【歴史】「日本一の兵(つわもの)」、真田幸村…街おこしに生きる真田幸村伝説
1 :
諸君、私はニュースが好きだφ ★:
いつの世も、大衆は英雄を求める。天下太平なら英雄はいらない。心の憂(う)さ、
屈託や不満を英雄の口を借りてはき出す。
「日本一の兵(つわもの)」とたたえられた真田幸村(1567〜1615)はそんな
一人である。
英雄には伝説がついて回り、虚実も入り交じる。
幸村の元服名は源次郎信繁(「真田太平記」では源二郎)。兄が源三郎信幸だから、
長幼の常識では逆順だ。1570年生まれ説もあり、なぜこうなったかは分からない。
後に朝廷から官職左衛門佐(さえもんのすけ)を授けられた。
幸村という名は、死後100年以上たった18世紀中頃から後半に書かれた軍記物
などに現れる。幸村が生きていたころの歴史的文書には見あたらないという(山村
竜也「真田幸村」)。
幸村ほど人気のある武将は少ない。豊臣秀吉や徳川家康のように天下を取った
わけでもなく、一国一城の主でもない。最後は大坂夏の陣で討ち死にした敗軍の将
に過ぎない。
幸村は肖像画を見ても、偉丈夫とは言えそうもない。だが、父昌幸(1547〜1611)
譲りの知謀・戦略を駆使して、劣勢な豊臣家を助け、強大な家康を相手に戦って散った
武将としての潔さが、判官びいきの国民性にぴたりとはまった。
大坂城の抜け穴を伝って主君豊臣秀頼を守りながら脱出、生き延びたと記した
軍記物もあり、幸村の奮戦ぶりに拍手喝采した庶民が多かったことを思わせる。
関ケ原後、真田領は兄信之(信幸を改名)が引き継いだ。1622年、真田嫌いの
2代将軍徳川秀忠の命で上田から隣の松代(長野市松代町)に移される。上田では、
真田家による支配を懐かしむ領民が多く、新領主への反発から百姓一揆が多発した
という。
幸村伝説をさらに広めるきっかけになったのが、大阪の版元が売り出した「立川
(たてかわ)文庫」だ。明治から大正にかけて相次いで出版されたこのシリーズで、
猿飛佐助、霧隠才蔵ら真田十勇士が次々と生み出された。講談の主役ともなり、
幸村人気が沸騰した。
(抜粋です。全文はソース元でご確認ください)
ソース(朝日新聞)
http://www.asahi.com/travel/traveler/TKY200605130209.html
2 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 09:57:15 ID:/RAcWCSf0
2222222222222222222222222222222222
3 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 09:57:54 ID:bGSnZ6rh0
幸村よりほたるが好きだ。
4 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 09:58:29 ID:C9a4ypF50
サナダ虫とは失礼なネーミングだ
真田の出城はウソ満載で面白かった
6 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 09:59:13 ID:lj/15Q6m0
機械が人間を殺す。
そんなことがあってよいものか。
科学は人間の幸せのためにこそあり、
人間は、科学を超えたものだ。
そう考え、それを実際に確かめるために、
俺は科学者になった。
科学は俺にとって、屈服させるべき“敵”なのだ!
(敵家康本陣を爆破する前の台詞より)
…この記事PHP文庫の奴とよく似てるな
8 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 09:59:40 ID:l+pC/gAn0
33333333333333333333333333333333333333
9 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 10:00:25 ID:FHct+Uop0
なぜこうなったかは分からない。
なぜこうなったかは分からない。
なぜこうなったかは分からない。
なぜこうなったかは分からない。
なぜこうなったかは分からない。
なぜこうなったかは分からない。
10 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 10:00:28 ID:mUBEMijy0
朝日かよ
11 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 10:00:51 ID:cBiom5F60
お館様ー!!
カプンコ無双は馬鹿すぎて笑える
13 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 10:04:37 ID:J6ApGS4a0
アレのおかげで戦国武将のイメージが全てぶっ壊れた
YA-HAAAAAAAA!!!
日暮硯を規範に生きる無職者
15 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 10:07:47 ID:FOQW4Lr6O
戦国無双やり杉の人が一言
↓
17 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 10:13:25 ID:TWN8iOoy0
お館様ーーーーーーーーーーーーーー!!
18 :
Phoeni10 ◆5UZJGuAJjk :2006/05/14(日) 10:13:31 ID:lXdfU0WN0
・足軽上がりの8人なら大丈夫だろうと思っていたら同じような体格の真田幸村に襲われた
・甲府から徒歩1日の路上で清正が頭から血を流して倒れていた
・足元がぐにゃりとしたのでござをめくってみると勝利が転がっていた
・騎馬幸村が本陣に突っ込んで倒れた、というか轢いた後から大将首とかを強奪する
・宿が真田幸村に襲撃され、女も「男も」全員レイプされた
・茶臼山から大阪城までの数里の間に真田幸村に襲われた。
・兵の1/3が真田幸村経験者。しかも影武者がたくさんいるという都市伝説から「足軽ほど危ない」
・「真田幸村が危険なわけがない」といって出て行った武将が5分後血まみれで戻ってきた
・「何も持たなければ襲われるわけがない」と手ぶらで出て行った武将が具足を盗まれ裸で戻ってきた
・大阪城から半径一里は真田幸村にあう確率が150%。一度襲われてまた教われる確率が50%の意味
・合戦における真田幸村による死亡者は1日平均120人、うち約20人が豊家恩顧だった武将。
20 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 10:14:18 ID:hRIKsS/n0
>幸村ほど人気のある武将は少ない。
幸村ほど悲しい武将も少ないな。
ちゃんと幸村(仮称)と書け
22 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 10:16:08 ID:EFVYQKnmO
ニュースじゃねえだろ死ね
23 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 10:17:51 ID:+REOTQkS0
さえもんのすけーーーーーーーーーーーーーーー
24 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 10:17:52 ID:0GBr11mb0
真田信之:本田忠勝の女婿
真田幸村:大谷吉継の女婿
26 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 10:18:25 ID:SUtV9vJg0
相変らず朝日は心が歪んでるようで
27 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 10:19:40 ID:0tNnsE2z0
うぉやかたさむゎああああああああああああああああああああ!!!!
28 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 10:20:59 ID:0GBr11mb0
でも戦前なら、大楠公こと楠木正成がトップだろうな。
真田の六連銭と楠木の菊水は悲劇の武将の紋所の双璧。
29 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 10:23:56 ID:muiS9uJQ0
NHKの真田太平記はおもしろかったなあ
30 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 10:26:32 ID:+3CPfCub0
敵を引きつけるだけ引きつけてから「放てぇぇええええええええええええええ!!!!!」
ションベンちびりそうになったあの日
こういうタイプの名将って駄目な君主が好きだよね。
33 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 10:28:19 ID:dv9waDtB0
秀忠の恨みを凌いで真田家が永らえたことも
真田一族の優秀さを印象付ける要因だと思。
34 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 10:28:55 ID:SAD/zfRt0
↓くのいちさんから一言
真田/石田三成連合軍を破った甲斐姫はもっと上かね?
36 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 10:30:09 ID:QJKqZO3y0
松代大本営
お前んとこの末裔は最近見ないが二軍生活か?
38 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 10:33:21 ID:F28dkjJt0
また九度山か
これだから和歌山人は下品なんだよな
39 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 10:33:25 ID:Z0pb+nVV0
武士道とは幸村の為にある言葉だ。
40 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 10:33:33 ID:H4iYB6ehO
義…ではないでしょうか?
41 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 10:35:04 ID:9ifza9wv0
明治まで残ったといわれる真田家ですが……血統は江戸時代で絶えて松平家からの養子が家を継いでいます。
42 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 10:35:28 ID:PKVHQrOc0
真田さん。
やっぱ男らしく自爆ですか。
信之は家康の娘婿なんだし、改易に遭う方がおかしいな
徳川家康が大阪夏の陣でユッキーに討ちとられてたのに、
隠蔽した事実がとうとう白日の下なるわけだな。
これは江戸開幕以来の大騒動だぞ。
45 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 10:36:39 ID:LrqyKxvb0
幸村をダシに通名正当化か、、、
ところでソースの「愛の旅人」が「旅の愛人」に見えた
46 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 10:37:28 ID:F28dkjJt0
二代将軍秀忠悪者にされるが、秀忠の諸子が会津藩を作って幕末で重要な役割を果たしたし
その会津藩が断絶した将軍家を次いで現在徳川宗家になってる訳だが
戦国無双2の幸村て、前作よりかなりヘタレに劣化してないか?
48 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 10:37:47 ID:dBCmzv+s0
>真田家が仕えた武田信玄は、戦乱で生まれた捨て子や孤児から美少女を選び、巫女(みこ)として修業を積ませた。妖艶(ようえん)な姿で各地を歩き回り、男で
は集められない貴重な情報をもたらした。
ここだけには鋭く反応するw
49 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 10:37:57 ID:+REOTQkS0
幸村って名前も一応文献に残ってるんじゃなかったっけ
50 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 10:37:58 ID:rCeh36YYO
大阪に点在すると言われる「真田の抜け穴」の謎が明らかになるわけだな
51 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 10:39:34 ID:F28dkjJt0
>>42 こんなこともあろうかと幼少時に月面遊園地の無重力ジェットコースターで姉と両手足を失い
義肢義足に高性能爆薬をつめておいた
52 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 10:40:20 ID:tEUk7f+Z0
>>1 たまには木村重成の事も思いだしてあげてください…
53 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 10:40:32 ID:ikav8zwW0
真田幸村にも大陸に渡ってナントカになったみたいな伝説が欲しいな
54 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 10:41:58 ID:F28dkjJt0
真田さんは彗星帝国の要塞をふっとばすために突然自分はZ武だったと言い出すナイスガイ
これまでそれを思わせる描画は一切ない
>>52 ぶっちゃけ、幸村ごときよりも木村のほうが立派に働いているよな。
>>53 秀頼を連れて薩摩に逃げ延びたみたいな伝説があったような。
58 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 10:43:48 ID:9PwqN75D0
今日の太閤立志伝スレか
59 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 10:44:20 ID:n+sXgcmO0
サスケはどうした、サスケは
60 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 10:44:29 ID:9ifza9wv0
>>54 白色彗星帝国じゃなくてガミラス大帝星の要塞じゃなかったか?
62 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 10:45:14 ID:JUIOQXnF0
以下、テニプリ腐女子がこのスレを独占!
↓
63 :
◆C.Hou68... :2006/05/14(日) 10:45:24 ID:JCECaRLa0
真田と聞くと、真田広之の顔が浮かぶんだよな・・・
65 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 10:45:51 ID:ooCGSi2L0
>>41 真田本家はすでに絶えていたのか。幸村の次男と娘たちは、確か伊達家に
引き取られていたが、こっちも血筋絶えたのかな?
66 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 10:46:28 ID:feFlBYN70
いい加減、大河ドラマはもう幸村しかないだろ・・・・。
山内豊一て(笑(笑(笑
67 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 10:46:40 ID:9PwqN75D0
関ヶ原に間に合わない秀忠(笑)
68 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 10:46:41 ID:yfleqgddO
真田はいい、カルロスをだせカルロスを!
69 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 10:46:41 ID:BN27chSv0
ヒント・
田舎の無職比率
70 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 10:48:04 ID:X0R1nOiK0
たまには団右衛門さんのことも
思い出してあげてください…
71 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 10:48:43 ID:tEUk7f+Z0
>>55 その生き方、考え方、あの若さで家康に称賛される程の剛将で、
本物はブサイクだった新撰組の沖田と違いきちんと文献に残る美青年ぶり、
普通に知名度があれば日本人は必ず好きになるだろうにね。
72 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 10:48:49 ID:Guw7CJRH0
正直この人の事、戦国バサラってゲームやるまで知らなかった。
武田信玄の部下なのに後年は秀吉の部下になってる?秀頼守ったと言うことは。
なんだか歴史って難しいな。
前田慶次郎とかってのも本当に居たのかな?ジャンプの漫画で読んだけど。
アレは捏造キャラ?居たとしても超ザコだったりして。
真田昌幸(Wikipedia)「表裏比興の者」
現代に続く長野県の県民性「知性と理論に親しみ、
権威に盲従しない」の実例と例えられる。
おいおいw(長野県民)
俺も甲冑に香の木村重成と土佐から脱走までしてきた毛利勝永は好きだな。
>>72 前田慶次郎も実在の人物だよ
沖縄には行ってないけど
76 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 10:51:58 ID:ooCGSi2L0
>>72 悪いけどそのゲーム阿呆だからw
よちよち歩きの頃の幸村が、信玄の事をお館様なんて言う訳無い。
77 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 10:52:18 ID:WXj7HH2g0
歴史の教科書ではまったくもってどうでもいい人なのは確か
>>72 信長の野望はやらなそうなタイプだな
前田慶次の方がマイナーだとおもうぞ
信長の野望に出てきたのも花の慶次以降のこと。
79 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 10:52:36 ID:skP0Sb4SO
幸村の奥さんは大谷刑部の娘
前田慶次は実在。
本来だと加賀前田はこっちの家系になるはずだった。
81 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 10:53:36 ID:tEUk7f+Z0
>>72 一応いた、武勇に優れた人ではあったらしい、でも漫画の方は年齢設定目茶苦茶、
ホントは秀吉と同い年、そう思って漫画読み返すと笑えるよ。
ぶっちゃけ小早川秀秋においかけまわされた片倉小十朗が好きだ
83 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 10:54:26 ID:GD99ZknL0
>>65 残ってる。てか、残ってるだけなら、昌幸の兄の家系も残ってたはず。
84 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 10:54:38 ID:dBCmzv+s0
>真田家が仕えた武田信玄は、豊富な資金で、諜報(ちょうほう)・謀略
組織を作り上げた。僧、商人、医者、修験(しゅげん)者に姿を変え、敵の情報を探った。
このまま領内に土着してしまった者もいそうなんだけど、
当時の忍者みたいなのが集めたらしきもんには、色々変なものも多いようで。
85 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 10:55:19 ID:Guw7CJRH0
>>75 おお、スゲー。実在かよ!!あんなのが本当に居たのか。と言ってもオレもバカではないんで、
実在の彼があんな派手好きじゃないというのは理解してる。当時の武士を考えれば当然ですけど。
でも沖縄行ってないのか・・・無念。所詮利家の息子として家の中でゴロゴロしていたろくでな
しと言うことですか・・・やっぱ漫画なのねー。
>>76 意味わかんね。
真田幸村を村おこしに使っている真田幸村という村の話?
87 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 10:55:34 ID:yfleqgddO
上州沼田のことも、たまには思い出してください。
89 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 10:57:19 ID:xVQx5Fz50
>>44 映画「真田幸村の謀略」で宙高く飛ぶ家康の首サイコー
…直後、幸村も謎の鉄砲隊(多分徳川勢)に射殺される。
あの映画を「真田幸村の陰謀」と間違って憶えてる椰子が多いが、
「真田幸村の謀略」だ。『陰謀』じゃなくて『謀略』だぞ。
それにしても家康が食っていた携帯食(干し飯?)は美味そうだった。
俺は大谷と石田の茶の席のエピソードを聞くと目頭が熱くなる・・・。
お館様ーー!ぅおやとぅあすぁまぁあああーーーーーーーーーーーーーーーーー!
92 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 10:58:22 ID:ikav8zwW0
原作だと慶次は沖縄じゃなくて朝鮮行くんだよな
>>85 信玄 1522-1573
幸村 1567-1615
昌幸(幸村の親父)1547-1611
信玄の小姓も勤めていた。
おやかた様!って言ったのはむしろこっち。
94 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 10:59:19 ID:Guw7CJRH0
>>90 すでにその名字だけでは誰なのか理解できないオレ様が居る。
大谷育江と石田純一が頭に浮かんだ。
95 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 10:59:50 ID:qa0aDQb/0
>>66 坂之上の雲はどうなったんじゃあああああああ。
脚本化が自殺したぞ、草加か?チョンか?くそったれ〜!!!!!!!!!
真田本家も徳川の血が入るんだよなぁ
松平定信の子供が養子に入ってるんだよなぁ
>>85 利家の義理の甥だけどね
水風呂の一件は事実らしい
だから歌舞伎者と伝えられている
>>88 沼田は確か改易されたからなぁ
97 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 11:00:16 ID:ooCGSi2L0
>>85 信玄(1521〜1573)
幸村(1567〜1615)
幸村は幼少期に上杉へ人質に出されているので、信玄と対面した事は無かった
と思われ。戦国バサラなんて阿呆ゲームやって誤った歴史を披露すると恥じかくよw
98 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 11:00:35 ID:tEUk7f+Z0
>>76 知らないゲームだったのでサイト見てきた、戦国史ファンを激怒させるゲームだな、
なんで本田忠勝がロボなんだよw
99 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 11:01:01 ID:cWcfr+kG0
最近のガキは大谷吉継や石田三成も知らないのか
100 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 11:01:41 ID:dBCmzv+s0
沼田が改易されたのは、文福茶釜のもざえもんと関係があったはずだけど。
101 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 11:01:55 ID:mSXCS2gj0
幸村の父親の真田昌幸(武田信玄の戦略参謀)がカッコイイ
102 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 11:02:23 ID:iywgq4zR0
>>94 石田三成は友情に篤いいい香具師だったって話
官僚タイプの人間だから日本人には嫌われているが
>>102 花の慶次とSAKONで全然違う人になってる件について
大谷吉継と石田三成のエピソードは泣けるよ・゚・(ノД`)
大谷吉継の少数の兵で小早川を押し返すのなんてもうね。
>>97 あれ、信玄の生年が違うからソース違うかなと思って
信長の野望覇王伝辞典見たら、貴方が正しい見たい。
106 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 11:03:50 ID:skP0Sb4SO
>>90 『三成、貴様もわしももう目が見えぬ!目が見えぬ者同士のよしみじゃ、
この命くれてやる、受けとれぃ!』
107 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 11:03:50 ID:HkLncunW0
真田繁信の講談をしていた人の名前が幸村(こうむら)さんだったらしい
ところで今の大河に出てる望月六平太はやっぱり真田の家臣になるんでしょうか・・・
108 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 11:03:57 ID:rCeh36YYO
俺の親戚が長男に景虎って名前をつけてた。
「次男が生まれたら昌幸か宗治って名付けるつもりなんだ」
とか喜色満面で俺に語るから困る。
109 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 11:04:30 ID:Guw7CJRH0
>>102 石田三成思い出した。戦国無双2借りてやった時に居たキャラだな。
確か口癖が大吉なんとかかんとかと言う人だよな。男版小橋みたいな攻撃で萎えた。
つかオレの基準はゲームばっかだな・・・
>>103 一応どっちでも「いくさ人」扱いはされてるけど
全然違うよなw
111 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 11:05:38 ID:iywgq4zR0
>>108 宗治って誰よ・・・
清水宗治と徳川宗治くらいしか知らんが、
そこまでに人物とも思えないし
112 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 11:05:52 ID:tEUk7f+Z0
>>90 重成も残されてるエピソードが立派な物ばかりで…これで21歳なんだよな
ttp://www.m-network.com/sengoku/sen-epsk.html 慶長十九(1614)年のいわゆる冬の陣の事である。11月26日、東軍の佐竹義宣の軍勢八千余人が
大坂方今福堤の柵へ押しかけてきた。一の城戸の守将矢野和泉守正倫、二の城戸の守将
飯田左馬亮家貞は戦死、三の柵の大谷大学も苦戦しているところへ重成が五千余人を率いて駆けつけた。
しかし銃弾が雨霰と飛び交っているので、木村半四郎という者が一枚の楯を持ってきて
「これをお持ち下さい」と言ったところ、重成はその楯を地面に置き、「たとえ矢玉は遁れようとも、運命からは
遁れるのは難しい」と言ってますます進み、遂に佐竹勢を追い払って柵を固め直した。
このとき重成の隊長大井何右衛門という者の姿が見えず、重成は大いに驚いて、「私が預かっている士を
捨て殺しにしてしまっては、今後どうやって諸士の下知が出来るだろうか。何としても探してこよう」
とただ一人木戸を開いて散乱する死体の中を、大井何右衛門はいないか、木村長門が迎えに来たぞ、と
大声で呼ばわりながらその姿を探し求めた。
このとき大井はまだ死んではいなかった。彼を見つけた重成は喜んで馬から飛び降り、彼を抱きかかえて
戻ろうとした。これを見た敵は鉄炮をますます激しく撃ちかけ、しかも堀尾忠晴の陣からは武者が四、五騎
追いかけてきた。大井は「敵は急、私のことは棄てておいて早くお戻り下さい」と言ったが、これを聞いた重成は、
「私は貴公のお迎えに来たのだ。敵が出たからと言って貴公を放り棄てて戻るくらいなら、初めから来ないだろう」
と槍を取って敵に向かおうとしたところ、ちょうど重成の配下三十余騎が駆けつけたため、彼は部下に命じて
大井を抱きかかえて退却させ、自身は殿軍を務めて無事柵内に引き返した。
これを聞いた敵味方の兵は共に「あっぱれ、彼は智・仁・勇の三徳を兼ね備えているというが、これは
嘘ではない」と感嘆したという。
113 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 11:06:45 ID:mSXCS2gj0
>>99 知ってるよ。
大谷吉継の不治の病で死ぬより戦場で死ぬという、関ヶ原での戦死はカコイイナ。
小早川秀秋に横腹から裏切り特攻それたときの。
三成は本気で秀吉が好きだったらしいな。
家康の天下安泰戦略ほどの大きな日本国計画はなかったけど。
(´・ω・`)
114 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 11:07:06 ID:HkLncunW0
>>108 俺の親戚はケンシン(字が違う)だよ・・・
同僚の子供は輝政
そういえば武田晴信と石田光成という人が逮捕される事件がありましたね
石田は無職で家族から小言を言われて警察に車で突っ込んだんだっけ・・・
晴信は・・・・忘れた
115 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 11:07:35 ID:PS7lejms0
真田太閤記ってNHKの大河ドラマだったの?
消防だか厨房の頃見て面白かった記憶があるんだけど
大河ドラマの年表にないし
でも日曜夜20時から見てたような気がするんだけど・・・
ちなみに当時の犬HKは売国路線じゃなかったと思う
NHK特集で国産対艦ミサイルASM-1とかF-15Jのとか
してたしね
>>109 さっきも書いたけど
あんた、信長の野望はやらないタイプだなw
>>108 知ってる人に
尼子晴久って人がいるんだがどうしたもんなんだろうか。
勝久じゃなかっただけまだマシなんだろうが…
118 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 11:09:39 ID:9ifza9wv0
遊郭に行ってる間に砦を陥落された薄田兼相という武将もいましたな。
119 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 11:09:47 ID:tEUk7f+Z0
>>102 山岡荘八の「伊達政宗」辺りを読むと、嫌われて当然という気もするw
って、調べたら定信の血も絶えて、宇和島の伊達から養子を取ってる
今の真田は伊達家かw
>>115 真田太平記ね
122 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 11:12:18 ID:iywgq4zR0
真田信繁って戦国ヲタの間では知らなければ人間扱いされないレベルの香具師だが、
一般的には歴史にそんなに興味がなければ東大生でも知らないんだよな・・・
大学受験的には武将よりも文官の方が重要だから。
金地院崇伝は知っていても福島正則は知らないとか。
123 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 11:12:19 ID:rCeh36YYO
>>111 多分清水だと思うけど、人物そのものより響きが好きなんだとさ。
「景虎君が大きくなったら改名でもしますかw」と聞いたら
「あ、そこまで考えてなかった」との答えが帰ってきた。
俺も子供が生まれたらあんなふうになるんだろうか。
いや、なりたくないなぁ
124 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 11:12:20 ID:Guw7CJRH0
>>116 すみません、本能で動けるようなゲームしかやらないもので。
信長の野望とかやってると涙を流しながら鼻血を噴出して耳から脳を出して
しのうような人間なんで。とてもではないが信長とか三国志は無双みたいに
なってくんないとやれない。
てか信長、秀吉、上杉なんとか、武田信玄とか有名な人しかわかんない。あの
ゲーム変な名前のが沢山出るし。はっきり言うと読めないし難しい。
やはり戦国BASARAや無双は
ガキの歴史観に悪影響をあたえてるな…w
明智がロン毛の美形だと認識されてたらどうしよう
>>102 島津義弘(ちなみに真田日本一と褒め称えた人)も
石田三成が好きだったみたいだね。理由は忘れたが
127 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 11:13:19 ID:y1c/8+3o0
◎◎◎
◎◎◎
>>119 官僚と言っても、賄賂と癒着の奸臣じゃないけどね
律義者で融通の聞かない真面目一徹って感じだな
小さな間違いも認めないタイプだから、嫌われるだろうなぁ
明智ってブサイクだったらしいもんね。
きんかん頭だったっけ?
それでも無双なんか明智はかっこいいもんなー。
131 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 11:15:07 ID:PS7lejms0
石田三成が大政所とねんごろだったのはホントですか?
>>98 おかげで機動戦士ホンダムと呼ばれてるからな
>>126 そういえば鹿児島には石田三成の碑が残ってるなぁ
135 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 11:17:25 ID:mSXCS2gj0
俺の地元は井伊直孝の墓があるからこいつはあんまり好きじゃない。
136 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 11:17:54 ID:9ifza9wv0
>>130 明智光秀は別に不細工じゃなかったと思われる(残っている肖像画から)
キンカ頭っててのは不細工じゃなくてハゲ頭って意味だから
ブスじゃなくてハゲだったってこと
ハンセン病の患者の飲んだ茶を、
それも鼻汁、膿が落ちてしまった茶をだ・・・
気にせずに飲みほせてやることのできる人がどれだけいるだろうか。
現代ならいざ知らず、戦国時代という現代ほどの理解もなかった時代にだ。
徳川とも親交があった大谷が、
西軍についたのも頷けるよ。
ただ、やっぱり朝鮮出兵での対応はまずい。
そこが三成らしいんだけど。
139 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 11:19:06 ID:Guw7CJRH0
>>125 ・・・
さて、所でゲームでしか歴史を知らないような人、しかも大人で、今から
戦国時代を知るには何が一番手っ取り早いかな?
出来れば手短に半日で詳しくなりたい。なんか良いドラマとかないですかね?
里見八犬伝とかは今年の初めに見たんで里見八犬伝は別として。あと徳川の
野望だっけか?今年の里見の裏でやってた西田敏行のドラマも見たんで関ヶ原
の後については詳しいつもりです。信長が誕生してから関ヶ原までを戦国時代
として知りたいです。壬生技師伝も見たし、宮本武蔵も知ってます。
140 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 11:19:37 ID:mSXCS2gj0
>>130 まあいまでいうオシャレなインテリタイプだな。
わかり易い例でいえば、
シェア拡大をつづけている破天荒な2世の企業家(信長)が
米国アイビー大学のMBAをもってるインテリビジネスマン(光秀)を雇って
プライドズタズタになるまで、こき使ったって感じ?
141 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 11:20:27 ID:HkLncunW0
三成と光秀のキャラが被る人が多いと思う。
2人とも美形だったみたいよ
ただし三成は出っ歯、光秀はハゲ
去年疱瘡で顔が崩れたので光秀さんのような旦那さんが欲しいです
子供が生まれたら義久がいいかな・・・
>>139 それはどういう水準で知りたいかによるんじゃないの。
>>140 そう言うと逆恨みで本能寺燃やしちゃった気持ちもよく判るなw
145 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 11:22:29 ID:6JXa+QboO
つい最近まで、真田幸村って村の名前かと本気で思ってた。
それも、金田一とかに出てくるような、橋一本で街と繋がってる、因習深い村だと。
>>139 とりあえず戦国武将を知りたいとか、大体の関係とか
有名な合戦の内容とかだけでいいなら
1冊に簡略化された読みやすい歴史関係の本が沢山あると思われる
>>139 雰囲気→司馬などの小説
事実→論文、一次資料
大雑把に知る→知識本
楽しむ→戦国BASARA
石田三成と大谷吉継のエピソードって、こんな感じでしたっけ。詳しい方、訂正よろしく!
茶会か何かで、吉継が出した茶に諸将は口をつけない。(彼の不治の病は有名だったから)
ただ一人、三成のみが平静とごっくん。大谷感激。
以来、二人は親交を結び、吉継は家康には勝てないと分かっていたけど、親友と共に死ぬ事を選ぶ。
>>112 重成もいいですねえ。
149 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 11:23:12 ID:HkLncunW0
>>139 信長の野望やりなよ
お勧めは天翔記(音楽が菅野よう子だ)
んで一番古い時代からプレイすべし
150 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 11:23:28 ID:mSXCS2gj0
>>139 そりゃあ横山光輝の「徳川家康」「織田信長」「豊臣秀吉」「武田信玄」「武田勝頼」
「政宗」これを読破だな。
顔同じだからしっかり内容を追わないとこんがらがるぞ。
だがそれがいい。
ゲームから入るのは悪いことじゃないもんね。
それを史実として受け取ってしまうようなことさえ無ければ。
そんな人いないと信じたいけど。
真田は長野だろうに
153 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 11:23:52 ID:Guw7CJRH0
>>142 とりあえずですね、希望としてはゲームに出てくるキャラの生い立ちとか
全部わかればベストです。島左近とか島津義弘とか、戦国無双2かバサラ
でしか聞かないようなマイナーな人についても語れるくらい。
でも基本としては、歴史ドラマとか見ても頷いて見てられるくらいの余裕
を持てる知識ですかね。昔高橋英樹の織田信長とか見たときに、全く分か
らなくて最初しか見なかったんで。ああいうのを12時間見ていられるくら
いの知識が欲しい。
>>151 最近は小説の脚色や逸話を事実と受け取る人間が多いぞ
小説読めば人物像が固定化されるし、逸話を事実のように扱うところもあるし
155 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 11:25:01 ID:dOZgjTaO0
NHKの真田太平記は今の大河ドラマより良くできていたが、
大阪の陣に出陣した兄・信之(信幸)の息子たちが、
叔父である幸村と対峙したら道を空けてやろうと相談していたシーンで萎え。
原作の池波正太郎が「家名を残すために敵味方に分かれた」という説を
作品の中で一貫して否定していたのに・・・。
156 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 11:25:16 ID:HkLncunW0
ノブヤボなら登場武将全員の列伝が載ってますが・・・
158 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 11:25:49 ID:VUWBvhACO
幸村強い強いって言うけど、すぐ負けちゃうんだもんなー
家紋が六文銭の真田家は実在するよ。
元庄屋でもう途絶えそうだけど。
>>139 >>124だもんw
でも、過去の武将風雲録などの簡単なやつから入るのが手っ取り早いと思うんだけどねー。
>>153 それなら小説読むのがいいかもね。
司馬遼太郎辺りが読み易いと思う。
>>153 とりあえず信長とか秀吉あたりの関連書籍や資料調べていけば
嫌でも皆絡んでくるし出てくるから
真田鉄砲隊放てー
165 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 11:28:56 ID:Guw7CJRH0
>>161 自慢じゃないが、今まで小説を読んで読破したことは一度もない!!
出来れば漫画希望。
166 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 11:29:13 ID:mSXCS2gj0
>>153 関が原以降なら、それの要望をすべて答える漫画がある
みなもと太郎「風雲児たち」
上で言われているが花の慶次では朝鮮→沖縄と変更されている。
何でも余計なトラブルを避ける為だったとか。
だって朝鮮出兵のついでで向こうの姫さん(?)を嫁に貰う訳ですから。
168 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 11:29:34 ID:Q2I5VvqM0
上杉謙信>>>>>>真田由紀村
169 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 11:30:23 ID:HkLncunW0
ここだけ三戦板になってるな
170 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 11:30:28 ID:9ifza9wv0
マンガ「花の慶次」って
真田幸村…長渕剛
豊臣秀吉…山崎努
徳川家康…勝新太郎
だったよな
でも前田利家のソロバンは実在したりする
>>165 横山光輝マンガ本にしとけ
しかし、小説読めないとはこれもゆとり(ry
172 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 11:31:10 ID:Guw7CJRH0
そうだ、凄いこと思いついた。コーエーに実現して貰えれば凄いことになる。
信長の野望のシステムで、戦闘シーンは戦国無双2にして貰えればオレみたい
にまじめな歴史ゲームが苦手な人でも楽しめる!!
あと史実モードとか作ってさ、史実と違う動きをするとその年に死んでしまう
とかも面白いな。
ゲームとか漫画で歴史の勉強がしたい。
173 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 11:31:31 ID:o7zLYjI90
真田遼
174 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 11:31:48 ID:/ZY1yhlW0
>>137 三成が捕縛された時酷い下痢だったらしいけど
大谷園の鼻汁茶のせいだったのか
>>166 スレ違いになるけどほんとにイイ!漫画だよな。
関が原からだらだらやったお陰で、明治維新もすんなり入っていける。
それ以降は、江川の「日露戦争物語」かな。
もっとも漫画でもGuw7CJRH0には辛いと思うがなw
176 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 11:33:14 ID:PS7lejms0
幸村は秀吉に恩義があったから負ける可能性が高いとわかっていても
豊臣方についたんだよね、兄は嫁もらってるから徳川方
真田堤で信行と幸村って合戦したんだっけ?
九州の兵は根性すわってるよなー。
西郷の時の薩摩もすごい。
捨てがまりだっけ?(違うかも
あれもすごい話しだよ。
178 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 11:33:28 ID:HkLncunW0
うちのオヤジはサナダムシは真田幸村口だから尻から出てきたからサナダムシというのだと言っていたな
子供にこういう嘘を平気で教えるんだなあ
真田家で作ってた真田紐ににてるからだっけ、ほんとは
179 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 11:34:20 ID:w21xwVOp0
新釈 戦国英雄伝説 眞田十勇士の続きマダァ-? (・∀・ )っ/凵⌒☆チンチン
180 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 11:34:20 ID:ZuBJpASV0
>>78 昔ゲーム雑誌(攻略本だったかも)で読んだけど、花の慶次の影響で、ゲームに登場。
しかも、漫画での偉丈夫ぶりを受けて、騎馬S、武力100みたいな。
ひょっとしたら、次作では山内一豊もパワーアップ・・・かも?
>>87 だれが漫画のセリフを持って来いとw
181 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 11:35:11 ID:/ZY1yhlW0
大河ドラマでは武田信玄(新田次郎)のやつがお勧め
182 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 11:35:51 ID:Vns0gMyA0
十勇士って実在したの?
183 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 11:36:49 ID:ooCGSi2L0
>>174 光成は体が弱かったので、同類相憐れむの感情もあったんだろうな。
朝鮮出兵さえなければ、豊臣政権内部の派閥争いもそれ程ひどくならずに家康
が出る幕は無かったかも知れんな。
小説ほど余った時間を潰してくれるもんはないんだけどな。
家で読むんじゃなくて、カバンにいつも一、二冊入れておくといいよ。
電車の待ち時間に読んでいけば一月もたないからなー。
185 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 11:37:36 ID:HkLncunW0
>>182 しませんがモデルになった人はいます。
>>174 逃亡中に稲を生のまま食ったため。
もともと胃腸の弱い人で合戦の前は必ず白い飯を食ってたとか
186 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 11:38:26 ID:PS7lejms0
>>176 うーん、真田昌幸(親父)が、東軍西軍どちらが勝っても真田家が滅亡しないように計略したという
説が有力なんだけどね。
188 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 11:38:56 ID:2AJoeStu0
実は大坂夏の陣で真田幸村が徳川家康を討ち取ることに成功していたからこそ、
徳川方は急遽、影武者を立てて乗り切ったんじゃないか?
で、翌年にはもう用済みになったから、影武者を殺して、家康公お亡くなり、という
ことにした・・・
尼子十勇士ってのもあるよな。半分架空だが。
オカマみたいの居るし。名前がいかにも講談ぽくておもしろい。
190 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 11:39:18 ID:iywgq4zR0
>>180 毛利元就や尼子経久は元々強かったが、
前田利家はそんなにうpしなかったな
宮本武蔵に至ってはむしろ弱くなっている感もある。
>>185 あくまで「モデルになった人がいる、と言う説」があるだけだから
断定するのはどうかと思うが。
一部、間違いなくモデルが居たのも居るのは確かだが。
192 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 11:39:26 ID:F28dkjJt0
火葬戦記の雄 荒巻義雄の猿飛佐助はおもろかったな
途中からお約束の歴史改変に入ってくが
193 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 11:39:41 ID:ZuBJpASV0
>>182 実在しないけど、モデルはいる。なんてことを、小説なんかには書いてる。
海野六郎なんかは、実在の海野家の当主だかなんとか。
詳しくなくてスマソ
あと、前田慶次郎については、高橋英樹が舞台でよく演じてるよね。
最近はあんまりやってないみたいだけど。
194 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 11:39:50 ID:qm5DRkvO0
196 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 11:41:34 ID:7iUmO/PO0
>>174 天下分け目の決戦の時に下痢して負けたという話を聞くたびに
石田三成に対して深い同情の念を覚える。
うんこがしたかったんじゃあ、しょうがないな・・・
>>129 そうじゃなくて、秀吉の死後も無駄な朝鮮出兵を引き上げさせなかったり
(家康が自分の船を出して救出した)苦労の末引き上げてきた武将に
一言のねぎらいも恩賞も与えなかったりしたのが原因だよ、関ヶ原でどうして
寝返りが相次いだのかよくわかる。
198 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 11:42:35 ID:TojRmDWU0
>>188 映画の「真田幸村の謀略」のオチですか・・・
十勇士全員が幸村の影武者になって、家康に次々と襲いかかるというアレ
199 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 11:42:46 ID:KlCZt8PU0
戦国時代つーか中世の日本社会には、
今とは違う価値観やシステムがあったということを
知るためには本を読めなきゃ無理だし、理解できないんじゃないかのう。
山さんの日本史板からの降臨キボンヌ。
我、ツワモノと仕合う
真田幸村の大坂夏の陣での最後の突撃の話は、大半が毛利勝永の戦功を
混同して流布されたものじゃん。
戦功横取りされてマイナー武将にされた毛利勝永(´・ω・`)カワイソス
202 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 11:43:45 ID:mSXCS2gj0
>>177 関ヶ原での家康本陣突破退却はすごいね。そんな退却方法って・・・
2ちゃんでいうところのリアル
( ;∀;)「無茶しやがって・・」
>>196 下痢で負けた訳じゃねえだろ(笑
福島正則が三成憎しで徳川につくんだから、
世の中怖いよね。
朝鮮出兵はやっちゃいけなかったなー。
あそこに絡んでもロクなことになりやしない。
まあ、福島家はその後ロクデモナイ目にあってますが。
204 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 11:44:26 ID:PS7lejms0
>>187 昌幸も結構策略者だったしね、どっかで人払いして
昌幸、幸村、信之3人でなんか密会したみたいだけどアレがそうなのか
205 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 11:44:45 ID:TojRmDWU0
206 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 11:45:22 ID:wf1AA/dCO
お館SUMMER
>>202 あれは退却なのかw
勝ちに奢る人間に対してだからあんなやり方が通用するのかもな…
関が原なら島津の撤退方法もすごいとおもうが
>>206 サングラスしてアロハシャツ着て軍配で顔あおいでる信玄の姿が浮かんだ。
>>204 昌幸は「結構」なんてもんじゃないよ。とんでもない謀略家。
大坂城に真田が入った、と家康が聞いて
「昌幸か?」と問いかけ、息子の信繁だと聞くと安堵した、って言う逸話も残ってるし。
>>196 決戦の最中に下痢だったわけではないw
敗れて落ち武者となったときに、
飢えのため稲穂をそのまま食べたりしたらしい。
212 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 11:47:24 ID:TojRmDWU0
>>203 >朝鮮出兵はやっちゃいけなかったなー。
まさにアノ国の法則発動というわけで・・・
213 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 11:47:53 ID:HkLncunW0
>>197 朝鮮から帰還した兵に
「ご苦労さん、今度ねぎらいの茶会に招待します」と言ったら
加藤清正が
「内地にいた人と違って我々は茶など持たぬゆえこれから稗粥で宴会をするから結構」
と噛み付いた逸話があります
214 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 11:48:29 ID:QnXzllVE0
まぁ、もう出ているだろうが・・・
ぉぉぉぉおおおおやかたさまああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!
ウンコといえば武田に敗戦した家康
216 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 11:49:09 ID:4ADKWlQd0
結局女に城任せるとダメって事だろ
真田信之
もっと評価してあげてください・・・
218 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 11:49:32 ID:9ifza9wv0
>>198 その話は別に映画の為に考えられたわけではなくて既に江戸時代から云われている。
大阪府堺市南旅籠町の南宗寺には、本当の徳川家康の墓と伝えられている墓が残っている。
219 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 11:49:35 ID:ylvHFVZ50
”雌鳥歌えば家滅ぶ”すべて淀君が悪い。ジェンダーフリー反対!!
石田は過小評価されてると思うんだよなぁ・・・。
無論、人の心の読めない所はあったが
情に厚いところもある。
知れば好きになる武将の一人だと思うんだよね。
>>205 あれは何をとち狂ったのかと思わせる配役だったw>ミッチー
223 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 11:53:10 ID:TojRmDWU0
>>218 >大阪府堺市南旅籠町の南宗寺には、本当の徳川家康の墓と伝えられている墓が残っている。
大阪人は意地っ張りだから、「江戸の奴らには負けてない」って言いたかったんだろ。
歴史を捏造しちゃうあたり、かの国の連中と同じわけだがw
>>217 どうしても「裏切り者」って取られがちになってしまうからなあ。評判も上がりにくいね。
家を残すために家康についただけで、昌幸と信繁が処刑されかかった時も
助命嘆願して命救ってるし、信繁の大坂での活躍は
この人あってのものだから、もっと評価されてもいいとは漏れも思う。
225 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 11:53:27 ID:HkLncunW0
>>221 今はそっとしておいて欲しい
無双厨の腐女子が湧いていてまたイメージが歪んで広がる危険アリ
>>221 家康に匿ってもらったエピソードに
俺はハートを射抜かれた
>>213 そんな感じ、ホント人の心がわからんのかと…。
>>221 俺は過大評価されてると思う、関ヶ原であれだけ寝返られたのは
人徳のなさを表してる、明らかな劣勢で裏切られたのではなくて、
裏切られたから負けた位の戦力差なんだから。
漫画の影武者徳川家康なんか読んだ人はついうっかり三成を
信奉しちゃうと思うが…。
228 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 11:55:15 ID:TojRmDWU0
>>222 いや、まさしく「かぶき者」のワンポイントでのキャスティングだろw
229 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 11:55:55 ID:9ifza9wv0
>>222 プロデューサーの浅野加寿子が決めた
この浅野という人は浅野家の末裔なので、
劇中で酒井法子が演じる浅野家出身のねねも大活躍
230 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 11:57:23 ID:mSXCS2gj0
>>226 闘将系の武将(小西行長とか加藤清正とか)に朝鮮出兵後に殺されそうになったみたいだね。
で、家康の伏見城だか二条城でかくまってもらってた期間があったらしいね。
231 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 11:57:34 ID:ZuBJpASV0
>>217 たしかに。
池波正太郎原作の真田太平記を読んだ結果、信之のイメージが無茶苦茶変わった。
戦国時代にあって、小国の武将なのに、突出した政治力を持ってたってところがねー
>>205 ミッチーの慶次郎は、イケメンだったんだろうけど、なんか虚弱だったネ。。。
232 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 11:57:48 ID:KlCZt8PU0
>>221 江戸時代は極悪人である必要があったので250年くらいの間、
人物像と事実はかなり歪められてきたことと思う。
再評価&再批判はこれからだね。開国してまだ150年くらいだから。
233 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 11:58:10 ID:g1CZbbcw0
大谷吉継の呪いか小早川のアホはのちに狂死したな
234 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 11:59:20 ID:hjmS4zgC0
>>175 マンガなんて立ち読みで済ます俺が、唯一買って揃えてるのが
「風雲児たち」。
確かに関が原以降ならあのマンガは最高だな。
>>230 その三成を殺そうとした武将を朝鮮から救ったのも家康なんだよね、
徳川がなぜ天下を取れたか、自明の理だ。
236 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 11:59:46 ID:KdM0484v0
花の慶次
237 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 12:00:04 ID:iywgq4zR0
秀吉の養子ってどうして揃いもそろってDQNばっかなのか
238 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 12:00:17 ID:/ZY1yhlW0
三成は
秀吉に濃味→中味→薄味のお茶を出した話とか
お茶にこだわりがあったのか
うぉぉぉやかたさむぁーー
240 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 12:00:42 ID:g1CZbbcw0
歴史物としてはアレだけどファミコンで出てた「烈火のごとく天下を盗れ」っていうゲームが好きだった。
シンプルだが地味に面白い。季節が変わるたびに新たな敵が攻めてきてひたすら逃げ回る大将萌え。
>>227 それでも三成の為に死んだ名将も多いんだよ。
島左近なんかもそうだよね。
島左近の作戦を蹴ったエピソード、
私はあれ創作だと思うんですよね。
242 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 12:01:07 ID:IO6q/Dys0
前田慶次が後6人いれば、石田側が勝利していたであろう・・・
243 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 12:01:42 ID:4x02sV4m0
>>54 最初のTVシリーズの見ていた人には
既知のことだた
244 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 12:02:13 ID:ZG7XTyzX0
やっぱり映画では真田広之が演じるのか?
>>242 あんなのが6人もいたら平常時から大変な事になるぞ
>>230 その後三成は奉行を解任になって、佐和山に蟄居になってるからなあ。
家康の作戦だって見方が強いよ。罰を受けたのは三成だけで
清正らはお咎めなしだし。
247 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 12:03:15 ID:hjZp0Ado0
>>230 匿ってもらったのは事実だけどね・・・。
その事件を起こした首謀者にはほとんどお咎めないってのもおかしな話でしょ。
249 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 12:04:19 ID:MRPUVE99O
250 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 12:05:11 ID:ZG7XTyzX0
石田正宗
幸村は十字槍使ってたのは本当なの?
252 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 12:07:50 ID:g1CZbbcw0
ここでメッケルが「西軍の勝ち」宣言↓
253 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 12:07:52 ID:9ifza9wv0
>>223 その墓は幕末に作り直されているのだが、墓の文字を書いたのは幕臣・山岡鉄舟
山岡鉄舟は江戸生まれの江戸育ちで大坂は関係ない。
二代将軍・秀忠、三代将軍・家光が南宗寺に参拝した記録も残っている。
特別、徳川家と特別に縁のある寺ではないにも関わらず…
それに南宗寺の参道は江戸時代から“権現道”と呼ばれてきたのだが、
江戸幕府が家康の神号「東照大権現」に因む権現という言葉の使用を許可するだろうか?
>>246 >>248 おかしくないよ、あれは加藤清正らに明らかに理があった、殺されても
文句一つ言えない状況で匿ってもらったんだから感謝してもしきれない、
蟄居程度ですまされたのは家康の懐が広いだけ。
普通の奴なら匿わず放り出すよ、その方がいいと思うんだけど。
>>241 そういうムラがよくないんだと思うよ、自分が好きな相手にはとことん
尽くすが、嫌いな相手にはけんもほろろ。
家康はそこが違う、三成が同じ状況で家康を匿うことは有りえんだろ?
人としての器量、能力として、家康>三成 だったから、
関が原では、三成が敗れただけ。
三成の人格や能力が低かったからではなくて、相手が悪すぎたのよ・・・
同時代の大名や有名武将の中で評価すると、人物も能力も上位の部類に
入ると思うよ。
256 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 12:12:29 ID:7YXoYJnb0
>223
意地というか、当時の大都会は大坂。
江戸なんて家康自体(´・ω・`)になるほどド田舎だったからな。
まぁその江戸も江戸時代に栄えた後は、明治維新で
旗本たちは静岡へ移り、鹿児島や高知や山口の田舎モノが
大挙定着、現在へ致る訳だ。
そういう意味では東京は余所者の都市だな、昔から。
つ◎◎◎◎◎◎
258 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 12:15:11 ID:CeczFCwa0
>>253 そこから隆慶一郎の小説にと向かうわけだな
259 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 12:18:34 ID:7+7tN0Po0
>>256 それを言ったら大阪もその数十年前までは変わらんでしょ
堺とか有るけど
260 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 12:18:38 ID:9SJi51lbO
侍ディーパー京で初めて知った
261 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 12:19:04 ID:K4O45COf0
でも真田一族って本当は朝鮮からきた渡来人なんだよ。
>>254 三成の明確な非ってなんだ?三成と正則らは元々仲が悪くて
それが襲撃事件に発展しただけだと思うが。
ついでに言うと、三成が家康の所に逃げ込んだ、と言うのは
そういう説があるだけで、真偽は不明。
263 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 12:20:48 ID:7+7tN0Po0
264 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 12:20:51 ID:9ifza9wv0
>>253 隆慶一郎の「影武者徳川家康」は、この話とは直接に関係はない
(もちろん参考にはしただろうが)
隆の小説は関ヶ原で戦死した家康の影武者の話
一方、南宗寺の墓は大坂夏の陣で戦死した家康の墓
余談だか、幸村と昌幸親子はもちろんだが、
祖父の真田幸隆が良いね。
策略や謀略の上手さは祖父譲りだろう。
NHKの武田信玄での飄々とした幸隆は最高だった。
幸隆役でファンになった橋爪功さんは、
最近主役級の仕事も多く自分としては大変嬉しい。
266 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 12:21:04 ID:PBriV9WT0
261
私もきいたことある戦国時代の武将はほとんど朝鮮族からきてるて、
267 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 12:21:21 ID:Qip/FoJa0
日本国とは
単一民族国家にして、戦に長けた武人による武士道国家である。
たとえ最後の一国となっても、搾取政策を推し進めてた欧米の跳梁を許すまじきと
彼らに乾坤一擲の一撃を放ってその野望を打ち砕いた国だ。
愛する郷土防衛の為に解放戦争の狼煙を上げる為に、世界史上最後にして最強の帝国、
大日本帝国が存在していた事を我々は忘れてはならない。
---------人類の名誉のために
268 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 12:23:26 ID:7+7tN0Po0
270 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 12:27:46 ID:/ZY1yhlW0
>>265 俺は人の良さそうな信玄の弟が好きだった
271 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 12:27:48 ID:TojRmDWU0
272 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 12:32:33 ID:TojRmDWU0
>>264 世良田二郎三郎元信 か?
家康の旧名、古い順番から並べてみ
>>265 幸村って謀略とかはほとんど関知してないんじゃないか?
そういった類のものは、幸隆・昌幸の独壇場だったんじゃないかと思う。
274 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 12:33:02 ID:uoM27jCV0
石田三成は悪く言われすぎだな。
豊臣家にとっては有能な忠臣だろ。
関が原を起こすのも戦略としては正しいだろ。
悲劇は淀君の無能ぶりだと思う。
275 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 12:33:56 ID:Qrfp0pMeO
三成に戦意を打ち明けられた大谷吉継が「貴殿では家康公には
勝てぬ」と諌めた話は本当だろうか。
276 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 12:34:53 ID:w/BEAag10
>>259 ウィキペディア「大阪」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%98%AA#.E9.9B.A3.E6.B3.A2.E5.AE.AE.E3.83.BB.E9.9B.A3.E6.B3.A2.E4.BA.AC 現在の大阪市の直接の前身である大坂の町は、古代の日本最初の本格的な首都である大化改新の
時の難波長柄豊埼宮(なにわのながらのとよさきのみや)や、住吉津(すみのえのつ)難波津(
なにわのつ。なにわづ)を起源にもつ歴史的な国際的港湾都市であり、江戸時代には既に現在の
大阪市の中央部を広く町域とする日本屈指の大都市であり、日本経済の中心だった。
難波宮・難波京
古代の仁徳天皇の難波高津宮をはじめ、大化の改新の時の難波長柄豊埼宮や聖武天皇の頃の難波京など、
古代の大阪は、何度か都の所在地となっている。対外交渉に積極的になった時、内陸部の奈良よりも
海に面した大阪が首都の地に選ばれた。
住吉津と難波津
この地には、古代大和朝廷が外国への使節の送り出しや、迎接に利用する瀬戸内海東部の重要な国際港
であった「住吉津」や「難波津」が置かれ、飛鳥時代・奈良時代には、首都あるいは副都として難波宮
(なにわのみや)や難波京(なにわきょう)が営まれ、律令制のもとでは首都の京職に次ぐ摂津職によって管理された。
難波が古代国家によって重要視されたのは、大阪湾は西日本の交通の要である瀬戸内海の東端にあたり、
かつ当時の中央政府があった内陸の飛鳥地方・平城京からみてもっとも近い港湾であることによる。
住吉津を管理する住吉大社は、大和王権直属の社として重要視されており、また朝廷の儀式要員に座摩巫
がおり、滝口武者の嵯峨源氏の渡辺氏が掌った坐摩神社(中央区渡辺町・東本願寺難波別院の西)が
その遺跡とされ、西から来る穢れを祓う儀式といわれる。
難波津は土砂の堆積により港としての機能を衰えさせ、奈良時代の末には放棄され、かわって神崎川河口
の河尻泊(現在の兵庫県尼崎市)などに繁栄を譲る。しかし、平安時代には淀川水系を利用して営まれた平安京が
恒久的な都となったことから、のちの天満橋から天神橋までの淀川河口一帯には渡辺津とよばれる港が
でき、瀬戸内海から淀川を通じて京都に通じる水運の要衝、また北から淀川を渡り、
南の四天王寺や住吉大社、熊野へと続く陸上交通の要衝として栄えた。
277 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 12:35:00 ID:/ZY1yhlW0
三成より黒田如水の方が嫌いだ
278 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 12:35:13 ID:TojRmDWU0
279 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 12:36:29 ID:lwORDkp/0
>>115 俺も、86.4に自殺した岡田有希子が昌幸の末娘として出てたから
84か85か、86の出番が終わってから自殺と思っていたけど、
当時の大河は3年ほど幕末・維新だったので、
「水曜時代劇」として「真田太平記」をしていたのだよ。。。
総集編は15年前に、再放送は10年前にもしていたな...
280 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 12:37:14 ID:H8SxM8SG0
戦での死に様とかは見てる人がいるだろうから本当だろうけど
武将の私的な場での個人的エピソードはほとんど江戸時代の軍記物の創作じゃないだろうか
281 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 12:37:51 ID:KDd6yBsg0
大和大納言が長生きしてればなぁ。
敗者に用は無い
283 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 12:39:41 ID:2PgPS0RC0
みんな真田幸村の話しろよ・・・
石田三成や大阪やキムチの話ばかり
>>274 淀が無能って言うか、あれがのさばった時点でどうにもならないな。
後、文治と武断が仲良ければ問題ないと思う。
で、文治と武断の不仲が決定的になったのは朝鮮出兵。
家康は朝鮮に行かなくて良かったので、力を蓄える事が出来たのも
また一つ。これらを総合すると、結局の所、晩年の秀吉のバカっぷりが根本だと思う。
>>254 匿ってもらったのは事実だが、
加藤清正らに咎め無しなのは腑に落ちない所じゃないか。
徳川がやらせたって言うのは極論かもしれんがな。
やっぱり江戸時代が長かったってのも大きいと思う。
当然大悪人のように言われるだろうしね。
286 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 12:41:17 ID:7YXoYJnb0
>276
>259にレス書いてたら、貼られたw
>それを言ったら大阪もその数十年前までは変わらんでしょ
こう言い切る根拠を知りたいんだが、もう出てこないかなw
287 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 12:41:33 ID:TojRmDWU0
>>256 だから、そんなのに負けたとは思いたくなかったんでしょw
豊臣埋蔵金の話だってそんな話じゃん
本気で豊臣が復興し、いつかまた大坂の時代が来ると思ってたんだろうね
288 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 12:41:44 ID:JmSR1IHW0
平安時代以前なんて関東方面の話題なんて教科書で殆どないだろ?
289 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 12:42:23 ID:GISnxFat0
好きなのは北条早雲だな 地味だけど
>1
>「あなた様はまだ女体をご存じないのでは……」
>硫黄がにおう湯煙の先に、お江(こう)の豊かな乳房が揺れる。真田幸村18歳。
>舞台は信州・別所の「隠れ湯」である。
>池波正太郎の小説「真田太平記」に描かれたお江は、幸村の父昌幸に仕える
>忍びの集団「草の者」の女忍びだ。
>乱暴者のいとこに襲われた幸村を救った直後のこと。幸村の血はまだ騒いだままだ。
>性技にもたけている年上の女忍びが血気にはやる若殿を鎮めるのはたやすい。
>小柄な幸村は、お江の両腕にすっぽりとかくれる。大人にする喜びを感じても不思議はない。
>命の恩人でもあるお江との3夜。
>「10歳も大人びたようだ」。館に戻った幸村の変わりように家来たちがうわさした。
>>283 もう大概出尽くした感があるからなあ・・・
幸村って活躍した時期短いから、どうしても脇にそれがち。
292 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 12:43:50 ID:KDd6yBsg0
>>284 徳川なんて遺言破るのは目に見えてるような気がするんだよな。
禁止された大名間の婚姻を進めようとしたのも家康だったでしょう。
294 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 12:44:46 ID:TojRmDWU0
>>288 わざと平安時代と書くあたりが性格悪いねw
296 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 12:45:19 ID:n6tn/GBY0
朝鮮総連歴史研究局補論部による日本の戦国武将研究
伊達政宗→尹政宗
上杉謙信→林謙信
武田信玄→崔信玄
徳川家康→洪家康
豊臣秀吉→白丁の子孫
毛利元就→毛元就
島津義弘→鄭義弘
全て朝鮮民族であることは言うまでもない
(朝鮮総連出版部刊「イルボン戦国事典」より)
297 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 12:46:42 ID:7YXoYJnb0
>287
> いつかまた大坂の時代が来ると思ってたんだろうね
チャンスはあったけどね。
大阪首都案も本気で検討されたし。
298 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 12:47:22 ID:/ZY1yhlW0
299 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 12:47:43 ID:fkGLm05VO
兵どもが夢のあと
300 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 12:48:22 ID:Lewt9rpZ0
>>277 坂口安吾の「二流の人」を読んでファンになった。
一発大穴狙いの勝負に出る山っ気と、妙なあきらめの良さが。
301 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 12:49:02 ID:GISnxFat0
道三ていつも道灌と間違えてしまう
>>296 (;;;;;;,、/ 、 .:::::::::::::::
語 誰 /!,iヾ、ヽ、, :::::::::/
.ゝ/ ヽ、_``ヽ、 , ヾ;, ,、 /';;:/ ,
れ が \_\ヾ、、,_ヽ .\ヾ,,i!、i!i /` ./,ィ
/ ヾ、_ ゞン`ソゞ、ヾ゙-' ,;ゞ,_,i;;'_´ゞン.
と チ |;| `'/  ̄ ,-'" |::::::.  ̄´
ョ .> / i |:::::::.
い ン {;;;| .! |::::::::.
ヽ、_ |::::::::.
っ の (´ ,、_,, _,ノ::::::::::.
\ ,,. -'7 i ':::r‐、、::,::::
た よ / /´,, -'" ` `ー 、`'、
( ヽ. '´"<二二ニ二ニ=-`ヾi;
ッ う `二ニニ==-- ,,,,,,, ........:::....
./;; ヽ :. :::::::::::: ::::::::::::::::
.!? に /i .;;; ヽ ::.. ..:::::::::::
|::i ;;i .l l ヽ::::.. .:::::::::::::
____> .i l l :: ヽ、::.,,,、,、,,.,., _...::::_;/::
\/\M/::::::::::::::::i i.l/ :: ヾi!;i.;;i!;i!i;;i;;i!;i;;i!;: :::::.
戦国時代より三国志のほうが詳しいのは俺だけ?
304 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 12:49:42 ID:bEh4GgVj0
マスコミの発情体質を感じたのは漏れだけかな
306 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 12:50:09 ID:5Iomtjp90
>>242 マンガの「前田慶次」にしろ史実の「前田慶次郎」にしろ、
当時には会津で上杉家の為に東軍と戦っていたのだから
彼が何人居ようとも関ヶ原の合戦の勝敗には直接は一切関係無い。
309 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 12:52:18 ID:lwORDkp/0
>>137 しかし「兵站」という概念は三成が最初らしい。
それまでは「小荷駄」や「現地調達」、
ひどいときには「なくなってから取り寄せる」だからなwwwww
>>155 叔父を殺しても家名は残るやんw
小山の密談のほうがいいだろw
信幸が東軍、幸村が西軍につくというと、
昌幸が「分かれたな...しかしそれでいいかも」
三国志も好きだって人も多いでしょう。
俺はどっちも好きだし。
311 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 12:52:45 ID:KDd6yBsg0
真田太平記ににも有ったけど(うろ覚え)、関が原に幸村が手勢を率いて
参加してたら戦局を変えられたかな。
312 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 12:54:02 ID:9ifza9wv0
>>306 主な戦場は米沢から山形にかけての山形県では?
313 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 12:54:32 ID:tV/rK6ZxO
今川家は最強。
314 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 12:54:57 ID:g1CZbbcw0
淀が寺建てたりあんだけ浪費してまだうなるほど金があったってのはすごいよな、豊臣。
315 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 12:56:13 ID:Qrfp0pMeO
近年の発掘調査で、関ヶ原の西軍陣地で堅固な陣構えが
構築されていた事がわかった。三成は、最初から決戦の地を
関ヶ原と想定して、事前に陣地を設営していたらしい。
メッケルの逸話の件もあり、三成は万全の態勢で東軍を
迎え撃ったと思われる。にも関わらず裏切りで負けたあたり、
家康の政治力に敗れたと言えそうだ。
今川って海道一の弓取りとまで言われてるのにさ・・・。
織田にやられたってことで余りにも評価が低い。
マロ、オジャル、とか喋ってそうって印象あるよね。
317 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 12:57:25 ID:uoM27jCV0
>>311 1真田の兵力自体は大して多くない。
2西軍側の作戦ミスを是正しようにも、島津義弘らが既に言ってたし、三成に却下されてた。
たぶん変えられない。
318 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 12:58:00 ID:cpeyljaZ0
朝鮮関係がタブーになって大河的には惜しいなあ。
立花宗茂なんかは、
義父と実父、VS島津、、関ヶ原、浪人時代、
大名に復帰、島原の乱と見所満載なんですけどね。
登場人物も、波乱万丈で長生きしてるから
大友宗麟、豊臣秀吉、島津義弘、石田三成、加藤清正、
徳川家康、秀忠、家光とまんべんなくカバーしてるし。
地元福岡の人間としては寂しいです。
319 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 12:58:33 ID:GISnxFat0
奥州藤原氏が頼朝に負けなかったらどうなってたろうかと
信長が下克上されなかったらとか家康が負けてたらとかよりも
面白い
320 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 12:58:53 ID:7+7tN0Po0
>>276 古代に都が有ったりしたのは事実だけどそれは一度衰えてるから現代の大阪には直結してない別物
現在に繋がる旺盛は本願寺とその退去後 特に徳川期の物
当然周りから地方もんが集まって巨大化したんだよ
321 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 12:58:54 ID:lwORDkp/0
なんでタブーなんだよなぁ・・・
鬼石曼子の活躍が・・・。
絶対あの国に絡むとおかしくなる。
マスコミ遠慮しすぎだろ?
323 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 12:59:41 ID:7YXoYJnb0
>318
嫁も華があるしね、惜しいね。
戦国九州ものはやってほしいよ。
324 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 13:00:04 ID:IzYL/BJD0
>>319 衣川の戦いが発生しない、つまり義経が生きていることが前提になるわな
>>316 ただやられただけじゃなくて、油断してた所を奇襲で、ってのが
すっかり広まってしまってるからね。
近年やっと「奇襲ではなかった」って説がそこそこ語られるようにはなったけど
それでも一部の戦国ファンのみの認識で、NHKの「その時歴史が動いた」とかは
相変わらず奇襲説を採用してたしなあ。奇襲説がなくならない限り、一般での評価は
かわらないんではないだろうか。
戦国時代の漫画もあれば学校の図書館に置いてほしかったな
うちは横山三国志しかなかったから戦国全然わからんわ
ついでに戦国は勢力多すぎて名前もころころ変わるし、変なしきたりとか習慣があってなかなか理解しづらい
なんかお勧めの漫画はないですかね
>>321 死んでるのを知らなかった、って事だろう。
所詮一武将、しかも敵方のだから。
真田信繁は戦術や謀略よりもゲリラ戦が得意ってイメージがある
329 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 13:05:02 ID:lwORDkp/0
>>237 秀長の子だってDQNだし、家康・秀忠の子だって幼少期はDQNが多い。
ようは後見人や側近の質の差だな...
330 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 13:05:02 ID:sAIFD3xM0
幸村の強さはどこまでマジ?戦国史上最強ぐらいに思ってるけど。
少なくとも真田家という家単位で見れば最強かな。
331 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 13:06:10 ID:/ZY1yhlW0
戦国九州は面白いのにな
332 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 13:06:22 ID:7YXoYJnb0
>328
戦術(略)や謀略の手腕を発揮する機会に恵まれなかったからねw
何で秀吉は家康を殺さなかったんだろうなぁ
関東に転封させるにしても東海に中村だの山内だののヘタレ置かずに
前田利家にそっくりやって抑えにすれば良かったのに
天下どころか政治手法までパクられちゃ三成も浮かばれまい
家康が幼少時に苦労したってのもウソ臭いし
まあ、関西が日本の首都じゃなくて良かったけどな
334 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 13:07:10 ID:TojRmDWU0
>>318 よし、2008年大河ドラマは「加藤清正」で!
335 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 13:07:26 ID:g1CZbbcw0
>>316 >海道一の弓取り
この称号、家康に使ってる本もあるけどどれがホントなの?
>>333 捕虜にされてたんだから、それなりに苦労はしてると思うが。
>>329 禿同。家康にしても、ガキのころは人質として苦労した上に
あの雪斎が教育係やってたからな。かなり運が良かったと思う。
338 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 13:08:23 ID:7YXoYJnb0
>330
家最強は島津家だな。
あそこは遺伝DNAが尋常じゃない。
339 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 13:08:37 ID:MqjsQJZv0
眞田幸俊 (眞田家16世14代当主)1969〜
現当主。工学博士。慶應義塾大学理工学部助教授
340 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 13:09:35 ID:gz/DkUUj0
それでこそ・・・! それでこそ 都に御旗を立てるお方でございます!!
341 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 13:09:53 ID:iywgq4zR0
>>333 殺す理由がないから
関東統治に失敗したら佐々成政みたいに殺せたんだろうが
342 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 13:10:29 ID:7+7tN0Po0
>>327 いや死んでから2〜3年経ってるし実質的に幽閉監視状態だったのだから知らないとは考えにくいよ。
343 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 13:11:01 ID:KDd6yBsg0
>>317 なるほど、だけど島津軍は1000人?で敵中突破を果たしているから、
兵力は決定的な差ではないように思える。
それに、作戦自体は”メッケルの判定勝ち”だと思われ。
344 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 13:11:17 ID:lwORDkp/0
345 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 13:11:30 ID:5Iomtjp90
>>242 原哲夫のマンガだと、「前田慶次」よりも西軍の侍大将である「島左近」の方がはるかに強いのだがw
>>332 あ、確かにそうだ
沼田城での徳川戦、北条征伐、上田城篭城戦を除いて
あとはずっと蟄居生活だったもんな
347 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 13:12:13 ID:P+1FmWTUO
虎退治の虎は本物を使って
348 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 13:12:19 ID:TojRmDWU0
>>341 国家安康君臣安楽
並みのいちゃもんでも戦しかけれるんだから殺そうと思えば殺せたんじゃね?
350 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 13:12:48 ID:g1CZbbcw0
【銀シャリ】加藤清正に鮭の皮をたらふくごちそうするOFF【秋鮭】
351 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 13:12:50 ID:n6tn/GBY0
>>339 家最強は伊達家だろ陰謀DNAが強すぎてアレだが、一族総陰謀祭。
江戸時代に入っても政宗の末っ子が陰謀祭を開催して大変な事になったが
352 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 13:14:26 ID:gz/DkUUj0
ほほほ 海道一の弓取り
今川義元でおじゃるよ!!!
353 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 13:14:41 ID:IPTby3Hp0
島津はなんで最後まで動かなかったの
>>335 もともと今川家の当主を指して言われていたモノだが、
今川家が滅んだ後に家康を指すようになった。
どっちもホント
大河ドラマで3年かけて真田太平記やらないかな。
l;;llllll||lll从从WWWl||ll,,ツ从ツツノlイノ'彡ヽ
イ从、从从从从从ll|| |リ从////ノノ彡;j
jl从从从从;;;;;;;;;;;;从;;;;;/;;;;;;;;;、、、;;-ー、イ彡:}
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jミミ;;;;} ::: ヽ::::ミヽ:: | ノ W:: |;;;;彡:|
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|l ';;', ::: ー` ̄:::::::ミ}゙'~}彡ィ""´ .:::lリノ/
l'、〈;', ::: :::::::t、,j iノ:::、::.. ..::::lー'/
,、,,,/| ヽヽ,,', ::.、 :::::(゙゙( ),、)、ヽ::. イ ::::l_ノ
)ヽ"´ ''''"レl_ヽ,,,', ヾ'ー、:::;r'"`' ゙'';;"" ゙l| ::j ::: |: l,,,,
゙''(,l ', l| リ {"ィr''''' ーー''ijツヽ l| :" l |',`ヽ,
き 利 (l :'、 `',. 'l| |;;゙゙゙゙"""´ー、;;| ノ: / /リヽ \
. く い Z::::ヽ '、 ゙'t;ヽ ` ´ ノ;;リ ,r' // |
な. た >; :::ヽ ::ヽミニニニ彡'" , ':::::// |
┃ ふ フヽ ::\ : ミー―― "ノ , ':::: //: |
┃ う }ヽヽ :::::\::( ̄ ̄ ̄ /:::://: |
┃ な }| ヽヽ :::::`'-、竺;;ニィ':::// | l
// 口 (: | ヽ ヽ :::: ::::::... ::// | |
) ・・. を ( | ヽ ヽ:: ::::::... // リ. |
つ、 r、{ | ヽ ヽ // / |
ヽ '´ | ヽ ヽ // / |
天晴れ真田幸村、日本一の兵なり
今、戦国が終わった……
357 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 13:15:36 ID:g1CZbbcw0
>>336 人質としての苦労はあっただろうが
>>337のように今川家での待遇は悪くなかったし
隠居の地に駿河を選ぶってのも
人質時代にそう嫌な印象はなかったってことじゃまいかと推測
兄ちゃん二人を長篠で殺されて、良く信長に仕えたもんだよな
景勝に頭を下げたのといい、戦国の定めとはいえ凄い辛抱だ
関ヶ原よりも前に豊臣政権というのは既に瓦解していたといってもいい。何故なら秀吉末期に
実質的な日本国首相である五大老の筆頭に、親戚(妹婿)とはいえ外部の家康が重任してしまっていることからも明らか。
徳川幕府で言えば大老職に伊達家や島津家の当主が付いたようなもの。現代で言えば民主党党首が自民党政権下で首相に
なってしまうようなもの。
つまり足利幕府の末期のように、有力諸侯に頼らなければ政権自体を運営出来なくなっていたと言うのが実情。
もはや統一政権でもなんでもない。
よく秀吉の死後、家康が裏切ったように言われるが、家康にしてみれば首相職を任されている立場で、急速に豊臣政権が
求心力を失っていく中、実質的な権力を確保するための、やむをえない行動がほとんどである。
三成は、それを理解しなかった、もしくは理解しようとしなかったことが関ヶ原を導いたといっていい。
>>315 メッケルの逸話は捏造らしいよ。
実際は布陣図を見た後
「で、このときの政治情勢は?」
と、聞かれたらしい。
363 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 13:22:25 ID:lwORDkp/0
>>327 ほとんどが討ち死に・死罪や改易で、
減封・流罪で済んだ大名って数人だろ?
それくらい管理しとけよw
364 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 13:23:39 ID:8X/vXmzDO
戦国バサラはバカで面白かった
根津甚八も呼ぶのか?
366 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 13:26:34 ID:7+7tN0Po0
>>359 そこに全部書いてるじゃんw
徳川家にとって要注意人物だった
目立つ葬儀をやらなかったのであって死が秘匿された訳ではない
家臣団の帰国など全国武将の動向を知るべき家康が知らないとは考えにくい
死を秘匿しようとしても早々にばれる事の多い時代にあり得んと思う
367 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 13:26:44 ID:lwORDkp/0
>>341 わざと一揆を起こさせる方法もあったしな。
別に生かしててもいいが、五大老筆頭は不味かったなw
それに石高相応に仕事をさせて国力を削いでおかなかったのがダメだったな...
368 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 13:28:34 ID:IzYL/BJD0
あの長い寄生虫はトクガワムシと改名しろ
369 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 13:33:54 ID:yaR0HHBO0
370 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 13:34:13 ID:Lewt9rpZ0
>>359 九度山脱出の話はNHKでやってたな。
幸村「日頃からお世話になってるから今日は酒を振舞おう」
村人「おお、ありがとうございます」
幸村「遠慮せず呑めよ」
村人「へえ遠慮なくグビグビ呑みます。こりゃ明日も二日酔いですなぁ」
幸村「…世話になったのう」
>318
その忠義、鎮西一。その剛勇、また鎮西一。
関ヶ原本戦の敗戦確定後、大津引き上げに際して、
宇治だか瀬田の大橋を壊すことを認めず、自ら殿軍を引受け粛々と撤退したことに好感。
って本で読んだけど、これは実話なのでしょうか?
徳川軍は真田に二度も敗れてるけど
家康自身は真田昌幸と対戦したことはないので
ガクブルするほどの恐怖感を覚えたという話はちょっと疑問。
味噌焼き作ったぐらいビビッタ武田信玄相手ならわかるけど(笑)
373 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 13:37:27 ID:VNqwvtYkO
初心者の方に
真田幸隆
真田家繁栄の祖
早くから
武田家に従い、
信玄が二度も攻略に失敗した
砥石城を謀略でいとも簡単に落城させる
外様の信濃先方衆で武田の重臣に成り上がったのは後にも先にも真田家だけ
真田信綱、真田昌輝
幸隆の長男と次男
あまり歴史に名は残っていないが
武勇に優れた武将らしい
長篠の合戦で戦死
374 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 13:38:07 ID:lwORDkp/0
>>369 息子の価値を下げてるやんw
>>359 >>370 当時の和歌山は浅野長政の子か孫の領地で、
家康に律儀に九度山警備をしていたようだが...
375 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 13:39:50 ID:nN4gnjT6O
>日本一の兵
日の本一の兵
じゃなかったっけ
376 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 13:40:01 ID:Ff8PCNnl0
おやかたさむあああああああああああああああああ
>>374 その当時の幸村の評価はほとんど無いに等しいものだったから問題ないと思われ。
幸村が評価されるのは大坂の陣から。
はいはい、長野長野
九度山脱出の話は三通りぐらいあるようで、
その中には火縄に点火して、押しとどめようとする農民を
威嚇しながら脱出したなんてエピソードもある。
>>376 ゆううきむらあああああああああああああああああああああ
381 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 13:43:52 ID:ZuBJpASV0
戦国時代好きがたくさんいて、おじさん嬉しいよ!
382 :
DQN:2006/05/14(日) 13:44:09 ID:0kQzJ3f80
「真田日本一の兵。古よりの物語にもこれなき由。
惣別これのみ申す事に候。真田は、千載人口に残る奇策幾千百ぞや。
そもそも信州以来、徳川に敵する事数回、一度も不覚の名を得ず、
徳川の毒虫なりと世に沙汰せり、当世の英雄真田を非ずして誰ぞや。
絶等離倫、一世の人物、今にいたりて女も童もその名を聞きてその美を知る。
彼処に現はれ此処に隠れ、火を転じて戦ひけり。
聚合離散の形勢、前にあるかと見れば忽焉、後にあり。
早天に真田左衛門。茶臼山に赤幟を立て、備え赤一色にて、
つつじの咲きたるが如し真田左衛門。合戦場において討ち死に。
古今これなき大手柄。真田下知を守りたる者天下に是なし。」
383 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 13:47:04 ID:GK7a01kr0
花のようなる秀頼様を、鬼のようなる真田がつれて、のきものいたよ鹿児島へ
真田丸から東軍に向けて浴びせられる罵詈雑言の中には、
紀州なまりの言葉も多かったとか、
真田丸から発せられる鉄砲の命中精度が高かったのは、
紀州の猟師等が幸村を慕って多数入城したからとか。
秀頼は負け戦の天才
386 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 13:48:27 ID:iywgq4zR0
>>381 三戦板にいけばこのスレ以上にうざいくらい居る
387 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 13:48:31 ID:M+gHdzAr0
大阪でタイガースと太閤様と真田幸村の悪口を言うのはタブーらしいな。
388 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 13:48:55 ID:lwORDkp/0
>>370 総集編は3部作だったけど、
第二話「風雲真田城」(大坂の陣まで)の次が、
第三話「生きる」なんだよなw
嵐のあとの静けさの中で、「真田に二心あり」といまだに陰口を叩かれるけど、
お兄ちゃんはひっそりと小さくなって生きるのではなくて、
堂々と幕府に「城の改築」を申請したりして泣けた(ノ_・。)
389 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 13:50:14 ID:Ri8tM0UC0
お館様ぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!
391 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 13:51:08 ID:t7jqT/0H0
1、2、3、ぼわーん
392 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 13:51:35 ID:lwORDkp/0
>>387 そのワリにはD.ブレーザー監督や掛布が車をボロボロにされてたけどなw
ファンが監督や選手に天誅を加えるのはいいのけwwwww
>>382 「真田日本一の兵」の出典は島津忠恒の書簡だったのね。
三河物語だと思ってた。
394 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 13:53:42 ID:VNqwvtYkO
真田昌幸
幸隆の三男
若い頃
信玄の小姓を務め
武田滅亡後独立
豊臣、徳川、北条、上杉と列強ひしめく中
次々に主君を変え家名の存続をはかる
業を煮やした徳川が大挙するが
徳川身内の内紛も手伝いこれを撃退
関ヶ原合戦に向かう徳川秀忠軍三万をわずか三千で足止めし
関ヶ原遅延の原因をつくる関ヶ原以後は
蟄居生活
死ぬ間際に
『もう一度徳川と戦いたかった』
の言葉はあまりにも有名
395 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 13:54:09 ID:cK9gMpKs0
とりあえず名前だろ
真田権三郎とかだったら
名前ダサッ・・・で終わると思う
396 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 13:54:13 ID:t7jqT/0H0
4、5、6、ぼわーん
まあ策略好きな信州人にひのめが当たったと言う事で
>>394 武田勝頼 → 織田信長(滝川一益) → 北条氏政 → 上杉景勝 → 豊臣秀吉
表裏比興 w
399 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 13:57:55 ID:t7jqT/0H0
実家に帰らせていただきます
武田勝頼 → 織田信長(滝川一益) → 北条氏政 → 徳川家康 → 上杉景勝 → 豊臣秀吉
まちがえた w
401 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 14:01:04 ID:t7jqT/0H0
その時歴史は動いたかなんかで検証してたけど、真田丸はトーチカそのものだったらしいな
402 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 14:08:02 ID:JJLRwQSOO
九度山を抜け出し十勇士と京都をぶらつく辺りが強者。
403 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 14:08:07 ID:Z4TIQe2m0
中二病患者のオナニースレに成り下がったか…
404 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 14:12:04 ID:AQtwKgE90
関ヶ原に関して言えば
どんなドラマや小説も、司馬遼太郎の関ヶ原に影響されているね
でも、三成に対する恨み、豊臣家に対する恩云々で
東西どちらに付くかなんて、諸候は決めないよ。
勿論、大名個人の感情は、様々だろうけど
一国数千数万の命と生活を預かる主にしてみれば
己の感情で、判断を誤り、それらを路頭に迷わせる事は出来ないからね。
東西どちらに付くかは、それぞれ冷徹な判断(或は成り行き)でしかない。
>>404 いやいやいや。
個人的感情が先に行く武将も多いでしょう。
特に朝鮮出兵の最前線で戦ってきた武将達にとってはね。
そういや同級生の兄貴が真田昌幸だった。
407 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 14:23:59 ID:7YXoYJnb0
また現代の価値観をしたり顔で持ち出すヤツかw
408 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 14:24:58 ID:/ZY1yhlW0
島津を追い返した鳥居元忠は悲壮感に浸りすぎてた
409 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 14:28:49 ID:ZYz2FYXQ0
>385
江戸幕府の最後の将軍綱吉やら、昭和天皇と一緒ですか。
オラの県も今川義元で町興しズラ!!(`・ω・´)
関が原は人間ドラマだね。
そこいくと大阪夏の陣は最初から勝負見えてたから。
民間人を含まない戦死者の数が一番多かった国内の戦いが大阪夏の陣。
大阪方はほとんどが死ぬ気だったからだ。
生き残るための戦いは、時にこっけいで醜いが、その一方で人間味にあふれている。
死ぬための戦いは悲壮で美しいが、どこかに非人間的な何かを感じさせるものがある。
そうして・・・戦国の世は終わった。
412 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 14:38:12 ID:ZuBJpASV0
>>409 最後の将軍は慶喜だい!
綱吉は5代だぞ!
413 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 14:39:41 ID:O5XTIvdJ0
武藤喜兵衛が最強だってだけだろ
幸村も嫌いじゃないが、お父ちゃんやお兄ちゃんだって立派な武将だぞ
>>395 それはないな、後藤又兵衛だって名前だけ聞けばダサイだろ。
名前なんて物は本人が輝かす物であって、名前が本人を輝かしてるワケじゃない。
うんこちんちんの助とかならさすがにまずそうだが。
>>405 同意、冷徹な判断で動いた武将は少数に感じる、負け戦と知りつつ大阪の陣に
豊臣側として参戦した武将は大勢いた。
>>414 というか、幸村好きなのはライトな歴史ファンじゃない?
コア層はお父ちゃんの方に高い評価を与えてるよ。
実際幸村は活躍の機会があまり無いまま大阪の陣で
華々しく散っちゃったからね、彼の時代がもう少しあれば
もっと評価も変わったかもしれないけど…。
>>415 俺の脳内では「後藤又兵衛=酒呑みオヤジ」なんで
名前のイメージぴったりだがw
おやかたさまあああああああああああああああああああああああああああああ
419 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 14:54:03 ID:sC6GFri50
日本一は島津義弘
反論は許さん
420 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 14:56:21 ID:rvca5iTp0
>>418 ゆきむらあああああああああああああああああああああ
おやかたさむぁあああああああああああああああああああああああ
「セーブミス」
今川が桶狭間で散ったのも
信長が光秀に打開されたのも
みんなセーブミスのせい
ステートロード暴発したのも
クソゲのPCが物故割れたのも
みんなセーブミスのせい
でもなんでもかんでも人のせいにするのはいかんよね
ホントのところは
今川が負けたのは作戦が駄目だから
奇襲されるのは油断したから
PC壊すのはかしこさが低いから
F7押したのは
どうみても私のせいです
ほんとうにありがとうございました
ゆきむら
おやかたさむあああああああああああああああああああああああああああああああ
424 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 15:09:14 ID:8+BIQhW30
>>415 「諱」の存在を知らないだろ。
後藤又兵衛は「後藤基次」って言うんだが。
425 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 15:10:32 ID:RnAIRgmX0
>>419 そんなのは戦国バサラに出て始めて世に知られたジジィじゃねーかよ。
そうか
427 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 15:12:09 ID:jbhxGNGd0
島津といえば日新斎
428 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 15:13:26 ID:gz/DkUUj0
ぬるぽ様ああああああああああああああああああああああああ
430 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 15:16:21 ID:vclUvfqu0
431 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 15:16:47 ID:2XdWSv4G0
女体
432 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 15:17:07 ID:sC6GFri50
433 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 15:17:36 ID:jbhxGNGd0
鬼石蔓子
434 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 15:18:29 ID:7+7tN0Po0
>>425 お前だけだ 歴史興味有るヤツは大概知っとる
435 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 15:18:48 ID:xqnzYU0F0
436 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 15:18:59 ID:uMC4iSIl0
437 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 15:19:12 ID:gz/DkUUj0
信長の野望やってれば島津くらい分かる
438 :
?:2006/05/14(日) 15:20:53 ID:ZKB+zhgnO
425 勉強しょうね
439 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 15:23:12 ID:xY4yuzh+0
440 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 15:23:39 ID:GPABp+WS0
朝鮮人・中国人にもあんまり凄いので石曼子(シーマンズ)と恐れられますた。20万対1万
ってゲームじゃねえんだぞって感じだな。
示現流という大変にヤバい剣術が・・・
441 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 15:25:21 ID:xY4yuzh+0
ちぇすとー!
乗り遅れたorz
ピッチャー真田 ピッチャー真田
443 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 15:26:55 ID:2482K6Vy0
意外と戦国BASARAやってるヤツが多いのにワロタ。
キラ・幸村大人気だな。
444 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 15:29:24 ID:gz/DkUUj0
これからがPartyってやつだ
その鬼島津の息子が「真田日本一の兵」と認めたんだから
評価してやってもいいんじゃね
446 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 15:32:56 ID:cq2Vdq/N0
ひのもといちのつわもの カコイイ
447 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 15:33:38 ID:n6tn/GBY0
>ハンセン病の患者の飲んだ茶を
現代で言えばエイズ患者の血が入っちゃったお茶を飲むような度胸だよな。
石田三成って剛胆な人物なのか?
448 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 15:34:49 ID:gz/DkUUj0
>>447 大谷の茶を飲んだのは物語でしかないと言う話もある
449 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 15:36:01 ID:H5Cg7c5q0
そういや岩櫃城のある群馬県吾妻町に真田って農家が残ってたな
あれも関係者か?
450 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 15:36:26 ID:gVprrt4A0
|
|◆ヽ
| ・ω・)
||y|0了っ
|二二ヽ
|/‘ω‘*)
|二二ヽ
| ´∀`)) ソー
|⊂/ソ
451 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 15:36:40 ID:wJ3c78WnO
三成はツンデレ。
>>447 まあでもさすがに「うわ、それは飲めないわスマン」とかは言えないだろう。
昨日今日の付き合いの相手ならまだしも、死ぬ気で付いてきてくれてる相手だしな。
453 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 15:37:45 ID:sC6GFri50
もしかしてここまで隈部親永のAAなし?
454 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 15:38:17 ID:gz/DkUUj0
>>449 偉い人にあやかって苗字を決める人もいるから一概にそうとは言えない
豊臣秀吉では?
とも言われてるってどっかで見たな。
大谷は徳川とも親交があった訳だし、
自ら負けると三成に言った戦に参戦するってこと考えれば、
私は事実だと信じたい。
456 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 15:39:43 ID:9ifza9wv0
明治時代になって
農民も名字を付けることになって
有名な武将の名字を借りた人も
いるとかいないとか……
458 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 15:41:11 ID:gz/DkUUj0
>>457 そうなのか・・・
オレは信じたかったけど残念
>>452 そのようなエピソードがあって、
死ぬ気で付いていこうと思うんでしょうね。
大谷と小早川との一戦は男を感じるねぇ・・・。
460 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 15:41:27 ID:7YXoYJnb0
>448
Wikiに秀吉説もあったな
461 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 15:42:23 ID:yd8t4XYn0
462 :
滝川一益:2006/05/14(日) 15:44:31 ID:PLV3/PTb0
>>413 このたびの武田滅亡にさいしても無事でおられるとは、
木へえというより鉄(かね)べえじゃな。
463 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 15:44:51 ID:cz5Wbtnf0
この時代に西欧では、ようやく新大陸発見、なんてやってるんだよな。
アメリカみたいな新興国家と日本とは歴史の深さが違うよ。
464 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 15:45:17 ID:88pk5vZ90
サナダムシってこの人に関係あるらしいね
465 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 15:46:14 ID:DUlCQKXM0
義…ではないでしょうか
466 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 15:46:22 ID:gz/DkUUj0
真田紐→真田むし
468 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 15:48:19 ID:qDOzbWEd0
もし?石田三成が佐和山に蟄居されたままだったら?
毛利・薩摩 VS 徳川 の戦いだった?
469 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 15:52:01 ID:69fusi6a0
>>125 問題はそこじゃないだろ。
史実でも幸村と信玄が共に戦ったと思っているヤツが現れるのを危惧するべきだろ
470 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 15:52:21 ID:p4JCbDXr0
さなだやま みぎのみち ひだりのかべをみよ ひらきまつせ
471 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 15:52:48 ID:JFd3+pVe0
>>468 その場合はまず、上杉征伐を続けるかどうか家ヤスが決断しなければ。
真田って人は良く知らないんですけど
日本一のサムライと言えば土方歳三だと思います
>>472 そのへんはただの殺し屋風情だから、雪村様とは比べようがない
あと、真田真田って言ってる馬鹿、真田は沢山いるってことを悟れ
まるでなってない。
474 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 15:56:25 ID:Fb4cFCSc0
考えてみたら全然シラナイや
戦国時代に疎い…
金吾が裏切ると予測していながら、
藤堂高虎等を破るってのはすごいよねぇ・・・。
大谷吉継のこと知らない人多いもんなぁ。
476 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 15:56:40 ID:t1as/wAq0
関が原で敵中突破図ったのは義弘の影武者じゃなかったっけ?
歴史無知の俺は三国無双が大好きだ。
自分の勝ち負けによるストーリーが、そのまま史実と思ってる。
俺は勝ち組。
478 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 15:58:51 ID:/VJNjiA00
今、幸村を映画でやるとすれば
イチローしか思い浮かばない。
479 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 15:59:04 ID:7+7tN0Po0
>>473 それぞれ生まれや地位時代が違うんだから比較がナンセンス
480 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 15:59:44 ID:243DICEx0
481 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 16:00:25 ID:8+BIQhW30
>>473 「雪村」なんてカキコしてるおまいが一番なってないが。
ところで幸村と信繁とどっちが正しいんだ?
483 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 16:03:17 ID:/VJNjiA00
大阪城攻防戦をリアルに映画化するとすれば
ハリウッドに頼むしかないな。
監督はリドリー・スコットで。
歴史なんて人それぞれ違うから。
それはもうしょうがないよ。
東軍、西軍で解釈が変わってくるんだからさ。
ましてや、国と国なんて同じ考えになるはずがない。
それを同じ歴史認識を持とうなんてのは愚の骨頂でしょう。
485 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 16:03:34 ID:7+7tN0Po0
486 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 16:03:36 ID:HkLncunW0
お味方しもんど
487 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 16:04:11 ID:gz/DkUUj0
幸村・・・おまえだけは新ではならん
488 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 16:04:18 ID:t1as/wAq0
>>482 一応、信繁かな?,幸村も間違いじゃないけど
489 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 16:07:09 ID:7+7tN0Po0
>>483 関ヶ原をリアル人数で撮影して欲しい
で、遅参した秀忠軍もサブストーリーでリアル人数
490 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 16:07:53 ID:gz/DkUUj0
俺高二の時に周遊券で信州行った。
恥ずかしながら上田が真田の根拠だと知らず、
いや、幸村の大坂での奮戦も知らず。
(目的は飯田線の旧型電車と日本最高所の野辺山駅)
で、上田から乗り合わせた後ろのボックス席のどうも高3らしいグループのひとりが
とにかく『大阪の大学』に進学したいといい続けるのよ。
なんで東京でなくて大阪に来たいんやろか?(俺は大阪府民)と不思議に思ってた。
あとから思うに彼は真田幸村を意識していたのかもしれない。
492 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 16:12:18 ID:dBCmzv+s0
さいたまに戦国武将がいれば、さいたま人もここまで侮られずに済んだであろうにw
493 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 16:13:53 ID:gz/DkUUj0
さいたまに名武将はいるのか?
東京は?
494 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 16:13:59 ID:HkLncunW0
だから幸村は信繁のネタを使ってた講談師の名前だってば
さいたまは北条じゃないの?
幸村(通名)としておけ。
>>494 そうですか
でも一般には通じないから俺は今後も(幸村)と呼びます。
全然関係ないけど、「土佐の出来人」
長宗我部が中国人の末裔って本当なの?
別のスレでは朝鮮人って言ってる人もいたんだが・・・。
どっちが本当なん?
501 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 16:19:54 ID:nrnfdMGE0
ゲームだけど、コーエイの太閤立志伝の幸村イベントは燃えた。
歴史ゲームは、たいてい主人公を選べるなら
伊達政宗か真田幸村で始めてしまう(藁
502 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 16:21:03 ID:mSXCS2gj0
>>333 むしろ信長が死んだ時点で、ガチンコしたら
秀吉が家康に殺されてた気ガス・・・
秀吉は天才だからそこらへんの家康三河軍のガチの軍事力や人望のことわかってた気ガス・・・
503 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 16:21:15 ID:/VJNjiA00
真田幸村 → イチロー
木村政重 → 魔裟斗
後藤基次 → 鬼軍曹 藤原
淀 → デヴィ夫人
>>500 秦氏だから渡来人の末裔。
秦の始皇帝の末裔が公称だけど、朝鮮系の可能性も高い。
中国の大内も渡来人の末裔。
505 :
500:2006/05/14(日) 16:24:37 ID:WDCzvlsb0
>>504 なるほど。ありがとう。
昔、大学で本読んでる時に出てきてショックだった記憶があるよ。
506 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 16:25:05 ID:gz/DkUUj0
大坂にチョンが多いのは
江戸時代に朝鮮の使節が堺に入港して江戸へ向かってたから?
507 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 16:26:17 ID:t1as/wAq0
>>500 まー、それ言ったら、日本人は中国(ベトナム)人かロシア人の末裔って事になっちゃうシナ
508 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 16:28:00 ID:7+7tN0Po0
>>506 使節団は現代の三国人みたいに観光途中でいなくなって不法滞在はしないから
509 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 16:29:53 ID:mSXCS2gj0
>>506 いやちがう。
朝鮮併合してから、貧しい半島の朝鮮人が日本人になることに
あこがれて、よりよい生活もとめた朝鮮人が半島・下関・瀬戸内経由で商業都市大阪
に移り住んだ。そこでホルモンとか動物の内臓を朝鮮人が食べだしてそんなの食べなかった
大阪人にもひろまった。
510 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 16:32:41 ID:gz/DkUUj0
>>508-509 下関は朝鮮に近いし
日本でも二番目にでかい大坂に集結すると考えるのは自然だね
>>333 天下統一したらナンバー2の勢力は潰すのが基本だのにね。
>>483 リドリースコットにやらせたら雪村と家康が一騎打ち始めるぞw
513 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 16:41:15 ID:FLrsbI9W0
武士って当時の食習慣や平均身長から考えると
今見たら滑稽だろうね
ああコーエーのゲームで異常に数値の良い武将だな
516 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 16:47:48 ID:uMFTqGxs0
>467
というよりも、あの寄生虫が真田紐に形が似てるからだろ。
517 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 16:50:51 ID:+G0rM92QO
義…ではないでしょうか?
518 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 16:53:06 ID:RnAIRgmX0
北海道の猛将いつきは実在?
519 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 16:53:26 ID:emPkBqwK0
戦国無双2やりてぇ
520 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 16:55:43 ID:lwORDkp/0
アテルイにスポットがあたるなら、
コシャマインやシャクシャインにも
スポットを当ててくれw
521 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 16:56:32 ID:H8SxM8SG0
>>513 当時の戦は小人プロレスみたいな感じだろうな
前田慶次はリアルで2メートル近くあったらしいよ
523 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 16:58:52 ID:gz/DkUUj0
大東亜戦争でも
アメリカ人が成人日本人の事を「子供を戦わせるなんて卑劣だ」とか言ってからナ
524 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 16:59:25 ID:NSrhaDkK0
/|
l |
_L!_
/二二ヽ||
/ ( ´∀`)'') 僧兵に光を
< 、__ノ__]つ
/::::::::::::::| ||
(二/ヽニ) .8
525 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 16:59:53 ID:4jaCeN3/O
幸村の顔は長渕にそっくり
526 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 17:02:42 ID:Dw3qhm+00
マノウォーは街おこしに生きる
527 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 17:03:07 ID:MbhZJdYpO
判官贔屓
528 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 17:04:23 ID:Mhg/YcFw0
ぅおぉやかたさまぁぁぁ!!!!!
ゆきむらぁぁぁぁっ!!!!!!!
529 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 17:06:54 ID:iBzb5cQWO
おおお館さむぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ11!!!
果たしてみせましたぞ!!お館さむぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!
おおおお館さむぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!
530 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 17:10:30 ID:1NHuYLcu0
「風神の門」が好い
531 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 17:11:23 ID:5Iomtjp90
>>522 リアルでは「前田慶次」は実在しないのだがw
真田性って大阪に多いんだけど
出会った奴等は(2人だけど・・・)みんなザイニッチだった。
朝鮮出兵と関係あるの?
533 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 17:18:50 ID:QEiG9Z3KO
狂よ、必ず決戦しよう!
>>531 モデルはいるけど、ただの茶人だしな。
>>532 あこがれて付けただけじゃね。
朝鮮出兵には渡ってないはず。兄の息子だかが、九州までは行った気がするが。
535 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 17:40:30 ID:kFdKSpJBO
真田家現当主は結構イケメンのお兄さんだよ。
真田まつりの武者行列で真田信之役で登場してた。
さまになってた。
536 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 17:44:33 ID:qaFxxmc30
サナダムシって、真田と関係あるの?
>>534 ただの茶人って言うと語弊があるんじゃまいか。
一応武将なんだから。
538 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 17:48:36 ID:jCWcL/a20
>>1 > 幸村の元服名は源次郎信繁(「真田太平記」では源二郎)。兄が源三郎信幸だから、
> 長幼の常識では逆順だ。
幸村のの父昌幸は三男だったが源五郎、四男の信尹(のぶだた)は源次郎と呼ばれてた。
真田家の通り名の付け方の法則性は不明である。
539 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 17:52:36 ID:HkLncunW0
540 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 17:55:45 ID:O5XTIvdJ0
父が柳生兵庫之助、母が島左近の娘である柳生連也斎が最強だろ?
池波正太郎の真田太平記は中々おもろかった。信之がカコイイ。
542 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 18:00:26 ID:t1as/wAq0
>>534 一応居たんじゃ無かったか?、そんなに強くなかったらしいが・・・
543 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 18:00:50 ID:CWFzAjwI0
加藤清正、福島正則は秀吉子飼いの武将でありながら、徳川につき
豊臣家を滅亡へと導いた裏切者である。それにひきかえ真田幸村は
忠節を尽くす武将の鏡である。
544 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 18:04:48 ID:4D66SiYu0
真田幸隆:橋爪功
真田昌幸:丹波哲朗
真田信之:渡瀬恒彦
真田幸村:草刈正雄
お菊:岡田有希子
真田幸隆:ジーン・ハックマン
真田昌幸:アル・パチーノ
真田信之:ジョニー・デップ
真田幸村:トム・クルーズ
お菊:岡田有希子
547 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 18:13:16 ID:bix1qYV80
朝日のくせに、こんな”ぐんくつ”記事書いていいんかよ?
548 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 18:19:48 ID:HkLncunW0
ソース元の冒頭でいきなりワロタ
輿に乗って特攻する大谷刑部少輔吉継に萌え。
>>540 家光御前試合で江戸柳生をこてんぱんにしたんだっけ。
津本陽の短編で読んだけどカコイイね
551 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 19:14:26 ID:HkLncunW0
>>549 特攻はしてないかも
部下に引けと言ったものの部下は断って
目の見えない刑部のために1人ずつ自分の名前を呼んでから特攻していった
本人は腹を切っています
>>549 らい病に罹ると軍事的才能に恵まれるのだろうか。ボードゥアン4世とか。
ある種のカリスマが出てくるのか?
真田太平記の大谷刑部は顔面に謎のアザ。
ハンセン病知らない人にはわからんのだろうな。
ところで明治維新前の歴史上の大人物って
大谷刑部以外にハンセン病患ってた人はいないもんかね?
当時は体が崩れる奇病で相当恐れられてただろうが
それを平気で重役に登用する秀吉もなかなかだね。
秀吉本人も生まれつき指が4本しかなかったとかいう逸話もあることだし
とんでもない下層階級の出身だったんだろうな。
>>552 そういう境遇に置かれたら人の本質を見抜く眼とか育つんじゃないか?
555 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 19:20:21 ID:HkLncunW0
竜馬の梅毒?とか
西郷隆盛の陰嚢がでかくなる病気とか
558 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 19:22:03 ID:UsY7QmAYO
>>552 キングダムオブヘブンのエルサレム王もライ病だった気ガス
559 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 19:23:11 ID:6gUbIJQ/0
<ヽ`д´> 真田家の源流は韓国にあり!
生まれたばかりの子供の指が一本多いのはよくあること
結構切ってる子いるよ
>>557 梅毒に関しては、真偽は不明なんだけど
当時は梅毒に罹ってる人って多かったらしいので
特別視するほどのものではないと思う。
>>536 真田領の特産品であった真田紐に似ているということで
サナダムシと言う名前がつきました。
大いに関係あります。
僕もチンチン2本生えてたらいろいろ便利だったろうにな
>>564 相手が2本入るようなヤツならいいけど、
1本しか入らないやつだと大変なことになるぞ
マムコ|←○
↓<オ、オレルーーー(゚д゚;)
566 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 20:37:16 ID:H8SxM8SG0
>>560,563
当時はどう処置してたんだろうね?
当時の衛生環境考えると、切ってしまうのは感染症を招きそうだよな
567 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 20:44:30 ID:CDFBYOZw0
朝日新聞がソース(=ネタもと)ということで
既に「悪意」「情報操作」があり、素直に受け入れられない。
ネタもと、「東スポ」? くらいの感覚か???
568 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 20:45:34 ID:oFD0FwGZ0
>>566 切ってすぐに焼いて血止めしたんだろw
それでもヤケドじたいが感染症になりやすいけど...
>>66 三谷幸喜が新選組!が終った後、
「次にやりたい大河は?」と聞かれて、
真田幸村と答えたらしい。
俺は別に構わんが・・・、
い い ん だ な ? 三 谷 で 。
お江姉さんが好きだ。
親父が元長野県警だったので聞いた話だが、
長野の機動隊は六文銭がマークに使われていて、
大阪に来た時はかなり好意的に扱われたらしい。
対立を煽るということは順位付けしまくるということ
もともと一定
>>569 >い い ん だ な ? 三 谷 で
勘弁orz
もう日本の首都は上田でいいよ
立川文庫の劇化なら三谷でもいいだろ。
578 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 22:05:56 ID:PBriV9WT0
李舜臣に日本兵はぜんぜん勝てなかった
李舜臣は世界でもとも優秀な武将だった、そして世界で一番の海郡だった
香ばしいのキテル
>李舜臣は世界でもとも優秀な武将だった、そして世界で一番の海郡だった
>李舜臣は世界でもとも優秀な武将だった、そして世界で一番の海部俊樹だった カトオモタ
サッカーでたとえると
大敗の終了間際に出てきて2点ぐらい取った感じ
野球でたとえると
敗戦処理で登板して三者三振かました感じ
最終的には、撤退する日本軍を深追いして戦死してるしな。
チョンが言う「世界で最も優秀な武将」に相応しい最期だろ。
583 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 22:26:53 ID:XhLDStxn0
>>581 スポーツなら、それで次の試合でレギュラーを取れるかもしれないが
戦国の世では、あれが最終試合だったんだよな…。
584 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 22:27:17 ID:uoM27jCV0
>>592 しかも、停戦協定破って撤退中の日本船団を襲撃したんだよね。
仕留めた島津GJだったな。朝鮮人の裏切りは予期できてたみたいだ。
585 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 22:30:17 ID:cz5Wbtnf0
ざっと読んだけど、やっぱ大谷刑部とか真田は人気あるな。
義を貫くとか、勝てない相手と分かってて玉砕するとか、
そういうの好きだな、日本人は。
586 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 22:32:02 ID:1lw9Yj+U0
週刊少年ジャンプ臭のするキャッチフレーズだなw
587 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 22:34:35 ID:6Og9eEnBO
島左近は?どう思う?
真田先生の影武者突撃が体験できるのは大阪城だけ!
589 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 22:41:07 ID:8xHXzk5F0
>>585 虎の威を狩る人や日和見主義者が多いから、真田みたいな男は珍しい。
英雄視されて当然か。
590 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 22:44:11 ID:QNTHbZZ20
まぁ、せいぜいが優秀な准将って程度だな。
家康とは比較の対象にもならんのだが、日本人は幸村タイプが好きだよな。
だから、戦争に弱いんだが。
591 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 22:46:05 ID:1lw9Yj+U0
でも野戦で徳川軍を二度苦しめているんでしょ?
関が原の前にも一回やってるじゃん。
592 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 22:47:39 ID:8xHXzk5F0
593 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 22:48:34 ID:+7BZI0mRO
霧隠とか筧はモデルとなる人物がいたんだよね?
たた猿飛だけ似た名前の人物がいないらしい。
猿飛のモデルって誰なの?
>>591 家康指揮の軍と直接戦闘したことはないし
だいたい最初のも徳川軍の一部隊程度との戦闘でしかない。
595 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 22:50:38 ID:O5XTIvdJ0
じゃあ良い直正を射殺した鬼島津が最強ってことで
モデルッツーか、むちゃくちゃな名前付けてた武芸者と
講釈師のあわせ技で何がなんだか判らなくなってる
んじゃないの??
一休とんち話と同じ。
水滸伝あたりが元ネタのような気がする。
>>594 どのくらいの規模だとすごいんだ?
十万なんて数字は小田原と関ヶ原と大阪の陣くらいしか出てこないんだけど
598 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 22:53:11 ID:PBriV9WT0
ハングルは世界でもとも優秀な文字と国連に認められた
599 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 22:54:49 ID:QNTHbZZ20
>>590 苦しめるっつったって、戦略と政略でボロ負けしているからな。
本当に能力のある武将だったら、淀君を排除して、大阪城の実験握って
いるよ。少なくとも、家康が幸村と同じ立場だったら、和議なんかさせ
やしない。
>>593 本名が「上月佐助」って名前なので、それがモデルじゃないかという説もあるらしいけど
(wikiより)真偽は不明。
601 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 22:57:09 ID:n7hYVnV9O
>>598 あなたは日本語が不自由な人らしいので書き込みを控えてください
602 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 22:58:15 ID:bKS2Nc3P0
>>543 大阪の陣の頃には加藤清正は死んでる。
関ヶ原のことを言ってるなら
偏に三成憎しと清正達の三成嫌いを利用した
家康の作戦勝ち。
>>599 いくら優秀と言っても限度がある。ドラマじゃないんだから。
元々義理堅い幸村に、一応主君筋にあたる淀を排除、なんて出来る訳もなし。
親父の昌幸が生きていたら、そういう類の事もやったかも知れんが
幸村は謀略とかは無縁。
604 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 23:00:16 ID:cFKNPMUh0
605 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 23:01:00 ID:O5XTIvdJ0
でも黒田の倅みたいな幸村もいやだろ?w
606 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 23:02:06 ID:9ifza9wv0
>>593 猿飛佐助のモデルは孫悟空です。
ちなみに真田幸村は三蔵法師、三好清海が猪八戒、霧隠才蔵が沙悟浄です。
607 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 23:03:52 ID:1lw9Yj+U0
>606
お前、水戸黄門も三蔵法師がモデルだと言いそうだなw
608 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 23:06:16 ID:iy+LMzeR0
後藤基次の策パクッタヤツのドコが英雄なんだよ
609 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 23:07:27 ID:9ifza9wv0
>>607 あくまでも架空の人物としての真田幸村の話です。
真田十勇士というのは明治時代になって書かれたもので
そんなに古くからあったものではないのです。
立川文庫の「真田十勇士」が「西遊記」の影響を受けているのは定説なんですが…
610 :
?:2006/05/14(日) 23:09:19 ID:ZKB+zhgnO
幸村の義が美しく見えるのは俺だけ?
>>609 「幸村」って存在がそもそも「信繁」と言う実在の武将をモデルとした架空の人物、って考え方か。
>609
マヂレスありがとう。
つーか講談物の台本を書くことが出来る人は
中国の古典をまずそらんじている事が当たり前
だったわけで、オリジナリティなどさほど重要で
無かった当時は普通のことなんだよね・・・。
613 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 23:12:09 ID:cz5Wbtnf0
>>608 パクろうがどうしようがよほどの歴史ヲタじゃない限り
後藤又兵衛なんて知らないよ
614 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 23:12:23 ID:3XTy2xL40
で、実際信繁の史実とか資料から見る評価ってどうなん?
それなり凄い人だったん?
615 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 23:12:35 ID:JpJkSmz20
猿飛佐助が修行したとされる地にいってみたが、
林道にチェーンが張られていたので引き返した。
>>599 池波解釈だと「貫禄負け」だな。
大人の社会の会議に出てみるとわかる。
ベンチャーとか成長中のとこじゃなくて年寄りだらけのところのな。
若くて少数派だとどんなに正論をいっても通らない。
通すためには時間と根気の勝負。
ま、おっしゃることもわかるな。
幸村の場合、大阪城内での会議に澱気味を出席させたのが間違い。
なんとしても阻止するべきだった。
史実かどうかわからんがw
617 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 23:14:40 ID:ly/nTYHr0
>>599 幾ら才能が有っても実績が殆ど無いのに淀排除なんて出来る訳ないでしょ
誰もついて来ないよ 当時の状態勉強し直せ
618 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 23:14:44 ID:yVLZmI380
家康の通称は次郎三郎だったっけ。
通称では長幼なんてわかんないよ。
>>613 かなしー話だなそりゃ・・・そこそこ知名度あると思ったんだが(つД`)
そもそもパクったって、何の策をパクったんだろ。
>592
いや、理詰めで戦争できないあたりは歴史的に見ても弱いでしょ
621 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 23:18:39 ID:cz5Wbtnf0
>>619 何の策って、有名な真田丸は元々、後藤又兵衛の案じゃないですか。
幸村が是非!と又兵衛に頼み込んだんですよ。
まぁ幸村もあそこに出城を築くのは考えてはいたらしいけど。
622 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 23:18:40 ID:bKS2Nc3P0
島津忠恒の書簡も実は現場を見た風に書いてるが
幸村が討ち死にした時に現場にいなかったことが分っている。
だからといって幸村の活躍が下がるものではないが。
623 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 23:20:02 ID:CWFzAjwI0
>>602 だから加藤清正も福島正則もアホ武将だと言っているんだ。家康の野望
を見抜けなかったアホだし、見抜いていたとしても忠節心に欠けるアホ
だよ。
624 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 23:21:58 ID:QNTHbZZ20
>>617 簡単だよ。軍事クーデータ起こしてしまえばいいだけだし。
淀君を軟禁して、秀頼を女官たちから引き離して、「我々の主君は秀頼様のみ」
とでも宣言してまえばいい。
大阪に集結した浪人たちは、喝采するよ。間違いなく。
こんなの、信長・秀吉・家康クラスの英傑でなくてもやる。宇喜田直家クラス
だって、この程度の権謀は実施してみせる。
所詮は、小物なんだよ。
625 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 23:22:27 ID:1lw9Yj+U0
加藤家も福島家も、秀吉に引き上げられたばかりですからねえ。
権力闘争の末に潰されるかもしれないという想像力がどれほど働いたものやら?
徳川家は潰れるかもしれないという危機を何度も潜り抜けているわけですが。
626 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 23:22:42 ID:X0DIL0k10
>>621 幸村の親父が死ぬ前に、大阪城で戦うときの兵法を幸村に伝えたという話を聞いたことがある。
>>621 なる、そういうことか、d。
ただ、パクった、とは言えんね。
又兵衛を出し抜いて自分の手柄にした、とかならまだしも。
幸村嫌いのプロパガンダか。
628 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 23:23:54 ID:rJfmypiFO
大野治長
629 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 23:24:40 ID:GNE226UK0
歴史上の人物をならべてあれやこれや誉めたりけなしたりするのはとても楽しいって意味のことを昔の偉い学者?も言ってたそうな。
630 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 23:24:43 ID:bKS2Nc3P0
>>623 何万人も部下がいる大名なんだから
わかってやれよ。
あと清正は家康とひでよりの会見を実現させたり
和解に努力した。その辺もわかって上げて。
631 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 23:25:27 ID:dK3vJF350
親父の昌幸のほうが凄いと思うんだが・・・。
632 :
?:2006/05/14(日) 23:25:58 ID:ZKB+zhgnO
最後はヒデヨリ?だったかな?幸村を連れ島津家に落ち延びた説も鹿児島ではあるはなしらしいが?
633 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 23:26:08 ID:/VJNjiA00
>>626 その兵法はことごとく大野に却下されたんだよ。
634 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 23:27:29 ID:ly/nTYHr0
>>624 アホか殆ど実績の無い手勢もろくに無い武将がクーデターなんてできんよ
クーデターってのは少なくとも有る程度の数が確保出来なきゃ無理なの
635 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 23:28:10 ID:X0DIL0k10
>>633 出城もその一つと聞いていたんだが違ったのか?
636 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 23:28:13 ID:O5XTIvdJ0
クソ肥のせいで、イケメン若武者ってイメージがついちまったからな
637 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 23:29:30 ID:GYWyH6bw0
>>632 秀頼や信繁の墓と称する物まであったりする。
で、秀頼の子が天草四郎時貞だってトンデモ話もまことしやかに。
>>624 言うは易し、だなあホント。完全に反逆者じゃまいか。
秀頼がそれで協力するかどうかなんて分からないし
そもそも手勢もほとんど持たないやつがクーデターなんて出来る訳ない。
取り押さえられて終わり。
639 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 23:30:26 ID:3XTy2xL40
>>636 眞田太平記しか知らない俺は
さすがの猿飛とか福助人形のイメージ
真田丸て本当にあったの?
641 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 23:32:00 ID:bKS2Nc3P0
上に書いてたけど
昌幸って信玄の小姓だったの?
ってことは、やっぱあれか。信玄に夜な夜な・・・なことされてたのかな、やっぱ。。
642 :
?:2006/05/14(日) 23:33:39 ID:ZKB+zhgnO
637へそうなんだ〜そこまではしらなんだが?
幸村は義で生きた事は事実でOK?
643 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 23:34:05 ID:yVLZmI380
644 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 23:34:51 ID:wVoPfbw20
「クーデター」を「クーデータ」
「大坂」を「大阪」と書く奴なんか無視すれば?
所詮は、小物なんだよw
>>644 :::;;;;;;,-''''''''-;;;,;;;;;;
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646 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 23:36:40 ID:QNTHbZZ20
>>634 大阪の兵の大部分は浪人だし、この浪人連中は作戦指揮力のある武将を
欲していたの。その中で、父親の昌幸の名を使える幸村が行動を起こせ
ば、ついてくる連中はたくさんいた。
そもそも、城のほとんどすべての連中が、淀君が権勢振るっていたらダ
メだって気分は共有していたんだから、それなりの政治力をもってれば
淀君を排除することはくらいはできた。
勝つために必要なことを万難排して実施するのが一流であって、事情が
あって困難だからと理由つけて実施ないのは、二流以下なんだよ。
647 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 23:36:54 ID:5Iomtjp90
>>599、
>>603 冬の陣当時、豊臣家に何の縁も無かった弱小の浪人武将が、豊臣家の実権なぞ奪えるはずも無かろうがw
(まして信繁は失意の中から豊臣家に拾われ、感謝感激して奮戦していたのに。)
>>646 おまいはなぜに、まるで当時そこに居たかのような書き方ができるんだ?
ついてくる武将はたくさんいた、だの気分は共有していた、だの。
大坂の陣で逃げ延びた浪人さんですか?
649 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 23:39:42 ID:p1vbT7710
知将たちの一人。かっこいいぉw
650 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 23:40:25 ID:GNE226UK0
>>646 あんたもうやめなよ。スレタイからどんどん離れてるぞ。
大坂がたは負けたんだから、満足しなよ。
651 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 23:40:44 ID:7YXoYJnb0
>626
>633
昌幸が
「でもオレだから出来る事だけどなw」
って言ったのは事実?
652 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 23:40:55 ID:bKS2Nc3P0
>大阪の兵の大部分は浪人だし、この浪人連中は作戦指揮力のある武将を
>欲していたの。その中で、父親の昌幸の名を使える幸村が行動を起こせ
>ば、ついてくる連中はたくさんいた。
結果論そのもの。
幸村の名前は大阪の陣で活躍したから広まったのであって、
名もなき一部将に過ぎなかった時にクーデターなど無理。
653 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 23:41:04 ID:ly/nTYHr0
>>646 見ず知らずの食い詰めの多い一部浪人かき集めてクーデター
出来ると思ってるなんてお目出度い奴だな
>>647 漏れを>599と一緒に括るのはやめてくれ(つД`)
655 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 23:41:54 ID:QNTHbZZ20
>>638 言うは安しではなくって、淀君に戦略に介入させたら、どうがんばっても
勝てないというのが現実なんだよ。それに対して、幸村は何も手を打って
ないだろ。
戦争ってのは勝つためにやるんであって、それに対して理由を構えてでき
ません云々とためらっているいるのは、所詮小物だってことだよ。
656 :
くのいち:2006/05/14(日) 23:42:18 ID:OnMDONAuO
657 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 23:43:58 ID:GNE226UK0
658 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 23:44:19 ID:yVLZmI380
>>329 家康の我慢強さだって本人が意識的にそうしているのであって、
戦場ではDQNの地が出たりする。
>>655 後の世であれがだめ、これがだめ、ああするべき、こうするべき、なんて誰にでも言える
当時の状況を考えてから書け
以上
660 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 23:44:45 ID:ZRHv9Iq20
661 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 23:44:55 ID:ly/nTYHr0
>>655 近代の総力戦の戦争と当時をごっちゃにしてる時点でOUT
662 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 23:45:25 ID:uoM27jCV0
663 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 23:46:30 ID:AAntCbrv0
個人最強→上泉信綱、富田重政
小隊戦術最強→荒木又右衛門、雑賀孫一(鈴木佐太夫、鈴木重秀)
大部隊戦術最強→上杉謙信
篭城最強→真田昌幸
攻城最強→武田信玄
野戦最強→島津義弘、島津家久
664 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 23:46:58 ID:bKS2Nc3P0
>>655 お前の言ってるのは、太平洋戦争に行ったそこらの名もなき爺さん捕まえてきて
おまいが東条みたいなアフォに作戦指導やらせたから負けたんだ。
東条に指揮させれば負けるのはわかってた。
それなのにお前は何の手も打たなかった。
と責めてるようなもの。
665 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 23:48:40 ID:skP0Sb4SO
幸村は寧ろ関東方との内通を疑われていた。
甥が関東方で出陣していたからな。
666 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 23:49:45 ID:QNTHbZZ20
>>664 つまり、幸村は太平洋戦争での名も無き爺さんと同レベルということだな。
まぁ、それはそこまで幸村が酷いとは思ってない。
大勢のアメリカ軍に囲まれても善戦し、多くの部下を戦場から離脱させた
優秀な連隊長くらいの評価はしている。
だが、所詮はその程度だなってことだ。
667 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 23:50:14 ID:ly/nTYHr0
>>655 まあ少なくとも小者では有っても小物ではないな
668 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 23:51:08 ID:3xDxcLe40
669 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 23:51:49 ID:uoM27jCV0
>>664 誰が指揮したって勝ち目のない戦争の話をされてもな。
670 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 23:52:18 ID:CQb5GICb0
真田太性器
671 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 23:52:46 ID:p1vbT7710
知将幸村。
このまま窮死するより死に花を咲かせたい。
天下の大軍を一手に引き受け、武名を上げれば
死すとも男子の本懐である。
673 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 23:53:18 ID:K7fxs4UN0
末裔とかいないわけ?
小泉総理が召還した悪魔を倒すため、400年の時を経て
真田十勇士の子孫が集うとか。
674 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 23:54:08 ID:bKS2Nc3P0
>>666 何が言いたいかわからんが
幸村の勇名は大阪の陣で活躍したから広まったんで
戦が始まる前は、単に親父が有名な一人の雇われ武将にすぎなかったから。
それでクーデターうんぬんはまったく当時の幸村の置かれてた状況の認識を欠いた空論。
一つ言えるのは、大野兄弟なら排除しようもあるが
淀君は排除しようがないということだな
淀君を排除しようものなら秀頼も一緒にしなきゃいけなくなる
>>673 実在しないやつの子孫集めてもどうにもならんと思うぞ。
あくまでモデルが居るってだけで、そのモデルたちは
大した活躍はしてない。一部は、実際にモデルなのかどうかも
微妙な人たちだし。
677 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 23:55:57 ID:Le8ogVxc0
>>673 仙台の片倉家に娘が嫁いだので、そっちの方の子孫ならいるかもしれない。
本家の方は途中で養子(松平定信の息子)が入った。
678 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 23:56:56 ID:cz5Wbtnf0
>>673 末裔はもちろん現存してますよ。
って言っても幸村系ではなく、信之系ですけど。
679 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 23:57:12 ID:vl7iRnxa0 BE:62721735-
>>632 「うーん、ウチの真田も薩摩へ落ちたか」
680 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 23:57:35 ID:QNTHbZZ20
>>674 そういうのを跳ね除けられるのが一流なんだぜ。
信長だって、尾張のたわけ者だったし、家康だって三河の子倅だった。
秀吉なんぞ猿だ。
尾張のたわけ者は、桶狭間に突っ込んで行ったが、幸村はどうだ?
名将を条件は戦術能力じゃないんだぜ。
681 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 23:57:40 ID:+MN0M8p/0
>>663 豊臣秀吉はないのか?
>>664 豊臣秀吉が太平洋戦争当時の戦争最高指導者ならかなりの確率で
アメリカに勝っていたと思うがな。 特に小田原城攻めなんか
太平洋戦争末期の機雷封鎖&本土空襲につながるものがある。
682 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 23:58:06 ID:X0DIL0k10
>>675 実権は淀君が握ってて実質は淀君VS家康だったんじゃなかったっけ?
ひでよりは話し聞いた限りは、家康に喧嘩売るような度胸はないみたいだし。
683 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 23:58:16 ID:n6tn/GBY0
>>668 腐女子というか…明治以前は日本全体が男色の方が女犯より高尚って文化だからな
684 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 23:58:59 ID:ly/nTYHr0
>>677 あー思い出した あれだ高野長英の殿サンだ
685 :
名無しさん@6周年:2006/05/14(日) 23:59:52 ID:7JddUo6EO
>1にあるように想像やら手を加えた逸話とかあるけど、後世で真田幸村の最期は「カッコよかった」でいいのに約一名が反論しているのは何故?
草刈正雄の
「しょおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」
という絶叫が俺にとっての幸村ベストシーン
687 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 00:00:38 ID:hgE+M7Fj0
>>680 信長は曲がりなりにも南尾張の大名だったんだよ。
自分の思うままに部下を動かせたんだよ。
幸村はただの雇われ部隊長ですよ。
そういうのを前提を無視した暴論という。
688 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 00:01:11 ID:LWDvPArL0
>>681 秀吉は人たらし最強だ。家康と双璧だが乳首一個分だけ秀吉が上。
689 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 00:01:31 ID:f0Ld1BHy0
お館さまあああああああああああああああ!!!!
幸村あああああああああああああああああ!!!!
>>682 淀君が秀頼の母親って言うのがポイントなんだよね
新参者が主君の母親を除いたとしても、待っているのはよくて追放
秀頼に母親を遠ざける意思があれば別だけどね
幸村の活躍の大半は後世の創作だろうが。
信長と同列で語るなよ。
>689
ごめんまわりがうるさくて最初が聞こえなかった!
あああああああってなに?
693 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 00:03:53 ID:X/ZYDV1r0
>>680 おまえ本当に脳味噌ないな せめて大阪城の堀みたいになんか埋めてもらえ
家康信長は一応殿サンで指示きいてくれる手勢がいるの
信繁にはいないのでクーデターは無理そんだけ
694 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 00:03:58 ID:Gwzpw8zx0
なんか半伝説に本気で戦略講釈たれてんのがいるな。
ラグナログオンラインでもやってろ。
695 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 00:04:19 ID:tPkRqC1f0
>>687 織田信長が最強だったのは、情報戦を重視したから。
>>688 秀吉は、金で人を釣っていたから秀吉本人が死んだら後はぐちゃぐちゃだった。
その点でいえば、家康の方が人徳は上。
696 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 00:04:19 ID:3VHWENZo0
幸村が人気なのは講談のおかげだろうな。
697 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 00:05:23 ID:VpWY/g4H0
そんなことよりも立花道雪の話しようぜ
>>680 状況がまるで違うのを比べてどうする?
信長は「うつけ」って言われてただけで、実際はそうじゃなかった。
家康は有能な家臣団が居たし(ついでに言うと、家康の祖父は
「長生きしていれば天下を取れた」と言われたほどの人物)
後、秀吉が信長らから「猿」と呼ばれていた記述は史実にはない。
>>695 秀吉が死んでぐちゃぐちゃになったのは、金のせいでなく、個々の好き嫌いの問題だけど
そこを家康はうまく付いたわけで
700 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 00:08:25 ID:2zi2ppf20
>>698 「猿」と呼ばれた記述はないが、「はげ鼠」と呼ばれた記述は残っている。
家康が天下取れたのは、長寿だからな気がしてならない。
>>695 人徳云々と言うより、死後の体制をきっちり出来なかったのが問題だと思う。
秀頼が生まれたのが遅かった上に、母親が淀だったのもマイナスだけど
朝鮮出兵で無駄に浪費し、かつ三成らと正則らの仲を悪くしてしまったり、などの
ボケぶりもまた然り。まあ一番の原因は、家康をのさばらせた事だけどな。
家康を朝鮮出兵に駆り出せていれば、もう少し違った結果になったかもしれない。
703 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 00:11:00 ID:X/ZYDV1r0
>>700 正確にはそういう形容を手紙で書いてただけで呼んでたとは限らないのでは?
704 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 00:11:02 ID:ZYIrh+Il0
>>681 そもそも秀吉なら勝てない戦は避ける。
開戦してたら、例え秀吉でもガチでの勝利は不可能。
当時の日米の工業生産力の比率は1:10。
真珠湾で空母を全部沈めようが、ミッドウェイで勝とうが長期的な結末は負けしかない。
705 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 00:11:45 ID:3VHWENZo0
>>701 健康に気を付けて大成した人は多いね。
毛利元就も北條早雲も健康オタクで、長生きした故に大成できた。
>>704 朝鮮出兵での負けは除外するの?<秀吉なら勝てない戦は・・・
軍靴の音が…
708 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 00:14:11 ID:H4zNHtd00
>>706 あれ大分惚けてからの話だから…若いうちならやらなかったろうってのが定説。
709 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 00:14:35 ID:X/ZYDV1r0
>>702 だと思うね 秀吉に権力が集中しすぎてて組織として不完全
>>704 日露戦争時の両国の国力差もそれと同じ。
まあ技術的に軍事革命が起こってしまっていたことが戦局を様変わりさせてしまったが。
711 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 00:16:18 ID:h2GEXhePO
歴史やそれに関わった人たちを後年、色々と評価したりある時点での別方向を想像できるが、当人たちは、予測や予定しててもどうなるか分からなかったからね〜
712 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 00:16:58 ID:X/ZYDV1r0
ジオンは1:30でも勝ちそうだったけど
秀吉も後継を秀次のまま固定していたならなあ・・・
714 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 00:17:27 ID:Gwzpw8zx0
住人平均年齢がかなり若そうなスレですな
>>702 家康を朝鮮に送るようなことをすれば、瞬時に内戦が始まるほど惰弱な政権だった>秀吉
政権末期に五大老という、大諸侯の連合政府のようなものを作らざるをえなかったし。
だいたい政府の機構的に、豊臣政権というのは足利幕府と大差ない。
716 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 00:17:46 ID:ZYIrh+Il0
>>706 勝ち目が無いことはないだろ。
秀吉のすぐ後に来た清は、秀吉軍と比べて桁違いの大軍でもなかったと思うが。
朝鮮は降伏したし、明も滅んだしな。
秀次の一件で大名の心が離れたのも事実だからなぁ
秀次の側室に大名の姫が多すぎた
なんだこのスレww
おまいらの溢れんばかりの愛を感じるぜぇ
720 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 00:20:06 ID:77MStx+h0
721 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 00:20:26 ID:H4zNHtd00
>>716 とりあえず、戦線の長さと補給路ってもんを考えろ、日本の場合海が横たわってるんだぞ。
722 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 00:20:26 ID:9w3giNjM0
秀吉はロリだからな。
別にうらやましいわけではないけど。
やっぱり江戸時代はつまらん。
戦国末期と幕末はあまた英雄が現れて楽しい。
真田の赤備えの茶臼山突撃なんて想像するだに鳥肌が立つ。
>>720 豊臣家滅亡させるまで生きてたのは大きいと思うよ
>>700 インテリ光秀には 金柑頭
百姓秀吉には 禿げ鼠
信長は口が悪すぎ…
727 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 00:23:46 ID:3VHWENZo0
まあ、後周の柴栄から北宋の趙匡胤に帝位が禅譲された件を参考にして、
天下人の地位を家康に禅譲していれば豊臣家もあんなことにはならんかったかもな。
大坂あたりの百万石の大名家として残り続けられたろう。
728 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 00:24:01 ID:qbedQvQO0
豊臣家の滅亡は正室と側室とで派閥が出来たのが大きな原因。
秀吉は死ぬまでにどちらかの派閥をつぶしておくべきだった。
729 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 00:24:45 ID:d8Q9q1nt0
22、3年くらい前、エポックだかどこかのおもちゃメーカーでだしてた
歴史ものの盤ゲーム(大阪夏の陣)で初めて真田幸村を知った
マグネットの駒を動かし、しょぼいランプで勝敗を決めるやつ
今思えばシミュレーションのはしりみたいな感じだったな
730 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 00:25:26 ID:9OPc/Oe30
>>718 オンナは仏門にいれて
男子だけ殺せばいいのにw
>>727 世間が見えていたらそうなってたはず
ま、淀君1人がすべてを壊した気もするけどね
732 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 00:25:56 ID:3VHWENZo0
733 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 00:26:14 ID:LWDvPArL0
>>695 そうだな、人徳なら家康だ。
家康より金の使い方が上手かったのが秀吉。
家康が独立した時の三河の実態は一種の連合王国状態で、有力な家臣は
若い頭領に従順ではなかった。特に本多。
これをまとめて自分に忠実な家臣団に育てあげるのに、家康が要した
月日と労力は大変なものだった。
>>728 俺は家康が長生きしたことがすべてだと思う。
夏の陣が終わってすぐ家康が死ぬのは不可解。
やはり家康は茶臼山で死んでいた。
豊臣滅亡は徳川家というより、徳川家臣団の総意であったのでは。
尾張と三河の関係から。
>>720 元々家康は、信長最大の同盟者として、信長の安土時代には既に準備段階の、統一政権構想の中で重要な役割を
担っていた節があるほど(安土本丸の最も近くに、最大の敷地を持った屋敷を与えられていたことからも明らか)
つまり統一政権の首領格として、本能寺以後はずっと本命視されていた人物なのですよ。
アクシデントで政権を作ってしまった秀吉とは、もとより正当性が違う。
秀吉は家康を取り込んで、ようやく統一政権としての正当性を得ることが出来た次第。
736 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 00:27:54 ID:+Q3Od/sFO
三成に過ぎたものが二つあり、島の左近に佐和山の城
737 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 00:28:20 ID:9OPc/Oe30
>>729 そーいう俺は秀康が双子だったということを最近知ったよ
◎◎◎
◎◎◎
739 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 00:30:03 ID:3VHWENZo0
>>734 全てをやり遂げて安心したから死んだんじゃねえのかな。
唯一にして最大の障害ともいえる豊臣家を滅ぼしたんだから、
もう死んでもいいやって感じじゃね?
740 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 00:30:51 ID:X/ZYDV1r0
というか嫡男を側室の側に置きっぱなしってのが間違い
正室の監視下にするか完全に女子と分離しないと
>>734 近江派と尾張派で内紛を起こすような、脆弱な基盤の大名家が長期政権を維持できるわけも無い。
家康が居なくても豊臣家は、毛利あたりに滅ぼされてた思うね。
>>735 あの歳まで生きていること自体、あの時代では驚異的なこと。
>>739 直前まで鷹狩りをしていたという記録もあるから、その説はそれこそ
家臣団が流したうわさではないかと。
夏の陣の際に幸村が家康を倒していたという妄想にこだわりたいのだけど。
>>740 秀頼は摂関家の跡取りとして、公家として育てられたんだよ。
745 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 00:34:39 ID:+Q3Od/sFO
露と落ち露と消えにし我が身かな
難波のこともゆめのまたゆめ
真田幸村は朝鮮からの渡来人らしいよ。
>>741 毛利も、吉川派と小早川派で対立し、それが仇で、関ヶ原の失態をおかしてる
徳川だって後継争いや、大御所or将軍で内紛含みだしね
748 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 00:36:23 ID:JH7zzRpT0
名前がしょぼかったらあんまり人気でなかったと思います
749 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 00:38:13 ID:YFPyvbsK0
お前ら、大河ドラマならどれが見たい?選択肢を9個あげるよ
1.「長宗我部元親」
2.「小早川秀秋」
3.「尼子 義久」
4.「龍造寺家兼」
5.「朝倉義景」
6.「浅野長政」
7.「村上義清」
8.「諏訪頼重」
9・「里見義弘」
ちなみに、3年後の大河は漏れの書き込みした秒の一桁目のやつだぞ
750 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 00:38:31 ID:LWDvPArL0
>>747 家康は内紛の目をつむ事に関しては、秀吉よりも徹底してた。
本多派と大久保派に徳川が二分されそうになったときも、迷わず大久保派を処断した。
この決断力は秀吉には一切なかったものだよ。
752 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 00:38:55 ID:0msNEmop0
直江兼継や島左近はいいよな。
No2の男の美学を感じる。
こんなこともあろうかと猫耳メイド星人にメガネをかけさせておいた
>>747 豊臣や毛利は本当に内部で分裂したが、徳川家は終始家康の統率力が揺るがなかった。
755 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 00:40:31 ID:9w3giNjM0
756 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 00:41:06 ID:SL8IFeVCO
757 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 00:42:09 ID:XVip8UgQ0
見た目はショボい普通のオッサンだったらしいね。
父親と幽閉されてる間に健康も害して、歯なんか歯槽膿漏で何本
も抜けてたそうだし。
西洋みたいにリアルな肖像が残っていたら今の人気も無かったか
も知れないな。
ただし赤備えが本当に凄かったのは間違いない。
でなきゃ井伊がその赤備えを引き継いだり、あの島津や蒲生が詠
にしたり称えたりするはずはないので、これだけはガチ。
758 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 00:42:28 ID:3VHWENZo0
家康のパワーバランスの取り方はほんと絶妙だからな。
関ヶ原後の大名配置なんて素晴らしいの一語に尽きる。
759 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 00:42:42 ID:0msNEmop0
>>749 諏訪頼重は来年の大河の準準主役級じゃん。
たぶん瞬殺されるんだろうけど。
760 :
749:2006/05/15(月) 00:42:48 ID:YFPyvbsK0
ごめん・・・・・・・orz
「尼子 義久」になちゃった。。。。。。。。。見る気しないし。。。。。。。
>>751 その後、様々な因縁があるけどねw
でも、しっかりしたトップがいるといないでは大違いだけどね
秀吉の場合は、切る前に死んじゃったけどねw
秀次の一件を見る限りでは、やる時はやりそうだけどね
762 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 00:43:14 ID:X/ZYDV1r0
>>754 それも有るだろうが組織として出来上がってたからな
三河の頃からの制度を拡大しただけ
763 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 00:45:10 ID:JKgRKz140
>>749 高橋紹運
渡辺謙に演じさせれば大ヒット間違いなしだろう。
立花道雪は乙武くんで
764 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 00:46:01 ID:VpWY/g4H0
>>755 無理だよw
そんなことしちゃ大変なことになる
ファビョってリアル戦争しかけてくるかもよ
>>757 伊井の赤備えは武田家のモノなんだけどね
伊井に武田の旧家臣が多かったらしいし
直正が死んでからやらなくなって、幸村が大阪の陣で使ったっと
赤という色は、武勇に自身がある奴しか使わないんで、目標にされやすいしね
>>757 井伊の赤備えは武田家が滅んだ後、その遺臣を徳川家が吸収して作ったものだから
真田とは関係ないぞ。
そろそろ三年ぐらいぶっ通しで
大河ドラマ『戦国時代』でも作ってくれんかね。
北条早雲が死んでから、豊臣秀頼が死ぬまでほぼ100年だ。
768 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 00:48:24 ID:YFPyvbsK0
>>763 やるなら5年でもかけて応仁の乱からだろ
>>749 一休さんだな
実写版で
オープニングの曲はもちろん
すきすきすきすき・・・・・・・♪で
770 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 00:49:05 ID:2zi2ppf20
>>757 井伊の“赤備え”は別に真田のを引き継いだわけじゃないぞ
井伊も真田も武田家の“赤備え”を引き継いだの
771 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 00:49:10 ID:LWDvPArL0
>>760 いいよ。山名豊国や安東愛季よりは見たい。
>>768 応仁の乱だけで、丸一年掛かると思うが…
ま、後は早雲と斉藤道三辺りまで殆ど話題無いしな。
773 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 00:52:33 ID:GHD1qVwcO
>>767 津川正彦、西田敏之、江森がずっと出てきそうw
774 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 00:53:55 ID:3VHWENZo0
つーか応仁の乱なんか見所ないだろうw
でも、北條早雲ってほとんどドラマ化されてないよなあ。
ぜったい面白いと思うんだが。
太田道灌くらいしか有名人物がからんでこないのがいかんのかな。
775 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 00:54:31 ID:1sHQnFVs0
松永久秀でアウトローものを作ってほしい
>>772 応仁の乱は昔やって大失敗したような
功名が辻は結構率がいいrしいね
778 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 00:57:19 ID:+Q3Od/sFO
うーん、TBS記念番組『関ケ原』を超える傑作は
今だに出てないな。
779 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 00:58:05 ID:VpWY/g4H0
>>767 むしろ一時間で終わるようなのでもいいんじゃないかな?
戦国時代だしね
「○○○○、秀吉に秒殺された人生」なんてのが見てみたい。
780 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 00:58:08 ID:2zi2ppf20
応仁の乱は大河ドラマ「花の乱」になってる。
北条早雲がドラマにならないのは、活躍したのが50歳代〜80歳代だから
爺さんが自分より若い奴を騙して殺していくドラマに人気が出ると思う?
781 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 00:58:54 ID:1sHQnFVs0
782 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 01:00:11 ID:Ku8KVzc9O
そろそろ三年ぐらいぶっ通しで
大河ドラマ『地上の楽園』でも作ってくれんかね。
金日成による日本軍との英雄的戦いから共和国建国、主体思想の確立から金正日将軍の権力掌握までの壮大な物語。
783 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 01:00:33 ID:9w3giNjM0
>>781 面白そうだけど、大河はむりだな
2夜連続とか、正月のテレ東あたりだな
785 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 01:00:59 ID:VpWY/g4H0
786 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 01:01:56 ID:JKgRKz140
立花道雪、高橋紹運、立花宗茂
のエピソードこそなける。
787 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 01:02:06 ID:3VHWENZo0
>>780 夢があるじゃないか。
普通なら人生佳境の50歳の浪人が、一城の主になり、やがては関東の覇者になっていくなんて。
高齢化社会にぴったりだと思うぞw
赤備え、、、3倍早く動けるのかな、、、あるいは朝日の制服にするとか
>>780 毛利元就でやったじゃん。
爺さん大活躍。
790 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 01:04:13 ID:1sHQnFVs0
武蔵國の民なら次期大河ドラマは偉大なる
北条家 〜無敵・無血の小田原城〜 に決定!
反対する奴は非国民
791 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 01:04:43 ID:LWDvPArL0
>>776 松永久秀は吉良上野介くらい可哀想だな。
超ハンサム、高名な茶人、戦国有数の築城の名手、領民を安堵して
きめ細かな統治を行い、地元じゃいまだに名君として親しまれる。
大谷ギョウブはどうだ?
793 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 01:06:03 ID:d9bxq07E0
猿飛佐助とか、望月六郎のおかげだろww
>>791 大仏殿焼き討ちや将軍暗殺をどうするんだ?
795 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 01:07:12 ID:9w3giNjM0
>>791 そうなの。
山田風太郎の小説で知ったから
変態エロオヤジだと思ってた。
796 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 01:07:25 ID:2zi2ppf20
>>789 毛利元就は若い頃から武将として活躍しているが、北条早雲には若い頃の見せ場がない
798 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 01:10:46 ID:3VHWENZo0
>>791 久秀のエピソードで好きなのは、鈴虫を大事に飼っていて長生きするものだから、
「人間も養生すれば、いつまでも長生きできるはずだ」といって
健康に留意し、自害する直前にまで、卒中を防ぐとかで頭に灸を据えていたって話だなあ。
>>796 まあ、実際若い頃は謎の人物だったんだから仕方ないんじゃね?
史実通りに壮年期デビューでいいじゃない。
長尾為景
龍造寺家兼
島津忠良
このあたりを観たい。
800 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 01:11:12 ID:LWDvPArL0
>>794 大仏殿焼いたのは三好三人衆だよ。久秀が積極的に関与したかのような
説は確証無し。
将軍暗殺は何をどう言われても仕方ないな。
まあしかし、あそこで死に華咲かせなかったら足利義輝なんて
本当にヲタしか知らなかっただろうな、とは思う。
安重根とかどうよ?
802 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 01:11:59 ID:2zi2ppf20
803 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 01:12:18 ID:At048b9p0
>関ケ原後、真田領は兄信之(信幸を改名)が引き継いだ。1622年、真田嫌いの
>2代将軍徳川秀忠の命で上田から隣の松代(長野市松代町)に移される。上田では、
>真田家による支配を懐かしむ領民が多く、新領主への反発から百姓一揆が多発した
>という。
ということは本多家から嫁入りした「稲姫」はとても苦労したんだ。
家康公の養女でもあったのに。
>>780 団塊・戦前派・戦中派にビシバシ受けるだろw
「ダメダメな若者を押しのけて、突如現れたカッコいい爺さんがカッコよく大名になって死ぬ」
806 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 01:13:30 ID:X/ZYDV1r0
>>796 一代記じゃなくても 司馬遼太郎ので良いじゃない
元就の大河は40話ぐらいから戦国物だった。
早雲のときは、50歳までサラリーマン武士の話でいいじゃないのか。
失業したり、転職したり。
808 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 01:15:17 ID:1sHQnFVs0
>>804 ふぉおおおおおおじょおおうううううけにいいいいいいいい
栄光あれえええええええええええええええええええええ
>>798 早雲は確か若いころは幕府の評定衆だったかな
でも話にするほどネタにならない、若いころは難しいか
久秀は良いエピソードと悪いエピソードがあるからなぁ
でも、子孫にすごい俳人がいたりするしなぁ
810 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 01:16:23 ID:uRBMUN5qO
そもそも何で山内一豊なんかが持て囃されてんだよ
戦、治世、謀略どれも秀でたものが無く
優秀な家臣がいたわけでもない
ちょっと処世術が上手かっただけ
土佐に移転するとき
長宗我部の家臣をみんなクビにしたもんだから
暴動が起こり
苦し紛れに上士と郷士なんていう変な分け方して
徹底した差別主義を敷いた。
まぁこのお陰で土佐から英雄がたくさん輩出されるわけだが
徳川家康が関東に移ったときに北条の家臣たちをそのまま登用して忠誠誓わせたの見習えよ
811 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 01:17:20 ID:3VHWENZo0
>>807 ってもほんと50くらいになって今川家に入るまで、謎の人物だからなあ。
一応6人の仲間がいるってことで、ドラマっぽく作れそうな気はするけど。
812 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 01:17:24 ID:Ku8KVzc9O
江沢民とかどうよ
813 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 01:19:34 ID:X/ZYDV1r0
>>810 本人より奥さん人気でしょ
まあ元の家臣を使わないってのもそれ程珍しい訳じゃ無いし
814 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 01:19:52 ID:9w3giNjM0
>>810 もて囃されてるのは仲間美由紀だよ。
仲間で大河撮るために、一豊にした。
815 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 01:20:33 ID:hBahFOFJO
太田道灌とかでいいんじゃね?
ラストに救いがないけど
816 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 01:22:28 ID:uRBMUN5qO
日本人は皆、子供の頃から忍者教育するべきだよね
創意工夫や体力増進にもってこいだよ
それに秘密裏に国防力を上げる事が出来るぞ
819 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 01:23:13 ID:KZIJ38aF0
820 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 01:25:29 ID:9w3giNjM0
大河にするならYMでやってるセンゴクをやってほしい
822 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 01:27:45 ID:VpWY/g4H0
823 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 01:28:04 ID:1sHQnFVs0
昭和天皇を大河でできないもんかのう
824 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 01:29:14 ID:9w3giNjM0
>>823 昭和30年ぐらいから、すげえ退屈な話になりそうだ。
こういう人間を持ち上げて滅びの美学なんぞに陶酔するのは日本人の悪い癖。
827 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 01:31:04 ID:JKgRKz140
真田信繁ごときの武将を伝説化するのを手伝った島津家久がわるい。
828 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 01:31:35 ID:LWDvPArL0
>>817 酔っ払って合言葉を忘れたら、彼女や奥さんに
「この偽者め!」
なんて言われて刺されたりしてな。
829 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 01:31:36 ID:1sHQnFVs0
>>825 それもそうかw
じゃ、30年はカットで
830 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 01:31:43 ID:X/ZYDV1r0
>>821 あれ良いよね 家康とか光秀が特に良い
ハヤセも良かったけどなんかいきなり話が早くなっちゃって打ち切りかなぁ
>>827 スゲー仲間と一緒にスゲー敵と戦ったんだぞ、と
自分らの強さをアピールするために他人を褒めまくってる気がする<島津
戦闘と政治がめっちゃ高かったやつだな
大河はまず鬼島津だろう
内紛だらけの前半がかなりアレだがw
真田繋がりで本多平八郎忠勝では?
一言坂のしんがり戦は劇中最大の見せ場になると思う。
836 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 01:36:13 ID:LWDvPArL0
>>831 それは穿ちすぎだろう。
よっぽど腕に自信が無ければ、あの状況で義弘が関ヶ原まで行かないよ。
837 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 01:37:21 ID:1sHQnFVs0
838 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 01:37:21 ID:JKgRKz140
島津兄弟は家康大嫌いだろうからね。
>>837 壊したら面倒見なきゃならなくなるからイヤ
840 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 01:40:27 ID:LWDvPArL0
ああ間違った。関ヶ原じゃなくて大坂だ。
841 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 01:40:52 ID:+9LeKgbPO
何で北条はこんなに地味なのか
842 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 01:41:57 ID:2Mwg2ywlO
義…ではないでしょうか?
843 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 01:42:14 ID:0SlHs5C1O
島津貴久の肖像って強そうだけど義弘強そうじゃないよな。両方とも正面向いてるのが気になるが。
844 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 01:42:42 ID:BjSXY/xT0
大河ドラマで大室寅之祐はやらないのか?w
>>836 んー、島津家って九州でもけっこう倒した敵を褒めてるしねー
関ヶ原は自信があったからというより、
腕に自信はあっても政治力に全く自信がなかったから行かざるを得なかったのではなかろうか。
なにしろ中央の情勢に完全に疎くて出遅れたから、東に付く選択の余地さえなかったわけだし。
加藤清正 〜朝鮮半島で一番強かったのは虎だった〜
そんな大河ドラマ。
847 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 01:45:22 ID:hBahFOFJO
島津は朝鮮出兵があるからキチガイ半島があるかぎりはやらないだろ。
848 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 01:46:00 ID:0SlHs5C1O
>>841 氏政とか評価酷すぎだよな。氏綱も存在感薄い。
849 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 01:46:37 ID:+uVBf5OmO
最強家は島津家か南部家
応仁の乱以前から関ケ原まで他国に従属せず土地を守ったのはこの二家だけ
母方の実家が上田市にあったんだが
しばらくは土産物屋のポスターなんかを見ては、
昔あった「またゆき村」の里・上田だと思ってたな。
851 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 01:47:17 ID:1sHQnFVs0
流れぶった切るが、島原の乱の天草四郎が秀頼の子供って説もあるしな
幸村が鹿児島に秀頼と逃げたって風説があるが
島原の乱も実は裏に島津の影・・・と思ったらなんかオモシス
854 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 01:50:34 ID:zrp6Z+VaO
島津って、東軍につこうとして伏見城に入城しようとしたのを家康の家臣に断られて、仕方なしに西軍についたんじゃなかったっけ?
>>853 |
\ __ /
_ (m) _ピコーン
|ミ|
/ `´ \
('A`) 戦国ファンタジー系のトンデモ系だけで
ノヽノヽ 大河ドラマ作ればいいんだ!
くく
856 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 01:51:23 ID:hBahFOFJO
井伊直弼なんかいいんじゃないか?
858 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 01:55:29 ID:hBahFOFJO
859 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 01:57:22 ID:0SlHs5C1O
>>854 そうだったな。まあ島津家は石田に結構世話になってるから西軍にやむをえず入ったじゃないかな。島津傍観説も怪しいとこ多いし。
860 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 01:57:49 ID:1sHQnFVs0
もう戦国BASARAをドラマ化しろ
861 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 01:58:21 ID:2IGSvAgA0
宇喜多秀家を見てみたい。
タイミングに恵まれなかった不運な名将。
でも関ヶ原緒戦の西軍優勢は間違いなく彼の力。
>>858 信長は魔王だし、佐助は只今参上だし、くの一はエロいし
天草四郎はジュリーだし、ついでに戦車や長島も出れば完璧。
863 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 02:00:15 ID:0MVmM1i7O
>>798 あの『信長』が二度も許した男だからね。
よほど殺すには惜しい奴だと思われたんだろう。
>>855 川中島に千葉真一率いる自衛隊が出現。武田信玄討ち取り
信長が剣を振るえばライトセーバーの音
秀吉の嫁さんはくノ一
正宗は「バカめ!」が口癖
立花家当主が女
「日本一の兵」のはずの真田軍が、兄嫁と普通に闘って追い散らされ
関ヶ原にポイズン自衛隊が出てきて暴れればばっちりだな。
>>857 「花の生涯」のはず。観たこと無いので解らんけど。
865 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 02:01:32 ID:9w3giNjM0
>>861 母親と秀吉の関係が、NHK倫理に引っかかる。
>>859 東に付きたくても予め根回しできてなかった上にコネがなくて付かせて貰えなかっただけやな。
外交に疎かったせいで選択の余地がなかったわけで、あと出来ることは戦場でやることだけ。
867 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 02:02:48 ID:hBahFOFJO
>>861 後半の八丈島での流人生活をどうアレンジするかがポイントだな
868 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 02:08:13 ID:vvfGCpIb0
>>861 ・特に目立った行政はしていない。統治力未知数。
・直前に家臣らの大量離反を起こしている。つまり統率力なし。
関が原にまともな軍勢を連れて行けないのではないか?と思われていたぐらい。
・例えば関が原緒戦で頑張ったとしても、
それは前線指揮官・明石の実力であって、「彼の実力」な部分は一切ない。
という風に、マイナス評価する箇所は多々あるが、
プラス査定する部分はほとんどない。それが(あの時点での)宇喜多秀家。
>>863 セックスのノウハウ本から築城技術まで幅広い才能を備えていたからね。
政治に関しては信長以上の才能の持ち主だから尚更おしい才能だったのだろう。
>>868 全くだ
では大河ドラマはオヤジの方ということで
蒲生氏郷が好き
872 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 02:17:30 ID:0SlHs5C1O
>>870 直家はいいと思う。マムシの子はマムシっていうけど宇喜田家は違うよな。まあ実際久秀の息子もたいしたことないが。
873 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 02:22:14 ID:0MVmM1i7O
宇喜多といえば黒官
>869
セックルのノウハウ本について詳しく
875 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 02:26:48 ID:vvfGCpIb0
>>870 >>872 親父のほうはやばいwwwwww
男性版の昼ドラみたいに、陰惨陰湿なドロドロしたお話が延々と・・・
松永久秀だって、「死にザマがおもしろい」だけで、
ローカル策謀家の域を出てないっしょ?たまたま畿内にいただけで。
息子はちゃんと親父と共に行動してるし。
孫の松永貞徳は偉いぞ。
876 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 02:29:37 ID:ZYIrh+Il0
立花宗茂のドラマが見たいな。
真田の滅びの美学よりも、失敗しても人生投げずに復活の努力する方が生き方としては正しいと思うよ。
これも某半島のせいで無理だろうが。
ドラマにしたら、きっと人気になる。
877 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 02:32:05 ID:0MVmM1i7O
>>875 久秀の築城術は、信長の安土城を経て秀吉の大坂城へと受け継がれました。
>>867 八丈島で釣り三昧。
なぜか、後半生はテレビ東京でザ・フィッシングとなる。
>>875 ヤバイこと判ってて言ってみたんだがw
そうか、男性用昼ドラと考えれば面白いかも知れないなw
880 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 02:37:03 ID:vvfGCpIb0
>>877 >久秀の築城術
なんか受け継がれたっけ?
>>879 最上義光周辺が、さらに上手をいくのですwwww
>>874 黄素妙論
内容は具体性に富、現代にも通じることばかり
ウタマロを文字にしたような印象を受ける
真田信幸(信之)も地味にいいぞ。
幸村がああいう生き方を出来たのも、信幸あってこそだと思ってる。
>幸村の元服名は源次郎信繁(「真田太平記」では源二郎)。兄が源三郎信幸だから、
長幼の常識では逆順だ。
いい忘れていた
昌幸は信玄イズム最後の継承者といっても過言でも無い、その昌幸が信繁と名を付け
たのはテンキュウ信繁の名から貰ったからだろうと推測している。
884 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 02:50:32 ID:vvfGCpIb0
>>882 どうしても真田で行くなら信尹でよろしく。
885 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 02:55:39 ID:/qsDZSb30
真田十勇士
猿飛佐助(さるとび さすけ)
霧隠才蔵(きりがくれ さいぞう)
三好清海入道(みよし せいかい にゅうどう)(三好政康がモデル)
三好伊三入道(みよし いさ にゅうどう)(三好政勝がモデル)
穴山小介(あなやま こすけ)
由利鎌之助(ゆり かまのすけ)
筧十蔵(かけい じゅうぞう)
海野六郎(うんの ろくろう)
根津甚八(ねづ じんぱち)
望月六郎(もちづき ろくろう)
886 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 03:00:47 ID:9w3giNjM0
最近、根津甚八を見ない。
>>884 信幸主役でも活躍あるから大丈夫。
六文銭真田三代でもいい。
888 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 03:04:26 ID:+uVBf5OmO
上の方で結構言われてるけど
夏の陣で家康の首を取ったのは幸村(ピ)じゃないよ
誰だったか忘れたけど一人で突っ込んで徳川軍に
「1000の兵を倒すより、その武将を倒す方が価値がある」と言わしめた
889 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 03:07:04 ID:pqOPV5CXO
九州のどこかに秀頼を守りながら落ちていったんだよね。
秀頼の墓と伝えられている石塔があるよね。
既出かも知んないけど。
890 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 03:07:31 ID:ruVZKeiw0
家康の首取った奴って誰?
真田幸村の謀略の話か?
892 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 03:10:13 ID:vvfGCpIb0
>>887 信之だとやはり、後半がどうしても政治ものっぽくなって、ダラダラするのです。
おまけにやたら長生きだしwww
老いてなお真田家を守り、
93歳まで生きたというところが、逆になんかいい。
でも真田太平記あるからやっぱりいいや。
894 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 03:26:42 ID:0SlHs5C1O
なんか良い雰囲気のスレだな。風神の門は霧隠才蔵がメインだけど好きだったな…笹沢佐保の真田十勇士とかもやってみたら楽しそう。
895 :
神君家康公、大坂の陣にて討ち死にのこと:2006/05/15(月) 03:30:10 ID:2zi2ppf20
大阪府堺市南旅籠町の南宗寺には、昔から徳川家康の墓と伝えられている一基の墓がある。
1615年、大坂夏の陣で真田幸村の猛攻を受けた家康は、槍で刺され、この寺の近くで死亡したというのだ。
家康の死を秘した本多正信は、遺体を南宗寺に葬り、古河城主・小笠原秀政を影武者として1年間を通した。
そして1618年、家康の遺体は久能山から日光東照宮への移葬との名目で実際には南宗寺から改葬したというのだ。
このことを証明するかのように、1624年に2代将軍・秀忠と3代将軍・家光が南宗寺を訪れた記録が残っているという。
896 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 03:34:32 ID:EJV2txaF0
池波正太郎は好きだが、真田太平記はとんでもない愚作。
池波正太郎に長編小説を書く才能はなかった。
897 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 04:07:53 ID:tabbm69c0
佐竹一族とか好きなんだが
マイナーだよな
898 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 04:32:30 ID:hgE+M7Fj0
鬼義重?
899 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 04:58:01 ID:hedm99Cj0
「雪の峠」で初めて知ったよ
ニュー速+でこれだけ伸びるって、どんだけ歴ヲタ居るんだよw
>>210 それは徳川方の史書に残っているので本当らしい
大阪城に真田入りたりと聞いて大御所は思わず脇息を倒したと
案じた側近(おそらく本田正純)が重ねて昌幸は既に死せりと聞いて安堵溜息したと
その安堵した相手に本陣蹂躙され、馬周衆は逃げ、本人は切腹を覚悟させられたわけだがw
兄の真田信之が助命嘆願に記した書によれば、信繁は温厚で思慮遠謀、落ち着いた人柄だったらしい
忘れ形見は伊達の重臣片倉小十郎景綱の息子に嫁したんじゃなかったかな
以来片倉家では六文銭を第二家紋にしたはず
死んだとされた、大八がそこんちの養子になってるんだよな?
石田と大谷の茶のエピソードだけど、三成は気づかなかっただけじゃねーの?
903 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 06:02:52 ID:7Zh3EzmQ0
>>901 その説はトンデモ系じゃなくて、ほぼ史実として認定されている
次の代からら真田性に戻ってるし、間違いないんだろう
>>902 最近の研究では石田三成という人物はもの凄く神経質だったらしい
建前優先の石頭の学級委員タイプだったとか
だとすればわざとなんだろう
島左近が忠死したほどの男だしな
>>888 >上の方で結構言われてるけど
>夏の陣で家康の首を取ったのは幸村(ピ)じゃないよ
…アホですか?
905 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 06:27:44 ID:UrrveEru0
大坂を大阪と書く奴の文章には読む価値はない・・・
三成も家康に勝ってれば官僚の見本みたいにいわれて
PHP文庫かなんかでもてはやされただろう。
戦なんて時の運だしな。
907 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 06:43:03 ID:n3d0qY9+0
908 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 06:51:19 ID:n3d0qY9+0
>いつの世も、大衆は英雄を求める。天下太平なら英雄はいらない。心の憂(う)さ、
>屈託や不満を英雄の口を借りてはき出す。
左翼は平等主義の思想が根底にあるのか、突出した英雄的な人物を嫌うみたいだな。
まあ、経営者を目指すビジネスマンは戦国武将とか英雄の物語が大好きなわけだが。
天下泰平の時でも、一般大衆は、こういう英雄や偉人達を手本にして、自分の生き方
や生活のあり方を見直してみるのも良いと思うんだが。
左翼の英雄といえばゲバラだな
911 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 07:52:10 ID:4aWNFimu0
>>810 細川も熊本転封のときには旧加藤家の藩士を雇っていた。
しかし上杉は領地がどんどん狭くなっていったのに、
リストラしなかったから、治憲までは藩政がガタガタだった。
912 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 08:02:02 ID:yK6JV0HV0
俺だったら、大阪城に立てこもった時点で、淀殿を暗殺してたな。
彼女がいなければ、大阪方が勝つ可能性は、0.01%ぐらいは有ったと思う。
幸村人気ってコーエーの戦国夢想が原因だろ
シブサワコウに感謝しとけよ康夫!
>>912 わずか0.01%のために裏切り者呼ばわりされるくらいなら
おとなしく討ち死にした方がよっぽどマシだと思うがどうか。
或いは、最初から大坂城に入らない。
915 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 08:40:34 ID:q+ykUDte0
>>883 古典厩にあやかって命名した、ってのは昔から言われてる事だから
当たってると思うよ。
むしろ戦国無双やったら
幸村ファンにならないんじゃないか
幸村の配下にブーメラン使いがいれば
家康の首獲れたのになぁ〜
由利 ”ブーメラン”之助
つーか、紐なんか作らんと
みんなでブーメラン投げる練習してりゃよかったんだよ。
実は九度山降りるとき酔っぱらって転んで死んだだよ
誰か
>>201のことを詳しく教えてほしい。
家康の軍が潰走しかけたっていうのも嘘って聞いたんだがどうなの?
豊臣氏の敗色が濃厚となる中、信繁は最後に自らの手勢を率い、
正面から徳川家康の本陣めがけて決死の突撃を敢行した。
この突撃については右翼から攻める明石全登の率いる手勢との協調攻撃であったが、
少勢の明石軍は敵軍に阻まれ、目的を達することはできなかった。
(あくまでも信繁は豊臣軍の一部であり、歴史小説やドラマに見られるような単独での突撃を試みた訳ではない)
真田軍は越前松平勢を突破し、家康の本陣まで攻め込み、
屈強で鳴らす家康旗本勢を散々に蹴散らした
ちなみに、本陣に攻め込まれ馬印が踏み倒されたのは「三方ヶ原の戦い」以来二度目と言われ、
真田軍の凄まじさに家康は自害を覚悟したほどだったという)。
wikiから。単独で突撃した訳ではない、と言うのはポイントとおも。
毛利勝永を見てみると
兵四千を率いて敵将・本多忠朝や小笠原秀政らを討ち取り、徳川家康の本陣に
激突するという大活躍を見せた
とある。これだけ見る限りでは、別段混同されたとかはないようにも思えるけど
少なくとも、真田軍だけが奮戦していた訳ではない、って事だね。
921 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 15:03:13 ID:crCrGFCA0
真田太平記はエロ過ぎ
勃起がとまらん
922 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 15:11:54 ID:vvfGCpIb0
>>920 俗に
「真田と毛利とで突撃。明石別働隊は連絡不十分で動けず」
と言われていますよ。
ただし、その二人だけではなく、その他の諸将も頑張ってるのは間違いない。
兵士もね。
923 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 15:24:33 ID:UqaxwOGE0
明石全澄も確か関が原で宇喜多軍に属して奮戦した歴戦の兵ではないか。
もっと語られるべき武将だと思う
>>909 ゲバラ、トロツキイもろもろ山のように左派のヒーローがイマスが何か?
925 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 16:04:35 ID:XttqW01F0
926 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 16:13:20 ID:vvfGCpIb0
927 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 16:18:40 ID:vvfGCpIb0
>>925 あと、盛親が落城当日戦わなかったのは「前の戦いで自分の軍が半壊・疲弊」していたからです。
戦わない、ではなく、戦えない(戦いたくても兵がない)です。
「今日も行くから兵士貸して」とも言えないだろうしww
928 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 16:33:07 ID:9w3giNjM0
>>923 関ヶ原で黒田長政に助けられた人だね。
クルスの旗を掲げて大阪城攻防戦参加。
以降消息不明。
すげぇ興味がある。
淀君の弟も駆けつけたんだよね。
929 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 16:35:48 ID:1Nisf73R0
群馬県沼田市からカキコ。
年1で真田ゆかりの地方の人が集まって「真田まつり」ってのがある。
930 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 16:38:46 ID:1Nisf73R0
ごめん、嘘。
真田サミットだったかな。
931 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 16:39:03 ID:4m+wxqgi0
大阪で幸村がクーデターうんぬんって無理って意見が多いし漏れも無理だと思うけど、
信長とか信玄とか元就が当時無名で同じ立場にいたとしたら、
篭城側の将兵をまたたくまに掌握して実験を握り、家康倒しちゃったりするかもなあ とか思っちゃうw
信長ならやりそうじゃねw?
932 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 16:46:48 ID:NKz0GBku0
>>931 信長と元就はやらないだろうな。
やるとしたら信玄だろうね。
信長はまず裏切り行為をしないと思うし、その反面裏切り者には容赦が無い。
例えば浅井久政の妻の指を一日一本ずつ切り落とすなど陰湿な面も持っている。
だから結局は人間よりも馬しか信じられなくなったのだろうけれどね。
933 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 16:52:48 ID:1cDuUqthO
三戦に迷い込んだかと思いますた
(゚Д゚)
934 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 16:55:30 ID:bZV9x6ATO
おぉおやかたさむぁああああああ!!!
>>931 そもそも大坂城に入らないと思うな、そいつらなら。
掌握しても勝ち目薄い戦いだし。
>>932 信長が陰湿って単なるイメージだろw
叡山焼き討ちは有名だが、秀吉の根来寺の方が本当は酷いし。
家康時代にさんざん言われていることは怪しいよ。
937 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 17:00:15 ID:x+rux/n+0
草刈正雄テラカッコヨス(*´∀`)
>>276 >半保護:このページ、「大阪」は荒らしを理由として新規ユーザーおよび匿名
>ユーザーによる編集が一時的に停止されています。
ワロタ
小野お通の竹下景子テラヨメニシタイス
うちの田舎思いっきり上田お膝元ですが何か村おこしでもありましたくま?
田舎ではじぃちゃんばぁちゃん達は信繁(幸村)なんかより
やはり城主昌幸の話しか聞かなかったなぁ。
あと十勇士のキーホルダーが売ってる位だなぁ。
家系図が2年前出てきて真田家の家臣ゆかりの血縁ですが幸村の話は聞いたことない。
自分含め歴史好きには人気って感じです(地元ゆかりの人間より
941 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 17:13:39 ID:svQmjMnv0
「その時歴史は動いた」だったと思ったけど
好きな戦国武将のアンケートで1位なんだよなこの人
もう少しマイナーな存在だと思ってたから驚いた覚えがある
942 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 17:14:38 ID:+uVBf5OmO
幸村は負けてるし、家久は毒饅頭食わされる馬鹿だし
最強の兵は大きな合戦に出ながら生涯負け無しのヒクソン並の無敗伝説で天下統一して
政治家家康の軍師で関ケ原の軍議でも歴史を変えた名案を出した文武両道の本田忠勝だな。
>>1 家康の仕打ちに武力で対抗した幸村は憲法九条違反、非難されるべき。
いいなあ地元で名前の売れている人がいるだけでも
俺の地元は1000人以下の小勢力ばかり、そしてほとんど全滅
>>943 秀頼=関白 家康=右大臣?
だから本来からいえば秀頼の方が上
家康こそ討伐されるべき
946 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 18:47:37 ID:KLvk06+70
>>663 上杉謙信の軍の兵役は基本的に8000人だよ。
大部隊と言うは小さくないか?
真田昌幸に関して言えば、篭城戦というだけでなく戦術一般にトップクラスと言える。
武田信玄は攻城戦最強というよりも、毛利元就、真田幸隆なんかと並んで諜報・謀略戦トップクラスかな?あと、大局観的な戦略も。
個人的には島津義弘と上杉謙信の野戦が見てみたいな。実質野戦戦国最強決定戦と思ってる。
あと、幸村が源二郎で信之が源三郎なのは真田家が代々長男が若死にしていたから、
縁起担いで長男なのに源三郎ってつけたとか聞いた記憶がある。
で、幸村は次男だから普通に源二郎ってなったとか。
>>946 大局の範囲を広げれば、結局、天下人3人がやはり最強じゃない?
兵站や経済力、組織改革、技術革命などを考えれば。
兵を動かすという点だけなら、島左近なんかもいいけど。
948 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 19:27:03 ID:O2Td+zQ30
売国アサピーにこういう記事を書いて欲しくない件
捏造、誇大誇張マンセーの三国志の記事でも書いてろや
宗主国は中国だろ、日本のことはほっとけ中国チラシが
>>948 中国チラシにワロタw
アサピーは一定以上古い年代だと抵抗感がないのかな?
島津VS長宗我部の戸次川の戦いが見たいですう
>>946 それは勘違いだろ
幼名は、幸隆=源之助 信綱=源太郎 昌輝=徳次郎 昌幸=不明
長男次男の信綱と昌輝は長篠の合戦で戦死しているが信之と信繁はそれ以前に
幼名の源三郎、源次郎と名乗っている。
むしろ、昌幸は三男で在りながら家督を相続したことにちなんで長男には源三郎
とつけ、次男信繁には典厩信繁にあやかり同じ次男だから源次郎とつけたと考え
るほうが当然だろう。
島津の釣り野伏せを空撮で見たい。
誰か映画化してくれんかのう
>>951 自己レスだが>家督を相続したことにちなんで
武藤家の家督を相続したことにちなんでの訂正
>>945 秀頼は一度も関白になどなったことは無い。
955 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 20:11:22 ID:LWDvPArL0
>>880 おいおい、マジですか。
日本で一番最初に天守閣を作ったのが松永久秀なんだけど。
やっぱ尾張や三河や駿河あたりの軍団が最強でしょ
天下統一の主役なんだし
軍事板で「武田・上杉は難関障害物として必要以上に巨大に描かれている」
みたいなレスを見て納得した覚えがある
957 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 20:48:39 ID:UqaxwOGE0
幕末に西国勤皇の志士達を斬殺した新選組は多摩や水戸の出が中心。
東国武士の強さを証明してないか。この当時新選組に対抗できる西国
剣士が見あたらないんだが
>>957 中村半次郎
新選組局長の近藤勇が「薩摩の中村半次郎だけは 相手にするな」と. 隊士に訓戒した等在京時代の様々な伝承に事欠かない。
後岡田以蔵とか
津本陽の「人斬り剣奥義」読むと古今の剣豪がいろいろでてきておもしろいよ。
千葉周作とか柳生連也とか
960 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 21:22:43 ID:H4zNHtd00
>>941 そのアンケートに答えた人が「幸村」と答えたんなら全然メジャーじゃないだろ。
幸村、幸村と何故架空の人物で盛り上がるのか理解できない。
そろそろ幸村なる人物と信繁はちゃんと区別してほしい
NHKですら幸村ですか?そうですか・・・
>>957 新撰組は剣士じゃなくて官製の特別警察みたいな物だぞ?アレと比べるのなら他の藩の
警察組織や準軍事組織と比べるべき。
組織対組織で言えば、新撰組は、例えば長州の奇兵隊には歯も立たない。
963 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 21:41:25 ID:+xhyZwFu0
大河で伊藤博文をやって日韓併合の正当性や韓国側も併合を望んだことを
しっかりとやってほしい
>>961 既に「幸村」で定着してる感があるからな。
信繁だろ、って言っても「どっちでもいいじゃん」で一蹴される。
>>962 新撰組の切り込みは敵一人に大して隊士3人が基本だもんな。
966 :
名無しさん@6周年:2006/05/15(月) 22:38:15 ID:O2Td+zQ30
幸村もまさか街おこしのネタに使われようとは思いもしなかったろうて…
>961
「本当はこう呼ばなきゃならない」って言うのって流れによっては、野暮な感じする
浸透してる呼び方で問題ないだろ
970 :
名無しさん@6周年:2006/05/16(火) 02:47:19 ID:vP1aVEy20
劉備玄徳じゃなくて劉玄徳だろ、とかヲタはいちいち鬱陶しいよな。
971 :
名無しさん@6周年:2006/05/16(火) 07:06:34 ID:wv5iUya40
沼田のほうは、街おこしどころか、ダムの底に沈みかかったくらいですから。
ダム計画が実現されていれば、真田は永遠に封印されていたことであろう。
972 :
名無しさん@6周年:2006/05/16(火) 07:15:56 ID:wv5iUya40
武田の美少女が集めたらしき、怪しげな品々もまた永遠にダムの底に封印されるところであった。
天国の栗栖ちゃんは泣いているw
973 :
名無しさん@6周年:2006/05/16(火) 07:26:03 ID:xG6hm+VUO
>>929 私も沼田出身だけどそんな祭りあったかな…
毎年お盆にやる天狗祭とは別モノ??
974 :
名無しさん@6周年:2006/05/16(火) 07:30:28 ID:zDEb5r3bO
親父の方が凄いというイメージ
大学時代、真田家直系の女の子と知り合いだったな。
そいつの弟が正統代何代とか言っていた。
その娘の苗字は当然ながら真田だった。
税金の都合上、家宝は色々と国に寄付してしまったらしいよ。
976 :
名無しさん@6周年:2006/05/16(火) 08:55:12 ID:wv5iUya40
歩き巫女の栗栖ちゃんは、日本各地を放浪しましたが、
九州でも大阪でもいじめられ、山にこもってしまいました。
977 :
名無しさん@6周年:2006/05/16(火) 09:23:46 ID:O/AYqXKN0
>>975 よっぽどメジャーな武将じゃない限りは自称子孫は結構いるんだよな、
メジャーでも生死不明とか曖昧な武将もそうだし。
まぁ実際どれが本家かなんて解らなくなったケースも多いんだろうけど。
自称のところは家宝は売り払ったとか寄付したとかそういうパターンが
殆ど、まともな子孫はちゃんと系図とか家宝とか残してるところが
大半と言う事を考えると胡散臭いよね。
最低でも系図は有るはず、これは税金対策に寄付したり売ったり
するものじゃないから。
978 :
名無しさん@6周年:2006/05/16(火) 09:24:44 ID:ZjuOzY6t0
979 :
名無しさん@6周年:2006/05/16(火) 10:20:59 ID:BbR98EzA0
980 :
名無しさん@6周年:2006/05/16(火) 10:28:43 ID:O/AYqXKN0
>>979 あれ、申請しなきゃ華族になれなかったので直系でも仮に
滅茶苦茶のんびりした人や制度に反発した人、あるいは
うっかり八兵衛クラスの祖父なら華族になってない可能性もある。
まぁ、
>>979が言うように殆どは華族になってる筈だけどね。
981 :
名無しさん@6周年:2006/05/16(火) 10:29:36 ID:FEyPOQE5O
直系は仙台の片倉家が受けついでいるんじゃ
夏の陣のときに長男の太助は戦死、残った女児が伊達家に託された
伊達家はでかいから家康もあんま文句は言えない
982 :
名無しさん@6周年:2006/05/16(火) 10:33:48 ID:EEw8ZNEn0
そういやトリビアで信玄の直系と謙信の傍系が川中島でオセロ対決やってたな。
983 :
名無しさん@6周年:2006/05/16(火) 10:34:19 ID:tBOFA6Gh0
醜い大阪の一大名に転落した豊臣家に苛め抜かれながらも
健気に戦った真田幸村。そんな大阪も今では幸村に事大。
大阪は一度滅んだほうがいいと思うよ。
984 :
名無しさん@6周年:2006/05/16(火) 10:35:10 ID:TkqdnZOC0
>>979 直系と嫡流を勘違いしてないか?
嫡流なら祖父が華族だろうけど
985 :
名無しさん@6周年:2006/05/16(火) 10:36:50 ID:FEyPOQE5O
伊達に託された場面は司馬の城塞って小説が感動した
片倉小十郎は敵の真田の娘が小刀をもって部屋の隅にいても
なりふり構わず寝ていた
きっとお前らの中にも有名武将の隠し子の末裔だったりするのがいるんだろうな
987 :
名無しさん@6周年:2006/05/16(火) 10:40:58 ID:FEyPOQE5O
何百年も前だから微量ながらもDNAは入っているかも
数千年前に渡来した人は数百人ぐらいだとして、それが一億になっている
988 :
名無しさん@6周年:2006/05/16(火) 10:42:16 ID:7MTscYdZO
定めなき浮き世に候ば一日先は知れず候
我々のことなどは浮き世にあるものとは思し召し候まじく候
>>951 当時のならわし?で長男の方を低い数字にしたとか読んだことある。健康に育つよう願って。
徳川家康の子孫なら腐るほどいるんだろうな
>>736 家康バージョンって本多平八となんやっけ?
993 :
名無しさん@6周年:2006/05/16(火) 11:46:16 ID:O/AYqXKN0
>>991 家康に過ぎたる物が二つあり、唐の頭と本多平八
994 :
名無しさん@6周年:2006/05/16(火) 12:50:26 ID:BbR98EzA0
1000
995 :
名無しさん@6周年:2006/05/16(火) 13:04:19 ID:S6wMgezl0
日本一は楠木正成で。
996 :
名無しさん@6周年:2006/05/16(火) 13:09:58 ID:PkyJaw3g0
1000!
997 :
名無しさん@6周年:2006/05/16(火) 13:14:29 ID:O/AYqXKN0
日本の武将は猛将でも常識的な強さだけど(除く原哲夫バージョン)、
三国志の武将って人間外の奴らが多いよな。
998 :
名無しさん@6周年:2006/05/16(火) 13:15:55 ID:S6wMgezl0
山中鹿助
999 :
名無しさん@6周年:2006/05/16(火) 13:15:56 ID:ZjuOzY6t0
1000
1000 :
名無しさん@6周年:2006/05/16(火) 13:16:03 ID:xVdlRwPS0
前田慶次に人気かっさらわれました
1001 :
1001:
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