神秘主義的映画のスレ

このエントリーをはてなブックマークに追加
121
>>96
いや、申し訳ない。溝口は『西鶴一代女』『近松物語』くらいしか見てないのれす。
双方とも当時(10年位前)、非常に感銘を受けた記憶があるけど、日本的メンタリティ、
というよりその流麗なカメラとか美しさに目を奪われていたような記憶しかないんですわ。
つい漏れは1氏が冒頭に挙げた監督の話に偏ってるけど、それは単に漏れ個人の趣味の限界なので、
他の監督もビシバシ語ってください。

>>108
仰る事に一々同意です。

>>109
>確かにブレッソンは一見不条理に見えたり、確かに私もつっこみたくなる部分があるのですが
参考までにお伺いしたいのですが、どの辺でしょう?
漏れはやはり俗界の人間どもへの断罪の手厳しさ、その一点ですが。
ちなみに、ブレッソンはカトリックでは?漏れは自分で調べたことはないけど。

>>111
難しい問題ですね。『ミッション』や『クオ・ヴァディス』を見た時は、漏れは一瞬本気で
クリスチャンになろうかと思ったよ、情に流されやすいから。
ベルイマンやブレッソンの映画では絶対そうは思わないけど(笑)。
タルコフスキーは量を見てないから何とも言えないけど、ノスタルジアは確実に何かが残った。

例えば、キリスト教の深い影響下にある日本人が一体どれだけいるだろう、ということです。
確かカトもプロも併せて日本のクリスチャンは0.1パーセント程度だったような気がする。
そうした風土の中で育った漏れにとって、キリスト教自体が不可解、神秘的な存在であり、
そうしたテーマを真摯に扱った映画とは、初めから異物に見えて仕方が無い、と。
引用した広辞苑の意味を当て嵌めるならば、彼らは神の存在を巡って映画を作っているんじゃないか。
そこが既に漏れには神秘的だったりする。
ところがそうした作品がなぜだか恐ろしく美しかったり、魂を揺さぶったりする。
1氏の言う「背後に偉大な力を感じ」させる。
だから、111氏の言う受け手の問題意識、という意見にも繋がるのかな。
まあ、その魅力の解読するのも一興ではないかと。長文スマソ