【読売新聞】「家康」中国で200万部、忍耐・戦略企業家ら共鳴[2008/01/26]
1 :
はらぺこφ ★:
中国で人気を呼んでいる歴史小説「徳川家康」=佐伯聡士撮影 【北京=佐伯聡士】山岡
荘八著の「徳川家康」が昨年来、中国の都市部の企業家や「白領」と言われるホワイト
カラーなどの間で爆発的人気を呼んでいる。中国紙は、経済発展著しい沿海地方の民営企
業の経営者から売れ始めたと報道。金融危機による景気後退で経営環境が悪化する中、い
かに困難を克服するかを考える上で、家康の生き方や戦略に共鳴する企業家が多いという。
数十万部売れたら大ベストセラーとされる中国で、同書は2007年11月の出版以降、
全13巻計約200万部が売れ、全国40のメディアの記者が選ぶ「08年の良書」の
外国文学部門トップに輝いた。業界関係者によると、これまで日本の小説といえば、村上
春樹氏や渡辺淳一氏の作品が中産階層の間で絶大な人気を呼んできたが、日本の歴史上の
人物を取り上げた小説が売れるのは極めて異例だ。
出版企画に当たった「新経典文化」の陳明俊・編集長は本紙の取材に対し、「家康は忍耐
の精神を持つだけでなく、局面の変化に慌てず対応できたところが、中国の読者に最も
尊敬されている点だ」と、人気の理由を説明する。
熱心な読者という男性企業家(38)は「人物描写が豊かで、まるで油絵を見ているよ
うだ」と絶賛。個性あふれる女性が登場することから女性ファンも少なくない。戦国時代
の武将を扱った日本のゲームになじみのある若い世代も、「家康」を支持しているという。
北京市内の国有企業に勤める女性(30)は「教養を高める上でも役立つ。これからほか
の日本の歴史小説も読んでみたい」と、すっかり魅了されている。
(2009年1月26日 読売新聞)
http://job.yomiuri.co.jp/news/jo_ne_09012602.cfm (写真)
http://job.yomiuri.co.jp/photo/jo_ne_09012601.jpg
2 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 12:56:40 ID:XQBnIXKv
2
脱糞の写真を撮らせたりするの?
200万部ってスゲー
そろそろ家康は韓国人って言い出す
6 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 13:01:41 ID:8sH9tBdn
忍耐って、特亜に一番似合わない言葉だ
7 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 13:02:33 ID:1lGEioZ/
このころ孫子を読む日本人
8 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 13:02:58 ID:wbhT6ZoR
今川義元との謁見の時の立ちションベンの場面も大評判なのか?
孕石元康にケチョンケチョンにされる所はどうなんだろう。
>>5 既に言っている。
<ヽ`д´> 韓半島に徳川(トクチョン)と言う地名が在るニダ
中国人なら石川数正の気持ちがわかるのかな
中国様から、民主党山岡へ資金提供ですか?w
大切な兵法の話のため、厠の中座もせず堂々と座した姿勢で小便をした人も忘れてくれるなw
素直にうれしいな。
三国志好きな日本人と同じような感じかな?
<丶`∀´> ウリもずいぶん前に読んだニダ
( ´∀`) 韓国の企業人も読むんだってね
エロネタ織り交ぜてんだろw>個性あふれる女性が登場する
16 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 13:15:56 ID:qDkhVfZb
徳川家康の本は読みたい。しかし、日本人は大嫌いだ。
毒ギョーザだって絶対に日本人の仕業に決まっている。
17 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 13:17:30 ID:y024S9Uq
また半島人涙目ですか?
日本と中国が近づくと。妨害電波発信準備中。
徳川家康は韓国起源だろ
19 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 13:19:33 ID:8DObEcxK
>>13 吉川英治や横山光輝にあたる人物が近代にいなかったせいで、三国志演義は
とぎれとぎれのエピソードなら知っているという程度らしい、中国の人。
>>9 もともとは『得川』姓だからな。
チョンはいつも面白い。
21 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 13:21:36 ID:cdgiQDu/
ふーむ
横山光輝のマンガ版しか読んだ事が無い
山岡家康は10巻くらいまでは面白いが、あとは話が寄り道だらけでダレる
支那人が最後まで読めるのか?
愚公移山の故事通り、諦めずに目的を達成することが美徳だからな。
※ただし、どんな方法を使っても。
>数十万部売れたら大ベストセラーとされる中国
13億人のwwwマーケットwwwww
26 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 13:23:24 ID:f07dQE2N
親日戦略露骨
率直に中国は日本をアジアでもっとも成功した大国と認めている。
その成功の秘訣を日本の歴史から学びたいんだよ。
28 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 13:23:39 ID:vNiZqeyN
秀吉の朝鮮出兵もちゃんと出て来るしな。
大坂城での明使とのやりとりで激高し、慶長の役に突入する背景を中国人が読めば
日本が朝鮮やベトナムなどの属国群と全く異なる発想で対応する国というのが
分るだろう。日本理解にいいね。
ステータス的にもってるだけで、全然読んでないんだろな
海賊版だろうw
31 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 13:26:21 ID:hC/vudRE
「人は城、人は石垣、人は堀」の武田信玄はどうした?
今こそ武田信玄精神が必要だろ。
確かに徳川360年の礎を築いた家康も凄いけどね。
32 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 13:26:27 ID:1jOdxrZ8
18巻ぐらいで挫折した思い出がある
33 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 13:26:27 ID:v+bwoYYT
<,, `∀´>家康は朝鮮系ニダ
この記事は前にもなかった?
35 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 13:27:41 ID:t7PNQDQj
鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス
36 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 13:27:51 ID:SpPeBqqE
>>9 朝鮮を攻めた秀吉の後に、鎖国をした武将なので韓国でも認められてるらしいですね。
>>13 実は三国志って国内限定の話ばっかりなんで、
中国人的には一番人気ってわけではないらしいよ。孔明とかもそう。
異民族と勇敢に戦った系の話が中国国内の歴史では一番好まれるんだそうな。
三国志中の恋愛がらみ(呂布とか)のエピソードや
曹操は張飛にびびって逃げ出した(判官びいき)のエピソードは
京劇とかで人気があるらしいけどね。
直系の跡継ぎはベトナム人の奥さん貰ったんだよな。
____/ ̄ ̄
/ │ ̄\__ ゴゴゴ・・・
/
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 ̄\_/ ̄ ̄\/ ̄ ゴゴゴゴゴゴ・・・
___/ ̄へ√⌒l⌒´ ̄ ̄\_
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_ ./ ̄ ̄ ̄\ /
__ `ソ/ ─ ─ \/ ̄/
\/゚ (●)。 (●) \/ rへ,ノ 呼んだかお
__>-へ| i (__人__) |ノ :.\_
.:/从へ、.゚` ⌒´o.ノ从rーヘ_
_::ノ :ノ`⌒Y⌒´:: \
.::┘ :│ ゚
松平家の跡継ぎ 竹千代(後の徳川家康) 6歳
40 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 13:29:23 ID:571SZYtI
家康は韓国系
ごめんなさい。スレタイの日付間違ってました
×[2008/01/26]
○[2009/01/26]
です
42 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 13:31:19 ID:kohzww6w
43 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 13:31:47 ID:wc254C82
徳川は朱子学を採用したからな
大アジア主義の源流、今の親中派の大元
44 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 13:32:33 ID:8/XWY2ZM
>>37 エピソード毎の人気は高いけど、通して読む機会がなかなかないらしいね
45 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 13:33:50 ID:TjWGSVUt
>>31 おそらく、文字通りに、人間を城や石垣の材料にした怖い人と思われてるんだろう。
>>45 韓国人じゃあるまいしそんな馬鹿じゃないだろ、シナ人はw
47 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 13:34:59 ID:M/LFvBMJ
北方の三国志も中国で受けんじゃないか
文章も中国人好みで簡潔だし
影武者「ハハハ、馬鹿め!そっちは本物じゃ!」
大半の中国人は秀吉のほうが参考になると思うんだがな
>>44 逆輸入されたKOEIのゲームとかで覚えるんじゃあるまいなw
日本が三国志をみるような感じなのか。
53 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 13:36:42 ID:f07dQE2N
政府に不満がある農民層にヒデヨシを薦めませう。
>>46 中国は朝鮮と比べ尊敬できる部分があるからな。
どうせなら信長と家康をセットで買えばいいのに
秀吉は馬鹿猿だから燃やしてしまえばいいが
ところで家康は中国語読みでなんて発音するのかな。
信長や信玄の方がかっこいい
60 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 13:42:10 ID:3fuaQQtZ
日本人は中国に学び、中国人は日本に学ぶ。
「人民」や「共和国」という言葉を日本から学んで使っていると中国人の友人に教えてもらったっけ。
半島人が焦り始める記事だな。
61 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 13:42:14 ID:SbeJ+2ma
>数十万部売れたら大ベストセラーとされる中国
あんだけ人がいるのに……彼らは本を読まないのか?
63 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 13:44:31 ID:M/LFvBMJ
>>61 この部数の何倍もコピーが出回ってますから
64 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 13:45:11 ID:LYnTdJNx
>>39 前あった東亜の同じネタのスレでやる康知ったよ。
面白かった。感謝している。
65 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 13:47:38 ID:oKmsBViA
> 忍耐
忍耐なら毛沢東の方が粘着質だと思うけど。
>>65 下手に独自解釈を加えた小説なんか書いたら消されそうだが。
67 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 13:48:47 ID:fT1HbHAd
68 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 13:50:06 ID:oKmsBViA
>>36 > 朝鮮を攻めた秀吉の後に、鎖国をした武将なので韓国でも認められてるらしいですね。
アンチ秀吉政権ってことと、修好外交やって対馬藩通じて通信使の往来もあったから
評判はよかったようだね。
>>61 都市部だけですから
田舎の方や少数民族には関係ない話
朝日がよく強大な市場と言いますが日本製品を買えるのは
日本の総人口よりも遥かに少ない
70 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 13:53:50 ID:q5cj0zig
中国人の半分は字が読めないんだよ〜
これが第二次焚書坑儒の発端になるとは
73 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 14:00:52 ID:fT1HbHAd
時空太閤HIDEYOSHIがアップを始めました
日清戦争の日本側の視点で学べというのはタブーなのかね。
75 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 14:03:15 ID:a/FahEDW
人口で考えちゃうと中国で200万部って多いのか少ないのか分からんけど
裕福層は少ないだろうから多いほうなんだろうな
76 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 14:03:33 ID:4HpnZ0b7
殆どのチャンコロは明や清が滅亡したのは間接的とはいえ
日本のせいだって知らないんだろな
77 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 14:04:31 ID:Z31/2zQc
中国なら家康の代わりになるような戦略家の参考事例が
掃いて捨てるほどいるだろうに。
>>75 言葉も統一されてない中国では
かなり多いかと。
一方、日本では中国の歴史上の人物を萌え化した。
元も明も清も中華民国も、
日本と戦争した事が国家解体の遠因、または直接的な要因になったよね。
帝政ロシアも日本に敗戦して滅びたし、
そろそろアメリカが滅びる頃かな。
81 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 14:08:14 ID:Kk7wLP5z
よし
これで近い将来中国から戦国時代をテーマにしたエロゲが出るな
大河ドラマの海外の反応見たことあるけど、ガイジンは
日本みたいに作品によってある武将が悪玉だったり善玉だったりするのが???らしいな
日本の場合、帝に盾突かない限りは逆賊ではないから
色んな見方が出来るって説明されてた
勝っても負けても地元のお殿様に愛着あるしな
>>71 秀吉は信長の死のどさくさにまぎれて王位を簒奪した猿
さらに九州では降伏すれば命は保証するといって開門させるや
一族郎党はみなごろしという信長もまっさおの非道ぶり
あげくに明まで征服できると思い上がったキチガイ
性格はまるで野蛮な中国狗そのもの
こんな馬鹿のものはすべて焼き捨ててしまえ
だから焼き捨てた家康はえらい
85 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 14:18:19 ID:rkumJ/9e
>>73 > 時空太閤HIDEYOSHIがアップを始めました
それだと普通じゃんw
“超”時空太閤HIDEYOSHIな。
>>37 三国志演義人気だけで神様になってあちこちに祭られている人もいるから、
必ずしも人気がないというほどでもないいが、
日本だと三国志、せいぜい水滸伝以外は知られていないからなあ。
まあ、日本でも戦国時代以外の大河はたいてい視聴率低いからなw
そんなもんだと思う。
家康はひたすら我慢して長生きすればひょっとしたらいいことあるかもよ的で夢が無いからな
やっぱ日本人は信長、秀吉好みだわ
>>82 一神教の影響だろうな。
キリストやアラーの存在を絶対に悪と定義しないように。
日本でも朝廷を神聖視するのは神道の影響下だけの話であって。
89 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 14:21:11 ID:rkumJ/9e
>>84 朝鮮史観だとそうなるんだってね。
ちょっと哀れな気もしてきた。
歴史の見方が固定化してるから、そりゃ安全保障体制の変化
(=清の弱体化と華夷秩序の無効化)に臨機応変できないわな。
>>25 根本的に文盲な人が多い事と、
本なんて買う金が無い人が多い事と。
金があっても本なんて読まない人が多いの
トリプルパンチなんだろうな。
>83
戦国ランスはエロゲにあるまじきゲーム性の高さww
全国版で好きな武将から始められるのがいい
92 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 14:30:01 ID:fT1HbHAd
93 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 14:35:40 ID:390M7JnI
中国人の易姓思想的には信長の方が
ずっとメンタリティ的にあってそうだけどな〜
>>89 まあ晩年の秀吉はDQNなので
これだけの英雄なのに、日本で人気がないのもそのせいかと。
95 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 14:42:42 ID:d0ifayox
>>94 秀吉は一番人気だよ、日本ではな。
朝鮮ではシラン。
>>94 秀吉は明治から戦前に掛けては大人気。
戦後は家康の人気が高まり、以外にも信長は最近になって評価が高まった。
英雄の人気にも一定のサイクルがあるのよ。
>>95 ?調査では7番人気ぐらいだよ。
もちろんツートップは信長と龍馬だな。
>>86 源平合戦の源義経の物語は戦国時代以外でも人気有るよ。
今の時代を勝ち抜くのは信長だろ
でも何時の日か不況が終われば・・・
>>93 中国人は不況が終わる時のことを想定しているんだ
信長的な考え方や動き方は既に備わっているんだろ
日本で三国志が人気を持ったのと、ようやくバランスが取れ始めて良かった
100 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 14:48:44 ID:muMcoAL6
やっぱ前田刑事だろ
>>100 「前田 吟」主演の火サスなんてあったっけ?
103 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 14:51:25 ID:q9m8ayjf
諸君
シナに、日本のお金200兆円が搾取されているのを知っているか?
200兆円だぞ ODAやアジア銀行経由の10兆円ではないぞ。
でチャンコロは、100発以上のミサイルの照準を日本に向けているのだぞ
武田信玄、上杉謙信、伊達政宗も戦国武将として結構人気有ると思う。
105 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 14:55:23 ID:G6FIMhOc
>>78 それって、どの程度?標準語とズーズー弁の違いくらいとか?
106 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 15:00:12 ID:carzM00D
>105
英語とドイツ語の差とか、ポルトガル語とフランス語の差程度だろうな。
>>105 今の中国語は北京語を標準語にしているが昔は中国人同士でも省が
異なれば筆談していたらしい。
今でも北京語、上海語、福建語、広東語では発音が異なる。
108 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 15:04:33 ID:LCZDnxl1
経済危機に家康の忍耐は通じねーだろ。むしろ部下達が忍耐しただろ
信長は果断でかっこいいけど結局は苦労だけして実利はあんまり得られずに
死んじゃったから、粘り越しで天下をとってウマーの家康のほうが中国人は
手本にしたがるんじゃねえの?
110 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 15:09:05 ID:vt8tDw9O
>>89に何を言われているかわからないID:DGMpva5o
そういや龍馬って何で人気なの?
織田信長の場合結局部下の裏切りに有って死んだので「部下も把握出来ない甲斐性無し」と中国人に
思われるかも。
113 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 15:10:34 ID:R4DwG2bG
木下性の秀吉は帰化人
>>109 山岡版の家康は
政治力と外交力面がかなり良く描かれているので、
その辺を楽しめるんじゃね。
116 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 15:12:41 ID:onqAz3Hz
>>113 そりゃ大変だ。
朝鮮征伐が正当化されるじゃないか。
117 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 15:13:13 ID:Atk4NKL7
吉川英治、山岡荘八系の歴史物はイマイチ好きになれない。
118 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 15:14:15 ID:5vcKFA1b
毛沢東と比較しながら読んでんじゃないかな
119 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 15:14:57 ID:4HvIio5+
中国が見習うのは先進国入り間近の韓国と台湾でしょ。
120 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 15:16:17 ID:f5UWQlcU
家康ねぇ。好きになれない策士だな。
戦国武将なら織田信長だろ。
なんといってもカリスマ性が求められてた時代だからな。
122 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 15:19:21 ID:G6FIMhOc
124 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 15:42:01 ID:EBxuBirZ
三国志書いてる人の漫画で
信長、秀吉、家康読んだけど
家康から急に日本っぽくなるんだよね
家のためとか忍ぶとか
今の日本があるのはやっぱ家康のおかげかな
信長が生きてた方がよくなったという人もいるけど
逆に中国みたいなモラルのない国になってるような気がする。
125 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 15:42:59 ID:onqAz3Hz
>>121 来年の大河ドラマも龍馬だったような気がするわ。
126 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 15:45:54 ID:4HpnZ0b7
>>80 イギリスっポイ
(裏で米をそそのかして太平洋戦争起させたのは英、そのくせマレー沖や
セイロン沖の海戦では帝国海軍に歯もたたずフルボッコ状態)
なんせ、ポンドが大暴落してる、
あの国はチョコチョコ、通貨危機起すけど今回はマジでヤバイ状況みたい
127 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 15:45:55 ID:/9qLC5F5
>>116 違う。どうしてあんなにも可愛い秀吉が在日なんてことがあろうか
>>123 これ死に方について書かれてないね。
そういう人が書いたのかねw
130 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 15:52:25 ID:EBxuBirZ
>>128 漫画のはフィクションなんですか?
秀吉が稲葉山攻める時に
山奥に偶然あった、ひょうたん屋の人が隠し通路知ってて
それで、千成びょうたんが出来た
みたいに書いてるけど、調べてもそんなことどこにも
書いてないんですよね。
>>128 小説だと、その交渉術とか根回しなど
かなり詳しく書いてあるので、ウザイといえばウザイ。
横山漫画だと歴史的に大事なイベント以外は結構省略。
やる夫の家康はその背景や政治的な部分もしっかり書いているから
良作だあね。
>>130 創作のはずだよ。
いや、そりゃ、絶対に無かった! とは言い切れないけどさ。
実際に見たわけじゃないしw
>>131 同意。
海賊版じゃねーの
134 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 16:00:05 ID:EBxuBirZ
>>132 そうなんですか。ありがとうございます。
それにしても信長と家康が仲いいのもフィクションって言うのは
信じられないんですが
小さいころ殺される予定だったのを信長が助けたみたいのもネタなんですかね?
135 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 16:04:57 ID:1ZqoDbCu
>>48 これ超面白かった。
このやる夫みたあと原作読んじまった
>>134 >小さいころ殺される予定だったのを信長が助けた
これは創作。人質時代に仲良くなったってのも創作。
信長と家康が実際に仲良かったかどうかってのは解らない。
ただ、大人になって同盟した後、一緒に鷹狩りしたりしてるし、
信長の死までずっと同盟もしているし、
仲良しだったという可能性も充分にある。
安土城に家康の屋敷を造ったりもしているし
信長は家康をかなり信頼していた様子。
137 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 16:06:53 ID:EBxuBirZ
でも、信長、秀吉、家康が
若いころから接点があるって言うのはすごいですね
漫画だと前田利家も仲間としてよく出てくるんですけどね
何で人気あるのかよく知らなかったけど
天下に近い4番目の人物だったってことなんですかね
>>134 人質はよほどのことがないと殺さないし、信長が元服前なら
殺す権限自体がない。
ほとんど同じ地域の出身から三人も天下人が出たし、
創作のネタにしやすいのよね
信長の性格もあって、漫画チックにしやすい
3人の中では一番面白くない男ではあるが
実業家向けではあるな
141 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 16:10:44 ID:EBxuBirZ
>>136 信長からおくられてきた鯉を部下が食べるために殺しちゃって
それで家康がどうしてくれるんだと怒って
誰かに器が小さいとか言われるシーンもあったけど
基本的に関係は家康<信長なんですよね?
142 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 16:12:41 ID:zotZKJ+y
戦国時代は一日二食か三食か!
答えてみよ!
>>141 家康<信長
信長の本拠地で同盟しているから信長のほうが上。
同盟時点での実力から言っても。
ただ形式は対等だったとかどうとか。
特に信長の死ぬ直前とかだと完全に信長が上。
144 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 16:13:49 ID:EBxuBirZ
>>138 殺すとかじゃなくて今川に渡すとかそういうことだったかな??
>>141 信長の後ろ盾がなければ、家康は信玄あたりに吸収されるか
滅ぼされるかだよ、家康の存在が大きくなったのは
滅亡した武田家の領地や家臣を吸収してから。
146 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 16:15:41 ID:EFuv0eRB
山岡荘八の家康って全26巻じゃねーの?
中国版は1冊が2冊分なのか?
>>146 関が原以降はカットしたんじゃねーか?
三国志みたいにw
148 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 16:18:48 ID:EBxuBirZ
>>143 信長の最後の方はほとんど天下取ったようなものですからね
確か明智光秀に恨み買ったのも
家康に腐ったもの出して怒られたからですよね
>>137 前田家は江戸時代の大名で一番領地を持っていたりする
それに前田慶次の人気もある
そこそこ中心に絡んでくるだけの人物である
150 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 16:21:42 ID:FNetnuEV
ゴミ売りも、中国の高感度UPキャンペーンに必死だなw
でも、いくら頑張っても、現実の在日中国人の所業が
全部台無しにしてくれるからw 残念だったなw
151 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 16:22:53 ID:EBxuBirZ
>>145 信玄は信長軍の誰かの矢に偶然あたって死んだんでしたよね
今川家を倒したのも奇跡だってかかれてたし
よくわからないことが多いみたいですね
>ID:DGMpva5o
こいつすげー頭悪いな
>>148 それ話は川角太閤記が伝聞として記しているだけ、つまりデマ。
154 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 16:27:15 ID:EBxuBirZ
>>149 あんまり野心がない人みたいな感じを受けたけど
秀吉と戦いになりそうな場面で譲ってたけど
あそこで戦ってたら信長の家来はみんな味方したんじゃないですかね?
秀吉はよそもので結構嫌われてたし
155 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 16:28:26 ID:BbmohoUe
>>151 それも小説、死因は吐血していたことから結核か、親しい僧侶にあてた手紙から
病状の推察した胃ガン説が有力。
157 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 16:29:57 ID:Sr52nYmw
徳川家康、洛陽の紙価を高める。
>>156 俺は子供の頃、風邪をこじらせて肺炎になったという話を聞いてたな。
そういや、家康ってラスト天ぷらに中ったって話本当なんだろうか?
159 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 16:35:05 ID:+Uw7r8pt
秀吉の生きてる間は、五大老の一人。
160 :
:2009/01/26(月) 16:37:27 ID:XKUXEHAx
信長の最大の功績は、
西欧中世の宗教世俗支配を脱却させた
宗教戦争、宗教改革と同じようなことをやったこと。
一向宗や比叡山焼き討ちがそれ。
信長は日本の「啓蒙君主」に相当する。
>>158 >天ぷら
胃がんだったのに、そこに油ものを摂取したので
症状が悪化って説が有力(本人は寄生虫だと思っていた)
ちなみに天ぷらは、いまの天ぷらではなく、
つけ揚げみたいな感じの食べ物だった
>>158 それは表向きの理由であって本当は暗殺されたのだよ
163 :
腐号汎用人型決戦兵器 ◆f3h/vmOhIk :2009/01/26(月) 16:43:36 ID:e0+6G/2M
韓国が映画化するんだろ
家康はピで
徳川四天王の後半の冷遇ぶりとかホントに黒い
166 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 16:52:20 ID:ivGe205G
家康ってスポーツ万能だったらしいぜ。
ただの権謀術数デブじゃなかったらしい。
167 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 17:07:37 ID:ZAr8SgOx
>>166 東国一の弓取りだが戦績はあまり良くない。
そして実は秀吉より身長が低い。
天ぷらと言えば魚のすり身の事で、我々が今日天ぷらと呼ぶのは衣揚げ。
衣揚げは江戸時代に発明されており、家康が天ぷらで死んだと言う説は明らかな捏造。
168 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 17:12:40 ID:va5ZN/iA
>>数十万部売れたら大ベストセラーとされる中国
違法コピーと字が読めない愚民のコラボはすごいなwww
人口13億が泣くぞwww
>>167 家康は糞もらし以外
事実上の敗戦はないんじゃね?
信長や今川の下で参戦しての負けはあるけど。
>>156 その話もよく聞く割には出典が怪しいものの一つですよね。
質素倹約を心掛けた家康が、たった一度の美食が死に繋がったという
世の無常というか意外性が受けたから有名になったのかも。
>>170 お前は何か勘違いをしているようだ。
よくレスを見返せ
172 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 17:27:19 ID:pneZtGjo
信長が生きてたら日本はキリスト教国家または植民地になってたと思う
フィリピンがスペインの植民地になったのが1565年だから
秀吉独特の嗅覚が無ければスペインかポルトガルの国になってた感じする
>>172 日本の驚異的に増えた鉄砲数から征服は無理だと当時の宣教師が書いてる
>>167 日本で活躍した武将って背が低いの多いな 義経もそうだし
やっぱり日本古来の馬が貧弱すぎるからかな
>>174 宗教が広まれば鉄砲数なんて関係ないと思うが
>>176 いや信長がキリスト教を特別優遇したというのはちょっと考えもの。
フロイスの日本史を読む限りでは信長は自身は勿論、家族にも入信を許さず
布教にも積極的には関わらなかった。
荒木村重が謀反を起こした際に、高山右近を味方に付ける為に宣教師と信者を
人質として軟禁したりしている。
もしキリスト教の勢力が拡大し、政治にも口出ししたら秀吉以上の苛烈さで
処分されていたと思う。
>>174 日本の技術力の高さに驚いたらしい
結局西洋人は大航海時代で日本だけ征服不能と悟ったということでおk
>>178 元々船でないと軍隊を上陸出来ない島国の攻略は無理。
その上日本は源氏平氏の時から武士による軍事国家だし。
180 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 20:06:22 ID:tQrUe2e4
>>177-179 まぁイエズス会的には残念だろうけど
幕府とは金銀貿易で結構儲けたんだからいいんじゃないか
181 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 20:09:27 ID:2S7MFGT0
1冊あたり15万部じゃ大したことねーじゃん
182 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 20:10:47 ID:1Bza8h8x
中国には本を読むやつが1000万人しかいないんだろうなww
こんな糞市場に内需とか言って引き込まれた日本企業気の毒ww
183 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 20:11:39 ID:clsdkMK2
> 戦国時代の武将を扱った日本のゲームになじみのある若い世代も、「家康」を支持しているという。
日本の文化侵略は恐ろしいのう。
横山三国志を逆輸入したら、すげー売れると思うんだが・・・
すでに売ってるのかな。
ソウルの大型書店でも山積みされてたよ。
外国の世界的には無名の武将の物語り読んで面白いのかね?
>>184 今の若い世代は横山三国志か吉川三国志で育ったそうな
もちろん不正コピーの出版社もんw
日本側の立場で書いた山岡の小説太平洋戦争の存在を知ったら即ボイコットが始まる
ちなみにこの小説じゃ南京虐殺を否定してる
( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \
印税はいってくるのかね?
>>145 今川の旧領を吸収してからは、高天神城辺りで絶えず戦っていなかったか?武田VS徳川で。
家康単独でも、結構武田からすれば手強いだろう。
・・・計略も慎重だったし
でも時流にあわせて武将物とか売りつける出版社のマーケティング戦略があるからな。
まずは「今は○○な時代」と時代のイメージ植えつけさせといて、発掘されてない武将物の中から
それに近いイメージ(逸話と言う作り話大量に含む)の物をしつこく宣伝する。
丸の内○○店売上一位とかジュンク堂池袋店売上一位とか。
過去にブームを呼んだ正宗や信玄とかからはもう学ぶことはないのかよwと思う。
蟹工船の宣伝もしつこいし。
191 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 20:40:03 ID:oKbKu2b7
中国はチョンと違って日本文化は好きな人多いよ
日本人自体は好きな人も多い、歴史的には軋轢があるけど
こういうニュースを見るとどんな話か忘れてるからまた読みたくなるな
横山家康の漫画でいいが
193 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 21:24:06 ID:UIGf3/cH
豊臣秀吉は?
つい最近迄朝鮮出兵は全否定(国策として、倫理とかは抜き)だったけど、
記録見ると、ちゃんと戦略的に考えられたので、思い直した。
まあ、朝鮮人弱すぎて、調子に乗って補給ライン延ばし過ぎて崩れたのは頂けませんが。
てか、韓国がネルソン、東郷に並べ称する李将軍のダメダメさに呆れた。やってる事が三奸四愚とか、牟田口だよ。
つかNHK大河ドラマ「徳川家康」輸出すれば?もう四半世紀くらい前の作品だけどさ
伊達政宗ぐらいまでだよなあ
大河でまともに歴史をやっていたのは・・・
>>190 恩田木工や王安石を扱った書籍が日本ですら手に入り辛いのは、何でだろうなぁ?
今こそ、焦点当ててもいいんじゃね?
>>178 しかも、戦に明け暮れて兵の経験値も高いしな。
>>195 ・・・独眼竜政宗の前って『いのち』じゃなかったっけ?
>>197 常在戦場だもんなぁ・・・国民全部が。
200 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 21:35:29 ID:lG7JCbaY
なぜか源氏な二郎三郎。
それが、朝臣家康。
>>189 守りに徹するだけでは、一地方勢力として延命すら難しいと思うよ。
武田が高天神城を落せなかったのは、上杉、北条と三竦み状態のために
強引な城攻めを決行できなかったから。
信玄が北条と和睦して攻勢に出た三方が原の戦いを見ても、織田から援軍付き
でもあの結果だしね。
>>193 当時内陸部の補給は現地調達しか手段がないのよね
例えば北条征伐で内陸部を進んだ軍団は現地調達で進軍している
八道国割りは15万もの軍団を各地に分散して統治と同時に食わせる意味合いもあったんだが
明軍が現れて散った軍団が漢城に集結したら漢城周辺の食料は一気になくなる
それで沿岸部まで退却してそこに堅固な拠点を築く事になった
中共は嫌いだけど、忍耐が美徳って考えの人が結構いるのか・・・日本と一緒。
中国人はなんかチョウセンと違ってのびるよね
なにがいいたいかっていうと、中国コワイ
204 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 21:47:15 ID:N6hWs2O4
正直武田よりも石山のほうが遥に手ごわそう
>>203 多分、国が分裂したら伸びると思う。
中国は敬意を払って当たるべき敵だとは思う。
>>204 難攻不落の要塞に立てこもるゲリラの親玉・・・・だよなぁ。
207 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 21:58:29 ID:QNxrXdsq
韓国系だし
>>203 秀吉の時に一気に日本軍に朝鮮半島占領されたのは
朝鮮人がとっとと逃げだし、寝返りまくったからだっけ。
これ朝鮮戦争も寝返りこそしてないけど多くが逃げ出したんだよなあ、
そして日本の負の遺産になったけど。
210 :
腐号汎用人型決戦兵器 ◆f3h/vmOhIk :2009/01/26(月) 22:03:47 ID:TVfu1nOn
>>185 アメリカの作家フィリップ・ホセ・ファーマーの「リバーワールド」シリーズってSFには家康が出てくる。
ネアンデルタール人から21世紀の人類が、ある惑星の河の両岸に復活した世界の話。
212 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 22:11:03 ID:EBxuBirZ
>>203 むしろ日本と朝鮮は一緒で中国は違う気がするけど
正直者は得をする的な思想で、最初から身分相応を洗脳で教え込まれて君主を敬うとことか似てる。
中国は強いものが勝って弱いものは惨めな思いをする
でも、弱いものでもずる賢く生きてるみたいな感じがする。
在日の人は別ですけどね。ユダヤ人みたいな感じだから。
213 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 22:13:09 ID:x0znaixI
信長、秀吉、家康で「三遷誌」とか書けば買ってくれる?
214 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 22:13:33 ID:WwJ2Onbs
…忍耐だと?!
忍者戦略企業に見えた
216 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 22:15:53 ID:BTFzGaod
三方ヶ原の戦いで敗走したときウンコ漏らした人だっけ?
あと、茶店で小豆餅食って金払わなくて茶店の人に追っかけられたり…
浜松でバスに乗ると「銭取」なんてバス停があっておもろい。
217 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 22:16:18 ID:C74KShgg
中国が忍耐を学ぶだと!!?
218 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 22:17:56 ID:U46rsYIx
>>212 朝鮮は「正直者は得をする的な思想」では無いだろ。
在日は「能力の無い」ユダヤ人だな。
219 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 22:21:08 ID:mo5DiLRP
中国にだって重耳とか忍耐の人っているじゃん
古代中世の偉人なら、お前らはわざわざ海外に目を向ける必要ない
てか、宮城谷とか翻訳すれば?
220 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 22:21:27 ID:wivYGuZM
>>212 チョーセン人はこんな感じですが
このページに関連して興味深いサイトを見つけました。
http://www.geocities.jp/ez_shawn007/world/world-now1.htm アメリカ在住の経験もお持ちの方が書いているサイトですが、その中で目を引いたのが、以下のところです。
韓国文化とは、一言でいうと「踏み倒し」文化です。 「やった者勝ち」文化とも言います。
韓国が経済破綻を経験した時の事を覚えているでしょうか? 当時韓国人は一斉にアメリカに民族移動を試みたのです。
「こんな最低国家に住んでたまるか!」と吐いて、アメリカに民族大移動をしたのです。
しかしそう簡単に永住権など手に入りません。 そこで嘘八百で「私は牧師です!」などと主張し、
法の目をかいくぐって(当時牧師は永住権を簡単に取得しやすかった)もぐり込んできたのです。
そして既にアメリカで永住権を持つ在米韓国人は、こぞって韓国人を招き入れ、永住権の取得に協力したのです。
なるほどこういうカラクリがあったんですね。
このサイトは例のロス暴動で破壊された多くの店やビルがほとんどが韓国系の店だった
ということの理解の一助になってくれると思います。
>>212 李氏朝鮮の政治は、北朝鮮と変わらない恐怖政治だよ。
儒教原理に基づく、礼に沿わない民を容赦なく暴力でもって統制する。
儒学としてのみ受け入れた日本とは根本的に違う。
222 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 22:24:03 ID:YJx4hrjw
>>43 そういう側面は無くもない。
しかし大アジア主義だって、色々だよ。
224 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 22:25:28 ID:YJx4hrjw
>>212 あほか。ゴキブリ中国は怖いが、忍耐は無いぞ。
奴らのは忍耐ではなく耐性。ゴキブリのような。
支那で5年働いた俺が断言する。
225 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 22:26:35 ID:ZT35Xu3z
>>5 既に言って無かったっけ?
日本の歴史上の偉人は全てウリナラ同胞ニダ。
226 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 22:31:57 ID:YJx4hrjw
>>225 まあ日本人の基本は百済の血統だからな。
ただ問題は、百済は日本文化圏であり、新羅は朝鮮文化圏だってこと。
百済が滅亡して半島統一してから、大半島主義みたいなものができちゃって、
統一的朝鮮民族思想で百済を我が物あつかいしてる。
荘八家康全巻読むくらい忍耐あったら十分だろw
>>221 ある人は『併合前の朝鮮半島は封建制以前の律令制だった』と言い
ある人は『併合前の朝鮮半島には戸籍が無かった』と言い
ある人は『併合前の朝鮮では土地の登記という概念が無かった』と言う。
・・・・どうやって、国を運営するための税を取り立てていたのか、誰も教えてくれない。
>>5 いや、家康を始めとした徳川幕府は、HIDEYOSHIの文句を
延々と言い続けていたチョンを、200年以上もずっとシカトした奴ですよ。
今の日本も見習うべき。
>>27 中国のサイトにアジアどころか「小日本はWW2後もっとも成功した国だろう」って書かれてたな
あと「馬鹿な小日本人は俺らを侮ってればいいさ。その間に成功してみせる」的なことがよく書かれてた
別段侮ってる訳でもないと思うけど、
ただ中国人は成功しよう成功しようって狡猾すぎるから信頼されないんじゃないのかね
231 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 22:35:03 ID:X1qG9mIF
中国が日本のように図書館を整備し出したら、大変なことになるな。
学校や地域の図書館が日本の教養部分を下支えしているみたいに。
今のところ、まだ安心だけど。
232 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 22:35:54 ID:YJx4hrjw
>>27 それは韓国だって認めてる。
問題はそこではない。
233 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 22:36:52 ID:8rDmym2F
234 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 22:37:39 ID:8ypTUKfp
本能寺の変の黒幕がイエズス会だったっていう説をどこかで聞いたけど真偽のほどわかる方いる?
なんでも、当時の宣教師の記録に克明に記されてる=現場を見ていた
また信長とキリスト教との関係も当時悪化していたとかいう理由だった気がするんだけど
>>226 >まあ日本人の基本は百済の血統だからな。
>ただ問題は、百済は日本文化圏であり、新羅は朝鮮文化圏だってこと。
・・・日本人の基本を百済の血統とする部分と
・・・今の半島の準知的生命体を新羅と結びつける部分には、反論を挟む余地があると思うのだが。
>>226 >統一的朝鮮民族思想で百済を我が物あつかいしてる。
それは日本人の血統が百済というのと大差ないような。
百済を介して偽史のやり取りしてる様なもんだよ。
237 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 22:42:29 ID:YJx4hrjw
>>235 ん?どう反論?
史書を素直に読めば百済=日本、で新羅=韓国。
こんな大きな事実に反論するとは、お前朝鮮人か。
238 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 22:43:34 ID:wivYGuZM
>>232 馬鹿チョンは、彼我の実力を理解できていない。
日本の「結果」を羨ましがっているが、その過程を学ぶ程の
脳味噌も無い。
ただ、チョーセンマンセーの馬鹿
是非、そのままでいてほしい
>>237 百済からの難民数はそう多くは無いと思いますけどね。
なので日本人の血統を百済にするには飛躍しすぎだ。
240 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 22:47:11 ID:lyGWlmyY
戦いに負けて逃げる時にウンコを漏らせば家康に一歩近付けるよ。
そしてそのウンコをこれはまんじゅうだと部下に無理矢理食べさせれば
もう家康そのもの。
>>239 ・百済の文化は半島では滅ぼされ辛うじて亡命先の日本に残ってる
・日本人の中には亡命百済人の血が流れている
とはいえても、日本人は百済の血統を引いている、とは流石にいえないよね。
あの当時そんな大量の難民を渡海させるだけの力があったら負けてない。
243 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 22:50:36 ID:zPqNpGGr
>>237 百済王自身は現地の王家だから日本とイコールではない
日本の傀儡国家が精々
>>234 全くの作り話、いわゆる陰謀論の一種です。
どこら辺がおかしいかのかは、「信長は謀略で殺されたのか―本能寺の変・謀略説を嗤う
藤本正行・鈴木眞哉(著)」で詳しく解説しています。
245 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 22:52:22 ID:nDLZ/xpb
>>234 本能寺の変に生き残りが一人だけ居る。宣教師が献上した黒人、ヤスケだ。
信長の側に最後までいた生き証人だが、
明智光秀に捕らえられたが釈放されて、その後どうなったか記録がない。
宣教師のところへ戻り、何らかの報告をした可能性はある。
246 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 22:52:53 ID:YJx4hrjw
>>238 それは中国も同じだよ。
てゆーか中国のほうがもっと頭おかしいよ。
>>237 どう素直に読めば、そう言う理解になるのか不思議だ。
支那の史書でも王家は扶余の血統で、倭人は領域にいる程度
にしか書かれていないのに。
248 :
朝鮮28号 ◆8PxOawJTkY :2009/01/26(月) 22:53:15 ID:W2Sgq3ow
>>240 その姿を絵師に描かせて持ち歩くことも忘れるなよ。
家康も若い頃は短気で重要な時に限って癇癪起こす困った奴だったんだよな。
人間ってのは生きてるうちに変わるもんだね。
>>216 おいおい、400年も前に死んだ人なんだから
いい加減、許してやろうよ。
250 :
浦風15号 ◆URA15/24Bc :2009/01/26(月) 22:53:31 ID:msK/q3T/
是非もなし!
251 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 22:55:14 ID:zPqNpGGr
>>245 モザンビーク人で、日本史上初の外国人サムライだっけか。
うろ覚えですが、明智軍侵攻直後に伝令に行かされて
現場にはいなかったとか聞いたことが・・・?
252 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 22:57:47 ID:YJx4hrjw
>>242 百済の官制なんてほとんど奈良時代そのままだし、
百済以前から日本には半島の血が流れ込んでるだろ。弥生人。
常識で考えれば半島南部の血だ。百済との友好は単なる政略どころか
ほとんど親戚扱いだろ。その関係が短期で形成される筈ないだろ。
任那近辺の出土墳墓やら何やら、次から次へと半島南部=日本という事実が
出てくるばかりだろ。単に半島南部が日本だったというだけで、
今の韓国人とは関係ないんだから、お前ら否定する必要無いだろ。
「タダカツー!タダカツー!」
>>228 一言でいえば李氏朝鮮は律令制を頑なに守り続けた。
律令制は破綻し、日本の平安末期の状態がいつまでも続いた。
誰が言ったのか知りませんが戸籍や、土地の登記が無かったと
いうのはあまりにも暴論です。
>>248 関が原でも、東軍の不利にブチ切れて
刀振り回したりしているお茶目な家康公です。
256 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 23:03:40 ID:8ypTUKfp
>>244-245 サンクス!
この時代くらいから、世界史と日本史の接点が出始めて個人的には興味引かれます
まあそれでも黒船まではまだ300年もあるのかあw
257 :
朝鮮28号 ◆8PxOawJTkY :2009/01/26(月) 23:06:28 ID:W2Sgq3ow
>>255 狸ジジィワロス。
考えてみりゃこの狸って幼少の頃からストレス溜め込むような生活してたのによく長生きできたよな。
258 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 23:07:59 ID:YJx4hrjw
>>247 ん?扶余とかあのへんはあまりに古すぎて、細かく分かるわけじゃないだろ。
ただ大まかに分かるのは、古代朝鮮半島を幾つかの民族が南下したってこと。
百済民族も古くは南下したのかなと伺わせるのが扶余伝説ではある。
でもそれは今の朝鮮と結びつかないだろ。
259 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 23:10:33 ID:s1Y2dlGO
信長は 鳴かぬなら殺してしまえホトトギス
家康は 鳴かぬなら鳴くまでまとうホトトギス
と一般に言われているが実際は全く逆なんだよな
信長はしたたかで頭が切れる。
WWU前にアメリカが日本に先制攻撃するようし向けたが、
そのようなことを信長は既にやっていた
相手を殺すには時間も惜しまない
家康はただの短気 全くの無能
260 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 23:10:40 ID:YJx4hrjw
>>247 そのへんの古いところで言う倭人って、弥生系なのか縄文系なのか分からんでしょ。
古ければ古いほど縄文系の可能性が高いわけだが。
>>252 >百済の官制なんてほとんど奈良時代そのままだし、
日本が導入したのは当時の大国である、唐の律令制ですよ。
>百済以前から日本には半島の血が流れ込んでるだろ。弥生人。
弥生人のマザーランドは一地域に限定できません。
百済地域には日本列島と同様に、他所から流れ着いたと見るのが妥当。
>百済との友好は単なる政略どころかほとんど親戚扱いだろ。
>その関係が短期で形成される筈ないだろ。
唐が新羅救援に軍を派遣したのは親戚関係があったからですか?
>任那近辺の出土墳墓やら何やら、次から次へと半島南部=日本という
>事実が出てくるばかりだろ。
それは百済が首都を攻め落とされた後に派遣された、倭系百済官僚の
墳墓ですよ。
>お前ら否定する必要無いだろ。
あまりにも飛躍的な論理は容認できませんよ。
262 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 23:13:29 ID:4oAWY33p
>>255 それは家康はその時、既に影武者の李 舜臣将軍に入れ替わっていたから
李 舜臣将軍は死んだと思われたが服部半蔵に助けられ、日本にやってきたが、
なんと徳川家康とウリ二つだったので、その後、家康の影武者として行動していたが、
関ヶ原の戦いで家康は西軍の手によって銃により暗殺されてしまう
263 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 23:13:35 ID:HH9wMTBv
狸でGO!
>>252 半島南部=日本だったとしても、百済人=当時の日本人の一部 とは言えても、
現在の日本人が百済(百済系日本人)の血を引いてるとまでは言えないと思う。
そう言えるほど多くの人間が本土まで引き上げてこれたと思わないから。
個人的な見解としては半島南部は日本文化圏、日本人生活圏、日本の保護国ではあっても、
日本の直接的な支配下ではなかったと思う。
敢えて例を挙げればローマとラテン人の同盟関係みたいなもんで、
日本と周辺の日本人の間に日本本土を中心とした同盟関係でもあったんじゃないかと。
265 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 23:15:09 ID:U46rsYIx
家康は、ある歳から急に性格が変わった、と言われている。
実はその時死んでいて、別人が成りすましてるなんて説もw
>>258 だからといって、無理やりに日本と結びつける訳にはいけませんねぇ。
史書に無いことを想像で補って主張するのは朝鮮人だけで結構。
>>262 影武者「ハハハ、馬鹿め!そっちは本物じゃ!」
268 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 23:16:52 ID:4oAWY33p
>>265 それまでウンコを漏らすような男が急に天下人になった、関ヶ原の戦いで
圧倒的に不利なのを逆転したのは全て
>>262だよ
269 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 23:18:32 ID:Mncnv+vv
270 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 23:19:48 ID:YGdjNJ3j
271 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/01/26(月) 23:21:54 ID:qSSRF2uU
>>228 所得税は江戸時代の日本にもなかった
ーーベストアンサーーー
>>271 かわりに自主的な冥加金と『割り当て』である運上金はあったけどな。
>>271 さっき某TVタコーで森永の顔色悪い眼鏡豚がほざいていてな・・
「相続税を引き上げて、麻生さんが死んだらそれで全部持っていけば良いんですよ」とか
正直、お前が死ねと。
(第一、「じゃあお前が死んだら自分の財産全てを相続税として差し出すんだな?」
と言いたかったわ・・あれ(森永)の阿呆は)
274 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 23:28:56 ID:wojCaNtu
>>268 釣りにしても詰まらない(-。-)y-゚゚゚
あうあう〜家康を学ぶのならもう少しいろいろ自重してほしいのです
ああ、我慢強くないから家康を見習おうということなのですか?
あうあう、きっと無駄なのです☆
, '"⌒ヽ
∠(((ノノ))
ノ ゝ^ー^ノ)
((,ヘi. ゙y゙ 〉',
〈:_:l =x=l:_:〉
./_i..|.i_|
277 :
浦風15号 ◆URA15/24Bc :2009/01/26(月) 23:34:20 ID:msK/q3T/
中国人が家康を学んだとして・・・・
徳川家にあった人材が、中国では絶対に集まらない件
>>167 確かに勝率は低いが、決定的に負けない戦術ってのは凄いぞ。
野戦を得意にしていたのも、その辺だな。あれは、なかなか勝敗がつかない。
長引けば、兵の強さにまかせた強行がものを言う。
279 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 23:35:59 ID:k1XvmHSX
280 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 23:38:01 ID:ChB7vVfb
中国では明智光秀や石田三成も人気らしい
今川義元バロスwwwwwwwwwwみたいなスレもあったw
281 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 23:41:09 ID:YJx4hrjw
>>261 違うよ。律令制以前からの日本的な官職名は百済とかなり共通だぞ。
>>280 両者とも、天下を取れなかったのは、相手が悪すぎたせいってだけだものな。
明智の相手は、日本史上文句なく一番の外交の天才。三成の相手は、二番目の
外交の天才。
…普通、勝てねえって。w
>>228 李氏は予算を組んだことがないという噂がある
必要なときに必要なだけ領民から奪ってたとか
284 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 23:42:56 ID:ChB7vVfb
>>252 ・・・今の半島の生命体と、新羅自体もつながりはかなり妖しいんじゃなかった?
286 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 23:45:50 ID:A5CeeATR
>>280 実務家としては有能だとは思うが人気がでる対象かなあ
287 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 23:47:18 ID:ChB7vVfb
>>282 権威を重んじるところが好まれているようだ
中国人は織田信長に冷たく明智光秀に同情的っぽい
>>275 正に同じ事をタコーで言ってたな。
「高齢者が一番貯蓄してるんだから、全員から相続税で取れば良い」・・って
お前ふざけてんのか?じゃあ手前のTVの出演や著書で稼いだ財産も
お前が死んだ時に全て差し出すんだな?
・・って先程見てて、かなり漏れは来たからね。
>>287 三成は、信義を重んじて主のために戦ったが、
光秀は、単なる謀反人だぞ。w
290 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 23:51:48 ID:nDLZ/xpb
>>288 他にも、自衛隊を一年間動かさないで、防衛費を景気対策に使えばいいとか。
「1年くらい、丸腰でも、どこも攻めない」だって。攻める側は、丸腰のときに
せめるだろうにえ。
291 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 23:51:50 ID:YJx4hrjw
>唐が新羅救援に軍を派遣したのは親戚関係があったからですか?
唐という大国にとって新羅支援は部分的なもの。
日本が百済を支援するのは国運をかけたものだ。
しかも日本と百済の関係は単なる軍事支援じゃないだろ。
ほとんどあらゆる分野で百済と日本とは同一。
>百済が首都を攻め落とされた後に派遣された、倭系百済官僚の墳墓ですよ。
馬鹿。半島の日本式古墳は400年代から500年代まで。古墳時代。
百済滅亡は飛鳥時代。天智天皇のころだぞ。前方後円墳とか作るわけないだろ。
292 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 23:52:07 ID:Yk7QqLKF
中国にだって、北宋の趙匡胤のような奇跡とも言うべき者がいる。
・・・いまの下品な支那人とは大違いよ。
293 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 23:52:22 ID:ChB7vVfb
>>88 朝廷は絶対に善でなければならないが故に、何も為してはいけないわけだ。
何か為したら、それと反対のことをした奴が悪になってしまう。
だから朝廷は何もしない。
それが鎌倉幕府以降の日本の智恵。
295 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 23:53:34 ID:nDLZ/xpb
>>288 お前ふざけてんのか?じゃあ手前のTVの出演や著書で稼いだ財産も
お前が死んだ時に全て差し出すんだな?
これは、ないだろうね。「敵が攻めてきたら、そのまま殺されればいい」とか
言っている当人が、戦争になったらアメリカに逃げるとか言っているw
自分で、実行しないと説得力ゼロだわな。世間では、そういうのを偽善者と呼ぶ。
>>293 にしても、日本人は、信長とか曹操とか好きだよねぇw
297 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 23:54:36 ID:3fRUKDpZ
>>281 奈良時代の話でしょ、時系列混乱してない?
それに律令制以前の日本に佐平、達率、恩率なんて官位あったか?
>>292 北宋建国あたりの話は、かなり面白いらしいよね。
>>298 北宋から南宋にかけては、中華文明の華だが、いかんせん戦争に弱すぎた。w
300 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 23:58:10 ID:ChB7vVfb
>>296 そうそう。そのへんに国民性の違いがあると思う。
たしか中国では曹操は人気ないんだよね。
302 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 23:58:58 ID:a9TF7VBv
あと200年ぐらいしたら「信成」が・・・
303 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/26(月) 23:59:36 ID:NiwOaQoY
まあ李舜臣の小説が中国を席巻するからみていろ
大河ドラマも大人気になるだろう
面白さと偉大さでは家康など比べ物にならない
>>302 奴はかなり精神的に強いので、フィギアスケート界ぐらいなら、天下をとりそう。w
305 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/27(火) 00:00:53 ID:7e246LuX
日本なら大河ドラマとかにならないと2万部位しか売れないな
>>291 >唐という大国にとって新羅支援は部分的なもの。
当時の日本だって日本が戦場になるよりは、戦場は半島が
良いと判断しただけでは、日露戦争のように。
>馬鹿。半島の日本式古墳は400年代から500年代まで。
高句麗の攻撃を受けて漢城を失ったのが475年。
雄略天皇が熊津を割譲し、百済を復興させた時から
倭系百済官僚が登場するんですよ。
もしかして日本書紀読んだこと無いの?
>>306 割譲はしてないよ。
あれは 柵封。和氏だろ。
>>300 ある意味、日本人が節操無く好きなんだよなぁ。
・・・劉備も曹操も・・・俺みたいなカク文和好きも居るしさ。
徳川家康って、あんまり興味なかったけど、
260年間の徳川幕府を作ったのは、
よく考えれば、すごいのかも
>>309 家康が天下をとらなかったら、産業革命は、日本で起きていたよ。
311 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/27(火) 00:07:28 ID:jlx8RE+v
>>199 「いのち」ね。
たまには近代物の大河ドラマも視てみたいなあ。
312 :
浦風15号 ◆URA15/24Bc :2009/01/27(火) 00:07:34 ID:1WdfbYrC
>>300 詩心がある古今まれな英雄なんだけどね・・・・
儒教的にNGですから。
313 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/27(火) 00:07:57 ID:C3VwU7fO
昔から日本人は中国の古典が大好きだが
その逆パターンもあるんだな。
歓迎すべき文化の相互交流。
314 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/27(火) 00:15:29 ID:sSUNLlse
残念だけど李舜臣の小説の方が売れているんだよねえ
家康はあまり好きじゃない。
ヤクザの親分みたいな感じがしてどうも・・・・
316 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/27(火) 00:20:56 ID:jlx8RE+v
>>315 大丈夫。
だって、家康のドコに「任侠」の匂いがします?
全然、全然w
317 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/27(火) 00:23:15 ID:8YSQ7M7r
初耳だ
318 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/27(火) 00:29:49 ID:Mf1u8YvA
>>290 阿呆だよねぇ・・正直。
まぁ、あんなのは所詮テロ朝やマスゴミ&新聞各社
(こっちも相当視聴率や売り上げが激減してるらしいし)の飼い犬だから
本当の大多数の日本人に対する「まともな発言」はしないのは
当たり前だろうけど。
>>295 因みに、あの眼鏡豚も相当しこたま稼いでいるとか。
確か自宅には、自らの食玩やおまけのコレクションとか
かなりの数(それもちゃんとした展示ケースに入れて)で
陳列して居たのを以前TVで見た記憶が有るよ。
>>301 ・・こんな阿呆が「有事の際には真っ先に国外逃亡」
とかやらかすんだろうな・・ったく。
まぁ、これ以上はスレ違いだから書くのは控えるけど。
321 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/27(火) 00:42:23 ID:T3yOCASs
中国で200万部ってどうなの?
向こうのベストセラーって桁が違うように思うけど。
>>321 巻数あたり15万強なら日本でもヒット作
ただ日本の人口10倍だけど。ただ読みが出来る奴はその半分以下、
更に著作権が希薄な事考えると、
やはりヒット作じゃね。
>>310 でも中国文化がローカル地方の日本でアレンジされて熟成できたんじゃない?
朝鮮もそうだろうけど
324 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/27(火) 01:17:42 ID:zsTlcbQe
>>300 >そうそう。そのへんに国民性の違いがあると思う。
>たしか中国では曹操は人気ないんだよね。
曹操が人気ないのは漢の皇帝から、皇帝の地位を奪ったからね。
自身は皇帝の座についたわけじゃないけど、
中国人は自称漢民族の末裔だし もっとも三国志の時代には
ほとんど純血種の漢民族なんて残っていなかったようだけど。
紀元前の前漢が本当の漢民族で、後漢は北方の民族が作った国だし
皇帝だけは、前漢の建国の劉ほうのれっきとした子孫で
まちがいなく漢民族の末裔
いわば曹操は最後の漢民族を滅ぼしたに等しい。
>>314 >残念だけど李舜臣の小説の方が売れているんだよねえ
島津の補給部隊にボコボコにされて死んだ奴がなんだって?
韓国ではそうかもしれないけどとりあえず何十万部売れたの?
>>315 やくざの親分というより、タヌキ親父。
もううそばっかりついて、いいがかりばかりつけて
前田家は悪い噂を流して、お松を人質にとってるし、
上杉家はいいがかりをつけて攻め込むし、
毛利一族はだますし、しかも関ヶ原の勲功一等の小早川は最初に取り潰すし
すごい人だと思うけど、家康は好きになれない。晩年のウエスト110cmだったというし
やっぱ信長がイケメン武将だけあって好きだわ
信長、秀吉という傑物に比べると、
家康の能力の低さは否めない。
>>323 南宋は、モンゴルに滅ぼされなければ、産業革命に到達した可能性は高いよね。
あの国は、つくづく軍事力だけがなかった。だが、唐と宋の文化こそが、日本人が
未だに中国を文明国として扱う理由なのだ。
327 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/27(火) 01:23:41 ID:ZnqxMvNT
無理矢理起源をねじ込んでくる韓国人よりよほど好ましいね。
中国人も韓国人の思考には呆れてるんだろうなw
328 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/27(火) 01:24:02 ID:zsTlcbQe
>>323 >でも中国文化がローカル地方の日本でアレンジされて熟成できたんじゃない?
>朝鮮もそうだろうけど
朝鮮で熟成された中国文化って例えばなあに?
朝鮮は中国文化をアレンジせずにまんま取り入れてなかった?
貴族の着てる服もほとんど支那式で生地まで輸入してたし
科挙制度も医学も中国式
お酒の製法とその原材料も中国式
名前も公式文書もまんま支那のを取り入れている。元号もだそうです。
支那の劣化コピーのような国のイメージがあるのよ。
329 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/27(火) 01:28:51 ID:6tlwy8aM
>>1 チョン涙目
| |
| |__∧ ソ〜
| [|`Д´>
| |_∧ノ
| |Д´>
| |⊂ノ
家康って信長や秀吉にずっと軽んじられていた存在だからなあ。
ただの凡人だよ。
>>326 中国で産業革命は無理じゃない? いや技術的なことでなく哲学的に…
あの国は歴史的に様々な技術が生まれたり利用されたりしてるけど、
それが広まらなかったり廃れたりするのは、結局皇帝の玩弄物止まりだったり人々を豊かにするという目的で、
技術が使われたり開発されたりして草の根まで広げなかったことにあると思う
例えば巨大な鉄人とかの像みたいなものがある一方で、鉄自体の質は低くて日本から輸入した鉄の質に驚いたりとか…
本質より外見にこだわる文化が根差しているかぎりは無理だったろうと思うんだが…
>>329 いんや、既に
ウリナラを攻めた豊臣家を滅ぼして
恨みを晴らした家康は朝鮮人認定されてる
333 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/27(火) 01:44:28 ID:zsTlcbQe
>>325 >信長、秀吉という傑物に比べると、
>家康の能力の低さは否めない。
家康の能力は二人と比べても決して劣らないと思うけど。
戦闘能力やカリスマ性は信長はピカイチ!
身長推定165cmでやせ形。正常時でも常に身体を鍛え上げて、
剣も馬術もてっぽうも水練も槍も一通りこなせた。
経済の才覚が高く、当時の一番の金持ち大名だった。
秀吉は身長は約150cmで、戦闘能力は低く、
腕力も無く、どころか栄養失調だったという。
顔も貧相なので、育ちと見た目のいい他の戦国大名に劣等感があったとか
でも、外交能力と経済の才覚がさらに高くドン底から天下人になったのはやっぱりすごい
家康。晩年はデブだけど、三方原の負け戦の後で描かせた自画像はかなりのやせ形だった。
戦闘能力も、東海道一の弓取り、大筒をこなすなど、力持ちで知られてたし
経済面では質素倹約の人だった。地味で面白みも無いけど、
3人の中で一番の経営者タイプだった。
あんまり家康の性格は好きでは無いけどね
>>330 >ただの凡人だよ。
晩年、秀吉の人格がめちゃめちゃだったから、家康に人気が集まったのもあるけど
質実剛健なのと、実直さが評価されたからこそ、他の大名たちが家康についたわけで
豊臣政権よりは徳川政権のほうが良いと判断された。
あのずる賢さと我慢強さは凡人じゃないよ。
あと秀吉は家康を軽んじてないでそ。自分の次の官位を家康に与えてたんでよ。
石田光成や前田より位が高いんですよ。
>>333 自分のかーちゃん人質に出すくらいだしね…そこまで追い込んだ家康の力は過小評価出来るものでもないよな
ただ華々しさはホントにないな…三方ヶ原でのときのように爆発力がないわけじゃないけど
>>333 とりあえず家康は、政治力という意味では天才過ぎるな。
戦闘も実質負けたのは三方原1回だけだし。
秀吉も軍略面や人材活用術では凄いけど、天下をとってからの
政治力はなかったか。
>>335 晩年の秀吉は、子が無かったために、求心力を維持しようと焦ったのだろうな。
…その点、孕ませることにかけての、家康の才能ときたら。w
家康が受けるのは劉邦のような人物が中国では
評価されるからかな。まぁ家康は実際史記を
読んでいたようだが。
>>335 信長:構想力
秀吉:折衝能力
家康:政治力学的バランス感覚て感じかな…
339 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/27(火) 02:09:12 ID:zsTlcbQe
>>334 >自分のかーちゃん人質に出すくらいだしね…そこまで追い込んだ家康の力は過小評価出来るものでもないよな
加賀はまつで持つ。といわれたくらいに、おまつ様は、利家以上に
賢妻として家臣団の人望が扱ったそうよ。人質の件も自分からいってきます!と、志願したそうだし
>ただ華々しさはホントにないな…三方ヶ原でのときのように爆発力がないわけじゃないけど
華々しさって、三方ヶ原は家康の痛恨の負け戦でそ。夏目漱石の祖先が家康の身替わりを引き受けて死んでいるし
家康は恐怖のあまりうんこまで漏らしてますよ。
家康って、ほんと華がないのな。色気なさすぎ
340 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/27(火) 02:16:29 ID:zsTlcbQe
>>336 家康の最大の武器は家臣に恵まれてたってことよ。
それも秀吉は実弟以外は、自分の鑑識眼で優秀な家臣をかき集めたけど
家康は譜代の三河家臣団が命を投げ出して、家康のために働いて死んでいった。
三方原の夏目よしのぶ、
伏見城の鳥居
ながしの城の時の、援軍の催促にいって武田軍につかまった人も
確実に死ぬと分かってて、特攻隊みたいな役目を引き受けてるのよ
341 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/27(火) 02:18:14 ID:NGVKz7Yo
家康なんかより松下論語を読ませろよ…
342 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/27(火) 02:20:58 ID:FTvoVa9y
いくさも思想もスケールの小さい日本戦士の伝記なんぞ、よく中国人が読んでくれたな
>>340 家臣に恵まれていたのは家康だけじゃないよ
信長もそうだし秀吉もそう。
ただ前者は譜代はより能力者を重用した、
家康は譜代をかなり重用した。
で、外様はエサを釣りに、外交をした。
この辺が面白いところ。
>>339 いや、あそこで普通なら織田方から武田方に乗り換えてもおかしくなかったと思うんだが、そうせず無謀としりながらも城を出て戦った辺りが並じゃないなと
何を考えてのことなのかはイマイチ掴みきれないけど…w
>>344 城を出て戦ったのは、家臣団の強兵と、戦略的自信があったからだろ。
野戦なら寡兵でも、勝てはしなくても、負けは誤魔化せる。
篭城戦は、負けたら確実に死ぬ。
>>345 当時の背景からすると、後生の歴史家は
籠城すべきだし、家康なら間違いなく籠城したと言っている。
あの時は信長の援軍を待つ為に籠城するのが上策、
どちらにしても、上洛しているのだから信長軍と確実にぶつかる訳だしな。
347 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/27(火) 02:52:06 ID:zsTlcbQe
>>343 >家臣に恵まれていたのは家康だけじゃないよ
>信長もそうだし秀吉もそう。
これは信長も秀吉も人を見る目があったわけだけど、
能力者は自分の能力を高く買ってくれる人の元にいくわけだ。
けど家康は能力者よりも忠誠心を重んじたわけで。
家康のためになら、喜んで死にます!なんて、
子飼いじゃない限り普通はいない。
特攻隊だって片道分の燃料しか持たず爆弾抱えて敵につっこむわけで
敵にしてみれば、こんな死兵と戦うのは嫌でしょうよ。
で、家康は三方原の戦いを除いて、生涯ずっと勝ち戦です。
最初のころはすごく弱かったのに。武田軍と戦ってた時なんか
たったの5000人の兵ですよ。やっぱ主君のために死ねる家臣団は強いわ
>>344 >あそこで普通なら織田方から武田方に乗り換えても
あの状況では乗り換えたくとも乗り換えられないよ。
当時は織田との同盟があったからこそ、今川から独立できたわけで
回りは法条、上杉と武田以外にも強い大名に隣接。
織田の後ろ楯がついてなければ、独立自体むり。
それと家康自身がまだ若かったころだし、
幼少の人質生活で、親とも離れて暮らしてた家康にとっては
信長への信頼は相当大きかったと思うよ。
武田方に寝返ったところで、武田と信頼関係が結べるかどうかはわからないし
秀吉も信長に人生をかけたように、初期の家康も信長に自分の人生をかけてたんですよ。
>>345 いや、後の大阪城攻めや関ヶ原でもそうだけど、野戦だと短期決戦になってしまう
対して篭城なら後背に織田軍団が控えている以上孤立にはならないし、遠征軍である武田方には時間が敵になるはずだと思う
実際あの時点での織田方の戦略は引き込んで叩くだろうし、その旨の申し送りを申し訳程度の援軍に伝えさせてなかったっけ?
なのに…個人的にはただ一度あの時だけ、無茶したという印象があるなあ
349 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/27(火) 02:57:54 ID:zsTlcbQe
>>346 >当時の背景からすると、後生の歴史家は
>籠城すべきだし、家康なら間違いなく籠城したと言っている。
三方原の敗北のあと、絵師を読んで、自分のしかめつらの肖像画をかかせてます。
生涯の戒めとするために
すごいブサイクに描かれてますが。でも痩せてる。
あの敗北から晩年の慎重派で忍耐強い家康の性格ができたんじゃないの?
若気のいたりと経験不足じゃ?
>>349 まあその辺は読み手や歴史か考えで変わるんだけど。
あの時は信長に俺の力を見せたかったってのを
主張するやつもいるんだよ、もちろん若気の至りの延長だけど。
あの時の兵力差はそういうレベル。
>>350 ただあれをやったから、海道一の弓取り、何て言われていったんだとは思うけど…無茶だよねw
でもだからこそ後に秀吉とタメ張ったり、信長が死んだときに素早く旧武田領の人心を掴めたというのはあるかな? と思う
ホント、三方ヶ原の一戦だけは慎重をきする
家康からはまず信じられない行動。
その思惑が何だったかを想像するのも妄想するのも
歴史の楽しさの一つだよね。
本当に家康だけはわかりにくい、そこが嫌われもするし、また魅力でもあるんだろうけど…
まあそんなことを考えながら寝ます ノシ
最盛期の武田軍団に真っ正面から野戦を挑んだのなんて、どこかの軍神さんくらいな気がするしなぁ
「バカだけど、とてつもねえバカだ!」って当時の人は思ったんだろか
356 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/27(火) 05:06:38 ID:mzuNQGWG
荘八版は面白いし読み応えがあるんだけど、
女がどうにもが賢しら過ぎるのと、本能寺後の秀吉の権力掌握と
秀吉没後の家康のそれとの描写の落差が大きすぎるんだよな…
>>356 Civは攻撃・防衛志向になっていたりする辺り、家康というより武士のステレオタイプなんじゃないかと思ったり。
>>309 それは家康より三代将軍家光の力が大きいと思う。
>>336 家康は処女に拘らず子供を産んだ経験の有る女を側室にしている。
これも「実利」を優先する家康だから。
>>359 ???
かげでやってただけでは?不倫だろ
未亡人を嫁にしてなんで不倫だ
200万部ってすごいな。中国人の教養とか案外侮れない。
それに引き換え半島は、日本から輸入して読むものは、アニメとエロゲーだけ?
本が売れたって話は殆ど聞かないのだが。
>>363 漢字には読む楽しみが有るがハングルには無い。
韓国が漢字を捨てた時点で文化は消滅している。
365 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/27(火) 11:10:58 ID:w8sSRjp0
>>359 晩年の家康は童女専門だぞ
秀吉と違って跡取りなんか沢山いるのになww
あれ、また新しく立ったの?
てか、チャンコロは徳川やる夫から読むべきだろ、JK
大河ドラマ「徳川家康」と「徳川三代・葵」の
晩年(関が原以後)の家康の性格・政略が違いすぎる。
>>365 有る程度子供が出来れば子作りのセックスから快楽の為の
セックスに切り替わるでしょう。
>>355 >最盛期の武田軍団に真っ正面から野戦を挑んだのなんて、どこかの軍神さんくらいな気がするしなぁ
>「バカだけど、とてつもねえバカだ!」って当時の人は思ったんだろか
歴戦、連勝の武将の武田信玄
当時は日本最強軍団の名声を得ていた。
兵力約1万5千
松平家康
長い間、今川の属領でやっと独立したばかり
戦歴も浅い田舎大名で、周囲の藩からは軽く見られていた。
兵力約5千
いまでもとてつもないバカだと思ってますよ。
武田信玄の病死というとてつもない幸運がなきゃ、
家康の天下なんてこなかったでしょう。
家康は長寿だったからね。
家康の食事は質素だったから、長寿も本人の努力のうちなんでしょうけど。
それと前に別スレで武田軍団の騎馬軍団はドラマの作り物と
いってる人がいて
その根拠が、当時の宣教師が日本の馬は小さくて貧弱だったから
だそうだけど
モンゴルの当時の馬も日本に負けず劣らず小さいんだよね。
さらに昔の日本人は戦国時代でも小さかった
(江戸時代は戦国時代よりさらに縮んで平均約153〜156cm)
済州島にモンゴルが半島を占領した時に
モンゴル兵が連れてきた馬がその後も品種改良もされずに
小さくて貧相な馬が残っているそうです。
モンゴルの騎馬隊もドラマの作り物だというのかな?
>>370 とてつもないバカだと自覚していたと思うよ、家康自身も。
だからこそ、負けた時の顔を描かせて、後の戒めにしたんだろう。
372 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/27(火) 12:16:32 ID:PGmjA2IE
>>210 マーク・トウェインが蒸気船で川を遡ってくんだよな。
川上に異星人のテクノロジー基地があるとかで。
(全巻読んでないんで最後のオチは知らない)
373 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/27(火) 12:32:20 ID:25N8diAa
>>371 自分のことを馬鹿だと自覚している人間が、一番賢いんじゃないかね?
>>370 馬の大きさではなく頭数がそれほど多くはなかったと言う事のはず。
375 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/27(火) 12:38:44 ID:wsAh5JH0
家康タイプも沢山要るだろうけど、
中国は信長や秀吉タイプが別に珍しくないだろうから、
敢えて日本の歴史人物選ぶとすると家康に落ち着くんだろうか。
376 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/27(火) 12:43:21 ID:mODWaQRS
>>234 本能寺の変の黒幕は秀吉、萌える本能寺の中で信長が覚悟を決めて敦盛を踊っていたら、
秀吉が表れて「ククク、信長殿も甘いのう、」と言いながらトドメを刺した
>>376 秀吉は秀吉でも後に超時空太閤になった秀吉が、
信長が存命だと自分が太閤になれないからってタマ取りに行ったんだよねw
378 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/27(火) 13:04:03 ID:d8W3T3Qk
昔の事はよく解らんが島津潘の武士が飛び抜けて強かったのはガチ。
379 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/27(火) 13:17:56 ID:cGAwmiB/
>>374 >馬の大きさではなく頭数がそれほど多くはなかったと言う事のはず。
馬の頭数なんて、清王朝と李氏朝鮮の対戦を見れば、
少数でもどれだけ強いかわかるはず。
最初は清が攻めてくるなんて予想してなかったから
(ここからして問題ですが)
清軍の先鋭約5千人に、朝鮮国側はありえないほどの大敗です。
朝鮮国王は即、降伏!なんでもいいこと聞きます!
と約束しておきながら、この約束を全く守らずに時間稼ぎをして、再び清軍との対決に備えて国防を強化
半島全領域の歩兵約8万人から選りすぐりの屈強な歩兵を2万人
学生を集めて、半年弓の稽古をさせて、約1300人の弓兵
馬を100頭集めて、100人の騎馬隊を作ります。
で、清王朝を本気で怒らせて、
清の2世皇帝ホンタイジみずから約10万人の軍を率いて、朝鮮は前より勝負にならずに完敗(そして三田渡で国王自らに土下座させられます)
野戦においては歩兵と騎兵では戦闘能力が違うので、
少数でも十分強いです。
当時の朝鮮軍は明軍の援軍がなかったらお話にもならないという説もありますが
(斥候からの都合の悪い報告を一切信じなかったそうです)
>>379 武田騎馬兵の幻説ね。
あれ、武田家ゆかりの家から出た絵巻が発端らしいんですよ。
その絵巻に下馬して戦ってるとこが描かれててたから。
それだと、ペルシャの騎馬弓兵も竜騎兵も騎兵じゃなくなっちゃうんですが……。
見ててアフォかとあきれましたw
381 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/27(火) 13:25:47 ID:o1E9wA/U
半年以外の世界の歴史家が認めるように、数百年間戦に揉まれた当時の日本軍は世界最強。
当時の日本の刀、鉄砲、武術、どれも世界最高技術だった。
382 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/27(火) 13:26:25 ID:cGAwmiB/
>>375 >家康タイプも沢山要るだろうけど、
>中国は信長や秀吉タイプが別に珍しくないだろうから、
>敢えて日本の歴史人物選ぶとすると家康に落ち着くんだろうか。
家康は見習ってもしたがないと思う。
信長や秀吉は家来を能力で選んで出世した。
けど、信長はその優秀な家来に裏切られて死んだ。
光秀の裏切りは有名だけど、秀吉も信長の子共を殺して
主家である織田家を乗っ取りしたし
家康はだから能力よりも、忠誠心の高い譜代の家来を重視した。
それで自分の死後も徳川は忠誠心に守られて260年間も存続できたわけで
中国だって、始皇帝は能力主義で天下をとったわけだけど
死後に家臣に裏切られて(馬鹿の語源になった宦官ね)
秦政権なんて豊臣政権といい勝負のすごい短命政権でした。
>>379 清軍(騎馬兵10万)VS朝鮮軍(歩兵2万+弓兵1300+騎馬兵100)だよね?
騎馬兵が歩兵より圧倒的に強いのなら、質、量ともに清が圧倒してるけど。
384 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/27(火) 13:28:04 ID:o1E9wA/U
385 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/27(火) 13:29:16 ID:eDBFDFar
家康は韓国人って言いそうな勢いだな、おい。
386 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/27(火) 13:30:31 ID:OD8uqpdP
家康は嫌いだが習うことは多くあるだろうな
388 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/27(火) 13:34:43 ID:cGAwmiB/
>>383 >騎馬兵が歩兵より圧倒的に強いのなら、質、量ともに清が圧倒してるけど。
最初の戦いで、清軍先鋭約5千人にボロ負け。
朝鮮側は油断してたけど、平常時でも歩兵は約8万人いました。
戦争中に、あちこちからこの歩兵を呼び寄せて、戦時随時投入の形になったけど、
数の上では、朝鮮側の歩兵のほうが圧倒的に多かった。でも勝負にならなかったの
で、次もまた清軍は先鋭約5千人でくるだろうと用意してたら
まさかの10万だったわけで。
389 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/27(火) 13:35:41 ID:jZf2m2tx
>>382 信頼・信用なんて支那人には一番無縁。
家康を学んだ処で奴らの習性を補正する事は不可能。
>>385 最新の研究では韓半島から強制連行された李エヤスであることが判明していr(ry
391 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/27(火) 13:38:49 ID:WYqCo58u
>>381 実際その後、清朝は日本の武術を研究しているしねえ。
393 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/27(火) 13:44:20 ID:cGAwmiB/
>>383 もっとも当時の記録によると
斥候<清軍が攻めてきました!
朝鮮軍将軍<今は冬だ。冬に清軍が攻めてくるはずがない!虚偽の報告をし、軍を惑わした罪でおまえを処刑する!!
斥候<まっまってください。明日になればわかるから私の処刑は明日まで待って下さい!!
これが清軍と朝鮮軍の決戦前夜の会話だったそうですから、
敗因は、頭数とか馬の数とか、そうゆう次元の問題ではないかもですが。
>>393 自分に都合の良いことしか見ようとしないのは当時からなんだなw
>>393 夜は敵も眠いはずだから夜襲なんてないだろ、JK、今日はもう寝るでパスタ
まで読んだw
396 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/27(火) 13:51:30 ID:cGAwmiB/
>>394 >自分に都合の良いことしか見ようとしないのは当時からなんだなw
清軍との対決の50年前に秀吉が朝鮮通信使と面談してまして
朝鮮通信使の正使は「日本が攻めてきます」と報告。
で、
朝鮮通信使の副使は「日本は攻めてきません」と報告。
で、副使の意見を採用し、対日本用の国防を全くしてませんでした。
どう考えても伝統です。
>>381 当時は鉄砲の数も世界一なのは確かだね。
日本刀は今でも刀剣類で世界一だし。
398 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/27(火) 14:25:48 ID:cGAwmiB/
>>397 >当時は鉄砲の数も世界一なのは確かだね。
>日本刀は今でも刀剣類で世界一だし。
でも火薬がなかったのよ。
自然硝石は、明、インド、チリの3カ国にしかなかった。
スペインも明に冊封を受けて火薬を買って日本に転売してた。
日本は明の属国になるのなんてまっぴらだった。だから明に出兵
江戸時代に加賀藩が糞尿から硝石を製法する技術を確立。
尿を発酵してバクテリアがアンモニアを作る。草木に含まれているカリウムと反応。
これが3度発酵して硝酸カリウムとなる。
大量のおしっこに腐った草木を1年間つけむとできるらしいが。とても時間がかかる。
日本刀の最高峰の正宗は、鎌倉末期〜室町初期だよね。
戦争が武器の技術を高めるから
江戸時代は武器の進化が止まっちゃったわ
>>388 いやね騎兵の優位性を示す例としては、甚だ不適当だと言いたいのだが。
400 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/27(火) 14:59:09 ID:Z3Qc2lTG
>>398 逆に、
輸入したくないから
糞尿から硝石を作る方法を考える日本人が恐ろしい。
401 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/27(火) 15:16:39 ID:cGAwmiB/
>>399 >いやね騎兵の優位性を示す例としては、甚だ不適当だと言いたいのだが。
清軍先鋭約約5千人(騎兵)vs朝鮮全軍約8万人(歩兵※ただし半島各地から数千人ずつの随時投入戦)
これなら騎兵の優位性が伝わるかな?
要するに騎兵は侵攻が早いので、
朝鮮側が十分な情報や兵を集めて準備をする前に先制攻撃ができた。
歩兵は陣地に結集する時点で時間がかかります。
当時はネットも人工衛星もないので、移動の速さが武器
(朝鮮側は戦いの前夜でさえ、清軍がすぐ側にいる事を知らなかった)
402 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/27(火) 15:47:18 ID:Z/nB4aQX
>>398 平和な江戸時代でも、長曾根虎徹という名刀を生み出す日本。
元は飾り職人だったらしいです、この人。
>>398すごいなものづくり日本w
やっぱ民族性ってあるんだね。
404 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/27(火) 15:56:57 ID:cGAwmiB/
>>400 >逆に、
>輸入したくないから
>糞尿から硝石を作る方法を考える日本人が恐ろしい。
西洋の方では、チリ砂漠下に莫大な量の自然硝石があるのを発見して、
そちらから輸入してたみたいね。
で、火薬→爆薬 銃や砲の改良
18世紀〜19世紀にかけて、清王朝をボコボコに
>>401 逆に言えば防備を固めて、更に要害とかに篭られたら優位性は無くなるって事だよね。
407 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/27(火) 16:08:29 ID:1ozu5FWX
うんこの事をこれほど長く語り継がれてしまう人も世界に稀であろう
うっかり歴史に名を残すと恐ろしいにゃー
408 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/27(火) 16:11:20 ID:T7qdUR18
家康って、大阪では嫌われ者だよな?
豊臣が天下取られなかったら、大阪弁が標準語になってたって、本気で思ってるらしいし。
江戸弁が標準語になってる訳じゃないのにね?
>>407しかみ図だっけか?
あの時を忘れない為に描かれた図、あれも『忍耐』美談にもなるからねw
411 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/27(火) 16:12:42 ID:T7qdUR18
412 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/27(火) 16:26:32 ID:cGAwmiB/
>>406 >逆に言えば防備を固めて、更に要害とかに篭られたら優位性は無くなるって事だよね。
全くなくなります。あくまで野戦の話ですよ。歩兵に対する騎馬隊の優位性は。
実例として
ながしの城の戦い。武田勝頼の約1万5千人に対して家康の家臣団はたった500人だった
けど籠城して、家康が5千人+信長が3万人の援軍と鉄砲隊(1000〜3000人)を自ら引き連れて援軍にくるまで守りきった。
朝鮮国は平常時でも、情報収集とその分析と国防をしっかりやってれば
清軍たった5千人に負けることはなかっただろうに。
413 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/27(火) 16:38:10 ID:LPsFcjwf
>>412 今の韓国も情報分析はからっきし駄目だね。
最悪のパターンを想定して作戦を立てなくてはならない所を
自分の都合が一番良い状態に妄想してしまう。
天気予報もまったく当たらない。
416 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/27(火) 16:46:13 ID:cGAwmiB/
>>414 >今の韓国も情報分析はからっきし駄目だね。
>最悪のパターンを想定して作戦を立てなくてはならない所を自分の都合が一番良い状態に妄想してしまう。
>天気予報もまったく当たらない。
あーだからか!ソマリアの海賊で、日本海事と韓国海軍が協力で、
日本海事が情報の分野を引き受けるというのは!!
韓国軍なんかの情報分析で戦ったらどんな結果になるかと思うと
417 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/27(火) 16:47:07 ID:v/zBcUUz
山岡荘八の「徳川家康」って
以前に韓国でも大ブームを起こしたんだよな。
しかし中国でもブームなんてなったら
民主党の山岡賢次がしたり顔でしゃしゃり出てきそうで嫌だなぁ。
418 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/27(火) 17:12:28 ID:y4pWIFtK
「豊臣秀吉」を半島で出版汁
419 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/27(火) 17:26:46 ID:cGAwmiB/
>>418 >「豊臣秀吉」を半島で出版汁
またそんな鬼のようなことを。
欧米や中国だけでいいよ。
NHKドラマのは朝鮮出兵の部分がないので、ドラマはいまいち。
徳川家康がやるおになるようです。AAを
完全英語訳にして、
AAの部分は画像で貼り付け。
ネットで公開すれば、ヘタリア以上にヒットすると思わない?
あの、ニダーの「ただいま〜日本は攻めてこないニダ!」の画像付で
イスンシンの活躍と島津に返り討ちにあう部分もあるし
ヘタリア以上にふぁびょるだろうなぁ
>>419 北条時宗の時、NHKは朝鮮をガン無視だから
触っちゃいけないんだろうねw
>>419 やる夫の家康は朝鮮出兵をほぼ丸々書いてるから
普通にファビョりそうだなあいつらw
>>412 騎馬の優位性って、移動速度だけだもんな・・・中世の日本では。
戦の時は馬から降りるし。
源平合戦の頃から既に騎馬の優位なんか崩れているしね。
昔ながら騎馬兵主体の平氏に対し、源氏側は大量の人夫達に
戦場に空掘、逆茂木、高矢倉を築かせ騎馬の突撃を無力化
させている。
とりあえず歩兵が騎馬に対抗するには最低でも長槍で馬を刺す事でしょう。
弓矢で馬脚を狙って矢で刺し抜くも良い。
馬さえ倒してしてしまえば良い訳だし。
>>398 平和になったからこそ、余り武器(特に鉄砲の類の火器系統)は
必要が無くなったからねぇ、武士同士の場合は刀で事足りる様になったし。
(それが証拠に、幕末にはまた武器の製造や大砲の輸入及び
開発&製造にも力を注ぐ様になってるしね)
ここで、漏れが独断と推測と妄想で考える
名城と最強城郭を貼ってみるお。
「最強」三大城郭
「信長安土城」「豊臣大阪城」「寛永期江戸城」
四大城郭
「徳川大阪城」「熊本城」「姫路城」「名古屋城」
中規模クラスでの城郭
「高知城」「徳島城」「萩城」「金沢城」「津山城」「岡山城」
「広島城」「鶴ヶ城(会津若松城)」「松本城」「駿府城」「小倉城」
「高松城」「彦根城」「岡崎城」 「和歌山城」「伊予松山城」「備中松山城」
資料不足等で今現在は評価未定の城郭
「北ノ庄城」「米沢城」
取り合えず、主だった城郭だけだけどね。
427 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/28(水) 01:13:59 ID:Q2sp6jti
>>426 >平和になったからこそ、余り武器(特に鉄砲の類の火器系統)は
>必要が無くなったからねぇ、武士同士の場合は刀で事足りる様になったし。
>(それが証拠に、幕末にはまた武器の製造や大砲の輸入及び
>開発&製造にも力を注ぐ様になってるしね)
>ここで、漏れが独断と推測と妄想で考える
>名城と最強城郭を貼ってみるお。
「信長安土城」って、大阪城や江戸城並みにすごいお城だったの?
ちなみに、硝石の製造に成功した加賀藩では、
硝石の製造を門外不出の秘法とし、五箇山の秘境でブラックボックス化して
秘密火薬工場を作るも、結局、他の藩の産業スパイに秘術を流出しまくっちまったそうです。
で、各藩が製造するようになってしまったそうです。
加賀藩の硝石の上納は1603年からだけど、仕込みをしてから7,8年後で良質の硝石がとれるので、
逆算すると江戸時代ではなく、戦国時代から製造開始のようです。
さらに日本が鎖国を解いて、南米のチリ硝石を輸入するようになってから
廃れてしまったそうです(すごい時間がかかるのにちょっとしか取れないから)
けど、この火薬の研究は平和な江戸時代には花火の研究開発へと進んだそうです。
ちなみに線香花火の作り方
http://www.crdc.gifu-u.ac.jp/edsoftol/kadai-hs/hanabi_1.html http://www.crdc.gifu-u.ac.jp/edsoftol/kadai-hs/hanabi_2.html 材料
和紙、硝酸カリウム、硫黄、炭素、塩化カリウム、鉄粉末
器具
乳ばち4つ以上、薬さじ(金属製以外)、ピンセット
428 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/28(水) 01:24:39 ID:XB08zUJO
>>408 徳川家康の人生最大の汚点、大坂城の陥落後に
雑兵による略奪と偽首目当ての虐殺、そして奴隷狩りと強姦を
黙認した件で嫌われてるんだよ。豊臣政権下での大坂は
徳川家康の手によってグチャグチャにされた訳でね。
>>428 その話は良く聞くんだが・・・
今まさに大軍同士が大合戦やってるっつうのに
大阪の町人てえのは避難もせずに町中におったんかいね?
なんかすごくウソ臭いというかプロパガンダ臭くないか、その話?
430 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/28(水) 01:47:43 ID:zL32vY1K
それにつけても秀吉を醜悪に描く大河連発。
>>430 秀吉は理不尽な醜悪が多いからじゃ。
信長は、刃向かう奴しか残酷性はみせないが。
432 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/28(水) 02:08:10 ID:Ue6vfyQF
中国で200万部て凄いの?
台湾で500万部でしょ?
433 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/28(水) 02:20:03 ID:h3noLzqy
秀吉は向こうの国にとっちゃ大悪人ですから
晩年は確かにアレだったけど
434 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/28(水) 02:46:27 ID:s7oV3mQP
>>431 >秀吉は理不尽な醜悪が多いからじゃ。
>信長は、刃向かう奴しか残酷性はみせないが。
信長は残酷じゃないよ。
激情型なだけ。怒ると容赦なく怖いけど身内には甘いしやさしい。
拷問が好きとか、そうゆう変質者的な残忍さはない。
あの時代の戦国大名は恐怖の対象じゃないと勤まらなかったわけで
ヘタにやさしいと敵にも部下にも舐められた。
伊達正宗は、24歳の若さで奥州統一という偉業を成し遂げたけど、
彼は(降参は認めません!降伏してきても皆殺しにいたします。夜露死苦)と、徹底した。
周囲の小大名達は、これに恐怖して伊達正宗が宣戦布告して来る前に先に降伏してきた
結果的には敵味方の死傷者の数がもっとも少なく短期間に奥州統一
一方、武田信玄の方は、篭城して出てこない敵に恐怖を与える目的で
城の回りに、倒した敵兵の生首3000個を並べたらこれが逆効果で
大戦相手はますます城に立て篭った。苦労して敵城を落とした時、
兵士でも無い雑用係の男や女達をどれいにして売ったりしたので、
周囲の強い反感を買って結果的にこれが信濃統一を後らせたといいます。
恐怖を与えるのと憎しみを買うのと、さじ加減がむずかしい。
信長が魔王とまでいわれたのは、大規模坊主殺しをやったから
(坊主を殺すと祟りがあり天皇家に弓引くものは3代まで呪われる)と、当時は祟を信じていた
家康は残忍ではないけど非情。信長と正反対で、家族に冷たく
12年もほったらかしにしていた息子の信康に謀反を企てられたような父親。
秀康にいたっては、双子でその片割れは死んだ事にされて平民の神主になってるし
秀吉のは残虐性。殺す必要のないところで幼子も殺してるし
秀次事件にいたっては秀次の女達を殺して、ひとつの穴に埋めてその上に畜生塚と書いている
理不尽というより人格異常に近く、為政者の行為としては完全に失格
435 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/28(水) 02:58:10 ID:zL32vY1K
なことはないであるよ。
どくろで酒飲むなんてえのはどどどどどどどSでないとやらない。
436 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/28(水) 03:31:22 ID:s7oV3mQP
>>435 >なことはないであるよ。
>どくろで酒飲むなんてえのはどどどどどどどSでないとやらない。
髑髏盃でみんなに酒を飲ませたという件は後世の創作の疑いが濃厚です。
「盃」については明治以降の書物が初出
「信長公記」では、そのエピソードが盃ではなく飾って酒の肴となっている。
「信長公記」は、信長の家来が江戸初期に書いた物です。
あとフロイスが信長と18回あったが、信長は酒を飲まないと記述してる。
明智光秀に髑髏盃で酒を無理じいしたというのも出典が怪しい。
髑髏杯というのは密教の法具として昔からあった。チベットではカバーラと名づけられ、これが瓦の語源となったそうです。
密教の法具では祟りを恐れて箔を施す。祀りあげることで祟りを防止する意味がある。
だから必ずしもドS行為ではないです。
437 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/28(水) 03:44:32 ID:s7oV3mQP
>>436 信長も秀吉も家康も、江戸時代も明治時代も
色々な戦国物語の題材になってて史実より、
おもしろおかしく書かれているので
特に(明智が髑髏盃で酒を無理強いされた)というエピソードは創作の可能性が大です。
「信長公記」では(特に具体名も出ず)各御謡御遊興、千々万々目出度御存分に任せられ御悦びなり。
↓
「信長記」で已に三献に及びける時、珍しき肴あり、今一献あるべきとて、黒漆の箱出て来る。
何ならんと怪しみ見る処に、柴田修理亮勝家が呑みける時、
自ら蓋を開けさせて玉ふに薄にて濃なる頸三あり。
と、こう変わっているので、ここで歪曲の第一段階が入ってるらしいです。
で、「信長記」ですら、盃にして酒を飲んだではなく、飾り物にして酒の肴にした。です。
438 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/28(水) 04:04:55 ID:s7oV3mQP
ただ革命がイヤなだけじゃないのか?
440 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/28(水) 04:15:49 ID:a3NV61xI
一方で日本は西遊記で腐女子を大量に生み出した
アドレスを貼り付けるとなぜか、書き込みできないので
留学生30万人計画の反対の署名
署名TVのHPにあります
日本人の中にも、苦労している学生がたくさんいるのに
留学生ばかりを優遇するこの計画に反対します!
今の財政難の時期に、留学生にお金を払う余裕があるのなら
まず日本の学生達を助けてください!
お願いします!
442 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/28(水) 10:44:59 ID:xNaJvrA6
>>439 >ただ革命がイヤなだけじゃないのか?
そりゃ革命はイヤでそ?
(中国の都市部の企業家や「白領」と言われるホワイト
カラーなどの間で爆発的人気を呼んでいる。)
この人達が読んでるわけで
>>429 そういう話の類は、どの立場のものが記したかによってかなり変化するからなぁ。
ただ、昔の合戦においては、戦場以外ではそれほど避難していたわけでは無いような記述が多いよね。
落ち武者狩りとか、むしろ積極的に関与していたような気も。
444 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/28(水) 19:07:37 ID:xNaJvrA6
>>443 >ただ、昔の合戦においては、戦場以外ではそれほど避難していたわけでは無いような記述が多いよね。
>落ち武者狩りとか、むしろ積極的に関与していたような気も。
関ヶ原で近所の農民が、手弁当持参で観戦していたという逸話もありますね。
昔の合戦は作法がやかましく、侍以外の人は襲われる心配がなかったから。
むしろ地域を統治してる大名が死んだ直後ののほうが怖かったとか
怖い侍がいないので、無法地帯で強姦、泥棒なんでもやりたい放題!
古い外国映画で舞台は南米だったと思うけど、
警察がストをして町中が無法地帯となる話があったけど。
きびしくて強い大名は、侍以外の庶民の生活も守ってくれる存在だったから、
黙認したというより、戦場と化した町で秩序を維持するほうが至難のわざかと
大阪陣屏風は黒田長政が戦勝記念に書かせたものだが、半分は民衆虐殺なんだよね
忠実に書かせたのか戒めに書かせたのかよく分からんが
信長・秀吉じゃなくて家康ってところが意外だな。
つか、三傑のうち家康に注目した中国人はやっぱ侮れないな。
信長が、寺を焼き討ちにする際、
見せしめのため、遺体を逆さに吊るして野ざらしにしたが、
寺を焼き討ちにすると、上昇気流が発生して、局地的に雨が降った。
信長の行ったことは、当時としては、それほど残虐なことではなかったが、
戦の後で雨が降ったことで、恐ろしさが強調されてしまった。
本当に祟りがあるのではないかと。
このため、庶民は、雨乞いするとき、坊主に見立てた人形を逆さに吊るした。
一方、晴れて欲しいときは、その人形を正常な姿で吊るした。
それが後に「てるてる坊主」と呼ばれるようになった。
>>445 鎧を堀に投げ捨てて逃走する浪人とか、細かいよなぁ・・・あれ。
だから、クビを切られている奴も更衣兵みたいなもんだと思ってみていたが、確かに無き悲しむ家族とかが傍に居るのは変だもんなぁ。
449 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/28(水) 20:22:53 ID:xNaJvrA6
>>446 >信長・秀吉じゃなくて家康ってところが意外だな。
>つか、三傑のうち家康に注目した中国人はやっぱ侮れないな。
信長を主人公にした時代劇小説ってあったっけ?
あと経営者やホワイトカラーが好むキャラではあるのよ。
秀吉みたいに社長が豪華絢爛を好んで、ゼイタクしまくりだと会社潰れるもん。
>>447 >このため、庶民は、雨乞いするとき、坊主に見立てた人形を逆さに吊るした。
>一方、晴れて欲しいときは、その人形を正常な姿で吊るした。
>それが後に「てるてる坊主」と呼ばれるようになった。
なの?子供心に残酷な歌だと思ってたけど。
首をちょん切るぞ〜
百度の家康スレ見てたら何で日本人は家康より秀吉の方が好きですか?とか質問されてて
秀吉は中国大陸への野心があったから日本人は好きに違いない認定されれワロス
452 :
なし:2009/01/28(水) 21:03:21 ID:pcs/SuYD
果たして信長が偉大かそれとも家康か?日本の永遠のテーマだな。人生は重い荷物を背負って坂道を行くが如し。これが実際に家康が言ったセリフならなら間違いなく家康に軍配あげるね。
>>454 > 潔癖な所は有ったと思うけどね。
汚物は消毒だぁ〜!
ってことか?
>>455 ・・まぁ、実際当時の仏教界の幾つかも内部では
相当腐敗していた節が有るから・・
(まぁ、組織として巨大化すると
如何しても腐敗等は生じる物だと思うけどね)
457 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/29(木) 01:07:57 ID:3l/9Ouzo
>>452 信長の部下になったら、生きた心地しないぞ。
家康はちょっと安心できる。
>>457 寧ろ逆に部下から「殿が糞を〜」で揶揄される可能性が(ry
459 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/29(木) 01:21:06 ID:vG2HikzO
>>94 >
>>89 > まあ晩年の秀吉はDQNなので
> これだけの英雄なのに、日本で人気がないのもそのせいかと。
いや、秀吉、人気あるから
山岡荘八の徳川家康って30巻ぐらいあったような。
毎年10巻ぐらいで挫折する鳥頭だけどw
461 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/29(木) 04:22:57 ID:LbJndQSg
>>457 >信長の部下になったら、生きた心地しないぞ。
>家康はちょっと安心できる。
そうでもないよ。信長は江戸時代の創作で、
冷酷残虐のキャラづけされてるし、家康は仁の人のようにキャラ付けされてるけど、
史実の信長はパンクファッションが好きなおしゃれさんだったのと、
坊主大量虐殺をやった以外は、戦国大名としては当時の常識の範囲内です。
で、家康はけっこう冷酷だよ。
長年連れ添った、四天王の部下に、絶対に生きては帰れないような命令を出してます。
鳥居忠正とその部下達に死ぬ役目を命じている。
あと家康は約束を守らない。
譜代の部下が討ち死にした場合は、その子孫の生活の面倒を見てるけど
関ヶ原では、毛利一族の小早川、吉川を寝返らせておきながら、小早川家はとりつぶしてるは
120万石の毛利一族は小藩にして長州に追いやるわ。
信長は約束は守るし、家康ほどずるくも汚くもない
刃向かう者に容赦はないけど、伊達正宗や信玄のほうが信長以上に容赦なかった
信長は家族や親戚を大切にしたし、妻や子供と仲もよかったけど、
信玄は自分の父親を追放して城主になるし、敵の民間人まで奴隷にして売り飛ばすし
伊達正宗は人質に取られた自分の父親ごと、鉄砲で敵を撃ち殺してます。
あの時代の名将といわれた戦国武将にはどいつもこいつも冷酷非情の逸話がてんこ盛り
そうゆう時代だったということよ
462 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/29(木) 04:27:34 ID:LbJndQSg
>>454 まぁこれは素敵なプラモだこと。
お城って、子供のころ、松本城にいってがっかりした記憶が。
私のチビだけど、戦国時代の日本人ってどれだけちびだった?と、
思うほど、天井が低いし階段狭いし昼間なのに中が暗いし
もっとも吉川英治の記念館にいったら、そこも負けず劣らず
小人の洋館で、他の見学者の外国人が、ドアの出入りに屈んでいるんだけど
それでもゴンゴン出入り口に頭をぶつけていました。
神戸の洋館にいった時は今のおうちと変わらないゆったりサイズなんですが
日本人は肉食を辞めた江戸時代がもっともちびで、
戦国時代は肉をとってたせいかもっと大きかったそうですけどね。
でも城のデザインは、中国や韓国のものとも違って
日本は独特で美しいですね。
>>453 >その言葉創作だよ
東照宮遺訓は、家康の言葉か?東照宮の編者の言葉か?不明なんですよね。
信玄のように旗印にしてたわけでもなく、
掛け軸にしてたわけでもなく家康の死後に出てきた言葉だから
そういえば、風林火山も孫子の言葉なんだけど
まるで信玄が考えたかのように有名になってるよね。
日本で最初に風林火山の旗印を遣ったのは、足利尊氏の敵、北畠顕家なのにね
孫子の言葉
「其疾如風、其徐如林、侵掠如火、難知如陰、不動如山、動如雷霆。
/其の疾きこと風の如く、其の徐(しず)かなること林の如く、侵掠すること火の如く、
知りがたきこと陰の如く、動かざること山の如し、動くこと雷霆(らいてい)の如し」
からの引用。
これは「移動するときは風のように速く、静止するのは林のように静かに、
攻撃するのは火のように。隠れるには陰のように、防御は山のように、出現は雷のように突然に」
463 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/29(木) 04:33:54 ID:CCMytPM8
「人の一生は、重荷を負って遠き道を行くが如し、焦るべからず。
不自由を常と思へば不足無し」
こんな家康の教訓、中華や朝鮮には絶対無理だろw
>>459 歴史的な功績と比べると
人気はやはり落ちるんじゃないか?
>>462 城内は敵が攻めづらいように窮屈に設計されていたと聞いた記憶がある
実際平均身長も低かったから、なおさら窮屈に感じるんだろうね
>>461 いや、そこは信長と違ってそんなことをしても裏切られない=敵対者がいないという状況になったかどうかじゃないか?
信長もその治世の末期には、部下の領地をぽんぽんすげ替えたり、中央の要地を息子達に抑えさせて有能な部下はどんどん辺地へと追いやってたし…
勿論地方に存在する有力な敵に対する戦略的な方面軍としてだけど、もしその敵が存在しなくなればどうなったか…
あと佐久間とかの扱いを見るとやっぱ怖いと思うなw
>>465 そりゃそうだろ。
天守閣の中で槍振り回すわけ無いもんな。
・・・まぁ、そこまで敵が来たらもうお終いだけど。
あと、戦国時代の武士は、実は体格のいい奴がセレクトされているから、あの時代の中では大きいほう。
逆に江戸時代になると、体格の如何に関わらず城勤めするから、武士の平均的な身長は下がっているらしい。
・・・と言う話を、尺を詰めて銘が消えてしまった二つ胴の刀を手にしながら説明してもらったことがあってなぁ。
風林火山を孫子の言葉と知らない奴は、もうしょうがないだろ・・・相手にしても。
背水の陣や国士無双を知っていても、韓信を知らない人も多いんだろうし
>>466 獲物が居なくなれば猟犬は煮られる・・・のは、万国共通かぁ
>>467 天守閣で戦った例でいえば柴田勝家がいるけど、
基本はそこまで追い詰められる前に腹切るだろうね。
>>468 そうでなければ納まらないという現実もあるしね…豊臣政権の末期がそんな感じ
五大老を始めとする大大名の力を削ぐ時間も、また立場的な強みもなかった秀吉の死後は…
たいして家康は子飼いに厚く報いることはせずに、外様には大きな領地を与えて辺地へ…で、嗣子なきはでどんどん取り潰しw
ちなみにもし信長が同じ立場になったなら、そんな気長なことはしなかっただろうと個人的には思うな…w
>>461 >鳥居忠正とその部下達に死ぬ役目を命じている。
その辺、結構漫画とかに使われてるよねぇ。
俺としては本田さんに『へぇ、お前でも息子の処刑は嫌なの?』と聞いているエピソードが好きだけどな。
>関ヶ原では、毛利一族の小早川、吉川を寝返らせておきながら、小早川家はとりつぶしてるは
120万石の毛利一族は小藩にして長州に追いやるわ。
西軍の総大将が家を残してもらったのみならず、吉川の安堵された所領を毛利本家に譲ることを了承してもらったんだから、論功行賞としては、しょうがないんじゃない?
472 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/29(木) 05:18:41 ID:5tCR3Wy3
>>462 孫子の兵法、って過大評価されすぎなんじゃないのかな?
支那の大陸だろうが大和の地だろうが、何処でも、こんなのは有能な武将なら基本中の基本だったと思うよ。
唯、勝ち残った人間が言うから、もっともらしく聞こえるだけ。(個人的に思う)
>>472 基本中の基本だからこそ、大事なんだろ。
・戦争は国の死命を決する大事だから、むやみやたらにやっちゃ駄目
・勝てそうだったら戦えよ。ただし、負けない方法は有るけど絶対に勝てる方法は無いからね
・スパイで相手を駄目にするほうが安上がりだぜ
・・・・って言うのを、常に確実に成し遂げている奴はそうは居ない。
>唯、勝ち残った人間が言うから、もっともらしく聞こえるだけ。(個人的に思う)
むしろ、勝った人間が孫子の規則から逸脱していない幸運な人々なんだよ。
474 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/29(木) 05:33:59 ID:5tCR3Wy3
>>473 中学生の頃、教師から言われた。
優秀な官僚は東大生ばかりだが、争って負けた官僚も東大生なんだよ。
ってな。
負けた武将も孫子の兵法を運用してるんだよね、国力の違いで負ける事だってあるさ。
そろそろ、隣のキチガイ民族が韓国人だと妄言を吐くころだな
>>460 文庫本で26巻。
ちなみに、信長5巻。秀吉8巻です。
>>468 >あと、戦国時代の武士は、実は体格のいい奴がセレクトされているから、あの時代の中では大きいほう。
>逆に江戸時代になると、体格の如何に関わらず城勤めするから、武士の平均的な身長は下がっているらしい。
それももっともか。戦国時代と江戸時代の鎧や着物のサイズの違い。
秀吉が推定150cmで、栄養失調で腕力も弱かったそうですが
世が世なら丙種合格(つまり兵隊不合格)で、よく信長も戦場にいかせたよなぁ
>>471 本田さんはものすごい功労者だったんだけど、晩年は冷遇されたんですよね。
ひこにゃんより功績が多いのに。
本田さんの態度が田舎の小さな大名の頃の家康と態度が変わらなかったせいかしら?
真田さんの助命で、真田さんを殺したら家康と闘う!とまでいった。
結果的に助命を聞き入れて真田親子を助けたためにてこずる羽目になった。
ひこにゃんは家康が33歳の時の出合いだから、家康のみじめな人質時代を知らないし
>>472 >孫子の兵法、って過大評価されすぎなんじゃないのかな?
孫子の評価は、戦争未経験者にわかりやすいマニュアルを整備してくれたところにあります。
孫武は実戦ではけっこう負けてます。相手はシナ史上もっとも優秀といわれたハンレイ(孫子の弟子)
ハンレイは孫武に対して奇策を用い、孫武はハンレイが何を考えているのか読めなくて負けてます。
ハンレイは、おれさぁ孫武が次にどんな手を打ってくるのか、全部先がよめちゃうよーw
といって、孫武との対戦で全勝してます。
軍師教育者としては大変立派ですが、ある意味バカかも
478 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/29(木) 12:04:41 ID:ScuykjOL
>>466 戦国時代の優秀な大名は(残酷・残虐)という点において、みんなやってる事にそれほど大差がないんですよね。
あと敵が根も葉もない噂をばらまいて、相手の評判を落としていたのもあったし
殺生関白豊臣秀次の辻斬りとか。
常識で考えれば、関白様がみずから夜中にふらふら町をうろついて町人を殺すなんて
ドラマの暴れん坊将軍よりありえない設定だよね
けど秀吉の秀次の女達の畜生塚は当時の戦国大名の常識下でも一線を越えた行いであり、
あれで評判を落としたのは確か
479 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/29(木) 12:11:15 ID:ScuykjOL
>>471 あれ?本田さんじゃなく、榊原さんに嫌味いったんじゃなかったっけ?
榊原さんが、信長さんに(信康は謀反を企んでいます!)と讒言して、信康を切腹に追い込んだ件で
480 :
お肉博士 ◆pnsj6r5ao. :2009/01/29(木) 12:13:25 ID:rJE5a6h0
酒井忠次じゃね?
酒井のはず
山岡の家康って相当家康贔屓に書いてるやつだろ。
前に読んだけど家康が完璧な聖人君子に描かれててワロタ。
豊臣家も存続させたかったけど息子と部下が暴走して滅ぼしちゃったとかw
大河にもなって一時は家康ブームになるも、その後は日本人が好きな歴史上の人物ベスト10にも選ばれない人w。
483 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/29(木) 12:26:45 ID:Bg/F3En7
↑酒井忠次で正解。
本多忠勝の息子の話は、大阪の役のエピソードで「オヤジの欠片ほどの武勇もないヤツw」って
公衆の面前で嘲弄。そのせいで翌日は意気上がる大阪勢に突撃かまして味方の
士気を高めたが、結局討死した。
要は戦局挽回させるための特攻隊長に精神的に追い込んで使い潰したってわけだ。
ちなみに信長は寝返り後は召抱えとか無罪放免って約束しといて斬首ってのはかなりあった。
だから織田との和議・密議は命取りになると周辺の勢力から警戒されていた。
484 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/29(木) 12:27:12 ID:GNJIx4jd
>>461 坊主大量虐殺をやった以外は、戦国大名としては当時の常識の範囲内です。
で、家康はけっこう冷酷だよ。
比叡山焼き討ちは、宗教が政治に介入するのを嫌った結果だものな。ちなみに
比叡山と信長の子孫は、和解している。
家康の場合、冷酷、ずるいというより、実利主義、合理主義を追求した結果だと思う。
だからこそ、天下を取れたともいえるが。
豊臣家を滅亡させたのは、平清盛が、源頼朝、義経兄弟を助命したことが、
平家滅亡につながったことからの教訓だ。
後白河法皇など、陰謀家で腹黒い悪役扱いされることが多いけど、
源平に囲まれた乱世の中、生き残るにはこれくらいの強かさが必要。
冷酷とか狡猾というのは、我々の感覚からすればそうだろうけど、
生き残ったものが正義の世界では、必要な要素だと思う。
>>482 そうなのか?
前に見たランキングでは八位くらいにいたぞ。
一位は信長、二位は龍馬だったかな。秀吉が七位くらいだった
竜馬も素浪人の割りに無駄に人気があるな
素浪人だからこそ人気あるんじゃないか?
488 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/29(木) 16:59:20 ID:ScuykjOL
>>486 >竜馬も素浪人の割りに無駄に人気があるな
竜馬もつこうと思えば、政府の要人にもなれたのに、
民間人の商社マンの草分けを目指す事を選択したんだよ。
仕官したがっているなら素浪人だけど、すでに商船で働いているんだし素浪人とはいわないでしょう。
そこがカッコイイのと、志半ばで暗殺されているから同情もあります。
桂小五郎さんよりも高杉晋作さん
大久保利通よりも西郷さんのほうが人気があるわけで。
489 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/29(木) 17:33:15 ID:y64d5Yo1
坂本竜馬は暗殺されなかったら財閥の創始者になって
そんなに人気もないただの資本家の一人になっていただろうけど
そうなる前に死んだから悲劇のヒーローになった
490 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/29(木) 17:58:26 ID:Qhs5nwFo
支那は一対一の封建社会の経験も無いのにどう認識しているか気になる。
常に出し抜き裏切り殺す掟しかない支那人が大平を理解出来るのか。
491 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/29(木) 18:53:42 ID:ScuykjOL
>>490 >支那は一対一の封建社会の経験も無いのにどう認識しているか気になる。
>常に出し抜き裏切り殺す掟しかない支那人が大平を理解出来るのか。
まず理解できないでしょう。でもあれはお話として読む分には面白いと思う。
古代日本には大化改新で645年に公地公民制という一種の共産国家となり、これが失敗して
奈良時代の743年に墾田永年私財法が発令されて、共産国家が崩れて、荘園制度が始まりました。
さらに近代に三権分立を確立する前に、すでに鎌倉時代に幕府と朝廷という二権分立を確立。
日本は共産思想を1300年以上も昔に体験してたから、お互いに助け合う相互扶助や、みんなで協力しあう団結の思想や組織としての力など、
日本のほうが中国以上に社会主義化してる面があります。
古代から現代までの日本の歴史が理解できたら日本という国が理解できると思いますよ。
でも背景が理解できなくても、戦国物語は面白いからねぇ
クイーンエリザベスの物語なんか、ヒーローが登場しなくて、
浮気→暗殺→浮気→暗殺 男と女の愛憎や女の同士の闘いやら
ドロドロしてて楽しめませんわ
横山光輝も大好きだったらしい
493 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/29(木) 22:36:56 ID:wEurAMT3
>>490 それだから家康の人気が出るんじゃないの?
禍の種は根こそぎ刈り取り、徳川政権安泰に
繋げたわけだから。中共としては手本にしたい
と思うぞ。あの国での平和は平定して和を作り
だすだからね。
494 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/29(木) 22:47:24 ID:RMVkqfjv
今、司馬遼太郎の「坂の上の雲」読んでるけど、滅茶苦茶面白いね
495 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/29(木) 22:52:38 ID:RMVkqfjv
>>179 >元々船でないと軍隊を上陸出来ない島国の攻略は無理。
ん?
フィリピンは?
やっぱ日本は一段別なんじゃないかな
>>465 日本の武家屋敷とかもそうだけど、屋内で切り合いに
なるべくし難い様に作ってるのね。
(天井が低いのも、刀や槍とかを振り回したりするのを極力防ぐ為とか)
>>467 北ノ庄城の天守自体、外観九重の大きな天守らしかったしねぇ。
(最も、今現在も研究の段階だし
何よりも残されてる資料や文献等が非常に少ないしね)
>>484 一概に冷酷とは言えないでそ?
何しろ、豊臣家滅亡の寸前で孫娘の千姫を救出させたりしてるし
その後千姫の意志を尊重して本多忠刻(姫路城で有名な本多家の)
との結婚をさせてるし、家光に到っては春日局の懇願に拠って
(当時は弟の駿河大納言忠長に多数の家臣が傾いていた)家光の立場を救ってるしね。
497 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/30(金) 00:39:17 ID:W5H6C6ta
>>496 才気煥発たる忠長と 温厚だが機敏さに欠く家光
その二者の関係に 祖父たる家康が見たものは
二人の大伯父 かつて盟友と称しながら自らを傘下に扱った
織田信長の如き忠長と 人質時代の己の姿の如き家光であった
498 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/30(金) 00:40:56 ID:gwHBILG8
忍耐とか口にしだすとは、中国も本気で不景気のようだな
499 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/30(金) 00:53:54 ID:caW2gsz4
中国人が日本の戦国時代なんて興味あるのか?
武田、上杉、織田信長のせめぎあいの時期なんて理解出来ないんじゃないか
しかし、家光選んだのは正解だったぜ。
徳川幕府の基礎は家光の時代に磐石になったわけで。
501 :
朝鮮28号 ◆8PxOawJTkY :2009/01/30(金) 00:58:51 ID:U5l6W0KI
地味に頑張ってた秀忠さんのことも忘れないであげてください・・・。
>>501 曲がりなりにも戦国の世を生きているしなぁ。
・・・前田家の二代目に比べれば劣るかも知れんが、自分の器をよく知っている賢明な二代目だよな。
503 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/30(金) 01:44:35 ID:Acpn3veQ
>>494 >今、司馬遼太郎の「坂の上の雲」読んでるけど、滅茶苦茶面白いね
私も大好きです。
歴史資料として、確かな事と面白いかどうかということは別なんですよね。
教科書はやっぱ面白くはない。
作家としておもしろいから好き。
でも、面白く無いと思っていた教科書が突然面白いと感じた瞬間があります。
社会の授業で十字軍とインノケンティウス3世やサラディンを教わっていた時
むかーし見たブラザーサンシスタームーンという映画の意味がやっとわかりました。
子供の頃に見て、ぜんぜんわからなかった内容ですが。
主人公はいいとこの子で、元気に十字軍に参加するもボーゼンとしながら帰ってくる。
第4回十字軍が何をやったのか?時代背景がわかってないと理解できない映画でした。
これを踏まえて、中国人がどこまで戦国時代の家康を理解できるかな?
>>500 別に誰選んでも一緒だよ
徳川時代を支えたのは官僚システムだからな
>>502 秀忠の時代に、新たな騒乱の火種にになりかねない朝廷をほぼ押さえ込んだんだから、やっぱり並ではないだろう
三代目については、忠長と家光それぞれの資質はどうあれ周りが固まってたし、どっちを選んでもそれなりにうまくいきそうだがたしかあれだ、
この二人の周りの背後関係や取り巻きが結構ややこしくて、ごたごたしたあげくの家光でなかったかな? 記憶違いかもしれないけど
>>505 家光を選んだのは家康による「長男に受け継がせる」という安定性重視政策だと思われ。
>>496 豊臣家に関しては彼らが関ヶ原以降さっさと大阪城を出てたら案外徳川の親戚として生き延びたかもね。
508 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/30(金) 10:13:51 ID:oYhsxHeC
>>500 家光が鎖国なんて余計なことしなければ
太平洋戦争で辛酸を舐めることもなかったかもしれない
509 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/30(金) 10:23:13 ID:BFiKKTl6
>>506 戦国の世は資質重視で良く揉めたが
太平の世だからこその跡取のルールを
構築出来たという意味でも意義があるかと<家光
510 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/30(金) 10:25:43 ID:BFiKKTl6
>>508 その場合、独立が保たれていたとは限らない<鎖国無し
>>506 まあ秀忠自身は三男だし、そういう判断したのはやっぱり家康かな?
>>507 難しいとは思うけど、可能性はあったと思うね、確かに
>>510 それは微妙じゃないかな? 当時に極東の、それも既に覇権が確立した国を征服できるような国があったとも思えないんだが…
確かに太平の代をもたらした功績は大きいけど、新しい技術の開発を禁じたりした江戸幕府の功罪は、議論の余地があると思う
>>512 覇権が確立しても、内紛を起そうと思えばあちらこちらに火種が転がっているんだぜ。
>>513 しかし、その火種に油を注いで大火事にしたとしても、最悪徳川幕府が倒れるだけで、独立までは侵害できなかったろうと思う
後に明治維新の時にそうだったように、用がすんだらたたき出されるのが落ちじゃないか?
西洋の諸国と技術力など相対的な国力がもっとも隔絶したあの時期でさえ出来なかったことを、可能にすることが出来たとは思えないんだが…
515 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/31(土) 00:11:51 ID:hV3iLSYT
中国の乱世は、大量の流民が発生することから生じるけど、
日本はそれがないんだよね。それに中国と比べてちっちゃな盆地とか
ばっかりなんで、巨大な兵力を展開できる戦場が乏しい。権力が集中
しにくい。つまり、とても治めにくく、平定しにくい土地柄なのだ。
>>515 いっぺん平家物語とか太平記読んでみるといい
多分日本における流民とか決戦とかのイメージが変わる
中国人も、自分の持っていないものに憧れるんだな。
『 忍 耐 』
>>507 この当時は一応、徳川は(征夷大将軍の位を賜るまでは)
豊臣の「臣下」だったから、大阪城に居るのは当然と思って居たんだろうかと。
(千姫も嫁いでから以降も暫くの間(秀頼と千姫の間に一男一女も生まれてる)
は徳川と豊臣の間柄も続いていた訳だしね)
>>508 鎖国をしたのはキリスト教等を「更に」徹底して排除する事が
一要因に有ったからかと。
(何せ、オランダと出島等の貿易をしていても、島原の乱等の切支丹の影響も
家光の治世中に起こってる位だしね・・そんな状況だから、国ごと鎖国して
少しでも海外のキリスト教宣教師等の影響を極力消すのは
当時の徳川幕府としても必要だと思うしね。)
>>512 まぁ当時の中国は(日本だと家光統治時代の江戸初期)清朝が出来たばかりで
まだ混乱も国内外に多数有ったらしいから、万が一にも日本に攻め込むなんて
到底無理だったしね。
そして朝鮮は・・此処ではもう言うまでも無いか。w
>>515 >中国と比べてちっちゃな盆地とかばっかりなんで
日本には結構、起伏の多い地形が有るけど?
つか、それ以前に日本の場合は乱世でも基本は
民を不必要に戦に巻き込む事はしないからだって。
(民や百姓も貴重な年貢や税を納める為に必要だし
何よりも基本はあくまでも「武家同士の戦い」だったしね)
(唯一の例外と言えば信長の一向宗等の対応だけど、あれは
例外的な物だしね)
信玄にフルボッコにされてウンコ漏らした癖に
>>517 中国人が自分の国の古典読んでないだけって気がするけどね。
臥薪嘗胆の故事の元になった話とか、重耳、韓信の股くぐり、漢の文帝・・・
忍耐を教訓としてる話はいくらでもある。
522 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/31(土) 01:21:12 ID:hV3iLSYT
>>518 中国はひっろーい平野に大規模な兵力を思いのままに広げて陣形
を作れるけど、日本はそうはいかないってこと。
下手すっと今川義元みたいに展開できない峡谷に長細く並んじゃって
先頭殺られたりしちゃうのだ。でかい兵力集められんってことは、権力も
小規模になる。つまり治めにくいってことさ。
うーん、俺も読んでみっかな、中国人がちゃんと金を払って読むというのは不思議な感じがするのが異常ではある
524 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/31(土) 01:41:27 ID:IL8PInbr
武智光秀はでてくるの?
最後に努力が実ったからだよ
本当はたまたまなんだけどね
だいたい企業戦略に家康なんて参考にならない
基本的な戦略がチャンスを「待つ」だからね
家康は他人から見た自分というのを多分に意識していた気もするけどなあ。
人心掌握術に長けていたというか。
人身掌握術は最後の数%だけで、
基本的には石高の勝利だろ。
529 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/31(土) 02:18:43 ID:PkGoeXDB
>>520 >中国人が自分の国の古典読んでないだけって気がするけどね。
>臥薪嘗胆の故事の元になった話とか、重耳、韓信の股くぐり、漢の文帝・・・
>忍耐を教訓としてる話はいくらでもある。
韓信の股くぐりはしっくりくるけど、臥薪嘗胆はなんかちがうと思う。
どっちかというと朝鮮のルサンチマンの逆恨みの文化の思想に近いかと。
中国も朝鮮も復讐は良いことなんだよね。始皇帝も戦争に勝ったあと、
わざわざ子供の頃に自分と母親をいじめたやつらを
全員探し出して生き埋めにしていたぶってから殺すんだよなぁ
戦争は公のものであり、大義名分を必要とするのに、
私怨を晴したら、民衆はついてこないだろうに
日本の場合は復讐心は身を滅ぼす!怒りに捕われるな。つーことで、
地獄の亡者の所行と説く
武士の敵討ちは違うよ。
あれは復讐というより、刑罰を警察官が処罰を行わずに被害者に決着つけさせる懲罰のわけだし
>>524 >武智光秀はでてくるの?
でてこないよ。つかだれ?
>>527 >家康は他人から見た自分というのを多分に意識していた気もするけどなあ。
>人心掌握術に長けていたというか。
思いっきり意識してました。政治家は大衆の心と部下の忠誠心と他の有力者の支持が無いと勤まらない。
>>522 >中国はひっろーい平野に大規模な兵力を思いのままに広げて陣形
を作れるけど、日本はそうはいかないってこと。
でも人数がちがうからなぁ。ひっろーい平野に数千人の部隊ではしょうがあるまい。
総兵力では1万2万にはなっても、実際は数千人の部隊同士の大戦ですよ。
国土の7割が山、森、沼、川だから鶴翼の陣や蛇の陣などやりにくいかわりに
地の利を活かした戦いができる。
>>529 >
>>527 > >家康は他人から見た自分というのを多分に意識していた気もするけどなあ。
> >人心掌握術に長けていたというか。
>
> 思いっきり意識してました。政治家は大衆の心と部下の忠誠心と他の有力者の支持が無いと勤まらない。
こんな話もあるしね。
23 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/04(木) 00:35:01 ID:QXKHsuQZ
ある時、徳川家康が駿府で鷹狩りをしていると、道端で老婆が、一人の
幼い子供の手を引いて泣いているのが目に留まった。
「何を泣いているのか?」
と、尋ねると、この老婆、昨夜、誤って火を出し家を焼いてしまい、代官から火の不始末の罰として
村を追い出され、しかし年老いた私と幼い孫が一人の身、どこにも行くあても無く、途方にくれて
泣いておりました。と言う。
それを聞いた家康は、その老婆を代官所まで連れて行き、代官に向かって行った
「誰も、家を焼きたくて焼く者はいないのだ。
失火をした者が在地を追放されるのであれば、この家康も、過去に2度ほど自分の城で
火を出したことがある。このわしは一体、どこに行けばいいのだ?」
これには代官も、返す言葉も無かった。
そして焼けた老婆の家は、家康の「わしの目に留まったのだ、不憫である」と、元のように
建て直された、と言う。
>>522 桶狭間は山だという話が(ry
でも概ね同意、当時の戦術だと山に城を築かれたら正攻法で落とすのはほぼ無理だったらしいから(なんらかの内部工作が必須
だから戦国当初は山城が圧倒的な主流だったんだけど、それが変わったのは鉄砲の伝来からだったそうだ…信長なんかは見事にその機を捉えたんだな
>>528 いや関ヶ原なんかは純粋な石高で言ったら西軍のほうが勝ってたんじゃないか?
それを覆したのは三成と家康の人格的迫力の差が大きいとおもう
532 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/31(土) 03:44:31 ID:10JhiqJs
薬師如来の生まれ変わりと称し最期まで自分の薬を信じてたらしいね
薬師如来は東方瑠璃光浄土だから東に都をおいたのも何かの縁なのかもな
東照宮の名は明智光秀かもと云われた天海僧正がつけたらしいが
日の昇る東に縁の深い人だよな
>>531 三成が250万石、家康が20万石だったら
戦すら起こらないくらい西軍の圧勝だろ。
上のは極端にしても、
家康が毛利・上杉と同じ120万石程度だったなら
人身掌握術なんて機能しない。
>>533 そりゃ戦を起こす気にならないほど差があれば戦闘にはならないだろうけど、そんな前提条件を覆すようなことを言われても…
ただ石高だけがすべてを決するわけではなく、こと関ヶ原に置いては全軍の石高、則ち兵員の数の数の上では劣勢でありながらそれを覆し得たのは
海道一の弓取りであり故織田信長の唯一の同盟者であり、天下人秀吉とただ一人五分で痛み分けた家康の個人の威信があればこそだろうと言いたいだけなんだが…
じっさい明治時代にドイツのヘッケルに関ヶ原の布陣の全容を見せたら即座に西軍の勝ちと断じたという話もあるし…
だからその威信の大半が石高によるものだという話だろ。
人心掌握術なんぞより、
付く人を間違えなかったりちゃっかり領土拡張したりしてたことこそが
家康の功績の芯の部分にある。
536 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/31(土) 10:55:55 ID:H2SX4gtt
>>535 だからどっちも必要ってことでそ
財力がなかったら話にならない。
けど、
財力だけでも人はついてこない。
人気もまた重要。
関ヶ原でもそうなんだけど、他の武将たちは、
●豊臣と家康とどっちが勝か?
●豊臣と家康とどっちに他の武将はつくだろうか?
この2つを天秤にかけて、
光成と家康の武将としての器を比べたんですよ。
次の政権は家康が勝だろうと、他の武将達は考えた。
単純に財力だけだったら、豊臣政権の勝ちだと思うよ。
山岡のは家康を神の如く美化し過ぎていて嫌いだ
538 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/31(土) 11:44:54 ID:hV3iLSYT
中国の人が日本の歴史(人物も含めた)に親しくなるのは
いいことと思うよ。日本のいい意味での個性を知るきっかけになってほしいね。
>>529 中国皇帝が強大な権力を持つ専制君主になれたのは、巨大な兵力を
生み出す土地柄があるから。と、いいたいだけです。
>>537 戦時に生きたものなら、内乱を終わらせた家康が神に思えるのは仕方が無いだろ。
実際、日本人を改造したんだからたいした奴だよ。
太平記のころの日本人なんか、まるで信用ならない野蛮人だよw
540 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/31(土) 12:10:37 ID:sm7r/d+L
>>539 まるで当時の日本で生きてたかのような知ったかぶりですね^^
>>540 歴史ヲタにはありがちなこと。
タイムマシンで見てきたかのように昔を語る奴が多すぎる。
<丶`∀´><家康は在日ニダ♪
543 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/31(土) 13:01:34 ID:YL1q2At0
>>518 秀頼と千姫の間に一男一女も生まれてる
千姫が自分の子としたが側室の産出だよ。
男の子の方は知らんが、女子は千姫が鎌倉の東慶寺に入れて後援している。
544 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/31(土) 13:13:09 ID:LKjoBjaQ
山岡さんの小説は一言で言うと「熱い」からなあ。
あと仏教的な祈り。
これを理解しないで、上辺だけ読んでてもどうかと思うがな。
「小説太平洋戦争」読んでも同じ事言ってられんのかな、コイツラ。
信長=革命児 当時の二大巨頭(武田、上杉)に対して天下を
掛けて、知略と戦術により勝負を仕掛けた 武田は殆ど
壊滅させたが上杉は手付かず 本心では、盟友の家康を
どう思っていたのかは永遠の謎
秀吉=戦国の世に突如、泥の中より現れたチート そのサクセス
ストーリーは中国で言えば高祖劉邦に匹敵する 類まれな
人たらしの才と豪運に任せて一気に戦国の世を平定したが
晩年は、その反動からか暗愚な権力者に成り下がり、結局
次の代で家を潰す
家康=信長の別働隊隊長として盟友というより事実上のNo2として
活躍したが、信長の死後は秀吉にオイシイ処を根こそぎ持って
行かれ、関東の一田舎に封ぜられる しかし長年の下積み時代
に培った忍耐力で耐え忍び、秀吉死後は一気に天下人に 上記
二人を含め、様々な盛者必衰を観て来た経験を元に以後250年
以上続く政権を確立する 上記二人に比べればカリスマは無さそう
だが、何故か直属の部下は「犬」と例えられる程の忠臣揃い
信長とかのほうが中国人好みっぽいが。
戦国武将談義スレになってるwww
548 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/01/31(土) 22:11:13 ID:iuI/NiTY
>>508 最近、発売された「黒い十字架」という本を読んでみると良い。
なぜ、幕府が鎖国をしたのか?という根源的なことがわかる。
549 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/01(日) 00:10:11 ID:vAxitg8v
>>540 実際、家康が戦国を統一して戦乱が終わったのは事実だろ。
日本人の良い面とされてる部分はほとんどが江戸時代に形成された
ものだと思うよ。平和な時代が続いたから良識ある文化が出来たわけで
あの時代がなければ、日本人も他人を裏切るとか自己中の塊なんかが
普通の社会だったかもしれない。
550 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/01(日) 00:22:20 ID:liteTHVj
>>539 >戦時に生きたものなら
悪かったなぁ。戦争を知らない世代で。
で、戦時に生きたと抜かすあなたは今おいくつなんですか?
秀吉で統一できてたじゃん
>>550 いや、比較対象を勘違いしてる
室町時代〜戦国の日本人のメンタル、風俗は最悪なんだよ
上から下まで金に汚い、酒乱、すぐ刃傷沙汰
要するに、日本中が893、DQN状態
それを曲がりなりにも馴致してるんだから、徳川の幕藩体制は良くやってるのよね
まぁ、徳川はかなりの部分今川の制度を引き継いでるけど
家康が特に何もしなくても
石田三成と福島、加藤あたりが対立しあって
結局豊臣政権はもたなかった気がする
>>522 >中国はひっろーい平野に大規模な兵力を思いのままに広げて陣形
>を作れるけど、日本はそうはいかないってこと。
川中島で四万近い軍勢での戦いや
関が原では二十万近い大軍が(実際に戦闘したのは
其の内の何分の一位だけど)東西両軍で陣取って居たのにか?
あれも場合に拠っては、直ぐさま駆け下りて優勢な方に兵を味方させた筈だしね。
ああ、因みに中国自体も結構地形では起伏が多いぞ。
平原と言っても大半はかなり複雑な地形で砂漠も有るし
黄河や長江(揚子江)も存在するし、男舞が言う様に「大きな平原で
大規模な軍勢で戦う」のは中国でも難しいと思うが。
>>531 つか、鉄砲が伝わってから何もかもが変わったしね。
一番の変化はやはり城(城郭)の変化が大きいよ
それまでは前線での基地的な要素が大きかった日本の城郭(山城等)を
鉄砲伝来以降は、急速に平野部での戦闘を主とした城郭(平山城、平城等)に
代わって行ったんだしね。
特に信長の安土城以降は「天守」を司令塔とした
大規模で広範囲の面積を有した城郭に戦術&戦略上の形態を
移して行ったしね。(山城では高い場所で鉄砲も余り効果が発揮出来ないし
何よりも鉄砲の弾薬等の調達にも不便するからね)
>>529 「アイアム ザパニーズ」ぐぐりなされ。w
>>543 ああ、言葉足らずですまぬ、でも奈阿姫も捕らえられた当初は
国松と共に断罪に処せられる筈だったんよねぇ。
(千姫の嘆願で命だけは助かったけどね)
555 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/01(日) 00:47:28 ID:dnvwMKU0
>>554 あんたは、兵力の規模を知らん。桁が違う。
日本が大兵力持てるようになったのは、その関が原以降の歴史の1時期
だけだ。中国史読めよ。
平家物語や太平記の記述をそのまま信じるなら、当時から10万程度の兵力同士
のぶつかり合いがあったと取れるけどね
だいたい5〜6万程度の軍を誇張してるというのが定説だけど
>>555 は?
関が原以前にも日本は大規模な兵力は有していただろうが。
文禄慶長の役で日本側はどれ位の大軍を朝鮮半島に派遣したと思ってるんだ?
ああ、因みに更にそれ以前の平安末期から鎌倉期までの武家の台頭の始め頃にも
当時の日本の武士(武家等)の兵力も大規模な軍勢(二十万近くの)数で
戦をしてる例も有るぞ?念の為に書いてがな。
>>555 中国軍は数の多さしか売りのないまとまりのない烏合の衆なんだよ
昔から戦争については数のハッタリだけで滅茶苦茶弱っちいんだ。
だから少数精鋭のモンゴルにあっという間に征服されてしまうような
外交でハッタリかますしかない国なんだ。勉強不足だな。
559 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/01(日) 01:07:09 ID:dnvwMKU0
>>557 >当時の日本の武士(武家等)の兵力も大規模な軍勢(二十万近くの)数で
当時の日本の人口から推定して、誇張とされてます。
日本の特殊な1時期の状態を、一般化しようと強弁してるとしか思えん。
中国史読めや。
中国の場合は王朝衰亡期の流民・暴徒の数を「兵数」として捉えるかどうかで印象がだいぶ違うけどね
まぁ、あっちも誇張が多いし
ちなみに、中国と日本の人口比は3:1から5:1くらいの時代が長い
現代的な感覚で10:1捉えるのは間違い
古代から日本は何故か人口が多い
>>559 >日本の特殊な1時期の状態を、一般化しようと強弁してるとしか思えん。
阿呆か、それを言ったら中国はもっと特殊だろうが。
何しろ、「王朝が末期状態になったら新しい次の王朝が
前の王朝を倒して支配権を確立」なんて事は
あの中国の歴史上、一体何度起こってると思ってるんだ?
つか、くどい程「中国史云々〜」とか言ってるが
支那系の工作員かね?
(何しろこのスレは一応「日本の」英雄の事を主として取り上げてるしな)
563 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/01(日) 01:21:23 ID:zSTLG/CJ
うーん。
なんか根本的な勘違いをしている人がいるようだけど、
「兵数」と「戦力」は異なる。
「兵数」を現在のように「戦力」に変換できるようになったのは、
主に近世以降だよ。
用兵技術がないのに兵数ばかり多くても、それは単なる烏合の衆で、
用兵技術に勝る寡兵に勝てない。
歴史上の「大軍」がいかに弱かったか。
この例はたくさんある。
近世以降と上で書いたが、例外的に非常に高い用兵技術をもっていた
古代スパルタ人は、テルモピレーで20倍の兵力と対等に戦っている。
スペインのインカ征服なんて、200人のスペイン人でインカを滅ぼしてる。
歴史上つねに大軍を動員できたはずの中華帝国が、常に北方の騎馬民族に
苦しめられたことも、みんな知っているよね。
>>560 権力者が数を誇って力示すのが中国の昔からの伝統みたいなもん。
誇張の規模というか厚かましさは日本どころじゃないw
>>558 中国人は昔も今も集まるとすぐに内紛を始めるから、チームプレイが
必要な戦争なんかまともに出来る訳がないw
中国に限らずえげつない外交や情報戦を仕掛けてくる国というのは
国民のまとまりがなく戦争には弱いものだ。
>>560 因みに、中国の場合
都市の中に城(宮殿)が入って周囲を城壁で囲んで居る「城塞都市」が基本だからねぇ。
だから古代とか兵糧攻めに陥ったら、その中では民衆を「食料」に
してる例も有るし・・(これ以上はグロ&鬱系統だから此処では書かないが)
それに、日本とは違って中国だと多数の民族が入ってるからね。
(↑で挙げた王朝の交代期や他国への征服等で国境の地図が変わる度に
その都度、地方の少数民族や他国の民を取り込んだりしてるし)
>>565 兵糧攻めにしたらどこでもそんなもんだよ
秀吉の城攻めの中でも似たような惨状が見られたという記述が残ってる
>>563 つか、中国にしても日本にしても
一般の農民を多数徴収してはその都度
兵として使ってるからねぇ・・
インカの場合は実は結構、内部で権力争いの混乱とか有ったから
少数でのスペイン兵も付けこむ隙が有ったからかと思われ。
(何しろ、当時のインカ皇帝はスペインがインカに来る直前に
弟と権力争いをしてた位だしね。)
中国は・・まぁ、明朝末期には盗賊が餓えた民衆を招集して
北京を極短期間だけど占領した例も有る程だしねぇ。
>>566 でも、中国の場合それこそ桁が違うし。w
(上で「桁が違う云々〜」で言ってた香具師みたいな事を言うが)
それに、多分中国の場合は超時空太閤の「渇え殺し」みたいに
あくまで「死体」を対象とした食料じゃ無いかと思われ。
(つまり兵達が民衆を殺(ry)して食料にしてるのも多かっただろうしね)
インカの場合はインカ人の伝説(白い人が救世主として光臨)とスペイン人の疫病攻撃
(人痘付き毛布を贈り物として配りまくった)があるから、寡兵で大兵力を破ったの例とし
ては不適当なんだけどね・・・・
570 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/01(日) 01:50:04 ID:5fypxHu0
>>552 >いや、比較対象を勘違いしてる
だれも室町時代〜戦国と徳川を比較してませんて。
私は
>>539がまるで自身が戦時に生きてたようにいうんだね。
っていってるだけで
室町時代〜戦国ってのは、
戦争中の混乱の時期だからね。平和な時代と比べても
平安時代の日本人のメンタルはどうなのさ?
和をもって尊しとなす。っていったのは、6世紀の聖徳太子の時代よ。
日本が共産国家となったのは、7世紀の大化の改新よ。
公地公民制度は、相互扶助の概念を産み出したし、日本神道はもっと古い
日本人のメンタルの原点は家康よりも、もっと古いと思うけどなぁ
けど、衣食住足りて礼節を知る で、政情不安がないからこそ江戸時代の治安がよかったと思うよ
>>555 >あんたは、兵力の規模を知らん。桁が違う。
兵力の質が違い過ぎるわ。日本の兵は百姓参加の雑兵もいるけど、
生まれた時から戦士として育てられた侍達が主戦力です。
屯田兵と侍じゃ、志気の高さも徹底した軍律も違うわ
>>559 農民主体の烏合の衆では、主君のために死ぬ覚悟なんかないから
敵が強かったらすぐに崩れて逃げ出すんだよ。
>>561 >ちなみに、中国と日本の人口比は3:1から5:1くらいの時代が長い
>現代的な感覚で10:1捉えるのは間違い
>古代から日本は何故か人口が多い
終戦直後の支那の人口は約4億人で、当時の日本人も9000万人くらいはいたんだよね
日本が平和に暮らしてた間、支那は周辺国を侵略しなくって、あんなにでかくなったんだよね
昔は食料自給率100%だから、その国の穀物のとれ高=人口
支那はでかいわりに痩せ地が多く、人が定数より増えると戦争か共食いしてましたから
>>569 それもスペイン人がその外見の特徴を持って居たかららしいけどね。
しかし、その後のスペインの連中の行為は叩かれてもしょうが無いけど・・
特に、貴重なインカやアステカ等の都市(水上都市だった当時のテノチティトラン等の)や
同様に貴重なアステカの文献や書物とか、ディエゴ・デ・ランダを初めとする
スペイン人が焚書してたり破壊してたりするしね。
これ以上はスレ違いになるから余り書かないけど。
>>570 江戸の場合、中期以降は「士農工商」が完全に社会のシステムとして機能していたしねぇ
それに各藩の藩主とか名君も結構な数で多かったし。
(ケネディが尊敬して居た上杉鷹山とか余りにも有名だしね)
573 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/01(日) 02:26:19 ID:5fypxHu0
>>572 >江戸の場合、中期以降は「士農工商」が完全に社会のシステムとして機能していたしねぇ
>それに各藩の藩主とか名君も結構な数で多かったし。
ID:dnvwMKU0 が、中国史読めよ と
>>555,559
で、連呼してるけど、
昔からなんでいつも、北方民族から侵略され続けてるんだろう?
人口も多く、文化も発達してるなら武器も戦術も中原の民のほうが強そうなもんだけど
と、
そこが謎だったんだけど
(華南地方が水が多く食い物が豊富で、華北地方が水が少なく食い物もなかったので
華南地方から華北地方に攻め込むことはめったになく、常に食い物を略奪するために
華北地方が華南地方を襲ってばかりいた)
という背景もあるけど、
中国史を読むと、たいていは内部崩壊で暴動が起きて国が滅亡してるんですよね
支那の支配層は常に外の敵と、自国民に武器をつきつけているわけで。
で、今現在の支那も、日本やアメリカに核ミサイルを向けてるけど
同時に同じ支那人にも、核ミサイルを向けてるわけで
有史以前から21世紀までずっと武力で自国民を脅して統治してるのは支那の伝統だわ
源平辺りから室町末辺りまでは生存(家の存続)こそが第一の原理だからなぁ…
御恩と奉公という封建制だって、もともとは自分を庇護してくれる力の有る人間に対しての忠誠で、その能力がないと見極めれば裏切ることこそ正義で非難できるものじゃない
それが変化したのは江戸時代からで、君、君たらずとも臣、臣たるべしみたいな一方的な忠誠を求めるようになったのはあの辺りからだろうな…朱子学とかとりいれて
まあ実力主義の時代を終わらせて平和を保つには、そういう名分や身分で縛るしかなかったんだろうとは思うが、一方ではある種の停滞をもたらしもしたんだろうと思う
平和により日本中隅々まで産業が興り文化が花開きもしたけどね
>>573 それは何も中国だけの特色でもないんじゃないか? どの国や地域でも、政権の末期には内部崩壊を起こして分裂するものじゃないか?
あと軍事力というものはそれぞれ度合いは違えども常に内と外、二重の存在意義があるものだろう
それと中国は武器や戦術においては常に後進的な地域だと思う。騎馬にしても鉄にしても周辺地域のほうが早いんじゃないかな?
それに基本食い詰めものの集団だったから中国の軍隊は…まともな戦力と捉えるほうが無理w
576 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/01(日) 02:52:35 ID:QPB7ANxM
なにさ、いつの間にかに『すーげー良スレになってるジャン』^^
家康・信長・秀吉の論議もあったけどさ・・・・・・
おいが一番好き、つか安心できるのは秀吉なんだよね、運命共同体としてなんだけど。
家康・信長だと、尽くしても裏切られ可能性が高そうで嫌。
しかも、この二人は天下統一だけでしょ。
しかも秀吉は、スペインだとか外国勢からも守ろうとしてたと思うし。
577 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/01(日) 02:55:50 ID:5fypxHu0
>>575 でも21世紀で、国内で自国民に向かって核ミサイルを突きつけあってる国は
他にありました?
大阪と東京で双方、ミサイルを向けあったり
NYとロスで、核を向けあったり
想像できませんわ
そこまで為政者は自国民を信用できないもんだろうか?
信用できないんだろうね。支那政府と支那人だもんね
578 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/01(日) 03:04:59 ID:5fypxHu0
>>575 >それと中国は武器や戦術においては常に後進的な地域だと思う。騎馬にしても鉄にしても周辺地域のほうが早いんじゃないかな?
そこも不思議だったんだけど、中華思想をしった時、納得がいったのよね。
世界の中心だから、他国が貢ぎ物を持って中国にこい!
対等な国交も、貿易も認めません。
こんなに尊大だった国が他国の文化や技術の優れたとこを評価して
受け入れるはずがない。羅針盤を発明したとかいってるわりには、
外洋船を作って他国に留学も交易もいってないし
大砲も軍艦も欲しい物は外国から買うだけで、
他国から学んで自国で製造しようともしてないんだよね。
思い上がった中華思想の代償として、18-19世紀に西洋に領土をかじりとられる羽目になったんだわ
>>577 まあ日本はかなり特殊なんだろうなw これほど均質な人々がこれだけの長期間一つの共同体を形成してきたんだから…
ただ軍事力というのを一つの権力、もしくは重しとした場合その重量はつねに内外に向けられているものとは思うよ、度合いや振り分け方は違っても
>>578 三大発明が火薬と羅針盤と紙とはいうけどね…紙はまあともかくとして火薬は虚仮威しの域は出ず、羅針盤は墓の位置を決めるくらいだからなぁ…
技術を発展させるための姿勢がもとよりないんだよな、公の意識がなくでっかい私があるだけで
>>548 鎖国と言っても人の入出国を禁止しただけで貿易だけはオランダを介して
行っていたので完全な鎖国とは違うね。
581 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/01(日) 08:41:51 ID:1pCeufGM
>>388 騎馬兵のみで、強攻偵察は、戦術として妥当
騎馬兵5000は、単なる本攻略の前の斥候だな。
…斥候にぼろ負けは、さすがに恥ずかしいかも。
>>576 >家康・信長だと、尽くしても裏切られ可能性が高そうで嫌。
信長も秀吉も家康も、裏切らないタイプの武将だぞ。
信長は、部下をキリキリねじ上げて働かせるタイプなので、部下の側が裏切った。
秀吉は、金の関係なので、金の関係が終われば終了。裏切りとかの余地はない。
家康は、戦国時代を通して一番約束・条約を守った武将だよ。
>>582 丁卯胡乱の時は、元の玉璽を受け継ぎモンゴルの諸部族を従える前だから
五千もの騎兵を動員できたかはかなり眉唾なんだけどね。
585 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/01(日) 11:23:43 ID:5LIX+3WN
歴史にIFは禁物というのは承知だが、信長が本能寺で殺されなかったらどうなったかつーのは、興味深いな
暦変えたり、神としてあがめさせたり、晩年の行動みると、天皇家に代わるくらいの野心はあったかも
宣教師を優遇しているようで、案外利用価値を冷静に判断していたから、キリスト教にとりこまれることもなかっただろう
当時の日本の武力とかを考えると、マカオ、ルソン、台湾、安南あたりまでは日本領になっていた可能性も高いな
まあ、妄想ですが
あれ?この前のスレでは20万部じゃなかったの?ww
「信長の野望」をプレイするとき、
徳川家でスタートする奴ってなんなの?
>>587 西に織田、北には武田、東に北条となかなかマゾいぞ。
今川家を滅ぼすまでは比較的楽なんだが。
武田か北条を滅ぼして家臣団を組み込めば後は楽勝
>>587 そういや織田でプレイして、攻めてきた今川にいた家康を射殺してしまったときは泣けてきたなw
死ぬまで待ってろ。ニートのように。
591 :
マスオ:2009/02/01(日) 14:11:01 ID:bBMQ1f2A
ルイス・フロイスは、信長の人物像を「長身、痩躯で髭は少ない。声はかん高
く、常に武技を好み、粗野である。正義や慈悲の行いを好み、傲慢で名誉を尊
ぶ。決断力に富み、戦術に巧みであるが規律を守らず、部下の進言に従うこと
はほとんど無い。人々からは異常なほどの畏敬を受けている。酒は飲まない。
自分をへりくだることはほとんど無く、自分以外の大名のほとんどを軽蔑して
おり、まるで自分の部下のごとく語る。よき理解力、明晰な判断力に優れ、神
仏など偶像を軽視し、占いは一切信じない。名義上法華宗ということになって
いるが、宇宙の造主、霊魂の不滅、死後の世界などありはしないと明言してい
る。その事業は完全かつ功名を極めている。人と語るときには遠回しな言い方
を嫌う」と記した。
592 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/01(日) 14:14:31 ID:rRMKCje/
593 :
マスオ:2009/02/01(日) 14:18:58 ID:bBMQ1f2A
よく歴史好きは、戦国時代の話をすると、三国志の話も取り上げるけど、
劉備・曹操・孔明など三国志の登場キャラクターで統一までいったやつ
いるか?
司馬炎は、遅すぎてアウトオブ三国志だろ。
>>593 面積や人口から言えば三人共、日本の数倍の
土地を治めていたんだけどね
思うに中国は広すぎて、どんなに才能の在る
君主に家臣が居ても、余程の強運が無い限り
統一は難しかったと思う・・・日本もそうだが
中国の場合は、自分達の勢力で勝ち進むだけ
じゃ無理で、敵同士で潰し合いに持っていかない
と不可能な程に・・・
そういう意味で三国志の時代は前半群雄割拠
後半三すくみで、曹操ですら統一出来なかった
と観ている
595 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/01(日) 14:45:39 ID:0n3WXMiO
>>582 丁卯胡乱の時は金軍は、総勢3万人だったようです。これは私の勘違いだった。
1627年1月 ホンタイジは阿敏を総大将とし、劉興祚らを部将、韓潤を道案内とした3万の軍勢を送った。
阿敏は別働隊で、鴨緑江北岸の鉄山に駐屯している明将の毛文龍軍を襲った。
(毛文龍というのは、秀吉の朝鮮出兵の時に活躍した明の武将で、その後、朝鮮王仁祖がわざわざ朝鮮の守りに招聘して、満州と朝鮮の国境の鴨緑江を守らせていた)
毛は一戦して敗れると遁走して、鴨緑江をくだりその河口に浮かぶ皮島に逃げこんだ。
と、いう話のようです。
〜南の各所から援軍を派遣した。(当時は半島全土で8万人の兵がいたらしいけど)
「李時白が率いる3千の兵はよく訓練されており、
なんてあるから、朝鮮の1武将の率いる兵の数は数千人単位。
1月13日、後金軍は鴨緑江南岸の国境都市である義州の守備軍を撃破し、義州の城邑を包囲した。
翌14日、本隊はそのまま南下を続け、凌漢山城を包囲し、さらに宣州・定州にせまった。
安州にもすぐ到るであろう、という報が宮廷にもたらされたのは17日のことであった。
翌18日、後金軍が安州に迫ったという報が入った。
金の進攻が破竹の勢いというか恐ろしい早さなんだわ。馬じゃなきゃ移動不可能だよ。
それよりも恥ずかしいのはこちらだと思います!
〜そんな勇ましい意見をよそに、地方からは、軍が自壊するという報告が相次いだ。
(金軍と戦いもせずに逃亡が相次いで軍が自壊)
2月19日:馬灘防衛軍、守備に就いて7日しか経っていないのに脱走が続いている。
江原道の兵2千、いっぺんに逃亡した。
21日:辺? 率いる軍が谷山に着いた時、500人が逃亡した。首謀者だけを斬って、他の者は許して原隊に復帰させることにした。
趙gの率いる軍の射手、砲手百余人が、いっぺんに逃げ散った。
22日:漢江、臨津、鄭忠信の各軍の兵糧が尽き、軍消滅の危機という急報。
その朝鮮が満州に負けて、清の属国となる話はここのブログを参考にしました。
三田渡への道1
http://www.geocities.jp/toaniuniu/gekikeishiki/sandento01.html ラストのページに引用した資料一覧を載せていて、よく調べていると思います。
596 :
マスオ:2009/02/01(日) 15:06:20 ID:bBMQ1f2A
>>594 秀吉は、統一を成し遂げた後、海外遠征をして破竹の勢いで朝鮮や
明の軍を破り、満州にまで到達した。
家康は、260年に及ぶ平和と繁栄を実現し、現在の東京を形作った。
597 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/01(日) 15:09:23 ID:0n3WXMiO
>>573 中国史を見ると、政権末期は暴政に苦しんだ民衆の怒りによって
暴動が発生して内部崩壊。そして北方民族に侵略されてます。
だから常に少数の北方民族に負けているという不思議な政権交代がおきている。
暴動を起こした民衆は破壊を行うことはできても、建国する能力が無い。
一方、朝鮮史を見ると(暴政に苦しんだ民衆の怒りによって暴動が発生して内部崩壊)
はないかわりに、クーデターや派閥争いによるgdgdは多い
あと強い敵が攻めて来ると、戦わずしてあちこちの軍隊が敵前逃亡して自壊してます。
これが半万年属国になってた最大の理由なんだろうね
中国と朝鮮は似てるようで違うねぇ
598 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/01(日) 15:18:32 ID:q5GxDMA2
>>587 「全国版」では、よく木曾でプレイしたよ。
1ターン目が回ってくる前に、
4割の確立で一揆が起こり、
5割の確立で徳川に攻め込まれる。
運良く1ターン目が回ってきて兵を雇い、
徳川が大将本人で攻めてきた時だけが
木曾の生き残れるパターンだったw
599 :
マスオ:2009/02/01(日) 15:31:10 ID:bBMQ1f2A
信長は、残虐なイメージがあるが、それは秀吉や家康など後継の権力者に
よるイメージ操作がよる。
信長は、確かに寺社勢力に苛烈な行いをしたが、服従の無い宗教中毒の
人々に対する行いとしては、当時としてはしょうがなかったのでは。
他国に攻め込む前には、降伏勧告していたし、浅井長政に対しては、裏切
ったにもかかわらず、降伏すれば奈良へ転封させてやると打診していた。
>>596 破竹の勢いだったのは朝鮮軍相手の緒戦だけ。
明軍が到着してからは要所要所で大勝はしてるが、戦線は縮小してる
601 :
マスオ:2009/02/01(日) 15:51:44 ID:bBMQ1f2A
>>600 秀吉の秀吉による秀吉のための戦いだったから秀吉が
死んだから当然撤退しただけ。
さにあらず!
>>601 秀吉が死ぬ前から戦況は膠着してるよ。
それに秀吉の死で頓挫したのは慶長の役。
604 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/01(日) 16:04:55 ID:0n3WXMiO
>>599 >信長は、残虐なイメージがあるが、それは秀吉や家康など後継の権力者に
>よるイメージ操作がよる。
どくろ酒を明智に強制し、いたぶったというのも晩年の創作だね。
その宴会に参加した人にしかわからない内容で有り、
明智も他の家臣も、信長側の家臣にもそんな記録は存在してない。
信長側の記録では、みんな歌や芸など披露しさてもめでたき事かなと
みな満足のうちに先勝祝いの宴が行われました。とあるだけです。
野球だってその祝勝会で、他の球団から移籍してきた選手を
監督自らがみんなの前で虐めるような真似なんてしないし
やったとしたら、次の試合で重要な場面で使うはずもないわ
605 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/01(日) 16:10:26 ID:0n3WXMiO
>>600 >破竹の勢いだったのは朝鮮軍相手の緒戦だけ。
>明軍が到着してからは要所要所で大勝はしてるが、戦線は縮小してる
朝鮮相手だったから、破竹の勢いだったってのもある。
朝鮮軍は強い敵が攻めて来ると、戦わずして敵前逃亡するというのが伝統的です。
あと秀吉は寒さを知らなかったから、冬にもむりな戦争を強いていたけど
日本兵達の足の指は凍傷で喪失する人が続出するほどの寒さだったそうです。
北朝鮮の冬はマイナス30度だそうで。金軍は冬でも朝鮮に破竹の勢いで勝てたのは
満州自体も、北朝鮮とおんなじ寒い国だったから
>>604 絵本大功記の尾田春永なんかも傲慢で乱暴な主君っていう信長のイメージを助長してる気がする。
>>605 唐攻めにおける進撃速度は、モンゴル軍のそれに匹敵する凄まじさだ。
相手が弱いだけではああも進めない。
609 :
朝鮮28号 ◆8PxOawJTkY :2009/02/01(日) 16:29:04 ID:PZ88PSZM
>>607 当時の日本は装備も戦術も世界最高レベルだったからねぇ。
戦国時代を戦い抜いてきた日本兵と平和ボケして装備や戦術が遅れてた朝鮮兵じゃ話にならない。
朝鮮がアテにしてた明軍も朝鮮兵よりは強かったけどそれでも日本兵には敵わなかったし、明は日本を舐めていたこともあって油断もしてた。
結局朝鮮北部の寒さと補給戦が伸び切ってしまったので攻勢限界が来ちゃったけどね。
それでも満州の一部まで攻め入ったんだからすごいわな。
610 :
マスオ:2009/02/01(日) 16:31:48 ID:bBMQ1f2A
>>604 もしあったとしても
信長「まあ、光秀飲めよ。」
光秀「酒は、弱いから駄目です。」
信長「いいから飲め!」
ってかんじの単なるパワハラじゃね
611 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/01(日) 16:34:49 ID:U0tJTd2R
>>605 20世紀でもアメリカ軍がやられたからね!
朝鮮半島北部の寒さには。
慌てて日本から、
なんでも良いから防寒具かき集めて凌いだぐらい、
凍傷者続出。
朝廷と幕府の関係とか
将軍と大名の関係とか
朝廷の官位や幕府の役職の意味とか
大名と国人の説明とか
野武士や地侍の存在とか
征夷大将軍の意味とか
どうやって解説してんだろうかね?
ややこしい所はカットしたり、注釈入れたりしてんだろうか?
613 :
マスオ:2009/02/01(日) 16:43:53 ID:bBMQ1f2A
謙信=信長に勝利
信玄=家康に勝利
事実上の最強戦国武将決定戦は、やっぱり川中島だな。
614 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/01(日) 16:45:32 ID:0n3WXMiO
>>607 >唐攻めにおける進撃速度は、モンゴル軍のそれに匹敵する凄まじさだ。
>相手が弱いだけではああも進めない。
だからその弱さが半端じゃ無かったんですって。
秀吉が朝鮮通信使を呼びつけて警告してたのにも関わらず、
正使が、日本が攻めてきますと報告し、
副使が、日本は攻めてきませんと報告し、
副使の意見を採用して、国防を全く整備しなかった。と記録にあります。
>>611 ナポレオンもロシアの冬将軍には負けたからね
ロシアの将軍は戦わずに、一般人を北へ北へと疎開させた
そしてフランスは撤退に
615 :
マスオ:2009/02/01(日) 16:50:53 ID:bBMQ1f2A
>>602 最終的に秀吉の死によって撤退したとしても秀吉軍が
大陸でアレキサンダー的蹂躙をしたことは、事実。
616 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/01(日) 16:51:14 ID:0n3WXMiO
>>613 で、天下統一後に秀吉がわざわざ川中島にいって一言
はかのいかぬ戦をしたものよ。
試合に勝っても勝負に負けちゃだめじゃん!
長久手の戦いでも、秀吉は家康に戦争では負けたけど
信長の次男の信雄に鉾先を変えて、領土を奪い和議に持ち込んで
家康相手に試合に負けて勝負に勝ちましたをやってるし
617 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/01(日) 16:58:31 ID:rlPQ7oBj
>>615 鉄砲隊が充実してたからね。
日本が明に負けていたのは船の性能くらいかな?
618 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/01(日) 16:58:55 ID:vFlX2IjT
今日ある百貨店のベンチで暇だから携帯してたんだけど
厨獄人のメスブタ数匹がわらわら来て、しまいには俺に対してちょっかい出してくんよ
だからさぁボコボコにしてやろうとしたけど、そのシワシワニキビの眼鏡メスブタの歯にベッタリこびり付いてる歯糞が見えたんだよ
それがまぁ〜気持ちわるいこと
一気に萎えたね
吐きそうになった
619 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/01(日) 17:00:24 ID:0n3WXMiO
>>615 ただ長期戦で朝鮮人を虐殺してただけじゃないの。
金のホンタイジのほうが超短期決戦で、朝鮮を属国に落としてますよ。
朝鮮国王は、敵から攻められるとソウルの近くの江華島に逃げ込んで篭城します。
いつもそう。で、金が攻めてきた時もその準備をしてたら、
ホンタイジは先回りして、江華島を先に陥落させて
前もって避難していた朝鮮国王の王族約200人を人質にとって
朝鮮国王を手も足もでない状態にしてから
無条件降伏させて、土下座までやらせてます。
朝鮮国王にとっては国よりも、じぶんの血族が一番大切で
それが全滅したらなんにもならない
戦力が強くても、朝鮮国の内部に精通してたホンタイジのほうが優秀だわ
つか、秀吉は事前の情報収集をしなさすぎ
620 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/01(日) 17:02:05 ID:rlPQ7oBj
>>619 加藤清正、朝鮮王族の王子2人を生け捕りにしてるけど?
621 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/01(日) 17:02:23 ID:4cSqW/Dm
>>615 日本人は朝鮮の皆さんにごめんなさいしないといけないよね(´・ω・`)
朝鮮を征服し天皇をもしのぐ存在になる。これが信長からの既定路線。
秀吉は正当な後継者としてその方針を受けついだ。失敗したけど。
623 :
マスオ:2009/02/01(日) 17:03:33 ID:bBMQ1f2A
>>620 律儀にも礼を尽くして厚遇したから、行軍中も足手まといで大変だったらしいね。
人質にしたものの、さほど有効活用はできずに手放した。
>>622 >朝鮮を征服し天皇をもしのぐ存在になる。これが信長からの既定路線。
天皇を凌ごうとした形跡なんてあったっけ?
死ぬ間際に無役だった信長ならあり得るかも……だけど、関白と
征夷大将軍の二人は天皇を凌ごうとした形跡なんて無いと思うぞ。
>>624 朝鮮王子二人が図に乗る様が目に見えるようだw
626 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/01(日) 17:20:01 ID:0n3WXMiO
>>620 >加藤清正、朝鮮王族の王子2人を生け捕りにしてるけど?
ホンタイジの朝鮮王族一網打尽とは比べ物になりません。
朝鮮では、敵が攻めて来ると分朝を行います。
で、王様が明や疎開地に逃げて、王子様が戦う。
どちらかが死んでも、自分の一族が生き残ればいいんだそうで
王子2人が死んでも、また親族から世子を選べば良いだけです。
スペアが多いから、お世継ぎ騒動も多いんだけど
ホンタイジはスペアもスペアの供給元も全部捕まえた
江華島が急所だったというのを知ってるからこそできていた話で
大奥がまさか本土の外の離島の城に親戚一同全員集まってて
疎開してるなんて、日本ではありえないからね
627 :
マスオ:2009/02/01(日) 17:20:42 ID:bBMQ1f2A
☆
/ ̄| ☆
| |彡 ビシィ
| | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
,― \ |
| ___) | ∠ 朝鮮プリンスだお!
| ___) | ∧_∧ \______
| ___) |\___(´Д` )_____
ヽ__)_/ \___ _____, )__
〃 . / / / / 〃⌒i
| / ./ / / .i::::::::::i
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| LLLLLL./ __)L_| |LLLLLLLLLLLLLLLL. | ||_____」
| || (_/ / i .| || | ||
|_|| / .ノ |_|| |_||
(_/
単に領土拡張したいだけなら家康やらの外様にやらせればいい。
「朝鮮制服→天皇超え」は信長家臣団の神聖な戦い。失敗したけど。
629 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/01(日) 17:38:27 ID:rlPQ7oBj
>>626 >朝鮮では、敵が攻めて来ると分朝を行います。
日本の目的は、討伐ではなく朝鮮に明までの道案内をさせること。
朝鮮王の当事者能力のなさを秀吉が予測してなかったことは間違いないw
630 :
マスオ:2009/02/01(日) 17:39:38 ID:bBMQ1f2A
>>628 じゃあ明の姫を天皇家の嫁に話は、どうなったんだ。
信長 「俺は天皇を超えたアジア皇帝になるぞヒデヨシーッ!」
秀吉「マジすかwwww」
信長「大マジだ。しかし古今東西一人が二度の禅譲を受けた例はない。
そこでまず明皇帝に天皇に禅譲させてその上で俺に禅譲させるのだ」
↓
秀吉「光秀、信長天皇ぬっころすってさ」
光秀「マジかよ、主君とは言え許せん」
秀吉「やるなら俺も協力する、主力は毛利の方で縛りつけとくから」
↓
本能寺
↓
秀吉「主君殺しの汚名は被ってもらったぜ光秀ェー!」
光秀「げぇっ秀吉!なぜここに!!」
↓
秀吉「さて信長の計画を実行に移すか。もちろん皇帝はこの俺よ」
こう考えると秀吉の見せた朝鮮侵略に異様な執念も理解できてくる
秀吉の遠征はどこまで事前の調査を綿密にやったのかわからないところがあるからなぁ…嘘か真か朝鮮が日本の属国と思ってたという話もあるし
むしろ突発的な戦争の印象が強い、それで破竹の進撃をしたというのはすごいのかもしれないが、敵が来たら逃げるのが当然の相手だしな…
結果も伴わなかったし、豊臣政権の寿命も縮めたとおもうし、失敗以外の何ものでもないだろう。後に残したものもないし、ヘレニズム時代を残したアレキサンダーと比べるのはあれではないだろうか…
しかし、箱根の関を誰が守るのかといった家康のほうが先見の明に恵まれてたな…
箱根の関を誰が守るのかと家康が言ったとされているのは
江戸時代の史料じゃなかったか?
確か常山紀談だったような
朝鮮出兵が失敗した後の話だからな
634 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/01(日) 18:56:25 ID:rcLc27aY
家康ってか徳川家が天皇を越えるもしくはとって代わろうとしたのは東照宮を見れば明らか
635 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/01(日) 19:11:32 ID:PhY7yckX
>>1 中国擁護するわけじゃないが、
『敵に倣う』ってのは、なかなかに油断できないと思うぞ。
目の付け所も悪くない。
人生に大切なことは、五文字で言えば「上を見るな」。七文字で言えば「身のほどを知れ」。
この言葉は、なかなか含蓄があると思った。
凡人なら、信長や秀吉に学ぶより家康に学んだ方が
まだしもためになるだろう、とは思う。
636 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/01(日) 19:19:13 ID:m50XvJ0A
>>616 >はかのいかぬ戦をしたものよ。
天王山一回で済ませた、秀吉らしい戦略眼のある言葉だな。w
徳川は儒教を積極的に取り入れたのが気に食わん
638 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/01(日) 19:42:25 ID:J0/PzXoC
>>637 儒教が民を支配しやすくするor従わせるには一番いい教えだったから取り入れた
って授業で先生が言ってた気がする。
639 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/01(日) 19:48:03 ID:m50XvJ0A
>>638 ところがその流れから水戸学がでて、200年後には
幕府の合法性が問題化、倒幕の最大の理論的バックボーン
になっていくという皮肉。w
>>639 万事塞翁が馬ってやつだね。韓国が経済破綻しても幸せの始まりって意味だ。
ケンチャナヨ!
641 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/01(日) 20:07:38 ID:8HkHoJX+
>>634 でも、東照大権現って天皇から位階もらってるんだよね。正一位。
仕切られてるじゃん。
642 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/01(日) 20:14:10 ID:k1UsjBqf
643 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/01(日) 20:26:27 ID:rcLc27aY
644 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/01(日) 21:13:59 ID:rcLc27aY
>>641 ちなみに臣下を祭神にした神社で宮を称してるのは東照宮と天満宮だけ
そして例幣使を復活させたのは伊勢神宮と東照宮だけ
東照宮ってのは完全に特別扱いだから
646 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/01(日) 21:37:29 ID:5LIX+3WN
>>644 特別扱いだからといって、越えようとしたとか言えないんじゃね?
だったら、武力持ってたんだから、家光あたりの代であっさり代わることもできただろう
もっとも、それができないのが、日本の特別なところ
道鏡も義満もできなかった
647 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/01(日) 21:52:48 ID:rcLc27aY
>>646 例幣使は徳川家から朝廷に働きかけて復活させたもの
そして伊勢神宮にも復活させた
つまり東照宮に例幣使を出すのが主、伊勢神宮の方が倣った訳
これは通常ありえない
また古来から北極星が天皇の星とされてきた
東照宮の陽明門こそ権現を北辰に見立てるために作られてるの
あと道鏡に至っては簒奪は濡れ衣の可能性が高いよ
648 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/01(日) 21:56:38 ID:rcLc27aY
大体完全に武力で片付く問題じゃない
649 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/01(日) 22:01:54 ID:8SugGVKZ
650 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/01(日) 22:06:25 ID:5LIX+3WN
>>647 東照宮は特別扱いしろって、幕府が朝廷に求めたんでしょ
だからといって、天皇を越えようとしたとかいうのは短絡じゃない?
651 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/01(日) 22:11:43 ID:+DPRrxgl
韓国でも読まれたら反日一辺倒の日本観も変わるかもな
忍耐ねぇ…。
家康って同盟者が死ぬと途端に掌返す人なんだけどなぁ。
桶狭間でも。本能寺でも。
信長=同志のはずの人民を苦しめる共産党員
家康=賄賂の要求にむかつきまくりの民間企業
こう考えたらどうだ、
>>652
>>652 今川って同盟といえるのか・・・?
跡継ぎは人質だったし、搾取されまくってたし。
本能寺の後は信長の子供担いで秀吉と戦ってるから
一応の責任は果たしてると思うよ。
その子供に裏切られた後は見限ってるけど、これも
手の平を返したとは言えない。
655 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/01(日) 22:25:18 ID:rcLc27aY
>>650 後水尾天皇に秀忠の5女 和子を入内させる顛末と紫衣事件で幕府が朝廷に対しどう接してるかは明白でしょ
だから由比正雪が乱をおこそうとしたわけだ
656 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/01(日) 22:27:17 ID:5LIX+3WN
>>654 んだな
家康は、戦国では珍しく義理がたい武将だったと思う
信雄みたいなバカ殿に頼られたのが災難だった
657 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/01(日) 22:29:34 ID:rcLc27aY
>>650 あとこの時代、下から上に何かをするように云うことははばかれる事
つまり幕府から朝廷に働きかけること自体不敬
しかしそれを繰り返すことで朝廷の権威をこき下ろしにかかってるってこと
>>652 桶狭間の後もいくらかは織田と戦っているよ、家康は。
今川家にも、義元のカタキ討とうと言ってるけど、
氏真がカタキ討ちより領国経営の方に気持ちがあったから、
家康は見限って信長と同盟した。
659 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/01(日) 22:33:04 ID:8SugGVKZ
同盟なんて、所詮乱世を生き残るための手段に過ぎないよ。同盟は、
運命共同体ではない。
660 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/01(日) 22:33:10 ID:s2aOhngI
わても二十代ではまって読んだ。
あれだけの長編が200万部売れるとは恐るべし中国。
日本もうかうかできないな、韓国には死んでもできない教養の差だ。
ハングルでは読めんという弊害もある。文化の程度の差だ。
661 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/01(日) 22:38:16 ID:+DPRrxgl
五大老で、朝鮮出兵で渡海したのって誰?
家康は行ってないよね?
663 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/01(日) 22:44:39 ID:5LIX+3WN
>>655 紫衣事件は政治的な問題でしょ
政治権力はどちらにあるかということをはっきりさせただけで、徳川家が皇室に取って代わろうとしたわけではない
和子入内にしても、藤原氏、平家以来、時の権力者がやってることをやったまでのこと
あと、由比正雪の件は、よく知らん。なんじゃそれ?
>>661 宇喜多秀家じゃね?
664 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/01(日) 22:58:38 ID:rcLc27aY
>>663 政治的な問題?
和子入内も政治的な問題だし、例幣使も政治的な問題だし、
東照宮の号も政治的な問題だけど?
665 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/01(日) 23:06:21 ID:iPoEGJgW
信長、秀吉、家康
この3人の話になると盛り上がるな。この3人がある意味日本の近代の原型を作ったようなもんやからな。
天下統一に関わった3人。
666 :
朝鮮28号 ◆8PxOawJTkY :2009/02/01(日) 23:07:43 ID:PZ88PSZM
まあ武家政権にとっては朝廷の扱いってのは微妙な問題でな。
あまり朝廷に力を持たしてもいけないし、かと言って潰すわけにもいかない。
なんせ「征夷大将軍」って権威を保証してるのは朝廷だからね。
667 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/01(日) 23:07:44 ID:8HkHoJX+
>>660 韓国でも1970年に「大望」という名で出版され、ベストセラーに
なりましたよ。
668 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/01(日) 23:11:28 ID:oiuqluX4
中国では曹操人気無いしなぁ〜信長タイプより
家康の方が好まれるのかね?
669 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/01(日) 23:13:50 ID:Nk9JVp8I
なんつー売れ行きだ。。
さすが捏造寒流と違ってちゃんとした実数が出て来ると説得力が違うな。
源頼朝なんか娘の大姫を入内させようとして大失敗してたよなぁ
671 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/01(日) 23:23:59 ID:5LIX+3WN
足利義満は、確かに天皇家に取って代わろうとした可能性が高いな
井沢先生の説には説得力がある
それに比べれば、家康も秀忠、家光も、天皇家を越えよう、とって代わろうなんて意志はあまり感じられない
徳川将軍家でいえば、5代綱吉なんて皇室尊重もいいところ
勅使下向の儀式を血でけがされて激怒、浅野の殿様を怒りにまかせて即日切腹させて、赤穂浪士討ち入りの大事件を引き起こして後から困ったくらいだから
むしろ、家康より織田信長の方が皇室に代わる意思があった気配が濃厚じゃね
晩年のやりかた見てると、生きていたらあるいは・・・と思える
>>610 >
>>604 >
> もしあったとしても
>
> 信長「まあ、光秀飲めよ。」
> 光秀「酒は、弱いから駄目です。」
> 信長「いいから飲め!」
>
> ってかんじの単なるパワハラじゃね
ないない。
信長本人が下戸で酒は全く飲めないのに
「俺の酒が飲めねーのか」はありえん。
673 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/01(日) 23:29:27 ID:rcLc27aY
感じられないってw
知らんがなw
674 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/01(日) 23:37:58 ID:rcLc27aY
後水尾天皇に孫を嫁がせ、他の女が産んだ皇子をすべて流産させ、嫁ぐ前に既に生まれていた賀茂宮すら殺しておいて
朝廷に対して幕府が野心がないって感じる時点でどうかと思う
中国人の名前は5人くらいしか覚えられません
676 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/01(日) 23:44:01 ID:5LIX+3WN
>>674 そんな歴史的事実があったのか?
すまんが、1次資料を教えてくれないか?
677 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/01(日) 23:50:12 ID:rcLc27aY
細川家記 忠興譜
後水尾天皇譲位 隠し題
679 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/02(月) 00:08:08 ID:pGYsmrgy
>>671 それは、今谷明氏の説だ。
井沢氏の本は読まんが、流用しておいて、今谷氏の名前は出さんかったのか?
680 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/02(月) 00:45:09 ID:/YDTXE4f
>>637 >徳川は儒教を積極的に取り入れたのが気に食わん
家康じゃなくて、松平定信ね。それも朝鮮儒教を取り入れている。
けど、先に中国から本場の儒学者を招聘してるし
学問が百花撩乱状態で、朝鮮儒教を完全に真似ることができなかった。
朝鮮儒教の特徴はそれのみを唯一の学問として他の学問を禁止することだったから
江戸時代に儒学以外の学問の禁止なんて無理なお話。
実際にそれをやってる朝鮮は西洋はおろか、日本や清や支那よりも文明が遅れ
さらに他国よりも遅れていることにすら気がつかずに、頑に他国の文化を拒んでいた
松平定信は武家のみに朱子学を強要し、農民や町民にまでは無理強いしなかった。
松平定信が死んだ後は朱子学も廃れて、どんどん他の学問が進んでいったといいます。
>>639 水戸学の儒学は、朝鮮朱子学ではなく、支那の儒学者だったからね。
朝鮮朱子学のほうだったら革命は起きなかったよ。
易姓革命の本場だもんなぁ
>>629 >日本の目的は、討伐ではなく朝鮮に明までの道案内をさせること。
>朝鮮王の当事者能力のなさを秀吉が予測してなかったことは間違いないw
秀吉は基本的に無学、無教養だよ。頭がいいのと学があるのは別だからね。
対馬藩主なら、明や朝鮮について詳しかったと思うけど
そういった他人から聞いた知識でしか、明や朝鮮を知るしかなかった。
目的が明との交易なら、遼東半島から上陸したほうが早いって
朝鮮の上半分は山岳地帯ですごい遠回りで、しかも満州を通過しないといけないし
朝鮮と満州の国境や、満州と明の国境も砦が築いてあって警戒が厳重です。
単純に、明や朝鮮人を舐めてかかってたんだと思うよ。
すでに老いていたし
>>573 遅レスだけど(つかスレが早いのかw)
中国の内部崩壊のパターンって如何しても中国独自なんよね。
一番の理由は「宦官」の腐敗と暴走で国自体が・・って例が大抵のパターンだしね。
特に後漢の霊帝の「十常侍」や明朝末期の「義忠賢」とか
皇帝並のレベルの権力で国を食い荒らした例とか有名だしね。
(まぁ、その場合は大抵は皇帝自身がDQNか無能すぐる例が殆んどだけど)
宦官の専横を巧みに逃れてる例は「唐」「元」「清」が有るけど
これ等の王朝は(基本的には)漢民族の王朝とは違うからねぇ。
唐は、高力士が宦官の中では聡明で部を弁えてたのと
楊国忠が馬鹿やりすぎたから余り反発を持たれなかったので
宦官の暴走は避けられた形だし、元は知っての通り宦官が暴走出来る
政治システムじゃ無かったし、清朝の場合は有能な皇帝を多く輩出させてるのと
何よりも、「自分の意志で宦官になる」連中で徴用させたからね。
(それまでの宦官は奴隷若しくは犯罪犯した連中を
「宮刑」をさせたのを主に宦官にしてた為。)だから清朝の半ば頃から
食扶ちに困った香具師達が自ら「宦官」になるなんて多かったらしいしね。
・・最も、西太后がかなり暴走したから
結局は清朝も崩壊してしまったんだけど。
>>681 清朝の没落は、もう少し下部構造の問題だよ。
乾隆帝治世ぐらいからの人口爆発で、さしもの広大な中国も、
農村の貧乏化が起こりl、中産市民も減り、経済社会の担い手が
どんどん劣化していった。
…これが、中国没落の最大の原因。中共が、あれほど一人っ子
政策に固執するのは、故無くしてではない。
683 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/02(月) 01:20:04 ID:/YDTXE4f
>>681 >中国の内部崩壊のパターンって如何しても中国独自なんよね。
>一番の理由は「宦官」の腐敗と暴走で国自体が・・って例が大抵のパターンだしね。
権力を持った「宦官」という存在がそもそも中国独自
>特に後漢の霊帝の「十常侍」や明朝末期の「義忠賢」とか
>皇帝並のレベルの権力で国を食い荒らした例とか有名だしね。
>(まぁ、その場合は大抵は皇帝自身がDQNか無能すぐる例が殆んどだけど)
始皇帝が中華統一したあと、すぐに秦が滅んでいるんだけど
これも始皇帝が決めた跡継ぎを、ちょうこうという「宦官」が
殺して一番無能な末の子を次の皇帝の座につけてから、王宮を乗っています。
無能な末の子の教育係だったんだけど、ちょうこうがDQNで無能な子に教育してるんですよ。
男のくせに大奥にいるので、夫人達だけでなく、次のお世継ぎに対する影響力がでかく
皇帝をちやほや甘やかして、操り人形にしてしまうのが宦官の怖いところです。
「宦官」も謎だったんですけど、なんで玉を取らずに竿を取るんでしょう?
竿をとると、失敗しておしっこができない身体になり、そうすると尿毒症で死ぬ危険大です。
で、玉をとったほうがおしっこができくなるリスクがなく、竿もおしっこしか使い道がなくなり
野心も性欲も消えます。
玉を残すと性欲も野心も消えないのにねぇ
牛でも犬でも去勢って普通、玉をとるので知らないわけじゃないだろうに
西太后 優秀な配下がいたのにみんな粛正しちゃったからね。
684 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/02(月) 01:30:41 ID:JpMdoa8O
おまえら、安重根の話読め
人生のバイブルとなるであろう
>>684 旧約聖書なんて読むと、殺伐とした、人非人になるぞ。w
686 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/02(月) 01:40:31 ID:4YnCch6x
>>684 日清韓が手を携えて東アジアの平和と発展に寄与しようという内容だっけ?
今の時代ならいいことなんだろうけど、清や日本が苦労して欧米列強に
対抗していた帝国主義時代に、極端に国力の弱い韓国が対等の立場で日清に
便乗しようというのは当時としては虫が良すぎるし、あり得なかったと思う。
福沢諭吉の脱亜論の方が現実的で説得力あるよ。
>>682 だから「結局は」と
>>682でも書いてるし。
(つか、乾隆帝も晩年はかなり耄碌してた状態だったとも聞くしね
有名な揚州の塩商とかも乾隆帝の後から急激に没落したりするし)
清朝は有能な皇帝が(他の漢民族の王朝よりは)比較的安定した
国家体制で二百年以上持って居たけど、農村の貧乏化自体は
他の王朝でも慢性的に起こっていた基本的な構造上の欠陥とも言えるかと。
(今の中共も、結局は地方の農民による暴動紛いのデモが日常化してる状況だしね。)
>>683 ああ、そう言えば趙高も居たか・・すっかり忘れてたお。
二代目の胡亥を良い様に操ろうとしてたからこそ、寧ろ有能な跡継ぎじゃ困る
(自分が糾弾されかねないから)からでそ。
モノを全部取るのは、どうも「後宮の女人」と間違いを起さないのに
過剰になっていた節が有るのよね。
(それに、肉棒の方は切った後でも極稀に再生する稀有な例も
有る位だったから、宦官を「切った後でも」時々調べたりしてたらしいしね。)
西太后にも、元は西太后の髪結いの大鑑だった李蓮英が居たけど
晩年の西太后に二年程使えていた外国子女の徳鈴の回想録によると
李蓮英は当時から周囲から憎まれてたらしいのね。
(実際に徳鈴自身も「李蓮英は悪質残忍」と半ば憎みながら書いてる件とか有る位だしね)
西太后が脂肪した後で李蓮英は間も無く宮中から消えたらしいけど、暗殺されたか
或いは、逃亡したか・・
>>682 中共が一人っ子政策を推し進めるのは、毛沢東の人口政策の失敗の結果ですよ。
人口抑制を訴える学者を排斥して、産めよ増やせよで幾何級数的に人口増。
79年にやっと規制を加えたけど今や後の祭り。
そして清の崩壊は、ロシアの南下に対して戦わなかったので、立憲君主制の元首として
頼むに足らずと軍閥達に見限られたのが大きいと思う。
>>681 唐も宦官の害が出るよん。
玄宗と高力士の時代は、専横までいかないけど外戚の楊国忠が権力を握った時代。
安史の乱で楊国忠が死に、玄宗が譲位して粛宗が即位すると、
安史の乱で粛宗を補佐した宦官の李輔国が権力(警察権と兵権)を握り、
高力士を追放し、玄宗を軟禁。
粛宗が崩御すると、反李輔国だった粛宗の皇后を殺害。
代宗が即位すると、李輔国は宦官の程元振により滅ぼされるが、
今度は程元振の専横が始まり、これは代宗によって追われる事になるも、
続いて宦官の魚朝恩の専横。これも地方武官の反発で代宗によって追放されたが、
代宗の後の順宗が宦官に譲位を迫られ、毒殺されたとも言われていたり。
その後も宦官により殺される皇帝が何人か出るし、宦官によって擁立される皇帝も多い。
その専横も波があるが、黄巣の乱の滅亡まで続く。
補足。
>肉棒の方は切った後でも極稀に再生する稀有な例
はあくまでも「極僅か(数_〜数センチ位)での再生」の事ね。
>>687
これは良いね
日本人も三国志好きな人多いし
なんだかんだで中国は朝鮮と違って歴史ある大国だから尊敬できる
692 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/02(月) 01:56:58 ID:/YDTXE4f
>>682 清王朝の没落は、中華意識の負の部分が大きいと思うなぁ
大航海時代に、世界の文化と技術の交流は大発展して
日本や朝鮮みたいに鎖国してたり
中国のように自尊心がゆるさないから、海外から学ばない国は
武器の技術が大きく遅れた。
で、アフリカとアジアが白人達にどんどん植民地にされて
西洋が経済面でも有色人種より発展しました。
清王朝の時代は
イギリス、フランス、ドイツ、ロシア、アメリカと
西洋からいろいろと侵食されたんですよね。
明までは、敵はせいぜいが北方蛮族と自国民だけだったわけで
>>689 でも、明朝の天啓帝を操って暴走してた義忠賢みたいな例は
他の王朝に比べて唐は少ないでそ?
そもそも、義忠賢の頃は既に三千人以上の宦官が
皇帝や後宮に仕えて居た事から見ても、やはり宦官の専横が酷かったのは
明朝とかそのレベルでの話しで言った方が適当かと。
(因みに、
>>681で挙げた「十常侍」の頃の宦官も二千人近く
仕えて居た事野よね・・最も、有名な「宦官皆殺し」で一度排除させられてるけど)
それに、唐の場合は宦官よりも
トップの(特に則天武后の様に皇族間での権力争い)の方が酷かったしね。
あの玄宗も高力士の尽力で自分の兄弟を追い落として権力を獲得した位だしね。
×二千人近く仕えて居た事野よね
○二千人近く仕えて居たのよね
まーたかよ・・orz
>>692 まぁ、清朝は一部の少数の満州族が大半の漢民族を
完全に統治管理支配してたからねぇ・・それも結構安定してたしね。
日本は周囲が海に囲まれてた大きな島国だったからこそ
隣国の脅威とかも自然に守られてた恩恵が有った訳だし。
そう考えると、やはり日本は八百万の神に守られてる「神州」ってのは
改めて解るよね。
696 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/02(月) 12:37:45 ID:e0mqRZtx
>>695 気候と立地条件と適度な大きさに恵まれた国だと思います。
沖縄と同じ大きさだったらやっぱり他国に併合された(この場合は中国)
けど、朝鮮半島だってあの形だけみれば、
黄海なんて、良い漁場になりそうなものなのよ。
海の側には山があるし
寒いとはいえ、山の緑を大切にし、海を汚さず乱獲もしなければ
魚介類も豊漁だったでしょうに。
シナ人と中国人に挟まれたのが運の尽きか
どちらもゴミの投棄がひどいし
タンカー事故でも汚すし
日本人は日本神道をもって、
海と山を神と祀って大切にしてきた事が大きいんでそう。
キリスト教やイスラムの場合は、絶対権力の支配者に忠誠を誓うことで
精神と生活の保障をしてもらうようなもんです。
日本神道を原始宗教といわれようと、ネィティブアメリカンとなら
わかりあえそうな気はする
>>693 だからなんであんなに宦官が必要だったのかわからんのよ。
後宮のおんなたちなんて、数十人で十分じゃ?
夫人のお世話係なんて、大臣の娘たちで十分じゃ?
何度も宦官によって、国が滅亡してるのならその辺は学習すればいいのに
玉をとらずに竿とることで性格に異常をきたしかねないよ。
欲望のみギラギラ状態で
リピドーだけあって、ポテンツがないんだから
玉は映えてこないし
玉とったほうが男はおとなしくなるのにねぇ
つか、男を後宮にいれず女達を使えばよかったのに
宦官については殷代からあるみたいね。甲骨文字で陽根と切断を表す文字が出てくるから
本々は異民族にたいする刑罰、もしくは呪いみたいなもので、捕虜にした敵の王族とかを宦官にした
ギリシャでも古代コリントの僭主ペリアンデルが、コルキアの貴族の子弟を去勢したとか言う話があるらしい
また、神聖存在まで祭り上げられた『天子』を、一般の人々の目から隔絶させるために、けして普通人ではない宦官という第三の性を必要としたという解釈も成り立つのかもね、中国の宦官の隆盛は
698 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/02(月) 17:01:19 ID:e0mqRZtx
>>697 もとは相手が子孫を残せないように
根絶やしにする刑罰が出発点かな?
罪人じゃなくとも、深い恨みを抱いてそうです。
始皇帝も、ちょうこうに子孫を根絶やしにされたけど(孫が生き延びて、ちょうこうを殺して一族の仇をうったけど漢の劉邦にくだって処刑された)
ちょうこうも、ちょうの国の人で元々敵国の人です。
日本の武士だと、相手を侮辱などせず、武士の情けでとどめさしちゃいますからねぇ
古代の場合はほとんど処刑といっしょだろうなぁ
感染症で死にやすいし、竿に細い棒をつっこんでから切り落とさないと、尿道が塞がって危険
手術が成功しても、切断面が癒えるまではおしっこもできない。
麻酔も化膿止めの抗生物質もない。恐ろしいわ
人としての尊厳を傷つけるすごく残酷な罰だけど
なんでそれを宮中に使うのか?がわからない。
しょせん罪人なわけだし。もしかしてものすごく優秀な人材なのかもだけど。
699 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/02(月) 18:17:15 ID:fJyNCi4V
>698
去勢は牧畜文化だよ
此があって、優れた家畜を生み出すことができた
家畜の去勢と一緒でタマ取るだけでサオは残しておくんじゃないの?
701 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/02(月) 18:46:33 ID:e0mqRZtx
>>699,700
去勢は牧畜文化だよ
此があって、優れた家畜を生み出すことができた
家畜の去勢と同じように玉をとって竿を残すなら理解できます。
こちらのほうが死ぬ確率が低い。けど、シナの去勢は玉を残して竿をとる。
非常に危険な手術です。(尿道が化膿しておしっこができない身体になり死にやすい)
だから手術後、尿道に棒をつっこんで化膿で穴が塞がらないようになど、
家畜の去勢よりもずっと技術が必要です。
しかも玉が残っていると欲望は消えないのです。
なんで家畜の去勢のように玉をとらないのか?謎
玉も竿ももろとも取る時代もあったみたいだけどね、というよりそうしなければホルモンのバランスが変わらなくていわゆる髭が抜けたり体型が変わったりはしないと思う
あと知ってるとは思うけど、肉体の一部を削る肉刑は古代からあって、例えば足を削がれた在任は果樹園の番人にしてた
これは足のない人間なら、頭上の果実の盗み食いは出来ないという発想からだと思うけど、要するにそういう適材適所(?)的な発想じゃないだろうか
あと日本の場合宦官がいなかったのは、そういう非人間的な唯一の巨大権力というものが成立しにくい地勢上の特質から来る歴史的な成り行きと、
異民族と言えるほどのものが存在しなかったからじゃないかな?
もちろん牧畜が生活の中の欠かせない、というより主軸要素であったかどうかも大きくあずかってると思う。
結局相手を同じ人間ではなく、言葉をしゃべる家畜としてみる伝統がなければ生まれない発想だし
>>702 つか、基本的に日本の場合大抵は「女性の管理は同じ女性自身」で
行っていたから(平安時代の女房制度や後の江戸時代の大奥等)
中国の諸王朝の様な「去勢された男子を仕えさせる」のは
日本ではする必要も無かった訳で。
つまり、やはり日本と中国の後宮や宮中&大奥等の
女人の管理の仕方は、基本的に構造上の違いなんよね。
705 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/03(火) 01:33:22 ID:uhH+ckQ8
>>702 >結局相手を同じ人間ではなく、言葉をしゃべる家畜としてみる伝統がなければ生まれない発想だし
あー人間だと思わなければ、女性も平気で裸になれますものね
相手を犬か猫だと思っているなら
>>703 私がみた宦官の手術の絵とその料金(自分で出世のために宦官になる場合、高い金を払ってちゃんとした手術を受けるのがある)
高いとしっかりとした手術で、安いとざっくりと切るだけ
それでは竿だけとってましたもの。
それは刑罰ではなく、自分の意志で出世のために受けるやつです。
写真はちょいと怖いので見れませんが(グロと残酷なのはにがてーー)
ラストエンペラーだったか、映画の中で宦官達が小壺を大事そうにもってましたもの
司馬遷自体も、親友の李りょうが、北方民族の捕虜となって、あちらに仕えた時に
漢の武帝が激怒して、李りょうの家族を皆殺しにしようとするのを擁護したら
司馬遷に怒りの矛先を向けて宮刑に
後でやりすぎたかなと後悔して牢から出して重職に戻してますが
いくら皇帝とはいえ、簡単にあそこまで残酷になれるもんかと。
残酷というより、人を人とも思わないんだよなぁ
日本の歴代の天皇も将軍も、人を家畜のように辱めるような残酷はないわ
秀吉は、秀次の女達を殺した後、ひとつ穴に放り込んで畜生塚と書いた墓標を建てて
大ひんしゅくを買ったけど、生きてるうちに辱めて殺したわけではないし
706 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/03(火) 02:21:30 ID:txTL0tmn
中国で200万部なんて、日本じゃ同人誌程度の売れ行きだろが。
逆じゃね?
あと取ったものの用途としては、昇進する時に証拠として提示しないといけなかったみたい
で、処置を受けたときにちゃんともらい受けてこないと、あとで買い戻しに行かねばならず、それが刀子匠の副収入になったらしいw
あと中国の宦官の多さはやっぱりあの国の体質ではあるんだろうな…学のない貧乏人が出世する道はあれしかなかった
だからいつの時代も自宮するやつが絶えなかったんだろうな…
自宮
日常生活では一生使わない単語だな
710 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/03(火) 11:56:45 ID:gox5fVAG
>>705 日本の場合、奈良平安期で人とは貴族だけだよ
それ以外は民(差別用語だったはず)、鬼、河童や天狗、蜘蛛や蛇などと呼称された
ある意味桃太郎なんかは人が鬼の国に宝を奪いに出かけるお話
人扱いしないことを問題にするなら千年たっても尚人扱いされてない鬼立場のことを抜いたら駄目だよ
>>705 それってかなり特殊な例だと思うお・・
だって、幾ら高い金を払ったとしても、肝心の「玉」を取らずに
棒だけ取っても宦官としてはまともに宮殿の仕事を貰える筈も無いと思うし
何よりも肝心の「性欲」が抑えられない筈だしね。
因みに先の「義忠賢」は自分で「自宮」したとか。
なんでもこいつは若い頃は相当のDQNで、切ったのも元は
博打の賭場で揉めて嬲り者に(多分「アーッ!」されたんだろうと思われ)
されて自棄になった挙句の行為とか・・
それと、気になったんで手元の資料本を探して改めて読み返したら
どうも記憶違いをしてたので取り合えず修正して置くお。
>>693で「三千人〜」と書いてたのは正しくは
「義忠賢が宮殿内で独自に編成した宦官による軍隊」の数ね。
で、明朝の宦官の数は手元の本によると
「明朝の終りに紫禁城内に居た宦官の数は一説には十万人以上」と有るのね。
(「酒池肉林 中国の贅沢三昧」:伊波律子(講談社現代新書)
まぁ、この「十万人以上」って数は(幾ら何でも)誇張だとしても
実際宦官の軍隊を三千人も編成するって事から見ても
万単位で紫禁城に宦官が相当数居たのは確実と思うのね。
>>710 桃太郎の「鬼」は一説には異国人だとする説も有るんだが・・
まぁそれは兎に角、古代の蝦夷や鬼に纏わる伝承や伝説も元は
征服した立場が被征服者に対しての正当性を示す為の物の性格が強いからねぇ。
河童の方はあれは水神や水に関係した類からだった筈だから
少し違う様な気が・・いや、良いんだ。
>>711 河童の童は童子だぞ
童が子供の意味になったのは後世のことで、本来は土に串刺しにされた奴隷の意味で鬼を指すんだ
坂田金時が攻め滅ぼした鬼の名前が朱天童子って名前だろ
山にいる鬼が山童
河にいるのが河童
水神を引っ張り出してるが鬼神という単語が示すとおり鬼と神は表裏一体のものだぞ
桃太郎の話はめんどいから控えめにするが、外国人って渡来人のこと?
吉備津彦命が200年以上吉備国で戦った相手が渡来人だろうが豪族だろうが鬼に変わりがない
明朝の宦官部隊は結構大規模だったみたいね。取扱に注意を要する火薬なんかを扱うのは彼等だったらしい
そこらの農民や食い詰め者に任すのは危ないからだったらしいけど…
あと神と鬼とが同じというのは両方モノとあてるからわかるけど、元々鬼って死霊とか幽霊という意味で、いきなり今の獄卒の姿をあてるのはどうなんだろ?
あの角のある姿は元々は丑寅の方角にある冥府の門を守る獄卒の姿で、角は牛、そして虎の毛皮の衣はそれを表すんだとか…淮南子だったかな?
あと山岳民・漂泊民に対する感情は、蔑みがないとは言わないけど基調は畏れで、強い蔑みの観念を植え付けたのは本題に返るようだけど江戸に入ってからじゃないかな?
>>712 何でもかんでも全て「鬼」と関連付けるのは問題有ると思うが?
第一、河童の由来も中国経由(河伯)とか諸説有るから
河童の「童」の字が「童子」と同じだからと言って
鬼の一種として河童が入ってるなんて確定して居ないでそ。
因みに、こんな説も有るお。
ttp://page.freett.com/sekihantaki/tadaf/kaat/kapah.html まぁ、一応漏れは
>>711で
>古代の蝦夷や鬼に纏わる伝承や伝説も元は
>征服した立場が被征服者に対しての正当性を示す為の物の性格が強いからねぇ。
とも書いた通りに鬼自体に関しては否定はして居ないけどね
あくまでも比較対象の一例として書いているだけだし。
あと、中華圏では「鬼」は日本で言う「霊」と同じ意味も有るんよね。
(だから向こうでは幽霊屋敷(お化け屋敷)とか「鬼屋」とも言われるみたいだしね。)
因みに河童が今の姿のイメージになったのはかなり後代だと思う
江戸時代の水虎十二品図てのではあしからしい海獣の姿のものや、痩せ細った餓鬼のような姿もあるらしいよ
>>713 日本で鬼の姿が角を持ちってやつは、日本においては大国主が大黒天と仮託され、
大国主がスサノオであり牛頭天王の別名を持っていたのが原因のひとつ
閻魔大王である大黒天の侍従の位置に牛の頭と同じ角を持つ人にあらざるモノとして今の姿になったわけだ
朝廷にさからって滅ぼされた大国主の民たちが鬼になったわけだから
元は鬼というのは幽鬼だというけど、日本でもそうだよ
ただ日本の場合ややこしいのが「人」として生きるということが官位を持つことと同意だったから、
人として死ぬということが生物的に死ぬということと同じ意味でないことがあったから。
だから鬼=生きていないモノ=死んだモノということになるわけだ
平安時代に陰陽師という代物ができたのは「人」には「鬼」が見えないし、触れないという決まりがあったから
だから「人」でありながら手下の鬼「使鬼」を「式神」として使役する陰陽師という職があったわけ
>>714 鬼の一種っていうより、人=貴族だったわけだから
ほとんどの人間は「人」じゃないモノになるわけでしょ
童:(1)もと、目を刃物で突きぬいて見えなくした男のどれい。また、男の罪人をどれいとしたもの。のち、雑用をする男の召使。男のしもべ。
《同義語》⇒僮。《類義語》⇒僕。「童僕(男のどれいや召使)」
(2)わらべ。わらわ(わらは)。まだ物事のはっきり判断できない幼い子ども。おさなご。
▽十五歳で成人して冠者となる。「童蒙(ドウモウ)(道理のわからない子ども)」「童子」
(3)幼い子どものようなようす。また、ぼうず頭。「童山(はげ山)」
民:(字源)象形。目を針で刺し、目を見えなくさせること。元はそのようにして自由を奪った人(奴隷)を意味。
>>716 > 日本で鬼の姿が角を持ちってやつは、日本においては大国主が大黒天と仮託され、
> 大国主がスサノオであり牛頭天王の別名を持っていたのが原因のひとつ
> 閻魔大王である大黒天の侍従の位置に牛の頭と同じ角を持つ人にあらざるモノとして今の姿になったわけだ
自信満々にほら吹いて恥ずかしくない?
オオクニヌシが大黒天に擬えられたのは、単純に「ダイコク」の音がかぶっただけだが。
大国主がスサノオであり牛頭天王の別名?
閻魔大王である大黒天?
馬鹿か。ラノベの読み過ぎだ。
> 鬼の一種っていうより、人=貴族だったわけだから
> ほとんどの人間は「人」じゃないモノになるわけでしょ
おまえはほんとうにばかだな。
そこら辺の庶民は絵巻物にだって描かれてるし、源氏物語にも
漁師に話を聞く場面がある。
>>717 漢字の原義は、それが中国で用いられていたものか、日本で用いられてたものか
ちゃんと分けないと意味がないだろ、ここでは。
>>718 少しは調べたら?
本地垂迹がわからないなら出てこないほうがいいよ
>>719 出鱈目吐き散らして、勝利宣言か。
ラノベ板に引きこもってれば?
>>719 本地垂迹は寺社の信者獲得の為の単なるこじつけでしょ。
まさしく今のラノベみたいなもん。
>>722 ラノベと言い切るのも結構ですが、
日本には本地垂迹という考えが根付いていて、
それを元に神社が建立され縁起となっている事実をラノベと言い切って何か判るの?
>>723 本地垂迹がラノベと言ってんじゃねえの。
本地垂迹を良いことに、に連想ゲームでガチャガチャと
後付の妄想で繋げてんのがラノベの読み過ぎだつってんの。
>>724 鬼というものが日本の歴史にどれだけ食い込んでいるのか、wikiをみただけでもわかる
牛頭馬頭も鬼だし酒呑童子も鬼
日本で習合された鬼というものが姿がたくさんありすぎて本当はなんなのか様々な論が出るというのならわかるがな
一切、自分の論を展開せず、相手をラノベと言い切っただけかよ
うーん…本地垂迹が現れたのは大体九世紀辺りともいうしな…ちと時代が下がりすぎている気がしないでもない
まあ日本の鬼もいきなり牛角に異相というように類型化されていたわけでもなく、その辺で固まったのかも知れないけど…
自分の知るかぎり出雲風土記の阿用の鬼が初出なのかな? これは一つ目だけど
あと鬼と陰陽師か…その始祖の一人に数えられる役小角の使役したという鬼は確かにそういう人々かもね…
そういえば極端に汚れを忌む平安期の貴族の生活では、逆に排泄物等を処理する=汚れを一手にひきうける存在が不可欠なわけだが、天皇の身の回りを世話したのは八瀬童子だっけ
陰陽師も精神的にみれば、そういう汚れの引き受け役で、そこから両者に強い繋がりがあってもおかしくはないよな…w
スレ違いだからこれ以上やるべきじゃないんだろうね
ただ河童が鬼とは限らないという話があったから、童子ってのは鬼そのものを指す単語だということ、
河童ってのは河原に棲む童子って言葉通りの意味だということ。
だからこそ河童=鬼だということを示したかっただけ。
まあ、もうやめとくよ
まあこういう真面目な形なら多少は大目に見てもらえるかな?w
話の流れを断ち切らないように家康に話を戻すなら、そういった一種の不可触民にたいする家康の政治方針から話をするのがいいのかね…
『禁中並公家諸法度』で天皇自身の行動に始めて成文法で制限を加えた男だし、なかなかその政治姿勢を一言では言い表しにくいと思うけど
>>723 縁起や伝説等は、歴史を語る上で却って邪魔になる事がわかる。
でもまあ自説の補強に使うくらいは…
例えば河童の起源説の一つに、大工が春日神宮の遷宮にあたり藁人形を匠道の秘儀で加持して使い、その後放逐(河に流)したのが河童になったというという伝承があるみたいなんだけど、
それは所謂定住地を持たない流民を、普請のために雇いいれたと見ることも出来るかもしれない
で、おそらくこの話を元にしたのであろう伝承に、左甚五郎の話があるらしいんだけど、その時河童達は以後どうやって生きていけばいいのかと騒いで、尻でもくらえと言われて尻子玉を取るようになったとか…
で、これは思うに仕事が無くなった彼等を、不浄物の処理係として再雇用したという事が過去にあったのを反映しているかも知れないとふとおもった
そういえばそういう非定住民(境外の民)が仮に住居を選ぶ場合、洪水持には水没するため所有者のいない河原に小屋がけしたという話も聞いたことがあるし…故に別名河原者と言われたとかなんとか
そして例えば四条河原など、都の不浄を一手にひきうける地であったということも妙に符合するなと…まあ思いつきだし固執するわけでもないけどw
まあ家康ってのは覇王・項羽の如き信長相手に忍従して
最後に勝利を掴んだ高祖・劉邦的な立ち位置だからな。
それに見た目は中国的な意味での「大人」だし、
健康マニアで長生きで読書人で長期政権の樹立者だ。
こんだけ揃った人間が居れば、そりゃあ中国人もフォローしたくなるだろ。
>>716 大黒天の場合はインドのシヴァ神が日本に渡って来た際に
日本の大国主命と融合した節が有るんだが・・
つか、本地垂迹は仏教が渡ってきて以降の物だろうに
何をさも日本で昔から息づいて居た様に語ってるんだ?
ああ、因みに
>閻魔大王である大黒天の侍従の位置に
これは間違いだな、閻魔大王は元々インド神話上での人間(それも最初に死んだ人間の)
ヤマ(夜摩)が死後に神として使者を裁く王となってる訳で
主従は寧ろ「大黒天」(シヴァ神)→「夜摩」(閻魔大王)なのが
立場的に言えば正しい訳で。
>>726 つか、それ言ったら「式神」ですら「鬼」に当たる訳だしねぇ。
あれは寧ろ「使い魔」の類に近いんだけど・・
あとね、当時の仏教側が日本古来の神道を懐柔しようとして
提示した節も有るからねぇ。>本地垂迹
(それが証拠に、「日本古来の八百万の神々は日本の地に現れた化身で
真の姿が仏教の神仏」って、如何見ても無理が有るからね・・
時系列とか他にも色々とね。w)
>>726 式神は鬼そのもの
使鬼で式
人のために働く鬼を神にしたもの
だから使鬼神って文字が当てられてるんだろうに
>>732 本地垂迹の教義的なルーツは、法華経における永遠の真理である久遠実成=本地の釈迦と、この地上に現れた歴史的人物としての釈迦=垂迹の関係性を敷衍したものという話もある
そういえば神が仏の本地とする形もあるみたいね、神道が古来の形から理論だてられていった背景には確実に仏教の影響もあるし、働き掛けは双方からあったんだろうけどね
まあそれが本格的な形になるのは平安時代からで、それまでは本地垂迹の動きはあんまりなかったみたいだけど…
そういえば家康も東照大権現の垂迹になるんだっけか…w
鬼の姿が今の形に定着するのに本地垂迹が影響してるって話で、
別にいつ本地垂迹が始まったかは一切関係ないんですが?
そういう話ならわかる…がふと思ったがわざわざ午頭天王持ち出さなくても天部の踏み締める邪鬼の影響が大きいのでは?
あれはどうも元々はドラウィダ系の民族をデフォルメしたものらしい(上に乗ってる四天王とかは唐代の鎧装束に変化してるけど
まあ角があったかどうかは、いまいちはっきりしないんだけどね…そういえばアレキサンダーなんかも角があったという伝説が作られてるけどその辺の影響があるのかね(力あるものの象徴としての角
>>735 つか、最初に本地垂迹を持ち出したのも元は
>>719だし。
本地垂迹よりもはるか昔の卑弥呼(鬼道)や古墳時代の信仰とか見れば
仏教が影響してるのはあくまでもかなり後の事だしな。
>>734 いや、そもそも日本の神道からして仏教以前の日本と言う国家の成立前から
元の形(原始信仰的な物では)として存在はしてたしね。
(例えば、あの卑弥呼の「鬼道」も神懸りに依る物だとも一説には言われてるしね)
「あらゆる物に神が宿る」そして「人は死後神になる」って概念は
仏教では基本的には無いでそ?(仏教の場合は「輪廻転生」の概念からだからね)
世界中探しても日本の神道だけだからね、此処まではっきりと
「神」と「人」が密接してる宗教は。
>>737 は?
鬼の姿が今の形になった話の中で
>>718-719になってんだろ?
>>718-719の流れでどこに本地垂迹がいつはじまったかが問題になるんだ?
日本で鬼が登場したときから頭に角が〜なんて話をしてるわけでもなし
妖怪や神が長い時間の中で姿を変えるのは珍しい話じゃなし
鬼を指す童の字をわざわざ使ってるんだから河童は鬼の一種
単純な話
もう家康関係ない話になってきてるな
酒呑童子一味は稚児、つまり童の姿で悪事を働いたので〜童子と
呼ばれる様になっただけなのに、いつのまにか童が鬼の意になっちまってる。
論理の飛躍とかこじ付けとかじゃあ断じてねぇ、もっと下らない物の片鱗を
味わったぜ(AA略
741 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/06(金) 20:56:45 ID:GnZf4Atg
どうじて童子の話になってるの? ナンチテ
酒呑童子
茨木童子
鈴鹿童子
仏国童子(牛鬼)
八瀬童子(鬼の子孫)
護法童子(前鬼 後鬼)
馬鹿にするのも結構だが、鬼にまつわる童子とは上以外にもある
仏教における童子は脇侍であるがそのまま善鬼であるし、
その童子の名前の由来は童形であることだが、
童の字の成り立ちから考えれば子供の意味合いの方が後付けされた可能性が高く、
奴隷のような格好である子供を童子と呼ぶようになったと考えるのが普通
間のレスを見ないで書き込みですが・・・
家康ストーリーは中国受けするかもしれませんね。
中国のフィクションの小説読んでいても目下の人を泣く泣く犠牲にして(子供とか嫁とか弟子とか)、
最終的には勝つ、的なストーリー立ての物は多いし。
そうじゃなくても、別に普通に立派な話だし。
そういうのとは全く関係なく、翻訳が素晴らしいのかもしれないですね。
>>738 >
>>718-719の流れでどこに本地垂迹がいつはじまったかが問題になるんだ?
お前なぁ・・もっと良く漏れのレスの内容を
理解しろよ、阿呆が。
>>719で
>少しは調べたら?
>本地垂迹がわからないなら出てこないほうがいいよ
などと「本地垂迹」を持ち出して来たから
こうして書いてるんだろうが
因みに、本地垂迹が始まったのは
少なくても仏教が日本に渡って来て以降(それも早くても奈良時代以降)からの事だぞ?
それ以前に日本独自の神道(古代には神懸り等のシャーマニズム的な物で)
ではそんな概念は存在して居ない、これは理解出来るよな?
そして、その仏教の神々の殆んど多くはインド神話からの神々
(それもヒンドゥー教の神々が仏教に取り入れられた)のも一応理解してるよな?
そんな経緯を外して、日本の昔から「神は神仏の化身(権現)」って考えが
存在してる訳が無いだろうと漏れは言ってるんだが?
>鬼を指す童の字をわざわざ使ってるんだから河童は鬼の一種
>単純な話
単純に「童」の文字を使ってると言うだけで
「鬼」と同じと勝手に関連付けてるんですかそうですか。
つか、
>>714で漏れが挙げた「河伯」は河川の神(水神)の類だぞ?
何でもかんでも「鬼」で(それもかなり強引に)関連付けて如何するよ?
因みに、「童」の文字の起源に付いてはこんな説も有るとか
だから「童=鬼」と確定(断定)もして居ないのが実情な訳だしな。
(PDFファイル)
ttp://www.geocities.jp/kdi1995/img/news140.pdf ttp://www.ndl.go.jp/jp/gallery/permanent/pdf/82.pdf
>>744 本地垂迹を持ち出したことが、何故
>>737になるんだ?
全く意味がわからん
>>719はどうみても
>>718へのレスだが、
どこでどうお前が持ち出されて書かなきゃいけない道理につながるんだ?
>>744 そんなんでよければ
小松和彦は
想像の世界の中において、人々に鬼の実在を確信させた背景には、鬼とみなされた人たちの存在があった。
とし、これを次のように分類する。
(1)大和朝廷などの体制に従わない人々
(2)体制から脱け出し徒党を組んで乱暴狼藉を働く山賊
(3)農民とは異なる生業に従事する山の民や川の民、商人や工人、芸能者たち、山伏や陰陽師、巫女たち
(4)鬼もしくは鬼の子孫とされ、自分たちもそのように考えてきた家や社会集団(『世界大百科事典』)
上記を鬼と定義すれば、それこそ(3)にあてはまる河童は鬼そのもの
747 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/07(土) 01:42:11 ID:4onVsDD4
童子=子供=餓鬼
やっぱ鬼だろ
748 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/07(土) 01:45:48 ID:Y8zX4y2h
>>745 だからお前が
>>719で
>少しは調べたら?
>本地垂迹がわからないなら出てこないほうがいいよ
と他者に対して挑発紛いに出して来たから
あくまでも一意見として
>>737で漏れは書いただけだろうが。
で、漏れの
>>744に付いては?
お前の言う「河童=鬼」とやらは別段確定して居ないと
言う事は理解したのかね?
(確定して居ない時点で強引に結論付けるのも無茶な話だしな)
>>746 そもそも、何を如何「鬼」と出来るのかの定義も
日本と中華圏では長い変節を経て異なってると思うけどね。
(特に(1)なんて、古代のまつろわぬ神々も対象に挙げられると思うし
(3)は卑弥呼の「鬼道」もそれに当たると思うしね)
つか、これ以上は話が民俗学の領域に入ってる様な韓痔蛾巣。w
750 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/07(土) 02:32:10 ID:WzRj0pSu
>>711 >まぁ、この「十万人以上」って数は(幾ら何でも)誇張だとしても
>実際宦官の軍隊を三千人も編成するって事から見ても
>万単位で紫禁城に宦官が相当数居たのは確実と思うのね。
紫禁城にはいそうだけど、支那大陸もでかいだけで、痩せ地なので、
そんなに食い物がとれずに人口は今と比べて少なかったんだよねぇ
軍隊の数がすごいなと思うんだけど、10万人の軍隊の食料だけで
すんごくお金がかかると思います。贅沢な宮殿に美女をいっぱい囲んで
どうしてあんなにお金があったんでしょうね?
>河童の方はあれは水神や水に関係した類からだった筈だから
>少し違う様な気が・・いや、良いんだ。
っっっずーーーーーーーーーっと
鬼や童子の話になってるな!と思ったらここから壮大に話がそれたわけね!
家康はどこいった?
幽霊と武将と神様がらみで、関羽の話だけど、
私は初詣には毎年いくし、仏閣や神社は好きな場所だし
神様に手をあわせること自体はいいんだけど
どうゆう素性の神様でどんな由来で祀られるようになったのか?
その拝む神様の縁起がはっきりしてないと、拝む気持ちにはなれないのね
例えば金比羅さんにお参りするのにあたって、図書館で素性を調べたら
金比羅さん=ガンジス川にすむ巨大ワニ (クンビーラが音写されたもの)
川の主でインドでは、巨大ワニ クンビーラが怒って暴れると洪水が起きて
船が沈没すると信仰されて、水難防止として祀った。
とか
で、横浜の中華街にいったら、いっしょにいった台湾の人が、
関羽のびょうの前で手を合わせて拝んでいるのよ。
なんで漢の武将を神様として祀るの?って、聞いたら
正直ものだから、商売の神だから。と。
んな話は聞いた事が無い。友情と忠義に厚く義理堅い、豪傑等のエピソードは知ってるけど
なして、関羽が商売の神様よ? とこれも不思議に思ってました。
調べたら、隋の時代に、関羽の幽霊が表れて僧に、仏教に帰依したい が、神様リスト初出で
その後、道教にいれられたり、要はもともと人気があった武将ゆえに、いろんな宗教に利用されて
清の時代に、
商人の家で、強い武将を泥棒や災害よけの魔よけとして祀るのが流行って
で、そろばんを発明しただのデマや尾ひれがついて、
孔子を追い越して爆発的なブームになったそうな
751 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/07(土) 02:33:36 ID:WzRj0pSu
>>750の続き
要は
強い英雄を崇拝するのは、日本も中国もおんなじなんだなーと、思いました。
半島はテロリストを祀ってるけどね!
けどそれで商売の神様って言われても微妙だよね
754 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/07(土) 02:52:33 ID:7aqaiXa3
徳川家康は在日<丶`д´> ニダ!!
>>750 >軍隊の数がすごいなと思うんだけど、10万人の軍隊の食料だけで
すんごくお金がかかると思います。贅沢な宮殿に美女をいっぱい囲んで
>どうしてあんなにお金があったんでしょうね?
まず考えられるのが、支那の諸王朝では結構搾取は高かったとかの線ね。
何しろ、皇帝の命令で側室の為に態々首都の長安へまで
長大な道路を整備したり(玄宗)皇帝主導で南北へ広大な大運河も作って
膨大な費用を使ったりとか(煬帝)してるからねぇ。
農民の反乱による一揆やそれに因る内部の混乱とか
カルトに因る扇動で(黄巾&紅巾の乱等)国内が荒れたりする例も有るしね。
満州族の清朝の場合は揚州の塩商とか有名だしね。
北京の紫禁城と全く同じラマ塔(白塔)のエピソードとか
当時の揚州の塩商の強大な経済力を象徴してるしね。
因みに、清朝と言えば「西太后」が住んでいた頤和園もその改修費用に
当時の海軍の予算の三分の一を流用したと聞くから・・
まぁ、所詮中華の伝統とも言えるけどね。>酒池肉林の贅沢三昧
関帝廟とかそうだけど、関羽は中華圏では信仰厚い神様(元武将)だからね。
商売(塩の商い等)で知られるのも、それだけ関羽の一側面とか親しまれてる証拠なのかもね。
つか、確かに何時の間にかスレがたぬこにゃーとは別にそれてるな。
更に補足。
後漢の霊帝の場合、官位を売買の対象で利用してる例も有るし
宦官や一部の貴族の場合は、例えば自前の工場経営とかしてたり
多額の賄賂等で私腹を肥やしてたりするのが多いのね。
(霊帝に仕えた「十常侍」や、後の西晋の貴族(王凱や石崇や王斉等)がその良い例ね)
>>744 >>719はお前なのか?
挑発もなにも
>>718が喧嘩売ってんだろうが?
持ち出したのが
>>719だしって、
>>718に持ち出したのにお前が反応する理由が何一つない
>>746 長い変節を経てって自分で言ってる時点で何一つ定義してないんだが、それこそどうしろと?
一回まとめるが
日本では古来より河童と呼ばれ人扱いされず迫害されてきた人々がいたこと
そこに
>>711でお前が少し違うというから
童は鬼の意味があるということで
>>712をあげたわけだ
>>714で鬼と関連付けるなといってるが、
そもそもお前の鬼の定義ってなんなんだ?
もうお前らどっかよそでスレ立ててやれよ
家康もクソもない展開じゃないか
760 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/07(土) 11:35:57 ID:f8c5r1bP
>>755 >商売(塩の商い等)で知られるのも、それだけ関羽の一側面とか親しまれてる証拠なのかもね。
塩の密売人だったことも、元はど貧乏だったのも、
お金を軽んじる性格で、張飛のほうが裕福だったも知ってるんだ。
でも密売人が商いの神様でいいのか?
やはり強い武将、英雄に対する憧れがすごく強くて、
神様に祭り上げたと思っていいかと。
日本の場合、徳川が自分で自分を神様に祭り上げさせてるわけで
民衆が自発的に大権現と崇拝したんじゃないと思うんだ。
どっちかというと不幸で悲惨な死に方をした人が、
祟らないように祀ってるほうが多いと思うんだ。
菅原道真や平の将門等、負けた武将の方がむしろ人気がある(これを判官贔屓という)
武将という英雄に対するあこがれが日本と中国で似ているけど、やはり違いを感じます。
中国では、家康を祀ることはあっても菅原道真や平将門を祀ることはなさそうだなぁ
761 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/07(土) 11:45:32 ID:J/hFR30f
関羽の場合、信義を貫き通した武将であったことが大きく影響している。
騙し騙されが常の商売の世界において、主君の敵であっても一度恩を受けた相手を
見逃すほどの信義の篤さは、信用を護持してくれる神様として信仰に足る対象だった。
後はアレだ、清が漢族を懐柔するのに「俺達には関帝聖君の加護があったんだ」と
言い出したのも大きい。
762 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/07(土) 11:50:47 ID:qEcHGNKg
家康の理解はともかく、全巻読み切る頃には忍耐が備わるのよ、
中国も閑人が多いな。
763 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/07(土) 12:00:39 ID:TfygFbj8
>>755 近世の中国、例えば明の場合だと、
税収の過半は、揚州〜蘇州〜杭州にかけての江南地域から得ていたそうだしね
揚州 → 塩取引の中心地、専売塩の莫大な収益
蘇州 → 絹織物生産による富裕層
>>758 >
>>744 >>719はお前なのか?
挑発もなにも
>>718が喧嘩売ってんだろうが?
>持ち出したのが
>>719だしって、
>>718に持ち出したのにお前が反応する理由が何一つない
はぁ・・何をふざけた回答をしてるんだお前は?
>>719の挑発的な文章に対して、あくまで一意見として
「それは違うんじゃないか?」って意味合いで書いてるのに
「他人のレスに一々反応するな」とでも言いたいのか、お前は?
第一、その前の
>>714の漏れのレスの時間とIDを見てみろ
別人だって事が解るだろうが、何を妄言をほざいてる?
>日本では古来より河童と呼ばれ人扱いされず迫害されてきた人々がいたこと
それと今の「河童」自体とは関係は余り無いだろうに。
>>714>>744でも取り上げてるが、河童の由来は「元々中国からの渡来神」
って説も有ると言う事を漏れは挙げてるんだけど、何で其処を
理解出来て無いかなぁ?
>日本の場合、奈良平安期で人とは貴族だけだよ
それ以外は民(差別用語だったはず)、鬼、河童や天狗、蜘蛛や蛇などと呼称された
ある意味桃太郎なんかは人が鬼の国に宝を奪いに出かけるお話
>人扱いしないことを問題にするなら千年たっても尚人扱いされてない鬼立場のことを抜いたら駄目だよ
の
>それ以外は民(差別用語だったはず)、鬼、河童や天狗、蜘蛛や蛇などと呼称された
に対して漏れは
>>711で
>河童の方はあれは水神や水に関係した類からだった筈だから
>少し違う様な気が・・
と反論した訳だが?
つか、前々から思っていたんだが
お前若しかして、平家物語での「平家にあらずんば人にあらず」の件とか
変に誤解して無いか?だとしたら、dでも無い間違いだぞ?
(あれは平家物語に対する当時の人達の反発から言ったとも
一説には言われてるしな)
まさかそんな阿呆な事は・・とは思うが、一応念の為にな。
それと、
>>749でも書いてる様に
「そもそも日本と中華圏での「鬼」の意味も違って来てるぞ。
(中華圏では「鬼」は「霊」と同じ意味で使用されてるのに対して
日本では「鬼」は異形の存在として物語や伝説&伝承等で語られたり使用されたり)
するから要するに、一定して居ないのが実情な訳だし、お前の言う様な
「奈良&平安時代の貴族以外の民=鬼」なんて確定はして居ない訳だしな。
>>760 張飛の場合はそれ以前に性格が・・いや、良いんだ。w
徳川の場合は豊臣(とそれ以後の西の大名に対して)の
為の神格化の意味合いが強いと思うけどね。
(実際、日光を基点として「寛永寺」「増上寺」を一本線で結ぶと
完全に江戸城を東北(鬼門)の方角から守る為に霊的な都市設計を
行っている訳だしね)
>どっちかというと不幸で悲惨な死に方をした人が、
祟らないように祀ってるほうが多いと思うんだ。
>菅原道真や平の将門等、負けた武将の方がむしろ人気がある(これを判官贔屓という)
でも、浅野内匠頭や厩戸王子(聖徳太子)は・・
(まぁ、厩戸王子は一応「大使信仰」の形で別な意味合いでは祀られては居るけどね。)
菅原道真の場合は当時最高の学者(文章博士)だったからね
で、邪魔になった藤原氏の連中から疎まれて
結果追い落とされて追放になった訳だしね。
(そして追い落とした連中の多くを死後に殺った訳だが・・)
>>761 まぁ、デビル眉毛曹操から赤兎馬贈ったりして懐柔しようとしても
結局忠義を貫いた(と言うより義兄弟の契りを守った)のが
関羽の人柄とか親しまれる理由だと思うよね。
>>763 それとね、揚州の場合乾隆帝の行幸等で多額の金銭を
当時の朝廷に収めたり(それも重臣や宦官、それに有力貴族の多くにも賄賂等で)
してたり、また行幸の際に豪華な庭園や御殿とか建設したり
また、かなりの規模で文科芸術系のパトロンとしても揚州の塩商は影響していたからね。
(実際、膨大な美術品や書物文献のコレクションは元より、文人&画人や
学者、知識人の多くを経済的なバックアップをして居たとも聞くからね)
まぁ、乾隆帝以降の衰退も
それ等の負担が積もり積もった形での要因になってる訳だけど・・
>>764 お前こそふざけてんのか?
>「それは違うんじゃないか?」って意味合いで書いてるのに
何が、どう違うんだよww
まさか、鬼の姿が今の形になったのが本地垂迹と関係がないと思ってんの?
日本で鬼と言うものがあまりに広く多くなったのは、仏教の鬼や道教の鬼、御仁や隠すべてが鬼になったから
その形をひとつにするのに根拠がないはずないだろうが
まあ、知らない人間や理解しようとしない人間に言っても無駄か
>>719が挑発に見えて、
>>718が挑発には見えないお前の目にいまさら何を言っても無駄だわなw
水神や水に関係すると鬼ではないことや、迫害された民ではないことを何一つ説明してないし
水神にかかわろうと、水神であろうと鬼は鬼
お前はなぜかっぱと呼ばれ河童の文字が当てられたのかすら論がなく、ただ否定したいだけだろう、確定してないからw
中国からの渡来神?それが鬼ではない証拠になんのか?
まさか、神だったら鬼じゃないとかばかげたことは言わないよな?
まあ、こちらの根拠に対し確定(笑)してないしかいえないだけだし、これ以上ってか最初から無駄だったな
二人だけの世界なんですね
わかります
768 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/08(日) 09:46:50 ID:WwotC9up
雑コテに何言っても無駄だぞ。
間違えたら負けで思考が止まってるから。
○○にあらずんば人に非ずの言葉を言霊使いが言挙げした意味すら理解してないらしい。
769 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/08(日) 14:28:28 ID:YCcqJJHb
>>764 鬼に対するイメージが中国と日本とではまるで違うってのはよくいわれますね。
日本鬼子という蔑称からでもわかるよね。
鬼軍曹、鬼のように強い。など、
など、非道や人でなしの意味だけでなく、怪物、人間以上の化け物のように強いもの
としても使われる。
中国だと、鬼は青白く痩せ細って、亡霊のような姿だそうで。
でも家康と鬼は関係なくね?
人がせっかく、武将の話に戻そう戻そうとしてるのに
>>765 >菅原道真の場合は当時最高の学者(文章博士)だったからね
>で、邪魔になった藤原氏の連中から疎まれて
>結果追い落とされて追放になった訳だしね。
>(そして追い落とした連中の多くを死後に殺った訳だが・・)
死因は祟り殺しってことで、確定なんでしょうか?
実際どうかではなく、昔の人は本気で祟り殺ろされたと思ってるという意味で
あと張飛と 関羽の扱いの違いは人格の差だけど
それは三国志演義がもとだと思います。
だって清王朝の時代までは関羽はそんなに有名でも神様扱いでもなかったそうなのよ。
孔子の人気を追い越したのが清王朝
要するに家康の人気も、書かれた小説次第なんだと思うのよ。
信長なんか実話よりも、小説の創作部分のイメージで相当な悪役になってるし!
それでも日本人の歴史上の人物で坂本竜馬(この人も小説ではだれも悪く書いてないけど)を
追い越して日本では一番人気だそうで
ハンサムで長身細身(約165cm程度だそうだけど)、常に武芸の稽古を研鑽してた
というから、秀吉や家康よりも、かっこいいってのが大きいとは思いますが。
>デビル眉毛曹操 あれってゴンタの創作じゃね?
関羽の美髭は実話だろうけど
>>766 とりあえず鬼と家康をうまく繋げてもらえないか?そして家康をメインに語ろうよ
>>766 >まさか、鬼の姿が今の形になったのが本地垂迹と関係がないと思ってんの?
日本で鬼と言うものがあまりに広く多くなったのは、仏教の鬼や道教の鬼、御仁や隠すべてが鬼になったから
>その形をひとつにするのに根拠がないはずないだろうが
お前こそ、単に自分の説を強引に(しかも煽り紛いに)
納得させようとしてるだけだろうが。
大体「鬼」の文字はそれ以前にも使われてるのに
(「本地垂迹」云々以前に仏教渡来前の卑弥呼の「鬼道」とかな)
それらに関してはスルーですかそうですか。
>水神や水に関係すると鬼ではないことや、迫害された民ではないことを何一つ説明してないし
>水神にかかわろうと、水神であろうと鬼は鬼
「河童」が「鬼」の類として歴史に置いて呼ばれた事が有ると?初耳だなぁw
つか、お前漏れの今までのレスを全く読んで無いだろ。
>>744ではっきりと「河童」の「童」にはこんな説も有るからと
情報元も提示してるのにも関らずだ。
お前は単に字を当て嵌めただけで「鬼」の類と一緒くたにしてるけど
それはちょっと適当では無いんじゃないかと、一体何度言えば理解する訳?
>まあ、知らない人間や理解しようとしない人間に言っても無駄か
>
>>719が挑発に見えて、
>>718が挑発には見えないお前の目にいまさら何を言っても無駄だわなw
>まあ、こちらの根拠に対し確定(笑)してないしかいえないだけだし、これ以上ってか最初から無駄だったな
と言いつつ、お前はしっかり此方に対して相手に対しても「挑発」してるよな。
・・全く、延々と付き合ってやった挙句にこの始末か
少しは漏れのレスに理解してると思って居たがな。
ああ、因みに
>>718のレスよりもお前の一連のレスの方が余程痛いと思うぞ?
だからこそ深夜で書くのも遅い漏れだけど、一意見として何度も書いているお前に対して
此処まで付き合ってやった訳だけど・・それも漏れの無駄な徒労だったみたいだな。
それは別にして、もう少し漢字も混ぜて書いてくれないか?
正直、読み辛くなってるんだけど。w
(つか正直、阿呆な痛い相手をするのも嫌になって来てる漏れが居るし)
>>768 >○○にあらずんば人に非ずの言葉を言霊使いが言挙げした
よく読め、だから
>>764でも「一説には」と書いてるから。
つか、お前は自治辺りに引っ込んでれば良いんでね?
(「雑コテ云々〜と関係無い話を脈絡も無く出すのは
自治の一部のコテ叩きの連中位だしな)
772 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/09(月) 07:07:13 ID:J/cGJmS0
相手にしてやってるwww
被害者面かよ
鬱陶しいわ、よそへ行け、屑ども
とりあえず日本の戦国時代の大概の武将が出るから、他の武将も興味を持つかもしれんな。
支那の人物と重ね合わせると、信長が曹操かな?始皇帝もある。
太閤が強引な内政と外征の隋朝、家康は温厚な唐の李淵かな?
支那の戦国時代も面白い。それに匹敵するとしたら日本は幕末だな。
侠客やら思想家やらがウヨウヨ出てくる。
支那文化の源流も、ネットウヨの源流もここにある w
774 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/09(月) 10:35:14 ID:DJAEixnL
三國志 戦国時代 幕末を語れないようじゃ男じゃないよな
775 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/09(月) 10:44:06 ID:rC+EEfsc
実は韓国人だったって報道まだー?
776 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/09(月) 10:56:17 ID:rSsVA+pN
>>773 >とりあえず日本の戦国時代の大概の武将が出るから、他の武将も興味を持つかもしれんな。
>支那の人物と重ね合わせると、信長が曹操かな?始皇帝もある。
>信長が曹操か始皇帝なのは同意
なにより天下統一なんて、きちがいの考えること!といわれた時代に
本気で天下統一を夢見た。どちらも生まれは卑しくないので、貴公子ぜんとしたとこはあるし
3人とも大虐殺をやったし
>太閤が強引な内政と外征の隋朝
漢の高祖劉邦をあげたいところです。戦争には弱いくせに、人物をみぬき人たらしの才能があった。
>家康は温厚な唐の李淵かな?
家康って温厚かな?忍耐強いのと家臣に恵まれた武将のイメージが強いけど。
あと才能のある部下より、信頼のおける普通の部下を重用
信長が才能重視でのし上がったけど、最後は才気に溢れる家臣に裏切られたし(明智にも秀吉にも裏切られている)
家康型のシナの名武将を思いつきません!(と家臣に恵まれ、才能より信頼を重視し、死後も家臣団から260年間も裏切られない武将)
日本の8得を叩き込まれた武士集団が主をささえたんで
中国では応用が利かないのでは?
部下の裏切り行為が1000倍違うのをなんとかしないとwww
(ギョーザなんかもそうだろ?ww)
778 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/09(月) 10:59:55 ID:rSsVA+pN
>>771 ちゃんと会話が成立する相手か?ただ噛みついてくるだけの相手か?
見極めてから相手しなよ
779 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/09(月) 11:08:52 ID:rSsVA+pN
>>777 >日本の8得を叩き込まれた武士集団が主をささえたんで
>中国では応用が利かないのでは?
日本の8得は私もしらんけど、八犬伝に出てくる(信儀礼〜)じゃないよね?あれはシナが発祥だし
家康の場合は、信長や秀吉と違って、家康単体で語ってはいけないと思うんだわ(性格的にきわめて普通でまともな人であり、奇抜なとこがないから)
家康とその家康に人生をかけた家臣団をセットにして成り立つ武将だから
人質時代や田舎の小大名時代からの忠臣の存在がなければ、
とても家康の才覚だけでは天下をとれなかったと思います。
シナにいるかな?
>>778 そいつに言っても無駄だろ
コテつけて全レスする馬鹿だぞ?
かまってちゃんコテが相手を見極めるとか絶対に無理
韓国人とそう違わない中国人には日本人の掟がわからないだろうから
会話が成立するとは思わないww
在日外国人犯罪10年連続トップは中国人ww
当然家康のように甘いとたちまち死ぬww
馬上で糞をたらしながら逃走中に部下に首を取られてしまう中国家康ww
782 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/09(月) 11:15:19 ID:J/cGJmS0
>>779 個人の才覚だけで天下をとったと言える人はいないだろ
誰かいるかな?
783 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/09(月) 11:18:25 ID:KtvkyPhF
今に伝わる逸話からすると家康は、イメージと違い短気で派手好きだったようだが。
ただ人の話を聞く耳を持ってたのはガチなようだ。
中国に家康がいたら若いころに家臣に何度も殺されてると思うww
のんきなことは野蛮国ではできないねww
瓶に家康の塩辛が入ってるだろうww
785 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/09(月) 12:03:55 ID:rSsVA+pN
>>782 >個人の才覚だけで天下をとったと言える人はいないだろ
>誰かいるかな?
秀吉は才覚だけで天下をとったといっていいと思う。
最初から信頼できる味方は弟だけしかいなかったから
あとは自力で部下や味方を増やしていったわけで
でも劉邦も始皇帝のように生まれながらの王ではないから、
個人の才覚だけで天下をとったといっていいかと
私のいう個人の才覚とは貧乏な家の生まれで、王の家の跡取りに生まれたわけじゃない。という意味です。
曹操や家康や信長や伊達政宗は親から引き継いだ家臣団がいたからスタートが違う。
毛沢東も家柄も育ちも悪いけど金持ちの子だったし
>>783 >今に伝わる逸話からすると家康は、イメージと違い短気で派手好きだったようだが。
>ただ人の話を聞く耳を持ってたのはガチなようだ。
食べ物が質素なだけで、唐の頭(カブトにヤクの毛をつけていた)をかぶっていたおしゃれさん
ただ信長や秀吉と比べれば地味なだけで。センスの良さでは伊達政宗には適わないし
舞いも舞えず、和歌も俳句も嗜まないし
786 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/09(月) 15:37:43 ID:J/cGJmS0
>>785 でも秀吉って信長以外の主君に仕えていたら絶対出世してないと思う。
彼は「信長学校の優等生」というとこじゃないかと。
788 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/09(月) 18:04:21 ID:rSsVA+pN
>>787 >でも秀吉って信長以外の主君に仕えていたら絶対出世してないと思う。
信長以外の大名だったらどんなに才能があっても、明智も秀吉も絶対に出世させてないと思います。
裏切りも怖いけど、秀吉より身分を下につけられた家臣団を抑えることができないですよ。
信長のカリスマ性が高かったから、才能重視ができました。
あの時代、大名が気に入らなかったら、家臣団が別の主君を持ち上げて謀反を起こしまくってますからね
武田信玄は弟を可愛がってた父親を通報したし、
家康は岡崎城の不満分子の家臣団から家康の長男を持ち上げ、謀反を起こされかけました。
(謀反の首謀者の家臣達も処刑されてる)
岡崎城にも謀反反対の忠臣がいたから、反乱を未然に防げたけど
信長に関係なくあの時代のあの状況下では妻と息子を処刑せざるを得ないと思います。
じゃないと示しがつかないから
伊達があと10年遅く生まれていればと嘆いていたわけだし
秀吉ってのは才能だけじゃなく幸運の持ち主だけど、それでも才能がないとやはり無理(信長に見初められてない)
789 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/09(月) 18:05:47 ID:rSsVA+pN
>>788 武田信玄は弟を可愛がってた父親を通報したし、
通報してどうする!追放で!
790 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/09(月) 18:10:18 ID:OkgxczbS
家康は朝鮮人ニダとか言いそう
791 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/09(月) 20:16:17 ID:PyVsg0p0
>>785 境遇を抜きにして個人としてみた場合、
秀吉は意外と信長よりも曹操に似ている気がする。
チビで冴えない風体で生まれも悪くて(曹操は宦官の孫という事で、
実は当時の貴族階級からは馬鹿にされていた。)女癖も悪くて、
老醜を晒しまくりで、官渡(山崎)がエンディングで後は蛇足感アリアリとか…。
でも両方とも結構な文化人で、意外と気さくで、人使いも上手い。
792 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/09(月) 20:33:27 ID:rSsVA+pN
>>791 やだ。曹操の見た目がブサイクなんてそんなのいやだ!
>秀吉はチビで冴えない風体で生まれも悪くて
なんてもんじゃなくて、最下層の生まれで家出少年
(かあちゃんの再婚相手とソリがあわずに、15歳で家出)
痩せすぎの栄養失調で、身長約150cmと当時の武将の達の中で最も貧そう。
腕力も弱いし、顔はブサイク
信長と生まれも育ちも外見も対照的
けど、この最下層から這い上がるのが秀吉のかっこいいところで!
中国だと「信長」のような暴君(実は単なる暴君じゃなくて有能な面もあるが後の歴史書が抹殺)を
「秀吉」が倒すといった話が多いね。「家康」タイプはあまり居ないな。
794 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/09(月) 23:23:38 ID:m10EYXvs
中国人には歯がゆい内容じゃないか?
信康や築山殿が死んだ場面で泣く家康
「口減らしができてなにを悲しむアル」
石川数正が逃げた
「追え〜ぶっ殺すアル」
796 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/09(月) 23:39:24 ID:npxgmyNJ
支那で本願寺やら比叡山焼き討ちみたいな宗教絡みって聞かないけど仏教道教勢力っておとなしかったのかね?
797 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/09(月) 23:42:59 ID:3WTQLIWb
三国志だけでも結構あるだろ
>>776 信長、秀吉、家康なら、中国人は北宋の創始に当てはめるかも。
後周の世祖柴栄/信長 統一事業完成直前に死亡
北宋の太祖趙匡胤/秀吉(織田秀信=恭帝) 禅譲で交替
北宋の太宗趙匡義/家康 陰謀絡み?の簒奪?
とか。
ま、北宋の両者は兄弟だし、無理矢理中国史だから無茶だけど、政権の移動イメージで。
>>796 三武一宗の法難と呼ばれる大弾圧がある。
801 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/10(火) 02:47:25 ID:0+ckZxV+
>>796 >支那で本願寺やら比叡山焼き討ちみたいな宗教絡みって聞かないけど仏教道教勢力っておとなしかったのかね?
道教がありますよ。三国志でおなじみ黄巾族
あと元を倒して明を建国した白蓮教(阿弥陀や彌勒を信仰)の紅巾の乱
あと義和団の乱に、大平天国の乱(キリスト教)も、仏教じゃないけど、宗教絡みです。
さらに中国の場合、現在進行形で、宗教団体「法輪功」の弾圧が行われてますよ!
「法輪功」は反共産党の団体で、見つかれば裁判なしで死刑だそうです。彼らの臓器が生体移植されて問題になりました。
802 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/10(火) 02:49:51 ID:0+ckZxV+
>>793 >中国だと「信長」のような暴君(実は単なる暴君じゃなくて有能な面もあるが後の歴史書が抹殺)を
>「秀吉」が倒すといった話が多いね。「家康」タイプはあまり居ないな。
「信長」て、日本でも暴君とまでは書いてないんでは?むしろ名君のほうだと思う。
残虐非道とは書かれているけど、暴君の定義って圧政で民を苦しめる王様でそ?
民から慕われて、続々と民が信長のもとに集まってきて、当時ではもっとも経済的に豊かな藩でしたよ。
金があったから戦争が強かったのもあります。
楽市楽座で、暴利、既得権をむさぼるお寺や、中間搾取をする役人達から庶民を解放して
生活を楽にしてあげたんだから良いお殿さまでは?
腐敗してたのは坊主のほう
暴君「秀吉」が倒すっていったら、殷の紂王を倒した太公望ですか?
中国史上の暴君といったら、
政治を顧みずに、金を自分の道楽のためにだけ使うような王様なんじゃないの?
日本では支那的な暴君はいないと思う。
中国史上 暴君 は
殷朝の紂王
隋の煬帝
南朝宋の蒼梧王
清朝の西太后
秦の始皇帝はちがうと思う。あの時代は始皇帝以外の人達も、民間人の皆殺しが当たり前に行ってたし
統一後に民のためになる色んな政策を施行してます。
運河を掘って、痩せ地だったの中原を緑豊かな耕筰地帯にしたし むしろ中国史上まれにみる名君だと思う。
武田信虎かな?暴君は
804 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/10(火) 18:58:11 ID:IK7FGTC+
>>803 >武田信虎かな?暴君は
日本の暴君代表が武田信虎レベルなら、現在の日本政府と、
現在のチベットやウイグルや法輪功を弾圧してる中国共産党ほどの差があると思う。
世界史で見ても、シナの暴君はスケールでかいわ
あと世界史上で暴君と呼ばれる人って、最初は良い王様で功績もそれなりにあって後からおかしくなってく人多くない?
秀吉もネロも
だめ王、無能王はけっこういるけど、暴君になるのも権力を掌握してないとできないので
それもあって日本は暴君が少ないのかも。わがままで人の話を聞かないワンマンな王様なら多いけど