【`ハ´】カンボジア、中国の存在感が強まる【¥マネー$】
中国の存在感、カンボジアでも増す
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn/20051213/20051213-00000045-jnn-int.html 東アジア地域での日本と中国の主導権争いといった側面もある、今回の東アジアサミットですが、
日本はこれまでになく、苦戦を強いられています。その背景をカンボジアで取材しました。
今年6月。当時の町村外務大臣が東南アジアを歴訪しました。国連安保理の常任理事国入りを
目指す日本は、ODAの3割をつぎ込み援助してきたASEAN諸国からの大きな後ろ盾を期待していました。
しかし、結局、日本の常任理事国入りを求める決議案の共同提案国となった国は1つもなかったのです。
その裏には近年アジアで影響力を強める、ある大国の存在がありました。
カンボジアの首都プノンペン。日本大使館の向かいにあるカンボジアの議事堂は中国の無償援助です。
議事堂の建設費用は、およそ24億円。中国はこのほか、およそ15億円を拠出して
首相府も建設するとしていて、政治的な色合いの強い援助を積極的に進めています。
2 :
番組の途中ですが名無しです:2005/12/14(水) 04:14:44 ID:a2ipJavG0
なんで援助してる国が援助してもらってんだよ
3 :
番組の途中ですが名無しです:2005/12/14(水) 04:14:54 ID:2R3eeiGG0
バカンボジアに見えた
東アジアニュース+板で、ミャンマーの軍事政権に
日本からの中国へのODAが流れてるとか見たな
中国の世界戦略スゴス
5 :
番組の途中ですが名無しです:2005/12/14(水) 04:24:39 ID:TAcsUQiNO
¥¢$
6 :
番組の途中ですが名無しです:2005/12/14(水) 04:30:50 ID:X0/AkcjZ0
日本の外務省の無能ぶりに驚嘆
別に中国が外交がうまいというわけじゃないだろ。むしろやぶれかぶれ。
ただただ日本の外務省が、田中角栄の登場で極度に無能になった。
7 :
番組の途中ですが名無しです:2005/12/14(水) 04:32:08 ID:xDcB9LXb0
日本人は馬鹿
2chにいる日本マンセーネットウヨは日本人がお人よしだというが本当にただの馬鹿
中国人は(狡)賢い
8 :
番組の途中ですが名無しです:2005/12/14(水) 04:33:06 ID:a2ipJavG0
日本マンセーネットウヨなんかいたか?
9 :
番組の途中ですが名無しです:2005/12/14(水) 04:34:26 ID:TAcsUQiNO
ネットウヨは憂国者であって 手放しでマンセーしていない
10 :
番組の途中ですが名無しです:2005/12/14(水) 04:35:17 ID:VsC56o400
明治時代の日本の外交は中国の100倍は効率よく狡猾に徹底してやっていた
いまはただの無能集団の集まりか
11 :
番組の途中ですが名無しです:2005/12/14(水) 04:35:50 ID:9qKJ8zk90
俺、他のスレで日本マンセーしまくった。やばい
12 :
番組の途中ですが名無しです:2005/12/14(水) 04:37:51 ID:EZql/bsMO
13 :
番組の途中ですが名無しです:2005/12/14(水) 04:37:55 ID:xDcB9LXb0
>>9 憂国の士(笑)
ネットで吠えることしかできないくせに
14 :
番組の途中ですが名無しです:2005/12/14(水) 04:37:57 ID:1FmLwxqz0
生活保護受けてる家庭が隣の家を援助?
15 :
番組の途中ですが名無しです:2005/12/14(水) 04:38:13 ID:JMZIcDhl0
ますます米国に依存しなきゃならないね
17 :
番組の途中ですが名無しです:2005/12/14(水) 04:42:18 ID:a2ipJavG0
(前文は韓国批判なので前略)そういう言葉のごまかしの天才は英国だろうか。
例えばインドのセポイの反乱。植民地支配に初めて楯突き、それこそ何十万も殺された。
でも英国はそれを「反乱」と呼んでインド支配がそれほどひどくなかったような印象を持たせている。
それに対してビルマ(ミャンマー)に小さな軍艦1隻を差し向けて植民地にした騒ぎの方は「英緬戦争」と呼ぶ。
英国側の戦死はたったの4人だけで、とても戦争と呼べる代物ではないが、
そう名づけることで国王を追放し、犯行の芽となりそうな王族をすべて処刑し、と戦勝国の権利をフルに発動した。
19 :
番組の途中ですが名無しです:2005/12/14(水) 04:43:38 ID:ofzZpOtx0
>>13 アパートとかに不法侵入してビラでもまけってか
さらに統治の悪辣さも後のGHQなみだった。
敬虔な仏教徒で、しかも単一民族国家という扱いにくい国を英国は好きに作り替えた。
華僑を入れ、イスラム系インド人を入れ、さらにモン、カチンなど周辺山岳民族を山から下ろしてキリスト教に改宗させ、
ビルマをわずかの間に多民族、多宗教国に変えたのだ。
こうすればインドで実験済みの分割統治が可能となる。
民族、宗教の対立をあおって争わせる、あれである。
だから戦後、主権を取り戻したビルマ人が直面したのは経済、金融を握る華僑、インド人、
そして軍隊を掌握する山岳民族との対決だった。
それでネ・ウィンは鎖国令を出した。
貿易を止め、自給自足経済になって、商売のうまみがなくなった華僑がまず出て行った。
次がペイオフ令だ。一定額以上の銀行預金は没収し、ともに貧しく生きようというわけだが、高利貸のインド人にはコタえた。
たんす預金にすると今度は紙幣改変をやる。旧紙幣は廃棄だからどうしても交換する。
また一定額で切られる。インド人も出て行った。
最後に残った山岳民族とは長い戦いを経て、同じ仲間だから五族共和でいきましょうとなった。
その証に国名をビルマ族の国ビルマからミャンマーに改めている。
ベトナムは経済実権を握る華僑の財産を没収した。
それでボートピープルが生まれたが、それに比べれば実に忍耐強い平和的解決だと思う。
22 :
番組の途中ですが名無しです:2005/12/14(水) 04:48:54 ID:/Ckm1BYv0
で、なんとか国の体裁が整った時、スーチー女史が帰ってきた。
彼女は父アウンサンが暗殺された後、英国が引き取り英国人の妻となって半生を英国で過ごしていた。
祖国がいかに英国の後遺症に苦しんだかを知らないまま彼女は民主化を叫び始め、
ビルマ人に追われた華僑や山岳民族がそれを支援した。
英国も支援した。英国大使がこっそりバンコクに行き、彼女の活躍とビルマ政府の圧制を世界に喧伝した。
「彼女の夫は祖国をズタズタにした英国の人間。その不信感は国民の間に根強い」と山口洋一元大使は言う。
大使公邸は彼女の家の前にあり、その観察から彼女は軟禁を解かれると、
「わざとルール違反をして政権を怒らせた。悪質だった」とも。
彼女は祖国の事情に目をつぶり、その言い分も一切聞かない。
その代わり英国の言うことはよく聞く。
スーチー女史の今度の開放に万々歳の紙面を作ったのが朝日新聞だった。
昨年9月のコラムではネ・ウィンを独裁者に描き上げ「従順な民が一斉に反逆したのが88年の民主化運動だった」とも書く。
彼女の主張どおりだ。
何でこうも気が合うのか考えたら共通点があった。自分の国を否定し、よその国の言うとおりに動く。
彼女は英国、こっちは中国、だ。(週刊新潮 5/23日号 変見自在より)
[2001年01月20日] 東京夕刊 高山正之の意見自在
ミャンマーの悲劇 どこかの国が「いい子」のせいで…
九〇年代初めのミャンマーはなまじの貧しさではなかった。
かつてアジア最大のハブ空港として栄華を誇ったミンガラドン空港は、そう言っては何だけれど差し押さえられた
町工場みたいに暗く、わびしかった。
ヤンゴン市内へのアクセスだって小型トラックの乗り合いタクシーだけ。乗客は荷台の木製ベンチに腰掛け、スコールが
やってくれば幌から漏れる雨水でびしょ濡れにもなった。
26 :
番組の途中ですが名無しです:2005/12/14(水) 04:58:46 ID:xDcB9LXb0
>>19 意味不明
国の経済に貢献することもできない
無駄な知識を生かすこともできない
もちろん政治家になることもできない
できるのは2chでの「売国奴」「在日」「特定アジア」批判だけ
虚しくならないのだろうか
多分友達もいないんだろうし
いてもここに書いてるような電波思想を話せるはずもない
大したとりえも無い日本で日本人であることのみを誇って自分の惨めな姿から目を逸らそうとしている
自民党支持の理由が「特定アジアに屈しないから」
もう小学生レベル(笑)
この国は元英国植民地では異例の非英国的右側通行になる。というのもビルマ人は「英国」が大嫌いだからだ。
英国人はさまざまな手口でビルマ人のアイデンティティーを奪った。十九世紀末には国王以下の王族をインドの果てに
島流しにして、国民の求心力を奪った。
国王の娘、美貎のファヤ王女の消息をほぼ一世紀ぶりにヒンドスタン・タイムズ紙が報じた。王女は英植民地軍兵士の愛人に
されて貧困の中で死に、その娘、つまり国王の孫娘ツツは「最貧困層に身を落とし、造花を売って生計を立てている」という。
おとなしいビルマ市民がこの王家の悲劇を語るとき、本当に怒りで唇を震わせる。
英国は国王を追放したとき、ついでに黄金の玉座も失敬した。戦後、国連を通じて返還を求めたが、戻ってきた玉座は
穴だらけ。はめ込まれたルビー、ダイヤなどの宝石がすべて盗られていた。
そういう過去があるからビルマは独立するとすぐに英国のにおいのするものはすべて排斥した。ヤンゴンの外語大も、英語を
教科から外し、日本語を入れた。交通ルールもそのときに英国流の左側通行から右側通行に変えた。
国父アウンサンの暗殺後、英国に渡ったきりの一人娘スー・チーが三十年もたって英国人の妻になって戻ってきたとき、
ビルマ人は正直、戸惑った。彼女は英国人になりきっていたからだ。
「政治集会やデモの場合、どこの国もそうだが、ここも届け出制にしている。しかし、彼女は故意にそれを無視する。政府が
たまりかねて規制すると『民主主義を弾圧した』と騒ぎ立てる」(山口洋一前ミャンマー大使)。骨の髄まで嫌みな英国人なのである。
英国に次いでビルマの人々は中国を嫌う。中国人は植民地時代に入り込み、英国人のよき手先となってビルマ人を搾取した。
英国人が引き揚げたあとも彼らは居座って経済実権を握り続けた。 (以下続く)
29 :
番組の途中ですが名無しです:2005/12/14(水) 05:01:28 ID:a2ipJavG0
続き) ネ・ウィンが鎖国政策をとったのも、ビルマ経済を停滞させて商売のうまみを消し、彼らが愛想を尽かして出ていくのを待つ、
という意味があった。
だから生活は貧しく不便だったが、国民は我慢した。それが自分の国を取り戻すためだと知っていたし、同じような状況のベトナムが
華僑追放という強制手段を選んで、戦争(中越紛争)に巻き込まれたのよりは、ましな方法だと認識していたからだ。
しかし、中国人はビルマ乗っ取りにもう一つ、手段を講じた。共産ゲリラの侵入だ。彼らは社会不安をあおりながら南下し、
七〇年代にはヤンゴンのすぐ北のペグーにまで進出した。
これを掃討したのが今の政権を担当するタンシュエである。
中国人といえば、タイの華僑もしたたかだ。モン、カチンなど山岳民族をけしかけてビルマ人政府と対立させ、武器弾薬を
売ってはチーク材を手に入れていた。「中国」というだけでビルマ人は顔をしかめたものである。
ところが九七年に当時のD・エーブル計画経済相に会ったとき、側近から「中国の批判は避けてほしい」といわれた。
スー・チー問題を口実に欧米がミャンマーに経済制裁を科し、日本が右にならえをしていたころである。この国の経済は
それでほぼ破綻しようとしていた。
その窮状に援助の手を差し伸べたのがほかならない中国だった。
“英国人スー・チー”に屈するのか、嫌いな中国の援助を受けるのか、究極の選択を強いられたビルマ人は
結局、中国を選んだ。
今、ヤンゴンの表玄関、イラワジ川にかかる鉄橋が中国の支援で建造された。
ネ・ウィンと国民が死ぬ思いで耐え、そして出ていってもらった中国人がそれを渡ってわんさと戻ってきた。
王都マンダレーの街中には漢字の広告が大威張りで立ち並んだ。中国の経済植民地化にもがくミャンマーの姿である。
だから、中国の批判をこっちが言えば、政府首脳は何とも答えられない。「その辺のところを察してほしい」というわけだ。
◇
そのミャンマーに、もっと苦しいはずのユーゴが三千万ドルもの経済援助を約束した。
妙な話には裏があって「実は日本から巨額のODAを引き出している中国が背景にいて」(本紙バンコク特派員電)、ユーゴを迂回して
援助しているという。中国政府は強い調子でこの説を否定するが、日本のカネが回り回ってミャンマーのクビを締め上げているのは間違いない。
腹に一物も二物もある国々の言いなりになっていれば、日本はいい子でいられる。でも、そのおかげでどこかの国が今、植民地になろうとしている。
このスレと直接関係ないし、内容が正確かもわからんけど、植民地支配の凄味と中国人のしたたかさが垣間見える内容なのでコピペしました
34 :
番組の途中ですが名無しです:2005/12/14(水) 05:10:29 ID:a2ipJavG0
35 :
番組の途中ですが名無しです:2005/12/14(水) 05:12:10 ID:oqsznF500
>>33 目からウロコが。
鵜呑みにするわけではないが、頭の隅においておくべき内容だ。
38 :
番組の途中ですが名無しです:2005/12/14(水) 05:26:38 ID:x19vGiBAO
植民地のノウハウ持ってる国はつえーな。
日本植民地化進行中なんだなあ。
>>33 高校の授業とかこんな感じだったら面白いのにな
いろんな国と国との関係で裏の歴史を学ぶ