マイク・ケネリーを語ろう!

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175ケネリー
>>166の続き。オーディションのために、さらに数日で"ヒット曲メドレー"や
"Purple Guitar(ドゥイージルのAutomaticに入っています)"も覚える羽目に。
初めてリハにドゥイージルが現れたとき、ドゥイージルは自分の曲を忘れていた
なんていうエピソードも。そしてリハに合格。やがて、Zの"秘密"は何でも唄え、
演奏出来、耳の非常に良いケネリーにあると気がつくようになります。
176ケネリー:03/09/28 21:29 ID:0T0dJqgS
94年の終わりごろ、ケネリーはBryanに自分のバンドでベースを弾かないか、と誘います。
もちろん大賛成で引き受けます。ケネリーのライブをやっても20人ほどしか人が入らなかったり
とかですが。
177ケネリー:03/09/29 20:45 ID:3juBEZzy
94年頃まではZはバンドとして上手くいっていたようです。やがてアーメットもドゥイージルと一緒より
自分のバンドを持ちたいと思うようになります。アーメットとドゥイージルは対照的な性格らしいですね。
バンドも忙しいということも長くは続かず、何週間も待機状態ということもありました。
それでもBryanがバンドを辞めなかったのはザッパ家から給料がもらえ続けられる、という理由からでした。

95年3月にはフランスでMusic For Petsが発売されますが、アメリカでも発売はビジネス上の
都合により、延期に次ぐ延期となります。余った時間を利用してケネリーはミニツアーに
出ようと思い立ちますが、ドゥイージルの束縛によって断念せざるを得なくなります。
しばらく宙ぶらりんの状態が続き、年の後半になってようやく"Music for Pets"ツアーの話が
持ち上がります。やがてケネリーのソロ志向の傾向をザッパ家は嗅ぎ付けるようになり、
同時にケネリーもまた束縛に対する嫌気が増大してゆきます。
178ケネリー:03/09/30 20:05 ID:4yHtMzHO
96年1月30日、ケネリーはゲイルと話し合い、バンドを離れることを決意します。ドゥイージルは
ケネリーが「直接相談しなかったこと」や「反乱を起こしたのではないか」ということにひどく
不快を感じていたようです。ドゥイージルは8年も関わりを持ったケネリーを終わった奴だと言い放ち、
Bryanにどうするか訊ねます。Bryanはケネリーについてゆくことを決心します。

3月になり、ようやくアメリカ盤のMusic For Petsが発売されます。フランス盤から1年かかったわけ
ですが、この2人の脱退を経て、インナージャケットはこんな風に変わりました。
http://www.bryanbeller.com/music/zrap.html (このページの下1/4くらいにある写真参照)
なんだか笑うしかないですね。