神秘主義的映画のスレ

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>>224
>「もし絶対的真理があるとすれば、「偏った信仰」と言う概念は起こり得るのでは」
実に宗教的な考え方のような気がします。
漏れ個人は「絶対的真理」は、個人の中にしかなく(神ですら)、結局の所真理は相対的な
ものにならざるを得ないんじゃないか、と思っています。
従って、普遍的な、絶対的な真理はないんじゃないかと。
こうして個々人の真理においては、例のテロに見られる如く、殺人や暴力が肯定されるわけです。

で、凄い短絡的な結び付け方をするけど、ベルイマンは結局、絶対的真理なんてものはない、
従って人間と人間との間には、決して埋められえる事のない断絶がある、という風に世界を捉えているんではないかと。
つまり、国それぞれの人為的な法律や慣習や常識、といったものでしか世の中は統御されていない訳で、
せいぜいが人間が作り出した愛や倫理や道徳といったものは、宗教のように絶対的ではないし、
世界中がひとつになるような宗教的な普遍性を持つことは出来ない、と。
でですね、これは彼にとってきわめて苦い認識なのではないかと思うんです。
絶対的な真理、即ち神がいなければ人間は果てしなく肉や金やその他の欲望を求めるし、
エゴイスティックに振舞っては互いに傷つけ合うし、精神的なものはすっかり失われてしまって、
もうこの世は地獄の沙汰であると。

彼はわざわざ神の沈黙をテーマにして数本もの映画を制作する訳ですが、それくらい彼にとって神の不在、
世界を統御する倫理の欠如は、ショッキングで重要なことなのではないでしょうか。
逆説的に言えば神を求めて止まない人なんだと思います。いてほしい、と内心で思い続けているというか。
で、恐らくは漏れもそう。1氏もそう。絶対的真理なんかあるわけないのに、希求してしまう。
だから不安になり悲観的になる。…って決め付けすぎました?

繰り返しになるけど、漏れが彼の映画に一番共感するのはこの部分だったりする。
勿論、これらはきわめて恣意的な見方だけど、個々人が必死に恣意的に解釈しないと、
彼の映画はその姿をあらわさないと言う気がします。
抽象性を狙った部分もあるけど、彼は恐らく本気で「客をもてなそう」と思っていると思いますよ。
「人間って本当はこうだぁ!どうだぁ!」という、かなり凄絶なサービス精神を漏れは感じるし、
大好きなんですが、嫌いな人は嫌いだし、「藁っちゃう」と言う人が居るのも当然だと思う。
要は、彼の想定する”客”というのは、きわめて狭い意味だという事だと思われ…。

つづく