評論って名乗ってなきゃ……3

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563名無シネマさん
>>493
その和田誠氏のエッセイ※より、一部抜粋。
ソニー・ピクチャーズが架空評論家に自社作品をお手盛りで
絶賛させていたという、例のネタから入って、

>ぼくが興味を持ったのは、きちんとした批評眼を持つ、
信頼するに足る人物を、どうやって創り上げたか、ということである。
>批評眼があり、センスもよく、文章がしっかりしている、
という人物が褒めてこそ、効果が上がるのだから。
>もっとも、近ごろはあまり信頼できない自称評論家を日本でも
見かけるので、あちらも似たようなものかな、とも思う。
>ある映画監督が「作品を発表するということは、
裁きの場に立たされるということだ」と言った。
よくわかる発言である。
>文学の世界でも美術の世界でも、
評論もまた「作品」として論じられる。
「作品」である批評を発表する時、
評論家もまた裁きの場に立つことになる。
映画評論の世界でその覚悟をもつ人がどのくらいいるだろうか。
>数行の批評にもいろいろなことが詰まっている。
その作品が面白いかつまらないかということ以外に、
書いた人のセンス、教養、人生観から品性まで。
読者はそういうことも読みとることができるのだ。(後略)


とかつっても、ハトーリには馬耳東風か………(藁

※6月8日付・河北新報(宮城)夕刊より。
このほか共同通信系の、全国各地の複数紙に配信