★★ 吉田拓郎 〜よしだたくろう〜vol.35 ★★

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635NO MUSIC NO NAME
391 名前:NO MUSIC NO NAME[] 投稿日:2014/05/24(土) 22:39:33.23 ID:go1D8ptE0 [3/9]
日本のバンドで初めてアメリカツアーを挙行したパイオニアはミッシェルガンエレファント
である。もう15年以上前になる。当時は日本のロックなどアメリカで全く認知されていなかった
から、ミッシェルは非常に苦労した。ライブハウスのオーナーと交渉して、ライブをやらせて
くれる箱を探すだけでも大変だったそうだ。

「日本語の曲などダメだ」という理由で門前払いになることが多く、なんとか説得してやらせて
貰っても、客が集まらないと困るので、バンドが何組か出るタイバンに混ぜてもらったりしたとか。
兎に角、当時のアメリカは、日本人が日本語で曲を歌うことなど考えられない時代だった。

実際、松田聖子も桑田圭祐も英語歌詞の曲に仕上げてリリースした(ビジネスとして成立しなかったが)
そして・・・・

時は流れた。

392 名前:NO MUSIC NO NAME[] 投稿日:2014/05/24(土) 22:59:12.26 ID:go1D8ptE0 [4/9]
時が流れ、アメリカにも変化が現れた。画期的だったのは、CATOONネットワーク制作の
アニメの主人公にパフィーが抜擢されたことである。このアニメの中でパフィーは、アニメキャラ
としても活躍するし、生身の姿手でライブを行う姿も流された。もちろん日本語歌詞のままで、
英語訳など無い。

CATOONは全米に放映されていたので、当然パフィーの日本語の歌は多くの子供たちや
アニメファンの耳に触れることとなった。彼らは日本語や日本文化に触れたのである。
この頃パフィーはアメリカツアーを行ったが、家族連れが多かったとのこと。

そしてあとは言わずもがな。
日本に興味を持った子供たちは長じて日本文化に興味を持つようになる。
そして日本のアニメやJ−POPはアメリカにもじわじわ浸透していったのである。


その頃、拓郎はキンキの番組に出ていたが、一向にドラマ主題歌を歌う気配も無く、
狭い日本国内でも存在感を示せずにいた。

393 名前:NO MUSIC NO NAME[] 投稿日:2014/05/24(土) 23:18:48.72 ID:go1D8ptE0 [5/9]
別に拓郎を貶すつもりはない。
時代が変わり、拓郎人気が衰えただけの話である。
これは岡林の人気が衰えたのと全く同じであり、仕方がない。

人気の衰えない陽水のような巨人もいるがあくまで別格。

話は戻るが、ラルクは日本で絶大な人気を誇っていたが、彼らは常にハングリーであり、
NHKから声がかかれば紅白歌合戦にも出た。ヒット曲も多かったので、当然業界にも
ファンが多く、「鋼の錬金術師」「るろうに剣心」のアニメ主題歌に過去のヒット曲が
使われた。

これらのアニメは日本でも大ヒットし世界中で放映された。
これがラルクの知名度を世界に広げるきっかけとなった。

そして、ボーカルの歌唱力、曲の完成度とオリジナリティーの高さ、演奏のうまさが
評価され、世界でファンを獲得していくこととなった。


拓郎はドラマ主題歌もアニメ主題歌も歌わなかった。
だから、岡林と同じ運命を辿ったといえる。残念ながら時代に取り残されたのだ。
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/musicjm/1399219465/393