【Hebei Spirit号事件】インドの船員の韓国が540日ぶりに開放される[06/11]

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756借りてきた猫車@スティルルームメイド ◆NuKoZMtnXM
>>738訳してみました
http://www.ndtv.com/news/blogs/off_the_cuff/to_hell_and_back.php
To hell and back
地獄からの帰還

By Ketki Angre, Sunday 2009年6月14日日曜日

 周囲の騒動が何を意味しているのがを理解するには、Agastyaはあまりにも若すぎる。父が国際空港に到着すると同時に、
彼は群衆に取り囲まれた。喝采をあげる者、スローガンを叫ぶ者、花飾りを掲げる者やドラムを叩いて友を迎える者達が彼の
父を取り囲み、まだ一歳半でしかない彼の泣き声はかき消されてしまった。
 しかし、彼が父の時間を独り占めにしたいと思うのは、当然の事であろう。彼の父であるSyam Chetan一等航海士は、18ヶ月
ぶりに家族の下に帰ってきたのだから。

 2007年12月以降に受けた傷跡と共に彼らは帰ってきた。韓国の大田港に問題なく錨泊していた超大型原油タンカー(VLCC)・
Hebei Spiritに、Chetan氏とJasprit Chawla船長は乗り組んでいた。現地時間の午前7時を回った頃(※)、サムスン重工が所有
するバージが彼らのVLCCに衝突し、韓国の西海岸沖に原油流出を引き起こす事となる。
 ここまでは多くの人に知られている話である。今は彼らの顔に微笑みは戻っているが──Chawla氏の言葉によると、こんな風
に笑える日はもう来ないと思うことが、しばしばあったという。
 一等航海士から引き離されて拘留中、彼はどうにか腕を伸ばせるような小さな独房─それも、酷い悪臭のする氷点下の─で、
拘留初日を孤独に過ごした。彼は手を洗うのも、歯を磨くのも、そして毎朝の用足しにも同じ穴を使うことを余儀なくされていた。
 取調べも容易な事ではなかった。一日20時間をかけた尋問が、何日にもわたり続けられた。また、翻訳者がありのままを伝え
ているかどうかを知る術が、彼らには全くなかったのである。

 彼らの家族と勤め先の海運会社は、一枚岩となってずっと彼らの後ろ盾となっていた事は間違いない。しかし、異国の地での
毎日は酷く辛いものでもあったであろう。特に最初の頃、大使館が『彼らの様子を見るために、誰も留置所に送らなかった』とあ
っては。
 自分の子供をガラス越しに見ながら想像してみて欲しい。彼は目を見ながら貴方に触れようと手を伸ばすが、ガラスに阻まれ
て触れる事はどうしても出来ない。数分後、なぜ父が抱き上げてくれないのか、なぜ母が泣いているのか理解出来ないまま、彼
はその場を後にしなければならない。

 Chawla船長の妻であるGurpreetさんは、インドと韓国の間を往復していた。彼女は韓国で夫と共に戦い、区切りがつけば息子の
試験に駆けつけるためにインドへと取って返した。彼女の下の息子はパパが韓国に別宅があると思っていたという。8歳になる上の
息子は何かよくない事が起きていると気付いていた。しかし、父の投獄が家族に及ぼした一番の影響は、彼の学校での成績が急
落し始めた事であろう(※2)。今もなお、彼は父にしがみついて離れようとしない。父がまた何処かに行くのではないかと思ってい
るからであろう。

 時々話自体に夢中になりながら、彼らはこの種のトラウマを乗り切ったようだ。Chawla船長とCyam Chetan一等航海士が世界中
の人々の勇気と信念の象徴となる事は確実であろう。規則に従って行動した彼らが、過失によって罰せられたわけではない事を
皆が知っている。しかし、この旅路に於いて、彼らは重い代償を共に支払う事となった。そして、彼らの戦いはまだ終わってはいな
い。海洋汚染罪という汚名を彼らは負わされたままであり、現在、これを雪ごうと彼らは決意している。


※1:原文では4時になってましたがこちらで訂正
※2:「なんだ、その程度か」とか思うかもしれませんけど、息子さん一度留年しちゃってますorz