【考古学】卑弥呼宮殿の一角か 特異な張り出し柵や建物跡出土 奈良・纒向遺跡★2

このエントリーをはてなブックマークに追加
771名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 18:04:56 ID:2dyUe7ak0
>>770
狗奴国は、許乃(コノ)国で、武埴安彦命だろう?
結局、当時の中国人は、北九州は近いのである程度、詳しかったが
近畿地方の地理間は、凄く曖昧だったんだろう?
772名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 19:20:23 ID:r5E+P5f90
>>752
物語は最終局面。
ザビ家のキシリアとギレンの骨肉の争い。

古田と安本どちらが先に逝くか?w

「ふふふっ、先生もお甘いようで」
ドン!
773名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 19:36:23 ID:riAFv6GqO
>>766
魏の文書が出ると面白いな
邪馬台国の外交担当は漢字を読み書きできたはず

あと、邪馬台国と半島の関係も興味深い。
半島から文物が出ることはないんだろうか
774名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 20:24:02 ID:Urw5djYu0
可能性はほとんど無いのかもしれませんが
呉の文書が出てくれば面白いでしょうね
邪馬台は魏に使者を送ったタイミングから見てある程度大陸情勢に通じていたように思われます
呉にも使者を送っていた可能性、そうでなくとも
狗奴が呉に使者を送っていた可能性は充分にありそうにも思うのですが
775名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 20:31:36 ID:OK+0YdXz0
>>774
おおお
おれも同じこと考えてた。
呉の職人が畿内にいた可能性はあるし
国交というか人的交流はあったように思う。
クナのようなアンチ邪馬台国の勢力が
交流していた可能性もある。

しかし呉の史書が出てくる可能性は
実際どうなんだろ。
776名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 20:35:10 ID:lW1SHh3k0
最近はそもそも邪馬台国なんてなかった説が最有力だよね
777名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 21:02:23 ID:KpUc6o1U0
山一證券国
778名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 21:04:44 ID:gEUQCYDe0
「邪馬台国」「卑弥呼」なんて魏志倭人伝の中でたった一単語出てきてるだけなんだろ?
どうせそれすら伝言ゲームだろうし。
何でも言ったもん勝ちだよ。
779名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 21:07:10 ID:PwprwMqj0
でもやっぱり邪馬台国までの行程が暗号のようにわかりづらく書いてあるところが想像力を書き立てるよね
780名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 21:08:37 ID:OK+0YdXz0
まさかおれ達が読んで悩んでるとは
思ってなかったろうよ。
781名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 21:13:15 ID:3q1K7iuu0
まぁ、現代に数年前のコピペの元ネタ探すだけでも一苦労だし分からんものだって沢山あるんだ。
いわんや2000年前をや。
782名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 21:19:14 ID:hu3T/lKX0
陳寿の創作だよ。
783名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 21:49:25 ID:Q6OG4mLp0
まあ邪馬台国の魅力はどこにあったか判らんとこだからな。
今後もずーっとやれ九州だ、やれ畿内だ、やれあっちだこっちだ、
ってワイワイやってるのが楽しいんだよな。

でも普通に考えたら九州だろ、実際にあったとしたら。
784名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 22:02:05 ID:sTvotLnU0
楽しくない。
日本という国家の成立過程を探るという本来の仕事に戻りたいよ。
785名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 22:02:08 ID:GCVkYQqa0
昔読んだ日本史の教科書によれば…
邪馬台国論争というのは、当時の日本がまだ小国分立だったのか、
それとも、大和朝廷の源流になるような統一政権が成立していたのか
ということで、非常に重要な論争だったはず。

そういう意味では、纏向遺跡が発見されたことで、
本州南部を統一するような政権があったことはほぼ確実なんだから、
本質的な論争は、半分以上決着してるってことじゃないか?
「邪馬台国」と呼ばれる地域が、畿内にあったか九州にあったかはともかく。
786名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 22:02:32 ID:OK+0YdXz0
朝貢の歴史からみても邪馬台国は九州だと思うね。
しかし同時期に畿内にも大きなクニがあって
それが原大和朝廷だったと。
ある時期までは九州王朝と畿内王朝は
並び立っていたんじゃないかな。
787名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 22:15:56 ID:Urw5djYu0
>>786
その可能性が高いように思います
大陸から渡って来た集団は初め九州に拠点をつくり
その後さらに大陸から流入してきた集団は先に入植していた者たちに阻まれ九州に定住地を見つけられず
その技術力、航海術を用いてさらに東の新天地を求めたのではないでしょうか
何百年かかけて波状的に「東遷」が行われた可能性があると思います
そのなかで何度か大規模なものがあったのではないでしょうか
南九州から畿内に入った神武、南朝鮮から北部九州を経て畿内に入った応神
物部氏も半島から北部九州を経て畿内に入った一族ではなかったかと思います
邪馬台が九州にあったとして、その勢力が直接東遷したとは思いませんが
何らかのかたちで天皇家と深いかかわりはあるのだと思います
邪馬台が畿内にあったとしても、この大陸→九州→畿内というルートを伝わって入ってきたものが
畿内でその華を大きく咲かせたのではないかという気がしきりにします
788名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 22:17:37 ID:8LWJLoRo0
>>785
そうだよ。
邪馬台国と同じ時代に、畿内に大和王権が登場したことがわかった時点で終了。

あとは、九州に邪馬台国と呼ばれた小国があってもいいし、なくてもいい。
789婆 ◆HKZsYRUkck :2009/03/28(土) 22:19:37 ID:OaUhfRue0
>>785
その統一政権のことなんだけど、そこらへんの啓蒙本では
「ゆるやかな連合」とか微妙な書き方だよな。たしかに租税の仕組みが
未発達な社会で征服も版図拡大もへったくれもないだろうけど、
どうなんじゃろ。
日本列島の中でミニ朝貢−柵封体制をやってたのかしら。
790名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 22:19:59 ID:NoP1wo/40
「邪馬台国」=>大和大国
「卑弥呼」=>日御子

中華大国が外の国の名前の発音に漢字を当て字しただけ
わざわざ野蛮な漢字を当て字してる
匈奴なんかもそうだね
「匈奴中興の祖」と呼ばれる人の名前は「呼韓邪単干」
匈奴が南北に分裂した後の南の王の名前は「呼韓邪」

残念ながら文字として記録されているのが
中国の書物の漢字な訳で・・・

中国が世界の中心だから
それ以外の外の国は皆野蛮という中国人らしい発想だね

791名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 22:21:20 ID:zWDafYiC0
邪馬台国なんて神話に出てくる高天原程度に思っておけばいい。
あってもなくても日本の歴史は変わらん。
792名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 22:22:38 ID:OK+0YdXz0
しかし、観光的御利益を得るには
畿内勢力も邪馬台国に頼らざるを得ない。
793婆 ◆HKZsYRUkck :2009/03/28(土) 22:24:50 ID:OaUhfRue0
>>790
>外の国の名前の発音に漢字を当て字しただけ

うんうん。
俺は博多弁説を押している。
魏の使者「ここはどこですか?」
現地の人「山たい」
794名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 22:29:01 ID:OK+0YdXz0
だったら全ての国名に「たい」が付くだろ
795名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 22:30:45 ID:VEmo1Dn70
>>787
大陸から渡ってきたと簡単に言うが、当時の経済力の源泉である稲作は日本から朝鮮に伝わったことから考えても
日本から朝鮮に渡った人がかなりいて、朝鮮半島南部は日本人が住んでいて支配もしていた地域だったんだろ。
盲目的になんでも半島からわたってくるという思考はゲンダイの朝鮮人そのものだぞwww
796婆 ◆HKZsYRUkck :2009/03/28(土) 22:36:09 ID:OaUhfRue0
>>794
狗奴国の場合は、不幸な出会いだったのだ。

魏の使者「ちょっとすみませーん、ここはどこですか?」
現地の人「(うわ、野グソしてるとこにやって来るなよ…)」
魏の使者「すみませーん」
現地の人「来んな!」
魏の使者「なるほどクナ国か。メモメモ…」
797名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 22:36:38 ID:sTvotLnU0
>>788
うん。
だから纏向の話をしてるところに九州説は寄ってこないでほしいんだが。
798名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 22:44:03 ID:OK+0YdXz0
魏の使者「ちょっとすみませーん、あなたの名前は?」
現地の人「キクチヒコです」
魏の使者「クコチヒク??」
現地の人「キクチヒコ!」
魏の使者「コキヒチク??」

みたいな感じよね

799名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 22:46:51 ID:Urw5djYu0
>>795
大陸(江南地方)→朝鮮半島南部/九州北部→畿内だと思っています
「倭人」は「呉の太伯の子孫」であり半島南部・九州北部の対馬海峡沿岸に居住していた人たちではなかったでしょうか
百済は倭人の国、新羅は北方蛮族の国、まったく系統が違うように思います
稲作は江南から半島南部/九州北部そして九州南部にもほぼ同時に入ってきたのではないかという気がします
そもそも南方の熱帯原産の稲が中国北部を経由して半島から入ってきたなどと思う方はいないのではないですか
800婆 ◆HKZsYRUkck :2009/03/28(土) 22:54:48 ID:OaUhfRue0
>>797
その纏向を掘っている人たちが、「邪馬台国に比定できそうだ」とか
言ってるんじゃないかと。

>>798
投馬国の長官がミミさんで副官がミミナリさんとか、どう考えても
意思の疎通に失敗してるよね。
「あたしゃどうせ上司の言いなりですよ」
「なるほどイイナリさんですか」
「じゃなくて上司はミミさんですってば」
「ふむふむ、そんであなたはミミナリさん?」
「ちがーう!」
801名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 22:55:37 ID:oZ8sRic40
「お前の国は何という名だ?」
「わ(我)の国ですか?」
「そうか、わの国か、それなら「倭」の文字を与えてやるからありがたく思え」
「ははー、かしこまりました」

「倭国だってよ、本当はヤマトなんだけどなー」
「それなら「倭」に飾りの「大」をくっつけてヤマトと読ませればいいじゃん」
「だけど、噂では「倭」にいい意味はないらしいよ」
「それじゃあ同じ発音の「和」を使おうか」
「よし決まり」

こうしてヤマトは大和と表記されることになったのであった。
802名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 22:56:48 ID:3q1K7iuu0
カンガルーもコアラも
「知らねぇ」っていうアボリジニ語だった、っていう小噺みたいだな。
実際の所はカンガルー。
803名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 23:09:25 ID:Urw5djYu0
投馬国の弥弥(ミミ)=忍穂耳命?
804名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 23:14:03 ID:ohVk9zwl0
>>799
半島からじゃなく中国から直接日本に、という説が有力
昔は半島系油しかないと信じられてたらしいが
中国での研究が進んで、日本にかなりの人間が移住したといわれてる
徐福伝説は中国では「史実」で日本に船出した港や船を作った
造船所跡が発掘されてるよ
805名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 23:26:24 ID:Urw5djYu0
>>804
大陸から渡ってきた人々には長崎/熊本=肥の国、鹿児島=熊襲、そして朝鮮半島南部を経由して九州北部=筑紫
上陸地点によってこの3系統があったのではないかという感じもします

806婆 ◆HKZsYRUkck :2009/03/28(土) 23:27:38 ID:OaUhfRue0
>>804
徐福の航海については出港は事実だろうけど、
「着いた」という伝説は、九州やら本州やら済州島やら、
そこかしこにあるよな。そんだけあるってことは、
逆にどこにも着かなかった(難破した)が正解な気がする。
807名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 23:35:46 ID:r5E+P5f90
>>789
>日本列島の中でミニ朝貢−柵封体制をやってたのかしら。

中国と日本の間でやっていた事を日本国内でやっていたとして
何ら不思議では無いと思うがな?

むしろ纏向型と言われている初期型の前方後円墳の分布を見れば
その勢力の最前線を優遇・重用すると言う戦略的意図が読み取れると思う。

808名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 23:36:56 ID:1ccIDigu0
>>805
鹿児島は南方系で「隼人」だ
熊襲と混同するのはいかん
「隼人」の研究書を一冊ぐらい読め
809名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 23:38:07 ID:Bb+/QI2h0
>>785
> 本州南部を統一するような政権があったことはほぼ確実なんだから、

本州南部ってどこよ?
810名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 23:40:58 ID:Urw5djYu0
>>808
ありがとうございます
隼人と熊襲の違いは朝廷に従ったかそうでなかったか、なのでしょうか
何か良い本を教えていただけませんか?
811名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 23:42:23 ID:n45bcfsE0
九州終了wwwww
812名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 23:44:17 ID:tlhtC/ZC0
熊襲というのは「クマ」と「ソ」という二つの部族の総称と言われてる。
クマは熊本、ソは大隅半島。
球磨郡とか曽於郡として地名に名残がある。
熊本から大隅半島にかけたエリアという意味かもしれない。
いずれにしても農耕民族であるヤマトに対して海洋民族のクマソなんだろう。
熊襲のうち、クマについては紀伊半島南部の熊野もその名残ではないか?
813名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 23:45:11 ID:1ccIDigu0
>>810
隼人研究家の中村明蔵の本
「隼人の古代史」とか
何冊もある
814名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 23:45:22 ID:b+NH3frm0
>>785
少なくとも畿内から北九州までの連合があったことは確かだな
815婆 ◆HKZsYRUkck :2009/03/28(土) 23:45:49 ID:OaUhfRue0
>>807
東海やら吉備やら出雲やら九州やらの勢力は
べつに不自由もなくのほほんと暮らしてたわけじゃん。

「なんで纏向に朝貢せにゃいかんねん」とか思わんのかな?
816名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 23:48:46 ID:Urw5djYu0
>>813
早速読んでみます
817名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 23:55:36 ID:/tQTqJmE0
せめてお情けでいいから卑弥呼ぐらいは九州にあげなよ
奈良は歴史遺産が山ほどあるから一個ぐらいあげても良いでしょ、これ以上九州のライフ減らさないで。
818名無しさん@九周年:2009/03/28(土) 23:57:53 ID:PamnvsF90
おまいらカルトの口車にだまされるなよ。
ふつうの専門家の8割は邪馬台国畿内説で決着という立場。
倭人伝の文言いじくって古代史ファンタジー展開してるのは
ごく一部のカルト学者と、定年後の暇をもてあました老人サークルの人たち。
819名無しさん@九周年:2009/03/29(日) 00:00:28 ID:11RT8E2aO
だったら史学考古学はもう多数決で当否を決めたらいいのでは?
820名無しさん@九周年
当時の「統一政権」は、前方後円墳のことなどから朝貢のような世俗的なやり取りじゃないかもね。