【記録】イスラエルがやってる事を一々覚えていたい15【in議論板】
Inquiry and Analysis Series No 492 Feb/9/2009
エスカレートする中東の冷戦―其の1:2009年のガザ戦争
Y.カルモン、Y.エホシュア、A.サヴィヨン、H.ミグロン*
http://memri.jp/bin/articles.cgi?ID=IA49209 目次
はじめに
2009年のガザ戦争一時系列でみる経緯
イラン対サウジ/シーア対スンニ―1979年のイスラム革命後の対立構造
アフマディネジャド大統領時代にエスカレートした紛争
アラブ世界に勢力をのばすイラン
イラン・シリア・カタール・ヒズボラ枢軸の抬頭
両陣営の亀裂を深めた2009年のガザ戦争
戦後の状況―既成事実化した両陣営の対立
サウジ陣営の主張―アラブ世界の亀裂はイランのせい
トロイの馬―イラン枢軸の強化に果すカタールの役割
アラブ・イスラエル紛争に対する両陣営の対照的アプローチ
(続く)
404 :
朝まで名無しさん:2009/02/10(火) 15:09:01 ID:yv7hWcbc
>>403より
はじめに
最近のガザ戦争は、国際メディアによってイスラエル対ハマスの局地戦として
報道された。しかしこの戦争は、2006年のレバノン戦争や過去 30年間中東で発生した
軍事紛争或いは政治事件と同じように、ひとつの共通項を持っている。つまり、
宗教革命派イランとサウジ王国の両陣営の紛争がからんでいる。21世紀の中東を
研究するうえで、この紛争が理解のカギとなる。
このサウジ・イラン紛争は、戦略地政学上、宗教上、人種及び経済上のさまざまな
側面を有するが、ホメイニ(Ayatollah Ruhollah Khomeini)率いるイランのイスラム革命
以来、この30年中東に影響を及ぼしてきた。小康状態の時もあったが(特にハタミ大統領時代)、
アフマディネジャドが権力の座について、紛争が再燃した。中東にはイラン枢軸
(イラン、シリア、カタール、ヒズボラ、ハマス)とサウジ・エジプト連合(ほかのアラブ諸国が
これに同調)の二つのブロックが形成され、その対立は冷戦の域に達している。
この対立、冷戦が中東レベルのみならず国際レベルでも大きいインパクトを及ぼす。
外交活動の選択肢を極限し、パレスチナの内部紛争とイスラエル・アラブ紛争そして
イランの核武装化問題の解決を難しくするのである。
(続く)
405 :
朝まで名無しさん:2009/02/10(火) 15:25:37 ID:yv7hWcbc
>>404より
2009年のガザ戦争―時系列でみる経緯
2008年12月27日、ガザ戦争が勃発した。ハマス指導者マシァルが、カイロの仲介する
パレスチナ諸派調停会議への参加を拒否し、ダマスカスでイスラエルとの停戦(tahdia、鎮静)は
終り、延長しないと発表。それに呼応してガザからイスラエルの南部へ向けロケットを
撃ちこみ始めたことに、端を発する。会議不参加は、報道によると、イランの
外相モッタキ(Manouchehr Mottaki)の命令による※1。
戦闘が始まると、シリアとカタールは直ちに行動にでて、ハマス支援を目的にアラブ連盟の
緊急首脳会議を開催しようとした。この動きは、 2008年12月31日カイロで開かれた
アラブ外相会議において、エジプト及びサウジアラビアによって阻止された。
外相会議では、戦闘停止を目的に、国際活動をおこなうことが決まっただけである。
複数の報道によると、エジプトのムバラク大統領はEU外相との非公開会議において
「この戦闘でハマスに勝利させてはならない」と述べた※2。
カタールとシリアはあきらめず、緊急首脳会議の開催にこぎつけた。時は2009年1月16日、
希望国のみの参加という形での開催である。両陣営は会議参加をめぐってほかの
アラブ諸国に圧力をかけた。
会議開催をめぐる衝突は、サウジ・エジプト陣営の勝利に終った。ドーハで開催された
会議は、会議の成立に必要な最小限の出席人数に達しなかった※3。
イランのアフマディネジャド大統領がオブザーバーとして招かれ、出席した
アラブ諸国は困惑した。トルコのエルドアン首相もオブザーバーとして出席し、
ハマスに対する全面支持を表明した※4。
(続く)
406 :
朝まで名無しさん:2009/02/10(火) 15:26:40 ID:yv7hWcbc
>>405より
サウジ・エジプト陣営は、この政治的勝利を更に確実にするため、2009年1月18日(日曜)
ヨーロッパの全指導者をシャルムエルシェイクに招き、特別週末会議を開催し、国際支援を
得た。ヨーロッパの指導者がこぞって出席し、サウジ・エジプト陣営の立場を後押したのであった。
翌1月19日、前から予定されていた経済会議がクウェートで開催された。議題の一部は
ガザ戦争にあてられた。全アラブの指導者が出席したが、会議の主導権は
サウジ・エジプト陣営がにぎった。席上カタールが、ドーハ会議の決議追認を要求したものの、
サウジアラビアとエジプトの反対にあって、追認されなかった。結局この会議は何も決議せず
閉幕した。即ち、エジプトがイスラエルとの平和条約を破棄し、サウジアラビアは中東和平の
先導役から手をひけという要求は、いずれも日の目をみなかった。
1月18日、ハマスは前日イスラエルのおこなった一方的停戦宣言を、受入れざるを得なかった。
エジプトの仲介するパレスチナ諸派調停会議も、然りである。戦争前ハマスは、
この二つを拒否していたのである。
2009年のガザ戦争は、2006年のレバノン戦争と違った結果を生んだ。後者の場合、
これに続く2008年のヒズボラ対3月14日勢力の衝突で、レバノンはヒズボラと
イラン・シリア枢軸の支配下に入ってしまった※5。ガザ戦争は逆の結果を生んだのである。
ハマスは戦場で敗北し、地域レベルではサウジ・エジプト陣営に政治的勝利を与えてしまった。
(続く)
407 :
朝まで名無しさん:2009/02/10(火) 15:28:41 ID:yv7hWcbc
>>406より
イラン対サウジ/シーア対スンニ―1979年のイスラム革命後の対立構造
イラン・サウジ紛争は、戦略地政学上宗教上地域の覇者になろうとするイランの野望に、
ルーツがある。このイランの野望はサウジアラビアの脅威となる。サウジアラビアに対する
イランの態度は、イスラム革命の始まりとホメイニ支配時代(1979-89)から、
イデオロギー上政治上の憎悪にいろどられている。それは、何世紀も前から続く
スンニ・ワッハブアラブ社会とシーア・ペルシア社会の宗教・社会及び人種上の亀裂、
対立に起因する。スンニはシーアをイスラムから分離した政治セクトとみなし、
一方のシーアはスンニ特にワッハブ派を、ムスリムの聖地を乗っとった背教の過激政治セクトと考える。
ムスリム世界の主導権をめぐって、宗教革命派イランがサウジアラビアと競うように
なって、この対立関係に火がつき、1984年に頂点に達した。この年のハッジで、
イランの巡礼者数千名がメッカ市中でサウジ体制の打倒を叫んで、暴動をおこしたのである。
サウジ当局は武力を以て鎮圧し、数年間イランの巡礼者を締めだした。イランの
脅威のため、サウジはイラン・イラク戦争でサッダム・フセインを支持した。
イランのイスラム革命に対する連帯の波はスンニ世界をのみこみ、そのためサウジアラビアは
大車輪でスンニ・イスラム特にワッハブ・イスラムのテコ入れをおこなった。サウジアラビアは
二つの方向で行動している。第一はアフガニスタンのジハードに対する大々的支援で、
1980年代ソ連が敗北するまで続けた。第二は世界中のスンニ派社会に対する支援で、
学校やモスクなど教育や宗教施設の建設及び運営に数十億ドルの金を使った。この分野の
支援は20 年以上も続いた。サウジの努力はむくわれ、イラン革命の人気は相当に後退した。
サウジ・イラン対立は、ラフサンジャニ大統領時代にゆるみ、その後任のハタミ大統領時代
更に緩和した。ハタミ大統領時代イランは、革命輸出努力を弱め、湾岸諸国との融和を
模索するなど、国際社会への復帰をめざした。
(続く)
408 :
朝まで名無しさん:2009/02/10(火) 15:29:54 ID:yv7hWcbc
>>407より
アフマディネジャド大統領時代にエスカレートした紛争
2005年、アフマディネジャドが権力の座につくと、紛争が再燃した。前よりも強い火勢で
ある。アフマディネジャドは、革命輸出を推進し、マフディの出現が間近かとするシーアの
メシア観を前面に打出し、大ペルシア帝国の再現を唱えるなど、サウジを意識した以前の
政策に戻した。大統領に選出された後2回目のテレビ演説で、彼は「(イスラム)革命の
メッセージはグローバルなものであり、特定の場所、時間に限定されない。それは
人類のメッセージであり、前進していく。疑うなかれ、インシャアッラー、イスラムが征服する。
何を征服するかだって?左様世界の山頂をすべて征服するのだ」と言った※6。
革命の価値観再興のメッセージは、アフマディネジャド演説のモチーフとなり、
繰返し唱えられるようになる。例をあげよう。
「今回の選挙は、人民が(イスラム)革命を信じ、その理想の復活を望むことを証明した…
この革命は預言者の運動を継承するものであり、国家の政治、経済及び文化的ゴールは、
イスラムの理想顕現に向けて調整されなければならない…イスラム思想の
聖なる学派の人々が(シーア派のメシアたるマフディの)出現の下地をつくるため、
全力であたっている…人民をこの輝かしき理想へ引き戻し、(他者の)モデルとなる
先進的且つ強力なイスラム社会の建設に向け、誘導するのが我々の義務である…
イランは最強の先進国家にならなければならない…」※7。
「イラン人民と、人民の意志によって生まれたイラン政府は、核開発と核技術の
権利を守る…ここに出席している年輩の人達は絶対記憶していると思うが、
革命時代のスローガンのひとつが全世界を我々の論理でイスラムへ変えよう≠ナあった。
我々は、イスラムの論理、文化、論考が他の思想や論理等々すべての分野で優越することを、確信する」※8。
(続く)
409 :
朝まで名無しさん:2009/02/10(火) 15:35:20 ID:yv7hWcbc
>>408より
今年1月末、イスラム革命30周年にあたり、ホメイニ廟で演説したアフマディネジャドは、
「革命は確かにイランで起きたが、それはイランだけに限定される革命ではない…
30年後の今日でも、(革命は)生きているのである。我々は出発点を出たばかりであり、
前途にはまだ大きな変化が待ちうけている。この偉大なる革命は、正義が(普く世界に)
浸透し、人々の血肉になるまで続く」と語った※9。
アフマディネジャドがシーア・ペルシア帝国の栄光の復活を宣言し、ほかの指導者達も
革命のレトリックを弄し、政権に関与するアヤトラ達がこぞって支持するとなれば、
アラブ諸国とりわけサウジアラビアは、イランの脅威の再来とうけとめる。
イランは地域の軍事大国化を意図し、長距離ミサイルの保有に加えて核兵器の取得を
決意している。そのため軍事上の脅威と重なり合う。国際社会の反対にも拘わらず、
イランが核兵器の開発に狂奔しているのは、スンニ・ムスリム世界によって脅威とうけとめられる。
(続く)
410 :
朝まで名無しさん:2009/02/10(火) 15:45:34 ID:yv7hWcbc
>>409より
アラブ世界に勢力をのばすイラン
この紛争に油を注ぐもうひとつのファクターが、イランの勢力圏拡大政策である。
それは、アラブ世界への影響力浸透をめざすものであり、サッダム・フセインの
スンニ派政権が打倒されると、イランはイラク浸透を強め、同地におけるシーア派の
地位もたかまった。スンニ世界の中心部にイラン/シーアの円弧≠ェ出現する
恐れはいよいよ強まり、サウジを初めとするスンニ諸国は警戒心をつのらせる。
サウジアラビアは支援増を以てこれに対抗した。イラクのスンニ少数派社会、
レバノンのムスリム及びキリスト教諸勢力、領土内でイランの脅威にさらされている
地域(例えばイエーメン、スーダン、パレスチナ)が、その支援対象である。
レバノンにおいてイランの一翼を担うヒズボラは、2006年の戦争で一定の軍事的成果を
あげ、更に2008年のドーハ協定(事実上レバノンをヒズボラの統制下においた)で、
政治的にも成果をあげた。これは、地域ヘゲモニーを狙うイランの政策の一環と
うけとめられる。イラン要人の発言に照らして考えれば、尚更である。例えば
イラン議会の議長ラリジャニ(Ali Larijani)は、ドーハ協定の調印後「我々はこの
政治的勝利を(更に)大きな勝利の先駆とみる…」と述べ、ヒズボラ書記長ナスララが
「教え(ホメイニの)を実践した」とつけ加えた※10。
2006年のレバノン戦争後、イランが地域支配の野望を益々あからさまにするにつれ、
サウジ・スンニの懸念は、アラブ世界においてもっとオープンに突っこんだ形で、
論じられるようになった。エジプトの外相アブルゲイト(Ahmad Abu Al-Gheit)は、
イラン人が「(勢力圏の)拡大につとめ、この地域に彼等の特異なイデオロギーを
押しつけている」と語っている※11。外相は「アラブとは関係のない権益と目的を奉じ、
その実現のためアラブのカードを使っている」としてイランを非難し※12、更に
「イランが核で武装する軍事大国にならないようにしなければならない」と語っている※13。
(続く)
411 :
朝まで名無しさん:2009/02/10(火) 15:46:52 ID:yv7hWcbc
>>410より
サウジとエジプトの新聞にも同じような懸念の声が表明されている。サウジの半官紙
Al-Riyadhでは、コラムニストのマフムード(Muhammad bin Ali Al-Mahmoud)が、
アフマディネジャド下のイラン政策を論じ、次のように述べている。
「イランにおける変動は、当地にナチ的雰囲気をもたらし、空々しいスローガンが
声高に叫ばれるようになった。それは、(1979年の)イラン革命時のスローガンより
猛々しく、大言壮語の羅列が多い…※14。悲しいかな、イランの脅威は、学者が
あれこれあげつらうような机上の空論ではなく、本物になっている。テロ的アルカーイダの
(提示する)モデルと、レバノンでイラン(が提示する)モデル(即ちヒズボラ)の間に違いはない…。
イランは蛸のような拡張をやる。イランはこの地域を支配したい。それもイデオロギーの
伝播によるのではなく、(アラブ諸国で)武装集団を使って実行する…その武装集団は
母国ではなくイランに鞍替えして、忠誠心をそちらへ移す。イランは寛容や穏健の
文化を普及させたいのではない。占領を押しつける人種主義の行動があからさまであり、
その一環として偏ったヘゲモニ―の文化を拡散する国である…」※15。
サウジの半官紙Al-Watanでは、サウジのコラムニストであるムーサ('Ali Sa'd Al-Moussa)が、
アラブ諸国はペルシアの植民地主義≠ノさらされているとし、アラブ世界の地図上に
イランの自治州や自治領≠ェ点在して一目瞭然であると述べ、次のように論じた。
「イランは、アラブの政治のなかで中心的なプレイヤーになった…今日我々は
ペルシア植民地主義の新しい徴候を目の当りにしている。これは新型の植民地主義で、
従来より進化したモデルである。つまり、軍隊が攻めて来て占領するわけではないし、
公共の建物の屋上にその国の旗がひるがえるわけでもない。現代の植民地主義は、
各種の地域勢力がイランに屈従するところに特徴がある…イランはアラブの地図で選び、
引き金を引くことなくそこを攻撃する。その手足になって働くのがアラブ自身なのである」※16。
(続く)
412 :
朝まで名無しさん:2009/02/10(火) 15:48:25 ID:yv7hWcbc
>>411より
イラン・シリア・カタール・ヒズボラ枢軸の抬頭
地域に覇を唱えようとする努力の一環として、政治及び軍事枢軸が形成された。
イラン、イラクのシーア派、レバノン、イエーメンだけでなく、サウジアラビアとエジプトに
盾つくさまざまなスンニ勢力も、この枢軸の構成分子である。イラン・シリア・カタール・
ヒズボラ枢軸がはっきりした形で登場し、サウジ・エジプト陣営に対抗意識をあらわに
したのは、2006年のレバノン戦争時であった※17。その後この枢軸は拡大して、
ハマスをとりこんだ。そのハマスに対するイラン、エジプトのムスリム同胞団からの
支援は、近年増大しつつある。このところシリアとイランはトルコのとりこみに熱心で、
トルコの首相エルドアン(Recep Tayyip Erdogan)から或る程度の協力を得ている※18。
一方サウジは、イランに組みするスンニ勢力を枢軸から引き離そうとしてきた※19。
シリアの外相ムアッリム(Walid Al-Mu'allem)は、イラン枢軸のメンバーについて、
戦略同盟≠ニいう言葉で説明し、「イランとの関係は戦略的なものであり、トルコとの
関係も戦略的性格を有する。アラブ諸国との関係もそうあって欲しい。カタールとの
関係は戦略的であり、オマン、アルジェリア、リビアとの関係も然りである。将来
(枠が広がって)ほかの国も含まれるように願っている…我々は我々の国益に従がい、
アラブの大義と安全保障の立場で行動している。我々はその主旨に沿ってイラン、
トルコと協力している。恥入る必要はない…我々は共通のゴールに向かって(我々の力を)
結集する…(向かうところは)パレスチナの抵抗及びレバノンの民族抵抗の掩護である。
戦略縦横を形成して、その従割を果たす」と言った※20。
(続く)
413 :
朝まで名無しさん:2009/02/10(火) 16:05:32 ID:yv7hWcbc
>>412より
シリアの大統領アサド(Bashar Al-Assad)は、2008年9月にイランのアルアラムTVインタビューで、
同じような趣旨で次のように語っている。
「過去数十年戦略提携(シリアとイランの)がこの地域にとって重要であることを
証明しているが、実際にその効果が生じたのは、この10年である。即ち、レバノンでは
抵抗運動が勝利し、パレスチナでは、2000年に始まるインティファダ以来不退転の
抵抗が続いている…黒一色のスレートに明るく輝く点が段々大きくなり、輝きも増している。
これは、(シリア・イラン)協力の成果であり、シリア・イラン両国の政治政策の正しさを
証明している。当初この政策に反対していた国も、多くがその正しさを認識するに至り、
似たような政策をとり始めている…」※21。
(続く)
414 :
朝まで名無しさん:2009/02/10(火) 16:06:57 ID:yv7hWcbc
>>413より
両陣営の亀裂を深めた2009年のガザ戦争
戦争勃発に先立って両陣営は非難合戦を演じていた。シリアとイランは、アメリカと
イスラエルに追随し、抵抗活動を妨害しているとして、サウジアラビアとエジプトを
非難した。サウジのアブダッラー国王はシリアによって不信心者≠ナ
サタン帝国主義者の協力者≠フレッテルをはられた。一方エジプトのムバラク大統領は、
故サダト大統領同様暗殺すべき裏切り者≠フ暴君≠ニ呼ばれた。これに対して
エジプト、サウジアラビアは、イランとシリアがアラブの内部問題に介入し、レバノン、
イラク、パレスチナ自治区(PA)で抵抗運動を培養し、これを使って地域の不安定化に
狂奔している、と主張した。サウジ、エジプト両国は、シリアがアラブの分裂をはかり、
非アラブのイランによる中東支配意図を支援して、アラブの権益を害している、と強調している※22。
ガザ戦争の後イランの指導者達は、ハマスに対する支持を自画自賛し、ハマスの
行動はイスラム革命のゴールに進路を合わせたもの、と主張した。彼等は、
サウジ・エジプト枢軸に激しい敵意を燃やして非難している※23。イランの国会議長
ラリジャニは、2006年のヒズボラの勝利とガザのおけるハマスの勝利は、
イラン・イスラム革命の大樹≠ノみのった果実、と言った※24。イランの
公益判別会議々長ラフサンジャニ(Hashemi Rafsanjani)は、集会で「ガザ住民は、
ヒズボラと同じように、イランの恩情にみちた支援のおかげで、シオニスト政権軍を
敗北に追いこんだ」と語った※25。護憲評議会議長ジャンナティ(Ayatollah Ahmad Jannati)は、
テヘランの金曜礼拝説教で「ヒズボラは、イスラム的イランに励まされ、イスラエル、
アメリカ、そしてイスラエルを支援する西側諸国に壊滅的打撃を与えた。今日、
ガザで同じことが起きている。イランが足懸りを持つ所では、必ず(ムスリムを)助け、
救出する…」と言っている※26。最高指導者ハメネイに近い日刊紙Kayhanは、
「イスラエルの対ハマス戦争は新しい中東をつくりだし、イスラエル、アメリカ、EU、
エジプト、サウジが総がかりとなり、大兵力を投入してもハマスのような小さな組織を
潰すことができないことを、証明した」と報じた※27。
(続く)
415 :
朝まで名無しさん:2009/02/10(火) 16:09:24 ID:yv7hWcbc
>>414より
親サウジ陣営は、パレスチナ人ではなくイランとシリアの利益に奉仕しているとして、
ハマスを非難している。エジプトのムバラク大統領は「エジプトはパレスチナ人の
血を犠牲にして政治的利得を手にしたり、勢力圏を拡大することを許さない」と
言明した※28。エジプトのアブルゲイト外相も、配下のアラブを代理人にして
アメリカと取引し、自国の利益増進をはかっているとして、イランを非難しており、
アルアラビヤTVのインタビューで「非アラブはパレスチナの大義から全員
手を引かなければならない。アラブのなかにもちょっかいをだしている者がいるが、
こちらも然りだ」と述べ、「イランは…アラブの取引材料をかき集めている。
中東問題特に湾岸の安全保障或いはイランの核開発等について話合いたいので
あれば…我々と交渉しなければならない…とアメリカの新政権に自分の発言権を
主張するためだ」と語った※29。外相は2007年にも同じような発言している。
イランの活動がハマスを勇気づけ、ガザのクーデターに走らせたと述べ、「これが
エジプトの国家安全保障に脅威を及ぼした。我が国はガザから指呼の間にあるのである」と言った※30。
パレスチナ自治政府(PA)の上級幹部達も、イランのガザ関与を指摘する。PAの
議長府官房長ラヒーム(Al-Tayyeb 'Abd Al-Rahim)によると、イランのモッタキ外相が
ハマスの指導者達に抵抗を再開せよ、パレスチナ諸派の和解交渉にエジプトを
介入させるなと言った。ハマスが停戦延長とファタハとの交渉継続を拒否したのは、
そのためであるとラヒームは述べている※31。PLO執行委員会書記ラボ(Yasser 'Abd Rabbo)は、
ハマスがガザの独立を企んでいると指摘する。ウェストバンクから切り離して、
イランの後押しするイスラム・エミールにするという※32。
(続く)
416 :
朝まで名無しさん:2009/02/10(火) 16:09:45 ID:yv7hWcbc
>>415より
イスラエルがガザ攻撃を開始する数日前、エジプト紙Al-Gumhouriyyaの編集長
イブラヒム国会議員が「ハマス・ダマスカス・イラン―新しい悪の枢軸」と題する
連載記事を書いた※33。イスラエルの攻撃が始まると、イブラヒム編集長は、次のように論じた。
「ハマス・ヒズボラ、ムスリム同胞団そしてテヘランは、パレスチナの大義と
その殉教者をイランに引き渡すことに決めた。しかしながら、誰でも忘れていることが
ひとつある。シリアに身をひそめ、イスラエルに対し弾の一発も撃たぬ狂人共の
思い通りにはさせぬということだ。我々が人民の意志と力をこの連中に引き渡す
ことはない…エジプト、サウジアラビアを含む穏健派アラブ連合の無力を見せつけるため、
この地域全体を火の海とし、パレスチナとレバノンの殉教者を殺しまくる諜略がある…」※34。
(続く)
417 :
朝まで名無しさん:2009/02/10(火) 16:11:49 ID:yv7hWcbc
>>416より
戦後の状況―既成事実化した両陣営の対立
西側のメディアは、大半が中東の新しい現実を無視している。つまり、二つの陣営の
対立が深まり、冷戦がエスカレートしており、これが重大な政治的動向であることを、
認識しようとしない。しかしアラブ世界では、この現実が広く認識され、盛んに議論されている。
ヒズボラのナンバー2であるカッセム(Sheikh Na'im Qassem)は、アメリカ及び
親米アラブ諸国に敵対するイラン枢軸の一員たることはヒズボラの誇りとし、次のように言っている。
「今日世界には、対立する二つの陣営がある。アメリカとその同盟者、抵抗とその
同盟者である。アメリカ陣営はイスラエルを含むが、腐敗、侵略、独占を特徴とする
敵意にみちた陣営である。ここが肝心な点である。従って我々抵抗陣営は、力づくで
対抗しなければならない…(我が陣営が)勝利することは間違いない。抵抗陣営を
支援しない(パレスチナ)連帯はあり得ない…この抵抗の具象化が今日のガザである。
ガザを支持した者は、全員抵抗の陣営、支持せず反対した者は全員アメリカ・イスラエル陣営である…。
(続く)
418 :
朝まで名無しさん:2009/02/10(火) 16:13:14 ID:yv7hWcbc
>>417より
我々をイラン、シリア、ハマスの同盟者と(呼んで)中傷すれば、我々が困惑すると
考えた者もいる。そのようなことはどうでもよい。(ベネズエラの)チャベスとボリビア、
そして自由を求める世界人民を(我々の仲間)に入れるべきである。我々は反米・
反イスラエルの統一戦線をつくるのだ…」※ 35。
シリアの半官紙Al-Ba'athのコラムニストでダマスカス大講師アブマドヒ(Dr.Majed Abu Madhi)は、
ガザ戦争がアラブ世界にみられる二種類の対立構造を明らかにした、と論じた。
抵抗支持派と抵抗否定派の対立がひとつ。あとひとつの紛争が、抵抗に反対する
支配者と抵抗を支持する人民との対立であるとし、次のように主張した。
「どの国が抵抗を支持しているか極めて明白になった。どの(アラブの)政権が
アメリカ言うところの穏健#hなのかも、明白になった。こちらは、抵抗に反対し、
そのための策を弄する派である。切り口を変えると、もうひとつの分裂構造が
みえてくる。政府及び政治指導部の立場が人民から乖離している諸国である。
そこでは、抵抗を否定する支配者と支持する人民との間には、深い溝がある」※36。
(続く)
419 :
朝まで名無しさん:2009/02/10(火) 16:19:53 ID:yv7hWcbc
>>418より
サウジ陣営の主張―アラブ世界の亀裂はイランのせい
親サウジ陣営は、アラブ世界に亀裂をつくりだしたとしてイランを非難する。サウジの
外相ファイサル(Saud Al-Faisal)は、アラブ諸国間の不調和はアラブの問題に対する
非アラブ勢力の干渉≠ノよる、と述べている。つまりイランの干渉である※37。
クウェート首脳会議でエジプトのムバラク大統領は、アラブ世界の分断と弱体化をはかる
内外の勢力≠非難し、イランの干渉を示唆している※38。
サウジ・エジプト陣営に組みする新聞の論説も、イランが地域の覇権を握る一環として
アラブ世界の分断を画策していると指摘し、この協力者としてシリアやカタールのような
アラブ勢力を非難している。エジプトの半官紙Al-Ahram編集局長サラヤ(Osama Saraya)が、次のように論じている。
「昔のペルシア人のように、現代の(イラン人)聖職者は、大西洋岸から湾岸に至る
アラブ人を無学文盲のラクダ番くらいにしか考えていないから、今尚幻想をやりとりできる。
その幻想に見え隠れするのが、彼等の真の意図。つまり、我々の地域を支配し、
再建を夢見る新ペルシア帝国に併合するつもりなのである…君達の宗教を(他国へ)
拡大することはやめなければならない。国内だけにすることだ。君達は(ほかの)
ムスリム諸国を尊敬し、スンニとシーアが調印した協定を守り、相手側の土地を奪ったり
相手の地で自派の信仰をひろめることをやめなければならない」※39。
(続く)
420 :
朝まで名無しさん:2009/02/10(火) 16:21:11 ID:yv7hWcbc
>>419より
前述のイブラヒム編集長は、アル・グムフリヤ紙のコラムに、次のように書いた。
「イランの思想は、(すべての)国籍と国境を排除するところにある。イランのこの
思想が危ないのは、イランがこれを中東のイラン追随者に伝授している点である…
なかでも一番危険なのは、国家内国家の建設を求めていることである…この哲学は
アラブ世界の一部で既に成果をあげている。例ならいくつかある。ヒズボラはレバノンで
選挙に勝ち、その国家は当のレバノンよりも強力である。更にヒズボラの民兵は
レバノン政府軍よりも強い。同じことがハマスにもいえる。バハレーンのシーア派も
然りで、バハレーンに目下壊滅的打撃を与えている。スンニ派のバハレーン王国内に
シーア派国家をつくろうとしているのである。クウェート、エジプト、ヨルダンで
ムスリム同胞団は国会議員選を利用して政界に進出し、政府と国家の指導部を
乗っ取ろうとしている…宗教のために国家を犠牲にするのは、危険な破壊思想である…」※40。
(続く)
421 :
朝まで名無しさん:2009/02/10(火) 16:22:45 ID:yv7hWcbc
>>420より
トロイの馬―イラン枢軸の強化に果すカタールの役割
今回アラブ世界の亀裂を深めるうえで、重大な役割を果たしたのがカタールである。
サウジアラビアとエジプトが困惑したことに、カタールが 2008年1月16日の
ドーハ首脳会議開催の音頭をとったのだ。カタールは、アラブ数ヶ国の意志に反して、
イランのアフマディネジャド大統領を首脳会議に招き、イラン・シリア枢軸会議の
性格を鮮明にした(招請に反対したのは例えばUAEで、参加をキャンセルした)。
親イラン反サウジ路線を鮮明にする首脳会議は、エジプトに対イスラエル平和条約の
破棄をせまり、サウジには和平イニシアチブから手を引くように要求し、その路線の
方向性は一段と強くなった。
ガザ戦争が終った後、ハマスの指導者マシァル(Khaled Ma'shal)は、戦闘時
ハマス運動がうけた支援を多として、カタールに礼を述べた。ドーハ会議の席上マシァルは
「2週間前我々はあなた方のところへ行き支援を求めた。そして今日を迎えた。我々は
カタール、首長そしてその人民に感謝する」と言った。
エジプトの半官紙Al-Akhbar前編集局長ドワイダル(Galal Dweidar)はドーハ首脳会議を
ペルシア(拡張主義)の野望支持会議≠ニ位置づけ、カタールを「ムハンマドの共同体と
スンニ(に属する土地に対する)シーア派ペルシアの侵略に道をつけるトロイの馬」と呼んだ※41。
前出サラヤ編集局長は、同じ主旨で次のように書いている。
「カタールは、ドーハ首脳会議を召集することによって、アラブの行動を阻害するのみならず、
アラブ諸国の亀裂を深め、アラブの統一行動を破壊と悪の枢軸即ちイラン枢軸の手に
引き渡そうと願った。その枢軸の役割は、近年この地域で起きた諸々の事件で
姿を見せ、イスラエルのガザ攻撃時、いよいよ本性をあらわにした」※42。
(以下次スレに続く
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/news2/1234235670/8n)