蜀を建国
222年、孫権が呉を建国
239年、倭の女王卑弥呼、魏へ使者を送る
248年、倭の女王卑弥呼没
263年、魏が蜀を滅ぼす
265年、魏にかわり西晋建国、呉は武都に遷都
266年、倭の女王壱与、西晋に使者を送る
266年、呉が建業に遷都
280年、西晋が呉を滅ぼす
>>569 城下町でも一つ前の時代の石垣や街の痕跡ってのは出てくるよ。
定期的に作り直せば埋もれていく部分が必ず出てくる。
自分が住んでいる街でも最近発見されて多少話題になった。
高句麗好太王碑をみても4世紀後半には、半島に出兵する程の、強大な統一権力があったわけで。
3世紀前半に西日本を統一する宗教的連合国家があってもすこしもおかしくないな。
むしろこの段階ですら北九州に矮小化するのは、なんらかの政治的意図があるからだろう。
秋葉原だって遺跡発掘はしている
外神田四丁目遺跡は大名屋敷だが
周りの家や線路を撤去して発掘したら何が出てくるんだろう・・・。
>>569 上に作るから残るんで
掘り返したら残らないけど
ところで学生時代西都原を歩いたが
端っこの方は崖になってて崩れてるのな
>>580 地面に打ち込んだモンまで掘り返したりはしないだろうな。
582 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 00:43:23 ID:DfgG2Cf00
日朝共同歴史研究必要
ただし近代史でなく古代史
邪馬台国はいったい何処に?
日本人のDNAには半島回帰命が組み込まれていると倭は思う
畿内巻向説の弱点だった大型建造物、「宮殿、城柵」がこれでクリアされた訳だな。
しかも中軸が揃えられた、左右対称の建造物というのは珍しい。
伊勢や出雲との関連性も出てくるかも。
地層はその年代だけど、跡はゴッドハンドだろ〜
上手くやりやがったな〜。
バレたら面白い事になりそう
586 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 00:49:20 ID:1FyRAg070
遺跡はなぜ埋まっているんだろ?
埋っていない遺跡もあるストーンヘンジとか
ま、本当は邪馬台国は名古屋にあったんだけどね
昔、魏から来た人に「ここの名物何?」って聞かれたんで
「矢場とん」って答えたんで邪馬台国になったんだよね
>>585 高床式といい、かやぶきってのとか寸法とか、
伊勢神宮の内宮に近い感じかな
日本は火山列島だから火山灰が降り積もって埋まるんやない
反対側を掘ってみて、全く同じ寸法の建物が出たらちょっと笑うかな。
柱を再利用したって話もあるし、案外○年おきに建て替えやってたりして。
592 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 00:59:48 ID:1FyRAg070
そうか、この遺跡の下を掘ってみればまた何か出てくるかも?
答えは遺跡の下にこそあるんだw
>>585 そうだろうね。
で、向きが珍しい。
正面が東で三輪山、日の出の方角を向いてる。
例のレイラインとも一致しているな。
モモソ姫=日女命=日神だとすると、
結構興味深いかも。
594 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 01:01:57 ID:wFx07EMTO
イセキのしたから
ヤマタノオロチがあらわれた!
>>592 大阪城を掘ると石山本願寺が出てくる的なアレか
最新の年代測定を信じられない、いや信じたくない!
だって九州にあったんだもん!
>>593 卑弥呼はともかくとして、モモソ姫の宮殿って説には説得力がありそうだね。
遺跡を掘ると大魔人が…
>>574 ブログの記事はいいよw
ってか、安本とか九州説支持者は他説のあら探しとかアホな事してないで自説の根拠まず探せw
仮説ばっかの主張は何をどうやっても通らんだろ
とりあえずwikiからだが纒向については
・唐古・鍵遺跡の約10倍の規模を持ち、藤原宮に匹敵する巨大な遺跡で多賀城跡よりも大規模である。
都市計画のなされていた痕跡と考えられる遺構が随所で確認されている
・祭祀遺跡(穴師ドヨド地区の景行天皇纏向日代宮の伝承地から碧玉製勾玉・石釧・管玉・ガラス小玉、4世紀後半の土器など出土)
・瓦質土器(1996年に土器片の発見。胎土成分組成の分析により、2001年に国内で類例のない事が確認され、朝鮮半島内の技術で作られたものと判明した)
・竪穴式住居発見されている
・纒向遺跡は大集落と言われながらも、人の住む集落跡が発見されていない。
現在発見されているのは祭祀用と考えられる建物と土抗、そして弧文円板や鶏形木製品などの祭祀用具、
物流のためのヒノキの矢板で護岸された大・小溝(運河)などである。
遺跡の性格としては居住域というよりも、頻繁に人々や物資が集まったり
箸墓古墳を中心とした三輪山などへの祭祀のための聖地と考える学者も多い。
ってことで、時代の前後はどうあれ近辺の時代探る上で滅茶重要な発見なのは間違いない
藤原京に匹敵する巨大遺跡があの時代にあって、しかもどうやら祭礼のための、って性格が強そうで、住居形式や年輪、炭素測定などから3、4世紀の頃のものの
可能性が高いとなればそりゃでかいアドバンテージって言われてもこれは流石にしょうがないだろ
九州からなんかでてるってんならともかくそれもないわけだし
イセキは掘れたの?
ああ、大量だ
>>597 日女命という呼び方はともかく日神だからね。
602 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 01:08:46 ID:dc691ANx0
>>590 ただの空き地とか荒れ地でも茂った草が枯れてどんどん埋もれていく。
諦めろよ九州w
604 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 01:14:23 ID:AtEk1TYSP
>>555 関東の大規模古墳群とそれにともなう
畿内の国との関係とかは気になるね
605 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 01:17:17 ID:dnDzrh650
>>574 >避けるべき土器付着物などを中心に古墳の年代を推測している。
いやいや、「避けるべき」じゃないだろう、其の当時食べていたものの付着物なんだから
其の土器が何時まで使われていたか知るのに、これ以上の物は無いよ。
606 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 01:17:25 ID:AtEk1TYSP
607 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 01:18:24 ID:tyY+wHDFO
どこにあったとしても特定できる証拠なんて出ないんだから
>>599 まあ邪馬台国云々は抜きにしても、
確かに大規模だよね、それに規模の割りに人の気配が少ないw
全貌とかがわかるまでは相当時間かかるな、これは。
>>608 宇佐神宮の近所に住んでるが、
山の中に多数の宮があって、元来人が住む空間ではないと感じるよ。
参拝客多いけどね。本来は禁足地だし、宗教都市って、生活感がないのが
普通じゃないかな。
610 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 01:26:49 ID:DEzugtUI0
>>575 大陸の情勢を把握しているように思える
さて、どこからだ
611 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 01:33:06 ID:5GOfKmB/O
建築跡が残るのが不思議だけどな
普通の感覚だと壊してその上に作るだろ
残ってるのは利用価値の無くなった廃墟じゃないのか
612 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 01:33:10 ID:PKCrSO3kO
我が国の皇室はシナに朝貢なと゛しない
よって邪馬台国は九州の地方政権
613 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 01:35:38 ID:XZLW2wXkO
>>612 本居宣長さん、深夜までお疲れさまです。
>>611 けっこう簡単に洪水・山崩れで埋まるみたいなんだ
重機も何もないから埋まればその上で新しく暮らし始める
615 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 01:52:21 ID:9yzbi/C60
100年はあたらしいと”見ている”って・・・
科学的な根拠があるならそんな言い方しないよね。
考古学って夢想を言う学問なのかね。
616 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 01:53:18 ID:Y+w1Qhn3O
しかしなんで巨大な遺跡が出てきたからといって、それが即、邪馬台国である
ことを示す有力な発見につながるんだ?
卑弥呼の居住地は小さな竪穴式住居ではなくて、卑弥呼の墓は小さく目立たないはずがない証拠はあるんだろうな?あん?
畿内やったら大阪もあり得るってことだな
>>616 畿内派が吉野ヶ里以降九州説が有利になったのを不満に思い、上手くバレないようにゴッドハンドしてる。
全員グルだから絶対にバレない。
堂々とやれば怪しまれないしな。
跡だけしか見つかってないし、現物は一切出てない。
みんな騙され過ぎ。
619 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 02:24:11 ID:EddQt9vS0
>>618 騙されてるのは、おまえのほうなんだが。
620 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 02:52:38 ID:ch4nQIyu0
>>599 纒向自体これでまだ5%くらいしか判明してないって言うからな。
これからもまだまだ何かしら出てくるだろう。楽しみだ。
621 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 03:08:40 ID:Ws06XUVO0
九州九州ってうっせーんだよ
もう学会でもほんのちょっとしかいない九州説を唱えるアホはいい加減、物証出せっての
三国志ロクに研究してないアホは知らないだろうけど、正史三国志に出てくる「里」ってのは「長里」と「短里」が
同一文章中に何の脈絡も説明も無く混在してて、中国の地理ですら地図見ながら推定しつつ
「これは長里、こっちは短里」とか調査しないといけない代物
超適当に書いてあるもんだから、文章中に「何里進んだ」とか書いてあっても全く信用できない
三国志中に書いてある東夷伝の倭についても同じ
これに出てくる距離を当てにするとバカを見るぞ
曹豹さまが吠えてますねwww
623 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 03:44:12 ID:gWW1M6tV0
こういう遺跡調査だと「100年しか誤差が無い」と見るべきでは?
世代が変わったとしても1代くらいだろ
624 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 03:45:55 ID:rrYvHpf60
つうかさ邪馬台国って
魏志倭人伝の情報源になった役人が調査をサボりたいから
妄想で考えただけの国じゃねーか?w
625 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 03:53:27 ID:1FyRAg070
100年単位で時代認定できる根拠ってなんだろうね。
626 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 03:58:21 ID:gWW1M6tV0
論争が激しくなればいいって声もあるけど
この論争においてはあまり良い争いとは思えないね
真実追及とは別の方向に思惑を生んで根拠としかねない可能性があるからね
九州VS近畿か、まぁ良い方向に転んでくれるように願う事しかできないな
未来の子供が間違った歴史を頭を抱えて学ばないようにな
627 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 03:58:42 ID:W5ig83YJ0
魏志は、国家の正史として書かれた歴史書だ
それだけに内容には信憑性が高い。
そもそも中国の正史は、政治的な思惑から多少の美化はあるが
捏造とか偽史を書く事はない
その点は信用してもよいだろう
>>627 正史だからこそ捏造は疑わなくてはならない
629 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 04:07:14 ID:Ws06XUVO0
>>627 ぷぎゃー
魏志倭人伝の載録されてる正史三国志は個人が趣味で書いて、後代にその出来のよさに「正史」と認定されただけで
>国家の正史として書かれた歴史書だ
というのは全くの間違い
個人が趣味で書いたものです
630 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 04:17:15 ID:W5ig83YJ0
>>628 隋書を読めば、煬帝が父帝を殺したとの記載はないのよね
民間の書には、父帝殺しの記録があるが
隋書は唐代に記載されたものだから、煬帝の悪政や失政をこれでもかと書いているのに父殺しに関しては言及がない。
結局、煬帝が父親殺ししたという証拠はなかったということだろう。
そもそも父帝は病でとこについているから、わざわざ殺す必要もなかったのだろうね。
こんな感じで、正史と認められた書は、民間のそれよりも冷静に物事を判断して記載しているのよ
631 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 04:20:04 ID:xj4cDVGmO
どこだっていいだろw
632 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 04:49:37 ID:paDaYyXvO
その南に狗奴国があり、男子の王がいる。その長官は狗古智卑狗であり、(この國は)女王國に隷属していない。
耶馬台国がどこかは知らないが、
狗奴国は熊本県菊池にあったことは地元じゃ暗黙の了解でつ。
633 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 04:56:07 ID:shVjr7hMO
そもそも卑弥呼なんていない
634 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 04:57:33 ID:gNZ9+0bS0
畿内説じゃないと天皇の物語(記紀神話)に不都合だからという政治的思惑
で畿内説を支持する右翼は多いよな。
635 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 05:04:40 ID:bY0xH/vLO
高千穂峰も畿内にあったの?
637 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 05:14:33 ID:wQ/Ryc0f0
仮説っていうけど墓制と絹、鉄については九州説
が圧倒的に有力。
畿内説はまず銅鏡の問題をクリアしないと。
638 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 05:15:30 ID:wigBQ4B90
邪馬台国が大和朝廷になってそれが皇室になったんでしょ?
卑弥呼が天皇家の祖先だよ
学者が唱える畿内説≧学者が唱える九州説>素人の持論
640 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 05:23:32 ID:yd6jRccBO
マジレスすると福岡にあったよ
641 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 05:25:20 ID:dW4w5IoMO
引っ越したんだろ?
642 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 05:26:07 ID:N6WFrcSJ0
日向にあったんだけど、遺跡は台風で消し飛んで残ってません。
643 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 05:27:51 ID:PKCrSO3kO
我が国の皇室はシナに朝貢などしない
また皇室は万世一系
出自の分からない巫女を皇位にすえるなどありえない
よって邪馬台国は九州の地方政権
644 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 05:29:14 ID:W5ig83YJ0
女王卑弥呼の名称は、多分、ヒメミコが訛ったものだろう
つまり卑弥呼の名前に特別な意味はない。
邪馬台国もヤマトが訛ったものである可能性が高く、
畿内説がもっとも有力だとは思うが
もっとも面倒なことは北九州にもヤマトという古い地名が存在するからね。
この論争は金印が発見されるような、よほど決定的な根拠がない限りは延々と続くだろうね
645 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 05:52:41 ID:1qe5GU240
邪馬台国は北九州にあって南の熊本鹿児島辺?と抗争してたわけではなく、
奈良の勢力が関東の勢力(狗奴国=毛野国)と争ってったってことか。西暦3世紀ころから。
確かに太田に東日本最大の古墳があるのが妙だと思っていたんだ。
地元の勢力を服属させてその長(子孫)の古墳か、征服して有力者が派遣されてその
子孫の古墳か、というところか。これでつじつまがあうな。
646 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 06:00:49 ID:JmUjUz6cO
>>644 隋書に奈良の大和が倭の都で魏志に書いている邪馬台国である
と書いてるよ
647 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 06:07:51 ID:JLG6CYkEO
どっちもうぜえ。
邪馬台国いらね。
648 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 06:12:26 ID:UCwMvmBZO
ギシ倭人伝書いた奴の創作で、そんな国は無かったって可能性は無いか?
危ねー海渡るの怖えーし、適当に創っちゃおうぜ!みたいに。
649 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 06:13:39 ID:suMhjvRaO
福岡に有ったんだよ
650 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 06:14:54 ID:/b09i1n20
なんで御前の願望への同意を期待するの?
佐賀出身だけど
普通に畿内でしょ、俺の周りでは畿内派が多い
652 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 06:19:39 ID:s7GFqehoO
今に見ていろ邪馬台国全滅ダァ!
653 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 06:20:37 ID:H3yWYL180
天皇の陵墓を発掘させなさいよ
654 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 06:24:17 ID:KJHflcklO
これで四国辺りから金印が出たら面白いんだが
古事記自体が怪しいからなぁ。
>>554 だったら、「所謂邪馬台国」の場所なんか気にするなや。どうせヨタ記事なんだから、
どこにあったっていいだろ。
657 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 06:57:59 ID:W5ig83YJ0
邪馬台国の所在地が問題なのは、日本成立が邪馬台国の場所によって変わってくるからだ
北九州にあれば、大和には三世紀半ばに巨大な王権は存在しないことになり
ヤマトに存在すれば畿内の巨大王権が三世紀半ばに存在することになり、日本の成立が百年早くなる
だから問題とされているのだよ
ヤマタイがどこかってのは後からついてくるもんだよ
この時代付近の新しいことがわかりそうな巨大遺跡が見つけたってのがまずあって、推論はその先の話
新しく生活様式や祭礼がわかる、ひょっとすると日本の宗教観の根っこに一歩近づけるかもしれんわけで、
個人的には場所も気になるけどそれよりこっちが興味深い
九州説の学者先生はどっちが主でどっちが従なのか勘違いしてるのか、仮定こねくり回すだけでなんも結果もってこんからどうも好かん
659 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 07:29:56 ID:ODNug5LAO
中国の史書に出てくる、人の数、距離などの数字なんか信用度ゼロに決まってんだろ。
戸籍台帳でも出てくりゃ別だが
適当に遠い所から来ました(そこまで魏の威光は届いてます&征伐するには遠いですよ)
ってのアピるつもりで、適当な距離と知名を言ったのが書き残されただけだろ?
660 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 07:34:27 ID:PjnR0PRwO
それぞれの説の学者には、それぞれの地元から
中元歳暮がいっぱい送られてきたりするの?
九州説はネトウヨだろ?
くやしいのうwwwwくやしいのうwwwwww
俺、奈良人だけど奈良とかに邪馬台国あるわけない。
普通に考えたら九州だろ。
わざわざ遠いとこまで危険を冒して魏の使者が来るとかどんだけファンタジーw
宇宙皇子とかの読み過ぎw
宇佐神宮=熊襲対策の前線基地
関東で言う所の鹿島や香取
そこに下級皇族が地方官として派遣されていた。
その地方官が百済に非常に近い北九州勢力の後ろ盾で皇位継承争いに
参戦して勝利。後の応神天皇、河内王朝の始まり。
その後、継体天皇擁立、大化の改新、壬申の乱など、皇位継承争いを伴った
権力争いが国政に悪影響を与えてきたことから、中国の長子相続制度を
藤原家が導入する。
その上で、大規模な反乱であった応神天皇即位を神武神話として
フィクション化し万世一系思想の体系を強化した。
それが結果的に藤原家の繁栄すらも担保することに…
九州王朝説は藤原家の犠牲者w
文献にこだわる九州説だけど、どうしても克服できないのは
魏志倭人伝には黒歯国、裸国、侏儒国とかかなり遠方の国まで記載があるが
もし九州に邪馬台国があったとしたら
九州より大きな勢力である畿内勢力の記載がまったく見当たらないのは
不自然ということになる。
665 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 08:25:33 ID:FOGtTF5XO
666 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 08:36:27 ID:sB4S0mrbO
卑弥呼が300歳ぐらい生きてたとしたら、全然OK
667 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 08:38:15 ID:bY0xH/vLO
九州にあるヤマトとかそういう地名の場所で遺跡でないとだめだわさ。
対馬とか壱岐とか残ってるんだから地名なくなったりしないだろ。
>>662 今の九州説の人の推測も大半ファンタジーレベルだけどな。
巻向住みだけどはっきり行って迷惑。
学者どもが勝手に邪馬台国にしてるだけ。
地元は怒りまくってます。
670 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 08:41:48 ID:PGuoAnX1O
671 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 08:46:25 ID:sB4S0mrbO
(´・ω・`)
『邪馬台国は九州にあったけど、何らかの理由で東上して奈良に移住した』
って考え方はないの?
教えてエロい人!
>>632 狗奴国は諏訪を中心とした古代祭祀王国。諏訪の社伝を見ればわかる。
>>637 鍛冶場ならマキムクにもあるから、何か見つかるかもしれないな。
なんせまだ5%くらいしか判明してないから。
全容解明は程遠いよ。
主張してる人はいるけど物や遺跡が出てこないから仮説の仮説とか半ばファンタジー扱い
まぁ邪馬台国の本命=福岡平原遺跡
対抗馬=福岡平塚川
大穴=佐賀吉野ヶ里
超大穴=奈良巻向って辺りが一般人の予想だからなぁ。
学者なぞあてにならない。
675 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 09:11:49 ID:qRrpifceO
邪馬台国はヤマト王権だった可能性あるんじゃないのか?
女王卑弥呼は魏志倭人伝のファンタジーやフィクションな可能性も高い。
奴国は九州、投馬国は出雲、狗奴国は諏訪で地理上邪馬台国は畿内であろう。
676 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 09:21:47 ID:qRrpifceO
記されてる人口見ても奴国に2万戸つまり8万近い人が暮らし、
投馬国は5万戸約20万が暮らし、
邪馬台国には7万戸約30万が暮らしてた事になる。
当時日本列島の人口を考えれば九州だけでこんなにいる訳が無い。
677 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 09:28:26 ID:qRrpifceO
ヤマト王権は畿内の豪族が集まり連合体となり大王を選んで統治してたとされる。
卑弥呼が仮に存在してたとしても大王を選出する神道の巫女だったのでは?
>>538 大王 = 崇神天皇
巫女 = 倭迹迹日百襲姫(ヒミコ) & 豊鍬入姫(トヨ)
という説はある
>>677 トヨがもし豊鍬入姫だとすると、これが斎宮の起源かもって話になる
>>664 女王国の東も倭人の地だって書いてあるお
>>675 大和王権=邪馬台国なら皇室の歴史は1800年に伸びる。
卑弥呼もトヨも推定者がいるし、マキムクの中心が神社なら間違いないだろう。
狗奴国=諏訪はのちの時代に大和によって攻撃され、政治経済の力で打ち負かされる。
諏訪は和睦派と抗戦派に分かれ、和睦派は諏訪に残り、諏訪の元々の神を奥社に、諏訪と大和の習合神を里に置いた。
抗戦派は大和のやり方を学びながら東に撤退し、群馬や北埼玉一帯に陣取る。
これが毛野国になる。
のちには大和と連合する形になり剣を送られることになる。
諏訪の話は社伝にしるされている。
強大な王国があったのは間違いない。
邪馬台国の人口は7万戸とあるけど、1戸あたり推定何人で計上してるんだ?
684 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 11:39:09 ID:CPZHOZJsO
>>680 ただ、それは畿内でも言えるんだよね
女王国の海の東の倭人国
伊勢湾の東で東海、関東
三河は船が無いと行けなかった
685 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 11:43:50 ID:oFdsez+F0
金印が志賀島から出土してるのにどうして畿内説なんてトンデモ学説が
まかり通るんだろ
こんな決定的証拠を無視してまで畿内にあったことにしたいのか?
686 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 11:57:19 ID:qRrpifceO
九州の奴国が当時大陸と独自に交流があった。
小野妹子も蘇我馬子も男なのに
ヒミコが女なのはおかしい
688 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 11:59:26 ID:kBqBZTZr0
>>680 もともと海というのは池や湖のように水をたたえたところ。
琵琶湖も「うみ」と呼ばれていた。今でも地元ではそう呼ぶ人も結構居る。
近いうみ(ちかつあわうみ)(おうみ)遠い海(とおとおみ)
邪馬台国について色々妄想するのは結構だが
『比較的大規模な国がそのまま東へ移ったケース』はもう使えないなあ
書いてある通りに読むと、やっぱり九州のどっかの国が代表して応対した以外無いと思うが
690 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 12:04:19 ID:kBqBZTZr0
>>685 たくさんの国が王を自称した。奴国はその1つ。
奈良の大和が邪馬台国だと隋書でもいっている
魏時、譯通中國、三十餘國、皆自稱王。(三国魏の時代、通訳を伴って中国と通じたのは三十余国。
皆が王を自称した)
都於邪靡堆、則魏志所謂邪馬臺者也。(都は邪靡堆、すなわち魏史にあるいわゆる邪馬臺者なり)
691 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 12:07:12 ID:qRrpifceO
書いてあるとおりの距離進むと方角は考えなければ普通に畿内になるぞ。
692 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 12:12:56 ID:paDaYyXvO
土蜘蛛の女王(田油津姫)が卑弥呼ならすべて解決する件
瀬高町の山門古墳群がスルーされてるのは何故?
693 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 12:13:59 ID:CPZHOZJsO
ひまなんだな
695 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 12:18:43 ID:waMtKYWNO
九州のが第一ヤマタイ国ということで
696 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 12:19:35 ID:cRYUETBDO
ま た 高 島 か
もうこいつの妄想はいいよ
100年も時代差とか、今までの発掘検証成果を舐めてんのか
697 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 12:24:17 ID:+N1iXuQI0
考古学者の質が低いことを自ら証明してくれてるんだろう・・・。
旧石器偽造といい、こいつらどうしようもないな。
というか、こういう低レベルの学者(自称か?)が存在できるのって
どうなの?
698 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 12:25:24 ID:bY0xH/vLO
>>691水行十日陸行一月だよ。大阪あたりから奈良まで一月も?
699 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 12:28:00 ID:VgkcTr+kO
〜大教授とかじゃなくて考古学者って何か怪しいなw
藤村を思い出して何か嫌な感じだわ。
先日、一体何がどうなったら、この卑弥呼の話は決着がつくの?と聞かれたんだが、
俺は決着は永遠につきませんと答えた。この時代が専門だったら他に答えようあった?
中国の方から文字資料が新しく出る以外、どうやったら決着つくわけ?
いくらデカイ遺跡が出てきても、それそのものとは言えないよな。
様式が超細分化されでもすりゃいいのかね。
なんだ佐賀か。
スレタイに入れとけよ。
701 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 12:30:35 ID:cLfP1snRO
今の鶴橋商店街辺りにあったんちゃうの?
702 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 12:36:27 ID:qRrpifceO
>>698 当時の海路がどうなのかだが、瀬戸内のどこから陸路にあがったかだな。
どっちにしろ九州じゃないのが解る。
文献も遺跡も両方見なくてはいけないのだろうが
文献史学者は遺構遺物を信用せず
考古学者は文献を信用しないの?
それじゃ駄目だと思うが
>>685 親魏倭王じゃないし決定的な証拠ではない
しかも持ち出し可能
>>691 ならないでしょ
末蘆国上陸まで1万里以上
女王国まで1万2000里
九州から山口くらいで打ち止め
1里が短里じゃなくて400〜500mだとすれば5000km
ハワイかニューギニアか、それともアラスカかよって
704 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 12:40:03 ID:t/QEFJboO
>>698 『船なら10日、陸まわりなら1ヶ月』という解釈が出来ないでもない
そうなると起点はどこかって話にもなるわけだが・・・
705 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 12:40:30 ID:+N1iXuQI0
706 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 12:40:52 ID:qRrpifceO
>>703 距離に関しては解釈で幾らでも変わると結論出されてたような。
707 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 12:45:11 ID:t/QEFJboO
>>705 中国式なら、紐に浮き(抵抗板つき)をつけて流す
んで一定時間で出てった紐の長さでだいたいの速力を推定
ちなみに簡易の天測で自位置を確定したりなんて技術がすでにあった
708 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 12:46:31 ID:wQ/Ryc0f0
>>699 九州から金印でもでれば確定の流れになるだろうね。
否定するには特鋳説並みの想像が必要になるだろうから。
反対に畿内からでても東征と絡めるだけで
九州派は納得しないだろうけど。
とりあえず、陵墓を10個ほど掘れば
一番答えに近づけるような気がする。
709 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 12:48:45 ID:qRrpifceO
大事なのは魏の文献じゃなく日本に残る遺跡や
当時3世紀日本がどんな勢力が存在していたか
日本古来より残る痕跡や言い伝えを解明する事にある。
>>706 その距離を元にして「普通に畿内になる」って豪語した奴がいるんでな
誰だっけな
711 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 12:50:03 ID:+N1iXuQI0
>>707 ふむふむ、ありがとう。
ずーっと計り続けているわけではないだろうし、
誤差はかなり大きそうだね。
で、一定時間ってのはどうやって計るんだ?
712 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 12:51:18 ID:BC2P63UcO
八幡平だよ!
と言うかこの手の資料の数千里とかそう言うのは大方は滅茶苦茶遠いですよ、って形容詞じゃないの?
714 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 12:53:20 ID:t/QEFJboO
>>711 当時の中国船舶用は水時計が一般的
誤差はかなりあるだろうね
715 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 12:53:59 ID:qRrpifceO
4世紀ぐらいに九州、出雲、畿内、それより東に4つの大きな国があったのは
歴史学的に証明されてるからそのままじゃね?
716 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 12:57:50 ID:ch4nQIyu0
>>709 俺も同意。魏志倭人伝は単に参考程度に考えるべき。まるで聖書のように
扱ってるヤツがいる。あとは天皇陵などの発掘を早くやってほしい。
717 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 12:58:52 ID:+N1iXuQI0
>>714 なるほど。
ふと思ったが、板を流す方法って潮流がない状態じゃないと
正確じゃないよな。
潮流に乗ってる場合は計りようがないわな。
ってことは誤差はものすごいな。
718 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 13:06:59 ID:t/QEFJboO
>>717 この速力測定と当時の天測の組み合わせ、果たして誤差がどれくらい出るかは分からないわな
しかし実際この方法はその後も中国では長く使われて、連中はアジアどころかインド洋まで
行ってるからな
黄海や東シナ海なら十分に使えたんだろうね
水亀なら10日、陸亀なら一月って意味だよ
720 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 13:24:13 ID:VgkcTr+kO
>>708 弥生、しかも西日本になるとホント知識が無いんで教えて欲しいんだが、
>>685の書き込みにあるように、金印は一つ出てるわけでしょ?
それは卑弥呼のでは無く別人ので、卑弥呼のはもう一つどこかにあるはずと考えられるの?
721 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 13:30:02 ID:TWmP8diV0
素朴な疑問だが
もしマキムクがある勢力の遺跡であることが証明され
卑弥呼にも繋がらないことが確定したらどうするんだろう。
多様な可能性を探らないと、畿内説そのものが消滅
してしまうような気がするのだが。
まあ、そのときはそのときでそしらぬ顔で新説を出して
また、それに飛びつくことになるのだろうか。
藤村が埋めた捏造遺跡だったりしてw
723 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 13:41:26 ID:bvah0/tT0
>>720 君の知ってる九州の金印は、1世紀にもらったもの。
卑弥呼の金印は3世紀にもらったもの。別物だよ。
1世紀までは、九州は漢(中国)から独立国として認められたが、
2世紀の倭国大乱を経て、3世紀に共立された卑弥呼が金印をもらった。
つまり、3世紀に、畿内の大和王権が、九州を支配したということだよ。
724 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 13:44:29 ID:qRrpifceO
>>721 だって厳密には邪馬台国とか卑弥呼なんて魏志倭人伝に書かれた通りには存在してないから。
魏志倭人伝自体海を渡った先にはこんな神秘的な国があると興味をそそる本だからな。
つまり誇張されてたり筆者の想像がかなり入った書な訳だから。
725 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 13:51:34 ID:2++DKyD8O
726 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 13:52:01 ID:RsZHSlhdO
>>720 出てる金印は「漢委奴国王」の金印であって「邪馬台国王」の金印ではないからだろう
中国の公式記録では日本をまとめてたのは邪馬台国だから邪馬台国の金印は「邪馬台国王」
になってるはず
>>721 巻向が候補になる理由は建物の遺跡だけではなく、近くに大型古墳が数多く残ってるからだそうだ
残ってる古墳の規模は一奈良盆地の勢力と釣り合わないし、中国を含め色んな地域の遺物が出土したから
巻向はかつて広い範囲を支配した大勢力の中枢部だと予想されてる
だから今のところは最有力
727 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 13:52:38 ID:qRrpifceO
ちなみに、祈祷とか当時日本で神に祈りお告げを元に統治されてたのは
実は隣の半島も同じように儀式があるので倭国も半島も文明レベルは同じだと思われ。
つまり日本だけ遅れてた訳でもなく漢字で言語を残せる文明だからな。
728 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 13:54:31 ID:tdGGXEd0O
ヒミカ様とか竜魔大王も九州じゃないと困るだろw
あと司馬モータースやビルドベースも熊本じゃないと様にならんだろw
729 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 13:56:09 ID:qRrpifceO
邪馬台国は大和政権であり、卑弥呼は姫巫女だろう。
魏志倭人伝の筆者が想像膨らませて卑弥呼と邪馬台国を作り出したと。
730 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 13:57:24 ID:MV7P2zvo0
>>720 『三國志』魏書東夷伝(所謂「魏志倭人伝」)における卑弥呼にあたえた称号は、
「親魏倭王」、つまり「倭の王」だよ。
基本文献くらいおさえておこう。
>>727 祈祷やお祈りが重要視されたのは中世まであんまり変わらんような
732 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 14:03:24 ID:UJe3QjP4O
>>723 倭国大乱は詳細がよくわからんから近畿が九州を征服したとかは
想像の域を出ないな
少なくとも弥生後期の高地性集落の分布は時代的に瀬戸内海沿岸→近畿 と
遷移してるみたいだから、ひょっとすると九州勢力が徐々に東に行った
のかもわからんね。
>>724 魏において、東征の可能性を探った調査が東夷伝だから、ある程度の信憑性はあると考えられる。
油田の掘削前調査みたいなものか。無論ずっと信憑性が低いが。
ただし、丸のまま信頼するべきではない。
魏志からして、後の時代に字を変えていることが明らかになっている。
邪馬台国や卑弥呼にしても、調査当時の音を漢字に写したものを、後に変更したのではないかと言う指摘がある。
735 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 14:42:37 ID:kcnpv83FO
隋書倭国伝に答えが書いてあるのに、何で争ってるの?
736 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 15:07:05 ID:qRrpifceO
まぁ邪馬台国はヤマト政権だったんだろうな。
狗奴国は諏訪に残されてる文献からそこにあったとするのが自然である。
737 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 15:12:15 ID:CPZHOZJsO
>>735 それ読んで九州説の人が「九州王朝だ」とわめくから
崇神天皇前後の時代ってあちこちで戦ってるから、どれが狗奴国か解りづらいな
740 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 16:07:11 ID:bvah0/tT0
クナ国は毛野国なんだけどね。
741 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 16:09:49 ID:H5L/Bfoy0
卑弥呼=百襲媛なら
卑弥弓呼=武埴安彦
狗奴国は山城宇治の旧名 許乃国
742 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 16:11:53 ID:vlYmLjf50
これが佐賀脳かw
743 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 16:18:09 ID:qTpwnxqf0
簡単に言うとディズニーランドは浦安にあるんだから東京を名乗るなって文句言うのと似てる
のか?
744 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 16:20:26 ID:Y5LJUHjF0
あと地形が今とは全然違うってことも頭にいれとかないとな。
745 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 16:25:57 ID:/b09i1n20
S・A・G・A・佐賀
746 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 16:26:12 ID:UJe3QjP4O
あからさまなゴッドハンドをどこで使うかが楽しみでしょうがないW
747 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 16:38:16 ID:ooJiC/5IO
卑弥呼は韓国起源ニダ!
>>747 決して嘘ではないよ、
但し半島南部は倭人の国だったという話もついて来るけど。
>>663 万世一系とか皇紀2600年に囚われてる時点でぐたぐた。
日本の考古学は、そういう思想ありきでやってる限り、何もわからなくなる。
678 :名無し募集中。。。:2009/11/13(金) 11:38:27.97 0
◎纒向遺跡の主な古墳
纒向勝山古墳
纒向矢塚古墳
纒向石塚古墳
東田大塚古墳
箸墓古墳
ホケノ山古墳
◎箸墓古墳
所在地 奈良県桜井市箸中
形状 前方後円墳
規模 全長278m、高さ30m
築造年代 3世紀中頃
被葬者 倭迹迹日百襲姫命(宮内庁指定)、卑弥呼説あり
683 :名無し募集中。。。:2009/11/13(金) 11:43:58.10 0
場所も特定できないんじゃ九州説はダメだな
685 :名無し募集中。。。:2009/11/13(金) 11:47:02.14 0
つうか
九州からは何も出てこないじゃんw
新たな発見とかは無いの?
751 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 18:37:54 ID:8U5Btyjv0
752 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 18:44:10 ID:a42SiGel0
753 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 18:51:04 ID:Cwq7akKH0
754 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 19:05:32 ID:3AFCa7Oz0
仮説じゃなくて、空想の辻褄あわせだろ。
755 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 19:12:11 ID:RsZHSlhdO
>>752 仮説には最低限の証拠が必要だから、それは仮説ではなく空想に過ぎない
空想ならいくらでも辻褄合わせができるけど、「卑弥呼と台与は九州にいた」という証拠
を提示できないとただのチラシの裏
756 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 19:19:35 ID:aIy2PH5a0
アメリカだろ
757 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 19:25:26 ID:6pj/a9qsO
万世一系にこだわってんのは畿内説だ。
学問やってんじゃねえもん。
冷戦終わってから歴史学会は
キチガイが増えた。
758 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 19:26:43 ID:wQ/Ryc0f0
759 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 19:30:10 ID:6pj/a9qsO
畿内説はネ申の手使って神話史観と考古学を合体させたくて
やっきになってんのさ。
760 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 19:35:10 ID:6pj/a9qsO
ところがどっこい、神話は良く読むと九州説を支持してる。
学会は神話の九州説を支持するような部分を話題にするのは
タブーになってるらしい。神武東征とかさ。
761 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 19:36:08 ID:/b09i1n20
”らしい”w
763 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 19:37:23 ID:6pj/a9qsO
歴史板で暴露されてたからな。
邪馬台国は
やまと
と読むから
大和も「やまと」と呼んでるんじゃねーの?
畿内説以外は馬鹿なんじゃね
765 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 19:38:58 ID:Cwq7akKH0
>>763 あんた自身じゃないの?関連スレにマルチしてw
766 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 19:41:08 ID:6pj/a9qsO
冷戦構造がいきなりなくなったからアイデンティティが
混乱してコバが増えたからな。
タブーだった神話史観が蘇生しちまった。つくる会系の連中さ〜
767 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 19:42:06 ID:xnuRQMzfP
2chがソースwwww
768 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 19:44:06 ID:6pj/a9qsO
世を上げて畿内説を持ち上げてんだろう。カスども。
769 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 19:44:20 ID:TWmP8diV0
素朴な疑問だが
短里ならまあ、こじつければ日本にたどり着くことも出来ようが
長里だとどうこじつけても最初の7000里で日本を通り過ぎてしまうんだな。
短里だけなら九州を出られないし。
どういう根拠で畿内までたどり着いたのだろうか。
770 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 19:46:14 ID:+N1iXuQI0
信頼性の低い計測法しかない時代の文献に出てる数値を
基にすることが間違ってるんと思うんだが。
方角はともかく。
771 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 19:49:07 ID:6pj/a9qsO
アメリカで地球が五千年前に出来上がったと主張してる連中を
バカに出来ないからな。神話史観は。
772 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 19:50:38 ID:TWmP8diV0
>>770 まあ、記述を気にしないなら気にしないで良いんだが
それなら、日本のどこでも良いことになり
やはり畿内である根拠はない。
この段階で九州と畿内の確率は50:50になる。
あるいは出雲や吉備、日向、宇佐なども同じ確率で
候補に入れた方がいいのかも知れない。
そもそも九州説とか国学とかいう基地外学問の本居宣長が言い出したトンデモ説なのに誰が信じるんだよwwwww
774 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 19:53:41 ID:RsZHSlhdO
そもそも中国人が実際距離を計測してなく、到達までの日数と日本側の情報を元に
大まかな距離を出しただけじゃない?
775 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 19:56:23 ID:ch4nQIyu0
>>772 それは無いw
今の状況証拠では畿内だけ。他は候補にもならない。
776 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 19:57:26 ID:RsZHSlhdO
>>772 九州にそれらしい遺跡があれはな
現にそういうものがない以上九州説はただの空想
まああれだわいろんなものの良いとこ取りしてちゃ考古学者ってどうなの?って思う
>>770 陸1月歩くなら7300ー750kmは行くぞ。
邪馬台国の300年前ローマ帝国の1日の行軍距離は
25kmが最低距離だぞ、南なら桜島軽く超える。
結局は観光だよ。
>>778 だから魏の大軍が攻めて来られないようにわざと大回りしたんだろ
それぐらい気付けよ!!
780 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 20:07:50 ID:TWmP8diV0
巻向遺跡なあ
藤原京の東側に位置しているようだが
藤原京、あるいはその前身の集落なんじゃないかねえ
平安京は殆ど何もない場所に建設したそうだけど
それ以前はさすがにゼロからじゃなくて
いくらか集落のある場所に作ったんじゃ無かろうか。
文字通り藤原氏の発祥の地とか。
もっともその頃は中臣だけど、この土地を提供したのが
中臣氏なのかも知れない。
781 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 20:08:22 ID:RsZHSlhdO
>>778 ローマに舗装された真っ直ぐな道路があるけど、卑弥呼の時代の日本は何もないよ
野外で整備されてないところを歩いてみ
1日5キロも進められれば上出来
782 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 20:08:58 ID:wQ/Ryc0f0
>>775 棺あって槨なしの墓は?
絹は?
状況証拠すら畿内に傾いているとはいえない。
九州に有利だと思ってるわけじゃないけど
そういう断定はどうかと思う。
つまりどういうことです?
邪馬台国なんて陳寿の気まぐれで捏造された国が実在したと
思っている人がまだいることに驚く。
>>779 都合のいい話だな。
>>781 舗装されたのはローマの勢力範囲、ガリア戦記の抜粋ぐらい読め。
786 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 20:12:42 ID:gWW1M6tV0
漫画家の田村由美がこの手のネタ好きそうだな
BASARAでも時代背景こそまったく違うけど
なんとなく卑弥呼の時代とかぶる一面があった
最後は九州との関係を描いてたし
787 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 20:17:23 ID:w3H5hl890
>1-1000
土器編年も理解できないシロウトはだまってろ!
788 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 20:18:09 ID:TWmP8diV0
生活痕が少ないと言えば
やはり官庁街ということになりそうだが
そうすると藤原京の一部かなと考えないこともない。
余り根拠はないけど。
789 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 20:18:50 ID:w+odfnji0
>>787 ほうほう、それでは大先生のご意見をききたいもんだねぇ。
790 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 20:23:09 ID:TWmP8diV0
土器編年は難しいよ。
初出の時期はある程度わかっても
結構変遷しないで同じものを作っている場合があるからね。
九州と畿内で100年くらい違うのは常識らしいし
だから土器編年の表が斜めになってたりする。
結構後世に布留式?期とか出て来て
土砂崩れで混ざり合ったなんて解説みることがあるけど
場所によっては、困らなければ結構後世まで作られててもいいような気がする。
791 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 20:23:33 ID:6pj/a9qsO
支配階級と奴隷階級が断固として存在して、奴隷階級は
支配階級の前では顔を伏せていじけた調子でぁぃとか返事
するんだと。
結局、俺は自分の国の成り立ちを見定めたくて勉強したんだが。
星野マンガはキッカケにはなったがな。
792 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 20:27:32 ID:RsZHSlhdO
>>785 ガリアの場合、ガリアは敵地で今の北イタリアは本拠地だから、ガリアでの移動は
敵地での移動でそんなに早くない
カエサルもほぼ毎年本拠地に帰ってた
キミが言ってるローマ軍の行軍速度はマイルストーン付きの街道での話
不整地の行軍速度は舗装道路の数分の1しかない
信じなければ一回自分の足で歩いてみれば?
>>716 アホか。魏志倭人伝を無視するなら、「邪馬台国」なんざ気にする事はないだろう。
>>775 状況証拠で、畿内説に辛うじて役に立ちそうなのは、日本中あちこちから出る丹だけだね。
>>721 >>もしマキムクがある勢力の遺跡であることが証明され
>>卑弥呼にも繋がらないことが確定したらどうするんだろう
大丈夫だ。そう言う証拠はゴッドハンドが掘り出さないからww
795 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 20:35:50 ID:RsZHSlhdO
>>793 最大の状況証拠である古墳の存在は無視か
796 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 20:35:54 ID:bY0xH/vLO
>>792 不整地じゃないだろ。卑弥呼の時代だって舗装はしてなくても道路はあっただろ。
797 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 20:36:38 ID:paDaYyXvO
166回も調査しててよく今まで見つからなかったね。
そっちのほうが興味あるわw
>>795 誰の墓か特定も出来ないのに、何が証拠だ。そう言うタワゴトは古墳を掘ってから言え。
箸墓掘ろうぜ
っていうかおまえら無職で暇なんだから掘ってこいよ
>>792 また、古代日本は遅れてるダメダメ論理かw
縄文時代から朝鮮半島や青森九州との交流があるのにかw
801 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 20:55:22 ID:UJe3QjP4O
>>797 だからあやしいんだよね、ここにきて大型建物跡の発見だもんな
プンプン臭うわ、ゴッドハンドの前フリが
802 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 20:58:31 ID:JNB4iwXl0
>>801 「捏造だ〜」以外に反論できないのかね?九州の人は。
>>788 時代違いすぎるだろ…
つか藤原宮に匹敵する巨大な遺跡が藤原京の一部ってどんだけ凄いんだよw
804 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 21:05:40 ID:UJe3QjP4O
>>802 捏造してるし、大型建物跡を発掘=邪馬台国
それ以外の物証はどうしたん?これからも出てくるわけないし、賭に出たんだろうが、もしもの時にゴッドハンドだろう
ミエミエなんだよ
>>751 奈良時代の東北だって勢力がまだらなんだ
秋田の盆地は朝廷側、山形から秋田の海沿いの山岳部は朝廷に属しない山賊
津軽は朝廷に友好的、岩手は朝廷配下になった豪族がいたり敵対していたり、謀反おこしたり
教科書にあるように等高線みたく綺麗に境界があったわけじゃない
ましてや、三世紀は倭国自体が豪族連合
公地公民以前の首長連合だったんだから
大和連合から離脱するかどうかで悶着あったろう
実際、継体天皇だって磐井の乱があったわけでね
景行天皇の頃の九州北部も奈良時代の東北みたく勢力がまだらだったかもしれん
博多あたりは出雲との日本海側のつながりで大和側で宇佐から播磨の瀬戸内は対立してとか
何を根拠に捏造って主張してるんだ?
>>802 まあなんも出てこないからなぁ
807 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 21:19:27 ID:7plKx+Jb0
柱穴跡の捏造は不可能。
捏造とか言ってる奴は、何も出てきてないと思ってたらまた恥くよ。
ある程度の目星を付けて、全体像がわかってから発表するんだよw
本格的調査は始まったばかりだという事忘れてるなよ。
809 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 21:20:11 ID:UJe3QjP4O
まぁ、権威を利用したマスコミ向けアピールで有利に立ったわけだが、これから先はゴッドハンド頼りだろう
捏造にしとかないとな。
折角作った観光資源が無くなるしw
811 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 21:22:37 ID:y5069N1C0
まあこれくらい競い合ったほうがいろいろ発掘できていいんじゃないのw
812 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 21:25:40 ID:JNB4iwXl0
古代史に興味の無い人は、全く興味ないし。
関心をもってもらおうと、邪馬台国や卑弥呼の話を出すと、
食いつきが良いのが九州説。
畿内説を説いても「ふ〜ん」だろう。
奈良に王権があるのは、当たり前と思ってて、
奈良以前に九州に女王の治める邪馬台国があったと想像するほうにロマンを感じるんだろう。
一般人の反応はそんなもの。
九州説でなにか実害があるのか?実害がなければほっとけばいい話だ。
九州と畿内に2つの王権があったということでもかまわない。
だが、九州説の派生で東遷説とか九州王朝説がもてはやされると、
3〜4世紀の日本の建国の歴史が混乱する。
4世紀以後は、大和中心の歴史なのは事実だし、倭の五王も天皇のことなのだが、
東遷説とか九州王朝説が歴史をぐちゃぐちゃにかき回して、
「なんでもかんでも九州起源」にもっていくのが困りものなのだ。
813 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 21:26:57 ID:5GOfKmB/O
近年の畿内説への迎合は宮内庁の意向だよ
所謂現代の記紀や日本書記だね
調査できない理由はそれ
>>812 景初3年の鏡があっても無視とか捏造だもんなw
記紀で邪馬台国なんて何の重要性も無いのに
捏造する理由も無いのにねぇw
一般市民の感覚だと九州説=正論
畿内説=詭弁
って思うよ。
見苦しい畿内説やめてほしい。
816 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 21:32:30 ID:J/h5KL8vO
国内の遺跡を探すより中国で文献を探す方が良いのではないかと思う。
817 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 21:32:50 ID:Co3Y7hVn0
弥生時代って原始的な生活をイメージしちゃうんだけど、
実際は隣の大陸からかなり文明流れてて来てて漢字を使い始めたのが
紀元前4世紀とかだから、少なくとも半島とそう変わらないレベルの
文明があったと思うな。貿易もしてたしな。
3世紀とかになると半島じゃ甲冑身に付け鉄製で鋼刃で突き刺したり切断する武器を
装備してたんで思われてる以上に倭国も軍事力持ってたんだろう。
魏が使者を送ってから東征はしなかったのを見ると容易じゃないと思ったんだろうな。
4世紀に急に日本が文明高度化したと言われてたが、まきむくの古墳や
それよりかなり古い吉野ヶ里遺跡を見る限りその頃に既に高度な文明が
存在してたと思われ。
818 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 21:33:35 ID:paDaYyXvO
>>813 九州で「いかにも」ってやつが発掘されると
発掘中止になって造成されたり
破壊されて公園になったり
そんな話いくつも聞いてるw
819 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 21:34:10 ID:Vw5V/EVz0
魏志東夷伝には、高句麗や馬韓(百済)の話も出てくる。
あわせて読むべきだろ。
「高句麗は遼東の東千里にあり、(中略)。丸都の下に都し、戸三万」
と書いてあって、高句麗の首都と遼東半島との距離とかは、おおむね合ってる。
馬韓は、十余万戸、50余国
辰韓・弁韓 4、5万戸、辰韓12国、弁韓12国、
それに対して、倭では
対馬が千戸、壱岐(一大国)が三千戸、奴国が二万戸
投馬の五万戸、邪馬台国の七万戸
と書いてある。当時の人口推定から考えても、
九州だけでは入りきらないんだよ。
820 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 21:34:30 ID:TWmP8diV0
166回も掘って、また全体像もわからず
本格的調査でもなかったのか。
やるきあんのか?
九州もそれぐらい掘ればいいのに
822 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 21:39:38 ID:paDaYyXvO
>>821 掘らせてくれないんだってw
九州国立博物館とか火事騒ぎあるしw
九州もいろいろ事情があるんだよ
823 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 21:39:52 ID:TWmP8diV0
>>821 掘る要望がたまりすぎてるから地方自治体だけでは無理
別予算とスタッフつけてくれ >>国
824 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 21:42:04 ID:UJe3QjP4O
掘れば出る出る九州は、しかしそれをよく思われてないと聞く
825 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 21:42:53 ID:t/QEFJboO
>>821 掘ってはいるが工事の度に次々出てきてなぁ
手付かずのまま埋め戻されたり、調査待ちのまま放置されてるとこが多数ある
うちの地元でも土地改良事業で弥生時代の遺跡が出てきたが、1年近く放置された後に一部だけ
調査して、その上に土盛って畑になりやした
826 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 21:43:01 ID:TWmP8diV0
なんだか、よく新聞の決まり文句で書かれる
「本格的調査が待たれる」
ってセリフと
「まだまだ俺たちの戦いはこれからだ 完」
似ているような気がする。
827 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 21:46:24 ID:d+wHXYdPO
佐賀ってペンペン草も何たらと言われてる所だよね?
意味よく分からんのだが…
九州説に強力な説得力あるなら金も集まるっての
手をつけられずに放置ってんなら奈良もいっぱいあるんじゃない?
あそこも掘るたびに何かしら出るから道も作れないし工場も建てにくいって聞いたが
829 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 21:46:40 ID:DEb9ezhP0
つーか、九州出身者は九州説を支持、
近畿出身者は近畿説を支持する傾向が見出されている学会なんて信用できん。
九州が調査されてない?冗談はやめて欲しいなw
山陰に対して言えるかな?それこそ何が出るかわからないよ。
俺としては丹波をもっと調査してほしいな。
831 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 21:48:13 ID:Co3Y7hVn0
弥生時代の人口ってさ3世紀前半は60万人ぐらいらしいね。
7万戸もの人口(1戸辺り4人とすると)約28万にもなる。
奴国に2万戸、投馬国に5万戸、邪馬台国7万戸となると日本列島全域で
考えないと九州だけじゃ納まらないっしょ。
832 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 21:48:26 ID:UJe3QjP4O
>>827 それを聞くのはやめた方がいい、偏見を持つことになる
834 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 21:53:48 ID:JNB4iwXl0
なんか、九州は事情があって発掘が進まないとかって泣き言を言い始めたね。
発掘で工事ができないと土建屋が困るからな。
九州説を支持するなら、奈良のことはほっといて、
地元をもっと説得して発掘を促したらどうよ?
実際は、発掘しても何も出ないことがわかってるから調査しないんだろうけどな。
835 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 21:55:39 ID:TWmP8diV0
まあなあ、余所は知らんが、少なくとも佐賀福岡は日常的に遺跡や遺物を経験している
人間が多くて、何もないと言われると反応してしまうんだよ。
自分の子供の時の経験
「この赤い石は昔の人が作ったんでしょ」
「これは甕棺だな」
「へー、もっと探してみよう」
「やめとけ、甕棺は昔の人のお墓だ、死んだ人がでてくるかもしれん」
「………」
「………」
「これ、骨だね」
「動物かなんかの死んだ骨じゃね」
「………」
[………」
「うわああああ」(逃げ帰る)
数日後におそるおそる言ったときには、もうその骨は見つからなかった。
記憶では結構大きい骨だった。
実話
836 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 21:57:32 ID:Co3Y7hVn0
まきむく遺跡はヤマト王権の存在跡だろうけど(三輪山の麓だし)
3世紀前半の建造物だと確認されてるので邪馬台国=ヤマト王権と見るのが
一番自然じゃないかね?
「女王卑弥呼」これが本当に存在したのかどうか? 魏に残る書は後世に
面白くする為に手を加えられたり修正されたりしてるから信憑性は不明。
仮に存在してたとして弟が卑弥呼に代わり実務を取り仕切り統治してたと
ある部分に注目すると弟→大王 卑弥呼→お告げを聞く姫巫女だった可能性
高いんじゃない?
837 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 21:57:59 ID:Cwq7akKH0
こうやってどんどん陰謀論に走ってますますお花畑な空想論に傾いてゆく九州説のひとたちアワレ
838 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 21:58:09 ID:UJe3QjP4O
>>817 オイオイ、半島が上ってw
楽浪郡は上だろうが、半島の南は倭の属国って
魏志倭人伝に書いてあるだろw
それ以前に縄文の黒曜石の頃から交易あるのにw
位置を示した記述に齟齬があるけど、中国の支配権に
影響与える部分=直ぐ近くの半島の支配者の記述は
正確に決まっているだろw
840 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 22:03:23 ID:paDaYyXvO
>>825 山門の堤古墳群とかそうだよねw
あれだけデカイのに
祟りがあるからって埋め戻し。
経緯を知ったら何らかの圧力かかってるのバレバレなんだよねw
841 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 22:03:46 ID:2++DKyD8O
>>834 大阪なんかは開発で色んな遺跡が見つかってるが
842 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 22:05:31 ID:paDaYyXvO
843 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 22:07:01 ID:p6NbBIw70
実は埼玉なのに
844 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 22:09:03 ID:UJe3QjP4O
845 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 22:10:02 ID:t/QEFJboO
>>840 肝属平野の古墳群なんかもそうだなぁ
古墳時代初期の古墳の下に弥生時代の古墳が埋まってるのは確認されてるが、調査は大学のサークル連中だけ
しかも大部分が肝属川のせいで流失してるらしいんだとさ
分布は15km平方以上の規模らしいんだが・・・貧乏自治体は悲しいもんだ
相手を批判するのは簡単
過去の事で証拠は限られてるからね
では九州説を唱えるに足る証拠は?っつうとねーんだろ
847 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 22:14:42 ID:t/QEFJboO
>>846 証拠を言うならどちらも無いだろ
遺跡から推定できるのは『そこに有力な支配者がいた』くらいだからな
848 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 22:15:02 ID:5GOfKmB/O
大和は磐井以前から九州には特別な警戒心があったんじゃね
ずっと後の道真公もそうだし。大和朝廷に不都合な真実があるんだろう
849 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 22:19:09 ID:1VD5QmL2P
論争が終結してしまうと誰も儲からなくなる。
九州が反論しないと機内説の学者から尻を叩かれるんだろうなあ。
貧乏自治体とか言い出したら奈良も相当なもんだろw
本場だから金集まってるじゃん、って言いたいだろうけど
結局はそれも実績や可能性なんかの期待値が高いからこそ、って話だからなあ
新しい発見の可能性が高いとなったら金出させるとこまで説明、説得するのも考古学者の仕事、力のうちだよ
金が優先的にこない、ってことはそれだけ期待値が低いってこった
陰謀論のせいにすんのは簡単だがね
851 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 22:21:38 ID:Ws06XUVO0
>>842 東日本は不服従部族が山のようにいるから、日本全体の人口じゃないよ
852 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 22:23:04 ID:UJe3QjP4O
要は畿内説は胡散臭いって事
>>852 んじゃ九州説が胡散臭くない言われるような遺跡発掘してこいよ
854 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 22:26:26 ID:Cwq7akKH0
855 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 22:27:08 ID:UJe3QjP4O
856 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 22:27:20 ID:t/QEFJboO
>>850 南九州にはその考古学者の層が薄いから仕方あるまい
あの西都原古墳群ですら、あれでも大半は手付かずなんだぜ
858 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 22:30:35 ID:Cwq7akKH0
>>847 根本的に違うのは、巻向は卑弥呼の可能性のある人物とその墓、
それに色々伝承もある事だろ。
860 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 22:34:02 ID:1VD5QmL2P
>>856 期待値高かったら学者は寄ってくるよ
実績物にして研究費欲しいだろうし
放置されてるのはそれだけ優先度低いってことだと思う
862 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 22:35:46 ID:UJe3QjP4O
>>857 ほらな、そんな事を気にするだろう、胡散臭い奴の証拠だよ。畿内説は胡散臭い、誰もがそう思っているよ。
もう一度言おう、お前も畿内説も胡散臭いと誰もが思っているぞ、早く寝ろ
>>862 だから九州説を裏付ける証拠出せって
どこに遺跡あんの?
>>862 文献からも遺跡からも畿内説以外はないと思うが
865 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 22:37:04 ID:SDZ+NuKV0
つーか邪馬台国って普通にやまと国なんだろう。本居宣長が変な皇国史観でやまたいとか読んだだけで。
つまり一貫してやまとなんだよ。やまとに倭の字が当てられてあんまり意味がよくないようだからと
和に変更して、大をつけて大和になったけど読みは一貫してやまと。
つまり邪馬台国は大和・奈良。狗奴国が毛野国か諏訪国かはわからんが(どっちも音が似てる)、
3世紀頃から関東〜九州くらいは普通に交流があったってことだ。
866 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 22:37:38 ID:paDaYyXvO
867 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 22:37:49 ID:JNB4iwXl0
>>862 俺は、一般人が素朴に思いこむ九州説は害は無いと思うよ。
しかし、九州説を説く自称学者は胡散臭いやつばっかり。
こればかりはどうしようもないな。
868 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 22:40:55 ID:bY0xH/vLO
九州説はいい加減に九州のどこなのか言わないと。
そこは当然ヤマトとかヤマタイに類似する地名でなければおかしいな。
対馬、壱岐、投馬(ズマ=出雲)など地名は永く残る。
最大の国の邪馬台は残ってなきゃおかしいな。
邪馬台国=大和なら遺跡の発見から無理が無い。
九州説は神話や古文書をいじくりまわしてるだけじゃないの。神話や古文書は解釈次第だからな。
>>856 西都原はマジで徹底的に掘って欲しい。
あそこは謎過ぎ。
地元の豪族の墓なんて言われてるが
そんな訳ないと思う。
870 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 22:43:38 ID:UJe3QjP4O
>>863 >>864 胡散臭い奴らだ、魏志倭人伝も論破できずにグダグダ文句ばかり垂れてやがる
都合が悪くなると魏志倭人伝は信憑性にかけるなどごまかす始末、胡散臭い畿内派を信用できないね
871 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 22:44:42 ID:Cwq7akKH0
隋書の記述無視するやつに文献とかいわれてもな
872 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 22:46:26 ID:JNB4iwXl0
隋書には、邪馬台国は大和だと書いてあるな。
もちろん、九州から遷都したなんて書いてないし。
>>870 >魏志倭人伝も論破できずに
何の論破が必要なの?
普通に読めば九州であるはずがないだろ。
874 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 22:48:09 ID:Cwq7akKH0
本居宣長が変な事言い出すまでは、大和は邪馬台国と普通に言われたんじゃないの?
>>870 何も書かずに
はい論破^^ってなにそれw
876 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 22:49:19 ID:UJe3QjP4O
纒向遺跡は、間違いなく邪馬台にかけては失敗するぜ、その他で補う戦略があれば別だがな
ところで愚かな畿内派はどのくらいの期間で決着がつくと思ってんだ?
877 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 22:50:02 ID:paDaYyXvO
>>868 山門は駄目なの?
山を挟んで、その南に狗奴国。その長官は狗古智卑狗。現在の菊池氏。
隣町では狗奴国温泉も作っちゃいましたwww
>>876 九州説が逆転するには纏向より巨大な遺跡を発掘しないと可能性がないよ。
879 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 22:51:38 ID:JNB4iwXl0
>>876 え?
決着ならついてるでしょ?畿内で。
880 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 22:52:04 ID:UJe3QjP4O
隋書はいつの記述だよ、バーカ
881 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 22:52:15 ID:t/QEFJboO
>>869 平地の比較的新しい時代のしか掘ってないからなぁ
海進期の時代なんだから周囲の台地の遺跡の方が重要度高いと思うんだがねぇ
南九州の弥生期の住居遺跡は耕作地を見下ろす小高い場所に多いから、むしろ台地部の方が
古い時代のはずなんだが
西都だけじゃなく国富のも埋め戻してるもんなぁ
九州ってデカい集落跡出てこないよな
だからイマイチ説得力がないと言うか
883 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 22:52:37 ID:Cwq7akKH0
根拠無く失敗すると言われても。。。超能力でも持ってるとかw
それとも九州説派はアポロ捏造説やペンタゴン米陰謀説みたいに、悪魔の証明で食い下がろうとしてるのかな。
そんな予感してきた。
>>878 そんなばかな
纏向よりでかいのが奈良とか河内とかのどっかに出たら
今度はそっちが邪馬台国になるのかよw
>>881 邪馬台国九州説が逆転できる可能性があるとしたら
西都原の古墳群をつくった人たちの集落を探すしかないと思う。
けど気がかりなのは、纏向と同年代か少し新しいと言われてるけどな。
>>876 文献解釈や状況証拠的にはとっくに畿内で決着ついてるよ。
反対してるのは、一部のアマチュア研究者しかいないでしょ。
何度も言うが九州説では場所も、誰に比定するのかさえ出来ない。
ファンタジー小説レベルの説ですから。
887 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 22:56:23 ID:UJe3QjP4O
>>878 逆転するには卑弥呼の墓と思われる中に100体の人骨しかない、そのくらいしないと、捏造だとしても権威には勝てない
888 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 22:57:26 ID:t/QEFJboO
889 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 22:58:52 ID:UJe3QjP4O
>>886 文献解釈については畿内説は無視しているだろうが
890 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 22:58:53 ID:paDaYyXvO
>>884 そうだよ。
魏志倭人伝を読む限り、3世紀の倭人の国で邪馬台国が最大勢力で
小国を従えてたんだから、纏向より大きな集落遺跡が出て来たら
そちらという可能性は高まるよ。
決着させるには巨大遺跡と金印か封泥が揃うことだけど。
892 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 23:00:40 ID:En9iZLg70
>>886 はぁ?
文献学の分野では畿内説の出番は皆無なんだがな。
>>892 魏志倭人伝を読み解いて、尚、九州説にこだわってるのは
考古学者では佐賀の短大の先生しかしらんw
894 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 23:02:40 ID:UJe3QjP4O
畿内派は、さっさっと倭迹迹日百襲媛命の墓を暴いてこいよ、金印も人骨も出なかったら笑いもんだな
895 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 23:03:23 ID:t/QEFJboO
>>885 平野部の古墳群は大和王権下のモノが大半だから、直接結び付けるのは意味ないだろうね
問題は周辺の台地部の遺跡
隣の国富や新富の住居跡と結び付くようなら、相当に長期間に渡って広範囲の居住地域が広がって
いた事になる
さっさと箸墓調べるほうがてっとりばやかろうに
あたりだったら九州説即死だし、外したら畿内説もしばらく他候補選定に踏ん張るだろ
897 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 23:04:53 ID:IdJzKV6DO
九州は一大卒で邪馬台国の一部なんだから別に必死になる必要は無い
898 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 23:05:08 ID:En9iZLg70
>>893 俺は「文献学」の先生で畿内説の人を知らないんたが。
文献を軽視するのは論外だが100%信じるのも論外
魏志書いたの中国でも内陸の四川の人だろ
>>891 うへっ
それじゃ必死に箸墓を卑弥呼の墓だと思ってる人がかわいそうじゃないか
九州には邪馬台国の比定地が腐るほどあるからな
困ったもんだよ
平塚川添あたりだとは思うが、宇佐も怪しいし、瀬高町あたりも怪しい
>>898 文献学って、数理文献学か?w
確率論で何がわかるw
文献と遺跡が合わさって始めて証明される。
それが歴史。
文献学で読み解けても、そこから遺跡が出なければ
その読解結果は間違ってるということ。
903 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 23:08:45 ID:En9iZLg70
>>899 陳寿は「都市牛利らに面会している」可能性が限りなく高いんだけど。
それに陳寿が倭人伝を書くにあたって参考にした資料は、
「邪馬台国に20年滞在した人物が書いた軍事報告書」である可能性も高いし。
中華帝国の情報収集力って、歴史的にひどく低レベルだって定評があると思ってたんだが
905 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 23:10:29 ID:5jdTrcVgO
学のない俺にも、お上はできれは近畿って事にしたいんだろーなーって事はわかる
どうでもいいけどね
906 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 23:13:15 ID:cCehXvnK0
>文献と遺跡が合わさって始めて証明される。
その通り。
>>904 そうか?
ヨーロッパの暗黒時代なんていまだに殆ど分かってないぞ
908 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 23:13:47 ID:t/QEFJboO
>>899 確かに文献を盲信するのは危ういが、だからといって最初から否定的な目で見ても話になるまいよ
そもそも内陸の人が書いたと言っても、現場の役人の報告を基に纏めただろうから、あながち
想像やデタラメの産物ではなかろ
それに陸行は地形やキャラバンに左右されるが、海上行程は信頼に足るものだと思うよ
この時代の中国船舶は初期の天測機材や方位磁針まであるしね
909 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 23:15:08 ID:En9iZLg70
>>902 >文献と遺跡が合わさって始めて証明される。
>それが歴史。
>文献学で読み解けても、そこから遺跡が出なければ
>その読解結果は間違ってるということ。
俺もそう思う。
で、それだと古田説で決定となるが。
>>901 だから比定地が沢山あればダメなんだってw
畿内でも上げればいくらでもあるよ。
葛城山周辺も怪しそうだし藤井寺の古墳群だってそうだ。
でも九州説と同じで人物比定も出来ないし、伝承もない。
はっきり言って現状では話のレベルが違う。
>>909 九州王朝説?
ありえんでしょ。
一大卒に従ってた王ならいただろうが。
912 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 23:17:41 ID:cCehXvnK0
古田といえば東日流外三郡誌(笑)
>>904 当時の日本に文字が無く外国の文献に頼らざるを得ないから憶測が飛び交ってるわけだが
914 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 23:18:15 ID:En9iZLg70
915 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 23:19:22 ID:bY0xH/vLO
>>891それでいいじゃん。九州は神話の解釈こねくりまわしてないでトロイを発見しろってことだな。
今のままだと邪馬台国=大和だわなあ。
916 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 23:19:26 ID:cCehXvnK0
「九州王朝説」についてですが、この説を唱えた古田武彦さんは、「東日流外三郡誌」(
つがるそとさんぐんし)問題で信用を失ったわけです。あれは「ちょっと間違えたこと」ではな
くて、偽書作成に関係してしまったのですから、当然の結果じゃないですか。
「東日流外三郡誌」は、昭和初期に建てられた民家の屋根裏から見つかったとされる和田家文
書で、幕府の隠密が、ヨーロッパに渡り、ダーウィンなど歴史上の有名人に会うという奇想天外
な内容で、江戸時代に書かれたはずなのに、「民活」(民間活力のこと←書かれた時期まで分
かってしまう)とか、「光年」とか、ビッグバンにかんする記述があったりして、今ではまったくの
偽書と見なされています。
しかし、「邪馬壹國」にかんする記述があったので、古田さんは飛びついてしまったのです。
これに対して、邪馬台国九州説を唱える安本美典さん(この人の説もかなりヘンテコだが…)が偽
書だと主張して論争になりました。
この文書は印刷物のみで、所有者が原本の公開を拒否しつづけていたので、怪しまれていました。
そのさなか、古田さんが、江戸時代の古紙を大量に発注していたことが発覚し、偽書作成の疑いか
ら信用を失ってしまったのです。結局、所有者が亡くなり、原本を捜したのですが、見つからず、
偽書であると判断されました。
917 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 23:19:31 ID:rMJsOjIc0
>>888 ごめん、まほろタン発祥の地だけど佐賀の大和町は違う。
大和の古地名はないんだ。
ヤマトの古地名は筑後の山門に譲る。
だけど春日とか何かを感じる古地名はあるんだ。
あと、国分寺跡があって、尼寺という古地名はある。
佐賀市大和町民
>>914 翰苑を信じるなら邪馬台国なんてなかったってことになるんじゃ?w
919 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 23:21:39 ID:En9iZLg70
>>916 いや、邪馬台国博多湾岸説を否定するには、その説そのものを論理的に
科学的に検証し反論しないといけないでしょう。
「東日流外三郡誌」を持ち出したところで博多湾岸説の否定にはならない。
920 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 23:22:00 ID:bY0xH/vLO
>>906 文献と遺跡の両方から今のところ最有力なのは奈良(大和)=邪馬台なんでしょ。
古田は邪馬台国=博多湾岸でしょ
俺は九州説だけど博多じゃないと思う
922 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 23:23:48 ID:cCehXvnK0
>>919 それはちょっと苦しいかと。これこそまさにまさに「ゴッドハンド」
923 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 23:27:45 ID:En9iZLg70
>>922 邪馬台国博多湾岸説と「東日流外三郡誌」は別個の問題ですよ?
まあ、「東日流外三郡誌」偽作説も最近はちょっと状況変わってきたらしいけど。
924 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 23:28:12 ID:5GOfKmB/O
筑紫平野あたりを比定したいところ
金印はちょっとアレかも
925 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 23:28:49 ID:UJe3QjP4O
伊都から残り1500里と考えれば、博多はないだろう、船でそのまま行けよって話しになる。魏志倭人伝は伊都から残り1500里は口頭による伝記だろう
926 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 23:29:20 ID:cCehXvnK0
>>923 古田が電波で過去に信用ならない行為をしたといいたいだけ。
>>926 あの人はなんでも信じ込みやすい人なんだと思うw
面白い論説を立てるけど、どうしても眉唾。
古田はまじでキチガイ
929 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 23:32:23 ID:F45mshsqO
九州にあったとすると、後のヤマト政権からはちょっと遠いよな(´・ω・)しかも狭いし
んで、どうして政治の中心地がわざわざ近畿に移動したんだろう?
自分、日本史は高校までだったから詳しくないけど、色々疑問があるわ
古田を叩いても邪馬台国が動くわけじゃないぞ
931 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 23:33:27 ID:t/QEFJboO
>>917 そういや佐賀市になったんだったな
山門にも大和町ってあったが、あっちも合併で消えたんだっけか
>>921 当時は湾が内陸まで入り込んでたから、さすがに博多湾岸で陸行は無いわな
直接上陸で事足りる
香椎とか海が目の前だったわけだし
932 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 23:35:01 ID:5GOfKmB/O
軍事的な秘密として邪馬台国への道程を偽装したのでは
その位は防衛上の知恵としてありそうだけど
933 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 23:35:40 ID:rMJsOjIc0
筑後は、八女に矢部に山門
明らかに古地名なんだよね。
政治をするとしたら久留米の方がいいと思うが
久留米は久留米で高良大社(高良玉垂宮)、豊姫神社
ちょっと離れて大善寺玉垂宮
その横に御塚、権現塚古墳というでかいのがある。
今でこそ博多に人が住んでるけど、当時の九州は有明海沿岸と筑後川沿いに主に
住んでたらしいからね。
奴国=博多湾岸・・・2万戸
投馬国=有明海沿岸・・・5万戸
邪馬台国=筑後川沿岸・・・7万戸
こうだと思うけどな。方角も伊都国から南だし
>>929 うーん
なんで鎌倉や江戸に動かなくてはならなかったのか
中国もなんで北へ南へ東へ西へ、ころころ動いたのか
わっかんねーよなー
936 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 23:36:29 ID:cAe32d/I0
逆に、ここまででたらめな九州説をひとつの説にまででっちあげたことに驚くね。
卑弥呼は九州の酋長っていうイメージは、なかなか根強い。
937 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 23:37:51 ID:S7e4qF2FO
偽氏倭人伝
役人の旅費流用技術はこの頃からあった。
対馬でのんびりして聞いた話しを書いただけ。
938 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 23:38:22 ID:yGjxCJd1O
邪馬台国は沖縄にありました。
939 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 23:39:59 ID:t/QEFJboO
>>934 当時の海岸線は板付空港の辺りだもんね
上陸地としては良港ではあるが、守るに難しい地形は女王国のような政治の中枢地には向かないかと
940 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 23:42:04 ID:UJe3QjP4O
卑弥呼って占い師じゃねーのかよ
941 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 23:44:48 ID:suMhjvRaO
卑弥呼の卑は 卑しいの文字
見下した呼び方です
童話です
942 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 23:45:43 ID:UJe3QjP4O
邪馬台国を大和朝廷と結びつける方が簡単だしな。
943 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 23:46:43 ID:aevvr8TgO
卑弥呼の孫世代のころか。
奴国、投馬国、邪馬台国が倭国の中でも大きな国だったわけでしょ
それらの国もやがて1つになった。伊都国も含めて
じゃあ首都をどこにするか。それらの中央部分に首都を置いたと思う
それが大宰府なんじゃないかな
945 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 23:48:47 ID:rMJsOjIc0
原始的な石垣である神籠石のうち、糸島、筑前、筑後、佐賀の
神籠石は大宰府への道に作られているように見える。
記録がほとんど残ってないから、謎の石垣となっているが
ただ単に、九州王朝が作って、大和朝廷が情報を継承していない
だけではないかと思う。
水城も大宰府を守る防御ラインで、発掘によって結構複雑な
注排水設備があることが分かったが、大和朝廷は水城の使い方が
分からないような記述がある。
>>944 根拠もないし東国をコントロール出来ないでしょ。
947 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 23:51:46 ID:Vh5Teu5g0
纒向を支持する側は年代の根拠はいつもあいまいだよなあ。
地域振興と発掘利権の最強タッグだな。
948 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 23:53:19 ID:5GOfKmB/O
太宰府だとちょうど博多と筑紫平野の間くらいか
邪馬台国の首都的にはもう少し南な気がするけど交通上の要所ではあったろうね
949 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 23:53:26 ID:rMJsOjIc0
九州王朝は東国は情報程度は知っていても
支配したとは思えない。
それに匹敵するような出雲や吉備があるし
さらに向こうにはそれなりの大国があっただろう。
九州王朝が直接支配したのは九州を越えていない。
むしろ朝鮮半島を支配していた。
福岡辺りから見れば、本州より近い。
>>936 これは理由がはっきりしている。
色々な文筆家の作品や発言。特に騎馬民族征服説をベースにした
手塚治虫の「火の鳥」が九州説だからね。
これの刷り込みは相当ある。
951 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 23:55:09 ID:Co3Y7hVn0
4世紀〜5世紀には大和の国に根を下ろすヤマト政権が巨大な勢力を誇り
出雲や九州はおろか関東にまで勢力を広げてたらしいな。
と考えれば、倭国を統治してた邪馬台国は普通にその発音通りヤマト政権だった
可能性が一番自然じゃん。
952 :
名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 23:55:25 ID:cCehXvnK0
九州王朝(笑)
953 :
名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 00:00:09 ID:cAiyMAX10
まあ、年輪法が出てくるまでは、近畿説は時代が合わなかったわけなんだが、たった一人の男が「日本でも年輪法は成立する」と言い出して、歴史を100年戻し、それで年代をあわせたんだよね。
で、その人は近畿説の人で、しかも、年輪法で近畿以外の地区の年代の鑑定は出来ないんだそうだから・・・
あまり年輪法にこだわると、ゴッドハンドの二の舞かもね。
954 :
名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 00:00:09 ID:ZUxoj5bJ0
邪馬台国も20の国からなる連合国家で卑弥呼はその中から選ばれて
女王になりお告げにより国を統治した
ヤマト政権は畿内や周辺の国々からなる連合国家でその中から大王を
選び代々国を統治してた
あれ???
955 :
名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 00:01:29 ID:rhw5paKBO
宇佐神社と伊勢神宮と出雲大社と天皇陛下って、この辺の話、全く知らないのかね?
口伝の秘とかないのかね?
956 :
名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 00:01:41 ID:cCehXvnK0
Mr.ゴッドハンド古田(笑)
>>919 無いと証明しろってのは無茶だろ
普通あると主張する側が何らかの発掘物や遺跡を見つけてから議論が始まるわけで
958 :
名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 00:03:21 ID:eXvGeqm90
大体陰謀論者が負けそうになると、悪魔の証明要求するんだよな。無いことを証明しろってさ。
>>953 畿内説ってなんか常に無理矢理だよね
必死すぎるよ
>>953 年輪法が一地域の鑑定しか出来ないってのは当然じゃないのか?
ゴッドハンドだって言うならちゃんとした根拠挙げてくれ
卑弥呼が刺青ビッチなのがわかったら畿内と九州で押し付け合うんだろ
962 :
名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 00:05:55 ID:ZUxoj5bJ0
九州はさ独自に大陸や半島と交流があり、奴国や伊都国と行った
国があったからそら遺跡もあるし出土品もあるだろうけど
それが卑弥呼に繋がるものが全くと言って良いほど出てないから
九州説は無理がありすぎるんじゃない?
ただ距離的な解釈でここかな?と思われただけで。
963 :
名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 00:07:31 ID:eXvGeqm90
>>953 >日本でも年輪法は成立する
当たり前だろうがw 日本では成立しない理由あげてみ?
現実を言うと、九州説が間違っていたと言うことが証明されたわけ。単にそれまでがまちがっていたんだよ
964 :
名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 00:07:51 ID:xRnqzaj30
論理的におかしいから、ごく一部の人間だと思うが
「九州には何も出てない」、なんていうから
何々がある、と反論されるわけ。
「九州には何も出てない」といいたいなら
何もないことを証明してからいいなさい。
自分から悪魔の証明にはまってどうするよ
倭人伝が正しいとか必死すぎとかじゃなくどこらへんがどうおかしいのか書いてくれ
そもそも今回のなんてまだ発掘5%ぐらいしかすんでないって話なのになんで違うと確信できんの?
超能力でも使えんのか?
大宰府が倭国の中心と考えれば全ての辻褄が合うんだよな。
967 :
名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 00:10:21 ID:eXvGeqm90
>>966 辻褄あわせならいくらでも作れるって。そんな姿勢だから九州説は電波といわれて
学者から相手にされなくなるんだよ。
>>960 奈良盆地だけ100年早まるってのはなあ
年輪法使えば全国揃って100年早まるかもしれないとは考えないのかな
そう言うと「九州でも吉備でも年輪法やってから言え」って言うんだろうけど
>>964 過去に可能性はかなり低いって否定されたもの持ってこられてもな
新しく何か出たわけでもなく、ごく少人数の学者連中がいまだこびりついてるだけじゃん
それから、何も出てないって言われてるのは古墳じゃなく大規模な集落跡だと思うが
これが出てこないのが一番のネックだろう
970 :
名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 00:11:41 ID:SxUxPrwB0
「邪馬台国へようこそ」って看板がいつかどこかの遺跡から発掘されるだろうから、それまで待ってろ。
971 :
名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 00:13:04 ID:2fe+tHOUO
排他的に大陸や半島と交流があるならば近畿勢には負けない気もする
それが東征なのかもしれんね
>>968 まずは年輪法ってなんなのか調べてみろ
その地域の古い木をまず数集めないといけないんだからその蓄積が無い地域の判断なんて出来るわけない
973 :
名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 00:13:54 ID:ZUxoj5bJ0
>>966 全然合わないから九州説は今や少数派になってるんだろw
書かれてる人口にしても全然有り得ないからな。
残り1500里で〜ってとこだけが九州説の拠所だもんね。
974 :
名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 00:14:10 ID:xRnqzaj30
年輪年代法の問題は本人以外に確認が難しいということ。
本人のご託宣が正しいかを確認する手段がない。
立ち位置の違う複数の人が同じようなことをやって
照合できればある程度信頼できるのだが
そうなるまでは、参考程度にして、距離を置いたほうがいい。
975 :
名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 00:15:30 ID:DE6XlZdeO
畿内説のバカは無視して九州説は自らの道を行くこと。
どこをどうやったら、邪馬台国九州説がでてくるのかわからない。
>>966 朱雀大路だの都府楼だの三笠川だの、立派な名前が多いもんな
978 :
名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 00:17:20 ID:D+qPJLuFO
まあどっちもどっちだな
畿内にも九州にもどこにも何にも証拠出てないし
私的な考えじゃ九州の可能性の方が高いだろうけどな
979 :
名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 00:17:45 ID:DE6XlZdeO
バカには分からない九州説。
980 :
名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 00:17:45 ID:x5EheSoeO
へー奈良は百年早まるんだー(笑)九州も百年早まるんだったらどうなるんだろうねー
魏書東夷伝や記紀の話はとりあえず置いておいて、発掘の成果から考えようってのが正道だろう
>>974 今までの方法も誤差大きかったから他の方法も併用して検証した結果この年代の可能性が高くなったって話だろ
何も年輪法だけが正しいなんて話じゃないはずだが
982 :
名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 00:19:54 ID:x5EheSoeO
983 :
名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 00:20:01 ID:X/lmlQRC0
てえくつ
>>972 だから「やってから言え」って言うんでしょ?畿内説の人は。
985 :
名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 00:20:58 ID:ZUxoj5bJ0
大宰府は古墳時代に九州を統治するのに中央から派遣された役人が
管理府を置いただけの場所だろ。
鎌倉みたいなもんだよ。立派な名前が残ってるのはそら当たり前。
986 :
名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 00:21:23 ID:yS4ciufLO
いまどき九州説を信じる男の人って…
>>984 自説が正しいと主張するならやるべきだ、ってだけの話じゃん
988 :
名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 00:21:34 ID:x6Vly5KdO
>>975 ていうか何がどうなろうともうそれしかないんだけどねw
989 :
名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 00:22:32 ID:X/lmlQRC0
邪馬台国論争は吉野ヶ里で再燃したの
奈良じゃ盛り上がらんと思う
やっぱり佐賀に譲るべき
大宰府?
福岡は奴国でいいやん(^o^)丿
991 :
名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 00:23:50 ID:ZUxoj5bJ0
>>989 奈良で落ち着いてるとこへ無理やり九州だと
また言い出す奴がいるから喧嘩売られた形だからだろ。
992 :
名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 00:23:56 ID:E7g1hQbY0
100年くらい誤差の範囲内だろjk
たかだが管理府に朱雀大路なんて作るか?
994 :
名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 00:25:10 ID:2fe+tHOUO
彼氏が畿内説年輪法巻向厨だった死にたい
995 :
名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 00:25:29 ID:6hfDYpVs0
>>963 いやいや、成立するかもしれないししないかもしれない。
もともと、気候の異なるヨーロッパ中心に発達した鑑定方法だからね。
だから、まだまだ実験段階だよ。
たった一人の研究成果のみに頼ると、またまたゴッドハンド事件の二の舞になるよ。
という事。
>>960 今はサンプル収集が近畿しか出来ないから・・・というのが理由だよね。
だったら全国的にひろげればいいんだろうけど・・・
なぜ広がらないんだろう?
1000
997 :
名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 00:26:55 ID:x5EheSoeO
>>989 実は九州でも吉野ヶ里はあまり期待されていない、別の場所だと考えられている
998 :
名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 00:27:10 ID:TltW3gCkO
日向神だけど呼んだ?
邪馬台国はなかった
という説もあったような気がするが
どうでもいいやん。
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