952 :
tooo ◆s/lQJB6p9w :2006/06/13(火) 04:00:50 ID:EP4x2Eal
ちょっと見過ごしちゃってたのでイチオ
>>490 :伊藤博又 氏
>敗戦までは「臣民」で臣と民だった。
>つまり、天皇の家来である臣と、天皇(とその家臣)に支配される民と。
氏には珍しく勘違い。
臣民は、家臣となるべき民のことで、天皇の下に位置する国民全体を表現したものす。
おみ・たみ並記の音読みではないです。
(臣民に該当しないのは、天皇と皇族だけ。
臣下となってる民みたいな感じで、一元的支配を表してるとは思いますが、
庇護みたいなとこもあって、朝鮮人も台湾人も日本人と等しく帝国臣民でした。)
なので、官尊民卑の説明には不適当す。
(代わりに、家父長的国家体制への批判には悪用?されちゃうかも。);;;
>>858 :伊藤博又 氏
>toooは、共産主義という言葉が出てくると、頭に血が上って全体が見えなくなって
>しまうタイプか?
それは儂にはあるかも知れないのう。少し。(w
でも、キューバとかベトナムなんかは、けっこう許容範囲、てか好み。
(自由思想への弾圧の実態とかちゃんと知らない、とゆ面もあると思いますが。);;;
逆に中南米の国で、臓器売買を目的とした子どもの誘拐事件が多発するニュースなど見ちゃうと、
第三世界の最悪の縮図を見せられるようで、革命でも何でもしちくりって雑で鬱な気分になります。
中国が列強(言うまでもなく特にはイギリス)そして最後に日本から蹂躙されたため、
また隣国ソ連と長い国境を接するため、共産主義に向ったのは
ある意味しゃあない、ま、不可抗力だったと思います。
ただ、民主主義を否定する共産主義の導入が、
少数民族や政治的な自由を求める声、さらには当然としか思えないような権利を主張する一部の声に対し、
より強力な圧政を強いる元凶となっている現実は、あまりにもむごい。
953 :
tooo ◆s/lQJB6p9w :2006/06/13(火) 04:01:39 ID:EP4x2Eal
ただ好転の兆し、そこへの基調となるべき要素も、今の中国には窺えると思います。
奇しくも、日本の江戸時代が、間引きを常態化させ人口抑制していて、
結果、資本主義化へと踏み出せる蓄積(農業生産量の上限値拡大と歴史的蓄積に伴う余剰。
農耕だけに制約されない労働者を発生させる素地ともなる、資本の原始的蓄積)を実現していたのと同様で、
中国の一人っ子政策の人口抑制効果と現在の大きく成長している経済は、
民主化へと展開することまで可能となる、素地に成るだろうと思っています。
(多民族国家の分裂圧力、そして戸籍のない暗部の人口を考慮しない、少し楽観的な見通しですけど。)
なぜ上のように言えるかというと、中国で近代化の実現を不可能とした理由が、
18世紀から19世紀にかけての異常な人口拡大にあったことが、概略で明白になっているからです。
清の時代、1720年頃に1億人を突破した中国の人口は、そのほぼ100年後(1833年)には
4億人と4倍にも増やしてしまったため、一人あたりGDPも異常な下がりかたを喫し、
蓄積するどころではなかった。生活水準が下がってく様な状況になった。
(人口爆発については今なお中国史の謎の一つで、通常は産業革命に伴うそれが、
中国では産業革命のない時に起きてしまった。
近隣の民族の流入なのか、現代のアフリカと類似するものか、まったく不明。)
歴史的にも、このあと中国でアヘン戦争後の太平天国の乱へと向ってしまったのも、
この乱による死者数が、第一次世界大戦の直接の戦死者数900万人を超えるという事実からすると、
こう言いたくはないですが、どこか必然的だった感じが強くなります。
くれぐれも人口爆発のそれを舐めてかからないほうが賢明だと思います。
(なので、朝鮮半島や中国への日本人の拡大進出もある程度必然とも思う。
なんせ、排日移民法があったから。)
954 :
tooo ◆s/lQJB6p9w :2006/06/13(火) 05:48:32 ID:EP4x2Eal
>>858 :伊藤博又氏
>私有財産制度は資本主義とは限らないだろう。・・・・・
てか、共産主義の目的・目標は、私有財産制度の否定にこそあって、
当時それを実現してたのはソ連だけで、おまけに採られた手段は暴力革命だけだった。
(一つしかない類型を「だけ」と表現するのも変だけど。)w
なので、
>私有財産制度の否認を1925年治安維持法が書いたのは、対象を共産主義者に
>絞る意図があったからだろう
ことは、仰るとおりの事実そのものであり、
実際にも共産主義者は国家転覆を謀ってる者と判断された。
そこへの弾圧が一段落して、戦争を開始する頃には、目的が変化して、
戦時体制維持のための思想統制が行使されてたのだろうと推測します。(
>>859)
例えば、徴兵忌避者に眼を光らすような。
>国体変革が一人歩きをはじめる。
>1930年代前半に共産党の組織が壊滅した後は、共産党と関わりのない者や宗教
>者が検挙対象になってくる。
概略的にオイと一致する認識です。
(ただ宗教方面への弾圧など、警察庁が指揮しているケースもあり、
時間的にも複雑で、系列だってまとめられない感じも強くします。
治安側がこぞって国内統制していたようでもあり、
しかし右翼テロなどに対する司直の裁きはかなり甘かった。)
955 :
tooo ◆s/lQJB6p9w :2006/06/13(火) 06:26:20 ID:EP4x2Eal
クロアチア戦は、ゼッテー勝つ
ブラジル戦は、亀の子作戦で0−0狙いつつ、相手の隙に乗じて1点だけゲットする
これで勝ち点6だ
956 :
tooo ◆s/lQJB6p9w :2006/06/13(火) 07:58:39 ID:EP4x2Eal
>>922 :(○´ー`○)はカワイイ 氏
同感・・・・・てか観終わった後、
ドッカーンと怒りが渦巻きました。>ジ??・川?・中?・中?・三??
>>927 大きさでいえば、大人と小学校高学年〜中学生の戦いにしか見えなかった
ポーランドvsエクアドルの例もあるでしょ。
チーム一丸となっての運動量とスピードの差が、エクアドルに勝利をもたらした。
>>859 :伊藤博又 氏
>治安維持法が守ろうとしたのは国体だと言って
>いいんではあるまいか。
最終的には、強力にその方向になったようですね。
でも、最初は対共産主義だった。(「国体の変革」= 行 為 目的の結社の禁)
それがやがて、朝鮮の独立運動まで含み、
ついには、「国体の否定」(= 観 念)目的の結社とその予備行為の禁にまで
なってしまった。(とゆ経過が、下のHPに。)
http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2005/02/0502j0406-00001.htm 日弁連勧告書−6− 「治安維持法」人権救済申立事件
まったく観念にとどまる精神的活動そのものにたいして
処罰されることが明文化されたことに、大きな特徴がある。
957 :
伊藤博又 ◆r0GvLuD5CU :2006/06/13(火) 08:04:50 ID:5FUGFpx+
>>952 おはよう。「臣民」については、toooお気に入りの井上清が、明治4年制定の
戸籍法についての説明の中で、
=================================================================
華族も士族も平民も官吏も民間人も、すべて「臣民一般」としてとらえることは、
以前にはありえないことで、それは近代国家の「国民」の概念に近いものであるが、
「臣」(君主の家来)と「民」(君主の被治者)とを合わせて臣民として把握される
ところに、なお封建的な性質があらわれている。
(日本の歴史20 『明治維新』 中公文庫 232頁)
=================================================================
と解説しています。残りについてはまた後で。
959 :
朝まで名無しさん:2006/06/13(火) 08:19:53 ID:DpC8dMTv
関係ない話だけど、
反日のどこかの国の人が、
昨日は大暴れしたよ。
960 :
tooo ◆s/lQJB6p9w :2006/06/13(火) 08:28:47 ID:EP4x2Eal
>>958:GUNDAM氏
オイがドイツに行って、ゴール前に11人網目状に貼り付けちゃるきに。(誰かの言葉うつった);;;
961 :
tooo ◆s/lQJB6p9w :2006/06/13(火) 08:41:34 ID:EP4x2Eal
>>957:伊藤博又 氏
そりって絶対オカシイって。
校長が「先生生徒、みんなよく頑張りました。」と言ってるのを
うがった耳で聴いて、先生と生徒の階級があるぞーっ、
って校長の発言内容にイチャモンつけてるようなもんだべ。
このバヤイ、みんなという捉え方に意義(というほどのもんでもないけど)があるでしょ。
962 :
tooo ◆s/lQJB6p9w :2006/06/13(火) 08:42:22 ID:EP4x2Eal
ま、井上説が事実だと、オイのもフライング気味だとは認める。
963 :
tooo ◆s/lQJB6p9w :2006/06/13(火) 08:43:16 ID:EP4x2Eal
>>861 :伊藤博又 氏
>議会の開設も人民にはけ口を与えるための譲歩なわけでしょ?
国会開設当初は、有権者も多額納税者(直接国税15円以上)の
ごくごく一部(全人口の1.1%)に限られ、はけ口にならないレベルだったのでは?
(最初は、カワイイ氏の言う殖産興業の無事なる展開を願って、
みたいな受け取り方がいっちゃん有効のような気がする。
明治天皇1881年の国会開設[開設自体は1990年]の勅諭、
「もしなお故さらに躁急を争い、事変を煽し、国安を害する者あらば、
所するに国典をもってすべし。特にここに言明し、なんじ有衆に諭す」からは、
維新初期の世情不安に対して、ちとオーバーだけど法治主義を宣言したみたいなとこもありそう。
ま、ホントのところは、サッカー場でサッカーせえよみたい国会で言論たたかわせえよ、
ってところでしょうけど。
・・・・・このあたりからすると、つくづく田中義一は不敬を極めた香具師とも思わされる。
先々帝が民主主義を宣言してたにもかかわらず、治安維持法一発でぶっこわしちゃった。)
>>862 :伊藤博又 氏
>(昭和初期、)人民の暴動に、為政者は慣れていた
わけなど無いと思います。
>共産主義は、経済、政治、法律、哲学、歴史などにかかわるから、すそ野は広い。
>共産主義対策といえば、広く人文、社会科学を網羅的に統制する口実になる。
確かに仰るとおりで、その影響力の排除こそ、
大陸侵略へと向ってた政府が眼目としたところ。
>>963 明治期の為政者は、人民は暴動を起こすモノだと解っていた
それまでの目前の問題への不満を解決する手段としての人民の暴動が
目前の問題の基本を解決するべきだという方向に収斂し
人民に動かれる事への危機意識は為政者の中に常にあったと思うよ
965 :
朝まで名無しさん:2006/06/13(火) 12:14:42 ID:Xy0DrZRU
終戦日も過ぎ去り、戦前とは全く違って天皇の威厳も無くなったけど、
養子を貰ってでも存続はすると思う。
(紀子さんが男子を生めば、その子で繋がる)
だって今の天皇制は「ギネスを更新中」だもんw
>だって今の天皇制は「ギネスを更新中」だもんw
つまり権威度はギネス>>>>>>>>>皇室ってことだなw
ビールメーカーの片手間で出してる本相手に必死になってるってw
967 :
朝まで名無しさん:2006/06/13(火) 12:31:52 ID:ke299YbK
産み分けは違法だろ。
サイボーグ男子の誕生。
968 :
朝まで名無しさん:2006/06/13(火) 12:41:33 ID:SmRGvIhu
>>965 今の天皇制の歴史って60年そこそこだろ。
まあ、天皇家は続くかどうかは知らんが、ここの
議論の主題は『象徴天皇制』について。
そこんとこよろしく。
>>968 天皇は任命権のみをもち、実際の政治は他にゆだねるという
天皇制の形式は平安時代以降変わらん。
970 :
tooo ◆s/lQJB6p9w :2006/06/13(火) 14:24:01 ID:EP4x2Eal
>>969 そうっすよね。
http://www.asahi.com/motion/TKY200606060627.html 〈陛下〉天皇の歴史は長く、それぞれの時代の天皇の在り方も様々です。
しかし、他の国の同じような立場にある人と比べると政治へのかかわり方は少なかったと思います。
天皇はそれぞれの時代の政治や社会の状況を受け入れながら、
その状況の中で、国や人々のために務めを果たすよう努力してきたと思います。
また、文化を大切にしてきました。このような姿が天皇の伝統的在り方と考えられます。
明治22年、1889年に発布された、大日本帝国憲法は
当時の欧州の憲法を研究したうえで、審議を重ね、制定されたものですが、
運用面ではこの天皇の伝統的在り方は生かされていたと考えられます。
大日本帝国憲法に代わって、戦後に公布された日本国憲法では、
天皇は日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であるということ、
また国政に関する権能を有しないということが規定されていますが、
この規定も天皇の伝統的在り方に基づいたものと考えます。
憲法に定められた国事行為のほかに、天皇の伝統的在り方にふさわしい公務を
わたくしは務めていますが、これらの公務は戦後に始められたものが多く、
平成になってから始められたものも少なくありません。
社会が変化している今日、新たな社会の要請にこたえていくことは大切なことと考えています。
971 :
tooo ◆s/lQJB6p9w :2006/06/13(火) 14:24:40 ID:EP4x2Eal
>>964 >明治期の為政者は、人民は暴動を起こすモノだと解っていた
明治初期に頻発した農民一揆や不平士族の反乱の時期は、きっとそうでしょう。
体制変革だった維新からそんなに隔たってなかったので、
維新政府も西南戦争については何が何でも鎮圧しようとしたと(馬鹿なオイでも)想像できます。
(引き裂かれた西郷兄弟も、弟の西郷従道ツグミチは、兄隆盛の蜂起を聞いて、
兄にヨーロッパを一見させておけば良かった、と涙したと云います。
ところが本来西郷軍に加わるはずの、村田経芳ツネヨシ=村田銃の発明者は、
官軍に参加しています。銃の改良が西郷軍では出来ないと判断したためで、
得てして技術屋はこんなもんす。);;;
>人民に動かれる事への危機意識は為政者の中に常にあったと思うよ
自由民権運動にも集会条例で対抗するなど、煽動された民衆蜂起を嫌うという体質は、
どこの国家の黎明期にも顕著な傾向だと思います。
「人民の暴動に、為政者は慣れていた」筈がない、とオイが断言したのは、
伊藤博又氏が、ソ連で行なわれた革命のような事態まで含めて、「慣れていた」と仰ったからです。
伊藤博又氏のご指摘によって、治安維持法と日比谷焼討ち事件の関係を想像力たくましく
勝手に短絡させてたオイも、流石に自分のが謬説であるとは納得しましたが、
国家側が潜在的に治安欲求を高めてしまった件という意味で、どこか腑に落ちない状態す。
972 :
朝まで名無しさん:2006/06/13(火) 17:17:21 ID:j7VFTVzy
>>969 任命権、なんて天皇が持っていた事はない。
蘇我氏、藤原氏以降、江戸幕府にいたるまで。
973 :
朝まで名無しさん:2006/06/13(火) 17:33:34 ID:j7VFTVzy
つか、969とか970とかバカ過ぎ。
オマイら程度じゃ高校程度の知識がある人間は、騙せない。
>>971 人民は、不満があれば政体を変革する事にためらいはなく
また、その際には暴力的な手段も辞さない
などと言うのは、充分に解ってもおり慣れてもいた
つーか、それらは明治政府が徳川政権打倒の際にやった事でもあるしね
だから萌芽させない事に腐心したんだろうに
つーかな、戦前戦中の共産思想について
軍の言論統制に携わった情報官の鈴木などは
むしろ、ブルジョア階層の所詮贅沢な思想遊びと見なしており
自由主義、資本主義を否定し、八紘一宇の家族主義こそ重要と説いている
偏った豊かさを排除し、皆こぞって国に奉仕し
そのために耐乏せよという思想から様々に情報操作を行っていたりする
まさに天皇神国としつつ、中身は共産思想ままなんだよね
975 :
朝まで名無しさん:2006/06/13(火) 17:53:46 ID:r/PbFIJb
>>974 >人民は、不満があれば政体を変革する事にためらいはなく
>また、その際には暴力的な手段も辞さない
日本の支配社会層はそういう事はしない。
せいぜい一揆どまり。
明治維新もどんなに貧窮していてもやったのは武士や公家。
>>975 民衆側の資金的あるいは人的支援無しには
徳川政権奪還はなし得なかった、つーのをダレよりも解っていたのは明治政府
で、階層をとっぱらったのも明治政府
士族も民衆に溶け入ってしまった状況下
警戒すべきは人民すべてになった訳ですよ
977 :
朝まで名無しさん:2006/06/13(火) 19:55:34 ID:51LrNiGt
明治時代、政体を変革しようなんて発想は、庶民には全くなかったでしょ。
政府も庶民に対してそんな危惧は持っていなかった。
それを考えていたのは、唯一共産主義者だけ。
>>977 発想持たれたら困るじゃん
だからそーいう考えを持たないように
日本スバラシス、神国万世一系テラスゴス として優越意識をくすぐりーの
一方では、政体に不安定をもたらす懸念のある思想はこれを弾圧した
というお話
979 :
朝まで名無しさん:2006/06/13(火) 20:54:39 ID:51LrNiGt
>>978 庶民にその発想がないのなら、
974の「人民は、不満があれば政体を変革する事にためらいはなく
また、その際には暴力的な手段も辞さない」という認識はどこから来たの?
その場その場で適当なウソを騙っているだけに聞こえるよ。
>>979 武士にはあったわな、だからこその倒幕
で、明治なれば武士も庶民の仲間入り
思想により政体を変革する事は可能だと知っている層が
新たに庶民層に加わったんだ、警戒して当たり前でしょ
と
>>976でも説明してますけど?
981 :
朝まで名無しさん:2006/06/13(火) 21:46:15 ID:dR1QJaII
>>975 その一揆で、自治を獲得した事例があることをお忘れなく。
982 :
朝まで名無しさん:2006/06/13(火) 21:52:50 ID:HDd0J6Ik
マルクスレーニン主義はむしろ合理性のある考えだろう
天皇制は土着宗教と結びついた全体主義に近いじゃないかw
戦前はまさにオウム真理教とそっくりだがw
983 :
朝まで名無しさん:2006/06/13(火) 22:21:01 ID:HDd0J6Ik
共産主義の映画監督
たとえばゴダール、ヴィスコンティ、パゾリーニ
まあ難解なので単細胞の右翼には到底理解できまいなw
984 :
伊藤博又 ◆r0GvLuD5CU :2006/06/13(火) 22:26:17 ID:5FUGFpx+
>>961 toooの先生・生徒の例は、まさに臣民の語構成と同じじゃないかと思うんだが。
「みんな」といわずに、区別できる2つのグループ名を合わせて呼んでいるから。
「国民」←国の民、「臣民」←臣と民。
どちらも結局は「みんな」を指すにしても、そこへ持っていく行き方が違う。
その違い方に時代が出てるなぁということ。
臣と民は、法的に違う扱いがされたわけでもなく、経済的な階級を構成していた
わけでもなかった。
しかし、たとえば吉田茂は、「臣 茂」という署名を好んでしたそうだ。「臣民」で
はなく「臣」。そういう自負を表現できる言葉ではあったんだよ、「臣」というのは。
だから少なくとも意識の面では、臣と民の区別は天皇政府の下で残存していた
んじゃないか。
たとえば敗戦まで女性に参政権はなかった。
政治集会に出ることさえ禁じられていた。
そういう立場で、統治者の側に立つという意識は絶対にもてないだろ?
一生、被治者という意識でいたはずだ。
だから女性は「臣」という意識をもてなかった。
つまり「民」という意識でいたはずだ。
985 :
朝まで名無しさん:2006/06/13(火) 22:47:34 ID:51LrNiGt
>>980 倒幕の中心は武士たちで、一般庶民ではないでしょ。
その武士たちが明治になって一般庶民に混じったからといって、
庶民が暴力的な手段で政体を変革しようとする危惧を明治政府が持っていたとは、
聞いたことがないな。
明治政府が恐れたのは、あくまで共産主義者による社会主義運動でしょ。
庶民の暴力革命を恐れていたというデータあるの?
986 :
朝まで名無しさん:2006/06/13(火) 22:50:07 ID:r/PbFIJb
自由民権運動は取り締まってたね。
987 :
(○´ー`○)はカワイイ ◆a7G9QH2uOQ :2006/06/13(火) 22:54:18 ID:ygfVL/dr
神仏分離例に乗じて起きた廃仏毀釈運動は明治政府の予想の範疇を超えた
大規模な打ち壊し運動となった辺りも民衆がコントロールの利かない暴力性を
意識するに充分な出来事だったろう。また、江戸時代でも米屋への打ち壊しなど
民衆の不満の捌け口となった暴力的な運動は枚挙にいとまがないほど多い。
明治政府がそうした民衆コントロールを考えていなかったなどあり得ないわな。
988 :
伊藤博又 ◆r0GvLuD5CU :2006/06/13(火) 22:54:26 ID:5FUGFpx+
>>963 > はけ口にならないレベル
だから15円→10円→3円と約10年おきに下げていったんだろうね。
ただ、反政府運動を指導していたのは、農村では豪農層、都市ではインテリ層。
そういう層は、それなりにつかんだ数字だと思う。
> >(昭和初期、)人民の暴動に、為政者は慣れていた
> わけなど無いと思います。
治安維持法の制定作業は大正年間の話だ。
toooが言及した米騒動は1918年。
事件の解決に警察力だけの解決が困難と見た政府は9万を超える軍隊も
出動させる。逮捕者は2万5000人以上に及んだ。寺内正毅首相は事件の
責任を取って1918年9月21日内閣総辞職した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%B3%E9%A8%92%E5%8B%95 軽視はしなかったろうが、武器を持たない人民の暴動など、軍隊を出せばなん
とかなるという意識はあったんじゃないか。
いざとなれば戒厳令を敷いて軍隊の自由な行動を可能にできる。
新たな立法が必要な状況ではなかったと思う。
それに治安維持法の適用でも、暴動の扇動罪で起訴された例は聞かないし。
990 :
???:2006/06/13(火) 23:11:35 ID:Be/Cb/zI
ところで廃止派って共産奴隷なのに自由人ぶっているって本当?(w
991 :
伊藤博又 ◆r0GvLuD5CU :2006/06/13(火) 23:35:33 ID:5FUGFpx+
>>974 > 軍の言論統制に携わった情報官の鈴木などは
天皇さえ認めてくれたら、共感できるところが多いんだが・・・
みたいなことを共産主義者に言ってたらしいw
日本で共産党が大きくなれなかったのは、その方針のまずさもあるんだろうが、
どうも民衆の変革へのエネルギーを右翼に奪われてしまったからじゃないかと
いう気がしているところ。
日本で革命(昭和維新)といえば右翼でしょ、結果はともかくw
992 :
伊藤博又 ◆r0GvLuD5CU :2006/06/13(火) 23:47:32 ID:5FUGFpx+
>>985 > 明治政府が恐れたのは、あくまで共産主義者による社会主義運動でしょ。
これ、時代が違うんじゃない?
ロシアの社会主義革命は大正6年で、日本で共産党ができたのは、さらにその
5年後。明治政府が現実の脅威と感じていたかどうか。
明治政府が手を焼いたのは士族の反乱と負担軽減を求めた民衆一揆の頻発で、
どちらも政権転覆の脅威にはなりえても、天皇制を覆すような脅威ではなかった
ように思いますが。
>>991 鈴木自身、裕福でない農家の出てあり
当時の共産思想を語る連中の実践面において
理想論、机上の空論の域でしかないと手厳しかった
つーかな、当時の違いってまさに
マルクス拝むか天皇拝むかの差だったとも言えるかもしんないw
で、民衆は富める者も同じく堪え忍ぶ事こそ価値とか
教育を国防と扱い、万民に平等な国防教育をという
解りやすい貧富差別撤廃を謳う方を支持しちゃったのかもしれないね
994 :
朝まで名無しさん:2006/06/14(水) 00:29:57 ID:iE7Pa3z1
>>987 廃仏毀釈運動も打ちこわしも、暴力で世の中を騒然とさせたけれど、
政体の変革を迫るほどのものではないよ。
>>992 明治政府が恐れたのは、帝国憲法ができるまでは自由民権運動、
その後は社会主義運動だね。
ただ、当時は共産主義者というよりも、無政府主義者と呼ばれていたようだ。
995 :
(○´ー`○)はカワイイ ◆a7G9QH2uOQ :2006/06/14(水) 00:49:26 ID:jbfEWPtv
>>994 認識が甘いんじゃね〜の?
廃仏毀釈が殊の外大がかりな運動になったこともあって明治政府の思想宗教政策は
その後迷走する。その理由の一つには政府内に天皇親政派がいたことも影響しているが
国教策定の試みは最終的には明治憲法で明記しないとゆ〜結末を招いたワケだ。
それが国家神道とゆ〜魔物に発展する遠因となったコトを考えれば、最後には
昭和の銀地政権へと繋がって逝く。一つの方向性の誤りが最後には大きな誤りを
生み出したって意味では看過できる話しではねえわな。
996 :
(○´ー`○)はカワイイ ◆a7G9QH2uOQ :2006/06/14(水) 01:10:57 ID:jbfEWPtv
>無政府主義者と呼ばれていたようだ。
アナーキスト(無政府主義)と共産主義は違うわな。
大杉栄や幸徳秋水はアナーキストだったが、厳密な意味での共産主義いわゆる
コミュンテルンとは一線を画していた。また、面白いことに当時は左翼運動家と
右翼運動家は合同で勉強会を開いたりしていた。北一輝のよ〜な国家社会主義も
そうした両派の交流から生まれた側面もある。
997 :
朝まで名無しさん:2006/06/14(水) 08:15:43 ID:Zr7BRwww
>>996 現在のような左翼と右翼が、対立して居る時代と、
戦前以前のような右翼と左翼の合同勉強会のような時代と、
ずいぶんかけ離れているね。
ウヨもサヨも包容するのが天皇
天皇陛下は立派な人だよ。
東南アジアを外交している姿を見て思った。
小泉にあんな外交は絶対に無理だ
器が違いすぎ
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。