太平洋戦争開戦時の首相、東条英機陸軍大将が終戦直前の1945年8月10日から14日の間
に書き残した手記が国立公文書館(東京・千代田区)に所蔵されていることが分かった。
手記では終戦に反発し、ポツダム宣言受諾に至る背景として「国政指導者及び国民の無気魂」を
挙げるなど責任を転嫁、軍人の論理に固執する考えが見られた。
東条元首相の手記はA級戦犯被告として巣鴨拘置所で書かれたものがあったが、終戦間際の
手記の存在が明らかになったのは初めて。
手記は政府が8月9日にポツダム宣言の受諾を決め、翌10日に首相官邸で開かれた首相経験
者などで構成する重臣会議の質疑内容から始まっている。手記には「屈辱和平、屈辱降伏」
「新爆弾に脅えソ連の参戦に腰を抜かし」などと、当時の鈴木貫太郎首相ら政府指導者を批判
する言葉がつづられている。
しかし、昭和天皇への奏上で「御裁断を経て外交上の手続きを了せる以上別に所見を有せしも
最早これを申し上げ、御聖明を乱すは恐懼(きょうく)に堪えざる」と終戦の決定を受け入れたと
記している。
最後に秘書官だった部下への伝言があり、「死をもっておわび申上ぐる」「敵の法廷に立つごとき
は日本人として採らざるところ」として、自決する覚悟を述べている。東条元首相は45年9月に
自殺を図ったが一命をとりとめ、極東国際軍事裁判(東京裁判)で死刑判決を受けて48年12月
に処刑された。
手記は東京裁判で東条元首相の弁護人だった清瀬一郎弁護士が法務省に寄贈した裁判資料の
中にあった。99年に同省から公文書館に移管されていた。鉛筆書きだったが、判読しやすいよう
和文タイプで書き直したものとされている。 (
>>2-5に続く)
日経新聞08.08.12朝刊(1面および社会面)
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