【映画】「父と暮せば」上映 原爆投下後の広島が舞台−−来月3日・亀岡/京都

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1アザラシールφ ★
◇悲劇の中にも人のやさしさ描く

原爆投下後の広島を舞台に、生き残った者の苦しみ、人のやさしさなどを描いた映画
「父と暮せば」(黒木和雄監督、04年作品)=写真はチラシ=が8月3日、
亀岡市余部町のガレリア亀岡で「ヒューマンシネマ2005」として上映される。
同市の「平和月間」の取り組みの一環。

原爆投下から3年、図書館に勤める美津江(宮沢りえ)は、愛する者たちを一瞬のせん光で失い、
生き残ったことへの後ろめたさから息をひそめるように生きていた。
そんな彼女の前に原爆の資料収集に情熱を注ぐ青年が現れ、2人は互いにひかれていく。

それでも幸せを望んではいけないとためらう美津江の前に、父・竹造(原田芳雄)の幽霊が現れ
「恋の応援団長」を名乗り、娘の心を開かせようとするのだが……。

ヒロシマの悲劇を描きながらも、温かな笑いがあり、父娘の会話には心が和む。

無料。午後2時、7時の2回上映(開場は30分前)。先着順で定員200人。
亀岡市生涯学習部人権啓発課啓発振興係(0771・25・5018)。【矢倉健次】

7月22日朝刊
(毎日新聞) - 7月22日17時0分更新

ソース:
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050722-00000152-mai-soci&kz=soci

関連リンク:
映画「父と暮らせば」オフィシャルページ
http://www.pal-ep.com/father/
2名無しさん@恐縮です:2005/07/23(土) 02:59:38 ID:M0CqIANl0
ギギギギギ
3名無しさん@恐縮です:2005/07/23(土) 02:59:41 ID:llyYagah0
いい映画なんだろうね。
42GET!!!:2005/07/23(土) 02:59:47 ID:q/AuEzsH0
2GET!!!
5名無しさん@恐縮です:2005/07/23(土) 03:00:14 ID:KefwCSMg0
なんかもうビジネス化されてるんだな、戦争も
と思う72歳の夏
6名無しさん@恐縮です:2005/07/23(土) 03:01:36 ID:MogTPKPo0
原爆の日もそろそろだ
7名無しさん@恐縮です:2005/07/23(土) 03:03:54 ID:NMJx5Snp0
井上ひさしが原作か。モッキンポット師のなんとか
ってやつがなつかしいな。
8名無しさん@恐縮です:2005/07/23(土) 03:03:53 ID:cN+bg78C0
人権映画という奴ですか
9名無しさん@恐縮です:2005/07/23(土) 03:04:04 ID:6w+guiGW0
>>5
72歳?本当?
10名無しさん@恐縮です:2005/07/23(土) 03:04:36 ID:fiZDOnEc0
>父・竹造(原田芳雄)の幽霊が現れ「恋の応援団長」を名乗り

しょせん原爆ネタで集客を狙ってるだけのコメディってこった。
これが今の邦画のクォリティー。
11名無しさん@恐縮です:2005/07/23(土) 03:07:49 ID:p4MVi2Li0
>>10
戦争をコメディタッチで明るく楽しく描いてる映画なんて多いだろ?
「ライフ・イズ・ビューティフル」や「戦争の小さな天使たち」。
悲惨一色なんかよりこういうやつの方が見易く作ってて観客側としては良いと思うよ。
まあ、「シンドラーのリスト」や「火垂るの墓」とかも嫌いじゃないけどね。
12名無しさん@恐縮です:2005/07/23(土) 03:09:02 ID:TevPHpE50
チョンが大喜びでスレに登場しそうな予感。
13名無しさん@恐縮です:2005/07/23(土) 03:10:02 ID:p4MVi2Li0
>>10はチョンだろ?
ほっとけ。
14名無しさん@恐縮です:2005/07/23(土) 03:10:04 ID:HwNxZt5T0
原爆の日に試験がある
15名無しさん@恐縮です:2005/07/23(土) 03:10:18 ID:cgNGoEn/0
原爆投下後の広島でたくましく生きる人々を描き、
被害者としてではなく一個の人間として生きる人々の生き様を
感動的に謳い上げる感動巨編。

を希望。
16名無しさん@恐縮です:2005/07/23(土) 03:18:07 ID:llyYagah0
でも広島人は嫌いなの、ごめんね。
17名無しさん@恐縮です:2005/07/23(土) 03:20:03 ID:NMJx5Snp0
亀岡市生涯学習部人権啓発課啓発振興係

すごい係だなw
18名無しさん@恐縮です:2005/07/23(土) 03:22:30 ID:Xgy/VsAe0
惨めな日本人の姿ばかり強調し日本国民に自虐史観を植え付けるだけじゃなく アメリカやソ連が日本軍や日本国民に行なったジェノサイドを追及する映画を作って 大東亜戦争の大儀や真実と欧米列強が作った捏造史を日本国民に伝えてほしい
19名無しさん@恐縮です:2005/07/23(土) 03:26:50 ID:NMJx5Snp0
宮沢りえは30過ぎなんだよな。俺も30過ぎだが30超えた女と
恋愛なんてありえない。絶対20代じゃなきゃ嫌。
20名無しさん@恐縮です:2005/07/23(土) 03:42:53 ID:xOumBYhbO
>>19
宮沢りえだって、おまいと恋愛する気はなかろう。安心汁
21原爆投下は人類史上最大最悪の人体実験:2005/07/23(土) 03:43:28 ID:8gMXGnJu0
アメリカでは原爆について教育してるんですか?
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1061354893/

「原爆投下問題への共通認識を求めて−長崎の視点から」
ttp://www.ops.dti.ne.jp/~heiwa/peace/shiryo/nagasakigenbaku.html
>最初に確認しておく必要があるのは、「原爆が第二次世界大戦の終結をもたらしたというより、むしろ戦争終結を
遅らせたということだ」(注4)(米国のマ−ティン・シャ−ウィン教授)という基本的事実である。
>つまり米国側は日本側の拒否を見通した上で、敢えて「無条件降伏」を突きつけたのである。
>また、人命救済説に関しては、トルーマン大統領などが戦後に原爆投下を正当化するために持ち出した50万
から100万という想定戦死者数は、九州上陸作戦にともなう当時の実際の米側推定死傷者数が「2万人以内」
(1945年6月18日のホワイトハウス会議用資料)や、「6万3千人」(1995年に開催予定であったスミソニアン
原爆展の展示案)であったことと比較しても、かなりの「誇張」を含んでいた。
>いずれにしても、当時の日本は米軍による激しい戦略爆撃や海上封鎖によって継戦能力をすでに
失っており、原爆投下や九州上陸作戦が実施されなくともソ連参戦後間もなく日本が降伏していたこと
だけは確かである。また、8月15日という時点での日本降伏の決め手は、ソ連参戦でも原爆投下でも
なく、結局、二発の原爆投下を終えた後に、「ポツダム宣言」では意図的に削除した天皇制の維持を、
間接的に「保証」した米国政府からの最終的な公式返答である「バーンズ回答」であったという基本的
な事実は、もっと注目されるべきであろう。

『原爆を投下するまで日本を降伏させるな――トルーマンとバーンズの陰謀』
鳥居 民 (著) 草思社
ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4794214081/qid=1119454340/sr=1-1/ref=sr_1_10_1/249-9169562-6325962

原爆投下――アメリカの欺瞞を暴く
山口洋一(元駐ミャンマー特命全権大使・NPO法人アジア母子福祉協会理事長)
原爆を使用するまで日本を降伏させないために、米国はどんな卑劣な手段を使ったのか

『諸君!』 2005年8月号
ttp://www.bunshun.co.jp/mag/shokun/index.htm
22名無しさん@恐縮です:2005/07/23(土) 04:12:32 ID:aMkjcRAt0
>>2
こういうレベルの書き込みしかできないバカ。
23名無しさん@恐縮です:2005/07/23(土) 04:15:24 ID:X1RQH+L90
>>15
はだしのゲンじゃん
24名無しさん@恐縮です:2005/07/23(土) 04:35:33 ID:3aEMDOfb0
あれ
こんな映画あったんだ
25名無しさん@恐縮です:2005/07/23(土) 05:18:00 ID:WCXD7i710
岩波ホールでずっとやってた映画だな
けっきょく見てないや
26名無しさん@恐縮です:2005/07/23(土) 07:16:11 ID:KBcC0F5X0
ましかして『桜の国』はその原作のパクリなの? (`・´ω`・´)
27名無しさん@恐縮です:2005/07/23(土) 08:18:55 ID:WNVAMv/P0
>無料。午後2時、7時の2回上映(開場は30分前)。先着順で定員200人。
>亀岡市生涯学習部人権啓発課啓発振興係

こういうのはどこで収支を合わせるの?
28名無しさん@恐縮です:2005/07/23(土) 08:31:28 ID:o4Eo4qbgo
>>27

税金。君には関係ない。
29ホッシュジエンの国内ニュース解説
広島に原爆が投下された直後に現地入りした海軍が作成し、戦後に一部が行方不明になっていた
原爆調査資料が、広島県呉市の海事歴史科学館「大和ミュージアム」に遺族らから寄贈されている
ことがわかった。呉鎮守府の調査隊と大本営の海軍調査団の資料で、計91点。その中には、投下
2日後の45年8月8日に海軍がウラン爆弾と推定していたとみられるメモもあった。大本営が原爆
と正式に断定したのは8月10日で、その結論に至る経緯や、日本軍の原爆に関する知識がどの程度
だったのかなどを実資料から解明する上で重要な手がかりになりそうだ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 彡ミ    ___  __    * 当時の日本は、ドイツから米の原爆開発に
  |ヽ  /|  ,,,,,,,,l /  / 注意するよう勧告されていたんだ。
  |ヽ   | | ミ ・д・ミ/_/旦~~ 
  ⊥   |  ̄| ̄|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| でも、それを大本営が秘匿したため軍各部に伝わらず、
  凵    `TT | ̄l ̄ ̄ ̄ ̄ ̄l 原爆投下に対する警戒体制は敷かれなかったといいます。(・A・ )

05.7.23 朝日「原爆投下直後の調査資料公開へ 広島入りの海軍が作成」
http://www.asahi.com/national/update/0723/OSK200507220091.html

* 共同通信社会部編「沈黙のファイル〜瀬島隆三の軌跡」共同通信社