1 :
漂泊の民:
2 :
天之御名無主:2001/04/28(土) 11:22
3 :
:名無しさん@お腹いっぱい:2001/04/28(土) 14:58
サングア=サンカ+サンワ
って感じがしてなんか気になるぞ。金太出て来い
4 :
天之御名無主:2001/04/28(土) 16:33
これの第一人者はちょっと前に亡くなったな
名前忘れた
柳田の遠野物語もそういうのに乗っかったって聞いたような
手工芸品とかジプシーぽいとか単にサーカスの一団とか
この名前忘れた人がかなり面白おかしくってのは聞いた
そんな大したあれじゃないと思う
5 :
日本@名無史さん:2001/04/28(土) 17:27
名前忘れたって、それ
>>2のスレの三角寛のことでねーの。
三角寛の評価は肯定・否定物凄くあるんだよ。
ちなみに、柳田は初期から山人について書いてて、後期には
逆に触れなくなった。
三角の業績に関して、柳田は理由は不明だが一貫して無視した、
ってのが大方の見解だろ。
どうやら俺は
無知&思い違いだらけらしい(笑) ハハハ
7 :
プッチ山窩:2001/04/28(土) 20:32
サンカは別に部落民とかの扱いではなく、普通に語ったりできるものなので
しょうか。
あと、「俺はサンカだ」と現在名乗っている人っているんですか?そう言う人が
自然生活のすばらしさを語っているなんて聞いたことが無いけど。やはり日陰の身?
8 :
名無しさん@そうだ選挙にいこう:2001/04/28(土) 22:00
柳田に関しては山人について言いつづけられる状況じゃなかったしなぁ
9 :
金太:2001/04/28(土) 22:56
本日また行って来ました。
質問があまりなかったので、こちらで流れに応じて、勝手に考えました。
まず、行ったら、この前の3人がいました。その他に子供が、4人いました。
子供は、挨拶しただけで、またどこかに行ってしまいました。
それで、おばあさん以外の二人のおばさんなんですが、
実は1人は韓国人、もう1人は韓国人とサンカ民族のハーフだったのです。
先日行ったときは、しゃべれないのかな?とか思いましたが、
1人(韓国人)は日本語は片言です。(つい最近来たらしい)もう1人は、まあ、しゃべれます。
なぜ韓国人がいるかというと、韓国の世捨て人みたいな人とかが、合流するらしいです。
その韓国人のおばさんは、私生児を身ごもって、田舎なので村に居づらくなって、
ソウルに出ていったのだけれども、仕事が無くて、いろいろと転々としていたときに、
山で彼らにあって合流したそうです。何人か韓国人がいるそうで、その人たちとの混血も
進んでいるようです。(混血と言っても、似たような人種ですが)
こう言うのは、よくあるそうで、おばあさんのおばあさんは日本人っていうか、大和民族です。
なので、レスに書いてあったような、「純粋な」サンカではないようです。
(まあ、何を持って「純粋な」かは、わかりませんが...)
つづく...
10 :
金太:2001/04/28(土) 22:57
おばあさんが生まれたのは、大正2年だそうです。(<いま思ったんだが、何で日本の元号を知っているんだ?)
こちらに来たのは、おばあさんが5歳の時だそうです。(この辺は彼女も、記憶が曖昧で、大正6年とか言ってましたが、
「5歳なら大正7年でしょ」と聞くと、違うと言って聞かないのです。なので、大正6年か7年。)
誰の指示できたのか?と言われたら、当時の日本の警察?とその当時の(サンカの)村の村長さんみたいな人が話をして、
「土地が与えられるので、そこで畑を作って暮らそう」と言うことになって、船に乗って来たそうです。
その当時は、ソウルのちょっと北側?あたりの土地だったそうですが、朝鮮戦争のときに追われて、今のところに来たそうです。
おばあさんは、特に「だまされた」とか考えて無くて、「いろいろあったよ」みたいな、ほのぼのした感じで話していました。
また、現在の生活に満足しているようで(もちろん村の人も)、気ままに暮らしているみたいです。
生活なんですが、農作物を収穫して食べている他、炭を作っていて、韓国政府が定期的に買い取りにくるそうです。
そうすると、上記の韓国人が町に買い物に行くそうです。先日言った畑の他に、もうちょっと山の上の方に水田が
あるそうです。そこで、お米も収穫できるそうです。
つづく...
11 :
金太:2001/04/28(土) 22:58
神話とか、民話についても聞きましたが、結論から先に言うと、あまり期待しないでください。
最初は、「忘れたなぁ」とか言ってたのですが、どうしても思い出せませんか?とか聞くと、
しばらく考えて、(以下、そのときの言葉を再現すると)
「神様がケンカをしてしまって、洞窟の中に入ってしまってね、他の神様がその洞窟の前で.....」
...えっ..それって...「天の岩戸」じゃん?って心の中でつっこみを入れてしまいました(笑)。
でも、ちょっと違ったのは、「天の岩戸」は、女の神様が踊って、力持ちの神様が無理矢理こじ開けた
と言う感じだったと思いますが、彼女の話は、「ひぃ、ふぅ、みぃ、よぉ、...」って唱えたら扉が開いて...
ってところだったけど、それは、まあ、誤差の範囲だろうな。年寄りだしね。
あと、桃太郎の話も知っていた。
ちょっと変わっているのは、桃が流れてきて、それをおばあさんとおじいさんが食べて、
若返って、セクースして、桃太郎が生まれたとか言っていた。
その他、いろいろ、聞いたのだが、「サンカ」特有の民話みたいなのは無かったように思う。
(と言うのは、私の方で、全て知っている話だったから。三本の矢の話とか、因幡の白ウサギの話)
たぶんこのまま行くと、100年後には、韓国の神話とか混じっちゃうのかもしれない。
つづく...
12 :
金太:2001/04/28(土) 22:59
歌についてですが、「ねんねんころり〜」と「かごめかごめ〜」と「てんてんてんまり〜」を知っていました。
それで、これが、「サンカ」の唄だと思いますが、「にゃーどらーな、にゃーどらーな」と言う唄を歌ってくれました。
これは、日本語では(もちろん韓国語でも)ありませんでした。
言葉なのですが、「〜した」と言うところを、「〜してしまって」(実際には、「すてすまって」)と話します。
あと、「いい加減」を「いいあんばい」(これって名古屋?)と表現します。
また、自分のことを「おれ」(もちろん、おばあさんなので、女ですよ)と表現します。
つづく...
13 :
金太:2001/04/28(土) 22:59
大体読んでわかるとは思いますが、ここで期待されているような感じの「サンカ」ではありません。
言葉は悪いですが、「山に住んでいるホームレス」と言った感じで、独自の文化をかたくなに
守っている感じでは、なさそうです。まあ、他の人に(特に男性に)会ってみないと、わかりませんが。
それで、日本の「サンカ」の現状について、話をしました。(上記のスレに書いてあったことのコピペで)
現在は(我々が見ない様な山奥に行ったかもしれないけど)、少なくなっているとか話しても、
「まあ、しょうがないよ。時代だからね。」みたいな感じで、悲しそうと言うより、寂しそうでした。
そして、貴重な話も聞けると思うので、日本の新聞記者に連絡して、来てもらってもいいか?
と聞くと、「いい」とのことなので、日本に帰ったら、新聞社(もちろん朝日新聞以外)に連絡しようと思います。
(2チャンネル的には、産経がいいと思うので、そちらに連絡するつもりでいます。記事になるといいな)
明後日から、ソウルに遊びに行くので、次に行くのはちょっと先になりそう。
帰りにまたこちらによるので、そのときは、もう一回行きます。(おばあさんにも約束したし)
時間があれば、他の人たち(特に男性)にも会ってこようかと思ってます。
では、しばし。
14 :
日本@名無史さん:2001/04/28(土) 23:06
>おばあさんが生まれたのは、大正2年だそうです
>こちらに来たのは、おばあさんが5歳の時だそうです
「数え年」ならあってるんでないの?
…半信半疑なんだけど、マジなら凄いな…
続報を期待。
15 :
天之御名無主:2001/04/28(土) 23:36
16 :
鉢:2001/04/29(日) 00:40
続きが楽しみ。
2ch来て一番わくわくする話ですね。
17 :
熊:2001/04/29(日) 00:53
こちらに移ったのは正解ですね。金太さん続報宜しくです。
また、別の方も質問してますが具体的な所在地名明かせられる
ようでしたらお願いします。
18 :
鉢:2001/04/29(日) 01:04
>>17 ここは悪名高い2chですし、まだ具体的な所在地名を明かさない
方が良いような気がします。メールとか…
>金太さん
もしサンカの方の居住している所在地名明かせるのでしたら、
メール戴けませんでしょうか?勿論、新聞社等に話されるので
したら、その後で結構ですので。宜しくお願いします。
19 :
質問です♪:2001/04/29(日) 02:54
テムジン、イツキ、ザボの意味は?
20 :
天之御名無主:2001/04/29(日) 03:07
>>18 2ちゃんねると言ってもいろいろな板があります。
どこかから移動してこられたようですが、
ひと括りにそのように仰るのは失礼ではありませんか?
サンカスレッドは重複ですよ。
21 :
天之御名無主:2001/04/29(日) 03:26
>たぶんこのまま行くと、100年後には、
>韓国の神話とか混じっちゃうのかもしれない。
イカンなぁ。その居留民、早急に帝国が保護せねば。
またぞろ朝鮮人に「○○のルーツは朝鮮ニダ」と騒がれることになるやもしれん。
22 :
鉢:2001/04/29(日) 03:59
>>20 気分を害されたようで。
移動元は、国際情勢板です。(スレの1に書いてありますよね)
そこでは、ネタだと云って邪魔をしたり金太氏に暴言を吐くなどの
荒れる部分が有りました。
そこのスレからもリンクしているので、民族・神話学板の方以外も
見に来る可能性があるから云ったまでですよ。
この板の方に問題があるなどとは毛頭思っておりませんので、お間
違えの無いようお願いします。
(どちらかと云えば、我々の方が重複スレ建ての侵入者ですから…)
スレの本論に関係ないので、sage入れます。
23 :
ヒロヒトラー:2001/04/29(日) 06:45
サンカなど、日本民族にあらず、余の解釈では敗戦後に朝鮮半島に帰った朝鮮人を指すと考えられる。
朝鮮半島に住む日本語を話すから日本人では、日本人の定義から当然外れているぞ。
日本語を話す70代の台湾人と同じである。日本人を舐める三国人の陰謀だ。
24 :
天之御名無主:2001/04/29(日) 11:19
丹波の大親分と野中さんは関係あるのでしょうか。
25 :
日本@名無史さん:2001/04/29(日) 12:01
面白いレポートありがとうございます。
サンカってどっちかっていうと「積極的に」一般社会に溶け込もうとしなかったという
イメージがあるんだけど、彼らは本当のところ、日本民族(いい加減な言い方だけど)
以外の血統を持った人たちなのでしょうか。それとも、ただ単にライフスタイルを変えただけの
日本民族なのでしょうか。
日本には"元サンカ連合"みたいな団体はないんでしょうか。やはり日陰の身?
んで、そこは何世くらいまでの元サンカが居るんでしょうか。さらに、そこのサンカと韓国人の割合は?
そこの集落は今まで研究者や学者は入っていないのでしょうか。研究者には全く知られてないので
しょうか(私は研究者じゃないよ)。また、韓国内には他にそういうところはないのでしょうか。
以前新聞で何かの日本人村みたいなのを読んだことあるけど、それとは違うのかな。
新聞で扱う価値大ですね。朝日だと政治問題化されてしまうので(他でもいずれはそうならざるを
得ないが)、できれば毎日か読売きぼーん。産経は普段読んでいないので。
もし本当ならば、そういう政策のもと、元サンカが結構海外に散らばっているかもしれませんね。
26 :
天之御名無主:2001/04/29(日) 16:12
あ
サンカこそが純日本源人である。
28 :
天之御名無主:2001/04/30(月) 17:18
日本史板→国際情勢板→民族神話板と辿ってきました
アンチ巨人なんでウチは朝日なんですよ(w
だけど詳しくしりたいです、読売なんていわないでTVにしてはどうですか
NHKとかもヒダリよりなんでしょうか
悪ふざけにしても国際板は酷かった、金太さんがんばってください
29 :
勝手にコピぺ:2001/04/30(月) 18:08
スレを一つにまとめたいので、勝手に要点をコピペします。
1 名前:金太 投稿日:2001/04/27(金) 22:05
いつもROMしてます。
在日三世(おやじの代で帰化済み)です。
実は奇妙なことがあって、初めてスレ(レスも初めて)たてようかと
思ったのですが、こちら(韓国)からだと、ハングル板は、
串差してもスレがたたないので、こちらに書かせていただきます。
今、韓国の親戚の家に遊びに来ています。ゴールデンウィーク明けまでいる予定です。
ゴールデンウィークが明けに帰らないといけないので、その前にみなさんに知らせたくて。
できれば、ハングル板にスレをたててくださっても結構です。
以下...
今、韓国の親戚の家に遊びに来ています。
場所は慶州の片田舎です。
それでですね、近くに日本人の村があるというので、ちょっと行ってみたのです。
自分としては、韓国語がわからないし、田舎なので、おもしろくないので、
ちょっと興味で行ってみたのです。
そこで、おばあさんと会って(そのあと2人来ました)、いろいろ話をしてきましたが、
その内容がなんか変なので、ここの方に聞いて見ようかと思って、スレをたてました。
つづく...
30 :
勝手にコピぺ:2001/04/30(月) 18:08
2 名前:金太 投稿日:2001/04/27(金) 22:09
その人たちの話によると、日韓併合中に移住させられたらしいのです。
彼女たちは、「サンガ」「サングア」(東北弁ぽいのでよくわかりませんが、そんな感じ)と
言う民族で、日本では、少数民族らしいのです。私は、日本の学校に行ったのですが、
アイヌとか沖縄の人たちは、もちろん知っていますが(クマソも知ってます)、そんな民族は全く知らなかったです。
言葉は、日本語が通じるのですが、意志疎通は、70%ぐらいです。
(私は、もちろん日本語で考えて行動して、韓国語は外国語です)
東北の方のズーズー弁と言うような感じで、所々、単語が違うような感じです。
戦前の言葉で、そのまま独自の発展をしたのかもしれません。
(私は、終戦の玉音放送は、何言っているかわからないので、戦前の言葉は理解不可能なのかも)
そしてなんと、字を知らないらしいのです。そのおばあさんは、少し知っているらしく、
地面に書いてもらいましたが、「あ」と言う字を反対に(鏡文字)書いていました。
実際には、強制移住ではなく、その民族用の土地を与えるので、移住してくれないかと言う
感じでこちらに来たそうです。日本本土に残った人もたくさんいるそうです。
日韓併合が終わったこととかは、もちろん知ってます。
(なんか韓国政府の人とかも、来たらしいです)
そして、(ここが本題なのですが)驚くことに、日本国籍がないそうです。
ので、日本に帰りたくても帰れないと言ってました。
まあ、口振りからは、戻るつもりはなさそうですが、もっと同じ民族の人に会いたいようでした。
帰ってきて、親戚の叔母に聞くと、村の人は、全くその人たちを無視しているとのこと。
韓国政府は知っていて、(日本>韓国経由で)補助金みたいなのは、おりているような感じ。
(でも、お金なんか使ってないような感じ、電気もなかったし)
まあ、どうするって訳でもないんですが、
でも私は、このまま、韓国に住んでいても、どうかと思いますが、どう思いますか?
あと、なんか質問があったら、聞いてきます。
31 :
勝手にコピぺ:2001/04/30(月) 18:09
3 名前:名無しさん@お金なし 投稿日:2001/04/27(金) 22:44
サンガって聞いた事あるな。(サンガって漢字で書けるんだけど字忘れた)
山の中の狩猟民だね。
4 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2001/04/27(金) 22:49
さんか ―くわ 【山窩】
山間部を移動しながら漂泊生活をおくっていた人々。山菜などの採集や狩猟・川漁、あるいは箕(み)・籠(かご)などの竹細工を生業としていた。東北地方以北にはいなかったといわれる。さんわ。
32 :
勝手にコピぺ:2001/04/30(月) 18:10
7 名前:鉢 投稿日:2001/04/27(金) 23:19
>>1:金太さん
その方達は、どのような仕事をして生計を立ててらっしゃるのでしょうか。
山岳狩猟を未だに続けてらっしゃるんでしょうか。それとも・・・
あと、「民族用の土地を与えるから移住」云々に関しては、非常に興味が
あります。
時期、提案者などが分かりましたら調査願えませんでしょうか。
宜しくお願いします。
33 :
勝手にコピぺ:2001/04/30(月) 18:11
14 名前:金太 投稿日:2001/04/28(土) 01:35
民族板にすれば良かったですかね。すいません。
こっちから、たてられる中で、一番この板が合っていると思ってしまったのです。
「強制連行」と言うのは、本文からもわかるように、私の方で勝手に目に留まるように
ちょっと工夫して書きました。他意はありません。(実際、私は、慰安婦の話は嘘だと思ってます)
サンカのスレも読みました。(教えてくれて、有り難うございます)
でも、生計なんですが、村の人(韓国人)とは、接触はないみたいですので、
そっちのスレに書いてある「手工芸品を売って云々...」と言うのは、なさそうな感じです。
そこ(以下サンカ村)の人たちは、(大体、戸数を見た感じで)40〜50人ぐらいだと思います。
聞いてみたのですが、7〜8人と言う答えが返ってきましたが、たぶんそれは、家族単位での
みんなと言う意味だと思います。(前にも書きましたが、意志疎通がうまくいかないのです)
家は、汚くて、畳とかはありません。入った家は、土間みたいなところで、真ん中に焚き火ができる
スペースがあるという感じです。屋根はネズミ色のシートみたいなのが、掛かっていて、
焚き火のところの上は、空が見える様な感じに空いています。
壁は木を並べたところに泥?が塗ってあるような感じです。15 名前:金太 投稿日:2001/04/28(土) 01:36
身なりは、上は着物みたいなやつ(柔道着の上みたいなやつ)で、下はもんぺです。
おばあさんはその上にボロ切れみたいなのを羽織っていました。
でも、村もそこの人も滅茶苦茶汚いです。ホームレスみたいな感じです。
(お風呂も入ってないんじゃないかな。肌の色が、赤黒い感じ)
サンカ村の所々には、簡単な畑があって、菜っぱ(小松菜)みたいなのとかが植えてありました。
でも、見渡せる限りの(山道の途中で、ちょっと開けたぐらいのところにある)畑全てでも、
全員は食えないんじゃないかと思います。(他の人は、どうしたのかは、聞きませんでした。今度聞きます)
移ってきた経緯ですが、
時期はその婆ちゃんの小さい頃としか聞いてません。(<今度詳しく聞いてみます)
提案者とかは、その婆さんじゃわからないと思います。(<けど、今度詳しく聞いてみます)
明日か明後日、時間があったら、行って来ます。質問があれば、書いておいてください。
34 :
勝手にコピぺ:2001/04/30(月) 18:12
16 名前:>14 投稿日:2001/04/28(土) 01:41
それって、島原の戦後帰国された娼婦の方のような生活ですね。
その人土地は、町に出た子供たちの小額の仕送りと
近隣農家や漁村のごみのような食材で生活をしていたそうです。18 名前:鉢 投稿日:2001/04/28(土) 02:06
金太さん、レス有難うございます。
2chで、これほど心が踊っているのは初めてです。
純粋な山窩の方は、日本ではもう居ないらしいですので、リアルタイムで
話が聞けるなんて羨ましい限りです。
昔話とか、民話とか有れば聞いて下さい。
神話とか伝承でも良いです。文化の根の部分が知りたいですね。
#貴方の会話は*学問的*にも非常に貴重だと思いますよ。24 名前:熊 投稿日:2001/04/28(土) 06:30
>金太さん報告ありがとう
彼の地で暮らす経緯について心を開いてくれたらもう少し情報をお願いします。
近隣の人達(韓国の)とは始めから交流がなかったのでしょうか(お互いに)
もし老婆たちの歌を聞けたら、もしくはよく使う言葉が聞けたらお知らせ
ください。出身地等が分かるかもしれません。
帰還等の話をここで進めるのは、まだまだ早いかと思います。
お体をお気をつけて、残りの旅の日々をお楽しみください。
35 :
勝手にコピぺ:2001/04/30(月) 18:14
30 名前:名無しさん@お腹いっぱい 投稿日:2001/04/28(土) 10:56
・その集落はどこか、近くへ行けば分かるくらいさらに詳しく頼みます。
・彼らの先祖についてどんな伝承が伝わっているか聞き出そう。
・以前に独自の文字なんか持っていなかったか聞き出そう。
・日本で彼らの同族がどこに多く住んでいるのか聞き出そう。
様子では、かなり荒んでいるようなので何も分からないかもしれないけど、ヨロシク。
31 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2001/04/28(土) 10:59
おいおい、えらいことになってきたぞ。
三角寛の東洋大学博士論文の初の傍証が得られるかもしれない。
民俗学の大スクープだよこれ。
ネタだったらしばくぞ!!
33 名前:名無しさん@お腹いっぱい 投稿日:2001/04/28(土) 14:02
血抜いてきて、どこかの研究所に調べてもらえ
36 名前:名無しさん@お腹いっぱい 投稿日:2001/04/28(土) 14:52
とりあえず民俗板でじっくりやり直しましょう。まじめに書けば荒氏は少ない
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=min&key=988420242 ネタならコロス
37 名前:金太 投稿日:2001/04/28(土) 22:39
私は、日本人と同じに学校を出たので、差別は感じませんが、
板違いらしいので(せっかく別にスレ作ってもらったので)、上記のリンクに行きます。
ちなみに、私は、犬は食べませんので、あしからず。
では。
36 :
勝手にコピぺ:2001/04/30(月) 18:15
スマソ、国際情勢板のほうはいずれは流れてしまうと思ったので。
37 :
天之御名無主:2001/04/30(月) 18:38
すごい話しだ。感動しました。
ちなみに、23のウヨ発言を装って妨害をしているのは
サヨの仕業です。本当に卑劣なやつらです。
38 :
天之御名無主:2001/04/30(月) 18:42
桃太郎の話しは、江戸時代版桃太郎ですね。
今の日本で桃太郎の話しを江戸時代バージョンで
語る人はいません。
こんなところに、明治の国民国家とは別のところで
生活していた彼らの生活が伺えます。
39 :
天之御名無主:2001/04/30(月) 18:49
東北出身かな?
>>12 >それで、これが、「サンカ」の唄だと思いますが、「にゃーどらーな、にゃーどらーな」と言う唄を歌ってくれました。
な、なにゃどら節・・・。(爆)
いわゆる「とんでも」系の人に聞けば分かりますが、青森にいわゆる「キリストの墓」があってですな、ユダヤの末裔なんだそうな。(笑)
で、その周辺に住んでいた人たちが歌っていたのが「なにゃどら節」ということになっています。
トンデモ系の話なので、下げます。
42 :
天之御名無主 :2001/05/01(火) 09:37
けど何かでサンカって東北以降にはいなかったって書いてあったけど…?
43 :
天之御名無主:2001/05/01(火) 09:40
東北以降ー>東北以北
逝ってきます
44 :
日本@名無史さん:2001/05/01(火) 18:42
東北にはマタギがいるでねえの
45 :
東北人:2001/05/02(水) 00:04
東北は化外の地ということでバカにして来ません。ただ
いわきあたりに呼び名があったような。
46 :
天之御名無主:2001/05/02(水) 14:12
続編期待
まさに、それです、それ。
金太さんに確認して欲しい気もしますが、実は全然別のものかもしれないですけどね。
ただ、違うなら違うと判るだけでも成果が上がったと見ても良いかもしれません。
48 :
天之御名無主 :2001/05/02(水) 20:03
民謡は民謡、トンデモはトンデモ、と分けて考えるべき。
サンカ白丁説というのもあるね。どうかとは思うけど、そうなら里帰り?
で、金太はどこへ行った?
49 :
天之御名無主:2001/05/02(水) 22:28
タタラ?
51 :
金太:2001/05/03(木) 15:54
ご無沙汰です。すいません。ソウルで遊んでいました。コピペ有り難うございます。
唄についてですが、リンク先も確認しました。まさに、この唄です。
>日本の民謡なんですね。どう聞いても、日本語に(韓国語にも)聞こえなかったので、
「サンカ」の唄とか言っちゃいました。お騒がせしてすいません。
本日また、彼らの村に行って来ます。(今回で最後です。明日は釜山>日本と帰りますので。)
何か新しい情報が得られたら、戻って来てからアップします。
それで、村の詳しい場所なんですが、外国のしかも、ど田舎なので、
わざわざ、荒らしに行く人もいないんじゃ無いかと思われますので、
ここに書いても構わないんじゃないかなとか思いますが、
みなさん如何でしょうか?
52 :
天之御名無主:2001/05/03(木) 17:30
>>金太さんへ
わたしも他の方のご意見お聞きしたいと思いますが。
個人的には、こちらには詳細な村の位置、書かれない方が
よろしいかと思います。
金太さんも、いろいろお忙しいとは思うのですが。
お時間とれたら、詳細な村の位置も含んだレポート
どこかもっと学術的なサイトに送られた方が有意義かと
思います。
極、個人的意見でした。
53 :
天之御名無主:2001/05/03(木) 18:21
朝日は信用できない
産経きぼんぬ
54 :
天之御名無主:2001/05/03(木) 18:45
サンカは高度成長期以前には東北にもいたよ。マタギのことじゃなくね。
「東北にはいない」ってのは三角寛がフカシたでたらめのひとつ。
55 :
金太:2001/05/03(木) 23:11
本日行って来ました。
今日は暗くなるまで待って、働いている人にも話を聞こうかと思って、夕方に出ていきました。
暗くなってしばらくすると、ぞろぞろと人が帰ってきました。
こちらのことは聞いているらしく、驚いた様子もなく、お話ができました。
時間的には、もう遅かったので、30分ぐらいでした。
今回おもに聞いたのは、70ぐらいのおじいさんです。
若い男の人(含むおじさん)は、10〜15日に1回ぐらいしか帰って来ないそうです。
それで、修行?(お祈り?)のときには、100日連続で行うらしく、そのときは、全く村に帰ってこないそうです。
で、畑は、子育てがない女の人(+おじいさん)が行うそうです。(ちなみに、先日の文中で、水田と書きましたが、
私の勝手な解釈で、水はないそうです。米も畑で採るらしい。)
それで、このおじいさんから、いろいろと聞けました。
(ちなみに、このおじいさんは、朝鮮生まれ)
つづく...
56 :
金太:2001/05/03(木) 23:12
質問にあった、語句についてですが、
「テムジン」とは、戦う時の刀?(木刀?)や槍?であり、また、山道を行くときの杖であり、
家を建てる時の柱?だそうです。一番偉い人(頭)しか持てないそうです。
「イツキ」とは、命(生命)とか、新芽が芽生えるとか、言う意味らしいです。
「ザボ」は、何のことかわからないそうです。(たぶん地名かもしれない、とは言ってましたが。)
「サンカ」ではなく「マタギ」では、ないのか?と聞くと、
「サンカ」(このおじいさんも、「サンガ」「サングア」と発音した)というのは、大和民族が
彼らを呼ぶときの名前だそうです。自称は、元々無かったらしいです。
「マタギ」という言葉は、知らないらしいです。
神話?(信仰かな?)についてですが、彼らの信仰する神は、「おんたけ」様と言い、それは、神であり、
山であり、そして彼らの先祖であるらしいのです。また、その「おんたけ」は、3人の神様に分解され、
それぞれ、「すくなひこ」「おおくにぬし」「くにたち」と呼ばれています。
で、その中では、「すくなひこ」が1番偉いそうです。
そして、現在でも(移住した当時までだと思うけど)日本のどこかの山奥に、「おんたけ」神社があるらしいです。
つづく...
57 :
金太:2001/05/03(木) 23:13
歴史についてですが、遠い昔に富士山のふもとの「みずほ」と言うところに住んでいたそうです。
そこの国は、平和で、72世代続いたそうです。
が、富士山が噴火して、国はバラバラになって、人々は各地に散らばったそうです。
そして、山が再び噴火しないように、山に住んで、バラバラになったそれぞれが、各地の火山に
お祈りをしているそうです。
噴火前と、噴火後で時代は2分されて、
噴火前の時代(国があった時代)を「ふきあえず」または、「ふきあわず」
(噴火前という意味らしい。「吹き会えず」「吹き会わず」と言うことかな?)と呼び、
噴火後の時代(国が無くなり、流浪する時代)を「やまうど」
(山の人々と言う意味らしい。「山人」と言うことかな?)と呼んでいるそうです。
それで、「やまうど」時代になると、どこからともなく人がやってきて、
その人たちと交流するようになったのです。で、その人たちのこともまた、
「やまうど」と呼んでいたのですが、その人たちは、自分たちのことを「やまうど」と
自称し始めて、それが、「やまと」(大和)の語源になったそうです。(ほんまかいな)
つづく...
58 :
金太:2001/05/03(木) 23:14
日本にいるときには、他の村とは、ある程度交流はあったそうです。
それと、やはり日本にいたころにも、「おちうど」(大和以外の民族の名前か?)や山伏や世捨て人と
合流し、混血していったらしい。ので、純粋な「サンカ」では日本中どこに行っても、絶対にあり得ないらしい。
違いは、仏教を信じているのが、大和民族で、神様を信じているのが、「サンカ」と言うこと。
(異論はあるでしょうが、このおじいさんにはそういう認識らしい。)
日本に戻りたいかと聞くと、現在の生活に満足しているので、その必要もないとのこと。
村のみんなもそう思っているらしい。(「おんたけ」神社には、一度行ってみたいらしい。)
戸籍は、元々、「サンカ」の人には、無かったらしい。当時は、大和民族の村とは交流があって、
駐在さん(警察)がたまに家族構成とかを聞いていったらしいが、世捨て人みたいな理由ありの人とかもいて、
100%把握していた訳ではないので、戸籍は作成されていない。
でも、朝鮮に来るときに登録はしたらしい。
ので、こちらに来た人は、誰と誰かと言うのは、警察は把握しているはずだそうです。
つづく...
59 :
金太:2001/05/03(木) 23:15
以上です。
メモを元に起こしたので、日本語になってないところもありますが、ご勘弁を。
はっきり言って、ジャーナリスト気取りで行ったけど、取材(と言うほどでもないが)する側も
相当な知識が無いと難しいですね。(何言ってるか解らないことも、しばしば)後はプロに任せます。
明日はもう、釜山>下関と日本に帰っちゃうので、これきりになります。
質問があれば、何なりとどうぞ。答えられる範囲なら、答えます。
明日は2chをみれませんが、明後日からは、普通にみれますので。
では。
60 :
天之御名無主:2001/05/04(金) 00:01
びみょーに日本の古事記等のエピソードや単語がまじっていますな。
「フキアエズ」・・・ウガヤフキアエズのことか?古神道まじってなかろうな。
「おちうど」は落人、いわゆる敗戦者(平家とか)のことでしょうな。
61 :
天之御名無主:2001/05/04(金) 00:20
>>60 うんうん。
ほんとならすごいんだけど、その辺がかえって怪しい。どちらにせよ、
マスコミやちゃんとした学術調査のできるとこへの報告を望む。
62 :
名無:2001/05/04(金) 02:21
学芸部がしっかりしてるのは、読売か朝日。
読売は、三角の「山窩物語」を出版してる。
産経はその名の通り、学芸部がしょぼい。
でも、新聞社より、大学に教えてあげたほうがいいと思う。
日本に帰国したいとは思ってないみたいだし。
63 :
っていうか:2001/05/04(金) 02:26
これだけスレが建ってるのに、大学で民俗学専攻してる人いないの?
ものすごーく興味深い話ありがとう。いろいろ考えさせられた。
修行?(お祈り?)のときには、
>>特定の宗教はあるのでしょうか。
米も畑で採るらしい。
>>陸稲ってやつですね。
大和民族が 彼らを呼ぶときの名前だそうです。自称は、元々無かったらしいです。
>>その通り。
72世代続いたそうです
>>ウガヤフキアエズ朝?マジか?存在の真偽はともかく、伝承が残っているだけでも恐ろしく貴重だ!!
特に嘘をつく理由も見当たらないしなあ。
噴火前の時代(国があった時代)を「ふきあえず」または、「ふきあわず」
(噴火前という意味らしい
>>ものすごく興味深い。これなら言葉としての矛盾が少ないように思える。
ほんとの話、きちんと調査したほうがいいでしょう。ものすごい資料です。自分たちがサンカだと認め、
しかも集落として残ってこれだけの伝承があるなら十分です。日本国内のサンカはとても口が硬いよう
ですから。トンデモの”古史古伝”もたわごとと単純に笑い飛ばせなくなるかもしれない。皆高齢の
ようだし、至急調査を望みます。金太さんのレポートがなくなって、次第にこのスレがなくなるというのは
寂しいので、すぐに調査続行可能な環境作り(メディア・研究機関に報告など)に着手しましょう。
ほんとにこれ、スクープになりますよ!!!ちなみに私は地理を専攻していたけど、ヘボ学生だったので
調査の仕方がわからない…。
うわあ、sageになってしまった。もちろんage
66 :
天之御名無主:2001/05/04(金) 10:18
スマソ。また失敗。
67 :
天之御名無主:2001/05/04(金) 10:23
金太さんにはサンカについていっそう勉強してもらって、近いうちに
再調査してもらいたいです。
68 :
天之御名無主:2001/05/04(金) 10:41
新聞記者がこの事について書くのは勇気いるだろうな。
トンデモに限りなく近いし、いろいろ叩かれやすいので、嫌がるだろう。
民俗学会から、歴史学会から、ウヨやサヨから、さらにはシノガラ(んなことないか)から。
佐治芳彦ならトンデモ系だけど、フットワークだけなら軽そう。でもここはきっちり
信頼できる人にやってもらうべきなんでしょうね。後世まで残る基礎資料を作るためにも。
69 :
天之御名無主:2001/05/04(金) 14:17
金太さんへ
いまサンカ研究の中心になっている雑誌『歴史民俗学』
編集委員会への連絡をおすすめします。
同誌はほぼ毎号サンカ研究論文を載せています。
発行は批評社。詳細はそのHPをごらんください。
<
http://hihyosya.co.jp >
完全なるネタスレと化してるのか、はたまた電波スレ?
71 :
くい:2001/05/04(金) 21:21
金太さんの最初のキキコ
はどこのスレですか?
72 :
天之御名無主:2001/05/04(金) 21:47
スゴイ発見がとは思うけど
「人」を資料と呼んじゃうのは怖いよ
>>64さん
朝日は×、でも産経も極端すぎない?映像メディアのがいいっしょ
74 :
天之御名無主:2001/05/05(土) 00:22
>>69 同感。新聞社等のマスコミ関係よりこういう専門雑誌のほうが
より落ち着いて調べてくれるだろうからいいと思う。
少なくともセンセーショナルになるような可能性のあるところはやめといた方がいい。
ところで、2chじゃないところでこのネタ相談してきていい?
(民俗学というより妖怪専門のところだが)
もひとつ。ネタならこらえんぞ!
>>1
75 :
考える名無しさん:2001/05/05(土) 11:01
test
76 :
天之御名無主:2001/05/05(土) 19:36
>>72 わたしは映像メディアはかえって信頼できる先を
探すのがむずかしい気がしますが。
「
>>69」で挙げられている『歴史民俗学』が
よいように思います。
77 :
天之御名無主:2001/05/05(土) 21:12
でも映像だと捏造しにくいし
仮に嘘だと「芝居」みたいのを受け手が見抜きやすいかな、と
78 :
天之御名無主:2001/05/05(土) 21:45
>>77 いやー、映像には「編集」の魔術があるから。
危険だよ。
信頼できるプロデューサーを知ってるならともかく。
とりあえず、映像メディア避けるに一票。
79 :
匿名希望さん:2001/05/05(土) 22:54
江戸時代まではともかく、今は何も関係ないよ。
80 :
74:2001/05/05(土) 23:43
すいませーん皆さーん、
相談してきていいですかー!?
へんじしてー!(困
81 :
天之御名無主:2001/05/05(土) 23:51
>>74 そりゃ「みんな」に相談しないで
金太さんの意向を確認するのが
筋と思われ。
82 :
74:2001/05/06(日) 00:29
>>81 いや、金太さんもふくめて皆さんなんですが。(言葉足らずでしたな)
ついでに言うとちょっと広めるにはびみょーな話なので、
皆によろしいかどうか聞きたいのです。
で、どうでしょうか。もうちょっと待って
金太さんの情報をここだけで見極めた方がよろしいでしょうか?
83 :
天之御名無主 :2001/05/06(日) 00:44
金太氏は韓国から引き上げてくるみたいだし、
放っておいてもこれ以上当該の話題は広がる事もなさそうなので、
やはり金太氏の発見を継続させるところは必要だなと思います。
私もある程度調査がはかどってから映像メディアに関係してもらえばいい派。
>>82 とりあえず各方面で話を広げる分には構わないと思われ。
84 :
74:2001/05/06(日) 01:27
りょーかい。逝ってきます!
(・∀・;)ダイジョーブカオイ・・・
85 :
天之御名無主:2001/05/06(日) 15:59
どーなった?
86 :
天之御名無主:2001/05/06(日) 16:03
マスコミへ行けば、ただの通報者。
雑誌なら聞き書き筆者。
在日だからできる聞き書き民俗分野は広いよ。
つーか74は、他人に相談すんじゃねーよ。
万が一、金太氏の話がネタだとしても、自分の責任でやれや。
88 :
74:2001/05/07(月) 02:19
すいません、まだ行って来ておりません。金太さんに了承をとるのを忘れておりました。気がはやって・・・
もう少し皆さんの意見の様子を見ます。
>>87 むろん、そのつもりで。
89 :
天之御名無主:2001/05/07(月) 09:37
昨日の新聞に三角寛の書評が載ってたね。
90 :
天之御名無主:2001/05/07(月) 14:24
金太さんはもうお帰りになったかな?
>>89 解説がおもしろそうな感じだったな、本文より。
92 :
金太:2001/05/07(月) 15:06
帰ってきました。
> > 修行?(お祈り?)のときには、
> 特定の宗教はあるのでしょうか。
あります。神道だと思いますが、詳しくは分かりません。
神道だと思った根拠は、手を二回打って(柏手)会わせたからです。
本文にもありましたが、「おんたけ」様をお祈りするそうです。
> 金太さんにはサンカについていっそう勉強してもらって、近いうちに
> 再調査してもらいたいです。
ご勘弁を。たまたま、出会ってしまっただけで、聞くだけ場合にも、
滅茶苦茶知識が必要なのだと言うことが分かりました。
質問の回答を掘り下げるとか、広げるとかするときに、やっぱり、知識が要ります。
なので、今回は、表面的なことだけしか聞けませんでした。
まあ、はっきり言わせてもらえれば、この件からは、手を引きたいです。
(でも、気になるから、ROMはしたいです。)
みなさまの方で、今後、どの様にしたらよいかご示唆下さい。
> 金太さんの最初のキキコ
> はどこのスレですか?
最初は、国際情勢板にスレをたてました。途中で、板違いという意見があって、
1の方が、こちらにスレをたててくれたので、こちらに来ました。
もとのスレは、落ちていると思いますが、だれかが、コピペして下さいました。
それが29からの文です。時系列では、29〜36が最初で、後は1からです。
おかえりしゃん。
94 :
天之御名無主:2001/05/07(月) 17:54
95 :
天之御名無主:2001/05/07(月) 21:10
おお、早速他の掲示板に公開いる。
96 :
天之御名無主:2001/05/07(月) 21:12
97 :
天之御名無主:2001/05/08(火) 13:57
おんたけって、御嶽教のことだろう?
国譲り前の神様を拝んでる山岳信仰の宗教だよ。
山窩=山岳信仰
98 :
天之御名無主:2001/05/08(火) 16:00
これすごいな。
ageだage。
トンデモをトンデモだと認識しつつ面白がっている人間には堪えられないおもしろさ。
>>64 たぶん、同じような興奮状態で資料って書いてしまったんでしょう。
すごい発見だ。
99 :
天之御名無主:2001/05/08(火) 19:11
佐治芳彦は著書の中で、古史古伝は山の民のものと言っていた記憶がある
彼はトンデモ本のネタ元を知っていたのでしょう
べつにすごくないじゃん。ネタスレにしてもたいして面白くない。
っつーか、くだらんスレだな。よくやってるよ。
101 :
天之御名無主:2001/05/09(水) 02:13
金太さん>この件からは、手を引きたいです。
うーん、仕方ないです。
フィールドワークって、ほんとに辛いことがあります。
もう逃げ出したくなる。
金達寿『日本の中の朝鮮文化』講談社文庫全12巻
みたいな仕事をもっと在日の人がやってくれないかなあと
期待していました。日系日本人がやってもダメなんです。
たとえば伊藤博文が百済系という出自意識を持っていたと
証明しても、日系日本人がやると弁解がましいでしょ。
非難されかねない。でも真実はそこからほぐれてくる。
韓国にいるサンカの件、まともな週刊誌ならまあ、
現地の人に迷惑をかけるようなことはしないでしょうから、
それを選んで場所を教えて手を引く、そんな線でしょうか。
金太さんの発見、サンカ研究に関心あるものとして、
とてもとてもおおいに感謝しています。
102 :
天之御名無主:2001/05/09(水) 06:12
>>101 正気でいってんのか? 残念ながらあなたの電波度はかなり重症ですね。逝ってください
103 :
天之御名無主:2001/05/09(水) 09:01
うちは日経とってますが文化面充実してますよ。
近い将来金太さんが日経の最終面でレポート発表する予感。
104 :
天之御名無主:2001/05/09(水) 10:04
五木寛之に知らせるって言うのも手ではないかな。ビッグネームだし、
予備知識もそれなりにあるようなので「韓国のサンカ末裔探訪記」みたいの
を書いてもらえば目に届きやすい。間違いがあってもも作家だからと大目に見てもらえそう。
105 :
天之御名無主:2001/05/09(水) 10:47
>>104 あぁ。その手はアリだよね。
雑誌編集者や、マスコミプロデューサーで性質の悪いヤツと良識ある人もそれなりに区別できるだろうし。
いいと思うな、五木寛之に知らせる案に一票。
みんなで寄ってたかって金太をからかうスレだったのね。
107 :
天之御名無主:2001/05/09(水) 21:01
結局、ネタってことで。
---------------------------- 終了 ----------------------------
108 :
天之御名無主 :2001/05/09(水) 22:27
や〜だよ。まだ続けるもん。
109 :
天之御名無主:2001/05/10(木) 01:50
110 :
天之御名無主 :2001/05/10(木) 10:08
111 :
どゆことなの:2001/05/10(木) 21:15
金太さんはネタ作っていたわけ?
結論はトンデモでいいの?この話
112 :
天之御名無主:2001/05/10(木) 23:09
ネタだったらはじめからこの板に書くだろ
ネットでこんなに興奮したの久々だよ
113 :
金太:2001/05/10(木) 23:27
>>111&ALL
俺自身はネタじゃないよ。でね。
俺の小さい頃、近所に「ヒットラーおやじ」と呼ばれていた浮浪者まがいの人がいて、
彼はヒットラーの財宝のありかを知っているとか言っていて、子供ながら信じてたんだよね。
彼は本当に見てきたように(本人も完全に信じて)話すんだよ。本人にとってはいたって真剣。
こっちが信じたのは、こっちに知識がなかったからだと思うんだよね。
で、「サンカ」なんだけど、本文にも書いたように見た感じはほんとに山に住んでいる浮浪者って感じで、
独自の文化をかたくなに守っているようには、見えなかったんだ。
聞いた話も自分の全く知らなかったことだから、どう判断していいかも解らなくて、それで、思わずスレたてたんだよ。
聞いたことを事を書いて、その話の真偽を聞こうと思ってね。
だから、自分じゃなくもっと詳しい人に行って、判断して貰いたかったんだよ。
(「サンカ」の人たちは全くうそを言っているようには、見えなかったんだけど、
ヒットラーおやじもそうだったから、本人たちだけがかたくなに信じている可能性もあると思って)
でも、今回は複数人だからなぁ。ほんとだと思うんだけど。
ただ、そんなところに日本人村があって、浮浪者みたいな生活していて、それが日韓併合時に移住した人たちで、
(終戦後だったら、わざわざ韓国行って、浮浪者になること無いじゃん)日本や韓国とは隔離されて暮らしているのは、
事実だし、それだけでも、結構おもしろいかと思う。
114 :
天之御名無主:2001/05/10(木) 23:36
>事実だし、それだけでも、結構おもしろいかと思う。
同意!!
115 :
天之御名無主:2001/05/10(木) 23:48
いまは個人が誰でもいくらでも情報を出せる時代、
だから1つ1つホントかネタか、とやっていたら
キリがないよ。
お、これは仮説の組立に役立つという人はそうすればよし。
ロマン、ロマン、とにかくおもろいという人もそれでよし。
自己責任で、自分でフェイルセーフを決めて扱えばいい。
予備校のテスト受けてるんじゃないから、
正誤どちらかにあわてて決めなくてもいいと思うよ。
116 :
金太:2001/05/10(木) 23:57
>>114>>115 まあ、そうなんですけど。
詳しい場所を雑誌社か何かに連絡しようと思っているんですよ。
(ここで公開して、終わりでもいいんけど、それじゃあ何だから)
それで、わざわざ韓国まで行かせて、浮浪者の戯言でしたじゃ、ちょっと恥ずかしいし。
まあ、
>>114さんが同意してくれたとおり、これだけでも、おもしろいかと思うから、
問題ないとは思うけど。
117 :
天之御名無主:2001/05/11(金) 06:35
このスレみれないときある
118 :
天之御名無主:2001/05/11(金) 09:23
エリート集団は資格審査をして純血を保つ。
年収は?とか、公害患者を蹴散らして企業を守ったか?とかね。
しかしこういう集団は里にいられない者を黙って受け入れるから
長いあいだにいろんな要素がまじっていて当然。
お公家さん集団が山野を駆けているわけじゃない(笑)
「浮浪者」もまじっていて当然。
119 :
天之御名無主:2001/05/11(金) 10:09
金太さんははじめサンカの事なんか知らなかったのでしょう。だからちょっと恥ずかしい
タイトルで国際情勢板にスレを上げたのです。確信犯なら始めから民俗板にそれっぽい事を書く
でしょう。だからこの反響も結構意外に思っているのでは?
そうですね、そろそろ報告先を固めてもらえると嬉しいです。楽しみに
してますよ。
120 :
名無さん:2001/05/11(金) 15:18
真偽はともかく、仕事中の睡魔を飛ばしてくれたのでage(ワラ働け俺
121 :
:2001/05/12(土) 05:49
期待あげ
122 :
天之御名無主:2001/05/12(土) 06:42
ヲイヲイ わるいこといわないから期待はしない方がいいぜ。
このスレ(っていうかこの板が全体的にだけど)ほんとに頭の悪そうな奴ばかりだな〜〜
俺が悪意で書いてるとでも思ってんのか???
123 :
天之御名無主:2001/05/12(土) 06:45
じゃー期待しないね AGE
>>122 貴殿のような低脳の忠告は、貴殿が善意で行っていても、悪意以上に
性質が悪いですよ。
「小人閑居して不善を為す」
この言葉を、貴方にプレゼントします。
125 :
結論は:2001/05/12(土) 15:38
122が低脳でいいわけ?
126 :
名無しさん:2001/05/12(土) 18:47
ああ、一人だけアオラーが混じっているな
128 :
天之御名無主:2001/05/12(土) 19:30
期待agwge
129 :
天之御名無主:2001/05/13(日) 01:27
サンカ文化なんて三角寛の創作で実は浮浪者集団という説もある。
一方で箕作姓のすごい学者一族もいる。
柳田国男も自分が山人系だと示唆している。
まだ解明されていないことだから面白い。
いろんな意見の人がいていいんじゃない?
サンカすることに意義がある、なんちて。
>悪意以上に 性質が悪いですよ。
>「小人閑居して不善を為す」
ハ〜ア。ヤレヤレ。ほんとに困った連中だな。善意だっていってんのに。
>>124は結局、どこにどんな期待してるの?
くれぐれも「無学無教養者閑居してトンデモ説を為す」で終わりなさんなよ。
ちゃんと結果が出せるように、まじめに応援するよ。ご研鑽祈ります。
131 :
天之御名無主:2001/05/13(日) 05:26
期待してワクワクあげ
132 :
名無しさん:2001/05/13(日) 05:46
それじゃ私も
久し振りに来た。
>>130 ネタかどうかの判定が付かないので、もう少し追求したい。
本当なら、凄い話だし、ネタなら、殺す。
134 :
金太:2001/05/15(火) 01:51
135 :
天之御名無主:2001/05/15(火) 02:06
136 :
天之御名無主:2001/05/15(火) 02:10
>>134 集英社の五木寛之 さんの担当者あてにメールしてはいかがでしょうか?
137 :
名無しさん:2001/05/15(火) 09:39
上から二番目の熊のライフは眺めるには良いが、調査であてにするのはどうかな
どこかに連絡してからも、やり取りをこのスレで上げてくれると幸いです
(具体的な地名、人名などは伏せて)。
138 :
名無しさんといつまでも一緒:2001/05/15(火) 12:59
>>137 相談するぶんには一番いいんじゃないかな?
逆に民博はどうかな?と思います。
国立でしょ?当然国家よりなんですから。
潰される可能性が、なきにしもあらずって思うのは僕だけ?
139 :
在日3世:2001/05/15(火) 13:30
金太さん、熊野ライフは信用できる人たちだよ!
在日の学生のHPとリンクしてあったので熊野ライフは前から知ってるけど、
あそこの管理人は批評社やマスコミの人とも繋がっていると思うな。
過去ログ読んだら分るよ。
140 :
天之御名無主:2001/05/17(木) 02:24
age
141 :
天之御名無主:2001/05/18(金) 23:19
スクナヒコが一番偉いってあたりも密かに面白いNe。
142 :
天之御名無主:2001/05/19(土) 01:14
なにか変化はないのかな
143 :
天之御名無主:2001/05/19(土) 03:43
あげ
144 :
日本アメリカ化計画:2001/05/19(土) 03:51
A型は徒党を組んで国民を操ろうとする。注意せよ!
特に全国民の5%しかいないAA型は偏固で神経質。
145 :
天之御名無主:2001/05/19(土) 03:52
146 :
天之御名無主:2001/05/20(日) 04:07
あげ
147 :
探してたらこんなのが:2001/05/20(日) 23:38
いったい↓のアニメ(?)作ったの誰なんだろう?謎だ・・・
紅いハヤテ
レンタルビデオ1〜4話
国の公的決定機関の影で暗殺と謀略をつかさどってきた闇の組織
【死殻】(シノガラ)。死殻6人衆と呼ばれる最強の戦士を中心に、
その組織統括を行い、この国の歴史を影から操り続けてきたのだが、
6人衆を指揮する総帥がハヤテに暗殺されてから、組織の崩壊が始まる。
……というお話
(後略)
http://ww2.enjoy.ne.jp/~viva/1112.html
148 :
天之御名無主:2001/05/21(月) 03:55
変化ナシオちゃん
149 :
天之御名無主:2001/05/22(火) 11:14
熊野ライフ見たけど、何の変化もなし。管理人にメールはいってるみたいだけど。
これで立ち消え?
150 :
天之御名無主:2001/05/23(水) 00:41
立ち消えはイヤーン
151 :
天之御名無主 :2001/05/23(水) 10:06
このスレもサンカのように滅ぶのであった。
152 :
天之御名無主:2001/05/24(木) 01:53
サンカのように姿を変えしぶとく生き続けるのであった。
153 :
天之御名無主:2001/05/24(木) 01:56
続報ないの?
154 :
天之御名無主:2001/05/24(木) 22:10
気長に待ちましょう
155 :
ロク:2001/05/24(木) 22:58
何度か読み返すと、少し出来すぎ?と思えてきました。
156 :
天之御名無主:2001/05/25(金) 01:23
金太さん
どこかにメール送ったのですか?
よければ何時、何処宛てに送ったかオシエテー
157 :
天之御名無主:2001/05/25(金) 18:13
>155
いやいや世の中何にもないようで結構面白いもんです。いい意味で。
無理やり面白くしようとしてしまう輩はいただけませんが。
158 :
ロク:2001/05/25(金) 19:59
>157
私、至極まじめなもんなんで、2ちゃんではいろいろ傷ついてしまう事も多く、
常にマジな バカなんです。
純真な心で、読む時も魂を込めて、心に響かせています。
159 :
天之御名無主:2001/05/26(土) 00:13
ほったらかしにされると不安も募る。
読み返すと、ナニヤドヤラとウガヤフキアエズが同居していたりして、
怪しいと言えば、怪しい。
疑いだしたら、きりないけどな〜。
160 :
天之御名無主:2001/05/26(土) 00:16
楽しませていただきました。
でももうちょっと続きが読みたい。
161 :
:2001/05/26(土) 02:30
次の展開を待つあいだに
>>94 の熊野ライフの掲示板を全部読むのはどうでせう。
自然災害板でゆーめいな東海アマさんのHPの登山紀行にも山人についての優れた
記録がありますよ。
三角寛サンカ選集全7巻(現代書館)も完結しました。
いろいろ言われるけど「サンカ社会の研究」「サンカの社会資料編」は読んでなければ
どーしょうもない。高いが図書館ででもどーぞ。
162 :
157:2001/05/26(土) 22:09
>158
いいじゃあありませんか。
何度傷ついてもその性分は変わらないでしょう。私もその口です。
163 :
161:2001/05/27(日) 01:57
>158
157さんに同意!!
いまインターネットで個人的に発信できる人はたぶん世界で数億人。
これマジ? これネタ? とぜんぶ深刻にかんがえてたら死んじゃう。
博士論文の材料にするんだったら自分で確認をする。
楽しむんだったらそのままでいい。
というふうに考えて、怪我さえなければ・・・
164 :
案山子:2001/05/27(日) 04:18
>161
161さん、凄いね〜ここ。
掲示板にリンクされていた更新されたばかりのサンカ面談記というのを読んでマジで驚いた。
サンカ出身の元首相が二人もいたって書いていたけど、
本当のような気がしてきた。
165 :
天之御名無主:2001/05/28(月) 00:58
あげ
166 :
天之御名無主:2001/05/28(月) 09:57
そろそろ金太氏に再登場願いたい。
167 :
あの野合は何だったのか:2001/05/29(火) 00:48
前に別のサンカスレに書いたけど、角栄と田辺は有名だったような・・・
ハマコーは暴露本で二人の関係を与野党の腐れ切った野合関係と誤解してた
みたいだけど、サンカという視点で見れば不思議でも何でもない。
当然政界に他にサンカ系議員がいないなどとは思えないし、シノガラが気になる
のもそういう理由があるから。村山擁立の事情にも関わっていそうで怖い。
168 :
天之御名無主:2001/05/29(火) 02:08
「故に社会党、共産党の幹部および全国の指導に当たる者達の中には
「サンカ」一族の子孫がが多く、その本質は宇宙の中心天皇に帰るのが
目的であって現在の天皇を利用する国家に反対していたに過ぎない」
(竹田日恵『後醍醐天皇』明窓出版)とあります。
うぬらがなされている「血は別」とかのこざかしき無意味で且つ天地のいみきらはれるところの「小差別」はみにくくききにく死・・・うぬらが死んだあとはきっちり腹ぢりてっと、その蔑視なされし血の流れの中にこそ息じにの繰り異を受けます我。
170 :
天之御名無主:2001/05/29(火) 03:56
う〜〜ん・・・
前の書き込み見ると、恨みや軋轢とは無縁に、文化・歴史(現在に至る)として捉えては
いけないんだろうか・・・などと思ってしまったが、
いや待て、私はこれでいいんだ!と思い直した。
恨みを直接持っていない人間がわざわざ恨みにそまってしまったら
回復できるものもできなくなってしまう。
実際につらい思いをした人や、現在もしている人には同情します。
できる手立てはとろうと思う。
ただ怨念に引きずられてはいけないと思う。
自分にできることなんてたかが知れてるけど。
自分の前の世代がどうであったかは別として
自分が差別をする側でもされる側でもなかった事は大切。
私は常にここから思考を始めようと思う。
厨房なカキコですみません。
石ころがとんでこない遠くで「ものしりござとり」顔して返り血でよごれたくないのなら口開く事なかれ。「どうしよーッ」ともそこで息じにを厳粛に受けられている当事者を、貴殿のその手足で生かすも殺すもやり遂げる真摯な紳士として責をはたすんなら私はひきまする。
172 :
天之御名無主:2001/05/29(火) 17:37
けがをしてる人がいたとき、まず自分に同じけがを負わせてからその人の手当はしないでしょう?
相手が手当を望まない場合は、セルフケアが可能な傷ならそっとしておく。不可能な傷ならおせっかいでも手を貸す。それでも拒否されたら自分の無力を知り、手を引く。
差別という大きすぎる課題に個人も無関心でいてはよくないけれど、自分ができること、できないことは把握しておくべき。
メンタル面でもそう。
自分が追体験しても耐えられる所で止めておかないと。
差別や人権問題の告発は、肝心の差別をする人間にはあまり届いていないように思う。
代わりに感受性の強いやさしい人が、まるで自ら生贄になるかのように深く深く傷つき、世界を嘆き、また、呪う。
10代の少年少女が心配さ。
人権教育をする場合、理解できる同情できる感受性の持ち主が世界に絶望してしまわないためのメンタルケアは絶対必要。
173 :
172:2001/05/29(火) 18:18
人権問題は持久走だから完走するつもりならペース配分は不可欠、と、言いたいの。
スレ違いかも。
ごめんね。
174 :
158:2001/05/29(火) 22:02
>162
>163
励ましのお言葉ありがとうございます。
なんか 強くなれた気がします。
175 :
天之御名無主:2001/05/30(水) 03:24
で金太さんの話しはどうなったの?
176 :
天之御名無主:2001/05/30(水) 03:33
結局ネタだったんだな。民俗学に詳しくない金太ってキャラが
わざわざ他板からひっかかりそうな人間を求めてやってきた
だけの話。しかし金太はうまかった。
↑この人は、突き放した言い方をしているが、
まだちょっと信じている様な感じだと思うのは、
あちきだけでしょうか?
178 :
天之御名無主:2001/05/30(水) 16:08
ゴルァ 金太出てこい。放置は許さんぞ。
179 :
:2001/05/30(水) 22:27
私が取材に行きますので住所を教えて下さい。
180 :
天之御名無主:2001/05/30(水) 23:50
あげとくぞ
181 :
天之御名無主:2001/05/31(木) 03:56
サンカはあくまで他称で、彼ら自身はケンシ、セケンシと自称する
と聞いたことがありますが、事実はどうなのでしょうね。
サンカという呼称は差別意識が含まれているらしいのですが。
182 :
くだら:2001/05/31(木) 14:32
被差別部落は日本原住民である=サンカを含むって
考え方は解放同盟が言っているのか、それとも韓国
などの大陸人が言っているのか。誰か教えて、今の
民俗学の潮流を。
183 :
天之御名無主:2001/05/31(木) 15:21
えっと、「世間師」と書いて
「ショケンシ」って自称しているみたい。
184 :
天之御名無主:2001/06/02(土) 11:22
age
185 :
天之御名無主:2001/06/03(日) 03:02
小泉純一郎さん、田中真紀子さんのルーツはともにサンカで、だから彼らは仲が良いそうです。
あの血筋の末裔の小泉さんの「天下盗り」は、豊臣秀吉太政大臣、田中角栄内閣総理大臣に続く快挙といわねばなりません。
186 :
日本@名無史さん:2001/06/03(日) 21:59
どうなんよ、金ちゃんよ。
187 :
天之御名無主:2001/06/04(月) 01:15
>>185 もっともっとたくさんいますYO!
口分田もらって何百年、タンボ耕して年貢を納めるしか能のなかった人たち
(いまでもそのへんにいる公地公民以外を差別する喜びしかないシトたち)
にくらべて、ケタ違いの能力がある「種族」だから当然なんですYO!
日本が危機になると農奴型ボンクラにまかせておけなくて出てくるんです。
チラとでもそのへん知りたいシトは
藤原肇『朝日と読売の火ダルマ時代』国際評論社\1809を読めば、
ごく一部だけサラリと書いてあります。首相の名もね。
まあ、たまたまぶつかった金太さんにあまりプレッシャーかけるのは
気の毒だなあ。
在日3世にとっては、たぶん、
あの公地公民農奴どもの悲しい「差別」もうるせーし。
188 :
天之御名無主:2001/06/04(月) 17:30
金太が何か釈明するまでage
189 :
日本@名無史さん:2001/06/04(月) 20:39
小泉純一郎さん、田中真紀子さんのルーツはともにサンカで、だから彼らは仲が良いそうです。
あの血筋の末裔の小泉さんの「天下盗り」は、豊臣秀吉太政大臣、田中角栄内閣総理大臣に続く快挙といわねばなりません
↑本当か?
190 :
天之御名無主:2001/06/05(火) 16:58
>>189 野暮なことを・・・。
>>187 同感だが、この表現はなんか笑える。
>まあ、たまたまぶつかった金太さんにあまりプレッシャーかけるのは
191 :
天之御名無主:2001/06/05(火) 18:38
金太が何か釈明するまでage
き
192 :
天之御名無主:2001/06/06(水) 19:55
金太が何か釈明するまでage
きん
193 :
天之御名無主:2001/06/07(木) 04:01
金太が解放されるまでage
194 :
天之御名無主:2001/06/07(木) 07:04
金太が何か釈明するまでage
きんた
195 :
天之御名無主:2001/06/08(金) 19:53
金太が何か釈明するまでage
きんたで
196 :
天之御名無主:2001/06/08(金) 22:09
age
197 :
天之御名無主:2001/06/09(土) 01:00
金太ぶつかったあげ
198 :
天之御名無主:2001/06/09(土) 10:40
金太が何か釈明するまでage
きんたでて
199 :
天之御名無主:2001/06/09(土) 10:51
金太マスカットナイフで切る
200 :
天之御名無主:2001/06/10(日) 08:04
金太が何か釈明するまでage
きんたでてこ
201 :
天之御名無主:2001/06/10(日) 23:16
金太さん、そろそろ何か言って下さいよ。
このままだと何か後味が悪くてしょうがありません。
お願いします。
202 :
天之御名無主:2001/06/10(日) 23:50
妄想ほらふき男は逃げたんだろ。
203 :
天之御名無主:2001/06/11(月) 00:48
考えたくないけど、ひょっとすると熊野ライフ掲示板の
「サヤカ」の子孫の人たちについてのを読んで、触発されて
創造された物語かもしれない・・・
いや、でもいても不思議ではない感じはするんだよね。
残留日本人は無国籍者と呼ばれ、社会の最底辺層に
取り残されたから、コミュニティとして残る可能性は
充分あるんだ。
204 :
天之御名無主:2001/06/11(月) 09:53
金太が何か釈明するまでage
きんたでてこい
>>203 でっち上げにしては、素人っぽさがうますぎる気がするなあ。
古伝の類は殆ど読んだ事無いんだけど、同じような話ってどっかに出てたりするの?
取り敢えず、ふきあえずってのが噴火前の事だって解釈は初めて聞いたんだけど
どっかに出てるんだろうか?
しかし信じるとしたら何処の火山の話なんだろうなあ?
206 :
天之御名無主:2001/06/11(月) 23:31
金太マカオにつく
207 :
天之御名無主:2001/06/11(月) 23:33
竹内文書や宮下文書あたりの、太古ウガヤフキアエズ王朝が
富士山麓にあり、噴火で滅んだとかいうハナシを用いたのかも
208 :
天之御名無主:2001/06/12(火) 11:53
金太が何か釈明するまでage
きんたでてこいや。
209 :
天之御名無主:2001/06/12(火) 23:14
金太、逃亡?
絶対殺す。
210 :
名前はいらない:2001/06/13(水) 01:42
小泉がサンカなんてデマだよ
彼は三大続いた名門の政治家一家です
211 :
天之御名無主:2001/06/13(水) 01:57
いや、爺ちゃんは入れ墨入りの元義侠の徒から政治家になった
変わり者。可能性はむしろ高い。爺ちゃんを政治家にした
バックグラウンドは説明不要じゃろ。
212 :
天之御名無主:2001/06/13(水) 07:27
>210
だから名門が3代続いたからサンカではないとか、また部落や在日ではないというのは、
大きな間違いで、明治期に成功してそのまま名門だと思われているサンカや部落出身者はたくさんいる。
213 :
天之御名無主:2001/06/13(水) 09:50
金太が何か釈明するまでage
きんたでてこいや。しょ
214 :
天之御名無主:2001/06/13(水) 12:19
210さんのように「名門だからサンカじゃない」という人が多いのですが、
じつは逆なんです。簡単にするため、常民と非・常民に分けて考えますね。
常民はほぼ定住農民で、決められた通りに食糧を作って年貢を納めてきた。
社会を安定して支える「オーソドックスな人間」としての誇りもあります。
しかし周りからハミ出さないよう地道に働くので、独創力は乏しい。
非・常民は、オーソドックスが誇りの「常民」からは差別されます。
しかし安住せず、ワクに囚われないので、創造力があり、危機に強い。
だから人並みでない優れた仕事をして名門になるのは非・常民が多い。
歴史上でみても、信長、秀吉、家康・・・すべてそうですね。
今も政治、文化などの一流人は、まず非・常民の流れを汲むと思っていい。
代々、ワクをはみださないよう田んぼ耕してきた常民にはムリですよ(W
それはそれで、また安定的に社会を支える役割があるわけで・・・
だから「名門」といえば非・常民。つまり定住農民ではないというだけで、
定住農民から被差別的な立場に立たされて来た人という発想になる。
だから念を押すと、サンカかもというのは、敬意を示しているのです。
日本って定住農民の流れのコマネズミ・サラリーマンでうまく行かなくなると、
別のタイプの人が出てくる。うまくできてるなあ、やっぱ神の国かなあ(W
215 :
俺は百姓の伊藤:2001/06/13(水) 22:52
そうかもね。
>>214 確かに、生まれ育った土地に愛着があって、そこに居着くだけの人間って、
周りとの折り合い付けて、キュウキュウとしてるもんね。
216 :
さらりと語ろう:2001/06/14(木) 01:24
三角寛『サンカ社会の研究』第4章第5節から
「火明命の裔孫とされる田地火(タジベ)の一族は、
「赤土刺の断ち薦」(ツチカミのタちゴモ)として、
第16代仁徳天皇の御世に、蝮(まむし)取りの勅命を受けた。」
同書の解題(沖浦和光)から
「三角が強調している「民族の血」とは、
火明命の裔孫とされている田地火(タジベ)の一族から始まり、
第16代仁徳天皇の御代に蝮取りの勅命を受けたという
サンカ一族の誇りある血族をさしている。」
柳田国男『にが手の話』から
「蝮取りのニガテは蝮を怖れず、手を出しても咬まれず、或はまた
これに逢うと蝮は動けなくなって、安々とつかまるとまで信ぜられて居る。
・・・その手には特徴があるように言われている。たとえば蝮指といって、
手の指の端の関節だけを曲げて、次の節を突き張ることが出来る。
蝮指の人は五本揃えて熊手などのように、たやすく上だけを屈められる。
・・・現に白状すれば自分などもその一人だった・・・
このニガ手の特質を持つ家または一まきを、
カジハラとかフジワラとかいって居る地方があった。
・・・もう一つ変わったことに耳たぶに穴のある人というのが折々あって、
中国の某地ではそれをもまたカジハラと呼んでいる。」
柳田国男『にが手と耳たぶの穴』から
「蛇を怖れない素質の人があって、
それには耳たぶに窪みがあるということを、方々で言い伝えている。
・・・現にこの春亡くなった娘なども、私がその話をすると笑い出して、
自分にも小さい窪みがあるといった。
それでは遺伝はどうだろうかと、そのまた子になる女児を見ると、
これにも燐寸のさきほどの浅い窪みがあるのであった。」
217 :
天之御名無主:2001/06/14(木) 12:54
金太が何か釈明するまでage
きんたでてこいや。しょせ
218 :
天之御名無主:2001/06/15(金) 09:48
金太が何か釈明するまでage
きんたでてこいや。しょせん
219 :
天之御名無主:2001/06/15(金) 17:39
>>216 あれ? 時代劇とか落語とかでよく女性が腹を押さえて座り込み
「あたた・・持病のシャクが」とかいってる癪という病気、
特効薬はまむし指で押さえることという俗信があったような。
サンカとなにか関係あり?
220 :
天之御名無主:2001/06/15(金) 21:03
あげます
221 :
天之御名無主:2001/06/16(土) 01:17
柳田国男『にが手の話』に、また
「この苦手の能力はソンを引く、即ち遺伝するものと信ぜられていた。
それからまた応用の範囲はかなり広く、たとえば女のシャクなどを
押さえるにも、この手を用いると忽ち治するということであった。
・・・ことによると蝮取りは看板であって、むしろその他のもっと安全な
目途だけに利用せられている方が多いのではないかと想像しておる」
なお「柳田家の家系では少なくとも十代ほどの間は蝮取りをしていた者は
いない」と書いています。確か神官や鉱山師だったか。
非常に優れた人々がこういう家系から出ている事を強調したいのです。
222 :
天之御名無主:2001/06/16(土) 02:54
民俗学者として自分の家系のこともキチンと書いているのはやはりえらい。
他にも,ほのめかしている一流人は、たくさんいますYO!!
223 :
天之御名無主:2001/06/16(土) 11:34
金太が何か釈明するまでage
きんたでてこいや。しょせんあ
224 :
221:2001/06/16(土) 14:02
あ、ごめん。
家系の話は柳田家に養子に行く前の家のことだから松岡家のことね。
225 :
天之御名無主:2001/06/18(月) 09:47
金太が何か釈明するまでage
きんたでてこいや。しょせんあん
226 :
天之御名無主:2001/06/18(月) 12:43
金太負けが多い
金太負けるな
金太守って
227 :
天之御名無主:2001/06/18(月) 14:25
どこかに金太舞次郎なんてのがいたな・・・
金太マカオに着いた
金太マカオに着いた
金太マ カオに 着〜いた〜
229 :
天之御名無主:2001/06/19(火) 16:24
金太が何か釈明するまでage
きんたでてこいや。しょせんあんた
230 :
天之御名無主:2001/06/20(水) 09:55
金太が何か釈明するまでage
きんたでてこいや。しょせんあんたも
231 :
天之御名無主:2001/06/20(水) 12:16
金太みたいなドキュン系とんでも屋のヨタ話を間に受けたやつが馬鹿なんだよ。
漏れがこのスレのずっと前の方でさんざん忠告したのに、
物の分かったフリして、えらそうに逆にたしなめてくれたな。
最低限の知識なくトンデモを真に受ける物知らずのくせに、他人に説教するもんじゃないって、よくわかったろ。(嘲笑
232 :
天之御名無主:2001/06/20(水) 12:40
231へ
「自分」を主張したいならはなからコテハン名乗りなさいね
234 :
天之御名無主:2001/06/21(木) 10:24
金太が何か釈明するまでage
きんたでてこいや。しょせんあんたもう
235 :
天之御名無主:2001/06/22(金) 09:34
金太が何か釈明するまでage
きんたでてこいや。しょせんあんたもうそ
236 :
縄文の血:2001/06/22(金) 15:23
今日の毎日読んだ? 金太さんのお願いが届いたのかな。ある意味で。
237 :
こぴっぺ:2001/06/22(金) 17:32
これでしょ?
最後のサンカに会った ロマンに潜む虚像の怖さ
池田知隆(大阪社会部編集委員)
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独特の川魚漁を見せる最後のサンカ=広島県で
◇差別された窮民の子孫
「私たちはサンカ(山窩)と呼ばれていました」。広島県東部に住む男たちが、
目前で語り出した。サンカとは、かつて日本列島で箕(み)作りや竹細工、川魚
漁などを生業とした漂泊民のこと。1950年代末に消えた。虹のような幻の民
としてロマンチックに語られてきたが、実像は被差別民だ。より学問的に解明し
ようと桃山学院大学名誉教授(比較文化論)、沖浦和光さんがこの5月、部落解
放同盟の人たちの案内で聞き取り調査をした。それに同行し、最後のサンカと言
われる人たちから生の声を聞いた。「3歳のとき、父が亡くなり、隣のおじさん
と10歳のころまで川魚漁をして回った。とにかく魚を食べられるのがうれしく
て……」。尾道市に住む公務員、Aさん(59)は懐かしそうに語り出した。両
親は、大正時代に被差別部落内にできた「融和」住宅に入って定住。「地区内で
も『山のもん』とか『サンカホイト』と差別された。中学のころから、何をして
いいのか分からなくて、暴れていましたよ」 サンカといえば、三角寛(190
3〜71)の名を思い出す古老は少なくない。朝日新聞記者を経て、昭和のエロ
グロ時代に猟奇的なサンカ小説を書きまくった人気大衆小説家だ。昭和の初めに
現れた説教強盗を、その犯行の特異さから「サンカの仕業」と考えた警察の見方
にのって「伝奇ロマン」ものや荒唐無稽(むけい)な物語を生み出した。戦後、
三角は約30年にわたる研究成果をまとめた「サンカ社会の研究」で文学博士を
取得したが、学問的に信頼できないとして柳田国男などの民俗学者からは無視さ
れた。沖浦教授も「三角のサンカ像は奔放な想像力の所産であり、虚構の部分が
少なくない」と指摘する。だが、一方でサンカのイメージはよりロマンチックに
なる。私がサンカの世界を知ったのは「戒厳令の夜」「風の王国」など五木寛之
の作品からだ。国家の規制を超えて独自の文化をもち、管理社会の下で閉塞(へ
いそく)した状況に風穴を開ける集団として登場し、痛快だった。中島貞夫監督
の映画「瀬降り物語」(85年)では、山々を流浪する孤独な生活を萩原健一が
好演した。作家の椋鳩十は、自然に生きる漂泊民として詩情豊かに描き、自由に
生きる人間の原風景を呼び起こした。昨年末から刊行されている「三角寛サンカ
選集」(全7巻)が今、予想以上に版を重ねている。版元の現代書館編集長、村
井三夫さんは「もう読めないとあきらめていたが、よく出してくれたと喜ぶ高齢
者が多かった」と語る。社会の窒息感が昭和初期のころと似てきているのだろう
か。だが、サンカの実像はいったいどうなのか。サンカに関する初出史料は安芸
国(広島県)の庄屋文書(1855年)とみられる。三角がサンカ発生の地とし
て「雲伯石の三国」(島根・鳥取両県)を示唆しているが、「それに広島県を加
えれば、その指摘は当たっている」と沖浦教授は語る。ただ、サンカが古代国家
成立前の山人という説に対して、「近世末期発生説」を提起した。当時の度重な
る大飢饉(ききん)で農山村が荒廃し、餓死を逃れて山へ入った窮民が山間川辺
を漂泊する流民となった。サンカは漢字では「山家」「山窩」という字があてら
れるが、「山にひそむ盗賊」の意味だそうだ。文明社会から置き去りにされた漂
泊民をあたかも犯罪者集団と見た名残がある。そのサンカは明治初期から次第に
被差別部落や都市部のスラム街に溶け込んでいったというのである。「学校があ
るから、と私を残して両親はあちこち仕事に出かけ、寂しかった」とサンカの古
老、Bさん(83)は話した。聞き取り調査の後、Aさんたちが川で代々伝わる
「はえなわ」の仕掛けを教えてくれた。「車や冷蔵庫がなかったころ、山間地の
人々にとって川魚は貴重なたんぱく源。農家でよく米などに換えてもらいました。
この川魚漁は私たちの生活文化として子供たちにも伝えたいですね」。そのにこ
やかな表情には、差別に屈せず生きてきたサンカの人たちのたくましさが息づい
ていた。漂泊へのあこがれと、隠された差別の実態。サンカの人たちの話を聞き
ながら、ロマンに彩られた虚像の怖さを改めて思い知らされた。
(毎日新聞2001年6月22日東京朝刊から)
238 :
名無しさん@そうだ選挙にいこう:2001/06/22(金) 23:29
ほう。じゃあ金太はこの人に連絡取りなさい。放置は許さん。
239 :
名無しさん@そうだ選挙にいこう:2001/06/23(土) 10:24
金太が何か釈明するまでage
きんたでてこいや。しょせんあんたもうそつ
240 :
天之御名無主:2001/06/24(日) 02:50
オレは、金太=サンカ説 を唱えるね。
どこからともなく他板から流れるようにフラリとやって来て
この板の定住民をダマクラかし騒然とさせ去っていく。
金太はネット漂白民だよ。
定住してたオイラ達はマンマと一杯食わされてしまった訳さ。
金太を非難しても始まらないさ。
サンカのスレに本人(現物)がやって来てくれたんだからね。
金太、今頃どこを放浪してるんだろう?
ざぶとん1枚! いや2枚!!
242 :
天之御名無主:2001/06/25(月) 00:26
サンカはダマクラかし、一杯食わせて去っていく存在なのか?
偏見丸出しの気がするが。
箕作りで収入を得て放浪してた人達なら当然村民の信頼を
とても大切にしていたと思うのだが。ただ山の中を集団で
移動していたら餓死の運命が待っているだけだが。
243 :
天之御名無主:2001/06/25(月) 02:50
>>216 小学校のとき、指の第一関節だけ曲げるの流行らなかった?
244 :
:天之御名無主 :2001/06/25(月) 09:41
金太が何か釈明するまでage
きんたでてこいや。しょせんあんたもうそつき
245 :
天之御名無主:2001/06/25(月) 10:21
金太って、かつてオカ板を騒がせたマウンテンバイクそっくりじゃん。
ここの定住民は気がつかないのか?
246 :
天之御名無主:2001/06/25(月) 10:58
マウでもネタでもいいけど、違う展開してね(はぁと
247 :
天之御名無主:2001/06/25(月) 15:42
>>243 やったことがある。自分は残念ながらダメ、できるやつもいた。
柳田国男は「サンカとはかぎらないけれども、
山人らしい遺伝をもつ特定の集団はいるんだ。自分もそうだ」ということを
ここではいってるんだと思う。
248 :
天之御名無主:2001/06/25(月) 18:34
>>242 相手による。態度次第ではだまくらかすこともあるし、
信義には信義でこたえる。
249 :
:天之御名無主:2001/06/26(火) 10:03
金太が何か釈明するまでage
きんたでてこいや。しょせんあんたもうそつきちょ
250 :
天之御名無主:2001/06/26(火) 22:25
サンカってインド起源だろ?
仏教用語のサンガ(僧加)から来たんだよ。
いわゆる三宝(仏・法・僧)の僧。
251 :
名無しさん:2001/06/27(水) 01:13
マウ=金太なら、続編考えついたら、
「またソウルへ行くことになりました」とか言って出てくるはず。
でなきゃ、名前変えて同じようなネタを展開するはず。
今度はどこに突撃するのかな。
252 :
天之御名無主:2001/06/27(水) 09:32
金太が何か釈明するまでage
きんたでてこいや。しょせんあんたもうそつきちょん
254 :
天之御名無主:2001/06/28(木) 14:49
金太が何か釈明するまでage
きんたでてこいや。しょせんあんたもうそつきちょんこ
255 :
天之御名無主:2001/06/29(金) 09:56
金太が何か釈明するまでage
きんたでてこいや。しょせんあんたもうそつきちょんこだ
256 :
天之御名無主:2001/06/30(土) 10:25
金太が何か釈明するまでage
きんたでてこいや。しょせんあんたもうそつきちょんこだった
257 :
天之御名無主:2001/07/01(日) 22:45
256 名前:天之御名無主 投稿日:2001/06/30(土) 10:25
金太が何か釈明するまでage
きんたでてこいや。しょせんあんたもうそつきちょんこだった
258 :
天之御名無主:2001/07/02(月) 02:31
いつまで待っても帰って来そうにないんだから別の話題に
移った方がいいよ。
番町会グループはシノガラとは本当に関係あるのかな?
259 :
天之御名無主:2001/07/02(月) 09:42
金太が何か釈明するまでage
きんたでてこいや。しょせんあんたもうそつきちょんこだったか。
260 :
天之御名無主:2001/07/03(火) 10:05
金太が何か釈明するまでage
きんたでてこいや。しょせんあんたもうそつきちょんこだったか。ひ
261 :
天之御名無主:2001/07/04(水) 02:28
だからそれもうやめてよ。他の話題話せないじゃないの。
262 :
天之御名無主:2001/07/04(水) 02:35
>金太が何か釈明するまでage
>きんたでてこいや。しょせんあんたもうそつきちょんこだったか。
と書いている当人が金太だったら、
偽装は完璧になる。
もしや、そうなのか?
金太、恐るべし。 やはり、モノホンのサンカか?
>>261 これってこのスレだけなの?
しかし何か機械的にやってる感じなのに
時間に多少ばらつきがあるのが不思議だな。
どういうことなんだろうか?
264 :
困惑:2001/07/08(日) 01:07
時々思い出して来てはコピペしてるんでは・・・ホントもうやめてほしい。
番町会グループとか凄く興味深いんだけどなあ・・・
シノガラについて情報ある人提供求む!!
265 :
金太:2001/07/22(日) 17:27
みなさん、ご迷惑を掛けて申し訳ありません。
その後、いろいろありまして、このスレが下がるまで待っていました。
時系列で説明すると、
1.各新聞社へメールを送る
2.音沙汰無しと判断して、大学の教授に相談
(>この教授は専門ではないので、他大学の他の教授に相談)
3.1を受けて、週刊現代より取材
4.2を受けて、内閣調査室が教授のもとへ(>私のもとへ)
5.3の取材は中止
と言う具合です。
内調の説明より:
・日本政府は、この問題を認識していて、韓国政府と協議中
・今は騒がれるとまずい。特に教科書問題で日韓関係はこじれているので。
・日本から渡った人は把握している。
・合流している韓国人の扱いについて、協議中である。
と言うことです。
この問題はなんかデリケートみたいなので、このままsage進行でお願いします。
絶対に上げないでください。2chにも飛び火するかもしれないので。
>>265 うーん現在の事はどーでもいい(といったら怒られるんだろうけど。政治絡みでどうしようもないし。)
とりあえず、暫くは極秘で調査してもらえる民俗研究者って誰か居なかったんでしょうか?
別に調査といっても話を聞いて廻るだけなんだからそんなに目立つものでもないし。
まあ週刊誌じゃ、すぐに記事に出来なきゃ没なんでしょうけど。
結局、
>>86 >>138 の言う通りになってしまった気がする。
伝承についての詳しい話が聞きたかったなあ。
まあもし、また訪ねる機会があったら、なにか録音出来る機材でも持っていってみてくださいな。
ノートパソコンでも代用できます...って電源がないと長時間は無理かな?
しゃべり方を聴くだけで何者かわかる研究者だって居ると思うし。
267 :
金太:2001/07/23(月) 01:23
私が相談した教授(他学部であまり親しくない)をA教授。
A教授が相談した他大学の教授(民俗学専門)をS教授。
S教授と同じ学会にいる内調の民俗学専門相談役をF教授とします。
F教授はこの事実を知っていて、2度に渡って現地の村人と話しているそうです。
そして、報告書等を内調に提出しているそうです。
(この教授は、他にもアイヌとかの調査とかを政府に頼まれてやっているそうです)
そのF教授は現在も、この問題を継続調査しているそうです。
S教授は、興味を持ったらしく、この夏休みに現地に行くそうです。
(この話はA教授経由で聞けるかもしれません。聞けたら報告します)
S教授に関しては、今後継続して研究調査していくかは、不明です。
私自身は、来年の正月(2月)には帰る予定ではいますが、途方もない先の事なので、
参考にはなりませんよね。(もちろんそのときには、MDとデジカメを持っていきます。
なんかあったら、報告しますね)
と言う感じです。
なんだか話が大きくなっていますね…。どきどきしています。
国際問題もあるのでしょうが、個人的には
>>266と同じく
民俗学的な面に興味があります。
きちんと解明された暁には、晴れて公にされるといいですね。
実際に週刊現代の取材は受けたのですか?
彼らはどんな感じで質問していましたか?(<彼らの欲しがった情報は?)
質問内容から彼らがどの様な記事に仕上げると予想できませんか?
270 :
金太:2001/07/29(日) 14:46
受けました。
どんな記事にするかは、ちょっと想像できなかったです。
淡々と、どういうことがあったかとか、どうだったかとか聞き出そうとしているだけでした。
実際にここに取材にいってみてください。とか言うと、
そこまでの予算は出ないよ。みたいな感じで、インタビューだけで、
記事を構成しようとしているみたいでした。
あくまでも想像ですが、そのインタビューとサンガがどういう人たちかの
説明文だけで記事を終わらせる感じでした。
ひえええ、久しぶりに来てみたら話がどんどん広がっている!!とりあえず健闘を祈る。
ああ〜見放さなくてよかったsage
273 :
天之御名無主:2001/08/06(月) 00:33
サンカ=山の民、ですかね。
同一視しても良いような気がします。
北方謙三氏の小説に度々登場します。
「破軍の星」「武王の門」「陽炎の旗」等。
あげるなゴルァ
275 :
天之御名無主:2001/08/07(火) 00:33
age
276 :
天之御名無主:2001/08/07(火) 01:43
この糞スレまだやってたの? いい加減にしろよ。みんな呆れてると思うぞ。
というわけで金太は再び地下に潜るのであった
278 :
天之御名無主:2001/08/09(木) 22:32
謙三の本には確かに、山の民がいっぱい出てくるな。
平泉の藤原一族の末裔だったり、とか。
山の民=サンカ、なのか?
誰か教えてちょ。
ここはオカルト超常現象板よりもさらに数段もドキュンだな
ほんとに学問板なのか(w
ネタかどうかはともかく、面白いのでsage!
あげるヤツは野暮。
みなさん初めまして。サンカについて異常に興味をもつ者です。
私は口寄せ巫女の神社の敷地に住んでいますが、普段は箕や本来は神具である竹製品
を作り販売しています。皆さんがサンカを異端視し特別視されてるのはイヤな気持ちに
なります。
私は門付け、門%82ゥけという箕や竹細工を実生活の農具、本来の御神具として売り歩く
行商をしています。特に平泉の近辺は一軒残らず訪問して、祖先の
祭祀の場所を探りながら父から教えられて歩いています。箕作りや箕売り、竹細工の
他の東北での門付け、門かけし?4る人達はかなり把握できています。漂流民の
ように思われてる人は一人だけ知っていますが実際は自宅があります。私達は今は
岩手、宮城、秋田、福島県を門付けしてます。
箕作りの仲間とは明後日あって会って笊やスイノウ、籠などについて相談しますが
これらは全て御神意に基づきこしらえるものなんですよ。なにか伝統工芸の技法とか
生活上の便利から「用」の美とか言うものは一つもありません。
そこでこのサンカのボード中で特に重要だと思ったのは金太さんの「アメノ岩戸」
の神話です。私は本来、佐藤なんですがこれらに伝わる
話しで一番重要な部分ですので、アメノウズメ、アマテラスオオミノカミについては
バカにしないで丁寧に聞き取りお願いしたいんです。明治後半の日清・日露戦の頃
はコノ神話とずれた神話を持ったが為にたいへんな弾圧を私の祖先の仲間は受けたので。
よろしくその辺お願いします。またサンカのこと調べづらくなっても、箕を使う信仰
例えば北極星や月に祈願する様を見れば、その民俗学的な意味あいももう少し
わかりそうです。大学で学ばれた方々の教えをお待ちしています。
282 :
天之御名無主:01/10/22 01:52
異様に懐かしいスレが上がってきた。
しかも本当だとしたら貴重な証言。
応援age。
283 :
天之御名無主:01/10/22 22:45
age
期待してる。
284 :
天之御名無主:01/10/22 23:53
284の方
>>278の方が書かれている内容の個所把握してませんが、私が門付けして歩いてお話ししたり見たかぎり、
藤原一族の歴史が色濃い平泉周辺の地域で箕作りしてる部落は岩手県南で3箇所、宮城北部で2箇所
福島で1箇所はあります。
また箕売りしながら、ひきものされてる家を何軒も訪問したことあります。
今は車で山に行って材料の樺を取りに日帰りしますが、かつて自動車無い頃は山に泊りがけで刃物で
木の皮を取る下準備をしたとおもいます。山の樺の皮をはがされたふもとの住民は箕を売りに行った
私を疑ってきますが。
箕作りの人達が材料を取るところを全く住民は見てはいないんですね。
また一般に箕作りは里の住民に見つかるようなヘマはしませんから。
今、現在そうですから、山からごっそり桜の木の皮が剥がされて行く様をみて、
正体不明のすごい人達がいるもんだと里の人達は認識していますから、
昔はもっと不思議だったろうし、それを「遠くから樺を盗みにくる人」
と謎の人達と認識してたのもたやすく想像できます。
ただサンカという言葉はあまり聞きませんが、そういう見たこと無い人が
自分たちの山に入ってきているという事は分かっています。
北方謙三の小説の設定にあまり無理はないと思われますが。
普通に藤原一族の末裔だという方はとても多いですし。
286 :
天之御名無主:01/10/23 09:13
>>281 その天岩戸の神話ききたいなぁ
>11に出てた神話で
「ひぃ ふぅ みぃ・・・」って歌ったっての
アメノウヅメが岩戸の前で歌ったヒフミの神歌のことだよね。
287 :
天之御名無主:01/10/25 08:16
288 :
うろおぼえ:01/10/25 16:57
289 :
天之御名無主:01/10/25 23:12
ホイトとサンカは、同じ意味でしょうか。
290 :
天之御名無主:01/10/26 00:28
確かに日本最大の氏は藤原氏だしね。
みんな先祖は親戚なんだね。
私は民俗学というもの内容をを知ってまだ一年くらいの者です。
サンカだけは家の職業と同じなので20年くらい前から知っていました。
その頃は文学か社会科学系の月刊雑誌の広告によくサンカの本が載っていたんですが
最近本屋で立ち読みした本も20年くらい前と同じ本みたいで、書店にサンカ関係の
出版物は僅かしか並ばないみたいです。
民俗学詳しい皆さんにお聞きします。
千葉の藤原さん(女性の和歌の研究者の方)が書いてた論文に
「藤原一族の先祖はサカ族である」というのがありました。
サカ族=サンカの語源にはなってる可能性はないでしょうか。
昨日は脱穀の季節なんで箕を3枚くらい目標に売りたかったんですが、一枚しか
売れませんでした。気仙の金鉱のある地区の方でした。買うときに注意
されてたのは箕先が上を向いてるかを基準に選ばれていました。
でもコレは実は全く農作業と関係無く日本でこの地域だけの特殊な考え方
なんですね。この地区以外で日本列島の箕には箕先がないので。
天帝(北極星)に願い事を、御霊の行く末をお頼みする、おそらくかつては王に
だけ許された行事からくる名残が
「米、穀物と殻をを箕先で吹き分ける」という農作業の中に残ったと
おもわれますが、古代中華思想だろうなとおもっています。
昨日は背広をきてネクタイを締めた若い人を3人も見たのでビックリしました。
きれいで光ってる革靴をはいていましたよ。
箕や竹細工販売で月に千人以上はお客さんと会いますが、背広を着てる
人は稀です。彼らに恐怖感を抱かせないように、どのように応対したら
いいか考えてあせりました。
何かの資本主義社会のりっぱな会社に就職して活動してる人達と推察しました。
ところがその3人の30代の背広をきてネクタイを締めてるひとのうち、
一人が同組織と思われるやはり背広を着ていてネクタイをしめてる
仲間の前で箕を吹き始めて披露したら
仲間の同組織の二人が驚いて笑ってウケテいました。「こう箕を
吹いて(上下に動かす)風がきたら宙に穀物を上げて風に殻を飛ばさせるんだ」
と説明していました。話しから彼の実家は農家のようでした。
この地区は鹿児島のある地区と同じで箕を箕星に見立てて中に「お月様」
と同じ丸いもの、ダンゴや栗、サツマイモ、ブドウ、梨、リンゴをお備えして
「お月様」を喜ばせる「十五夜」の行事が10月初めにありました。
そうするとお供えをしてくれた農家が穀物を曳いて箕で吹き分けるときに
「お月様」はお返しに風を吹かせてあげるということなんです。
ススキはおそらく「穀物の殻」に見たててるんでしょう。
こういうものは箕直し、箕売りする私の祖先のような者が、
箕をたくさん売るために普及させた信仰が風習、行事として
今に伝わったのかなとおもっています。
同じ作り、材料の箕はなぜか鹿児島、伊豆、茨城北部から三陸宮古
あたりにかけてと、離れた三地域にのみ見受けられます。
古代の箕を生産した種族、豪族の一部が後のサンカになった可能性を
その辺から自分なりに探ってるんですが。
サンカは山の民といわれますが、黒潮にのった海の民の可能性もあるのかなと。
294 :
天之御名無主:01/10/26 09:46
ものすごく面白いんですが。
藤原一族は秦氏と関係があるのに、馬鹿だねえ〜。
源平藤橘も知らない1は、非人か新平民だな、こりゃ。
チョンかもしれないね。所詮は下衆ということで・・・
・・・・・終了・・・・・
297 :
天之御名無主:01/10/27 01:59
>>296 彼自ら在日三世と名乗っているんだけど・・・
スレも読まない296は、非人か新平民だな、こりゃ。
チョンかもしれないね。所詮は下衆ということで・・・
298 :
天之御名無主:01/10/27 08:51
関西人にはおかしい頭の者が多い・・・・。さすが駄目関西人、チョンとお友達。
わたしのチンポはサンカの特徴をもっていて、カリのエラがとても張っています。
最近は黒人のように黒くなってきました。
毎日、女のあそこを突付いて愛液まみれになっています。
>>293 蓑うりながら、2ちゃんにはまっているの?
お前、馬鹿だね。こんな糞掲示板より、テメーのHPでも公開してろよ。
「私のサンカ暮らし」とでも題してね。
そもそも、三つ足と並び、日本ではサンカなどはねーんだよ。馬鹿。
テメーが自称サンカなら、もっとサンカの熱い思いをはけよ馬鹿。
300 :
天之御名無主:01/10/27 20:51
>289 参考までに。東北では乞食の事を「ホイト(ホイド)」と呼びます。
286の方
間をあけてすみません。
休みの日に必ず責任もってお答えを書きますのでお待ちください。
299の帝王さん
初めまして、励ましのお言葉ありがとうございます。
ワザト間違われてるのだとおもいますが蓑、菅笠は物部一族の手仕事です。
私の母やおば連中は皆作れるんですよ。もちろん商品として。
馬はサンカの信仰の象徴では有りませんか?意味お分かりでしたら私とお仲間ですね(笑)
サンカが鹿の骨で金を精製できたの可能性有りとを私は見てるんですが・・・。
以後、よろしく見守ってくださいね。
300の方
私の育った自宅は200年前の萱葺きの口寄せの宿屋だったものなんですが
明治までは東北磐井などから門付けで来られる
「ほいど」と呼ばれる方々を私の家では阿倍の皇帝(孝兼)の御子孫などとして
お風呂を沸かし、暖かいご飯を用意して、暖かい布団を出して
泊まっていただいたんですよ。
サンカとは違うけど彼等は唄を歌いますからジプシーみたいですね。
>>303 それで、在日三世のあなたにほ日本国籍がないのですか。
太平洋戦争中はどうやって過ごしましたか、あなたの話だと、まるで密入国したチョンが自分の先祖と言わんばかりですな。
なんと可愛そうな人種だろうか。あなたたちはユダヤ人と同じく額に契約の刻印でも押されているのでしょう。
自分の素性が悲惨なので藤原氏とか出したんだね、可愛そうなサンカだね。
305 :
天之御名無主:01/10/28 19:27
金太に続いて、今度は東沢。
どうしてサンカネタはこう電波ばかり寄ってくるんだ?
やれやれ。
306 :
天之御名無主:01/10/30 00:48
尾瀬の奥岩塔ガ原にサンカの半地下神殿があるって言う登山キャンプ板の
情報はどうなんでしょう?
307 :
天之御名無主:01/10/30 01:57
>289 佐賀県出身の祖母も乞食の事を「ホイト」と言うよ。
当方鉄道趣味が本業で民俗学は素人なのですが、この手の漂泊民の
話は好きなので、興味深く読ませて頂いています。
本スレで紹介されていたkumanolifeのサイトを覗いたのですが、
「最後のサンカ面談記録」の記事で、「静岡県M駅」そばの洞窟
にサンカが住んでいた旨記されていたのが気になりました。
その他の記述も絡め、この記事の舞台をちょいと推理したいと
思います。
静岡県内のMから始まる駅で、当時既に存在したのは以下の通りです。
飯田線 水窪・向市場
天龍浜名湖鉄道(当時国鉄二俣線) 三ケ日・宮口・都田
御殿場線 南御殿場
東海道本線 三島
清水港線 三保
伊豆箱根鉄道 三島田町・三島広小路
伊豆急行 南伊東
(静岡鉄道は沿線が完全に市街地なので対象外としました)
この内、駅周辺が完全に市街地化されている駅を弾きますと、
残るは
飯田線 水窪・向市場
天龍浜名湖鉄道 三ケ日・宮口・都田
になります。
私感ですが、飯田線の2駅、特に向市場が気になります。
奥深い山岳地帯に囲まれた、天竜川の河谷の山村ですので、里人と
サンカの接点としてしっくりくるんですよね。
以上、長文失礼しました。
私は将門の関係があると聞いているのですが、岩井市で将門伝説を聞いていられる方レス願います。
291>千葉の藤原(女性の和歌の研究者の方)論文に
「藤原一族の先祖はサカ族である」サカ族=サンカの
語源にはなってる可能性は?
この説は鹿島昴氏が『倭人興亡史』『倭と辰国』新国民社、田中勝也『倭と山窩』
あたりにあります。古代サンカ史をやっていないので私判断できません。民俗学者は
柳田国男までです。ところで、サンカ系は東北全域にかなりいます。関西では転場(場
越し)は居ないようですが、居付きの箕作りの方はおられます。何といっても多いのは
都会のイツキです。ただし本人にその自覚のない方が圧倒的です。
312 :
通りすがりですが:01/11/08 23:50
イツキってなんですか?
民俗学は興味あるんですけど、素人ですので・・よろしければ教えてください。
ハイハイ、藤原氏は日本で一番多い氏だね。
>>310 お前の言う説よりはまだ、秦氏説の方が信用できるねえ。
なあ、近衛さん・・・・
314 :
天之御名無主:01/11/08 23:53
サンカの子孫ですがおじいちゃんは金山でコキつかわれて死にました。
貧乏ですよ。サンカは。ぜんぜんロマンチックじゃないです。
正確に言うとキジシ。ロクロヤとも。
312>居付き 漂泊や渡りをしてた者が定着・半定着した場合に使います。
有名なのは九州の五木(旧名は居付)柳田国男は「セブリ山家」「家持山家」の他に
ブリウチ・ジリョ−ジ・アガリやドヤ山家などの居住形態を書いてますが、1930年
代東京細民窟では小屋住いの乞食をカマ者といい、ルンペン・オカン・サブリ・部屋者
・ドヤ者の序列がありますので、この中にも相当サンカがいたようです。
313>本来漢人(唐)系が藤原姓を名乗ります。実際は地方差があり別者が藤原を
唱えています。いい意味ではないです。NHKの遺伝因子でも24%位は中華系だそうです。
314>そうです。サンカ研究者は知らないようですが、サンカは荷持ち・山内など
の重労働もいました。竹細工も鉱山地帯の方が需要が多かったのは当然ですから。
中国地方のタタラ地帯では十人中七人は非人身分でタタラに従事しました。明治時代は
数千人が失業し、頭の所へ押しかけました。政府でなくエタの頭の世話で小作人・庭子
に再就職です。その恩義を忘れた非人どもの子孫は「部落差別者」となっています。
今は失業しても政府が再就職を保証しません。「公的人殺し」に大金を出しますが。
皆さんも本ばかり読まず、身の回りを調べれば、「新たな発見」があります。
315>木地師には轆轤屋だけでなく、杓子木地・盆木地などもいます。これも多人種
が混在しています。
311>サンカ語源は中世の奈良辺りの坂の者の方・サンガの類の方がが説得力があり
ます。サンカも同じ要素を受け継いでおり、坂・坂折・三ヶなどの地名もありますから。
317 :
面白いから:01/11/11 01:46
age
面白かったっす
勉強してみるです
319 :
田中清玄研究家:01/11/23 13:26
はーい、サンカヲタのみんな!
でたばっかの「歴史民俗学」20号読んだかい?
新資料発見で三角寛=インチキから
「本人がサンカ関係だったんでビミョーに韜晦」説
にシフトしそーで、このスレ的に興味深し。
しかーし!
私が今知りたいのは(続く
320 :
田中清玄研究家:01/11/23 13:33
そのことではなく
サンカ強制連行についてだ!!
鷹野弥三郎「山窩の生活」(明石書店版p54)に
「新刑法を明治41年から施行した以来、
彼等の生活上には非常の打撃を受けるに至って、
彼等の族の主なるもの、即ち働き盛りのものは
可なり多く其の筋の為に検挙され、
処罰されて懲役に服している」とある。
文中の「新刑法」つーのはわれわれの現在の刑法
のこった。(ゴメン、まだ続く
321 :
田中清玄研究家:01/11/23 13:41
鷹野は警察情報依存で差別的と言われてるが
それゆえにこの取り締まり側からの記述、気になる。
実はわしむかーし刑法専門にならったけど
こういう法社会史ほーめん知らんのよ。
サンカの犯罪と言われるもんが
明治末〜大正始に集中してること、
ついでに最近の「特殊部落」近代起源説も
ほぼ同時期を重視してる…等々気になる。
いわゆる日本資本主義の確立期とチューショー的には
言えるが具体的な事実がしりたい。
「風の王国」式の「強制連行」か?
オーストリアのロマ(いわゆるジプシー)狩
とも同時代だし。
トンデモも含めて情報キボー、連続カキコスマソ
322 :
天之御名無主:01/11/23 14:37
藤原姓の多くは地名になぞってつけられたものが多いです。本家の藤原は佐藤、伊藤、近藤などに変化していますね。
「藤」の音読みがトウで、唐になぞったものという研究家が多いですね。
渡来人であることは99%間違いないようですが・・・。
JAP天皇のとこで
殺したものに絶対触れないようにしてささげる儀式があったような
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
どの神?
おー 失礼 間違った
323は生贄へのカキコデシタ
286の「その天の岩戸の神話聞きたいな」とおっしゃった方、長くしてすみません。
いろいろ知り合い、親族に聞いたのと調べた結果ですが、やはり明治20年代か、
30年代には軍による弾圧、あるいは聞き取り調査があったとようです。
ただし、役人、巡査にも調べられたと思いますが、私達の場合は軍が深く
関わって来るのが特長です。
それと神話については全く聞き取り出来ませんでした。このスレッドにきた理由の
大きな動機の一つはサンカに伝えられてる神話をむしろ逆に手早く知りたかった
ほうなんです。なぜか弾圧された仲間は大阪など近畿や東海に多くいるので、
また聴けたときに報告します。知ってる限りでは以下になります。
アメノウズメが生まれたアマテラスオオミノカミを取り上げて、産湯につけた、
つまりアメノウズメは産婆だったという言い伝えです。
「ひい、ふう、みい・・・」は西(あるいは北)に向かって川を数えるのか、
死者の往く死後の御霊の行き先を数えてたものに相当するのか祖父がいませんので
今の私には聞ける人がもういません。川で無ければ井戸や泉、洞穴を数えることは
有りませんでしょうか?。(またこの事については書きます)
また、おけ、たるの孟宗竹の箍掛けの竹細工(正しくは、たがざいくと発音)や、
御神具としての笊(つぼ、ザル、しょーけ、いかきなどと発音)、籠、スイノウ、
ビク、箕、背負いもっこ(宝もっこ)などの竹製品を門かけしてた祖祖父や仲間の
信仰者が拝んだ神社は「石神神社」という名です。
3つほど見ましたが二つは「オルシワケ」という式内社になってましたが、疑問です。
郷土史編纂委員も式内社を強調していますが、
いずれも大岩、石そのものをご神体としたはずです。
式内社のくせに一つはご神体が不明とのふざけた意見をききました。
もう弾圧の事を言うなという意味だと思いましたが・・・。
ただし、あくまで箕や竹細工、箍掛けの門掛けして歩く私達の信仰であって
サンカだとは断言できませんのであしからず。
>大権現様
世の中の一番下の身分の私にレスくださるとは・・・ありがとうございます。
大権現様は華族?あるいは平民階級?、
いずれにしても上空がカスムほど高きご身分の大権現様とこうして所を同じく
して話せるインターネット社会はまるで天国のようですネ。
私の所では朝鮮人差別や部落差別のない東北の部落で、国有地のアメノウズメ
を祭る神社に私は住んでますけど、弾圧された仲間の信仰者が何故大阪などで
朝鮮人の方々と同じ社寺を信仰してるか不思議でしたが、
複雑なご事情お詳しいようですね、どうかご教示願います。
私は本来、佐藤ですので藤原を出しますが・・・疑問を持ちながらですよ。
私のとこは藤原秀郷、藤太をも祭ってもいますが、
世界一の埋蔵量を誇る金山は井戸、
泉などに祠に祭られた将門など(亘理・あてるい、安部宗任も)を北斗七星の
形に鎮座させ祭り、下北を指し示しています。
箕や竹細工、わら細工のネコ(根子か?)など数の多くは全て武器以外は
金採土の必要性でこしらえられたものです。
誰よりも大権現様には私達の将門の信仰についてお話ししたいなあ。
それから私の所は朝鮮人差別をだれもしない部落なんですが、父からは何故か
「朝鮮人は日本人より(心が)きれいだし、人間が固い(信用できる)」
とかばう話しを子供の頃、繰り返しよく聴かされたものでした。
私は日本人ですが朝鮮に行ったこともないのに異常に朝鮮の文化が気に入ってます。
大権現様、ホントはココロがうずく程、朝鮮民族が大好きなんですね。
327 :
天之御名無主:01/11/23 21:27
朝鮮人だから心が綺麗などというのは、日本人が優秀だというのと同じくらいバカな発言だな。
そんなもん人それぞれだろ。
どの民族にも悪い人間もいれば、いい人間もいる。
こいつは、朝鮮人好きを自称しているが、実体は朝鮮人を差別する人間と同質のレイシスト・ファシストだな>326
328 :
田中清玄研究家:01/11/24 09:30
それで、だ。昨日ここに書き込んでから本屋に行ったら
沖浦和光センセ「幻の漂泊民サンカ」が出てる。
内容はセンセの部落史研究と同じく
良心派サヨ学者にふさわしいケレンのないもので
あたしのよーなヤジウマにゃーものたりないが
「『イタカ』と『サンカ』』以来百年にして
「サンカ」公式アカデミズムに復帰!の
可能性…三角著作集刊行を起爆剤に、
何度目だかの「サンカ」ブームは来たれり!…か?
311の方、大様というのはハンドル・ネームでしょうか、ありがとうございました。
かなり間を空けて申し訳ありません。その日は笊の仕上げに追われておりました。
おととい、ある方からこのスレッドが上がってる事知らせていただきました。
田中勝也の著書も関連してるとのこと、興味しんしんです。
「藤原一族の先祖はサカ族である」という論文の存在は
「みちのく燦燦」など千葉県の女性の和歌研究者の著書のプロフィールから知りました。
ブックショップでの立ち読みですが。
都会の「いつき」と言われる方々の作る箕の材料はなんでしょうかね。
都会では農作業にそれほど需要が見込めないとおもいますが。
落ち葉などをかき集めるためとか、縁起モノとしてこしらえてるのかな。
316を書かれた大様、何度も読み返しましたが、サンカと同じ職業の私のウチ
だけが知ってるかなと思われることが書いてあり少し驚きました。
詳しくご研究をされた成果かと思われますが、学歴の無い、箕や竹細工の門付けして
歩く身分の私ですが、大事な事、疑問の点について書きます。
東北では京の都へアテルイを連れて行った坂ノ上田村麿はなぜか人気があります。
彼は漢民族(霊帝)の出だと聞いたことがあります。東北には「坂」という姓があります。
坂本さんは坂さんの本家筋、坂本、坂元、酒本、阪本さんも同じでしょう。
阪下、坂下(かつてはさかもとと発音)で系図を辿ると阪本に行きつきます。
堺さん、酒井、酒井さんも意味深ですね。
そうすると、堺という都市名、大阪という府名が気になります。
佐賀県の「サガ」とかも・・・。
文書の引用、しつれいいたします。
「竹細工も鉱山地帯のほうが需要が多かったのは当然ですから」
これには驚きました。どうしてこのような真実にお気づきなのか!
わりかし関心持ってる学校の先生や郷土史のまあまあ詳しい方たちでも
「昔、懐かしい農山村の民家で実際使われた民具」くらいの知識が普通でして、
子供の時分を思い出し使い方の真似事をして見せるのが関の山です。
民俗学を専攻されてる学者の皆さんは知ってるものなのでしょうか。
銀や金を採掘、採土した地域が今でも実生活において、それ以外の農村よりも
竹製品を使ったり買ってくれる頻度が高いのは、竹細工を使う習慣が根付いて
しまってるからです。私のところでは宮城だと県北部、三陸、岩手だと盛岡近郊、
北上山地、三陸、青森は下北、津軽が金や銀が採取された地域でやはり竹細工品
がかなり売れるところです。
東沢美史さん 「ひい、ふう、みい・・・」は死んだ祖父が使っ
ていました。江戸時代までは野鍛冶だったようで、百済系です。
部落差別のない東北の部落」とんでもありません。エミシやアイヌ
への差別は今でも深刻な場合があるそうです。
坂ノ上田村麿はなぜか人気」阿部一族は坂ノ上が同じ漢人系とすれ
ば、同じ人種で信用したものでしょう。東北には九州サンカの形跡
が多くみえます。鹿児島・宮崎辺りの箕と同じ作りでしょうか?
ところで竹細工専門の方は「坂」をサンガといいますか?
鉱山地帯のほうが需要が多く」山内などは鍛冶屋や掘子にも仲間が
多かった模様です。兵庫ではこの方たちをサンガと総称します。
また近くには芸能や川漁サンカがいた形跡が残っています。
いつき」と言われる方々の作る箕の材料」中国地方では〇〇竹で
昨年でもある県では二〜三千個の笊の注文があります。機械化で
箕は作っても売れないそうです。サンカ系エタの方の話です。
>>309 鉄屋どの
>「最後のサンカ面談記録」の記事で、「静岡県M駅」そばの洞窟
>東海道本線 三島
ありました。昭和52年くらいまで、野外生活をしている人がいらっしゃいました。
函南駅から三島駅への間、下り方面みぎてにむしろでこさえたような小屋がありましたね。
当時は、こじき といってましたが、よく考えると。。サンカでしょう。
その他の話も、地元の人に聞きます。(わたしもこどものころは地元)
「冬になるとやってくる」。。漂白性をあらわしていました。
当時、東海道線を利用していた方の証言を求めます。
333 :
天之御名無主:01/11/25 23:39
ええ?三島にサンカがいたの?
っていうか今三島に住んでいるよ〜ん。
そんな洞窟どこにあるんだろう?
334 :
天之御名無主:01/11/26 19:00
将門信仰についてはそういえば八切止夫が
被差別部落中の被差別部落「しょうもん部落」との絡みで
調べていた。八切説自体は粗雑な論考が多いがこういった些細な点が馬鹿にならん。
335 :
地名しらべ:01/11/26 20:27
334>しょうもん集落にすむ人を、将門、誦文法師、聖門師と
八切止夫は言い、契丹系とします。また声聞師(しょもじ)で
寺の召使で、地名にも装文童堂や正文があるそうです。唱門、
鉦叩、傀儡師、河原者、千秋漫才、坂の者、陰陽師、野師、歴
代など時代と地方により変化します。中世以前は寺社奴隷で、
中世は総じて非人です。関西部落史では歴代が出てきます。
http://www7.ocn.ne.jp/~iyasi に詳しい。
サンカの発生の源には輝ける高度な文化(信仰、風習、文学など)の存在があれば
いいなあと思ってます。箕や箍など竹細工などを使う風習から、
当初、王朝で行われたであろう信仰の形態が把握できればさらにいいと思ってます。
今朝は雪が降ってきたんで門付けは休んで竹細工を内職してる部落や職人さんを回ろうと
思います。
箕作りの内職の人達は今が一番忙しい時期です。竹切りも重なりますから。
私の家では今年は不景気過ぎるので12月は40枚くらいだけ作ってもらい、
竹細工品と交換してもらいます。
箕作りの方は父と竹細工の門付け仲間で長い付き合いなんですが、
箕作りと門付け(行商、訪問販売)両方しています。
また今は東北も大雑把にですが90%くらい新暦でお正月をお祝いします。
去年、あるいはおととし死んだ家族を「おみだま様」として北極星に向けて
箕にお日様の形の大きな鏡餅とその周りに月の数、12又は13をお日様の
周りに一重、部落によっては二重にお供えします。
そんなワケで12月中旬ころより私達も忙しく一般の皆さんの目にも
箕を売る箕売りがよく目に入る季節となるようです。
箕を使う信仰には仏教や神道の影が少ないです。寺社でも一部の神官さんや住職
は買ってくれますが。なによりも特長とするのは、箕星、射手座、北極星(紫微宮)
お日様、月、北斗七星と関係した行事、信仰に使われることでしょう。
私の職業がサンカの真実の姿を探る手がかりになればいいのですが。
妄想全開だね。ムーでも読んでなさい。
338 :
天之御名無主:01/11/27 14:04
うーん。三角本は昔読んだし、八切本もかなりあるけどね。
サンカと中世近世の「箕作り」とは関係うすいような気がしてる。
江戸末期の混乱で逃亡、山に入った人達が簡単に出来る仕事として、従来の箕作りから技術を
習得。明治期になって「伝説」を作りあげたと考えてます。
三角説は半分以上創作でしょう。
明治以降も山岳部居住の落魄者が合流したり、犯罪者がまぎれこんだり。
こんなところではないかなあ。
久しぶりに来てみたが、まだこのスレ続いているんですね。
金太さんってまだいるの?いるんならメール欄とかで会話
するってのはどうですか?近況ききたいし。
331の大様、ご丁寧にありがとうございます。
ウズメの「ひい、ふう、みい・・・」についてなんですが、
鍛冶屋さんがかつては武具である剣、例えば七星剣を鍛えるときにも
唱えられてたらいいなあと思いました。
北斗七星の形である「斧、おの」を打つときもそうであれば
さらにおもしろいんですが。
百済系とルーツがハッキリ解っておっしゃられること
・・・うらやましいです。
話しがチョットそれますが、私はこのとおり、全くの民俗学の素人です。
門付けで何度も竹細工販売に寄ってた御宅の郷土史を執筆してた方に
しつこく聞きたがる私に「柳田国男を読んでからこい」と言われて読み
始めたのが去年なんですね。
それまでは民俗学の本を読んだ事がなく、販売先のお客さんにに聞いて
ばかりの耳学問かテレビのアジアの番組の知識がほとんどです。
ただし、ウチの神社のアメノウズメは子供の頃祖父から聞いた
話しがきっかけです。
明治期には軍が弾圧と激しい取調べを信仰者にしたためアメノウズメ(皆さんに
解り易く大きく約してます)や雲南神社に逆に私は好奇心を持って
しまって、竹細工の門付け始めたときから『雲南神社』は雲南省から
来たとの結論を実証できるか期待を持って(あくまで18のガキの推理)
岩手、宮城、福島を売るついでに調べ歩いてました。
荒唐無稽な推理といわれそうですね。間もなく私もそう感じました。
でも今から10数年前、いまも放送してるTBSテレビ
「世界不思議発見!」でブータンかシッキムだったか、とにかくこの
インド北部の山岳地帯の国の小学校の児童が「いち、に、さん、し・・」
か「ひい、ふう、みい・・」と数字を数えていたんですね。
詳しいこと忘れてすいませんが日本人が解る数え方です。
また日本で使われてる台形の形をした箕はこのチベット、ヒマヤラ地域
と揚子江流域一部、朝鮮しか使われていません。
インドも中国もほとんどが丸の形の箕です。私達、日本人の使う箕のほうが
むしろ、アジアでは少数派だと思います、雲南神社はかなり怪しいけど。
つまり、ルートはブータンあたりのインド北部から雲南省、四川省か
揚子江上流から下流域より北へ行って山東半島より
朝鮮、日本と箕の伝達がアメノウズメと一緒(もしかしたら埴輪の馬も)に
渡来したかなと推理してます。
以下に続きます。
引き続き、331の大様へ。
>=大様、引用させていただきます。
>竹細工専門の方は坂をサンガと言うか
普通はほとんど言いません。
昭和40年代頃のご年配の人が苦労して坂を登った様子を回想して
人に話して聞かせるときには言いました。下る時は言いません。
「坂」は「サガ(ガは澄音)」「サガッコ」が普通です。
標準語で
「道路に氷が張ってて佐藤さんの所からの坂、大変な思いをして登った」
私のところ風に言えば
「道路さ、すがっこ張ってで、佐藤さいんのどゴのサンガやー、うんざに
はいで登ったちゃや」という風になるかとおもいますが、今は使わないでしょう。
>東北には九州サンカの形跡が多く見えます。
>鹿児島・宮崎あたりの箕と同じ作りでしょうか。
宮崎はわかりませんが、鹿児島の箕はそっくりです。
同じ系統の箕があと伊豆にあります。
私の勝手な推測ですがやはり、金、銀流出した目当てのつまり、
桜島、富士山、岩手山、恐山の火山つながりで捉えています。
阿倍家の信仰者は伊豆半島西部から真北に富士山を祭祀する
口寄せ巫女が私の東北からもかなり行きましたから気になってます。
材料は5種類必要で、藤、桜の皮、竹、縄(細い麻縄など)、
曲げ木(そぞみ、さるなめし、あずさなど)です。
おそらく鹿児島も伊豆も似た材料です。
342 :
サンカ現代小史:01/11/28 21:03
320,321>新刑法を明治41年から施行>この時期かどうかは不明だが、
小田急線の箱根の坂は人力で車両が登った写真がある。終点の手前の駅
周辺がサンカ集落という事(八切)で最近も見物に行った者がいる。
殆どの人は東京へ車引きとして出てる筈で残ってるとすれば老舗の商
店か旅館だろう。暗い汚い風景みて騒ぐのは間違い。サンカは清潔だ。
>サンカの犯罪・・明治末〜大正始に集中
徴兵制、税金納入、公教育などの拒否で戸籍登録をしなかったから。
もしかしたら明治天皇制を潔しとしないサンカを、明治政府中枢にいた
サンカ(多分百済系で南朝天皇系)が弾圧したのかも。二次大戦終結前
後にもそういう情報はあるし、戦後もサンカが大規模な住民登録拒否運
動をしている(昭和二十年代)。今でも戸籍のない集落が残るという。
また昭和五十年代に熊本機動隊がサンカ狩りをしている。小泉人気の異
常さも気になる。『朝日と読売の火ダルマ時代』はこのシナリオで読む
とトンデモの話ではなさそうだ。出てくる政治家、業界人、警察官僚
からみれば、なるほどとうなずける。
静岡か山梨の方で、食べられているんですが、
小麦粉で作った箕をけんちん汁みたいなものの中に入れた「みみ」って
食べ物知っていますか?お正月に食べるそうです。これって関係あるのかな?
344 :
天之御名無主:01/12/02 22:22
大日本雄弁会講談社が三角のサンカ悪役小説で大儲けして会社を大きくしたのも
何か背後にあるのか?
345 :
天之御名無主:01/12/04 20:03
こんちは、サンカ素人です。
歴史民俗学20号読んでみましたよ。
そしたらあんた静岡県三島市に最後のサンカがいたって、
思いっきり書いてあるじゃありませんか。びっくりしましたよ。実に。
今度彼らの住んでいたという洞窟を見つけてみようかと思います。
ところで、この本の内容ってどこまで学術的に信憑性があるのですか?
例えば立田某氏の論文は、読みにくいのは良いとしても、
自分勝手なイデオロギーをサンカに投影させて、一人で盛り上がっている様な感じで、
どうも読んでいて辛かったんですけど。
まあ「異見」とは書いてありますが。
最近サンカに興味を持った者です。
地方に住んでいるので、あまりサンカに関する資料に触れることも
ないのですが、今度東京に出たときに資料(本)を沢山購入して
こようと思っています。
サンカについて知りたいならこれを読め、というような皆様の
お勧めの本(ビデオとかでも)は何でしょうか。
気合を入れて10〜20冊くらいは買いたいと思うので、推薦して
いただけると幸いです。
347の通りすがり者さま、ありがとうございました。
明治期から戦前まで私の所は300軒ほどが
アメノウズメへの信仰者が買っていく竹細工(たがざいくと言う)を
こしらえてた部落です。
今はこしらえてる人は私を含めて20数人くらいしかいません。
ご紹介いただいた和泉式部のことを書いてたサイトですが、
彼女が岩手の北上市あたりの出身であると私達、
一部の東北の者はおもっています。
人は死んだら北極星(天帝)に戻ってまたこの世に生まれてくるという信仰が強烈な地域です。
これは古代における農民の風習ではなく、王朝の祭祀であったと思いますが今現在、強烈に残っています。
東北では住職の葬儀は、ほとんど無意味なものであり、ココロに引っかからないつまらなさ過ぎる儀式にすぎません。
お経の意味や仏教にそもそも関心が無い人がほとんどです。
普通、ココロから死者との魂の触れ合い、別れの悲しみ、語り合いはアメノウズメ(大きく約しますね)の
信仰や祭祀・祭文によって葬儀に集まった人びとは体験します。
住職が帰ってからが本番です。死人と魂の触れ合いが始まります。
北極星に旅立つのには北斗七星を使います。
東北では全地域が行なってる強烈な信仰です。
中でも強烈な地域は仙台および、仙台市周辺です。
アメノウズメが「ひい、ふう、みい・・」
とナゼ発音したかの意味が私には今ひとつわかりませんでした。
ただし、サンカの生業としてあげられる「箕作り・売り・直し」の箕には
「日」「月」を餅でこしらえたモノをお供えします。
箕は死んだ人の魂が行く道すがらであり、北の夜空を駆け上ります。
皇帝が死んで、皇帝に生まれ代わった人
・・・日本書紀の場合はそれがアマテラスオオノカミと、
箕の門付けする私の家では解釈します。
私のウチではそう言うふうに
明治政府に合わせたので国有地と国有住宅にタダでもらい住んでます。
アマテラスオオノカミを言わなかった
私の祖父の信仰者仲間が明治政府に弾圧されて、
数多くの境内から追い出されてしまいました。
この「箕」は東北では北斗七星を現しています。
ひしゃくの枡(水入れ)の部分です。
でも宮城、岩手中央以南の箕は五角形(世界でココだけ)ですから、
北極星を現してるのかも知れません。
「ひい、ふう・・」は、北斗七星を渡って北極星に行く、ときの数え方なのか
(実際の北斗七星の写しである地上の場合は神社や井戸が北斗七星の形に祭られて
います)、死んだ人が生まれ変わるための呪文なのかなどについてはわかりません。
341>材料は5種類、藤、桜の皮、竹、縄(細い麻縄など)、曲げ木(そぞみ、
さるなめし、あずさなど)。
昔、鉱山辺りで使ってた「箕」などの材料は何でしょうか?孟宗竹は何時頃
から使い始めたのでしょうか?
>「日」「月」を餅で
お正月に雑煮をされますか?される時の餅の形は?雑煮をしない時は何か
しますか?
お宅のされる門付けとは具体的にどのような事ですか?
角館あたりの「細工師」とは関係がありますか?
できる限りでよろしいです、東沢美史さん教えて下さい。
>>349 > アメノウズメが「ひい、ふう、みい・・」
> とナゼ発音したかの意味が私には今ひとつわかりませんでした。
日本語(大和言葉)じゃないかな?
人、蓋、見、よ、(人々よ、岩戸を見てごらん)
何時、む、無(無しの「な」)、哉、(何時それが無くなるのでしょうか?)
「ひい、ふう、みい・・」>「ひと、ふた、みい・・」>「ひとつ、ふたつ、みいつ・・」
と変化したと見ると、「人」、「蓋」は昔は、「ひぃ」、「ふぅ」と発音していたと見るべきか?
350の大様、いつもありがとうございます。
実はおととい三陸の月立地区を門付けしてました。
月立(意味深な地名でしょ)地区のかつての隣村が世界一の金塊を
日露戦争期に産出した鹿折金山ですので掲示板を読んだのも良い機会と思い昨日、
鹿折地区を門付けして見ました。またNHKのニュース番組でおとといだったか
民家の方が私設の鹿折金山博物館を開館されてた映像が紹介されてましたので、
帰りにでも寄ろうとおもったのですが、竹細工品を売るのに夢中になってしまったのと、
日暮れが早かった(沢の部落です)ので寄れませんでした。
箕は一枚だけ(一昨日も一枚)売れました。
確かに鉱山で使うのに桜、竹の箕では弱過ぎますね。
ただ、孟宗竹の箕かどうかは疑問です。また今週中にその地区に門付けに行きますので、
民家の方の私設博物館現物で確認してからお答えします。
網代や御座目の編んだり組んだりする部分が竹箕の場合は真竹か真竹より細い種類の竹が多いと思われます。
福島、宮城、岩手県南の桜皮の箕は女竹系の鈴竹(すず竹)という料理箸くらいの
細い竹を四割にして薄皮を剥がした「へげ」と呼ばれるものを利用します。
孟宗竹を自在に割ったり竹皮を剥がせるなどという芸当は熟練者にしかできないことです。
ただし鹿児島の孟宗竹はわかりません。南国の孟宗は柔いと聞いたことがあります。
それにしても東北ではかなり例外的に竹細工士(たがざいくしと発音)が
かなりの企みをもって力竹、淵竹として補強する為にしか孟宗竹を使いません。
孟宗竹が普及したのは中世以降かと思います。
真竹が無くとも女竹だけで古代王朝の武具全般は作れます。
長野、新潟含む東北6県の竹細工が良い例でしょう。
ただし、今現在ホームセンターなどで多く売られてる箕は
中国やベトナム、東南アジアの孟宗竹の箕や竹細工品のようです。
お雑煮は四角の切り餅です。
私が好奇心を持ってて柳田国男全集にも載ってなさそうな餅は御霊に箕に乗せて供える「日」「月」の鏡餅です。
いち、に、さんってチベットの方の言葉が元でないの?
ブータンのゾンカでは数はチー、ニ、スム、シ、ガー、トルックだでよ。
352>鉱山があるからには月立も付属しますか。ところで鹿折は何と読むので
すか。「孟宗竹が普及したのは中世」とは伝承でもありますか?古代史は殆
ど分りませんが、「女竹だけで古代王朝の武具全般」は具体的には何ですか?
山口県厚狭の漁師も日・月の餅は確か使ってたと記憶してます。
ひふみ思想についてご存知なら教えて下さい。
355 :
天之御名無主:01/12/14 13:44
基本語彙(数詞や身体語)の語源なんか分かるわけないだろ・・・
何が「人々よ岩戸を見てごらん」だよ(藁
あげくに「いち、に、さん」という漢語の訛音にまで、とんちんかんな
語源を言い出すし。
ここはこの板の優良スレだと思ってたが、単なる低学歴ドキュソの集まりだね。
356 :
天之御名無主:01/12/14 15:22
>>355 同感。サンカのような部外者のロマンチシズムでべとべとにされた
ような概念を扱うときにはとくにこういった手合いは排除すべきなのにね。
今日は市日に行く予定でしたが大雪が吹雪くので休みました。
先週の日曜日に箕を作ってもらってる同じ門付け仲間が家へ箕を20枚届けてくれました。
家からは竹製品や豆通しなどを仕入れていきます。また今週に箕を20枚作って
もらいます。今月は一年で一番多く売れる月なんですね。次ぎが9月の「名月」を
お祭りする月見のときです。お正月には御霊をお祭りするために一番売れる
という事が最近、際立ってきたのは農産物の「アズキ、豆」を箕を使って収穫の作業を
して農協やあずき仲買に売るということが、最近は全くと言って良いくらい収入
としては、割りに合わなくなり農作業に使うために箕を買うということが
減ってきたのが原因です。
かつて江戸時代には明治から昭和20年代の頃のように箕が売れなかったと思います。
やはり明治以後、豆の国による増産農政が箕の需要を増やして行ったここと考えています。
今は豆の輸入が97%とかだそうです。東北の箕を使う頻度の多い山間の豆畑も
ここ数年で荒れっぱなしの状態の畑が多くなってます。
そんなワケで最近、箕を買う動機と言うのは信仰や行事で使うためというのが
割合として多くなりました。・・・でも死んだ家族の「御霊」を正月に祭る
っていう事を門付けの私に言って買う人は僅かです。
お金がなかったりすれば箕を使わないでお正月のお飾りを約して済ませようと
考えてる家が多くなってきました。ただ信仰深い近所の主婦達がうるさいので
世間に合わせて買うってことも多いし、ご主人が亡くなって古い箕で正月を
済ませたものの、1、2年たってイロイロ思う事があったのでしょう。
本来の、おみだま様という「あたらしおほとけさま有るときは、あたらし箕
買わなければ」という姑たちの言葉どおりに私から箕を買う人も多いようです。
この間は紀州熊野からの言い伝えがある「日高見神社」の氏子さんの家に
門付けしたら少し警戒するような顔をされたので、要らないと断られるかなと
思ったら、「いつも要らないときでも何か必ず買ってるのに、欲しかったときには
売りに来ないで・・・」と毎年行かなかった事を愛情たっぷりに非難されて
3枚もその家のオバさんに買ってもらい、
その代わり一枚6800円の箕、3枚で2万円に負けさせられました。
350の大様の質問にお答えします。
私の家の竹細工(たがざいくと発音が極めて重要です)の門付けを
税務課の方に説明するときには移動販売車による庭先訪問販売とか
言わされて、そんなことまだやってるのかとか、なるべく他の仕事
に付いたらとか、苦情言われるような販売の形態です。
地元の名を自慢して各地歩くので、乞食の故郷、本拠地というのが
自然に宣伝されてるのが恥ずかしいんでしょうね。
竹細工品は種類が数えれば大きさがあるんできりがないんですが
だいたい、100種から150種くらいです。他にも草木の編組品も
持ちます。
明治、大正生まれの職人さんたちは門付けと言いましたが、母に聞いたら
昔は「門掛け」とよく言ったそうです。私達の仲間はほとんど行商と
いいます。お客さんは「箕売り」「かごや」とか言いますが、呼び名は
複雑過ぎてたくさんいろいろとよばれます。
同じ境内に住んでた仲間のえびすこや阿倍家の皆さんは語り物や
踊りはしてたようで仲間は昭和40年代頃まではあったようです。
今、若い世代に人気のミュージシャンの方も阿倍家の御子孫のはずですして
イロイロいいかげんな言い伝えが多い中で彼等の部落は本当の阿倍家の血筋と
私の祖父の信仰者仲間には信じられています。
父や母はただ「笊や箕、今年は要らないですか」と聞くだけです。
多くのお得意様や、顔馴染みは「今年も来たよ」で茶の間に「さあ
上がって」などといわれるような感じです。芸などはしませんよ。
私は毎年、同じトコロに行くのが飽きるので新しい行った事のない
部落を広げて20年間以上歩いて来ましたが、不景気なんで最近は
父のお得意様が多くいる地区を回っています。
秋田のイタヤ細工の箕は6年前ほどに北上山地、遠野より南西の部落で
お客さんに見せられました。門付けした農家の主婦の方によれば
本当はこんな箕(東沢が売りに行った五角形の箕)が欲しいのに、いらない
こんな箕(イタヤ?の民芸品みたいな台形の箕)を買わされたと興奮して
私に説明したときに見せられました。私が売りに行った前の日あたりに
門付けしてたそうです。入れとも言わないのに家に入ってきたおじいさんですが
ニギヤカナ人で話がとても面白かったそうです。箕を買ったらば
「書」を書いてあげるといってその箕に「歌」のようなものを書いて
ました。書かれてしまったから、要らないけどお金を払ったそうです。
家の天井近くに早速、飾ってありました。
私は岩手県南の箕売り人はかなり知ってるつもりですが、その秋田の
箕売りはそのときはじめて知りました。というのも岩手の奥羽山脈近くの
衣川、胆沢地域は一軒残らづ販売に行きましたが聞いた事がありません
でした。なぜその地区だけ歩いていたのかいまだにわかりません。
私の祖父は天秤に「パイスケ」みたいに竹細工を担いで歩く門掛けでして
父の時代から自転車、オートバイ、営業用のバンで民家の玄関にいってお客さんに
外へ出て見てもらう販売の仕方です。芸や書道もしません。
押し売りもしません。押し売りしたり、買ってくれないからといって
スネテ見たりするのは暴力団か門付けのヘタな長続きしない人でして
信仰のない人かもしれませんね。
>351のくいちさん
ありがとうございました。かなりうれしかったです。
自分の信仰に都合いいようになんでも解釈してしまうのは、
戒めなければとはおもいますが・・・。
感謝、申し上げますネ。
東北の私達、アメノウズメの信仰者は戦前まで軍部による弾圧、強制
移住は皇室に対する敵意を持つとして勝手に決め付けられ行われました。
しかし、私共の信仰の宮は明治大帝による御祭祀があったんですよ。
もしも「ひい、ふう、みい・・」が「8」つまり「や」で止まってれば
信仰者の皆さんに必ずお伝えしておきます。
北斗七星を辿り最後に北極星(紫微宮)にたどりつく、つまり皇帝が
天帝になりまた皇帝としてこの世に人の形で現れるという
ウズメの祭祀者である口寄せ巫女(私のところでは、おがみさまという)
の歩く神社の順番が間違っていないのではないかとおもいました。
果たして、「9」や「10」まで、つまり「く」「とお」まで数えるのか
北極星の形を、柄の方ではなく水を入れる端から順番に拝んで行きます。
それを「死人道」「生き人道」などと言います。私のところは「死人小路」です。
東北には巨大な北斗七星の形に祭られて神社を私達ウズメの信仰者は
静かに順番にお参りします。・・・「とおりゃんせ」みたいかな。
その北斗七星の形に神社を廻り終えた、その剣先(龍口)の先、真北
ノ線に位置する洞穴こそ「死人」の生まれ変わる「岩谷(磐屋なども)堂」
などと言います。
最近の歴史家は阿手流為(アテルイ)の砦だと良く言います。
その洞窟こそ「黄金」の集積地、あるいは「金、銀」の実際の鉱山で
あるんです。あくまで私達の信仰であり科学的にはわからないけど。
古代においての中華思想か、あるいは仏教伝来以後の浄土信仰かも
しれないけど「黄金」なんですね。
で、私が思うのは「雲南神社」なんですがそれはまた書きますが、
もうひとつ、サンカが洞窟にいるってのの本来の意味合いを私は
そこに源流を感じてます。
私の家の口寄せ巫女の江戸時代の郷土史では、雨乞いにこの洞窟に
生き埋めにされてしまうことよくありました。
サンカの箍掛け、現在だと「桶屋」さんになるかと思いますが
彼等が口寄せ巫女の道具や弓を作ったとききました。
その神社の配置や岩屋堂、つまり信仰の秘密「アメノウズメ」が祭祀したという
皇室とは違う解釈の王朝の存在を信じてる弱みにつけこまれて
世界一の金の集積地や金の在る場所を「吐かなかった」ための軍部による
弾圧だった私は理解してるんですね。それを皆さんの情報をもとに
このスレッドで科学的に証明できたらなーとさらにおもってます。
竹細工(たがざいくと発音)は全て、作るときには生まれ変わり
「たが」を組み龍(北斗七星)を編み金が溢れるものというご神意にて
出来上がるものなんですよ。例えば「なな回し」「八楯やたて」など。
333どの。
えー!そうなんですか?最後のサンカは三島なの!
私の記憶では、洞窟ではなかったです。
以前にも書き込んだように。線路脇の山間にむしろがけの小屋?状のものに
すんでいるようでした。
今度帰省したら探して見ます。
354の大様
「鹿折金山」は「ししおり金山」と「しかおり金山」と二通りの発音を聞きました。
孟宗竹が普及したのは中世以降と思うのは私のカンです。
おそらくは江戸期ではないかと考えてますが、
あくまで私は大学にもいったことない素人ですので、
竹材業者、竹製品業者の業界紙関係で紹介されてた京都大学だったかの
上田弘一郎博士の著書で正しい事お調べ頂きたいんですが。
私ももし本が見つかりましたならば後で調べて書きます。
☆「古代の王朝の武具」について
☆孟宗竹や真竹を使わない女竹系の直径3ミリから15ミリくらいの
細い竹で武具がつくれてたということ、以上2点について。
「箕作り箕売り」は天皇陛下殺し、「笊作りざる売り」は皇后様殺し、
ビク作りは「皇室の財宝を謎掛けして盗んむ盗人」
つぼザル作り売りは皇室に楯つく・・・などなどだと思います。
もちろん、アメノウズメ(目の見えない口寄せ巫女)は明治天皇を呪い殺す、
あるいは「笊ざる作り」は皇室とか皇族を皆殺しするということです。
ただし、これは言い方があって、私はその正確な雰囲気が再現できないですが。
もちろんこれが私の家や家族でして、
つまり私、本名は違いますが東沢美史は天皇陛下殺しの孫ということになりますね。
無実です。
もちろん、明治天皇を私の祖父は殺しませんでした。ここがサンカを考えるうちで
とても重要な点ではないかと考えています。
祖父はアメノウズメの信仰者であって明治大帝を敬って何が矛盾するものかという
信仰でした。靖国も参拝しました。
ただ箕は箕に御神意がありこしらえるものであります。でも天皇を殺すためのものでも
あったといわれば私の祖父達は無実だが古代史においては事実だったかもは知れません。
しかしそれはあくまで古代の歴史上の話であり、それを明治期のザル作りや箕作りが
明治大帝を殺すために日夜腕に磨きを掛けてるなどということなど
さらさらあり得ないことです。
無実を訴えたところで軍部や巡査さんなどは「箕作り、売り」を罪人として
身分の低い私達を犯人として手柄でも立てるために仕立て上げたんだと思います。
例え御霊を祭る信仰者に売るのや、お百姓さんに売るのを
目的に作っても明治天皇殺しに強引に解釈したんでしょう。
これが昭和に入ると「あか」「社会主義者」にされてしまったという事があったとのことです。
差別する権力がある人達が私達にかぶせる罪状はなんでもよかったのかな・・・?
ザルは淵ドリに箕と同じ私のトコロで「ぞみ」「ズサ」という「そぞみ」「あずさ」
などを正式には使います。果たして古代にそれで本当に弓が作れるかは検証はしたこと
ないからわかりませんが。明治天皇に楯ついた、つまり服さず変化(反対
すること)というのの「楯」はこれに漆を塗るのでかなり丈夫で矢を跳ね返せるの
で検証しなくてもご理解いただけると思います。しかもかなり軽いですね。
深い笊ざるは私のところでは「つぼけざる」といいます。
古代の戦場では笊をかぶって死んだかなとかんがえています。
「ザルをかぶると大きくなられないよ」という意味が気になります。
楯は機動隊が使うようなものでして
笊のそこを組みます。ひらたいですが形は丸型かと推測してます。
篠竹、鈴竹などのような細いたけでも肉厚にとり、丈夫に作れます。
362 :
天之御名無主:01/12/17 02:20
東沢氏は文献を熟読して、構成的にサンカ伝承を記述しとるように
思えてならぬ。
362の天之御名無主さん、ありがとうございました。
こんなに誉められたのは生まれて初めてです!
アメノウズメを祭る諏訪神社の口寄せ巫女の家に生まれて
竹細工(たがざいく)の門付けしながらの22年間に
売り先の人々から教えられたり学んだ知識が
専門書の記述と勘違いされるほどやっぱり貴重で確かな伝承だったかなと
自己満足してます。
私は民俗学の本や柳田国男全集を図書館で読み始めて一年になります。
でも1ヶ月に2度くらいしか図書館に行けなくて物足りないです。
「サンカとイタカ」を先週図書館で読めて感動しました。
柳田国男の少ない資料と知識をフルに生かしての推理に
風景がココロに見えてくるようです。
私は東北の全戸を門掛けして歩くことを目標にしてますが、実際に歩き聞くばかりでなく
学問も大事ではないかなと最近強く思います。
柳田国男を読まないで東北全部回って話を聞き集めても歴史に書かれていない歴史を
知っても、民俗学の基本的な、柳田の多くの伝承、伝説から真実を探し出す方法などを
知らなければ、実際に歩き聞きまわってきて得たモノの深い味わいや価値が、出ないまま
ほこりに埋もれて終わってしまいます。
自分で古代王朝期の風俗、習慣、信仰を探る手法を自分の中で確立はしたけど、
あくまで素人の浅はかな手法、考えであって、柳田国男の科学的な研究の仕方の「万分の一」
にも及ばないのが現実であり、大学で民俗学を学ばれた皆さんに理解していただける
記述ができるように、サンカ(どうも間違いなさそうです)の子孫である
恵まれた環境や親類、信仰、先祖からの言い伝えを活かしたいなと考えてます。
どうぞ、ココロあたりのあるサンカの方、御子孫の皆さんで大学で学ばれた方は
その成果を「2ちゃんねる」でカキコして下さい。
また私ほど頭の悪い人は日本にいないと思いますが(農村の中学、高校ビリで卒業しました)
学歴のないサンカの方やサンカの御子孫の方も一緒に民俗学を勉強させてくださいね。
大学には入学試験があり民俗学を学びたくても入れませんが「2ちゃんねる」は
おそらく、学歴のない私達を法的に、サイトの設定上、排除はしないでしょう。
サンカがかつての実態は科学的に検証した結果、祖先として自慢できない恥ずかしい
習慣や信仰を持ってたとしても正しい姿を究明したいなと考えています。
でも私は王朝のなごりを良く伝えたのがサンカ、私の家で言えば「アメノウズメ」
口寄せ巫女が信仰してた遠野物語でいうところの「オシラサマ」、
「おひなさま」の王朝があったと思ってます。
このような激しい差別が有った家ですが明治天皇も2度、ほいど、
乞食と言われる口寄せ巫女の境内にある私の家の前に来られました。
またご祭祀をされました。巡幸ではなくて軍事演習です。
明治大帝が二分した神社の国有地、国有住宅が今の私の家です。
なぜ乞食の神社に来られ「アメノウズメ」と「アマテラスオオミノ神」の
神社に二分したか・・・おもしろいでしょ?
だからと言うわけではありませんが
現在の天皇家にも常に敬意を忘れない諏訪の信仰者でいたいなと思います。
門付けでいない日も有りますが、竹細工や箕などはお見せしますし、
私が知ってる、明治天皇がご祭祀された私達ウズメの信仰した巨大な祭祀場や
世界一の黄金文化が栄えた(勝手に思ってる?かもね)とサンカが伝えた
信仰の地をご案内いたしますね。住所、氏名は公開しても全く構わないんですが
アドレスからご連絡いただけたらと思います。
変な信仰宗教などでも全く有りませんので(笑)どうぞご安心ください。
純粋に箕や竹細工を一軒一軒、門掛けして歩く素人の一年前に民俗学に
興味を抱いたものに過ぎませんので。
このスレ最初のころからときどき書いてきました。
東沢美史さんの参加で活発になってとてもうれしい。
柳田国男の下記の文章、良心的な
民俗学者の自己記述だと思っています。
216 :さらりと語ろう :2001/06/14(木) 01:24
三角寛『サンカ社会の研究』第4章第5節から
「火明命の裔孫とされる田地火(タジベ)の一族は、
「赤土刺の断ち薦」(ツチカミのタちゴモ)として、
第16代仁徳天皇の御世に、蝮(まむし)取りの勅命を受けた。」
同書の解題(沖浦和光)から
「三角が強調している「民族の血」とは、
火明命の裔孫とされている田地火(タジベ)の一族から始まり、
第16代仁徳天皇の御代に蝮取りの勅命を受けたという
サンカ一族の誇りある血族をさしている。」
柳田国男『にが手の話』から
「蝮取りのニガテは蝮を怖れず、手を出しても咬まれず、或はまた
これに逢うと蝮は動けなくなって、安々とつかまるとまで信ぜられて居る。
・・・その手には特徴があるように言われている。たとえば蝮指といって、
手の指の端の関節だけを曲げて、次の節を突き張ることが出来る。
蝮指の人は五本揃えて熊手などのように、たやすく上だけを屈められる。
・・・現に白状すれば自分などもその一人だった・・・
このニガ手の特質を持つ家または一まきを、
カジハラとかフジワラとかいって居る地方があった。
・・・もう一つ変わったことに耳たぶに穴のある人というのが折々あって、
中国の某地ではそれをもまたカジハラと呼んでいる。」
柳田国男『にが手と耳たぶの穴』から
「蛇を怖れない素質の人があって、
それには耳たぶに窪みがあるということを、方々で言い伝えている。
・・・現にこの春亡くなった娘なども、私がその話をすると笑い出して、
自分にも小さい窪みがあるといった。
それでは遺伝はどうだろうかと、そのまた子になる女児を見ると、
これにも燐寸のさきほどの浅い窪みがあるのであった。」
なお
>>361 >孟宗竹が普及したのは中世以降と思うのは私のカンです。
>おそらく江戸期ではないかと考えていますが、
・・・・
>上田弘一郎博士の著書でお調べ頂きたいんですが。
上田弘一郎『竹と日本人』NHKブックスには
「モウソウチクは中国から渡ってきたようであるが」とあります。
平凡社大百科事典(上田弘一郎+高橋文次郎)には
「日本への渡来は、1728年(京都長岡京市)と1736年(鹿児島市郊外)の
両説がある」とあります。
いずれも8代将軍徳川吉宗のころ。サツマイモとほぼ同じです。
365 :
天之御名無主:01/12/19 21:53
366 :
天之御名無主:01/12/20 22:55
最近のミステリーで大塚英志の「北神伝奇」などはどうでしょう?
柳田国男が「神戸の叔母さん」が来て、「おいは間引かれる」と、
おびえるところがなかなか雰囲気があります。
東沢様や他の書き込みされている方々には、とおく及ばぬ物を知らない男です。
失礼ながら物好きな性分の為、楽しみにロムだけして居ります。
ちょっと横道に為りますが、孟宗竹渡来時期の件で疑問がありましたので、
お暇が有りましたらご確認のうえ、ご教示お願いいたします。
実は茶道の方で大変大事に伝来してきている、竹花入(置花入)が有ります。
それらは千利休〜1591、細川幽斎〜1610、細川三斎〜1645、
沢庵〜1645、小堀遠州〜1647、千宗旦〜1658、等(数字は没年)
の桃山から江戸初期の茶人の手作り品です。
茶道美術の本で見ていて、節間長と太さ(大体12センチ)からですが、
てっきり自分は孟宗竹と思っていました、ところが364で竹博士が1728、
か1736年に渡来したと書かれている、・・・となると茶人作竹花入の竹種は
何だろうか?・・・手元の5冊の本には竹としか書いて有りません。悩んでおります。
本題からはずれた事とは承知しておりますが、
写真や画像で竹の種類のわかる方、なにとぞ教えてください お願いします。
検索の場合 利休 竹花入、宗旦 竹花入、永青文庫、東博 利休作 銘 園城寺
五島美術館、 等で画像が見られる時もあります。
図書館でしたら 茶道具花入、表千家、裏千家の名品、等で
1600年代の花入れなどについて
竹博士の上田弘一郎『竹と日本人』などをたよりにすると、
つぎの2つの可能性が考えられます。
1,真竹(まだけ)である可能性
「竹取物語」(901-922ごろ)のカグヤ姫の生まれた竹について、上田氏は
「マダケ(真竹、苦竹)ではないかと思われる。マダケの直径は、
大きいのは13センチもある・・・」と書いています。
真竹は国産で栽培地も広く、材質は強靱で耐久力に富み、細工がしやすいので、
竹細工によく使われたと他の記録にもありますから、この可能性が大きい。
もっとも古代はハチク(淡竹=直径1cm-10cm)を加工したものが多いようです。
それからみて竹取翁がみつけたのは、ハチクだという人もいます。
花入れも大きさによってはハチク製もあるかもしれません。
2,やはり孟宗竹である可能性
奈良農業試験場のHPによると「(モウソウチクの)日本への渡来は、1736年、
島津藩主が琉球から2株導入したのが最初です」となっています。
しかし本当は、こういう「トノサマが初め」というのが一番アブナイですね。
トノサマがやったのは文献に残るし、権威があるから公式記録になりやすい。
しかし権力関係なしにすでに山の民が持ち込んで栽培していた可能性は十分ある。
3,実物判定がいちばん
結局、実物をみて判定するのがいちばん確かなようです。
上田氏の上記の本によると
真竹=節の部分が2すじである。
モウソウチク=先のほうの細い部分をのぞき、節の部分が1すじである。
節の下面に沿って白い鑞質の粉がついている。
ハチク=節の下側に鮮やかな白い鑞質。節のでばりが低く、
みぞがやや深くて縦に割れやすい。
という点で見分けられるそうです。御参考になれば・・・
訂正
368の最後から3,4行目。
鑞質×
蝋質○です。
えびす様 横道質問に対して早速のカキコミうれしく思います。
数々の可能性をご教示下さいまして感謝いたします。
特に2、の「トノサマ資料の読み取り方」は、私に取って新知識です。
これらをヒントに雑学好きとしては又暫らく楽しみが増えました。
364のえびす様、ありがとうございます。
「火明命」は「ホデリノミコト」と発音して事典見ましたら
「海幸彦」と出ました。これかな?。
もしこれであれ東北は今一つ有名ではないけれど
海幸彦山幸彦の伝説がありますのでさらに調べたいです。
というのも塩土老翁(しおつちのおきな)は目無かごを作って
とありますが、もちろんこれは巨大な竹細工でして
ベトナムの竹船を想起するんですが、底の作りが東北や関東のザルに
そっくりです。一寸法師の椀の船というのもありますが
もしかしたら木の椀は考えにくいので椀にそっくりの竹船かなと
考えています。打ちでの小槌(つち)使うってのも意味深そうな・・・。
今ですとベトナムの民芸品を扱う都会のお店なんかに売ってます。
もちろん、テーブルに乗るくらいの大きさですが。
ホントに水に浮かびました。・・・眉唾ぽいかな・・・。
それとさっそくなんですが熊手のように
手の指の第一関節曲げに挑戦しました。
残念ながら曲がりませんでしたが、サンカの子孫として、これでは
ご先祖様に申し訳がないです。特訓に入りたい思います。
それとちょっと熊手のことで話がズレますが、竹で作る熊手には
近畿、栃木、秋田などを産地として荒物、竹細工などの仲買人が
よく私のところになんかも持ってきて流通させていました。
今は中国製のミニ熊手が100円均一などで売られてますが
かつて日本の竹熊手を産する集落がありましたので調べないとと
思ってます。よく素人の方が簡単そうだと思ったんでしょう
挑戦して作ってるの見ますがそうそう簡単に作れるものではないです。
ゆるくならないようにきちっと留めるのがなかなか出来ないし、
先の曲がりもキレイニ揃えるのとても難しいです。
神社の縁起モノとして売られてる竹熊手には
金貨などのお飾りと一緒に大黒様や恵比寿様のお面が飾られてるのも
タダゴト(笑)ではないと常々考えています。
同じく末広がりの竹細工、扇もなかなか意味深なモノだとおもいます。
いろいろ素人ながらの推測が多いのですが、厳しいご指摘願います。
367の江頭さまの疑問に少しだけお答えさせていただきます。
一般に竹細工をする人は真竹(東北では普通カラ竹という)を利用します。
孟宗竹をワザワザ使いません。もちろん専門の職人は孟宗竹も細工できます。
でも割りやすく竹皮が剥がしやすい真竹(カラ竹)を使うのは仕事が進むからです。
孟宗竹は固く丈夫すぎてまた、素性が悪くキレイニひごを一本一本作るのに難儀しますし、割るとき手を怪我する頻度が増えます。
しかし、それは蝉かごや鮎かごなど壁に掛けるとか、宗全かごなどのいわゆる花入れかごなどの
竹を割って竹皮を剥がし編んだものの場合です。
時代劇で千利休がよく使う竹筒の花入れの場合は、なんというのでしょうか竹をひごにして編むのではなく、
ただ円柱形の竹を切り,花を差す窓などを作るもので、孟宗竹であっても不思議ではありません。
何故ならば今流通してる竹筒型花入れ、寸胴、鶴首。二重生けなどは
孟宗竹わ利用してつくられています。
本格的な京都の竹根を使った漆仕上げの高級品も孟宗竹を使っています。
で、私なりの答えですが、そのご指摘の花入れは私も孟宗竹ではないかとおもいます。
江頭さんご指摘の太さも決め手になるかとおもいます。
真竹を私達、竹細工する者が買う場合、一束(一丸き)3800円です。
円周3寸約9p(直径約3p)だと50本以上、円周7寸約21p(直径7p)で3本、
円周8寸約24p(直径8p)で2本、円周一尺(約30p)直径(約10p)ではたったの一本です。
じゃーそれ以上太い真竹はというと、まず竹ヤブに存在しません。竹材店にも売っていません。
この円周1尺約30p(直径約10p)の竹はそれほど高価な
竹であり、太さそのものにまず、価値があります。
私も9寸(直径27p)の真竹までは使いますが1尺はいまだに買ったことがないです。
この1寸(3p)の違いはものすごく大きく、私達、貧しい竹細工職人には手の出ない遥か彼方のあこがれの太い真竹です。
ましてや直径12センチの真竹となれば、
戦国期の日本にもないはずですから幻の真竹ということになります。
孟宗竹を知らない戦国期前後の日本人は
太さ円周1尺2寸(36センチ)直径12pの孟宗竹を真竹と思いさぞかし驚いた事でしょう。
今の茶道は竹を切っただけの粗末な花入れの「わび」「さび」を強調しますが、
当時の茶人達はこの世にあり得ない太さの竹を使う意味をも少しは認識してたとおもいます。
竹研究の上田弘一郎博士の見解は一般的な孟宗竹の普及の場合ではないでしょうか。
唐物と呼ばれる竹で編んだ中国の花入れを愛用してた南蛮貿易の商人達は
当然、中国から孟宗竹を輸入してて屋敷に栽培してたのかもしれませんね。
結果、368のえびす様と私の見解が少し食い違いがありますが、
私のところは雪の多い寒い東北の真竹の話ですのであくまで参考程度に。
ただし、孟宗竹と真竹の見分け方はえびす様同じく節が一重なのが孟宗竹、二重になってるのが真竹です。
破竹(はちく)は私達、東北の竹細工の職人も使う事あります。
東沢様 これまたお忙しい最中手を休めての、ご教示有難うございます。
鮮明な写真を探しに図書館へ行って見ます。
盛んに書かせていただいてますが、どうぞ「異論」「反論」、
サンカに対する明治期の刑法など書きこみなどよろしく願います。
また、私の書きこみ無視した書きこみも願います。
今日はお正月の注連飾りや魚を売る市の歳の市で箕、竹細工を売ってきました。
ココからすぐ近くに奈良の大仏に塗金する黄金が出た
牡鹿半島の金華山という所が見えます。
しかし最近の歴史学者は涌谷町の「ののたけ」山こそが大伴家持の歌った金山の
小田だと言う人がほとんどになってしまいました。
私の祖母はこの「ののたけ」山のスグそばで生まれ育ちましたが
阿倍家に住んでまして祭祀も行われてたのに、そんな話は聴いた事がなかったし、
毎年当たり前のように涌谷になどいかず、金華山へ参詣にいったました。
私が今でも奈良の大仏は金華山ではないかと思うのは「宝もっこ」という
背中に背負う「背負い籠」が門掛け(訪問販売)してると注文がこの南三陸に
多かったということです。いまでもたまに注文を受けます。
宝もっこは「たがらもっこ」と発音します。
そばチョコをそれを背中に背負うぐらい大きく想像していただいて
首に土など入らないよう光背のように四角、又は丸く頭を保護する形のを付けて
編まれています。
今現在は、沿岸の岩場での海藻などの収穫や段段畑での野菜の収穫に利用されてます。
しかし、この「たがらもっこ」の「たがら」は私達の地方では金銀財宝を
意味します。
まえに、どなたかサンカの御子孫の方、ご先祖様が金山で働いていたとの
書きこみありましたが、私はこのヘンがホントのトコロじゃないかと思ってます。
普通の「もっこ」は木で骨組み縄などでこしらえますが「たがらもっこ」は
真竹でしてそれもかなり肉厚にして頑丈に作られてます。
隙間から土もこぼれないくらいきっちり編まれています。
泥金採取にも向きそうな気がします。
そして本来の意味合いと言うモノを一般の方々どころか買い求めてくださる
お客さんもしらないです。サンカと同じ生業の私の家が知ってるのも気に
なりますが、サンカと皇室の「金」の関係を証明するってトコまでは・・・
まだまだいかなそうですね。
ただし「日本書紀」だったいつか読んでたときに「人夫」とかいう漢字に
「〜たがら」という漢字が当てられてたことありました。気になってます。
374最後の部分、訂正します。
ただし「日本書紀」だったかいつか読んだときに「人夫」とかいう漢字に
「〜たがら」というカナがふられてたことありました。気になってます。
362>神官の家筋といってますが、ここは柳田がサンカ筋である事を
自認したようなものですね。フジワラドーは広島県高田郡向原町で
いう「ムシ(蝮)取りサンカ」の事です。カジワラではないです。
374>質問です。東北の箕作り(竹製品)は鹿児島や宮崎あたりから
九州サンカが移動して始めたのではないでしょうか?中世に南部氏
(甲州武田)が岩手や青森に入った時、熊野修験として付いていっ
たような気がします。中世期戦に敗れた豪族に薩摩の南方系の者が
同情して竹細工を教えたとあります。火明命・ウガヤフキアエズ命
は宮崎日向で、火明命・海幸彦山幸彦は宮崎・鹿児島の境にある市
房山などで祭られています。これらの信仰は大分の「ウエツフミ」
からの引用として信頼できないという説もありますが、この辺り
サンカの形跡が明瞭です。ハチヤの流れと合流してるようです。
「わら細工のネコ」ですが、金採取で金粉を回収するために使用し
たのではないでしょうか。佐渡金山では布を使用しています。これ
を担当する者が「禰子の子」で、高い所に座り鞭を持って管理する
女が「ネコ婆」です。
ふごは作られますか?もっこですか?材料は何でしょうか?
東北で力あるサンカは多分百済系でしょう。明治期に数人の大臣を
出しています。天皇との関係で中華系サンカも手を貸しているかもね。
この辺り明治政府に「遠慮して」柳田も三角も触れていないのですが。
「秘密に触れた」田山花袋の『帰国』は直ちに発禁になりました。
今でも差別されて山間部の先住民のエミシ(例えば室根山=鬼首山
、西日本で別所の者)と東北サンカの関係が気になります。
とびとびの質問で失礼します。また色々教えて下さい。
王様間違い。大様です。失礼しました。
376の王様、大様?・・・。
逆に質問したいんですが、
フジワラドーの「ドー」ってなんですか?
仙台藩では「ドー」はうなぎやどじょうの仕掛けをいいます。
私の家で売ってるうなぎ用のは「たが」で留められた竹製でしてロケットの形をしてます。
天井近くに置いてるとタマに蛇が入っています。
大きさは高さ160センチのうなぎ用から、めだか用の10センチ未満のまであります。
今週のNHK総合夜9時台の「NHKスペシャル」日本人はるかな旅で
三内丸山遺跡など2箇所の竹細工が紹介されてましたが、
現在の日本の農村の竹細工と全く違います。
縄文期は機能的で対象的なデザインのモダンな編み方をしてます。
日本の竹細工は多くは弥生期に華南、チベット、東南アジアから
伝わったような気がします。
非合理的な機能的でない編み方です。御神意や人の生死、生まれ変わり
・・・龍が編みこまれるためにこんなに非対称の編み方に
なってる気がしました。
縄文の竹細工は新宿の高層ビル式、
弥生=現代の竹細工は巻貝式、蛇や龍が一匹もしくは複数匹が絡んだ
様子を表わすように組んだり編まれています。
☆旧石器ねつ造発掘遺跡・70万年前の旧石器時代上高森遺跡☆
間違ってるのは政府や文部省関連の考古学・歴史学関係のエリートの方々
だと思います。
いままで科学的に正しいと全面的に見とめていたものを180度見解を転換したのか
藤村さんのニセ石器埋め込み告白だけを信じるなんて、
大うそつきの藤村さんの告白をバカみたいに国民の多くが信じるなんて。
なぜ、うそつきの言動を信じて古代史を消し去るのか、歴史は現地の
人々の話や発掘もして見なければわからないのに。
宮城県築館(月立)町の上高森、
70万年前の旧石器時代遺跡は古代の遺跡としての
登録が抹消されたことを今日新聞で読んで・・大変くやしいです。
このような大きな誤解を国民に与え極めて政治的な力が作用したのは
サンカの子孫(私の所の呼称はえびすこ、うずめ)の
私にとっては見逃せない、そして許してはならない事件だったと思います。
東北歴史資料館に私はサンカや口寄せなど私の祖父時代の文書の閲覧を
求めても全く相手にされないし、捜してくれなかったりしたことは
まあ、学歴がないし、身分も実際は低いし、身なりの悪い私では仕方がないです。
でも上高森遺跡の旧石器時代の石器を長い間、ガラスケースに並べてて
仙台のNHKでも盛んに長年放送したこれらの古代史を今度は一転全面否定
する事は危険であり、許し難い行為です。
また政府はサンカそのものを上手く消し去れるいい口実が出来たと考えたのでは。
原人マラソン、今年もせっかく皆さん開催して走ったのに。
何故、この古代の遺跡の村に住む人たちは今年も原人マラソンを日本中の嘲笑を
浴びながらも敢行したか?上高森地区の古代史(旧石器時代も含めて)
世界に誇る信仰、習慣、民俗に彩られた地元の住民にとっては
本能的に旧石器時代を感じ取れた場所だからだと思います。
大うそつき旧石器発掘男・藤村さんの言動を信じ過ぎた学者や
マスコミの多くの媒体はサンカの歴史そのものを巨大な力で
消し去ってしまったことに気がついていないかもしれません。
70万年前は可能性としては全く消えないはずです。
自然科学的に言いましても。民俗学的にはなおさらですが、
以後は後日。
376の王様?大様。
ウガキヤフキアエズ命が旧石器ねつ造発掘遺跡上高森のある付近の
アメノウズメに祭られてます。この「タガ」が発する、
竹細工(タガザイクと地元では発音)の「目かご」には
口承文芸のようなものがあります。
「タガ」はもちろんこの
上高森地区(地元では上高森とは言わないでタガモリと言う)
の竹細工にも編みこまれてますが、
天地を「縄」「注連縄」のように結ぶ一匹、あるいは2匹の蛇または龍
が絡み合ってトグロを巻ながら「地」と「天」を結んでいます。
その蛇、龍が天について出来た輪を私の家では「アヤ」
もちろん竹細工でも「アヤ」「アヤ淵巻」といいます。
竹細工の底組みを「タガ」、立ち上がっていくところを「タテ」と言います。
・・・笑いますよね、小学3年生レベルの作文で私がココまで書いてきた意味、
サンカ研究の皆様方なら、・・・なんかお気づきになられませんか?
宮本常一など、どんな民俗学の書籍にも書いてないだろうけど、
竹細工するものたち、旧石器ねつ造発掘遺跡
上高森付近の人たちの常識です。
ふご、もっこ、(ぱいすけ)=奴隷がつかうもの?
同じモノの意味です。
ふくべ、たがらもっこ(宝もっこ)=王朝の使うもの?
東沢様大変勉強になります。縄文の紋も竜ですかね?納得
アメノウズメの事を知りたいです。
北極星と北斗七星とみの、サルタひこ、うずめ、スバル座、勾玉、
そしてあまてる、どうゆう関係なのでしょうか?
384 :
天之御名無主:01/12/28 10:18
最初はみんなが驚くような情報を提示して、
その判断材料を示すことなくどんどん本筋のテーマからはみだしてゆく。
これサンカをめぐる議論によくある傾向。
結局、サンカというよくわからない、それでいておもしろいテーマで
人の気をひいてから持論を開陳したいだけなんじゃないの?
禿同。
>>384 一人独演会になってるよね。
まあ、読んでないからいいけど。
386 :
天之御名無主:01/12/28 17:48
kumanolifeゲストブックを見よ。
387 :
天之御名無主:01/12/29 21:35
384>判断材料を示すことなくどんどん本筋のテーマからはみだしてゆく
判断材料てのは?自分で持つもんじゃないか。本筋のテーマでのは何?
サンカといっても本だけ読んで満足してる者には、関心が狭く作られて
るから、新しい情報を受け取ると消化不良になる。まず自分の胃腸を鍛
える事だな。分りやすくいうと、甘えるな。385>君の場合は歯を手入
れして、噛む事からはじめることだ。乳ばなれしてないなら無理だが。
388 :
天之御名無主:01/12/29 22:24
ちょっと批判されたからってすぐ噛みついてどうする。イタイ奴だな。
持論を開陳するときには相応の覚悟があってしかるべきだっての。
つまらんものはつまらんのだよ。
>>387
389 :
天之御名無主:01/12/29 22:52
少し前のテレビか何かで沖浦さんがサンカの生き残り(生き残りってのも変な表現やな〜)
の人とコンタクトしたってことをやっていたと思うのですが、
誰か詳しくそのことについて知っている人いませんか?
さすがにテレビでも元サンカの人の所在地や名前、顔の映像は伏せていました。
沖浦さんはなかなか立派な学者さんですけども本当なんでしょうかね?
ガイシュツならごめんなさん。
みなさん、すみません。
やっぱり、自分にはサンカを学術的にはもちろん、小学校の作文レベルでさえ
今まで体験して来た民俗学的な知識を書き上げる力が不足してるようです。
「うえつふみ」「ウガキヤフキアエズ」「ふご」「サンカの先祖は金山で働いた」
などなどは、かなり真剣にお答えしたいんですが、今現在お正月に「箕」を売る
大忙しの年末で、ちょっと書けなくて申し訳ないです。
「御霊」を祭るためにどうしても「箕」が欲しいという方々に私は会わなければ
なりません。一番に生活のためお金が必要だから。2番目に箕にどのような「御霊」
のい祭り方をするのか聞き出すためにです。
室根山の「ふご」つまり標準語で言う「魚篭」ビクは、本一冊書けるくらい
量の情報は持ってます。もちろん室根山のある室根村は一軒残さず門掛け(訪問販売)
して聞きました。父母を含めるともう28年ぐらい竹細工売りに行ってます。
そして、消えた室根山の「ふご」の復元は職人さん達にお願いして試みてもみました
かなりの数、復元できました、もう10年ぐらいまえかな。今も保存はしてあります。
その辺、「箕」も竹細工も売れなくなるから、お正月にゆっくり書かせてください。
「上高森旧石器ねつ造発掘事件」(笑うしかないですね)書いた27日は朝暗くから
往復270キロ先の三陸「さかり町」で箕と竹細工を販売しましたが一枚も売れませんでした。
だからって、意味不明のサンカに関係ない旧石器の事を書いて良いのか?と問われ
そうですが(笑)・・・。箕が売れない腹いせに、書いたわけではないけどね。
昨日28日は「階上」で「箕」5枚売れました。今年家族が亡くなったのに
百か日過ぎたんでもう、新し箕に「お御霊」を「日」「月」で祭るそうです。
今日は「志津川」で「箕」4枚売りました。40代男、60代女性、70代男性、
50代男性でした。40代女性は5000円に負けろというので取引成立しませんでした
30日、今日は気仙沼に行ってJAの年の瀬「詰め市」で売りにいきます。
皆さんを絶対にアキさせない情報を書きますので、もちろん事実に基づきですね。
ご理解ください。
391 :
田中清玄研究家:01/12/30 11:20
>>389 ガイシュツですが
沖浦センセの「幻の漂白民サンカ」にくわしく
出ています。たしかに沖浦センセはりっぱで、
「サンカ」の秘密めいたロマンみたいなものは
被差別民に対する幻想にすぎない、という
スタンスで実に真っ当なもの。秘密・神秘の
かけらもなし。サンカヲタには
物足りないでしょうが…
ただ、センセの部落史研究についてもオーソド
ックスな反面、最近の部落史研究のスリリングな
転換をうけとめきれていないところがあり、
そういう方面からサンカにアプローチするっつー
のはまだ未開拓だと思う。的ケ浜事件とかね。
…なーんて余計な感想でした。
>>391の田中清玄研究家さんありがとうございます。ザッとスレ全体を読みますと
出てましたね。でも全体に沖浦さんの話題が少ないですね〜。田中さんのおっしゃるように
サンカにロマンを感じている人には人気がないようですね。自分なんかはここ数年はサンカ
と言えば沖浦さんかな〜って思っていたので少し皆さんとズレがあるようです。
でも持ってる本は「竹の民俗誌」だけなんですが(恥ずかしい・・・)野間さんとの
共著はザッと目は通しているのですけどもね。「幻の漂白民サンカ」が出ていたのは
知らなかったので早速読んでみます。あと「歴史民俗学」20号も。
ロマンチックな部分だけでなく色々批判もありますが沖浦さんみたいな
生々しい研究のほうが本当は迫力があって良いと自分も思います。
沖浦先生の『竹の民俗誌』は竹細工の部落の様子をが読めると思ってそのとき
買いました。岩波新書でしたよね。部落の様子が殺風景だなっておもいました。
花巻に住んでたとき、鹿児島の竹細工の仕事してる方に
「塩ごしざる」の事聞きたい好奇心から
電話をかけ雑誌に写真紹介されてた竹製品についてお聞きした事がその頃
あって、鹿児島の人はこんなのも楽しそうに竹細工のお話するんだなと
感じました。その話調に感じられる賑わいは東北の竹細工する人達の
賑わいと違う種類でしたけど、話しこんでると熱気を帯びるて来るのは
どこも同じかなとおもいました。
沖浦さんの新書を発売されたとき読んで以来、読まなくなったのは
竹細工部落の華やかさ、人々の輝き、自分の好きな神社の神様やお気に入りの仏様
を自慢するときの、例えれば好きな人の自慢話をするとき、嬉しさが顔に出るような
そう行った人々の「嬉しさ」や「ロマン」や「楽しさ」が感じられないからです。
でも、今は民俗学的な知識が少しついたんで、読み返してはみます。
394 :
草双紙趣味:01/12/31 11:39
>>392 どういたしまして。なお漂白→漂泊です。
恥ずかしいっス。
沖浦センセはりっぱな方なですが、
「竹の民俗誌」についてはかなり三角に
よりかかってて(そのあたり東沢さんの読後感
につながるのでしょう)、それでまじめな人
だから、これではいかん、と思って
「幻の漂泊民サンカ」を書いたのでは…
でも、やっぱりビミョーにガードが甘い気
がするんだよね。
あと、当方はやはりガイシュツの
「朝日と読売の火ダルマ時代」入手。
いやー、こ・れ・は・トンデモっすねー。
著者のHP見てもオカルトばりばり、
うれしくなるくらい、トンデモ。
トンデモなんだけど、「明治史にも
共通で、鉄道と電力会社の経営に関
しては、山岳地帯や河川流域を
握っていたから、サンカ系統が支配
する傾向が濃厚でした。」なんてくだり
は鏡花の小説とか、最近の部落史における
富山県の研究とか思い浮かんで
「ソースを、ソ、ソースを〜っ!」と
思わされてしまう私はすでに術中におちてる。
395 :
草双紙趣味:01/12/31 11:43
げっ。HNがっ。
ばればれ。だからどうしたって
いうほどの有名人ではござんせんが。
文学板のみなさまスマソ。
396 :
あけましておめでと:02/01/01 00:16
今年もマターリいきましょう
鶴亀注連縄松飾、獅子舞カゴメの中から鳥が出る
398 :
天之御名無主:02/01/01 12:10
サンカにロマンを感じている人には申し訳ないけど
サンカっていうのはようは山を拠点に活動していた
強盗団のことだよ。
399 :
天之御名無主:02/01/01 16:26
それはない(笑)
サンカの素晴らしい歴史の真実を、今年こそはハッキリ描き出したいです。
あけましておめでとうございます。
お正月やひな祭りなどあまりに基本的な行事の中に
サンカの輝かしい過去の風景が見え隠れしてるような気がしてます。
口寄せ巫女の家に住んで竹細工の門付けしてる私は前々からサンカと似てる
私の家の事々が、皆さんの書きこみのお蔭で、おそらくサンカだろうと確信
できるようになってきました。感謝申し上げます。
ちょっとレスしておきますが
398の方が「山」と単純におっしゃいますが、そこは、かつて王朝あるいは
豪族や拝領主が城をかまえてた所だったり、金山だったり、それを守る武器製造おもに
「弓矢」「楯」を作る「良質の竹」が栽培されてたところでしょう。
でなければ、巫女が王などの生まれ変わりを祈願した洞穴(山窟の窟に注目)か、
雨乞いで埋められた洞穴が近くにきっとあるとおもいます。
強盗団と、にわかには信じ難いです。
金太さんや皆さんのご報告、今年もどうぞよろしくお願いします。
≫383のそらさん。ありがとうございます。
縄文時代について全く詳しくないですが、縄文土器の縄模様は生まれ変わり、
「人の生き死に」にを意味しそうな気はします。
いま気がついたけど「縄文」の「文」は訓読みで
「あや」と読むというのも、興味が湧いてきますね。
宮城を中心に東北各地では神仏に向けて「箕」の上に「日月」の餅を
お正月にはお供えするところが多々あります。
「新し御霊」に祭る、ということはその家に新しい生命が(赤ちゃんとしてか?)
宿ることを意味するようです。
古代においては皇帝のみ行われた行事かとは思います。
天帝(北極星)にお伝えするのは北龍(北斗七星)です。龍の口は
ありますが「柄杓ひしゃく」の「柄先」つまり手で持つところにあたります。
死んだ皇帝の「御霊」は北斗七星の「ひしゃく」の水を入れる部分の端から
北斗七星を辿り、「柄」の先から天帝(北極星)に帰り、生まれ変わった皇帝
は、今度は天帝(北極星」から「柄先」へと、さっきとは逆に北斗七星を
渡り、この世に下りてきます。皇帝は天帝の意を受けた使者のようです。
ちょうど「M78星雲」からウルトラマンが地球を守りに来るようなものです。
任務を終えれば「M78星雲」に帰り、代わりの皇帝にあたるところの
ウルトラセブンが地球を守りに来ましたよね。
古代の人々は「柄杓ひしゃく」型の水を入れる部分、私達からは「台形」「ちりとりの形」に
見える部分を「箕」に見立てたからだと私はおもってます。
春の桜は花見のために植えられるたと思ってる人が多いようですが
かつて古代では死者が祭られた不気味で忌避する場所だったそうです。
箕のほとんどが「桜皮」で編まれてるのも死者の魂が祭られるからでしょう。
「ウズメ」は皇帝を御祭祀する巫女です。「昴すばる」はわかりません。
「勾玉」は私の家(つまりサンカか?笑)では「ともえ」の片方と考えると
思いますので中国製「つぼ」の首に付いてる二匹の龍を見ればわかる通り
「柄先」が玉緒(細いほう)、目玉の付いてる太いほうが水を入れる「杓」
の部分になりますが、いかがでしょうか。
ただし、あくまで私の家のある旧栗原地区の「ウズメ」の例ですが。
強盗団というのはちょっと語弊がありますが、
彼らがしばし山からおりてきては強盗もしくは盗みを
行っていたのは事実のようです。
関東では秩父、奥多摩のサンカがそのような狂暴なサンカだった
ようで、平気で人を殺すということで恐れられたようです。
この関東方面のサンカの取り締まりにあたったのが藤田森之助(刑事)でした。
戦前の話しです。
説教強盗とサンカの関係に関する本も出ていたと思いますが。
405 :
草双紙趣味:02/01/02 20:58
>>398 「サンカと説教強盗」ね。あの本、特に
増補版を読めばおわかりかと思いますが「サンカ
=強盗団」というのはちょっと短絡。
そもそも様々な漂泊・被差別民を「山窩」の名称で
まとめて犯罪集団扱いした戦前の警察の差別性、
また、三角その他が警察情報に依拠したため、その
差別性を踏襲してしまった…つーのが近年の見解で
沖浦センセの本にもくわしい。あと、三角以前から
その見解を広めるのに一役買ってしまった鷹野
弥三郎「山窩の生活」は明石書店から復刻が出てて
塩見センセの解説がグー。(つづく
406 :
草双紙趣味:02/01/02 21:06
…じゃサンカと犯罪が無縁かっていうとそこは
ビミョー。明治末から大正はじめに「山窩の
犯罪」なるものが頻発してたってのはガイシュツ。
もっとも集会持つだけで犯罪の時代、「歴史
民俗学」でいわれるような「農民型サンカ」
「警察型サンカ」の区別をたてるより、20世紀
初頭の非定住民政策(弾圧をふくむ)の問題として
歴史的にとらえるべきじゃないか…てのは私見。
(まだ続く)
407 :
草双紙趣味:02/01/02 21:16
そんなわけで同時期のヨーロッパにおける
ユダヤ人迫害やロマ(いわゆるジプシーね)
弾圧政策が気になって人類学板に書き込んで
みましたが相手にされてないみたい。
…てわけで「山窩の犯罪」イメージの強い
398様はもしやご年配の方?
「サンカと説教強盗」おもしろいっスよ。
「甲賀流の家に生まれた藤田刑事は、こ
れら凶悪犯グループが『忍者』系であること
をだれよりもよく知っていたのではないか。」
…トンデモっしょう。「山中決戦!サンカ対
NINJA」みたいな。でも、ちゃんと読んでく
となかなか説得力あってサンカヲタの血をわ
かせるのです。連続粘着書き込みスマソ。
408 :
そらに初日の出:02/01/03 10:14
401感謝 家に新しいいのちを招き入れる。古代の人が初日の出の
「おひさま」に手を合わせた気持ちが伝わります。
獅子や竜が求める玉こそ「いのち」の源だと想っています。
巴の竜が翡翠でできている勾玉だとしたら、森羅万象が「いのち」のかけらでしょう?
「いのち」はよく鳥で顕わされるようにおもいます。イナウ、ガルーダ、不死鳥
かごめのなかのとりも手をあわせた「いのち」でしょうか?
なかなか想うように体得できません。ウルトラマンに助けてもらうわけにも
行かないし。金太さんの見たサンカが「いのち」に一番近いような気がします。
〜364のえびすさんが紹介されてた柳田国男「にがての話」について〜
去年2001年12月のNHKテレビ再放送「貴州省の少数民族の竜船競争」、
同じく12月放映TBSの「世界不思議発見」での納豆のルーツを訪ねてで
雲南省タイ族などが見れました。
注目は、貴州省の少数民族が私たち日本人(奄美以南は除く)と同じ台形の
形の「箕」を使ってました。チベット、ヒマヤラ、揚子江流域の少数民族
朝鮮だけが日本と同じ型の箕です。
えびすこと口寄せ巫女、民俗学の皆さんが「サンカ」「シャーマニズム」と
おっしゃるこの組み合わせは、同じ源流と渡来の過程を辿って来たと
私は長年の経験というチョット怪しい感(カン)ですが、確信してます。
サンカや口寄せ巫女らに古代中華思想がしみてる理由がこの
朝鮮ルートで入ってきたことでカナリ納得のいく説明にならないかなと
おもってます。古代朝鮮人は貴族ほど中華思想に染まっていました。
沖縄南西諸島ルートで来てるとすれば中華思想が薄い気がします。
竹細工も鹿児島と沖縄の違いが大きいようですし。
また雲南省にも中国の皇帝から「蛇のツマミがついた金印」が送られた
「倭」の国が実在したそうです。中国にとって「倭国」は蛇のイメージ
だったのですね。「蝮まむし」などドウってことないわけです。
倭の女王、卑弥呼=アメノウズメ・・・だったらいいなあ。
〜孟宗竹とサンカの竹細工〜
前に孟宗竹のことについて聞かれて、ほとんどが真竹(関東以北はカラ竹など
という)や女竹の竹細工だとばかり思ってましたが、とても気になったので
竹細工の納屋や私が保存してる昔の竹細工を良く見返してみました。
土木工事で使われた土を運ぶ「もっこ」「ぱいすけ」などは孟宗の可能性
あるかもしれません。これは父が言ってた話です。
貧乏な竹細工師にとって安価な孟宗竹は割りづらくても手に入れやすいかも
しれません。「真竹」は値段が高いです。
それと、私がウッカリしてましたが、「うなぎ」「川の蟹」「どじょう」などを獲る
仕掛けのロケット型の「どう」は孟宗竹もしくは女竹系の篠竹であり
真竹の魚獲り筌(うけ)は納屋にありませんでした。
≫56の金太さんの所で紹介されてた「ザボ」を、私が竹細工の門掛けして歩いて
ると65才くらいの上の世代は「ざも」と声を荒く発声します。
長方形のふたつきの網代組みの弁当箱、針箱、書類入れなどに
利用する行李を意味します。これの大きいのが衣装行李です。
日の子、日高み、日巫子、彦、日嗣、王、大、多、宮、これってサンカ
つながりですかね?
アイヌまでは???天皇ってサンカのあとでしょうね?
413 :
天之御名無主:02/01/09 19:38
>>412 かつての王朝(三輪とか葛城とかか?)が太陽信仰、朝日、夕日を祭祀してて
そのなごりがサンカの信仰に残っていれば、あり得るのではないでしょうか。
口寄せ巫女の、梓あずさ弓はサンカであろうタガ掛けの人達がこしらえたものです。
それだけでもなんとかつながると思うけど。
1980年代以降、地元マスコミは東北の事を「日高見国」なんていうようになった
けど、北上山地の高い所から、本州で最初に朝日が見えるからっていう感じの
説明がよくされていますが・・・。
「日高み」は桓武天皇の子孫で平将門の先祖にあたる「蘗高見王」で調べて見た
ことがあるんですけど、資料が全くなく困ってます。
>>413 訂正、5行目「地元マスコミが古代東北のことを、
日高見王国などという感じでよく表現してたけど」
8行目、先祖にあたる「日高見王」で調べて見た
沖浦和光先生の「竹の民俗誌」10年ぶりに読み返してみました。
10年前はテレビやグラビアなどでしか知らない鹿児島の竹細工の
こと知りたくて読みましたが、「2ちゃんねる、民俗・神話学」
スレッドで勉強したお蔭で、今回は全ページ自分なりに理解しながら
読めました。結構、力作でしたね。
>>393で私が指摘した点は、私自身の記憶違いでした。
竹細工職人さんたちの明るい人柄など生き生きと紹介されていました。
特に縄文の竹の櫛が漆塗りだというあたりは・・・オモシロすぎる。
日本への竹細工の渡来は漆と一緒だったのか?。いや渡来したのでは
なく日本列島で発生した技術工芸だったのかなどなど・・・・
この廉価な新書からだけでも、お話が無限に弾みそうなのに・・・。
416 :
天之御名無主:02/01/09 20:17
「私はサンカ系?」スレからのコピペ
28 名前:天之御名無主 投稿日:02/01/06 03:42
先月号かその前の号の部落解放同盟の機関紙に
サンカ特集やっとるどえ。
サンカの人のインタビューものっとる。
29 名前:ひでよし 投稿日:02/01/06 09:56
『部落解放 11月号』の「漂白に生きた人びと」ですね
僕もそれを読みました
沖浦和光氏は松平定信の『宇下一言』という自叙伝に
「天明のとし、諸国人別改められしに、まえの子のとしよりは、
諸国にて百四十万人減じぬ。この減じたる人、みな死にうせしには
あらず、ただ帳外れとなり、又は出家・山伏、又は無宿となり、又は
江戸へ出て人別にもはいらず、さまよいありく徒と成りにける」
とあることから、これらの「さまよいありく徒」の中から、「山野河川に
臥して瀬降り生活を営む「サンカ」が生まれたのではないか」という
説を書いておられます
30 名前:訂正です 投稿日:02/01/06 09:58
「漂白に生きた人びと」 → 「漂泊に生きた人びと」
個人的には沖浦氏の本は大好きなんですけど、皆さんは
お嫌いなんでしょうかね?
>>376の王様、少しずつお答えします。
>「わら細工のネコ」ですが、金採取で金粉を回収するために
使用したのではないでしょうか。
そのとうりだとおもいます。王様と同じ答えは郷土史の執筆者で私が信頼してる
方がそうおっしゃっていました。もう一つ、宮城県涌谷町に「金山の古代ロマン館」
が数年前に完成したんですが、そこでも同じように説明されていました。
ただし、サンカの子孫らしく東沢美史は「異論」述べます!。
この、「稲わら」で出来てる「ネコ」は金鉱石、泥金を入れる
「たがらモッコ」を背負うときに背中が痛くて大変なので、それを和らげる
クッションとして背中に着る物だと考えています。
また南三陸では第二次世界大戦後、中国から伝わったという
土木、農作業用「一輪車」のことも、「ネコ」とも言います。
もしかして、「たがらモッコ」のことを「ネコ」とも言ったかな?
形が似てます、上にいくにしたがい広くなって。横からみると三角だし。
なを、稲わらの「ネコ」は「ネコげら」とも言います。
「根子」は古代天皇に使われてる漢字というのも注意したいです。
「ネコばば」もその辺に意味があったんですね。
>>376の王様のご質問にお答えさせていただきます。
>東北の箕作り(竹細工)は鹿児島や宮崎あたりから、九州サンカが移動して
始めたのではないでしょうか。
宮崎の「箕」は知りませんが、沖浦先生の「竹の民俗誌」203Pに載ってる
薩摩の箕と酷似してる箕が福島、宮城、岩手県南で確かに作られ販売されています。
ココは藩政時代の伊達家、相馬家などの所領地にあたります。
南部氏の所領がどこか正確に把握できていませんが、岩手県北、青森だと
すれば鹿児島の箕とは全く違った材料、編み組み方なので、南部氏の可能性は
低いかなと考えています。
ただし、平成の今現在の箕の販売、使用されてる現状から述べました。
中世のことは全くわかりません。
岩手遠野の近く、大迫というところや岩手北部の箕は木の皮が主材料でした。
孟宗竹について『平凡社大百科事典』の日本渡来は1728年か1736年とする説
(上田弘一郎+高橋文次郎)をご紹介しましたが、新しい資料を見つけました。
最上宏『日本食糧史考 下巻』の「孟宗筍」の項に次のような記載があります。
「天文元年(1532年)<薩摩>藩士野村良昌、琉球より孟宗竹、楊柳、夾竹桃、唐垂竹
を持ちて帰れりという。蓋し此時は竹桿を移入せしものなるべし」
(「薩藩の文化」より抄録)
1532年は百科事典の記載より約200年も前。戦国時代のド真ん中で、千利休は10歳。
「蓋し此時は竹桿を移入せしものなるべし」と根拠もなく推定していますが、
同時に持ち帰った植物と並べて見ると、これだけ「枯れ竹」とは考えにくい。
次が琉球に孟宗竹を献上させて移植した藩主の功績記事なので「ハハーン」(笑)。
その後、200年間、中国とも琉球とも、ずっと交流があったのですから、
東沢様のご指摘の通り、私人レベルで孟宗竹を輸入し栽培していた可能性が大です。
柳田国男「にが手の話」「にが手と耳たぶの穴」について補遺。
彼がこの文章を書いたのは68歳。功なり名遂げ、養父も兄も亡くなったあとです。
大様も指摘されたように、サンカ=山人の末裔であることを自認したものと思います。
この文章の意味する重要な点がいくつかあります。
1,沖浦和光氏らは、サンカの発生について農山村にいた人の一部が幕末のころ
社会的危機の時代に生活基盤を失って漂泊生活に入ったという説に傾いている。
(『三角寛サンカ選集6 サンカ社会の研究』の解題など)
入団審査があるわけではないから、そういう人もかなりいただろうと思います。
しかし柳田氏は、手や耳に身体的特徴を持った部族?が山人の中核にいることを、
わが身と自分の子や孫を材料にして、民俗学者の良心にかけて主張している。
それを間違いとするなら、きちんと証拠を挙げて反論することが必要と思います。
2,柳田氏が中年以降、山人に対する関心を失っていったとする説がある。
柳田家の養子となったので、養家の保守的体面への配慮はあったでしょう。
しかし彼にとって山人とは自分と祖先のこと。関心を失うなんてありえない。
3,柳田は「にが手と耳たぶの穴」で、また、こう書いています。
「私の家の家系は大体明らかで、少なくとも十代ほどの間は、
蝮取りなどをして居た者は無いのである」
つまり、にが手の特徴をもつ山人が、すべて蝮取りをやっていたわけではない。
信州北安曇郡などでは「蝮指の人は発明だ(賢い)と言い伝えている」とあります。、
そういえば、高名な学者を輩出した日本最大の学者一族は、箕作氏でしたね。
柳田氏も「山から降りてきた」神主が多かったと、どこかで(忘失)書いています。
彼の祖父は後に兵庫県生野銀山に住んでいますから鉱山師の関係かもしれない。
柳田氏は自分たちの手の特徴を言っているだけで、みな蝮取りだとは言っていない。
そ
421 :
419つづき:02/01/10 20:33
そのへん誤解なきようおねがいします。
東沢さん>農作業用一輪車を「ネコ」。戦前から中国地方でもいいます。
中世に九州から菊地一族が南部氏と共に移動しています。配下にサンカ筋が
いたようで、上は江戸時代は番人役人や山伏です。遠野の1/4は菊地姓と
か。宮城の階上町?の方から地元では全く分らないルーツ検討を依頼されま
したが、祖先は山伏・非人・サンカ・役人だったと判定しました。
また相馬藩に女が「サンカ被り」したそうです。ハンディーな『歴史辞典』
岩手・三陸沿岸部・会津・山形にもサンカみたいな地名があります。
えびすさま有難うございます。
江戸期は当時渡来の中国人や朝鮮人は優遇されました。地名で分ります。
「にがて」は1)蛇を自由にできる者。2)横浜(港北区)烏山で猛蛇を平気
で掴む者。3)北安曇郡で働き者。4)北設楽郡で掌に一文字に横筋が入る者
。5)兵庫で呪力ある手だから腹痛も癒す。しかし5)島根邑智郡この手の作
る食べ物は全て拙い、芋茎の煮物もえぐくて食えぬ(木地師地帯だからか?)
。とあります。
蝮捕でも、竹に挟んで捕るのは素人。プロが来ると蝮が怯えるとか、蝮がいつ
どこにいるか分り、蝮を手掴みできる事が必要のようで、按摩をして戴くとよ
く効くそうです。「にがゆび」香川で蝮指、蛇を平気で掴み、按摩も器用。
美作藩の箕作氏の後裔はかつての宰相。今の国会有力議員にもいるそうです。
岡山津山市は山の民のシンボル・ゴンゴ(河童)祭が盛んです。
柳田国男(旧姓松岡)十代遡れば江戸時代以前になりますか。
>>376の王様のご質問に続けてお答えします。
>中世に南部氏(甲州武田)が岩手、青森に入ったとき熊野修験として
>ついていったような気がします。
>中世期戦に敗れた豪族に薩摩の南方系の者が同情して竹細工教えたとあります。
薩摩の竹細工は直径3センチから10センチくらいの「真竹」の竹細工が
ほとんどだと思うので、とても信じられません。
岩手県最南の一関、陸前高田あたりが「真竹」の日本列島における北限なんですよ。
一関、気仙以北は女竹系の細い「篠竹」「鈴竹」「根曲がり竹」を材料とする
竹細工が時代をさかのぼるほど主流だと思います。
ただし、可能性が低いとはおもいますが、岩手中央に「七夕竹」という
直径3センチくらいの男竹系(?)の背丈の低い竹があります。
この竹が盛岡、花巻、北上地域で「真竹」の代用として使われています。
これが、沖浦先生「竹の民俗誌」204P写真の「箕」に使うキンチクに似ています。
これが可能性として考えられますが、かなり例外的で・・・当たる確率は
・・・低いとは思うけど・・・参考までに。
しかし、甲州武田氏の線はある程度想像できます。
山梨の竹細工について私が知ってるのはテレビ映像なんですが、
東京の人が使ってるざるを指して「甲州ざる」と呼んでるのを
見たことがあります。ブラウン管で見るかぎりなんですが
これは直径7ミリ前後の「鈴(すず)竹」のザルに見えました。
何を隠そう、これが岩手県南で作られてる箕の材料の竹種です。
また岩手気仙、盛岡、数戸地域で一般に使われている女竹でもあります。
股旅というんでしょうか、東海道を旅する人達や水戸黄門の助さん、
角さんが肩にひもで掛けて歩いた「ザモ」もこれと同材料かと思います。
山梨県側の富士山に自生してるかな?
どうも「サンカ」というと九州の「隼人」ばかりが
脚光を浴びてて、うらやましいです。
宮城の私としてはもっと、東北「エミシ」に頑張ってもらいたいけど
・・・意に反して実は宮城、岩手の南三陸の「隼人」について
年末に志津川と今月7日に地元栗原で確認してきました。
東北の「隼人」情報については以下の二つを除いて今のところ思い出せません。
しかし、鹿児島の「川内」、宮城の「仙台」は仙人が祭祀を執り行った
場所の地名かなあーと、ド素人流ですが考えたりしています。
でも、宮崎の気になる地名「南郷」が宮城には気になる場所に
数カ所あるのでとても気になっています。
宮崎「白銀神楽」と宮城「南部神楽」の「鬼神」も比較してみたいです。
それから太平洋に近い「室根山」の「明かり、のろし」が50キロ離れた
私の栗原の地で見えます。大伴家持が「海ゆかば」で詠んだ
みちのく産金の「ののだけ」も、両方見えますが、父の話では
これが「隼人」だそうです。「のろし、狼煙、烽火」漢字変換便利で
うれしいんですが、これですね。
なんと言ったか正確には忘れましたが「隼人」関連でした。
「エミシ」ではなかったとおもいます。
ただし、あくまで私の家だけの言い方ですが。
もう一つは私が尊敬してる民間の中世の歴史学者、佐藤正助先生の
「幻の隼人館」です。これをシュリーマンのトロイの遺跡になぞらえる
程の発見として、南三陸の「志津川物語」の書かれていました。
現地に行って見て確認する研究姿勢の佐藤先生にあって、
「幻」がつくほどロマンを抱く遺跡発見が予想もしない「九州」関連
だったとは・・・。
「隼人」と「エミシ」の「箕」。これでつながるかも。
沖浦先生の「竹の民俗誌」、東北でもイケそうです。
423>竹の種類は不明ですが、新潟佐渡で大量の竹細工を作り、小木港から
東北へ北前船で運んだようです。
近年大分の山間部で母さんが「すす竹」取りをして、兄弟が竹細工を
してた方が熊野ライフに投稿しています。
金太はどうした。
>>425の王様が書かれていた「北前船」、民具の竹細工まで運んでましたか。
佐渡の真竹の亀の子形のザルは酒田あたりに輸送されてたかな。
古代、中世と津軽安東氏?の末裔なんでしょうか、私なんかが思ってた以上に
船、海運は盛んに行われているようですね。航行の技術も成熟してたようですし。
佐渡は戦後の日本でも別府、京都、鹿児島なんかと並ぶ竹細工の産地です。
なんでまた、この島がこんなにも竹細工が発達したのか不思議です。
?%E0山が関係してるのでしょうか。
私のすぐ近くに住む真竹の竹細工職人さんも竹工芸がやりたくて%イ渡へ行きたかったそうです。
戦後間もなくの東北の若い竹細工職人たちは京都じゃなく佐渡に憧れてたんですね。
新潟県の竹細工は「根曲がり竹」「真竹」「すず竹」と地域によってバラエティー
に富んでいます。
私が注目してるのは、十日町市の根曲がり竹の竹細工は津軽岩木山付近の竹細工に
酷似してるということです。こんなにも離れた地域なのに何故なんだろう。
長野戸隠の竹細工も津軽岩木と同じ竹種なんです。
「すす竹」「煤竹」は古い民家の萱葺きの屋根に使われていた真竹が、
長年の囲炉裏の煙で「あめ色」に変化したものをいいます。
似てる発音ですが「すず竹」「鈴竹」は女竹系の菜箸くらいの細い竹です。
昨日ちょっと考えてみましたが、阿倍貞任、宗任の伝説が九州、山口なんかに
あるということは、移動手段としてやはり当時、船でしょう。
宮崎あたりの「竹の弓作り」の技術は真竹と一緒に後に南部氏の所領に船で運ばれ行ったという
可能性が、武具の場合とても重要ですからあり得るのかなとおもいました。
また、真竹の自生しない秋田、青森では真竹が有力な交易品にもなるかも知れませんね。
今でも竹の弓の生産は宮崎が多いようです。
>>427、2箇所訂正します。
7行目、金山が関係してるのでしょうか。
8行目、竹工芸がやりたくて佐渡へ行きたかったそうです。
というか、私の耳たぶにも生まれつき窪みがあります。
わたしは東北の某県出身、両親もそうです(しかし、両親には
この窪みなし)。このスレすごく真剣に読んでしまいました。
みんなも自分の耳たぶチェックしよー
子供のころ「えんちこ」とゆう竹製のかごに入った記憶があります。
東沢様、鹿の角と、金の精製方??もう少し詳しく教えて ください。
私は残念ながら耳たぶに窪みがないなあ。サンカ失格でしょうか。
日本人の20%はそうらしく、穴があいて産まれて来る赤ちゃんもいるんですね。
>>430のそらさん。私ももちろん、父の仲間の竹細工の職人が作った「えんつこ」で育ちました。
じゃないと、囲炉裏に這って行ってしまうんだそうです。
精製方、それ知ってたら今頃、私は大金持ちになってます。
仙台のNHKでみたときは、鹿骨の上の金鉱石が焼かれると科学反応が起きて
すんなり金に成ってましたが。家の近くでは諏訪神社で行事やってたそうですが。
今晩のTBS,「世界ウルルン滞在記」ネパールです。
予告では竹細工が見れるようです。
柳田が書いた石神信仰に関連するインドの神様もみれるかな。
耳たぶに窪みがある者です。
父母は一輪車のことを「ネコぐるま」と読んでいました。
一度しか遊んだことの無い山奥に住んでいる従兄弟(当時小学生)はマムシを
平気で捕まえて焼酎に漬けて売ってました。
たとえサンカじゃなくても特異な一族だ、、、
東沢さんマムシは平気ですか?
>>432の天之御名無主様、ありがとうございます。
私の母は竹細工の門掛けしててよく犬に追いかけられたり、
噛まれたりもしました。
10数年前でしょうか竹細工売りしてて後ろから犬に噛まれました。
母は噛まれた足の傷を見ては
犬から悪い病気が移ったんではないかと心配していましたが、
家にあった「蝮まむし焼酎」を試しにぬってみたら
驚くほどきれいに犬の噛み傷が治ったと言ってました。
それまで蝮を気持ち悪がってた母が、今でも皆に効能を宣伝してます。
私は焼酎のペット・ボトルに入ってる蝮はいいけど、
手掴みはやっぱ、できないですね。
434 :
耳たぶの穴1 えびす:02/01/14 01:09
柳田国男は先にご紹介した「にが手と耳たぶの穴」とほぼ同じ時期に
「耳たぶの穴」「耳たぶの穴の一例」という文章も書いています。
この3つに記載された、耳たぶに穴か窪みがある人々は、
次の通りで、ほぼ全国にわたっています。
◇秋田県大館市にいる板額(鎌倉時代の猛婦)の後裔。
◇茨城県猿島郡の旧若林村の旧家。
◇奈良県吉野郡天川村坪ノ内
◇岡山県勝田郡(美作地方)の旧北和気村の唐人氏。
◇長門見島のフジワラトウ(瀬川清子「見島聞書」の引用)
◇山口県厚狭郡
◇山口県大津郡の海岸
◇徳島県勝浦郡の海岸
◇豊前、筑前のカヂワラドン
そして柳田国男はこういう仮説ないしは空想を立てます。
「我邦でも可なり近世になるまで,
まじないや祈祷に従事する女子または児童のみは、
耳たぶに何か金属の環をはめていたのでは無いか。
そうしてその職業が世襲で合ったために、
代々の耳たぶの形が普通とは変わり、
その後天的特徴が固定してしまって・・・
子孫にその形を遺伝するのでは無いか」
ただし「今日の生物学では後天の奇形は遺伝せぬものとなっている
のだそうである。しかし世間では専らそういう解釈をしていた」
と後に書いて仮説を引っ込めたような形で終わっています。
435 :
耳たぶの穴2 えびす:02/01/14 01:16
耳たぶに穴をあけるのは、植物の精霊の言葉を聞くためだったという説を
初めて出したのは、西宮紘『縄文の地霊』(工作舎、1992) です。
(もっと前にそんな説があったら、教えてください)
この本の「入墨と装身具」の項に、次のような推定が記されています。
「縄文人たちの中には、鳥や動物たちと話したり樹木や草花と心が通じ合うとか、
つまりそれらの精霊とのコミュニケーションができたり精霊の姿を直接見たりできる
といった不思議な能力の持主がいた。
大なり小なり縄文人にはそのような素質があったと考えられるのであるが、
中でも特別にそのような能力のずば抜けている者がいたのである。
私はそういった能力の持主を霊速人 (チハヤビト) と呼ぼうと思う」
「霊速人は、さまざまな精霊と交流するにあたって、さまざまな呪具を用いた。それ
は彼のイニシエーションにおいて彼を教え導いてくれた精霊によって与えられたもの
であって、その材料・作り方・使い方から効果まですべて十分に知り尽くしていた。
彼らはそれらの呪物を絶えず身辺に置き、あるいは身につけており、自分の肉体の一
部としていたのである。たとえば、縄文中期の耳栓 (じせん) といわれる耳たぶに穴
を開けてはめこむ呪具は、植物の言葉を聞き取れる不思議な呪具であった。
特に女性の霊速人の場合は、集落の女たちが、植物採集にあたってあらかじめ植物た
ちの精霊の言葉を聞く必要があったのである。そんなわけで、耳栓のデザインは、人
間の耳の内部構造に近い有機的な形が模されたのである。現代風に言えば一種の補聴
器のようなものである」
「この髪型 (両耳のあたりで輪のように束ねて緒で結ぶミヅラ) の縄文的原像はおそ
らく耳輪あるいは中期の耳栓に相当するものであったに違いない。これも祖霊の髪型
を踏襲したものであって、さまざまな動植物の言葉を聞き分け得る呪いの形であった」
436 :
耳たぶの穴3 えびす:02/01/14 01:19
西宮紘氏は「耳たぶに穴をあけてはめ込む呪具」を縄文の呪具としました。
しかし台湾にも耳たぶに竹筒を通した女性が稲の精霊と会話するという伝説がある。
また、先に挙げた岡山県の例は「唐人氏」だし、徳島県の例も渡来伝説があります。
縄文系先住民には、たしかにそういう伝統があったに違いない。
しかし何千年も多民族多部族が渡来してきたこの国は一色で塗りつぶせない。
中央アジア以東の多様な流れが積み重なっているとみたほうがいいと思います。
*
「縄文系先住民には、たしかにそういう伝統があったに違いない」と書いたのは
群馬県の榛東村耳飾り館のことがあるからです(耳たぶの穴に関心のある人必見)。
榛名山の東に「榛東村耳飾り館」という博物館があります。
群馬県榛東村の茅野遺跡(縄文後期〜晩期)から土製耳飾り多数が出土したのを機に
世界の耳飾りからピアスまで、多数収集して展示したユニークな博物館です。
(上越線渋川駅下車・バス、群馬県北群馬郡榛東村山子田1912 電話0279-54-1133)
展示の土製耳飾りの多くは直径1cm〜10cmの滑車型。
中央に孔を開け、透かし彫りをしたものもあります。
耳たぶに孔をあけてハメ込んだものと推定されていて、ピアスの起源ですね。
膨大な出土品の耳環を柳田国男先生に見せたら、何と言ったでしょうね。
427>北前船は佐渡の相川、赤泊、小木、夷(両津)など港があり。佐渡金山は
最盛期2万位の人口ある地帯で、初期米や魚を輸入してたが、後に輸出です。
もちろん多種多様な大量の竹製品などが金山で必要。佐渡の若者が十年掛りで
作ったテム研究所『図説佐渡金山』五千円は詳しく、絶対のお勧めです。
大正時代に柳田国男は十二名の竹細工師ありとしますが、昭和のある時期
小木周辺でも数百人が従事と地元の方がいいます。新潟・青森岩木・長野戸
隠とくれば、大国主命祭る出雲系の形跡があれば、出雲系サンカでしょうか。
材料や加工方法や編方で区別できるかも?分ったら教えて下さい。
429>日本に多い癩廟もそうですが、耳の窪みも隔世遺伝でしょう。多分蝮が
手掴みできるはず。危ないと思うなら蝮を殺さず、失神させてからにして。
428>白木の皮紐で編む笠や籠もあるそうですが。山形タラの木平のイタヤ楓
と同一でしょうか?物部の読み方は、もののべですか、ものべですか?
438 :
天之御名無主:02/01/14 02:30
山窩って、ようは非人でしょ。
439 :
宮本常一先生万歳!:02/01/14 03:10
山窩は世間師(しょけんし)と自称するそうです。
ところで日本が生んだ大人類学者宮本常一先生は瀬戸内の島の出身ですが
自分のお父さんが世間師といわれ、島々を放浪しフィジーまで労務者でいったこと。
島には世間師がいっぱいいて放浪と帰島を繰り返していたことを
語っています。
宮本家は武士または郷士の家柄ですが、山窩が瀬ぶりをやめて
島に定住したのでしょうか。
それにしても島じゅうが世間師だなんてスゴスギル。
宮本先生が日本中を歩いて放浪したのも山窩の出身故か?
各地で山窩ネットワークの支援を受けていた可能性大!
宮本常一=最後の山窩説を宣言します!
440 :
天之御名無主:02/01/14 06:24
耳たぶのくぼみ…なんかそれっぽいのある…
っていうか父さんはもっとくっきりあるし、
>>434みたら秋田県大館市って地元だよ…
由緒正しい百姓だと思ってたら数代前には非常民だったりするのか!?
<440数代前には非常民だったりするのか?
数十代前には王族だったかも。いや大族かな?
442 :
耳たぶの穴4 えびす:02/01/14 14:50
【板額 はんがく】鎌倉時代の勇婦。越後の豪族城資盛の姨。
1201年、資盛が幕府に抗して越後に挙兵したとき自ら陣頭に立って敢闘したが
遂に敵に捕らえられた。後に甲斐の浅利義遠の妻。(広辞苑)
柳田国男は「此地方(大館)は浅利與一の旧領と伝えられる処」と。
浅利義遠と與一との関係が分かりませんが、板額の後裔であれば、
たぶん領主の妻の一族。武士でも大百姓でもおかしくないですね。
443 :
宮本常一じゃ:02/01/15 17:56
439>わい周防大島の生まれじゃ。サンカではないぞ。乞食との区別が
分らぬかったことからもな。周りでは江舟の流だというちょる者も
おるのじゃが。わいの書いた本をよく読んだら分かるはずじゃ。
大島は平地も少なく男は石工・大工なんぞ職人になった。そいでいろんな
所への渡りをしたものじゃ。一度は島をでねば半人前あつかいじゃ。
瀬戸の島に生まれた定めよの。
438>非人でも、小屋頭に支配された抱え非人ではない。役人共は野非人
やら河原非人・非民とかいっとるが、歴史もあり由緒ある非人で、何物
にも縛威られぬ自由人なのだ。いまでいう非国民と同じく思想も自由だ。
ことが
424>鹿児島「川内」、宮城「仙台」のセンダイは、矢切止夫によれば
「焼き殺す」の意味とか。なぜかと理由を聞いたら「内裏様をお雛さま
というから」だそうです。なぜか?調べた事は無いのですが、仙台は
エミシを虐殺の場所と推定しています。分る方教えて下さい。
>宮崎の南郷はエミシ討伐軍の俊哲の故地で、百済王隠里伝説の地にして
祭もあり、九州には珍しく韓国の町と交流中です。旧家に菊地・原田など
姓があります。山岳地帯に近く東郷・西郷・北郷町があり、木地師地名も
あり百済人のアジ−ルでしょうか?酒好きの石川琢木の出身地だったか?
>宮崎白銀(しろみ?)神楽。しろみはエミシ・俘囚を流した別所の地とみ
ていますが、未確認です。神楽が多くあるので出雲系でしょうか。西都市に
あるはずですが、米良・諸塚・椎葉・相良・五ヶ瀬・矢部・水上・蘇陽・清
和・高千穂など鉢屋・サンカの匂いが強烈。敗戦直前に源田実(私の遠縁)
が昭和天皇を擁して立て篭ろうとした?のも確かこの辺だったでしょうか?
ならば百済サンカが強いのか?西米良のシンボルは山サンカ・サンガの狩子
坊主です。旭化成のある延岡市に最も集中してる印象です。
東京都青ヶ島村の助役をしていた菅田正昭は「島人というのは、何かの都合で
海上に出たまま島に閉じこめられたサンカの子孫である」「あるいは騎馬民族の
侵入で、山のほうへ逃げ込んだのがサンカ、いっぽう本土から海のほうへはじき
だされたのがシマピトということになり、結局はサンカと同族ということになる」
という仮説を立てています(「言霊の宇宙へ」)。まだ荒削りの、あくまでも仮説
ですが、青ヶ島の籠作り技術などを知ると、むげには捨てられない気もします。
>>434、435、436えびす様の「耳たぶの穴1.2.3」読んで
なんか、ロマンチックな気分になれました。
>耳たぶに穴を開けるのは、植物の精霊の言葉を聞くため
「植物の精霊」なんて
まるでジャングルに囲まれたトロピカルな地域の民俗みたいです。
いにしえの日本にもそんなエキゾッチックな風習があったんですね。
447 :
天之御名無主:02/01/18 09:53
445>何かの都合とは?青ケ島は流刑地ですか?流刑地なら無宿や犯罪人を
島流しや島送りにしたものでしょう。本土から島にはじきされたとはどう
いうことなのでしょうか?瀬戸内では本土で職のない二・三男が物はこび・
石工・石灰堀、舵子や浜子稼ぎで島に移っています。もちろん竹細工も魚
・商・工業に不可欠だから島にかなりいたようで、サンカもいました。
>>444の大様
不吉な数字ですがいつか死んだら「鬼神」となり、
東北の地霊になりたい東沢、喜んでお答えさせていただきます。
(日露戦の祭祀する軍事人の言い方真似てみました、鬼神は祭祀
するものでもあり、成れるもののようでもあります)
エミシの首長(皇帝?)の城は「魁の館」などとも言います。
岩手の王(大)堤などは平安朝を恐れさせていたのではないでしょうか。
鬼神を意味する「すぶと」の城などもあるいはそうかもしれませんね。
その実際に地上に築かれし水城、山城でもいいけど、「魁」の「斗枡」の部分
つまり北斗七星の柄杓の「杓」の部分は、もちろん「4つ星☆」で地表に表現するようです。
朝廷を平伏させるときは北斗七星に祈ったとおもいます。
もちろん、逆に朝廷軍も「杓」の「4つ星」サンカでいえば「台形の箕」
の上、「台」でエミシの平伏を祈祷したはずです。
わたしも一応実際に確かめては見ました。府に落ちない地区もあるけど
東北各地おおむねイケルト思いました。
では、実際に仙台市の仙台は誰の平伏祈願で築かれたものか。
アテルイ、阿(安)倍貞任、奥州藤原氏、源義経などなど考えられますが。
祖父らの好きな話でしたし、今でも近所の皆さんこの話題はするけど
ニセ旧石器上高森遺跡のある町の太田を明治大帝がもしかして
訪れたときにご祭祀していれば、太田田根子を連想してしまうので
大様の言葉をお借りしますが黄金の
「出雲系サンカ」を仙台に滞在しながらご祭祀なさってたかもしれないです。
数年後、エミシ軍や鬼神も朝廷軍に従い日露戦へと向かいました。
矢切止夫氏の「焼き殺す」は異常に気になる文です。
何の文書や言い伝えから引用されたのでしょうか。
帝国陸軍の文書なら、ぜひ拝見したいです。
448>矢切止夫はセンダイが焼き殺す、ネブタは捕虜に生き埋めにして
その上に土をかけ投降した捕虜に踏みつけさせる事(ネブタの踊りの
足の下ろし方で分る)と言いいます。放免は命が助かりたいために仲
間を裏切りスパイする者の意味で、地名にあります。またこの流れが
江戸期の岡引・御寮・放免のようです。鹿児島の川内は古代に虐殺の
地というのは何かの本でみたような気がします(間違いかも)。
矢切止夫の場合、引用をはっきりしてない事があり困っています。
矢切の本に詳しい方に問い合わせて見ます。お待ち下さい。
ただ別の方は、センダイは梵語から由来とかで詳しい事は聞けません
でした。
ネブタは石川県の地名で見ると谷あいのような地形があったように
思います。
444>の王様
>仙台はエミシを虐殺の場所と推定しています。分る方教えて下さい。
448>の東沢様
>では、実際に仙台市の仙台は誰の平伏祈願で築かれたものか。
隣の多賀城、若林区の国分寺・国分尼寺、太白区の長町のところの地名「郡山」
この辺りか霞目飛行場辺りに国衙跡があったのでは?また、仙台市西部は山あり
谷ありです。「八木山」なんてどうでしょう?
「平伏」はやはり対エミシでは?
東北の仙台は「杜の都」とよくいいます。「杜」ってなんでしょうね。
森林、木々の他に深い意味がありそうです。奈良、平安朝より古い伝承を
持つ無名のお宮のご年配の方が、
心無い右翼の人達の脅しに日々怯えながらも私におっしゃいました。
「宮城は消された宮城(きゅうじょう)が有ったところ」と。
お賽銭を入れなくともいい、お布施は絶対受け取らない、裕福そうでないお宮なのに
縁起聴きに初めて行った私に旧友のように招きお酒を振舞うような、
いにしえに栄えたエミシの都の誇りを今に伝える寺社を守る方々が現在もいます。
奈良、平安朝以前の縁起をもつ、神社庁にも宗教法人とも関係無い
もちろんイカガワシイ金目当ての信仰宗教とも無縁で、
法人登記を見とめない県庁などと
対立してる小さな寺社がいくつか輝きつづけてるのが今の仙台です。
この仙台近郊にこそ日本一の箕の産地が戦前までありました。
>>450ケアルイさん、ありがとうございます。
>「平伏」はやはり対エミシでは?
そうですね、残念ながら我エミシ軍にかけられた
平伏、戦勝の祈願だったでしょう。
もちろん奈良、平安朝の頃の多賀城は陸奥の国を平定するために
朝廷側が設置した政庁でありましょう。
しかし、奈良時代以前は「竹の湊」などと呼ばれていた事もありますが
エミシ側の政庁、あるいは城が有ったかも知れないと私のような
サンカの味方は思っております。
仙台の国分寺、国分尼寺そのものはエミシに悪い影響は与えなかったけど
朝廷側の平伏祈願の地として私もその辺が怪しいとおもっています。
一応、榴ヶ岡公園付近、前から調べたり聴き込みしてます。
453 :
天之御名無主:02/01/19 14:28
450>ケアルイさんありがとう。多賀城こそ前エミシの宮城と古田武彦
サイトで紹介してます。タガは桶のタガと同じで締め付けるの意味が
あり、今でもタガが緩むと使います。八木山は焼畑などの焼山か、米
の無い地域の意味で、別所でしょう。粟さえも無く稗・黍しかとれな
い地名に多くようです。長町と霞目は何と読むのでしょうか?
451>モリは死に関連する説もあります。国分寺こそエミシ・俘囚
などを薬を用いて折伏するための護国仏教の拠点で、棗をもつ薬師
がそのキーポイント。龍の彫刻は本来牙が無くムカデではなかった
かと想像します。別所を探す時、まず薬師に着眼します。
古い薬師は防衛上高い山上に置き。仁王に番をさせたようです。
仙台の無名の社は何を祭っていますか?
『別所と特殊部落』『蝦夷と俘囚』
>>453の・・・王様?ですよね、厳しいご指摘ありがたく思います。
一時期「東日流外三郡誌」を夢中で読んだクチの私なんかは聖武天皇の后は
陸奥の国の阿部氏ゆかりの女性とばかり思っていました。
加えて井沢元彦「逆説の日本史」では称徳天皇が生涯結婚もせず
仏の道に帰依した様子が評価されきれいに描かれていました。
エミシにそんな薬を使って折伏していたとは思いもしませんでした。
まさか・・・?あの薬師様も!・・・だったら・・悲しいです。
祖祖母のピーちゃんも竹細工の門掛けした実家のばあちゃんも、
願をかけて熱心にお参りしてたのになあ。あ〜ぁ、ショックです。
私がチョっと「東日流外三郡誌」のこと引用しただけで、イヤな顔される
方がいるので最近は全く話さなくなりました。
近頃は本をたくさん読んで疲れた時に、コッソリと気分転換にこれを読むと
知らないうちに疲れが吹っ飛んでて不思議なんです。依然として楽しめてます。
ホントだか嘘だか信じて良いんだかダメなんだか解らず読み進める
という、スリル満点の書物で、疲労回復にはもってこいの歴史書なんだ
けどなぁ。
サンカの研究者の間では「東日流三郡誌」からの引用は・・・
やっぱ、認められないんでしょうね。
454>失礼しました。453=王様です。『東日流三郡誌』はまだ全文読んで
いません。そのような暇がないのです。古代史で心理学者の安本美典氏や
菊池山哉の弟子の田中紀子さんも学者と共に偽書としてますが、日本の庶
民の歴史は文献だけで分るものでもなく、文献至上主義では限界ありです。
菊池山哉のように実地踏査が効果的であるし、柳田国男氏からももっと学ぶ
べきでしょう。門外漢の私は、外国では引用する『三郡誌』を引用したい。
ネブタはアイヌ関係から由来で、明治までは禁止だったとか、とのメール
をこの板の読者から戴きました。
薬師は目の神様、隠語で目医者ですから、何かの理由で目の不自由なエミ
シや別所者が多かったようです。不自由・藤生・府中・由布・由宇などの地
名もあります。俘囚・夷俘から由来があるかもしれません。
>447
菅田正昭氏の本再読してみましたが、答えになるような情報はありませんでした。
「(島人がサンカの子孫であるという)考えはまんざら間違ったものではない、
との確信をますます深めるようになった」と書いてはありますが、その根拠に
残念ながらなにも触れていません。「サンカは山地にいる」という思いこみに
疑問を呈する発想ではあるとはおもいますが。
457 :
本しか知らない えびす:02/01/20 02:50
東沢様、王様、
矢切止夫「矢切日本史字典 野史辞典」によると、たとえば、
【千軒】藤原王朝より先住民族だったセンが屯していた所の意味である。
【千度祓】本当は先つまりセンの王朝の霊を慰めるためのお祓い。
【千塚】塚が千もあるのではなく先住民族のセンの風葬の名残りの横穴。
仙台、川内のセンもこのセンと同じでセン台と考えるのは単純すぎますか。
458 :
天之御名無主:02/01/20 08:28
>>455東京や広島の府中市は、古代に国府が置かれたことに由来する地名ですので、
俘囚は関係ないのではないかと…
おそらく他の府中の地名も、それが由来になっている所が多いと思います
457>ありがとうございます、えびすさま。
仙も川も千も先も銭も、平安貴族が使う「掛詞」の技法で古代地名と
しては、賎の意味というのは調査をすれば本当のようです。近世でも
「川」は苗字に使うと流れ者で「渡り」としても使用してるようです。
例えば東京の品川、横浜の千田など。千塚が風葬横穴。風葬は出雲族
特有で山上の神が宿るとする岩場も多いそうで、古代は祖先がそこに
住み明治時代位までは赤子の死体捨場だった所もあります。木に吊るす
のでないが鳥に食わせる恐らく鳥葬でしょう。出雲族上層部は明治期ま
で風葬か鳥葬とか。出雲サンカと百済系サンカ・新羅サンカ・中華系サ
ンカ・渤海系サンカ・高句麗系サンカの区別はこの面にあるのかも知れ
ません。最も誇り高いのは出雲サンカのようです。
456>「青が島」に意味があると考えます。サンカで仮子・狩子・勢子・
駆子をする者は、春には山から川や里に下りてきて、秋には山に帰りま
すので、居付く場合もそのような神を祭るはずです。ご意見に賛成です。
瀬戸内海では蒲刈島などは特に多く、能美島や豊島には年老いた箕作り
がおられます。
>>454まじめに語りたいなら、とりあえず東日流三郡誌とかをベースにするのは
やめておいたほうが良いと思います。
東沢美史さん、レスありがとうございます。
>>451「宮城は消された宮城(きゅうじょう)が有ったところ」いにしえに栄えたエミシの都の誇りを今に伝える寺社を守る方々が現在も
います。
>>452 エミシ側の政庁、あるいは城が有ったかも知れないと
>>453 :天之御名無主 多賀城こそ前エミシの宮城と古田武彦サイトで紹介してます。
「エミシは何か」という問題にもなりうるかと思いますが、私は元々エミシが政庁などを造ったとは考えていません。
大和王権が入ってきてコホリと称する施設を置いてエミシに管理させていたのは7世紀辺りからありますが。
エミシ社会は元来トライバルな社会形態ではなかったかと。
まぁ、私見のそれも先入観が入っていることはありえますが。
多賀城は栗原郡の辺りを拠点にしていたエミシの族長のアザマロ(伊治公砦麻呂:これはるのきみのあざまろ)
が親大和王権の夷俘として地方豪族なみの位を受け取っていたようです.
しかし780年に反乱を起こし、多賀城を焼き討ちにしました。
アテルイ、モレらとの38年戦争も大和側が出兵したのは多賀城からです。
長町(ながまち)郡山に官衙と寺院跡が検出されていたのですね。
「古代の蝦夷 工藤雅樹 河出書房出版社」に載っています。
また「中公新書 蝦夷 高橋崇」にも記述と写真が。何だよく読んでいなかった。
宮城中北部には8世紀辺りには主に関東・中部地域から移民が大量
に入ってきて、郡(平均3.3郷単位)、城柵・官衙を形成したようでして、
郡・郷名にはしばしば移民の出身地名が付いていました。
一方で、エミシの強制移住も行われていて、柵戸などの移民流入と
密接な関連があったのでは、と考えています。
また、城柵・官衙にはエミシの収容施設があり、付属寺院はエミシの
教化の目的もあったのではないかとも思います。
たとえば、優嗜曇郡(現山形県置賜郡)の城柵には「脂利古」という
柵養されていたエミシがいましたが、息子の「鉄折」と「麻呂」が
沙門になりたいと願いでる記述がありました(文献失念)。
王様
>>453 八木山は焼畑などの焼山か、米の無い地域の意味で、別所でしょう。
粟さえも無く稗・黍しかとれない地名に多くようです。長町と霞目は何と読むのでしょうか?
長町(ながまち)、霞目(かすみのめ)でしたか。
八木山は動物園と遊園地「八木山ベニ―ランド」のある有名なところで少し下ったところの谷
は暗くて深く、自殺の名所です。谷に掛かる橋のフェンスが高かったような。。。
別所は仙台市から北の大和(たいわ)町にありましたか。熊堂という地名が
あったと記憶にありますが、熊野権現でしょうか。インター界隈か。
ところで、小野田町には薬莱山、薬莱温泉というのがありますが、気になります。
東沢様
>>454 あの薬師様も!・・・だったら・・悲しいです。
薬師自体は難病の治癒の如来様で、悪者ではないと思います。観世音も同様。。
ただ利用した者、利用するもののあり方ではないでしょうか?
エミシを穢れた修羅者と不当規定して排斥するという手段として
利用した、ということは薬師、観音への冒涜ではないでしょうか。
同じようなことはラマ教にもキリスト教にもいえるのかもしれません。
>>458 天之御名無主さん
「府中」の語源について私も同感です。「府」の付く処はやはり王権にとっては
政治的に重要な拠点ゆえ、別所の影がみられます。施設の一部でもあったのでは
とも思っています。
>>457のえびす様、川内、仙台がかなり古い地名である事がわかり、
楽しくなってきました。意味合いも共通してるんですね。
そういえば、仙台の人は誰でも知ってるとおもうけど
頭のいい人が入れることで有名な国立東北大学って
『仙台市川内』が住所だったとおもいます。
>>【千軒】藤原王朝より先住民族だったセン族が屯していた所
「せんげん」、この発音聞くと柳田国男が「イタカ及びサンカ」で
紹介してた伊豆のサンカを思い出してしまいます。
富士山の浅間神社は「せんげんじんじゃ」とも読みますよね。
伊豆半島の箕は宮城の箕、鹿児島の箕と使う材料、工法が似てます。
冬寒い東北のサンカは同じ種類の箕を直したり作れる
冬が暖かい伊豆でしたら
仕事上も有利なはずだし、加えて御殿場には箕に使う「鈴(すず)竹」が
かなり多く自生してますし、漂流したくなる地じゃないかな。
富士山、浅間神社は・・・木花咲耶姫(このはなさくやひめ)かぁ。
・・・・わからない。
463 :
宮本常一先生万歳!:02/01/20 22:12
箕づくりの話やトンデモ神話をきいていて思ったのは
ベトナムのヤオ族の山関簿です。
迷信好きなベトナム人ですが、儒教と共産主義のおかげで
迷信のトンデモ神話化はすすんでいません。これはとてもいいこと。
山関簿については東洋史や民族学ethnologyの人のほうが詳しいと思うけど
要するに、漂泊山岳民が中世・近世につくった「新しい神話」です。
神話が創作されて行く過程は研究テーマとして面白い。
ベトナムのヤオ族の場合、創作のきっかけは
明代、中国中央政府との戦争によるヤオ系山岳民の共闘だったようですが、
日本のサンカの場合、
警察による一斉取り締まりにより、刑務所で同胞が一同に邂逅したことがあるかもしれません。
そのとき、一種の新宗教のようなかたちで、一部のサンカに伝えられていた変型日本神話が
サンカと呼ばれる人たちに広まったのではないでしょうか。
このような山岳民の被差別民化は中国でもベトナムでもタイでも現在進行形です。
手工芸製造等にも優れた山の民が追われて被差別民化していくのは悲しい。
もとのヤオ族の話に戻ると、その創作神話の内容は山海経、司馬遷「史記」、于宝「捜神記」と
いった中国神話の影響がもろ(犬祖神話 cf.八犬伝)。
民族独自性は失われてしまってる。サンカもそうなのか・・・
464 :
宮本常一先生万歳!:02/01/20 22:25
>>456えびすさま。
宮本常一先生は島に定住し士族になったサンカの後裔ということでよろしいでしょうか。
>>463つづき
山関簿とサンカ“トンデモ”神話の類似性は、
自分達を差別する側(ヤマトや漢民族)の神話を逆手にとって
新たな神話を創作し、
自分達こそ神話の主役達の正当な後継者であると主張することで
溜飲を下げる(?)ところです。
山関簿は、必ずしも公認ではありませんでしたが
中国やベトナムの役人によって、一種の身分証明書、族譜と見なされたことでしょう」
山関簿をもっていることは、漂泊者が各地の役人と交渉する際
それなりに意味のあることなのでした。近代以前は。
山の関所を越えて役人と交渉する時に提出する簿だから
山関簿というのです。
ところでサンカ神話はいかに
金太さん、もう続報はないのですか。
サンカが“トンデモ”神話をもっていること
それを紹介することはネタではありません。
ヤオ族の山関簿は“トンデモ”神話ですが
立派な科学研究テーマです。
瀬戸内海では蒲刈島は、三の瀬が箕作りで有名でした。ここは江戸期朝鮮
使節必ず立ち寄った港で雁木があり、今は江戸期の建物を再現して観光用で
す。古は蒲・刈・神・釜が付くから多分別所の地で、蒲刈水軍は最強との伝
承が鹿児島の屋久島に残ります。漢字の分析からは仮・刈・桂はカイト地名
に使われ、元は別所と思われます。新潟頚城郡蒲原や宮城県苅田郡なども?
伊豆は八切止夫説では古代からの流刑地。夷津→伊豆、夷頭→伊東といっ
てます。御殿場の東の山上盆地の芦ノ湖は「悪の湖」で、以前は「賽の河原」
の地名だった菊池山歳。芦原温泉、芦屋地名は九州や関西にもありますが。
458・461>府・不・負・深がつく地名にはやはり要注意です。広島の深川は古
は「深州」と記していて、いつの日にか「深川」に変化です。歴史家達は何の
考察もなく深川としていますが、別所の痕跡が沢山あります。府中は国府が
あったゆえに臭います。なぜ国府をそこに置いたかも考えたいです。なにより
も国分寺に着目です。俘囚折伏の・・・。
466 :
天之御名無主:02/01/21 00:50
うーむ
>>461のケアルイさん。
≫私は元々、エミシが政庁を作ったなどとは考えておりません。
私も図書館にある東北古代史の書籍読むかぎりにおいてはそう考えるとおもいます。
蝦夷の「夷」の漢字を分析すれば「弓の人」、この地域の物部系?の弓削氏などを
思いうかべます。蝦夷=サンカと決め付けては問題が多いとはおもいますが、
竹細工の技術は本来は弓、楯など武器を作る技術で作られ始めたと私は考えています。
最近、伊治城では「三国志」、「徐福伝説」をそのまま甦らせたような
「ど」「石弓」「強ど」が見事、民間のご年配の方によって、発掘されました。
またサンカは金の噴出口を存在する場所を、大地に北斗七星の形に神社や井戸を
祭り示して、信仰しています。
これらの事は古代中華思想や古代中国の軍事技術が身についてなければ出来ない事です。
であれば当然、政治思想、政治機構も持ち合わせてて
蝦夷、サンカの先祖が政庁を構えてたとしても可能性は薄くとも
不思議ではないと考えています。
また、現地に行ってみるときっとお気づきになられると思いますけど
伊治城周辺ほどサンカの歴史、信仰、竹細工、武具作りがかつて色濃かった
広大な地域はおそらく珍しいとおもいます。
教育委員会の方々を中心に公の研究者の皆さんの多くは依然として奈良、平安朝側の
歴史観から解釈されてるようです。
私は残念ながら(笑)軽蔑のまなざしを向けられてる嫌われ者です。
ただ去年でしたか、地元方々による演劇でアザマロ側に力点を置いた台本で
演じられたことは、明るい希望かな。
上高森ニセ旧石器遺跡の「高森」などもきっとそうだと思うんですが
「高森」、松島、泉付近のも一時期は「宝森」だったとのではとおもっています。
大和町の「七つ森」も「宝森」というそうです。
やはり、中国古代思想、神仙思想が剥き出しです。
私は仙台をどうしてもこの除福伝説で解釈したいんですが、そうすれば不老長寿の
薬は絶景である「薬莱山」にこそあるし、この山が「蓬莱山」に当たるのではと
まだ現地聞きこみしてないけど想像してます。
≫エミシを穢れた修羅者と不当規定して排斥する手段として
≫利用した、ということは薬師、観音への冒涜ではないでしょうか。
ありがとうございます。
なんかココロの中に炎と火柱が赤々と勢いよく立ち上がって来るような気分です。
今度、拝むときは拝みがいが余計にあるでしょう、きっと。参詣が楽しみです。
461/467>エミシが政庁を作ったとは考えておりません。
古代史を知らない西夷がお言葉を返すようですが、エミシもまた
単一人種でない以上、体制側文書になくても可能性があるのではない
でしょうか?なぜなら上記・東日流三郡誌など反体制文書を偽書とする
非科学的態度をとる学者がいるからです。彼らには仮説と検証の精神が
欠けてるようですが。すべては公正な考古学や遺伝学が検証するのは
時間の問題ですが、民俗調査でも真偽を検証できる場合があります。
弓は槻・真弓など粘りのある木からも作ったようです。モンゴル弓は
羊の角からだとか。エミシ騎馬一騎が侵略軍兵士五十以上とありますが
その強さは、矢の飛距離にあったのでは?適わぬと見た侵略軍は百済王
俊哲の時、百済から石弓と専門家を招き、エミシ隊に対抗とあります。
森は鎮守の森の意味ですが、四国では修験関連地名があります。
「薬師配置は俘囚対策なり」と吉田神道の丸秘にあると菊池山哉が言って
います。調査でも確かのようです。一つだけ言えば北向です。ただ国分寺
に配置の意図は、藤原氏四人が業病(通説は梅毒、当時は水銀が特効薬)で
死んだ時期がありますのでその関連でも考えるべきかも。一石二丁の狙い。
それだけ篤かった「医薬」の信仰が、いま亡びたようなのは、なぜか?
>>464 宮本常一先生万歳さんへ
>宮本常一先生は島に定住し士族になったサンカの後裔ということで
>よろしいでしょうか。
一般論としては十分ありうると思いますが、
宮本先生個人のことはほとんど知らないので・・
具体的に判断する材料がありません。
>>451 「杜の都」ですが、
菊池山哉の本に、古代の大和で陵墓を作り、それを守った「守戸」のことが
記してあります。しかし東国には古墳の傍にその守戸がないとあります。
守戸は古代には「シク」と読んだとありますが、その後はたぶん「モリト」。
その名が宮内庁職員の陵墓管理者、守長、守部にひきつがれています。
菊池氏が東国に守戸がない1例としてあげているのが、武蔵の「千塚」。
矢切氏に言わせれば「大和王朝が守戸を置くはずがない」でしょうね。
しかし杜の都という呼び名にに陵墓を守る土地の意味があったかもしれません。
>>464 宮本常一先生万歳さんへ
>宮本常一先生は島に定住し士族になったサンカの後裔ということで
>よろしいでしょうか。
一般論としては十分ありうると思いますが、
宮本先生個人のことはほとんど知らないので・・
具体的に判断する材料がありません。
>>451 「杜の都」ですが、
菊池山哉の本に、古代の大和で陵墓を作り、それを守った「守戸」のことが
記してあります。しかし東国には古墳の傍にその守戸がないとあります。
守戸は古代には「シク」と読んだとありますが、その後はたぶん「モリト」。
その名が宮内庁職員の陵墓管理者、守長、守部にひきつがれています。
菊池氏が東国に守戸がない1例としてあげているのが、武蔵の「千塚」。
矢切氏に言わせれば「大和王朝が守戸を置くはずがない」でしょうね。
しかし杜の都という呼び名にに陵墓を守る土地の意味があったかもしれません。
>>469,470
ダブルタッチですみません。m(__)m
えぇ〜。仙台付近を少し地図見てみますと、東照宮(青葉区)の北東、
南光台・旭ヶ丘(泉区)の南東に「安養寺」という地区(宮城野区)があります。
三丁目くらいまであるのでしょうか。住宅地・団地ですが、この当たり平野から
台地へ掛け上がるところではないでしょうか。気になりました。
また、中新田町内にも別所があり、古川市内に「鷹巣」があります。
>>461のケアルイさん。
461≫私は元々、エミシが政庁を作ったなどとは考えておりません。
王様468
>エミシもまた単一人種でない以上、体制側文書になくても可能性があるのではない
でしょうか?
>なぜなら上記・東日流三郡誌など反体制文書を偽書とする非科学的態度をとる学者がいるからです。
まずは、申し上げましたこと、
≫私は元々エミシが政庁などを造ったとは考えていません。
≫エミシ社会は元来トライバルな社会形態ではなかったかと。
をご確認お願いします。「元来」ということです。
もっとも「何をもってエミシとするか?」という問題があるのですが。
私は、いわゆる体制側文書を拠り所にして申しているのではありません。
東北に分布する非ヤマト語地名―いわゆるアイヌ語地名と呼ばれています
が―これを北海道などのアイヌ語地名と比較していくと驚くほど共通している
というのは、実際踏査された山田秀三氏をはじめ、多くの人が指摘しています。
このアイヌ語地名を調べると、ある程度、人々の自然観、発想、生活形態などが
見えてきます。
それだけではありませんが、私の申し上げる根拠の一つです。
エミシはアイヌ民族(古き時代から「民族」ではなかったと思いますが、便宜的に)
との関わりを抜きにしてはおそらく語れないと考えています。
それから、「エミシの政庁」たる根拠とはどこにあるのでしょうか?
少なくともこの板においては私には見当たりません。
この「政庁」なる表現は大和側からの発想が元になってはいませんか?
ま、ここはサンカの板ですのでサンカとの関連ということを踏まえて
置かなくてはいけないのでしょう。
また、王様、「八木山」は谷部は人家は無し(ほとんどゴルジュ谷です)。
南の山が八木山南町などあるのですが、坂が急でふもとの向山
(なつかしぃなぁ!)から自転車を押して上っていくくらいです。)
東沢さん、薬莱にはやはり薬師様があるようですよ。
また、「エミシと竹」云々より樹皮の文化がどうだったか?というところに
着目されたら発見多しでは?
竹が中々ない地域では竹以外で使えるものを利用したりしないのでしょうか?
もっとも、交易で手に入れるという手もあるようですが。。
アイヌ民族の楽器で口琴(ムックリ)というのがあるのですが、竹製です。
(金属製のカニ・ムックリというのもあるか)竹のない北海道なのに、何故
ムックリは?と私の知るアイヌ民族の方が「交易で手に入れたんじゃないか?」
と先日おっしゃっていました。
エミシにも同様のことが言えたのかもしれない。
473 :
天之御名無主:02/01/23 01:27
ムックリの素材について
アイヌのものはネマガリ竹(チシマザサ)でできており、長さが10〜15cm、
幅が1cmほどで、板状になっているものを素材に使う。
その薄い板の中央に舌状の切り込み(弁)が入り、
その根元に糸が結び付けられている。
反対側の一端には指で支えるための糸が付いている。
474 :
本の知識ですが えびす:02/01/23 02:08
エミシが古代に(政庁のような機関をもつ)国家を作ったかどうかですが、
吉本隆明、梅原猛、中沢新一『日本人は思想したか』(新潮社)
につぎのような発言があります(以下全くの要旨。正確には原文を)。
=============
吉本 琉球・沖縄の人は中国の真似をしたのか、島を分割して国家を作った。とこ
ろがアイヌの人は国家を作ってない。部族連合とか氏族連合とかで反乱を起こすこ
とはあるが、国家を作れない。国家を作れるか作れないかというのは一番簡単にい
えば国家固有の軍事力を持つか持てないかだ。アイヌの人も東北の人も国家を作れ
なかったんじゃないか。それは平和的だという意味もあるし、弱点をいえば制度を
高度にしていくにはどうしたらいいのか、あまり知らなかったと言ってもいいかも
しれない。
東北の豪農の家が残っている所に行くと、中央に近かったらお城だというほどの
大きな農家だ。お城と同じように少し小高いところにある。でもやはり城ではなく
大きな農家だ。国家を作れないというのはああいうことだなと思う。
中沢 北米インディアンも国家を作らなかった。国家を作る寸前まで行ったけど作
らない。白人と対峙した時にそれが重要な問題になる。ジェロニモというアパッチ
の酋長が、白人に対抗するために部族連合を作って戦って連戦連勝を重ねる。決着
をつける時がきたので、ジェロニモが全体の軍事力の統率者になろうという意志を
持った。その瞬間、部族連合に集まっていた連中がみんな四散して、今度は騎兵隊
に追いまくられ、インディアンの大敗北が始まった。あの人たちは国家を作る能力
はもう寸前まであるんだけれども、作らないという意志を持っている。それで負け
るが、それは思想としてとても興味深い。そこにはアイヌや蝦夷や、北米大陸のイ
ンディアンや、シベリアの原住民などに共通する何かがあるんじゃないかと思う。
梅原 基本的に小麦農業と牧畜民が支配のために巨大国家を作り文字を作った。そ
れが中国に及び、「史記」では黄帝が国家を作り文字を作ったとなっている。こう
いう大きな文明の流れの中で、日本も国家を作り文字を学び、遅く沖縄も国家を作
った。国家も作らない、文字も作らない文化の意味を考え直すべきじゃないか。
吉本 そういう考え方はヒューマニズムのあらわれを感じる。
中沢 しかも農耕文化のレベルもとても高い。インディアンにしても。他のことに
関してはとても高いレベルを保ちながら国家だけはあえて作らない人たちがいる。
吉本 国家を作らないということは民族を作らないということだ。それはとても平
和的で肯定的な要素だが、いつでも戦えば負けるということでしょう。とても平和
的だけども、民族を構成しないと文明的には停滞するということがある気がする。
中沢 今という時代は民族をベースにした文明がだいたいその可能性を出し切って
、しかも民族そのものが足下を突き崩され始めている。日本民族でさえそうだ。
==============
もし「国家だけはあえて作らない」意志を持った人たちが、もし東北にいたとした
ら、大和同様に国家を作ったと主張するのは、ケアルイさんの言われるように大和
側の発想に従属して「それが良いことだ」とすることになりかねない。
もっと大きな意志を無視することになるのを怖れます。事実関係はわかりません
が、ケアルイさんの言われるように元来トライバルな社会ではなかったでしょうか。
474>難しい話になってきましたね。国について余り考えたことはありません
が、国家を作らぬ民族というのは面白い。国民国家に代わる何かの形を作る
事こそ21世紀の課題かもしれません。確か昔のユダヤ民族がそうでした
か。国があるから国民ありとなりますから。歴史学者・金沢庄三郎は明治の
『大字林』に、国民とは「国に隷属する民」と定義しています。なるほど
サンカを非人とか、大分で非民と呼んだ背景が分るような気がします。
サンカは、戦前憲法否定、納税拒否、徴兵拒否、公教育反対の運動を大々
的にやったという話を聞きますし、戦後も納税拒否、戸籍登録拒否、公教育
反対の運動をしたと本にあります。戦前の事件の背景は高橋和美の小説『邪
宗門』に紹介されてます。八切止夫は前丹後藩幹部のサンカが背景にありと
言いますが、多分出雲系サンカの運動で将に国の否定です。戦後政府は対抗
して、住民登録法と米穀通帳制度を導入しました。百済系サンカは明治維新
というクーデーターで政権を奪取して新に南朝天皇を担いで、現在に至ると
私は見ています。極め付けが先月23日新聞記事の天皇発言「私自身として
は、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると続日本紀に記されている
ことに、韓国とのゆかりを感じています」。
>>437の王様の質問、遅くなりましたが私の知る範囲ですがお答えします。
東北の郷土史の執筆者には、金山の研究家が多くいまして、私が竹細工うりに行った
とこの主人も何年か佐渡へ行ってて今は岩手に戻っていらっしゃいますが、お話はある
程度きいてはおりました。噂は聞いてますので「図説佐渡金山」5千円は買います。
私の古代金山探索はやはり宮城、岩手中心にしますが、
三陸の農村を歩いて聞き込みしていると
秋田や宮城鴬沢の鉱山で働いていた方々が退職して今は農業などされてるんですが、
戦前は金鉱山で日立という会社などで使われて鉱夫をしていた方がかなりいます。
ところが、その金鉱山の近くに住んでいる金鉱山に関係無い農村の農家の人達が
金鉱山だと知らない事が多くて、何故なんだろうと思っています。
大日本帝国では秘密裏に敵国露西亜、米英に知られる事無く採掘してたんどろうと
想像しました。
>新潟、青森岩木、長野戸隠とくれば・・・(略)出雲系サンカでしょうか。
>材料や加工方法や編み方で区別できるかも?分ったら教えてください。
一番の特長は「(6角目)かご編み」でしょう。籾通し、水洗いに使うかごなど
「目かご」のバリエーションが多いです。
>>473の天之御無主さんが「むっくり」
でご紹介されてたのと同じ竹種でして、職人の技術が良ければ日本の竹細工の中では
最強の丈夫さを持つ目かごかもしれません。
死んだ父(昭11年生)は目かごだけはザルなど他の竹細工製品と異質の伝承があると
民俗学は素人ながら思っていました。
また東北各地そうだと思いますが、「ザル」を作る部落と、
「目かご」を作る部落とは離れたところにあるのが普通です。
私の推測は「目かご」の技術を持った部族を「ザル」の技術を持った部族が
襲撃して他へ追いやったかな?というものです・・・大雑把にいえば、
あくまで民俗学素人の考えですが。
>多分、蝮が手掴みできるはず。
父は竹細工訪問販売車の屋根のルーフキャリアーに獲った
蝮を結わえて販売から帰ってきたことはあります。
>475
ありがとうございました。それぞれ腑に落ちました。
>>437の王様、引き続きご質問にお答えします。
473の方が「千島ささ竹」を紹介していましたが、この異名「根曲がり竹」を
使う青森津軽地方の竹細工でなにより有名なのが「りんごの収穫かご」です。
テレビなどで一本手のついた小判型の収穫かごを手に持ちリンゴをもいでる
農家の皆さんの様子をご覧になったことあると思います。
山形の白い木の皮紐細工・・・?正確にお答えできません。
タラの木でしたか。
私の父や箕作りの竹細工門掛け仲間は、竹細工もしますので、付き合ってる
竹細工職人の製品に対しては常に厳しく指摘し、製品の向上を怠りません。
ですが、山形名物の「10日市」に行ったとき山形のおじいさんが作った
「マタタビ」で作ったざるを「きれいだった」といって、ことあるたびに
今でも回想して誉めています。25年くらい前の事です。
そのおじいさんの「マタタビのザル」は全く売れず、背負って帰るところを
話しかけて止めて、全部父が買い取ったそうです。そしたら、数十種類の
竹細工を出してる父達の竹製品の中に置いただけで、終わりかけてた市なのに
飛ぶように売れたそうです。
一個、見本にとって置きたかったほど「白くきれいなマタタビのザル」
だったそうですよ。
王様、ザルではないんですが、マタタビの「スイノウ」春先にもしもですが
出来たときには「一つ」研究用、鑑賞用に差上げましょうか。
479 :
天之御名前主:02/01/24 10:00
479>東沢さん 広島の白い木の皮紐細工の材料は今度調べておきます。
山形の<タラの木平>は地名で。イタヤカエデで作るそうです。
高知の山奥で蔓(材質は不明)で編んだ径50cm位の籠を2〜3万円
で売っていました。私宅でも近くの山から蔓を取ってきて「芸術的な」籠
?を網んで、趣味で売る事があります。家内は仕事がとても速く、センス
があるのでしょうか、2〜3千円の小型のものが良く売れます。家内は
サンカの血脈はないようですが、祖先の毛利氏が蜂屋(渤海系で忍び、
出雲蜂屋は有名です)という説がありますが、表面は養子先の木地師の
流れです。蜂屋は別名ササラともいい、サンカの同類かもしれません。
マンション街に籠?を持っていくともっと高く売れるとかいいます。
マタタビで編めるのですか?家内に教えます。お送り下さい、送料と代金
はお送りします。
>473:天之御名無主さん、ご教示ありがとうございます。
アイヌ語では竹をトプ(top) と聞きます。と、いうことは竹の一種の
素材を用いて何か作っていたりして。。という思いが心の隅っこにありました。
現在のムックリは和人の需要が多いのか、九州辺りの竹を使ったり、
という話を聞いたことがあったのですけれど。
アイヌ民族は広く交易活動もしていたとも聞きますので、交易でも素材を手に
入れるというのもありかな?と考えた次第です。たまたま同じようなことを
おっしゃる方がいらっしゃいましたが。
>474 えびすさま、鋭いご指摘と思います。国家や民族を作る、という発想や
意志を持たなかった(末裔は国家・民族概念を取り入れていますが)、持つこと
に価値を置かなかった、または必要がなかった、と私は考えています。
何も民族・国家を作ることが「高度」で「洗練されている」とはかぎらないと
思います。
>475:王様、サンカにおいての例はサンカの方の強いアイデンティティと独自の価値
観・世界観を垣間見させてくれます。
460>まじめに語りたいなら、『東日流三郡誌』とかをベースにするのはやめて
自分也の意見をださないのは、ふまじめです。無視して下さい。
私は歴史が専門でないので歴史屋のような先入観も偏見もありません。
無知と誤解と不勉強はいっぱいですが、歴史屋の通説も、極端に言うと
「仮説」にすぎません。公文献にない伝承や非公文書も立派な仮説設定
の対象になるのです。字体がどうだとか紙の種類がどうだとか、非体制
の文書たる『東日流三郡誌』に対して、警察や検察の証拠調査のように
拘り過ぎるのは、歴史学の最大欠陥ー文献至上主義の一端を露呈するよ
うなものです。この観点から明確な理由なく『東日流三郡誌』を排除する
のは、学問の名に値しません。三億円強奪犯人推定した安本氏の推理(小
金井の慶応大学工学部周辺の理科系人間)が、電気工作可能な者=理科系
の先入観の下でなされてる事はご存知ないでしょうね。脅迫状の鑑定も文
体論にすぎず、字体論でもなく、ましてや信憑性の高い筆圧論でもないの
ですから。概略以上の理由で『東日流三郡誌』を引用する事に賛成です。
482 :
天之御名無主:02/01/25 10:55
いつも楽しみにロムっている物です。
レスの流れに邪魔するようで申し訳ありませんが、、『東日流三郡誌』の
あまりに顕著な先入観にとらわれていない解釈本としてお薦めできる本を
紹介して下さると幸いです。
皆さんの見識の高さに驚いております。非常に興味があり、これから勉強
していきます。
482>『東日流三郡誌』を引用したものは読んだ事があります。
<あまりに顕著な先入観>とはどのような部分を指すので
しょうか?今度読む事があれば心しておきます。箇条書きでも
結構ですので、ご教示下さい。
ただ伝承や「迷信」であっても検証されれば、真実となるという
スタンスを持っています。
483>王様レスありがとうございます。
自身、先入観なしに読んで見たいと思っています。
研究者筆者の思い入れがあまりにも強く、先入観により一部を見て全体を論じる。
頑固(笑)に、自説を力説している。等疑問を覚え不信感さえ抱くことが多くあります。
できれば検挙に具体的事実の積み重ねで検証している本があればと思っております。
検挙→謙虚の間違い。失礼しました。
>>455の関連で。
王様>『東日流外三郡誌』はまだ全文読んでません。
『東日流外三郡誌』について述べさせていただきます。
家の二段重ねのお供え餅を見たら最近ネズミにアッチコッチかじられた跡がありました。
年末に私がキネでついたもち米だけの鏡餅です。
防腐剤入った餅やプラスチックの鏡餅でかじられたことは今まで無かったです。
うちのネズミはきっと、自然食指向のグルメなんでしょう(自己満足してます)。
『東日流三郡誌』全6巻の私の読み進み具合なんですが、
実は家のグルメねずみレベルなんです、アチコチおいしいとこだけかじってます。
調べものの休憩にパラパラやって、面白そうなところだけ、チョコットかじるんです。
東北についての歴史書なんて、私のように中学時代通信簿の社会科が5段階評価で
「1」と「2」しかとれなかった頭の悪い者でさえ、朝廷側によって、あるいは
鎌倉武士たちによって消されたり焼かれたり、あげくの果てはねつ造
して東北の人間を鬼や悪者に描いたことぐらいNHKの大河ドラマなど見ていれば、
わかる事です。
和田喜八郎氏の文章では彼がすぐに的確な論評をした古川市「宮沢遺跡」を
近いのでよく検証しに出向いて、廻りの小祠、神社を何箇所も廻って
みてます。剣神社、箸(墓)神社、志波姫神社・・・などなど、信仰者
や近在の人々で藩政時代から明治、大正期まで大賑わいしたものの、
新聞トップ記事になった昭和50年代の遺跡発見の頃は、ふだんほとんど
参拝する人影がなくなってた神社群でした。
少なくとも和田氏は遺跡の価値の見分け方する力はかなりあったと思います。
私は主に宮城県北、岩手県南に関する頁を読みたいんですが、
一関市、福島三春町の古文書にめぼしを付けて古文読みこなせないけど
同じ古文書が基になっていないか、検証しながら読んでいきたいです。
仮に偽書、和田氏の筆による書物だとしても、重要古文書の反映がある気がして
なりません。かなり重要な未確認の古文書の反映があるのではないでしょうか。
東北の人達の「ココロの空虚」を埋めてくれるのに都合の良いニセの歴史書
だけだったのか、まだまだ検証が足りなさ過ぎると私のようなものさえ
思っています。東北の古代城柵を「日本書紀」などを信じ過ぎる
日本政府・文部省側の歴史の先生方は順次当てはめられていきましたが、
「宮沢遺跡」出たことで辻褄が合わなくなったのではなかったでしょうか。
ソコをばっちり和田喜八郎氏にやられた恰好でした。でもそれよりはるか以前から
民間の研究者、地元の方々はもちろん、私共のようなサンカ(ウズメ)の
信仰者はココ宮沢遺跡近辺をハッキリとオシラ様(お雛様)、王朝のなごりとして
多くの口寄せ巫女の信仰を集めていました。
たまたま、私の地域を和田氏が書いていますので述べましたが
東北全部に細かい検証が必要です。特に自治体など公の皆さんが最初、先導して
広めたのですから、公務につかれてる歴史の先生方には責任の一端を感じてほしいと思ってます。
私は和田喜八郎氏をむやみに擁護してるのではなく、それ以前から信仰されてた
歴史学者の先生方からほとんど注目していただけない、無視されてた
社会的身分の低い多くの人々の信仰の動向から検証していきたいのですが。
487 :
天之御名無主:02/01/25 20:18
東北地方の地域史は、まだまだ研究が進んでおらず、わからないことが
多いのは確かだと思いますが、では、偽造されたということが明らかな史
料を、そのまま他の史料、例えば記紀などと同列に扱ってもいいのかとい
えば、そうでないことも確かです
記紀に描かれている歴史にも当然のように「作られた歴史」である部分もあ
りますが、『東日流三郡史』とはその性質があまりにも違いすぎるのではな
いでしょうか
私自身は東北地方にはこれといって思い入れがあるわけではありません
が、このスレの一連の書き込みには少々疑問を感じることが多いので、こ
のような書き込みをさせてもらいました
487>>偽造されたということが明らかな史料を、
>>そのまま他の史料、例えば記紀などと同列に扱ってもいいのか
まだ偽造されたというのが分りません。簡潔に紹介して下さい。
『東日流三郡史』を偽書とする学者のホームページを少し見た事があり
ます。疑問に思うのは歴史学者が、歴史真偽を裁判で決着しようなどと
考えてるのにはあきれました。学問的真偽は多数決でなく学問でするの
が普通です。無論盗用は許されないし、裁判の対象ですよ。
私の知る限りでは、記紀は唐や新羅系の天皇の時代に編集された文献で、
歴史学者の中では権威のあるもの。『東日流三郡史』は色んな文献や伝
承の寄せ集め、といった印象です。換言すれば前者が公認の体制的文献、
後者は非体制側の文献でしょうか。その意味で同列ではないでしょう、
浅学の私はそのような理解です。
歴史書は時の為政者のために編纂されるという世界一般の常識からす
れば、名もない民衆の歴史を追及する立場からは、権力側にたたないか
らといって差別するのでは困ると考えます。歴史を職業的に研究する方は、
学問的立場でよいのでしょう。私は真実に接近できればよいの立場です。
記紀と東日流三郡史の性質の本質的違いは上のように考えますが、
いかがですか?おかしい所はご教示下さい。
念のために、記紀も歴史文献としての価値を大いに認めています。
>>486で肝心のサンカの事を書きませんでしたが『東日流外三郡誌』で
私が重要だと思うのは「ツボケ族」という一族の名前についてです。
旧南部藩、または昔の陸奥の国の頃からかなのか、深い女竹系の鈴竹、篠竹で作られる
「笊(ザル)」、「魚篭(ビク)」「目籠(メカゴ)」などをウズメ(サンカ)は
「つぼ」「つぼっこ」「つぼじゃる」「つぼけ」「おもけ」「おおつぼ」「こつぼ」
などといいます。
日露戦争の頃の皇軍と蝦夷(エミシ)軍との模擬戦争で、軍の民俗学調査には
アメノウズメの信仰者の祖祖母らは金成りの将棋でご説明したのこそ、
この「つぼけ」です。
松尾芭蕉が「奥の細道」には多賀城の「坪の碑」の前で感動した様子が
描かれています。
我々ウズメ(サンカ)は人間や生命の「生まれ変わり」をかつては
御神意をもとに編み組みして「つぼじゃる(坪笊)」など竹細工を
こしらえてきました。
「つぼじゃる(坪笊)」など編むときは「もっとつぼ深くしろ」などと
言い、わかりやすいけど、死に関してることならば少し怖いわけです。
でも反対に「つぼざる(じゃる)のタテ(タテの竹)増やして編め」といえば、
命がより安全に助かる事を意味します。あくまでまじないですが武具の
「楯」と竹細工の「タテ」は私の責任で言いますが同じ意味です。
芭蕉がかねてより特に来たかった「つぼの碑(いしぶみ)」には
滅亡した「革末革掲(まっかつ)」と刻まれた「渤海」の国名があります。
竹細工の解釈で読めば、滅亡した「渤海」の国が甦るようにとも読めるんですが。
そんな事をとても気にさせる「ツボケ族」です。
「東日流外三郡誌」、その辺からサンカとしては挑戦してみようとおもいます。
>>474のえびす様、読書の傾向やっと一致しました(笑)
遠野の竹細工が好きな吉本隆明らの「日本人は思想したか」は数年前に
文庫本で読みました。でも、私はあえて吉本氏に猛反論しますね。
吉本「・・・アイヌの人も東北の人も国家を作れなかったんじゃないか
それは平和的だという意味もあるし・・・」
梅原猛氏の見解を吉本氏はヒューマニズムだと批判したのでしょうか。
ならば、言わせていただきますが、エミシに平和的だという一方的な見解を
自分の趣味・美学のロマンシズムだけで烙印を押しつけてしまうことこそ
ヒューマニズムに過ぎると思うんだけどなあ。
国家になどとらわれないで、自由に愛馬で山岳や草原を駆け巡る「エミシ」
であって欲しいという気持ちは充分にわかるけど。
吉本氏「お城というほどの大きな農家だ・・・国家をつくれないというのは
ああいうことだなと思う」
東北の丘や山の上の大きな農家、昔の豪農を竹細工販売で廻ってると、中世の
お城の立て札によく逢います。岩手、宮城だけでも2千を超える中世の山城、
平城、水城がありそうです。そのうち数パーセントは古代の城跡かもしれません。
私が早池峰山遠くに見ながら門掛けしてた10年くらい前だったかな、
吉本隆明大魔人が遠野へ講演に来ました。私は箕売りが忙しくて行かなかった
けど、講演してるヒマがあったらちゃんと、自分の足でエミシの古代政庁跡が
あるか、無いか確かめろと言いたいです。(笑うよ、ホントに)
7年前に朝日出版社の「埴谷雄高・吉本隆明の世界」という大判の写真文芸誌が
出版されました。もし、お持ちでしたならば、154pの自宅書斎でタバコの灰を
灰皿に落としながら微笑んでる写真を見ていただきたいんですけど、畳の上には
自慢そうに遠野特産の竹細工「うなぎはきご」が写っています。
この竹工芸のレベルの高さを許したレベルの高いエミシ国家を
想定はできませんでしょうか(まあ、無理ですよね)。
知識人として「スターリニズム批判」から決して逃げ出さずに考察を重ね
東欧社会主義の崩壊を科学的に分析、予言をした責任ある論文は
高く、高く評価するんだけど、民俗学は詩と同様、ダメだね。
顔だけは充分、柳田同様、サンカ顔してるのに。
ちなみになんですけど、本当の苗字が「般若」である埴谷雄高氏の故郷はかつて
福島県有数の箕、竹細工の産地だったところです。
491 :
天之御名無主:02/01/26 01:10
楽しくロムさせてもらってる藤四郎です。前からたまに耳に入った
さんかですが、ちょっと質問させてください。めんどくさかったら無
視してもいいですから。
吉村明の高速隧道に出てきた山の人たちはさんかなんでしょうか?
昔から気になっててどこに話を持ってたらいいのか解らなかったもの
で。
>>467 水差すようで悪いのですが
× 蝦夷の「夷」の漢字を分析すれば「弓の人」
○ 蝦夷の「夷」の漢字を単純に解字すれば「大弓の人」&「弓を持つ大きな人」
※1 エミシの話ではなく、東夷についての隣の話。
※2 只、「金文」(周代)を見るとハズレれてました。
ちょっと、質問。
1.葬儀の時の服装で変った点はありませんか?
(特に、色のこだわり=私の方は昔、白(喪服)だったと聞いていますが)
2.鳥(or鴨)、熊、からす、瓢箪、の何か変った話はありませんか?
3.熊[クマ]の発音で良いですか? 又、狛犬[コマイヌ]で良いですか?
幼稚でスマソ(^^ゞ
こちら徐福=スサノオをほじくろうとしている、天津系関東橋頭堡地区の者です。(笑
>>490東沢様
何をもって国家とするか、国家的政庁とするかの知識がないので、
エミシの国家があったか無かったかの問題には今は入れませんが、
「あれ、解釈がちがったかな」と思ったことがあるのでひとこと。
先の474で要約引用した吉本隆明氏の発言、
「そういう考え方はヒューマニズムのあらわれを感じますね」
の「そういう考え方」は、その前の梅原氏の発言のうち
「国家もつくらない、文字もつくらない文化」を受けていると思っていました。
>梅原氏の見解を吉本氏はヒューマニズムだと批判した
のではないと思います。
次の中沢氏の
「しかも農耕文化のレベルはとても高いですよね、インディアンにしても」
の「しかも」という発言からしても、
国家を作らない文化への肯定的評価がずっと続いていると考えられます。
「国家というのは、アンチヒューマニズムの産物なんだ」という3人の考えが
ここでは一致して、話が続いていると思うのです。
従って「ヒューマニズムのあらわれを感じますね」という吉本発言は、
「国家を作らないのはヒューマニズムのあらわれなんだけどなあ」
という嘆息だと思っていました(いまもそう思っていますが)。
非人間的な国家を作らないと、戦争には負ける。歴史の皮肉です。
(北米インディアンの後の悲惨さを考えると、ジェロニモには勝って欲しかった)
そういう複雑な思いがここでは3人共通ベースになっていると思うのですが。
494 :
天之御名無主:02/01/26 03:02
493↑私も何等疑問を持たづ同様に読み流しました。
491>>吉村明の高速隧道に出てきた山の人たちはサンカか?
本を読んでいません。出版社はどこですか?また場所、風俗や言語
あるいは登場人物を簡単に紹介して下さい。判断できるかも。
492>> 「夷」の漢字を解字すれば「大弓人」&「弓を持つ大人」
鉄偏に夷が本来の鉄の字、それから鉄を奪って夷という説があり
ます。この方が古代史を説明するにはよいという人もいます。
他にもいろんな説があるかもしれません。
>>493のえびす様、お手数かけました。
本部屋の竹細工品を掻き分けて書籍山脈やビデオ列島と化してる乱雑な部屋から
「日本人は思想したか」を夕方にやっと見つけ、しばらくぶりに読み返してます。
吉本氏の本は1980年頃初めて読んだときに、味わいと歯ごたえがスゴクあったので
それ以来ずーっと読みつづけてきました。「試行」も廃刊まで直接購読してました。
竹細工や門掛けはつまらない仕事と強く不満を感じていた頃なんで、普通の小説家や
知識人の書物では満足しなかったんですね。
で、20年近く頭の悪い私なりに彼を読んできたつもりなんで、あえて吉本氏の見解に
「エミシの政庁あり」と仮定してあえて反論を試みてみました。
当然、かなう訳ないですよね。
でも反論は、たとえ相手が戦後日本を代表する思想家であっても、新しい見解
が生まれて来る可能性がありそうだし、やめられません。
でも決して吉本氏を批判してるつもりはありませんので、あしからず。
>=えびす様。
>梅原氏の見解を吉本氏はヒューマニズムだと批判したのではないと思います。
民俗学や古代史を論ずる以前の「国語」力が私には足りなかったようですね(笑)
的確なご指摘をいただきありがとうございました。
笑って、ごまかしてるようですが・・・でも少しだけ言い訳させてくださいね。
男として、いやサンカの子孫として言い訳なんて・・・とおもいますが。
日本の戦後の思想界をリードしてきた知識人や学生たちは、60年代に「反安保」、
70年代に「反帝・反スタ」などの看板を掲げていました。
ところが、80年代に入ると東大の蓮見重彦や京大の浅田彰などによって
紹介されてたフランスのポスト構造主義を都市の若者達は広めていきました。
理想的な国家や社会を目指すための手段の「軍国主義」、「社会主義」はもちろん
「重厚長大産業を支える資本主義」など明るい近代を築こうとした人々のがんばりや
闘争心やハングリー精神は「怨念」と命名されポストモダン都市TOKIOなどに
オシャレじゃないと言って否定され嫌われました。
あるべき理想の社会を目指す「理性」などまで前近代のおぞましき産物として
否定され無視されてしまいました。
その片棒を担いだのが、ニューアカデミズムブームの渦中にあった中沢新一氏です。
そしてポスト構造主義の宣伝マンだった栗本慎一郎氏に神格化されて紹介されてたのが
フランスのM・フーコーとの対談も実現した吉本隆明氏でした。
80年代半ばのオシャレなカフェバーで、軽やかに女のコとゴダールなど仏映画に
ついてオシャベリするなどという風景を最上のものとしていた知識人の連中は、
前近代の「ヒューマニズム」を馬鹿にしきっていました。
ところが1994年の「新潮」での鼎談の「日本人は思想したか」で
吉本氏、中沢氏は「ヒューマニズム」に先祖帰りしてしまったんだと思います。
これが1984年の鼎談でしたら、梅原氏に投げかけた「ヒューマニズム」という
言葉には批判、軽蔑の意味合いが込められてたとおもいます。
バブルが弾けて、吉本氏もエミシやアイヌの国家をあえて作らないという
スタンスに注目してきたんでしょう。
良いところに着目してきたからまあ、さすがなんですが、もう一歩踏み込んで
サンカに注目していただきたいところですけどね。
497 :
天之御名無主:02/01/26 23:40
>王様
ありがとうございました。借りた本なので今手元にありませんから
すぐ調べます。そんなに多くでるのではないのですが、ダムの工事で
そこにすんでいた人たちがさらに山奥に移って消えていくとい話でし
た。
498 :
天之御名無主:02/01/26 23:55
>王様
すいません。高熱隧道でした。新潮社です。場所は黒四ダムのため
のトンネルを掘っているわけですからとんでもない山の中です。
詳しいことは本屋か図書館で確認しにいきます。
>>474,
>>490,
>>493,
>>496の
えびす様と私の関連で「日本人は思想したか」抜粋します。
これだけ有能な日本を代表する3人の知識人の鼎談ではありますが、
アイヌ、エミシの生き方や自然との
関わり方の素晴らしさに気付かれるのが遅かったような感じします。
吉本「(略)ただアンチヒューマニズムのことでひとつ言いますと、国家をつくらないということは民族をつくらないと
いうことだと思います。民族をつくり得なかった。(略)とても平和的で肯定的な要素になりますが、
いつでも戦えば負けるんだということでしょう。
梅原「負けるんだ(笑)」
吉本「そういうとても平和的なんだけれども、一方からいうと民族を構成しない、構成できなかった
ということは、文明的には停滞しますよということがある気がします。
(略)
中沢「いまという時代は、ヒューマニズムもアンチヒューマニズムも、同時に可能性があるというところへ
来てるんじゃないですか。いままでのような民族をベースにした文明というのが、だいたいその可能性を
出し来ちゃって、しかも民族そのものが、足許(あしもと)をつき崩されはじめている。
日本民族ですらそうなんです。
だから、いままでですとヒューマニズムの考えで、梅原さんのように縄文への回帰ということを言ったり
するのは、ちょっとナンセンスな話だったのですが、今は逆に、アンチヒューマニズムの先端で
そのアンチヒューマニズムが解体変様を起していて、それだからいままでとはまったく違う意味で、
ヒューマニズムが意味を持ちはじめているような気がします。」
これ読んで知識人の皆さんが示した日本人の進むべき道の可能性は間違っていないとおもうけど
また、あえてこれらのみなさんに批判してみますね。
じゃあ、1980年代に東大の蓮見重彦氏や京大の浅田彰氏などの翻訳、解説書で
日本列島の都市部の知識人や一流大学出のエリートの皆さんを魅了したフランスの
ポスト構造主義(日本人の生き方や思考法にズラシ、解体、再構築を徹底的に求めた)
ブームとやらは、いったいなんだったんでしょうね。
その頃私は汚い恰好で箕売りして歩いてて野宿しては警察に尋問されてたけど
教育テレビや朝日ジャーナルの「若者達の神々」などで盛んにフランスの現代哲学を
披露して脚光浴びてた彼等のほうこそ
いま思うと尋問されてもいいくらい怪しい思想だったとおもうけどなあ(笑)
ニューアカデミズムのブームなんかは今、思い返すと日本という学歴国家の
頂点に立った貴族の皆さんの「宴うたげ」でしかなかったんじゃないかとも思います。
フランス語の原書から得たポスト構造主義で理論武装し、
フランス人みたいに素敵な雰囲気で軽やかに都市文化と戯れてたのに
大都市でのポストモダンの生き方が先端で変容したからとの理由でこれから未来は
あえて国家をもたないアイヌやエミシのあり方に、
ヒューマニズムが意味を持ち始めたと・・・いまさら注目されてもね。
「エコマーク」「エコ商品」見るたびに思うけど
古代のエミシの生活法を伝えてたといえるサンカは「自然に優しい」「環境に良い」を
縄文時代のいにしえから自然と実践してました。
明治以後、ヨーロッパから輸入された政治制度や近代文明を真にうけた
国家権力の中枢にいた人々の政治力で、サンカの人々はいわれ無き差別や
迫害受けて、とうとうほぼ、絶滅させられたのではないでしょうか。
列島の野山を自由に誰にも迷惑をかけないで、自然の中で生き抜く知恵を身につけてた
本当のエミシやサンカに「教え」を直接学びたくても、もう学べないと思うけどね、
いないんだから。
500 :
天之御名無主:02/01/27 02:38
素朴な疑問です。蝦夷・アイヌ・サンカは同一として捉えていいのですか?
解釈が今だよくわかりません。どなたか教えてくださると幸いです。
30年も前ですが、住んでいた所が、盛岡市上田字蝦夷森という地名でした。
何か関連があるのでしょうか。知っている方がいましたら教えてください。
高橋克彦著書の火怨を、最近読みました。小説ではありますが、蝦夷に対する
言われなき偏見と侮蔑は的を得て、蝦夷の生活なりが記されております。
出来事の事実関係は抜きにして、アテルイ・モレは、誇り高い蝦夷の実像に迫
っているのではないかと思います。いかがなものでしょうか。
>>490,496,499
東沢様、しばらく仕事でレスできません。すみません。とりあえず
>ちなみになんですけど、本当の苗字が「般若」である埴谷雄高氏の故郷はかつて
>福島県有数の箕、竹細工の産地だったところです。
かねがね疑問に思っていることがあります。
「高度の業績をもつ人で、そもそも全くの常民出身の人っているんだろうか?」
という疑問です。その思いを深くしました。
ROMの方へ
「この人は?」などと聞かれても答えられませんので、よろしく・・・(^-^;、
個々の例は問題でなく、一般論として上記の問いを生涯(笑)抱き続けて
いただくと、見えてくる文化構造があるような気がします。
502 :
天之御名無主:02/01/27 03:22
>えびす
高熱隧道について訪ねたもんですけど。ROMの方は私のことだと
おもいます。そうですとはすぐに言えないくらい複雑な話だというこ
とはよくわかりました。ただ、レイマンですのでちょっと気になって
しょうがなくて。ま、それなりの、たとえばそうであってもおかしく
ないとか、で結構ですんで。このスレ読むまではさんかは河童と同じ
くらいるんだかいないんだかわからないものだと思ってましたから。
あの小説読んで本筋より山奥に移動していったひとのほうが印象に
残っているので。
503 :
草双紙趣味:02/01/27 09:43
えっ「高熱隧道」ってそういう人がでてくるの?
これは要チェック。新潮文庫もまだオッケーだよね。
>>502 高熱隧道について訪ねたもんですけど。ROMの方は私のことだと
おもいます。
いえいえ、違います。気にしないでください。
個人名をあげて、この人は?なんて聞かれたら困るなと思っただけで。
505 :
天之御名無主:02/01/27 12:55
>えびすさま。
そうでしたか。
>草双紙趣味さま。
ちょろっとでます。吉村昭の本ですからきっとほんとにいたのじゃ
ないかと。400円です。
>えびすさま
>個々の例は問題でなく、一般論として上記の問いを生涯(笑)抱き続けて
>いただくと、見えてくる文化構造があるような気がします。
ありがとうございます。生まれ故郷が蝦夷の里であり、個人的アイデンティティの
琴線に触れてしまいました。(笑)
先祖が山師ということも聞いております。しかし、なぜか先祖の話は、封印でも
されたかのように霧の中です。明治生まれの祖父母は、他界し詳細がつかめません。
ただ、個々の事例を一つ一つ確認していきたいと思っています。
500>蝦夷森(えぞもり、えぞがもり)にはどのような神社があり、
何を本尊として祭り、どういうご利益があるのでしょうか?また
氏子にはどんな方(名前)がおられましたか?
>500の天之御名無主(または506)さん
私は同郷出身者です。私なりの答えですが。。
>素朴な疑問です。蝦夷・アイヌ・サンカは同一として捉えていいのですか?
>解釈が今だよくわかりません。どなたか教えてくださると幸いです。
私は三者異なる、と捉えています。もっとも三者それぞれ一枚岩ではないのでしょうし、
文化的・出自的に密接に関連している、といっても過言ではないでしょう。
ただ、アイヌ民族とサンカは何か交流でもあったのでしょうか。
>30年も前ですが、住んでいた所が、盛岡市上田字蝦夷森という地名でした。
>何か関連があるのでしょうか。知っている方がいましたら教えてください
そこに私の知人がおられますが、現在、上田堤の北、盛岡競馬場(オーロパークが
出来た後は使っていないんでしょうかね?)の北の界隈とです。現在住宅地です。
同じ地名は二戸市仁佐平(にさったい)南の、軽米町に行く峠の途中にもあります。
具体的に何ゆえかは存じません(すみません)。しかし関連がないわけはないと思います。
エミシというものは普段無視できるのかもしれませんが、私には「根っこ」である
と感じています。よく洞察され探究されれば、いろいろぼんやり見えてくると思います。
>出来事の事実関係は抜きにして、アテルイ・モレは、誇り高い蝦夷の実像に迫
>っているのではないかと思います。いかがなものでしょうか。
どうでしょう?
私にはみな押しなべて、依然としてエミシについてよくわからない、「発想」、
「エミシ側の視点で理解する」という点で絡みとられている、というのが現状ではないのでしょうか?
また、その認識・自意識が反映されてしまっている、と見たほうがいいのではないでしょうか?
小さい頃からエミシという祖先代々の伝承を生活と共に語り伝えてこられたわけ
ではないと思うし、伝える家があっても普段巷に流れる情報はそれを風化し、否
定しさろうとする作用があるかのようです。(もっとも内在してもいるか.)
故に分かっているとは言いがたいのではないかと。しかし、そこが出発点であると私は考えます。どうでしょうか?
もし、自意識として系譜を感じられるのでしたら、それを大事にしてください
(消えるものでもありませんが)。同じような思いを抱いている人は多くいると思います。
自系譜の探究は困難ですが大事な取り組みと思います。とくにエミシの系譜は困難でしょう。
文献を鵜呑みにしては袋小路です。
また、マクロの地域史と密接に関わっていることもご留意されたらいいかもしれません。
それは、例えば江戸前期の領主権力は神社の縁起を「整理」して田村麻呂伝承
(「大武丸討伐」を代表とした)を縁起に塗りこんだようですし、奥浄瑠璃の「田村三代記」
でもっても伝承を広めていったようです。この辺り、「系譜への干渉」が見え隠れしている
ように見えます。どうでしょうか?
509 :
天之御名無主:02/01/27 18:58
ごめんなさい。ド厚かましいおたずねした教えてくんです。
調べたらどうも高熱隧道ではありませんでした。どうも同じ頃
読んだ水の葬列のほうが正しいようです。これもチェックしと
きます。ただ在庫がないらしいんです。すみませんでした。
510 :
天之御名無主:02/01/28 02:54
サンカってジプシーに似てますよね。東沢さんは巫女の血脈みたいだし。
あと、まだ出てないと思うので、書いておくと、半村良のムスビノヤマ秘録
(漢字忘れた。)もサンカをイメージした作品ですね。泉鏡花賞作品。
蝦夷森の地名について。
民俗学の宮本常一は、山や峠の麓で、往還や脇往還沿の集落は物運び者の
地もあるといいます。地方により「荷駄」「ボッカ」「荷持」「持子など
と呼ばれています。この中に居着きサンカが含まれるのは当然でしょう。
矢切止夫はボッカは修験配下のサンカとしています。山名に森がつく地方も
ありますが、四国では修験の集落の場合もあるそうです。個々の集落の調査
をしないとはっきりはしないでしょう。
東沢美史さん、はじめまして。
>ポスト構造主義の宣伝マンだった栗本慎一郎氏
王様に紹介頂きました。この項の論旨には、全く異論はないのですが、
栗本氏は、当時のブームの中にいたのは確かですが
ポスト構造主義ではありません。
(ポスト構造主義じゃないから偉いのだとかいう意味ではないですよ)
キチガイ電波スレ。
「矢切」だってよ(大藁
八切だろ
キチガイ電波レス。
「大藁」だってよ(笑
大笑いだろ
というのと同じ位アホらしい…
515 :
天之御名無主:02/01/29 20:54
八切さんに大変失礼しました。矢切でなく八切です。うっかりし
ておりました。八も矢も谷も野も歴史的には同意ともいいます。
東沢さん、古くなりますが教えて下さい。
476>伊治城周辺ほどサンカの歴史、信仰、竹細工、武具作りが
かつて色濃かった、とありますが
ここの竹細工の特徴は、またその痕跡は何なのでしょうか?
486>宮沢遺跡近辺をおシラ様(お雛様)と、云々とありますが
オシラ様の痕跡が多いのでしょうか?また関西では道祖神として
たりする所もあるようです。また久那戸神もあるのでしょうか?
またエミシ末裔の多いところでしょうか?
>金の噴出口を存在する場所を、大地に北斗七星の形に神社や井戸
を祭り示して信仰、とありますが
ご存知<つもさん>の掲示板1月26日古代の夢にある、早池峰信仰
施設を直線で結ぶと星型になる、書いています。何かお考えはありま
すか?
>中国地方でもウズメを祀る社や祠があれば鉱山のある場合がありま
す。娼婦の職業神と考えていました。ウズメは小野氏と合体した猿女
一族に関連していたと聞きます。猿目一族は愛知の鳳来寺山で家康が
邪魔になったので配下の山岡一族に殺させたそうです。東北でも同じ
部族でしょうか?また何処からか移動してきた伝承はありますか?
>>512の王子様、そろそろ深夜ですがコンニチワ!。
ココへは初めてこられたのでしょうか?
この番号周辺の書き込みをお読みになられるときには充分御警戒を。
サンカやサンカのシンパの連中がスレッドのあちこちに魅惑的な黄金にまつわる
美文などを散りばめては、いまかいまかと新しい人が参入してくるのを
待っています。
金鉱山など景気のいい話しに誘われて入りこまれた人々を
サンカの魅力の底無し沼に引きずり込んで
2度と常民の世界へ戻れなくしてしまおうっていう寸法らしいです。
なかには皆さんが山窟についていろいろ真剣に研究成果を発表してるところへ
突然やって来て、俺はサンカの子孫だなんて自ら名乗り出て、
口当たりの良い事ばっかり言ってた東沢なんて野郎がいますんで
特にお気をつけください。
世界一の金鉱山は北斗七星の形に地上に配置された神社の先っちょの剣先の
指し示す北極星にあたる神社が、金の噴火口だなどと
東北サンカの大秘密をバラしては、仲間サンカを喜ばせ安心させ逆に
他地域のサンカから黄金の眠ってる隠し場所の
神社の情報を喋らせ盗みとろうってのが手口らしい・・・。
抜け目ないサンカの上をいくサンカであるわけだ、そいつは。
加えてなんでもこの東沢に竹細工や箕の注文がドシドシ舞い込んだらしくて、
(そういえば、いつもメルアド公開してたっけな)
これらの金鉱山情報でカナリの大金持ちになり最近は大ホラが功を奏してなんでも
金のシャチホコ付いた「2ちゃんねる御殿」が建ったていうもっぱらの噂です。
・・・嘘だ!信じられないって?・・・本当のホントです。
当の本人が言うんですから、きっと間違いありません!!!!!。
・・・王子様、びっくりなさいましたか(笑)。
最近、あんまりに竹細工売りでの景気が悪いんで一発、パーッとかましてみました。
栗本慎一郎はポスト構造主義者じゃないっていうことでしょうか。
私が読んだのでは「鉄の処女」で構造主義やポスト構造主義を解りやすく解説を
していましたよ。登場人物の蓮見重彦、浅田彰、山口昌男、中上健次、吉本隆明を、
高橋春夫が漫画で描いたりしていて、やさしく現代思想やフランスの哲学を解説してた
ような記憶があるんですが。
ブダペストだったかのポランニー兄弟の経済人類学とかなんとかいう学問分野を
彼が理論的に発展させた「パンツをはいたサル」を書いてたから
経済人類学者というのかもしれませんが。
そういえば、彼は浅田彰のポスト構造主義とはこんなにも違うと
自分の研究成果をムキニなって説明してたっけな。
まっ、そんなことはどうでもいいでしょう(笑)。(笑ってごまかしてます)。
この今の高度資本主義社会の日本が崩壊して、電気、ガス、水道が止まってしまって
日本人のほとんど全てが農民に戻っても・・・大丈夫、
サンカがこの世に居る限り、充分幸せに暮らせます。
農作業に必要な鉄の農具や刃物はサンカが鉄鉱山を知ってるし、世界に
誇れるハガネを使って「ひい、ふう、みい」と野鍛冶ができます。(誰か様の受け売りっぽい、笑)。
テレビやパソコンなどの楽しみがなくとも
漂泊する芸能人が門付けにやってきますからチットモたいくつしません。
金鉱山で身につけた井戸掘りで、飲み水もおいしく大丈夫です。
サンカは、電気がない世の中になっても列島の人々を安心させる
最先端の「経済学」を超える『知恵』を身につけています。
>>513,a様
ご指摘ありがとう。
一発変換で「矢切」と出るので、変だなと思いながら私もうっかりそのまま。
これは「矢切の渡し」用だった(笑)。
どこかで、ご本人が「八を切る」意味だと書いていたし、
ご指摘どおり、八切です。
もっとも、その名の意味はいまでも実はよくわからない。
八を切るのをとめる(止夫=これは一発)という意味だろうか。
ついでと言っちゃなんですが、教えて下さい。
>>496,東沢様
>反論は、たとえ相手が戦後日本を代表する思想家であっても、新しい見解
>が生まれて来る可能性がありそうだし、やめられません。
>でも決して吉本氏を批判しているつもりはありませんので、あしからず。
私も吉本信者じゃないし、批判的な側面もあります。
人間って2通りあるんじゃないか、という気がすることがありますね。
むかし知人との間で吉本隆明『言語にとって美とは何か』が話題になったとき、
「吉本って何様だと思ってるんだ」という人がいてキョトンとしたことがあります。
某大学美学科を出た人でしたが、その人にとっては、真偽は論の中身ではなく、
「ナニ様が美を論じているかで決まる」という価値観だったのでしょう(笑)。
給田をご命令通りに耕して、代々年貢を納めてきたのが誇りの常民の末裔でしたが、
無意識に権威依存型になるんですね。こんな人も居ないと世は安定しませんが(笑)
何様でもないのに新見解なんて、という価値観は常民タイプに任せましょう(笑)。
ニューアカやポスト構造主義は、私はほとんど無視してきたのでよくわかりません。
なにしろバブル期だし、ファッションと同様、流行りすたりはどの世界にもあって、
これも隣の田んぼをいつも気にする方々に任せていいんじゃないでしょうか(笑)。
それよりやっぱり気になるのは、国家を作らず、つまり暴力の統一体制を作らず、
騎兵隊に惨敗、その結果、ほとんど皆殺しになった北米インディアンの前例です。
また実質統一のない部族地域であるために他国に振り回されたアフガンの惨状です。
「統治されず統治せず」の理念を貫くのなら、戦いに負けないシステムを作るか、
一見負けたようにみせて、いつの間にか戦勝国の実権を握るか・・・。
王様が書かれたように
>国民国家に代わる何かの形を作る事こそが21世紀の課題かもしれません
と思います。
すべては思い立たないと始まらない。
先例のある東北で21世紀ずっと生きる若い人に志を立てて欲しいですね。
517>>えびす様
>どこかで、ご本人が「八を切る」意味だと
八切は「八」を、日本原住民で反仏教徒で、ヤ・ヤ衆・八幡・蜂屋
など天の朝人の祇の民で、また八つとも呼ばれる。江戸時代は祇・堂
・稲荷などの紅殻色の拝み堂に関係。など「八」の解明をしたとして
八切と自称したようです。ここまでは私不勉強で理解に苦しむところ
ですが、「八」の呼称は地方により20近くあります。例えば竹細工
する関係では、豊後の鉢、丹後で竹細工、丹後・京で茶筅、紀州で八
節、出雲・芸州の蜂屋などがいたようですから、興味のある所です。
なお八切の本名は矢留で、戦国時代に戦の休戦に入るために笹付の
竹をもち「矢止め!矢止め!」という事を触れ歩く役の者がいたそう
です。その子孫が矢止というわけです。九州柳川市に戦国大名の立花
氏の奥方の女傑の名に因んだ建物「お花」の近くか、矢留本町があり
ますが、彼らの住地だったのでしょうか?応仁の乱の時代に足軽とし
て動員された山賊やの上州新田郷の乱波・素波(サンカ忍び?)など
賤民を、露払いと呼んでいて、エミシ・俘囚の末裔ともいってます。
何箇所が読ませてもらいました。面白いね。ところで、ハラコの人いますか?
もし、よろしかったら、タマゴトを聞かせてはいただけませんか?
固有名詞は○○で省きつつ……。
>>515天之御名主様という名前でご出席の王様、
さっきまで田中真紀子外務大臣更迭のニュース見てて興奮してますので
今夜は簡潔に答弁させていただきます。
伊治城に来られれば一目瞭然です。矢になるであろう竹がありました。
竹細工は箕と目かご類と人魂型のスイノウだったはずです。
すぐ近くに弓作りしただろう弓削氏の名が古代の古文書より確認できます。
もちろん黄金伝説で全国の信仰者に名をとどろかした毘沙門様がいます。
最後まで世界一の産出量を示すこの黄金信仰の遥拝の地区は伊治城の
少し西南に人里離れてあります。最後まで縁日で黄金示す竹細工を
売っていたのが私の両親でした。
宮沢遺跡はオシラ様を持って遊ばせたり旅に出る
近江の多賀からきたであろう小野の巫女
一般に「こまち」という、ウズメの信仰の地です。
ここも有名な古代の巨大な水城だったと聞いてます。
くなど、ふなどはよく聞きますが、詳しくありません。
「早池峰信仰と☆型」の神社などの配置と「北斗七星と紫微宮(中尊)」の配置は
別に考えす。伊達政宗が仙台に示した☆型は同じモノです。
高橋克彦の小説も結局その☆型、つまり5つか6つの神社などで示します。
ウズメが世界一の産出量を示す北斗七星の形に神社を配置して
死んだアテルイや安部貞任、源義経などを新しい御霊、つまり新王として
甦らせるのための神社は普通7つか多くは8つくらいです。
これだけはウズメのウズメたる重要な祭祀です。金鉱山や竹細工などで
はっきり、子供にでもはっきりわかるように示されてます。
竹細工の産地は特に強烈です。
竹細工の風車作るところも注意されたいです。東北は宮城、新潟の産地の
風車を知っていますが、本数いろいろだが「8」が本来との意見も聞きました。
気になるのは九州の八女、八代なんかです。
東北ではご存知、全国に知れ渡った坂本竜馬が通った道場で有名になったし
平泉陥落させた頼朝の配下「千葉」家の妙見菩薩の信仰にも名残を残します。
メールでお知らせいただきましたのと、おなじような政治家を指すだろう
書きこみを何度か見かけてるんですが、現在の日本の総理と外務大臣が
素晴らしい歴史を持つサンカの仲間であると読めるのですが・・・?。
更迭された田中真紀子外務大臣が私達と同じサンカの仲間だったら・・・
いいのになぁ。
筋を通す、嘘はつかない、話しに内容があり面白い。
人よりも何倍も真剣に誠実に行動してるのに結局、
外務大臣としての「クビ」を切られる。
悪いことなどなにもしていないのに、
無実の罪を着せられてたかつてのサンカみたいです。
私の家には竹細工売りに東北を中心に全国を廻ってる人達が竹製品を買いに来ます。
東北の竹製品は北海道や九州にも少しですが売り子さんや行商人の方達に
よって販売されています。
家に来る皆さんが得意先の話をしてるのを聞いてると廻る家の建物の大小や職業
傾向がイロイロ違ってます。
普通竹細工の門掛けは民家を中心には廻りますが、仲間のみんなに言われて気付いたのは
私の家のように政治家や選挙事務所を寄って歩く竹細工売りは少ないということです。
明治生まれの祖父は政治家の家に売りに行った日は必ずその話しを帰ってから
してたものだし父も売れなくて調子が出ないときは有名な県会議員とかの家に寄って
気分転換してからまた民家を廻ることよくありました。
政治家の家は買ってくれる確率が高いし、話しの面白い人が多いし選挙参謀の中には
文化人みたいな人もいて寄りがいがあります。
家にきた滋賀の竹細工売りは全国の選挙事務所や政治家の家専門に廻るとの話しを
聞きましたがなるほどなあと思いました。
仲間の竹細工売りは政治家の家は廻らないようです。でも私はやっぱし親譲り
なのか一般のサラリーマン世帯を廻るのは今でも恥ずかしいし苦痛なのに、政治家や
選挙事務所の家に入っていくのはわりと気持ちが楽で、
むしろ気持ちがウキウキするくらいなんですね。
この汚い恰好で「竹細工なにか要りませんか」と玄関で聞く私に、どんな反応を
示すか・・・面白いです。あからさまに差別をしたり「来るな」とも言えず
丁寧に「要りません」と断わられるんですけど、同じ断るにしても断り文句に
風格があったり、私に「遠くからよく売りに来られましたね」などと恥をかかせ
ないように言葉を掛けられたりすると売れなくても良い気分です。
父は1950年代頃門掛けした先の泊めてくれる民家の方が農民運動してたのに
感化されて社会党支持でしたので30年間くらい県会議員の家を得意先にしてました。
でもやはり竹細工を買ってくれて、私達を惨めな気持ちにさせないように言葉をかけて
くれる政治家の数では自民党や無所属保守派の議員さんが圧倒的に多いですね。
家に上げてくれるのも自民党系の議員さんがほとんどです。父は平気で自民党の国会議員の
良いところを何気なく話しの流れに入れて結局あとで一万円くらいも買ってもらうことは
なんどもありました。
日本共産党の市町村の議員さんは家が分かりやすくて安心です。共産党って地方では
知識階級というかインテリや文学好きの方とかいます。初めて売りに行くと
私に警戒心を持つ人も多いですが、いまは家に上げてくれる人も何軒かあります。
共産党は個人的に大の苦手なんですが、竹細工売りにいくぶんには平気なんです。
父は共産党の行く先々の議員さん方々を好意的に思ってましたが、
「商売にならない(金額的に買う額が少ない)」と長居はしませんでした。
新聞で4年ごとの各市町村自治体の議員さんの選挙の開票結果を見るのは
興味深いです。選挙に関係ない私共への応対にさえ丁寧だった家の議員さんは
やはり上位当選してます。
524 :
天之御名無主:02/02/04 13:57
>一見負けたようにみせて、いつの間にか戦勝国の実権を握るか・・・。
でしょうか。
>>519 王様、「八切」の説明ありがとうございました。
八切さんが「八」に共感を持っていただけに
「八切」という自称が解せないきがするのですが、
どこかで理由を書いていたときも(もう本が手元にない)
ぼかしてあってよくわからなかった。
いま思い出すと、八の女性に惚れられて、困って、逃げ出すために
縁切りの「切」を使ったとも取れる表現があったような・・
うろ覚えなので、違っていたら、あの世の八切先生ごめんなさい。
>>523 東沢様
>家にきた滋賀の竹細工売りは全国の選挙事務所や政治家の家専門に廻るとの話しを
>聞きましたがなるほどなあと思いました。
すごい政治・選挙情勢情報ですが、それを集約する人もいたのでしょうか。
はじめまして
「矢切」の名前の由来についてですが、矢切の「切腹論考」のなかに
切腹の古語が、「八付」が「八切り」ともいわれ・・・とありますが
この「切腹」の「はらぎり」から名前をつけたと書いていたような気
がします。
>>527 犬娘さま、ありがとうございます。
「切腹論考」は読んでいませんので、初耳でした。
つらつら思うに、みんな当たっているのかもしれません。
日本には1つの言葉に二重三重の意味を持たせる文化伝統があります。
掛けことばとか、和歌の本歌取りとか、連句とか。
八切さんがそれを知らないわけがない。
1つの言葉に1つの意味、という近代欧米風な考え方こそおかしいと、
あの世の八切さんは、苦笑してるかも知れないって気がしてきました。
>>542の天之御名無主様、わざわざありがとうございました。
「サンカは影の支配者か」コッチのほうが日ユ同祖論とか出ててスリリングでしたね。
フリーメーソンとか・・・(笑)。
私が北上川で野宿しながら竹細工の門掛けしてたとき、花巻警察署に捕まってしまって
困ってたときに助けてくれたのが見ず知らずの立派なひげをたてた
おじいさんで社会党の議員をやった人です。
岩手の政界で知らない人はいないくらいの名士です。
この方のフリーメーソンの話しはとても面白かったですよ。
このおじいさんの家に10年以上住まわせていただいたんですが
一番驚いたのは石原莞爾の用心棒を死ぬまでしてた方だったことです。
私がそのとき27才でしたが、泊まると来なくて野宿してた私のような竹細工売りを
好奇心から面倒を見てくれるひとなんて・・・やはり大物しかいないんだなって
そのとき思いました。
それからは私は野宿をあまりしなくなったんですが、最近は道の駅と言うのが各地に
あるのでそれは利用しています。
みなさんサンカなら瀬振りしろと言いますが、実際には出来ないでしょう。
必ずといって良いくらい深夜でも警察はパトカーで来ましたよ。
1988年頃までの岩手県警です。
45才くらいの隣町の竹細工売りもやっぱり警察に注意をされて、イヤケが
さしたかそのとき以来やめています。
訂正
「サンカは影の支配者か」は
>>524でした。
どうしてこの掲示板が閉鎖になったんでしょうね。
>>526えびす様
この方は家にきたときは背広を着てきたんですね。
私達は生涯背広は着ないし、東北の竹細工売りで背広を着て売りに
歩く竹細工売りなんてみた事ないんですがね。
でもなぜか家に来る竹細工売りのうち関西、九州方面のみなさんそう言えば
ほぼ全員背広にネクタイを付けてかご、ザルなんか売りに来ますね。
選挙事務所を廻れと教えてくれた滋賀の人は注文が入ったら三千個でも
三万個でも竹細工品を用意するから売ってくれとのことでした。
4年に一回の国政選挙は特に儲かるんだそうです。今から10年くらい前の
話しです。そのころまだ100円均一の店って珍しいころでして
アジア(国名は伏せますが)の廉価な竹細工が日本ではかなり高く売れてた時期
でした。これがまだ珍しい品だったんで有権者に効き目があったんです。
台所の水切りにも使えて主婦には印象深い品物にもなります。
都会では有権者が告発すれば選挙違反になりますが、東北、農村は特に
選挙のとき立候補者からなにももらわない、食事会にも呼ばれないということは
家としての信用が無いっていう恥ずべきことなんで、立候補者は
実際は安くて大量に配れて得票に結びつく竹細工品に目をつけたようでした。
候補者の選挙対策本部から一気に大量の注文が来ると莫大に儲かるからとの
ことでしたが、父は全く乗りませんでした。
その方は自ら社長と名乗ってて、芸能番組の司会者みたいな
華のある方でしたが近江の行商人の流れかとおもいました。
東京、大阪など都市部専門の竹細工の行商人は滋賀や富山が多かったです。
滋賀の竹細工売りは来なくなりましたが、富山の行商人の方は今も
東北で作られた竹細工品を仕入れに家へこられます。
>>529 東沢様、思わず聞きたくなってしまいました。すみません。
その石原完爾の用心棒をやっていた岩手県議会議員の方は、
いまもご存命なのでしょうか。
(多くある中の1つ、某石原完爾研究会の世話人です・・・)
>>531 えびす様
その方の花巻のお店を倉庫として借りて、門掛けしてましたが
3年前に引き払ってきました。
そのときは元気でご活躍でした。
石原莞爾関連の書籍にも名が載っています。
記念碑も花巻市にお建てになられました。
骨董品の中
マルクス主義の講義を3時間ぐらい熱心に聞いた私にはご褒美として
関東軍のはなしとかに入っていくというようなとても楽しい方ですが
詳しくは・・・ここでは言えませんのでメールくださいね。
530>>東沢さん
「サンカは影の支配者か」は
>>524でした。
どうしてこの掲示板が閉鎖になった?
分りません。最初の全文は熊野ライフ10〜11月頃に
のっていたようです。
今、読み返しましたら「八切さん」を「矢切さん」と誤字
失礼いたしました。
529>>東沢さん
>フリーメーソンの話
古い話ですが、第二次大戦を終結させるため連合国軍は日系米国から日本
史の聞き取りを大々的に行い、「戦争終結に協力してくれたなら日本を5・
6世紀の倭の国のようにして政権を譲る」と日本原住民組織に約束した。
戦後連合国司令官マッカ−サー(フリーメアソンNo2)は中ソとの緊張高
揚の予兆もあり、天皇勢力が意外に強かったので、約束をホゴにしたとい
う話を読んだ事があります。確か八切止夫も書いてたようですが。
原住民組織とは出雲・新羅系サンカで、一方天皇制を望んだのは百済
系サンカではないか、と憶測してます。すなわち明治頃か?サンカも組織
分裂?があったのでは?状況証拠は、日系米軍の動向・沖縄秘密戦・米軍
用の日本国内地図作成・サンカへの弾圧などがあげられるでしょうか。
日本原住民組織?そんなものあったのか?
しかも、新羅系のどこが原住民なんだ?
536>>
質問でしょうか、それとも抗議ですか?
質問と考えてお答えします。
日本原住民・日本先住民には戦前からいろんな
定義があります。菊地山哉や八切の定義に近いものを
考えています。まとまった八切流の定義は
大田龍『日本原住民史序説』にあります。
朝鮮や中国大陸からの移民でないそれ以前の先住民を
いう場合もあり、例えば古代出雲人の系譜です。
戦前のものでは藤原氏の『日本先住民史』があります。
出雲系が先住民だというのは、わからんではない
しかし、それの間にに第二次世界大戦を終結させるだけの力を持った
組織があったのか?
そんな組織があるならば、なんらかの文献史料などが残っているはず
だが、それを根拠として出せないのか?
>>537の王様
いよいよ核心に迫ってきたかもしれませんが、大東亜戦の頃はすでに私の家への
軍首脳部からの直接の調査はないとおもいます。
軍による民俗学の調査は明治30年代頃ではないかと
当時の民俗学調査の学者の名前などから推測してます。
以下は矢切氏の著作の内容とかけ離れてるかも知れませんが、意見のべてみます。
大きく約しますが明治政府が一番求めていたのは「金」だと私は推定しています。
東北の口寄せ巫女の祭祀する黄金の地をなぜ軍が利用したか。
民俗学の皆さんが「シャーマン」というこの神卸しは、ときに鬼神を甦らせます。
その実際の大きさは岩手の水城(推測)で300メートル×200メートル位は
あり巨大な古代の城です。
政府、県側は調査して解ってるのに一応伏せておいてます。
(私の間違いかもしれませんが、現地は見ました)
この後の黄金の奥州藤原王朝に連なる安部家とはいったい出自は何処なのか。
新羅なのか百済なのか、イタケルノミコトは新羅?阿弥陀仏は百済?
などなど信仰面から探る事は可能でしょう。
しかし私は東北の口寄せ巫女達はこの戦乱から人の生き死にの信仰にかかわるこの
世界一の黄金を見事に守りきったと思ってます。
千葉県の海上の東夷(または扶桑)島、下北の恐山。
このような事が明治期以降、中国地方、九州まで行なわれたと私は東北での例から
推測してます。
東北で「ザル」売りは鬼(東北でのウズメ達内での意味は鬼神を意味する)の
仕事です。世界一の産出量を誇る黄金を竹細工は編み込みんでると私自身は
考えてます。ザルの縦数が数えられるのは鬼(鬼神)だけ東北では言われてきました。
「縦」=「楯」。人がいつ死ぬか鬼神だけはわかります。
(岩手では鬼、宮城は鬼神がいずれも鬼神を意味します、京都では鬼、へたすれば
鬼神まで邪悪な鬼に意味付けてしまいます)
太田田根子にそっくりの地名も周辺に存在します。
第2次大戦を集結させる力があったとすれば、わたしたちサンカと同類のウズメへの
強制的、脅迫までして聞き取り調査敢行した軍などの組織を私は考えますが。
まあ、いずれにしても「金」の価値が下がった今では
リアリティーに欠ける話しかも、しれませんね。
太田竜がその辺書いていたんですね。
彼の本はしばらく前に1冊よんで、読むのをやめましたが・・・。
菊池山哉の「天の王朝」は一度図書館から借りたけど分厚くて解らなかったけど
・・・また挑戦してみます。
540 :
天之御名無主:02/02/11 01:02
なんとなく懐かしいですね。
実家が岩手県一関ですが子供の頃一度だけ
竹細工を売りに来た人を見た記憶があります。
サンカと言う人たちの存在は小学生の時に読んだ
椋鳩十の動物小説シリーズで知っていましたが
全然それと結びついてませんでした。
一関市へは毎年、民家を中心に寄らせていただいてます。
奥羽須川のふもと端山から東は弥栄まで。
北は山ノ目周辺から南は鬼死骸地区まで満遍なく歩いてます。
両磐はもともと竹細工品を多く利用しますし、なにより竹細工を好まれる
人々が多い地域です。
また我々竹細工品を作り売りに歩くものへの差別、偏見が全く無いといえる、
人心の明るい地域です。
私の家はもともと萩荘でしたが明治の頃は山ノ目で造り酒屋をしてた家です。
阿部家の講中で栗原へ行き来してるうちに竹細工をしてたオガミ様(口寄せ)の家に
養子に入りました。私自身はその4世代目です。
この一関及び周辺地域の民家の皆さんは竹細工売りに対して違和感を抱きません。
地区によっては一年開けて行くと「なんで去年来ながったの」などといわれるくらい
竹細工の門掛けは毎年この時期に来るもんだと思ってる集落もありました。
こういった、風土が育まれたのは
なんといっても黄金の鬼神『アテルイ』の砦(とりで)巖谷堂(岩谷堂表記も)が
ある地域だったからということが影響してるのかもしれません。
私にとってもかなり楽な気持ちで廻れる地域です。
東沢さんの言われる星の信仰をしばらく調べていました。
何故北斗七星や北極星に関する信仰が一般的ではないのか?
なんと1番残っているのは、天皇制の中でした。
天の皇=北極星=太一神だったんですね。
でもウズメ教と天皇制は、どうもしっくりきません。
巫女さんの役割は、どこに行ってしまったんでしょう?
アイヌ民族の信仰との、つながりもわかりません。アイヌの
シャーマニズム、巫女のアマテラス信仰(卑弥呼)、天皇制の太一信仰。
仏教と儒教はルートがはっきりしているので、他の信仰も民族と一緒に
大陸と半島から入ってきたのでしょうか。?
542はそらです。
東北の私達ウズメの信仰者などは、明治期から今まで徹底的に弾圧、迫害の対象でした。
おとなしい平和なそれでいて信仰者人口が一番多く活気があり、人気が高かったからとの理由も
ありますが、文明にそぐわない迷信で人をだましているというのが権力者側の言い分でした。
しかし実際にはそのウズメに民俗学調査の名の元に科学的な信仰のこの口寄せ巫女達の
黄金のありかを示す祭祀の内容を聞き出し、横取りしようとした組織こそ
この明治期の軍部の一部の軍人たちだ考えています。
ウズメの信仰者、口寄せ巫女の地には、「旭日」「夕日」「長者」に関する古代からの言い伝えが
数の限りないほど陸奥の国にはあります。もちろん朝日に手を合わせますし、
太陽陽信仰の面、東を拝むし、西を拝む(阿弥陀様と2重の意味か)こともあります。
ただ皇室よりは北斗七星(北辰)への信仰や北極星(紫微宮)への信仰がそのまま昔ながらに
剥き出しになってるのかなとはおもいます。
伊勢神宮のご祭神アマテラスオオミカミは太陽神と普通考えられています。
しかし「太一」はご指摘の通り北極星を表わします。もちろん北極星、北を最上と
考えてる星信仰のようです。伊勢神宮に対して多くの国民の皆さんは星信仰の印象を
持ってなく、知ってる一部の人々は不思議ですからいろいろ憶測をするのかもしれません。
日神太陽信仰の一族が北極星と北斗七星、星辰信仰の一族を絶滅させたか
追い払ったかして、その祟りをおそれて太陽信仰の一族がが今でも北極星を祭祀してるの
だろうとか、太陽信仰の一族はもともと星辰信仰と両方を信仰してたかもしれない
とかいろいろ考えられるのかなと思っています。
サンカの信仰の形態が今一つ明瞭でないです。勿論、私の知識不足のせいもありますが
ウズメの信仰で詳しく説明できれば、サンカの信仰が連想ですがわかるような気がします。
お伊勢まいりに行く時、「あまてらすおおみかみ」に拝みに行ってくると言いますでしょうか。
私の家の神社などウズメに関するところは伊勢の宮でも社格制度で「神明社」となってますが、
だれも「あまてらすおおみかみ」に行くって言う人なんか聞いたことは無く
みんな、ウズメにお参りに行ってるはずです。
昔の人の星空にたいする捉え方と現代の科学知識を持った我々の天体に対する
捉え方は違います。科学知識を持たない人達は「天」が「海」と感じてたかも
しれません。昼は「青い」、夜は黒く暗い中に点々光る星と波の照り返し。
「天」と「海」が一つながりに感じてかもしれません。
「天あまの」「海あま」ジックリ考えてみたいです。
546 :
天之御名無主:02/02/17 10:08
sage
547 :
天之御名無主:02/02/20 19:11
椋鳩十が山窩の出で
戦前に山窩についての小説を書いたら当局から発禁を喰らい
結果児童文学作家になったとか聞いたが
その小説って現在読むすべは無いんだろうかな。
誰かリアルタイムで読んだなんて方は…2ちゃんになんて来ないか。
548 :
天之御名無主:02/02/20 23:38
547>>
椋鳩十『鷲の歌』などは発禁になったなった本ですが、図書館にいけば
あります。ネットで探せば殆どが「荒鷲の唄」ですが、よくさがすと
『鷲の歌』があります。東北にいないことになってるサンカについては
田山花袋『帰国』がありますが、これも発禁になったものです。
この『帰国』は掲示板熊野ライフにも紹介があったようです。
>548
さんくす
勉強不足でした
547 548さん
椋鳩十「鷲の歌」「山の恋」「椋鳩十の世界」
理論社で電話注文できます。
各1200円位です。 電話03(203)5791
電話番号違っていたら調べて下さいね。
551 :
天之御名無主:02/02/28 14:29
age
552 :
天之御名無主:02/02/28 14:32
,,,,,,,,,,,,,,,∧,,∧
〜′,,,,,,,,,,ミ ゚Д゚彡<
UU"""" U U
553 :
天之御名無主:02/02/28 14:33
わん
554 :
天之御名無主:02/02/28 14:34
にゃん
555 :
天之御名無主:02/03/05 21:23
「半村良氏、死去」の報道には力が抜けてがっかりしました。
>>510さんの紹介があり、大型新古書店やオークションサイトで
半村良の推理小説たくさん手に入れたので
2月下旬はこれらをパラパラ流し読みましてました。
特にサンカを意識した小説ではオシラサマが登場したり、
日露戦の頃の大尉が「黄泉の国」につながる洞窟のようなものを捜してたりという
一部私が書いたウズメの信仰者に共通しそうな内容のストーリーでした。
毎晩、読書してた最中の訃報でとってもくやしいです。
サンカ情報はどこから聞いたのか「神道拾遺」とは何を元にかいたのか
もっといろいろ知りたかったです。
三角寛、柳田国男、田中勝也、五木寛之、八切止男、警察など
研究者、小説家、組織によってサンカ感は様々です。
この方々はウズメとは似てるところもあるけど、ピッタリと合わないの部分も多く不安でした。
でも半村良がオシラサマや「洞窟」らしきものを重要なモチーフとして小説に組みこんで行ったのにはドキドキさせられました。
彼自身による参考文献や解題はやっぱり読んでみたかったです。
妖星伝」は少し読んでいましたが「産霊山秘録」をご紹介いただき
>>510さんには深く感謝いたします。
半村良さんが亡くなられたなんて知りませんでした。
残念です。
で、2月に現地へ行くと言っていた金太さんはどうしたんでしょう。
スレがあがっているので書き込めないんでしょうか。
本題にはあまり関心はないのですが、スクナヒコに興味があります。
本題は金太氏の韓国サンカ発見記ですが、質問が不自然ですね。(例え
ば、一般の旅行者同士でも話し始めに話題になる出身地の質問がない。)
その他、「毬と殿様」は昭和四年の作曲で、大正生まれの老婆が
子守唄のような感じで歌うのは、かなり疑問が残る。など、金太氏
には申し訳ないですが、私としては信憑性を疑っています。
ただ、御岳信仰で、スクナヒコが一番えらいという記述には、心を
揺さぶられるものがありました。オオクニヌシを、個人名ではなく
役職名だと考えると、神話に出てくる人はそのうちの一人だろうと
思います。スクナヒコというのも個人名とは思いませんが、国造り
に携わった技術者集団であろうことは推測できます。
そして、岐阜県周辺と関係が深いですね。技術系でいえば、飛騨の匠
とか、富山の薬などあります。歴史的にも、大海人が一散に目指した
土地でもあるし、両面スクナとか、反大和朝廷の牙城のような位置に
あると思います。思えば、小泉首相成立のきっかけを作ったのも、党
選挙を提案した岐阜県議の船戸氏だった。
そんなわけで、スクナヒコ系というのは、日本のルーツとしてかなり
コアなんじゃないかと思うのです。が、不勉強ながら、総本山という
ものがないような気がするんです。岐阜県かその周辺にあってもよさ
そうだと思うんですがね。どうなのかなあ。
しかし、岐阜の命名者信長も、岐神知っていたんだろうなあ。
560 :
天之御名無主:02/03/13 00:16
ここのスレにはサンカの人がいるのですか?まあサンカじゃなくても
東沢美史さんって人はそれらしい人ってことなので質問ですが、
できれば簡単な生業暦を聞かせてください。何月ごろには何を山から
取ってきてどう作るとか食べるとか。それからおそらく山から色々
取ってくるのでしょうから「あく抜き」は食料その他でも重要になってくると思いますが、
この時にはこの方法であく抜きをするとか、木の灰を使うなら、食料などによってあく抜きに使う木の灰
の種類が違うと思うのですが、そこらへんを教えてください。ご自身がわからなくても
親に聞けばすぐに分かると思うのですが。
とにかくもっと実生活の部分が知りたいです。
>>569の少将名彦名さん、気になる書き込み面白いです。岐阜の県名は織田信長だったんですね、はじめて知りました。
まだ一般に歴史家に全く知られてませんがウズメを信仰する口寄せ巫女によれば東北の日高見、鬼神に詳しいのは秀吉だそうです。
話しがズレるかもしれませんが、「飛騨」と「岐阜」について東北の海、湿原地帯の地名や伝説から連想してしまうこと書きます。
東北の「志田」「日田」「喜多」「北」など「ひた」「きた」に近い発音の地名の南には
「鬼神・キシン・キジン」もしくは「竃神・かまがみ」が祭られてはいないか、いつも気をつけながらあるいてます。
こんな事をするようになったのは、昔祖父らが竹細工の門掛けの仲間らと話してたのを思い出したのがきっかけです。
鬼神の話しにはなんであんなに興奮したのか・・・わかるかもしれないし。
ただし「鬼神」を祭ってるところは、山というよりも平地・水害地であることが多く金よりもナゼか「丹・に」の産出がうかがえます。
その鬼神を祭る真北、数十Kmにある「山」、「火山」が金の噴出口かなと勝手に予見しながら確認してます。
「日高見(地元発音:ひだがみ)山」「北上(地元発音:きだがみ)山」「北神山」という山を探してるんですが表記的に、実際にも幻の山です。
しかたがないので「志田」など「ひた」「きた」の音がつく土地の山(低くともしょうがない)の伝説や昔話などを読んで確認してます。
「鬼神」はいろんな表記があって「田奇(田と寄で一文字の漢字)神」、「鬼人」、「岐人」もあったでしょう。
それから陸奥国一ノ宮塩竃神社の神官の方々と「ウズメ」を信仰する口寄せ巫女ではハッキリ違うことがあります。
私の家ももちろんそうですが、「竃・かまど」そのものが祭祀の対象になります。湯立てと民俗学の方々は言ってくださってます。
海水を煮詰めて出る「塩」は大事だとは思いますが、「竃・かまど」のほうがより大事です。
なんとなく、そこから「ふなど」「くなど」の音が気になってました。北上川流域では「竃かまど」のことを「くど」とも言います。
まあ東北の地名から考えた子供じみた連想で申し訳ありませんが、
「飛騨」と「岐阜」は南北に祭祀の線でつながる一対の信仰のような気がしてなりません。
私のところの竹細工は、祭った鬼神から真北の「飛騨」に相当する山の竹で作ったものでして、遠くからの参詣に来た信仰者は特に
この山の竹で作ったものかこだわって買い求めていきました。
>>560さん、お答えしておきます。
生業歴といえば立派ですが、本格的に歩きはじめてから23年目になります。
実際は40年になります。2才から親の自転車のかごに乗せられて
オムツを持って民家を廻ってたそうです。祖父と歩き始めたのは幼稚園ころからで、
祖父は昔テンビン担いで歩いてましたが、私の子供の頃は70才近かったので
テンビンはもうやめて通しひもでざる、かご、すいのう、螺拾いかごなどを肩に担いで
民家に寄って歩いてました。遅れ気味にアセリながらついて行った記憶があります。
小学校、中学校の頃靴昭和40年代は農村、山村を廻るときは軽トラックや
バンで門掛けしてました。もちろん竹細工もたくさん積むことができるようになりました。
距離も遠くへ行くし、またその頃は農村は収入が多く、若い人達にも活気があって楽しそうで、
東北の農村、山村に魅了された頃でした。
山での竹の伐採は12月、1月に行ないます。ただし実際はお彼岸前まではいいとも
言います。彼岸過ぎの竹は水を上げてしまうのでカビや虫食いのもとです。
私の家は昭和52年までありました。
200年前の萱葺きの口寄せ巫女を呼ぶ宇鈿(うずめ)の
境内にあった国の住宅を国から特別もらい住んでました。
囲炉裏にはクヌギ、ナラなどの木を主に焚いて灰は大事に取っておきました。
今でも、たくさんの竹を焼いて出てきた大量の灰は大事に保管し使ってます。
でも、山菜のアク抜きは手軽に重曹を買って使ってます。
私の家は10年ぐらい前までは山菜でもキノコでも大量にとってきてみんな塩漬けに
して保管してました。漬物屋さんなみに漬けてました。
山村の住民は一部の集落除いて山菜取り、キノコ狩りなんてほとんどしてません。
山のものでは、生計がたたないようです、今の時代は。
山菜取りとキノコ狩りの時期は田植え(G・ウィーク頃)と稲刈りにぶつかるので
とても山は人気がなく静かで民家の近くでも楽に採れました。
ただし、ここ数年は松木、雑木の伐採、杉の植林がないためか、山が荒れ放題に
なってて、キノコのほうは全く取れないという事態をひきおこしています。
>561 東沢さんの精力的な書きこみには感服しています。
岐阜の改名については、現在の行政区画では、県というより、市といった
ほうがいいでしょう。ゲームの「信長の野望」でも沢庵禅師との問答なんか
が出てきます。中国古典から採ったと記憶していますが、ほんとうのところ
はどうなんでしょうね。
実は私も子供じみた空想が好きでしてね。日本に渡ってきた多くの部族の
ことをあれこれ考えるのが好きです。
日高見の話は面白いですね。東北弁ではヒダガミですか。これは盲点でした。
これまでずっとヒタカミと読んできましたから。
竈もカマドと読んでましたね。でも、私は愛知県出身ですが、カマドなどとは
いわず、オヤジはクドといっていました。もっとも、私の家系は鍛冶屋でした
ので、その流れの言葉かもしれません。
しかし、クナトとの関連はどうかなと思います。私の想定しているクナ族は
水神系で、火神系ではないように思うのです。
鬼神のイメージは、むしろスサノオではないかと思います。荒神ね。あるいは、
産鉄民といったほうがいいのかな。武人ですから、鬼とか牛頭とかいうのは、
兜の換喩でしょう。産鉄民の朝鮮半島からの渡りは二度ほどあったらしいです
が、二度目のほうは古墳時代ですから、考古学的にも推定できます。石棺の底
に朱を敷きます。丹ですね。高温炉の技術があればこそです。私としては、
出雲→丹後→近江→大和→吉備といったルートを想定しています。
スサノオの渡来は紀元前になるかと思います。考古学的な証拠は見つかりませ
ん。ただ、民俗的には、左義長(どんど焼き)など、残っているものは多い
ですね。この移動ルートは、出雲→吉備→古志というふうに考えています。
おそらく、古志にいたときに飛騨・高天原との接触があったのでしょう。
この二波が別物であるのか、同じなのか、私には判断つきかねます。スサノオ
が一度朝鮮半島に帰って、その子孫がまた来たのかもしれませんし。
面白いのは、産鉄民が菊花紋を使うことです。これは吉備も諏訪もそうです。
先日古代アッシリア王族の宝物写真が公開されましたが、冠に無造作にあしら
われた菊花が、やっぱり十六弁でした。移動民ならでは、方位のシンボルなの
でしょう。
もともと日本にはあまり鉄がありませんし、鉄が金より値打ちがあったのも、
産鉄が新技術であった時代まででしょう。やがて時代とともに色々な要素に
分解していったのではないかと思います。鉱山技能。武具・農具の鍛冶屋。
フイゴが作れるような工作技能。しかも、ノマディックな習性がありますから、
東沢さんの仰る門掛けのような商売の仕方になるのかもしれません。
東沢さんが仰るような竈神信仰って、三重県にもあると何かで読みました。
探せば、他にも多いんじゃないかなと思います。秀吉つながりも、そんなと
ころかなと思います。でも、信長は鬼じゃなかったんですかね。私も八切を
読んだくちで、必ずしも信奉はしてませんが、八切自身のエピソードは今も
印象に残っています。記憶ですが、八切が近江にいた時に牛肉を投げ込んで
いく人があったとか。問い詰めると、信長信奉者であったとのこと。
少将名彦名さんありがとうございました。
竹細工の種類は大まかに数種類に分類できますが、ざるはもっとも
ポピュラーな竹製品です。
気になったのは古代アッシリア王族の菊花が十六弁というところです。
ざるの底を組む場合には竹皮を薄く剥がしたものを八ないし九本真中を合わせて
放射線状にしますので、八本であれば、十六の弁になります。これを螺旋状に編んで
立ち上げてざるになります。これはおもに西日本、九州のざるの工程なんですが
「菊底編み」と言うそうです。
鬼神=スサノオ説、これを用いて地元で考えて見るとトンでもなく面白くなります。
天皇が鬼神軍と戦うという軍事演習、模擬戦でしたが、
アマテラス対スサノオということになり、全く古事記の世界を彷彿とさせます。
祖父によれば天皇から命を請けた八幡太郎義家が鬼神(アテルイだとおもいます)を
祭る安部貞任軍とに帝国陸軍の軍人達が実際に分かれて演習したそうです。
明治大帝が実際に御越しになられて指揮してたのは何度もききました。
秀吉の鬼神へのおもいは深かったと考えています。
歴史小説では、詫び寂びの茶室の利休を称え、黄金の茶室の秀吉を馬鹿にした
書き方が多い様ですが、宮城県の戦国時代の秀吉の歴史の地へ実際に行ったら
考えが変わり違った解釈の考えにいまはなりました。
金の茶杓、金の茶釜、敵将のガイコツ頭の皿で作った黄金の盃、金成瓢箪、
テレビドラマのこれら小道具は、永遠の命、永遠の豊臣政権を意味するものであって
浅はかな金満思想とは違う、秀吉らしい思慮深さを感じています。
信長=・・・スサノオということですね(笑)。あー恐い恐い。
565 :
噂された連中:02/03/19 00:11
田中角栄、田辺誠、児玉誉士夫、旧東京相銀の長田一族、小泉の祖父、野中?・・・
結局シノガラは実在するの?どこまで権力にくい込んでるの?
母に山菜、わらびのアク抜きの仕方を聞きました。
コガ、漬物たるにわらびをを入れ、重曹とナラやクヌギなどの「アク」を
一掴みいれて、熱湯をたっぷりかけるといいそうです。
あとは、重石をしておくそうです。
「アク」を早く欲しいときは豆殻を焼くということでした。
1970年代初めの頃の事なんですが、父は竹細工売りの車のラジオから流れてくる
はしだのりひことシューベルツの「風」という歌が気に入ってました。
昭和11年生まれの父にとっては、自分より下の世代の歌に反応する事は珍しかったです。
♪人は誰もただ一人旅に出て 人は誰も故郷をふり返る
帰っておいでと振り返っても そこにはただ風が吹いているだけ♪
私の家は遠くまで竹細工の販売に歩いていましたが、自分らを「サンカ」とは
名乗ってはいませんでした。
父はサンカは自分たち以外の組織と把握していました。
私も似てはいるけど自分たちをサンカとは認識できていませんでした。
東北の人々は朝鮮人や部落に対する差別を一民人としてはしません。
竹細工や竹細工売りにたいしても、差別するのは一部の人間だけです。
ただし、普段差別や弾圧しない人達も
政治家や公の位の高い立場に就いた場合は立場上、差別するだけでして
公の立場を降りれば「やーあのときはわるかったな、ごめん」で済みます。
そういう差別心や差別のほとんど無い東北にいながら
何故父が朝鮮人やサンカや部落の人達を高く評価してたのか不思議でしょうがありません。
だいたい、朝鮮人や部落の話しを東北の人々がする事体、少ないです。
私の近くへ引越させ定住させた仲間の竹細工職人の方が亡き父の昔の話しをしてくれました。
若い頃二人で星空をかごやざるを背負いながら歩いてて、泊めてくれと言う勇気がなくて
しかたがなく勝手に民家のクイ小屋に忍び込んで泊まったそうです。
でも、真っ暗ななかでも買ってきた酒を飲んだためか朝に寝てたところを
そこの家の主人に見つかったそうです。
でもその方に、「家さ入れ」といって暖かいご飯を食べさせてもらったそうです。
そこの家族の見てるなか緊張したけど、生卵でご馳走になったとのことでした。
この仲間の職人さんはいま63才くらいです。
「ほいどっこ、可愛そうになったど思ったんだべ」と言いました。
その家の主人はたいした偉い人だったと評価して話してくれました。
父、仲間の職人さんはこの方から見ればサンカに見えたかもしれないです。
今日、実は「風」のはしだのりひこが在籍してたフォーククルセダースの
「イムジン河」がCDで発売になりました。
子供の頃、私もモチロン大好きなフォークグループでした。
五木寛之作詩の「青年は荒野を目指す」、「悲しくてやり切れない」「ムサシ」とかね。
岡林の「チューリップのアップリケ」もモチロン好きでしたよ。
でも、イムジン河は北山修の本でその歌詞(実際は松山猛か)に自分で曲をつけて
歌うくらい、この曲が聞きたかったです。レコード発売禁止の幻の曲でした。
1990年代に入ってNHK−BSのフォーク大全集で堂々と歌えるようになってきて
そのメロディーの素晴らしさに感激してます。端田宣彦も歌いましたし、去年の紅白では
キム・ヨンジャさんも歌いました。ワールドカップの日韓同時開催の影響もあったのでしょう。
夕べのNHKのニュースでも「イムジン河」が紹介されてました。
私はまちがいなく日本人です。父は「アリラン」よく歌ってたし
弟は北朝鮮の音楽や民謡のレコードたくさん買ってます。
なんでこんなに朝鮮の民族音楽が好きなのか・・・ウズメと関係あるのかな・・。
>564 東沢さん、ヨタ話につきあっていただいてありがとうございます。
「菊底編み」の件は残念です。工業製品にシンボルが移されるというのは
考えられることですが、それが地域性に留まるとなると、産鉄民の移動を
傍証できません。私としては、金売り吉次とか大久保長安とか、降ってわ
いたように現れる鉱山技術者の系譜って、上古の産鉄民の技術継承による
ものではないのかと考えたいのです。
ところで、今回の居徳遺跡群での発見は、スサノオ実在説に一歩近づいた
ようで嬉しいです。約2500年前にドスがあったとしたら、ヒボコ以前
に産鉄民がいたという傍証になり得ます。自分の空想に考古学的発見が近
づいてくるのは楽しいもんです。
しかし、私の話題はスクナヒコのはずだったのですが、スサノオに流れて
しまいました。そろそろ退散時期のようです。(サンカについては、私は
南方熊楠説を取っています。よって、思いきりの意見を書くと、あらしに
なります。でも、私はサンカ好きの人って好きなんで、それは避けたいで
す。)
>信長=・・・スサノオということですね(笑)。あー恐い恐い。
そう書かれると、あらためて、自分でも失敗したなと思いますね。(九笑)
信長はクナトの系統じゃないかという文脈で最初に書いたわけですが、次
にはスサノオになっちゃってます。全く無意識でした。
どうも、八切の影響がなかなか抜けないのですが、またひとつさっぱりし
ました。ありがとうございます。
567の東沢さん、
東北は差別ありますよ。いろいろと。南東北には被差別部落もあるし、広義の
ものはその限りではないようです。東北では乞食をホイドともいいますね。
中近世は武士階級とともに革職人の賎民の方々も連れてこられたとか。
三陸でも昭和前期に洞窟暮らししていた人が定期市の日に里に繰り出して
蔑視の目で見られていたと、同郷のご年配の方から聞いたことがあります。
在日の方々への差別意識は自分自身が不本意にも身近な人たちから刷り込
まれてきたところがありまして、払拭するのに数年を要しました。
でも、おっしゃる人情は、山間部ほど顕著な印象(私の偏見ですかね?)です。
平野部より山間の人たちの方が純朴でのんびりしていて芯が強いかな?
>私はまちがいなく日本人です。父は「アリラン」よく歌ってたし
>弟は北朝鮮の音楽や民謡のレコードたくさん買ってます。
>なんでこんなに朝鮮の民族音楽が好きなのか・・・ウズメと関係あるのかな・・。
九州筑豊辺りは所謂在日とは別に朝鮮系の系譜を持っている方々が珍しくないよう
で(もっとも炭鉱地域ゆえ、出自いろいろのごった煮ですからね)、
そこの私の知人の方は、新井英一さんのコンサートで「清河(チョンハ)への道」
を聞いて涙を流したそうですが、隣にいた在日の方が目をパチクリさせていたとか。
血が心を揺るがすのでしょうか?
570 :
天之御名無主:02/03/22 19:28
東山さん、はじめまして。書き込み興味深く読ませて頂いております。
しばらく前、私も東山さんのおられる近くの市に住んでおりました。
もう5年程前の冬になりますが、ちょうど東山さんがおられる所からみると
山に陽の落ちる向こう側に用事で言ったことがあるのですが、場所が
イマイチわからないためコンビ二のお兄さんに場所を聞きましたら、
教えてはくれながら、あんな山奥に、あまり行かないほうがいいのに、
気をつけて行ってね、と余程辺鄙なところのように言われました。
親切だなと思いながら吹雪も吹いていたので覚悟して慎重に運転して
いったのですが、別に山道に入るわけではなくちょっと町の中心から
外れただけなのに、大げさダナと思った記憶があります。
ちょうどその地域は国道から袋小路状に細い道を入ると、家々の集落が
開けるようになっていて、その一番奥に迷いながら行ったところが目的地
だったのですが、そこの人は気立てがよくお茶菓子を接待してくれて、
気持ちよく用事を済ませることが出来ました。ただ行く途中でこちらを見る
おばさんの目線がちょっと怖かったのを覚えています。それと集落の作り
全体が比較的新しく目で、ともすると藁葺きトタン貼りが混じる周辺の家々
からみると取ってつけたような違和感を感じたのを記憶しています。
後で調べたところ、そこの地域は 蓑作りの部落 と書かれていました。
いまどきあの雨よけの蓑を作るなんて、文化工芸品を作っているんだな
位にしか当時は思わなかったのですが、その後で 箕作 の話を知るにつけ、
どうもあの集落の事が思い出されるのです。その雑誌はいわゆる今風の
タウン誌みたいなのものなので、箕と蓑との区別が付かなくてもまったく
不思議はありません。
あまり関係はないかも知れませんが、少し気になっていたので書き込みました。
去年テレビ東京のニュースアイでサンカを特集していた。
どんな内容でした?ディープなところまで進みました?
>>570の天之御名無主様、ありがとうございました。
都会では見ず知らずの人同士が話しをしなければならない場面になっても
相手に不快感を与えないように気を使いながら、また何気ない表情で接しながらも
変な奴ではないか、探りながら、そつなく話しを進めるのが非常に上手だなって
見てます。
竹細工の部落、東北の何箇所か深く付き合ってますが、本当の意味で恐い
人なんていないとおもいます。心底からの悪人は箕作りなど割りにあわない
仕事などしないでしょう、今の世の中では。
地方の人が恐い目線をしてたというのは、そのおばさん自身が見慣れない人を
見て不安になったためかもしれないし、厳しい人生を歩んでこられてたり
閉塞的な人間関係に束縛されてて行き場のない苦しい日々の気持ちが、
正直に表情に現れてるだけかもしれないです。
ま、見たわけでもないし、その方の本当のきもちなど私にわかるわけは
ないかも知れませんが、悪意を持って恐い目で睨みつけるなんて事だけは
まずないでしょう。
それより昔はみんな平均に生活が厳しくて冷暖房もなく一年の寒暖も激しく、
さらに労働も厳しく当然、人間もたくましくなってて、
その強さみたいなのが恐さに感じたのではないでしょうか。
でもなによりも、天之御名無様は、もともと偏見を持ってないようなんで、
もし何度かそこへ通う機会にめぐまれれば
その地区の人達もたちまち慣れて違和感を抱かなくなるとおもいます。
>>569のケアルイさん、いつもどうも。
朝鮮人の方々にたいする、
正直なお気持ちを書いていただき、ありがとうございました。
中世に武士とともに革職人が一緒に来てたいうのは史実でしょうが
はじめてききました。その頃は差別があったでしょうが
今は・・・どうなんでしょうね。
よくテンを昔取ってたりと言うことは良くありました。
そこからミンクの養殖で事業家になった方とも花巻の物産展で
ご一緒したことが何度かあったけど、彼等はまさかおそらく違うでしょうが。
そうだったからってモチロン、私は全く構わないし素敵な職業に違い
はないですね。
というよりも、皮革業、ミンクの衣服や、カバンなんてファッション業界での
大事な部門なのに、今でも差別とかあるのが不思議と言えば不思議です。
フランス、イタリアのカバンの竹根の手なんて、もろ日本製だったんですけど。
三陸の竹細工や箕の集落は私は一応全戸寄り、見ましたし、話しも
しましたが洞窟に住んでる方はいませんでしたよ、1989年頃に確認しました。
岩手は平均して純朴で強いという印象は受けます。でも純朴と言うのは
なにも思慮深さと相反するものではなく、同居できてるところに
素晴らしさを感じます。
もちろん、今現在の大正、昭和一桁生まれの世代に感じるものですけが。
特に、戦後の開墾地に入植した方々の精神力の強さには、凄まじいものを
感じます。
竹細工の家、箕作りの家にたいする差別は、実際かなりあります。
でも、蔑視されたからって、笑われたからって、どうってことないです。
むしろ、差別する人間を「生」で見れた、小説や部落問題の学術書でなく
実際に馬鹿にされ体験できたことは、なによりも面白かったです。
私の好奇心を満足させてくれる、差別人のパターンのカタログを
いろいろさまざま見れて、生まれてきたかいがあったというものです。
それを、差別された、蔑視された、挙句の果ては迫害されたと思うのは
どうでしょうか。
私自身は、被害者の意識はないです。それより、人の見てない
トコロでおもいっきり差別してくれた、今や偉い肩書きに就いてる方々に
反骨精神を与えていただき深く感謝を申し上げ、感謝状を送るとともに
少額でお恥ずかしいですが、金一封添えたいほどです。
東沢さん、
念の為申し上げますと、私自身は韓国朝鮮が大好きで、ハングルに魅了されてから
あらゆる物・文化・人などに関心をいだいていました。
しかし、80年代はマイナーなイメージで、しかも悪いイメージ(ステレオタイプ
で歪められた荒唐無稽な)
が跋扈している(現在はホントに随分よくなっていました)背景で、当時感受性の強い子供
である自分には
韓国朝鮮に関心を抱いている自体に罪悪感すら持ち始め、せっかく勉強していた韓国語も
放棄してしまいました。
自分の素直な心に向き合って韓国語を再開し、関心を抱いたのは12年後のことでした。
それからは友人・知人も出来たり、
自分にとってホントに身近な存在になったのでした。
北三陸の洞穴に住んでいた人の話は、昭和前期時点の今、75歳になる方が何度か
話してくださったことです。近年はいないのでは、と思います。
かつて城下町に被差別部落があったようですが、あまり定着しなく、今はほとんど
確認できないとか(実際わかりませんが)
しかし、他所から被差別民の方が移住してこられて、暮らしぶりがよくなったとか
聞きます。差別を受けなかったということもあって。
差別を受けられたお話、あるセールスマンが「お客さんにNOと言われたお陰で
今成功している私がいるのだ」とおっしゃる人がいたとかいう
話を思い出しました。
私自身、周りに「異質」に思われているようで、仕事関係のある現場に赴いたら
現場の方が
「何で外国人を連れて来るんだ。」と言っていたとか、仲間からあと
で聞きました。
別に深刻な気持ちなど全然なくて、「そんな目で見てるんだな〜」と改めて
思いました。私自身、この顔つきを誇りに思っていますし。
たまにそんな発言は耳にしますが、引き合いに出される対象(「OOみたい」の
OOのトコロ―様々です)の方への
露骨な差別意識が窺ると、その点で少し心苦しくはなりますが。。
576 :
570改め銀毛:02/03/25 05:21
東沢さん、こんばんは。570で書込みしました天の某改め銀毛と申します。
お返事ありがとうございました。
>それより昔はみんな平均に生活が厳しくて冷暖房もなく一年の寒暖も激しく、
さらに労働も厳しく当然、人間もたくましくなってて、
その強さみたいなのが恐さに感じたのではないでしょうか。
そうですね。確かにあの日は分厚い吹雪か横から吹き付けてたびたび
視界がなくなるような天気でした。出掛け先ではそんな日の珍客だったらしくて
まあよくこんな中を。。。とそこのお姉さんには半ば驚きながら
歓迎してもらえました。冷えきった部屋の石油ストーブを全開にして
くれたのですが、屋根に分厚く積もった雪おろしが始まり、雪の塊
がどすーんどすーんとガス爆発かと思うような音をして地面に落とされます。
とその1回が見事にストーブの煙突に命中。雪で詰まってしまいました。
ストーブは不完全燃焼でガスくさい匂いがして利かなく、あんれまあと
2人で大笑い。
(自分がどこから来たのか説明するのに)
僕 丁度山の向こう側から来たんですよ、夏だと真っ直ぐ上がって
真っ直ぐ下りれば来れるのに冬は随分遠回りしないといけないですね。
お姉さん ?そそうですねえ、言われてみればそうですねえ。うん。
(集落に入って道が分かりにくかった事を話すと)
お姉さん ....でそこの林檎畑のところをずうっと入ってくるとここに
着くんですよ。
僕 ???(林檎畑?)
お姉さん …はははそうですね、家の前、林檎畑なんですよ、今雪が積もって
ぜんぜん分からないですけど。
(帰り際、訪問中にも雪がだいぶ積もってかなり弱気)
お姉さん 大丈夫ですか、帰れますか?
僕 多分大丈夫です。でも途中ではまって動けなくなったら戻ってきます
ので助けてください。
お姉さん ははは、分かりました。戻ってきて下さい。
…と、何だか話がとんちんかんだったり弱気だったりで
今思い出すと可笑しいのですが、暖かくなったらまたあの山を
越えて向こう側へ行こうと思っているうちに転勤になってしまい
ました。
577 :
570改め銀毛:02/03/25 05:56
すみません、話がすっかりそれましたが、何が言いたいかというと、
ここに書いた出来事というのは、自分にとってはまるで映画を見るような
事なのですけれど、例えば冬季には閉鎖する道路と通す道路とはっきり
分け、通す道路は何があっても死守するという背景に、これまで雪国の
人が物資が手に入らなかったり、みすみす助かるはずの病人を死なさねば
ならなかったりと言った過去の歴史があるということを、たまには思い出さねば
ならないと言う事を東沢さんの書込みで思い出したのです。
(自爆)
銀毛さん、なんとなくわかりました。
その箕を作る地区が普段の生活空間とは異世界のように感じられたんですね。
へたな映画よりだいぶスリルとサスペンスにあふれてたようだし
ココロに深くそのシーンが刻まれたようでいろんな意味で良かったのでは。
そのお姉さん今頃、首ながくして銀毛さんを待ってるんじゃないでしょうか。
(自爆しないでね)
>>575のケアルイさん、心のこもったお返事どうもありがとうございました。
>>北三陸の洞穴に住んでいた人の話しは昭和前期の今、
>>75才くらいの方が何度か話してくださったことです。
それはとても重要なことをお聞きになりましたね。
私にとってもかなり貴重な事例を承知したことなり、
いろいろと考える事が多くなりそうです。
いままで東北についての山窩研究の本を読んだ事がなかったので。
北三陸でしたか・・・。
実は私が三陸と言ったのは南三陸と訂正しなければなりません。
南三陸といっても1靴残らず廻ったというのは
釜石以南から牡鹿町までの市街地を除く農漁山村です。
宮古までは大槌を少し歩いただけで北三陸はまだ行ってません。
気仙の箕作るところは集落になっていて、かつては高度な文化が花開いて居た所と
五葉山周辺を平安時代の和歌から読みこんで調査し始めました。
>>韓国朝鮮に関心を抱いてる自体に罪悪感すら持ち始めて、
>>せっかく勉強していた韓国語も放棄してしまいました。
朝鮮韓国に対する思いが一転二転までするものなんですね。
韓国語まで学ばれていたとのこと。
いくら朝鮮が好きといっても語学まではとても出来ません、私には。
主にテレビ(70、80年代は朝鮮半島の関連番組は少なかった)やラジオの
民族音楽の番組をエアーチェックしてたりしてました。
文芸誌では金石範はちょっとだけだけど読んでました。でもやっぱり中上健次が
一番スリリングに朝鮮&在日朝鮮を書いてくれたひとでした。
サムルノリの日本でのブームの火付け役でもありましたし、
なんといっても韓国に渡ってのリポートが濃いもので面白かったです。
東北の山窩の人達の人種的特長はどんなでしょうかね。
私にその良い血が流れていればいいんだけど、見た目がわるいので山窩のイメージを
損なっては申し訳ないんで自分を参考にはいれませんが、田中勝也「山窩研究」の
写真に出てくる女性にそっくりの人が仲間や知ってる人にいます。
東北や九州にほっぺが冬に赤くなるほど色の白い人達が多いですがこれはどうかなとか
身長が高くがっしりした体型の人はそうかなとか、目が水色とか薄褐色とか黄緑?とか
の人はなんなのかとか、家族が皆黒髪なのに生まれつき金髪の子が生まれてくるのは
どうかとか、歯並びがとてもきれいな人達はとか考えて
これらの特長のうちどの人たちが山窩の源流になるのか、
どの人達が山窩の生活様式を継承したのか、どの人達が山窩と婚姻を重ねていったのか
とか、考え始めています。
それと朝鮮語の会話のイントネーションを聴いてると
青森とか東北の音に近いものを感じてしまいます。
半島からの渡来系が高度な文化を保持してた
山窩と交わったのではの線でもこれから考えて行きたいとおもってます。
>>579文字化け訂正 10行目「一靴残らず」→「一軒残らず」です。
581 :
衒学的過ぎるよもう:02/04/09 00:06
ねえ、もうそういう方向には未来なんてないよ。
いい加減現実的な方向に進もうよ。いくら探してもいないよ、とっくに滅んだ。
シノガラとか、滅んだ中で遺ったものを捜すべきだよ。
東沢さん、先の支離滅裂の書き込みお恥ずかしい限りです。
若気の至りと言う事でご容赦の程を。
今ごろみちのくは1年で一番麗しい季節でしょうね。
川の水も温み、青く澄んだ流れが陽の光に輝く光景が目に見えるようです。
桜のつぼみもこれから開き始めるのでしょうね。
それでも須川岳への道はまだ通れるようになるには2ヶ月近くかかりますね。
今年は暖かいので少し早まるのでしょうか。
ところで、この須川岳への道には一関から瑞山経由でバスも通っていたはずですが、
まだありますよね。(北上から夏湯温泉に行くバスは廃止になってしまったそうですが)
真湯から先は大変な上り坂となり標高1400mまで上りますが、その途中何やら
カタカナの妙な名前のバス停がありますが、これは昔のアイヌの人たちのが付けた
地名という説がありますが実際のところどうなのでしょう。
柳田国男の本だったかに、仙人は深山に篭っているように言われるが、
実は道路の発達した今となって見れば意外に人里近くにいたものだ、
とあり、また山窩の人たちについても同様の記述があったと思うのですが、
アイヌの人も交通の便が足か馬だけだった時代にあの深山を往来するのは容易な
ことでは無かったと思われます。
山の人生に、夜中の山中の谷底は恐ろしく魔物が出そうだけれども、
魔物は往来を通るので却って谷底の方が安全なのだ、という説がありますが
これを考える時いつもあの須川への道を思い出すのです。
583 :
天之御名無主:02/04/11 05:47
sage
584 :
ヒヒヒの民:02/04/14 21:56
585 :
天之御名無主:02/04/15 17:55
で、金太はどこいったの?
586 :
天之御名無主:02/04/18 19:49
金太さんやーーい
サンカの宿
山形地方などで、春になるとどこからかサンカがやってきて、秋頃まで泊まる宿
があった。上下宿みたいなものなんでしょうか。その泊まる家を村人達はサンカの宿
と呼び、その家の人を特殊民とみていた。しかし、その家にはサンカ達が稼ぎの
中から、かなりの分け前を置いていくので、暮らし向きはかなり裕福であったら
しい。
櫛
野性的で勝気なサンカ娘が、髪の毛を竹櫛に巻きつけ、アップにする結い方を
タカマキというそうですが、この竹櫛は、サンカ達が、行き先や、集会の「コ
トツ」といわれる伝言などの目印を、地面に筋をたてる時にも使われ、また、
追い詰められた時の武器にもなります。
櫛は呪術性もたかく古墳の出土品の中にも多くみられるそうですが、魔よけの
呪物と考えられていたようです。富山県の櫛田神社には、田植女を呑んだ蛇が、
女のさしていた櫛が喉にひっかけて死に、その蛇を神に祀ったという伝説があ
るそうです。モノモライやヒキツケには、櫛でこすると治るという言い伝えの
ある地方も多いとか。
589 :
天之御名無主:02/06/09 23:17
金太の話はどうなった?
590 :
天之御名無主:02/06/10 12:59
なつかしい名スレがあがってきたage
591 :
天之御名無主:02/07/02 21:46
たまにはあげとく
592 :
御殿山 ◆i7T.x7Zg :02/07/06 18:28
うちの隣り町に竹細工を生業にしてた家あるんですが
作業場は随分昔に無くして普通の住宅になったので
廃業してたと思てたら、最近前通うたらご主人嬉々として
籠作ってまして、目が合ったら自慢そうな雰囲気やった・・。
話し聞き出すのは、どうしたら良いかネ。
↑竹細工屋がみんな山窩だと思ってるバカ
うせろ
>>592の御殿山さん、はじめまして。
竹細工してるとか山窩だったとかということはごく普通のことでありますので
いつもどおり普通に疑問の点をお聞きになられたならどうでしょうか。
「山窩でしたか」と聴いてもわからないおもいますので、「作った籠を売りに歩くんですか」
と聴いてみたらどうでしょうか。または「カゴ作りはどこで修行されたんですか」と聴くのも
早くわかっていいかも知れません。答えが「売りには歩かない」「注文に応じて作る」「竹細工の
親方に弟子入りして覚えた」「親がここで昔から竹細工の店をしてた」とかいうお答えの場合には
その方は山窩の生活を過去にしてた可能性は少ないでしょう。
欲しい竹細工をなにか一つ注文されてお話しをきいてみるのもいいとはおもいます。
でも竹細工をしてる人や山窩の生活をされてた方々は現在の日本社会のなかで
身分の低い人間であり、自分は高い身分の階級だとか自分自信でココロに強く
認識なさってるような場合の単なる身分差の確認のためでしたならば、
お話しを聴くようなことはなさらないでくださいね。
595 :
天之御名無主:02/07/12 02:49
山窩は農村を廻ってお米と箕を取り替えていたかもしれません。
>>銀毛さん、しばらく山窩関係のサイトに参加しており、レスもせず申し訳ありません。
こちらも、またときおり寄ってみます。
じつは須川方面は一軒残らず門掛けしてますのでよく知ってます。
また山の名前、川の名前があまりにも山窩を想起させるもので不思議ですよね。
実は、ここで「瀬降り」してた事があります・・・(笑うしかないけど)。
鍋釜を持っていって、山の木で煮炊きをして父や竹細工仲間と須川のキノコをとっていれて
テンジンではないけど、テンジンのように鉤で鍋をつるしたんですね。
・・・ま、芋煮会に近いかもしれないけど、芋が煮えるまでそこの竹でザルの一つくらいは
作れますし、磐井川の瀬音聴きながらですから、強いていえば瀬降りといえるかもしれません。
ここの民家から、熊の肉を父がザルと交換してだか、買ってきてだか食べたこともありました。
もう1980年前後のことになりましたね。
・・・どうでしょうか、一緒に「瀬降り」いたしませんか?
597 :
天之御名無主:02/07/16 04:35
age
あぼーん
宮城の奥羽山脈の刈田のふもとの川の両側には、春先と冬を前に鈴竹切りのために箕作りは瀬降りをしてました。
それを見てた地元の子供達が箕作り山窩を真似て「山窩遊び」をしてたと地元郷土誌は伝えています。
松の木に松の枝で作った簡易の小屋での瀬降りです。
なんかもう一度確認したいんだけど
金太さんの話ってネタってことで消化していい話なんですよね?
なんか落ち着かなくて・・
だってもしも途中で内調が出てきて日韓関係の微妙な問題ということなら
こんなところで言うはずないもんな。
601 :
天之御名無主:02/08/06 07:44
ふーん
602 :
天之御名無主 :02/08/06 09:38
つうわけで、今週のAreaにサンカのページがありますた
603 :
天之御名無主:02/08/06 20:49
今週のAERAにサンカの特集ページがある。
内容は、なぜ今サンカが注目されるのか?サンカ的な生き方を求める人々というような感じだったと思うが、
その中で三角寛の息子が、サンカ文字は偽作で、
自分が子供の頃、親父が机でサンカ文字を考えているのを見たというような事を言ってた。
父はサンカの研究家というより、サンカ小説家だったのだと。
まあ、すでに定説ですが・・・
605 :
初めてこの板に来た人:02/08/20 21:55
いやいや、読みますた。1〜604
金太まじ?
金太=東沢美史=電波
607 :
天之御名無主:02/08/22 03:01
慶洲話も箕行商話も、
ネタなのか?
そうなのか?
三角はともかく
金太さんや東沢さんはネタとは思えないんだが。
609 :
天之御名無主:02/08/23 19:45
んなら、何故消えた?
610 :
天之御名無主:02/08/23 19:51
金太はネタだぞ!!!!
611 :
天之御名無主:02/08/26 05:41
山歩きしていると、人里離れた深山幽谷の登山道からも離れたような場所で
よく炭焼き窯の遺跡を見かけたりするけど、あれって何なんだろう・・・?
↑ただの炭焼き小屋の跡、と考えるのが妥当でしょ
613 :
天之御名無主:02/08/27 00:03
過去の分全部読んでないんであれですけど、
金太さんが書いてたサンカの神様=「おんたけさん」が本当だとしたら、
長野県の御岳山は元々サンカの神様だったんでしょうか。
今でも御岳信仰って残ってますよね。
そして御岳百草丸はサンカの薬?
あれは下痢を抑え過ぎて便秘になりますね。いざと言う時には心強い。
しかも総天然素材。
614 :
天之御名無主:02/08/31 05:12
すみません。誤爆です。
616 :
天之御名無主:02/08/31 13:30
オンタケサンorミタケサン
617 :
天之御名無主:02/09/01 13:59
東沢氏=百済氏 既出?
618 :
天之御名無主:02/09/03 02:05
サンカなんて昔はただの普通の日本人だったんだけどね。
三角寛なんてあまりに現実ばなれしてて誰も相手にしてなかったし。
70年代頃からUFOだとかネッシーだとか扱ってたキワモノライターが
悪乗りしてネタにした時も「あれはああいう本だから」とみんなネタとして見てた。
当時はまだ高度成長期以前の素朴だった頃の日本を実体験で知ってる世代が多かったからね。
時代が下って、真に受けて電波たれながす小僧は80年代にもたまにいたけど
当時はインターネットがなくてせいぜい同人誌とかムーの読者コーナーだったからな。
今は2chのせいで電波まるだしなドキュンが野放しになってるってこった(w
ににんがさんが
620 :
天之御名無主:02/09/03 23:29
直接スレとは関係ないですが質問させてください。
3、4年前に本屋の民族学のコーナーで分厚い専門書を立ち読みしたのだが、
外人の作者(名前忘れた)が、江戸時代のある被差別層を描いた絵図や生活習慣
がユダヤ人に大変類似しており特殊なグループとして存在していた可能性
があるような事を延々書いていた。日本が奥州藤原の昔から銀や金を多く産出
しているが、鉱脈探索の特殊技能を持ったユダヤ人が青森の大湊経由で南下混血し
やがて被差別層に組み入れられた可能性は無いのでしょうか?
静岡沿岸部では、難破した?外国人との混血児がそのような扱いを受けたと
聞いた事が有るのですが。
621 :
天之御名無主:02/09/13 01:30
aaaaage!
620様。その話は父がよく話していました。なぜユダヤ人なのか。私はあまりにもかけ離れた国のことなので信じ難かい気分で聴いていました。
623 :
天之御名無主:02/09/15 17:19
>>622 大阪は江坂のハンズ前のファッションビルの上の方の階のデカイ本屋に確か有りました。
あんな重い本持つのしんどいから売れずにまだ置いて有るのでは?
学術書ぽっかたですね、なんか。
スレの本題と関係ないから適当なスレあったら教えてちょ。
624 :
天之御名無主:02/09/15 20:10
東沢美史さんの書き込み、とても興味を引かれます。言葉も丁寧でわかりやすいし。
最近この分野に関心を持ったばかりなので、ROMだけですけど...よろしく。
625 :
天之御名無主:02/09/15 22:34
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>>623の天之御名無主さん。「スレの本題と関係ないから適当なスレあったら教えてちょ。」
いいえ、私は山窩の、もっとも基本的な信仰の核に当たる分野がここだと考えています。
黄金が目的でなければ、政府が血眼になって山窩や口寄せ巫女をシツコク調査し後に
その民俗学調査の成果を伏せていった経過が説明できなくなります。
当時のエリートだった軍人や大蔵省、宮内省、内務省の役人達が世間から蔑視されてた
私達の仲間に関心を抱くのには黄金の場所を知ってたからだと私は考えています。
そうでなければ高級官吏である彼らが彼らの基準からすればみすぼらしい私達の先祖の仲間たちに
関心を持つはずがないです。
同じようにみすぼらしかった小作人にたいしては民俗学的な調査はあまりされていないような気がするのですが。
Auは数有る元素の一つに過ぎない。
だがそれの為に色々苦労した連中で歴史の図書館はいっぱいだ。
思えば何で金がそんなにありがたいんだ?
石油や石炭や鉄鉱石なんかは、燃料や原料になるから戦略資源なのは分かるけど。
俺が古代人なら先ず食える物、次に武器になる物にプライオリテイを置くよ。
>>627番の方。
今月は竹細工売りしながら関東軍にいた元軍人で金鉱山の技師をしてた
大正12年生まれの方にシツコク当時の様子を聞き込みしていました。
彼は大東亜戦の兵士でしたが明治期の軍人や天皇のとらされた不可解な様子は
やはり軍人によって語り継がれてることが聴きこみによって確認できました。
東北の「金」は世界一の埋蔵量を誇りますが、その精製法は未だに多くの皆さんは
ご存知無いようです。竹細工とも深く関わってきます。
もちろん山窩の信仰ともろにかぶると推測してます。
もうひとつオシラサマの信仰とももろにかぶります。
金のある場所が死人の埋葬されまた生き返る場所でもあると推測できます。
明治30年代には東北産出の手に持てる大きさの金鉱石をイギリス人に見せるだけで
イギリス製軍艦が手に入ったようです。
629 :
東沢=クルクルパー:02/09/27 16:21
>東北の「金」は世界一の埋蔵量を誇りますが
それはスゴイ。ぜひ、サイエンス、ネイチャー、東スポのいずれかに発表されることを望みます。
630 :
天之御名無主:02/09/27 16:31
>明治30年代には東北産出の手に持てる大きさの金鉱石をイギリス人に見せるだけで
>イギリス製軍艦が手に入ったようです。
金鉱石を「見せる」だけで軍艦をくれるとは、なんとまた気前のいいイギリス人ですこと(w)
631 :
天之御名無主:02/10/02 22:24
↑
いやみっぽい書き方するなよ。
629番、630番の方。
レスしてくださってたんですね。
2ちゃんねる掲示板では勿論最愛スレッドの「山窩だそうです」なんですが
ここ最近はちょっと疲れ気味で訪問していませんでした。
>>628に書いたのは私が書いたのは確かですが、深夜に目が覚めて
付けっぱなしのパソコンに急にムキになって書いたみたいでしたね。
>東北の「金」は世界一の埋蔵量を誇りますが
これは金採掘を実際にされてた方や地元の金の研究者の方々との話で埋蔵量世界一という
話が出ただけで実際は不正確かと思います。私の願望を書いたようです。
訂正しておきます。
ただし過去の採掘量が東北、とりわけ三陸が世界一、あるいは世界一にせまる
量の金を採取してた可能性は有ると思います。これからの各分野の学者さん達の
研究成果の発表を待ちたいです。
さらに述べさせていただきますが、含有量は世界一の可能性は有るかもしれません。
何箇所かのサイトでも発表されています。また前にマスコミでも少し話題になりました。
634 :
天之御名無主:02/10/07 00:32
○umanolife の間違いでした。
>>617 それはないでしょ、ねえ
みなさん、ご無沙汰しております。
現在、ROMしています。東沢美史さん、おもしろい話を有り難うございます。
実はニュースがあります。
先日の在韓サンガ民族村なのですが、年内に帰国(再移住?)します。
強制的だそうです。政府がそんな対応に出るなんて、本当に半島で戦争が始まるんでしょうか?
638 :
天之御名無主:02/10/09 18:59
金太さんお帰りなさい。
>>636の金太さん、はじめまして。
なんか私は胸騒ぎがしてます。
北山修、加藤和彦がアルフィーの坂崎とフォーク・クルセダーズを再結成して
暮れの紅白で「イムジン河」を歌うかも知れませんが政情がですね。
赤組はキム・ヨンジャさんか都はるみが歌うでしょう。
でもなんで、はしだのりひこは参加しないのか。
父は戦後の昭和20年代にまだ朝鮮に帰らなかった
朝鮮人の家に竹細工売りにいくときよく寄って行ったそうです。
他の竹細工売りの人達の縄張りのようなものがありましたが朝鮮人の家には誰も
普通は寄らないんですね。
好奇心が強かったのもあったとおもうけど、朝鮮人が好きというか大陸にあこがれていた
父は朝鮮人の人たちにかなり慣れていましたし、彼らからも好かれたと自分で自慢していました。
同じようにこの町のスグ近くの沼地には結核療養所とライ病の隔離施設があるのですが
他の竹細工売りが嫌ってたこれらの病院の給食施設に好奇心から最初は竹細工売りに行ってましたが
後に見事にこの病院の炊事をする施設にザルを納入出来るようになっていきました。
これが昭和50年代まで続き、家の貴重な安定した収入源になりました。
久しぶりにここ来たら金太だ。いよう。
何人ぐらい帰ってくるの?
641 :
天之御名無主:02/10/11 14:17
>金太さん
それって小泉首相訪朝が決定以前に決まってたんでしょうか?
642 :
天之御名無主:02/10/12 00:16
国破サンガリアコーヒー
始めまして、 金太さん。 以前の貴方のレスについて、詳しく教えて
頂きたくレスいたします。
当方只今カナダに住んでおりガ-ルフレンドが韓国人です。 来年辺りに
結婚する予定なのですが、その折に(結婚式の為)、 韓国に行くことになり
そうなので、その際是非その場所を訪れたいと思っています。
もし宣しければメ-ルで詳しい場所を教えて頂けないでしょうか。お願い致します。
元々民俗学には興味が有り、 自己流ながら色々とリサ-チなどを致して
おります。 山窩についても興味が有り色々と調べてはみたのですが、
なにせカナダでは資料も限られており思うように行きません。
もし実際にその方々と会ってみて直接御話等を聞かせて頂けたら光栄かと。
是非御願いします。 教えて頂けなくても、 それはそれで理解致しますので
何卒御心配無く。
長文乱文失礼致しました。 メ-ル心待ちに致しております。
644 :
天之御名無主:02/10/12 21:50
通りすがりのものですが
>643
あなたは学者さんですか?取材される側のプライバシーとかに
配慮がありますか?
「聞くだけならタダ」とはいえ、無粋というか、なんというか...
646 :
天之御名無主:02/10/21 02:38
サンカは秩父にいるよ。
647 :
天之御名無主:02/10/21 11:58
俺の親父は戦後すぐのころに鯛尾金山の近辺でサンカのセブリをよく目撃していた。
交流はあんまりなかったみたい。
>636 それは無いでしょう >戦争。
ただ、今度の拉致問題で、政府は決断を促したと思いますよ。
問題は、それで彼等が幸になれるかどうかですね。
定住地も関心がありますが、静かに暮らして欲しいものです。
しかし、日本人は無粋で余計なお世話が好きですからね。
>>648 ただ日韓、日朝関係は悪化(日韓は悪化ってほどでも無いかな?)していますよね今。
そんなことも関係してるのかな。
650 :
天之御名無主:02/10/28 05:34
うわあ、まだこのスレあったのか。
金太さんまで再登場してるし。
みんなロマンチストだねー。
是非、パート2まで逝くことをお祈りいたしますです。
651 :
天之御名無主:02/11/05 05:04
金太さん
サンカ村の新事実の時だけじゃなくて
普通の何気ない書き込みもお願いします。
さもないと金太さんをネタだと言い張る人も
出てくるし、なによりも金太さんが書き込んでくれた
ほうがもっと盛り上がります。
個人的には金太さんが書き込みしてくれないと
さみしいです。
652 :
天之御名無主:02/11/05 16:08
三角のサンカ論文読んだよ。なんだあれ、金返せ、バカ。
あれはファンタジーですから>三角
654 :
天之御名無主:02/11/09 03:28
金太なんて典型的な2ちゃねらじゃん。
気づけよ!
655 :
天之御名無主:02/11/09 04:10
でも明治時代に朝鮮に集落ごと移住したって
話は聞いたことあるぞ
656 :
天之御名無主:02/11/11 19:58
金太さんはそんな人じゃありません!
前みたいに辛抱強く待っていれば、必ず戻ってきてくれます!
佐賀県(鍋島?葉隠?)が怪しいらしいよ。家出人の届出数が日本一とかなっている
けれど、こんなのカムフラージュ。まさに葉隠れ(w。この連中まさに日本のユダヤ。
寄生虫もいいとこ。無名な割になんであんなに金持が多いのかが解らない。保守王国
で、日本で最も在日が少ない県に入る。だから誰も入り込めない。
あと山口県。確か本州の南端。数々のエスタブリッシュ、輩出さる。中央志向強し。
山窩の伝承逸話も確か在る(うろ覚え)。
九州〜中国地方に住んでいる者レスしろ!!
誤爆すまん。
659 :
天之御名無主:02/11/14 22:13
金太さんはたまには見てんのかなぁ。
660 :
天之御名無主:02/11/14 22:18
昨日サンカに会ったよ。一緒にファミコンしたよ。
661 :
天之御名無主:02/11/17 17:26
金太あげ
662 :
天之御名無主:02/11/20 09:56
サンカは熊の毛皮被って、もののけ姫みたいなメイクしてる
そんなイメージ。これ本当?
663 :
天之御名無主:02/11/20 14:00
んなわきゃあない。
それどころか三角の本にある一家全員半裸の写真だってやらせ。
普通の流しの職人の格好だよ。
664 :
天之御名無主:02/11/20 21:32
三角の罪は重いな
665 :
天之御名無主:02/11/21 00:45
結局さぁー,
サンカはほんとにおったんかいな?
666 :
天之御名無主:02/11/21 00:59
四国山間部。82の祖母に聞いた話。
「カワラコジキ」という名称で呼ばれていた人たちが、おそらく「サンカ」
の事ではないかと思います。
各地を旅して木製品を売り歩いていたそうです。自前のテントや神社に
寝泊まりしていたとか。別に変な人達ではなく、ごく普通の格好をしていたそうです。
元々、「お遍路さん」への接待は彼らのための物だったのではないかと言ってました。
667 :
天之御名無主:02/11/21 01:51
アホが見る豚のケツ>金多
八坂神社の境内でかごや箒とか売っているのはサンカですか?
誰か聞いて、ここに書き込んで下さいな。
668 :
天之御名無主:02/11/21 17:01
壁を塗ってるのは左官。
669 :
天之御名無主:02/11/22 11:30
古代から近世まで、各地域、さまざまな信仰、集まり、
職業があって、権力が出来、差別も生まれたって事だろう?
んでもって、ある勢力(民族?)がある地域まで拡大したから
元から住んでいたものたちが日陰者になる・・と
そういう話なんだろ??
670 :
天之御名無主:02/11/23 19:28
じゃあサンカは元もと住んでた人達?
というか何故日本の様に四方を海で囲まれ、
耕作可能な農地もたくさんあるのに
わざわざたいして野生動物もいなさそうな山の中を
移住生活しなきゃいけなかったんだろう。
元々いろんな場所に住んでいて、
>>669の言うように
日陰者にされて山に押し込められたというのであれば、
本来は山の民なんかではないという事?
サンカっていう名称もおかしいじゃない。
>>670 地域にもよるらしいんですが、
江戸時代の飢饉(天明期とか)に、山に逃れた人たちが元なのだとか。
672 :
天之御名無主:02/11/23 22:21
>663
三角の本にある、家族の集合写真。半裸のやつ。あれヤラセなの?
なぜ、ヤラセって知ってるの?
ド素人ですが次のような疑問・感想を感じました。
1)果たして猟や物物交換で一族を維持出来るのか。
2)炭水化物、蛋白質、ビタミン、塩分をどう確保するのか?
3)小さい群れの中でどう繁殖して個体数を維持してきたのか?
4)仮にサンカというグループが存在したとして、雑穀や稲が栽培可能な山間部
の定住地をベースにした、狩猟・交易活動者でしか有り得ない。
一番イメージが近いのはアイヌだけど、彼らはどうやって食べていたんだろうか?
稲作やってたんでしたっけ?
674 :
天之御名無主:02/11/24 06:41
ウメガイ以外にも刃物は使っていたの?
675 :
天之御名無主:02/11/26 09:47
サンカは実在した。これを否定する奴勉強不足
676 :
天之御名無主:02/11/26 11:13
実在はしたけど、かつてサンカについて書きちらした全共闘脱落組の
期待したような存在だったとはどうも思えない。
677 :
天之御名無主:02/11/27 17:26
>676
意味がわかりません。
全共闘?とサンカって関係あるの?
678 :
天之御名無主:02/11/27 20:27
最近、東沢美史さん来ないね。
679 :
天之御名無主:02/11/27 23:00
階級から離脱した自由な存在という左巻きの幻想。
歴史って、結構ドラマティックに描かれる事が多いけど、
実際は地味な事実の積み重ねに過ぎない。
サンカが実在した事は確かだが、その伝説の殆どは虚構です。
681 :
天之御名無主:02/12/03 02:30
>663
三角の本にある、家族の集合写真。半裸のやつ。あれヤラセなの?
なぜ、ヤラセって知ってるの?
682 :
天之御名無主:02/12/03 05:59
なんだ虚構だったのか。
興味が一気に薄れたよ
683 :
天之御名無主:02/12/03 09:32
「誰が自分の娘の裸を写真に撮らせるか」と怒ったサンカがいたそうな。
サンカも日本人だからね、そういう感覚は当たり前のはずだよね。
常識で考えなくては。
「謎の土人」の写真だから「半裸」っていう連想だろうな。
ヤラセの動機としては物凄くわかりやすい(w
他にも「騎乗位がデフォルトだから老人になって勃起力が落ちても性交渉
を持ち続ける者が多い」みたいないかにも受けそうな内容が多いね。
685 :
天之御名無主:02/12/03 20:07
アエラbR6見れ。写真の家族本人の記事でてるぞ。
686 :
天之御名無主:02/12/03 22:06
>683
自分の娘がきれいだったら裸の写真取らせてもいいと考える人もいるでしょう。
単に他のサンカが、自分の娘の裸を撮らせないと言ったからって、ヤラセとはいえないのでは?
687 :
天之御名無主:02/12/05 02:41
例の矢切止夫氏が自分はとけこみしたサンカの末裔だと言ってたね。
三角氏の一連の著作は作為が多いと早くから非難していたようだ。
688 :
天之御名無主:02/12/05 02:48
大体だな「日本の学者の三分の一がサンカ」なんて誰が信じるんだよ。
三角は例の論文のあちこちで電波出しまくりだよ。
自分的にはどこぞの寺の縁の下で三角にサンカの講義をするむさいカマ
のくだりが臭くってしょうがなかった。「ネタです」って言ってる
ようなもんじゃん。
689 :
天之御名無主:02/12/05 04:14
金太さん来ないかなage
ううむ・・・
民俗学板なのに、こんなレスしかないのか。
士農工商は江戸時代以降の階級制度で
その前はどうなってたのか、誰も知らないのか・・・
鬱
692 :
天之御名無主:02/12/06 07:36
自分はなんでも知ってると言いたいのですね
694 :
天之御名無主:02/12/06 21:18
階級制度だって、プ。
身分制だろーが。官位じゃねえんだよ。
何、江戸時代以前? どうせ頼朝の朱印状とか
連雀、座入りの商売人、暦売り、遊芸人の話だろーが。
そんなん読み飽きたんじゃい、ボケが。
695 :
天之御名無主:02/12/08 17:07
オメーラってプロゴルフ選手だぞ。
696 :
場の雰囲気を読めなくてごめん:02/12/08 21:31
『修羅の門』の陸奥一族は山窩だと思ってました。
698 :
天之御名無主:02/12/09 01:19
NHK取材のサンカ家族の裸の集合写真
あれはヤラセではない。
ヤラセという奴
根拠あげろ
699 :
天之御名無主:02/12/09 02:22
少なくともNHKのやらせではない。
NHKがはめられた可能性はないとは言えない。
雑誌マージナルに取材記者の手記が載ってたような気が。
700 :
天之御名無主:02/12/09 05:27
701 :
天之御名無主:02/12/10 01:25
>699
1号ですね
現場を探訪したアナウンサーの回顧録が載っています。
けど、三角の演出だったとは一言も言ってないよ。
703 :
天之御名無主:02/12/11 02:18
裸の少女の2ショット&家族の集合写真でしょ。
左の子が刃物持って。
あれは、三角が捏造したのかな?
でも、そうやって捏造したのかな?
705 :
天之御名無主:02/12/13 04:43
サンカ好きだけど、過去レスの北斗信仰と、陰陽道、呪禁道の関係とかわかるかな?
呪禁道って居間でも伝えてる地方とかあるかな?
706 :
天之御名無主:02/12/13 05:04
山人とサンカは別物だぞ?
っていう説が主流だぞ?
707 :
天之御名無主:02/12/13 06:12
708 :
天之御名無主:02/12/13 08:41
709 :
天之御名無主:02/12/13 23:12
ノオマクサンダーブタナンアビタウンケンって、どういう意味?
710 :
天之御名無主 :02/12/13 23:59
??????????
711 :
天之御名無主 :02/12/13 23:59
??????????
712 :
天之御名無主 :02/12/14 00:03
????????・
713 :
天之御名無主 :02/12/14 00:04
????????
714 :
天之御名無主:02/12/14 00:05
???????
>>709 >>ノオマクサンダーブタナンアビタウンケンって、どういう意味?
「自然の理に従って我々は生きてきた。山河(自然)はそれを評価してくれるのか?」
(オーガニック生活最高!!それってエコロジーじゃん!!)
と言う意味です。これはサンガとは関係ないです。マタギに残っている縄文語です。
716 :
天之御名無主:02/12/14 18:26
つーかお経だろ?門前の小僧じゃないけど、坊さんがムニャムニャ言ってるの
聞いてたら大体のリズムで分かるよ。ブタは仏陀でしょう、多分。
梵語(サンスクリット語)じゃなかったっけ。
とりあえず密教の真言で、不動明王の呪文だったような。
縄文語て あーた
越前竹人形ってサンカとは関係ないのかな
あれはやっぱり水上勉の小説から生まれたものなの?
721 :
通りすがり:03/01/06 08:12
>>636 >先日の在韓サンガ民族村なのですが、年内に帰国(再移住?)します。
>強制的だそうです。政府がそんな対応に出るなんて、本当に半島で戦争が始まるんでしょうか?
今年になったが、やっぱり‥‥
722 :
天之御名無主:03/01/09 04:22
夙とサンカって何が違うの?
(^^)
724 :
天之御名無主:03/01/13 12:12
隆慶一郎のネタ元はなんでしょう?
725 :
天之御名無主:03/01/13 15:25
>724
色々あるけど、網野善彦の影響が強いやろ
726 :
天之御名無主:03/01/13 15:33
あと、書名が思い出せないが300年周期で下克上が起こったという奇説を書いた本
ネタ元ってわけじゃないが、隆慶一郎に興味あるなら一読の価値あり
Tes
728 :
天之御名無主:03/01/15 12:45
そういえば星野之宣のヤマトの火も数十年周期で大規模な祭りを起こすって話だった。
ぜんぜん関係ないけど、
ウチはフジワラ姓で富士原と表記し、
オヤジ一族は全員耳たぶに窪みがあり、蝮指です
730 :
天之御名無主:03/02/05 02:21
ニッテレで「もののけ姫」の番宣でこじつけてたのでage
731 :
天之御名無主:03/02/10 00:59
サンカの一家の集合写真がヤラセという奴いたな。
証拠は?
732 :
天之御名無主:03/02/12 03:25
age
(^^)
734 :
天之御名無主:03/03/19 16:43
ここ壊れていますって、なあに?
まちがえました、壊れているのは、自分のほうでした。
お騒がせしました。
736 :
天之御名無主:03/03/30 18:24
age
沖浦氏よ、シノガラの存在まで虚構にしたいようだが、旧東〇相和銀の
長◯一族について調べたこともないのか?角栄は?小佐野は?旧社会党の田辺は?
あんたこそ実はサンカの存在を歴史から隠してしまいたい勢力の御用学者
なんじゃないのか?
↓ここの
ttp://kintai.hp.infoseek.co.jp/990615.html 「・・・昭和二十五年二月、平和勧業、東京殖産、東京興産の三つの無尽会社が
合同して東京協和殖産無尽株式会社として設立され、翌二十六年十月、相銀法
の制定・施行と共に東京相互銀行となった・・・」
って相互扶助組織が拡大発展していったという例の話そのものじゃないのか?
そしてこの相互銀行こそサンカ逆差別の噂があったところだ。
738 :
天之御名無主:03/03/31 23:36
sinogara age
739 :
天之御名無主:03/04/01 12:41
4月1日です
「サンカすることに意義がある」
韓国に移住してたサンカの人はこっそり帰国したの?
ネタにしてはみんなうまいね。
フジワラ姓で富士原と表記する人を知ってます。
サンカと関係ないと思うけど、たぶん韓国出身。
美人で酒豪で惚れっぽくて、情に厚く金遣いも豪快で
友人も私の他にいなかったようで変わってました。
なにしろ結婚式で新婦側の列席者がなくて驚いた。
海外へ出てしまったけど今どうしているかなあ。
(^^)
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
サンカはスサノオ祭ってなかった?
出雲系か?
記憶が不確かだが、天皇のことを「スメラ」と呼ぶとか
745 :
天之御名無主:03/05/07 15:14
このスレッド、途中まで読んだんですけど、
「ニガテ」の話に驚きました。
小さいころの記憶で曖昧なのですが、私の祖父は、自分の手を「マムシ手」
とか、「マムシ指」と言っていました。
親指の爪が、横幅が広くて縦が短いのが特徴的でした。
で、祖父の家に遊びに行くと、たまに知らないおばさんが来ていて、
祖父の手で体をさすって貰ったり?(記憶が曖昧)していました。
「体を直してもらっている」とか言っていた気がします。
ちなみに、姓が「フジワラ」です。
昔は、豚や牛を飼って生活していたようです。
もしかして、サンカの末裔?
ただの偶然でしょうか?
746 :
天之御名無主:03/05/07 15:23
745です。
書いていて気になったので、今母親に電話して聞いてみました。
祖父の親指からは、黒い物が出ていて、(母親は薬だと言っています)
それが、取っても取っても出てくるんだそうです。
で、それが「タムシ」の薬だったらしい。
親指で、膿の部分を潰してあげると直ったそうです。11
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748 :
天之御名無主:03/05/08 23:39
サンガについってもっと知りター意
>746
白いものが出てくるってやつじゃないの?
>>74 にが手という言葉は按摩やる人も使うようです
751 :
天之御名無主:03/05/09 13:08
745=746です。
親指の爪からは、確かに黒いものが出ていました。
爪の垢のようにも思えましたが、取っても取っても、すぐに爪が黒くなるんですよね。
不思議・・・
752 :
天之御名無主:03/05/11 21:40
なんか書いてホスィ
754 :
天之御名無主:03/05/15 01:25
左官だったら壁を塗っていたよ。
756 :
動画直リン:03/05/15 02:20
757 :
天之御名無主:03/05/17 21:42
越路吹雪の父親がサンカ出身だったと、死後にでた写真集に載っていました。
その証拠のひとつとして、頭の形が、日本人離れしていて西洋人に近かったと、
専属の美容師が語っていました。
本当でしょうか。
758 :
天之御名無主:03/05/17 23:00
はっきりサンカ出身と書いてあるのでしょうか?
頭の形が西洋人に近いのとサンカと関係あるのでしょうか?
西洋人の頭の形ってなんだろう。
イタリア人とロシア人とイギリス人じゃ全然違うけど。。。
短頭ってことか?
あ、逆だ
長頭か
出典:安倍寧「越路吹雪・愛の讃歌」(PHP)(1978年)
P.145
「西部劇については、(越路吹雪が)
「わたしの父方の先祖をたどっていくとどうもサンカらしいの。
その血を引いているから、インディアンの出る映画が好きなの
かしら」ともらしたことがある。」
P.156
「ヘアドレッサーの音部憲さんにいわせると、
「わたしたちのいうところの鉢、すなわち頭蓋骨ですね。これが
とてもしっかりしているんです。それに凹凸もない、越路さんの
場合は。(中略)頭からして彼女は、日本人離れしている。まあ
西洋人と同じといえるでしょう。」」
今、読み返してみたら、別々の話題だったので、頭蓋骨の形態が
サンカの証拠という訳ではないですね。
これは越路の生前に出版されているので、多分、本人のチェックが
はいっていると思うのですが。
ちなみに、新潟県出身の越路吹雪の父親は、越路吹雪に似た顔立ち、
東京電力のエンジニアでした。
764 :
天之御名無主:03/05/19 12:57
越路吹雪さんの頭の中では、サンカとはどのようにイメージしてい
らしたのか興味ありますね。
八切さんの本のなかに、サンカで
「甲府から資本家となり、地名を姓とした電力財界人もかってはいた
のだ」との記載がありますが、これって東京電力のことでしょうか?
765 :
天之御名無主:03/05/19 21:47
某地方銀行の役員の大半が実は・・・ってのはあったようですな。
766 :
YahooBB219035012040.bbtec.net:03/05/19 21:51
767 :
天之御名無主:03/05/19 23:38
綾部に本部があると聞いた事ありましたが…
二年程前京都の綾部から徒歩で岐阜郡上まで移動しているおじいさんと話した事があります。当時の岐阜のマイナーな催し(私が関係した)も見ていたそうで話しは辻褄あってましたが。なぜか福井経由
だったのは通過ポイントもあるみたい。靴がなぜか白い長靴だったのは残念でしたが。
768 :
天之御名無主:03/05/20 22:33
八切の本ではアヤベサンカはむしろ最前線の斥候部隊のようだが…
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
test
771 :
ハヤト ◆7nhvdN3STA :03/05/25 00:42
すいません。ちょっと質問があります。
実は、私の祖先は菱刈一族と言いまして
中世に、薩摩半島北部の農山村地域を統治していた豪族だったそうです。
(ソース→
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/hisikari.html)
西暦1574年に、島津家に本城を収奪されるまで上記の地域一帯を統治していて
その名残として今でも鹿児島の伊佐郡には菱刈町という名の町が存在しています。
この菱刈一族というのが、サンカの末裔であると言われている藤原氏の苗裔で、
なおかつ九州隼人がサンカの子孫だったという説もまた、菱刈一族の血統が
サンカを源流とするという考えを持つ上での有用な後押しになるわけですが、
実際の所、菱刈家という一族の血統がサンカを源流に持つ可能性というのは
いったいどれくらいの確立で考えられるのでしょうか?
もし、サンカについて詳しい知識をお持ちの方がいらっしゃいましたら
ぜひ御返答をくださいますよう、どうかお願いいたします。
それから、私は2ちゃんねるが、荒らし煽りなどの「狂獣」の巣窟であることは
十分承知の上で、ここへの書き込みをさせて頂いておりますので、
私のことを2ちゃんねるの初心者だという風に甘く見て、軽い気持ちで
煽り荒らしに望むようなことはなさらないようにしてくださいね。
772 :
天之御名無主:03/05/25 00:51
サンカというものが16世紀以前にいたかどうかの問題になるが…
トリップまでつけて初心者ですか。まあいいですけど。
>隼人がサンカの子孫
おいおい。
時代の順番がぐちゃぐちゃになってない?
まずは普通に歴史の勉強をしてから、では・・・
776 :
ハヤト ◆7nhvdN3STA :03/05/26 18:40
>>775 勉強不足で失礼いたしました。
なにぶん私は、今現在理系の大学に通っている身でして
民俗学などの文系科目を深く勉強する時間があまりないのです。
(ただし、私は文系を差別する理系至上主義者などでは決してありません。)
ただ、私自身もいくらかのサンカに関する資料は拝見させて頂いたのですが、
サンカの起源というものがいったいいつの時代に特定されるのかということを
はっきりと指し示している本や資料というのが、ひとつもなかったのです。
例えば、サンカの起源を縄文時代の先住民族だとする説を唱える著者の論考では
隼人はサンカだったというような考え方をもって考察がなされてましたし、
また、サンカを明治期以降の部落民族だとする考えを持つ著者の間では
サンカはそもそも歴史の概念上に存在していただけの幻の存在であり、
実際にサンカという風に名乗っていた人々は日本神話や隼人などの
古代日本の歴史的資料に寄りかかり、誇示していただけの
一介の部落民族であったというような書き方もされていました。
私の場合は、この内の上記の説に則ってここへの書き込みを行ったわけですが
実際に存在していたサンカがどういう血統を持っていたのかという問題は、
私の断言出来得る範疇ではありません。
もし、この点について、明確な説などをお持ちの方がいらっしゃれば
私に対する叱咤の形でもかまいませんので、ぜひご教示願いたいものです。
777 :
ハヤト ◆7nhvdN3STA :03/05/26 19:03
そもそもサンカというのは、大和朝廷の勢力拡大に伴い、古来の先住民族が
平地を追われて山奥に逃げ込んだ後の姿、それだけを指す言葉なのでしょうか?
もしそうだとすれば、とりあえず私の「サンカの子孫である隼人」というような
ものの書き方は、間違っていたことになりますね…
読みやすくするため段落わけしましょう
>778
すいません
今度からはそうするように心がけます。
あと、ちょっと訂正があります。
僕が>776の中で書いた、
>また、サンカを明治期以降の部落民族だとする考えを持つ著者の間では
というくだりですが、僕が見た資料で書かれていたのは
「明治期以降」ではなく「江戸期以降」の間違いでした。
あしからず。
780 :
天之御名無主:03/05/27 02:29
京都山窩
783 :
動画直リン:03/05/27 14:20
はやと君は致命的なミスをしているね。
君には知性がかんじられないね。
サンカ民なんて100万年早いといっておきます。
785 :
天之御名無主:03/05/27 20:42
八切止夫「サンカ生活体験記」2800円 復刻版でてました。
786 :
hajato ◆7nhvdN3STA :03/05/27 21:52
03/05/25 00:42(自分の初カキコ)以降に、
ここに書き込まれた正電荷の書き込み…約5
ここに書き込まれた負電荷の書き込み…約5
ここに書き込まれた電荷不明の書き込み…約1
私が考えた「2ちゃんねる=交流電流説」は、
こんなところでも実証がなされているようですね。
別に私は、ここでこの説の実証を行うつもりなんてなかったんですけど
あまりにも私の計算通りだったんで、思わず提示しちゃいましたよ(w
>>782 へえー。
サンカっていうのは、7世紀以降に朝廷に平地を追い出されて
山に篭もり出した以降の、日本先住民族だけのことを指すんですか?
それだったら、僕はもの凄い勘違いをしてたみたいですね(w
勘違い甚だしい書き込みをしてしまいまして、大変申し訳ございませんでした。
>>785 ありがとうございます。
今度書店で探してみますので。
787 :
hajato ◆7nhvdN3STA :03/05/27 21:52
それではさようなら。
みなさんとお話が出来て、とても楽しかったです。
788 :
hajato ◆7nhvdN3STA :03/05/27 21:56
w)
「さようならと捨て台詞を吐くヤツは100%このスレに戻ってくる説」
よっぽど悔しいみたいだけど。。。
というか「正」の書き込みって傍目には2つしかないように見える
791 :
動画直リン:03/05/27 22:20
794 :
天之御名無主:03/05/27 23:16
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
トナカイの橇に乗ってくるのは、サンタだそうです。
お盛んだそうです。
798 :
天之御名無主:03/06/01 13:11
だじゃれはよサンカ!!
799 :
天之御名無主:03/06/01 17:04
打ち上げは全員サンカだそうです。
800 :
天之御名無主:03/06/01 19:01
ふサンカはサンカいまわってワン
じいさんは山で狩をする部族出身で、マタギとも違う集団だったそうだ。
50人程度の集団で移動していて、言葉は日本語と部族言語のミックス。ボケた後は、部族語ばかり話していた。
苗字は無く、守護山の名前を苗字にしていたらしい。
太平洋戦争の頃、様々な理由から、山だけでは生活できなくなり、懇意の里に散って行って現在に至る。
本名もカタカナでしか書けないような名前で、和名と本名の二つを持っていたらしい。
本名は、両親が決め、本人は本名を嫁のみに伝えて、それが結婚の儀式とされていたそう。
年頃になると結婚するが、男の場合、嫁は両親が買ってきて、幼い頃から一緒に育てて契る。
オヤジと漏が知っている風習はこの程度。あまり詳しく話してくれないまま死んでいった。
漏も本名と通り名アリ。戸籍は通り名でし(残った唯一の風習)
山窩は確か太陽信仰を持っていたよね
朝日を「アー」っと言って拝んだと聞いてるが。
807 :
天之御名無主:03/06/05 13:55
朝のギラギラした太陽を凝視すると夜目が利くようになり、焚火生活でも
煙が目にしまず眼病にもならない。したがってサンカには眼病者がいない。
太陽が清めてくれる。
808 :
天之御名無主:03/06/05 13:57
太陽信仰を追うと面白い事が解ってくるよ
ハワイのネイティブは太陽信仰で「ラー」呼ぶし
南アジアにも太陽信仰が有り、「ラー」と言う
エジプトの太陽神が「ラー」だよね。
これは偶然の一致ではないと思われ
山窩の「あー」は用意に発音変化したものと考えてもおかしくないね。
ラーがRaかLaか他の発音か、それが問題だ。
>>811 言ってる意味がよく解らんが
言葉の変遷は聴き言葉がなまって行くと言う事だから
ReかLAかと言う問題は存在しない。
聞き覚えが伝わる物だから、何千年の昔に。
>>811 それに、同じアラビア文字を使ってる国同士でも
長い年月の中で、伝わった言葉が変遷する事は
証明済みで、RがLに置き換わる事はように考えられる事だね。
要するに「a:」が含まれるならどれも偶然の一致ではないということだね(w
>>814 そんな極端な事を言ってる訳ではない
その手法は古いよ、相手の話を極端な話に摩り替える
こう言う解釈は言語学では良く言われてる事ですが。
オルフェイトウがコンペイトウに変遷したようにね。
>>815 無知は相手するな、所詮理解できないからな
817 :
天之御名無主:03/06/07 02:33
自作自演スレはここですね
悪かった自作自演だ。
819 :
天之御名無主:03/06/08 01:29
金太の話は本当かも知れん!
社員旅行で韓国に行ったんだが、慶州にも立ち寄った。
ガイドさんに日本人村があると聞いているんだけど、知ってる人を探してみてくれと言ったところ、
行くところ行くところでガイドさんは聞きまくってくれた。
そして、ある土産物売り場の女の子が知っていた。
彼女は慶州の北に位置する竹援と言うところの出身らしいのだが、ある日、近くの川に竹(か木の皮)で
編んだ舟(と言っても小さなやつで、示された手の形から15cmぐらい)が何個も流れてきた。
何だろうと思って家に持って帰って親に聞くと、上流に日本人の村があり、そこで作って流しているとのこと。
彼女はそれ以上のことは知らなかったけど、竹援、もしくは、その上流の出身の知り合いを当たってくれ!
>819
ハン板で聞いてみるか。
朝鮮戦争の戦火にあわなかった土地なのかな。
少し真面目な話をします
我々は倭人にサンカと呼ばれていた一族でした
サンカ文字と呼ばれているある種の文字は今も伝承されています
それとよく言われるヒエログリフですが
あれの本物も単体での解読は不可能です
あれは口伝の唄と合わせて一つの意味を成します
我々が知っている唄は12個所の場所に纏わる唄のみで
その他場所では他の場所の人々が伝えていると思われます
一応の歴史なども口伝の唄で伝わっています
場所によっては文章にした人々も居たと聞いてはいますがハッキリとは解りません
口伝では我々が我々となった理由は7世紀よりもさらに古いとされています
きっと我々が伝承を止めた時に口伝も消えていくでしょう
よく後世に残すべきかとも問われていますが
我々が我々でなくなる時伝承も又意味を持た無くなり消えるでしょう
内容は風姿花伝や武術の秘伝同様部外には意味の無いもので
よく言われる歴史の鎖を繋ぐような内容ではありません
儀礼的な内容とでも理解しておけば良く意味も必要の無いものです
(゚Д゚)ハァ?
(゚Д゚)ハァ? トウトウ、デンパヲカンジマシタカ?
>伝承も又意味を持た無くなり消える
この言葉は好きですね。電波かどうかはともかく、武術の秘奥義としてなら納得できる。
うちの小太刀の秘奥義って「常よりも、一足深く踏み込め」ですよ
んな欠点、20年も前から知ってたよ。25年もの修行を経て、師から伝えられた奥義は、
剣術をやっている人間にしてみれば、戒め以外の何でも無い、当たり前の事であると同時に、
剣術をやっていない人間には理解出来ても、実感できない言葉。
奥義が口伝である理由が良く解ったよ。こんなもん、書き残すまでも無いってのが感想。
中国の故事にもある通り、文字に記録しても、書物は賢人の英知の絞り粕という意味かな?
とくに生き様や呼吸、技術は、文字にしても性格には伝わらないのには、賛成。
武術雑誌が「写真と解説で技術を記録しましょう」という企画を持ちかけて来た時など
正直、「こいつら馬鹿か?」と思いましたよw
825 :
天之御名無主:03/07/04 18:36
「サンカ生活体験記」買いますた。
>武術雑誌が「写真と解説で技術を記録しましょう」という企画を持ちかけて来た
気持ちは分るな〜
俺の流派も、残ってるのは俺1人。暗器や十手を取り入れた体術だけれど、
出張した時に現地の歓楽街で、若いチンピラ狙って試す事しか出来ないもんね。
昔よりも確実に腕は落ちてるし、月に1〜2人襲うだけでは技も感も何も無いから。
痛い思いして磨いた技が、このまま消えて行くのは遣り切れない気持ちですよ。
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
828 :
天之御名無主:03/08/11 20:13
(⌒V⌒)
│ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
⊂| |つ
(_)(_) 山崎パン
830 :
天之御名無主:03/10/03 20:39
結局ネタだったのかな・・・
ネタにしては手が込んでた気もするし。
本当だったら興味深いのに・・・
831 :
天之御名無主:03/10/06 03:09
ご存知 金太の大冒険
これから先はどうなるか
またの機会を御贔屓に
それでは皆さん さよおなら〜〜♪
鹿児島県で竹細工業を営んでいらっしゃる方のほとんどは隼人の一族と関係が
あるそうで、サンカにはその一族から流れた者もいるのではないでしょうか。
隼人は元々海から流れて来た一族です。
魚篭のカタギイテゴ、いし弓のデッキュは
ラオスのモン族、ラオ族の作る物ととても似ているそうですよ。
833 :
天之御名無主:03/10/25 23:16
「サンカ学入門」でたーーー!!!
礫川全次だYO!
834 :
御殿山 ◆Pdi7T.x7Zg :03/10/26 22:30
このスレも終わりに近づいたけど
セブリに付いては1回ぐらいしか出て無いなぁ〜
山の洞穴で生活していた訳でも無いやろう
油紙製のテントもって歩いたんと違うの
うちらの方では東京オリンピック前後のころまで居たような気がする
しゅろのほうきの行商、洋傘の直し、目立直し、鍋釜直しetc
835 :
天之御名無主:03/10/27 00:36
布製の天幕を運搬したことのある人ならわかるけど、
本や映画に出て来るような大きさの天幕をたたんで持ち歩くって大変だよ。
どう考えても年中漂泊していたようには思えないよ。
836 :
御殿山 ◆Pdi7T.x7Zg :03/10/27 08:15
柳田国男サンカ考に
「尾張美濃三河の境に三国山という松山あり、或時此山中にサンカの大集合あるを
見たり。小屋の数は百を超え炊煙の盛なること夏季の軽井沢比叡山の如くなりき。
而して此の如き大部落は永く継続することなく ―略― 2〜3日を似而散去るもの
なるが、後に及び毎年一回此地に於て会をなし仲間の婚儀を行ふものなることを知れり」
の一節有り・・。
837 :
資料屋・御殿山 ◆Pdi7T.x7Zg :03/10/27 16:53
【丹波のセブリ】『同和情報文献全書』同和文献保存会(エセ同和)から抜粋
豊臣秀吉のことを、コノシタと彼らは呼ぶが、戦国時代の旗上げ組には、
丹波出が多く秀吉の父もそのひとりである。
箕作、簓削、茶筅作、軽身、忍び逆撫(失神術)、国見、物見・・を修行した。
鈴鹿と不破の両関が、関東関西の熟語を生んだのは、鈴鹿山脈が中部及び関東関西を
両断し交通の障害となっていて、京畿の警備上の重要な山脈であった。
鈴鹿連峰には、物見石、風見山が有る。戦国時代の警備の名残名である。
豊臣家を、同族を亡した裏切り者として、反感著しかった身殻別の一族を、徳川家は
利用した。伊賀を集めて、伊賀者、甲賀者を組織して、関西の軍情を探索させた。
その情報で大阪攻め、関ヶ原戦も勝利して徳川幕府が成立したので、江戸に伊賀屋敷
甲賀屋敷を作らせた。家康は本願寺と織田の合戦中も、石山の情報も身殻別の一族に
探らせて、本願寺門徒の根強さを熟知していた。
この伊賀衆、甲賀衆は丹波の修行者である。
839 :
天之御名無主:03/11/15 07:24
藤村の破戒に出てくる丑松の親父は山堝に近いのではないかな?
実際、素性を決して他民族に明かさない山堝は
エタとはごく近い存在であって、
エタの集落近くに住み、相互扶助の制度もあったとか。
また、山堝をヒニンと呼ぶ地方もあり、
部落と同じく、芸能をなりわいにする者も多かった。
840 :
天之御名無主:03/11/15 23:14
風の王国に出てたサンカ大虐殺に対応する事件は本当にあったの?
ワルもんの県令のモデルは税所篤という人みたいですが。
ちなみにこの人は地位をよいことに
仁徳天皇陵はじめいろいろと古墳を盗掘したとんでもない人みたいですね。
ものすごくシロウトくさい発言で申し訳ないのですが、
かぐやひめって、山窩の伝承ですか?
842 :
天之御名無主:03/11/22 19:59
843 :
天之御名無主:03/11/29 01:38
>>821 やっぱり書き残して置いた方が、いいと思うけど。
無くなってしまうんですよ。勿体無いです。記録は大事。歴史は宝物。
HPにupしてくれませんか?
821さん読んでくれるかな?
844 :
天之御名無主:03/11/29 07:28
私の先祖はサンカの可能性があるそうです。その一族はある都市で大きな会社を経営しています。
845 :
天之御名無主:04/01/31 23:45
>>842 こういう連中が集団生活して山窩になったんだろうな
847 :
天之御名無主:04/02/04 05:24
あぼーん
あげちゃったりして
850 :
天之御名無主:04/02/24 19:52
下北半島のマタギって山窩じゃないかな?
昔TVで見たけど一子相伝の呪文みたいのがあるらしい。熊の頭蓋骨を崇めていたし、
あの辺は昔から人あんまり住んでないし、時の権力も及ばなかったろうし。
851 :
天之御名無主:04/02/25 16:02
>>12で金太がいってる人たちのいた地域は、名古屋じゃない。
青森県南部地方だな。キリストの墓の近く。
その辺は、アイヌ(北海道)の人たちもいたところ。(強制移住)
北海道のアイヌのおばあちゃんに生まれ故郷聞いたら青森だって答えたのは有名な話。
>>852 謹んでお断り致します。
喧嘩をこちらに持ってこないで下さい。
貴殿が愚かなヘタレだという事はよく分かりましたので。
855 :
天之御名無主:04/02/29 13:32
856 :
天之御名無主:04/02/29 13:36
登山板で長文カキコはうざがられるから用心
857 :
天之御名無主:04/02/29 13:39
登山板の方が実体験多そう。
あっちの方が盛り上がりそうだ。
858 :
御殿山 ◆Pdi7T.x7Zg :04/02/29 14:14
レスの付かん死んだスレやないか好きにさせたれや!!
挨拶代わりに荒してきたろや・・。
860 :
天之御名無主 :04/03/02 21:10
age
浪漫sage
三陸生まれだが蓑売りが門付けに来たことはなかったな。
たまにくるのは木彫りの大黒売りだった。
あれもそうか?
864 :
天之御名無主:04/04/05 01:03
何年か前のゴールデンウィークに、東北の春スキーでぼろぼろになった体を温泉
で休めてから帰途についた事があります。予算がないので温泉の傍の駐車場で
車中泊したのですが、その時に同じく車中泊で隣に車を止めていた方は、レイシを
採りに山々を廻って北上して来たとの事で、レイシのある沢筋の見分け方や日本
でも朝鮮人参が生えている所がある事等、山の色々な話を教えてくれました。桜の
木に生えたレイシが高値で売れるので、それを主に探しているとの事でした。
山中は食料が希薄ですから、狩猟生活で大勢が1箇所に長く留まる事は困難だと
思います。深山でしか入手出来ない薬草等を里人に売る事で生計を立てつつ全国を
季節につれて移動したのが、サンカの主流ではないかと思ったりします。
当時は、里人と殆ど接点のない山岳民族と言うより漢方医御用達の薬草収集のプロ
といったイメージかも...
金太さんの話ってそのごの進展はあったんでしょうか。
2chで衝撃をうけたのは
幼女にハァハァとNorwegian wood=knowing she wouldとこのスレくらい。
866 :
天之御名無主:04/06/08 11:00
お前ら金太にまんまと釣られてるんだよwwww
内調だの戦争だのそんな荒唐無稽な話があるかって!wwww
妄想を書き連ねてるのですか(プ
ムーやたま出版以下だよwwww
それに引っかかるお前らにも爆笑w
そんな君たちにはこの言葉を送ろう。
「ネタをネタとして見抜けないと(以下略」
こんな壮大な釣りをするとはすげえなwww
げぇ!このスレってまだあったのか〜!オレが読んでいたのは…
02年4月まで、か…。続きを読もうっと。
868 :
天之御名無主:04/06/10 20:42
>柳田国男『にが手と耳たぶの穴』から
>「蛇を怖れない素質の人があって、
>それには耳たぶに窪みがあるということを、方々で言い伝えている。
>・・・現にこの春亡くなった娘なども、私がその話をすると笑い出して、
>自分にも小さい窪みがあるといった。
>それでは遺伝はどうだろうかと、そのまた子になる女児を見ると、
>これにも燐寸のさきほどの浅い窪みがあるのであった。」
うち広島なんだけどね、そういう言い伝えあるね。ただし
「あぶに弱くて、蛇に強い。」だけど。
自分も耳に小さい穴があって母親に小さい頃
「ねぇ。僕の耳の穴以外に小さい穴があるけどどうして?」
って聞いたら、「ばぁちゃんにもあってね…」と教えてくれた。
山窩どうしの喧嘩はおもしろいらしい。ビデオに撮った人がいるらしい。
ここ数日の話だ。どこかの掲示板にあった。2chじゃない。
>>868 穴っていうのは、窪みなの?それともピアスの穴みたいな貫通型?
できたら、画像うpキボン。
871 :
天之御名無主:04/06/11 18:20
>>870 漏れの場合やなきたの書いているような、「みみたぶ」ではなくて耳の穴の横の
ちょっと硬いところにある。(医学的にはどういうんだろ)穴があって中が広がっている。
このスレのはじめの方を見ていて
>>868で引用したやなきたの文を見て話のタネにと
思ったのでカキコしたのでし。画像うpするツールがないので出来ないスマソ。
ただ、このような言い伝えが個人の身体的特徴に付随してあり、それもやなきたの
故郷から離れた広島でも少し形は違うが存在しているのが興味深いものだ。
具体的に文献に「サンカ」という言葉が出てくるのは江戸期の広島県北であり、
(『幻の漂泊民・サンカ 』沖浦 和光/著; 文芸春秋より)母方の田舎から数十キロ
のところでセブリをサンカがしていたらしい。
ちょっと前からサンカに興味を持ってる者です。
昨日、歴史読本の「歴史の中のサンカ・被差別民」っていうのを
本屋で立ち読みして面白そうかなって思ったんだけど、これって
買う価値ありそうですかね?
873 :
天之御名無主:04/06/16 14:40
いちにい、サンガリアって関係ある?
874 :
天之御名無主:04/06/21 18:40
頭カシラは名字と言うか名前を一はじめと言ったんでしょ丹波 一とか お国のせいで わかったんでしょ
>874
釣られるまで5日もかかってるな。
流石過疎板
医者になるための勉強で忙しいです。
過疎スレですが、敢えて。
医学とサンカって関係ないですか?
医学の神スクナビコナやオオナムジを信仰しているサンカの人たちもいるという話を聞いたけど・・・
そうなんです。
春 はサンカとして箕や笊を作り、
夏 には富山の薬売りとして全国を行脚し、
秋 が近づくと蝦夷として朝廷をつけねらい、
冬 になるとマタギとして狩猟生活に入ります。
だから、スクナビコナはもっぱら夏に信仰する神様です。
>>878 レス付けてくださってありがとうございます!
ダリも、春は絵描き、夏は医者、秋冬はコタツに入って物書きにでもなりたいです。
オレ思ったんだけどさ
エミネムも実はサンカだったのじゃないかな?
:P;O.L,IMU
DFHTTT
GHGJJJJ
K.
K.NNN
j,gk
8月8日はフジテレビの日とさせていただきます。
お台場冒険王でお待ちしています。
オツカレッチャ!
「幻の漂白民・サンカ」を読みました。
菊池寛って、人権侵害作品を出しまくりだったのね。
>>889 その本読んでないんでわかんないんですが、三角寛じゃなくてですか?
三角が若かった頃に菊池が文春のシャチョーやってたから?
しかし、菊池のあの寛大な運営方針のおかげで戦後文学の隆盛がある面もあるわけで。
菊池の庇護がなかったら、川端康成とかなんて世に出てたかどうか。。。
892 :
良スレサルベージ委員会:04/08/13 01:02
893 :
天之御名無主:04/08/13 03:25
瀬降り物語、ビデオでみました.
かなり、おおぴらに川原でテント張って生活してたんですね.
894 :
天之御名無主:04/08/13 07:51
山窩って要するに農村住民が山にいる怪しい連中全部人くくりに呼んだだけ?
895 :
天之御名無主:04/08/14 12:16
ヤナギムシ
>>894 >>889の本によると(もう図書館に返却しました)、
定期的に一家(または主人のみ)でやってきて、
河原や灰小屋(持ち主の許可済)に寝泊りして
川魚や亀を捕まえて捌いて農家に売ることで生計を立てていた人たちです。
その合間に竹林や棕櫚を集めて(これも土地の持ち主から購入)、
冬季に箕や棕櫚箒をつくって販売もしていました。
山窩よりも山家の方が適当な漢字だそうです。
897 :
天之御名無主:04/08/27 04:25
オリンピックは、山窩することに意義がある。
898 :
天之御名無主:04/08/28 00:11
899 :
天之御名無主:04/08/28 03:21
オリンピックは、山家することに意義がある。
>>898 あまり関係ないと思いますよ。
そもそも里者が名づけた名前ですし、
金山掘りや木地師(いわゆる山の民)とは違って、
「人の住んでいる所」を巡っていくのが普通のようでしたから。
901 :
天之御名無主:04/08/28 14:03
オリンピックは、「人の住んでいる所」を巡っていくことに意義がある。
903 :
天之御名無主:04/09/08 09:38
金太ってもろ御殿山じゃんw
904 :
天之御名無主:04/09/08 16:55
905 :
天之御名無主:04/09/08 17:24
>>901 その必要は、ない! 冬季オリンピックを南極でやれ
906 :
天之御名無主:04/09/12 17:51:22
サンカ同士の喧嘩の話はkumanolife掲示板にあった。
熊野ライフの管理人って酸化に飽きてきてるでしょ
908 :
天之御名無主:04/09/20 02:59:58
>>907 熊野ライフのサイト見たよ。
最終更新が今年の3月28日
ネタが無いか、飽きてるか
サンカの最新学2ではサンカの人の聞き取り調査
してるとあるから、そっちが忙しいのかも
909 :
御殿山 ◆Pdi7T.x7Zg :04/09/20 08:39:25
910 :
御殿山 ◆l1oqoYmkBo :04/09/20 11:05:45
>903 >909
何でやねん(藁
911 :
天之御名無主:04/09/20 12:42:07
>>910 認めろ。バレバレだ。
もろ宝生教じゃんw。
912 :
御殿山 ◆l1oqoYmkBo :04/09/20 18:39:47
金ちゃんの仕入れてきた話とほとんど同じで
宝生教とかゆうのではない
御嶽教に寄生してるけど宗教法人は取ってない
一番えらい神はスクナヒコです。
913 :
御殿山 ◆Pdi7T.x7Zg :04/09/20 20:16:22
>>912 だからワシが金太なんじゃ偽者!!
お前は人権板でエサばかり書いて荒らしているから何言いたいのか解らん。
もともと馬鹿なんだろうが・・。自分は平和教だと言いたいのだな。
914 :
御殿山 ◆l1oqoYmkBo :04/09/20 20:37:54
平和教は御嶽教とは何の関係もないと思うがのぅ
個人的に霊脳講習会に逝って神技教えて貰っただけや(プッゲラ
915 :
914追加:04/09/20 20:43:11
基地外荒し屋に解かって貰らわんでもええ
どアホ!!
916 :
御殿山 ◆Pdi7T.x7Zg :04/09/20 20:52:20
>>915 まともな奴が人権板にソ―ハン、コ―テル、B缶コヒ―(隣の自販機
と書くかボケ!!
917 :
天之御名無主:04/09/21 10:38:34
金太は嘘つきということでFA
918 :
天之御名無主:04/09/21 16:04:18
919 :
御殿山 ◆l1oqoYmkBo :04/09/21 19:45:10
>916
おまいはただのアホたれやのぅ〜
ソーハン・・めったに食わん、ホワイトジャーハンと書け
で
ニラ肉、コーテル、パイハン中、B缶コヒー(隣りのコンビニ)。
中途半端に煽りすな!!どアホ!!
920 :
御殿山 ◆Pdi7T.x7Zg :04/09/22 01:11:14
>>919 おまいはただのアホたれやのぅ〜
中途半端に荒らすなどアホ!!
921 :
天之御名無主:04/09/22 11:59:04
>>919 荒らすなよ。じゃぁお前は学会員ということでいいんだな。
922 :
天之御名無主:04/09/22 19:22:12
不毛なやり取りですなァ…
いいかげん、止めてくれなはれ
923 :
天之御名無主:04/10/03 00:22:28
サンカ文字の起源は、縄文土器の文様(中期頃)にまで遡るのでしょうか。あるいは、中国の甲骨文字のようなものなのでしょうか。この民族特有の意思表現?もしこのレスで不快になったり、いやな気分になる方がいたらごめんなさい。
>>872 サンカは被差別民と同じにされる事を嫌っていたそうだが、
同じ少数の虐げられた人達なので、仲は良かったらしいが。
925 :
天之御名無主:04/10/03 17:09:17
>>923 「サンカ文字」は作られたものである可能性が高い
作ったのは三角寛
まあ「疑惑」であり、真相はわからないけどね。
夢を壊したらごめんなさい。
926 :
天之御名無主:04/10/06 20:27:40
ウメガイと忍者道具のクナイって同じもの?
>>925 元ネタは「上記(うえつふみ)」の「豊国文字」でしたっけか。
日本の「古代文字」は基本的に「後世の捏造」です…。
サンカは古代の土蜘蛛の末裔です。
ということは、家康=秀吉=信長=土蜘蛛の末裔ということだな。
930 :
天之御名無主:04/10/08 10:15:06
以前に「カラテ地獄変?」とかってコミックにブラジルを渡り歩く話があり
とある日系成功者が唐突にウメガイ(作者は資料が無かったのか西洋風の両
刃、刺殺か暗殺用にしか見えない鍔付き剣だった)の描写があった。
ここに好く出て来る矢切先生には「木村鷹太郎著作集」を直接購入しに蛎柄町
のシェル出版に赴いた際、会ったこと有り。20年ちょい前ですが。
ところで未だ新年には程遠い話ながら、雑煮に関して。
親父は千葉の農家出、丸餅を茹で醤油仕立てで、普通の関東は通説に於いては
短気な性格から切り餅を焼くとあるが、山家が置き火で焼いていた風習が広ま
ったって説もあります。
忍者は?
933 :
天之御名無主:04/10/23 02:48:26
>>932 今で言う、経済特区みたいなもの。
村おこしに近いかな。
934 :
天之御名無主:04/10/31 12:55:49
山間部に近い集落の雑貨屋で菓子を選んでいたら、老婆が屋台を引いてやってきた。
竹細工の籠や笠、箒などが私の目には珍しい工芸品として映ったので「ひとつ売ってくれ」と所望したが老婆は一瞥するなり「お前には売らない」と答えた。
2・3日後、同じ売店に行った時に店の人に老婆のことを訊ねてみると「あれはヤマガだ」という答えが返ってきた。
20年ほど前、親の田舎での話。
私がまだ子供の頃、担任の先生が三角寛の「サンカ社会の研究」を読んで悪い影響を受けてしまいました。
学級会の時間に生徒に対し親戚の生業や、たまに訪ねて来るおじさんはいないか等のトケコミ調査をやったのがPTAにバレて大問題になったことあります。
>>934 20年ほど前って、1980年代ってこと?
地域は?
936 :
天之御名無主:04/10/31 15:30:02
>>935 蜜柑の産地とだけ答えさせていただきます。
ラーメン屋くらいの屋台に様々な竹細工がびっしりと吊るされていました。
竹細工の籠や笠、箒などの販売・制作者が必ずしも「サンカ」であるとは限りませんし、私の遭った老婆が本当に「ヤマガ」であったかどうかも判りません。
この地方で「ヤマガ」と呼ばれる人たちが「サンカ」と同一であるかどうかも不明です。
みかんの産地って、愛媛か静岡くらいしか思いつかない・・・
938 :
天之御名無主:04/11/01 10:29:45
和歌山か?
939 :
天之御名無主:04/11/01 15:29:00
サンカの祭る神様ってなに?
素人質問で悪いけど。
「水の精霊(横山充男)」は児童書ですがサンカを元ネタにしていました…。
連作なので読んでいる途中ですが、けっこうおもしろいです。
941 :
天之御名無主:04/11/03 21:31:46
2チャンネルの住人は本当にサンカが大好きなんだね。
誰か民俗学的に考察してみてよ。
942 :
天之御名無主:04/11/03 23:49:53
ヤマトに従わず、天皇をスメラといい、スサノヲをまつる集団
こんな感じ?
沖浦和光著『幻の漂泊民・サンカ』が文春文庫になったよ
単行本は高くて手が出なかったという人ももう安心だね
昔話の金太郎はサンカの子供だよ。
昔話のシンデレラはサンカの子供だよ。
7人の小人はコロボックルの子孫?
そういや昔、吉見百穴はコロボックルの住居だった!!!!
とかいう電波があったなぁ
949 :
天之御名無主:04/11/11 18:28:57
今になって思うにあの金太ってなんだったの?
なんでしょう?
金太なら馬ごっこってのが通り相場だが・・・
952 :
天之御名無主:04/11/13 19:42:51
サンカとの遭遇体験のある人、または本人がサンカ関係者という人の降臨を熱望。
意外といないもんですねえ。
953 :
天之御名無主:04/11/13 21:20:28
結局サンカっているの?いないの?
靴下にプレゼントが入ってたからいるんだよ
955 :
天之御名無主:04/11/14 14:11:17
もう少し気の利いた冗句をお願いします。
956 :
天之御名無主:04/11/15 00:48:50
朝霧の巫女というマンガがサンカ濃度高い。
アヤタチミチムネとか名乗ってやがる。
957 :
天之御名無主:04/11/15 13:24:46
サンカではないが、ごく少数単位の移動生活者は実は明治以前に存在したらしい。
自分は千葉県民だけど、お年寄りにそういう話を聞きます。
と言ってもお年より自体またぎきのまたぎきのまたぎきくらい古い話でもうよくわからないんですけど。
海草を拾ったり山で食べられるものを取ったりしていたみたいです。
もっとも、当時のただの浮浪者かもしれません。
実はサンカなんていなくて、それぞればらばらのこういう人たちを総称してサンカって呼んでいたのかも。
958 :
天之御名無主:04/11/16 00:12:52
>>957 「お年より自体マタギのマタギのマタギ」ときましたか。
メチャ凄いですね。
冗談はさておき、私も957の「実はサンカなんていなくて、それぞればらばらのこういう人たちを総称してサンカって呼んでいたのかも。」
という意見にほぼ賛成です。
サンカという呼び名はサンカ以外の常民が彼らをこう呼んでいただけで、山窩という漢字は警察によって充てられたもの。
また古い時代の記録にはサンカとおぼしき集団は見当たらないので、明治以降発生した耕作地を失った難民のような集団であろうという説が現在では主流。
数年前にある寺へ、中世での定住しないタイプの非常民の埋葬と供養について質問にお伺いしたことがあります。
そこの老住職も「サンカなどというものは元々存在しない。あれはただの山乞食」「エッチなサンカ小説ばかり読んでいてはイカン」と言っておられました。
私達の大好きな、三角寛「サンカ社会の研究」は「ムー」と同じくらい面白いけど、資料としての信憑性も同程度。
でも、かつてサンカと呼ばれた漂白の山人は確かに実在していたと思う。
959 :
天之御名無主:04/11/16 15:19:05
沖浦氏の説によれば天明,天保期の飢饉などによる農山村社会の荒廃に
よって大量の窮民が溢れ出て、一部は都市の雑業に就き、一部は被差別部落
に入り込むなどしたが、定住できず山間部を漂白した人々がサンカとなって
いったということだ。
かれらには独自の宗教や言語などなく、できればきちんと家を持ち子供には
教育を受けさせたがっていたが、保守的な農村共同体にそう簡単には
入ることはできず、やむをえず漂白生活を続けていた。
それでも徐々にどこかしらに定住するようになり、半年は家に住み、
残り半年は回遊するといった層も増えたらしい。
何が真実かわからないが、現実はこんなもんだろう。
立場はともかく三角本のようなトンデモはトンデモとして楽しむ
知性は必要だ。
サンカの人たちが使っていた言葉とか文字って日本人のそれと違っていたと
いうけど、具体的にどんな文字を使っていたとか記録には残っていますか?
>>960 959のレスを読まなかったのか?
君の欲求を満たしてくれるのは過去レスにも散々出てきた「サンカ社会の研究」だ。
興味本位な内容だが、興味本位で買うには高価すぎるから図書館で探すといい。
>>961 レスありがとうございます。
>>959は読みましたが、がっかりしてしまいまして
それ以外の説があるのではないかと質問をしてしまいました。
申し訳ありません。
>>962 少し厳しい書き方をしてしまったようだ。
こちらこそ失礼した。
あぁ、疲れた。1からずっと読んでみました。
柳田邦男が言う『耳のくほ"み』っていうのが気になった。
>>871氏もおっしゃってるように、貫通していない穴なら、
多くの人(日本人だけでなく外人も)に見受けられるもので、
実はこれは太古の昔に人類が水生生物から進化してきた名残
だそうです。
どういうことかというと、水生生物がするえら呼吸のえらの
穴が、『生まれたての子供(まだ産まれる前の母親の胎内)』
には存在していて、人によってそれが埋まったり埋まらなかっ
たりということです。
つまり、柳田氏の言う『穴』が貫通したものを指すのでなけれ
は"、サンカとまったく関連のないものということになります。
965 :
天之御名無主:04/11/22 20:31:39
子供の時友人がそうだった。あれへんなところに穴(くぼみ)がある
といったらすごい嫌がられた。
普通の人の耳が
6)
なら、その子の耳は
・6)
もちろん両方そう。
レレレのおじさんみたいだ。
サンカの実在って、、、逆とんでもじゃないか? 日本文化の重要な部分なのに。
968 :
天之御名無主:04/12/06 00:46:56
沖浦さんの本読んだ?
尾道関係の事が面白かったなぁ。
俺、尾道出身なもので。
作田さん父子のお話かな?
文献考証も精緻でよかったけど、沖浦氏の昔語りや、
フィールドワークをエッセイ風にまとめた部分なども乙でした。
彼の文章は論理構成が明晰で、文体にも嫌味がなくて読みやすいです。
サンカの起源は本当に謎。エタも謎。
縄文時代に、ひょうたんの栽培種が日本に来ているけど
これは、西アフリカ起源。海の道をきた。
とすれば、それより後に、どこか遠い方から人や文化が来ていても
何の不思議もないよ。
サンカは、米を拒否していたと言う特徴がある。体が泥腐るってね。
稲作と縁のない、どこかから来たのかもしれないよ。
今は、縄文人も米を作っていたのがわかってるしね。
971 :
天之御名無主:04/12/08 11:39:29
沖浦は思いいれ強すぎ。
「被差別者どうしの心温かい交流」史観だけじゃ
リアルじゃない。
これはこれで魅力的だけどさ。
972 :
天之御名無主:04/12/08 14:33:54
火葬場で出た人を焼いた残りの灰を川とか池で流しながら
貴金属類を探すって下りは、なかなかスゴイね。
尾道の火葬場の側に川なんて有ったかなぁ。
973 :
天之御名無主:04/12/10 00:29:28
age
>>971 「被差別者どうしの心温かい交流」史観だけじゃリアルじゃない。
漏れなんかは素直にそうなのかーって納得してしまった。
しかし、どの辺がリアルじゃなかったのか意見求ム。
975 :
天之御名無主:04/12/10 19:48:28
975は宣伝
977 :
天之御名無主:04/12/12 15:40:58
>>974 沖浦は、サンカの犯罪性に言及してる資料に関しては
「証拠もなにもないでっち上げである」と、「証拠」なしに断言するだろ?
つまり、サンカと犯罪性の問題は全て否定して、
サンカがハンセン病患者の世話をした話とかは、事実であると断言する。
科学的じゃないねー。
サンカのいい面も悪い面もニュートラルな視点で見ないと。
自分の思い入れを判断基準にされちゃー、その辺のトンでも本と変わらないよ。
978 :
天之御名無主:04/12/12 15:43:36
ここだけの話、沖浦の弟子はサンカのことわかってる。
だけど、師匠の沖浦に気を使って
本当のことをなかなか言えないでいる。
がんがれ、弟子!
980 :
天之御名無主:
了解