【大分】 吉野ケ里で「邪馬台国」展開幕 フォーラム「なぜ邪馬台国は九州か」を開催
1 :
かしわ餅ρ ★:
吉野ケ里歴史公園(吉野ケ里町田手)で24日、特別企画展「よみがえる邪馬台国」が始まった。
県教委が所蔵する弥生人の男性の毛髪の実物が初めて一般公開され=写真=、弥生時代の
土器の破片に触れるコーナーも設けている。監修した佐賀女子短大の高島忠平学長は
「発掘成果だけでなく、レプリカ(複製)を多用した展示。邪馬台国の場所は九州説と近畿説があるが、
特定されていない。この展示をきっかけに論争を活発にできたら」と話している。
11月23日まで(開園は午前9時〜午後5時)。約300点を展示し、期間中5万人の入場を見込む。
11月1日午後1時半〜3時半に作家の中山千夏氏を招いてのフォーラム「なぜ邪馬台国は九州か」を開く。
入園料は大人(15歳以上)400円、小人80円(25日は無料)。問い合わせは吉野ケ里公園管理センター
http://mytown.asahi.com/saga/news.php?k_id=42000000910260002
2 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 12:04:29 ID:e30HDHNo0
簪 △ ¥ ,,._
( ? 皿 ○) ガシ・・・ガシャ
(::;# メ ,:; )
/│,';,; 肉 │ヽ ギギギ・・・ギ・・・
▽ \_,';,;_#/
┃ \
= =
3ゲットロボはもうすぐ廃棄されるよ
ポンコツだから仕方ないよ
どうでもい壱与
吉野ヶ里って大分だっけか?
5 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 12:06:34 ID:cG2SQ+O8O
邪馬台国をどうしてもジャマタイコクと読んでしまう
6 :
かしわ餅ρ ★:2009/10/26(月) 12:07:10 ID:???0
すみません
佐賀でした
今に見ていろ埴輪原人全滅だ
8 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 12:09:03 ID:L2HkYCxL0
熊本だっつーの
地域エゴ丸出しで気持ち悪い
10 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 12:10:08 ID:AgtIdZvl0
なぜ、未だに固執してるのか、が分からん。
観光目的?
必死すぎて逆に引くわ
12 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 12:11:39 ID:av6hyvHj0
吉永小百合のまぼろしの邪馬台国はつまらなかった。
挿入歌もミスマッチで、期待はずれ。
13 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 12:11:51 ID:GUmsNmvC0
卑弥呼の邪馬台国が近畿の邪馬台国に対抗するため
中国を後ろ盾を得ようと朝貢した
>>5 同じ
14 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 12:13:55 ID:e32rFJGM0
>>6 しばらくスレ立てから佐賀ってアタマ冷やせや
15 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 12:14:21 ID:gMDC3jvu0
邪馬台国は起源決まったのか
16 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 12:14:34 ID:YXDppFt3O
ついこの前、なんか発見されて近畿説が強まったんじゃなかったっけ?
うろ覚えだけど
17 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 12:16:32 ID:e32rFJGM0
お馬鹿なアナウンサーが「よこしまだいこく」と読んだりしちゃったりなんかしてもう
18 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 12:16:35 ID:XvT6cCY9O
金印が出たのは九州だから九州だろ
竹島は韓国領土並の気持ち悪さを感じた
20 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 12:19:43 ID:0yYjlpBM0
邪馬台国は九州には無い
21 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 12:27:06 ID:QKY4AMbE0
デートで行って初めて手を繋いだとこだ!
ここに行かなければ・・・・・・・・
22 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 12:27:36 ID:UYwpkLGW0
邪馬台国はメソポタミアだ
23 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 12:27:51 ID:0cJNfg9kO
もう、九州の考古学者も転んでるし、畿内説であらかた決着は着いてる。
まあアマチュア歴史学者が趣味で騒ぐのは、別に構わないが。
>邪馬台国
よこしまたいこく と読んでしまう俺参上
26 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 12:30:36 ID:b2DGKw400
>>23 首都にある旧帝大の、ひとりのおっさんが九州説に固執したあとの
迷惑を何で考古学会皆がかぶらなきゃならないんだろうねえ…
吉野ケ里って、見に行って楽しい?
名前しか知らないんだけど、見に行く価値あるかな?
北九州説をとなえている重鎮が亡くなったら、一気に畿内説で決着するというのを
以前の書き込みで見た。
29 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 12:32:29 ID:D86DCpfn0
邪馬台国の起源は韓国
九州は韓国の領土
30 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 12:32:40 ID:Lt0xmfKxO
九州王朝説、あれはあれで面白かったが…
そうか、結論は出つつあるのか…
吉野ヶ里は大分だったのかw
32 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 12:34:22 ID:jwYrQKvLO
邪馬台の名は魏がヤマトを蔑称した当て字だろ。
大和国しかないよ。
ん?なんでスレたいに大分?
34 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 12:36:38 ID:HgyIo4/DO
さすが佐賀人、必死すぎ。
35 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 12:36:55 ID:e32rFJGM0
36 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 12:37:03 ID:UYwpkLGW0
大痛のまちごいだろ
熊本以南はクナ国だろ?だからヤマタイは熊本以北の九州中国近畿の広範囲だろ・jk
>>27 遺跡なんか見て興奮するのはよほどの歴史好きぐらいかと…
ん?畿内に大和王権の萌芽と言えるような進んだ都市(纏向遺跡)があって、
それがどうも当時日本で最大の勢力だったという事はわかっているけど。
それが邪馬台国であるという事はわからんのでは?
文献から過去を想像して色々な説を立てる時代はとっくに終わっていて、
今は考古学の成果から当時の実相を調査し積み上げてる段階でしょ。
それがある程度固まったのちに、文献の正しさが証明されるのか、文献が
どんくらい偏った情報なのか、その他諸々が見えてくるかも知れないって
ことに過ぎないと思うよ。
40 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 12:37:29 ID:dbzRhajz0
まだ、そんなことを言ってるのか。
41 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 12:40:32 ID:YAIzYa9S0
>>5>>25 「邪」とか「卑しい」とか、意図してネガティブな意味を込めて
かの国が名付けてるんだから仕方ない
吉野ヶ里遺跡って近くに水源無いけど当時は不便じゃなかったのかな
それとも当時は筑後川の位置が違ったのだろうか
43 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 12:45:02 ID:N9+ksn0W0
やぁ、まぁたいしたことではない
( ‘д‘)y-~~<邪馬台国は徳島ですでに決まってますが何か
>>42 支流の城原川と田手川で吉野ヶ里まで入っていたんだろうな?
また海進期や河川の堆積で、当時と今とでは、有明海筑後川の地図は違っている。
46 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 13:03:31 ID:CTwbPnKLO
ヤマタイというのはチャガタイやオゴタイ同様モンゴル民族系で
その証拠に馬の字が使ってあります。台は阿蘇のカルデラを差し
卑弥呼は火巫女すなわち火の国の巫女ですから邪馬台国は
熊本ということになります。
47 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 13:07:20 ID:4K4BE8kQ0
48 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 13:07:35 ID:9Y6tio7v0
そろそろ「一箇所にあった」という観念を捨てた方がいいぞ。
「利権がらみの守銭奴」は、自分達の場所こそ本当の場所と言いたいんだろうけどな。
49 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 13:08:58 ID:Lwewltz60
畿内説について前々から疑問があるんだけど、魏志倭人伝で
倭人は海に潜って漁労するとか、刺青を体に入れる風習があるとか
どう読んでも南方文化なんだけど、それと畿内に邪馬台国があったという
整合性はどう取っているの?
やまたい国が九州にあったとう話を否定する奴は感覚がおかしい。
史実に捕われずに考えるとやまたい国は九州にあったと思われる。
だって九州説はミステリアスで面白いんだもの
51 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 13:09:09 ID:hQnQMW320
52 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 13:11:15 ID:sqjvuJKw0
吉野ケ里って吉野刈りっていうヘアースタイルみたいだよな
53 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 13:11:56 ID:7DOQ6dCPO
何か亡命政府くさいんだよな
ありをりはべり
55 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 13:17:38 ID:I/yioVr+0
なんだかんだ中国地方でしかありえんけどね
文明度からいうと
>>46 何言ってるの?台が入ってるから台湾系だよ
台湾で邪なことした人が追放されて、日本に出来た国
58 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 13:21:51 ID:UYwpkLGW0
59 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 13:21:54 ID:p+RLSrWs0
宇佐いけばわかるよ
60 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 13:23:41 ID:Y821ZaGZ0
邪馬台国は支那と交易してた九州の小勢力だろ?
大和政権は畿内
邪馬台国と大和政権を同一にするから揉めるんだよ
九州が韓国に一番近い島だったからニダくらいどっかの国は言いそうなもんだが
62 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 13:27:10 ID:HSIt4s2tO
畿内説
筑紫説
但馬説
熊野説
出雲説
肥後説
鹿島説
琉球説
台湾説
インドネシア説
エジプト説
ムー説
世界いたる所に邪馬台国。もう何でもありだぜ。
63 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 13:27:26 ID:VjYSeECA0
まだ九州説論者生き残ってるのか m9(^Д^)プギャ-
64 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 13:28:19 ID:NXE6tP2RO
邪馬台国の起源は韓国だろ
JAP司ねw
65 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 13:29:32 ID:y4QUzBRGO
九州にあった卑弥呼亡きあとの邪馬台国を
朝鮮から渡ってきた天孫族が征服して王子のニニギが首長になり、それが東征して出来たのが大和朝廷なんでしょ。
手塚治虫の火の鳥にそう描いてあった。
67 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 13:31:30 ID:urgWuaDC0
ドラクエ3は邪馬台国関東説支持ゲーム
68 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 13:34:01 ID:NOmo/TMBO
早く箸墓古墳発掘しろ
卑弥呼の骨と金印が出てくるぞ
69 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 13:34:41 ID:TrbxcQyY0
三内丸山遺跡が発見されてからは、吉野ヶ里もだいぶ興味が失せたな。
吉野ヶ里の唯一のセールスポイントは邪馬台国と何らかの関係があるかも? という
点だけだからな。
70 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 13:35:35 ID:UrcSoRJj0
中国の文献が嘘だらけのクソなだけ
天照大神という女性神の神話に基づく国家を適当に脚色した程度の話を真に受けやがって歴史学者・・・
71 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 13:36:41 ID:gsQG/rio0
”邪馬台国”って魏が使っていた蔑称だろ。
日本人が使うのおかしくね?
72 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 13:37:19 ID:ZaSZLfO+0
邪魔台国とか卑弥呼とか何の恨みで変な名前つけたんだろう
75 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 13:39:41 ID:Lw3XPt9F0
ハ、ハニワ幻人!
76 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 13:40:10 ID:UrcSoRJj0
中国文献のいいかげんな嘘に群がる左翼学者とマスゴミ
「大和王権」という天皇以外の権力の存在をでっちあげるのにNHKも一所懸命です
77 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 13:40:11 ID:YAVP4xAYO
あのう四国じゃなかったか?。
海外の文献やら、習わしとかで出た結論で。
78 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 13:40:33 ID:LxY+xwqB0
ヤマタイではなく、ヤマトと発音したにきまってんだろ
そしたら大和地方の近畿にあったにきまってるじゃないか
地名は魏志倭人伝の頃からそんなに変わっていない
壱岐や対馬は当時から変わらないし
ズマってのも出雲だろ
元々江戸時代ぐらいまではヤマトと発音してたんだよな
それを国学者の本居宣長がヤマタイとよびだした
何か根拠があった訳でなく、
魏に貢ぎ物を贈ってて属国みたいだから当時の日本と別のモノとしたかっただけ
ヤマトだったら大和朝廷からずっとつながっている事になるからな
79 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 13:44:38 ID:e5MAcPWC0
普通に考えて北九州だわな
手塚治虫もそう書いてる
80 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 13:44:43 ID:sBrYUcyB0
もう畿内と九州の共同開催でいいじゃないか
81 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 13:45:08 ID:LxY+xwqB0
>>73 中華思想だと批判する人はいるし、はずれてはいないけど
日本だって他民族をエミシだの
白人を南蛮人だのと蔑称で呼んできた
そういうのは決して珍しい事ではない
82 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 13:45:55 ID:dInYIhsP0
まあ現在の調査見たら
マキムクがヤマト(邪馬台国)でほぼ間違いない
問題は
宮崎平野にある生目古墳群が
なんでマキムクと相似形の古墳(しかも同時代)を持ってるのか?ってことぐらい
ここが解決すればほとんどの謎が解ける
83 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 13:46:05 ID:ygDtsKju0
木簡に書かれた1000年も前の字なんか読めるか!バカ
女子高生の字ですら読めないよ。
畿内説で確定してるのに九州人はホントみっともない
原爆くらいしか九州にウリがないとはいえ
狗奴国が熊本や鹿児島でほぼ決まりだとしたら
畿内から九州まで大遠征侵略するとは思えないんだよな。
86 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 13:50:16 ID:YwatM1/s0
邪馬台国の女王卑弥呼は、魏に朝貢して臣下になった中国の犬ですよ。
中国から見れば、中国の息のかかった領土を広げたいだけ。
九州説は、「九州は、確実に中国の領土だ」と言ってるにすぎない。
畿内説は、「畿内までも確実に中国の領土だ」と言ってるにすぎない。
イメージ先行で邪馬台国を捉えてる人は、
そのあたりも、もっとよく考えるべきだね。
もしも、畿内が邪馬台国なら、天皇家の2600年の歴史は無いものになる。
もしも、畿内が邪馬台国なら、統一国家としての日本の歴史は、
中国の臣下になったことで始まったということになる。
それでも良いと言う人は畿内説を唱えればいい。
しかし、歴史上、中国・半島の影響を受けてきたのは九州だけであり、
畿内は独自の国家を営んできた。
記紀神話は、天皇家の歴史を紀元前660年からとしている。
天皇家の女が中国に朝貢したという話は一切無い。
日本人としての誇りを持ちたいのであれば、九州説を採るべきだ。
中国の犬になったのは九州だけなのだから。
87 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 13:50:25 ID:ygDtsKju0
だいたい九州に黒曜石なんかねーだろ?
箸墓で死んだのは誰なんだよ? ろくな古墳もねーし九州にそんな国ないよ。
あっても直ぐ滅ぼされたね。
88 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 13:53:02 ID:kWQSOW4/O
ヤマトが畿内なんだから、ヤマタイも同じに決まってら
どう考えても同じ国だろ
邪馬台国は弁韓(のち任那になる地域)人の植民地だった
弁韓と辰韓はほぼ対等
辰韓の王は馬韓の人
馬韓より高句麗の方が強大だった
だから偉い順に並べると、、高句麗≧馬韓>辰韓=弁韓>邪馬台国となる
91 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 13:55:41 ID:dInYIhsP0
確定というか
国立歴史民族博物館が箸墓古墳の築造時期を240-260年って発表したからね
ちょうど卑弥呼の没年時期と重なる
ただこれによって
箸墓と相似形(サイズはちょうど2分の1)の生目一号墳(築造時期までほぼ同じ)の存在がクローズアップされたわけで
マキムク(東=日の方向を向くということ)と
日向(日の方向を向くということ)との
卑弥呼時代前後からの深い関係性が浮かび上がって来た
92 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 13:56:06 ID:LxY+xwqB0
>>86 >>もしも、畿内が邪馬台国なら、天皇家の2600年の歴史は無いものになる。
こんなもん機内がどうとかとは別に最初からあるわけないだろw
ネトウヨですら信じて無いわ
記紀なんてかなり後になって藤原氏の思惑で創作されたものだし
歴史的資料としては当時に書かれたモノをベースとしている
魏志倭人伝の方が高いのは歴史学者にとっては常識だろ
>>85 景行天皇の不知火くんだりの話は九州の別王朝の話が紛れ込んでるjk
94 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 13:58:33 ID:YwatM1/s0
もしも、畿内説が常識になったとしたら、どんな世の中になると思う?
中国は、「日本の歴史の始まりは、中国皇帝が卑弥呼を臣下にしてやったからだ」と
日本を揶揄しはじめるだろう。
世界一古いとされている皇族の歴史も、1800年を遡ることは無くなる。
韓国は、その頃の自国の歴史を、すでに高句麗など3つの独立国があったことにしてるから、
日本はそれより、もっと遅れた島国ということとして、ますますバカにし始めるだろう。
本当にそれでも、畿内説を正しいとして広めるつもりなのか?
ちゃんとした筋の学者たちは畿内説で固まってるんじゃなかったっけ?
それを九州のアマチュア学者たちが執拗に抵抗してるという状態なんだよね
何が目的なんだろう
観光地化とかを狙ってるの?
それともそれが仕事だから飯食うために引き下がれない状態とかなの?
>>1 【大分】 吉野ケ里で「邪馬台国」展開幕
大分???
97 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 14:00:07 ID:HZ923TLMO
邪馬台国=大和朝廷
卑弥呼=天照大神でいいじゃん
別に大陸に贈り物したからって言っても遣唐使とかやってんじゃん
>>94 それって都合が悪けりゃ真実をも捻じ曲げると言ってることになるが、正気か?
それじゃあ韓国や中国と同じだぞ・・・
99 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 14:02:01 ID:X2wVBKRl0
もう「邪馬台国=九州説」なんて唱える人は天然記念物ものなのに・・・。
必死な吉野ヶ里見てると、五輪招致でも見てるみたいだ。
だいたい監修してるのが女子短大の学長ってどうなの?
100 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 14:02:01 ID:tZDhN3nv0
邪馬台国とか卑弥呼とか書いてる奴ら何なの?
皇室の祖先につながる可能性の高い国や女王にシナの端役人が当てた
悪字をそのまま使ってなんとも思わないの?
バカじゃないの?
101 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 14:02:11 ID:F0s9iqtjO
邪馬台国の実在を示す物証はあるの?
書物による記述しか根拠がないのなら、アトランティス並みの信憑性しかないような気がするんだけど
そもそも日本考古学会は信用出来ない
何しろ、あの石器捏造事件を引き起こした奴らだからな
天皇が正当な血筋だったけど伝承のみしか残ってなくて
それをごちゃごちゃに混ぜ合わせたのが古事記とか日本書紀なんだろう
何故かその伝承がユダヤの旧約聖書とそっくりで
ということは天皇はユダヤの末裔なのだよ
そもそも当時のユダヤ人が白人だったわけじゃないんだから
103 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 14:05:03 ID:ygDtsKju0
>>95 目的は観光地化と、後に日本の発祥地だと言い張り、日本はかの国由来だと言い張るため。
104 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 14:05:03 ID:sBrYUcyB0
>>94 ヤマト政権の成立と高句麗の成立は、ほぼ同時期。
ヤマト政権の成立を物的証拠に基づき、高句麗の成立を伝説に求めても、200年程度の差。
百済、新羅の成立はヤマト政権よりも遅い可能性も大。
>世界一古いとされている皇族の歴史も、1800年を遡ることは無くなる。
もともとねーよw
>>94 現在のアメリカのはじまり・・・白人の入植
イギリスのはじめり・・・フランスの一臣下の領土
朝鮮のはじまり・・・山葡萄原人とか箕氏とかそのへん
別に珍しくともなんともなかった
中国にしたって文明発祥してから何度も征服されて、民族的な特徴すらかわってるぐらいだし
107 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 14:07:16 ID:874rAP1d0
邪馬台国はヤマトの当て字
卑弥呼は媛命(ひめみこ)の当て字
>>106 イギリスが怒るぞ。カエサルが占領して以降にしてやれよ
109 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 14:08:54 ID:YwatM1/s0
畿内説を広めようとしてるのは、あきらかに親中国の人たちですよ。
記紀にある、天皇家の歴史は2600年という話はウソで、
3世紀の大和地方はただの田舎だったとし、
中国の息のかかった九州の卑弥呼が倭国を統一し、
中華思想に基づき、中華の支配領域を広げるために、
中国の息のかかった九州の邪馬台国が支配領域を広げて、
4世紀に大和朝廷が生まれた、というのが九州説+東遷説
一方、畿内説は、3世紀にすでに大和王権は中国の臣下だったと言ってるわけです。
3世紀に中国の臣下だったのは九州だけ。畿内大和は中国と無関係。天皇家の歴史は守られる。=九州説
3世紀に中国の臣下となった邪馬台国が東遷して4世紀に大和朝廷が生まれたとする=東遷説
そんなに学者達は、日本を中国の犬にしたいのかね?
>>69 三内丸山は縄文遺跡ですが・・・
>>81 南蛮、東夷、西戎、北狄は中国が四方の未開の民族につけた蔑称ですね。
日本も真似しただけだよ。
111 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 14:10:41 ID:dInYIhsP0
>>102 ところが神武東征を卑弥呼以前と考えれば
箸墓(マキムク)と生目(日向ヒムカ)との相似形の説明も
日向神話もすべて説明がついちゃうのよね
つまり古事記も日本書紀も
おいら達が考えてるよりずっと事実に沿ってた可能性がある
まあ皇紀2600年の長さは
西暦の物差しだとなんとか2000年の長さくらいのもんだけど
112 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 14:12:16 ID:AaYLjT8QO
吉野ヶ里ち佐賀やねえの?????????
114 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 14:13:57 ID:WKh9TpKy0
>>95 決めちゃったら研究費削られるだろ。
どっちも。
争ってるほうが自治体は金出してくれるし本も売れる。
115 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 14:14:32 ID:tZDhN3nv0
>>78が正しいよ。
戦前の教科書には邪馬台国、卑弥呼など全くない。
今は教科書でこの二つの言葉を教えるように決まっている。
学習指導要綱に入ってるから”新しい歴史教科書をつくる会”の教科書ですら
書いている。嘆かわしいよ。
>>111 >おいら達が考えてるよりずっと事実に沿ってた可能性がある
事実じゃなきゃなんなんだ? 古事記が空想なら、天皇家支配の正当性を全国の首長たちが
認める訳ないだろ。
117 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 14:16:23 ID:LxY+xwqB0
>>94 今の中国と魏とはまったく別の国だからなw
もともと魏志倭人伝によると
邪馬台国の人の祖先は呉の太伯だっつーんだから
大陸と縁があったのだろうし
邪馬台国は九州の始祖であって、日本の始祖ではないだろ。
日本の始祖は近畿内にあった大和国の前身。
邪馬台国と日本始祖は別物と考えるのが自然だよ。これが一番しっくりくる説明。
119 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 14:17:52 ID:YwatM1/s0
3世紀から、畿内大和は中国の臣下だった=畿内説
3世紀に中国の臣下だったのは九州だけ。畿内大和は中国と無関係。天皇家の歴史は守られる。=九州説
3世紀に中国の臣下となった邪馬台国が東遷して4世紀に大和朝廷が生まれたとする=東遷説
畿内説、九州説の差は、国際的には大きな話だ。
日本国=天皇家の歴史は、中国の息がかかって始まったのか、否か?ということだ。
イメージ先行でロマンだなんだと言って決められることじゃない。
もしも、畿内説で決定したら、中国はますます図に乗って、東シナ海ように日本を抱き込もうとしてくるぞ。
最終的には、日本を中国の省にするつもりだ。
中国人にしてみれば、日本が畿内説を採ることは、願ったりかなったりだ。
日本を占領する良い口実になる。
”だって、日本を作ったのは中国なんだから。”=”卑弥呼に金印を贈ったのは中国”
それじゃ邪馬台国はCISみたいなもので版図は九州から近畿、連邦内の大勢力は九州と畿内ということで。
121 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 14:18:59 ID:dInYIhsP0
>>116 空想というか
日向神話には南方系の神話(縄文系の祖の神話と考えられる)
出雲神話にはギリシャ・ローマ神話が混入している
そこは事実に「神話性」の付与があったと考えるべきなんよ
122 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 14:19:23 ID:7DOQ6dCPO
だから亡命政府じゃないの九州説
123 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 14:19:23 ID:tZDhN3nv0
邪馬台国と書いている奴らに国史を語る資格を認めない。
124 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 14:20:17 ID:ygDtsKju0
発祥が何所だろうが、戦に勝利したのは近畿。
九州にゃ黒曜石がないし、鉄器は出雲の砂鉄を還元して剣を作った。
武力に圧倒的差が生じ、日本は平定されたのよ。
125 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 14:20:27 ID:WKh9TpKy0
>>78 〉ヤマタイではなく、ヤマトと発音したにきまってんだろ
当時の発音を誰も聞いたことないんだし、どっちでも、どうでもいいことじゃん。
127 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 14:23:34 ID:Ocq9PpQ+O
ヤマタイ国はなかった!
ジャマダイ国
128 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 14:24:22 ID:ygDtsKju0
>>119 日本を侵略する意図があったとしても、必要なのは軍事力。
口で属国説を語ろうが全然関係ありませんw
130 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 14:24:40 ID:ke69tbqB0
>>121 >そこは事実に「神話性」の付与があったと考えるべきなんよ
当たり前の事をなぜそんなに回りくどく考える必要があるんだよ。
「見せる」ために書かれたんだから、主旨に沿った脚色はあって当然。
戦国ドラマの武将がサラブレッドに乗ってるようなもんだ。
132 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 14:25:37 ID:YwatM1/s0
歴史観というのは、事実だけで決まるわけじゃない。
捏造は常につきまとう。南京のように。
日本の国益にとって重要なのは、
「日本建国のスタートを、卑弥呼にする畿内説は中国に利するだけ」ということ。
九州説ならば、九州の邪馬台国と、畿内の大和王権は無関係、並列であり、
日本建国の歴史は中国とは無関係とすることあできるんだよ。
九州説の人は、中国の臣下だったのは九州だけで、畿内大和は関係ないと言ってるのだから、
それに従ったほうが、国益に沿うのだ。
歴史の事実かどうかなんて、国際的には価値が低いものだ。
町おこし歴史はもうやめようや。朝鮮人みたいだな。
俺は福岡在住だけど、ヤマト国が九州にあった証拠らしきものなんか、何もねーよ。
134 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 14:27:25 ID:NOmo/TMBO
なるほど、足利義満も明の皇帝から日本国王の位をもらってたと認識してたけど、あれも日本を中国の支配下に置こうとする勢力の捏造なんだね
本当だったら日本が独自に発展してきたのは600年やそこらになっちゃうもんね
どう考えても卑弥呼の邪馬台国は九州。
そして、畿内連合国の九州巡幸によって邪馬台国は滅ぼされた。
>>119 韓国人の発想だなw
歴史をフィクションにすべきじゃない。
DNA的に言えば人類皆兄弟だw
その点で弥生人は孫権や周喩などの遠い親戚かもしれないし、
魏と関係のあった邪馬台国の流れを組む日本は東アジアで一番
正当性のある国家だと言える訳で…
逆にその発想が大東亜共栄圏や征韓論にも及んでる。
137 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 14:28:55 ID:pmq9UqA6O
子供の雑誌なんかをみていますと、手塚治虫などがやはり神話を書いている。
たとえば神武天皇など他民族を侵略した蛮族の酋長にしている。
日本に古代奴隷制なんてないんですが、奴隷たちが苦しめられて鞭で打たれて、そこで金の鳥が弓の上にとまったりして、それで人民を威嚇して……と、全部そういう話です。
…小学生や子供が読むのは、大学生が読むのとは違うでしょう。
これがなんでもないような女の子向きのマンガの中に、支配階級を倒せとか、資本主義はいかんとか、それがたくみにしみ込むように織りこんである。
大人が神経をつかっても、いつのまにか侵入してきているんですよ。
三島由紀夫
対談「天に代わりて」より
139 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 14:29:22 ID:1usY6Dh9O
ちゃんと九州か奈良か
書いとけよ
まったく使えないな巍は
地形がどんどん変わってるんだから、近畿から中国まで行くなら九州経由だよな。途中で落としたんじゃね?
141 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 14:29:29 ID:+8WScmp10
ヤマトではなく、ヤマイ。
邪馬壱と、原本にはある。
142 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 14:31:40 ID:ikwrDwK6O
邪馬台国の卑弥呼はヤマタノオロチです
143 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 14:31:56 ID:ygDtsKju0
>>132 中国を利したとしても、属国ゆえ従えなどといったら緊張が高まり、
両国共に利なし。
いや、日本は防衛設備の増強理由になりむしろ日本にお得www
144 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 14:32:28 ID:CTwbPnKLO
145 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 14:33:05 ID:nBbS7xcA0
邪馬台国とかは九州でいいよ。
そのかわり城島は近畿で
146 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 14:36:04 ID:NOmo/TMBO
高々2600年の歴史を主張したところで、北京原人以来の伝統を擁する国と、半万年の歴史を主張してる国には勝てる気がしないよ
147 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 14:37:28 ID:ygDtsKju0
>>135 初期に制圧された可能性はあるが、九州には武器の材料がないので、
巻き返されたんだろうなぁ。
鉄器も鏃も無いのに勝てる訳がない。
>>113 知らん。
が、「俘」も「囚」も「とりこ」「とらわれの者」という意味だし、
両方とも音読み(漢音なのか呉音なのかは知らん)なので、大和言葉
ではないと思うな。
捕虜を表す一般名詞を、東北のまつろわぬ者への蔑称に使っただけじゃね?
特定されていないのを認めていながら九州だと断定する神経が分からん
151 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 14:39:45 ID:An5ymQ1G0
邪馬台国九州説なんてとっくの昔に潰れてるだろ、往生際悪くてみっともねーな>九州人
あ、半分朝鮮だから当たり前かwwwww
152 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 14:41:24 ID:HkHgXAbw0
邪馬台国畿内説を唱える人は、邪馬台国が中国に朝貢していたことを
どう説明するんだろう。大阪から船出して瀬戸内海経由で関門海峡渡り
それからいったん博多に出て壱岐対馬それから朝鮮半島へ出たと。
もしそんなことしていたら、そりゃすでに日本の統一王朝だろ。3世紀に
そんなものが日本にあったとでも言うのだろうか。
宇佐八幡になんかスゴイの埋まってるらしい
あれは見たいもんだな。
>>132 なんか必死なとこ悪いけど
がんばってその理屈で九州説を強くプッシュしたところで
日本人の性質からして煙たがられるだけだぞ。
あくまでも重視するのは確実な証拠。
たとえ日本に都合が悪くとも証拠が畿内を示すのであれば
日本人は畿内説を採る。事実を曲げてまで九州説を選ばない。
九州であってほしいのなら確実な証拠が出るのを待つほかないよ。
155 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 14:44:30 ID:1S9Udh9+0
大分にも吉野ヶ里ってあったんだ?
>>154 208年赤壁の戦いで呉の軍隊はどういう戦いをしていたのか?
魏や呉の軍事力を考える上での朝貢な訳だから、
必然的に早いタイミングで拠点を大陸から離すのは当然。
157 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 14:50:26 ID:ygDtsKju0
>>154 九州説が有力ならそれを認めるし、
現中国や半島が何言おうが関係ない。
オレたちはもうすでに同一民族としての意識と、誇りを持っている。
他国は関係ないよね。
158 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 14:50:49 ID:LkoWRmue0
まあ、実物の邪馬台国もここと五十歩百歩の規模だったんだろうけど、
観光客の入りが全然違ってくるだろうからなw
159 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 14:52:10 ID:eLjwTFgK0
・弥生人が中国の長江流域からやってきた百越系民族である事!
・半島南部の先住民が倭人(=弥生人=百越系民族)である事!
・新羅の建国時の宰相が倭人であり、王家の一つ昔氏が倭人系統である事、
また始祖の朴赫居世についても倭人説がある事!
・百済、新羅が大和朝廷に対し従属的地位にあった事!
・大和朝廷による伽耶地域の支配(半島南部における多数の前方後円墳の存在)
・半島における文化的独自性の欠落(全学術分野の古典の自らの廃棄・不在)→
事実のねつ造,文化の 掠奪!
・常に中国の隷属国として歩んできた歴史!
・朝鮮人姓が漢族のものである事!
・朝鮮征伐が日本と明との戦争であった事!(李朝の軍は明の将の指揮下に入り、
和平交渉も日本と明の間で行われている) ・朝鮮通信使が実質的に朝貢使節であった事!
(琉球の江戸参勤と同じ)
・朝鮮固有語の語彙が貧しく、日本の字訓制度がなく、語彙の7割が日本漢語である事!
(学術的語彙は9割が日本の漢語)
・朝鮮人と日本は 月と太陽ほど違う!
九州が日本起源を主張されても失笑されるだけだろ。
162 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 14:56:29 ID:dInYIhsP0
>>131 普通に考えればそのとおりなんだけど
古代研究に猛威をふるってた西田学派は
他民族系の神話が混入しているだけで
それを「創作」とみなしてきたっていう
醜い歴史があるのよ
邪馬台国がなかったってのは選択肢にないのか?
164 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 14:57:23 ID:6QymC0VI0
なぜ九州か? 朝鮮に近いからに決まってる その後、文明の中心は近畿地方へ移っていった。 これがもっとも自然で素直な考え方。
165 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 15:01:28 ID:ygDtsKju0
>>161 その山の黒曜石は近畿まで輸出されて他のかね?
統一した国家なら、産地を幾つか持ち一箇所の産地に頼らないもんだ。
それが国と呼べる組織。
もし「腰岳」とやらの黒曜石しか出ない遺跡ならそれは、豪族の支配領域でしかなく、
国とは言えないよね。
まあ九州、近畿、四国、関東、東北のどっかにあったんだろう
167 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 15:03:20 ID:DlSd8xISO
まだ九州説なんて化石説を信じてるやついるのかよ
観光誘致で田舎が必死になって騒いでるだけだろ
吉野ヶ里のあの無茶苦茶な復元がいい証拠。
現地で見たとき、リアルで「ねーよwwwww」ってフイタぞ
>>165 都市国家というものを良く把握して無い人と思われ
邪馬台国が何処にあったかは朝鮮が知ってるよ。
聞かないから教えてくれないだけアル。
171 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 15:12:04 ID:ygDtsKju0
>>168 だから城壁に守られた都市国家は他にもそういう勢力があるから、壁を作るのよ。
そんなものは日本国家とは言えない。
都と古墳と農業・産業・武力で侵略される脅威が無くなった時こそが立国なのだ。
まして島国で侵略を恐れるようじゃ、地方豪族に過ぎんよ。
>>165 そんなにファビるなよwww
>九州にゃ黒曜石がないし
という書き込みへの反論なだけだろ
174 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 15:14:58 ID:dKFCGCXy0
九州出身の学者は九州説。近畿の学者は近畿説を採る者が多いらしい。
何故だろう?不思議だ・・・・。
175 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 15:15:44 ID:AHOsRsfUO
九州説は朝鮮人が主張してるの?
なんでこんなキャンペーンしてるんだ?
>>171 それ君独自判断。もうすこし勉強しなおしたほうがいいだろう。
177 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 15:17:40 ID:ygDtsKju0
>>172 その黒曜石を使用した地域の分布と、使用量もググレよ。
もう少しでオレ様に噛み付けるぞw
>>177 >九州にゃ黒曜石がないし
という自分の書き込みは徹底無視するんだな
>>174 そりゃあオラが村が歴史の大舞台であったら嬉しいからだろう
180 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 15:23:38 ID:ygDtsKju0
>>173 おめーええもん見つけたなぁ。
ただ、確か長野県産の真っ黒のが多いのな。鏃なんかだと。
その写真の石器なんかあんまり見たことないよ。
181 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 15:24:56 ID:FiFKFTsY0
>>1 大阪嫌いだから九州説でいいよ。
吉兆じゃないけど信用できん。
九州に迷惑掛けたんだから九州に譲ってやれよ。
182 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 15:25:56 ID:DaS0EdAv0
最近の佐賀県の公式見解でも邪馬台国が吉野ヶ里だったとは思ってないらしいが
183 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 15:26:33 ID:68km+wE30
184 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 15:27:35 ID:ygDtsKju0
>>152 魏志倭人伝の描写的にも、豪族連合の長的な感じだから、
まあ、ありえるんじゃないの。
いきなり統一王朝というよりは、何百年も段階を経て
発展していったと考える方が自然ではある。
186 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 15:33:53 ID:LUoBInZ10
魏志倭人伝では、倭人は刺青をして、漁業をしていたとあるし、中国へ献朝する
ほどの航海技術があったとすべきじゃないのか、倭寇の先祖の瀬戸内沿岸に位置する人々じゃないのか
やはり九州の宇佐あたりは有望、卑弥呼の娘も「とよ」とか「いよ」とも言われてるし、大分とか愛媛なんかも
候補かも。
>>174 歴史って、結局、
「おらが村自慢」「おらが先祖自慢」
みたいなところから離れられないのよ、なかなか。
そういうので飯食いやすい、とかもあるし。
あと、やっぱフィールドワークするんで、地元密着になりやすいし。
>>184 それはいいね。おれは世界史版の住人だ。
まってるぞ。
189 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 15:45:21 ID:T63rjIYlO
無双オロチに出てきた卑弥呼は関西弁だったな。
しかも亀ヶ岡土偶を従えていた。
190 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 15:48:25 ID:rx7vpOXR0
ふつーに考えて四国あたりだろ?
瀬戸内海を迂回して航海することを考えると距離も合ってるし、
四国あたりには異常なくらい古い神社がたくさんある。
191 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 15:49:10 ID:VLU+imO20
魏志が書かれた頃の発音で「邪馬台」ってのがどんな発音だったかわかれば話は簡単なんだが
推定すると「ヤマト」に近い音じゃないかという話がなかったっけ?
>>191 ヒミコのことを「ペメハ」とかいうてた。
あてにならん。
九州説と痴漢ボクサーは似ている
194 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 15:51:38 ID:fr6J1QRUO
ヒミコが佐賀だとすると、ヒミコ=干潟の女王説が持ち上がる。
すると干拓事業の邪魔になって土建業界にとって迷惑。
195 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 15:52:49 ID:lwepiSP4O
いーまに見ていろ邪馬台王国、全滅だ!
そもそも吉野ヶ里って卑弥呼時代には衰退してたんじゃなかったっけか
197 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 15:57:57 ID:ygDtsKju0
>>192 現在でも方言で読めない字がかなりある。
読めない字を想像して自分寄りに解釈してんだもん。
真実なんか見つからないし、謎のまんまででも構わない。
そんな事で日本民族の誇りは傷つかないしね。
198 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 15:58:23 ID:VLU+imO20
>>192 そもそもヒミコというのが正しい読みというわけでもないだろう
>>152 マキムクで色々な地域の土器が出土してるんだから
ありえない話でも無いんじゃないの?
200 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 15:58:50 ID:WAZdjVUf0
>>60 これが回答だな。
当時、広大な統一国家があり、かつ、
外交権が一本化されていたなんていう証拠はどこにもない。
201 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 16:00:15 ID:ygDtsKju0
>>198 つーか、名前すら読めないのがあるもんね。
202 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 16:00:25 ID:QhoFshyl0
常識的に畿内説以外考えられんわ。
平城や平安みたいな文化遺跡が多数顕在してたら、九州説も信じられるけど、
九州説の根拠って中国のあいまいな文献と金印くらいだろ?
九州にある程度の国があったとは思うけどね。
俺は金印については黒田家のヤラセじゃないかと踏んでいる。
>>163 邪馬台国捏造説。
愛国者なら当然、この説が最有力だよ。
中国の文献を信じる馬鹿は愛国者に居ない。
205 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 16:01:12 ID:WAZdjVUf0
>>199 土器の存在は、統一国家の証明にならんだろ。
対等の関係で交易すれば手に入るし、
軍事的に強い豪族が、外交関係により入手することもあるだろ。
なぜいきなり統一国家の証明にまで飛躍するんだ。
206 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 16:01:36 ID:XlPHzNDo0
新説。
邪馬台国は栃木。
207 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 16:02:04 ID:LUoBInZ10
ポリネシアの言語のマウリ語を研究してる知り合いがいて、その人の話では、世界の言語、宗教
文化、経済、情報、などの研究の中心はイギリスだそうだ、400年以上も植民地政策を行うにあたって
文献の解読の究明が最も進んでるそうだ、少数民族の言語には、語源であったり、古語であったりするものが
多いという、魏志倭人伝の解明は、イギリスではすでに解明されてるんじゃないかと言うことだった。
魏の使者は邪馬台国に行ってないよ。上陸した九州の事については物凄く詳しいのに
距離が離れるごとに記述があいまいになってくる。
間違いなく九州の豪族の接待を吉野ヶ里あたりで受けて伝聞で邪馬台国の事を聞いただけ。
九州地方の風俗が出てくるのは当たり前。九州しか行ってないから。
でもそこは邪馬台国じゃなかった
209 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 16:04:59 ID:WAZdjVUf0
>>202 畿内しかないという結論が、
君のあげる根拠に根拠にあってないんじゃないか?
「日本で最大の勢力はどこだったか」というのが論点ではない。
「中国と交流していた邪馬台国とはどこか」が論点だ。
>九州にある程度の国があったとは思うけどね。
君がこう書いている通り、畿内に比べて小さな勢力が
交流していただけかもしれないだろ。
>>205 安全に九州までいければ朝貢はできる訳で
統一国家である必要はまったく無いと思うんだが。
211 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 16:05:22 ID:QhoFshyl0
>>198 ところで、卑弥呼以外にも歴史上の人名の読み方って、
どうやって伝承されてるの?
読み仮名書いた様な文献ってあるの?
無かったら、口伝ってことでしょ?
例えば、源頼朝は本当にミナモトノヨリトモだったの?
212 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 16:06:48 ID:ygDtsKju0
長野の黒曜石と出雲紀ノ川の砂鉄で武器を作ったのが倭政権。
213 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 16:07:10 ID:WAZdjVUf0
>>208 だけど、中国から邪馬台国までの
総距離のほとんどを九州上陸までに使っている。
学者って、固執した自説を曲げることはまず無いよ
高齢であるほどありえなくなる
彼らが死に絶えるまで九州説は叫ばれ続けるんじゃない?
邪馬台国が畿内だとすると、その当時は既に北九州〜近畿の
豪族連合ができてたってことだよな
もし神武東征があったとすると更に時代が遡るってことか
>>211 カナ文字が出来た後はカナ表記があったと考えていいんじゃない?
217 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 16:09:47 ID:WAZdjVUf0
>>210 それはその通りだと思うよ。
だけど、
>>199の君のレスは、
>>152の「3世紀に統一王朝があるわけがない」という意見への反論だろ?
その根拠として土器の存在を君が挙げたから、
俺は反論の根拠にならないと書いただけだよ。
だいたいタリシヒコすら聖徳太子かどうかあやしいのに
ヒミコが畿内といわれても説得力がないじゃまいか
219 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 16:11:33 ID:6pYhgeQz0
ヒミコは熊襲の長だよ
魏の使者は九州に上陸したあとに現地の豪族から邪馬台国の事を伝聞で聞いただけ。
卑弥呼に会ったとか一言も書いてない。「邪馬台国という国があって女王卑弥呼が居た」と
書いているだけ。使者も普通得体の知れない異国でそんな遠くまで行こうとは思わんよ。
豪族だって使者の安全を保障できないだろうし。山賊とかに襲われたらどうするんだと言う事だ
邪馬台国に行く行程の記述も邪馬台国に近づくにつれて記述がほとんど無くなる。
自身が行ったであろう九州の事については産物とか役人の名前とかまでくわしく書かれているのに・・・
伝聞をそのまま魏志倭人伝が採用したに過ぎない。
221 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 16:12:00 ID:QhoFshyl0
>>211 でも、木簡とか寺の台帳が出てきても、人名って漢字じゃん?
別もんで日記とかが出てきて幼少時の名前がかなってのはあるけどさ。
222 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 16:12:08 ID:WAZdjVUf0
>>214 近年、畿内の発掘が進んだ結果、新たに判明してきたことは、
「畿内は思ったより大きな勢力だった」ということだけだよ。
魏志倭人伝の邪馬台国の記述を動かすような新事実はないだろ。
223 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 16:12:51 ID:XlPHzNDo0
おい、おまいら!
簡単だよ。
当時は北九州に唯一の外交窓口と税関があっただけ。
そんで、政権中枢が畿内にあった。
小国乱立→小国連合→統一国家
(古代戦国時代)
…になったかは詳しくは分からんが、
少なくとも平安時代までにはそうなったってことだろう。
224 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 16:14:27 ID:ygDtsKju0
朝廷は九州の豪族に「和の清麻呂」を「汚な麻呂」と改名を求め、それに従ったのだよ。
どれ程の権力か?逆らえる軍事力でない事を証明してる。
九州の地方豪族は逆らえなくなってる。これが国家なんだよ。
225 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 16:15:23 ID:9nkcY14u0
226 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 16:16:01 ID:VLU+imO20
>>211 基本的には昔の事は文字とかによって記録されているので、
音は正確に再現されていない可能性があるんだよな。
まさかと思ってググってみたら、
やっぱり朝鮮半島説があってビビったw
早いとこ決着つけないと調子に乗るぞ、あいつら
金印偽造して埋めておくくらいのことは1000年くらい前にやってる
はずなのになんで出てこないんだろ?
229 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 16:19:43 ID:QhoFshyl0
>>223 そうだと思う。吉野ヶ里遺跡は外交使節を受け入れる接待所みたいなもんでしょう。
張政ら魏の使者はそこに滞在して邪馬台国の事を伝聞で聞いたのだろう。
張政にしたがって付いてきた部下が倭人の事を書き記して魏に送り、それを陳寿が一部を
倭人伝として伝えたのだ。伝聞の伝聞だから地理的なところとかおかしな記述があっても仕方が無い。
陳寿は行ってないんだから日本に。
記述が九州地方の風俗だから・・・というのは当たり前。九州しか行ってないんだから。
邪馬台国もこんな感じだろうと思ったのでしょう。
少なくとも吉野ヶ里は邪馬台国ではないでしょ。
というより巻向周辺を宗教、交易施設とした
現奈良、大阪周辺が邪馬台国=女王の都する処で決まり。
女王国というのは瀬戸内海に面した国の連合の事ですよ。
コーエーの三国志に倭プレイ可能で中国統一できたのあったなw
[だっけ\だっけ
233 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 16:23:45 ID:ygDtsKju0
234 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 16:23:52 ID:XlPHzNDo0
>>227 だが、ちょっと待って欲しい。
それは、漢字を正確に読めるようになってから言え…という結論に至るだろう。
残念ながら、冷静に見てほぼ畿内。もうほとんど確定。
桓帝・霊帝の間(146〜189年)に倭国大乱(180〜190年頃) (後漢書)
倭国は多数の首長連合であり、それらの首長を束ねる存在として倭国王を据えていた。
しかし各国の発展や摩擦の増大により、この調整的な緩やかな秩序体制は破綻する。
王が選定されない状態が続き、ついに大乱が生じる。
畿内から北九州に及ぶ瀬戸内圏は大いに乱れ、国は疲弊し、首長たちは邪馬台国の
卑弥呼を女王とする新体制を作る。邪馬台国の下で倭国は安定し、3世紀中頃に
勃発する狗奴国戦争まで争乱は起こらなかった。
西暦300年頃
崇神天皇の命で各地に四道将軍が派遣され、ヤマト政権に従わない勢力に恭順を迫った。
北陸に大彦命、東海に武渟川別命、西道に吉備津彦命、丹波に丹波道主命。
237 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 16:29:01 ID:pd/Ek7WE0
宇佐こそ邪馬台国の地
239 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 16:33:38 ID:ygDtsKju0
>>236 人口増加による各豪族間での侵略合戦が起きる。
その時に軍事力(製鉄・黒曜石の産地など)がある部族が勝ち、ヤマト政権が樹立する。
したはず。
240 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 16:33:41 ID:uZiACl6p0
>>230 なんで当時の日本最大の都であった邪馬台国に中国使節団が実際に行かないのか
非常に疑問だわ。
卑弥呼は逆に朝貢を行っているわけだから、先進国である中国が技術的困難で行かないとも思えない。
安全性についても卑弥呼支配下にあるわけだから安全は保たれていると思う。
まるでオバマが関空には来たけども、東京はパスみたいな話だろ。
USAの国か
邪魔台
↓
やまたい
↓
↓
↓
↓
↓
やまがた
↓
山形
と、なんとかして邪魔台国=山形説をでっち上げたい
243 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 16:35:41 ID:8HJdZTWF0
邪馬台国は日本語発音ではヤマト国
九州もヤマト国だったが首都は近畿だろ
244 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 16:35:51 ID:XlPHzNDo0
大体、昔から逆らうやつは潰されて、そこは勝者の直轄地になって、そこには役人が派遣され、
素直に従えば、本領安堵となって、外様大名になる。
当時の北九州は素直に従った小国か、潰されて役人が派遣された直轄地か分からんが、
どのみち、外交窓口や税関の役割を担っていたはずだな。
>>232 kwsk
>>236 狗奴国は鹿児島か高知か徳島か三重か愛知か…とりあえず、日本の南端の方ってことで。
狗奴国=熊襲でビンゴだったんじゃないの?
246 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 16:38:42 ID:HkHgXAbw0
魏志倭人伝では「魏の使者」が九州に来たなんて記事あったのか?
魏へ朝貢に来た邪馬台国の使者から聞いた話を魏の人が記録しておいた
ものばかりだと思っていたけど。
247 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 16:39:14 ID:ygDtsKju0
強大な勢力は九州の豪族と戦うことになる。
和気の清麻呂しかり、菅原の道真しかりだ。
勢力を誇示するために、厳罰化してる。国力・国威を示すためだ。
>>239 黒曜石は長野や北海道から全国に運ばれていたし、この頃日本には製鉄は無い。
日本にあった鉄器は全て朝鮮半島からの輸入品。蹈鞴製鉄が開発されるのは
六世紀の話。
249 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 16:40:22 ID:JaK798TPO
俺は九州説、畿内説どっちも正解だと思う。
俺はヤマタイ国ってのは大和政権の前身だと思ってる。
ヤマタイ→ヤマト
ヒミコ→日神子・日巫女・日御子・日皇子
じゃないかと思うんだよな。似てない?大体、国や王の名前に邪とか卑とか使うわけないじゃん。当て字だよあれは。
んで天孫降臨説話には、天皇家の祖先は宮崎の高千穂に最初降りたって、その後東征したってあるじゃない。
なんでわざわざあんなに遠くまで行く必要あるのかっていうと、たぶん九州で一度滅ぼされたんじゃないかと思うんだよな。
ヤマタイ国も戦争に負けて滅びたってあるよね。ヤマタイ国=大和朝廷と考えれば、東征ってのは戦争に負けて東に逃げたんだと思う。
それじゃあまりにカッコ悪いから征伐に行ったって話にしてるけど、その割には九州から領土を拡大したわけじゃないからな。普通、元々の領土を放棄して別の場所には行かないよ。特別な理由がない限りは
そしてもう一度国を建て直した場所が畿内。九州→畿内の順番に国を造り直したんだと思う。
250 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 16:41:14 ID:uZiACl6p0
>>244 九州が出先機関だとして、なんで中国の役人は倭人の風習を九州人の物限定で
記述したんだ?
出先機関の日本側の役人は、ろくに畿内の風習を説明できなかったとか?
貫頭衣とか畿内じゃ寒すぎるだろw
>>249 畿内(ヤマタイ)で権力争いで負けて九州へ逃亡→高千穂で奮起(天孫降臨)→取ったどー!(東征・ヤマトへ)は考えられないかな?
なんとかしてでっち上げられないかな
252 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 16:48:52 ID:XlPHzNDo0
邪馬台国→大和国
・音から「大和」を「邪馬台」と中国式変換&当て字
倭国→大和国
・中国的に「大」という字が気に入らなかったから消去
・「和」を「倭」と中国式変換&当て字
当時の中国人がレベルが低い思考回路で以って、くだらない当て字を使うから、
余計に意味不明になってるだけだな。
253 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 16:49:23 ID:JaK798TPO
>>251 九州に勢力を残したままで東征したなら説得力はあると思うが…うーん
>>251 足利高氏が同じ動きをしてるね。
神武がヤマトでの政争に一度敗れたのか、あるいは簒奪したのかは不明だけど、
この事件こそが「国譲り」なんだと推測してる。
ただ神武は畿内を掌握したあと、伊勢方面などを攻めてるからこれが東征のモデルかも。
255 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 16:55:30 ID:uZiACl6p0
九州から畿内に政権が移った説のほうがスッキリ行く部分は多いよね。
高千穂に天孫降臨・東征神話。
大和朝廷にこだわって最初から大和政権は畿内にあったというほうに無理がある気がする。
稲作にしても、やはり大陸起源だし先進地域に「クニ」が成立するのが自然。
>181
バカ発見w
257 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 16:59:55 ID:Sbpq5ljL0
>>248 鉄は、弁韓からの輸入品。最初は最寄の九州の国が全てを掌握して、瀬戸内や畿内に流していたが、
瀬戸内・畿内連合体が、鉄の支配権を奪取することに成功するようだ。
その、瀬戸内・畿内連合が大和政権へと成長するのでは。という感じになってきたね。
258 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 17:00:00 ID:uZiACl6p0
>>246 帯方郡の太守がたびたび倭国に使節を送ったことは書いてある。
259 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 17:00:02 ID:XlPHzNDo0
>>249 それは可能性としてあると思う。
最初、大国に呑まれて、その後、武官として畿内方面に派遣されて、
畿内に土着して、後世、子孫が力をつけて…みたいな。
>>250 当時の九州人を見てそれがすべてだと思ったからじゃね?
260 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 17:01:35 ID:JaK798TPO
大陸起源とか言うとまた荒れそうな気もするが、日本は昔っから土着神系と天孫系が手を取り合って(激しい戦いはあったのかもしれんが)やってきたんだから、気にすることもないんじゃないかとは思う。
起源がどうあれ、日本文化は大陸文化とは完全に別物なわけだしね。
神武東征なんて明らかに河内源氏が東国で力を付けて実権を握った
みたいな状態でしょw
263 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 17:06:49 ID:uZiACl6p0
>>259 いや、だから邪馬台国が畿内にあったとして、なぜ邪馬台国は冬は雪が降りますとか
内陸部にあって大きな淡海(琵琶湖)が近くにあるとか
そういう説明をしなかったのかが、もの凄く疑問なんだよね。
畿内説の弱点は風俗が合わない点。
264 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 17:25:01 ID:XlPHzNDo0
>>263 そもそも、説明するか、しないかはする側の自由だし、
実際にしたか、しなかったかは、ただの1つの事実結果にすぎないわけよw
んで、説明の有無という事実行為について何も裏づけするものは存在しないから、
説明したか、しなかったか…なんてのは実際には分からないし、
あったならあったとして、ただ単に記述漏れかもしれんし、
しなかったとしても、当時には当時の国家機密的な理由があってそうしたかもしれないし、
だから、説明の有無で一概にどうこういえないと思うんだなw
風俗にしても、土着系や移民系、その他、集落部族などなどがいて、それ自体が小国を形成してたりしたんだろうから、
その地域地域で風俗に違いがあっても当然だと思うし。
>>261 は?勝手に決め付けんな。
畿内説は基本は奈良のことだぞ。
大阪は関係ないかあっても中心ではない。
>>263 上で出てる説が有力なんじゃ?
単純に深入りしていないだけ。
外交軍事拠点としての北九州で両者ともことを済ませてると
みるべきで。
長崎の出島と一緒。
ペリーの外交使節団が浦賀に来て大慌てする状況を安易に作らないように
朝貢していた訳で…
魏志倭人伝という本があると思っているやつがいるな
268 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 17:33:30 ID:eHEGz9QYO
少なくとも倭人伝に出てくる邪馬台国は九州としか考えように無い。
南方系の風俗、温暖な気候、海と密着した生活、
登場して詳しく紹介されている倭の諸国は北九州のクニばかり。
その北九州の諸国ですら、やっと支配しているという程度の危うい国家体制…
どう考えても九州への旅行記にしか読めない。
倭人伝では九州以東の記述があまりにも薄い。
邪馬台国を畿内にもっていくなら、いっそ倭人伝の記述を否定して
「後漢の頃に北九州のナ国へ金印を持っていった時の旅行記」を引き写しただけで
倭人伝の記述は実際の邪馬台国とは無関係だ、と言い切るくらいしないといけない。
あるいは、使者は北九州までしか来ていなくて、引き返したから九州の様子を倭国の様子としてレポートした、とか。
そのくらい言い切らないと邪馬台国を畿内だと説明できない。
海洋的で南方的な邪馬台国の光景に該当する地域は
北九州が北限。南九州の可能性もある。南方の敵国クナ国ともども邪馬台国は九州島内。
どんなに頑張っても倭人伝の倭国の情景は奈良県の風景じゃない。
畿内の銅鐸文化は現皇室と全く断絶している。
逆に北九州の文化とは親和性が高い。神武東遷の神話もある。
皇室の起源は畿内には無い。
そういうこと。
270 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 17:36:57 ID:eHEGz9QYO
邪馬台国畿内説支持者は今すぐ倭人伝を窓から投げ捨てるべきだ。
海洋的で南方的な倭人伝の記述はどうみても九州。
倭人伝の邪馬台国が海ナシの奈良県だって?悪い冗談だろ。
邪馬台国畿内説を成立させるならば
1三国志の著者陳寿がズボラかまして後漢時代の九州ナ国への旅行記を邪馬台国旅行記としてコピペした
2使者である張政がズボラかまして北九州のナ国あたりでお茶を濁して邪馬台国まで行かず引き上げた
3北九州のナ国近辺のクニが勝手に日本代表としてヤマトと名乗って外交してた
4敵国である呉に「南方のクニまで服属した」とアピールするため示威行為として邪馬台国を南国にみせかけた
5朝鮮のように占領されるのを恐れて邪馬台国政府が首都の位置を北九州だと偽った
このくらい言ってのけて倭人伝を全否定するべき。
重ねて言うが、
邪馬台国畿内説支持者は今すぐ倭人伝を窓から投げ捨てるべきだ。
>倭人伝を全否定するべき
都合の悪い史実は全て無視しろってか?どこの半島人だよ
邪とか倭とか、中華思想のバイアスのかかった視点で語られた歴史は存在の根拠にならないです
273 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 17:49:47 ID:OYIfaTvr0
聖徳太子なんていなかった、とか寝言言い出すオッサンに見習って俺も
ヤマタイなんてなかった。最初からヤマトだった。といっておこう
俺のほうは正しいと思うがw
274 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 17:51:59 ID:H52/eEld0
>>266 卑弥呼は狗奴国に攻められて
魏(帯方郡)に救援を要請したんじゃ?
当時は二酸化炭素の排出量が多かったので温暖化の影響で奈良でも裸だった
倭人伝の風俗が南方系?
北部九州は結構寒いし下手すりゃ奈良盆地より雪降るけど。
それに風俗は倭人について書かれてあるのであって、
邪馬台国独自の風俗が書かれてある訳でもない。
それにその山に「丹」ありと書かれてあるのは無視ですか?
何処にでもあるベンガラ(朱)ではないですよ。
「丹」となると弥生末期には徳島と紀伊半島でしか採掘跡ないです。
巻向近くの桜井茶臼山古墳からは、200kgという破格量の水銀朱があったそうだが。
>>274 だからこそ卑弥呼は九州に首都を置かないって事ね。
伊都国が外交的な大陸との窓口機関として機能していただけで。
地政学的、軍事学的に見ても大陸と狗奴国との二面作戦を
とるような状況は極力避けるとみるべきで。
稲作が安定的にできてかつ狗奴国や大陸から離れている地を拠点にするのは
ある種当たり前の行動。
その上で大陸と外交的に上手く調整をしながら、狗奴国の制圧するべく
九州南部に前線基地を設置していた。そこに赴任していた下っ端皇族が
謀反を起こした=神武の東征。
278 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 18:28:11 ID:H52/eEld0
あれ?
触っちゃいけないのに触っちゃった??
279 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 18:30:55 ID:H52/eEld0
神武東征は2世紀
卑弥呼は3世紀
なわけだが
・・・・
280 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 18:32:43 ID:8Nm2Fo1dO
金印かくしもってる奴は今すぐ名乗り出ろ
281 :
(´-`).。oO ◆abcDBRIxrA :2009/10/26(月) 18:33:51 ID:BVsPKNN/P
<魏志東夷伝倭人に書かれてる、歯黒国と裸国は南米。
<南米から縄文土器が出土してるから、日本人が太平洋を往復してたことは物証が残ってる。
∧_∧
⊂(・∀・ )つ- <これ豆知識な。
/// /_/:::::/
|:::|/⊂ヽ ノ |:::| /」
/ ̄ ̄旦 ̄ ̄ ̄/|
/___________________/ | |
| |----------|│
<安本美典によれば、卑弥呼は天照大神
<邪馬台国は北九州。後に神武天皇の時代に東遷して大和朝廷になった
∧_∧___
(・∀・ ) / | <これ、豆知識な
⊂ へ ∩./ .|
i'''(_) i'''i ̄,,,,,,/
 ̄ (_)|| ̄ ̄
>>281 安本&古田は既に論外ですよ、最近デムパばっかり。
284 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 18:42:00 ID:ZVb+Cb2v0
いろんな証明があるが。
例えば、「何故神話は出雲・筑紫までなのか?」
ヤマト編はなく、その開始は人代の初代・神武からとなっている。
いきなり神武が奈良や近畿に天孫降臨してくれりゃ、こんなに後代
悩む事など無かったのにねw
しかも、神武記は瀬戸内海をうろうろした挙げ句に勝手に上陸して
東大阪の日下(くさか)から奈良に侵入しようとして咎められ、し
かも頼みとする三種の神器も先行するニギハヤヒが持ってたりで、
兄三人が死ぬさんざんな敗北の末に、遥か南方の熊野からなんとか
たどり着いてだまし討ちしてやっと南端に根拠をもらった。なんじゃ
そら。どこが初代「神武」なんだってwww
これは、要するに神武当時は勿論、書かれた遥か後代でも筑紫神話
や存在を無視できなかったということになる。
反論してくれ、畿内説のぼんくら共w
>>279 うん?
大陸と狗奴国と大和の二面構造はずっと続いてる。
>>280 それを言い出すと天皇家になる可能性が高い…
288 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 18:49:21 ID:ZVb+Cb2v0
>>286 クズにレスを付けてくれと頼んだ覚えはないよ。クズw
文献史学と無視乃至馬鹿にするクズ考古学至上主義は、実は何も説明できない
んだが、クズにはわからんだろうな。
佐賀のあんなもんが邪馬台国だと思いたくない
>>288 いやだから文献でも畿内説だからw
そんな「神武天皇が九州からきた」というなんの根拠もない神話で勝ち誇られても
邪馬台国って近畿でしょ?
いまだに九州説とか、本気で言ってる人って、
ちょっと、アレな人だけだだろ。
>>283 九州にも勿論水銀鉱脈はあります。しかし弥生末期にはっきりとした
採掘の痕跡があるのは徳島と紀伊半島のみです。
神武神話の話だって、わざわざ宇陀に立ち寄ってるのは、
水銀探しての事だと思うけでね。
でなきゃあんなルートで大和には入らないでしょ。
生駒の竜田経由なんかより遥かに困難な進軍だよ。
294 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 18:54:07 ID:zVTR+Uln0
博多もんは神話を真にうけるたい
295 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 18:57:25 ID:0mSTvXLX0
魏志倭人伝の世界は地理も風俗も九州に思える。
倭人伝の外で、畿内は畿内で独自に栄えていたんじゃないか?
まあ、中国の歴史書の他国への記述なんて滅茶苦茶だからな。
他に史料が不足してるとは言え、他の研究だと普通はせいぜい参考や
補完的な意味でしか使わないのに、なんでこの分野だとバイブルみたい扱う人がいるんだろ?
297 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 19:03:50 ID:QbkBheufO
卑弥呼は九州王に間違いない
昔の神話は色々くっつけて一つにしてんだよ
ちょんが京都北部から近畿制圧して
正当性を持たせる為に卑弥呼を滅ぼした後くっつけたんだよ
298 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 19:05:43 ID:YwatM1/s0
邪馬台国は九州の臣下になった国です。
中国から見れば、中華思想によって、邪馬台国は中国皇帝の影響下に置かれたということです。
もしも、畿内説なら、「天皇の祖は中国皇帝によって元首に認められた」ということになります。
畿内説を支持する人は、日本を中国の属国であると認めるようなものです。
中国の属国なのは、九州だけで結構です。
九州在住の人も邪馬台国は九州だと言っています。
九州単独で中国の属国であったことが認められてもそれはかまいませんが、
日本の歴史=天皇の歴史そのものが中国の属国から始まったとする畿内説は、外交上、国益を大きく損ねます。
中国は、いまよりもっと無理難題を日本に押し付けてくるでしょう。
日本はもともと中国の属国だったとする畿内説では、日本占領を画策する中国の思惑通りになります。
神武天皇は九州から来たってことで良いんじゃ?w
畿内から九州に狗奴国対策で赴任させられていて、謀反を起こした。
だから国が乱れて卑弥呼を立てた。
狗奴国対策で赴任していた連中が謀反を起こした訳だから
国力は落ちるし、狗奴国の力は必然的に上がる。
だから大陸に…って感じで辻褄もあうw
なんか、九州に黒曜石が無いとか言う書き込みがあるが
大分県の姫島の黒曜石が、西南日本にかなり出回ってるはずだが・・。
301 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 19:12:07 ID:zVTR+Uln0
きょうは九州元気だな
302 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 19:12:11 ID:YwatM1/s0
卑弥呼は、中国の属国でありたいと、積極的に願って朝貢した人です。
中国と結託して倭国を統一した人です。
一方、天皇の築いた大和王権は、日本独自の王権です。
記紀を読んでも、卑弥呼なる女性天皇が中国皇帝に朝貢したという記録はありません。
日本人なら、日本の記録を正しく読み解き、大和王権と邪馬台国は別物と考えるべきです。
事実そうなのですから。
一部の親中国勢力が、今でも日本を中国の属国であった証明をしようと画策してます。
畿内説は、3世紀から大和王権が中国の影響下にあったと認めるためのものです。
確たる証拠もないのに、軽率にそんな主張を鵜呑みにしてよいのでしょうか?
大和王権は、中国の属国ではありません。
中国の属国になったのは、九州の邪馬台国です。
>>292 あんだとこら。
おまいんちの冷蔵庫の麦茶がソーメンのツユに変わる呪いをかけっぞ。
>>293 うっせはげ。
そりゃたしかに阿波鉱床群は縄文時代からかも知れんが、そこはそれじゃい。
九州の山師はこっそり掘ってたから遺跡がないんじゃい。きっとそうだ。うんうん。
304 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 19:13:19 ID:QbkBheufO
金印も九州北部で見つかってるから
あの当時、中国と交流があったのは九州王だけなんだよ
そして、ちょんが京都北部から攻めてきたんだよ
熊襲が邪馬台国なんか作るワケないだろ基地外
「邪馬台国スレは、煽り風味で書き込むのがエチケット」
というのはわかってるんだが、疲れるので以後は普通に書こうw
>>300 そいや、俺は福岡出身だけど、子供のころに近所の遺跡で
黒曜石のかけら拾ったわ。鏃とか作った削りカスだって。
山野はこういうスレには来ないよな
>>302 その記紀は日本独自の文字で書かれてるの?w
フィクションを信じる信じないは自由だけど、軍事外交センスすら
失わせるようなフィクションは何も生まない。
結局そのセンスがアメリカや中国への二面作戦に繋がる要因でも
あった訳だから。
で、記紀には邪馬台国を滅ぼした記述はあるの?
309 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 19:29:48 ID:QbkBheufO
だからちょん朝廷と我らが卑弥呼は違うんだよ
一緒に考えるな
けがわらし
卑弥呼さま〜〜〜〜
大和朝廷は焚書とか歴史の改竄やってるだろうね。おっと誰かがきた。
311 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 19:31:42 ID:9h8Hk/mQO
邪馬台国って四国に存在したんだろ?w
nimocaのマスコットのフェレットは可愛い
>>310 中臣鎌足が悪いんじゃ。
蘇我蝦夷も、焼身自殺する前に本はどっかによけとけよ。
>>307 野衾さんは中世が専門じゃなかったけか。
また九州説の基地外スレッドか。
316 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 19:40:09 ID:YwatM1/s0
>>308 >で、記紀には邪馬台国を滅ぼした記述はあるの?
景行天皇が九州を平定した話がちゃんとあります。
つまり、九州と畿内は別の王権があり、
九州には中国の属国である邪馬台国、畿内には大和王権があり、
九州を中国から奪還したという歴史があるわけです。
317 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 19:45:30 ID:QbkBheufO
だからちょんが京都北部から攻め入ってキムチ政権作ったんだよ
でもそれじゃ誰も従わんから日本で1番力があった九州王を滅ぼして自分達を九州王の子孫としたんだよ
>>316 九州の代々の王権は伊都国でしょ、邪馬台国とは別です。
320 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 19:49:56 ID:mcZWZSmA0
邪馬台国なんてなかったことにしようよ。
321 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 19:50:13 ID:9/VjZ3ma0
朝鮮や中国から文化を学びに行くのに関西だと遠すぎるだろ
統一国家じゃないんだから、今の中四国地方にだってクニがあったはず。
そう考えると日本列島の真ん中付近に邪馬台国があったとは考えにくいのよ
322 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 19:50:20 ID:IUJ+4moy0
大和が九州か畿内かは知らないが
糸島に日の本の地名が書かれた古文書があるんだよな。
倭→大和→日本
と言ってみる。
323 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 19:51:30 ID:61W4pjvy0
なぜ大和国が九州かだと。
九州には国と呼べるほど広域を表現した大和という
地名がない
もう九州説なんてのは死に態。邪馬台国は大和で決まり。
倭人伝なんて話半分で見とくもので、あんなもんを信用するから
九州とか訳の分からんことを言い出すんだ。
中国の属国になるとかどうとか言ってるくせに、
政治的な作為によって書かれた倭人伝の記述は信用するという馬鹿ぶり。
325 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 19:56:47 ID:IUJ+4moy0
景行天皇の本拠地は久留米の高良大社
以降神功皇后まで本拠地は久留米だ。
高良玉垂の宮、大善寺玉垂宮がある。
景行天皇ではないとしても、玉垂氏の本拠地であることは間違いない。
景行天皇から神功皇后までの伝承は殆ど九州北部で
畿内での業績は殆ど無い。
>>323 奈良の大和だって、もとはマキムク古墳群の周辺の地名だったんじゃないのん?
>>72 懐かしいなぁ、
昔よくアコギで弾いてたよ。
古墳時代の大和や河内って明治時代の東京と同じで東日本の玄関口。
329 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 20:07:23 ID:kTvl1Jfp0
当時の日本に大勢力が九州と近畿にあったというのは
出土品などの違いから分かるようだけど
それのどちらが邪馬台国なのか
そしてどうやって大和王朝に繋がったのか
ただ近畿に邪馬台国があったとするには
倭人伝や神武東征、三種の神器は九州出土の祭器
それに重要な祭りの道具
近畿の埴輪と銅鐸文化の消滅
などの合理的な説明をしなければならない
330 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 20:11:26 ID:YwatM1/s0
331 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 20:18:14 ID:YwatM1/s0
>>329は東遷説に誘導したいんだろうが、とんでもない。
中国の属国だった九州の邪馬台国が、
畿内に東遷して大和王権になっただと?
いったい、文献上、考古学上、どこにそんな証拠がある?
神武東征は紀元前660年のこと。
神武は兄弟を戦争で失い、やっと橿原という大和の一角を奪取したにすぎない。
それから神武の子孫は勢力を拡大し、近畿を大和王権に治めることができた。
同時期に、九州では、中国の属国になった邪馬台国があった。
それだけのことだ。
332 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 20:22:05 ID:+8X3NVgBO
これだけシナや半島人を2チャンで小馬鹿にしながら
そいつらの先祖の一片の役人が書いた、報告書倭人伝に
真剣になって考える自体が阿呆!
対馬で聞いた話しを書いただけ
現代なら旅費横領だな
で、九州にも大和にも台国はあった。
倭姫命みたいな皇女は沢山いたんだよ!
科学的な年代推定などによる考古学には近畿説でほぼ決まりなんだよね。
九州説って史料をかなり無理して放射説で読んだものしか材料が無いし。
でも、その変な読み方をした人が学会の権威だったことと、決着がついてしまうと
職を失ってしまう人がいるから、どちらか分からないことにしているだけなんだよ、
これって。議論はしたくても決着はつけたくないという、言わばプロレスだな。
中央アジアや南アジア史の研究で中国の歴史書の記述が考古学的な発見に勝ることなんて
まず有り得ないのに、日本のこの分野だと結構いるんだよね。
>>332 全くだな。
だいたい「邪馬台国」とかいってることがおかしい。そんなものは存在しない。
大和は昔から「ヤマト(トは乙類)」であって、文字のない時代にはそう呼んでいた場所だ。
それをどこぞのトンチキがてめえの国に都合の言い様に日本列島の地理を書き換えやがって、
台湾のほうまで延びる島にしやがったということだ。
風土風俗もそれにあわせて南方っぽい要素を加味してハイ出来上がりって寸法だ。
当然日本書紀も当時の政権がそれまで知られていた日本列島の歴史伝承を、
自分の政権に都合のいいように編集したのでいろいろ辻褄が合わなくなってるわけだ。
まあそれらを一字一句整合性を確かめて読むというのは真面目でよいが、
そういう文章の政治性を理解しない読み方は残念ながら何の意味もない。
336 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 20:38:14 ID:H52/eEld0
337 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 20:42:28 ID:9btojnVZ0
──考古学協会理事、報道機関に冷静な対応を求める異例の要請──
──データの信頼度など会場から質問続出──
国立歴史民俗博物館(歴博、千葉県佐倉市)の研究グループは31日、古墳時代の
始まりを示す箸墓(はしはか)古墳(奈良県桜井市)は240〜260年に築造されたと、
東京・早稲田大であった日本考古学協会の研究発表会で報告した。略
発表後、司会者の同協会理事が「(発表内容が)協会の共通認識になっているわけ
ではありません」と、報道機関に冷静な対応を求める異例の要請を行った。略
中国の史書「魏志倭人伝」では、卑弥呼の墓は円形とあって前方後円墳の箸墓とは
異なるなど、文献上からも問題があり、会場からはデータの信頼度などに関し、質問が続出した。
338 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 20:43:35 ID:5Dr+G+m+0
翰苑を読む限り九州だね
だから徳島だと何度言えばわかるのです?
340 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 20:50:00 ID:IUJ+4moy0
理化学的年代測定で有利なのは九州なんだがな。
まともに測定すると畿内では弥生後期から古墳前期と思われていた
出土物が、九州だとC14だと紀元前で計測されたりする。
全国一致の土器編年では説明が付かなくて、九州は
弥生時代の設定を100年ほど古くする始末。
それでもうまく説明が付かないのか、世界的に合わせられた
C14年代を、適当な言い訳で勝手に変更し、日本、もしくは
畿内独特のC14計算法なるものをでっち上げている。
しかし、それはさすがに無理があるのか、最近では
九州が古いのは事実だが、邪馬台国のころには九州派衰退していたという
説を出し始めている。
だが、九州では吉野ヶ里や伊都国は衰退していたかもしれないが
福岡や久留米が発展を始めている。
場所が移ったに過ぎない。
だいたい、太宰府は7世紀以降などと言われてはいるが
実際には紀元前後からそれ以降まで様々な出土物がある。
邪馬台国がどこにあるのかは知らないが、そのころ九州に国が
無いと言われると困る。
341 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 20:57:47 ID:5Dr+G+m+0
>>340 漢鏡などは九州から大量に出土してますからね。
あの漢鏡が「日本で作られた模造品」だという説があるけど、
たとえ模造品にしろ本家の中国で作られた漢鏡を模造したわけだから
中国鏡が九州に無いことには模造できない。
あの漢鏡はC14測定されたんでしたっけ?
343 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 20:59:14 ID:41onLwQwO
吉野ヶ里歴更公園(吉野ヶ里町目手)で24日、特別企画展「よみがえる?邪馬台匡」が始まった。
県教委が所蔵する、チンケな弥生人の男性の毛髪の実物が初めて一般公開され、畑に行けば、そこらへんに転がっている弥生時代の土器の破片に触れるコーナーも設けている。
監修した佐加好短大の高島平学長は
「発掘成果だけではもの淋しく、レプリカ(ニセモノ)を多用した展示。邪馬台国の場所は九州説と近畿説があるが、
特定されていない。この展示をきっかけに論争が飽きられたら」と話している。
344 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 21:03:08 ID:rwVZK2c50
「方保田東原遺跡は、菊池川とその支流の方保田川に挟まれた台地上に広がる
弥生時代後期から古墳時代前期(今から約1700〜1900年前)に繁栄した大集落遺跡です。
これまでの調査の結果、幅8mの大溝をはじめとする多数の溝や100を超える住居跡、
土器や鉄器を製作したと考えられる遺構が見つかっています。
また、全国で唯一の石包丁形鉄器や、特殊な祭器である巴形銅器など数多くの青銅製品や
鉄製品が出土しており、この遺跡の国力の強さがうかがい知れます。
このほか、山陰地方や近畿地方など西日本各地から持ち込まれた土器なども出土しており、
交易でも繁栄していた集落であったことが分かってきました。
現在のところ発掘調査をおこなった面積は、全体の1割にも達していません。」
纒向と同時代、纒向のように大溝が有り、
纒向のように広域エリアからの土器が有り、
纒向では明瞭でない多数の集落跡が有り、
纒向では見つからない鉄器や、鉄器製作の遺構が有る、そんな遺跡ですね。
345 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 21:03:13 ID:H52/eEld0
346 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 21:07:51 ID:IUJ+4moy0
ほんとに昔は甕棺のかけらとかが転がっているところがあった。
福岡の方だが、工事現場のブルドーザーが集めた瓦礫の中に
よく甕棺のかけらが混じっていた。
いまでも、その気になって探せば見つけられる場所はいくつか知ってる。
ちょっと知っている子供はそれを探して遊んでいたもんだ。
柔らかいから、コンクリにこすりつけるとチョークの代わりになるんだ。
色は薄いけどな。
347 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 21:11:23 ID:5Dr+G+m+0
ここで原田実が布教活動ですよ。
348 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 21:15:31 ID:hX5Ldg290
>邪馬台国の場所は九州説と近畿説があるが、
>特定されていない。
はあ?奈良県の桜井市で決定済みですが
349 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 21:27:26 ID:H52/eEld0
350 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 21:27:41 ID:UHlGooVi0
【邪馬台国論争の正体】
@まず、魏志倭人伝などから自分の説に都合のいい文章などを集めて、勝手な邪馬台国像をつくる。
Aそんでもって、「ほら、○○がぴったり当てはまる!」
B○○には九州・畿内・ムー大陸など好きなものを入れる。
※結局、求めている邪馬台国像がそれぞれ違うんだから、いつまでたっても平行線のまま。
351 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 21:31:35 ID:41onLwQwO
352 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 21:32:54 ID:H52/eEld0
つうか「学」でも「論争」でもないレベルの駄文発表が多過ぎて、
肝心の論争が成立しない。
353 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 21:34:05 ID:9tkbFUGGO
邪馬台国は九州だろ
大分に山門って地名があるし、宇佐神宮は卑弥呼の墓だったらしいし
354 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 21:36:02 ID:41onLwQwO
355 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 21:37:20 ID:6Ger0rgY0
,,..--―-、 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/, -----、.ヽ, / バカ発見!
| i_,,,,_ __゙l | |
>>351はボッシュート!
,!、i'゙-‐-: '-、|/ / __________
/'') ..., '‐-‐、.j  ̄ ̄
/ ,‐!::...`'''''''`ノ
_,,,l ;! ::|ヽ、二 イ
, -‐'゙゛ i::.. | .ヽ/;ヽj!`‐-、_
l ノ::. .:|、 .ヽ,:ヽ| <゛~ヽ、
,:''`` ''"゙.|;;:‐''゙|.ヽ、 ヽ;::| / .|゙l
,: ヽ::il;;! ヽ、ヽ| / | :|
i o゚ :`;''゙ ヽ| / | .|
i ..:::::,:::'::::: . |゚ |,,;:->、
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i ::.:::: : | | .|
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⌒ ⌒ ⌒
_⌒ ⌒ ⌒__
/:::::Λ_Λ:::::::::::::::/
/::::::(∩;´Д`)∩ :::::/
/:::::::(
>>1 /::::/ チャラッチャラッチャーン
>>351
356 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 21:37:31 ID:IUJ+4moy0
宇佐神宮の地下からは過去に何かが出て来たらしいがねえ
「ひみこ」の墓誌でも発掘されれば完璧なんだが……無理か
宇佐神宮には3つ祭神がいて、その一つがヒメ大神だそうだが。
朝鮮人がアップをはじめました
>>346 甕棺はリア小の時に読んだ火の鳥がトラウマすぎる
359 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 21:41:51 ID:41onLwQwO
>>355⇒埋文職員⇒公共事業が減って食えない土方集団
考古学利権ってありそうだよなあwオレ奈良出身だけどw
361 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 21:43:19 ID:uy+xLNZtO
邪馬台国が九州、だったら神武東遷とか説明つくんだよな。勿論神話だけどトロイの遺跡みたいに真実を含んでる事もある。
362 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 21:45:53 ID:YwatM1/s0
>>361は東遷説に誘導したいんだろうが、とんでもない。
中国の属国だった九州の邪馬台国が、
畿内に東遷して大和王権になっただと?
いったい、文献上、考古学上、どこにそんな証拠がある?
神武東征は紀元前660年のこと。
神武は兄弟を戦争で失い、やっと橿原という大和の一角を奪取したにすぎない。
それから神武の子孫は勢力を拡大し、近畿を大和王権に治めることができた。
同時期に、九州では、中国の属国になった邪馬台国があった。
それだけのことだ。
363 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 21:47:11 ID:DKbrgnTg0
終着駅が決まってる議論がしたいのですね
「邪馬台国は九州だった説」行き
北海道でしょ
アイヌの人達がシャーマンの子孫
365 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 21:51:47 ID:actsbr16O
邪魔大国って、神話の伝説とかでしょ、
366 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 21:53:11 ID:AhIHv+D00
古墳の被葬者のDNA鑑定すれば簡単に決定的な事実わかりそうなもんなのになぁ
やらないよな
ちょw
天皇家には外部にない古文書がある、のほうが面白い。
369 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 21:57:11 ID:H52/eEld0
高木神伝承?
いや、倭国の中枢は東京二十三区内にあった。掘り返すのにはものすごいコストかかるから証明不可能だけど。
372 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 22:02:38 ID:uy+xLNZtO
まあ、ムキにならず互いに好きな事言えばいいんだよ。これで飯食ってる連中は別だろうが。
373 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 22:10:48 ID:IGwJZSVD0
鯨統一郎の「邪馬台国はどこですか?」を読んだら、岩手の八幡平にあったって書いてあったよ!
古墳の被葬者のDNA鑑定させないってのが笑えるよな。
一般人もあえて鑑定を要求したりしない。
奥ゆかしいよなw
375 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 22:18:02 ID:H52/eEld0
>323
ヤマトと発音する地域は吉野ヶ里遺跡から近いところにはあるよ。
福岡になるが「大和」ではなく「山門」。
他にも起因する読みは近くに結構あることはある。
377 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 22:21:21 ID:vVydcS4y0
日本の古代史学者は手法が掘ればいいのアホばっかりのなの?
たぶんそうだろうけど。
379 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 22:23:10 ID:5Dr+G+m+0
>>377 しかし「邪馬台国」という文字を当てたのは中国人である、という落とし穴。
山の入り口は「やまと」
海の入り口は「みなと」
佐賀弁は「とっとっと」
だから何? と言われても知らんが、そういうことだ。
381 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 22:28:50 ID:7vtQ8QU4O
近畿説って単に伊都国からの方角が違うってことが難点なんだろ
そんなの方角間違ってましたって言えば万事解決
382 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 22:30:33 ID:5Dr+G+m+0
>>381 倭国では太陽が南から昇るってことにしないと難しい。
>>381 「女王国の向こうに海があって、その先にも倭人の国がある」
てな記述もあるぞ。近畿説では伊勢湾とか言ってるけど、
そんなら歩いて行くだろとw
384 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 22:31:39 ID:H52/eEld0
>方角が違う
致命傷
まあ、機内説なら瀬戸内海、河内や大和川を思わせる記述ないとね。
386 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 22:34:58 ID:AAiJEjiPO
邪馬台国に卑弥呼
邪とか卑って文字を当てられるってことは、
この国は戦争に敗れて、勝った側の歴史書に
載せられたってことなんだろうな
日本書紀もクーデターで倒した旧体制の支配者蘇我氏を
蝦夷と馬子・入鹿(馬鹿)なんて当て字で表記してるぐらいだし
>>386 馬鹿、中華的にはそういう字をあてるのが当然なの。せめて公教育で世界史習った?
388 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 22:37:22 ID:H52/eEld0
いや周辺異民族すべてに
卑字を充てるのは中華思想の御家芸
389 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 22:37:33 ID:5Dr+G+m+0
>>386 烏丸や鮮卑・高句麗伝、韓伝を読んでこい。
390 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 22:37:52 ID:FzMpZ3rs0
>>383 出張旅費の水増し説を持ち出すとどうとでもできるからなぁ
結局、この議論は確たる遺跡が出てこないことには決着がつかん
>>386 魏と邪馬台国が戦争をしたなんて知らなかったよ
391 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 22:38:12 ID:bkVTv/O8O
●台
「台」を「ト」と読ませているのは、
日本書紀別伝第三および旧事紀の中で
興台産霊(ココトムスビ)の神の台(ト)として用いてあるだけ。
だから一般的な用字とはいえない。
もともと無理な読み方で、原音は明らかに漢語でタイ、
呉音でダイであるからタとしか読めない。
また、ヤ、マ、トの各音が、どんな意味をもっており、邪馬台という国の名が
何を意味するかということすらわからないで、これまでの邪馬台国論争は、
ただ漠然とヤマトとかヤマタイとか読んで論争を繰り返している。
●邪
「邪」は、ヤとエの中間音として発音すべきで、
記紀では「屋」の字をもってあてられる。
現在、入り江といっているエの部分の原音だと思われる。
●馬
馬は本来漢音でバ、呉音ではメであるが、後代合体して
慣用的にマとも発音される。
バラ(原)、イバラ(茨)、イマラクの国(茨城の国)、マメ(豆)、ハマ(浜)などが
意味する畑(やきはた)の意味である。
本来、倭人伝に記された固有名詞は、音写を目的とした漢字を
用いただけの音表であるから、
一文字を日本語の二字音として発音してならないことは常識。
この原則さえわからず平気で一字を二字音で読んだり、
漢音と呉音を混同して読んでいる人も多い。
393 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 22:40:21 ID:7vtQ8QU4O
北九州説はありえない
・伊都国から近すぎる
・九州で統一国家を築いたなら、近いんだからもっと頻繁に大陸と交流すればいいのに、その形跡がない
・邪馬台国後の文化がない
どうみても近畿です
394 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 22:45:04 ID:Y9FF8Z+s0
>>341 同意。
弥生時代の後期後半までの時期の遺跡に限定すると、鏡の99%は九州から出土している。
本州の鏡は、圧倒的大多数が古墳時代以降の遺跡、古墳から出土している。
しかし、畿内説の連中は、「本州には鏡を生める風習がなくて埋められなかった。伝世して
使用された。」などとごまかす。
395 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 22:45:39 ID:5Dr+G+m+0
>>390 つ[塞曹掾史張政]
この張政という人物が駐在武官として倭国に赴き、約20年間滞在している。
その他、倭国側の人物も数人が中国側の武将として中郎将、校尉などに
任官されている。
出張旅費説なんてもんははじめから吹っ飛んでいる。
>>393 >九州で統一国家を築いたなら
ハア?
知らないなら書き込むなよ
統一どころか、南の狗奴国に攻められて
困ってる弱小連合。
だから魏に、援軍を要請するため使者を送った売国奴だ
397 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 22:50:20 ID:H52/eEld0
>>395 20年間ずっと滞在していたかどうかは議論がある。
任官なんて名義だけだから何とでも(ry
398 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 22:50:39 ID:eoiS2CzQO
吉野ヶ里の環濠の一部は、中世城館跡の堀を誤認している可能性があると、どっかの学芸員が言ってたな。
考古学ってそんなもんよ。
大宰府に大和朝廷の出先行政機関がおかれて、結構独立して外交を司って
いたりしたのは、それなりに歴史的経緯があるのではないかと思ったりする。
400 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 22:55:01 ID:vVydcS4y0
>>394 卑弥呼がもらったはずの魏代の鏡が九州に少ないのはどうして?
>>390 たしかに倭人伝の途中からのすっとばし具合は、
いかにもやっつけ仕事だもんなw
>>395,
>>397 倭国のどこにいたか、ってのもあるよな。
伊都国あたりで奥さんもらってぐーたらしてたかも知れん。
>>399 明治維新後に大坂は経済に中枢として残ったのと同じかもな。
博多と奈良、発展しやすそうなのはどっち?
魏→晋への移行って
どんな感じなのかな
魏の高官たちは公職追放されたのか
それともトップが替わっただけで
魏の機構をそっくり受け継いだのか
>>400 大事な物は移転先まで持っていくんだろ。
405 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 22:59:19 ID:5Dr+G+m+0
>>394 俺なんか皮肉で
「三角縁神獣鏡貨幣説」をぶち上げたことあるよ。
あれは邪馬台国では貨幣として使われたんだろう、と。
貨幣なんだから年号があって不思議はないし、
貨幣としての役目を終えてから墓に一緒に埋葬されたのだから
古墳から出てきても不思議はない、と(笑)
もちろんそんな説、言ってる自分ですら信じてないけど。
406 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 23:01:34 ID:7vtQ8QU4O
大宰府って白村江の戦い以後に内陸に移っただけじゃなかったっけ?
407 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 23:03:00 ID:5Dr+G+m+0
>>403 現在の鳩山首相が天皇になっちゃうようなもん。
国家の機構は大して変わらない。
408 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 23:04:43 ID:H52/eEld0
>>393 ・伊都国から近すぎる
伊都国のような国々の連合の頂点に卑弥呼が擁立された、
伊都国が連合の一部なら無問題。
伊都国が連合の一部でなくても、イタリアに対するバチカン市国のような存在なら無問題。
・九州で統一国家を築いたなら、近いんだからもっと頻繁に大陸と交流すればいいのに、その形跡がない
http://anotoshi.com/item/no9/index.html 邪馬台国 年表
>239年 邪馬台国女王・卑弥呼、魏に難升米を遣使
>243年 卑弥呼、伊声耆らを魏に送る
>245年 卑弥呼、久奴国と邪馬台国の争いを魏に報告
>247年 卑弥呼、載斯らを帯方郡へ送る
>266年 11月 倭の女王、晋に遣使
・邪馬台国後の文化がない
http://www.kyuhaku.com/pr/exhibition/exhibition_s17.html 特別展『 古代九州の国宝 』
>第二部 九州とヤマト
> 対外交流を背景として各地域で強い独自性を発揮した九州は、古墳時代になって
> ヤマトというもう一つの極ができると、九州対ヤマトという対立軸を形成しつつ、
> 五・六世紀に絶頂期を迎える。
409 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 23:06:01 ID:vVydcS4y0
>>404 大事なものは移転先にもっていくのはOKで伝世はNGですか??
そもそも、「移転した」という証拠はなに?
>>374 古墳の中に遺骨とか鑑定できるようなもの残ってるのか?
>>409 人がもって動かなきゃ勝手に物は動かんだろ。
・238年、邪馬台国から魏への朝貢品
男の生口4人
女の生口6人
班布2匹2丈
これだけ。しょぼすぎだろ。どんな未開国だよ
・それに対する魏の答礼品
親魏倭王の金印
赤地に2匹の龍を描いた錦布 5匹(10反)
赤地の縮み毛織物 10張
茜染めの布 50匹(100反)
濃紺の布 50匹(100反)
・卑弥呼個人への贈り物
紺地に三角の模様をあしらった錦 3匹(6反)
細かな斑点入りの華やかな毛織物 5張
白絹 50匹(100反)
金8両 約111グラム
刃渡り5尺の鉄刀 2振り
銅鏡 100枚
貝玉と鉛丹(赤色顔料)それぞれ50斤 約11キロ
>>5 , -, - 、
,、 ,、 ,イ!〃 , ='‐ \__ト,__i、_
l T! Tl'lT_-r-、ィ_‐_7´ l l! l! |
l、` ` lヽ_lー〈!_,. - ´j _ -, ! 俺もそう思う
\`丶!、l  ̄ l /,ィ ´ /
\ i、!  ̄ l´ ,ィ ヽ/
_ _ ,.l lヽ‐_7´ ll ゝ- .,, _ _
‐ ´// (! l! ll ll ノ // >'´
414 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 23:16:02 ID:vVydcS4y0
>>411 畿内説でも、人が持ち込んだことに変わりない。
415 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 23:18:28 ID:5Dr+G+m+0
>>412 壱与の貢献品はすごいぞ。
壹與遣倭大夫率善中郎將掖邪狗等二十人送政等還
因詣臺、獻上男女生口三十人、貢白珠五千、孔青大句珠二枚、異文雜錦二十匹
未開どころか、こんなもん献上して来たのは夷蛮国多しといえど倭国だけだぜ
416 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 23:19:01 ID:vVydcS4y0
>>412 >銅鏡 100枚
その銅鏡と思われる鏡が、まったく九州から出てきませんな。
「卑弥呼の鏡」と銘うった鏡が、九州の博物館にあるなんて話は聞かないな。
417 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 23:21:19 ID:5Dr+G+m+0
>>416 それは畿内説も同じと思われ。
「自称卑弥呼の鏡」ってのはあるけどな。
ちなみに博多からは「きほう鏡」が出てるよ。
まごうかたなき、魏代の鏡な。
418 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 23:22:04 ID:vVydcS4y0
>>417 たったの1枚しかみつかって無いのですか?
419 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 23:23:38 ID:hEhbHhQz0
最近では埼玉説が有力
420 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 23:24:20 ID:YE/4iu8vO
邪馬台国なんかなかったんだよ
ギの国は遠くからも慕われていたんだぞって言うためだけの
たとえ話みたいなもんだったんだよ。きっと。
421 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 23:24:31 ID:fU4Gwk8KO
畿内説には無理があり過ぎ
422 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 23:24:39 ID:CuA4LVLL0
大分?
吉野ヶ里は佐賀
423 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 23:25:02 ID:vVydcS4y0
ようするに、卑弥呼は100枚も鏡をもらったのだから。
様式の似た魏代の鏡が北九州一帯から見つからないとおかしいって話だよ。
近畿から出る鏡をとやかく言うまえに、
九州から鏡を見つけろよ。
424 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 23:27:11 ID:3ut/pX3L0
邪馬台国は九州ニダ
425 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 23:27:25 ID:H52/eEld0
426 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 23:30:22 ID:5Dr+G+m+0
>>418 畿内は「たったの0枚」なので。
博多からは「倭国産錦」と「中国産錦」が出土しています。
畿内は、これも「たったの0」じゃなかったかな?
あ、それから壱与が中国に送った孔青大句珠な、これは勾玉だと思われるが、
青色の大きな管玉とか、たしか博多から出てたんじゃなかったかな?
畿内はもちろん「0」だけど。
矛も鉄鏃も九州からは大量に出てるけど、畿内は皆無とかそういうレベルでは?
427 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 23:31:04 ID:qjvLhwp20
銅鏡なら平原遺跡など糸島から大量に出ているが。
428 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 23:31:13 ID:H52/eEld0
429 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 23:31:35 ID:vVydcS4y0
>>425 だからなに?
卑弥呼は魏より前の漢時代の中古の鏡をもらったとでも?
430 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 23:31:35 ID:aK12pBKgO
>>426 そりゃ 大陸に近いしでないほうがおかしい
431 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 23:32:06 ID:Ro2hrWyl0
真偽WAO
432 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 23:32:49 ID:7vtQ8QU4O
もうさ、畿内説で手を打とうや
433 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 23:34:01 ID:vVydcS4y0
>>426 北九州一帯から出ないと話にならない。
貿易港から出ても、それは当然だろ。
434 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 23:36:02 ID:5Dr+G+m+0
>>429 とりあえず漢式鏡でぐぐってみ。
恥ずかしいからID変わるまで出てくんな。
435 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 23:36:57 ID:vVydcS4y0
>>434 漢式鏡だけで九州説を成立させようとしてるの?
君のほうが、恥ずかしいわ。
436 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 23:38:16 ID:elZHu8cE0
437 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 23:38:45 ID:epqjwoLc0
438 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 23:40:01 ID:7vtQ8QU4O
九州説を支持する人に問いたい
・伊都国から邪馬台国までの距離がかなりあるが、北九州だと近すぎね?
・卑弥呼たんの巨大な墓はいずこ?
この2点で納得いく説明がほしい
439 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 23:40:07 ID:5Dr+G+m+0
>>435 「錦」「勾玉」「矛」「鉄鏃」
他にあげてみようか?
あ、ちなみに西晋代の墓からは「漢式鏡」が出土しているので。
まだ恥かきたい?
440 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 23:42:05 ID:H52/eEld0
441 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 23:42:08 ID:ZB3D2Umw0
なんだかんだ言っておまいら盛り上がるのなw
442 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 23:42:15 ID:vVydcS4y0
吉野ヶ里から銅鐸が出てるように、
九州と畿内が断絶してたかのようなイメージは、今では誰も想定していない。
土器の移動から見れば、九州〜近畿〜東海と、広範囲に交流があったことが認められている。
こうした状況で、邪馬台国は九州だけで、山口県以東は無関係、とはとても言えないわけだよ。
邪馬台国の時代の倭国の範囲は、少なくとも九州〜近畿の範囲。東海も含まれるかもしれない。
そうしたスケールで考えたとき、邪馬台国の首都は?と考えれば、大和しかない。
443 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 23:44:27 ID:qjvLhwp20
卑弥呼が貰ったとする鏡の一説
方格規矩四神鏡
福岡県前原市 平原遺跡1号墳 31
福岡県前原市 井原鑓溝遺跡 21
佐賀県唐津市 桜馬場遺跡 1
佐賀県東脊振村 松葉遺跡 1
佐賀県東脊振村 横田遺跡 1
佐賀県大和町 池ノ上遺跡 1
佐賀県小城町 寄居1号墳 1
大阪府高槻市 闘鶏(つげ)山古墳 1
大阪府高槻市 安満宮山古墳 1
京都府 太田南5号墳 1
京都府 椿井大塚山古墳 1
中国鏡100枚を前原伊都国が独占して、近くの豪族にはもったいぶって一枚ずつ
渡しているようにしか見えない。
余ったのは、自分の墓と跡継ぎの墓にまとめて突っ込んだのかあ。
100枚だし、全部見つかっていないだろうから、こんなもんだろ
444 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 23:50:11 ID:epqjwoLc0
445 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 23:52:03 ID:5Dr+G+m+0
>>438 翰苑では伊都と邪馬台国は「接している」と書かれている。
で、倭人伝もよく読んでみれば不彌国と邪馬台国は「距離がない」
つまり接しているように読み取れる。
倭人伝の行程文は、実際に魏使(郡使もしくは勅使)が歩んだ行程を示すものとしたなら、
「至」「到」のみでは実際の行程には含まない。
わかりやすく実例を挙げれば、
「又南渡一海千餘里、名曰瀚海、至一大國」(海渡で実際の行程を示す)
「東南陸行五百里、到伊都國」(陸行で実際の行程を示す)
「東南至奴國百里」(実際の行程を示す語がないので、行程に含まない)
つまり伊都国と邪馬台国の間は、「そんなにない」ということ。
>>419 埼玉は、
邪馬台国や大和を上回る
東日本王国があった説じゃないの
447 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 23:53:41 ID:kzVctJvnO
高島忠
448 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 23:53:50 ID:vVydcS4y0
たとえば、九州は鉄が多くて畿内は鉄が少ないから、邪馬台国は九州だと言う。
ちゃんちゃらおかしいね。
だったら、吉備や出雲はどうなの?
それなりに鉄が出てるから、九州と交易があったことは間違いない。
九州だけで邪馬台国を考えることは不可能。
吉備や出雲と交易してるってことは、当然、同盟国だ。
九州に卑弥呼という女王が生まれたなら、吉備や出雲は九州と同盟を求めるはずだからな。
すくなくとも、クナ国のように敵対はしていないし、
実際に交易があるわけだから、倭国の範囲として、
魏志倭人伝にも、吉備や出雲に相当する国名が出てくるはずだ。
449 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 23:55:10 ID:R8XfIjP90
>>444 畿内九州は置いといて
その地図でよく日本にたどり着けたよな…
指南(方位磁石)は有った訳でしょ
っで魏からその地図通り南へ出発したと仮定して
台湾辺りにしかたどり着かない様な気がするけど
450 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 23:55:30 ID:5Dr+G+m+0
>>448 錦はスルー?
「倭錦」「中国錦」が出てるのは博多だけなんだけど?
まだまだ恥かきたいみたいだね。
451 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 23:56:10 ID:qjvLhwp20
卑弥呼の貢物のしょぼさからみて、そんなに大擁立国家ではない。
のちのトヨの貢物が充実しているところを見ると
その頃には、どこかを征服したか、あるいは征服されていたと思われる。
452 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 23:56:17 ID:vVydcS4y0
>>450 そんな幼稚なレベルで邪馬台国の位置は語れないって言ってるの。
453 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 23:56:27 ID:epqjwoLc0
>>445 旅程にかかる時間「水行十日、陸行一月」の意味を考えようね。
北九州どころか九州全域内さえ収まり切りませんね。
つまり畿内だよ。ご苦労様。
実は邪馬台国は、済州島にあったことが
最新の研究で分かってきました。
>作家の中山千夏氏を招いてのフォーラム「なぜ邪馬台国は九州か」を開く。
アホだろ。
456 :
名無しさん@十周年:2009/10/26(月) 23:59:56 ID:5Dr+G+m+0
>>452 幼稚でもなんでもないと思うよ(笑)
西晋代の墓から漢式鏡が出土した事実がある以上、
「漢式鏡」が卑弥呼がもらった鏡の可能性が大きい、と俺は思ってるけどね。
少なくとも中国からまったく出てこない三角縁神獣鏡なんかよりは。
「卑弥呼の鏡」が漢式鏡ではない、というなら、その根拠は?
>>438 距離なんか書いてないよ。水行十日、陸行一月と時間を書いてる。
ところが、実は最後に距離が書いてある。
>「帯方郡より女王国にいたるまで1万2000余里」
帯方郡→末盧国まで足すと1万里 (7000+1000+1000+1000)
末盧国→伊都国→奴国 700里 (500+100+100)
すると、→投馬国→邪馬台国 は1300里となる。
九州北部を出ない。
なぜか、この女王国まで12000余里が完全無視されて
かかった時間ばかり取り上げてるのが不思議
458 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 00:00:20 ID:H52/eEld0
459 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 00:00:20 ID:epqjwoLc0
>>449 帯方郡から狗邪韓国へ行き
そこから対馬→壱岐→松浦と島伝いに航海したので指南は使わないでしょ。
当時の航海の基本は目測による陸伝い。
地図による航海はもっと後代のこと。
460 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 00:00:50 ID:jSoU1x/Y0
邪馬鹿国なんて言われて喜んでんなよ
461 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 00:02:14 ID:qjvLhwp20
水行十日、陸行一月をそのまま解釈すると
九州南海上に行ってしまうのは確かだが
方向を間違えることはありえない。
昼間の太陽を見れば南がどの方向かくらい直ぐ分かる。
また方向を間違っているとすると、360度どの方向かわからない。
畿内に向いている可能性は限りなく低い。
何の根拠があって北東に決めたのか説明できないと着ないにはたどり着けない。
また距離を解釈すると北海道にさえ着くことが可能だ。
なんせ、合計40日も船に乗っているのだから。
462 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 00:03:07 ID:av6hyvHjO
どっちでもいいけど、畿内説ありきで箸墓掘り返して、何か出たら邪馬台国に結びつけようと言う姿勢は、間違ってないか?
大刀洗に直径10mほどの丘があるんだが、あれが卑弥呼の墓で間違いないと思う。
今度うちの高校教師が土地を買って調査するらしい。
464 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 00:05:03 ID:PYtwiS3+0
465 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 00:05:12 ID:vVydcS4y0
>>456 あきらめろ。
それ以上続けるなら、
邪馬台国時代に、九州〜近畿〜東海と交流があった証拠について説明することだ。
466 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 00:05:45 ID:5Dr+G+m+0
>>453 帯方郡から倭国までな、「水行十日、陸行一月」。
行程文のいちばん最後に書かれている以上、総日程のことだな。
「〜水行十日、陸行一月 至邪馬台国」とあったのなら少しは畿内説にも
有利になったのかもしれんが。
467 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 00:07:12 ID:+98MnH2b0
>>459 でも指南あって、あの地図はどういった解釈で作ったんだろう?
海図云々を考えても、南には無いでしょ日本は…
地図見ると、朝鮮はキッチリ北に在り
指南は、羅針盤の様に航海に限定した物でもないだろうし
468 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 00:07:24 ID:epqjwoLc0
>>463 倭人伝によると卑弥呼の墓の直径は「徑百余歩」とあるのだが。
10mじゃ小さいね。
469 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 00:12:56 ID:6Fk+PUAq0
>>465 意味不明。とりあえず「卑弥呼の鏡」に絞ってみよう。
西晋代の墓から「漢式鏡」が出土しています。
その漢式鏡が九州博多から出土しています。
さて、あなたに伺います。
「卑弥呼の鏡」が、漢式鏡でない、という根拠は、なんですか?
また、漢式鏡をさしおいて、中国から一枚も出てこない三角縁神獣鏡をもって
「卑弥呼の鏡」だとする理由は何ですか?
[備考]
倭錦
中国錦
鉄鏃
矛
勾玉
470 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 00:13:51 ID:tgNkao/UO
纏向古墳が卑弥呼の墓でよくね?(´・ω・`)
471 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 00:14:37 ID:CcpsQ9ag0
昔は三角縁神獣鏡が卑弥呼の貰った鏡ではないかと考えられていた時もあった。
だが500枚以上出土した上に。中国にはないことがわかって
その説は姿を消した。古い本をみて、いまだに三角縁に固執している人間が
ごくたまに残っている程度。
472 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 00:15:48 ID:r7ZfVWS5O
こんなとこで邪馬台国論争しても結論なんか出ないだろ、どうせ
わずかで曖昧な目撃情報だけで確かな証拠がないまま迷宮入りする事件と一緒
473 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 00:16:26 ID:MEQFqXvKO
花立山が卑弥呼の墓だよ
じゃんけんで決めてくれ
475 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 00:16:43 ID:6Fk+PUAq0
俺は「邪馬台」というのは今の「平和台」じゃね?
とか考えてしまうんだけどね。
平和台という地名の由来、どつかにないかね?
476 :
指南について:2009/10/27(火) 00:21:32 ID:yBPWwIZT0
方位磁石を「指南」と呼ぶのは現代中国語に置いてであり。
「指南」は台八車に歯車組み合わせたもので一定方向指し示す代物
477 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 00:22:11 ID:r7ZfVWS5O
>>473 花立山とかそんなローカルな地名出されてもほとんどの人は知らんでしょ
小さい山だけど平野の中にあるから目立つけど
478 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 00:22:37 ID:O/zG5ODs0
>>469 いくら論点をずらしたところで、
邪馬台国時代に、九州〜近畿〜東海と交流があった証拠は存在している。
九州説は成り立たないんだよ。
479 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 00:25:04 ID:aiJXkss70
>>471 >だが500枚以上出土した上に。
国内でコピーしたことを考えよう。
>中国にはないことがわかって
当たり前です。そもそも下賜用の特注品なのだから。
>>476 ほう、なるほど
そう言われれば、手元の指南のレプリカは大八車じゃない
でも、北斗七星は北にあるよね
っでそれを知っていて、あの地図はできないでしょ
古代中国では、南北の概念も逆なのか?
スレ違いだけど、その辺はどう解釈すれば良いのだろうか??
481 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 00:27:24 ID:6Fk+PUAq0
あと、翰苑な。
邪馬台国について
「邪届伊都、傍連斯馬」(ななめに伊都に届き、傍ら斯馬に連なる)
つまり翰苑は[斯馬][伊都][邪馬台]という順に連なっている、と認識している。
翰苑ってのは現在の写本に誤字脱字が多く取り扱いに慎重にならんといかんのは
確かだが、しかし「斯馬」について言及しているのは注目だな。
倭人伝では傍国のひとつとして国名しか書かれていなかった「斯馬国」について、
ちゃんと位地を示している。
そしてそれは我々の認識する地図と一致しているわけだ。
まあ資料が資料なんで、論証というところまでする気はないけど、
まあ参考までに。
482 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 00:33:22 ID:ubaqayaq0
九州説ってのは、様は、魏志倭人伝の記述と金印と小規模な遺跡が根拠なんだろ?
魏志倭人伝の記述が正しいかどうかの検証もできないし、
金印が捏造かどうかの検証もできないし、よく分からんよね。
金印に関してはモノの物的な価値や金の価値から考えて、ちゃんと管理されてるもんなんじゃないの?
483 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 00:33:59 ID:tgNkao/UO
畿内説が有力なんだからそれでよくね?(´・ω・`)
484 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 00:34:50 ID:CcpsQ9ag0
>479
まあその解釈もできなくはない。
だが、それでは中国から貰った鏡だということも
証明できない。三角縁は中国からわたってきた
職人が当時の為政者の要望で国内で生産したとして
何の矛盾もない。
中国から下賜された鏡というためには
なにか別の証拠がないと卑弥呼の鏡であるとはいえない。
その証拠が出るまでは卑弥呼鏡の候補からは外れることになる。
485 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 00:36:40 ID:DGy3p1Ml0
486 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 00:38:34 ID:g3vU7QEaO
安彦良和を読めばわかる
どう考えても邪馬台国=ヤマトだろ
宮内庁が古墳を発掘させないのが一番の障壁だと思う……。
489 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 00:49:06 ID:6Fk+PUAq0
>>482 えーと、金印については、「本来は宗主国たる中国側が管理」しています。
前漢が禅譲によって新に変わったとき、新の使者が印綬を回収し、新たな印を
授けていることが資料上で確認されます。
(その印綬の文字を巡って匈奴と新は険悪になります)
この例などから、おそらく卑弥呼のもらった「親魏倭王」の印綬は晋朝によって回収され、
新たな印が晋より授けられたものと推察されます。
資料上その記述がないのは、晋朝の正史はずっと後の時代に編纂されたため、
資料が散逸して残されなかったためと思われます。
さて、ではなぜ、「漢委奴国王印」は日本から出土したのでしょうか。
ここから私の推測です。
倭国は大乱に巻き込まれました。
「其國本亦以男子爲王、住七八十年、倭國亂、相攻伐歴年」(魏志倭人伝)
「桓、靈間、倭國大亂、更相攻伐、歴年無主」(後漢書東夷伝)
つまり戦乱の世になり、「倭王がいなくなった」といつています。
では金印は?
倭王がいなくなったが、金印はあった。
そんなバカなことはないでしょう。金印ともども、倭王がいなくなったとみて間違いないでしょう。
だから卑弥呼が魏に使いを送った時、答礼として金印を「新調」されたのでは
ないでしょうか?
ずっと後代、「漢委奴国王印」は志賀島から出土しました。
ひょっとしたら、ここが倭国大乱の際、「男王」が逃れてきた、
終焉の地だったのかもしれませんね。
もちろん想像です。論証するつもりはありませんが。
490 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 00:49:38 ID:6lZ+h4KL0
>>479 特鋳説を本気で唱えている学者なんていないだろ。
「日本で550面以上出土し、中国・朝鮮で0面だけど、日本向けの特鋳品を中国で作りました。」
なんて説はそれ自体が出土無視で考古学の完全否定だし、正気の沙汰じゃないだろwww
しかも当時の魏が極度の銅不足で貨幣の鋳造も滞って、絹などの物々交換が売買の主体に
なっていたという状況だし。
正気の人間ならば、その状況で中国にはほとんどない巨大な銅鏡を数千枚も日本だけのために
特鋳したなんて発想にたどりつくこともない。
491 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 00:54:35 ID:tgNkao/UO
実は済州島が邪馬台国なんだ
492 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 00:54:50 ID:r7ZfVWS5O
畿内説の有力候補地たる巻向遺跡には大陸系の遺物が少ないよね
魏に朝貢してた割には不自然なんよ
493 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 00:57:27 ID:yBPWwIZT0
>>480 魏からの使者は「長崎の出島」よろしく、北九州に留め置かれて
国防のために逆方位の方位で所在地を教えたとも考えられる
魏志倭人伝は其のため、北九州の風習が詳しく書かれた形になった(すべての人が刺青いれている)
大和国も刺青にはさほど抵抗感は無いが、北九州の海人のように鮫よけのまじないとして
すべての人が入れる必要は無かった。
494 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 00:59:44 ID:uTYOLLeS0
記録まんまだと沖縄方向になるんだろ?
沖縄ってユタとかノロとか巫女?いるみたいだし
伝統的に巫女の力が強いのなら沖縄地方もありじゃね?
495 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 01:03:39 ID:6Fk+PUAq0
>>493 畏れ多くも皇帝より国書・金印を預かった勅使が、倭国に赴き当の倭王に面会しない、
ということはありえないと思うのだが。
あなたは何か、国書・金印を携えた勅使が、現地の王に面会しなくても
任務を果たすことが出来た、という資料なり論拠なりを持っているの?
496 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 01:04:28 ID:vmzKgWAN0
元東北旧石器文化研究所の藤村新一氏に任せれば一発で解決!
497 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 01:06:04 ID:6Fk+PUAq0
>>496 邪馬台国が一万年前になってしまうからダメ。
498 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 01:08:19 ID:yBPWwIZT0
499 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 01:10:14 ID:tgNkao/UO
で、畿内なの九州なのどっちなの?
>>493 ん〜…
それだと、ご都合主義やしないかな?
個人的には、邪馬台国が畿内だろうと九州だろうと、どうでも良い古地図マニアなんだけど
何でココ(現代地図で見て)がここに有るの?という素朴な疑問は、大概納得できるんだけど
例えば、A国(地域)で作られた地図を見て、C国(地域)が何でココにあるの?という疑問には
Aは、B国(地域)までしか、言っていなくてC国に関してはB国の地図を参考に書いた等々
っで、魏は邪馬台国まで使者を遣わしたんだよね?
そうすると、間接的な関係ではなく直接的な関係で、伝聞を挟む余地はないと思うけど
逆方位を教えたという記述(留め置かれ、目隠しされて何日等)は有るのかな??
九州説の第一人者って、学生の頃に畿内説の指導教授に
「九州説の勢いが弱いから、お前がやれ」
って、無理矢理九州説をやらされたって暴露してなかった?
内心は畿内説だけど、今更引くに引けないって。
502 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 01:15:29 ID:6Fk+PUAq0
>>498 「到伊都國、〜(中略)〜世有王、皆統屬女王國。郡使往來常所駐」
このことだろ?
これは郡使が倭国に来た際、伊都国に駐在する、という意味。
後の鴻臚館がそのまんまだろ。
もちろん「倭王と面会しなかった」「面会させてもらえなかった」という意味ではない。
邪馬台国が大和朝廷の前身だったとすると、支那が自国領だと主張してきますよ
なぜなら、邪馬台国は支那王朝に朝貢してるからで
今の日本人の正しい反応としては、どっかにあったらしいけど分かんね、でしょう
古事記日本書紀に、まったく記述がないのはなぜかってことを考えないと
古人の苦労が水の泡ですぞ
504 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 01:17:30 ID:tgNkao/UO
邪馬台国は福岡でいいん?(´・ω・`)
>>503 隋に行った使者が、わざわざ
「日本国は、倭とは別の国だ」
と言って、過去の朝貢してた連中とは無関係だと宣言してるしね
506 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 01:22:02 ID:r7ZfVWS5O
たかじんの番組に出てた人でしょ
考古学者で九州説となえる人は珍しいからそういうことはあるかもね
だいたい、九州説をとなえる人は歴史学者とか作家とか考古学者以外の肩書の人が多いからね
507 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 01:22:12 ID:tgNkao/UO
内紛で優位に立つために人民解放軍とパイプを持とうとした卑弥呼は売国奴
508 :
もう寝る:2009/10/27(火) 01:22:51 ID:yBPWwIZT0
>>502 トンチンカンすぎる
「王位に就いて以来人と会うことはなく」だよ、使者は「人」じゃないの?
509 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 01:24:16 ID:6Fk+PUAq0
>>508 自爲王以來、少有見者、以婢千人自侍、唯有男子一人給飮食、傳辭出入
資料をねつ造するんじゃない
確かジャワ島だろ
まあ、「ヤマタイ」って読み自体、
元々中国の史書や新井白石は「ヤマト」のことだ、っていってたのを、
ガチガチの国粋主義者で女性患者をお触りすることに定評があった
本居宣長大先生が、
「天皇家が中国皇帝に臣下の礼をとるわけないもん!
天皇家と関係ない蛮族の女酋長の話だもん!
邪馬台も「ヤマタイ」って読むんだもん!「ヤマト」じゃないもん!」
とか、「日本書紀」書いた連中でさえ思ってもみないこと
言い出したのが、始まりだろ。
「邪馬台=大和」
でいいじゃん。
>>493 国防のためにウソ言うなら、
本当は近くて、小さいのに、
1ヶ月かかるくらい遠くて、7万戸もの大都市と
言ったのかもね
でも張政は、内戦のあとに
壱与を「檄をもって告諭」してるんだから
やっぱり首都で即位式みたいなのに出てるんじゃね。
ていうか、邪馬台国が立場が上で、魏が朝貢してきてるなら
地方にとどめておけるだろうが、
宗主国からの使者が来てるのに、そんな扱いできるのかな。
それも狗奴国との戦争などで、魏にバックアップしてもらおうという
大事な客なのに。
513 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 01:35:20 ID:HPK86ew50
中山千夏 ってじゃりん子チエの?
514 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 01:35:37 ID:qs1+6GhJO
鋼鉄超人の起源も九州?
マグネットパワーープラス!
マグネットパワーーマイナス!
>>514 ∩
_.具_| | マグネットパワー -!
/( Y )./
| ム六ム
/::::::∧::::::\
└━┘└━┘
_ , -- 、' ⌒ヽ
/ ヽィく l l
{ ヽ_ j' /
ヽ_ r ‐ 、_○ノ,ヽ1
| l ヽ‐.、)_,ィ./l_l
,.ィ、_ | _'"´ ゝ , j‐ ヽ
! `´ }`ヾ、ー''/./ j
ヽ _ノ、\  ̄,イー '´
ヽ ニー`彡'
__
/ _ソ /""''_ヽ __
| ⊥、 ,| 6'」=I' ( ン | マグネットパワー +!
ヽ、 ⌒""/;,.,.,;;'" ̄ゝ⌒ヽ..,--...-'" /
"'---'/ \ ゝ _,,../
ノ────、,ノ ̄ ̄
ノ_____ソ __...-''""i
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516 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 02:20:58 ID:YIvtr9qY0
バカだなあ、邪馬台国は九州しかあり得ない。
もし近畿というなら、なぜ記紀に書いていないの?
517 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 02:25:44 ID:Vf3vez1EO
おはよう姫子って昔なかったか?
518 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 02:27:10 ID:aiJXkss70
>>516 書いてある。
高天原が邪馬台国の事っす。
519 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 02:31:45 ID:sR6yfEpWO
あれだろ
2×××年、遂に卑弥呼の墓発見!
古墳を掘り返してみると一台のビデオカメラが…
再生してみると今まで語られなかった歴史の真実が…
もしくは
2×××年、遂に卑弥呼の墓発見!
古墳を掘り返してみるとそこには一枚の木札が…
見てみると
「ハズレ」
>>518 高天ヶ原って、北九州だよ?
近畿地方の地名は、北九州から持って行ってる。
例によって「高天ヶ原は韓国にあったニダ」とはしゃぐ連中もあるけどさ…
○○につける薬はないものか…
521 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 02:39:18 ID:ok0neWZeO
まだ近畿説論者日本に生き残ってたのか…
化石かw
近畿なんてタコ焼きくらいしかウリがないとはいえみっともない
522 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 02:53:39 ID:k810r+um0
>>520 なんでも九州起源にしようとするところは、朝鮮人と同じだな。
ちなみに、高天原は葛城にある。
延喜式に書いてある。
523 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 02:55:14 ID:qod3o2iA0
三角縁神獣鏡
さんかく「ぶち」?
さんかく「えん」?
524 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 03:07:41 ID:ok0neWZeO
ほんと関西人と朝鮮人って似てるよなww
地球は関西が起源(笑)
525 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 03:12:50 ID:7+r7mmBT0
このスレを見ている人はこんなスレも見ています。(ver 0.20)
川島海荷「関西の人はお好み焼きをおかずにご飯を食べるって聞いてびっくり。東京ではありえない…」
↑
なんだ。関西人が必死に起源捏造してるのバレバレww
関西人必死すぎwww
526 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 03:21:48 ID:TlW+8MK60
国境線が丸っこい形で、都から同心円状にあるって考えちゃうと駄目なんだよ。
ぐにゃぐにゃした国境線だったり、飛び地があったりしていいんだよ。連合国なんだから。
近畿から山陰・山陽と北九州にかけての地域に、飛び地の宮崎をひっつけたのが邪馬台国の形。
俺、このスレ見ながら一生懸命に考えたんだから、そりゃもうこれで正解なはず。
527 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 03:53:04 ID:qs1+6GhJO
火魅子伝
九州設定
528 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 03:53:16 ID:G3sh6WI2O
卑弥呼には何か事情があったのは確か
529 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 03:54:17 ID:aiJXkss70
>>520 それ逆々。
畿内から北九州に地名が移ったと考えるのが正しい。
大和朝廷が征服地(磐井の乱を平定)の地名を取り入れる筈が無い。
磐井の乱閉廷後に入植した畿内人が地名を持ち込んだ可能性あり。
邪とか卑とかネガティブな漢字使ったのはなぜ?
531 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 03:56:21 ID:rQZSZZ06O
ムー大陸じゃね。
532 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 04:12:22 ID:YyFlLsUd0
>>438 中国から邪馬台国までの総距離から考えると、
近すぎるってことはないだろ。
墓はまだ見つかっていない。
533 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 04:15:52 ID:G3sh6WI2O
邪馬台国は結局は消えた
ここがポイントじゃないの?
534 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 04:19:25 ID:KlojUPmJO
きっと四国だよ
いいからしゃぶれ
536 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 07:35:31 ID:7Kv1Q5a40
>>536 竹の子族は今見るとダサいね、圧倒的に縄文ちゃんの勝ち
538 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 08:06:26 ID:XtXvbjMF0
>>530 中華思想の現れ。「ヤマタイ」という音に、動物とかネガティブな
漢字をあてはめた。
捏造大国が作った航海記録なんてあてになるのか?
>>530 「倭」なんてニンベンが付いているだけマシな方(ヒト扱いされているから)
貢物の少ない国なんてサカナヘンだったりケモノヘンの漢字を当てられているw
日本は丁寧に扱われていた。
マジレスすると九州説はまず候補をもう少し絞らなきゃな。
畿内説有利と言われてるのは、場所や人物の候補もほぼ絞られてるし、
文献や伝承との整合性もある状態だからね。
>>540 蝦夷とか南蛮とかも考えて見れば酷い言葉だね
543 :
もう寝る:2009/10/27(火) 08:27:16 ID:yBPWwIZT0
>>509 これは国語力の問題だわな、あと少しの漢文力もか?
唯有男子一人、給飲食、傳辭出入
とあるから、例外としてただ唯一この男子は卑弥呼を見ている←これが「少有見者」
にかかるので、日本語訳としては
「王位に就いて以来人と会うことはなく」
が正しい。
>>530 音に忠実に漢字当てようとして他意はなかっただろう
「日(の)巫女」に対して、ハ行はp発音→f発音→h発音と変化しているから
当時は「ピミコ」と発音したと推察され、忠実に漢字当てはめたので「卑弥呼」になったと思われる
544 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 08:27:28 ID:DQkqYKZS0
>>471 それはみんなコピペ品だからだよw
ちなみに、景初3年の文字が入っているのはたった3枚
今に見ていろ邪魔大王国全滅だー
ヤマタイ国はどこかわからないけど、
クナ国が九州の真ん中より南というのに異論がある奴はいないみたいだね。
548 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 09:50:00 ID:DQkqYKZS0
平野が広いと文明が発達したように勘違いしている人が多いけど、
鉄器の少ない弥生時代に治水や収穫の事考えたら、ありえないことw
山間の土地を開墾し、時期をずらして少人数で収穫できる方法でないと無理。
効率をあげるには、漁業や農業や狩猟を同時にこなせる立地が一番いいわけでね…
そう考えると、海や湖の背面にすぐ山があって、豊富な食料をすぐ手に入れれる環境が一番。
そうなると、奈良は土地が無駄に広すぎるし、海がないからね、その時点で却下。
奈良の場合、朝鮮半島からの移民が極端に多くなって、鉄器を生産する量が格段に増えて
農業生産量が増えたことによって文明が発達したわけでね・・・
多くの鉄器のない弥生時代に、海や湖のない食生活で文明が発達(取引ができない)することは考えられない。
そう考えると、一番適合するのが出雲(大分も可能性があり)だ。
朝鮮半島の戦争で負けた渡来系の流民が対馬海流に乗って出雲に着き、
そこで勢力を伸ばし(原住民オロチョン族を蹴散らし)、
人口キャパに耐えきれなくなって、奈良へ移民していったというのが一番合理的だろう
あと、魂を祭る意味も、もう一度考えた方がいいんじゃないかな・・
日本の歴史は寧ろ知られたくない謎が多いように感じるけどな…
549 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 10:00:38 ID:APyAQ8mJ0
>>548 端から端まで、一文ごとに矛盾だらけの文章はある意味凄い才能だよw
550 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 10:10:40 ID:RbNUbSO5O
>>520 江戸時代までは高天原は葛城だとされていた
九州と大和の地名については、白村江の戦いの時、斉明天皇が朝倉に行幸してい
るが、大和と同じ地名があるのが将にそこ。
その時の天皇や周囲の慰みで大和の地名を当てたと考えた方がまだ自然。
>>548 >低地部は海や湖の背面にすぐ山があって、豊富な食料をすぐ手に入れれる環境が一番。
奈良盆地の低地部は当時葦原ですよ。
水運にも便利だし稲作用地としても適している状態です。
中国から見て
邪馬台国の入り口が九州にあり、首都が関西にあった。
これで決まり。
553 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 10:57:19 ID:/jD1jOoy0
554 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 11:01:20 ID:DQkqYKZS0
>>551 鉄が無くてどうやってあの広い面積を開墾するんだよw
灌漑や治水はね、鉄の強度がなきゃ大がかりにできないんだよ
木なんかで開墾できるほど土木は甘くないし、算術も知らない弥生民族が
開墾するなんてことはありえない そもそも奈良人は渡来系が基本
弥生時代、奈良は葦原のまんまで誰も開墾できなかったのが通説。
なんで邪馬台国九州説に拘るんだろう
卑弥呼以前の時代に九州から東征した勢力が近畿で
邪馬台国となったかもしれんのに
556 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 11:16:46 ID:V0jabpCG0
557 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 11:18:57 ID:jFnTUNzL0
どう考えても九州説はもはや我田引水
いまになっても主張するその動機が邪すぎる
まさに邪魔台国
邪馬台国はヤマト国、卑弥呼は媛子
に決まってるだろ
それ以外は屁理屈
近畿説は邪馬台をヤマトと読むに決まっているという思い込みから始まっている
結論からスタートして資料も恣意的にしか読めない
九州だろうが畿内だろうが、ショボかったのは事実だな
そんな些細な事で喧嘩するなよ
560 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 11:51:22 ID:RbNUbSO5O
>>49 紀伊に伊勢に尾張、三河
これらの地域は海人が古代からいたけど、何で南方文化とやらを九州に限定するの?
561 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 11:59:24 ID:fe0EF4790
ヤマタイがヤマトのことだとして、「だから近畿だ!!」となるのがわからん
九州にあったヤマタイ国が近畿に移住して王朝を立てたのが大和なんじゃないのか?
当時の村落の規模から言って、近畿から大陸まで交易・交流ができたとは思いにくいし、
ヤマタイはヒミコ⇒イヨのあとは崩壊したはずだが
562 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 12:00:07 ID:tgNkao/UO
倭の大乱で連合国家政府は九州から近畿に引っ越したんだよ
だから邪馬台国は畿内説が正しい
俺の直感は必ず当たる
563 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 12:06:29 ID:aakpnkvQO
四国じゃないの?
邪馬台国とか卑弥呼は中国に馬鹿にされた当て字だから嫌だな。
ヤマトコクとかヒメミコとかそれらしい呼び方に変えて欲しい。
565 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 12:09:21 ID:G3sh6WI2O
いや、逆じゃね
卑弥呼亡命政府、畿内ヤマト本政府
566 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 12:09:28 ID:38mqlAsO0
でも金印がでたのって九州でしょ
奴国と邪馬台国って近隣だったからもめて、魏の文帝に応援要請したんでしょ
だったらやっぱ九州じゃないの?
吉野ヶ里が邪馬台国っていうのは本当かどうか知らないけど
567 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 12:09:43 ID:DbAgGr2x0
>>558 思い込みも何も、1000年前の中国人だって邪馬台国は大和だと認めてるんだから。
邪馬台を”ヤマタイ”と呼び出したのは、江戸時代の一人の日本人だ。
今で言う「トンデモ」。ムーと同じ。
568 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 12:16:59 ID:VDt3a+Ba0
当時奴国も邪馬台国も金印もらっていたらしいから
中国朝貢競争がブームだったんだろう。
でも記紀に金印のことが書かれていないところをみると
畿内では「金印なにそれ、おいしいの?」状態だったと思われる。
金印の実物はおろか伝承も何もなかったんだろうな。
つまり邪馬台国と大和朝廷は全く関係のない勢力と言うこと
569 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 12:21:16 ID:wRdLJM3e0
>>556 どうして対馬国と末廬国だけに限定するの?
というか対馬国と末廬国なんて邪馬台国連合じゃあ末端のクニにしか過ぎないのに
そこの住民の風俗を倭人を代表する風俗として紹介するっておかしいだろ。
魏志倭人伝の倭人の風俗は邪馬台国を含めた全部の共通風俗と理解するのが自然。
>>560 紀伊半島から東海にかけての気候って魏志倭人伝に書かれているように
通年で裸に近い姿に簡単に結んだ布切れをまとって裸足で暮らせるほど温暖なの?
それからサメ除けに全身に刺青を入れるという風習は紀伊や東海でも
かつてはあったことは証明されているの?
570 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 12:24:23 ID:BukvaWrSO
練馬区だろ!ソースは大根で有名だからさ。
委の国が朝貢してにんべんつけてもらって倭に改名した
これが真実w
三田川町か?
573 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 12:28:55 ID:wRdLJM3e0
>>567 いや、だから「ヤマタイ」か「ヤマト」かは分からないが
当時の中国人が聞き取った地名が今の大和地方かは分からないだろ。
九州の福岡にも山門なる地名がある(あった)。
九州から畿内に東征した集団が旧領地を偲んで「ヤマト」と
新領地を付けた可能性もあるじゃん。
イギリスのヨークとアメリカのニューヨークの関係みたいに
新ヤマトの方が有名になったみたいな。
574 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 12:29:55 ID:E/zMNZj00
大和朝廷の流れからいって近畿説が有力だと思うけどな
>>569 江戸時代末期でも日本の漁師(横浜)は全身刺青だったと外国人が本に書いているが・・・
576 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 12:31:17 ID:YYgU7+xb0
邪魔台国
【外国人参政権】【人権侵害救済法案】についての
反対署名が下記HP(署名TV)で始まりました。
住所本名を晒さなくても署名ができるようです。
今月開催の臨時国会で提出されてしまう可能性の高い法案です。
出来るだけ多くの署名および拡散協力をお願いいたします。
http://www.shomei.tv/pro■ject-1300.html
_,‐/.| ヽ.,лi'\,‐i
ノ .| ,ノ ('A`) ´i
/ `'‐´`'-,_,‐'v'‐-ー,__,、,-、_`'!_ _
_ __ノ‐-ー' ,‐^'‐‐,iー,,l´ ~ ,}
‐‐=''‐'`フ 中国 ,‐´ `\ 朝鮮 /"
.t_ . i`ヽ_/ < `∀´ > ~j `i、
.л) .`j ___,,,--、 '‐! ζ
__| . jヽ‐'´~ /'' `ヽ ヽ, ,,---'´´~
`フ `i ノ ヽ, / ※軽犯罪法違反、韓国は日本の44倍
`'''ーt´ ,‐,/~ .i /
< _j
『あなたの隣町が上九一色村になってしまうかもしれません・・・』
577 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 12:34:39 ID:HzPDUuL00
これは秘密なんだけど、
俺が小学生だったとき、古墳のそばの畑であるものを見つけたんだ。
大発見だと思って、先生のところに持っていったら、えらい怒られて、
取り上げられたんだ。
その宝物にはいろいろな文字が書いてあった。
大きさは縦25で横15cmぐらいだった。
あとは、えらくたたかれた記憶しか残っていない。
そうそう、表の文字はカタカナでデラベッピンって書いてあったのを
いま思い出した!
578 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 12:36:45 ID:A0nEGGDxO
学者の間では畿内説が9割じゃなかったっけ
>>569 >通年で裸に近い姿に簡単に結んだ布切れをまとって裸足で暮らせるほど温暖なの?
更に言うならイザベラバードは日本人はみんなほとんど裸で刺青をしていると記述している。
脚だってはだしに草鞋程度だと・・・
ヨーロッパ人や中国人から見れば日本の庶民は裸に裸足で生活していると記述されても何の不思議もない。
地域エゴといえば長野と佐賀?
581 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 12:42:41 ID:RbNUbSO5O
>>569 九州北部より温暖だよ
刺青の理由だけど、鮫のこととか魏志に書いてあるから証明されているなんて言わないよね?
582 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 12:45:43 ID:B3HGsPLvO
佐賀は観光地が皆無だから
邪馬台国くらいあげてもいいと思うぞw
583 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 12:47:43 ID:x7Rzx5PNO
卑しいってあーた
584 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 12:48:41 ID:dTGXOP6pO
>>574 天皇家って、九州から大和に移動したんでしょ?
585 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 12:49:28 ID:r13N8uCe0
魏志倭人伝を読むかぎり邪馬台国は隣国と抗争をして魏に援助を受けに
使いを出したわけだが、そこが九州だと魏に援助を求めるのは自然な考えだと思う。
しかし畿内に邪馬台国があるとすると、はるばる瀬戸内海の海路あるいは中国地方の
陸路をたどって、それからさらに朝鮮半島まで船を出して援助を求めるのはどう考えても
不自然な行為に思える。
東征が邪馬台国卑弥呼時代以前だと考えれば何ら矛盾がないよな
魏と倭、呉とクナが通じていたとすると、当時の漢字が全然出土しないのは
大規模な焚書があったんだろうかな
>>568 記紀の時代からほんの二百年前のこともよくわからなくて
違う史料を引用しつつ「後は後世にゆだねる」と書いたりしてるわけだが
さらに300年前のことなんてほとんどわからなくてもしょうがない
589 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 13:01:30 ID:RbNUbSO5O
>>585 近代的な領域国家じゃないから、現代人の地理感覚で見ないほうがいいよ
南北朝時代なんてどう説明するんだい?
戦国時代、足利義昭は信長討伐の檄文を信長より遠国の大名に出したね
お前らスレタイ的に3分の2はバンバンバーンレスで埋めないとおかしいだろ!
でも近畿だよな>邪馬台国
592 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 13:13:22 ID:G3sh6WI2O
だから倭国大乱で支配下だった九州だか中国地方に卑弥呼が派遣された
593 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 13:30:52 ID:66YW3iTz0
>>578 学会を牛耳ってるオオモノたちが近畿説だから
みんな右へならへしてるだけらしい。
594 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 13:32:06 ID:2u2CEM2t0
岩手の八幡平で確定したんじゃなかったのか?
595 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 13:33:59 ID:4jzsCXYRO
俺は東北説派(・ω・)ノ
>>585 全然不自然じゃないよ、海洋民族ですから。
それに勘違いしてる人が多いが
邪馬台国=女王国ではない。
邪馬台国は女王が都とする国であって、
女王国自体は女王を共立した連合国だよ。
おそらく瀬戸内海に面した国々‥
大分から播磨、四国、紀伊半島の一部国が女王国だろう。
597 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 13:53:31 ID:6YkujHF50
>>579 ふむ、じゃあ倭人が海に潜って漁労するという記述はどう?
内陸の畿内じゃあ決定的な矛盾でしょ。
他のクニの倭人は漁労民族だけど邪馬台国は奈良にありますって…
>>581 言ってる意味がちょっとつかめないけど
>刺青の理由だけど、鮫のこととか魏志に書いてあるから証明されているなんて言わないよね?
漁撈文化と入れ墨って密接に関係しているよね。
魏志倭人伝にも「文身は亦以て大魚・水禽を厭う」(入れ墨でサメや海鳥除けをする)と書かれている。
魏志倭人伝に書かれている倭人像って明らかに海の民だと思うだけど。
入れ墨の風習を調べると南方文化の色彩が強いし。
そこで紀伊や東海に古くから海人がいたと主張するあなたに、
そういう入れ墨の風習を持っていたことは証明されてますか?と聞いたわけですよ。
風習はあるかないかは分からないが、とにかく魏志倭人伝の描写は紀伊東海の海人のものだと
いうなら、そうですかとしか言い様がありませんけど。
なぜ内陸部の邪馬台国が海の民である倭人を統率する「政治中心」になりえたのか
北九州から畿内までの大連合国があったというのも、にわかには受け入れがたいですよね。
東北はないわ
基本遅れぎみだし
>>597 奈良が内陸だというのは現代の認識だな。
当時の大阪平野は湖だし、大和川を伝って奈良盆地へ
入ると交通手段は水運移動ですよ。
現に奈良盆地には広瀬衆という
水運を手がける一族が結構遅くまで存在してるから。
600 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 14:02:53 ID:ov8XoacZ0
邪馬壹国って名称も変えた方がいいと思うんだけど。
歴史の記述はそれとして、せめて通称くらいは。
倭と同じで古代の大陸王朝からつけてもらった卑しい家畜日本と日本土人くらいの呼び方
なんだけど。
支那みたいに自称してたなら仕方ないけど。
どう考えても九州だろ・・・
当時の船でわざわざ九州スル―して瀬戸内行く訳ねぇだろ
バカばっか
602 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2009/10/27(火) 14:12:00 ID:BFcV+gbMO
>>597 東海以西の西日本一体が倭だったんだから何も矛盾せんわな。
二世紀終わり頃から人が住みだし三、四世紀頃には東海北陸から九州、果ては朝鮮半島で生産された土器が出土し
後の平城京と同程度の街の規模であったとされている纏向遺跡が同時の倭の首都に相当するんじゃないか。
603 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 14:12:46 ID:Gyh66pUV0
>>593 そう思わないと、悲しくて生きていられないよね。
かわいそうだね。九州説って。
>>597 ごめん。倭人伝とか読んだことないけど、突っ込みいれると、
>魏志倭人伝に書かれている倭人像って明らかに海の民だと思うだけど。
大陸の考え方から言うと、当時も今も少し内陸の人は海を見たことがないから、
海を通ってくるだけでも海で生活の糧を得る海が得意な海の民という認識を
持ってもおかしくないかと。
大きな湖に「〜海」と名づけてたりするし。
金印を探せい!やまたいの世のすべてをそこに置いてきた
606 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 14:17:54 ID:VDt3a+Ba0
九州北部でも南部でも、果ては沖縄でもそれなりに理屈はあるが
いったいどんな理屈で畿内になったのかわからない。
どうへりくつこね回しても畿内方向には行かないし
そっちに行くなら出雲とか吉備とかあるだろ。
だれか出雲や吉備ではなく、畿内に行く理屈を教えてくれ。
607 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2009/10/27(火) 14:18:53 ID:BFcV+gbMO
>>605 もう捨てちゃったんじゃないか?
漢委奴国王の金印は畑で偶然掘り出したものだし。
天皇は万世一系でヤマタイコクが畿内でないと困る人たちがたくさんいるから
609 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 14:21:06 ID:r13N8uCe0
邪馬台国畿内説の人の意見を総合して考えると、邪馬台国は九州〜
瀬戸内海〜近畿を支配していた王国ということになる。
考古学的にこれおかしい気がするが。古墳とか遺跡がバラバラすぎる。
610 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 14:21:49 ID:Gyh66pUV0
>>606 魏志倭人伝を読むだけじゃダメだよ。
考古学上では、九州〜近畿〜東海が、弥生時代から交流があったことがわかってる。
つまり、九州と、山口県以西は断絶してたとはいえないわけ。
そうした状況で、「多数の国が女王を共立した」とするなら、
「九州〜近畿〜東海の多数の国が女王を共立した」と考えなければならない。
その中心地は奈良となる。
九州の中だけの話とはならない。
わかった?
611 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2009/10/27(火) 14:24:09 ID:BFcV+gbMO
>>606 同時の支那人から見た東夷の辺境の方位や距離なんてデタラメですよ。
もっと後の時代の古地図でも日本列島を九州を北に南北に伸びる列島として描いてたりするし。
612 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 14:25:37 ID:wHzgpcZNO
畿内派はゴットハンドがお得意
613 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2009/10/27(火) 14:26:17 ID:BFcV+gbMO
>>608 皇国史観に基づくならむしろ九州説なんだよね。
卑弥呼=神功皇后、または大和朝廷は金印なんて貰ってないって立場なんだから。
>>606 普通に畿内に辿り着きますよ。
逆に吉備まで行って畿内まで着かない理由の方が?です。
巻向は東海方面との中継点でもあるし、
何より宇陀水銀のお膝元です。
ここに古墳が集中してるのはまあ当然の事ですよ。
>>597 今の情報時代の認識で古代を捉えようとしてない?
日本には文字もない時代なんだよ
中国から倭人と言うものを見たときに朝貢に来た数人から数十人の人間に風俗を聞いてそれを記述しているわけで
何百人からアンケートをとったわけでも倭人の書を書いた人が直接見に行ったわけでもない。
朝貢に来た人に「オマイラどんな生活してるの?」と聞いたら「いつもは海に潜って魚採ってます」
と答えたので倭人は魚採ってるという記述になったとしか思えん。
魏志倭人伝って大体そういう感じの記述でしょ。
616 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 14:29:58 ID:Gyh66pUV0
百歩譲って、邪馬台国が九州だけの話としよう。
その邪馬台国は、九州の中のさらに南のクナ国と抗争し、支配領域は北九州だけに限られる。
一方、畿内の大和王権は、吉備・出雲〜近畿〜東海と結びつきを深めていた。広大な連合国だ。
にも関わらず、魏の使者は畿内に目もくれず、北九州の一部の国とだけ国交して金印を授けたという。
こうした、不自然な状況を受け入れない限り、九州説は成立しない。
>>596 女王の勢力の南に句奴国があるんだっけか
北九州まで女王国と考えると句奴国=熊襲だよな
618 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 14:30:34 ID:wHzgpcZNO
おえらい学者が邪馬台国について、素人に遅れをとっているから、ひねくれて畿内とか言ってる始末
619 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 14:31:33 ID:yIGSQMs70
九州は暖かいとイメージされるけど。福岡とかの日本海側の都市よりゃ、
瀬戸内沿岸諸都市のほうが、よほど暖かい。雪が降らない。漁労にも適する。
大和川、淀川が入り組み複雑な湾を作る大阪も、海辺。湿地帯。
石川を上れば、すぐに奈良。
1-2世紀、弁辰韓の鉄輸入、中国鏡、その他文物の輸入を掌握していたのは、九州諸国。伊都や奴。
3世紀初頭までに、鉄を巡って争った、九州諸国と、瀬戸内・畿内広域連合。勝者は瀬戸内・畿内連合。
それが倭国大乱って奴でしょ。
で、3世紀に入ると濃尾平野の前方後方墳を作ってた連中が力を失い、
そして前方後円墳が、明らかに畿内を中心に同心円を描くように小型化しつつ作られていく。
620 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 14:31:37 ID:PwdScaZG0
普通に読めば畿内以外にありえない。
邪馬台国はヤマト国。
九州説を主張してるのは朝鮮人。
火の鳥に出てくる卑弥呼なら一発お願いしたいが、実際はゴリラみたいな
女だったんだろうな
622 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 14:34:10 ID:Gyh66pUV0
九州説って、
邪馬台国は九州で、
天皇家の祖先も九州で、
高天原も九州で、
豪族もみんな九州出身で、
日本の起源は九州ニダ!って言ってるよな。
本当に朝鮮人と同じ気質だよ。
こればかりは、朝鮮と交流の深かった九州人の特性なんだろう。
623 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 14:34:20 ID:XAbKlVV/0
遺跡が明治以前の開発で潰されてるとしたら
やっぱり都会のほうだろうな
>>617 そういう事だと思います。
倭人伝の中で語られている「傍国」とは女王国の構成国の事でしょう。
もしかすると四国や紀伊半島南部も
狗奴国の範囲だったのかもしれませんが。
九州人が全て邪馬台国九州説を唱えているかのようにフルボッコされるといたたまれない
今佐賀県民はバルーンフェスタのことで頭一杯だというのに
最初は九州説なんてトンデモナイと思ってたけど、当時の情報伝達技術を
考えると、畿内説は無理があるなと思った。
そもそも邪馬台国が日本を統治してたわけじゃないし、むしろ邪馬台国を
作ったのは半島から九州辺りに流れてきた朝鮮人が、勝手に「アイゴー!
俺たちの国ニダー!」と言い出して、当時の日本人よりいち早くギ国への
執り成しをしたんじゃね?
「ギ国様、ここはウリたちが見つけた国だから、ウリの国と認めてニダ」
て摺りよってくあたりが、すでに半島気質な感じがしなくもないし。
627 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 14:57:04 ID:RbNUbSO5O
>>607 印の保有は与えた側が滅びるが受け取った側が代替りするかまでが有効だったかな?
そんな感じだったから魏が滅んだ後晋に使節を送った時に返したんじゃないかとの説もある。
628 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 15:05:03 ID:RbNUbSO5O
>>597 九州説でもその多くは邪馬台国は内陸部だけど、どう説明するんだい?
君は自分で倭国全体のことだと言っているじゃないか。
君は九州を絶対の前提しているから自家撞着に気が付かない。
だから、九州かそうでないかの二元論になってしまっている。
魏志には倭国の海人の風習が書かれているが、それ以上の地域の特定はできない。
九州、半島南部から太平洋側に至る海人が同一文化圏の可能性もあるんだよ。
629 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 15:07:23 ID:B7Lmg1zeO
だいたい地名に耶馬渓てあるぐらいだから邪馬台国は大分だろ。
邪馬台国自体が研究者のでっち上げじゃねえの?
纒向遺跡周辺だろJK
九州の訳がない
>>597 吉野ヶ里で調べたら縄文末期は縄文海進と言われる海面上昇で
海の近くだったらしいな、これなら奈良も今より海に近かったと思われる。
634 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 15:36:43 ID:p4x2CPfQ0
邪魔大王国
635 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 15:38:42 ID:DQkqYKZS0
邪(し)馬(ま)台(ね)国
これが古代中国の書き取り方。
邪馬=蛇王様=ジャーマン=シャーマン→ジャニーズ=ジャパニーズという意味。最初の読みは「し」。
なぜ日本がジャパニーズというのか?それは蛇(JA)の民だから。パは「の」意味。
ちなみにシャーマンのボッ骨占い用の骨の量は島根(鳥取含め→昔は島根)が日本一。
台とは岩礁を示す根という意味。
>>616 魏と邪馬台国の国交は邪馬台国側からのアプローチによるもので
複数のアプローチに魏が選択を下したわけではないから、その疑問に
意味はないんじゃね?
だいたい、同時期に遼東半島・帯方・楽浪郡を制圧し、北東方面の安定を
ほぼ確保した魏に対して、日本列島の政治的情勢が及ぼす影響なんて
皆無に等しい。
魏の思惑を云々するより、たまたま頭を下げて貢物持ってきた未開人に、
機嫌よくお返しを持たせた、という程度の話として解釈すべきだろう。
もし魏が日本列島に積極的な関心を持つとすれば、海路で呉と結び背後を
脅かす可能性(呉は水軍国であって海軍国ではないので、これ自体妄想に
近いんだが)という事になるけど、前述の通り遼東〜朝鮮半島を既に魏が
押さえている以上、その交通路は建業から九州西岸への直通ルートになる。
この場合、むしろ九州を押さえていない畿内と結ぶことの方が不自然に
なってしまうと思うが。
638 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 15:49:53 ID:DQkqYKZS0
それともう一つ言っておくよ。
ツマという国は現在の石見の国。
今の浜田市周布だ。
岩礁になってて自然にできた入り江の長い港だ。
現在でもその地名が地図に残っている。
そこにはオロチ伝説も存在する。
639 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 15:57:45 ID:AexMFELKO
>>637 たまたま朝貢したというより畿内勢力と敵対してた
九州が後ろ楯を求めて中国行ったんじゃねーの?
畿内にも九州にも勢力があったのはハッキリしてんだし
640 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 16:21:44 ID:DlbNwzaL0
>>639 どっちかというと逆じゃないか。
九州勢がこぞって中国に擦り寄ってその権威を振るおうとするから、
中国と疎遠な首長たちが反中で集まったのが畿内勢。
641 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 16:27:03 ID:zUMT3CI30
邪馬台国は近畿圏だろ
九州とかねーよw
642 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 16:27:33 ID:COeI9SFgO
マクモニーグルは邪馬台国は山口県にあって父親が北九州を治めていたと言っていた。
>>600 魏志倭人伝以降の中国歴史書意図された誤字 台→壱 が複数あるのは知ってるかね
台は 【と】 と読む
次の伊台国も【いと】 と読む
やまと の当て字なだけ。
邪馬台国は大和のことって隋書に書いてあったろ
中国人自身がそう言ってるんだからまぁ間違いあるまい
646 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 16:56:17 ID:RbNUbSO5O
>>640 倭国大乱もその辺りの説があるね
鉄の分配とか
>>639 >>616を受けて、魏の視点から見るとどうなるか?って話なので、
邪馬台国側の思惑はまた別って事で。
648 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 16:59:37 ID:zUMT3CI30
九州ニダ!九州ニダ!
九州しかあり得ないニダ!
649 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 17:17:19 ID:zjn1uDlW0
>>637 >むしろ九州を押さえていない畿内と結ぶことの方が不自然に
なんで、「九州を押さえていない畿内」って思うの?
九州〜近畿〜東海の連合国だから、九州は連合国の一部なんだよ。
九州説の人は、このへんの理解が足りないんだよな。
畿内を中心とした女王国連合の南限が奴国とかあのへんなんだろ
651 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 17:22:41 ID:zjn1uDlW0
九州説の人は、
「九州〜近畿〜東海の連合国」という発想が全然できないみたいだけど、どうしてなんだろうね?
九州からは東海の土器も出てるというのに。
そのくせ、東遷説はあっさり信じちゃう感性がわからん。
「九州が武力で近畿を制覇した」って証拠は無いのに。
高地性集落がその証拠だというなら、卑弥呼共立の時代には終焉してるのだから、
邪馬台国は「九州〜近畿〜東海の連合国」という図式の証拠になる。
653 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 17:29:27 ID:zjn1uDlW0
>>637は仮定の話が多すぎる。
(ボクはこう思った)
654 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 17:34:27 ID:2XHtLbzm0
邪馬台国が九州なら陸路3日もあれば行ける。陸路1ヵ月なら近畿だな。てくてくの原田さんは未だに兵庫県だ。
655 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 17:40:55 ID:VDt3a+Ba0
近畿にいくなら吉備でも出雲でも関東でも候補になる。
そのなかであえて近畿を選ぶ根拠は?
実際同じような理由で決定打がないので
九州内にいくつも候補はあるが
決められない。
三種の神器にもある鏡とか剣の文化にしろ、神武東征の神話にしろ、
大和は元々九州となんらかの血縁関係があったのかもわからんね
>>656 別にヤマトやクマソが異文化をつくってたって訳でもないんじゃない?
お互い争ってりゃ、捕虜から文化や技術や宗教なんか持ち込まれるだろうし。
658 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 18:05:11 ID:PwdScaZG0
>>655 巻向周辺の古墳の存在、特に箸墓やモモソ姫の存在。
それにヤマト王権発祥の地なんだから、
普通に考えたら有力候補になると思うけど。
660 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 18:08:16 ID:Uiy5MyIU0
邪馬台国を「ヤマタイコク」と読んだのは本居宣長。
国学の本居は、卑弥呼が魏に朝貢していたことを嫌い
ヤマタイコクと大和朝廷は異なるものと考えて
わざとヤマタイコクと読んだ。
魏の国書には、邪馬台国=ヤマトコクと書いてある。
よって、邪馬台国の所在地は・・・・・、
マキムクに決定!!!!
661 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 18:12:44 ID:6YkujHF50
>>615 張政だっけ、日本に滞在していた魏の武官は。
なぜ、さしたる理由もないのに伝聞だけで倭人の風習を記述する必要性があったのかな?
別に北九州に住んでる倭人はこんな感じで、畿内の倭人はこんな感じと並立して書けばいいでしょ。
手抜きしたとか出張費がどうのとか、わけわからない。
魏志倭人伝って別に一回だけの調査を元に書かれたのではないでしょ。
何十年かの付き合いで歴史書は書かれるもので。
>>628 現在のところで確実に比定されているクニって全部が海岸線に近い所ばかりでしょ。
別に九州の具体的な場所に邪馬台国があったという考えは持ってないけど
畿内説の致命的欠点は海の民族である倭人の政治中心としては内陸過ぎると思う点。
魏志倭人伝の全体のトーンが海洋民族なのに、いきなり政治の中心が畿内になるのは
違和感は感じないの?畿内説の人。
662 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 18:13:46 ID:SoQKyZtF0
山大国といえばBルート・長野でしょう。
663 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 18:18:54 ID:r13N8uCe0
「九州〜近畿〜東海の連合国」という発想が全然できないみたいだけど
考古学的に、3世紀にそのような連合国があったということが証明できるのかなあ。
3世紀の遺跡・遺物からは、各地方の国は独自の文化・文明を持つ小国ばかりで
とても連合王国と称されるような形態のものが存在していたとは思えないけど。
それに連合王国があったなら、3世紀以後の九州の衰退が理解しにくい。
九州の王国が東遷していって衰退したとしたほうが理解しやすい。
664 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 18:19:21 ID:6YkujHF50
>>651 >九州からは東海の土器も出てるというのに。
交易の存在と支配権の確立は別の問題として考えるべきでは。
dでも説かも知れないが南アメリカから縄文式土器に極めて似た土器が出て
魏志倭人伝の黒歯国は南アメリカだみたいな説もあるでしょ。
じゃあ、邪馬台国は日本南アメリカを支配した大帝国なのかと。
665 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 18:23:40 ID:r13N8uCe0
>651
東遷説は日本の正式な歴史書に書いているんだから、信じていかん理由はなかろう。
大和政権がわざわざウソを書く理由もあろうはずはないし。
魏志倭人伝、行程斜行式読み(分岐基点の伊都国への経路だけ「到」を使ってる)
┃渡一海千余里「至」
┃
┏━━━┓
┃末慮国┃
┗━━━┛
┃南東陸行 五百里「到」
┃ 東行 百里「至」 ┏━━━┓
┃ ┏━━━┓━━━━┃不弥国┃
┗━━━┃伊都国┃ ┗━━━┛4
┗━━━┛━━┓
「至」 ┃ ┃ ┃東南 陸行百里「至」
南 水行十日┃ ┃ ┃
南 陸行一月┃ ┃ ┏━━┓
┃ ┃ ┃奴国┃
┃ ┃ ┗━━┛
┏━━━━┓┃
┃邪馬台国┃┃
┗━━━━┛┃
┃南 水行二十日「至」
┏━━━┓
┃投馬国┃
┗━━━┛
667 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 18:25:31 ID:lmlV0yZT0
>>663 >九州の王国が東遷していって衰退したとしたほうが理解しやすい。
マンガの読みすぎ。
は?
669 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 18:27:17 ID:Tju3JjsS0
1‐2世紀、弁辰の鉄、鏡、その他は全て玄界灘諸国によってコントロールされていた。
そして、倭国大乱。集落は全て高台に移動した。城砦都市に近いものになった。
古大和川。古淀川、河内の海、を考えるに、海から上がって生駒を越せば、そこは奈良盆地。
海からの襲来を予測して首都を置くには適した場所。
瀬戸内〜河内の海は通年温暖で、海流こそ速いものの、比較的波穏やか、魚も多く、漁労に最も適した場所。
3世紀初頭、瀬戸内/畿内連合が強大となり、濃尾平野の勢力も独自性を失う。
弁辰から直接鉄を得、巨大な前方後円墳が作られてゆく。
それを受け継いだらしき大和朝廷の神饌物には、鯛、アワビ、スルメ、海の幸が並ぶ。
この一世紀に亘って、邪馬台国に関する文書は議論も出尽くし、解釈の限りを尽くされた。
そして、結論が出ないということは、そこに書かれていることに懐疑的になるべき状況なのだ。
発掘調査で示された証拠と突合せ、整合性を見出すべきなのだ。
670 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 18:29:46 ID:lmlV0yZT0
>>665 神武東征は、紀元前。
どうしてこう、文献を斜め読みして勝手に解釈できるのかね?
神武は東征のときに兄弟を死なせている。
激戦の末に、橿原のすみに居ついただけ。
王朝が東遷したような話ではない。
九州説で一番の根拠となっているのが金印だよね。
これが発見されたのって江戸時代に農民が田んぼ掘ってて見つけたって話だよね。
普通に怪しくないか?w 平安時代とかから邪馬台国がどこかっていう研究はあちこちで
されてるくらいポピュラーな問題だったらしいし。
邪馬台国とか卑弥呼って当時の中国が勝手にあてはめた字で、発音的には大和とか
日の巫女 が元になってる可能性高いらしいね。
大和なら奈良だし、日の巫女っていう一般呼称なら箸墓古墳の人でもおかしくないし。
九州はもうないと思うな〜
またそういうことを
673 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 18:40:53 ID:Tju3JjsS0
>>671 1-2世紀、日本の窓口となっていたのは玄界灘諸国であったので、問題はない。
57年に下された金印であれば、本当にそうであれば、発見場所があの地であっても不思議ではない。
巨石の下、箱状に組まれた石の中。が本当ならね。
674 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 18:44:07 ID:pbPu4hJs0
>>159 全学術分野の古典の自らの廃棄・不在
盗人伊藤博文が盗んでいきましたが?
やはりあなた自身が日本人が愚かだったと認めるわけですね?
675 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 18:45:13 ID:4jzsCXYRO
岩手県でQEDじゃなかった?
中国の分裂王朝の一つにすぎない魏の属国・邪馬台国を祖とする日本
中国の統一王朝である周王朝から対等な王と認められた箕子朝鮮を祖とする韓国
どっちの歴史が上かは古さ・正統性の両面から明らかだな
ちなみに檀君朝鮮は神話だと思ってる
677 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 18:51:29 ID:AlciRARAO
>>615 「俺の主張にとって都合悪いから、その箇所は捏造か極めて信憑性が低いに決まってる」
ってお前それはいくらなんでも朝鮮人過ぎるぞ。
>>671 中国の南の方で同じ時の同じような金印が見つかってるが?
679 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 18:57:03 ID:jc4RMPAn0
どっちにしろ邪馬台国も大和朝廷も支配出来たのは西日本のまでだろうな
「倭人在帶方東南大海之中、依山島爲國邑」
倭人は帯方郡の東南の海にいて、山勝ちな島に住み国を作っている。
●帯方郡は朝鮮半島中西部。三国志に出てくる公孫氏によって作られ魏の支配下となる。
「舊百餘國、漢時有朝見者。今使譯所通三十國」
昔は百以上の国があって、漢の時には朝見する国もあった。
現在は、使訳が通じるところは30の国がある。
「從郡至倭、循海岸水行、歴韓國、乍南乍東、到其北岸狗邪韓國、七千餘里」
(帯方)郡から倭へ行くには、海岸に沿って水行し、韓国をへて、南へ行ったり東へ行ったりして、
その北岸に当たる狗邪韓國につく。ここまで、七千余里。
●「到」を使っている。狗邪韓国は朝鮮半島南部とされる。
「始度一海、千餘里至對馬國」
始めて海を渡り、千余里で対馬国につく。
「又南渡一海千餘里、名曰瀚海。至一大國」
再び“瀚海”という名の海を渡り、千余里で一支国につく。
●壱岐とされる。
「又渡一海、千餘里至末盧國」
さらにもう一度海を渡り、千余里で末盧国につく。
●佐賀の松浦半島とされる。ただ根拠は名前が似てるというだけ。
「東南陸行五百里、到伊都國」
陸地を東南に五百里進むと伊都国につく。
●「到」を使っているのはここと狗邪韓國だけ。至と違いはあるのかないのか。
福岡の糸島半島とされるがこれも名前が似てるから。
「東南至奴國百里」
東南に進むと、百里で奴国につく。
●今まで海・陸行を書いてたのにここから方角と距離のみになる。
「東行至不彌國百里」
東へ行くと、百里で不彌国につく。
●ここだけ「行」が入っている。
「南至投馬國水行二十日」
南に二十日水行すると投馬国につく。
●今まで方角と距離だったのに、ここから方角と日数に変わる。
「南至邪馬壹國、女王之所都、水行十日、陸行一月」
南に十日水上を進み一月陸を進むと邪馬台国に着く。女王が都をおくところ。
●邪馬台国と書いてるのはここのみ。以降は女王国。
「自女王國以北 其戸數道里可得略載 其餘旁國遠絶 不可得詳」
女王国から北は、その戸数、道里をわずかに記載できたが、
それ以外の隣国は絶遠しており、詳細を得られなかった
●つまり上記で道程を書いた国は女王国より北にある。
「次有斯馬國、次有已百支國、次有伊邪國、次有都支國、次有彌奴國、次有好古都國、次有不呼國、
次有姐奴、次有對蘇國、次有蘇奴國、次有呼邑國、次有華奴蘇奴國、次有鬼國、次有爲吾國、
次有鬼奴國、次有邪馬國、次有躬臣國、次有巴利國、次有支惟國、次有烏奴國、次有奴國、此女王境界所盡」
次に斯馬(しま)国有り・・・次に奴国有り。これ女王の境界の尽きる所なり。
●奴国が2度目の登場だが、女王の南の境界とすれば、伊都国の近くの奴国とは別なのか。
奴のつく国が多いので一文字抜けているだけかもしれない。
「其南有狗奴國。男子爲王。其官有狗古智卑狗。不屬女王」
その南に、狗奴国がある。王は男である。狗奴国の官を狗古智卑狗という。女王に従わない国である。
「自郡至女王國萬二千餘里」
郡から女王国までは、一万二千余里である。
●郡から末盧国まで1万里。奴国まで700里。残りは1300里。
「女王國東渡海千餘里、復有國、皆倭種」
女王国の東に海を渡ること千余里、また国がある。いずれも倭人である。
魏志倭人伝を素直に字義通りに解釈すると、邪馬台国は海中になる。
だから、邪馬台国は海中に沈んだ幻の大陸であるムー大陸だと考えるのが、
一番素直な解釈だ。
683 :
踊るガニメデ星人:2009/10/27(火) 19:25:09 ID:h6JO20gf0
おそらく邪馬台国は九州にあり、倭国大乱の時に邪馬台国内部の勢力争いに敗れて畿内に落ち延びた
一派が作った国が狗奴国で、その狗奴国が邪馬台国を滅ぼした後に大和朝廷と名のるようになった
のだろう、大和の称号を邪馬台国から奪った大和朝廷にしてみれば邪馬台国の存在は完全に打ち消して
しまわなければならなかったはずだから、おそらく大和朝廷は邪馬台国の痕跡を徹底的に消し去った
のだろう、従って邪馬台国の住居後などは永久に発見されないだろう。
卑弥呼は東京都出身じゃなかったっけ。
685 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 19:28:04 ID:Tju3JjsS0
3世紀初頭〜半ばにそんな悠長なことはやっておれんのだ。
686 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 19:29:35 ID:5ORVIQ5X0
【邪馬台国論争の正体】
@まず、魏志倭人伝などから自分の説に都合のいい文章などを集めて、勝手な邪馬台国像をつくる。
Aそんでもって、「ほら、○○がぴったり当てはまる!」
B○○には九州・畿内・ムー大陸など好きなものを入れる。
※結局、求めている邪馬台国像がそれぞれ違うんだから、いつまでたっても平行線のまま。
687 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 19:30:17 ID:XofEVoFQO
>>676 箕子朝鮮も衛氏朝鮮もシナ人の王朝で、その後の南北朝鮮とは無関係。
倭の奴国王が漢の光武帝から金印を貰ったのが57年。
帯方郡の影響で南鮮三韓(馬韓、弁韓、辰韓)が成立したのが3世紀。
朝鮮半島で国家形成がはじまった時期は日本に比べて数百年は遅い。
河内の大古墳を残した王朝の成立が、大体新羅、百済の成立と同時期だろう。
邪馬台国はそれと直接の関係はないだろうが、新羅百済よりは明らかに古い(まあ連合国家程度ではあるが)。
高句麗は中国に一地方政権(by中国共産党)。
少なくとも半島南部より、倭の方が国家形成は先行していたんだろうな。
689 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 19:41:51 ID:lnk0RtpU0
小4の春までなら畿内説でも許される
中2の夏までなら九州北部説でも許される
大人なら日向説だよね!
690 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 19:45:58 ID:j7fTqII/0
ニートなら日向説も許すとしよう。
>>243 > 邪馬台国は日本語発音ではヤマト国
邪馬台=「ヤマダ、ヤマト」(=山田 or 山門)、
つまり、昔は、下流じゃなく中流域で稲作が盛んだった。
それで、神武東遷神話に痕跡が残っているように、
当方に主流勢力が移った。
692 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 19:53:42 ID:lnk0RtpU0
畿内説は恥ずかしい 朝鮮人みたいにゴネるのやめて
693 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 19:56:37 ID:pZRzKXOT0
九州が日本の中心だったのは中国大陸から稲作が入ってきたわずかな時期だけで
縄文から現代まで殆どの時代日本の端っこが定位置だからな
694 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 19:59:38 ID:ZJhwY7as0
しかし、同じ時代に三国志が終わってるんだから中国ってすげーよな。血生臭さの意味で。
畿内にあった大和の勢力が勢力を拡大する過程で、より古い伝承や神話が組み入れられただけ。
日向は出発地ではなく、終着地。
696 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 20:11:01 ID:j7fTqII/0
>>691 神武東征は紀元前だと書いてあるのに、邪馬台国以後だという根拠はなんだよ?
>>696 書いてあったら事実なのかよ。
だったら檀君朝鮮も事実だな。
698 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 20:30:04 ID:GH1q5QcYO
699 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 20:33:50 ID:tgNkao/UO
実は邪馬台国は嘉麻市(ヤマダ)にあったんだぜ
卑弥呼の血を引く俺が言うんだから間違いない
九州の伊都と邪馬台国は別の国って事か?
九州が邪馬台国で都合が悪い人がたまにいるよね。
701 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 20:39:08 ID:ZgbSujKa0
纒向もまた発掘を始めたらしいから、色々出てくるよ。
九州説の欠点の一つは、人口7万戸と書かれていた邪馬台国の存在した跡が無いこと。
纒向は、十分それの候補になりうる。
702 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 20:40:20 ID:j7fTqII/0
>>697 神武東征が架空なら、邪馬台国東遷は絶対無いな。
>>702 だから邪馬台国は畿内にあったんだよ。
東遷したのは別の勢力。
704 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 20:44:24 ID:XofEVoFQO
>>697 檀君神話は朝鮮坊主の戯言。
根拠となる史料や伝承なし。
ガンダムやエヴァンゲリオンが史実と言い張るようなもの。
そもそも朝鮮半島にニンニクはなく、クマがニンニク食べて女になれない。
705 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 20:46:34 ID:tgNkao/UO
九州に邪馬台国成立→倭国で内乱→卑弥呼の墓損失→勝ち組が東遷→奈良に大和朝廷成立
706 :
踊るガニメデ星人:2009/10/27(火) 20:48:34 ID:h6JO20gf0
>>701 九州にあった邪馬台国の痕跡は大和朝廷が徹底的に消し去ったんだと思う、
邪馬台国を滅ぼして大和の称号を奪った大和朝廷にとっては邪馬台国の存在は
永久に葬りさらなければならなかったはず、大和朝廷が邪馬台国とは別の国
である事が知られてしまうと正統性に傷がついてしまうから、したがって邪馬台国
の痕跡は永久に発見される事はないでしょう。
>>704 神武東征も記紀にしか根拠がないんだから同じレベルだろ
他に根拠となる史料や伝承あんの?
708 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 20:51:00 ID:j7fTqII/0
>>703 東遷って誰がだよ?
ほんとにバカだな。
709 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 20:53:42 ID:j7fTqII/0
>>706 それをいったら、邪馬台国は四国でも仙台でもどこでもいいって話。
自分で勝手に思ってればいいんだからな。
死ぬまで、そう思って幸せに暮らせばいいんじゃないか?
710 :
踊るガニメデ星人:2009/10/27(火) 20:57:09 ID:h6JO20gf0
>>707 神武東征は倭国大乱の時に勢力争いに敗れて畿内に落ち延びた事を東征だと美化して
後世に伝えようとしたのでしょう、落ち延びたのはかっこ悪いから東征という事にして体面を
保とうとしたんじゃないかな。
712 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 21:00:30 ID:COeI9SFgO
だからマクモニーグルが山口県て言ってるんだから、それでいいじゃん。九州は親父が治めてたの。
大分舐めんなカス
714 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 21:04:21 ID:r4fE34If0
邪馬台国は韓国にあったニダ
715 :
踊るガニメデ星人:2009/10/27(火) 21:06:43 ID:h6JO20gf0
>>709 当時大きな勢力があった事がわかっているのは九州と畿内だけだから、どっちかが邪馬台国であったはず
だし、魏志倭人伝では朝鮮の使者は九州に立ち寄っているのだから九州が邪馬台国の一部であった事は
まちがいないでしょう、そして畿内にあったのはたぶん狗奴国で、その狗奴国はかつて倭国大乱の時に
勢力争いに敗れた一派が畿内に落ち延びて作った国で、そしてその狗奴国は後に邪馬台国を滅ぼして
大和の称号を奪ったのだと思う。
観光産業の目玉にしたいんですね。
山口の土井が浜がルーツだろ。どう見ても。
九州か山口だろうな。
>>715 弥生後期に大きな勢力は畿内や九州他にもありますよ。
出雲や吉備、徳島、特に丹波は鉄の量や古墳からの出土品は
北部九州を凌駕するようなものがあります。
719 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 21:19:12 ID:wmjrXMym0
720 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 21:19:27 ID:3dXR0IiO0
みなさん大局的にとらえてください
考古学的に判明している事実
・当時既に九州北部〜出雲〜吉備〜近畿〜東海に至るまでの交流があった
・当時の中心地は最大かつ各地からの集積である纏向(=大和=畿内)
魏志倭人伝に記載されている事項
・卑弥呼の時代より前に倭国大乱があり収拾するために女王卑弥呼を擁立
だとすると
Q. 纏向を中心とする大連合は魏志倭人伝の記述におけるどこであるか??
721 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 21:20:31 ID:tgNkao/UO
九州が大陸に近い割に弥生時代の古墳やお宝が少ない理由ってのは、邪馬台国末期に戦乱で破壊されたからだろ
722 :
三輪山の神の声:2009/10/27(火) 21:20:55 ID:USQ5jozv0
ヤマタイ国はマキムクなのじゃー。
723 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 21:22:12 ID:wgDg55N50
九州説を唱えているのは九州人だけだから(笑)
724 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 21:23:49 ID:IOCSi/Ou0
関係ないけど秋田のほうって遺伝子的には半数は白人ってマジ?
だからキレイな人が多いのかな
吉野ヶ里は大分じゃねーだろw
佐賀だよ佐賀
726 :
三輪山の神の声:2009/10/27(火) 21:24:40 ID:USQ5jozv0
わらわの声を信じぬものは、黄泉の国から極道の国におちるぞよ。
ヤマタイ国はマキムクじゃーーーー。
>>721 朝鮮に遺跡が少ないのは秀吉と日帝に破壊されたからニタ、みたいな理屈だなw
728 :
踊るガニメデ星人:2009/10/27(火) 21:26:47 ID:h6JO20gf0
>>718 うーーん、そういう可能性はどうかなぁ・・・。
>>724 地理的に近いからロシアの血が多少は混じってる、ということはあるかもね。
だけど半数白人なんて事はないだろうw
730 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 21:29:15 ID:IGoT9/sqO
>>718 んなこと言っても魏志倭人伝には出雲も吉備も出てこないじゃん。
奴国(博多)、不弥国(糟屋郡宇美町)、投馬国(?)、邪馬台国だぞ。
投馬国が出雲って話もあるけど、そんなら水行する前に奴国に戻るか
山を越えにゃいかん。
>>723 2ちゃんでこんなにも九州説が多いのは関東人が多いからアンチ関西なんだろうな
733 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 21:37:20 ID:wmjrXMym0
>>732 いや、九州説がめっちゃ少なくなってびっくりしたわ。
当然だけどな。いつまでも夢見ててもしょうがないし。
古来卑弥呼の墓の伝承がある箸墓古墳が、年代的にも、大きさ的にも(円墳部だけ)ぴったりだもんなあ。
九州説は少なくともそれに匹敵する古墳を見つけてこないとダメだろ。
735 :
三輪山の神の声:2009/10/27(火) 21:39:46 ID:USQ5jozv0
ヤマタイ国に逆らった九州オスは、皆わらわに陳子を焼き陳子に
されて食べられたぞよ。
>>730 関サバ関アジで有名な佐賀関と、なんもない佐賀を間違えるやつがいるのかね・・・
>>734 西都原にあるやん。日向をなめちゃいかん。
738 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 21:43:35 ID:2MiFKPXcO
そりゃおめぇ、
心ならずも「邪馬台国は九州だ」と言っとかなきゃ、
吉野ヶ里公園に観光客が来なくなるもんなぁ
739 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 21:43:36 ID:wmjrXMym0
>>738 あんだとこら、「心ならずも」じゃねーよ。
心の底から信じてるんだぞこら。
目を閉じたらズンドコズンドコ太鼓のリズムで踊る刺青男たちと
吉永小百合みたいな卑弥呼さまが浮かんでくんだよ。
742 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 21:56:55 ID:VDt3a+Ba0
一里300歩、一里76メートル説なら
卑弥呼の古墳が百余歩だと25メートルくらいだなあ。
それくらいなら結構どこにでもあるような気がするが。
だいたい卑弥呼の貢ぎ物のしょぼさからみて
そんなに巨大古墳作るとは思えないんだが。
>>741 箸墓古墳だって、最近までは3世紀末だとか言われてたのが
数十年修正されたわけで、未発掘墳の多い西都原でも、
今後どうなるかわからんぞ。
実際、81号墳が箸墓よりも古いらしいとわかったのも、2005年に
なってからだもんな。
744 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 22:00:01 ID:VDt3a+Ba0
>>736 佐賀在住で親戚が大分の佐賀関にいるが
田舎度は似たようなものだぞ(苦笑)
745 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 22:00:06 ID:wmjrXMym0
貢ぎ物のチョイスと古墳造営技術は違うものだろ。
746 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 22:00:36 ID:h6JO20gf0
>>734 やまととととととととひももももももそひめのみことの墓ねwww
747 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 22:01:46 ID:wmjrXMym0
>>743 北九州の漢鏡の出土範囲から日向は大きく外れてるからだめだよ。
九州説としても候補地にはならないよ。
>>746 それね。「ヤマトの遙か昔の先祖の姫」、みたいな意味の感じがするね。
いかにも卑弥呼らしい。
>>743 西都原もその周辺も発掘がぜんぜん進んでないんだよ。
なんせ田舎だから、開発が少ない。
そのうちザクザク出てくるに違いないのだ。
余談だが、俺の住んでるとこ(新潟県)の遺跡の分布は、
みごとに国道バイパスと新幹線の路線に重なっている。
それを見て、「おお、古代から交通の要所だったのか!」とか
感動しているバカがいたけど、そこしか掘ってないだけだってばw
>>748 モモソって、「百襲」だぞw 夜な夜な若い男を襲ってそうだw
750 :
踊るガニメデ星人:2009/10/27(火) 22:08:44 ID:h6JO20gf0
>>749 「襲」って世襲」の「襲」だぞ。
要するにあとを継ぐこと。
何で襲うことになるんだよw
「百襲」って百回襲うのかw
現代女性としても怖すぎw
754 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 22:32:09 ID:wmjrXMym0
ヤマトトモモソヒメとオオキビツヒコは姉弟の関係な。
姉 弟
755 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 22:39:19 ID:CuSkFksD0
ここで飛鳥先生の説をですね
756 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 22:40:00 ID:lHxeEQDr0
ヤマトトモモソヒメの墓が箸墓
757 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 22:42:24 ID:lHxeEQDr0
>>756 つまりヤマトトモモソヒメ=卑弥呼
なのでヤマト朝廷は奈良にある。 常識だよ
758 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 22:43:50 ID:tgNkao/UO
卑弥呼は俺の隣で寝てるよ
またそういうことを
箸墓の人は箸でオナニー中に死んだんだよねw
卑弥呼…
761 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 22:45:43 ID:lHxeEQDr0
九州説には墓がないし、滅ぼされた連中の文化しかないんですな。
762 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 22:47:31 ID:9RCs0LU30
マキムクだわな、当然
歴史歴史
764 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 22:47:45 ID:hgpqd/MU0
>>720 九州王朝説ファンの間ではこうだったんだが
↓
銅鐸の東魚是*(とうてい)人
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/tyosaku13/yamaic33.html >“『漢書』地理志の中では、「倭人」以外の民族はいったいどうなっているのだ
>ろうか。そうだ。全部抜き出してみよう。そしてその中に「倭人」記事を置いて
>みよう。そしたら、もっとハッキリするかもしれない”と。
> 早速、飛んで帰って、調べてみた。
> すると驚いたことに、この種の記事は「倭人」以外に、たった一つしかない。
>会稽海外に東魚是*人有り。分かれて二十余国を為す。歳時を以て来り献見す、と云う。
> 先の「倭人」は「燕地」(中国の東北地方、遼東半島に至る)の項に出てくる。
>が、この方は「呉地」(揚子江、河口の南)だ。倭人は楽浪郡治(ち 今の平壌付近)
>を通して貢献した。この東魚是*人は、会稽郡治(今の蘇州付近)を通して貢献している。
何時の間にか
↓こんなのが追加されてたorz
↓
>お断り:2007年夏現在古田武彦氏は、
>銅鐸国は狗奴(コノ)国、東[魚是]国は南九州に比定しています。
765 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 22:49:35 ID:N77OR6fYO
九州説は明治政府に
九州出身者が多かったから。
予算も付き易かったしな。
766 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 22:49:49 ID:2MiFKPXcO
弥生人の毛、少々
レプリカ(ニセモノ)
そこらへんに落ちてる土器がさわれる
あー楽しみだ(棒読み)
767 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 22:49:51 ID:lHxeEQDr0
>>760 オナニーで死ぬバカはいないが、誰かに驚いて座り込んだらマンコに箸が刺さるなんてこともない。
暗殺されたのだろうね。
768 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 22:52:48 ID:lHxeEQDr0
>>767 暗殺を是とするなら、それは半島勢力の可能性が高い。
769 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 22:53:13 ID:XJQkUvrd0
曹操が出した薄葬令に背いて巨大な墓を作ると考える事にそもそも無理があるんだよ。
単にちょっと朝貢してお礼に鏡貰ったなんて可愛い話じゃないんだからw
しかも、前方後円墳なんて特異な形状を中国人(軍事顧問団?)が記録しないわけが
ない。大変な大工事だし。そんなに生産に余裕があった時代じゃないから、やはり畿
内の巨大古墳は被征服民を使役したと考えるのが合理的。
短里なら九州でも数はある。
>>749のいう西都原みたいな辺鄙で何もない所に行かなく
ても、普通にそこら中墓だらけで副葬品も日本一豪華な王墓群がある北部九州で問題ない。
でも、発掘以外は無視の能なし史学の連中には、こんな当たり前の事もわからないん
だよね。
暗殺として普通に病死とか事故死って言っておけばいいのに、箸がアソコに刺さって死んだって
発表した人はキモイねw
771 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 22:55:44 ID:lHxeEQDr0
卑弥呼暗殺でも日本は、その伝統は揺るぐことなく守られてきた。
守るべき文化だからだ。
772 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 23:00:11 ID:lHxeEQDr0
>>769 前方の部分で埋葬儀式を行ない。後円部分に埋葬する。
>>769 >
>>749のいう西都原みたいな辺鄙で何もない所に行かなくても、
あんだとこら、ケンカ売っとんのかこら。
「どげんかせんといかん」状態になったのは最近の話だっつの。
辺鄙で何もない所に、高塚墳311基、横穴墓が10基、地下式横穴墓12基も
作るわけねーべさ。
774 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 23:07:57 ID:lHxeEQDr0
>>770 行き過ぎた行政に対する批判だよ。普通だ。
疫病が流行ればそれも卑弥呼のせい。
要は悪政をしでかした証拠。
775 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 23:11:47 ID:lHxeEQDr0
776 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 23:12:10 ID:UmvkGDZl0
邪馬台国は奈良のマキムク遺跡でほぼ確定らしい。
777 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 23:12:51 ID:8jFlb+q+0
卑弥呼の墓である箸墓だけど、
ハシってのは、箸じゃなくて、土師器(土器)のハシでしょ。食器くらいの意味。
778 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 23:17:38 ID:worM82Lp0
偽僭説ってどれくらいの確度なのかな。本居宣長がいきなり正解を
言ってしまった、という話もあるが。
779 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 23:19:21 ID:lHxeEQDr0
>>777 食器の箸だ。
蛇が出て驚いて倒れたら箸がマンコに刺さって死んだ。
だけどそんなことある訳なく、卑弥呼を貶める噂でしかない。
それほど卑弥呼の力が脅威になってた証拠。
780 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 23:22:33 ID:lHxeEQDr0
>>779 要するに暗殺なんだろう。
殺した時の勢力は恐くて箸墓を作ったんだろう。
781 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 23:23:38 ID:6lZ+h4KL0
>>762 マキムク(笑)
さんざん期待されたが、130次にわたる発掘で発掘された住居跡を全部たしても10人分とかいうやつだろ。
あれを都市だとか吹聴している連中のモラルは異常だな。
広大な土地に数十人が粗末な住居に住んでいたレベルとすでに判明している。
それが7万戸とされる「邪馬台国の所在地かもしれない」とか。ガキは発掘やめて糞して寝ろww
それで住居を無視して、「土器がたくさん出ている。」とか。
もうアホかとww あそこは「大市」だから、市場があったことが古代の地名でも残っている。
土器が出て当然だろ!
しまいには、なけなしの細い掘建て柱のバラック小屋を「5メートル四方の宮殿と推定される」とか、
もうね、頭にウジがわいているとしか思えないね。
それでもあと何十回も何百回も発掘を続けるために、「マキムク伝説」を吹聴し続けるその努力には
恐れ入るしかないなww
「血税の墓場 マキムク」
>>775 邪馬台国スレは、煽り風味でレスするのがエチケットなのよだぜこら。
783 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 23:27:32 ID:AlciRARAO
>>780 > 殺した時の勢力は恐くて箸墓を作ったんだろう。
殺した相手をデカイ建物で祟り収めるのは
出雲大社からの伝統だしなw
784 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 23:28:49 ID:lHxeEQDr0
>>782 ふふふっ!少しニビビッかw
好きに語れよ。
785 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 23:31:45 ID:8jFlb+q+0
>>779 魏志倭人伝には、倭人は手でメシを食うと書いてあるのに、
畿内では箸を使ってたと?
ふ〜ん。おもしろいね。
786 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 23:35:39 ID:lHxeEQDr0
>>783 何しろ日本を治める巫女だしな。
殺すのは誰でも出来るが、墓は権力者しか作れない。
隣りにも同等の墓があるらしく、かなりビビッてたんだろう。
菅原の道真やなんだっけか?将門にもかなりビビッてたもんな。
それより昔だしビビリまくりさ。
>>777 箸なんてまだ無い時代だしね。
箸墓=土師氏の由来でしょ、土木工事を請けた一族から来てるのだろう。
墓は大坂山(大和川亀の瀬周辺)の石が使われているが、
そこから少し西寄りには土師の里という地名がある。
つまりこの辺りの人間が墓の工事を担当したと推測できる。
788 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 23:42:00 ID:lHxeEQDr0
>>785 殆どの倭人が手で飯を食ってても、箸を使うのは御公家さんですよ。
面白いかね?オレをバカにしたつもりでいるのかな?楽しいか?
>>785 モモソ姫宵よりずーっと昔のスサノオも、川に流れてくる箸を
見つけてクシナダ姫と出会ったんだぞ。
>>787 てなわけで、むりくり土師氏に結びつける必要もないかと。
築造当時の名前が残ってる古墳なんて、たぶん一基もないんじゃないか。
790 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 23:46:15 ID:YiYBEBKn0
791 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 23:46:41 ID:c/fC/GEo0
>入園料は大人(15歳以上)400円、小人80円
これおかしくね?小人80円なら大人160円にしろ
792 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 23:46:59 ID:lHxeEQDr0
>>787 >箸なんてまだ無い時代だしね。
おめーの田舎の話じゃねーし、御公家さんが手で食う訳ねーだろ。バカ者
793 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 23:49:55 ID:tgNkao/UO
北九州に邪馬台国成立→卑弥呼が魏に朝貢→倭国で内乱再び→勢力が二分→一方が邪馬台国を滅ぼして近畿に引っ越し→大和朝廷成立
794 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 23:52:35 ID:lHxeEQDr0
人は包丁と食器、箸やスプーンを最初に考え、そこから知恵を伸ばすのよ。
>>789の上のほう
いかん、なんか言葉足らずだった。
つまり、箸なんつのは記紀の書かれた時代の習俗で書いちゃっただけで、
実際は古墳時代も手で食ってたと。
796 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 23:58:59 ID:AlciRARAO
>>786 「不本意に死んだ人間は、祟りを起こして世に災悪をもたらす」
「だから、不本意に死んだ人間には、立派で美しい諡や、祟りを鎮める建物をたてなければならない」
のが当時の「事実」であり「常識」な訳だしな。
あと「まんこに火箸が刺さった」なんて不名誉でもなんでもない時代なんだろ。
国産みの女神が火の神生んでまんこ火傷して膿んで死ぬぐらいだから。
2ちゃんねらの「まんこに箸とかwww」感覚とはまた違うだろうしな。
もしくは、椅子トラップとか寝床の下から刺し殺して
たまたままんこにヒットしたのを誤魔化したか。
797 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 23:59:01 ID:lHxeEQDr0
まあ箸墓、モモソ姫は重要な候補には違いない。
何せ日女命(ヒメノミコト)、またの名を日神だ。
幼少から瀬戸内方面で逸話を数多く残して、巫女的なエピソードもある。
弟は桃太郎のモデルでもあるし、畿内説での卑弥呼像には適任でしょ。
799 :
名無しさん@十周年:2009/10/27(火) 23:59:03 ID:MqcsLa7m0
邪馬台国が九州でもどこでもいいだろ
なんでこの論争で熱くなれるのかよくわからんw
800 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 00:02:10 ID:oXUZj5j+0
801 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 00:05:32 ID:DKp2LeKQ0
>>799 ヤマト朝廷は近畿にあり、九州なんか関係ねーよ。
>>799 禿同
そもそも、分りもしない事で論争しているんだもん。
単に暇なんだよ。
803 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 00:14:33 ID:DKp2LeKQ0
>>802 分ってのは近畿に朝廷があったこと。
首都というのは少しずつ移動し近畿に落ち着いたとは思えないこと。
よって日本の朝廷は近畿にであり、移動もしていない。
九州説などバカしか唱えない。恥かしいもんw
いい加減あきらめればいいのに
まったくの素人だけど、九州説だな
本当に機内までいったんなら、もっといろいろ途中書くことあっただろうに
どうも北部九州に着いたらあっさり帰った気がする。
何里の行程とかは当たり前だけど全く信用できない。
806 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 00:18:03 ID:oXUZj5j+0
けっきょく素人の方が
シガラミが無いぶん
客観的判断ができるのだよ
807 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 00:21:10 ID:tM63p9bQ0
邪馬台国=大和国じゃないの?
九州ってありえんでしょ
>>803 >分ってのは近畿に朝廷があったこと。
全然分ってないよ。国内に史料なんて残ってないんだし。
809 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 00:23:57 ID:DKp2LeKQ0
>>805 国家の戦力は黒曜石の鏃と紀ノ川の砂鉄。
たたら製鉄で還元法を確立したもで近畿に朝廷が出来たの。
九州に代替設備がないので、国家の中心には成りえないのよ。
811 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 00:27:16 ID:keQavigr0
>>805 まったくの素人はいいねえ。
無知でも素人だからで許されるんだから。
812 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 00:28:29 ID:DKp2LeKQ0
>>808 書物の資料が無くても、現在行なわれている文化財を尋ねると、この地にあった文化が分るもんだ。
813 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 00:29:27 ID:uUHbCdoA0
>>810 ごめん、佐賀の大和町は戦後にできたんで関係ない。
>>809 製鉄なら福岡の今宿を忘れてもらっては困る。
黒曜石産地は佐賀にある。
814 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 00:30:14 ID:YGyX57Cp0
>>783 奈良の大仏は白村江の戦いで大和朝廷が殺した新羅人の為に
謝罪と賠償の意味で建てた、と、奈良観光に来ている韓国人に
説明していたガイドがいたぞw
法隆寺では、聖徳太子は韓国人だという説もあると、
正々堂々と韓国修学旅行生に説明していたガイドがいたw
815 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 00:30:45 ID:DKp2LeKQ0
>>810 はははっ!なんか嬉しいだろ?
大和の仲間だぜ!
>>809 食いもんはどうなのよ。河内平野は海の底だぞ。
>>811 「海に潜ってアワビを取って食う」とか書いておきながら、
明石の蛸壺漁を書いてないのがおかしい。
明石はの蛸壺漁は弥生時代から始まってて、
たしか日本と地中海(イタリア)にしかないはずなのだ。
魏の人が見たら「おお、すげー」と思わざるを得まい。
817 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 00:31:56 ID:oXUZj5j+0
>>812 正倉院も法隆寺も
太宰府あたりからの移築だって?
818 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 00:36:59 ID:DKp2LeKQ0
>>813 佐賀の黒曜石はガラス質が足りない。
長野差を持てみろ。
福岡の今宿の鉄は紀ノ川の砂鉄に勝てるのかい?
819 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 00:37:33 ID:uUHbCdoA0
正倉院は筑後の朝倉からの移築という説をどこかで読んだな
820 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 00:40:18 ID:DKp2LeKQ0
>>816 河内平野が海中だからなんだ?
何が言いたい?お?
>>820 7万戸だよ。当時の反収がどんだけか知らんが、仮に200kg採れてても
奈良盆地じゃ収まらん。
822 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 00:46:46 ID:oXUZj5j+0
823 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 00:47:35 ID:DKp2LeKQ0
真っ黒な硬い鏃と芯に柔軟性を持ち表面が硬い鋼の剣は、戦士に勇気を与え、
結果強力な軍事力を持つ。
こいつらが日本を支配したと想像するのが普通。
>>821 邪馬台国のエリアは大阪平野南部と生駒・葛城山周辺でしょ。
a
826 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 00:50:11 ID:uUHbCdoA0
>福岡の今宿の鉄は紀ノ川の砂鉄に勝てるのかい?
なにをもって勝つのか分からんが
8世紀まで製鉄が行われたらしいから
その時代としては十分な品質だったんだろう。
元岡製鉄所跡は九大伊都キャンパス内にある
佐賀の黒曜石は伊都と吉野ヶ里で出土しているから
高品質かどうかは分からんが、使う分には問題なかったんだろう。
必要十分な品質であれば、日本一d背ある必要はない。
>>824 当時そこに、7万戸を養える耕地があったのかと。
828 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 00:51:15 ID:DKp2LeKQ0
>>821 河内平野がどうした?
例え陸地になっても塩害で米など出来ない。
829 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 00:52:46 ID:keQavigr0
830 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 00:54:42 ID:Ypp9ByHg0
>>829 ふっふっふ。あるのだ。
…あ、もうこんな時間だ。寝よう。
>>827 大体70000戸という数字だと九州でも畿内でもまず該当しない。
面積だけだとあるかもしれないが、遺跡や耕地跡がない。
和泉〜河内〜奈良盆地というのが邪馬台国の候補地だね。
中国の皇帝から金印もらったとか言って浮かれてるような王様は、近畿、ましてや奈良に居る訳が無いので九州説が有力と思います。
834 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 00:59:35 ID:ykwADcEvO
魏誌倭人伝の解釈が様々あるのは分かるが、確実に言えるのは、伊都国からの行程のいい加減っぷりから、記述を鵜呑みにしちゃいかんということだろ
水行十日陸行一月やら卑弥呼の巨大な墓やら7万戸の集落なんてのも怪しいわ
835 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 00:59:59 ID:uUHbCdoA0
福岡平野が那国2万戸とすれば筑紫平野か熊本平野が7万個でも
さほど無理はないな。
836 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 01:00:30 ID:DKp2LeKQ0
>>826 同じ鉄なので品質が悪くても、還元にエネを使えばほぼ同じ物が出来るが、
鉄は含有不純物の量で性質が大きく変わる。
硬くても折れては戦にならんし、柔らかくて切れない包丁も使い物にならん。
黒曜石にして同様。で今宿鉄の組成は?
837 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 01:01:01 ID:keQavigr0
838 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 01:02:45 ID:uUHbCdoA0
>>836 ぜんぜん分からん。紀ノ川砂鉄の組成とやらを教えてくれ
>>835 それは無理でしょ。投馬国や狗奴国の関係も考えたらもう無茶苦茶。
だから日向に来んしゃいっつの。
宮崎平野と延岡平野だ。
しかも暖かいから二期作だ。収量2倍だぞ。
ここだけの話だが、「春耕秋収を計って年紀と為す」の
二倍暦はこれが起源。みんあにはないしょだぞ。
>
>>810 > ごめん、佐賀の大和町は戦後にできたんで関係ない。
うお、そうなの?ここから超斜め上の起源説が主張できるかと思ったんですけど。
842 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 01:13:02 ID:uUHbCdoA0
>>841 昔、自分も興味もって調べたことあったんだ。
春日村、川上村、梅林村の合併で大和町ができて
旧地名にも大和に関係する地名はなかった。
843 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 01:14:49 ID:keQavigr0
>>840 二倍暦が仮にあったとしよう。
倭人は朝鮮半島と交易してたのだから、朝鮮人からみたら、
倭人の歳は2倍早く増えていくことになる。
取引先の朝鮮人が気に留めないわけがない。
魏志倭人伝にそういう習慣が書いてないので、二倍暦は真ではないと結論される。
以上。
844 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 01:15:41 ID:DKp2LeKQ0
>>838 炭素が少なきゃ合格だ。
鉄は炭素が少ないと柔らかいのだが、それで土台作り
炭素の多い玉鋼の部分をかぶせて叩く。
最後の木炭で焼きながら炭素を染み込ませる。
そして最後に奴隷の胸に刺し急冷すると表面がマルテンサイトという組織で固定しかたくなる。
内部は炭素が少ないので柔軟性が残る。
奴隷の胸に刺して冷却はしてないが、水より塩水の方が硬くなる。
845 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 01:16:50 ID:Ypp9ByHg0
>>837 遺跡は沢山有るんだよ
建設工事で土建屋が沢山ぶっ壊しました
水縄山麓あたりには2千カ所の古墳が昔はありました
そして筑後川が北へ南へと氾濫して沢山壊れています
846 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 01:19:25 ID:uUHbCdoA0
>>844 >炭素が少なきゃ合格だ。
それなら砂鉄製鉄なら概ね合格じゃないかね
今宿元岡製鉄も合格だな。
近所の海水浴場の海岸では今でも砂鉄の層が見える
847 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 01:22:09 ID:pTlRXUBTO
九州だとしたら遺跡が少なすぎだろ
848 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 01:22:24 ID:DKp2LeKQ0
>>846 それは還元による奪炭の技術があってこそよ。
卑弥呼が魏に応援要請したのは鉄剣等の威信財をえるため。
ヤマト王権も満足な鉄が生産できないから朝鮮南部に進出したんじゃなかったっけ。
たたら製鉄って3〜4世紀からあったんかね。
850 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 01:29:59 ID:uUHbCdoA0
>>848 >それは還元による奪炭の技術があってこそよ。
そもそも一酸化炭素による還元反応がなければ
低品質の鉄すらできないはずだが。
今宿元岡製鉄跡で製鉄の痕跡がある以上
その技術は確立されていたんだろう。
851 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 01:30:50 ID:DKp2LeKQ0
>>849 技術は30年で習得出来るが、たたら製鉄を独力でやるには50年かかるな。
当時の最先端技術だろうしな。
852 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 01:33:43 ID:06yJ5yKD0
単純に考えて一般人、商人レベルでも近畿より佐賀、博多の方が
圧倒的に朝鮮半島へ往来しやすいもんな。
853 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 01:36:45 ID:DKp2LeKQ0
>>850 技術はあっても生産量がたりなかったんだろう。
鉄剣の軍事力を一方的に保持していたなら、近畿を攻め滅ぼしたはずだ。
854 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 01:38:10 ID:uUHbCdoA0
唐津って唐に行く為の港って意味らしい。
秀吉の名護屋城も近くにあるから
中国方面に行く基本航路だったんだろう
もう東京でいいよ
857 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 01:42:35 ID:DKp2LeKQ0
出雲紀ノ川に製鉄拠点を置いたのは、戦地が海峡付近とよんだのだろう。
そして必死で刀作ったのよ。
近畿を戦場にしたくないからな。日本軍と同じ考えだったんだよ。
858 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 01:44:31 ID:uUHbCdoA0
>近畿を攻め滅ぼしたはずだ。
滅ぼしたのか滅ぼされたのか、それは分からんねえ。
でもそれ以降にも鉄を生産していたのは確かだ。
8世紀あたりまでな
そして、三種の神器をもつ古墳が近くの室見川流域で出ている。
大和朝廷は三種の神器を継承している。
邪馬台国って現代的な意味での「日本国」の「首都」だったのかなあ
当時、日本列島で先進的な地域は機内だったんだろうけど、
使者はそんなこと興味なく、九州北部の様子をみて
「変な奴らがいるな〜。さて帰るか」とすぐ帰ったような気がする。
860 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 01:50:23 ID:DKp2LeKQ0
>>858 滅ぼしてはいないはず。
マッカーサーの考えと同じで統治は目標であるが、殲滅には被害が大きすぎる。
861 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 02:01:16 ID:keQavigr0
>>858 >大和朝廷は三種の神器を継承している。
まったく関係ない。
862 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 03:45:42 ID:2U8uiQFc0
「襲国偽僭説」とは、本居宣長の提唱によるもので、
「卑弥呼は熊襲の女酋であり、熊襲が、天皇家を差し置いて日本列島の王を僭称し、中国に使者を送った」とするものだ。
「僭称」などの言葉は、本居の根本の概念から生まれた「大義名分用語」であって、その実は、「九州王朝説」である。
邪馬台国は奈良がお似合い
864 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 04:07:47 ID:VAQ850hq0
2世紀当時最大の遺跡は、岡山吉備のタテツキ。国内最大の朱(水銀)もでてるし、
吉備の特殊器機は後の埴輪。タテツキから後の大和の前方後円墳に発展していくの
だから、記紀の応神天皇、仁徳天皇の吉備(ハダ、葉田、秦氏拠点)里帰りも
あるように、吉備大和連合朝廷の中核は、瀬戸内と任那を押さえていた吉備王国
にあるのは自明。5世紀まで、国内最大の墳墓の多くは吉備。考古学的には、
邪馬台国も吉備にあり、後に行政首都が奈良に移動したとみるべき。
865 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 04:45:08 ID:2URqEJr90
遺跡が大きければ邪馬台国と誤解してない?
卑弥子の邪馬台国が強大だった証拠はない。7万戸は、周辺村国家の総称かも
知れないし張政が見た訳じゃない。周囲のより強力な国々を、女の子の鬼道の
力で従わせていた。だから鬼道でタブラかしてると表現された。彼女の国は、
軍事的には脅威ではなかったからこそ、周辺諸国から安心して鬼道使いの
権威者として認めて貰い共立された。彼女、魏の国の権威にすがって、狗奴国
と闘った。その中国様に対する事大主義は、今のサヨクと同じ。
岡田外務大臣:「中国の許可は取ってるんですか。取ってないでしょ。」
あれと同じ。卑弥子は、狗奴国に対して、「あたしに敵対するなんて、魏さま
の許可は取ってんの。取ってないでしょ!」とやってたのよね。
あの特アちっくなメンタリティは、どーも強大な軍事オタ的な近畿の古墳国家
とは違う感じがするんだわ。邪馬台国は、九州・筑後の中国かぶれの
女占い師が首長やってる変な宗教国家だったとオモ。
866 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 04:47:04 ID:Fm9fZU750
こういうのは政治力で決着するからね。
867 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 04:52:17 ID:QcOlMzSq0
邪馬台国人に九州か近畿どっち?って聞いたら、どちらもって答えると思う。
同じ人たちが移動したんだよ九州から奈良出雲 地元民征服しながら。
868 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 04:56:03 ID:CyyB7dcs0
私は畿内説を信じている
理由は魏志の卑弥呼の墓に相当すると思われる墓が畿内に数多くある
また、魏志に記載された環濠をめぐらせた集落も、近年、畿内から発見されている。
魏志倭人伝の記述を素直に読めば畿内に辿りつく
こんなとこが理由だね。
九州説の論拠だった環濠をめぐらせた集落も、現在では畿内でも発見されているので
九州説だけの有利な点とは言えなくなっている
869 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 05:07:01 ID:aCriH9gl0
おまいら
「リニアモーターカーを長野に!」
と同じくらいの地域エゴだなw
本当は朝鮮半島にあったかも知れないだろ?
奈良辺りから交流の為に瀬戸内やシナ海通ってわざわざ魏まで使節送るのか?
有り得ないわwww
>>523 何となく「えん」と読んでたけど、「ふち」が三角なんだよね。
>>536 縄文がなんか今の女子ぽっいくて、弥生はよさこい踊ってる奴らか。
>>871 その為に北部九州に伊都国があるだろw
邪馬台国が遠方にある事は普通に倭人伝を読めばアホでもわかる。
876 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 07:49:44 ID:2U8uiQFc0
>>871 聖徳太子による遣隋使も奈良から使節を送ったよ
もちろん瀬戸内と九州北部を経由して
つまりどの時代も同じ
877 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 08:03:23 ID:kYpETUwf0
邪馬台国の議論の中で、中国に使者を送るとき誰が船に乗せたんだろうか、中国人?
それとも、邪馬台国の人?、東シナ海を往来するほどの航海技術をもった人々だったろう
けど、刺青をして魚を取って暮らしていると言う記述からも、瀬戸内沿岸とはかかわりが
あると思うが。
邪馬台国は倭寇の先祖じゃないかな。
878 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 08:03:26 ID:kf8VU1xq0
邪馬台国は、パプアニューギニアあたりだと思うよ
顔に刺青いれててさ
879 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 08:17:23 ID:kYpETUwf0
刺青というのは中国では刑罰で彫られたりするほど屈辱的なもの、倭人は魚を獲るとき、
さめなどの攻撃を防ぐという目的で彫られていたとある。また中国で漁業は川や湖が主で
海の魚を主として獲るのは世界的には多くない。
880 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 08:21:51 ID:Ml9f+EsnO
マクモニーグルは卑弥呼の一族が中国の昆明からベトナムハノイそして台湾、沖縄、九州のルートで移動して来たと透視した。
881 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 08:41:05 ID:GtemHY9F0
宇佐神宮がある宇佐市から日田市までが邪馬台国らしい。
っていうか宮内庁とか皇族とかはどこにあるかちゃんと知ってるよ
882 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 08:50:20 ID:qZUrul6/0
無意味な邪馬台国論争なんかいつまでもやってないで、纒向の調査を進めろ。
883 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 08:57:05 ID:mb3sSRvI0
宇佐神宮の、田舎にあるわりには妙に巨大なのと、皇室に占める宇佐神宮の
重要性から考えるとたしかにここが皇祖の地なんだろう。
そこが邪馬台国だったかどうかは別として。
大和=邪馬台国説が有力なんだってな。
ビルドうp!
バンバンバババン
887 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 09:56:19 ID:e3HRYjPq0
邪馬台国と大和朝廷が、連続するものしては考えなくてはいいんじゃないかな。
>>881 皇族の方や宮内庁は知っているんだと思う。
旧貴族の方が所蔵している文献では、まだ門外不出のものがあるともいうし。
宮様らがイギリスに留学されるのは、民俗学、言語学、宗教学、政治経済、金融
など植民地時代からの研究を学ばれるためではないのかな、本当はここで魏志倭人伝の
究明ができてるんではないかな。
888 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 10:24:03 ID:bTjUc0wT0
この情報化社会のご時世に、門外不出とは言っても
痕跡くらいはどこかに転がっているものだが
三種の神器は皇室でも興味本位に開けてみたりはしないものらしい。
奥に金印が転がってたりして。
889 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 10:25:36 ID:2U8uiQFc0
邪馬台国なのかどうかや
大和朝廷とつながるかどうかをひとまず置いておくと、
当時、奈良の纒向を中心とした出雲〜吉備〜近畿〜東海の連合かもしれない
勢力があったのは事実ですね。
その上で、
それが邪馬台国なのか、そうでなければ邪馬台国とはどういう関係か、
それは大和朝廷とつながるのか、そうでなければ大和朝廷とはどういう関係か、
これを各説の人ははっきりと矛盾無いよう説明する義務があります。
891 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 10:56:12 ID:X32Ma+4h0
>>889 纒向が中心だったかどうか知らないが
>出雲〜吉備〜近畿〜東海
これ銅鐸がたくさん出土する範囲の気もするんだが
魏志倭人伝とかに銅鐸が出て来ないのはいいの?
892 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 10:59:56 ID:csXr9LMyO
自然に考えれば
ヤマタイ=ヤマト
ヒミコ=巫女か御子
だよね
九州(笑)とか絶対ないわ(笑)
893 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 11:17:37 ID:bTjUc0wT0
銅鐸は出雲畿内中心に出土する。
九州からもわずかながら出土する。
しかし大和朝廷の記紀は銅鐸を知らない。
銅鐸文化圏はかなり急激に消滅する
緩やかな広域小国家連合を
突然大和朝廷系の勢力が駆逐したように見える。
強力な新興勢力が瞬く間に塗り替えたような感じだ。
895 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 11:45:11 ID:2URqEJr90
古墳時代の前方後円墳の期限は、宮崎の西都原古墳群の前方後円墳。
神武に象徴される若者が、九州から奔走、近畿に国盗り合戦を挑んで、
いかなる幸運にか、ヤッちまった。近畿の豪族の方が、宮崎より生産力が
豊かそうなのに、何の因果で宮崎から来た田舎者にヤラれちまったのか、
それが古事記最大の謎。あたしの勘では、近畿の豪族達は平和ボケの無防備
都市宣言・愛好会メンバーだった。
>>895 戦争の才能と野心を併せ持った奴というのはたまにいるんだろうな
大和朝廷の起源・・・宮崎
邪馬台国・・・近畿か四国、あるいは両方
だと思う
>>888 興味本位どころか誰も開けられない、開けてない。
草薙の剣の箱を開けたのは江戸時代が最後のはず。
空けた中身を見た人は全員死んだとか・・・
898 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 11:53:46 ID:EyGdJfAVO
いまだに騎馬民族とかアホか
899 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 11:57:52 ID:rHEoc3TU0
>>898 それよりいまだに銅鐸文化圏とかいってるほうをつっこむべきだなw
邪馬台国は須玖岡本遺跡です。
あそこは奴国ではありません。
901 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 11:59:11 ID:bTjUc0wT0
>894 >895
それに近いイメージ持ってる。
宮崎の古墳群、畿内の古墳群
古墳に執着するところはかなり近い感じがする。
北部九州は古墳はあるが、それほど執着していない。
宮崎大分は玄界灘、有明海沿岸からみれば
かなり遠い国だ。九州山地があるので
宮崎は今でも陸の孤島に近い。九州北部とは違う
独自の文化圏ではないかと思う。
また、瀬戸内海文化圏としてみると、宮崎大分は
瀬戸内海文化圏の端に位置しているとみることが出来る。
逆の端はもちろん畿内である。
日向からの東征神話、宇佐神宮の神託の話
大分宮崎は大和朝廷とつながりが深いのではないかと思う。
902 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 12:05:43 ID:EyGdJfAVO
>>897 本物は関門海峡の海底でとっくに朽ちているだろうけどな。
903 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 12:09:08 ID:gwSutcyZ0
>>18 > 金印が出たのは九州だから九州だろ
九州の土着民は正直だからなあ。
一方、近畿で発掘された金印は、溶かされて・・・・人知れず・・・。
904 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 12:12:26 ID:RtgoUqYBO
九州説=古代朝鮮起源説
905 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 12:18:09 ID:2URqEJr90
>>904 のんのん。山海集:蓋国鉅燕南倭北倭燕属 によれば、朝鮮半島は倭人の土地
だった。古代朝鮮起源説と言うより、朝鮮半島・倭人テリトリー説と
言うべき
906 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 12:49:34 ID:cyoMsEBkO
こういう村興しやるから胡散臭くなる
907 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 12:59:25 ID:2URqEJr90
箸墓狂想曲は、村おこしのビッグ関西版
908 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 13:04:51 ID:zBUGOWLh0
九州人はどうしてそんなに中国の臣下になりたがるの?
本土の大和朝廷より中国にシンパシーを感じていらっしゃるんですか?
909 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 13:08:10 ID:9zyy49im0
910 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 13:20:48 ID:1bLE8C8oO
>>65 火の鳥だけじゃなくて、地名相似や出土品からみても、それが正しい。
邪馬台国機内説を主張するやつは、大和朝廷が大陸由来だと信じたくないウヨだよ。
邪馬台国以前の人口密集地と大和朝廷以後のそれを比較すると
別の民族もしくは別の文化と考えた方が合理的だもんな。
911 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 13:49:14 ID:2URqEJr90
卑弥子は、中国(魏)かぶれの女占い師。舶来ブランドの鏡を太陽に
キラキラッと反射させて、死者の招魂とか運命判断とか、やってたんだろ。
南の狗奴国から攻撃されると「へい、狗古智彦、あたしに敵対するとは
魏ィ様の許可は取ってるの!取ってないでしょ!」と虎の威を借りて
防戦。朝日新聞社説の起源となった「中国様に言い付けてやるぅ」外交に
いそしんだ。呪術のカイなく、多分、狗古智彦に国は盗られた。邪馬台国は、
半裸の漁民の風俗とか、後漢、魏、晋、の鏡が日本で一番多数、出土する
円墳遺跡の数と状況から見て、おそらく筑前〜筑後の古墳郡のどれかの
女酋長。
912 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 14:05:32 ID:RruVv9lE0
>>910 なんなんだろうね?
「日本で初めて中国様に国家認定してもらったのは九州だ。」
「ついでに、大和朝廷も九州が作ったのだ。」
なんでも起源を主張する朝鮮人そっくりだよ。
>>816 あの時代の稲作は棚田。
灌漑がやり易い。
914 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 14:19:18 ID:zhrsz5ls0
>>910 朝鮮経由で渡来してきた別民族なら分かるんだが、
朝鮮民族が渡来したかのような記述がいかんのだよ。
銅鐸文化圏は証拠がある(銅鐸の分布)が
騎馬民族説は証拠がない(そもそも馬がいない)
916 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 14:34:56 ID:EyGdJfAVO
>>910 日本は水稲作と金属器が普及して邑(ポリス型国家)が形成され、
一地方国家に過ぎない奴国が(劉)漢に遣使する程に日本は進展していた。
一方で同時期の朝鮮半島は国家形成どころか水稲耕作すらしていない。
国家も無いのに組織的に侵攻し、
農耕による生産技術も無いのに安定的に兵糧を準備し、
山がちな朝鮮半島と日本列島を鐙も蹄鉄も無い馬で越え、
船も航海技術も無いのに海を渡り征服できたのか?
高句麗は正史の三国志にも載ってたぞ
大和朝廷の九州起源説は古事記のお墨付き
918 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 14:43:23 ID:mb3sSRvI0
>>912 大和朝廷がどこから来たかとかはどうでもよいが、日本の文明(農作、鉄器など)は
まずは九州に来たにきまってるだろう。
919 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 14:43:52 ID:h9OUwffRO
銅鐸は周王朝の遺跡から
似たものが大量に見つかってることから
銅鐸文化は周滅亡後の遺民が成したとも考えられる
920 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 15:00:31 ID:EyGdJfAVO
>>917 高句麗は女真族(満州人)史。
支配領域が現在の北朝鮮に一部及んでいたに過ぎない。
高句麗→渤海→女真→金→女真三州→後金→清→満州国→滅亡(内蒙古満州族自治区)
朝鮮半島を支配した民族の歴史や文化を盗用したり起源を主張する韓国人は奇妙で理解不能な存在。
921 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 15:03:10 ID:D48W46IQO
もういいじゃん東北で。
922 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 15:16:20 ID:bTjUc0wT0
大和朝廷を九州発祥にしたくなかったら
別に近所の奈良京都の山にでも降臨していたことにすればいいのに。
なんでわざわざ日向に降臨したことにしたんだろう。
当時は日向にものすごく正当化に役立つブランドイメージがあったのか。
それとも事実だったのか。
923 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 15:23:46 ID:dktDZYcU0
もうコーエーに決めてもらえ
924 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 15:25:44 ID:EyGdJfAVO
>>922 自分達より古い伝承を加乗しただけ。
日向から畿内まで攻め込む軍事力があるのに、隣国である薩摩のハヤトや熊本のクマソを鎮圧出来なかったのか?
>>924 普通いい加減なこと書くわけ無いだろ
なんらかの根拠があったはず
926 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 15:51:01 ID:X32Ma+4h0
>>925 畿内の大和王権が征服地に自分達の神話より古い伝承があった場合に、
権威付けと整合性のために大和王権の神話に組み入れて行っただけだ。
Q なぜ邪馬台国は九州か
A 東大のお偉いさんがr
929 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 16:15:49 ID:DHXAEdNf0
>>926 「龍山文化」とかって、中国共産党が国民洗脳して愛国心高めるために
創った造語だよ。(1996年から始まった)
「結論先にありき」の実体も何も無い概念
「やまと国九州説」と同じだね。
930 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 16:21:37 ID:1bLE8C8oO
>>927 アメリカが、スペインが、そういうことしたか?
すすーめバンバンババン
932 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 16:56:02 ID:4RsKkl/c0
巫女なんて所詮池沼がやるもの。
人気を得た卑弥呼は妊娠してしまい、それを隠すために暗殺した。
隣の墓は水子の墓。
>>927 九州北部のほうが古い伝承ありそうだけどね
それに伝説なんかいくらでも捏造できそうだしね
934 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 18:10:15 ID:twp/H0sv0
>>933 九州北部のどこに古い伝承があるんだよ。
1っこくらい例を出してくれや。
天孫降臨なら南九州だけではなく丹波にも伝承があるよね。
つまり歴史的にはこちらの方が都合悪くて表立って書かれなかったという事。
936 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 18:26:31 ID:twp/H0sv0
>>935 隠蔽されてるのは、丹波のほうだよな。
丹波の海部氏がもともとの大王だったんだよ。
937 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 18:28:58 ID:MwAyRDi20
九州説なんていまだに支持してる人がいるのか
>>936 弥生後期で一番鉄を確保出来ていたのは、現状では丹波だと言われてるしね。
おまけに海を渡って半島に渡り、新羅の王になった者がいるという伝承まである。
これなんかは他でもない半島の歴史書である三国史記と一致している話だ。
939 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 19:22:18 ID:X32Ma+4h0
どこでもいいよ
941 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 20:07:35 ID:twp/H0sv0
>>939 >卑弥呼の女王国を筑紫に定めた古田氏は、天孫降臨地もまた筑紫(竺紫)以外にないとする。
古田氏(爆笑)
942 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 20:13:41 ID:twp/H0sv0
>>939 しかし、こういう、
「筑紫が猿田彦の信仰分布圏であったことは、現地の神社伝承によって明らかとなっている。」
どこの神社に伝承されてるのか、具体名も出さずに、
”筑紫が猿田彦の信仰分布圏であった”と言い切ってしまうというのは、
ただのウソつきと同類と見ていいのかな。
朝鮮の歴史は半万年と吹聴するのと同じで、ウソも百回言えば信じる人も増えると。
古田武彦バカにしてる奴は読んだことあるのか?
読む価値はあるよ
944 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 21:03:45 ID:n+M3hdql0
東日流外三郡誌で完全に終わった人だからな、古田テイク彦は。
それ以前の九州王朝説も少ない文献の上でアクロバットやってただけで
考古学的な裏づけなんて皆無に等しかったし。
いずれにしても自説の権威付けに名前もちだすような種類の人間ではないな。
>>939 そいや、子供のときに住んでた近所にサルタヒコさまの祠があったな(福岡県)。
ガキの頃はそういう興味がなかったもんで、入ったことなかったが。
んで、サルタヒコといえば、アメノウズメさんだよな。
記紀の描写の端々にツンデレ香が漂ってるw
>>922 事実だったと考えるのがリーズナブルだよな。
「延喜式」を見ても日向にとりたてて偉そうな神社があるわけでもないし、
乗っかるようなブランドイメージはない気がする。
>>924 追い出された、と考えると筋が通るよな。
んで、フラフラと東に行って、遠い親戚かなんか頼って
紀伊に上陸して、ヤマトの豪族に加えてもらった。
そのうち子孫に利発なのが出てきてヤマト豪族連合の長になったと。
いっそ邪馬台国は台湾にあった!とか、鹿児島と沖縄の間で沈没した島にあった!とか、
九州でも奈良(畿内)でもない有望な新説が生まれればざまあみさらせ、なのに。
神功皇后なんて
父方‥但馬(丹波)で新羅の王子、アメノヒボコの子孫、
母方‥大和(葛城)なんだよな。
この辺からして相当何かあるでしょ。
950 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 22:14:59 ID:twp/H0sv0
>>949 なんかあるだろうね。
でも、九州説論者は、なんでもかんでも東遷説で片付けようとするから、
なんの問題解決にもならん。
バカかと。
952 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 22:50:23 ID:twp/H0sv0
>>951 現に、サルタヒコが九州発祥みたいなことを信じてるやつがいるだろ?
>>952 みゅ?
「九州が猿田彦の信仰分布圏であったという主張」=「サルタヒコが九州発祥だという主張」
みたいな謎の論理は見た気がするがw。
954 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 23:07:12 ID:bVBHBtF60
古田氏の論述は面白かった
日本書紀の矛盾つくあたり
でもかなり無理があるんだよなあ
比定に至っては、アクロバティックすぎだす
つか、九州はもうあきらめろw
955 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 23:12:10 ID:twp/H0sv0
>>953 分布圏といいつつ、「九州発祥ではないよ」と言わないあたり、
詭弁の匂いがぷんぷんするな。
956 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 23:32:59 ID:9GcuV4pO0
畿内説をとなえる人は3世紀当時畿内に魏志倭人伝の書いている7万戸の大集落が
あったことを証明する必要はあると思う。
それが見つからないと九州説、畿内説、どちらも説得力がない。
個人的には纏向でいいと思うのだけど、考古学上纏向に人はほとんど住んでいなかったわけで。
957 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 23:36:16 ID:twp/H0sv0
7万戸の大集落が、当時の日本のどこにも無いことくらいわかるだろ?
958 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 23:36:49 ID:YGyX57Cp0
合言葉は、ヤマトトトヒモモソヒメ。マキムクが日本国家の初め。
ヤマトは国のまほろば たたなずく青垣 山ごもれる やまとし うるわし
7万戸で5人家族としたら35万人の都市か
えらい大都会だな
960 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 23:46:57 ID:h9qQd7xb0
>>950 大和王朝の正統性を言いたいだけで邪馬台国畿内説を唱えている連中が
なぜ天皇家の神話を否定するのか、思考回路が理解できん。
961 :
名無しさん@十周年:2009/10/28(水) 23:49:14 ID:l+kXsboG0
助手「これ東海地域の土器ですよね?」
教授「巻向が東海と交易していた証拠だな。
そのぅ、わざわざ東海から人々を集わせるような人物が巻向に居た証拠だ。
つまりぃ、巻向王が東海を治めていた証拠なんだろう。」
助手「山陰の土器なども見つかってるようですが?」
教授「巻向が山陰とも交易していた証拠だな。
そのぅ、わざわざ山陰から人々を集わせるような人物が巻向に居た証拠だ。
つまりぃ、首長を束ねる当時最大の勢力の邪馬台国の証拠なんだろう。」
助手「九州からも西日本各地・・・また海外の土器なども出土するようですが?」
教授「九州も西日本各地や海外と交易していた証拠だな。
そのぅ、九州が近畿経済圏に組み込まれていた証拠だ。
つまりぃ、邪馬台国が九州をも治めていた証拠なんだろう。」
962 :
名無しさん@十周年:2009/10/29(木) 00:03:20 ID:bUbeVUBf0
最新分類では以下の4説にわかれている
(A) 纏向勢力=邪馬台国=大和朝廷 説
(B) 纏向勢力=邪馬台国≠大和朝廷 説
(C) 纏向勢力=大和朝廷≠邪馬台国 説
(D) 纏向勢力≠大和朝廷≠邪馬台国 説
畿内説の人も九州説の人もどれにあたるのかを表明してから話してほしい
ま…纏向勢力
964 :
名無しさん@十周年:2009/10/29(木) 00:06:01 ID:twp/H0sv0
>>960 畿内説と神話が事実かどうかは関係ないよ。
バカなの?
965 :
名無しさん@十周年:2009/10/29(木) 00:06:35 ID:Lw5NQhlD0
《九州のクニの出土物画像》
鉄の大刀、巨大な鏡、煌びやかな装飾具の数々jpg
《伊都国に一大卒を置いて監視し続けていたらしいマキムク邪馬台国の出土物画像》
木の盾、木の仮面、ニワトリのハニワjpg
>>959 当時の家族構成でいけば、子供を含めて30万〜50万人ってあたりだよな。
江戸時代で言えば1人1石計算だから、黒田52万石てな感じ。
もちろん当時は耕地面積も狭くて反収も半分くらいだったろうから、
収穫はぶっちゃけ1/4だ。
とはいえ、その点は魏志の「倭の地は温暖で、冬も夏も・生菜を食する」も
あるから
>>840に行くわけだが、それはさておき、まあ農耕への依存度は江戸時代に
比べて低かっただろうからなんとかなったんだろうけど、残りのカロリーは山か海から
採って来にゃならんよな。
ここで山(森)の恵みについて考えると、縄文晩期から弥生にかけて寒冷化が進行し、
いったん持ちなおしてから、また古墳寒冷気がやってくるのだ。海の魚は泳ぐけど、
森の木は動かん。その観点で行くと、弥生時代というのは、森の恵みに頼れなくなった人々が
森を出て生きていこうとした時期にあたるのではないかと。
>>962 邪馬台国が東遷してヤマト政権になった説が入ってないじゃん。
まあ、俺は
(C) 纏向勢力=大和朝廷≠邪馬台国 説
だから関係ないけど。
968 :
名無しさん@十周年:2009/10/29(木) 00:29:04 ID:pHegLY6X0
>>967 並立説かな?
でも、
九州〜近畿〜東海が密接に交流してたことを
どうやって説明するつもり?
吉備、出雲、丹波と九州との関係は?
969 :
名無しさん@十周年:2009/10/29(木) 00:36:23 ID:pHegLY6X0
もうね、一昔前みたいに、銅鐸文化圏だの、
九州と本州が分断されてたかのような論は成立しないのだよ。
弥生時代末には、物資が、九州〜近畿〜東海を行きかってたのがわかってるんだから。
魏志倭人伝が九州だけの話と考えるほうがおかしいのさ。
玄界灘で交易してた人が、本州の情勢を知らないはずが無いからな。
知らないはずがないのに本州の記述が無いのは何故なのかと
>>968 >九州〜近畿〜東海が密接に交流してたことを
>どうやって説明するつもり?
>吉備、出雲、丹波と九州との関係は?
「密接に交流してました」じゃダメなんか?
逆に言うと、九州から東海まで連合が広がっていたら、
中心は機内のハズだ、という論理がわからん。
中央集権的な連合じゃなくて、近くの豪族同士の緩やかな
連合ならば中心などないし、位置的な中心であるマキムクに
各地の土器が集まるのも無理な話じゃない。
んで、魏は魏の理屈で、自分と仲良くする西日本を「倭」と呼んだと。
972 :
名無しさん@十周年:2009/10/29(木) 00:42:06 ID:pHegLY6X0
本州の記述があるのに、九州だけに押し込めようとしてるんだろ。
投馬国とかは、明らかに九州じゃない。
>>972 >投馬国とかは、明らかに九州じゃない。
うんうん。
「官はミミ、副官はミミナリでつ」とか、あきらかにレポート書くのが
めんどさくなった感がありありだよなw
邪馬台国九州説は最早九州人のロマンの段階。
騎馬民族学説はマンガ読みすぎw
朝鮮半島は漢の帯方郡が設置された3世紀まで未開地。
治水技術が未熟な朝鮮半島では水稲耕作さえ17世紀まで行われていない。
寒冷な朝鮮半島に適応した水稲の品種は日本が併合して持ち込むまでない。
975 :
名無しさん@十周年:2009/10/29(木) 00:46:00 ID:pHegLY6X0
>>971 九州〜近畿〜東海が密接に交流してて、
九州説で、東遷説じゃない、って、無理がありすぎるだろ。
九州で魏の後ろ盾を得た卑弥呼が女王になったとしたら、
近畿〜東海はどうして九州と連合しなかったんだい?
連合したほうが、倭国は広大になり、魏も柵封国相手として喜ぶだろうに。
>>975 魏の後ろ盾を得る、というのはオプションのひとつにしか
すぎないわけなのよ。「魏?なにそれ?」という人らには意味がない。
海の向こうにすげー国があっても、攻めてこんかぎり知ったこっちゃないわな。
大陸とのつながりに旨みが出てくるのはもうちょっと後、大量の鉄器の流入による
農耕の効率化(古墳時代中期以降)からじゃないかと。
977 :
名無しさん@十周年:2009/10/29(木) 01:01:31 ID:pHegLY6X0
>>976 いってることが無茶苦茶。
鉄が威信財としてどうでもいいなら、鉄が無くても畿内に王権が生まれた理由が説明しやすくなるだけ。
978 :
名無しさん@十周年:2009/10/29(木) 01:04:28 ID:dJBm/+kA0
邪馬台国があったって前提だけど、なかった可能性もあるような・・・
刺青とかの習俗記載とかフィリピンとか南洋の特徴既述なんでしょ?
>>977 >いってることが無茶苦茶。
そうか?
自分の中で組み立てた「あー言われたらこー言い返そう」という
想定問答を超えた展開にとまどっているようにも見えるけどな。
>鉄が威信財としてどうでもいいなら
なんでそうなるねんw
少なくとも、魏志倭人伝に出てくる下賜品の中で鉄っぽいのは
「尺刀二口」くらいだよな。時代がずれるのよ。
1800年前は九州と本州は繋がってた可能性ってないんだよね?
982 :
名無しさん@十周年:2009/10/29(木) 01:38:12 ID:pHegLY6X0
>>979 丹波から鉄が大量に出てるってのに、全くわかってないね。
983 :
名無しさん@十周年:2009/10/29(木) 01:48:12 ID:qf2kfrK20
2000年位前は、長崎から朝鮮半島までの水深は浅くなってた
それは当時海面が今よりも下がってたのである
だから、行き来がしやすかった
あの場所はそもそも浅井のです
弥生後期の状況だと、
鉄の確保…丹波>北部九州
水銀産地…畿内圏(徳島、紀伊半島)なんだよな。
これだけで少なくとも九州説の有利性はない。
985 :
名無しさん@十周年:2009/10/29(木) 02:11:08 ID:YIEV1ydL0
時代がかわるが仁徳陵古墳つくるのに
毎日2,000人の人々が働いても16年以上かかったとすると
近くにビッグシティがないとできないよな
986 :
名無しさん@十周年:2009/10/29(木) 02:16:18 ID:1N4vaYjp0
987 :
名無しさん@十周年:2009/10/29(木) 02:43:03 ID:b++MDjDL0
吉備王国まんせー!
岡山県は今でも果物王国。縄文時代から農業がさかん。日本最古のジャポニカ
焼き畑も岡山県。岡山は田舎で旧帝大じゃないのに、医学部は旧帝大か、それ
以上の実力。吉備王国は、弥生時代に突如出現したんじゃなくて、縄文時代
からの豊穣な遺産の上に築かれた。別に岡山県にワイロ貰って書いてんじゃ
ないからね。あたしは、ヨソ者だし、お婆ちゃんが岡山大学病院でお世話に
なったエニシがあるだけ。大和朝廷は、神武クーデターで首都が奈良になった。
奈良は、政治文化センターとして機能したけど、生産力、豪族の富裕さでは、
吉備王国には、かなわなかったとオモ。縄文人は進取の気性旺盛。トレイダー商人
スピリッツで、中国、朝鮮半島と交易。縄文人が、3千年前に水田稲作、水田
農機具を九州・伊都国の前身の菜畑に持ち込んだ。昔の教科書では、弥生人が
水田稲作を伝えた事に成ってるけど、んな馬鹿な!最初の3年、山に棚田を
開墾し、水路を引き、モミを撒いて、翌年、稲が実るまで、誰の世話に成ったと
言うのよ!縄文人の世話に成った御陰で、飢え死にもしなかったんでそ。縄文
人を奴隷に使役した?ぷ!先住縄文人の方が豊かで、海と山のサバイバル
エキスパートなのに、渡来人が、どう使役したって?ヨソの国から来て、
気候と豊作の確実性も何もない新開拓地で、何が出来たっての。縄文以来、
吉備王国民は、邪馬台国と違って、虎の威を借る媚中外交には興味なかったと
オモ。
うん、吉備津彦に平定された半島系文化の豪族だよね
989 :
名無しさん@十周年:2009/10/29(木) 08:49:38 ID:b++MDjDL0
>>988 読め山海集:蓋国鉅燕南倭北倭燕属
支羅伎も百済も、秦韓、馬韓時代から、倭人(O2b)と漢人(O3)が建国した。
朝鮮半島は倭人と漢人によって開拓され、文明化された。そこへ、すかさず
寄生しに来た北方民族。シベリアおろしに吹き飛ばされて南下したツングース
の一派。現代朝鮮人の祖先。先住民の倭人と漢人は、新来のツングースの顔を
見て気味悪く思い、化け物(オランケ)と呼んだ。ツングースは、尚も南下し
居座り、現地人と混交して、朝鮮半島は、みんなオランケに成ってしまった。
990 :
名無しさん@十周年:2009/10/29(木) 08:51:28 ID:z4lnugTC0
邪馬台国は韓国起源です
九州は山大国に対抗勢力の蛮族じゃないの
イメージとしては牛の頭蓋骨を頭にかぶってる感じ
992 :
名無しさん@十周年:2009/10/29(木) 08:55:31 ID:b++MDjDL0
朝鮮半島の3韓は、倭人と漢人が建国
現代朝鮮人の祖先は、北方から来た寄生虫
993 :
名無しさん@十周年:2009/10/29(木) 08:55:52 ID:Yr3mBR6mO
プギャ━━━≡≡≡≡≡⊂`⌒m9^Д^)⊃━━━ !!!!! 任那日本府は大和国が統治した真実な☆☆☆
994 :
名無しさん@十周年:2009/10/29(木) 09:06:16 ID:zyNegatSO
>>991 そもそも、当時、日本列島に牛はいたのか?バッファローみたいなのがいたなんて話は聞かんな。
馬と犬は確実にいただろうが。
995 :
名無しさん@十周年:2009/10/29(木) 09:25:50 ID:691YWOSQO
今現在の日本人は古朝鮮の人間です
996 :
名無しさん@十周年:2009/10/29(木) 09:48:37 ID:b++MDjDL0
古朝鮮(笑)。実態は西周のチベット族に征服された半島コロニー
箕氏朝鮮を開いたのは、中国・西周王朝末期のチベット族王の親族。
配下の民は、吉林省や遼東半島の燕人や粛慎(女慎)。
朝鮮人は、その後から来て寄生したツングースで、箕氏朝鮮の「朝鮮」の名前
をパクッた。朝鮮人は、倭人が建国した支羅伎を簒奪して名前をパクって
新羅と自称した様に、自国の名前や自人称さえ、他人が呼んだ名称をパクル
習癖が有る。
仮に神武東征が事実だとしたら、邪馬台国時代以前と考えれば
いろいろと合点がいくのに、なんで邪馬台国九州説に固執するんだろう
998 :
名無しさん@十周年:2009/10/29(木) 10:39:26 ID:3AxgRKKA0
>>997 倭国は温暖な気候で、海にもぐって魚貝類を採ったり体に入れ墨をしたり
はだか、はだしで簡単な衣服をまとって生活しているという南方の習俗を
持っているのに、なぜ海もなく冬は寒い畿内説に固執するんだろう。
999 :
名無しさん@十周年:2009/10/29(木) 10:43:35 ID:FMpv+tSwO
吉野ヶ里公園閉鎖
1000 :
名無しさん@十周年:2009/10/29(木) 10:47:11 ID:3AxgRKKA0
1000なら邪馬台国は八幡平にある
1001 :
1001:
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