続・民明書房刊

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1王大人(代理)
民明書房刊 http://fire7.hypermart.net/other/minmei.html
号外 http://www.ah.wakwak.com/cgi-bin/sbox/~yosk/hilight.cgi?dir=nono&thp=960220345&st=36&to=36&nofirst=yes

蘇る古代中国の怪拳奇拳。今解き明かされる「妄無素」の謎の数々
2ん?デリられたの?:2001/01/04(木) 02:37
これって前もなかった?
3王大人(代理):2001/01/04(木) 02:39
沈んだかな?
4X:2001/01/04(木) 02:39
芸道を極めし者「亜 威盆」

第四回殴弟子怨で「妄無素」に追加された四拳士の一人「亜 意凡」。
「乃 納魅」と共に齢若くして難関を突破した強者である。
その若さ故に、先輩の言う事を聞かずに何度も同じ失敗を繰り返してしまう
という一面があった。(これについては、指南役である「呉 糖巻」の
怠慢だったという説もある)
また「亜 意凡」は他者の動きをそっくりそのまま真似して自分の物に
してしまうという拳術の使い手であった。実際、「華 王倫」や「知 瓶婆」の
武術を本人の目の前で再現してみせ驚嘆させたこともあったという。
敵に回すと恐ろしいが、味方にすれば非情に頼もしい存在だったようだ。
だが、この模倣の才が災いし、他の拳士から反感を買ったのか、「手礼都」で
定期的に行われていた「他目誤賭」という演武会には全く参加させて
貰えなかったらしい。
なおこの拳法は「亜 意凡」の出身地に因んで「名羅拳」と呼ばれていたらしく、
現在日本語で使われる「習う、倣う」という動詞の語源にもなっているという。

(民明書房刊 「必ず最後に亜依は勝つ」より)
5X:2001/01/04(木) 02:39
「倍背鋼」

古代中国で大いに活躍した「富乳妄忍」だが、玄穐十二年の夏、
大規模な中華大陸巡業を行っていたという記録が残っている。
そのときに使用していた乗り物がかの有名な「倍背鋼」である。
恐らく「背丈の倍ほどの長さの鋼の乗り物」という意味から名付けられたと
思われる。どういう外観であったかは謎だが、かなりの速さを誇ったという。
また「富乳妄忍」はこの「倍背鋼」に乗りながら相手を攻撃する「死国四拳」
なる奇拳を体得していたとも伝えられている。
なお興味深いことに「富乳妄忍」はこの「倍背鋼」を使って、なんと日本や
北米大陸にまで到達していたという学説が最近注目を浴びている。
それによると、東京都足立区やアメリカ国内で当時の「富乳妄忍」の武具が
出土したとか、英語の「バイシクル」の由来は「倍背鋼」であるとかいうことだが、
情報の信憑性は低い。

(民明書房刊 「モーリングよりツーリングを!」より)
6X:2001/01/04(木) 02:40
地味にsageでやってくつもりです。
次回は「四 素射」、「李 活乳」の秘密に迫ります。
7名無しやねん。:2001/01/04(木) 02:40
期待してますです。。。
8名無し娘。 :2001/01/04(木) 02:41
楽しみにしてます☆
9名無し募集中。。。:2001/01/04(木) 02:42
             立
         初  て
         め  て
         て  み
      駄  わ  て
      ス   か
      レ   る
      か
   圖  な


  Λ_Λ
 ( ´∀`) <食いつくヤツは逝って良いよ・・・
 (    )
10X:2001/01/04(木) 02:42
「四 素射」と「米愚留」

「四 素射」。第四回殴弟子怨で「妄無素」に追加された四拳士の一人として知られる。
加入当初から古参「妄無素」戦士に勝るとも劣らない力量を誇っていたらしいが、
その力の源は一説によると「米愚留」という食料にあったという。
「米愚留」とは「四 素射」の故郷に代々伝わる戦闘時の非常食で、その原料や
製法などは一切、秘中の秘とされていた。
「四 素射」はこの「米愚留」を食し、なんと三体の分身を作り出す奥義を持って
いたという。三体の分身はそれぞれ「厳辞異」「非意太亜」「零故」と呼ばれていて、
すべてが独自に全く異なる拳を使う。分身を含めた四人で敵を包囲し「怒寸!」の
怒声と共に敵を瞬殺するという恐るべき戦術を使っていたらしい。その勇猛な
戦い振りは、時の皇帝突九帝をして「天才的也」と言わしめたという程。
元々は、四身一体の拳術を使うことから「四 私射」と呼ばれていたが、
師匠の「知 瓶婆」によって「四 素射」に改名されたという記録も残っている。

(民明書房刊 「ベーグル普及委員会埼玉支部広報誌」より)
11名無し募集中。。。:2001/01/04(木) 02:42
懐かしいな。復活したのか。
12名無し募集中。。。:2001/01/04(木) 02:42
復活したのか。
大感動sage
13名無し募集中。。。:2001/01/04(木) 02:43
早く書いて・・・
14再録(2):2001/01/04(木) 02:43
魅尼妄忍

中国東部手礼都の朝暁寺に伝わる奥義の中でも秘伝とされているのがこの「魅尼妄忍」である。
基本的には三身一体の連携奥義であるが、体格の小さい者(150cm以下といわれる)ばかりで
構成されていたようだ。
歴史上唯一文献に残るこの奥義の使い手は「知 瓶婆」「乃 納魅」「亜 威盆」である。
秘伝ゆえに奥義の仔細を記した文献は少ないが、その掛け声に関する記録が残っている。
「壱、弐、参、死、魅尼妄忍、異影異影」
この掛け声からは、その小さな異影を見たものは必ずや死に至るこの奥義の壮絶さが伺える。

(民明書房刊 「拳法における体格差とその克服の歴史」より)
15名無し募集中。。。:2001/01/04(木) 02:44
とりあえず保全。。。
16名無し募集中。。。:2001/01/04(木) 02:44
17名無し娘。:2001/01/04(木) 02:44
いいね、ネタスレ万歳!復活ありがとう
18名無し募集中。。。:2001/01/04(木) 02:45
哀 鵜異種
19名無し募集中。。。:2001/01/04(木) 02:45
ねたすれかよ
20名無sann:2001/01/04(木) 02:45
速攻ブックマーク
これは懐かしい、、、
でも僕には才能がないので書けない。ネタ職人頑張ってクレ
22いつも名無し。:2001/01/04(木) 02:47
「弥魔叉鬼」

幾多の伝説を残す「妄無素」ではあったが、
その功績の裏には富を貪り生き長らえたと伝えられる妖怪
「弥魔叉鬼」の存在があったとされる説がある。
弥魔叉鬼はその妖しげな音色で人の心を支配する魔笛
「幽衛笛」を奏で、妄無素を操っていたと言われる。
しかしながら、いかに幽衛笛の魔力をもってしても
屈指の武道集団たる妄無素を直に操ることは至難を極めたという。
そこで弥魔叉鬼は時の権力者である突九帝をその魔力で支配下に治め、
突九帝の意にそぐわない命令を妄無素に与えていた。
幽衛笛の響きに魅せられた者は弥魔叉鬼の富を得る目的にのみ
生きることを許され、役に立たなくなれば「陰体」と呼ばれる
再起不能の状態にて葬られるという惨いものであったと伝えられる。
陰体から甦る方法はただ一つ、「雷波掌念」の使い手による蘇生である。
現代においても、九死に一生を得ることを「サム得る」と言うのは
この極めて稀な蘇生に成功した武道家の名が由来とされている。

(民明書房刊 「T&Cよ、お前もか」より)
23名無し:2001/01/04(木) 02:47
>>22
相当に上手い。オリジナルスレのネタ職人が復帰したの?
24筆者不明:2001/01/04(木) 02:47
安打の書

その昔、弐番孟板という修行道場があり、日夜熱心に孟学に励む若者が多数詰めていたという。
そこでは修行者同士により孟妊愚に当時存在した旧七派と新四派のどの派が一番なのか
際限のない争いが日々続けられていた。
そのような状況下、道場の中で一際異彩を放つ団体があった。
その団体は全ての発言の末尾に必ず「安 打」と付ける事を定められ、
その発言は全て書物に書き留められ、書庫に保管されたという。
その書物は一冊目からと百二十二冊目からの二冊があり、二冊が合体するとき弐番孟板に
何かが起こるとして語り継がれた。

その書物が百十五冊目に差し掛かった頃、突然「安 打刑」なる人物が現れ、
書物にいくつかの予言をした。江無棲手における合図もそのひとつである。
その後の江無棲手での合図も微妙であるが行われたとの記述があり、その百十五冊目は
伝説の書として封印されたという。

(民明書房刊 「ダーヤスありがとう。でも(`.∀´)付き」より)
25名無しさんかもね:2001/01/04(木) 02:48
やっぱこういうのはいいね。スゲーうまいよ。
つーか書いてる人すごいよ。
モーニング関係とモー板の全てを把握してるかのようだ・・・
26Dr.クマルマンガラム:2001/01/04(木) 02:48
「李 活乳」はまだか・・・
27名無し募集中。。。:2001/01/04(木) 02:49
すげーおもろい。最高
28いとう:2001/01/04(木) 02:49
保全age
29:2001/01/04(木) 02:49
「哀憂為酒」

中国東部手礼都周辺に伝わる銘酒がこの「哀憂為酒」である。
この銘酒の名前の由来には一つの伝説が有る。
玄穐12年9月に行われた御前試合において朝暁寺の武道集団「妄無素」は元師範でまとめ役でも
ある「中 裕姐」に習って酔拳(「呉州北流」と言う流派らしい)を取り入れた奥義で臨んだ。
しかしながら未成年が大半だった妄無素は慣れぬ酒に酔い潰れ、大惨敗を喫してしまう。
この時、妄無素の面々があおった酒を朝暁寺の人々は惨敗の哀しみをこめて「哀憂為酒」と名付けた。
これが現代まで伝わり銘酒として愛好家の口を楽しませているのである。
余談ながら酔った妄無素の面々は試合に敗北しながらも上機嫌で

「嗚呼、素晴ラシキ哉人生、素晴ラシキ哉人生」

と歌い続け対戦相手や試合の立ち会い人達を呆れさせたという。

(民明書房刊「酒と泪と男と女〜哀しい酒の話」より)
30いつも名無し。:2001/01/04(木) 02:50
>>29
「哀憂為酒」を呷って繰り出される酔拳は各人の特技を活かし、多種に渡っていた。
「四 素射」は体内の気を掌に集めて一気に放出する技を得意とし、
特に強靭な頭部による頭突きは対峙する者を威圧したが、
御前試合では惜しくも失敗し、額から流血の末敗戦した。
「妄無素」の中でもまだ未熟であった「乃 納魅」は
独自の型を持たず、正統派酔拳を継承していた。
腕を頭上に振りかざし、首を左右に揺らしながら体を沈め、
再び元の体位に戻るという、相手の意表をつく動きを徹底していた。
しかしその未熟さ故、それ以上の動きをすることはなく
繰り返すのみに留まったため、動きを読まれ敗戦に終わった。
「中 裕姐」による酔拳の継承者の中で、
最も畏れられていたのが「亜 威盆」である。
「亜 威盆」が発する超高音の声とともに相手の体が
真っ二つに切断され、即座に死体と化してしまうという
伝説の技「体切二死体」を「中 裕姐」に伝授されていたのである。
無論「亜 威盆」はこの技を御前試合にて繰り出したのだが、
完全にこの技を体得していなかったために失敗し、敗戦した。
「体切二死体」は、正しい音程による発声が必要であったという・・・。

(民明書房刊 「知られざる酔拳の秘奥義」より)
31名無しさんやろか:2001/01/04(木) 02:51
>>29の漢文引用みたいな文が好きだ。
なんかすごい恐い感じする。なんかわかんないけど
32名無しさん:2001/01/04(木) 02:51
>>30
「体切二死体」爆笑!!
33名無し娘。:2001/01/04(木) 02:51
復活に感動・・・やっぱ上手いよ
34log0076:2001/01/04(木) 02:52
我思自身死スベシ…
35:2001/01/04(木) 02:52
「新生短放砲〜御投刃衆」

これまで大中小3人による連携奥義と思われていた「短放砲」であるが、新たに発掘された文献から
小柄な体格の者もう一人を加えた4人による連携も存在することが判明した。
この4人による短放砲の仔細は未だ解明されてていないが今回の文献研究で帽子と傘状の暗器を用いる
技の存在が明らかになっている。
この技は「御投刃衆」と呼ばれ、読んで字の如く4人が一斉に敵に向かって暗器を投擲するものであった。
文献に残るこの技の代表的使い手は「華 王倫」「知 瓶婆」「李 活乳」「亜 威盆」である。
この4人が呼吸を合わせての傘状の暗器の投擲、受け渡しはほぼ百発百中であり見事なものだったという。
しかしながら連携奥義全体としての4人による「短放砲」には慣れぬ内はややギクシャクしたものがあった
ようで「張切当日、履高下駄大失態」と、失敗を記した文献も残っている。

(民明書房刊「古代における欧州と亜細亜の文化交流〜パスタの起源は中国だった!」より)
36名無しさん:2001/01/04(木) 02:53
ネタ職人は何人なの?
37名無し殿下:2001/01/04(木) 02:53
保全
38名無しさん:2001/01/04(木) 02:54
ぶっくまーくしましたよ、当然。
39名無しさん:2001/01/04(木) 02:54
保全
40いつも名無し。:2001/01/04(木) 02:54
「李 活乳」

「李 活乳」は第四回殴弟子怨で追加された拳士の中で
最も体術に秀でた武道家であった。弐番孟板の書物に散見される、
「ソノ歌稚拙ナレド、コト舞踏ニオイテ才ヲ発揮セシメリ」
というくだりは「李 活乳」に関するものだという説が有力である。
その体術は、七日に一度開催されていたという「茶令妄忍」なる
忍術の修行道場にていかんなく発揮された。
「長野天挑五輪大武會」の閉會式を司ったという伝説の忍者
「欽 茶無」が開祖とされる歩行術を「李 活乳」は体得していたのである。
(道場の名は「欽 茶無」の名を冠して創設されたと言われる)
完全に気配を消し去り、「静カナルコト唖ノ如シ」とも謳われたその姿は
「茶唖身」と呼ばれ、忍びの極意として語り継がれていった。
(ちなみに上記くだりは、彼女が喋ったときの周囲の反応のことを謳った
 とする説もあるが、真偽のほどは定かでない)
その歩行術の極意は、玄穐十二年十二月に勃発した
「恋愛革命」において兵卒の間に広く伝授されていくことになる。
その極意を啓蒙するための号令、「歩意!」は
革命の乱世にあって最も広く普及した言葉であったという。

(民明書房刊 「挑戦、それは、バラドルへのプロローグ」より)
41名無し募集中。。。:2001/01/04(木) 02:55
ヲナニースレ
42いつも名無し。:2001/01/04(木) 02:55
>>6
すまん、待ちきれずに俺が書いちゃった・・・。
43オ・マンコ:2001/01/04(木) 02:55
妄無素の拳士たちの私生活の多くは謎に包まれているが、
なかには結婚し子までもうけた者もいたらしい。
黒江彩という拳士は西洋における最も主要な体術である「蛮怒」の
「怒羅夢」の使い手であった神夜なる者との恋と妊娠が原因となり
朝暁寺を追われたとある。ただ彼女に関しては、
”民明書房刊 「みんなも社長さんも分かる陰陽道」”に
おいて非常に美化された形での記述が残っているが、現実は拳士たちの
恋愛を禁じていた朝暁寺の長老や突九帝が、恋愛を原因として
追放するという形では世間体が悪いので歴史家たちに改ざんさせたようである。
同様の改ざんと思われる書物には彼女が「福蝕出財名亜」なる拳技を極めるため
朝暁寺を出たという記録もある。
また、黒江彩に関する数少ない伝承としては彼女が、「赤流威!」なる奇術
の使い手であったことを紹介している。この奇術がいかなるものであったかは
書物は黙して語らぬがどうやら気合の声の一種であったらしく、聞くものは
なぜか苦笑してしまう類のものであったらしい。
(民明書房刊「鼻ピアスの現代的位相とその変遷」より)
44名無し矢口君:2001/01/04(木) 02:56
頑張ってちょうだい
このスレはあるだけでも価値があるとおもいますです。。。
45名無しさん:2001/01/04(木) 02:56
>>44
激しく同意。今やモー板唯一のネタスレだからね。
今日もほぜーむ
46一日:2001/01/04(木) 02:56
1回は更新していて欲しいスレだよね。
sageでもいいから頑張ってくださいませ。
47名無しさん:2001/01/04(木) 02:57
ほぜーむ
48名無しさん:2001/01/04(木) 02:57
爆笑問題は長者番付にのるような金持ちには見えない
49いつも名無し。:2001/01/04(木) 02:57
「知 瓶婆」の成長

いかに卓越した「知 瓶婆」の才能をもってしても、
奥義「世苦死光波」(民明書房刊 「中国奇拳百選」参照)
の習得に至るまでには想像を絶する修行をくぐりぬけてきたという。
「偉 地位」「安 打刑」らとともに朝暁寺に入門したばかりの頃など、
才を発揮する十分な場は与えられず、同期生の三人で寄り集まっては
師範代の「中 裕姐」に対する怒りの感情を込め、
「腐殴裕!、音痴裕!」などと言い合っていた。
(その事実を知っていた兄弟子達は、
 心を鬼にして厳しい指導を余儀なくされていた状況を
 「可愛クナレナイ我哉」と嘆いていたという)
その後、秘めた才能を見出された「知 瓶婆」に、徐々に活躍の場が与えられる。
「世苦死光波」の原型となる「目盛青春光波」を習得した「知 瓶婆」は、
当時棟梁であった「菜 通知」の補佐を努める大役に抜擢された。
その後、技を繰り出す際に多大なの熱量を体内で消費しなければならない
「真夏光波」も習得し、苦難の末「世苦死光波」の体得に至った。
「真夏光波」の習得には兄弟子である「華 王倫」さえも挫折し、
その熱量で「熱射病」にかかったという逸話は有名である。

(民明書房刊 「光波の多様でメラニン増加」より)
50名無しちゃむ:2001/01/04(木) 02:58
なるほど、この人は歌詞ネタが得意なんだな。
体切二死体爆笑sage!!
51名無しさん:2001/01/04(木) 02:58
今夜もほぜーむ
52名無しちゃむ:2001/01/04(木) 02:58
価値あるスレだな
5321:2001/01/04(木) 03:44
もっと〜。
54名無し募集中。。。:2001/01/04(木) 09:48
氏んだはずのスレを再生するとは・・・さすが王大人
55名無しさん@新年おめでとう:2001/01/04(木) 21:27
見事なスレ活殺術・・・
王大人、流石の手練れよ
56774:2001/01/04(木) 22:54
カノッサの屈辱でこれやんないかな

みなさん 私の研究室へようこそ
「魅尼妄忍 邪無拳臂四」

魅尼妄忍については>>14に記す通りであるが、最近発見された文献によると
「知 瓶婆」「乃 納魅」「亜 威盆」の3人に加えて、異国「羽合」出身の
4人組武闘家集団「個々夏」の1人「未暇」も魅尼妄忍の使い手であったことが判明した。
さらにこの魅尼妄忍の使い手4人は、その拳から邪気をはらうためであろうか、
あたかも子供のような出で立ちで「邪無拳臂四!邪無拳臂四!邪無拳臂四!」の掛け声と共に
激しいながらもコミカルな動きで拳を繰り出すのを得意としたようだ。
繰り出す拳は3種類存在したらしく、演舞を見た者から
この「邪無拳」は簡易式勝敗決定方法として市井の間に流布していった。
これが今に残る「じゃんけん」のルーツとされている。

(民明書房刊 「ああ矢口様!小さいってことは便利だね」より)
58名無し募集中。。。:2001/01/05(金) 13:30
これって一人が書いてるんかな?
59名無しちゃむ:2001/01/05(金) 21:54
「鶏鳴喰豚」

玄穐十二年秋、手礼都のみならず中国全土を震撼させた大事件が起きた。
人が家畜に襲われたのである。
年端も行かない三人の娘が寝起きを襲われたのである。
豚と鶏に!
糞尿塗れの現場に当局はなすすべも無かった。
迷宮入りになったこの事件だが、朝暁寺に残された文書の中に気になる物があった。
「酎 裕姐」全夜日出国超、独白より
『「菜 通知」は笑うと豚になる』
この事件の後精神に異常をきたした三人は自分達の事を富乳妄忍同盟だと信じ込み
各地で道場破りをした。
この噂は直ぐに朝暁寺に届くことになり
「偉 地位」と行動を共にしていた「安 打刑」
「偉 地位」の唯一の弟子「呉 糖巻」
「偉 地位」を尊敬していた「四 素射」達の怒りを買い
再起不能に追い込まれた。

(民明書房刊 「青派時代偉地位兄賛」より)
60こんな時代だからこそ:2001/01/05(金) 23:55
あげていきたい
61いつも名無し。:2001/01/06(土) 00:04
「妄無素」の試練

玄穐十三年一月、「妄無素」の巡業修行の様子が民衆に公開された。
常に行動を共にしていた「妄無素」が数人づつに分かれて行動し、
定められた宝物を授かってくる、という試練が
「藤 井穴」大人によって申し渡されたのである。
師範代であった「酎 裕姐」はその自覚を問われ、
単身で巡業に出るという試練を与えられる。
その移動手段には「倍背鋼」(民明書房刊「モーリングよりツーリングを!」
参照)が藤大人から与えられたが、「富乳妄忍」ほど倍背鋼を乗りこなせていなかったのは、
空腹に耐えかねた「酎 裕姐」がやっとの食糧に夢中でありつくあまり、
倍背鋼を置き去りにしていたことからも明白である。
また、「李 活乳」「呉 糖巻」「菜 通知」らは
三人で大海原に漕ぎ出し、「干烏賊」という護符を授かる試練を与えられた。
(なお、このとき使用された「津根」なる乗り物は、
 現代における「ふね」の原型となっていることは語るまでもない)
余談ではあるが、キーキーと甲高い声で喋る「李 活乳」を猿に、
魚の化身であると崇められていた「呉 糖巻」を河童に、
満場一致で「菜 通知」を豚にそれぞれ見立てて
この巡業を記した作品が後に「西遊記」として広く知られることになる。

(民明書房刊 「驚愕!!河童も船酔いする昨今」より)
62名無しさん@新年おめでとう:2001/01/06(土) 00:34
今や狼最重要スレ、今夜も保全
63 :2001/01/07(日) 05:35
age
64:名無し募集中。。。:2001/01/07(日) 06:27
ty 餡
65オ・マンコ:2001/01/07(日) 07:20
「四 素射」の「妖知恵気裸乳四」

「天才的也」とうたわれた「四 素射」の秘儀がこの「妖知恵気裸乳四」
である。これは、奇妙に折り曲げられた腕と指を、「妖知恵気裸乳四!」の
掛け声とともに敵の目の前に突き出す技である。この技は毎週日曜の朝の                           
「爬炉母似」なる演武会において上演されていたのだが、朝寝坊な手礼都の民は
この技を痛撃されてようやく目を覚ましたという。
また、不治照尾において同時刻に上演されていた「藁手飯友」なる演武会を
つれづれなるままに見ていて、「妖知恵気裸乳四!」を見逃した人々が
その悲しみと悔しさに一人では耐えきれず、
「友人皆アツマリテ語リ明カソウ也」とつづった書物も発見されている。
ところで、まだ修行を始めて日の浅かった「四 素射」の秘儀「妖知恵気裸乳四」
が、あまりにも強烈な威力を発揮することをいぶかしがった師範代の「酎 裕姐」
がその技をつぶさに観察したところ、どうやら「呉 糖巻」が後ろから
密かに棒と球の組み合わせや紐状の布で支援していたことが発覚した。
このように「呉 糖巻」と「四 素射」は友情を超えるほどの絆で
結ばれていたのだが、この二人の仲の良さをうらやましがり、さらに「四 素射」
に密かに恋焦がれていたという「李 活乳」が「四 素射」にあてた恋文が
このたび発見された。だが、その恋文のほとんどは時代の経過とともに解読不可能
となり、ただ一行のみがこのたび歴史家たちによって解読された。
「愛スル人ヨ…」

(民明書房刊「十五歳、少女三人イケナイ恋愛」より)

66名無し募集中。。。:2001/01/07(日) 07:23
このスレの長文って全部読んでおいたほうが良いのかなぁ?
67名無しさん:2001/01/07(日) 14:32
保全
68名無し募集中。。。 :2001/01/07(日) 14:34
このスレだけは大切にしたーい。ああ、あああ。愛する人のためえええー・・・にぃー。
69名無しSAN:2001/01/07(日) 23:57
>>65
「十五歳、少女三人イケナイ恋愛」ってなあ、おい!(w
70名無し募集中。。。:2001/01/08(月) 14:44
今日の保全係は俺
71log0076:2001/01/08(月) 23:59
ほぜん。
まさかこうくるとはな
72いつも名無し。:2001/01/09(火) 20:56
「唐王家」

演武会「爬炉母似」では多種に渡る競技が繰り広げられ、
参加者達は日々鍛錬に努めていた。
過酷と言われた競技の中でも、最も熾烈を極めたものが
「唐(から)王家」の御前試合として行われた「羅須斗怖令頭」である。
王家の御前試合であるこの競技は、一対一ではなく多数の選手が同時に闘う、
「王家対戦」(西洋で言うバトルロイヤル)形式にて執り行われていた。
複数の相手と対峙するという過酷さもさることながら、
参加者の士気を否応無しに高めていたのは、敗者に課せられる懲罰であった。
敗者となった者は爆弾と共に狭い檻に閉じ込められ、葬り去られていたという。
さらには死への恐怖を痛感させるため、爆発までの秒読みまで行われていた
ということからも、唐王家の武道に対する辛辣なまでの敬意が伺える。
やがて唐王家の衰退とともにこの忌まわしき懲罰は消えていくことになるが、
その名前は多数で互いの歌唱力を競い合うという「カラオケ」として
現代まで語り継がれている。
また、カラオケ屋にて店員が「お時間の方、残り10分となっております」
と知らせるのは、爆発への秒読みの名残りであることを知る者が
少なくなったことは、時代の移り変わりと言えよう。

(民明書房刊 「自爆女王『知 瓶婆』」より)
73名無しさん:2001/01/10(水) 00:12
保全
74学校休み:2001/01/10(水) 12:31
>>72

落ちがうまい。
75名無し募集中。。。:2001/01/10(水) 12:34
2行目から読んでない
76kyto021n029.ppp.infoweb.ne.jpさん:2001/01/10(水) 21:16
毎回毎回書名が楽しみだったりする。
77別の所で収集:2001/01/11(木) 22:17
名刀「鞘火」

江戸中期、河内の国の刀匠寺田某の作。
居合用に薄く短く軽く作られているがその斬れ味は兜すら両断するものだったという。
凄腕の剣豪が使うと抜刀の際に鞘との間に摩擦がおこり火花が散ることが銘の由来である。
歴史上代表的な使い手は江戸後期の剣客、市井某であろう。
市井某は居合の達人であり、その一撃必殺の剣術は当時の江戸で
「暗がりで火花が散るのを見たら一人死んでいると思え」
と謳われるほどのものであった。

(民明書房刊 「お江戸でござる〜えなりの野望」より)
「優跳組」

江戸後期に暗躍した暗殺集団が「優跳組」である。
風魔忍の流れを組むこの集団は暗殺を専門にするだけあり富士登山など
過酷な修行に耐えぬいた者のみしか生き残れない。
「蹴球がやりたい」などと甘いことを言えば即座に斬られる厳しい世界であった。
闇の集団ゆえに殆ど記録は残っていないが
江戸後期の棟梁、和田某のみはその手腕で表の世界でも広く知られていたようだ。
ある大名などは「和田に頼めば邪魔者はいつのまにか氏んどる」という言葉を残している。

(民明書房刊 「大江戸裏街道〜おぬしも悪よのぅ」より)


「朝暁寺魁徹烈風剣」

江戸中期の剣客市井某が編み出したと言う、常識破りの大技。
妖刀「鞘火」の軽さを活かし、凄まじい勢いで瞬時に竜巻を起こし相手を薙ぎ倒す。
開発者自身が使うのを目にしたものはないが、
弟子の眠り某が、希に気力が充実した時に披露したという。
よほどの豪腕がないと使いこなせず、術者自身も危険なことがある。
これを知った大豪院の僧が「真空殲風衝」に発展させたとの話が伝えられている。

(民明書房刊 「お江戸はえーどー:ごまきギャグの逆襲」より)
78別の所で収集2:2001/01/11(木) 22:19

「亜未異護」

江戸時代中期に跋扈した魔剣とも、それに宿った妖魔の名とも伝えられている。
野心家の老中・誇霧徹により相模にて見出され、世にはびこった。
体重計が気になるなど人の不満や心の隙に付け入る大変危険な存在である。
これを調伏せんと若年寄・寺田浪花守が集めた妄忍愚七人衆が立ち上がるものの、一度は完敗、
「殴弟子怨」で一人選ばれた眠り某を加えた八人が「羅武真紫印」と言う秘技でようやく退治し、
京のさる場所に地中深く封じ込められた。
これを開けば天下騒乱間違いなしと大変恐れられたとのことである。

(民明書房刊「お江戸の夜はミラクル・ナイト♪」より)
79名無し募集中。。。:2001/01/13(土) 18:04
ほぜむ
80名無しさん募集中。。。:2001/01/15(月) 05:48
はよ更新せえや
81いつも名無し。:2001/01/15(月) 15:11
「超骨屠羅武」

「偉 地位」「安 打刑」「呉 糖巻」らは、奥義「超骨屠羅武」により、
その戦力僅か三人にして偉業「魅里怨」を成し遂げた。
途中で仲間割れを起こしたかのような寸劇を交えて
油断した敵の隙をつく技(民明書房刊「集団戦術の歴史」参照)の中で、
すでに「邪無拳」(民明書房刊「ああ矢口様!小さいってことは便利だね」参照)が
この頃から取り入れられていたという事実は、中国史学界に大きな驚愕を与えた。
超骨屠羅武の習得までには想像を絶する過酷な修行があった。
「呉 糖巻」は師範代の「夏 仙聖」から腹筋の増強を命じられ、
また「怖羅封膚」という円形の武具を用いた鍛錬のほか数々の修行のために、
三人だけの山篭りを行ったと伝えられる。
そのあまりの過酷さに、「偉 地位」が高熱で病に伏してしまったほどである。
苦難の末完成した超骨屠羅武の殺傷力は凄まじく、
でん部による左右への同時攻撃などの連携技もさることながら、
各人固有の繰り出す技が対峙する者を震撼させた。
「偉 地位」の「斧憎身出洲寝」、「安 打刑」の「宇々々出洲寝」、
そして特筆すべきが「呉 糖巻」が繰り出す、両腕を広げて体を激しく回転させ、
手刀で相手の頚動脈を横から切り裂く「横頸出洲憎悪」である。
これらの技の名は西洋にまで伝え渡り、
その凄まじさから畏敬の念をとともに"death"という言葉が生まれたことは
英語圏の国々の小学校で教わる常識である。

(民明書房刊 「ドンキホーテで買えるパーカー一覧」より)
82オ・マンコ:2001/01/16(火) 00:53
心優しき拳士「安 打刑」

拳術、舞踊、歌唱力とともに、一般に容姿の美しさも必須条件とされていた
「妄無素」の拳士たちであるが、その条件に照らして言えば「安 打刑」の
存在は疑問が残る。当時の多くの証言からは彼女が不美人であったことは
疑いの余地がないことである。また、その舞踊の実力と歌唱力に反し、
全ての演舞会で一度も中心(選他阿)になったことがないことから、やはり
彼女の容姿が大きく劣っていたことは間違い無いだろう。
されど、顔の造作とは対照的にその心は優しく美しいものであったという。
「偉 地位」が、さらなる修行のため朝暁寺を出る時も、
「富乳妄忍ハ永遠ニ、三人也!」と「葡萄姦」での「最終演舞会」に
おいて涙ながらに叫んだのは、その優しさのあらわれであろう。
さて、その「安 打刑」が、使った拳技に「模在躯」なる技がある。
この技は、
「躯ガソコニ在ルカノゴトク模シタ技」
と文献には残るが、具体的には不明な点も多い。その唯一の使用例が、
「個々夏」たちの出身地である「歯猥」なる島国で、早朝「藤 井穴」大人に
修行のため奇襲攻撃を受けた際に、
「模在躯カケテ下サイヨ〜(`.∀´)」と発言したことである。
これは、「安 打刑」が、自らの顔が、しかもノーメイクの寝起きの不美人な顔が、
公共電波に乗るのを恥じたために、「(美しい顔が)そこに在るように模す」
ことを希望して発言したというのが通説である。だが、我々「安打汚太」学派は、
これとは異なる学説を持つ。それはつまり、整っていない顔面の造作
そのものが凶器となり、多くの人間を殺傷してしまうことを、「安 打刑」自身が、
よく理解しており、無用の殺生を避けるためにあえて、彼女自身が
「模在躯」を希望したのではないであろうか、という説である。
そして、そんな優しさこそが、「圭ちゃん、萌え〜」となる原因であると
思われるのだが、その学説は広く支持されず「安打汚太」たちはどこに行っても
奇異の目で見られるかネタにされるのが現状なのである。

(民明書房刊「富津漁港漁獲高年鑑、1980年度版)より」
83名無し募集中。。。:2001/01/17(水) 09:09
素晴らしきスレ
84いつも名無し。:2001/01/17(水) 19:34
「偉地位汚太」

玄穐十二年五月、「偉 地位」が究極奥義「自作自演」
(民明書房刊「バイバイ ありがとう サヨウナラ」参照)
を体得すべく朝暁寺を去ってからというもの、
「妄無素」は語るに及ばず、取り残された「偉地位汚太」なる親衛隊の
士気低下は否めることができなかった。
偉地位汚太の構成員は「偉 地位」への忠誠心が特に厚く、
組織を解散せぬまま連日連夜寄り集まり、「座通団」を開いていた。
そんなある日、一人の武器商人が現れ、戦力増強にと二つの武具を紹介した。
まずは防御力を高めるための「須令盾」という盾が差し出された。
すぐさま偉地位汚太は多くの須令盾を実行した、もとい購入した。
さらに攻撃力増強の矛として、「地耶矛」(またの名を「紗耶離矛」)の紹介を受け、
偉地位汚太は須令盾と地耶矛で次第にその版図を広げていった。
そうした偉地位汚太の勢力拡大を快く思わなかった男が「自 治厨」であった。
反目を顕にする「自 治厨」に対し偉地位汚太は、
「地耶矛ニ貫キ通セヌ物ナシ、
 須令盾モマタ、イカナル刃モ跳ネ返ス最強ノ盾也」
と脅しをかけた。すると「自 治厨」は、
「ナラバソノ地耶矛ニテ、ソノ須令盾ヲ(以下略

(民明書房刊 「故事成語辞典 【矛盾】」より)
85名無し募集中。。。:2001/01/17(水) 23:07
ついに登場続編期待sage
86名無しさんフォーエバー:2001/01/18(木) 09:50
貴重スレよ、永遠に・・・
87いつも名無し。:2001/01/19(金) 20:01
「貪邪羅」

群雄割拠する玄穐の乱世にあっては、
武道集団「妄無素」の戦力たるや引く手数多の活躍ぶりであった。
当時、妄無素をはじめとする武道家を戦力として雇う場合、
「義屋羅」という報酬を支払うのが通例であったが、
各々が一騎当千の戦力に値する妄無素の義屋羅ともなると、
全員を一度に雇うことはよほどの富豪にしか叶わぬ所業であった。
そのため妄無素は位の高い官僚に雇われることが多かったことから、
義屋羅ではなく「救僚制」の報酬で雇われていたと伝えられる。
全員を一度に雇えない者たちは、妄無素を数人に切り分けて雇うという
方法をとっていたが、妄無素の中でも実力のある者は活躍の場が多く、
すぐには雇えないという状況が問題となっていた。
そこで、誰を雇うかを互いに平等に決するため考案されたのが
「貪邪羅」というやりとりであった。
それぞれ不要な武道家を捨て、他人の捨てた武道家を
「本!」という発声とともに自分のもとに引き入れるという、
ある種人身売買ともいえる行為がなされていたのである。
奥義「名羅拳」「体切ニ死体」等の使い手「亜 威盆」や、
「歩意!」で知られた「李 活乳」らは
その実力から貪邪羅で売買されることが多かったが、
その重圧に「亜 威盆」は耐えることができず、
若くして額の毛髪が後退していたという事実には驚嘆するばかりである。
現代の無垢な子供達が歌う童謡「モニの子ハゲでドンジャラほいっ!」
の背景には、こうした哀しい物語が隠されていたのだ。

(民明書房刊 「おいきたろう、恵からアガってどうすんねん!」より)
88名無し募集中。。。:2001/01/19(金) 20:49
ageでやろうよ
89名無し娘。:2001/01/20(土) 01:27
 
90名無しさん:2001/01/20(土) 01:35
狼最重要スレだな
91名無しさんエビバデ:2001/01/20(土) 20:48
アゲて行きましょう、どこまでも
92名無し娘。:2001/01/22(月) 01:23
bf
93名無し娘。:2001/01/24(水) 01:43
まだかい?
94いつも名無し。:2001/01/24(水) 11:03
「玉蜀黍空風」

類い稀なる才能と実力を持ち合わせた「菜 通知」に関して、
「妄無素」の集団武闘においてしか力を発揮していないことを
不憫に思っていた者は少なくなかった。
そこで突九帝は「菜 通知」に対し、妄無素からの独立を密かに言い渡していた。
そこで「菜 通知」は「乳余憶」という地にて単身修行を行い、
集団武闘とは違った個人技を次々と体得していった。
大地をも砕くといわれた蹴り技「祖呂遮身蹴」や、
相手を灼熱の炎に包み込む「死暗封椎江霧朱通炎」、
そして、風を巻き起こして相手を吹き飛ばす究極奥義「玉蜀黍空風」などである。
玉蜀黍空風の威力は神業として怖れられ、
「ソノ風、神ト無邪気ニ遊ブガ如シ」と比喩されたほどである。
ところが独立を目前にした矢先、突如として妄無素の二人の拳士が朝暁寺を去った。
「黒 江彩」(民明書房刊「鼻ピアスの現代的位相とその変遷」参照) と
「偉 地位」(民明書房刊「バイバイ ありがとう サヨウナラ」参照)である。
そうした状況下で、さらに妄無素の戦力が減ることを危惧した突九帝は、
やむなく「菜 通知」の独立を見送ることを余儀なくされてしまった。
(一説によれば、「菜 通知」の予期せぬ体重増加のため、
 独立に見合う実力が発揮できなくなったことが原因ともされるが、詳細は不明である)
いずれにしろ「菜 通知」の落胆ぶりははかり知ることができないものであったが、
そんな折に「菜 通知」を励ましていたのが、同郷の「華 王倫」であった。
その友情に関し、「菜 通知」は次の言葉を残している。
「優シイ『華 王倫』ガ勇気ヲクレマシタ」

(民明書房刊 「最後の砦、スパモも終了」より)
95名無し娘。:2001/01/25(木) 01:23
上げ
96名無しさん:2001/01/25(木) 01:28
>>94
「菜 通知」を励ましたのは「御 塩」じゃないの?
97名無し娘。:2001/01/27(土) 01:45
gr
98名無し娘。:2001/01/27(土) 15:53
上げ
99名無し娘。:2001/01/27(土) 20:50
いみなくほぜーん。
100保全:2001/01/27(土) 22:50
保全
101名無しさん募集中。。。:2001/01/27(土) 22:57
はよ更新せいや
102X:2001/01/29(月) 20:21
復活してたのか!知らなかった。
忙しくて放置しっぱなしでそのうちdat逝きになってすっかり忘れてました・・。
ずっとネタ書いていてくれてたいつも名無し。さん、民明さん、オ・マンコさん、
その他の作者の皆さん、どうもありがとう。
うーむ、「李 活乳」、「御投刃衆」は俺の構想していたものより1ランクうまいっす。
103X:2001/01/29(月) 20:23
「王総労」

「御投刃衆」等、数多くの集団戦術を体得していた「短放砲」だが、
その戦術のイロハを記した「王総労」という指南書の存在は一般には
殆ど知られていないのが現状である。
当時印刷技術がまだ無かったにもかかわらず「短放砲」はこの指南書を
数千部も発行し、中国の主要な都で配布していたというのは驚嘆に値する。
「華 王倫」が編集の指揮を担っていたことから「王・総・労」との名が
付けられていたが、当の本人は会議を欠席することが多く、実際に場を
仕切っていたのは副将「知 瓶婆」だったらしい。
他に「李 活乳」は武術家の悩みに対する指導、「亜 威盆」は中国各地に
伝わる奇拳怪拳の紹介を担当していたと記録にある。
この「王総労」が配布される日は、是非とも手に入れたいという武芸者達により
中国各地で長大な列が出来たという。その熱狂ぶりは凄まじく、「王総労」が遠く
我が国に伝来した際に、形容詞「恐ろしい」の語源になったとも言われている。
この「王総労」日本でも評価は高く、「藤原紀香(ふじわらののりか 871〜?)」
などの平安貴族も愛読していたらしい。

(民明書房刊 「編集長・休みだと・あいぼん野放しイイ感じ!」より)
104保全:2001/01/29(月) 22:07
保全
105名無し娘。:2001/01/30(火) 01:41
再開おめ
106名無しさん募集中。。。:2001/01/31(水) 02:00
はよ更新せいや
107名無し娘。:2001/01/31(水) 23:26
>>ネタ職人さん
くだらない煽りは気にせずに更新は遅くてもマイペースでやって欲しいです。
頑張って下さい
108名無し娘。:2001/02/01(木) 14:45
煽り厨房蹴散らし〜♪
ネタがつきてもあげまくれ〜♪
109nanashimusume:2001/02/03(土) 01:39
>>106失礼なやつだな〜
110いつも名無し。:2001/02/03(土) 02:27
「妄無素」の修行費用

用心棒として雇われる機会の多かった「妄無素」の面々は、
「義屋羅」や「救僚制」(民明書房刊「おいきたろう、恵からアガってどうすんねん!」参照)
によって日銭を稼いでいたのだが、自らの鍛錬のため費用は朝暁寺に納める必要があった。
かつては棟梁を務め、その上納金にことかかない「菜 通知」であったが、
「呉 糖巻」にその座を脅かされるにつれ、上納金を延滞することもしばしばあったという。
そんなある日、執拗な朝暁寺からの請求に応えることができなかった「菜 通知」は、
自らの体を張った芸を見せることで上納金の代わりとしたという記録が見つかった。
その芸の名は、中高生の部活動の費用である「部費」として現代まで語り継がれている。

(民明書房刊 「とっさの一発芸大全」より)
111いつも名無し。:2001/02/03(土) 02:28
うう、あがらなかった。無念。
112名無しさん募集中。。。:2001/02/03(土) 02:31
即興あげ。
113名無し募集中。。。:2001/02/03(土) 03:20
>>110
早い。実に素晴らしい手並みです。
114X:2001/02/04(日) 00:26
差魔奈異

玄穐十年五月、「知 瓶婆」「偉 地位」「安 打刑」という新たな三戦士を
加えた「妄無素」が編み出した戦術の一つ。それが「鎖魔奈異」である。
前陣に手練の戦士、後陣に新米の三名を配した陣形は非常に攻守に優れていた
という。しかし「差魔奈異」の真の恐ろしさはその連携攻撃にあったらしい。
まず「大機雷」という攻撃を三度続けて上段に放つ。対峙する者は皆四度目を
予測して身を構えるが、今度は一転して「大隙」という大技を中段に繰り出す。
大抵の者は上段を防御しているので、そこに文字通り大きな隙が出来てしまい、
最後の攻撃を腹部にまともに食らい呻き声と共に地に沈んだという。
なお、多彩な前陣の攻撃に比して、後陣の三名には「報友」及び「有恩忠」
という二種の支援行為しか許されていなかった。これは実力主義の「妄無素」
では当然のことで、「早く一人前の戦士になりたい」という願いから、
三名は寝る間も惜しみお互いに枕を投げ合うという鍛錬を続けていたという。
ただこの枕投げに関しては、当時三名を厳しく指導していた「酎 裕姐」への
鬱憤晴らしだったという諸説も存在すると付け加えておこう。(民明書房刊
「光波の多様でメラニン増加」参照)
また、ある文献には、異民族の武術集団である「個々夏」もこの「鎖魔奈異」を
真似て使用していたものの完全には使いこなせず、強さでは「妄無素」には遠く
及ばなかったとの記録が残っている。

(民明書房刊 「スマイルは3つでもタダです」より)
115名無しさんは今日も行く:2001/02/04(日) 10:25
大機雷、大機雷、大機雷、大隙&#9829
116名無しですう:2001/02/04(日) 20:59
>>114
あんたすごいよ。そのセンスと知性にほれるよ。
117名無しさん募集中。。。:2001/02/05(月) 00:13
はよ更新せいや
118名無しさん@24周年:2001/02/05(月) 00:33
>>117
せっかくいいスレなのにお前が台無しにしてる
119いつも名無し。:2001/02/05(月) 18:19
「覇秘差魔」

第四回殴弟子怨で追加された四人の拳士達が、
最初に参加した戦術が、この「覇秘差魔」であった。
「差魔奈異」(民明書房刊「スマイルは3つでもタダです」参照)と同様、
新入りの四拳士は「阿嫌々」及び「廃々」の二種の支援攻撃を担当していた。
記録に残る中では「妄無素」最大の人数にて繰り出すこの戦術は、
師範代の「酎 裕姐」を中心に配置し、それを取り囲むように
「発破羅覇之発場」という陣を組む秘奥義「翔拳凱奢乃巣戯摸徒散」が
他を圧倒していた。加えて、「知 瓶婆」が繰り出す跳び蹴りは、
著名な格闘家であるブルース・リーの載拳道のルーツとなっている。
しかしながら、技の完成を見てから僅か四日にして
「偉 地位」が朝暁寺を去ったため、最大威力の覇秘差魔を目にした者は
ごく僅かである。妄無素の技の一部始終を記した、「風呂妄書」にも
この技は記載されているのであるが、「偉 地位」に関する記述は少なく、
まるで最初から存在していなかったかのような記述から「偉 地位」を
見つけるのは至難の業とされている。
こうして完全型の覇秘差魔は、時代とともに人々の心から消えてゆくことになるが、
その芸術的な身のこなしから派生した動きは民族舞踊として後世まで継承され、
婚礼の儀に若い女性が披露する踊りとして現代でも目にすることができる。
その踊りは、技を繰り出す際のかけ声に由来して「パラパラ」と呼ばれ、広く親しまれている。

(民明書房刊 「お前たちも一緒にゾナパラ踊るゾナ!」より)
120名無しさん募集中。。。:2001/02/06(火) 01:45
はよ更新せいや
121名無し募集中。。。:2001/02/06(火) 02:24
>>120
そんなに更新を楽しみにしているのか・・・キミは
122まる:2001/02/06(火) 09:26
くだらん
123名無しさんゾナ:2001/02/06(火) 22:14
「丙 卦道」編もきぼ〜んゾナ
124高山:2001/02/07(水) 13:21
うんこ
125名無し募集中。。。:2001/02/07(水) 13:24
爆笑はしないけど、ああ、巧いなって思う
126名無し募集中。。。:2001/02/08(木) 02:43
はよ更新せいや
127X:2001/02/08(木) 04:03
「王得怒の戦い」

玄穐十ニ年十月、「虚塵国」と「代英国」という二つの大国が天下を二分しての
戦争を行ったのはあまりにも有名な話であるが、時の武術集団「妄無素」も
この戦いに関与していたという史実は一般にはあまり知られていない。
とは言っても「妄無素」は直接戦地で戦ったわけではなく、合戦の前に行う
「始球の儀」という儀式にのみ参加したらしい。これは、名のある武術家が白球を
的に向かって投げるという儀式である。戦を前に緊張した兵卒達に武術家の勇姿を
見せることで軍全体の士気を高めるという狙いがあったようだ。
「妄無素」は元々、練習試合「御音妄」の一種目である「猛輪具」という
競技において白球を投げる訓練を日々積んできていることもあり、「始球の儀」の
大役に選出されることとなった。「妄無素」を代表しこの儀を勤めた「呉 糖巻」だが、
投じた球は方向こそ合っていたものの、的まで距離が届かず、皆からは失笑がもれた。
このことが原因かどうかは定かではないが、「代英国」はこの後四日続けて敗れ、
「虚塵国」に天下一の座を奪われてしまった。「呉 糖巻」の名前は、このとき影で
ささやかれた「誤投負け」という陰口が転じたものだとする学説もある。
また投球に自信のあった「華 王倫」は「自分が投げていればこんなことには
ならなかった」と怒りをあらわにしていたという。このことから「虚塵国」と
「代英国」の二国間の戦を後に「王得怒の戦い」と呼ぶこととなる。

(民明書房刊 「城島さんのサインがフォークだったんですよ」より)
128うんこ:2001/02/08(木) 13:31
うんこ
129名無し娘。:2001/02/09(金) 00:21
130名無し募集中。。。:2001/02/11(日) 00:48
131X:2001/02/11(日) 01:42
むむ、大丈夫かな?
132名無し募集中。。。:2001/02/12(月) 00:47
はよ更新せいや
133名無し募集中。。。:2001/02/12(月) 01:32
>>132
待ってました
134名無し募集中。。。:2001/02/12(月) 04:57
例えばこれをあげてみたらどうなるの?
135オ・マンコ:2001/02/14(水) 03:50
「菜 通知」余話

拳闘集団「妄無素」において中心的存在であった「菜 通知」には、
いくつかのエピソードが残っている。
「選他阿」の変更、「派跡輪利」などの「妄無素」の拳士たちにとって、
その実力評価の象徴とも言える決定事項は、文章によって通知されるのが
普通であった。ところが、「哀憂為酒」において、唐突に「選他阿」が
「呉 糖巻」に変更になり、また「菜 通知」には「祖呂派跡」が一つも
与えられなかった。この、彼女にとっては屈辱的な決定事項は、事前に全く
「通知」の無かったものであり、これ以来、いくつかの文献に彼女の名を
「菜 通知」ではなく、「無 通知」と記されることとなった。
もっとも、「無 通知」と呼ばれるようになったのは、そのムチムチした
身体をあらわした擬態語であるとも言われているが真相は定かではない。
また、次のような話もある。
「無 通知」は夜毎、朝暁寺を抜け出し、いずこかへ雲隠れすることが頻繁であった。
どうやら、「御塩」なる恋人のもとへと通いつめていたらしいのだが、本人たちは
恋愛関係にあることをかたくなに否定し、夜な夜な西洋仕掛けの電子玩具に興じていたと
言い訳していた。後に、「無 通知」が極度の肥満によりその容姿が著しく衰えるにつれ、
「御塩」にも捨てられることになる。
長い時を経て、世界中に広まるその西洋仕掛けの電子玩具は@`
そんな彼女の衰えていく有様を評して次のような名前で知られることになる。
「婦劣捨」と。「婦人」ノ(容姿が)劣リ(男に)捨テラレル、と文献は語っている。
これこそが我々が日々、手にしてる「プレステ」の語源であることは、
言うまでもないだろう、とまで言ってしまったらさすがにこじつけであろうか。


(民明書房刊 「それでもイカ食べちゃうだべさ( ● ´ ー ` ● )」より)
136名無しん:2001/02/14(水) 04:06
終了間近かな
137名無し募集中。。。:2001/02/14(水) 04:09
アイドル10年周期
138名無し募集中。。。:2001/02/15(木) 01:00
はよ更新せいや
139名無し募集中。。。:2001/02/16(金) 05:57
はよ更新せいや
140名無し募集中。。。:2001/02/17(土) 05:57
見つけたぞ。
何を?
永遠を。
海にとけてく太陽を。
141名無し募集中。。。:2001/02/18(日) 05:58
はよ更新せいや
142名無し募集中。。。:2001/02/20(火) 00:22
141は毎日保全しにこい
143名無し募集中。。。:2001/02/23(金) 05:45
はよ更新せいや
144名無し募集中。。。:2001/02/23(金) 21:27
もしネタを書くとしたら「はよ更新せいや」のためだけに書くのか。
鬱…
145名無し募集中。。。:2001/02/26(月) 23:34
一応。
146名無し募集中。。。:2001/02/27(火) 06:50
はよ更新せいや
147名無し娘。:2001/02/27(火) 14:28
gh
148名無し娘。:2001/03/01(木) 01:42
あげ
149名無し募集中。。。:2001/03/02(金) 16:51
はよ更新せいや

150名無し募集中。。。:2001/03/04(日) 08:26
はよ更新せいや
151飯田さん:2001/03/04(日) 23:56
カヲリ、交信なんかしてないもん!
152いつも名無し。:2001/03/05(月) 20:42
「般恥裸」

「亜 威盆」が得手としていた奥義「般恥裸」は、中国武術史上において有名な技の一つである。
「般恥裸」は特に「炉離恨」なる流派の使い手に対して効果的であったという。
「御投刃衆」(民明書房刊「古代における欧州と亜細亜の文化交流
〜パスタの起源は中国だった!」参照)において
不完全ながら「般恥裸」の原型となる技を身につけ、「魅尼妄忍 邪無拳臂四」
(民明書房刊「ああ矢口様!小さいってことは便利だね」参照)で
ついにその奥義を完成させた。「般恥裸」の破壊力たるや凄まじく、
「実強磐」という実に強靭な磐をも飛ばしてしまう程の威力であった。
「亜 威盆」との連携を多様していた「乃 納魅」もまたこの「般恥裸」を体得し、
それは玄穐十三年早々に開催された「覇炉腑魯」なる大武會で炸裂した、
「魅尼妄忍 邪無拳臂四」において観衆の目にさらされた。
「般恥裸」は使い手の個性によっては不得手とする者もおり、
「空瑠」で「御徒胡摩江」と言われた「四 素射」には到底使いこなせぬ奥義というのが定説であった。
ところが「四 素射」は人知れず修行を積み重ね、
とうとう「般恥裸」を超える究極奥義、「般喪炉」の完成に至ったのである。
神々しいまでの輝きを放つ「般喪炉」は、「炉離恨」以外の流派の者にも絶大なる震撼を与えた。
「四 素射」からまさかこのような究極奥義が生み出されたということに対する驚嘆は、
その動きになぞらえた「ゾンビが鷹の子を生む」という諺として現代まで語り継がれている。

(民明書房刊 「そぉとぉ強引な売り出し戦略、見事にハマる」より)
153名無し娘。:2001/03/06(火) 15:27
ポジティブッシュよしこ
154名無し募集中。。。:2001/03/06(火) 15:29
はよ更新せいや
155ポジティブッシュよしこ:2001/03/07(水) 23:09
はよ更新せいや
156名無し募集中。。。:2001/03/08(木) 01:10
>>154-155
たまには面白かったとか言ったらどうなんだよ!
157ポエ丸。(スレ汚しごめん):2001/03/08(木) 02:58
「般恥裸弐」
元来は「妄無素」一の巨人「華 王倫」の得意とした豪快な技。
「罵出!罵出!」の掛け声と共に技を繰り出され、
その際にあらわになるその逞しい太ももは見る者の心に強烈な印象、
またある種の恐怖を与えとされる。
現在の「罵倒」という言葉の起源がここにあるという説も。
「華 王倫」と同じく「短放砲」の所属していた「亜 威盆」は、
「喪乃魔音」と呼ばれた方法でこの技を体得したという。
しかし本来の「般恥裸」は強大な体力を必要とした事から、
体格的にそれほど恵まれていなかった「亜 威盆」のそれは、
「華 王倫」とはかなり異なった見た目になっている。
158ポエ丸:2001/03/08(木) 03:06
ああ誤字もあるし…。人さまのスレに参加するんじゃなかった。
本当にすいません。。。
159ポエ丸:2001/03/09(金) 00:10
「練-貸亜流-」

数々の厳しい修練がある事でしられる朝暁寺だが、中でも、
ただ厳しいだけでなくある種の屈辱さえも伴う修行方法として
知られるのが「練-貸亜流-」である。
とかく同じ人間同士との訓練では、そこに馴れ合いのような
甘えが生じるものである。
そこで考え出されたらしいこの訓練は、まったく違う畑に出向く、
いわゆる出稽古のようなものであったとされる。
史実によると「李 活乳」が、「貫兎離射」と呼ばれる秘儀を使う集団と
共に訓練したとされるが、関連した文献がいまだ見つからないので
その後どうなったかは謎に包まれている。
ちなみに、他に貸し出されるという意味として西洋に伝わった「練-貸亜流-」が、
「レンタル」という言葉の語源になったのは有名な話しである。

(民明書房刊 「嘆きの出向社員奮闘記」より)
160ポエ丸:2001/03/09(金) 00:13
「保自底舞」と叫びつづけた「李 活乳」

その女性的な面影と立ち居振る舞いから、あるいは本当に女性
だったのではとの伝説が諸所に残っている「李 活乳」であるが、
例え本当に女性だったとしても、それでもなお尊敬すべき真の闘士であると
皆が認める理由が、この「保自底舞」である。
「常ニ自分忘レズ、ソノ心ザシを保持シ、ドン底ナ時ニコソ、士気ヲ鼓舞スル」
あらゆる困難に見舞われた時も、「保自底舞」と連呼する事で、
消え入りそうになる皆の勇気を奮い起こしたとされる。

「李 活乳」に関するもう一つの興味深いエピソードに「知闇」がある。
古代中国において、この世の全ては陰と陽の二つからなるとされていた。
表裏一体という言葉もあるように、真にその力を発揮しようとするには、
外面と内面が分離していてはいけない、
物事の負の面もあえて知ろうとしなければならない、
そのような教えが「知闇」である。
「保自底舞」によって前向きである事の強さを示した「李 活乳」は、
当然の事ながら「知闇」を習得済みであり、
「李 活乳」自体を畏敬の念をこめて「知闇」と呼ぶ場合すらある。

後世この二つの事例もとに、
「魔力を持った歌・文句」(ラテン語において)という意味や、
「女性的な魅力・美しさ」という意味の「チャーム」という言葉が生まれたのは、
周知の事実である。

(民明書房刊 「チャオ! プリティ長島でした」より)
161名無し娘。:2001/03/09(金) 01:00
rentalじゃ貸し出すじゃないや…。
162名無し募集中。。。:2001/03/09(金) 04:21
はよ更新せいや
163名無し募集中。。。:2001/03/09(金) 09:27
はよ更新せいや
164名無し募集中。。。:2001/03/10(土) 00:38
他のこと言えや
165名無し娘。:2001/03/10(土) 01:48
細かいとこ気にし過ぎじゃない?
166名無し募集中。。。:2001/03/10(土) 12:51
>>144
爆笑
167名無し募集中。。。:2001/03/11(日) 01:51
いつも名無し。はまだ書かないの?
168名無し娘。:2001/03/12(月) 00:51
保全age
169名無し募集中。。。:2001/03/12(月) 02:56
はよ更新せいや
170名無し娘。:2001/03/12(月) 02:56
そういえば「名無し娘。」に戻そうよってスレはいつのまにか消えたね
171名無し募集中。。。:2001/03/12(月) 02:58
戻す必要ないからな。
172:2001/03/12(月) 19:36
「焼 吟南」と「音場放月刀」

「妄無素」の歴史を語る上で案外と忘れられがちなのが「焼 吟南」だろう。
「焼 吟南」は「六暴家裏主斗殴弟子怨」の難関を突破し初代「妄無素」
を結成した五人衆の中でも最年少の拳士として知られる。
体躯にこそ恵まれなかったものの、大人顔負けの非常に堂々とした闘いぶりで、
実戦においてその実力を如何なく発揮していたという。
入門して間もない頃参戦した「芽茶池」という戦において、大技
「邪衣暗斗素淫具」を三度にわたって食らいながらも決して倒れず
闘いぬいたという武勇伝は、今でもよく語られるところである。
さて「菜 通知」と共に「妄無素」の主力戦士だった「焼 吟南」だが、
勉学を極めるためにやがて「妄無素」を離れることとなる。
玄穐十一年四月、「焼 吟南」が「妄無素」を去る際に「妄無素」の七名は
「音場放月刀」という伝説の宝刀を贈ったとされている。文献によると、
これは三日月型の形状をした刀で、投げるとやがて元の場所に戻ってくるという、
今でいうブーメランの様な武器だったらしい。
これには「焼 吟南」への「いつの日か帰って来て欲しい」という願いが
込められていたという話であるが、残念ながら「焼 吟南」がその後
「妄無素」に復帰したという記録は残っていない。

(民明書房刊 「おなじ13さいとはおもえないのれす」より)
173いつも名無し。:2001/03/12(月) 21:30
「酎 裕姐」の脱退

玄穐十三年二月、酔拳の達人として知られていた「酎 裕姐」は、
「妄無素」師範代としての自らの力を試すかのごとく、
集団武闘とは違った独自の奥義「紅椰子名魅陀幌里」を完成させた。
「亜 威盆」「乃 納魅」らが「般恥裸」で「炉離恨」流の者達を
一網打尽にしていたのに対して、「紅椰子名魅陀幌里」は「音菜野色氣」を発して
「炉離恨」流以外の者を次々と打ち負かしていたという対極的な技である。
「酎 裕姐」が発する「音菜野色氣」は五大陸にまで影響を及ぼしたとされ、
太陽系、銀河系、大宇宙、さらには「神聖域」という聖なる場所にまで響き渡り、
果てには「泥江鵺」なる妖怪をも屈服させていたという。
「紅椰子名魅陀幌里」を繰り出す際には、虎と猪の牙から作られる武具、
「虎猪貴王具」が用いられていた。「酎 裕姐」は己の能力を最大限に発揮するため、
自ら鍛造した「虎猪貴王具」を愛用していたとされる。
のちに、その「虎猪貴王具」に隠された秘密が解き明かされることになる。
「虎猪貴王具」は、「焼 吟南」の「音場放月刀」と同じく
「妄無素」を去る決意を固めた「酎 裕姐」の忘れ形見であったのである。
その事実は「酎 裕姐」が金色の道着に身を包んで臨んだ「貴遮開圏」における
大武會で明らかとなった。
その後の「酎 裕姐」の消息についてはまだ不明な点が多くあるが、
一説には「妄忍愚桝駆」と名を変え、しばしば「妄無素」の前に
姿を現していたとされるが詳細は定かではない。

(民明書房刊 「俺のメール、ANNで一通も読まれず」より)
174名無し娘。:2001/03/13(火) 03:29
175名無し募集中。。。:2001/03/13(火) 04:01
はよ更新せいや
176客観的名無し:2001/03/13(火) 04:47
>>172
やっぱりあんたすげえ・・・。
177名無し娘。:2001/03/14(水) 01:23
うんこ
178名無し募集中。。。:2001/03/15(木) 00:12
腹一杯ちゃんぽん食って寝たまえ
179名無し募集中。。。:2001/03/17(土) 03:20
はよ更新せいや
180名無し募集中。。。:2001/03/18(日) 07:05
はよ更新せいや
181名無し募集中。。。:2001/03/19(月) 04:16
はよ更新せいや
182名無し募集中。。。:2001/03/20(火) 06:06
はよ更新せいや
183 :2001/03/21(水) 04:02
 
184雷電:2001/03/21(水) 04:03
ぬぅ なにゆえ、あげるのか?
185 :2001/03/23(金) 00:35
186名無し募集中。。。:2001/03/25(日) 02:51
はよ更新せいや
187なっちもに:2001/03/26(月) 04:15
ネタ職人さん、アイさがとカントリーあたりで一筆頼む。
188名無し募集中。。。:2001/03/27(火) 02:42
保田ヲタと市井ヲタと加護ヲタと吉澤ヲタしかいないスレッド
189オ・マンコ:2001/03/27(火) 18:38
忘れ去られし拳士「丙 卦道」

「妄無素」が最初の「殴弟子怨」である「六暴家裏主斗殴弟子怨」の落選者たちから
創られたことはよく知られているが、その勝者である「丙 卦道」はその後、実に
悲劇的な生涯を送ることになる。拳士たちの実力評価の基準でもある「御離婚茶亜徒」に
においても常に「妄無素」の後塵を拝すことになり、次第に世間からもその存在を
忘れ去られていくことになる。だが、大武會「覇炉腑魯」、「媚娼徐尼希」への地道な出演や
「哀鎖餓」での「酎 裕姐」との一年近い修行の成果からか、遂に究極奥義「血極 倍、倍、倍」
を完成させた。
この技は、三年近くないがしろにされひのめを見なかった
自らの境遇を激しく巨大な怒りにかえ、体中の血液を一点に集中させることから始まる。
それを二人の付き人の拳士たちとともに、ヒラヒラと動かした両手のひらから
放出させ、「倍!」の一声で二倍、四倍、八倍と徐々に威力を増していく技であった。
だが、悲しいかな、「覇炉腑魯」の全面的な援助を受けたこの技も全くヲタどもに
対して殺傷力を発揮することが出来ず、拳士としての力量を問われた「丙 卦道」
は完全に表舞台から去ることとなってしまう。「倍!、倍!、倍!」などと言ってる
うちに本当に自分たちからバイバイしていなくなってしまいそうないきおいの「丙 卦道」
を称して、当時の歴史家たちが、既に女の盛りは終わった、と彼女のことを
「丙 卦道」ではなく「閉 経道」と史書に記しているのを見るのはなんともやりきれないほど
悲しいものである。

(民明書房刊 「パッシモニでも何でもいいからウチを使ってぇな」より)
190名無し募集中。。。:2001/03/27(火) 18:44
はよ更新せいや
191名無し募集中。。。:2001/03/27(火) 18:50
>>191
なんていうはやわざ。最早、感動すら覚えた。
192191:2001/03/27(火) 20:52
間違えた。190のことね。
それにしても「はよ更新せいや」さんは複数犯か?
193いつも名無し。:2001/03/28(水) 10:56
多岐に渡る政略家「突九帝」

大武會「覇炉腑魯」を中心に玄穐の世を司っていた突九帝であるが、
武術界の一層の活性化と精進を図るため、「覇炉腑魯」とは一線を画す
武闘家とも交流を持ち、指南していたと言われる。
(一説には単なる小遣い稼ぎとも噂されていたが、
 こよなく武術を愛した突九帝である。そんなことはあろうはずもない)
代表的なものに、かねてより突九帝直々の門下で修行を重ねてきた集団「七家」がある。
「七家」は「妄無素」と同じく集団戦術を用いるのが特徴であったが、
「妄無素」が全員素手での武術を繰り広げるのに対し、
「七家」は「樂器」と呼ばれる武器を用いて闘いに臨んでいた。
「妄無素」の圧倒的な武力は「七家」の追随を許すことはなかったが、
唯一、素手による「暴狩」の使い手、「拳 自慰」の手により、
「華 王倫」が狩られてしまったという記録が残っていることは特筆に価する。
「七家」と同じく「樂器」を用いた武闘集団「徒貴雄」と突九帝が手を組んでいたことが
解明されたことは、中国史学界にとっての大きな衝撃であった。
それまでは、「徒貴雄」の属していた「邪似威図」と「妄無素」は
最大の好敵手とされていたからである。
(全く殺傷能力に欠ける奥義「民菜出輪覇覇」を伝授し、
 意図的に「徒貴雄」を失墜させようとしていた、ともされるが定かではない)
その他、武術界において重鎮的存在であった「遺 月広」と手を組んでいたことも見逃せないが、
何より驚くべきは、その強烈な容姿は最早ネタとも言われた「喫素乃瀬會」の存在であろう。
「喫素乃瀬會」は「徐死腑魯」と呼ばれる格闘技の使い手集団であり、
その実力は語るに及ばないものであったが、特筆すべきは、
一度目にした者は七十七日もの間高熱でうなされ続けるというその恐ろしい容貌であった。
のちにその魍魎的な顔を模した化粧を施し、世界中の話題をさらったロックバンド
「KISS」が大活躍したことは、武術界と音楽界の大きな架け橋となった。

(民明書房刊 「板違いネタと言わば言え!」より)
194名無し募集中。。。:2001/03/29(木) 04:10
はよ更新せいや
195名無し募集中。。。:2001/03/30(金) 04:10
はよ更新せいや
196名無し募集中。。。
はよ更新せいや