>>225 ベルナノスの何についてその神父さんとお話が
あったのですか???
キリスト教は、私みたいにこの世界に止まり思索する
こだわりみたいなのがあるのかな。どうしても人間的、
と言う事にこだわってしまう。宇宙的な考えが出来ない
様な。いつまでも思索の出発点が自分である所とか。
しかしキリスト教徒であるはずなのにタルコフスキーの
映画も構造がインドの曼陀羅の様だと言えばそんな感じもします。
彼に限らずブレッソン、ベルイマンも、出発点はキリスト教でも、
映画自身が持っている神秘性と自身の才能によって
その表現はキリスト教から見れば特殊化している様にも思えます。
ですが、私が今回の不安を感じる前まではブレッソン、タルコフスキー、
ベルイマンのそういう神秘からも人間的な絶対的真理を感じさせてくれたんですよ。
そしてその全人類を対象にした様な愛がやはり彼らの最大のテーマかな
とぼんやりとも思っていたのです。
(タルコフスキーが自身のソラリスと比べて2001年を冷たいと表現
したのもその点に関係あるのかもしれません。)
ですが今の私にはそれらさえも制限のない宇宙の中にバラバラに
なって掘り出されている感覚であって、私の人間的な物への郷愁に
答えてくれないかも知れないと言う不安が起こっているのでした。
>>227 鏡の中にある如く見ました?あれは神秘的な雰囲気
という意味でも良いですよ。
>>228 そうです。宇宙的な世界観に不安を感じる私は結局人間らしい
絶対的真理を未だに希求しているのでしょうね。
しかし私とキリスト教の関わりは幼稚園がカトリックだった事と、
家の近くに教会があった事だけなのですが何故なんでしょう。
うん、ベルイマンはキリスト教的こだわりを見る人が持っていない
と、苦しみを共有できないと分からない部分が多いかも知れませんね。
明日から二日ほどまた用事で書き込めません。ご免なさい。