【拉致】「決して一緒に訪朝することはありません」横田滋さん〔06/09〕

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239(´・ω【産経Web千葉】ω・`)さん
http://www.sankei.co.jp/edit/kenban/chiba/060707/kiji01.html

★33回目の七夕に再会の祈り託し 特定失踪者・古川さん家族 〔2006.07.07〕

■北朝鮮に拉致された疑いが濃厚な特定失踪(しっそう)者で市原市出身の古川了子(のりこ)
さん=当時(18)=が行方不明になったのは昭和48年の7月7日。母、古川朗子(さえこ)さん
(89)と姉の竹下珠路さん(62)は「もし生きて北朝鮮にいるなら、それだけでもうれしい」と話す。
娘と妹への思いを胸に抱き続けた2人は、きょう33年目の七夕の日を迎える。(西岡瑞穂)
■「織姫と彦星が出合う七夕。私たちは今年、のりちゃんに会えるでしょうか」−。6月30日に
千葉市民会館で開催された「古川了子さんを救出する千葉集会」で、竹下さんは妹と33年も引
き裂かれたつらさを、会場を訪れた人に語りかけた。■古川さんは失踪当日の昼前、「いま千葉
駅にいる」という電話を最後に消息を絶った。平成9年に北朝鮮の元工作員、安明進氏が「(3
年に)北朝鮮の病院で古川さんによく似た人を見た」と証言したことから、拉致の疑いが強まり、
それ以降、竹下さんは古川さん救出のためにさまざまな活動を行ってきた。■しかし政府に認
定された「拉致被害者」と、古川さんら「特定失踪者」には解決に向けた立場に大きな差がある。
竹下さんは、交渉のテーブルで妹の名前さえ出ないことにもどかしさを覚え、「もっと早く拉致の
可能性を疑い、もっと早くほかの家族と連携する勇気と行動力があれば」と自分を責めることも
あるという。■「のりちゃんはどこかで生き生きと生活しているはず。悲しんでばかりはいられな
い。いつか必ず会えるとき、のりちゃんに負けないように一生懸命生きたい」。この気持ちを支え
に、悲しみにくじけないよう、ボランティア活動などに熱心に打ち込んできた。■母の朗子さんは、
竹下さんの勧めで約5年前から「自分史」を書いている。ノートは2冊目になったが、自分の子供
時代や現在の生活などはつづっても、了子さんのことには一言も触れていない。竹下さんは「き
っと、のりちゃんがいないことのやるせなさから書くことができないのでしょう」と、母の気持ちを
思いやっている。

【拉致】33回目の七夕に再会の祈り託し 特定失踪者・古川了子さん家族 [07/09]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1152383101/l50

参考 :【拉致】「北朝鮮に拉致された日本人を救出する千葉の会」と特定失踪者7人の家族 堂本暁子千葉県知事に支援要望 [07/02]
    http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1151835123/l50
    ttp://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1146230465/368