【映画】「大きな物語の喪失」を「知らんがな、そんなの!」で飛び越えろ 「劇場版 交響詩篇エウレカセブン」京田監督インタビュー2
1 :
あやめφ ★:
劇場版「エウレカセブン」の作中で、「神話」と、その筋書き通りに物事を進めようと
やっきになる人々の姿を描いた京田監督。
今の世の中は、情報が大量に届くために、何が「正しい物語」なのかがわからない、だから
価値観を委ねられるような大きな物語が求められている、それこそが「時代の欲望」なのではないか、
というお話をうかがいました。
―― 監督のご意見では、誰かのコピーであるかどうかを考えるのはやめたほうがいい、
「生きているだけで自分が作ったオリジナルレコードの神話になる」ということでしたが……。
世間の「情報」を追わずに、自分だけの物語を作るというのはリスキーな気もします。
筋書きを追わない、筋書き通りにいかないストレスに、私たちは耐えられるのかどうか。
京田 僕は物語作りを仕事にしているために特にそのように思うのかも知れませんが、人生って、
思い通りになることが重要なんじゃなくて、思い通りにならないことで起こるコンフリクション(衝突)
のほうが面白いと思ってしまうんですよ。それが「人間ドラマ」だと思いますし。
ドラマの中では、いろいろな出会いがあって、別れがあって、その全体が、当人のイニシエーションに
なっている。実際に僕たちが生きているときだって、そうですよね。いろいろな状況下で、
自分が知っている情報を自分なりに解釈して、自分はどういうふうな方向性で生きていくのか
という意思を決めて動いている。そんな個人と個人が出会うことによって、コンフリクトが起こる。
別に僕たちは、「世界の状況がこうだからこうあるべきだ」という形で動いているわけじゃ
ないですよね。
―― そうなのかもしれません。けれど、社会の状況がこうだからこうしなきゃいけない、という
思考に私たちは行きがちですし、これが正解だというものが得られない分、ひたすら情報を
求めて、その結果「何が正しいんだろう」と惑う。
京田 それはそうですし、それを否定するつもりもありません。だいいち他人の情報がまったく
気にならない人なんて、世の中ではごく少数派です。もちろん僕もそうです。
日経ビジネスオンライン
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20100309/213234/ 続き
>>2-5 関連スレ
【映画】”孫コピー世代”の僕たちに、どんな神話が語れるだろう 「劇場版 交響詩篇エウレカセブン」京田監督インタビュー
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/moeplus/1267781924/
2 :
あやめφ ★:2010/03/12(金) 12:51:33 ID:???
■ 「大きな物語」を必要としている人たちの対極には「知らんがな」がある
京田 だからこそ、劇場版「エウレカ」でやってみようと思ったんです。「神話」という「情報」を
必要としている人たちと、神話を必要としてない人を出して、対立軸に置いてみたらアクチュアルな
面白い構造が出来るんじゃないかと。
―― 神話を必要としてない人?
京田 主人公のレントンとヒロインのエウレカは、「情報」というものに、本質的に興味がないんです。
大人たちは神話通りに動かないと世界は滅びると言っているんだけど、それに従うとレントンは
エウレカを失うことになる。レントンはエウレカを守りたい、エウレカは自分の命が短くなっても、
レントンのいるこの世界で生きることのほうを選ぶ。「情報」に興味がないというより、必要として
いないんです。
「神話」? そんなばかばかしいシナリオなんて知らんがな、という感じで(笑)。
―― 「知らんがな」ですか(笑)。情報に左右されない人、ということですか。
京田 左右されないというよりも、惑わされないというか、自分たちの感情の発露をしばりつける
「情報」自体に興味がない。むしろ憎悪しているんです。だから当然、そいつらは理にかなった
ことをやってくれないんですよ。
「情報なんか知らんがな」という人の行動は、「神話としてはこういうシナリオなんだから」という
人にはまったく分からないですよね。だから周囲は翻弄される。何であいつはあんなに理屈に
合わないことをするんだと、いらいらばかり募る。
そういう衝突って、もちろん実社会にも起こっているだろうし、僕はその「知らんがな」という
人たちの方が、世界を変えるんじゃないのかな、と思っているんですよ。
―― 「情報なんて知らんがな」という人が世界を変える、というのは面白いですね。勢いがあって。
ラストのほうには、レントンたちの行動に突き動かされた“シナリオ側の人間”から「あなたの夢に
乗っからせてもらうわ」という台詞も出てきました。
京田 現実の社会では、なかなか感情だけで動くことは難しいですよね。
ただ、もしも人が極限状態に置かれたなら、それをストレートに出すことが出来るのではないかと
考えて、今回の劇場版の舞台設定を作りました。人が極限状態に置かれたなら、結果として
人間は、感情だけで動く場面が絶対に出てくると思ったんです。
極限状態になったらどうするかなんて、今の日本の実社会で生きていくときにはあまり考えなくても
いいことですよね。逆に言えば、感情的にならなくても生きていけるというぐらい、日本って
幸せなわけで。アニメーションなら、架空の極限状態を描いても、ある程度リアリティを持って
見てもらえるのではと。
京田 今作では、登場人物の全員を、生命の危機に立たされているという立場に置いたんです。
いろんな立場の人間の思惑が交差して一見複雑に見えるんだけど、彼らの動機はいたって
シンプルで、「状況に対して生き延びようとしている」、それだけなんです。それだけに集中して
いくように描いたところがあります。
―― 極限の状態にして、とにかく生き延びなくては死ぬんだからという状況を表している
わけですね。そうすると、自分の将来とか、生きるための「理由」なんかを考えるヒマがなくなる。
京田 僕自身、そういった単純なところが欠けている気がしてならないんですよ。情報というものに
縛られすぎているし、頭で考えたことに行き着かないと駄目なのではないかという思考にも
縛られている。でも結果的に、その考え方が自分自身にストレスを溜めることになったり、
フィルム自体がつまらないものになっていくという悪いスパイラルに陥ってしまう(笑)
3 :
あやめφ ★:2010/03/12(金) 12:51:45 ID:???
■ 自分のノウハウを解体する
京田 それを乗り越えようともがいているうちに、気がつくと今回の劇場版「エウレカ」では、
今まで僕自身が作ってきた演出家としてのノウハウとかロジックをどんどん壊していくことに
なってしまったんです。
僕は今年、演出歴10年目になるんですけど、5年くらい前とかTVシリーズの「エウレカ」を
始めたころの自分だったら、今回の絵コンテにNGを出したと思うんですよ。
できたフィルムをカットごとに見ちゃうと、結構つじつまが合わないところができていたりしてね。
カットのアングルとか、タイミングとかも含めて、特にアングルとかカットの切り取り方が
すごく甘いんです。カットの繋ぎ方や話の持っていき方も、たぶん5年前の自分だったら
あり得ない。
―― それはどうしてそうなったんですか?
京田 物語を経験則やノウハウによってコントロールすればするほど、つまらなくなっていって
しまったからなんです。
「こういう話の流れになっているから、次のシーンではこう展開させるとストーリーがうまく繋がるな」
……と頭で考えてやっていくと、なぜだかつまらなくなってしまって。
それで、もう時間的に切羽詰まってギリギリになって追い込まれた、っていうのもあるんですけれど
……普通、絵コンテというのは、最初にどんなカットの繋ぎにするかという構想をラフで描いて、
その後に清書をするものなんですが、予定調和…というか、単に「お上手」っていうだけの、
フィルムの中に人間が生きていないものにしかなっていない気がしたんです。だからもう
ラストのほうは「送り描き」ですよね。1コマ1コマを清書まで描いてしまうという。そして次のコマで、
「さて次に何をしようか……」、と悩む(笑)。
―― それはまた大変な作り方を……。
京田 そうしたら、予想外のところに話が転がっていって、そっちのほうが面白かった。
行き当たりばったりのような作り方をしたら、物語が後半に行くに従って、キャラクターたちが
勝手に感情を持って動き始めたんです。そしてある種の熱狂みたいなものも出てきたんです、
僕自身にも。
―― フィルムの作り方も、感情を優先したところがあったのですね。
京田 そうですね(笑)。いろいろと試行錯誤した末に感情を優先して。それがかえって面白い
フィルムになった。
あとは、物語の中に「ブラックボックス」を作ろうと思いました。
物語の中で、主人公たちの思い通りには行かないような、不確定な存在を入れたんです。
■ ブラックボックスを自ら置いた
京田 ニルヴァーシュという人型機動マシンがいるのですが、TVシリーズでは単なるロボット
だったんですね。劇場版では、レントンたちの相棒として、小さなかわいい生き物として登場する。
で、このニルヴァーシュは基本的に何も考えてないんです。レントンのことを考えているようで、
実はあんまり考えていない。途中で違うことに興味が移っちゃって、そっちの方に行っちゃったりね(笑)。
レントンがこうしなきゃいけないと思っているときに、勝手にちょっと脇道にそれてしまう。
するとそこで物語の本筋や、レントンがこうしたいという意図と離れてしまう。
ニルヴァーシュというのは、菊千代みたいなもんなんですよ。「七人の侍」の。
4 :
あやめφ ★:2010/03/12(金) 12:51:54 ID:???
―― 三船敏郎さんが演じた人物ですね。
京田 そう。菊千代的なキャラクターって、停滞してしまいがちな構造をもつ物語を、意図的に
破壊するために使われることが多いんです。簡単に言えばブラックボックス。彼が次に何をするか
分からない。そして、何するか分からないやつがいるからこそ、お話が動いていくという。
ある程度かちっとした関係性の中に、1つ異物を放り込む。異物がかき回すことによって、
関係性が崩れそうになって、コンフリクションが起こってドラマが起こるという。そうすると、
ドラマが生き生きとし始めるんですよね。自分自身、凝り固まってしまいがちなぶん、そういった
キャラクターを登場させなくては、「お上手」とだけ言われてしまうような定型的な作品にしか
ならないと思ったんです。
そしてそもそものブラックボックスは、最後まで説明しない。なぜ最後にエウレカがああいう
状態になったのかというのも含めて、ブラックボックスのままにしておくことにしたんです。
最後まで。
―― どうしてブラックボックスのままで終わらせようとしたのですか。観る側のほうは、
あれは一体どうなったんだろう、どういう意図があったんだろうと、違和感が残るというか、
心のおさまりが悪くなるかもしれませんよね。
京田 それで、いいと思うんですよ(笑)。その違和感は残った方がいいんです。
もちろん、中心となるレントンとエウレカの話だけはシンプルにしておいて、お客さんが感情移入
できるようにとは心がけましたが、一方で、その先にも彼らの人生は続くと考えたときに、
その時点で分からないことがあっても、それはそれで彼らの人生である、というニュアンスを
意図的に残しておきたかったんです。
懇切丁寧な昨今の流行作品とは違って、ブラックボックスを投入したり、絵コンテを勢いで
描いたりして、ちょっといびつな、理屈では説明できない “変なフィルム”にしてしまった。
それでも、とにかく印象に残る、感情を揺さぶる映画にしたいという気持ちを優先したんです。
映画って、そういうものだと思うので。
ほら、まったく希望が残らない映画とかもあるじゃないですか。「ミスト」とか。最後、おいおい
これかよ(笑)、みたいな。自分がこんな思いをするなんて、2時間前は思ってもみなかったみたいな。
極端に言えば、そんな嫌な感情しか残らない映画があったっていいと思うんです。
映画を観るという行為そのものがコンフリクトを引き起こす。それが、たぶん映画の本質なんじゃ
ないかと思うんです。感動した、笑えた、と同様に、ひどい、と怒ってもいいだろう。そこに
何かしらの感情が強烈に思い浮かべられたら、それはたぶんすごくいい映画なんだと僕は
思うんですね。
実際に、僕なんかもそういう経験を、しかもアニメ映画でさせてもらいましたし。
中学生ぐらいのときに見た「伝説巨神イデオン」の「発動篇」(1982年の富野由悠季監督作品)とか、
どう観ても理不尽な、変なフィルムを見てしまったが故に、アニメってこういうものなんだと
思ってしまったわけです。アニメというか映像表現として、ここまで言葉を失うような衝撃的な
物が作れるということを知ってしまったために、最終的にアニメ業界への道を歩んでしまった。
もしかしたら違う人生もあったかもしれないのに(笑)。
そんな“変なフィルム”を、たとえば若い子が、10代とかのうちに見ておくと・・・
5 :
あやめφ ★:2010/03/12(金) 12:52:01 ID:???
―― どうなりますか。
京田 道を踏み外してしまうんじゃないかと。アニメ業界のためにも、僕はそれを推奨して
いるんですが(笑)。
■ 違和感と出会うこと、それが映画、それが人生
京田 僕はたまたまその変なフィルムを観て、最終的にアニメ業界に入ったわけですけど、
若い時に「発動篇」のような、世の中の軸に合わない、ちょっといびつなものを観ておいた方が、
その先の人生、どこか面白いほうに転がるんじゃないのかなと思うんです。僕の作る作品は、
「発動篇」のような突き抜け過ぎたものにはなれていないんだけれども、若いときは、調和が
取れていない、いびつなものをもっと見ておいた方がいいと思っているんですね。
今に限らずなんですけど、僕らはどうしても、そういうコンフリクトを恐れ過ぎてしまうんじゃないかと
思うんです。出合い頭のインシデントをとにかく減らそう、減らそうという方向で。
予定調和がよしとされるというか。
―― 作品はもちろん、今の時代は、製品も含めてそういう傾向がありますね。「泣ける映画です。
保証します。試写会でも、大勢のお客さんが泣いていますよ」というような、感動や結果とかまで
用意されたものが増えている。お客さんが受け取ってくれるかどうかわからない新しすぎるものを
出すのは不安だという状況があって。
京田 完成された娯楽大作というのも楽しいんだけれども、今作の「エウレカ」は、ある程度の
幅に収めておいたら安心です、みたいなところを意図的に外してみたかったんです。
本来なら、劇場版でも、TV版のストーリーを踏襲するべきなんです。そうしたほうがTV版からの
お客さんは喜んでくれるかもしれないですし。
でも、その程度で終わっちゃつまらないし、観た人の心に、10年後には残らないんじゃないかとも
思ったんです。
―― やっぱり残るものというのは、何かしら違和感があるものだと?
京田 という気がしたんです。思いだけで作っちゃった訳の分からないやつを見るのも、
また1つのいいことというか……いいことかどうか分からないですけど、何か人生経験として
より幅が広がるし、いろいろなことを感じ取れるようになるんじゃないのかなと。
世の中が自分の思い通りにならないことを知る、それもまた人間の「ドラマ」だと思うんです。
(次回に続く)
6 :
なまえないよぉ〜:2010/03/12(金) 12:54:59 ID:75zhL8fZ
つ【リオタール】
7 :
なまえないよぉ〜:2010/03/12(金) 12:55:38 ID:+ZoP5imc
パチンコにストーリーとかいらないしな。
8 :
なまえないよぉ〜:2010/03/12(金) 12:58:44 ID:5aOC5w05
どこらへんが交響詩篇?
9 :
なまえないよぉ〜:2010/03/12(金) 13:01:27 ID:032x9pxg
パチンコアニメうぜえよ
宮迫「知らんがな」
11 :
なまえないよぉ〜:2010/03/12(金) 13:07:01 ID:0P00HSxu
「情報なんか知らんがな」て要するに内的規範に拠って立つってことだろ
それってその辺の少年漫画の主人公と変わらないんじゃ
12 :
なまえないよぉ〜:2010/03/12(金) 13:09:24 ID:P4QrFmRz
いいオサレ(笑)アニメでしたね(笑)
能書きはいいから面白いアニメ作れや
分かったかお前ら!
これからはイニシエーションをコンフリクトしてアクチュアルなスパイラルな時代なんだよ!
でもコンフリクションんばフィルムをインシデントで感じろ!
よ、よし、オレも貴重な情報を知ったぞ!まず情報に興味がなくて知らんがなでイニ死エーしょんで
アクチュアルンなすっぱいラルをコーンフロストでフィルムを大きな物語をいびつに発動して
理屈に合わないノウハウをウハウハに買いたいしてレコードの神話を発動すればいいんですね!
19 :
なまえないよぉ〜:2010/03/12(金) 23:15:37 ID:9QOMukXJ
ミストと並べないで欲しい。少なくとも
(ミストは)劇場から出たとき残念さは感じなかった。
20 :
なまえないよぉ〜:2010/03/12(金) 23:43:09 ID:URrla4KL
テレビ版は見てたけど、夫婦の賞金稼ぎ?が出てきてから死ぬまでは面白かった。
21 :
なまえないよぉ〜:2010/03/13(土) 00:52:36 ID:B9qIT6wB
オゥ!ホット(´・ω・`)@知らんがなφ ★
23 :
なまえないよぉ〜:2010/03/13(土) 16:25:46 ID:GY+CyKja
偉そうなこと言っても、所詮ファンの支持じゃなく
パチンコに頼らなければ映画化も出来なかったような作品でしょ?笑っちまうw
最初の5分までは名作の予感がしたんだけどなぁ
京田の恋愛描写は何と言うか気持ち悪い
いっぽう大きな物語も神話も必要としなくなったアニヲタは
ゆるい日常萌え作品に耽溺していくのであった
27 :
なまえないよぉ〜:2010/03/13(土) 21:38:07 ID:xdM0e23y
作り手が今までのノウハウを踏襲しない時期があるみたいなんだけど、
それをやってしまうと観客が置き去りになるんだよね。
宮崎駿もそうだし。だから最近のジブリはつまらん。
大きな物語の終わりという大きな物語?w by J・デリダ
29 :
なまえないよぉ〜:2010/03/16(火) 04:51:15 ID:c7CpvBC7
京田監督「自慰行為を露出します。見にきて。ハアハア」
こいつに付き合わされる優秀なアニメーターが可哀想
>>25 純粋な日常系はけいおんあたりで終わった(『こんなんじゃダメですーっ!!』)。
あとは例の萌えドラッカーみたいに実用と娯楽を高次元で両立させたものが増えてくる。
>>31 その嚆矢となったもえたんのアニメ版は失敗だったけどな
書籍はともかく、アニメで萌え+実用というジャンルは、まだまだ発展途上という気がする