【日韓】 百済の木製品の材料が日本産、なぜ?★3[02/16]

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228<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/02/18(木) 23:30:37 ID:KyDcOE6j
高句麗人(フヨ族)の歴史を図にすると、下記のような流れになります。

〔フヨ国→ 高句麗→ 金国→ 後金国=清国 (高句麗滅亡後に建国された渤海国も『高句麗人の国』という説がある) 〕

 見ての通り、高句麗と韓国人は何の関係もありません。高句麗人の末裔と呼ぶべき民族は満州族であり、
韓国人=朝鮮人ではないのです。 韓国人は高句麗人の子孫ではないだけでなく、高句麗人の歴史を受け継ぐ
満州族(女真族)のことを『オランケ』と呼び、蔑んでいました。 オランケとは韓国語で「野蛮人」の意味です。
 韓国人は、「我々は高句麗人の子孫だ」と自称する一方で、本物の『高句麗人の子孫』である満州族のことを、
野蛮人呼ばわりして 見下しているのです。
 ところが最近の韓国人は、時と場所によって「満州族と韓国人は兄弟民族だ」と言ったり、「満州族はオランケであり、
韓国人と違う民族だ」と、 言ったりしています。まさに『ご都合主義』です。自分たちの都合により、歴史を捏造し
歪曲しているのです。 日本人は倭人の子孫である。一方、朝鮮人はユウロウ族の子孫である。この2つの民族は
最初から別種なのだ。

229<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/02/18(木) 23:31:44 ID:KyDcOE6j
高句麗は、夫餘から出た別種である。(『旧唐書』高麗伝 :「高麗者、出自扶餘之別種也。」)
高句麗は本来夫餘の別種である。(『新唐書』高麗伝 :「高麗、本夫餘別種也。」)
という記述にもあるように、高句麗族はその起源伝説の類似点から、ツングース系と考えられる
扶余と同じ民族と見られることが多い[2]。史上でも扶余の流民を受け容れていることが記されているが、
民族を同一とするにたる明証はなく、墓制の違いを見る限りは扶余と高句麗との差は歴然としている[3]。
但し、『魏書』百済伝の百済王蓋鹵王の上表文には、「臣と高句麗は源は夫余より出る」
(臣與高句麗源出夫餘)とあり、当時の百済人は高句麗人を同種の夫余とみていたことになる。
なお、扶余族は他に、沃沮(東沃沮・北沃沮)・?・百済(王族)など朝鮮半島に広く分布していた。

wiki より

上記からも、高句麗はツングース系と確定している。当然、朝鮮民族ではない。



百済→王族は扶余族、倭人と混血 、民衆は長江文明の遺臣の弥生人(百越人ともいう)
新羅→王族は扶余族、三王家のふたつに倭人出自説あり、民衆は弥生人と、始皇帝から逃げてきた秦人(漢族)
高句麗→ツングース系女真人
高麗→ツングース系女真人
渤海→ツングース系女真人

渤海と高句麗の民族的人種的なつながりははっきりとはわからないが、
新羅に滅ぼされた高句麗の遺民が建国した国ではないか、とは言われている。
何度も日本に朝貢している。
渤海が滅んだのち、今度はその遺民が高麗を建国した、というのがだいたいの流れ。
中国東北部にいた人々が一時期朝鮮半島に国を作ったとも言えるし、それが朝鮮人であるとも言える。
朝鮮半島は漢族、倭人、中国東北部族、モンゴル人等々、種々雑多な人種が入り乱れている。
日本と違って、半島というのはどこでもそういうもの。いわば人種民族の通り道的な存在。
230<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/02/18(木) 23:33:28 ID:Kvve2n1P
前12世紀〜前2世紀の箕子朝鮮は中国人の箕子が建国した中国人国家。
箕子朝鮮を滅ぼして前2世紀〜前1世紀の衛氏朝鮮は中国人の衛満が建国した中国人国家。
前漢の武帝が衛氏朝鮮を滅ぼして朝鮮半島北部に前1世紀〜後3世紀に設置した漢四郡(楽浪郡・真番郡・臨屯郡・玄菟郡)は中国植民地。
百済と高句麗はツングース系民族の夫余族の国家。渤海は夫余族と靺鞨の国家。夫余族と靺鞨は中国・満州族の母体。
秦からの亡命中国人が前2世紀〜4世紀に朝鮮半島南部に建国したのが辰韓(秦韓)で、後に12カ国に分裂して、その一つの斯蘆国が新羅。
百済と高句麗を滅ぼしたのは新羅ではなく唐。唐は百済と高句麗の滅亡後に旧高句麗領を安東都護府、旧百済領を熊津都督府、新羅を鶏林大都督府として半島全域を藩属国から羈縻州(中国国内扱いにした事を指す)にした。
このため一時的に朝鮮に「国」はなくなった。

朝鮮の歴史は半万年ではなく千百年弱

「朝鮮、属国史」の始まり
918年 高麗建国
10世紀 宋に朝貢、契丹(東胡の末)に朝貢。
12世紀 金(女真族、東胡の末)に朝貢。
13世紀 高麗はモンゴルの属国となる。劣等感から、一然という僧が檀君神話を捏造し、忠烈王がモンゴルに日本侵略を唆す。
14世紀 高麗滅亡、李朝建国。李朝は最初から明の冊封国で、国名も中国に決めてもらった。
17世紀 清(女真満州族)に服属、三跪九叩頭の礼に甘んじる。
19世紀 日本が日清戦争で中国を破り、属国の李朝は独立させてもらう。(日本の保護国)
1910年 李完用の要請により日本に併合してもらう。李氏朝鮮(大韓帝国)滅亡。
1948年 戦後アメリカ軍政庁の統治下にあったが、アメリカの後押しで大韓民国が成立。
1950年 アメリカとソ連の代理戦争である朝鮮戦争が起き分断国家となる。
1991年 ようやく国連加盟、史上初めて世界から独立国家として認められる。 
1993年 韓国、軍事独裁制を脱し、史上初めて独立民主政体となる。
現在 いまだ言論、学問の自由もなく民主主義とは程遠い国である。北は論外。
231<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/02/18(木) 23:34:23 ID:Kvve2n1P
======== 偉大な韓国の歴史 ==========
10世紀 長白山が過去2000年間で世界最大級とも言われる巨大噴火を起こす(リセット)

1010年 「契丹」に侵略される。首都開城が陥落。(キタン人化)
1013年から1019年まで継続して侵略される。   (キタン人化)
12世紀 「女真」の侵入。侵略。「金」に朝貢。   (満洲人化)
1231年 「蒙古」に侵略される。首都開城が陥落。国王江華島に逃亡
    長い間、無抵抗の半島はモンゴル軍に蹂躙される。(モンゴル人化)
1247年 「蒙古」に再侵略される。しばらく蹂躙が続く。 (モンゴル人化)
1258年 雙城総管府を置かれる。翌年、王子を人質に降伏。(モンゴル人化)
    国内には多くの蒙古軍人が駐留。        (モンゴル人化)
1270年 東寧府を置かれる。              (モンゴル人化)
    反対派が済州島に移って徹底抗戦。1273年に鎮圧 (モンゴル人化)
1274年と1281年「元寇」(半島人主力で日本侵略。が、全滅(モンゴル人化)
1356年から1362年までの紅巾賊侵入により首都開京が陥落 (シナ人化)
1419年 「応永の外寇」 17000人で対馬を襲撃。船、家を焼き、住民を虐殺する。
    しかし、少数の対馬軍に撃退される。
1592年 と1598年秀吉の「唐入り」 首都漢城が陥落(短期でヤマト化は無理)
1627年 「後金」に侵略される。平壌を超え、侵略されるが漢城までは来なかった。
    しかし、国王は江華島に逃亡(満洲人化)
1636年 「清」に侵略される。首都漢城が陥落。清軍が、す早く江華島への道を遮断。
    泥濘の中、朝鮮王仁祖は清の太宗に降伏、大清国属国となる。(満洲人化)

「屈辱の象徴」三田渡碑の移転決定
http://tosi.iza.ne.jp/blog/entry/610163/
韓国マイナー観光
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Kikyo/1239/w-18.htm

232<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/02/18(木) 23:35:23 ID:Kvve2n1P
「アイゴー!シンガポールヤフーが韓国を中国領と表記してるニダ!」

シンガポール ヤフー(sg.travel.yahoo.com)とカナダのブリティッシュコロンビア(BC)州政府サイト
(www.protocol.gov.bc.ca)が韓国関連の誤りを訂正した。
サイバー外交使節団「バンク」は「1週間前までシンガポールヤフーはアジア地図で韓国を中国の領土と表記していたが、5日現在、『韓国領』に是正された」と明らかにした。(略)

http://www.worldtimes.co.jp/kansok/kan/shakai/090106-3.html


韓国紙・中央日報が韓国人のプライドをめちゃめちゃにする事実を報道していた


『有名教科書と地図「韓国は中国領土」』

英国オックスフォード大の出版社が制作している教科書をはじめ、世界の教育機関、博物館、テレビ局、新聞社、ポータルサイト、
百科事典など総34個の世界有名機関の世界地図53個が、韓国の領土全体または一部を中国領土に表記していることが分かった。
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=65416


『スペイン紙「韓国4228年間、中国の属国」』

スペインの有力紙「エル・ムンド」のウェブ版(www.elmundo.es)が「韓国は4228年間にわたって中国の植民地だった」と紹介した。
「エル・ムンド」は「韓半島は長い歴史のなかで数多くの侵略を受けてきた。中国に1895年まで属していた(略)
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=56213



アメリカ大使館「朝鮮に歴史無し。昔から中国、日本、偏狭蛮族の属国」
http://s04.megalodon.jp/2008-0104-0331-22/www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=teconomy&page=9&nid=3182743
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2&diff=8434966&oldid=8280871

233<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/02/18(木) 23:36:46 ID:Kvve2n1P
各国教科書に見る朝鮮半島
http://bansensyukai.blog23.fc2.com/blog-entry-7.html
◎ ポーランドの教科書
「AD1世紀以来、日本と中国は朝鮮半島の領有権を巡って衝突した」
◎ ドイツの教科書
「日本が大陸に最初の足がかりを築いたのは4世紀の事だった。その後300年、日本は朝鮮半島を支配する地位にあったが、唐との戦争に敗れ、17世紀になるまで待たなくてはならなかった」
◎ オーストラリアの教科書
「朝鮮は近代に到るまで、その国内での抵抗に関わらず、中国と日本の属国だった」
◎ フィリピンの教科書
「朝鮮は、その歴史の大部分中国の属国であり、その支配は19世紀に日本に引き継がれた。日本は自由な新しい秩序を樹立する事によって、朝鮮に平和と安全をもたらそうとした」
◎ インドネシアの教科書
朝鮮を中国の属国として記した。
「朝鮮の文化と芸術は中国・モンゴル・日本文化の影響を受けた」
「朝鮮は言論・宗教の自由が制約を受ける国」
「北部はロシアが、南部はアメリカが占領している」
◎ タイの教科書
「朝鮮は中国の支配下に入り、これが19世紀まで続いた」
◎ アメリカの教科書
「朝鮮は中国の従属国」
◎ カナダの教科書
「朝鮮は、数百年間中国の属国」
「日本は<中略>朝鮮に鉄道・道路・港を建設し、産業を発達させて教育の機会を拡大させようと努力した」
◎ インドの教科書
「朝鮮は永らく中国の属国だった」
◎ イギリスの教科書
「西暦366年から562年まで、日本が朝鮮半島を支配した」

韓国と北朝鮮の国内でどれだけ洗脳教育をしても勝手ですが外の世界に出れば朝鮮半島は古代から下関条約まで常に属国。
これが世界の一般的な認識ということです。

234<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/02/18(木) 23:37:37 ID:Kvve2n1P
統一新羅
http://www.memomsg.com/dictionary/D1096/390.html

統一新羅は、676年の朝鮮半島の統一から935年に滅亡するまでの新羅の事を差す。
この統一新羅、いわゆる新羅は、現在の韓国、朝鮮両国の共通の先祖の国家の初代といえる。
それ以前の国家は民族・言語・文化的につながりが薄い。当然、統一新羅の前身である新羅と統一新羅は連続している。
統一の過程で滅んだ、高句麗、百済は現在の韓国及び朝鮮とは連続性があまりない。
高句麗は実質的に後継国家として渤海があり、現在の中国東北部に小さく民族移動して国家を再建設している。



東北工程:百済・新羅の歴史も「中国史の一部」=中国社科院 『朝鮮日報2007年6月4日』
http://www.chosunonline.com/article/20070604000018

公式研究書に百済と新羅の歴史も「中国史の一部」と記述していたことが3日、分かった。
百済に対しては「(高句麗と)同様に古代中国の辺境にいた少数民族である夫余人の一部が興した政権」とし、
新羅については「唐は(百済が滅亡した)660年以前には羈縻政策を、それ以降には直接統治を行った」と記述した。
また、新羅は「中国の秦の亡命者が樹立した政権」であり、「中国の藩属国として唐が管轄権を持っていた」とした。



東北工程・高麗も中国が建てた国『朝鮮日報2007年6月6日』
http://www.chosunonline.com/article/20070606000006  

高麗について、「箕子朝鮮、高句麗に続き、中国が朝鮮半島に打ち建てた3番目の政権」と主張したところの、
吉林省社会科学院が隔月刊で発行する歴史雑誌『東北史地』の2007年第3号に掲載された「後唐の明宗が、高麗を建国した太祖・王建の族籍を明らかにした」と題する論文の存在が確認された。
この論文は、「王建は決して朝鮮半島の新羅人の子孫ではなく、中国・淮河流域から来た漢人の末裔」と主張し、
933年に後唐の2代目の明宗が太祖・王建に送った冊封詔書などをその根拠として提示した。冊封詔書には太祖・王建を「長淮の茂族」と呼んでいる部分があり、この論文は「長淮は淮河流域を意味する言葉で、太祖・王建の本籍地が中国であるため、高麗は中国人が建国した国

235<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/02/19(金) 00:24:28 ID:u+HXgKMr
俺の名前は
ポリスマーン
236<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/02/19(金) 01:00:41 ID:CuWloeb2

以下の指摘は、正しい。

百済→王族は扶余族、倭人と混血 、民衆は長江文明の遺臣の弥生人(百越人ともいう)
新羅→王族は扶余族、三王家のふたつに倭人出自説あり、民衆は弥生人と、始皇帝から逃げてきた秦人(漢族)

・弥生人が長江流域からやってきた百越系民族であること
・半島南部の先住民が倭人(=弥生人=百越系民族)であること
・新羅の建国時の宰相が倭人であり、王家の二つが倭人系統であること、また始祖の朴赫居世についても倭人説があること
・百済、新羅が大和朝廷に対し従属的地位にあったこと
・大和朝廷による伽耶地域の支配(半島南部における多数の前方後円墳の存在)

百済=日本、日本=百済
新羅は、起源は、日本人だが、663年(天智2)8月白村江の戦いで朝鮮半島の世界が変わってしまったんだな・・・。

新羅によって攻め滅ぼされた百済の再興のために出兵した日本軍と、新羅・唐連合軍と戦かったが、日本軍は唐の水軍に
大敗し、百済再興は果たせず、多くの百済人は日本に渡ったわけだ。

なぜ百済救済に兵を出したかというと、百済王族が天皇の血統に入っていたから。

だから、今住んでる朝鮮人は、当時の百済人とは違います。
逆に言うと、白村江の戦いが現朝鮮人の中国奴隷化の起点になったともいえるわけだな。

今の朝鮮人・在日は、糞を祭る中国人の奴隷、両脚羊の末裔。
今の朝鮮人・在日は、糞を祭る中国人の奴隷、両脚羊の末裔。

朝鮮半島は、両脚羊の産地として近年まで有名だったことも事実。

237<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/02/19(金) 01:09:31 ID:dXXk/AjB
百済と新羅は日本のパシリでした。

>魏志倭人伝には、狗邪韓国(加羅)を倭国の北限とする記事があり、
>考古学的にも当地の3世紀の遺跡には、倭系遺物の出土が多い。
>好太王碑文に倭国が海を渡って、百済・新羅を臣民にしたとの記述
>が見られる時期に、 朝鮮の正史「三国史記」に、百済が皇太子を、
>新羅が王子を、倭国に人質に出した記事がある。
>「日本書紀」も同様で、400年前後に倭国が朝鮮半島南部に勢力を
>広げたことで一致。 宋書には、5世紀後半に、倭国に新羅・任那
>などの軍事権を認めた叙任がある。
>これらの文献資料は、全て調和的。
>考古学的には、畿内発祥の埴輪を並べた前方後円墳が、古墳時代
>中期〜後期(5〜6世紀) になると、朝鮮半島南部にいくつも
>見られるようになり、倭国の勢力拡大を裏付けている。
>と言うわけで、全く問題ないのである。
238<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/02/19(金) 01:22:10 ID:3yhn6zE0
朝鮮人のわけわからないところは、なんで当時(大昔)の歴史的事実を、現在の国家観で
恥じたり隠蔽したがるのかってとこだ。2千年も前の国家関係が、なんで現在の自分達の
事のように考えるのか?馬鹿なの?死ぬの?…って感じだわ。

当時の日本だってローマや中国大陸に比べれば、文明の発展具合ではだいぶ遅れていたが、
それを現代の日本人が恥じたり隠蔽したりなど絶対しないぞ。イギリス人が「俺たちの先祖は
古代ローマの植民地の人間だったんだぁ悔しい〜今のイタリア人憎い〜」なんて言わないだろ。
つーか、言ってたら何の病気だよ?と心配する。

……お前ら朝鮮人は、本当にどんな病気なんだよ?
239<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/02/19(金) 01:57:05 ID:v87DEEkY
>>238
イギリスは混血の最たる国民だよ。ケルト人、ローマ人(アーサー王と古英7王国)、アングル人、
サクソン人、ノルマン人、仏人、独人、今の英国人。
240<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/02/19(金) 02:30:01 ID:HDvZXNXs
倭国の属国だからね当時の半島は
241<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/02/19(金) 03:18:26 ID:KZki+HWW
最近のDNA鑑定で百済どころか新羅もチョンとは別人種と判明。
どこから来たのかわけわからん。
風習はエベンキ人に似ているし、顔の凹凸のなさから長い間、もっと北の寒冷地に
いたのは間違いない。
242<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/02/19(金) 03:57:32 ID:pxYY86kR
顔だけで判断するとモンゴル人に一番似てる
243留年刑事 ◆sGblmiCr7g :2010/02/19(金) 04:19:28 ID:E3ku7E8o
Ta152 H-0 ◆Tank/Ja2RQさん…遅くなってすみません。
>>>>881
>>それ、大陸式の製鉄炉だったんですか?
多賀城周辺の遺跡で、柏木遺跡というのがそれです。
半地下式竪型炉が四基確認されています。
ただ、これが大陸式であるのか僕にはわかりません。
どんな特徴が大陸式なのかがわからなくて。
>>898>>ちなみに大陸式製鉄炉は地面に円形に穴を穿った竪形炉で…←これ?)
あと、鉄塊系遺物の分析と推定される炉の高さから、竪型炉は製鉄炉ではなく精錬炉であるという話があるそうです。

>>東北ではきっちり鉄鉱石が取れたので大陸式の製鉄炉を作るでもなく、独自の技術が発達していたとの記憶あるもので。
秋田城の方では坂ノ上E遺跡と諏訪ノ沢遺跡とがあり、前者は半地下式竪型炉が出ていて「形態上から富山県や石川県に多い北陸型と思われ

る」とありました。
これが先日挙げておられた三種のいずれかに該当するかも僕ではわからなかったです…。すみません。

しかし、拓也 ◆mOrYeBoQbwさんが>>895で言っておられた
「大陸式の製鉄炉が存在した期間が短く、それ以前から日本式製鉄が有る」
というのは正直ちょっと信じがたいんですがどうなんでしょうか。
調べたところ、弥生時代の鉄製品の出土量は北九州地方がダントツで多いようで
Ta152 H-0 ◆Tank/Ja2RQさんの>>911での

>>ただ、炉の形状などからして支那→朝鮮半島経由がありえないのは、資料集めりゃ素人にも分かる。
というレスで混乱してしまいました。
地理的な印象ですと朝鮮経由に思えてしまいますが…。
244<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/02/19(金) 09:43:59 ID:kd9n7acq
>>239
まあ、地(ヨーロッパ)の果ての海の先にある島なんだから、
追いやられたり移動したりで最終的にたどり着く場所ではあるから、
色々混じってて当然なんだよね。
日本列島だって、氷河や中国やから逃れてきたり、
ポリネシアから海流に乗って来た人たちが混ざってるんだろうし。

>>238
本当にね。
以前に読んだ韓国の新聞の翻訳記事で韓国の学者が、
「ローマやエジプトが栄えていた頃に、我々はまだ石器を使っていた蛮族だったというのか!?
ありえない!」みたいな憤慨の仕方してて、
思わずそういう発想はなかったなってコーヒー吹きそうになった。

学校で世界史習う時に、世界の各地域の年表みたいなのが比較されてる図を見て、
日本が弥生時代にようやく入ったころに、地中海世界やインドでは先進的な文明が繁栄してたからって、
屈辱も怒りも感じないし、地理的にそんなもんでも不思議はないって普通に感じると思うんだけど。

よほどなんらかのコンプレックスがあるのかな。
245<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/02/19(金) 13:00:24 ID:HDvZXNXs
あの渡部昇一先生が言うには

朝鮮半島に仏教が伝わる前の宗教は「神道」だそうだ

どう考えても和系です
246<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/02/19(金) 13:12:09 ID:ISEnAlFI
>>245
ソースplz。
渡辺昇一はどうでもいいから、その根拠となる文献とか遺物希望。
247<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/02/19(金) 18:23:48 ID:MXP4rMvy
感情論でありえない!とか言うなら日帝支配もなかった事にしたら
いいのにね。こちらに異存はないし、あちらも気分良かろうに。
有史以来、日本と朝鮮には何か関係があったなんてありえない!
248<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/02/20(土) 00:59:38 ID:wbM2LkKH
韓国南部の前方後円墳は倭人の墓か?
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1008077694/
http://mimizun.com/log/2ch/history/1008077694
http://mimizun.com/log/2ch/history/academy6.2ch.net/history/kako/1008/10080/1008077694.dat

*武寧王陵(宗山里古墳群)
ttp://inoues.net/korea/buneiou.html
玄室内には木棺が置かれ、その材質となった木材は細胞の分析結果から、日本の近畿地方南部に
しか見られない「コウヤマキ」であることが確認され、武寧王時代の百済と日本の関係、また、武寧王
自身の出自などを巡って論争が巻き起こった。
墓から、金環の耳飾り、金箔を施した枕・足乗せ、冠飾などの金細工製品、銅鏡、陶磁器など約3000
点近い遺物が出土したが、驚くべきことに百済製の土器は1点も出土していない。すべてが中国の
南朝からの舶来品であって、この王朝がいかに中国南朝に傾斜していたかを物語っている。

「日本書紀」の雄略天皇5年の条に、「百済の武寧王は、筑紫の各羅(かから)島で生まれたので
島君(せまきし)と言う。」という記事があり、武烈紀にも同様の記事があり、「武寧王の諱(いみな)は
斯麻王と言う。」とある。「三国史記」にも武寧王の名は斯摩となっている。島で生まれたから、斯麻王
という名前が付けられたという。各羅島は、現在の松浦半島の突端にある呼子島の真北にある
加唐島(かからじま)のこととされている。これは一体何であろうか?

武寧王の陵墓が発見されたことで、これらの記事の正しさが立証されたが、では斯麻王すなわち
武寧王は日本人なのか? どうして佐賀県で産まれたのか?


 五世紀の半ば、百済は高句麗の圧迫を防ぐため、日本と同盟を結び、日本に人質を送って
いた。ところが雄略天皇二年、人質であった池津媛は不義を犯したことをとがめられて処刑
された。このことによって日本との関係にひびが入るのを恐れた百済の蓋鹵王(こうろおう)
(加須利君かすりのきみ)は、その弟軍君(こにきし)(昆支こにき)を日本におくることにした。
そのとき、王は軍君の要望にこたえて側室の一人を与えたが、彼女はすでに懐妊し、
産み月も近かった。王は、途中で男の子が生まれたなら、ただちにその子を送り返すように
といった。軍君が筑紫の各羅島(かからのしま)に到着したとき、側室は男児を産み落とした。
島で生まれたので男児は「島君せまきし」と名づけられ、百済に送り返された。この男児は
成人ののち王位を継ぎ、武寧王となった。
http://www.yoyokaku.com/sub7-21.htm
249<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/02/20(土) 01:05:33 ID:wbM2LkKH
韓国南部の慶尚南道固城(コソン)郡の松鶴洞1号墳で、内部を赤色顔料で朱塗りした横穴式石室(六世紀前半)が、
同国の東亜大付属博物館の調査で二日までに確認された。 日本(倭)独特とされた朱塗りの石室が、
韓国で確認された のは初めて。日本の須恵器も出土していることから、日本の古墳祭祀(さいし)文化の影響
とみられる。大陸や朝鮮半島 から文化を一方的に導入しただけではなく、日本も文化を伝えていたこと
を示す重要な成果として注目される。
 石室は墳丘北側で、長さ約九・八メートル、幅〇・八五〜二メートル、高さ一・四五〜一・五八メートル。
天井や床、壁が ベンガラ(酸化鉄)とみられる顔料で真っ赤に塗られていた。
 朱色は、古代中国で血につながる生命力の象徴や不老長寿願望を反映したものと考えられていた。
朝鮮半島ではこれまで発見されていなかった。
 松鶴洞1号墳は一九八三年、韓国の研究者が「前方後円墳」と紹介し、日本独自とされていた前方後円墳の
ルーツではないかと 論争になった。
 一帯には、日本と交流のあった伽耶(かや)諸国(四世紀初め〜 六世紀半ば)があったとされ、
「日本書紀」などでは「任那(みまな)」と呼ばれる。
 沈奉謹・東亜大付属博物館長は「日本に近く、葬送儀礼に倭人がかかわったとも考えられる」
と話している。(10月2日15:34)



【「昌寧松硯洞7号墳のクスノキ木棺は日本産」】(前半)

慶尚南道昌寧郡の松硯洞古墳群の中で 6世紀初め頃に築造された第7号墳の「秣桶型(丸太型)木棺」
を作るのに利用されたクスノキは朝鮮半島自生樹木である可能性はほとんどなく、日本列島から入って
来た可能性が大きいことが分かった。
同時期に築造された公州の武寧王陵から出土した王と王妃の木棺も、日本列島だけに自生する金松と
判明したことがあり、5〜6世紀の朝鮮半島と日本列島の間の緊密な交流が、改めて考古学的遺物で裏
付けられた。
松硯洞古墳群発掘調査機関である国立昌原文化財研究所の依頼で、7号墳出土の秣桶型木棺の分析
などに力を注いでいる木材組織学専攻の慶北大の朴サンジン教授(65)は、「漢字で予樟木と表記される
クスノキは亜熱帯樹木で、現在朝鮮半島では済州島以外に南海岸の極一部の地域でだけ自生している」
と15日語った。代わりにクスノキが現在集中自生する場所としては、朝鮮半島周辺では中国中国南部と日本
列島が代表的なものとして挙げられている。
朴教授は、「松硯洞古墳群が築造された三国時代当時に気候がどうだったかによって、クスノキが朝鮮
半島にも自生していた可能性がないではない」としながらも、「当時の植生は現在とあまり変化がないと
いうのが一般的見解であり、したがって松硯洞の木棺の材料であるクスノキが朝鮮半島の生産品である
可能性はゼロに近い」と語った。<中略>
したがって、この松硯洞の木棺の材木は、当時の歴史的情況から見て中国南部地域と日本列島の2ヵ所
のいずれかである可能性はほとんど確かと思われ、中でも武寧王陵の木棺や昌寧一帯に位置した伽耶
諸国と倭国の緊密な関係を考慮すると、日本列島から持ちこんだ可能性がより大きいと考えられている。
そうした推定は、この7号墳のすぐ隣にある6号墳に対する昨年の調査の結果、石を積んで作った玄室の
壁面全体が朱で塗られていたという点からも、有力に裏付けされている。
道教神学で永遠不滅の仙薬として特に愛用された朱砂(硫化水銀)で玄室壁面を染めるこうした手法は、
古墳時代の日本列島の古墳の埋葬風習として典型的に確認されている。
一方、今年も松硯洞古墳群に対する調査を続けている国立昌原文化財研究所は、長さ3.4m×幅1.2m×
高さ 40cmほどと測定されたこの丸太木棺を、来週中に玄室から搬出して昌原の研究所に移し、保存処理
に入る予定だ。
池ビョンモク所長は、「保存処理施設を既に昨年中に用意しておいた」と語った。

▽ソース:聯合ニュース(韓国語)(2005/06/15 09:28)
http://www.yonhapnews.co.kr/news/20050615/030000000020050615092849K8.html

※文中の「硯」は、本当は石へんではなく山へん。
250<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/02/20(土) 01:07:31 ID:gUK9MeL9
>>244
有史以来一度も周辺より高い文化を持ったことがないんだから嫉妬心の固まりでも仕方がないだろ。
もしも同じ立場だったらオレ達だって敏感になるんじゃないの?
251<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/02/20(土) 01:07:40 ID:wbM2LkKH
『木棺中央部に大量の貴重な水銀朱』1月12日発表

竪穴式石室に敷き詰められていた朱(赤色の顔料)のうち、被葬者が安置された木棺中央部だけに貴重な
「水銀朱」を大量に使い(厚さ4、5cm)、石室内のほかの部分の顔料はベンガラ(酸化鉄)を用い、
使い分けをしていたことが分かった。
このような使い分けは、弥生中期末の北部九州地方が国内最大の出土例としてある。吉備地方(岡山県
南部)の弥生末期の墳丘墓でも水銀朱を木棺内に厚く敷き詰めた例があることから、初期大和政権が
西日本各地の葬礼様式を取り入れていたことを裏付ける発見といえそう。
朱は死者の再生祈願の呪術(じゅじゅつ)としてまかれるとされる。
ベンガラは鉄分を含む土を焼けば簡単に作れるが、水銀朱は原料の「辰砂」の産地が限られ、製法も
複雑なことから貴重で、これほど大量に使われた例はまれという。
魏志倭人伝は、水銀朱について「その山は丹(辰砂)あり」と倭国の特産物とし、卑弥呼が正始四年
(243年)に魏に献上したと記載。邪馬台国時代に大量に使われていた可能性が高い。
畿内にも「大和水銀鉱床群」があり、邪馬台国が大和にあったとすると入手は容易で、魏志倭人伝の
記述と一致するとの指摘もある。
ttp://www2.begin.or.jp/sakura/kurotuka3.htm


キトラ古墳の木棺は朱色、被葬者は格の高い人物か
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20080515-OYT1T00660.htm
 飛鳥時代、外側が朱塗りの棺ひつぎは、天武・持統両天皇の合葬陵(同村)以外に例がなく、
被葬された人物の格の高さをうかがわせる。


全面朱塗りの石室出土 大王の墓?奈良・桜井茶臼山古墳
ttp://www.asahi.com/national/update/1022/OSK200910220095.html

大王の「不老不死」願う 石室築造過程明らかに…桜井茶臼山古墳
http://74.125.153.132/search?q=cache:NzjGpuPS24YJ:osaka.yomiuri.co.jp/nara/news/20091023-OYO8T00391.htm
 石室内に残っていたのは、コウヤマキで造られた木棺の底部(長さ4メートル89、幅75センチ、厚さ最大27センチ)。
木棺を置いた土に水銀朱が付着していることなどから、石室内の全面が朱色だったとみられる。
252留年刑事 ◆sGblmiCr7g :2010/02/22(月) 02:40:24 ID:LEst4h1x
>>249>>251
これ見て思い出したけど、例の第二回目の放送だと水銀朱や木棺のことに誰も触れてなかったんだよね。
あと伽耶の王墓って言ってた「大成洞古墳」て、40くらいあって何号墳なのか言ってなかったのも気になった。
一番気になったのはあの前方後円墳の副葬品の公開を断ったところなんだが。
253<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/02/22(月) 02:46:57 ID:dvx10y7+
>>238
古代ローマの支配を受けその文明の影響を受けたことはむしろヨーロッパでは誇り。

>>244
ローマだってエジプトが栄えていた頃はあんまり発展してなかったみたいだし
文明の発展度に差があるのは仕方ないよな。
254<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/02/22(月) 02:50:39 ID:dvx10y7+
>>244
ヨーロッパの方も征服や先住民との混血や移民や追放なんかで色々混ざってるしな。
255革マル印のカスタード:2010/02/22(月) 02:51:35 ID:Z/cmxNBX
>>253
イングランド人は未だにドイツ人を馬鹿にする時に
お前らはローマ化されなかった未開のゲルマン呼ばわりするからなぁw
日本人だって中華文明の影響受けたのを否定するやつ居ないよな。
朝鮮人はかなり特殊、本当にエキセントリックコリア。
256<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/02/22(月) 10:53:16 ID:SzyEkPuD
>>255
そりゃあ自分たちこそ極東のローマ帝国だと信じているんだから当然だろ。
257<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/02/22(月) 11:05:32 ID:BxEaWLYm
信じるのは勝手だけど、ハドリアヌスの長城とかポン・デュ・ガールとかコロッセオ、あるいはローマ法に匹敵するものがあるのかねぇ
258<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/02/22(月) 12:38:59 ID:AVuLzF5p
全部秀吉が破壊したニダ
259<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/02/22(月) 16:03:36 ID:SzyEkPuD
>>257
万里の長城も奈良の大仏もウリ達が作り方を教えてやったニダ。
260<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/02/24(水) 05:06:51 ID:dwrfOMSE
>>256>>255
一方、ドイツ人は神聖ローマ帝国を作った。
らフランス人に神聖でもローマでも帝国でもないと馬鹿にされた…。
261<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/02/24(水) 05:22:32 ID:rfpuQsRO
まぁ今半島に住み着いてるミンジョクは本当にだめぽだと散々理解させられたから
もう併合してくれとか言ってきても日本人にする事はできんな
埋蔵資源だけなら欲しいんだが
262Ta152 H-0 ◆Tank/Ja2RQ :2010/02/24(水) 08:58:23 ID:r4j1TWgO BE:155727825-2BP(4444)
>>243
thx.
8世紀中ごろに出現し、後の箱形炉の送風機構に影響を与えたとされるものでしょうか。
ttp://www.culture-center.fks.ed.jp/event/kodai/seitetsuiseki.htm
↑にも少し書いてありますが、数十年で消えてしますようです。
263<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/02/24(水) 09:45:48 ID:pKOPHRq9
ああ、これは日本自民党と検察の国策百済だろ。
同じ日本人として恥ずかしい。
264<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/02/24(水) 09:50:22 ID:DSr+TtEK
>>263
もちっと捻りはきかせられんのか?
コピペの使い回しにもほどがある。
265<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/02/24(水) 09:51:11 ID:GI2VOR0u
>>1
> 「杉は我が国では育たない日本特産品種」

これは、土質や気温の関係で育たないの?
と敢えて聞いてみる。
266<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/02/24(水) 10:03:17 ID:ytgaqFpW
紀子さまの男のお子様のおしるしはコウヤマキ。
267<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/02/25(木) 01:41:33 ID:JoUGy16u
>>266
然うなんだ。トン!。

コウヤマキ(高野槙・高野槇、Sciadopitys verticillata)は、マツ目コウヤマキ科の種で日本固有種。常緑針葉樹で
高木となる。別名ホンマキ。コウヤマキ科は1属1種であり、コウヤマキのみを含む。
庭園に植栽し、材木としても利用される。世界三大造園木の一つで、木曽五木の一つ。古代には、棺材として
最上級とされた。水に強くて朽ちにくいことから、現在でも湯船材や橋梁材として重宝されている。和名は、
高野山真言宗の総本山である高野山に多く生えていることに由来する。また、高野山では霊木とされる。

平成18年(2006年)9月12日に、命名の儀において悠仁親王のお印とされた。 以下略下記参照の事。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%82%A6%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%82%AD

268<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/02/26(金) 21:51:08 ID:TsMjjVs3
>>217
は?百済は日本のただの下僕だよ
そもそも武寧王も日本人

武寧王陵から出土した王と王妃の木棺も、日本列島だけに自生する金松
http://www.yonhapnews.co.kr/news/20050615/030000000020050615092849K8.html
269光 ◆OraMYUrmo2 :2010/02/26(金) 22:19:35 ID:kfXqCxCq
>>268

リンク切れてますね。

しかしこれこそ日本産の木製品ですね。
270留年刑事 ◆sGblmiCr7g :2010/03/05(金) 22:43:34 ID:mOKLJpwl
>>262
なるほど…。
しかし遺構の穴の形からここまでの事がわかるというのもすごい話ですね。
そしてその成果を国民が全く知らないという点も。
隣の半島くらい大々的に知らせてもいいと思うのですが。
271<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/03/06(土) 01:41:52 ID:DWwwhYen

半万年の歴史もいいが、最近のも勉強してくれろ。
http://f48.aaa.livedoor.jp/~adsawada/siryou/index.htm
272<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/03/09(火) 15:40:29 ID:y1a4qw3b
鮮人というのは過去の文化を徹底的に破却する事を良しとしているからあんまり文化財や文献が残っていなかったりする
まぁ、自国の現憲法の草案すら保存できない国だからやむなしなのかも知れんが
因みに日本にも家康が秀吉時代のものを破却したりとかはしていたりするのでその辺は少しばかりブーメランでわが身に返ってきてはいる
ある文化人類学の先生によると過去の文化を徹底的に破却するのは動物が前の雄との間の子供を食い殺すと言う遺伝的プログラムが色濃く残っているのだそうだ
その点で言えば東アジアはそう言う国が多いので白人が黄色人種を文化がないというのも一理あるかなと
273<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/03/09(火) 16:16:55 ID:NCbyLJ2L
だから百済は日本だと何度言えば
274<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/03/09(火) 16:24:18 ID:s5o54Hct
起源は韓国ですべて片付くニダ
275<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/03/10(水) 12:34:29 ID:oKxfPD9N
>>274
おそらく日本の寺院建築の宮大工が資材持込みで百済に
日本と同じような寺院を建立したのであろう。彼の地で仏教
をひろめようとしたのだろうと思う。見つかった遺構は法隆寺
とそっくりだということだ。
276<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/03/10(水) 12:41:01 ID:oKxfPD9N
>>275>>273へのレス。
なので>>274は間違い。
277<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
>>273
百済は異民族

☆『日本書紀』推古天皇三十一年七月条 
百済は是多反覆しき国なり。道路の間すらも尚詐く。
意訳):百済は裏切りの多い国だ。普段から嘘ばかり吐く。

☆東国通鑑巻六、唐貞観十六年条 
「百済反覆之国、不可信也」
意訳):百済は、裏切りの国だ。信じる事は出来ない。