【日露】ロシア兵捕虜の写真。戦争中の捕虜厚遇の実態が明らかに。
1 :
妄想族φ ★:
姫路市教委は28日、日露戦争(1904〜05年)中に、捕虜として姫路市坂田町の妙行寺に収容されていたロシア兵の
写真が見つかったと発表した。妙行寺がロシア兵捕虜の収容所に使われたことを示す当時の写真が見つかったのは
初めて。今年は戦争終結から100周年の節目の年にあたり、市教委は「捕虜収容の様子がわかる貴重な資料。
日露親交を考えるいいきっかけになるのでは」としている。
10月下旬、市教委が同寺の依頼で山門を調査。その際、寺の庫裏で見つかった写真を調べていた。写真には山門の
前で左側に日本人、門の中央付近にロシア兵が並んで一緒に写っており、「姫路妙行寺露兵捕虜」と記されている。
同寺は45年の姫路空襲で本堂が焼失しており、当時の様子を示す資料はこれまで見つかっていなかった。
市教委によると、日露戦争時、姫路市には2204人のロシア兵捕虜が連れてこられたという。文献や当時の新聞記事、
写真などから、同市内には計10か所で捕虜を収容していたことが判明しているものの、これまでは姫路城南西の車門
近くにあった陸軍第39連隊の収容所本部のほか、城周辺の5か所の寺院しか分かっていなかった。
同市教委は「一緒に同じ写真に収まっていることなどから、戦争中も捕虜を厚遇していたことが見て取れる」としている。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/hyogo/news002.htm
2 :
煤 ◆z51....... :2005/11/29(火) 23:48:50 ID:kOXMz7o80
2
2?
こりゃ捏造だな。韓災人が「人道的扱い」なんてできるわけないし。
5 :
名無しさん@6周年:2005/11/29(火) 23:49:45 ID:FfzopKzOO
6
6 :
名無しさん@6周年:2005/11/29(火) 23:50:51 ID:kF7lkkhP0
収容所によるだろな。
なんだっけ。
わかめをたべさせて、雑草を食べさせるとは有罪だってなったんだっけ。
毒の入ったじゃがいもだってわかっていながら食べちゃうんだよね、
10 :
名無しさん@6周年:2005/11/29(火) 23:53:24 ID:kF7lkkhP0
海苔でも騒ぎがあった。
捕虜虐待だからB級カテゴリだろか。
11 :
名無しさん@6周年:2005/11/29(火) 23:55:06 ID:rgsdFPNe0
日本人ほど捕虜を歓待する民族も珍しいかもな
>9
でもdキーは賢いから食べないんだよ
13 :
名無しさん@6周年:2005/11/29(火) 23:55:59 ID:ho8CNbmn0
日露戦争辺りまでは本当に人道的扱いをどこの国でもしたらしいな。
以後、でも急激に悪くなっていって、ww2の頃はどこの国もひどかったらしいな。
それ以後はもう捕虜なんて知っちゃいねえ状態になったとかって話、聞いたことある。
14 :
名無しさん@6周年:2005/11/29(火) 23:56:32 ID:9BokurOv0
この写真でアリバイを撮ったあと、
クビを切り取ってつるしたり、銃剣でめったざしにしたり
非人道的な虐殺を行ったんだろ。旧日本軍は
15 :
名無しさん@6周年:2005/11/29(火) 23:57:04 ID:T/k4uOkw0
ロシア相手にはこれが言えても、中国相手には言えなくなるんだよなぁ。
16 :
名無しさん@6周年:2005/11/29(火) 23:57:35 ID:S7cHcUqf0
日露戦争時の日本は
一等国になろうとして捕虜を厚遇したらしい。
18 :
名無しさん@6周年:2005/11/29(火) 23:57:42 ID:FEO372oh0
クソが!
露スケなんぞ八つ裂きにすればよかったのに。
19 :
名無しさん@6周年:2005/11/29(火) 23:57:46 ID:qwXiDotv0
20 :
名無しさん@6周年:2005/11/29(火) 23:59:16 ID:8yKL0mdE0
坂の上の風に吹かれて、だっけ
21 :
名無しさん@6周年:2005/11/29(火) 23:59:44 ID:CLTbpQjK0
有る事ない事全部日本兵のせいにされたからな
見分けつかんし
22 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 00:00:27 ID:WfJE+GyvO
>>14 そのとおりだろうね。
日本人はずるがしこい鬼畜。
たしか四国のどこかの捕虜収容所ではロシア兵を温泉に入れてたとか
いう話。
そこまで捕虜を優遇した国は歴史にないだろ。
24 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 00:00:38 ID:rgsdFPNe0
>>13 アメリカ軍は降参した日本兵を捕虜にせずに撃ち殺してた。
日本軍は捕虜をマトモに扱った方だ。
25 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 00:00:45 ID:S7cHcUqf0
>>14 それやったとしたら、極東リンチ裁判でねちねち言われていただろうね。
26 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 00:01:45 ID:By5e/wts0
日本で第九?が初めて演奏されたのは、ロシア戦争の時の捕虜収容所だった
とかいう話をちょいと小耳に挟んだんだけどさぁ
27 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 00:01:59 ID:lDfPOIgd0
庫裏(くり) ― 寺の台所
28 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 00:02:39 ID:/aOjT3OF0
ロシアの捕虜が酔っ払って女ナンパしてたりしたらしいな。
まあ、この戦いは当時世界中が注目していて、世界中から取材に来て報道されてたんで
日露双方ともお行儀良くしてたわけだ。
29 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 00:03:00 ID:oh9hyGN40
>>14 戦争当時外に宣伝しないで、なんの反響もなくなった百年後にアリバイ
を出してくるとは随分のんきな工作だな。
ジュネーブ条約を律儀に守ったのは日本軍くらいだろ。
32 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 00:04:15 ID:Mrvcl6Eb0
>>14 左翼って自国民を戦車で轢き殺せんでしょ?
>>12 飼育員は餓死させたんだよな。ひどいよな、人間じゃないよ。
オレならこっそり餌あげてたね。
厚遇するくらいなら海に帰してやったらよかったのに
>>26 そりゃ第一次大戦で戦ったドイツの捕虜の話だな
36 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 00:06:22 ID:t7c7cGWu0
突っ込みどころ満載のレスで溢れるスレになるんだろうなぁ
写真とってたら厚遇かよw
どっかの国みたいな勘違い記事だなw
>>26 それは第一次大戦の時のドイツ兵捕虜
坂東収容所でググレばでてくるよ
収容所で新聞すったり楽団つくったりほんとに捕虜か?って感じで受けますw
当時の日本は異様に国際法に敏感だった。
たとえば日清戦争のときの東郷海軍大佐の高陞号事件始末とか。
アジアの野蛮国の同類だとおもわれたくなかったんだろなあ。
で、捕虜の扱いについても格別の配慮、っていうか正直どうしていいか
わからなかったんで俘虜条約を当たり障りない方に拡大解釈しまくって、
結果としておもてなししてしまった、らしい。
捕虜のロシア士官のために、週末、遊廓まで車を仕立てたりして。
それがまたなんか芸妓に好評だったりして。
それを見ていた兄やんが「ああおれも捕虜になりたい」といったとか。
まあ古き良き時代の話。
41 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 00:15:06 ID:M5gBYF2t0
日本海海戦のときにロシア戦艦が日本に拿捕されて
ロシア兵たちが「俺達は殺される!!」とビクビクしていたら
日本兵が(・∀・)ニコニコしながら「やあ、ロスケ、ロスケ」と笑顔で近寄ってきて
拍子抜けしたらしいよ。
日露戦争は203高地や奉天会戦などの地獄の戦闘がある一方で
日本兵捕虜やロシア兵捕虜、それぞれ双方にほのぼの話やバカ話が一杯ある。
42 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 00:19:57 ID:46eBVvjX0
日本海海戦であんなに手厚く俘虜をもてなしたのに
第二次大戦では酷い話ですね
日本人は国際法を律儀に守りやさしすぎるのかもしれませんね
南京戦での折といい
43 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 00:21:17 ID:R//BWzs/0
>>1 Hey!
Youの記事はGHQの検閲により
不許可ne!
>>1 中国の許可は取ったんですか?取ってないでしょ!
45 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 00:24:09 ID:vA3Pj3sJ0
46 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 00:27:50 ID:TAlRJujK0
露助ロスで暴露す。
47 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 00:28:43 ID:/qRTJQg4O
マツヤマ!
48 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 00:28:54 ID:QdpyBPLj0
日露戦争時じゃないんだが
戦後、外人から「木の根っこ食わされた!捕虜虐待された!」
って言われて、死刑になった日本人いたよね?
当時食い物なくてゴボウ食わせてやってたってのに・・・
一部日本軍の捕虜虐待は凄かったらしいが。
日本語で「すいませんでした〜(後は忘れた)」と日本語で喋らして
雪の降る庭を8時間ずっと歩かせる。
俺のじいちゃんは15歳でそれの監視役になって
最悪な寒さに耐えながら「軍華」とかいう小説を読みふけってたらしい(読むのも強制)。
戦争が終わって真っ先に考えたのは、捕虜が復讐しに来るから改名する事だったそうな。
勿論捕虜が来るわけもなく、改名もできるわけもなく
50 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 00:34:29 ID:Mrvcl6Eb0
51 :
鬱病軍師 ◆pzDKTf/pfc :2005/11/30(水) 00:35:46 ID:0a89oiiL0
マツヤマと叫んで降伏。
わが国最古の伝統を持つ道後温泉に漬かり、
小隊長クラスは商店街で買い物をし、その領収書が残ってる。
地元の中学生が病死したロシア人の墓を清掃。
>>26 オーケストラの技術を伝えたのは高松のドイツ人捕虜です。
彼らは他にも、建築技術(石橋が残っている)、ソーセージの秘伝、
組体操など、多くの文化を残しました。
>>48 「木屑食わされた!捕虜虐待された!」
鰹節食わせてやってたってのに・・・
と言う話も聞いたことがある
日露戦争じゃ停戦中に宴会やってたらしいなw
54 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 00:40:03 ID:Eorkksm2O
徳島じゃないの?
55 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 00:41:27 ID:QvOqfUbY0
203高地だっけ?
途中で戦いを止めて、お互いに死傷者の回収したり。
停戦中に日露両軍兵士が宴会をやってお互いの強さを称えあったりしたとか。
56 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 00:41:38 ID:oh9hyGN40
坂の上の雲によると、ロシア兵が投降する時にマツヤマ!!マツヤマ!!
と叫んで投降したらしいねw
ロシア軍の普段の兵卒の待遇や暮らしはそれは酷いもので、捕虜収容所での
暮らしは天国のようなものであったそうな。。
>48
それ亡くなった親父の知り合い。
裁判で上京する直前うちに寄って、レコードを聴いて帰られたそう。
58 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 00:43:38 ID:ws+TrXk1O
捕虜の扱いは乱雑にしていたのだろうな
捕虜の扱いは重要だ
59 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 00:44:33 ID:Eorkksm2O
あっ、徳島は第一次大戦時のドイツ兵捕虜だったっけ。
60 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 00:45:01 ID:Pd+dPZbH0
日本海側には死んで漂着したり上陸後死んだ露軍の兵士の慰霊碑や墓が結構残ってるらしいな。
62 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 00:46:11 ID:oh9hyGN40
日露戦争は最後の古きよき平和な?戦いだったんだよな。
例えばクリミア戦争の時なんか、朝の9時から戦いが始まって12時くらいで
昼食の休憩、夕方は5時で今日の戦いはお終いとか、紳士協定があったみたいだね。
休憩中は一緒に酒を飲んだり、食べ物を交換したりとかねw
第一次世界大戦で塹壕戦になって古きよき戦いは終焉を迎えることになった
のかな?
63 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 00:48:05 ID:TAlRJujK0
>>55 映像の世紀で見ると妙に兵隊の表情が明るかった気がする。
アメリカインディアンの中には戦争の日をカレンダーに刻んで
いた部族もいたようだし、大量殺戮兵器のなかった時代の
戦争観は今とずいぶん違ったものだったろう。
ただ乱痴気騒ぎが嫌いならどの時代に生まれても反戦がデフォだろうな。
ロシア軍が、負傷した日本兵を安全なトコに運んでる絵とかもあるよね
日本人にパンの焼き方教えたりしてんだよな。
いい時代だったんだなぁ。
66 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 00:52:22 ID:XMRtcAev0
>>62 昼間は戦闘して、夜になると月明かりの下で敵味方でサカーしてたとかね。
第一次大戦のときだっけ
>>62 初めて聞いた。戦争ほのぼのこぼれ話って感じだなw
>>33 大量に食うゾウの餌を「こっそり」調達して与えれるほど裕福な飼育員が居るとは…
>>1 >日露親交を考えるいいきっかけになるのでは」としている。
シベリア抑留を「きちんと再議論」した後にしてくれ。ふざけるな。
70 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 00:58:38 ID:hlhXwZu+0
「英国人写真家の見た明治日本(この世の楽園・日本)」より引用
(ハーバード・G・ポンティング)
>プラットフォームに立っていると、そこにロシア軍の捕虜を満載した列車が到着した。
>乗っていた捕虜の全員が戦争から解放された喜びで、大声で叫んだり歌を歌ったりしていた。
>中には小型の手風琴(アコーディオン)を鳴らしている者もいた。
>駅の構内全体に喧噪が満ち溢れた。
>ちょうどそのとき、反対の方角から別の列車が入って来た。
>それは日本の兵士を満載した列車で、兵士たちは前線に行く喜びで同じように歌を歌っていた。
>ロシア兵と日本兵はお互いの姿を見るや否や、どの窓からも5、6人が頭を突き出して、
>皆で歓呼の声を上げた。
>ロシア兵も日本兵と同じように懸命に万歳を叫んだ。
>列車が止まると日本兵は列車から飛び出して、不運(?)な捕虜のところへ駆け寄り、
>煙草や持っていたあらゆる食物を惜しみなく分かち与えた。
>一方、ロシア兵は親切な敵兵の手を固く握りしめ、その頬にキスしようとする者さえいた。
>私が今まで目撃した中でも、最も人間味溢れた感動的な場面であった。
これは著者のポンティングが広島に滞在していた時の出来事。
71 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 01:01:16 ID:AmzchIyr0
日露戦争や第一次大戦の時は、太平洋戦争の時と違って本土には余裕があったからね
ロシアの捕虜やドイツの捕虜をかなり手厚くもてなしたそうだ
日露戦争の時は紳士的に扱ってもらえて感謝すると、ロシア兵から感謝状まで届いたし
第一次大戦の時は、地元住人とドイツ人捕虜の交流会が開かれるなど
太平洋戦争の時には考えられない対応を行っている
72 :
名無しさん@6周年 :2005/11/30(水) 01:01:37 ID:Hfhq3SBt0
>>14 中国や半島の人たちと一緒にしないでください。
73 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 01:01:51 ID:6ILqDbfi0
これ状況的に考えてなんとなく今となっては不自然なんだけど
平野で対峙していた2軍(ドイツ・イギリス?)に
終戦の連絡が入った時、
両軍の兵士が武器捨てて相手陣営に走り寄って、泣きながらさっきまでの敵と抱き合いながらお互いこういったそうな
「お前生きててよかったなぁ!」って
これ読んだ時は戦争は絶対してはいけないと思ったよ
74 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 01:02:38 ID:8QO8PP3J0
これに対してロシア人はシベリア抑留という奴隷待遇で日本人を遇したわけだな
75 :
踊るガニメデ星人 ◆VZh84upjtQ :2005/11/30(水) 01:02:50 ID:gqvNCoU30
日露戦争の時日本はロシア兵の捕虜を大切に扱ったのに、
第二次世界大戦の時ソ連は日本兵の捕虜をシベリアに送って
餓死させたんだよな。
76 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 01:03:19 ID:7CSKSa9N0
やっぱりな。日本人は昔からルールを重んじ人権を尊重してたんだよ。
中韓の言ってることはまたしても捏造だと証明されてしまったわけだ。
この当時と、第2次大戦中の陸軍の軍人精神の変化に興味がある
78 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 01:04:39 ID:TAlRJujK0
>>68 懲戒の対象になるからこっそりと自分の食べ物を象に与える飼育員たち。
園長は空を見ているから飼育員たちの不祥事に気づかないんだよ。
象が心配で心配で泣き声がするたび、飼育員たちが「食べた食べた」と
うれしそうな声を上げるたびに振り返りたくなるけど、でも空を見ているんだ。
やはりトータルウォーから全てが変わったよな
まあロシア側は日本に対しての敗北感は無かったからな
それは現場で戦ってる日本側も真に勝ったという感覚は無かっただろ
81 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 01:06:18 ID:oh9hyGN40
>>75 帝政ロシアの頃はまだ人間臭い暖かさがまだ感じられたけどね。
共産主義政権になってから惨くなったような感じ。
82 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 01:07:40 ID:TAlRJujK0
>>72 残留孤児を引き取ってくれたり、引き上げの時に抗日派からかくまってくれた人達がいたじゃん。
独立確定の時期に何を考えてか日本に流れてきて暴れ、奪い、男を殴り、女を犯し、味噌汁に
砂入れるような奴ばっかりじゃないよ。彼らには今の中国朝鮮てどういう風に映ってるんだろな。。
83 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 01:07:56 ID:Tsok+Gjm0
映画の二百三高地だと
死体回収と追悼ミサの為の臨時休戦も描かれていたが
休戦で寄ってきたロシア兵を疑心暗鬼で撃ち殺してしまうシーンもあったな。
84 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 01:08:56 ID:Pd+dPZbH0
学者・政治家・軍人、明治の日本人は尊敬に値する
85 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 01:09:40 ID:8QO8PP3J0
>>82 残留孤児って労働力が必要な農民が奴隷として育てたってことなんだが。
86 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 01:11:31 ID:TAlRJujK0
>>85 農民にしてみりゃ子供って労働力だぞ?
そういう話じゃなくて実態はかなりえぐかったって事?
軍板だか世界史板だかでこの手のネタ有ったな。
で、オチは「アメリカ人は空気読めないから本気で戦争しようとする」
88 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 01:14:44 ID:Tsok+Gjm0
>>77 明治の日本はなんとか植民地化を免れよう
なんとか関税自主権や治外法権を撤廃しようと
なんとか欧米に認められようと必死だった。
なので国際法や国際社会の視線にものすごく気を使っていたんだよ。
あと当時は兵器の進歩とは逆にヨーロッパでは全然戦争の無い期間だったので
近代装備の軍隊同士がぶつかり合う日露戦争はとりわけ世界中から注目されていた。
89 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 01:17:43 ID:AmzchIyr0
日露戦争の頃は騎士道精神というのが、まだ残っていてね。
それだけに戦争の合間に両軍の交流会が開かれたり、太平洋戦争の泥沼を知っていれば信じられないことがあった
しかし第一次大戦では、総力戦となりそのようなことがなくなったが
一方で日本の方は、欧州戦線の泥沼を知らないからドイツ人捕虜を手厚くもてなした
虜囚ではなく、日本国に招かれたゲストとして捕虜達は扱われ、収容所でもかなり良い待遇を受けていたようだよ
しかしその後のシベリア出兵ではひどいもんでね。戦争の形態が変わってしまったものだから、シベリアでゲリラ戦を続ける赤軍に対して殲滅戦術とか行った
第二次大戦に至っては、両軍ともに相手民族の抹殺を意図したような徹底的なことが行われたな
90 :
踊るガニメデ星人 ◆VZh84upjtQ :2005/11/30(水) 01:20:26 ID:gqvNCoU30
>>81 共産党というだけじゃなくて、やっぱりスターリンの性格でしょう、
なにしろ大量粛清しまくった男だからな、自分の身内すら残酷に
殺したそうだし。
明治日本はサムライ戦争と全面戦争の間で揺れ動いていたからな
勇敢な戦士を手厚くもてなすのは、ある意味当然。
ま、WW2の日本の悪評は、は捕虜虐待罪を含む(本来の意味の戦犯である))BC級戦犯に
朝鮮人が多く含まれるという事実が、何かを物語っているけどな。
92 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 01:25:45 ID:TAlRJujK0
ナチスドイツの隔離政策時期、エホバの証人も隔離の対象になっていた。
彼らの目印は紫色の逆三角形のワッペンで写真も何枚か残ってる。
それについての講演の中にこういうのがあった。
とあるエホ証御用達の出版物を作ってる隠れ家におまわりさんが押し込んできて
家宅捜査が行われた。徹底的な捜査であったと表現していたが思い込みだろな。
なんせ途中まで刻印がしてあるタイプライターが机の上に残っていたそうで。
でもお咎めなし。ナチスの兵のお目こぼしだろな。
なんか壇上の人は「神が奇跡でタイプライターを隠した」とか言ってた。
ああ…この団体は、少なくともこの講演者は駄目駄目だなと思った。
93 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 01:28:06 ID:VypUajMj0
それに引き換え、ソ連側はシベリア抑留かよ
ロシア娘の無償配給で償え!
まあ、この頃の戦争は愛嬌というかルールがあったからねえ。
一次大戦の半ばから凄惨で救いのないものになっていく。
95 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 01:30:23 ID:TAlRJujK0
96 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 01:34:00 ID:tOnOrkrS0
97 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 01:38:19 ID:0NeIqZYTO
てか白人さまにビビってただけなのでは
98 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 01:49:36 ID:TAlRJujK0
>>97 ちょっと違うな。もとから大好きなのよ外人が。
人権思想の影響で侮蔑の対象も異常に減ったし。
ある意味朝鮮人てすごいよ。日本人に名指しで拒否されてるんだもん。
金に汚い華僑、嘘吐きな印僑でもここまで日本人に嫌われない。
99 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 01:53:21 ID:C+i1z+TT0
駐日大使の王小人がムキになって否定する予感
100 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 01:55:53 ID:5B9TIGrR0
>>26 それあ徳島かどっかのドイツ人捕虜じゃないかな?
ドイツ人捕虜が楽団つくってコンサートとかしてたし
101 :
踊るガニメデ星人 ◆VZh84upjtQ :2005/11/30(水) 02:00:15 ID:gqvNCoU30
>>97 ビビってはいなかったが欧米人たちを尊敬してはいたよ、
高度な科学技術や議会制民主主義などの優れた文化を
生み出した欧米人たちを日本人はずっと尊敬してきた。
102 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 02:09:10 ID:RFLNFKTN0
一緒に写真撮っただけで厚遇なのか?
103 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 02:10:47 ID:LEb3d6810
>>39 習志野市の人は、こちらが最初かもと言っています。
シベリアはもの凄く好待遇で洗脳か強制労働かの二択だったよな
105 :
踊るガニメデ星人 ◆VZh84upjtQ :2005/11/30(水) 02:12:14 ID:gqvNCoU30
>>98 外人というより、欧米人が好きなんだよね、ペリーが日本に来た時から
日本人は高度な科学技術や議会制民主主義などの優れた文化を生み出した
欧米人たちを尊敬してきたし、日本人はずっと欧米人たちに好感を
持ち続けていた、残念ながら人種差別のために欧米諸国と戦う事には
なったが、太平洋戦争中に日本人がなかなか欧米人を憎もうとしなくて
日本政府が困ったという話が残っているほど、日本人は昔から欧米人
が好きなんだよね。
106 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 02:12:34 ID:9RMQVWRv0
赤軍とと帝政ロシア軍を同一視するのはやめろよ
帝政ロシア軍はWW1でも捕虜を虐待したりはしなかった
108 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 02:19:37 ID:0hu89iYcO
愛媛松山のロシア人捕虜は、市内をある一定範囲は自由にぷらぷらできたし一緒に運動会とかした。
ぶっちゃけて言うと
ロシア兵ならどんな扱いしても厚遇になる
祖国での扱いがあれだったから
110 :
山師さん@トレード中:2005/11/30(水) 02:21:35 ID:e9JPN41U0
>>63 当時は楽しい運動会だったわけですね
最後のリレーでは走者はヒーローになるように
そのあと無差別爆撃でルールが変わったと
111 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 02:23:15 ID:btVynV/Z0
日露戦争は妙に和気藹々としてるぞ
「休戦」の時間には両軍とも発砲をやめて
黙々と死体収容をしたり、仲良く記念写真(現存)を撮ったり
「お前らにゃ負けん」「いや俺らの方が強い」と両軍将校同士が談笑したり
夜には勇敢な兵が露軍陣地に行って日本酒と肴を振る舞い
お返しにあちらの酒と物品を貰ってきたり
>>111 敵を悪と見なすのはアメリカがWW1の時に戦争に参加するための世論作りからはじまった・・・
113 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 02:28:13 ID:+tB3mZO+0
欧米人好きとかよりも、普通に日本の国民性として「罪を憎んで人を憎まず」っていうのが意識しなくても根付いてたんじゃないのかな。
今の日本は在日チョンだとか日本人とよく似たツラした外道が蔓延してて、凶悪犯罪多発してたりするが。
>>113 単に珍しもん好きなだけだと思うよ。
中国や韓国人だってもしレアな存在ならチヤホヤするよ。
>>23 松山の俘虜収容所だね。最大の捕虜収容施設で6千人くらい収容されてたらしい。
ちなみに、うちの曽曽祖父が温泉に入れてもらったロシア人捕虜。
ロシア革命でハルピンに逃げ、日本の敗戦で内地に逃げ、で、子孫は現在松山市民。
曽曽祖父も、一度出て行った松山に骨を埋めるとは、夢にも思わなかっただろうなw
>>56 火傷が治って樺太に帰り、1年程たったコンスタンティン君の家へテレビが取材に行ったら、
お父さんがクルーに「日本は天国だった」と悲しそうな顔で言ってたのを思い出した。
118 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 02:58:14 ID:TAlRJujK0
119 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 03:09:19 ID:FqaCkqjw0
120 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 03:12:28 ID:+6ZJddjHO
日露戦争時に負傷して捕虜となった露大使(?)の
奥さんの日記を和訳した本を読んだ事があるのだが、
それによると日本側の捕虜の扱いは、
実に温情に溢れるものだったそうで、実に興味深かった。
何より夫人の心境の変化が顕著で
日本に来るまでは「小人の蛮族」への嫌悪と不安におののいていたのが
日本の人々に触れ、その優しさ、細やかさ、規律正しさに感嘆し
戦争が終わり露に帰る頃にはすっかり親日家になっているのが
文章の隅々から感じ取られ、日本人でいる事に誇りを持ったのを覚えている
捕虜収容所を朝鮮人に任せたのが第二次大戦時のさいだいのしっぱい。
122 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 03:19:41 ID:caJc9xMaO
朝鮮を併合してしまったのが日本史至上最大の失敗
>111
正直そんなに和気藹々としてて何で殺し合いが出来るのかが理解できないな。
本国巻き込んで仲良くすりゃ良いのに。
124 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 03:23:35 ID:qGsOcC350
でもロス家の本質は基地外
ユーハイムさんの話は好きだったなぁ
もう読めないけど
126 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 03:26:06 ID:qIQ7JUoj0
>>123 一時大戦の西部戦線でも、ドイツ兵と英国兵がサッカーをしたり
してたらしい。
でも仕事は仕事というかw
>>123 ちょっと同意
昔話でのほのぼの感はなんか異質に感じる
攻撃しないから攻撃してこないでっていう今の感覚だと理解できん
128 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 03:33:10 ID:1ruanI8d0
開戦を決定し、安全な場所から無茶な命令を下す政治家、軍上層部、そしてそれらと繋がっている
軍需産業。
そんな奴らに命令されて実際に命のやり取りをさせられる兵士にしたら、馬鹿らしいだろう、
戦争なんて。
だから、敵兵と仲良くする場面があっても不思議じゃない。
>>123 上からの命令だからな
ライバル会社同士の社員が上司の愚痴こぼしあってる姿とだいたい同じ
>>129 そっちなら理解できるわ
昔は戦闘員同士の距離が近かったんだろうね
俺の中での戦争がゲリラとかあの辺りのイメージだから違和感があるのかも
あれって戦闘員自らの憎悪が戦闘の動機っぽいから仲良くは出来んよな
131 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 03:44:32 ID:qIQ7JUoj0
>>130 人種民族の問題も無視できない。
昔であっても異民族間の戦争は残酷度うp
西欧内など同民族間あるいは近親民族間の場合は日本の戦国時代みたいな
「型どおり」の戦争をやってることが多い。
捕虜の食い物に関しては、イタリア軍最強
134 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 04:37:56 ID:M8PaJun40
135 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 05:17:22 ID:c3HFEc6H0
正直ソ連とは関わりたくないな
もう4島は永久にグレーでいいよ
しかしシナダニ、ニダゴギ、悪毛唐、日本の周りは終ってるな
ってか日本が終ってるのか?
今、一つ願いがかなうなら、日本列島を東に1000キロでいいから移動させたい
俺は大阪より西を切り離したい。
>>1 > 同市教委は「一緒に同じ写真に収まっていることなどから、戦争中も捕虜を厚遇していたことが見て取れる」としている。
どういう論理だ?
狩りや釣りの獲物と一緒に写真をとったら、獲物を厚遇したということになるのか?
馬鹿じゃないの?
しかしWW2の時は、オランダ兵捕虜に劣悪な環境で多数の餓死者が出たわけだが
>>139 第二次世界大戦時はオランダに限らず、どこの国に対してもやっていただろう
政治下の思想でこれだけ人間性が変わるって話だ
141 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 13:33:38 ID:8QO8PP3J0
>>139 日本兵すら食い物に事欠いてるのに
捕虜にたらふく食わせられるかよ
バターン死の行進だって日本兵も装備背負ってで同じように歩いてんのに
142 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 13:38:11 ID:ov3t+ps10
>>62 >第一次世界大戦で塹壕戦になって古きよき戦いは終焉を迎えることになった
>のかな?
戦争の形態が、一般市民を巻き込む総力戦の形態になったのがその頃だな。
>>138 反戦主義者乙!
これは捕虜と日本兵が一緒に並んで写っているという意味だろうが。
捕虜を虐待している写真だったらそう書かれているはずだろ?
現にイラクで米兵に虐待されている写真にはそういった説明書きが付く。
144 :
踊るガニメデ星人 ◆VZh84upjtQ :2005/11/30(水) 13:49:13 ID:g37/O2jc0
>>139 そういえば、オランダ兵捕虜が劣悪な環境に閉じ込められたと言っていたが、
そもそもオランダ兵が収容された施設はオランダが自分達に抵抗したアジア人
を収容するために作った施設で、戦争前には自分達に刃向かったアジア人たちを
押し込めていたそうだ。
>>97 白人に怯えていたのではなくて、欧州の列強国から一流国として
認められたかったから捕虜を優遇するよう軍に命令した。
まぁ、明治の文明開化の気運からもわかる通り、白人とその文化
に対して憧れもあったのも確かだけどね。
白人を見下していたのはなくて、白人に同等に見てほしかったようだ。
146 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 13:59:45 ID:breSKMsRO
馬鹿の一つ覚えみたいに旅順要塞に兵隊つっこませて自分の国の兵隊は粗末に扱ってたのに、
ロシア兵は厚遇してたのか。
突撃して死んでいった人は浮かばれないな。
147 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 14:01:16 ID:nxPIynqM0
第一次大戦までは意外と戦場もほのぼのしていた(比較的)
塹壕挟んで「サッカーやろうぜ」とか、「クリスマスなのでお互い祝う」とか
日露だと戦死者収容の小休戦の時に将校同士が「お互いに祖国のために健闘しよう」と乾杯したり
少なくとも相手国を憎むという事はなかった。あくまで外交上の一状態としての「戦闘」であったわけで
第二次大戦になると、政治的要素が大きいが、とりわけ米国が世論をどうにかして参戦したいために
敵国は悪だ、非人道的だ、米国はそれを打ち倒す正義だ、と大々的にキャンペーンしたからな
それからじゃないのかね?殺伐とし始めたのは
>>62 人vs人の戦争は日露戦争くらいまでだと思う。
少なくとも第1次世界大戦は機械vs機械の戦争であり、
人が存在するとすれば、それは機械による一方的な殺戮のみ。
>>146 旅順要塞攻略ごときで消耗戦なら第2次世界大戦の太平洋戦線は殲滅戦だな。
日本軍もそうだが、連合国側もマリアナ攻略はまさに殲滅戦。
151 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 14:06:54 ID:wz6UCFFp0
アメ公が一番残虐でキチガイな気がしてきた。
彼女に日本人の骸骨を土産にあげたり、小栗なんかイラク人の死体写真
でいっぱいだし。やっぱポスタルとかGTAやって喜んでるだけのことはあるわ。
そういや、世界に冠たるハリウッド映画でもしょっちゅう脳味噌ぶちまけたり
してるしなあ。
152 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 14:08:08 ID:nxPIynqM0
そうは言うけど、米海兵隊ですら、硫黄島では躊躇いで銃弾を一発も撃たず(撃てず?)に戦死してたりするし
んでそれ以降動くものは何でも撃つ、敵は迷わず撃つ、というふうに刷り込みに近い教育をするようになったわけだし
教育と社会の与える影響ってのは大きいんだろうね
153 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 14:10:19 ID:breSKMsRO
>>151 アメリカ人が残虐なのは獣として扱われてたアジア人に対してじゃね。
ベトナムでもひどかったらしいし。
>>152 まぁ硫黄島の時は米軍側も日本側の防衛隊は度重なる空襲で相当数減少したと
思い込んで米軍上陸部隊も余裕こいていたいたらしいからな。
擂鉢山の海軍部隊が健在だったのには驚いてはいたものの、それも最後の残存
部隊が追い詰められて最後の反撃に出たくらいしか思っていなかったそうだ。
だから擂鉢山の地形が変わるくらい空襲を繰り返し、ここまで破壊すれば大丈夫
だと思っていた矢先、実は日本の防衛隊の多くが地下に潜んでいた事実に気付く。
しかし気付いた時には撃たれていたわけだが・・・
>>81 帝政ロシアの軍人は高等教育を受けた貴族とかが指揮官だったしな。
ろくな教育も受けていない平民出身の指揮官に「人道」なんては頭の
中に存在しない。
156 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 16:34:37 ID:AOEBCRJh0
日露戦争の時に、後のロシア革命に繋がる工作を明石元二郎(だったけ?)
がしてた話は有名だけど、この戦役中にロシア国内で血の日曜日事件が
起こった時、当時の日本の新聞には、「皇帝に刃向かう不届き者」って、
犠牲者を責めてるものさえあったらしいよ。
アホかと思うが、当時の庶民の感情としては、戦争は国としての雌雄を
決するもので何というかスポーツ感覚だね。だから、相手も自分も万全の
態勢であってこそ勝利が価値をもつという思考。
旅順陥落の後を歌った「昨日の敵は今日の友」とか、あと日本海海戦の歌
ってのはまず一番に、はるばるやってきたバルチック艦隊を「健気なり」な
んて誉めるところから始めてる。
ま、呑気っちゃ呑気だが、それが当時の戦争だったとも言える。
157 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 16:36:34 ID:VfMmGOph0
第二次世界大戦敗戦国の日本が
第二次世界大戦戦勝国の軍人を厚遇するのはあたりまえ。
国としての格が違いすぎる。
世界は敗戦国のものではない。
戦勝国のものだ。
160 :
鬱病軍師 ◆pzDKTf/pfc :2005/11/30(水) 17:46:10 ID:mX6KW/ZI0
>>156 日露戦争と、第二次世界大戦、どっちが先に起こった事件かな?調べてみよう!!
161 :
鬱病軍師 ◆pzDKTf/pfc :2005/11/30(水) 17:50:58 ID:mX6KW/ZI0
160は
>>157向けです。
またアンカーミスか・・・。
162 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 17:53:37 ID:UvNAnMZ+0
日本軍を悪く演出する反日勢力にとっては困った資料がでてきたね。
163 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 18:21:22 ID:EiTbWABo0
日露は第二次大戦とくらべりゃ、国内に余裕があったしな
164 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 18:39:01 ID:+r+1F7J60
>>14 私は良識にある日本人ニダ
Λ_Λ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
<=( ´∀`) < この写真でアリバイを撮ったあと、
( ) │ クビを切り取ってつるしたり、銃剣でめったざしにしたり
| | | │非人道的な虐殺を行ったんだろ。旧日本軍は
〈_フ__フ \__________
165 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 18:43:19 ID:d6LTFMxh0
だからこういう話もあるくらい。
ttp://members.goo.ne.jp/home/isawo90 From 古河勲 To at 2004 02/20 12:09 編集 返信
松山俘虜収容所について
松山の俘虜について
これは、1990年にソ連をバイクで斷した防大教授(いまは国際問題専門家)瀧澤一郎氏に直接聞いた話ですが
松山のロシア人俘虜のために當時の明治政府はペテルブルグ大学に留学した”一級のロシア通”安藤謙介を知事任命したほどで、まるで外客を扱うようだったとのことです。瀧澤氏自身、松山を訪れた際曾祖父がロシア人と言ふ偉丈夫の松山市民にあった
そうです。まあ、人口3万人のキ市に6000人ものロシア人が溢れたのですから、
當然といへば當然ですね。
安藤謙介については、才神時雄 『松山収容所 捕虜と日本人』中央公論社 196
8年 29頁参照
日露戦争当時は、まだ最後の武士道・騎士道精神が残っていたらしく、
交戦休憩時(実際に死体収容などの為にあった)、結構会話したりしたそうじゃんか
資料や歴史小説とかで何度か見聞きした事がある
167 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 18:47:06 ID:+r+1F7J60
|\______________/|
_| |_
_\ ._______________ /_
\ ._________________ /
...| ∩ ∩ ∩ ∩ | ̄| ∩ ∩ ∩ ∩ |
.. | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 口  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
| ∩ |
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
. ∧∧ . ∧∧ ┌─┐
./ 支\ 粛清アル! / 支\ 粛清アル! .| 民|
( `ハ´) ( `ハ´) .| 主|
__,,ゝ┼─┼====┐. __,,ゝ┼─┼====┐. | 化|
| □| .| |:|ヾ二二二二二() | □| .| |:|ヾ二二二二二() ├─┘
_____|__,|_;||___,| |:|ル-┬─┘ _____|__,|_;||___,| |:|ル-┬─┘ │
|ヌ/// / ~~|ミ|丘百~((==___ |ヌ/// / ~~|ミ|丘百~((==___ ∧∧∩ 人_人,_从
.└┼-┴─┴───┴──┐~~'''''-ゝ-|.└┼-┴─┴───┴──┐~~'''''-ゝ.┤/ 支\| )アイヤー!!!(
((◎)~~~O~~~~~O~~(◎))三)──)三)((◎)~~~O~~~~~O~~(◎))三)──)三)( `ハ´) ⌒l/⌒Y⌒
..ゝ(◎)(◎)(◎)(◎) (◎)ノ三ノ──ノ三ノ ゝ(◎)(◎)(◎)(◎) (◎)ノ三ノ──ノ三ノゝ _ノ ;*;∵バキバキバキ
http://vista.x0.com/img/vi12969.jpg http://www.64memo.com/disp.asp?Id=12128 ⊂⌒~⊃。Д。)⊃ ⊂⌒~⊃。Д。)⊃
http://www.christusrex.org/www1/sdc/massacre.html http://www.64memo.com/disp.asp?txId=12220
168 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 18:51:30 ID:TAlRJujK0
>>137 おこぶが売れなくなって北海道も邪魔になる。
西を切ると北が死ぬ。あほな事言いなさんな。
169 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 18:54:48 ID:giUSMglV0
>>146 横隊での突撃は当時のごくごく普通な戦法。誤算は機関銃があったことだ。
でも観戦武官で欧州の軍人は日露戦争の惨状を「たまたま」とし、
WW1でも同じ戦法を取った。かくして同様の悲劇が再現されたと。
170 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 18:57:41 ID:TAlRJujK0
しかし健全なぶっ殺しあいなんて事を考えてみると織田信長ってえぐいなw
野球に例えるなら、双方グラウンド内でおとなしくやってたのが第一次大戦前
試合が終われば互いに敵も味方もない。
大戦以降は敵の応援団に対して球を打ち込んだりし始めたわけだ。
だんだん、相互に憎悪の感情が芽生えていき、捕まえたらボコボコに。
172 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 19:39:32 ID:JTz5mJpl0
>>62 第一次世界大戦での、ハイラル・マキシムの
マシンガンの登場あたりからじゃあるまいか。
173 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 22:33:14 ID:v0VpO6TN0
この記事で、太平洋戦争中の蛮行も無かった事にしたい様だけど、はっきり言って
ム ダ だ ね
日露戦争中のロシア兵捕虜厚遇は事実だけど、これは勝っても負けても
その後の大国ロシアに恨まれるのを恐れて、精一杯媚びへつらっただけの
極めて政治的なものだ。
中国人、コリアン、アジア人に対しては、手のひらを返した様に扱う
この卑怯卑劣さ。まさに日本人の根性を見たりって感じだな。
174 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 22:35:58 ID:1RNTqmH4O
175 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 22:36:24 ID:+tC67qt50
>>173 しょうがねぇだろ、実際支那人朝鮮人なんて屑じゃねぇか。
文句ばっかりたれているから嫌われるんだよ。
日本人に尊敬されるように努力しな、朴さん。
176 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 22:50:30 ID:+vR+e3dy0
日本の日露戦時の捕虜の取り扱いの丁重さは、欧州の高級軍人の間では結構
知られていて、「さすが武士道の国」と、日本に対する印象も悪くなかったらしい、
少なくとも、第二次大戦前までは。
177 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 23:01:41 ID:TAlRJujK0
教訓
・貧困とビッグチャンスは大喧嘩の元。
・でもどっちみち貧乏人の戦争参加は許されない。
178 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 23:02:43 ID:5+zR9D2i0
ま、捕虜を人道的に扱うのは戦略としては正しい。
それが敵軍に喧伝されれば雪崩をうって敵兵たちは投降してくる。
孫子も「戦わずして勝つのが上策」と言っているしな。
投降しても嬲り殺しに合うとなれば、敵軍は包囲されても最後の一発(当然最後の一発は
自決用)まで戦う様になり味方の損害や弾薬も消耗する事になるだろう。
一番最悪なのが独ソ戦だったわけだか。
179 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 23:06:15 ID:E/C7rqyQ0
第一次大戦でもドイツ兵捕虜を厚遇して、おかげで戦後、ソーセージと
潜水艦の作り方を教えてくれたんだろ。
180 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 23:07:45 ID:QlQr2Xuk0
第二次大戦直後のドイツ兵捕虜はアメリカ軍のひどい扱いで
ものすごい数の死傷者だしているけど、全然戦争犯罪に
ならないんだよね、勝ち組フォーーー!!って感じだお(^ω^)
181 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 23:09:02 ID:gmam2INT0
日露戦争で敵陣に突撃、敵弾に倒れて捕虜となった日本軍将校は、
講和後に帰国すると英雄扱いされ、勲章も受けた。
それにひきかえ、昭和の日本は...
182 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 23:13:17 ID:W+TBapRj0
妙行寺住職は結局のところ捕虜収容所の所長だろ
戦犯で起訴、処刑しろよ 戦犯に時効はないんだろ
反対者は平和の敵として糾弾せよ
183 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 23:13:58 ID:TAlRJujK0
>>181 あくまで噂なんだが口減らしの目的だったとも言われている。
不十分な防災運動。竹槍での戦闘訓練。意志高揚の手段で
なく馬鹿量産のために行われたとか。
>>181 中国人相手の戦争では捕虜=拷問死だったから、
捕虜になるくらいなら死んどけと
185 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 23:17:15 ID:W+TBapRj0
>>181 その後、捕虜になり穢れた者として故郷で激しい糾弾を受け自殺した者もいた。
捕虜になるなという戦陣訓は、日露戦争で捕虜になった者が簡単に秘密を漏らすからという事が理由
日本軍とは日本社会の縮図だ。お前すら例外でない。
俺は在日だから関係ない
>>181 戦陣訓の「生きて虜囚の辱めを受けず」は当時の実情に照らして、
仕方のない部分もある。
支那国民党軍相手に降伏して、捕虜になっても嬲り殺しにされるし、
米軍に至っては、降伏してもその場で皆殺しにしていた部隊が多数
あったという。
187 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 23:17:26 ID:VFss1u4Y0
名古屋の捕虜、ハメをハズし過ぎ問題に 〔明治38年5月23日〕時事
名古屋捕虜の跋扈 愛知県名古屋市の各収容所に収容中の露国捕虜は
過般自由散歩を許されて以来、身の分際も打ち忘れて市中を闊歩し、
さらでも人もなげなる日ごろの振る舞いは放埓の度を高めて料理店さては
妓楼に押し登り、なかには芸妓を落籍なさんなどの取り沙汰さえあり。
また西別院収容所の工兵中佐ゼレブコフは同収容所委員某の馴染み重ねし
同所裏手七ツ寺境内の芸妓某にうつつを抜かし、昨今の有様にてはいずれ
新しき日露間の鞘当がみられるならんと界隈の評判かくれもなく・・・
日露戦争ではロシア側の捕虜だけじゃなく日本の捕虜も比較的良い扱いを受けてたからな
それに全てのロシア捕虜に対して日本は厚遇してたみたいな話になってるが、その当時も
日本によるロシア捕虜虐殺もあるにはあったけどな
当時、同盟組んでたイギリスが日本軍の捕虜厚遇を誇張して宣伝してくれたってのもあったらしいし
189 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 23:31:32 ID:+vR+e3dy0
泰緬鉄道建設では飢えと熱帯性潰瘍で死者続出、
九州大学では生体解剖、
硫黄島では酒の肴にして食っちまう、
いったいなんなんだろう、たった40年足らずの間でのこの変わりようは・・・
190 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 23:34:21 ID:60NgfZqw0
>>189 というかアメの禁輸で捕虜どころか一般兵ですら餓死寸前だったんだからしょうがなくね?
191 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 23:37:31 ID:b2tUKI6n0
>>189 >九州大学では生体解剖、
地元だけどこれ都市伝説に近いもんがあるぞ。元々証言者だけでGHQが流布したもんだし
>>180 いつの時代も戦勝国が歴史を美化し事実化するからな。敗者の言い訳など聞く耳もとうとしない
193 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 23:37:55 ID:iWvO3lJx0
つーか、こんなもん前からずっと言われてるじゃん。
一次大戦のドイツ兵なんか、外人珍しさに収容所周辺に人が集まってくるから、
俺達見世物みたいで嫌です。つったら、収容所の場所を換えたほどだからな。
二次大戦だとあれだな、日本人ですら満足に食えなくなった状況で、
牛蒡とか料理したのを出してちゃんと食わせてやってたのに、
東京裁判で植物の根っこを無理やり食わせたのから死刑、だからな。
日本兵の捕虜虐待の実態なんてこんなもんだ。どっかの誰かの誇張。
194 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 23:38:41 ID:KVoub8Mb0
国際法を遵守していたのは日本軍だけだからな。
アメリカ軍などは日本兵の捕虜を殺すわ、鍋で煮るわ、生ゴミと一緒に穴に埋めるわ
日本兵の頭蓋骨をお土産に持って変えるわ、まさに鬼畜の極みを尽くしていた。
だけど、地球の歴史上最も極悪非道の軍隊といえば日本軍というのが常識。
195 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 23:55:29 ID:oh9hyGN40
第一次世界大戦での戦いでも塹壕にこもった兵士達が合唱団を作って歌や賛美歌
をイギリス軍が歌えば、ドイツ軍がこれまた合唱団を作って歌い返したりとか、
ほのぼのとした話はあるね。ある夜、イギリス軍から美しいテノールの声が聞えなく
なり、ドイツ軍で英語でテノールはどうした!!と野次を飛ばしたら、
今日の戦いで死んでしまった!!という返答をしたりとかね。
196 :
名無しさん@6周年:2005/11/30(水) 23:55:56 ID:+vR+e3dy0
189訂正
硫黄島じゃなくて父島だったな、捕虜食っちまったのは。
>>190 ?
ニューギニアとかインパールとか、孤立化や補給軽視の結果、一般兵が大量餓死した
話は知ってるが、インドネシアやビルマやインドシナに駐留してた一般兵が餓死寸前だった、
という話は聞いたことが無いなあ。
っていうか、太平洋戦争直前で、自給率でどのくらいの食糧をアメに依存してたっけ?
>>193 直江津事件以外に類似のネタないのw
197 :
名無しさん@6周年:2005/12/01(木) 00:04:25 ID:+qKMXyBk0
大岡昇平「俘虜記」を読むと、とてもじゃないが「米軍が捕虜を虐待・虐殺していた」
なんてそのまま受け取る訳にはいかないな。
銃剣と日本刀だけで30万人殺せる実績を持つ日本軍にとって、
捕虜を厚遇するなど造作も無い事です
199 :
名無しさん@6周年:2005/12/01(木) 00:15:59 ID:j8Apih/p0
またまた訂正196
「自給率で」という部分はカットね
泰緬鉄道建設等での英兵への虐待に対する話はほっかぶりして、ことさらアーロンでの
話ばかり言い立てる連中ってのは、かなりフェアさに欠けるよな。
200 :
名無しさん@6周年:2005/12/01(木) 00:20:31 ID:XaG9nmli0
死にいく敵陣にも最敬礼する場面もあったんだろーな
201 :
名無しさん@6周年:2005/12/01(木) 00:21:37 ID:NbKFKuqBO
日本史の授業で延々と日本ね戦争を語る教師。
日本だけが昔っから国際法を守らないめちゃくちゃな国だと語る教師。
南京大虐殺をやたらに強調しチベットについて言及しない教師。
そんな立命館卒教師に教えてあげるべきいい話がきけました。
ありがとう。
202 :
名無しさん@6周年:2005/12/01(木) 00:23:28 ID:sBy9SsJ+0
これでシベリア抑留のことは水に流してやるでボルシチ
203 :
名無しさん@6周年:2005/12/01(木) 00:25:00 ID:Szhpral60
敵の嫁を奪う行為と平行して存在したやり取りが
敵の嫁と子供を引き取るって行為だったりする。
朝鮮半島の日本人が徴兵されたのっていつ?
205 :
名無しさん@6周年:2005/12/01(木) 00:25:32 ID:Q5Ew09TaO
このスレ読むと改めて明治期の日本の社会がうらやましい(農村は勘弁)
近代化の途中だけどもまだ古い武士道の精神が残ってた時代。
機械や道具は驚くほど発達したけど、精神的、人格的面では退化したのかもしれんね。
タイムマシーンがあったら俺は間違いなく未来じゃなく過去に行くよ
206 :
名無しさん@6周年:2005/12/01(木) 00:27:26 ID:Avmn+jtk0
>>189 こういう話がある。(リンクは切れちゃってるが)
ところで戦時中の日泰関係といえば、「泰緬鉄道」の悲劇が思い出されます。
日本軍が捕虜や民間人を「強制連行」して工事現場で働かせたというものですが、
当時そこで一労働者として働いていたプラソン・ソーンシリ元外相によれば、
「タイ人労働者への処遇は問題なかった。私は破格の給料をもらって働いた。
マレー人の問題は、仕事があると聞いて失業者が建設現場に押し掛けてきたから起こった。
中には飢えて死んだ人もいたが、ほとんどは病気で死んだ。
過酷な労働のためだけではないということです。
http://www06.u-page.so-net.ne.jp/fa2/redfield/0504.htm
207 :
名無しさん@6周年:2005/12/01(木) 00:28:02 ID:Avmn+jtk0
208 :
名無しさん@6周年:2005/12/01(木) 00:30:47 ID:G/VJblje0
>>204 日本人は元から徴兵対象。朝鮮人は44年。
最初の朝鮮人の兵隊出身者は志願で、何気に多いんだよね。
使い物にならない事で有名だったそうだが。
旧日本陸軍には取り扱いマニュアルがあって、
・頭は叩かない。やたらと根に持って復讐しに来る恐れあり。
・食事を運搬するバケツと雑巾しぼるバケツの違いは必ず教えること。
・唐辛子の粉は好きなだけ使わせてあげるように。
・何かあると直ぐにアイゴーと泣き喚いて地面に座り込むので、日本人二人で朝鮮人一人の面倒を見る
などなど、かなり苦労していた様子が伺える。
209 :
名無しさん:2005/12/01(木) 00:31:49 ID:PORgqCaa0
朝鮮兵のいない収容所じゃ当たり前だがな
>>205 >近代化の途中だけども
この一句が入ってる時点でもうお前は近代主義者。歴史の上澄みだけ見て適当なこと言うな。
211 :
名無しさん@6周年:2005/12/01(木) 00:33:21 ID:CgHbP1g50
第一次世界大戦のときのドイツ軍捕虜も、住民と交流しているうちに日本になじんでしまい、そのままいついた人もいたってな。
212 :
名無しさん@6周年:2005/12/01(木) 00:33:46 ID:JnGIUVV70
>>203 日本が統治していた朝鮮半島の先住民が徴兵されたのは? って、意味?
先住民は兵隊として使い物にならないので、終戦直前まで放置されていたようだ。
きちんと調べていないのだが、民間人で徴兵されて戦場に出た例は無い筈だな。
213 :
212:2005/12/01(木) 00:35:47 ID:JnGIUVV70
214 :
名無しさん@6周年:2005/12/01(木) 00:36:31 ID:UYf1lCHdO
ロシア兵捕虜を厚遇?食糧も資源も不足してる中で、そんな事を日本軍ができる訳ないだろう。
対外宣伝用の写真だよ。
冷静に考えれば判る事だ。
215 :
名無しさん@6周年:2005/12/01(木) 00:37:29 ID:Avmn+jtk0
明治時代って、食料不足してたっけ?
216 :
名無しさん@6周年:2005/12/01(木) 00:41:45 ID:EzV8h33q0
第一次大戦でドイツ兵を収容した徳島の捕虜収容所を舞台にした映画を、
マツケン主演で今鳴門で撮影してる
217 :
名無しさん@6周年:2005/12/01(木) 00:43:05 ID:UYf1lCHdO
>215
すまん、日露戦争中だったな…。よく読んでなかった。
てっきり大戦中の事かと思い込んでたよ。
214の事は取消ます。
日本軍は世界一やさしい軍隊です
祖先を誇りに思いましょう
219 :
名無しさん@6周年:2005/12/01(木) 00:46:09 ID:G/VJblje0
>>215 二次対戦中でも収容所で餓死らせた事は無かったと思うが。
むしろ前線の日本兵の方が、牟田口や辻のせいで悲惨な目にあっている。
220 :
名無しさん@6周年:2005/12/01(木) 00:49:42 ID:kJIhS8yf0
戦いのスタイルが根本的に変わったのはWW1のアメ公の参戦からだろ
乃木とステッセルの写真を見れば一目瞭然。
敵将で、しかも負けた将といえども、対等に扱っている。
帯剣も許可しているし。
222 :
名無しさん@6周年:2005/12/01(木) 00:50:52 ID:P2rwGouq0
日本は第一次大戦までは捕虜の扱いがかなりよかったんだろ。
太平洋戦争はかまってられなかった
捕虜の数が少なければ厚遇してあげる余裕もあるし、捕虜交換で帰国することを
見越していい印象を植え付けることも必要だからな。
WWIを境に捕虜の人数が激増してそんなこと言ってられなくなったけど。
224 :
名無しさん@6周年:2005/12/01(木) 00:53:57 ID:yE5jO6ZK0
>>218 日本は優しすぎたな・・・
第二次世界大戦時でも植民地化した土地に衛生管理や
経済の基盤を整えるために日本本土が赤字になるぐらい
ジャンジャン資金を送ってたからな・・・
225 :
名無しさん@6周年:2005/12/01(木) 01:28:55 ID:bOTO4ZDR0
「バターン死の行進」っていわれてる奴も殺すなら連れまわすよりも普通に殺せば良いわけで、
ちゃんと生きて捕虜を捕獲していようという努力の表れなんじゃないか?
捕虜を連れて行進するなんて、めちゃくちゃな労力だろ?
226 :
名無しさん@6周年:2005/12/01(木) 01:31:11 ID:Avmn+jtk0
日本兵は農民出身が多かったからな。
重装備でも、貧弱なアメリカ兵とは体力で勝ってたってことだな。
227 :
名無しさん@6周年:2005/12/01(木) 01:32:15 ID:2VBMkRzu0
>>225 捕虜は手ぶら、一緒に行軍した日本兵は40キロの重武装でw
>>225 あれは輸送車両もろくに揃えられない当時の窮状の現れ
別に虐待目的で歩かせたわけじゃない
229 :
名無しさん@6周年:2005/12/01(木) 01:33:42 ID:IZOV4g3C0
>>225 そう。日本はアホみたに国際法を守ってた。
アメリカは『捕虜』にせず殺して『戦果』にしてた。
渡部先生の本に書いてあった。
230 :
名無しさん@6周年:2005/12/01(木) 01:34:20 ID:1eyJOR430
醜い在日が必死の抵抗をみせるスレはここでいいですね
231 :
名無しさん@6周年:2005/12/01(木) 01:43:04 ID:aRJK6xiz0
>>229 、
食料難の時期、監守はがりがりに痩せても捕虜にはきちっと決まった食事を与えていたらしいな。
馬鹿が付くほど、お人良し。(/_;)
232 :
名無しさん@6周年:2005/12/01(木) 01:51:27 ID:86mBxrTnO
225
ただ、あれだけ被害者が出たことは深刻に受けとめないとな……
日本もどこかおかしかった
西欧諸国は中世やら何やらの戦乱の時代をくぐり抜けてきてる。
その辺で、国のトップ層の貴族なんかは「戦争」の何たるかを
理解し、家風や家訓として子々孫々に伝え、そう言う人たちが
国の指導層についてるけれど、アメリカはいわば、西洋のそういう
階級から弾き出された人々が先祖なので、長い歴史に裏打ちされた
人間に対する洞察力、つまり貴族や王の持つ、伝統の帝王学が無い。
それゆえにアメリカという国には伝統的な文化や道徳というものが
無く、国民を縛るものはひとえに「法律」のみ。戦争に対しての感覚も
西欧諸国が1000年かけて身に着けたマナーも、それを誰も受け継いで
アメリカに来なかったので持っていない。アメリカの戦争観がはなはだ
幼稚な「正義と悪」の二元論になるのは、絶対的な経験のなさがゆえ。
そんな感覚は西欧は1000年前に通過済み。
中国の国際感覚の無さも、実はアメリカと同じ。要するに封建制度を
経験せずに、王朝ごとに歴史が断絶して、システムとして経験値が蓄積
されてないから。
234 :
名無しさん@6周年:2005/12/01(木) 02:10:47 ID:Avmn+jtk0
>>232 そうだな、バカ正直に捕虜を捕った日本はおかしかったよな。
米軍なんて、投降してきた日本兵のうち英語がしゃべれる者だけ捕虜にして
後はみんな殺してたのにね。
>233
んー?将校を貴族が占める軍隊なんて近世でおわっとるでしょ。
情報の電波もものすごく早くなったから、普通に士官学校で学べばものになる。
むしろ家柄門閥に縛られて人事評価がゆがんだ軍隊ってすごく弱いよ。
兵器と戦術の近代化速度はどんどん加速しているから経済力が大きくものをいうし
236 :
名無しさん@6周年:2005/12/01(木) 02:39:40 ID:mgfoDhKC0
WW2の占領地の国民に文句を言われるのはある程度理解できる。
だがそれらの土地を植民地にしてた国に文句は言われたくない。
お前らの方がよっぽど酷いことしただろうが、と申し上げたい。特にオランダとフランス。
植民地独立戦争なんか見れば、自由主義諸国を自称する資格はないね。
237 :
名無しさん@6周年:2005/12/01(木) 02:41:45 ID:qXm5R0jp0
捕虜にごぼう喰わせたら、
戦後虐待ということで処刑されてしまった。
さすが兵庫県民
239 :
名無しさん@6周年:2005/12/01(木) 02:53:56 ID:2VBMkRzu0
>>236 そこが彼らの国家経営、国益追求の上手い所だよ。どんなに悪辣な植民地経営
をしても、文明と技術、キリスト教を教えることによりはるかにプラスとなった
というレトリックを駆使して正当化するよ。それは素晴らしい弁舌と洗練された
論文をもってしてね。
要は偽善と詭弁の弄する方法が芸術的であって、そのレトリックが世界で受け入れ
られてしまうということだよ。片や日本の論法はどんなに正しくても、どんなに
現実に即していても、賛同は殆ど得られていないね。どんなに正しくてもそれは
独善となってしまう。
2年前くらいに、民主党の前原の同期の学者が「国際政治とは何か」??
で、日本が戦前に欧米植民地の非を鳴らしても国際世論での賛同は得られなかった。
すなわち独りよがりの「独善」にはまってしまった、、という趣旨の本が
出版されてたな。
240 :
名無しさん@6周年:2005/12/01(木) 02:58:58 ID:8lzT8nW00
>>233 >そんな感覚は西欧は1000年前に通過済み。
マナーなんてそんなアホな。欧州情勢でさえ理解不可能なのに。
>国のトップ層の貴族なんかは「戦争」の何たるかを理解し
彼らの戦争は、孫子・クラウゼヴィッツの世界です。善悪なんて建前ですよ。
当然移民国家ですので、色々思想が入ってきてます。それら合理主義こそ米の文化です。
他国は古い文化・伝統にすがり、米のスピードには追い付けなかったので、
戦争の理解が足りずに没落しました。
米は必要な文化は凄いスピードで吸収します。日本と似た所があるのかもしれません。
「今やヨーロッパから米に移り、中国から日本に移った。
だが悲しむ事はない。我々の文化が優れてる証拠なのだから。」(大意)
と、誰か言ってましたから。
242 :
名無しさん@6周年:2005/12/01(木) 05:28:31 ID:7od1PuBp0
>>198 ついでに200万発もの毒ガス弾を使い切れずに捨てていた無敵日本軍!
243 :
名無しさん@6周年:2005/12/01(木) 10:34:39 ID:/9eZHSuJ0
>>242 それはポツダムで降伏した時の連合軍の指示で
仕方なくやった行為。主に米英軍が捨てた。
244 :
名無しさん@6周年:2005/12/01(木) 10:53:12 ID:KqIeBOI30
最近2ちゃんも中.韓.在日の発言が増えてきたな
PCも安いし携帯で書き込めるからなぁ、生活保護って裏山鹿
245 :
名無しさん@6周年:2005/12/01(木) 11:24:03 ID:4k7TLigJ0
>>242 捨てたんじゃなくて、中国国内に存在した日本軍の武器・兵器の所有権が
全て中国に押収されたってだけ。
押収した後にその始末をまともにしなかったのは中国側の責任。
つっこみ所は「200万発」だと思うw
247 :
名無しさん@6周年:2005/12/01(木) 11:25:47 ID:pg4H6e0R0
過去にこだわる人って嫌い
248 :
名無しさん@6周年:2005/12/01(木) 23:45:56 ID:6SWW+aW70
>>207 その話の出所は、泰緬鉄道作戦で使ったSLをタイから買い付けて靖国に奉納した
グループの人たちですか?
「鉄道のレール敷設という重労働にはまだ従事してはいなかったものの、作業隊は毎日出発し、
一日十二時間から十六時間、礫岩を割り、樹木を伐採し路盤作りに多忙を極めていた」
「“リトル・ヒトラー”とあだ名を奉った一人の日本軍将校は、食事の分配のとき
よく現れ、重病の友人にわずかの心遣いをしてやろうとするコックや食事当番の捕虜を
よく殴打したものである。
捕虜たちは食べ物を求めて必死になり、食事時間には多くの者が日本軍の小屋の回り
をうろつきまわり、残飯を貰えるよう願った。
日本兵は長い間彼らを待たせておき、わずかな食事の残り物を入れた皿を地面に置き
捕虜に輪をつくらせてその回りに立たせ、「GO」の命令を出し、捕虜にそれを取らせる
ために文字通り格闘させたのである」
(レオ・ローリングズ「イラスト クワイ河捕虜収容所」(教養文庫))
249 :
名無しさん@6周年:2005/12/01(木) 23:50:42 ID:PFdxpIeN0
>>131 ルネッサンスの頃のイタリアの都市国家どうしの戦争だと、特に極端になるね。
何と、兵士をひとりも殺さずに戦争をやっていた。
フランスが侵入してきて、そういう「お約束」の状況をぶっつぶしてしまった。
250 :
名無しさん@6周年:2005/12/01(木) 23:55:01 ID:mSMHw/St0
京都の東福寺の塔頭にも、捕虜の写真や捕虜が雑木から作ったバラライカが展示されてるよ。
ま、当時の日本には国際社会の優等生にならなければならない事情もあったわけだけどね。
251 :
名無しさん@6周年:2005/12/02(金) 00:58:52 ID:pvHd24Rz0
>>249 イタリアの都市国家同士の戦いが一番平和だったかもね。傭兵達も本気で
戦うのはバカバカしいし。日本だって、鎌倉武士は「見える者は目にも見よ。
見えぬ者は音に聞け。やあやあ我こそは・・」ってな行儀の良い戦い方だったなw
やっぱり異民族同士の戦いは惨くなるけど、日露戦争は不思議とほのぼのとした
所があるね。ロシアも一応、日本のことを文明国家だと認めてくれてたのかも
しれないね・
>>4 大阪は戦前と戦後で人が入れ替わってしまったからだよ。
253 :
名無しさん@6周年:2005/12/02(金) 01:12:57 ID:0gkYNUFL0
この戦争、死者が多くて
惨い遺体が戦場に散乱してたから
旅順攻略中に両国の死体を回収するために
一時休戦した。
遺体回収の為にやってきたロシア兵と一緒に酒飲んだりしてお互いの健闘を称えあってた
254 :
名無しさん@6周年:2005/12/02(金) 02:04:51 ID:DPj9o22a0
>>248 すごいうそ臭いんだが。
どうしてそんな扱いを受けてる捕虜が
> 食事時間には多くの者が日本軍の小屋の回りをうろつきまわり、
って、自由行動出来るんだよ。w
捕虜に襲われたら終わりじゃん。
それにリトル・ヒトラーって、、おかしくないか?
強力なカリスマ性を持っていて、人心掌握の上手かったってイメージなんだが。
それに何故か、泰緬鉄道の頃なのに、戦後に判明したユダヤ人虐殺を前提にして
あだ名が付けられてるように見えるんだが。
「GO」を出して、捕虜に捕らせる。。
なんか欧米人的発想だよな、それ。
255 :
名無しさん@6周年:2005/12/02(金) 02:46:34 ID:7rG8G8XI0
日露戦争のときは余裕があったんだね
256 :
名無しさん@6周年:2005/12/02(金) 02:52:01 ID:zBVWwoUN0
これはきっと敗戦したときに裁判で厚遇を受けられるように計画的撮影された記念写真に違いなくて
もし違うというのであればその証拠を提示すべきだと思いますね
まったく日鬼子たち許せなくて
これはよく知られた事実
258 :
名無しさん@6周年:2005/12/02(金) 16:42:00 ID:vApAPIpQ0
欧米列強に追いつけ追い越せの時代だったからな
日本は欧米に負けない文明国だと知らしめたいだけに、欧米の人権思想を素直に受け入れて
人道的に捕虜を扱おうとしていた。
考えてみれば失笑モノなんだけどね
欧米は人権を建前にしっかり実利を得る冷徹さがあったが、日本はその建前が全てだと思って
いたような感じだからね
259 :
名無しさん@6周年:
任天堂骨牌がトランプを作ったのはロシア人捕虜の為だったっけ?