評論って名乗ってなきゃ……6

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828ユキシン伝説の戦い
00045/00045 GAF02275 服部 弘一郎 RE:映画秘宝
( 7) 99/02/24 18:39 00044へのコメント

USゴジラがバカ映画だなんてとんでもない誤解です。
USゴジラは娯楽性でも落第点のダメ映画なんですよ!
829ユキシン伝説の戦い:2001/08/17(金) 19:52
>>  だって、あのゴジラには明確な目的があったじゃないですか。出産・繁
>> 殖っていう。最初、闇雲にニューヨークで暴れまわったりしなかったのも、
>> お腹に卵を抱えてたからだし、それを妨害されたからこそ怒って主人公た
>> ちを追いかけ回したんでしょ?

ゴジラがなぜニューヨークで出産・繁殖しなければならないのか、その理由な
んてどこにもないじゃん。人間を餌にしているわけでもないし……。食ってる
のは魚ですもんね。結局USゴジラは、大都市を巨大災害が襲うというだけの
話です。『アルマゲドン』で隕石が巨大都市ばかり狙って落ちてくるのと、発
想はまったく同じですよ。それで満足できる人には面白い映画なんでしょうね。

もともと日本のゴジラは、戦争や核兵器のメタファーです。でもアメリカ人に
は戦争も核兵器も否定すべき物だという発想がないから、巨大怪獣は天変地異
や自然災害としてしか描けない。必然的に、USゴジラはモンスタームービー
というより、『ボルケーノ』や『ダンテズピーク』『アルマゲドン』などと同
じデザスタームービーにならざるを得ない。同じ恐竜映画でも『ジュラシッ
ク・パーク』には『ジョーズ』にもある「自然界からの復讐」というテーマが
形式的に盛り込まれていますが、USゴジラにはそれすらない。だから一番近
い映画は、脳天気な竜巻映画『ツイスター』ということになる。おわかり?

>>  そのあたりも含め、主人公の対応やそのまわりの状況の描き方など、こ
>> の映画、平成ガメラシリーズよりもよっぽどきちんと出来てますよ。

ここまで書かれてしまうと、ゆきかみさんの価値判断基準そのものが、どこか
壊れていると思わずにはいられませんが……。

『スピーシーズ2』についても同じ。この映画は「イヴの性衝動をどうやって
抑えるか」「エイリアンの性衝動を野放しにしておくと人類が破滅する」とい
う点が、物語の原動力になってます。つまり「セックス=悪」なんです。パト
リックが自殺するのも、自らの異常な性衝動を押さえ込むためでしょ。そんな
単純な物語の構造がわからないなんて、まったくどうかしてますぜ。
830ユキシン伝説の戦い:2001/08/17(金) 19:53
>>  でも、ぼくとしてはご立派なテーマがあって登場人物がバカばっかりな
>> 某ロストワールドよか、あっけらかんとバカ映画でも、それなりに登場人
>> 物の行動に矛盾のないUSゴジラみたいな映画の方がマシだと思いますけ
>> どね。

『ロスト・ワールド』にご立派なテーマなんてないよ。「自然からの復讐」な
んてテーマはモンスタームービーに付いて回る「お題目」みたいなものですも
んね。そんな名目的なテーマなら『アナコンダ』にもある。『ロスト・ワール
ド』でスピルバーグがやりたかったのは、「生きてるみたいにリアルな恐竜が
見たい」という1点のみです。それとも、ゆきかみさんは『ロスト・ワール
ド』から何かご立派なテーマを読み取ってしまったのでしょうか?

『スピーシーズ2』を観ると欧米人が「セックス=罪」と考えていることがわ
かるというのは、僕が物語の構造から導き出した結論です。にも関わらず『物
語の構造ウンヌンはどーでもいい』と言われたんじゃ議論になりませんね。

あと、エイリアンに寄生されたのは複数の宇宙飛行士ですが、エイリアンに身
体を乗っ取られて行動まで操られるのはパトリックだけですよ。残りの飛行士
は全員死んでしまうからね。なぜ妻や恋人のような特定のパートナーを持つ飛
行士は全員死に、パトリックのように性的に放縦な男だけが生き残るのかを、
もっとよく考えてみてください。そして彼が求めるのが、人工的に性欲を抑制
されたイヴである理由も……。

USゴジラのようなできの悪い映画を擁護するのも、それはそれで結構。(僕
もあの映画の中に、それなりに楽しめる部分がないわけじゃないしね。もっと
短くすれば、ずっと面白くなる映画だと思いますし……。)しかし、判官贔屓
も度が過ぎると滑稽ですよ。世間がダメ映画の烙印を押した作品から、優れた
部分や面白い部分を抽出するのは大切な作業だと思いますが、明らかに駄目な
部分まで面白いと強弁し始めると、それはエキセントリックな言説にしか聞こ
えません。

>>  物語の構造ウンヌンでいえば、「USゴジラがニューヨークに上陸する
>> ことの必然性が弱い」ってのは、作品の構造とも本質とも関係ない話でし
>> ょ?

映画におけるドラマ作りの本質は「葛藤」です。Aという人物がある行動を起
こそうとするとき、Bという人物がそれを阻もうとする。ここにはじめて、葛
藤が生み出されるのです。(こんなの、脚本執筆技術のイロハではありません
か!)ゴジラが何を目的としてニューヨークに現れたのかが明確でないと、そ
の行動を阻もうとする人間との間に葛藤が生まれません。つまり「USゴジラ
がニューヨークに上陸することの必然性が弱い」というのは、この映画におけ
る最大の欠点なのです。こうしたドラマ作りの基本をわきまえた上で、作品の
構造や本質について議論していただきたい。
831ユキシン伝説の戦い:2001/08/17(金) 19:54
>>  それにしても服部さんは、まず映画の構造を推測して、そこから内容を
>> 分析しておられるようで、そういう評論手法はちゃんとモノを考えて作っ
>> てる映画に対しては有効でしょうが、この手のバカ映画にいては的ハズレ
>> な意見を言ってしまう危険性もあるんじゃないでしょうか?

映画の構造は「推測」するものではありません。映画の中から読み取り、理解
するものです。少なくともそうした行為なくして、映画作品の批評などできま
せん。また、世の中には「バカ映画」なんてジャンルはありません。すべては
娯楽映画です。ドラマ作りの基本は、文芸作品・怪獣映画・ホラー映画などで
すべて共通しています。当然のことながら、バカ映画を専門に批評するための
方法論や、それ以外の娯楽映画を批評するための方法論などないのです。

あと「バカな映画」と「バカが作った映画」とは違うんですよ。『オースティ
ン・パワーズ』も『リーサル・ウェポン4』も『ムトゥ 踊るマハラジャ』も
バカバカしい映画だけど、作ってる側はバカじゃないよ。

商売上手の映画人が計算ずくで作ったバカな映画と、バカな映画人がノリだけ
で作ったダメ映画を混同されては困るんです。『GODZILLA・ゴジラ』が大量の
劇場確保と金を湯水のように使った宣伝攻勢でも興行的に大コケしたことで、
この映画が計算ずくのバカな映画ではなく、単にダメな映画であることは証明
されています。もちろん、ダメな映画を偏愛するのも擁護するのも、個人の趣
味であり自由ですから、ゆきかみさんがUSゴジラ批判者を「頭が悪い」など
と批判しない限り、僕は何も申しません。
832ユキシン伝説の戦い:2001/08/17(金) 19:55
>>  「残りの宇宙飛行士は全員死んでしまう」ってアナタ、しっかり生き残
>> ってたじゃありませんか。ひとりだけ、黒人の飛行士が。

あの黒人宇宙飛行士には、エイリアンが寄生してないんですけど……。

>>  その服部さんのおっしゃる「明らかに駄目な部分」ってのが、どーみて
>> もイチャモンにしか過ぎないってところを、ぼくは問題にしてるんですっ
>> てば

僕は映画の「構造」を問題にしているのだから、構造を読み取ることを拒絶し
ている人から見れば、その批判はイチャモンとしか思えないのは当然です。自
分に見えない部分を批判されているから、相手が何をどう批判しているのかさ
っぱり見当がつかないのでしょう。

>>  前述のとーり服部さんは#53のご発言で「ゴジラは天変地異のメタフ
>> ァーとして描かれている」とおっしゃってますよね。だったらそこに意志
>> が描かれてないことになーんにも問題はないじゃありませんか。

問題は大ありです。USゴジラが天変地異のメタファーであり、デザスター映
画の変種であるとするならば、それに対応する人間側の葛藤が描かれなければ
なりません。スピルバーグの傑作『ジョーズ』は、まさにそういう映画でした。
『ダンテズ・ピーク』『ボルケーノ』『フラッド』『ディープ・インパクト』
『アルマゲドン』など、ここ数年立て続けに作られているハリウッド製のデザ
スター映画は、そうした点をきちんと押さえています。

それに対して『GODZILLA・ゴジラ』は「どーやってその脅威を排除するか」と
いうレベルで人間同士の葛藤がまったく描かれていません。怪獣と人間が戦う
モンスター(怪獣)映画としても失敗だし、自然の驚異と戦う人間を描いたデ
ザスター映画としても失敗です。

>>  いやぁ、ぼくが言いたいのは「あなた考えすぎ」ってことだけです。
>>  物語の構造がどうあれ、『スピーシーズ2』の製作陣があんましモノ考
>> えて作ってないことは明白だもん。設定そのものが前作と思いっきり矛盾
>> してることといい、また制作者がそれを自覚してないあたり……。

ゆきかみさんは、何も考えなさすぎです。『スピーシーズ2』は特別立派な映
画ではありませんが、びっくり箱的なショック・ムービーとしてはよくできて
います。下手な小細工抜きに、徹底してB級のショック・ムービーに徹してい
る姿勢は見事です。製作者側は、当然それを自覚しているでしょう。つまり、
作る側は必ずしもバカではない。『スピーシーズ2』はレンタル・ビデオで高
回転する類の映画ですよ。つまり、商品力はあるのです。
833ユキシン伝説の戦い:2001/08/17(金) 19:55
>>  映画の興業にはいろいろとフクザツな要素が絡み合いますから、単純に
>> 当たったから傑作、コケたから駄作、という割り切り方はできないハズで
>> す。……なんてこたー今さら説明する必要あるとは思わなかったんですが
>> ね。

ヒットしないことがダメ映画の証明ではありません。『GODZILLA・ゴジラ』は
ヒットしようがしまいが、ダメな映画です。ヒットしなかったことで証明され
ているのは、この映画が「金儲けに失敗した欠陥商品だった」という点です。
どんなにバカな映画であっても、それが大ヒットすれば「勝てば官軍」で大い
ばりできます。でも『GODZILLA・ゴジラ』はそれすらできません。

どんなに映画の完成度が高くて批評家や評論家の評価が高くても、劇場公開規
模が小さければ大ヒットは望めないし、広告やパブリシティで映画の内容が浸
透していないとヒットはしないのです。そんなことは、他でもないプロのライ
ターが一番よく知っています。試写室で観て「これは傑作だ!」と思っても、
都内単館公開では媒体の反応もイマイチだしね……。でも『GODZILLA・ゴジ
ラ』に関しては、「劇場がとれなかった」「広告費がなかった」という言い訳
は通用しません。あそこまで恵まれた広報宣伝活動をして、受け入れ側の劇場
整備もきちんとやって、それでも大コケしたのはなぜでしょう。これはもう、
「どんなに広告が良くても、商品力がなければ売れない」という基本に戻って
評価するしかないでしょう。要は『GODZILLA・ゴジラ』が、大多数の観客にと
ってつまらない映画だったということです。

『GODZILLA・ゴジラ』に限らず、ダメな映画に愛着を感じる人は世の中にたく
さんいます。(『BEAT』や『ショムニ』に感激する人だっているわけです
からね。)それは個人の趣味や感性の問題ですから、それ自体に対しては僕は
何も言わない。でもその趣味を他人に押しつけて、「この面白さがわからない
のは頭が悪い」などと言ってほしくないのですよ。
834ユキシン伝説の戦い:2001/08/17(金) 19:56
『スピーシーズ2』で僕が宇宙飛行士の数を間違えていたのは事実なので、こ
の点だけは訂正します。

>>  服部さんがおっしゃるように「セックス=悪」であるというのがあの映
>> 画のテーマであるとすれば、最後まで生き残ったあの黒人飛行士は謹厳実
>> 直な人物として描かれなければならない、と言っておるのです。

『スピーシーズ2』は基本的に「イヴとパトリックの戦い」を描いた物語です。
パトリックがエイリアンに寄生されてセックス・モンスターになったのに対し、
イヴは研究室の中で純粋培養され、性欲を徹底的に抑制された処女です。ここ
では「セックス=悪」「処女=善」という明確な色分けがなされています。ま
た、肉体的には苦しみを受けながらも不死であり、最後は我が身を犠牲にして
全人類を助けるイヴには、キリスト教的な「聖処女」あるいは「イエス・キリ
スト」のイメージがかぶせられているのですよ。

こうしたキャラクター設定が、B級のモンスター映画の中で何の説明もなしに
出てきてしまうあたりに、アメリカ人の中に根強く残る「セックス=悪」とい
うモラルの頑固さを感じます。ま、これは「セックスした若者が殺される」と
いう青春ホラー映画でも同じですけどね。セックスした者には罰が下るという
のが、アメリカ映画のステレオタイプなお約束になっているのです。『スピー
シーズ2』も、基本的にはそうした約束に沿って作られています。

>> 「いい女に目がない好色な男」だろーが「3P4P当たり前の性豪」だ
>> ろーが同じこと。

このあたりは、ゆきかみさんの性モラルの一端がうかがえますな……。『ス
ピーシーズ2』の宇宙飛行士が修道士や神父だったら、ゆきかみさんはご満足
なのかな?

>>  ついでに言えばパトリックが3P4Pに平気でなだれこんだのも、むし
>> ろエイリアンに意識を操られての事のようにも見えますぜ。

これは半分正解で、半分間違いです。パトリックが父親に説教される場面など
から考えると、彼はもともとセックスに関してはだらしないところがあったの
です。もし彼がもともと品行方正な人物だったとしたら、エイリアンに乗っ取
られて最後は殺されてしまうのが、途方もない悲劇に見えてしまう。でもこの
映画では、そのあたりを巧妙に回避します。つまり「もともと彼が持っていた
性的放縦さがエイリアンを呼び込んだ」というふうに観客が受け止め、パトリ
ックの悲劇が因果応報であり、自業自得であるかに見える演出がなされます。
835ユキシン伝説の戦い:2001/08/17(金) 19:58
>> だったらその傑作『ジョーズ』のサメは、どーしてあの町(アミティでし
>> たっけ?)の沖合に出現したのでしょう?

『ジョーズ』はデザスター映画ですよ。この映画で主要なモチーフになってい
るのは、サメの出現に対する人間側の葛藤です。海水浴場を遊泳禁止にすべき
だと主張する警察署長と、島の観光資源を守るためにそれに反対する市長の対
立が前半のドラマ。中盤は船の中で、3人の男たちそれぞれの葛藤が力強く描
かれます。サメの目的なんて、どうでもいいの。サメは「自然の脅威」「自然
からの復讐」の象徴なんですから。

映画の終盤になってサメが船の上の3人を食い殺そうと狙い始めてからは、
「サメと人間の戦い」を中心にした大活劇になります。サメの目的が明確にな
るので、ここに来てようやくモンスター映画としての要素が強くなるのです。

こうした人間側の葛藤は、『ガメラ/大開中空中決戦』でも明確に描かれてい
ます。ギャオスを希少生物として保護しようとする環境庁の役人が登場して物
語に堰を作り、それがドラマを盛り上げるのです。対して『GODZILLA・ゴジ
ラ』には、ゴジラに対応する人間側の葛藤がまったく描けていません。
836ユキシン伝説の戦い:2001/08/17(金) 19:59
>>  では、「葛藤」という言葉を「ゴジラvs人間」という意味で使っておら
>> れるのに、今回は「人間vs人間」という意味になってる。ご自分の発言内
>> 容ぐらい、きちんと把握しときましょうね。

わからないようなので、もう一度くわしく説明しましょう。

ゴジラがモンスター映画であるならば、物語の中心(葛藤のかなめ)は「ゴジ
ラvs人間」であるべきでしょう。しかしこの映画では、それが描けていない。
つまりモンスター映画としては失格です。

ゴジラがデザスター映画であるならば、物語の中心(葛藤のかなめ)は「ゴジ
ラという脅威に対応する人間側の認識の違いや意見対立」になるはずです。し
かしこの映画では、人間同士の葛藤が「ゴジラの出現」によってもたらされる
わけではなく、それ以前からあった関係が強調されるだけです。つまり、デザ
スター映画としても失格なのです。

『ボルケーノ』『ディープ・インパクト』『アルマゲドン』などでは、災害に
立ち向かう人間側の温度差や対立が明確に描かれている部分があり、デザス
ター映画としてはきちんとツボを押さえた構造になってます。ただし、それに
よって素晴らしい映画ができるわけではありません。映画を構成する要素は、
他にもたくさんあるからです。

でも『GODZILLA・ゴジラ』よりは『アルマゲドン』の方が、はるかに上出来の
映画であることは間違いないですよ。もっとも、『GODZILLA・ゴジラ』に比べ
ると、たいていの映画は上出来になってしまうんですけど……。
837ユキシン伝説の戦い:2001/08/17(金) 20:00
>>  では、「コケた」=「ダメ映画」という風に主張なさっておられる。コ
>> レはいったい何なんでしょうかね?

宣伝や劇場公開規模など、映画以外の要素がまったく同じ条件であったにもか
かわらず、ある映画はヒットし、ある映画はコケてしまう。その理由は、映画
そのものにあるんじゃないですか?

>>  それに、シツコイようですけど、USゴジラがコケたのは、単に作品の
>> 出来不出来の問題ではないと思いますぜ。
>>  公開当時、よく言われた「あんなのゴジラじゃない」という意見、ハッ
>> キリ食わず嫌い以外の何モノでもないと思うんですが、でも一般の観客に
>> とってはそーゆー意識が先に立っちゃって、映画の善し悪し以前のところ
>> で判断されちゃったって可能性も決して無視してはいけないと思うんです
>> が。

「あれはゴジラじゃない。巨大なイグアナだ!」というのは、『GODZILLA・ゴ
ジラ』の感想や批評として、じつにまっとうな意見ですよ。それを「食わず嫌
い以外の何モノでもない」と言い切ってしまうのはどうかしています。

あの映画の怪獣がゴジラではなく、最初から巨大イグアナとして登場していれ
ば、映画の宣伝も劇場公開規模もまったく違った形になっていたでしょう。で
もあれは、間違いなく「ゴジラ」なんですよ。だからこそ、ファンの大規模な
反発を買ったのです。これはアメリカ側のスタッフが、ゴジラという怪獣のコ
ンセプト(性格やデザイン)を見誤った結果です。

>>  服部さんは「大規模な宣伝はプラスに働く」と言っておられるのですが、
>> ぼくは逆に「大風呂敷を広げすぎたからこそ、逆に客が退く原因となっ
>> た」と言っておるのですよ。

映画が本当に面白ければ、大規模な広告宣伝が無駄になることはありません。
「宣伝してるゴジラってどうなの?」「あれはスゴイよ!」という口コミ効果
を生んで、映画は大ヒットしたでしょう。もし『GODZILLA・ゴジラ』の宣伝が
ファンの反感を買ったのだとすれば、それは、あの映画が広告宣伝で受けるイ
メージに到底およばない駄作だったことに原因があります。「宣伝してるゴジ
ラってどうなの?」「ありゃダメだよ」では、集客に結びつかないのも当然な
のです。

『GODZILLA・ゴジラ』を観てボロクソに悪口を言っている人たちだって、劇場
で最初にあの映画の予告編を観たときはワクワクしたと思うんです。日本より
先に封切られたアメリカでの悪評が聞こえてきても、「自分の目で確かめね
ば」と考えて、いそいそと劇場に運んだ人がほとんどだったんじゃないかな。
でも『GODZILLA・ゴジラ』は、そうしたファンの期待を見事に裏切った。期待
が大きければ大きいほど、裏切られたときのショックも大きくなります。それ
が「アメリカ版ゴジラなんてつまらねえ!」という、ネガティブな口コミ効果
を生みだしてしまったんじゃないでしょうかね
838ユキシン伝説の戦い:2001/08/17(金) 20:00
>>  ではUSゴジラも『アルマゲドン』も同レベルとゆー風に評価なさって
>> おられますけどね。ではその『アルマゲドン』が正月映画一番の大ヒット
>> となったのは、どーゆー理由でしょうねぇ?
>>  服部さん理論では『アルマゲドン』のよーなダメ映画もコケてなきゃお
>> かしいハズですけどねぇ。

『アルマゲドン』と『GODZILLA・ゴジラ』が同じなのは、災害がわざわざ大都
市めがけて襲ってくるという部分です。その1点が同じだからと言って、他の
部分まで『GODZILLA・ゴジラ』と同列に見られては、『アルマゲドン』が気の
毒でしょう。『アルマゲドン』には『ディープ・インパクト』や『タイタニッ
ク』と同じ「泣きパニ(泣けるパニック映画)」の要素もあるし、USゴジラ
が暗やみに紛れて無人のニューヨークを逃げ回るのと違って、人でにぎわう白
昼のマンハッタンに隕石群が落下して来るというビジュアル面でのインパクト
もあります。見せ物映画としては、かなりの高得点ですよ。
839ユキシン伝説の戦い:2001/08/17(金) 20:08
>>  「企画意図との齟齬」が、どーして「映画の内容以外のことでの批判」
>> になるんですかねえ?
>>  「企画意図」ってのは、よーするに「最初はどーゆー映画にするつもり
>> だったか」って意味でしょ?
>>  だったら別に「映画の内容以外」のことではありませんね。つまりぼく
>> は、「その通りに作れ」って言ってんですから。

上記は2番会議室の#10418で、ゆきかみさんが『スモール・ソルジャーズ』に
ついて書いた意見です。僕はこの意見に必ずしも賛成しません。しかし、仮に
「映画の企画意図」と「完成した映画で描かれたもの」との食い違いが、映画
そのものの致命的な欠点だったと仮定しましょう。

>>  それにUSゴジラについては最初っから「日本のゴジラに似てない」と
>> いうハンデがついてますからねー。

ゆきかみさん自身、『GODZILLA・ゴジラ』のデザインが「日本のゴジラに似て
ない」ことが、結局は一般のお客さんにアピールしなかったということを認め
ているではありませんか。つまり、『GODZILLA・ゴジラ』が「ゴジラ映画」と
いうコンセプトから逸脱しているということでしょ?

ゆきかみさんが『GODZILLA・ゴジラ』の理想的な観客として、どのような人々
をイメージしているのかはまったくわかりません。でも、この映画が日本でも
アメリカでもまったく興行的に受けなかったということは、ゆきかみさん言う
ところの「シロウト」が、必ずしもにわか国粋主義者だけではないことを証明
しています。
840ユキシン伝説の戦い:2001/08/17(金) 20:12
>>  つまり、一般のお客さんがゴジラに集まらなかった理由は、まぎれもな
>> くデザインのせいである、と。
>>  だったらそれこそストーリーには何の罪もないことになりますなぁ。人
>> 間同士の葛藤がどうのこうのってのは、コケた理由にはならんワケですね。

『GODZILLA・ゴジラ』が最初から怪獣に「ゴジラ」を名乗らせず、『原子怪獣
現わる』というタイトルでも付けて公開されていれば、東宝はあれほどの宣伝
もせず、劇場公開も広げず、ニュー東宝シネマ他、全国10館ぐらいの規模で
3週間ほど興行を打って、あとはビデオで見てくださいという映画になっただ
ろうという話です。『GODZILLA・ゴジラ』という映画は、東宝東和の『ザ・グ
リード』と同じレベルの映画なんですからね。

でも、あの映画は間違いなく「ゴジラ映画」なんです。だから東宝は「国産ゴ
ジラでもコンスタントに20億の配収だ。日本語版も作れば、国産ゴジラの顧
客はすべて囲い込める。これに『ID4』の客が加われば、配収で80億ぐら
いは行ってしまうかもしれない。いや、がんばれば100億越えるか……」と
考えた。それで全国400館近い劇場を押さえて、大公開してしまったのです。
でもさ、中身のレベルは『ザ・グリード』なんだよね……。

(ちなみにその『ザ・グリード』は、映画秘宝の98年ベストで10位にラン
キング。『GODZILLA・ゴジラ』も一応15位に入っているので、この雑誌の評
価はまずまず正当なのかもよ。タイトルが『原子怪獣現わる』だったら、5位
ぐらいには入っていたんじゃなかろうか……。)
841ユキシン伝説の戦い:2001/08/17(金) 20:13
>>  だからね、一般のお客さんがあの手のハリウッド製大作娯楽映画見に行
>> く時、登場人物の葛藤とかなんかよりも、イメージ優先で語っちゃうこと
>> が多いんじゃないかってことですよ。だから「ゴジラがゴジラに見えな
>> い」って、その一点だけで他の部分はすべて無視されてしまったって可能
>> 性もそーとーにあるんじゃないんですかね。

>>  現にぼくの知人であの映画をダメって言ってるヤツでも、どこがダメな
>> んだって聞かれて「だってあんなんゴジラじゃないもん」の一点張りっ
>> つーヤツがいますから。

ゴジラ映画にゴジラが出てなかったら、それは商品としては詐欺でしょう。ア
メリカ版のゴジラがゴジラに見えないと言うのは、そういう意味で限りなく欠
陥商品なんですよ。

『スモール・ソルジャーズ』という映画について、ゆきかみさんは「オモチャ
会社ともタイアップし、映画公開と同時にオモチャを発売して、映画を楽しん
だ小さなお友達にオモチャも買っていただこう、という真に資本主義的な制作
意図に基づいて作られている」と仮定しました(2番会議室#10389)。この仮
定がそもそも間違っていると僕は考えますが、ゆきかみさん相手にそれを主張
しても水掛け論になるだけだからやめておきましょう。

しかし『GODZILLA・ゴジラ』という映画が、「日本生まれの恐竜型モンスター
でアメリカにも熱心なファンが大勢いるゴジラを、ハリウッドの特撮技術を駆
使してリメイクしよう」という意図で作られたことは、ゆきかみさんの『ス
モール・ソルジャーズ』企画意図よりもはるかに明白です。そのためにトライ
スターは東宝に安くはないライセンス料(ハリウッドのレベルで考えると安い
のかもしれない)を払い、製作途中のデザイン画や脚本のチェックを受けなが
ら映画を製作したのです。このため『GODZILLA・ゴジラ』は最初から最後まで、
「ゴジラ映画としてどうなのか」という評価基準を科せられています。

この時「あの怪獣はゴジラに見えない」という批判は、これ以上ないほど正鵠
を得た意見なのです。

ゆきかみさんのUSゴジラ擁護論は、中華料理屋でラーメンを注文したのにレ
バニラ炒めが出てきて文句を言う客に向かって、「あなたはなぜ目の前にある
レバニラを味わうことなく文句を言うのか。たしかにその料理はあなたの希望
したラーメンではないが、レバニラとしては良くできているはずだ。文句を言
う奴は了見が狭いよ」と講釈たれているのと同じです。
842ユキシン伝説の戦い:2001/08/17(金) 20:13
>> いやー、公開するタイミングなんて要素も軽視はできないと思いますぜ。

はいはい、同時期に日本で大ヒットしたのは『ポケットモンスター』でしたね。
配収は41億5千万でした。(『GODZILLA・ゴジラ』は30億。)6月から公
開されていた『ディープ・インパクト』もあります。こちらは配収が47億2
千万でした。『GODZILLA・ゴジラ』封切り時点で『ディープ・インパクト』は
既に4週目に入っていたので、普通は勝負にならないんですけどね……。

>>  つまり、一般のお客さんがゴジラに集まらなかった理由は、まぎれもな
>> くデザインのせいである、と。
>>  だったらそれこそストーリーには何の罪もないことになりますなぁ。人
>> 間同士の葛藤がどうのこうのってのは、コケた理由にはならんワケですね。

>>  だからその素人のお客さんが「ありゃダメだよ」と判断した理由が「ゴ
>> ジラに見えない」ってコトであれば、ストーリーそのものの娯楽性には何
>> の欠陥もないってことですよね。

上のパラグラフは2度目の引用なんですけどね、ま〜、すごい理屈だな……。
どんな映画にもひとつやふたつは必ず欠点があるもんです。でも、欠点がひと
つやふたつでは済まない映画もある。『GODZILLA・ゴジラ』は、怪獣のデザイ
ンもキャラクターもだめだし、ストーリーもドラマも欠陥だらけなの。ひとつ
の欠点を指摘したからと言って、他の欠点がなくなるわけないでしょ! 欠点
をひとつ指摘されることが、他の欠点を覆い隠すアリバイにはなりません。

ゆきかみさんの言いぐさは、刑事に逮捕された容疑者が「あなたが私を逮捕し
た容疑は死体遺棄ですね。つまり、私が殺人事件については潔白であることが
証明されているわけですな!」というのと同じじゃん。

>>  なーんて書くあたり、すでに「大規模な広告宣伝がマイナスに働いた」
>> ってことをお認めになってるじゃーあーりませんか。

つまらない映画で大宣伝をすれば、結果としてはネガティブキャンペーンにな
るんでしょうね……。つまりこれは、『GODZILLA・ゴジラ』がやはりダメな映
画であったという証明です。
843ユキシン伝説の戦い:2001/08/17(金) 20:14
>> 「駄作だからコケた」なんてことは子供でも言えます。

その子供にもわかる理屈を懇切丁寧に説明されても、まったく理解できない頭
の固さは何とかならないものでしょうか。

一般のお客さんにとって、『GODZILLA・ゴジラ』は紛れもなく期待はずれの駄
作なの。ゆきかみさんがどんなにそれを弁護しても、それは「蓼食う虫も好き
ずき」というレベルのコメントでしかないの。僕は個人の嗜好や感性に文句を
つけるほどヤボじゃないから、ゆきかみさんが『GODZILLA・ゴジラ』のつまん
ない部分をバカみたいに絶賛しても、それにいちいち反論しないのよ。

>> そもそも、ぼくは一般のお客さんがゴジラをどー観たかなんてことはどー
>> でもよかったんですよ。

ゆきかみさんの立場は、この一語につきますね……。最初から他人の意見や評
価には耳を貸さないんだから、何を言っても無駄でしょう。独りよがりな言説
を、荒野に向かって吠えてればよろしい。

キリストも「聞く耳のあるものは聞け」と言ってます。聞いてもわからない人
には、誰が何を言っても無駄なんでしょうね……。豚に真珠を投げるなという
聖書の言葉が身にしみます。なんという空しさ、なんという空しさ、すべては
空しい。この労苦の結果を、わたしはすべていとう。
844ユキシン伝説の戦い:2001/08/17(金) 20:16
>>  ぼくの#92の発言の、いったいどこに「バカみたいに絶賛」してる部分
>> がありますか?

自分のそれまでの発言を棚に上げて、#92に限定して議論を進めても無駄です。
過去のログを読めば、ゆきかみさんの発言は一目瞭然ですからね。例えば以下
のような発言は、僕から見れば「つまんない部分をバカみたいに絶賛」してい
る部分に該当します。(引用は#76からです。)

>>  もちろか、このあたり、きちんと「『ゴジラの出現』によってもたらさ
>> れたもの」ですし、「ゴジラという脅威に対応する人間側の認識の違いや
>> 意見対立」になってると思うんですけどねえ? 違いますか?
>>  さらに、軍人のひとりを主人公の理解者として、クライマックスでは彼
>> によって主人公と軍との連携がなされる、とゆー芸の細かいプロット。

どこに芸の細かさがあるんだか、僕にはさっぱりわかりません。「面白いか否
か」は互いの感性の違いですから、それについてはとやかく言いませんが、こ
の程度で「芸が細かい」と言われてしまうと……。なんだか、発言者本人の映
画的教養のなさを暴露しているようで、他人事ながら恥ずかしくなってしまい
ます。

もんじゃ焼きをはじめて食べた高校生が「うまい!こんなうまいもの、生まれ
てはじめて食べましたよ!」と叫んでいるのを目撃したことがあるんですが、
ゆきかみさんの発言にはそれに近いものがあります。ジャンクフードばかり食
べてると、味覚がおかしくなりますよ。
845ユキシン伝説の戦い:2001/08/17(金) 20:17
>>  それとも服部さんはご自分の批評能力を一般の観客に頼っているのです
>> か?

映画が大衆娯楽である以上、映画批評の仕事は一般観客の感覚と大きくかけ離
れることはできません。「映画批評家」の仕事は、一般客より早く映画を観て、
それが面白いかつまらないかを一般観客と同じ視点で判断することです。

僕が「面白い」と感じた映画を一般のお客さんも「面白い」と感じるなら、僕
の映画批評家としての感覚はそう鈍くないということです。僕がひとりで面白
がっても、他の一般的な観客が「つまらない」と感じたら、それは僕が間違っ
ていたことになる。その場合は、自分と他の人の感覚がなぜ食い違ってしまっ
たのを分析して、次回以降はブレのない批評をしなければと反省します。

僕は自分自身の映画批評の能力を、一般の観客に頼ってはいません。しかし、
自分の映画批評能力をはかるモノサシにはしています。

>> 映画の出来不出来を「コケた/当たった」で判断なさるんですかね?

この点については、以前から何度も説明しています。映画が当たるかコケるか
は、映画の内容とは別次元の話です。ただし「映画興行」という観点から見れ
ば、映画がコケたのは「商売として失敗だった」と断言できます。

失敗の理由は、商品そのものの欠点が原因である場合と、商品の売り方に問題
があった場合の2通りが考えられます。『GODZILLA・ゴジラ』という映画に関
しては、商品の売り方に関して、特に大きな問題があったとは考えられません。
にも関わらず商品の売れ行きがさっぱりだったのですから、あとは商品そのも
のに欠点があったと考えざるを得ないのです。つまり、『GODZILLA・ゴジラ』
がコケたのは、映画がつまらなかったからだと解釈するのが自然でしょう。

これは小学生にもわかる理屈です。それがわからないのは、わかりたくないか
らでしょうか? それとも、わかる能力がないからでしょうか? 僕はすでに
この説明を3回以上繰り返しています。前者であれ後者であれ、他人の説明に
論理的反論をすることなく、いつまでも「お前は間違っている」とオウムのよ
うに繰り返しているだけではらちがあきませんね。

だだっ子のように大声で自分の主張をわめき散らすだけでなく、多少は中身の
ある意見を述べる人とコメントのやりとりをしたいものです……。
846名無シネマさん:2001/08/17(金) 20:17
>>827
あ?下高井戸シネマはいい小屋じゃないかよ?

俺はあそこで「東京物語」観た時、しみじみとオモタよ。
この小屋、隙がない!!ってな。

もっともそれは10年以上も前の話だから、今の
シモタカがどーなってんのかしらねぇけどな。
ひょっとして5.1chの設備とか無いワケかえ?
847ユキシン伝説の戦い:2001/08/17(金) 20:21
映画批評という仕事をどう規定するかは、たぶん人によって違うと思います。
でも僕は「映画批評家=観客代表」というのが、まずは大前提ですね。巷間あ
ふれる無数の映画の中から、面白いものをきちんとピックアップして行くこと
が必要でしょう。じつは、それすらできていないのが現在の映画マスコミなん
ですが……。面白い映画を「面白い!」と言い、つまらない映画を「つまらな
い!」と素直に指摘するのは、職業としては案外難しいのです。

テレビの映画紹介番組を見ていると「そんな映画をほめるんじゃねえ!」と、
思わず激高してしまう内容が多すぎます。一般のお客さんはまだ映画の内容を
知らないからわからないでしょうが、僕は紹介されている映画を全部観ていま
す。つまらない映画なのに、配給会社の力関係でさも傑作であるかのように紹
介されているのを見ると、本当に腹が立ちますよ。これは雑誌も似たようなも
のですけどね。現在のマスコミには、きちんとした「映画批評」ができる場所
が少なすぎます。映画が面白いのかつまらないのかが、ほとんど観客には知ら
されていないのが実態なのです。(だからこそ、このフォーラムにも意味があ
るという言い方だってできるでしょう……。)
848ユキシン伝説の戦い:2001/08/17(金) 20:22
>> 僕が批評家に期待するのは、むしろ「一般観客よりも優れた感性や
>> 豊富な知識によって、一般観客が気づかないような映画の面白さ/
>> 映画の楽しみを新たに教えてくれる」ということです。

これはまったく同感です。しかし、映画批評家が一般観客とまったく異なった
部分で映画を楽しんだり、語ったりするのもおかしな話です。映画批評におい
ては、「言われてみれば確かにそうだ」「なるほど、そう解釈するとスッキリ
するな」「喉もとまで出かけていたのに言葉にならなかったものが、見事に文
章になっているぞ」と思わせるのが、映画批評家の《芸》だと思います。一般
観客がまったく興味を持たない部分や、映画の中の些末な描写にこだわって、
そこから映画全体を語る方法もあるかもしれませんが、その方法一辺倒ではま
ともな映画批評とは言えないと思います。

映画批評家の感覚は、高感度のラジオみたいなものです。アンテナを高く延ば
して、映画から発せられた情報を、よりクリアな状態で受信するのが批評家の
役目だと思う。でも、一般観客がJ−WAVEにチャンネルを合わせていると
きに、批評家だけがNHKラジオ第2ばかり聞いていたんでは意味がないんで
す。(そういう人もいますけどね……。)映画批評家も一般観客と同じ周波数
にチューニングしておかなければ意味がないですよ。

もちろん同時に、微弱な電波しか発信できないマイナーな作品から、本当に面
白いものを探して行く作業も並行して進めているわけですが……。

「一般客と異なる視点を持たなければ」と考えると、世間ではまったく受け入
れられなかった駄作や失敗作を褒めそやしたり、世間で評価の高い傑作を罵倒
することに独自性を求めるのが、何となく偉いような気がしてしまうものです。
インターネットに増殖しつつある「辛口映画批評」なんて、ほとんどがそんな
ものですもんね。(僕は自分のホームページが「辛口の映画評」と紹介される
たびに、少し複雑な気がしてるんだよね。僕はただ素直に感想を書いてるだけ
なんだけど……。)でも、あえて世評に異を唱えるのは、じつはすごく簡単な
んです。映画批評の方法論としては、一番安直な道だと思います。

映画の中に隠された美点を発掘することも、映画批評の大事な役目でしょう。
しかしそれを「美点」と認識する感覚が一般観客から大きくずれていると、そ
の批評は単に自分の趣味をひけらかしているだけの自己満足になってしまう。
映画批評家が「こんなに面白いところもあるよ」と言った場面が、一般観客に
も「なるほどそうか!」と受け入れられないと、批評には意味がないです。映
画批評家が一般観客と同じ視点を持たなければならないというのは、つまりそ
ういう意味です。一般観客が何を映画に求めているのか、何を面白いと感じ、
何をつまらないと思うのか。そうした感覚を一般観客と批評家が共有しない限
り、映画批評は独りよがりの感想に終わってしまうと思います。

映画評論家には、批評家とはまた違った役割があるだろうと、僕は考えていま
す。評論家はその映画が単純に面白いか否かだけでなく、その作品を映画史的
に位置づけて行く役割があると思うんです。例えば『GODZILLA・ゴジラ』は映
画批評的にはつまらない映画(この意見は変わらない)なんですが、映画史的
にはいろいろと意味のある作品ですよね。ゴジラ映画の歴史の中でもエポック
になるものだし、参加したスタッフやキャストも当代の一流どころがそろって
ますし……。『GODZILLA・ゴジラ』という作品は作品の内容とはまったく別の
ところで、映画史に残る作品だと思います。

映画は一種の消耗品で、次々と新作が公開されると、少し前の作品もあっとい
う間に忘れ去られてしまいます。映画評論家には、映画作品を文化財として定
着させる役目があるんじゃないでしょうか。これは「映画史家」の領域かもし
れませんが、映画評論には映画百年の歴史を俯瞰する視点がほしいのです。僕
は古典映画の素養がないので、しばらくは映画批評1本勝負です。

(あくまでもこれは、僕なりの「映画批評」と「映画評論」の定義です。他の
考えをお持ちの方も、大勢いると思います。)
849ユキシン伝説の戦い:2001/08/17(金) 20:24
>>  ですからねー。あっちの会議室でも言ったじゃないですか。
>> 「元の発言の一部だけ引用して全体の意味を歪めないで」って。

意味なんて歪めてませんよ。僕はゆきかみさんが『芸の細かいプロット』と書
いたことを指して、「バカみたいに絶賛」と言ってるだけですから。この1文
には、誤解の余地などないでしょう。それを指摘することが、はたして『愚劣
な人格攻撃』と言えるんでしょうか? 自分の失敗を指摘されて「それはズル
イよ」と相手に噛みつくのは、単なる泣き言でしかありません。

>>  ぼくが「お前は間違っている」とオウムのように繰り返しているのは、
>> この問題(ゴジラのコケた理由)についてではありません。

そうでしょうか? パソコン通信では、自分の書いたものが全部テキストとし
て残ってしまうんですから、無様な言い逃れはまったく無駄ですよ。それとも、
ゆきかみさんは急に健忘症にかかってしまったのかな?

>>  映画の興業にはいろいろとフクザツな要素が絡み合いますから、単純に
>> 当たったから傑作、コケたから駄作、という割り切り方はできないハズで
>> す。(#65)

>>  では、「コケた」=「ダメ映画」という風に主張なさっておられる。コ
>> レはいったい何なんでしょうかね?(#69)

>> 「駄作だからコケた」なんてことは子供でも言えます。(#92)

>> 映画の出来不出来を「コケた/当たった」で判断なさるんですかね?
>> (#108)

ちょっと目に付いただけでも、都合4回は繰り返してますよ。そのたびに、僕
としては丁寧に説明しているつもりなんですけどね……。この点について、ゆ
きかみさんから有益な反論はついに得られていません。
850ユキシン伝説の戦い:2001/08/17(金) 20:25
『GODZILLA・ゴジラ』がなぜ興行的不振にあえいだのか? 映画興行にはさま
ざまな要素がつきまといますから、簡単に犯人を捜し当てるのは難しいもので
す。しかし『GODZILLA・ゴジラ』に関しては、劇場規模の拡大や宣伝広告の充
実など、配給や興行面に大きな落ち度はないのです。したがって、犯人は消去
法でおのずと明らかになります。

『GODZILLA・ゴジラ』は映画そのものがダメだったのです。

>>  要は自分がつまんなかったから、それを立証したいだけでしょ。
>>  「分析」ってのは、最初に結論ありきじゃないんですよ。わかってま
>> す?

自分の感想を、なぜ立証しなきゃならないんでしょうか? 映画の感想なんて
ものは、個人のパーソナルな体験を告白したものに過ぎないんだから、他の要
素を援用して「立証」する必要なんてないでしょう。『GODZILLA・ゴジラ』が
好きな人がいて、嫌いな人がいる。面白いと感じる人がいて、つまらないと感
じる人がいる。そんなこと、当たり前のことじゃないですか。

こういう発言が出てくるところを見ると、ゆきかみさんは自分の感想を何かの
助けを借りて「立証」したいことがミエミエですよ。そのために、僕に噛みつ
いているのかな? 迷惑な話だなぁ……。

>>  つまりこれは「終わった話題」なのです。
>>  だからこれ以上この話を強調したって意味はありませんよ。

ではここで、その「終わった話題」を整理してみましょう。僕が一連のツリー
で述べているのは、『GODZILLA・ゴジラ』が興行的に失敗したという事実と、
そこから推論できる映画そのものの欠陥です。

1.『GODZILLA・ゴジラ』は興行的に失敗した。
2.USゴジラが「ゴジラに見えない」というのは正論である。つまりこの映
  画は「ゴジラ映画」としては失格である。
3.大量の宣伝にも関わらず観客がそっぽを向いたのは、宣伝で生み出された
  観客側の期待感に応えるだけの内容を、映画が持っていなかったからだ。
4.興行が失敗した理由は、映画そのものの力不足が原因である。
5.つまり『GODZILLA・ゴジラ』はダメな映画なのである。

シナリオの構造的な問題やエピソードの処理など、映画の内容についての話を
あえて僕が避けているのは、僕とゆきかみさんとで、映画に対する感受性があ
まりにも違いすぎるからです。これは互いの映画経験の違いが原因かもしれま
せんし、根本的に相容れぬ何かが、他にあるのかもしれません。

『GODZILLA・ゴジラ』という映画の中で、ドラマのポイント(葛藤)がどこに
あるのかという議論を、改めてゆきかみさんとするつもりはないです。ゆきか
みさんは、僕から見ると葛藤でもなんでもない部分を取り出して「ここに葛藤
がある。ドラマがある。素晴らしい!」と力説するだけだもんね。

認識レベルで同じ土俵に立てない限り、議論は最初から成り立ちません。最初
から水掛け論になることがわかりきった議論に、わざわざ足を突っ込む必要も
ないでしょう。
851ユキシン伝説の戦い:2001/08/17(金) 20:26
>> なるほど。
>>  服部さんがおっしゃっておられたのは「批評」ではなく「感想」であっ
>> た、と。

「映画批評」なんて、批評家の「感想」を明文化したものに過ぎません。だか
らこそ、同じ映画を取り上げても、批評家によって意見が180度違ったりす
るのです。映画批評に正解なんてないんですよ。映画を観た人なら、誰でも映
画批評ができる。「面白い」「つまらない」が批評の第一歩ですからね。だか
らこそ、それを職業にするのは大変なんですけどね……。
852こぴぺ:2001/08/17(金) 20:28
【名  前】ニードルマン
【タイトル】服部さん、グルーチョンさんを支持します。
  2001/08/17 19:26
[email protected]

【メッセージ】
RINさんへ、苦言を呈したいと思います。
ここは、服部さん個人のHP(掲示板) ですよ。公式の企業やちゃんとした映画評論家が主催しているサイトではございません。あくまで服部さん個人の防備録レベルのサイトなんです。
それはサイトのはじめてお断りなさっていたと思います。

グルーチョンさんの間違いは、とくに責められるほどのものではないと思います。無理矢理大騒ぎしたりすべきではなく、こっそり笑う程度でよろしいのではないでしょうか。ただでさえ、被害妄想の激しい掲示板主催者がおられることですし。


>わたしのような映画初心者にとっては、この板は情報を得るうえで
>非常に役立つものであり、それなのにおこがましい限りと思うのです>が、
>やはり、真の情報を知りたく思ってしまいます。

真の情報を知りたいなら、こちらのサイトは、ネット界広といえども一番不向きなところでしょう。選択を間違えていらっしゃいます。
「公式見解」をお求めのようですが、一個人、しかも自分が映画評論家だと妄想していらっしゃる方に、「公式」などありません。すべて「非公式」もしくは「非常識」です。
その点、よっく記憶にとどめて、距離を置いた対応をRINさんに求めたいと思います。「最低限のルール」は「最低脳の管理人」からは得られないでしょう。
853ユキシン伝説の戦い:2001/08/17(金) 20:29
ハトエキス満載の「ユキシン伝説の戦い」これにて終了。

次回は「ラッコ孤独に奮闘す」とかやろうかね?