>>214の反論に付け加えると・・・
>歴史ミステリと称されるものに関して言えば、通常のフーダニット等とは読者層が異なる点にも
>着目しておく必要がある。(別物と見た方が良い実証と成り得る)
>高木君や高橋克彦の作品などは、歴史ミステリに関しては他作よりも広く読まれている。
論拠も出さずに「実証と成り得る」わけもないですね。よって「議論にならん」。
相変わらず「実証」の意味に無知。
>例えば、高木君の「刺青殺人事件」と「邪馬台国の秘密」を出して「全く同一ジャンルの作れす」
>と一般の読書人に問えば、答えは「NO」以外有り得ないでしょ。
問うていないだろう。
問いを発する側が「ジャンル」についてどう相手に説明するかによって答えも違ってくる。
質問された側が「旧来の定義に拘泥」しているかも知れないし、全く違う定義を持ってるかも知れない。
この曖昧な条件では「NO」という回答も「YES」という回答も出てくる。
これも「一般の読書人」という集団が各「ジャンル」をどう把握してるかという
客観的データが事前に存在してない限り、一人で強弁してるだけ。
>無理な定義により作品を無理やりに枠内に押し込めるよりも、各作品の実態に即して緩やかに
>把握し、小分類を用いて細分化するのが好ましいと言い得る。
「小分類」とて何らかの定義をしてることに変わりない。
定義自身の細分化を徹底すれば、1作1ジャンルということになり、分類という行為自体に意味がなくなる。
旧来の物であってもなくても(ご当人が「無意味」と言った)何らかの「定義」を
どこかの時点でしなければいけない。
ついでに言えば、「小分類」といった語を用いる時は「大分類」が暗黙でなされていると、
普通の人は判断するんですけれどね。