【4月23日 AFP】ルワンダの先住民とされるピグミー系トワ人(Twa)は現在、
その人口を急速に減らし、貧困・差別・排斥に直面しながら社会の周縁で
暮らしている。
同国中部の山岳地帯の中腹、急な斜面にへばりつくように人々が質素な暮らしを営む
小さな集落ブウィザ(Bwiza)には、1994年の大虐殺後のルワンダ社会でトワ人が
直面している問題――アルコール依存症のまん延や子の死亡率の高さ、
医療の欠如など――が凝縮されている。
■土地を追われ、病気に悩まされ・・・
女性の大半が生涯に5〜6人の子どもを産むこの国にあって、ブウィザのトワ人世帯数は46、
子どもは50人しかいない。赤ちゃんが1人生まれる間に最大 2人の子どもが死亡するためだ。
38歳のある女性は、「6人の子を産んだけれど、マラリアや髄膜炎で死んで今は3人に
なってしまった。子どもたちは治療も受けられなかった」と話した。
最寄の医療センターまでは、歩いて2時間もかかる。トワ人はヤシの葉などで編んだ
小屋に暮らすが、水漏れしやすく、湿気が多いため、呼吸器系の疾患にかかりやすくなる。
トワ人を支援する団体によると、ルワンダの人口1000万人のうち、トワ人は
わずかに3万3000〜3万5000人。ルワンダ全体の人口は増えている一方で、
トワ人口は減り続けている。
トワ人の減少を招いている原因と思われるのが、先祖伝来の土地を追われ、ライフスタイルを
変えざるを得なかったことだ。トワ人はもともと森林地帯に暮らし、狩猟採取生活を送っていた。
しかし、自然保護区の設置にともなって森を追われ、農耕生活へと転向していったのだ。現在は、
ルワンダのトワ人世帯の 40%以上が「土地なし」だ。
ブウィザの女性たちは、トワ人以外と結婚し夫に先立たれたトワ女性が相続した
近隣の畑に働きに出る。その間、男たちは日陰で不平をつぶやいている。
■「ピグミー」への偏見の歴史
ピグミー系トワ人はルワンダのほか、隣国のブルンジ、コンゴ民主共和国、ウガンダにも分布する。
歴史上、「ピグミー」についての最古の記録は、紀元前2276年にエジプト第6王朝のファラオ、
ペピ2世(Pepi II)が書いた手紙だ。また近代では、仏系米国人探検家ポール・デュ・シェーユ
(Paul du Chaillu)が1867年、ガボンの熱帯雨林でピグミーに遭遇したことを長々と書き記している。
しかし、ピグミーはその身長の低さから、長く他の人種とは区別され、時に偏見のレッテルを
貼られてきた。動物園やサーカスで珍しい生き物として「展示」されることもあった。故郷アフリカでさえ、
ピグミー系は今も「亜」人種として、また特別なパワーを持った生き物と見なされることが多い。
■仕事、学校、銀行――今も続く差別
トワ人にとって「仕事にありつく」とは、たいてい、土地持ちの隣人に
雇われることを意味する。報酬はスズメの涙だ。
彼らは、仕事でも学校でも差別を受けていると口々に不満を訴える。「誰かが家を建てるのを
手伝おうとするだろう。トワ人は、それ以外の労働者が見つからない場合にだけ雇われるんだ」
「いくらか稼いだので銀行で口座を作ろうとしたら、行員に『ハ!あんたトワじゃん』と言われて断られたよ」
こうした差別の結果、絶望のあまり、一部のトワ人たちが酒に溺れるようになる。
学校では、トワ人生徒の中途退学が目立つ。理由について14歳のある生徒は、
「ほかの生徒たちに『ほら、トワがいるぞ』といちいち指さされるのにほとほと
嫌気が差すからだ」と説明した。
ソース(AFP)
http://www.afpbb.com/article/life-culture/life/2720258/5651009