>>947 そもそもお前のカキコが正しいということを証明しろ。
953 :
tooo ◆s/lQJB6p9w :2005/07/24(日) 18:43:11 ID:/Al5OqU4
>>932 :ID:rbHXqtlA氏
>しかし言い返せないなら君の負けだよ。
>私がいうんじゃない。みんながそう思うってことさ。
2ch上で言い返せることが、できようができまいが、真実は変えようがないって事。
責任有りとする意見の存在は認めるが、それも今の時代だから言えることで、
当時、日本国民の誰もが(一部の反国家主義者を除く)、
戦争を熱烈に支持していた事実は揺らぎようがない。
そのことは、文献に残っている。
以下コピペを展開する。
井上清著『日本の歴史 下(上中下3冊より成る)』(岩波新書)p.182〜
やがて国際連盟脱退のころには、国民の圧倒的多数は、熱烈な戦争支持者となっていた。
そのころには出征部隊も全国から出ており、出征兵士の背後には、
その無事凱旋を祈る多数の肉親知友があり、その人々の、無事凱旋を祈る心は、
戦争が日本にとってさけられない正義の行為であると信じたいという気持と結びついた。
また連盟脱退により日本が国際社会から孤立したことは、日本の前途について国民に不安をいだかせたが、
政府はその不安をたくみに誘導して、「1935,36年の危機」に対処していまから用意せよという、
「順戦時体制」つくりにもっていった。
戦争開始とともにそれまでの緊縮財政はインフレ政策に転換され、
軍需産業を先頭に、産業活動が活発になり、
32年はじめには、日本だけが列国に先がけて恐慌から脱出し、
33年には好景気にさえ向かったが、このことが、大衆に戦争を支持させる条件ともなった。
954 :
tooo ◆s/lQJB6p9w :2005/07/24(日) 18:44:24 ID:/Al5OqU4
井上清著『日本の歴史 下(上中下3冊より成る)』(岩波新書)p.202〜
41年9月6日の政府と軍首脳の御前会議は、
「10月上旬頃に至るも尚我が要求を貫徹し得る目途なき場合においては直ちに対米英蘭開戦を決意す」
と決定した。
10月に入っても日米交渉妥結の見込みは立たないので、陸相東条英機は対米開戦を強く主張し、
近衛首相の交渉継続論と対立した。
近衛首相は10月16日、その対立をありのままに書いて天皇に辞表を出した。
天皇は内大臣木戸幸一の助言により、10月18日、東条を首相に任命した。
天皇と木戸は、東条ならば陸軍中堅の即時開戦論を抑えられるかもしれないと期待したという。
その後、天皇は、11月29日、対米開戦について重臣たちの意見を徴したが、
重臣のうち誰一人として明確に日米戦に反対するものはなかった。
みな、この点は大丈夫だろうかとか、あの点は心配ないだろうかなどというだけで、
自分の責任をもった判断を下すものはなかった。
開戦論の先頭に立った東条首相兼陸相にも、何の清算もなかった。
彼はただ、人間は一生に一度は清水の舞台から飛び下りる決心が必要だといい、
個人の進退と国家・民族の存亡とを混同して得意になっていた。
海軍軍令部総長は、日本を重病人にたとえ、この病人はこのままでは必ず死ぬるが、
大手術をすれば万一にも助かるなどといっていた。
海軍に勝利の自信のないことは、海軍将校である高松宮から天皇の耳にも入っていた。
そこで天皇は11月30日、海軍大臣と軍令部総長を召し、
日米戦に自信があるのかないのか問うと、両人とも「相当の確信を以て奉答」したので、
天皇は木戸内大臣に、東条首相に「予定の通り進むるよう」伝えさせた(『木戸幸一日記』)。
その翌12月1日午後2時の御前会議で、天皇は対米開戦を決定した。
955 :
tooo ◆s/lQJB6p9w :2005/07/24(日) 18:47:39 ID:/Al5OqU4
竹山道雄著『昭和の精神史』(講談社学術文庫)から
外には満州事変がはじまっていた。内には経済の不調や思想の混乱や社会の動揺がつづいて、
センセーショナルな危機感がくる年ごとに叫ばれた。
緊迫した半面に弛緩した、異様な変調な雰囲気がみなぎっていた。
関東震災を一つのエポックとして、それまでは思いもよらなかった新しい社会相が現出した。
突如としてひらけた近代生活に対しては、
むかしから日本人がもっていた良識や節度はふしぎなくらい無力だった。
あのころは、世上に既成体制に対する不満が一杯だった。
見るもの聞くものが、政党・財界・官僚に対するはげしい呪詛だった。
私はさる大新聞の寸言欄に、
「世界に三つの悪がある。アメリカのギャングと、シナの軍閥と、日本の政党である」と
書いてあったのを覚えている。こうしたことは数かぎりがなかった。
旧日本は言論が不自由だったと今は信ぜられているが、
やがて拘束がはじまるまでの一頃はそれどころではなく、きわめて破壊的だった。
くる日もくる日も、辛辣に、手軽に、巧妙に、無責任に、揶揄し罵倒する言葉をきいて、
すべての人々の頭にそれがしみ入った。
しかもなお、乱闘、汚職、醜悪な暴露・・・・・はあきれるほどつづいた。
分裂と混乱は見込みがないと思われた。
軍人の政党に対する不信反感は非常なもので、これは最後まで消えなかった。
957 :
tooo ◆s/lQJB6p9w :2005/07/24(日) 18:48:17 ID:/Al5OqU4
インテリのあいだには左翼思想が風靡して、
昭和のはじめは「赤にあらずんば人にあらず」というふうだった。
指導的な思想雑誌はこれによって占められていた。若い世代は完全に政治化した。
しかし、インテリは武器をもっていなかったから、その運動は弾圧されてしまった。
あの風潮が兵営の厚い壁を浸透して、その中の武器をもっている人々に反映し、
その型にしたがって変形したことは、むしろ自然だった。
その人々は、もはや軍人としてではなく、政治家として行動した。(・・中略・・)
いかに陰謀的な旧式右翼がいたところで、それだけで若い軍人が「青年将校」になることはありえなかった。
これを激発させたのは社会の気運だった。
このことは、前の檄文(=二・二六事件の蹶起趣意書)の内容が雄弁に語っている。(・・中略・・)
青年将校たちは軍人の子弟が多く、そうでない者もおおむね中産階級の出身で、
自分は農民でも労働者でもなかった。
それが政治化したのは、社会の不正を憎み苦しんでいる人々に同情する熱情からだった。
インテリの動機とほぼ同じだった。
ただ、インテリは天皇と祖国を否定したが、国防に任ずる将校たちは肯定した。
ただし、かれらが肯定した天皇と国体は、既成既存の「天皇制」のそれではなかった。
私は一人の青年将校を知っていた。
職業軍人ではなくて教師だったが、つねにはげしい調子でブルジョアを攻撃していた。
この人にすすめられて、教典の一つである権藤成卿の『自治民政理』を読んだ。
これは、日本上古の社会を理想としつつ、農業中心の共産制度を主張しているものだった。(・・中略・・)
そして、この将校が熱心に説く国体明徴をきくと、そこに思いうかべられている一君万民の天皇とは、
国民の総意の上にたつ権力者で、何となくスターリンに似ているもののように思われた。
958 :
tooo ◆s/lQJB6p9w :2005/07/24(日) 18:49:54 ID:/Al5OqU4
あのいたるところに腐敗した現象がはびこっていた時代に、軍人だけは純潔だと考えられていた。
(そして、事実利欲に関しては純潔であったのだろう。戦後に極東裁判の調査官たちは、
ナチスの巨頭とおなじようなつもりで軍の巨頭たちの財産をしらべたところが、その貧しいのにおどろいた。)
満州事変はその自信をたかめた。国民は「軍に感謝」し信頼した。
この気持は、テロが相つづき軍の横暴が誰の目にもあきらかになり前途の不安が予感されるに及んで消えたが、
そのときには軍はもはや圧倒的な力を確立していた。
この「国を救う者は自分たちだけである」という自信が、軍の独立を主張させるにいたったつよい動機だった。
この自信と信頼を端的に示したのは、五・一五事件の裁判だった。
白昼首相を殺した軍人の徒党が、軽い刑ですんだ。明治時代だったら考えられないことだったろう。
(封建時代には、赤穂浪士は切腹させられた)。
また、政治悪を憤慨する世論の背景がなくては行われないことだったろう。
世人はその動機の純真に同情したのだった。
(・・中略・・)
青年将校たちは「天皇制」を仆そうとした。しかも、天皇によって! (・・中略・・)
天皇が悪しき「天皇制」の首となっているのは、天皇と民との中間に介在するものがいて、
その聖明を覆うからである。これを芟除すれば、歴史の悪しき段階は克服され、
民を苦しめる「天皇制」の暗雲ははれて、天皇の光はただちに四民を照らすであろう。
そして、この革命を遂行することは天皇の意思であり、「これこそ聖旨に添い奉るもの」である。
革新派の軍人が考えていた「国体」は、「天皇制」とはあべこべのものだった。
959 :
tooo ◆s/lQJB6p9w :2005/07/24(日) 18:51:02 ID:/Al5OqU4
このころには、天皇は二重の性格をもっていた。
その第一は、政党・財閥・官僚・軍閥の頂点にあって、機関説によって運営される。
いわばイギリスの王のようなものだった。(・・中略・・)これをかりに天皇の機関説的性格とよぶことにする。
その第二は、御親政によって民と直結して、平等な民族共同体の首長であるべきであり、
国難を克服する、国家の一元的意思の体現者だった。一部軍人はこの性格の天皇を奉じた。
これは、それから後の対外的危機の度がすすむにつれて、その軍事的な面のみが強調されるようになった。
そして、かれらは統帥権を手がかりとして自分の立場を強化しようとして、ついにそれに成功した。
これをかりに天皇の統帥権的性格とよぶことにする。(・・中略・・)
昭和の動乱には、この二つのものがからみあい争いあった。
ついには後者が前者を圧倒してしまったが、しかしまったく消すまでにはいかなかった。
軍は天皇の第二の性格を生かして自分のものにすることによってその目的を遂げることができたので、
制度としての革命はついに行われず後者は前者の形式(重臣の奏請や議会の決議など)を通じて実現した。
何よりも戦争の大きな圧力があって、すべては最後まで合法的だった。
(・・中略・・)その開戦の詔勅にも「豈(あに)朕が志ならんや」とて、
これがまだ機関説的天皇制の声をかすかに残していた。そして、終戦の決定は、(・・中略・・)
ようやく機関説的天皇制が息をふきかえして統帥権的天皇制を抑えたのだった。
960 :
tooo ◆s/lQJB6p9w :2005/07/24(日) 18:51:42 ID:/Al5OqU4
このように天皇の性格が二重のものとして作用していたということは、裕仁天皇自身の意思とは別だった。
裕仁天皇はつねに合法的に合慣例的に、機関説的態度に終始した。
その局にあたる責任者の言をきいて自分のイニシアティヴをとらないという、原則をつらぬかれた。
じつに、統帥権に関することがらについてすら機関説的態度に終始して、
忠言暗示をあたえることはあっても、軍に関することは軍の責任者の言にきいた。(・・中略・・)
つまり、統帥権的天皇とは、結局の事実としては中堅将校のことだった。
裕仁天皇は、例外的に、ただ二度だけ機関説的性格をすてて、御親政をとられた。
それは二・二六事件の際と終戦の際だった。
961 :
tooo ◆s/lQJB6p9w :2005/07/24(日) 19:01:30 ID:/Al5OqU4
http://www.sankei.co.jp/databox/kyoiku2/osie/130903osie_u_05.html アメリカの教科書が教えている歴史 (産経新聞ワシントン 前田徹)
1966年版の「ライズ・オブ・ジ・アメリカン・ネーション」
「多くのアメリカ人の目が欧州にくぎ付けになっているすきに日本は極東征服を推し進めていた。
1941年7月、日本軍が仏領インドシナを占領するとルーズベルト大統領は即座に
米国内の日本資産凍結で応じた。 結果として日米貿易は事実上停止した」
「日本はアメリカの抵抗がより厳しくなることを予想し、米国を攻撃する計画を練り始めた。
戦争指導者たちがその準備の最終段階に入った時点でさえ
日本政府はワシントンに和平協議の代表団を送り込んだのである。
交渉は2週間以上に及び、日本代表団は最後に
『アメリカが非現実的な原則にしがみついている限り交渉継続の意味がない』
と決裂を明らかにしたが、1941年12月7日の日曜日の朝、
その通告を米政府に手渡す前に日本機はハワイの真珠湾基地に停泊する米太平洋艦隊を攻撃した。
全く警告なしにである。 米国はそうしたいわれのない攻撃を予想していなかった」
一方的に日本を糾弾していたのが、40年前の教科書で、
ここから6年後(1972年)に、卑劣さを強調する表現の一部は改変され、
次にコピペする最新版では、アメリカにも非があったことが記述されている。
962 :
tooo ◆s/lQJB6p9w :2005/07/24(日) 19:02:52 ID:/Al5OqU4
最新版高学年用教科書「ジ・アメリカンズ」
「日本の膨張主義者たちは満州から中国、さらにタイやインドネシアにまで広がる
植民地帝国を築く夢を長く抱いていた。
この夢が満州侵略、その後の中国侵略を導いた。
日本は1941年7月、インドシナのフランス軍基地を占領して南進し、
米国は経済制裁で対抗した。
この経済制裁の中には日本が絶対に容認できないものがあった。
軍需機構を維持するのに必要な石油である」
「10月、好戦的な東条英機将軍が新首相になった。
東条は就任早々、天皇に対し米国との和平交渉を成立させる最後の試みを約束し、
特別代表をワシントンに送り込んだその日に海軍に出撃準備命令を出した。
米国は日本の暗号通信(外交暗号)を解読しており、日本が戦争準備に入っていることを知っていた。
ただ攻撃がどこを目指しているのかわからなかった。
ルーズベルトは11月下旬、ハワイ、グアム、フィリピンの米軍司令官に戦争警告を発していた。
その警告にはこうあった。
戦争が避けられない状況になった場合、日本がまず好戦的行為にでることが望ましい」
「一時間半にわたる攻撃の破壊力はすさまじいものだった。
だが、日本側からみれば真珠湾攻撃は大勝利だった」
963 :
tooo ◆s/lQJB6p9w :2005/07/24(日) 20:47:22 ID:/Al5OqU4
杉山メモについては、以下で少し参照できる。
http://members.aol.com/nishitatsu1234/zatsudan/emperor.htm 二月一日、対印仏、奉施策要綱上奏ノ際御下問
全て、天皇が質問した時点で、決定はなされ、さらに実施もなされてしまっている
逆にいうと、意思決定やその実施の過程については、天皇の意思は介在していない
昭和十七年十二月三十一日:大本営会議直後侍従武官長ヲ通シテノ御言葉
「撤退しました」とという「事後報告」を受けてのお言葉であり、
天皇はこれについて「撤退したのか、あ〜あ」という遺憾の意を表明
http://www5a.biglobe.ne.jp/~kinsei/0311.htm 大本営陸軍部戦争指導班『機密戦争日誌』全二巻 防衛研究所図書館所蔵 軍事史学会編
書評(産経新聞 平成10年10月24日)
編集に携わった防衛研究所戦史部の原剛氏は
「極めて重要な史料だ。
予算や物資などについて議論がはかどらず、物のない国の悲哀、
大事なときに大事な決断ができるリーダーシップを持った指導者の
存在しなかったことがうかがわれる」と話している。
戦争責任論はあっても良いだろう。民主主義と責任の結びつきを堅固なものとするために。
しかし、その時代は世界中が戦争で自己主張していた時代であって、
欧米列強に至っては、自己正当化する論理の組み立てまで
してきた時代だったことを忘れてはならない。(
>>951)
第二次大戦を終え、民族自決が当たり前になり、
国家を背景とする各民族が自立的な自由を求めることが、
最終的には世界の平和と発展に寄与するとの共通認識も掌中にした、かに見えて、
なかなかそうは問屋が卸してくれないのが、イラク戦にみられる昨今の情勢なのである。
964 :
BEEINN:2005/07/24(日) 21:41:47 ID:5RFs9T8Q BE:135086663-
toooさんすごいね。なにがすごいか知らんけど、なんか、、、量が。。。
おいらなんか、パソコンうつのどえらい遅いし。(ローマ字変換できんくなつたせいもあるけど。ウィルスのせいと思う。)
なんか、勉強になった気がするし、ありがとう。
965 :
朝まで名無しさん:2005/07/24(日) 21:53:59 ID:dke3f4k+
>>950 オレの参考文献
「昭和史七つの謎」保阪正康
「同時代を撃つ」立花隆
「文芸春秋」平成十五年七月号
図書館ででも確認してくれ。
968 :
朝まで名無しさん:2005/07/25(月) 10:27:36 ID:mwpYacea
>日本国民の誰もが戦争を熱烈に支持していた
だから責任がないというなら、toooは狂っている
まあ、百歩譲って仮に国民が支持していたとしても
だから戦争遂行者の判断の甘さや、必ず負ける戦争をやった責任が無くなるワケじゃね〜からな。
それこそ大衆迎合の批判を受けるだけだからな。
970 :
朝まで名無しさん:2005/07/25(月) 10:34:10 ID:mwpYacea
>>951 toooは、なにかといえば
「ヨーロッパだってアジアを侵略していたじゃないか」
というが、勝たねば意味のない弱肉強食の論理を
負け犬が唱えたところで馬鹿げている。
971 :
朝まで名無しさん:2005/07/25(月) 10:36:04 ID:mwpYacea
今、日本では、中国が弱肉強食の論理で
アジアを支配せんとしているとして
中国を非難する輩がいるが、かつて日本が
まったく同じ論理で中国に侵攻したことを
正当化するなら、中国を非難することは
できない。
日中戦争の原因は中国側の背信行為。
973 :
朝まで名無しさん:2005/07/25(月) 11:23:17 ID:m15NTV0s
てわけで粛々と対中国戦争の準備を進めるほかはない。
974 :
朝まで名無しさん:2005/07/25(月) 11:23:58 ID:m15NTV0s
やられるわけにはいかないから。
>>970 負け犬って・・・
おまいほんとに日本が負け犬だとでも?藁
976 :
這(♪゚∇゚*♪)つ@尊皇派 ◆motWq3H6HU :2005/07/25(月) 11:50:29 ID:jeDhcamd
夏休みぃ〜♪夏休みぃ〜♪
>>975 日本が負け犬なんじゃなく、「ヨ〜ロッパだって」という考え方が
負け犬根性だと逝ってるんだろ。
天皇信者は記号好き。
天皇とゆ〜権威に価値を見いだすとゆ〜意識を記号論的文化論で考えてみると
その内実が良くわかる。天皇信者は記号好きなのだ。彼らが廃止論者に対して
その属性を気にするとゆ〜のもそうした意識とは無縁ではない。何故か?
意識を依存する対象を持ち、自我の独立を拒むのならその対象と相対させるべき
シンボルを欲し、対置させるコトで安心感を得たいとゆ〜深層心理を持つが故
論旨の中身ではなくその属性が気になるとゆ〜表層を気にする意識が透けて見える。
>>975 "負け犬"という言葉に敏感だな。
日本は負け犬かはともかく、「敗戦国」だろ。
終戦記念日だって目先のごまかし。敗戦記念日、と正確に呼ぶべきだろ。
日本には、臥薪嘗胆、という立派なことわざもあることだし。
負けは負け、失敗は失敗、と認めて一度リセットをかけることで、外国に対しての外面だけではなく、
自分のなか(日本の国内)でも再スタートが切れる。
それをごまかそうと必死になるもんだから、外国には揶揄され、
国内でははなしがまとまらない。
>>979 負けを認めて、何度謝罪してもリセット出来ないことがはっきりわかった。
もう一回、勝つまで戦うしかないだろう。
やっぱ「一億総玉砕」という思想は正しかったな。
負けて生き延びても、ロクな事はない。
いつまでも犯罪者扱いだ
982 :
朝まで名無しさん:2005/07/25(月) 13:40:21 ID:DNkmru59
>>979 敗戦ということで、
明治以来の国家神道では世界に対抗できなかったことを、
確認する意味でも敗戦記念日にするべきなんだよね。
負けたことを素直に認めて、
内面のスタートを切るような心構えがなくて、
明治時代の延長戦で戦後をすごしたから、
欧米はおろか東アジアの国にさえ馬鹿にされている。
983 :
朝まで名無しさん:2005/07/25(月) 13:42:23 ID:DNkmru59
>>973 国内の反戦主義者がうるさいから、
彼らの言うことを無視しないと駄目だろうね。
中国との戦争の準備だけはしておかないとまずい。
>>967 それって二次資料でしょ。
出来れば一次資料に近いものが欲しいんだが。
>>983 いきなり「戦争準備」かよ・・・。
夏休みなんだなぁ。
国内の好戦主義者(戦争・兵器ヲタ含む)&軍備増強論者の方がもっと怖いぞ。。
しかも、前者はガキが手に入れたオモチャを実際に「動く標的=生身の人間相手」に使ってみたくて
ウズウズしているようなものだし、
後者は武器製造・輸出という「金儲け」も企んでいるから、
怖いぞ。
彼らの言うことは無視しないと駄目だろうね。
中国に限らず、無能な外務官僚やイタズラに外国を刺激するバカ政治家の排除や
戦争準備の前にもっと外交交渉などを徹底してやることがいくらでもある。
>>985 杉山メモの原文が読みたいだけなんだが。
君が提示したものだけが、杉山メモの全部って訳ではないだろ?
>>987 オレは持ってねえよ。
他を当たってくれ。
>>987 教えてくんはうざいよ。
ID:FDqadgpYはあくまで自分の論拠を示したに過ぎない。
それ以上の資料をねだるのは筋違い。
>>988 たしかに調べてみたら、「杉山メモ」ッて本はめちゃくちゃ高いからな。
普及版ですら6000円もする。
蔵書検索をしたら近所のの図書館には無くて、県の図書館にしかなかった。
>>990 図書館は横の繋がりがあるから、取り寄せて貸してくれるぜ。
やってみ
カワイイは本の名前は書いても
内容を書いた事は皆無
内容を応用した事も皆無。
>>991 なるほどサンクス。
ただ分量が分量なだけに読むのに一月ぐらい掛かりそうだ。
折角だから全部読みたいし。
>>993 多分このスレはまだ続いているだろう。
そんときレスくれればいいよ。
995 :
朝まで名無しさん:2005/07/25(月) 15:41:57 ID:L2T8OBct
>>982 敗戦記念日ねえ。
他国でそんな記念日作ってるところあるのかな?
日本はアメリカ以外に負けた覚えないしな。
支那・イギリス・オランダ・オーストラリアには連勝だ。
>>994 「昭和史七つの謎」保阪正康 では
戦後統治に果たした昭和天皇の存在の重要性を認めていたと記憶しているが、
戦争責任の有無はどこの箇所で論じられているのかな?
>>996 さあね。オレは
>内容を書いた事は皆無
>内容を応用した事も皆無。
なんだろ?
そんなレスする香具師に教えてやるほどお人好しじやねえからな。
オマイの書き方だと読んでるみたいだから、ヒントだけやるよ。
130頁〜159頁のあたり。あとはてめえで調べろ。
>>998 またニセソースですか?ww
書いてねぇよ。そこには。
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。