【バルト三国・旧ソ連】バルト三国(リトアニア、ラトビア、エストニア)、独立から15年…未来かけ脱ソ、欧米と緊密化[12/09]

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1飛び出せ!! 釣り仲間φ ★:2006/12/09(土) 23:09:17 ID:??? BE:79697423-2BP(3066)

バルト海に面したリトアニア、ラトビア、エストニアのバルト3国がソ連のくびきから脱して15年。
米国を盟主とする北大西洋条約機構(NATO)、さらには欧州連合(EU)にも加盟して、今や
急速に欧米との結びつきを強めている。

ラトビアの首都リガで先にNATO首脳会議が開催されたことは、“脱露入欧米”の象徴といえる。
だが、3カ国ともソ連時代の残滓(ざんし)を引きずり、経済も安定していない。

「ソ連かナチス・ドイツに強制的に連れ去られた知人らの行方を捜そうと、今も年配の方々が
資料を閲覧しに来ます」

リガ中心街を流れるダウガワ川の橋のたもとの広場にある「占領博物館」。
ラトビア人職員は狭いホールの一角で机に資料を広げて話し込む初老の男性2人に目をやり
ながら、こう語った。

その広場には、1915年にロシアが建造した「ラトビア・ライフル部隊」の巨大な像が立つ。
ソ連時代、親ソ派の象徴となり、ラトビア独立に反対する勢力が集まった所だ。
今ではバスターミナルとして使われていて、時の流れを感じさせる。

ソ連による併合がもたらした悲劇はしかし、今も未解決のままになっている“拉致被害者”たち
の問題にとどまらない。

15年前の独立は、ソ連時代にロシアなどからバルトに移り住んできて今さら母国には帰れない
人やその子孫たちの問題をも新たに派生させた。

「両親がラトビア人であることが市民権の取得条件で、それ以外の者はラトビア語とラトビアの
歴史に関する試験に合格しない限り、市民権は得られない」と、あるラトビア市民は説明する。

事情は、市民権の取得条件の厳格度に差こそあれ、他の2カ国でも同じ。独立に伴い、それまで
ロシア語だった公用語は各国の現地語となり、支配者顔をしてきたロシア人らは一瞬にして、
支配される側へと転落したのだ。

リガ郊外のロシア人居住地区では、いまだに「祖国はソ連」と、消滅して久しいソ連への帰属意識
を抱き続け、市民権の取得を拒む住民が多い。

そんな住民に対し、各国政府とも「非市民」という特例の法的地位を与えて旅券も発行している。
だが、「非市民」では就労や私有財産、海外渡航に関する制約が残り、民族融和は容易ではない。
>>2-10あたりに続きます)
2飛び出せ!! 釣り仲間φ ★:2006/12/09(土) 23:09:37 ID:??? BE:132828825-2BP(3066)
(>>1の続き)
現在に尾を引く過去を抱えつつも、バルトは急激に変貌(へんぼう)を遂げている。

「安保はNATO、経済はEU」。3カ国に共通する思い通りに、経済面では、EU加盟以降、近隣の
スウェーデンやフィンランド、ドイツからの投資が加速している。

リガから空路、約1時間。
リトアニアの首都ビリニュスにあるゲディミノ通りは、「スターリン通り」と呼ばれていた当時の面影
も薄れ、ブティックが並ぶ女性の人気スポットになっていた。

そこからさらに空路、1時間半の所にエストニアの首都タリンがある。
午後3時を過ぎると街は暮色に包まれ、石畳の広場では電飾の下、出店が並び、クリスマスに
向けて活気にあふれていた。

問題も少なくない。
例えば、2007年〜08年に3カ国同時に行うとしてきた欧州単一通貨ユーロの導入は最低2年
は延びた。
インフレ率が高くて、EUが設定した導入基準を満たせなかったのだ。

「急成長を遂げるバルトでインフレ率が高くなるのは当然。新規加盟国の事情をEUに考慮して
ほしいとの声もある」という不満も聞かれた。

庶民の間では、EU加盟で過熱する経済への疑問も強まっているという。

3カ国は、公用語となった各国言語では意思疎通が困難になったという悩みでも共通している。

ソ連時代はロシア語が共通語で、強制的にロシア語を学習させられた現在の50〜60歳代は
今でも、ロシア語でなら3カ国内で互いに話が通じる。

エネルギーを武器に経済成長著しいロシアに実業面から改めて関心を向けて、ロシア語を学ぶ
動きも出てはいるものの、「ロシア語はもはや学校では必須科目ではなくなり、親から教わる
ような環境にない若者はロシア語を話せない」(先のラトビア人職員)という。

ロシア語という共通言語が失われた後の空白を埋めていくのは英語だろう。
バルトでは総じて親米感情が強い。

ラトビア大学のザネタ・オゾリナ教授は「再び独立を果たすとは誰も信じなかったときでも、その
信念を失わなかったのが米国だった」と話し、バルトの将来を米国との関係強化にかけている。
(用語解説、画像はさらに続きます)
3飛び出せ!! 釣り仲間φ ★:2006/12/09(土) 23:10:22 ID:??? BE:185960227-2BP(3066)

(続き)

【用語解説】バルト三国

ロシア革命後に相次ぎロシア領から独立したものの、第二次大戦中に独ソ不可侵条約によって、
1940年にソ連に併合され、91年に再び独立した。

歴史的には北欧やドイツとのつながりが強い。
ラトビアは13世紀にドイツ人、エストニアも13世紀にデンマークの十字軍に征服された。

リトアニアには14世紀のリトアニア大公国が存在した。
その後、北欧やドイツ、ポーランドの支配を受け、3カ国とも18世紀にはロシア領になっている。

現在、経済的にはフィンランド系住民が多いエストニアは北欧に近く、ラトビアはドイツ、
リトアニアはロシアとの関係が強い。

ロシア人住民の比率はリトアニアで約6%、ラトビアとエストニアでは25〜30%と高い。

ニュースソース
http://www.sankei.co.jp/kokusai/europe/061209/erp061209002.htm

画像
リガ中心街にある「ラトビア・ライフル部隊」広場。かつての親ソ派の集結地も今では、
バスターミナルになっている
http://www.sankei.co.jp/kokusai/europe/061209/erp061209002-1.JPG

ビリニュスの古いホテルには今では国旗とEU旗が掲げられている
http://www.sankei.co.jp/kokusai/europe/061209/erp061209002-2.JPG

バルト三国の地図
http://www.sankei.co.jp/kokusai/europe/061209/erp061209002-3.jpg

関連スレ
【バルト3国】旧ソ連の国旗に使われた「鎌と槌」はカギ十字と一緒…エストニアが使用制限検討 ロシアは猛反発[12/02]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news5plus/1165042225/l50
【米国・エストニア】ブッシュ大統領、エストニア初訪問 NATO加盟を果たしたバルト3国を重視すると強調[11/28]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news5plus/1164688092/l50

(了)
4七つの海の名無しさん:2006/12/09(土) 23:12:34 ID:jJZnU9gx
45年前に福田恒存さんは,将来はPCが進化・普及して漢字制限は不要になると予言し,
35年前に山本七平さんは,人と人とが言葉唯で,年齢・職業・性別関係無しに,
要するに,消防も,厨房も,70爺も,婆ァも,年齢,性,容姿,に関係無しに,
意思疎通の会話するのは,至難の技だと言った.
今,漏れは其れを,其れも山本さんが言ってた(言葉)では無くて,「文字」唯で,
PCで遣ってる.此の御二人の先達に畏敬と感謝の念・意を込めて.
5七つの海の名無しさん:2006/12/09(土) 23:24:27 ID:xNIDUC+B
日本とも緊密化してください
6七つの海の名無しさん:2006/12/09(土) 23:43:11 ID:2MyxXj/d
ハートオブアイアンUのドイツでプレイしてたらオストプロイセンの
保護の為に真っ先に潰したな・・・これが大国のやり方かw
7七つの海の名無しさん:2006/12/09(土) 23:51:56 ID:Mg3MDxew
旅行してやるよん。
8七つの海の名無しさん:2006/12/10(日) 00:26:26 ID:ybyG8lIW
かつてヨーロッパにいたときリトアニア人の女と付き合っていたが今はどうしてるかな。
少しなつかしく、たのしく、少し辛い思い出。ちょっぴりシンミリ。
9七つの海の名無しさん:2006/12/10(日) 00:30:27 ID:65eP+K0F
リトアニアといえば友井史人。観光ガイドを頼んでください。
でも石油とかガスとか依存してるんだよね。
10七つの海の名無しさん:2006/12/10(日) 01:19:23 ID:WT1sVlZ3
国家としてのロシアと旧交を深めたいって事ありうるのかな?
11七つの海の名無しさん:2006/12/10(日) 02:37:31 ID:ZEbf27bA
MR協定ってポーランドの分割案が主だったのに、東ポーランドのついでで
併合されたバルト三国カワイソス。
12七つの海の名無しさん:2006/12/10(日) 02:39:23 ID:NocTTJ8L
「・・・“脱露入欧米”の象徴といえる。 」と言うところまで読んでサンケイだろうと
思った。反欧米左巻きの朝日ではこう言う記事にはならない。
13七つの海の名無しさん:2006/12/10(日) 09:03:26 ID:09zEXtLN
こないだ、ようつべであずまんが観てたらリトアニアからコメント付けてた子がいた。
キムリンとかおりんの愛の花園に爆笑したと。このスレに来た奴が全員あずまんがなんて知ってる訳じゃ
ないんだろうけど、日本のアニメが海外でも親しまれている事、今のリトアニアには笑って楽しめる自由が
あるって事に和んだ。いや、それだけの話だ。忘れてくれ。
14七つの海の名無しさん:2006/12/10(日) 13:49:40 ID:KGFNe2y8
>>11
広く知られていないだろうが、リトアニアはポーランド侵攻に手を貸してるぞ。
ポーランド分割はドイツ・ソ連・スロバキア・リトアニアの4ヶ国で行われたものだ。
15七つの海の名無しさん:2006/12/10(日) 14:22:54 ID:ZEbf27bA
>>14
な、なんだってー。これは良い事を聞いた。
16七つの海の名無しさん:2006/12/10(日) 15:20:02 ID:WT1sVlZ3
>>14
それって日本がイラク侵攻に手を貸してるようなもんだろ?仕方なしに。
17七つの海の名無しさん:2006/12/10(日) 15:22:42 ID:KGFNe2y8
>>16
日本はイラク分割に参加して自国領にしたか?
仕方なしでなく、リトアニアは嬉々としてポーランド分割に参加した。
後に自分がソ連に乗っ取られることも知らず…
18七つの海の名無しさん:2006/12/10(日) 18:59:52 ID:E03IqSdk
>>12 アカヒだったら、露帝マンセーの記事書いて、「脱欧米・入露」になる。
19七つの海の名無しさん:2006/12/10(日) 22:38:24 ID:1p7ZSYlx
>>7 もまえは金さんか
20七つの海の名無しさん:2006/12/11(月) 08:58:22 ID:y78kI9//
弱小国死ね
21七つの海の名無しさん:2006/12/11(月) 09:28:13 ID:fO2ZOG39
>リガ郊外のロシア人居住地区では、いまだに「祖国はソ連」と、消滅して久しいソ連への帰属意識
>を抱き続け、市民権の取得を拒む住民が多い。
>そんな住民に対し、各国政府とも「非市民」という特例の法的地位を与えて旅券も発行している。
>だが、「非市民」では就労や私有財産、海外渡航に関する制約が残り、民族融和は容易ではない。

日本の在日朝鮮人は恵まれているな。
22七つの海の名無しさん:2006/12/11(月) 10:52:02 ID:OXe8yxLV
ロシアとすこしでも関係あった国はみんな嫌ってるだろ。
23七つの海の名無しさん:2006/12/11(月) 14:01:24 ID:hY8fC1IP
>>22
つベラルーシ
24:2006/12/11(月) 15:44:58 ID:OXe8yxLV
俺達を打ち負かしたアメリカは野蛮で、傲慢で、おっちょこちょいのところも
あるが、何といっても俺達より金持ちだったのが本当に幸運だったな!!!!
25七つの海の名無しさん:2006/12/11(月) 15:47:55 ID:DZ94BoYr
EU東方拡大
  ↓
ウクライナ辺りで限界点w
  ↓
ロシア反攻
  ↓
EU遅滞戦略 ← イマココ
  ↓
(このままだと)
ベルリン陥落


もうね、ナポレオンの時代から
ちーとも進歩しとらん気がする

毎度毎度毎度毎度毎度毎度
のパターンです
26七つの海の名無しさん:2006/12/11(月) 21:37:16 ID:/YW13u+X
>>17
ちょっと待った
ヴィリニュス奪還はリトアニアに正当性があるだろう
ポーランドがリトアニア大公国の首都ヴィルノを
自国領だとして持ってったのが紛争の原因なんだから
27七つの海の名無しさん:2006/12/18(月) 21:30:08 ID:FrxdHwyZ
>>26
リトアニア大公国っていうのは
遅くとも14世紀中ごろには支配層はスラブ人でした(後のベラルーシ人)
大公国の支配層は17世紀より急速にポーランド人化していきます
尚、大公国の黎明期の支配層はバルト語(後のリトアニア語)話者か東スラブ語(後の白露語)か
諸説有り いまだ解っていません たとえバルト語話者が支配層で有ったにせよ 彼らはかなり早い時期に
スラブ化したことになります
なお一次大戦前後のヴィリニュス市の人口構成はユダヤ人とポーランド人が大多数派
旧ポーランド領ヴィルノ(ヴィリニュス)県でもベラルーシ人とポーランド人 
リトアニア人は極めて少数
28七つの海の名無しさん
>>27
>遅くとも14世紀中ごろには支配層はスラブ人でした(後のベラルーシ人)

そんなことないよ。リトアニア人とベラルーシ人の混在だよ。彼らが全部ポーランド化した。
農民は完全にはポーランド化せずにそのまま残った。