歴史教科書のウソ 盧溝橋事件から日中全面戦争←まちがい

このエントリーをはてなブックマークに追加
1名無しさん@涙目です。(大阪府)

 ことしの教科書採択は終了したようだが、毎年、考えるのは歴史教育が随分とゆがめられているのではないか、ということだ。
教科書を執筆している人も、採択の担当者も教師も歴史を知らないのではないか、とさえ思えてしまう。
とくに近現代史がそうで、例えば、昭和12年7月に始まったとされる日華事変(教科書では日中戦争)について、
「北京郊外での日中両軍の衝突によって日本と中国が全面戦争状態に入った」などと書かれる。が、これは正しくない。

 盧溝橋事件は日本の支那駐屯軍と中国の宋哲元軍(第29軍)との衝突だが、10日後には宋が日本軍の香月清司軍司令官に
遺憾の意を表明して停戦が成立している。
しかも、日本軍の桜井徳太郎少佐が宋哲元軍の軍事顧問をしていたのである。日本軍と米軍が戦争しているときに、
日本軍人が米軍の軍事顧問になるだろうか。

 その後、8月13日に第二次上海事変が起こり、日本軍と蒋介石軍との間で戦争状態となるが、日本軍が戦ったのは、
蒋介石軍と、共産軍である八路軍であり、蒋介石軍と八路軍もまた、互いに戦争状態にあった。蒋介石軍と八路軍が戦闘を
している場面に出くわした日本軍が両軍の戦闘を傍観するということもあった。さらに、日本政府は国民政府の汪兆銘と協定を結び、
その結果、日本軍は汪兆銘軍と共同して作戦を遂行したりしている。日本の将兵と汪兆銘軍の中国人将兵が一緒に行軍して、
八路軍と戦うということもあった。

 また、上海のクラブでは、中国人バンドの演奏で、日本人と中国人が同じテーブルで酒を飲み、歌を歌い、踊りを踊っていた。
そこにはアメリカ人もイギリス人もいて、中国各地で繰り広げられている日本軍、蒋介石軍、汪兆銘軍、
八路軍の動向が話題に上ったりもしていた。映画「上海バンスキング」の世界である。

 当時の日本は政府であれ、軍であれ、国民であれ、中国と戦争をしているという自覚はなかったのである。あえていえば、
日本の権益を守るために、それを妨害する蒋介石軍と八路軍を懲らしめているといった認識であったろう。
あくまで戦争の対象は「蒋介石」であったから、「援蒋ルート」などの言葉も生まれたのである。
(編集委員 大野敏明)

http://sankei.jp.msn.com/life/news/111002/edc11100207100002-n1.htm
2名無しさん@涙目です。(catv?):2011/10/02(日) 13:08:56.09 ID:HtIfyQ0m0
さすがの産経オナニー
3名無しさん@涙目です。(WiMAX):2011/10/02(日) 13:09:07.50 ID:lJE6COPbP
韓国軍も抗日戦争で中国と共闘してたんだよね
4名無しさん@涙目です。(東京都):2011/10/02(日) 13:14:39.13 ID:kKlVa2LT0
のちの世に言うマルコポーロ橋事件である
5名無しさん@涙目です。(長屋):2011/10/02(日) 13:15:46.16 ID:zaD54tE70
援蒋ルートが後の援交ルートへと繋がったのである
6名無しさん@涙目です。(関東・甲信越):2011/10/02(日) 13:16:49.89 ID:ER6LX8pEO
映画上海バンスキングは楽しかったな
7名無しさん@涙目です。(千葉県):2011/10/02(日) 13:17:07.89 ID:skdYw0940
>>3
韓国軍すごいよな
金日成とかエースパイロットッだったし
8名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/10/02(日) 13:17:49.59 ID:O84Da1Gz0
産経の妄想かw
9名無しさん@涙目です。(関東・甲信越):2011/10/02(日) 13:20:09.21 ID:CCMRzEs5O
秦先生にまた叱られるぞ
10名無しさん@涙目です。(北海道):2011/10/02(日) 13:24:06.39 ID:Nrmn68On0
ネトウヨが無視する時系列

7月7日 盧溝橋事件
7月9日 近衛内閣不拡大方針を閣議で確認
7月11日 現地で松井久太郎大佐(北平特務機関長)と秦徳純(第二十九軍副軍長)との間で停戦協定が締結

同日 近衛首相「北支派兵声明」を発表 ←注目
  以後現地交渉が困難に
  7月末までに軍事支出を次々と承認
11名無しさん@涙目です。(岩手県):2011/10/02(日) 13:24:27.71 ID:kqPVZV4N0
そりゃ単に事変であって戦争で無いというための詭弁。
12名無しさん@涙目です。(東京都):2011/10/02(日) 13:26:08.53 ID:0IS3uMfs0
お前らは特アの歴史が好きすぎる
13名無しさん@涙目です。(iPhone):2011/10/02(日) 13:34:26.36 ID:lqC17whOi
>>10
ブサヨはシナ共産党が建国の日に周恩来が盧溝橋事件はシナ共産党が起こしたものだって演説した事実をシカトしてんじゃねーよw
14名無しさん@涙目です。(北海道):2011/10/02(日) 13:35:59.04 ID:Nrmn68On0
>日本の権益を守るために、それを妨害する蒋介石軍と八路軍を懲らしめているといった認識

イギリスも自国の権益や自国民の生命財産を守るために、清国を懲らしめただけだったしな


このとき商務監督……チャールズ・エリオットはポルトガル領マカオにいた。だ
が、イギリス商人から危急の報をうけ、直ちに広東に向かい、3月24日、到着
した。(略)

広東所在のイギリス公館("factory"と呼ばれた)にはイギリス国旗が掲揚され
ていた。そして、没収された阿片はイギリス商人の財産であった。阿片消毀ま
での知らせが報道されるとイギリス世論は激昂した。中英に正式な外交関係
はないが、中国兵が在外公館を封鎖し、脅迫のうえ館内およびイギリス船舶
内の阿片を没収したことは十分に侵略行為を構成すると思われた。(略)

エリオットは、1839年11月、パーマストン外相あて「イギリス臣民の財産が武
力によって強奪され亡失された。これは1国の他国にたいするもっとも恥ずべき
暴力である」と報告した。

http://ww1.m78.com/sinojapanesewar/opium%20war.html
15名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/10/02(日) 13:38:36.42 ID:Syla2nXK0
>>13
そんなデマをまだ信じているのか
16名無しさん@涙目です。(岩手県):2011/10/02(日) 13:39:55.07 ID:kqPVZV4N0
>>13
その演説も根拠となる資料も、「最初にその説を主張した人間以外に確認した人物はいない」という事実ね。
17名無しさん@涙目です。(東京都):2011/10/02(日) 13:46:39.57 ID:dX2nuuQF0
>日本軍と米軍が戦争

そうか
盧溝橋事件 1937年(昭和12年)7月7日
真珠湾攻撃 1941年12月8日未明
18名無しさん@涙目です。(東海・関東):2011/10/02(日) 13:46:40.34 ID:y4Pvbf+XO
これは信用していいのか?
19名無しさん@涙目です。(関東・甲信越):2011/10/02(日) 14:10:33.38 ID:7NxD58dMO
牟田口「ほーら見ろ!ワシ悪くないもんね!」
20名無しさん@涙目です。(滋賀県):2011/10/02(日) 14:54:24.80 ID:WNeqXiJN0
わりとどうでもいい
21名無しさん@涙目です。(東京都)
日中戦争、負けたジャップ情けねぇ。