神秘主義的映画のスレ

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234
>>233
>ドストエフスキーみたいだな。
ええ、ただ我ながら恣意的にすぎる捉え方だとは思うんですが。むしろ漏れの願望に近いかもしれません。
232氏が引用したインタビューで、彼が実存主義者かどうかについては、難しいところだと思います。
と言うのも、ベルイマンがそう望んだとしても、この人の映画から神、即ち運命、倫理、超越者の気配が取り除かれる事は
決してないような気がするからです。
人物の生理や肉体性(ぜえぜえといという呼吸や、唾の音まで聞こえてきそうな口腔の微細な音、嫌悪感に歪む顔等)
に徹底的に依拠した映画作りをしているので、容易に「水いらず」なんか想起しますが(←漏れの浅い読みですが)、
やっぱり総じて人物達は、倫理、というものの厳しい眼差しから逃れられていないような感じがするのです。
後期の『ある結婚の風景』で、妻は自身に深く根付いた性的な欲望に率直に向き合うことで、
漸く本当の幸せを手に入れたかに見えます。
ところが、そう話した直後には、何か得体の知れない、終生付きまとう奇怪な「不安」によって、
厳しく断罪されてしまう。不安や苦悩は消えることはなく、死ぬまで彼女の内面に揺曳しつづける。
こういう場面を見ると、「ああ、この人は宗教があれば救われるんだな」と、漏れなんかは直感的に
思ってしまうんです。
神を否定、或いはその存在を気にかけずに、人間自身の力で思惟を構築し、哲理を編み出す。
そしてそれを人生の中で実践する。
それを心がけて多くの人は生きていくのだと思いますが、それでも不安が拭えなかったり、
尽きせぬ苦悩があったりする。それで宗教の力が必要になってくる。
カラマーゾフの「大審問官」で、異端審問官は「お前の理想が高すぎたのだ、人間は自由が嫌いなんだ」
とイエスを責めますね。
漏れは同様に、実存主義が人間に要求するものも理想が高いような気がする。
そういう視点からも、ベルイマンの映画は非常に興味深いと思います。
彼のエンターテイナー振りについでですが、ちょっとまたあとで書かせていただきます。