邪馬台国の卑弥呼の墓が奈良で発見された件

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1名無し募集中。。。
2名無し募集中。。。:2008/08/27(水) 23:36:04.99 0
注目を集めるためにとりあえず卑弥呼って言ってみるのがデフォ
3|仝゜)れいなじる ◆m5AV6vBfOg :2008/08/27(水) 23:39:48.20 0
卑弥呼は男だったって説があるな
4名無し募集中。。。:2008/08/27(水) 23:41:28.86 0
「太安万侶(おおのやすまろ)」とか有名人のフルネームがそのまま
書いてある墓碑が出土したような幸運はもうないだろうからまた一
論争あるな
5名無し募集中。。。:2008/08/27(水) 23:53:30.01 0
畿内説学者が畿内で何か出るたびに邪馬台国と絡めるのはいつもの話
6名無し募集中。。。:2008/08/27(水) 23:55:39.52 O
小野妹子は男なんだぜw
7名無し募集中。。。:2008/08/27(水) 23:56:52.82 0
卑弥呼は都市伝説
8名無し募集中。。。:2008/08/27(水) 23:58:44.59 O
九州説唱えてた学者はどう反論するのかな
9名無し募集中。。。:2008/08/27(水) 23:59:13.92 0
偽装じゃねえの?
10名無し募集中。。。:2008/08/27(水) 23:59:29.59 0
>>6
ネタ過ぎるw
11無名戦士:2008/08/28(木) 00:07:32.65 0
卑弥呼の糞に見えた
12名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 00:08:43.83 0
卑弥呼は韓国人だったらしい
13名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 00:15:35.97 0
そういえば邪馬壹国は魏志倭人伝によるところの奴国の南にあったと言われているからな
その奴国こそ大和朝廷だったんだよ
14名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 00:22:54.28 0
>>6
なわけねえだろwww
15名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 00:27:55.72 O
AV女優の卑弥呼は良かったね
16名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 01:02:02.64 0
>>4
卑弥呼で言えば陵墓から親魏倭王の金印が発掘されるようなレベルの話だな
17名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 01:03:26.77 0
卑弥呼がした占いは鬼道だったらしいから大陸系だったのは明白だろ
18i60-47-78-211.s02.a026.ap.plala.or.jp:2008/08/28(木) 01:07:15.81 0
やっぱ大和か・・・。
19名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 01:08:21.33 O
ゴッドハンドの予感
20i60-47-78-211.s02.a026.ap.plala.or.jp:2008/08/28(木) 01:09:52.97 0
さすがに、宮内庁管轄の箸墓でゴッドハンドはないだろ。
21名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 01:12:01.17 0
23 :名無しさん@九周年:2008/08/27(水) 18:24:10 ID:UB42uHH70
↓九州説派が涙をこらえて一言

24 :名無しさん@九周年:2008/08/27(水) 18:24:28 ID:+w159rOD0
ちょっとスレタイおかしくない?
この古墳自体は前から知られてるものだし
発見じゃなくて証拠が増えた
ってことじゃないの?
22名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 01:13:10.57 0
シンデレラの墓はぷりぷり県にあるよ
23名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 01:13:31.36 0
確かにこの古墳は卑弥呼の墓説がずいぶん前からあるが
今回見つかったのはあくまで外濠の跡で卑弥呼と結びつくような発見じゃない
24名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 01:13:53.38 0
卑弥呼ここに眠ると書いてあったらそこが墓だよ間違いなく
25名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 01:14:22.76 0
ゴッドハンドできるのは情報が少なく年代測定もきかない石器のみ
三万年も時代が違う
26名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 01:16:20.90 0
だが、可能性はかなり高くなった。
27名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 01:17:23.14 0
倭人伝に外濠の規模でも書いてあればまだしも
そもそも外濠に関する記述すらないんだから証拠が増えたことにすらならないよ
28名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 01:19:09.83 0
外濠の重要性を全く理解してない?
29名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 01:19:23.79 O
墓の場所くらいハッキリしとけや古代人使えねーな
30名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 01:20:06.37 0
巫女機関にいたよ
31名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 01:20:44.96 0
ひみこヲタがいるな
32名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 01:21:13.48 0
ヒミティ
33名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 01:23:55.58 0
アメノウズメ ヲタの俺は高見の見物
34p4169-ipad08oomichi.oita.ocn.ne.jp:2008/08/28(木) 01:24:02.97 0
35無名戦士:2008/08/28(木) 01:27:44.87 0
卑弥呼って個人名なのかね
日の神につかえる巫女っていう役職名なんじゃないの
36名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 01:27:47.72 0
邪馬台って中国読みだとヤマトって読むらしいな
37名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 01:29:36.03 O
卑弥呼のおっぱいうP
38名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 01:34:48.79 O
卑弥呼は日本初のアイドル
39名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 02:22:49.11 0
卑弥呼=孝霊天皇皇女倭迹迹日百襲(ヤマトトトヒモモソ)姫
壹与 =孝元天皇皇女倭迹迹(ヤマトトト)姫
40名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 02:32:08.21 0
邪馬台国は北九州
41名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 02:44:05.28 O
卑弥呼=神功皇后だろ
日本書紀にもそう書いてあるし
42名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 02:46:38.04 0
各説における各国比定と人物比定を知りたい
例えば>>39は箸墓を卑弥呼の墓とする畿内説における人物比定だな

ちなみに俺は筑後川流域説だけど
卑弥呼は天照大神で台与は万幡豊秋津姫命に比定してる
43名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 03:06:01.62 0
ハロメンならヒミコは聡明な紺野かな
44名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 03:39:04.59 0
日本書紀はあまりあてにならない
45名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 03:40:44.54 0
そもそも卑弥呼が実在したって証拠あるの?
46名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 03:57:19.92 O
三国史時代に中国に手紙送ってるだろ
47名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 04:02:36.66 0
考古学者や古代史学者は大した発見じゃなくても鐘や太鼓で大騒ぎして
注目と予算を無理やり引っ張ろうとするからタチが悪い
48名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 04:08:05.08 O
世の中には永遠に謎でなければならないこともある
49名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 04:09:08.23 0
>>46
いや同時代の物質的証拠
50名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 04:15:38.06 0
世界史も日本史も新発見があるたびどんどん変わっていくから付いていけない
51名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 04:23:17.55 O
その墓の前で「卑弥呼さまー!」ってQ太郎が叫ぶのは どこかのニュースがやらんかの
52名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 04:24:58.22 0
>>49
そんなものが出てたらとうの昔に論争は収まってるだろ
そもそもそういう証拠が残されてるのかすら疑わしいのが考古学の限界
53名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 04:29:31.45 0
これは卑弥呼の墓だ!→卑弥呼って実在したの?→卑弥呼の墓がある!→・・・
循環理論だなw
54名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 04:37:02.79 0
>>47
そうでもしないと学問そのものが死滅する
それほど資金のない世界だから仕方ない
55名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 04:57:11.76 0
後漢の時に呉の人が日本にきて邪馬台国を作ったのは有名
56名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 05:01:57.73 O
どこまでがノンフィクションなのかさっぱり
57名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 05:15:09.07 0
魏志倭人伝には卑弥呼の墓の周囲に堀があるとは書いてないぞ
58名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 05:30:49.24 0
大日本帝国復活の時が来たか
59名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 05:32:43.73 0
堀が無いとも書いてないから
60名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 05:33:08.38 0
オレは歴史素人だけど
初めて習ったときから邪馬台国論争は胡散臭いと思ってた
61名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 05:40:35.07 0
「卑弥呼」って
魏の役人が倭人の発音から字を当てたの?
62名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 05:46:23.97 0
当時の地名人名に使われてる漢字は全部そうでしょ
63名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 05:50:07.17 0
古い割にはデカい古墳
女性埋葬の伝説がある

これだけで卑弥呼って決めれる訳ねえだろ
64名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 05:54:02.47 0
唯一決め手になるものがあるとすれば親魏倭王の金印のみ
でもそれにしても台与に受け継がれた可能性もあるわけだから
「卑弥呼の墓」を完全に決定づける物証にはならない
65名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 05:55:19.61 0
箸墓はかつては年代が卑弥呼より新しいと言われてたんだが
年輪年代法でさらに遡るらしいと分かったから注目されてるんだろ
66名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 05:59:22.06 0
年輪年代法も今まで積極的に用いられてきたのが畿内の遺跡だから
他の地の遺跡にも適用してみたらどうなるかは実際の所分からない
67名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 06:01:25.87 0
>>61 「日巫女」が元だろうとの説あり実際そうでしょ「卑」なんて
字普通貴人に使わない
68名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 06:06:25.93 0
宮内庁が陵墓の発掘認めてないから、日本の古代史は永久に霧の中
神武天皇の墓まで比定されてる
69名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 06:08:21.66 0
ココ ヒミコの墓なり
なんて看板出土してケリつけてほしい
70名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 06:11:11.53 0
現在の発掘や出土品の調査技術ではまだまだわからないことも多いから
考古学会もそれほど熱心に発掘したがっているわけじゃない
71名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 06:13:34.80 0
どう考えても来たーー九州
72名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 06:19:25.20 0
そもそも魏志倭人伝に書かれてるのって邪馬台国じゃなくて
邪馬壹国なんじゃなかったっけ?
73名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 06:22:14.40 0
邪馬登国だったんじゃね?
74名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 06:22:29.15 0
古田信者とかまだいるのかw
75名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 06:22:41.92 0
臺(台の旧字)の誤字がなんちゃら
76名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 06:25:57.77 0
>>74
別に古田武彦がどうってわけじゃないけど
結局どういう読み方するの
77名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 06:34:16.53 0
邪馬台国(やまとこく)と読むのが正しい
78名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 06:41:38.28 0
もう何十年も前から対立ありきの茶番なんだろどうせ
邪馬台国論争はさ
79名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 06:42:22.34 0
>>70
もとより考古学で邪馬台国について明らかにすること自体限界があるからな
初めから仮説と割り切ってそれが複数存在しうることも認めて
互いのあら捜しより各々の説が自説の体系を組み立てるのが一番いい
どの国がどこにありどの人物が誰に相当し具体的にどんな歴史が展開されたかをな
80名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 06:43:26.64 0
畿内説が有力だと思ってたけど
九州説ってどうなのよw
81名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 06:43:51.89 0
考古学者ってどっから金貰ってるのか知らんがいい商売だよな
82名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 06:44:40.52 0
この国は大昔ヤマトという名で中国の史書にそれらしい読みの国が出てくるんだったら
もう同一国でいいだろ
83名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 06:46:16.73 O
星新一がヤマタイ国はハワイにあったと完全に証明してから40年ぐらい経つのに
84名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 06:46:28.50 0
考古学者は別に金のためにやってるわけじゃなくて自分のメンツとプライドのためにやってるだけだよ
狼のヲタ論争と似たようなもん
85名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 06:46:44.21 0
どうせどの説も決定的な証拠を持ち合わせてるわけじゃないから
声のでかい説や学界的権威を借りた説が有力ということにされる
86名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 06:47:48.77 0
日本人体中入れ墨なんかすっか?
87名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 06:48:03.64 0
中国とか韓国なんか歴史のほとんどは嘘なんだろうな
88名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 06:48:23.54 O
>>82
そのヤマトやらジパングやらは実はジャワであることという説が日本以外の世界の考古学会では有力
89名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 06:48:45.63 0
>>81
大学から給料もらって教授やってるだけで金にはならんよ
90名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 06:53:46.96 0
つまり有力云々は何の意味も無いんだよね
ヲタ論争でいう世間はとか一般人はとかいうのと全く同じ
91名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 06:56:25.49 0
まあヲタ論争と違って証拠はなくても客観的事実が過去に存在してるんだから
まったくの無意味ってわけでもない
92名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 06:58:32.46 0
>>88
検索したけどほとんどそんなこと書かれてないんだが詳しく書いてあるとこ知ってる?
93名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 06:59:44.42 0
その客観的事実の捉え方が主観を排除できるほど確かなものがあるならまだしも
そうじゃない限りは各論併記的に語るのが現状でベストだと思うけどね
畿内説には畿内説の北九州説には北九州説のとそれぞれの歴史があっていい
94名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 07:05:18.62 O
なんとか性崩壊とかいうので調べれば年代がわかるんじゃねーの?
95名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 07:06:44.18 0
その当時どっちかは未開のどうしようもない土地だったはずだから
調べればわかりそうなもんだけどな
96名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 07:07:26.12 0
年代が分かってもその遺跡がいつの時代のものかが分かるにすぎない
たとえそれが邪馬台国の時代と重なったとしても全く関係ない場合だってある
97名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 07:08:36.61 0
>>81
自分で土器を埋めて自分で発掘して日本史を塗り替えていた学者もいたよなw
教科書修正する騒ぎ
98名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 07:09:55.19 0
風俗が南方丸出しで雅な感じがしないじゃん
マジで日本じゃなくて沖縄とか台湾じゃねーの?
99名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 07:12:07.20 0
解明不可能な謎があるから日本の歴史は面白い
100名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 07:14:30.79 0
水行十日陸行一月
101名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 07:15:10.49 0
>>83
カイウラニ王女と日本皇族・山階宮定麿親王との
婚約の申し入れ受け入れてれるべきだったよな
102名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 07:31:29.99 O
邪馬台国は邪馬登国の誤字説ってもっともらしいな
どこの学者が主張してるの?
103名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 09:01:26.30 0
元CoCo(94年解散)の大野幹代さんの消息が、

まったくわかりません

大野さんの個人事務所サイトも閉鎖されてしまってます

↓のスレで、情報をお待ちしております

【CoCoの】大野幹代・2【知恵袋】
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/kyon2/1218875726/l50

元CoCoヲタの娘ヲタのみなさん、よろしく

104名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 09:08:42.13 0
>>92
デアゴスティーニの歴史のミステリのバックナンバーのどれか
105名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 09:21:35.55 0
字を持たない日本人が卑弥呼と書いていたわけではない
当時の中国人が耳で聞いたものを当時の漢字の音を元に書き残したものだ
卑弥呼っていうのは当時の中国の発音でペメハって読む
だからヒミコという名前に典拠を求めているものは全て間違い
106名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 09:57:59.14 0
>>87
韓国の捏造と一緒にするなチョン
非漢民族にワザと悪い字を当てるのは中国の伝統だろ
107名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 12:11:54.70 0
ノノ*^ー^)<卑弥呼は男だったんですか〜?

   つ))
10847.20.30.125.dy.iij4u.or.jp:2008/08/28(木) 12:15:42.40 0
たとえば筑紫都督府の存在を抹殺しているよね

あと水城とかいって一方向の防御施設と解説してるけど
迂回されたら終わりなんで 日本のしろでもそんな間抜けな防御施設
あるわけないのに真顔で白村江以降に日本が防御施設として作ったとかいってるし
109名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 13:11:39.73 0
日本語で“卑弥呼のテーマ”歌うセリーヌ・ディオン、「パワーレンジャー」に大興奮
http://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1219890971/
110名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 13:34:13.14 0
倭人が語った旅程も事実そのままなのか分からんよな
より遠くから苦労して来たように誇張した方が
相手のウケはいいだろうと考えても不思議じゃない
111名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 16:16:05.96 0
てゅかむしろ山邪馬台国から逆たどると
魏はエジプト辺りに
112名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 16:19:58.42 0
>>105
名称から明らかに軽蔑の念が感じられるし、そのまま読んでも意味無いけどな
113名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 16:24:20.84 0
だからこそ逆に単純な音読みにのみ意味があるんじゃないか
114名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 16:32:12.63 0
お前らいつも中国は捏造捏造言ってるのに
魏志倭人伝に書いてある内容が全部作り話って考えないの?
115名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 16:32:44.99 0
今の中国人とその時代の中国人は民族が別物だから
116名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 16:33:28.53 0
全部作り話とか逆にハードル高いだろ
仮にも正史で嘘八百とかばれたらクビじゃすまん
現王朝の都合の悪い部分ならともかくこんなどうでもいい部分で捏造する意味がない
117名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 16:33:42.15 0
魏も中国も漢民族の王朝じゃね?
118名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 16:33:56.19 0
その時代の中国人の方がもっと嘘つきだったら・・・
119名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 16:34:31.37 0
あ、でも毛沢東は漢民族じゃなく客家だったか
120名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 16:36:11.15 0
>>116
正史編纂者じゃなく情報の出所が作った話かもしらん
121名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 16:47:21.62 0
曹操から手紙を貰ったの?
卑弥呼すげーなww
122名無し:2008/08/28(木) 16:48:34.26 O
じゃまだい!国
123名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 16:50:38.02 0
卑弥呼必死だな
124名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 16:58:43.58 0
手紙の最後は草々で〆られていたよ
125名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 17:03:09.23 0
ヤマタイ国は徳島やってこないだテレビで云うてたで
126名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 17:10:05.34 0
せや!徳島にあるんや
127名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 17:16:41.94 0
ムエタイ発祥の地がヤマタイ国
128名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 17:17:42.76 O
こないだ福岡のどっかで銅剣が沢山見つかったのはなんだったの?
129名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 17:28:22.55 0
>>120
邪馬台国が存在したというソースが倭人伝とその類書にしかないんだから
その出所から全部作り話と疑ったらそもそも邪馬台国論議は成り立たない
130名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 17:30:43.65 0
>>110
魏使がたどった行程と倭国側がもたらした伝聞情報とが混在してるだろうから
結局それぞれの説が都合よく解釈するしかないってかそれでいいと思うけどね
131名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 17:35:00.75 0
どうでもいいようなちっぽけな国だったのかもしれんな
132名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 17:37:34.18 0
ヤマタノオロチに化けたんだろ卑弥呼?
ヤマタノオロチ伝説があるところが本命だな
133名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 17:40:17.57 0
国はアイドルに治めさせるのが一番よい!!!
134名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 17:53:02.90 0
>>132
それだと出雲か越前(越国)になっちゃうんだけど・・・
135名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 17:53:58.18 0
    ┃   
    ■  
   oノハヽo 
  从*・゚。゚・)   苦しうない
  (゚。ヽy/。゚)
  <,,ノ∞ヽ,,>
136名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 18:26:15.39 0
>>132
宇佐に一身八頭の鍛冶翁がいて5人行けば3人殺し、10人行けば5人殺したという話がある
やっぱり宇佐だな
137名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 19:12:47.20 0
138名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 20:32:28.46 0
朝鮮はこのころ帯方郡だったの?
139名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 20:42:51.54 0
そもそも、支那の書物にしか載っていない人物なんて実在するかどうかわからんだろ。
140名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 20:59:01.59 0
諸葛亮とかいるわけねえよな
141名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 21:24:45.53 0
帯方郡は今のソウルで狗邪韓国は今の釜山
ちなみに楽浪郡は今の平壌
142名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 21:28:27.96 O
昔は大陸が地続きだったから国の概念なんて今の都道府県みたいなもんだよ
143名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 21:31:36.99 0
つうか『日本書紀』では神宮皇后=卑弥呼だから
卑弥呼の墓は住吉大社だよ
144名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 21:32:23.37 0
大陸が地続きだったとか氷河期時代だろw
大移動はあっても国なんてねーよ
145名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 21:35:24.66 O
ですよねー
146名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 21:43:01.45 0
狗邪韓国にはまだ日本人が住んでたのかな
147名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 21:50:27.38 0
半島南部まで倭人の土地だってんだから渡来系弥生人を表す言葉だったんじゃねーのかな倭人って
はっきり人種のちがう縄文系見て「倭人」って認識されるのかな
148名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 21:51:20.81 0
>>147
言語だろうな
倭人を識別するものは
149名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 22:43:59.72 0
玄界灘をはさんだあの地域には韓人と倭人が混在して住んでたんじゃなかろうか
150名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 22:56:25.82 0
天皇陵は未だに発掘できないの?
151名無し募集中。。。:2008/08/28(木) 23:24:34.58 0
将来天皇制が廃止されるときまでは
152名無し募集中。。。:2008/08/29(金) 00:24:05.86 0
>>114
捏造体質なのは中国共産党であって各王朝の年代記作者はそんなことはしないから
153名無し募集中。。。:2008/08/29(金) 00:29:26.91 0
>>42
>卑弥呼は天照大神で台与は万幡豊秋津姫命に比定してる

それだったら卑弥呼は神武以前ということになっちゃうぞ

>>41
>卑弥呼=神功皇后だろ
>日本書紀にもそう書いてあるし

それも違うと思う
それだったら卑弥呼は崇神以降ということになっちゃうだろ

卑弥呼および邪馬台国は欠史八代とほぼ同時代とみるのが妥当
154名無し募集中。。。:2008/08/29(金) 01:13:30.07 0
記紀の時系列を一直線とみなす必要はないんじゃね
155名無し募集中。。。:2008/08/29(金) 01:52:48.39 0
>>153
>それだったら卑弥呼は神武以前ということになっちゃうぞ

記紀の年代を記述のままで正しいとするなら>>39になるかもしれないけど
俺は記紀の4世紀以前の年代は実際より過去に大きく引き伸ばされたと考えてるからね
実際には天照大神が2世紀末〜3世紀中頃で神武東遷が3世紀末辺りと比定してる
156名無し募集中。。。:2008/08/29(金) 03:09:02.37 0
なんで天照大神とか神武天皇が実在の人物になってるんだw
157名無し募集中。。。:2008/08/29(金) 03:20:18.54 0
記紀に書かれた名前そのものじゃなかったとしても
それに相当する人物は実在したという前提で考えてるから
158名無し募集中。。。:2008/08/29(金) 03:22:38.01 0
とんでもヒストリーになってきたな
15947.20.30.125.dy.iij4u.or.jp:2008/08/29(金) 03:44:39.53 0
日本の歴史は中国共産党あたりに占領された後じゃないと 
中世に創作された物語の域から出れないだろうねぇ   (☆^ _ ^メ)y-~
160名無し募集中。。。:2008/08/29(金) 03:51:32.50 0
そう書いてあるならそれが事実
おまえらの妄想などどうでもいいんだよ
161名無し募集中。。。:2008/08/29(金) 04:15:25.43 0
てか古代史なんてどうやったってトンデモにしかならないわけだから
むしろそれを受け入れて各自自由に想像膨らませたほうが楽しいだろ
真実の追究なんて片意地を張るからつまらない論争でしらけるんだよ
162名無し募集中。。。:2008/08/29(金) 04:58:07.06 0
>>159
どういう皮肉かわからない
日本史のどのあたりが創作なの?
中国共産党が歴史をねつ造をしないと思ってるわけは?
163名無し募集中。。。:2008/08/29(金) 06:55:40.27 0
>>161
各自自由に想像膨らませて論争どころか戦争してる国もあるけどな
中東あたりに
164名無し募集中。。。:2008/08/29(金) 07:42:08.08 0
卑弥呼のミイラでも出てくれば決着できるのにな
165名無し募集中。。。:2008/08/29(金) 07:45:05.82 0
ミイラが出ても卑弥呼かどうかで論争できるから
166名無し募集中。。。:2008/08/29(金) 08:33:51.04 0
神武天皇にそうつする人物は実在した、なんてこと言ってる人とは
神武と崇神と応神はそれぞれ別の人だと思ってるわけ?
167名無し募集中。。。:2008/08/29(金) 09:32:37.51 0
>>159
共産党の捏造はもっと酷いじゃねえかw
何言ってんだかこのゴミクズ ( ゚д゚)、ペッ
168名無し募集中。。。:2008/08/29(金) 11:31:24.97 0
>>166
もちろんだよ
同一人物とか架空の人物とかと考えなきゃいけない理由もないしね
まああくまで俺個人の考え方だけど
169名無し募集中。。。:2008/08/29(金) 11:42:32.58 0
>>163
ちゃんとそれぞれの歴史観を前面に出してる分そっちはまだ分かりやすい気もするけどな
邪馬台国スレが立つたび思うけど質問する者は多いが自説を展開する者が少ない
各国比定だけ見ても北九州説や宮崎説や徳島説は見たが畿内説のそれは見たことない
170名無し募集中。。。:2008/08/29(金) 11:48:06.88 0
ハツクニシラススメラミコトが二人いるとか神武と応神の東遷がそっくりだとかいうこと考えると
崇神と応神は神武を2個に分けたとか、崇神と応神を合わせて神武にしたとか
そう考えるのが自然かなぁと思っちゃうけどな
171名無し募集中。。。:2008/08/29(金) 11:51:22.96 0
あすかあきおが正しいと思うよ
古代日本列島は上下逆転していた
172名無し募集中。。。:2008/08/29(金) 11:52:52.15 0
古い歴史ほど新しい
古い人物ほど後付け
173名無し募集中。。。:2008/08/29(金) 11:53:53.58 0
別にお墓がどこにあったっていいじゃん
174名無し募集中。。。:2008/08/29(金) 11:57:54.28 0
>>170
その考え方の場合
人物自体を新たに創作したのかあるいは既存の人物に別人のエピソードをくっつけたのか
それだけでだいぶ違う展開になりそうな感じもするね
175p6053-ipad305osakakita.osaka.ocn.ne.jp:2008/08/29(金) 12:07:56.59 0
( ‘д‘)y-~~<まだうだうだ言うとるのかカスども 魏誌を全部読破したら3国時代の魏→晋の政治情勢に絡んだきゃくしょくだらけと読み解けるやないか あほちゃうか
176名無し:2008/08/29(金) 12:09:32.16 O
神武はヒトラーみたいな人だったと想像
177名無し募集中。。。:2008/08/29(金) 12:16:38.87 0
卑弥呼は任那日本府のあった伽耶の王、首露王の娘
名前は妙見という

ちなみに妙見の母親はインドの阿踰陀国出身の白人
つまり、卑弥呼はハーフって事
見た目はスザンヌみたいな感じだったってことでおk
178名無し募集中。。。:2008/08/29(金) 12:18:49.93 0
>>156
神武天皇は実在の人物
179名無し募集中。。。:2008/08/29(金) 12:20:04.02 0
東遷っていうけどさ
そんなあっさり故郷捨てちゃうの?
180名無し募集中。。。:2008/08/29(金) 12:25:37.66 0
とうせんぼされない限りは東遷は容易
181名無し募集中。。。:2008/08/29(金) 12:25:56.09 0
消極的理由(他国の侵攻など)で故郷を捨てざるを得なかったり
または積極的理由(勢力の拡大など)であえて故郷を捨てたりと色々あるわな
神武東遷に関しては俺個人は後者かなと思ってるが
182名無し募集中。。。:2008/08/29(金) 12:26:59.18 0
勢力の拡大なら本拠地残したままでいいはず
183名無し募集中。。。:2008/08/29(金) 12:27:19.20 0
>>179
失われたユダヤ人枝族の一部だから
184名無し募集中。。。:2008/08/29(金) 12:28:03.32 0
東遷というのは半島から騎馬民族が渡ってきて日本列島を占領したということのメタファーだろ
185名無し募集中。。。:2008/08/29(金) 12:31:50.32 0
半島に騎馬民族なんていたっけ?
186名無し募集中。。。:2008/08/29(金) 12:35:10.53 O
>>84
その為にはゴッドハンドと言われる自演も辞さないわけか
187名無し募集中。。。:2008/08/29(金) 12:36:58.49 0
自演は結局ばれて辞しただろ
188名無し募集中。。。:2008/08/29(金) 12:39:39.73 0
あいつ素人じゃん
189名無し募集中。。。:2008/08/29(金) 12:42:49.09 0
>>182
勢力の拡大によって元々の本拠が新たな勢力圏の僻地に位置するようになって
勢力圏全体を有効に支配するために本拠を移すというケースもありうると思う
まあ必然的にどっちが選ばれるはずってものではないから可能性の話だけどね
190名無し募集中。。。:2008/08/29(金) 12:43:29.15 0
都を移すなんて珍しくともなんともないけど
191名無し募集中。。。:2008/08/29(金) 12:44:44.84 0
京都→東京の明治遷都も一種の東遷みたいなものかな
192名無し募集中。。。:2008/08/29(金) 12:53:42.31 0
ぽーにょぽーにょぽにょ
193名無し募集中。。。:2008/08/29(金) 13:13:58.67 0
一気に最前線に遷都しちゃったら危ないじゃん
194名無し募集中。。。:2008/08/29(金) 13:19:12.43 0
四国説こそが正しい
195名無し募集中。。。:2008/08/29(金) 13:26:40.64 0
じゃあ俺小豆島で
196名無し募集中。。。:2008/08/29(金) 13:27:28.17 0
沖縄で
19705004012658649_vs:2008/08/29(金) 13:30:44.67 O
いずれにしても
昔の書物なんて権威の象徴でしかないわけだから
歴史なんつっても小説読むのと大差ないよ
書き手以外正解なんてわからん
だからこそそれを証明できるものが出てくるのはすごいことなんだよね
198名無し募集中。。。:2008/08/29(金) 13:31:01.56 0
まともな諜報もできない時代に
つい先年まで見知らぬ敵地だったところに遷都って
相当怖いだろう
199名無し募集中。。。:2008/08/29(金) 13:42:18.41 0
どんな危険な敵がいるかわからない場所よりも明らかな敵がいた故郷のほうが危険だったんだろ
つまりそれが狗奴国=熊襲ということだ
200名無し:2008/08/29(金) 13:42:22.79 O
古代には鏡による光通信が発達していた
201名無し募集中。。。:2008/08/29(金) 16:20:50.60 0
魏に助けを求めた卑弥呼の時ですら持ちこたえたのに
その後再び九州を追われるほどの危機に晒されたんなら
改めて晋に助けを求めてもよさそうなもんだけどね

それが無いってことは台与以降の時代には狗奴国との対立は落ち着いてたと思う
202名無し募集中。。。:2008/08/29(金) 17:44:27.54 0
大陸からの迅速な援軍なんて無理だ
と悟ったんじゃないか?
203名無し募集中。。。:2008/08/29(金) 17:51:53.80 0
狗奴国=崇神王朝だろ
204名無し募集中。。。:2008/08/29(金) 18:17:47.89 0
少なくとも卑弥呼と同時代に大和の地に諸国連合の首都と思われる遺跡があるんだから
もうそれでいいじゃん
205p6053-ipad305osakakita.osaka.ocn.ne.jp:2008/08/29(金) 18:20:05.79 0
( ‘д‘)y-~~<クヌもヤマタイもその諸国連合の一員で結局地域紛争なんだよね だから大和が諸国連合の中心都市であっても邪馬台国とは断定はできない
         
206名無し募集中。。。:2008/08/29(金) 18:26:51.24 0
>>202
俺も以前は狗奴国との対立を理由の一つに考えてたんだが
当時の本州にも出雲やら吉備やら畿内やらに政権があったわけだから
その中を東遷していくのは狗奴国とやりあう以上の国力を要すると思うんだよな
なので現時点では狗奴国は理由から外して勢力拡大を理由に考えてる
207名無し募集中。。。:2008/08/29(金) 18:40:18.37 0
ヤマタイとヤマトだぞ
一緒だろそれ
208名無し募集中。。。:2008/08/29(金) 18:44:13.99 0
>>198
当初神武東遷の頃には見知らぬ敵地に乗り込む予定ではなかったと思うよ
ニニギの天孫降臨(3世紀前期か)と同時に行われた兄ニギハヤヒの畿内降臨が
将来の畿内への勢力拡大と東遷を見越しての先遣部隊であったと考える

しかしそのニギハヤヒが本国の命に反し畿内豪族と結びついて独立したため
神武東遷では結果として見知らぬ敵地に乗り込むに等しい形になったってわけ
邪馬台国本国の東遷はたぶん神武東遷からやや遅れ情勢が落ち着いてから行われた

もし台与が生きていたらこの本国東遷の際に畿内に移っていたかもな
13歳での即位から半世紀ほど後の話だからありえないことでもない
まあこの辺は記紀と倭人伝を組み合わせた全くの個人的想像だw
209名無し募集中。。。:2008/08/29(金) 19:03:00.45 0
>>205
邪馬台国が大和にあった場合は邪馬台国イコール大和で
九州にあった場合は邪馬台国は単なる九州の一豪族に過ぎず
同時代の日本の中心は大和にあったとそういう事ですかな
210p6053-ipad305osakakita.osaka.ocn.ne.jp:2008/08/29(金) 19:05:59.21 0
( ‘д‘)y-~~<歴史の流れを見ても外国にヘルプミーしにいく国ってのは弱い方か攻め込まれて滅亡寸前の国と相場が決まっとる
          当時の大和が最大勢力であったと主張すればするほどヤマタイは他所ぢゃないの?と思ってしまう
211名無し募集中。。。:2008/08/29(金) 19:34:22.60 0
纏向遺跡と箸墓古墳は近いし確定かね
212名無し募集中。。。:2008/08/29(金) 19:36:45.98 0
中心なんてねえ
213名無し募集中。。。:2008/08/29(金) 19:47:02.20 0
大阪は天皇の墳墓がめちゃおおいね!
214名無し募集中。。。:2008/08/29(金) 19:55:45.01 0
邪馬台国の延長に大和王権があるとは限らないんじゃないの?
215名無し募集中。。。:2008/08/29(金) 20:16:04.32 0
北九州にあった邪馬台国が大陸からの技術移入により強大になり
まず西日本を支配しついで東国支配のため本拠地を畿内に移した
っていうストーリーは受け入れやすいんだが
216名無し募集中。。。:2008/08/29(金) 20:24:22.37 O
当時の中華ならにんべんがあるだけありがたいと思えとか言いそうなんだがな

中華がつけた異民族の名称はどう考えても見下してるとしか思えない
217名無し募集中。。。:2008/08/29(金) 20:33:00.47 0
神武東遷って建国神話に典型的なモチーフだよな
何らかの史実が背後にあるとか考えても無駄
218名無し募集中。。。:2008/08/29(金) 20:52:53.45 0
ヤマタイカ
219名無し募集中。。。:2008/08/29(金) 21:22:05.54 0
>>214
邪馬台国が東遷して旧畿内政権を倒し乗っ取ってそのまま大和朝廷に発展したのではなく
東遷した邪馬台国と旧畿内政権が融合する形で大和朝廷ができたというのが俺のイメージ
220名無し募集中。。。:2008/08/29(金) 22:35:03.93 0
>>215
基本的にそういう流れだったと思うよ
東遷前にはすでに国譲りで出雲を勢力下に置いてたと考えられるし
一方畿内政権は東国にも一定の影響力を持ってたろうから
221名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 00:45:24.49 0
 
222名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 02:26:37.72 0
>>141
> 帯方郡は今のソウルで狗邪韓国は今の釜山

狗邪韓国は倭ではなかったのかな
帯方郡は国とは違うのかな
魏志には韓国については書かれてないのかな
223名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 02:54:27.16 0
記紀を読むと神武以降大和朝廷が出来上がってから
再度九州を攻めてやっと統一を果たしたイメージなんだが
どうもストーリーがちぐはぐな印象
224名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 03:28:13.85 0
>>222
狗邪韓国が倭なら対馬国以下の主要国と同様官名や戸数等が書かれてるはずなので韓と考えられる
帯方郡は国ではなくて中国が朝鮮半島に置いた政治・経済・軍事の地方拠点
魏志倭人伝は正式には「三国志魏書東夷伝倭人条」と呼ぶが同じ東夷伝の中に韓条という韓について書かれた部分がある
225名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 06:34:41.56 0
>>223
邪馬台国の王家や政府いわば首脳部が畿内に東遷した後も
邪馬台国や狗奴国などの国々それ自体は地方国として九州に存続し続けた
やがてそれらは旧畿内政権と融合し大和朝廷に発展した旧邪馬台国首脳部と利害対立して
熊襲や磐井といった形で大和朝廷に抵抗したがやがて平定され吸収された

みたいなイメージで理解することもできるんじゃないかな
226   :2008/08/30(土) 08:07:41.20 0
http://inoues.net/club/chimei.gif

筑後川流域 甘木 朝倉近辺と奈良の地名の酷似
これが東遷の痕跡だと安本美典氏は説いている
227名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 08:22:49.10 0
好古都(ハオコト)国はハカタ(博多)じゃないかと思う 好はニーハオのハオで
不呼(フコ)国はフクオカ(福岡)か
対蘇(トイソ)国はトス(鳥栖)じゃないかな
華奴蘇奴(カナサナ)国はカンザキ(神崎)か
鬼(キ)国はキヤマ(基山)か
為吾(イゴ)国はオゴオリ(小郡)か
邪馬国(ヤマ)はアマギ(甘木)か
烏奴(ウナ)国はヤナガワ(柳川)か
最後の奴国(ナ)は熊本との国境でナンカン(南関)か
邪馬台国は本当は邪馬壱(ヤマイ)国で(ヤメ)八女か
228名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 09:10:58.63 0
229名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 09:40:57.81 0
当時の倭国がどこまでの範囲かも重要か
230名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 11:31:38.40 0
>>228
福岡は黒田の命名か
じゃあ箱崎は?
不呼(フコ)国はハコザキ(箱崎)か
231p6164-ipad74osakakita.osaka.ocn.ne.jp:2008/08/30(土) 11:34:33.68 0
( ‘д‘)y-~~<最大勢力があったから大和だとか言う奴もアホだがそんな語呂合わせで主張する奴もかない痛い でも学者ですら論説で苦しくなったらそういう事言い始める奴も居るのが笑える
232名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 11:35:29.64 0
九州説ヲタ涙目だなw
233名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 11:40:30.98 0
いや全然
234名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 11:42:51.66 0
平安京ですら半径4〜5kmの規模なのに邪馬台国なんて原始人の巣窟どうでもいいだろjk
堅苦しく考えすぎ何だよww
235名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 12:05:24.76 0
>>227
どの説でもこの旁国21ヶ国の比定については
他に判断材料がないために現存する地名の半ばこじつけで行っているな

少なくとも現存する地名の由来を明らかにしない限り
この21ヶ国個々の比定に時間を割くのははっきり言って無意味
前後の記述からこれら旁国がどの辺りに分布してたか程度の比定で十分だと思う
236p6164-ipad74osakakita.osaka.ocn.ne.jp:2008/08/30(土) 12:11:23.54 0
( ‘д‘)y-~~<といいながらも、まつろ国が松浦である事にはわしも賛成
237名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 12:15:56.02 0
地名は1000年保たれるって言われるくらい
変化が少ないものだよ
238名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 12:20:21.81 0
>>229
倭国の範囲は説によっても大きく変わってくるだろうね
北九州説の俺は倭人伝にいう倭国の範囲を対馬・壱岐を含む九州島と考えるが
239名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 12:22:44.05 0
信長の弟子たちが日本中で信長の真似ごとやったから古い地名は結構消えてるぞ
240名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 12:25:38.85 0
箸墓古墳はマンコに箸突き刺さって出血多量で亡くなった女の墓
241名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 12:26:32.44 0
くだらねーw
242名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 12:26:43.74 0
卑弥呼って在位30年くらいあったんだろ
元々九州に地盤あって東征しながら大和に来て亡くなったんだろ
243名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 12:28:08.00 0
情報が豊富な主要国のうち対馬国・一支国・末盧国までは
どの説もだいたい対馬・壱岐・東松浦半島に当てるのが一般的だな
末盧国の中心地は現在の唐津市あたりか
問題はその先で説によって派手に分かれていくw
244名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 12:28:41.48 0
邪馬台国がそんなにデカったら南にあるという狗奴国はどこなんだよ
あそこだって邪馬台国とほぼ互角の勢力なんだぞ
それから邪馬台国の東にあるという海とその向こうの倭人の国というのも説明がつかねえだろ
245名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 12:30:37.22 0
倭人伝以外は全部妄想だから意味無し
246名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 12:30:58.22 0
九州とか毎年タイフーン来て水害が凄いからな
より温暖な土地求めてやってきたってことなのかもしれない
あるいは朝貢貿易に嫌気がさして手の届かない所まで逃れたのかも
247名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 12:32:06.09 0
狗奴国は熊本
248名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 12:33:10.32 0
言っとくけど朝貢貿易というのは貢物を持ってくるほうがよっぽど儲かるんだぞ
宗主国はメンツとして貢がれたものより価値のあるものを下げ渡すからな
足利義満なんかその儲けで金閣建てたんだから
249名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 12:33:55.58 0
各国の状況はせいぜい数百戸なんだぞ
お前ら突拍子もないことを言い出しすぎ
250名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 12:34:56.74 0
俺も狗奴国は南九州だと思うなぁ
とすると邪馬台国は北九州にあるのが自然
どう見ても畿内あたりの風習じゃないだろ邪馬台国の風習は
251名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 12:36:37.47 0
九州全域を統治できるような超文明があれば歴史は確実に残っているはずである
252名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 12:38:01.57 0
だから、卑弥呼は任那日本府のあった伽耶の王女って言うとろーが!

それで、伽耶の人間も倭人だからな

伽耶の首露王と、インドの阿踰陀国の王女とのハーフだよ卑弥呼は
253p6164-ipad74osakakita.osaka.ocn.ne.jp:2008/08/30(土) 12:39:37.33 0
( ‘д‘)y-~~<倭人伝が妄想であるというのは今のまともな学者の一致した見解でもあるよな 
          倭国までの行程はまったく西に向けると丁度当時の中国(決して魏ではない)のライバルであったクシャンの首都にたどり着く
254p6164-ipad74osakakita.osaka.ocn.ne.jp:2008/08/30(土) 12:42:18.88 0
( ‘д‘)y-~~<クシャンは魏(晋だったかな?)に朝貢しており、東にもクシャンと同様の大国倭があり魏に朝貢してきた=漢の正式な後継者は魏国である
          との権威付けの為に倭国の朝貢を利用して倭を誇大に書いた
          なので倭国への行程など夢物語なのであるとの論説であるが、非常に論理的でもある
255名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 12:42:52.44 0
もともと当時は男の王が君臨するたびに争いが起こってたんで
卑弥呼が選ばれたんだよな
256名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 12:46:16.06 0
当時30国あった倭国のうち20国を統治してたってことだから
そのうちの20国の中の女王だった卑弥呼が邪馬台国の女王に選ばれたってことじゃね
257名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 12:46:53.38 0
九州の女王が大親分になって大和に君臨したと
258名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 12:48:32.87 0
九州から北上して大和に君臨したのはヤマトタケルだから
259p6164-ipad74osakakita.osaka.ocn.ne.jp:2008/08/30(土) 12:48:45.93 0
( ‘д‘)y-~~<邪馬台国が東遷とか言うとるがもはや戦前のなにも分かってない時代の論説でこれだけ遺跡調査が進んだ今
          瀬戸内海の広島東部から四国の瀬戸内海〜畿内〜滋賀にかけての連合国家が2世紀に存在していたとはっきり分かっておる今ありえん話や
     
260名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 12:48:52.79 0
そこまでは言ってない
261名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 12:49:57.90 0
>>259
さっさとその結果を出版しろハゲ
262名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 12:50:52.33 0
【新説】邪馬台国は四国徳島だった?!【浮上】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1206513695/

377 :日本@名無史さん:2008/08/27(水) 22:48:12
邪馬台国の女王卑弥呼の墓説がある奈良県桜井市の前方後円墳、
箸墓古墳(3世紀半ば―後半、全長約280メートル)で、前方部正面に
幅60―70メートルと推定される外濠跡が見つかったことが27日、分かった。
外濠の幅は、同じ纒向遺跡にある箸墓以前に築造された古墳と
比べると突出した規模。調査した市教育委員会は「古墳は箸墓の時代から、
急に周囲と隔絶され近寄りがたい存在になった。被葬者の力が
他を圧倒していたことを示すのではないか」としている。

外濠跡はこれまで前方部の側面2カ所で確認されていたが、正面では初めて。
本格的な前方後円墳の始まりとされる箸墓の築造時の墳丘構造を
考える材料になりそうだ。
前方部の南西約60メートルで、古墳側に向かって落ち込む深さ
1.3メートル以上の傾斜を発見。底付近はアシなど湿地に生える植物と
泥が混ざった土層が堆積し、古墳築造時と同時期の土器が
出土したことから、外濠の端と判断した。

*+*+ NIKKEI NET 2008/08/27[18:06] +*+*
http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20080827STXKC086126082008.html

【社会】「卑弥呼の墓」発見か?箸墓古墳の前方部正面に幅60メートルの外濠 - 奈良★2
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1219843881/


378 :↑:2008/08/28(木) 03:54:40
馬具の出た箸墓は、牛馬のいない卑弥呼の時代のものではない。

263名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 12:51:12.36 0
その糞みたいな駄説はどうでもいいんで
264名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 12:51:44.38 0
カジキさんもあれだけ本で卑弥呼の容貌は白人だって言うとろーが!!!

卑弥呼は白人美少女だろが!!
265p6164-ipad74osakakita.osaka.ocn.ne.jp:2008/08/30(土) 12:53:08.02 0
( ‘д‘)y-~~<邪馬台国は普通に徳島やろ 明らかに瀬戸内の諸国のどこか 畿内も一緒の連合国家であったので大和も10%ぐらいは可能性はあるが
266名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 12:53:28.62 0
ていうかシナ人が知らなかっただけで北九州にあったような連合国家が
当時の瀬戸内海にも畿内にもあったんだろ
それは否定しない
だからシナ人の書いた邪馬台国は北九州
267名無し募集中。。。  :2008/08/30(土) 12:53:39.67 0
邪馬台国=ヤマトコクと読む
268名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 12:55:11.70 0
大和なんてあり得ねえよ
狩猟と漁業がメインの原始人なのに盆地で発達するわけがねえ
269p6164-ipad74osakakita.osaka.ocn.ne.jp:2008/08/30(土) 12:55:49.82 0
( ‘д‘)y-~~<九州説が有力であるのも当然であるとは思うが、如何せん邪馬台国時代の出土品が乏しすぎる
         邪馬台国以前に倭国の中心であった事は出土品や遺構からも明らかであるが
270p6164-ipad74osakakita.osaka.ocn.ne.jp:2008/08/30(土) 12:57:03.17 0
( ‘д‘)y-~~<九州説の人達もその原始人の吉野ヶ里遺跡を邪馬台国とか言ってるレベルなんだよねぇ
271名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 12:57:09.21 0
>>264
カジキさんって何?
272名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 12:58:59.96 0
ここの連中は時代背景を完全無視だからな
卑弥呼の時代を江戸時代ぐらいと勘違いしてる奴多すぎ
273名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 12:59:44.34 0
>>259
それらの連合国の大王についた男たちが争いくりひろげたんで
九州の卑弥呼にが選ばれて邪馬台国の女王になったんじゃね
274名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 13:01:05.22 0
徳島はユダヤ人とかそういうの胡散臭すぎ
275名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 13:01:07.75 0
>>268
田畑の数についても魏志倭人伝に記されてるんだが
276名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 13:02:49.45 0
邪馬台国って海路で10日そっから陸路で1ヶ月かかるって書いてあるよね
277名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 13:03:15.73 0
南至邪馬壹國、女王之所都、水行十日陸行一月
278名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 13:03:28.46 0
だからメインの話ね
交通手段もろくにないのに麦が出来なかったらどうすんだよ
279p6164-ipad74osakakita.osaka.ocn.ne.jp:2008/08/30(土) 13:03:43.26 0
( ‘д‘)y-~~<女シャーマンの痕跡が残るのは沖縄、菊池氏、北陸、出雲、大和あたり
         逆に争乱の北部九州にそのあたりから女王が呼ばれたと考える方が論理的なのでは
280名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 13:03:53.87 0
俺の家の物置から卑弥呼のAVが発掘されたから
邪馬台国はうちにあった
281名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 13:05:29.34 0
とりあえずヅラかぶれ
282名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 13:05:55.53 0
邪馬台国は竹島にあった
283p6164-ipad74osakakita.osaka.ocn.ne.jp:2008/08/30(土) 13:08:19.57 0
( ‘д‘)y-~~<あと徳島にも女シャーマンの祭祀の痕跡があるんだよ〜
284名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 13:09:49.14 0
>>237
ここ5年くらいの間に夥しい数の地名が地図から消えましたが
285名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 13:15:22.40 0
大阪、お前は徳島から出てきとるんやろ?
286名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 13:16:55.83 0
歴史的に見て文化の発祥はどう考えても九州なので邪馬台国も当然九州だと思うよ
DNAでも倭人が中国から渡ってきているのは疑いようもないしな
現実にその後の史書で九州から本州に渡っていく歴史が記されているわけだしな
287p6164-ipad74osakakita.osaka.ocn.ne.jp:2008/08/30(土) 13:21:36.65 0
( ‘д‘)y-~~<東遷の事かな あれは宮崎→徳島→大和だよ その証拠に東部四国と近畿の地名が線対称になっておるだろ
288卑弥呼:2008/08/30(土) 15:01:32.28 0
九州説って2ちゃんねるでは有力だけど、考古学会ではほぼ否定されてるらしいね
289名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 15:14:35.13 0
行程の表記間違いというのが一番現実的だから自然と畿内説が有力になる
だが取って付けたように解釈すればどうにでもなるぐらいの資料しか残っていない
290名無し募集中。。。  :2008/08/30(土) 15:17:02.63 0
台与で「ト」ヨと読むなら邪馬台もヤマ「ト」と読んでいいと思う
291名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 15:25:51.36 0
邪馬「台」じゃないからな
292名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 15:36:54.50 0
正確には邪馬「壹」国だね
293名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 16:41:56.00 0
ぼっさんが邪馬台国に興味があったとは
294名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 17:07:37.78 0
新たな歴史的な文書でも発掘されないと
決着つきようが無いよ
295名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 17:11:02.02 0
今から発見されるような文書に信がおけるわけがない
296名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 17:34:18.64 0
どんな遺物が出てきたところでいかようにでも都合よく解釈できるしな
結局俺流のストーリーを妄想するのが邪馬台国論の正しい楽しみ方だよ
297名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 18:18:18.44 0
地磁気逆転説を素通りにして邪馬台国は語れない
298名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 18:38:04.28 0
地名が対応してるの面白いな
299名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 19:15:00.48 0
当時、魏と呉が戦争状態だったため
呉の背後にいる倭国連合と魏は同盟を結んだ
その倭国連合を大きく見せるために誇大して倭国連合を書いたという説もあるよ
300名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 20:47:39.64 0
親魏倭王の印も中国に返してるだろうし鏡も今一だし卑弥呼の墓の証拠は何が一番有効?
301名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 20:51:06.45 O
墓石に「ひみ子」って書いてたら確定だろ
302名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 20:52:26.49 0
从*・`。´・)<FBI超能力捜査班のマクモーニグルが山口県だって言ってたの!
       山口に決定したもどうぜんなの!!
303名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 20:52:46.83 0
邪馬台国は九州にあったんだから有りえないな
304220.163.210.220.dy.bbexcite.jp:2008/08/30(土) 20:53:22.02 0
( ‘д‘)y-~~<山口はかなり有力だよ 少なくとも北部九州よりはかなり有力だろうな
305名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 20:56:46.16 0
ぼっさん向こうのほうはネタ切れか?
306名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 20:57:17.13 0
从*・`。´・)<マクモニーグルは安徳天皇西市御陵墓参考地が卑弥呼の墓だって言ってるの
http://www.geocities.jp/kakitutei_pickup/genpei/antoku2.html
307名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 21:00:53.65 0
安徳帝は中年期まで生きて神戸で死んだと聞いてるけど
308名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 21:02:15.70 0
>>307
从*・`。´・)<だからなの!これは安徳天皇のお墓じゃないの!
       そもそも安徳天皇が死んだ壇ノ浦からかなり遠いの!
309名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 21:05:43.03 0
从*・`。´・)<正確に言うと山口は卑弥呼の出身国つまり女王国なの
       邪馬台国とは違うの
310名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 21:06:14.26 0
どー見ても近畿北陸東海
311名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 21:06:35.64 0
近畿はどう転んでもないわw
312220.163.210.220.dy.bbexcite.jp:2008/08/30(土) 21:08:25.68 0
( ‘д‘)y-~~<発掘は冬が多いからな 夏場はネタは出ないな 
313名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 21:10:02.99 0
ちなみに天叢雲剣は帝の亡骸とともに埋葬されてるらしい
314220.163.210.220.dy.bbexcite.jp:2008/08/30(土) 21:15:08.71 0
( ‘д‘)y-~~<3世紀の倭国大乱と書かれた時期とぴったり一致する高地性環濠集落遺跡がまだ殆ど発掘されていない
         今後これらを調べる事によってかなり邪馬台国論争にも決着がついてくるだろうな
         近畿で発掘されているものには激しい戦乱の痕跡があるね
         幸い高地にあるので開発の波に揉まれていないものが多い
         千奈美に九州からはこの時期の高地性遺跡はまったく発見されない
315名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 21:19:06.85 0
ぼっさんは畿内説なのか
316220.163.210.220.dy.bbexcite.jp:2008/08/30(土) 21:20:44.97 0
( ‘д‘)y-~~<それと山口の高台にある関門海峡から瀬戸内海〜日本海を監視できる巨大な高地遺跡から
          かなり焼け焦げて戦闘の痕跡と考えられる遺物が出土してるね
          2世紀〜あたりと思われるらしい
          クヌかヤマタイのどちらかの要塞であろうな
          今後は山口県あたりの遺跡や遺構から目が離せんよ
317220.163.210.220.dy.bbexcite.jp:2008/08/30(土) 21:23:25.54 0
( ‘д‘)y-~~<わしは畿内ではないが瀬戸内の連合国家が大和を含んでいたのはもはや否定できない事実であるし
          神武の東征をよーく読んでみると大宇陀あたりで数年本拠地を置いて大和を攻略しておる
          史実かどうかは知らんが大宇陀なんて行ってみたら分かるが平地などない
          大和朝廷に繋がる勢力は高地性の陣地を得意にしていたか重要視していたのは間違いのない事実
318名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 21:25:22.17 0
九州のがどう転んでもないだろw
319名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 21:25:56.67 0
ぼんさんは邪馬台国が日本にたくさんあった連合国家の一つという考え方はどう思う?
例えば九州にあった連合国家が邪馬台国で
奈良あたりにあったのが大和とか
320名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 21:28:16.24 0
高千穂が邪馬台国に決まってるだろ
321名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 21:30:30.30 0
>>319
つうか現在はそれが主流の考え方だよ
東北には荒覇吐王国があったし
322220.163.210.220.dy.bbexcite.jp:2008/08/30(土) 21:31:36.14 0
( ‘д‘)y-~~<魏志倭人伝をよ〜く読んだら分かるが、邪馬台(壱)国と記述のあるのは一箇所だけ
          しかも倭の連合国家の一つとしか書いていない
          記述の連合国家群の中ではダントツの戸数ではあるが
          ただあの戸数もおそらくはクシャン帝国にひけをとらないように魏が捏造したものであるのは間違いないであろう
323名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 21:32:28.31 0
倭と大和は別の政権だから間違わないように
324名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 21:33:01.99 0
更に言うと日本という国は東北地方に既にあった
325名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 21:33:31.56 0
>>321
主流になったのか・・・
10年前は九州か奈良かの二元説以外は見向きもされてなかったのに・・・
326名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 21:35:27.89 0
>>325
連合国家なのは間違いないが
九州か畿内かはまだ決着ついていない
327220.163.210.220.dy.bbexcite.jp:2008/08/30(土) 21:38:09.72 0
( ‘д‘)y-~~<三国志では誇張しておるので勘違いしそうになるが、当時の呉など3万の軍勢を動員するのがやっとの状態
          それくらい中央平原は疲弊しておった、呉は蓬莱国に兵を探しにいくというくだりがあるが、それぐらいどの国も
          人口がすくなかった
          そこへ、東の大国倭が朝貢してきたのをいい事に魏は誇張して倭の人口を水増ししたと考えられる
          皆さんもご存知遼東の公孫氏は呉と結んで魏と対立して仲達に討たれたわけだが、その向こうに倭という
          親魏倭王がおまっせという事実を作って民心を集め三国時代を有利に乗り切りたかったのであろう
328名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 21:38:20.37 0
アラハバキってw
329名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 21:39:53.22 0
小中国のイカサマ歴史書なんてあてにならんよ
あいつらワカメが不老不死の薬と思って盗りにきただけだし
330220.163.210.220.dy.bbexcite.jp:2008/08/30(土) 21:44:01.28 0
( ‘д‘)y-~~<なので倭国をどうしても兵力3万は動員できる呉を牽制できる国に捏造したのであろう
          千奈美に晋時代に同盟を破ってアフガニスタンからチベットに攻めてきたクシャンも兵3万〜5万
          
331220.163.210.220.dy.bbexcite.jp:2008/08/30(土) 21:46:55.86 0
( ‘д‘)y-~~<5世紀の西日本を制覇した倭の五王ですら半島に出兵したのは2万人台と推定されてる今
         魏志倭人伝の邪馬台国の誇張っぷりは凄い
         おそらくは人口5万程度の国家連合同士の戦いがクヌ対邪馬台国の真実ではないかな〜と思うがどうか
332220.163.210.220.dy.bbexcite.jp:2008/08/30(土) 21:51:05.86 0
( ‘д‘)y-~~<倭国連合が兵1万5千と多く見ても邪馬台国は魏志倭人伝の割合からいうとせいぜい3〜4千で5千人は無理か
          そう考えると6世紀の物部氏と変わらん勢力になる
          物部氏が当時の大阪程度の支配地域で兵3〜4千ならば邪馬台国自体はそれぐらいかそれ以下の勢力範囲だったのではないか
          すなわち今の一県をしはいしてる程度の連合国家の一つとなる
333名無し募集中。。。:2008/08/30(土) 22:37:47.53 0
読み難いから顔文字やめれ
334名無し募集中。。。:2008/08/31(日) 00:23:52.62 0
中国の史書ってリアルタイムじゃなくて次の政権の時に書かれるじゃん
別に兵力誇張せんでもいい時代になってから書かれてるんと違うの?
335名無し募集中。。。:2008/08/31(日) 00:29:02.25 0
縄文時代から稲作も日本各地との貿易もしてるし
大昔からかなり日本の技術高かったんだよね
つまり数なんかより質ってことだ
有力な指導者がいれば大都市はできる
33684.93.30.125.dy.iij4u.or.jp:2008/08/31(日) 00:55:38.55 0
>>330
てか 魏志倭人伝って280年-290年ごろに書かれたらしい
つまり 呉は滅びた後に書かれたんで  

ことさら呉を牽制する国にする必要ないだろうと思うよ  (☆´_ `メ)y-~

いろんな事をちゃんと西暦に引きなおさないとおかしな議論になるし
実際日本の歴史はなりがちかと
337名無し募集中。。。:2008/08/31(日) 01:00:25.03 0
女王国が実際にあった場所から
考古学的に倭人伝の記述に見合った遺跡遺構が見つからなくても不思議ではない
その意味がわかる人にはわかるが考古学者や文献史学者には受け入れられないであろう
338220.163.210.220.dy.bbexcite.jp:2008/08/31(日) 01:02:36.60 0
( ‘д‘)y-~~<書かれたのは晋時代であるが外敵や鮮卑の反乱など遠交近戦であるのはこの時代も変わりは無いな
          魏志倭人伝の行程の記述は明らかにクシャンまでの道程を西から東に代えただけのもの
          それくらい東西の大国としての誇張は必要であったのは間違いのない事実
          それと成立したのはその時代であるが魏志倭人伝は漢時代からの日本の風俗などの文献を採用しておるのも明らかであろう
          なので全身タトゥーだとか無茶苦茶な日本の紹介になっとる
          昭和50年代までフランスの教科書に日本の紹介でいまだにチョンマゲですみたいな写真が載っておったらしいがそんなものであろう
339名無し募集中。。。:2008/08/31(日) 01:02:39.07 0
なんかこんなスレであぼーんがあるんだが
糞固定でもきたのか?
340名無し募集中。。。:2008/08/31(日) 01:03:23.25 0
>>338
見難いって言ったのが分からんのか?
341名無し募集中。。。:2008/08/31(日) 01:03:45.63 0
邪馬台国はどう考えても九州だろ
342220.163.210.220.dy.bbexcite.jp:2008/08/31(日) 01:06:09.29 0
( ‘д‘)y-~~<まぁ残念だが可能性としては 瀬戸内海諸国>大和>南部九州>>>>>>屋久島>超えられない壁>北部九州
          ってとこだろうな考古学的には
343名無し募集中。。。:2008/08/31(日) 01:07:58.71 0
>>342
見難いって言ったのが分からんのか?
344名無し募集中。。。:2008/08/31(日) 01:08:29.67 0
>>342
小便して寝ろ
九州に決まってるんだよ
345220.163.210.220.dy.bbexcite.jp:2008/08/31(日) 01:10:06.92 0
( ‘д‘)y-~~<ただ天皇家の3種の神器である伊勢神宮の鏡は間違いなく筑紫平野から発掘された大型花紋帯神獣鏡と同一であるのは間違いないであろう
          このあたりがややこしいが、混同していたら邪馬台国探しまでおかしくなってしまうのでね
346220.163.210.220.dy.bbexcite.jp:2008/08/31(日) 01:12:05.29 0
( ‘д‘)y-~~<2世紀に倭の首都であったのが北部九州であるのも間違いないし、3世紀には北部九州は首都ではなくなっているのも間違いない
          これはもはや考古学的には覆しようのない現実であるよ
347名無し募集中。。。:2008/08/31(日) 01:15:51.98 0
邪馬台国が日本の首都であった必要はまったくないのだよ糞固定
348名無し募集中。。。:2008/08/31(日) 01:20:07.29 0
女王の伝統的出身国?
34984.93.30.125.dy.iij4u.or.jp:2008/08/31(日) 01:21:13.33 0
>>338
晋に言及されているけど その晋書は西暦648年に完成して
そこに240年に東倭というのが朝貢してきたと出てくるんですね これを近畿の政権であり
邪馬台国である倭よりもさらに東の国と考えられるんですね

それらの記述には魏書からの たんたんとした継続性がありますし
ことさら魏書を否定する記述も無いようなんですよね  (☆´_ `メ)y-~
350名無し募集中。。。:2008/08/31(日) 01:22:09.32 0
何だこのスレ
351名無し募集中。。。:2008/08/31(日) 01:26:21.26 0
火の国火の巫女
阿蘇桜島雲仙
352220.163.210.220.dy.bbexcite.jp:2008/08/31(日) 01:29:55.05 0
( ‘д‘)y-~~<むしろ延々と連続性があるのに東倭と記述してる時点で倭が東遷したという証拠になるのではないかな
          西暦648年なら今の天皇家の先祖ととして確実に存在したと思われる天智王朝の親の頃ですな
          その大和王権を東倭と書き、決してクヌや他国の名称を使ってない時点で倭国=東倭=大和なのでは
          古事記で最初にできた国=淡路島は倭国連合の中心か祭祀の場所か首都として、次に生まれる四国こそが
          元の倭国の中心地であったのはこれで間違いの無い事実ということになりますな
          おそらくは倭国の中心国=邪馬台国は四国であったのが、晋書からも伺える訳であります
353名無し募集中。。。:2008/08/31(日) 01:32:58.43 0
倭国の中心国=邪馬台国

この認識がなあ
354名無し募集中。。。:2008/08/31(日) 01:33:42.58 0
当時の奈良は沼地で人なんか住んでなかったらしいからね
奈良の古墳の年代も無理やり繰り上げてるし
35584.93.30.125.dy.iij4u.or.jp:2008/08/31(日) 01:34:30.56 0
んでもって530年ごろ完成した宋書に
倭の5王ってのがのっていて  それをまともにやると日本書紀の天皇に
当てはめるなんて無理があるのですが
適当に日本の天皇にあてはめちゃってる歴史書が多いですけど

はたして478年に宋に使節を送ったらしい
倭王 武とかが日本書紀にのってる天皇の誰かかどうか
怪しい部分ありますよね

というのは  日本書記が720年に完成しているのに
宋に478年に使節を送ったとか書いてないようですからね
356220.163.210.220.dy.bbexcite.jp:2008/08/31(日) 01:34:49.42 0
( ‘д‘)y-~~<その倭国の首都=四国が東遷して大和に移ったのが前方後円墳の発生時期からももはや明らか
          すなわち2世紀前後に徳島で発生した前方後円墳が吉備や大和に移って3世紀に巨大化していく
          この覆しようのない現存の古墳の発掘調査結果と記紀の記述、魏志、晋書、漢伝の記述
          それらを総合すると、邪馬台国時代のいわゆる倭国の支配者は瀬戸内の国家の中でも徳島あたりが有力となるわけです
357220.163.210.220.dy.bbexcite.jp:2008/08/31(日) 01:38:29.28 0
( ‘д‘)y-~~<倭の5王はもはやかなりの部分で明らかでしょ
          少なくとも瀬戸内連合国家=倭の国家群の一つの王家であるのは確か
          余所から来た奴らではない
          その証拠に仁徳朝あたりの記紀の記述にはこの王権が紀伊や吉備と繋がりがあり、一枚岩ではなく
          軍閥連合で韓半島征伐に向かう間に紀伊が反乱をおこしたりしてる事をはっきりと書いておる
35884.93.30.125.dy.iij4u.or.jp:2008/08/31(日) 01:38:52.81 0
>>349

東倭   晋書   でググルと頭に出てくる所で 本が読めますが
そこは 倭と東倭が 併記されていることから  別の国であると考えている
ようです  (☆´_ `メ)y-~
359名無し募集中。。。:2008/08/31(日) 01:39:25.56 0
四国なんて水不足のところにまとも国ができるわけないだろ
360名無し募集中。。。:2008/08/31(日) 01:39:57.14 0
銅鏡と銅鐸の発掘分布を考えれば分かる事だろう
文化圏が全く異なるのだよ
邪馬台国は銅鏡文化圏である事が倭人伝から推察される
361220.163.210.220.dy.bbexcite.jp:2008/08/31(日) 01:40:16.10 0
( ‘д‘)y-~~<3世紀の倭とまったく無関係の征服王朝であれば、何故紀伊や吉備との関連があるのかそこを論理的に否定してもらいたい
362名無し募集中。。。:2008/08/31(日) 01:40:52.61 0
>>358
自演失敗したみたいだな
m9(^Д^)プギャー ッ
363名無し募集中。。。:2008/08/31(日) 01:41:33.42 0
邪馬台国は制服王朝ではなく
滅んだ九州の王朝なのだよ
364名無し募集中。。。:2008/08/31(日) 01:43:05.42 0
出雲から東は銅鐸文化圏だからな
邪馬台国は銅鏡文化圏だから九州以外にはありえない
365220.163.210.220.dy.bbexcite.jp:2008/08/31(日) 01:43:13.99 0
( ‘д‘)y-~~<東倭と倭が併記とおっしゃりますが、根本的に別の国の論説してる学者が居るだけで
          日本が単に単一の国土ではないのでそのように表記してると言ってる学者もおる
          九州説や畿内説程度の低いレベルの違いと思うが
366220.163.210.220.dy.bbexcite.jp:2008/08/31(日) 01:45:51.50 0
( ‘д‘)y-~~<銅鏡は漢時代のものが多数四国からも出土しております
          土佐からは北部九州に劣らない数の銅矛が出土しております
          高知ではおそらくは神話時代のものであると言われる銅矛を昭和になっても祭りに使っておるという現状もあります
          九州では消滅して遺物でしか出てこないものですな
367名無し募集中。。。:2008/08/31(日) 01:50:03.86 0
四国人のオナニーはもうあぼーんしてもいいかな?
368220.163.210.220.dy.bbexcite.jp:2008/08/31(日) 01:52:29.40 0
( ‘д‘)y-~~<文化圏が違うってなら銅鐸銅矛文化時代に筑紫平野の東西でまったく文化、国家が違と判断せざるを得ない出土品についてはどう説明するのかな?
369名無し募集中。。。:2008/08/31(日) 01:54:32.52 0
それぞれの文化を尊重した連合国家と思えば問題ない
370名無し募集中。。。:2008/08/31(日) 01:55:09.15 0
君が代は九州王朝賛歌なり

君が代は千代に八千代に
さざれ石の巖となりて
苔のむすまで


千代=博多の雅名(福岡市内に千代町という地名が現存する)
八千代=博多湾
さざれ石=糸島の細石神社
巖 =井原遺跡(岩羅山)
苔のむす=苔牟須売神(若宮神社の祭神)


九州王朝=邪馬台国なのかどうかはわからない
37184.93.30.125.dy.iij4u.or.jp:2008/08/31(日) 01:57:52.49 0
>>358は >>352へのレスね 


720年の日本書紀には 大昔のことはたくさん書いてあるけど
400年ころの宋や239年に魏 266年に普へと使節を送った事が
書いていない
607年以降の遣唐使は華々しく書いてるんですけどね 
(遣隋使だったはずの
ものまで遣唐使と書いてるんで これも変ですが)

継続された王統を持つ政権ならば 100年前の遣唐使も200年前の宋への使節や
400年前でも書ければ書いたのだろうなと 

で 物部氏と蘇我氏の戦闘とか ほんと狭い関西エリアの戦いだし
壬申の乱とかもせいぜい名古屋や琵琶湖へと戦域を拡大した感じな訳で
北方の組織戦闘力の劣る地域への派兵を除くと 
西暦600年ごろでも けっこうチマチマとした範囲で戦争をしている大和政権が

いったいいつごろに豪快に九州から東遠したと考えたらいいのだろう?
372220.163.210.220.dy.bbexcite.jp:2008/08/31(日) 01:58:16.84 0
( ‘д‘)y-~~<結局お前らは魏志自体をまったく読んでないのがチョンバレで魏志倭人伝がどうのとかしか言えないから
          九州だの畿内だのしか言えないんだよ
          きちんと考察すれば魏時代の倭の記述など当時の中国の都合のいいように脚色されただけって事が良く分かるのに
          魏志倭人伝の地名の推定なんて適当な事は石川県内でだってできる東北でだってできる
          九州説なんてその程度のトンデモ学説だよ 
373名無し募集中。。。:2008/08/31(日) 01:59:23.94 0
>>363
じゃあ征服された邪馬台国の地名をもりこんだ君が代が征服王朝(大和朝廷)の国歌なんかになったのでしょうか?
374名無し募集中。。。:2008/08/31(日) 02:00:01.08 0
邪馬台国の卑弥呼がはじめて中国に認められた王
そのことが後の天下統一者にとってその末裔だとか統治を許されたとか
権力の正当性のよりどころになったのであった
国は滅びても家は宮崎京都東京と脈々と続いたのであった
375名無し募集中。。。:2008/08/31(日) 02:00:57.91 0
>>372
四国の方がとんでもですよJK
376名無し募集中。。。:2008/08/31(日) 02:02:18.77 0
ニコチンで脳がいかれたような奴と離ししても無駄だろ
377220.163.210.220.dy.bbexcite.jp:2008/08/31(日) 02:07:01.47 0
( ‘д‘)y-~~<ちまちまとか言い出したら九州から大和に東遷した神武の記紀の記述
          これ大半が奈良の中でも東吉野村から桜井市と橿原市の地域の豪族としか戦ってないんだよね
          神武よお前は飛鳥の一部だけが支配地域やったんちゃうんかと
          その証拠に息子達が奈良盆地の北部どころか天理や信貴の豪族と政略結婚してる
          だけど連合国家ならばそれでもありえる
          韓半島に出兵した王権が連合王国の一部で天皇家もその構成員の一員であるなら問題もないのでは?
          物部、蘇我、尾張氏などは天皇家と姻戚であるし、絶対的に支配権を確立していたからこそ相争えたとも言えるのでは?
          もはやその当時は関東平野の方が古墳は豪勢になってるよねぇ
378220.163.210.220.dy.bbexcite.jp:2008/08/31(日) 02:16:43.81 0
( ‘д‘)y-~~<天皇家=現代の文化として残る言霊と怨霊封殺
          これは大和朝廷が取り入れた中国王朝の文化とはまったく相容れない日本古代の風習であったのは間違いない
          異様に穢れを忌み嫌うのもそうであろう
          これこそが時には連合国家の構成員としての一地方王権であった時期もあれば、連合王権の代表者としての地位にもあったり
          そういう栄枯盛衰を繰り返しながらもしぶとく生き残って全国を征服した大和朝廷の真実ではないかと思うが
          なので大和朝廷も倭の連合国家の一部族として邪馬台国時代の風俗を伝えてきたと思うけどね
          銅鐸文化=出雲と大和朝廷は連合国であった可能性もあるでしょうが、違うグループ程度ではないのかね?
379220.163.210.220.dy.bbexcite.jp:2008/08/31(日) 02:20:47.80 0
( ‘д‘)y-~~<と言う事で、奈良盆地ですら6世紀になっても統一されていたか怪しい現状を見ると
          筑紫平野ですら統一されていた連合国家であったのか?
          答えはNOであっても何ら問題はない
          邪馬台国が支配する倭が北部九州一帯を支配していたなんて言い切る事はできないしそんな発掘もなされていない
          むしろ、漢鏡が出土する愛媛、徳島、奈良、岡山とナ国が連合国家であったとしても何の不思議もない
380220.163.210.220.dy.bbexcite.jp:2008/08/31(日) 02:24:27.07 0
( ‘д‘)y-~~<応仁の乱の時も戦国時代も九州内で両陣営に分かれて相争っていたし、畿内ですらそうであった
          倭大いに乱れるの時に何故九州の北半分と南半分がとか、倭連合の九州と東のクヌがとか
          そういう地域分けでしか邪馬台国を語れないのか
          低レベルすぎなのでは?
381名無し募集中。。。:2008/08/31(日) 02:25:50.57 0
祈りや経験で火山や台風から民を守ろうとした卑弥呼
しかし武力的には大陸に助けを求めないといけないほど弱い勢力であった
382名無し募集中。。。:2008/08/31(日) 02:36:00.34 0
まさに卑弥呼を殺そうとした時であった
突然地震い山が火を噴いた
兵士たちは恐れおののき逃げ惑った
数日して卑弥呼は叫んだ
地よ山よ鎮まれ!
とどうだろうそれまでのことが嘘のように収まった
兵士たちは国に戻りその事を報告した
383220.163.210.220.dy.bbexcite.jp:2008/08/31(日) 02:36:06.09 0
>>371
( ‘д‘)y-~~<宋書、隋の記述と記紀の記述は明らかに年代が少しずれているし推古朝ですた捏造と言う事になるが
         ずれてるのが延々と一定なのが気になるのというか面白い
         何を誤魔化してるのか知らんが
         これだけは確実なのは、記紀を編纂した奴らは日本の神話時代を書くのに明らかに魏誌を読んで気にしていたって事実であろうな
         なので矛盾だらけなのを承知で捏造したのであろう
         遣隋使や遣唐使を繰り返したのも俺の個人的解釈だが、中国の倭の文献を必死に読みに行って自国の正当性の矛盾がないように
         記紀を書きたいが為だったんちゃうんかと
         ちょっと時代が違うところもあるので言い切る事はできんけどね
         ではさようなら
38484.93.30.125.dy.iij4u.or.jp:2008/08/31(日) 02:38:45.82 0
もし 連合国家の一部が 魏や宋に使節を送っていたら
それは過去の一部が すでに我が一部と総意があればちゃんと日本書紀あたりに書いたはず

かけなかったのは 過去のそれらを行ったのは
我以外だからでしょう  

そういう意味で 邪馬台国が九州でも出雲でも北海道でもいいのだけど
でも 大和圏なら 大和朝廷は西暦700年くらいには堂々と それらは
全部俺達の先祖のことだし! と卑弥呼なんて系図に組み入れてたと思うんだ

まず間違いなく大和以外  そうなると  大和が占領するのに大変で
実際に反乱の歴史もあって 遺跡もたくさん出てくる所として 九州
くらいの感覚でいいんじゃないかなぁ  別に魏志倭人伝の行程説明を
そうセンシティブに解析せずとも   (☆´_ `メ)y-~
385名無し募集中。。。:2008/08/31(日) 02:58:40.65 0
神話の国生み?とか
海底火山が噴火して島ができることを想像させる
また瀬戸内に浮かぶ多くの島々も思い浮かばせる
386名無し募集中。。。:2008/08/31(日) 03:07:01.44 0
大和朝廷は東遷してきたってはっきり言ってるし、来る前の大和の勢力が邪馬台国であったとしてもなんら不思議はないじゃん
バカかこいつ
387名無し募集中。。。:2008/08/31(日) 07:17:43.31 0
歴史書少なすぎだろ
388名無し募集中。。。:2008/08/31(日) 07:25:04.61 0
>>384
>もし 連合国家の一部が 魏や宋に使節を送っていたら
>それは過去の一部が すでに我が一部と総意があればちゃんと日本書紀あたりに書いたはず
>かけなかったのは 過去のそれらを行ったのは
>我以外だからでしょう  

「日出ずる国の天子」のことはは史書に書いても
魏や宋には臣礼をとっていたから
書かなかったんだよ
389名無し募集中。。。:2008/08/31(日) 08:33:53.81 0
邪馬台国や奴国は使節をシナに送っていたんだなあ
国際感覚はあったんだろうな
390名無し募集中。。。:2008/08/31(日) 09:46:27.82 0
220.163.210.220.dy.bbexcite.jpあぼーんしたらすっきりした
読み難いって何度言っても改めようとしない基地害だから仕方が無いよな
391名無し募集中。。。:2008/08/31(日) 13:53:32.59 0
390 名前:名無し募集中。。。[] 投稿日:2008/08/31(日) 09:46:27.82 0
220.163.210.220.dy.bbexcite.jpあぼーんしたらすっきりした
読み難いって何度言っても改めようとしない基地害だから仕方が無いよな
392名無し募集中。。。:2008/08/31(日) 14:09:00.29 0
ぼっさん意外と知られてなかったんだな
393名無し募集中。。。:2008/08/31(日) 14:23:10.97 0
当時の北九州の連中にとっては畿内より朝鮮半島やシナのほうが身近な存在だったかもな
394名無し募集中。。。:2008/08/31(日) 15:19:39.21 0
出雲や越の国も半島との関わりが深いしな
395名無し募集中。。。:2008/08/31(日) 15:20:28.22 0
卑弥呼ヲタが必死すぎて笑える
396名無し募集中。。。:2008/08/31(日) 15:22:27.88 0
道が整備されていない時代には海は障壁ではなく主要な交通路だった
397名無し募集中。。。:2008/08/31(日) 15:22:35.93 0
>>390が言いたいのは改行くらい覚えろってことじゃないの?
398名無し募集中。。。:2008/08/31(日) 15:23:11.72 0
自演臭くなって誰もいなくなったw
399名無し募集中。。。:2008/08/31(日) 17:30:36.75 0
墓守
400名無し募集中。。。:2008/08/31(日) 19:45:34.88 0
ho
401名無し募集中。。。:2008/08/31(日) 22:51:22.85 0
ze
402名無し募集中。。。:2008/08/31(日) 22:55:17.39 0
m
403名無し募集中。。。:2008/09/01(月) 01:37:57.78 0
中国人は伊都国までは行ってそこで女王国と卑弥呼についての話を伝え聞いた
というのが真実と思われ
伊都国までは帯方郡の使節が行って常駐してるということだからね
404名無し募集中。。。:2008/09/01(月) 03:38:20.05 0
>>403
倭使が魏の都洛陽を訪れてるんだから魏使も邪馬台国の都を訪れてると思うよ
魏の皇帝からの国書などを確実に倭女王に届けないと責任問題にもなるしね
伊都国は倭国の出入国管理事務を担当していたと考えられるんであって
倭国に出入りする際は伊都国でとどまり手続することになってたんだろう
405名無し募集中。。。:2008/09/01(月) 04:33:54.71 0
ある程度航海技術が発展している時代なら沖縄みたいな島でも貿易で栄えるもわかるが
古代に農地もロクにない徳島風情が強国に成長できるわけがありまへんがな
406名無し募集中。。。:2008/09/01(月) 04:46:28.15 0
宗教で治めてたんだから女王国が強国だったかどうか分からないし
407名無し募集中。。。:2008/09/01(月) 04:54:42.07 0
日本書紀は都合よく創作されただけ
408名無し募集中。。。:2008/09/01(月) 06:00:10.89 0
別に宗教によって統治するいわゆる宗教国家ではないよ
女王が巫女であること以外は普通の世俗国家と同じだから相応の国力はあった
409名無し募集中。。。:2008/09/01(月) 06:34:02.89 0
>>403
「郡使往来常所駐」をそんな具合に曲解する馬鹿ってまだいるんだな
410名無し募集中。。。:2008/09/01(月) 09:52:46.44 0
曲解じゃねーよ
411名無し募集中。。。:2008/09/01(月) 12:56:37.70 0
凄いわこれ
魏志倭人伝の記述は方向と距離が間違ってる,って説明もそうとうだと思うが..
413名無し募集中。。。:2008/09/01(月) 16:17:50.62 0
こんなスレなのにあぼーん率が異常に高い件
414名無し募集中。。。:2008/09/01(月) 19:15:13.07 0
>>255-256
その辺の経緯を北九州説の立場で倭人伝と記紀をもとに妄想してみる

北部九州にまず現れた有力国は福岡平野の奴国で1世紀半ばに後漢に朝貢して金印を授かった
しかしやがて山陰勢力の出雲と海外交易の主導権をめぐって対立し徐々に主導権を奪われるとともに国土までも侵食されるようになった
この事態に対応すべく奴国は2世紀初めその後背地に邪馬台国を建国した(王は奴国王が兼任し初代は倭国王帥升)

2世紀後期のイザナギの代に奴国は侵食を払拭すべく出雲に戦いを挑んだがあえなく敗れ退却
倭国王としての権威が失墜したイザナギは譲位を決断しまずアマテラス(卑弥呼)・ツクヨミ(男弟)・スサノオを自らの養子に迎えた
そして卑弥呼を邪馬台国王・スサノオを奴国王兼倭国王にそれぞれ即位させツクヨミには彼らの補佐に当たらせた

邪馬台国はやがて南西に位置する肥沃な筑紫平野を領土に含め奴国を凌駕する大国となったが
奴国は長年にわたる侵食と邪馬台国への対抗意識からむしろ親出雲政策をとるようになってついに出雲と同盟し邪馬台国に戦いを挑んだ
この2世紀末における歴年の倭国大乱の結果邪馬台国の優勢講和(誓約)となり卑弥呼が新たな倭国王に共立された

みたいな感じで既に邪馬台国の女王だった卑弥呼が倭国大乱の結果奴国王から倭国王の位を引き継いだんだと思う
415名無し募集中。。。:2008/09/01(月) 19:29:38.09 0
ちなみに>>414で前提としている各国比定

奴国・・・福岡・那珂川流域及び宗像(中心地は春日)
邪馬台国・・・2世紀初めに奴国から分派、佐賀及び福岡・筑後川流域(中心地は佐賀市大和)
投馬国・・・3世紀前期に邪馬台国から分派、宮崎及び鹿児島(中心地は宮崎・西都)

対馬国・・・長崎・対馬
一支国・・・長崎・壱岐
末盧国・・・佐賀・東松浦半島(中心地は唐津)
伊都国・・・福岡・糸島半島(中心地は前原)
不弥国・・・福岡・遠賀川流域

旁国21ヶ国・・・邪馬台国の衛星国、大分及び長崎本土に分布
女王国・・・邪馬台国及び旁国21ヶ国の総称
狗奴国・・・先住民国家、熊本
女王国東方の倭種の国・・・本州(出雲、吉備、畿内等)及び四国
416名無し募集中。。。:2008/09/01(月) 21:33:50.11 O
417名無し募集中。。。:2008/09/01(月) 21:54:27.08 0
実際に女王国まで行った人はいるだろうが執筆した人間は行ってない人間から聞いた感じだな
伊都国から先の道のりの描写がない
対馬、壱岐、松浦は土地の様子や暮らしが書かれているのにさ
418220.163.210.220.dy.bbexcite.jp:2008/09/01(月) 22:01:22.11 0
後漢書倭伝
「女王国より東、海を渡ること千余里、狗奴国に至る。皆、倭種といえども女王に属さず」

魏志倭人伝
「その(女王国の)南に狗奴国あり、男子が王となる。その官は狗古智卑狗がある。女王に属さず」
「女王国の東、海を渡ること千余里。また国あり、皆、倭種」

邪馬台国東遷
徳島→奈良
狗奴国=熊野=紀伊

終了〜
419名無し募集中。。。:2008/09/01(月) 22:25:48.60 0
>>417
中盤の習俗の部分に邪馬台国のそれが含まれてるという見方もできるけどね
奴国・不弥国・投馬国はルートを外れるので行ってないと考えていいと思う
420203-165-55-196.rev.home.ne.jp:2008/09/01(月) 22:58:39.62 0
>>417
私は邪馬台国までの全ての国に行ったとみる。風俗記事に書かれている服装の
詳細、動植物の有無など、通訳を介しての聞き取りで書けるものではない。
倭の地は温暖・・・その死には棺あるも槨なく、土を封じて塚を作る、なども
同様であって、聞き取りではこのような具体的なことはとうてい書けない。
伊都国からは放射説で考えるべきだが、奴国、不弥国は近いこともあって、伊
都国滞在中に訪れたのであろう。そして、投馬国を経由して邪馬台国を訪ねた
が、投馬国を経由しない水行十日陸行一月のルートの方が近道だったので行程
記事にはその近道の方を書いたものと考える。
421名無し募集中。。。:2008/09/01(月) 23:15:15.48 0
俺は倭女王へ遣わされた魏使は伊都国から直接邪馬台国に赴いたと考えるが
別の人間が別の用事で奴国・不弥国・投馬国を訪れて彼らも情報源になった可能性はあるだろうね
当然その場合でも入管のある伊都国を経由しただろう
422名無し募集中。。。:2008/09/02(火) 02:26:30.76 0
まあ投馬国経由で邪馬台国に行くとなると九州一周しなきゃいけないからな
423名無し募集中。。。:2008/09/02(火) 04:00:14.87 0
逆に伊都国を出たらすぐに女王国に着いちまったんじゃね?
だから途中の国の様子が描けなかった
つまりヤマイ国=甘木(アマギ)だってことだな
424名無し募集中。。。:2008/09/02(火) 04:08:23.60 O
なんかワクワクするね
425名無し募集中。。。:2008/09/02(火) 04:11:28.56 0
水行10日は船で玄界灘から有明海まで行ったからかも
426名無し募集中。。。:2008/09/02(火) 06:23:09.62 0
邪馬台国への水行十日は伊都国から玄界灘を西に向かい
長崎沖を南下して有明海に入り筑紫平野に上陸したんだろう
ちなみに投馬国へ行く場合の水行二十日は伊都国から東に向かい
関門海峡と豊後水道を通って南下し宮崎に至るものと考える
427名無し募集中。。。:2008/09/02(火) 06:26:16.85 0
水行三日陸行一日くらいで着かないか?
428名無し募集中。。。:2008/09/02(火) 06:32:01.20 0
ヒミコよりオメコのほうが大事だろう常考
429名無し募集中。。。:2008/09/02(火) 06:36:33.86 0
魏志の記述は当時の情勢にあわせて誇張されてるとか言うがそうかね?
古代中国人は「正確な記録を残す事に命懸けてます!」みたいなとこあるじゃん
親兄弟殺されても時の皇帝の悪行を書き留めた右筆の話とかなかったっけ
430名無し募集中。。。:2008/09/02(火) 06:40:38.32 0
とりあえず古墳暴いて中見てみないことにはなんともいえねえだろwwwwwwwwwwwwwwww
431名無し募集中。。。:2008/09/02(火) 07:13:47.47 0
>>427
あくまでかかる日数だから船の速度や天候その他諸条件でかなり変わってくるよ
上陸後は実際さほど長く歩かずに王都に着いたと思う
陸行一月は多勢多荷の魏使が日本列島内を歩くことを考えたら非現実的な行程で実際に歩いたとは思えない
あれは水行十日と並列のルートとして読んで倭国側からの伝聞情報とみなすべき

まああえて陸行するならまず伊都国から東の奴国へ行きそこから南下して邪馬台国東部に入国ってとこかね
432203-165-55-196.rev.home.ne.jp:2008/09/02(火) 07:17:10.05 0
>>429
史家のプライドってやつだね。陳寿は評価の高い人物だしね。
433名無し募集中。。。:2008/09/02(火) 11:33:49.84 0
ho
434名無し募集中。。。:2008/09/02(火) 11:39:06.55 0
いい加減落とせよ
435名無し募集中。。。:2008/09/02(火) 15:42:51.67 0
黙れカス
436名無し募集中。。。:2008/09/02(火) 15:44:31.06 0
とカスが言ってます
437名無し募集中。。。:2008/09/02(火) 17:01:54.51 0
自治厨うざい
438名無し募集中。。。:2008/09/02(火) 19:45:29.08 0
>>423
伊都国の南には背振山脈が横たわってるから
山脈を越えるんでない限り南へ行くにはいったん東の奴国に行かなきゃいけない
甘木が目的地なら途中で経由した奴国の詳細な記事があるはず
439名無し募集中。。。:2008/09/02(火) 21:06:55.20 0
>>429>>432
史家自身は正確に記録したつもりだったんだろうが
中国に入ってくる倭国の情報自体が
不正確だったり誇張されていたりしていたってことだろ
440名無し募集中。。。:2008/09/02(火) 21:17:19.52 0
考古の発掘成果からわかった事実をもっと大切にすべき。
歴史学と考古学は別物だろう。
441名無し募集中。。。:2008/09/02(火) 21:38:22.47 0
101  ◆AybPixdcAE  [sage] Date:08/09/01 11:02:26 ID: Be:
    ( ‘д‘)y-~~<ああいう非科学的な主張する奴らのスレになると見る気もせんよな 因みにあのスレを立て逃げしたのはわしである
              北九州教育委員会は邪馬台国の痕跡を探そうとえらいペースで発掘を続けておるがまったく何も出てこないのが残念ではある
442名無し募集中。。。:2008/09/02(火) 21:45:21.93 0
発掘成果はその解釈の段階において自説に近づけようとするご都合が混ざる余地がある上
それ以前に過去において失われた遺跡遺物は永遠に発掘されないという致命的欠陥がある
歴史の科学的な立証にはおのずと限度があることを考古学や文献史学の学者は認識すべき
443名無し募集中。。。:2008/09/02(火) 21:50:55.23 0
>>429
そりゃ考えが青すぎる
時代の限界もあるし歴史書のパトロンは権力者
司馬遷の史記だって始皇帝が悪役になってる
444名無し募集中。。。:2008/09/02(火) 22:02:06.11 0
で、卑弥呼の身長体重スリーサイズは?
445名無し募集中。。。:2008/09/02(火) 22:04:01.66 0
ただ周辺国の位置に関する記述はあえて捏造しようとは
しないんじゃないかと思う
敵国になる可能性もある訳で最重要情報だろ
446名無し募集中。。。:2008/09/02(火) 22:04:09.32 0
本当に邪馬台国が徳島や畿内でそこまで筆者が行っていたとしたら
途中の土地の描写がもうちょっとあってもいいと思うんだよね
だから邪馬台国についての記述は結局北九州人の様子なんじゃないかと思うわけだが
447名無し募集中。。。:2008/09/02(火) 22:05:28.64 0
卑弥呼の使っていた鬼道について詳しく知っている人いない?
448名無し募集中。。。:2008/09/02(火) 22:07:28.77 0
鬼道を用いよく衆を惑わす=色気を用いよく男子を惑わす
449名無し募集中。。。:2008/09/02(火) 22:09:16.66 0
狼にいる時点で鬼道にやられちゃってるっつうことかいな
450名無し募集中。。。:2008/09/02(火) 22:14:11.16 0
確かあの世へのお供で生きたまま埋められた人が結構いたよね?
その辺から特定できないかな?特に女の生き埋めが多かったら可能性大!
451名無し募集中。。。:2008/09/02(火) 22:15:17.12 0
もっとわかりやすく
452名無し募集中。。。:2008/09/02(火) 22:15:32.23 0
政策決定や未来予測をするために神にお伺いを立てる占いみたいなもんかな
その能力に優れてるために人々の心を引き付けたカリスマ占い師ってとこか
453名無し募集中。。。:2008/09/02(火) 22:15:57.76 0
鬼道=五斗米道説
454203-165-55-196.rev.home.ne.jp:2008/09/02(火) 22:17:03.61 0
座布団一枚。
455名無し募集中。。。:2008/09/02(火) 22:17:15.50 0
預言者みたいな事してたの?
456名無し募集中。。。:2008/09/02(火) 22:18:52.47 0
殉葬した奴婢が百余人ってやつか
457名無し募集中。。。:2008/09/02(火) 22:18:57.69 0
奈良県と福岡県のそれぞれで
地名とそれらの位置関係がシンクロしてる地域がある
って聞いたけど後付けの捏造くさいと思った
458名無し募集中。。。:2008/09/02(火) 22:20:02.76 0
>>456シェ〜〜!ざんす
459名無し募集中。。。:2008/09/02(火) 22:21:16.60 0
>>457
なんで思ったの?ひらめいた?
460名無し募集中。。。:2008/09/02(火) 22:21:42.73 0
お前ら詳しいなー勉強になるわ
461名無し募集中。。。:2008/09/02(火) 22:22:16.66 0
鬼道は大陸から伝わった呪術で
陰陽道の源流ではないかと言われておる
462名無し募集中。。。:2008/09/02(火) 22:24:32.66 0
鬼道ってエロいの?
463名無し募集中。。。:2008/09/02(火) 22:28:42.43 0
伊都国の様子はよく知られているがそこから先は伝聞だな
464名無し募集中。。。:2008/09/02(火) 22:29:42.89 0
俺が覚えてれば教えてやれるんだけど残念だな
465名無し募集中。。。:2008/09/02(火) 22:29:51.47 0
四国は場所的に不便そうだし
466名無し募集中。。。:2008/09/02(火) 22:29:57.85 0
この頃のクニって今で言う市か町くらいだろ
一つの県に10個くらいのクニがあったんじゃね?
467名無し募集中。。。:2008/09/02(火) 22:33:16.09 0
初期のクニはそんなもんだっただろうけど
この時代の国は既に一定の広がりを持ってたと思うよ
468名無し募集中。。。:2008/09/02(火) 22:33:57.52 O
魏志倭人伝なんかをまともな歴史資料に並べて扱うなんてぜったい変
マルコ・ポーロの黄金の国ジパングの大法螺とたいして変わらん
西遊記の天竺でインドやインドまでの地理を見ようとするようなもん
469名無し募集中。。。:2008/09/02(火) 22:35:01.42 0
邪馬台国の時代って天皇はどこで何をやってた(ことになってる)の?
470名無し募集中。。。:2008/09/02(火) 22:35:55.72 0
まともな歴史資料も解釈次第でまともでも何でもなくなるんだから大して変わらん
471名無し募集中。。。:2008/09/02(火) 22:39:53.29 0
>>469
それは説によってもかなり違うんじゃね
邪馬台国の時代を神武前に持ってくる説も後に持ってくる説もある
472名無し募集中。。。:2008/09/02(火) 22:48:26.41 0
>>467
記述されているクニが末廬、伊都、奴くらいのレベルだからね
これをあんたがいうように一定の広がり(県あるいはそれ以上という意味か?)というのか
1県に10個くらいというのかと言えば俺がいったように後者だろ
473名無し募集中。。。:2008/09/02(火) 23:01:37.97 0
国っていっても古代ギリシアのポリスみたいな感じだべ
474名無し募集中。。。:2008/09/02(火) 23:17:12.38 0
てか全ての国がみな同程度の大きさで規格統一されてたわけでもないだろう
最大レベルの邪馬台国と最小レベルの旁国とでは全く違う規模だったんじゃねえの
邪馬台国とか投馬国あたりは今の小さい県の大きさは持ってたと思う
475名無し募集中。。。:2008/09/02(火) 23:24:44.48 0
合コンに卑弥呼、北条政子、森蘭丸
誰狙う?
476名無し募集中。。。:2008/09/02(火) 23:26:12.61 0
蘭丸に決まっておろう
477203-165-55-196.rev.home.ne.jp:2008/09/02(火) 23:41:10.76 0
>>474
倭国は30に分かれるだけだよ。邪馬台国や投馬国はもっと大きいのでは?
478マクモニーグル:2008/09/02(火) 23:58:37.29 0
鳥見山は?
479名無し募集中。。。:2008/09/03(水) 00:00:42.95 0
東京だって23区あるんだから
480名無し募集中。。。:2008/09/03(水) 01:51:55.43 0
俺は歴史学にあんまり興味はないな〜
俺はヲタとしても考古も現場系なんで。
481名無し募集中。。。:2008/09/03(水) 01:53:49.97 0
箸中古墳群よりその北側にある大和古墳群の方により興味あるな〜。
482名無し募集中。。。:2008/09/03(水) 01:57:44.22 0
箸中古墳群の中ではホケノ山古墳はかなり興味深い古墳だけどな
483名無し募集中。。。:2008/09/03(水) 02:06:49.93 0
弥生時代だから巨大環濠集落=ひとつのクニという可能性もあるべ
484考古小僧:2008/09/03(水) 02:23:25.85 0
>>483
時代が少しズレてしまう
箸墓のかなり北方に有名な唐古・鍵遺跡があるんだけどね
485名無し募集中。。。:2008/09/03(水) 02:33:14.61 0
現在の都市部は人が住みやすい分古来から開発が繰り返されてきた
現代でも同じで角栄さんの時代などは特に
遺跡が出てきても現場の判断で調査無しにどんどん潰したって話だ
中には素人目にも超一級のものと判るものもあったらしいが
上のものは工期が遅れるから黙って潰せだったらしい
486名無し募集中。。。:2008/09/03(水) 02:39:08.39 0
開発だけじゃないんじゃないのかな
特に古代は戦いに勝ったら
そのクニの重要な祭礼施設や物品を
徹底的に破壊したんじゃないのかな
一部は戦利品として持ち帰ったりしたり
487考古小僧:2008/09/03(水) 02:43:21.70 0
>>485
確かに現在進行形でそういうことはよくあります。
役所の人間でさえ遺跡があると自分の仕事がスムーズに進まないし
自分の評価に繋がらない仕事が増えるだけなので
遺物が出てきても見て見ぬふりしたりする。
488名無し募集中。。。:2008/09/03(水) 02:48:03.16 0
というわけで邪馬台国もドカタのオッサンが掘り返して
コンクリで固めてしまったが結論
489名無し募集中。。。:2008/09/03(水) 02:50:06.72 O
高校の先生が結構前に言ってたな 九州説はありえないって
490名無し募集中。。。:2008/09/03(水) 03:44:55.38 0
当時の中国人が知っていた倭は北九州のことだな
伊都国から先の旅程の記述は具体性に欠ける
491名無し募集中。。。:2008/09/03(水) 03:46:32.90 0
土地の所有者も遺跡出てきたりしたら
それが重要で保存しないといけなくなると
時価で高く買った土地を国とかに安く売る羽目になるんでしょ?
もちろん調査費も自分持ちなんでしょ?
だったら黙って破壊しちゃうよな
492名無し募集中。。。:2008/09/03(水) 03:56:37.88 0
土地バブルの時はホントに酷かったらしい
493名無し募集中。。。:2008/09/03(水) 06:15:54.26 0
>>477
魏志倭人伝にいう倭国の範囲は対馬壱岐を含む九州に限られると考えるので
単純に旁国を含む対馬国から狗奴国までの計30ヶ国がそこに存在したとすれば
人口から比較的大国と思われる邪馬台国や投馬国は小さな県レベルでいいと思う
逆に旁国は邪馬台国の衛星国なので小さな市町村レベルだったんじゃないかね
494名無し募集中。。。:2008/09/03(水) 06:21:47.59 0
江戸時代の遺跡や遺構ですら震災や空襲で破壊され
戦後開発されて跡形もない例があるからね
まあこの場合は時代が新しいし破壊前の情報が残りやすいが
495名無し募集中。。。:2008/09/03(水) 06:55:08.49 0
国を分類すると
A 邪馬台国と同じくらい大きな国(連合国?):邪馬台国、投馬国(二万戸)、狗奴国
B シナによく知られていた比定ができる国:対海国(千戸)、一大国(三千戸)、
 末廬国(四千戸)、伊都国(千戸)、奴国(二万戸)、不弥国(千戸))
C 女王国に属す国

Aは九州の有力国、Bは玄界灘に面した国々Cは北九州の内陸の市や郡レベルの国々
ではないかな

『女王国の東の海には倭人の国がある。その倭地を訪れてみると、海に島が離れ離れにあり、
孤島だったり連なっていたりして、全部をめぐると五千余里になる。』
これは瀬戸内海のことだろうね
496名無し募集中。。。:2008/09/03(水) 07:16:36.91 0
投馬国は五万戸でした
497:名無し募集中。。。:2008/09/03(水) 07:21:36.11 0
>>495
>倭地を訪れてみると〜全部をめぐると五千余里になる。
韓地は方四千里、郡から狗邪韓国まで七千里。日本列島は二万里ぐらいになるのでは?
498名無し募集中。。。:2008/09/03(水) 07:21:54.05 O
>>490
当時の支那の史家なんて日本のことなんて何もわかってない
正確に書き残そうという意欲もなかったから倭人伝は欠陥だらけ
ああいう書物を学者がまともに扱うべきじゃない
499名無し募集中。。。:2008/09/03(水) 07:24:02.80 O
魏志倭人伝は山海経みたいな書物
当時の噂話を集めてまことしやかにまとめたとんでも本
500名無し募集中。。。:2008/09/03(水) 07:26:49.10 0
マジ
501名無し募集中。。。:2008/09/03(水) 07:27:48.31 0
わかってないという理由は?
502名無し募集中。。。:2008/09/03(水) 07:30:09.21 O
魏志倭人伝よりも記紀のほうが価値がある
内容は神話であっても祖国の歴史を正確に記そうとする意欲が違う
中華思想の漢民族が辺境の戎夷蛮狄について少しでも触れておこうかみたいな気持ちで書いた倭人伝は史料になんかにはできない
503名無し募集中。。。:2008/09/03(水) 07:35:20.04 0
>>497
五千余里は瀬戸内海だからな
504名無し募集中。。。:2008/09/03(水) 07:35:25.72 0
両方ともに信頼できる部分もできない部分もあると考えとくのがベストだろ
だから両方を組み合わせて読むことが意味を持つ
505193.44.30.125.dy.iij4u.or.jp:2008/09/03(水) 08:17:22.89 0
>>502
記紀の内容は神話とか主張する人達は  
「若いころ俺は族のリーダーでこの辺を仕切ってた」という類の作り話を
神話だと主張する第三者とほとんど変わらない  (☆´_ `メ)y-~

神道はもともと大きな社殿を作る宗教ではなく
仏教が伝来して その建築様式に刺激されて大きな建物を作るように
なったのだ  つまり「大国主神は国譲りに応じる条件として」立てた大きな出雲大社は
仏教伝来して寺が建てられた西暦600年以降

西暦659年 以降に 国譲り神話が作られたとするしかない
他ならぬ大国主さんがそうした建物がなければ国は譲らんと
言っているのだから

西暦700年代に記述を行うにあたり ほんの50年〜100年前に創作されたものを
「神話」と呼ぶなら  我々は1842年に作られた里見八犬伝を「神話」とせねばならないだろう

しかし 里見八犬伝は「神話」ではないよね  作り話だ
実際に里見家というものがあるにしても  (☆´_ `メ)y-~
506名無し募集中。。。:2008/09/03(水) 08:28:15.61 0
>>495
国の分類はそんな感じか、邪馬台国は七万戸だな
邪馬台国+旁国21ヶ国で邪馬台国女王を共に戴く女王国、女王国+投馬国+九州北辺6ヶ国で倭国王を戴く倭国連合
投馬国は3世紀前期の天孫降臨(出雲から奪還した奴国へのニニギ派遣)及び狗奴国との戦争を機に建国された邪馬台国の分派国で
九州北辺6ヶ国は邪馬台国が伊都国に派遣する大率(一大率)の検察下にある(大率は出入国管理も担当)
倭国連合+狗奴国で魏志倭人伝にいう倭国、さらに女王国東方の倭種の国を加えて倭人、ってとこか
507名無し募集中。。。:2008/09/03(水) 08:28:26.08 0
神話じゃなきゃ記紀の国譲りのくだりはなんて呼ぶんだよw
508考古小僧:2008/09/03(水) 09:49:24.00 0
>>491
買い上げになれば土地取得の費用や事業上での損失額等を考慮されます。
また調査費用は基本原因者負担でおっしゃるとおりですが
買い上げに至ればその分も買い上げ価格に転嫁できますよ。

ただ実際のところ買い上げに至ることはほとんどないです。

試掘1万か所のトレンチ抜いてそれが全部本調査になっても
買い上げになるような箇所が出てくるとは普通かんがえない。
遺物に重要なものが出ても基本保存の対象とはならない
重要な遺構で調査で記録を残す(調査報告書)だけでなく
将来的に遺構を再調査できるようにすることが学者の本音なので。

たとえば数百個単位の戸建住宅地などでは重要な窯跡等が出てきた場合
その部分を公園化するよう指導されて保存しますね。

なので買い上げって万に一つもありません。
買い上げになっても事業者が大きな不利益を被ることはありません。
509p6128-ipad73osakakita.osaka.ocn.ne.jp:2008/09/03(水) 11:54:58.43 0
そんなくだらん事を類推せんでも宋に倭の五王の武が奏上した「東は毛人を征すること五十五国、西は衆夷を服すること六十六国、北のかた海を渡って、平らげること九十五国」
を見ても自明なように東北北海道沖縄を除く日本に約120国、一県あたり3カ国程度の勢力範囲であった事が容易に推定できるやないかアホどもが

それと、宋書の倭の5王の記述では、
それらの王は『使持節、都督、倭、百濟、新羅、任那、秦韓、慕韓六國 諸軍事、安東大將軍、倭國王』などと称していた
後漢書で倭王の武帝が朝鮮半島をも制覇していたとする内容とも一致する

『倭国は中国から遠く、わが祖先は、自ら甲冑を着て山野を駆け巡り、東へ西へと諸国を征し、また海を渡って海北の国もその支配下にしてきた』
ということは倭の5王は、後漢時代より日本を連綿と支配し、当然倭=邪馬台国の大王であり、中国も倭=邪馬台国が韓半島南部を支配しているのを知っていての上奏文である
邪馬台国の倭が九州だけの国家なんて事は倭の五王の宋とのこのやりとりを見ても完全に否定できるのである

もうくだらない九州説なんて主張するのはやめなさい
510193.44.30.125.dy.iij4u.or.jp:2008/09/03(水) 12:14:33.04 0
>>509
てか 勝手に武を近畿政権の天皇とするにしては
名前も違うし 系図も日本の天皇と系図があってないしなぁ

なにより都督という事であれば 奈良に都督府があったのか?といえば
そういう話はなくて大宰府がつい最近まで都督府と言われていたとの事

むしろ都督は都督府に通常はいたと考えれば 宋とかが外交してたのは
九州の王朝じゃないかね って話につながるな  (☆^ _ ^メ)y-~

511p6128-ipad73osakakita.osaka.ocn.ne.jp:2008/09/03(水) 12:23:51.32 0
倭王武が大和朝廷のルーツの王権なんて俺は思ってないし浪速津で巨大前方後円墳を作った王権と3世紀に瀬戸内と近畿で前方後円墳を作り始めた王権が無関係の別物とでも?
ただ倭王武が支配していた国家の中から大和朝廷が出てきたのは自明でしょう
512名無し募集中。。。:2008/09/03(水) 12:45:23.56 0
倭の五王とか邪馬台国と時代が全く違うだろw両者の倭をごっちゃにすんな
その間の1世紀半のうちにどれだけの変化が日本列島で起こったと思ってんだ
513p6128-ipad73osakakita.osaka.ocn.ne.jp:2008/09/03(水) 12:46:35.70 0
アホがきよったでw
514名無し募集中。。。:2008/09/03(水) 12:47:21.31 0
>>508
大量に破壊が行われたバブルの頃もそうでしたか?
あの頃の反省で改善されたと聞いたことがあるんですが
515p6128-ipad73osakakita.osaka.ocn.ne.jp:2008/09/03(水) 12:48:03.30 0
最低限(☆^ _ ^メ)y-~おっさんぐらいの知識と論理性で話ができるようにならない限り九州説なんてバカバカしい主張はすんなよw
516p6128-ipad73osakakita.osaka.ocn.ne.jp:2008/09/03(水) 13:15:48.16 0
1、累葉朝宗 不愆于歳

わが国は代々中国に使えて、朝貢の歳をあやまることがなかったのであります。と「倭国朝貢」史を述べている。
これを具体的に列記してみると

A:建武中元2年(57)倭奴国、奉貢朝賀す。使人自ら大夫と称す。倭国の極南界なり、光武賜うに印綬を以ってす。・・・後漢に朝貢
B:景初2年(238)6月。倭の女王、大夫〜〜天子に詣りて朝献せんことを求む。〜〜・・・魏に朝貢
C:義煕9年(413)是の歳、高句麗・倭国及び西南夷の銅頭大師並びに方物を献ず・・・晋に朝貢
D:永祖2年(421)詔していわく、「倭讃万里を修む。遠誠宜しくあらわすべく、除授を賜うべし」と・・・宋に朝貢

「後漢から宋に至るまでわが祖先達は途切れることなく朝貢してきた。
そして、誤まることはなかった」と自らを「臣」という立場をとって倭王武は述べています。

「倭奴国王→卑弥呼→讃→武」 に至るまで、同一王朝。それを証明する上表文です。

このことは、後の『南斉書』(箒子顕489-537)にも受け継がれ
「倭国在帯方東南大海島中漢末以来立女王土俗巳見前史建元元年(479)新進除使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・()・六国諸事安東大将軍倭王武号為鎮東大将軍」とあり、
倭王武は後漢書倭伝に記載されている卑弥呼の後裔と記述されています。
517名無し募集中。。。:2008/09/03(水) 13:23:43.92 0
おかしいな
ocnはあぼーんにしてるはずなんだが
518p6128-ipad73osakakita.osaka.ocn.ne.jp:2008/09/03(水) 13:45:39.27 0
>>510この記述やね
「自仮開府義同三司〜」
要するに倭王武は都督府を開府し、倭国都督府に居していると自ら述べている
それではどこに都督府はあったか・・・・・たとえば都府楼跡
589年、南朝「陳」が隋によって滅びるまで九州(大宰府?)にあった

魏誌にもイト国?だったかな?において外国の使節を留め置き謁見するとあるのでこれは間違いの無いところ
しかし、イト国は邪馬台国ではないのよねん
ではイト国が首都だったのか?対外的にはそういう事であったのであろうね
519名無し募集中。。。:2008/09/03(水) 13:49:22.11 O


520p6128-ipad73osakakita.osaka.ocn.ne.jp:2008/09/03(水) 13:56:06.21 0
神功(実在は疑わしい)継体から防人の時代をえて、鎌倉幕府から秀吉の名護屋城の時代までこの地は対外拠点としての府の役割を担っておる
逆に都督府があった事こそが倭国=九州から東海北陸まで、あるいは関東平野までを支配していたと考える方が合理的なのでは?
因みに関東平野は和銅を献上したとの発掘されたワカタケル関連の剣の文字を重視したいな
おそらくはこの6〜7世紀の関東制圧を記念しての和銅開宝鋳造であったのだろう
それまではまつろわぬ毛人の国だった可能性が大
521名無し募集中。。。:2008/09/03(水) 13:59:59.28 O
オオサカキタ規制解除されたからって調子に乗るなまた規制されたらお前のせいだぞ
お前みたいな奴が居るから迷惑すんださっさと巣に帰れ
522193.44.30.125.dy.iij4u.or.jp:2008/09/03(水) 14:51:51.11 0
都督府について考え方に違いがあるかもしれない
自分は都督府というのは中国政権の出先機関としての都督府としてとらえています

中国に臣下の礼をとり 印をもらい 地域での統制権をゆずりうけ代わりに統治する
その者が中国の都督であり 同時に 倭の首長(この場合倭王武) であるという認識です

その都督府が近畿にあったとういう何がしかがあれば自分などは
九州王朝にこだわる理由がかなり減るのだけど

武の時代から随分と後になる日本書紀にも

百済の鎮将劉仁願、熊津都督府熊山 縣令上柱國司馬法聡等を遣して、大山 下境部連石積等を筑紫都督府に送る。
〈天智六年十一月条〉

と朝鮮半島の熊津都督府と筑紫都督府が並列に書いてあるし
唐の都督府が朝鮮半島だけではなくて北九州にも都督府があったんだな

まあ 驚くことないよな だって倭王武とか都督だったんだし
ずっと長いこと北九州に王朝があり その王の居住する所が
おそらく同時に都督府だったのだろうなぁ…

            と 考えています  (☆´_ `メ)y-~

ただワカタケル関連の文字はさいたまだけではなくて
九州江田船山古墳出土鉄剣にもあり その地域的広がりの中心は近畿なので
その点に関しては ワカタケルは近畿にいたのかな?とも思いますが

自分には自分はワカタケル=雄略天皇≒武 という風に
もっていくにはまだ疑問を感じています  
乱暴な話 剣など移動可能ですし 年代測定等の問題もあり…
523考古小僧:2008/09/03(水) 15:04:40.60 0
>>514
悲しいかな現実に今でもありますよ
公共工事の予算が削られている中で事業の担当者も
工期が延びたり予算がかさむ発掘調査は避けたいのが本音なんですよ。
余計な仕事が増えることにもなりますしね。
524p6128-ipad73osakakita.osaka.ocn.ne.jp:2008/09/03(水) 15:59:03.43 0
>>522
倭の5王、例えば雄略前後=ワカタケルと仮定してヤマトタケルはその5代程度前となる
ヤマトタケルの実在は疑わしいというのがこれまでの通説であったが、発掘されている関東東北での三角縁神獣鏡の分布域と
日本武の尊の東征経路とはもはや完全に一致しており、静岡上平川大塚古墳、山梨甲斐鉄子塚古墳、神奈川平塚大塚山古墳などからは
岡山県の備前車塚古墳で出土した三角縁神獣鏡と同型鏡がこの地域に5枚もある
『日本書紀』によれば、吉備の武彦が日本武の尊と同行したとされ、吉備の武彦が、吉備と同型の三角縁神獣鏡を東国に持ち込んだと考えると、
『日本書紀』の記述と出土する遺物がよく整合しているように見える

これが倭王武の言うところの、「封国(倭国のこと)は偏遠であって、藩を外になしている。昔から、祖禰(そでい)みずから甲冑を着て、山川を跋渉し、寧処(ねいしょ)にいとまがなかった。
東は毛人を(蝦夷、アイヌか)を征すること55国。西は衆夷(熊襲、隼人などか)を服すること66国。渡って海北を平らげること95国。王道は融泰であって、土をひらき、幾をはるかにした。
を意味しているのであれば、ヤマトタケルの東征は実際にあったものであり、東は毛人をを征すること55国を表していると思う

九州江田船山古墳出土鉄剣の銘文も稲荷山鉄剣銘文と同じであれば(解読できているところはまったく同じなのでおそらくは同文)
西は衆夷(熊襲、隼人などか)を服すること66国、これは浪速津から西は九州までが66カ国であったと断定できる
またこの銘文により、第8代孝元天皇は多くの学者によって架空の人物とされてきたが、この銘文によってその実在が確認された

少なくともトヨかその直後の男王立つの時代に祖先が確認できる王朝が浪速津に存在しており、トヨの時代の後に日本を征したと主張する限り、この王朝は倭連合かクヌでなければ説明が付かない

鏡は九州北部の王権文化であるというが、3世紀から始まった前方後円墳をアイデンティティとしる首長連合がこのように征服地に三角縁神獣鏡(決して卑弥呼の鏡ではないし別物であるとは思う)が
の文化を広めた王朝が邪馬台国=倭連合とは明らかに違う王朝であるとの説明を科学的かつ論理的に説明できない限り、この王朝は邪馬台国の直系にもっとも近いと思わざるを得ない状況である
525p6128-ipad73osakakita.osaka.ocn.ne.jp:2008/09/03(水) 16:25:03.06 0
■ 『魏志倭人伝』の情報源

『魏志倭人伝』が『魏略』に依拠したものでないとすると、その情報源は次のいずれかであろう。

梯儁や張政が魏の使者として倭へ行ったときの現地見聞報告書
難升米など倭の使者からの聞き取った情報

『魏志倭人伝』を詳しく見ると、次のようなことから、魏の使者の梯儁や張政が記した現地見聞報告書を情報源にして書き写しているように見える。

「(帯方)郡から倭に至るには」となっていて、「倭から(帯方)郡に至るには」となっていない。
「対馬国→一支国」と、道順が魏から倭に来たかたちになっている。 対馬国、一支国、不弥国、投馬国でみな官を副官まで記している。副官まで書いたのは現地で聞いたものではないか。
「末盧国」での「草木が茂りさかえ、行くのに前の人がみえないほどである」などは実際に見たことの記述であろう。
「皆黥面文身」「皆露」など、「皆」の字を入れている。一部の人を見ただけではこのように書けない。
「鵲(かささぎ)」がいないと書く。「鵲」を知っている人にはこう書けても、知らない人には書けない。
「猴(おおざる)」「黒雉」なども、実物を見ないと書けない。
婦人の「被髪・屈」なども、現地で見ないと書きにくい表現ではないか。

次のようなことから、魏使の中には、中国の南方出身、または、中国の南方事情に詳しい者がいたように見える。

「耳・朱崖」との類似などは、中国南方に行ったことのない倭の使者には書けない。
照葉樹林の樹木名の記載が多い。樹木の中国名など、倭人は知らない可能性が大きい。魏使が実物を見て書いたのではないか。
下戸が大人(身分の高い人)に会えば平伏するなども、現地での観察のようにみえる。(中国では立礼がふつう。)
受け答えの声は「噫(おお)」という、なども現地での観察のようにみえる。
526p6128-ipad73osakakita.osaka.ocn.ne.jp:2008/09/03(水) 16:31:01.64 0
■ 『魏志倭人伝』はどう作られたか?

『三国志』の「東夷伝」の裴松之(はいしょうし)の注をみると、『魏略』からの引用が10例みられるが、王沈の『魏書』からの引用がない。     
裴松之の注の数(巻三十について) 『魏略』 王沈の『魏書』
烏丸伝 1例 1例
鮮卑伝 0例 1例
東夷伝 10例 0例
計    11例 2例

また、「巻三十」の「烏丸・鮮卑・東夷伝」全体でみても、『魏略』からの引用が11例、王沈の『魏書』からの引用が2例である。

中国の史書では、『三国志』になってはじめて「東夷伝」が設けられた。その事情について、陳寿自身が東夷伝の序で次のように述べている。
公孫氏が三代にわたり遼東を支配し東夷諸国を隔断したため、東夷諸国は魏に通じることができなかった。

公孫氏が滅びて、東夷諸国のさまざまな様子がわかってきたので、中国との同異を記すことにした。これは、これまでの史書には無かった内容である(前史の未だ備わらざる所)。
王沈の『魏書』には「東夷伝」関係の記述が無かった可能性が強い。すなわち、王沈の『魏書』を『魏志』と『魏略』の先行文献とする説は成立しない。

また、『魏略』と『魏志』の文章を比較すると、『魏略』には省略が目立つ。
『魏略』に書いてあって『魏志倭人伝』に書いてないことよりも、『魏志倭人伝』に書いてあって『魏略』に書いてないことのほうが、ずっと多いように見える。
『魏志倭人伝』を元にして『魏略』の文を書くことはできても、『魏略』の文章から『魏志倭人伝』の文は書けない表現が多い。
このようなことから考えると、『魏志倭人伝』が『魏略』に全面的に依拠したとする説や、『魏略』をベースにして他の資料によって修正したとする説は成立しがたい。
527p6128-ipad73osakakita.osaka.ocn.ne.jp:2008/09/03(水) 16:33:28.40 0
かれこれ考え合わせると、『魏志』は『三国志』全体よりは3、4年は早く、280年のころにはほぼ成立していた可能性がある。
また、『魏略』をベースにして他の資料によって修正したとする説は成立しがたい。

    『魏志倭人伝』関連文献の成立年代
  
255年ごろ 魏の王沈(?〜266)の『魏書』なる。
(『晋書』「王沈伝」に、「正元中(正元年間254〜255)、魏書を撰す」とある)
257年〜265年 魏の魚豢の『魏略』成立。
(下司和男氏、毛利康二氏などは、『魏略』の成立年代を、257年ごろとする。)
(263年) (蜀の滅亡)
(265年) (魏の滅亡)
(280年) (呉の滅亡)
280年ごろ 晋の陳寿(233〜297)の『魏志』成立。
284年 晋の陳寿の『三国志』全体の成立。
528p6128-ipad73osakakita.osaka.ocn.ne.jp:2008/09/03(水) 16:50:38.38 0
以上の様に、倭王武の奏上文が宋=中国側も嘘ではないと認定できるから書けた訳であり
・後漢の時代から倭国を支配してきた王権=卑弥呼、台与からその前後の男王の正統な後裔である
・九州四国中国近畿(近畿は含まない?)で66カ国
・東方の毛人(蘇我毛人朝臣のように飛鳥時代でも毛人=蝦夷と読むのは自明である)の国は北陸から茨城まで55カ国
・韓半島をも支配(支配下?)=鉄文明の王朝である
・邪馬台国時代に東瀬戸内海を中心に前方後円墳を作り始めた鏡を神格化する王朝=銅鐸文化の王朝ではない=北九州から東遷してきた?=記紀の神話の記述の裏付け

その他諸々が証明できる
529名無し募集中。。。:2008/09/03(水) 17:06:11.90 0
卑弥呼の墓のありかは鹿が知っている
530p6128-ipad73osakakita.osaka.ocn.ne.jp:2008/09/03(水) 17:25:51.69 0
景初3年や、翌正始元年の銘の入った三角縁神獣鏡はおそらく卑弥呼の王朝が正式な倭の大王(倭の諸国は王)として承認された標しとして
倭国内にて鋳造されてヤマトタケルの東征の際、征服した諸国(あるいは元々同盟していた倭国?あるいは倭に同盟していた諸国か)に
倭国=中国から承認された王権の一員として贈呈あるいは下賜されたのであろう
なので大和朝廷の祖先と記紀が主張する倭の五王とその祖先のヤマトタケルと邪馬台国の関連性は非常に高いと思う

そこで気になるのがいつ東に遷都したかということになる
531p6128-ipad73osakakita.osaka.ocn.ne.jp:2008/09/03(水) 17:30:43.04 0
卑弥呼以前の男王の時代
卑弥呼の前(直前)
卑弥呼の時
卑弥呼の後(直後)
倭乱れるの時期
台与の前(直前)
台与の時
台与の後(直後)
男王立つの前
男王の時
男王立つが倭大いに乱れるの最中
その後

このどれかの時期に倭国の主導権が九州(筑紫平野→国東半島?も含む)から奈良盆地に移っているのは確実だがいつなのか?
それが邪馬台国を解く鍵であるが、少なくとも卑弥呼以前の男王の時代から倭国が九州だけであってはもはや説明はつかないのが発掘現場からの実情であるな
532p6128-ipad73osakakita.osaka.ocn.ne.jp:2008/09/03(水) 17:42:41.96 0
それか、三角縁神獣鏡が日本だけで300枚も出土して中国で出土しないのは、卑弥呼に渡した500枚の鏡が特注品であったのかもしれんなぁ
当時の魏→晋だってまだ全土を平定してなくて戦費を稼ぐのに四苦八苦してたはず
いきなり鏡500枚くれやと言われてもさよかと渡せる枚数ではない
どうせ作るなら特注品という事で三角縁神獣鏡になったのかもしれない
533p6128-ipad73osakakita.osaka.ocn.ne.jp:2008/09/03(水) 17:53:01.89 0
因みにわしが九州説を否定している参考文献はこの九州説のお偉いさん方の総本山からであるという笑える現実がある
最後にその総本山から吉備が当時の九州大和と双璧をなす大国であったとの記事を紹介して邪馬台国徳島説の根拠としたい
ご清聴有難うございました
http://yamatai.cside.com/tousennsetu/fukayomi4.htm
>>531
>>このどれかの時期に倭国の主導権が九州(筑紫平野→国東半島?も含む)から奈良盆地に移っているのは確実だがいつなのか?

どこで証明されたの?..
535考古小僧:2008/09/03(水) 18:50:04.73 0
三角縁神獣鏡が中国産か?国産か?の議論はなかなか難しいが
考古の立場でいえば国産の可能性が高いとは言える。

例えば当時の工房跡から鏡の鋳型などが見つかり
この鋳型でつくられた鏡が過去の発掘で見つかっていたとなれば
国産であると結論付けられると思う。
中国では確かに三角縁神獣鏡は見つかっていないが
三角縁神獣鏡と同じ古墳から発見されている画文帯神獣鏡(例えば黒塚古墳など)は
ほぼ中国産であるというのが定説となっている。
中国で三角縁神獣鏡の鋳型が発見されれば中国産という説に一気に傾くことに
なると思われる。

大和古墳群発掘調査委員会のメンバーでもっていうか
橿考研の中でも意見が割れてるからね〜〜w
黒塚の時なんて某所長と某調査部長がTVや雑誌の取材で
正反対の解説してたのは笑った。
(所長→中国産説 調査部長→国産説)
536193.44.30.125.dy.iij4u.or.jp:2008/09/03(水) 19:30:32.58 0
>>533
一回読んでみたけど 何度か読んでみようと思うのれす

気になったのは
ヤマトタケル伝説は6世紀の豪族・権力者の先祖を美化するにあたり
作られた物語の一つであって  ヤマトタケルは一人ではないと思います

その物語の目的はあくまでも『時の権力者の先祖がいかに建国に関わったか』の記述
であって
他国の歴史書のように
次の世代が先の王朝を振り返るという幾ばくかの客観性すら持ちえなく
あくまでも現在の王朝が自らの過去を振り返るという建前の立場での編纂であることから
避けられない点だとは思います

そしてまた もし鏡がそこまで単純明快な配布されたものであるなら
地方にもその伝承がもっと明確に残り 発掘されるまでもなく 日本にはヒミコ伝承が
中国の史書に頼らずに先に鮮明な記憶とともに国内あったハズです

でも実際には 中国の史書を見なければ 日本各地にヒミコなどは出てこない
明らかに消されている部分はあると思うのです

それでも整理されていて興味深いので何度か読み返えさせて頂くんれす  (☆´_ `メ)y-~

阿蘇のピンク石なども貴殿ならばうまく言及できそうな気がしました
あれも九州から東への何かの移動の痕跡ですよね たぶん  
537p6128-ipad73osakakita.osaka.ocn.ne.jp:2008/09/03(水) 19:33:06.29 0
ふむ、考古学者としては国産か中国産かは白黒はっきりさせたいところであろうな
わしとしては、平原王墓出土の直系46.5cmの内行花紋鏡の謎を解明すれば大和朝廷と北九州の繋がりも解明すると思うけどな
3種の神器の鏡が巨大国産内行花紋鏡であるのは間違いがないと思うのやがなぁ・・・
どっちにしろもうちょっと天皇陵を掘り返して後漢式鏡を調査すれば邪馬台国も明らかになってくると思うが

邪馬台国の場所は完全には特定できんであろう
何故なら瀬戸内海を中心にした連合国家が邪馬台国そのものであり、都市国家連合になる事によって他の都市国家を圧倒する兵力を持ったのであろうから
一地方都市国家一つが邪馬台国と思ってる時点で間違ってると思うね
538名無し募集中。。。:2008/09/03(水) 19:33:45.39 0
     *      *
  *     +  うそです
     n ノノハヽn
 + (ヨ从*・ 。.・)E)
      Y     Y    *
539考古小僧:2008/09/03(水) 19:54:16.33 0
>>538
確かに八咫鏡が内行花紋鏡に近いものという説は
考古的にもある程度説得力がありますね。
こういうものもきちんと学術的な検証をするべきだと考えますけども。

邪馬台国の位置については発掘調査では解明するのは非常に困難です。
3世紀半ばで現在の日本国内で最も勢力を誇っていたのは大和古墳群、箸中古墳群といった
地域であろうことは発掘調査結果でまず間違いないでしょう。
ただそれが魏志倭人伝に記されている邪馬台国なのかどうかと言われると
直接結び付ける確証はないんですよね。

まあそれは一般の方でも語れる歴史ロマンとして自由に語れるテーマでいいんじゃ
ないでしょうか?
我々は考古の現場でシビアに歴史を見つめられればと思いますね。
540名無し募集中。。。:2008/09/03(水) 21:06:03.43 0
ぼっさんってただの道楽親父だと思ってたけど
何なのw
541220.163.210.220.dy.bbexcite.jp:2008/09/03(水) 22:18:37.43 0
>>539
あの鏡の文様は明らかに花紋が内行してる状態を表してるのではないよねw
誰がどう見ても八又の花模様というよりは八つの太陽のフレアを現してるような感じ
八咫鏡の国→邪馬台国なのかね
外向きに花びら状の形態の鏡も発掘されておるので、逆形態として分かりやすく内行花紋鏡という名前なのであろうが
542名無し募集中。。。:2008/09/03(水) 23:42:53.40 0
投馬国は山口県か宇佐あたりではないかと
もしかしたら出雲が投馬国かもね
543名無し募集中。。。:2008/09/03(水) 23:59:19.85 0
投馬国出雲説は割と言われてるけど方角を読み替えないと難がある
宇佐はむしろ邪馬台国自体にとって重要な意味を持つ場所かもしれないね
俺は女王国の東端に位置する旁国の一つと考えてるが
544名無し募集中。。。:2008/09/04(木) 00:04:28.08 0
国東半島は国の東の先のほうにあるからクニサキ(国東)
545考古小僧:2008/09/04(木) 00:19:35.90 0
>>541
八咫鏡の国→邪馬台国 ではないと思いますよ
546名無し募集中。。。:2008/09/04(木) 00:24:43.21 0
知らない人のために書いておくけど
osaka.ocnとbbexcite.jpは
同一人物です( ‘д‘)y-~~←この人ね
547220.163.210.220.dy.bbexcite.jp:2008/09/04(木) 02:06:51.13 0
しかし九州説の総本山は面白い資料を色々提供してくれるね
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku265.htm
ここの日本の弓研究であるが、九州説の論拠の一つに鉄文化圏の九州邪馬台国とと銅鐸銅矛のそれに属さない国=蝦夷?という分類があるが
銅鐸の文様に掘られた弓は、魏誌倭人伝に言う「木弓は下が短く、上が長い」倭独特の長弓が描かれている
時代はくだるが、『清水寺縁起絵巻』には、アテルイに率いられた蝦夷の軍は半弓形弓を使用し、坂上田村麻呂が率いる大和朝廷軍は中央よりやや下方に偏っている長弓を使っている場面が描かれている
高句麗の古墳の壁画には彎弓(わんきゅう)に分類される半弓形弓が描かれている

ここを見ても魏志倭人伝の言う倭人とは、九州だけでなく本州西部に広く分布していた倭人の生活習慣が含まれているのは自明であるな
邪馬台国がどこかは知らんが、少なくとも当時の倭は九州内だけでは決してないと分かります

銅鐸銅矛文化圏は蝦夷の居住地ではなくて弥生時代終末期には南方起源?の倭国人が広く分布してクニを作っていた事であろう
548名無し募集中。。。:2008/09/04(木) 05:28:06.00 0
帯方郡より邪馬台国まで1万2千余里

帯方郡より狗邪韓国まで7千余里(残り5千里)
狗邪韓国から対海国まで千余里(残り4千里)
対海国から一大国まで千余里(残り3千里)
一大国から末廬国まで千余里(残り2千里)
末廬国から伊都国まで5百里(残り1千5百里)
伊都国から奴国まで百里(残り1千4百里)

邪馬台国は奴国から1千4百里の所にあるな
伊都国からだと伊都国から末廬国までの3倍の距離にあることになるが
549名無し募集中。。。:2008/09/04(木) 07:14:42.26 0
まあ単純計算で邪馬台国は筑紫平野にしかならんわな
行程記事をご都合で捏造だの誤りだの切り捨てない限り順次式の解釈は自ずと否定される
末廬国と伊都国の間を1往復半するのに2ヶ月以上もかかるわけがない
550名無し募集中。。。:2008/09/04(木) 07:22:49.66 0
まだテレビ大阪でハロモニやった頃は箸墓すっげー邪魔だったなあ
生駒山とうちの間に箸墓があるせいで電波入らんかったから
551193.44.30.125.dy.iij4u.or.jp
1517年完成で800年ごろの坂田上村麻呂の戦いを描いた
清水寺縁起絵巻の絵柄はまったく論証の役は荷が重いかと

まず絵巻を見てもらえれば アテルイ軍の使っている弓のいくつかは
短いだけではなくて弓の持つ所が 発射時でも手前に凹んでいる事からも
材料をいろいろに組み合わせた複合弓ですよね

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%93_(%E6%AD%A6%E5%99%A8)の
冒頭に出てくる弓です 

これは威力を増すために単純構造の弓を長大化した日本の弓よりも
構造的には複雑なもので  当時のアテルイ軍が使っていたか疑問です
元寇などを経て 海外の弓はこんなのが多いという知識から
清水寺縁起絵巻に描かれたのではないでしょうか

日本で入手できる材に大きな地域差が無い以上は
西暦200年くらいの日本で戦闘で飛び道具として使うにあたっては
射程競争はせざるえなく
そうしたなか威力を増すために長い材を使うようになったのであれば
逆に 日本全国 同じ目的の弓は同じような長さになり
2mにもなる弓を1.5mの人間が用いるなら自ずから下側を持つ
和弓にならざるえなかったのではないでしょうか?  
邪馬台国かどうかに関わらず