【韓国】韓国文学が日本文学のように世界へ行くためには−中央日報・コラム★2[09/22]

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486<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
>>19 >>23
韓国人が読書をしない事情について、激レアな親日派韓国人作家がこう書いてる。

◆呉 善花(著)『「反日」を捨てる韓国』 のP100〜P104より
http://www.php.co.jp/bookstore/detail.php?isbn=978-4-569-60947-8

◆世界一読書率の低い国民
(中略)
たとえば、漢字を知らないハングル専用世代の者がある文章を読んでいて
「しこうのそんざい」という言葉にぶつかったとすると、大部分の者が何のことか
わからない。「そんざい」はわかるけれども「しこう」がわからない。同様に、
「けんじんにまなぶ」とあれば、「まなぶ」はわかるけれども「けんじん」がわからない。
同様に、「すいぼうたいさく」とあれば、「たいさく」はわかるが「すいぼう」がわからない。

なぜそうなるかというと、「そんざい(存在)」「まなぶ(学ぶ)」「たいさく(対策)」は
一般に使われる言葉だからわかるが、「しこう(至高)」「けんじん(賢人)」
「すいぽう(水防)」となると、日常的にはまず使われない言葉であるため、
とくに知識として学ばないかぎり知ることがないからである。

これらはみな日本では漢字で書かれるから、初歩的な漢字の知識があれば、いちいち
言葉の意味を教えられなくてもおよその意味をつかんで文章を読み進めていくことが
できる。そして、そうしているうちに自然に正確な概念としての意味をつかんでいく。
(中略)
先にも述べたように、韓国語の語彙の約七〇パーセントが漢字語である。
この膨大な漢字語をいちいち固有語でいい換えたり、新しい言葉をつくったりして
定着させていくことは、事実上不可能である。そのため、書き言葉としては
右の例に挙げたようを言葉でもかなり頻繁に使われることになる。

するとどういうことになるかというと、新聞や雑誌や書物のなかに、意味不明の言葉が
たくさん出てくることになる。ハングル専用世代はしかたなくそこを読み飛ばす。
そのため、じつにいいかげんな読み方しかできていないのが実情である。

当然ながら、韓国にいた時分の私もそうしていた。恐ろしいのは、意味不明の言葉を
読み飛ばすことが習慣となること、そして自分の知らない漢字語がちょくちょく
出てくるような書物や雑誌を読まなくなってしまうことである。たとえば、政治・経済を
専攻しなかった者には、時事評論雑誌などを読むのはとてもつらいことになる。
(中略)
そうなるとこれもまた当然ながら、ジャーナリズムのほうも読者に合わせて
語彙を選択するようになり、その悪循環から、概念語や専門語にきわめて乏しい
まことに通俗的な丈章ばかりが社会に蔓延していくのである。
(中略)
韓国人はハングル尊用のおかげで「世界;読書率の低い国民」となってしまっている。

そしてそのことは、韓国人の知的レベルの低下をもたらしている。韓国人は教育熱心で
知的レベルの高い人たちだといわれることがよくあるが、それはまったくあたっていない。
私は日本に来てからも韓国で出版される書物や雑誌の文章をことあるごとに読んで
きているが、そのほとんどが「地に足がついていない」ものばかりだというしかない。
それらの典型は、叙述は現実から遊離して具体性に乏しく、主張はあきらかに
何かの共同幻想に酔っていることを感じさせる、といったものだ。
(中略)
日本人と話していればいるほど、韓国人のものの考え方がいかに
単純かつ浅いものかと思い知らされる。とくに若者であるほどそうなのだ。

テレビ番組の多くは日本の真似で、日本で売れ筋のものはすぐにそのまま
横流しのようにとり入れる。独自に番組を創作する力が育っていないのだ。
戦後韓国の知的荒廃は、消費社会化の波とともにいっそう拍車がかかっている。

戦後韓国が歩んできた漢字廃止・ハングル専用の歴史は、そのこととまったく
無縁ではない。私は日本を知り、日本語を知り、日本語の漢字の受け入れ方を知って、
そのことをはっきり確認できたように思う。