【バブル?】キミとボクの80年代映画【黄金時代?】
1 :
重くてこまった:
夏休みはスピルバーグにジャッキー・チェン。真新しいミニシアター
でベンダースの新作にワクワク。シティロード片手に名画座めぐり。
エロビを発売されたばかりのヒッチコックのビデオではさんで借りた
あの頃。リュミエール、ワケワカラン。
ジャンルが幅広いから84年から88年の5年間限定で、あの時代を
語ってくれ。
2ゲッチュ
3 :
六区:02/02/24 17:19 ID:J/ULjv2L
後ろを振り返るな
4 :
重くてこまった :02/02/24 20:15 ID:/FUdB4pw
おもな出来事
1984
・フィルムセンター火災
・有楽町マリオン完成。こけら落としは「ワンポン」
・松竹の大谷社長、酔って自宅に放火
・シネセゾン発足
・風営法改正でにっかつに打撃
・日比谷映画、有楽座、丸の内ピカデリー閉館
・ヒッチコック映画、MGM名作群のリバイバル
・トリュフォー死去
・シネヴィヴァン六本木オープン
1985
・第1回東京国際映画祭開催
・正月に3G決戦
・夏目雅子死去
・リュミエール創刊
・ビデオのベータ対VHSはVHSの勝利が決定的となる
・角川、フジテレビ、松竹富士がヒット作公開
・シネコンの先駈けシネマサンシャインがオープン
・シネセゾン渋谷オープン
5 :
重くてこまった :02/02/24 20:16 ID:/FUdB4pw
1986
・レンタルビデオ急成長
・シネマライズ渋谷オープン
・海賊版ビデオが社会問題に
・ファンタスティック映画祭開催。ホラーブーム
・ジャームッシュ映画日本上陸、ヒットする
・多様化の時代でレイトショーや早朝興行始まる
・タルコフスキー死去
1987
・石原裕次郎死去
・日比谷シャンテオープン
・ヘラルド・ベストアクションシリーズがスタート
・市川準など異業種新人監督が多数登場
1988
・にっかつロマンポルノ終了。ロッポニカもだめ
・一部劇場が入場料1700円に値上げ
・荻昌弘死去
・トトロ、アキラなどでアニメブーム
・3500円の安売りビデオ発売
6 :
名無シネマさん:02/02/24 20:29 ID:fJ5hMaw4
ホラーマニア的にはこの時代は黄金期だな。
日本経済の黄金時代であって
映画のソレではない
8 :
重くてこまった :02/02/25 06:27 ID:wuwc46+F
>6
M君事件が88年の夏に発生し、89年の夏にタイーホされた彼の自宅からホラー
ビデオなどが押収されて、ホラー・スプラッターは一気に萎えちゃうん
だよね。82年の物体Xで特殊メイクの進歩が一般に認知されて、85年の
「死霊のはらわた」のヒットあたりから火がついたのだと思うけど、
このジャンルは短い期間にディープな進化をとげたね。なによりあの
安っぽいばかばかしさが魅力だな。現在のCG映画がいまいちなのは、
手間と金がかかりすぎてチープな面白さに欠けるためだと思うよ。
>7
君はビンボーな今の環境に満足しているのか?80年代は実際ひとりの
人間が物理的に見ることが絶対に不可能な量の映画が公開されてた
んだぞ。アフリカからスペインから様々な国の映画祭もあったし、
年がら年中クラシックのリバイバルもあった。ビデオも質・量とも
ハンパじゃない。
今シネコンがたくさん出来ているけど、あれは映画のコンビニ。
4,5で書いたような、あの時代に出来たミニシアターはうまい
ラーメン屋だった。
これもみなだぶついたマネーがどっと映画に流れ込んだためじゃ
ないのか?ビンボーだと見たい映画も見れないんだよ〜。
9 :
重くてこまった :02/02/25 09:11 ID:53pcnWRW
1984年の映画
・主な作品
インディジョーンズ2、キャノンボール2、里見八犬伝、プロジェクトA
、愛情物語/メインテーマ、フットルーズ、ステインアライブ、ネバーセ
イ・ネバーアゲイン、ポリスアカデミー、風の谷のナウシカ、瀬戸内少年
野球団、ザデイアフター、ウォーゲーム、スーパーガール、お葬式
・重くてこまったのおすすめ
殺意の香り、ノスタルジア、エレンディラ、ダーティハリー4、特別な
一日、うる星やつら2、ナチュラル、タイトロープ、ワンポン、ナチュ
ラル
・いかがなものか
カランバ、食人大統領アミン、アニメちゃん、カッくんカフェ、アイス
マン、エマニュエル、パソコンウォーズ、ジョーズ3、さよならジュピ
ター
・その他
ヒッチコックの「裏窓」などが数十年ぶりにリバイバル
スペイン映画祭で「エルスール」初公開
フランス映画祭で「ママと娼婦」初公開
10 :
名無シネマさん:02/02/25 09:26 ID:xIFiQ8wF
>>8 ぜんぜん違う。
あの頃面白かったホラーも手が込んでセンスの良いものだけだった。
別にチープさに魅力を感じることはないし、そういう意味ではCGだって
チープな魅力のあるものもあれば、センスの良い使い方もあるってこった。
ホラーの黄金期だったことは認めるが(『死霊のえじき』なんてあの時代の
最後の寵児だろう)後ろを振り向いてもしょうがない。
重くてこまったさんは逝ってよし。
11 :
名無シネマさん:02/02/25 09:28 ID:BOwvOuU1
age
12 :
重くてこまった:02/02/25 11:31 ID:sHb3D95M
>10
ホラー映画史の評価はホラー系スレにゆずるとして(^^;)、
このスレの目的は懐古趣味だけじゃなくて(まぁ、その話も面白い
からカキコしてちょ)、正直おれは最近の映画面白くないんよ。
たぶん90年代半ばから急に映画のパワーが落ちた気がする。朝
新聞の「今日の映画」の広告見ても、見たい映画が全く無い。
いったい80年代と何が変わったのか、あの頃面白いと思ったものって
実際、何だったのかが知りたいのよ。大宣伝してクソだった映画は
今も昔もあるけど、暇つぶしに入った映画館で本当にチープな映画
を見せられて、「なんだこれクダラネーな」といいつつ喜んでしまう
経験は今はあまり無いと思うが、それも映画の楽しみじゃないか?
13 :
重くてこまった :02/02/25 11:31 ID:sHb3D95M
他のみんなもボクだけの80年代ベスト、松田政男に言いたいことがある、
岡部まりタンでハァハァした、東京国際映画祭でナマ黒澤明を見た、オレだけ
が知ってる歌舞伎町シネマ2映画…などキミだけの80年代映画をどんどん
語ってちょ!
14 :
名無シネマさん:02/02/25 20:41 ID:dTJcwee1
15 :
重くてこまった:02/02/26 10:00 ID:2AEjXeRw
>14
はい、よ〜くわかりますよ。映画は何か一本面白いと思ったら、勢いで続けて
見ちゃうもんなんだよね。今だとハリポタ気に入った人はジェボダンとか指輪とか
見るんだろね。80年代には厨房に十分アピールする軽いコメディも多かった。
テロリストよりはマヌケな高校生の方が親しみやすいから、「フェリス」なん
ておもろかったな。
ルメットの映画は話の内容よりもボクは街の風景が印象的だった。フィルムの
粒子が荒れた感じで、夕暮れのマンハッタンなんかが浮かび上がるのがたま
らない。これは日本映画では絶対見れない絵でした。
80年代はミュージックビデオの全盛期でもあったわけで、もちろん今もあり
ますけど、当時は異常にテンションが高かった。その流れでマドンナの映画と
いうのも当然出てくるね。
16 :
重くてこまった:02/02/26 10:02 ID:2AEjXeRw
1985年の映画
・おもな作品
乱、台風クラブ、ゴジラ、ゴーストバスターズ、グレムリン、
ランボー・怒りの脱出、ネバーエンディングストーリー、スパル
タンX、ビバリーヒルズコップ、アマデウス、ターミネーター、
刑事ジョンブック、バックトゥザフューチャー、パリテキサス、
ミツバチのささやき、コクーン、ビルマの竪琴
・重くてこまったのおすすめ
ラヴストリームス、ペイルライダー、海辺のポーリーヌ、エル
スール、カオスシチリア物語、マリアの恋人
・アイドル映画
クララ白書 少女隊PHOON、ユーガッタチャンス、カリブ・愛の
シンフォニー、愛・旅立ち、TANTANたぬき、パンツの穴2、バロー
ギャングBC、テラ戦士ΨBOY
・ホラー映画
バスケットケース、フライトナイト、死霊のはらわた、スペース
バンパイヤ、ヴィデオドローム、フェノミナ
・その他
今も活躍している監督の「二代目はクリスチャン」「ドレミファ
娘の血は騒ぐ」、「天使のたまご」がこの年。
今は亡き相米慎二作品も3本公開された。
17 :
14:02/02/26 10:25 ID:7gsD92FY
>>15 >ルメットの映画は話の内容よりもボクは街の風景が印象的だった。
そそ!!そうなのです。禿堂!
「モーニングアフター」もミステリーだけど話し自体は浅い。
だけど、ジェーンフォンダが目覚めた部屋の感じが物凄く好き。
そして、指紋を拭き取った後、外に出た時の空の色の素敵なこと!
あれだけにヤラレテしまったのです。
あの映像が見たいだけで今でも見てしまうのです。
そういえばMTVが始まったのもこのころですよね。
マドンナとかマイケルジャクソンとか圧倒的なビッグスターちゅーのがいたのもこのころ。
自分の中でアメリカが憧れだった。
ま、小学生だったのであんまり覚えてないことも多いですが…。
18 :
名無シネマさん:02/02/27 07:00 ID:MESmUVYl
(; ・э エイガイタッテ タマゴッチ ミテーダナ… オチルノハヤスギ!
19 :
重くてこまった:02/02/27 11:45 ID:NF9skEkX
>17
「ダイハード」(89年2月)以降、アメリカ映画のムードが変わってしまった
気がするな。80年代はアメリカ映画を無邪気に楽しめた最後の時代だった
のではないでしょか?
20 :
重くてこまった:02/02/27 11:46 ID:NF9skEkX
1986年の映画
・おもな作品
子猫物語、天空の城ラピュタ、ストレンジャーザンパラダイス、
エルム街の悪夢、ロッキー4、エイリアン2、トップガン、
蜘蛛女のキス、未来世紀ブラジル、カラーパープル、カイロの
紫のバラ、コブラ
・重くてこまったのおすすめ
アレキサンドリアWHY?、山の焚火、ラルジャン、フォルスタッフ、
ファンダンゴ、イヤーオブザドラゴン、サブウェイ、白と黒のナイフ
、マリリンとアインシュタイン
・ホラー映画
デモンズ、ガバリン、スペースインベーダー、ラビリンス、
XYZマーダーズ、クリープショー、バタリアン
・ポスト・ジャッキー・チェン
阿羅漢、霊幻道士
・ミニシアター系
シテール島への船出、パパは出張中!、群れ、ダウンバイロー、
黄色い大地、ピクニックatハンギングロック、白い町で
・ミュージシャンもの
ブルータートルの夢、スーザンを探して、アンダーザチェリームーン
・フレディ・ムーラー、ケネス・アンガーなどの特集上映
・ひどすぎる邦画
おにゃん子ザムービー、村でいちばんの首吊りの木、時計、童貞物語、
その他一般劇映画約150本のうち44本がアニメだった。
21 :
重くてこまった:02/02/27 11:46 ID:NF9skEkX
このスレは他とネタがかぶる部分も多いと思うけど、うちは隙間産業と
いいますか、くず拾いといいますか、なにしろ80年代はインターネッチョなんて
影も形もなかったもんで、色々漏れてる部分をみなさんに語ってほしいの
ですよ!今週はこの時代のおおまかな流れを小出しに小出しに(^^;)
カキコしますが、コアーなはなし、各地方の事情など教えて下さいませませ。
22 :
名無シネマさん:02/02/27 12:38 ID:3t6nJG3Z
>20
スタンドバイミーは?
23 :
重くてこまった:02/02/27 20:48 ID:Xm+nDrew
>22
え〜、作品のセレクトはハッキリ言ってテキトーです(^^;)。
当時のヒット作と雑誌のベスト10からみんなが知ってそうなのを
書いてますので、漏れは悪しからず。みなさまの補完計画を期待
しちょります。(^^)
「スタンドバイミー」は86年製作ですが、日本公開は87年4月だった
ので87年のリストに入ります。
24 :
名無シネマさん:02/02/28 02:46 ID:Xy/Pmzj6
ドラえもん映画はダメですか?
このころのドラ映画は輝いていた…
フラッシュダンスも1票。
ロッキーに5000点
27 :
名無シネマさん:02/02/28 03:05 ID:Qv/tUik7
意味もなく日本でのみヒットした「コーラスライン」。
厨房んときデートで見にいった。
「死霊のはらわた」と「バタリアン」をリアルタイムで見れて幸せ。
どっちも客が10人くらいしかいなかったなあ。
29 :
名無シネマさん:02/02/28 03:35 ID:agsDQQAJ
30 :
28:02/02/28 03:38 ID:hLcfEJEz
>29
まあ田舎だから。
関係無いが昔はカプールとかも今よりマナーがよかった気がする。
>>30 昔のカップルは映画館でハァハァするときでもちゃんと避妊してたよね。
32 :
名無シネマさん:02/02/28 04:14 ID:pAbwdRBx
きっと今の厨房たちが大人になるころは最近の映画を懐かしむんだろう。
33 :
重くてこまった:02/02/28 11:35 ID:HBlpnERi
>>24 すいません。ボクは当時すでに「ドラエモソ」をやってる劇場には入り
づらい年齢だったので、見てまへん。確かに東宝の稼ぎ頭なので
すが、それは90年代以降もあまり変わっておらず、80年代限定という
意味ではしょりました。寅さんも同じです。ドラエモソ専用スレもある
のでそちらでドゾ。
>>25 これ83年の夏休み映画でしたが、その後長期にわたり名画座の定番
だったし、翌年出たビデオもカナーリ出回っていたので、アリです。正直、
水ザバーの場面しか印象に残ってなかたのだけど、最近TVの「あの人
は今」にジェニファー・ビールスが出てきたのが懐かしく、つい又見ちゃいま
した。
>>26 とりわけ「炎の友情」の盛り上がり方は異様でしたな。今考えると
1〜3のフィルムでえらい水増ししてるんだけど、シベリアトレーニ
ングあたりから燃えるんだよな〜。それにあの予告編の煽りがうまい。
ロッキーとドラゴのグラブがぶつかって、どっか〜んと爆発。厨房の
ハートわしづかみ。(W
34 :
重くてこまった:02/02/28 11:36 ID:HBlpnERi
>>27 そう、アメリカではコケたのに、日本ではウケたのね。当時劇団四季の
舞台もあったし、これも宣伝にのせられた感じ。「ワン」って曲が耳に
残るんだよな。
>>28-29 ボクは「バタリアン」は見たけど、「はらわた」封切で見逃してクヤシーのよ!
これはビデオで見た。当時はソフト1本1万4千〜1万8千円がフツーで、
レンタル屋がこっそりやってる「コピーサービス」か、デッキを友達で
持ちよってコピーしたテープが学校のクラス中で流通してました。丁度
この頃、ビデオが一般に普及しだしたんだよね。
>>30-31 オイラはズ〜っと男子校だったから、そんなんワカランずら!ヽ(`Д´)ノ ウワァァン!!
「ヤローども、こんどの日曜は映画じゃ」「うぉー!」これよ、これ!
>>32 それはいつの時代でも同じだろね。ただ今の子供はチトかわいそな気がするね。
「ハリポタ」も「エピワン」もヒットはしてるのに、なぜか80年代のバカ映画に
あった盛り上がりに欠けていて、妙によいこすぎるような気がする。
35 :
重くてこまった:02/02/28 11:37 ID:HBlpnERi
1987年の映画
・おもな作品
マルサの女、漂流教室、ゆきゆきて神軍、ブルーベルベット、スタンド
バイミー、リーサルウェポン、プレデター、アンタッチャブル、薔薇の名前
、プラトーン、ビバリーヒルズコップ2、オーバーザトップ、プロジェクト
A2、クロコダイルダンディー
・重くてこまったのおすすめ
光る女、紅い眼鏡、サクリファイス、ザフライ、緑の光線、ハートブレイク
リッジ、盗まれた飛行船、デッドゾーン、愛しのロクサーヌ
・物語ブーム
寅次郎物語、刑事物語5、次郎物語、ラッコ物語、竹取物語、新宿純愛物語
、源氏物語、ハチ公物語、この愛の物語、柳川掘割物語、パンダ物語
・ヤンキーもの
スケバン刑事、ビーバップ・高校与太郎行進曲、シャコタンブギ、名門!
多古西応援団、バリバリ伝説
・カルトムービー
悪魔の毒々モンスター、死霊のしたたり、死霊の盆踊り、まんちぃず、
ザ・ブルード
・その他
「アメージングストーリー」などの興行がいまいちで、スピルバーグ印の
凋落がささやかれる。
この年の影の主役はヘラルド・ベストアクション・シリーズだと思うん
ですが、これは次の機会に書きます。
36 :
名無シネマさん:02/03/01 07:25 ID:gjWx1pdy
(´・ω・`)ショボーン
(∩ ∩) コノスレ ニンキ ナイナ〜
(´;ω;`)ウッ…
(∩ ∩)
(´・ω・`)
(∩ ∩)
(´・ω・`)ジサクジエーン シチャオカナー…
(∩ ∩)
37 :
重くてこまった:02/03/01 11:50 ID:76v8zasp
1988年の映画
・おもな作品
となりのトトロ/火垂の墓、帝都物語、敦煌、アキラ、優駿、
ラストエンペラー、ロボコップ、フルメタルジャケット、ベルリン
天使の詩、ランボー3、危険な情事、マリリンに逢いたい、グッド
モーニング・ベトナム、ミッドナイトラン、フランティック、
ビートルジュース、マイライフアズアドッグ、ヘルレイザー
・重くてこまったのおすすめ
消えたセクシーショット、死刑執行人もまた死す、ビッグ
・へんな映画
山田村ワルツ、追悼のざわめき、死霊の受胎、ステレオ、外人球団、
ケレル、キョンシーVS五福星、帰ってきたET、屋根裏部屋の花たち、
私立ガードマン・全員無責任
・初公開クラシック映画
タバコロード、恐怖省、偉大なアンバーソン、ハイシェラ、ラスト
ムービー、渇き
・その他
主な映画祭が20以上開催。各10本として200本。さらに前年から始まった
ヘラルド・ベストアクションに加え、ビデオ販売の余録的上映を他の
会社も始める。松竹富士の「プラットホームシアター」、ジョイパック
の「ベストセレクション」、東映クラシックの「シネマランドシアター」
など。さらにロッポニカの2本立て上映もあり、この年の映画を全部見た
人間がいるとすれば、それは神である。
38 :
名無シネマさん:02/03/01 13:02 ID:RObxZrBC
なんか思いついたの気軽に書き込めない雰囲気だね
俺もこの頃の映画大好きなんだけどいちいち何年公開とか
調べないと別のスレに行けって言われそうで・・・
39 :
名無シネマさん:02/03/01 22:51 ID:ZwS+hWyX
>38
このスレはネタスレじゃなくて、カルトスレなんです。ボクはこの時代の
映画を偏愛しちょるのよ。そしてあの時代に濃〜い映画汁をDNAに注入された
映画小僧がオイラの他にもおらんかの〜と思ったわけよ。このスレのしばりは
84年から88年に日本で公開された映画ってだけなので、あれこれ調べるよりは
脳汁をしぼりだして書いてちょーだい。と言うとじじいサロンみたいだけど、
ワケー人にもわかりやすいように、こうやって初めにネタを提供しているわけ
ですわ。
40 :
名無シネマさん:02/03/01 22:52 ID:ZwS+hWyX
↑重くてこまったでした。
41 :
名無シネマさん:02/03/02 03:42 ID:70Gdur47
重くてこまったさんすごい。
自分もこの時代の映画が好きだと思ってたけど、
このスレ読んでると知らない映画が結構ある…。
大人になってから初めて見た80年代の映画でも
なんか(・∀・)イイ!! と思ってしまいます。
きっと好きなんだろうな。80年代。
この頃の女の人のファッションとかも好きです。
イメージ的にカーリーヘアにしっかりひいたアイライン。太めのまゆ毛。
スリムパンツにがっつりしたジャケット。重ね着が基本。
バッグは肩掛けのポシェットタイプと決まっている。こんな感じ。
スレ違いだったらスマソ。
プロジェクトAみてたら、やっぱファッションがものすごい。
パステルのピンクとかグリーンのペラペラの上着みたいの着てるよー。
デュランデュランとかああいうかっこうしてたよな。
マイアミバイスとかもそのへんの風俗描写に気合いがはいってて面白いよね
いまみると。
43 :
重くてこまった:02/03/02 13:26 ID:3GleLTjb
>>41 いいところに気が付きました。フトマユ、ゲジマユこそ80年代の象徴
でございます。元祖はマーゴ&マリエル・ヘミングウェイだと思います
が、ジェニーファー・コネリーこそ80年代ゲジマユ・クイーンでした。
ダイアン・レイン、ケリー・マクギリス、ブルック・シールズ、
フィービー・ケイツなどもフトかたね。もちろん日本の女優、アイドル
も根こそぎフトマユでした。しかるに時は流れて、今生き残ってるのは
当時ホソマユというよりウスマユだったシガニー・ウィーバーくらいな
もの…。日本のベテラン女優サンも何事もなかたかのよーにホソマユです。
しかし去年の甲子園の日南学園は、さすがにいかがなものかと思ったぞ!
寺原以下ナイン全員ホソマユとは…。。・゚・(ノД`)・゚・。
>>42 パステルカラーの襟付きシャツにカジュアルなジャケット、ジーパン、
それにジャッキー・チェン系でネクタイにサスペンダーというのが、
男女問わず当時の定番でした。女の子だと「プロジェクトA2」のマギー
・チャンのようにカンカン帽風の帽子をちょこっとのせてるのもオサレー
だったなぁ。でも厨房やオコサマがブランドものを着るなんてなかったし、
映画の主人公も現実と地続きで、即マネ出来るようなものを着てたね。
44 :
重くてこまった:02/03/03 07:55 ID:hVMVSFi8
1987年4月18日、歌舞伎町シネマ2と池袋ジョイシネマ2で「アメリカン
忍者」と「悪魔の改造人間」の二本立て上映が始まる。これが「ヘラルド
・ベストアクション」の第一弾。この当時はビデオ作ると上映用プリント
も付いてきたので、ビデオ販売の宣伝程度の目的で始まった企画なのだけど
、主にB級アクション、SF、ホラー、エロなど、およそ「高尚」とは程遠
い作品群が、2〜3週替り、二本立て、連日オールナイト(!)で上映され
ていました。
80年代はスピルバーグに代表されるノーテンキな大作と、フランス映画社系
の作家性の高いコムズカシイ小品の二極分化が進んでいたのですが、この
シリーズは正にその隙間も隙間で、題材のつかみのウマサやスバラシイ邦題
のセンスで一部に根強いファンを生んだのです。ボクが見たのはそのほんの
一部なんですが、ぜひもう一度見たい!翌年から他の会社もマネてB級作品
の上映を始めるものの、あまり面白いのは無かった。ワシはこのときのヘラル
ドの担当者を神と呼びたい。リバイバルは無理でもテレ東さんかBSで放映して
ホスィ!「傑作」なんて一本も無いけど映画ファンには忘れられない記憶です。
いま「バカ映画」をウリに大宣伝してるのは、ほんとアホかと思うよ。
密やかな発見の楽しみが80年代にはありました。
45 :
重くてこまった:02/03/03 08:37 ID:hVMVSFi8
46 :
重くてこまった:02/03/03 19:41 ID:SXGThbx1
ちょっと訂正。4で書いたシネヴィヴァン六本木のオープンは84年
じゃなくて83年11月でした。こけら落としはゴダールの「パッション」。
シネヴィヴァンについては思い入れがあるので、また改めて。
それから44で触れたジェニファー・コネリーは、今年アカデミー賞に
ノミネートされた「ビューティフルマインド」で復活しているらしい。
マユゲが細くなってたらヤダナ。
47 :
重くてこまった:02/03/04 11:57 ID:53wxDwOz
新宿東口を出て、歌舞伎町コマ劇場向かって左正面の雑居ビル。
白い階段をまっすぐ昇ると、2階に歌舞伎町シネマ2がありました。
となりにシネマ1。こっちは邦洋のフツーの新作を上映していて、
ボクは入ったことがない。シネマ2も87年以前は同じようなものだった
のに、なぜかこんなことになってしまった。座席数はたぶん150くらい。
こじんまりした感じで、どこにでもあるような映画館だった。
満席でいつも立ち見…ということは全く無かったけど(^^;)、
フツーの封切館とはちがう熱気があったと思う。なにしろ365日、
オールナイトでファンタスティック映画祭をやってるようなもんだった
から。90年代以降はあまり行かなくなっちゃったけど、今も愛着を
感じる映画館でした。あの時代のこの場所という、ワン・アンド・
オンリーの存在だった。(池袋の方は行ったこと無いけどどうだった
んだろ?)
キンタロアメのよーな今のシネコンは逝ってよし!だし、ビデオでしか映画
見ない奴も( ´_ゝ`)フーンって思っちゃうな。
48 :
名無シネマさん:02/03/04 21:05 ID:MvN9EVTE
蓮見メモを公開予定なのは>重くてこまったさんかね?
楽しみにしてます。
私は「ドレミファ娘の血は騒ぐ」プレミア上映を確か池袋でやったとき、
蓮見×黒沢の対談を見ましたよ。
シネ・ヴィヴァンにもよく通ってたなあ〜。
49 :
名無しさん:02/03/04 21:14 ID:ZqURo+jy
80年代に映画監督デビューしたミュージシャンとか
作家とかの作品とその批評と当時の評判を教えて。
50 :
名無シネマさん:02/03/04 21:26 ID:gBpghybB
51 :
名無シネマさん:02/03/04 21:41 ID:hDTKacVn
シネヴィヴァン・・・パッション見たのはリアル工房でした。
当方女子ですが、当時は太眉でした。
いまや抜きまくってます。
52 :
名無シネマさん:02/03/04 21:47 ID:/5lhjcIn
アハハ、ふと眉流行ってたよね〜
もてたでしょ当時は。
53 :
名無シネマさん:02/03/04 21:51 ID:zKUIyUbk
おまいら80年代のシネフィルは
まず8ミリの歴史を総括しろ!
というか、そんな話も聞きたい若輩者でした。
54 :
名無シネマさん:02/03/04 21:56 ID:kKfFyvMw
販売映像(?)が華やかだった頃
8mmで「激動の昭和54年ドキュメント」
とか、今じゃ信じられん企画のソフト売ってたな。
55 :
名無シネマさん:02/03/04 22:17 ID:4AUH3bjc
ここにカキコをされる人、ROMに徹しているだけの人、
みんなみ〜んな三十代!
書く言うわたしもそうだけど。。。
でも二十年後の日本は、わたしら世代が牛耳るんだよね!
56 :
名無シネマさん:02/03/04 22:19 ID:kKfFyvMw
すんませんROMってなんですか?
57 :
名無シネマさん:02/03/04 22:22 ID:4AUH3bjc
観〜て〜る〜だ〜け〜!
59 :
関西人:02/03/04 22:25 ID:cQPbktLv
>>48 それは初耳でした。会場はスタジオ200あたりなのでしょうか。
「ドレミファ娘の血は騒ぐ」プレミア上映(85年?)の頃ならば
公の場で二人が顔を合わせたはじめての瞬間ということになるの
ですね。
60 :
名無シネマさん:02/03/04 22:25 ID:0AgcBO7x
青い珊瑚礁のブルック・シールズのふと眉に当時はすごい萌えたけど
いまみると、なんじゃこりゃってぐらい太く感じるね。
美的感覚はこんなに時代に左右されるものか。
61 :
名無シネマさん:02/03/04 22:31 ID:4AUH3bjc
あ、関西人さんがこっち来た〜!
有言実行ってこういうことを言うのね。。。
62 :
名無シネマさん:02/03/04 23:13 ID:sbCa6jYT
今、新宿TUTAYAに80年代特集の棚が出来ていて、タイトルを見たら
まず一時期流行ったブラッド・パックもの(『セントエルモス・ファイヤー』とか
『アウトサイダー』とか)で、ノー天気な青春ものが流行り出したのも
この頃からだよなーと思った。。後半はスピルバーグ印のSFもの(『BTTF』とか
とか『グレムリン』とか『ヤング・シャーロック』(?)とか)が多かったな。
80年代はたしかに僕も映画を見始めた時期であるんだけど、
すぐにこの時代が「すでに」映画不毛の時代に突入していたことを
なんだか敏感に感じ取って、あとは名画座に入り浸ってました・・・(この頃は地方にいたんだけど)
もっぱら名画座でベルイマンとか見ていたりして..
『パッション』とか『カルメンという名の女』とかは公開時に地方(大阪)のマイナー館で観てました...
けど売ってるパンフはシネ・ヴィヴァンのものだったりしてね。
…だけどね、『トップガン』もリアルタイムで見ているし、『フェリスはある朝突然に』
とか『エイリアン2』は試写会で見たし、『第五惑星』とか『ブルーベルベット』も
『夜霧のマンハッタン』も『ゴリラ』もロードショーで観たし(なんだか趣味がめちゃくちゃだな)、
一時期は雑誌の「ロードショー」も「スクリーン」も購読してたよ。
僕はギリチョンで30代じゃないけどね。
ああー アンドリュー・マッカーシーとか、アリー・シーディーとか
ロブ・ロウとかマット・ディロンとかトム・クルーズとか(トムはまだ居るか)
エミリオ・エステベスとか、どこへ行っちゃたんだろう?『ランブル・フィッシュ』も
『ワン・フロム・ザ・ハート』も『アフター・アワーズ』もすごくいい映画だったのに...
…けど、ダメだ。'60年代、'70年代に比べれば、どーしても
この時代は不毛な時代だったと思う。。。どうしても愛せない。
誰か'80年代映画を総括してくれませんか。特に私の記憶の薄い、'80年代前半の映画を。
63 :
名無シネマさん:02/03/04 23:20 ID:4AUH3bjc
>>62 あのさー、雑誌ってんなら「プレイガイドジャーナル」
なんて買ってなかった?「ぷがじゃ」と誌名変えをする以前のさ。
二十代じゃあ、知らない?
64 :
名無シネマさん:02/03/04 23:20 ID:OhMeBJRb
>>62 禿同。今の映画が駄目で80年代がいいって事はないと思う。
つーか、やっぱり80年代に諸悪の根源がばらまかれたように思う。
もちろん名作、傑作も産まれているけど、それは今も変わらないだろう。
65 :
62:02/03/04 23:23 ID:PvzpfLAR
>>63 「ぷがじゃ」は(知っているけど)僕は買ってなかった。
すでにその頃「ぴあ」が隆盛を極めていた。。。
66 :
名無シネマさん:02/03/04 23:40 ID:4AUH3bjc
>>65 それは残念。
>>48で話題になっている“ドレミファ娘”にしても、
関西では扇町ミュージアムスクエアっていうところで初公開されたんですけど、
その公開以前に、誌面でその特集なんかをやってくれたりして、
それは黒沢監督の単独インタビューなんかも載ったりしたような雑誌なんですよ。
ちなみにそれは黒沢監督の「映像のカリスマ」未収録なので、
今となっては貴重なものかもしれませんが。
当時は、東の「シティロード」西の「プレイガイドジャーナル」なんて、
呼ばれてもいましたね(「ぷがじゃ」時代になってからは、
編集長が小堀氏から別人に変わってしまったので、
さっぱり面白くなくなってしまいましたが)。
67 :
62:02/03/05 00:05 ID:hLxHtQXR
そうかぁ〜 今調べてみたら、
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』、『ロッキー4』
『コマンドー』は'85年で、
『トップガン』、『夜霧のマンハッタン』、『コブラ』、『第五惑星』、
『スペース・キャンプ』、『フェリスはある朝突然に』、『エイリアン2』、
『殺したい女』、『マネー・ピット』、『ゴリラ』
は、1986年制作だなあ。全部パンフ買って見てるね。記憶って恐ろしいね。
この頃、俺は毎週のように週末は映画館でロードショーを見ていたんだ..
68 :
62:02/03/05 00:16 ID:hLxHtQXR
>>66 「扇町ミュージアムスクエア」は当然よく覚えてますよ。
スタジオみたいなところにシーツ張っただけ、みたいな小屋で、
私はあそこにヒッチコックの無声時代の映画を観に行ったりしてました。
トッド・ブラウニングの『フリークス』もあそこで見たのかな?
一時期グリフィスの特集上映もやってましたね。
大阪にはシネ・ヴィヴァンのような映画館がなかったので、
各種の小さな映画館でミニシアター系の作品を手分けして上映してましたね
(国名小劇とか)。あと大阪は名画座というか、二番館が充実していたんです。
大毎地下劇とか、毎日ホールとか。
69 :
名無シネマさん:02/03/05 00:31 ID:d2fgbEi7
80年代ってアレハンドロ・ホドロフスキー、
ピーター・グリーナウェー、デレク・ジャーマン
なんてところがメジャーと一線を画してて面白かったな。
フリークスとピンクフラミンゴの2本立ても懐かしー。
70 :
62:02/03/05 00:52 ID:q4qM5xOp
ピーター・グリーナウェイ、デレク・ジャーマン、デヴィッド・リンチとかね。
あとヴィクトル・エリセにタビアーニ兄弟。岩波ホール系でアンジェイ・ワイダが少々。
ニキータ・ミハルコフとか。タルコフスキーもこの頃大流行だったんですよ。
あと
>>20さんが挙げている、フレディ・ミュラーの『山の焚火』なんてのも覚えてます。
今じゃ、何がいいんだか分からないんですけど。あとブレッソンの『ラルジャン』観た時は
ビックラこきました。
考えてみると80年代って、ミニシアター全盛期の時代なんですよね。。。
ミニシアター運動、みたいなのがあって...
71 :
重くてこまった:02/03/05 11:58 ID:EayeACmP
おぉっ?いつのまにやらカキコがふえてる〜!( ;´D`;)ひ〜ん(ウレシイヒメイ)
>>48 59
>蓮見×黒沢の対談
それは知らないなぁ。「ドレミファ」東京初公開は85年6月、渋谷パルコでやっ
たPFFなんですが、その時ですか?ボクはこの頃はまだ黒沢見てなくて、
「地獄の警備員」の頃アテネフランセでやった黒沢映画祭で見た口です。んで「しが
らみ学園」か「SCHOOL DAYS」にハスミが出ていて、あぁそういう関係だっ
たんか、と。
>>49 80年代に登場した人、消えていった人というのも色々ありますんで、これも
別の機会に書きます。
>>50 池波正太郎は80年代の映画について、「池波正太郎の銀座日記」に書いてます
ので、こちらも読んで下され。
>>51 52 60
当時マユゲを剃るのはヤンキーであることの意志表明でありました。今は
そーゆーわかりやすいスタイルは絶滅してしまったので、ワシは「ホソマユの
民営化」と呼びたい。
>>53 8ミリはボクもちょっとやってたし、80年代自主映画というのも大きなテーマ
やね。とりあえず「いそげブライアン」と「自転車吐息」について誰か
語ってちょ。
>>54 8ミリソフトの販売はこの時代には無かったと思う。家庭用ビデオのインパクトは
すごくて、その流れは今も変わってません。70年代の8ミリの時代と80年代
以降のビデオ、LD、VHD、DVDの時代の間には決定的な断絶があるような
気がします。
72 :
重くてこまった:02/03/05 11:59 ID:EayeACmP
>>55 ワシもそう願いたいよ。でも20年後…日本で食えなくて中国に出稼ぎに行って
たりして。(^^;)
>>62 64
80年代がいかに豊かな時代だったのか、何が問題だったのか、はこのスレで
おいおい明らかになっていくのではないでしょーか。結論を急がないよう
に…。あまりにも質・量ともにボウダイで、ボクもその全貌はとても掴めそう
にないんですが…。(^^)
>>63 65 66 68
ボクは東京近辺のことしか知らないので、関西やその他地方の方の情報、
大歓迎です。ぴあとシティロードについては別の機会に詳しく書きますわ。
>67
最低週に1本は見たい映画がある、というのが理想なんですが、残念ながら
(ボクにとっては)現在はそうではない。絶対量が少ないし、シネコンの攻勢で
どこも似たようなプログラムです。それがサビシーのよ。
それから80年代映画パンフというテーマも浮上してくるね。
>69
その手のクィーアムービーはボクはグリーナウェイくらいしか見てません。当時
ホドロスキーなんかにお客入ってました?
>70
70年代まで映画の大きな役割はロール・モデルにありました。つまりマックイーン
の映画見て、かっけぇー、ああなりたい…と。ところが80年代以降は観客と
映画の関係が決定的に変わってしまったと思います。「山の焚火」を見て
ああなりたいとは誰も思わないわけで、ミニシアター映画はその急先鋒でした。
ミニシアター映画こそ80年代映画の主役のひとつなので、折りに触れ取上げたいね。
73 :
重くてこまった:02/03/05 11:59 ID:EayeACmP
歌舞伎町シネマ2のネタでひっぱるつもりだったんですが、お約束なので
ハスミについて…。(^^;)当時(今もですが)、街の映画館でよく
みかけた評論家が3人だけおりました。それがハスミ、山田、山根です。
テレビに出てくる有名どころに出くわすことはなかったけど、この3人は
ちゃんと映画見てるのがわかるので、当然書いたものも読みますし、とりわけ
若きヒゲ付きのハスミ助教授はあちこちに出没して喋っていました。以下は
その記録。続きはまた次回。ネタは小出しが定説です。(^^;)
・[対談]「学問ノススメ」;早稲田大学’84早稲田祭での対談;蓮實重彦/
浅田彰;1984.11.5;14:00〜
・[講演]シアターゼロでの「監督の味シリーズ3.周防正行の味」において、
蓮實の講演と蓮實、周防正行の対談;1984.12.9;16:00〜;法政大学学生会
館大ホール;料金500円;「変態家族 兄貴の嫁さん」上映
・[対談]「ロード・ムービー放浪三昧の映画ON THE ROAD AGAIN」でのオー
プニング対談;蓮實重彦/梅本洋一;1985.5.8;18:00〜;アテネ・フランセ
文化センター;「東京流れ者」、「さすらい」上映
・[講演]「山中貞雄まつり」での講演;1985.5.30;18:00〜;アテネ・フラン
セ文化センター;「右門一番手柄・南蛮幽霊」、「右門捕物帖六番手柄・仁念
寺奇談」上映
74 :
48手:02/03/05 20:33 ID:F00MdyHq
重くてこまったさん、このスレ、今一番注目のまとだ!
>>71 渋谷パルコでやったときは確か頭のタイトルロールまだ灰ってませんでしたな?
で、対談は
>>59関西人氏のおっしゃるように確かスタジオ200だったかと。
このとき、蓮見が「黒沢さんが最も好きな監督は誰ですか?」と質問し、
黒沢は一瞬考え、「それはですね、スピルバーグです」と言い放った。
当時蓮見系の連中がまだスピルバーグを馬鹿にしていた時代だったこともあり、
一瞬の気まずい沈黙、そして、なぜか和やかな笑い声が巻き起こりました。
なお、他の日には鈴木清順×黒沢清というのもあった。共に日活(ニッカツ)に
NGをくらった監督同士、という意味合いもあったと思いますが、こちらは
見た記憶があるようなないような…。
>>73 >[講演]シアターゼロでの「監督の味シリーズ3.周防正行の味」において、
>蓮實の講演と蓮實、周防正行の対談;1984.12.9;16:00〜;法政大学学生会
>館大ホール;料金500円;「変態家族 兄貴の嫁さん」上映
これは私も行きました。あなたもそこにいたわけですか。
75 :
重くてこまった:02/03/06 11:47 ID:y46slbLB
>>74 ボクは池袋は遠かったんでスタジオ200はノーマークでした。たまに文芸座に
真っ直ぐ行くくらい。「ドレミファ」はたしか初め別のタイトルで、「女子大生
はずかしゼミナール」だったかな?、PFFよりもっと前に上映されていたので
しょうか?よくわからない。
黒沢=スピで思い出されるのはシティロードの巻頭カラーページに掲載された、
「フック」の長文の批評。「スピルバーグは狂ったのか?」というやつ。実際
「魔宮の伝説」の頃からナンカヘンダナ〜?とは思ってたんですが、でもあれは
好きじゃなきゃ書けないと思いましたよ。
>これは私も行きました。あなたもそこにいたわけですか。
コワイデスネ〜(^^)どっかですれちがってるかもしれませんね〜。
76 :
重くてこまった:02/03/06 11:48 ID:y46slbLB
ハスミ講演記録のつづき。これ、どの本調べても出ていないキチョ〜な
情報なのよ。わっかるかな〜。(^^)
・[講演]「地獄男(ヘルマン)の逆襲」;1985.6.8;19:00〜;法政大学
学生会館大ホール;料金500円;シアターゼロでの「モンテ・ヘルマン祭
」での講演;「THE SHOOTING」上映(*ボクはこの上映会には行けなかっ
たんだけど、ハスミが講演さぼった可能性がある。『シネマの煽動装置』
p286参照のこと。)
・[講演]「小津安二郎について」;慶応義塾大学 三田祭’85での
「よいこのための第1回三田映画祭・特集−小津安二郎」での講演;1985.
11.23;14:00〜;「宗方姉妹」、「落第はしたけれど」上映
・[ナレーション]「AK−ドキュメント黒澤明」;1985.12.3〜12.12公開
;草月ホール;入場料1400円;入替制・連日4回上映;日本語版構成とナ
レーション
・[講演]「エーリッヒ・フォン・シュトロハイム生誕百年記念祭」での
マックス・オフュルス特集日に講演;1985.12.15;13:00〜;草月ホール
;料金:特集上映期間3日間通しで5000円;「忘れじの面影」、「快楽」
、「たそがれの女心」上映
まだまだ続きます。
>重くてこまった
あなたすごいよ。蓮実フリークとしても。
いつかその貴重な情報を元にして、「'80年代シネマ運動」のドキュメンタリー
を記録する本を出したらどうでしょうか? '83年末のシネ・ヴィヴァンの開館、
'85年のリュミエール創刊に始まる映画文化復興運動と、それを醸成していた
直前までの経緯(蓮実の立教での映画講義とか)、もちろんアテネ・フランセ、
草月ホール、フィルム・センター、イタリア文化会館などでの貴重な上映運動
などもすべて含めて。
不思議なのは、蓮実が登場して以来起こった'70年代後半〜'80年代にかけての
映画上映&鑑賞ブーム(たぶんこれは当時のニューアカ・ブームと連動していた
んだろうけど)について、まだ正式な“名称”がないことではないでしょうか?
なんと呼びますかね・・・?
“リュミエール・ルネッサンス”とか?(笑)
78 :
名無シネマさん:02/03/06 15:51 ID:z/mD3301
日仏学院、ドイツ文化センター、アートシアター新宿(もっこすフィルムアーカイブ)
ACTミニシアター(早稲田)、文芸座ルピリエ、
マイルストーン(関口、梅本両氏による、ジャズ喫茶でのビデオ上映会)
他にもあった?
79 :
ショックを受ける関西人:02/03/06 18:50 ID:HwmNm94n
講演「地獄男(ヘルマン)の逆襲」については、だいぶ後に
「シティロード」のスケジュールで知って以来、モンテ・ヘ
ルマンのことをどう語ったのか知りたくて、シアターゼロに
その内容について問い合わせたくらいだったのですが、(も
ちろん無しの礫でしたが)
>ハスミが講演さぼった可能性がある。
とは、ショックです。『シネマの煽動装置』を確認したとこ
ろ、東京国際映画祭での『パリ、テキサス』の上映と同日同
時刻だったということでしょうか?
80 :
重くてこまった:02/03/07 12:14 ID:NKL7RyzD
>>77 ハスミの講演とジェニファー・コネリーのマユゲとの間に、あるいは
「プロジェクトA」と「ラルジャン」との間に質的な優劣をつけることが
このスレの目的ではありません。ハスミも「80年代映画」の登場人物の
一人にすぎず、ここで取上げているのは私がハスミ・フリークだから
ではなくて(客観的にはそう見えるかもしれないが…)、現在不当に
等閑視されているように思われたからです。80年代、あんなに魅力的
だった映画がなぜ、作品も環境も色褪せたものに感じてしまうのか、
という疑問がこのスレをたてた理由です。なすなわちこのスレは、77
さんの言われるように、あの「名無しの時代」に輪郭をそれとなく与え
つつ、果たして今現在が、将来「語るべき過去たりえているか」考える
ための視点の一つとなることを、夢見ているわけです。
以上、ハスミシゲピコ調で書いてみました。(゚∀゚)アヒャ!
>>78 オフシアターでの上映や自主上映は60年代からずっと続いていたの
ですが、80年代はとりわけ充実していたと思います。みんなも
あそこでこんな映画を見た、とか黙壷子の場所がわからなくて迷子
になったとか、プライベートな話題を教えてちょ。
>>79 東京国際映画祭の上映はこの前日でほぼ終わっているので、「パリテキ」
ではないと思いますが、映画三昧で講演の準備まったくしてなかった
とかありそうだな〜と。(^^;)
どなたかこの日、ヘルマン見に行った人いませんかぁ?
81 :
重くてこまった:02/03/07 12:15 ID:NKL7RyzD
ハスミ講演つづき
・[講演]「三百人劇場映画講座VOL.2”成瀬巳喜男特集パート2”」で
の「あらくれ」と「晩菊」上映の間に「リュミエール」編集長として
講演;1986.11.8;15:00〜;三百人劇場
・[対談]早稲田大学第33回早稲田祭での「ディアポロ・マント」と
「小さな赤いビー玉」上映の間に対談;蓮実重彦/梅本洋一;1986.11.3
;13:30〜14:30
・[対談]「撮影監督レナード・ベルタ祭T」での対談;レナード・ベルタVS蓮實重彦(「リュミエール」編集長);1988.4.15;16:00〜;アテネ・
フランセ文化センター;入場料1500円(150名限定);「ボルシェビキ
の国におけるウェスト氏の冒険」、「歴史の授業」、「映画シーンへの
アルノルト・シェーンベルクの伴奏音楽への序説」上映
・[講演]「ルビッチ・タッチ」;1989.6.28;21:20〜;シネセゾン渋谷;「黄金のシネマテーク」オープニング記念講演;「生きるべきか死ぬ
べきか」上映
・[講演]「ルビッチに胸ときめいて」;淀川長治/蓮實重彦;1989.8.16;
21:20〜;シネセゾン渋谷;「黄金のシネマテーク」アンコール上映記念;
「生きるべきか死ぬべきか」上映
他にも「リュミエール」がらみの上映会の講演がありますけど、これは
そっちに広告が出ていたと思うので、省きました。
90年代以降はスレ違いになるけど、要望があればUPします。
82 :
船頭装置:02/03/07 13:13 ID:BlVRqUhh
83 :
名無シネマさん:02/03/07 21:03 ID:C5AI9hh4
[講演]のラインナップばっかしで中身はないのか?
そのときの感想とか残ってないの?
これから小出しにするのかな?
84 :
名無シネマさん:02/03/07 21:43 ID:s2SnBw4N
梅本みたいなインチキが幅を効かせたのも80年代だな。
85 :
重くてこまった:02/03/08 11:52 ID:H2q9XRz6
いろいろネタをふってるんだけど、クレクレくんばっかりなのもいかがな
ものかと思いますので、この話題はしゅーりょーだな…。それに個人
攻撃もおもしろい話じゃないんで…。( ´・ω・)
3月は何かと忙しいけど、まぁ、いずれこのスレを乗っ取るくらいの神
の降臨を期待しちょります。
ちょっと気分を変えて、西田敏行inプロジェクトXがあるそうなので、
80年代のテレビの話でもしようかな。
映画がテレビ放映される場合、カットされた吹替え版が当たり前の時代で、
年に数本教育テレビで放映されるものはノーカット字幕だったが、デュビビエ等の
古くさーいものばかり。そんな中で映画ファンが驚いたのがSONY
一社提供の「名作洋画ノーカット10週」という番組。これが83年4月からTBSで
土曜の深夜。途中で一回CMが入るものの、ノーカット2カ国後放送で、ジャイ
アンツ、真夜中のカーボーイ、夜の大走査線、あなただけ今晩は、サイコ
、マイフェアレディ等を見ることができた。翌年も鉄道員、ダイヤルM
を廻せ、白鯨などが放映されたものの、結局はベータ陣営の最後の輝き
となってしまった。
一方追い風に乗るビクター一社提供の番組が、後に始まる「ミッドナイトアート
シアター」。これは今もあるけど、当時とは全然ちがう。幾つかの点で画期的
な番組だった。そこで出てくるキーワードが24時間放送、フジテレビ系
イベント映画、そしてミニシアター映画というわけ。
86 :
生粋の関西人:02/03/08 22:44 ID:3gN8lhey
深夜の映画放映ということで思いつくのは、83年頃に始まった関西
ローカルとしては異様にかんばっていた読売テレビ(日テレ系列)
の「CINEMAだいすき!」です。特集形式でテーマに沿った5本程度を
連日放映するというのを年数回(毎回選曲していた番組のタイトル
曲がシャデーの「スムースオペレーター」やハートの「アローン」など
でいかにも80年代を感じさせます)行っていました。もちろんノー
カット字幕(あるいは2カ国語)で、「我輩はカモである」の放映時に
は、まだ当時は映画バブル期前夜といった感じでスクリーンで見れ
るのは何時のことやらと思っていたので感激したのを憶えています。
ところで、残念ながら重くてこまったさんのハスミネタが終了して
しまったので唐突ではありますが、ここでアテネ及びスペースゼロ
での蓮實氏の講演情報を若干補足したいと思います。(とは言いつ
つわたしの名前を見ていただければお判りの通り、その当時は東京
の土を踏んだこともなく全て未見・未確認なので恥じ入るばかり、
神の降臨を期待してのカキコだと免じてください。)
●ダニエル・シュミット映画祭
●85年アラン・タネール映画祭
●86年『にがい勝利』上映時(「シネクラブ時代」収録)
●87年Sam's Movie(スペースゼロ)
●88年『ハイシエラ』上映時
87 :
お茶目な関西人:02/03/08 23:28 ID:3gN8lhey
スペースゼロではなくシアターゼロの間違いです。しかし、確か
そういう名前の上映組織が80年代(いや90年代中頃だったか)の
京都にあったような……
88 :
名無シネマさん:02/03/09 00:20 ID:4PWl7sMF
>>87 スペース・ベンゲット。
16o映写機で活動を続けてたホントに小っちゃいミニシアターね。
京都は四条大宮の、居酒屋の上にありました!
ここは比較的、関東人が多そうだけど、
行った事ある人、運営してた人はいるのかしら・・・?
89 :
名無シネマさん:02/03/09 00:33 ID:XWGWx8vl
正直、諸兄が羨ましいですよ。
似たような企画は90年代もアテネで結構やってますね。
ところで諸兄はいまでも映画見続けてるんですか?最近のお勧めとか。
あと、カイエ・ジャポンの創刊ていつだったんですか?
90 :
名無シネマさん:02/03/09 20:13 ID:egmQg05h
あげ
91 :
重くてこまった:02/03/09 20:59 ID:Q6xavu0g
>>87 「CINEMAだいすき!」は話には聞いてますけど、いまだに続いてるんです
よねぇ。どこがスポンサーなんですか?
ハスミの話題は2ちゃんねるでは鬼門で、必ず荒れます。(^^;)
ここはさらっと流して、いずれまた…。(^^)
>>88 京都の映画館ってあまりイメージわかないな〜。やっぱり和風の建築
だったりするんでしょうか?(^^)
>>89 カイエ・ジャポンの0号は91年3月。篠崎誠の北野武論や未刊の小津日記は
ともかく、他の若手ライターが翻訳も含めて、お金を取れるレベルに
なかったね。仏版には情報収集の価値があるけど、日本版にはそれも
なかったのでボクは殆ど読んでないです。
>いまでも映画見続けてるんですか?
去年見たのは殆ど邦画です。大ベテランが揃って復活したし、黒沢、青山
などの作品が、急にグレードが高くなったように感じたな。洋画は「恋の
ゆくえ」や「フレッシュアンドボーン」でお気に入りのスティーブン・クローブスが、なんと
「ハリポタ」の脚本で復帰していたので見ましたけど…(^^;)
92 :
重くてこまった:02/03/09 21:00 ID:Q6xavu0g
さて、85の続きで「ミッドナイトアートシアター」が始まるのが87年4月。1回目が「ストパラ」
で、ノーカット字幕(しかも縦書き)、ワイドで途中CM無し。劇場版予告編つき
で、傷の無いピカピカのプリントでした。4月までは同じビクター提供で「
録画チャンネル」というのがあり、オペラ「トゥーランドット」の中継や
ガンスの「ナポレオン」が一晩中放送され、「夜中のTVは砂あらし」という
常識が覆されただけでも、当時は驚きだったわけ。今は連日WOWOWなどで
新作をじゃんじゃん放送しているし、83年にも「名作洋画ノーカット10週」が
あったけど、決定的に違う点はそのプログラムだった。それこそ一連の
80年代ミニシアター映画で、シネヴィヴァンで封切→有楽シネマで二本立て上映→名画座
上映、ビデオ化→ミッドナイトアートシアターというサイクルが出来たことが決定的に
重要だ、とボクは思います。一人の作家や一本の映画が世の中に浸透するに
はある程度時間が必要だし、それに単発で1本あるだけではダメなんで、
このプログラムには決定的に新しい流れが感じられたんですねー。
「名作洋画ノーカット10週」と「ミッドナイトアートシアター」はVHS対ベータのビデオ最終戦争
を象徴している点でも重要なんですが、ハリウッドの大作だけが映画だと
思っていたのに、この番組で他にも面白い映画があることを知った人って
多いんじゃないでしょうか?
93 :
名無シネマさん:02/03/10 12:33 ID:hBzA2uRy
「ミッドナイトアートシアター」と云えば
ゴダールの「気狂いピエロ」の放映の時、タイトルがいきなり
放送禁止なので一体どうするのやらと思ってたら、
いつもはある放映前の解説(ブレッソンの「ラルジャン」のときは
コミさんだったなあ。ああ)がまったくなしで映画のタイトルも
出ないでいきなり始まったのにはやられた。
タイトルなしで始めるとは。その手があったか。シャッポを脱いだ。
(劇中、「気狂い」ってのが字幕で一箇所だけ出てたけど。
一瞬のセリフだし、字幕だからワザと見逃して素通りさせたと思しい)
あと記憶違い、勘違いかも知れないけど、フェリーニの「8 1/2」が
20年振りくらいに再公開された際の予告編、おすぎが作った(?)とか。
(そんなことはないか。でもそんな記憶が)
あと、おすぎと云えば上記の「気狂いピエロ」のリバイバル公開時に
TBSラジオ、久米宏司会の「土曜ワイドラジオ東京」の中で
揺れるボートの上ででかいチーズを食うシーンがスゴクいいとか
云ってたのを憶えてる。なぜか記憶に残ってる。
あと新宿の歌舞伎町にある「シネマスクエアとうきゅう」で
「フィッツカラルド」を見たとき、なんか入場料が
700円だったような気がするんだけど、これまた勘違い?
あそこは700円(当時の名画座程度の料金)でロードショー公開を
やってたような、そうでないような。
94 :
名無シネマさん:02/03/10 12:47 ID:hBzA2uRy
80年代はあとはそうだなあ、ヴィスコンティが名画座の定番だった。
なんかやたらとやってた。
それにヒッチコックの「裏窓」「めまい」(これは
まだ洋画もやってた大井武蔵館で見た)、上記の「8 1/2」、
三百人劇場で黒澤明全作品やったり(当時「七人の侍」って
文芸坐でもどこでも見れなかったと思う。だから貴重な催しだった。
毎回見に行くつもりだったけど、途中で小遣いが切れて
「蜘蛛巣城」までしか見れなかった・・・。)、アラン・レネの
「去年マリエンバートで」、ブニュエルの「皆殺しの天使」等々、
なんか映画ファンの間じゃメジャーで有名だけどずっと見れなかった作品が
いろいろ公開された、って印象がある。
95 :
名無シネマさん:02/03/10 12:54 ID:8XsnGQyB
80年代の映画は、映画の歴史から観ればどれだけ後世に残る映画があるか分からんが、
俺にとってはまさに映画にどっぷり浸かった青春時代の真っ只中で
想い出に残る映画が多かった時代だったよ。
このスレ見てる人たち。そういう人が多いだろうね。
96 :
重くてこまった:02/03/11 11:48 ID:zTFUQaXd
>>93 94
え〜、実はこれこそボクがこのスレでこだわっている「80年代映画」の
「前夜」の姿であります。「エレファントマン」や「E.T.」の大ヒットはホントに例外で、
邦画、洋画共深刻な観客減を続けていたのが、80年代前半です。大量動員
主義の興行の行き詰まりは、81年のテアトル東京の閉館に象徴されています
が、それを打開するチャンネルが無かった。つまり良作でも興行力が弱い小品を
公開できる劇場や配給網が無かったのです。81年には実は「ミツバチのささやき
」、「万事快調」、「天国の日々」、タビアーニ兄弟の作品等が輸入されたものの、
オクラにされてしまいました。オクラになっていた「イレイザーヘッド」が公開され
たのは、たまたま「エレファントマン」がヒットしたからです。
その一方で大ヒットし、常に満員の劇場がありました。それがビスコンティ
作品を上映していた岩波ホールです。「家族の肖像」に始まり、「ルードウィヒ」、
「山猫」、そして西武劇場での連続上映、俳優座での「若者のすべて」等、
行っても入替制なので満員で入れなかった。新書館のビスコンティ・シナリオ全集や
シノヤマキシーンの写真集が出版されたのもこの頃です。又、この頃他にヒット
したのは「天井桟敷の人々」や「ブリキの太鼓」等、古い名画や小規模上映から
地方に火がついた作品ばかりです。
97 :
重くてこまった:02/03/11 11:49 ID:zTFUQaXd
96のつづき
この流れが、東京では有楽シネマで上映された一連の作品です。ブレッソンに始ま
り、ゴダール、フェリーニ、レネの2本立て上映が84年頃まで続きます。三百人劇場
の「黒澤明の全貌」は83年の秋で、それもこの流れの一つと言えますが、黒澤
は80年代映画の主役の一人なので、また改めて話したいと思います。
なぜこんな映画が?という疑問もわきますが、恐らくキネ旬が80年頃に発表
した「映画史上のベスト10」の影響が大きいと思います。ハスミはまだ世間で
あまり知られてなかった。
そしてここに目をつけたのが東急レクリエーションで、シネマスクエアとうきゅうが81年
12月に、80年代ミニシアターの第一号として誕生します。ボクは初期はあまり
いいプログラムだとは思わなかったし、料金の話も全く逆の印象で、学生料金
が無く、1500円均一でタケーナーと思っていました。ここも面白くなるのは84年
以降のような気がします。
98 :
重くてこまった:02/03/11 11:50 ID:zTFUQaXd
>>95 「ジョーズ」も「キングコング」も「スターウォーズ」も「サスペリア」もボクは
リアルタイムで見てますが、特別映画ファンじゃなかったし、「セーラー服と
機関銃」を見た時も相米慎二なんて知らなかった。映画はたんなる娯楽の
一つでした。映画が何か特別なもののように見えたのは、84年から88年の
記憶があまりに強烈だったからです。
この時代には信じられないくらい沢山の映画が公開され、新しい人が登場
し、新しい試みがありましたが、前に話が出たようにいまだに「名無し
の時代」で、忘れられようとしています。
みんなもオツムをほじくり返して、80年代の思い出をカキコしてちょ!
100げっと〜!
 ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄
__∧∧__
/\(゚ー゚*) \ (´´
\/| ̄∪ ̄ ̄|\ (´⌒(´
\|____|≡≡≡(´⌒;;;≡≡≡
(´⌒(´⌒;;
ズザーーーーーッ
101 :
カッ! :02/03/11 20:55 ID:5iizv2FA
>>35 「太陽の帝国」を入れれ!!!
わしのお気に入り映画
ベールたんカワユイ!
102 :
名無シネマさん:02/03/11 22:11 ID:32/py7WO
私は80年代半ばには関西に住んでおりましたので、
>>86さんのおっしゃっている読売テレビの「CINEMAだいすき!」は
私自身、大ファンで欠かさずビデオに録って見ておりました。
関西にはこの他にも関西テレビのKTV映画劇場や、サンテレビなど、
深夜映画に力を入れている(=つまり自作の番組をあまり流さない)
テレビ局がいくつもあって、貴重な作品を何本も(特に正月などは)見ることができました。
プログラムも現在の関東地区の味気ないものに比べるとずいぶん凝ったもので、
特に「CINEMAだいすき!」は「異常心理映画特集(?)」など
毎回かならず特集形式で、番組のオープニングもすごく凝っていましたよね。
深夜映画など、ただビデオテープを垂れ流しにしている番組が多い中、
“本当に映画好きな人が番組を作っているんだなぁ・・・”と感心させられる
ような番組作りとラインナップだったのを覚えています。
103 :
102:02/03/11 22:40 ID:32/py7WO
私は阪神間に住んでおりましたけれど、上本町の近鉄小劇場、北浜の三越劇場、
もちろん扇町ミュージアム・スクエア、シネマヴェリテ、大毎地下劇場、ABCホール、
SABホール、さらに京都にも足繁く通っておりました。スペース・ベンゲット(旧自然堂)、
千日前の千日会館、それに京都駅前のルネッサンスホールなどにはしつこく通いましたね、交通費も馬鹿にならなかったのですが。
京都のルネサンスホールって今でもあるんですか?
スペースベンゲットではダグラス・サークの貴重なフィルムや、川島雄三の「わが町」などを
見ました。うん。あれは本当に貴重な体験だった...
104 :
93,94:02/03/12 01:03 ID:9wHKlw2K
おお、そしてまた80年代は名画座、最後の時代なのかも。
その後はビデオとミニシアターへ移行したんじゃないかなぁ。
意識的によそで見れないアングラではない古い映画なんかを割りに積極的に
やってたのが高田馬場の「ACTミニシアター」とか。
(「カリガリ博士」とか「アンダルシアの犬」とかは定番)
「ミニシアター」とはついても、当時のこととて2本立て、3本立て興行だった。
いわゆる「名画座」の特殊な形態。
「ACTミニシアター」は今でもあるはずだけど、レンタルビデオの
普及と共にその役割自体は終了したってとこでしょうか。
「名画座」自体はもちろん80年代以前からの古い、というか
興行形態としてはずっと昔からあるものだけど、80年代では
まだまだミニシアター自体がめずらしく、学生とかカネのないやつは
大概名画座で見たい映画は済ませて、その一方で、殊更にカネを
払ってもいいような映画はロードショー、そしてミニシアター、
って感じで、名画座とミニシアターが混在してた。
でもまだ名画座が優勢だったのかなあ、単に館数もあったし。
(ちなみに記憶では当時、600円3本立てが平均だったと思う)
どうしてもビンボ臭いモテなさそうな名画座にくらべて、
ミニシアターはまあオシャレだった。
(いまでも基本的にはそうだけど)
例えばジョン・ウォーターズの「ピンク・フラミンゴ」が
アングラって括りではなくて、なんかそれを見たらオシャレ度が
上がるって認識に変わったのも80年代かなぁ。
ゴダールがオシャレなものになったのも80年代なんだろうなぁ。
あ、「パッション」で商業映画に復帰したのがまさに80年代だったっけ。
鈴木清順の「ツィゴイネルワイゼン」がイベント的に公開されて
これまたオシャレ映画の仲間入り。カルトじゃなくて。
ちなみにわたしは83年〜87年あたりに大学生やってました。
そして学生時代に唯一最大の娯楽として集中的に映画を観てたので
やはり80年代の映画はひと際印象深いです。
「シネマスクエアとうきゅう」はもしかしてレイトショーのハシリ?
700円てのはその料金かも?
(でもやっぱり記憶違いなのかなあ。当時の「ぴあ」とか資料があればなあ。
そんなわけで、わたしは御覧の通り、資料によらずオボロな記憶で
書いているので、そこらへんは大目に見てやってくださいね。)
105 :
重くてこまった:02/03/12 19:45 ID:r46YNE16
>>99 ボクハ シリマシェーン。
>>100 このスレ、100レスですでに60k近くあるんですが、容量はダイジョーブなん
でしょーか?(^^;)
>>101 この時期(84〜88年)、スピルバーグはビミョーな立場にあったと思います。
監督作品の他にアンブリンでの「製作総指揮」の仕事がどっと増え、「グレム
リン」、「ニューヨーク東8番街の奇跡」、「インナースペース」、「グーニーズ」etc新聞広告を
見ても実際の監督名はマメツブほどの活字なのに、「スピルバーグ」の名前
はタイトルと同じくらいの大きさで宣伝されていました。またTV番組の
「アメージングストーリーズ」も「スピルバーグの超大作」として大宣伝されました。
その結果、実際のスピルバーグの仕事とは別に、世の中に「スピルバーグ
風の映画」というイメージがドッペルゲンガーのように生まれ、「カラーパー
プル」や「太陽の帝国」が「賞狙いの映画」のように言われたものです。ちょう
ど現在のリュック・ベッソンを思わせますが、ボクもこの二本は好きな
スピルバーグ作品です。
106 :
重くてこまった:02/03/12 19:46 ID:r46YNE16
>>103 東京にいると、東京中心の見方になりがちなんですが、ふと思い出したの
が83年頃福岡に行った時、地元の映画館でマックイーンの「民衆の敵」をみたんで
す。で、ミニシアターでしたけど、そこでワイラーの「探偵物語」やマッケリーの「めぐり
逢い」を上映してるんですね。もちろんビデオなんて出ていないし、東京
でもハリウッドのクラシックは滅多に見れなかった時代だったんで、えらく感動
しました。もしかしたら他にもあちこちで、このような独自の上映が
あったのではないかと思われます。映画を見ること=近所のビデオ屋で
借りることなのではなく、貴重な出会いの体験と感じられた80年代は
やっぱり幸福な時代だったのかなぁ、という気がします。
ところでこの福岡の映画館について詳しくご存知の方いませんか?
>>104 当時、名画座は学生600〜800円だったと思います。5年間の間に少し値上
がりしましたが、文芸座や飯田橋佳作座は安かった。ぴあやシティロードを
持っていくと割引で400円くらい。2本立てが中心で三鷹オスカーや東京
クラブが3本立て。横浜のライオン座は4本立てでした。名画座は思い出
がありすぎて、ちょっと整理がつきません。(^^;)80年代に何気に
「バルジ大作戦」や「悪魔の植物人間」、「アルゴ探検隊の大冒険」、ホーク
スの「ピラミッド」など当たり前のように上映してましたね。
シネマスクエアはたしか土曜の夜にレイトでやってましたが、特別なプログラムじゃ
なかったし、ここだけ料金が高かったんですよ。レイトは俳優座シネマテン
が最初じゃないかなぁ。
ACTは恐らく日本で唯一、靴を脱いで雑魚寝して見れる劇場なのでは
ないでしょうか。(^^)
107 :
重くてこまった:02/03/12 19:47 ID:r46YNE16
昨日テレビで「竜二」を見た人はいますか?あれ83年の映画だけど、まるで
70年代の映画のように感じます。ものの考え方やふるまい、街や部屋の
ムードが80年代じゃ無い。ボクがこれこそ80年代映画だと感じるのは、
ロン・ハワードの映画(「スプラッシュ」や「ラブINニューヨーク」など)やベネックスの
「ディーバ」です。邦画だとヒッチコックの「めまい」のリバイバルのときに上映
された「家族ゲーム」の予告編を見た時、今までと違うものを感じました。
今見てもこれらは80年代のにほいがプンプンする。理由はうまく説明出来
ません。みなさんはどんな映画に「これこそ80年代」と感じますか?
108 :
93,94:02/03/13 00:15 ID:aQaZfgnv
渋谷陽一が企画したテレ朝のTV番組「ショービズToday」もたしか80年代じゃなかったか。
いまある映画紹介番組はあれを範にしている部分が大きいと思う。
毎週毎週アメリカの興行成績ベストテンをやってて、そうすると
まだ日本では未公開のやつとかあるわけで、その際は原題で紹介される。
そのせいで例えば「フェリスはある朝突然に」なんか原題の
"Ferris Bueller's Day Off"で憶えてて、そのほうがわたしの場合シックリくる。
ジョン・ヒューズの時代。80年代。
109 :
93,94:02/03/13 00:21 ID:aQaZfgnv
(・・・・ああでも正直に言います。
当時ジョン・ヒューズの映画は見てませんでした。
ゴメンナサイ、ゴメンナサイ、ゴメンナサイ。)
110 :
名無シネマさん:02/03/13 00:22 ID:FGnu0UAr
>>重くてこまったさん
逆に質問なんですが、まず'70年代的なものが終わったのはいつのことだと
思っておられますか? 私は通例上考えて、やはり『地獄の黙示録』が'70年代
“的”なものがスクリーン上に映し出された最後の映画だと思います。この作品
を機に、映画から社会に対するプロテスト的な意味が失われて、ハリウッドが
再度非日常的な夢や空想的な娯楽を人々に提供する役割に戻ったと便宜的に
考えることができると思います。もちろんすでに'70年代後半から、「ジョーズ」や
「スーパーマン」や「スターウォーズ」といった、現実離れしたスーパーヒーローや
、宇宙時代にマッチした夢物語が人々の意識に侵入していたのですが...無論、
'80年代に入っても「ミッシング」だの、デパルマの「ミッドナイトクロス」だの
といった“擬似”'70年代映画はありましたけど。やはり80年代前半は映画不毛の
時代だったんでしょうか?
私が'80年代映画といって思い付くのはやはりスピルバーグですね...スピル
バーグは「ジョーズ」「未知との遭遇」の頃はまだカルト作家でしたけれども、
'82年に「E.T.」が爆発的にヒットしてから、ハリウッド映画の全体像を一気に
塗り替えてしまったと思います。社会的プロテストからアメリカ郊外の極小的な
一般家庭内のドラマへと、これはまた典型的な移行ですね。(私も父親に連れられ
て観に行きました。)その後スピは「グレムリン」、「インディ・ジョーンズ」
「バック・トゥ・ザ・フューチャー」「グーニーズ」「トワイライト・ゾーン」
「ヤング・シャーロック」「マネーピット」・・・と怒涛のごとくスピ印の作品を
世に送り出し、「'80年代の(アメリカ)映画」の相貌を間違いなくはっきりと
特徴付けてしまったと思います。・・・そしてスピルバーグの時代は前世紀後半から
世紀をまたいで、今だに続いていると言えるでしょう。
重くてこまったさんが「ディーバ」が'80年代的な映画だ、とおっしゃる意味も
何となく分かるし、R.ハワードは元々スピルバーグを縮小したような監督なので
比較するのもアレなのですが、一体「'80年代的」というのは何? という疑問は
お互い(私も)共有していると思います。それよりも「'80年代的」なものは
そもそもいつ終わったのだろう…? もしかするとまだ続いているのでは…?
という疑問がときに私の頭を過ぎるのですが。重くてこまったさんはどう思って
らっしゃるのでしょう? 一体「'80年代的」なものとは? またそれがそれ以降の
時代と区別される特徴とは?
111 :
名無シネマさん:02/03/13 00:50 ID:aUFa7ygZ
700円。
当時の映画ファンサービスデー時の値段じゃないですかね?
80年代は学生でした。同世代を描いた映画に共感を覚えたものです。YA、ブラットパック・・・(遠い目)。
112 :
110:02/03/13 01:05 ID:fIiFQxCf
>>111 世代が違うんだ・・・
このスレ、とことん30代以上ばかりなんだ...
113 :
93,94:02/03/13 01:10 ID:5vGfMyXT
ねむれないので、重くてこまったさんへの質問に横入りして
ちょっと参加しちゃいます。すいません。
70年代。青年の時代。大学生。
80年代。青年以前。せいぜい高校生。作り手も(スピルバーグとか)。
あるいはもっとキャッチーに。
70年代:新宿系
80年代:渋谷系
114 :
重くてこまった:02/03/13 20:20 ID:qcPxPCRf
>>108 ジョン・ヒューズ作品の魅力を人に伝えるのは、ムズカシイですね。当時も
それほど高く評価されていなかったし(実際、軽い映画なわけだけども)、
今でも「よくある青春映画」で片づけられがちです。しかしヒューズの
80年代映画は「ホームアローン」以降の90年代作品とは全く違うし、最近の「メリーに
首ったけ」や「アメリカンパイ」とも異質です。
「ウォーターボーイズ」の監督にはヒューズの80年代映画をよ〜く研究してもらい
たいなーと思います。
>>109 当時ヒューズの映画がそれほど注目されていたとも思えません。「ときめき
サイエンス」は東京ではオクラになったと思う。地方だけの上映じゃないかな。
「恋しくて」は雑誌等ではずっと「サム・カインド・オブ・ワンダフル」と紹介されていて、
ボクは公開されていたのに気が付かなかった。「フェリス」も期待して前売買って
見たんじゃなくて、名画座の二本立てでたまたま見たくらいです。
115 :
重くてこまった:02/03/13 20:21 ID:qcPxPCRf
>>110 現実社会と映画の関係という観点で80年代映画を定義しようとすると、
漏れてしまうものが大きすぎるような気がします。旧作の「都会のアリス
」や「ミツバチのささやき」、あるいは未公開だった多くのクラシックも間違いなく
、当時の日本での「80年代映画」なわけだし、逆に公開されなかった
オリヴェイラの「フランシスカ」やタビアーニ兄弟の「草原」、「勝手に逃げろ、
人生」等には80年代の匂いがしない。つまりボクは「観客」の存在があって、
初めて映画が成立するんじゃないかと思うんです。その意味で「イントレランス」
も80年代映画です。
しかし、じゃ80年代に公開されていれば「80年代映画」なのか?と言われる
と、そうでもなくて、言葉ではいわくいいがたいものがあるんだよな〜。
個人的な体験だと、83年の秋に見た「ディーバ」に初めて80年代的なものを
感じたとしか言いようが無いデス。
116 :
重くてこまった:02/03/13 20:22 ID:qcPxPCRf
>>111 「映画の日」は昔からあるんですが、年1回、12月でした。それが80年代に
各自治体で、サービスデーと値段を自由に設定出来るようになったんです。
ボクは「ラストエンペラー」を半額で見ているので、88年には確かに「ファンサービスデー」
があったんですが、「フィッツカラルド」が公開された83年7月はどうだったか
なぁ…。ちょっと思い出せない。
>>112 80年代映画好きなら、誰でもウェルカムでっせ。(^^)
>>113 それにプラスして、多くの80年代映画の特徴には「大人の不在」があります。
例えば「理由なき反抗」やフォード、ホークスの映画を見ても、昔は未熟な若者に
対して、必ず彼らとは対照的な文化を持つ「大人」が登場しました。ところ
が80年代映画だと、「バックトゥザフューチャー」のドクや親は「大人」ではないし、
ジョン・ヒューズ作品にも「大人」は殆ど描かれない。「ハスラー2」や「プリティイン
ピンク」のハリー・ディーン・スタントンは例外ですよね。
117 :
93,94:02/03/13 23:05 ID:yJA90A1e
ジョン・ヒューズはそうだ、後からビデオで見たのばかりだけど、
アメリカではコンスタントにヒットしてて、そのせいで
「ショービズToday」でベストテンにしょっちゅう入ってて、
モリー・リングウォルドの話題がよく出たりでの印象があるのでした。
だから映画自体は見てなくても「ジョン・ヒューズ」って名前には
当時からずっとお馴染みがあったのは確か。
見てないクセにずっと気になってたのでした。
(いまとなっては「ゴダールのリア王」にM・リングウォルドが
出ていても、当時を知らない人には全然ピンと来ないだろうなあ。
それにあれがメナヘム・ゴーランがプロデュースというのも80年代。
・・・チャック・ノリス、最近見ないなあ。)
118 :
111:02/03/13 23:33 ID:OF0boYbg
1985年のジョルジオ・モロダー版『メトロポリス』(1月公開)、『パリ警視J』(5月公開)、『フレンチ・コップス』(9月公開)をそれぞれサービスデーに観ています。
カッコ内の公開月は東京ですが、自分は当時大阪に住んでいたため公開時期に多少のずれがあるかもしれません。
83年には自分はまだ映画館で映画を観始めていないので判りませんが、少なくとも85年にはサービスデーが実施されていたようです。
ジョン・ヒューズの監督作品では『すてきな片想い』『ときめきサイエンス』がスプラッシュ公開(地方公開)、『ブレックファスト・クラブ』が名画座ミラノ(現シネマミラノ)での単館公開。
『フェリスはある朝突然に』で初めて全国ロードショーされた訳で日本では実に不遇な扱いをされていました。
ヒューズの一連の青春物はアメリカの若者には大いに受けていたわけで、そんな若者の中から映画監督も生まれています。ダグ・リーマンの『go』では『ブレック・・・』に関するセリフが出てきたりします。
このスプラッシュ公開というものが無くなったのは90年代中ごろでしょうか。
ジャッキー・チェンの人気、作品の興行成績のピークは『プロジェクトA』(84年)前後と思うのですが、彼は(今も活躍していますが)80年代のスターと呼べるのではないでしょうか。
決してよく出来ているとは思えない『キャノンボール』シリーズを日本でヒットさせることができた要因は主にジャッキーにあると思います。
80年代中〜後半は公開本数が多くて歌舞伎町シネマ2のヘラルド&ヒューマックスの2本立て作品はオールナイトで消化していました。
119 :
110:02/03/14 01:24 ID:2CRK5QfP
>>115 「イントレランス」が'80年代映画か...
ははは。私もこの作品は大阪城ホールで、大オーケストラの演奏付きで
見たクチですけどね...(他にもこれ、見た人いるでしょう?)
オーケストラの演奏は素晴らしかったけど、大画面に映し出された粒子の粗い
白黒画面にはほんの少しだけ違和感を覚えた...多分この作品は扇町ミュー
ジアム・スクエアの小じんまりしたシーツの上で見たほうが、しっくり来たの
かもしれない...
う〜ん、確かに映画は「観客」と上映される環境があって始めて成立するわけ
だけど、そうすると「80年代」という時代的な括りは何? ってことになるだろうし、
確かに僕の記憶では、「都会のアリス」と「パリ・テキサス」と、(う〜んと例えば)
「ストレンジャー・ザン・パラダイス」は皆んないっぺんに来た印象があるんだよね。
多くの人にとってそうだったと思う。しかし実際には「都会のアリス」は'74年の作品
だし、「ミツバチのささやき」は'72年の作品なわけだ。
けどそこは一応区別しておいた方がいいような気がする。日本の観客にとっての
「80年代」というのも大事だけど、アメリカインディアンと同じで、世界がヴィム・
ヴェンダースを“発見”したのは、'80年代の事ではなかっただろうからなぁ...
ジョン・ヒューズについてはあまりピンとこない。「フェリス・・・」は
試写会に応募したら当たったので見に行った。「ブレックファースト・クラブ」
は、なんか相米の「台風クラブ」に似てるかなー、とか思った程度。しかしあの頃の
この手の映画にはすべて同じような俳優たちが出演していたような気がする...
「きのうの夜は・・・」とかは世代が違うのでロードショーでは見なかったよー
「すてきな片想い」とか「恋しくて」とか、どれもこれも似たような映画だと思ったなぁ。
あ、そうだ私にとって80年代的な女優は、メアリー・スチュワート・マスターソンかも
しれない。線が細くて、ブッとんでいるところが...
120 :
93,94:02/03/14 09:36 ID:u1FIjVSb
そうか。「ミツバチのささやき」って72年の映画だったんだっけ。
すっかり80年代のものだとばかり、いつのまにか思い込んでた。
ジョン・ヒューズといえば、「ドグマ」や「モール・ラッツ」
のケヴィン・スミス監督が影響を公言していますね。
作中でも監督演じる彼の映画のおなじみキャラ、サイレント・ボブが
相棒に、こいつはジョン・ヒューズの映画見て泣いてるんだぜ、
ってからかわれるシーンとかまであるし。
ジャッキー・チェンに関してはTVでの吹替え放映の影響が
なにより大きいのかなあって思います。
ともだちのジャッキー好きのやつに聞いてもそんな感じだし。
「Mr.Boo」シリーズとジャッキー映画はTVでの放映と強く結びついてますね。
121 :
重くてこまった:02/03/14 22:03 ID:MpjybQVn
>>117 118
80年代映画で忘れてならないビッグネームが出てきましたね。メナヘム・
ゴーラン。そしてジャッキー・チェンも勿論なんですが、もう一人レイモ
ンド・チョウ。80年代に、この二人が関わった作品が日本で公開されて
いない日は、殆ど無いんじゃないかなぁ?
ゴーラン製作で「地底帝国の謎」というのがあって、芝居も撮影も脚本も
編集もぜんぶヘタで、セットは「スペースインベーダー」の宇宙人の基地の使いま
わし。ヴェルヌ原作というのはウソで、いしいひさいちの「地底人対最低人」に
近いものがあり、「地底帝国の謎」の謎を問い詰めたいくらい。同時上映の
「デビルドール」が今思えばローランド・エメリッヒが監督で、これが大傑作に見えるほどの
出来でしたが、一方で「マリアの恋人」や「ラヴストリームス」を製作している。
このカサヴェテス作品はボクは80年代アメリカ映画の最大の遺産のような気がします。
他にもチャック・ノリスのブラドック・シリーズをはじめとするB級アクションや、ニンジャもの
があり、B級映画の定義という話は映画板でもたびたび出ますが、ゴーラン
のこれらの作品こそまさしくB級映画だと思う。ハスミの「ハリウッド映画史講義」
はゴーランにもキャノングループにも触れていない点でダメです。
そしてレイモンド・チョウのゴールデンハーベスト作品。84年に公開された「プロジェ
クトA」と「五福星」(これ日本ロケしたやつだっけ?)以降の80年代の作品は、サイレント
映画以来のありふれた題材を生き生きとしたタッチで甦らせていて、どれも
ホントに楽しい。チョウは香港だけではマーケットとして成立しないので、初めから
海外市場を目指していると語っているんですが、スピルバーグのアンブリンと並んで、
ゴーランもチョウも30〜40年代のハリウッド的な生産システムを何気に再現
していたんじゃないかと思います。
122 :
重くてこまった:02/03/14 22:05 ID:MpjybQVn
>>118 細かい情報アリガトー。スプラッシュ公開ですぐに思い浮かぶのは「センチメンタルアドベンチャー」
だね。ボクは後に文芸座のイーストウッド特集で見ましたけど、他にも埋もれた
良作がありそうだな。
>>119 80年代に「適切に」生産と消費がなされた映画を、とりあえず「純粋80年代
映画」と呼びたいね。ジョン・ヒューズ(ハワード・ドイッチュ)がそうだ
し、他にリチャード・ベンジャミン(「花嫁はエイリアン」)、G・P・コスマトス(
「ランボー3」)、フレッド・スケピシ(「愛しのロクサーヌ」)、もっといますけど
、それに加えて家庭用ビデオの普及に対応して、粗製濫造された無数の
B級C級作品がいかにも80年代的です。
そうした海外の文脈とは別に、日本の80年代環境で独自に展開した映画
史があると思います。それが西武資本のミニシアター映画(シネセゾン、シネヴィヴァン)
とフジテレビ系映画、角川映画ではないでしょうか。
シンシア・ギブ、リー・トンプソン、モリー・リングウォルド、アリッサ・
ミラノなど、アメリカの若手の女優はみんなロングの金髪にパーマをかけ
ていて、交換可能なくらい似たような雰囲気だったな。そんな中、ちょうど
日本のアイドルでキョンキョンだけがショートカットで目立っていたように、メアリ・スチュワート・
マスターソンだけショートで印象的だったね。
>>120 ケヴィン・スミスの映画をボクは見ていませんが、面白いですか?
黒澤明やヒッチコックでは無く、よりによってジョン・ヒューズにオマージュを
捧げているというのが感動的じゃのー。(^^)
123 :
重くてこまった:02/03/15 20:08 ID:3qGa8aQQ
昔のこと考えていて、ふと思い出したんですが、20年くらい前によくデパートの
中などに何気にムービーショップってありませんでした?今あるマニア向けの店
とは違って、むしろオシャレ系に近い扱いで。たしか渋谷か原宿で(渋谷だとしたら
パルコか西武の中にあったと思う)シネファンタスティーク等の輸入雑誌、古いパンフ、
スチール、ポスター、フィルムの切れ端などを売っていて、「2001年宇宙の旅」や
「青い珊瑚礁」等の輸入ビデオの上映会もやっていました。ボクがよく行った所には
巨大な「キングコング」のポスターが貼ってあったのが印象的でした。数年後に行った
ら無くなっていたんですが、ここ覚えている人いませんか?
124 :
110:02/03/15 23:11 ID:ehCvlhPO
'80年代日本における映画文化を考える際に、セゾン(西武系)グループの
活動というのはやはり見逃せないものがあったと思います。セゾングループの
多少気取った“文化政策”のおかげで、日本にもハリウッド由来のお仕着せ
ロードショー作品ではない“ミニシアター文化”が、この時期ようやく日本に根付いた
のは確かです。
あと見逃せないのは、雑誌などでもコアな映画芸術を探求する系のマニアックな
雑誌とは異なる、しかしハリウッド映画オンリーではないヨーロッパや第三世界の
作品にも目を向けた映画記事が読める雑誌がちらほら出てくるのも、この頃では
なかったでしょうか。実はその多くはヨーロッパ関連のファッション記事と
抱き合わせのような格好でいくつかの女性誌から発生してくるのですが、
その代表が「マリ・クレール」だったのでしょう(私は母親が購読していたのを
毎月盗み読みしていました。いつだったか90年にヤスケンが企画した'80年代映画
特集(今では単行本になっているはず)には、ハスミンと淀長さんの対談が
載っていたりして'80年代を考える上でもスゴク役に立った)。
'80年代は日本では高度成長の最終段階・バブル期に当たるわけで、企業は
ヨーロッパから高価な絵画を買い、裕福になったOL達はヨーロッパに
高級ブランド品などを買いに行ってました。'80年代はかつてなかった
“裕福になった独身女性たち”が、文化を担う時代になったと言えるのではない
でしょうか? そしてそれらの層が“ミニシアター文化”を興行的に支えていた、と。
セゾン・グループは当時その情勢をいち早く読んで、収益の面でも文化貢献の
面でも一定の成果を上げた...しかし一旦、日本全体が不況になってしまうと
セゾン・グループのこうした“文化政策”もたちまち危機のうちに瀕してしまった、と...
125 :
110:02/03/15 23:12 ID:ehCvlhPO
>>123 今ではすっかり見当たらなくなってしまった系のお店で、「ムービーショップ」
というのは確かにありましたね。私は相変わらず関西に住んでいましたので、
東京の事はよく知りませんが、僕が住んでいた近所に郊外型の大型ショッピング・
センター“つかしん”(これも西武系)というのがあって、
そこにチケットのプレイガイドも兼ねた小さなムービーショップがありました。
旧作のパンフや、宣伝用のスチール写真とか輸入物のポスターなどが置いてあって、
見ているだけでも楽しかった。リア厨の頃、本屋と「アニメイト」等のアニメショップ
と同じくらい足繁く通ったお店です。コレ系のお店が消えていったのは、やはり
映画の相対的な人気凋落を意味しているのかもしれません。今の人は昔の映画に
あまりロマンを感じないようです。時代が離れ過ぎてしまったせいかもしれませんが...
昔は古い映画関係のアイテムは、オシャレ・グッズだったんですね...
今の人には、J.ディーンやマリリン・モンローなどの頂点のほんの一部を除けば、
過去の遺物以外の何物でもないのでしょう...
126 :
93,94:02/03/16 00:05 ID:WnwxU99G
ジョン・ヒューズはよいですよぉ。
是非是非オススメ。
あと80年代というと、小津安二郎ブームでしょうか。
(わたしはもっぱら並木座でしょっちゅうやってるので
意識せず、いつの間にやら何本も観てましたが。)
そしてハスミンはもちろんですが、彼のみならず小津安二郎の名前を
出す人が当時、そこここに目立つようになったように感じます。
キッカケ、というかそういう流れになったのはなんだったのかなあ。
(周防監督の『変態家族・兄貴の嫁さん』が83年。でも
これが作られた時点ではまだ小津ブーム以前だから、敢えて
ハスミンがこの作品へ言及しなくちゃその含意が世間には
当時、伝わらなかったはず。)
127 :
93,94:02/03/16 00:15 ID:c3BQjRtq
>>126 間違った。
「ケヴィン・スミス」って書くつもりで「ジョン・ヒューズ」
って書いちゃった。
128 :
名無シネマさん:02/03/16 00:23 ID:K36dj4Eh
93,94さんは、見たところ30代後半のようですけど、ケビン・スミスとか
新しめの作品も見ているんですねぇ...
私は「フェリス」とか「ブレックファースト・〜」とかはリアルタイムで見てますけど、
ケビン・スミスとかはJ.ヒューズのどういうところにオマージュを捧げているんですかねえ
J.ヒューズのどこが“80年代的”だったんだろう...?
129 :
93,94:02/03/16 10:09 ID:PN0N9Mxc
ああでも小津ブームはもう90年代にかかっちゃうのかなぁ。
自分が好きで見てた時とちょっとゴッチャになってるかも知れない。
(小津ブーム、そして岡崎京子。80年代終わりから90年代頭くらい?)
>>128 ナウなヤングに負けないようにがんばって、新しいものも見ています。
(ちなみに私見ではケヴィン・スミスと「メリーに首ったけ」のファレリー兄弟
は下ネタ全開で真摯に人生を肯定するという点で似ていると思ってます。)
ジョン・ヒューズに関しては重くてこまったさんの
"80年代に「適切に」生産と消費がなされた映画"という定義が
言い得て妙、まさに「適切」ってところです。
あとはなんとなしのそのとき限りの「はかなさ」でしょうか。
ジョン・ヒューズも彼がプロデュースした
「ホーム・アローン」で80年代を「卒業」してしまうし。
(そのことを糾弾したセリフがケヴィン・スミスの映画に出てきます)
130 :
名無シネマさん:02/03/16 10:34 ID:aqNcsgZx
ジョン・ヒューズって、まだ作品作ってますか?
131 :
名無シネマさん:02/03/16 21:50 ID:TXAfHtSj
ナウなヤングはとってもアクティヴ
それを横目に舌打ちひとつ
132 :
重くてこまった:02/03/17 09:23 ID:JBtuUSak
>>124 とても2ちゃんねる映画板のカキコとは思えないですねぇ。(^^;)
80年代のミニシアター映画も、草の根的に上映されていたのではなく、実は
大資本に支えられていたというわけで、西武(シネセゾン、シネヴィヴァン、スタジオ
200で上映)→ソニー(ビデオ発売)→フジテレビ、ビクター(TV放映)という
図式が浮かび上がってくる。
「マリクレール」は、なんせ女性誌だし高かったので、ボクは映画のページだけ
図書館で読んでましたけど、確かに色々な雑誌が映画を取上げるように
なりました。その質も70年代とは変化している。それまで亀井勝一郎的
人生論か「政治・思想」の方面に傾きがちだった映画評論が変わり出したの
は、70年代末の「エピステーメー」と「カイエ」の映画特集ではないでしょうか。
どっちもハスミがからんでるなぁ。(^^;)「ユリイカ」が小津やトリュフォー
特集を組んだり、「話の特集」でハスミの連載があったのも80年代。(「
扇動装置」は単行本が出た後もずっと続いていたね。)
80年代になると老舗4誌の他に、ぴあとシティロードが単なる時刻表的なもの
から「情報誌」的に変化したし、新興誌(リュミエール、イメフォ)、独立系(夜想、
シネフロント、バンザイまがじん)、SF専門誌(スターログ、宇宙船、シネフェックス)も出て
来て、さらに各ミニシアター発行のパンフ(シネマスクエア、シネヴィヴァンシネマライズ、シネセゾン、
キネカ大森、シャンテ、岩波、ユーロスペース)も充実していましたね。ただ洋雑誌は、
当時円が高くなっていたのに360円で計算されていて高かったので、ボク
はあまり読んでない。
133 :
重くてこまった:02/03/17 09:24 ID:JBtuUSak
>>125 ああ、やっぱり関西にもありましたか。
そういえば、今本屋に行くとたいてい映画本コーナーがありますけど、それ
が出来たのも80年代以降のような気がする。80年代に出版された映画本
の話も取上げた方がいいのかな。
>>126 80年代初頭にフィルムセンターで特集があったけど、小津ブームのきっかけはベン
ダースのような気がする。83年のドイツ映画祭まで日本ではぜんぜん公開
されていないのに、ベンダースがなぜか小津の影響を受けている、という
話は伝わってきていた。そして80年代小津ブームは常に小津−ベンダース
−ハスミの三人四脚だったのが、なんだかシャクだけど、しかし小津の映画
が当時の世の中の空気と妙にマッチしていたんですよね。レトロブームで
泉麻人が売れっ子になり、深夜テレビでは「ベンケーシー」や「ウルトラQ」を
いつもやっていた。成瀬巳喜男が不幸なのは、そうした世間の雰囲気から
いつもずれていたことと、ハスミの言葉を借りれば、「東京物語」等小津作品
は「バカでもわかる」のに対して、成瀬は「バカでもわかる」映画を作って
いないことだとボクは思うのよ。
小津は来年生誕100年だから、またなにかありそうですね。
134 :
重くてこまった:02/03/17 09:25 ID:JBtuUSak
>>129 ボクが「ホームアローン」以降のヒューズ作品をいまいち好きになれないのは、
マーケットリサーチの匂いが鼻を突くからです。「危険な情事」を持ち出すまでも
なく、この時代もハリウッドメジャーではマーケティング−フィードバックで映画が完成して
いるわけですけど、80年代ヒューズ作品は、恐らくヒューズ自身が作り
たあったであろう作品が、幸福にも世間と歩調を合わせていたような
気がする。
>>130 90年代以降は「ホームアローン」シリーズ、「フラバー」、「101」などをヒット
させています。詳細はこちら。↓
ttp://www.stingray-jp.com/allcinema/prog/show_p.php3?num_p=1727 >>131 最近の映画は長時間拘束されるものが多くてシンドイですね…。上映時間
3時間って聞いただけで、ボクは映画館から足が遠のいてしまう。(^^;)
135 :
名無シネマさん:02/03/17 09:59 ID:aNHWY4vh
やっぱ90分だよね。
136 :
93,94:02/03/17 13:04 ID:Sq3/fNB7
やっぱり小津ブームは80年代でよかったのかぁ。安心。
そうですね、ヴェンダースと込みって部分は確かに大きかった。
(だからなんとなし80年代だろうなって気はしたんだけど、
書いた後で自信がなくなってしまって・・・。)
ああでも逆に80年代以前の小津評価、ってのが謎だ。
そもそも評価以前にどのくらいに話題になってたんだろう。
70年代とかだとほぼ忘れられてたんじゃないかなあ。
いまは定番になっちゃってるから、なおのこと昔の評価や人気がわからない。
その伝で言うと黒澤明だっていまは悪く言う人はほぼいなくて、
でも昔はひたすら評価は低かった筈だよなあ。
研究本の類だってドナルド・リチーのやつか、否定的な面も大きい
佐藤忠男の本とかくらいで、批評家にはもっぱら敬遠されてたはず。
(最近読んだ堀川弘通の「評伝 黒澤明」は面白かった)
やっぱり80年代以降はハスミンを代表格に映画の批評軸が大転換を
したんじゃないでしょうか。
>映画は90分
映画が長くなったのって、やっぱりプログラム・ピクチャーというか、
定期的な、それこそは週替わりの2本立て、3本立ての
新作上映なんてのがなくなって
一本だけでのロードショー公開が一般化したってのが大きい
と睨んでますが、果たして。
137 :
名無シネマさん:02/03/17 17:18 ID:fRR69SIP
>>136 あのぉ、いつ頃から? 監督・小津安二郎の再評価が大々的になされて、
“ブーム”になったのかははっきりした記憶はないですけど(それはあまりにも小さかったから)、
僕が意識的に映画を見始めた時('80年代半ば)には、すでに小津は“映画の神様”的な
存在として、まつり上げられていましたよ。
学校の図書館にはすでに蓮実の「監督 小津安二郎」が並んでいたし(と、この本、初版は1983年じゃない)。
たぶん「シネマの記憶装置」が出たころから再評価は進んでいたんだと思う。
小津の映画は実はNHK教育のTV放映にずいぶんお世話になりました(^^;)
90年代に入っても、たしかに有楽町・並木座ではしつこく特集組んでいたしね。(私も数回は足を運んだ。
千石の三百人劇場での黒澤特集も覚えているよ。)
雑誌リュミエールでも当然小津の特集があって、撮影監督の厚田雄春さんとの
インタビューは目玉でしたね。ヴェンダースの映画が撮られたのはこの頃だと
思うけど、蓮実―ヴェンダースの交友関係って当時どのくらい深かったんだろう??
80年代現役だった人の証言を聞きたいなあ。。。
138 :
重くてこまった:02/03/18 11:53 ID:23V784gs
>>135 ボクは「マナーの悪い観客」なので、映画は途中からぷら〜っと入って、
長い作品だと一服しに、途中でぷら〜っと出ちゃったりするんですが、
90分くらいなら行儀よくできますよ。(^^;)
>>136 137
「80年代映画前夜」(80〜83年)で、強烈に印象に残っている出来事が
あります。それは往年の大監督、大スターが立て続けに死んだこと
です。ヒッチコック、マックイーン、ウィリアム・ホールデン、ヘンリー・フォンダ、イングリッド・バーグマン
、ブニュエル(後で調べたらキューカー、ウオルシュ、ヴィダーも)などの死亡記事が
新聞にデカデカと出ている。ボクは当時「映画史的知識」なんてまったく
無かったけど、スクリーンやロードショーの淀長の文章で名前くらいは知っていた。
そしてTVの洋画劇場で追悼放送をすることが「社会的儀式」になってい
ました。ヒッチが死んだ後は一週間位、毎日ヒッチ作品の放送があったし、
バーグマン死後は、すぐに日曜洋画で「ガス燈」が放送された。
当時家庭用ビデオは出たばかりで、持っているのは余程のヲタかお金持ち
だけだった。勿論レンタルビデオなんてありません。そんな中で見た彼ら
の旧作は、どの「新作映画」よりも素晴らしく感じました。
139 :
重くてこまった:02/03/18 11:54 ID:23V784gs
138のつづき
一方世の中ではまだロッキード事件が尾を引いていて、子供が首相をバカに
するのがフツーになり始めた時期です。大平がモノマネのネタにされていたら
急死。鈴木もダメそう。さらに70年代までの中心人物だった長島、王、
百恵、野村、輪島、ピンクレディーが表舞台を去り、空虚なムードが漂ってい
たと思います。そしてその「欠落感」をうめたいという世の中のムードに、
小津安二郎という、それまで殆ど見向きもされなかった「巨匠」の名前が、
バッチリフィットしたのではないか、とボクは思います。
同時期のビスコンティ、ブニュエル、黒澤の大規模な回顧上映とそのヒットも
こうした雰囲気と無縁でないような気がします。
小津ブームは80年代後半になると、やや変質してギャグの対象になりはじめ
ますが(たとえば笠智衆のモノマネね)、93年の生誕90年&没後30年映画祭
まで続いていたと思います。
140 :
名無シネマさん:02/03/18 11:55 ID:23V784gs
なんだか話が重くなってしまったのでコピペ。
ひ〜ん おにぎり!おにぎり!
ビ〜ン ∋oノハヽo∈
_______( ;´D`;) ))
[] = = ノ""""")つ /■\
(( (__)ヽ_)ヽ )) (´∀`__)<クエネーヨ ワッショイ
 ̄ ̄
なにがなんれもたべるのれす!
ギギギギ… ∋oノハヽo∈
________( `D´) ))
[] = = ノ""""")つ /■\
(( (__/(__/ )) (´∀`__)<ムダムダ ワッショイ
 ̄ ̄
(⌒ おにぎりわしょーーーーい!
) * ⌒\ ∋oノハヽo∈
_ノ ブチィッ! ヽ、_ノ⌒( `D´)
[] ("""(⌒) /■\
ドドド… ≡ (__/ Σ(´∀`;_)<ウソダロ-!
 ̄ ̄
∋oノハヽo∈
ニコニコ (( ´)v`)) ムシャムシャ
[]\____彡 (⊃ノ■\
ジャラリ… __ノ(__(;´∀`;_)<イテーヨ ワッショイ…
 ̄ ̄
142 :
重くてこまった:02/03/18 12:00 ID:23V784gs
↑おれはクリックする勇気がないけど、宣伝、ブラクラはお断りよ。(^^)
143 :
重くてこまった:02/03/18 20:55 ID:n5sIgdaF
ショウビズ見たら、ロン・ハワードがハゲチャビンになっていて(´・ω・`)ショボーン 。
144 :
名無シネマさん:02/03/18 20:58 ID:HJ/f+32Z
昔っから薄かったですしね(W
145 :
重くてこまった:02/03/18 21:02 ID:n5sIgdaF
>144
いつも帽子かぶってるから、気が付かなかった…。スティ〜ブ〜!
146 :
名無シネマさん:02/03/18 21:35 ID:HJ/f+32Z
>145
あのトレードマークの帽子は「ウイロー」の撮影中に無くしちゃったそうで、
そのままその直後に来日。沢田康彦の(雑誌ターザンの)インタビューでの
紹介で「薄くなった頭髪に頭をやりながら云々」と書かれていましたよ。W
その一部が「リュミエール」にも転載されていましたね。
この前放映されたアクターズ・スタジオのセミナーでのR.ドレイファスといい、
ロン・ハワードといい、アメグラ関係者は皆ハゲてきているのか??
そういえばCh.マーティン・スミスも...
ハゲてないのは監督のジョージ・ルーカスだけ……?
148 :
名無シネマさん:02/03/19 20:23 ID:FOM6pwhZ
>147
あの黄色いクルマに乗ってたジェームスディーンみたいなのは死んだ?
149 :
重くてこまった:02/03/19 22:02 ID:/eJWtU3p
>>146 147
ハハ…(^^)リュミエールに写真が出てるね。この時は少しは髪があるけど、
それが現在、ピーター・ボイルのようになっていて、衝撃的だったんよ。
ルーカスの頭もぁゃιぃゾ。ILMでなんでも出来るもんな。
しかしロン・ハワード、「ウィロー」のとき34歳、多毛のジャームッシュと
一つしか違わない。・゚・(ノД`)・゚・。
ボクは当時からスピルバーグよりロン・ハワードの方が断然好きでした。「ジョン・
ウェインの最期を看取った男」だけあって、「コクーン」の人選もいいし、
キャラクターがどれも魅力的です。スピルバーグの場合、主役は常にスピルバーグの
演出で、俳優は名前も思い出せない人が多い。演出は的確だけど、ボクは
ロン・ハワード作品が発するノイズの方が面白いです。
「指輪」より「ウィロー」(ロン・ハワード自身はキャラクターの描き込みが不十分で
不満だったらしいけど)見れ、と言いたい。
>>148 ビッグ・ジョンはアメグラ1本って感じですね。最近はテレビムービーばかりで、
「アメリカンヒストリーX」に出てるらしいけど、ボクは見てません。
150 :
重くてこまった:02/03/19 22:03 ID:/eJWtU3p
こうやって80年代のこと書いてると、当時のぴあとかシティロードが手元に
あったらなぁ、と思っちゃう。1ヶ月たったら捨てちゃったし、もし
今持ってても「お宝」でもなんでもないけど、100年後に全部揃ってたら
最高の文化史の資料だと思うよ。
それよりボクが今一番見たい、というかホスイものは、1987年の予告編
コンクールのビデオ。覚えてる?予告編コンクールは80年頃から関係者だけで
行われていたんだけど、87年から一般客をシネスイッチ銀座に集めて審査させ
るというものになって、その時上映された予告編ばかり約60本をフジテレビ
が一晩中放送したんよ。岡部まりタンが司会で、邦画も洋画も関係なく
マルサの女、ロッキー4、サクリファイス、市民ケーン、プロジェクトA2など87年のめぼしい
ものからクリッター2やレッドソニアのようなマイナーなものまでずらりと揃っていた。
オマケでアカデミー賞を受賞した短編「プレシャスイメージ」も放送された。
マスターも35ミリプリントそのままで美しく、本編は今でも多くが見れるけれど、
これらの予告編はタイムカプセルのように80年代の匂いを濃厚に漂わせている
に違いないのだ!
151 :
名無シネマさん:02/03/20 22:45 ID:aDSwdS0H
確かに最近重くて困るね。
152 :
名無シネマさん:02/03/20 23:45 ID:BIt+FtGh
重いのは広告のせいだ、おそらくは
153 :
重くてこまった:02/03/21 08:41 ID:BaryhQD5
ここで緒方拳の名前がパッと浮かんだ人はカナーリの映画通(て優香、重症)よ。(^^)
154 :
名無シネマさん:02/03/21 10:52 ID:WxWb3Boq
>153
して、そのこころは?
155 :
重くてこまった:02/03/21 21:06 ID:BtQvQ5jT
映画ファソには2種類あるに違いない。「仁義の墓場」や「県警対組織暴力」
こそ深作映画だと言うオールドファソと、「バトルロワイヤル」で深作を知った若い観客。
しかし、「80年代映画好き」にとって深作は「華の乱」と「火宅の人」の監督
なのです。(「蒲田行進曲」は80年代前夜の作品だと思うし、「里見八犬伝」
はあくまでカドカワ映画です。)この一見、当時よくあった「文芸映画」の企画
を装い、時代に同調する素振りをみせる映画には、本当はこんな時代(80
年代)は大嫌いだからさっさと通過してしまいたいという気持ちが、あの
息せき切ったような語り口に如実に表れている、とボクは思う。にもかか
わらず、出来上がった作品には楽天的な明るさ(同様の語り口を持つ90年
代の「忠臣蔵外伝」にはこれが無い。)と、とても要約出来ないようなてん
こ盛りのディティールがある。決してネガティブな映画じゃ無い。
ボク自身も実は大嫌いだったけど、大好きだった時代、それが80年代です。
「火宅の人」のラストで緒方拳が3人の子供を肩にぶらさげて、こまった、
こまった、重くてこまった♪とおどけながら走り去るラストは、壇一雄の
時代というより、80年代の気分を集約しているような気がします。
え、わからない?(^_^;)いや、ぜったいそーなんだってば!
156 :
名無シネマさん:02/03/22 00:45 ID:FF5whxbe
>>155 仰りたいことはなんとなく分かりますが。
70年代に較べると、80年代には明らかにフカサクは変化します。
そーいえば80年代は「時代に同調する素振りをみせる」「文芸映画」がオン・パレードでしたよね(五社ものが特に顕著)。
けどその「火宅の人」のラストの解釈にはちょっと無理があるような気が(苦笑
あれはやはり壇一雄の時代でなきゃ困るわけで。ただ80年代的な語り口、というのはあると思う。
155さんは「魔界転生」とか「華の乱」とかは、どう思われました?
157 :
93、94:02/03/22 10:35 ID:7yLrds3p
>>155 そっか。それが「重くてこまった」の由来だったのかぁ。
そういう思い入れは好きなのでちょっと感動。
わたしは80年代はどうしても名作主義めいたところが
あって、ヤクザ映画も観なかったし、いま思うと守備範囲が
狭くて、限定して観ちゃってる部分が大きかったので反省中ですが、
そんなわけで当時の邦画ってのもなんかウスッペラそうで
殆ど観ずに過ごしてしまいました。
(そういえば「チェッカーズinTANTANたぬき」が実は
往時の「狸御殿」ものの流れなんだってのを割りに最近気づいたり)
でもどうせならなんでも観るようにすればよかったなあ。
どうしてもヤングなうちは頑なで、偏ってしまう。
(まあ、それはそれで若気のいたりで微笑ましくていいかな、
って思いますが。あと、年とってから再発見する楽しみってのもあるし。)
158 :
重くてこまった:02/03/22 22:19 ID:QQmXB+Vw
>>156 実は「宇宙からのメッセージ」や「復活の日」、「魔界転生」を見た頃は、監督の
名前なんて知りませんでした。これが深作の映画だと知ったのはずーっと
後で、当時はただ大宣伝に乗せられた感じ。なんで細川ガラシャがこんなに
エロいんだ?程度の感想しかありません。「火宅の人」も深作だから見た、と
いうわけではなく、降旗康男や蔵原惟繕と並んでボクにはどうでもいい
名前でした。しかし余計な知識なしに映画が見れるというのはいいもの
で、「火宅の人」は素直に感動したんですよ。あのラストは本当はキツーイ状況
なのだけど、「文学的」に深刻ぶらずにかるーく楽しんでしまうところに、
80年代と通じるものを強く感じるんですが…。
>>157 そう。若いと妙にプラトニックだったりする。特に香港映画、フジテレビ系映画、
ホラー映画等はマニアがいる一方で、食わず嫌いで見ない人間も多かった。
87、8年頃になると物理的にあらゆる映画を見ることなんて不可能だった
から、必然的に何らかの選択を迫られたわけだけど、ボクが80年代に息苦
しさを感じたのは、その選択のバランスの取り方が難しかったから。世の中
のムードに流されることも、決められたステップを踏んでキャリアを積むことも、
今よりずっと楽な時代で、何か一つに突っ走るとヲタクと呼ばれたし、生真
面目なこともカコワルかった。でも、正直あの頃はどんな映画もおもろかった
んよ。
159 :
156:02/03/23 01:06 ID:62PYAG8/
>>158 いやだなあ、、、私もTVで「魔界転生」を観たときは、深作欣ニなんて
いう名前にはまったく関心ありませんでしたよ。だいたいこの映画を見る
きっかけになったのは、友達と映画の「機動戦士ガンダム」を観に行った
時、映画館でCMを流していたからです。(おっと忘れていましたが
この作品も角川映画でしたね)蔵原惟繕は「キタキツネ物語」「南極物語」
などをごくフツーに観てました。それ以降は、'80年代文芸映画は
TVでやれば大体見てましたかね?「鬼龍院花子の生涯」とか「序の舞」とか...
(だいたい出ている女優さんが何故か必ず脱いでくれるし。)宮尾登美子
のものはこの頃大当たりでしたね。「夜汽車」の十朱幸代のハダカとかスゴかった、、、
降旗康男は「駅 STATION」ですね。これは辛うじてビデオでフォローしましたが...
のちにビデオでフォローした物でないかぎり、私はほとんど予備知識なしで
邦画とかは観てましたよ。だいたい邦画はTV放映とかも多かったし。特に
再、再々放送の深夜放映も多かった。実は大半をエロ目的にして観ていた、
という話もあるが...
(ところで、私ってストーカーされてるの?)
160 :
名無シネマさん:02/03/23 01:48 ID:uvhBUO1s
良いスレですね。
この頃は中学生で、「俺は映画さえあればなにも要らないぜ!!」と
なんの根拠もない自信(&不安)に満ち満ちてました。(ハズカシ・・・)
現在は家庭も持ち、映画のことだけを考えていることは出来ませんが、
あの時代は自分の人格形成を語る上で外せません。
「自分を楽しませることだけで精一杯だったあのころよ!!」
byみうらじゅん
161 :
名無シネマさん:02/03/23 02:09 ID:b2/U+Bq6
ジェネレーションギャップを非常に感じるスレだなぁ。
俺なんかは、逆にやっぱり昔の映画よりも、今の映画のほうが
面白いんだけどなぁ。
まぁ、今の俺が今のジャンプを全然面白く無いと感じてるのも、
似たようなモンなのかもな。今の小学生とかには、北斗の拳やら
セイント星矢なんかの時代のジャンプよりも、今のジャンプの方
が面白いんだろうな。
162 :
名無シネマさん:02/03/23 02:25 ID:6pEIR32p
アニメの話で申し訳ありませんが、
幼い頃、私はビックリマンチョコとうまい棒を
食べながら角川の『少年ケニア』を見ていました。
すると色が塗れてないシーンが!!
こんな状態のまま完成するんじゃねぇ〜ぞゴルァ!
と子供心に思ったのを今でも覚えています。
今では懐かしい思い出です。
163 :
重くてこまった:02/03/23 21:44 ID:XxjlzIw+
>>159 五社英雄と山田洋次の映画がニガテだった。この二人がなぜ映画を作ってい
るのかボクにはいまだにワカリマセン。何年だか忘れたけど「人斬り」のリバイバル
がチョト面白くて、もしやこの人は!と期待して他の映画も見たんだけど、
五社が選んだ題材にも処理にも全く共感出来る要素は無かった。それから
山田の「ダウソタウソヒーローズ」。まず登場人物の役名(柳葉=オンケル、尾身=
アルル)のセンスの無さに脱力。薬師丸の役がヤパーリ「マドンナ」でトホホ。ノスタル
ジー狙いの割には照明にニュアンスが無く、市川崑ならもっと工夫するだろうなぁ
とは思ったものの、80年代は市川崑もダメで、特に吉永小百合主演作は
つまらなかった。だいいち脱がないしね。「天国の駅」とか「映画女優」とか
最期まで見てられなかったけど、そんな中でも「華の乱」は、その語り口
が魅力だった。「序の舞」も面白いです。
五社や山田の映画は80年代に公開されてはいても、「80年代映画」では無い
とボクは思う。彼らの映画には「80年代」が映っていないから。例えば「エル
スール」で最初に窓に明かりが差し込んだ瞬間、「ノスタルジア」で一旦画面から消え
た車が1カットで、しばらくして又現れた瞬間、「ダウンバイロー」の長い横移動など
にボクは率直に新しさや面白さを感じました。これは90年代の「マトリックス」や
「ジュラパ」の「技術」とは異なる新しさで、「つまらない邦画」には、これが
全く無かった。「80年代映画」には、たとえハッタリでも常に新しさがあって、
ホラー映画も「コヤニスカッティ」のような作品も兎に角、見ているだけで楽しかった
デス。
164 :
重くてこまった:02/03/23 21:45 ID:XxjlzIw+
>>160 161
ボクは以前、あまり映画など見ない親に、最後に映画館で見た映画は何か
と聞いたことがある。その答えが「ジェリー・ルイスの底抜けナントカ…」だっ
たのには、いくらなんでもそれはないだろう、と唖然としたのですが、
少し歳をとったら、それもわからないではない。フツーの大人は時間も金も
体力も、映画だけに注ぎ込むってわけにはいかないもんな。だからジェネ
レーション・ギャップがうまれるのは当然で、むしろそれを意識しないことの方が
ボクはフィクションだと思うよ。
>>162 「少年ケニア」はボクは見てないけど、カドカワだからTVスポットをじゃんじゃん
流していたし、予告編は何度か見た記憶があるなぁ。確かに雑誌のイラスト
風に、線だけの白黒の絵で大蛇や象が出てきた。監督が大林だから「実験
映画」のつもりなんだろうけど、子供にはそんなことカンケイ無いんだな。
そういえば80年代のアニメ映画はよくラジオと連動して宣伝していたね。オールナイト
ニッポンの時間に特番で、そのアニメのラジオドラマと、徹夜で初回待ちしている
少年少女を実況する企画。当時、1000年女王、さよなら銀河鉄道999などが
あったと思う。今もこんなことやってんのかな?
165 :
チャッキーくん:02/03/23 21:51 ID:qOxdBR4t
本当!80年代は良かった。
レンタルビデオ屋にもけっこー海賊版が並んでて
上映中の映画をレンタルで見たなー・・・
ネバーエンディング・・、ターミネーター、
砂の惑星、グレムリン、ゴーストバスターズなどなど・・・
166 :
名無シネマさん:02/03/24 00:55 ID:HF3N8MG6
今の映画も昔の映画も面白いのは面白いしつまんないのはつまらん。
167 :
159:02/03/24 01:46 ID:xVeLc9nl
>>163 >五社英雄と山田洋次……の二人がなぜ映画を作っているのかボクにはいまだにワカリマセン。
・・・(笑)。これはなかなか辛辣なご意見ですね。五社英雄は「鬼龍院花子〜」
が当たったので、チョーシに乗ってしまったのだと思います。もともとは163さん
の指摘のとおり「人斬り」のようなヴァイオレンス or 任侠系のヒトだったんですがね
(ところでこの映画は三島由紀夫が出演していることで有名。)。ただ80
年代に多感(?)な映画ファソとして過した年代にとっては、80年代後半に
立て続けに「文芸」とヴァイオレンスを混ぜ混ぜした五社作品(と、その他。「櫂」
「薄化粧」「吉原炎上」とか)が公開されてゆくのを見て、ハァ〜 メジャー
な邦画って、こんなのばっかなのよね〜 と失望させられたことは確かです。
当時映画会社が大々的に宣伝していたのはこういう映画ばっかりでしたから
(今から考えるとこれが現在のVシネマにつながっているんですね...)
けど「序の舞」は好きだったかなぁ? 主演の名取裕子が。
あとそうですね、80年代で記憶に残っているのは篠田正浩の「瀬戸内
少年野球団」に連れられて観に行ったことですかね?これは80年代前夜
ということになるのかな?篠田正浩という人も実は70年代のATG時代
で実質終わっている人ですけど、カメラは宮川一夫だし、一応“一流の”
作品なのかなぁ...主人公が“バラケツ”と呼ばれていたりして、そう
いえばこの頃は「ダウソタウソヒーローズ」といい、同じ篠田の「少年時代」(これ
は90年代か?)といい、気の抜けた「ノスタルジーもの」も流行っていましたね...
168 :
名無シネマさん:02/03/24 20:43 ID:U3QZY9aK
169 :
名無シネマさん:02/03/24 23:18 ID:lm4vAvhD
なるほどねえ。
濃いスレですね。
80年代からのヲタクのポジショニング。
80年代の技術・・・・。
大人不在の映画ってのはやっぱマーケティングが完璧『E.T』に振り回されてるんですかね。
青臭さはあるけど、まだ資本主義未成熟の夢見れるいい時代だったのかも。
確かに70年代って言われたらヒッピーっつか全共闘っつか引きずってる雰囲気ありますし、地獄の黙示録で絞めって言われたらなるほどおと思う。
僕は中学んとき『死霊のはらわた』と『皇帝密使』の同時上映を、
友達にすっぽかされて一人で有楽町に観に行った覚えあるわ。
今まるほらんどやってるところかな?
それと、>47の映画館はもしかして、スターヲーズ2、3を同時上映してたかな。やっぱ中学の時の奴らでならんだおぼえある。
あんなお腹いっぱいって思ったことないな。
スタヲズヲタのケビンスミス僕も好きです。
このスレで何回も出てくるとは思わなかったけど。
同時代人ってこと?
170 :
名無シネマさん:02/03/25 20:00 ID:/+KNsACF
あげ!
171 :
重くてこまった:02/03/25 21:12 ID:O1FBidl5
>>165 いい発言が出ました。80年代は映画そのものが面白くて、封切館だろうが
キタナイ名画座だろうが、TVだろうが、ビデオ、それも粗悪な海賊版だろうが、
どうでもよかったのよ。画質がどうの、音がどうのなんて問題じゃなかった。
実際、ドルビーじゃない映画、劇場も少なくなかった。特に邦画は「海峡」
とか「幻の湖」のように会社が力を入れた作品(^^;)のみ4チャンネルで、大抵
は2チャンネルのノーマル録音でした。名画座ではオレンジ色に褪色して、コマ飛びした
フィルムが当たり前だったし、TVは勿論カット&吹替えだから、ノーカットで字幕、
しかも新作がビデオで見れるのは、画質が最悪の海賊版でもありがたかった。
仲間内ではあそこのレンタルビデオには、あの映画の海賊版がコソーリ置いている、
といった情報が飛び交ってたYO。
>>166 ごもっともなんですけど、ただ、いい映画にも悪い映画にも歴史ありで、
「ボク」が世界の中心にいて、「ボクの独断」でその良し悪しを決定するんじゃ
なくて、たまたまある時期、若い時分にその時代の映画と出会うわけなん
ですよね。で、ボクにとってはそれがたまたま80年代映画だったわけ。だから
80年代映画は、非歴史的にテキスト分析するような対象でも、後から本で「勉強」
した知識でもなくて、色々まとわりついてるものがあるんだな。そこらへん
のことを新鮮な気持ちで思い返してみよう、というのがこのスレの趣旨のひと
つなんです。たとえボクが「この映画つまらない」と書いていても、それは「
あの頃そう感じた」という限定付きです。ボクは90年代以降も映画見てます
けど、このスレのようなことは何も書けない。
172 :
重くてこまった:02/03/25 21:14 ID:O1FBidl5
>>167 篠田正浩の映画を見ていると、ボクはいつもマンガ、とりわけ石森章太郎の
劇画を連想してしまう。両者とも特別人に伝えたいメッセージは無く、表現形式
そのものに関心があるように見える。題材やユーモアのセンスにも共通したものを
感じますし、その涸れ方も似ている。「心中天網島」は極端なハイキーの
モノクロの画面が、映画というより劇画に近づいている。70年代まではそれでも
良かったのだけど、80年代になるとマンガそのものが世の中の先頭に立って
しまい、映画もアニメが稼ぎ頭になると、篠田は自分のこれまでの作風が
「先鋭的」では無くなったと、自覚したんじゃないかとボクは思います。
こう考えると、80年代以降の回顧趣味や藤子不二雄のマンガそのものの映画化
もわからなくはないけど、あの「無頼漢」の監督が本当にこれらの映画の
出来に満足していたのか、本人に聞いてみたい気がするね。
むしろ80年代は、篠田と同世代の大島渚と吉田喜重の映画がボクは面白かった。
>>169 そういう線引きも出来るかもしれない。神代辰巳、藤田敏八、今村昌平、
寺山修司といった人たちは80年代にも何か引きずっていたし、会社、とり
わけ東映と松竹はずっと何か引きずっていた。海外では特にニューシネマの監督
たち、ジョージ・ロイ・ヒル、ジョン・シュレシンジャー、ジーン・サック
スなどは70年代と心中してしまったような気がする。
>スターヲーズ2、3を同時上映
それはたぶん有楽町のニュー東宝シネマ1。日劇の前の車道渡った所。ボクもそれ
当時、春休みに見てます。「はらわた」と「密使」はロードショーが終わった後、
なぜかこのペアで何ヶ所かで上映されてたね。
173 :
重くてこまった:02/03/25 21:15 ID:O1FBidl5
前に話題に出たジェニファー・コネリーとロン・ハワードが揃ってオスカー受賞!とにかく
ワショーイ、だ!80年代世代は意外にシブトイ。(`・ω・´)シャキーン!
それはともかく、あたかもこのスレと連動しているかのように、(^^;)
4月にテレビ東京でジョン・ヒューズ特集があります。すてきな片思い、ときめき
サイエンス、ブレックファストクラブ、フェリス、プリティインピンクが放送予定。「恋しくて」が欠け
てるのが不満ですが、未見の人はあまり期待しないで、とりあえず見てみそ。
4月は他にも80年代映画が何本かTV放映されますが、アルトマンの「フール
フォアラブ」は必見。「ジェニファーの恋愛同盟」は未見だったのでチョト楽し
み。(^^)
174 :
名無シネマさん:02/03/25 21:18 ID:Fr/8cq73
山田洋次は私も嫌いだけど「息子」と「故郷」はよかった。
とくに「故郷」の船がかたむくところ。
175 :
167:02/03/26 00:27 ID:HPWmGSAS
>>172 篠田正浩がマンガですか、、、いや何となくそれも分からなくもないですが
その“マンガ”という言葉にどういうコノテーションを滲ませていらっしゃるのかが、
イマイチちょっと。確かに「心中天網島」のコケ威しのようなライティング(わざ
わざ暗闇の中に人物を置いて強烈なバックライトで浮かび上がらせるとか)
と、演出というのは何か滑稽なものを感じさせるに充分ですが(今見れば)、、、、
メッセージが無い? 映画におけるメッセージとは一体何でしょう? 物語の枠組み
の中から無意識に浮かび上がらせる倫理性みたいなもんでしょうか?
176 :
167:02/03/26 00:29 ID:HPWmGSAS
総じてATG関係の作家の作品は、「形式」の問題に敏感だったと思い
ます。彼らの意識では映画の「形式」を変革することが、ひいては映画そのもの
を変革することに為ると考えていたんでしょう(それはフランス・
ヌーベルバーグも似たようなものだったと思う)。ぶっちゃけた話、
「見かけ」が違う映画を撮れば、観客の見る意識も変わるし「映画」に対する社会の態度も変わる、と。
意識の異化作用を強要する「形式」そのものが、社会的プロテスト
に繋がると考えていたんだと思う。
映画に関する「様式美」というのが話題になるのもATG作品の一つの特徴だった
ですよね...(大島渚にせよ吉田喜重にせよ。その意味では石ノ森章太郎の
劇画には「様式美」があり、藤子F不二雄のマンガには様式美は無かった......のかな?)
いずれにせよ、80年代は保守的な時代であり、これらの「様式美」という
のは必要とされなくなった(今、私が「滑稽だ」と感じるような感性ですね)。
そういう意味では篠田も大島も吉田もダメになってしまったと言えると思いますね。
80年代には決定的に何かが欠落していると思います。安易に「資本主義未成熟の
夢見れるいい時代」で斬って棄てられないような、本質的な何かが。
それは実質上、今でも続いていると思います。
>>171 >だから(171さんにとって)80年代映画は、非歴史的にテキスト分析する
>ような対象でも、後から本で「勉強」した知識でもなくて、・・・
ここらへん賛成です。どの世代にも一つはそういう青年期における刷り込み
のような映画体験ってありますよね?
178 :
名無シネマさん:02/03/27 18:39 ID:uvn2JijG
age
179 :
重くてこまった:02/03/27 20:20 ID:GmYk/7Y6
>>174 いや、ボクは山田洋次を全否定しているんじゃなくて、「故郷」は70年代で
「息子」は90年ですけど、80年代はどうだったかという話なのよ。「知床慕情」
には別の楽しみがあるけど、キネマの天地、ダウソタウソヒーローズ、その他の寅さん
を80年代に見てどう感じましたか?ということです。
>>175-176 80年代は、多くの若者を「現代思想」にかぶれさせ、無駄に時間を過ごさせ
た点で罪深いなと、かつての「患者」のボクは思いますけど、しかし、80年
代は引きずらない世代でもあるので、このスレでは記号学の用語はNGワード
です。(^^)篠田映画のメッセージうんぬんという話は文字通りのことで、
松竹ヌーベルバーグで篠田映画だけがオリジナルシナリオじゃないんだよね。大島、吉田
のように理論的なバックグラウンドを感じさせないで、画面構成の奇抜さを
純粋に楽しんで作っている人のように思えたんだな。
180 :
名無シネマさん:02/03/27 20:21 ID:GmYk/7Y6
Ю)__)
|´ー`| (´∀`;)....ヤッターカミガアターヨ
~~~~~
____
Ю)__)
|終了|
|´ー`| ....(;´Д`)イヤァァァァッ
181 :
重くてこまった:02/03/27 20:21 ID:GmYk/7Y6
やっぱり80年代日本映画のことを考えると、チト鬱になるなぁ。(^_^;)
(余談だけど、当時の映画祭で「ウツ」っていうニュージーランド映画が上映
されてるんだけど、見てる人います?マウリ語でウツ=復讐らしい…。)
で、80年代にボクが最も感動したのが、シネヴィヴァンの一連の映画。初期の
は全部憶えてる。パッション、コヤニスカッティ、ヴァーリヤ、ノスタルジア、カルメンという名
の女、特別な一日、ラパロマ、ミツバチのささやき、カオスシチリア物語、エルスール、
トスカの接吻、シテール島への船出、ピクニックatハンギングロック、ある女の存在証明、
フォルスタッフ、ラルジャン…。初めて行ったのはコヤニスカッティの時。地下鉄日比谷線
六本木駅を表に出て1〜2分。六本木WAVEの階段を地下に降りた所。
黒い壁に暖色照明、奥にはバーがあって初めて来た時は映画館とは思え
なかった。当日の半券も水色のペラペラのじゃなくて厚紙のオリジナル。
番号が降ってあって、入替えの時に使う。ロビーの真ん中にある柱には、
中にパンフレットのバックナンバーが飾ってあって窓口で買えた。客席は173席。
長方形のシネマスクエアより小さい感じだけど、その割にはスクリーンサイズが大きか
ったと思う。
182 :
名無シネマさん:02/03/27 20:46 ID:Aao3Jq48
重くてこまったさんはシネ・ヴィヴァンでやった
アラン・ロブ・グリエ映画祭には行きましたか?
183 :
重くてこまった:02/03/27 20:49 ID:GmYk/7Y6
184 :
名無シネマさん:02/03/28 11:41 ID:DrLIydNU
すごい濃いスレですね、ここ。
私は39歳のオヤジなんで、80年代、懐かしいです。
シネ・ヴィヴァンにはホント、何十回も行ったな。
あそこのパンフ、たくさん持ってる。
映画の本も読みまくったけど、個人的には
淀川長治・蓮実重彦・山田宏一による『映画となると話はどこからでも始まる』
っていう本がバイブルだった。特にあの本の中の蓮実の
「とりあえずのベスト160」ね。あそこに挙がってる映画が都内のどこかで
かかると、必ず観に行ったなあ。
最近名前の聞かない人、例えば「山の焚火」のフレディ・M・ムーラーなんて
どうしてるんだろ?
185 :
名無シネマさん:02/03/28 20:45 ID:z43sfZrQ
>>183 いつごろと言われても…、
シネ・ヴィヴァンがオープンして2、3年後ぐらいじゃなかったかな?
よくわかりません、メンゴ。
186 :
重くてこまった:02/03/28 21:58 ID:0j23xVRj
>>184 >あそこのパンフ、たくさん持ってる。
シネヴィヴァンのパンフは高かったけど、良かったですね。岩波のパンフは映画の方
に話がいかないで、「歴史の勉強」になってしまうし、シネマスクエアのパンフは雑談
調だったけど、シネヴィヴァンのパンフでボクは映画そのものの楽しみ方をカナーリ
教わった気がします。
>『映画となると話はどこからでも始まる』っていう本
あのベスト100はヒドイと思った。3人とも余裕で100本越えてるのはさて
おき、当時の日本じゃ、まず見れないものばかり並べてるんだから。
その後15年で、日本の環境もがらっと変わって、ボクも随分みましたけど、
いまだに見れないものもけっこうあるんだよな〜。
>フレディ・M・ムーラーなんてどうしてるんだろ?
ムーラーの10年ぶりの新作「最後通告」が、おととしの夏、ユーロスペースでやったん
ですよ。寓話的な話で、やはりここでもスイスの山の焚火が出てきて、ムーラー
健在でした。(^^)この後アメリカでリメイク版が作られたって話も聞きましたよ。
>>185 シネヴィヴァン初期3〜4年のプログラムが181に書いたもので、あと「山の焚火」が
抜けてますけど、他に番外で「人生案内」「パーマネントバケーション」「天使」と題名
忘れたけどもう1本。それからイタリア映画祭かなんかがあって、でもロブグリエ
はボクはここで見た憶えがないなぁ。
187 :
重くてこまった:02/03/28 21:59 ID:0j23xVRj
地方の人だと「六本木」と聞いて、どんなイメージを浮かべるか知らないけど、
交通のアクセスが悪くて陸の孤島のような場所だったし、シネヴィヴァンの正面は
首都高が立体で走って、実に殺風景なんだな。でも80年代の一時期、ここ
が聖地だった。映画の時間まで近くの青山ブックセンターの映画本コーナーに行って、
何か新しいものが入っていないか、覗くのも楽しかった。
シネヴィヴァンは客層が良かったのか、ボクはここで不快な思いをしたことが一度
もありません。子供が走りまわったりとか、ヘンなやつと遭遇することも無
かった。
181で書いたものの後も、緑の光線、ザデッド、数に溺れて、童年往時などが
あって、ずいぶん通ったけど、80年代末くらいから同時代のびっくりする
ような新作はだんだん減ってきて、90年代になると「聞いたことはあるけど
見たことはない」映画が中心になった。例えば「狩人の夜」や「アタラント号」、ベッケル
、パラジャーノフ、カサヴェテスの特集上映などをボクは見ましたが、あまりここには
行かなくなった。どういう事情があるのか知らないけど、初期シネヴィヴァンの
ソフトがそっくり有楽町のシャンテ・シネ2に移動したような雰囲気があって、
「マルメロの陽光」もアンゲロプロス、ジャームシュ、ベンダース、グリーナウェイもみんなシャンテで
上映されたから、ボクはそっちに入り浸るようになった。でもシャンテはなんだか
お上品なんだよな。ボクは84〜86年ころのシネヴィヴァンが大好きでした。
>重くてこまった さん
う〜ん、あなたの書き込みは脳に刻まれている追憶の襞をやさしく
摩られるようで、陶酔感さえ感じさせられます...
映画館としてのシネヴァンは館内の横幅が広く、シャンテ・シネより
客席の勾配が緩やかで、座席は豪華な青色のソファみたいでしたよね。
席と席の間隔はゆったりしていて、混んでいても、いつもゆっくり映画が
観られたような気がします。それに比べるとシャンテシネは、山岳地帯みたいですからねぇ。
六本木WAVEの正面入り口脇の、何やら隠れ家的なBarへと
続くような階段を、劇場入り口までジグザグに降りてゆくのも何とはなしに
ワクワクする気持ちもありました。入れ換えのための点呼を待つ時間に
館内のポスターをぼんやり見たりとかね。何度、客席に通じるカーテンをピラとめくって中の上映を確かめたことか!
残念なことに、私はここでは'90年代の作品を観ました。J.リヴェット、デプレシャン、
Ph.ガレル etc.etc.......
やはりフランス映画が多かったですね...同じような雰囲気を持ったミニ・シアター
というのは、今でこそ各所にありますけど、「あの」映画館が無くなって
しまったなんてほんと信じられません。シャンテシネは日比谷という場所柄
確かにお高くとまった感じはありますが、ただ僕には日比谷、という場所自体に
意外と思い入れがあるので映画は見なくてもあの場所には行ったりしたかな...
(ちょっと気取りすぎだね、sage。)
189 :
111:02/03/29 00:53 ID:xW0DQ3x/
シネヴィヴァンはスクリーンの位置がやけに低かったですよね。
床がピカピカの板張りでスクリーンの映像が反射して床に映っていました。
エリック・ロメールの作品はシネヴィヴァンでしか上映されなかったので閉館した
後どうするのだろうと心配してしまいました(『恋の秋』はシャンテで上映されてホッ)
途中というか後期リニューアルされて椅子にカップホルダーが付いた時は驚きとともに
嫌な予感がしましたが・・・やはりというか残念でした。
190 :
名無シネマさん:02/03/29 16:37 ID:z7zC6WRD
あげ
191 :
186:02/03/29 17:33 ID:ENW02F8p
186です。
重くてこまった さん、丁寧なレス、ありがとうございます。
80年代のシネヴィヴァンは、東京じゅうでいちばん好きな映画館でした。
スノッブだろうが、おフランス野郎と言われようが、お構いなし。
あそこのウィンドウのポスターを覗いて、「おっ、またロメールの新作だア!」なんてね。
先に整理券をもらって、入場まで青山ブックセンターで過ごし… ってのがパターンでした。
つぶれた時は、すごい悲しかった。
ところでぜんぜん話は変わりますが、モレッティの『親愛なる日記』を観ていて、
画面にジェニファー・ビールスが出てきた時には、一気に80年代がフラッシュバックしました。
出演してるモレッティ本人も、「フラッシュダンス!」と絶叫してましたが
僕も心の中で叫びました。たいした映画じゃないかもしれませんが、
ジェニファー・ビールスって、僕の中では「ザ・80年代」って感じなのです。
長文、すいません。こんなことばっかり書いてたら、ホント、若い人がひくよなあ(笑)。
192 :
↑ 間違えた。:02/03/29 17:36 ID:ENW02F8p
すいません、間違えました。
186は 重くてこまった さんでした。
僕は 184です。
193 :
重くてこまった:02/03/29 19:45 ID:WaQ0MyB2
とうとうビリー・ワイルダーが逝ってしまった。81年の「バディ・バディ」を
最後に引退表明をしたという話を、ボクは当時雑誌で読んでいて、80年代
にはすでに過去の人だった。しかし小津や溝口のように遠い昔に死んでし
まった人と、「同時代に生きていた人」とでは作品に対する印象も変わって
くるし、当然生きている人にはより親しみを感じる。80年代はワイルダー再
発見の10年であると同時に、反ワイルダーの抵抗勢力が跳梁した時代でもあった。
もちろん抵抗勢力の親玉はハスミだ。何かにつけワイルダーを貶していて、
おおっぴらにワイルダーが好きだと言いづらい雰囲気を作っていた。しかし
最早そんなことはどうでもいい。ここでは80年代にワイルダー映画がどのよう
に再登場したか、振り返ってみたいと思う。
194 :
重くてこまった:02/03/29 19:46 ID:WaQ0MyB2
ボクが初めて見たワイルダー作品は83年の「ノーカット10週」で放送された「あなた
だけ今晩は」と、テレ東の「アカデミー賞特集」で放送された「失われた週末」。
それまでワイラーと区別が付かなかったのだけど、これではっきりワイルダーの
名前を憶えた。この当時日本でハリウッドのクラシックはなかなか見れなかったの
だけど、83〜85年頃文芸座ルピリエとACTミニシアターで、サンセット大通り、七年目の浮
気、フロントページ、麗しのサブリナが上映されているのを、ぴあで発見して
大興奮して見に行った。又名画座では「悲愁」がよく上映されていたけど
唯一これはガッカリしたな。84年には有楽座の「さよならフェスタ」で「翼よ!あれが
巴里の灯だ」が上映され、このプリントはその後も名画座で「ライトスタッフ」と二本立
上映されたから、これも当然見た。この年の暮れには「NHK世界名画劇場」で
「アパートの鍵貸します」が放映。ビデオに撮って何度も見たゾ。
195 :
重くてこまった:02/03/29 19:47 ID:WaQ0MyB2
85年になるとヘラルド・クラシックがどどっと上映される。三百人劇場の「情婦」を
皮切りに、お熱いのがお好き、恋人よ帰れ!わが胸に、失われた週末、
アパートの鍵貸します、サンセット大通り、麗しのサブリナが上映された。ただし、
これらは「ワイルダー特集」としてではなく、あくまで「古い名作の一本」や「ヘップ
バーンの映画」であって、ワイルダーがきちんと評価されていたとは思えない。
88年に大井ロマンが大井武蔵野館に名前が変わって、「第十七捕虜収容所」と
「第27囚人戦車隊」の二本立があったけど、これダジャレじゃん。
ビデオではなかなか出なくて、86年頃初めて七年目の浮気と第十七捕虜収容
所が出たくらい。89年になってやっと、和田誠パッケージデザインのビデオが
どどっと出た。
TVでは主に深夜放送のカット版でサンセット大通り、お熱い夜をあなたに、シャーロック
ホームズの冒険、お熱いのがお好き(愛川&広川)、翼よ!あれが巴里の灯だ
等があったな。
80年代末にはアカデミー特別賞受賞があったりして、でもワイルダーの全作品を
見たのは、ついこの数年、WOWOWの放送でだった。
一気に書いたけど…しかし鬱だな…今晩はワイルダーの映画、ビデオで見直
すことにするよ。
196 :
名無シネマさん:02/03/29 20:16 ID:kysJcs1a
有楽座のさよならフェスタで思い出したけど
渋谷パンテオンで『クレオパトラ』見た記憶がある。
そのとき昔の大作・名作を一挙上映していたような…。
さよならフェスタと関係あるのかな?
有楽座では『レイダース失われたアーク』とか『未知との遭遇・特別編』
見た想い出あり。
『ポルターガイスト』は確か日比谷スカラ座だったよね?
197 :
名無シネマさん:02/03/29 22:00 ID:E6upLFrz
スピ公のせいで鬱な10年間だったな。
198 :
名無シネマさん:02/03/30 03:07 ID:WKcqBREK
>>193 そうそう。ハスミは基本的にルビッチ派の人でしたからね。
私も銀座文化とかで「昼下がりの情事」などのヘプバーンもの、
ヘラルドクラシックのシリーズが掛かったときは、出来るだけ行ってました。
>>195 ダジャレといえば、
「第十七捕虜収容所」には「オフサイド7」という作品があって、
そこに出てくる収容所の名前が“Stalag 7”(笑)。往年のウィリアム
ホールデンがカメオで登場してきて、エリオット・グールドかなんかが
「あれ、あんたまだ居たの?」とかと声をかける。あれは可笑しかった。
199 :
93,94:02/03/30 11:43 ID:iL0n4vxA
ビリー・ワイルダーかぁ。
「サンセット大通り」が有名な割には昔は中々見れなくて、唯一
ACTミニシアターでやってたので見に行ったクチです。わたしも。
「アパートの鍵貸します」の巨大なオフィスの場面は
「未来世紀ブラジル」のそれよりも迫力があって好き。
(たぶん「ブラジル」は「アパート」を参照しているんだろうけど)
ビリー・ワイルダーもウィリアム・ワイラーもシリアスな
テーマを重々しく、ある意味わかりやすく描いてて、そのへんが
ハスミンとかにはウケが悪いのかなあ。
あとハスミンには鬱な50年代ハリウッドでちゃっかり活躍してたり。
ルビッチのほうがいい、って云う方がなんか洒脱で洗練されてる感じはするし。
でもまあ人それぞれ。
"Nobody's Perfect."ですな。
200 :
名無シネマさん:02/03/30 18:09 ID:hudkGHtA
200げっとずさー
201 :
重くてこまった:02/03/30 19:08 ID:JLwJAh8P
>>188-189 シャンテはボクにとっては、90年代に「すでに知っているお気に入りの映画作家
の新作を追いかける場所」でした。80年代に見たのはこけら落としの「グッド
モーニングバビロン」と2本のベンダース作品、「恋恋風塵」くらい。「悲情城市」から
「戯夢人生」まではパンフがほぼ連番で手元にあるんで、やっぱり90年代だな。
「アブラハム渓谷」とか「あこがれ美しく燃え」とか、いい映画がたくさんあったけ
ど、80年代シネヴィヴァンで感じた、何か目の前がぱーっと明るく開けたような、
「何だかわからないけどスゴイ!」という感触は殆ど無かった。
だから、あの傾斜が落ち着かないとか、時間差で2回ある開始ベルがまぎらわ
しいとか、チラシが少ないとか、つまらないボヤキも口を出たりして。
ところで、シネヴィヴァンのラストショーは何でした?ボクが最後に行ったのは
ソクーロフの特集で、その後は行ってないんです。
>>191 >モレッティの『親愛なる日記』を観ていて
なぜかローマの街中にジェニファー・ビールスと(本物の)だんながいて、言葉が
わからなくて通訳するんだよね。「親愛なる日記」には80年代が過ぎた後
の希薄な緩さが漂っていた気がする。エッチェ(・∀・)ボンボ! って知ってます?
モレッティの「青春のくずや」。これはもっと古い映画なのに、90年頃上映され
て、なぜかあの頃にぴったりの緩さがあった。
202 :
重くてこまった:02/03/30 19:09 ID:JLwJAh8P
>>196 「クレオパトラ」もさよならフェスタの1本だったけど、パンテオンでもやってた?
有楽座では他にアラビアのロレンス、王様と私、風と共に去りぬ等の長編の
大作、日比谷映画では第三の男、レベッカ、リオブラボー等が二本立で上映
されてたね。料金が少し低めで、ボクは回数券で見た憶えがある。
劇場では「お宝放出」があって、古いポスターなんかも買い込んだよ。
>>197 他の映画は何も見なかったんですか?
>>198 あの「昼下りの情事」のリバイバルはひどかったね。異常にフィルムの粒子が粗く
て、ハーフトーンがとんじゃってた。そういえばこのクラシックシリーズは、総じてプリ
ントの状態が良くなかった。「大いなる西部」はスタンダードサイズだったし、モノクロ
作品はフィルムセンターで上映される映画のようにコントラストがはっきりしないで、
もや〜っとしていた。それでロードショー料金を取られるんだから、だんだん
感動もぼやけてきたな。ただあのときの復刻版パンフはチョトうれしかった。
203 :
重くてこまった:02/03/30 19:10 ID:JLwJAh8P
>>198 >「オフサイド7」という作品があって、
70年代末から80年代頭にかけて、アメリカ映画(オフサイド7はイギリスだけど)には
その手の「懐古パロディ」映画が多かった。名探偵登場、フライングハイ、ファール
プレイ、新サイコ、ケンタッキーフライドムービーなど。スターウォーズもそうした1本と言える
かもしれない。ボクはTVの洋画劇場で見た口だけど、何しろ元ネタを知らな
いんだから、面白くも何ともなかった。ジョーズやブルースリーのパロディという
のはわかるけど、ワイルダー見てなかったもんなぁ。英米では70年頃から旧作
を見直そうという雰囲気があって、AFI功労賞が出来たりしていたから、
若い人間でも70年代末にそういう映画を楽しめる素地が出来ていたんだ
ろね。
>>199 当時「月の輝く夜に」を見た時、ビリー・ワイルダーだったら、あの家族
が街中でばったり出くわす場面や、シェールとニコラス・ケイジのベッドシーン、犬を
連れたじいさんが出てくる所、シチリアのおっかさんが出てくる所、オペラ座
の場面等にギャグを詰め込んで、もっと面白くなっただろうなぁと思って
残念だった。現役の映画屋さんにはワイルダーをうまく真似て、面白い映画を
作ってホスイです。ホント。たんに「SHALL WE ダンス?」の路線でやればOKってわけ
じゃなくて。
>>200 即死スレかとオモタけど、意外に続いてるね。(^^)
204 :
204:02/03/31 12:15 ID:hzTaLhGf
204ゲトズッザー!!
205 :
名無シネマさん:02/04/01 18:36 ID:MbGhmdgA
ハスミンネタはもう出てこないのかな
206 :
名無シネマさん:02/04/02 21:33 ID:J03zFmna
あげとくぞう
そろそろ飽きてきたかの?10年分のおもひでをコンプレスしてるから、ネタは
まだあるんだが、新年度なのに後ろ向きの話ばかりというのも、自分で
書いててイタイね。(^^;)
208 :
名無シネマさん:02/04/03 20:11 ID:opQ5A99N
メナハムゴーランだったか。
「悪魔のいけにえ」の続編、ゴダール作品にウッディアレン出演、
映画ファンの夢を次々実現.......
でも出来は なんだかなあ.......みたいな。
209 :
名無シネマさん:02/04/05 01:24 ID:0aHsG+Yq
キャノンフィルムのおかげでチャールズ・ブロンソン、チャック・ノリス主演作が
数多く作られ、忍者が有名になり、スーパーマン・シリーズに終止符を打ち、
ゴダールがドルビーで映画を撮った。
ウルトラステレオも懐かしい。
あまりに豊かで自足していると、他人は眼中に無くなってしまう。海外に
流通しなかった「日本的」な映画の正体は、実はそんなものじゃないか?
実際「寅さん」は外国では評価されていない。
イスラエル出身で独立戦争にも参加し、英米で映画を学んだメナヘム・ゴーラン
の映画は、何とかして話が通じない「他人」と言葉を交わそうとする、
手を変え品を変えの、必死のボディランゲージのような気がするな。
だから、そこに登場するのがニンジャだろうと地底人だろうとかまわないし、
「芸術家」的なプライドなんて必要ないんだと思うよ。
こうした姿勢が、常に「香港の存在」を意識せざるを得なかったレイモンド
・チョウと共通しているんじゃないかな。
211 :
名無シネマさん:02/04/07 00:12 ID:7ejvmyAU
なるほど。
212 :
名無シネマさん:02/04/08 21:13 ID:zfvfFFM3
伊丹の『タンポポ』は海外で人気あったみたいだけどなんでかな?
>>212 「誰もが関心がある食べ物の話題」を扱った「面白い風刺喜劇」、というのが
アメリカでの評価のひとつ。フランスでは伊丹が監督、脚本、製作を担当している
ことによる「首尾一貫した作家性」や「理路整然とした構成」、「啓蒙的な
内容」、などが評価されちょります。要するに誰が見てもわかりやすい
映画なんだろね。
214 :
名無シネマさん:02/04/08 23:57 ID:EkqWWBaM
>>209 キャノンフィルムいいねー。
80年代はよく地方公開のみの作品ってあったじゃない
東京で“レーザーバック”が打ち切りになって
“地獄のヒーロー”が公開されたときはうれしかったよ。パンフも売ってたし、
あと“テキサスSWAT”を新宿ローヤル(現バーニーズNY)で観れたのも
いい思いでだね。ここは地方公開作品をよくやる名画座だった。
215 :
名無シネマさん:02/04/09 21:27 ID:50U//kxt
「フォー・ルームス」のホテルは、
かつてハリウッドスター御用達の名門だったけど
今ではキャノンフィルムしか使ってくれないとこまで落ちぶれた
という設定だったね。
216 :
名無シネマさん:02/04/10 20:47 ID:UGiyJjaX
あげ
217 :
名無シネマさん:02/04/11 17:39 ID:8V/eVgfb
もわ〜ん
218 :
名無シネマさん:02/04/12 21:32 ID:jz9THfAO
軽くてよかった
219 :
名無シネマさん:02/04/14 02:52 ID:Dg+wwCPy
最期のage
220 :
名無シネマさん:02/04/16 01:26 ID:O9qEDoXS
『セント・エルモス・ファイアー』よりデミ・ムーアのセリフ
「私は80年代の女よ。」
age
奇妙なことに80年代アメリカ映画には、あちこちに「5人組」の小集団が
現れるね。「喝采の陰で」のアル・パチーノには5人の子供がいる。「ブレック
ファストクラブ」は5人の生徒の話、「ホテルニューハンプシャー」にも5人兄妹が、「ダイナー」
も「ファンダンゴ」も5人の仲間の話。「セントエルモスファイヤー」で事故ったロブ・ロウの
ところに集まるのは5人の友達だった。そして「5人のテーブル」があって、
「スタンドバイミー」も「5人目」を探す旅、とこじつけられないこともない。
他にもあるかもしれないけど、80年代以前にこんな設定の映画はあまり
思い浮かばないな。70年代は「二人組」が多かったし、90年代以降は「ホーム
アローン」に代表されるように、孤独なものが多い(中国では90年に「五人
少女天国行」ってのがあったが)。80年代映画には「懐古的」な作品も多い
けど、実際の50〜60年代映画で「小集団」が描かれるとき、必ず強力に
敵対する別の集団が登場していたよね(例えばウエストサイド)。ところが80
年代映画では敵対集団はそれほど重要じゃなくて、その仲間内の離合
がメインテーマになっているように見える。
これは単なる流行とかパクリ企画という以上に、80年代映画の特徴のひと
つのような気がするな。
222 :
ジョニー5:02/04/19 02:10 ID:utXVWc/G
世間一般的にも80年代ブームなのか?
池袋シネマ・ロサのレイトショーで20日から週替わりで
『セント・エルモス・ファイアー』
『ゴースト・バスターズ』
『ベスト・キッド』
『バーディ』
が上映されますね。
223 :
名無シネマさん:02/04/19 02:12 ID:P5s0ue77
>>222 この中での順位は
1位ベストキッド・ダニエルさん
2位セントエルモス・H撮られたロブ
3位ゴーストバスターズ・つまらない
4位バーディ・ごめんマシュー見てない
そういやあ、今「ブレックファスト・クラブ」やってんじゃん。
ジャド・ネルソンって、いい俳優だったな・・・
225 :
名無シネマさん:02/04/19 20:40 ID:NZCMeAAQ
age
227 :
重くてこまった:02/04/21 14:51 ID:Au5dCaZp
BSで放送された「がんばれベアーズ大旋風」を観た。ラストの草野球のロケ地は
西新宿だな。90年頃に新都庁舎が建つまで、あの辺一帯は空き地だった
が、80年代にはイベントスペースとしても使われていた。それで思い出される
のが84年にあそこで開催された「日米大ロボット博」。TVスポット等で大宣伝
する、フジテレビがらみの典型的なインチキイベントで、当時ボクは新聞屋経由で
タダ券を貰って行ってみた。
このイベントのウリは、SWのC3POとR2D2、禁断の惑星のロビー、宇宙家族ロビンソン
のフライデー、メトロポリスのマリア、ギャラクティカの敵のロボット兵、76年版実物大キング
コングなどがやってくる!というものだったのだが…。現場は砂利敷きの
だだっ広いオープンスペースの片隅に、あやしげな即席のパビリオンが5〜6軒
建っていて、その周辺に縁日のように屋台が軒を連ねている。親子連れ
が多くて子供が走りまわっているという光景は、なんだかイメージが違う
な…。気を取り直してパビリオンに入ると、薄暗い中にレーザービームのイメージの
照明が飛び交い、インチキ臭い音割れした大音量の効果音が鳴り響いている。
で、お目当てのロボットはと言うと、これが映画で見たものと違うのだ。
つまり実物のプロップじゃなくて、どれもこれもレプリカらしい。しかもカナリ
出来が悪い…。ナンダコレハと思いつつ他のパビリオンをまわるが、現在とは
比較にならない位低レベルの産業用ロボットが陳列されているだけ。これじゃ
秘宝館の方がずっと楽しいゾ。手足を定期的に動かすだけのマリリン・モンローの
「ロボット」が妙に物悲しい…。
表に出ると、真昼の新都心は遮蔽物が無く、照り返しに陽炎がゆらめい
ている。脳が溶けそうなくらい暑い夏だった…。でも夢はあったあの頃。
228 :
名無シネマさん:02/04/22 19:57 ID:ShELWI50
80年代というのはスターウォーズなどのSFX映画黄金時代で
映画的には心に残るものはないような気がします。
やはり70年代がいいのではと思います。
229 :
名無シネマさん:02/04/24 21:44 ID:aY6Txalb
80年代に見た心に残る映画は、実は70年代の映画だったりするんだよな。
230 :
名無シネマさん:02/04/26 21:28 ID:F/6LJb4q
今だ!230番ゲットォォォ!!
´´)  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄
)´⌒´) ( ∧∧
≡≡≡:::⌒´)≡≡≡⊂'⌒⊃゚Д゚)⊃
::⌒´)⌒´)  ̄ ̄
ズザーーーーーッ
231 :
90年代が:02/04/27 20:36 ID:lv0LJYAO
∧_∧
キタ━━━━━━━.( ゚∀゚ )━━━━━━━━━!!!!!!
_,i -イ、
(⌒` ⌒ヽ ∧_∧
∧_∧ ヽ ~~⌒γ⌒) キタ━( ゚∀゚ )━!!!
キタ━( ゚∀゚ )━!!! ヽー―'^ー-' _, i -イ、
_, i -イ、 〉 | (⌒` ⌒ヽ
(⌒` ⌒ヽ / | ヽ ~~⌒γ⌒)
とっくのむかしに終わったじゃん。
映画の90年代って、何があったのさ。
…何があったかな。何もなかったのか?
233 :
名無シネマさん:02/04/27 22:09 ID:m350eHnw
それはおれも知りたい。誰か90年代総合スレたててくれよ。
234 :
名無シネマさん:02/05/02 19:13 ID:QrYQPqdF
235 :
名無シネマさん:02/05/03 03:47 ID:K+4sHvB3
私は88年には中学1年だったんですが、重くてこまったさんがこのスレの最初にまとめて下さった作品を
ほとんど映画館で観ていました。いつ観たのかなんて忘れていたのですが、わかってとっても嬉しかったです。
一番いろんなモノを吸収する時期に出会った映画たちは、私の心の宝でもあります。
どうかお仲間に加えてくださいませ。
帝都物語は角川文庫から出ている原作を夢中になって読みました。
全12巻あるうちの、本編11巻(12巻目は番外編)をそろえて並べると
背表紙全体で”帝都物語”と読めるようになっていてすごく嬉しかった記憶があります。
映画を観た後(映画公開時は小6でした。)に、母親にねだって頑張って買い揃えました。
同じく小6のとき、文部省選定というのでアニメの”源氏物語”も観に行きました。
CGを使って清涼殿なんかを描いたり、実際の人間に十二単着せてポーズとらせて作画したってパンフにありました。
最後に源氏が舞を舞いながら宇宙まで行ってしまう描写は、小学生にはスケールが大きすぎましたが。
原作にはない設定もありましたし。でも原画は林静一、音楽は細野晴臣がやっていて、美しかったように思います。
あと、たぶん88年だと思うのですが、有楽町にパラジャーノフの
(どこの映画館だったんでしょう?パラジャーノフ祭と銘打ってやっていたはず)
”アシク・ケリブ”を観に行きました。
”AKIRA”を観た時は、金田君の動きがどうもゆっくりに見えるなーと思ったら
セル画の枚数がそのころのアニメにくらべて何倍も多いってパンフに書いてあった気がします。
サントラも買いました。芸能山城組はホント、中学生にはびっくりだったなあ。
シネセゾンに”蝿の王”を観に行ったり(ゆっくり足がおりてくるあのオープニングの映像は、今でもたまらなく好きです。もちろん原作も。)
とっても綺麗な有楽町マリオンで”ミッドナイト・ラン”観ました。”ロケッティア”はどこで観たんだろう?
新しくて真っ赤な椅子に座って、ポップコーンとジュースを持って。
映画が大好きになったのってこのころだわー。
高校生のときに、美大受験用の予備校の授業で”コヤニスカッティー”と”サクリファイス”と
”ケルティック”のビデオを観て、とても衝撃を受けました。
観せてくれた先生たち、感謝します。
そういえばだいぶ前にあったんですが”自転車吐息”について。監督の園 子温さんは、”東京ガガガ”というデモを行ったりしていた方ですよね?
たしか高校生のときに、自分のまわりで話題になっていたように思います。
私このスレ大好きです。どうかageてて下さい。
どんどん遡ったり、先へ続いたりもしてほしいです。。。
一気にいっぱい書いちゃってごめんなさい。逝きます。おやすみなさい。
236 :
235:02/05/04 23:40 ID:STikhwly
私が幼稚園生と小学生のときが80年代ですので
80年代初頭の池袋の話をさせてくださいな。
ここのスレに来る方は80年代初頭は中学生以上だった方が多いのですよね?
息抜きにしてくださいませ。
当時の私の日曜の娯楽は、住んでいた場所から近かった池袋へ父と映画を観に行き
そのあと大きな公園(三次公園といったかな)へ、ボートを乗りに行くというもの
でした。
当時大きな映画を扱う池袋の映画館はあまり綺麗ではなく、色々な人が集う
まさに庶民の娯楽といった感じのものでした。
私の父も含めて、アーノルド・パーマーやマンシングウェアの服着てたおじさんが
多かった気がする。襟のかたい綿シャツにスラックス。冬はその上にセーター。
タートルネックは、とっくりと呼んでいましたし。
当時私が観る映画といったら”ドラえもん””怪物くん””パーマン”
”忍者ハットリ君”などの二本、三本立てや”火の鳥鳳凰編”と”時空の旅人”の
二本立てなどのアニメばかりでしたが、とてもにぎわっていたように思います。
”火の鳥”を観に行った時(この時はガラガラだったかも)の映画の予告では
”海ゆかば”なんかをやっていて、軍服姿の沖田広之がものすごくカッコ良く見えて
ドキドキした事を(父には言えませんでしたが)覚えています。
”アラレちゃん”を観に行った時は同時上映がシブガキ隊の映画で(シブガキ隊が
ピザ食べてるシーンしか思い出せない。アラレちゃんはパンフにお面のオマケが
ついていた。)
同じ映画館の中が子連れ家族かギャル(と世間から呼ばれていた方々)の
どちらかしかおらず、子供心に正直びびりました。
私が定期購読していた学研の本ですごく宣伝をしていてノセられた”南極物語”
を観に行った時のこと。(大人になってからこの映画に学研が絡んでいたことを知り
私はちょっと憤慨した。)
朝一番の回に間に合うように車を出したにもかかわらず、満席で腐った私たち親子は
その隣のとても小さな映画館でやっていた”プロ野球を10倍楽しく見る方法”を
観る事にしました。
しかし、当時ヤクルトには安田、中日には宇野がいたので意外にも面白く
爆笑して帰りました。
(父は巨人ファン、私は和田の登場により、父に隠して阪神ファンだった。)
日曜の池袋で映画が映画だったこともあり、客層がかなりアヤシイおじさんたちで
占められていて、私たち親子はかなりおののきながら劇場を後にしました。
帰りに東武デパートの旭屋書店へ寄り”南極物語”関連の本を探して
写真も載っている脚本を買い、車の中で読みながらところどころのセリフを暗記して
観てもいないのに父と二人で高倉健と荻野目慶子のモノマネの練習をしました。
(ちなみに私と父が練習したセリフは『リキを返して!』と『すみません。』)
家へ帰ってから、母には二人で嘘をついて”南極物語”は面白かった、感動したよ
と言い、練習の成果を食卓で披露しました。
その後私が再び池袋に映画を観に行くのは、学校帰りにセーラー服を着たまま
観に行った”鉄男U”までないので、このあたりで終わらせていただきます。
全然池袋の話じゃなかったような・・・。
GWだとゆーのに仕事。。今日も私の勤務地である銀座はにぎわっていたよー。
みんなどこかへ遊びに行ってるのかな、いいなー。
このままでは振られてしまうかも。鬱だわ。。。
237 :
名無シネマさん:02/05/05 04:06 ID:49l0crxT
渋谷でボーリングしました。
238 :
名無シネマさん:02/05/05 05:42 ID:i8sh4ack
部屋の中に蚊がいて起きてしまったので一言
中学生だったので、よく2本立てを見に行きました
大体メインの物があって、おまけにB級ホラー(マイドクとか)がついてたり
むちゃくちゃな2本立てもよくあった気がします。
不思議な物でおまけの「マイドク」の方が記憶に残ってしまい現在ではメインが
何だったか思い出せません。
今思えば非常に食い合わせが悪い、映画体験をしてきたようなきがします
おかげで現在は好き嫌い?なく、何でも観れるようになりました。
土曜日は朝まで映画をやっているオールナイトの日で中学生のあこがれでした
一度はオールナイトを経験したいと思いましたが、結局一度も実現する事が
出来ず残念な思いです。それではおやすみなさい。
今ではちょっと考えられないレンタルビデオの話 これも経験しました
http://tv.2ch.net/test/read.cgi/movie/1018012318/l50 レンタルビデオ昔話
239 :
名無シネマさん:02/05/05 07:43 ID:hs8AI3uE
「ファイアーフォックス」と「シャーキーズ・マシーン」の
二本立てなら解るが、
「ブレードランナー」と「燃えよドラゴン」の二本立てには
いまだに合点がいかない。
240 :
名無シネマさん:02/05/05 08:13 ID:ceWZvOlb
漏れが見た時は
「ブレードランナー」とボー・デレクの「テン」の二本立てでした。
241 :
名無シネマさん:02/05/05 13:18 ID:hQY2MqHj
そういえば80年代には「ブレラン的コンセプト」が幅を利かせていた。
店の内装とかで。
242 :
名無シネマさん:02/05/06 15:44 ID:soTXl+Cc
あげ
243 :
名無シネマさん:02/05/06 22:47 ID:I5xqubOa
内装って、たとえばどんな?
244 :
名無シネマさん:02/05/06 23:03 ID:zJNwndHU
245 :
重くてこまった:02/05/08 12:35 ID:wXgRZkVU
インターネットも携帯電話もダイヤルQ2も無かった80年代。アナログのダイヤル式黒電話
の数少ないアソビにテレフォンサービスがあった。期間限定で、ある番号にかけると
2〜3分電話の向こうで勝手に喋ってくれる。例えば「E.T.」初公開の時も、
ダイヤルするとE.T.が出てきて「E.T. phone home」とか喋るテープが流れる
ってのがあった。映画の宣伝でよくあったんだけど、どこにも記録が残っ
ていないし、ボクもこれは忘却の彼方で殆ど思い出せない。
どなたか他にどんなものがあったか憶えてる人いませんか?
246 :
名無シネマさん:02/05/10 01:08 ID:EZ3w2mo7
明日というか今日仕事がお休みなのでまた来てしまいました。
テレフォンサービスについて。
当時子供も大人も楽しめる映画(”E.T.”なんかまさしくビンゴなんですが)が
公開されるときは、学研の学習と科学のどちらかは忘れたのですが
必ずカラーで特集が組まれていて、テレフォンサービスの番号も載っていました。
”電話をかけるときは、おうちの人と一緒にかけましょう”とお約束の文句が
書き添えてありました。私は親に承諾を得てかけた記憶があります。
そのころ我が家は肌色のプッシュホンでした。
”E.T.”のときは、今思えば何らかの理由で写真を載せることができなかった
ようで、リアルに描かれたE.T.と登場人物たちの絵が数ページにわたり
載っていました。
またそれが似せようと頑張ってることは頑張っているんですが
ちっとも似てなくて、みんな全然カワイクなかった!!!
余談ですが、私が最近買ったE.T.のペッツ(ラムネのお菓子です。)は
似ています。首だけですが超カワイイです。お気に入りです。
話は戻りますが、別冊で小冊子がついていた時もありました。
巻末に辞典がついていたりして、その映画に出てくる専門用語の解説が
載っていました。
テレフォンサービスについては学研にお問い合わせになられたら詳しいことが
わかるのでは?
あと学研ではなく小学館から出ている”小学○年生”系の雑誌では
当時付録にソノシートとボール紙の組み立て式のプレイヤーがついてきて
くるくるまわすとドラえもんやデンジマンの声が聞ける、なんてのもありました。
いつかのお正月号ではドラえもんが「あけましておめでとう。のび太君みたいに
おもちをたべすぎないでね。」とゆーよーなことを言っていました。
ソノシート、最近見ないですね。まだあるんでしょうか?
247 :
名無シネマさん:02/05/11 21:19 ID:IgQ5JpqA
age
248 :
名無シネマさん:02/05/14 16:52 ID:jEVry80O
あげ
今見たら、なんてことないが当時は今なんかより面白く見てたなァ。80年代。
「トップ・ガン」「リーサル・ウェポン」「バック・トゥ・ザ・フューチャー」
「ラビリンス」「スペース・キャンプ」「クロコダイル・ダンディ」「ザ・フライ」
「オーバー・ザ・トップ」「プラトーン」「ハワード・ザ・ダック」「ビバリー・ヒルズ・コップ」「アンタッチャブル」「ダイ・ハード」
「グレムリン」「ET」「ゴーストバスターズ」・・
なんかほのぼのした時代だった・・
250 :
正しいことをせよ:02/05/14 20:52 ID:OjVBDkpM
250ゲットォォォォーーーーーーー!!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧ ∧ ∧,,∧
(゚Д゚,,) ミ゚Д゚ 彡 (´
⊂ つノ ⊂ミ ミつノ (´⌒(´
ヽ `⊃ ミ ミ⊃(´⌒;; スタター
し' し
トニー・スコット、リドリー・スコット、リチャード・ドナー、ロバート・ゼメキス、スティーブン・スピルバーグ、
ジョージ・ルーカス、デビッド・クローネンバーグ、トビー・フーパー、ジョージ・A・ロメロ、ブライアン・デ・パルマ、
アンドリュー・デイビス、オリバー・ストーン、ジョン・カーペンター、ジョン・フリン、バリー・レビンソン、
テリー・ギリアム、ジェームス・キャメロン、フィル・アルデン・ロビンソン、ジョージ・ミラー、ヴィム・ヴェンダース、
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ジョン・フランケンハイマー、ジャン・ジャック・ベネックス、ジョージ・ロイ・ヒル、ジョン・シュレシンジャー、ミロス・フォアマン、
ジョン・ギラーミン、ジョン・ブアマン、ジョン・ランディス、ジョン・マクティアナン、ベルナルド・ベルドルッチ、
ダリオ・アルジェント、スタンリー・キューブリック、スティーブン・ソダーバーグ、セルジオ・レオーネ、
マイケル・チミノ、ディック・リチャーズ、リチャード・フライシャー、ハル・アシュビー、ピーター・ハイアムズ、
フィリップ・カウフマン、フェデリコ・フェリーニ、フォルカー・シュレンドルフ、フランソワ・トリュフォー、ボブ・フォッシー、
ポール・ヴァーホーヴェン、マイク・ニコルズ、マーチン・ブレスト、マーティン・スコセッシ、ジョー・ダンテ、
ヤン・デ・ポン、ローランド・エメリッヒ、ロン・ハワード、ロマン・ポランスキー、
あなたがたのおかげで我々は、日々の暮らしに耐えている。
251 :
名無シネマさん:02/05/16 20:59 ID:5dyU2f5W
このスレ泣ける。
252 :
名無シネマさん:02/05/16 21:11 ID:2VYRjewC
感動した!
253 :
名無シネマさん:02/05/17 20:51 ID:TPaVXcu7
キタ*・゜゚・*:.。..。.:*・゜(゚∀゚)゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*!!!!!
254 :
名無シネマさん:02/05/18 18:35 ID:FM8OTYKt
▽⌒▽.。oO(クッキーが賞味期限切れです)
( ´ω`)
U つ
(_ ____)
U U
255 :
名無シネマさん:02/05/19 21:31 ID:hhNPLJ3V
フーン
/■\ ./■\
( ´_ゝ`)' )(`(´<_ ` )
⊂ / \ ⊃
人 Y Y 人
し’(_) (_)し’
256 :
名無シネマさん:02/05/20 21:41 ID:mPeodMvX
80年代のベストはやっぱりダイハードでしょ
257 :
名無シネマさん:02/05/20 21:44 ID:Fbgu7+O2
「ダイハード」初めて見たときに、おれは80年代が終わったと
思ったな。それまでのアクション映画がみんな古びて見えたから。
258 :
名無シネマさん:02/05/20 21:55 ID:4jG0o+sU
「ダイハード」と「ターミネーター2」で90年代が始まったってことかね。
「イージーライダー」「俺たちに明日はない」で70年代が、
「スターウォーズ」「未知との遭遇」で80年代が始まったのと同じように。
ああ、あと10年早く生まれていれば…
00年代のスタートは、やっぱジュラシックパークあたりかな?
CGマンセーの時代。
「ダイハード」が公開されたのは89年2月でしたが、ボクもここがひとつの
区切りだったように思います。その年の1月7日まで、いわく言い難い
重苦しい日々が続いていたので、この映画は実に爽快でした。と同時
に何かタガが外れてしまったような、ちょっと受け入れがたいものが
あったのも事実です。映画に暴力シーンはつきものですが、その暴力の
質が変わったしまった。スプラッターは散々見たし、残酷な場面がある
映画も山のようにあるけど、例えばマクレーンが死体を車に落して警官に
事件を知らせたり、社長射殺の場面などは、それまでとは何か決定的
に違っている。
夏には「その男、狂暴につき」が公開され、翌年は「レッドオクトーバーを追え」
「ダイハード2」があって、その間ご存知のように天安門事件、ベルリンの壁
崩壊、湾岸戦争があった。こういった映画や出来事に触れて、ボクが
感じたのは、「もう以前のような気持ちには戻れないな」ってことでした。
実際、程なくして日本も世の中の雰囲気がガラッと変わってしまった。
だから、ボクにとっての「80年代映画」は、このスレの初めに書いたように
88年までです。
262 :
名無シネマさん:02/05/22 01:07 ID:dMVbO+T9
面白い映画が見たいなー。映画館で。
>>261 そういうかしこまった細かい理屈こねまわす以前の君はきっと心から映画を楽しんでいたことだろう。
264 :
名無シネマさん:02/05/22 16:43 ID:1muX5jD0
今だって楽しみたいって思っているでしょう?
だって映画は楽しいもの。
265 :
名無シネマさん:02/05/22 21:32 ID:3DuDewym
ageage
266 :
名無シネマさん:02/05/22 23:01 ID:1bSW5bFw
昔観た映画最近よくDVDで買うな〜
267 :
名無シネマさん:02/05/23 21:54 ID:TkDnFW5V
∧∧ /\ガチャ
(,,*゚/ /|> ,◇
ノつ、/||◇γ
(_,,う▲□□凸□
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧ ∧ 〜♪
(*゚ー゚)
、ノ つC□
(_,,う▲□□凸□
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
★★
口◇口口☆ ■ age!!
□ ☆口口◎口 ∧ ∧
口 ▽ ▼ ◎ (*゚ー゚)
○ 口 / |
▼ ○ 〜(,_,,ノ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
268 :
名無シネマさん:02/05/23 22:58 ID:DeD59vVZ
↑超かわいい〜っ☆
269 :
90年代が:02/05/26 21:44 ID:mWA1dQ8W
___ ┃
/ ┏ )))) ┃ ■■
/ / ┃キ ┃ | ヽヽ ┃\
/ / /┃ タ ┃ i 、、 | ヽヽ |\ ┃ \
/ / \ \┃┃ ┃__∧ ド ド |ヽ |\ | ┃
/ / \ ┃┃ ┃゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
/ / ヽ┃┃ ┃ ⌒\
/ ┃┃ ┃/ /
/┗ (((┛ / <キタ━━━━━━
/ / ̄ \ キタ━━━━━━ !!!!!
― / ん、 \ \
―― (__ ( > )
⌒ヽ ’ ・`し' / /
人, ’ ’, ( ̄ /
Y⌒ヽ)⌒ヽ、 ) |
\_つ
270 :
名無シネマさん:02/05/28 22:06 ID:RhmcgVuo
270
271 :
名無シネマさん:02/05/31 20:41 ID:J8xLHIbj
あge
272 :
名無シネマさん:02/06/02 21:55 ID:W921guAR
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
| 上ヘ参ります |
|_________|
∧∧ ||
( ゚д゚) ||
/ づΦ
273 :
名無シネマさん:02/06/07 20:29 ID:kLHmPv/s
∧_∧
( ´∀`) ジャーンプ
⊂ つ
ノ ノ ノ
∧_∧ (_ノ、_ノ
( ´∀`) 彡
⊂ (⌒)
| ,'__,,ノ
(__)
274 :
名無シネマさん:02/06/08 21:33 ID:ZIZ6gszF
__,,,,_
/´  ̄`ヽ,
/ 〃 ヽ
/ リ i }
,i _,-=‐'`―'=ー、;!
i リ ーー' 、ー‐'i |
| リ゜ ´ (. .〉 } !
| ii! | ー=-' ! |
| ヽ、_  ̄,/ j
| i ii !! ._ノ  ̄ ̄|_,_,,ノ
,、ゝ-ー'"i´ \__/ |`ー、
/ ヽ >''" \/`-< iヽ
| ! \ \/ | |
紀宮さまがこのスレにご興味を持たれたようです。
275 :
名無シネマさん:02/06/13 21:12 ID:teiaUPbN
紀宮様がこんなところに
276 :
名無シネマさん:02/06/17 00:27 ID:O+YZijh3
重くてこまったさんはもう来ないのかな?
277 :
名無シネマさん:02/06/17 21:07 ID:AOXjmg9V
ほしゅっしゅ
278 :
名無シネマさん:02/06/23 03:17 ID:cmAdCjOh
斎藤由貴三部作
今観るとカナーリ赤面物じゃった。
あれが良いって時代が来るまで待とう
279 :
名無シネマさん:02/06/24 10:22 ID:vkdsVzZ2
>278
赤面所じゃなかったYO!
「トットチャンネル」はなんとか観れたけどねー
80年代邦画は当分封印しとこうと思った次第です
280 :
名無シネマさん:02/06/26 02:12 ID:zalJfAwT
80年代の邦画かぁ
角川も今観ると痛いんだろうなぁ
281 :
名無シネマさん:02/06/26 20:47 ID:f8jr1xWb
「ブラックレイン」
282 :
名無シネマさん:02/07/12 22:11 ID:oX3peVYS
「ションベンライダー」も今観ると時々入るスーパーが恥ずかしいな
80年代だから仕方ないのか
283 :
名無シネマさん:02/07/24 21:55 ID:AwCiECWb
age
284 :
名無シネマさん:02/07/24 21:59 ID:sJbwRWcZ
すでに二ヶ月も前に終ってるスレ。
285 :
名無シネマさん:02/07/26 06:04 ID:WLojZ0tF
ゴーストバスターズとグレムリン楽しかったな〜
286 :
名無シネマさん:
ストリートオブファイヤー
アウトサイダー
かな。フィラデルフィアエクスペリメントも。
個人的にはこの時期は黄金時代とは思わないけど。