神秘主義的映画のスレ

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>>2
集中力の問題じゃないでしょうか?
よく聞く話の受け売りで僕もあまりわからないのですが、
ブレッソンの映画は音や映像を徹底的に切り詰める
ことで受け手に音や俳優の動作、表情などに対する
極度の集中力を要求するのだと思います。
>>4さんの言う溝口とベルイマンも同じような違いがあるのかも。
つまりは抑制の問題というか、受け手の参加を求める映画と
求めない映画の違いというのでしょうか。
溝口の映画は映像美なども有名だし、話の進行そのものは
わかりやすいのですが、例の長回しの演出は
画面の緊張感を切らず、集中力を継続させるためのものだったと聞きます。
もちろんどっちが上とか下とか言うのではないのですが、
ベルイマンの映画は「これを見せたい」ということが比較的はっきりしてる
気がします。嫌いな人はそこが嫌いなのかもしれません。