古代豪族の氏姓に関連した苗字の現代人

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1天之御名無主
古代豪族の氏姓と現代人の姓についてかつての大和朝廷で与えられた氏姓(ウジカバネ)とに関連した苗字の現代人を上げるスレです。
本姓はそのままで苗字を持った一族も可です。
その場合古代豪族に結び付くはっきりした証拠が必要です。
古代豪族の氏姓は本姓と言います。

平安末期になると別の土地に住む同じ氏を区別する為に苗字(家名)を付けるようになってきました。
現代では本姓は無くなり、苗字だけとなっています。

古代豪族の氏は殆どが住んでいた土地を名乗っていました。
先祖の郷族が住んでいた土地が特定できる苗字を持つ人は古代豪族とのつながりが強いでしょう。
しかし現代では古代の地名はそのまま残っている事は少なく、一部だけ別の漢字で残っていたりもします。

八色の姓(かばね)以前の姓は通称に近いものでした。

ここでは主に平安時代までの氏姓に関連する苗字と言う事にしましょう。
本姓は新撰姓氏録(815年)に書かれた1182の氏姓を参考にしてください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/新撰姓氏録
それ以降も天皇が姓を与える(賜姓)事も有りましたが、段々苗字を与えるようにもなったようです。

前スレ
古代豪族の氏姓と同じ苗字の現代人
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/min/1165758071/
2天之御名無主:2012/01/17(火) 14:41:51.95
>>1 新撰姓氏録から主な姓を削除した物(真人、朝臣、宿祢、連、忌寸を削除)

皇別**********
息長、山道、坂田酒人、八多(波多、羽田)、三国、路、守山、甘南備、飛多、英多、大宅、大原、島根、豊国、山於、吉野、桑田、池上、海上、清原、香山、登美、蜷淵
、三島、淡海、三園、笠原、高階、氷上、岡、息長丹生、多治、為名、春日、高額、当麻、文室、豊野、酒人、為奈。

源、良岑、長岡、広根、春原、三原、永原、橘、淡海、阿倍、布勢、完人、高橋、許曽倍、阿閉臣、竹田臣、名張臣、佐々貴山公、膳大伴部、阿倍志斐、石川、田口
、桜井、紀、角、坂本、林、道守、雀部、生江臣、布師首、箭口、多、小子部、吉備、下道、道守、御使、犬上、坂田
、間人、新田部、大春日、小野、和安部、和尓部、櫟井臣、和安部臣、葉栗臣。

吉田、丸部、丈部、下毛野、上毛野、池田、住吉、池原、上毛野坂本、車持公、大網公、桑原公、川合公、垂水史、商長首、吉弥侯部、甲能、葛城、稲城壬生公、小槻臣、牟義公、守公、治田、軽我孫、鴨県主
、八多(波多、羽田)、巨勢、巨勢斐太臣、紀、平群、平群文室、都保、高向、田中、小治田、川辺、岸田、久米、御炊、玉手、掃守田首、上毛野、佐味、大野、垂水公、田辺史、ほか。

神別**********
藤原、大中臣、中臣酒人、伊香、中臣宮処、中臣方岳、中臣志斐、殖栗、中臣大家、中村、石上、穂積、阿刀、若湯坐、舂米、小治田、弓削、氷、穂積臣、矢田部、矢集、物部肩野
、柏原、依羅、柴垣、佐為、葛野、登美、水取、大貞、曽祢、越智直、衣縫造、軽部造、物部、真神田曽祢、大宅首、猪名部造、大伴、佐伯、大伴、榎本、神松造、日奉、県犬養
、大椋置始、雄儀、竹田、掃守、小山、畝尾、久米直、浮穴直、宮部造、間人、爪工、多米、出雲、出雲、入間、佐伯、伊勢、弓削、若倭部、尾張、伊福部、湯母竹田、竹田川辺
、石作、檜前舎人、榎室、丹比須布、但馬海直、大炊刑部造、坂合部、額田部湯坐、三枝部、奄智造、額田部、弓削、石辺公、采女ほか。
3天之御名無主:2012/01/17(火) 14:42:26.19

諸蕃
太秦公、秦長蔵、秦、文、武生、桜野首、伊吉、常世、山代、大崗、大崗、楊侯、木津、楊胡史、浄村、清宗、清海、嵩山、栄山、長国、清川、新長、当宗、丹波史
、大原史、桑原村主、下村主、上村主、筑紫史、吉水、牟佐村主、和薬使主、大石、和、百済、百済公、調、林、香山、高槻、広田、石野、神前、沙田史、大丘造
、小高使主、飛鳥部、高麗、豊原、福当、御笠、出水、新城、高史、日置造、福当造、河内民首ほか。
4天之御名無主:2012/01/17(火) 14:58:23.23
八色の姓で賜った姓(姓)

◆ 「真人」姓
 天武天皇13(684)年10月1日下賜。

 守山公・路公・高橋公・三国公・当麻公・茨城公・丹比公・猪名公・坂田公・羽田公・息長公・酒人公・山路公

◆ 「朝臣」姓
 天武天皇13(684)年11月1日下賜。
 「臣」姓を中心とした構成で皇別出身が多いの特徴。

 大三輪君・大春日臣・阿倍臣・巨勢臣・膳臣・紀臣・波多臣・物部臣・平群臣・雀部臣・中臣連・大宅臣・粟田臣・石川臣・桜井臣・采女臣
 田中臣・小墾田臣・穂積臣・山背臣・鴨君・小野臣・川辺臣・檪市臣・柿本臣・軽部臣・若桜部臣・岸田臣・高向臣・宍人臣・来目臣・犬上君
 上毛野君・角臣・星川臣・多臣・胸方君・車持君・綾君・下道臣・伊賀臣・阿閉臣・林臣・波弥臣・下毛野君・佐味君・道守臣・大野君・坂本臣
 池田君・玉手臣・笠臣

◆ 「宿禰」姓
 天武天皇13(684)年12月2日下賜。
 「連」姓が中心で神別を出自とするものが多い。

 大伴連・佐伯連・阿曇連・忌部連・尾張連・倉連・中臣酒人連・土師連・掃部連・境部連・桜井田部連・伊福部連・巫部連・忍壁連・草壁連
 三宅連・児部連・手繦丹比連・靫丹比連・漆部連・大湯人連・若湯人連・弓削連・神服部連・額田部連・津守連・県犬養連・稚犬養連・玉祖連
 新田部連・倭文連・氷連・凡海連・山部連・矢集連・狭井連・爪工連・阿刀連・茨田連・田目連・少子部連・菟道連・小治田連・猪使連・海犬養連
 間人連・春米連・美濃矢集連・諸会連・布留連

◆ 「忌寸」姓
 天武天皇14(685)年6月20日下賜。
 「連」姓の以前は「直」姓だったものが多い構成となっている。

 大倭連・葛城連・凡川内連・山背連・難波連・紀酒人連・倭漢連・河内漢連・秦連・大隈直・書連
5天之御名無主:2012/01/17(火) 15:00:59.11
>>4 公、君、臣、連等は削除して氏を見てください。
6天之御名無主:2012/01/17(火) 16:46:02.06
o(・_・= ・_・)oきょろきょろ

なんだ、小林はいないの?
7天之御名無主:2012/01/17(火) 17:07:54.12
新撰姓氏録 全1182有るページ
http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/mokuroku/syoujiroku/syoujiroku.htm

>>6 ここを見ても小林は無いね。

小林が出てくるのはもっと後で、菅原氏族、山口県・他の藤原氏族、甲斐君
橘氏族、三浦氏族、伊勢氏流等の子孫として出ている。
日本の家族
http://www1.tcn-catv.ne.jp/sasaeai/060_book/book.html
8天之御名無主:2012/01/17(火) 17:13:30.64
うちは、防風林がある屋敷の農家だからというだけなので (・・*)ゞ
9天之御名無主:2012/01/18(水) 01:47:47.73
たかじんの「やしき」って何かすげえらしいけど
本当?
10天之御名無主:2012/01/19(木) 15:09:27.95
うちのオヤジの実家が「藤本」
つまり藤原氏の分家かもしれない。

家紋も「下がり藤」で、藤原氏と同じ系統になってる。
11天之御名無主:2012/01/21(土) 01:54:24.22
>>10 由緒正しい家なら家系図が必ず有るはず。
12天之御名無主:2012/01/21(土) 10:00:08.85
13天之御名無主:2012/01/21(土) 17:08:28.22
>>11
伯父の家ならあるかもしんないけど、連絡とってない(とる気もない)から分からない。
ジイさんの弟が、天皇の近衛兵をしてたという話があるから、多少は信憑性があるとは思ってる。

まあ、過去に名家であったとしても、今のオレがとるにたらない小市民である事実は変わらんし。
14天之御名無主:2012/01/21(土) 21:05:40.00
>>13 みんな小市民なのは確かだが、先祖がわかり先祖の意思や行いを知ることで、心の支えになることも有る。
たとえ確証がなくて独りよがりの解釈でも自分の心の支えになるのならそれでも良いと思う。
15天之御名無主:2012/01/22(日) 18:20:41.05
近衛兵って珍しいの?うちの曾祖父さんも近衛兵だったけど。
ちなみに、ただの庄屋筋です。
16天之御名無主:2012/01/23(月) 05:46:16.45
荘園の持ち主が、自分の姓(の一部)や家紋をそこの住民に分け与えたって例はザラにあるらしいね。
17天之御名無主:2012/01/23(月) 12:51:27.88
そうなの?おふくろ方のひいばあちゃんが佐藤なので
どちらのルーツをさかのぼってみても藤原氏の影がちらつくんだけどね。

>>15
珍しさはともかく、血筋がよろしくないとなれないと聞いたけど、事実は知らない。


それと>>1に聞きたいんだけど、>>2に羅列されてる名字の中に
オレの名字「大野」があるのが気になるんだけど、つまりどういうことになるの?
18天之御名無主:2012/01/23(月) 14:57:47.39
昔の氏は、土地の名前をそのまま名乗って居たから、大野と言う何処にでも有る地名を持つ氏は、日本各地に同時発生で沢山有った物と思われる。
新撰性氏録の大野と同じかどうかは、同じ土地出身かどうかをまず見極めないといけない。
まず99.999% は、関係ないだろう。

右京 皇別 大野朝臣 上毛野朝臣同祖。崇神天皇皇子豐城入彥命四世孫大荒田別命之後
19天之御名無主:2012/01/23(月) 15:13:03.50
>>18
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/大野東人
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/大野果安
下野国那須郡大野邑に居住した若古を祖とする
20天之御名無主:2012/01/23(月) 15:49:32.30
>>17 栃木県出身なら多少関係がある可能性も出てくるが、それ以上は昔からと現代からの両方から接点を見つけていかないと難しいだろう。
21天之御名無主:2012/01/23(月) 17:25:04.35
事細かな即レスさんすく。

さすがに記紀の時代までさかのぼるのはムリだし、
オレもこの話はじぶんに関わりないように思ったよ。
22天之御名無主:2012/01/23(月) 23:17:44.78
>>14
全くその通り
23天之御名無主:2012/01/24(火) 00:11:55.04
ま、でもね、系譜ってのは実際に血のつながりがどうとか以上に、
ある種の思想というか信仰というか、一族の自負が受け継がれてきたってことで
それはそれで歴史もあるし、尊いことだと思うよ
もちろん、近世に突然名乗りだしたとかいういい加減な例も多いけどね
24天之御名無主:2012/01/24(火) 00:21:37.24
古代の皇別・神別も自称や僣称の類いは多かっただろうけどね。
それに、古代には服属関係を血縁に擬制するのが普通だったという見方もある。
25天之御名無主:2012/01/24(火) 00:27:50.75
綾小路きみまろは、源氏なんですか?
26天之御名無主:2012/01/24(火) 00:29:05.28
擬制氏族はむしろ戦国時代にもっとも盛んになったような印象もあるね
もちろんそれは、古代・・・については確かなことを言えないが、
少なくとも平安時代からの伝統的な手法だったようには思う
27天之御名無主:2012/01/24(火) 15:35:16.55
>>24 カバネ:姓までは擬制出来ないだろ。
28天之御名無主:2012/02/20(月) 07:21:06.09
職場の人妻OLちゃんとどうしてもやりたい
子供産んで35歳くらいなのに細くていいケツして超可愛い顔してる
毎晩妄想でセックスしてる
どうにかしてやりてえなあ
29天之御名無主:2012/02/20(月) 20:28:24.97
なんという良スレ
30天之御名無主:2012/02/22(水) 19:43:31.07
伊福部さん 祖先は天火明命
31天之御名無主:2012/02/26(日) 04:22:18.21
>>24
>擬制
というよりも、普通に招婿婚や訪問婚(おとないこん)による一体化だよ。
古代〜中世においては、中央から婿を招いて出来た跡取りは姓は父方のものを名乗るけど養育は母系氏族の中でなされる。
そして、これは中央貴族にとっても地方に経済的基盤や拠点を築けるので中央氏族・地方氏族双方にとって上手い話でもある。

まあある意味現代でもこのテの遺風は続いているけどね。

32天之御名無主:2012/03/07(水) 03:13:37.67
前田っていう姓どう?
おれのおじいさん前田家から今のおれの名字の家に養子に入ったそうなんだけど、
家も大阪だったし、もしかしたらいい血脈なのかなと思って。
死ぬとき病院に入院してた時、
お医者さんが、このひとは高貴な人だって言ったんだって。
おばあさんも有力な寺の娘さんで、
父も上のおばも一流大卒、下のおばもIQが高かったんだって。
33天之御名無主:2012/03/07(水) 06:31:31.02
スレタイに「古代」の文字
34天之御名無主:2012/03/07(水) 06:49:55.57
ごめん
35天之御名無主:2012/04/26(木) 15:58:48.08
あげ
36天之御名無主:2012/05/05(土) 07:34:59.95
安住(あずみ)某大臣は古代豪族安曇氏(福岡県志賀島周辺が出身地。)の末裔の可能性あり(綿津見神/海神が氏神)

阪神淡路大震災や先般の東日本大震災の際に復興の旗振りを任された五百旗部(イオキベ)氏は
天孫、天火明命(天照国照彦天火明尊/天照御魂大神。ほか神名数多有り)-天香山命-天村雲命を始祖とする神裔、伊福木部氏の末裔?。
去年扱き下ろされた菅直人首相は天穂日命-野見宿禰(土師氏の始祖)-菅原道真(天満自在天神)の苗裔
因みに、ぽっぽさんの鳩山元首相の先祖は菅氏(先祖は美作管七家といわれた土豪。地元の名士一族)の出身地、岡山県勝山藩(徳川普代の旗本〜城持ち大名(三万石クラス)に異例の出世した三浦氏)の藩士(江戸勤番)。

意外と古代豪族の苗裔、神裔が国や地方の官吏や政治家として多く居るのかもしれません
37天皇家 織田 繪璃奈(横濱・野島えり) Freemasonrey:2012/05/15(火) 08:03:28.99

後で恥ずかしい思いをしない様に嘘はやめましょう。

安曇野の安住は霊能一族。
アナウンサーの本名は別。
但し、有難い名前なので『安曇』と名乗る事になりました。 m(__)m
38天之御名無主:2012/06/01(金) 18:44:28.29
本家に家系図があって祖は藤原なんだけど名字が藤○で
○の部分に別の氏族のが入るんだけどこれってどっちもの血をひいているってことなのだろうか…
(例えば 橘なら藤橘みたいな感じ)
ちなみに家紋は下がり藤で三つ巴の家紋もあります。
宇都宮氏が関連してたらしいが那須氏関連の記述にも記載あり。
元々加賀にいたのですが途中から下野に移ったと代々言われていて
加賀を調べてみたらとあるとこに藤○の地名がありました。
そこを支配していた一族も藤原氏だったので藤原の家系ってことでやっぱいいのかな…
一応家系図は中臣鎌足から始まっているので古代関連でいいのかなと思って書いたけど
スレチだったらすみません。
家系図の偽造とかあったかもしれませんし本当かは分かりませんが…
漢字自体は普通にありそうなのですが読み方が珍しいのでちょっと伏せました。
39天之御名無主:2012/06/04(月) 13:40:38.29
>>38 家系図が正しければこのスレの話題となるけど、伏字では話が膨らまないね。

家の苗字も珍しいので出すわけにいかないが、氏ウジと姓カバネの方は出してもよいかな。
40Marinekids:2012/08/13(月) 08:43:37.09
笠原 真人は?
41天之御名無主:2012/10/31(水) 00:08:14.64
保守
42天之御名無主:2012/11/04(日) 19:19:45.16
私の苗字は、珍しくて
佐賀とかに数百世帯しかいない。

小さい山に、苗字と同じ名前があって
そこに小さな神社があるんだ。

古代あたりに何か関係があるかなあ〜って
考えてみたんだけど

情報少なくて、妄想のなかに消えていきそう
43天之御名無主:2012/11/06(火) 08:34:43.12
奈良と大阪と京都の中間あたりに、
私市(きさいち)と言うところがあり、
私市という姓の知り合いが居る。
この人の先祖は豪いのか?
教えてくれ。
44天之御名無主:2012/11/06(火) 08:58:41.30
茂呂田 (苗字)なんか貧乏くさいね。モロタ
45天之御名無主:2012/11/06(火) 17:05:37.76
そこかしこにある「和田」(◯和田、大輪田、和田◯ほか)の地名、氏姓は古代豪族の海部族がルーツ。
少童神、海神、綿津見神(全て、ワタツミ/ワダツミ。素戔嗚尊の別称とも)
その神を奉祭する豪族、安曇氏らが進出、開発、マーキングした痕跡の地名。
46天之御名無主:2012/11/10(土) 15:00:48.31
貧乏人はすぐに死ぬから
今生きてる人間は間違いなく昔は偉い人だったと思う
現在を見てもそうとしか考えられない


先祖代々のDQNもいるか…?w
47えーりん:2012/11/10(土) 15:09:38.24
下のリークはもう失効したよ、なおすことができますか?
48天之御名無主:2012/11/13(火) 03:47:29.22
貧乏人は生存率は低いが沢山産む。君達は貧乏人の子孫でおじゃる。
49天之御名無主:2012/11/23(金) 13:30:29.17
>>42 神社関係者に聞いて見たら?
神社系はかなり古い家柄のはず。
うちの本家も神社 福岡
50天之御名無主:2012/11/26(月) 02:38:58.60
田中とか中村とかいう苗字が多いのは、村の有力者の子孫が多いと言うことを示唆してると思うんだ。
もちろん、自分達の苗字を知らないような小作人が一斉に有力者の苗字に習ったせいで、多くなった可能性もあるが。
51天之御名無主:2012/12/26(水) 12:45:46.65
保守
52天之御名無主:2013/01/19(土) 23:51:41.73
知り合いに財満っているんだがどうだろう?
ちょろっと調べてみると城だのなんだの出てくるけどいろいろと曖昧
53天之御名無主:2013/01/27(日) 14:48:33.80
>>52 新撰姓氏録に出てくる。

野見宿禰
〔土師連・秋篠・大枝・菅原。菅原流(梅原・内倉)〕。

233.美作・菅家党=広戸・藤生氏。菅原氏族=

・財満・
54天之御名無主:2013/04/05(金) 13:45:04.03
保守
55天之御名無主:2013/04/23(火) 16:55:42.38 BE:2211458055-2BP(0)
話題を広げるために、古代氏姓から派生した姓も話題にあげましょう。
但し由来がはっきりしていること。
56天之御名無主:2013/05/27(月) 23:50:36.37
貧乏ぽい苗字  稗田に一票
 
57天之御名無主:2013/05/28(火) 12:22:47.94
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58天之御名無主:2013/05/31(金) 14:35:21.53
豪族の苗字だったらあやかり付けが多そうなのに、実際は少ないよね
59天之御名無主:2013/06/03(月) 00:42:57.63
>>367
神道介錯だと
支那(漢)裔流 
坂上氏・丹波氏・田氏
原田氏・江上氏・秋月氏・美気氏・原氏・三原氏・高橋氏 ・小金丸氏・波多江氏・筑紫氏(大蔵姓)
漢民族〜秦の始皇帝(始皇帝自信は西戎人)・惟宗島津氏・長宗我部・高丘氏・羽田氏・松尾氏(秦姓)は、國常立尊の末裔。
以下古代渡来・帰化姓
支那(燕)裔流
赤染氏(公孫姓)
支那(明)裔流
武林氏(孟姓)
千原(千姓)
扶餘(高句麗)裔流
高麗氏(高姓)
服部氏
扶餘(百済)裔流
三松氏・葛井氏・船氏・津氏・菅野氏・宮原氏・蕃良氏(餘姓)
大内氏(多々良姓)
佐波氏・赤穴氏(三善姓)
高野氏(百済姓)
朝鮮(新羅)裔流
李氏・李家(李姓)
田中氏・秋月氏・新井氏・新田氏・木本氏(朴姓)
安本氏・安田氏(安姓)
朝鮮(高麗)裔流
田中氏(申姓)
吉川氏
朝鮮(耽羅)裔流
高田氏(高姓)
朝鮮諸流
呉東氏(呉姓)吉田氏(姜姓)吉元氏 柳川氏(柳姓)柳川氏(梁姓) 大迫氏(沈姓) 木下氏・徳山氏(李姓) 徳山氏(洪姓) 張本氏(張姓)
大山氏(崔姓) 白山氏(白姓) 金沢氏・金本氏・和田氏(金姓) 孫氏(孫姓) 他 脇田・鮫嶋・玉井・河東・河島など
60天之御名無主:2013/06/03(月) 00:45:02.43

>>59以外は、古代の土着系か皇統氏族
61天之御名無主:2013/06/03(月) 00:48:57.20
>>49
氏神神社は氏祖神社で、代々、氏姓の総宗家嫡流が公家として、存在してきたからね。
62天之御名無主:2013/06/12(水) 05:19:07.09
武内スクネの長男の苗字 波多です
波多と秦は別系統でしょうか?
秦は京都兵庫 波多は九州 四国 奈良ほかぽいね 
63天之御名無主:2013/06/12(水) 12:45:44.43
>>2

でも、野球の清原は朝鮮系でそ???
64天之御名無主:2013/06/18(火) 02:28:42.80 BE:1592250629-2BP(0)
>>62 波多と秦は別系統。
波多氏(古代) のWiKi を参照
http://ja.wikipedia.org/wiki/波多氏_(古代)

秦は
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/秦氏
65天之御名無主:2013/06/18(火) 03:01:29.80 BE:2123000238-2BP(0)
>>62 俺は、波多氏の末えいだからなんでも聞いてくれ。 本姓、波多宿禰
大和国高市郡波多郷から源頼朝の命で地頭として九州に派遣されその後ずっと九州。
66天之御名無主:2013/06/20(木) 07:14:44.35
豊前長野氏の系統は古代まで遡れるのか知りたいのですがどなたかご存知ないですか。
スレ違いだったらすいません。
67天之御名無主:2013/06/24(月) 02:22:48.96
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/b_nagano.html
ここを見ると桓武平氏ともあるが証拠はないみたいだね。
68天之御名無主:2013/06/24(月) 02:30:52.72
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/長野城_(豊前国)
こちらではこうある。

現在では長野氏の出自は大宰府官人または長野荘の荘官と考えられており、創始は定かでない。
69天之御名無主:2013/06/28(金) 11:32:19.33
>>58 だって氏姓は苗字じゃないもの。

氏(うじ)は出身地/本貫を表し、姓(かばね)は(生まれ素性)を表すもの。
同じ土地の一族の人は殆ど皆同じ氏姓となるため区別の為に苗字を付けるようになった。

だから氏姓は隠れて苗字だけが表に出るようになった。

明治時代の大臣の登録は氏姓も登録してる。(本当の氏姓かどうかは怪しい人もたくさんいたが)
藤原朝臣永敏(大村益次郎)   多分正式呼称は、 大村藤原朝臣永敏 或は 大村藤原朝臣益次郎
・藤原朝臣利通(大久保利通)   大久保藤原朝臣利通
・菅原朝臣重信(大隈重信)    大隈菅原朝臣重信
・源朝臣有朋(山縣有朋?)     山縣源朝臣有朋
「越智宿禰博文」(伊藤博文)   伊藤越智宿禰

明治政府は、1870年の平民苗字許容令、1872年(明治5年)の壬申戸籍編纂の二段階によって「氏(シ、うじ)=姓(セイ、本姓)=苗字=名字」の一元化を成し遂げ、
旧来の氏・姓を公称することを自ら廃止したため、事実上、「藤原」などの旧来の氏・「朝臣」などの姓は、その役割を完全に終えた。
この壬申戸籍以後、旧来の姓は、それと一体化していた旧来の氏と共に、法的根拠をもって一本化された「氏(シ、うじ)=姓(セイ、本姓)=苗字=名字」に完全に取って代わられることとなる。
この新たな氏姓制度が日本国民全員に確立したのは、1875年(明治8年)の平民苗字必称義務令によってである。
70天之御名無主:2013/06/29(土) 03:07:40.71
>>62 昔は音が一致してれば別の漢字で表記することも多かったので様々な漢字で表記されてることもある。
波多、羽田、八多、八太など

羽田元総理は、自分は秦の始皇帝の子孫だとか言ってたからそういう家系なら『秦』系だろう。

波多系の羽田は一族の中で副将軍になった人が改名して羽田を名乗った。 その後羽田の際力が強くなり日本書紀の編者にもなった為、古事記に書かれてた波多を全て羽田と書き直して日本書紀に収録した。
71天之御名無主:2013/07/28(日) NY:AN:NY.AN
関東地方に、奈良のつく地名がいくつかある。
奈良部、奈良沢、奈良岡・・渡来人の入植地で平らな場所の意だ。
72天之御名無主:2013/07/28(日) NY:AN:NY.AN
>>69
日本は韓国のように、同じ姓の人とは結婚できないなどの制約がなくなった代わりに、
近親婚が増えて遺伝病が増えている。
73天之御名無主:2013/08/10(土) NY:AN:NY.AN
>>72 嘘付け昔の村社会なら多少あったが、今はそんな割合は無い。
74天之御名無主:2013/08/11(日) NY:AN:NY.AN
朝鮮人は試し腹で初産は近親だろうが糞野郎
75天之御名無主:2013/08/13(火) NY:AN:NY.AN
↑やめれ馬鹿
76牛乳をホモゲナイズして乳脂肪の酸化は進む:2013/08/14(水) NY:AN:NY.AN
試し腹までいかなくても親族が女の子に性の教育をするのは
わりとメジャーだけどな
77天之御名無主:2013/08/15(木) NY:AN:NY.AN
>>59>>36
これらは渡来系族(弥生人)の姓名か

渡来系(逃亡してきた百済王ゆかりの鍛冶職人等)に排他された
古代縄文人(元始日本人)の高い精神性を誇る自然崇拝の原点は
渡来系によるものではなく古代縄文人(元始日本人)によるもの
渡来系は高い文化を齎したが自らを豪族とし崇拝させることで歪めた
しかし歪められたものは遅かれ早かれ自然の法則により正される
78天之御名無主:2013/08/15(木) NY:AN:NY.AN
権力に歪められた元始の自然崇拝が明らかになる
79天之御名無主:2013/09/17(火) 11:00:48.75
森羅万象に宿る神々
80天之御名無主:2013/10/09(水) 23:52:33.87
福山雅治さんの影響か福山という苗字がカッコイイと思いチョット調べてみたのですが
福山という苗字は出自が不明で謎めいているようですね。
島津家臣団伊集院氏族に福山氏があり尼子家臣団にも福山氏があります
そのほか高槻藩士と高崎藩士にも福山氏が戦国期に九州、中国地方で隆興してたようですが
その出自は全く不明のようです。
紀元前二世紀の徐福伝説の福山からきてるのではと想像を巡らす今日この頃。
81天之御名無主:2013/10/09(水) 23:59:48.03
>>80
でも福山とか地名に多そうじゃん、地名からきてる可能性があるんじゃないの
82天之御名無主:2013/10/10(木) 01:12:20.11
静岡は東国秦氏の一大根拠地だったところ。
静岡県知事の苗字は川勝さんです。
83天之御名無主:2013/10/23(水) 03:53:29.51
苗字がスティーブなのですがご先祖様はどこの豪族だったか知っておられる方いらっしゃいますか?
84天之御名無主:2013/10/29(火) 20:19:10.99
ウィキに先祖の見栄が書かれてあって凹む。
渡来系だと他はどうでもいいが、百済は異常に憧れるね。
葛井も宮原も同級にいたなあ。
85天之御名無主:2013/11/05(火) 21:12:26.30
宮城の大伴って大伴氏と関係あるのかな?
86天之御名無主:2013/11/07(木) 22:15:08.91
父方は武士の家計だと聞いていて、調べたら山岡氏にたどり着いた。
母方は町野氏で三善系だった。渡来系だったのは衝撃。
まあどちらにも古い書物やら家系図やらあるし位置的にも氏の起源に当てはまるから多分そうだろうね。
父方は奈良なのでお寺で何かしら先祖の書物やら預かってくれてる。
87天之御名無主:2013/11/12(火) 17:56:05.58
>>82
川勝平太は大阪生まれの京都育ちなんだが
88天之御名無主:2013/12/15(日) 11:03:04.31
香椎姓はどうなんだろ
89天之御名無主:2013/12/15(日) 14:29:47.21
香椎宮しか聞いたことがない。
香椎宮に関係のある性だと思うから多分由緒正しいんだろう。
非常に古い性だよね。 福岡には非常に古い性が残ってる。
90天之御名無主:2013/12/15(日) 22:17:07.25
長崎って言ってたけどね
91天之御名無主:2013/12/21(土) 09:06:10.25
>>48
貧乏人の子沢山は、近年のことらしいよ。
江戸時代の調査をした人の研究によれば、水呑と自作農と地主層では
家の残存率が結構違う。わずか100とか200年間のことでも、下層は子孫を
残せず、増えた上層から下りてくる構造が見える。

千年以上前の下層民が現代人の先祖の多数を占めるというのは考えにくい。
もちろん、DNAの中の一部には残っていると思うけどね。
いくら子沢山の家系だったとしても、古代ではそれを食べさせる能力が
なかったら子孫は残らないと思うよ。
92天之御名無主:2013/12/22(日) 23:02:52.93
奥州安倍氏の城名由来の島谷氏
93天之御名無主:2013/12/22(日) 23:05:43.32
↑近畿の神社宮司に多い・・理由が元安倍氏だから?
94天之御名無主:2013/12/22(日) 23:07:13.11
安倍氏だから海部氏族の分類なのかなぁ・・
95天之御名無主:2013/12/30(月) 19:52:57.25
千葉生まれだと 桓武平氏に たどり着く。
96天之御名無主:2013/12/30(月) 23:39:34.12
宮本町(宮津市)
http://www.geocities.jp/k_saito_site/doc/miyamoto.html
分宮神社

分宮神社は宮本町(文久二年正月旧職人町改称)に鎮座し指定村社にして宮津町東半の産土神なり、(写真参照)その勧請に就いては宮津事跡記に
分宮大明神御勧請之儀京極丹後守高広公府中一之宮に御信仰被爲在毎月御参詣被遊候處雪中
又は、荒等之節御参詣難被遊に付寛永五年丑九月職人町に御勧請同十一月御遷宮其後は一之宮之神主年々祭禮之節神事相勤候處職人町住人に
大兵衝と申者而至而実禮之者に而信仰致侯に付社内之掃除又は宮守に被仰付其後官職可致旨被仰出当社神主と相成御領内神主筆頭に被仰付候
また宮津旧記に
 分宮大明神は京極高広公御在城の砌府中一の宮へ御信仰雲中御参詣を御厭ひ今宮津職人町の地へ御引移寛永五辰九月十一日遷宮即ち宮守には
同町太兵衛と云ふ者至って信仰故に宮守となり其後官職の儀は阿部対馬守様御取斗に依って当社の神主となり従六位島谷出雲守と改めらる。
とあれば寛永五年九月十一日藩主京極高広侯籠神社のみ霊を祀られしに濫觴すること明かなり。

→阿部対馬守様御取斗に依って当社の神主となり従六位島谷出雲守と改めらる。

阿部対馬守とは、江戸時代の徳川家譜代家臣の阿部正勝の子孫で、大阪城二代城主の阿部重次の事。
従六位島谷出雲守とは、阿部家従六位なのだろうか・・
97天之御名無主:2013/12/30(月) 23:52:00.88
奥州安倍氏従六位島谷出雲守が居た・・
98天之御名無主:2013/12/31(火) 04:01:19.27
わかりました・・。
要するに、この島谷神主は、阿部家に命じられ信仰深い町の職人が京丹後周辺の神社の神主として
選ばれて、島谷姓を阿部家から賜ったと・・
明治の初めの広島の福山の寄進功労の豪農、島谷さんの福山阿部家からの島谷帯刀もそう言う話なのか・・
松浦党島谷氏は・・一体何時の時代の阿部家の人が贈ったのだろう。
松浦党だった島谷市左衛門の父親が、既に、大坂の堺で廻船問屋島屋を名乗ってたみたいだからね・・。
阿部重次以前の人には違い無さそうだが・・阿部正勝かなぁ・・松浦氏からかなぁ・・
99天之御名無主:2013/12/31(火) 07:03:09.48
前か前の前のココや日本史板に幾つか、↓これに似た内容でレスしたよ。

現在の古代安倍氏の居城だった、花巻城の鳥谷ヶ崎城を島谷ヶ崎城や安倍宗任が幽閉された石鳥谷城を石島谷城と書き示す学者やが居たり
また、明治時代に藩主阿部家より、献金多額の故に島谷の二字帯刀御免を与えられたほどの豪農の家も居る様です。
http://wp1.fuchu.jp/~sei-dou/jinmeiroku/shimatani-shinzou/shimatani-shinzou.htm
↑これは、島谷ヶ崎城の城名由来ですね・・明らかに・・。
この阿部家は、維新戦争で幕府の命で薩長討伐に派遣された東北の阿部家が維新戦争後も、一時期広島に定住していた阿部家のようです。
で、島屋の祖は、泉州堺の出身の廻船問屋の家に産まれた、幕命で島津より出島管理を任された松浦党出身末代の島谷市左衛門定重・見立さんがルーツ
100天之御名無主:2014/01/12(日) 16:17:22.31
>>36 >意外と古代豪族の苗裔、神裔が国や地方の官吏や政治家として多く居るのかもしれません

結構当たってるかも。 優秀な血族関係を続けるから遺伝的には優秀になるからだろう。
成功するかどうかは運もあるけど遺伝的には恵まれてるはず。
政治家の血縁のコネも大きいしね。

そう言えばうちの家系は1000年近く前まではっきりしてる家系でその姓は古代史にも出てくる。
一族は特定の山に墓を作るんだが、1000年も同じ所にいると墓の適地が無くなって来る。
墓守は交代で地元に残ってる子孫たちがやってるけど数十年音沙汰のない墓はまとめて祖廟に移す。
祖廟の揮毫は某元大臣だった。
この間生まれて始めて先祖祭りに参加したがみんな同じ姓で暖かく共同体を実感した。

戦後俺と兄は極貧の少年時代を過ごしたが二人の子供達は東大、国立医に入り日本の中で結構なポジションについてる。
偶然とは思えない。
101n:2014/02/27(木) 02:53:31.28
天理市和爾町の新田家。和邇氏系新田部宿禰からつづく同地の名主で庄屋となり
現在の同地豪農の新田氏となっている。新田氏過去帳参照。新田氏は和邇氏の氏神さま赤坂比古神社の本社通称山ノ神を祭りでもてなす役割だったんです。新田は新田部母方実家です。新田部宿禰から新田氏となりまちの田部町の田部氏に別れたことは容易に推測されます。母方
僕の母方のこと
102n:2014/02/27(木) 03:02:07.69
101の新田部はすべて和邇氏一門とされている新田部親王又は新田部スクネをさす
103n:2014/02/27(木) 03:11:35.98
101の新田部はすべて和邇氏一門とされている新田部親王又は新田部スクネをさす
104n:2014/02/28(金) 01:11:07.21
101の新田は新田部母方実家ですは誤記で飛ばして読んで下さい。
102と103ダブって申し訳ありません。103を削減して頂ければ幸いです。
105天之御名無主:2014/03/17(月) 16:07:36.00
何て読むの? イズミ?
106天之御名無主:2014/04/02(水) 07:05:20.24
埼玉苗字辞典
http://homepage1.nifty.com/joichi/2-6si.html
島 シマ 斯摩、志摩、司馬は島と記す。日本書紀・神功皇后摂政四十六年(応神天皇)条に「斯摩宿祢を卓淳国に遣す」と。
百済の卓淳(とくじゅん)は慶尚北道大邱の古名。斯摩宿祢の使が百済王の肖古王(百済十三代、在位三四六〜三七五年)に献上する。
後漢帝は朝鮮楽浪郡の南に帯方郡置く。
古代氏族系譜集成・坂上氏系図に「後漢帝―石秋王延(封東呉石秋県、至帯方郡)―マ(帯方大守。弟楯は百済上柱国)―ム(帯方大守)―f(沂州司馬)―阿智使主照(応神天皇二十年投化、居大和国高市郡桧前村)。
鞍作村主等従ひ来る」と。呉、司馬は百済国の内なり。クレ条参照。坂上族は東漢直(やまとのあやのあたえ)、或は桧前忌寸(ひのくまのいみき)と総称され、同族百済人蘇我氏に軍事をもって臣従した。アヤ条参照。
扶桑略記・継体天皇六年に「大唐漢人案部村主司馬達止、此の年春二月入朝す」。大唐(大加羅)の漢人(あやひと)は百済人、案部村主(くらづくりのすぐり)は鞍作の村長なり。日本書紀・敏達天皇条に「鞍部村主司馬達等、其の女、島・善信尼と云ふ」。
司馬氏は島氏に同じ。蘇我馬子(司馬宿祢、島大臣)―蝦夷―入鹿(鞍作)あり、蘇我族は島氏にて鞍作部の支配者なり。扶桑略記・推古天皇元年に「蘇我大臣馬子宿祢、飛鳥の地に於て、法隆寺を建て、島大臣並百余人、皆百済服を著す」と見ゆ。
蘇我氏の本貫地大和国高市郡曽我庄(奈良県橿原市)の曽我川は別名百済川と称す。当地方は島岡、島田氏等が多い。東国に於いて、島崎、島田、島根、島野、島村等の百済渡来人島族は武蔵国に多く存す。
島田、島野条参照。出雲国に渡来した島族は伊勢国・志摩国(三重県)へ移住す。神武天皇東征の頃に伊勢津彦あり。志摩国は島津国と称し、国造本紀に「島津国造。成務天皇朝、出雲臣の祖・佐比禰足尼の孫出雲笠夜命を国造に定め賜ふ」。
「武刺国造の祖神・伊勢都彦命」と見ゆ。出雲臣族の武蔵国造の祖先は伊勢地方より島族を率いて武蔵国へ移住す。足立郡島村(大宮市)は島津郷と称す。津は人や物の集まる所の意味で島族の集落を島津、島ノと称す。
小名島は、埼玉郡道口蛭田村、市野割村、久米原村、百間領須賀村、広田村、杓子木村、足立郡沖之上村、比企郡越畑村、幡羅郡間々田村、葛和田村、西別府村等にあり。各市町村に存す。
107天之御名無主:2014/04/02(水) 07:05:50.95
新潟県栃尾市五十戸、見附市三十七戸、福島県相馬郡小高町二十戸、相馬市五十七戸、原町市三十戸、郡山市四十戸、岩手県花巻市三十三戸、青森県西津軽郡深浦町十七戸あり。


島谷 シマタニ 各市町村に存す。島根県松江市十五戸あり。
嶋谷 シマタニ 川口、志木等に存す。
嶌谷 シマタニ 浦和に存す。


島谷 シマヤ 各市町村に存す。長野県埴科郡戸倉町十四戸、青森県上北郡野辺地町十七戸、西津軽郡柏村十戸あり。シマタニ参照。
嶋谷 シマヤ 与野、久喜、越谷、草加等に存す。
島屋 シマヤ 越谷に存す。
108天之御名無主:2014/04/04(金) 00:11:53.67
http://www1.kcn.ne.jp/~kawamura/ipro/90a3/90a329.html
惟 神 の 大 道 (かむながらのおおみち)            十一月・秋季大祭  一月号・269号

 惟神の大道(四魂具足の道)は、顕幽一貫けんゆういっかん(現界から、霊界に貫かれて不動の人生)の道であります。
初めに伊邪那岐命が、原人として魂を与えた島族(日本の第一先住民族)を産み、次に須佐之男命とその代々の御子神たち七代が、この一魂の島族を二魂の先住民族として同化された。
次にこの第二先住民族を、さらに大国主命系十代の神々により、三魂の第三先住民族へと同化されて、天孫降臨となります。
国譲りを経て、四魂を具えた邇々芸命系の神(氏之祖ノ神)が四魂の大和民族に同化せられ、我々が受け継いで敬神崇祖を実践し、四魂具足の行にぎょう 努め絶対道徳 (惟神の大道) を践み行く民族になるのです。
心に四魂を満ち充み みたす(常に四魂具足を思う)ことであり、自身に真心を確立するよう努めることです。


伊邪那岐命の十握剣から生み出された人間が・・島族だった・・。
109天之御名無主:2014/04/04(金) 15:00:24.17
元伊勢外宮 比沼麻奈爲神社 祠掌社家について
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1395470649/
110天之御名無主:2014/04/06(日) 21:30:34.11
>>78の訂正。
>>77の訂正。
111天之御名無主:2014/04/06(日) 21:32:30.63
>>110は、余所スレでした。
失敬。
112天之御名無主:2014/04/06(日) 21:35:51.49
>>108の訂正。
豊受大神の祖神、火之迦具槌神からみたい・・。
豊受大神=国常立命=天之御中主神は、渡来系島族の島津の祖が秦氏で秦が漢族だから、盤古=で、国常立命と言う観念だな・・
113天之御名無主:2014/04/10(木) 20:51:37.05
伊勢神宮の中臣氏の本姓が伊勢志摩氏で島氏・島族だったのなぁ・・

伊勢津彦 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E5%8B%A2%E6%B4%A5%E5%BD%A6
伊勢津彦(いせつひこ)は、『伊勢国風土記』逸文内に記述される国津神で風の神。
元の名を出雲建子(イズモタケコの)命、またの名を櫛玉(クシタマの)命

三韓征伐 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E9%9F%93%E5%BE%81%E4%BC%90
神功46年以降[編集]神功46年以降は『百済記』が構文されている。
神功46年(246年または366年)3月1日、斯摩宿禰を卓淳國に遣す。
卓淳王の末錦旱岐は、百済の久?(くてい)、弥州流(みつる)、莫古(まくこ)らが日本に朝貢したいと斯摩宿禰に伝えた。
斯摩宿禰は、爾波移(にはや)と卓淳人の過古(わこ)を百済に遣した。百済の肖古王(近肖古王)は喜んだ。
王は財宝を贈り、また蔵をみせて、これらを朝貢したいと爾波移に告げ、のち志摩宿禰らは日本へ帰還した。
翌年4月、百済は日本に朝貢した。
神功皇后49年(249年または369年)3月には、神功皇后将軍荒田別(あらたわけ)及び鹿我別(かがわけ)を卓淳国へ派遣し、
新羅を襲撃しようとするが、兵の増強が進言され、百済の将軍木羅斤資と沙沙奴跪(ささなこ)と沙白(さはく)・蓋盧(かふろ)らに合流を命じて、新羅を破った。
比自[火+保](ひじほ)、南加羅、喙国(とくのくに)、安羅(あら)、多羅(たら)、卓淳、加羅の七カ国を平定した。
さら西方に軍を進めて、比利(ひり)、辟中(へちゅう)、布弥支(ほむき)、半古(はんこ)の四つの邑は抵抗もなく降伏した。
神功51年(251年または371年)3月、百済は久?を派遣し、日本に朝貢した。
神功52年(252年または372年)9月10日、百済王は、百済と倭国の同盟(済倭同盟)を記念して神功皇后へ七子鏡と七枝刀を献上した。
なお、七支刀に彫られた「泰和四年」は369年ともいわれ、この場合、百済が朝貢していた東晋の年号太和4年とされる。

国造 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%80%A0%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7
伊勢国造 いせ 天日鷲命(神武天皇期) 伊勢氏(直)
志摩国 島津国造 しまづ 出雲笠夜命(成務天皇期) 島氏(直)

要するに、藤原氏秦氏説の実態だな。
114天之御名無主:2014/04/10(木) 21:39:55.51
そして、中臣の祖が、天之御中主神だからね。
豊受大神=国常立命=天之御中主神な訳だ。
中臣島族は、藤原麻生氏と似てる家系だな。
115天之御名無主:2014/04/13(日) 12:45:48.57
弓月君 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%93%E6%9C%88%E5%90%9B
徐福と弓月の君 ひもろぎ逍遥
lunabura.exblog.jp/i211/
徐福 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%90%E7%A6%8F
要するに、始皇帝徐福が渡来したのが今の九州で
後に、秦王族の弓月君が渡来したのが京都の太秦・・
太秦 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E7%A7%A6
百済経由の弓月君の秦王家が出雲族の志摩族との縁で渡来し
出雲族となり、後の、伊勢志摩の伊勢中臣氏一族の斯摩氏系譜は
伊勢氏中臣氏にば列していないが、志摩国造家の島族内の総領氏が惟宗島津氏となり
これが、鎌足が名乗り始めの藤原の名の謂れなのでしょうね。

※斯摩氏自体は、伊勢津彦の子孫で、惟宗島津氏が斯摩氏の志摩国造家に入った形なのでしょう。

九州の徐福秦氏の島津氏に従い、島族となり島津を名乗ったのでしょう。
元寇の際、九州薩摩の島津の国に大規模遠征したのが惟宗島津の弓月の君王族の関係。
116天之御名無主:2014/04/13(日) 13:04:29.89
秦氏 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%A6%E6%B0%8F
惟宗氏 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/%E6%83%9F%E5%AE%97%E6%B0%8F
117天之御名無主:2014/04/13(日) 13:10:44.74
>>115訂正。
九州の徐福秦氏も島津氏に従い、島族となり島津を名乗ったのでしょう。
118天之御名無主:2014/04/13(日) 13:29:07.90
大陸の秦朝は、たった20年三代で滅んだ訳で、徐福を頼って、日本へと避難を試みたのでしょう。
119天之御名無主:2014/04/14(月) 04:57:27.79
こういうのってほとんどでたらめでしょう
120天之御名無主:2014/04/14(月) 07:06:03.60
珍しい名前に島が付く人たち↓
日本の苗字7000傑 姓氏類別大観 中臣氏/大中臣氏【1】
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/02/021/02109.htm
121天之御名無主:2014/04/14(月) 07:07:59.91
又も珍しい名前に秦や惟の名前・・
日本の苗字7000傑 姓氏類別大観 中臣氏/大中臣氏【4】
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/02/021/02109c.htm
122天之御名無主:2014/05/01(木) 00:01:47.31
>>80
戦国期には北畠家臣福山出雲守、福山越後守
尼子家臣福山次郎左衛門茲正、福山肥後守、福山綱信などそうそうたる武将が
江戸期には徳川家康家臣の福山月斎、島津家臣、細川家臣、黒田家臣、高槻藩士の福山氏
又、越後新発田藩主溝口直薄側室の福山氏稲美
高槻藩主土岐頼行側室の福山氏、越前福井藩主松平重富の側室福山氏
これだけ排出していて出自が不明とか不思議ですよね。
宇多源氏佐々木氏族、清和源氏氏族、藤原氏族、惟宗姓伊集院氏族
の四系統があるとの根拠に乏しい説もあるようですが
徐福の末裔とかは余りにオカルトですよね。
123天之御名無主:2014/05/01(木) 19:26:25.27
伊勢津彦と建御名方命との関係
http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/keijiban/isetuhiko1.htm

倭史人物推定系譜私案
http://homepage3.nifty.com/kiya/sehachi/keifu/keizu00.htm
伊勢津彦
■「出雲国造いずものくにつくり・千家せんげ・北島きたじま、武蔵国造」推定系図

志摩氏=志麻氏
■「阿波忌部・安房忌部・度会・斎部」推定系図
━神魂━角己利━五十狭布魂━天底立━天背男━櫛明玉[玉祖宿禰祖][出雲国玉作の祖]・・
・・━天日鷲翔矢━・・━志麻名布━

■「物部・石上・和田・建内・蘇我」・「阿部氏」推定系図
饒速日━宇麻志麻治━・・━国志麻━・・

饒速日━宇麻志麻治 可美真手[磯城1神武]━・・
神武天皇家の氏姓判明です。

伊勢志麻の志麻が天皇家の氏姓だった。
志麻国造家の島氏島族が、元伊勢の祠掌や神主・・
元伊勢外宮 比沼麻奈為神社 祠掌社家について
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1395470649/
124創価fromにしごり:2014/05/04(日) 20:43:17.96
錦織は素晴らしい苗字当然
貴族系苗字だから
証拠http://www.cnet-sc.ne.jp/nisigori/nisigori.htm

貧民系の苗字のヤツなんなの?生きてて恥ずかしくないの?

錦織な僕はかわいい彼女とお風呂wwwうらやましがんな貧民の皆さん
http://i.imgur.com/j6UOrwN.jpg
125天之御名無主:2014/05/06(火) 08:54:59.88
対馬・島根・伊勢志摩の地名の由来が島族が由来。
武蔵国造家も島族=出雲族で出雲族の開拓地。
126天之御名無主:2014/05/06(火) 09:00:41.39
諏訪大社と鹿島神宮は出雲族の健御名方命の末代。
127天之御名無主:2014/05/06(火) 09:03:52.63
>>126
伊勢神宮・諏訪大社と鹿島神宮の官職・中臣氏の事
128天之御名無主:2014/05/07(水) 01:28:10.96
>>123は×

@阿波忌部氏のルーツ(鴨県氏、葛城氏)※度会氏の天日別[伊勢朝臣]系譜説在り
伊勢志摩国造家の島氏島族。
A物部氏・穂積氏のルーツ
元伊勢外宮 比沼麻奈為神社 島谷祠掌・元伊勢 籠神社別宮 和貴宮神社 島谷神主
大宮売神社 島谷宮司の島族。
※天太玉命は天日鷲あめのひわし命、手置帆負たおきほおい命、彦狭知ひこさち命、櫛明玉くしあかるたま命、天目一箇あめのまひとつ命をひきいた。
天日鷲命は阿波国忌部等の祖。手置帆負命は讃岐国忌部の祖。

天津彦根命=天若日子命。その子神が、天目一箇命=天御影命で天日鷲命と天鈿女命は、兄弟の神。北伊勢大神(多度神)
129天之御名無主:2014/05/07(水) 08:12:35.40
>>128の事を調べた結果。
どうも、A物部氏・穂積氏のルーツとは、応神代で氏姓のつながりが観えるが
末代には、島谷氏は居ないようで、やはり
@阿波忌部氏のルーツ(鴨県氏、葛城氏)※度会氏の天日別[伊勢朝臣]系譜説在り
伊勢志摩国造家の島氏島族ルーツの縁で
元伊勢外宮 比沼麻奈為神社 島谷祠掌・元伊勢 籠神社別宮 和貴宮神社 島谷神主
大宮売神社 島谷宮司の島族のようだ。
130天之御名無主:2014/07/19(土) 22:45:09.81
>>106>>107
友人の姓名が含まれているのですが<島○
彼女の祖父は日本で数名の「キリスト教の大司教」でした
優秀な医者家系です 顔もギリシャ人のような彫の深い美人です 
キリスト教関係なので秦氏・安曇氏あたりなのかもしれないです
131天之御名無主:2014/07/27(日) 21:42:27.67
>>130
島津氏は、惟宗氏で、秦の始皇帝七世、弓月君の末代だからね。
132天之御名無主:2014/07/27(日) 21:45:07.46
武内宿禰の家系の末裔、葛城氏・紀氏の蘇我氏も島族で、島大臣名乗ってるよ・・蘇我馬子
133天之御名無主:2014/07/27(日) 21:49:39.10
綿津見大神=天照大神の皇統氏族・天穂日の出雲族や大国主命の神門臣島族の近縁を名乗る事で、権威を示していると思われる。
134天之御名無主:2014/07/27(日) 21:52:11.01
海部・尾張・渡会氏が、徐福秦氏=出雲族
135天之御名無主:2014/07/27(日) 21:54:53.06
大陸・半島で斯摩宿祢と縁を結んで渡来したのが、三国志覇者の晋国の司馬氏なのかも・・
136天之御名無主:2014/07/27(日) 21:58:02.27
弓月君が渡来し、応神天皇を頼ったのも、徐福氏が時の天皇と、大国主の神門氏を呑も込んで支配に成功した出雲族としって、渡来してのかもね。
137天之御名無主:2014/07/27(日) 21:58:59.03
>>136訂正
渡来したのかもね。
138天之御名無主:2014/07/27(日) 22:04:14.70
薩摩人の島津氏と惟宗島津氏に血縁無いと聞きました。
薩摩の島津氏は、薩摩国が惟宗島津藩領で、荘園制度で薩摩人が島津を名乗ったと聞きました。
139天之御名無主:2014/08/07(木) 11:35:07.98
これ、凄いよ

出雲と大和のあけぼの: 丹後風土記の世界 著者: 斎木雲州
http://books.google.co.jp/books?id=I49bk2tY4R4C&pg=PA84&lpg=PA84&dq=#v=onepage&q&f=false
出雲王国の正体: 日本最古の神政国家 著者: 武光誠
http://books.google.co.jp/books?id=_V9GDh7VBpQC&pg=PA124&lpg=PA124&dq=#v=onepage&q&f=false
140天之御名無主:2014/10/19(日) 14:47:11.65
アゲ
141天之御名無主:2014/10/25(土) 09:43:56.44
(;´Д`)江戸時代の呑百姓が明治維新で住所を苗字にしたのとはどうやったら見分けがつくのでしょうか御教授下さい
142天之御名無主:2014/10/29(水) 15:28:57.09
>>141 見分けはつきません。
でも大半はその土地に昔から住み着いていた人しか土地の名前をつけてはいないんじゃないでしょうか。
そういう家系は地元でも重要な仕事をしていたり尊敬されている人が多いんじゃないでしょうか。

ただ昔の豪族の名前は各地に散らばって全国に同じ名前の土地が沢山できました。 だから、そのうちの一つの同じ名前をつけたからといって昔の豪族と繋がりがあるとは言えません。
143天之御名無主:2014/10/29(水) 15:37:01.19
なんらかの繋がりがある家系は子々孫々言い伝えられているはずです。 必ずしも真実とは限りませんが。
大抵は家系図が親族の何処かに残っています。
神主とかの家系に繋がっていれば昔の家系の確率は高いと思います。
144天之御名無主:2014/11/04(火) 18:49:24.57
繋がりが薄いと、明治以降の皇統系譜筋の同じ姓だからと勘違いしてしまい易いのでしょうね。
145天之御名無主:2015/02/18(水) 11:10:12.71
>>141 その土地の近くに住んでいるのであれば墓を見ればある程度わかる。 古い家系であれば先祖代々一族が使う墓の集落が有ると思う。
例えばうちの一族は勿論同じ名前の墓がずらりと山一面に建てられている。
段々土地も少なくなっていくので何十年も墓参りにも来ないで放置されている墓はまとめて祖廟に移されている。
祖廟を持つ家系と言うのも珍しいとは思うが。 江戸時代より前の墓も祖廟に移されている。 毎年先祖祭りも行っている。
146天之御名無主:2015/02/19(木) 14:29:00.30
飛鳥時代の仏師の鞍作止利(鳥)は姓は村主氏で渡来系の人だっけ?
147天之御名無主:2015/02/20(金) 15:04:20.60
鞍作止利は中国からの渡来人の司馬達等の孫みたいだね。
148天之御名無主:2015/02/20(金) 17:43:36.38
古代は結構渡来系を名乗る家系も多かったみたいだね。
渡来系はエリートだったのかもしれないが。
149天之御名無主:2015/02/20(金) 17:48:23.72
村主でおもいだした。古代大友家の姓も村主だったな。もちろん渡来系
150天之御名無主:2015/02/22(日) 00:09:48.32
藤原氏はよく目にする
天皇家に近い?由来に出て来る家系である
忌部系・物部系などいろいろあり過ぎて、バカな私にはまだ理解出来ていない

何故、藤原にしたのか。ふじわら・ふじはらの語源が分からない
富士は安易であり、藤原には通じない
鈴木も同じで、語源が分からない
日本の根拠地から発展した地域には同じ名が並び、根拠地を不明にするが
藤原も鈴木も根拠地には未だ見つけれ無い。地元民に頼るしかないのか
地図に存在しない地名が必要である

その他なら幾らでも説明できる地名が存在するのに
想像が足りないのだろうか
ここは間違い無く日本発祥の地である事だけは譲れ無い
古事記が現実である場所である
151天之御名無主:2015/02/22(日) 00:57:30.86
>>150 藤原という土地にその昔お姫様が住んでたんだよ。
高取(波多郷)、橿原市の辺り。
そこに藤原氏の祖先が住み着いたという話。
152天之御名無主:2015/02/24(火) 15:17:31.79
古代の渡来人はエリート意識
153天之御名無主:2015/02/25(水) 16:09:12.49
藤原。
一説にホゼワラ。百済倭国ホゼ・ワラ(倭国の百済)。
一氏族の姓が一時期とはいえ我が国の首都の名(藤原京)になるのは異常な事。
中臣氏の内、藤原を名乗れたのは結果的に本宗家筋のみ。傍系は藤原から中臣に戻された。
154天之御名無主:2015/02/25(水) 16:20:22.22
藤(フジ)という文字と読みは我が国には元来なく、
同じ蔦植物の葛(カツラ、クズ)をもって表していた。
葛(弦植物)は龍蛇神様のトーテムで葛木族とはその龍蛇神様(天神)を信奉する者たち。

葛クズをクスとして同じような木肌の楠木を神木とした?
155天之御名無主:2015/02/26(木) 22:22:13.82
富士(フジ)山は万葉集に歌われてるよ
156天之御名無主
>>1
ご参考 名字スレ
縄文系・弥生系の苗字
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/min/1018708685/
日本人の綺麗&雅な名前・姓
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/min/1026489336/