早川雪洲って知ってますか?

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1910年代〜20年代初頭まで、ハリウッドに於いてダグラス・フェ
アバンクスやチャップリンと肩を並べる人気を誇った日本人俳優、早川
雪洲に興味があり、可能な限り本やビデオを見ました。この9月には
ハリウッドへ行き、グレンギャリ城と呼ばれた屋敷後も訪ねて来ました
(現在はフリーウェイで跡形もなし)。「戦場にかける橋」しか知らない
人はぜひ1915年の「チート」を見てください。ビデオ・DVDともあ
ります。初期パラマウント作品で、監督はセシル・B・デミルです。
雪洲はウォーク・オブ・フェイムに唯一名前を刻む日本人俳優です。
三船敏郎もハリウッドで著名ですが、外様扱いのスターではなく、アメ
リカ国内で愛された唯一無二の大スターでした。ショー・コスギや
ジャッキー・チェンの先達としてぜひもっと関心を寄せてもらいたいと
思います。
2名無シネマさん:01/09/25 13:48 ID:9a3UTVPs
「チート」では、もろ悪役の日本人を演ってたな。
3名無シネマさん:01/09/25 13:50 ID:Q1FknOkw
男?なんて読むの?
4名無シネマさん:01/09/25 13:56 ID:bE7ir1B6
チートでやってた役、確かトコラモ。なんだその名前。

ちなみにチートのフランス公開版(タイトルも違うし、雪舟演じる
トコラモの名前も変えて、中国人って設定になってた。)なら
衛星放送でやってたのを見たよ。
5名無シネマさん:01/09/25 15:00 ID:8Re6UdOk
映画業界で踏み台のことを「セッシュウ」と呼ぶのは、集団で写真を撮るとき、背の低い雪州を
踏み台に乗せて撮った事にちなむというのは有名な話ですな。役者を台に乗せることを
「セッシュウする」と言ったりもする。
6ゴリラ:01/09/25 15:06 ID:GxBsh0CE
彼がスクリーンに登場すると若いアメリカ人の女の子達が
歓喜のあまり失神したという逸話がありますな。
7名無シネマさん:01/09/25 15:10 ID:mBFlb43Y
1は以前も同じスレ立ててたな?
8:01/09/25 23:07 ID:oDF3UUho
ここへ訪問したの、初めてです。よって、以前のスレは別人だと思います。雪洲ネ
タで既にスレが立っていたのは興味深いですね。ちなみに、晩年の雪洲映画を見て
判断はしないでください。「戦場にかける橋」やハンフリー・ボガートと共演した
「東京ジョー」はまだしも、オードリー・ヘプバーン主演の「緑の館」などは、
かなりヘンな役で、これを最初に見ると「何だ、この老人」としか思いません。
でも、「戦場〜」でアカデミー助演男優賞候補になる(受賞は逃した)など、本当
はスゴイ俳優なのです。フィルムシアターなどで1910年代の作品を特集して
いれば、1本は雪洲作品が入っているはずです。また、最近DVD化された1937
年のナチスドイツ=日本合作「新しき土」は原節子のかわいさばかりが目立つ作品
ですが、雪洲の颯爽とした「日本人」のたたずまいは、後年の「グランプリ」の
三船に匹敵するカッコ良さです。ただし、作品はペケっぽいですが。
排斥によりヨーロッパを転々としていた頃にはちょこちょこ日本に帰り、邦画にも
でています。未見ですが、東宝で荒木又右衛門も演じているそう。戦後は片岡
知恵蔵の大石に対して、立花左近役で登場した東映の「忠臣蔵」や、アラカンと
共演した鞍馬天狗シリーズでは勝海舟を演じ、なんと殺陣もみせてくれます。
洋画で「アクセントのヘンな日本人」のイメージをお持ちのかた、このような映画
もみてください。
9名無シネマさん:01/09/26 13:42 ID:VeyZipKU
「レ・ミゼラブル」の日本版(舞台を日本に置き換えた?)に出てたってホント?
ウチの親父が子供の頃観た!!って言うんだけど知ってる?
10名無シネマちん:01/09/26 13:56 ID:/gAOYw5g
大島渚が伝記を映画化するって話はけっきょくポシャッたのね。
御法度撮ったし、、。
11:01/09/26 22:37 ID:YoPxysnI
>9
本当です。ビデオ化されていませんが、1949年の東映映画(この頃は東横かも)
です。もちろん未見ですが、全後編の大作で、監督はなんとマキノ正博が務めて
いるそう。私も見たいです。東映さん、DVDにして。
>10
それは「ハリウッド・ゼン」のことですね。プロデューサーのジェレミー・トー
マスが「裸のランチ」で大借金を作り、結局撮影直前でポシャったようです。
雪洲役に坂本龍一、ルドルフ・ヴァレンチノ役にアントニオ・バンデラスという
大変期待できそうなものだったんですけどね。大島監督に角川あたりお金出さない
もんでしょうか。
12:01/09/26 23:35 ID:Vi2oTYbw
レ・ミゼラブル情報訂正。
1950年11月公開の東横映画
第一部「神と悪魔」監督 伊藤大輔 第二部「愛と自由の旗」監督 マキノ正博
雪洲はジャン・バルジャン役ですが、日本名は「岩松」!です。ずいぶんな
変わりよう・・・。共演にはTV初代水戸黄門の東野英治郎など。以上です。
13名無しさん:01/09/26 23:40 ID:ZfkZEMy2
俺の場合、セッシュウ・ハヤカワの名前は知り合いのカナダ人に教えられたのだ。日本人の癖に日本人俳優の名前を外国人に教えられたってわけだ。海外での知名度のほうが高い日本人の典型だね。
14名無シネマさん:01/09/26 23:41 ID:D/95XmQI
ハコウマの始祖。
15名無シネマさん:01/09/26 23:52 ID:LUAW4SGo
1の早川雪洲ヲタ度はハンパないね。
16名無シネマさん:01/09/26 23:59 ID:TKlSFcZI
マコ岩松?
17名無シネマさん:01/09/27 00:02 ID:vrvhqHEM
>14
向こうでも、箱馬で身長ごまかすの「セッシュウする」
って、言うらしいね。
勿論、日本の映画界も。
18:01/09/27 08:07 ID:TCyzk0I.
やっぱり、歴史を切り開いた人は凄いです。ちなみにマコ岩松も生前の雪洲に数回
あっているようです。よく覚えていませんが、「迫力があった」とか語っておりま
した。
19名無シネマさん:01/09/27 09:29 ID:Md5nd3II
雪州の武勇伝

1、他の人の子供を奥さんに押し付けて、海外を放浪。
2、戦争が終わったら、奥さんそっちのけで「東京ジョー」に出演。
3、「戦場にかける橋」では、「女の子がでない」「ただ橋をかける話だ」
などとゴネていたが、奥さんの説得で出演。
4、で、アカデミー賞ノミネート。会場に夫婦同伴ではないのを
問われ、「花屋にバラは持ち込みませんよ」と小粋な一言。
20名無シネマさん:01/09/27 09:31 ID:jXXMq/RY
>>19
カッケー!
21名無シネマさん:01/09/27 09:56 ID:CZHmNjUg
そうそう、奥さんはもろ外人!の風貌である早川が外人ダンサーに産ませた
子供を連れて、戦時中の日本ですっごい苦労したんだよね。
しかも、早川はその後、日本人に生ませた子供も押し付けちゃった。

でもちゃんと育てたから、親はこの人しかいない、って言われてる。
早川は全然親と思われてない(当たり前か。)

ちなみにウィーンの富豪と結婚した田中路子っていう美貌の女性が
戦前いたんだけど、その人早川と恋愛関係に陥ってるの。だけど
あまりにも早川が最低だったらしくて、評伝でも「名前を口に出すのも
いや。あの男と関係したのは生涯の汚点」と言ってます。
22名無シネマさん:01/09/27 10:00 ID:CZHmNjUg
ここ↓に上で書いたことが、ちゃんと出てた。
http://www.sankei.co.jp/databox/paper/9807/27/paper/today/year/year.htm
23名無シネマさん:01/09/27 10:02 ID:CZHmNjUg
ちなみに田中路子の旦那さんはコーヒーチェーンを築いた人。
http://www.seidenstrasse.net/Meinl.html
↑マインル社と言って、今でも有名です。
24:01/09/27 22:28 ID:r4rpVEUA
雪洲の本妻はふたり。とはいっても、再婚は雪洲が75歳のときで、妻の仕事の
大半が看病だったようです(雪洲は84歳で没)。最初の妻が苦楽をともにした
青木鶴子で、雪洲の浮気相手の子供を引き取り、育て、かつ女優というあっぱれ
な女性だったようです。雪洲とは1914年に結婚、雪洲の作品でも多数共演
しています。
25名無しさん:01/09/27 22:42 ID:tlvIxL3E
ハリウッドで活躍する日系人といえば早川雪洲、マコ岩松、ジェームス茂田の3人。ジェームスは北野監督BROTHERに出てた。
26   :01/09/27 22:49 ID:2JYllvhM
ジェームス茂田=ダイハードでテロリストに射殺される赤城社長を演じました。
あと確かミッドウェイにも出ていたね。
27:01/09/27 23:23 ID:fohBoDSw
>>25
ショー・コスギを忘れちゃいけません。ケインのお父さんですね。ニンジャブーム
の立役者で、ピーク時には100万ドルのギャラを得ています。年代による
貨幣価値を無視すれば、100万ドルレベルのギャラを得た日本人は雪洲、コスギ
三船の3名だけです。マコもそんなにもらっていません。
28ちなみに:01/09/28 00:49 ID:MIzQ/BHk
映画や舞台関係の道具屋さんが
高い櫓状の足場を、イントレと呼ぶのは
グリフィスの「イントレランス」で、巨大な
俯瞰用のカメラ台を作ったことに由来。
29名無シネマさん:01/09/28 01:11 ID:JmAAtCDY
マコ岩松のお父さんは、絵本界では有名な八州太郎(やしまたろう)って
人なんだよん。

戦前に共産主義者だってことで弾圧を受けて、マコをおばあちゃんに
預けて、夫婦でアメリカに亡命。ずっとアメリカに住んだままだったけど
彼の絵本は高い評価を受けてる。
30名無シネマさん:01/09/28 21:49 ID:W8oPElOQ
>25
>26
細かい突っ込みでスマンが「ジェームズ繁田」だ。

「太陽にかける橋」で主役を演じた名優です。カッコイイ役だった。

なにがすごいって、この映画が作られたのが昭和36年。
まだ第二次世界大戦の傷を引きずっているころのアメリカ映画だ。
共演っていうか本当の主演はキャロルベイカー。
31:01/09/29 00:08 ID:j8LQv0u2
「猿の惑星」で猿だったケリー・ヒロユキ・タガワも日本人。結構たくさんの
作品に出ています。
32名無シネマさん:01/09/29 00:14 ID:q0ixuE5o
チートと戦場にかける橋しかみたことないけど
ガイジンさんに負けてないのにはちょっと驚いた。
妙に貫禄っていうか迫力があって。
33:01/09/29 00:20 ID:j8LQv0u2
>>32
だからスターなのだと思います。チートから2年後の1917年、
雪洲の週給は7500ドル。チャップリンが10000ドルですから
いかに人気があったかがわかります。
34失礼:01/09/30 01:56 ID:dIC0YxEU
…この人同じ苗字なんだが、「早川」という名の有名人(?)は
早川雪洲だけかな。作品はみたことありません。苗字がいっしょ
なんで知ってる。あとはオウムの人とか…。
35名無シネマさん:01/09/30 10:40 ID:4L5Vu7Bs
雪州の本名は「早川金太郎」です(真)。尊敬する西郷隆盛(南洲)にならい、
最初は「北洲」としたかったらしいが、同じ名前の役者がLAにいたことから、
北=寒=雪としたそうです。
36名無シネマさん:01/09/30 22:57 ID:Z4D9SKHs
映画の話じゃなく申し訳ないが、曾じいさんが、友人だったことを
何年か前に知って驚いた覚えがある。
アメリカに留学している時に、知り合ったそうだ。
結構仲が良かったらしく、日本に帰ってきた時に我が家に訪れた時の写真が
今でも残っている。写真を見たが、やはり格好良かった。
37名無シネマさん:01/10/01 10:21 ID:hEX.uQlw
>>27
役者としてではないけど、坂本龍一の映画音楽もそのぐらいのギャラのはず。
アカデミー賞、ゴールデングローブ賞、ロス批評家賞の3本セットで取ると
自動的に1本100万ドルの相場になるそうです。
38:01/10/02 00:57 ID:YnHAGqB2
>>36
その写真、見たいですねー。留学時代ということは、やはり1910年代以前の
ことだと思います。記念写真は戦後のことなのでしょうか。
いずれにしろすごい肉親をお持ちですね。
39名無シネマさん:01/10/02 01:01 ID:wsbQqL8M
>>36
その写真、見たいですねー。写真は戦後のものなでしょうか。いずれにしろ
すごい肉親をお持ちですね。
40名無シネマさん:01/10/02 16:07 ID:YmRIi7SI
早川雪洲スレは過去なんども立っているが、
前回など「早川雪舟」だった。
今回はちゃんとしてるなぁ。

>27
ショー・コスギは話題作りと宣伝料込みの100万ドルだから
ちょっと違うだろ。
41名無シネマさん:01/10/02 23:07 ID:QMok/HjU
>>40
言われればそうですね。ショー・コスギはちょっと「色物」的映画でも
ありました。37さんのいうとおり坂本龍一を3人目とするほうが自然
かもしれません。
いま、アメリカも大変ですが、ハリウッドへ観光の折りは、ハリウッド
大通りからVine Stへ行き、雪洲の「ウォーク・オブ・フェイム」
を探してみてください。交差点の近くです。ちなみに、そこから見える
キャピトルレコード本社の坂の上のフリーウェイ部分に雪洲邸がありました。
ウォーク・オブ・フェイムも「ゆかり」を気にしているのかなと思い、
うれしくなりました。
42名無シネマさん:01/10/03 01:24 ID:69s0buqY
で、ここの住人はフィルムセンターでやった早川雪洲特集通ったヤツはいるの?
43名無シネマさん:01/10/03 01:35 ID:PhW8G8C2
44名無シネマさん:01/10/03 01:47 ID:j5XcmTVc
大島渚が「ハリウッドゼン」でやろうとしてた、雪洲とルドルフ・バレンチノとの
確執について詳しい人いる?「ハリウッドゼン」のラストはバレンチノの葬儀に
雪洲が紋付袴姿で登場するシーンだったらしい。実際、写真も残っているんだって。
45名無シネマさん:01/10/03 02:10 ID:pXemny1o
ラヴェルのオペラ『子供と魔法』(1920〜1925)の中で
中国の茶碗(急須だったかも)が歌い出すシーンがありますが、
その歌詞の中に「セッシュー・ハヤカワ〜」というのが出てきます。
中国と日本の区別がついていないので、当然中国風サウンドの
オーケストラが鳴り響きます。
当時、彼はフランスでも有名だったんですねー。
46名無シネマさん:01/10/03 02:15 ID:pXemny1o
>>45
訂正。
「ハラキリ〜、セッシュー・ハヤカワ〜」が正しかったです。
スマソ。
47名無シネマさん:01/10/03 23:52 ID:ozcjy5PQ
>>44
雪洲本人が公式にコメントしていないので、実際のところはわかりませんが、自書
で1921年のパラマウント映画「シーク」にヴァレンチノを紹介したのも、脚本
を書いたのも自分といっています。ヴァレンチノが雪洲のグレンギャリ城に出入り
していたのは確かで、目的は自分を雪洲映画に出してほしい、との売り込みであっ
た訳ですが、タイプの「かぶる」ヴァレンチノを雪洲が敬遠したのは確かなようで
す。「シーク」について、パラマウントから最初にオファーが行ったのが雪洲であ
ったのも信憑性が高く、これを雪洲は断っています。パラマウントは代役として
ヴァレンチノを指名したようで、このことからも雪洲が紹介をし、脚本を書いた、
というのは自伝ならではのコメントだと思います。確執があったとすれば、この
21年近辺ではないでしょうか。雪洲は翌年ハリウッドを離れてしまいますし、
ヴァレンチノも1926年に他界してしまっています。以上、本当らしきことを
羅列しました。
48名無シネマさん:01/10/03 23:59 ID:ozcjy5PQ
>>45,46
1915年公開の「チート」はアメリカとフランスで大ヒットしました。
その影響ではないでしょうか。雪洲は20〜30年代には仏映画に数本
主演、ナチスドイツのパリ入城時もパリにいました。よって、終戦時ま
でずっとパリにおり、映画も撮れないので、絵を書いて売っていた
ようです。フランスとも関係が深い人なのです。
49 :01/10/04 00:11 ID:9.2vNaZw
それにしてもこの人、一般の人には知られて無いですよね?
 「アメリカで成功した日本人」というのを異常に喜ぶメディアの扱いがこうも
ひどいのか?何か理由があるのかな?
あと、俳優じゃ無いけど、80年ぐらい前にも外国でかなりの人気だった日本人ダンサーがいるけど
その人も全く知られて無いなあ。
写真を見たけど、80年前の日本人とは思えない程洗練されていたなあ。
50名無シネマさん:01/10/04 00:22 ID:iLiq1kXY
「無表情な悪役」をハリウッドで最初にやった人じゃなかったか。
51:01/10/04 01:31 ID:2k//acHM
>>42
結構前ですが、2回ほど行きました。以下、感想です。
1・「おミミさん」1914年 NYMP映画
  一般的には雪洲のデビュー作品は1914年の「火の海」といわれますが、
  隠れたデビュー作がこれ。なぜ隠れたのかといえば、雪洲が主演ではなく、
  後に妻となる青木鶴子が主演だったから。プライドの高い雪洲が準主役にな
  った「火の海」からしかフィルモグラフィーにのせていないのも面白い。
  作品は20分強の短編で、和服姿の鶴子と雪洲がたわむれている姿が印象的
  な作品であった。日本家屋や日本庭園もふんだんに出てきて面白かったが、
  そのセットのつくりがしっかりしていたのにはびっくり。ちなみにこの題名
  は原題ママで、ランボー=スタローンのようなタイトルロール=主役であっ
  たのが興味深い。おミミさん=鶴子であるのだから。
2.「火の海」1914年 NYMP映画
  雪洲作品は紛失したものが多く、これも長く「ない」とされていたが、近年
  NY近代美術館が入手。この物語のベースになったのは1914年1月から
  始まった桜島の大噴火で、海外にも広く打電された。これを聞いたプロデュ
  −サーのトーマス・インスが噴火の2週間後から制作を開始した、大作であ
  りつつも、いわゆるキワモノ映画である。この作品も鶴子主演で、後のオス
  カー監督、フランク・ボーセージが役者として助演。舞台は日本(撮影LA)
  で、内容は日本人女性とアメリカ人男性が恋をしたら、神が怒り桜島が噴火
  するというものすごいストーリーで、雪洲は噴火を止めるべく奮闘する鶴子
  の父親役(はや24歳で老け役。死神博士みたいな衣装)である。見所は、
  かわいい娘のために自宅近くの仏像を取り外し(!)、キリスト教の十字架
  をそこに掲げて(!!)、天に向かってふたりの愛の許しを請う場面、ここ
  はまさに迫真の演技である。が、後に淀川長治のインタビューに答えて雪洲
  はこの場面について次のように語っている。「ありゃ、きみ、サイレントじゃ
  ろ。撮影で同じことをあまりにも繰り返すのでシャクにさわり、大声でハラガ
  ヘッタゾ、イツメシヲクワスノカッ・・・これを3回言ってやったが、まわり
  はみんな日本語を知りゃせんよ。だから何か名文句でもしゃべったと思った
  らしい。ハッハッハッ」−のどかなサイレントらしい笑い話である。
  ともあれ、父の願いむなしく桜島は噴火、10年代としてはすさまじいSFX
  (ミニチュア爆発!)に感動。
3.「タイフーン」 1914年 パラマウント映画
  雪洲の出世作。舞台はパリ(撮影LA)で、雪洲は祖国のためにフランスの
  国家機密を盗み出す日本人スパイ役。役名が「ニトベ・トケラモ」という
  原作通り(どういう原作だ)のヘンな名前。雪洲はこの中でキスシーンがあり
  日本人では初のキスシーンといわれている。
  全編サスペンスフルな良質の作品で、雪洲も力演しているが、途中突然「今日
  は端午の節句だから」と日本人同志がトコラモを囲んでタイル敷きの床にゴザ
  を敷き、提灯をぶら下げて宴会をおこなうビックリ場面も登場し、笑わせて
  くれた。
4.「末裔」 1914年 NYMP映画
  雪洲が「グレイ・オッター」と呼ばれるインディアンの偉大な指導者=酋長の
  駄目息子ディアーに扮した作品である。インディアン役の日本人も珍しいが、
  これで味をしめたか、後年「緑の館」や「南海漂流」でも国籍不明の役柄を
  こなしている。
  グレイ・オッターは息子を後継ぎにしようと奮闘するが、肝心のディアーは
  飲んだくれて白人ボケのごろつきと化しており、あげく有志の白人を襲う
  ようになって、結局は殺してしまうというもの。雪洲は絶対にインディアン
  にみえないが、その演技はすばらしい。サイレントで表情が伝わるのが凄い。
5.「チート」 有名すぎるので割愛。DVDで見れます。
6.「ドラゴンペインター」1919年 ハワース映画
  現存する数少ない雪洲プロ作品で、サイレント期の最高傑作とされる。
  舞台は箱根(撮影LA)であるが、自分の記憶する限り、大作といわれる
  映画で箱根が舞台になったハリウッド映画を他に知らない。
  狩野派を描いたこの作品では雪洲は「動」であり、いつもの「静」のイメー
  ジはない。雄大な景色も印象的であった。 
52通りすがり:01/10/04 01:59 ID:.nhWzDhI
伝説のフィルムコレクター 故・杉本五郎の著書「映画をあつめて」で触れられている
『娘たずねて三千里』なる珍作がどうしても観てみたい。
雪洲が船乗りポパイに扮し、生き別れの娘を探すと云う作品らしい。
で、アニメのポパイまんまのブルートとか出てきて、
雪洲はホウレン草じゃなくて、スポンサーの星製薬の「ホシミクロ−ゼ」なる薬を飲んで
パワーアップするんだそうな。星製薬ってのは星新一のお父さんの会社。
詳細はわからないのですが、プリントは杉本コレクション(アニドウ)にはあるらしい。
5344:01/10/04 04:38 ID:ROZjU7BM
>>47
レスありがとう。実は映画評論家・白井佳夫の「日本映画黄金伝説」という本に
白井と大島渚の対談が載っているんだけど、その中で雪洲とバレンチノについて
触れてる箇所がとても興味深いので引用します。(多少、要約してます)

大島 −日本のマイナス要素みたいなものを表現しないと、インターナショナルな
ヒーロー又はヒロインになれないというとこがある。簡単に言えば、雪洲の場合は
ビラン、つまり悪漢としてヒットした。じゃあ何故、悪漢としてでなければアメリカ
社会あるいはハリウッドに受け入れられなかったかという事をやりたかったんだけど。

白井 それの対極にいるのがバレンチノですか?

大島 いや、バレンチノもね、やはりイタリア人というアメリカ社会における少数民族
だから、一旦受け入れられたけれど、それに対する反発はずっとアメリカに根付いてる
訳です。雪洲とバレンチノが滅びた後に出てくるのが、ゲーリー・クーパーであり、
クラーク・ゲーブルであり、純粋なWASPの青年になるんですよ。それまで映画は下賎な
芸術、下賎な娯楽で、世界中のいろんな所から来た貧民がやってたのが、雪洲とバレン
チノを葬った後でゲーブルとクーパーの時代になって、アメリカの多数派の理想的な
芸術になっていくんです。そこがやりたかったんだけど、これをハリウッドでやろうと
するのはね…。
54名無シネマさん:01/10/04 11:18 ID:L83Qya7c
雪舟ほどにはビッグにならんかったが、
「バグダッドの盗賊」で
ダグラス・フェアバンクスの敵役を演じる上山草人もいいよ!
実に不気味なモンゴル皇子です。
そういや、この上山草人、黒澤の「七人の侍」で琵琶を演奏してる
坊主役で出演してような・・・。
55通りすがり:01/10/04 13:23 ID:dFm5FRKw
ああ、そうだ。すまん。>>54で思い出した。
自分で書いた>>52の『娘たずねて三千里』は上山草人の間違いだったかもしれん。
すまん。
56:01/10/04 21:54 ID:VURfW5Jw
>>54
草人は雪洲に大変なライバル心を持っていたといわれています。アメリカ映画での
共演はありません(雪洲は1922年にハリウッドを離れ、草人のバグダッドの
海賊は1924年。時期が異なります)。しかし、面識はあったようで、日本で
草人が雪洲を出迎えたこともあったそうです。
また、「七人の侍」の琵琶法師役や「宮本武蔵」にも出演しており、三船との
共演が遺作になりました。戦時中にはアラカンとも共演しています。
57:01/10/06 00:57 ID:lu4jpXFs
アメリカで売られている映画俳優名鑑などでも「Sojin」が掲載されている
ものがあります。日本人がおもっているより、有名なのです。
58:01/10/06 23:52 ID:WyX9J8E.
雪洲の代表作「チート」で、役名はヒシュル鳥居となっていました。再公開版では
いつのまにかビルマ人役になっており、これは当時の日米関係継続のため、悪役を
第三国にしたためです。とにかく、ヒロインの背中に焼きごてをあてる場面はいま
みても衝撃的なシーンですが、この焼きごてが「鳥居」のかたちをしており、これは
役名からの楽屋オチと考えられます。DVDで見れますので、確認してみて
ください。
59:01/10/07 22:41 ID:qGx654.U
残念なことに、雪洲と三船という2大スターの共演作はありません。雪洲が戦後は
東宝映画に出演しなかったのが最大の要因と考えられますが、ゲスト出演をほとん
ど雪洲が断っていたという事実もあり、いずれにせよ実現しませんでした。
が、雪洲の「日本敗れず」(1954年、新東宝、VTRあり)と三船の「日本の
いちばん長い日」(1967年、東宝、VTRあり)はいずれも終戦前後の阿南
陸相を描いたものであり、全く同じ役柄を演じているのが興味深いところです。
60:01/10/09 21:22 ID:TS7B/Eyo
雪洲は黎明期のTVドラマにも出演しています。1953年、まだドラマが生放送
だった頃、日テレの「鬼の九右衛門」に主演。民放初の大作ドラマだったそうです。
見てみたい(多分存在しないと思うが)。
61名無シネマさん:01/10/10 19:49 ID:yoHwLUIg
大島渚監督が、「ハリウッド・ゼン」ていう映画を作る計画してたんだよね。
早川雪洲の人生を描いた映画。
計画倒れになったみたいだけど。
坂本龍一がやる予定だったらしい。
62名無シネマさん:01/10/10 21:11 ID:9FtNteSs
をを、せっしゅうスレがあったとは!
いとうれし。
63:01/10/11 00:06 ID:GcPUyeDk
雪洲の遺作は1967年の「純情二重奏」(松竹)ですが、本当は翌年、今村昌平
の問題作「神々の深き欲望」に出演していたそうです。2ヶ月間、石垣島でのロケ
に参加したが、79歳の雪洲にはきつかったらしく、途中降板した(一説にはさせ
られた)ようです。雪洲の役はその後、アラカンが演じました。
64:01/10/11 00:10 ID:GcPUyeDk
>>61
10、11、44、47、53を参照してください。
65:01/10/12 00:01 ID:fhBANL/k
歌舞伎の興業会社であった松竹合名社が、映画製作に乗り出したのは1920年の
こと。日活に対抗すべく、白羽の矢を立てたのが雪洲でした。ところが当時の雪洲
はアメリカではスーパースターであり、今でいえばオーストリアの新興会社がシュ
ワルツェネッガーに専属契約を迫るようなもので、これはさすがに無理でした。
結局、雪洲が松竹に出たのは47年後の遺作「純情二重奏」というのも面白い
ものです。
66:01/10/12 21:48 ID:Hcv83asI
65修正。
雪洲の日本映画初出演は、1932年の松竹蒲田の大作「太陽は東より」でした。
田中絹代が相手役でした。よって、日本映画の第一作目と遺作が松竹ということに
なります。
67:01/10/12 21:58 ID:Hcv83asI
雪洲の国別出演映画
雪洲は生涯で101本の作品に出演しています。一番多いのは当然アメ
リカ映画ですが、その他日本、英国、仏国、独国映画にも出演。国際
俳優としてやはり第一人者です。
1.アメリカ 69本
  パラマウント24、ロバートソンコール24、NYMP10、
  コロンビア2、20世紀FOX2、MGM1、ワーナー1、
  ユナイト1、アライド1、ディズニー1、他2
2.日本   17本
  東映(含む東横)7、東宝(すべてJO時代)3、松竹2、
  新東宝2、新興キネマ2、大映1
3.フランス 12本
4.イギリス  2本
5.ドイツ   1本
68:01/10/13 11:14 ID:hiWldr5w
フランス時代の雪洲は資料が少なく、現存作品も1924年の「ラ・バタイユ」(仏海軍全面協力
の大作)くらいしかないと思われます。この作品は翌年日本公開もされ(日活配給)、東郷平八郎
も鑑賞したという日露戦争ものでした。1996年の東京国際映画祭で上映されましたが、未見。
他、1939年の「マカオ」はエリック・フォン・シュトロハイムを迎えた作品で、当時のナチス
を裏切ったシュトロハイムが出演しているため、独支配下のパリではなかなか公開できなかったそう
です。もともとフランスは映画発祥の地であり、この当時の資料がもっとあれば、
と思います。
69:01/10/13 20:39 ID:yGxmhmYQ
雪洲がピーク時にもらっていた給料はどのくらいになるのか、現貨幣価値で考えるにあたり、
チャップリンが10,000ドルもらっていたときに、それに次ぐ7,500ドルをもらっていた1918年ころを基準
にします。当時の1ドルは現在15倍の価値となりますので、週給7500ドルというのは
現価値で112,500ドル。週1,406万円もらっていたことになります。年間で考えると、
約7億3,000万円です。これを現ドルにすると約5,800万ドル。当時の雪洲は年間5〜6本の
映画に出演していたので、1本約1000万ドルとなります。これは、現在のスーパースターと
比べても全く遜色のないものであり、どうりで城のような邸宅も手にできたはずです。
70:01/10/15 23:07 ID:ujtHpxdR
雪洲がアメリカのスパイだったという話があります。実際は笑い話に属するもので
すが、アメリカ生活が長かった雪洲は確かに日米開戦には猛反対していました。
また、当時のルーズベルトの知遇も得ていたことから、こんな話になったようです。
アメリカの大統領と直接話しができたのも、日本人俳優では雪洲と三船だけでしょう。
今の小泉さんに爪の垢でも煎じて飲ませたい。
71:01/10/17 00:01 ID:bWP5u6CC
雪洲のハリウッド時代と、現代のハリウッド大通りでは、ものすごい時代の流れが
あります。唯一残っているのはチャイニーズシアター近くにあるムッソーグリル
くらいで、ここは1919年にできたレストランです。雪洲もフェアバンクスも
草人もここで打ち合わせをしたと思うと、無感量です。
72名無シネマさん:01/10/17 00:23 ID:Lv4GnXrP
浅野忠信系だよね。
73名無シネマさん:01/10/17 04:40 ID:E3DIRhkS
ちゃうわい
74:01/10/18 00:01 ID:b5ZDjQf8
雪洲のハリウッド初期、NYMP映画の冒頭は少し変わった始まり方をしていまし
た。今でいうパラマウントやFOXのカッコいいロゴマークが出てくる場面ですが、
雪洲映画は最初「社繪スンイ」(当時読み方逆)という幕がでて、カーテンが空いて
まず雪洲があいさつ(画面に向けておじぎをする)し、ディゾルブで次に青木鶴子が
登場、やはりあいさつをするようなものでした。1915年ころまでと思われます
が、面白い余興でした。
75:01/10/19 00:40 ID:d68UMXxW
「南海漂流」は雪洲最初で最後のウォルト・ディズニー映画でした。上半身裸の
海賊役だったのですが、晩年の作品としてはできのいいものだと思います。
LDが出ています(もう廃盤かも)ので、ぜひ。
76名無シネマさん:01/10/19 00:47 ID:80HBTKtQ
雪洲ネタからそれて悪いが、
ジェームス繁田ってもっと評価されてもいいと思う。
ハリウッドで初めて白人女性とキスシーンを演じた東洋系俳優でもあるし。
@サミュエル・フラーの「クリムゾン・キモノ」ね。
超クール。どっかで公開してくれまいか。
77:01/10/20 01:32 ID:I0wcxIM3
ジェームス・繁田はどうしても「ダイハードの社長」に思いがいってしまう。
BROTHERでの使われ方はいまいちだったなあ。
ちなみに、キスシーンは相思相愛でなければ雪洲の「タイフーン」(1914年)
が日本人最初のはずです。
78名無シネマさん:01/10/20 01:52 ID:TNtUDWIc
>>77
ジェームス・繁田は本業は歌手だったような。
それはさておき、「タイフーン」って観た事ないので解からないのだけれど
これの雪舟ってヒーローって言うか悪役ではないのですか?
「クリムゾン・キモノ」のジェームス繁田は主役、
白人女性は繁田の相棒の白人男性を袖にして相思相愛で結ばれるのですよ。
50年代にこのような内容は凄いと僕は思ってます。
79:01/10/20 22:05 ID:62YARZhL
>>78
「クリムゾン・キモノ」未見です。ごめんなさい。VT出てますか?興味あるので
見てみたい。
なお、「タイフーン」の雪洲も主演です。キスした女優はアメリカ人ですが、半ば
むりやりのシーンでした。
80:01/10/21 14:39 ID:OdwxqsOK
雪洲は映画俳優としてのキャリアが有名ですが、舞台にもかずかず出演しています。
編集で何とかなる映画と違い、舞台は一発勝負なので、このことからも雪洲の演技力
の高さが証明できます。日本でも劇団を組み、主に1930年代帝劇や南座、明治座
日劇、浪速座など一流劇場で主役をはりました。イギリスでも1923年に時の
ジョージ五世を前に、御前舞台を行っています。
81名無シネマさん:01/10/21 15:16 ID:mbnguY0y
知ってますよ、せっしゅう。
82:01/10/23 22:43 ID:Nr762yQN
雪洲は1973年11月23日、84歳で亡くなりました。映画界よりも、宮家・
政治家との付き合いが多かったこともあり、宮家から生花が贈られたそうです。
この時NYタイムズはかなりのスペースを割いて追悼記事を載せましたが、その
冒頭で「戦場にかける橋の日本軍捕虜収容所長役でアカデミー賞候補になった故人は、
全盛期には32部屋もあるお城をハリウッドに建て、ルドルフ・ヴァレンチノ、メア
リー・ピックフォード、フランシス・X・ブシュマンといったスターが、始終遊びに
来るほどに華やかだった」と紹介しています。また、1920年の週給が7500
ドルだったとも書いており、その存在の大きさが偲ばれます。
83:01/10/24 23:31 ID:vdEnvV+u
雪洲の生年月日には諸説あり、有力なのは1889年説です。他にも1886年だとか、
本人は自伝で1890年だといっています。特に重要なことではありませんが、気にはなります。
また、俳優の森繁久弥は雪洲が嫌いだったらしく、1960年代に入り、ハリウッドに
中国風の豪邸を建て、など新聞紙上で揶揄しているようですが、この中国風の建物とは
今でもハリウッドに現存する日本料理店「山城」のことであり、雪洲が住んでいた
グレンギャリ城とは大分違います。当時社長シリーズで一世を風靡した森繁だけに、
過去の英雄をこき下ろしたのでしょうが、お門違いのことをいわれてもねえ、という
感じです。
84:01/10/25 23:02 ID:3yVSpuOM
日本人俳優にはどちらかというと「国辱俳優」と見えた雪洲ですが、雪洲自身は
日本映画界の問題点を1961年に語っています。この年は三船が「用心棒」で
世界中にアピールし、初のメキシコ映画に主演した頃であり、多分に三船を意識した
発言と思われ、興味深いところです。内容は「契約なんぞは、例えば東宝が話すと、
やはり日本の金を基本として考えるんじゃないかと思うんだ。何百万とね。
大スターでもそういうふうに数えている。ドルというものを中心にして考えない。
これは損ですよ」というもの。経験値に基づく発言といえます。
85:01/10/26 20:51 ID:Zum2CryZ
初期の雪洲映画はトーマス・インスのプロデュースによるものです。このスタジオ
「インスヴィル」は今でいうハリウッドからは大きくはずれ、どちらかというと
現ドジャー・スタジアムの近くだったようです。オルヴェラ街も近いので、当時は
こちらのほうが便利だったのかもしれません。ここから「タイフーン」をはじめと
する雪洲映画や西部劇が量産されました。
86:01/10/27 20:44 ID:ddXyICex
雪洲の作品はあまり「スカッ」とするような快作がありません。問題作だったり、
オスカー狙いであったりと、日本人としての立ち振る舞いを最重要視してきた結果、
そういうことになったのかも知れません。
ただ、フィルムは無さそうですが、「アラビアン・ナイト」も撮っており、派手な
アクションものも数本はあったようで、ぜひこの類いを見てみたい。
87:01/10/28 10:56 ID:cqPYtl0r
雪洲はアメリカのTVドラマにも出演しています。どの文献を読んでもすべての記述
がないので、代表的なところを挙げると、1963年のロバート・アルトマンによる
あの「ROUTE66」にもゲスト出演しています。episode[Two Strangers and
an old Enemy] という回です。また、1958年には「灼熱の孤島」というドラマ
に出ており、これは後に三船とリー・マーヴィンがやった「太平洋の地獄」と同じ
原作です。ぜひ見比べてみたい。
88:01/10/28 21:17 ID:XK1W/nWD
LAのブロードウェイは、NYのそれと違い、吉野家があったりするちょっと雰囲気
の怪しい通りですが、リトル東京からは近く、雪洲も映画デビュー前の公演をここで
行っていたようです。リトル東京自体、そんなに広いエリアでないため、日本人相手
の公演だけではすぐに行き詰まってしまったのではないでしょうか。まだこの当時は
ハリウッドなども存在せず、中心はダウンタウンでした(ある意味、今もそうですが)。
89:01/10/29 21:17 ID:XidMMJH7
雪洲は1930年代の日本映画活躍期には、結構いいスタッフと仕事をしています。
1933年の「楠公父子」では、活動写真界の大ヒーロー、尾上松之助ともかなりの
本数を組んだ池田富保が監督を務めた他、1934年の「天下の伊賀越」では撮影監督
を後のウルトラマン生みの親、円谷英二が担当、1935年の「日蓮」ではやはり
撮影監督として、後の黒澤組常連、中井朝一があたっています。
90:01/10/30 23:03 ID:4Kl2Bix6
雪洲の活躍の舞台は欧米と日本ということになりますが、1935年には自らの劇団を
引きつれて、朝鮮、台湾、中国、満州と「釈迦一代記」の芝居でまわりました。
細かいことをいうと、上記は当時日本じゃないか、という考えもありますが、現代の目
で見れば、雪洲はアジアにも目を向けていたことになります。
91:01/10/31 22:17 ID:pKnOVQE1
雪洲が製作に一番苦労した作品は「マカオ」でしょう。「マカオ」は1939年に
雪洲がパリ・シャンゼリゼ通りにプロダクションを設立した第1作で、コストもかけた
ようですが、同年ナチスがフランスを支配し、反ナチのエリック・フォン・シュトロハイムが
出演していたことから上映できず、仕方なくシュトロハイムの出演部分をピエール・
ルノワールで撮り直して、やっと1942年に公開。オリジナルは終戦後の1945年に
なってようやく日の目をみました。6年越しの大作だといえます。
92名無シネマさん:01/11/01 16:16 ID:ZgklP+MP
戦場にかける橋のおっさんというイメージしかなかったけど・・・
思わず学んでしまった。しかしなんかこれすごいスレだね。
93:01/11/01 22:37 ID:9Yy3Bs71
雪洲の代表作「チート」は、ハリウッドでも「永久に保存すべき映画」に指定されて
おり、注目も集めていますが、1915年公開当時は大変だったようです。アメリカ国内
だけでも300万jの興収を上げ、これは現在のドル換算で4,350万jという映画館の
数が一桁違った当時では、ケタはずれのヒットでした。しかし、あまりの内容に日本大使館
からパラマウントに抗議が来るわ、国交を考慮してイギリスでは上映禁止になるわと、
まさに国際的事件になったようです。当然日本人も好ましく思わず、このイメージが
まだ完全に払拭されていないように思います。
94東洋キネマ:01/11/01 23:15 ID:wwTXpewv
>>49
80年程前にアメリカで活躍したダンサー兼振付家に伊藤道郎という人がいるけど、
彼のことじゃないかな?ハリウッド映画にも出ている。
彼は演出家の故千田是也のお兄さん。
当時東洋人の舞台芸術家としてアメリカのマネージング会社と契約し、活躍した人は
他に中国京劇の名女形梅蘭芳、朝鮮の舞踊家崔承喜がいたけど、多くの弟子まで持っ
たのは伊藤道郎ただひとり。モダンダンスという分野だったせいもあるかも。
早川雪州はアメリカで大スターになったけど、悪い日本人ばかり演じたため
日本での評判は悪かったんじゃなかったかな。
一方、上山草人はフーマンチューシリーズなどの中国人探偵や
怪しい東洋人を演じても、決して日本人役は演じなかった。
95:01/11/02 23:31 ID:4FlESDh0
1931年に雪洲がノークレジットで出演したドキュメンタリー「Around the World
in 80 Minuts with Douglas Fairbanks」は、タイトル通りダグラス・フェアバンクス
のための映画ですが(未見)、共同監督があのヴィクター・フレミング、音楽監督が
アルフレッド・ニューマンなのです。雪洲出演の未見映画の中でも、最も見たい1本
です。
96通りすがり:01/11/03 01:02 ID:JUQKx0ab
朗報です。
前に話題が出た50年の伊藤大輔監督『レ・ミゼラブル あゝ無情』が
12月に東映チャンネルで放映されるようです。133分もあるんだね。
97名無シネマさん:01/11/03 03:52 ID:EBZXqZRQ
市川に住んでた時期があったらしいぞ。
おれんちの3軒となりだった。
98名無シネマさん:01/11/03 04:13 ID:9XJuUIqz
もうだいぶ前に東京国際映画祭で見た「ラ・バタイユ」とかいうタイトルだったと
記憶しているけれど、日露戦争の話で早川雪洲と青木鶴子共演でしたね。
雪洲がプロデュースも兼ねていて、神秘の国(ロシアに勝ったアジアの小国と
いう意味の)日本を紹介する目的もあったとか。
この映画、海外での評価はどうなんでしょう?(日本人女性を日本人とイギリス人、
二カ国の男が取り合うというのは斬新で面白かったけど)。
99名無シネマさん:01/11/03 04:25 ID:FEeah6np
100名無シネマさん:01/11/03 04:25 ID:FEeah6np
101:01/11/04 01:03 ID:NUsw+PcG
>>96
それはすごく見たい・・・・が、東映チャンネルって、家では見れない・・・。
来春にでもDVD化望む!
102ひろ:01/11/04 01:10 ID:9CHL9nNv
荒らしをうまく使わないとスレを伸ばすのは難しい。
103:01/11/04 23:09 ID:Im6rQaNu
>>98
フランス本国ではヒットしたとのこと。ツーロン海軍基地を佐世保に見立ててロケをした
そうです。残念ながらこの作品、未見なのですが、東京国際映画祭のレポートによると、
サイレントの135分はきつかった、と論評した人がいました。
日本公開は1924年。日活の配給で公開され、東郷平八郎も鑑賞したそうです。
アメリカでの評価は不明ですが、公開タイトルは「The Danger Zone」でした。
104名無シネマさん:01/11/05 01:54 ID:i012Zwpe
なかなか感動的なスレである。荒らしも(なぜか)ないし。
大島はハリウッド・ゼン撮るのかな。
105:01/11/05 23:01 ID:+bvYRLH6
今をときめくトヨタ自動車がA1型試作車を完成したのが1935年ですが、雪洲は
すでに1917年にキャデラックを乗り回していたそうです。アメリカンドリームを
象徴するようなエピソードですが、当時の日本人移民にとってもうれしかったようで、
当時雪洲の運転手をしていたトーヨー宮武氏もこの大スターをベタボメしています。
106:01/11/05 23:25 ID:Q9YyAZHb
何年か前に、「しってるつもり」で雪洲の特集やってて存在知りました。
彫りの深い顔(たしか)でハマキに笑顔。
なんてかっこいい人なんだ!!って記憶があります。

雪舟の絶大な人気に嫉妬した、向こうの役者もたくさんいたとか?
107:01/11/06 23:15 ID:u9/nr/fq
1922年、スイス映画誌の人気投票で、「好きな俳優」はダグラス・フェアバンクス
、「好きな女優」はメアリー・ピッフォード、「好きな喜劇俳優」はチャールズ・チャップリン、
「好きな悲劇俳優」は雪洲でした。まだ欧州へは本格進出していない時期であり、
その人気の高さが証明されています。
108:01/11/07 22:19 ID:m3sWWysL
1987年に大ヒットした「ラスト・エンペラー」の主役、ジョン・ローンはこれ以後
ハリウッドスターの仲間入りをしました。この際、アメリカメディアの書き方に
「第二の雪洲現る」というものがあり、確かに少し似ている気もしますが、いずれにせよ
雪洲のアメリカでの根強い人気を裏付けることとなりました。
109:01/11/09 00:59 ID:cZ2B7Cr5
絶頂期の雪洲がハリウッドに設立した独立プロが「ハワース・ピクチャーズ」です。
1918年途中でパラマウントとの契約が切れたのを機会に、シカゴ大学時代の友人
の父親の出資で設立しました。配給もパラマウントに頼らず、新興のロバートソン・
コールに一任しました。このとき雪洲はスタジオも購入していますが、場所は不明です。
ただし、ロバートソン・コールに近かったとすると、現パラマウントスタジオの敷地内
であり、パラマウント見学の際、何か残っていないか探してしまいました。
ともあれ、雪洲は1本15万jの予算でスタート、1922年までハリウッドメジャー
として君臨しました。カッコいい話です。
110:01/11/09 22:36 ID:YlorKAcN
自衛隊インド洋派遣記念。雪洲は日本時間1941年12月8日、日本軍がパールハーバー
を奇襲攻撃したことをパリで知り、「こんなことをするのは、わが日本ではない。軍部の
バカどもだ」と怒ったそうです。いま、雪洲がいたらどんなコメントを残したでしょうか。
もっとも、大親米派の雪洲のこと、今回は激烈に賛成していたかも知れませんね。
111名無シネマさん:01/11/11 08:46 ID:1CNpSv8J
雪洲の息子(青木鶴子の子ではない。ルース・ノーブルとの子)、雪夫氏は現在も
ロサンゼルスに在住しており、貴重な証言者となっていますが、この雪夫氏も俳優と
してのキャリアを持っています。といっても活動はほんの少しの間で、判明しているのは
氏が34歳のときに出演したデビュー作「カルテロ・カルタス日本へ飛ぶ」という
TBSのドラマで、1963年11月24日にOAされました。また、次女の富士子
(大森時代の愛人との子)も「レ・ミゼラブル」に出演(こちらは親子共演)しており、
その容姿は雪洲のカッコよさを継承していたようです。
112:01/11/11 23:46 ID:M0OOgdrL
現在のLA、リトル東京はちょっと寂れた感じで、オニヅカストリートからダンヒル
も撤退、松坂屋の跡にはダイソーみたいな中途半端なスーパーが入り、またヤオハンも
撤退、地元の日系スーパーが1階に入って、2階は廃屋状態という惨憺たる状況です。
雪洲がいたころのリトル東京は活気があったことでしょう。リトル東京の生き字引であった
故・トーヨー宮武氏は雪洲について「私の古い友人なのですが、ご存知でしょう、早川雪洲。
今世紀最大の映画スターです。彼の登場は嬉しかったな。日本人の男なんか相手にされない
時代にね、さっそうと現れたんですよ。そりゃあ凄かった。白人の女性がね、日本人の男に、
あなた、身を投げ出すのです。信じられなかった。」と語っています。
113名無シネマさん:01/11/12 14:45 ID:lyGRZfer
大島渚監督、雪洲の映画作る予定だったの、やめちゃったのかな。
坂本龍一主演の予定だったやつ。
114:01/11/13 18:40 ID:ZfVAL3UJ
>>113
製作者ジェレミー・トーマスの金欠状態+大島監督の状態+ヴァレンチノ役のアントニオ・
バンデラスのスケジュール調整などもあり、当面は厳しいのではないでしょうか。
「ハリウッド・ゼン」。
115:01/11/14 23:59 ID:xMdF1cGR
1952年9月24日、帝劇にて行われた「世界映画社 創業30周年表彰」で、日本映画
に功労があった10名に賞が贈られました。受賞者は雪洲の他、黒澤明、飯島正、大谷竹次郎
川喜多長政、城戸四郎、谷崎潤一郎、津村秀夫、六崎市之助、森岩雄で、恐らくこの時が
雪洲、黒澤の初顔合わせだったのではないでしょうか。羅生門について雪洲は黒澤に何と
言ったのでしょうか。興味深いところです。
116:01/11/16 00:48 ID:o7sI2/2F
1952年当時は、まだハリウッドのグレンギャリ城が存在しました。雪洲の手を
離れてからは精神病院にも使われ、フリーウェイが通ることになって、ついには
取り壊されたという数奇な運命を辿りましたが、ともあれ、1952年といえば雪洲が
ハリウッドを離れて30年が経っています。途中、しばらくトーキー初期に戻りましたが
スーパースターとしての盛りは過ぎており、雪洲など忘れ去られていた可能性もある
のですが、ところがどっこい、まだハリウッドのバスツアーでは「ここがセッシュウ・
ハヤカワの屋敷跡です」と、コースで回っていたそうです。これも面白いエピソード
ですね。
117:01/11/17 01:06 ID:eMlU3LI7
「緑の館」はオードリー・ヘプバーンと共演したMGM映画ですが、監督のメル・ファーラー
がアマゾン流域で多くの実写をフィルムに収めてメトロのスタジオで俳優と合成した映画です。
モデルにしたあるインディオの集落で、雪洲そっくりな酋長に出会ってしまったこと
から、メル・ファーラーの頭の中では一番早く配役がされた、との笑い話があります。
オードリーも雪洲を大変厚遇したそうで、ハリウッドの順列、というか歴史を感じさせます。
118:01/11/18 00:19 ID:4zAbWK7N
雪洲はアメリカをはじめ各国で劇団を率いていましたが、総体的にみるとこちらの
方は成功したとは言いがたい状態でした。しかし、演劇好きの周りには演劇好きが集まる
もので、1956年に日テレでOAされた「次郎物語」では「民芸」の重鎮、宇野重吉が
共演しています。5月から8月のワンクールのドラマだったようです。ちなみに、この
作品、脚本は久板栄二郎が書き上げており、「白痴」のようなキレがあったのか、
どうしても見たい一作です。
119:01/11/18 23:51 ID:JaKQN1D9
雪洲が渡米したのは「一旗上げてやろう」的なものではなく、中耳炎のために海軍試験を
パスできなかったことが大きな要因です。この中耳炎も慢性のものではなく、試験直前に
海で遊んでいてトラブったもので、もし雪洲がそのまま海軍へ進んでいたら、歴史も大きく
変わったのでしょう。「ラバタイユ」を東郷平八郎が鑑賞した、という事実は、十分な出世奉公
だといえます。
120名無シネマさん:01/11/19 01:18 ID:3viHWFtW
で、トマス・H・インスを殺したのは誰?
121名無シネマさん:01/11/19 11:24 ID:GKoj5miU
矢口まりっぺとどっちが背高いの?
122:01/11/20 00:15 ID:fsspdfym
>>120
トーマス・インスは1924年、42歳で死んでしまいましたね。パーティー会場での
死はずっと謎とされ、マリリン・モンローなどとともに「ハリウッド7つの死体」に
数えられています(公式には溺死)。もとはエジソン社で俳優をしていたインス、いわゆる
後世に残る大作はないですが、西部劇や日本劇をハリウッドに定着させたことは功績であり、
大成功したプロデューサーなので、やっかみや嫉妬などはいくつもあったでしょう。
雪洲も1922年にスタジオで自分に向けて大セットが倒れてきたことがあるそうで、
成功=リスキーなのでしょう。ブランドン・リーの死因がわからないのだから、インスの
死などさらに謎です。解けることはない、これもひとつの伝説なのだと思います。
123:01/11/20 23:33 ID:vXOlNDUp
雪洲がセシル・B・デミルと組んで企画したのが、時代劇大作「桜の園」でした。
1916年のことで、侍の衣裳300着、槍50本、かご3台などを用意、かなりの
規模になりそうでしたが、原作者と意見が折り合わず、撮影直前で中止になってしまった
そうです。「チート」の翌年であったので、デミル・雪洲ともイメージ回復ともいうべき
企画に走ったのでしょう。ハリウッド産の時代劇、見たかったですね。
124名無シネマさん:01/11/21 00:42 ID:iauti3td
アメリカの議会図書館でトマス・H・インスの作品、いわゆるインスヴィルで製作された
作品が続々復元されているらしい。<ドミノ>と呼ばれる早川雪洲&青木鶴子の映画で、
これまで失われていたとされていた映画が見られる日も近いぞ!
125:01/11/22 01:16 ID:GOMETMWS
>>124
それは初耳で、すんごい情報です。LAかNYで特集上映でもしたら、思わず
行ってしまいそうです。
126:01/11/23 01:00 ID:Q5XeBBzA
雪洲のハリウッドでの成功とは反比例して、アメリカの反日感情は高まるばかりでした。
雪洲の成功の象徴だった豪邸「グレンギャリ城」も、実は雪洲の持ち家ではなく、
ドイツ人の名義を借りたもので、なぜ現貨幣価値で1本1,000万ドルの出演料を得る
スターがそんなことになったかというと、1913年に日系人の土地所有を禁止する
法律が米連邦議会で可決されていたからです。そんな中、頂点を10年近く維持した
雪洲というのは、やはりスゴイと思います。
127:01/11/24 00:43 ID:xxgSn1m/
雪洲はサミュエル・ゴールドウィンとも組むチャンスがありました。1926年に
オファーがあり、ロナルド・コールマンが主演の「ダーク・エンジェル」という作品です。
この頃雪洲はハリウッドを離れ、NYで舞台活動をしている時期で、まだトップスター
であったため、一段落ちる配役を嫌い、これを断っています。少し残念。
128:01/11/24 22:28 ID:3eWtYxMf
1937年の日=ナチス独合作の「新しき土」。雪洲唯一のドイツ映画ですが、2年後
にはパリでナチスの災難を受けていたことを考えると、因縁深いものがあります。
ドイツではもちろんヒトラーも鑑賞したそうですが、当時の宣伝相、ゲッペルスは
「映画は映像的にすばらしく、日本の生活や考え方について良い印象を与え、筋書きも
妥当である。しかし、やりきれぬほどに長い。これは大変なマイナスだ。ハサミが
あれば大幅にカットしてやりたい」と語っており、お気に召さなかったようです。
129:01/11/25 23:57 ID:DXE9OiPh
雪洲は晩年になっても、友情出演とかは一切断っていたことも有名です。1960年代後半は
仕事が来なくなったわけではなく、めったに仕事をしなくなっていたようです。
当時の黙子夫人によると「友情出演のようなお話がございましても、普通の日本の俳優さん
なら‘ウン‘というところを、あの人は簡単に首を縦に振らないんです。ランクが落ちる、
といいましてね」と語っており、雪洲らしい考え方だと思いました。多分、東宝には
出る機会はなかった(当時は東映が主軸)でしょうから、三船との共演は見られなかった
かもしれませんが、中村錦之助や高倉健はチャンスがあったはずです。ぜひ見てみたかった
ですね。
130:01/11/27 00:23 ID:6QUwt4e4
雪洲が自身のプロダクションを持っていた1918年〜1922年はじめまで、1年間に
7〜8本の映画に主演していましたが、なぜか1921年は4本しかでていません。
現代のデニーロよりも少ない本数ですが、これは雪洲がダウンしてしまったことに起因
しています。32歳の時ですが、「スワンプ」撮影中に盲腸で倒れ、痛み止めを打ちつつ
やっと完成させたあと、無理がたたって5週間入院してしまったそうです。
配給会社のロバートソンコールは死亡確認をする騒ぎになったようですが、これが
両者の関係に亀裂が入るきっかけになりました。
131:01/11/28 00:26 ID:OIVdkNpU
1950年、大映永田ラッパの招きで10年ぶりに帰国した雪洲が主演したのが
「遥かなり母の国」でした。監督は伊藤大輔で、山田五十鈴、京マチ子が共演して
います。京マチ子はこの作品のあと(3月公開)、黒澤=三船の羅生門(8月公開)で
大ブレークしました。音楽はゴジラの伊福部昭が担当。永田ラッパは、せっかくの雪洲
映画だからということで、この作品をハリウッド公開したく、英語字幕もインポーズ
したものを製作しています。最初はもちろんLAへ送りましたが、連携の悪さもあって
上映に至らず、結局雪洲のふるさととでもいえるパラマウントNY支社で小規模公開される
に終わりました。さすがのパラマウントも30年前の雪洲と同じ扱いはできなかった
のでしょう。
132:01/11/28 23:56 ID:vK0rpAm6
逆に、雪洲が持ち込んだ作品が日本で公開できなかったのもあります。1949年の
アメリカ映画(FOX)「スリー・ケイム・ホーム」がそれで、雪洲は善良な陸軍大佐
を演じているようです(未見)。「或る夜の出来事」でオスカーを得たクローデット・
コルベーユが共演した作品ですが、戦争イメージが強いため、日本へ持ち込んだものの
GHQに却下されました。米でビデオがあるようなので、見たい作品です。
133名無しさん:01/11/28 23:58 ID:MzQZgYVl
ショー・コスギって実際どの程度なのさ?
134:01/11/29 23:50 ID:kaNAwwoR
>>133
1980年代の時点では確かに一時期ブレイクしました。小杉正一。最初は
メナハム・ゴーランのキャノンフィルムだったので、配給網もしっかりしており、
ニンジャ3部作まで全米でミドルヒットを記録。しかし、キャノンがニンジャものを
作らなくなってからはあまりいい作品がありません。1987年の「ブラック・イーグル」は
ジャン=クロード・ヴァン・ダム共演のコロンビア映画で、はじめてのまともな
メジャー作品に出ましたが、完全にヴァン・ダムに食われています。座頭市のリメイク
「ブラインド・フューリー」もハリウッドメジャー、トライスターの配給ですが、
主役はルトガー・ハウアーで、コスギは最後に出てくる悪役です。また、1990年、
バブルの波に乗ってコスギ資本で製作した「兜」も全米はWBが配給しましたが、
コスギというより、三船のバリューが買われたのではないでしょうか。
コスギはメジャー感に欠ける気がします。松田優作「ブラック・レイン」にはメジャー感
があります。同時期に存在しないので憶測でしかありませんが、雪洲とは天と地の
差があると思います。コスギが惜しいのは、香港俳優が台頭する現在、LAにいない
ことです。もしかしたら、いい役があると思うのですが。
135:01/11/30 23:05 ID:NIyIby7i
リトル東京、ホテル都インの斜め前にあるのが、日系人博物館。強制収容所のバラック
そのものが保管され、そこで暮らしたジョージ・タケイなどもコメントを残している
興味深い施設ですが、1985年にその日系人博物館が協力して、雪洲人気絶頂期の傑作
「ドラゴン・ペインター」を上映しました。この企画立案者がLA在住の日本人俳優、MAKO
でした。MAKOは弁士も務めたそうで、ぜひ聞きたかったです。「ドラゴン・ペインター」
はどう見ても雄大なアメリカ渓谷を箱根に見立てた作品で、雪洲のカッコ良さも前面に
でた作品でした。
136名無シネマさん:01/11/30 23:53 ID:JF7OMF1z
がんばるねえ。まだネタあったのか?
アメリカの議会図書館のインスヴィルネタ、仕入れたら応援レスつけるよ。
137:01/12/01 23:45 ID:FrEpsfMt
アメリカ議会図書館には「ペーパープリントコレクション」というものがあるそうです。
ハリウッド初期はフィルムのストックではなく、製作者は映画を直接紙焼きした35mm
の複製を寄託していたそうで、その数3,300本。1950年代に一度16mm化した
作品もあったようですが、今回は35mmへ複製し、その中にインスヴィルコレクションも
含まれていた、というのが今回のニュースのようです。11月19日にアテネ・フランセ
文化センターにて、議会図書館の研究員、マイク・マジョン氏を招いてそのシンポジウムを
おこなったようです。私、行ってませんので、惜しいことしました。
その日上映された作品は、グリフィスの「時は流れて」1908、18分、「クリスマスの泥棒」
1908、12分、「ビスケット騒動」1909、9分の他、日を変えてデミルの
「西部の女」1915、63分もラインナップされていました。さて、注目のインスは
1本「イタリア移民」1915,81分のみです。注目すべきは監督で、雪洲作品も多数
撮っているレジナルド・パーカーです。
そのうち雪洲ものも来そうなので、チェックしたいと思います。渡米しないとダメかと
思いきや、向こうが来るんですね。情報あれば教えてください。
138j:01/12/02 17:05 ID:/ii4ckI4
「せっしゅう」って言葉は業界用語で映像関係の人なら皆知ってるよ。

タッパを足すために下に箱馬や座布団を足すことを言うんだけど
139:01/12/04 00:18 ID:MRxLn1PV
雪洲は阪妻とも縁がありました。といっても、仲が良かったという意味ではなく、
「競合」としての争いがあったことを指します。1953年の東映「悲劇の将軍 山下奉文」
では、最後まで阪妻と争い、最終的に雪洲が獲得しました。実はこの映画をサム・スピーゲル
が見たため、「戦場にかける橋」に雪洲を起用した、というエピソードが残っており、
もし阪妻が演じていたらどうだったのかも興味深いところです。もしかすると、
オスカーでも獲っていたかもしれません。もっとも、阪妻はこの年に世を去ってしまいますが。
140:01/12/04 23:28 ID:DtSuJ8eo
1953年8月に公開された新東宝映画「鞍馬天狗と勝海舟」はアラカンとの初共演作
でしたが、実はこの作品も阪妻の代役でした。代役というか、阪妻が7月に51歳の若さ
でこの世を去ってしまったことから必然的に回ってきた役といえます。雪洲は当然勝海舟
ですが、阪妻用の脚本だったことから、殺陣もやります。2、3人を切って捨てますが、
迫力はありました。
141名無シネマさん:01/12/05 01:11 ID:DEa3bljB
すごいスレですね。っていうか、1さんがすごいのか。
本でも書けそうなくらいの深い話を読みふけってしまいました。
賞賛の気持ちあげ。
142名無シネマさん:01/12/05 01:31 ID:S3/LL5no
>138さん 逆に「なんでせっしゅうって言うんだぁ〜?」って
人の方が多かったりして。
143質問:01/12/05 02:04 ID:/iBJJtgk
>>137
その紙焼きというものはどんなものなのですか?
フィルムのプリントよりも解像度というか、保存性というか、が優れているものなのでしょうか?
144:01/12/06 00:13 ID:IzO8dW3c
>>141
「1」です。ありがとうございます。7年ほど前に文春刊の「ハリウッドの日本人」
を読んで、雪洲に興味を持つようになりました。カッコいい日本男児だと思います。
>>143
実際説明を聞いていないので、憶測になりますが、いわゆる「製版ゲラ」のようなもの
だと思います。例えば新聞広告原稿を新聞社に入稿する場合、今でもフィルムとゲラを
セットで入れる必要があります。フィルムはネガ状態ですが、ゲラはそのまま完成原稿
になっているため、分かりやすいといえば分かりやすい。保存性も焼けてしまうフィルム
より若干よいのではないでしょうか。当時はこの状態のものを保管し、現在それを
フィルムに復元しているのではないかと思います。当日行かれた方、正確なところを
教えてください。
145名無シネマさん:01/12/06 01:03 ID:EmeMxMZJ
保存性の優れているものの順から。紙→フィルム→ビデオ。つまり文明が進むほど保存性は
悪くなっているということ。議会図書館に紙焼きで保存されていたため、フィルムより保存性
が高く、今日フィルムとして復元されたのは皮肉というほかない。当時は映画の著作権法が整
備されていなかったため、書物として公の機関に納品されることになっていたので、このよう
な形になったそうだ。
146名無シネマさん:01/12/06 16:11 ID:sK/7GQDv
はさんへ。
この前の火曜日に「ハリウッドの日本人」を古本屋で買いました。
今読んでいる最中ですが、早川さんの凄さが載ってますよね。
600人ぐらいの映画人を呼んでのパーティーとか、いろいろと、凄いエピソード満載です!
自分も最近、早川さんに興味を持っています。
しかし、今の時代に早川さんに匹敵するほどの日本人ハリウッドスターは現れるのでしょうか?
どう思いますかねえ?
147:01/12/06 23:48 ID:HeRaPbKv
>>145
完答、ありがとうございます。スッキリしました。
>>146
将来的には1000万ドルとる日本人俳優は出るかもしれません。でも、やはりスケール感
が違うのではないでしょうか。ワールドワイドの映画で映えた日本人俳優は雪洲と三船だけ
です。松田優作は1作だけなので、惜しいところでした。現在のハリウッドではチョウ・ユンファ
でしょうか(アジア人としてね)。唯一、ケイン・コスギは映画に耐えうるネイティブな
英語を喋るし、年齢を経るごとにそれらしくなっていく可能性があると思いますが、
どうですかね。
148名無シネマさん:01/12/07 08:42 ID:lz2BzMjp
キムタクはどうでしょうか?
でも、香港映画降板したらしいからなあ・・・。
加藤雅也は?
149:01/12/08 01:02 ID:7noEt7Q7
>>148
英語力。これに尽きます。雪洲がトップを極めた時期がサイレントであったのも、
今から思えば恵まれていました。三船は意外に滑舌がよく、暗記にしては上出来でした。
私も喋れませんけど、映画を見ているとネイティブか、それに近い英語をしゃべるアジア人
は安心できます。例えばミシェル・ヨーとかね。
また、アジアのカッコいい系は、ハリウッドで受けたためしがありません。キムタクも
加藤雅也もその点できついと思います。加藤雅也、ゴジラではすぐ死んじゃうし。
150名無シネマさん:01/12/08 16:02 ID:1btT+A+m
若手注目株で、英語がしゃべれる坂口憲二は?
それと、今の時代に例えると、チャップリンはジャッキーチェンで、バレンチノがバンデラス?
フェアバンクスは?さあ、一体今の時代に例えると、昔のスターは誰でしょう?
151:01/12/08 23:59 ID:swd9lxIx
>>150
ジャッキーはバスター・キートンではないでしょうか。基本的に雪洲やヴァレンチノ
は今でいえばトム・クルーズやディカプリオの役回りです。フェアバンクス=チャールトン・
ヘストン=シュワ。こんな流れでしょうか。
152名無シネマさん:01/12/09 00:51 ID:XHQ+IG4M
雪州=クルーズ!?
じゃあ、相当凄い超大物だったんですね!
153ケイン・コスギ:01/12/09 01:01 ID:YZGRDFmg
ハヤカワさんを目指してテレ東で毎週走ってます。
154名無シネマさん:01/12/09 18:27 ID:kKmT2RjW
今日、図書館で「聖林の王 早川雪州」野上英之著 社会思想社
を借りてきました。
155:01/12/09 19:47 ID:oqESy1Qq
>>154
その本が一番公正性が高いものだと思います。雪洲が書いた「武者修行世界を行く」も
面白いですが、明らかな作り話系あり。1959年3月の初版ですが、現在でも日本
図書センターから発売されています。私はアマゾンで購入しました。
他、雪洲の記述がある本は「イエローフェイス」(朝日新聞社)が良いです。
いずれにせよ、トム・クルーズと比較するのが疑問な方は、これらの本を参照ください。
156:01/12/11 00:31 ID:ch6f7xNx
雪洲がハリウッドを離れたのが1922年春ですが、あと10年LAにいれば、かなり
歴史も変わったのではないでしょうか。少なくとも、オスカー候補、あるいはウィナーの
チャンスが最も大きかったひとりだったでしょう。第一回アカデミー賞は1929年5月19日、
ハリウッド大通りに今でもあるルーズベルトホテルで開催されましたが、当時の会長はD・フェアバンクス
であり、この年チャップリンも2部門でノミネートされています。また、翌年の第2回で
メアリー・ピックフォードが女優賞を獲得したときには、少し選考がおかしい、との
騒ぎになりました(メアリーのトーキー第一作で受賞も、ウィナーになるほどのアクト
ではなかった、との声多し)。いずれにしても、この頃はサイレント時代のヒーロー、
ヒロインが「功績賞」のような扱いで登場しており、雪洲もいまから考えればもったいない
話でした。
157名無シネマさん:01/12/11 09:37 ID:VvcmzaQa
早く雪洲を超える日本人ハリウッドスターの出現が待たれる。
誰かいないのか・・・。
158名無シネマさん:01/12/11 09:49 ID:xaUQ5JCC
>>157
日本って国が発展途上である時にしか偉大な人物って出ないんだよね。
このまま不況が続いて国力が下がればスターが出るかも?
159名無シネマさん:01/12/11 13:27 ID:dqmtE9Ys
ビートたけしが本で言ってたんだけど、「もう石原裕次郎や高倉健、美空ひばりのようスターは出てこない。
スターは、メディアや事務所が作るのではなく、大衆が作ると思います。
158さんの「発展途上である時にしか偉大な人物は出ない」と書いてありますが、昔はそういうときに出たスターは、誰ですか?
教えてください。それを教えていただければ、次代の国民的スターを予測できるかもしれない・・・。
ちなみに、キムタクとかはどうなんだろう・・・?
160:01/12/12 00:27 ID:CeMcua/n
少し前に書きましたが、1,000万ドルを獲る日本人俳優はきっと出ます。額面で
雪洲と並ぶ(現貨幣価値でね)ことになりますが、その中身は大きく異なると思います。
出演料10億円で「スターウォーズ」みたいな映画に出て、世界中に顔が知られて、
女(女優さんなら男)にモテまくる。でも、それってスターなのでしょうか。ジュラシックパーク
の主演も恐らく1,000万ドル級のギャラを得ていると思いますが、誰だか覚えてますか?
SFXで何でもできる映像世界で、俳優はどんどん居場所がなくなっています。
コケたファイナルファンタジーにしても、もう俳優いらないじゃん、という感じだし。
ゆえに、スピルバーグの撮る「カラーパープル」や「シンドラー」「アミスタッド」
などの作品はえらく地味に見えてしまいます。「タイタス」「グラディエーター」など
は壮大ですが、マットペイントとブルースクリーンの山。どこに俳優の価値が?と
思ってしまいます。雪洲はセシル・B・デミルやデヴィッド・リーンなどの大監督と
組んでいます。「戦場にかける橋」の緊迫感は、リーンの長尺完全主義だけで出ている
ものではありません。すべてが「生」だから新鮮なのです。「アラビアのロレンス」もそう。
「ベン・ハー」を見てしまうと「グラディエーター」がとっても軽く見えてしまう。
現代は俳優には受難の時代ですね。昔は汗も本物でした。黒澤映画の三船の汗も
霧吹きではありません。大衆が選ぶスターというのももっともですが、そもそも
「大衆」が消えています。「個」が好まれる中では、やはり大スターは出にくいのかも
しれません。
161:01/12/12 21:55 ID:hGOeZVwC
>>159
「発展途上時に出たスター」というのも時代性が大きく関係していると思います。
最初の大スター、尾上松之助も富国強兵のイケイケのなかで誕生した経緯がありますが、
松之助はとにかく子供たちに人気がありました。何せ画面から一瞬消えてしまったりする
のですから、本当に「魔法使い」だと思ったでしょう。千恵蔵や阪妻も軍国イケイケの
なか、デビューしましたが、今でも日本映画No.1と信じて疑わない大傑作、千恵蔵の
「鴛鴦歌合戦」など、時代との格闘性を持っていました。
裕次郎の「狂った果実」もものすごいカメラワークと、現代も通用する「危うさ」が印象的
な傑作で、これも高度成長へのアンチテーゼだったような気がします。
でも現在はIT社会。映画は我々にとって最優先メディアではありません。最優先どころか、
10番に入るかどうかの状態ではないでしょうか。
沈没寸前の日本をもはや映画は助けられないのかもしれません。でも、イチローや野茂、
中田がスポーツを進化させたように、誰かがハリウッドで成功すれば、その新スターが
凱旋帰国し、いい意味でのアンチテーゼをうたう映画づくりが出来るはずです。
例えばキムタクが「シンドラー」のような映画の主役を張れる時代が来るのか、「いや、
そのような話題の映画にでるのは・・・」などといってるうちはダメでしょう。ハリウッド
の良さはそこにあるのですから。
162名無シネマさん:01/12/12 22:32 ID:c88oXgMi
本当に日本人ハリウッドスターが現れて欲しいよなあ・・・。
スポーツ界にはたくさんの世界的成功者が出てるというのに、なぜか日本の芸能界は鎖国的なんだよなあ。
黒澤監督はもちろんのこと、三船級のスターはもう出てこないのかなあ?
残念ですねえ。早川雪洲みたいな人を期待しても無理なのかなあ。
なにせあの頃は、無声映画であって、トーキーじゃないからなあ。やはり英語がネックですよね。
同じアジアで香港からは、ジャッキーチェンやジョンウーなどが向こうに行って大活躍していますが、
それはカンフー=アクションという「パスポート」がありますからねえ。日本は「パスポート」を持ってるのでしょうか?
北野武?黒沢清?三池崇史?キムタク?浅野?永瀬?この人たちはどうなんでしょうか?
ブラピの企画で、北海道ロケが予定されていて、監督にコーエン兄弟の作品で、大物日本人共演の企画があったらしいけど、
中止になったみたいだし・・・。なんか日本映画界は、ついてないですね。でも、「ヴァーサス」というアクション映画の北村龍平監督が、
あの「プラトーン」のプロデュサーと組んで、戦争映画を撮影してるらしいから、その人に期待できるかも。
これがハリウッド進出作です。成功したら、どんどん日本の映画人が進出するかもしれません。ジョンウーが成功して、香港とハリウッドの掛け橋になったみたいに。
さて、誰がハリウッドで成功するでしょうね?
163:01/12/13 23:40 ID:+rriAM3s
スタッフだったら十分行けるんじゃないですか。実際坂本教授なんかもオスカー
獲ってるわけだし。問題はやはり俳優ですね。LAでどれくらいチャンスを待てる
か、ということ。アメリカ人が見るのですから、恐らくジャッキーの英語とかは
すごく聞きにくいはず。セルジオ越後が主役の映画があるとすれば、見てると疲れる
気がします。やはり日本語は日本語、英語は英語をクリアに喋らないとダメですよね。
やっぱり私はケイン・コスギを推すんですが。30歳前にLAに行け!
164:01/12/14 22:24 ID:pfqmNuhY
雪洲が本当にスーパースターだったのは1913年〜1922年の約10年です。この
時期はすべてサイレントであり、確かに言葉の問題がない分、幸運だったと思います。
雪洲と入れ違いにハリウッドへやってきた上山草人は、1924年の「バグダットの盗賊」
でD・フェアバンクスの敵役を演じ(ブラックレインでいうM・ダグラスに対する優作と同じ)、
一躍スターになりましたが、草人の不幸は、すぐにトーキーの時代が到来したことです。
まあ、非常に東洋人系の顔をしていたので、雪洲級のスターにはなり得なかったと思いますが、
草人はこの永遠の差をずっと気にしていたようです。例えば「戦場〜」の雪洲の英語には
クセがあり、これが1913年のデビュー作であったら、人生そのものも変わっていた
でしょう。この点からも、第二の雪洲は出にくい、ということになりますよね。
165:01/12/15 22:22 ID:xZSY8GPM
雪洲は出演作品を見ても、いわゆる「二枚看板」ものは皆無です。ボギーやオードリー
との共演も、今でいえば真田広之が丹波哲郎に胸を借りるようなかたちで、いわゆる
「2大スター共演!」という時代は過ぎていました。日本でも唯一千恵蔵が大石で、雪洲
が立花左近という「忠臣蔵」が目立つ程度で、ほとんどスターとしてのワンマン映画が
多かった役者でした(ハリウッドのトップを極めたのだから、至極当然かも)。
でも、やはり見たかったのは三船との共演ですね。雪洲は東宝に出ることはなかったと
思いますが(晩年は東映と契約)、1960年頃、三船が「用心棒」で世界進出し、かつ
「価値ある男」がオスカー外国語映画ノミニーを果たした時代に1本くらいチャンスが
なかったのでしょうか。三船40歳、雪洲71歳の時です。真田と丹波のケースと
同じ年齢差ですよね。もう叶わぬ夢ですが、時代劇が見たかった。出来れば黒澤か稲垣でね。
166:01/12/16 21:45 ID:YIrl3CTs
雪洲自身がグレンギャリ城について語った記事があります。1957年6月の文藝春秋
で伊藤道夫氏と対談、その際にこう語っています。「当時(1910年代)、新聞に(LAの)
日本人の生活程度が低い、という悪口が出ていた。そこで僕は4階建てのお城を作っちゃったんだよ。
お客は600人くらい呼べる。250人くらいのダンスパーティーができる。こっちに4つと、
こっちの方に中庭があって、ずっとみんな広がるようになっている。オーケストラを2つ
置ける。そしてみんなを僕の家に呼んだんだよ。そうしたらびっくりしちゃった訳だな。
‘今までのパーティーのうちでこれが一番よかった‘ってね。」
自書では誇張も多い雪洲ですが、このグレンギャリ城についてはどの書物も共通しており、
本当のことでしょう。現在のハリウッドの若手の人気スポットはウエストハリウッドで、
飲食店のオーナーになっているスターもいますが、雪洲と比べるとケタが違う話です。
当時のスーパースターを証明する証がグレンギャリといえますね。
167:01/12/17 23:26 ID:/Y4yOI52
雪洲がハンフリー・バガートと共演した「東京ジョー」は印象深い映画です。同名の
ブライアン・フェリーのナンバーがありますが、おそらくこれがネタ元です。
ボギーは子供のころから雪洲の大ファンで、敵国関係も終息した1948年暮れにこの
映画を企画しました。舞台が東京なので(撮影はほとんどLA)、ボギーの目指すところは
雪洲であったのは明らかです。ところが、肝心の雪洲が見つからない。当時はパリに
おり、数本の仏映画にも出演していたのですが、現在のようなネット社会でもなく、
日本の鶴子にも生死が分からなかったというのですから、死亡説も出る騒ぎになりました。
製作会社のコロンビアが「尋ね人」広告を出して、やっと見つけたそうです。
もっとも、捜されている方はそんなことを露も知らないので、当時のトップスター、
ボギーの誘いにはびっくりしたのではないでしょうか。ともあれ、映画は無事の撮影
され、1949年に公開されましたが、その出来はいまひとつです。丸の内界隈の
シーンは東京ロケで、新鮮さもありますが、同年に撮られた「野良犬」に比較すれば
ロケ時間も短く、雪洲の悪役も「チート」のキレがありませんでした。
ただし、現在語られるべきことは内容ではなく、ボギーの男気についてでしょう。
ボギーは雪洲を最大限の誠意をもって迎え、大先輩の演技を見守っていたそうです。
現在の日本では高倉健でさえお笑いにしてしまいそうな風潮があり、まさに大違い。
オードリーの際にも書きましたが、とにかくハリウッドでは成功者に対する敬意は
ものすごいものがあります。これを日本でも少しは見習ってほしいですね。
168名無シネマさん:01/12/18 09:51 ID:18AB6N3p
雪洲の本を探したが、どこにも売っていない。もう廃版だという。
唯一あるのは図書館ぐらいだ。再版されたらいいのになあ。
169:01/12/19 00:11 ID:4kBmFsMq
>>168
「武者修行世界を行く」はアマゾンでなかったですか?私はここで購入しました。
後の著作は確かに現在ないかも。確実なのは国会図書館でしょう。
170:01/12/20 02:04 ID:P02rs5F3
雪洲の日本での認知度がいまひとつなのは、やはりこの国からみて「国辱」と思われる
(勘違いも含めて)作品が少なくなかったことに起因しているのでしょう。
「カブキマン」とかはやりすぎとしても、「ブラックレイン」や「ライジングサン」
だけでもいくつもの?が見つかるのですから、ハリウッド製日本映画のようなものには
当時の国民には理解されなかったのでしょう。ショー・コスギ作品などもそうですね。
しかし、最も異なるところは「ブラックレイン」「ライジングサン」「ショー・コスギ」
ともに全米での受けも「そこそこ」であったのに対し、雪洲のそれらは当時の映画館数
からすれば爆発的大ヒットの作品が多かったことです。どうも、当時は舶来のスターを
受け入れたくない感情もあったのではないでしょうか。
171:01/12/21 00:17 ID:q1IEuwsF
雪洲の作品にはコメディがほとんどありません。唯一といえるのが1958年の「ゲイシャ・ボーイ」
(邦題:底抜け慰問屋行ったり来たり)でしょう。私、未見ですが、内容は「戦場にかける橋」の
パロディで、自分の庭の池に橋を架けさせている雪洲はなぜか軍服を着込み、「クワイ河
メロディ」のメロディを口笛で吹いている。主演のジェリー・ルイスが「前にも橋を架けて
いませんでしたか?」と尋ねるオチらしいです。多分B級でしょうけど、見てみたい作品です。
172名無シネマさん:01/12/21 00:53 ID:7KwmOa7p
「ゲイシャ・ボーイ」・・・ワラタ 観てみたい
173:01/12/22 01:07 ID:UHmytLWj
「ゲイシャ・ボーイ」の元ネタになったのは雪洲の代表作「戦場にかける橋」ですが、
雪洲はこの作品でアカデミー助演男優賞にノミネートされました。前に書いたように、
ハリウッドを離れるのがあと7〜8年遅ければ、当然初期のオスカーにはノミネート
あるいは受賞をしていたはずで、この7〜8年のために雪洲はオスカーノミニーを20年間
以上遠ざけてしまったことになります。でも、ノミネートされて苦労が報われたのでは
ないでしょうか。受賞会場のハリウッド、RKOパンテイジズ劇場に鶴子を同伴しなかった
理由を記者に問われ「キミは花屋にバラを持ってくるかね?」と返したエピソードは
雪洲らしく、かっこいいものでした。
174:01/12/23 00:25 ID:k3xjc5yH
「戦場にかける橋」、あのデヴィッド・リーンです。現在の中東情勢を見越したような
「ロレンス」からロシア、インドに至るまでハリウッド以外での長期ロケが特徴、ということは
「戦場〜」も当然過酷なロケになりました。雪洲にとって辛かったのは、暑さだけではなく、
女っけが全くないことだったそうです。「こんなことなら来なきゃよかった」などと
子供のような駄々をこねていたそうで、面白いエピソードです。
175:01/12/23 23:06 ID:igoW9mu8
サイレントと雪洲のスターとしての頂点とは非常に関連性があります。雪洲は1924年の
フランス時代までのものがサイレントですが、それまでアメリカをはじめフランスや
イギリスでも圧倒的人気を誇っていました。もちろん、雪洲のカリスマ性が第一であるのは
疑いませんが、サイレントであったことも大きく作用していると思います。何しろ字幕が
英米では英語、仏では仏語、日本では日本語の弁士付きと、画面を見ている限り、雪洲は
英米では英語、仏では仏語、日本では日本語を喋っているのです。ものすごいバイリンですよね。
そこにカリスマ性が加わるのだから、怖いものなしです。
未見ですが、本格的トーキーの第一作、1931年の「龍の娘」(パラマウント)での英語は
非常に日本語訛りが強く、聞きにくかったという評もあります。トーキー時代であれば、
雪洲も「普通の」スターレベルで終わっていたかもしれませんね。
176名無シネマさん:01/12/23 23:43 ID:bUOd/2qx
「は」さん、とても勉強になります。感謝!
177:01/12/25 00:16 ID:60MLii8u
時代性という点でいえば、現在の日本人俳優が世界進出しにくいのは、日本という国力が
低下しているのとも関連していると思います。現在、ハリウッドを席巻しているのは中国
(香港)系がほとんどです。米映画でも「チャイニーズマフィア」ネタが多く(現実と表裏一体
なので大歓迎とはいえないですが)、それだけ俳優にも進出の機会があります。雪洲や草人がいた
ハリウッド時代、日本は「帝国」でした。アメリカ本土やハワイでのアジア人も圧倒的に日本人で、
題材として取り上げるものも多かったのでしょう。現在、ハリウッド映画に登場する日本は
株の話かヘンテコな観光客役ばかりのような気がします。映画の中の映画といわれる
「市民ケーン」でも、冒頭、日本語が出てきます。中央日報という架空の新聞に「ハースト
死す」という見出し・・・。これ、1941年、すなわちパールハーバーの時代の映画です。
また、ジョン・フォードの「パールハーバー」(ベン・アフレック版じゃない)も1943年製作
の交戦状態で作られた作品ですが(ドキュメンタリーではない。アンクル・サムが主人公という
ものすごいことになっている)敵国日本アッパレ、という作り方なのです。数年後、黒澤をかわいがる
ことになるジョン・フォードのこと、決して偏りのある作りはしていません。これに
オスカーを与えたハリウッドもスゴイ。日本で「陸軍」が睨まれたのとは大違いですね。
ちなみに、このジョン・フォード版「パールハーバー」、ミニチュア爆発の手法は微笑ましいですが、
SFXはさすがで、こんな国と戦争やっちゃいかん、と思わせる迫力はあります。
この強い日本が背景にあったからこそ(軍国賞賛ではない)、日本人俳優の「居場所」も
たくさんあったのだと思います。
178:01/12/26 01:35 ID:SzC1Usil
雪洲は1966年に「勲四等旭日章」を受賞しています。もちろん国際俳優としての
功績が認められてのものですが、なぜ四等なのでしょうか。考えてみれば、もうひとりの
国際俳優、三船敏郎も1993年に勲三等瑞宝章を授与されただけです。
ロクでもない政治家が勲一等を授かり続けている中で、果たして現在でも名が残る人が
何人くらいいるのでしょう。確かに雪洲と三船が出演したハリウッド作品には、少し違和感
の残るところもあります。しかし、少なくともハリウッドの頂点を極めた男優に四等はないかな
と思います。印象の強い三船でさえ三等なのですから、国は俳優をナメているとしか
思えません。このあたりにも2大スターに続く人材が出てこない理由が見え隠れします。
179名無シネマさん:01/12/26 01:37 ID:MGPYp5jQ
>>178
基本的に芸人関係は4等が一般的なのよ。60年代だったら
芸人に関する意識が今とは全く違うんだし、三船敏郎とは
簡単に比べられないでしょ>叙勲のレベル
180名無シネマさん:01/12/26 01:40 ID:MGPYp5jQ
それにねえ、俳優が叙勲を喜んでちゃ、個人的にはなんだかな
って気がするよ。
そんなもん関係ないよってくらいの気心でいて欲しいね。
181:01/12/26 01:49 ID:SzC1Usil
>>179
60年代だったら芸人に関する意識が今とは全く違うんだし・・・
このくだり、興味があります。もう少し解説してください。
182:01/12/27 03:04 ID:OYa0YQHp
俳優の評価って、いったい何で決まるのでしょうか。私、俳優じゃないのであくまで
推測ですが、俳優を志す人の多くは「名声」だったり「お金」だったり、いわゆる「評価」
を求めるはずです。食べていくための仕事でもあるわけですし。そんな中で叙勲とか、
人間国宝だとか、国民栄誉賞だとか、確かにもらってどうこういうものではないとは
思います。しかし、例えば勲4等が芸人の標準というのは、やはり地位が少し低いのではないかなあ
と思います。イギリスで「サー」の称号が与えられることは大きな価値基準ですよね。
その点、日本国としての対応は国民も期待していないし、また国も何にも考えていないのかも
しれませんね。
183:01/12/28 02:26 ID:tqiq/KcQ
初期の映画は低俗なものだったともいわれています。演劇界で成功しなかった者が映画界入り
したり、ド田舎のロス郊外に撮影場所を求めてきたり、それは現在の華やかさとはイメージを
異にするものです。「大列車強盗」(1908)に見られるように刺激性のあるものが支持を
得たのも、目新しさ優先の傾向だったといえましょう。何せこちらに向けて拳銃を撃ってくるの
ですから、迫力十分。そんな中での初期ハリウッド映画は「コメディー」=チャップリン、
「アクション」=フェアバンクス、「ドラマ」=雪洲、「西部劇」=W・ハートという
スターを作り上げていったのです。今みても、刺激十分ですから。これらのスター出演作は。
演劇にはない(できない)本物の迫力が観客を魅了したのでしょう。
184:01/12/29 01:03 ID:Lqhhad7C
1954年の新東宝映画「日本敗れず」は現存する雪洲映画のなかでも出色の1本です。
雪洲は阿南陸軍大臣を演じますが、終戦前夜を描いたこの映画は、13年後の1967年に
三船が演じた「日本のいちばん長い日」と同一ネタです。緊迫感、迫力ともに十分な作品で、
共演者として藤田進や丹波、宇津井健などが名を連ねるオールスター映画でした。
ちなみに、新東宝はこの頃から経営が厳しく、翌年に伝説の大蔵貢が社長に就任、トンデモ
会社になっていきます。文芸作品の多かった旧新東宝の最後の傑作といえましょう。
最後の雪洲のシーンも緊迫感満点でお勧めです。
185:01/12/30 00:50 ID:8P++Jkuy
雪洲は1932年に俳優としての本格的帰国をし、同年初の日本映画として16巻の
トーキー大作「太陽は東より」に出演しました。監督も自身が務め、田中絹代を相手役に
迎えています。松竹蒲田の作品で、松竹はフィルムの持ちがよい(火災とか合併とか
がなかった)と推測されるため、ぜひこれをDVD化してほしいです。
186:01/12/30 22:30 ID:JCFCz7l4
日本で雪洲が製作に携わった作品は、いわゆる「人物もの」が目立ちます。日蓮や釈迦
などの大掛かりなものから、荒木又右衛門などの江戸ものまでさまざまありますが、見てみたい
のは1959年2月に日本テレビでOAされた全4回のドラマ「平賀源内」です。
エレキテルや広告コピーなどいろいろと発明した人物像と、雪洲の生き方には何か共通性も
ある気がします。いわゆる「破天荒」なイメージ、という点でね。
晩年、最も充実していた時期のTVドラマだけに、見てみたいです。
187:01/12/31 20:57 ID:G5tquRAr
数年前に何かの特集上映で「東京暗黒街・竹の家」をやってました。未見ですが、この
映画もかなりひどい日本認識映画のようです。1955年製作なので、日本でいうと
「七人の侍」の翌年ですね。監督はサミュエル・フラー。雪洲は「キタ警部」役で助演
だったそうですが、どうも雪洲はこの手の「国辱」映画に縁があるようです。
188:02/01/01 22:32 ID:M7V4bjpe
1915年の「チート」はそのあと3回もリメイクされています。現在でも使えそうな
ネタですから。1923年に同じパラマウントで1回目。これはポーラ・ネグリ主演。
2度目は1931年。3回目は雪洲自らがリメイクした1937年版です。雪洲の役柄も
同じ。違うのは共演者と、これがフランス映画であることです。ぜひ設定を変えてリメイク
してほしいですね。パラマウントで。女優も少し悪役なので、リブ・タイラーあたりで。
日本人俳優は・・・・。誰かいますかね。監督はヴァーホヴェンあたりでエロさ+グロさも
出してほしい。
189:02/01/03 00:33 ID:UIzRXmId
日本に一番関わりのあるハリウッドメジャーはどこでしょうか。もちろん、コロンビアと
トライスターはソニーが親会社ですし、ユニヴァーサルも松下とゆかりがある会社ですが、
そういった面を除くと、文句なくパラマウントに行き着きます。パラマウントは1935年に
倒産してますし、親会社もコロコロ変わってますし、正確にいえば全く別の会社が商標だけ買っている
のですが、あの特徴あるロゴのもとで、日本絡みのものは数多くあります。第一に雪洲が所属していた
こと。セシル・B・デミルとともにパラマウントの基礎を作った第一人者ですね。
第二に「将軍」。これもNBCとの共同制作で、TVメインのパイロット版映画公開という
パターンでしたが、1980年最大のヒットとなり、NBCの平均視聴率が32.6%、
最高で45%という、日本でいえば「ビューティフルライフ」並みの大ヒットになりました。
ゴールデングローブで島田陽子はTV主演女優を獲るし、パラマウントはこれだけで
200億円の利益を得ました。この作品は三船が主演だったんですよね。共通点の少ない2大
スターですが、「パラマウント」というのがひとつの共通項だったともいえます。
第三に「ブラックレイン」。松田優作を世界市場に出したこと(すぐ亡くなってしまい残念)、
大阪をLA並みの映像で押さえたこと、日本に対する勘違いが及第点であったこと、
これらが印象的な作品でした。パラマウントスタジオは唯一ハリウッドに残るメジャーです。
有名なメルローズ通り沿いにあり、中の風景は「クロコダイルダンディーインLA」で
見ることができます。見学可なのですが、例の事件以来ダメだと思います。
旧RKOスタジオと隣接しており、RKO倒産後、その地区も拡張しています。
向かって右半分がもとのパラマウント。雪洲もここへ通っていた(グレンギャリから
車で5分ほど)ことを考えると、感無量の場所です。スタジオ内も礼儀正しい人が多く、
個人的にも好きなスタジオです(カルヴァーシティのソニーもいいけど、二番目)。
190マコ・シゲタ:02/01/03 19:57 ID:5LO90sZY
ハリウッドの日本人像に興味があります。

TBSの「世界不思議発見」で早川雪洲の特集を見たことがあります。
その時の解説によると、日本で雪洲の映画が上映される際、映画の冒頭に
雪洲自身が日本の観客に挨拶するフィルムが付け加えられていたとのこと。
(既出?)

>189
日本に一番かかわりのある映画会社。20世紀FOX社は「東京暗黒街」
「黒船」「トラ!トラ!トラ!」「ダイ・ハード」「ライジング・サン」を
製作しました。「スター・ウォーズ」も黒澤映画の影響を受けていますね。

「ミスター・モト」(日本未公開)シリーズもFOXだったと思います。
191:02/01/03 22:36 ID:SlFVKY71
>>190
初期の雪洲映画(インスのプロデュース時代)では、映画の冒頭に
雪洲と鶴子はじめ主役級が挨拶する絵から始まります。幕前で行うのですが、幕には
「インス映画会社」(字は左から右)と書いてあり、雪洲は和服で日本式挨拶を画面に向かって
したあと、ディゾルブで役の衣裳に変わる仕掛けになっていました。
>>20世紀FOXについて
CXの「南極物語」も海外配給はFOXでした。確かに日本に関する製作物も多いですね。
雪洲作品も東京暗黒街の他、オスカー女優、C・コルベーユ主演の「スリー・ケイム・ホーム」も
手掛けています。パラマウントを挙げたのは、やはり雪洲ゆかりのスタジオであるという
思いがあったからです。
192愛読してます。:02/01/03 23:29 ID:fWu5Z7Lh
こっそり応援アゲ
193マコ・シゲタ:02/01/04 22:20 ID:SW7vWcMB
>191
TBSで紹介された映像も、確かに和服(紋付・袴?)を着ていたと思います。

祖父が死んだ際、祖父のアルバムを整理していると、上山草人と一緒に撮影した
写真が出てきました。恐らく70年位前の写真でしょう。上山草人の出演作は、
「七人の侍」(遺作らしい)しか観たことないので、「バグダッドの盗賊」等を
観てみたいものです。
194:02/01/04 22:29 ID:7Pz5YEv0
>>193
草人は三船の「宮本武蔵」にも出演しています。また、アラカンの「鞍馬天狗」にも
憎々しい悪役で異彩を放っています。出世作の「バグダッドの盗賊」はD・フェアバンクス
を向こうに回して、雪洲去った後のハリウッドを盛り上げました。
この3本はビデオ化、「バグダッドの盗賊」についてはDVD化されていますので
レンタル(はしてないかも)または入手は難しくないと思います。
195:02/01/06 00:10 ID:FS9xAxbe
雪洲のハリウッド時代の大邸宅「グレンギャリ城」ですが、唯一映像で「生グレンギャリ」
が見れるのがIVCからDVD化されている「20世紀の巨人 スターとシンボル」です。
題名からわかる通り、フェアバンクスからモンローあたりまでのスターを主に予告編編集で
紹介したものですが、嬉しいことに雪洲の箇所は有りものの映像のつなぎではなく、
グレンギャリ玄関前で犬とはしゃぐ雪洲のプライベート映像です。鶴子も一緒に撮影されており、
今のようにメイキングが当たり前の時代とは違うので、非常に珍しい映像だと思います。
生グレンギャリはこれでみても威厳ある豪邸です。この作品はフランスのゴーモン絡みの会社が
製作したものですが(公開は1997年)、雪洲の扱いはごく普通にハリウッドの大型スター
として紹介しています。フランス作品も数多い雪洲だけに、扱いも大きいのだと思います。
少なくとも、作品でさえ現存率が低いのですから、こういうメイキング的絵はここでしか
お目にかかれないかもしれません。DVD自体はごく普通に売ってますので、これも
入手にてこずることは全くないと思います。
196名無シネマさん:02/01/06 00:45 ID:OsrOTHfe
せっかくだから1さんは雪洲のサイトでも作ったほうがいいと思う
197:02/01/06 20:58 ID:oFWL4GEd
ハリウッドメジャーで雪洲絡みのものが2本あるコロンビアピクチャーズ、つまりソニー
ピクチャーズについてですが、LAに行ったらパラマウントとともにぜひ見学してほしい
スタジオです。両方とも予約は要りませんので、当日受付で大丈夫です。パラマウントは
ハリウッドにありますが、ソニーはカルヴァーシティなので、ダウンタウンからバスになります。
サンタモニカ方向のバスで約30分ほど。バスの運転手は半分の人が親切なので、ソニーで
降ろせ、といっておくと50%の確率で教えてくれます。教えてくれない場合は、カルヴァーシティ
に入ったらそのダウンタウンあたりで降りればすぐです。
カルヴァーシティのスタジオといえば、何といってもMGMですが、現在は移転してありません。
ソニーはMGMの跡にそのまま入っているのです。ヘッドオフィスは30階建てくらいの
豪華なビルですが(見学受付もここ)、もとはMGMグランドホテルであったとのこと。
納得の建物です。MGMの跡ということは、そのままMGMの歴史そのもののスタジオで
あり、「東京ジョー」も「戦場〜」もここでは撮られていません。でも、タイクーンの
ルイス・B・メイヤーが通った食堂と、座ったイスなどがそのまま残っていて、感無量ですよ。
ワーナーも見学できますが(電話予約必要)、スタジオの重みではソニー、パラマウントに
かないません。
ちなみにFOXは入れませんが、「ナカトミ・プラザ」ことFOXのヘッドオフィスには
目の前までいくことができます。銃撃戦のあった1階はここから見ることができます。
ユニヴァーサルはテーマパーク。ディズニー、MGMは一切見学不可です。
テロ以降どうなっているかは問い合わせてください。安い今、映画好きにはたまらない
ポイントです。ただし、これらのスタジオはハリウッドにはなく、ワーナーなどは
東京でいえば秩父のようなところにあります。一般観光地は一切すっ飛ばしても1週間は
必要でしょう。
少し本題からずれてしまいましたが、雪洲ゆかりの箇所も多いところです。アメリカ映画が
好きな人はぜひ訪ねてみてください。LAダウンタウンについて、一番目立つ背の高いビル
はID4で最初にぶっ壊されるビルですし、スピードの舞台となった爆弾事件のビルや
パーシングスクエアもすぐ見つかります。「ブレラン」のブラッドレービルと「シティ・オブ・
エンジェル」で呆然としたN・ケイジが買い物をするグランドセントラルマーケットは
隣り合わせだったりします。「BROTHER」や「ブラックレイン」でも使われたリトル
東京もありますし。百聞は一見にしかず、です。
198ACTOR:02/01/06 21:20 ID:eC2XovNb
今日は。 俺、LAで演劇学校行っているものだけど、 結構スター狙っているよ。
向こうのめちゃくちゃ美人白人女優のクラスメートとがんがんキスシーンをしている。
こんなに好かれるアジア人俳優はどこを探してもいないと思う。 俺、顔はかわいい系だけど、
シリアスもできて、ギャグも最高。 もし俺が成功したらアジア人、すくなくとも日本人男性への
ネガティブな考え方は変わると思う。 頑張ってマース!!
199名無シネマさん:02/01/06 21:50 ID:P7VKm6sI
>>198がんばれよ。
200:02/01/06 22:00 ID:vU2pohU2
>>198
上同。がんばってくださいね。
201193:02/01/07 00:28 ID:8Sba9PjH
>194
雪洲の「チート」と草人の「バグダッドの盗賊」は、最も(そして唯一)
入手出来るサイレント映画のビデオ化のようですね。

アメリカで1月に発売される「World War I Films of the Silent Era」
というビデオには雪洲主演の「The Secret Game」が含まれている模様。
(全編か一部かは不明)
202ACTOR:02/01/07 01:06 ID:f1bDMgES
おう!! がんばれよって、ありがとう。 
203:02/01/07 23:25 ID:Bi3ZSc1/
>>201
「THE SECRET GAME」確かにフルで入るみたいですね。ヤフーで17ドル49で
売ってます(VTR)。IVCで出してくれないかな・・・。
気になるのは、監督がウィリアム・ウォーシントンになっていることです。一般的なデータでは
ウィリアム・C・デミルの監督作とされており、1917年という雪洲のパラマウント絶頂期の
作品です。よく残ってましたね。
この年のトップスターはチャップリンで、週給1万ドルでしたが、雪洲はその次、フェアバンクス
らと同じレベルの週給7500ドルを得ていました。現行貨幣に直すと年間約7億円。
ほぼ90年前に今の野茂と同じ給料ということで、やはりこれはケタハズレでした。
ともあれ、監督についてはウォーシントンは翌年、雪洲が独立スタジオを設立してからの
専属監督であり、パラマウント時代はデミル兄弟が担当していることがほとんどで
あったため(弟子も含む)、ウィリアムの監督作だと思うんですが・・・。
LA行って手に入れて来たい。ユニオンも見てみます。売ってたら教えてくださいね。
204名無シネマさん:02/01/08 18:43 ID:KXhKR9CY
>203
アマゾン(アメリカ)の説明だと“デミル”になっています。
値段も$16.99なり。
205:02/01/09 00:15 ID:iHxXAZht
>>204
どうもありがとう。安心しました。1917年の雪洲作品、見たいです。2年前の「チート」は
T・クルーズで例えれば出世作の「トップガン」で、この「シークレットゲーム」はまさに
脂の乗り切った作品「バニラ・スカイ」のようなものですから。
206:02/01/09 23:24 ID:A+UYX8KH
名匠マキノ正博が「レ・ミゼラブル」について語ったものがあります。同作品は1950年に
東横映画(現東映)が社運を賭けて取り組んだ大作で、前作「きけ、わだつみの声」大ヒットの
勢いをかってマキノ光雄が伊藤大輔と雪洲を引っ張り出したものです。当初は前後編ともに
伊藤大輔監督が予定されていたものの、うまくいかず後編はマキノ正博が手掛けています。
というのも、雪洲を70日間の約束で押さえたものの、ロケ先の雨と雪洲の映画製作に対する考え方
の違いからもろもろぶつかり、前編だけで60日間使ってしまったそうです。
後半はあと10日で雪洲の場面を撮り上げなければならない、しかも雪洲はジャン・バルジャン役(役名は岩松!)
であるので、途中で降板させるかこと不可能、こんな悪循環になったそうです。
よって、マキノ光雄はハチマキをして現場に現れて進行指揮をとり、当時まだ製作部の助手だった
岡田茂を怒鳴りつけながら、何とか完成させました。雪洲とマキノなど誰が見ても合わなそうな組み合わせ
ですが、喧嘩の原因が物語の背景を日本に置き換えてしまったことにあるようで、
原作が仏の革命なのだから失礼、と雪洲は考えたようです。ワールドワイドの雪洲らしい
思想ですよね。なにせ役名は岩松ですから、雪洲も面食らったのではないでしょうか。
ともあれ、マキノ正博は「とにかく口やかましくて適わないので、早くアメリカへ帰ってくれれば
いいと思った」と語り、「早ようから殺生」なるわかったんだかわからないんだかという
洒落も残しています。
207名無シネマさん:02/01/09 23:31 ID:CpHZH4eM
>>198みたいに、自分でかわいい系の顔って言う人を見るとサムケがする。

チャイニーズマフィア役でも貰ってせいぜい頑張りな。
208名無シネマさん:02/01/09 23:53 ID:3PL+3Ixd
がんばれがんばれ。その女俺にも回してね。
209:02/01/11 00:15 ID:kS9Z3o8h
1990年のFOX映画「愛と哀しみの旅路」(アラン・パーカー監督、デニス・クエイド、
タムリン・トミタ主演作。日系収容所の話)で、雪洲についてのセリフがあります。
冒頭に日系人の集まるパーティーのシーンがあり、日本から来た知人に息子を紹介する際、日系一世で父親役の
サブ・シモノが「こいつは活動に出とります。本人は早川雪洲を気取ってるんですが、舞い込むのは
支那人の下男ばかりですからね。わざわざアメリカくんだりまで来て、支那人の役ですからねえ」
というセリフがその箇所です。A・パーカーは「エンゼル・ハート」系に加えて、こんな
作品も撮るのか、と思わせる佳作ですが、この日系一世が中国人を見下すような発言をわざわざ
雪洲を用いて入れ込むあたり、ハリウッドでも珍しい真面目作品でした。
210名無シネマさん:02/01/11 00:20 ID:vdwiGXZe
>>209
ねぇねぇ「愛と哀しみの旅路」の主演女優の名前なんだったっけ?
211190:02/01/11 20:20 ID:7+2n3mvU
>209
「愛と哀しみの旅路」もFOX映画でしたね。私はリアルタイムでこの作品を
観ましたが、雪洲絡みの台詞は記憶にありませんでした。

ところでこの作品、出演者は日系人ばかりだと思いますが、日本語の台詞が
えらく流暢でした。日本で公開の際に、配給会社がアフレコしたような気が
するのです。今もそのことが気になっています。
212:02/01/12 01:26 ID:KyYafWlp
>>210
ヒロインはタムリン・トミタです。1995年の「ピクチャー・ブライド」でも主演級で出ていました。
2000人以上のオーディションを勝ち抜いたそうです。
>>211
星静子はMAKOの奥さんですし、サブ・シモノも少しいけるのではないでしょうか。
日本語。最近見てないのでうる覚えですが、確かに日本語会話は違和感がなかった
気がします。
213名無シネマさん:02/01/12 01:55 ID:K8fMxP0q
はじめまして。
早川雪州、最初に観たのが
「戦場にかける橋」の
みごとにナチスドイツの見まがうばかりの(笑)日本人将校の役でした。
この映画、日本に対するアメリカの「偏見と悪意」が感じられて、
とても映画として楽しむ気になれませんでした。

>209
>この日系一世が中国人を見下すような発言をわざわざ
雪洲を用いて入れ込むあたり、ハリウッドでも珍しい真面目作品
お話から拝察して、アメリカってやっぱり日本に対して悪意がある、と感じてしまいました。
アメリカにとって日本はいつまでも「敗戦国」であり
「遠い国」なのでしょうね。
214まちがい:02/01/12 01:57 ID:K8fMxP0q
「ナチスドイツの」ではなく
「ナチスドイツと」の間違いでした。
215 :02/01/12 02:11 ID:+bhK4/Fb
まりっぺのほうが背高かったりする?
216:02/01/13 00:53 ID:NJYQDFTz
>>213
「昔さあ、日本と中国ってモメテたじゃん。でもあの頃日本は帝国だったんだよな。中国も
侵略してたし。雪洲の名前でも出せば、全米興収も通りがいいし・・・。」プロデューサーの
打ち合わせレベルはこんなものかも知れませんね。ただし、これだけ日系人に取材をして製作
されたハリウッド映画は珍しいというのは事実でしょう。
>>215
確かに背、低いですよね。雪洲。業界用語がいまだに通用するくらいですから。カオリンと
比べたら雪洲の方が低いかもしれません。まりっぺはわかりません。
217名無シネマさん:02/01/13 03:36 ID:/2bZF4C7
↑のレスが理解できない(T_T)

”まりっぺ”とか”カオリン”って何(誰)?
218:02/01/13 23:48 ID:vAYAi/5A
>>217
「モー娘。」です。多分。

さて、日本人俳優が国際映画で演ずる役柄で多いのが、ヤクザか軍人です。雪洲や三船も
必然的にこれらの役が多くなりました。また、日本人から見ると213さんの言うとおり、
おかしな部分も見られます。でも、最近はそういう役者も減ってきてしまいましたね。
「パールハーバー」のMAKOは貫禄もあって、まずまずでしたが、三船が現役ならば
まず間違いなくオファーされた役でしょう。雪洲がやっても存在感は抜群だったでしょうね。
MAKOのアフレコもMAKO本人がつけているので、安心感がありました。
源田役のケリー・ヒロユキ・タガワは日本人(確か早稲田卒)ですが、日本語が上手くなく、
このアフレコは別人でしたね。
日本人サイドにも20〜30代の主演級を入れていればもっと良くなったと思います。
別にアメリカ映画なので、日本人が英語でも良いと思います。よい日本人俳優が出てくる
ことを優先してもらいたい。
219230です:02/01/14 00:08 ID:LXkWZprO
あの、本心からなのですが
はさんの知識、こういう掲示板ではなく
本格的にHPになさってみてはいかがでしょうか。
早川雪洲についてのこれだけの知識は、いままで刊行された書物にもなかなかないと思います。
ここだといつかは消えてしまうので(過去ログには残りますが)
大変惜しいです。
220あっまた・・・:02/01/14 00:09 ID:LXkWZprO
失礼しました、上記は
213です。
221名無シネマさん:02/01/14 00:52 ID:nMtSZp+E
私もスレが立った当初から拝見して驚嘆しています。
「は」さん、是非ともHPを作って下さい。
222名無シネマさん:02/01/14 01:38 ID:mLAN7x0r
誰かこれより若いときの雪州の写真しらない?

http://www.town.chikura.chiba.jp/page/depa/plan/hayakawa.gif
223:02/01/15 00:34 ID:vqMEpniv
>>219,221
ありがとうございます。普段、あまり誉められるものもないもので・・・。HPは時間がとれれば
ぜひ立ち上げたいとは思っています。でも、このスレで知った情報もたくさんありますし、
それを我が物顔で公表するのも変ですしね。このスレもネタが続く限り続けていきたいと
思ってます。
>>222
シカゴ大学時代の写真が「聖林の王 早川雪洲」に掲載されている他、1913年前後の
スチールまたは映像がそれにあたると思います。
224190:02/01/15 23:19 ID:8PXMFUIL
背の低い人を台にのせて撮影する事を“せっしゅ(う)する”と言うのは
既出だと思います。

以前読んだ大林宣彦のエッセイによると、アメリカでは“アラン・ラッド
する”と言うそうです。
225:02/01/16 01:43 ID:IqzNxZ/+
>>224
「シェーン」のA・ラッドですか?そんなに背が低いイメージないですけど、面白いですね。

雪洲は1930年代前半、主に舞台俳優として日本で活躍しました。このあたりの情報もあまり
表にでていないようですね。分かっている限りで記載すると
1930年9月「天晴れウォング」(帝劇)井上正夫(!)、水谷八重子共演
     10月   〃    (南座)      〃        初の京都だったそう。
     11月   〃    (松竹座)井上正夫、岡田嘉子共演。神戸。
1931年1月「カルメン」   (帝劇)
     3月「ブラザーズ」  (帝劇)
1932年11月「続・天晴れウォング」(明治座)
1933年1月「女人哀詞・唐人お吉物語」(明治座)水谷八重子のお吉
     6月「バッド・マン」&「ジキル博士とハイド氏」(大阪浪速座)
                         伏見 直江共演
     9月「天晴れウォング」再演(明治座)
     12月「亜米利加の使」(明治座)水谷八重子共演
1934年1月「シラノ・ド・ベルジュラック」(新歌舞伎座)客演だった模様。
1935年 月「大菩薩峠」(日劇)机龍之介役
     10月「釈迦一代記」(日劇を皮切りにアジア各国まで巡業)
以上のように、一流劇場で主役を張っています。「ジキルとハイド」なんて、本当に
みたかったですね。
226190:02/01/16 21:34 ID:AmcTKtfr
>225
実物はかなり小柄だったようです。そう思って「シェーン」を見直すと
確かに小柄なのが判りますよ。
227メイヤー:02/01/16 23:42 ID:0VjgTczQ
アラン・ラッドは「島の女」で長身のソフィア・ローレンと共演したときに踏み台のお世話になったというエピソードを聞いたことがあります。
ラッドの身長は170センチ足らずだったといわれます。
228:02/01/17 01:25 ID:HtThIpgO
>>226,227
T・クルーズだって大きくないし・・・。雪洲なんか170cmなかったんじゃないでしょうか。
俳優も大変ですね。
229名無シネマさん:02/01/17 01:29 ID:Js05nXmq
高身長崇拝者って多いよね。
そのくせ190超えると逆に受けつけない人が多い。
ワガママだよ、人間って。

高身長崇拝者にとっては180〜185aくらいがベストなのかな。
230名無シネマさん:02/01/17 01:31 ID:drRjPpzX
>>228
そういえばたしかニコール・キッドマンって183cmじゃなかったっけ?
231名無シネマさん:02/01/17 01:46 ID:drRjPpzX
232シネマ三四郎:02/01/17 15:17 ID:WJCT9SG0
>>227 メイヤーさんへ。

70年代の映画「グライド・イン・ブルー」という作品の中で、
主人公が「島の女」のエピソードを語るシーンがあります。
それによると、ソフィア・ローレンの方が地面に掘った穴に入ってラブシーンを
撮影した、とのことです。まあどちらが本当なのかは分かりませんが。

以前、ロサンゼルスのユニバーサルスタジオに行った際、
西部劇の酒場のセットがあり、入り口が男優用と女優用と二通りあるのを見ました。
男優用のドアは女優用よりも小さめに作ってあるのです。
つまり、男優は身体をより大きく見せようという工夫ですね。
「シェーン」でもそうだったんでしょうか。
233190:02/01/17 22:16 ID:SH3BHLXh
雪洲や草人ほど有名ではありませんが、1920年代〜1940年代に
ハリウッドで悪役?として活躍した日本人俳優に「駒井哲」なる人物が
いるようです。

H・G・ウエルズ原作の「ドクター・モローの島」(1933年版)や
コナン・ドイルの「紺色の研究」(1933年版)に出演しています。

雪洲と同じく「東京ジョー」にも出演しているので、一度ビデオで顔を
確認したいものです。

>232
「シェ−ン」にはラッドの身長を誤魔化す工夫がしてあると大林宣彦の
エッセイに書いてありました。詳細は覚えていないのですが、セットに
関してのことだったと思います。子供に背を向けて立ち去るシェ−ンは
代役だなんてことも書いてありました。(本当かな!?)
234:02/01/17 23:23 ID:6fFvPerv
>>232
「小さなドア」、ありました。そういえば。どこのスタジオだったか忘れましたが、
ユニヴァーサルではありませんでした。俳優を大きく見せるため、とスタジオガイド
が言ってました。
>>233
「駒井哲」ですか・・・。東京ジョー、1995年公開時に劇場で見ましたが、記憶に
ない・・・。でも、出演作が結構あるようですね。どんな俳優だったのでしょうか。
知ってる方は情報をぜひ!
235メイヤー:02/01/18 21:38 ID:FwCb3Yiv
>>232
シネマ三四郎さん、どうもありがとうございました。
実は相当あやふやな情報だったものですから…
「ガス燈」「凱旋門」のシャルル・ボワイエとイングリッド・バーグマンの場合も同じ様な事態になったといいます。
(ボワイエが踏み台を利用?)

>>234
駒井哲らしき人は、ベティ・デイヴィス主演の「月光の女」で見かけました。
事件に絡んできてかなり印象に残りやすい役柄でした。
IMDbによると、明治27(1894)年熊本生まれ、1970年死去とのことです。
アメリカ映画初出演は1926年です。
236:02/01/19 00:46 ID:XRAT80NM
1月16日付けの読売一面「編集手帳」欄にアンディ・ウォーホルの言葉として「米国
の偉大な点は、豊かな者と貧しい者が本質的に同じものを買う伝統をスタートさせたことだ」
というのがありました。ブッシュがプレッツェルをのどに詰まらせたニュース絡みですが、
なるほどな、と思わせる言葉でした。このスレでもヴァレンチノと雪洲(=イタリア人と日本人)
がハリウッドの頂点を極めた不思議が語られていましたが、これが答なのかもしれません。
スタローンもシュワもアメリカから見れば「外国人」ですからね。日本映画界(TVでもよいが)で
ケリー・チャンやトニー・レオンは主役になりにくいし、ジャッキーは少しならやれる
かも知れませんが、シュワのように10年以上君臨することは不可能でしょう。
日本人、うるさいですから。言葉のニュアンスに。ジャッキーが一生懸命日本語を覚えた
として、数本はアクションメインで持つでしょう。でも日本人はネイティブ・ジャパニーズ
を喋らない人には評価が厳しくなります。1〜2年で香港に帰らざるを得なくなるのが
予想されます。シュワの英語だって、いまだ聞きにくいですが、アメリカではそんなことは
二の次の感情がシュワをトップに押し上げているのだと思います。雪洲もヴァレンチノも
ここにチャンスがあり、それを手にしました。
これらを考えると、やはりケイン・コスギはハリウッドで勝負すべきですね。はぐれ刑事も
殉職したし。英語のほうが圧倒的に自然なのだから、ぜひ挑戦してほしい。
237紀子:02/01/19 02:07 ID:CIZwAUTH
このスレ好き。アフォばかりの2ちゃんでもこういうスレがあるのは、そして沈まないのは奇跡だわ。
名無しでアメリカ議会図書館のペーパープリント所蔵のインスヴィルのこと書いたけど、また気が向いたら
書かせてもらうわ。
とにかくがんばれ!「は」!
238はさんへ。:02/01/19 19:15 ID:lRIpI2w+
「聖林の王 早川雪洲」この本を買いたいのですが、どこにも売っていません。
ほとんどのところが、在庫なしです。何か知りませんか!?
239190:02/01/19 21:41 ID:5CRUx2pd
何を隠そうショー・コスギの奇妙なニンジャ映画のファンでした。

まだレンタルビデオが今ほど普及していない15年位前に初めて借りた
ビデオが「ニンジャ/転生の章」です。それと10年程前に公開された
「KABUTO/兜」のコスギ親子舞台挨拶をわざわざ観に行ったこと
もあります。

>236
確かにケイン・コスギには頑張ってもらいたいですね。英語は完璧なはず
ですから。映画スターとしてのキャリアのない東洋人がいきなり大抜擢
される可能性は少ないと思いますが。
240:02/01/20 00:15 ID:Pne25qTh
>>237
がんばります。
>>238
社会思想社刊ですが、初版が1986年10月なので、もしかしたら廃版かもしれません。
且ミ会思想社 文京区本郷1−25−21 рO3−3813−8101
この出版社、現在でもあるのでしょうか。詳細不明です。著者の野上英之氏は東宝の社員
で、取締役でもあります(1986現在)。
確実にこの本が閲覧できるのは国会図書館くらいでしょうか。地元の大手書店で聞くくらい
しか方法はないかもしれません。ちなみに前述しましたが、雪洲の自伝「武者修行世界を行く」
はアマゾンで入手可能なはずです。
>>239
ケインは「兜」で三船と共演した数少ない現役スターです。何とかがんばってほしいです。
241名無シネマさん:02/01/20 12:17 ID:XIyat0a2
>>115
亀レスですが、雪洲と黒澤はそれ以前に会っているものと思われます。
昭和27年7月22日毎日新聞夕刊には、京マチ子が「生きる」撮影中のセット
に慰問に訪れた、とあるのですが、その記事で雪洲に続いてとあるので、
「生きる」がクランクインした3月14日から7月の間のことと思われます。
242:02/01/20 23:43 ID:Bq2bFkDU
>>241
そうでしたか。雪洲は1950年から約4年間は日本にいましたからね。東宝のスタジオに
黒澤を訪ねていたなんて、写真とか残ってないんですかね。ただ「生きる」だと三船とは
会っていなさそうですね。これも残念。2大スターは全く接点がないのでしょうか。
キネ旬などのバックナンバーで対談とか。探してみます。
243241:02/01/21 19:14 ID:KPmaCnvz
>242
残念ながら雪洲と黒澤、三船の対談のようなものは活字にはなっていません。
もし何かあるとすれば当時のスポーツ新聞でしょうか?
私としては、むしろ「七人の侍」の上山草人の起用の方に興味があります。
子供の頃からの映画ファンだった黒澤なら、当然上山を知っていた筈ですが、
雪洲との出会いがきっかけで不意に上山のことを思い出したかのような、
唐突さを感じます。
244:02/01/22 00:23 ID:aMP2pcgw
草人は戦時中も「鞍馬天狗」とか出てましたし。黒澤も「馬」撮ってるころから草人の
起用とか考えていたのではないでしょうか。でも、草人は雪洲に比べて、どうもうまく
行かなかった映画人生でしたね。サイレント期の圧倒的な差に加えて、戦後も片やオスカー
候補で、片や脇役・・・。「宮本武蔵」が遺作というのも寂しい感じがしました。オスカー
外国語映画賞獲得作が最後、といえば聞こえがいいですが、本当にチョイ役ですしね。
ところで、黒澤は雪洲と組もうとは思わなかったんでしょうか。「暴走機関車」なんて、
出番ありそうでしたけどね。雪洲。もっとも、企画事態ポシャリましたが。メナハム・ゴーラン
の作品は別物ですから。
245:02/01/23 00:15 ID:oug8/vYC
つい数日前まで、雪洲未公開映画のスレが立ってましたが、おそらく言わんとしていた
ことは「初期ハリウッド」時代=黄金時代のことだと思います。年数でいうと、
1914年から1922年の8年間ですが、思ったほど日本での未公開作品は多くありません。
この8年間で雪洲は56本(このスレでも話題の「ドミノ」などが認定されれば、もっと
多くなりますが)に出演(ほとんど主演)していますが、文献を見る限り、うち48%の
27本が公開されています。どうも「チート」=抗日のイメージが強く、どれもこれも
輸入禁止みたいなイメージでとられがちですが、そのチートも含めフィルムセンターで
上映された分も含めると50%は超えます。ただし、時代は大正ですから、いまの
ような「東急系150館ロードショー」などというものではなく、浅草中心での小規模
公開だったと思います。日本人には違和感があった1914年の「タイフーン」
などは、公開が9年後の1923年11月23日でした。個人的には好きな「火の海」
も1914年作品ですが、公開は4年後の1918年。現在の米=日の上映スケジュール
に近かったのは、雪洲のスタジオで製作した1918年以降です。それでも誤差は
1年ほどありましたが。その他、ヨーロッパ時代の作品も4〜5本公開されていますし、
トーキー以後も輸入されています。1949年の「東京ジョー」はなぜか公開が46年後
の1995年になりました。リアルタイムで見れて嬉しかったです。
いずれにせよ、大正〜昭和初期の公開作品など、淀川さんや双葉さんくらいしか覚えて
いないかもしれず、新ためて特集上映してほしいですね。現存するものを。
246:02/01/24 00:55 ID:5kurEMUD
雪洲が自書に「恩人」として挙げているのが、前述したトーマス・インスと、巨匠・
セシル・B・デミルです。デミルはパラマウントの実質的な創設者のひとりで、雪洲映画
とともにパラマウントの基礎を築きました。ところで、このデミル、パラマウントの
大株主であったのにも関わらず、経営にはほとんど参加せず、クリエイティブに専念した
ことでも有名です。この「職人肌」がのちに「十戒」を撮るまでになった要因では
ないでしょうか。インスは才能に溺れて自滅しました。恩人の二人が辿った人生の差も
面白いですね。
247:02/01/25 00:56 ID:eqFmjWkn
雪洲がハリウッドに戻ったのは1929年です。この年に初めてワーナーと組んだトーキー
作品「Sessue Hayakawa The Man Who Laughed Last」(邦題:大和魂)は、正確には映画
ではなく、1926〜28年ころの雪洲のボードビルをカメラで追いかけたもののようです。
1929年はD・フェアバンクス&M・ピックフォードが日本訪問をしたり、雪洲の愛弟子
F・ボーゼージが「第七天国」で第1回オスカーの監督賞を獲ったりと、10年代に自分の
周りにいて、遊び、競った仲間たちがさまざまな「初体験」をした年になりました。
あくまで2002年から見た「結果論」ですけどね。
248190:02/01/25 23:27 ID:PSDURCst
>245
サイレント期にフランスで撮影した「ラ・バタイユ」という作品があります。

「聖林の王 早川雪洲」によると日本海海戦を舞台にしたメロドラマで、当時
フランス海軍が全面協力したとのこと。一度観たい作品です。

>246
セシル・B・デミル監督作品は「チート(日本未公開)」「テンプテーション
(日本未公開)」「ヴィクトリア勲章」の3本があるようです。「チート」以外
の2作品の内容が気になります。
249:02/01/26 01:12 ID:FNrZNSyw
雪洲の最初の妻だった青木鶴子のキャリアは、雪洲より前から始まっています。鶴子は
ロスアンゼルス郊外のパサディナで演技を学び、雪洲がデビューする2年前の1912年
に「つるの恋」でスクリーンに登場しています。青木鶴子は間違いなく日本人初の米映画
女優ですが(雪洲は最初ではない。NY時代のエジソン映画に玉木という日本人が出演した
記録があるそうです)、鶴子の研究とかは誰かしているのでしょうか。雪洲との共演以降は
あるていど(完全ではない)わかりますが、1912・13年の2年はもうさっぱりわかりません。
映画本、結構読みましたが、本当にわからないみたいですね。詳細が。
インスヴィルでどのような作品を撮っていたのか。また、1913年に鶴子と雪洲は知り合ってる
はずで、出会いも撮影所だったようです。そのころ、雪洲は舞台俳優であり、なぜ
インスヴィルにいたのか。もしかしたら、誰も知らないインスヴィル作品に出ていたのかも
しれませんね。少なくとも鶴子はインス映画に数本は出演していました。
まあ、10分とか15分でも一作品の時代ですから、わからない作品も多いと思いますが、
何とかヒントが得たいものです。
250190:02/01/26 23:38 ID:eyxPzl03
>247
雪洲が第二次世界大戦前にハリウッドで最後に出演した作品(しかも彼に
とって本格的なトーキー作品:1931年)に「Daughter of the Dragon
(竜の娘)」があります。

中国人の悪役フーマンチューを描いた映画で、雪洲は中国人探偵を演じて
います。トーキー新時代の雪洲がどんなヒーローぶりを見せてくれるかが
楽しみな作品です。アメリカでもビデオ化はされていないようですが。
251:02/01/27 11:19 ID:slgOyeRa
>>250
ビデオ化はされていないようですね。「上海特急」のアンナ・メイ・ウォンが共演
しているだけでも見たい作品ですが。ただし、雪洲のこの初トーキー、多くのサイレント
俳優がそうであったように、英語のアクセントに難があったようです。
252:02/01/27 21:37 ID:0UV4jZB5
1968年、雪洲が「神々の深き欲望」を途中降板し、幻の遺作となったことは以前書き
ましたが、ロケの過酷さからアラカンも脱出を試みたという、今村ワールドな作品です。
雪洲はアラカンの演じた、家長・太山盛で一度は演技をしました。
当時、太平洋テレビ(1959年設立の外国TV映画を日本語版に直す会社。内紛があったりして
倒産したが、その一部分が存続しているのが、有名な俳協。)の重役だった雪洲の長男、
雪夫氏がこの脚本を読み、雪洲にピッタリな役を見つけたため、所属俳優で、かつ
本作の主演でもあった三國連太郎を口説き、いやいやながら出演をOKさせたそうです。
先達のスーパースターを三國がいやがった、というよりも、その理由は以下によります。
石垣島での長期ロケに79歳の老体をおして参加、何とか撮り終えたものの、実際には
雪洲はひとりでトイレにも行けず、後妻の黙子夫人が必死でつきそいました。
黙子は「確かに撮影はしました。でも、大した演技ではございませんでした。だって
実際の主人を見れば、あぁ、これは使い物にならない。とそれは一目でわかります
もの。監督さんがカメラを回してくださったのは、主人に気を使ってくださったから
だと思いますの。もう雪洲は芝居ができるような年齢ではなくなっていたのです。
雪夫には、自分の父親の歳がわからないの、といいました。」と語っており、これが
三國をして躊躇させた理由だったのでしょう。
また不幸なことに、セットの出来が悪く、一度撮影が中断、スタッフは帰京しました。
再び撮影が開始される時には、雪洲は呼ばれませんでした。雪洲はこのとき「まだ
出来る、絶対やってみせる」と泣いて悔しがったそうで、黙子は雪洲の鬼気迫る役者魂
を見たそうです。
253190:02/01/27 23:21 ID:SxZtVVfP
私のネタ、結構過去ログとだぶっていました。

>251
アンナ・メイ・ウォンも興味のある女優さんです。ハリウッド映画における
妖しげな東洋女の原型が彼女にあると思います。
254:02/01/28 22:21 ID:ZnJnIRlB
>>253
ラッシュアワー2のチャン・ツゥイーなど、アンナ・メイ・ウォン的な使われ方でしたね。
ハリウッドがホレ込んでるみたいですし。
2億ドル上げたハリウッド大作で、英語を全く喋らず終わったヒロインというのも
珍しい。それだけ期待されているのかもしれませんが、英語、ダメなんでしょうかね。
個人的にも期待してますが。
255:02/01/30 01:39 ID:yATQL6HZ
雪洲と堺正章、一見何の関係もなさそうですが、意外なかかわりがあります。
1932年頃、雪洲は日本におり、渋谷区伊達町に大きな二階建ての住居を建てて
いました。別棟もあり、こちらには当時舞台が多かった雪洲らしく「雪洲劇団」のアトリエ
を完備、常に弟子4〜5人を住み込ませていたそうです。
その中にいたのが堺駿二でした。正章の父親ですね。正章と雪洲のかかわりは記録に
ありませんが、雪洲の弟子だった人物ですから、何らかの関係はあったと思われます。
思い出でもあれば、ぜひ語っていただきたいですね。
256190:02/01/30 20:44 ID:XQTTWN5C
>252
息子の雪夫氏が「この役はオヤジにピッタリだった。」と語っていたので、
雪洲版「神々の~」を観たかったですね。撮影開始がもう1年早ければと
思います。

>254
チャン・ツィイーはさて置き、ルウシー・リュウが何故あんなに人気が
あるのか理解できません。もっと綺麗な東洋人はいくらでもいると思う
のですが。

「ラッシュアワー2」と言えばジョン・ローンも出演していましたね。
雪洲の「チート」の流れを汲む?残酷でハンサムな東洋人役でブレイク
しましたが1990年代には記憶に残る作品がありませんでした。

ジャッキーやジェット・リーは主演作がハリウッドでヒットしているのに、
ハンサムなチョウ・ユンファの作品には大ヒットがありません。既出だと
思いますが、ハンサムな東洋人は近年のハリウッドでウケない図式に当て
はまるのかもしれません。
257名無シネマさん:02/01/30 21:01 ID:nXbGCbKm
「雪州」と「雪舟」の表記みたことあるけど
どっちが正解?
258:02/01/31 23:45 ID:W4jnahmQ
早川雪洲が正解です。雪舟は日本史の影響で間違える人が多いのではないでしょうか。
1913年、シカゴ大学の通信課程を卒業後、所属したリトル東京の劇団で付けた芸名です。
雪洲は西郷隆盛を崇拝しており、西郷の別名が「南洲」であったことから、当初は「早川
北洲」と名乗りました。ところが、LAに同名の邦人役者がいることを知り、「北」=
「寒」=「雪」の流れで雪洲としたものです。
259190:02/02/01 23:44 ID:rN4ArOia
「日本敗れず」ビデオ屋で発見。何故かパッケージに雪洲の名前は
ありませんでした。
260:02/02/02 02:03 ID:AGEJtzhw
>>259
そうなんです。失礼な話ですよね。主役なのに。
261:02/02/03 01:11 ID:XUVRB1Xe
プレミア最新号(3月号)のMAKOのインタビューで、雪洲および三船に触れている
部分があります。「ハリウッドで継続して仕事をしていくのに必要なことは?」に対して
の答です。「まずは言葉ですね。{グラン・プリ}の三船さんなんか、何を言っているのか
わからない(笑)。でも三船さんだって後々の作品になると、クセはあるけどわかる
英語をしゃべるようになった。早川雪洲は、無声映画の時代にスターになりましたよね。
でもトーキーに変わってからは・・・。彼はたぶん、三船さんと同じだったんでしょう。
{戦場にかける橋}くらいになると、セリフのほとんどが日本語だったにもかかわらず、
ある意味での貫禄というのが備わっていましたけどね。」というものです。
MAKOも純粋な日本人ですし(岩松信)、このインタビューではパールハーバー
に対する批判など、かなり積極的に発言しています。MAKOはオスカーノミニー
という点で、ある意味雪洲とキャリアを並べており、また三船とも「ストロベリーロード」
で共演しています。こういう俳優は貴重ですね。ハリウッドでの苦労話も面白いので、
読んでみてください。
262:02/02/03 21:13 ID:UI0hbCsV
MAKOは「日本人」「中国人」役でひっぱりだこのため、ものすごく多くのハリウッド
作品に出ています。自身も劇団を持っており、インディペンデント映画では主役も張って
います。パルハバの山本五十六役も貫禄がありましたし、クレジットもピン扱いでした。
戦後の雪洲と三船も、MAKOのいう通り、ハリウッドの考えるステレオタイプの
日本人役を多く演じさせられました。サイレント絶頂期の雪洲や、メキシコ映画での
三船はオリジナリティがありますが、やはりハリウッドでは限界があるのですかね。
007を三船が断った(代役に丹波)エピソードなどを、2ちゃんの他スレで見ました
が、やはりアメリカ映画は(007は形式上イギリス映画ですが)アメリカ人の娯楽です。
雪洲やヴァレンチノをゆっくりと駆逐し、現在でもシュワやスタ、黒人俳優にはなかなか
オスカーを獲らせないシステムは生きています。「ラストエンペラー」であれだけ
受賞の嵐の中、ジョン・ローンだけがノミネートもされないのは、やっぱり奇異でした。
MAKOやケリー・ヒロユキ・タガワ、ユウジ・オクモトなど、活躍中の俳優には、
本当にひとつの壁を破ってもらいたいですね。
263:02/02/04 22:03 ID:jTb/qi7e
三船は「スターウォーズ」のオビ・ワン・ケノビ役、「エイリアン」のノストロモ号
船長の役を断ったのは有名な話です。SWをやっていたら、と思うのは私だけでは
ないと思います。同じように、雪洲も「シーク」の主演を蹴り、ピーク時にハリウッド
を離れています。まあ、歴史を変えることは出来ませんが、BTTFのように過去を
変えてみたらどうなっていたのでしょう。興味ありますね。
264190:02/02/05 01:00 ID:FtXfkp6s
>263
三船に関しては、本人のインタビューで「ベスト・キッド」にも
出演依頼があったと読んだ事があります。

「エイリアン」に関しては、高倉健説を聞いたことがあります。
265:02/02/06 00:16 ID:2+V/Vsdj
>>264
高倉健のエイリアンって、見たかったですね。

雪洲は1910年代、自分の映画会社を持ってましたので、ファイナルカット権までを
握っていたはずです。この条件下であれば、好きな映画を作れますよね。
MAKOの苦悩は、この「文句をいう権利」がないことにあります。ジャッキーの
ハリウッド嫌いの元凶もここでしょう(アラン・スミシー・フィルムとか、本人は
どう思ってるんでしょう)。ショー・コスギも次の仕事を獲得するために、メナハム・
ゴーランの前でとんでもない高さから滝壷に飛び降りました。
この苦労がなかったのが雪洲でした。また、三船も大作を足蹴の嵐で、これはこれで
カッコよかったですね。「1941」で日本軍の旗や軍服がおかしい、とクレーム
をつけた際も、MAKOのような扱いは受けず、スピルバーグはすべて直した、といい
ます。日本人の風格、これを持っているのはこの2人と高倉健くらいかもしれませんね。
266 :02/02/06 00:19 ID:pLKMI6B4
>>264
三船がオビ・ワンやっていたら・・・。
エピソード1のオビ・ワンは誰がやってたんだろうね?
ヨイコ濱口?
267190:02/02/06 20:35 ID:KojTicb0
>265
高倉健に関しては、故ロバート・アルドリッジ監督がべた惚れだった
そうです。遺作となった「カリフォルニア・ドールズ」の続編が作成
される場合には女子プロレスラーのマネージャー役を熱望していた
という記事を読んだ事があります。

「ブラック・レイン」でマイケル・ダグラスと共演して、見劣り
しない存在感は凄いと思います。雪洲・三船亡き今、カリスマ性の
ある日本人俳優は確かに高倉健だけでしょう。
268シネマ三四郎:02/02/06 20:48 ID:QsVh8SoK
>>262 はさんへ。
古い映画のスレッドからお邪魔します。
マコ岩松出演のミュージカル舞台、「パシフィック・オーバーチュア」の評価はどうだったんでしょうか。
米国で大ヒットしたと聞いてますが。
私は、ずいぶん前テレビで中継を見ましたが、今ひとつピンときませんでした。
どういうところがあちらの観客に受けたのか、不思議に思ったものです。
マコは、たしか狂言廻しを演っていたと記憶していますが。
269:02/02/07 01:03 ID:Szb22jm/
>>267
でも、高倉健も「ミスターベースボール」あたりで懲りたんじゃないでしょうか。ハリウッド。
「ブラックレイン」は松田優作も若山富三郎も、奇跡のようにはまった映画でした。

>>268
何回か遊びにきていただき、うれしいです。私もそちらへ訪問しにいきましたが、
レベル高い内容にちょっと後ずさり・・・。でも、読んでいて面白いので、私の
文脈で耐えうるときには、また参加したいとおもってます。
さて、MAKOの舞台の件ですが、ごめんなさい、この舞台に対しての知識があり
ません。逆にすごく興味があるので、「つまらなかった」理由などをぜひ聞きたい
です。
270シネマ三四郎:02/02/07 20:30 ID:8xcix/Eh
>>269 はさんへ。
「パシフィック・オーバー・チュア」ですが、実は私もテレビで見たことは見たのですが、
その内容はほとんど覚えておりません。大ヒット舞台劇と聞いていたので、
大いに期待してみたせいか、「つまらなかった」というより、アメリカ映画によくある、
奇妙な解釈による東洋もの、という印象はこの舞台劇からも感じたので、
特にがっかりしたのかもしれませんが。
もう、20年ほど前だったと記憶しています。

マコ岩松は、「砲艦サンパブロ」で初めて見ましたが、来日して出演した、
「沈黙」(監督:篠田正浩 共演:岩下志麻)の彼もよかったですね。
271:02/02/08 00:27 ID:H8Z8hiOQ
>>270
Pacific Overture、gooで検索したら、2001年10月17日にシカゴのシェイクスピア・
シアターで上演された際のレビューが出てました。写真を見る限り、東洋の怪しさ爆発です。
この舞台は2月から続いていたようです。シネマ三四郎さんの感じた違和感を、この
サイトからだけでも感じることができます。もちろん、MAKOは出てません。
272190:02/02/09 00:23 ID:FRK1HQQL
>269
「ミスター・ベースボール」にエキストラ参加しました。200m
先に健さんやトム・セレックがいました。

>261
三船とMAKOは「武士道ブレード」('79)でも共演しています。

他に丹波哲郎、千葉真一、リチャード・ブーン、ジェイムズ・アル・
ジョーンズ等が出演していますが、非常につまらない作品でした。

雪洲の作品同様、三船の出演したハリウッド作品も日本未公開が多い
ですね。

劇場未公開:「Winter Kills 」「The Bushido Blade」「Inchon!」
「The Challenge」「Shadow of the Wolf」
273:02/02/09 01:05 ID:017CnWnc
>>272
ミスター・ベースボールのエキストラってすごいですね。

三船の未公開作品、何といっても一番見たいのが「Inchon!」です。サー・ローレンス・
オリビエのマッカーサーを中心にした朝鮮戦争もので、ジャクリーン・ビセットも出演。
でもアメリカでもVTRさえ出てない幻の作品ですよね。唯一の問題が製作総指揮が文鮮明
であることでしょうか。統一教会映像販売部、とかないんですかね。VTR5000円
だったら購入します。
274名無シネマさん:02/02/09 09:16 ID:c+bIlPs3
いくらハリウッドといえども、
自分の衣装やメークやセリフに関してくらいは文句言えるだろ>MAKO
というか言ってほしい
275名無シネマさん:02/02/09 16:58 ID:WtuAgnE9
さっきテレビを見ていたら、デヴィ夫人が面白いことを言っていた。
なんとデヴィは雪洲に踊りや演技を教わったとのこと。
他にも何か秘密を握っていそうだね。(^^;
276名無シネマさん :02/02/09 17:12 ID:xrYuxeku
CSNチャンネルは朝からボギーと早川雪洲でてるよ。
濃い。。
277190:02/02/09 20:54 ID:OIfWT96E
>273
球場の観客のエキストラで、全く写らない位置でした。映画では0.5秒ほど
使われています。ギャラは、テレカ1枚でした(トホホ)。球場(神宮)の
周りに、スタッフ用のトレーラーが沢山あったのが驚きです。

「Inchon!」(仁川)は、大部分を日本で撮影する予定だったそうです。
しかし、その好戦的な内容に対して、日本の監督協会かなにかが猛烈な反対を
したために、日本での撮影を中止したとの記事を当時読んだ事があります。

映画自体の出来も相当酷く、大赤字になったようです。ビデオ化されないのは
製作総指揮者の意向!?

それから、日本未公開といえば緒方拳の「Mishima」DVD版を観て
みたいです。
278:02/02/09 22:51 ID:0Ev9Pncn
>>274
同感です。でも、10年以上前にノブ・マッカーシー(渥美延)も出演映画で文句をいったら、
「お前のおかげで1分間数百ドル(だったかな)飛んでいく。黙ってろ」といわれた
らしいです。MAKOのインタビューを見て、まったく変わっていないんだな、と
思いました。
>>277
MISHIMAのDVDは昨年秋にWBから全米発売されています。日本の「ハリウッド
プライス」と同じバージョンなので、CD店には山のような在庫がありました。
日本でも御茶ノ水ユニオンで3980円で売ってました(最近行ったらなかった)。
R1なので買ってませんが、日本語版のナレーションは緒形拳らしい。「俺のジョーカー
は天皇だ」という歴史通りのセリフ、刺激的な作品ですよね。
279190:02/02/10 19:51 ID:frQhYHy3
>278
ナレーションの日本語版(緒形拳)と英語版(ビデオではロイ・シャイダーだった)
両方含まれているのですよね。日本語字幕も入っているようだし。監督のオーディオ
コメントも付いているようです。なのに何で「リージョン1」なのって!感じです。

「俺のジョーカーは天皇」というのは、東大学園祭でのシーンでした。
280:02/02/11 23:14 ID:tjeI+FVl
雪洲は1913年にハリウッドデビューし、1915年の「チート」でブレイクしましたが、
この頃1914年ころまでのハリウッドは、映画という点ではまだまだでした。
というのも、映画の発祥は1895年のフランスであり、リュミエール兄弟を中心にして
栄華を誇っていたからです。1914年のハリウッドの映画シェアは何と10%に
過ぎず、90%はフランス映画だったのです。この劣勢を急速に挽回していったのが
チャップリンやフェアバンクス、雪洲だった訳で、10年後の1923年には逆に
ハリウッド製が85%を占めることになりました。ちなみに、有名なハリウッドサイン
もこの1923年に建設されました(もっとも、初期の目的は不動産販売)。
281:02/02/12 22:37 ID:iq0i0ROg
雪洲初のフランス映画出演は1924年の「ラ・バタイユ」ですが、これもいま考えると
映画の2大大国であった両国への映画主演は、ハクがついたのでしょう。
いまでこそジャン・レノ頼りのフランスですが、その当時の活気を肌で感じてみたかった
ですね。
282名無シネマさん:02/02/13 05:56 ID:/M8zDoL3
雪洲もスゴイけど、
マーロン・ブランドと共演してアカデミー賞取った
ミヨシ(ナンシー)梅木の方がスゴイじゃん。
なんで彼女は日本で無視されているんだろう?
283:02/02/14 01:57 ID:IKtQ9bs3
ミヨシ梅木(本名は確か梅木美代志)は雪洲と同じ年に「サヨナラ」でオスカー候補
となり、見事助演女優賞を獲得しました。日本人俳優でのウィナーは梅木だけです。
(もっとも、ノミネートも雪洲とMAKOでけですが・・・)
ミヨシ梅木は無視しているというよりも、向こうが完全に露出拒否していることの方が
大きいと思います。原節子型、とでもいうのでしょうか。ハリウッドを含むすべての
メディアから姿を消してしまっています。
無視どころか、熱心に調べている人もいるようですが、なにぶん本人はつかまらない、
歌手が本業なので女優履歴が少ない、などなかなか調べにくいのが本当のようです。
284名無シネマさん:02/02/14 02:56 ID:+s4GKm1q
>>283
いや、お詳しいですね。マジ感心しながら読んでます。
ところで、その梅木と雪洲が同じ年('57)にノミネートされましたが、
どこかのサイトでそれは「当時のアメリカの親日政策によるものだ」
などと書かれていたのですが、そのへんの事情とかご存知ですか?
285190:02/02/14 23:50 ID:3Y/AY2H4
「サヨナラ」、その昔NHK・BSのワイド放送を観た事があります。
この映画、日本が舞台なのですが日本人男優には一言の台詞もなかった
と記憶しています。

歌舞伎役者中村をメキシコ人のリカルド・モンタルバンが吊り目メイク
で演じているので非常に違和感がありました。製作が30年早ければ、
早川雪洲が適役だったかもしれません。
286:02/02/15 01:18 ID:aGKauLBw
「ツリ目」って、本当に日本人のキーワードでしたよね。最近はさすがに無くなりました
が、その昔はあの名優キャサリン・ヘップバーンも日本人役をツリ目で演じていました。
スチールで見ただけですが、失礼千万ですよね。ステレオタイプっていうのがありますが、
確かに日本で活躍中の米国人は、みな同一タイプです。K・デリカットやK・ギルバート、
自称埼玉生まれのD・スペクターまで、あれが日本人から見るアメリカ人なのですね。
黒人やアジアン・アメリカンはやはりメジャーになれません。サンコンさんもアメリカ人
だったら、少し見方が違っていたと思いますし。
1950年代は米国人から見る「ツリ目」の日本人がもてはやされました。雪洲・梅木の
オスカーノミニーの他、57年だけで「蜘蛛巣城・・・LA国際映画賞」「七人の侍・・・
56年度のオスカー技術2部門ノミニー」と、華々しい時代だったんですね。
今は、すっかり中国(含む香港)にさらわれてしまいました。1958年の邦画の
製作本数、知ってますか?504本ですよ、1年で。アメリカやインドよりも多かった
年があったのです。この勢いが映画ビジネスの日米親善を進めたのではないでしょうか。
287:02/02/15 23:55 ID:Lo/M7jIh
1922年8月号の「中央公論」で、野口米次郎なる人物が雪洲の痛烈批判をしています。
「私は新聞の雑報で雪洲が郷里で涙に咽んだということを読む・・・・。私の眼前に開く
活動写真の一幕、場面は田舎家で古びた縁側が庭に向っている。登場俳優の雪洲は顔色悪く、
縁側でよろめき倒れる、妻の鶴子は雪洲の靴の紐を解く。(これは西洋にはない園です)
室内の仏壇からは黄色な細い蝋燭の火が燃えて、雪洲は仏壇の前へ這いずって行き
両親の位牌を見て泣きむせぶ。雪洲君、私は初めて君の真実な場面を見ました。君も
恐らく初めて真実な人間の涙を体験してでせう、又君は国へ帰って初めて真実な人間
となってでありませう。若し君に真実な芸術心があるならば、君はいくつも西洋に有名な
写真を持っていますが、君はそれ等を虚偽の遊戯だとして仕舞いたく思ふでせう。
君は今真実な人間の涙の瞬時を体験しました、君は無益に帰朝しなかったことを私は
喜びます。君が真実な人間の味を知ったことを私は喜びます。
そして私は君に質問するが、「真実な人間として君は再び、ホリウッドの撮影場に入る
勇気がありますか?」」というものです。
この野口さん、よほど頭にきていたんでしょうね。嫌いだったんでしょう。ハリウッド。
でも、雪洲はこの9月には再び渡米し、ハリウッドには帰りませんでしたが、NYで
舞台「タイガー・リリー」に主演しちゃいました。野口さん、また怒ったでしょう。
文献は残っていませんけど。
288:02/02/16 21:33 ID:i1sJSWNv
野口さんも認めているのは「雪洲は西洋映画では有名だ」ということです。三船も雪洲も
「風格」が出てくることで欧米映画に溶け込んだことを考えると、やっぱり経験の差、という
ことになりますね。
例えばジェニファー・ロペスなんか、1996年の「ブラッド&ワイン」あたりだと
訛りも強く、映画の華にはなってもそれ以上のものではなかったものが、「セル」や
「ウェディングプランナー」では風格も付いた主演女優に変化しています。
チョウ・ユンファなんかも同じことが言えるかも。それゆえ、日本人俳優にも長く
LAに住み着く若手が必要だと思うんですが。そろそろ久しぶりのオスカー候補なんかも
見てみたいですね。
289名無シネマさん:02/02/16 21:38 ID:7WCBcthx
>>287-288
野口米次郎って、イサム・ノグチのおやじ?
290:02/02/17 21:57 ID:54hWYXSr
>>289
詳細はよく分かりません。が、野口米次郎は他板では有名そうな詩人で、1875年に
愛知県に誕生しています。1893年、18歳のときに単身渡米(雪洲の先輩格ですね)、
米詩人、ウォーキン・ミラーに師事していたそうです。1906年から慶應英文科教授。
1922年の批判文は野口さんが47歳の時で、当時33歳の雪洲に対しての文章だという
ことになります。渡米の先駆者であったことからも、ある意味国辱的な雪洲の映画内容に
耐えられなかったのかも知れませんね。面白いめぐり合わせです。
291名無シネマさん:02/02/17 22:05 ID:6LwBendX
>>287
そういえば、ウッディ・アレンが60年代くらいの日本のスパイ映画(w に
かってにめちゃくちゃな吹き替えを入れた「What's up Tiger Lily?」
とかいう映画があったんだよねー。
で、早川雪洲はそのタイガーリリーと関係あるのかな?
292190:02/02/18 23:38 ID:jm3OXuh0
雪洲「チート」での役名は“鳥居”でした。焼印も鳥居のマークでした。
昨年公開された「パールハーバー」でも、作戦会議のシーンの背後に
大きな鳥居があったし、零戦にも鳥居のマークが書いてありました。

私は普段意識していないのですが、日本=鳥居のイメージがあるので
しょう。
293:02/02/19 00:19 ID:+AL2WKBz
>>291
「タイガー・リリー」は東洋ものの舞台なので、ウディ・アレンもその関係で付けたのでは
ないでしょうか。大ヒット舞台なので、再演も多数されているはずです。
雪洲の公演は1922年9月から6ヶ月間のロングランを記録する大ヒット作だったよう
です。もともとはリリアン・ギッシュの共演予定だった、とのことで、実現してれば
スゴイことになってましたね。2人の共演は結局一度もありませんでした。
>>292
ジョン・フォード版「パールハーバー」でも、確か鳥居が出てきました。日本のランド
マークとして分かりやすいのではないでしょうか。「チート」の雪洲は確かに「ヒシュル
鳥居」という役名でしたが(ヒシュルって何?)、大日本帝国から批判が来たため、
パラマウントは設定を変更、1917年版では雪洲はビルマ人(!)になっています。
役名も「ハラ・アラカウ」に変わりました。よって、この時点で「鳥居」と焼きごて
の「鳥居」のかたちの「楽屋オチ」がわからなくなってしまったんですね。
294メイヤー:02/02/19 00:42 ID:e2rh49u6
>>290
よく知られた話ですが、米次郎の息子イサムの夫人が山口淑子でした。
彼女は雪洲とも「東京暗黒街・竹の家」で共演しています。
キャサリン・ヘプバーンが演じたのは中国人役だったと思います。(パール・バック原作の「Dragon Seed」)
マーロン・ブランドも「八月十五夜の茶屋」で日本人役をやりましたね。
295:02/02/19 23:22 ID:CIvaHier
>>294
情報ありがとうございました。スッキリしましたが、メイヤーさんは本当に映画全般の
ことをよくご存知ですね。「古き名作」スレを見ていつも感心しています。
あと、有名どころでの日本人役といえば、ショーン・コネリーinジェームス・ボンドですかね(W

296190:02/02/20 22:47 ID:eDJ3d7Al
>293
IVC版はビルマの象牙王「アラカウ」になっていましたね。
それにしても“ビルマの象牙王”とは変な肩書きだと思います。

>294
マーロン・ブランドの役名は「サキニ」でした。変な名前です。

>295
「ティファニーで朝食を」に出てくる「ユニオシ」も有名!?
これまた変な名前です。
297:02/02/21 01:00 ID:dz9F9nXO
>>296
ミッキー・ルーニーはあの出っ歯+黒ふちメガネのイメージが強くて、どうも好きに
なれませんね。ジョン・ベルーシの三船のマネは素直に笑えるんですが、ティファニー
のはちょっと。ミッキー・ルーニーはいまだ現役でがんばってますが、映画市場世界2位
の日本にプロモートしにくいのも辛いとこじゃないでしょうか。もう少し「毒」を
抜いておけばよかったのに、と思います。雪洲のハリウッド第二黄金時代にダブって
いますが、当然共演はありません。
298:02/02/22 21:52 ID:WCcotgWo
「さゆり」(邦題)の監督は、スピルバーグが降りた(プロデュースとのこと)そうですね。
芸者を描くというだけでも大変なことになりそうなのに、スピルバーグ以外の監督が撮る
のは完成前から怪しさ満杯です。青木鶴子の90年前の主演作あたりとレベル変わらないんじゃ
ないかと思われるんですが。ある意味、期待作ではあります。
299:02/02/23 23:05 ID:LNOebWXK
次女の冨士子が父親・雪洲について語っています。
「お酒も大好き、賭け事も好き、そして何より女性が大好きでしたしね。たしかに年齢
よりとても若かったと思います。したいことはとても熱心、そのかわり嫌いなことは何
ひとつやらない。すごいずぼらでそれこそ横のものを縦にもしない。馬鹿というくらいに
常識がなくていつも他人に騙されてばかり・・・。それなのに根っから善人ですから、
騙した人を怒ることはしない。平気でまた会ったりしている。武士道なんていっていました
けど、本当は弱いといっていいほど気が優しくて・・・。本当にしたいことはなんでも
なさいましてね、お酒はいけなくても最後までワインを飲みましたし、幸せな一生だったと
思いますね」というものです。雪洲の子供3人はみな鶴子との子供ではないのですが、
冨士子は同居期間も長く、鶴子亡きあとは、一番雪洲が語れる人かもしれませんね。
300名無しさん@お腹いっぱい。 :02/02/24 10:54 ID:fACOXatT
「武者修行世界を行く」を買って読んでいる。
作り話くさいなあ・・・。
301:02/02/24 22:01 ID:kq7wcfoe
>>300
この著書は1959年、雪洲が70歳のときのものです。人間、やはり人生を振り返り
ながら書くと、誇張も多くなるのではないでしょうか。多数の愛人のことは当然出て
きませんし、ヨーロッパ中を騒がせた田中路子との不倫もカットされています。
不倫を差し置いても、当時ヨーロッパのプレイガールと謳われた田中と2本も共演して
いながら、カッコつけの同書で1行も触れられていないのが面白いですね。
まだ妻の鶴子が元気だったからだと思いますが、少し脇道系の話も出てこないと、
ウソっぽくなりますよね。30%くらいは本当っぽいですけど。
302:02/02/25 22:31 ID:Heo0rb3c
雪洲はハリウッドを初めとして、パリ、東京、NYを拠点にしてきました。国際俳優らしい
グローバルさですが、実はその原点はすべてシカゴにあります。
シカゴは雪洲が通信課程で通っていたシカゴ大学のあるところで、雪洲青春の場でした。
もともと雪洲は海軍志望だったため、俳優など露にも興味を示していませんでした。
しかし、シカゴはNYからも近いために、よくブロードウェイから舞台がやってきました。
これを見ているうちに、俳優への感心が沸いてきたそうなので、大きなきっかけ作り
だったといえます。また、パラマウントの所属で大スターにのし上がったあと、自身の
独立プロを作りましたが、これもシカゴ大時代の友人、キャナリー氏に声をかけられて
決心したものです。キャナリー自体がどうこういうよりも、父親が雪洲のファンで、
アメリカの石炭王といわれた人物だったのが大きかったようです。当時で100万ドル
をポンと提供したそうで、これらのシカゴ時代がなければ、人生どうなっていたか
わからなかったという点で、シカゴが原点だということです。
303190:02/02/27 00:23 ID:tI0BvVcV
自伝「武者修行世界を行く」に関しては、「聖林の王・早川雪洲」でも
誇張ぽい部分があると指摘されていました。
304:02/02/27 01:11 ID:p1RQwOcn
現代の日本人が一番不思議に思うのが「なぜハリウッドで雪洲や草人、鶴子といった
日本人が成功したのか」ということでしょう。これは当時の映画先進国、フランスとは
逆の「貧乏人文化」がハリウッドの発進点だったからでしょう。そもそもNYでエジソン
に追い出された人々が腰を落ち着けたのがLAであり、スタートから怪しい業界だった
わけです。LAには移民がたっくさんおり、1900年ころには約50%を占めていた
そうです。そのため、怪しい製作者たちは日本劇や西部劇、メキシコ劇を量産したんですね。
雪洲もそのチャンスを手にしました。
情報が少ないため、今では完全に過小評価されていますが、雪洲はチャップリンが
1915年に週給1250ドルだったときに、週給1000jもらっていたトップ
俳優でした。怪しい業界から億万長者へ・・・。これがヨーロッパにはない「アメリカン
ドリーム」なのだと思います。
305:02/02/28 00:20 ID:3PJT93lL
雪洲が最も縁遠かった日本の映画会社が「東宝」であったことは以前書きましたが、
その東宝の誕生にも雪洲が関わっていることは意外なめぐり合わせでしょう。
もとは1930年に雪洲が横浜に帰国した際、友人の高巣欣也が雪州を巻き込んだ映画
会社設立を計画したことに端を発します。高巣は後藤新平の秘書であった小野法順に声を
掛け、小野は大同電力社長、増田次郎へ相談、増田は東電の小林一三に相談、という
連携を経て、阪急社長を兼任していた小林が、宝塚の土地を提供しました。小野が
ここへスタジオをつくり、資本金40万円で「宝塚映画梶vを設立するという線まで
決定していました。ところが、肝心の雪洲がこの話を蹴ったことから計画は頓挫した
のだそうです。LA、NY、パリ、ロンドンで集客力のあるスターが、やはりこの
話は乗れなかったのでしょう。ただし、10年前に松竹から誘いを受けたときに比べれば
雪洲も柔軟で、東宝へは設立以来、ついに1本も出ませんでしたが、系列の日劇では
舞台興業を行うなど、恩返しはしているのですね。三船が衝撃的に登場する、約15年前
の話です。
306:02/03/01 00:19 ID:cT+TwJst
雪洲はイギリスでの活動は1923〜24年の2年ほどですが、渡英のきっかけが、
当時の国王・ジョージ5世が主催する「コマンド・パフォーマンス」に指名されたから、
というのもスケールの大きな話です。1923年11月12日に初めてイギリス・ドーバー港
に入ったのですが、ロンドンのビクトリアステーションに降りてびっくり、数万人のロンドン
っ子が出迎えたそうです。ハリウッド映画での知名度からくるものでしたが、英国では
「チート」の上映はされていません。これは日英同盟に配慮したからで、この頃から
駐英大使のような仕事を(図らずも)していたんですね。
駅にはロンドン市長が出迎え、ロールスロイスで移動し、これには駐英大使の林権助も
びっくりしていたそうです。
コマンド・パフォーマンスも大盛況のうちに終了、このあと2本の映画に出演しました。
307:02/03/02 01:17 ID:ApPK1mLn
雪洲は皇室と親交があるわ、米大統領と直接会えるは、イギリス国王の招待をうけるは、
と生涯を通してみれば、日本人として稀有な人生を送りました。しかし、ハリウッド時代
については、同格のトップスターとともに遊びまくっており、若干怪しい面もあります。
チャップリンに次ぐコメディアンであったロスコー・アーバックルが、1921年9月に
新進女優を殺害した容疑で逮捕された際、パラマウント最高の弁護士のおかげで無罪に
なったものの(O.Jシンプソンのようだ)、麻薬の常用も暴露され、アッという間に
映画界を追放されました。この事件はセンセーショナルだったようですが、同時に
言われたのは「これはアーバックルだけか?」というものでした。同じような怪しい
パーティーはあちこちで行われており、雪洲も数多く出席していたはずです。
自伝や関連図書でも触れられていない部分ですが、かなりグレーだったのではないでしょうか。
今も昔も変わらないゴシップですけどね。
308:02/03/02 21:29 ID:57pzcsQh
雪洲の欧米時代(デビューからWWU終戦まで)と現代で一番違うこと。これは日本の
国としてのスタンスです。日本は戦争に負けるまで「大日本帝国」であり、欧米に対して
何のコンプレックスもなかったんですね。同格です。だからアメリカに行って意外にも
冷遇されているLAの日本人を見て、雪洲は発奮したのかもしれません。
WWU前まで、欧米は日本を恐れており、ある意味同等の発言権もあったのだと思います。
だから雪洲もこの地域で圧倒的な支持を受けたのでしょう。差別なく応援する外国人と、
冷遇を跳ね返した勇気を称える現地日本人と、両方から受けたのですから、スーパースター
になるはずです。
ブッシュの応援ありがとう26カ国に入らず、すっかりアメリカに擦り寄る業者のごとく
なってしまった今の日本では考えにくいことですが。
309:02/03/03 20:50 ID:6KGC6gIq
「戦場にかける橋」は世界的に大ヒットとなり、雪洲の代表作にもなりましたが、
この映画の公開は1957年です。当時はハリウッドが日本ブームのような状況で、
雪洲もオスカーを獲るものと思われていたようですが、ノミネートに終わりました。
この映画が全米のTVに初登場したのは、結構遅くて、9年後の1966年9月25日
でした。さすがにこの年になると、雪洲の全米での威光も薄れていたと思いますが、
ところがどっこい、ABCテレビで何と38.3%の平均視聴率を得ました。
もちろん、主役は雪洲ではなかったのですが、ソルトレーク五輪を遥かに凌ぐこの
レーティングにより、雪洲を再確認したアメリカ人も多かったのではないでしょうか。
事実上のふるさとであるアメリカに、最後の勇姿を見せたわけで、やっぱりカッコ
いい人生でした。この7年後、雪洲は世を去ります。
310名無シネマさん:02/03/03 20:52 ID:GA6ksXP7
無声映画時代の日本人俳優で女の人に人気があったと
聞いたことあります。戦場にかける橋とかでチラッと
見た記憶が・・ 本当に日本人なの?
311:02/03/04 22:35 ID:xGRngEBN
>>310
千葉生まれの生粋の日本人です。

アメリカン・フィルム・インスティテュート(AFI)が1996年に実施した「アメリカ
映画ベスト100」は「映画の中の映画、市民ケーン」が1位で、1915年の「国民の創生」
までさまざまな作品が並んでいますが、「戦場にかける橋」はなんと13位に食い込んで
います。「SW」や「ET」よりも上なんですね。スピルバーグなどは、デヴィッド・リーン
のロレンスを見て映画作家を志しただけあり、この作品も劇賛しています。
スピルバーグがジョ−ズを撮ったころ、すでに雪洲はこの世にいませんでしたが、
もしあと10歳雪洲が若かったら、スピルバーグは何かの役でオファーしていたの
ではないでしょうか。
312名無シネマさん:02/03/04 23:10 ID:EdJnTQaA
MAKOさんって在日の人でしたっけ?
313:02/03/06 00:12 ID:ebAJTU8f
>>312
MAKOも生粋の日本人です。
本人が「一番楽しかった」といっている「コナン・ザ・グレート」のDVDが、8日
に発売されますね。
314:02/03/07 00:20 ID:Q0dzLCBQ
雪洲のピークは1917〜1918年のハリウッド時代ですが、この頃の週給はチャップリン
の10,000ドルに次ぐ7,500ドルを得ていました。ちなみに、約40年後にC・イースト
ウッドがデビューしますが、1955年当時のイーストウッドの週給はたった75ドル
だったそうです。これはワーナー契約の最低給だったそうで、今も昔もトップとビリの
差は大きいのだということがわかります。ちなみにイーストウッドはハリウッドでも
人柄のよい俳優として知られていますが、この苦闘時代が影響しているのかも知れませんね。
ショー・コスギのニンジャ映画も充分に認めており、コスギに西部劇+ニンジャの
ような作品を作ろう、と語っていたそうです。
315190:02/03/07 20:50 ID:kQmrbgNs
>314
イーストウッドのニンジャ映画についての発言、興味深いですね。

以前どこかで読んだ雑誌には、三船の「レッド・サン」は当初ドロンと
ブロンソンではなく、イーストウッドとポール・ニューマンを予定して
いたなんて書いてありました。真偽の程は判りませんが、もし実現して
いればと思います。
316名無シネマさん:02/03/07 20:54 ID:hG3fch1I
「箱馬に乗って背を高く見せること。」
ハイハイ、キシュツだろうね。
317:02/03/07 22:45 ID:VupihbQX
1923年12月14日、雪洲はイギリスにおり、プリンス・オブ・ウェールズのパーティー
に出席していました。イギリス皇太子の軽妙なスピーチ(欧米の人はスピーチうまいですね)
を受けて、負けず嫌いの雪洲は自分も会場を沸かせようと、一生懸命ドーナツの穴に
関するジョークを飛ばしたそうです。ところが、会場内は全くウケず、さしもの雪洲も
自信喪失したというエピソードがあるそうです。
後日わかったことは、当時イギリスのドーナツには穴がなかった、ということで、それは
ウケるわけないですよね。雪洲らしくないイケてない話です。
318:02/03/08 21:44 ID:g9HqmHdk
>>316
雪洲の背丈ですが、公称177cm(!)となっています。「セッシュウ」してその
くらいなのかも知れませんね。実際は168cmくらいですかね。見たところ。
日本人としては決して小さい方ではないと思いますが。サイレント時代からそのあたりの
隠し方も上手かったのではないでしょうか。なにせ、絶頂期の作品は半分以上、自分の
プロデュースですから。
319:02/03/08 21:47 ID:g9HqmHdk
>>316
雪洲の背丈ですが、公称177cm(!)となっています。「セッシュウ」してその
くらいなのかも知れませんね。実際は168cmくらいですかね。見たところ。
日本人としては決して小さい方ではないと思いますが。サイレント時代からそのあたりの
隠し方も上手かったのではないでしょうか。なにせ、絶頂期の作品は半分以上、自分の
プロデュースですから。
320:02/03/08 21:48 ID:g9HqmHdk
すみません、ダブりました。
321:02/03/09 23:43 ID:fZfCXsdC
>>315
レッド・サンは正確にいうとハリウッド作品ではないのですよね。それゆえにA・ドロン
が引き立ち(米では全く知られていない)、客演としてブロンソンと三船が出演、おもしろい
趣味の映画になりました。どうも「ワイルド・ワイルド・ウエスト」を見ると、この
作品を思い出してしまうんですが。
322:02/03/10 21:00 ID:Pq8Ia/Ux
雪洲は第2次対戦中、ずっとパリにいました。正確には1937年12月から1948年
12月までの12年間です。トータルの時間でいえば、ハリウッド時代より長い計算に
なりますが、戦争中のためあまり仕事もできず、フィルモグラフィー的にも地味な期間です。
初期ハリウッド時代と同じく、自分のプロダクションを設立し、エリック・フォン・
シュトロハイムを迎えて「マカオ」を撮ったくらいでしょうか。目立った活躍は。
ナチスドイツ傘下のパリ時代は検閲も厳しかったようで、反ナチのシュトロハイム作品
も当然公開禁止になりました。
ただし、パリに来る直前に撮った「新しき土」が日本とナチスドイツの合作だったので、
ナチスも雪洲を敵視していた風ではなかったようです。世界中に認識されるスター
ならではの理由でした。ちなみに、戦争が終わるとパリ=フランスは戦勝国で、日本人の
外国渡航も制限されていましたが、この監視下で特例措置を作りハリウッドに呼び戻したのが、
他ならぬH・ボガートだったのは有名な話です。
323190:02/03/10 23:16 ID:0MS3IT+M
>321
「レッド・サン(ソレイユ・ルージュ)」は、プロデューサの1人が
フランス人だったと思います。音声もフランス語だったと思います。

この作品、日本人のキャラクターがカッコ良く描かれているので好きです。
ラストに見せる、ブロンソンの男気も泣かせます。そう言えば、この監督
以前この板で話題になった「インチョン!」で三船を再度使っていますね。

雪洲ネタではなく失礼しました。
324:02/03/11 22:42 ID:TWeNgsvo
>>323
三船、好きですよ。レッド・サンのプロデューサー、R・ドーフマンの息子、J・ドーフマン
の監督作「シャドウ・オブ・ザ・ウルフ」は三船晩年の傑作でした。このドーフマン
親子とは縁が深かったんですね。「シャドウ〜」の三船の役はエスキモー部族の長で、これは
「南海漂流」の雪洲にも通づる役柄でした。大自然の描き方はクリフハンガーを遥かに
凌いでいましたし、三船はほぼ主役扱いです。
D・サザーランドなんて、三船が出るというだけで台本を送る前にOKを出したそうで、
やっぱりこんな俳優は日本でただ二人だけでした。
325:02/03/12 22:28 ID:dkd6mpb4
雪洲にしろ三船にしろ、日本での評価は「大スターだが名優にあらず」という扱いです。
雪洲=デミル、三船=黒澤というイメージが定着し、それ以外は正当な評価を得ていない
と思います。しかし、アメリカやヨーロッパでは2人とも「腹芸のできる名優」として
人気があります。このへんの差が面白いですね。
雪洲に対するボギーやオードリーの接し方は、以前書きましたが、三船もジョン・ウェイン
級の扱いです。中でも、あのマーロン・ブランドが同じ飛行機に三船が乗っていると
知ると、席を立ち、三船のところへ挨拶に行ったそうです。K・コスナーも「用心棒」
50回見たといってますし(Byボディガード)。B・ウィリスもロイ・ロジャース
だけでなく、三船も本当に好きだったようです。
2人とも背がちょっと足りないのが惜しいですけど、どこへ出ても風格のある「名優」
でした。
326190:02/03/13 23:22 ID:DGAfhuDJ
以前、私の父親がミスコンの審査会場で生・三船をまじかで見た
ことがあり、「えらく小柄だったぞー」と話していました。

映画ではとても大きく見えるので、意外だった記憶があります。
雪洲と三船、どちらの方が大きいのでしょうかね!?
327:02/03/14 01:26 ID:BiLJXqo+
>>326
三船と雪洲の背格好って、ほとんど同じくらいじゃないでしょうか。共演してないので
直接比べられませんが、2人とも170cm弱って感じですね。
でも「グラン・プリ」での三船の最初の登場の仕方とか(ハリウッド大作で羽織・袴!)
カッコよかったですから、やっぱり「風格」は「背丈」を陵駕するんじゃないでしょうか。
遺作となった「深い河」の登場シーンもわずかでしたが、あの存在感ったらなかった
ですよね。花火の中現れる三船は、文句なく決まっていた。もう見れないのが残念です。
328:02/03/15 00:11 ID:uQlGINlo
雪洲の経済的状況でいうと、もっとも裕福だったのは当然1919年代のハリウッド
時代でしょう。80年以上前に年収7億円(現在貨幣価値)というのは、現在の2000万
ドル級俳優と肩を並べていました。
その後のフランス時代も初期は全くお金には困っていなかったようで、シトロエン氏
(自動車会社社長)などとの賭けで負けて、数億円(!)をスッたという伝説も
残っています。しかし、WW2が始まると仕事もなくなり、1943〜44年頃は
絵を書いて街角で売り、生計を立てていたそうです。どうでしょう、この落差。
この豪快さが雪洲らしいところです。
329:02/03/16 00:26 ID:QerBCGeZ
日本の映画会社は、イコール系列館の多さで大きさも決まるという、欧米とは違った歴史
を経ています。近年こそ邦画そのものの弱体化と、外資系シネコンなどの進出で、ほとんど
有名無実になっていますが、最盛期の1958年頃は、俳優も自由に映画会社の移動などは
できませんでした。当時、電気紙芝居といわれ、揶揄されたTVにも一切の出演を禁止すると
いう横暴さが罷り通っていたんですね。
しかし、雪洲は東映寄りではあるものの、特定の会社とは契約せず、それゆえにTV
黎明期に数本の主演作を撮ることができました。生ドラマなどもあった時代なので、
録画など残っていないでしょうが、ぜひ見てみたいですね。
なお、日本映画絶頂期の1950年代に雪洲が主演したのは「東映」「新東宝」「日
テレ」の3社のみで、三船との共演がなかった最大の要因といえます。
330:02/03/16 23:52 ID:qIr227fR
三船が特別出演した「ピクチャー・ブライド」は1994年の佳作でしたが、この映画
は横浜からカリフォルニアへ渡って「写真花嫁」となる工藤夕貴の視点を中心に描かれます。
この「写真花嫁」こそが、雪洲全盛時の1910年代まで続いた「見たこともない人との
お見合い=写真のみで決心する」というある意味非人道的な「ピクチャー・ブライド」
でした。雪洲も自身の主演作でこの問題を取り上げています。
ただ、この方法でどんどん日本人が増えるのはアメリカ人にとっては面白いことでなく、
1918年にこの「ピクチャー・ブライド」は禁止されました。
日系のカヨ・ハッタが撮ったハリウッド作品だけあり、映画はものすごく当時の雰囲気
が伝わっていました。三船の登場シーンも最高にカッコいいです。
331:02/03/18 00:07 ID:l2qvg8nm
雪洲のアメリカ映画で、日本ロケをしたものは恐らく1949年の「東京ジョー」だけ
です。とはいっても、雪洲やボギーは来日せず、丸の内近辺の風景撮影だけですが、
生の戦後丸の内が見れるのは貴重です(同年の野良犬には劣りますが・・・)。
最近、日本でロケした作品は「ブラックレイン」「ミスターベースボール」「ドリブン」
などが有名ですが、なぜか「ヌードル」がハリウッドはお好きなようです。「ブレラン」や
「ブラックレイン」でおなじみの「うどん」をはじめとして、「ドリブン」ではこれでもか
と「焼きそば」が出てきました。日本人レースクィーンの登場時間よりも多かったくらい。
ところで、「ドリブン」の渋谷ゲリラ撮りの絵はカッコいいですね。三千里薬品はこの
作品で一躍ワールドワイドなドラッグストアになりました。日本映画でもこれくらい
カッコよく撮ってもらいたいものです。「ココニイルコト」とか、よい作品ですけど、
大阪の描き方が「ブラックレイン」にも劣っています。
332190:02/03/18 00:15 ID:y43npDcC
>324
未見だった「シャドウ・オブ・ザ・ウルフ」を借りてきました。
余り期待していなかったのですが、大自然を背景にした骨太の作品
でした。なんだか数年後の三船の運命を暗示しているようにも思え
ます。

晩年の三船が体調を崩したのは、この作品の過酷な撮影(寒さ)が
原因だったとの記事を以前読んだ事があります。

>331
今度「ドリヴン」を借りてみます。(笑)
333名無しさん:02/03/18 00:17 ID:csS5r8X2
日テレの魚住りえは雪洲しまくりだな。
334:02/03/19 01:02 ID:6sQA2a5i
雪洲が活躍していた1920年代前半、日本で大スターだったのが尾上松之助です。
出演本数1000本(!)以上で、午前中と午後で撮ってる映画が違うという多忙
を極めました。松之助も「われながら壮絶な気がした」と語っています。
雪洲が女性からの熱狂的支持を受けていたのに対し、松之助は子供たちに人気があり
ました。現存しており、かつきちんと残っている作品が「忠臣蔵」と「渋川伴五郎」
くらいしかないので、現在は話にも上りませんが、日本では雪洲を遥かに凌ぐ大スター
でした。背は雪洲よりも小さい感じで、ナイナイの岡村タイプの顔をしています。
松之助と雪洲は会ってないのでしょうか。興味深いところです。
335:02/03/19 22:23 ID:Z9I9iebH
NYのブロードウェイは夜になると一種幻想的なイメージになるのが不思議です。まさに
演劇の聖地、といったところでしょうか。幕間のワンショットドリンクもおしゃれだし、
なんといってもカーテンコールが感動的です。
このブロードウェイに雪洲が立ったのは1926年です。3人しか舞台に登場しない
「ラブ・シティー」で、雪洲は中国人役を演じましたが、さしもの雪洲もブロードウェイ
の重さに神経性胃炎になったそうです。初日は腹痛をこらえて湯たんぽを腹にいれて
舞台に立ったようで、強気一辺倒のイメージの雪洲にしては珍しいことでした。
ともあれ、この舞台は大成功を収め、初日の終了後、雪洲の腹痛はピタッと止んだ
そうです。最終的には全米からカナダまで巡業する結果になり、スーパースターとして
の威厳を見せました。4年ぶりにLAでも公演したそうで、恩返しも出来たのでは
ないでしょうか。
336名無シネマさん:02/03/19 22:26 ID:pPmLIyUe
このスレ、今初めて見たけど、
佐々木健介スレと並ぶご長寿スレだね。
337:02/03/21 00:02 ID:6MuVXLyK
>>336
ネタが続く間はがんばります。

雪洲はもちろん時代性もあるでしょうが、ハリウッドで頂点に立ち、ブロードウェイで
主役を張り、英国王の前で主演を務め、ナチスドイツと映画を撮り、オスカーノミニー
もされました。派手な女性スキャンダルも含めて、これだけダイナミックな俳優は
もう出てこないと思います。
338名無シネマさん:02/03/21 03:56 ID:B7Ozq2Aj
>>337
まあ、所詮、日本は欧米中心の世界では味噌っかすだからなあ。
大日本帝国って、日本民族がこの狭い日本列島から、外へ雄飛し
て、世界の覇権争いに加わった、最初で最後の栄光の時代なん
だろうな。

339:02/03/21 23:20 ID:3bMoqL45
>>338
その通りだと思います。大日本帝国時代はイケイケ度が過ぎたためにシッペ返しをくらい
ましたが、意識そのものは当時の方が高かったでしょう。アメリカが強くなるにつれ、
日本は属国的な意識にかわってきました。宇田多ヒカルも全米デビューというよりも
全米「同化」を目指しているように思えますし。雪洲は「同化」しようとは更にも
思っていませんでした。日本らしさ、日本人らしさを前面に出していたからこそ
尊敬されたのでしょう。向こうに合わせることは、こちらが妥協することです。
英語は喋れたほうがいいですし、欧米の文化を理解することもすごく大事です。大事
ですが、自己を薄めてしまってはダメなのですね。野茂やイチローはもう少し愛想
よくても、とは思いますが、雪洲や三船を連想させる数少ない日本人です。これは
やはり「自己」を持っているからだと思うんです。
我々がアメリカ人とイギリス人を区別できないのと同様、先方も日本人と中国人は区別
できません。でも、イギリスは「ジェントルマン」という伝統があり、それをプライド
にしています。それならば、日本は「サムライ、道徳」みたいな伝統を無視する
必要もないんじゃないか。そんな風に考えています。
340名無しさん@感動しました:02/03/22 18:50 ID:PhhLd2GB
>は様(と呼ばせてください)
ワタクシ、この2ちゃんに足を突っ込んでまだ一年未満の若輩者です。
正直バカ話を求めて徘徊しておりましたところ、貴スレにたどりつく
幸運を得ました。以前ある舞台俳優さん(インディ系ですがこのところTVにも
ちょいちょい)に早川雪洲の話をふったら「誰それ?」てな扱いされて・・。
彼は三船敏郎は好きなんですが、雪洲=戦場にかける橋というイメージしか
なかったらしい。背が低くてもイエローモンキー的な役はやらず、
早い時期から異国的なセックスシンボルであった早川雪洲を知らぬとは!
おまえほんとに映画好きか?と!
それまで彼の事を頭悪くても映画に関して勉強熱心な人だと思ってたのが
一気に冷めました。いやほんとに。
ハリウッドで仕事やってみたい、と言ってるくせに雪洲を知らんのでは
話にならんでしょう。(彼は三船のような豪放タイプではないので
なおさら雪洲を研究する必要があると思います)
またここのおじゃまさせていただくこともあると思います。
女優だととかくアジア人はぜんぶまとめて「蝶々夫人」扱いですが
男優だとどういう展開がありうるのか、興味があります。
タランティーノが次回作で千葉真一に服部半蔵をオファーしたそうですが
日本語でも滑舌悪いのに、英語だとどうなってしまうのか(涙)
それとスレ最初のほうにでてきた田中路子は「ミチコ・タナカー男たちへの賛歌」
というまとまった評伝があり、雪洲は「人を愛する能力の無い男」と評されてました。
今日はここまでにします。
341:02/03/22 23:18 ID:+DXZrPV1
>>340
以前、坂本教授が「日本人にオファーが来るのは軍人ばっかりだし・・・」というような
コメントをしていたことがあります。
オスカー獲得者(音楽部門ですが)でさえ軍人役なのだから、現在ハリウッドで活動している
日系人俳優の苦悩は大変なものだと思います。ケリー・ヒロユキ・タガワもジョージ・タケイ
も、日本人から見ると「ヘンな日本人」系に見えてしまいますし、ハリウッドシステムの
中で作品に出ていると、そのヘンな日本人像がアメリカの視点でいう「日本人」である
ことから、ますます両者のイメージが乖離していくんですね。
ジョージ・タケイなど、LAの日系人博物館に強制疎開の苦労を書き記し、「戦場にかける
橋2」に出演するなど、日本人の原点を探求している俳優なのですけれど、評価されませんね。
我が同胞民族に。スタトレの主演にひとり日系がいる、てな程度の思われ方でしょうか。
でも、おっしゃる通り、みな蝶々さんにまとめられてしまう女優に比べれば、まだ
マシなのかもしれませんが。女優の扱いは正直、最低ですね。いまだにゲイシャです
からね、スピルバーグが製作するの。
342名無シネマさん:02/03/23 03:29 ID:fbe9imL3
またしても読みふけってしまいました。読みながらネットサーフィンしてましたが、アメリカのヤフーで
Sessue Hayakawaと検索したら出るわ出るわ。

ところで、>>103で話しておられたThe Danger Zoneや、>>177でコメントされたフォードのパールハーバーを
是非とも見てみたいものですがどちらも販売されていないようですねー。残念。しかしいつかはきっと機会が
あるでしょう。
343:02/03/24 01:07 ID:OPgri4LB
>>342
ジョン・フォードのパールハーバーは、IVCから「真珠湾攻撃」というタイトルで
発売されています。ラ・バタイユは出ていませんね。フィルムは完全にのこっている
そうですから、IVCで出して欲しいです。
344:02/03/25 00:43 ID:wkvGaVbi
雪洲と縁の深いセシル・B・デミルですが、代表作「十戒」のDVDで生デミルが
見れます。メイキング的なトレイラーで自ら作品について語る他、映画の最初で幕間
からいきなり本人が出てきて「それではごゆっくりご覧ください」などという挨拶を
入れており、DVDにも「珍しい試み」と書いてありました。
でも、雪洲に詳しい方なら、この楽屋オチは1915年の「チート」でも行われて
おり、あっ、デミルらしいなあ、と思っていただけると思います。
40年後の監督作でこれをやった、ということは集大成の大作と、出世作の「チート」
を対比させたのかも知れませんね。
345:02/03/25 22:29 ID:zJgiQKfL
昭和天皇が皇太子時代、1921年3月にヨーロッパ視察を行った際、イギリスで
立憲君主主義のあり方などを教えたのがジョージ5世だったそうです。
ジョージ5世は、自分の趣味で舞台に呼び寄せたほどの雪洲好きでしたので、このころ
からハリウッドでの公開作を見ていたに違いありません。1921年といえば、まだ
雪洲はチャップリンらと肩を並べるトップスターでしたので、皇太子にもそんな
話をしたのではないでしょうか。雪洲も宮家との親交は厚かったのですが、こんな
ことがきっかけになっているのかも知れませんね。
346:02/03/27 02:50 ID:oJWXA8vL
雪洲は意外なところでは、原節子と共演しています。ナチスドイツ=日本合作の「新しき
土」ですが、主演はどうみても原節子です。でも、クレジットの最初に雪洲が来る
あたりは、やはりヨーロッパが一枚かんでいたからでしょうか。
雪洲は原節子の父親役なので、当然ふたりの絡みも多く、作品自体はペケですが、
見所は多いと思います。DVDで見れます。
347340:02/03/27 12:44 ID:G2PjqjAj
>は様
昭和天皇の帝王教育に「ジョージ5世」のテキストが使われたということは
いくつかの昭和天皇研究書にでています。こんなところで接点があるとは
興味深いことですね。
348:02/03/28 01:25 ID:IZs++PTo
>>347
雪洲がカッコいいのは、どの話もスケールがデカイことです。イギリス国王に呼ばれた
のもそうですが、どれもこれもが大きいんですね。雪洲の自書は正直、すこし眉唾もの
ですが、公平的に書かれている専門書をみても、「ウソだろ」てなことを成し遂げて
います。三船は日本人が理解できる成功度でしたが、雪洲のそれらは想像さえしにくい
ことが多いんです。このあたりに興味を引かれてしまうのです。
349:02/03/29 02:35 ID:bRLHMkU8
雪洲は1930年に初めて日本で舞台興業を行いましたが、この時の様子を共演した
新派の名優中の名優といわれる井上正夫が語っています。帝劇での「天晴れウォング」
の際、井上は雪洲の演技の底力に脱帽したそうです。これはナメていた訳ではなく、
ついその前までサイレントが主流だった時代のため、弁士による発声しか知らなかった
井上が、雪洲の実力にびっくりした、ということでしょう。
ちなみに、この作品は水谷八重子も出演しています。
350:02/03/30 02:32 ID:E6sUPLZP
三船の出世作「銀嶺の果て」(デビュー作といわれていますが、新馬鹿時代と撮入はどっちが早かったのでしょう?)
は谷口+黒澤のダイナミックな山岳アクションでした。三船は晩年「シャドウ・オブ・ザ・ウルフ」
で再び寒そうなところでロケしていますが、銀嶺の果てはまだ戦後2年という1947年に
北アルプスでロケしたものです。この企画は谷口千吉の発想ですが、10年前の雪洲映画
「新しき土」を見ていたのではないでしょうか。山岳映画の第一人者、アーノルド・ファンク
が北アルプスを撮った絵は豪快で、原節子の山登りも見れる作品でしたが、当時の日本映画で
これだけ本格的な山岳映画は、この2本だけでしょう(新しき土はナチスドイツとの
合作なので、正確には日本映画ではないですが)。
351:02/03/30 22:32 ID:TsP3PQEl
雪洲の初期ハリウッド時代、日本公開された邦題はカッコいいものでした。1920年の
「アラビアン・ナイト」は「アラビアの闘士」、「ベガー・プリンス」は「奮起の王国」
1921年の「ファースト・ボーン」は「怒髪天を衝いて」など、よくこんな邦題考えたな、
というものばかりです。雪洲も帰国してこのタイトルだと、自分の主演作だとはわからなそう
ですね。いまの邦題は「コラテラル・ダメージ」だの「ディープ・インパクト」だの
「フロム・ダスク・ティル・ドーン」だのと、何じゃそりゃ、的な英訳そのままの
ものも増えています。ヘンな和訳がつくのもなんですけど、英訳そのままはちょっと
面白くないですね。最近では「マミー」=ミイラではさすがに辛いと思ったか、ついた
タイトルの「ハムナプトラ」とか、アイデアだと思います。
352通行人さん@無名タレント:02/03/31 12:34 ID:lw42HkIT
昔の作品を誰かハリウッドに進出する日本人がリメイクできないかな?
353:02/03/31 21:09 ID:pY87CbjI
「リング」なんかリメイクしないで、「チート」をやってほしいですよね。日本人が
悪役で主役ですから。「タイフーン」もスパイものだし、面白いと思います(主役の
名前、ニトベ・トケラモはヘンだから変えてね)。
「ラ・バタイユ」などは、戦争巨編なので、今の時期もってこいかも。でも、主役が
東郷平八郎だから、ハリウッドも金ださないかもしれません。
354名無シネマさん:02/04/01 17:11 ID:YoEyD4jY
「は」さんへ
早川雪州にこれほど嵌まっている方がいるなんて・・正直、感動しました。
廻りは戦場にかける橋の収容所長役の・・と言ってもぴんと来ない人たちばかりですから、
ハリウッド時代のスーパースターだった話をしてもだれも興味を引いてくれません。
今晩このすれを全部じっくり読ませて頂きます。

ところで彼は日本では海軍予備校を卒業していたはずですが、今の何高校かご存知ですか?
私はその高校の出身で先生から、こういう人がいる、と習ったものです。
355:02/04/01 22:02 ID:AxcEfAha
>>354
雪洲こと早川金太郎は、海軍兵学校は出ていません。というか、熱烈な海軍志望であったものが、
海水浴時に誤って起こした中耳炎のため、体格検査に受からなかったのですね。筆記は
通っていたそうですから、残念なことです。雪洲は中学が東京の海城中学で、ここが
海軍予備校と呼ばれていました。
でも、海軍に入らなかったからこそのトップスターですから、人生不思議なものです。
356354:02/04/02 00:29 ID:N/Lsywk8
>355
さすが「は」さん、海城であることご存じでした。
私は高校から海城に入学し社会の先生が早川雪州は海城の卒業であると言って
いました。
フリーアナウンサーの徳光和夫さん、アクション俳優の倉田保昭さんも同校
の卒業でみなわかってくれるのですが、早川雪州もそうだ、といってもだれも
しらなくて。このすれの盛り上がりに感動しています。
357名無シネマさん:02/04/02 15:20 ID:7+78+bpM
話がそれますが、ビリーワイルダーのスレから作品「サンセット大通り」→グロリア・スワンソン関係のサイトに飛んで
記事を読んでいたら、スワンソンは週給20,000ドル取っていた、と書いてありました。
雪州7,500ドル、チャップリン10,000ドルと「は」さんは書いておられるけど当時の最高はスワンソンだったので
しょうか。ハロルドロイドなんかチャップリンよりお金持ちそうだけど。どう思われます?
358:02/04/02 22:34 ID:q3kkNiat
>>357
グロリア・スワンソンは雪洲よりも10年遅い1899年生まれです。6回の結婚暦が
あり、デミルやE・V・シュトロハイムなど雪洲と非常に縁の深い映画人たちとの恋愛、
ケネディ大統領の父親との恋愛など、まさに「女雪洲」でした。
1915年にはチャップリンの主演作にも出演していますし、雪洲とも接点は多かった
のではないでしょうか。ところで、グロリアがブレイクしたのはデミルと蜜月になった
1919年以降であり、人気が沸騰しつつある1922年に雪洲はハリウッドを離れて
しまいます。グロリアが週給20,000ドルといわれたのは1926年で、雪洲と
チャップリンのそれはちょうど10年ほど前の相場です。デミルとの関係、パラマウント
の看板女優、ハリウッドの急激な隆盛などを考えると、この数字は「アリ」ではないで
しょうか。
359354,357:02/04/03 19:08 ID:VttH1eqz
>358
解説有り難うございました。
2002年から見れば1910年代も1920年代もひとつの点にしか見えないのですが、この差は大きいのでしょうね。
ハリウッドは益々栄え、大恐慌前はきっとバブリーな世の中だったことでしょう。
であれば10年代の7,500ドルは20年代半ばの20,000ドルと単純に安いとは言え
ないことが良く分かりました。

雪洲は1889年生まれなのですね。であればチャップリンと同い年、チャップリンと同い
年となればヒトラーとも同い年ということですね。
360名無シネマさん:02/04/03 19:56 ID:ISzGsmBZ
先日幸運にも絶版の「聖林の王早川雪洲」を図書館で借りる事が出来読了しました。
このスレで予備知識を得たせいもあり興味深く読むことが出来ました。

ただ著者がノンフィクション作家でなかったせいか、全体の構成や流れがやや読みづらく、
また雪洲自身の人間性、人生に上手く迫りきれているとは言えないという印象を受け、あまり
爽快な読後感は得られませんでした。客観的な観察と対象人物の人生への尊敬という両面を並行させる事が
良いノンフィクションであると思いますが、何か著者の世代論的な白け(妬み?)が全体に流れていた様な
気がします。「は」様のここでの文章を読んでいて、冗談抜きに「は」様にしっかりした雪洲のノンフィクションを
期待したいものです。

今は「武者修業世界をゆく」を取り寄せ中です。

361:02/04/04 00:10 ID:jcXLn7Ul
>>360
そんなに文才もありませんので・・・。野上氏の著作はたしかに平板な追い方のような
気もしますが、類書がない以上、やはり雪洲掘り起こしの中心人物であることは
間違いありません。東宝の社員ですし、データも収集しやすかったはずです。
雪洲の自書は、脚本として読むととても面白いです。自分の人生がカッコいいことを
中心に書いてあり、1本の映画になりそうです。大島渚が一度企画しましたが(脚本は
この本ではありません)、つぶれてしまいました。
362:02/04/04 22:38 ID:CyLyPBtt
雪洲が週給7500ドルだった1916〜17年ころ、所属していたパラマウントでは、
雪洲が風邪で寝込むと1日5000ドルの損失、といっていたそうです。
また、雪洲が独立した1918年から22年までは、1作15万jで製作しており、
興行収入によっては(ほとんどが今でいう全米TOP10には入ったはず)、グロリア
を遥かに凌ぐ収入を得ていたかもしれません。
少なくとも、LA市長がプライベートで遊びに来る日本人という点では、唯一無二であり、
おそらく、当時全米中で最も多く稼いでいた日本人だったかもしれませんね。
363メイヤー:02/04/05 00:47 ID:qErxT2Ml
雪洲の生年ですが、1889年説の他に86年説もあったと思います。
彼に次ぐ高給取りスターとしては、メアリー・ピックフォードがいましたね。
364:02/04/06 02:30 ID:GVaDJ0/t
>>363
そうですね。私は89年を基点にこの書き込みをしていますが、86年基点の書もあります。
本人は90年生まれといっておりますし、どれが本当なのかよくわかりません。
まあ、3〜4年のサバ読みは全然OKの世界ではないでしょうか。
メアリーは雪洲とほぼ並ぶ週給を得ていたはずです。雪洲と仲もよかったようで、
グレンギャリ城にも遊びにいっていたそうです。
365:02/04/06 22:38 ID:u7MtPy1W
>>359
アドルフ・ヒトラーと雪洲が同い年、というのも面白いですね。1937年の「新しき土」
は、ナチスドイツが絡んでる関係上、ヒトラーも見たはずです。ただし、以前書いた通り、
当時の宣伝相、ゲッペルスはこの作品を酷評しています。
ヒトラーはユダヤ人が嫌いでしたから、デミルと懇意の雪洲を主演させただけでも
驚きですけれども、それだけワールドワイドなスターだったということでしょう。
366:02/04/07 22:05 ID:XXYey5RE
雪洲は、1923年9月1日の関東大震災をパリで聞きました。祖国の惨状を聞くにつけ
大和魂が騒いだのでしょう、翌年のフランス映画「犠牲」のなかで大震災に触れています。
ストーリーは「チート」みたいなもの(私、未見です)らしいですが、今回の雪洲は良い
役で、その場面は裁判所でヒデオ(役名)が、東京の惨状を語るかたちで出てくるそうです。
火事の煙や、地割れのあとなど貴重そうなものばかりで、雪洲のこと、単に面白がって
この絵を探してきたわけではないでしょう。フィルムはあるらしいので、どんな表情で雪洲
がこの場面を演じているのか、見てみたいですね。
367:02/04/09 00:58 ID:oBGUdfuq
雪洲がデビューした1913年に、早くも日本ロケをしていた無謀なハリウッド映画
があります。「ジャワの菊」が横浜でロケした他、1919年の「龍の網」では、
上野、芝、鎌倉でロケが行われたそうです。1890年代にも日本の風景を収めた
リュミエール絡みのものは知られていますが、きちんとロケしに来たハリウッド映画は
あまり話題に上りませんね。どんな映像だか、見てみたいです。
368名無シネマさん:02/04/09 21:30 ID:8sZmfONK
 ちと話がぴょーんと飛んでスマソ。
 後期雪洲として、「南海漂流」(家族ロビンソンだす)での間抜けな海賊の
親分にわらた。あれ、確か劇場でも吹き替えで公開されたと思うのだが、吹き
替えの日本語は本人という噂が当時あったのだ。本当? 多分本当だと思うが。
369:02/04/09 23:10 ID:LPDSMFU/
>>368
吹き替えの話ははじめて知りました。ぜひ見てみたいですね。ただし、南海漂流の英語
バージョン(というか通常版)では、雪洲の海賊役にセリフはありません。意味不明の
言語を喋っているだけでした。吹き替えているとすれば、このあたりを分かりやすく
しているのでしょうね。
370名無シネマさん:02/04/10 20:57 ID:pleUoGqm
>雪洲の海賊役にセリフはありません。
 あらら、記憶違いだったか。そいや、あの映画の海賊達に台詞はいらないもの
なあ(^^;)。まあ、意味不明の言語てのは日本語版ではちょっとまずいから、ての
も考えられるし。でも、それくらいでわざわざ本人てのも。うむむ。ま、当時のデ
ィズニー金ならいくらでもあったろうし。ま、どうでもいいです(藁
371:02/04/11 01:00 ID:5NrfbOZa
>>370
当時の雪洲であれば、吹き替えも受けていたんじゃないでしょうか。6年後の1966年、
「The Daydreamer」では声優として出演したようですし(未見)。
晩年では最も充実していた時期でしたからね。自書でも関連図書でも、この作品について
は触れられていないため、正確なところはわかりません。どなたかリアルタイムで
見た方なんかいないですかね。
372:02/04/12 00:06 ID:+1N7bnxA
トム・クルーズが、明治維新のころを描いた「ラスト・サムライ」なる映画を製作・主演
するそうですね。T・クルーズはいまや日本がなぜか大好きですが、なんか不安な
感じがするのは、私だけではないでしょう。
中野浩之みたいなセンスで撮れればカッコいいですけれども。日本人俳優10人という
詳細もはやく知りたいですね。
373名無シネマさん:02/04/12 00:19 ID:bqYb41EH
雪洲と関係ない話だけど…。

トム・クルーズの「ラスト・サムライ」の日本人キャスティングに
奈良橋陽子が絡んでるらしい。何か不安な予感…。
自分のタレントスクールの役者ばかりねじ込みそうな気がする。
374名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/12 21:45 ID:wAeLZ1VQ
>>373
この人って、スピルバーグがやる予定だった『メモリー・オブ・ア・ゲイシャ』のキャスティングディレクターだったよね。
もしもねじ込むのなら、今井雅之と自分の息子の野村祐人か・・・?
375名無しシネマさん:02/04/13 17:34 ID:ehDNcuUD
久しぶりにカキコします。
「ラストサムライ」の件ですが、奈良橋陽子なら今井雅之はネジこみでしょう。
噂ですが第一シードは真田広之とのことです。
「は」様、ほんとにここの内容をHPにまとめていただければ貴重な資料になります。
私事ですがマレーネ・ディートリッヒを調べていたことがあり、インターネット普及前のことで
たいへんな苦労しました。
376:02/04/13 21:30 ID:PgBCX4mQ
>>375
真田広之とトム・クルーズって、よい組み合わせですね。真田はアクションも出来るし
(というかJAC出身)、ハリウッドメジャーで拡大公開すると、第2の松田優作に
なるかも知れません。
でも、明治維新の頃は日本人の海外への目はヨーロッパに向いており、もろアメリカ人
というクルーズがどんな役で出てくるのかも関心がありますね。
HPはまとめたいのですが、雪洲の現代史(1960年以降)の情報がまだ少なく、
やはりネットなどで都度拾っています。
377375:02/04/14 21:02 ID:wyR2bVYG
>は様
真田は岡本喜八の「East Meets West」で一応ハリウッドデビューは果たしています。
というかそのはずです。(すいませんこれ観てないんで)
得意な忍者役を竹中直人に譲ってまででた映画でしたが評判はもひとつでした。
トム・クルーズがいわゆるセッシューしてるのは有名な話なので
クルーズをあまり小さく見せず、そこそこ日本で集客力も実力もある役者となると
消去法で真田しかいないような気がします。
378:02/04/14 22:38 ID:Z4bgons7
>>377
「イースト・ミーツ・ウエスト」は岡本喜八らしいキレもない作品でした。世界市場に
出たことは出ましたが、あまり評価されなかったと思います。「独立愚連隊」みたいな
タッチで行けたら渇いた良い感じになったと思いますが・・・。
真田も「たどんとちくわ」みたいな実験映画に付き合うのはもう止めて、これを機会に
数年間LAに行くべきかも知れませんね。
379375:02/04/15 12:09 ID:NExtpDrw
最低ネイティブスピーカーに理解できる程度の英語は必要でしょう。
でないとショー・コスギになってしまいます。
その意味で真田が今のうちに奈良橋陽子に仕込まれるのはいいかもしれません。
(今井雅之の英語力だって最初はひどかった、と本人が書いてましたし)
華も実もある映画俳優として早川雪洲の衣鉢を継ぐのは誰か?
知人が「イースト・・」の感想として「岡本が自宅を抵当に入れて作った映画というだけで俺にはプレッシャーだった」と述懐してました。
380:02/04/16 01:07 ID:qLURxgjZ
現在のハリウッドで「顔」の効く日本人俳優がいませんからね。ちょっと前までは三船
がいましたけど。「千利休」のヨーロッパでの記者会見、三船のあまりの人気の高さ
に奥田瑛二がひっくり返った、というエピソードがありましたが、そういう船頭役を育てて
来なかったのが痛いですね。日本人俳優がごく普通に2〜3人、ハリウッドで活躍する
ようにならないと、ますます「日本ネタ」の題材が少なくなってしまうと思います。
雪洲も英語のアクセントにはクセがありましたし、三船に至ってはセリフのみ暗記していた
そうですから、必ずしもネイティブである必要はなく、やはり「日本人」を体現できる
人物の登場が待たれます。
381通りすがり:02/04/16 01:33 ID:6nOLQIOi
>>380
うーん、どうでしょう? 今の日本の芸能界では、TV(ドラマ・バラエティ)・
舞台・ときどき映画(Vシネ含)というサイクルに乗ってしまえば、スター
でいられますからね。非常にサラリーマン的ですが。
真面目な話、狭い日本のショービズ界の中ですら、そこまで行きつくことは
大変な訳で、さらに段違いに競争が厳しいハリウッドまで、わざわざ出張る
役者がどれだけいるか? 失敗したら、日本でのキャリアもフイにしかねな
いし。
語学の壁もさることながら、まだまだ東洋人の顔は、欧米人はカネ払ってま
で見たくないでしょうし。文化的コードの問題としてね。
三船敏郎・丹波哲郎・高倉健・ビートたけし・・・今まで、外人とひけを
取らなかった役者は何人もいますが、結局、海外に拠点を移してまで徹底的
に挑戦するスターはいなかったし。
松田優作ならそうしたかも知れないが、死んじゃったし。難しいですなあ。
382375:02/04/16 21:37 ID:IemwRPLU
「は」様、映画・8ミリ板大幅整理で心配してここに飛んできました。
英語がネイティブである必要なんてさらさらありません。ネイティブに「わかる」程度でいいんです。
ここ変にでてるガイコクジンの日本語レベルといえばおわかりですか。
383:02/04/16 22:27 ID:MEiDmyLn
先駆者になるには「0か100か」の勝負と「運」が必要です。雪洲は2つとも持っていた
まれな俳優でした。サイレント、デミル、インスといった「運」と自分のプロダクションが
大成功した「勝負」です。雪洲が自社プロを設立したのは1918年ですからね。
それもパラマウントを出てまでです。グリフィスのスタジオをまるまる30万ドルで購入できた
のも、パラマウントとのタッグがあればこそでしょう。今でもおなじみの映画館の大看板ですが
1915〜18年のパラマウントは「Sessue Hayakawa」の大電飾が踊っていた
そうです。日本でいえばSMAP状態です。でも、雪洲は危険な賭けに出たわけで、
日本の俳優にもその志を持った人がいないのかなあ、ということです。
最近少し落ち込みましたが、ハリウッドメジャーの「ユナイテッド・アーティスト」
だって、設立1919年ですからね。雪洲のハワースピクチャーズの成功を見て、
チャップリン、フェアバンクス、グリフィス、ピックフォードの4人が「二匹目の
ドジョウ」を狙ったことは明らかです。前にも書きましたが、雪洲は「同化」では
なく、ハリウッドの先駆者でした。このチャレンジ精神が日本芸能界にも欲しいです。
384:02/04/18 01:09 ID:Dq1KyDr+
雪洲がハリウッドでトップにいた頃、LAのダウンタウンからサンタモニカまでの
路面電車が走っていたそうです。この頃のハリウッドはまさに「ド田舎」で、広ーい
道にはるか続く電柱がかなたまで見えるのどかな風景でした。
「イントレランス」の製作過程を描いた(主題は別ですが)「グッドモーニング・
バビロン」で、当時の再現風景を見ることができます。
385:02/04/18 22:17 ID:geVl3VVE
「戦場にかける橋」に雪洲が出演したのは、1957年、68歳のときです。それに
してもパワフルなのが、この作品の宣伝活動でした。監督のデヴィッド・リーンとともに
12月18日にNYでプレミアに出席、600人が集まったパーティーに参加後、
夜飛行機に乗り、19日にLA・ハリウッドでプレミア。これは現在も残る(リニューアル
しており、当時のままではありませんが)エジプシャン・シアターで行われました。
その足でまた飛行機に乗り、21日に日比谷でプレミアに参加しました。
現在、いくら旅行がしやすくなったとはいっても、3泊4日でNY〜LA〜東京を巡る
ツアーはまずありません。まさしく超弾丸ツアーの乗りで、雪洲の逞しさを証明する
エピソードでした。
386名無シネマさん:02/04/18 22:44 ID:/HL+esEK
早川雪洲が映画がトーキー時代に移行するにしたがって
落ち目になった、というか、少なくとも演じられる役柄が
限定されてしまった、
というのは事実だと思うけどなあ・・・
黎明期のハリウッド(あるいは映画業界)というのは、
≪やくざ者の寄せ集め≫みたいなところがあったわけで(つまり
それだけ社会的認知が低かった or 信用されていなかった)、
たくさんの移民たちが実際的な権力を握り、彼らにも成功する
可能性を潜在させていたんだと思う。そういう環境の中では
雪洲にも活躍の場があったんだろうが、映画界がいったんアングロ=
サクソン系白人に支配されてしまったら、活躍の場が
失なわれてしまったんだろうね。
現在とは情況が違いすぎるような気がする。雪洲は“伝説上”の
人だよ。
387:02/04/19 23:21 ID:wSy8W9ry
>>386
それはその通りだと思います。であるからこそ、イチローや野茂のような障害を押しのけて
いくようなスーパースターが欲しいんですけどね。
388:02/04/21 01:01 ID:EErL8Zf1
雪洲の本格的トーキー第1作「竜の娘」(1931年、パラマウント)について、LA
の「モーション・ピクチャー」誌は厳しい論評を書いています。共演のアンナ・メイ・ウォン
との比較論から語られています。
「セッシュウ・ハヤカワに会って発見した西洋的なものといえば、ただひとつ、着物の下から
のぞいている白黒コンビのアメリカン・シューズだけだった。彼は日本のタバコを吸い、
日本人に囲まれ、まったくの日本語アクセントで英語を話し、東洋人の容姿をしており、
そして何より東洋の態度で物事を考える」というものです。
2002年のコメントでも通用しそうなこの記事は、トーキーになり、かつピークを
過ぎた雪洲をメディアがたたくという典型的なものですが、これだけの話題を提供できる
日本人俳優そのものが今はいませんよね。受ける非難も雪洲というより大日本帝国に向けての
コメントともとれます。悪意のあるものでもスケールが大きい、ということですね。
389375:02/04/21 13:25 ID:7+LiMtpR
アンナ・メイ・ウォンは「上海特急」で謎の中国娘やってますね。
というか今見るとどこが中国娘やん、って感じですが。
顔はコーカサス系だししゃべるのはアメリカ英語だし。
トーキーで使い物にならなくなった(なまりがひどい、英語がしゃべれない)俳優さんは何人もいましたが
雪洲がたたかれたのは黄渦論とのからみかもしれません。
390:02/04/21 21:43 ID:DTj3s5Dc
>>389
アンナ・メイ・ウォンと雪洲は「ハリウッドが養子にした2人」という書かれ方をしています。
アンナは確かに純粋の中国人ではなく、LA生まれの3世なんですね。中国語はろくに喋れず、
母国にも帰りにくかったという。アンナの考え方はとにかくドライでした。ハリウッドには
何の期待もしていない、といつも言っており、1961年に心筋梗塞で急死するまで、
その思想は変わらなかったようです。直前の1960年に「黒い肖像」に出演した際、
どんな役かと聞かれ「ほら分かるでしょ、すべてを見て知っているけど、じっと黙って
何も言わない、って例の役よ」と答えていることからも、明らかです。実はジャッキー
なんかも同じ内容内のことをコメントしていますからね、アジア人の役割はハリウッド
100年で変わっていないということでしょう。それだけに雪洲は大例外といえました。
アンナが1936年、29歳の時に初来日した際、「恋人は?」との問いに「私は芸術
=アート=と結婚していますので」と本場仕込みのジョークで返したところ、翌日の新聞
記事に「アンナはアートという名の男性と結婚」という英語をシャレに出来ない
日本人らしい大間違いがあったそうです。アンナは生涯独身でした。原節子を彷彿とさせる
ものがありますね。
391名無シネマさん:02/04/22 03:36 ID:rs0AnzfW
早川雪洲で思い出したけど。

坂本龍一が早川雪洲役をやる、という話が昔あった気がするのだが
(そのために筋トレする姿をどこかで見たような)
作品化されたという話は聞いてないけど…してますか?
ガイシュツだったらゴメンナサイ。
392:02/04/22 12:02 ID:stjsyPoW
ここではこのコテハン使うことにします。
>391 すごくガイシュツです(はぁと)
   坂本龍一=早川雪洲 ルドルフ・バレンチノ=アントニオ・バンデラス
   監督は大島渚のはずでしたが幻に終わっています。
日本の80年代を象徴するスーパーモデル山口小夜子(最近鈴木清順で久しぶりにスクリーンで顔見た)がアンナ・メイ・ウォンのコレクターで有名です。
「ハリウッドが養子にした2人」という表現、的確ですね。
ソースはどちらですか?
393名無シネマさん:02/04/22 14:09 ID:rs0AnzfW
Dさん、ありがとうです。スミマセン>ガイシュツ

大島渚ですか〜…ちょっと残念。
394:02/04/22 22:19 ID:oN1Z4TaQ
>>392
朝日新聞社刊、朝日選書469「イエロー・フェイス」(村上由見子著)から抜かせて
いただきました。ハリウッド映画の中のアジア人を論評した書のなかでは、とても
わかりやすいものです。
>>393
もう脚本は出来上がっており、誰か撮影してくれないですかね。ジェレミー・トーマス
が版権持ってるのでしょうか。
395:02/04/24 01:29 ID:BFOBu/pE
DVD・ビデオぴあによると、アメリカの映画人口を人種別に分けると、白人が68%、
ラテン系15%、黒人11%、アジア系6%だということです。
こうみても、アジアはマイノリティですね。逆にいうと、白人が70%を占めるということは
残りが30%しかない、ということで、そりゃあオスカーも縁遠いはずです。
おまけに、この6%にだけ受けていてもスターにはなれず、あらゆる人種から支持を
受けないと、ハリウッドではふんぞり返れないんですね。
ジャッキーの映画も、観客は残り30%のファンが多かったようですし。マネーメイキング
スターになってもハリウッドをこき下ろすジャッキーの本意はこのあたりにありそうです。
時代が違うとか、サイレントだとか、言うのは易しです。でもやっぱり雪洲は多くの
映画ファンに愛されていた点において、空前絶後の大スターだったのだと思います。
396:02/04/25 00:00 ID:O4fLfDxm
雪洲の出世作「チート」のプロデュースはパラマウント(フェイマス・プレイヤーズ)の
アドルフ・ズーカーでした。ズーカーはこの作品のブレイクにより、パラマウントを
成功に導いたのですが、1919年のD・W・グリフィスの中国もの「散り行く花」も
も製作しています。原作からして「チンクと子供」といういただけないものですが、
ズーカーはこの作品の暗さが気に入らず、配給は新興のユナイト映画に売ってしまいます。
ところがこれがヒットし、当時で70万ドルの収益を上げました。
2匹目のドジョウはいないと思ったか、ズーカーも惜しいことをしました。
397:02/04/25 23:09 ID:Gtpu2lB0
雪洲の作品で容易に見れるもの一覧
DVD 「チート」「新しき土」「戦場にかける橋」
VTR 「日本敗れず」「緑の館」「東京ジョー」「怒れ!力道山」「鞍馬天狗と勝海舟」    「
LD  「南海漂流=スイス・ファミリー・ロビンソン」
うーん、少ない。少なすぎますね。日本人最大の国際スターなのですから、もっと
出してほしいです。 
398名無シネマさん:02/04/27 00:53 ID:yuz2B7g4
アメリカでは「シークレット・ゲーム」「スリー・ケイム・ホーム」
「底抜け慰問屋行ったり来たり(ゲイシャ・ボーイ)」もソフト化
されているようです。
399:02/04/27 02:02 ID:UuBecqKG
アメリカは映画大国ですからね。価値観の違いでしょう。他にも「死線の勇者」(1919)
「シークレット・ゲーム」(1917)が発売されています。
サイレント時代のフィルムが現存しているのは「おミミさん」(1914)「火の海」(1914)
「タイフーン」(1914)「チート」(1915)「シークレット・ゲーム」(1917)
「ドラゴンペインター」(1919)「死線の勇者」(1919)「怒髪天を衝いて」(1921)
「ラ・バタイユ」(1923)「犠牲」(1924)といったところだと思います。
雪洲が1939年までのサイレント期に出演した映画は約60本。うち10本があるのです
から、これは日本ですべて発売すべきでしょう。版権とか、いろいろあると思いますが・・・。
400:02/04/27 23:49 ID:daKXKAbh
フィルム現存追加。「末裔」(1915)も完全に残っています。トーキー以降は
ほぼすべて見れるはずなので、DVD化してほしいです。
あとは、このスレでも紹介された「ドミノ」などの新発見作品などにも注目。
一部が現存するレベルなら、もう少しあるのではないでしょうか。パラマウントは
1926年から基本的に場所が変わってないので、撮影所をひっくり返して探せば
何か出てきそうですが。
401:02/04/28 21:25 ID:B5Xe9lfQ
1959年4月3日から1960年4月29日までNETテレビ(現テレ朝)でOA
された「あの波の果てまで」は雪洲の息子、雪夫が脚本を担当しています。内容は、
実の母が東京に生きていることを知った女(馬渕晴子)の苦悩と人間模様を描いたもので
アメリカ人の子供が日本の絵描きの養女になっているが、これが裁判になってしまう。
育ての親と実の親、子供の幸せはどこにあるのか、というストーリーらしいです。
面白そうですよね。この話、母親の青木鶴子の人生そのままですから。サンフランシスコ
で画家の青木瓢斎の養女になった鶴子は、ハリウッドデビューまで大変な苦労をします。
まさに地をいったストーリーでした。
雪洲本人も、育ての親役で出演しており、ぜひ見たいドラマです。
402:02/04/29 21:54 ID:HRjeMRJT
1933年6月公開の「楠公父子」の現場について、雪夫のコメントがあります。雪洲は
主役の正成役でしたが、「鎧を着込んだ父が、1日中じっとピーカンを待っていた
姿は風格があった」と見学に行った際の思い出を語っています。
この時雪洲は44歳。まさに脂の乗り切った頃で、さぞや迫力があったのではないでしょうか。
監督は尾上松之助と多く組んだ池田富保で、同年3月に設立されたJOの作品です。
JOは後の東宝ですが、この頃は京都太秦にあり、翌年も2本撮った後は、最後まで
東宝作品に出ることはありませんでした。これが三船との共演がない最大の理由です。
本当に惜しいですよね。
403白夜の陰獣:02/04/29 22:04 ID:9LoJbvSp
既出かもしれないけど、テレビの「ララミー牧場」にもゲスト出演あり
404名無シネマさん:02/04/30 21:20 ID:5uBdLujr
「竜の娘」の映像があるHPを発見しました。画像に関しては昔の裏ビデオ
並みの悪さなのですが。「タイフーン(1914年)」で本格的に主演をして
17年後、時代はサイレントからトーキーになっていましたね。雪洲自身も
既にこの時45歳でした。

ttp://www.illuminatedlantern.com/fumanchu/daughterofdragon.html
405:02/05/01 00:19 ID:HZWqXX1c
>>403
ララミー牧場ネタは初めてです。恐らく、アメリカのTVに出演していた1960年頃
だと思いますが、124本中のどこに出ていたのでしょうか。1960年からカラーに
なっているそうで、どちらの時代かも気になります(OAはNBCで1957年〜62年)。
来日時に、時の池田首相に官邸への招待を受けたというロバート・フラーの他、若き日の
ブロンソンなども出ているとのこと。
>>404
このHPの画質でも、雪洲はカッコいいですね。いろいろなところに雪洲のソースが
あるのですね。ネット社会のメリットです。本当に役立っています。
406:02/05/02 00:27 ID:RJqQgPzP
雪洲が晩年最も輝いたのは、年齢を全く感じさせない1950年代後半の活躍でしょう。
「戦場にかける橋」の成功後、アメリカで再びTV映画のプロダクションを起こした
のですから。このとき70歳です。結局、これは失敗に終わってしまいますが、
そのバイタリティはすごいものがあります。根っからエンタテインメントが好きだった
のかも知れませんね。
407:02/05/02 23:14 ID:uwY9XLTi
1932年9月号「婦人サロン」という雑誌で、雪洲の女性問題が叩かれています。
タイトルも「天晴れウォングの恋」というもので、今も昔もゴシップのタイトルは
変わらないようです。
当時の愛人、ルース・ノーブルとの不倫をスッパ抜かれたもので、「苦渋を飲む雪洲
夫人」として鶴子に同情する記事になっていたようです。ちなみに「天晴れウォング」
は雪洲の当たり役で、この年の11月にも明治座で再演されていました。
タイトルのひっかけも今も変わっていないですね。現在の女性誌にも使えそうな題です。
408:02/05/03 23:39 ID:xhvByYNd
現在のハリウッドで、雪洲に似た経緯を辿りつつあるのがジェット・リーですね。
富・名声ともに格段の差はありますが、雪洲のピークはサイレント期であり、ジェット・リー
はけっこうがんばっていると思います。
香港映画から「リーサル・ウェポン4」の悪役でブレイク、「ロミオ・マスト・ダイ」で
ハリウッド作品の主役、さらにフランスで「キス・オブ・ザ・ドラゴン」に主演する
など、「チート」の悪役でブレイク、自身のプロダクションでトップスターになり、
フランスで「ラ・バタイユ」に主演した雪洲とかぶるものがあります。
あまりB級には出ないようにして、かつ英語力をもう少し上げれば、欧米でいい線いく
のではないでしょうか。
409:02/05/04 22:13 ID:kfzyfX7Z
雪洲の作品は、国辱映画といわれるものが多く、特に戦前は全く欧米と対等の意識を
日本中が持っていましたから、公開されないものもあったようです。その代表が「チート」
ですが、他にも日本人女性がアメリカ人男性に誘惑される「異郷の人」は日本人を侮辱して
いる、という理由で公開1日で上映打ち切りとなり、また「火の海」も1週間で
打ち切りになっています。淀川長治氏はこれをリアルタイムで見たと書いていますので、
この1週間のどこかで劇場に出かけたのですね。さすがです。
410名無シネマさん:02/05/05 23:48 ID:GwA01z+K
>408
ジェット・リーいいですね。「黄飛鴻」シリーズ大好きです。

ジャッキーにせよジェット・リーにせよ、雪洲と違うのは
アメリカで人気が出る前にアジアの大スターだったこと。
超人的なアクションができることかな。逆に言えばそれが
役柄を狭めている感じがします。

ちなみにジェット・リーの「リーサル・ウェポン4」での
ギャラは5億円!だったと何処かで読んだ記憶があります。
411:02/05/06 01:02 ID:Q7zzBcB8
>>410
やはりアジア人はハリウッドでの見方(偏見?)がありますから、アジア(香港)での実績よりも
アジア人としての使い方が優先されるんでしょう。ワイヤーアクションなんて、最近の流行です
からね。イギリス人の描き方でさえ皮肉っぽいハリウッドですから、ジェット・リーも
ジャッキーもやりにくいことでしょう。
本当は「ホタル」みたいな作品がハリウッドで公開されるべきなんですけど。「シュリ」も
南北の対立を描いた良作でしたけど、「ホタル」は近年稀に見る中立映画だと思うので、
こういうのをカンヌやオスカー外国語映画に推すべきだと思います。
412:02/05/06 22:45 ID:NCTfrUPN
雪洲の女性関係の派手さは、ここでも多く触れられていますが、特にこじれたのが
ルース・ノーブルとの不倫でした。正確には長男・雪夫のお母さん、ということに
なりますが、1926年にNYで知り合い(雪洲の劇団にいた)、29年に雪夫を
出産しています。このときルースはまだ21歳で、雪洲一途だったのですが、雪洲
は日本で愛人を作るは(長女、次女はこの人が産んだ)、フランスでは田中路子と
世紀のロマンスにおちるはとやりたい放題でした。このことが緒を引き、雪洲は1960年代
までルースに追っかけられることになりました。ルースも50代ですからね。
かなりのストーカーだったようです。もっとも「身から出たサビ」ではありますが。
413:02/05/07 21:24 ID:zJgw/xHY
雪夫(長男)、令子(長女)、冨士子(次女)の3人は結局、雪洲の妻、鶴子が引き取った
わけですが、世はまさに戦争&国威掲揚時代でしたので、風当たりも強かったようです。
特に雪夫はルース・ノーブルとの間に生まれた子なので、顔は白人そのもの。
1930〜40年代は厳しい時代だったようです。現在雪夫はLAに住んでおり、写真で
見る限りは全くのアメリカ人です。同年代、同じような状況にあったロシア人の
巨人投手、ヴィクトル・スタルヒン(戦時中は須田博と改名)も苦労したと書物で
言っていますので、同じ有名人の2世として、かなりいじめられたのではないでしょうか。
ちなみに雪洲は、この時期ほとんどフランスで過ごし、子育てにはまったく協力していません。
414名無シネマさん:02/05/08 21:10 ID:jy/xS8Ob
>412
女性問題がクローズアップされたのは、三船も同じですね。結局本妻の所に
戻ったのも同じです。あの時代にワイドショーがあったのなら、雪洲の悪行
は派手に報道されたでしょう。(笑)
415名無シネマさん:02/05/09 01:22 ID:Grz68wop
「は」さんはこのスレで語っているかもしれませんが、昨日小沢正一が自分の
ラジオ番組で「早川雪州は背が低かったのでいつも台の上に乗って撮っていた。
いまでも下に何かを敷いて何かをすることを映画界では、せっしゅうする、という。」
と語っていました。
416:02/05/09 02:24 ID:nBjitTqE
>>414
三船がモメたのは、奥さんも戦闘状態になったからですね。雪洲の妻、鶴子はいくら
旦那が浮気をしても、じーっと耐えていたそうで、おまけに3人の子供まで引き取って
しまう、キリストのような人でした。日本映画に1本も出ていないのが惜しいですが、
もっと評価されていい大女優にして、良妻でした。
>>415
セッシュする、というのは有名ですね。雪洲の名前を知らなくても、みな使ってしまう
というのは、ある意味凄い。
417:02/05/10 01:04 ID:c74JwuxM
三船が大きく男を下げたのが、本妻とのドロ沼法廷劇でした。裁判所の窓から逃げ出す
などの恰好のネタを提供したのも輪をかけました。
また、黒部の太陽での引き具合も非難されましたよね。この辺の経緯は石原慎太郎著「弟」
に詳しいですが、三船って、こうみると結構小心者だったのかもしれません。
ひきかえ雪洲は不倫も国辱映画も笑い飛ばすくらいの迫力がありました。戦場で上官に
食って掛かった正義感・三船に対して、ナチスドイツ下のパリで、絵を売りながら
のんびり暮らしていた、なんていうのは雪洲の本領なのかもしれません。
418414:02/05/10 21:11 ID:A5KVgfK4
>417
三船のイメージは、黒澤映画のヒーロー像よりも、ワイドショーの取材陣に
マジ切れしている姿が印象に残っています。離婚問題・三船プロの経営難等
いろいろと心労が重なる事が多かったと思いますが。

雪洲の女性関係はかなり乱れていたようですが、離婚問題に発展することは
なかったようですね。鶴子(妻)は怒り心頭だったのですが、決して雪洲を
見捨てませんでした。

結局二人とも妻の許に戻り、最後は妻に先立たれしまいます。ちょっと考え
させられる生き方です。
419名無シネマさん:02/05/10 21:17 ID:tBgQPLfO
>>416
セッシュするの同意義語でハリウッドでは
アラン・ラッドの名前が使われる。
アラン・ラッドも身長が170センチなかったので
アップルボックスに乗ってラブシーンなんかを撮ったみたい。
420ゆみ:02/05/10 21:26 ID:lBDWM6nB
いわいさんの映画に出たい人はどうしたらいいですか?
421名無シネマさん:02/05/10 21:29 ID:DBi4s7g/
>>419
そんじゃ、オーディ・マーフィあたりもマーフィってたのかしら(^^;)
422Fi7tdzop:02/05/10 21:34 ID:6OmQ25Rs
なんじゃそりゃ
423419:02/05/10 21:36 ID:tBgQPLfO
>421
アラン・ラッドの撮影時に「ラッドする」みたいに
使われたわけじゃないよ。
あくまでも彼がそういう撮影をしていたため、後々
そのやり方にアラン・ラッドの名が使われているだけ。
オーディ・マーフィーの活躍時期はよく知らないけど
「ラッドする」で背を高く見せていたかも…
424:02/05/11 00:39 ID:nVVk+Dk1
ハリウッドのスタジオにも、最初っから天井の低いセットとか、本人を大きく見せる
ための小さな玄関とか、いろんな仕掛けがしてあります。俳優も大変ですね。
「マルコヴィッチの穴」の7and Half の部屋のセットなんて、アラン・ラッド
だったら普通のシーンだったかも(んな訳はないが)。
トム・クルーズも大きくないですしね。
425名無シネマさん:02/05/11 00:46 ID:NBp8hQ+H
>424
逆に大男のジョン・ウェインは拳銃が小さく見えるので
よくライフル銃を使っていたとか。
426:02/05/12 00:51 ID:P/Sedt0W
LAのリトル東京近辺で無料配布されている「イエローページ」(電話帳)で、読売
新聞社が1ページ広告を掲載しており、ここにこんなコピーがあります。
「アメリカン・ドリーム」。魅力的な言葉だと思う。どん底から大富豪。一夜明けたら
スーパースター。そんな夢物語がこの国では現実のものとなる。
と同時に、差別・犯罪・ドラッグなど様々な問題も存在している。光と影が交錯する国、
それがアメリカだ。
この発行物はNTTタウンページのようなもので、現地の日系人には必須のものです。
そこでこのコピーを掲載する読売新聞社は、多分に雪洲のような成功者を念頭において
いたのかもしれません。
427:02/05/12 20:51 ID:jyZ0SJ2A
LAのハリウッド大通り、ならびにメルローズ通りあたりから小さく見える「ハリウッドサイン」
ですが、これが作られたのは1923年で、雪洲がハリウッドを離れた翌年ということになります。
ハリウッド近辺のフラッグシップはルーズベルトホテルにしろ、チャイニーズシアターにしろ、
黄金期の1920年代中盤以降に建設されたもので、いま雪洲にゆかりのあるものといえば、
ウォーク・オブ・フェイム(雪洲は唯一の日本人)と、ムッソーグリルくらいのものです。
しかし、雪洲は1930年代と1950年代にしばらくハリウッドにいたため、いま
見れるハリウッド大通りの光景は雪洲も見ていたはずです。ちなみに30年代の乱れた
ハリウッドを見て「おとなしくなったなあ」と雪洲が嘆いたのは有名な話です。
1910年代は本当に酒池肉林だったのでしょう。また、「戦場にかける橋」のLA
プレミアはエジプシャンシアターで行われました。これだけハリウッドに馴染みの深い
日本人はやはり雪洲ひとりだけです。
428:02/05/14 01:02 ID:ax5kpcns
雪洲のハリウッドの邸宅「グレンギャリ城」は、ヴァインストリートとフランクリン
ストリートが交差するところにありました。現在はUSHからの帰りに利用するハイ
ウェイになっていますが、ここは高台で、とっても見晴らしがよいところです。
ハリウッド大通りからは坂を登ってくるんですが、雪洲が住んでいた当時はここに
ヴァレンチノやチャップリン、フェアバンクス、LA市長など名だたるメンバーが
遊びにきていたわけです。後に「細雪」を撮って巨匠となった阿部豊監督も、この
雪洲邸に住み込みで弟子になっていましたが、阿部はクルマ好きで、雪洲のキャディラック
を目を盗んで乗り回していたそうです。しかし、エンジンをかければ雪洲にも一発で
わかります。そこで利用したのが、ハリウッド大通りへ下る坂でした。サイドブレーキ
をはずしてクルマを出し、無音のまま発車していたそうです。でも雪洲もバカじゃ
ありません。この行為は全部お見通しだったそうですが、黙って見過ごしていたようです。
なお、雪洲の「ウォーク・オブ・フェイム」は、このヴァインストリート沿いにあります。
429:02/05/14 23:04 ID:0u1OyHTr
雪洲の「故郷」ともいえるパラマウントピクチャーズですが、現在のメルローズ通り
に建設されたのは1926年。雪洲がハリウッドを離れて4年後です。
ちなみに、この撮影所は広大ですが、半分から右がもともとのパラマウントで、左が
古くは「市民ケーン」、最近ではハリウッドでゴリラが大暴れする「マイティ・ジョー」
の製作で著名な、RKOのスタジオでした。
雪洲がここで撮影したのは1931年の「龍の娘」が最初のはずです。ただし、この後
雪洲とパラマウントは縁が遠くなり、次に出演したのは27年後の「ゲイシャ・ボーイ」
でした。この作品もここで撮られています。
430:02/05/15 22:20 ID:Gxsnt7vA
雪洲の独立プロの名称は「ハワース・ピクチャーズ」でした。英語でいうとHaworth
Picturesのつづりで、最初のHAを早川の頭だとすると、「早川の価値」てな
意味になるでしょうか。スタジオはグリフィスの撮影所を買って、東洋映画を量産して
いました。1920年には「ハヤカワ・フューチャー・プレイ社」に改組してしまいますが、
この要因はどこにも書かれていません。ただし、想像するに、ハワースは今でいう
「今週の全米TOP10」クラスの作品を次々と世に送り出し、たった2年で借金100万ドル
を返済してしまいました。ヤオハンでさえ3年かかっているのに驚異的な速さですが、
この返済記念として社名も一新したのかもしれません。
431:02/05/17 00:04 ID:UOZSiDxF
雪洲初期の代表作は、1915年の「チート」ですが、同じ年に、同じパラマウントで
撮られたヒット作が「マダム・バタフライ」でした。主演は「ハリウッドの恋人」こと
メアリー・ピックフォード。雪洲やフェアバンクス、チャップリンとともに初期ハリウッド
を作った大女優ですね。この作品、スチールしか見たことがないですが、メアリーの
着物姿の凄いこと。大変なことになっています。S・コネリーの日本人なんて比較に
なりません。もっとも、本人は一生懸命なんでしょうけどね。
432シネマ三四郎:02/05/17 19:23 ID:CagkxV3X
シャーリー・マクレーンが劇中で日本人に化ける「青い眼の蝶々さん」という
映画がありますよね。私は彼女のファンなんですが、残念なことにこの映画は未見です。
はさんのご感想をお聞かせ下さい。
また、彼女は大変な親日家とも聞いていますが、彼女と日本の関係について
はさんがご存知の、なにか面白い話はありませんか?
433:02/05/18 01:39 ID:pGboIL1A
>>432
私も1961年作品「青い目の蝶々さん」は未見です。でも、スチールを見る限り、一番まともな
着物姿のような気がします。原題は「My Geisya」。見たいような、見たくないような
タイトルですね。撮影監督は中尾駿一郎が務めました。シャーリー・マクレーンは、
1954年に結婚した旦那のスティーブ・バーカーとともに、三四郎さんが
いうとおり大の親日家だったようです。何せ、一人娘の名前が「サチコ」ですから。
サチコなんてアメリカ人はそうそういません。芸名「サチ・バーカー」として、
BTTFにも出演している女優になっています。
旦那とは1958年に別居してしまい、いまやすっかり電波系入った大女優、という
感じになってしまいましたが、旦那は2001年にハワイで死去するまで、しょっちゅう
日本へ来ていたそうです。
434名無シネマさん:02/05/18 09:57 ID:XBnGuXWU
>432
1.小森和子と少しの間、同居していた。小森が娘のサチコにお菓子を与えると
  「娘を甘やかさないで!」とマクレーンは怒ったそうです。(と小森本人が
  雑誌に書いていた)
2.旦那は日本で映画関係の仕事をしていたと思うのですが。←記憶曖昧
435名無シネマさん:02/05/18 11:12 ID:khOSsZ2O
>432
『マイ・ラッキー・スターズ―わがハリウッド人生の共演者たち』(早川書房)
という著書でシャーリー・マクレーンは結婚生活について語っています。
『青い眼の蝶々さん』撮影中のエピソードも出ていました。
夫については小林信彦が『コラムは誘う』というエッセイ集の中で軽く触れて
います。
436シネマ三四郎:02/05/18 11:42 ID:5lq5wp3X
>>433-435
はさん、みなさん、情報ありがとうございました。

雪州の話題ではないので恐縮ですが、はさんにもうひとつお尋ねしたいことがあります。
スレッドの前の方でちょっと話題に出ていた、グリフィスの「国民の創生」は
原題が「クランスマン」つまりあの悪名高き「KKK団」のことですよね。
「国民の創生」は、このKKK団を英雄として描いた映画だと聞いています。

現在のこの団体への私の印象からは、KKK団を英雄視するのは、ちょっと考えられないんですが、
公開当時も批判があり、南部人としてグリフィスはそれに反論したとも聞いています。
このKKK団というのは、最初は南部白人の自警団として発足したらしいですが、
「国民の創生」公開当時は、KKK団は、英雄的存在として見られる側面があったのでしょうか。
だとすると、その後狂信的人種差別団体に堕落してしまったという事なのでしょうか。
映画の対する批判がどの程度の規模で、グリフィスはどういう反論をしたのか知りたいのです。

私は「国民の創生」は見ておりませんが、本で読んだそのストーリーと、70年代に公開された
「クランスマン」(監督:テレンス・ヤング 主演:リチャード・バートン)との
描き方の違いが、同じタイトルでありながらあまりも大きすぎるような気がします。
今では米国でもKKK団は、国民から忌み嫌われていると思いますが、
“映画の父”偉大なるグリフィスの「国民の創生」については、現在米国では
どのような評価が一般的なのでしょうか。

このへんの情報をご存知でしたら、ぜひ教えて下さい。よろしくお願いいたします。
437:02/05/19 00:48 ID:76TKZkZ5
>>436
デヴィッド・ワーク・グリフィスは、何といっても南部のケンタッキー出身ですから、
南部発祥のKKK(クー・クラックス・クラン)を贔屓目に見ていた可能性はあります
よね。しかし、もとはグリフィスも売れない巡業劇団の役者上がりであり(トーマス・インス
も役者出身)、今と同じくシナリオをスタジオに売り込んで監督の座を得ました。
現存するものが少ないだけで、1年間に100本以上を監督していたようであり、
そんな深い意味で作っていた感じはないのでは、と思います。もちろん、監督としての
絶頂期であり、湯水のように金も使える時期でしたが、黒人自体が俳優としてはまだ
成立しておらず、白人が顔を真っ黒に塗って演じていた時代です。何せ、雪洲だって
インディアン役をやってましたから、もう何でもありの配役状態だったようです。
そこでダース・ベイダー=黒人、オビ・ワン=KKKみたいな単純な構図で南部の
伝説を映画化した、というのが実際ではないでしょうか。グリフィスはイントレランス
では反戦思想を描き、「世界の心」では英国軍の支援で大戦の前線まで撮影に行った
ということで、言ってみればスタローン的なイケイケ監督だったのではないでしょうか。
芸人、エンターティナーとしての魂が映画を作らせたのであって、「世界の心」も
英国首相からの要請というのも、引き受けた理由の二番目かもしれません。
「ナマ」の戦争を撮るぞ、てな考えが優先していたのではないでしょうか。
このため、映画会社が組織化すると、グリフィスは映画作りを止めてしまいます。
以上、あくまで推測ですが、いかがでしょうか。
438名無シネマさん:02/05/19 10:20 ID:eVpgdowP
>436
「国民の創世」は、雪洲の「チート」と同じ年(1915年)に公開されています。

映画評論家レナード・マーチンの「MOVIE&VIDEO GUIDE」の評価だと☆☆☆☆
(=最高)です。但し、“グリフィスがKKKを英雄として描いた事は、今日まで
議論の的となっている“とコメントしています。

はさんがよく引用している「イエロー・フェイス」には、“ケンタッキー出身のグリ
フィスとしては南部再建の史実をドラマステックに描いただけで、人種差別的描写
ゆえに弾劾されることになろうとは思ってもいなかった。“と書いてあります。

ドラマを描いたつもりで、人種差別で批判されるのは「ディア・ハンター」も同じ
ですかね。
439シネマ三四郎:02/05/19 14:49 ID:vrMSbczc
>>437-438
お二人とも、どうもありがとうございます。
はさん、私はこのスレッドを読むのを毎日楽しみにしております。
できるだけ長く続けていただきたいと思ってます。
雪洲絡み以外の、ハリウッド創世記の話題もできれば書き込んでいただきたいと
思います。これからもがんばってください。
440:02/05/19 23:21 ID:rSRBvwQs
>>439
まだしばらくはネタが続きそうなので、がんばります。
ところで、黒人の映画への登場は「国民の創生」でもあったように、ほとんどが白人俳優
の黒塗り対応でした。この時代、黒人の雪洲、というべき人物といえば、黒人映画監督の
草分け、オスカー・ミショーになるでしょう。ただし、現存するフィルムは3本しかない
とされており、私は未見です。1884年にイリノイに生まれたミショーは、ウェイター
やボーイ、靴磨きをして貯金をし、1909年にサウスダコダに農園を購入します。
ここはトラブルで1915年に手放すことになるのですが、農場は天候や季節により、
えらくヒマな時期があります。ミショーはその時間に脚本を書いていたようです。
要は、雪洲やインス、グリフィスなどの演劇上がりとは異なり、全くの素人だった
のですが、偶然この脚本を古本屋で見た映画関係者のツテで、1919年に「Home
Strader」を世に出すことになりました。雪洲のハリウッドデビューから
比べても、随分と遅いスタートです。この作品のヒット(一般の白人は見ようとも
しなかったそうです。このあたりも雪洲はレベルが違いました)で、ミショーは次々
と作品を発表していきますが、制作費は1本あたり1万ドル程度と、雪洲のメジャー
大作の15〜20分の1という予算で、公開も限られたようです。
また、当然迫害も多く、1920年の「Within Our Gates」では
黒人が白人にリンチされる場面が非常な干渉(=検閲)を受けたそうです。
でも、このミショーがいなかったら「スパイク・リー・ジョイント」もデンゼルの
オスカーも、ビバリーヒルズコップもなかったかも知れません。時代は移れど、
黒人映画の立場が100年間あまり変わっていないのも問題ですが、ミショーが
パイオニアであったことはもっと告知されるべきでしょう。
残念なのは、この頃は遥かに日本人俳優の方がハリウッドでの立場が上だったのに、
現状は見る影もないくらいに逆転されていることでしょうか。
441438:02/05/20 00:10 ID:M1n5ZKU7
国民の創世」→「国民の創生」でした。

ところで、DVD版「ドクトル・ジバゴ」の音声解説で、主演のオマー・シャリフが
デビッド・リーンについて語っています。リーンは「俳優の演技を決して褒めること
がなく、俳優に対して厳しい監督だった。」そうです。そんなリーンが雪洲にどんな
演技指導をしたのか興味深いです。
442:02/05/20 23:11 ID:fWq2PHvv
>>441
雪洲はもともとがサイレント俳優です。そのため、「戦場〜」のセリフがなかなか入らず、
現場はかなり困ったようです。年齢と暑さからくるバテで、一時はどうにもならなくなり、
デヴィッド・リーンは代役を申し立てたそうです。しかし、プロデューサーのサム・スピーゲル
は「山下奉文」(マイク水野ではない)で雪洲の軍人役にほれ込んだだけあり、この
申し出には「No」を出し、代わりに優秀なダイアローグコーチをつけたそうです。
これが功を奏し、雪洲の演技は劇的に良くなり、リーンの信頼も100%回復した
という逸話があります。
443:02/05/21 22:48 ID:eJc1KZG4
ちなみに、デヴィッド・リーンも「山下奉文」は見ています。当然、初期の大スター
だったことも知っていて、起用したものと思いますが、リーンは雪洲の肥満度に危機感
を抱き、「撮影までにやせるように」との条件を出したそうです。
ところが、これはリーンの勘違いで、雪洲は山下の雰囲気を出すため(マイク水野の体型
の方が近いか)、湯たんぽを腹に入れて演技していたので、逆にいえば、それだけ
雪洲は好演していた、ということでしょう。
444:02/05/23 01:58 ID:Ktq1nykp
めぐり合わせというのは不思議なもので、「山下奉文」のタイトルロールは、当初
阪東妻三郎がやることになっていたんですね。阪妻の山下も見てみたかったですが、
そうねると、阪妻がオスカーノミニーになっていたんでしょうか。
これに関しては「NO」でしょう。やはり雪洲としてのキャリアあってこその
ノミニーだったと思います。
445:02/05/24 00:08 ID:YogaOMT7
「戦場〜」における雪洲の役柄は、確かに強烈な印象を残します。斎藤大佐というありがち
な名前ですが、あの「目」の据わり方などは、他の日本人俳優にはできない芸当でしょう。
英語力、ならびに「背」にハンデがありますが、アメリカ映画ゆえの日本人コンプレックス
をある意味でよく表しているとも言えます。かといって、日本語もクセがあるので、
この映画しか見ていない人は「日系人」だと思ってしまうんですね。
千葉の漁師の子供なんていうイメージはカケラもありませんから。
446:02/05/25 01:48 ID:KyEb4J7K
雪洲にとっての「戦場にかける橋」とは何だったのでしょうか。この作品の大ヒット
で雪洲を知った人も多いと思います。オスカーノミニーもされましたし。
いま思えば、この作品が「上がり」だったのでしょうね。ハリウッドでは、この創世記
のトップスターに何もしていませんでした。そういうような風潮はハリウッドは嫌いです。
偽善といえばそれまでですが、貢献者には何かを返す、そういうしきたりがある世界だと
思います。「ライムライト」ひとつで持ち上げたチャップリンもそうですね。
でも、これは決して悪いことではなくて、結構共感できるイベントになっています。
日本は何もしませんからね。尾上松之助や阪妻をきちんと評価したのでしょうか。
戦時中映画は「ほとんど焼却しちゃいました」と明るく語る大手製作会社。
みんな、少しヘンですよね。ハリウッドのB級をせっせとDVD化する前に、1950
〜60年代の国産映画をDVDにすべきです。雪洲は欧米で評価されたからこそ
陽の目をみました。日本ではあえて「国辱」といい、やはり評価の対象にしませんでした。
考え直す時期に来ていると思うんですけどね。排斥主義は反感しか生みませんから。
447名無シネマさん:02/05/25 17:42 ID:8x1WPCoy
上山草人について詳しい方お願い致します。
448名無シネマさん:02/05/25 18:06 ID:WeU32APN
>>447
一に草人、二にウレシュウ(江川宇礼夫のこと)三四がなくて五にデイック・ミネ
昔の芸能界で、アソコが一番大きかった俳優
449:02/05/25 23:59 ID:Jiscd8i/
>>447
草人については、このスレでも過去かなり触れています。
ハリウッドでも1920年代に活躍し、米国の俳優年鑑にも名前を連ねていますが、
雪洲との関係でいえば、「イチローと大家」くらいの差でしょうか。草人はハリウッド
の考える「東洋」に同化しようとし、日本人からみればおかしなアジア人も多数
演じました。帰国後も鞍馬天狗などに出演、非常にアクの強い悪役としてのイメージ
が強いですね。
450:02/05/26 22:25 ID:JLwOmCV+
雪洲は「戦場にかける橋」の共演者について、アレック・ギネスはあまり合わなかった
ようです。しかし、ウィリアム・ホールデンは「アメリカン・ガイ」として、かなり
お気に入りだったらしく、事実ウィリアム・ホールデンは現場でも豪快で気さくだった
ということです。この頃のホールデンは、まさにハリウッドの頂点にいました。
1954年から4年間、全米マネーメイキングスタートップ10を続け、「戦場〜」の
前年、1956年には1位でした。こんなスターに雪洲も昔日の面影を見たのではないでしょうか。
自身も1915年から5〜6年、その立場にいましたから。50年前のトップスター
に対するホールデンも感慨深かったのではないでしょうか。
451名無シネマさん:02/05/26 22:36 ID:SIg5jj74
「戦場にかける橋」しか知らなかったんですが、
有名な方だったんですね。

正直、濃いおっさんだな〜という程度の印象しかなく
この映画が出世作だとばかり思ってました。
うーん、やはり人の人生、奥が深い、、、
452:02/05/28 01:36 ID:uPkdDufh
>>451
確かに「戦場〜」を見る限り、濃いおっさんです。ブロークンイングリッシュも炸裂
していましたし。しかし、この「少し荒い」演技力でオスカー候補になることが、「上がり」だった
のでしょう。1910年代の雪洲は「目」で演技をしていました。セリフがスクリーン
から聞こえてこないので、俳優もアクションのみでの勝負だったわけです。
1915年からオスカーがあったら、主演男優は1〜2回、作品賞も得ていたかも
しれません。それに、本当にカッコ良かったですからね。
このスターに対してのプレゼント(本当はウィナーだったらしいが、直前でひっくりかえった
そう)が50年後のオスカーノミニーでした。
453メイヤー:02/05/28 18:30 ID:8d8pFSj8
57年度のアカデミー助演男優賞を受賞したのは「サヨナラ」のレッド・バトンズですが、「サヨナラ」も日本がらみの作品ですね。
このときはナンシー梅木が助演女優賞をとっています。
454:02/05/29 02:15 ID:g9D6WeZM
>>453
受賞当時、梅木はまだ23歳だったのですね。助演賞がアメリカ人、イギリス人以外
の手に渡ったのはこれが初めてだったという。雪洲も惜しいことしました。
さすがに、会場もどよめいたそうです。受賞のスピーチは「私、何と申し上げていいか
わかりません。誰か助けてください」でした(なんじゃそりゃ)。
ちなみに、この年から45年間、日本人俳優のオスカーはありません、というかノミネート
すらされてません。
455:02/05/29 22:48 ID:elM/6y5V
「戦場〜」が作られた1957年、ハリウッドでは大きな動きがありました。RKOと
リパブリックの破産です。両社ともに今も健在ですし、RKOは復活の兆しも見えますが、
いずれにせよスタジオは手放しました。そんな中コロンビア配給で製作された「戦場〜」は、
見てのとおりハリウッドでは撮られず、オール・セイロン・ロケにより、製作費を300万j
に押さえて作られました。いわゆる「ランナウェイ方式」のハシリだったわけです。
ハリウッド製作単価の高騰に耐えられなくなった年。あのRKOが一度こけた年。
そんな時代に先取りしたシステムで製作された映画に、雪洲が請われたのも面白いですね。
新旧の融合作だったともいえます。
456:02/05/31 00:10 ID:Ys5/+yKc
雪洲は「戦場〜」の前後、日米両国で軍人役ばかりでした。終戦から10年が経ち、
反省や回顧が息づいてきたからだと思いますが、ベトナム戦争時は、リアルタイムで
反戦映画がありましたから、やはりのんびりした国ですね。日本も。
1944年に名作「陸軍」がありましたが、その他は国家迎合作品ばかりで、戦争が
終わってから「本意じゃなかった」などという俳優がいる始末。ちょっとアメリカかぶれ
の匂いがした田中絹代ですが、「陸軍」への出演、ならびにラストの出征シーンは
見事でした。長生きしたからか、あまり評価されていませんが、この事例を見ても
分かるとおり、反骨の名優でした。
457:02/06/01 00:17 ID:0kNg7kso
この田中絹代と雪洲が共演したのが、1932年の松竹映画「太陽は東より」です。
雪洲にとって初の日本映画で、監督も雪洲が務めました。松竹蒲田で撮影されたのもで、
当時雪洲は大森で愛人と生活していましたので、「職住接近」状態だったことになります。
自宅は渋谷区伊達町にあり、グレンギャリ城ほどではないが、大きな2階建てだった
ようです。
458:02/06/01 21:53 ID:FiGC4BD2
AFI認定の「保存すべきアメリカ映画100本」のなかに入っている日本人関連の
作品は、「チート」「バグダッドの盗賊」「戦場にかける橋」の3本です。AFI認定
なので、「七人の侍」なんかは入りません。三船も「スターウォーズ」に出ていたら、
4本になったんですけど。
「理由なき反抗」だの「T2」だのが入っているのもエセ公平感が出ていて良いですね。
少なくとも、アジア人が主演した作品で、ランクインしているのは「チート」だけ
です。なお、当然雪洲も草人もこの事実は知りません。選定が1990年代ですから。
459:02/06/02 23:14 ID:PwLx1H3a
ハリウッド大通りにある「WAXミュージアム」は、似てるのか似てないのか微妙な
ロウ人形のスターが並んでおり、昔見た東京タワーのロウ人形館よりマシなレベルです。
ここには雪洲も草人も入ったことはありません。唯一人形になったのは、三船の「菊千代」
のみです。この時は日本の新聞にも取り上げられましたよね。
しかし、人気がないとすぐに入れ替えられる宿命にあり、現在三船の人形は展示されて
いません。
460:02/06/03 23:04 ID:zOsJgueo
雪洲はトーキー以後、かなり苦労をしましたが、その点ヴァレンチノは「伝説」のまま
終わりました。サイレント時代後期の1926年に他界してしまいましたから。
後2年遅かったら、トーキーの洗礼を受けていたわけで、もともとイタリア人ですから
ロベルト・ベニーニみたいな英語だったかもしれません。
早すぎる死でしたが、伝説を作るにはある意味いい時期でした。沢村栄治のストレート
みたいなものです。ヴィクトル・スタルヒンなんかは、戦後高橋ユニオンズなる弱小球団
でまでプレイすることで「伝説」が薄らいでいきましたからね。雪洲もどちらかというと
スタルヒン型かもしれません。
461:02/06/04 23:05 ID:5rRP2Olu
雪洲が主演した「新しき土」は、1937年のナチスドイツ=大日本帝国の合作でしたが、
ドイツは戦後東西に分断されたため、その後現在まで映画業界がパッとしません。
ローランド・エメリッヒの「ムーン44」もハリウッドの匂いが濃い作品ですし。
そんな中、1960年の東ドイツ映画「金星ロケット発進す」に出演したのが谷洋子で、
雪洲以来久しぶりの日本人スターではなかったかと思います。
462名無シネマさん:02/06/05 20:11 ID:IW0i5BEF
>461
「ベルリン忠臣蔵」という珍品にも日本人らしき人が出ていました。誰なんだろう?
463シネマ三四郎:02/06/05 20:28 ID:gncgQqlk
はさんへ。ついでに私からも質問をお願いいたします。
ジョン・ヒューストン監督、ジョン・ウェイン主演の「黒船」で、
英語なまりの日本語を話す初老の武士を演じた俳優の名前をご存知ですか?
題名は思い出せないのですが、別の映画でも見た記憶があります。

それと、この映画に比べると後年大ヒットした「将軍」はまだおかしい箇所があるとは
いえ、日本の描き方はずいぶんまともになったと思います。
雪洲の出演映画は国辱映画として公開されなかった作品も多いと聞いていますが、
当時の米国映画界のスターを見る一般の日本人の眼はどのようなものだったんでしょうか。
464:02/06/06 01:39 ID:LP3T1rEw
>>462,463
ごめんなさい、2本とも未見です。
雪洲の日本国内での扱われ方ですが、大事なことは当時「アメリカ」=同格=「日本」
という考え方が一般だったことです。現代のT・クルーズ並の人気、というのは事実ですが、
同格の国でのスターですから、今でいえば香港映画の人気者、くらいの価値観だったのでは
ないでしょうか。アメリカが日本人から「おおー」と思われるのは、戦後しばらくしてから
です。渡ってしまうとその凄さが分かるんですけどね。ですから雪洲の意識と、日本人の
思いは乖離していたものと思われます。当時の隆盛はヨーロッパでしたから、ハリウッドを
出た1924年ころ、すなわちフランスとイギリスでも通用した頃のほうが、雪洲の価値は
高かったのかも知れません。それはまさに世界観の違いでした。
465:02/06/07 03:04 ID:pPL3eXBZ
雪洲は一時けっこう宗教がかり、「日蓮」や「釈迦」の映画、舞台を主宰します。
といっても、新興宗教の教祖的考えではなく、日本人らしさが欠けてきたので、自らが
倫理観を示した、というようなことを後に語っています。
欧米にいたからこその日本人のだらしなさが気になったのでしょう。でも、これ昨日の
話のようですよね。いつの時代も、日本人は風見鶏的なのでしょう。
466名無シネマさん:02/06/08 01:59 ID:QM7BNgJJ
雪洲は韓国人ニダ。
467MIEUX   :02/06/08 06:16 ID:b0z1czqe
伊藤道夫の兄弟?伊藤喜朔の画集、素晴らしい。(兄か弟か失念)
チャップリンのスタジオや、チャイニーズシアターなど、
昔のハリウッドの匂いを伝えてくれます。

道夫さんとの対談、例によって史実と異なる部分ありなのですが、
「事実を楽しむ」「伝説を楽しむ」
平行して楽しめる両巨頭です。スケールでかい!!

「戦場・・」の雪洲の英語はハッキリ言って中学生並みです。
だけど、彼に限って、そこがいい!!(アクター目指す人は英語力なくてはダメ)
映画黎明期に大スターだった実績と威厳。
わざわざネイティブに合わせてやらずとも、いや、何の言語だろうと
俺はハッキリと言いたい事を言うぞ・・・・という感じが彼から伝わってくるんだ。
そもそもプロデューサーや撮影所の所長、監督、共演者達と堂々渡りあってる
のが凄い。
物怖じしないし、自分てものがガチッとしてて、ぶれないんだ。
その上、「日本人は民度が低い」というやっかみ故の下らない物言いも
切って捨てず、グレンギャリ城での豪勢なもてなしをもって知らしめる、粋さ。
彼こそ誠のサムライね。
468MIEUX :02/06/08 15:21 ID:g2A+HwxM
伊藤道夫・早川雪洲対談は季刊映画宝庫第3号1977(夏)
「ザッツ・ハリウッド 楽しい哉!夢の王国」(芳賀書店)です。
469:02/06/08 22:06 ID:viwQDmhB
>>468
面白そうな対談ですね。ぜひ探して読んでみたいです。
雪洲の自信に満ちた発言も興味深いですしね。まあ、雪洲に「謙遜」=「美徳」という
ジャパニーズ発想ってありませんから、いま読んでも古臭くないのでしょう。
470MIEUX :02/06/09 05:16 ID:G/pKNxc5
神保町の矢口書店でみつけました。定期的に入荷しているみたいです。
「ハリウッドがハリウッドを舞台にした映画一覧」などあって、
大変充実した内容です。
「は」さん、凄い博学です!資料価値の高いスレですね。
471:02/06/09 23:03 ID:WZLYanLJ
>>470
矢口書店ですか、ありがとうございます。近いうちにのぞいてきます。
このスレは資料価値というか、「雑学」のレベルですが、ありがとうございます。
雪洲のデータは大変に少なくて、「ヘンな日本人」的に語られているのは非常に
悲しいことです。かといって本人の著書は自慢ばかりですし、私もコマ切れの
資料をつなぎ合わせています。ここで得る貴重な情報も多く、今後もできるだけ
続けていきたいと思っております。
472:02/06/10 21:38 ID:nwzIUZFJ
雪洲がゆかりの日本の土地というと、やはり一番は出生の千葉県ということになるでしょう。
一時期は市川に住んでいたこともあるようですし。
次に首都・東京でしょうか。本人ロケに来てませんが、東京都心を舞台にした「東京ジョー」
もあります。また、渋谷区にも住んでいた他、大森に愛人も囲ってました。
3番目に神奈川県。帰国ごとに横浜に着き、帰るときも横浜から船で欧米に向かいました。
またサイレント期最高傑作といわれる「ドラゴン・ペインター」も舞台は箱根です
(撮影はLAでしたが)。埼玉については残念ながら表記がありません。
473:02/06/12 00:32 ID:UazaCQaw
雪洲がリトル東京で邦人向け芝居をやっていたころ、初めての白人向け舞台として
取り掛かったのが「タイフーン」でした。ただし、劇団を挙げて貧乏だったことから、
かなりのカンパを集めたそうです。もちろんカンパの主はリトル東京の店舗で、寿司屋
や蕎麦屋が出してくれました。ハリウッドの頂点を極めた男の原点は蕎麦屋のカンパ
だったというのも面白い話です。こんな経緯も草人が雪洲を憎む一因になつています。
474名無シネマさん:02/06/12 23:31 ID:hifgUOmp
は様、いつも興味深く拝見しております。
先日別スレに貼られていたリンク先で、青木鶴子の画像を発見しました。
皆さんにも見てもらいたいと思ったので、貼ってみます。
http://silent-movies.com/Ladies/annex/Aoki.jpg
このサイト、他にもサイレント期の俳優の画像が多数あり、面白いです。
すでにご存知だったらすみません。

ではでは、これからも雪州話楽しみにしています。
475:02/06/13 00:18 ID:NfsdVRSf
>>474
ありがとうございます。初めてこのサイト見ました。鶴子の頭があんまりの写真ですね。
このサイトの雪洲は30枚以上の写真が見れます。初めて見るものも多くて、
即お気に入り登録しました。ここに雪洲と鶴子の新婚旅行時といわれる写真も含まれて
おり、こちらの鶴子はきちんと写っています。
476:02/06/14 00:30 ID:RJxURewZ
雪洲の「異端」さは、なかなか日本人には理解できないのでしょう。日本人は古くから
「指示」に対する「目標」を追ってきました。「八紘一宇」という指示に対しての「欲しがりません
勝つまでは」という目標、「高度成長」という指示に対しての「勤勉」という目標。
いまは何も指示が出ていないから、うろたえているんですね、日本人。
その点、雪洲は頭がアメリカ人ですから、考える単位が「個」なんです。自分のために
人生設計する、という結果が、「家族」「会社の課」を考える日本人とは違和感が
あるんでしょう。でも「個」=「自分勝手」なだけではありません。雪洲は大変な
大和魂の持ち主でしたし、ブッシュも自分の「我」だけを通しているのではありません。
昨今の日本には「ワールドカップ」という指示が出てますけどね、だから「応援」という
目標で一致できるのでしょう。イチローや野茂、中田なんかは、雪洲と思想が似ている
のかもしれません。
477 :02/06/14 08:25 ID:cZp2kyPL
「ワールドカップ」という指示で束ねられているのも大方は今月限りでしょうね。
しかし人生は続く。
478:02/06/14 23:12 ID:VlBc42Bb
雪洲は出る作品出る作品、日本では「国辱」だといわれていました。大物らしい扱い
を受けたのは、せいぜい晩年の1950年代からです。
でも、今の時代、「ライジング・サン」も「リトルトーキョー殺人課」も「ニンジャ」も
お笑いの対象にこそなれ、怒る人がいません。ゴルフ場に忍者が現れたり、女体盛りをしたり、
雪洲作品に比べれば「大国辱」だとおもうんですけれど。こういうのを見過ごして
しまうから、ヘンな日本人のステレオタイプが出来上がっていきます。
確かに雪洲の「タイフーン」でも洋室で端午の節句を祝うというとんでもない場面が
ありましたけど、90年前の日本人はこれを笑わずに猛烈抗議しました。
477さんの言うとおり、笑っても怒っても日々人生は過ぎていくんですが、もう少し
「我」を持ったほうがいいと思います。でないと、本当に7月のJリーグはまたガラガラ
に戻ってしまいます(というか、戻るだろうけど)。
479:02/06/15 22:59 ID:VQpLEMil
トーキーになってからの雪洲イングリッシュは、確かにブロークン系でしたし、日本語も
ブロークン系でした。ただし、日米欧と舞台を踏んでおり、NYブロードウェイでも
主役を張っています。長いオンブロードウェイのなかで日本人主役のものって、他にあった
のでしょうか。舞台は詳しくないのでわかりませんが、ともかく流暢さよりも腹から出る
発声が観客を圧倒させたのでしょう。舞台だけは現代と違い、VTRなども残っていません
しね。タイムトリップが出来たら、当時のブロードウェイに行ってみたいです。
480 :02/06/16 06:02 ID:hvaEF6ac

なぜ今、雪洲なのか?
476と478が這入りやすい答えであると思われ。
自分のための人生設計、大和魂と国際性の両立のところをもう少し
聞きたいです。

481名無シネマさん:02/06/16 15:47 ID:B3cl3S5C
小林信彦が中原弓彦名義で書いた「世界の喜劇人」(晶文社、絶版)を
読んでいたらジェリールイス主演「底抜け慰問屋・行ったり来たり」(1958)
の中でジェリールイスが雪州の家に来る、と書かれていました。
雪州が池に端を掛けており、人夫たちがクワイ河マーチの口笛を吹いていて、
ジェリールイスがアレックギネスのような歩き方をして転んでしまう、という
ギャグだそうです。
は、さんは観たことがありますか。
482:02/06/16 22:01 ID:8K+1LG+E
>>481
171に一度書きましたが、この作品は雪洲にしては珍しいコメディ作品です。私も未見
なので、ぜひ見てみたいですが、「戦場〜」後のチョイ役と推測されます。
>>480
雪洲はもともと千葉の網元の息子でしたので「根性」「忍耐」「男の世界」みたいな世界を
子供のころから見てきました。今の「エリート」の息子とは天と地の差がありますよね。
1800年代終わりから始まった「移民」の思想も、「一旗上げる」という日本人気質が
息づいていたのだと思います。それが、いまや大使館の大使は「閣下」だそうで、そこ
からまともな発想はでてきやしません。1910年代の雪洲映画は、「国辱」といわれ
ながらも、アメリカ移民を擁護する作品もいくつか撮っていますし、近年では三船助演の
「ピクチャーブライド」でも移民たちの「魂」が描かれています。彼らは日本を捨てたのではなく、
日本の「代表」として出て行き、信じられないような悪条件下で働きました。
豊かになった日本人は「辛い」ものはノー・サンキューでしょう。「先進国だから」
という非常に曖昧なモチベーションがありますが、それだけでは通用しません。
稲本は解雇されるわ、田口はロクに試合にも出させてもらえないわ、実際の「現場」というのは
もっとタフなのでしょう。日本の「現場」での成功を手土産に行ってもダメだという
ことです。日本人特有の「匿名性」ではダメです。以前オーストラリアで「ナショナル」を日本の
メーカーだといっても信じない人がいました。そこには「松下」の名前がないんですね。
それを言ったらソニーもそうですが、外資の下請けを頑として拒んだことなどが「大和魂」として
世界に喧伝されていった可能性が大きく、ここが「差」だといえます。ハリウッドでの
展開もこの両社は明暗を分けましたしね。
雪洲、三船、黒澤、ソニー、トヨタ、ホンダ、野茂、イチロー、中田と、規模バラバラですが、
こう並べるとやっぱり共通項ってあるんだと思います。「大和魂」と「国際性」の両立です。
483:02/06/18 00:18 ID:8KbdRVXj
雪洲の出世作「チート」は、当初パラマウントの予測興収が10万ドルでした。ところが
フタをあけてみたら何と300万j。30倍ですから、パラマウントも笑いが止まらなかった
んじゃないでしょうか。1915年当時、パラマウントはLAダウンタウンに自社の
劇場を持っており(ブロードウェイにあったタレーシアター)、LAの公開も当然ここでした。
ただし、リトル東京とブロードウェイって近いので、見に行って日本人びっくり、という
形だったのだと思います。LAの日本人は怒ったわけですが、内心は雪洲の活躍に
嬉しかったんじゃないでしょうか。問題は大騒ぎした日本政府で、おかげで雪洲の役は
日本人からビルマ人に変えられちゃいました。日本人俳優でミャンマー人役をやったのは
2002年の今日まで雪洲ひとりです。しかしいきなりミャンマーってのも・・・
面白い、というか失礼な発想でした。
484:02/06/19 00:48 ID:VDqPY9CL
雪洲のグレンギャリ城からリトル東京までは、今ならメトロ1本でつながってますが、
昔は車か路面電車便でのんびり移動できたのでしょう。「グッドモーニング・バビロン」で
線路の真中にカメラを置いて撮影しているグリフィスのために、立ち往生する路面電車、
なんて絵がありましたが、こんなことも多かったのでしょう。
雪洲、チャップリン、フェアバンクスなどが活躍していたハリウッドは、本当にのどかな
ところで、天候もよく、撮影場所もワンサカあったはずです。1910年代、まだ
ビバリーヒルズは山の中だった時代です。
485:02/06/20 01:12 ID:wQ/i3Ekw
メルローズ通り沿いにあるパラマウントピクチャーズで一番目立つのは、当然メイン
入口にある「マラソンゲート」で、内部の見学受付もこの脇にあります。しかし、パラマウント
のDVDに入っているチラシには、いつももう少し小さなゲートが写っています。
これはどこかというと、マラソンゲートを正面に見て右側、「スワンソンゲート」です。
もちろんこれはグロリア・スワンソンのことで、ハリウッドの各撮影所には先達の著名人
を冠した建物が目立ちます。でもどうして小さいゲートのほうがチラシに使われるのか。
これはこのスワンソンゲートがもとのパラマウント入口だったことによります。
この敷地は右半分がパラマウント、左半分がRKOのスタジオだったもので、RKOが
自前のスタジオを手放した時点でパラマウントが買い取り、今の広さになりました。
その際、ちょうど中央に造ったのが「マラソンゲート」です。よって、パラマウント
専属時代の雪洲もこの大ゲートはくぐっていません。「スワンソンゲート」(1910年代は
それ自体なかったが)側の入口を使用していたはずで、内部見学をすると、雪洲が歩いた
その場所を体験できます。
486:02/06/21 00:47 ID:E9C7GGzS
雪洲が切歯扼腕するパラマウントのもとを去り、自社プロダクションを立ち上げたのが
1918年。1922年までヒット作を連発しました。この「ハワース・ピクチャーズ」
考えてみれば、当時日本人経営者が運営する映画会社では文句なくNo.1だったんですね。
日活よりも年商はあったでしょうし、松竹もまだ産声を上げたころで、東宝ができる経緯
に至っては、雪洲を日本に呼び戻そう、というのがことの発端ですから。
487:02/06/22 02:55 ID:Z7HixWcg
雪洲と三船は一作も共演がありませんでしたが、いくつかの共通点はあります。
雪洲の米TV作「灼熱の孤島」(1958)と、三船=リー・マーヴィンの
「太平洋の地獄」(1968)は共通原作ですし、雪洲の「良友」(1916)と
三船の「ピクチャーブライド」(1995)も写真花嫁をテーマにしたものです。
また雪洲の「アラビアの闘士」(1920)は原題が「アラビアン・ナイト」ですが、
三船の「大盗賊」(1963)もモチーフは「アラビアン・ナイト」です。
特に三船は先達へのリスペクトを欠かさない名優でしたから、このあたりも
気にしていたのかもしれません。
488:02/06/23 01:15 ID:ydjFJOUI
上記情報追加。雪洲の「日本敗れず」(1954)と三船の「日本のいちばん長い日」
(1967)は2人の役柄が同じです。割腹自殺を遂げた阿南陸相役を鬼気迫る演技で
成し遂げており、見比べるのもよいと思います。また、これは本人たちに直接関係ない、
といえばないんですが、雪洲の「戦場にかける橋」に引っ掛けて、三船の作品に「太陽
にかける橋」(1976)というのがあります。両方とも外国作品のため、あとから
日本人がつけた邦題ですが、あきらかに三船が雪洲作品を意識していたことがわかりますね。
他、三船の十八番ともいえる山本五十六に対し、雪洲も山下奉文を演じています。
やはりこの2人の共演、見たかったですね。
489:02/06/23 22:00 ID:UenbEaqB
雪洲と三船と共演した人、これは結構います。田中絹代、山田五十鈴、高峰三枝子、
山口淑子、原節子、京マチ子などの女優、アラカン、片岡千恵蔵、東野英治郎、沼田
耀一、大友柳太郎、藤田進、丹波哲郎、山村聰などの男優陣がこれにあたります。
雪洲との共演は1930年代以降、雪洲が40代というミドルエイジになってから
のものが100%を占めるため、いわゆるT・クルーズのような人気があった時代とは
異なります。クルーズは40歳になるかならないかの歳だと思いますが、要はこれから
クルーズと共演していくのと同じようなものでしょうか。
50歳、60歳になったクルーズと共演する20〜40代の俳優はクルーズに何を見るのか。
こんな置き換えで考えると分かりやすいかもしれません。
490名無シネマさん:02/06/24 22:07 ID:+wUcbqfT
は 様、いつも興味深くスレ拝見しています。
先日ググールでうろうろしていた所、1999年1月号のPREMIERE誌の大島渚の
インタビューが落ちてたので、抜粋して載せてみます。
もし読んだ事がおありならすみません。

>(〜略)実は『ハリウッド・ゼン』のシナリオにも、ファシズムと関連した
>いいシーンがあったんですよ。
>最後にヴァレンチノが死んで、ニューヨークで彼の葬儀が行われる。
>何十万の参列者があったという葬儀に、紋付袴の雪洲がひとり行く。
>ヴァレンチノの棺をムッソリーニの制服で身を固めたファシストたちが
>取り囲み、その前を涙の女たちが次々と通っていく。
>このシーンはとても気に入ってる。うまく書けたのに、映画にならなくて
>本当に残念です。。(〜略)

上の方にある>>44さんの情報とかぶりますが、想像するだけでわくわくする
ようなシーンですね。
残念とか言わずに、今一度メガホンを取ってもらいたいです…。
491:02/06/24 22:38 ID:sngII3OE
>>490
この記事は初めて知りました。フィクションとはいえ、このシーンは黒の美学ともいう
のでしょうか、大島なら重厚に撮りそうですよね。
本当は1991年11月にインする予定になっていたので、もうはや10年6ヶ月の「延期」
状態です。制作費5000万ドル大作はいつ陽の目を見るのでしょうか。
最近少しプロデュース作品が「ヘン」なジョエル・シルヴァーとか、金持ってそうですけどね。
シルヴァーは寅さんシリーズを全作見ている数少ないアメリカ人であり、誰か大島脚本を
持っていかないでしょうか。監督は「追い込み」のうまい中田秀夫あたりで。
ヴァレンチノはジュード・ロウなんかそれっぽいですね。雪洲役が難しいです。
永瀬正敏あたりでしょうか。配給はゆかりのパラマウント。完全脚本があるんですから、
実現して欲しいですよね。
492490:02/06/24 22:44 ID:+wUcbqfT
>>491
お役(?)に立てたようでよかったです(´∀`)

>ヴァレンチノ役=ジュード・ロウ
>雪州役=永瀬正敏
いいですね〜、それ。自分的にもピッタリです。
ああ、見たいなあ…。
493:02/06/25 21:18 ID:12mHbx6Y
>>492
「ハリウッド・ゼン」は雪洲とヴァレンチノの確執が軸になっているようです。
ヴァレンチノは雪洲のグレンギャリ城に住み込みで「弟子」のような時期だったことも
あり、1921年11月公開の「シーク」でブレイクしたため、雪洲と直接銀幕のライバル
関係だったのはほんの3〜4ヶ月ほどでした。が、やはり「かぶる」部分が多い2人だけに
軋轢もあったのでしょう。フィクションとしても、映画で真相が知りたいですよね。
雪洲役、ヴァレンチノ役に加えて、フェアバンンクスやチャップリン役も必要でしょう。
こう考えるだけでも楽しそうな脚本ですね。
494:02/06/27 01:12 ID:R1Bx/cW3
雪洲はパラマウントとは切っても切れない関係にありました。セジル・B・デミルとの
師弟関係のみならず、自書でも「排日熱のなかパラマウントは高給を払って契約してくれ、
雪洲でなければできない作品をやろう、といってくれた」と感謝の意を述べています。
また、何と言っても1921年にロバートソン・コールとのイザコザでセットの石柱が雪洲
側に倒れてきた事件(ブランドン・リーになりかけた)で、雪洲サイドに倒れてくるから
逃げろ、とアドバイスしたのが元パラマウントのアート・ディレクターだったことも、
仕事どころか命の恩人といったかたちになりました。また、トーキー第1作も同社の「龍の娘」で、
晩年も「ゲイシャ・ボーイ」などに出演し、友好関係は続いたようです。
495:02/06/27 22:57 ID:sAPye0ku
ハリウッドで初めて映画撮影が行われたのは1907年、シカゴにあったセリグ社の
「モンテクリスト伯」だといわれています。なぜはじめてと判明しているのかというと、
もともとこの作品は当時の映画の中心地、NYでクランクインしたのですが、パテント王
エジソンとモメて、初めて西海岸まで「逃げてきた」作品だったからです。
しかし、たった8年後の1915年にはカール・レムリが、USHでおなじみ、ユニヴァーサル
シティを作り上げています。その広さ230エーカー。いまや面影のカケラもありませんが、
この急激な成長がハリウッドの物語でもあるんですね。
496:02/06/29 02:10 ID:uuEh5HfC
過去、歴代の米国大統領と並んで「サマ」になった要人はどのくらいいたでしょうか。
特に戦後、アメリカの子会社みたいになってからは見るサマもない状況です。
三船はその貫禄ゆえ、フォードとの2ショットなどもいい感じだったのでしょうが、
やはり「侍」のイメージでフォードも見ていたのではないでしょうか。
その点雪洲は、1921年にハーディング大統領と直接会談を行い、また30年代
にはルーズベルトの知遇も受けており、「外様」的な扱いはされませんでした。
政治的活動というよりは、「日本人」を主張していたのだと思います。塀の中に入っても
保身を図る政治家がいる国では考えられないことですが、こんな点も雪洲を伝説に
している要因でしょう。
497:02/06/29 22:06 ID:jPV75xwo
雪洲と縁の深いパラマウントですが、日本に「ぱらまうーんと楽になったわ」のコピー
でおなじみの「パラマウントベッド」という会社があります。この会社はパラマウントの
子会社でもなんでもなく、基本的にベッドを作っている時点で違う業態なわけですが、
それでも気になる名前ですよね。創業当時の社長が、パラマウント映画社の名前を
拝借したのは確かなようです。雪洲とデミルが基礎を築いた映画会社の名前がこうやって
日本企業の社名になるのも、面白いものです。
498 :02/06/29 22:27 ID:9Bi8nUrP
はい、それ気になっていました。
パラマウント映画社から何かいわれやしないのかなあと。
あと、全然関係ないのですが、CMでパラマウントの「山を巡る星星」
を洒落でパクッたものを見た事があります。MGMのライオンのかわりに
人の顔、というのは使いでがあるのでよく目にするのですが、
パ社は珍しく、私も1回しかみておりません。よってどこのどんな内容かは
不明です。
499:02/07/01 00:01 ID:mvA5xpYH
>>498
コロンビアピクチャーズがソニーに買収されたとき、アメリカの雑誌ではあの女神が
キモノ着てましたよね。パラマウントはその点、ただの「山」ですから、いじくりにくい
ですね。FOXのタイトルロゴもパロディの嵐です。
RKOはカラーになってカッコよくなりましたが、いまだにラジオの電波なのががまん
強くてよい。あれもマネやすいデザインでしょう。
日本で定番は東映でしょう。波に岩、というのはマネれますからね。東宝はつまんなすぎ。
500 498:02/07/01 01:06 ID:J/R+nOKU
日本の映画会社の商標マーク?は総じて退屈です。地味すぎて。
そう云えば、淀川さんの自伝に「パラマウント社の星は24個」と書かれていました
が、未確認のままですね。何でも創設者が故郷から出てくる時に、ポケットの中に
有り金が24セントだったのにちなむそうで。

「は」さん、とうとう500まで来ましたね。ひとまず、お疲れさま。
今後も楽しみに読ませてもらいます。
501名無シネマさん:02/07/01 07:41 ID:yFSDjyRR
は 様、いつも楽しく読ませてもらってます。

>>500
私が見たパラマウント社のロゴの星の由来と違いますね。
創立当初は22個だったそうで、かつての専属スターの数だとか。
ソース↓
ttp://www.geocities.co.jp/Hollywood/5710/cla-dictionary.html

どっちが本当なんでしょうね(w
502501:02/07/01 07:43 ID:yFSDjyRR
書き込んでから数えてみましたが、☆24個あるやん…。
>>500さんの説の方が有力っぽいですね。
503:02/07/01 23:59 ID:jhKwUuN0
>>500
なんか、毎日書き込んでるうちに500来ちゃいました。皆様の貴重な情報ソースも
たくさん入手できて、雪洲情報の「空白」がどんどん埋まっていく感じがします。
でも、まだまだ雪洲その人は掴みきれていません。現存する作品をどしどしDVD化
してもらい、作品についてここで論議できるくらいにまで「雪洲インフラ」を整備して
欲しいですね。

さて、パラマウントの星ですが、アドルフ・ズーカーのサイレント時代=雪洲の時代の
専属スターの数であるのは間違いありません。ただし、雪洲は1918年パラマウントを
出てしまいますので、星のひとつが雪洲であるかどうかは微妙なところです。
★はいくつかのパターンがあったようで、その時代時代で正解が違うようです。
「ヴァニラ・スカイ」は同社90周年記念大作のひとつですが、ここの星は22です。
親会社のヴァイアコムによれば「今後は22で固定」だそうですが、また手放せばどう
なることやら。
504:02/07/02 22:45 ID:VG6ycagI
雪洲が1918年にハワース・ピクチャーズを設立した際、30万ドルで買ったスタジオは、
旧トライアングル社のものと思われます。トライアングルといえば、グリフィス、インス、
セネットが所属した1910年代の大手映画会社で、ウォール街で初めての上場映画株としても
知られています。ところが、1916年にグリフィスの「イントレランス」が興業的失敗となり、
1918年にはパラマウント傘下に入ってしまいました。そのタイミングでスタジオを
買ったのでしょう。雪洲も「国民の創生」や「イントレランス」を撮ったスタジオ、
と言っています。この後、グリフィスはかのユナイト映画を設立するんですね。
007のルーツはこんなところにあるわけです。
505:02/07/04 00:35 ID:nmYwF3x0
1922年、雪洲が最後のサイレント作品として出演したのが「朱色の画筆」でした。
イコール、トップスターとしての最終作となりましたが、この撮影中に命を狙われたり、
何かとフィルム外での騒動が興味深い作品です。
でも、何が凄いのかというと、この映画カメラが13台あったそうです。まさに黒澤並の
内容ですが、黒澤の40年前にこの台数で撮影をしていた雪洲というのは、やはり
ケタ外れのスターだったのでしょう。
506:02/07/05 01:12 ID:CJulMrU1
今も昔も「パパラッチ」はいたようです。雪洲も自伝でこう書いています。「1916年〜
20年にかけて、ワイルパーというものが非常に問題になった。これは全国各地方から
新聞記者やカメラマンがやってきて、スタアの行状を聞きつけては、新聞にスッパぬく
のである」というもので、「FRIDAY」の伝統は90年間前から続いているのだな、
とヘンな感心をしてしまいました。雪洲もさぞや困ったのでしょう。
507:02/07/06 00:24 ID:Btr7Gpdq
雪洲はなんだかんだ言っても、今の日本人(俳優)と比べて猛烈に働いていました。
ハリウッドでの栄光が緒を引き、欧米ならびに日本でたびたび自社プロダクションを
設立し、ことごとくつぶしてきました。今現役なのは「太平洋テレビ」くらいでしょうか。
おなじみの芸能/声優プロの「俳協」は太平洋テレビの存続会社です。
でも、そのバイタリティたるやすごいものがありました。映画のみならず、舞台や
TV分野にも積極的に進出しましたし、やはりいろんな意味でパイオニアなのでしょう。
508:02/07/06 21:15 ID:lV0ysnl5
雪洲のTV初出演は1953年11月28日、日テレの「鬼の九右衛門」(19:30
〜20:15)ですが、この頃のTVは電気紙芝居といって映画業界からコケにされて
いました。そんな中、積極的に出演した雪洲はやはり先見の明があったのだといえましょう。
三船は当初TVを嫌い、ずっと「まだ(=レベルの低い)TVに出る段階ではない」
といい続けてきて、初めてチョイ役で出たのが東宝TV部製作の「太陽のあいつ」1967年
でした。映画界で三船は雪洲の後輩ですが、TVでも先を越されたことになります。
当時は生ドラマでしたから、これを見ることは不可能だと思われますが、芸術祭参加作品
なので、日テレ倉庫に眠ってないでしょうか。引越の際、探してほしいですね。
509:02/07/07 20:39 ID:0KDlgH6d
三船がTVに出るようになるのは、スポンサーとの関係ありきでした。武田薬品工業
提供の「五人の野武士」1968年10月〜1969年4月 の視聴率テコ入れのため
特別出演したのが本格進出です。雪洲と違い「三船プロ」は東宝色、黒澤色、そして
マーケティング色が濃く、なかなか自由に動けなかったのもあるでしょうが、視聴率が
上がらず、スポンサーから懇願されて出演、というのはいまひとつのデビューでした。
でも、第16話の監督は遼友、岡本喜八を起用するなど、本気を出してからの三船プロ
TVは面白いものになりました。
510:02/07/09 00:15 ID:aaM/loFO
TVが本放送を開始したのは、雪洲が初出演したその年、1953年です。2月1日に
NHK、次いで8月28日に日テレが開局しました。でも、この当時、TVを見れる
超ハイソな家庭はたった3,600世帯でした。そこいらの町内会ではありません。
関東地区でこれしかなかったのです。この段階でTVドラマに主演した雪洲はやっぱり
カッコいい、というか男気が感じられますね。人間64歳にもなると、過去の栄光にすがる
ものでしょう。ましてや雪洲はフェアバンクス、チャップリンと肩を並べた比類なき
栄光を誇っているのです。でも、新し物好きがこうじて積極的にTV出演してしまう
ところがうわべの「伝説」を語らせなくしているんですね。
「鬼の九右衛門」はゴールデンのOAでしたから、レーティング50%として1,800世帯。
当時はまだ世帯視聴率が信用できますから、1世帯4人として、ナマ雪洲を見たのは
7,200人。日劇と同じくらいでしょうか。観客数。でも、うらやましいです。
その7,000人が。当時10歳くらいでリアルタイムで見た方、いらっしゃいませんかね。
511:02/07/10 00:23 ID:mY52ZL5y
初期ハリウッドで、役者に共通していたもの。雪洲もフェアバンクスもチャップリンも
ヴァレンチノもカメラの前で「着けなかった」もの。メガネですよね。雪洲は晩年のプライ
ベートで眼鏡姿を見たことがありますが、作品ではなかったのではないでしょうか。
理由は簡単。反射です。CGで修正する技術もないので、はじめからメガネは無し、
というのが不文律だったんでしょう。この伝統を壊したのが、名優ハロルド・ロイドでした。
有名な話ですが、ロイドははじめからメガネでスクリーンに登場しています。
スターへの差別化、といえばそうですが、ロイドの肝はレンズなしのメガネを着けて
いたことにあります。いまも「ハズシ」のアイテムで使われるレンズなしメガネですが、
80年前にはもう始まっていたんですね。レンズのないメガネをかけた人は恐らく
史上初であり、ロイドがひとつの歴史を作ったことになります。
512:02/07/10 23:20 ID:SuIcV8lp
ハロルド・ロイドの代表作といえば、何と言っても1923年の「要心無用」でしょう。
時計台から落ちそうになる場面は80年の時を経ても手に汗握りますし、「BTTF」
ではドクが同じシーンをパクってました。
この作品はLAダウンタウンで撮られています。細かな場所までは特定できませんが、
少なくともここには1923年のLAがたくさん出てきます。雪洲も1913年にこの
地からデビューし、前年の1922年までこのあたりを闊歩していました。まさにその
光景が見れるタイムスリップ的作品ですが、雪洲がリアルタイムでいたその時代が
DVDで残っているというのも、考えてみればすごいことです。
513:02/07/12 01:20 ID:+sUTs5HG
1923年のLAダウンタウンと、1990年のLAダウンタウンは映像上大きく
異なります。物事は進化しますので、ビルは高くなり、都市整備され、これを見ると
映像の価値(時代を映していく)がわかります。
ところが、日本の風景をハリウッドが撮ると、1913年の「おミミさん」と1986年の
「ベストキッド2」のセットがほぼ変わっていないことに愕然とします。ウソだと
思う方は、ぜひ2本とも見てください。LAは進化するのに、日本は藁葺きです。
ベストキッドに出てくる盆踊りは、1914年の「タイフーン」と似たり寄ったりの
レベルだし、何とかならないもんでしょうか。1910年代の作品は確かにリアルタイム
だったかも知れませんが、1990年代の製作者は抗議しないといけません。
もっとも、ベストキッド2ではノブ・マッカーシーが文句言ったらしいですが、
「端役がガタガタいうと、1分間で○○ドル損する」と怒鳴られたそうです。
日本の国力と比例して、映画界での発言力が低下している顕著な例といえますね。
514:02/07/13 01:12 ID:8wHvR8Q8
雪洲は1889年に生まれ、1973年にこの世を去っています。日清戦争から日露戦争、
2回の世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争まで、まさに激動の世を生きてきました。
本当の意味で「平和」という時代はほとんどなく、そんな中、日本、米国、カナダ、
英国、仏国、台湾、中国、朝鮮まで飛び回ったスターは、何を考えていたのでしょう。
晩年、軍人役をよくやるようになったのも、志があったのかもしれません。
仏教に帰依したのもそんな刹那的状況を案じてのことだったのではないでしょうか。
いまの平和ボケした役者が演じる軍人役に迫力がないのは、当然なのかも知れません。
平和はいいことです。でもそれが「侍」を消滅させていったことになります。
実践篇は不要ですが、精神論は残しておくべきではなかったか、そんな風に考えて
しまいます。
515:02/07/13 23:39 ID:EdMsnw+T
雪洲の歴史のなかで、どこにも記述がないのが「ハワースピクチャーズ」の陣容です。
例えば三船プロや石原プロは、従業員数や売上がある程度公表されていました。
ハワースは旧トライアングルのスタジオを購入し、キャナリー氏が資金を出して、
ヒット作を連発した、ということは伝わっていますが、それ以外の情報は少ないのが
現状です。配給をロバートソン・コールに任せていたので、ポスター上も「Sessue
Hayakawa イン ○○」ロバートソン・コールプレゼンツ、となっています。
社名にハヤカワの関連語彙が入っていますが、キャナリー氏が資金を出していた以上、
ハワースピクチャーズの社長はキャナリーだったのではないかと思います。
借金が返済された時点で雪洲がトップに立ち、社名を「ハヤカワ・フューチャー・プレイ社」
に変えた、というのが自然な流れです。また、年間数本はパラマウント作品へも出演しており、
「世話になったから」だけでそこまでするでしょうか。雪洲はパラマウントを信頼しており、
もし排日気運がなければ、パラマウントに合流する気だったのかもしれません。
当時は邦人経営者というだけで、毛嫌いされた時代です。雪洲が責任者になってから
ロバートソン・コールとこじれた。これも時代と一致しています。
雪洲はマイナスなことをほとんど残していませんので、あくまで憶測ですが、ハリウ
ッドから離れたのも、何か裏事情があったのではないでしょうか。1本1000万ドル
(現貨幣価値)の出演料、そう簡単に投げ出せるとは思いません。アメリカが嫌いに
なったわけではなく、その後すぐにNYへ移動していますしね。
でもこのあたりの事情は、もう永遠にわからず終わるんでしょうね。
516:02/07/14 21:31 ID:ceMnvkkg
今日の「のど自慢」、サンフランシスコから中継でしたが、いっぱいいますね。日系人。
5000人収容のホールが満席ですから。LAから出かけた人も多かったのかも。
雪洲はシカゴ経由ですが、LAリトル東京の演劇小屋出身のため、90年前の同胞に
熱狂的支持を受けたんでしょう。「のど自慢」のゲスト、北島三郎がえらい歓迎されて
いましたが、日本での成功者としてで、西海岸に腰をすえて演歌をやる、なんてことに
なると思いも変わるのではないでしょうか。三船の見方も北島三郎に似た感じかもしれません。
シアトルからLAまで、いま日系人パワー強いですからね。雪洲の誇りはベースボールが
受け継いでいるようです。
517:02/07/15 22:27 ID:64Gszei/
ハリウッドを志してLAに渡る俳優も多いですが、たいがいアルマゲドンの松田聖子や
ゴジラの加藤雅也みたいな結果に終わり、帰ってきます。いま、なんとかがんばっているのは
工藤夕貴くらいのものでしょうか。ハリウッド自体は現在、あまり魅力を感じないところです。
確かに撮影所の風格はそれらしいですが、遺物にならなければよいのですが。エピソード2
はデジタル撮影ですし、設備そのものは汐留の日テレ本社や、六本木のテレ朝新放送センター
のほうがよいでしょう。日本でも一世を風靡した映画会社ですが、例えば大映京都撮影所跡なんて
さびしいものです。マンションの片隅に「碑」ひとつですからね。
雪洲やフェアバンクスが作り出した映像の都は、100年にして非常なピンチを迎えている
のかもしれません。
518:02/07/17 00:16 ID:wUEqPjEu
2〜3日前の朝日新聞に「大学生と中学生にアフリカについてのイメージ」を聞いた
ところ、いまだに「野生の王国」風な回答が多い、と書いてありました。
ということは、欧米人の見る日本もまだ「サムライ」なのでしょう。雪洲はその見方を
少しだけ変えましたが、三船がまた「日本人感」を新たに植え付けました。
「ブラックレイン」の松田優作と高倉健の関係にも同じようなことがいえます。可能性
がありそうだったからこそ、M・ダグラスは優作をハリウッド関係者に紹介しまくり、
そこに「日本人」を感じさせた高倉健は、トム・セレックの正直いまひとつの出来であった
「ミスターベースボール」に同じような役で引っ張り出されました。
この差は結構大きいと思います。
519:02/07/17 21:36 ID:YIMIXecf
雪洲は1910年代、間違いなくマチネーアイドルでした。チャップリンはコメディ
でしたし、フェアバンクスはアクション俳優でした。スクリーンで擬似恋愛をすることが
できたスターは雪洲のみだったんじゃないでしょうか。黄色人種に恋するアメリカ人って
いうのも興味深いですね。ブリジッド・フォンダは過去、ジェット・リーや村上弘明と
それらしい場面を作っていますが、スクリーンでの恋愛感を出すのは難しいようでした。
日本映画でも「落陽」の加藤雅也とダイアン・レインの関係は描ききれなかったですし、
「ブラック・イーグル」のショー・コスギも明らかに展開上、白人女優と恋に落ちたはず
ですが、画面上手も握りません。
なかなか現代のハリウッドで東洋人がマチネースターになるのは厳しいようです。
520ハラ・アラカウ:02/07/17 23:31 ID:KGpyo9d2
えーとチートの主人公はミャンマー人じゃなくて『ビルマの象牙商』なんですが。
521:02/07/19 00:56 ID:tCdKT9DW
<<520
おっしゃる通りです。確かに「ミャンマーの竪琴」っていいませんからね。ワールド
カップでもドイツの過去の活躍は「旧西ドイツ時代」とかはっきりと注釈つけてますし。
映画公開時を考えれば「ビルマ」のままでよいのかもしれません。
いずれにせよ、この国の人物を演じた人は雪洲以降はいなさそうです。
522:02/07/20 02:23 ID:/Q27Z1u0
雪洲で惜しいのは、いわゆる「名作」が少ないことです。「チート」は別格として、
それ以外にめぼしい作品がありません。「戦場〜」は名作ですが、雪洲がうならせる
演技をしているわけではないですし。トーキー以降だと「日本敗れず」くらいでしょう。
期待したい「山下奉文」が見れないので、DVDにしてくれないでしょうか。
三船なんかは初期の傑作の他、個人的には一番好きな「男はつらいよ 知床慕情」みたい
な晩年の傑作があります。「深い河」なんて、かなり病状が悪かったころでしたが、
その登場の仕方はカッコよかった。そう考えると、雪洲も「神々の深き欲望」は
やり遂げてほしかったです。遺作にして、傑作になっていたかもしれません。
523:02/07/20 23:17 ID:d2fIX47z
サイレントのスターで、トーキー以降大成功した人はほとんどいません。これはセリフ
まわしが不得手だったことが大きいですが、世代交代とぶつかったから、というのも
理由のひとつでしょう。チャップリンもフェアバンクスも雪洲も、独立の映画会社を
立ち上げたのが1910年代であり、1928年のトーキーを待つには少し時間がかかり
過ぎでした。それにしても、この頃のスターたちは、まさか前編CGの殺陣シーンが
出てくるなんて思いもしなかったでしょうね。俳優そのものの演技力が発揮できた
サイレント期は、ある意味いちばん幸せな時代だったのかもしれません。
524:02/07/21 21:42 ID:Gt28Zh7l
アルフレッド・ヒッチコックといえば、何と言ってもユニヴァーサル・ピクチャーズですし、
USHにはサイコのセットなんかもあったりします。しかし、もともと1899年、ロンドン
生まれのヒッチコックは、1919年にパラマウントのロンドンオフィスに入社しています。
そこで字幕製作なんかをしながらのし上がっていったわけですが、現役としてパラマウント作品
に主演していた雪洲はよく知っていたはずです。監督デビューは1925年の「快楽の園」ですが、
この年は雪洲がイギリスに腰を据えていたときであり、直接会ったりしていないんでしょうか。
当時ではスーパースターと監督1年生だったわけですが、おなじパラマウント絡みであり、
夢物語的に会ってたりすると、面白いんですけどね。
525:02/07/22 21:49 ID:8evclnhL
雪洲が絶頂を極めていた1919年、グリフィスの小品「散り行く花」が作られました。
これ見て雪洲は怒ったんじゃないでしょうか。リリアン・ギッシュと中国人男性の
淡い恋を描く物語で、中国人(R・バーセルメス)ははっきりと字幕で「チンク」と
言われてます。原題からしてチンクって入ってますから。
話の筋は、ロッキーを彷彿とさせるボクシングシーンや、R・スコットもびっくりの
スモークの使い方など、面白いんですけど。少なくとも、雪洲とグリフィスは作品では
組んでいませんが、このあたりのウマが合わなかったのかもしれません。
526:02/07/24 01:12 ID:bkpckgTj
1910年代は完全なスターシステムでしたので、フェアバンクスと雪洲の共演は
ありませんでした(除くドキュメンタリー)し、チャップリンと雪洲もまたしかりです。
しかし、狭いハリウッドで切磋琢磨していた「身内」ですので、仲はよかったようです。
雪洲とチャップリンは共に「女好き」だったため、ウマが合ったのではないでしょうか。
排日熱のなか、雪洲は1922年にハリウッドを離れてしまいますが、念願の再開を
果たしたのは戦後、1949年のことでした。チャップリンも3年後には「ライムライト」
を撮る頃ですね。2人はLAで日本料理を食べながら(チャップリンは無類の日本ファン
だった)、楽しげに談笑している写真が残っています。お互いのピークから30年の
時を経て、遼友が何を語らったのか、興味がありますね。
527:02/07/25 00:42 ID:pPsEvAM8
メイ牛山の「ハリウッド化粧品」という会社がありますが、ここもまた大仰な名前です。
本社がハリウッド大通りにあるわけでもなく、LAで名をなしているわけでもありません。
創業者の牛山氏が、雪洲の付き人をしていたことからつけられた名前なのだそうです。
雪洲は意外なところにも足跡を残しているのですね。
528:02/07/26 00:06 ID:B9KENkhU
スター同士の共演が少なかった、ということを書きましたが、実は非常に惜しい組み合わせ
がありました。雪洲とリリアン・ギッシュの共演です。インス・デミルの申し子、雪洲と、
グリフィスの申し子、リリアンとの夢の共演は1922年9月からのNYでの舞台
「タイガー・リリー」でチャンスがやってきました。もとはこの年の春、排日熱が盛んな
LAを離れた雪洲が、対日感情のよい東海岸に腰をすえたことからはじまります。
NYでも雪洲はトップスターであり、すぐに舞台の話がありました。その共演者として
リリアンが予定されていたものです。プライベートでは旧知の仲であったと思いますが、
いざ共演、というのはやはりビリングの件で問題がでたのかもしれません。
最終的にはリリアン共演の夢はかなわず、翌年3月までのロングランで「タイガー・リリー」
は上演されました。ここで特筆できるのが「サイレント」で上り詰めた雪洲が、最初に
選んだ仕事がもっとも声量感のいる舞台であったことです。自信がないとできない
仕事ですよね。やはりカッコいいです。
529:02/07/27 00:12 ID:9CGqVQbo
1924年の「ラバタイユ」は、雪洲初のフランス映画で、フィルムも残っています。
まだ未見なので、見たい1本ですが、この作品、9年後の1933年にトーキーでリメイク
されています。監督はニコラス・ファルカスという人物で、何が興味深いのかといえば、
日本人役を当時のスター、シャルル・ボアイエが演じていたということです。
トルシエがどうしても日本人に見えないので、フランス人が日本人演るのは難しいと思い
ますが、どんなモノになっているのか、別の興味でみてみたい作品です。
530名無シネマさん:02/07/27 03:38 ID:O/Q9Ri+6
「は」さん、いつも楽しく読ませていただいております。

遅レスなのですが、527の「ハリウッド化粧品」って「マックスファクター」
みたいにハリウッド映画界に関わっていたのではなかったのですね。
メイ牛山さん、かれこれ十数年TVで見た事はないんですが、雪洲さんの
付き人をなさってたとは知りませんでした。
明治44年生まれだから90歳を超えていらっしゃる。アメリカ・フランスで
美容を勉強なさる一環でハリウッドにいらしたのですね。

暑さが厳しくなってまいりましたが、体調を崩されませんように!
531:02/07/27 22:50 ID:WSKsaHK3
<<530
すみません、少し言葉足らずでした。雪洲の弟子だったのは創業者の牛山清人氏です。
1899年、長野生まれの牛山氏は、1917年に単身渡米し、雪洲の弟子になりました。
と、ハリウッド化粧品のHPには書いてあります。しかしこのころの雪洲は、冗談ではなく
T・クルーズ並の人気を誇っており、弟子と称する人間はうじゃうじゃいたはずです。
そのうちのひとりがルドルフ・ヴァレンチノなのですから。
清人氏がどのくらい深い関係だったのかは、HPからは知ることができません。
清人氏は1924年に「ハリウッド美容室」を開設し、創業したのですが、命名が雪洲なのか、
雪洲の付き人だった縁でハリウッドの名前をもらったのか、そのあたりも不明です。
でも、弟子であったことは確かだとすると、パラマウントベッドよりは関係性の深い
ネーミングだと思います。
532:02/07/28 22:43 ID:yH/SNX/V
淀川長治の雪洲評抜粋。
「早川雪洲は顔がとっても綺麗だった。顔がいいから、デミルがすぐ使うと言ったのね。
素人だったのに最初から主役。「チート」の雪洲は、日本人の大金持ちの役。怒ったときの顔
がそれはそれは綺麗、美男子の怖い顔。雪洲はこれ一本でいっぺんに有名になったんです。
でも、当時はこの映画は日本人を悪く描いたからといって、日本では公開されなかった。
可哀想に、「チート」はパラマウントの最高の映画、アメリカの代表的な高級映画、それに
出ているのにね。日本では今でも騒がないけど、それから雪洲はどんどん、どんどん有名に
なって、パラマウントの一流の映画にどんどん出た。雪洲はハリウッドでナンバーワンの
美男子スターになったのね。アメリカの奥さんのファンは、雪洲の映画見に行くというと、
みんな化粧して行く、「雪洲がこっち見てるから」って(笑)」
雪洲の目撃者にして語り部であった淀川さんだけに、この大スターについては、もっと
日本人が知っておくべき、というニュアンスがこめられていますね。ごもっとも。
533:02/07/29 22:59 ID:8GkwvjXC
「チート」と「国民の創生」は同じ1915年に撮られています。両方ともにある意味で
ダークサイドを描いた作品であり、片や日本人実業家が白人にやり込められ、片やKKKが
南部の白人を救います。この時代から現代まで、基本的なハリウッドの構図は変わっていません。
そんな中で、やはり雪洲、ヴァレンチノが占めた位置は特別なものでした。
今のエディ・マーフィのそれではありません。白人女性が憧れて劇場に押しかけたのです
から。「チート」の雪洲は「ターミネーター」のシュワと環境が似ているかもしれません。
メイクなしだと小さな日本人なのですが、スクリーンでは「映える」映画俳優。それが雪洲でした。
534:02/07/30 23:45 ID:6NNL8h+L
トーマス・インスのスタジオ「インスヴィル」は、現在ソニーピクチャーズがある
カルヴァーシティにあったようです。雪洲がインスのもとで出演した「タイフーン」
や「火の海」「おミミさん」などはここで撮られていたわけです。
90年前に日本村の大セットがあった場所を、現在ソニーが所有しているというのも、
面白いものです。雪洲もグレンギャリ城を購入するまでは、ここいら辺に住んでいたのでしょうか。
カルヴァーシティはLAダウンタウンに近いのに、どこかのどかな街で、東京でいえば
多摩センターみたいなところです。高層ビルもないので、90年前に雪洲やインスが
歩いた雰囲気そのものの空気を感じることができる街です。
カルヴァーシティのダウンタウンは幹線道路から1本入っているため、この雰囲気が維持
されているのかもしれません。
535:02/07/31 22:56 ID:L3WIsAaG
カルヴァーシティの別名は「ハート・オブ・スクリーンランド」。映画の心臓部という
呼ばれ方をされています。いまもスパイダーマンやパニックルームがここから生まれて
いて、給水塔の上の女神マーク(コロンビア)が目立つ大スタジオですが(予約で見学
可能)、1915年にインスがスタジオを建設して以来、RKO、MGM、ソニーと
移り変わってきました。まさにハート・オブ・スクリーンランドですね。
一般的にはMGM時代が有名ですが、タイクーン、ルイス・B・メイヤーが座った食堂
のイスなどが残っており、古きよき時代のハリウッドにタイムスリップさせてくれます。
この場所も雪洲やクラーク・ゲイブルが闊歩していたわけです。
536:02/08/02 22:57 ID:9Dlj6/T5
雪洲映画には、もう二度と見れない作品も多いんですね。特に1910年代、トップ
の座に着いていたころの作品がほとんど無いのが致命的です。ハワースピクチャーズの
配給会社がロバートソン・コールというのもマイナスでした。なにしろ、現在は存在しない
のですから。ユナイトやパラマウントであれば、もう少し保存状態も良かったのでしょうが。
何にしろ、「チート」が残っていたのは本当に幸いでした。この作品もパラマウントです
しね。雪洲の「アラビアン・ナイト」なんて、特に見たい1本です。
537:02/08/03 22:48 ID:QjaPOn8h
1924年のフランス映画「犠牲」も70年の時を経て、1993年に修復、公開されました。
私、未見ですが、この作品について蓮寶重彦は以下のようなコメントをしています。
「35歳の主演作「犠牲」の早川雪洲はまさに男盛りのスターとして揺るぎなく輝いている。
ハリウッドで多くの女性ファンを惹きつけていた時代のやや誇張された東洋趣味はここには
ない。パリの社交界の華麗な男女に囲まれ、寡黙な日本人をごく自然に演じているその
落ち着き払った振る舞いに接して、この神話的な大スターの魅力に初めて触れた思いが
したのである」
うーん、「犠牲」見てみたい作品です。
538名無シネマさん:02/08/04 15:29 ID:OUz+yEOs
hage
539名無シネマさん:02/08/04 16:12 ID:iQd/IeSA
10年前くらい、竹橋のフィルムセンター(美術館講堂)でよく映画をみていたとき
雪洲の近所にすんでいたというおじいさんにあったことがあります。たちぎぎしているかぎり
むちゃくちゃ映画に詳しそう(それこそ蓮実class)でした。昔、名のある人だったのかもしれません。
540:02/08/04 22:06 ID:POTo+HHr
<<539
フィルムセンターの雪洲特集って、かなり著名な方も来ますよね。6〜7年ほど前の
上映時には宮崎駿らしき人も来てましたし。フィルムセンターでのサイレント上映は
セキひとつできないような雰囲気で、結構緊張しながら見てしまいますね。
1回、咳を5連発くらいしたら、前後から睨まれましたから。弁士+BG付きだと
よさようですが。
そのおじいさんは、もしかしたら息子の雪夫氏だったりして。LAではいろんな場所に
顔を出しているようで、唯一の生き字引といえます。
541:02/08/06 01:13 ID:CS9Uqt8M
プレミア日本版で「現貨幣価値換算の全米興行成績TOP100」という特集が組まれて
います。1位はダントツで「風と共に去りぬ」なのですが、この中に2本雪洲作品が入って
います。「戦場にかける橋」と「南海漂流」がそれで、いずれも3億ドルを突破しています。
まあ、同じ年で比べられないので、一概に何が凄いともいえないんですが、例えばこの2作は
「T2」なんかよりは上なんですね。三船の作品は入っていないことを考えても、やはり
凄いことです。まだ劇場自体が少なかった1910〜20年代の作品は物理的にここには
入ってきませんが、公開規模を推定すれば、「国民の創生」も「チート」も当然上位に
食い込んでいたはずです。唯一ジャッキー・チェンの「ラッシュアワー2」が2億ドルを超えて
おり、雪洲の興収に少しは近づいたかなという感じですが、雪洲のハリウッドの力を
証明するデータではあります。
542 :02/08/06 01:21 ID:UFZp2IZc
あの時代の感覚もあじわわせわの
543:02/08/07 00:50 ID:0012OT8l
1939年のフランス映画「マカオ」のポスターは雪洲と、エリック・フォン・
シュトロハイムが並列に扱われています。雪洲が監督も務めたに等しい作品だけに
(監督はジャン・ドラノワだが、雪洲のプロ製作のため、雪洲色が強い)、当然と
いえば当然ですが、ヨーロッパ映画で日本人がビリングのトップに来ているポスター
は珍しいでしょう。このあと、大日本帝国は戦争状態になるため、雪洲も本格的な
作品が撮りにくくなりました。フランスで活動はしていたものの、世の中が「復帰」
と認めたのは、ボギー主演の1949年「東京ジョー」でした。
544:02/08/07 23:17 ID:i94Ed548
「法廷シーン」といえば、アメリカ映画ではおなじみですし、日本映画にも「東京裁判」という
名作があります。雪洲もアメリカ独特の陪審員スタイルがお気に入りだったのか、
法廷シーンのある作品が少なくありません。裁判所で白人に袋叩きにあう問題作「チート」
を筆頭に、前述の「犠牲」や「タイフーン」でも見られます。「タイフーン」に至っては、
後の大監督、阿部豊の処刑シーン(公開首吊り)まで付いているサービス(?)ぶりでした。
このシーンなどは「魔女狩り」なんかも想像させます。
1910年代から盛んに登場しているということは、当時から裁判自体が面白いものだった
のでしょう。
545:02/08/09 02:34 ID:fbCmxMsz
石坂浩二が「水戸黄門」を降板した理由は、もちろん病気もあるでしょうが「東映
太秦撮影所にはこのご時世にエアコンがない」ことも大きなこととされています。
京都でエアコンがないのは、やはりきついでしょう。「蒲田行進曲」なんて、冬なのに
熱そうですし。いまだに「カツドウ屋」魂が宿る場所が太秦なのでしょう。
反面、ハリウッドのスタジオは寒いくらいに冷房が効いています。もともと倉庫風の仕様
は共通なので、どちらも熱いのですが、その思想が異なるのかもしれません。
また、ハリウッドは熱いですが、湿気が少ないため、日本(京都)ほどの熱射を浴びない
のもトクなのでしょう。
546名無シネマさん:02/08/09 02:52 ID:0pTJV5QR
>>545
>「東映太秦撮影所にはこのご時世にエアコンがない」
そんな調子だから、京都のスタジオに仕事が入らなくなったんだなあ。夏の
盛りのスタジオにギンギンの照明・・・何人の役者やスタッフが、命を縮めた
ことであろう(涙)
>「蒲田行進曲」なんて、冬なのに熱そうですし。
言わずもがなですが、撮影したのが夏でしたからねえ、あれ。
547:02/08/10 21:32 ID:UNOVp/zA
数年前まで鎌倉(というか大船)にあった「松竹鎌倉シネマワールド」は、非常に
へんてこなテーマパークもどきでしたが、松竹大船撮影所は歴史のあるところでした。
もともと大船地区は別荘地として開発されたため、区画整備もできていたことから、
松竹もこの地を選んだんでしょう。いまや鎌倉女子大学になりつつありますが。
唯一「松竹」の名前が残っているのがイトーヨーカドーと三越が入る「松竹大船ショッ
ピングセンター」だっていうのも寂しい話です。俳優やスタッフたちが好んだ食堂などは
まだありますが、撮影所撤収後は、「映画スターうんぬん」という看板は外されて
しまいました。京都と鎌倉に撮影所があった日本映画界はそれなりにカッコ良かった
んですけどね。もはや鎌倉はなく、京都も冷房もない寂しさです。
ちなみに雪洲が帰国第1作として監督・主演した「太陽は東より」は、松竹蒲田で
撮られました。
548:02/08/11 22:54 ID:daJc+G8s
雪洲が「マカオ」で共演したエリック・フォン・シュトロハイムは映画監督・怪優と
して知られています。スーパースター同士の共演「マカオ」はオリジナル版が見たい
ものですが、このシュトロハイムは1915年の問題作「国民の創生」の助監督としても
知られています。ヒトラーとケンカして米国入りしていたわりには、KKK団賞賛の
「国民の創生」に携わるなど、当時としては「骨太」な俳優・監督でした。
549:02/08/13 01:21 ID:UINXkis/
松竹大船にいちばん縁があるハリウッド関係俳優は、雪洲ではなく、上山草人です。
草人はハリウッドで名をあげた(今でいうジェラール・ドパルデュー程度の成り上がり
でしょうか)あと、松竹大船の看板スターとして何本も主演作を撮りました。
ところが、特異なキャラで名をなした草人だけに、松竹での普通のスターは合うはずもなく、
どれもこれもヒットしませんでした。主役から脇に回り、そのうち松竹大船から
去っていきました。晩年はかなり厳しいもので、黒澤、稲垣の作品に出るころには、
とても三船の共演者というものではなく、何で出たの?的なところまで行っていました。
ただし、日本での最盛期は大船で過ごしていたわけであり、東京撮影所の多かった雪洲
とはここでも異なっていました。
550:02/08/13 23:52 ID:buGrkv6a
日本のイメージでよくいわれるのが「ゴジラ&ゲイシャ」です。オースティンパワーズ
の最新作でも、かなりいじられてるみたいですし。
その他の作品でも、多くは戦争ばかりです。でも、それ以前は冷戦時代のロシア並みの
憎まれ方でした。いま見れる「日本の血気」なんかは「ゲイシャ、ゲイシャ」などという
おちゃめなイメージはどこにもありません。007で叩かれるソビエト並みに恐怖の対象
でした。ま、そんななか、天皇のポートレートが飾られている部屋などのシュールな
光景も出てきますが、少なくとも映画自体はものすごくマジでした。
雪洲が君臨してからたった20年で、こうも変わる評価ってのも凄いですが、この段階で
日本人がヒーローを演じる機会はなくなったのかもしれません。そのあとはある意味
「お笑い」の対象になってしまい、さらに主役級のチャンスは減りました。
551:02/08/14 23:16 ID:G6l4qqaU
雪洲がハリウッドを去って7年後の1929年5月19日、ルーズヴェルトホテルで
第1回のオスカー授与式(というか200名しか参加しないお食事会)が行われました。
ホストは雪洲とパラマウントで数多く組んだウィリアム・C・デミル監督が務めました。
1回目ですから、以前書いたようにサイレント俳優の「ご苦労さん」受賞も多かったの
ですが、この年、チャップリンも特別賞をもらっているんですね。しかし、本人は
会場に姿を見せませんでした。理由は簡単、「少数の人間が決めた賞など、たいした名誉
ではない」というものでした。世界のマーケットに出ている俳優が、アメリカ国内の食事会
なんぞに出るか、というのも当時では理解できますね。雪洲なんかも案外受賞拒否したかも
しれません。
552:02/08/15 23:54 ID:ykb7mOhX
雪洲とチャップリンにはタカ派のイメージがありません。かといって左派を気取っている
わけでもなく、「時代をまっすぐに見てきた二人」なのだといえましょう。
アカデミー賞への初期の拒否反応をはじめ、チャップリンの「独裁者」や「モダンタイムス」
雪洲の「スリー・ケイム・ホーム」などに見られる強烈な反戦性もどこか共通なものが
あります。サイレント初期からライバルであった二人は、どこか生き方も似ていました。
女好きな面も含めて、仲が良かったのでしょう。事実上「殺人狂時代」でそのキャリアを
ほぼ終えたチャップリンがなぜいまもヒーローなのか。あのヒゲはフェイクでした。
ナマガオの雪洲に比べて、チャップリンは「道で会ってもわからない」仮の姿だった
のです。「ライムライト」は晩年の傑作ですが、ヒゲのないチャップリンにはどこか
違和感がありました。でも、1947年までのキャリアで歴史上に残る俳優になって
いるのですから、雪洲復権(特に日本でね)も国を挙げて実現してほしいです。
チャップリンと同格のスターだったのですから。
553:02/08/16 22:22 ID:pSnNBDoZ
雪洲は晩年も「怒れ!力道山」などで悪役を演じていますが、とても「チート」のキレ
はありませんでした。エンタテインメント性が高くなったのは否定できませんが、
日本というのは、功労者に対しては悪い役をつけたがらないヘンな国です。
ローレンス・オリヴィエが完全復活した「マラソンマン」のヒールぶりのカッコいいこと。
あのころ、余命半年といわれていたオリヴィエが「安全か?」の拷問ひとつで心身まで
回復、半年どころか10年以上も生き長らえましたよね。それもピンピンして。
おかげで三船も共演できたわけで、雪洲もこんな役を演じてほしかったですね。
斎藤大佐役は煮え切らない役で、ヒールとは言い切れないものでしたし。
554:02/08/17 22:24 ID:TUswz1F3
雪洲の日本映画というのは、どのくらいヒットしたのでしょうか。邦画は戦後しばらく
するまで「年間興行成績トップ10」みたいなものがなく、雪洲の30年代の作品や、
尾上松之助作品なども公式な記録がありません。わかっているのは雪洲作品はただ1本、
1950年の「レ・ミゼラブル」が配収4,365万円で第7位に入ったものだけです。
現状の貨幣価値で3〜4億円でしょうか。その後の新東宝作品や東映作品では1本も
その年のトップ10にはでてきません。もちろん、全世界規模でみれば「戦場にかける橋」
や「南海漂流」「緑の館」などがブレイクしていますので、映画ファンからみて「過去の
人」という感じはなかったでしょうが、もう少し日本でも大作に出たほうがよかったのかも
しれません。「友情出演」の類いは一切NOだったようですから、雪洲を活かす大作をスタジオ
も用意するべきでした。
555:02/08/18 23:01 ID:1Z65L2rM
1961年公開の「The Big Wave」(邦題:大津波)は、共演者が伊丹
十三、ミッキー・カーチスというのを見て、てっきり「ビッグ・ウェンズデー」みたいな
海映画かと思っていましたが、日本の漁村を舞台にした恋愛もののようです。
日米合作で、監督はタッド・ダニエルスキーなのですが、どうやら宮崎の青島でロケされた
和製洋画のようです。と、ここまで書いていて思うのは、こんなストーリーは1913年の
「火の海」でもあったなあ、ということです。噴火と津波が違うだけで、流れも似ています。
かつ、津波のSFXが大御所・円谷英二というのも気になるところです。
この作品も40年が経過し、どこにあるのやら・・・の世界ですが、公開は東宝系でされた
ようなので、どこかで上映して欲しいですね。雪洲の役柄も不明です。
556名無シネマさん:02/08/19 18:08 ID:2BgbZPOj
はさん、おつかれさまです。
557:02/08/20 00:00 ID:hzPTySqT
<<556
何だかこれに書き込むのが日課になってもうすぐ1年になります。1000までは
ネタありそうですので、もう少しがんばります。
やはりLAで直に感じたことが大きいですね。NYではこの感覚が出てきません。
同じロケ天国なのに、なんででしょうか。NYはビジネスをするならいいところでしょう。
LAとNYに支社を持つ会社だったら、勤務は絶対NYを選びますから。LAは
「映画」「日本」に触れられる街なので、サンタモニカ、ビバヒルなども含めて
「住みたい」ところなのかもしれません。ヨーロッパは行ったことがありませんが、
「ローマの休日」でのロケ先、片っ端から回りたいですね。ただし、この感覚はNY
に近いもので、FAOシュワルツに行って「シュワがターボマンを争った店だ」と
思いますが、それだけ。絵葉書に等しいのかもしれません。
LAは映画好きの人には温度が合うのでしょう。LAで映画関係の仕事をして、ウエスト
ハリウッドの部屋を借りる、なんてのが一番いいスタイルです。個人的には。
近くにフード&ドラッグもあるし。雪洲が活躍していたころはウエストハリウッドあたり
は「ド」田舎だったはずですが、いまはカッコいい通りですよね。日本でいうと、
本牧(横浜)の感じが似ていると思います。
558:02/08/20 23:31 ID:7/TXcGDz
昨年の第54回スイス・ロカルノ映画祭で、「ハリウッドのアジア人」という特集上映が
あったそうです。ゲストとしてタムリン・トミタとジェームス繁田が招かれ、雪洲作品から
ジョン・ウーまでバラエティ豊かな特集だったようです。このような特集こそ東京国際映画祭
でやるべきだと思うんですけれど、どうでしょうか。雪洲の「ラ・バタイユ」などは
東京国際で上映されましたが、他に草人や三船、MAKO、アンナ・メイ・ウォンなどの
作品も集めて、ゲストにショー・コスギやジョージ・タケイ、チャン・ツゥイーなんかを
呼んだら盛り上がると思うんですが。少なくとも全米で外した「マイノリティリポート」
をオープニングに持ってくるよりマシでしょう。
559:02/08/21 23:07 ID:B3Oev0T/
ルドルフ・ヴァレンチノは大スターではなかった、という話があります。もちろん、
早く逝ってしまったため、作品も多くは残せませんでしたが、それよりも当時は
男性映画ファンはヴァレンチノにソッポを向いていたようで、ひがみといえばそれまで
ですが、あまりに容姿優先の作品に出すぎたのも原因かもしれません。雪洲はああ見えて
老け役や悪人を演じていましたからね。J・ディーンも単なるアイドルではなかったこと
は、ヴァレンチノより少ない出演作をみればわかります。
セックスシンボル的な売り出し方は、今も昔も限界があるのでしょう。でも、もし
70歳までヴァレンチノが健在であれば、オスカーを獲る名優になっていたかもしれま
せんしね。いずれにせよ、早すぎる死でした。
560:02/08/23 00:13 ID:+VoxYrCd
やはりサイレントとトーキーの差は大きかったようですね。雪洲も1931年の「龍
の娘」で発音を叩かれましたし、ハロルド・ロイド・バスター・キートンといったコメディ
の名優もパタリと評価がなくなりました。ヴァレンチノもトーキー時代から脂が乗る時期
のはずで、どちらに転んでいたかはわかりません。「伝説」で終わっている現在の
キャリアが「凋落」の烙印を押されていたかもしれませんし。
サイレント俳優で長い映画人生を送れたのは本当にチャップリンと雪洲、それとL・
ギッシュくらいです。「現役」という意味では雪洲が最長じゃないでしょうか。
「国民の創生」と「八月の鯨」に出たギッシュはその差70年ですけど、間がけっこう
抜けてますしね。やはり雪洲はもっと日本で評価されるべきです。
561名無シネマさん:02/08/23 00:16 ID:t+mTZF2a
こないだ夜中にやってた映画に出てた。でも眠気に勝てなかった…
562:02/08/24 02:45 ID:OqFMUBfn
<<561
え、なんの作品でしょうか。見逃してしまいました。確かに雪洲作品はぐいぐい行く
作風が少ないので、眠い時間にOAするのは間違いかも。
563名無シネマさん:02/08/24 03:10 ID:krgvLvHQ
初めて先日婦人科検診に行きました。
クリトリスや膣口を念入りに消毒され、先生が指を入れてグニュグニュしてきました。
診察なので別にその時は変な感じはなかったのですが
少し時間が長いかなぁと思っていると、先生の指が微妙にゆっくりと
ピストン運動をしていたのです。
私は恥ずかしいのと気持ちいいのと腹立たしいのとが一緒になり
頭が混乱し、固定されていた足をバタバタ動かしました。
すると先生はすぐに指を抜き「ごめんねぇ、もう少しがまんしてねぇ」
と言いながら、ゼリーのようなものをクリトリスに塗り始めました。
もうその時点で膣口付近は濡れてベトベトだったと思います。
下半身がしびれてしまい、すぐにオナニーをしたいような状況でした。
先生は「ここ痒いでしょ、少しかぶれてるみたいだから薬塗っときますね。」
と言いクリトリスを念入りに指で摘みながら揉んできました。
たしかに最近クリが痒かったので納得したのですが
先生は皮まで剥いて激しく揉んでくるので、私は声を抑えるので必死でした。
かなり濡れているのが自分でもハッキリ分かって、お尻に液が垂れる感じがしたとき
「グボボボボ」と音がして掃除機のようなもので液を看護婦さんが吸い取りました。
自分の状況がとても恥ずかしいと思い「先生、も、もういいです」と言いました。
先生は「はいはい、もうすぐですよ」と淡々と言いながらクリトリスを揉みしだいています。
恥ずかしいので絶対逝ってはいけないとして我慢しました。
やっと診察が終わり、すぐにトイレに駆け込みオナニーをしました。
10秒ほどで逝ってしまいました。
翌日、会社の同僚にこのことを話すと「それ絶対変だよー、そんなことする医者いないよ」
と言われました。あの医者はやはり私で遊んでたのでしょうか、とても悔しいです。
チンポボッキーしたら掲示板に記念カキコしてねん。
http://jbbs.shitaraba.com/computer/bbs/read.cgi?BBS=2784&KEY=1029503890
564:02/08/24 23:10 ID:IM9NVibq
グリフィスの「国民の創生」、日本ではユナイト日本支社が配給しました。当時ユナイト
は丸の内の三菱ビル別館にあり、考えてみれば超一等地に構えていたんですね。
今でこそユナイトはMGMの子会社になってしまいましたが、当時はチャップリン、グリフィス
フェアバンクスを抱える最大のハリウッドメジャーでした。この宣伝ポスターがまた
凄いことになっていて、思い切りKKK団の絵なのです。人間はおろか、馬までマスク
をかぶっており、おいおい、という出来になっています。70年後に「ミシシッピー・
バーニング」が作られるとは、まだこの時点では考えられないことだったのでしょう。
KKK団がヒーローの作品なのですから。
565名無シネマさん:02/08/25 01:35 ID:1ggW2S5H
「は」様、563は削除依頼を出された方がよいのでは・・
566:02/08/25 21:45 ID:wCuzILo0
>>565
そうですね。いつ雪洲が出てくるのか、最後まで読んでしまいました。他のスレッドには
書き込まれてないようですし。こういうのは違う板で楽しんでもらいたいと思います。

567:02/08/27 00:04 ID:IXeirjiP
雪洲の絶頂期(1910〜30年代)、日米の移動は当然ながら船だったわけです。
成田ーLAXで10時間もかかるのに、船旅というのは大変だったでしょう。
大洗と苫小牧だって19時間ですから。さんふらわあはそれでもゲーセンとかバイキング
レストランとかありますけど、当時はどうだったのでしょう。「タイタニック」が
ちょうどこの頃ですから、最高級があのレベルだったということです。雪洲のこと、
チンケな船で来るとは思いませんが、今なら自家用ジェットとか買いそうですね。
雪洲の船はよく横浜に来ていたようです。あの大桟橋に降り立ったというのも、
異国情緒漂う横浜というのも雪洲らしいイメージでした。
568:02/08/28 00:49 ID:kKkraSVj
雪洲は日本人ばかり演じていたわけではありません。前述した「末裔」でのインディアン
役や「南海漂流」の国籍不明の海賊役など、明らかに本人が面白がって演じたものも
多いですが、当時の日米関係の緊迫さに勝てず、今でいう中国人役も数多くあります。
パラマウントの初期作品でもいくつか見られるのですが、これは「チート」で同胞から
叩かれたことが響いていると思います。雪洲と入れ替わりでハリウッドにやってきた
上山草人などは、ほとんど日本人はやらなかったようですし。
アメリカ人俳優が日本を基点にして人気が出た場合、イギリス人を演じることはあっても
それ以外の役柄はやりたがらないはずです。M・ブランドやS・コネリーは挑戦してます
けどね。それを考えても、実にやりにくい時期に雪洲はアメリカにいました。
去る理由もそこにありましたが。草人の場合、時期は「最悪」だったかもしれません。
569:02/08/29 00:46 ID:Y4Xm4uCW
雪洲は北海道とは縁がありません。現存しているフィルムを見ても一切出てきませんし、
またそういう話もありません。寒いのが苦手だったのでしょうか。でも、夏は快適ですし
ね。九州は「火の海」「ラ・バタイユ」で登場しているので、北海道も何らかなかった
のでしょうか。
570:02/08/31 02:37 ID:G2G5n33D
トム・クルーズの「ラスト・サムライ」、相手役を渡辺謙が演じることになったようです。
新聞には「第二の三船敏郎」と書かれていましたが、どうでしょうか。
571:02/08/31 23:43 ID:7ekQs2DB
「ラスト・サムライ」に真田広之も出演するそうですね。また、原田眞人も俳優として
クルーズと絡む、とのことで、どんな映画になるのでしょうか。
雪洲、草人、三船、コスギ。少なからず主役として成功した日本人俳優はこの4人くらい
です。高倉健も単発ですし、どのみち脚本がヘンテコになるので、出たがらない俳優も
います。小林薫が「ブラック・レイン」を断ったのもそんなような理由でしたし。
真田広之は中国(香港)作品はありますが、ハリウッドは初めてのはずです。
クルーズとも合いそうな感じもするので、ちょっと期待しています。
572:02/09/02 07:54 ID:/i2ki1OO
雪洲はけっこう時代劇にも主演していますが、見るところ「殺陣」は上手くなさそうです。
アラカン共演の「鞍馬天狗と勝海舟」しか見たことがありませんが、斬られちゃいそうな
立ち回りでしたし(主役なので当然勝つんですけど)。阪妻なども「勢い」の殺陣でした。
「決闘高田馬場」なんかはフィルムも早回しですし、50年早い「マトリックス」みたいな
作品でした。東映の右太衛門、千恵蔵は現在のTVドラマ的な殺陣でしたので、あまり
迫力がありません。「殺陣」といえばやはり三船でしょう。黒澤以外の監督作でも決まって
いました。現役では唯一、鬼平こと中村吉右衛門でしょうか。右太衛門的なセリフ回しと、
三船にも負けない立ち回りはやはり第一人者でしょう。T・クルーズもこういう名優を
キャスティングしてほしいものです。
573名無シネマさん:02/09/02 10:32 ID:In8eBr08
>572
ヴァカ
574名無シネマさん:02/09/04 07:12 ID:NNwaoVWl
毎日の日課にしていた、は さんの雪舟情報が止まってる…。
ちょっと心配。

は さん、ヴァカはほっといて(w、また続き書いて下さいね〜(´∀`)
575名無シネマさん:02/09/04 07:53 ID:/eF6P1rV
じゃ逝ってきます
576:02/09/05 00:53 ID:DqRn4Aqm
すみません、ちょっと「島」におりまして、圏外のことが多くて書き込めませんでした。
帰ってきましたので、また続けます。ドコモは大丈夫なのに、AirH’’はダメ
でしたね。
ところで、573さんの「ヴァカ」の意味ですが、ひょっとしたら東映時代劇を下に見ている
ように捉えたからかも知れないと思い、ちょっと付け足しです。東映の2大巨頭は旅役者
みたいなところから「大東映」の役員にまで登り詰めた「ジャパニーズドリーム」の体現者です。
千恵蔵は私が考える邦画TOP5に入る大傑作「鴛鴦歌合戦」がありますし(日活ですけど)、
右太衛門は「明るい時代劇」で売りました。「殺陣」の面ではちょっと物足りなかったかな、
と思いますが、そんなような意味合いで書き込みました。千恵蔵と雪洲も「忠臣蔵」で顔を
合わせてますしね。
577名無シネマさん:02/09/05 01:32 ID:U9qnT5Tu
完全なるスレの私物化か...
578名無シネマさん:02/09/05 11:42 ID:Z+PeUgY1
>577
「スレの私物化」とは、独善的で無意味な内容の文章を書き綴った上、
他人の書込みを阻害しようとする行為をいう。
よって、このスレには全く当てはまらない。
しかもこれは非常に濃い内容の優良スレだ。
映画ファンならば、日本が世界に誇る映画スターに関しての高度な内容の
文章をただで読めることを、はさんに感謝して欲しい。
映画板の住人にとっては、荒らしもあまりなくこのスレが続いていることを
大いに誇りにしたい。
579武田信玄餅:02/09/05 16:03 ID:Zc4LVRoT
アメリカ映画の父と呼ばれるD.W.グリフィス。
フェアバンクス、メリー・ピックフォード、シュトロハイム、
マック・セネット、ヴァレンチノと初期の映画スターのほとんどは
この人の下で仕事をしてますよね。
チャップリンとはUA設立に携わっているし。
とすると、雪洲とグリフィスの関わりって何かあったんでしょうか?
ちょっと気になります。
580名無シネマさん:02/09/05 16:12 ID:NSy/JkP+
>>1
もう満足しただろ
続きは自分のサイトでやれや
581名無シネマさん:02/09/05 17:51 ID:sUf8wKLi
>>580
嫌なら読まなきゃいいだろ
楽しく読んでるこっちが不愉快になる
582名無シネマさん:02/09/05 17:56 ID:4YIxM/uO
>>580
氏ねやおまえ!


はさん、これからも楽しみにしてますよ。1000目指して頑がれ!
583:02/09/05 22:28 ID:k5pwi4ms
>>580
「自分のサイト」って、無いんです。かといってこの書き込みも私物のつもりはないんですが。
雪洲や創世記の映画界の情報を得られれば、というのが主旨ですし。
>>579
同時期にハリウッドを背負っていた2人ですから、大いに交流はあったはずです。
UA作品のD・フェアバンクスのドキュメンタリーにも雪洲は顔を出してますしね
(フィルム無い模様)。グリフィス門下のエリック・フォン・シュトロハイムは
フランスで雪洲と仕事をしています。ただし、雪洲はもうひとりの大物、トーマス・
インスのもとにいましたので、なかなか監督作に出演というのは叶いませんでした。
パラマウント所属期間もすれ違いでしたし。でも、グリフィスは1919年に名作
「散り行く花」を撮っており、リリアン・ギッシュの相手役は雪洲と組んで欲しかった
ですね。R・バーセルメスの「吊り目中国人」は名作のなかでいつも違和感爆発です。
雪洲がこの悲劇の主人公を演じていたら、代表作のひとつになっていたでしょう。
まあ、UA作品ということだけでたぶん実現不能だったんでしょうけど。
584:02/09/07 00:08 ID:5VO6qZqd
戦前、雪洲以外でハリウッドにもっとも近づいた俳優は、松竹の鈴木傳明でしょう。
傳明はもともとスポーツを得意とし、明大在学中に「松竹キネマ研究所」の門を開き
ました。当時この研究所にいたのが、雪洲作品でもおなじみの俳優(というか、日本
ではカメラマンとしての名声が響いていますが)、ヘンリー小谷であり、傳明はこの
出会いにより映画界への道を志します。雪洲が横浜港に帰国した際にも、傳明は草人
とともに出迎えていますし、ハリウッドへの思いが強い俳優でした。
585武田信玄餅:02/09/07 20:24 ID:2EF+eq/e
昨日BSで「七人の侍」やってましたね。
冒頭のほうの木賃宿の場面に琵琶法師の役で上山草人が出演してました。
僕にとっては草人もなかなか興味深い俳優です。
一時期僕も色々探して見てみました。

遺作がアカデミー賞取った「宮本武蔵」というのが泣けてきます。
ハリウッドでも高く評価された作品ですから、
かつての草人ファンで観た人も多かったでしょう。
そういう人でも草人が出演していたことに気づくのは難しいでしょうね…。
なんせ、武蔵の故郷の老人というちょい役で台詞も一つしかないし。
586:02/09/08 00:10 ID:N5WOQLS1
>>585
草人はその特異なルックスで、ハリウッドで一定の評価を得ました。いま見ることが
出来るのは1926年の「バグダッドの盗賊」くらいのものですが、D・フェアバンクス
と互角に渡り合う作品が残っていたのはラッキーでした。ただし、その成功が邪魔をして、
ステレオタイプ的な役柄が多くなったのもまた事実でしょう。アラカンを向こうに
回しての敵役(アラカンの鞍馬天狗もの)もおんなじ味の演技でしたし、逆に普通の
主役作品では物足りなく、ヒットしませんでした。草人は雪洲に大変なライバル心を
持っていました。単に興行収入の差ではなく、演劇出身の草人としてはにわか勉強で
大スターとなった「運」を妬んだのだと思われます。
「七人の侍」の琵琶法師はそれとわかりますが、武蔵の草人は別に草人じゃなくても
いい役回りでしたね。でも、黒澤も稲垣も往年のハリウッドスターと仕事がしたかった
んでしょう。「オールウェイズ」のスピルバーグとヘプバーンみたいなものでは
ないでしょうか。
587:02/09/08 21:47 ID:jRkE3TUo
鈴木傳明は雪洲や草人、ヘンリー小谷などと交流があったことから、1929年に来日
したD・フェアバンクスのホスト役を務めます。これが縁となり、傳明を気に入った
フェアバンクスが傳明をハリウッドに連れて行きました。目的はトーキー時代の新日本人
スターとして売り出すためです。傳明は写真を見る限り雪洲タイプの顔でしたので、
旧知の雪洲とフェアバンクスが仕掛けたのかもしれません。順調にいけば、傳明は第2の
雪洲になるはずだったのです。ところが、好事魔多し。フェアバンクスはこの計画を推進中
の1929年12月に心臓麻痺で急死してしまいます。結果、傳明のアメリカ進出は夢と
なりました。松田優作を連れ回したM・ダグラスは優作に先立たれてしまいましたが、
このケースは連れまわしていた方が逝ってしまったことが不幸でした。雪洲もこの頃は
ハリウッドに足場を置いていませんでしたし。傳明は失意のなか帰国、1950年代まで
日本映画に出演しました。
588武田信玄餅:02/09/08 23:57 ID:ft3LXQx+
>>586
草人の場合、新劇でそれなりの実績をあげているだけに、
ぱっとでの雪洲にライバル意識を持っていたんでしょうね。
しかし、それにしては草人の演技ってあまり上手に思えないんですよね。
なんか、しゃべり方に癖があるっていうか…。
「赤西蠣太」の按摩師安甲役が草人の後年の代表作だと思いますが、
台詞が妙に不自然だったように記憶してます。
トーキー以降急激に落ちぶれたのもその辺が原因だったのかなって、
私は思ってます。
589:02/09/09 23:08 ID:RQJCWXKE
>>588
同意です。でも、草人は頭が良さそうでしたので、「赤西蠣太」のころ(1936年)
には芸風をハリウッド時代の「謎の中国人」タッチに戻していたのかもしれません。
そうならば「確信犯」ですよね。もともと草人は1931年に帰国した際、松竹から
大俳優の扱いで迎えられました。帰朝第1作というフレコミで公開されたのが、蒲田の
「愛よ人類と共にあれ」でした。でも、ダメだったんですね。入りが。だんだん特級の
扱いが1流に、2流にと落ちていきます。「赤西」は草人初の日活出演(製作は千恵蔵
プロ)であり、心機一転で芸風を戻したのではないでしょうか。晩年は歯を全部抜き、
「クシャおじさん」のような荒芸で登場していたという草人。この頃の作品は未見ですが、
恐らく鬼気迫る演技だったのでしょう。「七人の侍」も歯、なさそうでしたしね。
590:02/09/11 01:10 ID:MgA4w164
雪洲は自書で「いきなり週給500ドルでデビュー」したと書いていますが、世の中
そんなに甘くありません。恋人だった青木鶴子のほうがハリウッドでは著名であり、
雪洲が助演だった時代もあるのです。雪洲はデビューを1914年としていますが、
その前年、1913年ころの話です。雪洲の公式フィルモグラフィーには出てこない
鶴子主演の「おミミさん」が公開された年ですが、この当時のトップスターは西部劇
の大スター、ウィリアム・S・ハートで週給300j。次いでチャップリンが250j
で追いかけていました。では、鶴子や雪洲はどうだったのかというと、鶴子が週給45j、
雪洲が週給40jでした。この頃の標準的なギャラ(20〜50j)のなかに所属する
普通の映画役者に過ぎなかったんですね。でもこのあと、パラマウントでブレイクし、
5年後にはチャップリンに次ぐ週給を得るトップスターになるのですから、本当にわから
ないものです。
591:02/09/12 00:17 ID:PdxszP9G
雪洲の本分は人生が「できるかできないか」ではなく、「やるかやらないか」というのを
機軸に置いて来たことでしょう。雪洲の成し遂げてきたことは「できるかできないか」
の判断で見れば、ほとんどが「出来そうにない」事柄ばかりでした。アメリカへ渡ったことも
芝居に憑かれたことも、ハリウッドで頂点に立ったことも、いきなり離れたことも、
ヨーロッパに活躍の舞台を移したことも、パリで放浪したことも、日本で揶揄された
創世記のTVドラマに出たことも、「やる」と決めてかかったから成功したのだと
思います。最近の日本人にかけた「肝」を雪洲は持っていたんでしょう。
592武田信玄餅:02/09/12 00:32 ID:dRJYn6wO
早川雪洲の墓は世田谷の松陰神社にあります。
先日、行ってみました。
神社には何の表示も案内もないので、
しかたなしに、かたっぱしから墓石を探してみたところ、
入口近くにあっけなく発見してしまいました。
「早川」と大きく書かれた墓標。
早川金太郎とその妻ツルの二人が眠っているのです。
それにしてもかつての国際的大スターがここに眠っていることを
どれだけの人が知っているんでしょうか?
ちょっぴり切なくなります。
593:02/09/12 23:17 ID:T/1jHmGi
>>592
松蔭神社のお墓は、写真でしか見たことがありません。でも、雪洲のお墓を知っている
人なんて、本当に少ないのではないでしょうか。三船や渥美清の時はスポーツ紙の1面
を飾り、一般誌も社会面を独占しましたが、雪洲の時はどうだったのでしょうか。
本来、教科書に出てきてもよい功績をあげているのに、日本人から「ウケ」がよくなかった
ことだけでほとんど無視されています。非常に残念なことですね。
594:02/09/14 00:15 ID:a36fjoV6
D・フェアバンクスの当たり役は草人共演の「バグダッドの盗賊」におけるアラビアン・
ナイトもの、ならびに「怪傑ゾロ」あたりですが、雪洲もダグより4年早く「アラビアン・
ナイト」を映画化しています。日本の尾上松之助もそうでしたが、この頃は、とにかく
ヒーローものに人気が集中していました。「チート」におけるダークヒーローまで
含めて、とにかく熱狂していたようです。日本人は割合と静かに映画鑑賞をしますが、
アメリカはかなり騒がしい。その原点もやはりこの時代にあるのでしょう。
595武田信玄餅:02/09/14 01:05 ID:/7/1ICLB
フェアバンクスは映画でいろんなヒーローを演じてますね。
「奇傑ゾロ」とか「ロビン・フッド」だとか「三銃士」のダルタニャンとか…。
でも何演じても結局フェアバンクスにしか見えないんですよね。
まあそれが安心して観られる理由なわけだけど。
596:02/09/14 22:46 ID:nnsTa5SH
「同じ役」といえば、チャップリンもそうですね。いつも「放浪者チャップリン」の
役でしたので、いわば「寅さん」の先輩のような感じでした。このスタイルを崩した
のが「独裁者」であり、かねてからの反骨精神が具現化された作品でしょう。「殺人狂
時代」も新生チャップリンを演じたものですが、このあたりから当たらなくなってきた、
すなわち、観衆は「放浪者チャップリン」が見たかったんですね。
フェアバンクスはこのあたりに最も敏感な俳優だったのかもしれません。観客の望む
ステレオタイプを好んで演じていたのでしょう。雪洲も、そのマチネー性自体が大きな
ステレオタイプでしたし。
597:02/09/15 21:10 ID:RJ5P3D0l
1937年の独逸=JO合作「新しき土」は、オール日本ロケで撮られていますが、
JOスタジオは現在、大日本印刷京都工場の敷地にありました。もとの株主は大沢商会
で、トーキー用の貸しスタジオ業が発祥です。この「大沢商会」、あのゼロハリ輸入先の
大沢商会なのでしょうか。だとしたら面白い組み合わせでしょう。
山中貞夫の「河内山宗俊」もここで撮られました。JOは「新しき土」のあと、PCL
と合併して「東宝」となりますが、しばらくはここは「東宝京都撮影所」として継続した
ようです。
598:02/09/16 22:30 ID:dmSGiWwg
三船と草人は黒澤、稲垣作品で顔を合わせています(一応ね)が、両作品のスタッフ
は雪洲と仕事をしたことはないと思います。逆に、雪洲とコンビだったデミルの作品に
は三船・草人ともに出ていません。主要なスタッフでこの3人と仕事をしたことがある
のは、撮影監督の中井朝一くらいでしょう。黒澤組で有名ですが、新興キネマの時代も
長く、「人妻眞珠」で草人と、「日蓮」で雪洲と組んでいます。3人のいずれかが
チョイ役で絡んでいたものなら、探せば数人いるかもしれませんが、主演級で3人と
絡んだのは中井だけです。どこかでコメントでも残していないものでしょうか。
599:02/09/17 22:35 ID://Lawx0i
ルドルフ・ヴァレンチノの本名はけっこう凄いことになっています。ルドルフ・アルフォンソ・
ラファエレ・ピエレ・フィリベルト・グリエルミ・ディ・ヴァレンチナ・ダントノオラ
っていうのが本当の名前で、これでは人生生きてけませんよね。これらの単語なかで
(どれが性でどこが名なのでしょう)、カッコいい響きなのは、やはりルドルフと
ヴァレンチナになりますかね。落語に使えそうな名前です。MAKOなんて「岩松信」の
3文字で、英語より短いのに。雪洲の「早川金太郎」というのも面白い響きですが、
本名選手権ではヴァレンチノに軍配が上がりそうです。
600武田信玄餅:02/09/18 22:38 ID:JMPSYvWv
>>599
対抗できるのは
オサマ・ビン・ムハマド・ビン・ラディンぐらいですかね。
あ、日本には蘇我倉山田石川麻呂って人がいました。
それでもヴァレンチノには敵わないか・・・。
日常的にはファーストネームとファミリーネームさえあればいいんだから、
面倒なのは書類とかでしょう。
そのたびに書く欄が足りなくてあせったりして。
601名無シネマさん:02/09/18 22:44 ID:yE0C3XGG
俳優ではなく有名人ですが、あの伝説の大富豪オナシスのフルネームもすごいですよね。
アリストテレス・ソクラテス・オナシスでしたっけ?
伝記映画では、たしかアンソニー・クインが扮していましたね。
602:02/09/18 23:30 ID:WFWIJTRf
シュワルツェネッガーが1970年にハリウッドデビューしたC級作品「ヘラクレス
ニューヨークへ行く」で、芸名は「アーノルド・ストロング」でした。まんまの名前
ではありますが、あんまりといえばあんまり。シュワはこの作品を自分のフィルモグラフィー
に入れてませんよね。最近「アドベンチャー・オブ・ヒーロー」なる邦題でDVD化
されたのが、これです。
603名無シネマさん:02/09/19 18:41 ID:28fjgcna
以前NHKラジオで早川雪洲の話をしていた、その頃の自分は映画にあまり興味が無かったので
それとなく聞き流していたが、それによると当時のアメリカでの評価は高く感心しながら
聞いていた。それによると
アメリカ人女性も「ジャップは嫌いだけれど、早川雪洲は好き」というコメントを聞いて
そんなすごい人が居たんだと妙に感心しました。このスレを見てふと思い出しました
一度ビデオを見てみます
604:02/09/20 02:28 ID:mrESLN8o
>>603
1915年の「チート」を見てください。マチネーアイドルの真髄が見れます。
1937年の「新しき土」は原節子のお父さん役で、貫禄の演技が見れます。
1949年の「東京ジョー」はハンフリー・ボガートとの共演作。傑作ではないですが、
ボギーと絡んでいるだけで、その凄さを見れます。
「戦場にかける橋」を見るのは、その後にしてください。「ロッキー」を見ないで
「D−TOX」を見ても、本当のスタローンが分からないのと同じ理由です。
「20世紀の巨人」ではグレンギャリ城で妻と寛ぐナマ雪洲が見れます。
上記、全てビデオ化されています。
605:02/09/21 02:33 ID:SW/WTQ2Z
雪洲と関わりの深い女優といえば、メアリー・ピックフォードになるでしょう。とは
いってもこの2人、同じスタジオに所属した時期がないため、共演作はありません。
メアリーは、1909年にハリウッド入りした時、週給は40jでした。雪洲のデビュー
時とほぼ同じスタートです。それが1912年には週給500ドルに跳ね上がります。
雪洲が1913年にインスに吹っかけた金額も週給500ドルでしたから、この数字を
基本にしたのかもしれません。1916年には雪洲より先に週給10,000ドルを
突破し、翌年には1作ごとに35万ドル+母親にも5万ドルというとんでもない金額に
なります。いま、MAKOあたりが手にする金額がこのくらいじゃないでしょうか。
90年前に同じ値段、ということで、凄さがわかります。雪洲も独立後は1作15万jの
制作費を懸けていましたから、最盛時は匹敵していたと思われます。メアリーは日本が
好きで、よく友人の雪洲に日本の風情を取材していたといいます。マダム・バタフライみたいな
トンデモ作も撮っていますが、L・ギッシュと同じく、雪洲と1作は共演してほしかった
ものです。
606名無シネマさん:02/09/21 09:36 ID:2rVeOE1B
チョトお話から外れるのですが、いつも悩むのが当時の貨幣価値なんですよ。
昔の500ドル・10,000ドル、40万ドルは今でいうとどの位なんでしょう?
1ドル=30円位で計算すればいいのかな・・・・。
607即アポコギャル:02/09/21 09:39 ID:kE2VXkLg
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608:02/09/21 23:19 ID:EsHGgBcD
>>606
1$は約15倍です。よって、500ドルの週給とは7,500ドル。日本円にして
約90万円になります。10,000ドルで150,000ドル。同じく1,800万円
ということですので、最盛期のメアリーやチャップリン、雪洲あたりは90年前に
週給1,800万円が入ったのです。派手にならないわけがありません。月給換算で
7,740万円。年間だと9億円を超えます。こんな日本人俳優がいたことを、
日本人はもっと重んじるべきだと思うんですが・・・
609武田信玄餅:02/09/22 12:23 ID:rlQfJEMY
雪洲は1917年当時、週7500ドル稼いでたって話ですよね。
その頃はロシア出身のアラ・ナジモヴァも週1万ドルの収入があったそうですから、
当時のハリウッドは外国人であることが、
今ほどハンデではなかったのでしょうね。
ヴァレンチノやグレタ・ガルボ、ディートリヒらも相次いでスターになった時代
ですから、
ひょっとしたら外人であるということが受けていたのかもしれません。
610:02/09/22 21:46 ID:sHsUFypW
ハリウッドは中央ヨーロッパの貧しいユダヤ移民によって築かれました。それゆえに
ゴールド・ラッシュ以上に「アメリカンドリーム」なのでしょう。パラマウントのアドルフ・
ズーカーはハンガリー、MGMのルイス・B・メイヤーはロシア、ユニヴァーサルの
カール・レムリはドイツ、ハリー・ワーナーとサミュエル・ゴールドウィンはポーランド
からやってきました。これら全てが「タイクーン」となり、巨万の富を得ていったのが、
ハリウッドのスタートです。ズーカーいわく「カンザスの靴屋で店員をやっている
男性でさえも、あんた、ハンサムだね、ハリウッドへいって映画に出てみないか、
なんてことをしていた」ということですから、靴屋でも日本人相手の下手な芝居俳優でも
とにかく引っ張ってきた。そこから「スター」が誕生したんですね。おまけにサイレント
なので、外国人がスカウトされやすい状況でした。1910年代から30年代初頭まで、
外国人スターが多かった背景には、そんな経緯もあったのでしょう。
611:02/09/23 21:52 ID:eiK9uwcA
トーキーになったことで被害を被った俳優は、自殺してしまったジョン・ギルバートや
「イット・ガール」ことクララ・ボウなど、たっくさんいます。英語が喋れる喋れないの
問題もほかにも、予想していた声と違うなどのファン離れが要因の場合も目立ちました。
1929年に起ったLAパラマウント劇場の火災では、トーキーの劇場はみんな燃えて
しまえ、と思った俳優が多かった、という笑い話(?)もあります。
そんななか、やはり圧倒的だったのはグレタ・ガルボでしょう。出演作品が少ないこと
自体が伝説ですが、MGMのトーキー「アンナ・クリスティ」での第一声は、いま聞いても
セクシーかつカッコいい。スゥエーデン訛りといいますが、初期のシュワよりは全然マシ
ですし、演歌のこぶしのようなセリフ回しは絶品ですからね。同時期に生きて、この
第一声をナマで聞いてみたかったです。恐らく大騒ぎだったのでしょう。
雪洲の初トーキーは1930年のパラマウント「龍の娘」ですが、こちらの第一声もぜひ
聞いてみたい。
612:02/09/25 00:20 ID:c9ZoR1Ak
セシル・B・デミルは雪洲とのコンビ作が多く、初期パラマウントを確立した巨匠ですが、
このデミル、一時期チャップリンと同居していたことがあります。別にヤバイ関係ではなく、
戦後すぐの三船・岡本喜八同居バージョンの大金持ち版、といった感じでしょう。
デミルがハリウッドに邸宅を建てたのが1917年。2600坪の敷地に、渡り廊下でつながれた
白亜の豪邸があり、チャップリンは1918年から2年間、この離れに住んでいました。
雪洲もここには足繁く通ったはずであり、3人でおいしい料理とワインを楽しんでいた
んでしょう。このデミルとチャップリンも、ついに1作も撮ることなく終わりました。
デミルは1959年に他界するまで、ここで暮らしていましたので、雪洲も戦後まで
訪問していたのでしょう。
613:02/09/26 00:17 ID:FHJbxkkT
ブライアン・フェリーの「東京ジョー」は、偶然ではなく、まんま1949年の「東京
ジョー」のタイトルをパクった曲です。というのも、B・フェリーはボギーの大ファン
で、後年この作品を見てインスパイアされたもののようです。
歌詞のなかに「ゲイシャ」「サヨナラ」「東京ローズ」なんていうのが出てくるのは
ご愛嬌ですが、「アー、ソー、東京ジョー」という雪洲のセリフまんまみたいな
部分もあり、こんなところにも雪洲は引用されているんだなあ、と思います。
614メイヤー:02/09/26 21:34 ID:SArx8W9V
復活しました。

>>611
ギルバートの死因は一応病死(心臓麻痺?)だったと思います。
615シネマ三四郎:02/09/26 21:41 ID:01RgYT48
以前に触れられていたかもしれないんですが、雪洲は力道山映画にも出演していますね。
はさんはご覧になってますか?
私はずいぶん昔に見たのですが、雪洲の記憶が全くありません。
いわゆる「特別出演」だったのでしょうか?
ご存知でしたら教えてください。
616武田信玄餅:02/09/26 22:49 ID:TE6Y5ouI
「怒(おこ)れ!力道山」ですね。
私は割りと最近観ましたが、
雪洲は力道山の後援会だったか恩人だったかの政治家の役でした。
いわゆる悪役なのですが、
それ程インパクトのある役ではなかったので、
印象に残ってなくても当然でしょう。

ちなみに私は「スイスファミリー・ロビンソン」を観た時の雪洲の記憶がありません。
「は」さんによれば、海賊の親玉役らしいですが。
海賊襲撃の場面があったのは覚えてるんですけど。
なんせ観たのが20年以上前の6,7歳の頃だったんで。
617:02/09/27 02:25 ID:lAX16v0H
>>615
「怒れ!力道山」見てないんですよねー。東映からビデオ化されているので、割合
簡単に見れるんでしょうけど。どうも「キワモノ」映画のようなイメージがして、
後回しになってます。翌年が「戦場にかける橋」ですから、演技的には脂の乗っていた
時期ですよね。
>>616
「スイスファミリーロビンソン」の雪洲は目立ってると思うんですが。海賊役といっても
上半身裸の情けない役です。でも、ディズニー映画での「憎まれ役」はトクなことも
多い。よくあるジャパン見下し系のような映画出演ではありませんでした。
618武田信玄餅:02/09/27 11:41 ID:3xNWoHPi
>>617
「スイスファミリー・ロビンソン」の映画自体は面白かったって記憶が
あるんですけどね…。
いろいろ記憶を呼び戻そうとしましたが…無理でした。
20年の歳月は長い(笑)

そういえば、10月8日(火)19:00〜
荻窪のアール・コリン・フィルム・アーカイブで
「チート」上映しますね。
なかなか劇場で観ることのできない雪洲作品。
この機に観に行ってみてはどうでしょうか?
料金は1500円だそうです。
619コギャルとH:02/09/27 11:43 ID:tT/Jy5RJ
http://tigers-fan.com/~pppnn

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620名無シネマさん:02/09/27 13:36 ID:7XcLD4tS
はさんと武田信玄餅 さんは、もしかして同一人物では・・・。
同じ人が違うコテハンで書きこしてるのかな・・・。
なんとなく文章もそっくりだし・・・。
621武田信玄餅:02/09/27 19:49 ID:zqx4jJkh
>>620
いえいえそんなことはないです。
私と「は」さんとは別人でございます。
私は「は」さんほどの知識も分析力も持ち合わせていないので、
それは「は」さんに失礼というものです。
だけど・・・そんなに文章似てるかなあ?
622武田信玄餅:02/09/27 19:50 ID:zqx4jJkh
>>620
いえいえそんなことはないです。
私と「は」さんとは別人でございます。
私は「は」さんほどの知識も分析力も持ち合わせていないので、
それは「は」さんに失礼というものです。
だけど・・・そんなに文章似てるかなあ?
623:02/09/28 00:46 ID:lcEPzfE6
>>620
(笑)。映画版に書き込みしている人は多かれ少なかれ情報交換しているわけで、
同じ文体になることはありますよ。武田信玄餅さんも上で重ねて否定されてますし。
荻窪の「チート」情報なんて、これ見なかったら絶対知らなかったですからね。
これからも面白い雪洲&初期ハリウッド情報など、お願いします!
624武田信玄餅:02/09/28 19:34 ID:g+5iqUcB
>>623
どうも。
もちろん、2回重ねて送信したのは単純な私のミスです。
ごめんなさい。

ちなみに荻窪で「チート」やる時の同時上映は
「サロメ」('22)と「ファントマ」('13)です。
一体どういった取り合わせなのか良く分からないけど、
ちょっと興味深いプログラムです。
625名無シネマさん:02/09/28 21:58 ID:lhefXoWg
アメリカ人の老若男女にハヤカワ知ってるか?
って聞いたらだーれも知らなかった。
626名無シネマさん:02/09/29 04:17 ID:gsk3773X
そういう時は「セッシュウ知ってるか?」とききませう。
627名無シネマさん:02/09/29 05:04 ID:mdFvyGt0
そういえば昔、恵比寿でやってた澤登翠の活弁シネマで、
「死線の勇者」(1919)を観た事があります。
国内でビデオ化される予定があったそうですが出せずジマイ。
はさんも当然ご覧なってらっしゃると思いますが、
この作品についてお教えください。もういっぺん見てみたい作品です。
628:02/09/30 01:07 ID:ySEstiJV
>>627
「死線の勇者」(Tong Man)、見(れ)ておりません。アメリカではビデオ化
されたので、IVCからでも出してくれないでしょうか。資料によると、58分という
プログラムピクチャー的な長さですね。この作品が製作された1919年は、雪洲の
プロダクションも借金を返済し、まさに絶頂期のころだと思います。1年間で9本も
撮っていますしね。627さんがうらやましい。ハワースピクチャーズ作品でフィルムが
残っているのは、これと「ドラゴンペインター」、1921年の「ファーストボーン」の
3本きり、といわれています。
629武田信玄餅:02/09/30 23:59 ID:utK2VIJ9
>>628
僕も「死者の勇者」は観てみたいかも。
澤登さんが活弁やったってことはマツダにフィルムがあるんですね。
だったら観ることはできそうです。
確か30分5000円だったかで、
一人でも見せてもらえるらしいですよ。
630:02/10/01 01:27 ID:oDdfKe/y
>>629
そうすると、58分だから1万円。3,800円でDVD出して欲しいですね。マツダ
は一時期「渋川伴五郎」とか、超レアものをビデオ化しましたからね。
ところで、一人でもOKというのは予約申請をしておくのですか?DVDがしばらく
出なければ、5人くらいで2,000円で見に行きたいです(そういう計算ではない
のかな?)。
631627:02/10/01 02:35 ID:YhFyKAqh
情報ありがとうございました。この機会に家内資料を漁っていたら見つけましたよ、
恵比寿でやった時のプログラムを。そこによると、この映画の原題「TONG」とは、
堂又は党の音訳といわれ、当時常勝党、王民党などの中国系秘密結社が全米で抗争を繰り広げ、
「トング・ウォー(党戦)」と呼ばれる殺伐たる状況を呈していたことが物語の背景となっている、
とあります。小坊だった私は、そんな難しいことはお構いなく映画を楽しんだんですが、
やはりその雪洲のカッコよさには唸ってしまったのを覚えています。会場にいたおじいさんが、
画面に早川雪洲の文字が出ると、「イヨッ、待ってましたッ!」って声を張り上げたことも
鮮明に記憶しています。
632:02/10/01 23:17 ID:lvVfW4WG
>>631
んー、何としても見たいなあ。それ。「Sessue Hayakawa in Tong
Man」みたいなところで、おじさん叫んだんでしょうね。
チャイニーズマフィアの原型みたいなものでしょうか。60年早い「イヤー・オブ・ザ
ドラゴン」ですね。そう考えると、ジョン・ローンが「第2の雪洲現る」と評されたのも
うなずける気がします。千倉町あたりで雪洲の資料館でも作って、定期上映してほしい
ものです。石原裕次郎クラスであるんですから。資料館。
633武田信玄餅:02/10/02 21:09 ID:dIu/wM9l
そう言えば、12月29日に紀伊国屋ホールでやる
澤登翠さんの活弁リサイタルの演目は
上山草人の代表作「バグダッドの盗賊」です。
大スクリーンで活弁、生演奏付きで観れるわけですから、
とても貴重なチャンスだと思います。
634:02/10/03 02:18 ID:pusHyb1c
「バグダッドの盗賊」、200万ドルですからね、製作費が。今でいえば3,000万ドル
大作です。経済状況の差も考えれば、「T3」並みのチャレンジだったのでしょう。
ちょっと合成チックなSFXも盛りだくさんで、活弁つき・大スクリーンは魅力的ですね。
昔(20年ほど前)にジョルジオ・モロダーが「メトロポリス」に音を付けましたが、
これらの行為は、決して作品を変異させるものではなく、今に生き返らせる最高の
リ・テイクなのかもしれません。
635武田信玄餅:02/10/03 23:37 ID:SbuJ7dbu
>>634
「メトロポリス」といえばフリッツ・ラングの傑作ですが、
「バグダッドの盗賊」は同じラングの「ニーベルンゲン」第1部「ジーグフリート」
に良く似てるような気がします。
主人公が冒険に行ってドラゴンを倒すところや
姿を消す衣がキーワードとなるところなど。
同年の作品なのですが、
どちらかの影響があるのでしょうかね?
636:02/10/05 00:16 ID:HZ0n0azn
NHKでやってましたが、1922年頃のホワイトハウスって、あのものものしい塀
がなかったんですね。一般市民が玄関まで行かれたという。
雪洲も1910〜1930年ころまでの歴代大統領の知遇を受けていましたので、ここ
へも行ったことがあると思われます。この頃のアメリカは対外戦争もなく、最も平和な
時代でした。戦争自体も自国の殺戮合戦により反省中だったのでしょう。
637:02/10/06 00:00 ID:8iKjbjaU
雪洲がグリフィスについて語った記事があります。「グリフィスにはリリアン・ギッシュ
がいましたからね。彼女を好きなように使うことができましたよ。昔はサイレントですから
撮影現場横でオーケストラが生演奏していて、悲しい場面だと悲しい音色を奏でて、
リリアン・ギッシュが泣き出したら、ソレッ撮れって!」というようなことを言ってます。
狭いハリウッドですから、撮影現場での交流はごく当たり前のようにあったのでしょう。
リリアン・ギッシュとはNYで共演する予定になっていたのですが、お流れになって
しまいました。現代からすると、これは惜しいことでした。
638:02/10/06 22:54 ID:dU1K5TMh
「チート」が後世に残る作品になったのは、何といってもフィルムが残っていることが
大きいですが、別の面で、この作品は最初にスター衣裳がクローズアップされたことも
要因のひとつでしょう。ファニー・ウォードの衣裳は全てご贔屓のパリのデザイナーが
担当したそうで、劇中の毛皮は6万ドル、ネグリジェは4万ドル(当時)だったことが
話題になっています。現在、衣裳はごく当たり前に専属デザイナーがついていますが、
そのハシリが「チート」だったわけです。
639:02/10/08 01:46 ID:EX123gZQ
もし、というのは考えたらキリがないんですが、夢はありますよね。雪洲はパラマウント
を軌道に乗せた功労者ですが、もしマック・セネットのスタジオに入っていたら、チャップリン
と共演して、「表情を変えない日本人」役かなんかで笑わせたのでしょうか(スターには
なりにくかったかも)。また、ユナイト映画創立に参加していれば、フェアバンクスなんか
とも一緒にやる機会があったはずです。
まあ、この時代のスターは大物共演がほとんどなく、それぞれに魅力ある仕事をして
いましたから、お互いのプライドが邪魔したのかも知れません。雪洲、フェアバンクス、
チャップリン、メアリー・ピックフォード、リリアン・ギッシュ、ウィリアム・ハート
で「ラットレース」でもやれば大成功だったろうに(やるわきゃないが)。
みな裸一貫から出世したので、プライベートでの仲はよかったようです。
640:02/10/09 00:30 ID:WyqabENT
「東京ジョー」というのは、映画上ボギーの経営する銀座1丁目のナイトクラブの名前
ですが、実際に「東京ジョー」という男がいたことはあまり知られていません。
1940年代前半からイタリア系マフィアとしてシカゴで暗躍した衛藤健がそう呼ばれて
いました。映画は1949年ですから、このあたりをボギーも参考にしたのかも
しれません。
641:02/10/11 00:38 ID:HoiBs5rB
初期のハリウッド映画界は、どうもロウワーな人たちが作り上げたイメージが強い
のですが、D・フェアバンクスはハーバード大中退、というキャリアなんですね(中
退ですけど)。
グリフィスの「国民の創生」を見て映画界を目指したそうであり、タイプとしては
生粋のアクション・スターでした。初代アカデミー会長でもありますしね。
生き方はシュワのスタイルに似ていたのかもしれません(というかシュワが真似ている)
。ユナイト映画の設立といい、王道を築いたスターでした。
642:02/10/11 23:10 ID:XpdTxq+2
ジャッキー・チェンが「ウォーク・オブ・フェイム」の仲間入りしましたね。アジア
人俳優では雪洲に次いで2人目です。アジアの確率は50年に1人、という計算ですが。
ものすごく嬉しそうでした。ジャッキー。「ラッシュアワー」というメガヒットが効いた
のだと思いますが、今後はオスカー候補を照準においてほしいです。
643:02/10/12 23:07 ID:tCG0ftNH
「OUT」は20世紀フォックスが配給するということで、珍しい形態ですね。ワーナー
は「さくや」や「プライベート・レッスン」でやったことがありますけども、ハリウッド
メジャーも「タマ」がなくなってきたんでしょうか。宮崎駿系は海外ではブエナビスタが
担当していますし。「影武者」みたいなルーカス・コッポラが製作に名を連ねるのは
例外にフォックスから出ましたが、「OUT」は小作品ですしね。あのファンファーレから
始まるのだとすると、カッコいいですね。
644:02/10/13 23:06 ID:Hk0Jmlwt
雪洲のフィルモグラフィーのなかで、数本の抜けがありそうなのが1913年ころの
作品です。「タイフーン」以前は、鶴子の助演的役割で出演しており、雪洲自身が意図
して外しているきらいがあるからです。幻といわれる「ドミノ」をはじめ、当時の15分
ほどの小品は埋もれてしまったのかも知れません。
チャップリンでもウィリアム・S・ハートでもそんな作品はいくつもありそうですし。
もともと作品を記録しておく、なんて習慣もなかったんでしょう。
インスのスタジオは、現ソニーピクチャーズなので、そのうち何か出てくるかも。
日本企業のスタジオですしね。
645:02/10/15 23:30 ID:CX3YbKYC
コロンビアピクチャーズといえば、ユダヤ人のハリー・コーンが設立したB級映画会社
でした。現在のカルヴァーシティはカッコいいですが、これはもともとMGMのスタジオ
であり、ここを買ったのは「恨みはらさでおくべきか」的な裏話があります。
雪洲とデミルが「パラマウント」を軌道に乗せたように、コロンビアの救世主はフランク・
キャプラでした。キャプラが「或る夜の出来事」を撮る際、オシャレなコメディという
ジャンルが理解されず、なかなか出演者が決まらなかったことがありますが、別の理由
として、あまりにコロンビアのスタジオが汚いので敬遠した、ということがあるそうです。
当時のドン、MGMのスターから見れば、シベリアに見えたそうですから。
コロンビアの当時の幹部もそういう話は聞いていたでしょう。悔しかったりもしたんでしょう
が、そのカタキを日本企業傘下の時代に取ったのは、ユダヤ文化圏としては心外だった
かも。
646:02/10/17 02:34 ID:sA5Ohdjv
1910年代のドン、グリフィスは、時代を経るごとに存在が薄くなり、戦後はほぼ
忘れ去られたかたちになりました。リリアン・ギッシュは1987年まで(八月の鯨)
一線の現役だったのと比べると、ずいぶんと短距離型の映画人生でした。ユナイト映画
に参加したことが、大きなターニングポイントでしたが、グリフィスの場合は裏目に
でたようです。
647名無シネマさん:02/10/17 11:59 ID:nVepg518
>は様
壮大かつ素晴らしいスレッドをありがとうございます。
二日がかりで読ませていただきました。
私自身は、無声映画時代の作品に興味があります。
ヴァレンチノ作品、「熱砂の舞」などにはクラクラです。
(当方女性)
「セックスアピール」と書くと、何やら恥ずかしい単語ですが、思わず
ぼーっとさせられてしまう色気があると思います。

ところで、雪州はなぜそんなにヴァレンチノと関りが深かったのでしょうか?
同時期の外国人系スターであるということからでしょうか。
648:02/10/18 01:03 ID:oLyhy47j
>>647
今も昔もそうですが、時の実力者のもとには人が集まります。ヴァレンチノも雪洲の
邸宅「グレンギャリ城」にしばらく住み込みで僕(しもべ)みたいなことをしていた
わけです。その先には雪洲に口を聞いてもらい、映画デビューを果たしたい、という
ことがあったのですが、残念ながらこの2人、タイプが似すぎていました。
シュワのもとにヴァン・ダムが弟子入りするようなもので、雪洲もヴァレンチノを
使いこなすことが出来ませんでした。もし、自分の主演作で、ヴァレンチノが評判に
なると旗色も悪いですしね。そんな折、パラマウントから「シーク」の話がきて、
排日運動に嫌気がさしていた雪洲がヴァレンチノを紹介したのでしょう。
なので、決して犬猿というのではなく、雪洲がNYやヨーロッパに行ってからも交流
はあったようです。ヴァレンチノの葬儀にも参列していますし。
649:02/10/18 23:37 ID:p3pJk9jD
雪洲のフランス時代は、全体からみてもかなり印象の薄い期間です。でも、滞在期間は
10年に及び、実は初期ハリウッド時代よりも長いんですね。途中、パリで戦争に巻きこまれた
こともあり、作品も少ないので、これが印象が薄い要因です。
唯一、フランスでの大作が1939年の「マカオ」で、エリック・フォン・シュトロハイムとの
共演ということだけでたまらない作品です。監督はジャン・ドラノワで、7年後の
1946年に「田園交響曲」でカンヌグランプリを取った巨匠でした。これも見てみたい
作品です。
650:02/10/20 23:52 ID:bFLAQ8N7
雪洲のフランス時代は、本当に貧乏だったようです。渡仏当初に設立した自社プロは
「マカオ」の借金で休眠状態、パリはナチス占領で仕事どころではなく、「マカオ」の
シュトロハイム出演部分にナチスからクレームがついて撮り直し、これではお金も貯まりません。
よって雪洲は自分で絵を書いて売っていたという。1910年代に「フォーブス」があれば
間違いなく世界所得上位に来ていた大金持ち(成金)が一転、物売りで生計という
ある意味非常に雪洲らしい生き方でした。ただし、想像するに雪洲は全く「後ろ向き」
ではなく、いつでも前を向いていたんだと思います。そのあたりが並みの日本人と違う
ところでした。
651名無シネマさん:02/10/21 18:34 ID:GJ76JPIZ
>いつでも前を
そうですねえ!イジイジしたり後ろ向きに考え詰めたり、は全く似合わない。
お金があったらあっただけ胸のすくよううな使い方して人を楽しませ、
無かったら無かったでの暮らしをするまで。すっきりした人だ。
芯が揺るがない人なんですね。キャラクターに混ぜものが無い。
652:02/10/22 00:32 ID:HJE7oqax
>>651
それゆえに、雪洲は真っ直ぐすぎて、騙されることもあったそうです。特に戦後、
日本に帰ってからはいろいろな出資に乗り、ほとんど軌道には乗らなかったとのこと。
でも、まるっきり「欲」丸出しの体ではなく「仕方がないね」とあきらめるのが早かった
そうです。でも、損をさせられた相手でも、ずっと友人として付き合ったという。
本当に芯が揺るがない人間だったのだと思います。三船みたいに晩節を汚すことも
ありませんでした。
653:02/10/23 23:56 ID:uf9kTVzw
三船が出演を断った作品は「エイリアン」「スターウォーズ」が有名ですが、「北京
の五十五日」なんかも断っているんですね。三船がハリウッド作品に出る基準は「日本人
の自分に適した役柄がある脚本であること」だそうです。「1941」とか出てますけどね。
雪洲はその点でもノンポリシーでした。1950年代以降、海賊からヒールまで統一感なく
作品出てますから。戦場にかける橋も最初は「暑いところのロケ」を嫌がったという
とんでもなさですが、スターというのは全てが「いいほう」に転ぶのかもしれません。
選定基準は180度違う三船も、結果はオーライでしたしね。オスカーノミネートの
「価値ある男」、見てみたいです。
654名無シネマさん:02/10/24 00:11 ID:cxLJMjE/
上山草人知ってるか?
655シネマ三四郎:02/10/24 14:00 ID:GaxTqgs/
>>653
三船敏郎は米映画「ミッドウェイ」に出演したあとインタビューに答えて
「日本人を侮辱したような映画なら出ないといったが、そうではないというので
 引き受けた。ところが出来上がった映画を見てみたら、
 主役のアメリカ兵の恋人の日本人女性の名前が“さくら・はなこ”になっていた。
 俺が知っていれば絶対変更させたのに。」
と言っていましたね。
656:02/10/25 02:53 ID:4A2EWexz
>>655
パールハーバーでもMAKOが同じようなことを言っていました。歴史は繰り返す、
というか、ハリウッドの体質なんでしょう。まだMAKOや三船はスタジオに文句が
言えたりしますが、ほとんどの在米日本人俳優はトンデモ日本人を黙々と演じています。
見てるこっちが辛くなるようなやつ、ありますからね。
657:02/10/27 00:14 ID:nOziOTzn
「ラスト・サムライ」の日本ロケが始まったようです。トム・クルーズが国内で演技
している、というのはなんとも不思議ですね。製作発表会見にクルーズも出席していました
が、「こういう会見は初めて」といってました。製作前に「こんなの作ります」なんて
発表する国は日本くらいですね。通常は完成版のプレミアとかが初お目見えです。
ともあれ、この新作、「将軍」みたいな感じになるんでしょうか。楽しみな作品です。
658:02/10/27 21:12 ID:G8sxawxz
淀川長治氏が、雪洲と三船について触れたことがあります。三船の「価値ある男」に
ついての時で、内容は下記です。
「メキシコの「価値ある男」で、私は日本ぢゅう(ママ)が大騒ぎすると、てっきりそう
思って拍子抜けがしたものです。あんなのは早川雪洲いらいのことで、それも妙なジャポ
ニューズ(ママ)じゃなくって立派なメキシコ人役をメキシコ人役者と一緒にやって
きれいに溶け込んで役もいい役で。これはフニャフニャのスターではまあやれません
ねえ」
メキシコとハリウッドは近いですから、三船もこの頃は本格進出を志していたのかも
しれません。「価値ある男」はオスカー外国語作品賞ノミニーですしね。当時のメキシコ
大統領も喜んだということで、時代は違えど1937年のナチスと雪洲の接点「新しき土」
に状況は似ていたのかも。
659:02/10/27 22:47 ID:LE0CI848
三船のメキシコ人というのは、違和感がなかったんじゃないでしょうか。ちょうど
用心棒のころだったので、筋肉の付き方もよい感じだったと思います。
雪洲は海賊(国籍不明)やインディアン役をやったことがありますが、アラビアン・ナイト
はぜひ見てみたい作品です。恐らくサイレント作品なので、インディアンと変わらぬ
演技だったのかもしれませんが。
660名無シネマさん:02/10/27 23:38 ID:qZ0L0whh
今日のID全部違うはさん
661:02/10/29 00:21 ID:ACxSfWvh
IDって、特に気にしていたわけではないんですが、見返してしまいました。
さて、雪洲がアメリカに渡った1909年ころ、日本ではいま禁止のものが一般に
流通していました。代表的なものが「拳銃」です。ちゃんとした新聞広告に「護身用」
として販売されており、このころは規制らしきものがなかったらしい。
プレステ2と同じような新聞紙上の広告で、ナマ拳銃が売っていただけで凄いことです。
別に拳銃を持ちたいとは思いませんが、当時の日本って、やはり「男っぽい」国だった
んでしょう。
662:02/10/30 00:50 ID:3Pq6mhnd
雪洲の実家は、千葉の千倉です。漁師の網元に生まれたため、気性の荒いひとたちに
囲まれてきました。ものに動じない性格はここから来ているのでしょう。
国(帝国)が男っぽいのみならず、その中でさらに漁師ですから、まさに「あらくれ」
チックだったはずです。東郷平八郎を敬愛し、海軍を目指した雪洲ですが、決して陸軍
ではなかった理由は「海男」だったことにつきます。フランスでは東郷を偲んで
「ラ・バタイユ」を撮っていますしね。
663:02/11/01 01:15 ID:neQtsXKj
「スタトレ」でお馴染み、「戦場にかける橋2」にも出演しているジョージ・タケイは
うまく日本語がしゃべれないのですが、顔がまんま日本人なので、アジア人役で好位置
をキープしています。「スタトレ」のスールー役は特に有名で、確かエンタープライズクルー
としてウォーク・オブ・フェイムに名を連ねています(よって雪洲に次ぎ2人目、とは
いいにくい)。
スタトレファンの支持も高く、主演級のエピソードも多かったんですが、その際に機嫌が
悪かったのがカーク船長=ウィリアム・シャトナーでした。タケイが主演級だと目も合わさず
非協力的であったという。日本人・アジア人大嫌い俳優なんでしょう。三船だって
ビリングのトップにきている作品ってありませんからね。その点でも雪洲は凄かったという
ことがわかります。
664:02/11/02 22:16 ID:bQx1U++f
「怒れ!力道山」を見ました。キワモノと思いきや、非常にまっとうなスポ根映画でした。
力道山の人気の凄さや、街頭TV(ゼネラルがスポンサー)、また身体障害絡みの禁止用語
連発など当時の様子がよくわかる佳作でした。昭和31年の御茶ノ水駅近辺でロケが
敢行できたなんて幸せな時代です。雪洲は悪徳政治家の大橋役で凄みを利かせています。
力道山は好演ですが、雪洲のこの憎々しさがなければ、恐らく魅力は半分になっていた
でしょう。力道山との絡みが多く、当時の国民的英雄を「お前」扱いしていたのも
さすがの貫禄でした。雪洲は翌年に「戦場にかける橋」を撮りますが、この後年の充実期
に、やはり三船との共演が見たかったですね。
665:02/11/03 22:00 ID:OrCh7ejK
雪洲が唯一出演したNHKの大河ドラマが1965年の「太閤記」です。大河第三作
として新国劇のホープだった緒形拳を秀吉に起用した話題作で、1月3日から12月26日
まで1年間オンエアされました。雪洲は76歳になっていましたが、劇中で初の武田信玄役
を演じています。恐らく登場回数は少なかったと思いますが、戦国武将を演れたのは
良かったのではないでしょうか。絡みがあったかどうかは不明ですが、共演として田村高廣
の名があり、阪妻Jrと雪洲がここで顔を合わせていたというのも印象深いことです。
この年は三船が「赤ひげ」で2度目のベネチア主演男優賞を得るなど、まさに頂点のころで
アリナミンAのCMでTVにも進出していました。もしかすると、この頃お互いの接点も
あったのかもしれません。特に三船は先達には非常に敬意を払うスターでしたから、
会話を交わしたとすると、どんな状況だったのか、想像だけの世界ですけど、ワクワク
してしまいます。
666:02/11/04 21:26 ID:at7V7QxJ
「戦場にかける橋」の原作者、ピエール・ブールはフランス人です。技術者として東南
アジアへ赴任し、そのまま第2次世界大戦へ参戦、ビルマなどで戦いました。そのときの
自叙伝+一部フィクションとして世に出たのが「戦場にかける橋」です。
この原作者にはもう1冊、著名な本があります。「猿の惑星」がそうで、こう考えてくると
猿=日本人だったりするのかも知れません。いずれも捕虜的立場からの逃亡劇ですし、
ハッピーエンドでは終わらないという共通点があり、このへん作者の人生観が投影されて
いるのでしょう。
667:02/11/06 00:47 ID:cOtcRXuu
昨今のハリウッドで成功した日本人は、ショー・コスギと工藤夕貴といえるでしょう。
特に工藤夕貴は大手エージェントの「ウィリアム・モリス」に所属(ジョン・トラボルタ
やエマ・トンプソンも所属)し、ユニヴァーサルと出演契約を結びました。コスギは
キャノンフィルムですから、結構な差があります。
工藤夕貴の移動はファーストクラスで、かつ日本から連れて行った犬も最上の扱いを受けた
というし、映画のために通った英語学校の送り迎えは全部リムジン。
撮影現場には大型トレーラーが用意され、当然バス・トイレ・ベッド付きという破格の扱い
だそうです(本人談なので間違いなし)。さすがジャームッシュ作品に出演し、三船と
共演し、イーサン・ホークと互角の扱いだった女優です。今後も作品は選んで出て
ほしいですね。島田陽子はそのあたりを見誤りましたからね。
668:02/11/06 00:50 ID:cOtcRXuu
昨今のハリウッドで成功した日本人は、ショー・コスギと工藤夕貴といえるでしょう。
特に工藤夕貴は大手エージェントの「ウィリアム・モリス」に所属(ジョン・トラボルタ
やエマ・トンプソンも所属)し、ユニヴァーサルと出演契約を結びました。コスギは
キャノンフィルムですから、結構な差があります。
工藤夕貴の移動はファーストクラスで、かつ日本から連れて行った犬も最上の扱いを受けた
というし、映画のために通った英語学校の送り迎えは全部リムジン。
撮影現場には大型トレーラーが用意され、当然バス・トイレ・ベッド付きという破格の扱い
だそうです(本人談なので間違いなし)。さすがジャームッシュ作品に出演し、三船と
共演し、イーサン・ホークと互角の扱いだった女優です。今後も作品は選んで出て
ほしいですね。島田陽子はそのあたりを見誤りましたからね。
669:02/11/06 00:51 ID:cOtcRXuu
ダブリました。。。。。。
670:02/11/07 00:12 ID:Fo5a7/Kt
ケイン・コスギが勘当されたそうですが、なんかカネ絡みっぽくて幻滅ですね。周囲
の誘惑に乗ってケインが独立したのが真相みたいですけど、親父のショー・コスギも
頑固そうですから。ショーはオーディションに落ちまくっていたという点からみても、苦労せずにのし上がった息子の態度が
許せなかったんでしょう。
ただし、ショーの契約したキャノンフィルムは今はなく、ハリウッドでの拠り所もないのが
実情であり、親父の先行きに限界を見た息子の反乱かもしれません。LAでB級アクションに
出ても所詮はB級であり、もしかするとマッスルヒートのほうが格が高いのかもしれません。
NINJA3部作も随分と乱暴なつくりでしたしね。メナハム・ゴーランの怪しさ満開の作品
でした。インスのようなA級製作者に会えなかったのも不幸だったかも。
671:02/11/08 00:15 ID:4gpB7KAY
雪洲が出演したハリウッド映画で、日本国内で撮影されたものは1本もありません。
みなハリウッドのスタジオで撮られたものですが、唯一の例外が「戦場よ永遠に」
です。1960年のアライド映画で、大掛かりな沖縄ロケが行われたそうです。
コザのセンター通りや、金武基地内で撮影されたようですが、この作品未見です。
残念ながら、この時代の沖縄はアメリカ統治だったので、正確には日本ロケといえません
でした。また、雪洲がこのロケに参加しているかどうかも未確認です。
672:02/11/09 02:50 ID:srhhVmzC
ハリウッドでその年No.1の興行成績作品というのは、ほぼ例外なく世界中で最も
見られた作品ということになります。「タイタニック」も「T2」も「風と共に去りぬ」
も「国民の創生」も、この傾向は100年間変わりません。
雪洲は興行成績らしきシステムが整った1915年以降、87作のNo.1作品のうち
2作品に出演しています。「戦場にかける橋」「南海漂流」がそうで、こんな日本人俳優も
2人といません。主演作でも1910年代は常にチャップリン、フェアバンクスと
トップを競っていたはずで、50年近く第一線(途中抜けてますが)でいることも
驚異的なことです。
673:02/11/10 22:14 ID:OZXmjiR6
LAハリウッド大通り、チャイニーズシアターの手形(足型)は非常に有名です。「ウォーク・
オブ・フェイム」とは別物で、これはハリウッド周辺の歩道にタイル1マス分に名前が
埋め込まれているもので、雪洲もジャッキーもこちらに該当しています。
手形はもうこれ以上ないくらいに埋め込まれており(何といってもチャイニーズシアターの敷地が
狭い)、順不同で写植文字じゃないナマサインなので、どれが誰なのかよくわかりません。
この手形、もともとノーマ・タルマッジがチャイニーズシアター完成前(1926年ころ)
にここを訪れた際、誤って固まっていないコンクリートに足を突っ込んだのが始まりです。
結構イケてないスタートではあったんですが、いまやWOFとともに観光名所ですから、
わからないものですね。
674:02/11/12 02:57 ID:u8wb3fJL
現在のハリウッドには日系人の俳優協会みたいなものはないと思いますが、1915年9月
には「日本人活動写真俳優組合」というのがあったんですね。LAサンペドロに事務所を
構えて、理事には当然のことながらトップスター雪洲がいました。
出演者の最低日当を1日5ドル以上にする、など日本人俳優の扱い向上に向けて積極的に
活動していたようです。ただし、雪洲が離れた1922年ころには自然解散してしまった
こともあり、その後LA入りした草人などはその恩恵に授かれなかったんですね。
675:02/11/14 01:27 ID:A/clU7It
日本に撮影所が置かれた都府県というのは、結構少ないんですね。現役で一番有名なのは
京都・太秦ですけれども、他では東京都、神奈川県あたりに限定されています。
京都は雪洲の時代から映画のメッカであり、東映、PCL、松竹はじめ、マキノの本拠地
としても知られていました。東京は日活や松竹、東宝、三船プロなどが著名ですが、
1930年代の新興キネマあたりでも京都・東京に撮影所がありました。
穴的なのが神奈川県で、松竹の大船のほかにも「大活」が山手にありました。この大活は
雪洲ともかかわりが深い撮影所でした。現在の本牧あたりがウエストハリウッドの風情に
似ているとここへ書いたことがありますが、そのルーツは大活にあるのかもしれません。
676名無シネマさん:02/11/14 12:14 ID:WBabIF3C
原節子と競演した山に登る映画見たよ。
ドイツ人の監督で撮ったやつ。
個人的には原節子のセーラー服姿に萌えでした。
677:02/11/15 00:47 ID:mzuSC9Qv
>>676
1937年の「新しき土」ですね。英語題名が「サムライの娘」なので(何の関連も
ないが)、主演は原節子だということがわかります。ビリング上は雪洲がトップです
けれど、焼岳かなにかでロケしたという迫力の登山場面など、ほとんど見せ場は原節子
でした。雪洲も羽織で貫禄ある父親役を演じています。原節子は振られたので火口に
飛び込んで自殺しようというものすごい役柄でしたが、確かにむちゃくちゃかわいい
ので、それだけでもOKでしょう。
678:02/11/15 23:55 ID:Iq2vanYm
大活=大正活映は、浅野財閥(現太平洋セメント、東亜建設工業)資本で作られた映画会社で、
この設立に大きく関わったのが、トーマス栗原(栗原喜三郎)でした。なんで「トーマス」
なのかといえば、これはトーマス・H・インスからもらった「トーマス」で、要は栗原も
雪洲と同期に活躍した映画俳優だったわけです。もともと大活の発祥はロシア移民の
ベンジャミン・ブロドフスキーと栗原が、浅野の支援で1917年に設立した「東洋フィルム」
です。日本劇をハリウッドで売るべく数本作ったものの、不振で1920年に浅野家へ譲渡、
大活になりました。ミナトヨコハマにスタジオを置くかなりおしゃれな会社だったようです。
栗原は上山草人へ相談し、草人が同社の文芸顧問として紹介したのが谷崎潤一郎です。
谷崎と栗原はそれから1925年ころまでタッグを組み、作品を世に出しました。
これだけ雪洲や草人と絡みのある映画会社も珍しいでしょう。
679:02/11/16 14:20 ID:/7OeCp7i
>は様
お久しぶりです
先日メイ牛山の自伝を読んでいたところ、夫の牛山某氏は雪洲の弟子としてLAにいましたが、
俳優としての自分に見切りをつけて本場の映画・舞台メイクの技術を伝えるためにハリウッド化粧品を創業したそうです。
やはりハリウッドで舞台用メイクの老舗として幅を利かせてたマックスファクターを意識したのでしょうか。
いまのメイ牛山は2番目の奥様だそうです。
余談ですが。
680:02/11/16 22:39 ID:4QyaW1d0
>>679
527,530,531をご参照ください。

大活での谷崎潤一郎の待遇は、月給250円かつ週1回の出社というものでした。スタジオ
跡の碑は、横浜元町公園内にあるそうです。大映の京都撮影所跡の碑もマンションの
片隅にひっそりとありますが、なんか「兵どもが夢の跡」みたいな感じで、寂しげです。
日本ではいまやTVドラマスタジオのほうが設備、規模ともに大きいそうで(日経エンタより)
伝統ある映画製作の場所はどんどん少なくなっていきます。太秦東映もTV時代劇ばかり
ですし。もうこうなれば、東宝、東映、松竹、日活でお台場あたりに共同大スタジオでも
作ったほうが効率的、かつ近代的だと思うんですが。
681名無シネマさん:02/11/17 15:41 ID:Zp4LrJES
このスレのおかげでチート観ました。
雪洲めちゃめちゃかっこええー。配役紹介でもトップで出てくるし。
着物とか部屋の様子が訳の分からん東洋って感じだったけどよしとしましょうってか。
682:02/11/17 20:25 ID:Dy3HEBW7
>>681
何といっても当時のマチネー・スターですからね。東洋趣味は、まああんなもんでしょう。
問題は「チート」と「ティファニーで朝食を」と「ベストキッド2」での感じがほとんど
変わらないことですけど。NYだってLAだってパリだって、現代劇を撮るときに80年間
内装のイメージが変化ないなんて考えられないでしょう。でも日本観は同じなんでしょうね。
でも、雪洲も含めて非常にファッショナブルな衣裳であり、デミルの先見性が垣間見える
傑作だと思います。
683:02/11/18 23:57 ID:x6jT6Qgt
日本にいちばん早く入ってきたハリウッドメジャーのブランチは、播磨商会との合弁
で1916年7月にきたユニヴァーサルです。3年後には「龍の網」撮影のため、
ヘンリー・マックレア監督をはじめ、主演女優のマリー・ウェルキャンプらロケ隊
が来日、鎌倉、日光、芝でロケを行ったそうです。レフ板なる新兵器が活躍し、日本
の活動野郎たちはみなビックリした、という笑い話も残っています。
いずれにせよ、きちんとした映画撮影で来日したスターはこのマリーが第1号だと
されています。
684名無シネマさん:02/11/19 00:15 ID:ox+PKZ72
一度、ぜひ観たいと思ってました
685:02/11/20 00:09 ID:jevydfbv
チャップリン、フェアバンクスを擁するユナイトが日本ブランチ(東京支社)を設立
したのが1922年7月。次いで8月に雪洲、デミルが基礎を築いたパラマウントが
やってきました。パラマウントの支社は最初帝国ホテル内にありましたが、すぐに動いた
ようです。1926年にはこれまた雪洲と関わりの深い大活が手放した浅草千代田館、
神戸朝日館を手に入れ、直営劇場にしました。屋外に大きなパラマウントマークが入った
千代田館の写真がいまも残されています。いまあってもカッコよさそうな劇場で、パラマ
ウントが直営を持っていただけでも驚きですね。東宝がLAに直営館を持つような
ものですから。もっともパラマウントも東宝も異国の地では経営自体が軌道に乗らなかった
ようです。
686:02/11/20 23:41 ID:8eIw4lqp
ユニヴァーサルの日本支社は、上陸から10年目の1926年9月、阪妻プロと提携
しました。ハリウッドと時代劇という凄い組み合わせでしたが、ユニヴァーサルとしても
阪妻ものの輸入作品ができると踏んだのかもしれません。当時はまだ雪洲がトップスター
としてヨーロッパで活躍中であり、晩妻に雪洲の面影を見たのかもしれません。
でも、「スポーツ」という同じ括りでも「プロ野球」と「Jリーグ」が違うように、
「活動写真」という括りが同じでも、「アメリカ映画」と「殺陣」は合わなかった
んでしょう。1年にも満たない1927年5月には、この提携を解消しています。
この時、別の動きをしていれば、阪妻は雪洲に次ぐハリウッドスターになっていたかも
しれませんね。
687名無シネマさん:02/11/22 12:06 ID:rAgFj2EI
前に早川雪舟を坂本龍一で大島監督が映画を撮る
というのを、目にしたことがあります。
その話はどうなったのでしょう。
バレンチノ役はアントニオ・バンデラスでというのは
ギャラの面でも無理そうではありますが。
688:02/11/24 01:42 ID:AcHWSX0q
>>687
1991年の製作発表では、雪洲=坂本龍一、ヴァレンチノ=バンデラスで決定して
いました。製作費5,000万ドルの大作だったんですけどね。11月のクランクイン
が延期になってはや11年が経ちます。先ごろDVD化された「シェルタリング・スカイ」
と「裸のランチ」の大赤字で、ジェレミー・トーマスが白旗をあげてしまったんですね。
「リング」も1億ドル超えましたし、そろそろ日本製脚本として再脚光を浴びてほしい
です。
689:02/11/25 01:00 ID:iXOxOx6I
雪洲も鶴子も、チャップリンもが口をつぐむ「ハリウッド7つの死体」のひとつが
トーマス・H・インスの死因です。マリリン・モンローなどと共に、その死因は謎の
迷宮入りとなっています。マリリンはそれでも密室での出来事でしたが、インスは衆目
の中で亡くなりました。でも誰も見ていないんですね。公式上は。
1924年、新聞王、ウィリアム・ランドルフ・ハーストのパーティーに出席していた
インスは「ボートから落ちて」死亡します。ハーストといえば「市民ケーン」のモデル
であるハーストです。頭っから怪しげですよね。語られていることといえば、ハーストの
妻だか愛人だかが、チャップリンとイチャついていたのに腹を立てたハーストが拳銃を乱射、
それがインスの胸部に当たり即死した、というものです。今の北朝鮮じゃありませんが、
土葬が当たり前のアメリカで、インスの死体は火葬されました。それもその日中に、です。
みな知っていることを誰も喋らず、この殺人事件は存在しなくなりました。
こんな人間(真犯人と断定は不可能ですが)を相手に映画を撮ったオーソン・ウェルズは
やはり大物だったといえましょう。ちなみに、雪洲は1922年にLAを離れており、
当日のパーティーには出ていません。
690:02/11/25 23:06 ID:CC7CThyA
トーマス・H・インスとデミルを師と仰ぐ雪洲が、インスの件でほとんどコメントして
いないのは、やはり裏を勘ぐってしまいますね。雪洲にことですから、チャップリンから
真相くらい聞きだしていたと思います。でも、当時のハーストを敵に回せば、欧米での仕事
が干されてしまう恐れがありましたからね。仕事くらいで済めばよいですが、命まで取られたら
たまったもんじゃないですし。ハーストはユダヤ支配のハリウッドを嫌っていましたから、
単に偶然の暴発で片付けられないところがミステリーなんでしょう。
691名無シネマさん:02/11/26 12:33 ID:gFNQnSmm






692名無シネマさん:02/11/26 12:33 ID:gFNQnSmm
 
693名無シネマさん:02/11/26 12:34 ID:gFNQnSmm










694名無シネマさん:02/11/26 12:53 ID:gFNQnSmm










695名無シネマさん:02/11/26 13:32 ID:gFNQnSmm










696名無シネマさん:02/11/26 14:11 ID:gFNQnSmm










697名無シネマさん:02/11/26 15:06 ID:gFNQnSmm
 
698名無シネマさん:02/11/26 15:41 ID:gFNQnSmm
 
699名無シネマさん:02/11/26 15:57 ID:gFNQnSmm
 
700名無シネマさん:02/11/26 16:17 ID:gFNQnSmm
 
701名無シネマさん:02/11/26 17:03 ID:gFNQnSmm
 
702:02/11/27 02:45 ID:b+tuTrlP
雪洲がハリウッド復帰を果たしたのは1931年、パラマウントの「龍の娘」でした。
ところが、前述したようにこのころはトーキー全盛で、さすがの雪洲も酷評されて帰国
しています。当時は5大メジャー(MGM、ワーナー、FOX、パラマウント、RKO)
と3大マイナー(ユニヴァーサル、コロンビア、ユナイト)のシステムが完全に出来上がって
おり、まさに絶頂期でした。現在、RKOはスタジオを失い、ユナイトはMGMの
1部門と化していますが、それ以外は経営者は変われど、一応メジャーとして存続しています。
ここにディズニーが加わった布陣が現在のハリウッドメジャーです。
703名無シネマさん:02/11/27 15:42 ID:t8jxa42z
俺が高校の映研に入ったとき、早川雪舟の孫が先輩にいた。
みんなでホラー映画もどきを撮ってる時に、一人でゴジラの特撮撮ってた。
まだ、8mmの頃で愛好会としてしてしか認めてもらってなかったので
部費もほとんど無く自分でゴジラのフィギュアとかヘリコプターの模型とか用意してたなぁ。
早川先輩、お元気ですか?
704:02/11/29 01:21 ID:QClejn6K
>>703
やっぱり「血」は争えないんですね。おじいちゃんが大俳優であったことはプラスに
なったんでしょうか。だいぶレベルは違いますが、北野武の娘とか、ゴールディ・ホーン
の娘とか、同じ道に入った時点で常に比較されてしまいます。雪洲の娘の冨士子は
一度だけ「レ・ミゼラブル」で銀幕に登場しましたが、女優としての志向はなかった
ようです。息子の雪夫もTV作品などに出ましたが、大成していません。
705名無シネマさん:02/11/29 01:24 ID:5+xNTENl
早川雪洲は
共同通信社発行のMOOK男優名鑑に
写真入でりで載ってますよ(^^)
ご覧あれ。
706名無シネマさん:02/11/29 03:07 ID:bCrdczhv
このスレ読んでたら早川雪州ってどんな顔してるのか見たくなってきた。
画像うpしてほしい。

707名無シネマさん:02/11/29 10:44 ID:AbAN9XoI
708名無シネマさん:02/11/29 11:06 ID:PnUGUGk6
すいません。過去ログ流し読みしかまだできていないんですが、
さらに映画の話題でさえないんですが…、

NHK大河ドラマ第3作『太閤記』で武田信玄役をやったことについて
触れておられますか?
リアルタイムで見ていた先輩に、「早川と岸恵子という国際スターが
脇を固めていたから、緒方・高橋なんていうポッと出の新人が主役の
あのドラマの格が高く保たれていたんだ」という話を散々聞かせられて
いるので、ビデオも残っていない今、なんとか詳細を知りたいのです。
709名無シネマさん:02/11/29 12:10 ID:EDn7jFQI
710名無シネマさん:02/11/29 12:17 ID:EDn7jFQI
 
711名無シネマさん:02/11/29 12:31 ID:EDn7jFQI
 
712名無シネマさん:02/11/29 12:40 ID:EDn7jFQI
 
713名無シネマさん:02/11/29 13:18 ID:EDn7jFQI
 
714名無シネマさん:02/11/29 13:59 ID:EDn7jFQI
 
715名無シネマさん:02/11/29 19:20 ID:EDn7jFQI
 
716名無シネマさん:02/11/29 19:20 ID:EDn7jFQI
717名無シネマさん:02/11/29 19:43 ID:EDn7jFQI
 
718名無シネマさん:02/11/29 20:02 ID:EDn7jFQI
 
719:02/12/01 02:22 ID:V8mMrgH3
>>708
触れています。触れていますが、情報が少ないので708さんのここでのお話のほうが
参考になりました。緒形拳はともかく、高橋悦史はアイドルの扱いだったようです。
NHKでDVD化して欲しいですね。
720:02/12/01 23:43 ID:ejpnvN/e
巨匠・ジョン・フォードが「国民の創生」に出演しているのはあまり知られていません。
というか、どこに出ているのかサッパリわからないカメオなのですが、1915年の時点
ですでにハリウッド入りしていたことがわかります。もともとこの作品も演出系の助手として
付いていたようです。時代が同じだし、懇意のグリフィスですし、雪洲作品には何も絡んで
なかったのでしょうか。パラマウント作品あたりで顔をあわせていたかもしれません。
もっとも、その頃は駆け出しの助手と、ハリウッドのスーパースターであったわけですが。
のちのジョン・ウェインが「駅馬車」で見せるカッコよさって、なんかサイレント時代の
雪洲やハートのイメージを引っ張っているように思えます。
721:02/12/02 22:31 ID:rQtH0WBo
1993年に文春が採った「男優ベスト」によると、外国人でチャップリンが2位、
キートンが28位、シュトロハイムが91位、フェアバンクスが97位。
日本人編では阪妻が2位、三船が3位、裕次郎が9位、千恵蔵が35位、藤田進が59位
というのに対し、雪洲は101位という低位置でした。恐らく「戦場にかける橋」の
1本かぶりでの評価と思われ、もう少し雪洲についての認知を上げたいところですね。
教科書に載っても遜色ない実績を残していると思うんですが。
ちなみに各1位はジャン・ギャバンと笠智衆でした。
722:02/12/04 00:31 ID:VKA7Jl+f
グリフィスの「イントレランス」を日本に紹介したのは、現阪急東宝グループの元祖、
小林一三でした。ところが、小林はこの大作が「わかりにくい」と判断。4つの交錯
を編集しなおして公開しました。これって大著作権侵害だと思うんですが、当時の国民
はグリフィスの意向とは異なる「新・イントレランス」を見ていたわけです。
トンデモ系の話ではありますが、笑い話としても秀逸なエピソードです。
723:02/12/05 00:07 ID:CqD4a+mX
映画がトーキーになって、凄く困ったのが日本人です。何いってんだかさっぱりわから
なくなってしまったのですから。今までは弁士が解説していたので、そういう弊害もなかった
わけです。おかげでアメリカ映画は1930年ころには興行不振に陥りました。
パラマウントは打開のため、1930年の「パラマウント・オンパレード」という
レビュー映画で弁士の松井翠声をハリウッドへ派遣し、メルローズのパラマウントスタジオで
日本語の司会場面を追加撮影という荒業にでました。これこそ新版「パラマウント・
オンパレード」ですが、この苦労も報われず、観客は戻りませんでした。
そこで次にパラマウントが考えたのが「字幕」だったわけです。些少もオリジナルを
損なうことなく、「わけわかんない言語」を100%理解してもらうという手法は
「モロッコ」から始まりました。今日当たり前の「字幕」誕生にもこんな経緯があった
んですね。でも当時は、逆に弁士組合がパラマウントに猛烈抗議した、というエピ
ソードが残っています。
724:02/12/06 00:02 ID:9y+vQ+Tr
日本でパラマウントが一番勢いのあった時期が、1926〜27年頃です。東京館
や芝園館、南明座などを続々と直営化し、1927年に手に入れた丸の内・邦楽座
ではオーケストラやショーのアトラクションが毎週入っていたそうです。
雪洲の「新しき土」の音楽監督でも知られる山田耕作も、ここで指揮をしました。
屋上のパラマウントマークも輝いていたわけですが、上記のトーキー化により、
30年代からは苦難の時期も迎えます。現在、パラマウントは日本での直営館などは
保有していません。
725名無シネマさん:02/12/07 01:57 ID:0uu6XRGO
>>707
ありがと!りりしいお顔ですね。
726:02/12/08 00:06 ID:gZNA2Y5J
日本へのハリウッドメジャー進出は、前述したようにユニヴァーサルとパラマウント
が早かったのですが、パラマウントと同じ年、1922年7月にはユナイトが東京へ
進出しています。ちょうど雪洲がハリウッドを去った年ですが、なんか入れ違いの感
が強いですね。その他、フォックスは1924年、神戸に極東支社を設立しました。
フォックスはついこのあいだまで「極東」という名が社名についていました。歴史あ
る社名を保持したのか、ずーっと「極」と思っていたかのいずれかですね。
また、ファーストナショナル(ワーナー)は日活と、MGMは松竹と提携するかたちで
日本にやってきました。いかにサイレント作品が日本人に売れたかがわかる状況です。
727名無シネマさん:02/12/08 00:13 ID:YxSzfGYO
雪州の好きな食べ物って何だったんですか?(笑)
コドモみたいな事ききますが興味あります。
728名無シネマさん:02/12/08 00:22 ID:NLQ3jqxl
729:02/12/08 22:15 ID:aS0fQ1Ga
>>727
雪洲が「食べ物」について細かく語っているものはありません。もとが網元の息子で
すから、魚嫌いということはないでしょう。事実、チャップリンとの会食では日本食
食べてますしね。ハリウッドでは「酒池肉林」だったそうですから、酒・肉などの
不健康そうな生活が続いたのだと思います。リトル東京も今日のように刺身が食べれる
ような感じじゃなかったでしょうし。ヨーロッパの生活も長いですが、初期の30年代
はともかく、40年代は絵を売って空腹を凌いでいたというくらいですから、腹の足し
になれば何でもOKだったはずです。こう見てくると、雪洲の「食」については
ノンポリシーだったのかもしれません。
730:02/12/09 23:50 ID:ApUIw6l8
松竹の蒲田撮影所の周辺は、設立当時田んぼばかり。おまけに隣に「高砂香料」という
香水工場があり、スタジオにはものすごい悪臭が漂っていたそうです。
そんな中、ヘンリー小谷はデミルの仲介もあって松竹に招かれ、「島の女」などの
傑作を世に出します。小谷は「タイフーン」で、雪洲の代わりに絞首刑にあうかわいそう
な役柄が印象深いですが、俳優での大成にはや見切りを付けたんでしょう。スタッフ
修行をしたのが後年役立ちました。トーマス栗原や阿部豊、フランク・ボーセージなども
俳優出身の大監督になりましたし、雪洲には人を育てる能力もあったのかもしれません。
731名無シネマさん:02/12/10 00:02 ID:25Bz+gN+
                  ノ      } ゙l、   」′           .,/′   .,ノ _,,y
    .,v─ーv_         〕      〕 .|  .il゙            《 ._   .,,l(ノ^ノ
   ,i(厂  _,,,从vy      .,i「      .》;ト-v,|l′          _,ノ゙|.ミ,.゙'=,/┴y/
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   《 il|′     フーv,_ .,i″       ||}ーvrリ、             ¨'‐.`   {   
    \《 ヽ     .゙li ._¨''ーv,,_     .》′  ゙゙ミ| ,r′                }
      \ ,゙r_    lア'    .゙⌒>-vzト    .ミノ′                 〕
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              〔^ー-v、,,,_,:     i゙「   }                  .,l゙
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              |     ノ′ ヽ      〔                   ミ
              }    }     ′    }                   {
              .|    .ミ     .<     〔                    〕
              .{     \,_   _》、    .{                    .}
              {      ¨^^¨′¨'ー-v-r《                    〔

732:02/12/11 22:31 ID:n4VKhFZB
チャップリンが初来日したのは1932年5月14日でした。すなわち、515事件
の前日だったわけですが、1泊したら時の首相が殺されるという事実にびっくりし、
観光そっちのけで犬養毅の血痕が残る現場や、小菅刑務所を視察したそうです。
のちの「独裁者」や「殺人狂時代」などは、この体験が元になっているのかもしれ
ませんね。
733:02/12/13 01:24 ID:uexoUJzR
ジョン・フォードが来日したのは、チャップリンよりも1年早い1931年3月でした。
戦後交流を持つ黒澤が21歳のときです。まだ天と地の差があった2人ですが、現在の
世界的評価はほぼ同格、というのも面白いものです。
この年、ハリウッドメジャーで唯一直営館を保有していたパラマウントは「モロッコ」
でブレイクする3ヶ月前の3月、松竹と合併し、「松竹パラマウント興業社」という
企業を作りました。トーキー初期の不況はあったにせよ、前進的な合併とはいえない
ものでした。事実、1938年1月にはパラマウントごと上海に引き上げてしまいました
から(もっとも、当時そこは日本の支配下ではありましたが)。
ハリウッド作品の輸入が凍結されたのは1940年9月で、同時にMGM、コロンビア
フォックス、ワーナー、ユニヴァーサル、ユナイト、RKOの全てが撤退。
運命のパールハーバーを迎えるわけです。
734名無シネマさん:02/12/13 15:02 ID:yub1eUC/
735名無シネマさん:02/12/13 15:02 ID:yub1eUC/
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785名無シネマさん:02/12/13 15:05 ID:yub1eUC/
786名無シネマさん:02/12/13 15:05 ID:yub1eUC/
787名無シネマさん:02/12/13 15:05 ID:yub1eUC/
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