【社会】「卑弥呼の墓」発見か?箸墓古墳の前方部正面に幅60メートルの外濠 - 奈良★3

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1 ◆SCHearTCPU @説教部屋に来なさい→胸のときめきφ ★
邪馬台国の女王卑弥呼の墓説がある奈良県桜井市の前方後円墳、
箸墓古墳(3世紀半ば―後半、全長約280メートル)で、前方部正面に
幅60―70メートルと推定される外濠跡が見つかったことが27日、分かった。
外濠の幅は、同じ纒向遺跡にある箸墓以前に築造された古墳と
比べると突出した規模。調査した市教育委員会は「古墳は箸墓の時代から、
急に周囲と隔絶され近寄りがたい存在になった。被葬者の力が
他を圧倒していたことを示すのではないか」としている。

外濠跡はこれまで前方部の側面2カ所で確認されていたが、正面では初めて。
本格的な前方後円墳の始まりとされる箸墓の築造時の墳丘構造を
考える材料になりそうだ。
前方部の南西約60メートルで、古墳側に向かって落ち込む深さ
1.3メートル以上の傾斜を発見。底付近はアシなど湿地に生える植物と
泥が混ざった土層が堆積し、古墳築造時と同時期の土器が
出土したことから、外濠の端と判断した。

*+*+ NIKKEI NET 2008/08/27[18:06] +*+*
http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20080827STXKC086126082008.html

★前スレ
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1219843881/
2名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 14:51:33 ID:hFL0nIkS0
嘘だッ
3名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 14:51:56 ID:5VZMZ0GJ0
独島・対馬を韓国領と認めさせ日本コントロールのため、在日同胞が日本の参政権獲得へ後押しを
 【ソウル14日共同】韓国の李明博(イ・ミョンバク)大統領は14日、韓国人歴史学者らとの懇談で、
日本の新学習指導要領解説書への竹島(韓国名・独島)明記に関連し「独島問題に対応していく
一方で、日本との関係は引き続き維持していかねばならない」と表明した。大統領府が明らかにした。
竹島問題と対日関係について分離して対応する考えを示したとみられる。

 竹島明記発表後、李大統領のこうした発言が公になったのは初めて。

 李大統領は竹島問題について「断固とした、冷徹な意思を持って対処する」という姿勢を
強調した上で、従来の対応は「無条件に声を張り上げ、数日過ぎれば冷めてしまう」ような
やり方だったと批判。「非常に賢い対処」の必要性を訴え、政府と企業、在外同胞などが
協力して「緻密(ちみつ)に文化的に芸能などを利用して」行動していくよう要請し「戦略的で長期的」
対応の重要性をあらためて訴えた。その例として「在日韓国人の日本参政権取得」をあげた。

http://www.47news.jp/CN/200808/CN2008081401001291.html
4名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 14:53:14 ID:AthnGlnf0
女王なのにどうして卑しそうな名前卑弥呼
5名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 14:53:19 ID:crEdyOGw0
こういうのはどこも見つかった時点で大げさなことを言っておくんだよ。
そうしないとよくある遺跡と同じ扱いをされて、おざなりな調査しかされずに
ジャスコとかヤマダとかが建ってしまうから。
6名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 14:53:50 ID:VVlWl2n20
昔はお世話になりました
ありがとうございました
7名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 14:54:34 ID:l6DBTpWu0
九州説の人は邪馬台=ヤマトってことをいい加減認めようよ
8名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 14:55:00 ID:ExhfPZSh0


   「 日 巫 女 」 と 言 え


 「卑弥呼」はシナ人が使う蔑称だぞ

9名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 14:55:30 ID:nFdZHwPg0
これ、俺の墓
10名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 14:55:43 ID:kE+pBOQR0
何が出てくると決定的な証拠になるんじゃろか
今更鏡くらいじゃ弱いだろうし
11名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 14:56:21 ID:1ThBJLM10
航空写真

http://www.yoshinogari.jp/ym/photo/img/cut_03.jpg

箸でオマンコを突いて死んだから箸墓というのは苦しいな。
12名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 14:58:19 ID:5oEGqfk90


         『出番だよ、先生!』



13名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 14:58:25 ID:W6gv3movO
>>4
中国が、わざといやしい字をあてたの
14名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 14:58:43 ID:hxddLtlW0
外堀があったことと卑弥呼の因果関係がわからない。
外堀があったから、これは宇宙人の墓だというようなものじゃないか。
15名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 15:00:04 ID:RXb6NVAV0
↓九州説の涙目コメンテーターが一言
16名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 15:00:15 ID:+hspOxGVO
卑弥呼も聖徳太子も韓国人
17断固九州説!:2008/08/30(土) 15:00:35 ID:LMqaCe2v0
これは畿内派の捏造だ! 陰謀だッッ!!!
18名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 15:03:46 ID:9CqH9FJM0
>>15
畿内説の根拠教えて。
19名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 15:07:03 ID:dOuyKdse0
畿内には邪馬台国以前からの大きな遺跡があるから、少なくとも
邪馬台国時代に、邪馬台国がどこかにあれば畿内の勢力とどう関係があったのかを
考えないといけないね
九州派が昔言ってたような、九州邪馬台国時代に畿内に大きな勢力はなかった
という詭弁はもう通用しなくなった
20名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 15:08:39 ID:kzpVXRyd0
九州が起源です
21名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 15:08:50 ID:ZOcSddO40
橋本ー寺沢コンビは石塚で隣の方形周溝墓の周溝を古墳の周濠と取り違えて発表してるしなぁ。
最近変やで、この二人。
22名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 15:09:03 ID:jekw+yrA0
佐賀県ざまあwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
23名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 15:10:03 ID:l6DBTpWu0
九州説って考古学会からはほとんど否定されてるらしいね。
24名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 15:12:15 ID:twbMwOCq0
卑弥呼さまー!卑弥呼さまー!
25名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 15:13:31 ID:OYNC+2tE0
卑弥呼が死亡したとされる西暦248年にあった皆既日食が
天の岩戸伝説の起源と考えられる。その皆既日食を見ること
ができたのは、北九州だけ。
26名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 15:14:36 ID:0qK1NbODO
多分、新潟あたり
27名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 15:14:46 ID:YOB6WSKa0
まあ2ちゃんねるでどうこうなるレベルじゃぁ無いな。

>>5で終了なきがする
28名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 15:15:18 ID:DtziPI230
>>11
どうでもいいんだけど、古墳の敷地に割り込んでる建物が
見えるけど、あれってやっぱり…
29名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 15:15:33 ID:dOuyKdse0
>卑弥呼が死亡したとされる西暦248年



wwwww
30名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 15:15:54 ID:NM2aTm6C0
本物は韓国にある
31名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 15:17:01 ID:8u0+zukAO
>>16
三寸棒子さん、こんにちは。一寸=3cm
32名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 15:17:05 ID:FvDYCeQJ0
マンコに大根突っ込まれるAV女優のことですね。わかります。
33名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 15:17:27 ID:jFJOKGZBO
以下ハイキングウォーキング禁止
34名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 15:18:23 ID:DDbXLl1TO
少なくとも倭人伝に出てくる邪馬台国は九州としか考えように無い。

南方系の風俗、温暖な気候、海と密着した生活、
登場して詳しく紹介されている倭の諸国は北九州のクニばかり。
その北九州の諸国ですら、やっと支配しているという程度の危うい国家体制…

どう考えても九州への旅行記にしか読めない。
倭人伝では九州以東の記述があまりにも薄い。

邪馬台国を畿内にもっていくなら、いっそ倭人伝の記述を否定して
「後漢の頃に北九州のナ国へ金印を持っていった時の旅行記」を引き写しただけで
倭人伝の記述は実際の邪馬台国とは無関係だ、と言い切るくらいしないといけない。
あるいは、使者は北九州までしか来ていなくて、引き返したから九州の様子を倭国の様子としてレポートした、とか。
そのくらい言い切らないと邪馬台国を畿内だと説明できない。

海洋的で南方的な邪馬台国の光景に該当する地域は
北九州が北限。南九州の可能性もある。南方の敵国クナ国ともども邪馬台国は九州島内。
どんなに頑張っても倭人伝の倭国の情景は奈良県の風景じゃない。
邪馬台国畿内説支持者は今すぐ倭人伝を窓から投げ捨てるべきだ。

海洋的で南方的な倭人伝の記述はどうみても九州。
35名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 15:19:07 ID:TtD6qdzuO
>>9
俺の墓だから
36名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 15:19:09 ID:JUhrKVNH0
卑弥呼と同じ17歳のとき、オ○○コした。
37名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 15:19:09 ID:lTfCBCJt0
これってアレか、「昼は人が作り、夜は神が作った」っていう古墳か
38名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 15:20:42 ID:2h8PwkWU0
歴史的な名称だし、
魏志倭人伝にしか載ってない名前なんだから
「卑弥呼」で良いよ。
後付で変な美称を与えるのもかっこわるい。

天皇家と何かつながりがあると判明したなら
宮内庁が尊称を別に付ければよい。

んでわ。
39名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 15:20:42 ID:ezZkwhxA0
>>23
文献史学でも同じ
40名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 15:21:52 ID:DDbXLl1TO
邪馬台国畿内説支持者は今すぐ倭人伝を窓から投げ捨てるべきだ。

海洋的で南方的な倭人伝の記述はどうみても九州。
倭人伝の邪馬台国が海ナシの奈良県だって?悪い冗談だろ。

邪馬台国畿内説を成立させるならば

1三国志の著者陳寿がズボラかまして後漢時代の九州ナ国への旅行記を邪馬台国旅行記としてコピペした

2使者である張政がズボラかまして北九州のナ国あたりでお茶を濁して邪馬台国まで行かず引き上げた

3北九州のナ国近辺のクニが勝手に日本代表としてヤマトと名乗って外交してた

4敵国である呉に「南方のクニまで服属した」とアピールするため示威行為として邪馬台国を南国にみせかけた

5朝鮮のように占領されるのを恐れて邪馬台国政府が首都の位置を北九州だと偽った


このくらい言ってのけて倭人伝を全否定するべき。

重ねて言うが、
邪馬台国畿内説支持者は今すぐ倭人伝を窓から投げ捨てるべきだ。
41名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 15:21:55 ID:ck8bYOcMO
ヒント:九州は韓国に近い
42名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 15:22:55 ID:HsvMVteTO
>>7
だから東遷説なら矛盾しないだろ。
九州にもヤマトの地名はあるらしいし。
43名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 15:23:22 ID:JUhrKVNH0
オレはその気はまったくなかったが、卑弥呼に泣かれやってしまった。
44名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 15:25:23 ID:8QlfVRGb0
おいおい九州の観光資源を奪う気かよ
ほんと奈良の人間は鬼畜だな
45名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 15:26:05 ID:6QsTGG4PO
卑弥呼じゃなくて本当は妃神子と書くのが正しいんだよね確か
46名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 15:26:30 ID:EfaRyVSV0
実は二つとも本物じゃね?
47名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 15:26:49 ID:KkoVt10sO
奈良にある大和高田と大和郡山の大和ってなんなの?
48名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 15:26:52 ID:J7sIpqkIO
せんと君のガールフレンドはひみこちゃんだな。
49名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 15:27:30 ID:D58vX5W+0
ふりがなふってもらえんかなこれ
50名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 15:29:03 ID:8W40/xpjO
>>41
ちょww
それ言っちゃらめw
51名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 15:29:47 ID:oftou4Bh0
>>8恐れや或る種の敬いから蔑字を当てているようだね。
卑弥呼や邪馬台国はそれほどの存在だったということ。
52名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 15:30:31 ID:BUJUMnQ90
卑弥呼って都市伝説だろ そんな奴いなかったよ
53名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 15:31:06 ID:5oEGqfk90
ヤマトトトヒモモソヒメって百回言ってみろよ、バカタレ!
54名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 15:31:14 ID:Cz5wN6xp0
AV女優の卑弥呼は今見てもいい女だよな。
55名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 15:32:30 ID:I65e3SLK0
卑弥呼と司馬懿仲達の関係はクレオパトラとカエサルに似ていなくもないかもしれない
56名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 15:32:38 ID:I7GcX2xg0
奈良説キターーーー

東大涙目w
57名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 15:36:16 ID:8u0+zukAO
九州説や東遷説を語る愚か者は、古墳時代の歴代天皇の配偶者に
九州出身者が1人もいないのはなぜか説明しろ。
58名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 15:37:58 ID:OYQwZtsr0
特に邪気に曝される事も無い普通の子だったんだが、たまたま中学に入ったときに
後ろの席に座った奴に人生狂わされた。
その男Aは、小学校が違ったのだが、小学生時代から札付きの邪気癌だった。
でも何も知らなかった俺は、なんとなくAと喋る様になり、家にも遊びに行ったりしてた。
Aは別に普段は普通の子だったんだけど、ある日突然おかしなことを言い出した。

A「お前の家、スサノオを封じた神社なんだってな?」
オレ「は?確かにウチの神社はスサノオノミコトをお祀りしてるけど?」
A「・・・やはりか・・・とうとう尻尾を出したな。・・・っとこれは失礼・・・(笑)」
尻尾を持ってる連中と戦ってる奴相手に"尻尾を出した"は失礼だったな(薄ら笑)
オレ「はぁ?」
A「はぁ?じゃない。ここ最近やたらとクニツカミ達が五月蠅いと思っていたのだが、
まさかこんな近くに"鍵"が落ちてたとはな・・・オレも耄碌したもんだ・・・」
オレ「え?」
A「ハハハ、オレは"卑弥呼の息子達"ではないよ。別にこの日本がどうなろうと知った事ではない。
オレはプレアキオスの転生者だからな。"世界を1つ上から見てるもの"とつけた方がわかり易いか」
オレ「ゴメン、全然分かんない」
A「・・・強情だな・・・オレは良いけど、B(Aの双子の妹でオレが好きな子)にはお惚けは通じないぞ?
あいつは強引だからな・・・」
オレ「マジで?(強引って部分に反応)」
A「ハハハ、やっとノッテキタネ。これだからヤマトノタミ達は単純で面白い」
59名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 15:39:10 ID:sDW9VIFj0
60名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 15:42:20 ID:MypMJBkI0
卑弥呼がたとえ「ピミヲ」とかであったとしても、
やはり日巫女でいいと思うぞ。

オンナってもともとヲンナだったはずだし。ヲトコもそうだけど。
61名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 15:43:13 ID:LWMna62o0
>>58
ちょwww
どっからそんなもんww
62名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 15:44:11 ID:rG4qksl70
>58
わっふるわっふる
63名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 15:46:58 ID:XT/zomY7O
今さらそんなバカでかいものが
発見されるってどゆこと?
64名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 15:48:47 ID:LRk5tmAL0
>>57
俺の邪馬台国東征、九州、中国、近畿を制圧!
その後近畿の勢力に邪馬台国は滅ぼされる。
邪馬台国を滅ぼした近畿の勢力(出雲との連合軍の可能性も…)が後の大和王権となる。
この説なら全てに説明がつく。
65名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 15:50:20 ID:prxB7Km00
そもそも魏志倭人伝な、日本の古代史なんてでたらめだから。卑弥呼どころか神武天皇もいないし。
66名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 15:50:26 ID:SRJNQ3eK0
>>8
蔑称もなにも日本の正史には出てこないわけで
67名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 15:52:03 ID:ezZkwhxA0
>>64
すべてって神武天皇東征説話をなぞってるだけだろ
ゴミ説
68名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 15:54:19 ID:AJMPrygw0
邪馬台国は九州、しだいに、関西方面に移動していく。そして大和政権樹立
69名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 15:54:53 ID:/Dum9JC70
>>63
古墳自体は大昔から有名

今でも宮内庁が管理してる
70名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 15:55:20 ID:xUdaCLcu0
>>69
釣られるなっつーのw
71名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 15:55:23 ID:R+1CHQjuO
「卑弥呼の墓」発見か?
韓国人なら断定して、あとで大恥(^-^)
72名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 15:55:29 ID:nuVod9LCO
>>34,40
張政は伊都国(福岡市)までしか来てない。
ズボラじゃなくて、外国人は伊都国から先は立入禁止だった。

当時は邪馬台国の場所が国家機密で張政は邪馬台国への道のりについて嘘を教えられた可能性もあり、
伊都国から先の記述はあてにならない。

北九州説で、伊都国から先の道のりの記述を全て伊都国起点と解釈する説は
張政が伊都国に逗留していたことが根拠。
それでも、邪馬台国は北九州に収まらなくて南九州になっちゃうんだけどな。
73名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 15:55:48 ID:41Mp9GXkO
日本のルーツは関西なんだな
74名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 15:56:29 ID:VJFCzuDh0
>>73
ルーツの意味わかってんの?
75名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 15:57:24 ID:rlYALL8e0
>>63
発掘していないから。
天皇陵は科学的調査が全然進んでいないそうで、
橋墓もそんな状態だったのでは。
76名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 15:59:07 ID:R4ZBUAac0
>>73
そりゃ350年ぐらい前に江戸に来たぐらいですから
77名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 15:59:44 ID:KNPszms+0
奈良説最有力
78名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 16:00:02 ID:AJMPrygw0
>>72 距離は、山岳地帯とかあれば遠回りするわけだし、地図も磁石もない
状況で最短距離ではいけない。だから北九州の範囲でもありうる
79名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 16:00:07 ID:04XkPmb30
>>60
「おんな」の古形は確かに「をんな」だが、もっと遡ると「をみな」なんだな。
さらに遡ると「女」は「メ甲」で、「男」は「を」で互いに一文字だったりする。
だから、「ひみ|を」で切っちゃうと、「ひみ男」の可能性すらあったりする。

ちなみに奈良時代の時点で「を」(ウォ)単独の和語としては、
「尾」「峰・丘」「麻」「雄・牡・男」「緒」がある。
80名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 16:02:48 ID:CAhZg8FV0
最近文化遺跡や古墳の発見が相次いでるけど
これは何か裏というか意図があるのだろうか・・・
2009年に向けて・・・?
81名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 16:02:57 ID:/jrHco7cO
卑弥呼は大韓民国から統治の為に派遣された韓国人だというのは有名な話。
って言い出す基地外馬鹿が必ず出るはず。
82名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 16:04:05 ID:GBIE1pR6O
鯨統一郎『邪馬台国はどこですか?』参照。
83名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 16:06:23 ID:8EYUK/7f0
そんなことよりオレ様におめこを
84名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 16:07:28 ID:GNJkmCdtP
しかし実際の所、卑弥呼ってなんて読むんだろうな…
85名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 16:10:35 ID:6lkw1McQ0
発音は中国人に聞けばどうだろう?
86名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 16:13:34 ID:Qk5nmifG0
馬鹿野郎、邪馬台国は町田にあったんだ
87名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 16:14:52 ID:5wBLgoV70
>>56
東大以外でも九州説は多いよ
畿内説人は鏡のことと巨大古墳はスルーだね
>>76
奈良や東京に観光来たチョンが言いそうっていうか実際に言ってる
88名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 16:17:28 ID:WSpQ/H3I0
>>85
シマティーらしいな。
ちなみに出雲弁で島根はシマティーな。(ネが相当なまる)
89名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 16:22:39 ID:I65e3SLK0
>>88
ΩΩΩ Ω<ナ、ナンダッテー
90名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 16:22:41 ID:eTdyeYeI0
百済のムリョン王は大和人。
91名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 16:24:10 ID:04XkPmb30
「邪馬台」の現代北京語の発音は「xie-ma-tai」だな
「シマタイ」って感じ
「シマティー」になる意味が分からない
ていうか現代中国人に聞いても当時の発音なんか分かるわけない
現代日本人に当時の日本語の発音を聞いても知らないのと同じ
92名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 16:29:16 ID:GNJkmCdtP
>>91
ましてや、国がコロコロ変わってるしなぁ…
93名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 16:32:58 ID:Td05gtkG0
鹿男あをによしのリチャードが、ついに発見したんですね!
94名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 16:42:51 ID:kVJLKbZj0
>>91
発音の研究で漢代と南北朝以降の漢字の発音てのは大体わかってるんだよ。
しかし、残念ながらその間の三国・晋代ってのは発音の変遷の途中期で今ひとつハッキリしてないっていう。
95:2008/08/30(土) 16:44:06 ID:mH6f4Nze0
「ヒミコ」は「ひめみこ」

姫巫女のこと。
96名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 16:49:50 ID:9xMQVrHr0
>>91
何度焚書をしたか分からん地域だしね…
97名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 16:55:00 ID:B7lxfWD90
今なら親魏倭王の金印と銅鏡百枚プレゼント!
98名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 16:55:26 ID:sKzBV8uY0
「まぼろしの邪馬台国」スベったなwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
99名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 16:57:49 ID:vq0vzng10
邪馬台国が九州にあって、後の大和朝廷となる大きな勢力が関西にあり、
後の大和朝廷が邪馬台国を滅ぼした。
って普通思うよな。
100名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 17:04:11 ID:jDxXAuiFO
まーいずれにせよ関東人のでるまくじゃねーな
101名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 17:05:16 ID:GOTtryNQ0
>>65
魏志倭人伝を鵜呑みにして
日本古代史をでたらめと決めつけるのはどうかな。
102名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 17:08:00 ID:PjCfVdhs0
古墳なら、マツカツ人(満洲人)の古墳と、日本の古墳の類似性をもっと研究して欲しいよね。
103名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 17:09:50 ID:jFJOKGZBO
弟はどうした?
104名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 17:10:02 ID:XHeg11In0
>>8
姫巫女じゃないの?
105名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 17:10:15 ID:UD9obUki0
そもそも イト国までしか渡ってきていない魏志倭人伝の使者の話で
邪馬台国の位置を特定しようとするから大混乱がおこっただけの話なんだよな

もともと考古学的には、近畿説っていうのが定説になってたのにさ

当時は、朝鮮半島から多くの集団がわたってきてるから、その後の大和王権とのつながりは特定できないけども
すくなくとも、邪馬台国の位置は近畿(奈良)っていうのはほぼ確実視されてる

106名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 17:10:43 ID:NOUBh4C2O
卑弥呼ちゃぁぁーーんっ、俺だぁぁーーっ、いてこましてくれーーっ!
107名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 17:11:45 ID:q7vX/Uk20
日本の歴史書より中国の歴史書を信じる九州説の連中は非国民。
日本人なら畿内説だろう。
108名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 17:11:51 ID:Dvo9VxrR0
>>57
近畿の地方政権だったからでしょ。東征にしても地場政権にしても。
結婚相手も段々、そこから広げていってるし。
109名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 17:13:25 ID:ezZkwhxA0
>>99
いや邪馬台国があってその後大和朝廷になったと考えた方が自然だろ
110名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 17:13:26 ID:ELjgjUmy0
卑弥呼さまーーーーー!!!
111名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 17:13:39 ID:nb8MGsPSO
卑弥呼は田油津媛
112名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 17:15:11 ID:ZifvRt8ZO


  ∧∧ ピコッ  ☆
 ( ^o^)っ―[] /
[ ̄ ̄ ̄](#^O^#)臺與はまだ16だから♪


113名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 17:17:49 ID:RiMfIYfc0
九州説(笑)
114:2008/08/30(土) 17:20:19 ID:mH6f4Nze0
臺与についての記述も不思議だよな。

卑弥呼の宋女臺与の年十三なるを立てて王と為す。
国中遂に定まる。

なんで「魏」が13歳とか知ってるの?
115名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 17:21:20 ID:hLrORfCa0
卑弥呼も邪馬台国も、日本側の発言に中国がわざと汚い漢字を当てたといわれている。
そうすると、元々の日本の使者はなんと名乗っていたのだろうか?

一説では、「卑弥呼(ヒミコ)=姫巫女(ヒメミコ)」で、天皇の血縁者の巫女(斎宮)
のことを指すのではないかといわれている。
「邪馬台国(ヤマタイコク)=大和国(ヤマトコク)」で、既にその当時から「大和朝廷」
は成立しており、彼らはヤマトと名乗っていたのだ。
つまり、邪馬台国とは後の大和朝廷(=後の日本国)そのものなのだ。
116名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 17:25:51 ID:Vdk48+fi0
>>95
>>104
中国から見て日出る処の国のシャーマンという意味で
日の巫女、日巫女という話もどこかで見た
117名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 17:26:44 ID:e3flJH7k0
ゴッドハンド呼んでなんか出してもらおうぜ
118名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 17:27:04 ID:04XkPmb30
だから「呼」を中国人がコにあてることは絶対にないと何度言えばいいんだ
当時の中国語での発音はho〜hwo。日本語の「を」を聞き取ったと考えられる。
中国語のhとkを混同するのは日本人だけで、「呼」が「コ」と読まれるのは
日本ローカルの、しかも平安時代以降限定の話。
その日本ですら、奈良時代の万葉仮名では「呼」は「を」に使われていた。
日本語のカ行を中国人がHを子音に持つ漢字で書き取ったと見られる例は皆無。
例えば奈良時代の日本書紀の一部は中国人が書いたと見られるが、
そこでは日本語のカ行は一貫してKを子音に持つ漢字で書かれている。
119名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 17:27:28 ID:phg1llBk0
ヒミコ→ヒメコ→オメコ

豆な
120名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 17:27:30 ID:7ZTQznwC0
卑弥呼の墓って、韓国にあるんじゃないの?
121名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 17:27:50 ID:RZtNhyUp0
単に「ヒメ」と呼ばれてただけじゃないの?
その頃はまだ単純素朴だったろうから。
邪馬台も単に「ヤマ」かなんかだったりして。
122名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 17:28:52 ID:rBqCnC1a0
誰か畿内説と九州説の主張を要約してくれ。
123名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 17:30:29 ID:Fsqt5/vQ0
>>120
朝鮮半島は日本の植民地でした
124名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 17:32:11 ID:BCa4Fn4dO
>>115

当時の発音が分からん以上なんともだな
125名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 17:33:45 ID:jBAseSAZO
面白いスレだな
126名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 17:36:07 ID:e3flJH7k0
>>58
おれもわっふるわっふる
127名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 17:37:44 ID:FSExCVG90
姫巫女なんじゃねーの
128名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 17:38:38 ID:KsKfrLDN0
昔の日本語の発音に詳しい人がいるみたいだけど、
そういうのは、どういう書物に総覧されてるの? すごく興味ある。

学会レベルの話で一般人は知らんという世界なのかな。
129名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 17:39:20 ID:pl+sueJK0
ハニワ幻人
130名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 17:40:06 ID:e3flJH7k0
日の王→ひのお→ひのこ→ぴのこだわさ
131名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 17:42:04 ID:J3wyc7GG0
どう考えても佐賀県の吉野ヶ里な訳ねーよなw
当時はアホみたいに卑弥呼卑弥呼と騒いでたもんだが
132:2008/08/30(土) 17:43:27 ID:mH6f4Nze0
>卑弥呼の宋女臺与の年十三なるを立てて王と為す (三国志)

無理だろ。
王じゃないだろ。
それ、後の天皇の流れだろ。

133名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 17:43:39 ID:LyH+o6X80
奈良説はいいとして、
それが日向系か出雲系のどっち?
134名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 17:44:21 ID:XT/zomY7O
>>75
ありがとう
そういうこともあるんだなぁ
夢があるというか神秘的でいいな
135名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 17:44:23 ID:UD9obUki0
いまの日本人の発音になったのは、平安時代の半ば頃から。

奈良時代までは、大陸風の発音というか、、
たとえ、おれたちが当時の単語をマスターしたとしても、会話はできない。

ただ、それは朝廷に仕えていた特権階級の発音の話なので、
いっぱんの庶民の発音はどうかわからない
136名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 17:45:23 ID:Ea6YrSCRO
>>129
死ねぇ!!
137名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 17:46:59 ID:LyH+o6X80
漢字の「呼」は漢音を当時の和国に当てただけの

漢人から見た当て字だし。
138名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 17:47:08 ID:KE4+EEpn0
中華思想の塊の文献、一つをもとに日本の歴史を語るのはやめにしようぜ。
139名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 17:47:47 ID:Z5CpvKxC0
>邪馬台
無理すればヤマトって読めないの?
140名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 17:48:46 ID:EREx7Q3Z0
>>5
もう両方建ってるけどなwww
141名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 17:49:42 ID:Fsqt5/vQ0
>>138
朝鮮人みたいなこというなよw 
142名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 17:49:45 ID:FSExCVG90
広東語は漢代の音が結構残ってるが
邪馬台を広東人に読ませると
「ヤマトィ」と発音する。
143名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 17:49:46 ID:KsKfrLDN0
前スレ
かまど神社と玉垂神社に注目してる人いたけど、

かまど神社って紀伊にもあったような。

九州の玉垂神社は、久留米が最古って話じゃなかった?
144名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 17:52:08 ID:LyH+o6X80
>>135
しかも何ヶ国語も話されていたという話
当時の豪族らには通訳が要ったのよ
当然ヤマトと九州の間にも。
145名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 17:52:21 ID:04XkPmb30
「邪馬台」の発音
現代北京語 「xie2/ye2/yu2 - ma3 - tai2/tai1」 [ɕiɛ/iɛ/y - mɑ - tʰaɪ] (シェ/イェ/イゥ - マ - タイ)
現代上海語 「xhia3 - ma3/mo3 - dhe3」 [ʑia-ma/mo - dɛ] (ジャ - マ/モ - デ)
現代台湾語 「sia5/ia5 - be2/ma2 - tai5/thai5」 [ɕia/ja - be/ma - tai/tʰai] (シャ/ヤ - ベ/マ - タイ)
現代潮州語 「sia5/e7 - bhe2/ma2 - tai5」 [ɕia/ɯ - bɯ/ma - tʰai] (シャ/ウ - ブ/マ - タイ)
現代客家語 「sia2 - ma1 - toi1」 [ɕia - ma - tʰɔi] (シャ - マ - トイ)
現代広東語 「che4/ye4 - ma5/ma1 - toi4」 [ʦʰɛː/jɛː - maː - tʰɔːi] (ツェー/イェー - マー - トーイ)
現代朝鮮語 「sa - ma - dae」 [sa - ma - tɛ] (サ - マ - テァ)
中期朝鮮語 「sa - ma - dai」 [sa - ma - tai] (サ - マ - タイ)
現代日本語(漢音) 「sha/ya - ba - tai」 [ɕa/ja - ba - tai] (シャ/ヤ - バ - タイ)
現代日本語(呉音) 「ja/ya - ma - dai」 [ʥa/ja - ma - dai] (ジャ/ヤ - マ - ダイ)
古代日本語(漢音) 「sya/ya - ba - tai」 「ʨa - mba - tai」 (チャ/ヤ - ンバ - タイ)
古代日本語(呉音) 「ja/ya - ma - dai」 [ʥa - ma - dai] (ジャ/ヤ - マ - ダイ)
後期中古音 [zia - mba - dəi/tʰəi] (ズィァ - ンバ - ダイ/タイ)
前期中古音 [yia - ma - dəi/tʰəi] (イァ - マ - ダイ/タイ)
上古音 [ŋiaɡ - maɡ - dəɡ/tʰəɡ] (キ゜ャグ - マグ - ダグ/タグ)
146名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 17:53:01 ID:cx5Cm0je0
>>122
晋代の官である陳寿(蜀の人)が著した「三国志(横山光輝などが参考にした小説の三国志演義とは違う)
の中の「魏書」の中にある倭人についての記事(ここに邪馬台国の位置と卑弥呼の存在が書かれているが、
その距離が朝鮮半島とともに何故か実際よりも10倍ほどになっているし、曖昧な記述も多く、また当時の
事で記事の内容が真実かどうかの判断も分かれている)
 を盲信し距離が間違っているとするのが九州説、方向が間違ってるとするのが近畿説。だが本来文献の
資料批判を徹底するのが先なのに、未だに位置論争に終始し、もはや学問とは言えない状況になっている。
考古学的にはも発掘資料をどう解釈するかで分かれており、仮に金印がどちらかから出て来ても、確証と
はならない状況になっている。倭人の記事にある卑弥呼の鏡(銅鏡)と思われるものが近畿を中心に出土し
ているが、九州論者はこれは後に日本で作られたものとして認めていない。
147名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 17:53:24 ID:KsKfrLDN0
すばら。>>145
148名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 17:54:33 ID:04XkPmb30

「卑弥呼」の発音
現代北京語 「bei1 - mi2 - hu1」 [pe? - mi - xu] (ペイ - ミ - フ)
現代上海語 「be1 - mi3 - hu1」 「pɛ - mi - hɯ] (ペ - ミ - フ)
現代台湾語 「pi1 - mi5 - kho1」 「pi - mi - kʰə」 (ピ - ミ - コ)
現代潮州語 「bi1/bui1 - ni2 - hu1」 「pi/pui - ni - hu」 (ピ/プイ - ニ - フ)
現代客家語 「bi1 - mi2 - fu1」 「pi - mi - fu」 (ピ - ミ - フ)
現代広東語 「bei1 - nei4 - fu1」 「pei - nei - fuː」 (ペイ - ネイ - フー)
現代朝鮮語 「bi - mi - ho」 [pi - mi - ho] (ピ - ミ - ホ)
中期朝鮮語 「bi - mi - ho」 [pi - mi - ho] (ピ - ミ - ホ)
現代日本語(漢音) 「hi - bi - ko」 [çi - bi - ko] (ヒ - ビ - コ)
現代日本語(呉音) 「hi - mi - ko」 [çi - mi - ko] (ヒ - ミ - コ)
古代日本語(漢音) 「pi - bi - ko」 [pi - mbi - ko] (ピ - ンビ - コ)
古代日本語(呉音) 「pi - mi - ko」 [pi - mi - ko] (ピ - ミ - コ)
後期中古音 [pie - mie - ho] (ピェ - ミェ - ホ)
前期中古音 [pie - mie - ho] (ピェ - ミェ - ホ)
上古音 [pieɡ - mier - hag] (ピェグ - ミェル - ハグ)
149名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 17:57:24 ID:hdi5n//B0



卑弥呼のばか



150名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 17:57:46 ID:L6jcc4ME0
>>122
魏志倭人伝の通りに進めば、邪馬台国は遥か南になる。そこから琉球説なんてのも有る。
>九州説-魏志倭人伝は日数を間違えている。
>近畿説-魏志倭人伝は方向を間違えている。

神話による解釈
>九州説-天照が卑弥呼で神武東征は歴史的事実が含まれる。
>※実際に九州の政権が移行した形跡はみられる。
>近畿説-特になし、ただ神武などと言う人物が存在した形跡は見られず、
>神武が築いたはずの大和の都にも天武天皇以前に都があった形跡はない。
>古事記など歴史書を作った天武・天智辺りの創作の人物の可能性が高い。

魏志倭人伝による規模
>九州-大規模な国家の後はみられない
>近畿-倭人伝の規模の国家は近畿にしか有り得ない。大規模な古墳もあり、
>鏡も出土している。

また魏志倭人伝にでる邪馬台国に逆らう南の国家
>九州-熊襲・隼人
>近畿-方向が違うので東の夷

まっどちらでも成り立つわけだ。
151名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 17:58:26 ID:0bDtGt6/0
152名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 17:59:20 ID:dpKXAlfC0
デタラメな中国の当て字を真剣に解読しようというところが笑える。
ヤマトはヤマト
ヒミコはヒメミコ
153名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 17:59:27 ID:04XkPmb30
>>128
ちょっと大きい図書館に行けば、普通に「日本語の歴史」みたいな概説書が何冊もあるはずだから
そういう本を読めば俺が書いてるレベルのことは大体書いてるよ。
実際色々面白いし読んでみるといい。

>>148の北京語が一文字文字化けしちゃったけど
現代北京語 「bei1 - mi2 - hu1」 [peɪ - mi - xu] (ペイ - ミ - フ)
です。
154(´-`).。oO ◆abcDBRIxrA :2008/08/30(土) 18:00:02 ID:WQe2v/H+0

箸墓古墳の埋葬者と言われている「ヤマト・トトヒ・モモソヒメ」は、4世紀中頃の人物。
卑弥呼は3世紀中頃の人物。しかも卑弥呼の墓は円墳。直径100歩、145メートル。

箸墓古墳は卑弥呼の墓ではない。年代の推定が古すぎる。学者は年代推定をやり直したほうが良い。
        ∧_∧
      ⊂(・∀・ )つ- <これ豆知識な。 
     ///   /_/:::::/ 
     |:::|/⊂ヽ ノ |:::| /」
   / ̄ ̄旦 ̄ ̄ ̄/|
 /___________________/ | |
 | |----------|│
155名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 18:00:57 ID:KjSCdryE0
>>25
地球は少しずつ自転速度をおそくしているので、その補正を与えないと日食の計算はズレが出てしまう。
http://www.wagoyomi.info/suiko/suiko.html
このサイトで、ΔTというのがその補正項になるわけだが
下のほうの「図3 中国・日本古代日食から計算したΔT」
の緑色の線がStephensonという人の推定値になる。この図から判断すると
247年あたりは大体ΔT=8200くらいということになる。
この補正値を使って、この論文の著者が作った日蝕ソフトEmapWin
(一番下にリンクがある)というので描画した図を掲載してみる。

因みに、ΔT=8200とすると、247年3月24日の日食は東北や北海道を除いた日本中
大体どこでも見れる(ほぼ)皆既日食になる。とくに鹿児島、宮崎だと完全な皆既日食になる。
(下図参照)
http://www1.axfc.net/uploader/Img/so/19308.jpg
(図の説明)
赤い線の間にある地帯では、100%の完全な皆既日食がみられる。
1つの線にならずに巾が出来るのは、太陽と月の地球から見たみかけの大きさ
が、月のほうがわずかに大きいから。

北九州での見え方は
昼の2時44分8秒、西南の空の仰角44度1分にある太陽が欠け始め、
3時58分46秒でMAX(仰角30度5分)、このときほぼ皆既日食(完全ではない)
5時57分57秒で日食が終わる。(西の空、仰角17度1分。)
という感じになる。
(下図参照)
http://www1.axfc.net/uploader/Img/so/19309.jpg

また248年9月の日食は日本では観測できないということになるようだ。(日本はまだ夜)
(下図参照)
http://www1.axfc.net/uploader/Img/so/19310.jpg

156名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 18:01:09 ID:PjCfVdhs0
>>152
笑いを通り越して、哀れみさえ感じるよねwwwな〜む〜
157名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 18:01:51 ID:dpKXAlfC0
倶知安は「くちあん」ではなく「くっちゃん」だ。
当て字とはこのようにデタラメ
158名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 18:04:24 ID:0bDtGt6/0
>>154
実は私もそう思う。
ヤマト・トトヒ・モモソヒメは

初代皇后。神武皇后。日向が滅ぼした出雲ヤマト政権の後継者。
スサノオ→ニギハヤヒ→ヤマトトトヒモモソヒメ
スサノオ→ニギハヤヒ→ウマシマジ→物部
159名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 18:05:32 ID:hoLXXsAxO



卑弥呼のかば





チュンヤンはどこいる?
160名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 18:06:02 ID:KsKfrLDN0
>>153
「日本語の歴史」かあ、ありがとう。歴史や文献、考古学ではなくて、
言語の方ね。あたってみます。超サンクス。
161名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 18:09:15 ID:5b/C6PTmO
結局何もわかってないってことはわかった
162名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 18:12:30 ID:UD9obUki0
もともと、長年の考古学の研究の成果からみると、
「邪馬台国は近畿地方にあった」っていうのが学界での定説だったんです。

ところが、突然、
「魏志倭人伝を解読すると邪馬台国は北九州にあり、卑弥呼なる女性が支配していて、魏国に朝貢し属国化していた」
って説が出されて学界が面食らった。それを当時の新聞が繰り返し大きく報道したんで大混乱しただけなんですよ・・

そもそも、当時外国からの使者は「イト国」までしか入れなかったんです。
そんな厳重な入国管理をしていたのに、邪馬台国の位置を正確に教えてあげるわけがないでしょう?w

さらにいえば、卑弥呼の字も邪馬台の字も、当時の中国の人がつけた当て字なんで、
これを今の日本人に、「ヒミコ」「ヤマタイ」と読ませること自体おかしいんです。
163名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 18:13:52 ID:04XkPmb30
例えばアメリカ人が日本語を聞き取ったとしよう。
そういう場合に、母音が違うとか、ダ行をRで書いてしまうとか
そういう違いはあるだろうが、例えば「小泉」を「Koizoomee」とか書くことはあっても、
「Hoizoomee」と書くことはまずないだろう。
「坂東」を聞き取って「Vandou」と書くことはまずないだろう。
「斉藤」を聞き取って「Thaitoe」と書くことはまずないだろう。
外国語を聞き取る場合に多く問題になるのは、自分の言語の範囲では聞き取れない、
表現できない範囲の問題であって、自分の言語の範囲にしっかりある範囲の言語音なら
あまり間違えない。

古代中国人は、日本人にはカ行、ガ行に聞こえる音として、k、kʰ、ɡ、ŋ、h、ɣといった
子音を細かく使い分けていた。
日本人が中国語を聞き取ったなら、これらの音を混同してしまうのも有り得る。
しかし、中国人が日本語のカ行を聞いて、hに聞き取ることなどあるだろうか?
それは、現代日本人が「ピミコ」という音を聞いて「ピミホ」と聞き取るのと同じぐらい不自然なことだ。
164名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 18:14:47 ID:jsE5pgH+0
まあ、考古学的資料による研究に移行してるから
学会はそれこそ倭人伝投げ捨ててるんじゃないかw

ものが所詮あやふやな文献だし妥当な態度だと思うけど
165名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 18:15:39 ID:+qwKOgSp0
卑弥呼は韓国人ニダ
王朝の拠点が日本領土にあるわけ無いニダ
166名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 18:19:10 ID:ZAtTBHIGO
東スポも
千年経てば
よい史料
167:2008/08/30(土) 18:20:37 ID:mH6f4Nze0
全ては「魏」の使いの者がやったことなので
知ったこっちゃありませんw
168名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 18:21:06 ID:jsE5pgH+0
日本語に詳しい人に聞きたいんだが
推古とかのあたりのタリシヒコの方は問題ないの?
アメノタラシヒコの音写だとか言われてるけど
169名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 18:22:30 ID:PIY0Aa1M0
誰か、西九州から奄美の
各地にある
竈神社、宝満神社と
玉垂宮の起源を解明しろ!!!!!!!!!!!!!!!!!
170名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 18:22:31 ID:gd4kHg0GO
>>146
鏡については、中国の考古学のえらいおっさんが
「漢の鏡じゃないよこれ」って断定していたはず。
送ったと記録されてる枚数の数倍が出土したり。

てか、普通に考えて、あの当日の文明レベルの中国人が
距離を間違える事はあっても方角間違えるなんて有り得んと思うが。
171名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 18:23:19 ID:0bDtGt6/0
訂正

初代皇后。神武皇后。日向が滅ぼした出雲ヤマト政権の後継者の名はヤマト・ホトタタライスキヒメ
スサノオ→ニギハヤヒ→→→→→→→ヤマトトトヒモモソヒメ(孝霊天皇皇女)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:Emperor_family_tree_of_Japan_1-10_(ja).svg

172名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 18:24:02 ID:jsE5pgH+0
三角縁の魏鏡説とかえらくまえに粉砕されてたと思うんだが
173名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 18:25:11 ID:rMZCwXVQO
福岡県民の俺涙目wwwww
174名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 18:26:28 ID:jsE5pgH+0
常に涙目を通り越してる東北北海道ってのがいるから気にしない方向で
175名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 18:27:49 ID:KjSCdryE0
>>118
問題点が2つある。
1つは不自然であることは、有り得ないことの証明にはならない。
ズームズームと聞いてスンスンしてたりする。ズもムも日本語にあるが?
2つめは、woだとして、woが何を意味するのかが不明。王だと言うが
その信憑性はどの程度?無いことを言ったとは思えない。woにあたる
適当な言葉がないのなら、やはりwoと言ったのでは無いのではないか?
176名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 18:28:50 ID:04XkPmb30
>>157
それは「デタラメ」なのではなく、「日本語の漢字音の手持ちの範囲で精一杯頑張った結果」だ。
「くっ」や「ちゃん」といった漢字音が日本語にはないからそういう事態になったに過ぎない。
「卑弥呼」を「ヒミコ」と読むと主張している人は、そういうレベルではなく、
「倶知安」を「ふっちゃん」と読めと主張しているようなもの。

当時の中国語は日本語より遥かに複雑だった。
中国人の手持ちの漢字音の範囲で、日本語をそれなりに正確に写すことができたはずだ。
少なくとも、kとhを間違えるなんていうのは相当に有り得ない。
中国人の手持ちの範囲にはkとhがちゃんとある。それを聞き分けないと暮らしていけない。
kとgならともかく、当時の中国人にはkとhはまるで違う音のはず。現代日本人の感覚と同じ。
hをkで聞き取るというのは、hという音を持っていない場合にしか起こらないだろう。

>>168
「多利思比孤」は全く問題ない。「ヒ」にあたる漢字「比」の当時の音は「ピ」で、ちゃんと古い日本語の音を
写しているし、「孤」も子音はKだ。当時の中国語音から「タリシピコ」と読める。
「リ」と「ラ」の違いについてはよく分からないが。
177名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 18:30:30 ID:8fgHm8Wg0
国内に、文書で根拠になるものにないのがきついね(´・ω・`)
物証にしてもこれだけじゃ、正直アバウトすごるだろうと、
素人が申してみますた。
178名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 18:33:42 ID:jsE5pgH+0
>>176
とんくす


ただ、音写についてはいろいろといい加減だって印象があって
中国の史書の北方とか西方の固有名詞の記述とかみてると
結構アバウトな気がすんだけど

かなりあとですまんが脱脱でトクトみたいなw
179:2008/08/30(土) 18:35:18 ID:mH6f4Nze0
>「漢書」地理志
>「後漢書」東夷伝

漢の時代、1世紀の話な

>「三国志」(魏書の東夷伝倭人の条)←卑弥呼

三国時代、3世紀の話な

180名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 18:36:52 ID:eGKdl4iKO
亡き祖母は比未子って名前だったよ。
181名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 18:40:27 ID:04XkPmb30
>>175
英語の「zoom」の頭の子音は実は日本語の語頭のザ行とは違う。
日本語の共通語の語頭のザ行の発音はdzであり、ツァ行の有声音だ。つまり破裂音と摩擦音が合わさった
破擦音という音。一方英語の語頭のzは完全な摩擦音なので、日本語のザ行とは違う。
完全な摩擦音という点に引かれ、さらに有声化の度合いがやや弱かったことからサ行と聞き取ったのだろう。
さらに、日本語には「ム」つまり「-mu」はあるが、子音終わりの「-m」はない。
日本人には、音節末の「-m」「-n」「-ŋ」は「ン」の異音として処理され全て「ン」と聞こえる。
つまりその例は、実は「z-」も「-m」も日本語にないということを示した例であり、なんら不自然ではない。

この問題に関しては、「不自然」というよりも「有り得ない」に近いだろう。完全な証明は悪魔の証明になるが。
当時の中国人の立場に立って考えて、当時の日本語を聞いてどの漢字を当てるかという作業を考えると、
「ko」は「呼」と全然発音が違い、どう頑張っても「古」などの漢字に聞こえるはずなので有り得ず、
「ho」は当時の日本語に存在しない。
「wo」と考えれば、当時の中国語に「wo」という漢字がなかったので、
仕方なく「hwo」という子音の聞こえの弱い漢字を当てたと説明できる。

「wo」がどういう意味かは確かに確定しづらい。俺は「王」とは言い切れないと思うがその可能性もあるにはある。
ただ、奈良時代あたりの時代は一音節語が複音節語に置き換えられていく過程にあったし、
奈良時代よりも500年も前だから、奈良時代以前より前に消滅した一音節語の可能性もある。
実際、魏志倭人伝に出てくる官職名や人名で、奈良時代以降の日本語により「これだ!」とピッタリ
解釈できるものはあまりないわけで。
182名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 18:40:56 ID:xNwTaLgp0

邪馬台国はどこですか?  創元推理文庫  鯨 統一郎 (著)

未だ場所を特定できない邪馬台国。そこへ宮田は、ある新説を語りだす…。
日本史の授業などで、九州説と近畿説は聞いたことありますが、この説は初めて。
決着する日はくるのだろうか…?
http://www.amazon.co.jp/%E9%82%AA%E9%A6%AC%E5%8F%B0%E5%9B%BD%E3%81%AF%E3%81%A9%E3%81%93%E3%81%A7%E3%81%99%E3%81%8B-%E5%89%B5%E5%85%83%E6%8E%A8%E7%90%86%E6%96%87%E5%BA%AB-%E9%AF%A8-%E7%B5%B1%E4%B8%80%E9%83%8E/dp/4488422012

鯨統一郎質問会
http://tokyo.cool.ne.jp/meikyu/art99/hrs9903b.html
183名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 18:44:32 ID:jsE5pgH+0
>>182
東北説はたしかに面白い
論理パズルの迷走みたいでなw
184名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 18:48:06 ID:dOuyKdse0
>>170
間違えてるよw
もっと時代の下った中国で日本列島が南に延びてる地図がある
つまり当時の中国人の認識では日本列島は南に延びていた
中国人の日本列島の邦楽に対する根本的な間違いはとっくに指摘されてるので
これ以上つまらない議論はやめにしてくれ
185名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 18:48:13 ID:GGSbe8dL0
もともと、漠然とした信仰から、
「邪馬台国は近畿地方にあった」っていう俗説があったんです。

ところが、文献を考証すると、
「魏志倭人伝を解読すると邪馬台国は北九州にあり、卑弥呼なる女性が支配していて、魏国に朝貢し属国化していた」
って説が出されて、近畿では辻褄が合わないようになった。

また、長年の考古学の研究の成果から、
九州の優位性を認めざるを得なくなってきた。

ですから、無理やりに卑弥呼と結びつけて繰り返し大きく報道してるだけなんですよ・・(失笑)
186名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 18:50:11 ID:jsE5pgH+0
いや、既に九州説とか東遷説とか文献こねて遊んでるアマチュア好事家だけに(ry
187名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 18:51:10 ID:dOuyKdse0
>>148
そういうのは古代中国語(それもいろんな地域の)を出さないと意味ないよ
古代中国の発音がまったく書いてないじゃないか?w
中国の歴史書なのに半島の発音など関係ないだろ?
188名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 18:51:22 ID:aTiw6BCI0
>>32
それは豊丸。
189:2008/08/30(土) 18:55:26 ID:mH6f4Nze0
魏志倭人伝←そんな書物は無い
卑弥呼←そんな名前の人はいない
190名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 18:58:52 ID:ezZkwhxA0
>>184
鏡は楽浪郡で作成されたんじゃないか、いずれ半島でみつかるのでは
と畿内説の先生はいってたな
191名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 19:01:05 ID:04XkPmb30
>>187

一番下のほうの中古音と上古音ってのが古代中国語の発音だよ。
周代、漢代の頃の発音が上古音、
南北朝時代後期から隋代、唐代初期頃の発音が前期中古音、
唐代後期頃から五代、宋代頃の発音が後期中古音。

全ての方言の発音は前期中古音あたりの時代でほとんど一つに収束する。
192名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 19:02:41 ID:/nFkF4xg0
>>187

>>148の下の「後期中古音」「前期中古音」「上古音」が
古代中国の発音だろ

半島の発音も古い中国語の音を反映してるわけだから無関係でもない
実際古い中国語の音を再建するには日本、ベトナム、
朝鮮の漢字音も無視する訳にはいかないだろ
193名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 19:14:50 ID:NOUBh4C2O
やまたい やまたい ひみぽっぽ
194名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 19:15:31 ID:I49rDgRW0
また

195名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 19:16:26 ID:GGSbe8dL0
いや、既に考古学会がアマチュア好事家からも遊ばれるまでに(ry
196名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 19:18:25 ID:j9DAFIyg0
「邪馬台国は沖縄にあった」といった北村教授も黙るような
考古学的な見解ですね
197名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 19:19:28 ID:UCV2vD7w0
間をとって四国に邪馬台国があったと思う。
198名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 19:20:19 ID:KsKfrLDN0
な、なんだってー(AAry
199名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 19:20:24 ID:Fsqt5/vQ0
資料を信用できないというのは朝鮮人にとって全ての資料が都合悪いから
200名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 19:21:10 ID:PjCfVdhs0
考古学は歴史じゃないから。そこ注意な。
201名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 19:21:38 ID:UCV2vD7w0
中国の捏造は5000年の歴史がありそう。
202名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 19:31:11 ID:2JADo51G0
つ鋼鉄ジーグ
203名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 19:32:41 ID:ezZkwhxA0
つくる会のやつらも中国の史書は信用できないとかいって
邪馬台国九州説やってたな
さすが歴史をしらない連中だけはあるよ
204名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 19:45:08 ID:k6wrLW3E0
>>181
wo であれば素直に「烏」とか使えばよかったんで、
「呼」を使ったということは

・3世紀の日本語では /k/ と /h/ を区別していた
 これらは後世どちらもカ行に合流した
・3世紀の日本語の /k/ は [h] にもわりかし近かった or
 3世紀の日本語の /w/ は [h] にもわりかし近かった
・3世紀の中国語の「呼」は [h] ではなかった

などいろいろ可能性は考えられる。
205名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 19:45:55 ID:PIY0Aa1M0
中国側に利があるならまだしもむやみに
史書を改竄せんだろ。
206名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 19:47:22 ID:KjSCdryE0
>>192
何かよくわからんな。hwoがないみたいだが。
207名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 19:54:58 ID:WPQZ+k+p0
>>204

ヲコト点は、「乎」だよ?

208名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 19:56:51 ID:yuQOEddL0
 

  「 日 巫 女 」 と 言 え


 「卑弥呼」はシナ人が使う蔑称だぞ
209名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 19:57:43 ID:WPQZ+k+p0
「を」が、女性名詞に使われた例。

「麻多烏」=アメノヒホコの妻ね。
210:2008/08/30(土) 20:00:55 ID:mH6f4Nze0
改竄じゃなくて正確性に欠けるのは否めないね。
211名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 20:01:21 ID:Nr0c8WY3O
自分で埋めて掘り出したジジィいたよね?
212名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 20:01:27 ID:f/DVk0Tt0
ヤマタイカ!ヤマタイカ!
213名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 20:01:37 ID:XaqfHfqh0
卑弥呼って朝鮮が日本(=アイヌ)人統治に派遣した総督府長官。
天皇はその子孫にして朝鮮人。

歴史には知らないほうがいいこともある。
214名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 20:03:35 ID:PIY0Aa1M0
>>210
意図的改竄と正確性に欠くのは大夫意味合いが違う。
どうせ作る会の朝鮮の奴らは意図的改竄とか抜かして層。
215名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 20:03:57 ID:KjSCdryE0
>>207>>209
中国人の表記の話しでしょ。
216名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 20:06:07 ID:D2FagPvdO
>>202
おもちゃ持ってたよ。公園の砂場に持っていった。
悲惨なことになった。
217:2008/08/30(土) 20:07:33 ID:mH6f4Nze0
どっちにしろ大和朝廷に至る過程の話でしょ。
218名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 20:09:39 ID:V0eAUJaQ0
お目あての場所に邪馬台国を持ってゆくために、
わざとそらとぼけて倭人伝を読まれるのか、まげて解釈されるのか、
奇々怪々の説が多い。

たとえば伊都国から先の記事を、
東南・奴国→東行・不弥国→南・投馬国→南・邪馬台国
といったふうに解釈するに至っては、どこをどう押せば
こんな解釈が生まれるのか、

おそらくこれは、誰かの読み下し文だけを読んで
漢文が読めない人であろう。

原則として漢文は白文で読まなければならない。

奴国や不弥国は、先の「東南に陸行して五百里伊都国に到る」と同じ筆法で、
「東南百里にして奴国に至る」とも「東行百里にして不弥国に至る」とも書いてはないのである。

ここが非常に重要なところで、この文章は、東南の奴国に行ってさらに東の不弥国へ
向かう意味にはどうしても解釈できない。
何となれば「東南至奴国」に対し、「東方至不弥国」ではなく、わざわざ「東行」と、
「東行すれば」の意味をこめて書かれているからである。
この部分は「東南の奴国に至るには百里」「東行すれば不弥国に至る百里」と読めば理解し易い。

この二国を経由して投馬国へ行くのではなく、あくまで次の
「南至投馬国」「南至邪馬台国」を前提として伊都国から東南に奴国、
東方に不弥国、そして単純に南へ行けば投馬国があり、同じように邪馬台国がある
と書かれているのである。

だから奴国や不弥国へは陸行とも水行とも記されていない。
単に両国の位置と概略を示しているにすぎない。そうなると投馬国や邪馬台国へは
現在の陸地を博多湾からどうして水行できるのかということになるが、
実はそれができるのである。
219名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 20:12:04 ID:KsKfrLDN0
wktk
220名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 20:19:36 ID:ZOcSddO40
>>203
美典が参加してたからな。心理学で学位とった自称歴史研究家が。
これでつくる会のお里が知れた。
221名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 20:23:04 ID:ukLF6cJ80
>>34
俺も魏志倭人伝読むかぎりそういう印象を受けるわ
この「印象」ってのが大事だと思う
222名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 20:23:38 ID:S9SaVagm0
卑弥呼?
卑しいと間違った漢字使われ不愉快だ。
漢民族は卑弥呼の本当の名を明らかにしろ。
     卑弥呼は
     日弥呼だ(たぶん)   <日本民族は日という漢字
     邪馬台国も        を大切にする民族>
     日馬台国だ
弥生人は自国の国名を邪心的な国名にするはずない
漢民族は韓国人に孔子、孔明、孫子、曹操、孫権も韓国人と決め付け
られ怒っているんだろ。だったら卑弥呼と邪馬台国の本当の呼び名を
明らかにしろ。
223名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 20:24:14 ID:j9DAFIyg0
邪馬台国の卑弥呼の墓というと
日本中の利権団体(マスコミを含む)が騒ぐんだが
邪馬台国が昔あったでは駄目なんですか
224名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 20:25:28 ID:xdD83Ssq0
●「青青の時代」 山岸涼子
 小さな島に流れ着き、祖母と暮らす10歳の少女・壱与のもとへ、ある日
 伊都国から狗智日子がやってきて、その祖母は日女子(ヒミコ)の姉だと告げる・・・

●「ナムジ」 安彦良和
 出雲に流れ着いたナムジ(大国主)はスサノオの娘を妻にする。
 スサノオは九州へ軍を進めるが
 邪馬台(ヤマト)国のヒミコに心を奪われ・・・

●「雷火」 藤原カムイ
 邪馬台国乗っ取りの陰謀を企て、卑弥呼を暗殺した魏の使者・張政が、
 十三歳の少女の壱与を新女王にまつりあげようと・・・

●ヤマタイカ
 沖縄県久高島に1700年の時を越えて卑弥呼の後継者が出現し、
 卑弥呼から受け継いだ銅鐸「オモイマツカネ」により増幅される超能力を使い、
 「火の民族」の祭り「ヤマタイカ」を画策する。
 海底から戦艦大和を浮上させ、沖縄の米軍基地を攻撃、第7艦隊と交戦する。
 根底には東南アジアから渡ってきた火の民族である縄文人と大陸から渡来した
 日の民族である弥生人の対立があった・・・
225名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 20:27:24 ID:04XkPmb30
>>204
「烏」が素直と言っても、「烏」の中古音は「ʔo」であり、声門閉鎖音の後に「オ」が付いた音だ。
「を」にあった唇の丸めはない。「お」との違いが十分に表現できるわけではない。
唇の丸めを表現したいがために、oの直前に弱い唇の丸めが入り、子音の響きが弱い
「呼」([hʷo])を用いたと考えられる。

当時の中国語にはwの音がなかったので、日本語のワ行を表すために苦心した跡が見受けられる。
例えば奈良時代の中国人による日本語表記では、
日本語の「ワ」を表すために、「倭」([ua])や「和」([ɦua])のように、
声門閉鎖音のʔやhの濁音ɦといった聞こえの弱い子音を先頭に持ち、
uを介音(子音と音節主音の間に入る音)に持つ漢字を選んできて表記している。

子音がないことを明確にするために「烏」を用いるか、唇の丸めを表現するために「呼」を用いるかは
当時の中国人に取っては同程度に苦渋の選択であって、どちらが素直とかではないだろう。

/k/ と /h/ の合流というのは確かに説明にはなるがかなり場当たり的で無理がある。
はっきりと日本語にハ行音があり、それを表記したと思われる例が他にない。
また日本語の子音は、特に破裂音の場合、時代が下るほど弱化していることから考えて、
[h] から [k] への変化は変化に逆行し考えにくい。世界の言語を見渡してもこのような変化は非常に少ない。
また/w/ が [h] に近かったというのも無理がある。/w/の古形は琉球語の一部に見られる /b/ の可能性がある。
「呼」がh系の子音を持っていたことは、中国語の諸方言、朝鮮漢字音などからほぼ疑う余地がない。

>>215
日本書紀のうち中国人が書いた部分では、「を」は「烏」「乎」「弘」が用いられている。
226名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 20:30:13 ID:udYCa+q+0
卑弥呼は吉備の生まれだよな。
つまり岡山の姫子。
227名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 20:31:21 ID:ZOcSddO40
>>221
という人に限って魏志倭人伝をまともに読んだことがない
228:2008/08/30(土) 20:32:16 ID:mH6f4Nze0
だいたいねえ、卑弥呼どころか世界最大の規模をもつ
古墳を自国に持ちながら「仁徳天皇凌らしい」とか言ってるのは
なんとかならんのw
229名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 20:32:20 ID:04XkPmb30
失礼、>>225の「倭」の発音は[ʔua]です。
230名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 20:32:58 ID:lMY1XXvIO
てか 誰が箸墓が卑弥呼の墓だと言った
231名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 20:33:02 ID:PIY0Aa1M0
八女津姫、や土蜘蛛の見借などの女の大将w(普通なんていうの?)
を抱える九州があうというのはある。
232名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 20:33:03 ID:bVYmR75i0
>>222
日本側に資料がないんだから、どんな漢字が
本当なのかわからない。
元がそう書いてあるなら、その漢字を使うしかない。
蝦夷は、大和朝廷が呼んだ蔑称だからって違う漢字を使うのか?

どうしてもいやならカタカナで書け

旧唐書に、隋に来た使者が
「倭という漢字はよくないから、
これからは国号を日本に改める」
と言ったと記録にある。
ということは、今までは倭を受け入れていたのだろう

233名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 20:35:05 ID:dpKXAlfC0
任那というのはミ→宮 マ→真 ナ→土地 で天皇家の真の土地すなわち
天皇家発祥の地という意味だろう
234名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 20:37:09 ID:CQ2RbXhl0
いい加減北九州か機内かどっちなんだよ!
235名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 20:38:35 ID:tCO92oje0
>>234
宮内庁の管理地を発掘しないと永遠に解けない謎だw
236名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 20:41:10 ID:BMqIqRxK0
大体卑弥呼の時代はまだ漢字入ってきてないのでは
237名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 20:41:36 ID:g+LdVd8n0
>>175>>181
マツダのCMでスンスンとしか聞こえなかったが、実はzoom-zoomと画面
にでて orz となったことを思い出す.
238名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 20:41:41 ID:ukLF6cJ80
>>227
鯨統一郎しか持ってないw
あれの読み下し文を読んでいてさえ途中から妙な「印象」を受けるんだわ
239名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 20:43:05 ID:Dvo9VxrR0
>>34
同感。九州としか思えないね。
馬のいない時代、西日本を統治したとは思えないってこともある。

近畿で大きな遺跡が出る → 邪馬台国の遺跡

と考えるのが単純すぎる。別の地域国家があったんだろう。
240名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 20:44:07 ID:PIY0Aa1M0
お前達は無知だから教えてやるけど
種子島にも女神的伝説があって
ある時女神が赤米の種をもってきたという伝説がある。
ここにも宝満神社がある。
241名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 20:45:41 ID:KhHbQt7X0
>>235
井沢元彦がエジプトのピラミッド発掘を持ち出して
掘れ掘れとか言ってるが、
ピラミッドは今のエジプト人とは、民族も宗教も違う。

アメリカ人にとってのインディアン遺跡みたいなもの。

だから、外人の調査隊がいじくりまわしたって平気。
エジプト人タレント・フィフィも、「エジプト人はピラミッドには
何の興味もない」と言っていた。

もしエジプト最古のイスラム教指導者の墓を
掘り返すとなったら、はたしてエジプト人は許すだろうか
242名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 20:46:12 ID:Dvo9VxrR0
赤米って妙に大事にされてるね。
種子島、対馬、岡山の総社市で、儀式が続いているらしい。
水田稲作の最初の品種だとか、赤飯のもとになったものだとかって説もある。
243名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 20:46:17 ID:SpknBECs0
邪馬台国から大和朝廷確立までの数百年間の歴史ってどうなってたからほとんど分かってないらしいな
244名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 20:48:52 ID:Dvo9VxrR0
>>243
7世紀以前に関しては、日本書紀の記述と、中国側の記述が違いすぎる(王名とか)。
これが奈良時代以降に書かれた中国の歴史書になると、時代をさかのぼって、一致する。
奇妙すぎるんだよね。
245:2008/08/30(土) 20:49:02 ID:mH6f4Nze0
箸墓古墳はずっと以前から卑弥呼説があったわけだよね。
日本で10番目に大きい古墳。


246名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 20:52:24 ID:tCO92oje0
>>241
なんでそうなるかな・・・
国籍日本の日本人が日本の領土内の発掘するのと
アメリカ人がピラミッロ掘るのとはわけが違うだろw
おれ、そこは読んでないけど、それって井沢が勧めてるの?

あ、それから基本的におれは永遠の謎でいいとオモ
子孫といわれている天皇家がきちんとわかっていればね

247名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 20:52:51 ID:ukLF6cJ80
>>241
ちょwフィフィは4歳から日本に住んでんだけど
248:2008/08/30(土) 20:55:14 ID:mH6f4Nze0
1700年前には謎でも何でもなかったのにねえ。
249名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 20:56:15 ID:QUCaUL5A0
「日本書紀」の編纂には、中国から呼んできた
歴史専門家もかかわってるし、
すでに中国の歴史書も日本に伝わっていた。

ところが、神功皇后のところに、
中国の史書には邪馬台国の女王というのがいたとある
などと注釈を入れるくらいが精一杯で
日本側の歴史とまるで噛み合わない。

これは、隠したとかではなく、本当に
日本で伝承されてきた歴史と一致しなかった。
つまり中国側の記録してきた倭と、
その後の大和朝廷はまったく別物と
思った方がしっくりくるのではないか。


250名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 20:59:19 ID:PIY0Aa1M0
九州に住んでるものなら感覚的、直感的、絶対的にわかるものがある
それは本州四国人には絶対に分からない感覚。

それは大分と北九州市などの豊前は
九州ではなく本州四国地域であるという意識。
であるから、本来よそ者的新興国家である邪馬台国は
宇佐などの大分県や豊前・豊後地方にあったと
考えてしまうのである。
251名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 21:03:51 ID:PIY0Aa1M0
本州四国人はバカだから
北九州と南九州に分けられると考えてる、バカだから。
そうではなく九州は準本州である豊前豊後とそれ以外の真性九州地区に分けられる。
この両者はおもくそ色んな意味で違う。
252名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 21:06:02 ID:327f+Q+00
>>220
>美典が参加してたからな。心理学で学位とった自称歴史研究家が。
>これでつくる会のお里が知れた。

そうそう。
心理学をやってれば、レトリックで扇動するなんて簡単だよ。
真面目に学問で議論をしてる考古学者は、心理学のレトリックで返されたら絶対勝てない。

考古学者にちょっとでも綻びがあればそこを突いてきて、
相手がムキになれば、相手の論理を破綻させることは簡単。
で、全体としては正しいのに、1割の欠陥をもって全体が間違ってるかのように誘導する。

読者を騙すのも簡単で、難しい考古学の話だけだと読者も真否を判断できないから、
日本神話を持ち出し、有名な神武東征を利用して、
九州の邪馬台国が東遷して大和王権になったと主張する。
そうすると、古代史を聞きかじり始めたやつは、簡単に引っかかり騙される。

日本神話の神武東征は、紀元前660年という設定だし、
記紀から、実年代を計算しても神武は1世紀の人物になる。
安本は、そうした議論を一切無視するわけだ。


253名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 21:06:20 ID:HsvMVteTO
>>249
歴史は政争に勝った側が書くからね。
現代に残ってるのは事実じゃなくてプロパガンダの類。
倭人伝は他国からの記述な分マシかもしれない。
書いた人の利害に関わらないから。
254名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 21:06:51 ID:KjSCdryE0
>>249
でも一方でヤマトトトヒモモソヒメ=卑弥呼はかなり信憑性があるし
天岩戸=日食もかなりあり得る。
だから、モロ知っているけど誤魔化したかったと考えるのが一番あり得る。
だいたい大国主命だって、早い話が奸計で暗殺されたわけでしょ?
宮内庁があんまり歴史を暴きたくない理由は、そこら辺もあるんじゃないか
と推測する。日本の本当の歴史って、たぶんあまり美しくない。
結構卑怯。
255名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 21:07:16 ID:KMge1KUs0
>2
256名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 21:10:31 ID:PIY0Aa1M0
だってちゃんと記紀にも記載あるだろ、宇佐に拠点をもった神功が
豊前と筑前を隔てる峠(しょうけ越え)を超え隈襲征伐に赴く記述が!
はっきりと本州人が書いた記紀でも豊前豊後とそれ以外の未開の地九州が
分けて考えられているんだよ。
畿内人にとっては豊前豊後は身近な存在だがそれ以外の九州地区は
未開地区で文化風習の違う異民族の土地だったんだよ。
それが倭人伝に記述されてるあの南方風俗の民族なんですよ。
後の隈襲だ。今でも西九州は隈の地名が散在してる。
雑餉隈、七隈など。
257:2008/08/30(土) 21:10:46 ID:mH6f4Nze0
そう、つまりねえ宋の時代になっても倭国伝とやらには
「賛」「珍」「済」「興」「武」の5王の名が記載されているわけでしょ。
どこの国の話だよw
誰だよそれw
5世紀だぞ

258名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 21:11:06 ID:HsvMVteTO
政争に負けた側の歴史が残るとしたら神話や伝承に残る。
政権を持つ者がつくる公式の歴史には載せられないから
比喩、暗喩をちりばめて非公式に伝えるしかない。
259名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 21:12:04 ID:dPHrGP1q0
>>254
女装して近づいて殺した。
姉妹をだまして、父を殺させ、姉も殺して、妹は部下に与えた。
剣をにせものと取り替えて、殺した。
戦う気はないと油断させて殺した。

大和朝廷が「これが我々の歴史だ」と
言ってるものが、卑怯だらけなんだが


260名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 21:12:36 ID:kGQA1NPi0
卑弥呼って漢字表記すると蔑称みたいだよな
261名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 21:13:23 ID:srwBjwZl0
再び定番針

畿内説は考古学者に多く、
九州説は歴史学者、アマチュアに多い。
262名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 21:14:10 ID:Dvo9VxrR0
>>259
卑怯なんて感覚はなかっただろうと思うけど。
大いばりで書いてるし。
敵を倒すのが正義、そういう時代だったんでしょ。
263婆 ◆HKZsYRUkck :2008/08/30(土) 21:15:58 ID:myqH6bVu0
>>249
よし、邪馬台国はフィリピン説だ!
264名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 21:16:39 ID:3N98dThJ0
卑弥呼も神武天皇も孔子も韓国人ですニダ
265名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 21:17:11 ID:Hn52Fqf20
>>254つーか美しい過去をもった国なんてほとんどないだろう。

中国の歴史を美化して偉大なる国〜とか信じてる人が多いから
日本ではそういう部分自虐的に傾きやすいのかな
266名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 21:17:45 ID:srwBjwZl0
さらに定番針

最新の比較言語学の成果によると、日本語と朝鮮語の言語学的距離は最低5000年
267名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 21:19:09 ID:PIY0Aa1M0
記紀には畿内大和と九州との壮絶な戦争があたかも
化け物退治の如く描かれている。
その舞台は断固南九州ではない!
明らかに北部九州の
まさに倭人伝で舞台になってる玄界灘沿岸から筑後川流域の
北部九州主要地域だ。
その背景読み取ればそこに本州畿内政権に滅ぼされた
魏志倭人伝の各国があると思う。
268名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 21:20:17 ID:ezZkwhxA0
>>261
違います
畿内説はほとんどの歴史学者
九州説はごく一部の文献史学とアマチュア、一般向けに新書や歴史系雑誌とかに書き散らしてる連中
269名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 21:21:57 ID:SpknBECs0
金印も怪しいよな。あれって贋作とか、どこかから持ち込まれた可能性って無いの?
270名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 21:22:36 ID:1EBzyyGa0
>>10
墓なんだから、名前と骨
271名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 21:23:42 ID:XA4bZ2390
>>266
それは最新じゃないな
しかもちょっと手を入れてできるだけそれっぽい結果を出したってやつだ
日本語と朝鮮語には共通する語彙がないもんね
272名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 21:24:06 ID:Hn52Fqf20
九州説にしちゃうと
「九州はニダたちのもの。つまり古代から日本はニダたちのものだったんニダ」
とか言い出されてややこしい事態になるのかな
273名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 21:24:08 ID:KjSCdryE0
>>259
出雲系が息を吹き返すとマズイでしょ。怨霊が実体化しちゃうよ。
卑弥呼まわりは特別でシャレにならない。
アマテラスオオミカミはとっても卑怯です、大国主命系が正統で
アマテラスオオミカミ系は権力の簒奪者です、とか。
墓とかへたに詳しく調べたら、そのくらいのことが出てくるかも知れない。
もし出てきたら現実の政治に影響すらしかねない。
274名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 21:24:19 ID:PIY0Aa1M0
倭人伝でいう邪馬台国がどこであったかなんかどうでもよい、
本質ではないからだ。
倭人伝はまさに日本の歴史の始まりを描いたもの
邪馬台国という行政単位がどこにあったかなんかどうでもよいのだ
権力構図がどうで人がどう動いたかそこが分かれば
他はどうでもいいのです。
275名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 21:24:46 ID:fa9WQCO4I
卑弥呼って「日御子」
または「日神子」、
つまり日出処王子ってことでしょ?
276婆 ◆HKZsYRUkck :2008/08/30(土) 21:26:31 ID:myqH6bVu0
>>267
じゃっどん、隼人はやっぱ南九州でごわそう (←なんちゃって薩摩弁)

剽悍な戦士で、大和政権に下ってからは吠声をもって
都人の心胆をびびらせまくったのだ。
277名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 21:26:31 ID:srwBjwZl0
>>271
最新の成果わかればplz
278名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 21:26:32 ID:oo7xHmKD0
日本語と朝鮮語は明らかに別言語だろ。
日本語に似てる朝鮮語ってのは、日本の大陸進出の課程で組み込まれたもんで、
起源は全く違うと思うよ。
279名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 21:27:39 ID:dOuyKdse0
>>254
どの国の歴史だって多かれ少なかれそうだろ?
「道」という時の成り立ちを知ってるか?w
敵の生首を首にかけて通ったから「しんにゅう」に「首」だよ
人間の肉だって中国では普通に食ってたし
280名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 21:27:44 ID:3N98dThJ0
>>278
朝鮮語って中国の皇帝が授けたものじゃなかったっけ
281名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 21:28:02 ID:bMVgEFFr0
>>269
前はあったけど、今はむしろ漢が他の国に
送った印との比較で、信憑性が増した
282名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 21:29:11 ID:KjSCdryE0
>>279
それは話しがずれていると思うが。
283名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 21:29:14 ID:PIY0Aa1M0
>>272
それは邪馬台国が大和朝廷であるという前提だからだろう。
そんな前提は一切考えなくてよい。事実だけを受け止めればよいのだ。

確かに大和はヤマトとは読めない、どっかから借りてきてる可能性がある
だが邪馬台国は確かに大和朝廷に繋がっているかあるいは途中経過の状態だ。
少なくともそれまでの奴国、伊都国中心の倭国とは異なっている。

ちなみに俺は日本列島は当時九州沖縄中心の倭国と
出雲中心の日本に分かれていたと考えている。
前者は中国と交易があり出雲本州四国は高句麗と交流があった。
というか出雲は高句麗の血が濃い。人骨からも読み取れる。
284名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 21:29:47 ID:4UafMXan0
>>273
実際出雲大社の宮司は、代々一族の直系が引き継いで
遡ると天皇家と同じくらい過去まで遡れる
唯一の一族なんだよね。
これってやっぱり、出雲大社建立と引き換えに国譲りをした
出雲王国の王族の末裔なんじゃねーかなって思う。
いわば、天皇家に血筋で対抗できる唯一の存在っつか。
いや、そんなだったら厨っぽくていいなぁって願望もあるけどw
285名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 21:30:04 ID:SpknBECs0
>>281
でも、あんな貴重な品が田んぼの中に落ちてたってのはおかしいと思わない?
286名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 21:30:53 ID:k6wrLW3E0
>>225
3世紀の日本語のワ行音に唇の丸めがあったかどうかは
全くわからないよね。

破裂音が弱化するって、そのまま行ったらどんどん
弱化してなくなっちゃうじゃないか。逆に遡ったら
破裂音だらけになっちゃうじゃないか。
循環もあるんだよ。グリムの法則とか。

あと /w/ というのは「ワ行音」の意味で書いた。
音声と音韻の違い、学者の本を見てもどっちのつもりなのか
よくわからないこと多いから注意すべき。
287名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 21:31:00 ID:Dvo9VxrR0
>>278
音韻が違いすぎるからな。単語もだけど。
288名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 21:32:15 ID:oo7xHmKD0
>>285
でも発見したのは農民だからなあ。
学者先生ならゴッドハンドみたいなこともあるかもしれんけどw
289名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 21:33:06 ID:+MMZmOpI0
>>285
田んぼじゃなくて、志賀島の海岸じゃなかったか

漢が滅亡してしまっては、ただの金の塊で
権力者の権威づけには役に立たない。

志賀島にあった神社に奉納でもしたんだろう。
それが台風で流されて・・・
290名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 21:34:02 ID:PIY0Aa1M0
>>284
出雲は日本でももっとも渡来の形質が強い地域だから
その人達のルーツがたぶん韓国、具体的には高句麗だろう。
291婆 ◆HKZsYRUkck :2008/08/30(土) 21:34:27 ID:myqH6bVu0
>>285
漢王朝瓦解のおりに献帝に玉璽を託された下女が井戸に身を投げた、
みたいな感じ?
292名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 21:35:03 ID:FtyvwhOv0
>>284
出雲系は謎が多いよな。
ヤマタイとかの話になると近畿、九州だが
出雲は殆ど出てこないわりに出雲風土記だの
銅剣だの銅鐸だのザクザクでて来るし…。
これって3すくみ見たいな状態だったのかな?
293名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 21:35:10 ID:327f+Q+00
>>283
>出雲中心の日本に分かれていたと考えている。

出雲は、近畿とは別文化だよ。
四隅突出墳墓は近畿には無い。
四隅突出墳墓のある出雲と越は高句麗と関係あるかもしれないが、日本海沿岸だけの勢力。

>>284
しかし、島根の出雲と大国主は、無関係。
出雲風土記には、大国主は出てこない。

大国主が祀られているのは、丹波国一宮の出雲大神宮で、島根より古い。
島根で祀られている大国主は、もとは丹波国一宮の出雲大神宮から勧請されたもの。



294名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 21:35:39 ID:Hn52Fqf20
>>283なるほど安心した

あと倭人っていうの?
あれは古くは朝鮮半島、今の沖縄と広がっていたと聞いた。
当時の高句麗と人種が同じでもおかしくないんじゃないか。
(高句麗の人種と今の半島の人種は違う)
295婆 ◆HKZsYRUkck :2008/08/30(土) 21:37:32 ID:myqH6bVu0
>>292
んじゃ、あれか?
仮に邪馬台国が近畿にあったとして、那国の王様あたりが
「邪馬台国に行く途中に出雲とか吉備とかありますけど、
あいつら仲悪いんで寄っちゃダメっすよ」
とかアドバイスしたんか?
296名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 21:37:39 ID:4UafMXan0
>>288
ちょ、ちょっとまってw
ゴッドハンドは考古学者じゃないよ〜。
単なるおっさん。でも大発見ばかりするから、学会でも一目置かれていた。
でも実際はあんなんだったって話。
297名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 21:38:12 ID:Dvo9VxrR0
>>293
そうなの?
全然しらなかった。出雲大社より古いって、根拠あるの?
298名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 21:38:16 ID:KjSCdryE0
>>284
それはよく分からない。出雲大社の宮司はアマテラスオオミカミ系なんじゃないの?
怨霊封じをやってる人たちなんだから。
それとも大国主命に心服した仲間たちということになるのか。
299名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 21:39:41 ID:byNlxS7jO
>>1
なんて読むの?
古墳の名前。
300名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 21:39:57 ID:PIY0Aa1M0
>>292
というか出雲が近畿を統治してたわけで近畿に独自の文化なんてなかっただろ。
301名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 21:40:51 ID:3zPLPINQ0
>>292
まあ、邪馬台国以外にも、関東や東北にも一大勢力があってなんの不思議も無いんだけどね。
平らで肥沃な土地に人が住まないわけないし。
302名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 21:40:57 ID:Dvo9VxrR0
出雲の国造は、天孫系でしょ>>298
名前忘れたが、高御結神に使わされたのに、大国主になついて仕えたんだよ。
303名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 21:42:24 ID:FtyvwhOv0
>>295
いや、俺他の人と違ってそこまで知識無いんだ。ゴメン。
でもそういう事がもしあったんならそれこそ中華文献に
乗ってても良さそうなんだが…。
304名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 21:43:08 ID:04XkPmb30
>>286
日本語のここ1400年ほどの一貫した流れとして、「唇音退化」という傾向がある。
唇を使う音が、歴史時代のごく初期から一貫して弱まり続けている。
パ行音がファ行音を経てハ行音になったこと、ハ行音転呼が起こったこと、
ヰ、ヱ、ヲからwが脱落したこと、ウとワの唇の丸めが東日本で弱まっていることなど、
様々な発音の変化が唇音退化によるものだ。
そこから500年遡ると、突如流れが変わりwの唇の丸めがなくなるというのは考えにくい。

子音が弱化していくのはどの言語にもあること。
例えばkが弱化してhになり、gが無声化してkになるなどの変化はよく見られる。
あいた位置に借用語が入ってきて隙間が埋められることもある。
ヨーロッパの言語の歴史にも見られるし、日本語のパ行もそういう状態。

多くの地方でpがFを経てhになっているのに対し、pを保っている沖縄の地域では、
kが弱化してhになっていたりする。子音が弱化してhになり最後は消えていくというのは
世界中の言語で何度も繰り返されていること。例えばスペイン語は歴史上これを4回繰り返している。

まあ、w→hという変化は、純粋に音声的に無理があると思うんだけどね。
そういう変化を起こした言語の例があったら教えてほしい。
305名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 21:43:18 ID:327f+Q+00
>>297
ttp://www.izumo-d.org/history/gosaijin.htm

>『丹波国風土記』によれば、「奈良朝のはじめ元明天皇和銅年中、大国主命御一柱のみを島根の杵築の地に遷す。すなわち今の出雲大社これなり。」と記します。
>よって当宮に古来より元出雲の信仰があります。

島根の出雲大社は、最初は「杵築大社」だった。
丹波の出雲大神宮から大国主を島根の杵築大社に移した後で、
出雲大社と呼ばれるようになったわけ。

だから、出雲風土記にはオオクニヌシは出てこない。
306名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 21:44:19 ID:9fxe/nUA0
神社伝承学だと、
出雲が邪馬台国を征服
その出雲を大和が征服
って感じだっけ。
それなら邪馬台国の痕跡が日本史に残らないのもわかる
307名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 21:45:46 ID:327f+Q+00
>>300
>というか出雲が近畿を統治してたわけで近畿に独自の文化なんてなかっただろ。

違う。
出雲は四隅突出墳墓をつくってたが、近畿は勢力圏ではない。
そのかわり、近畿は巨大銅鐸を作ってた。
出雲には、巨大銅鐸は無い。

文化圏は、近畿と出雲は違う。ここを間違えたら古代史の何もわからなくなるよ。
308名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 21:47:51 ID:AthnGlnf0
ニートのくせにもっと調べろ
309名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 21:48:11 ID:FtyvwhOv0
>>301
他に別の勢力圏あったんなら
なおさら出雲の特別扱いの理由が気になるんですよ。
たかが山陰の一地方ですよね。

>>306
なるほど、そういう理屈なら分からなくも無い気が…。
310名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 21:50:19 ID:Dvo9VxrR0
>>305
その言い伝えが疑わしく感じる。
実際、遺跡があるし、出雲には。荒神谷の銅剣とかも。
大地域名としても残ってる。
それに、出雲大社自体もっと古くからあったとしかおもえない。
現時点での感想だが。
311名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 21:50:21 ID:PIY0Aa1M0
>>307
完全統治とは行かずとも九州よりはかなり親密な関係があったと思うよ。
だって天皇の妻が出雲系だしその銅鐸だって出雲系のものの亜種ともいえて
全く無関係ではないし。
312名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 21:50:29 ID:PpiJuUUb0
ちょっと待ってくれじゃあ宮崎県の高千穂や天岩戸はなんなんだ?
313名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 21:51:09 ID:KsKfrLDN0
>>305

興味深いなあ。「出雲」は丹波起源なのか。
314名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 21:51:15 ID:AthnGlnf0
ヤマタイ  → ヤマト
倭   → 和 → 大和

小日本って言うくらいだから倭を和にして大をつけるくらい想像の範囲内だよな
315名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 21:51:32 ID:z9FcjmYM0
幻神丸なのだー
316名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 21:51:48 ID:4UafMXan0
俺は、九州系と出雲系で大きな大国があったんじゃないかと思ってる。
九州系は天孫降臨の地・日向出身の一族が支配するエリア。
そして出雲系は本州の日本海沿岸エリアを長細く支配っていうか
共通の文化をもっているエリア。
そしてその他に小国もチラホラと。

戦国時代さながらの国取り合戦の時代があったと思う。
でも最終的には出雲と九州あたりで和平模索があったのでは。
それで、お互いの国から人材を出し合って、中立の地?畿内に
統一連立政権を立てたのではないだろうか?

しかしその統一政権はいつしか巨大な力をもつようになり、
母体であったはずの出雲や北九州をも凌駕するようになる。
タタラ製鉄の栄えた吉備を支配下にして製鉄技術を手に入れたり。
これは川の化身ヤマタノオロチを退治して体内から鉄剣・天叢雲剣を
取り出す神話へとなる。
青銅文化の出雲はこれにて降伏。大量の銅製品を捨て国譲り。

九州勢力は抵抗、われこそはお前らの起源。
天孫降臨の日の国(日向国)を擁するんだと主張。
畿内政府、いやお前らのボスはもうこっちに来たし。
うちらこそ本家。日の国の本家。日本だよ。
とヒノモトと名乗るようになる。
磐井の乱など、九州勢はこの先ずっと抵抗。
表面上は大人しくしても実際は秀吉の九州平定まで
完全支配はできなかった。

しかし明治維新で薩摩はついに徳川に勝ち、薩摩閥は現代にいたるまで
日本の中心でい続けている。

なんて妄想。
317婆 ◆HKZsYRUkck :2008/08/30(土) 21:52:39 ID:myqH6bVu0
>>298
鳥越健三郎先生の「出雲神話の誕生」によると、
その宮司さんの祖先の出雲国宮造が、朝廷と取引きして
日本書紀の国譲り神話を合作したらしいぞ。

>>303
いや、なんとなく聞いただけで俺もよく知らんの。
ごめん。
318名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 21:52:45 ID:G/wBECW00
>>261
数から言えばその通りだが、君は彼らの説を読んだことが有るのかね?
何れも荒唐無稽だよ。
319名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 21:53:35 ID:mT7gBsfd0
>>312
日向や北九州の地名ってのはあと付けだってよくいうがな
つまり九州にあった勢力が大和に移った際故地の地名を大和に移植したのではなく、
そういった伝説が作られた後それを補強すべく大和の地名を九州に後付けて名づけたと
320名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 21:53:56 ID:4UafMXan0
出雲って今でこそ島根県のことだけど、
昔の出雲王国っていうか出雲文化圏って
日本海沿岸に新潟のあたりまで広がってたって
見解はおかしくないよね?
四隅突出墓なんかがそんな分布だったような
気がするんだけど。
321名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 21:54:00 ID:c8q+ebZE0
>>312

宮崎を「日向」と名付けたのは
景行天皇が九州へ行ったときと古事記に書いてある。

では本当の日向はどこか。

九州で、「日向」とつく地名の一覧
http://www.hisatuhime.com/1-himuka.html

宮崎県には、延岡と日向市の2ヶ所しかなく、
九州北部に集中している。

日向とは、日に向かった所。
これらの中心に日がある
と考えると、それらを線で結ぶと大分県の日田が浮かび上がる。

さらに日田は、宇佐・中津と隣接している。
http://www.pref.oita.jp/10103/yolozu/feature/050731/tokusan.html

宇佐神宮は神道のルーツとも言われ、卑弥呼の墓説まであるところ。
中津は天孫が降臨した豊葦原(とよあしはら)の中国(なかつくに)こそ、
この豊前(大分)の中津ではないかという説もある。
322名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 21:54:53 ID:PIY0Aa1M0
>>306
>>309
時代的にはもう大和政権が出雲を呑み込んでるかあるいは
出雲は影響力の無い時代です。
崇神、四道将軍の時代は倭人伝の少し前です。
四道将軍の時代が大和が出雲を呑み込んだ時代だと考えています。
倭人伝に出てくる大倭は四道将軍の軍隊だからです。
323名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 21:54:54 ID:Dvo9VxrR0
宮崎は全く関係ないと思うんだけどねえ。
只の名称の一致では?
324名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 21:55:14 ID:GeM/2H7y0
卑弥呼とか邪馬台国とかの漢字があれなのは理由があるのか
325婆 ◆HKZsYRUkck :2008/08/30(土) 21:57:01 ID:myqH6bVu0
>>323
むかし高千穂に旅行に行って神楽を見たんだが、
根拠ないけどただならぬ雰囲気だったぞ。
あそこは何かあるね。うんうん。
326名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 21:57:15 ID:z9FcjmYM0
お前ら詳しすぎて全然ついていけないww
ここだけ完全に民族神話板のスレになってるな
327名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 21:58:07 ID:327f+Q+00
>>310

しかし、出雲風土記にオオクニヌシが出てこないのは事実だよ。

>>320

その見方は正しい。
しかし、オオクニヌシではなく、スサノヲの領域ね。

スサノヲの領域=出雲
オオクニヌシの領域=丹波

スサノヲの娘を娶ったのがオオクニヌシで、
オオクニヌシはスサノヲ直系の子孫じゃないってことも覚えておいてくれ。
328名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 21:58:29 ID:4UafMXan0
>>324
さすがに漢字は定説どおり、
単なる当て字なんじゃないかなぁ。
329名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 21:58:32 ID:SpknBECs0
邪馬台国や大和朝廷時代の古墳から人骨が出たことってあるの?
330名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 22:01:37 ID:e5kdJyWd0
中国の史書でも「旧唐書」になって、
初めて、「倭国伝」と「日本伝」に分かれる。

倭国伝では
>倭国は古の倭奴国なり。
>新羅東南の大海の中に在り。山島に依って居す。
>世々中国と通ず。

倭国は、かつて漢の光武帝から金印をもらった倭奴国のことで
代々、中国と通じてきた。

一方、日本伝では
>日本国は倭国の別種なり。
>其の国、日辺に在るを以って、故に日本を以って名と為す。
>倭国自ら其の名の雅ならざるを悪み、改めて日本と為す。
>日本は旧小国、倭国の地を併せたり

日本国は倭国とは別種。
もともと小国だったのが倭国の地を併合して、
倭という名前はよくないから、日本と改めた。

それぞれの領土についても書いてある。

倭国
>四面に小島、五十余国があって、みな倭国に属している。

日本国
>西と南は大海に達し、東と西は大山に達する。
>山のむこうは毛人の国である。

この描写を見ると、倭国は九州、日本国は本州とイメージされる。
日本が倭国の地を併合したというのは、本州にあった倭国領土を合わせたということだろうか。
331名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 22:35:13 ID:KjSCdryE0
>>283
イザナギとイザナキの結婚ってのは同盟関係のことなんじゃないのかとか思うんだけどね。
イザナギが日本でイザナキが高句麗とか。んで海の向こうの高句麗とかが根の国(黄泉国)の
ことで。イザナギとイザナミとの離婚というのは同盟関係の破棄のこと。
日本は一時同盟回復をしようとして使者を高句麗へ向かわせる。しかし、もはや
高句麗も政治情勢が変わりケンモホロロだった。むしろ戦争になりかけた。
(=イザナギが黄泉国に言ってイザナミと会う)
出雲系は同盟破棄に反対した。(=スサノオがイザナミのところへ行くと駄々をこねた)
で、アマテラス系に、同盟を回復せよと迫った。アマテラス系にはそれが戦いを挑んでいるように
見えた。
こんな感じでみたら、結構現実の政治と記紀とは符号しないかな。

大体、スサノオが母親に会いに行くと駄々をこねるとかwww
母親じゃねーだろが。
332越の八口 ◆8Mouth1arg :2008/08/30(土) 22:35:46 ID:mdfK80pO0
>>327
オオナムチ出てくるじゃん
333名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 22:39:01 ID:KjSCdryE0
>>332
つーか記紀によると大国主命はスサノオの直系子孫なんだよね。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/b3/Susanowo_family_tree.png

もーね。わけわからん。
334名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 22:45:17 ID:K/7N0JXh0
>>25
天の岩戸と皆既日食は関係ないというのが通説です

天の岩戸は新嘗祭一部である鎮魂祭が由来
335婆 ◆HKZsYRUkck :2008/08/30(土) 22:49:26 ID:myqH6bVu0
>>327
オオクニヌシって、西は九州宗像三女神の次女から、
東は越の姫川のヌナガワ姫まで、日本海沿岸をまたにかけた
モテ男だよな。
336名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 22:50:30 ID:Dp1r1dst0
>>114

238年 卑弥呼が初めて魏に朝貢

240年 梯儁が倭を訪問。「親魏倭王」の金印等を賜う

247年 邪馬台国、狗奴国と戦争状態。

  卑弥呼は魏に援軍を要請。
  魏は張政を邪馬台国に派遣

248年 卑弥呼死去。

  男王が継ぐが内乱になり、1000人以上が死ぬ。

  13歳の壱与を立てておさまる。
  張政は、壱与に檄をもって告諭す

266年 張政帰国。一緒に壱与の使者も同行して朝貢

張政は、卑弥呼→内乱→壱与の
ちょうど移行期を見ていたことになる
337名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 22:50:33 ID:2RxGIEZgO
248年の皆既日食は石川県の加賀地方でも見えた、
という古代天文学?の本を13年ほど前に読んだ。
名前忘れたけど。

338名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 22:52:34 ID:KjSCdryE0
>>331
×イザナギとイザナキの結婚
○イザナギとイザナミの結婚
339名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 22:53:36 ID:PpiJuUUb0
このスレを読んでる人は宗像教授を読んでたりするの?w
興味があれば聞いてみてくれ

武田鉄也 ラジオで宗像教授を熱く語る
http://www.nicovideo.jp/watch/sm3459659
340婆 ◆HKZsYRUkck :2008/08/30(土) 22:54:03 ID:myqH6bVu0
>>337
江戸時代の加賀で見えたのなら、思いっきり記録に残ってると思うぞ。
341名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 22:55:23 ID:AthnGlnf0
2chはニートのバカっばりじゃないのかよ 
342名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 22:55:43 ID:AJOBWtPh0
>>273
もう当たり前のことと思っているわ。
大国主命が大和の国魂(戦艦大和の船内にお祀りしてあった天照大神は
実は男神の本物の方。戦前の日本人は実は知っていたかも。)
百済系のヤマト朝廷侵入者が編纂した記紀に
実在を抹殺されたでっち上げ女アマテラス。

1300年近くも日本国民を騙してきたなんて許せないわ。
1800年前に本物を乗っ取った側も許せない
343名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 22:58:46 ID:o/6UEQYu0
453 :日本@名無史さん:2008/03/24(月) 12:17:35
古文献(記紀、旧事紀、姓氏録)では、畿内の氏族の9割以上が
九州の出身としていますよね。
畿内の自生勢力がこのような伝承を残すのも変ですね。

795 :日本@名無史さん:2008/01/19(土) 08:40:19
>>794
ついでに書いておくと、西暦200年頃の北部九州の人口は4万人。南部は6.5万人
と計算されている。ちなみに、畿内は3万人。
ただし、これは遺跡の数から推定されているが、その遺跡は関東地方の遺跡の
規模を元にしているそうである。近年、吉野ヶ里遺跡など九州では大規模な
遺跡が出ているので、九州の場合は、もっと多かったということも言われる。
344名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 23:00:40 ID:ysk9U+oU0
ハレー彗星、685年の接近は、「日本書紀」にはっきり書いてある。

ところが不思議なことに、760年の接近は、
「続日本紀」に、何ひとつ書いてない。

この年にハレー彗星がやって来たことは、中国の書物に、
観測できた期間や、星座上の位置、大きさまで、はっきりと書いてあるのに、
日本の正史は完全に無視している。

その次から後の出現の記事は「日本後紀」などにすべて正確に書かれているのに、
奈良時代の接近だけが除外されている。

これはいったいどういうことだろうか?
345名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 23:02:20 ID:AJOBWtPh0
「出雲抹殺の謎」 関裕二
346婆 ◆HKZsYRUkck :2008/08/30(土) 23:05:55 ID:myqH6bVu0
>>343
そういう推定って、もちろん誤差の検証はされているんだろうけど、
なんかあやうい気がするんだよな。やっぱり開発の頻度に依存する
気がする。

俺の住んでるあたりは新幹線工事でたくさん遺跡が見つかったので、
あたりまえだけど、遺跡の分布が新幹線の路線と一致する。
それを見て「うむ、やはり新幹線路線は古代からの交通の要路だったんだな」
みたいなことを言った人がいるw
347名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 23:07:14 ID:zGjmcw1Z0
おもしろいスレだなあ

もっと書き込んでくれ

この時代の話はいいよね

俺的には手塚治の火の鳥黎明編とかヤマト編とかが好き
348名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 23:09:57 ID:AJOBWtPh0
>>293
出雲大社の最初の祭神は大黒(大国主)さんじゃなくて、
スサノオノミコトだから。
349名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 23:13:11 ID:OAQyv/l/0
そう言えば去年NHKで邪馬台国の番組をやってたが、
九州在住者の95%が九州説支持で、おまけに九州出身の
上田早苗アナが熱心に九州説を支持していた。

九州って九州説しか教えていないのか?
350婆 ◆HKZsYRUkck :2008/08/30(土) 23:14:07 ID:myqH6bVu0
>>760
歴史学者はそれを見てダイナミクス(政変による焚書とか)を想像するんだろうし、
気象学者はそれを見て「760年は長期にわたって雨が続いたのかも知れない」
とか思うんだろなw
351これが真説だよ!:2008/08/30(土) 23:15:12 ID:g7ZHK29lO
箸墓は卑弥呼の墓に間違いないが、邪馬台国は九州にあった。
卑弥呼は最初九州に葬られたが、後に大和に改葬されたんだよ。
352名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 23:16:08 ID:SpknBECs0
墓なのに骨が出ない不思議
353名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 23:17:18 ID:Dvo9VxrR0
>>336
中国の使者は、邪馬台国に来ているんだよね?
瀬戸内海などの記述が無いのが不審だと古田武彦が言ってたたな。
354婆 ◆HKZsYRUkck :2008/08/30(土) 23:19:59 ID:myqH6bVu0
>>353
ですよねですよね。
ふつう、瀬戸内を水行したら、鞆か吉備に寄るじゃろと。
てなことを前スレに書いたら、「鞆は読み的に投馬国じゃね?」という
レスがあって、それはなるほどと思ったのだった。


>>350
年号にひきずられて>>760なんて書いちまった orz
>>344へのレスだよ。
355名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 23:20:10 ID:5+lKl1Q+0
九州の人間は
「土台掘ったら昔の遺跡みたいなのいっぱい出てきたっちゃけど、そげんなの国や県に報告しよったら仕事進まんもんねぇ」と言うのを
毎日聞いてるから
356名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 23:20:48 ID:AJOBWtPh0
>>284
大社宮司系より古いのが物部系の方が
出雲族の奈良の大王より早く枝分かれしてるし。穂積とか海部とか
血筋は今の天皇家より確実だし。
357名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 23:23:50 ID:AJOBWtPh0
>>349
一般の九州の人は置いておくとしても
どうしても出雲から眼を逸らしたい勢力があるみたいよ。
358名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 23:29:24 ID:hVrM8PZjO
これって三国志の時代?
359:2008/08/30(土) 23:30:04 ID:mH6f4Nze0
 やすみしし 我が大君の 食す国は
  大和もここも 同じとそ思ふ

by 大宰帥 大伴旅人(万葉集巻六・九五六)

(わが大君のお治めになる国は、大和も筑紫も同じだと思う)
360名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 23:31:09 ID:/G/VJU+50
ヒミコミコミコ
ヒミコミコミコ
忍法!(ry
361名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 23:31:31 ID:PpiJuUUb0
>>355
北部九州だけど山とか掘ると勾玉とかが出て来るんだよ
近所の神道を信仰してる人がそれ家宝にしてた
じいちゃんの話だと役所とかに報告すると面倒なんで遺跡が出ても無視してたらしい
戦後すぐの話だけど
362名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 23:31:57 ID:KjSCdryE0
邪馬台国=アマテラス系
狗奴国=出雲系
という線はないかなあ。
クナはクニで大国主命のこととか。
363:2008/08/30(土) 23:33:52 ID:mH6f4Nze0
九州→京都→東京(江戸)
364婆 ◆HKZsYRUkck :2008/08/30(土) 23:35:04 ID:myqH6bVu0
>>359
本音(クソ田舎に来ちゃったけど、ポジティブシンキングでがんばろう)
3651000レスを目指す男:2008/08/30(土) 23:36:57 ID:9wDf00c90
まあ正直、違うと思うよ。
大体、大陸からの侵略なしには古墳なんてありえないじゃん。
半島人の墓じゃないかな。
366名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 23:39:26 ID:327f+Q+00
>>332
出雲風土記にとオオクニヌシが出てこない理由は↓のサイトが詳しいよ。
ttp://www.ten-f.com/ookuninushi.html

>古事記と並んで天平時代に日本各地で編纂された風土記が神話などを学ぶうえで大切な書物であることは先にも述べましたが、
>8世紀前半に国ごとに作られた風土記で、ほぼ完全な形で現在まで残っているのは『出雲国風土記』だけなのです。
>そして、一番肝心な、というか不思議な点は、

>  出雲風土記の中にオオクニヌシは一度も出てこない

>というところにあるのです。
>一体、オオクニヌシは、本当に出雲のカミサマなのでしょうか?
>それとも、違うのかな!分らないときは、どうするか?−−風土記を読めばいいのです。
>ただ、漢字ばっかりで味気ないこと、この上ないので、例によって筋書きだけ、それも関係のありそうな処だけ抜き出してみます。
>出雲国風土記には、一体どのように書かれているのか…。

> 1 『八雲たつ』と言ったのはヤツカミズオミツノミコトである

> 2 出雲の国を造ったのもヤツカミズオミツノミコトである

> 3 越の八口を退治したのは、オオナモチノミコトである


367名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 23:42:06 ID:by+RFXJu0
>>354

>自女王國以北 其戸數道里可得略載 其餘旁國遠絶 不可得詳。

女王国から北は、その戸数、道里をわずかに記載できたが、
それ以外の隣国は絶遠しており、詳細を得られなかった


つまり今まで書いてきた国の南に女王国があるってことじゃね。
投馬国も含めて
368名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 23:44:15 ID:z1ImPttS0
おまいらのその知識欲
何とか世の中に使えませんかね。
369名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 23:46:08 ID:nuVod9LCO
>>353,354
魏の使者である張政は邪馬台国まで行ってない。
伊都国(福岡市)までしか来てない。
370名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 23:47:22 ID:mH6f4Nze0
『日出處天子致書日没處天子無恙云々』

やあ、元気かい?
日本だよ。
知らなかっただろ?
371名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 23:49:34 ID:KjSCdryE0
>>366
オオクニヌシはアマテラス側から見た出雲だからじゃない?
記紀では全部いしょくたなんでしょ。スサノオも出雲風土記では
あまり登場しないらしいし。
372名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 23:49:55 ID:uzli6T8A0
今日の朝の2で終るかと思ったら3までいってる
しかもまともなレスばかり
2ちゃんも変わったなあ

ところで、素人の考えで悪いが
ヤマタイコクって二つの国という可能性はないの?
チェコ・スロヴァキアみたいな感じで
373婆 ◆HKZsYRUkck :2008/08/30(土) 23:51:27 ID:myqH6bVu0
>>366
鳥越先生(>>317)は、そこらへんの事情について、
 ・朝廷は「征服の伝説」を欲した。
 ・出雲国宮造は出雲の保身をはかった。
という利害の一致で説明してるよね。
結果として出雲大社が作られたと。

>>367
でも投馬国から南に10日水行したら邪馬台国だよね。
もちろんその「南」があやしいんだけど、同じ人が書いた文章の中の
方角は、さすがにそろってる気がする。
374名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 23:53:10 ID:0qK1NbODO
もう盗掘されてるんだろうな
375名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 23:54:35 ID:dOuyKdse0
>>372
変わってないよ、学問板にいってみな
大学の院生、博士、学生がいろんなレスを書いてる
2ちゃんが低学歴のヒッキーばかりなんてマスコミが撒き散らした噂
376名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 23:54:50 ID:m/Arxqgb0
>>369
卑弥呼は、明らかに魏の威光を借りて
統治を強化しようとしてるよね。

なのに、その使者を伊都国で止めとくかな。

ましてや壱与にいたっては、
首都に連合してる各国代表を集めて、その前で
張政に、壱与の王位は魏が認めると
パフォーマンスしてほしいんじゃないの
377名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 23:56:22 ID:NZhgyyRV0
二十年ぐらい前は九州説の方が優勢だったのになあ
漫画やゲームに出てくる邪馬台国はほとんど九州だったし
378名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 23:56:42 ID:mB6RrJNcO
>>372
邪馬台国を東南アジアまで飛ばしちまおうって魂胆だな。
379名無しさん@九周年:2008/08/30(土) 23:58:33 ID:rXQ+2o7PO
卑弥呼やらの時代はどんな言葉使いだったんだろうか。
みんな真面目だったのかな。おちんちんびろーん!!とか言って
おどける愛すべき馬鹿はどの時代にもいてほしいものだな。
380名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 00:01:56 ID:b/ATo5Q6O
>331
そんじゃオルペウスはどこの国?なんつって。
そういう風に政治の経過を神話で比喩的に語っているのだとしてしまうと
古代日本と古代ギリシアが全く同じ政治環境をもっていたということになっちゃうんじゃないの。

あとスサノヲが一旦拠った国として紀の一説に出てくるのって
高句麗じゃなくて新羅だったとおもうよ。
381名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 00:02:41 ID:fJmY/nS50
ここさ〜、肝心の畿内の池上曽根遺跡とか大和マキムク遺跡の話を
知ってる奴もいないんか?w
邪馬台国以前の畿内の遺跡だぞ
やたら九州や出雲の話しかできない奴ばっかりじゃんw
382名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 00:03:00 ID:HlVIJn4P0
>>372

宇佐八幡研究の第一人者の中野幡能は、
豊前国の下毛郡(大分県)と上毛郡(福岡県)の一帯に
『山国』(やまくに)という国があったとしている。
ちょうど山国川をはさんだ両岸の一帯。

その北方には『豊国』(とよくに)という国があり、
この二つの国が合体して、『山豊国』(やまとよこく)ができ、
それが邪馬台国だった
という説を出している。
383名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 00:04:28 ID:ldeJVXTX0
豪族の墓跡ってだけで卑弥呼の証拠なんてないんだろう?
384婆 ◆HKZsYRUkck :2008/08/31(日) 00:04:38 ID:+QGRFG+L0
>>376
でも、倭人伝の記述はあきらかに伊都国までと以降では違うよね。
そこで「壱与=バカ娘説」を唱えてみる。

側近「そろそろ魏からの使者の方々がみえますぞ」
壱与「何よそれ、バカにしてんの?」
側近「でもしかし、魏は大国ですし…」
壱与「うっさいわね。戦争よ戦争!」

そこで窮余の策で使者の足止め作戦が決行されたのだった。
そこが今の福岡中洲。
385名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 00:07:37 ID:cp2gn+a50
>>379

男子は大小関係なくみんな髭面、イレズミをしている。
海に潜って魚や貝を取り、イレズミは身を守るおまじないでもある。

その風俗、淫らではなく、男子は皆もとどりのままで
冠の代わりに木綿を頭にかけて、
服は幅の広い布を巻きつけるだけで縫ってはいない。

女子は髪を結い、一枚の布の真中に穴をあけて頭を通して着ている。

倭地温暖。冬でも夏でも生野菜を食べ、はだしである。

家はあり父母と兄弟は寝るところが違う。
朱丹を体に塗っているが中国人がおしろいを塗っているようなものだ。
食事は高盃に盛って手で食べている。
集会などの会合の席順は父子男女の別は無い。皆良く酒を飲む。

身分の高い人を敬うときには拍手をし、これが最敬礼になっている。
身分の低い人が高い人と道で出会ったときには、後ずさりして草の中に入り、
何かを伝えたいときにはうずくまったりひざまづいたりして、
両手を地に付けて物を言う。
返答は”アイ”と言う。承諾した事のようだ。

「魏志倭人伝」
386名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 00:07:41 ID:ZtcvVa6O0
>>379
それなのよね
色々な言葉が話されていたという話。
通訳が必要だった。
後漢書?ソースを明確に思い出せないけど、
書かれているそう。

それが7世紀になり日向系大和朝廷による中央集権が始まってから
駆逐されていったらしい。
387名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 00:09:29 ID:fJmY/nS50
なぜ邪馬台国九州説が廃れていったのかというと
近年大和で邪馬台国以前の大きな弥生集落の遺跡の研究が進み
畿内で邪馬台国より以前に後の大和朝廷の天皇家の祭祀の痕跡が発見されてるからなんだよ
そこをすっ飛ばしてみんないきなり九州だの、沖縄だの、出雲だの
今までのトンデモ本の受け売りで議論を展開してるからおかしなことになる
388名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 00:11:48 ID:rBMbpT+i0
>>361
北部九州だとよくある話。
役所に届けると「新発見だ!貴重な考古学的発見だ!」とややこしくなって
金にならないから黙っといてそのまま埋めてしまう。
今でもそうだよ。
389名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 00:12:25 ID:gubkcNjUO
劉備って中華を乗っ取ろうとした邪馬台国の工作員で倭人なんだぜ
390婆 ◆HKZsYRUkck :2008/08/31(日) 00:13:06 ID:+QGRFG+L0
>>385
>倭地温暖。冬でも夏でも生野菜を食べ、はだしである。
>集会などの会合の席順は父子男女の別は無い。皆良く酒を飲む。

良いところだよねぇ…。
なんかやっぱり、沖縄みたいな南国系の気質を感じる。
391名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 00:16:13 ID:gxEZJTrM0
刺青なんて九州の風習だろ。
やっぱ畿内説は無理がある。
というか畿内には別のすごいクニが
出来つつあったのだよ。
392名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 00:16:46 ID:phVzss6g0
ヒミコは俺の嫁
393名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 00:16:54 ID:MibuIPdk0
>>389
mjd?
394名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 00:19:52 ID:ohJPuIBo0
>>386
そもそも日本列島のような環境で、元々均一な言葉が話されていたというのは到底考えがたい。
ヨーロッパ人渡来以前のカリフォルニアやオーストラリアのように、
親族関係もよく分からないようなまるで違う極めて多数の言語が狭い範囲に錯綜して分布するというのが
本来の人類の言語の分布状態だった。氷河期頃の全世界の言語数は約3万という推定もある(現在は約6000)。
インド・ヨーロッパ語族のように、親族関係のある言語が広大な範囲に分布しているというのは
ここ5000〜6000年ぐらいの現象。様々な語族の祖語が話されていた時期も大体このぐらいの時期になる。

少なくとも、縄文時代以前は、日本列島には様々な、例えば10ぐらいの、
ほとんど無関係で意思疎通不可能な言語が分布していたんだろう。
氷河期以後の長い孤立状態の中で分裂や消滅を繰り返していたに違いない。
その中には後の日本語やアイヌ語に繋がる言語もあったかもしれない。
そして、2000年前前後のどこかで、日本祖語を話していたある一つの集団が、
何らかの要因(技術革新か何か)で突如力を持ち、数百年という短い時間単位で
琉球諸島から東北南部まで一気に広がり、多くの言語を絶滅へ追いやった。
ただ、8世紀とかそのあたりまで、消滅せずに残っていた言語があったかもしれない。
それが熊襲語や隼人語だった可能性もある。またアイヌ語も同じパターンかもしれない。
395名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 00:20:04 ID:qQIwvouq0
>>380
新羅ってモロ日本と高句麗の途中じゃん。
それに、別にイザナミ=新羅でもいいよ。
396名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 00:21:03 ID:/D42MXsT0
孔明の子孫が生きてる村に行って
何か書物ないか探してきてよ
397名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 00:21:06 ID:pGnuX0ey0
>>381
前スレで少し
398名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 00:22:06 ID:ZtcvVa6O0

神代文字総覧

巨石に彫られた神代文字らしきもの。
山歩きの際、私も偶然見たことがある。
写真を撮っておかなかったことが残念。

http://www.page.sannet.ne.jp/tsuzuki/sinmoji.htm
399名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 00:22:12 ID:h6bW11ax0
>>382

じゃあ、「豊国」は、今の山口になるね。
400名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 00:23:20 ID:gxEZJTrM0
そういや鏡の話もあんまり出てこないな。
401名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 00:23:42 ID:pGnuX0ey0
967 名前:名無しさん@九周年[sage] 投稿日:2008/08/30(土) 03:33:24 ID:jsE5pgH+0
学会はもう邪馬台国論争とかやってないんじゃないの

基本的に考古学をベースにした研究に移行していて
いわゆる邪馬台国の時期に広域首長連合な王権が
纏向にできてたことまではおおむね一致してるように聞いてるが

つまり、どうプレ大和王権みたいなものから大和王権ができたっかて話が問題で
すでに学会は「邪馬台国」にはすでにこだわってないが強いて言うなら畿内説。
九州説はアマチュアの好事家しかいないとか

吉備ほかの各地のクニというか広域首長連合はどう
大和王権に吸収されて行ったかって流れでは面白いんじゃない

978 名前:名無しさん@九周年[sage] 投稿日:2008/08/30(土) 09:29:08 ID:jsE5pgH+0
>>977
それしかないから根拠にされてる中国文献の比定ばっかり
しててもしょうがないじゃないってのが前提なんで、どうでもいいってことになるんでは・・・

マキムクに都市を新造したプレ王権というか広域首長連合の範囲は
東西だと東海から阿波に及んでることは確認されてるようです
瀬戸内航路とか北九州などの影響圏はどうなってんでしょうね
402名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 00:24:19 ID:Z9ODinci0
>>395
新羅とか高句麗とか、イザナミイザナギはいつごろの話?

それより古い弁韓・馬韓・辰韓時代の邪馬台国は
日本史以前ってことかい
403名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 00:24:29 ID:ZtcvVa6O0
>>387
トンデモ本の最たるものが日本書紀と古事記では。
あれは神話でしょう
404婆 ◆HKZsYRUkck :2008/08/31(日) 00:25:46 ID:+QGRFG+L0
>>386,>>394
網野先生によると、中世になっても五島の漁師と済州島の漁師とは
日常的に交流があったみたいだし、近代国家的な「明確な国境線と
その内側の言語の一致」みたいな意識は少なかったんだろうね。
405名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 00:26:19 ID:K2cXNtOSO
>>386
二十数年前、東京に就職で来たが
言葉が全く違って驚いた俺。
406名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 00:27:53 ID:gmey+MavO
>371
記に出てくる因幡のウサギの話やら、兄弟の八十神に何度も殺されてそのたびに神産に活き還されて美男子になるような話は紀にはないし
親すら記と紀では異なっていたかと思う
スサノヲや大国主の話をするときに<記紀>と纏めてしまうのは違和感。
(あとどちらでも、タケミカヅチとかには大国主は殺されてない)

>395
あくまで一説なだけだけどね。
高天ヶ原から追い払われたあと一旦拠って、ここは嫌じゃとかいって出ていったような。
(スサノヲ系が新羅との同盟を迫るという話にするにはおかしなことになるね。)
407名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 00:28:00 ID:+Q0NIhQwO
日本の歴史なのに分かんないことが多いんだね。
408名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 00:29:52 ID:q3HGFtyf0
>>404
江戸時代の済州島民は日本語をしゃべっていた。
官僚は朝鮮語だったはずだが。
409名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 00:29:57 ID:giMWL4U30
お約束でw

卑弥呼には昔ずいぶんお世話になったw
410名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 00:31:59 ID:cmAq5A2YO
なんか、頭の良さそうな人がこんなにいる事に唖然。
411名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 00:34:12 ID:WJ8nd3680
>>383
無いよ。ただ卑弥呼の時代にこの列島で最大規模の勢力の墓なのは確かなんだ。

それを卑弥呼と呼ぶか別の大勢力が居たと言うかは別物だけどね。

>>394
それ以前の問題だろ、九州北部の島ですら、自分達が倭の南端だと言っている。
都市国家の時代に倭なんて1つの帰属意識は無い。邪馬台国も多々有る国家の1つでしかない。
百済も数百ある言語も違う国家を中国人が分類しただけだ。更に南に居る連中を倭人と呼んだだけ。
倭人の定義では、明らかに中国南方の東南アジア連中も中国人は倭人と呼んでいる。

実際に中国は、当事には朝鮮から下に倭は九州・沖縄・台湾・東南アジアへと中国沿岸の南に続いていると信じていた。
412婆 ◆HKZsYRUkck :2008/08/31(日) 00:35:15 ID:+QGRFG+L0
>>408
たぶん、五島でも済州島でも、長いことバイリンガルだったんだよ。
それぞれの国の役人とは話さなきゃいけないし、海に出たら
こんどは海のつきあいがある。そこに黄海の漁師も加わって、
環東シナ海文化圏みたいな感じかと(そこが倭寇の舞台)。
413名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 00:36:03 ID:qQIwvouq0
>>406
新羅は高句麗に隷属していたから、新羅まで取りあえず行ってみて
宗主国のご機嫌を聞こうとしたら断られたから、「気にいらん。もう同盟はやめた。」
ということかも知れない。
あと、記紀でいうスサノオを1人の人物と考えるのは無理がありすぎると思うんだが。
出雲の連中くらいの意味じゃないの?
414名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 00:37:16 ID:co8n3V570
出雲の謎を知りすぎると、もうここでは書けないことが多い。
それを書いていいものなのか判断に迷うし、たくさんのことがあって何を書くべきか迷うことが多い。
いずれにしても、すべて現地に行き、しつこいぐらい自分の目ですべて確認するべきだね。
現地に行けば、古代の目線に立ち、自分の歴史観をそれなりに構築できるはずだ。
本読んだだけで、ああだ、こうだ、というものほど、虚しいものはない。

今日も読売新聞に、11月1日から始まる映画『まぼろしの邪馬台国』の宣伝が大きく掲載してあり、
これを推薦しているのが、長崎県、熊本県、佐賀県、福岡県、
長崎市、島原市、イセ早市、雲仙市、南島原市の九州連合となっている。(主演、吉永、竹中、柳原、窪塚、他)
これらの九州連合に対抗するため、関西側(奈良県他)が対抗したと見るのが妥当だと思うけどね。
そういえば昔の卑弥呼のキャストはたしか出雲(米子)の司葉子だったような・・・・w

415名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 00:39:15 ID:l6hYh7CL0
卑弥呼でておいで。
416名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 00:39:59 ID:F8o+Ti1I0
せんとくんが迷惑そうに↓
417名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 00:40:11 ID:W/5383uh0
>>414
もったいぶらずに教えてほしい。それが真理にたどり着いた者の義務だと思うよ。
たとえそれが我々にとって受け入れがたいものであっても、君はそれを公表すべき
だと思う。
418名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 00:41:22 ID:v9PGapUyO
>>5
市内にジャスコは別の所にあるし
ヤマダは隣の市だけど車で15分位の所にある
と地元民が言ってみるw
卑弥呼じゃないけど、
昔聖徳太子の家が見つかったとか言って騒ぎになった。
結局違ったみたいで今は普通に住宅地だわw
419名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 00:41:38 ID:gmey+MavO
>413
じゃあスサノヲ系の人たちが自ら新羅を切ったってことになるので、結局>331の説は意味消失だね。
420名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 00:41:45 ID:Zp2vWF980
魏志倭人伝とは別に、朝鮮半島のことを書いた
魏志韓伝というのもあって、
それには、東西は海、南は倭と界を接すと書いてる。

九州や対馬のことなら、南も海でその向こうが倭とでも
書きそうなものだが、界を接すとは陸上で接していることで
朝鮮半島南部も、倭の領土だったと思われる。

また、弁韓では鉄を産し、「韓・ワイ・倭、みな、ほしいままにこれを取る」と
書かれているから倭人が南朝鮮で活躍していたことは確かだろう。

http://www.yu-ji.com/map1a.gif
421名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 00:42:20 ID:pGnuX0ey0
この変な出雲電波の自演はなんだw
422名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 00:44:56 ID:pGnuX0ey0
>>420
古代の一時期まで南朝鮮は
倭の勢力範囲だからねえ

半島の人にいうと怒るんだがw
423名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 00:47:40 ID:qQIwvouq0
>>419
すまんが、いわんとすることがわからない。
424名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 00:47:50 ID:XfVQiUva0
>>414
代々出雲に住んでるけど物凄く開発が進んだから
いまの出雲に来てもたいしたことわからないんじゃないか?

小さいころにあった妙なものが悉く無くなっちゃった。
わずかに地元の生活の中にはかすかに名残はあるけれど。

まあこれだけ大規模に開発したからこそ、発掘物が増えたんだけどね。
425名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 00:49:23 ID:lBuhzhmA0
>>413
スサノオは朝鮮人。
行動を見ればわかる。
(出雲に現れるスサノオは別人)

------------------------------------
スサノオは、父イザナギに命じられた海の国の統治を怠り
長い鬚が胸に垂れるほどの年齢になっても
暴れてわけのわからないことばかりほざいている。
「母のいる黄泉の国に行きたい」と泣きわめく。
怒った父イザナギは天上界から出て行けと命令。

スサノオは姉のアマテラスに別れのあいさつに行くが
そこでも姉とケンカして、
腹いせにアマテラスが造った田んぼのあぜを切る、
灌漑用に造った川を埋める、
食堂に糞尿を撒き散らす。

アマテラスは、スサノオをかばおうとしたが
スサノオはさらに増長して、
アマテラスのはた織場の屋根に上り穴を開け、
皮を剥いだ血だらけの馬を投げ落とす。
織女の一人が驚きのあまりはた織具の梭で下腹を刺して死んでしまう。
アマテラスは嘆き悲しんで、天岩戸に入ってしまった。
426名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 00:49:29 ID:F8o+Ti1I0
あったかどうかじゃなくて、どうなったのかを考えれば自然に答えは出るだろう。
邪馬台国から大和に続き日本になった→自然
邪馬台国がいつのまにか消滅した→不自然
427名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 00:49:39 ID:dfp2ljcj0
>>418
弥生以降の遺跡はまだ浮かばれてる
縄文は涙目
中央道の縄文遺跡なんてほぼ埋め戻し・・・
428名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 00:50:01 ID:co8n3V570
魏志倭人伝の周辺の国について言及している奴は、さすがにいないなw
429名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 00:50:16 ID:ZtcvVa6O0
>>414
私の勘では、出雲だけが本物。
私もこれ以上は詳しく書くのは止めるわ。

ちなみに三種の神器も複数あるし、出雲の神宝もある。
また、出雲の神宝を力づくで奪った九州・百済のこともある。
430名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 00:53:14 ID:gmey+MavO
>423
あれ?わからない?
半島の国との同盟の是非を軸にアマテラス系とスサノヲ系が争ったことの神話化がイザナギイザナミ神話であるという、
いっちゃ悪いがデムパな説は、唱えた人自ら否定したことになるでしょってこと。
431名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 00:54:09 ID:ZtcvVa6O0
>>425
朝鮮人がYAVHを祀っ歴史がある?
出雲神の崇めていた神は、YHVH のようですよ?
籠神社宮司さんの著書と証言では。
太古の出雲の宗教は、一神教です。
432名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 00:54:17 ID:q3HGFtyf0
>>426
その伝で行くと、江戸幕府がいつのまにか消滅した→不自然
よって、江戸時代の日本人と明治以降の日本人は別民族とかって話になるな。
433名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 00:57:49 ID:qQIwvouq0
>>430
うん。いまいちわからない。
こころみたが失敗したということが、なぜ事実がなくなったという証拠になるの?
434名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 00:57:53 ID:4Izf3luX0
>>426
いつの間にかじゃない。

266年の使者を最後に、中国との関係がパッタリ消えてるんだから
普通に考えて、戦争してた狗奴国に滅ぼされた。
(魏に援軍を求めるほど逼迫していたんだし)

だから卑弥呼の痕跡が日本の歴史には残ってない
435名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 00:58:29 ID:gmey+MavO
>425
スサノヲの神話は、すんごく強い不良少年が
女と出会って更正され英雄になる話だと思ってるよw
436名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 01:01:41 ID:qQIwvouq0
根の国というのは、もともと海の向こうの国というような意味らしいし
ならば、朝鮮あたりのどこかの国と考えるのはごく自然なことだと思うが。
437名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 01:01:59 ID:yDhlB8gLO
電波ユンユンですな。
438名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 01:02:45 ID:ZtcvVa6O0
ともかく、明治以降に創建された神社も含めて、
80%の神社の最新がアマテラスの天孫系ではなく、
出雲系であることには留意する必要があるわね。
439名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 01:03:37 ID:MZgGVanO0
日本書紀斜め読みしただけで書くけど、
卑弥呼=ヤマトトトヒモモソヒメ説がこれで立証されるんですかねえ。
魏志倭人伝では確か卑弥呼と壱代の間に男王がいるはずだけど、男王=祟神天皇ってことになるのかな。
邪馬台国が消滅したのは大和に大移動したから?異邦人の祟神天皇が三輪山の祭祀権を強奪して、
それをモモソヒメがそそのかしたってのも邪馬台国が大移動して近畿の土着神を強奪しようとしたって考えれば
何となく納得できるような。大物主との結婚の話は、卑弥呼が近畿の部族と結婚して両者を融合させようとしたけど、
異種交配に失敗して、結局男王を立てて近畿を侵略せざるを得なくなったってことかなあ、とか。
440名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 01:03:42 ID:8KZS8G580
>>388なんじゃそれ
俺畿内説に転向するわ学閥的には九州説なんだけど
441名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 01:04:09 ID:mNT+Jv/v0
<丶`∀´><まぁ、邪馬台国を建国したのも大韓民族なんですけどね
442名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 01:05:28 ID:ZjYCe2ls0
>>427
埋め戻しって保存されてるってことじゃん。
普通は埋め戻さずにそのまま基礎工事に突入だろ。
443名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 01:07:16 ID:A5reSQ3P0
>>1
卑弥呼は俺の嫁
444名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 01:07:38 ID:ZtcvVa6O0
>>438
訂正

ともかく、明治以降に創建された神社も含めて、
80%の神社の祭神がアマテラスの天孫系ではなく、
出雲系であることには留意する必要がある
445名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 01:07:50 ID:IP/KB/rQ0
ネズミの使い番が邪魔しに来るぞ
446名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 01:09:28 ID:A5reSQ3P0
>>8
卑弥呼って字を魏の時代の中国語読みしたのが正しい呼び方じゃねーの?
本来は「ひみこ」って呼ばないだろ。
447名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 01:10:25 ID:dfp2ljcj0
>>445
さんかくなんて持ってないよ〜だw
448名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 01:13:06 ID:CVsNgKWtO
なぞがあるから付加価値が出て、その付加価値求めて各地が立候補

って、判明しない方が良くね?本末転倒になるしw

実物の金印が出たって言うもういっこの場所とか知らないしw
449名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 01:13:56 ID:CqXcNtIHO
>>385
大和地方の描写じゃねーよな。
海無いんだから。
450名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 01:15:49 ID:eGJgJccu0
邪馬台国は卑弥呼一代で終わった国じゃないんだろうから
卑弥呼と伊予以外にも女王が統治してたかもしれないだろうに

それに邪馬台国以外にも女が長の国もあっただろうに
451名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 01:16:36 ID:pGnuX0ey0
だから、邪馬台国まではどっちにしろいってねーし・・・
452名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 01:16:47 ID:DD0y1dtc0
>>445>>447おまいらw
453名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 01:17:38 ID:i+OK8Tbg0
>>444
80%??
八幡系と稲荷系で50%は行くと思うが。
454名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 01:21:46 ID:PcUqLhTp0
>>424
そうだよな。

うちの実家がわりと有名な神社なんだけど
なんか古代史ブームなのかわけのわからない人が来て
いい加減な説を唱えて押し付けてくるからたまらないよ。><

浅はかすぎ
455名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 01:23:21 ID:1AF4pD990
>>454
ID:ZtcvVa6O01のことか(笑)
456名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 01:23:32 ID:DFHsbCan0
こういう神話と古代史を結びつけるような話って
女はともかく、男は結構好きだと思うんだよね。
自国の神話って子供達に教える価値あると思うんだけどねぇ。
もちろん某国みたいに単なる神話を歴史的事実として教えちゃだめだけどw
歴史の導入として、興味を持たせるために紹介するのは悪くないと思うんだけど。
457名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 01:24:41 ID:9MoucIQl0
>>382
その説を確かめるために、是非とも小倉から大分まで新幹線を
通してください。
458名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 01:27:55 ID:gmey+MavO
>433
御説で半島を巡りアマテラス系(反高句麗)とスサノヲ系(親高句麗)が争っていたと言っていたのが、
結局スサノヲ系(反高句麗)と新羅・高句麗系の対立だったことになるよ。
459名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 01:31:50 ID:q3HGFtyf0
>>434
そうですね。
中国の書物を普通に読めばそうなる。
で、邪馬台国が奈良県にあったとすると、
イヨ(トヨ)がそこで魏の軍事司令官みたいな人(張政だったかな?)
の援助を全面的に受けながら南の狗奴国と激戦を繰り広げた挙句に負けた
というストーリーが全然リアリティーを失ってしまう。

3世紀の奈良盆地に魏の司令官(役人)が邪馬台国の女王の上に立つ形で政治や戦争を
指導していたというのを近畿説の人々はすんなり受け入れられるらしいが、
俺には無理。
合わせて、魏の属国たる邪馬台国を滅ぼした狗奴国の方が奈良時代の天皇家ということにも
なるはずんだが、これも俺には信じ難い。

3世紀の奈良盆地って、それほど国際的で中国直系の雰囲気じゃないように感じる。
そもそもそれほどの大戦争の記述が記紀にはないもんね。
金印や銅鏡をもらったことを8世紀段階で忘れちゃったぐらいならともかく、
魏の司令官(役人)が乗り込んで来ての大戦争の記憶を奈良盆地の住民から奪い去ることは無理でしょう。
魏の張政がイヨ(トヨ)の政治指導を行っていた邪馬台国という国は、
奈良から遠く離れた場所にあったと思う。
460名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 01:33:55 ID:ZtcvVa6O0
>>453
八幡と稲荷も出雲系といっていいのでは。
必ずといっていいほど、スサノオ系と祀るられているでしょう
461名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 01:34:48 ID:OCx7WyY+0

天皇は朝鮮人ってことか。
462名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 01:34:54 ID:pGnuX0ey0
>>460
ちょっとそれはどうかなあ
463名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 01:34:55 ID:XCENA1tiO
>>382
ちなみにうちの実家は大分県の耶馬渓。山国の近くです。
物部トンネルとかもそういえばあるwwwwww
464名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 01:35:57 ID:qQIwvouq0
>>458
そうだよ。途中で政治情勢が変わったということだろうね。
465名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 01:38:26 ID:EDjOITW00
>>460
なんでも出雲系でくくるな。

古代史がよけいに見えなくなるぞ。
466名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 01:42:11 ID:YyfdwZO20
これが卑弥呼のんだったら福岡涙目過ぎるだろ。
467名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 01:42:37 ID:+fCfT6eY0
畿内説はすでに泡沫
468名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 01:44:33 ID:LamLxp7V0
邪馬台は「ヤマタイ」じゃなくて「ヤマト」って発音してたんじゃね
そうすりゃ邪馬台→大和とスムースにつながる
469名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 01:44:53 ID:W/5383uh0
神様にも時代ごとに流行廃りがあるらしいからな。
スサノオとかはなんとなく鉄に関するイメージがあって、おそらく製鉄に携わる人たちが
漂白しながらあちこちに広めたから祀ってる神社が多いんじゃないのかな。
470名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 01:47:35 ID:+z6UYs3ZO
>>468
単にヤマだったのかも
ヤマの台→ヤマの戸
471名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 01:48:08 ID:Fnxvie6M0
案外、卑弥呼は三輪山からでる太陽を拝んで
たのかもわからないぞ
472名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 01:50:19 ID:MZgGVanO0
>>434
266年で途絶えたのは、邪馬台国と魏の橋渡し役だったカン丘険が乱を起こして鎮圧されたり、
蜀が滅んで魏が呉の海からの侵入を警戒しなくても良くなったからとかじゃないの?
公孫淵が遼東で独立した時にわざわざ司馬イが討伐に行ったのは、遼東が朝鮮や日本まで巻き込んで
東シナ海の制海権を握って呉と連絡して魏に襲いかかるのが怖かったからでしょう。
だからわざわざ魏の使者が邪馬台国まで出向いて魏と親交を結ぶように説得したんじゃないのかな。
その心配がなくなったのと、倭国大乱があったから魏との国交が途絶えたんだと思うけど。

473名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 01:51:34 ID:gmey+MavO
>464
なるほど出雲系(スサノヲ系)も大和系(アマテラス系)も反新羅・高句麗で利害一致で固まったと。
474名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 01:52:06 ID:vmRRWw4K0
魏史倭人伝のイレズミで温暖だと…九州か山陽あたりが素人考えで浮かぶわけだが。

あと古事記か日本初期だかに鰐(わに)が出てきたような気がするが、それは明らかに奄美や沖縄に生息するデカいサメのことじゃん。

邪馬台国のルーツは南のほうじゃね
475名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 01:53:14 ID:CqXcNtIHO
とにかくだ、大和朝廷が大和の土着の国から発展したのではないことは確かだよな。
それほど神武東征の話はリアルだ。フィクションでは有り得ない。
476名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 01:57:16 ID:ZtcvVa6O0
>>
神武天皇の后 ホトタタライスキヒメ タタラ は製鉄民の象徴のようなものだしね
477名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 01:57:39 ID:co8n3V570
>>417
じゃあ、一つ世間の人があまり知らないネタを・・・・
ttp://bell.jp/pancho/travel/izumo/kanbara%20jinja.htm

これ以上のことを調べていくと・・・・ある神話に行き着くんだよね・・・・
478名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 02:03:06 ID:qQIwvouq0
>>473
固まったかどうかは知らない。
479名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 02:04:32 ID:q3HGFtyf0
>>461
天皇は倭人(今の日本人)。
高天原(アマテラスなど)の段階では任那に住んでいたと思う。
ニニギの時に主力は日本列島に移住した(天孫降臨)。
天の沼矛による国生み神話どおり、壱岐・対馬・九州・隠岐島・出雲・新潟あたりに
一斉に植民した。
その中での中心地は神話どおりに北九州(宗像大社)と出雲(出雲大社)だろう。
しかし、大分や宮崎へ広がっていった傍流もあった。
神武は宮崎の人。
大分の一派と合流後東遷して奈良盆地の支配者となった。
宮崎組と大分組の皇祖神が宇佐神宮。
宗像大社と比べると傍流だけど、奈良の天皇家からすればより近い時代の皇祖神。
だから道鏡事件のときに和気清麻呂は皇祖神の神託を聞くと言って宇佐神宮へ行った。
(伊勢神宮に目もくれていないことに注目)

そもそも、676年(だったかな?)の新羅統一以前に朝鮮人などというカテゴリーは存在しない。
朝鮮半島は中国人・満州人・倭人の雑居の地。
楽浪郡や帯方郡の中国人や半島南部の倭人の上層部が半島から撤退した後に残された
中国人・満州人・倭人などが数百年の年月を経て人種的にも文化的にも混血してできたのが
7世紀の統一新羅人(今の朝鮮人)。
480名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 02:04:51 ID:sWir6MKh0
邪馬台国と大和朝廷は連続した国家だろ。
根拠地も同じだったはず。奈良のどこか。
ただし卑弥呼と天皇の血筋がつながってるかどうかまでは分からない。

卑弥呼に関する伝承が残っていないのは仕方ないだろう。
なんせ文字の無かった時代だ。伝承でしか後世に歴史は伝わらないし、
数代経てばそれも曖昧になり、色々誇張されて神話化されるか忘れられる。
481名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 02:08:10 ID:gmey+MavO
>478
固まったかどうかは置いとくとしてもいづれにせよ、
出雲も大和も反新羅高句麗だってことになるよね。

ま、それならいいやw
自分は神話に史実が反映されているという話は、類似の神話が世界各国に存在することから
否定的な見方をしてんだけどね。だって国内の発展の仕方ならいざしらず
外交関係が各国で似通るなんておかしな話になるでしょw
んだば、おやすみー
482名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 02:08:38 ID:3PKuq/SW0
じゃんけんで決めればいいのに
483名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 02:11:50 ID:+z6UYs3ZO
>>477
どんな神話?
484名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 02:13:37 ID:Ql1XV0S/0
邪馬台はヤマトと発音。

ならば
天の岩屋戸のアマノイワヤドはドじゃなくてトと読み、

天の岩屋台→アマノイワヤト

天とは天皇、それの岩屋台とは古代の巨大石室墓で、天の岩屋台にお隠れになったとはつまり天皇が死んで、その後天皇の皇位が継承された出来事を表してるのかも。

あるいはアマはヤマと発音が近いから邪馬の岩屋台と理解すると、邪馬(台)の墓で死んだともとれないか
485名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 02:16:24 ID:mowzrJlYO
古代は不明な点が多いから、適当な事を言えるのがいいな
陵墓発掘ができれば少しは変わるだろうか
486名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 02:16:39 ID:qQIwvouq0
>>481
>外交関係が各国で似通るなんておかしな話になるでしょw
そうかなぁ。
仲のよろしくない国内勢力たちが外国勢力とどう仲良くするかでもめるなんて
いかにもありふれた話しだと思うが。
487名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 02:17:03 ID:pGnuX0ey0
大和王権が早い時期に畿内のプレ大和王権からそのまま発展した可能性が
高いのは考古学的に疑いようもない

倭人伝とか邪馬台国とどう関連付けるかは別問題

したがって、倭人伝の描写が南方系なのと大和王権の系統は必ずしも関係ない
488名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 02:17:45 ID:gsO83bfy0
夢があっていいな
浪漫だな

宗像教授的には邪馬台国はどこにあるといってるのかな
489名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 02:20:17 ID:zjziTqtJ0
映画のコマーシャル乙
490名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 02:22:18 ID:W/5383uh0
>>487
確かに九州は磐井の乱くらいまでは独立した勢力であった可能性は高いよね。
491名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 02:24:38 ID:kSaQFK0K0
あwせdrftgyひみこlp
492名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 02:24:45 ID:pGnuX0ey0
>>490
どうなんだろうな、マキムク王権作ったのが東海・奈良盆地・河内・阿波・山城・越あたりの
連合だとして、瀬戸内航路から北九州までは勢力圏をある程度広げてたって見方もありだとは思うんだが
493名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 02:26:32 ID:qQIwvouq0
根の国とは具体的な国なのではないだろうかと。
その場合一番あり得るのは朝鮮半島のどこかの国。
高句麗かなと思うが、新羅かも知れないし百済かも知れない。
イザナギが日本でイザナミがそのどこかの国で、両者の同盟関係を言っている
のだと考えれば、神話でも筋が通りやすい。ヒルコの話しも、同盟関係を築く
上で、なんらかの手続き上の不手際があって最初はご破算になったことを示している
と考えることも出来る。スサノオがイザナミのところに行く前にアマテラスオオミカミ
のところへ行くというのも自然だし、それを見てアマテラス側が戦争をしかけて
来たのかと考えるのも自然だ。少なくとも、スサノオが1人の人間で、イザナミの
ところへ行くつもりで途中でアマテラスのところへ寄ったのを見て、戦争を
仕掛けてきたと受け取るというのは、意味が分からない。
また、かつては結んでいたが、今は全く関係の無くなった国ということなら
この世(=日本)から見て死者の国(過去の国)となっても自然だろう。
また、日本の骨格をつくる三貴子はどれもイザナギとイザナミの離婚後、イザナギ「のみ」から
生まれる。これは、半島や大陸の勢力と決別した後、日本の国造りが本格的に始まって行く
ことを示しているのではないか。
結構自然に解釈できて行くと思うんだがね。
494名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 02:31:51 ID:q3HGFtyf0
>>487
弥生時代の銅鐸が破壊されたりして一斉になくなったり、
天孫系の歴史書である記紀に銅鐸の記述が一言もなかったりする不思議はあるよね。
銅鐸を祭祀の中心に置いていた弥生時代の大和人と記紀を書いた天皇家とは
明らかな断絶があると考える方が自然じゃないの?

弥生時代に銅剣や銅矛などの武具を神聖視して墓に埋葬する北九州の思想は、
近畿の銅鐸と違って古墳時代まで連続してるよね。
銅鐸のように突然消えたりしない。
495名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 02:38:44 ID:W/5383uh0
>>492
独立した勢力だから必ずしも敵対していたとは限らないから
ある程度緊張関係にありながらも平和を維持していたのかもしれない。
ただ中国大陸の動乱が長引き九州勢力は衰退していき、大和王権に取り込まれて
いったんじゃないかな。あくまでも憶測ですが。
496名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 02:45:10 ID:pGnuX0ey0
>>494
王権の内部での王統や内部勢力間の権力移動は多分あるだろうし
そういう意味では断絶してるんでは

大和盆地内部でも勢力が複数に分かれてるし
497:2008/08/31(日) 02:48:42 ID:32X6LwiG0
中国の史書を見れば

倭→倭と日本→日本→以後ずっと日本なんだが、
問題はこの倭と日本の時代がどのように日本に収束したかということだよね。


498名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 02:53:58 ID:ZtcvVa6O0
>>492
連合の主勢力というか、発起人というか、連合を誘ったのは
やっぱり饒速日?
古代民主主義というか、合議制みたいなもんね
平和な時代だったんだろうけど。
侵略受けたのが悔しい。
499名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 02:54:59 ID:kLcDsEQ30
ばかやろう

邪馬台国は岩手だそうだ
500名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 02:56:55 ID:7jhPKPJB0
九州は朝鮮半島から下った北九州勢力と、奄美沖縄、あるいはもっと南方から来たイレズミしてる南九州勢力が存在したんじゃないか。いわゆる薩摩隼人のこと。

この南九州勢力、あるいは勢力の一部が北九州勢力と手を組んで、大和地方にいた人達を倒し、以後その場所を大和と名乗らせたんじゃまいか。

それなら銅鐸が消えたのも、記紀に銅鐸の記述がないのも理解できるし、イレズミしてる邪馬台国とのつながりも見い出せる
501越の八口 ◆8Mouth1arg :2008/08/31(日) 02:59:05 ID:Z6EuHRdP0
>>481

そうかな?
例えば、ノアの方舟の話にしても、ギリシア神話に似た洪水の話があるわけで。
洪水なんて昔はそらどこでも起きただろうし。
だから、似てる神話にも史実が反映されてるのは、別に不自然でもない。

神話にはある程度史実が反映されてるかも、
ってのを全否定するのは極端だと思うんだがのう。

他のインドやら北欧やらの神話には、神話だけがあって、
現実とのつながりがほぼ無いだけであって。

世界では、ほぼ日本のみ神話で活躍した神々の子孫が今でもいるから、
史実とのつながりが語られるわけであって。

日本以外にそういう国があったら、
そら史実とのつながりは語られてるんじゃないの?

それは、よくウヨクが言う「神話を貶めるな」、なんてことにはならなくて
むしろ、尊さが増すと思うんだがなあ。
502名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 02:59:30 ID:pGnuX0ey0
征服されたなら、相応の出土物の大規模変化があるはずだけど
それはないんじゃなかろうか

王権内部の勢力とか連合関係の変化で説明できる範囲の変化しか
ないような
503名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 03:06:19 ID:W/5383uh0
>>502
征服というのは難しいだろうね。
その後の歴史においても大陸半島勢力に寸土たりとも与えたことはないんだしね。
そこそこ人口規模のある島国を制圧するのは古代の軍事力では、至難の業だと思うよ。
504名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 03:14:32 ID:ZtcvVa6O0
>>494
百済・藤原勢力が、神政国家出雲の銅鐸祭祀に触れたくなかったということかな。

出雲臣に神宝検校を強要して(中略)殺し、結果として古代出雲を滅ぼした。

「玉菨鎮石。出雲人の祭る、真種の甘美鏡。押し羽振る、甘美御神、底宝御宝主。
山河の水泳る御魂。静挂かる甘美御神、底宝御宝主。」
(水草の中に沈んでいる玉のような石。出雲の人の祈り祭る本物の見事な鏡。
力強く活力を振るう立派な御神の鏡。水底の玉。宝の玉。山河の水の洗う御魂。
沈んで掛かっている立派な御神の鏡。水底の宝。宝の玉。)


505名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 03:14:44 ID:CqXcNtIHO
瀬戸内海を臨む高台の上に、海を監視していたと思われる見張り台の遺跡が
いくつも見つかっている、と前に本で読んだことがある。
506名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 03:17:17 ID:Ve6+CJTs0
朝鮮半島から下った勢力は北九州、出雲、関西に散った後、各勢力は平和協定を結んだり、破ったりなんかしていた。

しかしやがて北九州関西連合が平和協定を破り出雲を攻める。あるいは出雲勢力が関西を攻め、北九州が関西を助けたかもしれん。

出雲勢力は破れ、関西北九州連合は合併し名を大和に改めた。

北九州が加わった後は関西単独時代の習俗は北九州勢力に遠慮し廃れていった可能性もあるんじゃないか
507名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 03:17:40 ID:sWir6MKh0
>>497
唐書なんかには「日本が倭を滅ぼした」とか、あるいはその逆のことが
書かれているけど、実際のところは普通に考えて「倭から日本に国号を変えた」だけだと思う。
ところが、その国号変更が政権交替と結びついていたから、
中国側は「日本という別の国が倭を乗っ取った」と勘違いしているのかもしれない。
508名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 03:18:28 ID:pGnuX0ey0
祭祀の変更ってのは王権内部での大規模な権力移動があったんではって
妄想は掻き立てる
509名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 03:20:17 ID:hOVSKuO90
そういや、同姓同名のAV女優はどこ行った?
510名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 03:20:35 ID:ZtcvVa6O0
銅鐸(鳴り物、鈴?)の文化(出雲文化圏)と剣の文化(九州圏)は
それぞれの文化の性格を表していると思う。
511名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 04:14:44 ID:a76gJXej0
まだ「出雲=銅鐸文化圏」なんて言ってる奴がいるのかよ…
九州からも銅鐸や銅鐸鎔が発見されるようになって、とっくに否定されてる説だろーがw
512名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 04:19:26 ID:cUFb2Vl60
>>511
最も古いとみられる銅鐸が出雲にあるのよね
出雲から拡がったとみていいと思うんですよね
513名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 04:28:59 ID:cUFb2Vl60
>>511
追加で

学者先生の調査のようですからご参照ください。

http://blogs.yahoo.co.jp/shigechanizumo/45497377.html
514名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 04:48:36 ID:q3HGFtyf0
>>510
銅鐸文化の中心は近畿でしょ。
出雲は荒神谷遺跡のように日本最大数の鉄剣が出土した土地柄。

武器にも仕える貴重な銅を鋳溶かして、銅鐸なんていうまあ今で言えば木魚や鉄琴みたいな楽器に鋳造してまで宗教儀式に熱心だった
平和で牧歌的な近畿の人々と、
剣や矛という今で言えばトカレフやカラシニコフみたいな人殺しの道具を大切にしていた同じ倭人でもかなり昔に枝分かれして二つの異文化集団を形成していたものと思われる。

で、1世紀の弥生時代において、漢の都まで行って光武帝の臣下となって「漢委奴国王」の金印を授かって来た国が、
人殺し大好きの北九州の志賀島の奴らだったことは非常に自然。
そして、その200年後に同じように魏の臣下となって「親魏倭王」の金印をもらって来るわけだけど、
この国も銅鐸をチンチンならしてるのんびり屋の平和国家ではなく、
トカレフ・カラシニコフで血で血を洗う戦争を繰り返していたような非情かつ合理主義の軍事国家であるはず。
前に書いたように、266年に魏の張政という役人が、恐らくは皇帝の勅書と大量の武器と相当数の軍人を伴って
女王イヨ(トヨ)の軍事顧問のような立場で狗奴国との戦争に参加して行った先が銅鐸生活の大和盆地だとは想像し難い。
志賀島の奴国と同じ合理主義文化と戦国時代の国と考えるのが素直な理解だろう。
直系か傍系かはともかく、邪馬台国は間違いなく志賀島の奴国の後継国ですよ。
魏史における中国側の記述も明確にそうなっている。

邪馬台国が国の命運をかけた戦争に明け暮れていた3世紀に、箸墓その他の豪華な古墳が多数建造されたという事実は、
邪馬台国近畿論にとってむしろヤバイことなんじゃなかろうか。
近畿論者の人たちは近畿の北九州に対する文化的物質的優位性が証明されたと無邪気に喜んでるみたいだけど。

邪馬台国は卑弥呼やイヨ(トヨ)の前も後もずっと戦場であり続けたんだから、
むしろ豪華なお墓などの「無い」土地こそ邪馬台国があった可能性が高いんじゃないですか?
近畿論者が大和盆地に探すべきは平和なお墓や副葬品ではなく、凄惨な戦争の傷跡ですよ。
515名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 06:00:18 ID:WfhY5BeH0
吉野ヶ里から胴鐸が出土したりしてるんだから
銅矛(九州)、胴鐸(近畿)の二大文化圏に峻別する考え方は古い
といわざるを得ない
516名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 06:58:59 ID:co8n3V570
>>514
>日本最大数の鉄剣
(正)日本最大数の銅剣
517名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 07:00:41 ID:GSy69uE10
>>514
古代出雲文化圏を、現在の狭い出雲と勘違いしていませんか?
畿内を含み、ずっと広く東に拡がっているでしょ
518名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 07:04:49 ID:GSy69uE10
>>514
もっと言えば、出雲の人間が青銅器、鉄文化を持って
畿内に引っ越したってことでしょうね
製鉄の技術がどこから始まったか見れば
明らかなのでわ
519名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 07:25:56 ID:AfWAgxXIO
邪馬台国と大和朝廷の関係は
大日本帝国と今の日本国のような関係だったりして。
呼び名も構成する国民もほぼ同じだけど
違うといえば全く違うみたいな。
520名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 07:39:30 ID:qWFchfgq0
>>246
現在のエジプト人は本来のエジプト人ではないよ。
イスラム化されたときに、男性の婚姻を禁止されたから。
解かりやすく言うと、チベット人の女性がチベット人の男性とは
結婚を許されず、漢族と何代も混血を繰り返したらどうなるのってはなし。
日本に例えると、朝鮮人や中国人が日本女性と結婚し、
日本男性は去勢され、何十代も経たとしたら、仁徳天皇陵はどーなる?
最悪更地でしょ。
521名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 07:57:08 ID:KpjUqp1o0
>>403
神話ではあるがトンデモ本ではない。
522名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 08:12:28 ID:UtNZdN3X0
で、おまいら、何が知りたいわけ?

俺が全部、教えてやるよ。
523名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 09:00:45 ID:fZILsb5P0
北九州とか書いてる無知な本州人は消えろよw
福岡や鹿児島の信仰である。
玉垂宮と宝満神社が全ての鍵を握ってると思うよ。
福岡にアマテラス信仰が古くからあるって聞いたことないし。
524名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 09:06:40 ID:fZILsb5P0
銅矛も銅鐸も元々は大陸から入ってきたもの
それが九州と出雲近畿で流行が違っただけと考えた方がよい。
無知で大笑時代の古い考え方に固執してる
お前らに教えてやるよw
ここで問題は流行が全く異なっているということ
権力者が違う可能性があるという事である。

ちなみに記紀でも九州で銅剣銅矛が登場する。
そして本州に多い鈴木という鈴の苗字は
俺は銅鐸から来てるとみてるよ。
鈴木は元々祭司であった物部鈴木の系統だろう。
出雲系なので朝鮮半島の血筋だろう。
525名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 09:08:51 ID:fZILsb5P0
出雲の影響は関東や東北の方が大きいんだろ?
近畿は既に大勢力があったのか
出雲の影響があったが遺伝的にはそう出雲系ではない。
526名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 09:19:52 ID:BNExEPBX0
出雲は朝鮮半島と深い繋がりがあったのは間違いない。
しかしこの時代においても法則発動で負け組転落、歴史の闇に消えていったのだろう。
恐ろしや・・
527名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 09:32:26 ID:fZILsb5P0
出雲の半島東部との繋がりは
人骨、遺跡、文化、伝承にまで及び
寸分違わないから。

一方北部九州と半島との繋がりは中国の属国中心
人骨は肥前中心に日本でもっとも縄文形質が強いし
遺跡は半島の遺物も多いが文化は南方系だし
伝承、神社の系統も南方系と思われるものが多い。
528名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 09:39:39 ID:2HRSoa2HO

近所のラーメン屋の横で土が少し盛り上がってるとこがあるんだが、案外そこじゃないのか
529名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 09:43:31 ID:81ZK4epA0
卑弥呼は死んでたのか
若い頃ずいぶんビデオでお世話になったのに
530名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 09:44:37 ID:Lzu2tdTX0
吉備の国とは、古代の備前、備中、備後と美作国を合わせた総称であり、
今の兵庫県、岡山県、広島県にまたがる広大な地域であった。

播磨は今の兵庫県の姫路付近であるが、砂鉄の産地だった。
美作でも鉄が取れることがわかり、その重要性はさらに増した。

そしてまた、当時出雲から瀬戸内海岸に出る陸上の道の出口が播磨だった。
陸路で出雲から近畿地方に出る道は今も昔も変わらない。
それは出雲街道と呼ばれる道で、出雲の日野川を上り、四十曲峠を越え、
美作の津山盆地を通り、万能峠を越して播磨に入る道である。

瀬戸内海に面した児島では塩がよく取れた。
塩は、古代貨幣が流通する前には最大の価値ある商品であった。

また岡山市に流れ込んでいた旭川の上流では朱が取れたようだ。
古代日本において朱は大変な貴重品だった。
朱は辰砂といわれる水銀と硫黄の化合物で、深紅色をしている。
丹ともいわれたこの赤色の顔料は、当時遺骸や棺に塗る貴重な材料であった。

したがって古代日本では吉備地方の文化の方が大和よりも進んでいたのである。

発掘調査で見つかった当時の製鉄遺跡は、吉備地方だけで15ヵ所にのぼっている。
岡山の高梁川沿いにある造山古墳は全長360メートルの前方後円墳で
全国第四位の規模を誇っており、当時強力な王権が
吉備にも存在したことを証明している。
531名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 09:48:42 ID:BNExEPBX0
余計な地域ナショナリズムが絡んで古代史を巡る議論をややこしくしてるよね。
おらが国こそ古代からの先進地域みたいな自慢したい気持ちが遺跡かなんかで
たら過大に評価しちゃう傾向あるんじゃないの?
532名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 09:55:35 ID:xL0hYTcJ0
いつ決められたのかわからないが、突然「日本書紀」の編纂を命じた当時の為政者は
ニギハヤヒの存在を抹殺することを命じた。

困った日本書紀の作者たちは、一つの偽装方法を考えだした。

イワレヒコ(神武天皇)が、日向から伯父であるニギハヤヒの住む大和を訪ねたことから、
神武天皇の条にニギハヤヒの足跡を混在させる壮大な創作ドラマを思いついた。

ニギハヤヒに関する古文書廃棄、宝物の隠蔽、そしてニギハヤヒを祀ってある
神社から名前は削除され、または改名を命じられた。

正直なところ、これほど大掛かりな隠蔽工作をした例は、日本歴史の中でもほかには見られない。

まずニギハヤヒの父親であるスサノオを、神話の中の神とした。
この結果、他のすべての実在の人物が神さまに変身させられた。
スサノオの正妻であるクシイナタヒメはヤマタノオロチに食べられる娘に、
日向の妻である卑弥呼は、天照大神に昇神させられてしまったのである。

その工作は卑弥呼の子供たちにまで及んでいる。
たとえば豊玉姫と結婚して鹿児島県の指宿に住んでいた卑弥呼の四男、イクツヒコネノミコトは
海彦山彦の話の海彦に、そして豊玉姫は竜宮城の乙姫さまにさせられてしまったのである。

また出雲の大国主神のオオクニは因幡の白兎の神話の主人公になっているのである。

このように作者たちは卑弥呼とその一族を神にして抹消する事には成功したが、
ニギハヤヒに関してはそう簡単にはいかなかった。
なぜならば、ニギハヤヒの行動をすべて抹消してしまうと、日本の建国そのものが消えてしまうのだ。

そこで作者たちが考えたのは、ニギハヤヒの代理を創ってその功績をすり替えてしまうことだった。
その代役が、ほかでもない神武天皇だったのである。
イワレヒコが大和に来たのは240年頃であり、ニギハヤヒは220年頃に奈良の三輪山ですでに死んでいた。
にわかには信じがたい話かもしれないが、この仮説をこれから実証していきたいと思う。
533名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 10:04:20 ID:h4oC+AUh0
>>488異考録では熊本ってことになってた
534名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 10:07:05 ID:he07qala0
>>515
少なくとも、紀元後(弥生後期)についてはそうおかしいことでもないよ。

紀元前(弥生中期)についてはそうはずれというものでもないけど、
その分布圏を文化圏と呼び一枚岩のようにと考えるのはちと違うけどな。

銅鐸は紀元前は複数の系統の銅鐸が確認されていて中心はいくつかあったと見られるけど、
紀元後は、近畿式、三猿式の二系統にまとめられた後、最終的に近畿式1系統に収斂する。
これをどう考えるか。

辛上(正確には吉野ヶ里ではない。そのやや北。)銅鐸は福田型と呼ばれるやや特殊な系統に属する銅鐸で、
東の銅鐸祭祀が九州に入り変容した形で受容されたものと見るのが普通だろう。
年代的には弥生中期後半ぐらいか。
535名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 10:11:10 ID:PKjWZ4cY0
志賀島で出土したという金印はやっぱりニセモノですか?
536名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 10:11:41 ID:fZILsb5P0
初期天皇の后は出雲系だよ。
そして神武は筑紫の日向からきたとある、
その神武の母は海人系である。
そしてその母を祀る大本山は
太宰府の宝満山の麓にある
竈神社(宝満神社)である。

日向はどこか?
近畿と親密な関係にあるのは遺跡、伝承から
豊前豊後、日向などの
東九州一帯であると考えられている。

しかし本当に神武が東征をした場所はどこかは不明だ、
そしてその東征を開始した出発点は海人の勢力圏である。
では天孫が最初に降臨をした高天原とはどこか?
そもそも天孫なんてものが本当に実在をしたのか?
初代天皇の系譜に天の字が宛がわれているものがどの程度あるのか?
俺が覚えてる限り出雲に降り立った天日矛しかしらない。
537名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 10:19:30 ID:M++jzWw90
>>531
近畿でも九州でも事実ならどっちでも良いと思うのだが・・・
学者は一度主張すると決定的な証拠でも出ない限り有力だろうと自説を曲げないだろうな
あと出土した物の過大評価かとかもな
538名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 10:22:23 ID:UQF4Woni0
539名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 10:25:12 ID:fZILsb5P0
福岡あたりの無知な田舎者が漢のなの倭の国王なんていう
偽物の印鑑つくる方が本物見つかるより
可能性数段低いなw
540:2008/08/31(日) 10:29:06 ID:32X6LwiG0
「魏」の卑弥呼の記述と「日本書紀」の記述の天照大神は一致している
からこれでいいじゃん。
オマケに天照大神の死と皆既日食が重なり合っていて神話らしいw
イヨとかだって13だったんだろ。
こんなもん後の天皇の系譜だろ。
この国は司祭でボンヤリとまとまっている趣味なんだよ。




541名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 10:29:32 ID:he07qala0
江戸時代は、ちょうど金が発見されたころ、古印の偽造がはやっていたという事実。
これは中国で古印の収集が趣味として大流行した余波が日本にも及び、
必然的に贋物も横行したというわけだ。
542名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 10:38:33 ID:PKjWZ4cY0
1000以上前の小さな判子だけが、田んぼから
出てくるというのはいかにも不自然で原人遺跡偽造事件を
思い出さざるをえないんだよな。
543名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 10:39:59 ID:SO6dehAT0
明石散人の「七つの金印」ってのはなかなかおもしろかった。
544名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 10:40:21 ID:4CthuADD0
出雲の銅剣と銅鐸の出土数は異常。
いったいどんな文化圏が…?
545名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 10:41:31 ID:bCrG5IDj0
金印ってやっぱ偽物だったんだ...
546名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 10:42:56 ID:EMfVsrUSO
今こそ新潟の端っこ、糸魚川の奴奈川姫こそ卑弥呼説を。
年代とか位置関係とかの検証はシラネ
547名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 10:50:24 ID:X5ICyFAX0
つか本物だろうが偽者だろうがたいした問題じゃないよな
奴国の位置は問題ないし大きな力をもってたことも確かなわけだし
邪馬台国論争はアマチュア連中が九州説をしつこく喧伝するから
まだ論争になってるようなイメージをあたえてるんだよな
そういう連中ほど出雲系がどうとかキモイ妄想を繰り広げるし
548名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 10:52:01 ID:h4oC+AUh0
神話に九州や隼人が絡んでくるあたり古代人が九州に何かがあることを
伝えようとしてるのは間違いないけどね

まずは確実にあるもの確実にいえること集めて検討していく事だな
古代人の生活様式や経済活動の痕跡なんかは確かに残されてんだから
549ココ電球  _/::o・ν   ◆tIS/.aX84. :2008/08/31(日) 10:53:16 ID:o8J2+enC0
>>547
死ねうそつき
魏志倭人伝の記述から90度も違うだろうが
550ココ電球  _/::o・ν   ◆tIS/.aX84. :2008/08/31(日) 10:56:22 ID:t6McLieB0
邪馬台国が大きな力を持っていたなんて魏志倭人伝のどこにも書いていない。
記述をみると、倭が収まるように交代制で王を立てていた。
調停役、ミディエイターとしての能力で邪馬台国がでてきただけで
別に力でねじ伏せたわけでも、豊かだったわけでもない。
551名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 10:59:48 ID:TvZwEhOt0
邪馬台国がどこにあったかじゃなくて、卑弥呼を大和朝廷の
外務官僚か大臣程度に考えればつじつまがあうじゃない?
 つまり、大和盆地あたりに大和朝廷があって、中国・朝鮮との
外交窓口が九州にあった。いわば「大和朝廷外務省九州出張所」
(邪馬台国)の女所長が卑弥呼。
 戦後の学者は皇国史観を否定したいから、邪馬台国=大和説を
否定するが、イデオロギーに囚われてしまうことこそ非科学的
552ココ電球  _/::o・ν   ◆tIS/.aX84. :2008/08/31(日) 11:01:49 ID:t6McLieB0
邪馬台国は九州ー沖縄のどこかだ 俺は九州説(というか記述どおりにたどるとぴったり沖縄にたどりつく)
沖縄神女もいるし、屋久島の結婚式は柱の周りを回るのがあるが、これはイザナギイザナミのと同じだ。

邪馬台国 沖縄説
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=teconomy&page=4&nid=3555184&st=writer_id&sw=kokoden9&start_range=3550516&end_range=3558133
553ココ電球  _/::o・ν   ◆tIS/.aX84. :2008/08/31(日) 11:04:10 ID:NuRlGVVY0
卑弥呼は倭のまとめ役であって
大和朝廷とは関係ない 時代違うじゃん 3−4世紀と7世紀だぞ
554名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 11:05:24 ID:0EaL54C+0
>>535
同系の物が最近中国でも出土しています。
真品かと。
555名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 11:06:42 ID:I92S+AgD0
ていうか、畿内説だと、邪馬台国が
ものすごい大国になっちゃって
スケール違いすぎるだろ

どんな国だと思ってんのかね。
30ヶ国連合の代表にすぎない。
その構成国も、末盧国=松浦、伊都国=糸島
など小さい。
そんな小国連合の集まりの代表が、いきなり畿内じゃ
西日本を支配する大国になってしまう。

乱のあと卑弥呼が立っておさまり、卑弥呼が死ぬとまた
内乱という不安定な連合。

さらに南の狗奴国との戦争では、魏に助けを何度も求めるほど
弱体。畿内説では、狗奴国は熊野か
熊野なんて山ばっかりでとても西日本を支配する邪馬台国を
危険にさらす国はできないだろ。
南朝がこもったように、守るなら人が入りにくくていいだろうが
逆に外に出るような体制はできない。

そんな弱弱しい邪馬台国が、畿内じゃ
スケールがおかしいだろ

畿内説は目をさませ。
どう考えても邪馬台国は地方の小さな政権。
大和朝廷とは何の関係もないか、あっても滅ぼされたたくさんの
小国のひとつにすぎない。
556名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 11:10:45 ID:oM3E39DOO
これで邪馬台国九州説が有力になったな。
卑弥呼以降はぐだぐだになって邪馬台国は神官を戴く国としての力は無くなり
他の強国が九州から近畿という新天地に行ったんだろう。
だからそれまでとは違う墓なんだろう。
箸墓は年代が卑弥呼以降だしな。
557名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 11:11:36 ID:0EaL54C+0
>>555
当時の国なんてせいぜい平地に張り付いた人間のエリア限定です。
瀬戸内海沿岸連合と考えれば、機内だろうが北部九州だろうが条件は同じ。
狗奴国が東海とすれば大変強力で大きな勢力ですよと既出。
558:2008/08/31(日) 11:14:21 ID:32X6LwiG0
金印かw
それ1世紀の話だからなあ。
卑弥呼は3世紀の話だよね。
その倭の国って卑弥呼がまとめる以前の統合体の一つってことかな。

559ココ電球  _/::o・ν   ◆tIS/.aX84. :2008/08/31(日) 11:14:36 ID:NuRlGVVY0
560名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 11:14:46 ID:wBB/9fGc0
佐賀涙目wwwwwwwwwww
561名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 11:18:40 ID:SO6dehAT0
>>557
そうだろうね。この時代はまだ通商の拠点のようなもんだったんだろうね。
やがてそれがいくつか連合して国の体裁を整えていったんだろうな。
562名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 11:19:49 ID:wx+PipM10
>>551
外務大臣なら、魏に行った使者は、
王は別にいると言うでしょ。
親魏倭王の印なんかもらえない。

だいたい卑弥呼の描写は、その上に支配者がいるとは思えない。

-----------------------------------
その国、もとは男子の王であった。
住まるところ7,80年、倭国乱れ、互いに責め合って年が経った。
それで一人の女子を共立して王とした。その名は卑弥呼。
鬼道を使い、人を操る。すでに年よりではあるが夫はいない。
弟がいて補佐している。

王となってから見た者は少ない。下女1000人を仕えさせ、たった一人の男子のみが
給仕したり伝令したりして出入りしている。
---------------------------


外務大臣なら卑弥呼が死んだとき、後釜を大和朝廷が決めればいいのに
1000人死ぬ内戦のあげく、13歳の少女が外務大臣っておかしいだろ

563名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 11:19:52 ID:v35rwAOYO
【夏祭り】24時間!!2chねら〜で繋ぐ全国吉野家の旅【2008】 

今年で7回目、毎年恒例になった全国規模のお祭りが今年も開催されました。
参加は簡単! 日テレ「24時間テレビ」の放送中に吉野家で何かを注文して報告スレに報告するだけ。
今年も皆様の参加をお待ちしております〜。

■ 開催日時(24時間テレビ放送日時)
2008年8月30日(土)18:30 〜31日(日)20:54
■ 予告、報告スレ(真っ先に目を通そう!)
24時間!!2chねら〜で繋ぐ全国吉野家の旅 報告スレ2 @祭りch
http://live24.2ch.net/test/read.cgi/festival/1220131269/
■ 本スレ(作戦会議用。見なくてもおK)
24時間!!2chねら〜で繋ぐ全国吉野家の旅17杯目@丼板
http://food8.2ch.net/test/read.cgi/don/1220103586/

■2008まとめサイト
http://www22.atwiki.jp/summer-yoshinoya/pages/1.html
■参考資料サイト(地図、去年のログ等があり、大変便利)
http://www.geocities.jp/yoshinoya24jikan/
■避難所
http://jbbs.livedoor.jp/sports/34674/
564名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 11:19:57 ID:he07qala0
>>555
だって、邪馬台国(とトマ国)はほかとはスケールが違いすぎる大国って魏志倭人伝に書いてあるもん。
565ココ電球  _/::o・ν   ◆tIS/.aX84. :2008/08/31(日) 11:20:46 ID:NuRlGVVY0
古事記、日本書紀、魏志倭人伝、出雲国風土記、その他で
朝鮮半島南部が倭の連合に入っていたのは明らか
左翼歴史学者はそれを隠したいんだろう
すなおに史料を読めば簡単なのに、屁理屈こねて歴史を捻じ曲げてしまう。
566名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 11:22:08 ID:oM3E39DOO
>>559
き…君、白村江の戦いは年代が違いすぎるのでは?
567名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 11:23:11 ID:SO6dehAT0
隋の使節が来たときも女帝に会わせていないっぽいところをみると
中国相手に女の大臣はちとあり得ないように思うな。
568名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 11:24:03 ID:clFy66JF0
神の字がついた天皇が3人いる。
神武、応神、崇神天皇だ。

これらの名前は漢風のおくりなで、奈良時代につけられたと言われる。
適当につけたのではなく、その文字には当然、意味があるだろう。

神武天皇は、日向から東征してきて大和朝廷を開いた。

応神天皇も九州・福岡生まれ。
香坂王・忍熊王という二皇子を討って大和を平定した。

この二人の天皇は東征したという点で共通している。
神という字を使ってるのは、外部からの征服者を意味してるのかもしれない。

崇神天皇にはそのような記録はないのだが、
奇妙なエピソードがいくつか残されている。

天照大神を宮中で祀るのはよくないと言って追い出したという話。
最終的に伊勢神宮が天照大神を祀ることになる
きっかけとなったエピソードだ。

また神の祟りがあったため、大物主の子孫である
オオタタネコを探した話。
崇神天皇が本当に直系の子孫なら、先祖の神の天照大神を追い出したり、
母方の神である大物主の祟りを受けるだろうか。

崇神天皇はまた「ミマキイリヒコ(崇神天皇の和名)は命を狙われてるのも知らないで」と
童女が歌っていたと聞いても意味がわからず、ヤマトトトヒモモソ姫に意味を聞いたと日本書紀にある。
これはやまと言葉がわからなかったということではないのか。

ミマキイリヒコの名にちなんで任那と名づけたというエピソードもその後に書いてあるが、
つまりミマキイリヒコとは、任那から入ってきた天皇という意味ではないだろうか。
569名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 11:24:04 ID:mhAFdykI0
普通に学術的な人は
卑弥呼は北部九州在住説なんだがなあ
なぜか厨な歴史小説家や
皇国史観よりの人は
奈良県あたりに持って行きたがる・・・
奈良県に卑弥呼の墓とか・・・意味わからんよ
570名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 11:24:24 ID:O5ynAcQoO
この発見のどこをどうとったらヒミコの墓じゃないか?という風な疑問が湧いてくるのか不思議でならんwwww
どうしてもヤマタイコクを誘致したいらしいww www
571ココ電球  _/::o・ν   ◆tIS/.aX84. :2008/08/31(日) 11:27:07 ID:NuRlGVVY0
>>566
よく読め
572ココ電球  _/::o・ν   ◆tIS/.aX84. :2008/08/31(日) 11:29:01 ID:YKAgGtPs0
>>566まさか白村江の戦いは大和朝廷が戦ったとか言い出さないよな?
3−7世紀 倭は続いた
573名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 11:29:27 ID:8cDvPDsOO
内藤たんと白鳥たん
574名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 11:29:41 ID:6XPgiS7V0
先生!出番だぜ
575名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 11:33:06 ID:O5ynAcQoO
今日の日本人は外交が下手だ
日本人は伝統的に外交が弱いのかもしれない
つまり昔に大陸と外交していた人は日本人(大和民族)ではなく大陸からやってきた外国人の可能性が高い
そう考えるとヤマタイコクは近畿圏以上にあったのではないだろうか
という大胆な推測
576名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 11:35:13 ID:d091/b4SO
卑弥呼=天照
577名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 11:37:03 ID:oVc5GHqB0
古墳から人骨が発見されたことってないの?
578名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 11:38:00 ID:E8pdsFBuO
あれ、スレタイの一部が 包茎発見か に見えたんだが…
579名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 11:39:18 ID:NHz9BJFP0
wikiの纏向遺跡は参考になるな。
当時としては画期的な大規模都市施設があり、全国の土器が多いということは全国から物品(租税?)を徴集していたんだろうな。
これが首都の条件だろう。
580:2008/08/31(日) 11:41:06 ID:32X6LwiG0
卑弥呼の系譜が大和朝廷に入っていったから
大和朝廷は九州北部から中部地方を政治的統一体とすることが
出来たんじゃないの?
581名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 11:43:41 ID:seGvsqLn0
九州王朝説は勘弁してくれ
古田信者は完全に気が触れてるよ
582名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 11:43:52 ID:CEDAlGBg0
ぶっちゃけどっちでもいいだろ。。。

ロゼッタ石みたいな石碑でも建てとけよ。。。全く。
583名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 11:46:04 ID:QksYrVzd0
弥生〜古墳あたり大好きなんだけど、書籍をぱらぱらとめくって
「水行30日」とか「卑弥呼の読み方は古代中国では云々」という記述が
あったら

「またかよ〜」

と思って読まないようにしている。
はっきりいって魏志倭人伝などどうでも良い。
マキムク遺跡はマキムク遺跡。すごい遺跡だ。
584名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 11:46:09 ID:mhAFdykI0
>>581
当時、王朝なんてものはなかったけど
卑弥呼を筆頭にする新しい連合体が
北部九州を拠点にしてたってのが有力
585名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 11:46:57 ID:oM3E39DOO
>>571-572
だからぐだぐだ(連合瓦解)の時期の事だろうが。
586:2008/08/31(日) 11:47:18 ID:32X6LwiG0
銅鐸をチリンチリン鳴らしていた連中がナンだったのかどうなったのか
は気になる
天皇関係じゃないし、文化として残ってないよね?


587名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 11:48:25 ID:X5ICyFAX0
>>582
歴史学の教授もいってたな
大和に間違いはないが
ぶっちゃけどっちだろうとどうでもいいんですよと
なんの実績にもならないし学問的にもたいした意味ない
588名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 11:48:50 ID:seGvsqLn0
>>584
じゃ女王国はどこなんだ
当時としては有力な奴国を従え
、人口はその数倍はあり
なおかつ古代な墳墓を築くだけの経済力のあった国の所在地
589名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 11:49:39 ID:SO6dehAT0
>>580
卑弥呼には子供がいないが、内乱の後親族である台与が女王に立てられた
ところをみると卑弥呼の一族は神聖視されていた可能性もあるよね。
中国から逃れて来た貴人の家系とか。
590名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 11:53:04 ID:VSWU3x6Y0
卑弥呼は古代日本の支配者だったのに
なぜ「卑しい」という字が使われているんですか?
591名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 11:56:46 ID:SO6dehAT0
>>590
当て字です。夜露死苦とかと一緒。
592名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 11:58:07 ID:UaUNumOX0
>>589
中国なら卑弥呼なんて字は使われない

伊都国や、好古国など、いい字が使われている
国は、中国人が住んでいたんだろうか

593名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 11:59:17 ID:NYsN2Vuh0
>>479
>高天原(アマテラスなど)の段階では任那に住んでいたと思う。

高天原は朝鮮ではない。
スサノヲは朝鮮に行ってまた戻ってきている。

>天の沼矛による国生み神話どおり、壱岐・対馬・九州・隠岐島・出雲・新潟あたりに
>一斉に植民した。

ダメダメ。失格。

国生み神話の始まりは、淡路、四国。
イザナギ・イザナミを祀る神社は山陽にある。

594名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 12:00:52 ID:TvZwEhOt0
562
実際問題として、当時の中国人と倭人がどれだけ意思疎通ができるほど
お互いの言葉に通じていたか疑わしいだろ。
 ちなみに、当時の中国文化圏の感覚では‘王‘は‘大王‘の支配下の‘臣‘
の意味。
 日本側が「この女はヤマトの女王(外務大臣)です」と言えば
 中国側は当然‘女王‘の上に‘大王‘がいると考えるのが普通だろう。
時代がかなり下って日本の戦国期に関する記述でも中国側の記述は間違いだらけ
595590:2008/08/31(日) 12:01:17 ID:VSWU3x6Y0
>>591
当て字にしても
もっといくらでもほかに書きようがあるでしょ?
たとえば、
日、火、緋、妃、秘、陽....etc
なぜわざわ支配者の権威をおとしめるような「卑しい」という字を使ったのかが
非常に疑問です。
596名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 12:03:47 ID:mhAFdykI0
>>588
みんなそれを知りたいし
自分家の裏山がお墓であって欲しいと思ってる
597名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 12:04:23 ID:ohJPuIBo0
>>595
中国は周辺民族の名前を記すときはできるだけ相手を貶めるような悪い意味を持つ字を
わざと選んで書く傾向があった。
これは日本相手に限ったことじゃない。
598:2008/08/31(日) 12:04:41 ID:32X6LwiG0
>>589

13歳の少女に政治的な力があるとはとても思えない。
卑弥呼の親族だからという理由以外何も無いよね。
この理由だけで治まってしまうのも凄いがw
599名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 12:06:00 ID:R666rXG0O
謎めいた人だな
まだなんもわかってないし
ロマンを感じる
600名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 12:06:45 ID:SO6dehAT0
>>595
別に疑問でもなんでもないんで、それが中華思想というものでしょ。
中国の周辺民族や国にどんな字が使われているか考えてみればわかること。
601名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 12:06:56 ID:oM3E39DOO
>>595
当時の中国では他国にそういう字を使うのは普通の事なんだが……
602名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 12:07:57 ID:lCnPPfZ90
邪馬台国九州説の東京大学は涙目だろう
かって強行に主張した脚気細菌感染説と同レベルの大失態だ
603名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 12:09:58 ID:MUSKSIBE0
倭国大乱は主に九州の小さな国の争い。
それを治めて、九州と中国の一部を平定したのが邪馬台国、文化圏で言えば銅矛文化。
九州を平定した後、邪馬台国は大陸伝来の先進的な武器を持ち中国、近畿の銅鐸文化圏へと攻め上る。
中国、近畿を制圧し、九州、中国、近畿を含む西日本一帯を連合国家としてまとめる邪馬台国が成立する、銅鐸はここで消滅。
九州に魏の使者がくる、この頃は既に卑弥呼は近畿にいたわけだが、魏志倭人伝の内容は九州にとどまった使者が伝聞で書いたもの。
卑弥呼が死にでかい墓を建設(箸墓かも?)。
内乱後、イヨをたて一時は収まるもその後近畿、出雲の連合軍が邪馬台国を滅ぼす。
邪馬台国を滅ぼした近畿出雲の連合軍のうち、近畿の勢力が同じ文化圏であった出雲を飲み込み大和王権成立。
九州へも攻め入る。(西征伝説)
その後大和王権は九州、中部、関東までも支配下に納める。
九州ではその後も磐井など、ある程度大和王権から距離を置いて独立をを保っていた地域もあったが、大和王権の勢力がそれをも支配するようになる。
続く…
604名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 12:10:38 ID:SO6dehAT0
>>598
卑弥呼自体どうい経緯で女王に立てられたのかわからないしね。
巫女としての能力に秀でていたとか考えることもできるけれど、
弟が実質政務をとっていた風な記述があるところをみると
卑弥呼の一族はなにか特別な存在だったのかもしれないね。
605名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 12:10:39 ID:NYsN2Vuh0
>>568

天皇を朝鮮人にしたいようだな?

神武は、日向から東征してるから、朝鮮とは遠い。
崇神は物部氏系列だが、物部氏が朝鮮人という痕跡は無い。
応神の母、神功皇后は、近畿の息長氏の勢力。
606ココ電球  _/::o・ν   ◆tIS/.aX84. :2008/08/31(日) 12:11:53 ID:YKAgGtPs0
>>602
死ね
607名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 12:12:54 ID:nElk0AvT0
>>590
つけてくれたのが中国様だからでーす
日本だって「倭」だし
これって小人の意味では?
でもバリバリ半島に出かけたりして
私は当時の倭人が好きだ
608名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 12:13:45 ID:QOlYOLdG0
>>592
隋書だったかな?使が大和へ行く途中にまるで中国のような場所があったって
書いてあるね。当時中国人は多数住んでいたと思われる。
609名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 12:14:39 ID:oVc5GHqB0
>>607
バリバリ半島ってどこにあるの?バリバリ伝説発祥の地とか?
610名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 12:15:30 ID:jvmw8CYT0
>>555
そんなショボイ国家に魏が檄を飛ばすわけないじゃん
611名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 12:16:25 ID:nElk0AvT0
>>609
wwwちょっと笑
バリバリと半島に・・・の意味ですよ
612ココ電球  _/::o・ν   ◆tIS/.aX84. :2008/08/31(日) 12:16:30 ID:YKAgGtPs0
>>607
おいおい 「倭」うじゃ中国が勝手に呼んでただけだぞ
倭の連中が自分たちを何と呼んでいたかは記録に無い
613名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 12:16:32 ID:iEhkN1kjO
>>598
卑弥呼の一族が有力だから卑弥呼も台与も女王になれたと考えるべきでは?
614名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 12:17:06 ID:QOlYOLdG0
>>604
魏志に書いてあるよ?
国々が争いあって、男王立てたが収まらないので仕方なく女子を王に立てて
ようやく収まったって。
615ココ電球  _/::o・ν   ◆tIS/.aX84. :2008/08/31(日) 12:17:27 ID:6I5TEpBt0
>>607
おいおい 「倭」は中国が勝手に呼んでただけだぞ
倭の連中が自分たちを何と呼んでいたかは記録に無い
616名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 12:17:51 ID:hVwX6DwU0
九州説派は無理やりねじ込んできたわけだから後には引けないんだろうね
かわいそw
617名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 12:19:36 ID:nElk0AvT0
>>615
高句麗からも倭人と呼ばれているよ
周囲の国からは倭と呼ばれてたんだろう
自分で自分をどう呼んだかはわからんが、
不愉快な呼び名だと思っていれば、
果たしてその国に貢物なんかするかな?
618ココ電球  _/::o・ν   ◆tIS/.aX84. :2008/08/31(日) 12:19:41 ID:r5HaqllU0
           _____________________
          ||                           ||
          ||  畿内説は根拠のない曲学阿世の徒の戯言  ||
          ||          。   ΛΛ   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ハーイ!     ||          \ (゚Д゚,,) <  いいですね!
          ||________⊂ ∪  \_______
  ∧ ∧    ∧ ∧    ∧ ∧      |  |
  (  ∧ ∧ (   ∧ ∧ (  ∧ ∧   UU~
〜(_(  ∧ ∧ __(  ∧ ∧__(    ∧ ∧    ハーイ!
  〜(_(  ∧ ∧_(  ∧ ∧_ (  ∧ ∧
    〜(_(   ,,)〜(_(   ,,)〜(_(   ,,)
      〜(___ノ  〜(___ノ   〜(___ノ
619名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 12:20:04 ID:CJ6ELBXt0
スレタイがひどいな
620名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 12:20:22 ID:oEYKMVae0
>>1
あからさまに、外国人参政権で日本を乗っ取る計画をぶちあげてんじゃんよ。
もうね、危機感ゼロで馬鹿なの日本人。 滅びたら?
621名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 12:21:14 ID:SO6dehAT0
>>614
7,80年は男の王の時代でそれで国が治まらないから卑弥呼が立てられたと
あるね。
ただ俺が言いたいのはそれがなんで卑弥呼だったかと言うこと。
国が乱れているときには皆が納得するような血筋の者を象徴に持ってくるんじゃ
ないかなということです。
622名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 12:21:51 ID:u+7mlk480
>>616
そうか?
九州に邪馬台国があって日本に滅ぼされたって話は特にねじ込みでもない気がするが
623名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 12:22:13 ID:seGvsqLn0
>>596
奴国は春日市の須玖・岡本遺跡に比定されてて王墓跡も見つかっている。
福岡平野一帯を治めていた大きな勢力だ。北九州の中心地域といってもいい。
筑後山門、豊前宇佐あたりを女王国と考える九州説が多いようだが
その周辺に同時期の大きな遺跡群は見つかっていない。
畿内の方は纏向遺跡・古墳群があり、
なおかつこちらは直接初期大和王権につながっている。

九州説は、その後の推移についても

(1)その後大和政権に吸収された
(2)その後東遷都して大和政権になった
(3)しばらく「九州王朝」が存在し大和政権と並立した

どれかであることを考古学的に説明しなければならないという点でも不利。
6242ちゃんねるキング ◆Rme56xU3RE :2008/08/31(日) 12:23:29 ID:wBIhSQZH0
梅原大先生も「例えどんな証拠が見つかっても畿内説が変えない」と仰ってるんだから従いなさい

あの白虎の関東日本王国って何なの?
いつも楽しみにしてんだけど
625名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 12:24:01 ID:u+7mlk480
>>621
軍人、政治家のトップを王に立てたが、治まらないので宗教のトップを王に立てたら治まった。

ってだけの話で特に珍しくない気がしますが
626ココ電球  _/::o・ν   ◆tIS/.aX84. :2008/08/31(日) 12:24:06 ID:r5HaqllU0
畿内説学者の解釈

南へ1000里 > 「南とは東のことであり、1000里とは100里のことである」
水行10日  > 「10日とは5日のことである、当時の人たちは一日を二日と数えた」

死ね畿内歪曲学者 
627名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 12:24:49 ID:MUSKSIBE0
>>603続き・・・
日本をほぼ平定した大和王権は大陸に習い自らの正史を編纂する。
自らの正当性を主張するため、神話と自らの王権のルーツを結びつけることにする。
そして、各地に残る伝承などにも留意しながら自らの正当性を鼓舞する正史編纂に取り組む。
邪馬台国については手本とした大陸の正史の中にも記述があり、また、各地にも当時はまだまだ邪馬台国に関する伝承などが残っていた。
全くの異文化(当時は異民族と捕らえていたのでは…)の邪馬台国なので、自らの正史の中に邪馬台国から大和王権に直接つながりを持たせるようなことを書く事は出来ない。
しかし、大陸の正史にもある史実を全く無視するわけにもいかない。
と言うことで、国の始まりが天照と言う女神であったこと、神武東征があったこと、などを邪馬台国と大和王権が比定されないように気をつけながらも邪馬台国の史実を匂わせることにした。
また、神功皇后も卑弥呼を匂わせることにより出来るだけ大陸の正史にも気を使った。
しかし、異文化の邪馬台国と言う名前は一行も入れず、卑弥呼と言う名前も入れず、邪馬台国自体に関しては無視する形となった。


と言うのが現在の私の結論です。
628名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 12:25:55 ID:QOlYOLdG0
>>617
倭人は中国内にもいるぞ?
広開土王碑文の事を言ってるのだろうが、日本軍による
改竄説を必死に唱えてるぞ?朝鮮の学者は。
629ココ電球  _/::o・ν   ◆tIS/.aX84. :2008/08/31(日) 12:26:16 ID:jtXX3Qqa0
畿内説学者の解釈

「古墳の周りに堀が掘られていた」 = 「卑弥呼の墓」

死ね畿内歪曲学者 
630名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 12:27:57 ID:X5ICyFAX0
>>622
文献でも考古でも裏づけが何一つないけどな
631名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 12:30:17 ID:ohJPuIBo0
>>617
「倭」というのは自称の「我々」(we)という意味の「ワ」だろうね。
「我が国」なんてのも、「が」は現代語でいうと「の」の意味だから「ワの国」つまり
「我々の国」という意味だ。
津軽方言には今でも「私」という意味で「ワ」が使われているけど、
最も古い段階では一人称単数が「ア」、一人称複数が「ワ」だったと考えられている。

民族の対外的な名称が、その民族の言語で「私」「我々」「人間」を意味する語になるというのは
世界にありふれた現象。
632名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 12:30:39 ID:HCCwvQ1DO
何をもって卑弥呼の墓だといえるのだろうか?
633ココ電球  _/::o・ν   ◆tIS/.aX84. :2008/08/31(日) 12:30:45 ID:jtXX3Qqa0
>>630
熊襲。隼人討伐
634名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 12:31:11 ID:lCnPPfZ90
>>618
しゃれがキツイな。「曲学阿世の徒の戯言」
東大の全面講和主義に対して吉田首相が放った言葉じゃないか
九州説の東大が、こんな反論するわけないよ
635名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 12:32:03 ID:u+7mlk480
>>630
倭と日本は別物ですって中国の文献に書いてあるらしいが
636名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 12:32:51 ID:QOlYOLdG0
>>629
馬鹿だねぇ。そんな事>>1が勝手に書いてるだけだよ。
考古学者がそんな馬鹿な事を言う筈がありえない事を君にはわからないんだねぇ〜。
637名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 12:34:26 ID:SO6dehAT0
>>625
軍人、政治家、宗教ってそんな職能の分化が進むのはもっと後の時代の
話なんじゃないかな。
638ココ電球  _/::o・ν   ◆tIS/.aX84. :2008/08/31(日) 12:34:37 ID:jtXX3Qqa0
津軽の「ワ」は知ってる。
漢字がなかったから発音で「わ」と呼んでいたのを、中国の使者が適当な漢字をあてたんだろうね
639名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 12:35:21 ID:QOlYOLdG0
>>632
3世紀中頃の墓と推定されているから。
あくまでも仮説って事を理解しないと駄目。
640(´-`).。oO ◆abcDBRIxrA :2008/08/31(日) 12:38:27 ID:XqpyDG+D0

卑弥呼の墓は、宇佐八幡の下にある。

(o^-’)b これ、ファンタジー考古学の常識です。
641名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 12:40:21 ID:/aKk9IYj0
>>605
ハア?
任那は日本の領土だよ

大事な足がかりだから、朝廷も
親王を置いていたとしても不思議じゃない。
祀る神が違っていても当然。

それが後継争いで、天皇になった。
日本国内でも方言があれだけ違うんだから、
任那育ちでは言葉が通じなくても当たり前
642名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 12:40:38 ID:2HvoCzop0
箸墓って割り箸業者が毎年8月4日、割り箸を弔いにお参り行く処ですよね。
そんな処が卑弥呼の墓だったなんて。
割り箸業者の人も知らなかったんじゃないの。
643名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 12:41:17 ID:seGvsqLn0
>>635
旧唐書や新唐書の記述なら
大化の改新や壬申の乱のクーデターによってできた中央集権的な政権が
倭の国号を捨てて日本を名乗るようになったとでも解釈すればいい
実際日本の国号が使われだしたのは天武朝あたりからというのが今の通説

それを九州王朝(倭)が大和政権(日本)に吸収されたとみるのが
九州王朝説というトンデモ説
644ココ電球  _/::o・ν   ◆tIS/.aX84. :2008/08/31(日) 12:42:37 ID:jtXX3Qqa0
・倭の諸国 
  【中国関係】 朝貢、冊封しまくり 古
  【文化】    古代的 独自文化維持 戦闘的
  【形態】    連合国家

・大和朝廷 中国とは距離を置いていた、
  【中国関係】 中国とは距離を置いていた
  【文化】    中国文化を規範とし積極的に取りいれた
  【形態】    中央集権

何があったかは日本書紀で覆い隠されてしまった。
645名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 12:43:10 ID:X5ICyFAX0
>>641
そもそも言葉の意味がわからないっていうのを
言葉が通じてないって解釈する時点でまず間違ってる
任那から来たって説はあるけど
任那は日本なんていってるやついないし
いろいろ都合のいいように解釈してるなお前
646名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 12:44:25 ID:oM3E39DOO
>>631
西日本でも老人はワを使うよ。自分という意味で。
微妙な言い方だけど「その事をワ(お前自身)は知らなかったのか」みたいな感じで。
647ココ電球  _/::o・ν   ◆tIS/.aX84. :2008/08/31(日) 12:44:29 ID:Gto1NFka0
>>643
あたり じゃなくて701年だよ
648名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 12:45:05 ID:NYsN2Vuh0
>>641
任那から天皇が来たという物的証拠は?

任那と大和から同じ形式の土器が出る?
任那と大和から同じ形式の金属器が出る?
任那と大和に同じ形式の墳墓がある?

崇神天皇がひとりで、任那から来て天皇に就任したとでも?
天皇になるためには、「地盤」となるものが必要だろ。
人や物といったものが大勢必要だ。
649:2008/08/31(日) 12:45:46 ID:32X6LwiG0
卑弥呼の宗教的な存在から天皇の源流とみなしてもそんなに混乱は無い
と思うが、ただ骨を焼いてとかという具体的な方法の記述を見ると
「なんか違うかも」と思ってしまう。

650ココ電球  _/::o・ν   ◆tIS/.aX84. :2008/08/31(日) 12:46:16 ID:W9KqL+eL0
>>645
おいおい 朝鮮半島南部が倭だったってのはあちこちの文献にあるぞ。
白村江も否定するのか?
651ココ電球  _/::o・ν   ◆tIS/.aX84. :2008/08/31(日) 12:47:45 ID:0We646Bl0
>任那と大和から同じ形式の土器が出る?
>任那と大和から同じ形式の金属器が出る?
>任那と大和に同じ形式の墳墓がある?

最近出てきたけど
652名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 12:47:59 ID:jvmw8CYT0
>>649
骨を使った占いは記紀に出てきます
653名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 12:48:43 ID:7hYNyvMlO
>>637
邪馬台国の時代に
男→政治軍事
女→巫女
と言う役割分担があってもおかしくはないと思うけど
654名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 12:49:07 ID:+g55oOt70
箸墓古墳は時代的にも卑弥呼陵だろうと言われてきたからなあ。
まあガチなんでしょ。邪馬台国はやはり大和にあったか
655名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 12:51:07 ID:OzI6PN/z0
関東の仮称日本王国は
656ココ電球  _/::o・ν   ◆tIS/.aX84. :2008/08/31(日) 12:51:20 ID:0We646Bl0
魏志倭人伝

「韓は帯方郡の南にあり、東西は海をもって限りとなす。南は倭に接し、国土はおよそ四千里四方である。」

南は海ではなく倭であったとある


657名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 12:51:52 ID:NYsN2Vuh0
>>650-651

脳内妄想にはつきあいきれんな。
朝鮮半島南部を倭が支配したとしても、その時期はもっと後だろ。


>最近出てきたけど
崇神天皇と同時代の遺物という根拠はなんだ?
658名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 12:52:58 ID:CFHXS3Rn0
ココ電は九州に邪馬台国があったと信じてるんだろ?

可也恥ずいなw
659名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 12:53:38 ID:5a0e0A4JO
>>646
出雲(山陰)地方は「ワ=他人」みたいな使い方あるな。
「ワヤツ=おまいら」みたいな使い方。
660名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 12:54:26 ID:yhwWvMVV0

ヒミコ ミコ ミコ ヒミコ ミコー!
661ココ電球  _/::o・ν   ◆tIS/.aX84. :2008/08/31(日) 12:56:03 ID:0We646Bl0
あほ 邪馬台国は沖縄だと示しただろ
>>552

すなおに魏志倭人伝の記録どおりにたどればいいのに、なんで歪曲するんだ?
662名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 12:57:14 ID:2i0xbOgp0
こういうの掘らせないから、
右翼って信用ならないんだよな。
663ココ電球  _/::o・ν   ◆tIS/.aX84. :2008/08/31(日) 12:59:14 ID:IERB+vKk0
>>657
韓国の歴史学者が、日本が朝鮮起源の証拠だって騒いでますけど

------------------------------------------------------------
[編集] 朝鮮半島南部の前方後円墳
現在までに全羅南道に11基、全羅北道に2基の前方後円墳が確認されている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%8D%E6%96%B9%E5%BE%8C%E5%86%86%E5%A2%B3
664名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 13:00:27 ID:seGvsqLn0
>>662
箸墓は宮内庁管理の陵墓だから今のところ発掘はできない
ただ、あんだけ大きな古墳だとかなり昔に盗掘されちゃってて
めぼしいものは残ってないとは思うけどね
665名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 13:00:41 ID:CFHXS3Rn0
御前のIDなんか変わってるだろ
ガタガタ言うなよ

沖縄なんかに邪馬台国なんかある訳ないだろ
じゃあ狗奴国は何処なんだよ
666名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 13:01:04 ID:MUSKSIBE0
もう、朝鮮半島の話しはやめ!

邪馬台国に話をもどしなさい!
667名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 13:02:13 ID:uv0/J20s0
興味深いスレなのでここまでざっと目を通したが、いまだに
スレタイの古墳の名前がわからない・・・


まさか誰も読めないわけじゃないよなw
668名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 13:03:06 ID:J4xysms30
>>657
魏志倭人伝
「到其北岸狗邪韓国」
ちゃんと倭が朝鮮南部を支配していたことを記載してあるよ。
669名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 13:03:15 ID:MUSKSIBE0
>>664
もう4世紀ぐらいまでの宮内庁管理の古墳は全て発掘調査させなさい!!

とにかく古代史の発展を大きく妨げているのが宮内庁であるということだけはがち!
670名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 13:03:55 ID:FUJn3YUx0
卑弥呼の性格はツンデレとみたw
671名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 13:04:02 ID:uTNE1vl30
宮内庁は何か隠してるな
672名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 13:08:26 ID:MUSKSIBE0
>>671
宮内庁の中にはまじで「皇室2600年の歴史は史実」と思っているやつらがいるし、「皇室は2600年間万世一系を貫いてきた」と信じているやつもいる。
そして、これらが覆ることが天地がひっくり返ることのような重大事件と思っているやつらがいる。
「日本の歴史が何でも明らかになってしまえばそれでいいとは限らない…」とか言ったりする訳だ…
673名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 13:10:41 ID:7qnrjaCB0
>>605
神功皇后の両親は、息長宿禰と葛城高額姫

この葛城高額姫は、但馬に住みついた新羅の王子・アメノヒボコの
子孫。
(アメノヒボコの曾孫・田道間守の子・多遅摩比多詞の娘が葛城高額比売命)

本来なら天皇家に新羅の血が入ってると騒ぎそうなものだが
なぜか神功皇后なんかいなかったとしたいらしい。

674ココ電球  _/::o・ν   ◆tIS/.aX84. :2008/08/31(日) 13:10:45 ID:IERB+vKk0
日本成立は7−8世紀だ
倭は大和朝廷とは別物
675名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 13:13:27 ID:uTNE1vl30
古墳の地下にUFOが隠してあるとか、棺を開けると封印されていた怪獣が復活するとか、
そういうのなら面白いんだが。
676名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 13:15:00 ID:343HYi9A0
前方後円墳の平面図って、日本という文字のデフォルメにしか見えない。

日 ◎ ◎
本 本 △

中央の張出し部分と拝観の位置が、本の文字にちょうど合うような気がする。
確かに時代ギャップはあるのだけれどね。
執拗に全国にこの形の墳墓を作らせたのも、そういう事ならよくわかる。
半島にもあったね、確か。

677名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 13:16:29 ID:J4xysms30
>>674
えーと、倭は大和朝廷が成立しても使っていた自称なんだが・・・
日本の国号は確か桓武天皇時代から使い始めたでしょ。
それに日本の成立が7-8世紀なんてのは、君だけの意見だよ。
678名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 13:17:10 ID:EJ5oVzyS0
>>676
◎ → 回
△ → 山
679名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 13:17:57 ID:Vp1IV+wBO
欧州の王家だって元を辿ればバルバロイの子孫が殆どだろ。
なんでルーツの正統性に拘るのかサッパリわからん
680名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 13:19:15 ID:XEJ/sB/T0
>>676
前方後円墳って、こうじゃないの?

  ▽
  ◎
681名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 13:19:29 ID:Zti2mh1AO
hashihaka
682名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 13:19:54 ID:oM3E39DOO
>>667
(;-"-)そんなの君だけだから………
683名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 13:20:00 ID:uTNE1vl30
どっちが前か、誰がどうやって決めたんだ?
684名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 13:21:35 ID:lm0Kh/tz0
>>679
そりゃ民族大移動だの、征服したりされたりを
繰り返してるところはそうだろうが
日本のように、さかのぼろうと思えば
どんどん先祖がたどれる国では大事なのよ
685名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 13:21:49 ID:NPyouK220
前方後円墳の原型はマナの壷です
686名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 13:22:57 ID:DX/as8We0
蒲生君平が輿車に見立てて決めただけ
687名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 13:24:15 ID:seGvsqLn0
>>674
古田信者は基地害
おもしろいのは同じ邪馬台国九州説論者の安本美典も
九州王朝説を批判してること
アフォ同士で共食いしあってる
688名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 13:25:21 ID:7om+ifxe0
前方後円墳がカギなのは常識だろ・・・
これでマグネットパワーを止めるんだよ。
689名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 13:26:12 ID:O5ynAcQoO
>>477
こんなの出てたらもうヤマタイコクは出雲じゃんかw
違うのか?
690名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 13:26:59 ID:343HYi9A0
それに、この古墳は広大な堀の中に浮かんでるよね。
海に浮かぶ日本をあらわしてる。
これは先祖からのスケールの大きいメッセージ。
691名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 13:27:57 ID:QpwWPdOC0
>>51

違うよ、道教などに見られる中華思想では、地球は平であり、中国がその中心にあると言う考え方。
辺境の地は野蛮で低俗であるという考え方から、中国から遠い日本に対して、蔑むような文字を使う。

いい加減に中国人は、地球が丸いと言うことを認識するべき。
神話は神話、現実は現実。

中国人の持つ優越感は、論理的ではない。
692名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 13:29:55 ID:4CthuADD0
>>688
開けたらだいだらぼっちが
出てくるかもしれんから止めれ、な。

↓「急にレスのレベルが下がった」の書き込みどうぞ
693名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 13:35:23 ID:K5hAUVnB0
>>691
そういえば、中国から遠いアメリカには美国だね。
694名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 13:38:54 ID:AwcL6TAT0
海も何もない奈良が邪馬台国とか、近畿説信者は頭おかし過ぎる(藁
695名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 13:40:29 ID:QpwWPdOC0
>>693

もの凄いビビってるんだよ。
白人コンプレックスが酷すぎる。
白人には負けたことしかないからな、中国は。
696ココ電球  _/::o・ν   ◆tIS/.aX84. :2008/08/31(日) 13:41:47 ID:IERB+vKk0
>>677 古事記 日本書紀以前の文献でもあるのか(笑い

663年:白村江の戦い
672年:壬申の乱。飛鳥京に遷都する。
683年頃:富本銭を鋳造する。
684年:八色の姓を制定する。
694年:藤原京に遷都する。
701年(大宝元年):大宝律令の成立。 (日本国の国号を初めて使用)
708年(和銅元年):銀銭及び銅銭を鋳造する(和同開珎)。

[編集] 奈良時代
710年(和銅3年):平城京に遷都する。
712年(和銅5年):『古事記』の成立。
718年(養老2年):養老律令の成立(実施は757年(天平宝字元年)から)。
720年(養老4年):『日本書紀』の成立
697名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 13:45:25 ID:wljjmgNoO
>>696
あったけど焼けちゃった。天皇記とか国記とか。
698名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 13:45:58 ID:343HYi9A0
邪...鬼道の風習
馬...馬に乗って闊歩している
台...大きな前方後円墳がいっぱいある

3文字で、国の風景を表現してるんだろ。
699名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 13:49:14 ID:seGvsqLn0
>>694
海がないといけない理由がわからない
九州説でも邪馬台国を海に接しない内陸だと考えてるのが多いよ
700名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 13:52:24 ID:wljjmgNoO
>>699
投馬国から水行十日陸行一月だからねぇ。
701名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 13:54:44 ID:6X5VgcOB0
邪馬台国は岩手だと思うな。
702名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 13:55:16 ID:H2ZfaZQA0
>>698

「その地には、牛、馬、虎、豹、羊、カササギはいない」
魏志倭人伝
703名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 13:55:26 ID:JrJ7MyoJ0
>>697
秀吉が焼いたのか?
日帝が焼いたのか?
はっきりしろ!
704名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 13:55:50 ID:C7VVltHy0
奈良にあるわけないやない
705:2008/08/31(日) 13:59:05 ID:32X6LwiG0
銅鐸をチンチン鳴らしてた連中は縄文人ベースの人たちってことかなあ
俺、どう見ても縄文系なんだけど・・・。
おいらの祖先はどうなったw

706名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 14:00:18 ID:QrJHEA6T0
>>697
ある意味、日本書紀は世界最古の歴史書とも言えるからなー
征服者の統治の正当性を保障する「証明書」にすぎない(そのため偽造てんこ盛り)、
司馬遷以降の歴史書と違い、日本書紀は「一書に曰く」と科学的考察を行っている。
707名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 14:01:32 ID:wljjmgNoO
>>703
もっと昔だ。620年に作られて645年の俗に言う大化の改新で焼けた。
708名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 14:03:13 ID:Da16KoKd0
>>697
蘇我氏が編纂し、大化の改新で
焼かれたという天皇記

なぜ、臣下の蘇我氏が天皇記などを
持っていたのか。
そんなものの編纂を天皇が命じた記録はない。

蘇我氏は、天皇だったのではないか。

中国の記録では、遣隋使は
「日本の王はアメタリシヒコという男王だ」
と言ったとある。
だが当時は推古女帝のはず。

その後、ハイセイセイという隋の使者が
日本まで同行して天皇に会っているが、
天皇が女だったとは一言も書いてない。
その時の天皇は本当は蘇我馬子だったのではないか。

大化の改新とは蘇我から帝位を奪うクーデター
だったのかもしれない。
709名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 14:09:23 ID:PkKGwoAa0
たまには東北の事も思い出してあげてください
710名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 14:10:49 ID:he07qala0
>>683
蒲生君ペイが思いつきで決めた。結果的にあってたみたいだけど。
711名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 14:11:19 ID:AwcL6TAT0
>>708
激しく同感。
712名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 14:12:24 ID:Da16KoKd0
>>709

●日本中央の碑

青森県で見つかった「日本中央」の文字が刻まれた巨石。

「津軽外三郡史」に「かって津軽は日本の中央であったので、
日本中央という石碑があったが、坂上田村麻呂が襲来したとき、
地中に埋めたと書かれている。
平安時代の歌集にもこの石碑のことが出ているが実在が確認されず、
長い間、伝説とされてきた碑。
明治時代にも探索が行われたが、見つからなかった。

ところが、戦時中、自分の庭に防空壕を作ろうとしていた農家の庭先から、
「日本中央」と書かれた石碑が出てきたのである。
当時は、戦時下で、この事実は伏せられていたが、戦後公開された。
http://www.tctv.ne.jp/members/naruhiko/chuuouno.html

いったい誰が何のために建てたのか、
なぜ青森が日本中央なのか、
謎の多い石碑。
713名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 14:12:33 ID:oVc5GHqB0
昔、土曜の昼にテレビでやってた大化の改新あたりをテーマにしたヤングドラマ(笑)を思い出した
714:2008/08/31(日) 14:15:55 ID:32X6LwiG0
592年、蘇我馬子は崇峻天皇と対立し、天皇を暗殺した。
かわって即位した女帝の推古天皇は、翌年、甥の聖徳太子を摂政とした。
太子は大臣の蘇我馬子と協力し国政の改革にあたることになった。
って教科書にあっさり書いてあるんだけど。
715名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 14:19:27 ID:343HYi9A0
>>702
文脈から見て、ここは家畜用の牛馬はいないということでしょう。
716名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 14:21:27 ID:WJ8nd3680
>648 :名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 12:45:05 ID:NYsN2Vuh0
>>641
>任那から天皇が来たという物的証拠は?

結局、騎馬民族征服説だろ。ミナとニナの音が似ていると言うだけの根拠で
拡大解釈してるから根拠と言えるものではない。
結論ありきで強引に後から、根拠をさがしてる感じは拭えない。
言葉が通じないなんてのは>>641のただの想像だろ。

>>673
>この葛城高額姫は、但馬に住みついた新羅の王子・アメノヒボコの子孫。
はっきり言って嫁の方は関係ないのよ。
一般的に地位が低いので天皇になる事は少ないが(後を継ぐには嫁の実家の権力も必要)
渡来人の子孫の帰化人を嫁した例はよくある。

天皇家自体は時の権力者の血を入れる事で地位を保っているわけだし、
嫁の家系ってのは成り上がりで良くわからないってのが良くある。
蘇我氏にしても、渡来系のボスとして権力を握ったが、本人も渡来系でないかと言う説も有る。
(少なくとも7代は日本にいるが、ぽっと出の権力者なのでそれ以前はわからん。
 一応本人は神代からの日本性を名乗っているが…)
徳川家にしても、源氏と言う天皇家の子孫を名乗ってるが嘘っぱちだしな。
717名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 14:22:01 ID:AwcL6TAT0
本当は、「邪馬台」ではなくて、「邪馬壱」=「やまいち」国だったんだよね。
その時代のシナでは「邪」も「馬」も卑字だけど、「台」だけは皇太子の宮殿
を意味しており、貴字。東夷の国の名のあて字に「台」(の旧字)などを使う
はずがない。

魏志倭人伝が版を重ねているうちに本来使われていた「壱」(二心がない忠実
な家来の国というほどの意味)の字が「台」(の旧字)と間違って入れ替わって
しまったんだよ。
718名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 14:23:01 ID:2HvoCzop0
8月4日は箸の日。
毎年、箸墓で箸供養が行われる。

豆知識な。
719ココ電球  _/::o・ν   ◆tIS/.aX84. :2008/08/31(日) 14:23:10 ID:IERB+vKk0
>>712
どうせ竹内文書を書いたやつが見つけたんだろ
信用ならん
720名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 14:23:55 ID:FBxNvaw80
>>715
牛・馬だけなら野生はいるけど家畜はいないともとれるが
虎、豹は?
そもそも見ないし、通訳?あたりに確認しても
いないと言われたんじゃないかな。

おそらく東日本には、北方から馬は入っていたはずだが
西にはいなかったのかもしれない。
だから大和が東日本を支配したとき、
献上品として馬が届けられている。
721名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 14:26:47 ID:X5ICyFAX0
>>717
古田乙
722名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 14:28:00 ID:vMybAsmEO
>>676
> 前方後円墳の平面図って、日本という文字のデフォルメにしか見えない。

> 日 ◎ ◎
> 本 本 △

> 中央の張出し部分と拝観の位置が、本の文字にちょうど合うような気がする。

「前」と「後」って漢字の意味を理解してる?
723名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 14:31:22 ID:co8n3V570
出雲の銅鐸に亀、トンボ、鹿、四足獣が書いてあったんだけど、四足獣って猪だろうね。
縁起物? 食料? ペット?あたりなんだろうけど、愛着のあるものしか彫らないからね。

そういえば、猪鹿蝶と言えば花札で有名だけど、その原型がこれかもしれないね。
『花札の原点が銅鐸である』と言って信じる奴はいないだろうが・・・・w
まあ日本人の心に、猪と鹿と蝶(とんぼ・・・昆虫)が言い伝えられてきたことだけは確かだろう。
ごめん卑弥呼とは全く関係なくてwwww 
724名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 14:35:27 ID:343HYi9A0
>>722
意味わからない。
725名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 14:37:34 ID:QpwWPdOC0
>>724

前が箱形で、後ろが円の古墳

「前方」「後円」墳

四角い方が前だ。
726婆 ◆HKZsYRUkck :2008/08/31(日) 14:38:33 ID:+QGRFG+L0
>>725
四角い方が「手前」なんだから、>>676の見方でいい気がするぞ。
727名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 14:40:13 ID:343HYi9A0
>>725
いや、それはわかるけど。
まさか、古墳時代から前方後円墳と呼ばれていたとか、そんなふうに考えているわけですか?
728名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 14:41:06 ID:Q4i3suRh0
>>719
ココ電逝ったーーーーーーーーーーーーーーー!!!

ここで 和田家文書(ツガルソトサングンシ) 
がでてくるとは思いませんでした。
729名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 14:44:16 ID:AwcL6TAT0
>>725
四角い方が前とか、丸い方が後だとかは、文字の上での感覚であって、
実際問題としては、四角い方に入口があって、丸い小山の方に本体が
あるっていうだけにすぎない。

言ってみれば、丸い方が頭であって、四角い方はそれを支える部分と
もとれる。尊い部分を上に見て、そうではない部分を下ととらえるの
は自然な感覚だから、「前方後円墳」と呼ばれているからというだけ
の理由で>>722の感覚を否定するのはおかしいな。
730名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 14:45:48 ID:81ZK4epA0
ヤマタイコク、ヤマターコク、ヤマトーコク、ヤマトコク、大和王朝・・・

畿内説有力だな。

731:2008/08/31(日) 14:46:40 ID:32X6LwiG0
http://jp.youtube.com/watch?v=s0rJSW-lUFc

これは大きすぎ、もっとちっちゃいやつ。
にしても鳴らしてどうなる。

http://jp.youtube.com/watch?v=D7zRVXV8Kug
これになったのかなあ

732729:2008/08/31(日) 14:47:15 ID:AwcL6TAT0
あ、「>>722の感覚」ではなくて、「>>676の感覚」だった。
ちょっと、志賀島に逝ってくる。w
733婆 ◆HKZsYRUkck :2008/08/31(日) 14:48:01 ID:+QGRFG+L0
>>723
新潟県立歴史民俗博物館にすげー壮大な縄文の村のパノラマ展示が
あるんだけど、そこでもイノシシ(というか野生ブタ?)がいたな。

今でもニューギニアあたりにはそういう半家畜イノシシがいるそうで、
基本的に放し飼いなんだそうな。というか彼らは「飼われている」という
意識はないらしい。なんとなく人間のムラに住んでて残飯もらったりして
暮らしてるの。ときどき仲間がいなくなるけど、あんまり気にしないとw
734名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 14:48:40 ID:IMxuaClC0
>>728
秋田物部もダメ?
735名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 14:51:56 ID:30bpk+G/O
「邪馬台国」にしろ「卑弥呼」にしろ中国の書物に書かれた文字。日本語の読みではなく中国語の発音で読まなきゃならないだろうに。
736名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 14:53:09 ID:Q4i3suRh0
>>734
安本ビテン先生にぶん殴られますよ
737名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 14:55:16 ID:AwcL6TAT0
>>730
宋時代にわが国に伝わっていた魏志倭人伝の写本には、「邪馬台」
(台は旧字)と「邪馬壱」の二種類があったんだよ。

ところが「邪馬壱」だと、「ヤマト」につなげることができない
という理由で、国学者の本居宣長(今ならバリバリ近畿説カルト
の親玉みたいな存在)だったかが、先に結論ありきで「邪馬台」
が正しくて「邪馬壱」は誤植だと一方的に決めつけて以来、史学
者たちは誰もそのことに異を差し挟まずに来ているんだよ。

学会のアカデミズムとやらの浅はかさは笑うべきだな。親分学者
をヨイショしまくらないと、職業として続けられなかった連中だ
からな。
738名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 14:59:02 ID:aUCOddkLO
>>688
友人の正夫君の禿げの初期症状が去年まで円形だった。
最近になって前方にまで広がってきたのだが、その部分が台形に近い感じ。
あの禿げに注目が集まるのはマグネットパワーに関係があるんですか?
739名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 15:01:41 ID:7qLKWOBR0
>>幅60メートルの外濠

今度は、かなり大きいゴッドハンドだな。。。
740名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 15:04:35 ID:usUzTwha0
あれ?
邪馬台国は、九州じゃなかったのか
741名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 15:10:32 ID:X5ICyFAX0
>>737
本居は九州説(しかも熊襲説)だろ・・・
根本からクソだな
742名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 15:12:30 ID:J4xysms30
>>696
皇祖永初二年詔曰倭讃萬里修貢遠誠宜甄可賜除授
743名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 15:12:42 ID:wljjmgNoO
>>737
息嘘。
本居宣長は「日本の皇室が中国に朝貢するなど有り得ない」とか行って九州派の急進であったぞ。
744名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 15:14:01 ID:jrXt0MSj0
箸墓ってどすんと座った時にマソコに箸が刺さって死んだ人が葬られているから
箸墓って言うんだよね。
745名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 15:15:03 ID:aGW+dodI0
卑弥呼は日御子
邪馬台国はヤマト国
女王の弟はスサノオ

神話の岩戸隠れを魏志倭人伝が現実のこととして書いただけ
746名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 15:17:20 ID:seGvsqLn0
>>737
本居宣長が最初に邪馬台国九州説を唱えたと考えていい。
もちろんバリバリの国粋主義者だ。
その立場からみれば大和朝廷が中国に朝貢するなど許しがたかったのだろう。

×邪馬台国 ○邪馬壱国説がふるわないのは
三国志のあとに編纂された史書(後漢書、梁書、北史、隋書)がすべて邪馬台国だから。
単にこじつけて的な理由からだけではない。
747名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 15:19:50 ID:MMnQAkl20
>>737
アスカアキオ先生に連絡をwww
748名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 15:21:50 ID:VgXfqwTFO
>>744
騎乗位の練習してたのかな?
749名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 15:27:00 ID:7om+ifxe0
>>738
ズラ狩りに遭わないように注意するよう言っておいて下さい
750名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 15:27:01 ID:AeVzueUQ0
卑弥呼に電話して聞いてみるよ
「本当にお前の墓か?」
751名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 15:27:13 ID:l6hYh7CL0
卑弥呼かわいいよ卑弥呼
752名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 15:29:49 ID:jvmw8CYT0
>>705
血の中にまざってます
753名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 15:32:04 ID:jvmw8CYT0
>>708
ありうるね

王族が複数あったのかもね
754名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 15:41:21 ID:aUCOddkLO
てか古代って幾つかの王族がいたんじゃないの?饒速日とか大物主とか。
755名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 15:46:03 ID:4zxBQ/vrO
>>735
国と女性に対する差別用語じゃないの? どちらも。
中国読みで呼んだら大陸が腹抱えて笑うよ
多分〜
いづれにしろ実在したけど記録が無いから 仕方なしに使ってるだけじゃないの?
756名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 15:50:56 ID:NUnqALfi0
>>746
とすると、畿内説を頑として譲らない京大学派は
なんとか日本を中国の属国だと証明したいと言うことなのか?
757名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 15:55:31 ID:PS0crIZ20
>>755
魏の時代の差別用語を現代中国人がわかるのか?
魏の時代の発音ならそもそも通じないと思うが
758:2008/08/31(日) 15:57:54 ID:32X6LwiG0
266年三国志の倭についての記述は新女王の遣使を最後に150年空白となる。

413年の宋の記述によれば、倭の権力の中枢は既に畿内にあった。

5世紀大和朝廷は王権(朝鮮半島を含む大王)。
王位継承のたびに内部抗争を重ねていた。
朝鮮半島の王権とも争っていた。
759名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 15:59:45 ID:5+8auCkxO
残念ながら韓国が起源ニダ。
760名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 16:00:24 ID:ALvIEX+10
卑弥呼は泉につかって餓鬼となっただんよ
761名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 16:00:51 ID:X5ICyFAX0
>>756
属国だろ
何か問題あんの?
762名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 16:02:19 ID:jvmw8CYT0
>>759
このスレでは一種の清涼剤のレスw
763名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 16:04:44 ID:w621xn8O0
古田も初期の頃は丁寧な論証で面白かったんだけどね。
九州王朝説とかは、漏れにとっては文献からの論証の限界ってのを
感じさせられた名著ではある。
和田家文書とかに関りだしてからは単なるカルトになって、
どうしようもないけどな。

纒向もまだまだ発掘はこれからだから、新発見もあるかもしれないし
歴史もどんどん塗り変わるんだろうけどね。
764名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 16:09:02 ID:CFHXS3Rn0
>>756みたいな馬鹿はほっとけよ
765:2008/08/31(日) 16:14:29 ID:32X6LwiG0
倭・百済・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓七国諸軍事安東
大将軍倭国王と称す。

長い名前だねぇ。
バリバリ軍事国家。
766名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 16:19:11 ID:4zxBQ/vrO
>>757
日本の教科書みて驚いたらしいよ。
767名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 16:21:10 ID:OhdJWZYf0
このところの雨量で箸墓が土砂崩れしないかと心配です
奈良の人大丈夫?
ここってう土量としては日本一じゃなかったっけ
768名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 16:27:29 ID:PS0crIZ20
>>766
それは文字が差別的って話だな。匈奴とかと一緒で、周辺の未開国に対して中華王朝は
差別的な文字をあてて呼ぶってだけだろ? 東夷西戎北狄南蛮ってやつだ
769名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 16:39:17 ID:+uPswHS80
まだスレ続いてたのか。おまえらホント邪馬台国好きだなw
770名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 16:41:01 ID:9MoucIQl0




は何て呼ぶ?
771名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 16:42:04 ID:h6bW11ax0
前後方中円墳なんじゃない。
772名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 16:43:50 ID:seGvsqLn0
773名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 16:54:29 ID:oM3E39DOO
日本はかなり古い時代の中国語が入ってきてるから読み方は大して違わないよね。
好古都はホカトだし邪馬はヤマだし。
やっぱ神武東征神話は事実か。
774名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 16:59:42 ID:MUSKSIBE0
全く何もないところから、単に想像のみで歴史を創作するのは不可能…というか、しないだろう。
記紀にある、東征、西征は、何らかの歴史的事実を参考にしたと考えるのがごく自然。
とかんがえると、邪馬台国東征で、大和王権西征と考えるのが一番つじつまが合う。
775名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 17:01:10 ID:co8n3V570
>>773
おかだ、しま
776名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 17:03:23 ID:X5ICyFAX0
>>774
皇国史観乙
777名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 17:11:39 ID:MUSKSIBE0
>>776
どこが・・・ちなみに俺は>>603>>627という考えですが・・
778名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 17:17:24 ID:R14qCZ6h0
宮内庁はもうとっくに極秘調査終わってて天皇のルーツ知ってたりしてな。

でもそのルーツが中国や朝鮮半島ならまだわかるが、あれれなんだこれどうやら全然違うらしいと。

えーとこれ宮内庁ともあろう所がこんなトンデモ話披露しちゃっていいんだろうか。こんなくだらん話をしたら天皇の地位が地に落ちるぞと。でも調べた資料から考えたらどうやってもこの結論にたどり着くんだわ。どうすべか。

ズバリ天皇のルーツはかつて南方に存在し、薩摩宮崎奄美沖縄の文化の源流、現在沖縄の海底遺跡でも知られる、今から一万年前に水没している失われたムー大陸にあるってうわおまいらなにするやめ

まあでも沖縄は地理的に中国と交易可能だし、北九州経由で中国とつながってた説に加えて、沖縄経由で中国とつながってた説も考えられそうだが
779名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 17:18:44 ID:/J32KHsg0
>>774
あなたは四道将軍はどう考える?
あと、倭の五王も
780名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 17:21:55 ID:+uPswHS80
>>778
日本人のルーツのひとつそのものだから。ポリネシアン系。
ムー大陸ってのは環太平洋に拡がったポリネシア文化を表現したもの。

>>777
俺もそんな感じだと思う。
781名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 17:28:22 ID:pGnuX0ey0
だから九州説なんてもう好事家と一部の変な文献史学しかいないと・・・

まあ学会は畿内説というより、畿内における大和王権の成立に関心が移ってて
邪馬台国どうでもいいってのが実相か

邪馬台国との関係じたいがおまけになってんだよね
782名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 17:30:55 ID:QOlYOLdG0
>>774
ある民族がある民族と戦争し負かせその跡地に移動したのならその文化も
一緒にくっついて来るわけだが、近畿の独自の文化は弥生中期までで、後
期以降は吉備の影響の方が遥かに大きい。吉備が大和に東遷し大和王権を
立てたたというのなら十分納得できるが、九州の勢力が大和へ来たとは到
底思えないし、その考古学的根拠も無い。確かに邪馬台国東遷説を説く研
究者はいるが、そもそも北部九州の方が交易的に遥かに便利な位置なのに
なぜ故地を捨てて大和へ来る必要があるのだろうか?
783名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 17:31:16 ID:X5ICyFAX0
>>777
そんな小国の争いみたいなのを倭国大乱として記した中国人が
東征だの西征だの大きな話を書いてないのをどう説明するんですかねえ
784名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 17:33:08 ID:/J32KHsg0
>>780
日本はポリネシアルーツなんて一つも証拠ないしw
作る会の心理学者が好きそうな話だwwwwww
沖縄人のルーツは九州中心であるし
沖縄と四国や紀伊、房総との接点はほぼ皆無である。
少なくとも遺跡の共通点はゼロ。
寧ろ沖縄は日本海側に多少遺跡が残る程度
沖縄ともっとも交流があったのは
長崎と福岡、佐賀だ。
785名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 17:33:19 ID:8lr0pMYzO
九州説は倭人伝の行程はでたらめだから見るに値しない、と判断するが、
末ラ国で上陸した後、外洋船から倭国の小船に乗り換えたと見ると、実はかなり合点がゆく。
土佐日記で紀貫之が記した行程と日数を仮にあてると、南と東を取り違えているだけで、
ほぼ畿内までに合致するのである。
取り違えた原因は当時の航海技術は未熟で、瀬戸内海のど真ん中を通ることはできず、
入り組んだ島々や半島と湾を縫うように進んだためであろう。

また難波津あたりから上陸した後は、まだ河内は埋め立てされていない悪地であり、
山地にもまともな道の通っていない時代のため、悪路を進んでは人里を飛び石状に伝ったため、
日数がかさんだと考えられる。

当時の交通事情などを鑑みれば、実に簡単に想像できる数字なのである。
786名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 17:35:16 ID:tNnjspTz0
ていうか、素人の俺からすると
幅60mもあるものがなんで今頃になって発見されるのかがナゾ
787名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 17:35:51 ID:pGnuX0ey0
>>786
掘るの大変だから
788名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 17:36:08 ID:/J32KHsg0
>>783
その位、当時の中国は他国に対し無知だったってことだよ。
そもそも中国は山口以北は存在さえ確認してない、
それどころか伊都国とせいぜい奴国までしかしらないというのが
本当のところである。
789名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 17:38:11 ID:X5ICyFAX0
>>788
その手の批判あきた
一番最悪だろ
790名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 17:40:10 ID:/J32KHsg0
>>788
批判とかあきたとか意味不明ですけどw
791名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 17:42:19 ID:X5ICyFAX0
>>789
中国の認識度が低いとか史料の信用度が低いとかいうのは逃げだっていうことだよ
792名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 17:44:24 ID:MUSKSIBE0
>>782
故郷を捨てて近畿に来たのではなくあくまでも勢力拡大。
九州にあった邪馬台国が広がったと考えればいい。
で、卑弥呼はいつも最前線にいた。

>>783
魏の使者は九州の地にとどまって、伝聞で書いたと思われるから九州内の争いも倭国の争いと同じと思ってもいっこうにさしつかえない。
で、卑弥呼さんは今留守で東に行っているよ〜ときいて、その経路を自分たちが行った経路として記したとも考えられる。
まあ、古代史は闇の中だから楽しいわけだが…
793名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 17:44:48 ID:/J32KHsg0
>>791
実際にそうなんだよ、中国は当時の地図、史書一貫して
公式には山口以北については記載、言及してない。
それが逃げとか言う前に君自身もよく勉強をして
書き込んで欲しい。
794名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 17:45:56 ID:8lr0pMYzO
>>788-789
中国なんて清の時代にいたっても日本の周りに蓬莱や羅刹があって、南に琉球と倭があると信じてたんだぞ。
高麗なんて李氏挑戦から詳細な情報がもたらされるまで島か半島かすらわかっていなかったんだから。
795名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 17:46:32 ID:H8sd2MWs0
卑弥呼は韓国人
796名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 17:47:55 ID:H/CYWkFt0
もう結論は出た
797名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 17:48:11 ID:X5ICyFAX0
>>792
その使者はとどまったっても間違い
魏の使いが都までいかずなんてありえないだろ
798名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 17:50:57 ID:/J32KHsg0
>>793
の続きだけど中国は山口以北を認識してないから
仮に倭人から正確な地理を聞いてたとしても
意図的に方向を修正し邪馬台国を南方方面に
もってきたという考えも十分に成り立つ。
魏の使者にどんなに近畿について説明してもムダだろう。
そう考えると奴国などの九州の倭人も
中国人並み近畿や山口以北の事は知らなかったとも
十分に考えられるよ。
799名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 17:51:31 ID:X5ICyFAX0
>>793-794
地理認識について特徴があるのは確かだが
東征だの征西だのを書いてない理由は?
政治状況に関する認識も全然だったわけか
まあこういうこというと明史の織田信長とか秀吉の話もってくるんだろうなあ
800名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 17:51:47 ID:gkITz5sM0
面倒くさいから行ったことにしたんじゃないの?
カラ出張みたいに。
801名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 17:53:25 ID:/J32KHsg0
>>797
あり得ないって何があり得ないか分からないwww
頭の悪い厨房は発言しない方がいいですよっppp
802名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 17:56:47 ID:MUSKSIBE0
昔から邪馬台国東遷説はあるよね。
俺は東遷説じゃなくて東征説。
つまり邪馬台国が九州から近畿に移ったんじゃなくて九州から近畿に広がった説なんだ。
言ってしまえば、魏の使者が来た当時、九州も邪馬台国連合の一部で、近畿も邪馬台国連合の一部。
ぶっちゃけ、九州も邪馬台国、近畿も邪馬台国だったわけだ。

これで大概の矛盾はなくなる。
803名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 17:59:56 ID:+uPswHS80
>>799
倭国大いに乱れるって書いてあるだけで、「大乱」なんて書いてあったっけか?
804名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 18:00:17 ID:qantYurz0
日向(ひむか)

卑弥呼(ひみこ)

ダメ?音とかそれなりに一緒そうじゃね?
805名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 18:01:42 ID:gkITz5sM0
東征したのは邪馬台国連合を滅ぼしたクヌ国じゃないかな。
出雲経由も考えられる。つまりスサノオ=クコチヒクとなる。
806名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 18:02:27 ID:X5ICyFAX0
>>801
いやとどまったとかいってるほうがわからないんだが
そう書いてある本読んだんだろうけどさ
九州説はそういう説をとるもんな
使者って皇帝から使わされていくんだぞ?そんなのが途中の国までしかいきませんでした、で許されるはずないし
都にまでこさせなかったら問題だろ
807名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 18:05:52 ID:MUSKSIBE0
>>806
近畿説でも関係ないよ。
使者は近畿まで行っていなかった…という説は割りと一般的。
まあ、君の気持ちもわかるけど、そうだとしても邪馬台国が九州発祥で近畿まで広がっていたとすれば、九州も邪馬台国。
近畿まで行かなくてもいいんじゃ?
808名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 18:06:51 ID:/J32KHsg0
>>802
>俺は東遷説じゃなくて東征説。
九州に住んでる俺からするとそれは極めて無理があると思ってる。
まず、邪馬台国は奴国、伊都国などの西九州から南九州に広がる
伝統的九州文化圏の国ではない。
奴国、伊都国が拡大をするのであればその説が成り立つのですが
邪馬台国は当時からすると九州の新興国家であると考えるのが自然である。
そんな九州内の新興弱小で支持基盤が脆弱な国家が近畿までも制圧できるとは
考えにくい。

近畿と大分の豊前豊後との現代にまで至るその後密接な繋がりを考えると
邪馬台国は豊前か豊後周辺にしかないしその中心地は成立当時から
近畿かあるいは中国地方か豊前豊後地方に既にあったと考えるのが自然である。
809名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 18:10:46 ID:/J32KHsg0
>>807
それとあなたの認識では
四道将軍と倭の五王は何なのか説明して欲しい。
810名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 18:13:04 ID:X5ICyFAX0
>>807
一般的かねえ
かなり批判されてるけど
しかし
>邪馬台国が九州発祥で近畿まで広がっていたとすれば、九州も邪馬台国
もうむちゃくちゃだな・・・
811名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 18:13:46 ID:MUSKSIBE0
>>808
>邪馬台国は奴国、伊都国などの西九州から南九州に広がる伝統的九州文化圏の国ではない・・・
>邪馬台国は当時からすると九州の新興国家であると考えるのが自然である・・・
なぜそう思うのか根拠があまり定かではないのだが…

例えば吉野ヶ里はどの国に属していたのかな?

812名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 18:14:09 ID:88P4WBY40
>>624
「白虎の日本王国」って埼玉県の自県の古墳群の観光振興事業なんですよ。
本当は関東最大の古墳群って群馬県にあるのに、そっちには全く触れない。
「関東=日本王国説」(笑)だって「倭=九州vs日本=大和」説や「日本=東北」説の焼き直で説なんて言えるモンじゃないっす。
関東の前方後円墳は大和朝廷に服属した関東の毛人(エミシ)の首長の墓で間違いないっす。
813名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 18:17:51 ID:8lr0pMYzO
東征・東遷説の人に質問なんだが、九州に一大勢力があったとして、
箸墓を作れる国力のある畿内の某国を滅ぼして、さらに乗っ取るだけの大軍を、
どうやって三世紀中葉の時代に運べるんだい?

箸墓規模になると現在の価値で300億程度の資力を動員できる大国になるんだけど。
814名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 18:18:40 ID:MUSKSIBE0
>>809
四道将軍と倭の五王は、大和王権が邪馬台国を滅ぼした後の事だと思っているんで、大和王権のお話になると思う。

>>810
多分誰か「もうむちゃくちゃだな・・・ 」とか言うと思っていた。
どこがどうむちゃくちゃなんだろうか?
そう思ってしまった時点で思考停止だと思うけどね。
815名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 18:20:19 ID:pGnuX0ey0
どっちにしろ倭人伝はそれしかないからああだこうだ妄想できる余地があるだけというか
文献解釈やってても進展ないから、趣味の領域として楽しむのがいい
816名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 18:21:41 ID:SO6dehAT0
>>813
おれも近畿説だけど、それに関してはローマだって蛮族のわずかな傭兵部隊に
侵略されてるし、中国でもモンゴルや満州族による中国支配の例があるから
可能なんじゃないかな。
国が衰えているときは往々にして起こりうることかと。
817名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 18:23:22 ID:pGnuX0ey0
まあ、畿内にマキムクに(当時としては巨大な)人工都市を
ゼロから作り上げた、広域首長連合がいておそらくそれがプレ大和王権

(内部勢力関係の変更以上の)征服の痕跡は見当たらない以上
おそらくそれが大和王権までそのまま発展した

くらいまでは大体堅いと思うけどねw

邪馬台国とどう関係付けるかはおいとくとして
818名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 18:25:11 ID:X5ICyFAX0
>>814
その東征を示す根拠が神話にしかないんだけど
矛盾がないっていってるけどそりゃそのお話にそって考えれば矛盾はないわな
819名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 18:25:43 ID:gkITz5sM0
邪馬台国は九州で終わったクニです。たぶん
820名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 18:27:27 ID:SO6dehAT0
>>819
たぶんそうだろうね。その後の大和王権との繋がりを示すものが何もない
以上そう判断するしかない。
当時の日本にいくつかあった都市連合の一つだったんじゃないのかな。
821名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 18:27:50 ID:NHz9BJFP0
http://www.asahi.com/national/update/0827/OSK200808270059.html
ここに箸墓の想定復元図があって、前方側の濠が今まで考えられていた30mではなく、
倍の60m以上という発見なんだな。
しかし、前方側だけ一重の濠でそれ以外は二重の濠というのは不自然で、
前方側も二重の濠だったのではないかな。
822名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 18:28:00 ID:pGnuX0ey0
結局、
邪馬台国=畿内のプレ大和王権だとするとか
邪馬台国=九州などの地方政権で畿内と合併なり吸収されるなりしたのか

どっちかわからんわね
823名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 18:28:06 ID:MUSKSIBE0
>>813
当時はそんなに大軍を送って攻め滅ぼす必要はなかっただろう。
支配者階級さえ成敗すればもうその国は支配できたと思う。
しかも、銅矛文化圏の邪馬台国と銅鐸文化圏だった近畿では武力に相当差があったんじゃないかな。
仮に箸墓が卑弥呼の墓だったとしても、現地の人に作らせればいいわけで、九州から何か運んでくるわけじゃない。
824:2008/08/31(日) 18:28:30 ID:32X6LwiG0
卑弥呼誕生の大きな要因

まず第一に400年続いた漢王朝が220年に滅亡し、魏・呉・蜀が
並び立つ三国時代になっていたこと。

大和朝廷誕生の経緯がいまひとつあやふやな要因

魏による倭の女王壱世(トヨ)が226年に落陽へ遣使した記事
をもって以後約150年記述が消えたこと。
この間がまさに大和朝廷成立時期。

478年「七国諸軍事安東大将軍倭国王と称す。」(宋書・倭国伝)

これが一番わからない。
称す?そう言ったってこと?



825名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 18:28:41 ID:/J32KHsg0
>>811
感覚的な部分は大きいが。
新興国家である理由;
使者が邪馬台国についての認識が皆無であること、
女王の行動が奇異であると見られていること、

九州の伝統的文化圏の国では無い理由;
筑後、肥前、肥後の伝統的九州文化圏の内部にあれば
仮に異質なものがあっても併呑され吸収されて
影響力を外部にもたらすことないでしょう。
そうではなく仮に制圧したとしてもとても近畿まで制圧する事は不可能である。
これは一般論だけど
実際に肥前、肥後、筑後、筑前が近畿にもたらした影響や文化的同一性より
遙かに豊前豊後が大きいのです。

結論からすると近畿と西九州一帯の関係は皆無なんだけど
神武の母親を祀る総本山が太宰府にある宝満神社である理由が
分からない。唯一本州と西九州がそこで繋がってるのです。
826名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 18:29:10 ID:hTLYpOgd0
九州説って九州の人よりも東京人が涙目で言ってるんでしょw
出雲だったら一番なのに
827名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 18:30:55 ID:pGnuX0ey0
>>823
そんな征服の事例ってぜんぜん聞かない形だよね
無理じゃねw
828名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 18:33:10 ID:/J32KHsg0
>>811
>例えば吉野ヶ里はどの国に属していたのかな?

佐賀県の吉野ヶ里は田道ヶ里という所の近くにあるんだ。
田道ヶ里の地名の由来は田道命からきてる。
四道将軍、丹波道主命の系統の但馬守だったと記憶してる
いずれにしても畿内人の系統だ。
つまり吉野ヶ里は大和政権かそのプレの征服地の
一つである。
829名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 18:36:47 ID:/J32KHsg0
>>814
>四道将軍と倭の五王は、大和王権が邪馬台国を滅ぼした後の事だと思っているんで、大和王権のお話になると思う。

その程度の認識では君の説は簡単に瓦解する
もっとよくそのあたりを研究しないと無理だ。
830名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 18:38:56 ID:/J32KHsg0
>>816
その程度の話では説得できないだろ、
もっと具体的な話か理論付けがないと。
831名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 18:45:11 ID:8lr0pMYzO
>>816
ローマや大陸は面の国家だから、首都のまわりの平原を押さえて兵糧攻めすると弱いんだよね。
でもヤマタイやマキムクの時代の日本は都市国家のような点の国家だから、都市自体を攻めなきゃいけない。

その例を言えば、アテナイがペルシャを退けた例もある。
とくに外征の場合、攻撃には守備の3倍の力が要るともいうしね。
東征説の難点はそこ。
832名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 18:45:46 ID:JKrSSvfIO
結局、むかしの事は分らないんじゃない?
古文書が存在しても、その真偽すら定かではないし。
簡単なのは
青森のイタコに卑弥呼を呼んでもらって聞けばいいんじゃないかw
833名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 18:46:34 ID:gkITz5sM0
マクモニーグルは期待はずれだった
834:2008/08/31(日) 18:52:42 ID:32X6LwiG0
要するにね

607年「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。
     恙無きや、云々」(隋書・倭国伝)

ここまでの経緯の説明が欲しいわけよ。
卑弥呼からここまで。

835名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 18:55:01 ID:BxaVzJJF0
>>823
はあ・・・
銅器は弥生時代中期のあくまでも祭器なので、当時の武器は鏃主体。
既に鉄器の入っている2〜3世紀代には全く関係無い話だし、それで
武力差は全く証明できない。それに相手の支配層を簡単に殺せるの
なら、当然北部九州が滅ぼされた可能性だって同様にある訳で、そ
れが実際にあったと証明できるのはそれが文献に無い以上は考古学
的証拠以外に無い訳で・・。そもそも軍人も多くの物資が必要な訳
だし、征服後は軍人も一市民で当然家族親戚も呼び寄せる訳で、そ
れ以外にも多くの人々が荷物を持って都を目指してやってくる訳で、
これだけ莫大な発掘調査が行われているにも関わらず、考古学的証
拠が全く無いという事は吉備以外の東征や東遷は無かったという証
拠にもなるってわけさぁ・・・ああ面倒くさ。
836名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 18:58:53 ID:/J32KHsg0
福岡、佐賀、熊本
で宝満神社と並ぶ霊験は
久留米大善寺玉垂宮です。
ここでの信仰は火である。
日でも天でもはないんだな・・
837名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 19:02:50 ID:4/rSerxk0
卑弥呼は実在しない・・・全部CG
838名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 19:04:14 ID:OjOsTce60
佐賀のあれが、あの程度のあれが邪馬台国だとは思えない
839名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 19:06:22 ID:/J32KHsg0
記紀は海人中心の国日向に降り立った天孫が
海人と混血しながら神武の時代に
畿内に東征(あるいは東遷)し
崇神で全国政権となり景行で九州征伐と描いてる。
これは真実と大きくは違いはないと見てるんだけどね・・
840名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 19:09:06 ID:dIE+8i5J0
>>838
王の嫡子だったお釈迦さまの国は今の感覚では村レベル。
大きさが全てではないよ
841名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 19:09:47 ID:pGnuX0ey0
>>835
吉備もマクムク王権に途中参加してるっぽいけどね
842:2008/08/31(日) 19:10:26 ID:32X6LwiG0
1世紀の話だけど
例の金印の「漢の倭奴の国王」って
博多湾付近のほんとに小さなクニだろ。
なんせ百余国もあったんだろ。

843名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 19:12:34 ID:8lr0pMYzO
>>823
あとマキムクをやるくらいの東征があったなら、
陸行であればそれだけの大軍だから徴発で滅びた村もあるだろう。
水行ならおわった後不要になる軍船の大量破棄の跡があるはず。
だがまだそういうのは見つかって無いね。

あと古代は政体と民需と経済が分離していないから、領民は領主のものだし、総力戦になる。
都市国家で総力戦はもはややわい展開はない。
それこそ九州の勢力が亡命してくるでもないかぎりはね。
844名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 19:13:00 ID:pGnuX0ey0
ムラの交易連合の上に首長がいて、クニを作ってたって感じじゃないの

東海から阿波・讃岐・吉備まで含む広域交易連合の共立された王権=纏向
845名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 19:13:33 ID:lKWczerk0
そもそも中国大陸を横切り海を渡って九州まできた使者が
それまでの行程に比べればほんの目と鼻の先の都まで
行かなかったなんて考えられないだろ。
846名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 19:17:10 ID:OjOsTce60
言葉の発音を見るに、時代につれ人はどんどん発音をサボっていってると言える
発音しやすいよう楽なように楽なように。
意思疎通を簡略化してると、好意的にも評価できる
今言われる「美しい日本語」とはサボられた、簡略化された結果の言葉であって、
はたして単純に美しいと評価していいのかどうか
847名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 19:18:05 ID:IUvptfx50
>>846
さんざんセッティングしたあげく、「今日は楽しかった」みたいな社交辞令だけ言われ
その後は連絡も取れなくなったりするのに、チェーン居酒屋で軽く飲み食いした後に
お泊まりまで持ち込めるのはなぜだろう?
848:2008/08/31(日) 19:23:27 ID:32X6LwiG0
>>845

都?
それはすでに3世紀には大和朝廷が西日本全体を統一していた
という畿内説が前提ですね。
849名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 19:24:21 ID:8lr0pMYzO
>>844
古代の国なんてみんな点の国家だよ。都市を中核とした独立経済圏が近傍を掌握する形。
だから、それぞれ独立しうる都市同士が連合して国家を作る。
まだ都市間に役割分担はないし、都市同士の補給線や物資の動脈などはない。
だからこそ、マキムクへ向けて東征するには一つ一つ障害になる都市を潰さないといけない。

日本が面の国家になるのは藤原京から。
藤原京という純粋な政治都市、つまり無産都市を支えるために周囲の都市を経済圏に吸収し、
システム化して物流と経済が生まれる。
こうなると政治と経済が分離するため、頭だけすげ変える政変がおきることになる。
無産都市だから兵糧攻めもできるしね。ローマや明が首都や州都をやられて負けた理由。
850名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 19:34:32 ID:BsTCjCSE0
このスレ、パート3なのか。
いつまでやんだよ、ニュース板で。
851名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 19:40:38 ID:GAv6YRN90
邪馬台国は、九州の一地方の大豪族程度の存在だったんじゃないのかと思う。
たまたま立地的に中国と近かったから朝貢してて印をもらったことがあり、
それがたまたま中国側の記録に残っていただけのことで、
国としての実態は3世紀の騒乱期に栄えて滅びて消えた、少しだけ栄えた地方豪族程度の存在で、
日本を代表する国でも何でもなくて、戦国期でいえばせいぜい大友家や竜造寺家程度の国。

もちろん大和王朝との関係は全く無くて、大和王朝が九州まで勢力を伸ばした頃には
とっくの昔に近隣の大国に征服されてて歴史から消えてた程度の存在。
852名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 19:42:34 ID:VStT5+B+0
箸墓が古いタイプの前方後円墳ってのはわかるし、
古くから伝承はあったけど、やはり決定的な証拠がないとなぁ。
まぁ、前方後円墳の原型らしき墳丘墓は見つかってるけど。
確か2世紀後半とか3世紀前半だったと思う。
853名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 19:49:26 ID:SO6dehAT0
>>849
逆に言うと点であるということはそれだけ外交的な切り崩しも容易と
いうことなんじゃないの?
拠点になるような都市を味方につければそれをハブとして繋がっている小都市も
オセロ式に味方になるという可能性もあると思う。
戦国時代の戦だって調略で敵の豪族を切り崩していき、実際に攻め入るのは仕上げ
の段階ってのが普通だったように思う。

もっともあくまでも可能性の問題としてあり得るってだけで、証拠もなにもない話だけどね。
854:2008/08/31(日) 20:00:51 ID:32X6LwiG0
卑弥呼が亡くなったのは3世紀半ば。
この箸墓古墳が奈良にあり規模は日本で10番目に匹敵する。
それが3世紀半ばに作られたとして卑弥呼じゃないとすれば、
この有力者は誰でその背景の統合体とは何という疑問はあるよ。

855名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 20:03:10 ID:weNpt/ho0
日本人は昔から日という漢字を大切にしてきた。
だから国名を日本と呼ぶようになった。
卑弥呼という卑は漢民族が漢字名を悪く変えたからだ。本当は
日弥呼という名前だったはず。邪馬台国も邪という卑しい国名を自ら
呼ぶはずない。邪馬台国も日馬台国と名づけていたと思うべきだ。
漢民族政府は卑弥呼と邪馬台国の本当の呼び名を明らかにしろ!
856名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 20:05:23 ID:dIE+8i5J0
箸墓や 九州どもが 夢の後
            合掌
857名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 20:07:18 ID:EBXRH3p8O
ひゃっひゃっ

卑弥呼だから取り上げられてるが、世の中闇だらけ。
事実土器なんかは 建築の時よく発見されてるが工期等の問題により発見しても無かった事にされて再び埋められているのが現状。
あれを全部申告していたら、日本の教科書が変わりそうだな
858名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 20:12:50 ID:8lr0pMYzO
というかマキムクの異例中の異例とも言える巨大さが発覚してから、
九州のちっぽけな遺跡は考古学からは視界に入らなくなった。
今は箸墓ふくむマキムクの全容解明が急務でもある。

あと箸墓の方部は以外と細長いんだが、場合によると、
ホタテ型墳の突出部に別の人が葬られて拡張されたか、
後世に方墳と円墳がつなげられた可能性もある。
今回の堀は前方部を囲むカギ型状まで確認されたわけだが、
これが円部まで計画的につながっていればもともと前方後円墳と確定できるだろう。

別々だったなら……ヒミコの円墳かもしれない。
859名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 20:17:22 ID:o4JxgWrz0
「卑弥呼」というのは、その人物の実際の名前ではなかったかもしれない。
沖縄の「イタコ」のような職業名、役職名だったのではないか?
たしかに日を祀るミコだったのでは? あるいは、先祖の霊を呼び寄せて
いろいろなことを訊ねることの出来る霊媒だったかも。
860名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 20:25:18 ID:gHVNR1jm0
当時の魏の国力を10とすると、邪馬台国は0.5ぐらいか?
1ぐらいあるの?
861名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 20:32:34 ID:q+dyZNeG0
>>828
吉野ヶ里は邪馬台国以前の遺跡だからそれはありえない。
862名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 20:35:53 ID:tCv5pHrI0
>>850
学術的な話にアレルギー示し
情報を取捨できないバカ・ガキ・キチガイは
ニュース板なんか覗くなよwww

>>859
おそらくそうだろう
絶大的な権力を持つ一人の女性に統治されていたという事でなく
そうした役割の女性たちに大きな発言力が有ったという事で
その辺からアマテラスの話へと繋がっているのかもしれない
863名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 20:35:55 ID:oVc5GHqB0
>>859
沖縄にイタコという言葉は無いが
864名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 20:37:06 ID:gHVNR1jm0
九州説って具体的にどの辺を邪馬台国と想定してんだろ。
佐賀あたりか。だとするとクナ国は鹿児島とかか。
とすると、卑弥呼は九州の酋長あたりになるのかな。
865名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 20:43:32 ID:q+dyZNeG0
>>835
勘違いしているのか戦争について無知なのか・・・・
昔は基本的に王の首を取ればそれでおわり。
とならくても降参させればいい訳で・・・・
ヤマトタケルなんて、基本的に1人で熊襲征伐してるしね。
中世と違って職業軍人はほとんどいない。
征服後も支配者階級を挿げ替えればOK!
民衆は黙って従うよ。
そして食料と武器や兵士などを貰って、次の場所に行けばいい。
邪馬台国一族になったしるしに鏡とかくれたかも・・・

何万人もつれて一大行軍を行う必要なんてない。
なんだか元寇みたいなイメージでいるんじゃ?
全く違うんだけど・・・
ただし、元寇と似ているのは征服先の兵士を使ったことぐらいかな。

え〜東征の証拠だとか、どんな物が出てくると思っているんだろう・・・
そんなたいした物が出てくるわけもないのに・・・

866名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 20:55:19 ID:ohThTmRi0
最近になって邪馬台国の起源は韓国だったという説が出てきているらしい。
魏志倭人伝の記述どおりの位置と日本の位置が違う事から畿内説や九州説等
色々な説があるが最近の研究で邪馬台国の位置を解釈すると現在の韓国になる。
邪馬台国がその後日本を征服して移り住み、今の日本に至るというのが学会では定説になっている。
867:2008/08/31(日) 21:13:32 ID:32X6LwiG0
木製品の年輪年代測定などから、纏向石塚古墳は、
遅くとも225年頃までには築造されていたことが判明している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BA%8F%E5%90%91%E9%81%BA%E8%B7%A1


なるほど、卑弥呼の存命中に大規模古墳の存在があったわけね。
そうなると魏の倭人伝と日本書紀は別々の対象の記録かもしれないですね。
少なくとも魏には纏向石塚古墳の背景にある有力な統合体が
全く見えていない、部分的な記録に過ぎないのかもしれないのか。
そうなるとすっごく話はややこしくなりますねw
868名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 21:26:38 ID:VgXfqwTFO
>>603
>>627

面白いな。
倭人伝、紀記、出土物、古墳、銅鐸文化銅矛文化などすべてを考慮するとそんな感じになるな。
869名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 21:29:04 ID:3kTFvlzJ0
>>867
誰だ?こんな馬鹿なことを書いてるのは。
遅くとも225年頃って数字はどこから出てきたんだよ。
870名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 21:31:07 ID:fJmY/nS50
マキムク遺跡の話が出て、九州信者が急に東征説を持ち出したのがおかしいw
邪馬台国論をやりたいなら大和マキムクのことくらい知っとけよ
たとえ素人でもな
871:2008/08/31(日) 21:43:06 ID:32X6LwiG0
>>869

なんだ違うのか?

872名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 22:02:08 ID:1jupc5Vb0
卑弥呼でもハメ子でもいいから早く見つけろよw
873名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 22:18:08 ID:co8n3V570
日の巫女
火の巫女

さてどちらが卑弥呼なんでしょうね。
874名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 22:21:13 ID:yxEeyluE0
>>873
邪馬台国と戦争していた狗奴国の
男の王の名前は

卑弥弓呼

似すぎ
875名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 22:26:15 ID:CqXcNtIHO
>>873
古い文献に火を崇める巫女について書かれたものがある?
876名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 22:26:25 ID:oUOG+PIHO
川上タケルや熊襲タケルは出てこないね
877名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 22:31:45 ID:Y5owCfJt0
>>871
Wikiを丸呑みするのは危険だけど、869がどこまで正確な知識を持って
批判しているのかは甚だ怪しい。
225年ってのは発掘調査を担当してる桜井市教育委員会による
土器片による年代推定部分。
木製品からの年輪年代法だともっと遡るけど、今のところ
総合的に220年頃ってのが有力な説っぽいな。
勿論、土器による編年も年輪年代法も炭素年代測定法にも
突っ込みどころはあるので、絶対正しいなんて断言はできないけどな。

ここなんか結構面白いよ。
ttp://www.city.sakurai.nara.jp/bunkazai/index.html

878ココ電球  _/::o・ν   ◆tIS/.aX84. :2008/08/31(日) 22:31:57 ID:V7fHBRtP0
>>865
いや、本当に一人で討伐したわけじゃないから
軍団の名前だろ
大量に出てくる銅剣をどう説明するよ
一国の家の数が400とかいう時代だぞ
879ココ電球  _/::o・ν   ◆tIS/.aX84. :2008/08/31(日) 22:35:29 ID:V7fHBRtP0
>>876
熊襲タケルは日本書紀にでてくるって
880名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 22:36:25 ID:uVLfRxVm0

奈良はねぇ
掘れば出るから…
みんな冷静になろうよ
881名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 22:42:48 ID:SO6dehAT0
>>880
奈良の人が早起きなのは土器を埋めるためだよ。
882名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 22:44:15 ID:RfefZH+E0
>>876
熊襲=狗奴国

邪馬台国は、狗奴国に滅ぼされた。
だから中国との交流がなくなった。

九州を統一した狗奴国(熊襲)が東征、
熊襲の王子・神武は遠征軍の指揮官

時代が進むと、大和のほうが力が強くなり反抗、
逆に九州を征服した。
これが熊襲征伐。
そしてもともと神武から自分たちが上と歴史を変えた。

隼人は奈良時代にも記録が出てくるし、隼人出身の豪族もいるが
熊襲は征伐後、完全に歴史から消える。
これは、もともと同族だったから。

883名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 22:50:19 ID:pGnuX0ey0
>>865
戦争について無知とか相手をけなしておきつつ
だしてくる例がヤマトタケルってお茶噴出しそうになったんだが・・・
そらあんた神話伝承だ


まあ、九州勢力がヤマトに統合される過程で婿入りだか婚姻だかした
家系がヤマト王権内部での勢力抗争に勝利してそういう東征的な伝承を
作ったとか妄想するのは楽しいとは思うw
884ココ電球  _/::o・ν   ◆tIS/.aX84. :2008/08/31(日) 23:00:26 ID:V7fHBRtP0
>>883
あほ
日本書紀読め
885名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 23:01:05 ID:PILta8bO0
>>883

ただし九州出身の豪族は大和にはいない。

とかいうと、神武とか物部とかニギハヤヒとか言い出す人がいるだろうが、
文献を自分で読み直せ。
886名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 23:08:46 ID:PILta8bO0
九州説の矛盾してるところは、

九州に邪馬台国があった→しかし、近畿とは無関係で、九州だけの話とする
そんな九州(しかもクマソを除く北九州のみ)の弱小国を魏が相手するかボケ。
世界地図よく見ろ。

北九州だけで、どんな国力があって魏から金印や鏡をもらえるんだ?
887ココ電球  _/::o・ν   ◆tIS/.aX84. :2008/08/31(日) 23:09:37 ID:OfiQB+S/0
>>886
あほ 近畿は大国なのか?
脳みそ大丈夫か?
888名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 23:10:57 ID:q+dyZNeG0
>>882
なるほど、それも面白い仮説かも・・・でもちょっと矛盾が多いな・・・・
で邪馬台国は近畿にあったわけ?

>>883
おいおい・・・たとえ話なんだが・・・・というか、古代は職業軍人はいなくて、トップを殺せば下は問題ない・・・という例だよ!
それとも何かな?
弥生後期から古墳時代にかけて、何か強大な軍事集団があったとでもいいたいのかな?
男はみんな戦士で、みんな庶民。
戦争なんかしたくないわけで、別にトップが替わっても問題ない。
戦国時代だって、一般の農民とかは「今度の領主様は・・・」みたいに戦乱とは出来るだけ無関係な位置にいようとした。
別に組織立ったレジスタンスなどはない。
いわんや古代時代に、わが国を守る為、領主が打たれようと最後の1兵まで戦う・・・などという国はない。
数千人の人口がある国の中心的集落でも、やり方によっては数百の兵で落とせる。
そこで王の首を取ってしまえば人口数万の国が手に入るわけだ。
蒙古の元寇みたいに大軍隊で攻め上るわけじゃないんだよ。
889名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 23:18:48 ID:kahqXs//O
>>886
魏なんて中国でも地方政権だろ。
魏よりもっと大国だった後漢から貰った金印が
北九州で出土してる件は?
890ココ電球  _/::o・ν   ◆tIS/.aX84. :2008/08/31(日) 23:21:33 ID:OfiQB+S/0
畿内説は馬鹿か頭のおかしい人が多いな つうか全部
891名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 23:23:43 ID:qMC+8Ofi0
結局掘らずにうだうだ言うのは限界が来てるんだよ
892名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 23:24:55 ID:pGnuX0ey0
>>884
>>885
いや、それはわかってるってよ
妄想だってんのにw

>>888
職業軍人がいないからこそトップの挿げ替えだけで
うまくいかないと思うのだが
むしろ共同体戦争になると思うが
支配層被支配層がきれいに分離してたって妄想ならOK

893名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 23:27:27 ID:pGnuX0ey0
>>890
まあ学界的には九州説とかほぼ既に死に絶えてるので
好事家ががんばってるだけ
つまり、世間的には頭がおかしいのは(ry
894名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 23:28:03 ID:viZiJ4iZO
卑弥呼の墓は宇佐神宮だ
宇佐神宮上宮は湖の中にあった
895名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 23:29:03 ID:1WbRAC1FO
以前から箸墓=卑弥呼の墓って有力な説だったんじゃ…?
うろ覚えだけど、たしか卑弥呼ってマ○コに箸刺さって死んだんだろ?
つか古墳てピラミッドみたいに発掘調査しちゃいかんの?無学でスマンが誰か教えてくれ
896名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 23:29:49 ID:Rik2ouXI0
>>886

238年、邪馬台国から魏への朝貢品

男の生口4人
女の生口6人
班布2匹2丈

これだけ。しょぼすぎだろ。どう見ても弱小国


それに対する魏の答礼品

親魏倭王の金印
赤地に2匹の龍を描いた錦布 5匹(10反)
赤地の縮み毛織物 10張
茜染めの布 50匹(100反)
濃紺の布 50匹(100反)

卑弥呼個人への贈り物
紺地に三角の模様をあしらった錦  3匹(6反)
細かな斑点入りの華やかな毛織物 5張
白絹 50匹(100反)
金8両 約111グラム
刃渡り5尺の鉄刀 2振り
銅鏡 100枚
貝玉と鉛丹(赤色顔料)それぞれ50斤 約11キロ

魏帝の言葉
「汝のいる所はるかに遠い。 それでも使者を派遣して貢物を献上した。 汝の忠孝をいつくしく思う」

897名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 23:29:58 ID:7om+ifxe0
ところでなんでこの時代の女性って、マンコに何かが刺さって死亡、ってのがデフォなの?
898名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 23:30:17 ID:pGnuX0ey0
>>895
宮内庁の陵墓参考地でございます
899名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 23:33:35 ID:lKWczerk0
こんなアカデミックなスレでマンコマンコって言うなよ(´・ω・`)
900名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 23:33:37 ID:VgXfqwTFO
>>603
>>627
の説に
>>882
の説を加えるのも面白いな

歴史は繰り返すと言うが
都城で発祥した島津が九州の巨大勢力になり幕末、明治政府成立に貢献したのはなんか日本の古代史解明のヒントになってる気がする。
901名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 23:33:37 ID:q+dyZNeG0
>>892
弥生時代の終わりにははっきりと身分差が出来ていたよ。
多くな集落が小さな集落を従え、支配者の墓は墳丘墓になって行った。
古墳の前段階だよね、というか古墳に匹敵するような墳丘墓もいくつもある。
このように、弥生時代の中期以降から後期にかけて、身分がはっきりと別れていったんだ。
邪馬台国の時代にははっきりと支配層被支配層が分かれていた。
902名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 23:34:17 ID:oN6cEe3C0
>>895
卑弥呼の死因は不明
区奴国との戦争状況悪化の責任をとらされて殺されたとかいう説はあるが
903名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 23:37:59 ID:pGnuX0ey0
>>901
その程度の身分分化じゃ異なる文化圏間での支配者層だけのすげかえは無理でしょ
被支配者側の共同体から遊離してないと

そもそもヤマトタケルじみたクーデタ的な東遷自体に無理があると思うけどさw
904名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 23:38:53 ID:0xM4l8AJ0
歴史的に分っていることから逆に考えるんだ

日本を支配した政権の推移をみると
大和朝廷 → 鎌倉幕府 → 尾張出身の戦国大名 → 江戸幕府  となる。
要するに常に東(ニューフロンティア)を制したものが日本を制している。
邪馬台国が九州の一部であれば突出した支配力経済力は得られない。
また古墳時代の近畿を考えればまさにニューフロンティアであったはず。
邪馬台国が大和にあったほうが歴史的に類推すると実に素直なのである。
905名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 23:44:43 ID:kahqXs//O
>>904
尾張とか古墳時代から策源地なのだが…全くニューフロンティアではないんじゃね?
906名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 23:47:30 ID:AfWAgxXIO
>>904
次の首都は北海道だな。
907名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 23:50:17 ID:ouFHFnnf0
>>904
つまり九州→東野ニューフロンティア大和
と政権が移ったと
908名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 23:53:52 ID:0xM4l8AJ0
倭人伝まえに九州に九州統一した国があったかどうかは知らん
909名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 23:56:10 ID:BaPB82qb0
>>904
>邪馬台国が九州の一部であれば突出した支配力経済力は得られない

邪馬台国は突出した支配どころか、小国連合が内乱のあげく共立した
妥協案だろ。
それも狗奴国一国に手をやいて、魏に助けを求めるほど弱体。
910名無しさん@九周年:2008/08/31(日) 23:57:54 ID:0xM4l8AJ0
意味もなく祭り上げないんじゃないかな
911名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 00:02:03 ID:yY5np1kD0
箸墓のような立派な墓作れるクニが朝貢なんてしないだろ。
912名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 00:03:52 ID:wQ9pF8vX0
足利義満とか儲かったんじゃ
913名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 00:08:40 ID:wQ9pF8vX0
あとは権威にお墨付きを貰う貰えるってのも重要
914名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 00:10:13 ID:Q6pV8gsz0
>>904
鎌倉→尾張って
西に戻ってるじゃん(笑)
915名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 00:11:30 ID:wQ9pF8vX0
まだおおむねニューフロンティアww
916名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 00:12:36 ID:j7x4Kyj10
箸墓のような立派な墓作れる国がこんなしょぼい朝貢品なの?
>男の生口4人
>女の生口6人
>班布2匹2丈
おちょくってるかセコすぎる
917名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 00:14:06 ID:ebBGH4tz0
よーしパパ北海道に遷都クンしちゃうぞー
918名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 00:15:01 ID:TWWM3M+n0
>>916
とびきりのイケメンと美女なのかもしれんぞ。
919名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 00:18:12 ID:kZYPHHzW0
卑弥呼より100年以上前の107年、
倭国王帥升が後漢に献上した生口は、160人
920名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 00:20:26 ID:j7x4Kyj10
さすが師升
921名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 00:23:11 ID:MSMRi3Tg0
帥升さんて伊都国の王様だったのかな
922名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 00:32:26 ID:j7x4Kyj10
間違えた
「師」じゃなくて「帥」か
923名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 00:35:12 ID:0Iw7GmCt0
仮に戦国時代に国内に文書による記録が一切なく、当時の様子を知る手がかりが
古城や古戦場などの遺跡しかなかったとしよう。
各地に戦国大名が群雄割拠して争って、信長・秀吉・家康へと権力が変遷し
最終的に徳川が国内を統一した過程を考古学的考察から復元できるだろうか?

仮に淀君が明に使者を送り「わらわは日本国の女王なり。日本国は長い間戦乱の
下にあって争いをしていたが、わらわが女王となり戦乱がおさまったが東国に
わらわに歯向かう勢力あり。援軍を頼む」と歴史書に記録され、
これが戦国時代を知る唯一の文献資料としたらどうだろう。

学者たちはいかに戦国時代から江戸時代への変遷を説明するだろうか。
924名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 00:37:53 ID:7a3BxA41O
>>893
学会がほぼ畿内説一色だと言うのなら、北九州派を黙らせた決定的な「何か」があるの?
925名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 00:40:55 ID:RC1azW7f0
>>893
そうなの?
森浩一先生とかも畿内説に転向しちゃったのか……
926名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 00:41:53 ID:2Ik7ZB1mO
>>924
ソースを示さずに自説が支持されてるかのように主張するのは
詭弁の基本。
927名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 00:43:17 ID:JEM3dYJT0
マキムクじゃね。
928名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 00:43:50 ID:vDGHLL48P
学界の事は良くわからんが、現状では、

1.大和朝廷は巻向が発祥臭い(東遷ではなく諸国家連合)
2.邪馬台国の事はわかんね

ってところじゃないの?

とりあえず、弥生と飛鳥・斑鳩の間にある古墳時代の空白がどう埋まるか
の方が興味深いと思うよ。
929名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 00:44:50 ID:RifjtOYEO
>>923
おもしろい。個人的に考えてみよう。
930名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 00:45:54 ID:JOJTGTS50
九州人が九州説にこだわるのは、天皇の祖先が九州由来だと言いたいのかもしれない。
そもそも国立博物館を作らせたほどだから、東北や中部と違って
人一倍歴史にはこだわりがあるのかも。
931名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 00:46:44 ID:n8vwkFwr0
>>924
最近、纏向遺跡の発掘の結果非常に大規模(かつ計画的)であることがわかったのと
年代推定技術の進化でいわゆる邪馬台国の時期に畿内に大規模な王権らしきものが
成立していたことが確定的になった

>>925
正確に言うと一部残存してます
がらっと変わったの最近だし、森先生の世代は仕方ないのでは
932名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 00:49:39 ID:L7M03vAk0
俺は個人的に>>603>>627でほぼ納得しているんだが、一番の謎が狗奴国なんだよな・・・
933名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 00:50:16 ID:6cc+Gu8X0
>>923

●明史・日本伝

参謀・阿奇支(あきじ)という者があり、罪を信長に得た。 
秀吉に命じて兵を統べ、これを討たせた。
にわかにして信長が、その下明智のために殺された。 
秀吉はまさに攻めて阿奇支を滅ぼそうとした。

●朝鮮出兵時の李朝朝鮮の首相・柳西竜(1542〜1607)『徴録(ちょうひろく』

万歴丙戌(1586)平賊秀吉、華人を以て流れて日本に入る。
自立して関白陸候となり、
諸衆を虐滅し、州島を統合す。是時、源家康城によりて服さず。

●宋史・日本伝

日本の僧が述べたこととして、日本には「サイと象多し」と記されている。
また、「安閑天皇」を「安開天皇」と記したり、「近江」を「通江」、
「山陽」を「小陽」、「阿波」を「河波」と記すなど誤記も多くある。
934名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 00:50:24 ID:i1pLdavn0
>>8
邪馬台国も大和国と言え

邪馬台国もシナが使った蔑称
935名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 00:50:34 ID:MSMRi3Tg0
>>931
だいたい長い間、九州説が優勢で、近年畿内説優勢ってことなんですかね
昔の歴史漫画(児童学習用)見ると、卑弥呼って完全に弥生時代の人って感じの
風俗で描かれてるんだけど、最近のは修正されてきたのかな。
936名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 00:52:16 ID:OJzWJJEl0
>>931
といってもそれが邪馬台国とは限らないんだよね。
日本中、世界中に王権はあったはずだから。
937名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 00:55:16 ID:ebBGH4tz0
1986年、吉野ヶ里遺跡が見つかった時
阿呆な九州説の考古学者や歴史学者がこれこそが邪馬台国だと口火を切りました


2008年現在
当時吉野ヶ里が邪馬台国だと決め付けた考古学者や歴史学者は全滅しました
本当に全滅しました


それ以外の九州説を標榜していた考古学者や歴史学者も絶滅危惧種になりました


さて、この20年弱に、一体何があったのでしょうか?よく調べましょう
938名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 00:56:48 ID:n8vwkFwr0
したがって、ヤマト王権がマキムクから発祥していったものであるという部分までは
おおむねわかったが、じゃあ、それと邪馬台国がどういう関係にあるかがわからない

邪馬台国=マキムク王権
邪馬台国=後にヤマト王権に吸収された連合政権

のどっちなのか

邪馬台国がもし非常な大国なら一致する可能性は高いとは思うが


>>935
古墳時代が3世紀前半に前倒しされつつあるのでどうなんだろう

939名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 00:57:26 ID:JEM3dYJT0

大倭
大和

の変遷をみると、大和王権とは合衆国政府ということかのう
日本は倭の別種て中国さんもみとめてるしのう。
940名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 00:57:30 ID:ebBGH4tz0
おおっと20年強ですね、失礼
941名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 00:59:46 ID:JEM3dYJT0
>>940はWiz好きとみた。
942名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 01:00:36 ID:i1pLdavn0
>>938
台って中国語ではトと発音する
邪馬台はどう見ても大和の当て字で蔑称
邪馬台国は大和王朝そのものだろう
943名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 01:00:51 ID:n8vwkFwr0
>>941
おおっとだけじゃねえかw
944名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 01:04:39 ID:aLxgLshj0
卑弥呼は中国語発音だと何になるんですか
945:2008/09/01(月) 01:05:56 ID:twX+AFpR0
邪馬台国も倭も日本書紀には無いでしょ。
だれが言ってるの?
中国の歴史書でしょ。
唐の時代になるまでそこに「日本」の文字は皆無。

 倭国は古の倭奴国なり。京師を去ること一万四千里、新羅東南の大海の中にあり、
山島に依って居る。東西は五月行、南北は三月行。
世ヽ中国と通ず。
其の国、居るに城郭なく、木を以て柵を為(つく)り、草を以て屋を為る。
四面に小島、五十余国あり、皆焉(こ)れに附属す。


日本国者倭国之別種也。以其国在日辺、故以日本為名。
或曰、倭国自悪其名不雅、改為日本。或云、日本舊小国、併倭国之地。

(旧唐書 巻199上 東夷伝)

文字通り別物として併記されている。



946名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 01:08:06 ID:mjFZA/Bj0
>>923
肥前名護屋城が混乱させるな
947名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 01:12:09 ID:OJzWJJEl0
>>945
そう。大和朝廷に、邪馬台国の記憶はない。
利用して取り込もうとしたら出来たはずなのに、やってない。
660年引き延ばされて作られたとか、ここは信用できる出来ない、と勝手なこという癖に、
邪馬台国を組み込んでないことはスルー。
違う王権でしょ。
948名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 01:14:03 ID:z6eQJDl/0
>>128
ちょっと話変わるが、
「言語学者というのは、どこでその情報を得たのだろうと思うくらい、
豊富で、機知に富んだ知識を山ほど頭の中に隠し持っている。
ただ、多くの学者が、それを頭脳に蔵したまま亡くなるのが非常に惜しい」
みたいなことを司馬遼太郎さんが言ってたな。
949名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 01:14:07 ID:n8vwkFwr0
>日本国者倭国之別種也。以其国在日辺、故以日本為名。
>或曰、倭国自悪其名不雅、改為日本。或云、日本舊小国、併倭国之地。


別物説、改名説、併合説ぜんぶ併記してないか
950名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 01:15:32 ID:7a3BxA41O
結局、畿内派の勝利宣言の根拠はマキムク?
951名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 01:17:10 ID:Q2X2DKpr0
>>945
そういうふうに、なんで学校で教えないのか不思議だよね。
952名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 01:17:25 ID:LM+oAUdC0
今日副都心線開通以来久しぶりに東京行ってきた

渋谷のHMV前でタダでアイスクリーム貰った

で、何が言いたいかというと
卑弥呼の時代はどんなもん食ってたんだ?
953名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 01:17:33 ID:JEM3dYJT0
>>943
でも、なかなか「おおっと」とか使わないよw

>>945
そうそう、旧唐書そうそう。

>>947
違うでしょうなぁ。

そもそも、紀元前660年があやしくない? 記紀には干支でしか記載してない
わけだから、誰かが計算して、紀元前660年を算定したんでしょ?
そこが間違ってたってのは、議論の余地あると思うなぁ。

954名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 01:19:50 ID:n8vwkFwr0
>>950
邪馬台国畿内説の勝利というより
ヤマト王権畿内発祥説の勝利だけど、まあそう
955名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 01:22:44 ID:ZCrLOptn0
三輪山の神様と関係あんの?
956名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 01:24:26 ID:n8vwkFwr0
>>955
位置関係的に考えると当然
どう関係があるのかはいろいろ
957名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 01:26:52 ID:wQ9pF8vX0
>>947
ニューフロンティア出身なら、自らを、当時権威づいたものに関連させるようなウソをついて
ほんとのことはむしろ隠したいんじゃないかな。
958名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 01:28:46 ID:62XxSSfGO
真実は、ひと〜つ!
歴史って面白いんだね。
江原のオッサンに聞けば分かるかな?
その前にあの時代の生まれ変わりを
探さなきゃ駄目か…。
959名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 01:34:26 ID:b7Ce6IlO0
記事に関するカキコがまったくない件について。
960ココ電球  _/::o・ν   ◆tIS/.aX84. :2008/09/01(月) 01:49:56 ID:LoZOh2CR0
堀を見つけただけで 卑弥呼の墓と断定
近畿信者はどこまで歪曲なのか
961名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 01:53:42 ID:5/c3BhSYO
卑弥呼とアマテラスは同一人物。
また、魏誌倭人伝は卑弥呼の死について書かれてる事から卑弥呼の
死後数十年して書かれている。
卑弥呼の死後大乱があった事などから出雲の銅剣が大量に埋葬された
年との比較が大事。卑弥呼あるいは耶馬台国と何か関連があるかもしれない。


962名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 02:01:44 ID:0fwEL9Ni0
まだやてたのかよ
だから単なる小説だって
近畿地方にあった大和朝廷の男性高官のことを
九州地方から想像して邪馬台国と文字って登場人物を女性にかえて
書いたものだろう
963名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 02:05:16 ID:OJzWJJEl0
>>957
卑弥呼や邪馬台国は中国と親交してたのだから、隠す必要はないし。
金印まで貰ってたのだからむしろ箔がつくだけのこと。
全く記録や記憶が残ってないなんておかしすぎます。
964名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 02:06:17 ID:hWTtKQxp0
実は卑弥呼のお墓ではなくて、ヤマトの王大物主神(出雲の饒速日尊)の妻の
倭迹迹日百襲姫のお墓でないの?そんなに出雲が怖いの?


965名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 02:15:48 ID:wQ9pF8vX0
>>963
倭を大和と言ったり、聖徳太子が日ノ本と言い中国に対等に渡り合おうという意志は
かなり早期から強かった。むしろ金印を貰う朝貢外交は隠したくなっていたのでは。
966名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 02:18:35 ID:hWTtKQxp0
出雲に於ける出雲の発音→(ェ)ヅモ、(ェ)ツモ、エズモ→投馬国?
967名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 02:34:48 ID:hWTtKQxp0
>>955
思えば伊勢と三輪の神。思えば伊勢と三輪の神。一體分身乃御事、今更何と磐座や。
(「三輪」 世阿弥 能)
968名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 02:39:31 ID:OJzWJJEl0
>>965
隠したところで、中国側の記録に残っているしね。
じゃあ、あんたらはどこから来たのと言われるだろ。
もし、何かそれなりの説明があればいいけどね。邪馬台国を滅ぼしたとか。
奈良時代に、完全に中国から自立した意識だったなら、そう書いたって問題なかろう。
白村江の戦いの後だし。
邪馬台国以上のなんらかの正統性を主張してもいいはず。
出雲を邪馬台国っぽく書くこともできただろうに。
あるいは、神武東征をもっと脚色するとか。
なにもしてない。

だから、かつて朝貢してたのがどうとかじゃなくて、
全く記録が無かった、だから書けなかった、と考えるのが最も自然。
で、そのことは日本書紀がかなり正直な書物だってことを意味する。

969名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 02:42:06 ID:ep33G20S0
おもったんだが、卑弥呼って当時の中国語じゃねぇ?

邪馬台国もだが、音をあてててるんじゃなくて意味を当ててるんじゃ・・・

970968:2008/09/01(月) 02:44:46 ID:OJzWJJEl0
あと、神功皇后をまるで卑弥呼であるかのように思わせる操作をしていることから、
必ずしも、朝貢してたのを隠したかったってことは無いだろう。
だけど、神功を卑弥呼に改名しなかったってのは、やはり記録の通りに正直に書いたから。
これで、論理は通るだろ?
971名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 02:50:05 ID:ep33G20S0
新羅東南の大海の中にあり、山島に依って居る。東西は五月行、南北は三月行。
世ヽ中国と通ず。
其の国、居るに城郭なく、木を以て柵を為(つく)り、草を以て屋を為る。
四面に小島、五十余国あり、皆焉(こ)れに附属す。




やっぱり九州かなあ・・・
新羅の属国・・・
972名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 02:52:25 ID:ep33G20S0
新羅の属国のようにも思える・・
それを奈良辺りにある大和、日本が併合・・

九州の隼人とかの説明や、九州人の身体的特徴が
朝鮮半島人と近いこともうなずけるか・・?
973名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 02:52:52 ID:P685FdTGO
>>969
ヒミコじゃなくてヒメイヨだったりしてな
974名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 02:57:03 ID:OJzWJJEl0
>>972
ずっと半島の南部は倭国の支配下にあったから、それはあり得ないの。
新羅自体が倭国系だし。
975名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 02:59:26 ID:zbaxcs8A0
新羅東南の大海の中にあり、山島に依って居る。東西は五月行、南北は三月行。
世ヽ中国と通ず。
其の国、居るに城郭なく、木を以て柵を為(つく)り、草を以て屋を為る。
四面に小島、五十余国あり、皆焉(こ)れに附属す。


誰がどう考えても岡山の児島だな
邪馬台国として世界遺産登録しろよ
976名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 02:59:46 ID:ep33G20S0
日辺


リーベン
977名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 03:01:03 ID:iUxMF1t6O
卑弥呼は中国が音だけ聞いて字を当てた。中国は自国以外の国や人には悪い意味の漢字を当てる。
978名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 03:03:41 ID:wQ9pF8vX0
>>968
>隠したところで、中国側の記録に残っているしね。
国内的に隠せればおk
979名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 03:05:42 ID:a8cl+ciX0
はたして

半島南部が倭人国家なのか

倭国が半島南部人国家なのか

皇太子の顔つきでわかるけどw
980名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 03:05:46 ID:ep33G20S0
>>973
>>977

ヒィ メイ ヨゥ として、姫何とかとかって訳じゃないか?
981名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 03:09:30 ID:iCkoWnuC0
>>979
じゃあ昭和天皇や秋篠宮の顔は日本人らしい顔だから半島系はないな
982名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 03:09:55 ID:ep33G20S0
>>978
朝鮮ではよくそういうようなことが行われていたシナ
当時の日本がやってもフシギじゃない。


>>974
>>979
新羅は倭人系国家だけど、その逆は無い感じがしますね。
それに皇太子の顔はあまり関係ないんじゃ・・・
当時の人の顔みんと・・・w
983名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 03:10:55 ID:Xi++HNw70
ヒは火とか光
ミは美しいとか妖しい
ホは豊か
ってことだな。

つまり光り輝くデブだったんだろう。
984名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 03:11:09 ID:iUxMF1t6O
>>980
火巫女じゃないかとか何かで読んだ。本当か嘘かはわかんない。
985名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 03:12:40 ID:ep33G20S0
卑弥呼=姫尊、姫皇女、姫巫女、姫御子、姫神子
ってわけじゃないよね?
986名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 03:16:57 ID:iUxMF1t6O
火じゃなくて日だったかも。太陽神を崇める巫女だったとかそんな感じだった。
987名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 03:17:05 ID:ep33G20S0
>>983>>984
なるほど・・・

卑弥呼の感じからなにかひんとはつかめないかな?

卑とは?弥は?呼は?
卑はどことなく鮮卑とかってのがあるようになんかあれなのかな・・
弥は・・・・ワカラン
呼は呪文でも唱える感じ・・?
988名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 03:19:24 ID:ep33G20S0
>>986
それなら天皇らしい。

日御子、日神子、日巫女、日皇女、日皇子と
解釈すると天皇とか、巫女とか、皇子とか皇女とか・・・
そういうほうが自然かも
989名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 03:21:18 ID:Xi++HNw70
>>987
卑しきものも富める者も区別なく呼ぶから卑弥呼
990名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 03:24:24 ID:lyUIwUVa0
>>972
>九州の隼人とかの説明や、九州人の身体的特徴が
>朝鮮半島人と近いこともうなずけるか・・?

おいおい適当かまさない。
人骨上、弥生時代から
日本でもっとも縄文的形質が残ってるのは
九州なんだぜw例え吉野ヶ里人であってもw
もっとも渡来形質が強いのは島根。
991名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 03:25:01 ID:bLPgIiXAO
990番台かぁ。おやすみ〜
992名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 03:25:37 ID:a8cl+ciX0
日本の文明って中国に比べたら豆粒みたいなもんだよなw

6世紀になってやっと文字使い始めるとかアホすぎ

人間に例えると知的障害者レベル
993名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 03:27:09 ID:g+4l0wK90
日本の歴史学界は長い間左翼が牛耳っていたからねー

「卑弥呼」「倭」ってシナの蔑称を、大喜びして使うんだよ。
994名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 03:29:31 ID:ep33G20S0
>>990

dd。
弥生遺跡も島根が多いんでしたね。
確かに九州人は縄文系が濃いといますね。
適当というわけではないですが、半島系が割りと多いのも事実だと思います。
(あるいは、朝鮮に倭の縄文系が多いとか?)
ただ、ちょっと新羅の属国だからうなずけるとかむちゃくちゃ言ってしまったことは反省してます。
995名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 03:33:44 ID:8P8qN8u20
九州説はダメなのは
主要な論点である、不弥国〜投馬国、邪馬台国の距離(里程)と方角、所要日数
すべての点で批判されてどうしようもないからだよ
ここにいる連中はしつこくイメージとしては九州だとか曖昧なこといって
東征だ西征だと記紀の神話からとってきたお話でもっともらしくいって
肝腎の魏志倭人伝のことスルーしてるし
996名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 03:34:02 ID:ep33G20S0
>>993
すると、太古の昔から中国に尽きたいサヨクがいたんですかねぇw




>>989
邪馬台国なんてどうですかね
邪悪な馬に台する(乗るとかw)国とかって解釈はナシ?w

たぶん、ヤマタのオロチのヤマタとかヤマトの大蛇とかそういう、、、なんあろう・。。
997名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 03:36:12 ID:Xi++HNw70
>>996
馬が通れない山の中にある盆地なんだろうね。だから邪馬台国
998名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 03:36:45 ID:g+4l0wK90
>>996
現代の左翼が昔の蔑称を喜んで使ってるだけですが。

理解できました?
999名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 03:37:51 ID:RUnqTPsdO
>>992

半島に比べたらマシじゃね?

それと君は中国に移民したほうがいいよ
1000名無しさん@九周年:2008/09/01(月) 03:39:56 ID:a8cl+ciX0
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