>>29 http://ameblo.jp/scopedog/entry-10033149316.html#main 「慰安婦は高収入とも高給とも書いてないので、別に矛盾するとも思え ませんが、念のため検証してみましょう。 では、対応する部分を原文で見てみましょうか。(原文 ) "They lived in near-luxury in Burma in comparison to other places." なので、「高級地近く」ではなく、「他の場所に比べ、ビルマでやや 贅沢に暮らしていた。」ですね。 軍慰安所は後方施設なので、前線や僻地に比べて、物資を集中しやすい 場所なのは当然でしょう。まして、ほとんどの物資を軍が流通を管理して いたでしょうから、軍が駐留していない地域に比べ慰安所のある街の 物資が豊かであったのも不思議ではありません。そういう意味 (in comparison to other places.)では、たしかにやや贅沢 (near-luxury)と言えるでしょう。 それに慰安婦一人一人が内地での陸軍大将より高給取りであったなら、 このようなささやかな表現にはならないでしょう。少なくとももっと ストレートに「They lived in luxury in Burma.」と書いたはずです (もっと強調してもいいくらいです)。でなければ、日本の陸軍大将は、 「他の場所に比べ、ビルマでやや贅沢」以下の生活だったことになります。 "This was especially true of their second year in Burma." この報告書にある慰安婦がビルマに来たのは1942年8月です。2年目と 言えば1943年を指します。エントリにもありますが、軍票のインフレが 悪化するのは1943年後半からです。ビルマの防衛体制に日本軍が不安を 感じ始めるのも1943年後半からです。 「they amused themselves」から慰安婦自身楽しんだ、とありますが、 これは誰に尋問したかによって解釈が分かれるところでしょう (尋問出来た相手は、20人の朝鮮人慰安婦の他に2人の日本人楼主が います)。つまり、日本軍将兵の慰安としてスポーツイベントや ピクニック、娯楽、夕食会にも、参加させられた、という解釈も 成り立ちます。 例えば、鉾田市議の視察旅行でのセクハラが問題になったことが ありますが、加害者側の主張では、セクハラ被害者も楽しんだことに なってます。なので、皆仲良く楽しんだ、と即断するのは危険だと 思います。さらに、こういった夕食会などへの参加は、慰安婦自ら 楽しんだのだから業務とみなされず無給だったとも考えられるわけです。 もしこの尋問に答えたのが楼主なら「慰安婦自ら楽しんだ」と証言する ためのインセンティブが十分にあります(給料出してないので)。 "They had a phonograph and in the towns they were allowed to go shopping."「a phonograph」なので、各人1個ではなく、慰安所全体で 1個の蓄音機があったと言うことでしょう。これも上記の夕食会などに 用いる蓄音機を楼主は金を出さず、慰安婦達に金を出させて買った、 とも考えられます。その場合、楼主が尋問で「慰安婦達が金を出し合った 自分達の物として買った」と答えれば、「They had a phonograph」という 表現になるのは不思議ではありません。もし、慰安婦の一人が自らの希望と 費用で蓄音機を買ったのなら、「They had a phonograph」と言う表現は 不自然です。 「町の中では買い物に行くことも許された。」はその通りでしょう。 あくまで「in the towns」であって、自由に別の街に行くことは許されて なかった、ということです。 要するに、慰安所のあったミッチナは補給上の要衝でもあり、少なくとも 1943年まで他の場所に比べて比較的物資は豊かであったと。また1943年 時点(特に前半)ではインフレもそれほど激しくなく、慰安婦は給料で 物を買うことが出来たし、兵士から贈り物ももらえた、と。 慰安婦は、売春だけでなく、夕食会などの接待にも参加させられた、と。 街の中での買い物は許されていた、と。 慰安婦の一人が自らの希望と費用で蓄音機を買ったのなら、「They had a phonograph」と言う表現は不自然です。 「町の中では買い物に行くことも許された。」はその通りでしょう。 あくまで「in the towns」であって、自由に別の街に行くことは許されて なかった、ということです。」