【文芸】二葉亭四迷:ロシア革命家に手紙 交流を裏付け [05/25]

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1 ◆GinGaOoo.. @銀河φ ★

 小説「浮雲」で知られる作家・翻訳家、二葉亭四迷(1864〜1909年)が、1906年1月から翌年10月にかけて、
長崎に滞在する亡命ロシア人革命家にロシア語で手紙を出していたことが分かった。自筆の書簡4通とはがき1枚
がモスクワのロシア連邦国立文書館で見つかった。二葉亭とロシア人革命家の交流が裏付けられたのは初めて。
ロシア革命に関する本の翻訳に、革命家から借りた本が使われていたことも分かった。【杉尾直哉、モスクワ大木俊治】

 「強い興味を持ってロシアの革命運動を学んでいる」などと書かれた手紙は、サンクトペテルブルク在住の古文書研究者
ガリーナ・ドゥダレツさんが発見し、澤田和彦・埼玉大教養学部教授がコピーを入手した。澤田教授によると、二葉亭が長崎
に滞在したロシア人革命家と交流したことは推測されていたが、初めて具体的に裏付けられた。
今月26日発売の雑誌「文学(5・6月号)」(岩波書店)で澤田教授が詳細を発表する。

 書簡は、著名な革命家ニコライ・ラッセルあてが1通。
残りは別の活動家ボリス・オルジフあて。いずれも本名の「長谷川辰之助」名で、巧みな筆記体で書いている。
当時、二葉亭は朝日新聞に雇われており、ラッセルあての手紙は同紙の便せんを使っていた。

 07年にオルジフに出した手紙では、「(日露戦争のロシア軍司令官)クロパトキンが書いた本をどこで、どのように入手できますか。
東京のある新聞が要点を書き、センセーションを巻き起こした。入手して完訳できればその新聞より詳しく紹介できる」と書き、他社の
スクープ記事を完訳で出し抜き返したい気持ちをつづった。また、オルジフから借りた本を使って1907年に短編「志士の末期」を翻訳
したことも今回分かった。澤田教授は「革命家たちとの交流目的の一つはロシア語文献の入手だったようだ」と話している。

二葉亭四迷が革命家ボリス・オルジフにあてたはがき(右が表、左が裏)=ロシア連邦国立文書館提供
http://mainichi.jp/select/wadai/news/images/20090525k0000e040083000p_size5.jpg

引用元:毎日jp  2009年5月25日 15時00分(最終更新 5月25日 15時00分)
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20090525k0000e040055000c.html
2名無しさん@恐縮です:2009/05/25(月) 16:03:43 ID:JaPi/kZSO
3名無しさん@恐縮です:2009/05/25(月) 16:04:18 ID:fNuVtCoN0
くたばってしめぇい
4名無しさん@恐縮です:2009/05/25(月) 16:04:20 ID:CunjouI20
kutabatte shine
5名無しさん@恐縮です:2009/05/25(月) 16:04:28 ID:a65TPjrCO
くたばってしまえ
6名無しさん@恐縮です:2009/05/25(月) 16:04:36 ID:m7+ElsDyO
くたばってしまえ
7名無しさん@恐縮です:2009/05/25(月) 16:04:54 ID:WJ/sohlr0
くたばってしまえの人か
8名無しさん@恐縮です:2009/05/25(月) 16:05:09 ID:/Hu7vfFZ0
くたばってしめー
9名無しさん@恐縮です:2009/05/25(月) 16:05:44 ID:JqYXX56V0
踊ってしまえ〜
10名無しさん@恐縮です:2009/05/25(月) 16:05:48 ID:Lemxx6n/O
くだばってしまえ アーメン
11名無しさん@恐縮です:2009/05/25(月) 16:06:17 ID:z1av9Hzo0
くたばっちまえ
ア〜〜メン
12名無しさん@恐縮です:2009/05/25(月) 16:06:27 ID:OuLT/MjS0
2?
13名無しさん@恐縮です:2009/05/25(月) 16:07:22 ID:bio17BQQ0
二葉亭四迷は日本の娼婦をロシアに「輸出」してウラジオストクで
「女郎屋」を経営し、日本の女性がロシアの家庭に入り、
そこからロシアを日本化しようとまじめに考えていた愛国者
14名無しさん@恐縮です:2009/05/25(月) 16:08:19 ID:6gaCKcPO0
3、2、1、ラッセルラッセル
15名無しさん@恐縮です:2009/05/25(月) 16:09:17 ID:/plKZPCrO
くだばってしまえ
16名無しさん@恐縮です:2009/05/25(月) 16:10:57 ID:5lQYcNZY0
くたばってしm
17名無しさん@恐縮です:2009/05/25(月) 16:14:35 ID:PJDO/wg+P
くわばったおはらぁ〜
18名無しさん@恐縮です:2009/05/25(月) 16:14:55 ID:XQqqD4Pq0
これ芸スポ?
19名無しさん@恐縮です:2009/05/25(月) 16:15:07 ID:bio17BQQ0
とにかくみんな二葉亭四迷の偉さをもっとよく知るべきだと思います

お前らが使ってるいまの日本語は四迷のおかげですよ
20名無しさん@恐縮です:2009/05/25(月) 16:15:38 ID:gpHRTv86O
>>13

それを逆に半島人にやられた訳か。
21名無しさん@恐縮です:2009/05/25(月) 16:16:24 ID:VxAgWYquO
予想通りのくたばってしめいスレ


「死んでも可いわ」は名訳だよな
22名無しさん@恐縮です:2009/05/25(月) 16:17:22 ID:H+LesII00
ロシア革命とかそういうキャラだっけ?> (おまえなんか)くたばってしめえ!
23名無しさん@恐縮です:2009/05/25(月) 16:19:19 ID:sd/p74XU0
24名無しさん@恐縮です:2009/05/25(月) 16:20:52 ID:Pmfz/g9b0
ロシア語?
25名無しさん@恐縮です:2009/05/25(月) 16:23:08 ID:sulGrEjs0
サハロフか・・・
26名無しさん@恐縮です:2009/05/25(月) 16:24:39 ID:cuekA+7rO
>>13
ソースは山田風太郎じゃないだろうな?
27名無しさん@恐縮です:2009/05/25(月) 16:25:30 ID:iKGD2rZO0
なんだこの頃から朝日はキタのスパイだったのか
チョーウケル
28名無しさん@恐縮です:2009/05/25(月) 16:45:51 ID:m9lDYsJm0
1907年と聞くと、ずいぶん昔に感じるが
100年前と考えると、さほど昔でもないと思える
29名無しさん@恐縮です:2009/05/25(月) 16:57:44 ID:b4BWw2Vo0
南亭骨体
30名無しさん@恐縮です:2009/05/25(月) 17:40:09 ID:yTbZ5kop0
ロシアといえばt.A.T.u.の二人組み。
31名無しさん@恐縮です:2009/05/25(月) 17:44:59 ID:VHPzBowr0
二葉亭四迷は1906年に『世界語』『世界語読本』というエスペラントの
教科書も出版してるんだよな。
32名無しさん@恐縮です:2009/05/25(月) 18:24:32 ID:b/KvpnYn0
戦前からロシア人との交流って意外に多いんだよな
まあ隣の国なんだけど
33名無しさん@恐縮です:2009/05/25(月) 19:23:40 ID:SoiqW+ev0
マルクス主義に希望が見えた。そういう時代だしなー
34名無しさん@恐縮です:2009/05/25(月) 22:57:43 ID:VHPzBowr0
当時の日本人はロシア語を「敵国語」として勉強してたんだけどね。
35名無しさん@恐縮です:2009/05/26(火) 05:31:37 ID:TLP/dWzf0
今の東京外語大の元になった学校の卒業
今の一橋大との合併に大反対したんだよね二葉亭四迷は
当時は外国語学校は士族の子弟が中心
一方商業学校は士農工商の一番下の卑しい身分のドキュソの溜り場
何だかんだ言って最近合併したけどな
36名無しさん@恐縮です:2009/05/26(火) 05:35:44 ID:TLP/dWzf0
>>21
アイラブユーを当時の日本語ではそうとしか訳せなかったが
逆にそれが名訳と言われる程日本と西洋の文化に距離があった
今なら英語のスラングがそのまま(つうかカタカナ発音で)通用しているから隔世の感
37名無しさん@恐縮です
この人はやっぱ翻訳の人ってイメージ
昔は外国語を学ぶのは今と比べ物にならないエネルギーが必要だったろう