【ミシマイズム】三島由紀夫【その1】

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1無記無記名
あえてこの板で語ろうじゃないか、諸君!
2SBF ◆kvG4ejFyq2 :2009/03/26(木) 17:22:55 ID:ScO1a/gU
ぶっちぎりで一番好きな作家なんだがゲイと思われそうなので
トレ関係の人と話すときには名前を挙げない作家。
3無記無記名:2009/03/26(木) 23:24:20 ID:XfWLauF2
ttp://blog-imgs-21.fc2.com/h/o/r/horikiyo666tattoo/misima-shuukangendai-b.jpg

この写真っていつ頃撮影されたものなんですかね?
4無記無記名:2009/03/27(金) 01:31:38 ID:v4Y0XRyy
三島を「鳥のささみが付いたような体」だと叩いてたバカビルダーどもは左翼に利用されていたと早く気づけ

マッチョの敵は右翼ではなく左翼だ
5無記無記名:2009/03/27(金) 09:45:11 ID:guVJDNG8
若いときの虚弱っぷりはかなりのもんだからな
マイナススタートであそこまで鍛えるのはすごい。
6無記無記名:2009/03/27(金) 11:46:36 ID:Swwq1MT2
>>3
憂国を撮影した40歳頃っぽい
73:2009/03/27(金) 12:01:05 ID:wIJ6gLmZ
>>6
どうもです!
8無記無記名:2009/03/27(金) 16:42:22 ID:lblEtLup
>>6
ちょっと違うでしょ。
これは最晩年(昭和45年)の写真。鉢巻と刀はおそらく自決の際用いたものと同一。
撮影はたしか篠山紀信。写真集「男の死」(未発売)の一葉ではないかと。
三島被写体の篠山の写真は、どういう意図からか分からないけど、
国内より国外で多く出回っている。
9無記無記名:2009/03/27(金) 20:09:36 ID:vRikkTqz
知ってるよ!この人っ!



「人生の悪い見本」

でしょ。
10無記無記名:2009/03/29(日) 11:42:30 ID:ONLiy+4l
三島さんは、少年の様に一途に週二回の自宅でのトレーニングにひたむきな努力を傾け、遅れてきた青春とでも云うのでしょうか、日一日と発達してゆく自分の肉体の充実感を素直に喜び、嬉々としていました。
ある時、古代ギリシャの神殿や彫刻の写真を私に見せながら「この端正で均整のとれた建築や芸術、彼等はまず眼に見える形を信じたんだ。
しかし形に留まらないで、そこから雄々しく羽ばたいて現代文明の源である古代ギリシャ世界を創造したのだ」と熱っぽく語られましたが、この時の三島さんの言葉は、私の胸底に深く蔵されております。

玉利齋
「三島由紀夫さんの想い出」より
11無記無記名:2009/03/29(日) 11:44:03 ID:ONLiy+4l
人間が、現世に生きるのには肉体が不可欠です。しかし、その肉体は有限で衰えやすく不安定な存在です。
であるから一度だけの人生を創造的に生きる為には肉体は健康で活力に満ちている方がよいのは自明の理です。
三島さんは精神的には類い稀な芸術家の感性を天分として有していたと思いますが、如何せん天二物を与えず、肉体的には頭痛や胃弱や不眠に三十歳近くまで苛まれていたことはまぎれもない事実です。
三島さんのボディビル実践の動機は何と云っても第一に病弱の克服にあります。
肉体と精神は相互に影響し合いながら人格を形成してゆくものですが、三島さんは肉体を確固たるものにすることによって、より自由に精神を飛翔させたかったのではないかと思います。

玉利齋
「三島由紀夫さんの想い出」より
12無記無記名:2009/03/29(日) 12:51:04 ID:KfNjVHQ/
まさにマッチョの鏡だな

マッチョとは右翼でなければならない
左翼は反マッチョ主義
13無記無記名:2009/03/30(月) 20:59:15 ID:02j109PL
三島さんは空手やってたんだよ
14無記無記名:2009/03/30(月) 21:06:26 ID:KftGNd95
剣と寒紅だっけ、三島がホモマッチョと暴露されたのは
そもそも市谷に突っ込む前に森田必勝とホモセックスをしたらしいからな。
15無記無記名:2009/03/30(月) 21:07:50 ID:0/pPiohc
ボクシング(挫折)も剣道(五段)もね
格闘技・武道をやるならボディビルディングの段階で
下半身を鍛えておくべきだったと思う
16無記無記名:2009/03/30(月) 21:29:43 ID:02j109PL
>>15 サンクス 初めて聞いたな
小説は読んだことないんだな俺…
17無記無記名:2009/03/30(月) 21:35:10 ID:K0op4oNU
こいつは戦争中に体が弱いから女の子と一緒で工場で
働かされたのがコンプレックス。
健康な奴は兵隊さん。創価学会の池田氏も肺病で工場行き。
当時はものすごくコンプレックスだったらしい。
18無記無記名:2009/03/30(月) 21:59:53 ID:ANERDwbW
>>3
うわ、普通にかっけぇ
19SBF ◆kvG4ejFyq2 :2009/03/31(火) 17:41:01 ID:rEMVx662
仮面の告白と金閣寺何回読んだか判らん。
三島さんの「美しさ」って割とステレオタイプなんだな、と。

ちなみに自分も非力なモヤシっ子として少年時代を過ごした反動で
今現在トレしてる。
20無記無記名:2009/03/31(火) 17:45:21 ID:kjwkHIvv
三島は多少自信がついてボディビルコンテストにゲストで行って司会者に
「三島さん、こんな立派な身体の人たちってどうです? 羨ましいでしょ!」
と聞かれ、カンカンに怒ったらしいなw
デブ毛嫌いだったから 増量期 なんてしなかったろうし、今でいう細マッチョだったんだろうな。
21無記無記名:2009/03/31(火) 17:49:49 ID:kjwkHIvv
>>19
美意識も繊細だよね。
ふつうボディビルするとゴリラ的な感性になるものだけど、
彼は死ぬまで繊細だった。
22無記無記名:2009/03/31(火) 17:52:18 ID:kjwkHIvv
>割とステレオタイプなんだな
それは言えるね。
観光地とかをそのパンフレット風に描くよね。
23SBF ◆kvG4ejFyq2 :2009/03/31(火) 18:02:04 ID:rEMVx662
> 観光地とかをそのパンフレット風に描くよね。
うわぉ!ものっそ的確な表現ww

24無記無記名:2009/03/31(火) 18:12:20 ID:hFSCCTTZ
三島さん、いい体してるな。ところで、
この時代はプロテインとかはもうあった
のだろうか?
25無記無記名:2009/04/01(水) 11:02:15 ID:XbhlLHAW
>>14
してないよ。精子がどうのこうのとかの類いの話は全部、サヨクが捏造したガセネタだから。
26無記無記名:2009/04/01(水) 11:10:58 ID:XbhlLHAW
>>24
エッセイに「アメリカ製の粉状高タンパク質を一瓶のんで消化不良に陥った」と書いてありましたよ。
27無記無記名:2009/04/01(水) 15:02:49 ID:nJb4t8d6
三島は鍛える前はトレーナーが驚くほど虚弱な体だったらしいね。
28無記無記名:2009/04/02(木) 15:33:44 ID:tO0JCnli
徴兵落とされるくらいだからな
29無記無記名:2009/04/02(木) 17:17:13 ID:cZyzO4f+
徴兵に落ちた肺病誤診を、本人は虫の死んだふりに喩えてるけど、
これって気に病んでたんだと思う。
あの自決、集団災難の生き残りの心理と同じな気がする。
周囲が皆殺られたのに自分だけ生き残って申し訳ない、って気持ちをずっと引き摺った末の自決に。
30無記無記名:2009/04/02(木) 18:03:44 ID:0iY66IGy
優しい男なんだよ、三島は。
31無記無記名:2009/04/02(木) 18:45:41 ID:nSOh7zV7
三島は学習院初等科2年のとき先生に1年より学校を休まなくなった
からえらい。また綴り方(作文)が上手だとほめられたと日記で書いて
いたな。
32無記無記名:2009/04/04(土) 04:40:21 ID:Djoi0uFK
ウェイト板は低学歴ばかりだけど
このスレに限ってはインテリばかりだな。
33無記無記名:2009/04/07(火) 18:31:17 ID:aUDSxH6H
34無記無記名:2009/04/07(火) 19:16:20 ID:atmed38C
>>32
そもそも三島って単語に反応して来ているわけだから
相応の頭でっかちが集まるんじゃないかね?
35SBF ◆kvG4ejFyq2 :2009/04/07(火) 19:21:05 ID:4t0bd2cp
ちなみに村上春樹がキライ
36無記無記名:2009/04/07(火) 20:07:50 ID:Ofksr2w+
三島はボディビルに、春樹はマラソンに走ったってのが何か面白い
37無記無記名:2009/04/07(火) 22:24:32 ID:uX1jewsH
市ヶ谷に突っ込む頃は、ベンチ90kgぐらい上げてたらしい
腹筋もバキバキで、料亭の女将に自慢してたってどっかで読んだな
38無記無記名:2009/04/07(火) 22:52:42 ID:1+e6pRKJ
三島やドストエフスキーは高校生で読破しておきたい。
39無記無記名:2009/04/07(火) 23:49:16 ID:EPtL9ByP
原哲夫と武論尊は中学生は毎日読むべき。
40無記無記名:2009/04/08(水) 09:11:51 ID:0jI9N6wu
>>36
おれも春樹だめだわ、龍はすきだけど。
春樹よりも春樹ファンがだめだ。
個人的に春樹ファンと太宰ファンって通ずるものがあると思うんだが。
41SBF ◆kvG4ejFyq2 :2009/04/08(水) 10:16:42 ID:KwoxTdo0
サリンジャーとサガンが好きなクソガリ高校生だったお
ミシマとサルトルとコクトーが好きなスカしたクソガリ学生だったお
今は反省してるお

42無記無記名:2009/04/08(水) 11:34:12 ID:MXchqkRW
>>37
ベンチ90ってマックス? それともそれでセット組んでたの?
43無記無記名:2009/04/08(水) 12:43:50 ID:8N7u62b3
三島ってそこそこ筋肉つけても
元々が細いからスーツなんか着ると
単なるガリにしか見えないね。
それ故、よく裸体の写真を撮らせていたみたいだね。
44無記無記名:2009/04/08(水) 13:19:47 ID:Ets4AK7F
骨格に恵まれてない人が精一杯努力して
筋肉つけたって感じだね
45無記無記名:2009/04/08(水) 14:55:15 ID:foQ88kAf
細マッチョでカッコイイじゃん
46無記無記名:2009/04/08(水) 17:25:57 ID:8N7u62b3
写真集「薔薇刑」の
撮影現場にはただならぬ気配が漂っていたんだろうな。
ナルシストの三島のことだから、
被写体にされてるってだけで勃起していたかも・・・
そんなネガも存在してると思うと生唾ゴックンです。
47電波ヨン様:2009/04/08(水) 18:06:19 ID:6lFDRKHx
>>40
それあるな。
いや、実際に太宰好きなやつに春樹ファン多いよ。おまけに尾崎豊なんかも聴
いちゃってったり(笑)
そういう奴らって大抵が右も左も極められない、物事を突き詰めていく根気や
集中力が欠如した奴らなのに、一様に「中道」なんて言い訳しながら右にも左
にも斜めに構え、ファッション感覚で周りに対して反体制的な態度とるから迷惑
だよな。
しかも、そういう奴らから出てくる言葉と言ったら「真実」だの「平和」だの
「平等」だの「正義」だのって・・・どれも借り物の言葉ばかりじゃねーか。
48尾山奇豊 35才!:2009/04/08(水) 18:26:45 ID:MXchqkRW
「35の夜」

自分の存在が何なのかさえ 解らず引きこもる 35の夜ーーー〜〜〜
仕事仲間たちは俺抜きで旅行の計画を立てる〜〜〜
とにかくもう 会社や盛り場にはでかけたくなぁいー〜〜〜
盗ー〜んだパンツでオナりだす 持ち主も解らぬまま 暗い夜の帳の中でぇーーーえぇぇえ〜〜〜
誰ー〜かに慰められたいと 逃げ込んだぁこのスレでぇ 仲間を見つけた気がした 35の夜ーーー〜〜〜ぅ うぉーぅお〜〜〜あぁぁあー〜〜〜♪
49無記無記名:2009/04/08(水) 18:44:53 ID:h4nCm0x+
尾崎には哲学がないな。あんなの多くの俗人しか影響を与えない。
天才にはノイズにしか聞こえない。根本は念仏思想。
実に簡単である。
50無記無記名:2009/04/08(水) 18:50:15 ID:z1oFi6xR
アンガールズ並の虚弱な肉体から
あっこまで鍛えあげたんだから凄い。
根性ありそうだもんね
51無記無記名:2009/04/08(水) 20:51:29 ID:wYjjbZL3
>>42
どうだろう?詳しくは知らない

どちらにしろ、徴兵検査に通らないような虚弱体質だったらしいから
ポテンシャルが低い分頑張ったほうじゃないかね
52無記無記名:2009/04/08(水) 21:19:45 ID:PK+mYryR
右翼は体を鍛える

左翼は体を無視する
53無記無記名:2009/04/08(水) 22:13:58 ID:FADEfKfe
三輪にガリを指摘されたのが破滅の始まり。
54無記無記名:2009/04/08(水) 22:14:59 ID:RiYeUU74
左翼は頭でかっちだよな。しかし爆弾テロは左翼。右翼は日本刀で暴れる。
55無記無記名:2009/04/08(水) 22:30:45 ID:pH5bFM+K
電波ヨンは、もしかして理想メルヘン主義者ではないのか?
どうだ。苦しいこととか自己陶酔が好きだろ。否定して構わないが本当のところはどうなんだ。
減量はしているのか?
56電波ヨン様:2009/04/08(水) 22:42:09 ID:6lFDRKHx
>>55
それって主義に関係無くみんなに当てはまることじゃん。
俺は勿論否定しないよ。
そういった部分を隠そうとしたり、自分の中にそういった部分がある事すら気
付かずに過ごすよりは、そういったものを前面に出した生き方をした方が少し
は素直で謙虚なのではないか  とういのが俺の主義。
57無記無記名:2009/04/09(木) 23:50:56 ID:LgN1MbEz
生きてたら80歳とちょっとぐらいかな
石原慎太郎とは違うタイプの右翼だが、今の日本をどう見ただろう
58無記無記名:2009/04/10(金) 08:12:25 ID:NXXa276T
>>57
ホモに対する偏見が多少緩くなたから反抗期も終わって援助交際で少年でも買ってたんじゃないかな、
59無記無記名:2009/04/10(金) 08:15:34 ID:VA1gaYuw
三島は年取って丸くなるとか想像できん。
今の美輪さんをみて、「やっぱ年はとるもんじゃねえ」
っておもってるよw
60無記無記名:2009/04/10(金) 11:06:02 ID:bJFiO6jT
今生きてればどんなかな。
三島はアンガールズからマッチヨになった実績もあるし、意思の人として80歳でもマッチョしてたろうな。
そうならウエイト歴50年ということで、ボブサップくらいまで成長してたかなw
61無記無記名:2009/04/10(金) 11:06:11 ID:ubliipij
右翼つったって、街宣車で騒ぐアレとは違うからね。
自衛隊を軍にして、半分を国連に預ける、って最初に声高に提唱した人だし。
62無記無記名:2009/04/12(日) 08:46:08 ID:J+NOoYEL
やっぱり右翼ってのはマッチョでないといけない

ヒョロヒョロのガリ勉左翼とは違う
63無記無記名:2009/04/12(日) 11:03:15 ID:j0hNypJa
「まさか、死ぬとは!すごいジョックだ。自分もずっと演説を聞いていたが、若い隊員の野次でほとんど聞き取れなかった。――死を賭けた言葉なら静かに聞いてやればよかった。」
陸上幕僚T三佐
三島自決直後の談話

「三島の自決を知ったあとの隊員たちの反応はガラリと変った。だれもが、ことばを濁し、複雑な表情でおし黙ったまま、放心したようであった。
まさか自決するとは思っていなかったのだろう。その衝撃は、大きいようだ。」
自衛隊の最高幹部
三島自決の日の談話

「資料 三島由紀夫」より
64無記無記名:2009/04/12(日) 11:06:19 ID:j0hNypJa
バルコニーで絶叫する三島由紀夫の訴えをちゃんと聞いてやりたい気がした。
ところどころ、話が野次のため聴取できない個所があるが、三島のいうことも一理あるのではないかと心情的に理解した。
野次がだんだん増して行った。舌打ちをして振り返った。
…やるせなかった。無性にせつなくなってきた。
現憲法下に異邦人として国民から長い間白眼視されてきた我々自衛隊員は祖国防衛の任に当たる自衛隊の存在について、大なり小なり、隊員同士で不満はもっているはずなのに――。
…部隊別に整列させ、三島の話を聞かせるべきで、たとえ、暴徒によるものであっても、いったん命令で集合をかけた以上正規の手順をふむべきだ。
こんなありさまの自衛隊が、日本を守る軍隊であるとはおこがましいと思った。
三島がんばれ!…心の中でそう叫んだ。

K陸曹
三島演説を振り返って「資料 三島由紀夫」より
65セルジオ悦子:2009/04/14(火) 08:21:08 ID:CkTic/pL
あの時集まってたのって、整備兵みたいなやつらなんだろ?
66無記無記名:2009/04/14(火) 10:25:51 ID:cNmgnRv/
>>65
下の連中。
当時は勤め先がみつからず、しょうがないから自衛隊、という時代だった。
しかも飯どきに召集され苛立った。
67無記無記名:2009/04/14(火) 18:29:51 ID:h8RLPtL7
俺がトレーニングしてるジムに実際に後楽園ジムで三島にトレーニング教えてもらったって人
65ぐらいの人だがいるよ。当時19のガキだった自分にも丁寧に接してくれるような人だったって言ってた。
体のほうは世間で言われてるほど貧弱でもなかったらしいよ。鳩胸だったんで90キロのベンチでも、
良く反応したらしい。今で言うデブマッチョなんてカテゴリーがない時代だったからね。
68無記無記名:2009/04/15(水) 10:09:08 ID:XLP7Mu8f
>>67
すばらしい。
もっと色々聞いてきてくれ。
ベンチマックスとか練習内容とかデカさとか、エピソードとか。
よろしく頼む。
69無記無記名:2009/04/15(水) 11:31:24 ID:J9w5ZClk
三島がトレーニングしてる写真を見ると、顔が少し高田延彦に似てる。
70無記無記名:2009/04/15(水) 13:03:55 ID:SvyZL+/1
男子バレーで似た奴いるべ
71無記無記名:2009/04/15(水) 15:16:17 ID:/gTSm3pG
三島はスタノゾロール使ってた
その副作用で自殺が事の真相
自身をコントロール出来ない自制心のないやつが
安易に手を出すからこうなるの見本市。
72無記無記名:2009/04/15(水) 18:56:55 ID:FHX8EXfK
三島の演説はΖ(ゼータ)ガンダムでのシャアの演説みたいなものかな。
73無記無記名:2009/04/15(水) 19:17:39 ID:1jIz1fTV
ギレンの演説と同じ
74無記無記名:2009/04/15(水) 23:26:23 ID:5CJOKNuB
理想のために道化をいとわずという点でシャアだろ。
無駄な悲壮感ということで逆シャアのほうがZより近くね
75無記無記名:2009/04/16(木) 00:09:56 ID:UfQ8gjnd
逆シャアのほうが近いね。全てが無駄だからな。
76無記無記名:2009/04/16(木) 04:29:25 ID:hLcLr8Uy
アニオタは死ねよ
77無記無記名:2009/04/16(木) 04:59:29 ID:zOEZ5MJv
左翼が必死だなw

左翼はインテリだからお前らマッチョのことを忌み嫌ってるのに片思いかよw
78無記無記名:2009/04/16(木) 07:45:38 ID:2IWw3sJd
>>67
最近の若者は(怒)なんてタイプではなくて、若い人からも信頼されてて
大学生をを良く引き連れてたとかいってたなぁ。頭のやわらかい人だったのかな
79無記無記名:2009/04/16(木) 07:58:53 ID:RXladV2M
ホモだからさ。
80無記無記名:2009/04/16(木) 11:05:20 ID:hKtT9uS1
>>71
> 三島はスタノゾロール使ってた

↑何の根拠もないのに知ったかぶり妄想。
81無記無記名:2009/04/30(木) 11:22:38 ID:MFNc02ty
保守
82三島由紀夫:2009/05/02(土) 15:55:32 ID:3/2p+yD9
ボディビルやれば胃弱がなおるぞ!
83無記無記名:2009/05/02(土) 18:00:39 ID:GopRfw+S
夏目漱石もやれば神経衰弱が直ったかもな。

時代的に無理かw
84無記無記名:2009/05/02(土) 18:09:06 ID:k4Oprcxi
あいつは左翼だから筋肉嫌悪してるだろ
85無記無記名:2009/05/07(木) 15:30:33 ID:Lo9dWW9T
ボデービルに一週間に二、三回通ひ出してから、一年間で胃ケイレンがなほつてしまつた。
…ボデービルは八十歳、九十歳になつてもやりたい。これだけは途中でやめるとからだによくないらしい。地獄におちたと思つて抜けられぬ。自転車操業のやうなものかな。
私などは執筆して頭を使ふ。神経がたとへば10疲れても、肉体は3しか疲れない。格差の7を運動によつて疲れさす必要がある。
肉体を10まで疲れさせ、頭脳とバランスがとれたら休養する。疲労を0に戻してから改めて仕事にとりかかるといふ寸法である。
冬は日光浴をするが、夏はセーブしてあまりやらない。

三島由紀夫
「私の健康法――まづボデービル」より
86無記無記名:2009/05/07(木) 16:12:57 ID:6FBRdBtA
漱石とE.サンドゥが酷似してる件
87無記無記名:2009/05/08(金) 12:01:14 ID:UmIrJe1n
よし、この時間ヘテロは居ないナッ!!!!


88無記無記名:2009/05/08(金) 18:52:58 ID:JRgXCIxR
なんで三島ぐらいの年齢層は文語と口語を使い分けるの?
上司に日報を文語体でかいたら起こられるよなW
89無記無記名:2009/05/08(金) 22:33:07 ID:j58VAQ+v
旧仮名遣いだけど口語体じゃないか?
90無記無記名:2009/05/08(金) 22:39:09 ID:DlXlYe7F
三島の原稿はすべて旧仮名遣いをつらぬいてたんだよ。
91無記無記名:2009/05/08(金) 23:39:44 ID:uUTseU4u
漢語多用して言葉遊びだよな。夜中に必死に字引みている三島w
笑える。
92無記無記名:2009/05/09(土) 10:41:26 ID:sRLOc3V7
様、樣の使い方の違いは?
93無記無記名:2009/05/09(土) 10:48:07 ID:s1Jxvt9i
「正字正假名遣ひ」が正しい。
「新字新かな遣い」は敗戦後の国家による愚民化政策によるもの。
我々戦後教育を受けし者たちは、愚民化政策の犠牲者でしかないのサッ!
94無記無記名:2009/05/09(土) 11:41:47 ID:o3+ymWub
>>91
難しい漢字もたまに使われているけど、特に「漢語多用して」いるとは感じないけど。
「正字正假名遣ひ」や優雅な美しい文章、理知的な文体で綴られる三島由紀夫のような日本語を書ける文学者が、もう日本からいなくなって、筆力のない鼻歌みたいな文章ばっかり巷に溢れているからそう思うだけなんだよ。
95無記無記名:2009/05/10(日) 11:16:51 ID:8Dhh31ty
鶴田浩二「昭和維新ですね、今は。」

三島由紀夫「うん、昭和維新。いざというときは、オレはやるよ。」

鶴田「三島さん、そのときは電話一本かけてくださいよ。軍刀もって、ぼくもかけつけるから。」

三島「ワッハッハッハッ、きみはやっぱり、オレの思ったとおりの男だったな。」

三島由紀夫
鶴田浩二との対談「刺客と組長 男の盟約」より
96無記無記名:2009/05/11(月) 16:10:42 ID:sOuBmaBC
鶴田浩二は三島自決後、どうなったの?
97無記無記名:2009/05/11(月) 22:11:50 ID:CE1JZzQM
普通に俳優続けていたよ。あのニセ特攻隊員は。
98無記無記名:2009/05/11(月) 23:10:04 ID:T6tKHu7Y
関係ないけど西尾幹二の三島本は面白かったな。ゴーセンのイメージしかなかったけど、なかなかクールな文章だったぜ
澁澤いわく唯一三島の死を適切に表現できていたのが西尾の文章しいから読んでみそ
99無記無記名:2009/05/12(火) 08:03:46 ID:xvVkCw/V
>>40>>47
自分も春樹や太宰、尾崎や浜省受け付けないわ。
こういうのって体型も関係してくるんだろうか。
三島は太宰の悩みなんて運動すれば解決する程度のものだった、と書いてるけど、それに同意する。
人間、文武両道でいればある程度の悩みは消えるんじゃないかなぁ。
100無記無記名:2009/05/12(火) 09:43:09 ID:SHbbFkEf
左翼はマラソン
右翼は筋トレか
101無記無記名:2009/05/12(火) 12:06:56 ID:aaQ17XU3
>>96
鶴田浩二「三島先生が亡くなった時、僕はやむにやまれぬ気持ちで日本刀を抜いて、号泣した。」

村松英子
「三島由紀夫 追想のうた」より
102無記無記名:2009/05/12(火) 12:07:58 ID:0iteea+j
やれやれ
103無記無記名:2009/05/12(火) 12:26:00 ID:evGzVa5W
困った役者よのう小野栄一という男は…
104無記無記名:2009/05/13(水) 05:17:42 ID:uuGQck2/
マラソンすると精神が左翼になるんだw
105無記無記名:2009/05/13(水) 08:35:21 ID:RRivUHZ2
三島もジョギングくらいはしてたと思うんだw
106無記無記名:2009/05/13(水) 09:48:12 ID:m5ji0MVK
平岡はジョギングなんかしない。
107無記無記名:2009/05/13(水) 14:21:05 ID:yc9H8VGn
春樹と太宰は似ても似つかないと思うよ。
春樹はポジティブだ
108無記無記名:2009/05/13(水) 21:10:50 ID:u/+7YE15
春樹と太宰が似てるというのは、さもありなんなセンチメンタリズムが似てるってことだろ、
浜省は意外と天然。内面に入り込むタイプじゃないよ。
109無記無記名:2009/05/13(水) 21:21:28 ID:l4pham2y
三島って正面からの写真しか見たことなかったけど
横から見ると晩年は結構頭頂部が禿げてたんだね…。
110無記無記名:2009/05/13(水) 22:56:17 ID:F7VeUH+x
>>109
どの写真で?
111無記無記名:2009/05/14(木) 01:08:25 ID:DYc3l22j
>>110
書名は詳しくは知らないんだけどね、>>98の本を買いに本屋に行ったら
いくつか置いてあった三島本の中に、三島が訓練中に飯を食う写真が載ってて
その横顔、頭頂部が禿げてたんだ。多分、本人だと思うんだけど…。
112無記無記名:2009/05/14(木) 11:28:12 ID:QnX6l1Dx
>>111
ああ その写真見たことある。でも禿げてるとこまで気がつかなかったよ。
禿げるタイプだったのかな?胸毛もあって男性ホルモン多そうだから。
113無記無記名:2009/05/15(金) 00:51:42 ID:lRVshnqk
「午後の曳航」は西洋の読者を想定して書かれたものだろう
114無記無記名:2009/05/15(金) 00:57:08 ID:PLS5E+Ho
わが青春のアルカディア号はあるかな?
115無記無記名:2009/05/15(金) 00:57:53 ID:PLS5E+Ho
ごめん、また誤爆だよ
116無記無記名:2009/05/15(金) 01:14:11 ID:nSIGD31S
豊饒の海シリーズを読んだ
暁の寺が少し難しくて、天人五衰で意味がよく分からなくなった

結局は輪廻転生なんて無いってこと?
書いてて自分で諦めて、三島は市谷に突っ込む覚悟を決めたのかな?
117無記無記名:2009/05/15(金) 01:54:21 ID:3J807Tls
だとしたらずいぶん迷惑な小説家だな。
118無記無記名:2009/05/15(金) 02:02:49 ID:3J807Tls
だいたい小説書くのに思想なんかいらないだろ。
特に昔の文筆家は、アレコレと思想いじくり倒した挙げ句に頭パーン!で思想中毒患者みたいなのが多い。
いらんいらん。中毒病人の文章なんて特異性は際立つかもしれんが、味付けが極端すぎて食えたもんじゃない。
119無記無記名:2009/05/15(金) 10:52:13 ID:GI3JwYlO
>>113
あの小説には日本の未来を予見してるところがあるから日本の読者向けです。
120無記無記名:2009/05/15(金) 10:55:38 ID:GI3JwYlO
>>116
そんな単純なものじゃないよ。
121SBF ◆kvG4ejFyq2 :2009/05/15(金) 10:59:00 ID:qEjfJGIl
後に社会的思想の色が強くなる作家の、
そうなる前の作品に面白い物が多いような気がするのです。
122無記無記名:2009/05/15(金) 11:01:23 ID:GI3JwYlO
>>117>>118
自分で小説を読んでもないくせに、勝手に仮定で三島像を作り上げて、決めつけてるあなたのがある意味、迷惑だよ。
123無記無記名:2009/05/15(金) 11:04:51 ID:GI3JwYlO
>>121
三島の思想は初期のものから見え隠れしてるよ。
124無記無記名:2009/05/15(金) 11:07:07 ID:pis9kjH0
まあ本読んでない奴のイメージなんてそんなもんだろ。
ただでさえ三島は、割腹自殺、ホモ、筋トレなど
表層的なトピックが多いんだから。
125無記無記名:2009/05/15(金) 11:09:00 ID:BZm19Gvy
自殺、ホモ、筋トレ 基地外っぽい顔
尾崎豊と長渕みたいな感じ
126無記無記名:2009/05/15(金) 11:10:45 ID:GI3JwYlO
>>118
なんらかの思想や思いがない人が文学者や哲学者にならないと思います。
それがなかったら単なるそこいらにいるゴミみたいな推理小説家だよ。
127無記無記名:2009/05/15(金) 11:10:48 ID:eUMKImUp
>>116
第三巻の暁の寺は難解な仏教用語の羅列で9割方理解不能ですが、
作者によればそれで良いそうです。

「第三巻をチンプンカンプンのままに第4巻を読む。するとラストにきて全て解かるようになってるんです」
                           三島談
128無記無記名:2009/05/15(金) 11:13:11 ID:eUMKImUp
>>126
「思想は退屈だ。表面にしか興味はない」
                 三島
129SBF ◆kvG4ejFyq2 :2009/05/15(金) 11:17:53 ID:qEjfJGIl
>>123
思想が前面に出てくる作品や思想が見えない作品ではなくて
チラ見せぐらいの本が好き。
130無記無記名:2009/05/15(金) 11:41:00 ID:GI3JwYlO
>>128
三島の22歳の日記には、サルトルやマルロオ、ヴィドオに触れて「政治はやはり文学の背景として重要な意味をもつてゐる」と書いてありますよ。
131無記無記名:2009/05/15(金) 13:40:11 ID:eUMKImUp
128は書き間違った。
「深淵は退屈だ。表面しか興味はない」
                 三島
>>130
とはいえ政治もそして哲学ですら、彼にとっては書く動機ではなかった。
素材にすぎない。
登場人物や庭木といっしょ、ドラマを動かす機能にすぎない。

彼は信念に殉じたのではない。
そういうものが素材にすぎないとはっきり認識した上での、演技的というか、作家的視点での死だった。

132無記無記名:2009/05/15(金) 15:11:35 ID:GI3JwYlO
>>131
あなたのその見方も、三島の文学作品に惑わされてる一つの認識にしかすぎないよ。
小説とは関係ない少年時代や青年三島の日記や手紙には確実に社会への批判や政治的なものが見えますからね。
133無記無記名:2009/05/15(金) 16:02:42 ID:pis9kjH0
俺はどっちかというと三島の演技的な世界はある種の強がりに感じる。
「深淵は退屈だ。表面しか興味はない」というセリフも、根元が石原慎太郎のようなリア充なら
言わないと思う。自意識が苦痛だからこそ内面に関心のない振りをしたかったんじゃないかって。

まあそんな読み込んでないから、違うかもしれんが。
134無記無記名:2009/05/21(木) 16:14:13 ID:PwvXQb9Q
三島VS東大全共闘
http://www.nicovideo.jp/watch/sm124369
135無記無記名:2009/05/22(金) 04:26:31 ID:/fM21L0p
>>3
いいね〜日本男児!武士道て感じで!
よく見るとブルース・リーより厚みある筋肉だね。
136無記無記名:2009/05/22(金) 06:30:18 ID:Sl9mVVhB
いっぺんにすべてを組み立てるのではなく、少しずつやられたらどうですか?
まずマザーボードとCPU、メモリー、ビデオカードだけで、もちろんケースにもはめ込まないで
板の上か何か帯電シートの上でジャンパーピンをショートさせて電源が入りBIOSがあがるかどうかです。

電源が入らなければマザーボードまたはビデオカードが疑われます。または相性が悪いかです。
(電源が入るとは電源が動くということで、電源内部のFANが回っていること)

これであがれば次はケースにはめ込みます。これであがらなければマザーボードがどこかでショートしています。
またはビデオカードの相性です。私の経験からですが、マザーボードをとめる金具 
スペンサーが通電するものがありました。またスピーカーのケーブルが一部むき出しになって
ケース内部でショートした場合。

これでもあがれば次は各コネクターの接続です。説明書が間違っているのもあり注意。
最後にFDD、HDD、CDの接続です。これも1台ずつして下さい。原因を究明するのですから
この位慎重にやって下さい。ジャンパーピンをショートさせるとは、
マザーボード上に各コネクター(Power Switch, Power LED, Speaker, IDE LED, RESET Switchなど)
を刺す所で、Power Switch を刺す2本のピンをショートさせる、すなわち磁石機能のないマイナス 
ドライバーか何かで繋ぐということです。これでPower Switch ボタンを押したと同じことになります。
この時ほかのピンには触れないようにして下さい。
137無記無記名:2009/05/23(土) 23:33:54 ID:ulBCfeXV
男の裸がグロテスクなどという石原慎太郎の意見は、いかにも文明に毒された低級な俗見である。

三島由紀夫
「機能と美」より
138無記無記名:2009/05/23(土) 23:50:26 ID:8tZoKcS7
亡くなったのは70年か。シュワちゃんやオリバを見たら何て言うかな。
何となくゼーンとかメンツァを評価しそう。
139無記無記名:2009/05/24(日) 10:39:51 ID:KFBXXlRx
全集全巻持ってる人いる?
文庫本バラバラ買うより思いきって全集揃えるほうがいい気がする。
140無記無記名:2009/05/24(日) 14:13:56 ID:lUYS7uMH
ボディビルは機能的ではないからな…
三島は虚弱ガリが普通になったぐらいなのに
あそこまで妄想を膨らませるのは病気
141無記無記名:2009/05/24(日) 15:29:10 ID:j5iHWNE8
筋肉は機能だからね。
ごちゃごちゃ文句つけた石原慎太郎は間抜け。
142無記無記名:2009/05/24(日) 18:09:49 ID:ZmMuVz5X
徴兵すら通らない虚弱ガリが
並程度になれただけでも十分な恩恵でしょう
143無記無記名:2009/05/24(日) 22:04:23 ID:WsehDjk/
石原兄弟は立派な体格だからね。身体作りを女々しく思うかな。
144無記無記名:2009/05/25(月) 02:04:38 ID:mQ11WHgo
三島と石原マッチョ二人
思想はにてる様で違うんだな
145無記無記名:2009/05/25(月) 10:08:23 ID:99YTbXlC
石原慎太郎は文学者でもないし、ただの威張りたいだけの偽右翼でしょう。
所詮、自分や息子が出世することだけが第一の俗な人。
146無記無記名:2009/05/25(月) 10:39:19 ID:YJ3nD0Uh
三島って知れば知るほど女々しいヤツだなってわかるよな
147無記無記名:2009/05/25(月) 11:27:48 ID:99YTbXlC
>>146
その三島に対して、悪口や嘘を大袈裟に書いてまで相対的に自分を引き立てようとする石原慎太郎みたいな親父のが女々しいよ。
148無記無記名:2009/05/25(月) 11:30:59 ID:JCVotN4i
自分の弱さを知っていてそれを改善しようとしていた人を
女々しいとは言わんが、それで勘違いしだしていたね・・・
149無記無記名:2009/05/25(月) 12:15:04 ID:99YTbXlC
勘違いしてるのは、三島の著書もろくに読んでないバカでしょうね。精神的には三島は少年時代から変わってないからね。
150無記無記名:2009/05/25(月) 22:46:41 ID:VUmgErZ/
三島より寺山のほうが好きだな
・・・腹は出てるけどw
151無記無記名:2009/05/27(水) 12:09:52 ID:woLy78uV

しかし、何といつても、ボクシングはあの場内の興奮に包まれて、ぢかに見るべきものだ。テレビだと、十五ラウンドが、スカスカと機械的に運ばれる感じで、興味は半減する。
…解説のアナウンサーの声が全くいやらしい。ボクシングの試合なのだから、もうちよつと粗野な、ボクサー風に鼻のつまつたカスレ声のアナウンサーを連れて来るわけには行かないのか。そのはうがずつと気分が出るぢやないか。
いやに澄んだ高い声の、中性的なアナウンサーの乙リキにすました軽薄な「客観性」、これこそ、ジャーナリズムのいはゆる「良心的客観性」の空虚ないやらしさを象徴してゐる。

三島由紀夫
「日録(昭和42年)」より
152無記無記名:2009/05/27(水) 12:41:12 ID:eTZJVRnh
>>145,146,147
文学者ってのは皆 女々しいものなんだ。
太宰を見ればわかるだろ。
石原慎太郎は自分も含めて、その女々しさを
三島という一人の文学者を通して語っただけなのではないかな?
その三島にしても、一生懸命肩に力を入れてポーズとりまくってたんだろ?
153無記無記名:2009/05/27(水) 13:26:17 ID:+hkoPunP
このスレの住人に相変わらずタバコを吸い、運動もせず
テレビで稼ぐ村上龍についてどう思うか聞いてみたい。
154無記無記名:2009/05/27(水) 13:37:29 ID:7rEbpp/X
作家に喫煙や運動は特に関係無いでしょw
155無記無記名:2009/05/27(水) 13:45:38 ID:woLy78uV
>>152
特に文学者じゃなくても男性はみんな女々しいところを持ってるよ。
女々しいというか、男性は女性が悩まないようなことを考えたり、頭が良いから女性よりある意味神経質でしょうね。
156無記無記名:2009/05/27(水) 15:55:24 ID:LHC52SpS
格闘家は女々しい奴が90% by 真樹日佐雄
157無記無記名:2009/05/29(金) 10:44:32 ID:y7IhirYE
思へば、ボディ・ビルディングとは、もつとも日本の文化伝統に欠けてゐたものの、新しい移植であつた。
われわれは肉体文化の伝統を持たず、力に対する民族的信仰は、何か超自然的なものへの信仰の影を宿してゐて、肉体それ自体、人間の裸体それ自体の文化的価値は、たえて認められることがなかつた。明治時代に、裸体彫刻が猿股を穿かされかかつた逸話は、数多く知られてゐる。
…しかし、この十数年間、ひそかにバーベルを相手に黙々と汗を流し、この写真集に見られるやうな、かつての日本人が夢想もしなかつた逞しい均整のとれた体躯を育て上げてゐた一群の青年たちがゐたのである。
竹山道雄氏が随想の中で書いてゐるやうに、日本人の青年の肉体は、かうして見ると、古代ギリシャの美学的基準に忠実な点では、おどろくべきものがあり、ラフカディオ・ハーンが、かつて、日本人を「東洋のギリシャ人」と呼んだことも思ひ合せられる。

三島由紀夫
「序 矢頭保写真集『体道・日本のボディビルダーたち』」より
158無記無記名:2009/05/29(金) 10:45:15 ID:y7IhirYE
日本文化の特徴は、外来の文化をまづ忠実に模倣して、その極点で転回して、日本化してしまふといふ過程に見出される。
ボディ・ビルディングの日本における戦後の普及は、もちろんアメリカの影響であり、その背後には、あの広大な光りと富に溢れた国のローマ帝国的な古代異教文化の復活が感じられるが、
日本のボディ・ビルディングには、今や、それなりに、日本の過去に欠けてゐた肉体文化の補填といふ意味以上に、何か、肉体における日本的精神的価値の復活といふ、今まで考へられなかつた異質の観念の結合の意味が、含まれてゐるやうに思はれる。
もともと「葉隠」にもあるやうに、武士の倫理における外面性の重視は、武士の良心に深く関はつてゐた。
登城するときに、昨夜の二日酔がのこつて青白い顔をしてゐるよりも、元気よく見せるために、頬に紅粉を引くことが奨励されてゐた。
又、戦の門出に兜に香をたき込めたり、切腹の前に死化粧をしたりすることは、武士のたしなみとされてゐた。

三島由紀夫
「序 矢頭保写真集『体道・日本のボディビルダーたち』」より
159無記無記名:2009/05/31(日) 12:39:15 ID:vUtIOG32
このやうな日本の生温い状況が、現在および将来にどのやうな意味を持つてゐるかを探つてみれば、
これは安保以前、安保以後の問題ではなく、精神の問題であると考へられる。
精神といふと、またいつもの精神主義かといはれるかもしれないが、われわれの決意としては、
吉田松蔭の「汝は功業をなせ、我は忠義をなす」との信念で行くほかないと思つてゐる。
「功業」といふのは、自分が大政治家として権力を握らなければ役立たない。
そしてその権力を背景として自分の考へたことを実現していくことが「功業」の意味で、
それはいづれは大勲位の勲章をもらつて、うまくすると国葬にまでしてもらへるみちです。
しかし、「忠義」は枯野に野垂れ死にするみちです。
何の効果もなく、人のわらふところになるかもしれず、その瞬間瞬間には、
全く狂人の行ひとしか見えないやうなことになるかもしれないわけです。

三島由紀夫
「『孤立』ノススメ 六、松蔭は狂はなければならなかつたといふことについて」より
160無記無記名:2009/05/31(日) 12:42:53 ID:vUtIOG32
吉田松蔭が「狂」といふことを盛んに言ひ出したのは晩年ですが、やはり松蔭の時代にも、
全てをシニカルに見てわらひ飛ばすやうな江戸末期の民衆の世界があつたわけで、
とにかく毎日が楽しければよく、明日のことなど考へる必要がないではないか、
お国なんかどうなつてもよいといふやうな民衆の心理的基調があつた。
さういふ基本的メンタリティがあつたわけです。
さういふ状況の中で、松蔭は、孤立して狂つてゐるのではないかと疑はれるほど
精神が先鋭化していくのを自覚したに違ひない。
そして、松蔭が異常に孤立した、自分一人しかゐない、
自分が狂人だと思つた段階から明治維新は動き出したわけです。

三島由紀夫
「『孤立』ノススメ 六、松蔭は狂はなければならなかつたといふことについて」より
161無記無記名:2009/06/03(水) 14:47:00 ID:70OJ755k
三島由紀夫「伊沢さんは保田與重郎さんが好きですか、嫌いですか?」

伊沢甲子麿「保田さんは私の尊敬する人物です。
…戦後、保田さんを右翼だとか軍国主義だとか言って非難するものがありますが、
私はそのような意見とは真向から戦っています。保田さんは立派な日本人であり文豪です。」

三島「私は保田さんをほめる人は大好きだし悪く言う人は大嫌いなのです。
今、伊沢さんが言われたことで貴方を信頼できる方だと思いました。」

当時、三島氏は大蔵省の若手エリート官僚であった。
…三島氏は天才的な作家であり東大法学部出身の最優秀の官僚でありながら、
いささかも驕りたかぶるところがない謙虚な人柄であった。
そして義理と人情にあつい人であるということがわかったのである。

伊沢甲子麿
「思い出の三島由紀夫」より
162無記無記名:2009/06/03(水) 14:49:36 ID:70OJ755k
三島氏の要望により私は歴史と教育に関する話をいろいろとするに至った。
特に歴史では明治維新の志士について。
中でも吉田松陰や真木和泉守の精神思想を何度も望まれて話した。
…三島氏は松陰や真木和泉守の話を私が始めると、和室であったため座布団をのけて正座してしまうのだった。
…その外では西郷隆盛の西南の役の話や、また尊皇派の反対の佐幕派の人物である近藤勇や
土方歳三の話も何度となく望まれて語った次第である。
特に近藤勇は三島氏の祖母の祖父である永井尚志が近藤勇とは心を許し合った友人であったため、
深く敬愛の情を寄せていた様である。

伊沢甲子麿
「思い出の三島由紀夫」より
163無記無記名:2009/06/11(木) 12:13:52 ID:jTbIA7mY
絶望を語ることはたやすい。しかし希望を語ることは危険である。
わけてもその希望が一つ一つ裏切られてゆくやうな状況裡に、たえず希望を語ることは、後世に対して、自尊心と羞恥心を賭けることだと云つてもよい。

三島由紀夫
「『道義的革命』の論理――磯部一等主計の遺稿について」より
164無記無記名:2009/06/11(木) 21:53:34 ID:6o2s5Yvq
あの〜ここウェイトレ板だから作家三島の宣伝は余所でやってくれない?
165無記無記名:2009/06/12(金) 01:54:38 ID:9x1ngq+Q
いや
なかなか面白い
166無記無記名:2009/06/12(金) 09:34:45 ID:SoJrPcsr
ウエイトトレしてるヤツで三島が嫌いなやつはいない
167無記無記名:2009/06/12(金) 14:57:07 ID:yyzvXloW
最後の試験も済み、学生生活が実質的になにもかも終わった夏休みのある晩であった。
…何かの拍子に三島は「アメリカって癪だなあ、君本当に憎らしいね」と心の底から繰り返しいった。
そしてかのレースのカーテンを指さし「もしあそこにアメリカ兵が隠れていたら、竹槍で突き殺してやる」
と銃剣術の動作をして真剣にいった。
当時の彼は学術優秀であり、品行も方正であったが、教練武術の方はまるで駄目であった。
…そういう彼が竹槍で云々といった時、彼には悪いが、突くといっても逆にやられるだろうがとひそかに思った。
けれども、彼のその気迫の烈しさには本当に胸を突かれた。
彼は当時、日本の、ことに雅やかな王朝文化に心酔していた(当時といわず、或は生涯そうであったかもしれぬ)。
そしてその意味で敬虔な尊皇家であった。

三谷信
「級友 三島由紀夫」より
168無記無記名:2009/06/12(金) 14:59:06 ID:yyzvXloW
今、卒業式の時の彼を思い出す。
戦前の学習院の卒業式には、何年かに一度陛下が御臨幸になった。我々の卒業式の時もそうであった。
全員息づまる様に緊張し静まる中で式は進み、やがて教官が「文科総代 平岡公威」と彼の名を呼びあげた。
彼は我等卒業式一同と共にスッと起立し、落ち着いた足どりで恭々しく陛下の御前に出て行った。
彼が小柄なことなど微塵も感じさせなかった。瞳涼しく進み出て、拝し、退く。
その動きは真に堂堂としていた。心ひきしまり、すがすがしい動作であった。
あの時は彼の人生の一つの頂点であったろう。
そういう彼ゆえ、古来の日本の心を壊そうとするものを心の底から許さなかった。

三谷信
「級友 三島由紀夫」より
169無記無記名:2009/06/13(土) 01:44:03 ID:xXpiYu4W
三島は舶来コンプレックス、自己弁護
170無記無記名:2009/06/13(土) 11:24:01 ID:m+3xXOJu
彼の感性は非凡なだけでなく時に大変ユニークで、常人の追随しかねる点があったけれども、
人間としての器量は大きかった。思えば、不良少年の親分を夢みるだけのことはあった。
…初等科六年の時のことである。元気一杯で悪戯ばかりしている仲間が、三島に
「おいアオジロ―彼の綽名―お前の睾丸もやっぱりアオジロだろうな」と揶揄った。
三島はサッとズボンの前ボタンをあけて一物を取り出し、
「おい、見ろ見ろ」とその悪戯坊主に迫った。
それは、揶揄った側がたじろく程の迫力であった。
また濃紺の制服のズボンをバックにした一物は、その頃の彼の貧弱な体に比べて意外と大きかった。

三谷信
「級友 三島由紀夫」より
171無記無記名:2009/06/13(土) 18:04:26 ID:ax+kJTiW
ふむ
彼からは強い精神力を感じる

長い文章を打たれている方
珍しい文をありがとうございます
172無記無記名:2009/06/15(月) 12:30:50 ID:zL6BowaA
初等科一年の時、休み時間になると、半ズボン姿の我々は、籠から放たれた小鳥の様に夢中で騒ぎ回った。
…そういう餓鬼どもの中で、三島は「フクロウ、貴方は森の女王です」という作文を書いた。
彼は意識が始まった時から、すでに恐ろしい孤独の中に否応なしに閉じこもり、覚めていた。
…彼は幼時、友達に、自分の生まれた日のことを覚えていると語った。
彼はそのことを確信していた。
そしておそらく、外にもその記憶をもつ人が何人かあると素直に考えていたのであろう。

三谷信
「級友 三島由紀夫」より
173無記無記名:2009/06/15(月) 12:32:16 ID:zL6BowaA
初等科に入って間もない頃、つまり新しく友人になった者同士が互いにまだ珍しかった頃、ある級友が
「平岡さんは自分の産まれた時のことを覚えているんだって!」と告げた。
その友人と私が驚き合っているとは知らずに、彼が横を走り抜けた。
春陽をあびて駆け抜けた小柄な彼の後ろ姿を覚えている。
あの時も、すでに彼はそれなりに成熟していたのであろう。彼と周囲との断絶、これは象徴的であり、悲劇的である。
三島は生涯の始めから、終始悲劇的に完成した孤独の日々を送ったと思う。

三谷信
「級友 三島由紀夫」より
174無記無記名:2009/06/17(水) 05:31:50 ID:Xr0YYHo7
これはいくつくらいなんだろう
http://image.blog.livedoor.jp/lohas_an_001/imgs/0/e/0e7db0aa.jpg
175無記無記名:2009/06/17(水) 10:56:09 ID:abIv0zVs
30代後半くらいにみえるね。
176無記無記名:2009/06/20(土) 11:26:47 ID:I2MdOPRT
アメリカ人が六代目の鏡獅子を本当に味解しようとする努力、
――と云ふより大国民としての余裕を持つてゐたら戦争は起らなかつた。
文化への不遜な態度こそ、戦争の諸でありませう。
日本の高邁な文化を冒涜する国民は必ず神の怒りにふれるのです。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和20年1月6日付、三谷信への葉書から

けふで丸五日間、丸つきり空襲がありません。
不気味な不安。そのなかにも駘蕩たる春の日は窓辺まで押しよせて来てゐます。
(中略)
僕はこれから「悲劇に耐へる」というより、「悲劇を支へる」精神を錬磨してゆかなければ、と思ひます。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和20年3月3日付、三谷信への葉書から
177無記無記名:2009/06/20(土) 11:27:53 ID:I2MdOPRT
君と共に将来は、日本の文化を背負つて立つ意気込みですが、君が御奉公をすましてかへつてこられるまでに、
僕が地固めをしておく心算です。
僕は僕だけの解釈で、特攻隊を、古代の再生でなしに、近代の殲滅――すなはち日本の文化層が、
永く克服しようとしてなしえなかつた「近代」、あの尨大な、モニュメンタールな、カントの、エヂソンの、アメリカの、
あの端倪すべからざる「近代」の超克でなくてその殺傷(これは超克よりは一段と高い烈しい美しい意味で)だと思つてゐます。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和20年4月21日付、三谷信への葉書から
178無記無記名:2009/06/20(土) 11:28:56 ID:I2MdOPRT
「近代人」は特攻隊によつてはじめて「現代」といふか、本当の「われわれの時代」の曙光をつかみえた、
今まで近代の私生児であつた知識層がはじめて歴史的な嫡子になつた。それは皆特攻隊のおかげであると思ひます。
日本の全文化層、世界の全文化人が特攻隊の前に拝跪し感謝の祈りをさゝげるべき理由はそこにあるので、
今更、神話の再現だなどと生ぬるいたゝへ様をしてゐる時ではない。全く身近の問題だと思ひます。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和20年4月21日付、三谷信への葉書から
179無記無記名:2009/06/20(土) 11:32:54 ID:I2MdOPRT
御葉書拝見。
何はあれ、このやうな大変に際会して、しかも君とそれについて手紙のやりとりの出来るやうな事態を、誰が予想し得たでせう。
…これから勉強もし、文学もコツコツ落着いてやつて行きたいと思ひます。
自分一個のうちにだけでも、最大の美しい秩序を築き上げたいと思ひます。
戦後の文学、芸術の復興と、その秩序づけに及ばず乍ら全力をつくして貢献したいと思ひます。
(中略)
…すべては時代が、我々を我々の当面の責務に追ひやります。
僕は少なくとも僕の廿代を、文化的再建の努力に捧げたいと思つています。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和20年8月22日付、三谷信への葉書から
180無記無記名:2009/06/22(月) 16:15:47 ID:TrIvsKjY
高等科上級生の時のことである。
戦争中で銃剣術の時間のことだった。体格の大きい銃剣術が強い友人と、彼とが試合をさせられた。
教官がどうしてそういうアンバランスな試合をさせたのか解らない。しかし平岡に対する意地悪からでは無いと思う。
さて華奢で軟体動物のようにクネクネした動作の平岡は、当然ジタバタと苦戦していたが、そのうちにヒョイと勝ってしまった。
相手の心臓のところを確かに突いたのである。皆は驚き笑いながら、見物の輪をといた。
彼はその時までに何度か壁にぶつかり、それを切り開いてきた人らしく、困惑しつつも、冷静であったので勝ったのだろう。

三谷信
「級友 三島由紀夫」より
181無記無記名:2009/06/22(月) 16:17:23 ID:TrIvsKjY
中等科か高等科の英語の授業の時、老教師が「日本には叙事詩は無かった」といった。
平岡は、「平家物語などがあるじゃありませんか」といった。
これは日本の古典に通じぬ英語教師の弱味を突いたらしく、彼は感情的になって平岡を、おさえつけた。
休み時間になり、平岡は憤慨していた。

三谷信
「級友 三島由紀夫」より
182無記無記名:2009/06/22(月) 16:20:11 ID:TrIvsKjY
天皇が人間宣言をなさり、背広姿の御写真が新聞に掲載された時、彼は非常な不満、むしろ忿懣を抱いていた。
なぜ衣冠束帯の御写真にしないのかというのである。
又、焼跡だらけのハチ公前の広場を一緒に歩いていた時、彼は天皇制攻撃のジャーナリズムを心底から怒り、
“ああいうことは結局のところ世に受け入れられるはずが無い”と断言した。
そういう彼の言葉には理屈抜きの烈しさがあった。
だから、彼は自分が敗戦後、日本の伝統から離れて楽しむうちに、混乱の方が、いつか多数派になったのに驚いたのではないか。
美酒の瓶が倒れたように、日本の美質がどんどん流失しているのに気付き慄然としたのではないか。

三谷信
「級友 三島由紀夫」より
183無記無記名:2009/06/22(月) 16:31:27 ID:TrIvsKjY
彼は、敗戦で束縛から解放された時まっしぐらに芸術の世界へ突進した。
…しかしその世界から出てみると、日本はすでに大きく伝統から離れていた。
彼にとり、日本の伝統は荒涼としたものになりかけていた。
彼が自分の好きな国々を思いきり歩いて故郷に戻って来た時、心の拠り処の日本の古典は滅びかけていた。
…彼が戦争直後、学習院を訪ねて校庭を歩いていたら、某教官に呼びとめられ、
「これからは共産主義の勉強をするのも面白かろう」といわれたといって、しきりに憤慨していた。
「何で今頃するのか、戦争中にやるのなら解るが」というのである。
この先取りの心、少数派に身をおく積極さ、これが晩年彼の日本についての心痛を一層深くし、
嘆きを重くしたのであろう。又、この予感、この嘆きこそ芸術家のものであろう。

三谷信
「級友 三島由紀夫」より
184無記無記名:2009/06/24(水) 20:09:39 ID:N2/GFrcF
なにがどうであれホモは気持ち悪い
ただそれだけ

185無記無記名:2009/06/24(水) 21:56:19 ID:zYf7OCm7
三島は一応、結婚したんだがな。
186無記無記名:2009/06/24(水) 22:25:23 ID:WXNv8uIh
それに子供がいるのだから一応女性相手に機能したということだ
限りなくゲイに近いバイだったんじゃないのかね

初めて女相手にチンコ立ったんだよ!という旨の嬉しそうな報告を
三島から受けた友人が何人かいる
187無記無記名:2009/06/24(水) 23:07:57 ID:zYf7OCm7
友人の中には、慎太郎もまじっていそう。アイツらのツーショットの
古い写真も書籍の中にはあった・・
188シャンソン・リー ◆wNDMFyZkQc :2009/06/25(木) 08:14:26 ID:XVNgmV5Z
びっぐばんのボーカル、なんか懐かしいとおもったら三島に似てる
もひとりVI?とかいうのも似てる
エライ人気のようだけど、正直このグループ見た目はカコイイとおもわない。
作詞作曲、振りつけ、全部自分たちでやってるらしいからアイドルとはチト違うんかな
189無記無記名:2009/06/25(木) 08:40:54 ID:7gU0HC5V
190無記無記名:2009/06/26(金) 17:12:25 ID:6sQydEGY
彼は一時の思いつきで死んだのではない。
おそらく三十年、あるいはそれ以上、死を自分のすぐ背後に感じ続けて生きたと思う。
死を背負い続けたと思う。
…彼が死なねばならぬとはっきり考え始めたのはいつか。
東大紛争時における日本の文化的指導者(体制側だけでなく、学生騒動に便乗して
売名を図った人々まで含めて)の醜さを痛感したからではないか。
…勿論ずっと以前から、日本の崩れてゆくのを、彼はじっと忍耐しながら見ていたのであろうが、
殊にあの事件の時に絶望的な暗黒をつくづく見たのではないか。

三谷信
「級友 三島由紀夫」より
191無記無記名:2009/06/26(金) 17:14:46 ID:6sQydEGY
鋭敏な彼は、日本、否日本人の心の荒廃をまざまざと観たのであろう。
この闇に一瞬なりとも光を放ち得るものがあるとすれば、それは自分の命の提供しか無いと観たのであろう。
彼はそれだけ自分の才能が稀有なものであり、又自分がそれを十分に開花させたのを知っていたのであろう。
だから、自分の死の持つ力を考えたのであろう。
当面は罵詈雑言が自分の自殺を覆うであろう、しかしなお、自分の名声と才能を死なすことによる衝撃に、
多少の自信はあったろう。

三谷信
「級友 三島由紀夫」より
192無記無記名:2009/06/26(金) 17:19:50 ID:6sQydEGY
彼は無限の敵、即ち日本文化、いや日本を腐敗させつつあるものへ、自分の命、絶対の価値ある自分の命を投げつけた。
彼は敵に向い最後迄断然逃げなかった。
…彼は自分の愛するもの(これには自分の家族も入る)に、自分の最上のものを捧げたかった。
それは自分の命、これである。
…世人は彼の死を嘲笑した。これは彼の敵の正体を、世人が未だ理解していない時に死んだからか?
多くの人、中には名声にあっては一流人が、まるで見当違いのことをいって、彼の死を手軽に料理している。
しかしいつでも彼の死は早すぎるのだろう。
“死”は誰でも逃げたいものだから。

三谷信
「級友 三島由紀夫」より
193無記無記名:2009/06/26(金) 17:21:44 ID:6sQydEGY
彼は稀なる作家、思想家、そして文化人であった。
自分の思想のために、生涯の頂点で、世人の軽蔑は覚悟の上で死ねる者が何人居るか。
彼と思想を異にするのは全く自由であるが、嘲笑するには先ず自分の考えに殉じて死ねる者でなければなるまい。
なぜなら、彼の死は冷静な死であったから。
…彼は少年時代に戻って死んだ。
少年時代、彼は日本文化に殉ずる心で生きて居た。その心で死んだ。
純粋という点では、学習院高等科学生の頃の姿で死んだ。
所詮作家からはみ出した男、言葉で適当に金を儲けることを、出来るがやらぬ男であった。

三谷信
「級友 三島由紀夫」より
194無記無記名:2009/06/26(金) 17:30:18 ID:l+hkNlwZ
三島由紀夫に憧れてホモになった人たくさん居そう。
195無記無記名:2009/06/26(金) 21:05:51 ID:wGavOslr
この人の思想や考え方には頷けることが多いが、遺体の直腸の中に精液があったって聞いて死んでくれて良かったと思った。
196無記無記名:2009/06/26(金) 21:44:47 ID:6sQydEGY
>>195
それはガセネタです。
たぶん、肛門に脱脂綿を詰めていたことから派生したんでしょう。
死因が確定している遺体では、そんなところまで詳細に成分分析しません。

それに、楯の会5人は事件前日の夕方、鶏料理屋で食事後解散し、それぞれの自宅へ戻って別々に過ごしています。
当日、自衛隊へ直行する10時まで三島が自宅にずっと居たのもお手伝いさんや両親が証言しています。
197無記無記名:2009/06/27(土) 07:48:17 ID:oIi/KYMW
三島由紀夫についてディープに語られるのが
ウェイト板だってのは感慨深いものがあるな。
三島も天国で喜んでいるんじゃないだろうか?
198無記無記名:2009/07/01(水) 12:05:32 ID:MEl90LLu
三島由紀夫さんの《詩の朗読レコード》「天と海」が発売されたことについて、今では知っている方も少ない。
…このレコードの制作当時、私は大手のPR会社に勤務しており、このレコードに関する企画、制作、
PRなどに深く関与していた。
…三島さんは「キミが勤めている会社のためだったら断るが、キミの個人的な頼みでやるのなら
引き受けてもいいよ」と快く返事をしてくれた。
私が三島さんに知己を得たのは、学生時代にさかのぼる。
当時流行していたボディビルジムでの出会いが契機となり、氏との数奇な縁が始まった。
…詩は朗読する本人にお任せすることになり、三島さんは浅野晃氏の「天と海」という長編を選んだ。
この詩の内容は、詩人で大学教授でもあった浅野氏が、学徒動員で出征し、南方の地に散っていった
教え子たちの英霊に捧げる鎮魂歌であった。

川瀬賢三
「『天と海』レコード化のころ」より
199無記無記名:2009/07/01(水) 12:07:53 ID:MEl90LLu
この仕事を始めるに当たって三島さんは、
「今回の制作は、私は単なる朗読の演技者であるから、全てキミの指示に従うので注文があれば
遠慮なく言って欲しい」と念を押された。
…このLP盤の制作には半年ほどを要し、サラリーマン時代の私には苛酷な毎日だった。
…深夜のスタジオで、山本(直純)氏が作曲した音楽テープをバックに、独りアナブースの中で、緊張の面持ちで
マイクに向かう三島さんは、まるで尊い命を南方に散らしていった若き英霊の魂が乗り移ったかの如く、
鬼気迫る迫真の演技であった。
三島さんが、精魂込めて朗読したこのレコードは、現在では“幻の名盤”となり、再発売されていない。
誠に残念としか言い様がない。
今は三島さんの全ての好意に感謝し、ひたすらご冥福を祈るのみである。

川瀬賢三
「『天と海』レコード化のころ」より
200無記無記名:2009/07/01(水) 22:02:04 ID:OYPY/Y51
>>199
おお、ええ話や!
三島の朗読、ぜひ聴いてみたいですねぇ。
201無記無記名:2009/07/02(木) 16:41:50 ID:e7sYg856
来年は死から40年だから、復刻CDで発売してほしい
202無記無記名:2009/07/07(火) 22:02:47 ID:yF5+vxGl
Q――つぎに東南アジアについてちよつと聞きます。
インドも中共との交戦の経験を持つ国ですが、東南アジアと日本との最大の相違点は、
中共の脅威を感じてゐるのと感じてゐない点にあると思ひますが。

三島由紀夫:中共と国境を接してゐるといふ感じは、とても日本ではわからない。
もし日本と中共とのあひだに国境があつて向かう側に大砲が並んでたら、
いまのんびりしてゐる連中でもすこしはきりつとするでせう。
まあ海でへだてられてゐますからね。
もつともいまぢや、海なんてものはたいして役に立たないんだけれど。
ただ「見ぬもの清し」でせうな。

三島由紀夫
「インドの印象」より
203無記無記名:2009/07/07(火) 22:04:47 ID:yF5+vxGl
Q――日本人が中共をこはがらないのは一種の幻想的な“大平感”なんだらうけれど、
日本にさういつた幻想があることも、また一つの現実ぢやないでせうか。

三島由紀夫:たしかにさうですね。
幻想(イリュージョン)といへどもなにかの現実的条件によつて保たれてゐる。
ぼく自身は、日本にも中共の脅威はある、と感じてゐます。
これは絶対に「事実(ファクト)」です。
しかし、日本人が中共に脅威を感じないといふことは「現実」です。
「現実」とはぼくに言はせれば、事実とイリュージョンとの合金です。
「現実」をささへてゐる条件は、いはくいひがたしで、恐らく何万といふ条件があるでせう。
海もあるし、長い中国との交流の歴史もあるし……。
ものを考へようとするとき、片方の「現実」を「事実」だけでぶちこはさうとしてもダメです。
幻想をくだくには幻想をもつてしなくつちや。
ですからもし、ぼくが政治家だつたら……。
Q――「中共はこはくない」といふ幻想は、どうやつてくだきますか?

三島由紀夫:「中共はこはい」といふファクトではなく幻想をもつてですよ。

三島由紀夫
「インドの印象」より
204無記無記名:2009/07/10(金) 10:51:05 ID:K8wb+Uda
「日本語の堪能な留学生が入ってくる」というので、室の者全員が待機していると、
「平岡です。よろしくお願いします」といって現れたのが、何と三島氏だった。
昭和四十二年四月十九日のことだった。
彼は、久留米の陸上自衛隊幹部候補生学校で、その春防衛大や一般大学を卒業して入校したばかりの候補生を視察した後、
我々が教育を受けている富士学校普通科上級課程に「戦術の勉強をしたい」との目的で途中から加わってきたのだった。
…誰もが三島氏の研修目的を詮索したり、文学や芸術の話を持ち出したりすることもなく、ひとりの友人として自然に接したせいか、
すぐに打ち解け、室の雰囲気は一段と明るくなり、女性談義に花を咲かせたりした。
私はこの室の室長兼班長だったが、これに加え三島氏の対番学生(学友として寝食を共にしてお世話する係)を命ぜられた。

菊地勝夫
「三島氏の感激と挫折」より
205無記無記名:2009/07/10(金) 10:53:11 ID:K8wb+Uda
教場では平岡学生と私は一番後方の長机に並んで座り、教官から出される問題を一緒に考えた。
…三島氏は問題の意味するところや私が作る案の内容の細部を真剣に聞き、自分でも
「連隊長の作戦命令の方針」を起案して発表したこともあった。
彼の案は、自衛隊の専門用語や文書の形式にとらわれていない実に力強い雅びな表現で、固定観念に固まっている
我々には、はっとさせられるものがあり、教室の雰囲気を和らげてくれた。
…夜は室で談笑したり、腹筋運動にエキスパンダーを使用したトレーニングをしたり、
ある夜は自演の映画「憂国」をクラスの全員に見せてくれたり、私といっしょに洗濯をしたりした。
当時の洗濯はまだ洗濯板に固形石鹸の時代だったので、固形石鹸をシャツにつけていた三島氏の
子供っぽい仕草が今でも目に見えるようだ。

菊地勝夫
「三島氏の感激と挫折」より
206無記無記名:2009/07/10(金) 10:54:05 ID:K8wb+Uda
入校後一週間ぐらい過ぎた日に、私と話がしたいというので、彼が原稿を書いたり、東京から来る客と
応対したりするために充てられていた個室で、真剣な話を三時間以上も続けた。
「私は日本男子として国防に参加する名誉ある権利を有する。従って貴方たちは私に教える責任がある」
と彼は切り出し、次々と質問してきた。
その主な質問は、「クーデター」「憲法」「治安出勤」「徴兵制度」「シビリアンコントロール」についてだった。
その真剣さに私は、彼の入隊の本当の目的は、七十年安保に向かって騒然としつつある国内情勢に鑑み、
特に防衛大出身の幹部クラスの考え方や心意気、精密度などを肌で確認することにあったのではなかろうかと思った。

菊地勝夫
「三島氏の感激と挫折」より
207無記無記名:2009/07/10(金) 10:55:11 ID:K8wb+Uda
彼はその後、同じ富士学校で教育中の幹部レンジャー課程の学生として自衛隊で最も厳しい訓練を体験し、
爽やかな印象を残して去っていった。
以後、三島氏は「檄」文に表現されたような感激を自衛隊で体験していくことになる。
三島氏は民間防衛を荷う祖国防衛隊を組織する夢を抱き、四十三年春、まず厳選された学生三十名を連れて
富士教導連隊で一ヶ月間の訓練を受けることからはじめた。
自衛隊にとっては三島氏のような知識人に自衛隊を理解してもらうことは歓迎すべきことであり、さらに、将来、
国の広い分野でリーダーとして活躍するであろう大学生の体験入隊は、特に当時の状況から願ってもないことであって、
マスコミによって潰されないように配慮して受け入れたものである。

菊地勝夫
「三島氏の感激と挫折」より
208無記無記名:2009/07/10(金) 10:56:31 ID:K8wb+Uda
しかし、全国組織を目指した祖国防衛隊の構想は、政財界の協力が得られずに挫折し、自分の力で世話のできる
少数精鋭の「縦の会」へと展開していく。
そして彼は彼なりの情勢分析により、自衛隊が治安出勤する事態が来ると信じるようになる。
「縦の会」は自衛隊の尖兵としてデモ隊に突入し、あるいは皇居に乱入する暴徒に体当たりで斬り死にする
という考えに変わっていったものと思われる。
だが、四十四年の一〇・二一反戦デーの騒乱で、自衛隊の治安出勤は起こりえないと見てとった時、ほんとうの挫折を味わい、
三島氏は自衛隊にとって象徴的な場所で、自衛官たちに心の叫びで訴え、武士の最期を遂げたのだった。

菊地勝夫
「三島氏の感激と挫折」より
209無記無記名:2009/07/10(金) 10:59:38 ID:IU4fBXnP
君のアヌスへ僕のペニスを挿入さ
さあみんなおいでよ 連ケツの時間だよ
兜合わせで扱きあい アセロラドリンクを口移し
イチジク浣腸使いながら 糞塗れでヤるってのも粋じゃないかい?
210無記無記名:2009/07/13(月) 15:01:25 ID:4sgKgKIm
私は作家として三島由紀夫とは何んの接点もなかった。そう言っていいにちがいない。
彼がすぐれた文学者であったことは私にも判っている。
なみなみならぬ、ケンランたる才能の持ち主であったことも心得ている。
たとえば、「自決」前年の「蘭陵王」――ああいう作品はなかなか書けるものではない。
しかし、人間には好みというものがある。文学の好みにおいて、私は彼と接点がなかった、そう言えばいいだろう。
(中略)
とにかく好みというものがある。私には読んでいるとお尻の下がむずがゆくなって読み通せない作家がある。
いい作家かも知れないが、それを重々判っていても、駄目だ。
三島由紀夫にはそんなことはなかった。けっこう読めた。

小田実
「三島由紀夫との接点」から
211無記無記名:2009/07/13(月) 15:02:27 ID:4sgKgKIm
思想家としての接点はどうか。
…考えてみると、彼はあのころ大学の時計塔にたてこもった「過激派」の学生にいたく共感し、
学生は学生で、彼が「自決」したとき、われわれは負けたと言ったものだ。
…そこでも私が彼と接点がなかったことは、彼の「自決」後、ある雑誌のインタビューで、私は彼の死についてしゃべった――
そのインタビュー記事の題名は、「私は畳の上で死にたい」。それがすべてを言いあらわしている。

小田実
「三島由紀夫との接点」から
212無記無記名:2009/07/13(月) 15:03:30 ID:4sgKgKIm
しかし、接点がひとつあった。確実にあったと思う。
私はそのころベトナム反戦運動に精を出していた。
…私はこの「ただの市民」の運動を自分で考えてやり出し、自分でそれなりに力も時間も金も出してやった。
そして、小説もとにかく書いていた。
三島も「楯の会」で同じことをしていた。
彼は「楯の会」を自分で考えてやり出し、力と時間と金も出し、小説も書きながらやっていた。
それが二人の接点だった。そのころも私はそう思っていたし、今も思っている。
ついでにもうひとつ言っておけば、そうした意味での接点を私が感じとったのは、あとにも先にも、彼ひとりだ。

小田実
「三島由紀夫との接点」から
213無記無記名:2009/07/19(日) 01:24:45 ID:gJ0VHlzC
 来年、没後40年を迎える作家・三島由紀夫(1925〜70)はボディービル愛好家だったことでも知られている。
「県ボディビル連盟」事務局長の大山雄将さん(69)は、東京都内のボディービルクラブで約15年間、三島と共に汗を流した仲だ。大山さんに文豪・三島の素顔を語ってもらった。【山口香織】
 ◇威張らず、とても気さく
 ◇間違いと思えば、許さない人
 ◇自決のショック今も忘れず 楯の会を組織、行く末に危惧感じ 奥さんの「将来が不安」言葉が的中

 「初めて会った時、彼はとても貧弱な体で顔色も青白かった。大半の仲間が『三島さんは続かないだろう』と思ったくらいですよ」と大山さんは振り返る。
病弱だった三島がボディービルを始めたのは55年のことだ。

 東京都豊島区出身の大山さんは、高校1年生の時に千代田区有楽町のボディービルクラブでボディービルを始めた。
三島が同じクラブに入会したのは翌年。当時の三島は「潮騒」などを発表し、すでに売れっ子作家だった。

全文
http://mainichi.jp/area/yamanashi/news/20090718ddlk19040077000c.html
214無記無記名:2009/07/19(日) 14:00:36 ID:lll2wyth
そして三島は言った。
「ずんどこべろんちょ」
215無記無記名:2009/07/19(日) 14:55:55 ID:QeA9moBv
読んでます
矢張り純粋な人間ですね三島は
216無記無記名:2009/07/23(木) 15:52:56 ID:RFNb0S1b
一九七〇年の秋、私たち三島の友人は、いつになく彼と頻繁に顔を合わせた。
当時、私は、「仮面の告白」と「潮騒」の翻訳者メレディス・ウェザビーと一緒に住んでいた。
そこに、写真家の矢頭保や、時には俳優のヨシ笈田が顔を出した。みんな三島とは旧知の間柄だった。
…日本は何処かへ行ってしまった、姿が見えなくなり、消えてしまった、僕はそう思うね、という三島の言葉を私は覚えている。
まさか、探し回ってみれば、日本はまだまだいろんなところに残っているはずだよ、と私は笑みを浮かべながら応えた。
三島は真顔で首を振った。
三島が冗談を言っているのだという思いを捨てきれなかった私は、日本を救う道はあるのかね、と訊ねてみた。
「ないね。もはや救いようがない」と三島は言った。
その言葉を聞いて、三島が冗談を言っているのではなく、大真面目なのがわかった。

ドナルド・リチー
「三島の思い出――最後の真の侍――」より
217無記無記名:2009/07/23(木) 15:53:43 ID:RFNb0S1b
私は、三島が、合理主義一辺倒で、精神性を蔑ろにし、ぬるま湯に漬かったような現代日本の姿に嫌悪を催すようになり、
秩序の整っていた往時を懐かしんでいるのを知っていた。
以前、私がからかって、「楯の会」を三島のボーイスカウトだと発言したとき、三島は笑っていたが、
「数少ない彼らボーイスカウトと僕は、秩序を保つ核となるんだ」と言った。
あなたが社会の秩序を決めることができるというの、と私が訊ねると、三島は厳粛な顔で頷いた。
「あなたは誇大妄想狂だ。あなたは天皇を超えた存在だとでも」と私が冗談まじりに言うと、
三島はにこりともせずに、「そうなんだ」と言った。
私が三島に最後に会ったのは、彼の死の二、三週間まえだった。
晩餐に私たち友人を「クレッセント」に招待してくれ、食事中、何回となく西郷隆盛の話題――隆盛の最後の日々や
自決の前に隆盛を処断した親友について――にもどっていった。

ドナルド・リチー
「三島の思い出――最後の真の侍――」より
218無記無記名:2009/07/23(木) 15:54:59 ID:RFNb0S1b
三島が言うには、西郷は自分では革命に失敗したことを知っていた。
武士道のあるべき姿を確立しているつもりでいたが、親政府は官僚主義に屈していたのである。
次いで、三島は、西郷の行動の美しさ、すべてが失敗に帰し、望みがすべて絶たれたとき、
西郷がとった伝統に則った自決の作法の美しさについて滔々と話し始めた。
「西郷は最後の真の侍だ」と三島が言ったのを記憶している。
だが、こう言いながらも、三島本人は自分こそ最後の侍だということを自覚していた。
今にして、私にもそのことは理解できる。
たぶん、三島はしゃべりながら、西郷に憧れて自分が企てたことを私たち友人が悟る瞬間を思い描いていたのだろう。

ドナルド・リチー
「三島の思い出――最後の真の侍――」より
219無記無記名:2009/07/23(木) 15:55:48 ID:RFNb0S1b
そう思うのは、小説家としての三島は、作品の登場人物の人生ばかりか、友人の人生まで操っていたような節があるからだ。
…私たちは、三島の人生で演ずる、それぞれの役を振り当てられている。
たとえば、ドナルド・キーンは、三島の人生でもっとも重要な外国の文学上のかけがえのない友人であり、
文学や翻訳の問題点について議論できる相手だった。
私はというと、キーン氏に比べてたいした役割を担ってはいない。
私は外国人の傍観者で、三島が噂話をしたり、考えをぶつけたり、胸の内を打ち明けたりする存在だった。

ドナルド・リチー
「三島の思い出――最後の真の侍――」より
220無記無記名:2009/07/23(木) 15:56:39 ID:RFNb0S1b
さらに、三島の死――彼が亡くなったという事実と自決したということ――
に対する私たちの反応においても私たちが演ずる役が決まっていたのである。
たぶん私の唯一の台詞は――「いや、違う。最後の侍は三島自身なのだ」
それが三島が私のために考えてくれた台詞かそうでないかはわからないが、三島が真の侍だったことは確かだ。
三島は、あるがままの物とそうあらねばならない物とを比較し、世間の無関心にもかかわらず、
自分でより良いと考える基準に従って生きる芯の強さを持っていた。
三島はまた、その基準に従って、侍本来のやり方で、死ぬ強さをも持ち合わせていた。

ドナルド・リチー
「三島の思い出――最後の真の侍――」より
221無記無記名:2009/07/27(月) 01:08:09 ID:5uExMXXE
age
222無記無記名:2009/07/28(火) 15:33:35 ID:rOF74OmB
だいぶ以前のことだが、三島君は私の家に遊びに来た時、デパートの売子たちの無知と無礼粗暴な態度を怒り罵倒し、
「こういうのが現代の若者だというなら、僕はできるだけ長生きして彼らが復讐を受けるのを自分の目で見てやりたい。
それ以外に対抗策はありませんね」と真顔で言って私を笑わせてたことがある。
彼にもこのような意味の長生きを考えていた一時期があった。
いわゆる「夭折の美学」を捨て、図太く生きて戦後の風潮と戦ってやろうと決意したのだ。

林房雄
「悲しみの琴」より
223無記無記名:2009/07/28(火) 15:34:48 ID:rOF74OmB
彼が週刊誌に荒っぽい雑文めいたものを書きはじめ、グラビアにも登場しはじめたとき、「いったいどうしたのだ」
とたずねたら、「戦後という世相と戦うためには、こんな戦術も必要でしょう」と笑って答えた。
だが、この「長生き戦術」または「毒をもって毒を制する戦略」はやがて捨てられた。
怒れる戦士は迂回作戦を軽蔑しはじめ、単刀直入を決意した。
『英霊の声』はこの視角から読まねばならぬ作品である。

林房雄
「悲しみの琴」より
224無記無記名:2009/07/28(火) 23:33:38 ID:IZ1AfTnJ
>>12,52
喜八みたいなサヨクビルダーもいるけどね
225無記無記名:2009/08/01(土) 11:53:38 ID:dct4Rb5R
三島由紀夫 インタビュー
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6218318
226無記無記名:2009/08/02(日) 16:32:01 ID:d28otMT6
私にとって(文学と人生双方にとって)大事なのは「文」「武」もさることながら、「作」と「商」だった。
「作」と「商」なしには、人間は生きて行けない。
ことに古来日本の「商」の中心としてあって来た大阪生まれ、育ちの私にとって重要なのは「商」だ。
私と三島との次元のちがいは、ここにおいても明瞭だろう。
しかし、今、「商」はわが日本においてあまりにはびこりすぎている。
かつて、「文」「武」において大いに三島と共感したかつての若き過激派の学生たちも
今やそのはびこりの中心にいて、したい放題のことをしているように見える。
「文」においても、今や「商」あっての「文」。
私は三島の「文」「武」に賭けた純情をなつかしく思う。

小田実
「アンケート 三島由紀夫と私」より
227無記無記名:2009/08/03(月) 11:22:54 ID:ZR1g2W8d
三島氏のベンチやスクワットのMAXはどのくらい?
228無記無記名:2009/08/03(月) 11:46:13 ID:FJHg6b1u
ビフテキもりもり食ってあの身体ができたんだっけ
229無記無記名:2009/08/03(月) 16:12:52 ID:gpPw9U0H
ボデービル始めてから胃弱体質も治ったみたいね
んでビフテキもりもり

・・・俺は全く胃弱治らんがな。朝はお茶漬け以外受け付けない
230無記無記名:2009/08/05(水) 14:20:22 ID:kRs14Mz6
ビフテキは毎日は食べなかったんじゃないかな。
胃弱は治ってもお茶漬け好きは変わらなかったようです。
231無記無記名:2009/08/05(水) 15:01:12 ID:7UVvjQax
お茶漬けはいいものだ
232無記無記名:2009/08/05(水) 15:38:11 ID:soxW2LDi
三島氏のベンチは120キロスクワット150で記憶してますが。
233無記無記名:2009/08/05(水) 15:51:31 ID:g6YOqkAe
ベンチ90じゃなかった?
ソースないけどw
あと脚はろくに鍛えてないはず
スクワット150であの脚はありえないし
234無記無記名:2009/08/05(水) 20:58:35 ID:/2cK2kui
>232
それはない。
ベンチが80〜90のあたりだった。
>233
後楽園で同時期にトレーニングしていた方、何人かと知り合いだったんだけど、
三島のトレーニングについて訊くと、脚ばかり熱心に鍛えていた、という人もいれば
腹筋を熱心にやってた、と言う人もいた。

ちなみに皆さん共通の三島評は
・お洒落な人だった
・下ネタや冗談が好きだった
・いつも真っ黒に日焼けして、ネックレスをつけていた
というあたり。
235無記無記名:2009/08/06(木) 02:15:49 ID:ytGjAW2v
トレーニング始めてからもカロリーは必要最低限しか摂取してなかったらしいね。
増量してパンパンに太った写真見た事無いもんなぁ。
一年で12kg増やして、三〜五ヶ月で10kg減らすってサイクルを繰り返してたらもっとバルクアップしてたはず。
236無記無記名:2009/08/06(木) 08:25:55 ID:fsv24B8y
自分でミスター腹筋って言ってたのはホントらしいけど。
足を鍛えることはさほど意識してなかったんじゃないかな。
237無記無記名:2009/08/06(木) 10:04:25 ID:R38J0IYJ
>>229
しょっちゅう胃痙攣になって、自分で薬を注射していたらしいね。
238無記無記名:2009/08/06(木) 10:12:52 ID:R38J0IYJ
>>234
後楽園のジムで一緒だった人が、ベンチに俯せでやるレッグカールをよくやっていたと、テレビで言ってた。
ジョンネイスンは「からっ風野郎」の三島を見て、上半身に較べて脚が細すぎると書いているな。
庭にアポロ像を置く人だから、アポロ像のような、ふくらはぎや腿が盛り上がった脚に憧れていたと思うけどな。
239無記無記名:2009/08/06(木) 10:19:11 ID:R38J0IYJ
>>235
煙草を吸う、酒は付き合いで少しだけ、
ステーキやソイプロテインを毎日多めにとるだけで下痢になる胃弱、
もともと太れない体質、生活なんじゃないかな。
240無記無記名:2009/08/06(木) 10:23:19 ID:R38J0IYJ
>>236
美しい切腹をするために、腹筋を割っていたとか。
仲代達也が、飛行機で三島と初めて初対面して、ボディビルをやる理由を尋ねたときの回答。
241無記無記名:2009/08/06(木) 10:50:15 ID:UbsQbFJ+
>>240
結果的にはそうなったけど、ボディビルを始めたのは30歳くらいで死ね15年も前だから、最初は肉体美と肉体鍛錬が動機。
242無記無記名:2009/08/06(木) 10:54:35 ID:UbsQbFJ+
>>238
脚は細身のズボンを穿くため、モリモリにならないようにしてたという説もあるよ。
243無記無記名:2009/08/06(木) 11:31:46 ID:v4sHZ3cE
ところで、ズボンって言い方なんとかならないかな。
ズボンって、カッコ悪い表現じゃない?ズボン!
うーん。
244無記無記名:2009/08/06(木) 15:29:09 ID:UbsQbFJ+
>>243
もとの出典に「細身のズボン」ってあるからそのままにしてます。
245無記無記名:2009/08/06(木) 17:37:41 ID:v4sHZ3cE
ズボンって何語なの?
英語?
246無記無記名:2009/08/06(木) 22:11:15 ID:INcRrWX3
http://www.youtube.com/watch?v=IluI_fsjVYQ&feature=related
映画「人斬り」映画「人斬り」映画「人斬り」
映画「人斬り」映画「人斬り」映画「人斬り」
映画「人斬り」映画「人斬り」映画「人斬り」
映画「人斬り」映画「人斬り」映画「人斬り」「人斬り新兵衛」こと薩摩藩士・田中新兵衛を演じた三島由紀夫は、劇中においても鮮烈な印象を残したが、その翌年、自身も壮絶な死を遂げることとなり、この作品の価値をセンセーショナルな話題を呼ぶものとした。
247無記無記名:2009/08/06(木) 23:19:44 ID:Pi00Eb65
懐かしいねー、田中新兵衛。
三島モノで普通にレンタル屋にあったのはこれくらいだった。
今じゃ憂国もyoutubeにあるし、生首も簡単に見れる。

黒蜥蜴、からっ風野郎、人斬り、不道徳教育講座、憂国、あと何かあったっけ
248無記無記名:2009/08/07(金) 11:21:34 ID:/2FCu+In
>>247
潮騒、金閣寺(炎上)
午後の曳航、音楽、獣の戯れ、
もっとあるかな
249無記無記名:2009/08/07(金) 11:34:29 ID:kow9OZjM
本人出演(含・チョイ役)の奴って意味なんだけど。
250無記無記名:2009/08/07(金) 11:42:32 ID:UKUWDZa2
>>246
ウホッいい身体。よく鍛えてあるなぁ。
251無記無記名:2009/08/08(土) 17:23:25 ID:tKuKsoIH
>>239
本人は自らを「絶望的なまでに肉体の才能が無い」と卑下していたらしいけど、元々痩せてる上にたんぱく質を消化出来ないんじゃ本当に絶望だな…。
でもだからこそ徐々にでも変化が見られたのは嬉しかったろうなぁ。
252無記無記名:2009/08/10(月) 23:01:04 ID:NF5au6nT
三島由紀夫が小さな出版社の名前を付けた話はあまり知られていない。
三島には終戦の年の十月に勤労動員の疲れから腸チフスに罹って亡くなった妹がいた。
…たまたま私の家内がその妹の美津子と女学校時代の同窓だった。
母倭文重からその話を聞いた三島は
「あなたの奥さん、うちの妹と同級だったんですって……よかったらいちど遊びにいらっしゃいませんか」と言った。
そのころ家内は月刊の俳句雑誌『俳句とエッセイ』のほか、詩集や演劇関係の本を出す小さな出版社をはじめる準備をすすめていた。
後日揃って大森の新居に伺って、ロココ風の客間で歓談のとき三島は「こんどの出版社の名前は何んていうの」と聞いた。
私がいくつかの候補の中から牧神と牧羊の名前をあげたとき、三島はズバリ「牧羊社がいいね」と言った。
このとき家内の要望を容れて大判の色紙を用意し、墨痕鮮やかに「牧羊社」と揮毫をしてそのわきに三島由紀夫と署名した。
こんな縁で命名の儀式は思いがけなくトントン調子に行われた。

川島勝
「三島由紀夫の豪華本」より
253無記無記名:2009/08/10(月) 23:03:22 ID:NF5au6nT
…書斎に通されたとき、私は書棚に並んでいる一冊の本が目にとまった。
堅牢な黒い外函の中にベージュ色のフランス装の本が繭玉のようにひっそりと収まっていた。
ルミイ・グウルモン著、ジョルジュ・エスパニヤ画の「シモーヌ」堀口大学訳の詩画集であった。
三島は「これ学生のころからの愛蔵本ですよ。いつかぼくもこんな本を作りたいね。『岬にての物語』なんか
ぴったりと思うんだがね」といたずらっぽく言って爆笑した。
…この日は夕方までお邪魔をした。庭続きに住む両親の平岡梓夫妻も招んで、瑶子夫人の手料理の歓待を受けた。
…三島は父親と同席のときはたいてい聞き役に回っていたが、この日はとくに妹美津子と家内を重ねて当時のことを
思い出していたのか心なしか寡黙にみえた。

川島勝
「三島由紀夫の豪華本」より
254無記無記名:2009/08/10(月) 23:04:44 ID:NF5au6nT
この訪問がきっかけとなり発足間もない牧羊社で三島由紀夫の「岬にての物語」の豪華本を出すことになった。
装幀、造本について私はまえに担当した三島作品の「永すぎた春」で評判のよかった初山滋の抽象的な色感あふれる絵を
頭の中に描いていたが、三島は「ぼくもいろいろ考えたが蕗谷虹児はどうだろうか」と言った。
高畠華宵や加藤まさを風な少女像も魅力だが、蕗谷虹児の様式美の方がこの作品にふさわしいというのが三島の意見だった。
話がまとまって私は…蕗谷虹児のアトリエを訪ねた。
応接間に現れたのは繊細な画風からは想像もできない漁師のように日焼けした骨太の老画家だった。
蕗谷は三島からの名指しの依頼を喜び、アトリエの棚の上から一枚の金地の色紙をとって私に下さった。
花嫁人形の絵の脇によく知られた詩が書かれていた。
この「花嫁人形」の作詞家が蕗谷虹児だったことを、私はその時まで不覚にも知らなかった。

川島勝
「三島由紀夫の豪華本」より
255無記無記名:2009/08/10(月) 23:06:01 ID:NF5au6nT
「岬にての物語」の主調低音に三島の若き日の失恋の思い出があった。
そんな心象風景のなかにこの歌詞がどのように映っていたのか……
三島は「花嫁人形」の作詞家が蕗谷虹児と知ってこの画家を選んだのだろうか。
それから三ヶ月がたって、彩色されたあえかな少女像と黒白の五枚の線描きの挿絵が完成した。
蕗谷はテレたように「少々、苦心したんですよ」と自信ありげに言った。
「蕗谷虹児の少女像」のなかで三島は
〈……そしてどこかに漂ふかすかな「この世への拒絶」「人間への拒絶」ほど、「岬にての物語」の女性像として
ふさはしいものはないばかりでなく、おそらく蕗谷氏の遠い少年の日の原体験に基づいてゐるにちがひない……〉
と記しているが、ここには妹の死と失恋と三島自身の青春への訣別が色濃く反映されていた。
(略敬称)

川島勝
「三島由紀夫の豪華本」より
256無記無記名:2009/08/17(月) 11:59:28 ID:wcjqSS/u
ある政治家が「狂気の沙汰」と呼び、これに迎合するかのようにある作家が「精神分裂症」と診断した。
病理学的な狂気は三島由紀夫君にはなかった。
狂気とかたづけてしまえば、その時点で政治家も作家も、一切の思考を停止し、責任を回避することができる。
ソ連のような国では、多くの健康な作家が精神病院に入れられている。
独裁者と怠惰な思考喪失者にとっては、人を狂人あつかいにすることほど簡易軽便な処理法はない。
「賊と呼び狂と呼ばんも、他評に任ぜん」という句は、維新志士たちの辞世の漢詩にときどき出てくる。
出典はシナにあるかもしれぬが、これが古今に通じる志士の心である。
三島君自身も狂人呼ばわりの「他評」はもとより覚悟していた。

林房雄
「悲しみの琴」より
257無記無記名:2009/08/17(月) 12:00:36 ID:wcjqSS/u
三島君の熱望は決して政治概念としての天皇の復活、したがって明治憲法復元論でもなく、ただ左右の全体主義
(共産主義とファシズム)に対抗する唯一の理念としての「文化の全体性と統括者としての天皇」の復活と定立であった。
このような定立が、「古代の夢」は別として、日本の歴史において実現された実例があったかどうかは
論争的として残るが、その試みが幾たびか行われて、多くの忠臣と志士がこの夢に命を捧げたことは事実である。

林房雄
「悲しみの琴」より
258無記無記名:2009/08/24(月) 13:08:07 ID:M4oc4EIB
259無記無記名:2009/08/26(水) 10:26:57 ID:ViGmi2Z9
アメリカの大神殿というべきWTCに旅客機が突っこみ、赤い炎に包まれながら超高層ビルが崩れ落ちていった日、
あの9・11を忘れる人はどこにもいないだろう。
もう一つ、同じような分岐点がある。
作家・三島由紀夫が割腹自殺したとき、自分がどこで何をしていたか、たちどころに思いだせるはずだ。
…一九七〇年、長距離バスでイランの砂漠をよぎっていたときのことだ。
まわりの乗客たちはモスリムの人々ばかりだった。
…モスリムは一日に五回の礼拝を欠かさない。その時間がやってくると、屋根を踏みならす音が響いてくる。
…運転手がしぶしぶエンジンを止めると、乗客たちは屋根や窓から飛びだし、いっせいに砂漠へ走っていく。
そして四つん這いになり、焼けついた砂に額を押しつけながらアッラーの神に祈る。
車内に残っているのは、運転手と、ぼくと、イギリス人だけだった。礼拝が延々とつづいているとき、
「ユキオ・ミシマのハラキリについてどう思うか?」唐突に、若いイギリス人が語りかけてきた。

宮内勝典
「混成化する世界へ」より
260無記無記名:2009/08/26(水) 10:28:48 ID:ViGmi2Z9
ぼくはしばらく考えてから答えた。
「ああ、映画の話だろう」
「いや、ほんとうにハラキリしたんだよ」と読みかけのNewsweekを差しだしてきた。
…窓の外ではモスリムの人々が真昼の砂漠にひれ伏しながらアッラーの神に祈っている。
そして、ふるさとの日本では「天皇陛下万歳!」と叫びつつ、三島由紀夫が切腹したのだという。茫然となった。
…アフガニスタン、パキスタンを過ぎてインドに入り、カルカッタの日本領事館の新聞でついに確かめることができた。
切断された首が床に据えられていた。
金とセックスと食い物しかない日本で、一つの精神がらんらんと燃える虎のような眼でこちらを見すえていた。

宮内勝典
「混成化する世界へ」より
261無記無記名:2009/08/26(水) 10:29:32 ID:ViGmi2Z9
それから二十数年が過ぎて、かれが切腹した市ヶ谷駐屯地の総監室を訪ねることができた。
…三島由紀夫が日本刀をふりおろしたときの刀傷が、飴色のドアの上に残っていた。
…モスリムの人々が礼拝する砂漠で三島由紀夫の自決を知ったのだが、偶然とはいえ、イスラム原理主義者たちと、
かれの思想には、通低するものがあると思われてならない。
…アッラーの神のような超越性のない日本で、かれは天皇に固執した。文化を防衛しようとした。
むろん肯定できないが、三島由紀夫の文学そのものをぼくは畏敬している。
恥ずかしいがあえて洩らせば、十代の頃、かれの文章をノートに筆写していた。
…紙数が尽きたから結語を述べよう。ぼくもまた西欧近代に追随したくはない。
だがそれを拒むナショナリストにもなりたくない。ぼくは混成化していく世界を生きたいと思う。

宮内勝典
「混成化する世界へ」より
262無記無記名:2009/08/26(水) 21:18:35 ID:d8fDUAT2
>>228
500gのビフテキを週3回食ってたらしい。
263無記無記名:2009/08/27(木) 02:56:22 ID:fmIzJl4v
>>262
同時代の庶民のヒーローであった力道山は、
毎昼食に、明治屋の特上牛肉1匁のビフテキを食っていたとか。
ちなみに、過度の肉食のせいで体が酸性になっただかで、
暴漢に刺された後の手術に支障があったと、ナンバーに書いてあった。
264無記無記名:2009/08/27(木) 11:36:47 ID:BPI70JUU
美空ひばりもカツ丼の食い過ぎで寿命を縮めたと岡田茂(東映名誉会長)の本に書いてあったな。
265無記無記名:2009/08/27(木) 21:48:53 ID:lwdZrp2o
なんでそんなに詳しいのだ?!
266無記無記名:2009/08/28(金) 20:31:49 ID:/c6KVjm9
584 :名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2009/08/28(金) 08:07:47
mp3音声2.39MB↓ここまでボロカスに腐したら長渕もスルーしないだろ
ttp://db6.voiceblog.jp/data/kajimasakai/1251250312.mp3
7分20秒あたりから↓

歌手でもいるでしょ、アレ、長渕とかいう奴・・・アレね、昔ね、飛行機でいっしょになったことあるんですよ・・・
その頃ね、まだボデービルやってない…背のちっちゃい髪長くした、もうちっちゃな子供ですよ…ひ弱な・・・
…で、もの凄い、あ、コ、コイツ虚弱児かなって思うような子供、だからボデービルを一所懸命にやって
まぁそうとう劣等感があったんだなぁ、だいたいねボデービルする人ってみんな痩せて虚弱な人ですよ・・・
それで一所懸命こう自信をつけるためにつまり穴埋め、存在不安に陥ってるから肉体をつくることによって
自分の気持ちを埋めてくんですね、だからボデービルやってる人を見たらこの人は肉体的劣等感の塊だと思えばいいんです・・・

あのぉ三島由紀夫もそうですよね、三島由紀夫は、もうこんな痩せてですね、
彼、軍、軍隊っていうかねぇ、あのぉ兵隊に行こうとしたの、とてもじゃないけど、
そのぉ合格しない、そいでもう肉体的な劣等感があってあってあってそいでボディビルを始めたわけ、、、ね、、

だからボデービルする人を、やってる人を見たらその人は本当に劣等感の塊なんですよ・・・
だからどうしてボデービルをやっちゃうかなって思っちゃう、何でかというと私は劣等感の塊ですよと、
こう張り紙して歩いてるようなもんでしょ・・・
ほいで自分で強がってね、こう、俺はさぁ、みたいな、長渕のなんか喋るの見たらわかるじゃない・・・
俺はさ、ガンガンやってさぁみたいなねそんなことばっかり言ってるわけ、だから、まぁ、身体で虚勢を張る・・・
その発言で虚勢を張るっていうことで自分の劣等感とか存在不安を塗り込めちゃうんですね・・・
267無記無記名:2009/08/28(金) 21:29:16 ID:ZZwSZrLl
>266
これをシュワちゃんに言ってほしいな
268無記無記名:2009/08/28(金) 22:30:48 ID:XjJ8sows
>>266 あなた? 大丈夫自殺とかしないでね
269無記無記名:2009/08/29(土) 00:08:47 ID:0aQW6JDM
虚弱体質をボディビルによって克服し人生が上向いた人に
成金や美容整形した人に対して感じるような「イタさ」を感じるのは分からんでもない
でもそいつら以上の肉体、経済力、美貌を持たないような奴がそれを言うのはさらに見苦しい
270無記無記名:2009/08/29(土) 10:42:04 ID:a+bsoRac
25〜30年前のことを引っ張り出すような理由があるのだろう
せっぱ詰まった売名行為にはしるような売れなくて困窮してる商品があるとかW
271無記無記名:2009/09/02(水) 10:31:50 ID:puFm2f/l
亀はしあわせをよぶという。
私の手許に、甲羅に彫りの入った八ミリほどの小さな金の亀のペンダントトップがある。
これは私が十代の頃、三島さんに頂いたもの。
戦後間もなく、現在のように海外渡航が自由でなかった頃、三島さんはいち早く外国に足を運ばれた。
この亀はその時のおみやげである。
…私のアクセサリー箱の中では一番の古株、出番も多く、いわばお守りのような存在だ。
私が三島さんにお目にかかるのは、いつも我が家が「鉢の木会」のお当番の時だった。
…今では、大岡昇平、中村光夫、吉田健一、福田恆存、三島由紀夫の各氏、それに私の父の神西清はみな故人となった。
三島さんは会の中では一番若く、そのせいか口うるさい面々の恰好の揶揄の対象になることもしばしばで、
その場合三島さんの逃げ道は二つ。
まずはあの豪快な笑いで、からみつく蜘蛛の糸を振り払い、次の手はゴロッと横になって高鼾をきめこむ。

神西敦子
「三島夫妻と二つの亀」より
272無記無記名:2009/09/02(水) 10:32:36 ID:puFm2f/l
元々が個性の強い人たちの集まりである。お酒の飲みっぷりも各人各様で、見飽きることがなかった。
酒宴が進むほどに、笑い声も賑やかになるのだが、三島さんのそれはいつも大きく際立っていた。
一人一人の顔にそれぞれの特徴ある笑い声が重なり、懐かしく往時を思い出す。
連歌を楽しみ、時にはお互いの仕事に対する鋭い批判も交錯し、この上なく濃密な時だった。
父の死後、「鉢の木会」が二階堂の家でひらかれたことがある。
三島さんは新婚間もなくで、座は瑤子夫人のお目出度の話題で盛り上がっていた。
襖越しに耳にした「医者に診てもらえと云ったんだ」という、三島さんのひときわ高い誇らしげな声は忘れることができない。
その時お顔は見なかったが、きっとあの大きな目が特別輝いていたことだろう。

神西敦子
「三島夫妻と二つの亀」より
273無記無記名:2009/09/02(水) 10:33:20 ID:puFm2f/l
たった一度だけ、三島さんと銀座を歩いたことがあった。
私の大学卒業に際し、「鉢の木会」が腕時計をくださるということで、和光に出向いた。
三島さんはいつもどおりの笑いを振りまき、もとより知られた顔だから、集まる人々の視線が眩しく、とても気恥ずかしかった。
三島さんは、大変几帳面で礼儀正しく、細やかな心遣いをされる方だった。
父の生前は父に、亡くなってからは母に、筆、あるいは万年筆で署名された三島さんの著書が律義に届けられた。
なかには、「神西清様」と記された名刺がはさんであるものも何冊かある。書体は均整がとれていて美しい。
…装幀も凝ったものが多い。
…代表作「金閣寺」の限定版は、年数のたった今も、手にとるとふんだんに使われている金箔が指につくほど豪華で、
本箱のたくさんの三島本の中でも王将格である。
奥付には、本書は二百部を限定刊行す、その内二十部は無番号著者家蔵本、本書はそのNo.、とあってナンバーはついていない。
これをみても三島さんが、いかに父に礼を尽くして下さっていたかがわかる。

神西敦子
「三島夫妻と二つの亀」より
274無記無記名:2009/09/02(水) 10:34:06 ID:puFm2f/l
季節毎の心遣いも、瑤子夫人が亡くなるまで途切れることなく続いた。稀有なことである。
瑤子夫人死去の報は、ご病気を知らなかったこともあり、私を大そう驚かせた。
夫人の通夜の晩はむし暑く、三島邸前の道路は別れの時を待つ人で埋めつくされ、月も動きをとめ、大気は重く悲しみに沈んでいた。
天空にあった細い月は夫人の魂をいざなうかのように、やがて視界から消えていった。
日ならずして、夫人を偲ぶ品が届けられた。
小箱の中には、甲羅が緑色、足が紫色の石の、美しい大きい亀のブローチ。
偶然とはいえ、この不思議な巡り合わせに私はしばし言葉もなかった。
金の亀と緑の亀。二つめの亀の出現で、三島夫妻は私の中で一つの像となった。

神西敦子
「三島夫妻と二つの亀」より
275無記無記名:2009/09/08(火) 11:19:18 ID:WTdVysxW
平成十年の春、私はある方を通して、三島由紀夫の学習院の中等科・高等科時代に、同校の先輩であり、
文学上の友人であった東文彦(本名・東健)に宛てた、多くの書簡を手にすることになった。
…この書簡の中味については、すでに解説で記したのでここでくりかえさないが、十代半ばからの、
まだどこか幼さを残す、平岡公威のその手紙の筆蹟を目にしたときの強い印象は、今も鮮明によみがえる。
後年の、作家・三島由紀夫の自筆原稿の見事な文字は写真で見たことがあったし、…短編小説「蘭陵王」の原稿の
完全復元版を私は持っていたので、そのほとんど直しのない楷書体の雄渾な手蹟は、天才のあかしのように見えた。
十代の手紙は、処女作「花ざかりの森」についての昭和十六年七月二十四日付の唯一の毛筆の書簡も含めて、
これもほとんど全て形の整った丁寧な文字で記されており、信頼する先輩にむけて、自らの堅忍不抜の
文学への思いを存分に披瀝している。

富岡幸一郎
「十代書簡、その手蹟」より
276無記無記名:2009/09/08(火) 11:20:18 ID:WTdVysxW
しかし、便箋をびっしりと埋めたその文字からは、やはり十代ならではの、初々しさと真摯さがうかがえた。
手紙の文面の、まさに天賦の才を、早熟に刻印した瞠目すべき内容とは、ときにちぐはぐとも見える、
その手蹟の生真面目さ、素朴さは、私にある哀しみのようなものを感じさせずにはおかなかった。
そうだ、この哀しみの感触こそ、自分が三島の文学のなかにずっと感じてきたものではないのか。
恋人であった園子と再会した「私」が、腕に牡丹の刺青のある半裸の男の肉体に、目をうばわれた瞬間を、
〈雷が落ちて生木が引裂かれるやうに〉と記した「仮面の告白」のラストシーン。
「真夏の死」の朝子がみせる、かつて愛児を呑み込んだ夏の海辺に戻って来て、放心したように
〈何事かを待つてゐる表情〉。
金閣寺に火を放った主人公が、自分の死場所として夢みていた究境頂に入ろうとし、戸を叩くが、開かずに、
ためらわずに身を飜えして階を駈け下りる一瞬。
「三熊野詣」の藤宮先生が、熊野那智大社の境内で女の名を朱筆で記した櫛を、枝垂桜の下に埋めようとして、
爪で土を掻き出すところ。

富岡幸一郎
「十代書簡、その手蹟」より
277無記無記名:2009/09/08(火) 11:21:00 ID:WTdVysxW
また、「英霊の声」の次のような一節。
〈だが、昭和の歴史においてただ二度だけ、陛下は神であらせられるべきだつた。
何と云はうか、人間としての義務において、神であらせられるべきだつた。この二度だけは、
陛下は人間であらせられるその深度のきはみにおいて、正に、神であらせられるべきだつた。…〉
そして「豊饒の海」最終巻、「天人五衰」の最後で本多繁邦が、奈良の月修寺の門跡となっている聡子に会うために
車を走らせながら、その夏空の下の景色に目をやったときの感慨……。
〈……目の前に光りと感じられてゐるものは、底知れぬほどの闇の陰画なのであらうか。
さう思つたとき本多は、自分の目が又しても事物の背後へ廻らうとしてゐるのを感じた。…〉
…三島の光彩陸離たる作品群は、戦後の日本文学を四半世紀にわたってかたちづくった。
その多才と意志強固な行動力は、あの割腹死に至るまで揺らぐことはなかった。

富岡幸一郎
「十代書簡、その手蹟」より
278無記無記名:2009/09/08(火) 11:21:50 ID:WTdVysxW
しかし、その生と文学の底には、この〈世界〉を、〈自分の手の上にそつと載せて護つておかなければ〉、
そうしなければならない宿命を負った少年の自意識の哀しみが、つねに通奏音としてあったのではないか。
自決の直前のインタビューに答えて、三島は「十代の思想」への回帰ということを、自らの口で語った。
〈ひとたび自分の本質がロマンティークだとわかると、どうしてもハイムケール(帰郷)するわけですね。
(中略)十代にいっちゃうのです。十代にいっちゃうと、いろんなものが、パンドラの箱みたいに、
ワーッと出てくるんです〉(「三島由紀夫 最後の言葉」)
私がその十代書簡の筆蹟のうえに見たものも、三島由紀夫=平岡公威のハイマート、すなわち源泉の感情であった。
その自我は、彼の帰郷の道行きであったともいえよう。

富岡幸一郎
「十代書簡、その手蹟」より
279無記無記名:2009/09/09(水) 16:19:41 ID:gyqu7ToM
吉田満は、三島由紀夫の「死」を、青春の頂点において「いかに死ぬか」という難問との対決を通してしか、
「いかに生きるか」の課題が許されなかった世代――そのような世代のひとつの死としてとらえ直してみせた。
あの自決がさまざまな意味を「異なる解明の糸口」を示していながら、実のところ戦争に散華した仲間と
同じ場所を求めての、死の選択であり、そのような願いによる決断であったという。
これはたんなる世代論だろうか。
三島由紀夫の生と文学を、あまりに単純な世代の「死」として単純化してしまうことになるのだろうか。
私はそうは思わない。

富岡幸一郎
「仮面の神学」より
280無記無記名:2009/09/09(水) 16:21:06 ID:gyqu7ToM
保田輿重郎は三島の自刃に際して「三島氏の事件は、近来の大事件といふ以上に、日本の歴史の上で、
何百年にわたる大事件となると思った」と記したが、もし仮にそうだったとしても、それは三島由紀夫という
個的な存在の、その生と死の劇的な問いかけゆえにではなく、その「死」が疑いもなく一つの世代の夥しい「顔」と
重なり合い、その死のなかに埋没することを懇望したものであったからではないか。
あの自決事件は、決して特異なものでも異常なものでもなく、あえていえば平凡な静謐さのなかにある。
そう思うとき、『豊饒の海』第一巻の冒頭で描かれた「セピア色のインキで印刷」された日露戦没の写真――
その風景を想起せずにはいられない。

富岡幸一郎
「仮面の神学」より
281無記無記名:2009/09/09(水) 16:22:41 ID:gyqu7ToM
…池田浩平や吉田満といった同世代の死者のなかにとらえるとき、戦後作家としての彼の仮面――
『仮面の告白』についての作家自身の注釈でいえば「肉づきの仮面」――の背後に隠されていた素顔が浮かびあがる。
戦後作家としての無数の華麗な「仮面」。
神学者の大木英夫は、三島由紀夫は、その文学は仮面をかぶることによって、「神学問題で灼けただれている
現実にも耐える」と正確に指摘した。
《そして死を避ける。しかし、彼の文学は、かえってその仮面が割れて、素顔が出て、神学問題に直面するところがある。
そして死が避けられなくなる。
さまざまな奇行と試行の紆余曲折を経て、ついに市ヶ谷への突貫となるのである》(「三島由紀夫における神の死の神学」)

富岡幸一郎
「仮面の神学」より
282無記無記名:2009/09/09(水) 16:23:38 ID:gyqu7ToM
『仮面の告白』が、『花ざかりの森』と彼の十代の青春の住処がであった「死の領域」への遺書であり、
まさに「死を避ける」ための人工の文学的仮面であったとすれば、最晩年に書かれたエッセイ『太陽と鉄』は、
「その仮面が割れて」いくところを詳細に辿ってみせた自己告白の書であった。
これまで何度も論じてきたように、そこに三島における「神学問題」が、すなわちあの「神の死」の問題が
露われているのはいうまでもない。
おそらく、日本における神学問題を最もラディカルに現実の光のなかに引きずり出したのが三島由紀夫である。
多くの宗教学者が決して見ようとしなかったものを、語りえなかった根底的な「神」の問題を、三島は自らの生と文学と、
そしてあの苛烈な死によって語ってみせた。
いや、「神学問題に直面」したとき、「死が避けられなく」なった。

富岡幸一郎
「仮面の神学」より
283無記無記名:2009/09/13(日) 12:21:45 ID:+iDfs7E5
Q――士道とは何か。
三島由紀夫:…ぼくは、魂の問題といふことで「士道」といふ言葉を使つた。
内面的なモラルといつてもいい。
内面的なモラルといふものは、自分が決めて自分がしばるものだ。
それがなければ、精神なんてグニャグニャになつちやふ。
今日では、自分で自分をしばるといつたストイックな精神的態度を、だれも要求しなくなつた。
ストイックなのは損だと、だれもが考へてゐる。

三島由紀夫
「精神的ダンディズムですよ」より
284無記無記名:2009/09/13(日) 12:22:53 ID:+iDfs7E5
Q――「士道」の復活は、現代において可能ですか。

三島由紀夫:ぼくはさういふふうに問題を考へてゐない。
「士道」といふ言葉をいふのは、その言葉が、まるで一滴のしづくのやうにその人の心にしたたつたら、
自分で考へてごらんなさい――といふだけなんです。
「士道」といふものは、マスコミを通じて広まるやうな性質のものではない。
われわれの心の中を探つてみると、心のなかに持つてゐる自己規律に照らして、どこかやましいものがあるはずだ。
やましいものがあれば、士道に反してゐるのだと考へるべきだ。それが日本人だと思ふんです。
なぜやましさを感じるか。それは士道にもとつてるからなんです。士道つてそんなものではないか。
一言でいへば、「士道」とは男の道ですよ。

三島由紀夫
「精神的ダンディズムですよ」より
285無記無記名:2009/09/13(日) 12:24:00 ID:+iDfs7E5
Q――現代のビジネスマンに要望することは?
三島由紀夫:私はね、商人といふのはきらひなんですよ。ですからね、万国博にも行つてゐないですよ。
あれは商人のお祭だから、武士は行かないんだといつてぐわんばつてゐるんです。
とはいひながらね、デパートだつて商人だしね。武士といへども、商人とつきあはざるを得ない、つらいところですよね(笑)。
武士だけやつてゐると、お米も食へなくなつちやふ。
かういふ世の中だから商人様全盛の世の中でしよ。ですけど、ぼく本人の中にはやつぱり武士の魂はあると思つてね。
商人の中にも銭屋五兵衛みたいな男もゐますしね。
明治の政商でも、政治とかんでゐて、そこでやつぱり自分の意気地を投げ打つといふ気持があつたと思ふんですよ。
商人がきらひといふ意味は、商人を尊敬しないわけぢやない。ただ一般に、商人には自己犠牲の精神がないからきらひなんです。
日本人といふのは、自己犠牲の精神がなくなつたら日本人ぢやないですよ。
今の商人といふのはさういふ気持がないから本当のユダヤ人になつちやふだらうと思ふんです。

三島由紀夫
「武士道に欠ける現代のビジネス」より
286無記無記名:2009/09/13(日) 12:24:41 ID:+iDfs7E5
資本といふのは、本質的にインターナショナルなものですよ。
どんな国の、いかにも民族資本でもね、インターナショナルな性質をもつてゐるのが資本だと思ふんですよ。
ところがそつちの面ばかりが出てくるとね、日本人の魂が商人道によつてをかされてきてゐると思ふ。
そのお金本位、金権主義にをかされてゐるのがこはい。
私は、青年が金権主義といふものに反抗する気持がいちばんよくわかる。
自分らが企業体の中で活躍するとき、いかに武士の魂をもつてても、結局、金権主義、ご都合主義、
さういふものによつてをかされていくといふのは、青年として耐へがたいだらうと思ふ。

三島由紀夫
「武士道に欠ける現代のビジネス」より
287無記無記名:2009/09/21(月) 12:28:00 ID:J7aWsB/o
「三笠・長門見学」

船は横須賀の波止場へ着いた。ポーッと汽笛が鳴る。私達は桟橋を渡つた。薄曇りで、また酷い暑さの今日は、海迄だるさうだ。
併し、僕達は元気よく船から飛び出す。三笠の門の前に集合し、そして芝生の間の路に歩を運ぶ。
艦前に来て再び集まり、三笠保存会の方から、艦の歴史やエピソォドを伺つた。
お話が終ると私は始めて三笠を全望した。
見よ!此の勲高き旗艦を。そしてマストにはZ信号がかゝげられてゐる。
時に、雲間を割つて出でた素晴らしき陽は、この海の館を愈々荘厳ならしめた。
艦頭の国旗は、うすらな風にひるがへり、今にも三笠は、大波をけつて走り出さうだ。
一昔前はどんな設備で戦つてゐたのか、早く見たくなつた。
やがて案内の人にともなはれて急な階段を上り、艦上に入る。よく磨かれた大砲が海に向つて突き出てゐる。
こゝで日本の大きな威力が世界に見せられたわけだ。
伏見宮様の御負傷の御事どもをお聴きして、えりを正した。其処此処に戦士者の写真が飾られてあるのも哀れだ。
(続く)

平岡公威(三島由紀夫)
中等科一年、12歳の作文
288無記無記名:2009/09/21(月) 12:28:45 ID:J7aWsB/o
「三笠・長門見学」

私達は最上の甲板に登つて東郷大将の英姿を想像してみた。
手に望遠鏡、頭上には高くZ信号。……皇国の興廃此の一戦にあり、各員一層奮励努力せよ……。
とは単なる名文ではなくて、心の底から叫んだ愛国の声ではないか。
士官の室が大変立派なのにも驚いた。又会議室へ行つて此処でどんな戦略が考へられたかと思つた。
艦の全体にペンキで戦痕が記されてある。
こんなに沢山弾を受けたのに一つも艦の心臓部に命中しなかったのは畏い極み乍ら、天皇の御稜威のいたす所であらう。
艦を出て、暫時休憩し、昼食を摂る。休憩が済むと、再び海に沿うた道を歩く。
そここゝにZ信号記念品販売所等と看板があるのも横須賀らしい。さうする中に海軍工廠の門内へ入つた。
…其の内にランチへ乗る。さうして五分も経たないで長門につく。
先づ此れを望んで、さつきの三笠と較べて見ると、余りにその設備の新式なのに驚いた。
艦上には四十サンチの素晴らしい大砲がある。
…あゝ日本の精鋭長門、こんな軍艦があつてこそ、日本の海は安全なのであらう。

平岡公威(三島由紀夫)
中等科一年、12歳の作文
289無記無記名:2009/09/21(月) 12:30:13 ID:J7aWsB/o
「菊花」

渋い緑色の葉と巧みな色の配合を持つた、あの隠逸花ともよばれるつつましやかな花は、自然と園芸家によつて造られた。
園芸家達の菊は、床の間に飾られるのを、五色の屋根の下に其の艶やかな容姿を競ふのを誇りとし、
自然の造つた菊は、巨きな石塊がころがつて痩せ衰へた老人の皮膚の様な土地に、長い睫毛の下から無邪気な
瞳を覗かせてゐる幼児のやうに咲き出づるのを誇つてゐる。
前者は人の目を娯ます為に相違ないが、野菊の持つエスプリはそれ以上のものである。
荒んだ人の心の柔かな温床。
荒くれ男どもを自然の美しさに導く糧。
それが野菊である。
《鬚むじやらの人夫などが、白と緑の清楚な姿に誘はれて、次々と野菊を摘んで行き、山の端に日が燃え切る頃、
大きな花束を抱へて嬉しげに家路に着く》それは美しい風景ではあるまいか。
〜〜〜〜〜〜〜〜
時は霜月。
木々が着物を剥がされかけて寒さに震へる月であるが、彼の豪華な花弁が野分風も恐れずに微笑む時である。

平岡公威(三島由紀夫)
中等科一年、12歳の作文
290無記無記名:2009/09/22(火) 00:30:02 ID:7/9WBR40
昭和30年 ボディビルブーム
http://www.youtube.com/watch?v=9IRjYBnT8GE&hl

THE LIFE OF YUKIO MISHIMA :::三島由紀夫:::
http://www.youtube.com/watch?v=LGVDWtAuMtU&hl
291無記無記名:2009/09/22(火) 06:14:56 ID:iWvL6Ueb
ミスター勘違い
292無記無記名:2009/09/22(火) 08:41:11 ID:65fkoZ4o
作家でビルダー体型って三島の他にいる?
鈴木光司は自称マッチョだが脂肪が多すぎる。
293無記無記名:2009/09/23(水) 22:20:05 ID:UBaRpNSM
>>292
村上春樹がジョギングしてるとか。体はマッチョじゃないだろうけど。
294無記無記名:2009/09/24(木) 22:09:14 ID:oP0sa93d
高千穂遥もマッチョだったらしい。
今は知らんが。
295無記無記名:2009/09/28(月) 10:50:05 ID:Wtp7zdcD
「東健兄を哭す」

十月八日の宵、秋雨にまじる虫のねのあはれにきこえるのに耳をすましてゐると、階下で電話が鳴つてゐる。
家のものがあたふたと梯子段をあがつてくる気配、なにがしにこちらもせきこんで、どこから?と声をかけると
「東さんが……お亡くなりに」「えッ」私は浮かした腰を思はず前へのめらせて、後は夢中で階段を駆け下り
電話にしがみついた。その電話で何をうかがひ、何をお答へしたか、皆目おぼえてゐない。
よみ路の方となられては、急いても甲斐ないものを見境なく、仕度もそこそこに雨の戸外へ出た。
渋谷駅までの暗い夜道をあるいてゆく時、私の頭は痺れたやうに、また何ものかに憑かれたやうに、ひたすらに
足をはやめさせるばかりであつた。さて何処へ、何をしに――さうした問は、ただ一つのおそろしい塊のやうになつて、
有無をいはせず私の心をおさへつけた。あらゆる心のはたらきを痴呆のやうに失はせてゐた。

平岡公威(三島由紀夫)18歳の弔辞
296無記無記名:2009/09/28(月) 10:51:59 ID:Wtp7zdcD
「東健兄を哭す」

兄の御寿(みいのち)はみじかかつた。
おのが与へられたる寿命を天職に対して、兄ほどに誠実であり潔癖であり至純であつた人を寡聞にして私は知らない。
私は兄から、文学といふもののもつ雄々しさを教へられたのである。
文学は兄にとつてあるひは最後のものではなかつたかもしれぬ。しかし文学をとほしてする生き方が、やがて
最高の生き方たり得るといふ信仰を、身を以て示された兄の如きに親炙することによつて、わがゆく道のさきざきに
常にかがやく導きの火をもちうる倖せが、こよなく切に思はれるこの大御代にあつて、唯一の謝すべき人を失ふとは。
……兄は病床にありながら、戦に処する心構においては、これまた五体の健全な人間の、以て範とするに足るものであつた。
幾度かわれわれの、あるときなお先走りな、あるときは遅きに失した足取りは、却つて病床の兄の決してあやまたない
足取りのまへに、恥かしい思ひをしたのである。せめて勝利の日までの御寿をとまづ私はそれを惜しんだ。

平岡公威(三島由紀夫)18歳の弔辞
297無記無記名:2009/09/28(月) 10:53:52 ID:Wtp7zdcD
「東健兄を哭す」

文学は兄にとつて禊であり道場であつた。
文学のなかでは一字一句の泣き言も愚痴も、いや病苦の片鱗だにも示されなかつた。平生の御手紙には尚更のことであつた。
そこに私はニイチェ風な高い悲しみを思ひゑがいたのであつたが、兄、神となりましし日、私は、つねに完全なる母君であられ、
今世に二なき悲しみにつきおとされになつた御母堂から、けつして愚痴を言はれなかつた四年間のまれまれに、
余人にとつてもおそらく肺腑をゑぐるものがあつたであらうそこはかとない御呟きを伝へ伺つて、ふともらされたその御呟き
――かうして治るのもわからずに文学をやつてゐるのは辛いなあ(誤伝なれば謹んで改めまゐらせん)――といふ一句を、
なにかたとしへもない真実が岩間をもれる泉のやうにのぞいたすがたと覚え、かつはかく守られねばならぬたをやかさが兄の
奥処にあり、守られたればこそ久遠に至純であつたその真実を思つて、文人の志の毅さとありがたさも今更に思ひ合はされ、
御母堂の御心事に想到し奉つても、暗涙をのまずにはゐられなかつたのである。

平岡公威(三島由紀夫)18歳の弔辞
298無記無記名:2009/09/28(月) 10:54:59 ID:Wtp7zdcD
「東健兄を哭す」

…初の御通夜、み榊、燭の火、虫のね、雨のおと、……私は言葉もなかつた。
平家物語のあれらのふしぎなほど美しい文章がしづかに胸に漣を立ててきた。……かくも深い悲しみのなかに
なほ文学のおもはれるのを、心のゆとりとしもいはばいへ。
兄だけはあの親しげななつかしい御目つきを、やさしく私に投げて肯いて下さるであらう。
御なきがらを安置まゐらせし御部屋は、ゆかり深くも、足掛け四年前、はじめて兄におめにかかつた御部屋であつた。
そして今か今かとその解かれるのをこひねがつた永い面会謝絶のあとで、まちこがれてゐた再度の対面は、
おなじお部屋の、だが決しておなじになりえぬ神のおもかげに向かつてなされた。
私はなにかひどく自分が老いづいた心地がしてならなかつた。
徳川義恭兄、ありしままなるおん顔ばせを写しまゐらせ給ふ。感にたへざるものあり。
みそなはせ義恭大人が露の筆
道芝の露のゆくへと知らざりし
つねならぬ秋灯とはなかなかに

――昭和十八年十月九日深更――
平岡公威(三島由紀夫)18歳の弔辞
299無記無記名:2009/09/29(火) 16:49:14 ID:oMsjOASC
300無記無記名:2009/10/04(日) 23:59:21 ID:FW1Etq6d
「支那に於ける我が軍隊」

七月八日――其の日、東京はざわめいて居た。人々は号外を手にし、そして河北盧溝橋事件を論じ合つてゐた。
昭和十二年七月七日夜、支那軍の不法射撃に端を発して、遂に、我軍は膺懲の火ぶたを切つたのである。
続いて南口鎮八達鎮の日本アルプスをしのぐ崚嶮を登つて、壮烈な山岳戦が展開せられた。
懐来より大同へと我軍はその神聖なる軍をつゞけ、遂に、懐仁迄攻め入つたのである。
我国としても出来得る限りは、事件不拡大を旨として居たのであるが、盧溝橋事件、大山事件に至るに及び、
第二の日清戦争、否!第二の世界大戦を想像させるが如き戦ひに遭遇した。
〜〜〜〜〜〜〜〜
(続く)

平岡公威(三島由紀夫)
中等科一年、12歳の作文
301無記無記名:2009/10/05(月) 00:00:02 ID:CtXwikRo
「支那に於ける我が軍隊」

飲むは泥水、行くはことごとく山岳泥地、そして百二十度の炎熱酷暑、その中で我将兵は、
苦戦に苦戦を重ねて居るのである。その労苦を思ふべし、自ら我将士に脱帽したくなるではないか。
たとへ東京に百二十度の炎暑が襲はうとも、そこには清い水がある。平らかな道がある。
それが並大抵のもので無いことは良く解るのである。
併し軍は、支那のみに止らぬ。オホーツク海の彼方に、赤い鷲の眼が光つてゐる。
浦塩(ウラジホ)には、東洋への銀の翼を持つ鵬が待機してゐる。
我国は伊太利(イタリー)とも又防共協定を結んだ。
併しUNION JACK は、不可思議な態度をとつて陰険に笑つてゐる。
噫!世界は既に動揺してゐるのだ!
〜〜〜〜〜〜〜〜
支那在留の将士よ、私は郷らの健康と武運の長久を切に切に祈るものである。

平岡公威(三島由紀夫)
中等科一年、12歳の作文
302無記無記名:2009/10/07(水) 15:19:12 ID:BcMlXrgz
「最初はご自宅に伺ったんです。『論争ジャーナル』発刊の主旨、論調は当時反主流でした。
先生(三島由紀夫)は、その当時から一つの輝く北斗の星でしたよ。
思想的な評論など出していましたからね。
例えば、『対話・日本人論』とか、思想的な評論関係の著作を出していましたから。
文学者としてではなく、思想家として見ていましたよ。
小説家三島由紀夫と我々は見てなかったですよ。おそらく誰も。
…あの頃は、慶応で最初の学園紛争がありまして、それから早稲田、日大、明治、東大って
どんどん広がっていったわけです。
当時の思想風景というのは、左翼でなければ人にあらずという……。
想像できないでしょうが、そうだったんです。
で、やっぱり、そのうちとんでもないことが起きる、と。
今見れば漫画みたいになっちゃうかもしれないけど、革命というのを、我々は真剣に
危機的に感じていました。
そういう時代風潮を押さえて見ないと、あの頃の行動というのはわからないんですよ。
今の、この社会状況から見てたんじゃ」

持丸博(元楯の会初代学生長)

鈴木亜繪美
「火群のゆくへ 元楯の会会員たちの心の軌跡」
303無記無記名:2009/10/07(水) 23:47:32 ID:BcMlXrgz
「あの頃は、全共闘全盛の時代だった。俺は九州生まれで、全共闘の考え方に馴染めなかった。
ああ、俺の考えは世の中に合わないのかな、と思ったよ。
…学校へ行ってもどうも自分と考えてることが違うなという連中が、我が物顔で歩いている。
肉体的には負けないけど、論争して負けたくないから理論武装したいと思った。
先生(三島由紀夫)の人柄とかに興味津々だったから、たぶん、先生が辟易するくらい質問したよ。
根ほり葉ほり訊いたね。先生は、目が非常に純粋で、僕らのようなひよっこにも丁寧な言葉を使ったし、
時間を守る、威張らないし、そういうことからも魅力を感じた。文豪なんていうそぶりは全然見せなかった。
礼儀正しさとか非常に親切心があるとか、何回かのお付き合いの中で敬意を持つようになった」

仲山徳隆(元楯の会会員)

鈴木亜繪美
「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より
304無記無記名:2009/10/16(金) 00:14:10 ID:J1sJ3I5p
たとへば、いちばん崇高でもあり、つぎの瞬間にいちばん下劣でもあるのが人間なんですよ。
ぼくは、さういふ人間を考へる。崇高なだけであつてもウソに決まつてゐる。
また下劣なのが人間の本当の姿だ、といふ考へ方も大きらひなんですよ。
それは自然主義的な考へ方で、十九世紀に、ごく一部にできた迷信ですよ。
人間は崇高であると同時に下劣。だから、ぼくのことを下劣だと思ふ人があれば、それでもかまはない。
ぼくの中にだつて、「一寸の虫にも五分の魂」で、崇高なものもある。
それを、ぼくは自分でぼくだと思ふ。
むりやりに結びつけて、論理的に統一しようつたつて、できるものではない。
ただ思想的には節操は大切だと思ひますけど、それと人間の行動の一つ一つ。
つまり節操の正しい人は、どんなクソの仕方をするのか。
いつもまつすぐなクソがでてくるかといふと、そんなものぢやない。
節操の正しい人でも、トグロを巻いちやふ。
節操の曲がつた人でも、まつすぐなクソが出るかもしれない。そんなこと関係ないですよ。

三島由紀夫
「ぼくは文学を水晶のお城だと考へる」より
305無記無記名:2009/10/16(金) 00:22:15 ID:Mpdzmtr2
>>304、この小文は初見だけど、三島らしくないなあ。

愛語家であり、対談の名手、口述筆記でも完璧な日本語を編んでしまう
天才の言葉には見えない。
306無記無記名:2009/10/16(金) 00:37:00 ID:J1sJ3I5p
>>305
そう?
言ってることは正に三島らしいミシマイズムだと思ったけど。
307無記無記名:2009/10/17(土) 12:54:27 ID:SVk6ISW9
「三島先生は、『君が田村君か、さあ座りなさい』とおっしゃり、これが最初の言葉だった。
じっと見られた大きな目がキラキラ輝いていて、印象に強く残った。実にあっけない最初だった。
(中略)
体験入隊終了直前、緊張の連続と疲労の極みで胃液を吐きダウンしてしまった。
薬を飲まされ、隊舎のベッドで横になっていると、三島先生がいらしたんです。
ベッド脇に座られて『大丈夫か』と声を掛けてくださった。『幾つになった』と訊かれ、
『十八です』と答えると、『そうか、俺は君の親の世代なんだなあ。無理するなよ、行けるか?』と。
先生のあの声は忘れられないですよ」
田村司(元楯の会会員)

鈴木亜繪美
「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より
308無記無記名:2009/10/17(土) 12:55:50 ID:SVk6ISW9
「とにかく入学した前後って、大学紛争が一番大変だった時、最初に入試を受けた時は
バリケードがあって機動隊が出てましたよ。
早稲田の文学部は革マル派の本拠地だった。圧倒的に、革命論争だとか新左翼系の話が主流でした。
でも、いわゆる左翼系の議論には違和感があった。どうもちょっとおかしいと。
それでいろんなものを読んでる中で、一番明解に論を展開していたのが三島先生だった。
そういう意味じゃ、『論争ジャーナル』に出て来て論陣を張ったというのは画期的だった。
自衛隊に行こうと思ったのは、当時はマイナーな存在で、どちらかというとマイナスの評価だった。
それと規律で全部縛られている所では自分がないと言われていましたから、本当に徹底してがんじがらめの
規制の中で人間がどうであるか、自由でありうるか、それを一回やってみたいと思ったんです。
三島先生の『楯の会』は、思想的に自由な所だったというのが大きかったと思います。
思想的束縛がありませんでした。会自体すごく幅広い人が入って来ていました。
僕なんか、従来型の右翼系の人とは随分違ったと思います。
僕は、三島先生といろいろ話していて、今まで会ってきた人の中であれ程頭のいい人はいなかったですね。
非常に明晰で、クリア。透明なんですよ、透明。なんていうかクリスタルガラスのような、
水晶のような、そんな印象でした。
森田さんは、ともかく明るい人でした。話していて非常に気分のいい人。裏表がない人。
そういう意味で翳のない人だよね。生き方にも翳がないし」
佐原文東(元楯の会会員)

鈴木亜繪美
「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より
309無記無記名:2009/10/17(土) 12:57:07 ID:SVk6ISW9
「三島先生は先駆的な考えをお持ちで、当時、『論争ジャーナル』という雑誌で民兵構想というのを
出されていました。こういうのは、これから面白いなと思った。
つまり自衛隊だけではなくて、民間人が防衛組織の一翼を担うという構想を出されていた。
アメリカでもヨーロッパでもそういう民兵というのはあるわけで、日本だけがそのような民兵組織がなかった。
自衛隊自体が、むしろほとんど否定されていたような世の中だったから、ああいう考え方は非常に新鮮でした。
今でもよく覚えているのは、訓練の時に小銃を持って走るわけですよ。
あの時、三島先生は『銃の重さを知ることが非常に大切なことなんだよ』と語っておられた。
よく記憶しています。国を守るということは、銃の重さを身体で感じることなんだと、理屈ではないんだと。
全くその通りだなと思いました。
ほとんどの話は忘れてしまったけれど、これはよく記憶していますね、銃の重さのことは」
イニシャルO、元京都大学生(元楯の会会員)

「森田とは同じ年だった。ある時、先生が俺をからかって、
『森田には命預けますっていう学生がいっぱいいるんだよ』と言ったんだ。
そうしたら、森田は顔を真っ赤にして、『いやあ、僕の命は先生に』って言った。
僕は自分の日記に書いても先生に直接そんなふうに言ったことないよ」
川戸志津夫(元楯の会会員)

鈴木亜繪美
「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より
310無記無記名:2009/10/17(土) 13:01:09 ID:SVk6ISW9
「高校一年の時に、文化大革命が起きて、新聞は『文化大革命』礼賛一色ですよ。
『毛沢東万歳!』ってすごかった。ものすごい理想国家のように持ち上げていた。
ところが、新聞にちっちゃく記事があって、大陸から香港に逃げてフカに食われて死んじゃう人が
何百人もいるのを目撃したって。そんな素晴らしい国ならなんで亡命して逃げて来るんだ。
変じゃないかって、子供心に思っていたわけです。
…右でも左でもなかった。ところが、昭和四十五年一月頃、早大キャンパスに確か『三島由紀夫と
自衛隊に体験入隊しよう』というタテ看板を見て、俺が求めていたものはこれだと、決心。
楯の会という意識はなかった。自衛隊に行くことが主で入会はついでだった。
そのあと、サロン・ド・クレールで三島先生に会いました。非常にさっぱりした感じだった。
どんな本を読んでいるかと訊かれて、大江健三郎と。
その時、先生は大江健三郎の絶版になった本の話をしたんだよ。『政治少年死す』ていうやつを。
読んでないから答えられなかったんだよね。先生は、なんでこんなヤツが来たんだみたいな顔して、
森田さんの方を見た。森田さんは『いやいや、なかなか元気がいいですから』と言ってくれました。
森田さんの一言で、私は救われたようなもんです。
そうでなければ、こんな軟弱な学生が入れるわけないじゃないですか。
森田さんて人は、知れば知る程素晴らしい人でしたね。快活という言葉、一言。」
村田春樹(元楯の会会員)

鈴木亜繪美
「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より
311無記無記名:2009/10/17(土) 13:02:19 ID:SVk6ISW9
「三島由紀夫先生と楯の会のことは、田舎にいる時は全然知らなかった。興味もなかったし。
父親が靖国会をやっていて、その関係で森田必勝さんに会ったんです。
確か、森田さんが橘孝三郎(祖父)のことを知って、靖国会の事務所を訪ねて来たんです。
その後、私も紹介されました。親父は森田さんのことをこう言ってました。
『森田必勝という、なかなかいい男が俺を訪ねて来たぞ。凄く気骨のある人間だ。凄くいい青年だぞ』って。
くりくりっとした坊主頭の人で、本当にね、少年みたいにね、本当に裏のない人でした。
森田さんは兄と同じ二十年生まれ、ずっと兄のように思っていました。
(中略)
西新宿のルノアールで、三島先生にお会いしました。ほとんど何も言えなかったけどね。
『橘先生、お元気ですか?』と、祖父の橘孝三郎のことを訊かれたことを覚えています」
塙徹二(元楯の会会員)

「私は、正式な会員じゃないんです。
もともと大学が早稲田だったから、楯の会のことはよく知っていたんですよ。
でも、その当時は入ろうという意識はなかったですね。
…国学院の友人に、三島先生に心酔しているものがいて、仲間と一緒に先生に会いに行くことになったんです。
それにも、たまたま行かなかった。
友人は、念願の先生にお会いして、頭の中が真っ白になって
『先生は、いつ死ぬんですか?』と訊いたそうですよ。
先生は、『わっはっはっ』と大笑いされて、『まあ、お茶でも飲め』と、紅茶をご馳走になった。
何も聞けなかったけど、気さくな人だったと。夏の暑い日だった。
社交辞令だろうけど、募集してるから、また来い、ともおっしゃってくれたそうです」
須賀清(元楯の会幻の六期生)

鈴木亜繪美
「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より
312無記無記名:2009/10/17(土) 13:05:20 ID:SVk6ISW9
「森田必勝とは同じ二十五歳だった。当時、森田たち十二社のメンバーはすぐにテロだとか言っていた。
できるわけねえじゃないかこいつら、と思っていた。
でも、事件が終わってから、森田の見方が変わった。あの男に対する見方は変わったよ。
先生に対しては変わらない。もともと凄いなと思っていたからね。
…何かの折に触れ思い出すと、『あいつは凄かったな』と思う。
要するに、腹を切る切らないの前に、あの状況に立てるかどうか考えた。
それから介錯して、短刀を取って……。あの状況に立った古賀、小賀、小川、森田は凄いと思う。
三期で一緒だった牧野隆彦が、先生が亡くなった四十五歳を越えた時、『先生に、すまない』と言った。
そして、翌年四十六歳、くも膜下出血で死んでしまった。その時は、ショックだったね」
川戸志津夫(元楯の会会員)

「フルコガ君(古賀浩靖)とは事件後、品川だったか、電車の中で偶然会ったことがあります。
その時、彼は『すみませんでした』と言ったので、僕は『そんなことないよ。君がそんなことを思うことは
サラサラないね』と答えた記憶があります。
先生は、残すべき人間は残したんだと思いますよ。おそらく。
だから、残った人間は、重い荷物を背負っているんですよ。
私以外に、楯の会の会員で二人、自衛隊で定年を迎えた人がいます。
彼らと違うのは、私は事件が起きる前に自衛隊に入隊していたことです。
二人は事件が起きたあとに入ったから。まあ、どちらが大変という比較は難しいですが、それぞれ
大変だったと思いますね。ずっとマークもされてましたから。
多分、三人とも定年までマークされていたと思います。
…事件当日に市ヶ谷で斬られた人と会ったこともあります。
腕を斬られて、背中を何針か縫った人を知っています。でも、三島先生のことを悪く言う人はいません。
先生の心情はわかるということを、随分言われました」
イニシャルK、元明治大学生(元楯の会会員)

鈴木亜繪美
「火群のゆくえ 元楯の会会員たち
313無記無記名:2009/10/20(火) 09:59:29 ID:LCQjreMz
「たぶん、先生は最初一人で死ぬつもりだった。森田さんも死ぬ覚悟を決めていたんですよ。
『森田の精神を恢弘せよ』とは、その森田さんの純粋な行為、行動、信条を後の人に伝えろというのが
あるのだと思います」
佐原文東(元楯の会会員)

「三島先生という存在自体は亡くなられても、文学者としての三島由紀夫、社会的な立場にある人としての
三島由紀夫は残ると思います。しかし、森田についてはおそらく何も残らない。
森田について言いたいことは政治的な森田。日本には『自決』という政治的表現があるんです。
諭したい相手がダメだと思ったら、自らの命を捧げて訴えるという政治的な表現法です。
行動主義の森田だったから、西洋的にしゃべり尽して相手に伝える事をせず、『自決』という行動で、
『日本の真の姿を見よ』と訴えたかったんだろうと思います」
伊藤好雄(元楯の会会員)

鈴木亜繪美
「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より
314無記無記名:2009/10/20(火) 10:01:24 ID:LCQjreMz
「先生はもうそれなりに著名で確立されている方です。でも、森田さんは無名でした。
三島先生は、ものすごく森田さんの身の上を案じ、今後、森田さんの精神がそのまま埋もれてしまうことに対して
危機感があったんだと思います。
僕の進んできた道を――商社に入ってずっと普通に生活してきたことを、申し訳ないという気持ちがあります。
(中略)
僕は、大学で中国語を学び、中国という共産主義の国が隣にあって、日本がどう思われているのか、最近の
反日の運動を見るにつけ、その前から中国はずっと日本に対して辛く当たっていることを経験してきました。
みなさんは日本の中で日本を見てきたと思うけれど、僕は中国というフィルターを通して日本を見てきたんです。
預言者としての三島由紀夫というのは、ものすごく的確だと思います。
今の日本の政治はぶれている。外交上、中国にしてやられています。そういういたたまれない状況にあるだけに、
非常に的確に予言していたな、と思います。それだけに、三島先生や森田さんのやった行動が余計光ってくると思います。
一条の光というか、僕は、やがてもっともっと輝いてくると思っています」
古屋明(元楯の会会員)

鈴木亜繪美
「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より
315無記無記名:2009/10/20(火) 10:03:56 ID:LCQjreMz
「三島先生と一緒に行動を起こし、残った三人のうちの二人古賀浩靖と小賀正義は、自分が楯の会に誘ったんです。
警察に留置されている二人のことをずっと考えました。
(中略)
フルコガ(古賀)とチビコガ(小賀)が出てくるまでは、東京にいるのが義務だと思いました。
彼らが出てきたので、その年の秋、秋田に帰ることになりました。
お金がなかったので、トラックをレンタルして、運転手を古賀と友人が手伝ってくれました。
一日かかって秋田に着き、夜に三人で酒を飲みました。その時、古賀に訊いたんです。
『古賀(ヒロヤン)、ひとつだけ訊きたいことがある、いいか?』
『何だ?』
『十一月二十五日、あすこの現場を出る時、投降して捕まって出る時、どういう気持だったんだ?』
今考えると、バカな質問をしてしまった。自分でさえ頭がまっ白になったのに、彼らがその時のことを
言葉に表現できるはずかない……。気付かなかった。
なかなか答えてくれないから、『あの事件は、何があなたに残ったんだ?』と訊いた。
すると、古賀は、カウンターの上で、ゆっくり右の手のひらをただ上に向け、何かを持つようにした。
古賀はその手をじっと見つめたまま、一言もなかった……。
それが何を意味しているのか理解したのは、一ヶ月か二ヶ月たってからだった。もう声も出なかった。
それは、三島先生と森田さんの、首の重さ……。それを知った時、ふーっと血の気の引くような衝撃に襲われた。
あの人が首を落とし、安置した。古賀だけが首の重さを知っている……。
彼らに事件のことを訊いたのはそれだけ。あとはもう訊けない。
今でも時々会うが、一切そういう話はしない。失礼に当たると思っています。
(中略)
あの行動を凌駕する言葉とか文章、表現はない。
それを残された会員みんな、漠然と確実に持ってしまっているんです」
伊藤邦典(元楯の会会員)

鈴木亜繪美
「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より
316無記無記名:2009/10/21(水) 11:17:51 ID:4eV0qKtz
「僕が、どうしてしゃべる気になったかというと、結局、あの事件は、『三島由紀夫』だけが
前面に出ているから。
だから、世間の評価というのは、いわゆる作家が起こした結末だというのがほとんどでしょ。
もし、三島先生一人だけだったら、僕はそれは認めるわ。だけど、森田さんが一緒だった。
まるで森田さんなんて、さしみのツマみたいなもんや。
だから、僕はそれが我慢できへんかった。ずっと、今でも、そう思う。
三島先生は、もの凄い追い詰められたと思うの、森田さんに。本当に。
もし森田さんがいなかったら、三島先生、絶対せえへんよ。ああいうことは。思い切れなかったと思う。
違った形でしたかもしれへんけど。自分で腹切って死ぬことはあったかわからへんけどね。
ああいうことはしなかったと思う。うん、すべて森田さんの影響よ、あれは。
森田さんの言動でもわかっていたし。
…森田さんは『自分でテロするなら、必ず自分の命を絶たなきゃいけない。
生き残ったらいけないんだぞ。
そんなヤツいるか?今の日本で、自分の命を賭けてもいい奴がいるか?』そう言った。
森田さんは、その時、もう覚悟できてたし、三島先生について行ったらいいと、
自分の命を捨てる覚悟だったんやろうね。
三島先生は、すべて規定済みやった。たぶん野次で、自分の声がかき消されるのもわかってた。
それを上回るようなマイク使ったら、値打ちもない。演説と違うんだから。やっぱし、最後は肉声よ。
明治維新から百年たって、高杉晋作や坂本竜馬がどうだったか、今では我々もわかる。
五十年、百年たって、わかる人がわかればいいのよ。
当時、二十歳前後だった我々は、他のみんながこれからどうして生きようという学生時代に、
どうして死のうか考えてた。それだけの覚悟をしてしまった。
それは、森田さんも、我々も一緒だった」
野田隆史(元楯の会会員)

鈴木亜繪美
「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より
317無記無記名:2009/10/21(水) 11:18:52 ID:4eV0qKtz
「拘置所にいる時、記録として残しておこうと思った。
日記のような形にしようと思って、それを看守に言ったら、あかんと言われた。
ノートは手に入ったので、洗面所にあった釘で書いた。結局、検閲で見つかって没収されてしまった。
三島先生は、日本は文化概念として天皇陛下がいらっしゃると言われてきた。
『我々の一番の根幹は、天皇を守るか守らないか。これから稲を植えて収穫するのは、
天皇家しかやらないんじゃないか、そういう未来が来るよ、工業化のあげくに……』
先生はずっとそう言っていた。
森田さんに対して…忸怩たるものがある…何もできていない…。
しかし、僕をはじめ、みんなも表に出なくていいと思う。本来埋もれていくべきだと思う。
森田さんのことを語り合うのは価値があるが、自分たちのことを話すのは間違っていると思う。
先生は偉大な人だから、それは置いて、我々は埋もれていげばいい。埋もれなければならない。
活動したことは価値あることで、先生が『楯の会』という、今までにない団体で行動したのは、
時代に夢があったからだと思う。今後とも出て来ないだろうし、価値があった。
でも、我々が、楯の会の会員だったということを口にするのは、違うと思う。
森田さん自身、そんなに言ってほしくないと思っているのではないか…。
僕は黙って死んで行く…という人だから。
…『森田の精神を後世に恢弘せよ』とは、三島先生と森田さんの、感性を持てということだと思う。
先生があそこまでできたのだから、僕もできるだろうと。それがずっとある…。
自分はそれだけのことをやっている自信はある」
小賀正義、三島由紀夫と共に決起(元楯の会会員)

鈴木亜繪美
「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より
318無記無記名:2009/10/29(木) 11:12:13 ID:09uRlDQr
剣道は柔道とともに、体力が必要であることはむろんであるが、柔道は一見強さうな人は実際に強いけれど、
剣道は見ただけでは分らず、合せてみてはじめて非常に強かつたりする“技のおもしろさ”がある。
それにスピードと鋭さがあるので僕の性にあつてゐる。また剣道は、男性的なスポーツで、
そのなかには日本人の闘争本能をうまく洗練させた一見美的なかたちがある。
西洋にもフェンシングといふ闘争本能を美化した格技があるが、本来、人間はこの闘争本能を
抑圧したりするとねちつこくいぢわるになるが、闘争本能は闘争本能、美的なものに対する感受性は
さういふものと、それぞれ二つながら自己のなかで伸したいといふ気持があるものです。

三島由紀夫
「文武両道」より
319無記無記名:2009/10/29(木) 11:14:02 ID:09uRlDQr
さらに剣道には伝統といふものがある。稽古着にしたつて、いまわれわれが着てるものは、
幕末の頃からすこしも変つてゐない。また独特の礼儀作法があつて、スポーツといふよりか、
何か祖先の記憶につながる――たとへば相手の面をポーンと打つとき、その瞬間に
さういふ記憶がよみがへるやうな感じがする。
これがテニスなんかだと、自分の祖先のスポーツといふ気はしない。
だから剣道ほど精神的に外来思想とうまく合はない格技はないでせう。
たとへば、共産主義とか、あるひはほかの思想でもいいが、西洋思想と剣道をうまく
くつつけようとしてもうまくくつつかない。共産党員で剣道をやつてゐる者があるかも知れないが、
その人は自分の中ですごい“ギャップ”を感じることでせう。
僕は自分なりに小さい頃から日本の古典文学が非常に好きでしたし、さういふ意味で、
剣道をやつてゐても自分の思想との矛盾は感じない。

三島由紀夫
「文武両道」より
320無記無記名:2009/10/29(木) 11:15:09 ID:09uRlDQr
戦後、インテリ層の中で、「これで新らしい時代がきたんだ、これからはなんでも
頭の勝負でやるんだ……」といふ時代があつた。その頃僕は、僕を可愛がつてくれた故岸田国士先生に
「これから文武両道の時代だ……」といつてまはりの人に笑はれたことがある。
当時、先生のまはりにゐた人達にしてみれば、新らしい時代がきたといふのに、なんで
古めかしいことをいふと思つたのでせう。
元来、男は女よりバランスのくづれやすいものだと僕は思つてゐる。
女は身体の真中に子宮があつて、そのまはりにいろんな内蔵が安定してゐて、そのバランスは大地に
しつかりと結びついてゐる。男は、いつもバランスをとつてゐないと壊れやすく極めて危険な動物です。
したがつてバランスをとるといふ考へからいけば、いつも自分と反対のものを自分の中に
とり入れなければいけない。(私はさういふ意味で文武両道といふ言葉をもち出した)。
さうすると、軍人は文学を知らなければならないし、文士は武道も、といふやうになる。
実はそれが全人間的といふ姿の一つの理想である。

三島由紀夫
「文武両道」より
321無記無記名:2009/10/29(木) 11:16:06 ID:09uRlDQr
その点、むかしの軍人は漢学の教養もあり、語学などのレベルも高かつた。私はいま二・二六事件の
将校のことを研究してゐますが、当時の将校は実に高い教養の持主が多かつたと思ふ。
末松太平といふ方の「私の昭和史」(みすず書房刊)なんかみると、実にすばらしい文章で、
いまどきのかけ出しの作家などはちよつと足元にも及ばない。
ああいふ立派な文章を書くには、よほどの教養が身につかなければ書けないものです。
また、文士も、漢学を学び武道に励むといつた工合で、全人間的ないろいろな教養を身につけてゐた。
ところが大正に入り昭和になつてくると、この傾向はだんだんやせ細つてきてバランスが崩れ
片輪になつてきた。そして大東亜戦争の頃の日本人の人間像といふものは、一見非常に
立派なやうですが、実際はバラバラであつた。近代社会の毒を受けたかたちの人間が多かつた時代です。
つまり先にいつた文武両道的な――自分に欠けたものをいつも補ひたい気持、
さういふ気持がなくなつてゐたのです。
最近はさらにかういふ考へ方がなくなつてゐる。また余裕もないだらう。

三島由紀夫
「文武両道」より
322無記無記名:2009/10/29(木) 11:17:56 ID:09uRlDQr
…しかし、僕は思ふのだが本を読むにしても本当に読む気があれば必ず読めるものだ。
とかくいまは無理をするといふことを一般に避けるやうになつてきてゐる。
そこで、またバランスのことにもどるが、一般に美といふ観点からも“バランス”は大事である。
古いギリシャ人の考へは、人間といふものは、神様がその言動や価値といふものをハカリでちやんと
計つてゐて、一人一人の人間の中の特性が、あまりきはだちすぎてゐると、神の領域にせまつてくる、
として神様はピシャつと押へる。
すべての面で、このやうに一人一人の人間を神様はじつとみてゐるといふのですね。
…このやうな考へ方は、当時ポリス(都市国家)といふ小さな社会で均衡を保つた政治生活をおくる
必要から生れたものと思ふが、なかなかおもしろい考へ方です。
人間が知育偏重になれば知識だけが上がり、体育偏重になれば体力だけがぐつと上がる。
――これはバランスがくづれるもとで、神様はこのことを、蔭でみてゐて罰する。
だから理想的に美しい人間像といふのは、あくまで精神と肉体のバランスのとれた、
文武両道にひいでたものでなければないといふわけです。

三島由紀夫
「文武両道」より
323無記無記名:2009/10/30(金) 15:06:51 ID:nJEDdmD4
私は進歩主義者ではないから、次のやうに考へてゐる。
精神をきたへることも、肉体をきたへることも、人間の古い伝統の中の神へ近づくことであり、
失はれた完全な理想的な人間を目ざすことであり、それをうながすものは、人間の心の中にある
「古代の完全性」への郷愁である、と。
精神的にも高く、肉体的にも美しかつた、古典期の調和的人間像から、われわれはあまりにも
かけはなれてしまひ、社会にはめこまれた、小さな卑しい、バラバラの歯車になつてしまつた。
ここから人間を取りもどすには、ただはふつておいて、心に念じてゐるだけでできるものではない。

三島由紀夫
「きたへる――その意義」より
324無記無記名:2009/10/30(金) 15:07:34 ID:nJEDdmD4
苦しい思ひをしなければならぬ。
人間の精神も肉体も、ただ、温泉につかつて、ぼんやりしてゐるやうにはできてゐない。
鉄砲でも、刀でも、しよつちゆう手入れをしてゐなければ、さびて使ひものにならなくなる。
精神も肉体も、たえず練磨して、たえずみがき上げてゐなければならぬ。
これは当り前のことなのだが、この当り前のことが忘れられてゐる。
若いうちに、つらいことに耐へた経験を持つことほど、人生にとつて宝はないと思ふ。
軍隊のやうな強制のない現在、一人一人の自発的な意志が、一人一人の未来を決定するにちがひない。

三島由紀夫
「きたへる――その意義」より
325無記無記名:2009/11/03(火) 14:06:21 ID:N8d9dCBD
【尚武の】◇◇◇三島由紀夫◆◆◆【こころ】
http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1257215077/
326無記無記名:2009/11/10(火) 12:02:53 ID:3n4f2S4i
三島氏が「奔馬」の取材に熊本にやつてきたのは昭和四十一年八月で、その時の話相手になつたのが私である。
三島氏は数日間、熊本に滞在したが、その間に三島氏の心にふれて、私は少なからず感動した。
それは三島氏が、神風連の調査に熊本にくるにあたつて、すでに神風連関係の著書を東京でほとんど目を通してきた、
といふ熱心と謙虚さを知つたことばかりではない。
神風連について学ぶためには、古神道を知らねばならぬといつて、わざわざ古神道をつたへる大和の大三輪神社に行き、
数日間滝にうたれたり、そこの宮司から古神道の話をきいてゐた、といふやうな真剣さを知つたからである。
さらに私の心をうつたのは、熊本にきて私と対話中、神風連にとつてもつとも重要な遺跡であり、その思想信条の
発源体であつた新開皇大神宮に行くのに、私の案内を辞退して、道順だけをきいてそこまで十キロの径を
一人出かけて行つたといふ態度であつた。

荒木精之
「初霜の記・三島由紀夫と神風連」より
327無記無記名:2009/11/10(火) 14:51:40 ID:H91y36kN
著作権違反により逮捕
328無記無記名:2009/11/12(木) 11:17:31 ID:cF+mdk53
私は一度だけ三島由紀夫さんから葉書を頂戴したことがある。
葉書に十行足らずの簡潔な内容の便りで、私の住所がわからないため、私の著書の出版社経由で届いたのだった。
…葉書の消印は昭和三十六年五月一日。「抒情の批判――日本的美意識の構造試論」は、当時新たに
生まれたばかりだった出版社晶文社から刊行された、私のごく早い時期の著書で、奥付によると、刊行は
昭和三十六年四月二十日となっている。
つまり、三島さんはこの本が書店に並んだのとほとんど同時に、これを購入してくれていたのだった。
のみならず、三島さんは彼が発行同人(?)の一人でもあったらしい雑誌『風景』、さらに『東京新聞』書評欄でも
「抒情の批判」を激賞してくれた。それは何千部かの本がどんどん売れていくという、喜ばしい椿事を生んだ。
『風景』所収のものは三島さんの「日記」中、四月二十七日(木)付の一文である。
…もしこれらを読んだ時私が三島さんにそれに見合うだけの熱烈な礼状を書いていたとしたら、私のその後の
人生は多少とも変った流れになっていたかもしれない。
第一、本が書店に出まわるのとほぼ同時に銀座の本屋さんでこれを買い、〈匆々に帰宅してこれを読んだ〉と
三島さんは書く。そして〈本の副題の「日本的美意識の構造試論」の展開である「保田輿重郎ノート」といふ
長文の評論を、身も心も惹き込まれて読み、まだ会ったこともない大岡氏に、オマージュの葉書を書いた〉と
三島さんはいう。
現在このような形で、自分より若い物書き、それも現代詩などというものを作っている人間に対して、
熱烈というしかない〈オマージュ〉を捧げてくれる文筆家などいるだろうか。

大岡信
「一度だけの便り」より
329無記無記名:2009/11/12(木) 11:18:48 ID:cF+mdk53
三島さんは十代のころから保田与重郎を読み、その〈謎語的文体〉に〈いつも拒絶されるやうな不快と同時に
快感を味はつた〉と書く。それは数歳年少だった私自身が感じていたものと、かなり近かった。
…三島さんが私に示された非常な好意も、戦後社会に対してどうしてもしっくりしないものを感じ続けていた
精神が、〈生の充溢感と死との結合は、久しいあひだ私の美学の中心であつた〉(「日記」)と、いわば晴れて
堂々と言い切る機会を得た満足感が、伴っていたのかもしれない。
残念だったことは、三島さんに直接お会いして、この時の礼を申しあげ、三島さんの戯曲についての賞賛的感想を
のべる機会を、永久に失ってしまったことである。

大岡信
「一度だけの便り」より
330無記無記名:2009/11/20(金) 17:21:51 ID:ixPKR8Pi
益荒男が たばさむ太刀の 鞘鳴りに
幾とせ耐へて 今日の初霜

散るをいとふ 世にも人にも 先駆けて
散るこそ花と 吹く小夜嵐

三島由紀夫 辞世の句

今日にかけて かねて誓ひし 我が胸の
思ひを知るは 野分のみかは

森田必勝 辞世の句
331無記無記名:2009/11/20(金) 17:22:32 ID:ixPKR8Pi
火と燃ゆる 大和心を はるかなる
大みこころの 見そなはすまで

小賀正義


雲をらび しら雪さやぐ 富士の根の
歌の心ぞ もののふの道

小川正洋


獅子となり 虎となりても 国のため
ますらをぶりも 神のまにまに

古賀浩靖
332無記無記名:2009/11/20(金) 17:31:06 ID:6KyyxNOF
でもホモ
333無記無記名:2009/11/23(月) 15:34:12 ID:KnmQqtms
西部邁の「三島由紀夫」論
http://www.youtube.com/watch?v=E0vCq-SpmC4&hl
334無記無記名:2009/11/24(火) 16:50:13 ID:plO1gfUl
国のため いのち幸くと 願ひたる
畏きひとや国の為に 死にたまひたり

わがこころ なおもすべなし をさな貌
まなかひに顕つを いかにかもせむ

夜半すぎて 雨はひさめに ふりしきり
み祖の神の すさび泣くがに

保田與重郎
昭和45年11月某日
335無記無記名:2009/11/25(水) 06:42:29 ID:d1/WT3Zv
今日は憂国忌だぜ
336無記無記名:2009/11/30(月) 14:57:15 ID:o/pdLCwB
端的只今の一念より外はこれなく候
一念々々と重ねて一生なり(葉隠)

新年に想ふのは「葉隠」の一章。
マスコミが作る「ものの見方」にとらはれず自分の考へ方で生きていく勇気をもちたい。
一念一念といふのは、さういふことだし、その積み重ねが、私を私らしくするのだから……

三島由紀夫
「真(まこと)を胸に――若さに生きよう」より
337無記無記名:2009/12/05(土) 11:12:28 ID:xjUkFkyU
西郷さん。
明治の政治家で、今もなほ「さん」づけで呼ばれてゐる人は、貴方一人です。
その時代に時めいた権力主義者たちは、同時代人からは畏敬の目で見られたかもしれないが、
後代の人たちから何らなつかしく敬慕されることがありません。
あなたは賊として死んだが、すべての日本人は、あなたをもつとも代表的な日本人として見てゐます。
(中略)
…あなたの心の美しさが、夜明けの光りのやうに、私の中ではつきりしてくる時が来ました。
時代といふよりも、年齢のせゐかもしれません。
とはいへそれは、日本人の中にひそむもつとも危険な要素と結びついた美しさです。
この美しさをみとめるとき、われわれは否応なしに、ヨーロッパ的知性を否定せざるをえないでせう。

三島由紀夫
「銅像との対話――西郷隆盛」より
338無記無記名:2009/12/05(土) 11:13:08 ID:xjUkFkyU
あなたは涙を知つてをり、力を知つてをり、力の空しさを知つてをり、理想の脆さを知つてゐました。
それから、責任とは何か、人の信にこたへるとは何か、といふことを知つてゐました。
知つてゐて、行ひました。
この銅像の持つてゐる或るユーモラスなものは、あなたの悲劇の巨大を逆に証明するやうな気がします。
……………………。

三島君。
おいどんはそんな偉物ではごわせん。人並みの人間でごわす。敬天愛人は凡人の道でごわす。
あんたにもそれがわかりかけてきたのではごわせんか?

三島由紀夫
「銅像との対話――西郷隆盛」より
339無記無記名:2009/12/10(木) 14:25:23 ID:enzXwyiw
一、二年前から、ミリタリー・ルックの流行を横目に見ながら、私は「今に見てゐろ」と思つてゐた。
男にとつて最高のお洒落である軍服といふものを(もちろんパロディー《替唄》の意味でやつてゐることぐらゐは
私にもわかるが)およそ軍服には縁のないニヤけた長髪の、手足のひよろひよろした骨無しの蜘蛛男どもが、
得意げに着込んで、冒涜の限りを尽してゐるのが我慢ならなかつた。
本来、赤・金・緑などの派手な色調は、ピーコック・ルックを待つまでもなく、男の服飾の色彩である。
しかしそれには条件がある。闘牛士の派手な服装が、もし彼らの男らしい死の職業といふ裏附がなかつたら、
たちまち世にもニヤけたものになるやうに、男が男本来の派手な色彩を身につけるには、それなりの条件や
覚悟がある筈である。その条件や覚悟のない男が、社会の一匹の羊であることを証明するグレイ・フランネル・
スーツを身に着けるのである。それは単に保身術、昆虫の保護色としての服装だ。しかるに軍服は昆虫で云へば
警戒色で、色は原色で、まづ目立たなければならないのである。

三島由紀夫
「軍服を着る男の条件」より
340無記無記名:2009/12/10(木) 14:27:44 ID:enzXwyiw
そしてそれを着る条件とは、仕立のよい軍服のなかにギッチリ詰つた、鍛へぬいた筋肉質の肉体であり、
それを着る覚悟とは、まさかのときは命を捨てる覚悟である。アメリカでは、将軍といへども、腹が出て来て
軍服が似合はなくなると免職になるさうだ。
自衛隊に一ヶ月みつちり体験入隊をして、心身共に鍛へた大学生の集まりであるわれわれの「楯の会」では、
その一ヶ月の卒業祝に、この制服を贈ることにしてゐる。まづ中味を調べ、次に制服といふわけだ。
西武百貨店の堤清二社長の厚意が得られて、ド・ゴール大統領の洋服をデザインした名デザイナー五十嵐九十九氏の
デザインに成るこの凛々しい軍服が「楯の会」の制服になつた。帽章は私自らがデザインした。
町をこの制服を着た青年が歩いてゐたら、どうかゆつくり目をとめて眺めていただきたい。

三島由紀夫
「軍服を着る男の条件」より
341無記無記名:2009/12/13(日) 10:30:09 ID:UawXSZMB
>>293
三島に憧れてるのかもよ。
小説と同じく。
パクリでなく、三島を読んで影響受けた箇所が多々見られるよね。
342無記無記名:2009/12/13(日) 10:31:03 ID:UawXSZMB
ああ、申し訳ない。
初めてここにきたものだけど、ここにもコピペ厨がいるんだ、、
343無記無記名:2009/12/13(日) 15:00:10 ID:ABalIWWx
>>341
> 小説と同じく。
> パクリでなく、三島を読んで影響受けた箇所が多々見られるよね。


多々?例えばどこに?
そんなこと言うやつ、はじめて聞いたわ。
344無記無記名:2009/12/13(日) 18:29:35 ID:UawXSZMB
>>343
それを指摘した本を出してる人いるでしょ?
俺はその本は読んでないけど。
ただ、両作家を同時に読むと影響を受けたのがよくわかるよ。
自分は若い頃に村上春樹を読んで、その後数年後に三島を読んで
そんなことを気付かなかった。ところが同時に両作家を読み進めると
それがよくわかった。間違っても村上春樹を避難してないよ。
345無記無記名:2009/12/13(日) 19:15:51 ID:ABalIWWx
>>344
村上春樹のとなりには三島由紀夫がいる、とかいうの読んだことあるけど、全く説得力のないこじつけみたいなもんだったけど。
346無記無記名:2009/12/13(日) 21:10:41 ID:UawXSZMB
>>345
僕もそんなことだろうと鼻から読む気なしなんですが。
345さんは、両作家の著書はどれくらい読まれましたか?

347無記無記名:2009/12/13(日) 23:03:54 ID:ABalIWWx
>>346
具体的に春樹のどれが三島のどの作品の影響なんでしょうか?

先に教えて下さい。
348無記無記名:2009/12/14(月) 11:38:36 ID:8DfvIJ+J
>>347
どれってわけでなく、5冊くらい並行して読んだら気づいたよ。

そうだね,,例えば両作家の三十代の作品とかさ。
たとえば三島なら金閣寺から命売ります、美しい〜まで
村上まら、、、三〇代ってどれだ。世界の終わりとかさ。
喪失感を自己流に癒してくく過程が気になるね。
349無記無記名:2009/12/14(月) 13:50:10 ID:CjlZU0wX
>>348
そうですか。私は「ノルウェー…」くらいしか読んでないので、三島の「春の雪」と
それを類似指摘している「村上春樹のとなりには…」の本の内容のこじつけには共感できなかったんですが、
今度その春樹作品あたりを読んでみます。
350無記無記名:2009/12/14(月) 16:00:05 ID:avX84gOI
当時の綽名は虚弱体質で青白い顔をしていたことから「アオジロ」。しかし初等科6年のとき、校内の悪童から「おいアオジロ、お前の睾丸もやっぱりアオジロだろうな」とからかわれたとき、公威は即座にズボンの前ボタンを開けて一物を取り出して
「おい、見ろ見ろ」
と迫ったところ、それは貧弱な体格に比べて意外な偉容を示していたため、からかった側が思わずたじろいだという。
351無記無記名:2009/12/14(月) 16:29:52 ID:8DfvIJ+J
>>349
半端であり持論に近いことを押し付けた意見ですいません。
荒れることと、私自信まだまだ未熟なので具体的には上げられませんでしたが、もう少し具体的にあげると、、、
三島作品でずたずたにされた、一部の残酷性と喪失感をハードボイルドで村上春樹が少し癒したような気がしました。
金閣寺とハードボイルドだけを読んでも、リンクを感じましたし、そこに命売りますなんかの、ポップさも何かと影響を受けてるのかな?と思いました。
352無記無記名:2009/12/15(火) 01:36:17 ID:41TMlnjh
ここって良く考えたらウェイト板なんだね。
みんなトレーニーなんだ?うれしいね。
俺も45歳で、あの腹筋と胸筋のカットを維持したい。まだまだ先だけど。

ちなみにコピペ厨も、トレーニーなのかな、、、
353無記無記名:2009/12/15(火) 11:16:16 ID:CYSJ0sI7
>>352
そうだよ。ムキムキおっぱいだよ。
354無記無記名:2009/12/15(火) 22:57:58 ID:vwgamrQD
三島先生は女が強くなることを認めなかった
三島由紀夫にとって軍事とはすなわち男の世界である

それに比べてお前らはどうだ?女ごときが鍛えることを認め、
あまつさえ賞賛するとは何事か
女ごときが<男道>に入り込んで来る事は絶対に許してはならないのである
355無記無記名:2009/12/16(水) 10:16:21 ID:ogAMOTa4
>>354
三島は女性がスポーツをすることを否定してませんよ。
健康増進と、軍事に携わることとは全く別の話でしょう。
356無記無記名:2009/12/16(水) 11:52:47 ID:Va2vHe+j
オレはむしろ三島は鍛え上げられた女性の肉体
例えばエレーナ・イシンバエワのような完璧な身体に憧れていたのではと思う。
357無記無記名:2009/12/16(水) 18:51:44 ID:jFS3zf+N
何を馬鹿な
アンチフェミニズムの極致である三島先生が女ごときが鍛えるのを認めるはずがない
そもそも女の社会進出自体に苦言を呈しておられたのだ

お前らのごとき軟弱な男女平等思想に洗脳されたオカマ野郎どもをこそ最も忌避されているのだ
勝手な捏造はやめてもらおう
358無記無記名:2009/12/16(水) 18:53:17 ID:jFS3zf+N
何がエレーナだ気色悪い
あれはただの変態の奇形生物である

女のくせに見苦しい
359無記無記名:2009/12/16(水) 19:51:03 ID:ogAMOTa4
>>357
たしかに三島はフェミニズム批判はしてますけど、あなたのような偏狭な感覚とは違います。
昔から女性も、農業や行商、海女で働いてますし、「潮騒」でも三島は生き生きした素朴で自然な女性を描いてますよ。
小賢しいフェミニズムと、そういうのとは全然違うと思いますけど。
360無記無記名:2009/12/16(水) 19:59:54 ID:ogAMOTa4
劇画や漫画の作者がどんな思想を持たうと自由であるが、啓蒙家や教育者や図式的風刺家になつたら、その時点で
もうおしまひである。かつて颯爽たる「鉄腕アトム」を想像した手塚治虫も、「火の鳥」では日教組の御用漫画家に
なり果て、「宇宙虫」ですばらしいニヒリズムを見せた水木しげるも「ガロ」の「こどもの国」や「武蔵」連作では
見るもむざんな政治主義に堕してゐる。
一体、今の若者は、図式化されたかういふ浅墓な政治主義の劇画・漫画を喜ぶのであらうか。「もーれつア太郎」の
スラップスティックスを喜ぶ精神と、それは相反するではないか。ヤングベ平連の高校生と話したとき、
「もーれつア太郎」の話になつて、その少年が、
「あれは本当に心から笑へますね」
と大人びた口調で言つた言葉が、いつまでも耳を離れない。大人はたとへ「ア太郎」を愛読してゐてもかうまで
含羞のない素直な賛辞を呈することはできぬだらう。赤塚不二夫は世にも幸福な作者である。

三島由紀夫
「劇画における若者論」より
361無記無記名:2009/12/16(水) 20:00:44 ID:ogAMOTa4
(中略)世の中といふのは困つたもので、劇画に飽きた若者が、そろそろいはゆる「教養」がほしくなつてきたとき、
与へられる教養といふものが、又しても古ぼけた大正教養主義のヒューマニズムやコスモポリタニズムであつては
たまらないのに、さうなりがちなことである。それはすでに漫画の作家の一部の教養主義になつて現はれてをり、
折角「お化け漫画」にみごとな才能を揮(ふる)ふ水木しげるが、偶像破壊の「新講談 宮本武蔵」(一九六五年)を
描くときは、芥川龍之介と同時代に逆行してしまふからである。若者は、突拍子もない劇画や漫画に飽きたのちも、
これらの与へたものを忘れず、自ら突拍子もない教養を開拓してほしいものである。すなはち決して大衆社会へ
巻き込まれることのない、貸本屋的な少数疎外者の鋭い荒々しい教養を。

三島由紀夫
「劇画における若者論」より
362無記無記名:2009/12/16(水) 20:02:27 ID:jFS3zf+N
馬鹿か
そんな程度では証明にならん
三島由紀夫ははっきりと女が強くなることを否定している
アンチフェミニズムというものは偏狭であれば偏狭であるほどよい
過激であれば過激であるほどよいのだ
貴様らのごとき軟弱者は三島先生の最も嫌うタイプだ
363無記無記名:2009/12/16(水) 20:03:53 ID:jFS3zf+N
お前のようなフェミニスト男のオカマ野郎が三島由紀夫を語るな汚らわしい

三島由紀夫に対する侮辱だオカマ野郎
364無記無記名:2009/12/16(水) 20:05:05 ID:jFS3zf+N
女に力を与えて何が健康増進だ
力とはすなわち軍事力だ
男性様に対する女ごときの反乱の原因となる
365無記無記名:2009/12/16(水) 20:08:29 ID:Tyodah5W
いいなあこのスレ
馬鹿マンコどもは政には不要だわな
国会からも締め出すべきだろ
雌鶏が疹晨するは此れ家之滅ぶ
366無記無記名:2009/12/16(水) 20:13:56 ID:Tyodah5W
ただオノレを産んでくれたのも哀しいかな母なんだよな
淮陰候韓信が貧乏で生母の葬式も出せずに丘の上に埋葬
したって話は泣けるよな
367無記無記名:2009/12/16(水) 20:15:59 ID:jFS3zf+N
>>365
よくぞ言った!
お前は「男」だ
ここにも「男」の何たるかをわきまえる真の「男」が存在したか
男が男道(おとこみち)を磨くために存在する政冶の世界に女ごときが入ってくるとは何事か?
そんな事で鬼畜米英が攻めてきたらどうするんだ?
女は台所から一歩も出るな
どうしても政治に携わりたければ台所の中で飼い猫に演説でもやってろ
368無記無記名:2009/12/16(水) 20:18:22 ID:jFS3zf+N
>>366
何が悲しいんだ?女が社会進出すれば出生率は下がり俺たちは生まれなかったのかもしれないんだぞ

女のくせに筋肉などはもってのほか

男たるものが男道(おとこみち)を歩み、男を磨き、男となる
これこそ男の生き方だ
369無記無記名:2009/12/17(木) 02:22:15 ID:6Sg8UK2H
>>368
>出生率は下がり俺たちは生まれなかったのかもしれないんだぞ

お前に限ってはその方がよかっただろうなw
370無記無記名:2009/12/17(木) 02:53:26 ID:OAVnpItc
>>369
俺が生まれなかったら今のフェミニズム社会から「男」を救える救世主が他にどこにいる

今やこのスレをご覧のとおり女にこびへつらい女の足の裏をなめて喜ぶキモイマゾ男どもがフェミニズムの片棒担ぐ有様よ

三島由紀夫のような女を抑圧できる真の「男」が現代にはどこにもいないというのだから由々しき問題だ
男が次代の強者として君臨するためには女どもを弱くし奴隷としなければならないのだ
371無記無記名:2009/12/17(木) 02:58:00 ID:OAVnpItc
自衛隊に女ごときを入れるとは言語道断
自衛隊とはまさに男の男による男のための男道(おとこみち)を歩み男を学ぶ神聖な場所よ

これに女ごときが入ることは聖域を汚すことに繋がるのだ

三島由紀夫が生きていればこんな事は許しはしなかったであろう
372無記無記名:2009/12/17(木) 08:08:23 ID:GnhzMqpe
始め凄い奴だと思っていたがコイツが言っている事は反発者には人気があるなアナーキだからだ
だが自決してコイツは逃げた
中途半端な奴だ
最後まで生きて戦え
373無記無記名:2009/12/17(木) 09:44:41 ID:0WOxGZFE
>>370
あんたは女性と付き合ったことないんじゃない?三島のこともよく解ってないようだし。
三島は男女の区別、役割は大事にして、あなたの言うようにフェミニズム批判してるけど、あんたみたいな女性蔑視じゃないから。
物凄い母親おもい、妹おもいの人だし、女性の心理もよく判る繊細で優しい男性だよ。
あんたみたいな似非マッチョとは月とスッポンだわ。
374無記無記名:2009/12/17(木) 09:55:58 ID:0WOxGZFE
>>372
あんたの三島理解が中途半端なだけだよ。アナーキーじゃないから。三島の論文ぐらい読んでから出直しな。
375無記無記名:2009/12/17(木) 09:56:08 ID:6Sg8UK2H
>>373
>>370は女性を批判することでしか自らの立ち位置を見出せない
たんなる女性コンプレックスでしょ。
三島を引用すれば自らの愚行を正当化できると思ってるんだから
そこら辺の企業恐喝してる三流右翼とかわらんよ。
そんな奴にいいように引っ張り出される三島も迷惑な話だよな。
376無記無記名:2009/12/17(木) 10:08:41 ID:GnhzMqpe
>>373
ソイツは三島の事がわかっていないからよいレスだな
不道徳に生きよとかコイツみたいな奴が読んだら意味も掴めずありのまま間違った感性を育てるんだろう

女性はこうあるべき的な事は言うが女性を軽蔑せずむしろ女性を尊敬しているよな

ソイツどっから女性は国家の奴隷でなければならないとか勘違いしだしたんだろな
大昔の貴族かなんかか
377無記無記名:2009/12/17(木) 10:09:49 ID:eTu4v4XN
自決して逃げた訳じゃないだろうよ
自決という行為自体が究極の「行動」であると思うよ
我々凡人には悶絶し失神するとまで言われる切腹が出来ますか?
出来ないでしょう。
三島は単なる理屈をこねくり回す評論家でも物書きでもなく真の
行動人であり前世紀最期の武人だったと言えると思うけど
三島を引き合いに出してとか利用してというけど自分の理論を
補強するためだったら故三島先生もむしろ喜ぶんじゃねえの
身勝手じゃなくて国を思う健全な理論であればいかに稚拙
なものであろうとね
378無記無記名:2009/12/17(木) 10:13:25 ID:GnhzMqpe
>>374
ないとは言えないぞ
三島にはアナーキの気質がある
わかりやすく言ったまでだがなぜお前が!
こう言う奴は三島の反発心に憧れるんだよ

アナーキだよな
379無記無記名:2009/12/17(木) 10:17:03 ID:GnhzMqpe
>>377
それは捉え方の問題
逃げたと思わないならそれで良いだけの話

そしてそこで切腹出来ますか?とか持ってくるのはおかしい

その言い方なら自殺が美化されすぎる
380無記無記名:2009/12/17(木) 10:20:37 ID:6Sg8UK2H
>>377
>身勝手じゃなくて国を思う健全な理論であれば

それはそうだろうが単なる女性蔑視に使われたんじゃ三島もやりきれんだろ?
上のバカは強きが弱きを蹂躙するような書き込みしかしてないだろ?
仮にもゴールドメダリストに対して奇形生物とはネット弁慶にも程があるだろ?
381無記無記名:2009/12/17(木) 10:23:48 ID:eTu4v4XN
練炭炊いて一酸化炭素中毒で死ぬ事と
古式どおりに切腹して果てるのじゃ意味が違う
382無記無記名:2009/12/17(木) 10:32:44 ID:GnhzMqpe
それも三島グループ=特攻隊を作り出してから反発心がマシ人格が次第におかしくなったのは関係者が皆同じように言っているのは有名な話だ
その三島は三島だと言えるかをよく考えればわかる話だ
そして三島は自殺こそ美だと思うようになったのだろう死を持ってと武士道精神かそれを評価している人がいるが‥俺から言わすと生きるほうが美だ
そして人々に与える影響など配慮しなければならない
最後は明らかに自滅だ可能性の限界を感じ逃げたと言われても当然である褒めたたえる事か
383無記無記名:2009/12/17(木) 10:39:56 ID:0WOxGZFE
>>378
アナーキの気質はあるけど、本当のアナーキーなら諌死なんかできるわけないでしょ。
384無記無記名:2009/12/17(木) 10:40:06 ID:6Sg8UK2H
>>382
まあでも生前から三島が「男の死に様」にこだわってたのは事実なんだよね。
そこら辺は篠山紀信氏や横尾忠則氏らがよく知ってる。
385無記無記名:2009/12/17(木) 10:45:42 ID:0WOxGZFE
>>382
生きるため、自分の思想がいつかまた後世によって復活するために死ぬ道を選んだんだよ。
あんたみたいな人命第一、石原慎太郎みたいな似非やブサヨには解んないだろうけどね。
386無記無記名:2009/12/17(木) 10:49:14 ID:0WOxGZFE
>>384
「男の死に様」にこだわるのも、日本の文化だからね。
387無記無記名:2009/12/17(木) 10:56:37 ID:GnhzMqpe
>>383
言っている事がコロコロ変わる人物だね
それと本当のアナーキとは?自爆テロとかは本当のアナーキな人はしないの?自分を犠牲にしてよりした事に効果があると思うなら本当のアナーキの人のほうがそう言う事を起こすよね
そもそも三島は自分に限界を感じ自分の言いたい事を死により、より広めるのが最大の狙いであった

意味ない死だと言っていない、ただ自殺せずに最後まで生きて戦って欲しかっただけだ
388無記無記名:2009/12/17(木) 11:05:22 ID:GnhzMqpe
>>385
その言い方なら死なないと伝わらないみたいな言い方だね
世間から知られていない人ならわかるがその反対の人なのに
389無記無記名:2009/12/17(木) 11:07:28 ID:GnhzMqpe
>>386
話していてわかったんだけど感覚が戦国時代の人だね

もっと命の大切さを学ぶといいよ
390無記無記名:2009/12/17(木) 11:08:40 ID:0WOxGZFE
>>387
マスコミ全盛期の大衆社会じゃ、自分の言論が握りつぶされるだけだと解ったから、死んで、より生き永らえる道を選んだんだよ。
現実に三島に影響されてる右派に変わった人は沢山いるでしょう。
391無記無記名:2009/12/17(木) 11:10:12 ID:utkAsm0M
>>387
お前こそ「アナーキー」の本当の意味をわかってるか?
三島がやったことは「アナーキー」の真逆のことだぞ??
392無記無記名:2009/12/17(木) 11:13:05 ID:GnhzMqpe
>>391
無知はロムってなさい
393無記無記名:2009/12/17(木) 11:14:09 ID:0WOxGZFE
>>389
三島はそういう人命第一主義の魂の抜けた社会風潮そのものを批判したのを知らない半可通は、もっとよく三島の思想を調べてから出直してくださいよ。
394無記無記名:2009/12/17(木) 11:15:35 ID:GnhzMqpe
>>390
だよね三島はそう感じていたと思う、あの事柄でたしかに影響力はあったし今も忘れられていない
ただ生きて戦って欲しかった
395無記無記名:2009/12/17(木) 11:17:27 ID:0WOxGZFE
>>392
どうみても、あなたのが三島に対する見方が浅くて無知だと思うけど。
396無記無記名:2009/12/17(木) 11:17:54 ID:6Sg8UK2H
三島が死に様として自決を選んだのは自身のナルシシズムの結果であり
基本的に政治思想とは切り離して考えなければならないと思う。
極端な話、三島はそれ相応の理由があれば自決の機会を伺っていたきらいがある。
397無記無記名:2009/12/17(木) 11:20:52 ID:0WOxGZFE
>>394
生きてますよ。三島の言葉は。
それを生かすのが、後世の役割でしょう。
398無記無記名:2009/12/17(木) 11:22:49 ID:GnhzMqpe
>>393
古い価値観に囚われるのはよくない
後はいちいち挑発しなくてもいい
時代により人の精神は変わるこれ基本

そして自決は根性があるでもない美でもない
君はそう言う死に方を選ぶのか知れないけどそれが本当の男でも根性がある魂があるでもない
それは自分で作った錯覚でしかない
399無記無記名:2009/12/17(木) 11:24:27 ID:0WOxGZFE
>>396
政治思想とは切り離せるわけないでしょうが。
あんたは子供の頃からの三島の記述を読んでない半可通のバカですか?
400無記無記名:2009/12/17(木) 11:27:41 ID:GnhzMqpe
>>396
そのようにも言われているし三島の最後のほうは人格がおかしくなっていたし本人もわからなくなっていたのかもね
401無記無記名:2009/12/17(木) 11:28:41 ID:0WOxGZFE
>>398
価値観に古いも新しいもないんだよ。それが三島の生き方なんだから。
別にあんたまでそうしろとは誰も言ってないから安心しなよ。
402無記無記名:2009/12/17(木) 11:33:24 ID:0WOxGZFE
>>400
そのようにも言ってるのは、あんたみたいなたいして三島のことを解ってない上っ面週刊誌記者みたいなバカと大衆だけだよ。
三島は最後まで冷静で、おかしくなんかなってませんよ。
403無記無記名:2009/12/17(木) 11:34:23 ID:GnhzMqpe
>>399
その人は俺ではないがいちいち挑発するなと話したばかりだが
小さい頃から三島本を読んだらプライド高そうな人格になりそうだし無理もないか

生きるのに不十分しないならいいと思うよ

最後のほうは意見が分かれるんだよ
政治も死に方もどっちもこだわっていたから分かれても不思議ではない
404無記無記名:2009/12/17(木) 11:38:27 ID:0WOxGZFE
>>396
究極のナルシシズムもなければ、愛国憂国思想も生まれませんからね。
間抜けな浅い煽りでした。
405無記無記名:2009/12/17(木) 11:38:31 ID:utkAsm0M
ガキの頃に切腹前の演説をソノシート?で聴いたんだが
原文知ってる奴教えてくれ
406無記無記名:2009/12/17(木) 11:42:09 ID:0WOxGZFE
>>403
私は小さい頃から三島本を読んでるなんて言ってないけど。
半可の知ったかぶりは、三島の子供時代からの記述を読みな、と言っただけ。
407無記無記名:2009/12/17(木) 11:43:44 ID:GnhzMqpe
>>401
安心するよ
古い価値観、新しい価値観とあるんだよ
わかりやすく言ってあげよう戦国時代の切腹はあの当時の価値観

今は切腹と言う価値観はありますか?
何かにケジメつけるのに今なら仕事とか家庭だね、失敗したりして切腹して亡くなる人いますか

そう言う事です古い価値観と新しい価値観はあるんですよ
408無記無記名:2009/12/17(木) 11:44:37 ID:0WOxGZFE
>>403
挑発なんかしてませんけど。的外れなこと言ってるバカに反論しただけで。
409無記無記名:2009/12/17(木) 11:46:53 ID:6Sg8UK2H
>>404
実は自分はこのスレを立てたものですが
多少の意見の衝突はあれど、これだけ活発に
意見の交換があることはいいことだと思います。
自分は以前縁あって三島氏の旧友横尾忠則氏とお会いすることがあり
三島氏の生前のお話を色々と伺いしましたがここではあえて伏せさせていただきます。
ご理解頂けて幸いです。
410無記無記名:2009/12/17(木) 11:50:12 ID:GnhzMqpe
でも貴方が言いたい事もわかる部分もある

命にこだわるあまり自分可愛いですじゃなく命を削ってでも何かを成し遂げるのは大事だろ怠けるな日本男とそう言う事だよね
411無記無記名:2009/12/17(木) 11:55:39 ID:utkAsm0M
おい、おっさん共。
下らない思想振り回してないで質問に答えろよ。
結局「三島由紀夫」を語って何が言いたいの?
一対一で済むならメールかブログでやれよ。
412無記無記名:2009/12/17(木) 11:56:32 ID:0WOxGZFE
>>409
横尾忠則氏だからといって、彼が三島のすべてを知ってたわけでもないでしょうに。
政治に疎い人に、三島は政治的なことは語りませんから。
413無記無記名:2009/12/17(木) 12:01:20 ID:6Sg8UK2H
>>412
横尾氏、篠山氏がかつて三羽ガラスと呼ばれながら
三島氏と闊歩されていたのはご存じないのですね。とても残念です。
では身近にいた横尾氏以上にあなたがなにをご存じなのでしょうか?
妄想以上で答え下さい。
414無記無記名:2009/12/17(木) 12:01:59 ID:GnhzMqpe
>>402
貴方は大衆の一人では情報はどこから?
どうして自決の三島氏の気持ちがわかりますか?三島氏から直接聞いていない以上貴方も記者と変わりない事をわかりますか?

聞いたのならどう言っていたのか等を書かないと話しになりませんよ
自分は三島氏の側近だみたいな話し方ですね本を読みあさった人によく現れる症状なので注意してくださいね
その人の事を誰よりも理解していると思いたいあまり
415無記無記名:2009/12/17(木) 12:03:11 ID:0WOxGZFE
>>409
それから三島は、作家や文化人に本当の友人なんかいないと言ってますよ。
416無記無記名:2009/12/17(木) 12:08:03 ID:OAVnpItc
>>373
はあ?馬鹿か
俺も役割分担を強制しているだけだ
アホか
417無記無記名:2009/12/17(木) 12:08:41 ID:0WOxGZFE
>>413
いくら遊んで闊歩して知り合いだろうが、その人達だって、三島のすべての思想を理解してるわけでもないでしょ。
418無記無記名:2009/12/17(木) 12:11:31 ID:6Sg8UK2H
>>415, 417
結局マスコミに踊らされているのはあなたじゃないですかw
三島がそうだとは言いませんが、どこの世界に私は女王様に汚い言葉を言われながら
生ツバを飲まされることになによりも性的興奮を感じます、なんて告白する作家がいるんですか?w
マスコミ経由の捜査された情報だけで三島象を形成するのは危険ですよ。
419無記無記名:2009/12/17(木) 12:13:01 ID:6Sg8UK2H
>>418
捜査=操作 でしたm(_ _)m
420無記無記名:2009/12/17(木) 12:13:30 ID:0WOxGZFE
>>414
三島がおかしくなんかなってないのは、前日まで接触していたあらゆる人達の証言にありますけどね。
直前の対談も極めて冷静だし。
冷静じゃなければ、計画遂行できないでしょ。
421無記無記名:2009/12/17(木) 12:16:36 ID:OAVnpItc
女のくせに何が社会進出だ
女が鍛えるのを認めている奴は三島を語る資格はない
422無記無記名:2009/12/17(木) 12:19:27 ID:GnhzMqpe
>>420
あらゆる人の証言は貴方が言う反対ですよ
もう既に考え方が危なかったと言う事です

おかしくと言いましたが気が狂って痙攣起してとかそう言う事ではなく精神状態の事です
結局は貴方は大衆の一人なんですね馬鹿にしていましたが
423無記無記名:2009/12/17(木) 12:19:47 ID:0WOxGZFE
>>418
あんたこそ潔癖症のバカなんじゃないの?
憂国思想をもってる人間だって、人間なんだから聖人君子なわけないでしょう。
何かそういう癖がちょっとでもあったら、政治思想じゃないみたいに割り切る方が、マスコミに洗脳されたバカでしょうよ。
424無記無記名:2009/12/17(木) 12:25:03 ID:0WOxGZFE
>>422
そりゃ、三島の考えを理解できない人はおかしいとみえるだけの話でしょう。
425無記無記名:2009/12/17(木) 12:26:05 ID:6Sg8UK2H
>>423
洗脳のもなにも私は本人からの伝聞を元に書いてるわけですがw
あなたのように個人的妄想を元に虚文を書き立てた挙げ句に
感情をぶつけられても困りますw
426無記無記名:2009/12/17(木) 12:27:04 ID:GnhzMqpe
ですがこの話で貴方が日本男もっとしっかりしろと言っているのはよくわかりました
大事な事です
427無記無記名:2009/12/17(木) 12:29:14 ID:6Sg8UK2H
>>423
貴方が貴方なりに三島を敬愛しているのはわかりますが
曲解なだけにまったく説得力がないんです。
428無記無記名:2009/12/17(木) 12:29:16 ID:0WOxGZFE
>>418
私はマスコミ経由の情報なんか知りませんから。
ほとんど全部、三島自身の自著からの情報。
あんたこそ横尾だ篠山だの平凡パンチのなんとか経由でしょ。
429無記無記名:2009/12/17(木) 12:32:02 ID:0WOxGZFE
>>425
それだって伝聞は伝聞でしょ。死人に口無しレベルの。
430無記無記名:2009/12/17(木) 12:34:18 ID:6Sg8UK2H
>>428
>ほとんど全部、三島自身の自著からの情報。

ではほとんどもモーニング娘。のファンとかわりはありませんねw
431無記無記名:2009/12/17(木) 12:35:15 ID:utkAsm0M
他人の意見をスルーするなら他でやって下さい。
一般人が思うに「三島由紀夫」は、
「極右」で「ゲイ」です。
ID:GnhzMqpeさんとID:0WOxGZFです
まずはくつがえしてみろよ



432無記無記名:2009/12/17(木) 12:37:00 ID:6Sg8UK2H
>>429
そういう筋の話は書きたくても全てを書く訳にはいかんのですよ。
貴方もいい大人ならわかって下さいよ。
433無記無記名:2009/12/17(木) 12:39:40 ID:0WOxGZFE
>>430
本人の自著を読まなきゃ話にならないでしょ。
関連本ももちろん大体すべて読んでますよ。
だからあんたの類いの話くらい知ってるよ。
三島自身、自分を聖人君子みたいに言ってないしね。
そんな話で政治思想を否定する、あんたのが読み足りないバカにしか見えませんけど。
434無記無記名:2009/12/17(木) 12:43:50 ID:GnhzMqpe
三島氏もここまで思ってくれる人がいて幸せである
435無記無記名:2009/12/17(木) 12:44:48 ID:0WOxGZFE
>>432
横尾に聞いたという話を、はっきりここで書いてみたら?
436無記無記名:2009/12/17(木) 12:44:57 ID:6Sg8UK2H
>>433
貴方は他人を曲解して自分を正当化することしかできないんですねwww
私は三島の政治思想と自決に至るナルシズムは別けて考えるべきだと言っているのです。
それはこのスレの私の発言をたどれば容易に分かることですけどね。
437無記無記名:2009/12/17(木) 12:48:07 ID:6Sg8UK2H
>>435
貴様が文盲でそこら辺の韓流ファンの主婦と変わらないレベルだということはよく分かった。
438無記無記名:2009/12/17(木) 12:50:44 ID:0WOxGZFE
>>436
三島の思想と自決に至るナルシズムは分けて考えられませんから。
そんな頓珍漢なこと言ってバカなんじゃないでしょうか?
同じ人間ですから分けてなんか考えられませんけどね。三島の作品や自著くらい全部読めば?
439無記無記名:2009/12/17(木) 12:53:08 ID:6Sg8UK2H
>>438
加護ちゃんは処女ですか?www
440無記無記名:2009/12/17(木) 12:53:38 ID:OAVnpItc
何の話してんだよ馬鹿二人
ウエイトと関係ない話は他でやれ


ウエイト板は筋肉と男らしさと女をどう抑圧するかについて語る場所だ
441無記無記名:2009/12/17(木) 12:53:49 ID:0WOxGZFE
>>437
なんで?
あんたが横尾に聞いたとか嘘っぱちだというのがよく判るよ。
そんな私的なことをたいした知り合いでもない奴に三島がベラベラ話すわけないしね。
442無記無記名:2009/12/17(木) 12:59:52 ID:6Sg8UK2H
>>441
だから、お前が言う三島って
スピーカーから聞こえてくるモー娘。の歌声と同じレベルだろ?
少しでも三島に詳しい人ならオレの書き込みの中に「おっ!」と思うところがあるよ。
それをどこかはバカには言わないけどなw
443無記無記名:2009/12/17(木) 13:00:25 ID:0WOxGZFE
>>439
何それ?意味不明。
あんたがマスコミ経由のバカ丸出しですよ。
444無記無記名:2009/12/17(木) 13:00:42 ID:GnhzMqpe
話おしまい
もともに話す気がない自分に問いた所で意味もない
445無記無記名:2009/12/17(木) 13:03:25 ID:0WOxGZFE
>>442
三島に詳しい人ならって、私は詳しいんだけど。あんたなんかよりね。
446無記無記名:2009/12/17(木) 13:07:12 ID:6Sg8UK2H
>>443
お前の三島LOVEは在日国籍が右翼やってんのと同じレベルなんだよね。
なんとなくカッコイイからやってる、そんなレベル。
>>445
自分で自分を詳しいとか書いて恥ずかしくないか?
チミには大和魂の謙譲の美徳とかないわけ?
底なしにバカですねwww
447無記無記名:2009/12/17(木) 13:08:38 ID:0WOxGZFE
>>442
そんな週刊誌ネタみたいなものを集めてたからって、それがその人のすべてだと短絡するあんたもバカなんじゃないの。
まあ、あんたがろくに三島自身の本を読んでないのは確実だわ。
三島は別に何も性的なものを隠してないしね。
448無記無記名:2009/12/17(木) 13:10:17 ID:OAVnpItc
>>445
それで結局お前は女の社会進出に反対なんだな?

ならば男の味方だ
449無記無記名:2009/12/17(木) 13:11:27 ID:OAVnpItc
早く終われ馬鹿荒らし二人

ここは男らしさと女の抑圧方法について語るスレだ
板違い
450無記無記名:2009/12/17(木) 13:13:30 ID:6Sg8UK2H
>>447
お前はほんとレスもとろいし何やってもダメな奴だな。
オレはそろそろ仕事に戻るからあとはニートのエセウヨが適当にやれ。
せいぜい三島ファンに迷惑掛けないようにな。
451無記無記名:2009/12/17(木) 13:13:48 ID:0WOxGZFE
>>446
あんたこそ三島の政治的なものだけをやたら否定する、カタワの左翼と同じレベルの半可通でしょうよ。
452無記無記名:2009/12/17(木) 13:18:57 ID:0WOxGZFE
>>450
仕事できないアンチ三島の粘着老人サヨクのくせに何を言ってんだか。
あんたはずっと前から、あの手この手でアンチ活動してる同じ奴でしょ。
453無記無記名:2009/12/17(木) 13:22:07 ID:6Sg8UK2H
>>451, 452
プッ!www
負け犬の遠吠えを絵に描いたようなレス乙www
454無記無記名:2009/12/17(木) 13:25:53 ID:0WOxGZFE
>>453
早く仕事すれば?妄想の。アンチ三島の妄想おじいちゃん。アンチ活動ご苦労様でしたね。
455無記無記名:2009/12/17(木) 13:33:37 ID:0WOxGZFE
西部邁ゼミナール 2009年11月21日放送
http://www.youtube.com/watch?v=saFvjBHlRzU&hl
456無記無記名:2009/12/17(木) 13:40:54 ID:OAVnpItc
やっと終わったか

とにかく女は台所から出るな
女の価値は家事

これを否定するやつは三島を語る資格なし
457無記無記名:2009/12/17(木) 16:58:47 ID:6Sg8UK2H
>>454
女の腐ったようなレスしかできないカスが女性蔑視とは笑わせるなwww
458無記無記名:2009/12/17(木) 17:15:52 ID:0WOxGZFE
>>457
女性蔑視?いつ私が女性蔑視してますか?
妄想じじいがボケて人間違えご愁傷様でした。
459無記無記名:2009/12/17(木) 17:18:45 ID:0WOxGZFE
日本の歴史をみてわかるやうに天皇は多くの時代日本文化の中心であられた。日本文化のおほらかな、人間性を
あらはした明かるく素直な伝統が天皇の中に受容されてゐる。この文化の象徴である天皇を守るにはどうしたらいいか。
私は、天皇の鏡にもし日本の文化、歴史、伝統とちがつた、大御心といふことのためでないものが映つてきたならば、
それは陛下は拒絶なさることはできないので、国民がそれを拒絶することが忠義であると思ふ。
共産主義が日本の政体を変へて天皇を日本の文化、伝統から引き離し、あるひは日本の文化を破壊して天皇をすら
破壊しようといふ意図を秘めてゐるのであるから、われわれはこれと戦はねばならないと思ふのである。

三島由紀夫
「私の自主防衛論」より
460無記無記名:2009/12/17(木) 17:20:06 ID:0WOxGZFE
そして天皇の伝統が絶たれた場合にわれわれの祖先代々の文化の全体性が侵食されてしまふからこそ、それを
守つて戦はねばならない。そのためにはやはりいまの憲法下でも、非常に制約があるけれども陛下があるときには
自衛隊においでになつて閲兵を受けられることも必要であらう。
あるひは国の名誉の中心として文武いづれの名誉の中心も陛下であられるといふかたちをなんとか新憲法下でも
つくつていけることができるんぢやないかと考へるのである。
私は日本を守るとはどういふことか、守るべきものは何なのかといふことについていま青年たちと議論してゐる。
私はまづ手近なところから、自分にできる範囲のことで小さくやつていきたい。すべてそこから始めなければ
何ごとも始まらない。
国民一人一人がいざといふ場合は銃をとつて立ち上がるぐらゐの気持を持つてやらないと将来の日本は
えらいことになるぞといふ感じを持つてゐる。

三島由紀夫
「私の自主防衛論」より
461無記無記名:2009/12/17(木) 17:25:30 ID:0WOxGZFE
或る有名な左派の政治学者は、戦後二十年、ファシズムと軍国主義以上に悪いものはないと主張する政治学で
人気を得てゐたが、新左翼の学生に研究室を荒らされ、頭をポカリとなぐられたとき、「ファシストもこれほど
暴虐でなかつた。軍閥でさへ研究室まで荒らさなかつた」と叫んだ。二十年間彼が描きつづけた悪魔以上の悪魔が、
他ならぬ彼の学説上の弟子の間から現はれたといふわけだ。
日本民族の独立を主張し、アメリカ軍基地に反対し、安保条約に反対し、沖縄を即時返還せよ、と叫ぶ者は、
外国の常識では、ナショナリストで右翼であらう。ところが日本では、彼は左翼で共産主義者なのである。
十八番のナショナリズムをすつかり左翼に奪はれてしまつた伝統的右翼の或る一派は、アメリカの原子力空母
エンタープライズ号の寄港反対の左翼デモに対抗するため、左手にアメリカの国旗を、右手に日本の国旗を持つて
勇んで出かけた。これではまるでオペラの舞台のマダム・バタフライの子供である。

三島由紀夫
「STAGE-LEFT IS RIGHT FROM AUDIENCE」より
462無記無記名:2009/12/17(木) 17:35:58 ID:OAVnpItc
>>457
それは俺だよ馬鹿w

女の腐ったようなフェミ男が男尊女卑主義者様に意見するとは100年早い
463無記無記名:2009/12/17(木) 22:53:51 ID:eTu4v4XN
右翼・民族主義・国粋主義と呼ばれる政治思想なり
任侠道と呼ばれる生き方と衆道(男色)との結びつきってのは
切っても切り離せないと思ふ
なぜならその究極は天皇陛下でありやくざの親分であり父性
そのものが信仰?の対象だから
三島先生は政治的スタンス云々言う前に、ホモでファザコンで
マゾで受け(ネコ)だからそういう性的指向を正当化すべく
民族主義という思想で自らを理論武装したんだと思うんだよな
昭和史に一石を投じたってのは凄い事だし彼の主張(有事法整備)
はつい最近ようやっと国会で真面目に論じられるに至った訳だし
464無記無記名:2009/12/17(木) 22:58:19 ID:OAVnpItc
>>463
まったくその通り
男尊女卑主義者でないものは三島を語るな
女の社会進出などもってのほか
465無記無記名:2009/12/17(木) 23:14:44 ID:0WOxGZFE
>>463
福島次郎の本によれば、三島は受けじゃないから。
それに三島は尊皇主義だけど、右翼だの左翼だの民族主義だので狭く定義する思想じゃなくて、
ニーチェの悲劇の誕生的なものだよ。
466無記無記名:2009/12/17(木) 23:23:14 ID:OAVnpItc
アホか
三島は極右
狭い
467無記無記名:2009/12/17(木) 23:23:44 ID:eTu4v4XN
>>465
悲劇的なものへの憧憬ってのは「仮面の告白」の伏線でいいの?
468無記無記名:2009/12/17(木) 23:26:30 ID:0WOxGZFE
>>463
そういう性向、性質なら生まれつきの根っからの気質ってわけだから、武装とは言わないよ。
469無記無記名:2009/12/17(木) 23:27:14 ID:OAVnpItc
知るか
自分で調べろ
470無記無記名:2009/12/17(木) 23:28:13 ID:OAVnpItc
>>468
馬鹿か
そういう生まれつきだから思想で武装したと言うことだろ
読解力なさ過ぎ
471無記無記名:2009/12/17(木) 23:32:49 ID:0WOxGZFE
>>470
三島の思想の芽は幼少期からあるもの。そういう後天的な武装じゃないから。
あんた自演アンチでしょ。
472無記無記名:2009/12/17(木) 23:34:42 ID:OAVnpItc
そんな事は知るかボケ
そいつはそう言ってると言ってるんだ馬鹿
読解力ゼロだな

お前みたいなフェミニストが三島を語るな
フェミの自演だな
473無記無記名:2009/12/17(木) 23:36:31 ID:eTu4v4XN
OAVnpItcさんの意見とほぼ一致するんですけどね
男としての優性ってのは女に欲情して犯して孕ませる
って事に尽きると思うんですよ
金持ち?そりゃ運だわな
学歴?そりゃ育ちと努力と金だわな
男としての魅力ってのはやっぱり女を犯して孕ます事が出来るか否かだと
私は思うのですよ
三島先生は妻帯し子供ももうけられたけど、実は女より男が好きだった
そんな引け目を世間から見透かされたくなくて肉体はボディービルで鍛え
筋肉で武装した。精神は先ほども述べました様に思想で武装されたのでは
ないかと考えるのでございますよ
474無記無記名:2009/12/17(木) 23:43:01 ID:0WOxGZFE
>>473
女より男が好きだったとは断定できないでしょ。あくまでそれは、あんたの集めた虚実入り雑じった情報からの憶測でしょう。
475無記無記名:2009/12/17(木) 23:45:05 ID:OAVnpItc
女を犯すのは男として当然の義務
その上で武士の衆道というものは成り立っていた
476無記無記名:2009/12/17(木) 23:45:09 ID:0WOxGZFE
>>473
下手な自演丸出しだよ。
477無記無記名:2009/12/17(木) 23:45:27 ID:eTu4v4XN
>>474
火の無い処に煙は立たず という言葉知ってる?
478無記無記名:2009/12/17(木) 23:45:54 ID:OAVnpItc
>>474
お前の嘘まみれの印象操作よりましだろ

三島が右翼じゃないなんて失笑理論を述べるとはな
479無記無記名:2009/12/17(木) 23:46:30 ID:OAVnpItc
>>476
本当だな
お前は下手なフェミ自演丸出しだな
480無記無記名:2009/12/17(木) 23:47:22 ID:OAVnpItc
気色悪いフェミニストが三島を語るとはお笑い
481無記無記名:2009/12/17(木) 23:51:08 ID:0WOxGZFE
>>477
火の無い処に煙が立ってる例なんて、週刊誌ネタにザラにありますよ。

三島のまだ平岡公威のときの青年時代の日記には、はっきり女性への思慕、欲望が書かれてますよ。
482無記無記名:2009/12/17(木) 23:53:42 ID:eTu4v4XN
これは主観抜きにして
三島先生はOAVnpItcさんのほうが0WOxGZFEさんより好きだと思うよ
ああ言えばこう言う がいまいち説得力どころか何を一体言いたいのか
解らないし ただ子供が大人の言う事に反抗している風にしか見えない
OAVnpItcさんには失礼だけれども例え稚拙でも自分の意見に筋が通っていて
解りやすいって方が三島先生好みと言えるね
483無記無記名:2009/12/17(木) 23:56:29 ID:0WOxGZFE
>>478
右翼だの左翼だのなんて近代からの発想だからね。三島の思想はもっと前からの国学や武士道、あるいは世界普遍的なもっと大きな思想だよ。
484無記無記名:2009/12/17(木) 23:57:40 ID:OAVnpItc
>>482
アホか
フェミの自演だな
485無記無記名:2009/12/17(木) 23:58:29 ID:OAVnpItc
>>483
アホか
武士道が右翼でなくて何が右翼だ
フェミの印象操作は下手すぎだな
486無記無記名:2009/12/17(木) 23:58:34 ID:0WOxGZFE
>>482
そのレスはあんたの主観、あんたの意見でしょ。バカ丸出し。
487無記無記名:2009/12/17(木) 23:58:59 ID:eTu4v4XN
死ぬ間際 皇居に対面して 天皇陛下万歳

と叫んだ男の何処が右翼じゃねえのさ
488無記無記名:2009/12/18(金) 00:00:49 ID:olbkYw/L
誤爆、悪い


その通り、三島が右翼じゃなければ誰が右翼なんだよばかばかしい

三島が最も嫌うフェミニストが三島を語るとはな
489無記無記名:2009/12/18(金) 00:01:37 ID:0WOxGZFE
>>485
私はフェミじゃないから。フェミは週刊誌ネタレベルを信じてるバカの方だよ。
490無記無記名:2009/12/18(金) 00:01:57 ID:olbkYw/L
国学、武士道が右翼じゃないとはフェミの自演も地に落ちたな
491無記無記名:2009/12/18(金) 00:02:36 ID:olbkYw/L
>>489
どう見てもフェミ
492無記無記名:2009/12/18(金) 00:02:39 ID:alAnaYHs
>>488
気にすんな
35年生きて来たけど貴兄のような立派な男に初めて出会った
生涯の知己を得た心境だ
ご活躍を祈念している
493無記無記名:2009/12/18(金) 00:06:19 ID:olbkYw/L
>>492
うむ、貴兄はまさに男の中の男だな
今後もスレ主のようなフェミニストの印象操作に屈せず男を磨いてくれたまえ

三島と言えば男尊女卑
494無記無記名:2009/12/18(金) 00:07:12 ID:alAnaYHs
そう大和男は男尊女卑
495無記無記名:2009/12/18(金) 00:08:12 ID:BHqDA411
>>481
> 三島のまだ平岡公威のときの青年時代の日記には、はっきり女性への思慕、欲望が書かれてますよ。

はスルーでごまかしか。
496無記無記名:2009/12/18(金) 00:10:53 ID:olbkYw/L
>>495
はあ?意味不明
すでに女を犯すのは男として当然といったはずだが
497無記無記名:2009/12/18(金) 00:11:32 ID:BHqDA411
>>493
新種の荒らしお疲れさまでした。
498無記無記名:2009/12/18(金) 00:12:40 ID:olbkYw/L
元々日本の武士と言うものは女を犯し娶り子を産ませつつ衆道にも励んでいた

社会的立場としての男尊女卑とは何ら矛盾しない
499無記無記名:2009/12/18(金) 00:13:24 ID:olbkYw/L
>>497
荒らしはお前だフェミニスト
500無記無記名:2009/12/18(金) 00:16:07 ID:BHqDA411
男が女より強いのは、腕力と知性だけで、腕力も知性もない男は、女にまさるところは一つもない。

三島由紀夫
「第一の性」より
501無記無記名:2009/12/18(金) 00:17:18 ID:olbkYw/L
それが何だ?
ますます男は社会に出て腕力と知力で勝負しろと言うことだろう
502無記無記名:2009/12/18(金) 00:18:40 ID:olbkYw/L
そもそも男尊女卑とは女を認める思想
何を勘違いしてるんだこのフェミニストは
503無記無記名:2009/12/18(金) 00:18:42 ID:BHqDA411
愛するといふことにかけては、女性こそ専門家で、男性は永遠の素人である。
男は愛することにおいて、無器用で、下手で、見当外れで、無神経、蛙が陸を走るやうに無恰好である。
どうしても「愛する」コツといふものがわからないし、要するに、どうしていいかわからないのである。
先天的に「愛の劣等生」なのである。
そこへ行くと、女性は先天的に愛の天才である。
どんなに愚かな身勝手な愛し方をする女でも、そこには何か有無を言わせぬ力がある。
男の「有無を言わせぬ力」といふのは多くは暴力だが、女の場合は純粋な精神力である。
どんなに金目当ての、不純な愛し方をしてゐる女でも、愛するといふことだけに女の精神力がひらめき出る。
非常に美しい若い女が、大金持の老人の恋人になつてゐるとき、人は打算的な愛だと推測したがるが、それはまちがつてゐる。
打算をとほしてさへ、愛の専門家は愛を紡ぎ出すことができるのだ。

三島由紀夫
「愛するといふこと」より
504無記無記名:2009/12/18(金) 00:20:00 ID:olbkYw/L
三島は女の社会進出や女が軍事に関わる事を否定している

その上で男はバランスに欠ける不安定な生き物だと喝破しているのである
505無記無記名:2009/12/18(金) 00:21:04 ID:olbkYw/L
>>503
アホか?
男尊女卑思想は元々女の性的価値を認める思想
だからこそ女を社会には出さないと言うことだ
アホか
506無記無記名:2009/12/18(金) 00:21:15 ID:jREkvHfR
ファザコン?マザコンじゃなかったの?
507無記無記名:2009/12/18(金) 00:29:13 ID:BHqDA411
>>504
三島が女性全部の社会進出を否定したら、女優を舞台で起用できませんけど。
508無記無記名:2009/12/18(金) 00:31:36 ID:olbkYw/L
アホか
屁理屈
509無記無記名:2009/12/18(金) 00:36:36 ID:olbkYw/L
男尊女卑主義者ほど女を強姦する率が高いと言うことがまったく分かってないな

早くレイプを合法化してこういうフェミは犯してしつけるべき
510無記無記名:2009/12/18(金) 00:42:28 ID:EG7zaHED
ニワカホモ共がまだやってたのかよw
お前らよっぽど暇なんだな。
511無記無記名:2009/12/18(金) 00:43:08 ID:BHqDA411
>>508
屁理屈じゃないでしょう。三島はあなたが言うような極端なことなんて全くどこにも書いてないよ。
512無記無記名:2009/12/18(金) 00:44:17 ID:olbkYw/L
屁理屈だろ
書いてるよ
513無記無記名:2009/12/18(金) 00:44:47 ID:olbkYw/L
早くレイプを合法化しろ
514無記無記名:2009/12/18(金) 00:45:30 ID:QFxwn5R4
>>504
「ソプラノ歌手のように女性にしか出来ないこと以外は、
文学でも男がすべきだと思う。
しかし、紫式部のような人は、その考えを壊してしまうから困る」
というようなことを、瀬戸内晴美との対談で話していますが。
515無記無記名:2009/12/18(金) 00:47:11 ID:BHqDA411
>>512
どの論文で?答えられないなら嘘っぱちと認定、あんたを荒らしと認定します。
516無記無記名:2009/12/18(金) 00:47:50 ID:olbkYw/L
はあ?だから女にしか出来ない事以外は男がやれってことだろ
517無記無記名:2009/12/18(金) 00:49:17 ID:olbkYw/L
レイプ願望のない女など存在しない
518無記無記名:2009/12/18(金) 00:53:26 ID:BHqDA411
>>517
ここはあんたのつぶやき場じゃないから、他でやってくださいよ。迷惑だから。
519無記無記名:2009/12/18(金) 00:54:07 ID:olbkYw/L
知るかお前の都合なんて
アホか
520無記無記名:2009/12/18(金) 00:57:15 ID:BHqDA411
>>519
あんたみたいな自分勝手なバカは武士道や三島精神に反してますよ。
521無記無記名:2009/12/18(金) 00:57:59 ID:EG7zaHED
>>518
だな。
どうせ>>517は童貞なんだろ。
まあ綺麗な体のまま死ねばいいw
522無記無記名:2009/12/18(金) 01:01:28 ID:alAnaYHs
平岡公威のときの青年時代の日記には、はっきり女性への思慕、欲望が書かれてますよ

その出典を正確に明記して下さい ○○年版の○○社版の○○という本の○○頁 といった具合に

そうしたらあなたを本物の三島通と認めて差し上げます
523無記無記名:2009/12/18(金) 01:03:31 ID:olbkYw/L
自分勝手に三島を解釈してフェミニズムを広めようといているお前こそ武士道に反する
女はおとなしくレイプされていればよい


童貞はお前だろ不細工
524無記無記名:2009/12/18(金) 01:04:11 ID:alAnaYHs
>>521
そういうあなたは薄汚いマン汁ヴェノムに汚された玉体でお逝きなさいまし
525無記無記名:2009/12/18(金) 01:04:34 ID:olbkYw/L
女への欲望、すなわち根源的にはレイプ欲求だろ
男尊女卑にはまったく反しない
526無記無記名:2009/12/18(金) 01:07:13 ID:alAnaYHs
レイプは立派な生産的行動ですよ
527無記無記名:2009/12/18(金) 01:10:06 ID:olbkYw/L
全く持ってその通り
フェミニズムは狂った思想
528無記無記名:2009/12/18(金) 01:13:39 ID:BHqDA411
>>522
21歳の大学ノート、盗賊を執筆する前のノートに書いてありますよ。
盗賊が収録されてる全集の巻末に載ってるから、読んでください。
529無記無記名:2009/12/18(金) 01:16:18 ID:olbkYw/L
遅い
検索したな
530無記無記名:2009/12/18(金) 01:19:55 ID:alAnaYHs
今の男達を腑抜けにさせた決定的要因の一つは
男女雇用機会均等法の制定
こんな馬鹿げた法案を可決してしまった当時の国会議員は万死に値する
馬鹿なでしゃばりマンコどもの歓心を得ようと哀れな男は媚び諂う
世界的な不況の中、巷では有能な男たちの怨嗟の声がするというのに
馬鹿マンコどもの高笑いが木霊する
531無記無記名:2009/12/18(金) 01:23:34 ID:alAnaYHs
盗賊が収録されてる全集

その全集 西暦何年に出版されたの?

版元は?巻末って何頁?幾ら?amazonnで入手できるの?
532無記無記名:2009/12/18(金) 01:25:41 ID:olbkYw/L
全くもってその通り
男女雇用機会均等法は悪魔の法律
男女共同参画は特高警察を復活させて爆破すべし
533無記無記名:2009/12/18(金) 01:29:55 ID:olbkYw/L
また遅い
検索してるなw
534無記無記名:2009/12/18(金) 01:30:51 ID:alAnaYHs
自称三島通の面子がかかってるからなあ(笑)
535無記無記名:2009/12/18(金) 01:41:20 ID:alAnaYHs
536無記無記名:2009/12/18(金) 01:41:59 ID:olbkYw/L
逃亡か?
537無記無記名:2009/12/18(金) 01:44:45 ID:alAnaYHs
6,090円払って購入し出直して来い
538無記無記名:2009/12/18(金) 01:46:33 ID:olbkYw/L
20分たった
完全敗北だな
やはり自称三島通だったか
539無記無記名:2009/12/18(金) 01:50:22 ID:alAnaYHs
>>538
我々の勝利に!
そして男尊女卑に!!
540無記無記名:2009/12/18(金) 01:52:28 ID:olbkYw/L
男尊女卑万歳!

今後も男尊女卑思想を広めることに邁進しようではないか同士よ
541無記無記名:2009/12/18(金) 01:53:01 ID:alAnaYHs
了解
我が同士よ
542無記無記名:2009/12/18(金) 09:42:18 ID:BHqDA411
>>541
夜中に一人でくだらない自演荒らし、お疲れさまでした。
543無記無記名:2009/12/18(金) 10:11:32 ID:BHqDA411
彼女はレインコートさへ脱ぎたがらなかつた。まるでそれが下着ででもあるかのやうに。
だから僕の彼女の抱心地はゴワゴワした感触しか残らない。
それのみか彼女は、唇を吸ふにまかせて自ら吸おうとしなかった。
また抱かれるにまかせて抱かうとしなかつた。彼女はお人形のやうに強ばつてゐた。
そして戦争中の人目のうるさゝから殆どお化粧をしてゐなかつた。
そしていさゝか子供つぽすぎる横顔をますます子供つぽく見せてゐた。

――ところが彼女との間を第三者が隔てゝから彼女は急に美しくなり出した。
僕は彼女を真夏の薄着で、いささか厚化粧で抱きえなかつたことを後悔した。
彼女は今宵は頗る美しくみえた。彼女の白いレエスに包まれた胸のあたりに花房のやうに揺れるものを
今日ほど烈しく僕は欲したことがなかつた。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和21年のノートから
544無記無記名:2009/12/18(金) 11:32:03 ID:alAnaYHs
馬鹿だねえ
役者が役作りするのと同じ事で
作家が作品を起稿するにあたって事前の綿密な取材を行い
作品に入り込むために自分を作品の登場人物に仕立てあげる
という作業は当然の事

上記の似非三島通の出典は「盗賊」を創作するに際して
作者がノンケ男の心情となる為に書き記した草稿であり自己暗示
に他ならない

女が好きな中年のオッサンが何が哀しくて、若く美しい雄の象徴のような
森田必勝を道連れに切腹するもんかね?え?

物事には何でも表と裏、二面性がある事も未だに解っておられない
いったい何年生きて来られたのやら
545無記無記名:2009/12/18(金) 12:29:08 ID:BHqDA411
>>544
この記述は、取材じゃないから。

三島が邦子と再会したのは事実。猪瀬直樹が邦子へ裏とりして確認してます。
546無記無記名:2009/12/18(金) 12:34:54 ID:BHqDA411
>>544
それから創作に関する取材や記述は、客観的な構成や登場人物の名前で書かれています。
三島は役になりきって「ぼく」なんて使いません。

その私的な記述は、創作のノートとは関係ないものだよ。
547無記無記名:2009/12/18(金) 12:44:30 ID:BHqDA411
偶然邦子にめぐりあつた。試験がすんだので友達をたづね、留守だつたので、二時にかへるといふので、
近くをぶらぶらあてどもなく歩いてゐた時、よびとめられた。
彼女は前より若く却つて娘らしくなつてゐた。口のはじにはおしろいでもかくれない薄いヒゲがやはりあつた。
…彼女は前のやうな重つくるしい丁寧すぎる言葉遣いはなくなつてゐた。
(中略)
「さよなら…お大事に」……云ひちがへて「お元気で」
「ええ」彼女は背を向けた。
…その日一日僕の胸はどこかで刺されつゞけてゐるやうだつた。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和21年のノートから
548無記無記名:2009/12/18(金) 12:45:16 ID:BHqDA411
前日まで何故といふことなく僕は、「ゲエテとの対話」のなかの、彼が恋人とめぐりあふ夜の町の件を何度も
よんでゐたのだつた。それは予感だ。
世の中にはまだふしぎがある。
そしてこの偶然の出会は今度の小説を書けといふ暗示なのか?書くなといふ暗示なのか?

平岡公威(三島由紀夫)
昭和21年のノートから
549無記無記名:2009/12/18(金) 12:46:02 ID:BHqDA411
僕は婚約した彼女を一度誘い出して話したいという計画を抱いてゐた。
ところが突然別の僕がそれを気狂い沙汰だと叫び出す。向ふの家の父は吃驚して怒り出すだらう。
かりにも婚約した以上、ひとのものをと。
ところが「冷静な」僕がじつくりと別の僕をなだめてかゝる。一度位ゐそれも昼内一緒に出かけたつて
何の悪いことがあらう。まして昔は仲の好すぎた友達だつたのだもの。
向ふの家人も平気で彼女をだしてやるだらう。お前のやらうとしてゐることはひどく常識的なことにすぎないのだと。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和21年のノートから
550無記無記名:2009/12/18(金) 18:26:14 ID:alAnaYHs
はいはい
三島先生は「盗賊」という作品が売れる事を願ってたのね
後付けだか先付けだか知らないけどこんな大層な前置きを
ご丁寧に仕込んで置いたんだね
失敗だと判ると懲りずに小説の主人公を「私」にしちまおうって事だ
今で言うところのブログ=私小説「仮面の告白」を執筆 こいつは大当たりだったな
読者ってのは作家の作品自体にも興味を示すが更にコアなファンてのは
作家自体の人格に興味を示すって事を三島先生は知っていたんだな
いやなかなか強かで商売上手な方だったと思うよ
551無記無記名:2009/12/18(金) 20:32:31 ID:BHqDA411
>>550
はいはい、負け惜しみ負け惜しみ。
あんたのその屁理屈のがどうみても苦しい後付けでしょ(笑)

邦子と三島の関係がどれほど三島の人生に影響してるのかを、知らない三島研究者は居ませんから。残念でした。
ネットの上っ面しか知らない半可通荒らしが涙目でくやしいのう(笑)
(´゚∀゚)アハハ八ノヽノ \
552無記無記名:2009/12/18(金) 23:59:35 ID:alAnaYHs
邦子だかオメコだか知らないけどそもそも三島先生の性愛の指向が男か女か
という事が焦点だったのでは?
邦子と三島の関係がどれほど三島の人生に影響してるのか?
は?知った事ではない
「三島が男を好きじゃないと言い張るならその根拠となる資料が掲載されている出典を
正確に明記せよ」と言っているの
「女も嫌いじゃないとはいえないわよ」って資料をもって来いって言ってないの
日本語解るのか?ピンボケジジイ
553無記無記名:2009/12/19(土) 00:07:35 ID:jV2uhPwt
解りました
100歩譲って三島先生はそのオメコにふられて男に走ったと
あなたは言いたいと理解して差し上げます
平日の昼間からシコシコと無意味で無価値な出典の解らない
資料の掲載ご苦労様でした
女でも犯しまくって子を孕ます生産的行為もせず自らの穴倉に
籠って勝手に創り上げた偶像、故三島先生像を閲覧者に押し付け
少しでも反論されると逆ギレですか
醜い御仁、いや生き物ですな
554無記無記名:2009/12/19(土) 00:19:04 ID:g1FFeg8q
>>552
なにただのクズホモが調子こいてんだ?
脱肛アナルの分際でミシマ読んでじゃねーよ!
てめぇが生まれてきた母親の腐れマンコでスカルファックでもしてやがれ!!www
555無記無記名:2009/12/19(土) 00:26:39 ID:jV2uhPwt
g1FFeg8q=BHqDA411
挑発してやったら化けの皮が剥がれたな
この下種ホモ野郎が
556無記無記名:2009/12/19(土) 00:46:57 ID:jV2uhPwt
三島先生は時代の先を行く方だった
1自らの社会的地位を守る為戦後の著名人では初といえる偽装結婚をされて子供までもうけた
2戦後初の日本人として海外旅行に行った
3ブログのはしりである私小説「仮面の告白」で一世を風靡した
4戦後間もないあの時期に既に有事法整備の必要性を唱えておられた

先生が今の時代を生きていたら間違いなく借り家崎先生路線で独身を
貫いていた事だろう。官僚を代々生んだ家系ってのも体面ばかり気にする
重苦しいものだったろうし、当時オネエキャラなんか出そうものなら美輪明宏の
二の舞で袋叩きにされたに相違ない。三島先生の究極の武装は偽装結婚
三島由紀夫の3つの武装
1ボディービルによる肉体改造
2陽明学をはじめとする各種思想による理論武装
3偽装結婚と出産
557無記無記名:2009/12/19(土) 00:51:20 ID:jV2uhPwt
同性愛者三島由紀夫としては
家族からもそして自らの性愛の対象である
盾の会の学生たちからもそして最愛の森田必勝からすらも
理解を得られずに孤独だったんだよ
558無記無記名:2009/12/19(土) 01:05:07 ID:/+vkMHCz
ボディビルもギリシャ旅行後だし、
ゲイだとしてもえらい後天的なゲイだなww
ガチムチにもなりきれない貧相なゲイが三島を味方につけて
強がりたいだけか?頭も貧相だなww
559無記無記名:2009/12/19(土) 01:06:52 ID:g1FFeg8q
>>555
残念だったなw オレはBHqDA411なんかじゃねーよ バーカwww
そういうのをゲスの勘ぐりって言うの知ってる?w

むしろろくに句点を打てないお前自身が身に覚えがあるんじゃね〜か?wwwww
てか、バレバレなんだけどなwww
560無記無記名:2009/12/19(土) 01:41:01 ID:jV2uhPwt
>>558
後天的なゲイ
ってのはありませんホモは先天的なもんです
目覚めるのが早いか遅いかだけです
>>559
www←乱発する奴って低脳なんですって
恐らく三島の作品なんて読める読解力も語彙力も無いでしょう
561無記無記名:2009/12/19(土) 01:44:46 ID:jV2uhPwt
ガチムチって ホモ用語 なんですって
ホモバレしたくなけりゃ適当に 筋肉質 とでも言っておけ
562無記無記名:2009/12/19(土) 01:46:43 ID:jV2uhPwt
三島先生は
ホモでファザコンでマゾで受け です
563無記無記名:2009/12/19(土) 02:10:44 ID:g1FFeg8q
>>560
お前は村上龍ですら理解できないだろwww

てめぇが腐れホモだからといって
三島をホモの代名詞のように安っぽく語られるのはいい迷惑だ!
564無記無記名:2009/12/19(土) 02:38:49 ID:jV2uhPwt
>>563
あなたは自分のどういうコンプレックスを隠し武装するために三島先生を利用するのですか?
三島先生は遍く万人のものであり、あなたの様な駄ホモの所有物ではございません
あと村上龍を引き合いに出すって処、薄っぺらいですねwww
565無記無記名:2009/12/19(土) 02:45:45 ID:g1FFeg8q
>>564
>村上龍を引き合いに出すって処、薄っぺらいですね

うん、薄っぺらいだろ。
だからこそお前に対する引き合いに出すにはもってこいなんだよwww
いくらバカなお前でもそれくらい気付いてくれよw
566無記無記名:2009/12/19(土) 07:53:00 ID:g1FFeg8q
おはよう、脱肛ハゲ!w
567無記無記名:2009/12/19(土) 10:11:58 ID:RMEBipBZ
>>552
あんたこそ、三島が女が好きじゃない、という明確な証拠を出してくださいよ。

あんたみたいに単純にホモだから、女が嫌いとか言ってる単細胞バカにはとうてい人間の心理や、三島文学を理解できないでしょうね。
ファンのふりして、毎度低脳なアンチ活動ご苦労様。
568無記無記名:2009/12/19(土) 10:24:40 ID:RMEBipBZ
>>556
偽装結婚じゃなくて、恋愛結婚じゃなかっただけの話。
三島にはその直前まで別の女性と結婚するはずだった恋人がいました。
彼女は今も存命で、その頃の4年くらいの三島との恋愛関係を語ってますよ。
偽装だとかホモだとか、昔のじじいアンチは煽りが古いんだよ。古ぼけたアンチ活動お疲れさまでした。
569無記無記名:2009/12/19(土) 10:41:31 ID:jV2uhPwt
g1FFeg8q
三島を神と崇めてオノレの低脳をひた隠す
もはや薄っぺらいなんて言葉も勿体無い

あなたは蓮っ葉で低俗な生き物です
570無記無記名:2009/12/19(土) 10:43:20 ID:jV2uhPwt
g1FFeg8q
はホモでマザコンでマゾで受けだそうです
趣味はフィストファック→スカルファックだそうです
571無記無記名:2009/12/19(土) 10:55:00 ID:jV2uhPwt
お前に対する引き合いに出すwww

日本語の てにをは も使いこなせないんですか?

それを言うなら お前に対して だろうが

そんな日本語力無い生き物が三島先生のファンだなんで

先生も嫌悪するだろうよ
572無記無記名:2009/12/19(土) 10:57:03 ID:jV2uhPwt
ホモでマゾでなければ

「仮面の告白」「禁色」「午後の曳航」等の変態小説は書けません

ノンケの女好きなオッサンにホモ小説は書けません
573無記無記名:2009/12/19(土) 11:07:08 ID:jV2uhPwt
偽装結婚じゃなくて、恋愛結婚じゃなかっただけの話

は?流石ピンボケジジイ

何で恋愛の末偽装結婚すんだよ 馬鹿か?

偽装だからこそ見合いでしか結婚できねえんだろうが

その 恋愛相手 ってのは賢明だったと思う

女の嗅覚で三島がホモだと悟って別のノンケに嫁ぐ決意をしたんだよ

結果三島は年下の若く美しい 男 の愛人森田と決起し自決

全く賢明な判断だったと言う以外にない

574無記無記名:2009/12/19(土) 11:33:04 ID:jV2uhPwt
別の女性と結婚するはずだった恋人がいました

変な日本語ですねえ

日本語もろくに使いこなせない生き物が三島を語るとは
575無記無記名:2009/12/19(土) 13:00:21 ID:/+vkMHCz
三島は一種のノンケ食いだな。お前等みたいなケツアナ貫通済みの汚いホモには興味なし。
576無記無記名:2009/12/19(土) 13:59:15 ID:jV2uhPwt
そう三島姐さんはノンケ食いが趣味

田舎から上京してきた様な純朴で未だ女を知らないかあまり接触の無い
綺麗な身体のままの若者にケツを掘って貰う事が生きがいでした
577無記無記名:2009/12/19(土) 14:00:05 ID:jV2uhPwt
ホモのホモ嫌いって言葉がある通り
三島姐さんはホモは大嫌いだった
578無記無記名:2009/12/19(土) 14:25:47 ID:RMEBipBZ
>>573
その女性も邦子さんも三島をホモなんて思ってませんけど。
女の嗅覚で、真面目でナイーブな男性だとちゃんと認知してますよ。
579無記無記名:2009/12/19(土) 14:29:59 ID:RMEBipBZ
>>572
三島は同性愛傾向はあるけど、あんたが規定してるようなホモじゃないから。

頭の悪い単純バカサヨ中共シンパのあんたには解んないだろうけどね。
キチガイサヨクのアンチ活動お疲れさまでした。
580無記無記名:2009/12/19(土) 14:35:10 ID:jV2uhPwt
同性愛傾向はあるけど

そいつのことを世間じゃホモというんだな
581無記無記名:2009/12/19(土) 14:38:07 ID:jV2uhPwt
RMEBipBZ
おいピンボケジジイ
貴様の偶像三島先生がホモで右翼だって事を認めたくねえんだろうが?
582無記無記名:2009/12/19(土) 14:49:52 ID:RMEBipBZ
>>581
あんたが三島が憂国で死んだことを認めたくないから、ごちゃごちゃと笑い者にしてるんでしょう。
あんたがバカサヨ荒らしなのはバレてるんだよ。
583無記無記名:2009/12/19(土) 14:51:50 ID:RMEBipBZ
>>581
あんたいい加減にしないと、通報しますよ。
584無記無記名:2009/12/19(土) 16:18:09 ID:eaRlrFOk
>>583
あんたも充分荒らしてる。自重しろ馬鹿ウヨが。
あんたは右翼ですらない。ウヨだよ。ウヨ。巣に帰れ。
585無記無記名:2009/12/19(土) 16:39:49 ID:jV2uhPwt
RMEBipBZ
がホモで右翼だと通報して下さいよ
586無記無記名:2009/12/19(土) 16:47:14 ID:jV2uhPwt
憂国で死んだ?

小学校から国語のお勉強やり直ちまちょうね

それを言うなら 国を憂いて死んだ でちゅ
587無記無記名:2009/12/19(土) 16:49:14 ID:RMEBipBZ
>>584
はあ?私がいつ自分で右翼だと名乗ったの?勝手な妄想バカじゃないの。

バカサヨ荒らしに荷担する、あんたこそ出てってよ。
588無記無記名:2009/12/19(土) 16:52:14 ID:RMEBipBZ
>>585
なんだ、またID変えて自演バカか。バカサヨキチガイがあの手この手でご苦労なこった。
九条カルトの手先ですか?
589無記無記名:2009/12/19(土) 16:53:10 ID:jV2uhPwt
>>RMEBipBZ
三島先生を辱める人間を左翼と決め付けるって事は
三島先生は右翼です って認めている事に他ならないじゃないですか
そういうの 単細胞 馬鹿 頭隠して尻隠さず って言うんです
まああなたホモだからシリは隠さないでいいんですよね
590無記無記名:2009/12/19(土) 17:08:41 ID:jV2uhPwt
あんたこそ出てってよ

カマ言葉丸出しwww
591無記無記名:2009/12/19(土) 17:12:18 ID:RMEBipBZ
>>589
だから私は前から言ってるでしょう。三島は武士道、国学、憂国者と。
右翼なんて言葉は、バカサヨや反日が悪口で呼称で使う言葉だから、紛らわしから嫌いなの。
592無記無記名:2009/12/19(土) 17:14:11 ID:RMEBipBZ
>>590
私は女だよ。三島ファンに女がいないとでも思ってるんですか?
593無記無記名:2009/12/19(土) 17:14:40 ID:jV2uhPwt
紛らわしから嫌いなの
594無記無記名:2009/12/19(土) 17:15:24 ID:jV2uhPwt
じゃあマンコは出てってよwww
595無記無記名:2009/12/19(土) 17:17:30 ID:jV2uhPwt
マンコに三島を語る資格ないから
596無記無記名:2009/12/19(土) 17:18:00 ID:RMEBipBZ
>>594
三島読者でもないあんたが出ていけ。邦子のことも知らなかった半可通バカじじいが。
597無記無記名:2009/12/19(土) 17:20:27 ID:RMEBipBZ
>>595
三島文学ファンは女性がほとんどなんですけど。そんなことさえ知らないクソじじいが出ていけ。
598無記無記名:2009/12/19(土) 17:22:01 ID:jV2uhPwt
邦子なんて馬鹿マンコに興味ござぁーせん

貧乏で三島全集も買えない腐マンコこそGO HOME
599無記無記名:2009/12/19(土) 17:24:44 ID:jV2uhPwt
良かったね
普通じゃ男に見向きもされない腐マンコの分際で
寂しさ紛らわせるためにネットで荒らし
ようやく弄って貰えて嬉しくて濡れ捲りだろうが
この雌豚
600無記無記名:2009/12/19(土) 17:26:16 ID:RMEBipBZ
>>598
邦子に興味ない三島読者なんかいませんから。
全集を持ってないのはあんたじゃん。私が言ったこと全部知らないから。
偽ファンのじじいアンチは出ていけ。
601無記無記名:2009/12/19(土) 17:26:58 ID:jV2uhPwt
三島文学ファンは女性がほとんどなんですけど

根拠

誰かこの馬鹿マンコ弄ってやってくれ
602無記無記名:2009/12/19(土) 17:29:13 ID:jV2uhPwt
邦子に興味ない三島読者なんかいませんから

根拠
603無記無記名:2009/12/19(土) 17:30:20 ID:RMEBipBZ
>>599
自分のこと言ってるみたいだね。女にモテない荒らしが女私怨で可哀想に。
いつまでも一人でやってな。
くだらないから、おります。
604無記無記名:2009/12/19(土) 17:32:44 ID:RMEBipBZ
>>601
ID変えて自分で弄べば?ご愁傷様。
605無記無記名:2009/12/19(土) 22:59:59 ID:jV2uhPwt
と蜘蛛の巣マンコが申しております
606無記無記名:2009/12/20(日) 11:18:21 ID:Ei7Sfrkz
>>605
その非現実的な漫画みたいな煽りに何か意味あるの?無知丸出しでお大事に。
607無記無記名:2009/12/20(日) 22:17:14 ID:w2/6yX6Y
>>605
週末はかまってもらえず悲惨だなw
608無記無記名:2009/12/21(月) 18:29:40 ID:ioUFXtBx
腐女子にコテンパンにされた腐れホモ、ウケるーーーー!www
609無記無記名:2009/12/21(月) 21:18:22 ID:gPNFz1dJ
身長160ちょいで痩せ形の30代後半男性がベンチプレス90s挙げるまで
どれくらいのトレーニング期間が必要か見積もれる人がいたら
教えて下さい。
1年でできますか?
610無記無記名:2009/12/21(月) 22:32:46 ID:zO4XT3AH
と蜘蛛の巣マンコが申しております
611無記無記名:2009/12/21(月) 23:24:15 ID:ioUFXtBx
 ↑
負け犬w
612無記無記名:2009/12/21(月) 23:42:11 ID:FhlfQXcB
息つくひまなき刻苦勉励の一生が、ここに完結しました。
疾走する長距離ランナーの孤独な肉体と精神が蹴たてていた土埃、その息づかいが、私たちの頭上に舞い上がり、
そして舞い下りています。
あなたの忍耐と、あなたの決断。あなたの憎悪と、あなたの愛情が。そしてあなたの哄笑と、あなたの沈黙が、
私たちのあいだにただよい、私たちをおさえつけています。
それは美的というよりは、何かしら道徳的なものです。あなたが「不道徳教室講座」を発表したとき、私は
「こんなに生真じめな努力家が、不道徳になぞなれるわけがないではないか」と直感したものですが、あなたには
生まれながらにして、道徳ぬきにして生きて行く生は、生ではないと信じる素質がそなわっていたのではないでしょうか。
あなたを恍惚とさせる「美」を押しのけるようにして、「道徳」はたえずあなたをしばりつけようとしていた。

武田泰淳
「三島の死ののちに」より
613無記無記名:2009/12/22(火) 09:58:58 ID:VDS2A1O5
と蜘蛛の巣マンコが申しております
614無記無記名:2009/12/22(火) 10:02:10 ID:sntS8ey2
そうやって逃げ回る姿はID: VDS2A1O5の人生そのものw
615無記無記名:2009/12/22(火) 22:55:15 ID:VDS2A1O5
と蜘蛛の巣マンコが申しております
616無記無記名:2009/12/22(火) 23:18:48 ID:f1kqDaUu
おはようからお休みまで筋トレするような生活がしたい。
617無記無記名:2009/12/22(火) 23:48:09 ID:byliwIdM
Q――泣かれたことがありますか?
三島:昭和二十年に妹が死んだとき以来泣いたことはない。泣くほど感動的な事件がないからね。

Q――サービス精神についてどう考へられますか。
三島:わたしはやりたいことをやつてゐるだけの話で、サービス精神だなんて考へたこともない。
他人にサービスするといふのは人生のムダですよ。ですから、わたしは、いつも、まじめな気持で
いろいろなことをやるわけです。しかし、実際には、それがピエロにみえる。
自分がピエロだと自覚して、他人にサービスするといふのは、もう古いので、ピエロはピエロであるといふ
自意識をすて、ひたすらまじめに行為をするべきなのです。まじめであればあるほど、ピエロはいきてくる。
だから、わたしがピエロにみえるのは当然。ピエロになるのがいやなら文士などにならなきやいい。

「美を探究する非情な天才――三島由紀夫さんの魅力の周辺」より
618無記無記名:2009/12/22(火) 23:49:29 ID:byliwIdM
Q――人間の最高の徳目とは、なんでせう?
三島:義でせう。義は人間の本性からでたものではないだけに、最高の徳目になるのです。
情感、情念を滅ぼして、人間は義に生きねばならないときがある。義に生きなければ千載に悔いを残します。
しかし、義ほどつかまへにくいものはない。客観的につかまへられないがゆゑに、義であるかどうか
判断することがむづかしい。たとへば、二・二六事件が義であつたかどうか、いまでもわからない。
義はいつくるかわからない。しかし、もし、つかまへそこなふと、人間としてダメになる。

「美を探究する非情な天才――三島由紀夫さんの魅力の周辺」より
619無記無記名:2009/12/23(水) 04:39:15 ID:7KKBNFab
と蜘蛛の巣マンコが申しております
620無記無記名:2009/12/24(木) 00:07:40 ID:xcxTUBjk
三島先生はホモでファザコンでマゾで受けです

古今東西の思想に精通していたのも自身の性癖を

正当化するための理論武装に他なりません
621無記無記名:2009/12/24(木) 00:10:05 ID:xcxTUBjk
蜘蛛の巣マンコやコアな三島ファンは先生を美化し過ぎです

「ホモでファザコンでマゾで受け」である事を了解した上で

尚ファンであると言うなら立派なもんです
622無記無記名:2009/12/24(木) 11:24:52 ID:6LqnY7Mt
>>621
ファザコン?三島はマザコンですよ。
よく知りもしない頓珍漢バカのその無駄な煽りに何の意味があるのか意味不明。
マゾ=受け、という型にはまった単純思考回路も、人間の複雑なセクシュアリティーを知らないバカそのものでしょうね。

あんたみたいな低脳には、とうてい三島文学は読めないわ。
せいぜいレベルの低い茶化し煽りするのが限界のようだね。低脳お気の毒様でした。
623無記無記名:2009/12/24(木) 12:23:19 ID:xcxTUBjk
と蜘蛛の巣マンコが申しております
624無記無記名:2009/12/24(木) 12:28:46 ID:xcxTUBjk
「三島由紀夫伝説」も読んでねえんだな
よく恥かしげもなく三島を語れたもんだ
三島はホモでファザコンでマゾで受け だよ
625無記無記名:2009/12/24(木) 12:32:56 ID:zcRpnTYc
>>624
お前は古本屋でサブでも買い漁ってろw
626無記無記名:2009/12/24(木) 12:39:13 ID:xcxTUBjk
さぶ はとっくの昔に廃刊だっつうの
627無記無記名:2009/12/24(木) 13:32:14 ID:6LqnY7Mt
>>624
そんなもの全部鵜呑みにしてるようじゃ、ただの半可通バカレベルだね。ご苦労様。
628無記無記名:2009/12/24(木) 14:58:00 ID:zcRpnTYc
>>626
お前、古本屋はなに売ってるところか知ってる?
相変わらず日本語不自由みたいだなw
629無記無記名:2009/12/24(木) 23:14:52 ID:xcxTUBjk
口惜しかったら出典の解らない駄文の引用止めて
てめえの見解とやらを展開してみろや

三島はホモでファザコンでマゾで受け だ
630無記無記名:2009/12/24(木) 23:31:43 ID:nNsUaOrG
まったく誰もウエイトと三島の話をしない。がっかりだ!
どんな三島であろうがベンチプレス90キロ挙げたんだぞ!病弱単身痩躯から始まってだ。
その重みが分からないような奴は人間じゃねえ犬畜生だ。
という訳で、三島が90s挙げるにいたった経緯と期間を算定できる人
教えて下さい。お願いします。
631無記無記名:2009/12/24(木) 23:48:33 ID:xcxTUBjk
こいつはトレーニングの知識豊富だから
こいつに直に聞いたらいいよ
http://gree.jp/tack/blog/entry/308765819
632無記無記名:2009/12/24(木) 23:49:36 ID:zcRpnTYc
>>629
お前のその書き込み全てが悔しさに満ちてると感じるのは
きっとオレだけじゃないと思うぞw
633無記無記名:2009/12/24(木) 23:53:27 ID:nNsUaOrG
>>631
おお。ありがとうございます。
634無記無記名:2009/12/25(金) 00:02:11 ID:sSdKcpaF
そりゃ口惜しいさ
美しい我が祖国が馬鹿マンコに蹂躙されて
今の腐敗と低迷があると思うとな
未曾有の世界的不況で巷には有能な男たちの
怨嗟の声が満ちているというのに
午後は都内某所で馬鹿マンコどもが時間と金と食材を浪費し
高笑いが木霊するのだから
635無記無記名:2009/12/25(金) 01:02:24 ID:sSdKcpaF
蜘蛛の巣マンコ税
マンコが25を過ぎて既婚未婚を問わず第1子を未出産の場合
5年経過毎に其の所得の10%を蜘蛛の巣マンコ税とし国家へ納付
しなければならない
26歳蜘蛛の巣マンコ 所得の10%
31歳蜘蛛の巣マンコ 所得の11%
636無記無記名:2009/12/25(金) 01:40:29 ID:sSdKcpaF
読み所は幾つもあるが、とりわけ、主人公が
「狷介不屈な、或る狂ほしい詩的な魂」である祖母の愛を独占し
祖母そのものになりたいという願望から、「祖母の目や心で男を見
男を愛する。祖母の目に映った愛すべき若い青年は父であったろう。
祖母と同一化した彼は、父の代償物として、筋骨たくましい男性
美青年に関心を抱く」というフロイド深層心理学を採用した奧野氏の
分析は説得力に富み、『仮面の告白』という極めて挑発的な傑作への
想像力を深化させてくれる
637無記無記名:2009/12/25(金) 01:46:42 ID:blnMMmaC
ウダウダ言ってないで明石家サンタ観ろよw
638無記無記名:2009/12/25(金) 09:51:35 ID:9dnL1QRT
>>636
「祖母になりたい」こんなとってつけたような陳腐な精神分析なんかをまともに有り難がってるバカがいたことに驚いたわ。お大事に。
奥野の本なんかを出典にしてる時点でバカ丸出し。
639無記無記名:2009/12/25(金) 10:34:21 ID:9dnL1QRT
私は、ごく簡単に言つて、青年に求められるものは「高い道義性」の一語に尽きると思ふ。
さう言ふと、バカに古めかしいやうだが、道義といふのは、青年の愚直な盲目的な純粋性なしにば、この世に
姿を現はすことはないのである。老人の道義性などといふのは大抵真っ赤なニセモノである。
私がいつも思ひ出すのは、二・二六事件で処刑された青年将校の一人、栗原中尉のことである。(中略)
中尉の部下だつた人から直接きいた話であるが、あるとき演習があつて、小休止の際、中尉の部下の一上等兵が、
一種のアルコール中毒で、耐へられずに酒屋へとび込んでコップ酒をあふつてゐた。そこへ通りかかつた大隊長に
詰問され、所属と姓名を名乗らされたが、その晩帰営すると、大隊長は一言も講評を言はず、全員の前で、
その兵の名をあげて、いきなり重営倉三日を宣告した。
中尉は部下に、その兵の演習の汗に濡れたシャツを取り換へさせるやう、営倉は寒いから暖かい衣類を持つて
行かせるやうに命じた。それからなほ三日つづいた演習のあひだ、部下たちは中尉の顔色の悪いのを気づかつた。
存分の働きはしてゐたが、いかにも顔色がすぐれなかつた。

三島由紀夫
「現代青年論」より
640無記無記名:2009/12/25(金) 10:35:02 ID:9dnL1QRT
あとで従兵の口から真相がわかつたが、上等兵の重営倉の三晩のあひだ、中尉は一睡もせず、軍服のまま、
香を焚いて、板の間に端座して、夜を徹してゐたのださうである。
釈放後この話をきいた兵は、涙を流して、栗原中尉のためなら命をささげようと誓ひ、事実、この兵は
二・二六事件に欣然と参加したさうだ。
青年のみが実現できる高い道義性とは、かういふことを言ふのである。第一、老人では、いくらその気があつても、
三日も完全徹夜をした上で走り回つてゐたら、引つくりかへつてしまふであらう。
二・二六事件が右寄りの話で面白くないといふのなら、左翼の革命運動も、青年がこれに携はる以上、高い
道義性の実現なしには、本当に人心を把握できないと私は信ずる。
チェ・ゲバラは革命家の禁欲主義を唱へ、強姦の罪を犯した愛する部下を涙をのんで射殺したが、これはゲバラが
革命の道義性をいかに重んじたかの証左であつて、毛沢東の「軍事六篇」もこの点をやかましく言つてゐる。

三島由紀夫
「現代青年論」より
641無記無記名:2009/12/25(金) 10:36:01 ID:9dnL1QRT
…一学生の万引き事件、日大紛争における暴力団はだしの残虐なリンチ事件、……これらは学生による政治活動から、
道義性が崩壊してゆくいちじるしい事例である。あとには目的のためには手段をえらばない革命戦術が
残つてゐるだけである。一見、平和戦術をとつてゐる一派も、それ自体が戦術であることが見えすいてゐて、
何ら高い道義性を感じさせることはない。
ここまで青年を荒廃させたのは、大人の罪、大人の責任だ、といふのが、今通りのいい議論だが、私はさう考へない。
青年の荒廃は青年自身の責任であつて、それを自らの責任として引き受ける青年の態度だけが、道義性の
源泉になるのである。

三島由紀夫
「現代青年論」より
642無記無記名:2009/12/25(金) 10:38:04 ID:sSdKcpaF
馬鹿の一つ覚えか?
だから何が言いたい?
643無記無記名:2009/12/25(金) 10:40:02 ID:sSdKcpaF
蜘蛛の巣マンコ馬鹿マンコ

馬鹿で醜いからホモの三島先生が好きなんでちゅね
644無記無記名:2009/12/25(金) 12:32:03 ID:sSdKcpaF
道義 という言葉を持ち出すとはな 甚だあきれる

結局右も左もてめえの意のままに部下を使いたいだけじゃん

三日徹夜だ部下射殺だのって全く茶番もいいところだ
645無記無記名:2009/12/26(土) 03:10:40 ID:SvPuMAj5
三島由紀夫ってベンチ90?
体重は見たところ、、、58キロくらいかな?
なら結構すごいね。
646無記無記名:2009/12/28(月) 03:09:05 ID:OE/rX1C3
結局このスレの腐れホモは蜘蛛の巣マンコに駆逐されるんだなwww
647無記無記名:2010/01/12(火) 07:02:17 ID:/8CrBm+X
腐れホモは死にましたか?
648無記無記名:2010/01/19(火) 23:12:50 ID:NsaCL1sx
結局このスレの蜘蛛の巣マンコは自滅する運命だ

OE/rX1C3と8CrBm+Xは逝きました

ご愁傷様です
649無記無記名:2010/01/19(火) 23:13:30 ID:NsaCL1sx
馬鹿マンコ列伝
650無記無記名:2010/01/20(水) 00:08:39 ID:Y3B9Uc4a
651無記無記名:2010/01/20(水) 10:05:34 ID:XQPW/q8Y
>>648
ほとぼりが冷めた頃にこっそり書き込むとは
どんだけ卑怯もんなんだよてめぇはwww

三島ファンのいい恥っ晒しだなw
652無記無記名:2010/01/20(水) 11:25:53 ID:DPxbi5tx
「恥っ晒し」www
653無記無記名:2010/01/29(金) 13:53:08 ID:KSgfMuDQ
日本とは何か、といふ最終的な答へは、左右の疑似ナショナリズムが完全に剥離したあとでなければ出ないだらう。
安保賛成も反共も、それ自体では、日本精神と何のかかはりもないことは、沖縄即時奪還も米軍基地反対も、
それ自体では、日本精神とかかはりのない点で同じである。そしてまたそのすべてが、どこかで日本的心情と
馴れ合ひ、ナショナリズムを錦の御旗にしてゐる点でも同格である。「反共」の一語をとつても、私はニューヨークで、
トロツキスト転向者の、祖国喪失者の反共屋をたくさん見たのである。
私は自民党の生きる道は、真のリベラリズムと国際連合中心の国際協調主義への復帰であり、先進工業国における
共産党の生きる道は、すつきりしたインターナショナリズムへの復帰しかないと考へる。
真にナショナルなものとは何か。
それは現状維持の秩序派にも、現状破壊の変革派にも、どちらにも与(くみ)しないものだと思はれる。

三島由紀夫
「『国を守る』とは何か」より
654無記無記名:2010/01/29(金) 13:53:48 ID:KSgfMuDQ
現状維持といふのは、つねに醜悪な思想であり、また、現状破壊といふのは、つねに飢ゑ渇いた貧しい思想である。
自己の権力ないし体制を維持しようとするのも、破壊してこれに取つて代らうとするのも、同じ権力意志の
ちがつたあらはれにすぎぬ。
権力意志を止揚した地点で、秩序と変革の双方にかかはり、文化にとつてもつとも大切な秩序と、政治にとつて
もつとも緊要な変革とを、つねに内包し保証したナショナルな歴史的表象として、われわれは「天皇」を持つてゐる。
実は「天皇」しか持つてゐないのである。中共の「文化」大革命に決定的に欠けてゐる要因はこれであり、かれらは
高度な文化の母胎として必要な秩序を、強引な権力主義的な政治的秩序で代行するといふ、方法上の誤りを犯した。
文化に積極的にかかはらうとしない自由主義諸国は、この誤りを犯す心配はない代りに、文化の衰弱と死に直面し、
共産主義諸国は、正に文化と政治を接着し、文化に積極的にかかはらうとする姿勢において、すでに文化を殺してゐる。

三島由紀夫
「『国を守る』とは何か」より
655無記無記名:2010/01/29(金) 13:54:26 ID:KSgfMuDQ
(中略)最近私は一人の学生にこんな質問をした。
「君がもし、米軍基地闘争で日本人学生が米兵に殺される現場に居合はせたらどうするか?」
青年はしばらく考へたのち答へたが、それは透徹した答へであつた。
「ただちに米兵を殺し、自分はその場で自決します」
これはきはめて比喩的な問答であるから、そのつもりできいてもらひたい。
この簡潔な答へは、複雑な論理の組合せから成立つてゐる。すなはち、第一に、彼が米兵を殺すのは、日本人としての
ナショナルな衝動からである。第二に、しかし、彼は、いかにナショナルな衝動による殺人といへども、殺人の
責任は直ちに自ら引受けて、自刃すべきだ、と考へる。これは法と秩序を重んずる人間的倫理による決断である。
第三に、この自刃は、拒否による自己証明の意味を持つてゐる。

三島由紀夫
「『国を守る』とは何か」より
656無記無記名:2010/01/29(金) 13:55:17 ID:KSgfMuDQ
なぜなら、基地反対闘争に参加してゐる群衆は、まづ彼の殺人に喝采し、かれらのイデオロギーの勝利を叫び、
彼の殺人行為をかれらのイデオロギーに包みこまうとするであらう。しかし彼はただちに自刃することによつて、
自分は全学連学生の思想に共鳴して米兵を殺したのではなく、日本人としてさうしたのだ、といふことを、
かれら群衆の保護を拒否しつつ、自己証明するのである。
第四に、この自刃は、包括的な命名判断(ベネンヌンクスウルタイル)を成立させる。すなはちその場のデモの
群衆すべてを、ただの日本人として包括し、かれらを日本人と名付ける他はないものへと転換させるであらうからである。
いかに比喩とはいひながら、私は過激な比喩を使ひすぎたであらうか。
しかし私が、精神の戦ひにのみ剣を使ふとはさういふ意味である。

三島由紀夫
「『国を守る』とは何か」より
657無記無記名:2010/01/30(土) 11:04:16 ID:EpEjUL2Q
ほとぼりが冷めた頃にこっそり書き込むとは
どんだけ卑怯もんなんだよてめぇはwww

三島ファンのいい恥っ晒しだなw
658無記無記名:2010/01/30(土) 13:15:54 ID:n7d/eaC0
蜘蛛の巣マンコ

お前の存在自体が「恥っ晒し」www
659無記無記名:2010/02/04(木) 00:31:27 ID:OhYLO5zH
三島由紀夫は、自らの文章の横書きを許さなかった。
唯一の例外が「薔薇刑」の序文くらい。

>656は惚れ惚れするような三島由紀夫の評論文だけれど、やはり縦書きで
読むときほどの香味はないね。

ここで引用された文章に惹かれるものがあったら、図書館で本にあたってみるといい。
美文とはこういうものか、と思い知るから。

美文で言えば、澁澤龍彦の評論文も見事な美文揃いだ。
660無記無記名:2010/02/13(土) 11:50:32 ID:D7VSVKo7
「先生は自分が弱かったから、強いものに憧れて、強い人間になりたいということで、鍛え上げたんでしょう」
のちに下士官から将校に昇進するための幹部候補生試験に合格して久留米の幹候生学校で教育を受けているとき、
山内は毎日の授業や実習をおさらいするつもりで、講義の要点をまとめ、その日一日を振り返った反省点などを、
日記を綴るようにノートに書きためていた。
…表紙がすっかり黄ばんだノートの冒頭には、自衛隊の将校になるにあたっての決意がしたためられている。
誰に見せるわけでもなく、自らに言い聞かせるただそれだけのために書いた一文の中で、山内は、三島から
「山内さんはこのような人に見える」と言われて、色紙に『純忠』という言葉を授かったことをしるし、
さらにこうつづけていた。
〈いまも私の宝として、好漢森田必勝君とともに終生先生との思い出を忘れない。忘れることができないであろう。
そして、純忠の言葉通り私も生きたいものだ。〉

杉山隆男
「兵士になれなかった三島由紀夫」より
661無記無記名:2010/02/13(土) 11:51:15 ID:D7VSVKo7
(中略)山内は、あの日、市ヶ谷のバルコニーで「諸君は武士だろう!」と絶叫の響きをにじませながら
訴える三島の声をかき消すように、嘲笑や罵声を浴びせた隊員たちにむしろ「腹が立ち」、「平岡先生を
悪者にしてはいけないということしか頭に浮かばなかった」という。三島への尊敬の念が強まることはあれ
薄まることはなかったのである。
そんな山内も、終生先生との思い出を忘れない、と書きとめたノートのなかで、〈私は先生に会う以前、
三島由紀夫とはつまらぬ小説家であろうと思っていた〉と明かしている。(中略)
それが「尊敬」へと180度変わったのは、生身の三島に触れて、たとえ弱さがあっても、そんな自分から決して
逃げることはせず、むしろ真正面から立ち向かって、より強くなろうとする三島の真摯な姿を間近でみつめてからだった。

杉山隆男
「兵士になれなかった三島由紀夫」より
662無記無記名:2010/02/13(土) 11:51:49 ID:D7VSVKo7
ひたむきな三島に心動かされたのは山内ひとりではなかった。体験入隊してきた三島を、時には「平岡ッ」と
本名で呼び捨てにしながら、手加減せず厳しく指導してきた教官や助教も、あるいはともに汗を流し、
隣り合わせのベッドで眠った訓練仲間の学生も、少なくとも私が話を聞いたすべての元兵士たちが口を揃えて、
鍛え上げられた上半身に比べて足腰の弱さが際立つ、三島の中のアンバランスを指摘しながら同時に、三島の
愚直なまでの一途さにすがすがしいものを覚えていた。
要するに彼ら全員が、兵士になろうとして、世界のミシマとは別人のように弱さも含めてすべてをさらけ出した
人間三島に惚れこんだのである。

杉山隆男
「兵士になれなかった三島由紀夫」より
663無記無記名:2010/02/13(土) 11:52:31 ID:D7VSVKo7
学生を引き連れた滝ヶ原での最初の体験入隊で、山内や河面と同じく、助教をつとめた江河弘喜は、三島の
人となりについてこう語っている。
「紳士でした。まじめでした。もう真面目そのものでした」
…そして三島の真面目さは、律義と呼びかえてもよいものであることを、江河は自らの体験で知っている。
というより、三島の律義さを、江河は片時も忘れ得ぬしるしとして受け取っているのである。
体験入隊に臨んでいた三島に、江河は或る「お願い」をしていた。近々産まれてくる自分のはじめての子供に
名前をつけてもらえないかと頼んだのである。三島は二つ返事で快く引き受けてくれた。
(中略)いまも江河が大切に保存している三島からの手紙の日付は土曜日の二十五日になっているから、女児誕生の
報せを受けてすぐに筆をとったことになる。

杉山隆男
「兵士になれなかった三島由紀夫」より
664無記無記名:2010/02/13(土) 11:53:31 ID:D7VSVKo7
〈どうしても可愛がりすぎてしまふ第一子は、女のお児さんがよろしく〉と、やはり第一子に女の子を授かった
自身の経験を引きながら、三島は手紙の中で、〈人生最初に得る我児は、何ものにも代へがたく、一挙手一投足が
驚きでありよろこびであり、……天の啓示の如きものを感じますね〉とその感動を素直に綴っていた。
候補としてあげた三通りの名前については、それぞれについて、…(略)…〈一長一短〉があることを断った上で、
三つの中から〈御自由に〉選ぶように書き添え、さらに別便でいかにも愛らしい淡いピンクと水色の産着を
一着ずつ届けて寄越す、こまやかな心の砕きようであった。

杉山隆男
「兵士になれなかった三島由紀夫」より
665無記無記名:2010/02/13(土) 12:27:39 ID:EAd2nknH
草野さんみたいやインテリマッチョがもっと増えてくれればと思う
666無記無記名:2010/02/14(日) 10:16:50 ID:5BL8KoWs
蜘蛛の巣マンコ馬鹿マンコ

とっとと巣にお帰り
667無記無記名:2010/02/21(日) 22:28:42 ID:bXKgwwaX
(2001年11月25日に)リンカーンセンターでアメリカペングラフ主催の「二十世紀の偉大な作家・三島由紀夫を
顕彰する夕べ」が開かれた。(中略)
私は「薔薇刑」の基本的テーマは「生と死」「エロスとタナトス」であり、それは三島由紀夫を被写体とするところの
私の主観的ドキュメンタリー作品であることを語り、そこで理解してもらいことは、三島氏は自分を「被写体」と呼び、
最初から最後まで完全に「被写体」に徹してくれたこと、そのことを氏は『薔薇刑』の序文「細江英公序説」の中で
はっきり書いている。(略)だからハリウッドの映画監督がつくった映画「MISHIMA」の中で私らしい写真家が
登場するが、そこで画面上のMISHIMAがカメラをかまえる写真家に向かってカメラの位置を変えるように
手で指示するシーンがでてくるが、あんなことは絶対になかったし、ありえないことだ。その映画の
ポール・シュレイダー監督が前もって私にアドバイスを求めてきたら教えてあげたのに残念だ、と語り、前記の
三島さんの序文の一節を読み上げた。

細江英公
「誠実なる警告」より
668無記無記名:2010/02/21(日) 22:34:21 ID:bXKgwwaX
(中略)三島さんは文字通り「誠実の人」であった。その点だけは、身近に彼を知り、そして生き残った自分の
責任として、きちんと後世に伝えておかなければならないことを信ずる。
その三島さんが、あえて選んだ死に様であるのなら、それは真摯に考え抜いた結果であったはずであり、
そこには止むに止まれぬ理由が存在したに違いないのである。であるから、私がまず強調しておきたいのは、
事件直後から多くのメディアによって宣伝されてきたような「スキャンダル」として三島さんの死を扱うようなことは、
実にもって愚劣なことであるということである。
もちろん、一人の人間、ましてあれだけの人物が自ら死を選んだ真の理由を、簡単に特定できるはずもない。
が、あえていうならば、三島さんが言っていた「文武両道」の「武」とは「文」を守るためのものと位置付けていたと
考えたい。守るべき「文」とは、自身の「文学」だけに止まるものではないだろう。もっと広く、そして深く
「日本の文化」そのものとでも呼ぶべきものであったはずである。思い起こせば、高度経済成長を達成したあの頃には、
我々日本人は、豊かさと引き換えに自分たちの文化をないがしろにするということを、なんら恐れなくなっていた。

細江英公
「誠実なる警告」より
669無記無記名:2010/02/21(日) 22:35:49 ID:bXKgwwaX
今の日本が抱える混迷も、根本的にはそこに問題があったのだということを、私も含め日本人の多くが気づき
始めているのではないだろうか。
三島さんには、今の日本の姿が見えていた。だからこそ、政治的な速攻性のないことがわかりきっている、
あのような行動をあえてとることによって、我々に命懸けの「警告」を遺したのではなかったか。そして恐らく
三島さんが意図した通り、彼の行動は長く記憶され続け、その警告の意味は、時間がたつにつれてその重みを
増してきているように思えてならない。
私は、既存の政治勢力が自らの主張のために三島さんの警告を都合よく利用するようなことがあってはならないと考える。
一方、彼の死後、文壇においては「あれは文学的な死であった」として、その多くが三島さんの個人的な理由に
よるものであるとする見方が支配的だったように思われるが、それにも違和感を感じてきた。
なぜなら、三島さんが憂いていたのは、もっと根源的な、日本人の精神的な危機そのものだったはずなのだから。

細江英公
「誠実なる警告」より
670無記無記名:2010/02/21(日) 23:40:15 ID:apYjgbtC
ほら蜘蛛の巣マンコが湧いて出たwww
671無記無記名:2010/02/22(月) 12:38:10 ID:UfNDGgXw
事件の翌日から、あらゆるメディアはあなたの行動を醜聞として描くことに情熱を傾けることになりました。
…TVでは「右翼評論家」なる人物が高説を垂れ、政治家たちは狂気の沙汰だとあなたを批判していました。
日本共産党はファシズムに対する警戒を説き、新左翼の学生たちは唖然として言葉を喪失していたように思えます。
わたしにはそうした政治的発言のいっさいが愚劣に思えていました。わたしは書店に行って、そのとき第三巻まで
刊行されていた『豊饒の海』の連作を買い求め、十日間ほどで一気に読み終わりました。しばらくして最終巻の
『天人五衰』が刊行されると、これも勢いに任せて読破しました。(中略)
わたしはここに仕掛けられた巨大なアイロニーに眼が眩む気持ちを抱きました。と同時に、自分の死後に遺された
者たちはすべからくこのアイロニーを生きるべしという、あなたの呪いめいた遺言に、さて、その呪いを
どのように受け取り、自分の文脈のなかで理解してゆくことにしようかと、呆然たる気持ちを抱いていました。

四方田犬彦
「時間に楔を打ち込んだ男」より
672無記無記名:2010/02/22(月) 12:38:52 ID:UfNDGgXw
今から考えてみると、「豊饒の海」が最後に突入していったのは、物事のすべてが「存在の耐えられない軽さ」を生き、
ノスタルジア(懐旧)とパスティッシュ(模倣)の原理のもとに操作されてゆく、ポストモダンの薄明のこと
だったような気がしています。わたしが大学生活を送った一九七〇年代は、十年間を通して、あなたの名前が
忌避され、排除されてきた時代でした。大学院の研究室でも、同級生どうしの会合でも、あなたの死のみならず、
その作品について言及することは場違いであり、できればあなたのような文学者が戦後日本に存在して
いなかったかのように振舞うのが、暗黙の了解であるような日々が続いていました。日本のポストモダン社会は、
三島由紀夫の不在によって、安心して自己実現を達成したのです。七〇年代と八〇年代を代表するイデオローグであった
山口昌男と蓮見重彦を考えてみたとき、それは明らかとなるでしょう。

四方田犬彦
「時間に楔を打ち込んだ男」より
673無記無記名:2010/02/22(月) 12:39:38 ID:UfNDGgXw
山口はあなたが悲劇的なもの、崇高なものに魅惑されていたのとは対照的に、それらから意図的に距離を置き、
喜劇的なもの、道化的なものに焦点を当てました。そしてすべての知識が位階制度を超えて並置される地平を、
ユートピア的に実現しようと企てました。
一方の蓮見は、あなたと同じ学習院に学び、皇族と人脈的な関係をもつことにきわめて野心的な人物でしたが、
一貫してあなたを嫌っていることを公言していました。もっとも事物の表層を好むというニーチェ伝来の哲学を
喧伝するという点で、彼はあなたの屈折した後継者であったといえなくもありません。
あなたの全集が再び編集され、刊行されていなかった日記や書簡が公にされたり、…あなたの行動の全体が
次の世代によって再検討の対象となるようになったのは、二〇〇〇年代に入り、先の二人の知的扇動家の影響が
消え去ったことと、軌を一にしているのは、けっして偶然ではありません。

四方田犬彦
「時間に楔を打ち込んだ男」より
674無記無記名:2010/02/22(月) 12:41:07 ID:UfNDGgXw
(中略)三島さん、裕仁はあなたよりも十八年と二ヶ月ほど生き延びて、一九八九年に身罷りました。
彼が支配していた昭和という時代は、六十四年をもって終了しました。けれどもすでにそれ以前から、誰もがもはや
(公文書ででもないかぎり)昭和という年号などもはや存在していなくなったかのように振る舞っていました。
なるほど昭和も三十年代、四十年代までは、それなりに口にされると実感めいたものが浮かび上がってきました。
けれども昭和五十年代というのは、たとえその表現に過ちがないとしても、もはやいかなるイメージをも人々に
喚起しなくなっていました。ましてや短かった昭和六十年代など、そう書き記してみたところで、どのような
イメージも浮きあがってくるわけではありません。それは一九七〇年代、一九八〇年代という表現がいかにも
人口に膾炙しているのと、好対照です。わたしは、こうした年号の喚起力の衰退の原因のひとつは、三島さん、
あなたの割腹自殺にあったのではないかと睨んでいます。あなたは生命を賭けることで、裕仁の時間支配に
修復しようのない楔を打ち込もうとしたのではないでしょうか。

四方田犬彦
「時間に楔を打ち込んだ男」より
675無記無記名:2010/02/22(月) 12:42:11 ID:UfNDGgXw
わたしには、一九七〇年十一月二十五日にあなたが日本人の一人ひとりに死を送り届けることで、これまで
暗黙のうちに日本を支配していた時間の神学的秩序に、凶悪にして不吉な楔を打ち込んだような気がしてなりません。
思い出してみれば、わたしの世代は機会あるたびに、あなたが割腹をしてもう何年が経過したとか、何十年が
経過したと口にしながら、時間をやり過ごしてきたのです。死の御降臨。死の分節。
あなたによって考案された禍々しい暦が、日本の時間秩序を攪乱し、神聖なる時間の起源を禍々しい紛い物へと
摩り替えてしまうことを可能にしたのだと、わたしは考えています。
(中略)親愛なる三島さん、わたしたちはいまだにあなたの影のもとに生きています。もしあなたが今生きて
いらしたとしたら、このような年少者たちを前に、また高笑いをされるかもしれません。その姿が目に浮かびます。

四方田犬彦
「時間に楔を打ち込んだ男」より
676無記無記名:2010/02/23(火) 08:00:33 ID:Xyl0diO1
蜘蛛の巣マンコはてめえのマンコに楔でも打ち込んでろや

失せろ蛆虫
677無記無記名:2010/02/23(火) 10:27:38 ID:utbWjenl
三島みたいに見事な文章の作家は古今東西いないね。
世界一だと思う。
春の雪を読み直したが、 日本 が一行一行に刻まれてるのに毎回驚く。
一行一行が本質に達してるから為せるワザだ。
678無記無記名:2010/02/23(火) 11:26:57 ID:Xyl0diO1
お前の文章は穢いし過ちだらけだがな

見事な文章の作家→見事な文章を 書く 作家

日本が一行一行に刻まれてる→あまりにも稚拙で陳腐な喩え
679無記無記名:2010/02/23(火) 12:09:16 ID:Gu/8hb7/
>>678
「見事な文章の作家」
全く日本語として間違ってないし、おかしくないから。
おかしいのはあんたの頭。
680無記無記名:2010/02/23(火) 14:29:11 ID:utbWjenl
>>678
バカヤロー!

>>679
そうですか、おかしくないですか。
ひとまず安心しました。

天人五衰もいいなあ。
1〜3巻があってはじめて成り立つ、そういう贅沢な1巻。
「仏教的な海」やラストのカタストロフは、こういうのは彼以外の作家じゃ描こうったって描けないですね。
芸術的野心があってしかもそれを具現できる能力がある、そういう感じですね。
681無記無記名:2010/02/23(火) 15:57:14 ID:IWpWcU5M
コピペするしか脳がないバカ共が三島を語るなよw
682無記無記名:2010/02/24(水) 00:44:57 ID:qQf56f4d
所詮身体鍛えて筋肉という鎧を纏ってもホモはホモですよ

彼の美文も造花の花の美しさ 天然野性のものではない

ただ作り物にしろ見事な割腹自殺を遂げた強靭な精神力は凄いとしか言えない
683無記無記名:2010/02/24(水) 09:59:38 ID:3/BUk81F
自然は芸術を模倣する、、こういう考え方もあるのです。
684無記無記名:2010/02/24(水) 10:15:27 ID:xAaEOziB
あの日、一九七〇年十一月二十五日、私は十八歳になった。高校三年生である。(中略)
その日の昼下がりも、窓いっぱいにさしこんでくる柔らかな陽の光につつまれて、私はついついまどろみそうに
なりながら、午後の授業の開始を告げるチャイムが鳴ったのも気づかないほどだった。ほどなくして古文を
受け持っていた教師が教室に入ってきた。微かに東北訛りの残る、穏やかな語り口で、ふだんは授業以外の
余計なことはめったに口にしない人なのだが、この日に限って、教科書をひらく前にこう切り出したのである。
「つい先ほどのことですが、三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊に乱入して割腹自殺を遂げたそうです」
思いもよらないニュースを先生の口から知らされたとたん、教科書やノートをひらきかけていた生徒の動きが
一瞬止まり、次いで教室にどよめきが走った。(中略)
しばらくは教室のあちこちでざわめきが尾を曳いていたが、それも教師が古(いにしえ)びとの歌を朗々と
詠じはじめるうちにしだいに静まっていった。しかし、私はひとり胸の動悸を収めることができずにいた。

杉山隆男
「兵士になれなかった三島由紀夫」
685無記無記名:2010/02/24(水) 10:15:49 ID:xAaEOziB
こんなところで平安貴族が詠んだ歌について悠長に解釈をあれこれ考えている場合ではないだろう。ともかく
市ヶ谷に行かなければ……。と言って、駈けつけても、何をしようなどという考えがもとよりあったわけではない。
ただ、じっと教室の椅子に座って、授業を受けていることが、いまこの瞬間の過ごし方としてはひどく間が抜けて
いるように思えてならなかった。居ても立ってもいられなかったのである。私は鞄に教科書など一式をしまいこむと、
腰を屈めたままの姿勢で席を離れ、教師が黒板に向かっている隙に教壇の横をすり抜けて出口に向かった。
(中略)私が通っていた都立日比谷高校から市ヶ谷は距離にして二キロ弱、(略)市ヶ谷の駅へと通じる下り坂を
下りるにつれて、上空を旋回するヘリの爆音が二重三重に輪をかけて大きくなっていく。外濠にかかる橋を渡り、
駐屯地の前に出ると、正面ゲートだけでなく、ヤジ馬が鈴なりになった周囲の歩道にも制服警官や機動隊員が
多数配置され、あたり一帯は異様な空気につつまれていた。

杉山隆男
「兵士になれなかった三島由紀夫」より
686無記無記名:2010/02/24(水) 10:16:10 ID:xAaEOziB
私はただその場から立ち去りがたいという思いに引きずられて小一時間ほど佇んでいたが、やがて、あの門の向こうで
三島が自決したんだと自らに言い聞かせるようにいま一度眼を見ひらき、駐屯地の奥を見据えて、脳裏にその情景を
しっかりと刻みこんでから、相変わらず上空をヘリが舞い、(略)騒然とした雰囲気の中、歩いて市ヶ谷から
九段の坂を通り、神保町の自宅に帰った。(中略)
自宅の神棚には、鯛のお頭付きと三越の包装紙につつまれたケーキの箱が供えられていた。家族の誕生日の、
それが我が家の習わしであった。私は、その夜のささやかな祝宴の主賓であったにもかかわらず、鯛にもケーキにも
手をつける気には到底なれなかった。
その日からずっと、私の中で、「三島由紀夫」は生きつづけているような気がする。いまになって思えば、
自衛隊に兵士たちを訪ねて歩く取材をはじめたのも、三島由紀夫抜きには考えられないのだった。

杉山隆男
「兵士になれなかった三島由紀夫」より
687無記無記名:2010/02/24(水) 10:16:30 ID:xAaEOziB
私は生涯にただ一度きり、生身の三島を間近にしている。
…私が三島を眼にしたのは、他でもない自衛隊の観閲式においてであった。学校新聞の取材と称して式典への参加を
願い出た高校一年生、十五歳だった私に、防衛庁は各国の駐在式官が陣取った来賓席を用意してくれていた。
肩から金モールを下げ、礼装の軍服に身をつつんだ式官や華やいだ装いの夫人たちに囲まれて席についていると、
式官の一団が突然、「起立!」と号令をかけられたみたいに夫人ともどもいっせいに立ち上がった。私も、
傍らに座る、観閲式に無理矢理つきあわせた級友のTと一緒に思わず立ち上がっていた。式官たちは全員二時の
方向を向いて、手を制帽の眼庇にかざし挙手の礼をとっている。(略)彼らが敬礼を送っている相手は最初は
見えなかったが、相手の動きとともに、敬礼する式官たちの体の向きも変わってゆき、やがて彼らがほぼ真横を
向いたところで、ならび立つ軍服の間から三島が姿をあらわしたのである。

杉山隆男
「兵士になれなかった三島由紀夫」より
688無記無記名:2010/02/24(水) 10:16:52 ID:xAaEOziB
細身のスーツを着こなした三島は自らも右手をかざして式官たちの敬礼に応えながら、瑤子夫人を伴って、
私とTが立っている席のすぐ前の席に腰を下ろした。
私の視線は、傍らの駐在式官から挨拶を受け、にこやかに何ごとか語らっている三島に釘付けになっていた。
間近も間近、手を伸ばせば触れるようなすぐそこに、三島由紀夫がいることに私は興奮して、級友のTの肘を
つつきながら、「ミシマだよ、ミシマがいるよ」と熱に浮かされたようにうわごとめいたつぶやきを繰り返していた。
音楽隊が奏でる勇壮なマーチに乗って、陸海空各部隊が一糸乱れず分列行進をしたり、(略)迫力あるシーンは
どれもはじめてじかに眼にするものばかりだったはずなのに、どういうわけか、記憶に灼きついているのは
三島の姿だけなのである。
たった一度だけ三島を眼にした場が自衛隊の式典であり、それから二年あまりのうちに、自分の十八回目の誕生日に
三島が自衛隊で自決を遂げたことは、私の中で不思議な暗号として捉えられた。

杉山隆男
「兵士になれなかった三島由紀夫」より
689無記無記名:2010/02/24(水) 10:19:25 ID:xAaEOziB
いつしか私は、三島由紀夫と、自衛隊と、自分自身とを何か運命的なもののように重ね合わせて考えるようになっていた。
(中略)三島は、自衛隊に何を見、何を期待し、何に絶望していったのか。(略)答えがみつかるはずもない
その問いかけを、鈴振るように胸に響かせながら、私もまた自衛隊のゲートをくぐったのであった。
当初私は、三島が丸三年半にわたる自衛隊体験の中では、自衛隊を第一線で支える、もの言わぬ隊員たちの素顔に
間近に接して、彼らの心情に分け入るまでには至らなかったのではないかと思っていた。(中略)
しかし、三島が死に場所に選んだ自衛隊をこの眼で見、全身で感じてみたいと思い、はじめた平成の兵士たちを
訪ねる旅の第一歩からほぼ十五年の年月が流れ、その旅をいよいよ終えようといういまになって、私の眼には、
三島の眼差しの先にあったものがかつてとは違ったように見えてきたのである。

杉山隆男
「兵士になれなかった三島由紀夫」より
690無記無記名:2010/02/24(水) 10:19:48 ID:xAaEOziB
(中略)
〈…自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終るであらう〉という三島の予言は、その死から四十年近くたったいま、
ますます説得力を帯びた切実な響きで聞こえてくる。そうなってみると、十五年前には迂闊にも気づかなかったことだが、
三島が知っていた自衛隊とは、決して〈武器庫〉や〈階級章〉だけではなかったように思われてきたのである。
死の二ヶ月前、三島は、「楯の会」の会員たちと体験入隊を繰り返し、彼が自衛隊でもっとも長い時間を過ごした
滝ヶ原分屯地の隊内誌『たきがはら』に一文を寄せている。その中で三島は、自分のことを、
〈二六時中自衛隊の運命のみを憂へ、その未来のみに馳せ、その打開のみに心を砕く、自衛隊について
「知りすぎた男」になつてしまつた〉と書いていた。じっさい「知りすぎた」三島は、『檄』にも書きとめた通り、
〈アメリカは眞の日本の自主的軍隊が日本の國土を守ることを喜ばないのは自明である〉という自衛隊の本質を
見抜いていたがゆえに、自衛隊の今日ある姿を予見することができたのだろう。

杉山隆男
「兵士になれなかった三島由紀夫」より
691無記無記名:2010/02/24(水) 10:20:12 ID:xAaEOziB
隊員ひとりひとりが訓練や任務の最前線で小石を積み上げるようにどれほど地道でひたむきな努力を重ねようとも、
アメリカによってつくられ、いまなおアメリカを後見人にし、アメリカの意向をうかがわざるを得ない、すぐれて
政治的道具としての自衛隊の本質と限界は、戦後二十年が六十余年となり、世紀が新しくなっても変わりようが
ないのである。
私が十五年かけて思い知り、やはりそうだったのか、と自らに納得させるしかなかったことを、三島は四年に
満たない自衛隊体験の中でその鋭く透徹した眼差しの先に見据えていた。
もっとも日本であらねばならないものが、戦後日本のいびつさそのままに、根っこの部分で、日本とはなり得ない。
三島の絶望はそこから発せられていたのではなかったのか。

杉山隆男
「兵士になれなかった三島由紀夫」より
692無記無記名:2010/02/24(水) 14:54:07 ID:l+O7uuKJ
体験入隊如きで
>>四年に満たない自衛隊体験
と平気で書くような神経が信じられない。
いくらなんでも現役の自衛隊員に失礼だろうに。
693無記無記名:2010/02/24(水) 15:07:17 ID:u4Z6jdXZ
>>692
どんなミスリードだよ
694無記無記名:2010/03/07(日) 23:00:45 ID:y9v8+gc0
私が三島さんに初めてお会いした、というよりは顔を見たのは学生時代、写真家・林忠彦さんの助手をしていた
昭和三十年頃だった。林さんの鞄を持って目黒のお宅に伺った。
純日本風の二階建で、有名作家の家にしてはちょっとボロ屋だなと思ったことを覚えている。
撮影は二階の書斎だったが、そのうち突然三島さんが立上がり、「屋上の狂人」をやりましょうかと、出窓の
向うの玄関の屋根瓦に足を掛けた。
「危いからいいですよ」と林さんと編集の人があわてて止めた。
「青の時代」や「仮面の告白」から受けるイメージとは全然違ってチャメっ気のある人だなあと思った。
折角なのにと残念でもあった。
帰りがけに三島さんは玄関で「歳をとった人って皆いい顔してますね。うらやましいなあ!」と突然言った。
「どういう意味かな。早く歳をとりたいということなのかな」と林さんは首をかしげていた。

齋藤康一
「ファインダーの中の三島さん」より
695無記無記名:2010/03/07(日) 23:02:27 ID:y9v8+gc0
私は大学四年の時、林さんの助手から秋山庄太郎さんの助手に替った。
ある時秋山さんはどこかのお嬢さんのお見合写真を頼まれた。
…私たちは麻布今井町のスタジオで待機していたが「お嬢さん」は一向に現われず、連絡もつかない。
秋山さんは次の仕事が入ってしまっているので、「齋藤君、あとを頼むよ」と大慌てで出かけてしまった。
私は女性を撮るのは苦手、困ったなあと思っていると、女性が得意の助手仲間のアッチャンがやって来たので、
彼にうまく押しつけて帰ってしまった。ところがこれが逃したスクープ。半年だか一年だか経った頃、
この「お嬢さん」の家からアッチャンに結婚式を撮ってほしいとの依頼。お相手は三島さん。
お見合写真の「お嬢さん」というのは言うまでもなく杉山瑤子さんだったのだ。

齋藤康一
「ファインダーの中の三島さん」より
696無記無記名:2010/03/07(日) 23:03:44 ID:y9v8+gc0
ある夜、「T社のSだけど、これからすぐ行くから、ちょっと写真を撮ってもらいたいんだが。暗いけれど
ストロボは使えないと思う」という電話。大急ぎで仕度して待っていると、黒塗りの車が到着した。
後部座席に乗っていたのは三島さん。「男の子が生まれたのでね」とひと言。虎の門病院に向う。
病室のガラス越しに赤ちゃんの顔を見詰める三島さんは、これまでとは違ってやさしいやさしい顔だった。
長時間の撮影中はいろいろとお喋りをする。
…「くだらない話ですけれど、先生のセイで、S社を落とされたことがあるんですよ」と冗談まじりに言うと、
三島さんは「なぜ」と問い詰めるように訊かれた。

齋藤康一
「ファインダーの中の三島さん」より
697無記無記名:2010/03/07(日) 23:05:28 ID:y9v8+gc0
「実はS誌のグラビアのデスクが、うちに来ないかと誘ってくれたんです。ノコノコ面接に出掛けて行くと、
副社長  君、スポーツは?
私  高校の頃、器械体操やっていました。
副社長  三島さんの「仮面の告白」は読んだことある?
私  はい。
副社長  あの作品の中に、器械体操をやる人間はエゴイストだと書いてあるから、君は会社勤めには
向かないんじゃないかな。……
というわけで、あっけなくチョン」
三島さんは黙って聞いていたが、私が話し終ると例の声で豪傑笑い。
「それはよかったね、フリーで自由にできて」
何日間か撮影のために三島さんに密着したことがある。
最後日に、その頃はもう後楽園ジムになっていた旧講道館で空手の稽古を撮影した。
洋服姿の三島さんはボディビルのため上半身は立派だが、下半身は細身のズボンを好むせいもあってか、
どうしても貧弱に見えバランスが良いとはいえない。しかし、稽古着に身を包むと実に格好がいい。

齋藤康一
「ファインダーの中の三島さん」より
698無記無記名:2010/03/07(日) 23:06:49 ID:y9v8+gc0
薄暗い道場の中で三島さんは十人近い若者の稽古を見守っていた。
「あれが森田で、こっちにあるのが古賀。その隣りが……。皆いい連中です」。
照明のせいか、気のせいか、彼等の表情はなぜか暗く見えた。
…二時間近い稽古が終り三島さんと一緒に外に出ると晴天だった。
水道橋駅に向う歩道の手前で礼を述べると、「もう終りなの?」と残念な様子。
じゃあと手を振って向う側に渡って行った。
それは三島さんが亡くなる六日前のことだったが、後になって思い返すと、楯の会の会員の名前をわざわざ
教えてくれたり、もう終りなのかと名残り惜しがってくれたり、やはり何かの思いがあったのかもしれない。

齋藤康一
「ファインダーの中の三島さん」より
699無記無記名:2010/03/07(日) 23:16:54 ID:wC7TSraw
野坂昭如の「文壇」は傑作。
そこに登場する三島も面白い。
700無記無記名:2010/03/15(月) 23:19:42 ID:o3MpDQwg
>>699
それは回想本?
701無記無記名:2010/03/16(火) 03:31:56 ID:HtysNUAx
>>700
そうです。
文壇バー、文学賞、文芸誌などを舞台に、野坂の作家修行と戦後文壇史を、
野坂の異様な記憶力によって、詳細に生々しく書いています。
三島は、野坂がブランスウィックでバーテンしていた頃から
晩年まで何度も登場しています。
702無記無記名:2010/03/17(水) 22:04:12 ID:Uskdfb7R
肉といふものは、私には知性のはぢらひあるひは謙抑の表現のやうに思はれる。鋭い知性は、鋭ければ鋭いほど、
肉でその身を包まなければならないのだ。ゲーテの芸術はその模範的なものである。
精神の羞恥心が肉を身にまとはせる。それこそ完全な美しい芸術の定義である。
羞恥心のない知性は、羞恥心のない肉体よりも一そう醜い。
ロダンの彫刻「考へる人」では、肉体の力と、精神の謙抑が、見事に一致してゐる。

「ボディ・ビル哲学」より
703無記無記名:2010/03/22(月) 23:49:23 ID:8BJwpIG6
三島由紀夫氏に初めて会ったのは昭和二十二年である。
三島氏の学習院時代の師であった豊川登氏の紹介によるものであった。当時、三島氏は渋谷に住んでいた。
初対面で心をうったのは彼の母倭文重さんの美貌だった。実に気高く美しい婦人だなあと思った。そして
三島氏が発した言葉で今もはっきり覚えているのは、「おかあさま、お客さまにお紅茶をお願いします」であった。
そしていろいろ語り合ううちに、「伊沢さんは保田与重郎さんが好きですか、嫌いですか?」との質問だった。
私は直ちに、「保田さんは私の尊敬する人物です。しかし、まだお目にかかったことはありません。御著書を
読んでいろいろ教えられている次第です。戦後、保田さんを右翼だとか軍国主義だとか言って非難するものが
ありますが、私はそのような意見とは真向から戦っています。保田さんは立派な日本人であり文豪です」と答えた。

伊沢甲子麿
「思い出の三島由紀夫」より
704無記無記名:2010/03/22(月) 23:49:50 ID:8BJwpIG6
三島氏は嬉しそうな顔をして「私は保田さんをほめる人は大好きだし悪く言う人は大嫌いなのです。今、
伊沢さんが言われたことで貴方を信頼できる方だと思いました」と言われたのである。これを御縁として、
しばしば面談するようになった。当時、三島氏は大蔵省の若手エリート官僚であった。そのため私は大蔵省へ
時おり三島氏に会うために通うようになった。
私は若手のエリート官僚に友人が何人か居たが、三島氏の立派な人格には心から惚れこんでしまったのである。
何しろ三島氏は天才的な作家であり東大法学部出身の最優秀の官僚であり乍ら、いささかも驕りたかぶるところがない
謙虚な人柄であった。そして義理と人情にあつい人であるということがわかったのである。
つき合えばつき合うほど尊敬の念が湧いてくるのであった。東大出の秀才というのは思い上った人間がよくいる
ものだが、三島氏には全くそのようなところがなかったのである。
伊沢甲子麿
「思い出の三島由紀夫」より
705無記無記名:2010/03/22(月) 23:50:17 ID:8BJwpIG6
この人は作家として偉大であるのは勿論だが、人格者として最高の人だと、つき合えばつき合うほど思うように
なっていった。その後、毎月のように三島氏と私は食事を共にし語り合ったのだ。(略)それと共に三島氏の
要望により私は歴史と教育に関する話をいろいろとするに至った。特に歴史では明治維新の志士について。
中でも吉田松陰や真木和泉守の精神思想を何度も望まれて話した。話と同時に松陰の漢詩と真木和泉守の辞世の和歌を
三島氏の強い頼みで私は朗吟したのである。三島氏は松陰や真木和泉守の話を私が始めると、和室であったため
座布団をのけて正座してしまうのだった。私も特に吉田松陰の最期の話をする時などは情熱をこめ、時には涙を
浮かべて語ったものである。三島氏は吉田松陰の弟子たちに贈った「僕は忠義をするつもり諸友は功業をなすつもり」
という言葉が大好きになったようだった。

伊沢甲子麿
「思い出の三島由紀夫」より
706無記無記名:2010/03/22(月) 23:50:50 ID:8BJwpIG6
その外では西郷隆盛の西南の役の話や、また尊皇派の反対の佐幕派の人物である近藤勇や土方歳三の話も何度となく
望まれて語った次第である。特に近藤勇は三島氏の祖母の祖父である永井尚志が近藤勇とは心を許し合った
友人であったため、深く敬愛の情を寄せていた様である。ついで乍ら記せば、永井は幕府の若年寄という重要な
地位にいた人で、アメリカの外交官であるハリスが尊敬の念を抱いていた程の欧米の事情に通じていた人物であった。
そのため後に私が主宰して行った近藤勇死後百年祭に真っ先に参加してくれたのだった。
三島氏が私に語った言葉で今も忘れられないのは、「私が日本を愛したのは源氏物語の世界だった。それが
伊沢さんとつきあう様になり幕末の志士たちの精神を知り、今は吉田松陰をはじめとする志士の世界に心が
入るようになった」ということである。

伊沢甲子麿
「思い出の三島由紀夫」より
707無記無記名:2010/03/22(月) 23:51:16 ID:8BJwpIG6
また或るとき私が、「三島さん、尊皇攘夷でなければならん。現代でも外国の思想によって、どれだけ日本人の
心が汚されているか計り知れないものがある。外国のいいところは進んで取り入れなければならないが、
功利主義の外国思想は打ち払わなければならないので、攘夷の精神を現代こそ日本人は堅持しなければならない」
と言うと三島氏は「その通りだ、あなたの意見に全く賛成だ」と言ってくれたのであった。
三島氏は死ぬ数年前から小説家三島由紀夫ではなく尊皇憂国の志士となっていたのである。三島氏の母の
倭文重さんは、この点をはっきり認めていた。三島氏が自決したことは日本だけでなく世界の文化にとっても
残念なことであるが、尊皇憂国の志を貫かんとしたので止むを得なかったのであろう。
偉大なる三島、高貴なる三島、この様な人は二度と現われてこないであろうと思う。
だが、悲しい、三島が死んだことは悲しい、今も生きていて呉れていたらいいなあと思う次第だ。

伊沢甲子麿
「思い出の三島由紀夫」より
708無記無記名:2010/03/23(火) 09:29:59 ID:oKzzYmja
馬鹿マンコ蜘蛛の巣マンコ跳梁跋扈
709無記無記名:2010/03/27(土) 23:34:07 ID:Lxo6dvAv
江藤淳は三島の自決は彼に早い老年が来たか、さもなければ病気じゃないかと言いましたが、トルストイの死に
「細君のヒステリイ」を見て悦に入る自然主義作家のリアリズム、いかにも分かったような、人生の真相は
たかだかこんなものという「思想の型」によく似ているといってよいでしょう。
そういえば三島事件後、俗耳に入り易い江藤流の原因説が数限りなく出ました。(中略)
私はいっさい関心を持ちませんでした。「細君のヒステリイ」に原因を求めて安心する現代知識人に特有の気質に
いちいち付き合っている気にはなれなかったからです。(中略)
江藤さんは抽象的煩悶などにまったく無縁な人でした。生活実感を尊重する自然主義以来の文壇的リアリズムに
どっぷり浸っていた人でした。
三島の悲劇は分からない人には分からないのです。縁なき衆生には縁なきことが世にはままあります。

西尾幹二
「三島由紀夫の死と私」より
710無記無記名:2010/03/27(土) 23:34:45 ID:Lxo6dvAv
小林秀雄の「文学者の思想と実生活」の結びに近い個所に次のような言葉があります。
「思想の力は、現在あるものを、それが実生活であれ、理論であれ、ともかく現在在るものを超克し、これに
離別しようとするところにある」
その通りだと思います。「思想の力」は理想と言い替えてもよいでしょう。私は次にみる同文の結語を読んで、
昭和十一年にこれを書いた小林秀雄がさながら三島の自決を予見していたかのごとき思いにさえ襲われたほどです。
「エンペドクレスは、永年の思索の結果、肉体は滅びても精神は滅びないといふ結論に到達し、噴火口に身を
投じた。狂人の愚行と笑へるほどしつかりした生き物は残念ながら僕等人類の仲間にはゐないのである」
一九七〇年代の半ば頃に、私はギリシア哲学者の故齋藤忍随氏にお目にかかる機会がたびたびありました。
三島事件は氏の関心事で、開口一番、三島はエンペドクレスですね、と言いました。エトナの噴火口に身を
投じたこの古代の哲人は、ヘルダーリンが歌い、ニーチェが劇詩に仕立てた相手です。
歴史の中には「狂人の愚行」としか思えない完璧なまでの正気の行動があるのです。

西尾幹二
「三島由紀夫の死と私」より
711無記無記名:2010/04/06(火) 11:48:52 ID:2sKtxrbG
新聞や週刊誌の中には、しごく単純に三島を異常性格者ときめつけ、最初から彼が自分の文学の主要テーマとして
選び貫いた同性愛をも風俗の眼で眺めたあげく、ホモだオカマだと立ち騒ぐ向きまであるのには一驚した。
死んだのは流行歌手でも映画スターでもない、戦後にもっとも豊かな、香り高い果実をもたらした作家である。
彼の内部に眼玉ばかり大きい腺病質の少年が棲み、あとからその従者として筋肉逞しい兵士が寄り添ったとしても、
それをただ劣等感の裏返しぐらいのことで片づけてしまえる粗雑な神経と浅薄な思考が、こうも幅を利かす時代なのか。
異常というなら、わけ知りの、ありきたりの、手垢まみれな説の援用でなしに、その淵に息をつめて身を潜め、
自身の眼でその深みの神秘をさぐろうとはしないものか。この一九七〇年代に、異常というレッテルを小抽出しに
張って、もうそっぽを向いていられる“正常人”がこれほど多いというなら、それこそが異常の証しであろう。

中井英夫
「ケンタウロスの嘆き」より
712無記無記名:2010/04/06(火) 11:49:25 ID:2sKtxrbG
(中略)
ただ、あれほど感性すぐれた彼に、いま一言、突っこんで話をしたかったと思うのは、ぷよぷよとした肉体、
指で押すとちょっとの間はへこむが、またすぐ元に戻って知らん顔をする、さながら腐肉そのままの感触を、
何よりも徹底して憎悪していたのではないか。なぜそれを最後まで、ありのまま憎みとおさなかったかという
点である。「世の中すべて気に入らぬことばかり」にしろ、われわれを包んでいる情況の本質がそこにあり、
一番の敵がそれであることは三島も当然知りぬいていたので、この気持もまた、彼の死後にも変わらない。(中略)
芥川や太宰が、なぜ志賀直哉と長生き競争をしなかったのか、私には不思議でならない、というより、無理にも
そう思いたいのだ。三島にも、また。

中井英夫
「ケンタウロスの嘆き」より
713無記無記名:2010/04/09(金) 10:23:01 ID:NLFcnU40
三島由紀夫君と森田必勝君のことを思うと、思いうかべるのは、やっぱり満開の時を待つことなく自ら散った
桜の花であります。これを総理大臣は「狂気の沙汰」と呼び、防衛庁長官は「せっかく育った民主主義にとって
迷惑千万だ」と言った。おとなしい日本国民も、この軽率な発言にはびっくりしました。「狂気の沙汰」は
まさに彼らの発言の方でありましょう。事件の意味を深く考えることなく、即座にこんな軽率な言をはくのは、
少なくとも「正気の沙汰」ではありません。あるイギリス記者は目を泣きはらして、村松剛君に言ったそうです。
「この事件で三島を弁護した政治家はなぜ一人もいなかったのか。こんどほど、三島由紀夫が偉大に見え、
日本の政治家が矮小に見えたことはない」
そのとおりでありましょう。
作家としての三島君の姿は、私どもの目には、まさに花盛りの桜でありました。だが、彼自身の目は文学者の
魂を通して日本の現状と未来に向けられていました。

林房雄「弔辞」より
714無記無記名:2010/04/09(金) 10:23:37 ID:NLFcnU40
…いつわりの平和と繁栄――平和憲法、経済大国、福祉社会、非武装中立という、政府と与党、野党と
俗流ジャーナリズム合作の四つの大嘘の上にあぐらをかきつつ、破滅の淵に向って大きな地すべりを始めている
日本の実状を敏感に予感し、予見して、この十年間あまり、絶えず怒り憂いつづけてきたのであります。彼は
私との対話「日本人論」の冒頭に、この怒りと憂いを告白しております。また、「政治家というものは詩人や
文学者が予見したことを、十年ほどすぎてやっと気がつく」とも言っております。(中略)
明日にでも“政治的連鎖反応”が起るというのではありません。これは精神と魂の問題であります。三島君と
その青年同志の諌死は、「平和憲法」と「経済大国」という大嘘の上にあぐらをかき、この美しい――美しく
あるべき日本という国を、「エコノミック・アニマル」と「フリー・ライダー」(只乗り屋)の醜悪な巣窟に
して、破滅の淵への地すべりを起させている「精神的老人たち」の惰眠をさまし、日本の地すべりそのものを
くいとめる最初で最後の、貴重で有効な人柱である、と確信しております。

林房雄「弔辞」より
715無記無記名:2010/04/09(金) 10:24:02 ID:NLFcnU40
日本は、外国から一人前の国家として扱われていない。国家も、人間も、その威が行われていることで、
はじめて国家であったり、人間であったりするのであって、何の交渉においても、外国から、既に、尊敬ある
扱いをうけていない日本は、存在していないのと同じである。そんな国の下で平和を歎び、春夏秋冬口に入る
果物、野菜を讃へ、牛肉、鶏、(それらはすべて、体の中に蓄積されれば死の危険のある物質を含んでいる)を、
巴里の料理人を雇って来て料理させているレストランで会食して、得々としている、滑稽な日本人の状態を、
悲憤する人間と、そんな状態を、鈍い神経で受けとめ、長閑な笑いを浮べている人間と、どっちが狂気か?
このごろの日本の状態に平然としていられる神経を、普通の人間の神経であるとは、私には考えられない。
議会の討論を聴いても、新聞を読んでも、私には日本の政府が暗愚だ、というよりも、狂気しているとしか
思われない。
私が三島由紀夫の怒りを見て、子供以上の純粋に感動したのは当然である。

森茉莉
「気ちがいはどっち?」より
716無記無記名:2010/04/09(金) 14:02:04 ID:ViWqmWy4
森茉莉って40過ぎる頃まで鴎外の印税で食ってたんだよな。
717無記無記名:2010/04/12(月) 11:27:26 ID:QklEMPJm
「花ざかりの森」の作者は全くの年少者である。どういふ人であるかといふことは暫く秘しておきたい。
それが最もいいと信ずるからである。
若し強ひて知りたい人があつたら、われわれ自身の年少者といふやうなものであるとだけ答へておく。
日本にもこんな年少者が生まれて来つつあることは何とも言葉に言ひやうのないよろこびであるし、日本の
文学に自信のない人たちには、この事実は信じられない位の驚きともなるであらう。
この年少の作者は、併し悠久な日本の歴史の請し子である。
我々より歳は遙かに少いが、すでに、成熟したものの誕生である。
此作者を知つてこの一篇を載せることになつたのはほんの偶然であつた。
併し全く我々の中から生れたものであることを直ぐに覚つた。さういふ縁はあつたのである。

蓮田善明
昭和16年「文芸文化 編集後記」より
718無記無記名:2010/04/12(月) 11:27:47 ID:QklEMPJm
交遊に乏しい私も、一年に二人か一人くらいづつ、このやうに国文学の前にたゝづみ、立ちつくしてゐる少年を
見出でる。
「文芸文化」に〈花ざかりの森〉〈世々に残さん〉を書いてゐる二十歳にならぬ少年も亦その一人であるが、
悉皆国文学の中から語りゐでられた霊のやうな人である…。

蓮田善明
昭和18年「文学 編集後記」より
719無記無記名:2010/04/12(月) 11:30:56 ID:QklEMPJm
三島由紀夫の憂国による割腹自殺は、敗戦に際し国体護持を念じてピストル自殺をとげた蓮田善明の影響だろう
……とは、由紀夫の少年時代のシンパだった富士正晴氏をはじめ、大久保典夫氏その他の推量である。晩年の
由紀夫に、蓮田善明伝の序を頂戴するという特別のかかわりを持った私は、あながちその推量を否定しえない。
(中略)善明が由紀夫を「われわれ自身の年少者」という親愛な言葉で呼び「悠久な日本の歴史の請し子」と
仰望をしたのは、まだ由紀夫が学習院中等科五年生の昭和十六年九月だった。(中略)
「われわれ自身の年少者」という愛称と、正体をわざと明かさぬ思わせぶりな語韻のどこかには、まるで
お稚児さんにでも寄せるような愛情がぬくぬくと感じられる。まことこの日頃、由紀夫を伴い、林富士馬氏と
一緒に善明を尋ねたことがある富士正晴氏は、帰りに善明がわざわざ駅まで見送ってくると、まるで恋人が
別れの際にするような別れたくないといった感情を、あらわに由紀夫に示したのを見ている。

小高根二郎
「善明と由紀夫の黙契」より
720無記無記名:2010/04/12(月) 11:31:27 ID:QklEMPJm
又、由紀夫の方も、「花ざかりの森」を発表したのを契機に、たびたび寄稿を許され、あまつさえ同人の集まり
にも出席を認められた。そして同人の(略)栗山理一氏に対しては大人のシニシズムを感応しているが、特に
善明には「烈火の如き談論風発ぶり」に、男らしさと頼もしさを感じたのだった。
当時、由紀夫は十七歳、善明は三十八歳だった。善明は由紀夫の十七歳に、己の十七歳を回想したであろう。
善明も人一倍に早熟だったからだ。彼は中学の学友丸山学と刊行した回覧誌『護謨樹』に、すでに次のような
老成した人生観を述べていた。(引用略)
敗戦で自決した覚悟の決然さの萌芽は、すでにこの少年の日にできていたのである。この善明の悟達は、
十五歳の歳一年間、肋膜炎で瀕死の床にあった経験から、死を凝視める習慣がついたものだった。

小高根二郎
「善明と由紀夫の黙契」より
721無記無記名:2010/04/12(月) 11:31:52 ID:QklEMPJm
(中略)善明の「死から帰納した生涯」と由紀夫の「椿事待望」の早熟な資質は、やがて「死もて文化を描く」
という夭折憧憬につながるのだ。換言すれば、それは「大津皇子」と「聖セバスチャン」の邂逅――殉難の
讃仰なのである。
大津皇子は朱鳥元年(六八六)父天武天皇が崩御してから一ヶ月も経たぬうちに決起を思い立った。(中略)
「『予はかかる時代の人は若くして死なねばならないのではないかと思ふ。……然うして死ぬことが今日の
自分の文化だと知つてゐる』(大津皇子論)
この蓮田氏の書いた数行は、今も私の心にこびりついて離れない。死ぬことが文化だ、といふ考への、或る
時代の青年の心を襲つた稲妻のやうな美しさから、今日なほ私がのがれることができない…(略)」
(三島由紀夫「蓮田善明とその死」序)
由紀夫の決起への啓示は、ここに発していたのかもしれない。

小高根二郎
「善明と由紀夫の黙契」より
722無記無記名:2010/04/12(月) 11:32:34 ID:QklEMPJm
(中略)
元旦の夜、楯の会と浪漫劇場のごく親しい人々が三島邸に集まったとのことだ。(略)談たまたま亡霊談義に
なるや、(略)由紀夫の左肩のあたり、顎紐を掛け刀を差した濃緑の影が佇んでいるのを、丸山明宏氏が
発見したということだ。「あッ!誰か貴方に憑いてます」と丸山氏が注意すると、由紀夫は真顔になって、
「甘粕か?」と問い、たて続けに二三の姓名を上げ、最後に二・二六事件の磯部の名をあげた由である。
同席の村松英子さんは丸山氏に亡霊を追払ってくれと要請した。すると由紀夫は笑って、『豊饒の海』が
書けなくなるから止めてくれといったという。
私はこの記事を読んで冷水を浴びたように慄然とした。丸山氏の記憶せぬ二三の姓名の中に、間違いなく善明の
名も入っていたはずだからだ。と、いうのは、その日頃、由紀夫は拙著『蓮田善明とその死』の序を執筆して
いたか、執筆すべく構想をしていたからだ。

小高根二郎
「善明と由紀夫の黙契」より
723無記無記名:2010/04/12(月) 11:33:05 ID:QklEMPJm
執筆にあたって彼は、当然シンガポール近くのゴム林に眠っている善明を想起し、その霊を呼んだろう。(略)
そういえば善明は前にも海を渡って帰ってきた。昭和二十年八月十九日、敗戦の責任を天皇に帰し、皇軍の
前途を誹謗し、日本精神の壊滅を説いた職業軍人・上條大佐をピストルで射殺し、かえす筒先で己がコメカミを
射抜いて果てた善明は、その時の完全軍装の姿で熊本県は植木町の留守宅に帰ってきた。明け近く、青蚊帳を
透かし、縁の外に佇んでいる夫をみつけた敏子さんは、「おかえりなさい」と挨拶した。善明は佇んだままだった。
「どうなさいました。お入りなさいまし」というと、前にくずおれるように姿はかき消えた。
その善明が、由紀夫の決起を知って帰ってこぬはずはない。
二人の合言葉は、『英霊』の「などてすめろぎは人間となりたまひし」であったはずだ。そう、私が夢想し
思量するのも、或いは絶作『豊饒の海』の輪廻転生の示唆なのかもしれない。

小高根二郎
「善明と由紀夫の黙契」より
724無記無記名:2010/04/18(日) 23:14:05 ID:nvkgGPsB
森田必勝は私より一、二歳年長の同じ大学の学生であった。面識はなかったが、彼を見知っている友人もいて、
自分と同時代の人間の起こした事件という思いはある。(中略)
その日の昼ごろ、電話が鳴った。受話器からは友人の少し緊張し少し興奮した声が聞こえてきた。
「三島由紀夫が自衛隊に立て籠ったぞ」。友人はニュースで知った事件のあらましを語った。私が当時は昼ごろ
まで寝ており、テレビも全く見ないことを知っていたから、電話で教えてくれたのである。(中略)
私は大学に行った。大学では学生たちは既に事件を知っており、みんなこれを話題にしていた。(略)
三島由紀夫は森田必勝とともにその日の昼すぎには割腹自殺を遂げていた。夜には事件の全容がほぼ明らかになり、
翌日からはマスコミがさまざまな人の意見を取り上げた。左翼側は、当然、事件に否定的、批判的であった。
中には三島を嘲弄する口調のものもあった。しかし、これには私は同感し得なかった。

呉智英
「『本気』の時代の終焉」より
725無記無記名:2010/04/18(日) 23:14:27 ID:nvkgGPsB
当時の学生たちの中の少しアタマのよい連中は、旧来の左翼理論が行きづまりかけていると皆思っていた。
しかし、それに代わりうるものを創出するだけの知性も覚悟もなかった。人のことはいえない。私もただ惰性で
落第をくり返していた学生だったのだから。そういった学生たちを誘引したのは、ハッタリとヒネリだけの
突飛な言辞を弄する奇矯知識人だった。十数年の後に、私はこれらを「珍左翼」と名付けることになるのだが、
当時はそう断ずるだけの自信はなかった。
そんな奇矯知識人、奇矯青年に人気があったのが八切止夫という歴史家だった。歴史学の通説を打ち破る珍説を
次々に発表する在野の学者だという。判断力がないくせに新奇なものには跳びつきたがる学生がいかにも喜び
そうな評価である。私も一、二冊読んでみたが、どれも三ページ以上は読めなかった。あまりにも奇怪な文章と
構成で、私がそれまで知る日本語とはちがうものが記されていたからである。その八切止夫が、どこかの新聞か
雑誌に切腹不可能説を書いているのを読んだことがあった。(中略)

呉智英
「『本気』の時代の終焉」より
726無記無記名:2010/04/18(日) 23:14:44 ID:nvkgGPsB
しかし、三島由紀夫は見事に切腹した。しかも、介錯は一太刀ではすまなかった。恐らく、弟子である森田必勝には
師の首に刀を振り下ろすことに何かためらいでもあったのだろう。三島の首には幾筋もの刀傷がついていた。
それは逆に、三島が通常の切腹に倍する苦痛に克ったことを意味する。罪人の斬首の場合、どんな豪胆な
連中でも恐怖のあまり首をすくめるので、刀を首に打ち込むことはきわめて困難であると、山田朝右衛門
(首切朝右衛門)は語っている。しかし、三島は介錯の刀を二度三度受け止めたのである。このことは、
三島由紀夫の思想が「本気」であることを何よりも雄弁に語っていた。楯の会が小説家の道楽ではないことの
確実な証拠であった。だからこそ、「本気」ではなかった左翼的雰囲気知識人は、自らの怯えを隠すように
嘲笑的な態度を取ったのである。八切止夫が切腹不可能説を撤回したという話も聞かなかった。

呉智英
「『本気』の時代の終焉」より
727無記無記名:2010/04/18(日) 23:15:05 ID:nvkgGPsB
しかし、「本気」とは何か。「本気」に一体どれだけの価値があるのだろうか。三島由紀夫は「本気」の価値を
証明しようとしたのではなく、「本気」の時代が終りつつあることを証明しようとしたのではないか。
「本気」の時代の弔鐘を鳴らし、「本気」の時代に殉じようとしたのではないか。(中略)
三島由紀夫は私財を擲(なげう)って楯の会を作った。共産主義革命を防ぎ、ソ連や支那や北鮮の侵略には
先頭に立って闘う民兵組織である。(略)三島はこの行動について「本気」だった。小説家の気まぐれな
道楽ではなかった。しかし、現実に治安出勤や国防行動を最も効果的にするのは、税金で維持運営される
行政機関である自衛隊なのである。自衛隊員は、法に定められた義務のみを果たし、法に定められた権利を
認められる。まるでお役所である。いや、事実、お役所なのである。(略)
「本気」の武士より、権利義務の関係の中でのみ仕事をする公務員の方が尊ばれ、価値がある時代が始まり
かけていた。換言すれば、これは「実務」の時代の始まりであった。

呉智英
「『本気』の時代の終焉」より
728無記無記名:2010/04/18(日) 23:15:24 ID:nvkgGPsB
私は実務の時代の価値を否定しない。(略)英雄が待ち望まれる時代は不幸な時代である。思想や哲学や
純文学が尊敬を集める時代も不幸な時代である。一九七〇年以降、日本は不幸な時代に別れを告げた。
英雄はいうまでもなく、思想や哲学や純文学、総じて真面目な「本気」は「実務」の前に膝を屈し、幸福な
時代が到来した。(略)
だが、時代はそうなりきることはなかった。一九九五年、歪んだ醜怪な「本気」が出現した。オウム事件である。
(略)本当に不気味で醜悪な恐怖の事件は、三島が「本気」に殉じた後の時代に出現したのであった。

呉智英
「『本気』の時代の終焉」より
729無記無記名:2010/04/21(水) 11:22:40 ID:Tqyw2kqC
三島の真意や遺志を伝える仕事に取り組んでみると、彼がいかにこの国の将来を憂え、真剣にかつ周到に、国家
防衛をあるべき姿に戻す計画を練っていたかということに驚かされる。また、物事のすべてから国家の危機を
敏感に感じ取っていた彼が、状況の変化の中で計画の可能性を狭められ、追いつめられ、最後の選択をし、
身を処するに至る過程の悲痛さ、雄々しさは改めて私の胸を締め付けたものだ。ある作家が導き出した結論の
ように、三島は単純な狂気に駆られていたわけではない。(中略)
われわれが祖国防衛のために苦労して築いてきた、自衛隊にとってなくてはならぬ機能、部門は無思慮にも
捨て去られてしまったのである。私が胸に秘めていたその情報はもう秘匿する必要がなくなった。むしろ
自衛隊のためにこそ、三島の真実を明らかにしなければならない。(略)三島との出会いがなかったら、
私の人生は砂漠であった。三島と語り合い、訓練をともにした日々は私に、もう一度、祖国防衛の実現に
取り組もうとする意欲と希望を与えてくれた。…私は三島を復活させたいと望んでいる。
自衛隊の中でもある特殊な教育・訓練を行う立場にあって、やがて私は三島の教官となった。もちろん彼は
平凡な生徒ではなかった。私は何度か彼の深い洞察力に触れて舌を巻いたものだし、鋭く切り込んでくる質問に
たじたじになったこともあった。私にとっても実に得るところの多い共同作業であった。
われわれがそうした特殊な訓練と研究を行っていたことについては、多少の説明が必要だろう。たとえ戦争を
放棄したと宣言しても、万が一外からの攻撃にさらされれば、われわれは座して祖国を蹂躙されるに任せている
わけにはいかない。そのとき、自衛隊は祖国を守らなければならない。戦争にはつねに表に見えている部分と
陰で動いている部分があり、表の部分だけでは勝つことはできない。わかりやすい例で言えば、国際政治の
世界では日本の政治力、交渉力、情報力はかなり弱いと言われており、現実に外交交渉などではいつもして
やられている感がある。

山本舜勝
「自衛隊『影の部隊』三島由紀夫を殺した真実の告白」より
730無記無記名:2010/04/21(水) 11:23:09 ID:Tqyw2kqC
陰で動いているというと、何か姑息な卑怯なことのように感じられるかもしれないが、こちらから戦争を
仕掛けることがないわが国としては、むしろ水面下での動き、ネットワーク、情報力などは、不幸な状況を招く
危機を未然に防ぐ有力な方法として欠くべからざるものなのである。
三島由紀夫はそのことに気づいていた。彼の行動が一般の人々にわかりにくかったとすれば、その大きな原因の
一つは、彼の考えと行動がこうした陰の部分に踏み込んでいたことだろう。
私たち二人は志を同じくする者として、訓練をともにし、真剣に祖国防衛を語り合った。しかし私たちは、
最後まで行動をともにすることはなかった。私は、三島の決起を正確に予測することができなかった。
そして悲劇は起こった。(略)私たちがなぜともに最後まで志を遂げることができなかったのか。
(中略)
情報勤務全般の概念を理解してもらうため、日本で現実に起こったスパイ事件を例に、講義した。
取り上げたのは、昭和38年4月1日朝、秋田県能代市の浜浅内に、二人の男の漂流死体が打ち上げられたこと
から発覚した「能代事件」である。(中略)
むろん、外国人登録証はなく、装備から見てかなり大物の北朝鮮工作員と推測された。そして地図などから、
目的地は秋田ではなく、東京、大阪でのスパイ活動が目的と思われた。しかしこの事件は、何らかの陰の力が
働いたのか、結局憶測の域を出ないまま、うやむやのうちに迷宮入りとなってしまったのである。(中略)
講義の中で、二人の溺死体の写真を示したとき、三島は写真を手にしたまま五分間ほども見入っていた。
そして、この事件が単なる密入国事件として処理され、スパイ事件としては迷宮入りになってしまったことに
私が言及すると、三島は激昂した調子で言った。「どうしてこんな重大なことが、問題にされずに放置されるんだ!」

山本舜勝
「自衛隊『影の部隊』三島由紀夫を殺した真実の告白」より
731無記無記名:2010/04/21(水) 11:28:06 ID:Tqyw2kqC
(中略)
三島の「祖国防衛隊」構想は、きわめてスケールの大きい国家的防衛試案である。民間からの志願によって
構成することになる防衛組織の実現のためには、国民の広い層からの支持を得なければならない。そして、
それに先行して、膨大な経費のかかるこの企てには資金的裏付けが必要だった。(略)
『祖国防衛隊はなぜ必要か』には、「…純然たる民間団体として民族資本の協力に仰ぐの他なく」と記されている。
『J・N・G(ジャパン・ナショナル・ガード=祖国防衛隊)仮案』の中で、三島は、企業体経営者の賛同を
得て、J・N・Gの横の組織を創り出したいと念ずるものだと述べ、次のような構想を提示している。(略)
資金的裏付けを産業界に求めるのは自然であり、現実に三島が、産業界に大きな期待を寄せていたことは、
この仮案からも明らかである。

三島は緻密な情勢判断に立って、己の半生を賭して祖国の真の防衛に身を捧げようとしていた。(略)
最終的には国家の制度までしていくためには、私的な同志の集まりでは間に合わない。民間防衛軍として十分に
機能するためにも、ある程度の規模が必要である。そこで彼は計画への援助を財界に求めたのである。それが
J・N・Gの「横の組織」を創り出すことの意味でもあった。(中略)
ある晩、三島が前触れもなく拙宅を訪れた。(略)やがて話は、三島が藤原(元陸上自衛隊第一師団長)の
案内で、日経連会長の桜田武のところへ相談に行った時のことに移っていった。三島の声の調子が変わっていた。
一瞬空気が張り付くような緊張が走り、三島は吐き捨てるように言った。「彼は私に三百万円の援助を切り出し、
『君、私兵なぞつくってはいかんよ』と言ったんです!」(中略)
この構想を明確にしていくうえで必要なことは金銭面にとどまらず、産業界に広く働きかけてもらうこと
だった。日経連会長である桜田武との会談の意味はきわめて大きかったのである。

山本舜勝
「自衛隊『影の部隊』三島由紀夫を殺した真実の告白」より
732無記無記名:2010/04/21(水) 11:28:33 ID:Tqyw2kqC
(略)問題は、桜田が拒否以上の、悪意に満ちた応えをもって報いたことにあったと言わねばならない。桜田が
三島の考えを理解しなかったといっても、何ら責めるには当たらないだろう。だが彼は、三島の提案を頭から
否定する以上のこと、つまり馬鹿にすること、揶揄することによって三島を否定し、侮辱したのであった。
桜田は三島の構想に理解を示さなかったばかりでなく、わずかな金を投げ与え、皮肉でしかない忠告を添えた
のであった。当然三島は、その投げ銭を拒否した。そして、それ以降、財界への接触をいっさい断つことになった。
(略)この事件は三島に、重大な路線変更を決意させることになったのである。
「祖国防衛隊」から「楯の会」への名称変更の真の意味を私が知ったのは、三島の自刃後であった。遺された
資料をもう一度徹底的に洗い直した私は、三島が、『J・N・G仮案』で一般公募による隊員グループを
「横の組織」と位置づけていることに気づいた。
(略)三島の文脈からすれば、「志操堅固な者」のみによる中核体要員養成については、すべて三島に委ね
られる形で行われるが、それは一般公募に至る準備段階として位置づけられ、財界からの資金援助の枠内に入る。
そして、中核体の結成が完了し、これを核として公募組織が結成される段階から、徐々に三島の手を離して
いって、すべてを組織の執行機関に委せることにする、というのが彼の構想のあらましだったのではないかと思う。
(中略)
桜田は、事実上この上ない拒否によって、「祖国防衛隊」を国民的な横への広がりをもった民間防衛組織にする、
という三島の構想を粉々に砕いた。三島は、独自の準備段階へ独力で突入することを決意せざるを得なかった。

山本舜勝
「自衛隊『影の部隊』三島由紀夫を殺した真実の告白」より
733無記無記名:2010/04/21(水) 11:49:57 ID:Tqyw2kqC
(中略)
私は、決して明かしてはならない最後の部分に触れずとも、そのぎりぎりのところに踏みとどまることによって、
三島に対する誤解を解き、その真意を伝え、名誉回復を図ることは可能であり、また日本の国家防衛のあり方に
ついての論議に一石を投じることもできるだろうと考えていた。だが、本稿を書き進めるうち、三島の真実を
明らかにするためには、その最後の部分に触れずにすますわけにはいかないという思いが募ってきた。
そのことを語らなくては三島にすまない。その霊を鎮めることはできないと思い始めたのである。(略)
クーデターは行われるはずだった。
前章で少し触れたが、かつて私は戦後唯一のクーデター未遂事件と言われる「三無事件」の内部調査を命じられた。
その際、計画が直前に発覚し、首謀者たちが一網打尽になる前夜、神楽坂でH陸将らがこの首謀者たちと
密会し、酒を酌み交わしていたことを部下の報告で知った。さらに調査を命じたSも一味とは旧知の仲であった。
私はジェネラルたちが、自衛隊によるクーデターの機会をもとめ、事件の陰で暗躍したことを知った。
こうした中、三島由紀夫が自衛隊で訓練を受け、自衛隊と連携した行動をとるようになった。その道を開いたのは
調査学校校長であった藤原岩市である。(略)自衛隊幹部が三島の要請を受け入れ、異例の関係をもつように
なった背景には、自衛隊誕生とともにその実権を握ることになった旧陸軍将官、将校たちの悲願が隠されていた。
(中略)この(三無事件の)痛恨の失敗は新たなクーデターの機会を求める彼らの思いを強くしていた。
それから六年後、彼らの前に現れた三島由紀夫は、彼らの悲願を実行に移す機会を開く絶好の人物であった。
(中略)国内における全国的な新左翼運動の高まりと、世界各地で多発した新たな都市闘争のうねりは、
これまでにない革命的状況の到来を予感させた。それは一方で、わが自衛隊が本来あるべき姿で認められる
チャンスであり、われわれ情報勤務の人間が、真に求められる存在となる絶好のチャンスでもあった。

山本舜勝
「自衛隊『影の部隊』三島由紀夫を殺した真実の告白」より
734無記無記名:2010/04/21(水) 11:50:28 ID:Tqyw2kqC
(略)三島は、藤原らとの接触で知った治安出勤に関する情報と、私との交流で得たものから一つの構想を
描いたに違いない。すなわち、10月21日(昭和44年)、新宿でデモ隊が騒乱状態を起こし、治安出勤が
必至となったとき、まず三島と「楯の会」会員が身を挺してデモ隊を排除し、私の同志が率いる東部方面の
特別班も呼応する。ここでついに、自衛隊主力が出勤し、戒厳令状態下で首都の治安を回復する。万一、
デモ隊が皇居へ侵入した場合、私が待機させた自衛隊のヘリコプターで「楯の会」会員を移動させ、機を失せず、
断固阻止する。このとき三島ら十名はデモ隊殺傷の責を負い、鞘を払って日本刀をかざし、自害切腹に及ぶ。
「反革命宣言」に書かれているように、「あとに続く者あるを信じ」て、自らの死を布石とするのである。
三島「楯の会」の決起によって幕が開く革命劇は、後から来る自衛隊によって完成される。クーデターを
成功させた自衛隊は、憲法改正によって、国軍としての認知を獲得して幕を閉じる。
そこでは当然、私も切腹をしなければならないし、出勤の責任者としてのHと藤原も同様であろう。三島も
それを求めていたはずである。(中略)
Hらはこの三島の構想について米側とも話し合ったに違いないと思っている。
もう一度言う。クーデターは行われるはずだった。(中略)
三島は絶えず私にともに決起するよう促した。しかし私は拒否し続け、そうしたクーデター計画に突き進まない
よう、その話題を避け、もっと長期的展望に立った民間防衛構想に立ち帰るよう、新たなプランを提案した。
(略)武士道、自己犠牲、潔い死という、彼の美学に結びついた理念、概念に正面切って立ち向かうことが、
私にはできなかった。たしかに私は死が恐ろしかった。(略)そして私の死だけではない。何よりも私が
認めがたく思ったのは、三島を失うということだった。

山本舜勝
「自衛隊『影の部隊』三島由紀夫を殺した真実の告白」より
735無記無記名:2010/04/21(水) 11:56:26 ID:Tqyw2kqC
H陸将は、まだ私が三島に会っていなかった頃、このようなことを漏らしたことがある。
「おい、カモがネギをしょってきたぞ」
文学界の頂点に立つ人気作家三島由紀夫の存在は、自衛隊にとって願ってもない知的な広告塔であり、
利用価値は十分あった。その彼が広告塔どころか、自らを犠牲にして、自衛隊の自立という永年の悲願を
成就しようとしている。ジェネラルたちは、三島の提案した計画に実現の可能性を見たのだ。
三島が単なる文人などではなく、しっかりとした理念と現実認識に基づく理論の持ち主であり、戦略家、
将校としての資質と実行能力をもったりっぱな同志であることを知り、その人間的魅力に触れた私は、
陸将たちの不遜な見方に反発を感じるようになった。彼らにとって三島は、自分たちの目的を遂げるための
手駒に過ぎなかった。そして、彼らにとっては私もいつでも捨てられる手駒の一つであった。
しかし三島は、彼らの言いなりになる手駒ではなかった。藤原らジェネラルたちは、「三島が自衛隊の地位を
引き上げるために、何も言わずにおとなしく死んでくれる」というだけではすまなくなりそうだということに
気づき始めた。三島のクーデター計画が結局闇に葬られることになったのは、初夏に入った頃だった。私はその
経緯を詳しくは知らない。藤原らは場合によっては自分たちも、死に誘い込まれる危険を察知したのかもしれない。
藤原は三島の構想に耳を傾けながら、参議院議員選挙立候補の準備を進めていた。(略)仮にクーデター計画が
実行されたとしても、その責を免れる立場に逃げ込んだとも言えるのではないか。いずれにせよ二人の
ジェネラルは、自らの立場を危うくされることを恐れ、一度は認めた構想を握りつぶしてしまったのであろう。
三島はむろんひどく落胆したが、自衛隊との関わりで行われていた訓練を禁止されるには至らなかったため、
決起の機会がまったく失われたものとは考えていなかった。

山本舜勝
「自衛隊『影の部隊』三島由紀夫を殺した真実の告白」より
736無記無記名:2010/04/21(水) 11:56:57 ID:Tqyw2kqC
むしろその頃から、三島の私に対する働きかけはより切迫したものになっていた。訓練に参加し、三島の考えに
共鳴する自衛官も増えている。逆境に立ちながら三島は、同志との結束を固め、クーデター実行の可能性を
つねに探っていた。(略)私が逃げるはずはない、三島はそう信じていた。(中略)
それは三ヶ条からなる新たなクーデター計画であった。その一ヶ条は、「楯の会」が皇居に突撃して、そこを
死守するというものだった。(略)五名の将校は三島の計画に深くうなずいた。(略)私は真っ向から反対した。
(略)「臆病者!」「あなたはわれわれを裏切るのか!」いきり立つ将校たちを、三島は手を振って制した。
(中略)この日切り出した問いの背後には、私がこれまでの態度を少しでも変えて、目標に転じる可能性が
あるかどうかを確かめようとする気持ちがあったに違いない。(略)彼は私を見限らなければならなくなった。
(略)しかし、三島は私を斬り捨てることができなかった。(略)私がいなければ不正規軍の戦いに勝つことが
できないとわかっていたからだ。
(中略)
10月21日に向けて、新左翼各派はそれぞれにキャンペーンを繰り広げていた。学生だけでなく、反戦派と
呼ばれる労働者集団も戦闘的な街頭デモを展開して、革命前夜の状況を作り出すべく、10月から11月に
かけての闘争に全力を傾けよ、と呼びかけていた。(中略)
三島はその日をどういう気持ちで迎えただろうか。彼の構想を一度は受け入れたジェネラルたちは、その実行を
うやむやにする形で自分たちの身の安全を図ったが、断固とした態度で全面否定したわけではないらしかった。
三島は逃げ腰の彼らとの話し合いを続けるなかで、それでも状況次第では、自衛隊の治安出勤もあり得ると
考えていたらしい。(中略)
警視庁の当該部署に確かな情報源をもっていた三島は、当日の警備状況とともに、その日の街頭闘争が
どのような展開になり得るか、詳細な情報分析を事前に知っていた。(中略)
直前までマスコミによって盛んに報じられていた自衛隊治安出勤の可能性は、完全に断たれたのである。

山本舜勝
「自衛隊『影の部隊』三島由紀夫を殺した真実の告白」より
737無記無記名:2010/04/21(水) 12:02:25 ID:Tqyw2kqC
(中略)彼は、どのような形であれ、米軍占領による国の歪みを正し、民族の志を復活するためのクーデター
計画を実行することを決意していた。計画実行の当日になって、実現の可能性はほとんど残されていなかったが、
それが完全にゼロとなるまであきらめなかった。それは、最後まで力を尽くす誠でもあったが、あきらめの色を
見せて、部下たる「楯の会」会員の士気を損なうことの愚を知っていたからであろう。彼は真の武士であった。
(略)彼がその可能性を求め続けた「クーデター計画」を阻んだ者がいる。(略)一人は私である。(略)
第二に挙げられるのは、H陸将と藤原岩市である。(略)二階へ上げておいて梯子を外したといわれても
仕方ないと思う。(略)
さらに国際情勢も三島に味方しなかった。(略)キッシンジャーが密かに訪中の準備を始めていた。もともと
アメリカと関係の深かった陸将たちだけが、いち早くこの変化に気づいたのかもしれない。
もっとも、自衛隊の部隊と私たち情報勤務者が一体となって、心底からクーデター計画実行に取り組んだとする
なら、三島の期待は実現したであろう。三島はその辺のところをはっきりと理解していた。彼が、私抜きでの
決起を想定した演習を独自に進めながら、絶えず私を計画に引き込もうとしていた理由の大半はここにある。
(略)根本的には同じ理想を抱く同志であった。いつも控えめに示す彼の情のほとばしりに、私は最後まで
温かい好意のようなものを感じなかったことがない。
(中略)自衛隊を本来あるべき姿、国軍として憲法上の認知を得させ、情報技術とシステム確立の下に、
不正規軍としての民間防衛軍を結成して機能させること。それは理想であり、これを長期的戦略を立て、広く
国民に浸透させることによって実現するという理想論が、現実にきわめて困難であることを、私は長い体験の
中で実感していた。(略)その意味では、10・21は、多少の無理はあっても、三島が主張したように、
二度と訪れないかもしれない千載一遇のチャンスだったかもしれない。

山本舜勝
「自衛隊『影の部隊』三島由紀夫を殺した真実の告白」より
738無記無記名:2010/04/21(水) 12:03:32 ID:Tqyw2kqC
――永遠に訪れてこない望ましい機会を待つよりは、不十分でも限られた機会に力を集中させ、知力をふり
しぼって、実現に力を尽くすべきではないか。あるいは悲劇的な、あるいは無様な結末を迎えることになったと
しても、座して様子をうかがうだけで、何事もなし得ないまま一生を終えるよりどんなにかましであるか。
三島の死に接したとき、私は過去に何十回、何百回となく自問してきたこの問いを、改めて自分に問いかけた。
(中略)――三島の真の決起は昭和44年10月21日に、果たせないまま終わっていた。(中略)
私は三島の行動の行く末と三島の身を案じる一方で、私自身の身の危険を感じていた。それを恐れていたことで、
私は三島に詫びたいと思う。三島は個人的なうらみで行動するような人間ではなかった。(中略)
最後の決起は、この国の行く末を案じるがための、捨て石としての死であった。自己の保身をのみ考えて
立とうとしない将官たちと、自らの運命に鈍感なすべての自衛隊員に対して糾弾し、反省を促したのである。
昭和46年秋、三島の一周忌が近づいてきていた。せめて思い出につながる部下たちを集め、われわれだけでも
密かに三島を供養したいと思った。
11月24日、陽が落ち人の顔の判別がつかなくなる頃を待って、私は三島家の門前に独りで立った。(略)
私は、ただ合掌して唇を噛んだ。
翌25日夜、仮の祭壇を設け、私の手許に残った三島の遺品を供えた。部下の持ち寄りの供物をそなえ、
懐かしい三島からの手紙を朗読して読経に代えた。部下たちからすすり泣く声が洩れ、私も泣いた。
それが、私にできる本当に精一杯の供養であった。
そして、私の誕生日が来た。(中略)
私はその日、自衛隊調査学校の校庭の壇上に立って、学生や部下たちに別離の挨拶をしようとしていた。
「晩秋の巨雷とともに、私の夢も消えた」私は挨拶をこのように結んだ。
10代半ばの陸軍士官学校入学で始まった私の軍隊人生は、この日を以って終わった。(略)
三島由紀夫はもっとも雄々しく、優れた「魂」 であった。

山本舜勝
「自衛隊『影の部隊』三島由紀夫を殺した真実の告白」より
739無記無記名:2010/05/23(日) 23:52:53 ID:jfjBRuLk
三島は殺傷の目的でやったとは思わぬ。これは覚悟の事件でおそらく自分の考えていることを完結させる必要上、
三島から言わせれば義挙の正当防衛として妨害を排除したのであろうと私は想像する。彼は非常な愛国者であって、
日本文学の声価を国際的にも高めているし、ともかく非常に天才的な作家であるということを考えて、三島君のものは
出来るだけ読むようにしている。私が三回会ったときの印象では文武両道の達人だという印象をもったが、特に
愛情の厚い人だということを非常に感じた。

中曽根康弘
三島裁判の証言より
740無記無記名:2010/05/23(日) 23:53:15 ID:jfjBRuLk
実は新聞記者に内閣の考えを出せと執拗に責められたが、内閣側は黙して語らずで、官房長官もなんの発言も
しなかった。自分としてもこれはむしろ内閣官房長官が談話を発表すべきものであると思うが、止むを得ず
自分が新聞記者会見をやった。そして排撃の意思を強く打ち出したのだ。
誤解のため鳴りつづけの電話その他で、随分ひどい目に会った。
三島君が死を賭してもやらなければならんという問題については、私自身もかなり政治家としてショックを受け、
率直に申してその晩は実は一睡もしなかった状態であった。(中略)
もし実際に運動を起して蠢動するような部隊が出てきたら大変なことになると思い、断固としてあえて強い
語調の言明をしたというのが私の心境だ。

中曽根康弘
三島裁判の証言より
741無記無記名:2010/05/23(日) 23:53:38 ID:jfjBRuLk
訴えんとするところは理解できるが、その行動は容認できない。三島君らの死の行為の重みに対しては、我々が言葉で
とやかくいってもとても相対しうるものではないと私は思う。やはり死ということは非常に深刻厳粛なることと思う。
これに対し口舌を尽すことは好まない。しかし他面死を以て行なった行為に対して、彼はなにかを我々に
言わせようと思って死んだのかもしれない。それを黙っているということは、死という重い行為に相対するに
適当なりやという煩悶も実はあるわけで、あれこれ私は熟慮の末、この法廷に出てきたのだ。
死は精神の最終証明である。たましいの最終証明は死である。精神というものは死ぬまで叫びつづけて
いなければならない。たとえ少数であろうとも。むなしいことかも知れないが、すぐはききめがないにしても、
歴史の過程において聞いてくれる人は出るだろう――そういう期待でやったのではないかと私は把握した。

中曽根康弘
三島裁判の証言より
742無記無記名:2010/05/23(日) 23:54:23 ID:jfjBRuLk
三島事件とは美学的な事件、芸術上の事件ではなく、一個の思想上の事件であって、日本の思想史の上からみても
あとをひく問題になる。我々はやはり正直にそれを受けとめて、おのおのこの問題を自分で精神的に解決して
いかなければならない問題である。やった人間個人をにくむ気持はない。三青年(楯の会の)も別に情状酌量や
刑期の短縮を考えている人間ではないだろうと思う。私も情状酌量してくれとかなんとかいうことは申しません。
ただ彼らがなんでやったかということだけは十分に調べて正確に判断し、後世に示していただきたい。
檄の内容については、彼自身の祖国愛、一種の理想主義というか不易な精神、歴史的理想主義をここで鮮明にして
世を覚醒しようとした気持はわかる。我々も、これを十分にかみしめ消化すべきで、我々はこのことを回避したり
ごまかしたりしてはいけない。三島君は吉田松陰の
『かくすれば、かくなるものと知りながら、やむにやまれぬ大和魂』、そういう気持でやったのだと思う。
私は彼と考えは違うけれどもその行動自体を憎む気持よりも、むしろいたわりたい気持だ。

中曽根康弘
三島裁判の証言より
743アナトリズム ◆w1rExPxuos :2010/05/30(日) 01:01:23 ID:Vx2qMFEA
                _ ,,..... _
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             !,.....、 .:;'ニ・'  ::. 、i′ i    尊敬するア―テストは三島由紀夫であります
             ', ィァ| ..     ::.  i ' ,!    
             !  !、 -〉       ::r'i     
               ', -‐'.、-‐ァ :   ::;! !
           , ‐ 、,.:'、:_::゙::::}´  : / .|、
       /ヽヽ-'.; ' ,.'‐<    /   / ヽ
      /_ヽ. ヽ レ' ,′ `「 ´  /   ,'::::`、-.... ,,_
     レ⌒ヽ' -'′/    ,.| ,〉:-;〈    ,':::::::::::゙:、:::::::::: ̄::7:、
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    i!  l_.l ̄l _,':::::::::::::;'::::::::| |ダi  /::::::;'::::::@::::/::::::::::,':::::::分::イ!
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744無記無記名:2010/06/09(水) 23:56:57 ID:90nxJEfY
吉田松陰が七世紀の壬申の乱のことを『講孟剳記』で語っています。そこで、たとえば弘文天皇が天武天皇に
三種の神器を奪われてしまったとき、レガリアがないとはたしてレジティマシーが天皇としてあるのかという
議論を、前期水戸学が問題にしている。これについて、吉田松陰はそんなことはどうでもいいと言うんです。
三種の神器を天武天皇から弘文天皇の臣下が奪い返せばいいんだと言うんです。つまり認識や理屈よりも行動だと。
実践的な行動が大事だと言っているんです。(中略)
(私は)日本人を非常に信頼しています。特に一般大衆と言いますか、庶民を昔から信頼しています。たとえば
徳富蘇峰が『近世日本国民史』で元禄時代の忠臣蔵、赤穂義士の事件のことについて触れています。

杉原志啓「第39回憂国忌『現代に蘇る三島由紀夫』」より
745無記無記名:2010/06/09(水) 23:57:17 ID:90nxJEfY
あれはいつどういうときに勃発しているかと言いますと、元禄時代ですので、およそ享楽と歓楽の世です。
元禄の世の中は黄金万能主義で拝金万能主義の世の中だと。太平楽で一切戦争から離れて、元禄のデタラメかつ
狂乱の文化を謳歌していた時代に、突如として江戸に腹を斬らなければならない人たちが四十何人も出た
驚くべき事件が出来したと言っている。蘇峰はこれを大正時代の今日に東京丸の内へ虎が飛び出すよりも
驚くべき事件だと言っている。
つまり日本国民に潜在している尚武の気性は、歴史的にいよいよ危機になってくると必ず実践として噴出する
というわけです。山路愛山も福本日南も、歴代の近代ヒストリアンは皆同じです。
まさにその伝で三島由紀夫さんが身を捨てて、戦後の昭和元禄みたいな世の中に警鐘を鳴らしてくれたわけです。

杉原志啓「第39回憂国忌『現代に蘇る三島由紀夫』」より
746無記無記名:2010/06/09(水) 23:57:37 ID:90nxJEfY
確かに表面上はどんどん悪くなっていると思います。たとえば北朝鮮の拉致問題とか、憲法改正問題を含め
何一つ手を付けられない。その背後には日本国民の国家意識の問題がありますね。
たとえば有事法制を作った。北朝鮮で不審船の侵入事件がありましたが、あのときに自衛隊法八十二条で
海上警備行動を発動しようとしましたが、最初は巡視船でやっていて自衛隊はなかなか出ない。私が教えを受けた
坂本多加雄先生に言わせると内閣がもたもたしていたからだと言う。ではなんでもたもたするのかと言うと、
一般国民のなかにそういう構えができていないからです。しかし日本国民は健全だから必ず目覚めると常に
一貫しておっしゃっていました。私もそう信じています。三島さんのような人が、まさに昭和元禄の頃に
突如としてああいう行動を噴出させたようにです。

杉原志啓「第39回憂国忌『現代に蘇る三島由紀夫』」より
747無記無記名:2010/06/09(水) 23:58:07 ID:90nxJEfY
私はどんどん駄目になって遂に破滅に至る、日本が溶解するとは思っていません。近代以前もそうですけれども、
歴史を勉強しているうちに、そんなに捨てたものではないだろうと思うようになりました。
むしろこれから真の三島のような人がまた出てくるであろう。本当の危機のときに必ず日本人は英雄を生み出すと
山路愛山も徳富蘇峰も言っています。そちらのほうに私は賭けたいと思っています。
そもそも日本を溶解に導いているのは、むしろ政治家や知識人といったエリート層です。戦前も戦後も
そのパターンで、大衆国家日本の庶民の常識こそ信じたいのです。そしてそこから英雄が出現するだろうと。

杉原志啓「第39回憂国忌『現代に蘇る三島由紀夫』」より
748無記無記名:2010/06/26(土) 10:28:48 ID:e8TnvLd+
僕は、単細胞のせいかもしれないけれど、革命というものはイデオロギーの問題でも
なんでもない、ただ爆弾持って駈け出すことだと思っているんです。維新というのも、
ただ日本刀持って駈け出すことだと思っている。駈けるのには、百メートルを十六秒以下で
なければ駈けるとは言えない。そのためには、ふとっていちゃ絶対だめですよ。
アメリカとベトコンの戦争は、やせたやつがふとったやつを悩ませたというだけの話ですよ。
ベトコンはやせているから駈けられる。アメリカ人はあの体していちゃ崖やなんか駈け昇れない。
どうして日本のインテリというのは、ふとるようになっちゃったんでしょう。これは僕は
重大問題だと思っているんですよ。つまり肉体と精神との関係において。

三島由紀夫
石川淳との対談「破裂のために集中する」より
749無記無記名:2010/06/26(土) 18:24:38 ID:jTUuxbuv
長文ウザイよ誰も読まねえって
750無記無記名:2010/06/26(土) 23:26:53 ID:e8TnvLd+
戦後の日本人に大きな魂を残したのは、三島由紀夫と神風特攻です。これも実はフランス人がそう言っているんです。
ベルナール・ミローが『神風』という本を書いていまして、「特攻の精神は、千年のときを貫いて人間の
高貴さを示している」と1970年代に書いています。戦後の日本人に対して特攻隊と三島の死が非常に大きな
力と言いますか、日本精神の原点は何かということを教えてくれた気がします。
憲法の問題ですが、アメリカが作って翻訳された「たかが成文憲法」です。しかしこのたかが成文憲法を戦後
60年近く押し戴いている日本は一体なんなんだというのが私の今の正直な感想です。自民党がこうなったのも
当然だと思います。

富岡幸一郎「第39回憂国忌『現代に蘇る三島由紀夫』」より
751無記無記名:2010/06/26(土) 23:27:57 ID:e8TnvLd+
三島が45年の11月25日に、自民党政権はもはや火中の栗を拾わない、すなわち憲法改正をしなくても
政権は維持できる。このことにどうして自衛隊の諸君は気がついてくれなかったんだと言っています。
そういう意味で、政治論ですけれども、たかが成文憲法を変えられない我々の問題も感じます。
あと二年のうちにということがどういう意味かと考えると、三島没後の72年にあれほど対立していた米中が
手を結びました。つまりあの瞬間に日本の憲法改正も、自衛隊が国軍になる日もなくなった。あるいはその
チャンスが失われかけた大きな危機だったのではないか。今はそれと同じ状況だと思います。スケールは違いますが、
同じ事態が出来している。アメリカと中国が経済同盟を結んで日本をスルーしていく。民主党政権の外交は全く
機能しておりません。

富岡幸一郎「第39回憂国忌『現代に蘇る三島由紀夫』」より
752無記無記名:2010/06/26(土) 23:28:31 ID:e8TnvLd+
何年も前から檄文のなかにあった二年後というのが気になっていて、一体なんなんだろうとずっと考えていました。
あるとき気づいたんですが、一つは米中接近がありますね。もう一つは沖縄返還です。昭和47年に沖縄返還が
行われることは決まっていて、そのときにどういうかたちで返還されるのか。それによって日本という国家が
相変わらず独立できないまま半独立国家として、アメリカの永久占領が限りなく続いていくことを三島は見抜いていた。
彼が45年の生涯で書いたものの全てが、今の21世紀の私たちに突き刺さってくる問題ばかりを書いている。
それが天才の所以なんでしょうけれども、認識と行動の問題もつくづく考えさせられます。二元論に自分を
追い込んでいって、ラディカリズムがニヒリズムを克服するという方法論をとったのではないかと私は解釈しています。

西村幸祐「第39回憂国忌『現代に蘇る三島由紀夫』」より
753無記無記名:2010/06/26(土) 23:28:54 ID:e8TnvLd+
(中略)
三島は現実的な問題も、十分捉えていたわけです。二年後に自衛隊はアメリカの傭兵になってしまうと
1970年の時点で言い切っていたのは、米中接近と沖縄返還のことを、すでに視野に入れていたということです。
(中略)
最近よく話題になる核のシェアリングの問題がありますけれども、そういったことも三島さんは考えていた。
それは日本の核戦略はどういうものになるのかと、40年前の時点で考えられ得る現実的なこともちゃんと
提起していた。国土を守るほうの自衛隊を、国軍として成立させることで、日米安保体制下のなかでの日本の
自主防衛をどうしていくかを、40年前のあの制約のなかで考えていたことは素晴らしい慧眼だと思います。

西村幸祐「第39回憂国忌『現代に蘇る三島由紀夫』」より
754無記無記名:2010/07/13(火) 12:26:28 ID:QqIn6ndK
たとえこのたびの事件が、社会的になんらかの影響をもつとしても、生者が死者の霊を愚弄していいという
根拠にはなりえない。また三島氏の行為が、あらゆる批評を予測し、それを承知した上での決断によるかぎり、
三島氏の死はすべての批評を相対化しつくしてしまっている。それはいうなればあらゆる批評を峻拒する行為、
あるいは批評そのものが否応なしに批評されてしまうという性格のものである。三島氏の文学と思想を貫くもの、
それは美的生死への渇きと、地上のすべてを空無化しようという、すさまじい悪意のようなものである。(中略)
恋愛結婚を人々が夢見ていたとき、結婚の夜に情死をとげる『盗賊』は、なんと悪意にみちた時代への挑戦で
あったろう。また、文学上の誠実主義が“自己確立”の名のもとに謳歌されていたとき、『仮面の告白』は、
なんと反時代的な作品であったろう。あるいは、人々は戦争の危害について語っていたとき、「金閣とともに
滅びうる幸福」を語った『金閣寺』は、なんと不吉な夢に貫かれていたことであろう。

磯田光一「太陽神と鉄の悪意――三島由紀夫の死――」より
755無記無記名:2010/07/13(火) 12:27:02 ID:QqIn6ndK
三島氏が『憂国』あたりを境にして、急速に変貌したという見解を、私はほとんど信じることができない。(略)
三島の宿命は、すでに『仮面の告白』において、ほとんど予定されていたといってもよい。仮面の背後にある
空白が、いわば“太陽神”の欠落であるなら、それがやがて『林房雄論』や『英霊の声』となって蘇生する
ことは、なかば必然といってもいいものであった。“太陽神”が失われたとき、あの東京の廃墟の上に広がって
いた青空には、夥しい日光の氾濫があった。(略)廃墟の太陽への偏執は、やがてギリシャの廃墟の夥しい
陽光の氾濫に接続する。そして氏は、人間性という名の自然を否定するために、“肉体”を“鉄”のように
鍛える道を選んだのである。(略)三島は徹底して明るさに固執した作家であった。その明るさは健康優良児の
明るさとは、まったくの対極をなすものであった。それは“鉄の悪意”を秘めた明るさ、あるいは悪意を証明
するためには、死をも辞さないような、鉄の意志に裏づけられた明るさである。

磯田光一「太陽神と鉄の悪意――三島由紀夫の死――」より
756無記無記名:2010/07/13(火) 12:27:20 ID:QqIn6ndK
(中略)氏にとって天皇とは、存在しえないがゆえに存在しなければならない何ものかであった。それは氏の
“絶対”への渇きの喚び求めた極限のヴィジョンといってよく、もし氏がそこへ向かって飛翔するならば、
ただちに地上に失墜するであろうことを、氏は『イカロス』という詩に述べているように、どこまでも知り
ぬいていたのである。
三島氏にとって必要なこと、それは「戦後」という時代、あるいはストイシズムを失った現実社会そのものに、
徹底した復讐をすることであったと思われる。イデオロギーはもはや問題ではない。自衛隊も、自民党も、
共産党も、氏の前には等しく卑俗なものに見えたのである。この精神の貴族主義者にとって、いったい不可能
以外の何が心を惹いたであろうか。思えば氏の不可能への夢、あの「青空による地上の否定」は、典雅な
造形力によって、作品のなかに封じこめられた。その危険な思想、不可能への渇きは、優に氏を“危険な思想家”
たらしめるに十分であった。

磯田光一「太陽神と鉄の悪意――三島由紀夫の死――」より
757無記無記名:2010/07/13(火) 12:28:21 ID:QqIn6ndK
(中略)現世には仮構としての生活しかありえず、その「嘘偽の本質」を愛するほかはない。すでに世間的には
スタアであった三島氏は、その「嘘偽の本質」を、あるいは嘘偽のパラドックスを、どれほど深く愛したこと
であろう。その「嘘偽」の背後にある本心、それはあの“太陽神”の生きていた時代にたいする渇きである。
その渇きの基底にあるのは、いうまでもなく『葉隠』につながる日本的なラジカリズムの精神である。それは
いうなれば、有効性の彼岸にあるがゆえに聖なるもの、また聖なるがゆえに地上の汚濁に染まってはならない
ものであった。(略)この『葉隠』にたいする二重の自覚は、いうまでもなく“太陽”と“鉄”との二重性に
通じている。氏の渇きの喚び求めた、あの極限像としての“太陽神”は、つねに“鉄の悪意”に裏づけられた
ものであった。それは「戦後」という時代に向けられた悪意、あらゆる微温的な偸安にたいする悪意である。
(略)そして無効性を承知の上で、不可能性の一端を“死”によって可能に転化したとき、氏の“鉄の悪意”は、
ほとんど完璧な意味において、時代の偽善にたいする批評と化する。

磯田光一「太陽神と鉄の悪意――三島由紀夫の死――」より
758無記無記名:2010/07/13(火) 12:28:53 ID:QqIn6ndK
遺作『天人五衰』の結末部に出てくる鼠の自殺のエピソードは、三島氏がどれほど醒めきっていたかを証して
余りある。(略)その自殺によって、猫や鼠の世界に大きな変動が起こりうるであろうか。猫がその奇妙な
鼠のことを忘れて、なおも偸安をむさぼっていることを、三島氏ははっきり書きそえている。いいかえれば、
氏は自分を愚かな鼠に擬したとき、氏にたいするいっさいの批評の無効性を、氏みずから確立してしまった
のである。この驚くべき自意識の屈折、残忍なまでのダンディズム、あらゆる批判の可能性を封じた鉄の悪意と、
不可能に挑んだこの倨傲。(中略)
“太陽神”の実在していた時代に、どうして不可能への渇きが必要だったであろう。また、戦後精神の
極限としての“鉄の悪意”なくして、どうして現実の戦後文化を軽蔑しつくすことができたであろう。(略)
三島氏には、死ぬというより死んでみせることが必要であった。そのかぎりにおいて、私小説家の追いつめ
られた生活演技とも、明確な一線を画している。政治的・外在的批判は別として、いったいここまで意識化
された死に、どんな批判が可能であろうか。

磯田光一「太陽神と鉄の悪意――三島由紀夫の死――」より
759無記無記名:2010/07/15(木) 06:26:42 ID:VuWCu0Oj
なんだこの狂ったスレは!
760無記無記名:2010/07/23(金) 12:50:54 ID:iopgl8gb
 三島文学記念館のイベント
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没後40年記念特別展示『三島由紀夫の衣服』
三島由紀夫没後40年記念特別展示 8月限定で開催予定!!
三島由紀夫没後40年を記念して、8月1日(日)〜8月31日(火)まで、三島由紀夫が実際に着た衣服5点(背広、ブレザー、革ジャンパー、シャツ、剣道着)を一挙に展示させていただきます。
今回の展示は5点のうち4点がご遺族からの寄託品(お預かりしている品)のため、保存の面も考慮し1ヶ月間のみの特別展示となっております。
三島由紀夫の実際に着た衣服がこれほど一堂に会することはめったにない機会です。実際に着た衣服を見ることにより、三島由紀夫の体格や彼の衣服のセンスを知ることができるでしょう。この機会にぜひご来館下さい。心よりお待ちしております。
※場合によっては期間が短縮することがあります。ご注意ください。
761無記無記名:2010/07/28(水) 11:27:28 ID:zsezGt5o
床に転がる三島由紀夫の首は雄弁だった。言葉そのものであるような首だった。殆ど理解不能な、意味を
こじつけることもできない言葉を耳に痛いほど首は喋り続けていた。(中略)
その限りなく音楽的な言葉はオルゴールの音のように美しく、彼が生きた時代に投げかける呪いとなっていた。
呪いにかけられた坊やはここにいる。
(中略)
僕は、ジャポン語のより深い理解力を身につけた時のために三島由紀夫の切腹と文学に関する新聞記事を
切り抜いて、富士山山頂の石やうさぎの毛皮でつくった拳大のコアラのぬいぐるみやベトナムのコインなどと
一緒にクッキーの空缶にしまっておいた。それは火事が起きたら何が何でも持って逃げるつもりの宝物だった。

島田雅彦「僕は模造人間」より
762無記無記名:2010/08/06(金) 20:01:05 ID:HCwyN4gQ
蜘蛛の巣マンコ

カビ生えマンコ

未だ生きてんのかよ?

早く死んじまえよ
763無記無記名:2010/08/21(土) 00:06:54 ID:n/wyZ7ks
早世した父親は美しいイメージを残すから、さういふ遺児は父権に対していい感じを抱いて育つ可能性が高い。
石原氏の先考(亡父)も早く亡くなられたときいてゐる。
よき強き美しき父に自らを同一化する特権が氏には備はつてゐる。
石原氏が若くして一種の父権を確立したのは、思想にもよらうが、生ひ立ちにもよらう。
(中略)石原氏はその点、父親を説き、強い男らしい子を育てる教育を説くのに最適任の人である。
太陽族の先祖のやうに言はれながら、氏がじつはよき家庭人であることはきこえてゐる。
スパルタは戦士を育てることを家庭教育の主眼とした男性的国家であつた。

三島由紀夫「著者・石原慎太郎氏のこと『スパルタ教育』カバー」より
764無記無記名:2010/08/31(火) 14:56:40 ID:3NSH9qfg
■第108回一水会フォーラム

日時・平成22年9月15日(水)/18時30分開場・19時開会
演題・私の日本文化防衛論
講師・富岡幸一郎先生(文芸評論家)
場所・ホテルサンルート高田馬場/3階会議室
会場整理費・2000円(レコンキスタ最新号込み)
765無記無記名:2010/08/31(火) 14:57:00 ID:3NSH9qfg
9月15日発売

鈴木邦男著
『遺魂=三島由紀夫と野村秋介の軌跡』 (無双舎)

http://musosha.hondana.jp/book/b68256.html
766無記無記名:2010/09/15(水) 10:10:36 ID:sQ/r8Uvi
私は大体笑ふことが好きであり、子供のころから「この子を映画へ連れてゆくと、突拍子もないところで
ケタケタ笑ひ出して、きまりわるい」とおとなにいはれた。徳大寺公英氏の思ひ出話によると、中学時代も、
教室でキャッキャッと一きは高い笑ひ声がするので、私がゐることがわかる、と先生がいつてゐたさうである。
おとなになつても、福田恆存氏の「キティ颱風」の招待日などには、拍手役ならぬ、笑声のサクラに狩り出された。
うしろのはうの席に、宮田重雄氏はじめ、笑ひの猛者がそろつてゐて、セリフの一言半句ごとに、声をそろへて
ゲラゲラ笑ふのである。するとそれにつられて笑ひ出すお客がある。福田氏は、新劇の観客層のシンネリムッツリを、
よほどおそれてゐたのである。
俳優のT君が、「君の貧弱な体格からすると、笑ひ声だけが大きくて不自然だから、後天的に自分で育成これ
つとめたものだらう」といつたが、これはマトをそれてゐる。私の肺活量はこれでも四千七百五十もある。

三島由紀夫「わが漫画」より
767無記無記名:2010/09/15(水) 10:11:50 ID:sQ/r8Uvi
漫画は、かくて、私の生理衛生上必要不可欠のものである。をかしくない漫画はごめんだ。何が何でもをかしく
なくてはならぬ。おそろしく下品で、おそろしく知的、といふやうな漫画を私は愛する。
悩殺する、とか、笑殺する、とかいふ言葉は、実存主義ふうに解すると、相手を「物」にしていまふことだと思はれる。
「人を食ふ」といふのもこれに等しい。われわれは他人の人格を食ふことはできぬ。相手を単なる物、単なる
肉だと思ふから、食ふことができる。
漫画はだから「食はれる状態」をうまく作りあげねばならぬ。「物」になつてゐなければならぬ。
知的な漫画ほどこの即物性がいちじるしく、低級な漫画ほど、笑ひ話の物語性だの、教訓性だの、によりかかつてゐる。
下手な落語家は「をかしいお話」を語るにすぎないが、名人の落語家ほど、笑はれるべき対象を綿密に造形して、
話の中に「笑はれるべき物」を創造してゐるのである。
何もいはゆる、サイレント漫画が知的だといふのではない。
言葉がない代りに、社会の良風美俗に逆によりかかつてわからせてゐるやうな、不心得な漫画も散見する。

三島由紀夫「わが漫画」より
768無記無記名:2010/09/15(水) 10:13:18 ID:sQ/r8Uvi
漫画は現代社会のもつともデスペレイトな部分、もつとも暗黒な部分につながつて、そこからダイナマイトを
仕入れて来なければならないのだ。あらゆる倒錯は漫画的であり、あらゆる漫画は幾分か倒錯的である。
そして倒錯的な漫画が、人を安心して笑はせるやうではまだ上等な漫画とはいへぬ。
日本の漫画がジャーナリズムにこびて、いはゆる社会的良識にドスンとあぐらをかいて、そこから風俗批評、
社会批評をやらかして、それを漫画家の使命だと思つてゐる人が少なくないのは、にがにがしいことである。
もつとも漫画的な状況とは、また永遠に漫画的状況とは、他人の家がダイナマイトで爆発するのをゲラゲラ笑つて
見てゐる人が、自分の家の床下でまさに別のダイナマイトが爆発しかかつてゐるのを、少しも知らないでゐる
といふ状況である。漫画は、この第二のダイナマイトを仕掛けるところに真の使命がある。

三島由紀夫「わが漫画」より
769無記無記名:2010/09/15(水) 10:14:42 ID:sQ/r8Uvi
あんまりのんびりしてゐると、ほかならぬ漫画家自身が、右のやうな漫画を演じなければならぬことになりますぞ!
さて私も、かういふ商売をやつてゐて、何やかと漫画に描かれることが多い。この一文で、漫画家諸氏のお名前を
一つもあげなかつたのは、かかる職業上のおもんぱかりであるが、われわれ文士も「素人時評」といふやつは、
ほとほとにがにがしい、イヤ味なものだと思つてゐるのである。
小説書きでないやつに、小説なんてわかるものか!
漫画家でないやつに、漫画なんてわかつてたまるものか!
それでよろしい。
さて、一つの漫画は、小説家が、かういふ雑文をたのまれて、をかしくもない文章を、頭から湯気を立てて
書いてゐる、といふその状況である。

三島由紀夫「わが漫画」より
770無記無記名:2010/09/15(水) 10:37:43 ID:+8Zgo1rY
ウエイト関係ねーだろこのカス!!!!
771無記無記名:2010/09/18(土) 00:54:58 ID:zK37gI8k
少しでも自動車をころがしてみた人なら、白バイの存在を意識しなかつたといふ人はあるまい。それは、
ゐませんやうにと神に祈るほどの存在であり、しかも、どこかにゐてくれなくては物足らない存在である。だから
ますますそれは、小イキな服装と小イキな白いオートバイと共に、神秘化される。悪人の目から見たところの
鞍馬天狗のやうな存在、善良な市民にちよつぴり悪人の気持を味はせてくれる存在である。その威厳、その美しさ、
その神速、その権力、一つとして羨望の的ならざるはない。白バイを怖がつたことのある人なら、必ず一度は、
白バイになつてみたいと思ふだらう。

三島由紀夫「私はこれになりたかつた――それは白バイの警官です」より
772無記無記名:2010/09/18(土) 01:00:18 ID:ajwTi8W7
ブルーハーツババアが発狂しているスレはこちらでよろしいでしょうか?
773無記無記名:2010/09/23(木) 10:25:13 ID:EEjN8CsA
「BL作品の氾濫は少子化の原因。児童ポルノとは別枠で小説も含めた厳しい規制が必要」
「ゲーム脳」の提唱者・森昭雄日大教授の新著「ボーイズラブ亡国論」(産経新聞社刊)
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/news2/1221494175/
774無記無記名:2010/09/23(木) 17:03:07 ID:0BT1l5KN
この叫び(剣道のかけ声)には近代日本が自ら恥ぢ、必死に押し隠さうとしてゐるものが、あけすけに露呈されてゐる。
それはもつとも暗い記憶と結びつき、流された鮮血と結びつき、日本の過去のもつとも正直な記憶に源してゐる。
それは皮相な近代化の底にもひそんで流れてゐるところの、民族の深層意識の叫びである。このやうな
怪物的日本は、鎖につながれ、久しく餌を与へられず、衰へ呻吟してゐるが、今なほ剣道の道場においてだけ、
われわれの口を借りて叫ぶのである。それが彼の唯一の解放の機会なのだ。私は今ではこの叫びを切に愛する。
このやうな叫びに目をつぶつた日本の近代思想は、すべて浅薄なものだといふ感じがする。それが私の口から出、
人の口から出るのをきくとき、私は渋谷警察署の古ぼけた道場の窓から、空を横切る新しい高速道路を仰ぎ
見ながら、あちらには「現象」が飛びすぎ、こちらには「本質」が叫んでゐる、といふ喜び、……その叫びと
一体化することのもつとも危険な喜びを感じずにゐられない。

三島由紀夫「実感的スポーツ論」より
775無記無記名:2010/09/23(木) 17:03:34 ID:0BT1l5KN
そしてこれこそ、人々がなほ「剣道」といふ名をきくときに、胡散くさい目を向けるところの、あの悪名高い
「精神主義」の風味なのだ。私もこれから先も、剣道が、柔道みたいに愛想のよい国際的スポーツにならず、
あくまでその反時代性を失はないことを望む。(中略)
スポーツは行ふことにつきる。身を起し、動き、汗をかき、力をつくすことにつきる。そのあとのシャワーの
快さについて、かつてマンボ族が流行してゐたころ、
「このシャワーの味はマンボ族も知らねえだろ」
と誇らしげに言つてゐた拳闘選手の言葉を私は思ひ出す。この誇りは正当なもので、何の思想的な臭味もない。
運動のあとのシャワーの味には、人生で一等必要なものが含まれてゐる。どんな権力を握つても、どんな放蕩を
重ねても、このシャワーの味を知らない人は、人間の生きるよろこびを本当に知つたとはいへないであらう。

三島由紀夫「実感的スポーツ論」より
776無記無記名:2010/09/25(土) 17:37:46 ID:Q1Olb4d2
体操といふものに、私は格別の興味を持つてゐる。それは美と力との接点であり、芸術とスポーツの接点だからである。
ほかのスポーツのやうに、芸術の岸から見て完全に対岸にあるものでない。
(中略)
はいつていきなり遠藤選手の床運動(徒手)を見たが、ひろいマットの上の空間に、ジョキジョキよく切れる
鋏を入れて、まつ白な切断面を次々に作つてゆくやうな美技にあきれた。私たちはふだん、自分の肉体の
まはりの空間を、どんよりと眠らせてはふつておくのと同じことだ。
あんなに直線的に、鮮やかに、空間を裁断してゆく人間の肉体、全身のどの隅々にまでも、バランスと秩序を
与へつづけ、どの瞬間にもそれを崩さずに、思ひ切つた放埒を演ずる肉体。……全く体操の美技を見ると、
人間はたしかに昔、神だつたのだらうといふ気がする。といふのは、選手が跳んだり、宙返りしたりした空間は、
全く彼の支配下にあるやうに見え、選手が演技を終つて静止したあとも、彼が全身で切り抜いてきた白い空間は、
まだピリピリと慄へて、彼に属してゐるやうに見えるからだ。

三島由紀夫「合宿の青春 『美と力』の接点――体操の練習風景」より
777無記無記名:2010/09/25(土) 17:38:15 ID:Q1Olb4d2
(中略)スポーツの奇蹟は、人間の肉体といふものが、鍛へやうによつては、どんな思ひがけないところに、
どんな思ひがけない楽園を発見するかわからないといふ点だ。常人の知らない別世界の感覚の発見……。
酒や阿片とは反対のものだが、スポーツがやめられなくなるのは、やはりそれがあるからであらう。
(中略)
さつき神のやうだつた選手は、かうして会つてみると、風貌、態度のどこにも人間離れのしたところはない。
むしろ休息時の選手の顔に浮んでゐるその平均的日本人の日常的表情と、あの神業との間をつなぐ、
「練習」といふ苛酷な見えない鎖が感じられる。それは神と人間をむりやりに結びつける神聖な鎖なのだ。

三島由紀夫「合宿の青春 『美と力』の接点――体操の練習風景」より
778無記無記名:2010/09/25(土) 17:38:45 ID:Q1Olb4d2
オリンピックの非政治主義は、政治の観念の浄化と見るほかなく、政治を人間の心から全然払拭することはできまい。
(中略)
「オリンピック東京大会、第一日目を開始いたします」
といふアナウンスのあとで、登場したこの二人の試合は、アラブ連合がしばしばスリップダウンをし、韓国が
判定で勝つたが、判定を待つあひだ、レフェリーを央にして、選手が二人直立して正面に向つてゐた姿は、
プロ・ボクシングを見馴れた目には、すがすがしく、気持がよかつた。
これで最初の日の勝敗が決まつたのであるが、韓国選手の謙虚な勝利者としての表情と共に、アラブ連合選手の
心を思つて、私はシャルル・ビルドラックの「兵卒の歌」の最後の聯を思ひ出して、一種の羨望を感じた。
「私は、むしろ私はなりたい、
戦争の第一日目に
第一に倒れた兵卒に。」(堀口大学氏訳)

三島由紀夫「競技初日の風景――ボクシングを見て」より
779無記無記名:2010/09/27(月) 11:19:57 ID:ORrqzSnX
何といふ静かな、おそろしいサスペンス劇だらう。(中略)
もちろん選手がバーベルを高くさしあげたときの感動もさることながら、私は、いよいよバーベルにとりつく前の
選手の緊張に興味があつた。多少ともウエート・トレーニングをした人間には、この瞬間の恐怖と逡巡がわかるはずだ。
韓国のキン・ヘナム選手は必ずバーベルのぐあひをたんねんにしらべ、ポーランドのコズロスキー選手は、
手をかけてから長いこと腕の筋肉をふるはせ、日本の三宅選手は相撲の仕切りのやうに長い時間をかけて、
何度か天を仰いだ。
これはおのおのの就寝儀式のやうなものであつて、それをやらなければ安眠できない。ひとたび眠ることが
できれば、完全に眠ることができれば、眠りの中では、丸ビルを持ち上げることだつて可能だらう。精神集中の
究極の果てに、一つの自由な空白状態がポカリと顔を出すのだらう。そのとき力が、おそらく常の人間の能力を
超えるのだらう。

三島由紀夫「ジワジワしたスリル――重量あげ」より
780無記無記名:2010/09/27(月) 11:20:12 ID:ORrqzSnX
地球を負ふアトラスの忍苦に似た、あくまで押へに押へぬいた努力のいるこのスポーツは、たしかに日本人の
一面に適してゐる。三宅選手は、リングの上ではむしろのんきに見え、豪放に見えるが、こんなに綿密な力の
計算を積み上げてゆくには、青空の下のスポーツとちがつて、研究室の中の科学者みたいな内向的な長い努力が
いつたはずだ。彼は金メダルを本当に計算づくでとつたのだと思ふ。鉄のバーベルの暗い、やりきれない、
うつたうしい圧力と戦ひながら。
(中略)
金メダルを受けた三宅選手は、実に自然なほほゑましい態度で、そのメダルを観衆の方へかかげて見せた。
彼はそのとき、あの合計397.5キロの鉄の全量に比べて、金のたよりない軽さを感じたかもしれない。
美麗のその黄金の羽根のやうな軽さを。

三島由紀夫「ジワジワしたスリル――重量あげ」より
781無記無記名:2010/09/27(月) 11:49:14 ID:ORrqzSnX
体操でも、この飛び板飛び込みでも、落下のほんの瞬間に、人体が地球の引力に抗して見せるあの複雑な美技には、
ほとほと感嘆のほかはない。あの落下の一秒の間に、花もやうを描いてみせるその人間意志のふしぎな働きと
その自己統制力は、自然(引力)へのもつとも皮肉な反抗であり、犬が人間にじやれつくやうに人間がきびしい
自然にじやれつく最高の戯れだらう。(中略)
重量あげなどの、ジワジワと胸をしめつけるドラマチックな競技とちがつて、水泳競技は、単純なまつすぐな
人間意志の推進力を、美しくさはやかに見せるだけだから、その印象はひたすら直截で、ドラマといふより、
青いプールを縦に切るあの白いロープのやうに、一行の激しい白い叙情詩だ。(中略)
ガウンを脱ぎ捨てて黒い水着姿になつた彼女は、その強靭な、小麦色の体躯に、こまかいバネがいつぱい
はりつめてゐるやうな感じで、それはただ一人決勝に残つた日本女性の、しなやかな女竹のやうな姿絵になつた。

三島由紀夫「白い叙情詩――女子百メートル背泳」より
782無記無記名:2010/09/27(月) 11:49:42 ID:ORrqzSnX
田中嬢が泳ぎはじめる。もうあと一分あまりの時間ですべての片がつく。彼女は長い長い練習の水路をとほつて、
ここにやつとたどりついた一艘の黒い快速船になる。水しぶきの列のなかで帰路、彼女の水しぶきは少し傾いて、
ともするとロープにふれる。……(中略)
泳ぎ終つた田中嬢は、コースに戻つて、しばらくロープにつかまつてゐたが、また一人、だれよりも遠く、
のびやかに泳ぎだした。コースの半ばまで泳いで行つた。その孤独な姿は、ある意味ですばらしくぜいたくに見えた。
全力を尽くしたのちに、一万余の観衆の目の前で、こんなにしみじみと、こんなに心ゆくまで描いてみせる
彼女の孤独。この孤独は全く彼女一人のもので、もうだれの重荷もその肩にはかかつてゐない。一億国民の
重みもかかつてゐない。
田中嬢は惜しくも四位になつたが、そのときすでに彼女はそれを知つてゐたにちがひない。

三島由紀夫「白い叙情詩――女子百メートル背泳」より
783無記無記名:2010/09/28(火) 12:44:14 ID:PBseZcPP
今日のハイライトである百メートルの決勝がはじまる。(中略)選手たちがスタート・ラインについた。
それから何が起つたか、私にはもうわからない。紺のシャツに漆黒な体のヘイズは、さつきたしかにスタート・
ラインにゐたが、今はもうテープを切つて彼方にゐる。10秒フラットの記録。その間にたしかに私の目の前を、
黒い炎のやうに疾走するものがあつた。しかも、その一瞬に目に焼きついた姿は、飛んでもゐず、ころがりもせず、
人間の肉体の中心から四方へさしのべた車輪の矢のやうな、その四肢を正確に動かして、正しく
「人間が走つてゐる姿」をとつてゐた。その複雑な厄介な形が、百メートルの空間を、どうしてああも、神速に
駆け抜けることができるのだらう。彼は空間の壁抜けをやつてのけたのだ。
しかし、十秒間の一瞬一瞬のそのむしろ静的な「走る男」の形ほど、金メダルの浮彫の形にふさはしいものはなかつた。

三島由紀夫「空間の壁抜け男――陸上競技」より
784無記無記名:2010/09/28(火) 12:47:22 ID:PBseZcPP
スタート台の上で、一コースの選手をチラと見てから、手首を振る。両手を楽に前へさしのべたフォームで、
柔らかに飛び込む。競技はこんなふうに、どんな会社よりも事務的にはじまるのだ。
水が佐々木の体を包んだ。それから先は、彼はもう重い水と時間と距離とを、一心に自分のうしろへかきのけて
ゆくしかない。
高い席からながめてゐると、八つのコースの選手たちの立てる音は、さわさわといふ笹の葉鳴りのやうな水音に
すぎない。ひるがへる腕は、みんな同じ角度で、褐色のふしぎな旗のやうに波間にひらめく。
――四百メートル。
佐々木は大分引き離された。ターンするところで、あと残つてゐる回数の札を示される。その大きなあきらかな
数字は、おそらく水にぬれた目に、水しぶきのむかうに、嘲笑的に歪んで映るのだらう。

三島由紀夫「17分間の長い旅――男子千五百メートル自由形決勝」より
785無記無記名:2010/09/28(火) 12:47:38 ID:PBseZcPP
出発点の水にぬれたコンクリートの上には、選手たちの椅子が散らばつてゐる。佐々木の椅子には、赤いシャツと、
足もとの白い運動靴とが、かなたに水しぶきを上げて戦つてゐる主人の帰りを、忠犬のやうにひつそりと待つてゐる。
これらの椅子のずつとうしろには、記録員たちが控へ、さらに後方に、今日はすでに用ずみの飛込用プールが、
いま水の立ちさわぐメーン・プールとは正に対照的に、どろんとしたコバルト・グリーンの水をたたへてゐる。(中略)
出発点へ選手が近づくたびに、大ぜいの記録員たちはおのがじし立ち上り、ぶらぶらと水ぎはへ近寄り、
スプリット・タイム(途中時間)を記録し、また、だるさうに席へ戻る。必死で泳いでゐる選手と記録員とは、
こんなふうにして、十五回も水ぎはで顔を合せるわけだ。そのときほど、この世の行為者と記録者の役割、
主観的な人間と客観的な人間の役割が、絶妙な対照を示しながら、相接近する瞬間もあるまい。

三島由紀夫「17分間の長い旅――男子千五百メートル自由形決勝」より
786無記無記名:2010/09/28(火) 12:47:55 ID:PBseZcPP
――千メートル。
オーストラリアのウィンドル、11分16秒3といふ途中時間のアナウンス。
千五十メートルのところで、あと九回といふ9の札が示される。
佐々木はひたすら泳ぐ。水に隠見する顔は赤らんでみえる。あの苦しげな、目をつぶり口をあいた顔、あの
ぬれた顔、ぬれた額の中に、どんな思念がひそんでゐるか? あんな最中にも、人間は思考をやめないのは
確実なことで「ただ夢中だつた」などといふのは、嘘だと私は思ふ。それこそ人間といふ動物の神秘なのだ。
たとへそれが、一点の、小さな炎のやうな思念であらうとも。
最後の百メートル。真鍮の鈴が鳴らされ、選手はラスト・スパートをかける。
佐々木は六位だつた。平然と上げてゐる顔を手のひらで大まかにぬぐひ、出発の時と同様、左の手首をちよつと振つた。
それが彼の長い旅からの、無表情な帰来の合図だつた。この若者はまた明日、旅の苦痛を忘れて、つぎの新しい
旅へ出るだらう。

三島由紀夫「17分間の長い旅――男子千五百メートル自由形決勝」より
787無記無記名:2010/09/28(火) 23:57:32 ID:PBseZcPP
体操ほどスポーツと芸術のまさに波打ちぎはにあるものがあらうか? そこではスポーツの海と芸術の陸とが、
微妙に交はり合ひ、犯し合つてゐる。満潮のときスポーツだつたものが、干潮のときは芸術となる。そして
あらゆるスポーツのうちで、形(フォーム)が形自体の価値を強めれば強めるほど芸術に近づく。どんなに
美しいフォームでも、速さのためとか高さのための、有効性の点から評価されるスポーツは、まだ単にスポーツの
域にとどまつてゐる。しかし体操では、形は形それ自体のために重要なのだ。これを裏からいへば、芸術の本質は
結局形に帰着するといふことの、体操はそのみごとな逆証明だ。
十月二十日の夜、東京体育館の記者席から、まばゆい光りの下、マット上に展開される各国選手の、人間わざとも
思へぬ美技をながめながら、私はそんな感想を抱いた。

三島由紀夫「完全性への夢――体操」より
788無記無記名:2010/09/28(火) 23:57:48 ID:PBseZcPP
双眼鏡で遠い鉄棒の演技をながめてゐると、手を逆に持ちかへるときに、掌にいつぱいまぶしたすべりどめの
粉がパッと散る。それは人体が描く虚空の花の花粉である。徒手体操では、人体が白い鋏のやうに大きくひらき、
空中から飛んできて、白い蝶みたいに羽根を立てて休み……ともかく、われわれの体が、さびついた
蝶番(てふつがひ)の、少ししか開かないドアならば、体操選手の体は、回転ドアのやうなものだ。そして、
極度の柔らかさから極度の緊張へ、空虚から突然の充実へ、力は自在に変転して、とどまるところを知らない。
もつともバランスと力を要する演技が、もつとも優美な静かな形で示される。そのとき、われわれは、
肉体といふよりも、人間の精神が演じる無上の形を見る。
ポオル・ヴァレリーが「魂と舞踊」の中で、肉体が「魂の普遍性を真似ようとするのだ」と書いてゐるのは、
この瞬間であらう。(中略)

三島由紀夫「完全性への夢――体操」より
789無記無記名:2010/09/28(火) 23:58:07 ID:PBseZcPP
小野は徒手で、遠藤はあん馬で、見のがしえぬミスをやつたが、実際、人間なら、あやまちを犯すはうがふつうで、
あやまちを犯さないのは人間ではない。それらのミスにこそ、むしろわれわれと共通した人間の日常感覚が
ひらめいてゐる。ほんのちよつとよろめくこと、ちよつと姿勢が傾くこと、ほんのちよつと足があん馬に
さはること、ほんのちよつと演技の流れが停滞すること……これこそわれわれが「人間性」と呼んでゐるところの
もので、半神であることを要求される体操競技では、人間性を示したら、たちまち減点されるのである。
この世に、ほんの数秒の間であらうと、真のあやまりのない秩序を実現するのはたいへんなことだ。体操選手たちは、
その秩序を、少なくとも政治や経済よりはるかに純度の高い形で、人間世界へもたらすために努力する。

三島由紀夫「完全性への夢――体操」より
790無記無記名:2010/09/28(火) 23:58:39 ID:PBseZcPP
遠藤選手のあん馬のあとで、十数分のものいひがついたあと、五月人形のやうな無邪気な顔と体をした三栗選手が
登場して、おちついた、正しい演技を示して九・六五をとつたのには感服した。
小野選手の右肩の負傷にめげぬ敢闘にも心を搏たれ、同じ三十代の私は、年齢と肉体のハンディキャップを
越えたその闘志に拍手を送つた。練習時間のあひだから、鉄棒は彼の肩を冷酷に責めてゐた。そのとき肩は、
彼の目ざす秩序の敵になり、敵軍に身を売つたスパイのやうに彼を内部から苦しめてゐた。
優勝者遠藤さへ、退場の際、心なしか暗い目をしてゐたのを考へると、体操選手を悩ます「完全性」の悪夢が、
どれほどすさまじいものであるかがうかがはれる。

三島由紀夫「完全性への夢――体操」より
791無記無記名:2010/09/29(水) 08:25:59 ID:/aaaq/Ej
三島みたいやつでてこないね
792無記無記名:2010/09/29(水) 11:50:19 ID:vQs4eGRZ
選手たちの登場。宮本がそのすらりとしたからだと、栗鼠を思はせるかはいらしい顔で、機械人形のやうに
おじぎをする。
東側の選手家族席では、宮本のおとうさんがなくなつたおかあさんの大きな写真を膝に抱いて観戦してゐる。
練習がはじまる。お祭りの風船のやうに、たくさんのボールが空に浮ぶ。七時三十分。琴の音楽がはじまり、
いよいよ日本のアマゾンたちと、ソ連のアマゾンたちとの熱戦が開始される。
バレーボールの緊張は、ボールが激しくやりとりされるときのスリルにあることはいふまでもないが、高く
投げ上げられたボールが、空中にとどこほつてゐる時間もずいぶん長く感じられる。そのボールがゆつくりと
おりてくる間のなんともいへない間のびのした時間が、実はまたこの競技のサスペンスの強い要素なのだ。
ボールはそのとき、すべての束縛をのがれて、のんびりとした「運命の休止」をたのしんでゐるやうに見えるのである。

三島由紀夫「彼女も泣いた、私も泣いた――女子バレー」より
793無記無記名:2010/09/29(水) 11:50:35 ID:vQs4eGRZ
第一セットでやや堅くなつてゐた日本は、第二セットでははるかにソ連を引き離し、余裕のあるゲームを見せたが、
なかんづく目につくのは河西選手の冷静な姿である。
彼女が前衛に立つとき、水鳥の群れのなかで一等背の高い水鳥の指揮者のやうに、敵陣によく目をきかせ、
アップに結ひ上げた髪の乱れも見せず、冷静に敵の穴をねらつてゐる。ボールは必ず一応彼女の手に納まつたうへで、
軽くパスされて、ネットの端から、敵の盲点をつくやうに使はれる。
河西はすばらしいホステスで、多ぜいの客のどのグラスが空になつてゐるか、どの客がまだサラに首をつつこんで
ゐるかを、一瞬一瞬見分けて、配下の給仕たちに、ぬかりのないサービスを命ずるのである。ソ連はこんな
手痛い、よく行き届いた饗応にヘトヘトになつたのだつた。(中略)
――日本が勝ち、選手たちが抱き合つて泣いてゐるのを見たとき、私の胸にもこみ上げるものがあつたが、
これは生れてはじめて、私がスポーツを見て流した涙である。

三島由紀夫「彼女も泣いた、私も泣いた――女子バレー」より
794無記無記名:2010/10/07(木) 11:08:09 ID:FfnnKfpx
女のまねをする女形は、女形芸術の墓穴を自ら掘つてゐるものだと思ふ。女形の範はあくまで能の鬘物の
シテにあるので、世にも高貴な美女の仮面をとほして、神秘的な、暗い男の声がひびいて来、美しい唐織の
衣装の袖から、無骨な男の手がむき出しになつてゐるべきなのだ。
といふことは、女形の真骨頂は仮面劇にあるのであつて、歌舞伎の女形といへども、変成男子の神秘感を失つては
ならないのだ。
といつて、私は、女形が日常生活でスポーツ・シャツを着てゴルフをしたり、「僕が」とか「僕が」とかいふ
一人称を使ふのを、推賞してゐるわけではない。ただ、女形美といふものが、女性美とは別の独自性を持つて
ゐることを忘れてはならない、といつてゐるのである。(中略)

三島由紀夫「捨てきれぬ異常の美――女形は亡びるかどうか」より
795無記無記名:2010/10/07(木) 11:09:06 ID:FfnnKfpx
女形芸のうちで悪婆(毒婦)や若衆方に接近した要素が、一等早く衰退の気配を見せてゐるのは、悪婆的女性や
若衆的女性がふえてきたからである。逆に女性的女性が減つてきたので、真女形の稀少価値が生じて珍重されるにつれ、
女形は女の模倣の方向へ傾きがちになり、女優と見紛ふやうな芸を見せる役者も出て来て、歌舞伎の女形の
セリフからは義太夫の暗い渋い律調が失はれてしまつた。先々代時蔵の最後の政岡を見たときに、私は哀惜の念に
耐へなかつた。(中略)
さて、その女形の将来であるが、今は万事にアメリカ風の、浅薄な健全第一主義の時代であるけれど、日本人の
血の澱みは、一朝一夕に浄化されるものではない。
女形を気味がわるいと思ふ観客がふえたこともたしかだが、そんならその気味のわるさに将来性がある筈で、
芸術の歴史はみんなさういふ試練を経て来たのである。

三島由紀夫「捨てきれぬ異常の美――女形は亡びるかどうか」より
796無記無記名:2010/10/07(木) 11:09:57 ID:FfnnKfpx
私はつねづねふしぎに思つてゐることがある。
前述したやうに、今はむしやうに女が強くなつて男性化した時代のやうにいはれながら、女の顔自体は、昔に比べて、
だんだん男性的威厳を失つてきてゐるのである。理想の美女は、現代では、イタチが猫か少年の顔にちかく、
明治時代の女性のやうに、むしろ男性的威厳を帯びた顔は、ゐなくなつたか、少なくとも、流行らなくなつて
ゐるのである。(中略)顔はますます小さくなる傾向にあり、髷の似合ひさうな顔は一つもない。明治時代の
名妓の面影はあとをとどめない。
女性が女性的であつた時代に、却つて、女形風な顔や美がもてはやされ、沢山生存してゐた、とはどういふこと
だらうか。あれこれ思ふと、現代の女優で片はづしのカツラの似合ふやうな人は一人もなく、過去の壮大な
悲劇に似合ふ舞台上の女性は、どうしても、男にカツラをかぶせるほかはなくなるのである。ブリジット・
バルドーみたいな顔をした八重垣姫なんか、どう考へてもをかしいではないか。

三島由紀夫「捨てきれぬ異常の美――女形は亡びるかどうか」より
797無記無記名:2010/10/07(木) 11:12:03 ID:FfnnKfpx
男が女に化けてゐるといふ芝居のウソの前提を、観客がもつと強く意識するやうになれば、女形の将来は
捨てたものではなく、また女形自身も、舞台では女、日常生活では男、などといふコセコセした枠を作らず、
舞台の上で女形であること自体に、堂々たる男性的威厳を発揮することに努めれば、世間の目も変つてくる
ことであらう。
重ねていふやうに、日本人の血の澱みの深さは、アメリカ人などとは比べものにならないのである。
女形のやうな、面白い、気味のわるい、エクストラオルディネール(異常)なものを、さうむやみに捨て去る
ことのできる日本人ではない。その点はもつと安心して、大悟徹底してゐるべきだと思ふのである。

三島由紀夫「捨てきれぬ異常の美――女形は亡びるかどうか」より
798無記無記名:2010/10/16(土) 00:57:06 ID:ppKzqBx7
首の写真のアドplz
799無記無記名:2010/10/30(土) 00:13:40 ID:ZCcxKUc7
800無記無記名:2010/11/09(火) 00:03:23 ID:t/UOSxF4
(三島事件のあと)あるポーランド人の団体から招待されたときのことが想いだされてくる。
きっかけをつくったのはソルボンヌにおける私の学友、ポニアトスキー(仮名)だった。(略)長身で赤ら顔の
ポーランド人で、つねに微笑をもって語り、その人柄は善意にあふれていた。いつも詰襟に丸首のカラーをしていた。
カトリック神父だったのである。
(中略)事件後ちょうど一ヶ月、クリスマス・イヴのことだった。その数日前まえに思いがけず、この友から
電話があった。
「きみのテレビ放送を見たよ。われわれの仲間は、みんな、ミシマのことを知りたがっている。ぜひ来て、
話してくれないか……」
「仲間」とは、誰だろう? その夜、パリ某所の指定された建物に出向いてみると、そこはむしろ、ささやかな
宗教的共同体といった感じの場だった。自分は出版社で働いているとかねがねポニアトスキーは言っていたが、
じっさいは、その家は、出版社兼宗教結社だったのである。(中略)

竹本忠雄「パリ憂国忌 三島由紀夫VSヨーロッパ」より
801無記無記名:2010/11/09(火) 00:04:15 ID:vP3yePP4
晩餐の部屋に降り立つと、すでに十数人の人々がテーブルについて待ちうけていた。思いがけなく、私が主賓だった。
(略)…うすぼんやりとした光のせいで、地下の窖にも似たその部屋の光景は、どこか抑圧された秘密の影を秘め、
カタコンベの一部といった感じさえした。この印象があながち間違っていなかったことを程なく私は知らされ
ようとしていた。ひととおりの会話のあと――その席上で私は先に国営テレビの文芸討論会で発言したことを
敷衍してしゃべったのであったが――長老格の人物が立って、こう述べたからである。
「国の従属の縄目(いましめ)を断ち切って立たんとした人の死が、いや、日本独自の、あの儀式的意志的死が、
イエスの十字架の思想より見たとき《受肉の完成》としての意義を顕わにするであろう、とのご高説には、
われわれ一同ふかく心を打たれております。(中略)貴国の偉大な作家ミシマの驚嘆すべき行為は、まさしく
この微行性(アノニマ)につうずるものであったと、いまや私どもには信じられるのです。……」

竹本忠雄「パリ憂国忌 三島由紀夫VSヨーロッパ」より
802無記無記名:2010/11/09(火) 00:05:11 ID:t/UOSxF4
と、白髯を垂らしたその老神父は、左手で、黒のスータンの胸にかけた金色の十字架にそっと触れながら、
いったん句切りを置いた。
「……イエスにとって《受肉の完成》とは、十字架とともに復活をもって成しとげられるものでした。
ミシマにとっては……なんと言いましょうか……彼の復活の思想はなかったのですか?」
「彼の、ではなく、日本人の、とと申しあげましょうか……」と私は答えた。
「われわれが《七生報国》と呼ぶ思想こそはそれに当たるのです……」
じっとわれわれの会話に耳を傾けていた周囲のポーランド人たちから、「ほほう!」といった嘆声が洩れた。
枝付燭台の向こうで、長老の頬は紅潮していた。(中略)ポニアトスキーは大きな手をさしのべながら私に
こう言った。
「私どもの祖国の政治的状況は、きみも知つてのとおりだ。同胞の読みたがっている本も、そこでは自由に
出版することができない。こうして、パリ経由でわれわれがやっているわけなんだよ……」

竹本忠雄「パリ憂国忌 三島由紀夫VSヨーロッパ」より
803無記無記名:2010/11/09(火) 00:06:55 ID:t/UOSxF4
いまや私には彼の言葉の意味するところは明瞭だった。私を招きいれた人々は、要するにポーランド独立の
地下抵抗運動の同志たちだったのだ。カトリックという精神領域を武器としての。
そしてこれらポーランド人たちにとって、世界の果ての国日本の一作家の信じがたき決起と死は、あの
第二次大戦末期、(中略)…いまにいたるソ連支配の屈従の運命に抗する勇気をあたえてくれるものだったのだ。
日本で、われわれのヒーローが「右翼」とレッテルを貼られ、「グロテスク」、「時代錯誤」と譏(そし)られ、
「恥さらし」―対外的に……――と罵られている、まさにそのときに。あるいは、現代日本のタイラント、
偏向したマスコミ中心の世論を怖れて、大半の知識人が、いっそ沈黙することを選びつつあるそのときに。

竹本忠雄「パリ憂国忌 三島由紀夫VSヨーロッパ」より
804無記無記名:2010/11/09(火) 00:07:54 ID:t/UOSxF4
(中略)
他者への殺害ではなく自害によって決着するその行為が、いかに深く西欧のもっとも高貴なる魂を振起し、
その魂の屈折をとおしていかに深く日本の名誉を購わんとしたものであるか、その夜、このうえなくはっきりと、
私はその名証を見たのだった。(中略)
しかも、氏の自刃が西欧人の心に掘りおこした感情は、ひとりキリスト教にとどまるものではなかった。
キリスト教と対立する古代精神の領域にまで広がるものであることを、やがて私は知らされようとしていたのである。

竹本忠雄「パリ憂国忌 三島由紀夫VSヨーロッパ」より
805無記無記名:2010/11/11(木) 23:46:41 ID:UANE+duD
明けて一九七一年となった。その年の六月にパリで開かれた《憂国忌》について、ここで語らなければなるまい。(中略)
この企画(映画「憂国」特別鑑賞会)が伝わるや、見たいという有志がぞくぞくと名乗りでてきた。
スポンサーは、詩人エマニュエル・ローテンがひきうけてくれた。惜しくもすでに故人となったが、小背で
容貌怪異、みずから好んで「フランドルの土百姓の出で……」と冗談をいうのがつねであった。(中略)
エマニュエル・ローテンと私とのあいだで初めて三島由紀夫が話題になったのは、氏の邸内においてであった。
事件後まもなくだったと記憶する。それというのも、そのときローテンは、例の「文芸フィガロ」誌の三島特集号を
手にして私のまえに現れるなり、朱の色をバックに抜刀したヒーローの大写しの表紙をこつこつと拳で叩きながら、
野獣の咆哮のごとく、こう言ったからである――「私は、あらゆる暴力に反対だよ!」と。
しかし、まもなく、この詩人の意見は一変してしまうのである。

竹本忠雄「パリ憂国忌 三島由紀夫VSヨーロッパ」より
806無記無記名:2010/11/11(木) 23:49:21 ID:UANE+duD
一つの偶然が、私のもくろんだ集いを大いに盛りあげることを助けてくれた。作曲家、黛敏郎氏の参加を得た
ことである。黛氏は三島由紀夫の『金閣寺』のオペラ化の打合わせでベルリンに見えていたが、パリにはいって
私と会い、企画を聞くや、言下に参加を快諾してくれた。われわれはそれが初対面の間柄であったけれども。(中略)
(参加者に)ガブリエル・マズネフ氏がいたことを、真先に挙げたいと思う。(中略)
ガブリエル・マズネフが当夜われわれあいだにいたということの意義は小さなものではあるまい。彼は
『挑戦』の一冊を手に会場に駆けつけてくれたが、あとで私はその扉につぎのような献辞を見いだした。
「タケオ・タケモトに、この私の処女作をささぐ。本日、貴君のはからいで見たミシマの忘れがたきフィルムが
まさにその開花であるところの、美と死とのこの出会い、自殺のストイックなる理想を、本書のうちにまさに
貴君が再見されるであろうがゆえに。 ガブリエル・マズネフ」

竹本忠雄「パリ憂国忌 三島由紀夫VSヨーロッパ」より
807無記無記名:2010/11/11(木) 23:50:24 ID:UANE+duD
(中略)ほかに、《パリ憂国忌》出席者についていちいち詳述するいとまをもたない。ただ、全体に、右の
ガブリエル・マズネフ、ミシェル・ランドム(作家、映画監督)、バマット(ユネスコ文化局長)の三氏がその
代表例であるように、集まった碧眼の知識人たちはきわめて精神的傾向が強く、一様に「日本のミシマ」の
果断の行為に心を奪われ、現代において――つまり日本においてのみならず――それがいかなる意味をもちうるか
ということを真剣に問う人々であった事実を記せば足りるであろう。(中略)
黛敏郎氏は次のように回顧している。
〈…映写が終り、客席が明るくなってからも、暫くのあいだ誰も声を発する者はいなかった。隣席のローテン氏は、
ポロポロと涙を流しながら、私の手を強く握りしめたままだった……〉
そうだ、エマニュエル・ローテンの、この変化こそは、観客全体の感銘を代表して余りあるものだったのである。

竹本忠雄「パリ憂国忌 三島由紀夫VSヨーロッパ」より
808無記無記名:2010/11/11(木) 23:51:24 ID:UANE+duD
黛氏はつづいて書いている。
〈ややあって、立ち上ったローテン氏は、声涙ともに下る短い演説をした。「いま皆さんが、スクリーンで
観られた三島氏は、この映画さながらの古式に則った武士道の作法通りに切腹して果てた。このような天才的な
芸術家が、何故、このような行為に出たのだろうか?」〉
あとはもう言葉ならなかった。
私は、胸を打たれて、いかつい顔のこの人物が頬鬚を涙でぐしょぐしょに濡らしながら嗚咽を抑えるさまを、
ただまじまじと視つめるのみだった。「私はあらゆる暴力に反対だ!」と、最初、事件を知って叫んだローテンの
意見をかくも急旋回せしめた力は、いったいなんであったか?
ここでわれわれは、事件の本質に関する甚だ重要な一点に立つのである。
観客のすべてが別室に引きあげてからも、ローテンだけは、場内にただひとり佇んでいた。そして私の姿を
見かけると、なおも涕泣しつつこういうのだった――「《愛と死の儀式》――私がここに見たものは、まさしく
神ということなのです……」

竹本忠雄「パリ憂国忌 三島由紀夫VSヨーロッパ」より
809無記無記名:2010/11/11(木) 23:52:46 ID:UANE+duD
エマニュエル・ローテンといっしょに私が映写室を出ると、小さなサロンに一同は頬を紅潮させて集まっていた。
一言でいえば、それは、打ちのめされた光景だった。(中略)黛敏郎氏はこう書いている。
〈当然、私は質問攻めにあうことになった。私は、私に考えられる限りの、三島氏の自刃に対する見解を述べた。
要するに三島氏は、大東亜戦争敗戦後の虚脱状態から一転して今日の経済的繁栄を手にした現代の日本人たちが、
芸術的にも、精神的にも、日本古来の伝統を軽視し、それが天皇ご自身をも含めた日本人一般の風潮となって、
日本がその文化のすべてのよりどころとしてきた天皇制の危機を、誰よりも強く感じ始めたこと。(中略)あの
事件が世の中に与えるショックの性質と限界とは、氏にとっては計算済みのことであって、氏の目指したのは、
「精神的クーデター」の火をつけることであり、それは見事に成功して、あのショック以来、日本の知識人の多くは、
深刻に自己を見つめ始めたこと。以上のような説明が、私の口からなされると、讃同の意を表わしてくれる
フランス人たちが多かった。(中略)〉

竹本忠雄「パリ憂国忌 三島由紀夫VSヨーロッパ」より
810無記無記名:2010/11/17(水) 00:20:08 ID:Wwr4LtV4
「《ユウコク(憂国)》とはどういう意味ですか?」と真先に私に尋ねてきたフランス人があった。批評家
クリスチャン・シャバニ氏である。(中略)
「それは、国の運命を憂うる、ということです」と私は答えた。
そう聞くと相手は、「ああ、なんという美しいイデー(思い)だろう!」と叫んだ。
「つまり、単なる《愛国(パトリオチズム)》とは異なるんですね。…(略)そこには、深く民族の帰趨を案じ、
精神的にこれを指導する予言者の役を果たし、時いたらば人柱となって死するをも辞さじという、苦悩と殉教の
精神が、より脈々とあふれでている……ヒーローよりも、予言者の心情というべきではなかろうか。バビロンの流れ、
ケバル河のほとりで、幽囚の民族の運命を嘆いた旧約の《レ・グラン・プロフェット(大予言者たち)》のように」
どんなにか私は彼の手を握りしめたかったことであろう! この打てば響くような素早い理解、深い共感性……。

竹本忠雄「パリ憂国忌 三島由紀夫VSヨーロッパ」より
811無記無記名:2010/11/17(水) 00:21:41 ID:Wwr4LtV4
地球の反対側で、ほかならぬ同胞のあいだで、犯罪者・精神錯乱者・エグジビショニスト、等々、ありとあらゆる
罵声が浴びせられつつあるあいだに、ここではその「元凶」は、「予言者」の名をもって語られつつあったのだ。
「ぼくは、はっきりとローマ派の人間だが……」と、ここでガブリエル・マズネフが口ゆ切った。…「つまり、
高徳のストイシャンだった古代ローマ人の生きざまを全幅に肯定する人間だが、しかし、このぼくにしてからが、
このフィルムを観て、まったく『シャッポー(脱帽)!』と叫ばざるをえなかったよ」(中略)
「…ローマの偉人たちはストア派の哲学に勇気の糧をもとめたのだ。もっとも、なかには、その勇猛をもって
鳴る武将、小カトーのように、プラトンの『パイドン』を読んだあとで自殺したという変わり種もあるけれどもね。
…(略)ところで、この小カトーの自殺が割腹によるものだったことは、ごぞんじでしょう?」マズネフの
問いは私に向けられていた。

竹本忠雄「パリ憂国忌 三島由紀夫VSヨーロッパ」より
812無記無記名:2010/11/17(水) 00:22:48 ID:Wwr4LtV4
「ええ『ブルタルコ英雄伝』の、ぼくは熟読者ですからね」
「ぼくも同様……要するに、剣は、ローマ共和国の武人たる以上、もっとも尋常の自殺の具だったんですよ。(略)」
「ちょっと待ちたまえ……」と、ここで初めてアフガニスタン人の剣豪バマットが口を開いた。…さながら
「面!」の掛け声を掛けるかのごとく繰りかえしていう――「待ちたまえ! しかし、それら顕然たるローマの
歴史的武将たちは、自決するときに、なんらかの儀式(リット)にもとづいてそうしたかね? …(略)
日本のサムライの死は、勇気のあらわれというだけのものではないよ。プラスなにかが、そこにはある。
それゆえの切腹の儀というべきではなかろうか?」
「そうだとも!」
と、バマットのうしろから、そのソファの背にもたれて話に聞きいっていたエマニュエル・ローテンが叫んだ。
「それこそはミシマの言いたかったことのはずだよ」と。

竹本忠雄「パリ憂国忌 三島由紀夫VSヨーロッパ」より
813無記無記名:2010/11/17(水) 00:24:11 ID:F5v6u51J
814無記無記名:2010/11/17(水) 00:27:15 ID:Wwr4LtV4
同時に、「セ・ジェスト(そのとおり)!」「ヴォアラ(しかり)!」「アプソリューマン(まったくそうだ)!」
という声々が、あちこちから興った。(中略)
しかし、間髪を置かず、一座の声々に呼応して、マズネフもこう言っいた。
「だから…だから…ぼくも、さっき、こう言いかけていたんだよ。『シャッポー』とね!」(中略)
バマットがまたも切りこみをかける「つまり、ローマ的自殺には、なんというか、《フォルム》がない。
フォルム――カタ(型)ですね……」と私のほうを向いて刀の柄を両手で握りしめるそぶりを見せる。
「つまり、文明全体のありかたにかかわるかどうかということだと思うな……」とミシェル・ランドムが静かに
言葉を挟んだ。「いいかね、すこし告白をしていいかね……」細い銀縁眼鏡の奥で、不適な彼の顔の表情と
不釣合な優しい目が、一、二度、しばたたいた。この人物もまた、疑いもなく、私がヨーロッパで知った第一級
知識人の一人である。

竹本忠雄「パリ憂国忌 三島由紀夫VSヨーロッパ」より
815無記無記名:2010/11/17(水) 00:28:56 ID:Wwr4LtV4
「日本で武士道といわれるものが、もし単に勇気と武技の結合したものであるだけなら、ローマと日本のあいだに
なんの差異もないことになるだろう……
こういうことをぼくに教えてくれたのは、弓道のハンザワ(半沢)先生だった。ハンザワ先生といえば、
『弓と禅』を書いたあのドイツのオイデン・ヘリーゲルの師範――有名な東北の阿波研造名人の弟子にあたる
人だけれどもね。…このハンザワ先生の全人格から放射してくるもの、これは、断じてヨーロッパには
見当たらないなにかだった。つまり、そこに浸っているかぎりは死は存在しないといった……ハンザワ先生の
弓を見ていて、ぼくはそれが単なる武技ではないと悟った。先生は、射るとき、目をつぶっておられたのだから…」
私は、その光景を知っていた。ランドム氏のフィルム、『武道』のなかで、それはもっとも美しいシーンであったから。
また私は、半沢師範の訃報に接して彼が子供のように泣いたということも聞かされていた。

竹本忠雄「パリ憂国忌 三島由紀夫VSヨーロッパ」より
816無記無記名:2010/11/17(水) 00:31:52 ID:Wwr4LtV4
(中略)会話は、こうして、いつのまにやら日本とローマの自決比較論のようになってしまった。
「問題は、しかし、二千年まえのそうした超越的死が、その後も脈々とわれわれの文明の頂点の一形式として
伝えられてきたかどうかということだよ……」声の主は、ふたたびミシェル・ランドムだった。
「日本にはそれがある。それがル・ブシドー(武士道)というものだ……」ぴしりと決まった一言だった。
日本人自身がその持てる最上の伝統を擲ってかえりみないときに、西洋人の側からこうした信念の吐露が
なされるということも、考えてみれば奇妙なことではあった。(中略)
たった一つ、その夕べ、会合者のあいだから洩れた「政治的」発言はミシェル・ランドムが発したつぎの質問だった。
「さきほどのムッシュウ・マユズミの言葉によると、ミシマは、天皇ご自身までが日本の伝統的精神の否定者で
あったと見ておられたとのことだが、それはどういうことなのですか?」と。

竹本忠雄「パリ憂国忌 三島由紀夫VSヨーロッパ」より
817無記無記名:2010/11/17(水) 00:33:20 ID:Wwr4LtV4
(中略)日本的神聖の持続の問題は彼にとって重大関心事だったのだ。「日本はまさにカミ(神)の国だよ…」
ぽつりと彼の口を洩れたこの言葉の意味を、その後しばしば私は想いだしたものである……
「天皇は飽くまで神であらせられるべきだった、というのが三島の考えだったのです」と、そこで私は
『英霊の声』を想起しながらランドムの問いに答えた。「しかし、それにもかかわらず、自衛隊バルコニーで、
『天皇陛下萬歳!』を三唱して三島は死んでいったわけですが……」
「それはじつに重要なことだ! それはじつに重要なことだ!」ランドムは、驚いたようにこちらをじっと見て、
そう繰りかえし叫んだ。頃あいやよしと見て、エマニュエル・ローテンが、立ちあがって声をかける。
「メッシュー(みなさん)、今宵は、われわれの精神の通夜です。談論風発のつづきは、このあと、ぜひ拙宅で
やってください。亡き日本の天才をしのんで、心ゆくまで語りあおうではありませんか!」

竹本忠雄「パリ憂国忌 三島由紀夫VSヨーロッパ」より
818無記無記名:2010/11/17(水) 00:34:47 ID:Wwr4LtV4
(中略)ここでまた何人かの新規の参加者があり、そのなかに美術批評家ミシェル・タピエ氏の姿もあった。(中略)
「私は、ここに、なによりもシントー(神道)を感ずるよ……」
これが、サロンに足を入れるや、ミシェル・タピエがわれわれに放った第一声であった。「ここに」とは、
問題の自刃の行為をさして言ったものであることは、いうまでもない。
「ヨーロッパでは、《混沌(カオス)》といえば、それまでだ。しかし日本のそれは、コントロール(制御)
された混沌なのだよ……」警句めいた一言である。(中略)
ふたたび黛敏郎氏の記録にゆずろう。
〈…最後に、みんなの希望で、たまたまローテン氏が愛蔵していた拙作で、三島氏も生前好きだといってくれた
『涅槃交響曲』のレコードをかけながら、思い思いの瞑想にふけり、三島氏の魂を慰めようということになった。
『涅槃交響曲』のコーラスの響きが長く尾を引いて静まったとき、ローテン氏は静かに立ち上り、目に涙を
一杯たたえながら即興の詩を朗誦した……〉

竹本忠雄「パリ憂国忌 三島由紀夫VSヨーロッパ」より
819無記無記名:2010/11/19(金) 00:04:06 ID:9xiF6jCB
世にも気高い《愛の物語》…… 
愛、おお かくばかりの愛! 
かくばかりの高貴な生! 
絶大の荘厳、《意志》の頌歌…… 
服喪の空は その暑いしずくを哭き 
ゆるやかな血流は落日を崇高ならしめる。

九腸よりほとばしる斑点の飛沫! 
一体となった双生の命 
一心となった二つの手の古代壺(アンス) 
そして求める《彼岸》への絶対の供物。

入念に死を決意して三島は 
意志の典礼を一点にむすぶ――
すなわち森厳の盛儀、切腹の行為を 
超越的《放棄》の聖なる戦慄へと。

エマニュエル・ローテン「愛と死の儀式(憂国)――三島にささげる詩」
820無記無記名:2010/11/19(金) 00:05:08 ID:9xiF6jCB
千古脈々たる誇らかな儀式(リット)、
この久遠の神話(ミット)よ、
愛まったくして 死かくも辛く潔し。
剣はこのししむらを刺し、鞭打した。
恐るべき死の創傷を深めよと…… 
だが深められるのは夜ではなく《生の彼岸》なのだ。
介錯がこの供献を成就する。
だが成就されるのは自殺ではなく 
この讃歌なのだ。

融化した存在、密かなる聖体拝受(コミュニオン)よ! 
淋漓たる鮮血にこそ美の高潔があり、
淋漓たる《至誠》の書にこそ 
精神の解脱の場がある。

かくてこそ絶対の恩沢へと 
いま 精神は飛翔する、
大死一番の狂える寛容もて 
かの無限へと――
《Kami(神)》の一語もて 
名づけられた無限へと……

エマニュエル・ローテン「愛と死の儀式(憂国)――三島にささげる詩」
821無記無記名:2010/11/19(金) 01:39:35 ID:g7FVfyHT
もっと長生きしてれば
ハッテンバもたくさんできたし、
ネットで男の裸も見放題だったのにね。
822無記無記名:2010/11/21(日) 00:26:59 ID:ylbZMQTN
偉大な芸術作品はすべてある意味で作者の遺書である、とマルローが三島をめぐって言った言葉が想いだされてくる。
その意味で、たしかに『憂国』ほどぴったりと「遺書」と呼ばるべき作品も稀であろう。
(中略)かつて――一九五八年――ド・ゴール大統領のもとにフランス第五共和国が成立したとき、フランスは
アンドレ・マルローを特使として日本に派遣し、国交を樹立したことがあった。そのとき、偉大なる使者は、
満堂の聴衆を集めた講演席上において次のように提唱した。「西欧全体にたいして
フランスは日本の精髄の《受託者》たらんとするものであります」と。(中略)
日本の精髄の受託者……この精髄のいかなるかについて、そのときマルローはなんと言ったか? 
日本民族によって永遠に記憶され感謝されてしかるべきその言葉を、ここで石碑に文字を刻むがごとく
繰りかえしておくことは無意味ではあるまい。

竹本忠雄「パリ憂国忌 三島由紀夫VSヨーロッパ」より
823無記無記名:2010/11/21(日) 00:27:53 ID:ylbZMQTN
マルローはこう言ったのだ。
〈この日本の精髄について全世界が甚だしい無知のなかにいるということを、どうか、しっかりと肝に銘じて
いただきたい。全世界にとって日本とは、依然としてエキゾチズムか絵葉書風景の国、目もあやな、あの版画に
描かれたかぎりの国にすぎないのであります。さればフランスは、なによりさきに、こう表明しなければ
なりません――
日本は中国の一遺産ではない、なぜなら日本は、愛の感情、勇気の感情、死の感情において中国とは切りはなされて
いるから。騎士道の民であるわれわれフランス人は、この武士道の民のなかに、多くの似かよった点を認めるように
つとむべきであろう。かつ、真の日本とは、世界最高の列のなかにあるこの国の十二世紀の偉大な画家たちであり、
隆信(藤原)であり、この国の音楽であって、断じてその版画に属する世界ではない、と。〉

竹本忠雄「パリ憂国忌 三島由紀夫VSヨーロッパ」より
824無記無記名:2010/11/21(日) 00:28:44 ID:ylbZMQTN
〈そして冀(ねが)わくば、日本とフランスとの接近が、フランスをして、その言葉に耳を傾けようとする人々
すべてにたいし、かく言わしめんことを。すなわち――
諸君が、かくも長いあいだ、目もあやなピトレスクの国民であると思いこんできた人々は、じつは英雄の民だったのだ。
もしこの民族の魂を知らんと欲すれば、彼らの絵画のなかではなく、むしろ音楽のなかにそれを求めよ。
鉄の琴に合わせて歌われたその歌は、死者の歌、英雄の歌、深淵なるアジアのもっとも深淵なる象徴の一つに
ほかならない! と。〉
(中略)マルローの講演を聞いて、時の宰相以下の日本の貴顕の士の全代表は、これに熱烈な感動の拍手を送った。
武士道の礼讃――たしかにこれは言うべくして美しい。つまり、遠来の賓客の讃辞としては。だが、その後、
いったい、誰が、教授なりジャーナリストなり批評家なりの誰が、投げられたこのテーマの発展をはかっただろうか?

竹本忠雄「パリ憂国忌 三島由紀夫VSヨーロッパ」より
825無記無記名:2010/11/21(日) 00:30:32 ID:ylbZMQTN
とんでもない。大半の人々の耳に、フランス文化大臣のあの言葉は、いわば過去の甲冑に対する礼讃として
響いたにすぎないのだ。「武士道と騎士道の対話」ということをマルローが暗示したとき、本気で彼がそれを
われわれの文明の死活の問題として呈したのだということに気づいた人士は、まずほとんど皆無だったのである。
そして、おそらく天皇ご自身でさえも……(中略)
われわれにとって「武士道」とは、葬りさられたもの、断罪されたものにすぎなかったからだ。(中略)
いっぽう、フランスの側から見れば、そんな日本は軽蔑と無視の種でしかなかった。ド・ゴール大統領と
「対話」した日本の政治家にしても皆無である。…池田勇人首相にしても、むなしく相手から「トランジスター
商人」との寸評を得たにすぎない。彼我の観点の相違は、じつに歴然たるものがあったと言わなければならない。
われわれにとって「平和憲法」の名で正当化されるものは、フランスの目にとって隷属の条件にほかならなかった
からである。

竹本忠雄「パリ憂国忌 三島由紀夫VSヨーロッパ」より
826無記無記名:2010/11/21(日) 00:32:04 ID:ylbZMQTN
現代の予言者とは、なによりも、「収容所列島」の現実を知り、これにたいして精神と歴史の両面にわたって
絶対的「ノン」のアクションを取りうる人々である。(中略)
それはまた、「文武両道」と彼が呼んだものの、現代的発露の方向でもあった。自己の身命を擲(なげう)っても
自由を守ろうとする文化の原理と、自由を擲っても生命以上のものを守らんとする武士道との統合は、がんらい
至高の矛盾の統合であって、およそ「文民統制(シヴィリアン・コントロール)」などという考えをもって
量りきれるレベルの問題ではない。(中略)
なぜなら、ここにいう「文武両道」とは、(略)…自衛隊バルコニーから絶叫した次の瞬間には古式に則って
自分の腹を掻きさばいていたという超越的抗議形式によって、ヨーロッパ知識人の目に、「人間の条件」と
「日本の条件」を同時に乗りこえる意志を示した壮絶無比の行為として映ったところのものにほかならないからである。
彼らの目に、この場合、文学的死、政治的死の区別はなかった。

竹本忠雄「パリ憂国忌 三島由紀夫VSヨーロッパ」より
827無記無記名:2010/11/21(日) 00:34:14 ID:ylbZMQTN
(中略)日本は、他の諸文明が宗教によって「人間の条件」をこえる超越軸を求めてきたときに、ただひとり、
武士道によってそれを求めてきた点において、たしかにユニークだったのである。ここのあたりの実相を
もっとも適格に見据えていた人ありとすれば、それが、日本においては三島由紀夫その人であったと言わなければ
ならない。(中略)
「一つの墓をも寺をも建てえなかったわれわれの文明……」という、マルローの議会演説中の言葉が、さながら
応答のように、静かに、同時にここでわが胸によみがえらずにはいない。「日本人の死の衝動」と言ったとき、
期せずして三島は、日本のみならず、《彼岸》なき現代文明の運命そのものについて語っていたからである。
「ル・カ・ミシマ」をヨーロッパが、政治に始まり人間に終る、ないし日本に始まり西欧に終る文明の問題として
受けとった理由はここにあるといえるであろう。無理もあるまい。文明の没落の意識において、彼らはわれわれに
半世紀余も先んじた地点に立っているのだ。

竹本忠雄「パリ憂国忌 三島由紀夫VSヨーロッパ」より
828無記無記名:2010/11/24(水) 17:42:30 ID:t0e5kYs/
三島は自衛隊時代は懸垂40回だったそうだ。
ブルースリークラスかな。
829無記無記名:2010/11/24(水) 21:53:07 ID:38lEFCMq
三島は憂国を嘆いて自決していったんだ

40年前、すでに今起こっている出来事を予言していた
830無記無記名:2010/11/25(木) 12:51:09 ID:PVA+TYrn
正午だった
役人たちは書類に埋まり
財界人たちは金勘定に忙しく
政治家たちは泥沼であがいていた

正午だった
真昼の光を浴びた一人の男がバルコニーで叫んだ
誰も耳を貸さなかった
戦には負けたがサムライの誇りは捨てるなと叫んだ
集まった男たちは嘲笑した

正午だった
一つの窓は閉じられた
……男は切腹した
若い男が男の首を刎ね
自分も切腹した
831無記無記名:2010/11/25(木) 12:52:20 ID:PVA+TYrn
正午だった
男の体から溢れた血は世界中の街角へ流れ出した
鮮血は止まらず世界中の薔薇を染めた
世界中の窓は開かれ
世界中の鐘が鳴った

正午だった
日本刀は血に塗(まみ)れていた
腐った魚たちはまだ眠っていた
正午だった
世界はミシマの不在によって
満たされた

正午だった
昭和45年11月25日の正午だった

その日の
午後1時は
永遠に来なかった

藤井巌喜「正午だった」より
832無記無記名:2010/11/25(木) 13:14:49 ID:e8TjmjM/
三島テレビでやってるな
かっこよすぎる・・・・
833無記無記名:2010/11/25(木) 13:34:49 ID:Qp0tK7X4
超お坊ちゃま育ちなんだね
意外だな・・・
834無記無記名:2010/12/01(水) 11:07:05 ID:iZsQdr8i
自衛隊訓練で鉄棒懸垂を36回もできたんだって。見た人が書いてた。
835無記無記名:2010/12/01(水) 14:09:56 ID:TPl4HrXd
836無記無記名:2010/12/01(水) 17:04:19 ID:iZsQdr8i
>>835
三島とはちょっと違う感じがする。
837無記無記名:2010/12/01(水) 18:39:10 ID:pe8sYItb
時代は違うけど、もし今、華やかな売れっ子作家が同じことをしたら
皆、「自殺するとは思わなかった」と思うだろう
自決したから大きく取り上げられる三島の行動も
自決直前までは、何かの大掛かりな冗談だと思われたんだろうね
838無記無記名:2010/12/01(水) 19:47:05 ID:iZsQdr8i
>>837
本気で自衛隊訓練してると判るとサヨクメディアや反日に潰されるから、
本気でやってると思わせないようにわざと平凡パンチとかの取材を利用していたんだって。
元楯の会会員がそう書いてました。
839無記無記名:2010/12/19(日) 23:52:20 ID:VzkORv1T
>>835
アドレスには「tamotsu-yato」って書いてあるね。
いずれにしても三島と同類と言うか、彼と三島に
接点は無かったのだろうかと気になる。
840無記無記名:2010/12/20(月) 00:08:49 ID:OD2xVBEL
あとちょっと、これは三島のこととは違うんだけど自分は三島が
「文化防衛」としていいたかった事と言うのは、こういうことだと思うんです。
北海道にアイヌと言う人々が居るんですが、彼らが民族に覚醒し始めてる
と言う兆候が見えてきてるんです。
自分はアイヌであれなんであれ、こうした活動や行為と言うのは
認められなければダメだと思う。
日本人は作られた劇の中でこそ、民族的なことをしているんですが
こうした本物の民族的な衝動と言うのにそろそろ駆られないとマズイと思うのよ。


http://www.nettam.jp/topics/column/34/
http://www.tsurugagroup.com/maroudo/vol25.html
http://www.tsurugagroup.com/maroudo/vol30.html

http://www.tsurugagroup.com/maroudo/imgs/vol25/akanko-akibe.jpg
http://www.tsurugagroup.com/maroudo/imgs/vol30/himatsuri3.jpg
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/a4/AinuManStilflied.JPG
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/bb/PSM_V34_D092_Ainu_of_yezo.jpg
841無記無記名:2010/12/20(月) 00:20:09 ID:OD2xVBEL
あと、こうした事は何も日本だけでは無いんですね。
韓国が凄い民族的な防衛と言うのをやってるし、いわゆる男性の
社会的なマッスルイズムと言うか、つまり男性の社会的な威厳と
言うのを韓国俳優を見るとドラマであれなんであれたもっている。
残念ながら今の日本はすっかり女性の資本が支配する国に
なってしまい、男の理想像のようなイメージと言うのがメディアでは
あまりでなくなってしまった。
いわゆる2枚目とか、ハードボイルドと言う俳優がTVや映画で出なくなった。
そしてかわりに出始めたのがジャニーズや外国人系ハーフの人々で
もちろんまったくそういうのが無いということでは無いが、今では
まだアニメや漫画のほうがそう言う男気と言うスタイルを伝えているように思う。

(大河ドラマ・坂の上の雲の俳優のキャスティングは良い。モックンや
阿部寛の秋山兄弟など、ほんとうにナイスであった)
842無記無記名:2010/12/30(木) 20:12:33 ID:BocULTtK
勝新太郎は三島が死んだとき、その訃報を撮影所きいて泣いたんだって。
843無記無記名:2010/12/30(木) 20:19:26 ID:TyIWxthZ
三島の自決は最後の小説天人五衰から考えないとダメだ。
844無記無記名:2011/01/05(水) 10:10:31 ID:EZP+ZUlr
845無記無記名:2011/01/11(火) 19:18:14 ID:6uICfpEt
(´・ω・`)   n <MISHIMA !!
⌒`γ´⌒`ヽ( E)
( .人 .人 γ ノ
ミ(こノこノ `ー´
)にノこ(
846無記無記名:2011/01/13(木) 11:09:46 ID:sna8OfCl
「葉隠」の恋愛は忍恋(しのぶこひ)の一語に尽き、打ちあけた恋はすでに恋のたけが低く、もしほんたうの
恋であるならば、一生打ちあけない恋が、もつともたけの高い恋であると断言してゐる。
アメリカふうな恋愛技術では、恋は打ちあけ、要求し、獲得するものである。恋愛のエネルギーはけつして内に
たわめられることがなく、外へ外へと向かつて発散する。しかし、恋愛のボルテージは、発散したとたんに
滅殺されるといふ逆説的な構造をもつてゐる。現代の若い人たちは、恋愛の機会も、性愛の機会も、かつての
時代とは比べものにならぬほど豊富に恵まれてゐる。しかし、同時に現代の若い人たちの心の中にひそむのは
恋愛といふものの死である。もし、心の中に生まれた恋愛が一直線に進み、獲得され、その瞬間に死ぬといふ経過を
何度もくり返してゐると、現代独特の恋愛不感症と情熱の死が起こることは目にみえてゐる。若い人たちが
いちばん恋愛の問題について矛盾に苦しんでゐるのは、この点であるといつていい。

三島由紀夫「葉隠入門」より
847無記無記名:2011/01/13(木) 11:11:57 ID:sna8OfCl
かつて、戦前の青年たちは器用に恋愛と肉欲を分けて暮らしてゐた。大学にはいると先輩が女郎屋へ連れて行つて
肉欲の満足を教へ、一方では自分の愛する女性には、手さへふれることをはばかつた。
そのやうな形で近代日本の恋愛は、一方では売淫行為の犠牲のうへに成り立ちながら、一方では古いピューリタニカルな
恋愛伝統を保持してゐたのである。しかし、いつたん恋愛の見地に立つと、男性にとつては別の場所に肉欲の満足の
犠牲の対象がなければならない。それなしには真の恋愛はつくり出せないといふのが、男の悲劇的な生理構造である。
「葉隠」が考へてゐる恋愛は、そのやうななかば近代化された、使ひ分けのきく、要領のいい、融通のきく恋愛の
保全策ではなかつた。そこにはいつも死が裏づけとなつてゐた。恋のためには死ななければならず、死が恋の
緊張と純粋度を高めるといふ考へが「葉隠」の説いてゐる理想的な恋愛である。

三島由紀夫「葉隠入門」より
848無記無記名:2011/01/13(木) 11:12:24 ID:sna8OfCl
おそるべき人生知にあふれたこの著者(山本常朝)は、人間が生だけによつて生きるものではないことを知つてゐた。
彼は、人間にとつて自由といふものが、いかに逆説的なものであるかも知つてゐた。そして人間が自由を
与へられるとたんに自由に飽き、生を与へられるとたんに生に耐へがたくなることも知つてゐた。
現代は、生き延びることにすべての前提がかかつてゐる時代である。平均寿命は史上かつてないほどに延び、
われわれの前には単調な人生のプランが描かれてゐる。青年がいはゆるマイホーム主義によつて、自分の小さな巣を
見つけることに努力してゐるうちはまだしも、いつたん巣が見つかると、その先には何もない。あるのはそろばんで
はじかれた退職金の金額と、労働ができなくなつたときの、静かな退職後の、老後の生活だけである。(中略)
戦後一定の理想的水準に達したイギリスでは、労働意欲が失はれ、それがさらには産業の荒廃にまで結びついてゐる。

三島由紀夫「葉隠入門」より
849無記無記名:2011/01/13(木) 11:12:46 ID:sna8OfCl
しかし、現代社会の方向には、社会主義国家の理想か、福祉国家の理想か、二つに一つしかないのである。
自由のはてには福祉国家の倦怠があり、社会主義国家のはてには自由の抑圧があることはいふまでもない。
人間は大きな社会的なヴィジョンを一方の心で持ちながら、そして、その理想へ向かつて歩一歩を進めながら、
同時に理想が達せられさうになると、とたんに退屈してしまふ。他方では、一人一人が潜在意識の中に、深い
盲目的な衝動をかくしてゐる。それは未来にかかはる社会的理想とは本質的にかかはりのない、現在の一瞬一瞬の
生の矛盾にみちたダイナミックな発現である。青年においては、とくにこれが端的な、先鋭な形であらはれる。
また、その盲目的な衝動が劇的に対立し、相争ふ形であらはれる。青年期は反抗の衝動と服従の衝動とを同じやうに
持つてゐる。これは自由への衝動と死への衝動といひかへてもよい。その衝動のあらはれが、いかに政治的な形を
とつても、その実それは、人間存在の基本的な矛盾の電位差によつて起こる電流のごときものと考へてよい。

三島由紀夫「葉隠入門」より
850無記無記名:2011/01/13(木) 11:13:11 ID:sna8OfCl
戦時中には、死への衝動は100パーセント解放されるが、反抗の衝動と自由の衝動と生の衝動は、完全に
抑圧されてゐる。それとちやうど反対の現象が起きてゐるのが戦後で、反抗の衝動と自由の衝動と生の衝動は、
100パーセント満足されながら、服従の衝動と死の衝動は、何ら満たされることがない。十年ほど前に、
わたしはある保守系の政治家と話したときに、日本の戦後政治は経済的繁栄によつて、すくなくとも青年の
生の衝動を満足させたかもしれないが、死の衝動についてはつひにふれることなく終はつた。しかし、青年の中に
抑圧された死の衝動は、何かの形で暴発する危険にいつもさらされてゐると語つたことがある。
(中略)
トインビーが言つてゐることであるが、キリスト教がローマで急に勢ひを得たについては、ある目標のために
死ぬといふ衝動が、渇望されてゐたからであつた。パックス・ロマーナの時代に、全ヨーロッパ、アジアにまで
及んだローマの版図は、永遠の太平を享楽してゐた。

三島由紀夫「葉隠入門」より
851無記無記名:2011/01/13(木) 23:51:30 ID:sna8OfCl
現代社会では、死はどういふ意味を持つてゐるかは、いつも忘れられてゐる。いや、忘れられてゐるのではなく、
直面することを避けられてゐる。ライナ・マリア・リルケは、人間の死が小さくなつたといふことを言つた。
人間の死は、たかだか病室の堅いベッドの上の個々の、すぐ処分されるべき小さな死にすぎなくなつてしまつた。
そしてわれわれの周辺には、日清戦争の死者をうはまはるといはれる交通戦争がたえず起こつてをり、人間の
生命のはかないことは、いまも昔も少しも変はりはない。ただ、われわれは死を考へることがいやなのである。
死から何か有効な成分を引き出して、それを自分に役立てようとすることがいやなのである。われわれは、
明るい目標、前向きの目標、生の目標に対して、いつも目を向けてゐようとする。そして、死がわれわれの生活を
じよじよにむしばんでいく力に対しては、なるたけふれないでゐたいと思つてゐる。

三島由紀夫「葉隠入門」より
852無記無記名:2011/01/13(木) 23:51:54 ID:sna8OfCl
このことは、合理主義的人文主義的思想が、ひたすら明るい自由と進歩へ人間の目を向けさせるといふ機能を
営みながら、かへつて人間の死の問題を意識の表面から拭ひ去り、ますます深く潜在意識の闇へ押し込めて、
それによる抑圧から、死の衝動をいよいよ危険な、いよいよ爆発力を内攻させたものに化してゆく過程を示してゐる。
死を意識の表へ連れ出すといふことこそ、精神衛生の大切な要素だといふことが閑却されてゐるのである。
しかし、死だけは、「葉隠」の時代も現代も少しも変はりなく存在し、われわれを規制してゐるのである。
その観点に立つてみれば、「葉隠」の言つてゐる死は、何も特別なものではない。毎日死を心に当てることは、
毎日生を心に当てることと、いはば同じことだといふことを「葉隠」は主張してゐる。われわれはけふ死ぬと
思つて仕事をするときに、その仕事が急にいきいきとした光を放ち出すのを認めざるをえない。

三島由紀夫「葉隠入門」より
853無記無記名:2011/01/14(金) 20:08:55 ID:wcAyJteY
西欧ではギリシャ時代にすでにエロース(愛)とアガペー(神の愛)が分けられ、エロースは肉欲的観念から発して、
じよじよに肉欲を脱してイデアの世界に参入するところの、プラトンの哲学に完成を見いだした。一方アガペーは、
まつたく肉欲と断絶したところの精神的な愛であつて、これは後にキリスト教の愛として採用されたものである。
(中略)
日本人本来の精神構造の中においては、エロースとアガペーは一直線につながつてゐる。もし女あるひは若衆に
対する愛が、純一無垢なものになるときは、それは主君に対する忠と何ら変はりない。このやうなエロースと
アガペーを峻別しないところの恋愛観念は、幕末には「恋闕の情」といふ名で呼ばれて、天皇崇拝の感情的基盤を
なした。いまや、戦前的天皇制は崩壊したが、日本人の精神構造の中にある恋愛観念は、かならずしも崩壊して
ゐるとはいへない。それは、もつとも官能的な誠実さから発したものが、自分の命を捨ててもつくすべき理想に
一直線につながるといふ確信である。

三島由紀夫「葉隠入門」より
854無記無記名:2011/01/14(金) 20:09:14 ID:wcAyJteY
一方では、死ぬか生きるかのときに、すぐ死ぬはうを選ぶべきだといふ決断をすすめながら、一方ではいつも
十五年先を考へなくてはならない。十五年過ぎてやつとご用に立つのであつて、十五年などは夢の間だといふことが書かれてゐる。
これも一見矛盾するやうであるが、常朝の頭の中には、時といふものへの蔑視があつたのであらう。時は人間を変へ、
人間を変節させ、堕落させ、あるひは向上させる。しかし、この人生がいつも死に直面し、一瞬一瞬にしか
真実がないとすれば、時の経過といふものは、重んずるに足りないのである。重んずるに足りないからこそ、
その夢のやうな十五年間を毎日毎日これが最後と思つて生きていくうちには、何ものかが蓄積されて、一瞬一瞬、
一日一日の過去の蓄積が、もののご用に立つときがくるのである。これが「葉隠」の説いてゐる生の哲学の
根本理念である。

三島由紀夫「葉隠入門」より
855無記無記名:2011/01/14(金) 20:09:37 ID:wcAyJteY
「葉隠」は、一面謙譲の美徳をほめそやしながら、一面人間のエネルギーが、エネルギー自体の原理に従つて、
大きな行動を成就するところに着目した。(中略)
もし、謙譲の美徳のみをもつて日常をしばれば、その日々の修行のうちから、その修行をのり越えるやうな
激しい行動の理念は出てこない。それが大高慢にてなければならぬといひ、わが身一身で家を背負はねばならぬと
いふことの裏づけである。彼はギリシャ人のやうにヒュブリス(傲慢)といふものの、魅惑と光輝とその
おそろしさをよく知つてゐた。


男の世界は思ひやりの世界である。男の社会的な能力とは思ひやりの能力である。武士道の世界は、一見
荒々しい世界のやうに見えながら、現代よりももつと緻密な人間同士の思ひやりのうへに、精密に運営されてゐた。


忠告は無料である。われわれは人に百円の金を貸すのも惜しむかはりに、無料の忠告なら湯水のごとくそそいで
惜しまない。しかも忠告が社会生活の潤滑油となることはめつたになく、人の面目をつぶし、人の気力を阻喪させ、
恨みをかふことに終はるのが十中八、九である。

三島由紀夫「葉隠入門」より
856無記無記名:2011/01/14(金) 20:09:56 ID:wcAyJteY
思想は覚悟である。覚悟は長年にわたつて日々確かめられなければならない。


長い準備があればこそ決断は早い。そして決断の行為そのものは自分で選べるが、時期はかならずしも選ぶことが
できない。それは向かうからふりかかり、おそつてくるのである。そして生きるといふことは向かうから、あるひは
運命から、自分が選ばれてある瞬間のために準備することではあるまいか。


戦士は敵の目から恥づかしく思はれないか、敵の目から卑しく思はれないかといふところに、自分の対面と
モラルのすべてをかけるほかはない。自己の良心は敵の中にこそあるのである。


いつたん行動原理としてエネルギーの正当性を認めれば、エネルギーの原理に従ふほかはない。獅子は荒野の
かたなにまで突つ走つていくほかはない。それのみが獅子が獅子であることを証明するのである。

三島由紀夫「葉隠入門」より
857無記無記名:2011/01/14(金) 20:10:14 ID:wcAyJteY
合理的に考へれば死は損であり、生は得であるから、だれも喜んで死へおもむくものはゐない。合理主義的な
観念の上に打ち立てられたヒューマニズムは、それが一つの思想の鎧となることによつて、あたかも普遍性を
獲得したやうな錯覚におちいり、その内面の主体の弱みと主観の脆弱さを隠してしまふ。常朝がたえず非難して
ゐるのは、主体と思想との間の乖離である。

「強み」とは何か。知恵に流されぬことである。分別に溺れないことである。


いまの恋愛はピグミーの恋になつてしまつた。恋はみな背が低くなり、忍ぶことが少なければ少ないほど恋愛は
イメージの広がりを失ひ、障害を乗り越える勇気を失ひ、社会の道徳を変革する革命的情熱を失ひ、その内包する
象徴的意味を失ひ、また同時に獲得の喜びを失ひ、獲得できぬことの悲しみを失ひ、人間の感情の広い振幅を失ひ、
対象の美化を失ひ、対象をも無限に低めてしまつた。恋は相対的なものであるから、相手の背丈が低まれば、
こちらの背丈も低まる。かくて東京の町の隅々には、ピグミーたちの恋愛が氾濫してゐる。

三島由紀夫「葉隠入門」より
858無記無記名:2011/01/15(土) 11:25:05 ID:kls6niIk
エゴティズムはエゴイズムとは違ふ。自尊の心が内にあつて、もしみづから持すること高ければ、人の言行などは
もはや問題ではない。人の悪口をいふにも及ばず、またとりたてて人をほめて歩くこともない。そんな始末に
おへぬ人間の姿は、同時に「葉隠」の理想とする姿であつた。


いまの時代は“男はあいけう、女はどきよう”といふ時代である。われわれの周辺にはあいけうのいい男に
こと欠かない。そして時代は、ものやはらかな、だれにでも愛される、けつして角だたない、協調精神の旺盛な、
そして心の底は冷たい利己主義に満たされた、さういふ人間のステレオタイプを輩出してゐる。「葉隠」は
これを女風といふのである。「葉隠」のいふ美は愛されるための美ではない。体面のための、恥づかしめられぬ
ための強い美である。愛される美を求めるときに、そこに女風が始まる。それは精神の化粧である。「葉隠」は、
このやうな精神の化粧をはなはだにくんだ。現代は苦い薬も甘い糖衣に包み、すべてのものが口当たりよく、
歯ごたへのないものがもつとも人に受け入れられるものになつてゐる。

三島由紀夫「葉隠入門」より
859無記無記名:2011/01/15(土) 11:25:20 ID:kls6niIk
常朝は、この人生を夢の間の人生と観じながら、同時に人間がいやおうなしに成熟していくことも知つてゐた。
時間は自然に人々に浸み入つて、そこに何ものかを培つていく。もし人がけふ死ぬ時に際会しなければ、そして
けふ死の結果を得なければ、容赦なくあしたへ生き延びていくのである。
(中略)一面から見れば、二十歳で死ぬも、六十歳で死ぬも同じかげろふの世であるが、また一面から見れば
二十歳で死んだ人間の知らない冷徹な人生知を、人々に与へずにはおかぬ時間の恵みであつた。それを彼は
「御用」と呼んでゐる。(中略)
彼にとつて身養生とは、いつでも死ねる覚悟を心に秘めながら、いつでも最上の状態で戦へるやうに健康を大切にし、
生きる力をみなぎり、100パーセントのエネルギーを保有することであつた。
ここにいたつて彼の死の哲学は、生の哲学に転化しながら、同時になほ深いニヒリズムを露呈していくのである。

三島由紀夫「葉隠入門」より
860無記無記名:2011/01/15(土) 11:25:34 ID:kls6niIk
「葉隠」の死は、何か雲間の青空のやうなふしぎな、すみやかな明るさを持つてゐる。それは現代化された形では、
戦争中のもつとも悲惨な攻撃方法と呼ばれた、あの神風特攻隊のイメージと、ふしぎにも結合するものである。
神風特攻隊は、もつとも非人間的な攻撃方法といはれ、戦後、それによつて死んだ青年たちは、長らく犬死の汚名を
かうむつてゐた。しかし、国のために確実な死へ向かつて身を投げかけたその青年たちの精神は、それぞれの
心の中に分け入れば、いろいろな悩みや苦しみがあつたに相違ないが、日本の一つながりの伝統の中に置くときに、
「葉隠」の明快な行動と死の理想に、もつとも完全に近づいてゐる。人はあへていふだらう。特攻隊は、いかなる
美名におほはれてゐるとはいへ、強ひられた死であつた。(中略)志願とはいひながら、ほとんど強制と同様な
方法で、確実な死のきまつてゐる攻撃へかりたてられて行つたのだと……。それはたしかにさうである。
では、「葉隠」が暗示してゐるやうな死は、それとはまつたく違つた、選ばれた死であらうか。わたしには
さうは思はれない。

三島由紀夫「葉隠入門」より
861無記無記名:2011/01/15(土) 11:25:48 ID:kls6niIk
「葉隠」は一応、選びうる行為としての死へ向かつて、われわれの決断を促してゐるのであるが、同時に、
その裏には、殉死を禁じられて生きのびた一人の男の、死から見放された深いニヒリズムの水たまりが横たはつてゐる。
人間は死を完全に選ぶこともできなければ、また死を完全に強ひられることもできない。たとへ、強ひられた死として
極端な死刑の場合でも、精神をもつてそれに抵抗しようとするときには、それは単なる強ひられた死ではなくなる
のである。また、原子爆弾の死でさへも、あのやうな圧倒的な強ひられた死も、一個人一個人にとつては
運命としての死であつた。われわれは、運命と自分の選択との間に、ぎりぎりに追ひつめられた形でしか、
死に直面することができないのである。そして死の形態には、その人間的選択と超人間的運命との暗々裏の相剋が、
永久にまつはりついてゐる。ある場合には完全に自分の選んだ死とも見えるであらう。自殺がさうである。
ある場合には完全に強ひられた死とも見えるであらう。たとへば空襲の爆死がさうである。

三島由紀夫「葉隠入門」より
862無記無記名:2011/01/15(土) 11:26:38 ID:kls6niIk
しかし、自由意思の極致のあらはれと見られる自殺にも、その死へいたる不可避性には、つひに自分で選んで
選び得なかつた宿命の因子が働いてゐる。また、たんなる自然死のやうに見える病死ですら、そこの病死に
運んでいく経過には、自殺に似た、みづから選んだ死であるかのやうに思はれる場合が、けつして少なくない。
「葉隠」の暗示する死の決断は、いつもわれわれに明快な形で与へられてゐるわけではない。(中略)
「葉隠」にしろ、特攻隊にしろ、一方が選んだ死であり、一方が強ひられた死だと、厳密にいふ権利はだれにも
ないわけなのである。問題は一個人が死に直面するといふときの冷厳な事実であり、死にいかに対処するかといふ
人間の精神の最高の緊張の姿は、どうあるべきかといふ問題である。
そこで、われわれは死についての、もつともむづかしい問題にぶつからざるをえない。われわれにとつて、
もつとも正しい死、われわれにとつてみづから選びうる、正しい目的にそうた死といふものは、はたしてあるので
あらうか。

三島由紀夫「葉隠入門」より
863無記無記名:2011/01/15(土) 11:29:15 ID:kls6niIk
人間が国家の中で生を営む以上、そのやうな正しい目的だけに向かつて自分を限定することができるであらうか。
またよし国家を前提にしなくても、まつたく国家を超越した個人として生きるときに、自分一人の力で人類の
完全に正しい目的のための死といふものが、選び取れる機会があるであらうか。そこでは死といふ絶対の観念と、
正義といふ地上の現実の観念との齟齬が、いつも生ぜざるをえない。そして死を規定するその目的の正しさは、
また歴史によつて十年後、数十年後、あるひは百年後、二百年後には、逆転し訂正されるかもしれないのである。
「葉隠」は、このやうな煩瑣な、そしてさかしらな人間の判断を、死とは別々に置いていくといふことを考へてゐる。
なぜなら、われわれは死を最終的に選ぶことはできないからである。だからこそ「葉隠」は、生きるか死ぬかと
いふときに、死ぬことをすすめてゐるのである。それはけつして死を選ぶことだとは言つてゐない。なぜならば、
われわれにはその死を選ぶ基準がないからである。

三島由紀夫「葉隠入門」より
864無記無記名:2011/01/15(土) 11:29:32 ID:kls6niIk
われわれが生きてゐるといふことは、すでに何ものかに選ばれてゐたことかもしれないし、生がみづから
選んだものでない以上、死もみづから最終的に選ぶことができないのかもしれない。
では、生きてゐるものが死と直面するとは何であらうか。「葉隠」はこの場合に、ただ行動の純粋性を提示して、
情熱の高さとその力を肯定して、それによつて生じた死はすべて肯定している。それを「犬死などといふ事は、
上方風の打ち上りたる武道」だと呼んでゐる。死について「葉隠」のもつとも重要な一節である。「武士道といふは、
死ぬ事と見付けたり」といふ文句は、このやうな生と死のふしぎな敵対関係、永久に解けない矛盾の結び目を、
一刀をもつて切断したものである。「図に当らぬは犬死などといふ事は、上方風の打ち上りたる武道なるべし。
二つ二つの場にて、図に当ることのわかることは、及ばざることなり」
図に当たるとは、現代のことばでいへば、正しい目的のために正しく死ぬといふことである。その正しい
目的といふことは、死ぬ場合にはけつしてわからないといふことを「葉隠」は言つてゐる。

三島由紀夫「葉隠入門」より
865無記無記名:2011/01/15(土) 11:29:53 ID:kls6niIk
「我人、生くる方がすきなり。多分すきの方に理が付くべし」、生きてゐる人間にいつも理屈がつくのである。
そして生きてゐる人間は、自分が生きてゐるといふことのために、何らかの理論を発明しなければならないのである。
したがつて「葉隠」は、図にはづれて生きて腰ぬけになるよりも、図にはづれて死んだはうがまだいいといふ、
相対的な考へ方をしか示してゐない。「葉隠」は、けつして死ぬことがかならず図にはづれないとは言つてゐない
のである。ここに「葉隠」のニヒリズムがあり、また、そのニヒリズムから生まれたぎりぎりの理想主義がある。
われわれは、一つの思想や理論のために死ねるといふ錯覚に、いつも陥りたがる。しかし「葉隠」が示してゐるのは、
もつと容赦ない死であり、花も実もないむだな犬死さへも、人間の死としての尊厳を持つてゐるといふことを
主張してゐるのである。もし、われわれが生の尊厳をそれほど重んじるならば、どうして死の尊厳をも重んじない
わけにいくだらうか。いかなる死も、それを犬死と呼ぶことはできないのである。

三島由紀夫「葉隠入門」より
866無記無記名:2011/01/15(土) 13:25:26 ID:rGiKRP/b

暇な野郎だ!
867無記無記名:2011/01/26(水) 22:55:17 ID:F5qbRUpC
前景の兵隊はことごとく、軍帽から垂れた白い覆布と、肩から掛けた斜めの革紐を見せて
背を向け、きちんとした列を作らずに、乱れて、群がつて、うなだれてゐる。わづかに左隅の
前景の数人の兵士が、ルネサンス画中の人のやうに、こちらへ半ば暗い顔を向けてゐる。
そして、左奥には、野の果てまで巨大な半円をゑがく無数の兵士たち、もちろん一人一人と
識別もできぬほどの夥しい人数が、木の間に遠く群がつてつづいてゐる。
前景の兵士たちも、後景の兵士たちも、ふしぎな沈んだ微光に犯され、脚絆や長靴の輪郭を
しらじらと光らせ、うつむいた項や肩の線を光らせてゐる。画面いつぱいに、何とも云へない
沈痛の気が漲つてゐるのはそのためである。
すべては中央の、小さな白い祭壇と、花と、墓標へ向つて、波のやうに押し寄せる心を
捧げてゐるのだ。野の果てまでひろがるその巨きな集団から、一つの、口につくせぬ思ひが、
中央へ向つて、その重い鉄のやうな巨大な環を徐々にしめつけてゐる。……
古びた、セピアいろの写真であるだけに、これのかもし出す悲哀は、限りがないやうに思はれた。

三島由紀夫「春の雪」より
868無記無記名:2011/01/26(水) 22:55:45 ID:F5qbRUpC
あたかも俥は、邸の多い霞町の坂の上の、一つの崖ぞひの空地から、麻布三聨隊の営庭を
見渡すところへかかつてゐた。いちめんの白い営庭には兵隊の姿もなかつたが、突然、
清顕はそこに、例の日露戦没写真集の、得利寺附近の戦死者の弔辞の幻を見た。
数千の兵士がそこに群がり、白木の墓標と白布をひるがへした祭壇を遠巻きにして
うなだれてゐる。あの写真とはちがつて、兵士の肩にはことごとく雪が積み、軍帽の庇は
ことごとく白く染められてゐる。それは実は、みんな死んだ兵士たちなのだ、と幻を見た瞬間に
清顕は思つた。あそこに群がつた数千の兵士は、ただ戦友の弔辞のために集つたのではなくて、
自分たち自身を弔ふためにうなだれてゐるのだ。……
幻はたちまち消え、移る景色は、高い塀のうちに、大松の雪吊りの新しい縄の鮮やかな麦色に
雪が危ふく懸つてゐるさま、ひたと締めた総二階の磨硝子の窓がほのかに昼の灯火を
にじませてゐるさま、などを次々と雪ごしに示した。

三島由紀夫「春の雪」より
869無記無記名:2011/01/26(水) 22:59:06 ID:F5qbRUpC
百年たつたらどうなんだ。われわれは否応なしに、一つの時代思潮の中へ組み込まれて、
眺められる他はないだらう。美術史の各時代の様式のちがひが、それを容赦なく証明してゐる。
一つの時代の様式の中に住んでゐるとき、誰もその様式をとほしてでなくては物を見ることが
できないんだ。


様式のなかに住んでゐる人間には、その様式が決して目に見えないんだ。だから俺たちも
何かの様式に包み込まれてゐるにちがひないんだよ。金魚が金魚鉢の中に住んでゐることを
自分でも知らないやうに。


貴様は感情の世界だけに生きてゐる。人から見れば変つてゐるし、貴様自身も自分の個性に
忠実に生きてゐると思つてゐるだらう。しかし貴様の個性を証明するものは何もない。
同時代人の証言はひとつもあてにならない。もしかすると貴様の感情の世界そのものが、
時代の様式の一番純粋な形をあらはしてゐるのかもしれないんだ。……でも、それを
証明するものも亦一つもない。

三島由紀夫「春の雪」より
870無記無記名:2011/01/26(水) 22:59:30 ID:F5qbRUpC
ナポレオンの意志が歴史を動かしたといふ風に、すぐに西洋人は考へたがる。貴様の
おぢいさんたちの意志が、明治維新をつくり出したといふ風に。
しかし果してさうだらうか? 歴史は一度でも人間の意志どほりに動いたらうか?


たとへば俺が意志を持つてゐるとする……それも歴史を変へようとする意志を持つてゐるとする。
俺の一生をかけて、全精力全財産を費して、自分の意志どほりに歴史をねぢ曲げようと努力する。
又、さうできるだけの地位や権力を得ようとし、それを手に入れたとする。それでも歴史は
思ふままの枝ぶりになつてくれるとは限らないんだ。
百年、二百年、あるひは三百年後に、急に歴史は、俺とは全く関係なく、正に俺の夢、理想、
意志どほりの姿をとるかもしれない。正に百年前、二百年前、俺が夢みたとほりの形を
とるかもしれない。俺の目が美しいと思ふかぎりの美しさで、微笑んで、冷然と俺を見下ろし、
俺の意志を嘲るかのやうに。
それが歴史といふものだ、と人は言ふだらう。

三島由紀夫「春の雪」より
871無記無記名:2011/01/26(水) 22:59:57 ID:F5qbRUpC
俺が思ふには、歴史には意志がなく、俺の意志とは又全く関係がない。だから何の意志からも
生れ出たわけではないさういふ結果は、決して『成就』とは言へないんだ。それが証拠に、
歴史のみせかけの成就は、次の瞬間からもう崩壊しはじめる。
歴史はいつも崩壊する。又次の徒(あだ)な結晶を準備するために。歴史の形成と崩壊とは
同じ意味をしか持たないかのやうだ。
俺にはそんなことはよくわかつてゐる。わかつてゐるけれど、俺は貴様とちがつて、
意志の人間であることをやめられないんだ。意志と云つたつて、それはあるひは俺の
強ひられた性格の一部かもしれない。確としたことは誰にも言へない。しかし人間の意志が、
本質的に『歴史に関はらうとする意志』だといふことは云へさうだ。俺はそれが『歴史に
関はる意志』だと云つてゐるのではない。意志が歴史に関はるといふことは、ほとんど
不可能だし、ただ『関はらうとする』だけなんだ。それが又、あらゆる意志にそなはる
宿命なのだ。意志はもちろん、一切の宿命をみとめようとはしないけれども。

三島由紀夫「春の雪」より
872無記無記名:2011/02/03(木) 11:25:17 ID:ww+Pj6cD
鉄の性質はまことにふしぎで、少しづつその重量を増すごとに、あたかも秤のやうに、その一方の秤皿の上に
置かれた私の筋肉の量を少しづつ増してくれるのだつた。まるで鉄には、私の筋肉との間に、厳密な平衡を保つ
義務があるかのやうだつた。そして少しづつ私の筋肉の諸性質は、鉄との類似を強めて行つた。この徐々たる経過は、
次第に難しくなる知的生産物を脳髄に与へることによつて、脳を知的に改造してゆくあの「教養」の過程に
すこぶる似てゐた。そして外的な、範例的な、肉体の古典的理想形がいつも夢みられてをり、教養の終局の目的が
そこに存する点で、それは古典主義的な教養形成によく似てゐたのである。
しかし、本当は、どちらがどちらに似てゐたのであらうか? 私はすでに言葉を以て、肉体の古典的形姿を模さうと
試みてゐたではないか。私にとつては、美はいつも後退りをする。かつて在つた、あるひはかつて在るべきで
あつた姿しか、私にとつては重要でない。鉄塊は、その微妙な変化に富んだ操作によつて、肉体のうちに失はれ
かかつてゐた古典的均衡を蘇らせ、肉体をあるべきであつた姿に押し戻す働らきをした。

三島由紀夫「太陽と鉄」より
873無記無記名:2011/02/03(木) 11:26:15 ID:ww+Pj6cD
私は鉄を介して、筋肉に関するさまざまなことを学んだ。それはもつとも新鮮な知識であり、書物も世故も決して
与へてくれることのない知識であつた。筋肉は、一つの形態であると共に力であり、筋肉組織のおのおのは、
その力の方向性を微妙に分担し、あたかも肉で造り成された光りのやうだつた。
力を内包した形態といふ観念ほど、かねて私が心に描いてゐた芸術作品の定義として、ふさはしいものはなかつた。
そしてそれが光り輝やいた「有機的な」作品でなければならぬ、といふこと。
さうして作られた筋肉は、存在であることと作品であることを兼ね、逆説的にも、一種の抽象性をすら帯びてゐた。


言語芸術の栄光ほど異様なものはない。それは一見普遍化を目ざしながら、実は、言葉の持つもつとも本源的な機能を、
すなはちその普遍妥当性を、いかに精妙に裏切るか、といふところにかかつてゐる。文学における文体の勝利とは、
そのやうなものを意味してゐるのである。古代の叙事詩の如き綜合的な作品は別として、かりにも作者の名の
冠せられた文学作品は、一つの美しい「言語の変質」なのであつた。

三島由紀夫「太陽と鉄」より
874無記無記名:2011/02/03(木) 11:26:32 ID:ww+Pj6cD
みんなの見る青空、神輿の担ぎ手たちが一様に見るあの神秘な青空については、そもそも言語表現が可能なので
あらうか?
私のもつとも深い疑問がそこにあつたことは前にも述べたとほりであり、鉄を介して、私が筋肉の上に見出したものは、
このやうな一般性の栄光、「私は皆と同じだ」といふ栄光の萌芽である。鉄の苛酷な圧力によつて、筋肉は徐々に、
その特殊性や個性(それはいづれも衰退から生じたものだ)を失つてゆき、発達すればするほど、一般性と普遍性の
相貌を帯びはじめ、つひには同一の雛型に到達し、お互ひに見分けのつかない相似形に達する筈なのである。
その普遍性はひそかに蝕まれてもゐず、裏切られてもゐない。これこそ私にとつてもつとも喜ばしい特性と言へる
ものだつた。
そこに、これほど目にも見え、手にも触れられる筋肉といふものの、独自の抽象性がはじまるのである。(中略)
筋肉はわれわれが通例好加減に信じてゐる存在の感覚を噛み砕き、それを一つの透明な力の感覚に変へてしまつてゐた。
これこそ私が、その抽象性と呼ぶところのものである。

三島由紀夫「太陽と鉄」より
875無記無記名:2011/02/03(木) 11:26:50 ID:ww+Pj6cD
私の筋肉が徐々に鉄との相似を増すやうに、われわれは世界によつて造られてゆくのであるが、鉄も世界も
それ自身存在感覚を持つてゐる筈もないのに、愚かな類推から、しらずしらず鉄や世界も存在感覚を持つてゐるやうに
われわれは錯覚してしまふ。(中略)かくてわれわれの存在感覚は対象を追ひ求め、いつはりの相対的世界にしか
住むことができないのである。


筋肉は鉄を離れたとき絶対の孤独に陥り、その隆々たる形態は、ただ鉄の歯車と噛み合ふやうに作られた歯車の形に
すぎぬと感じられた。涼風の一過、汗の蒸発、……それと共に消える筋肉の存在。……しかし、筋肉はこのとき
もつとも本質的な働らきをし、人々の信じてゐるあいまいな相対的な存在感覚の世界を、その見えない逞しい歯列で
噛み砕き、何ら対象の要らない、一つの透明無比な力の純粋感覚に変へるのである。もはやそこには筋肉すら
存在せず、私は透明な光りのやうな、力の感覚の只中にゐた。

三島由紀夫「太陽と鉄」より
876無記無記名:2011/02/05(土) 15:34:32 ID:i6nR/TV4
想像力といふ言葉によつて、いかに多くの怠け者の真実が容認されてきたことであらうか。肉体をそのままにして、
魂が無限に真実に近づかうと逸脱する不健全な傾向を、想像力といふ言葉が、いかに美化してきたことであらうか。
他人の肉体の痛みをわが痛みの如く感ずるといふ、想像力の感傷的側面のおかげで、人はいかに自分の肉体の痛みを
避けてきたことであらうか。又、精神的な苦悩などといふ、価値の高低のはなはだ測りにくいものを、想像力が
いかに等しなみに崇高化してきたことであらうか。そして、このやうな想像力の越権が、芸術家の表現行為と
共犯関係を結ぶときに、そこに作品といふ一つの「物」の擬制が存在せしめられ、かうした多数の「物」の介在が、
今度は逆に現実を歪め修正してきたのである。その結果は、人々はただ影にしか接触しないやうになり、自分の
肉体の痛みと敢て親しまないやうになるであらう。

三島由紀夫「太陽と鉄」より
877無記無記名:2011/02/05(土) 15:35:58 ID:i6nR/TV4
拳の一閃、竹刀の一打の彼方にひそんでゐるものが、言語表現と対極にあることは、それこそは何かきはめて
具体的なもののエッセンス、実在の精髄と感じられることからもわかつた。それはいかなる意味でも影ではなかつた。
拳の彼方、竹刀の剣尖の彼方には、絶対に抽象化を拒否するところの、(ましてや抽象化による具象表現を全的に
拒否するところの)、あらたかな実在がぬつと頭をもたげてゐた。
そこにこそ行動の精髄、力の精髄がひそんでゐると思はれたが、それといふのも、その実在はごく簡単に「敵」と
呼ばれてゐたからである。


拳の一閃、竹刀の一打のさきの、何もない空間にひそんで、じつとこちらを見返すところの、敵こそは「物」の
本質なのであつた。イデアは決して見返すことがなく、物は見返す。言語表現の彼方には、獲得された擬制の
物(作品)を透かしてイデアが揺曳し、行動の彼方には、獲得された擬制の空間(敵)を透かして物が揺曳する筈だ。
そしてその物とは、行動家にとつて、想像力の媒介なしに接近を迫られるところの死の姿であり、いはば闘牛士に
とつての黒い牡牛なのだ。

三島由紀夫「太陽と鉄」より
878無記無記名:2011/02/05(土) 15:37:44 ID:i6nR/TV4
あらゆる英雄主義を滑稽なものとみなすシニシズムには、必ず肉体的劣等感の影がある。英雄に対する嘲笑は、
肉体的に自分が英雄たるにふさはしくないと考へる男の口から出るに決まつてゐる。(中略)私はかつて、彼自身も
英雄と呼ばれてをかしくない肉体的資格を持つた男の口から、英雄主義に対する嘲笑がひびくのをきいたことがない。
シニシズムは必ず、薄弱な筋肉か過剰な脂肪に関係があり、英雄主義と強大なニヒリズムは、鍛へられた筋肉と
関係があるのだ。なぜなら英雄主義とは、畢竟するに、肉体の原理であり、又、肉体の強壮と死の破壊との
コントラストに帰するからであつた。


肉体を用ひて究極感覚を追求しようとするときに勝利の瞬間はつねに感覚的に浅薄なものでしかなかつた。
敵とは、「見返す実在」とは、究極的には死に他ならない。誰も死に打ち克つことができないとすれば、勝利の
栄光とは、純現世的な栄光の極致にすぎない。そのやうな純現世的な栄光ならば、われわれは言語芸術の力を
以てしても、多少類似のものを獲得できないわけではない。

三島由紀夫「太陽と鉄」より
879無記無記名:2011/02/05(土) 15:38:59 ID:i6nR/TV4
私は言葉とどのやうにして附合つてきたであらうか。
すでに私は私の文体を私の筋肉にふさはしいものにしてゐたが、それによつて文体は撓(しな)やかに自在になり、
脂肪に類する装飾は剥ぎ取られ、筋肉的な装飾、すなはち現代文明の裡では無用であつても、威信と美観のためには
依然として必要な、さういふ装飾は丹念に維持されてゐた。私は単に機能的な文体といふものを、単に感覚的な
文体と同様に愛さなかつた。(中略)
もちろんそれは日に日に時代の好尚から背いて行つた。私の文体は対句に富み、古風な堂々たる重味を備へ、
気品にも欠けてゐなかつたが、どこまで行つても式典風な壮重な歩行を保ち、他人の寝室をもその同じ歩調で
通り抜けた。私の文体はつねに軍人のやうに胸を張つてゐた。そして、背をかがめたり、身を斜めにしたり、
膝を曲げたり、甚だしいのは腰を振つたりしてゐる他人の文体を軽蔑した。
姿勢を崩さなければ見えない真実がこの世にはあることを、私とて知らぬではない。しかしそれは他人に委せて
おけばすむことだつた。

三島由紀夫「太陽と鉄」より
880無記無記名:2011/02/08(火) 11:07:49 ID:RQ+uwGDo
私は何より敗北を嫌つた。自分が侵蝕され、感受性の胃液によつて内側から焼けただれ、つひには輪郭を失ひ、融け、
液化してしまふこと、又自分をめぐる時代と社会とがさうなつてしまふこと、それに文体を合せてゆくほどの敗北が
あるだらうか。
芸術作品といふものは、皮肉なことに、そのやうな敗北と、精神の死の只中から、傑作を成就することがあるのは
よく知られてゐる。一歩しりぞいて、この種の傑作を芸術の勝利とみとめるにしても、それは戦ひなき勝利であり、
芸術独特の不戦勝なのであつた。私が求めるのは、勝つにせよ、負けるにせよ、戦ひそのものであり、戦はずして
敗れることも、ましてや、戦はずして勝つことも、私の意中にはなかつた。一方では、私は、あらゆる戦ひと
いふものの、芸術における虚偽の性質を知悉してゐた。もしどうしても私が戦ひを欲するなら、芸術においては
砦を防衛し、芸術外において攻撃に出なければならぬ。芸術においてはよき守備兵であり、芸術外においては
よき戦士でなければならぬ。私の生活の目標は、戦士としてのくさぐさの資格を取得することに向けられた。

三島由紀夫「太陽と鉄」より
881無記無記名:2011/02/08(火) 11:08:51 ID:RQ+uwGDo
死に対する燃えるやうな希求が、決して厭世や無気力と結びつかずに、却つて充溢した力や生の絶頂の花々しさや
戦ひの意志と結びつくところに「武」の原理があるとすれば、これほど文学の原理に反するものは又とあるまい。
「文」の原理とは、死は抑圧されつつ私(ひそ)かに動力として利用され、力はひたすら虚妄の構築に捧げられ、
生はつねに保留され、ストックされ、死と適度にまぜ合はされ、防腐剤を施され、不気味な永生を保つ芸術作品の
制作に費やされることであつた。むしろかう言つたらよからう。「武」とは花と散ることであり、「文」とは
不朽の花を育てることだ、と。そして不朽の花とはすなはち造花である。
かくて「文武両道」とは、散る花と散らぬ花とを兼ねることであり、人間性の最も相反する二つの欲求、および
その欲求の実現の二つの夢を、一身に兼ねることであつた。そこで何が起るか? 一方が実体であれば他方は
虚妄であらざるをえぬこの二つのもの、その双方の本質に通暁し、その源泉を知悉し、その秘密に与るとは、
一方の他方に対する究極的な夢をひそかに破壊することなのだ。

三島由紀夫「太陽と鉄」より
882無記無記名:2011/02/08(火) 11:09:50 ID:RQ+uwGDo
生きてゐるあひだは、しかしわれわれは、どのやうな認識とも戯れることができる。それはスポーツにおける
刻々の死と、それからのよみがへりの爽やかさが証明してゐる。たえず破滅に瀕しつつ得られる均衡こそが、
認識上の勝利なのだ。
私の認識はいつも欠伸をしてゐたから、よほど困難な、ほとんど不可能な命題に対してしか、興味を示さぬやうに
なつてゐた。といふよりもむしろ、認識が認識自体を危ふくするやうな危険なゲームにしか惹かれなくなつたのである。
そしてそのあとの爽快なシャワーにしか。
かつて私は、胸囲一メートル以上の男は、彼を取り巻く外界について、どういふ感じ方をするものかといふことに、
一つの認識の標的を宛ててゐた。それは認識にとつて明らかに手にあまる課題であつた。(中略)
――しかし、突然、あらゆる幻想は消えた。退屈してゐる認識は不可解なもののみを追ひ求め、のちに、突然、
その不可解は瓦解し、……胸囲一メートル以上の男は私だつたのである。
かつて向う岸にゐたと思はれた人々は、もはや私と同じ岸にゐるやうになつた。すでに謎はなく、謎は死だけにあつた。

三島由紀夫「太陽と鉄」より
883無記無記名:2011/02/08(火) 11:12:27 ID:RQ+uwGDo
永遠に想像力に属する唯一のものこそ、すなはち死であつた。
しかし、どうちがふのか? 夜襲を仕掛けてくる病的な想像力、あの官能的な、放恣な感覚的惑溺をもたらす想像力の
淵源が、すべて死にあるとすれば、栄光ある死とその死とはどうちがふのか? 浪漫的な死と、頽廃的な死とは
どうちがふのか? 文武両道の苛酷な無救済は、それらが畢竟同じものだと教へるであらう。そして、文学上の倫理も、
行動の倫理も、死と忘却に抗ふためのはかない努力にすぎぬと教へるであらう。


男とは、ふだんは自己の客体化を絶対に容認しないものであつて、最高の行動を通してのみ客体化され得るが、
それはおそらく死の瞬間であり、実際に見られなくても「見られる」擬制が許され、客体としての美が許されるのは、
この瞬間だけなのである。特攻隊の美とはかくの如きものであり、それは精神的にのみならず、男性一般から、
超エロティックに美と認められる。しかもこの場合の媒体をなすものは、常人の企て及ばぬ壮烈な英雄的行動なので
あり、従つてそこには無媒介の客体化は成り立たない。

三島由紀夫「太陽と鉄」より
884無記無記名:2011/02/08(火) 11:13:23 ID:RQ+uwGDo
私にとつて、時が回収可能だといふことは、直ちに、かつて遂げられなかつた美しい死が可能になつたといふことを
意味してゐた。あまつさへ私はこの十年間に、力を学び、受苦を学び、戦ひを学び、克己を学び、それらすべてを
喜びを以て受け入れる勇気を学んでゐた。
私は戦士としての能力を夢みはじめてゐたのである。


……私が幸福と呼ぶところのものは、もしかしたら、人が危機と呼ぶところのものと同じ地点にあるのかもしれない。
言葉を介さずに私が融合し、そのことによつて私が幸福を感じる世界とは、とりもなほさず、悲劇的世界であつた
からである。もちろんその瞬間にはまだ悲劇は成就されず、あらゆる悲劇的因子を孕み、破滅を内包し、確実に
「未来」を欠いた世界。そこに住む資格を完全に取得したといふ喜びが、明らかに私の幸福の根拠だつた。
そのパスポートを言葉によつてではなく、ただひたすら肉体的教養によつて得たと感じることが、私の矜りの
根拠だつた。

三島由紀夫「太陽と鉄」より
885無記無記名:2011/02/11(金) 17:39:50 ID:WD6sLC4i
そこでだけ私がのびやかに呼吸をすることのできる世界、完全に日常性を欠き、完全に未来を欠いた世界、
それこそあの戦争がをはつた時以来、たえず私が灼きつくやうな焦燥を以て追ひ求めてゐたものであつたが、
言葉は決して私にこれを与へなかつたのみか、むしろそこから遠ざかるやうに遠ざかるやうにと私を鞭打つた。
なぜなら、どんな破滅的な言語表現も、芸術家の「日々の仕事(ターゲヴェルク)」に属してゐたからである。
何といふ皮肉であらう。そもそもそのやうな、明日といふもののない、大破局の熱い牛乳の皮がなみなみと
湛へられた茶碗の縁を覆うてゐたあの時代には、私はその牛乳を呑み干す資格を与へられてゐず、その後の永い
練磨によつて、私が完全に資格を取得して還つて来たときには、すでに牛乳は誰かに呑み干されたあとであり、
冷えた茶碗は底をあらはし、私はすでに四十歳を超えてゐたのだつた。そして困つたことに、私の渇を癒やすことの
できるものは、誰かがすでに呑んでしまつたその熱い牛乳だけなのだ。

三島由紀夫「太陽と鉄」より
886無記無記名:2011/02/11(金) 17:40:43 ID:WD6sLC4i
「来(きた)るべき戦争」といふ厖大な仮構へすべてが捧げられ、訓練計画は周到に編まれ、兵士たちは精励し、
そして何事も起らぬ空無は日々進行し、きのふ最上の状態にあつた肉体は、今日かすかに衰退し、老いはつぎつぎと
整理され、若さは小止みなく補給されてゐた。
私は今さらながら、言葉の真の効用を会得した。言葉が相手にするものこそ、この現在進行形の虚無なのである。
いつ訪れるとも知れぬ「絶対」を待つ間の、いつ終るともしれぬ進行形の虚無こそ、言葉の真の画布なのである。(中略)
言葉は言はれたときが終りであり、書かれたときが終りである。その終りの集積によつて、生の連続性の一刻一刻の
断絶によつて、言葉は何ほどかの力を獲得する。(中略)
終らせる、といふ力が、よしそれも亦仮構にもせよ、言葉には明らかに備はつてゐた。死刑囚の書く長たらしい手記は、
およそ人間の耐へることの限界を越えた永い待機の期間を、刻々、言葉の力で終らせようとする咒術なのだ。

三島由紀夫「太陽と鉄」より
887無記無記名:2011/02/11(金) 17:42:59 ID:WD6sLC4i
われわれは「絶対」を待つ間の、つねに現在進行の虚無に直面するときに、何を試みるかの選択の自由だけが
残されてゐる。いづれにせよ、われわれは準備せねばならぬ。この準備が向上と呼ばれるのは、多かれ少なかれ、
人間の中には、やがて来るべき未見の「絶対」の絵姿に、少しでも自分が似つかはしくなりたいといふ哀切な望みが
ひそんでゐるからであらう。もつとも自然で公明な欲望は、自分の肉体も精神も、ひさしくその絶対の似姿に
近づきたいとのぞむことであらう。
しかし、この企図は、必ず、全的に失敗するのだ。なぜなら、どんな劇烈な訓練を重ねても、肉体は必ず徐々に
衰退へ向ひ、どんなに言葉による営為を積み重ねても、精神は「終り」を認識しないからである。言葉がなしくづしに
終わらせるので、すでに言葉によつて生の連続感を失つてゐる精神には、真の終りの見分けがつかないのである。
この企図の挫折と失敗を司るものこそ「時」であるが、ごく稀に「時」は恩寵を垂れて、この企図を、挫折と失敗から
救出することがある。それが夭折といふものの神秘的な意味であり、ギリシア人はそれを神々に愛された者と呼んで
羨んだのであつた。

三島由紀夫「太陽と鉄」より
888無記無記名:2011/02/11(金) 17:44:09 ID:WD6sLC4i
あのころの、十七歳の私を無知と呼ばうか? いや、決してそんなことはない。私はすべてを知つてゐたのだ。
十七歳の私が知つてゐたことに、その後四半世紀の人生経験は何一つ加へはしなかつた。ただ一つのちがひは、
十七歳の私がリアリズムを所有しなかつたといふことだけだ。
もしもう一度あの夏の水浴のやうに私を快く涵してゐた全知へ還ることができたらどんなによからう。


七生報国や必敵撃滅や死生一如や悠久の大義のやうに、言葉すくなに誌された簡潔な遺書は、明らかに幾多の
既成概念のうちからもつとも壮大もつとも高貴なものを選び取り、心理に類するものはすべて抹殺して、ひたすら
自分をその壮麗な言葉に同一化させようとする矜りと決心をあらはしてゐた。
もちろんかうして書かれた四字の成句は、あらゆる意味で「言葉」であつた。しかし既成の言葉とはいへ、それは
並大抵の行為では達しえない高みに、日頃から飾られてゐる格別の言葉だつた。今は失つたけれども、かつて
われわれはそのやうな言葉を持つてゐたのである。

三島由紀夫「太陽と鉄」より
889無記無記名:2011/02/15(火) 16:41:59 ID:46msPS7Y
コンプレックスからマッチョ・男っぽさに異常に執着するようになり
最後は自殺して果てた有名作家という点で、
ヘミングウェイと比較されることもあるね。
890無記無記名:2011/02/18(金) 15:51:37 ID:Rn0l6zRd
肉体が未来の衰退へ向つて歩むとき、そのはうへついて行かずに、肉体に比べればはるかに盲目で頑固な精神に
黙つてついて行き、果てはそれにたぶらかされる人々と同じ道を、私は歩きたいとは思はなかつた。
何とか私の精神に再び「終り」を認識させねばならぬ。そこからすべてがはじまるのだ。そこにしか私の真の
自由の根拠がありえぬことは明らかだつた。言葉の誤用によつてことさら全知を避けてゐた少年時代の、あの夏の
さはやかな水浴を思ひ出させる全知の水にふたたび涵つて、今度は水ごと表現してみせなくてはならぬ。
復帰が不可能だといふことは、人に言はれるまでもなく、わかりきつてゐる。しかしその不可能は私の認識の退屈を
刺戟し、もはや不可能にしかよびさまされぬ認識の活力は、自由に向つて夢みてゐたのである。
文学による自由、言葉による自由といふものの究極の形態を、すでに私は肉体の演ずる逆説の中に見てゐたのだつた。
とまれ、私の逸したのは死ではなかつた。私のかつて逸したのは悲劇だつた。

三島由紀夫「太陽と鉄」より
891無記無記名:2011/02/18(金) 15:52:40 ID:Rn0l6zRd
さて、私の幼時の直感、集団といふものは肉体の原理にちがひないといふ直感は正しかつた。今にいたるまで、
この直感を革める必要を私は感じたことがない。後年、私が「肉体のあけぼの」と呼んでゐるところの、肉体の
激しい行使と死なんばかりの疲労の果てに訪れるあの淡紅色の眩暈を知るにいたつてから、はじめて私は集団の意味を
覚るやうになつたからである。(中略)
力の行使、その疲労、その汗、その涙、その血が、神輿担ぎの等しく仰ぐ、動揺常なき神聖な青空を私の目に見せ、
「私は皆と同じだ」といふ栄光の源をなすことに気づいたとき、すでに私は、言葉があのやうに私を押し込めて
ゐた個性の閾を踏み越えて、集団の意味に目ざめる日の来ることを、はるかに予見してゐたのかもしれない。
(中略)紙に書かれようと、叫ばれようと、集団の言葉は終局的に肉体的表現にその帰結を見出す。それは密室の
孤独から、遠い別の密室の孤独への、秘められた伝播のための言葉ではなかつた。集団こそは、言葉といふ媒体を
終局的に拒否するところの、いふにいはれぬ「同苦」の概念にちがひなかつた。

三島由紀夫「太陽と鉄」より
892無記無記名:2011/02/18(金) 15:53:53 ID:Rn0l6zRd
肉体は集団により、その同苦によつて、はじめて個人によつては達しえない或る肉の高い水位に達する筈であつた。
そこで神聖が垣間見られる水位にまで溢れるためには、個性の液化が必要だつた。のみならず、たえず安逸と放埒と
怠惰へ沈みがちな集団を引き上げて、ますます募る同苦と、苦痛の極限の死へみちびくところの、集団の悲劇性が
必要だつた。集団は死へ向つて拓かれてゐなければならなかつた。私がここで戦士共同体を意味してゐることは
云ふまでもあるまい。
早春の朝まだき、集団の一人になつて、額には日の丸を染めなした鉢巻を締め、身も凍る半裸の姿で、駈けつづけて
ゐた私は、その同苦、その同じ懸声、その同じ歩調、その合唱を貫ぬいて、自分の肌に次第ににじんで来る汗のやうに、
同一性の確認に他ならぬあの「悲劇的なもの」が君臨してくるのをひしひしと感じた。それは凛烈な朝風の底から
かすかに芽生えてくる肉の炎であり、さう云つてよければ、崇高さのかすかな萌芽だつた。「身を挺してゐる」と
いふ感覚は、筋肉を躍らせてゐた。われわれは等しく栄光と死を望んでゐた。望んでゐるのは私一人ではなかつた。

三島由紀夫「太陽と鉄」より
893産まれてきて:2011/02/19(土) 15:55:52 ID:M7mry0k0
http://www.nicovideo.jp/watch/sm13608635
ごめんなさい。
すいません。
俺が台頭する瞬間のあの高貴なる埃の紋様が見えるだろうか
894無記無記名:2011/02/21(月) 16:58:55.13 ID:wNvrHWhs
私には地球を取り巻く巨きな巨きな蛇の環が見えはじめた。すべての対極性を、われとわが尾を嚥(の)みつづける
ことによつて鎮める蛇。すべての相反性に対する嘲笑をひびかせてゐる最終の巨大な蛇。私にはその姿が見えはじめた。
相反するものはその極致において似通ひ、お互ひにもつとも遠く隔たつたものは、ますます遠ざかることによつて
相近づく。蛇の環はこの秘義を説いてゐた。肉体と精神、感覚的なものと知的なもの、外側と内側とは、どこかで、
この地球からやや離れ、白い雲の蛇の環が地球をめぐつてつながる、それよりもさらに高方においてつながるだらう。
私は肉体の縁(へり)と精神の縁、肉体の辺境と精神の辺境だけに、いつも興味を寄せてきた人間だ。深淵には
興味がなかつた。深淵は他人に委せよう。なぜなら深淵は浅薄だからだ。深淵は凡庸だからだ。
縁の縁、そこには何があるのか。虚無へ向つて垂れた縁飾りがあるだけなのか。

三島由紀夫「太陽と鉄 エピロオグ――F104」より
895無記無記名:2011/02/21(月) 17:00:03.07 ID:wNvrHWhs
人は地上で重い重力に押しひしがれ、重い筋肉に身を鎧つて、汗を流し、走り、撃ち、辛うじて跳ぶ。それでも
時として、目もくらむ疲労の暗黒のなかから、果然、私が「肉体のあけぼの」と呼んでゐるものが色めいて
くるのを見た。
人は地上で、あたかも無限に飛翔するかのやうな知的冒険に憂身をやつし、じつと机に向つて、精神の縁へ、
もつと縁へ、もつと縁へと、虚無への落下の危険を冒しながら、にじり寄らうとする。その時、(ごく稀にだが)、
精神も亦、それ自身の黎明を垣間見るのだ。
しかしこの二つが、決して相和することはない。お互ひに似通つてしまふことはなかつた。
(中略)
どこかでそれらはつながる筈だ。どこで?
運動の極みが静止であり、静止の極みが運動であるやうな領域が、どこかに必ずなくてはならぬ。
もし私が大ぶりに腕を動かす。そのとたんに私は知的な血液の幾分かを失ふのだ。もし私が打撃の寸前に少しでも
考へる。そのとたんに私の一打は失敗に終るのだ。
どこかでより高い原理があつて、この統括と調整を企ててゐなければならぬ筈だつた。
私はその原理を死だと考へた。

三島由紀夫「太陽と鉄 エピロオグ――F104」より
896無記無記名:2011/02/21(月) 17:01:15.90 ID:wNvrHWhs
しかし私は死を神秘的に考へすぎてゐた。死の簡明な物理的な側面を忘れてゐた。
地球は死に包まれてゐる。空気のない上空には、はるか地上に、物理的条件に縛められて歩き回る人間を眺め
下ろしながら、他ならぬその物理的条件によつてここまでは気楽に昇れず、したがつて物理的に人を死なすこと
きはめて稀な、純潔な死がひしめいてゐる。人が素面で宇宙に接すればそれは死だ。宇宙に接してなほ生きるためには、
仮面をかぶらねばならない。酸素マスクといふあの仮面を。
精神や知性がすでに通ひ馴れてゐるあの息苦しい高空へ、肉体を率いて行けば、そこで会ふのは死かもしれない。
精神や知性だけが昇つて行つても、死ははつきりした顔をあらはさない。そこで精神はいつも満ち足りぬ思ひで、
しぶしぶと、地上の肉体の棲家へ舞ひ戻つて来る。彼だけが昇つて行つたのでは、つひに統一原理は顔をあらはさない。
二人揃つて来なくては受け容れられぬ。
私はまだあの巨大な蛇に会つてゐなかつた。

三島由紀夫「太陽と鉄 エピロオグ――F104」より
897無記無記名:2011/02/23(水) 15:39:16.92 ID:HnizYbCs
或る日、私は自分の肉体を引き連れて、気密室(プレシャー・チェンバー)の中へ入つた。(中略)
酸素マスクは呼吸につれて、鼻翼に貼りついたり離れたりしてゐた。精神は言ひきかせた。
「肉体よ。お前は今日は私と一緒に、少しも動かずに、精神のもつとも高い縁まで行くのだよ」
肉体は、しかし、傲岸にかう答へた。
「いいえ、私も一緒に行く以上、どんなに高からうが、それも亦、肉体の縁に他なりません。書斎のあなたは一度も
肉体を伴つてゐなかつたから、さういふことを言ふのです」
(中略)
四万一千フィート。四万二千フィート。四万三千フィート。私は自分の口にぴたりと貼りついた死を感じた。
柔らかな、温かい、蛸のやうな死。それは私の精神が夢みたいかなる死ともちがふ、暗い軟体動物のやうな死の
影だつたが、私の頭脳は、訓練が決して私が殺しはしないことを忘れてゐなかつた。しかしこの無機的な戯れは、
地球の外側にひしめいてゐる死が、どんな姿をしてゐるかをちらと見せてくれたのだ。

三島由紀夫「太陽と鉄 エピロオグ――F104」より
898無記無記名:2011/02/23(水) 15:40:08.70 ID:HnizYbCs
F104の離陸は徹底的な離陸だつた。零戦が十五分をかけて昇つた一万メートルの上空へ、それはたつた二分で
昇るのだ。+Gが私の肉体にかかり、私の内蔵はやがて鉄の手で押し下げられ、血は砂金のやうに重くなる筈だ。
私の肉体の錬金術がはじまる筈だ。
F104、この銀いろの鋭利な男根は、勃起の角度で大空をつきやぶる。その中に一疋の精虫のやうに私は
仕込まれてゐる。私は射精の瞬間に精虫がどう感じるかを知るだらう。
われわれの生きてゐる時代の一等縁の、一等端の、一等外れの感覚が、宇宙旅行に必須なGにつながつてゐることは、
多分疑ひがない。われわれの時代の日常感覚の末端が、Gに融け込んでゐることは、多分まちがひがない。
われわれがかつて心理と呼んでゐたものの究極が、Gに帰着するやうな時代にわれわれは生きてゐる。Gを彼方に
予想してゐないやうな愛憎は無効なのだ。
Gは神的なものの物理的な強制力であり、しかも陶酔の正反対に位する陶酔、知的極限の反対側に位置する
知的極限なのにちがひない。

三島由紀夫「太陽と鉄 エピロオグ――F104」より
899無記無記名:2011/02/23(水) 15:40:44.76 ID:HnizYbCs
つい数分前までは私もその一人であつた地上の人間にとつて、私は一瞬にして「遠ざかりゆく者」になり、かれらの
刹那の記憶に他ならない一点に、今正に存在してゐた。
風防ガラスをつらぬいて容赦なくそそぐ太陽光線、この思ふさま裸かになつた光りの中に、栄光の観念がひそんで
ゐると考へるのは、いかにも自然である。栄光とはこのやうな無機的な光り、超人間的な光り、危険な宇宙線に
充ちたこの裸かの光線に、与へられた呼名にちがひない。
(中略)
音速を超え、マッハ1.15、マッハ1.2、マッハ1.3に至つて、四万五千フィートの高度へ昇つた。沈みゆく
太陽は下にあつた。
何も起らない。
あらはな光りの中に、ただ銀いろの機体が浮び、機はみごとな平衡を保つてゐる。それは再び、閉ざされた
不動の部屋になつた。機は全く動いてゐないかのやうだ。それはただ、高空に浮んでゐる静止した奇妙な金属製の
小部屋になつた。
あの地上の気密室は、かくて宇宙船の正確なモデルになる筈だ。動かないものが、もつとも迅速に動くものの、
精密な原型になるのだ。

三島由紀夫「太陽と鉄 エピロオグ――F104」より
900無記無記名:2011/02/23(水) 15:42:20.16 ID:HnizYbCs
窒息感(チョーク)も来ない。私の心はのびやかで、いきいきと思考してゐた。閉ざされた部屋と、ひらかれた
部屋との、かくも対極的な室内が、同じ人間の、同じ精神の棲み家になるのだ。行動の果てにあるもの、運動の
果てにあるものがこのやうな静止だとすると、まはりの大空も、はるか下方の雲も、その雲間にかがやく海も、
沈む太陽でさへ、私の内的な出来事であり、私の内的な事物であつてふしぎはない。私の知的冒険と肉体的冒険とは、
ここまで地球を遠ざかれば、やすやすと手を握ることができるのだ。この地点こそ私の求めてやまぬものであつた。
天空に浮んでゐる銀いろのこの筒は、いはば私の脳髄であり、その不動は私の精神の態様だつた。脳髄は頑なな骨で
守られてはゐず、水に浮んだ海綿のやうに、浸透可能なものになつてゐた。内的世界と外的世界とは相互に浸透し合ひ、
完全に交換可能になつた。雲と海と落日だけの簡素な世界は、私の内的世界の、いまだかつて見たこともない壮大な
展望だつた。と同時に、私の内部に起るあらゆる出来事は、もはや心理や感情の羈絆を脱して、天空に自由に
描かれる大まかな文字になつた。

三島由紀夫「太陽と鉄 エピロオグ――F104」より
901無記無記名:2011/02/23(水) 15:42:56.74 ID:HnizYbCs
そのとき私は蛇を見たのだ。
地球を取り巻いてゐる白い雲の、つながりつながつて自らの尾を嚥んでゐる、巨大といふもおろかな蛇の姿を。
ほんのつかのまでも、われわれの脳裡に浮んだことは存在する。現に存在しなくても、かつてどこかに存在したか、
あるひはいつか存在するであらう。それこそ気密室と宇宙船との相似なのだ。私の深夜の書斎と、四万五千フィート
上空のF104の機体内との相似なのだ。肉体は精神の予見に充たされて光り、精神は肉体の予見に溢れて
輝やく筈だ。そしてその一部始終を見張る者こそ、意識なのだ。今、私の意識はジュラルミンのやうに澄明だつた。
あらゆる対極性を一つのものにしてしまふ巨大な蛇の環は、もしそれが私の脳裡に泛んだとすれば、すでに
存在してゐてふしぎはなかつた。蛇は永遠に自分の尾を嚥んでゐた。それは死よりも大きな環、かつて気密室で
私がほのかに匂ひをかいだ死よりももつと芳香に充ちた蛇、それこそはかがやく天空の彼方にあつて、われわれを
瞰下(みお)ろしてゐる統一原理の蛇だつた。

三島由紀夫「太陽と鉄 エピロオグ――F104」より
902無記無記名:2011/02/24(木) 10:23:06.64 ID:pFAcTF1O
三島由起夫は人生の後期から肉体鍛錬に励んでいたが、最後の最後まで
喫煙者だったのかな?
903無記無記名:2011/02/24(木) 11:33:37.58 ID:DfU4x/Dm
ひさびさに「太陽と鉄」読んで懐かしく思った。
しかし文体そのものは見事なんだけど、これが三島由紀夫かと言われると
ちょっと違う気がするんだよね。

元来「ますらをぶり」ではなく「たをやめぶり」がこの人の本質であって、「奔馬」よりは
「春の雪」、「憂国」ではなく「橋づくし」の人だと思う。

トレーニングによって獲得した肉体のように、太陽と鉄の文体も法学徒〜官僚時代に
後天的に獲得したメチエであって、美しいんだけど蠱惑的とは言えない。
904無記無記名:2011/02/24(木) 12:15:41.08 ID:P8WOiphv
>>903
私は両方、三島由紀夫の本質だと思う。太陽と鉄や奔馬の中にも、優しい繊細な要素はあるし、春の雪にも尚武の要素はありますよ。
そんなに分けて分類できないし、どちらも同じ根から繋がる美意識だし、どちらもあるから三島文学が成り立ってます。
905無記無記名:2011/02/24(木) 12:23:07.86 ID:P8WOiphv
>>903
それから硬質な文体や尚武っぽいものは、少年期の作文や論文にいくらでもあるから、決して官僚時代や後天的なものじゃないです。
906無記無記名:2011/02/24(木) 21:41:59.01 ID:DfU4x/Dm
>>904-905
オカマの口喧嘩みたいなの、ここではよそうやw

なんつーか疲れるからさ。
907無記無記名:2011/02/25(金) 00:05:51.58 ID:PY7pq3OH
>>906
喧嘩なんかしてるつもりないですけどね。
雅も尚武もどちらも三島由紀夫の本質だから、そう言ったまでの話。
908無記無記名:2011/02/25(金) 00:19:05.78 ID:PY7pq3OH
>>902
自決の直前も煙草(恩賜の)を吸ったらしいよ。
ちなみに、普段は、女性が居る場では火は付けなかったということです。

亀レスすいません。
909無記無記名:2011/02/25(金) 06:04:02.59 ID:THyjYH3v
>>908
いえいえ、有難うございます。三島は肉体改造の為、禁煙まで
行ったのかが急に気になりまして・・・
まぁ禁煙まで踏み切らなかったのは時代もあるんでしょうね。
910無記無記名:2011/03/09(水) 12:39:29.18 ID:o4Oi1INX
「(三島由紀夫の)絶えず真剣に生きることを望み、『にせものの平和、にせものの安息』(「白蟻の巣」)を
軽視する姿勢は、今となってみれば、だらだらと生きるわれわれへの痛烈な批判となっている。現代の日本人の
ありようを予見していた天才だったと思う。」
なかにし礼


「三島さんのあの『行動』を基準点として、そこからの距離をはかりながら考へるのが習ひ性となつてゐます。」
長谷川三千子


「戦後教育で『人の生き方』だけを教わり、『死に方』を教わらなかった。衝撃でした。
身の処し方、諫死の是非、日本人の責任のとり方、等々あれこれ考えさせられました。今は当時以上に、強く
考えます。」
出久根達郎


「七〇年までは、激しいものこそが美しかった。音楽、絵画、文学、演劇、映画、そして人間の生き方も。
三島由紀夫氏の死は過激が美しかった時代の最後の花だったな、と今になって思います。」
佐佐木幸綱

雑誌「諸君!」三島由紀夫特集アンケートより
911無記無記名:2011/03/18(金) 21:36:33.26 ID:EvujM5G8
>>909
ボディービルをしていたときも、煙草はピースを一日三箱位、吸っていたようですね。(37歳当時)
晩年は多少減らしていたかもしれませんが。
912無記無記名:2011/03/30(水) 11:37:00.11 ID:Ye30HSsu
私が初めて三島由紀夫を町で見かけたのは中学三年生の夏。(中略)
友達と三人でアイスクリームを食べながら歩いていたら、前方から絶対に見覚えのある人が歩いてきた。
「あっ、ほらあの人、三島由紀夫だよ!」と友だちが興奮気味に叫んだ。シーっと人差し指を唇に当てたものの、
私の胸はドキドキと高鳴った。私たちが興奮した理由は三島由紀夫の大ファンだったからというわけではなく、
この年の四月に封切られたセンセーショナルな映画『憂国』をすでに観ていたせいだった。(中略)
忘れようにも忘れられない顔の三島由紀夫が、なんとこの下田に突然現れて前方から歩いてくる、なんて。
興奮を抑え切れない私たちに、黒いサングラスの三島氏は唇の片側の端を少し上げるようなスマイルを浮かべながら、
私たちの横を通りすぎた。あのときの胸のときめきを私はずっと覚えている。
当時はマスコミをにぎわす有名な作家として中学生にもよく知られていたので、その姿をまざまざと見た感激も
あったけれど、それとは別の、なにか宇宙人的な、硬い静かなオーラが一瞬放たれて私の中にスッと入ってきた
ような感覚があった。

横山郁代「三島由紀夫の来た夏」より
913無記無記名:2011/03/30(水) 11:37:21.15 ID:Ye30HSsu
私たちは、サインしてくださいと言いそびれたし、それを言うには映画の印象が強烈すぎたのだ。誰かが
「後つけちゃおうか」と言い出した。キュッとしまったお尻、なんとなく親近感をおぼえる小柄な後ろ姿は
後をつけるには最適の口実だった。
あの日の三島さんは、ちょっとメッシュがかった黒いシャツに細身の白のトラウザーと白い靴を履いていた。
強い日差しの中でその白さが目にしみるようだった。(中略)
三島さんは宇宙人的オーラを発散させながら一メートル四方に入れない近づきがたい雰囲気を漂わせていて、
だからこそ私たち中学生に、もっと近づきたい、追っかけてみたいという気にさせたのかもしれない。『憂国』の
主人公を追っかけたいし、何より私たちはヒマをもて余していたのだった。(中略)三島さんは脇見もせずに、
機械的にカツカツとした足どりでまっすぐに背を伸ばして歩いている。
大工町のゆるい坂を上り大浦の切り通しと呼ばれる、江戸期に船を取り調べるお番所があった方角に向かってゆく。
その先は海だ。

横山郁代「三島由紀夫の来た夏」より
914無記無記名:2011/03/30(水) 11:37:42.75 ID:Ye30HSsu
(中略)「そういえば前に見た写真もスゴかったよね。ロープでぐるぐる巻きにされてすごい形相してるやつ」…
(中略)(写真集『薔薇刑』を)私たちは図書館で見ていた。その表情から、痛めつけられながらもどこか
それが好きというオーラを私たち中学生は感じ取ったのだろう。
「よし、三島由紀夫をおそっちゃおう!」という突拍子もないアイディアが生まれてしまった。
(中略)私たちは忍者のように追っていった。でもいったいどこまでゆくのだろう。
鍋田浜手前のトンネルに入ったので少し距離をあけた、見つかったら大変。ドキドキしてきた。私たちがトンネルに
入ったとき、三島さんはちょうど東急ホテルのプールへの上り道を登ろうとしていた。
そのときだった。急に三島さんが私たちの方を振り向いた。そして黒めがねを上に上げてアッカンベーをしたのだ!
キャッと声を上げて私たちは後ずさりした。要するに、ずっとお見通しだったわけだ。中学生は簡単に遊ばれて
しまった。
三島さんの目はやさしく笑っていた。

横山郁代「三島由紀夫の来た夏」より
915無記無記名:2011/04/02(土) 12:10:11.35 ID:dxxPqsVX
(中略)
昭和45年7月7日のサンケイ新聞に掲載された「果たし得てゐない約束――私の中の二十五年」は三島さんの
遺書としてたびたび引用される。
「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行つたら「日本」はなくなつてしまう
のではないかといふ感を日ましに深くする。日本はなくなつて、その代はりに、無機的な、からつぽな、
ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであらう。」
1980年代の経済バブルを見事に三島さんは言い当てた。現在の日本はというと、コロコロと世界に類を
見ない早さで首相がかわる不安定な「自信のない国」になっている。デモもクーデターも若者の反抗もなし、
平和ボケは極まっている。
私は、いまこそ、三島由紀夫の死の意味を考えるべきだと思う。その死は美とエロティシズムに導かれたもので
あったとしても、大局的には、アメリカに支配された「日本という恋人」に向かっての死を懸けたメッセージ
だったのだ。

横山郁代「三島由紀夫の来た夏」より
916無記無記名:2011/04/02(土) 12:10:31.39 ID:dxxPqsVX
切腹はあの日の日本人の意識を変えさせるくらいの衝撃であり、あれくらいの憤怒を示さなければ、私たちは、
本来、日本人のもっている魂に気づかない、と思ったことだろう。実際その効力はジワジワと年月を超えて
私たちの脳内に浸透している。日本を愛する心について真剣に考えたい。
犬死にと笑われてもいい。五十年後の日本人が理解してくれれば……。
私は、市ヶ谷での「檄文」を三島由紀夫の最後の叫びとして素直に評価したい。ヤジと怒号の中で「男一匹が
命を懸けて訴えているんだぞ」とバルコニーから叫んだ言葉を信じる。三島由紀夫の「本気」を信じる。なぜなら、
私がある鑑識の方から見せてもらった事件直後の写真には、「本気」以外の何物も写っていなかったからだ。
凄惨な場面ではあったけれどそこにはなんともいえない清潔感があった。三島さんの顔は少年のように白く
清らかで安らかだった。

横山郁代「三島由紀夫の来た夏」より
917無記無記名:2011/04/02(土) 12:10:53.15 ID:dxxPqsVX
三島さんはやりきった! そう思うと不思議なことに晴れ晴れとした気持ちが湧いてきた。これが「大きな仕事を
するので来年は来られません」という意味だったのだ。
今年も三島由紀夫の来た夏が巡ってきた。
私はいつも思い出す。三島さんの愛した下田の夏のさらっとした風を。どこかやさしげな直射日光を。手を挙げて
「また来ましたよぉ」と呼びかけながらお店に入ってくるまぶしい笑顔を。肉体が発していた不思議なオーラを。
「あなたは、なーんにも心配することはないんですよ。のびのびとおやりなさい」「遊びにいらっしゃいね」
という声のトーンを。
四十年以上も私の中に住みつづける三島さんは、私の父のようであり、兄のようであり、演劇部の先生であり、
とびっきりステキな人であった。でも、いまの私の気持ちを言おう。
長い年月を過ぎて三島さんの姉貴のような年になった私にとって、彼は、私にアッカンベーをするかわいい弟に
なったのだ。永遠に頭の上がらない弟に。

横山郁代「三島由紀夫の来た夏」より
918無記無記名:2011/04/22(金) 10:59:16.25 ID:mBSUZUMC
また夏がやつてきた。このヒリヒリする日光、この目くるめくやうな光りの中を歩いてゆくと、妙に戦後の一時期が、
いきいきとした感銘を以て、よみがへつてくる。あの破壊のあとの頽廃、死ととなり合はせになつたグロテスクな生、
あれはまさに夏であつた。かがやかしい腐敗と新生の季節、夏であつた。昭和二十年から二十二・三年にかけて、
私にはいつも真夏が続いてゐたやうな気がする。あれは兇暴きはまる抒情の一時期だつたのである。
(中略)
私は妹を愛してゐた。ふしぎなくらゐ愛してゐた。(中略)ある日、妹は発熱し、医者は風邪だと言つたが熱は
去らず、最初から高熱がつづき、食欲が失くなつた。(中略)チフスと診断が確定すると、当時隔離病室が
焼けてゐたので、そのまま避病院へ移された。体の弱い母と私が交代で看護したが、妹は腸出血のあげくに死んだ。
死の数時間前、意識が全くないのに、「お兄ちやま、どうもありがたう」とはつきり言つたのをきいて、私は
号泣した。

三島由紀夫「終末感からの出発――昭和二十年の自画像」より
919無記無記名:2011/04/22(金) 11:00:04.23 ID:mBSUZUMC
戦後にもう一つ、私の個人的事件があつた。
戦争中交際してゐた一女性と、許嫁の間柄になるべきところを、私の逡巡から、彼女は間もなく他家の妻になつた。
妹の死と、この女性の結婚と、二つの事件が、私の以後の文学的情熱を推進する力になつたやうに思はれる。
種々の事情からして、私は私の人生に見切りをつけた。その後の数年の、私の生活の荒涼たる空白感は、今
思ひ出しても、ゾッとせずにはゐられない。年齢的に最も溌剌としてゐる筈の、昭和二十一年から二・三年の
間といふもの、私は最も死の近くにゐた。未来の希望もなく、過去の喚起はすべて醜かつた。私は何とかして、
自分、及び、自分の人生を、まるごと肯定してしまはなければならぬと思つた。しかし敗戦後の否定と破壊の
風潮の中で、こんな自己肯定は、一見、時代に逆行するものとしか思はれなかつた。それが今になつてみると、
私の全く個人的真実だけを追ひかけた生き方にも、時代の影が色濃くさしてゐたのがわかる。

三島由紀夫「終末感からの出発――昭和二十年の自画像」より
920無記無記名:2011/04/22(金) 21:18:17.79 ID:b169hPoO
三島w

玉利の弟子w
921無記無記名:2011/05/02(月) 11:17:51.37 ID:h9UBfmKO
キリスト像があんなにアバラが出て痩せこけてゐるのは、人間が精神を視覚化するときに、なるたけ肉体的要素を
払拭した肉体を想像する傾きがあるからであらう。その反対でバッカス像は必ず肥つてゐる。それは快楽と肉と
衝動の象徴だからである。かうした象徴は世間の常識に深く入つてゐる。
肉体的な逞ましさと精神美とは絶対に牴触するといふ信念は広く流布してゐる。インドの苦行者のやうな
骨だらけの体を、日本人は一種のアジア的感受性から、尊崇する傾きがある。
象徴や、世間の通念はそれでいい。しかし御当人に何が起るかといふ問題である。人間の肉体と精神は、
象徴のやうに止つてゐないで、生々流転してゐる。肉体と精神のバランスが崩れると、バランスの勝つたはうが
負けたはうをだんだん喰ひつぶして行くのである。痩せた人間は知的になりすぎ、肥つた人間は衝動的になりすぎる。
現代文明の不幸は、悉くこのバランスから起つてゐる。

三島由紀夫「ボディ・ビル哲学」より
922無記無記名:2011/05/02(月) 11:18:35.16 ID:h9UBfmKO
文士の例でいへば、面白いことに、戦後の破滅型の小説家、坂口安吾や田中英光の人並外れた巨躯はもとより、
太宰治もかなり頑丈な長身であつた。三人とも体にはかなり自信があつたので、肉体蔑視の思想にとらはれ、
自分たちのかなり頑丈な肉体に敵意を燃やし、この肉体を喰ひつぶすほどの思想を発明するために、生活を
めちやくちやにしてしまつた。彼らはわざわざ、むりやりにアンバランスを作り出したのである。
もつともこの三人とても、頑丈な体を持ちながら脳ミソの空つぽな作家に比べれば、どれだけ文学者らしいか
わからない。
一方では、知的でありすぎ、あるひは感覚的でありすぎる作家たちがゐる。文学作品を通した感覚といふものは、
元来知的なものであるから、知的な作家にこの二つを引つくるめてもよい。
彼らの作品には、確乎たる肉の印象がどこかに欠けてゐる。肉の耀やきが、本当の官能性といふものが欠けてゐる。
これは前記の例の逆のアンバランスである。

三島由紀夫「ボディ・ビル哲学」より
923無記無記名:2011/05/02(月) 11:19:19.16 ID:h9UBfmKO
このアンバランスのはうが重大かと思はれるのは、ジイドもいふやうに「官能性こそは芸術家の最上の美徳」
だからである(因みにいふと、ジイドその人にも官能性が欠けてゐる)。これらの作家たちは、たとへ細緻な
性的感覚をゑがいても、肉の力と形態を欠いてゐるのである。
近代芸術の短所は、まさにその点にある。知性だけが異常発達を遂げて、肉がそれに伴はないのだ。
肉といふものは、私には知性のはぢらひあるひは謙抑の表現のやうに思はれる。鋭い知性は、鋭ければ鋭いほど、
肉でその身を包まなければならないのだ。ゲーテの芸術はその模範的なものである。精神の羞恥心が肉を身に
まとはせる、それこそ完全な美しい芸術の定義である。羞恥心のない知性は、羞恥心のない肉体よりも一そう醜い。
ロダンの彫刻「考へる人」では、肉体の力と、精神の謙抑が、見事に一致してゐる。
だまされたと思つてボディ・ビルをやつてごらんなさい。

三島由紀夫「ボディ・ビル哲学」より
924無記無記名:2011/05/02(月) 15:01:02.63 ID:ZlIQW76A
ファファ∀
見事、見事ですよ

彼の働きにも
あなたの働きにも

私から讃辞を贈りましょう∀
925無記無記名:2011/05/16(月) 17:12:50.47 ID:U4XH7dIT
男のやる仕事でもつとも荒つぽい、命を的にかけた仕事で、しかもこれほど優雅と美を本質とする仕事もめづらしい。
アメリカの埃くさい薄汚ないカウ・ボオイなどとちがつて、闘牛士は、宮廷人のやうな絹の華麗な衣裳をつけてゐる。
そしてその花やかな衣裳の下には、プロテクターはおろか、下着ひとつつけないのが闘牛士の心意気である。
男が色彩豊富なけんらんたる衣服を身につけてふさはしいのは、死と勇気と血潮に関はりあるときだけである。
流行歌手の裾模様なんか、唾棄すべきものである。
闘牛士は、危険によつて美しく、死によつていよいよ美しい。それこそ世間並の男が、いくら口惜しがつても
及ばぬところだ。
ガルシア・ロルカは、闘牛士イグナシオ・サンチェス・メヒーアスの死を悼んで、四章から成る哀切な長詩を書いた。
「誰一人お前を知らない。知る者はない。けれどもわたしはお前を歌う。
お前の横顔とお前の魅力を いつまでもわたしは歌う。
お前の判断力の著しい円熟ぶりを、
お前の死への欲求と 死の口の味はひを、
お前の男らしい陽気さが持っていた悲しみを。」(小海永二氏・羽出庭梟公氏共訳)

三島由紀夫「闘牛士の美」より
926無記無記名:2011/06/02(木) 12:07:04.07 ID:fa7cVM3p
大体、ゴルフを中年すぎのスポーツと思ひ込んでゐるのは、一応、道具をそろへたり、クラブへ入会したりするのに
金がかかるところからきた経済的錯覚であつて、およそ西洋人の発明したもので、「年寄向き」といふものは、
何一つあらうはずがないのだ。
西洋では年寄とは頽齢に他ならず、西洋人の肉体運動は、ことごとく青春の独占物にきまつてゐるのである。
バレーと日本舞踊、フェンシングと剣道、声楽と謡曲、……かういふ似通つたものを比べてみればすぐわかるが、
西洋では肉体と精神をはつきりわけてゐるから、こと肉体に関する限り、青年の勝に決まつてゐるが、東洋人の
肉体訓練は、必ず精神的なものがまじつて来るから、老人の勝利になる。老齢の力といふものは、東洋の発明である。
ゴルフだつて、国家が補助して、十代、二十代の青年が第一線に乗り出してくれば、今までヤニ下がつてゐた
老童ゴルファーなど、ひとたまりもなく駆逐されるにきまつてゐる。さういふ日が来ないうちに、一日も早く謡曲にでも転向すべし。
しかし他人のたのしみに、こんなお節介はいふまい。

三島由紀夫「ゴルフをやらざるの弁――私は天下のヘソ曲り」より
927無記無記名:2011/06/22(水) 23:48:17.16 ID:Ywb9lCEn
三島:戦後教育は、死ぬということを教えてないね。客観状勢がどうとかということは、ぼくは必ずしも信じない。
(中略)客観状勢が熟すのを待つというのは、ゲバラがいちばん嫌ったろう。革命の客観的条件というのはないんだ、
それを熟させるのが革命家だ、という考えだろう。それを熟させるのは精神だよ。それがあれば、なにかが
かもしだされてくる。


三島:ぼくは、戦後の人間というのは、新左翼でもなんでも、西洋人になっちゃたんじゃないかと思うな。
西洋人はそんな行動(犬死)はとらないよ。必ずリミットがあるんだ。
けっきょく、人間の生命ほど尊いものはない、という考えだよね。その考えが、どっかで掣肘するんだ。

野坂:だから自分の生命ほど尊いものはないんであって、実際問題としては、人間なんて他人が何百人死のうと、
どういうことはないわけでしょ。彼らは、そういうことがはっきりわかっている人なんですね。

三島:ウン、そうなんだよ。

三島由紀夫
野坂昭如との対談「剣か花か」より
928 忍法帖【Lv=10,xxxPT】 :2011/06/23(木) 03:05:12.65 ID:v5ww2wzN
このスレすげえな
929無記無記名:2011/06/29(水) 11:37:46.65 ID:fXOkhoEw
私の生活は人から見るとフシギらしいのである。何がフシギなのか、私にはわからない。人間には精神があるが、
精神の特徴は人に見えないといふことである。文学の作品といふのは、その見えないものを、目に見える、
形のあるものに移したものである。ひとたび形が問題になれば、その形は美しくなければならない。
ここに形の世界がはじめる。いやしくも作品で形が問題になつてゐるのに、作者が生活において形を問題にしない、
といふ心理は私にはわからない。なりふりかまはず美しい作品を作るといふ名人気質には、何か病的なものが
感じられる。
形といつても、手を加へることができるのは、衣・食・住の他には、武道、スポーツその他による肉体訓練に
限られてゐる。(中略)人間は、自分の内面を包むのに、礼儀正しくなければならない。文学者の内面は
サンタンたる泥沼であつて、そんな醜いものを人目にさらすべきではない。外形さへ健康な力に充ちてゐれば、
それがすなはち「礼儀正しい私」の姿である。だから、たとへ裸であつても、私は礼儀正しいのである。

三島由紀夫「無題(『フシギな男三島由紀夫』)」より
930無記無記名:2011/06/30(木) 12:36:22.04 ID:IBuhioKa
(『詩を書くのが趣味の交際相手の男性が女々しく思えて許せない』という相談者に)
 美輪明宏『文学者でも例えば三島由紀夫や中原中也なんかは男らしかった思うけれど…。
貴女ももっと本をお読みになったらどうかしら?』
 相談者『(憤然として)読んでますよ』
 美輪明宏『どんなのを読んでらっしゃるの?』
 相談者『秋元康とか』
 美輪明宏『(一瞬判らず)あきも……(ピンと来て)オホホホホホwwwww』
 相談者『?』
931無記無記名:2011/07/17(日) 15:58:02.08 ID:wkOybYVt
思へば、ボディ・ビルディングとは、もつとも日本の文化伝統に欠けてゐたものの、新しい移植であつた。
われわれは肉体文化の伝統を持たず、力に対する民族的信仰は、何か超自然的なものへの信仰の影を宿してゐて、
肉体それ自体、人間の裸体それ自体の文化的価値は、たえて認められることがなかつた。明治時代に、裸体彫刻が
猿股を穿かされかかつた逸話は、数多く知られてゐる。
(中略)
しかし、この十数年間、ひそかにバーベルを相手に黙々と汗を流し、この写真集に見られるやうな、かつての
日本人が夢想もしなかつた逞しい均整のとれた体躯を育て上げてゐた一群の青年たちがゐたのである。竹山道雄氏が
随想の中で書いてゐるやうに、日本人の青年の肉体は、かうして見ると、古代ギリシャの美学的基準に忠実な点では、
おどろくべきものがあり、ラフカディオ・ハーンが、かつて、日本人を「東洋のギリシャ人」と呼んだことも
思ひ合せられる。

三島由紀夫「序 矢頭保写真集『体道・日本のボディビルダーたち』」より
932無記無記名:2011/07/17(日) 15:59:02.01 ID:wkOybYVt
日本文化の特徴は、外来の文化をまづ忠実に模倣して、その極点で転回して、日本化してしまふといふ過程に
見出される。ボディ・ビルディングの日本における戦後の普及は、もちろんアメリカの影響であり、その背後には、
あの広大な光りと富に溢れた国のローマ帝国的な古代異教文化の復活が感じられるが、日本のボディ・
ビルディングには、今や、それなりに、日本の過去に欠けてゐた肉体文化の補填といふ意味以上に、何か、
肉体における日本的精神的価値の復活といふ、今まで考へられなかつた異質の観念の結合の意味が、含まれて
ゐるやうに思はれる。
もともと「葉隠」にもあるやうに、武士の倫理における外面性の重視は、武士の良心に深く関はつてゐた。
登城するときに、昨夜の二日酔がのこつて青白い顔をしてゐるよりも、元気よく見せるために、頬に紅粉を
引くことが奨励されてゐた。又、戦の門出に兜に香をたき込めたり、切腹の前に死化粧をしたりすることは、
武士のたしなみとされてゐた。

三島由紀夫「序 矢頭保写真集『体道・日本のボディビルダーたち』」より
933無記無記名:2011/07/17(日) 16:00:22.67 ID:wkOybYVt
あらゆる外面的礼儀が日本人から失はれた現在、日本人は、同時に自分の良心の拠り処を失つたのである。
それは武士道に永いこと育てられたわれわれの心の、ふしぎな逆説的結果である。
そのとき登場するものは何だらうか? すべての古い衣裳が失はれた今、日本人の唯一の外面的規範を代表する
ものは何だらうか? それこそ、力強い、逞しい、男らしい肉体ではなからうか? そしてその肉体に代るほど、
堅固な拠り処となる思想も観念も、われわれはもはや持つてゐないのである。そのとき、このやうな、礼節正しい、
すがすがしい力にあふれた肉体は、はじめて日本人にとつて、一つの文化的価値となるのではなからうか?
最後に、この集には、矢頭氏によつて撮られた私自身の、ボディ・ビルダーとしての写真も入つてゐる。日本の
建築には、逆柱といふものがある。あまり建築が完璧であると魔が射すといふ迷信から、わざと一本、逆さの
柱を立てて、建築の完璧性を崩すのである。私の写真を矢頭氏が入れた真意も、この逆柱にあるのだらうと私は
睨んでゐる。

三島由紀夫「序 矢頭保写真集『体道・日本のボディビルダーたち』」より
934無記無記名:2011/08/04(木) 11:17:24.83 ID:vXSE1uKs
@kaneda_daiki
金田大貴
高岡は三島由紀夫が好きなようだが、切腹して死んだホモの右翼作家に心酔するのはバカのすることだ。
935無記無記名:2011/08/16(火) 10:08:52.49 ID:/o/ry4jR
人間性を十全に解放したらどうなるか。こはいことになるんだよ。紙くづだらけはまだしも、泥棒、強盗、強姦、
殺人……獣に立ち返る可能性を人間はいつももつてゐる。

三島由紀夫「東大を動物園にしろ 核兵器だつて使ふだらう」より


未来社会を信じない奴こそが今日の仕事をするんだよ。現在ただいましかないといふ生活をしてゐる奴が何人ゐるか。
現在ただいましかないといふのが“文化”の本当の形で、そこにしか“文化”の最終的な形はないと思ふ。
小説家にとつては今日書く一行が、テメへの全身的表現だ。明日の朝、自分は死ぬかもしれない。その覚悟なくして、
どうして今日書く一行に力がこもるかね。その一行に、自分の中に集合的無意識に連綿と続いてきた“文化”が
体を通してあらはれ、定着する。その一行に自分が“成就”する。それが“創造”といふものの、本当の意味だよ。
未来のための創造なんて、絶対に嘘だ。

三島由紀夫「東大を動物園にしろ 未来を信ずる奴はダメ」より
936無記無記名:2011/09/05(月) 13:58:26.57 ID:6pr4Nnv3
羞恥心は微妙なパラドキシカルな感情である。自分について羞恥心を抱いてゐるとき、人は又、ひそかに、
あたかも罪悪感のやうなナルシシズムを抱いてゐるかもしれず、憎悪と愛とのアンビヴァレンツを隠してゐるかも
しれない。それだけ羞恥心は、自分の内部の深いものとインティメートな感情の、隠れ家であつたかもしれない。
日本人が日本の古い習俗を「蛮風」として恥ぢてゐたときには、どこかで心の一部がその蛮風に支配されて
ゐたときかもしれない。心のみならず、自分の生活感情や社会意識に、ひそかに、そんな蛮風が影を落してゐた時
かもしれない。


文明人がプリミティヴィズムを内部に蔵してゐるのは、何と素敵なことであらう。蒼ざめた都市生活者であること
よりも、noble savage であるといふことは、現代人として何と誇らしいことであらう。一国の文化の底の底を
掘り起しても、何ら原始的な生命の根に触れえないやうな「文明国民」とは、何と十九世紀的で、何と時代おくれな
ことであらう!

三島由紀夫「序(矢頭保写真集『裸祭り』)」より
937無記無記名:2011/09/08(木) 16:36:39.54 ID:MQ9MEZRC
938無記無記名:2011/09/19(月) 17:00:20.86 ID:ZWYbcwG+
ある人物と決定的な出会をして、それから終生離れられなくなるずつと以前に、むかうもこちらに気づかず、
こちらもほとんど無意識な状態で、その大切な人物にどこかでちらと出会つてゐることがあるものだ。私と太陽との
出会もさうであつた。

三島由紀夫「太陽と鉄」より
939無記無記名:2011/10/11(火) 14:50:02.59 ID:IwcQjQBB
940無記無記名:2011/10/31(月) 14:24:43.73 ID:yantZFJr
男の精神的天才が決して女に理解されないやうに、男の肉体的天才も、女に理解されないやうにできてゐる。

三島由紀夫「鏡子の家」より
941無記無記名:2011/11/13(日) 18:32:50.76 ID:/ppfT2qP
『兵士になれなかった三島由紀夫』で
三島のボディビルで鍛えられた上半身と貧相な下半身のアンバランス
というのが述べられていたが、三島は下半身の種目はやらなかったということなのかな?
942無記無記名:2011/11/14(月) 13:46:00.12 ID:Hx7FSL0S
後楽園ジムでスクワットやってる写真を見たことがあるよ。

言われるほど脚も細くは無かった。

ただ、ボディビルで鍛えて肩や胸の筋肉が顕著に発達した三島の身体は、
野球やテニスなど、一般人が見慣れている他のスポーツ選手の身体と比較すると、
どうしてもトップヘビーに見えてしまい、「下半身が貧相である」という
印象(誤解?)を与えやすかったのかもしれない。
943無記無記名:2011/11/14(月) 14:25:15.26 ID:exMzX89s
細身のズボンを着たいから、脚はあまり鍛えなかったということを三島の知人が語ってたよ。
944無記無記名:2011/12/09(金) 15:59:17.36 ID:XuE/ePVO
記者クラブのバルコニーから、さまざまな政治的スローガンをかかげたプラカードを見まはしながら、私は、
日本語の極度の混乱を目のあたりに見る思ひがした。歴史的概念はゆがめられ、変形され、一つの言葉が正反対の
意味を含んでゐる。

三島由紀夫「一つの政治的意見」より
945無記無記名:2011/12/17(土) 14:09:38.55 ID:1MNOXOEw
良スレ アゲ
946無記無記名:2012/01/06(金) 12:17:54.02 ID:vFlWQPfS
むかしの殿様は、毒味を重ねて運ばれる冷え切つた料理に馴らされて、すつかり猫舌になつてしまつてゐた。
われわれの舌もさうなつてをり、いきなり熱い料理に接すると、火傷をする。さらでだに、あらゆる情熱が人に
不快を与へるやうな時代に、われわれは生きてきたのである。

三島由紀夫「『道義的革命』の論理――磯部一等主計の遺稿について」より
947無記無記名:2012/01/20(金) 16:32:52.15 ID:JWUw65zE
われわれはいかに精神世界に生きても、肉体は一種の物質である以上、そのサビをとらなければ、精神活動も
サビつきがちになることを忘れてゐる。

三島由紀夫「体操と文明――浜田靖一著『図説徒手体操』」より
948無記無記名:2012/02/09(木) 16:26:05.08 ID:XFVoH2fA
思想は筋肉のやうに明瞭でなければならぬ。内面の闇に埋もれたあいまいな形をした思想などよりも、
筋肉が思想を代行したはうがはるかにましである。なぜなら筋肉は厳密に個人に属しつつ、感情よりもずつと
普遍的である点で、言葉に似てゐるけれど、言葉よりもずつと明晰である点で、言葉よりもすぐれた
「思想の媒体」なのである。

三島由紀夫「鏡子の家」より
949無記無記名:2012/02/29(水) 00:09:29.75 ID:vqARfi7K
青年には、強力な闘志と同時に服従への意志とがあり、その魅力を二つながら
兼ねそなへた組織でなければ、真に青年の心をつかむことはできない。

三島由紀夫「本当の青年の声を(『日本学生新聞』創刊によせて)」より
950無記無記名:2012/03/02(金) 05:48:32.40 ID:YJ7bQPOs
6 名前:名無しさん@お腹いっぱい。

三島由紀夫が生きていたら、『禁色』の絶世の美青年・南悠一を
俺をモデルにして書き直すコトは絶対に間違え無いだろうゼッ!
そして俺の前に跪いて泪ながらに求愛するは必定なのサッ!!
勿論、言下に断ってやるゼッ!! 
どんなに哀願しても無駄なのサッ!!
アイツは腋臭が超ヒデエからナッ!!!!
分かったナッ!!!!!!!

951無記無記名:2012/03/02(金) 07:04:00.55 ID:YJ7bQPOs
2 名前:名無しさん@お腹いっぱい。

三島由紀夫が生きていたら、『禁色』の絶世の美青年・南悠一を
俺をモデルにして書き直すコトは絶対に間違え無いだろうゼッ!
そして俺の前に跪いて泪ながらに求愛するは必定なのサッ!!
勿論、言下に断ってやるゼッ!! 
どんなに哀願しても無駄なのサッ!!
アイツは腋臭が超ヒデエからナッ!!!!
分かったナッ!!!!!!!

『春の雪』の映画化だって断然オレを主役に決定してただろうしサッ!!!
952無記無記名:2012/03/03(土) 03:38:47.88 ID:wzUOj57Y
ナッちゃん、ステキ!
953無記無記名:2012/03/05(月) 03:56:56.51 ID:wYskbtju
6 :無記無記名

ナッちゃん、ステキ!

まじスティーヴ・リーヴスよりも遥かにセクシーな絶世の美男ビルダーなんだもん



954無記無記名:2012/03/05(月) 10:14:55.65 ID:UNcqBlSr
>>918
懐かしい。これは叙情的で本当に良い小品だと思う。

去年の4月に、これを引用してくれた人の感性も素敵だ。
955無記無記名:2012/04/04(水) 19:29:43.00 ID:YX4fdFiP
『僕は詩人の顔と闘牛士の体とを持ちたい』と切に思つた。素朴さ、荒々しさ、野蛮、
などの支へが今の自分にすつかり欠けてゐるのを知つた。真に抒情的なものは、
詩人の面立(おもだち)と闘牛士の肉体との、稀な結合からだけしか生れないだらう。

三島由紀夫「鏡子の家」より

956無記無記名:2012/04/07(土) 21:55:45.55 ID:1tcjJvm5
男の最高のお洒落は軍服である
957無記無記名:2012/06/27(水) 03:42:27.67 ID:fZgXWiq9


【 おかしなものを吸引・服用・使用すると中枢神経を刺激され後遺症が残る。 】

958無記無記名:2012/06/27(水) 18:25:17.81 ID:g1D5a2fz

アナボリックステロイドは耐久性の運動競技や有酸素運動における能力の向上をもたらすものとして、
1960年代の初め頃から重量挙げの選手やボディビルダーらの間で注目を集め始めた。

【副作用】
・多毛症:顔、乳首の間、背中、肩、大腿の裏、臍下、殿部などといった、本来は無毛の部分への体毛の出現。
・精神的症状:鬱病的症状、妄想、気分変動の激化、パラノイア、苛立ち。
・行動変化:攻撃性や突発的な暴力衝動の発現。

959無記無記名:2012/06/29(金) 19:47:57.01 ID:uWWnNSwF
960無記無記名:2012/07/09(月) 11:45:31.57 ID:uCVYOwdV
「11,25自決の日」三島由紀夫と若者たち

サウナのシーン

満島の弟が三島の愛人役を地のママで演じてやがるゼッ!!!!!

阿部寛も出れば丸々ホンモノだったのにナッ!!!!!!!!!!!!
お粗末な身体だったけどサッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
961無記無記名:2012/08/13(月) 19:18:04.32 ID:TKeIz6Ue
962無記無記名:2012/09/26(水) 23:32:35.54 ID:sY5LCYSs
賭けとは全身全霊の行為であるが、百万円持つてゐた人間が、百万円を賭け切るときにしか、
賭けの真価はあらはれない。なしくづしに賭けていつたのでは、賭けではない。

三島由紀夫「行動学入門」より
963無記無記名:2012/10/17(水) 10:42:59.28 ID:5sV0pjjr
age
964無記無記名:2012/10/19(金) 21:37:18.55 ID:U1qHRlA0
客は神様みたな寝言言って言葉を一人歩きさせた馬鹿野郎はこいつ?
965無記無記名:2012/12/27(木) 13:39:54.82 ID:NgdgBFdZ
ボディービルダーて世間的には知性0の犬コロ
三島を理解するのは困難だろうなあ
966無記無記名:2012/12/27(木) 15:54:54.40 ID:O6njL18f
まぁ漢字もろくに読み書きできないクソガリは論外だけどな
967無記無記名:2012/12/27(木) 23:53:47.93 ID:xAH4LGyN
>>962
そんなの改めて言わなくても分かってるよと言いたくなる。
968無記無記名:2013/02/17(日) 02:53:19.82 ID:Wjk2242T
>>967
わかっているのなら、その意味を再確認するには最適な文章だろ?

本当はわかっていないから「分かっているよ」と言いたくなるのだ。
969無記無記名:2013/04/10(水) 12:16:38.52 ID:wr9tGipo
東中野でフィストファックしたがるゲイのアナル帝王で、
週末に東京フルコンタクトで開催するフィストファックイベントに通い、
ゴールドジムで有名なポジでステロイド常習者として噂が飛び交ってるゲイのビルダーと言えば

http://bmybear.tumblr.com/post/34980429047

http://bmybear.tumblr.com/post/24164737432
自称 商社マンだとか嘘ばかりでステロイドとかヤクを使ってると噂があるのが特徴で、
精神状態がボロボロで
スマホ系アプリやHUGSなどのSNSで
BULky.JPとか
Hunky.jpとかyosHi.jpで活躍してるフィストファックしたがる有名な
アナルに手や腕や拳を入れて欲しがるフィストファック常習者のゲイ。

このウワサはマジ
970無記無記名:2013/05/20(月) 15:43:26.73 ID:lSVGvyzM
2
971無記無記名:2013/05/20(月) 17:34:09.58 ID:dsj9cUaQ
ある意味、三島のせいでボディビルは肉体コンプレックスを持つノイローゼ気味の人間が
取り組む暗いスポーツというイメージが付いた。
また同性愛者のナルシストが好むスポーツというイメージも。
972無記無記名:2013/06/02(日) 23:20:07.89 ID:hmTe2+b4
良スレだわぁ
三島の本、片っ端から読んでみるよ
あと生涯ウェイトやるぜ
973無記無記名:2013/07/03(水) 10:29:14.01 ID:we1jhGRG
市ヶ谷自衛隊総監部で三島由紀夫の介錯した後に
自らも切腹し果てた楯の会・森田必勝(22)の
同棲相手(許婚)は”やる気、元気”の井脇ノブ子
三島由紀夫は決行2日前に”楯の会”会員4人(森田必勝、小賀正義、
小川正洋、古賀浩靖)とパレスホテルで最終打ち合わせをした。
三島「森田、お前は生きろ。お前は恋人がいるそうじゃないか」
後の井脇ノブ子である。
今でも井脇は森田必勝の咽喉仏が入ったペンダントを
身につけている
974無記無記名:2013/07/03(水) 12:44:44.26 ID:OZmnyHXp
ブス専かよ
975無記無記名:2013/07/16(火) 22:43:19.04 ID:YPtDixbI
今更だがずっと色々引用してくれてた人ありがとう
保存した
976無記無記名:2013/08/23(金) 12:51:48.25 ID:ge1s/xqC
977無記無記名:2013/08/23(金) 12:53:02.18 ID:ge1s/xqC
978無記無記名:2013/08/23(金) 12:53:38.19 ID:ge1s/xqC
979無記無記名:2013/08/23(金) 12:54:11.02 ID:ge1s/xqC
980無記無記名:2013/08/23(金) 12:54:45.44 ID:ge1s/xqC
981無記無記名:2013/08/23(金) 12:55:17.93 ID:ge1s/xqC
982無記無記名:2013/08/23(金) 12:55:49.90 ID:ge1s/xqC
983無記無記名:2013/08/23(金) 12:56:24.86 ID:ge1s/xqC
984無記無記名:2013/08/23(金) 12:59:46.22 ID:MF1qqG55
985無記無記名:2013/08/23(金) 13:00:18.09 ID:MF1qqG55
986無記無記名:2013/08/23(金) 13:00:55.13 ID:MF1qqG55
987無記無記名:2013/08/23(金) 13:01:27.50 ID:MF1qqG55
988無記無記名:2013/08/23(金) 13:02:07.45 ID:MF1qqG55
989無記無記名:2013/08/23(金) 13:02:38.92 ID:MF1qqG55
990無記無記名:2013/08/23(金) 13:03:17.23 ID:MF1qqG55
991無記無記名:2013/08/23(金) 13:03:56.16 ID:MF1qqG55
992無記無記名:2013/08/23(金) 13:05:55.49 ID:fnKLpPIS
993無記無記名:2013/08/23(金) 13:06:27.05 ID:fnKLpPIS
994無記無記名:2013/08/23(金) 13:07:12.57 ID:fnKLpPIS
995無記無記名:2013/08/23(金) 13:08:04.78 ID:fnKLpPIS
996無記無記名:2013/08/23(金) 13:09:17.25 ID:fnKLpPIS
997無記無記名:2013/08/23(金) 13:10:06.00 ID:fnKLpPIS
998無記無記名:2013/08/23(金) 13:31:02.63 ID:tZzAxiLs
999無記無記名:2013/08/23(金) 13:31:38.39 ID:tZzAxiLs
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