【社会】初公判後に逃亡32年、交通事故の被告“審理再開”

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1お元気で!φ ★

 交通死亡事故で公判中に逃亡、名古屋地検が行方を捜していた男が
32年ぶりに見つかった。

 起訴後だったため、時効停止の対象にはならず、公判が11月5日に
名古屋地裁で再開され、同20日には判決が言い渡される。

 男は、愛知県春日井市に住み、建設作業員だった古川賢助被告(71)。
起訴状によると、1975年11月14日夜にトラックを運転していて、
名古屋市港区の交差点を右折しようとして、対向の大型トラックと衝突。
助手席に乗っていた同乗者の男性(当時27歳)を死亡させた、としている。

 古川被告は76年5月に業務上過失致死罪で在宅起訴され、同年7月の
初公判には出廷した。ところが同年8月〜83年11月に予定された4回の
公判には姿を見せず、連絡も取れなくなっていた。

 男は逃走の恐れがあるため、現在は拘置中。11月5日には被告人質問や
検察側の論告などが行われる見通し。
(2008年10月16日11時49分 読売新聞)

▽読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20081016-OYT1T00321.htm?from=navr
依頼がありました
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1224079099/157
2名無しさん@九周年:2008/10/17(金) 00:42:48 ID:51Ltgvfu0
>>2ならせめて夢の中では
みんなが幸せになれますように
3名無しさん@九周年:2008/10/17(金) 00:44:59 ID:7WPJgkOT0
もう死ぬまで牢屋の中か?
4名無しさん@九周年:2008/10/17(金) 00:45:40 ID:4uGtHkbTO
>>2
(ノ_<。)
5名無しさん@九周年:2008/10/17(金) 00:45:44 ID:dWoqHycY0
この人の人生って何だったんだろうな。
6名無しさん@九周年:2008/10/17(金) 00:46:22 ID:Scc9mFSm0
当時の量刑なら普通に執行猶予だったのに、今は実刑
7名無しさん@九周年:2008/10/17(金) 00:47:31 ID:uLC2+LgF0
・同じ苗字が密集部落
(在日近親相姦・オナニー監視・性的攻撃・結婚工作員・福岡限定・地主B・豪邸B・珍財団・珍走団)

・隔離された田舎農家付近の高台の新興住宅地
(部落住宅 ○鉄 ブラッキーンの騒音バイク) 

・油山には未成年売春組織があった。女子中学生がメインで高校生もいた。
スポーツ選手、公務員、会社役員、その他宗教関係の人間が利用していた。

・台湾に行くと 意志箸 名我御化 言同 という苗字の表札がいっぱいある
(特に商店街wwまるでリサイクル屋のようですw)

追伸:
博多の有名暴力団の娘・息子さん、自作自演うるさいですよwwww
70年間くらい、暴力団関係の身内として福岡に君臨中なのは
歴史に証拠として残ってますよ。隠蔽されまくってますけどねw
8名無しさん@九周年:2008/10/17(金) 00:48:17 ID:ADYpNO9w0
社会損失・正義からみて天下りより100万分の1ほどに罪軽いだろ
9校倉木造 ◆AZEkURA/hI :2008/10/17(金) 00:52:24 ID:biPYmuod0
新聞記事を検索すると、この件は去年の4月に報道されてたんですね。被告が逃走して30年も裁判が停止してたこと。
逃走したまま検察が放置していて「新聞記事になったから」本気で調べたらアッサリ見つかった、ってな事ではないでしょうか。

社保庁みたい。
検察官も、仕事は嫌いなようですな。
10名無しさん@九周年:2008/10/17(金) 00:54:28 ID:Ofa5ZTKK0
逃げた場合は欠席裁判で検察の主張どうり満額回答すればよい
そういう風に法律を変えろ
11名無しさん@九周年:2008/10/17(金) 01:14:28 ID:UdKIaMnr0
>>6
こういうのって、起訴当時の量刑で裁かれるんじゃないの?
12名無しさん@九周年:2008/10/17(金) 04:36:12 ID:l0RoRBvhP
また刑務所が老人ホームとして利用されるのか
13名無しさん@九周年:2008/10/17(金) 17:39:24 ID:eyqui+G00
>>1
スレタイがつまらないんだよカス
依頼を無駄にしやがって
無能記者が
14名無しさん@九周年:2008/10/17(金) 22:39:25 ID:iOOANlAx0
依頼者です。
別ソース付けてageてみます。

32年ぶり公判再開へ 名古屋の死亡事故、所在不明の被告確保
http://www.chunichi.co.jp/article/national/news/CK2008101602000060.html

交通死亡事故で在宅起訴され、名古屋地裁で裁判中に行方不明となっていた72歳の男の
被告が見つかり、32年ぶりに公判が再開されることが分かった。この間に弁護を引き継いだ
弁護士は3人。最初の2人は他界しているほか、起訴状も今は横書きの活字だが、この男の
起訴状は手書きの縦書きと時代の流れを感じさせるものとなっている。
男は当時、愛知県春日井市に住んでいた元大工、古川賢助被告。起訴状によると、事故は
1975(昭和50)年11月14日夜に発生。名古屋市港区の信号のある交差点で古川被告の
トラックが右折しようとして、対向してきた大型トラックと衝突。被告の隣に座っていた男性=
当時(27)=が頭を強く打ち、死亡した。
76年5月に業務上過失致死罪で在宅起訴され、同年7月の初公判で被告は「運転は死亡した
男性がしており、自分はしていない」と起訴事実を否認した。しかし、第2回から第4回の公判は
裁判所に姿を見せずじまい。「神戸にいる」との情報から、83年に第5回が開かれたが出廷しな
いまま再び所在不明になった。
関係者によると、被告が携帯電話を契約したことを名古屋地検の担当係官がつかみ、自宅として
登録している大阪市で9月に身柄を確保した。被告は無職だったが「それまでは土木作業員などで
全国を転々としており、裁判から逃げたつもりはない」と話している。
 久しぶりの公判は11月5日で、被告人質問が行われる見通し。被告は逃亡の恐れがあり現在、
拘置中。
 今回の裁判と同様のケースでは、成田闘争の活動家が出頭し29年ぶりに公判が再開したケー
スが今年6月に千葉地裁であった。

15名無しさん@九周年
>>1
詳細が分かる中日新聞ソースの依頼を蹴って
塵売り新聞でスレ立てるから伸びないんだバーカ