【書評】『壬辰戦争-16世紀日・朝・中の国際戦争』 「この戦争に勝利したと誇れる国は一つもない」 韓日米研究者の論文13章[02/18]
1 :
平壌運転φ ★:
米が入ってるから?
日本では秀吉御乱心程度の認識だけどな。
5 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 03:34:38 ID:IYdIXZgs
東郷平八郎も余計なことしてくれたよ
6 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 03:35:40 ID:gq7IpTVj
朝鮮は通り道でしかなく、中継地点にもならずにがっかりしたとかなんとか
8 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 03:38:38 ID:vY/m3z6G
ネトウヨは納得いかないだろうが、どう見ても勝者は朝鮮。
本来なくなってもいい国が存続しただけで大勝利と言える。
10 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 03:42:37 ID:zm1Pkp+l
11 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 03:42:42 ID:LYeTQcbB
倭乱なんて知らんわ。勝手な呼称をつけるな。秀吉軍は明を征伐するために
行っただけで朝鮮人なんて鼻っから相手にしとらん。朝鮮人に負けた記憶も
ない。
12 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 03:43:00 ID:3YH1TlO+
結局、公共事業だったんじゃないかね。
戦国時代に日本は小国乱立で争ってたけど
天下統一されたら需要と供給のバランスが崩壊するからさ。
ある意味、バブルを起こして急激な経済崩壊を先送りさせたんじゃね?
13 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 03:45:36 ID:Ri67DWIQ
論介=ノンケ?
どっかの国はでは、なんとかいう将軍が
大活躍した誇らしい歴史なんだってね。
ついでに大好物が見つかった
歴史の一大イベントだそうだ。
秀吉の暇つぶしだろ?
秀吉出兵思い付く→出兵しました→秀吉死にました→撤退しました
こんな暇つぶし程度で半島全部(一時期)占領される朝鮮軍ってなんだったの?真面目に闘ってたの?
16 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 03:48:24 ID:2BrqOGHc
また文禄慶長の役かよ、7年間だぞたった7年間、元には40年以上侵略されたじゃねーか
17 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 03:48:45 ID:VXyjP4CM
最近読んだ元防衛大学の教師の本に、東郷がイギリスのパーティーの席でリスンシンを賞賛したって書いてあったけど、どうなんだろう。
18 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 03:49:17 ID:LYeTQcbB
なんの資料もないくせに、歴史を勝手に書き換えてホコホコすることを
歴史認識の再評価というのか。
>>8 別に誰も異論はないんじゃない?
豊臣政権も明もこれが多少なりとも響いて廃れちゃったからな。
そういや李氏朝鮮って被害は一番大きそうなのになんで滅びずに存続できたんだろう?
この書評の要点が何なのかちっとも解らんのは俺だけなのか
21 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 03:51:13 ID:BSESPPt5
22 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 03:51:52 ID:gkMv9oP9
つか、定価高すぎだろ!!!!!!!
>>21 日本の一般的な言語から外れるけど、
明日戦争って書くと、厨ニテイストでいいなw
秀吉の目的は名目は唐入り、本音は戦国の浪人対策。後に家康も東南アジアに傭兵を輸出。
>>19 朝鮮なんてゴミ地方はもともと底辺の石器時代なんだから変動があるわけない
27 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 03:55:01 ID:e9XG9TR+
>「論介をめぐる記憶」
何だ、この記述は?
なぜ、虚構、偽史だと、はっきり言えないんだろう。
朝鮮人は自分に甘すぎる。そして、他者には辛辣すぎる。
論介に関しては、かつて某歴史雑誌の企画で取り上げられることになったが、
執筆を依頼された女性の史家が理由を言わずに固辞。……ある意味、大人な態度か。
俺に依頼が回ってきたので、とんでもない嘘だから、騙されないようにと編集部を
説得し、企画を流させたことがある。
日本のマスコミや教育界には、韓国の主張を検証しないまま受け入れるという、
極めて愚かしい傾向があるので困る。
罪悪感もなく嘘をつく、朝鮮民族の性癖くらい、もう気づけよ。
>>1
朝鮮征伐のことか?
29 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 03:57:05 ID:cWJfj4xG
>>それらは事実ではなく人々が語り継ぎ膨らませてきた「論介をめぐる記憶」だという。
朝鮮人の歴史観なんて、みんなコレじゃん。
>>1 チョンがメインで書いているのに結構まともにまとめてるな
朝鮮人は厨二病患者なんだ。みんなそこんとこ理解してやってくれ。たのむ。
>>31 「超絶将軍 イ・スンシン」とか、「無敵戦艦 亀甲船」ですね
わかりたくもありません
>>8 ホントだよな
あの時半島を不毛の地にしてたら、今頃こんなに困ることなかったのに
世界もアグリーコリアンなんて言葉を使わずにすんだのに
34 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 04:03:44 ID:3PsSqeKs
秀吉の時代は潅漑技術が発達して生産高が前時代に比べて格段に向上した
米の余剰は流通を盛んにし
結果的に農業以外の産業が勃興し
田畑にしがみついていた人々が流通網とともに溢れ出した
そして、石高の向上により武士として家に仕える者も増えたものと考えられる
また同時期に金銀の産出量が飛躍的に延びた
自動的に関白政権には莫大な兵力の動員能力ができてしまった
使わない手はない、と城を作ったりしたけどまだ余る
そこで
明を平らげるか
となったわけだな
35 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 04:06:29 ID:zLU/lUMZ
36 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 04:06:45 ID:Kzv2IuZo
要するに、
悪の民族、朝鮮征伐だろwwwww
>>31 厨二病は治る.鮮人のは治らんから,別のもっと悪性度の高い病気だと思うぞ.
勝者がいないのには同意だが、フルボッコで負けた国は一国存在すると思うんだが
40 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 04:12:23 ID:5pPsfelP
なかなかバランスの取れた論だね。面白そうだ。
きちんとした学者らしく無用な民族論に陥ってないようだし。
でも\6000か・・・高いな。
41 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 04:15:09 ID:Wg8l7qE/
日本:陶工とかの技術を持って帰った
朝鮮:とにかく国は滅びなかった
中国:いいとこなし
中国だけ何一ついいところのない残念な結果じゃね?
明石書店と言うだけで読む気しない。
43 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 04:19:08 ID:XGi/g3FW
44 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 04:19:47 ID:gRQftTQS
もう帰って良いよと言ったら
儒教家は帰ったけど陶工やらの職人は
こっちの方が大事にしてくれると帰らなかったんだっけ?
45 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 04:23:38 ID:oUcEbp2b
秀吉のご乱心というよりかは信長の野望を受け継いだつもりだったんだとおもう。
小泉純一郎亡き後の山本一太みたいなもんだ。
>>45 >小泉純一郎亡き後の山本一太みたいなもんだ
全然叶いそうに無いw
47 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 04:38:47 ID:BXC1riQk
日明戦争で十分(^ω^)
48 :
釣られ師 ◆Q3Rf0rNBGY :2009/02/22(日) 04:39:58 ID:PDb+VegN
確かその当時の日本は大きな戦が一段落ついて武士が余ってた時代で、
これが国内に居ては治安を乱す元になるから別の戦場が必要だった。って説もあるんだよね。
ちなみに、徳川の時代には傭兵として国外に放出した後に鎖国してる。
49 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 04:40:48 ID:BSESPPt5
>>41 甘いな
シナ兵は味方のはずの朝鮮人から略奪しまくりだったらしいよw
50 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 04:49:52 ID:WMXAFXSE
モンゴルとの死闘の方が民族として誇れる気がするんだけど、
何で秀吉の朝鮮征伐に拘るんだ?
51 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 04:52:54 ID:Uz1XjMfA
チョウセン人が語るな。
52 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 04:53:49 ID:jrtUXx1P
/ ヽ \ \
,' / / l \ ヽ
! / / / ,' | l ハ ヘ、ヽ、_,
. | ! l l / / ,イ ! i ! l ヽ ',` ̄
. l | l l ,/ 〃 ,/ /│ l j l│ ! l
ノ | ! │ | /_// // / ,' ∧ / | / j l│
ノ l ァ| |尢/‐=乞t/ / /∠ニ「厂! / ,/ / リ
イ 八{´l !レ<f{矛:下 ' イ孑代フ イ } /
. Vハ |{ r';;z j r';;zリ /}, '//
ヽ ', |  ̄ 、  ̄ チ' / そして六十年前、惑星表面で他では類を見ない
`ヘ lヽ _ / / 異常な国家が朝鮮半島に誕生した。
', {.代ト、 , イ | / アジアの一地域から噴出したウリナラ主義は
\_'i| > 、 _ , イ/ V l./ 瞬く間に自身の属国としての歴史と隠蔽、世界文化の起源を捏造した。
/ ヽj {`ヽ ′ その中心に居たのが「ウリ」。以後六十年間、あらゆる角度から彼らは
. _ / 「´ ヽ} \ チョッパリに対し謝罪と賠償を求めた。ウリナラマンセーである彼らは
_, -‐ ´ l‐--‐、 _ -‐ | ` ー- 、 一般世界市民と直接的にコミュニケートできない。
. r<\\ ヽ '´ ̄ ___ `ヽl| / /ヽ すぐ火病るから。
y⌒ヽ \\ V  ̄ _ `ヽl| / / ∧
./ ヽ. \\ ∨ ̄ `ヽ | / / / l
あの頃の地図を見ると日本が結構でかくて、
がんばれば中国を征服できそうな感じ。
秀吉がもう少し若く、秀長が生きていて、家康が協力的ならな。
秀吉もなんか本気じゃないんだよな。
小田原の時なんて兵站もしっかりやってたし。
55 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 05:09:16 ID:d6C2Qjtr
キムチは日王、秀吉が起源で、朝鮮人の創造主は?
唐辛子は秀吉の朝鮮征伐の時に多量に持ち込まれそれが契機となり朝鮮半島に根付いたのです。
これは、馬鹿でもチョンでも知っている一般常識ですよね。
秀吉が極悪非道の悪魔であることは、朝鮮人なら誰でも知っています。
秀吉は、腐った野菜に大量の唐辛子を塗し、それを飢えた朝鮮人に食べさして、
ヒーヒー言わせて愚弄し、朝鮮人を中毒にしてしまったのです。
カプサイシンは大量摂取によって、脳細胞を破壊していきます。
秀吉は朝鮮人の文化だけでなく、死んでからずっと、今からもずっと、
朝鮮人の脳、心をも破壊し続けているのです。
覚せい剤を止めますか?それとも人間を止めますか?
キムチを止めますか?それとも、朝鮮人を・・・・・
朝鮮人を朝鮮人にしたのは秀吉なのです。秀吉は年老いた蛇のように狡猾だったのです。
『これを食べると、朝鮮人のようになるでしょう』、と・・・・・・・・・。
その証拠に、朝鮮半島では南にいくほど日本に近くなるほどキムチは真っ赤かになるのです。
朝鮮人は日王、秀吉の気まぐれによって生み出されててしまったのです。
自らが望んで朝鮮人になったのではないのです。
久々、硬派な記事だと思ったら統一日報か。
上で太閤の暇つぶしと言ってるが、まぁそうだな。
おそらく当時の人もそう思って、反対の空気が大きかった。
貧弱に見える日本人は、必要と思わない限り、好んで喧嘩はしない。
卑屈であろうと「すいません」で流す。今直面している問題や機能回復の方が大事。
これは今も昔も変わらん。
ただし戦前、外地に影響された人間は「現地であんな事やってる、やっても良いんだな」という空気が流れる。
本土の人間は「おいおい、やめとけ」だ。これも特徴のひとつ。
限りなく節操がないのだが、この文化が商品化されると不思議に世界で受けてる。
57 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 05:31:21 ID:gQ7UsasT
文禄の役の加藤清正、その熊本城はチョンの観光名所。
今も昔も遊び気分w。
58 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 05:31:46 ID:ZWUuXFF/
>>54 寧ろ、信長が本能寺で横死していなければ…
6千円とはたけーな
61 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 05:47:20 ID:HAaWiYX1
>>54 後詰めとして国内に前田と徳川を残していたからな、でも秀吉と明は共倒れだった。
なにが倭乱だ、お前ら日本を支配した事ないだろう...
朝鮮征伐が正式名称だよ。しかも、李舜臣を歴史の中から
再発見したのは日本人の秋山だろうが、しかもこいつは、
大した働きをする前に、薩摩に射殺されたヘタレじゃん。
63 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 05:59:35 ID:Q0Rtmqbc
あの汚くて臭い半島で大変だったろうな日本軍
悪を懲らしめる【朝鮮征伐】
これしかないだろ…
66 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 06:23:34 ID:vFCgMDtf
モノの本によると、足利が朝貢して明の銅銭まで使っていた事に対する、
明への精神的独立戦争だったという説があるね。
>>64 そして洪水でバッドエンドなんですね。わかります。
「明石書店」というだけで内容が判ってしまうのは何故だろう。
69 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 06:30:02 ID:FTiRiyjK
70 :
マスオ:2009/02/22(日) 06:33:47 ID:nfpKbWlP
>>58 信長だったら、大陸に渡らないまでも福岡あたりから指揮を取ったん
じゃね。
71 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 06:34:40 ID:ouKkTM5H
>>66 足利「朝貢します、明さん最高っす!(ねーよバカw私腹肥やしまくりで俺歓喜ww)」
↑
こんなんだったのに?
73 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 06:41:13 ID:e9XG9TR+
>>56 気持ち悪いなあ。ゆがんでるなあ。
無理に書き込まなくていいし、べつに日本に居なくてもいいと思うよ。
>>1 こんな中身も薄そうな本が6000円…6000円…
買う馬鹿いるのか?
75 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 07:07:11 ID:e9XG9TR+
>>74 偽史でカチコチに頭を固めている韓国人にとっては、真新しい指摘かもしれないが、
日本の半島ウォッチャーにとっては、とうに承知の話だろ。
わざわざ買うわけないし、読むのは時間のムダ。
・・・というか、「朝鮮征伐」じゃなくて、日本と明の戦争でしょ。
77 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 07:27:32 ID:3Te/xOLK
>この戦争に勝利したと誇れる国は一つもない
その戦争に勝利したと誇ってる国なんて
韓国だけじゃないか
>>76 発端は明と戦争する前だから朝鮮征伐だよ
結局明が出ばって来たけど
79 :
タカさん:2009/02/22(日) 08:08:36 ID:MLYxxQhF
>>70 信長なら 中朝何か無視仕手 沖縄・台湾からタイやビルマへ行くだろう。
>>74 反日バリバリなら売れる
中立的な本は売れないだろうからこのお値段
>>76 明に侵攻するから道案内しろつったら、
李朝がそれを断ったので、秀吉が潰しにかかった。
つーか、この時の秀吉に面白い逸話があって、
明に行ったら中国語話さないといけないと思ってたらしく、
扇の後ろに中国語書きこんで単語帳作って必死で勉強してたとかw
>>82 制圧したら行く積もりだったでしょ
皇太子を王にたててどうこうとか考えてたぐらいだし
84 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 09:10:17 ID:W+9mgmXO
>>78 いや、元は
明との交易を求めて拒否った事から始まるから
>>83 こっちが強者の場合は向こうから来て貰うのが常識なんじゃ。
つーか危険な船旅があるのに王者が行くわけないでしょ。
>>84 いや、だからその前段階として逆らった朝鮮を征伐するという事だから
いや、明を制圧したら、当然支配者として乗り込むつもりだろ。
貿易を強訴しに行っただけなのに?
89 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 09:23:37 ID:nVrVnDyT
つーかさ、半島の戦争って基本的に対外勢力同士の合戦で半島の影響少ないじゃん。
白村江以来、半島戦争は本腰入れた方が勝ってその後そこを支配するってのが伝統。
周辺国が傍観して、半島vs対外勢力だと全敗だしな。
日本の諸候軍がやる気をなくしたのは、支配したらやると言われた半島の貧しさに
嫌気がさしたから。
>>86 順序が違うって。
明と貿易が出来ていれば、朝鮮出兵はそもそもしていない。
明というか中華主義で当時朝貢したり配下の礼をとったところしか
貿易はしてないから。
>>90 そこはわかるけど朝鮮が言う事きいてりゃ初めから明との直接対決になったんだから
>>91 83 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん[sage] 投稿日:2009/02/22(日) 08:28:21 ID:f7+EH133
>>82 制圧したら行く積もりだったでしょ
皇太子を王にたててどうこうとか考えてたぐらいだし
ここがイミフなんだが
>>92 明の皇帝を廃止して皇太子を立てるということでは?
>>91 対馬や九州北部から朝鮮半島までの距離を考えると、
仮に明との戦争でも半島を経由地に使う。
とりあえず、明と朝鮮は冊封関係を取っていたので、
親は明、子が半島という認識で明との戦争でいいと思うよ。
>>93 「貿易しろ!」って殴り込んだって話が、いつの間にか「制圧」ってなってるからね
この経緯がイミフってこと
96 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 09:38:34 ID:b7reH8QL
>>93 中国で天皇と住むつもりだったんだよ。
この戦争の表現韓国の教科書では歴史小説みたいで読みやすいよw
時刻が負けたところは奮戦とかいう表現で、圧勝とか
日本の教科書は淡泊すぎる
>>95 「貿易しろ!」の交渉が決裂したので「制圧してやる!」の殴りこみなったのではないかと。
>>92 >>93の通りだよ
天皇はさすがに連れていけないから明を倒した後の国の王として
(今でいう)皇太子を擁立するという計画?妄想?をしてたらしい
こういう単なる政治的な軋轢を解消するためだけの名だけの研究、合意は止めれ。
100 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 09:58:47 ID:FPa0QMwj
絶え間なくおしよせる明軍のせいで朝鮮を支配することを嫌気した日本軍は
やる気をなくしてしまった。
日本軍を追い出すまで戦い中華帝国の威厳を保ち、ようやく女真族の脅威に
対抗できるようになった明国は勝者だと言えるだろう。もっとも明は女真の攻撃
の前に自滅してしまったけど。
101 :
腐号汎用人型決戦兵器 ◆f3h/vmOhIk :2009/02/22(日) 10:11:27 ID:uKALDJe0
また負け戦だ。
勝ったのは百姓だ。
102 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 10:17:01 ID:myF+2bzR
上手く利用し大いに栄えたのは家康だけかも知れない
103 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 10:31:32 ID:EGvjKepu
> 朝鮮王朝は日本に連行された朝鮮人を連れ帰る(刷さっ還かん)ことを主要な目的として徳川家康の国交修交
> に応じ、
今現在日本にいる在日は何故祖国へ連れ帰ろうとしないんだ? 400年も昔のことはいくらでも捏造できるから
勝手なことが言えるからなwwwww
もしお前たち朝鮮人の言うことを信じて欲しかったら、現在日本に居座っている在日を全員祖国へ連れて帰れ。
できるか? タカリ、寄生虫民族にwwwwwwwwwwww
李舜臣が世界四大提督なら、立花宗茂なんか銀河系四大大将だよなw
105 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 10:38:48 ID:O5EMrpzF
秀吉の朝鮮出兵による勝者は漁夫の利を得た満州人だろう。明の衰退に乗じてシナを乗っ取り、清朝を建てたんだから。
日本の進出を利用して建国し、日清戦争で衰退し日本に満州国を建ててもらうというオチまで付いている。
>70
肥前名護屋城には顔出してなかったか?
107 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 10:50:22 ID:/cFfvBER
>>100 明は数だけ集めて朝鮮を略奪するばかりでほとんど戦闘してないじゃんよw
たまに戦すればやられてばかり。
泗川で大敗した後は全くやる気なく、秀吉が死んで日本が引き上げたから終わっただけだろ。
とてもじゃないが日本を追い出したなんて言えない。
朝鮮にいた大名はみんな直後に元気に関ケ原を戦ってるよ。
108 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 10:52:36 ID:BMmV4gMG
>41
( `ハ´)何言うアル。一人一匹慰安婦を用意させたアル。小日本とはスケールが違うアルよ!
110 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 11:00:25 ID:/cFfvBER
>>107 んなことない。
島津、毛利、立花、小西、西軍も沢山いるぜ。
112 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 11:23:53 ID:nKmM3VVO
勝者は愛新覚羅と徳川じゃなかろうか。
明は相当、困ってただろ。
「秀吉が死んで日本軍が退却してくれたおかげで助かった」
みたいな記録が明の書物にあったはず。
113 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 11:29:15 ID:G7lrheqm
何人か陶工を募集したら5000人ぐらい応募が来ちゃったんだっけ
114 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 11:41:53 ID:9SKtInMH
韓国人の在日韓国人(韓国では在日僑胞と呼ぶ)差別を取りあげてみよう。(中略)次に多いのは、
「日本で通名として日本名を名乗り、民族名を隠して暮らすとは、民族の誇りを捨てた奴らだ。韓国
人としては認めがたい」との非難である。韓国人は歴史的にみても、「命よりも名前を汚すことを恐
れた」民族といわれているように、親や一族から与えられた姓名は大切にしてきた。たとえば、「在
日韓国人が日本名を名乗っていることだね。これは誇り高い本国の人たちには許せない行為なんだよ。
日本にいるときは日本人になりすましているくせに、韓国にくると韓国人であると、使い分けをして
いるのがなんともたまらなく嫌なんだ。その点アメリカに行ったチェーミ・キョッポ(在美僑胞、美
は米国の略称)は、チャーリー・キムとかベティー・パクとか苗字(姓の名)は保っているからまだ
許せる」というレポートや…
しかし、と私は思う。明治時代に日本に亡命してきた朝鮮人は、ほとんどが日本式通名をもち、日本
名を使っていた。日本を頼ってクーデターを起こし(甲申政変)、近代化を成しとげようとして失敗
した金玉均は、亡命中は岩田周策と名乗っていた。金玉均はまた岩田三平、岩田三和という名前でも
署名している。三平、三和の三は、朝鮮、中国、日本の三国を意味し、東洋三国の平和を祈念してい
たからだという。1932年(昭和7年)1月8日、東京の桜田門で昭和天皇の馬車に爆弾を投げつ
けた独立運動家の李奉昌(韓国では義士とされ尊敬を受けている)は、日本で働いていたときは木下
昌蔵と名乗っていた。日本人になりすましていたほうが、待遇がよかったためだという。作家の金達
寿だって、金光淳という日本名をもっていた。金達寿によれば、朝鮮語では「キムグワンスン」、
日本語では「かねみつじゅん」、どちらにも使えるようにつけたという。金達寿はその他にも大沢達雄
、金山忠太郎という通称を使用していた。もちろん朝鮮総督府が、朝鮮人に日本式な氏名に変えること
を強制した「創氏改名」以前の話である。
(他にも金弘集内閣の内部(内務)大臣であった朴泳孝は山崎永春を名乗り、皇太子(のちの昭和天皇
)暗殺の爆弾テロ未遂で無期刑を受けた朴烈の本名は朴準植であった。)
「韓国人が身勝手に見える理由」 中村欽哉 1996年 三交社
115 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 11:47:18 ID:Tc5/94bE
>>56 今の日本人サラリーマンじゃあるまいし・・・軍人の雇用対策だろ。国内を統一した軍事政権が
対外侵略に進むのは世界史で自然なこと。
当時の日本は外洋航行能力がなかったので朝鮮経由で明に行くしかなかった
116 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 11:48:35 ID:jEzJ6qAU
>>19 >そういや李氏朝鮮って被害は一番大きそうなのになんで滅びずに存続できたんだろう?
誰も欲しがらなかったから
117 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 11:52:19 ID:qkVgIv9Y
<`∀´>つまり過去一度も勝利してないウリ達が最高と誇れるニダ
118 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 11:54:21 ID:Tc5/94bE
もう少し秀吉が長生きしてたら面白いことになってたんだろうけどな。
もしくは家康が後を次いで戦争続けてたら。
日本軍は寒いし飢えるし凍傷で酷いことになってたらしいが家康ならそんな情報不足、戦略不備はあるまい
ある日、秀吉が諸大老と朝鮮の話をしていると、
別室の黒田如水が、秀吉に聞こえるように
「去年、大軍を朝鮮に派遣した時に、
家康か利家か、あるいは軍の道を知りたる自分を遣わしてくれれば
軍法定まって滞りなく、朝鮮人安堵して日本に帰順し
明を征伐せんこと安かったであろう。
しかるを、加藤、小西ごとき大将なれば血気の勇のみで
仕置き一様ならず、朝鮮の人民、日本の下知法度を信ぜずして
山林に逃げ隠れ、安堵の思なく、朝鮮の三道荒野となって
五穀なし。兵量を日本より運送するようにては、
如何で明に入ることができよう」
と言った。
秀吉も尤もだとうなずいたという。
120 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 12:27:36 ID:Tc5/94bE
>>119 尤もだな。てゆうか秀吉は朝鮮が明に案内してくれると思ってたとかどんだけ国際情勢知らないんだよ
戦争の目標を達成できなかったという点で
日本の失敗は確定
しかしな、失敗して良かったろ
中国を治めようと思ったら、政治機能を中原に置かなきゃなんないんだぜ?
で、当時の状況を考えれば、どっちが主でどっちが従になるか、わかりきった話で
支配したはずの日本が、長い目で見れば、長い時間をかけて漢民族に取り込まれた可能性が
ものすごい高いんだし
>>121 あっと、文禄の役に関しての話な
慶長の役、あれはやってる事からして朝鮮に対する懲罰戦争だから
あれは成功と言っていい。ボロボロにしてやったし
123 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 12:46:52 ID:AfizjpUe
124 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 12:47:00 ID:k9gl9rMU
李舜臣って、鬼島津に魚のえさにされた
馬鹿じゃんwww
信長がインドまで支配するつもりだったのを秀吉が引き継いだ。
実際当時の日本にはユーラシアを支配するだけの軍事力があったし
ただ、秀吉以外はやる気がなかったから、彼の死で終戦にしただけ。
それにしても当時の戦国を生き残った武将は強い強い。
鉄砲の威力もさることながら、明の大軍相手にも十分勝負になってた。
補給さえ滞りなければ余裕だったのにな。
>>119 確かにそうだ。
朝鮮の役は秀吉子飼いの二流レベルの連中に指揮権与えた戦いだよね。
信長当時の大幹部クラスを司令官にしてないのが間違い。
五大老クラスが出張らないとな。
>>8 勝者は家康
大量に余った兵と武器を消費するように商人から圧力を受ける。
台湾に居座ってたり、宗教を広めまくって植民地にしたお!
と宣伝したオランダやポルトガルへの圧力の為に出兵。
当然、国力を消費して東の狸に潰された。
清はこれで悪い影響出たっけ?
>>127 スペインでしょう。
フィリピンを支配したスペインは、本気で中国を狙っていた。
もし中国まで支配されては日本は風前の灯。
秀吉はその先手を打った。
朝鮮出兵中に秀吉は
「日本軍が明に至れば、フィリピンはすぐ余の指下にある」
という手紙をフィリピン総督に送っている。
家康が鎖国できたのは、スペインがイギリスに負けてこけてくれたから。
おかげで江戸時代はのんびりできたが、その間に
取って代わったイギリスが勢力を伸ばし、
アヘン戦争で中国まで出てきた。
再び植民地化の脅威にさらされることになった。
日本が海外進出するときは、外的な要因が大きい。
130 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 13:26:48 ID:ZX8lEWNE
名護屋城にいた人達は基本的に勝ち組。
131 :
エアリーディング検定3級:2009/02/22(日) 13:27:03 ID:Vua1p5XJ
明石書店で出してるって事はまともな専門書。このくらいの値段はするでしょ。
あの、鎖国概念捨てましょうよ。
管理貿易にしなさい。
鎖国は一度もしたことがない。
133 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 13:32:30 ID:lEcomULi
壬辰倭乱の時の、簡単なソウルや平壌占領が無ければ
明治の政治家・軍人の、朝鮮併合も無かったような
134 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 13:36:20 ID:Tc5/94bE
スペインがイギリスに負けてなかったらスペインが大型船貸してくれてたかも
秀吉以外やる気がなかったってのは後付でしょ。戦争が終われば出世の機会は永遠に失われる。
やる気がなかったのは既に地位とカネを得ていたものだけ
135 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 13:43:34 ID:CfMuz9An
>>1 明確な勝者は、居なくても、朝鮮が明確な敗戦国なのは、明らか。
宗主国様に助けて貰ってやっと抵抗できたレベル
朝鮮事態は、国を焼き払いながら、逃走しただけ
後世になるとなぜか焼き討ちは、秀吉のせいになってる
136 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 13:46:49 ID:BW/8uCVP
>135朝鮮事態は、国を焼き払いながら、逃走しただけ
このときから放火は国技だったと。
137 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 14:00:17 ID:IdLE9g/H
歴史的には韓国の勝ちだったと思う、日本はその後、この戦いで疲弊した国力のため、
鎖国という国際的、ひきこもりになり、歴史の表舞台から300年は追い出された、
一方の韓国はアジアの貿易拠点として大いに繁栄した
138 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 14:05:02 ID:2K6K03RN
139 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 14:12:16 ID:CyBSi77S
文禄二年、講和談判会議において、秀吉の命令で、両王子を釜山から
首都・京城まで、護衛(家臣・九鬼史郎兵衛)をつけて送り返した。
両王子は、帰国とともに感謝状を清正に贈った。
この書状は、今も紀州徳川家に残っている。清正の娘が徳川頼宣の
婦人となった縁故から、同家に伝えられている。要約すると、
「千辰(日本では「文禄」元年七月二十四日に捕らえられてから、礼遇され
厚い保護を受け、衣服糧食を与えられ、至れり尽くせりの待遇を受けた。
このたび関白(豊臣秀吉)殿下に上申して釜山から京城に送り還された。
その慈悲き仏の如くである。もし一行のものがこの恩を忘れ、後日、
日本及び清正公に対し、僅かでも背く様なことがあったら、人情を弁えぬ
ものであって、天地の神々を知っているであろう。」
両王子は、九鬼史郎兵衛にも感謝状を贈り、その厚遇の恩は忘れない。
と述べている。両王子は帰国後、京城に南大門外に清正廟を造っている。
そこには肖像画を掲げて親しく祭文を読み上げた。
さらに、当時の禮曹司の五人の高官も秀吉宛に長文の手紙を書いている。
出兵に関して皮肉は書かれているが、清正を気味の悪いほど激賞している。
「清正は利欲を求めず、ただ正事に奔走した朝鮮北部を席巻するのは
勇猛果敢であって、その姿は神か人か、男子中の男子であった。
会寧で両王子を捕らえた時は、辞を低くし、謙虚そのものであった。
この姿に日本の風格を見る思いがした。両王子を釜山に送るまで
その態度は一貫していた。これこそ真の仁人であり君子中の君子である。
貴国の忠臣名将に記録すべきではないか。」
しかし静かだ。昔は辻小姐とか、ホロン部なりに人がいたものだったが…
142 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 14:52:44 ID:Eu5kf0sW
な〜んだ、金両基かw
143 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 15:18:56 ID:vFCgMDtf
>>129 ぐぐったら出てくるけど、スペインの宣教師が秀吉をそそのかしたって話しもあるね。
スペインは、明と日本を戦わせて疲弊させてから両方を植民地にするつもりだったとか。
でも直後の無敵艦隊壊滅で、その野望は挫折したと。
当時、10万近くの動員出来た国なんてないでしょ
特段に技術格差がないから、日本最強
しかし、大型船が無いから外に出れなかったけど
>>144 兵卒の動員はできても、将の質で日本が圧倒的に上だね。
日本人の資質というわけではなく、戦国時代を経て、有能な将の選抜が進んだ時期だったから。
一度平穏な時代になると、将も家柄で選ばれるようになって、無能なものが混じる。
立花宗茂と島津義弘が同軍で本気で暴れたら、そりゃ明朝鮮連合軍が相手にならなくてもしょうがない。
夢の布陣だよ。
海洋国なのになんで船が発達しなかったんだろ
147 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 15:44:52 ID:OV7J608Z
日明戦争でいいじゃん
148 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 15:51:56 ID:dKGBEaOR
何、この朝鮮の為の集まり
149 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 16:27:08 ID:TCqX/gZr
>>144 オスマン朝とか平気で数十万動員してるけど。
軍事技術なら大砲とその運搬方法で日本は大きく劣ってた。
150 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 16:29:01 ID:D3wdD3CI
>この戦争に勝利したと誇れる国は一つもない
朝鮮が関わる戦争は皆、そうじゃん
朝鮮戦争もそうでしょう
151 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 16:31:03 ID:7dNhIWUD
>>150 朝鮮が関わった・・・と言えるのかなぁ?
だってあいつら、非政府系ゲリラ以外は諸手を上げて降参でしょ。
日本と明の戦いの舞台が、半島だっただけ。
152 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 16:31:45 ID:WaxS9zUM
>>19 滅びただろ?朝鮮のどこに王族がいるんだ?
>>151 其れ言ったら、朝鮮戦争だって、白村江だって
皆そう
北と南が互いに傀儡だと呼び合ってるんだから
なんせ超時空太閤HIDEYOSHIだからな
157 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 16:45:19 ID:J1zDMAQH
ヤンキー関係ねーだろwwwwwww
日本は撤兵したが領土を取られたわけでもない
豊臣政権はその後滅んだが江戸幕府旗本8万騎が磐石の強さだったし
明はこの後滅亡の道をたどり、異民族である清にとってかわられる
鄭成功が台湾でちょっと頑張った程度
朝鮮はその前に清に降伏し、毎年金と慰安婦と土下座の王朝
確かに勝者なんかいないわ、強いて言うなら家康とホンタイジが勝者か
陸で勝った中国、海で勝った韓国、両方負けた日本。
160 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 17:17:03 ID:CmoKl/PR
日本の側からみれば完敗 明朝から見れば完勝
日明共に領土を喪失したわけではないが、日本を追い返すという戦争目的を完遂した明と寸土も領土を奪えず撤兵した日本だと勝敗の有無は明らか
ただ勝者の明の方が戦後の国内の被害はでかかったが
>>143 秀吉がルソン(フィリピン)に目をつけないようにフランチェスコ会がってな話もあるが、根拠薄弱。
ルソン経由のフランチェスコ会の活動が増えたのも、イエズス会と日本教区と言う縄張りをめぐっての喧嘩でしょ。
同じ事が清でも起こっている(ドミニコ会とイエズス会)。
当時の西欧では、日本に大軍は送れないし、大名信者を獲得してってのも保護を頼むので精一杯な状況。
影響力は行使出来ても王の下部組織ではない修道会に、んな工作をスペイン王(フェリペ2世)が命令していたら、
そいつは単なる夢想家。
てかフェリペさん、オランダ独立するは、英国艦隊に負けるは、財政が破綻するわで、1590年代前後は結構大変。
162 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 17:21:46 ID:6mKl2NYR
>>158 まあ、主力は名護屋城にいたしなあ
日明戦争は引き分けだろう。
163 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 17:31:27 ID:VSHiPvfn
明に助けて貰った朝鮮が、その後明滅亡時の掃討戦に加わって、
虐殺しまくるわけだから、
唯一の敗者と言えるのは、明
164 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 17:37:56 ID:z595qf3z
引き分けだろ、豊臣も明も潰れたしな。
165 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 17:43:47 ID:eHJuXE3D
秀吉が連れ去った朝鮮の陶工というけど、実際は秀吉軍が半島に
上陸したら、普段から虐げられてきた朝鮮平民は秀吉軍と一緒に
李氏朝鮮と戦っていただろ
王宮に反乱したんだから、秀吉が撤退した後半島に残っていたら
殺されるだけ。結局、彼らは自ら望んで日本に渡っていったんだよ
今の強制連行と騒いでいるのと全く同じですがな (´・ω・`)
166 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 17:45:23 ID:BaUcORC7
勝者なき戦いと言えばそうなるな。
明王朝は、これが原因で傾いていくし。
朝鮮は、国土が荒廃するし。まあ、元々荒廃してたけど。
豊臣政権も得るものがなかったし。
167 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 17:45:58 ID:OL0iEbOi
>>157 日韓だけじゃ結論でないから論文の発表なんてありえんだろ
朝鮮に関わるとろくな事にならないっていう教訓だな
169 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 17:53:15 ID:D3wdD3CI
白村江 → 日唐戦争
朝鮮出兵 → 日明戦争
朝鮮戦争 → 米中戦争
170 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 18:23:42 ID:UqTQOa4s
普通に朝鮮戦争でよくね?
日本と明が朝鮮で戦ったから。日本海海戦と扱いは一緒でいい。
171 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 18:24:42 ID:TTnZnvds
172 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 18:26:39 ID:9mYvOeGW
まあ 朝鮮半島は
ポエニ戦役で言うと シラクサみたいなもんだからなあ
しかし シラクサってリアルに朝鮮半島そっくりだな
173 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 18:29:15 ID:2kzf9Ak7
秀吉の件だろ?
秀吉の妄想だよ。
どの国も資金を減らし、国力を衰退させただけ。
明は滅び、日本は朝鮮へ出資しなかった徳川に変わった。
朝鮮は、唐辛子伝来によりキムチが生まれたがね。
174 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 18:32:48 ID:2kzf9Ak7
日本の失敗は、朝鮮人に人権を与えた事。
中国も蒙古も満州も何故与えなかったのか学ばなかった。
悪事を企むなら、裁けばいいという考えは甘かった
日本史的には秀吉が曲がりなりにも戦国を終わらせちまって国内で余ってくる
軍事力をどうするかって話なんだよねw
日本軍もモンゴル軍ぐらい異民族戦争に慣れていたら秀吉はチンギスハーンにもなれた
177 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 21:53:14 ID:Tc5/94bE
情報収集も戦略も下手糞だったが秀吉がもう少し長生きするか誰かが後を継げば朝鮮南部くらい
割譲出来ただろう。それをせず戦争目的が達成できなかったのなら負けなんだよ。
明も朝鮮も一応日本を撃退すると言う目的は達成したからな
>>165 いやゲリラも普通にいたしそりゃ無理がありすぎる
>>159 日本に朝鮮半島全土を蹂躙される前に勝てば良かったのにな。
朝鮮は焦土戦術しか取れんだろ
180 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 22:02:18 ID:Jowe6R/X
・秀吉が長生きしたら
・家康が江戸にいなかったら
・三成が横槍いれなかったら。
世界史は変わっていただろうけど、条件厳しすぎだなw
181 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 22:07:16 ID:Tc5/94bE
江戸幕府成立後にもう一度朝鮮出兵してれば面白かったのに。
まあ朝鮮はいらんし明も支配したほうが清みたいに同化されるから手を出さないほうがいいのかもしれんが。
琉球は手に入れてるな。台湾は当時は未開の地か。とするとフィリピンとかアノあたりに出兵したら面白かったかも
そんなゲームない?
>>180 交渉を宗氏に任せなかったら、ってのも必要じゃない?
183 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/22(日) 22:11:42 ID:4Ha178as
>>1 勝も負けるも当時すでに終わってた場所だろ朝鮮なんてさwww
>>180 かの『逆説の日本史』では、「中華人民共和国日本省」という結果を予測していますがなw
一方学研の歴史群像では、秀吉が長生きした場合、前田利家の死を口実に撤兵して、家康対策に本格的に乗り出すとのこと。
朝鮮にかかわった時点で負けというのが歴史の教訓。
よって日本も中国も負け。
そういや秀吉って結局最後まで家康に勝てなかったんだな
187 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/23(月) 23:33:36 ID:bviIBfjN
昔々スサノオノミコトがこんなとこ厭だって日本に帰ってきた、それと同じ望郷の念を、
日本軍に抱かせるような、厭な所だったんだろう。勝ってこんな所に所領換えされたら、
それを思うと力をだせなかったんじゃないのか?
188 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/23(月) 23:37:27 ID:bviIBfjN
昔々スサノオノミコトがこんなとこ厭だって日本に帰ってきた、それと同じ望郷の念を、
日本軍に抱かせるような、厭な所だったんだろう。勝ってこんな所に所領換えされたら、
それを思うと力をだせなかったんじゃないのか?
189 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/23(月) 23:39:28 ID:ixYYpRe4
>>12 そう言われると元寇を思い出すね。
戦には勝ったけど与えられる領土が無かったって。
鎌倉幕府は、武士も農作業をしたりと
日本史上もっとも健全な政権だったと言われる。
元寇さえなければ、もっと長く続いていた
191 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/24(火) 01:13:30 ID:eVuFFh4n
日本、中国
莫大な人材と資金の浪費、結果、ともに政権交代の要因ともなりえた
韓国
唐辛子を入手、
現代にいたるまで、数少ない国としての貴重な文化がもたらされた。
・・・と、どう考えても唯一の勝利国は韓国
>>1ほとんど、中国のおかげで勝ったようなもんだろが、バカチョンが…
>>190 既に制度疲労はしていたかと。
・均等相続で地頭領の細分化による貧困化
・貨幣経済の浸透で地頭の貧困化に拍車
・それを惣領相続とすると本所と在地の対立と悪党化
・北条得宗家の専制化と御家人の反発(元寇まで表面化はしていないし、元寇では専制が上手く行ったが)
>>191 彼ら曰く、時空太閤による被害で、
「日帝併合までの200年以上の停滞と、日本文化のウリナラ起源を証明できる全ての資料の喪失と、日本文化(ry…証明できる伝統文化の断絶」
だそうだから、彼らの主張をすべて受け入れると、政権変わらなくても、彼らだけ負け組になるんじゃあ・・・。