【書籍】 「韓国、日本に5年先立つ1900年に独島領有権確認」〜保坂祐二教授『大韓民国、独島』出版[09/16]

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67<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
Occidentalism
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Lies, Half-truths, & Dokdo Video, Part 1
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Lies, Half-truths, & Dokdo Video, Part 6
Why didn’t Gwaneumdo appear on old Korean maps?
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観音島は何故韓国の古地図に描かれなかったのか?

これら二つの日本の地図と、1882年に李奎遠が現在の観音島を“項島”ではなく“島項”と記載したこと
からすると、当時の韓国人が今日の観音島を単独の島ではなく、本島の一部だと一般的に考えていた
ために、地図には一島しか描写されなかったのだ、と私は思います。つまり、韓国の古地図にある于山島は、
今日の観音島と言うよりは竹島(Chukudo/Jukdo)のことを示していることになります。さらにいうと、“于山島”
とは竹島(Chukudo/Jukdo)の別名にすぎない、ということになります。

1899年の韓国の皇城新聞の記事は、鬱陵島には“于山島”と“竹島(Chukudo)”という二つの主要な付属島
がある、と記述しています。そのことから、1899年には“于山島”と言う名称は今日の観音島を指している
とも考えられます。でもそうであるなら、何故わずか一年後の1900年に韓国政府は鬱陵島とその付属島2島
を江原道に編入する際に“于山島”と言う名称を使用しなかったのでしょうか。1900年に発効された勅令第41号
の中で、大韓帝国政府は鬱陵島の付属2島を“竹島(Chukudo/Jukdo)”と“石島(ソクト)”と呼んでいます。
では一体“于山島” “観音ア”はどうなってしまったのでしょう?それに一体、“石島(ソクト)”は何処から
やってきたのでしょうか?

私は、“于山島”と言う名称が“竹島(Chukudo/Jukdo)”の別名にすぎないことが判明したために、使用され
なくなったと考えています。また “観音ア”については、地形学的には島に向かって伸びる岬ではなく一つ
の島である、と判断されたために使用されなくなったのだと思います。1886年の日本の地図が示すように、
現在の観音島を指して伸びている本島の伸長部分は、引き続き“観音ア”、“島項”と呼ばれていたのかもしれません。

1900年の大韓帝国勅令第41号の中で言及された“石島(ソクト)”が、この“鼠項島”の日本語の発音
(ソコウトウ)に酷似しているのは、偶然だとは思えません。また、1882年に李奎遠が現在の観音島を
示すために使用した“島項”の漢字2文字が、“鼠項島”と共通していることも、偶然だとは考えにくいのです。
さらに言えば、鬱陵島に生息するたった3種類の固有動物のうちの一つである“鼠”の文字が、“鼠項島”
と言う名前に含まれていることも、偶然とは言い難いのです。言い換えれば、“鼠項島”は、今日の観音島
を示すのにぴったりな名称と言えるのです。
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