南京虐殺はあった

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108Qual1ty@非戦主義 ◆bLAROckCS6
>>107
【言論チンピラ妄言解毒対策レス#75】
1982(昭和57)年
8月24日 鈴木善幸首相〔教科書問題での記者会見〕
「過去の戦争を通じ、重大な損害を与えた責任を深く痛感している」
「『侵略』という批判もあることは認識する必要がある」


1983(昭和58)年
1月 中曽根康弘首相
「両国関係は、遺憾ながら過去の歴史において不幸な歴史があったのは事実であり、これを厳粛に受け止めなければならない」


1984(昭和59)年
9月7日 昭和天皇〔全斗カン大統領来日、宮中晩餐会〕
「今世紀の一時期において、不幸な過去が存在したことは、まことに遺憾」
中曽根康弘首相〔歓迎昼食会〕
「貴国および貴国民に多大な困難をもたらした」
「深い遺憾の念を覚える」


1990(平成2)年
3月 中山太郎外相
サハリン残留韓国・朝鮮人問題に関するによる謝罪答弁
5月25日 海部俊樹首相〔第1回首脳会談〕
「過去の一時期、朝鮮半島の方々が、我が国の行為により耐えがたい苦しみと悲しみを体験されたことについて、謙虚に反省し、率直にお詫びの気持ちを申し述べたい」
5月 今上天皇
「わが国によってもたらされたこの不幸な時期に、貴国の人々が味わわれた苦しみを思い、私は痛惜の念を禁じえません」
109Qual1ty@非戦主義 ◆bLAROckCS6 :2007/09/26(水) 19:01:04 ID:ILKu2++G
【言論チンピラ妄言解毒対策レス#74】
日本外務省、「日本軍による南京での殺人・略奪行為は否定できない事実」

日本の外務省スポークスマンの沼田貞昭氏は19日、当時の日本軍による南京
における殺戮(さつりく)行為は否定できない事実であると語った。

上記は、沼田貞昭氏が新華社の記者によるインタビューに応じ、語った言葉で
ある。沼田氏は、旧日本軍が1937年南京に侵入し、一般市民を殺害し、略奪行
為を行なったことは、否定できない事実であり、政府によるこれらの認識は、集
会を催した団体の認識とは異なっていると表明し、以下のように強調した。

日本政府の歴史認識に関する考えは、日本の村山富市元内閣総理大臣が
1995年8月15日の談話において明らかにした、「我が国は遠くない過去の一時
期に、植民地的統治と侵略によって多くの国、特にアジア諸国の人々に極めて
大きな損害と苦痛をもたらした。我々は、この歴史的事実を謙虚に認め、ここ
で改めて痛切な反省と心からの謝罪を表する」という言葉と変わっていない。
現在に至るまで、日本政府のこの考えには、いかなる変化もない。

「人民日報」 2000年1月20日1面
ttp://fpj.peopledaily.com.cn/2000/01/20/newfiles/a1020.html
110朝まで名無しさん:2007/09/26(水) 19:01:26 ID:c1DPIazQ
>108
政治家のどうにでも取れる玉虫色発言を持ち出しても無駄w
111Qual1ty@非戦主義 ◆bLAROckCS6 :2007/09/26(水) 19:01:36 ID:ILKu2++G
>>107
【言論チンピラ妄言解毒対策レス#82】
【政府】
日本政府は南京大虐殺を裁いた極東軍事裁判の判決を国家として受け入れており、南京大虐殺を国家として認めて
います。また、「中国に対する過去の侵略と植民地政策を反省している」というのが95年の村山談話以降、政府の公式
見解で、この点は小泉首相もことあるごとに強調しています。羽田内閣の時、永野法務大臣は「南京大虐殺は捏造」と
発言したことが問題となってクビになり、ついには羽田内閣もぶっつぶれました。
【法律】
南京大虐殺は極東軍事裁判で有罪となりました。この裁判で死刑になった松井大将は証言の中で虐殺の事実を認め
ていました。戦後日本の賠償訴訟(「七三一部隊」被害者損害賠償請求訴訟,東京高裁判決,1999.9.22)でも南京虐殺
の事実認定がなされています。また、南京虐殺否定本でウソツキ呼ばわりされていた中国人女性が否定本の著者を
訴えていた事件では、この著者の敗訴が最高裁で確定しました
【学術】
「南京大虐殺」の事件の存在自体を否定している歴史学者は一人もいません。(「否定説はほとんどの歴史家の間
では受け入れられる傾向はない」ウィキペディア「南京大虐殺論争」)。日本の歴史事典、百科辞典類で、南京大虐殺
の事件を否定ないしは存疑として記述しているものは一つもありません。日本の教科書にも事件に疑いを差し挟んで
いるものは一つもありません。アノ「作る会」の教科書でさえ、他の教科書と同じように南京大虐殺を認めた記述をし
ています。以上のように南京大虐殺否定論というのは、右翼の人たちが、学術的にはお話しにならないようなデタラメ
な検証を根拠に、勝手に言い立てているだけのことであって、日本でも公の場では全く認められていない、アングラ的
言説に過ぎません。ただ、このアングラ説にとびついた漫画(ゴー宣)などのせいで、漫画しか読まないような若者はこ
ちらが真説と思いこんでしまったようですが。
112Qual1ty@非戦主義 ◆bLAROckCS6 :2007/09/26(水) 19:02:09 ID:ILKu2++G
>>107
【言論チンピラ妄言解毒対策レス#88】
■■■南京大虐殺は裁判所も認めています■■■

★南京虐殺訴訟: 被害女性の名誉毀損、歴史家らの敗訴確定

・「南京虐殺の被害者ではないと本で名指しされ、名誉を傷つけられた」
 として、中国人女性の李秀英さん(故人)が、著者で歴史研究家の
 松村俊夫氏らに1200万円の賠償などを求めた訴訟で、最高裁
 第1小法廷(島田仁郎裁判長)は20日付で、松村氏側の上告を
 退ける決定を出した。松村氏らに150万円の賠償を命じた1、2審
 判決が確定した。

 松村氏の著書「『南京虐殺』への大疑問」(展転社)は、南京虐殺被害を
 訴え国賠訴訟を起こした李さんについて、「証言のたびごとに内容が
 クルクル変わるのは、実体験ではない証拠であろう」などと記述した。

 1、2審とも「合理的理由がないのに、被害者ではないと推測して名誉を
 棄損した」などと李さんの訴えを認めていた。
113Qual1ty@非戦主義 ◆bLAROckCS6 :2007/09/26(水) 19:02:42 ID:ILKu2++G
>>107
南京大虐殺論争

南京大虐殺事件を日本人が知ったのは敗戦後の東京裁判におい
てである。この事件が「論争」となるのは、日本が高度成長を遂
げ公然と十五年戦争が肯定されるようになってからである。論
点は虐殺事件の存否、組織性、犠牲者の数であり、七〇年代の
第一次論争、八〇年代の第二次論争がある。この事件を六〇年代
から本格的に研究したのは洞富雄であり、事件を世に広めた
のは本多勝一『中国の旅』(七二年)である。第一次論争は七二
年の鈴木明「『南京大虐殺』のまぼろし」が事件の存在に疑問を
呈してはじまった。第二次論争では田中正明『?南京事件″の虚
構』が事件の存在を否定したために中国を巻き込む論争に発展
した。しかし、論争の過程で多くの新資料が発掘・発表され、
旧陸軍将校の親睦団体偕行社が機関誌『偕行』で「証言による『南
京戦史』」を連載し、事件の存在を認め中国人民にわびたことを
もって事件の存否に関する論争は収束した。
第二次論争の時期に事件の非組織性を主張したのは文部省であ
り、教科書検定で「混乱の中で」と書き込ませた。しかし、南京
攻略戦参加部隊の「戦闘詳報」などの資料や藤原彰『南京大虐殺』
(八五年)、吉田裕『天皇の軍隊と南京事件』(同年)などによっ
て日本軍の組織的虐殺であることが明確になった。中国人犠牲
者の数の問題に関しては、中国では八五年に開館した侵華日軍
南京大屠殺遭難同胞紀念館に明示するように三〇万人を主張す
る。これに対し事件の存在を認めざるをえなくなった人々は三
〇〇〇人から四万二〇〇〇人という数を提示、偕行社刊『南京
戦史』でも約三万人という。しかし、洞は『決定版・南京大虐
殺』(八二年)で二〇万を下らない数といい、『南京大虐殺の証
明』(八六年)で少数説の誤りを指摘した。実証の厳密さからも
洞・藤原などの主張には説得力があり、論争はほぼ決着がつい
た。(三省堂『戦後史大事典』より)