884 :
焼き鳥名無しさん:02/02/15 14:43
>>882 デジタルは全然難しいこと考えるようなことないんだけどなあ。
まあよっぽど数字に疎い人なんだね。
>>883 いくら何でもやりすぎ。さっぱり意味が通じん。
885 :
焼き鳥名無しさん:02/02/15 15:11
デヂタルとヲカルトを対義語として使おうとした片山がダメ
何がやりすぎなのかよく分らんが(変換はまともだし、省略は普通だし・・)
言葉の意味はわかってくれたのだろうか?
言いたい事は、
真偽が怪しいとか疲れるとかの理由だけでそれを避けるのはどうか、という事です。
食わず嫌いって事もあるから。
実際、デジタル派の一部で読みの意味が否定されてきたのは、食わず嫌いだったと判明した訳で。
・・時々デジタル派で正しい日本語がどうとか言う奴がいるけど、俺嫌い。
数式みたいな言語が専ら正しいと言う馬鹿がほとんど。
(ちなみに三段論法だけが論理だった時代は100年以上前に終わりました)
そんで煽りは、学校がどうとか言うんだよ。在日とか言い出す奴もいたりして。
愚痴sage.
887 :
焼き鳥名無しさん:02/02/15 18:13
↑
ばか
正しい日本語にこだわるのはデジタルアウト
889 :
焼き鳥名無しさん:02/02/16 03:17
デジタルアウトよりも、オフデジタルのほうがいいような気がする
もしくはアウトオブデジタル?
890 :
焼き鳥名無しさん:02/02/16 07:54
・・・なんでもいいよ
オカルト派なんかでも正しい日本語に拘る奴いるけどな。
892 :
焼き鳥名無しさん:02/02/16 11:39
デジタル(ロジカル)は実際では出来ないからオカルトでいいや、って言う人
いるけどさ、出来た場合(出来ないんだけど)デジタルのほうがいいってこと
はわかってるんだよね?
微妙にスレ違いか?
>>892 少なくともこの板のオカルト派はそんな奴居ないんじゃないの?
デジタルよりオカルトの方が実戦では役に立つ、と主張するのがオカルトでしょ
その根拠が示された事は無いが
894 :
焼き鳥名無しさん:02/02/17 02:08
つまりさー
労力の費用対効果的にとか言ってサボるのがデジタル
計算できないからとか言ってサボるのがオカルト
ってことだな。
895 :
焼き鳥名無しさん:02/02/17 02:19
サボる奴にはみんながサボってるように見える
勤勉な奴にはみんなが勤勉に見れる
それ嘘。
「成功したときの印象」の話も嘘。
逆もまた真だからな。
この程度でロジカルなつもりの奴って結構いるな。
897 :
焼き鳥名無しさん:02/02/17 09:16
はあ?
この場合の「逆もまた真」の具体例は?
898 :
焼き鳥名無しさん:02/02/17 17:47
>>897 >>896は失敗したときの印象も残るはずだから
成功したときの印象と合わせてトントン。
したがっていちいち事象をメモらなくてもオカルト信者の言説は
印象の偏りに左右されない客観的妥当性を有するとでも言いたいのだろう。
つまり
>>896はホームラン級の馬鹿。
900 :
焼き鳥名無しさん:02/02/17 18:25
>>898 トントンか(w
ホームラン級に同意しておこう。
ウザ898〜900
903 :
焼き鳥名無しさん:02/02/18 00:36
今日のフェブラリーS、アグネスデジタル単勝でばっちりゲットしました。
これもこのスレのおかげです!
デジタル信者の方々、ありがとう御座いました!
デジタルマンセー!!
デジタルマンセー!!
904 :
焼き鳥名無しさん :02/02/18 00:40
>>903 デジタル最強を証明したね!
デジタルマンセー!!
905 :
焼き鳥名無しさん:02/02/18 00:47
デジタル最強説をデジタルで完全証明しろ>904
G1を4連勝してる馬の単勝が350円もつくとは・・・
おいしすぎる。「ぺリエの流れだ」とかいってる馬鹿親父
のおかげだな。ありがとうございます。
907 :
焼き鳥名無しさん:02/02/18 13:06
ほら、再開しろ
908 :
焼き鳥名無しさん:02/02/18 17:53
デジタルってよくわからん・・・
909 :
焼き鳥名無しさん:02/02/20 15:26
>>906 俺も「おいしすぎる」と思って1万買ったんだけど、
考えてみると、そこで銀行に走って全財産突っ込めないってのは
「レートによって打ち方が変わる」のと同じなんだよね。
結局、期待値計算ってのは「お金を無限に持ってる」と仮定しなきゃ通用しないのかな。
910 :
焼き鳥名無しさん:02/02/20 15:44
人生は一回しかないからねえ
911 :
けい。 ◆nF7HiAVU :02/02/20 16:47
>>909 >考えてみると、そこで銀行に走って全財産突っ込めないってのは
>「レートによって打ち方が変わる」のと同じなんだよね。
むしろメンツによって打ち方を変える変えないの話だと思うがw。
あるいは全財産突っ込めるほうが、レートによって打ち方を変える人なんじゃ?
912 :
焼き鳥名無しさん:02/02/20 17:28
>>911 27.57%以上の確率で勝つと判断すれば全財産突っ込む
それ以下の確率だと判断すれば1円も使わない
ってのがデジタル的判断じゃないの?
>>912 27.57%って何?
つーかそんな低確率に全財産突っ込めるのはデジタルじゃなくて基地害だろ(藁
28.57%の間違いでしょ 倍率が3.5倍だったみたいだからそれ以上の確率だと
期待値が1を超えるって事。
ただ、全財産突っ込むのはおかしいだろ・・・・
「期待値が1を超える」ってのと「確実に儲けられる」ってのは全然別物。
これが人生における最大のチャンスっていうのなら全財産賭けるのもわかるが、
そう決まっているわけではないし。
(というか期待値が1を少し超える程度の事は実社会ではチャンスでもなんでもない)
>>911 俺は909氏と同じく「レートによって打ち方を変えてる」行為に似てると思うが
勝負できる見返りがある場面で一万円なら賭けられるのに、全財産だと賭けられ無い。
ここの判断基準は「実生活におけるお金の価値」を考えてしまうからでしょ?
お金をただの数字と考えてるならそんなことは起きないはずだと思う
>>914 解説サンクス。
俺も914に同意だ。
でも
>>909については違うだろ。
>そこで銀行に走って全財産突っ込めない
これは高レートで打てないってことと同じだよ。
レートによって打ち方が変わるとかいうのは全財産突っ込んだ後の話でしょ。
もっとも競馬じゃ突っ込んだが最後、俺らに出来ることは見守ることだけなんだが。
「流れ」や「ツキ」というのは、常に事後的に発見されるものに過ぎない。
それを経験則として法則化・抽出し、未知なる未来に向けて演繹するとき
いわゆるオカルト的な信仰体系が発生する。
デジタルとオカルトのこの論争は、形式的には近代勃興期の象徴秩序社会と
資本主義社会の葛藤にパラレルであり、遅れてきたモダニズムという感がある
のは否めない。周知の通りその対決は機能主義の圧勝という形で幕を閉じたわけだが、
しかしフロイト的に言うならば人間の内奥に、つまり無意識下に、即自的な
世界への欲望が、根強く潜在し続けていたのではないだろうか。それが、この
麻雀という遊戯において、かくも「進化した」現代人が、オカルト的な幻想に
誘惑されている原因であると、私は直観した。だが、それは早計である。
デカルト以降(厳密にはローマ以降)、因果論的な合理性が人間の精神を規定し、
例えばヘーゲルにおける弁証法的歴史観にその典型をみることができるように、
人間は事象および時間を因果的な関係形式の内に認識するようになっていった。
キリスト教の終末論はプロテスタンティズムを経由して資本主義に接続されることで
近代人一般の認識となったが、そこに在る因果論(科学と同義)はデリダの脱構築
による傷にもかかわらず、未だ現代人の理性を支配している。
我々は物事を因果応報の原理に捉える。あるいは常にその誘惑に駆られている。
ディオニュソス的に然りと言い得ぬ近代人の弱さが、そこに露呈しているようだ。
つまり、先の「オカルト的」なる流れやツキの理論は、そういった意味において、
極めて近代理性的であると言わねばならない。オカルトもデジタルも、その依って立つ
地平はともにデカルトへと収斂するものであり、両者に本質的な差異はない。
認められる差異は「実証性の有無」だが、その実証性さえ、科学という宗教に
規定されているものであることには留意しておく必要がある。
ところで通常「流れ」はサインカーブを描いて周期的に運動する波動として認識されている。
一方デジタル派は、その運動の不連続性を指摘する。前者がアナログ的に連続した
曲線を描くのに対し、後者は文字通りデジタルに、断続的に散乱した点の分布として
それを捉えるわけだ。この散らばり具合は確率的に必ずしも平均的な分布を描く必要はない。
サイコロを6回振ってその平均値が3.5とならないことはデジタル派も認めるところであり、
試行回数と論理平均への漸近度は比例する。つまり、有限の試行では偏りが存在する。
両者の差異は、この偏った点の集合を、単に点の集合それ自体として見るか、あるいは
点と点の間をなめらかな線で繋いで線形化するかにある。それは星と星座の関係に等しい。
そして先に述べた近代人の欲望とは、まさしく、この星座の生成にあるのだ。
単に散らばる星々を、そのまま記憶・再生するのは困難である。が、そこに例えば
柄杓の形を捉えるとき、情報は圧縮され、我々の認識はより容易になる。
これこそ、先に私が述べた「誘惑」である。当然、北斗七星の星々は、柄杓の形を描くべくして
その位置を決定されたのではない。それは人間の力の及ばぬ地平で既に成立している。
そしてオカルト派の思想は、この事実関係を逆転した欺瞞に他ならない。
彼らは先に柄杓があるとする。星はそれに従ってその位置を決定するのだ、と。
ナンセンスである。ナンセンスである。
近代人はここまで堕落したのか。かつての機能主義はもはや見るべくもない。
歪められた因果論が、その嫡子である科学を、不当にも蹂躙しているのだ。
しかしなぜ皆はこの欺瞞を否定しきれないのか。それは記憶の強度に関係がある。
単なる星は、その位置を記憶するのが難しい。だが、星座として圧縮すれば、それは容易である。
「流れ」も、まさにこの理由によって、人々の脳裏に焼きついている。
過去をそのようにして圧縮することで、我々はそれを統合している。故に、
記憶に残り、また未来をその延長として捉えしめる力学を発動しているのだ。
結論を言おう。麻雀に流れは「存在」しない。それは認識されるだけである。
これどっかで見たことあんぞ。パクリだな?
オリジナルだよw たった今書いた。
921 :
焼き鳥名無しさん:02/02/20 21:19
読む気になれないのは俺だけですか?
922 :
焼き鳥名無しさん:02/02/20 21:25
>>921 読めば結構おもしろいと思われ。
まあ916は哲学やってないと厳しいだろうけど
917は普通に読める。というかあれでオカルトの敗北ケテーイ。
923 :
焼き鳥名無しさん:02/02/20 23:21
>>922 そうか?
論理平均の漸近度とか、よくわからないぞ。
試行回数と比例関係にあるんだよな?
かなり数学に強くないとわからなさそうだが。
俺が無知なだけなのか?漸近度ってどういうものなんだろう。
924 :
けい。 ◆nF7HiAVU :02/02/21 00:18
>>914 なるほど、確かにレートの話か。
でも
>>915が言うように、「打ち方の話」になぞらえるのが
ズレてたのかもね。いや、ずれててもまったくかまわんと思うけどw。
>>916-917 眠くないときにも一回読みますw。
前半は特になにやらわかったようなわからんような。。。
ただ、「そしてオカルト派の思想は、この事実関係を逆転した欺瞞に他ならない。」
の部分は激しく同意。「流れ論」には因果関係の逆転現象がよく見られると思う。
925 :
小鳥武夫 ◆TAKEOADY :02/02/21 01:52
オカルト
結核は、結核という病を運ぶ、疫神の仕業。
結核にかかった人の近くには、疫神がいるから近付くな。
経験上、栄養を取って、きれいな空気の温暖な場所にすると治ることもある。
結果、それなりに正しいので、それなりの効果あり。
(とてつもなく丈夫な【雀鬼】人が、あやしげな民間療法を広めている。
たまに治る人間もいるらしい。プラシーボ効果もある。)
デジタル
結核は、何らかの原因で発生する伝染性の病気。
いろいろ実験するなりして、その原因を考える。
原因が分かったら、治療法、予防法を研究する。
同時に対症療法としての症状緩和のための治療法を研究。
結果 結核は怖い病気ではなくなった。
(とんでもなく強い菌が発生していたりするとまたゼロから)
926 :
小鳥武夫 ◆TAKEOADY :02/02/21 02:53
温暖な場所にすると治ることもある。
↓
温暖な場所で養生すると治ることもある。
927 :
焼き鳥名無しさん:02/02/21 03:00
有限の試行に偏りがあるのはわかった。
じゃあ、それをどう戦略に反映させるわけ?
928 :
焼き鳥名無しさん:02/02/21 03:05
つまりラスったら殺されるような場面ではいつものような
順位期待値(ポイント期待値)が高い打牌じゃなくて
ラス回避するように打てってことだ
929 :
焼き鳥名無しさん:02/02/21 04:22
ここは、完全にオナニースレだな
930 :
焼き鳥名無しさん:02/02/21 07:20
anti大学生活にカムバックきぼんぬ
931 :
でもでもね:02/02/21 10:32
・・・この思惟の塊め(藁
まぁじゃんとはツモるごとにエポケーをする遊びにすぎんw
いや、むしろそれは離脱(Abgeschuedenheit)であるともいえるw
932 :
腕時計はアナログです ◆GyIb9mrY :02/02/21 11:25
>>916-
>>917(新スレはあんまり難しい話はしちゃだめなようなのでここに書く)
星の配置と、点的に捉えられた運動としての流れがパラレルである理由が無い。
それを言うなら、(未来という)時間を全て固定した点の集合だとする考えが共有さ
れていることが前提となる。
流れ論が、即自的な世界への欲求である、というのをもう少し考えてもいいのではな
いか。
サインカーブとして流れを捉えるというモデルは、あまりに単純すぎる。
そこで複雑なモデルというものが成立するか、というのが流れ論のテーマそのものな
のだ。
流れは即自的なものであり、そのさなかに身を置いているその瞬間にしか分らない
とするならそれはディオニュソス的なものと言い換えても問題無かろう。
ともあれディオニュソス的なもののさなかに身を置こうとする事は、因果論とは一線
を画す。
逆にディオニュソス的なものから遠ざかる為、因果論や機能主義はあるのだろう。
"Don't think. Feel."
とは「萌えよドラゴン」に於いて、ブルースが修行相手に言う言葉だが、
同じ事を流れ関係の親玉の人が言っているね。
これを思考停止と同義にとらえてはならないのではないか。
むしろ思考の加速と考えるとおもしろい。ディオニュソス的なものを捉えるには、
近代合理的思考をスキップする方法が必要なのではないかとおもうがいかに?
ていうかちょっとスレ違いか。
しかしこれは(モダニズムではなく)結構21世紀的なテーマだと思うんだけどね。