小宮の御柱ももうだいたい終わったし
次の御柱までの間に、諏訪周囲の信仰について語らって
6年間を過ごしましょう。
こぉぉぉぉぉゥれぇはさんのぉぅぇぇぇぇえええええ!
ヨイサ!
ヨイサ!
ヨイサ!
※お諏訪様以外の話題でもいいです
2 :
天之御名無主:2010/12/07(火) 22:54:38
諏訪大社以外には何があるんですかいの?
冬の諏訪湖に神の歩く道?と呼ばれる自然現象があるのは聞いたことがあるけども
>>2 そこら中に氏神様がおるよ。
御社宮司様とかも氏神だし。
街中を見ると、夫婦地蔵とかもかなり多い
縄文のビーナスもおる(茅野だけど)。
諏訪大社の関係といえば関係だけど
洩矢神という神の末裔が今でも生きてる。
あと、稲荷信仰とかも盛ん。
>冬の諏訪湖に神の歩く道?と呼ばれる自然現象があるのは聞いたことがあるけども
それは御神渡りだね。
なんか最近出てないような気もする
5 :
天之御名無主:2010/12/10(金) 12:08:22
かなり因習深そうな所だな
6 :
1:2010/12/11(土) 03:59:55
なんか意外と知らない人が多いようなので、まずはちょっとした解説からはいろうか。
諏訪大社は2万5000以上の末社を持ち、起源も非常に古い。
信濃国の一宮であり、神位は正一位であり、信濃的には日本一の神社。
よく誤解されるが、諏訪大社は春宮・秋宮・上社・下社の4宮で構成され
場所としても諏訪〜茅野の広域に分散している、神社集合体。
祭神は大国主の子である建御名方神とその奥さん。
10月になっても出雲に帰らないため、諏訪は「神在月」である(理由は諸説ある)。
主な神事は「御神渡り」「蛙狩神事」「御頭祭」「御船祭」「御射山祭」そして「御柱祭」。
最も有名なのは6年に一度、諏訪・茅野・岡谷を上げて行われる御柱祭で
10トンもの巨木を切り倒し、人間の手で曳行して、4つの宮に4本ずつ(計16本)建てる。
日本三大奇祭としても有名で、お祭りというレベルをはるかに超越した、信濃国の行事。
参加する氏子の数は数万人にもなるとか。
また、この年は一年を通して「御柱祭の年」であり、諏訪周囲の神社は
中規模の社から小さな祠まで、それぞれの御柱を建直す(小宮祭)。
7 :
1:2010/12/11(土) 04:02:41
知名度としては落ちるものの、御頭祭も奇祭として有名。
狩りを行い鹿を得て、頭を切り落として捧げるが、その数が75頭とかそんなレベル。
(現在は非常に残念な事に剥製を使っています。神様怒るだろjk)
それ以外にも鹿の「脳和え」「生鹿」「生兎」「切兎」「兎煎る」鹿の五臓などが神饌として捧げられて居た。
ちなみに兎はまるごと一匹、下から串刺しにして立った状態。
これら神事は、建御名方神ではなく、それ以前に地域に居た「もっと前の土着神」のモノとされる。
(モレヤ神、チカト神、ソソウ神に加えミシャグチなど)
国譲りの段で天津神に敗れた建御名方神は諏訪に逃げ込んだ事になっているが
その際に、上記神々を率いたモレヤ神と戦争になり、勝利して現在の地位を得る。
建御名方神の氏族は諏訪氏で、代々大祝を担い
洩矢(モレヤ)神の氏族は守矢氏で、代々神長官を担う。
どちらも、神から続く家系図を持ち、諏訪では神として扱われていたが
既に大祝は途絶え、神長官についても守矢氏は生き残っているものの
一子相伝の神事は伝えられることなく、消えてしまっている。
おお、スレ立てようかと思って何年も悩んでいたんだ乙!
諏訪信仰スレじゃなくて諏訪周辺の信仰スレにしたのが良いね
御柱祭が有ったり同人ゲームの元ネタになったりでちょっとは知られたかな
諏訪全般でこの板だとお題はどんなのがあるかねー
ミシャグジ信仰・諏訪大社(特殊神事)・御柱・諏訪版国譲り・建御名方周辺
守矢家・大祝・お神使様・原始信仰・甲賀三郎伝説・諏訪勘文・鹿食免・祝神
もっと有る気もするけどこんなもんか
諏訪界隈には街中に小さな祠が多く
夫婦地蔵もやたらと多い。
石棒がそこら中にあるんだけど、あれは普通なのかね?
夫婦地蔵ってあまりない気がするが双体道祖神と違うのか?
他の地域の事を知らないので小さい祠が多いのか分からないけど
自分の地区で見ると半径1km以内に20社はあると思う
山に隣接している地域は山の神も多くあるからね
同族で祀っている祝神(これも諏訪地域だけか?)の祠も多いかな
道路沿いにない場合はその地区の鎮守とかにまとめられていることが多いね
あと石棒はミシャグジ信仰とも関係が有ると言われているけど
縄文遺跡の宝庫なのが大きいと思う、発掘調査で出土すれば博物館行きだけど
田畑の耕作等で出てきた場合は神社、道祖神、小さい祠へ奉納とか
そのまま御神体としてお祀りされてるケースが多い
>>10 そうそう、双体道祖神ね。
石棒は小さな祠に入れてあるのもあるけど
親戚の家では玄関に置いてあった。
まぁあんなもんいっぱいあるから
出たものは出たとこで保管すりゃいい
と言ってたけど、そんなモンなんだろうか。
うちの近所も半径1kmなら20くらいはありそうだなぁ。
古めの家ならどこも家に一個ある
諏訪と縁がないので初歩的な質問させてください。
石棒ってよく縄文時代の遺跡とかで出土するものと同じ形状ですか?
13 :
天之御名無主:2010/12/12(日) 16:57:21
「カルラ舞う」っていう漫画でやってたな。
オミシャグチ、金屋古神、時渡り、あと死体を柱にくくりつけて
剣打つんだっけ?
ちょつと感動しちゃう漫画だったな。
>>12 石棒は金精信仰とかと違って縄文時代のものそのものがほとんどで
後年に作られて奉納されたものは少ないと思う
なのでどんなに古い年代に作られた祠や建物より一番古いものだったりする
16 :
天之御名無主:2010/12/13(月) 18:52:12
御柱はなぜ6年(7年)に一度なのか
タケミナカタはなぜ、どこから諏訪にきたのか
なぜ守矢は諏訪なのか
おしえて
まぁ6年と決まったのには何がしかの理由があるだろうけど
とりあえずあんな祭り、毎年やるわけには行かないのは間違いない。
〜諏訪豆知識〜
この辺りでは、神様なら稲荷だろうが佃煮だろうが
とりあえず四方に御柱を建てる習慣がある。
女神の場合は建てないという説もある。
19 :
天之御名無主:2010/12/15(水) 21:40:38
伊勢でも柱を引っ張ってるようだけど、
やらないと諏訪の人達が暴れるからだ
と聞いたことがある。
20 :
天之御名無主:2010/12/15(水) 23:05:24
高血圧で入院した知人の親御さんが「お陰で御柱祭を手伝わなくてすむから助かった」と喜んだとかw
21 :
天之御名無主:2010/12/23(木) 14:21:35
そんな事より
>>1よ、ちょいと聞いてくれよ。スレに乗じて改変してみたけどさ。
こないだ、諏訪の御柱行ったんです。御柱。
そしたらなんか人がめちゃくちゃいっぱいで動けないんです。
で、よく見たらなんかボードにでかい数字を書いて、カウントダウンとかしてるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、カウントダウン如きで御柱を盛り上げようとかしてんじゃねーよ、ボケが。
掛け声の回数までなに指定させてんだよ、カウントダウンて。
なんか893屋さんとかもいるし。一家総出で御柱か。おめでてーな。
よーし今回も柱の先頭に乗っちゃうぞー、とかやってるの。もう見てらんない。
お前らな、記念撮影だけはしてやるからその場を空けろと。
御柱ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
前後の柱の曳行担当地区をからかっていつ喧嘩が始まってもおかしくない、
怒鳴るか怒鳴られるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。チンピラもどきは、すっこんでろ。
で、やっと動けたかと思ったら、春宮担当の奴が、これはサノエ〜、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、「サノエ」じゃなくて秋宮近辺を意味する「山王(山王台)へ」なんだよ。ボケが。
得意げな顔して何が、これはサノエ〜、だ。
お前はその柱も秋宮まで曳いてくつもりなのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、これはサノエ〜って言いたいだけちゃうんかと。
御柱通の俺から言わせてもらえば今、御柱通の間での最新流行はやっぱり、
七五三(〆)巻き、これだね。
建御柱は七五三巻き重機吊りで。これが通の楽しみ方。
七五三巻きってのは綱を下から外せる。わざわざ上で外すために人は乗らない。これ。
で、それに重機(クレーン)吊り。これ最強。
しかしこれをやると次から華乗りの意味すらなくなるという危険も伴う、諸刃の剣。
地元衆にはお薦め出来ない。
まあお前ら地元衆は、安全で楽しい観光行事でも眺めてなさいってこった。
22 :
天之御名無主:2010/12/24(金) 12:13:30
もみの木ないんだからしばらく止めたら?
23 :
天之御名無主:2010/12/25(土) 12:25:45
御柱通乙!(笑)
24 :
天之御名無主:2010/12/26(日) 10:04:04
>16「もりやは諏訪なのか?」ってどういう意味?
25 :
天之御名無主:2010/12/26(日) 14:12:07
地元の人で書き込みしたい人もいると思うが諏訪地域最大CATV回線使用者は巻き添えで全鯖規制中
27 :
天之御名無主:2010/12/26(日) 17:58:51
>>24 いや、諏訪に地底人でも住んでるのかと思って。
28 :
天之御名無主:2010/12/27(月) 21:25:44
諏訪大社って諏訪湖の水辺にあると思ってたけど結構湖から離れてるんだね
それと御頭祭って神事凄い原始的な儀式だけどいつから続いてるんだろう
29 :
天之御名無主:2010/12/28(火) 05:10:02
俺も興味はすごくあるんだけど、諏訪はおろか長野県すら足を踏み入れたことないんだよな
30 :
天之御名無主:2010/12/28(火) 10:02:16
近年の諏訪の祭りは何でも御柱と混同してしまって下らんよ。
下社のお船祭りとか風情或る良い祭りだったが今では酷いもんだ。
そもそも諏訪弁が勇壮ではないからな。
31 :
天之御名無主:2010/12/29(水) 22:41:32
あまり詳しくないのですが、質問です。
諏訪大社に祀られている建御名方神は「海の神」ですよね?
お船祭りなどもその名残だと思うのですが、長野には海がないのですよね。
諏訪湖を海としていたのでしょうか?
それとももともと海のあるところの神様で、
中つ国平定の際に建御雷神に追い立てられたからなのでしょうか?
あと、聞いた話だと、諏訪で鎌を軒先(?)に飾るという風習があると聞いたのですが、
これについて詳しく知っている方がいたらいろいろお話を聴きたいです。
どのようないわれがあるのでしょうか?
諏訪大社と関係はあるのでしょうか?
よろしくお願いします。
32 :
天之御名無主:2010/12/30(木) 04:43:43
日本海を渡って列島の日本海側に至り、そこから南進した人たちだから父祖が信仰した海の神を祭るのは当然だと思う。
そして諏訪の人たちの一部はさらに南進して、大和朝廷に隷属するまでに太平洋にも到達している。
(その経路が現在のR153)
最終的には衣に至ったが、壬申乱後、持統天皇の時代に大和朝廷に滅ぼされた。
なお、衣の海=衣浦の地名が残っている。
碧海(あおみ)と呼ばれていたのは、そう青くもない海だが緑色の強い日本海とは違う青みの強い海だからそう名づけたのだろう。
もちろん歴史からも彼ら太平洋に至った王権の存在は抹消されている。
大和朝廷が崇める最高神が彼らの神と習合しており、不都合だったこともある。
33 :
天之御名無主:2010/12/30(木) 09:34:57
出雲〜糸魚川〜安曇野〜諏訪が入路じゃないのか?
諏訪に限っては後々まで特別扱いされた地域。
タテミナカタノミコト=海の神と言う認識もない。
ナギ鎌の縁は知らない。諏訪大社に関連する事は確か。
>建御名方神は「海の神」ですよね?
それどこ情報〜それどこ情報よ〜
ヌッ!
すいません間違えました
37 :
天之御名無主:2010/12/30(木) 16:10:27
建御名方神=宗像氏
これガセですか?
>>32 丁寧な回答ありがとうございます。とても興味深いおはなしです。
やっぱり諏訪には不思議がいっぱいですね!w
>>33 私もそう思っていましたが、
>>32さんが仰っているのはそれを信仰する人たちの経路かなと。
そういえば、霧ヶ峰に「薙鎌神社」もありましたね。気になります〜。
一年神主ってのはいつまで続いてたんだ?
意味は全く異なりますが言葉自体は残ってますね。
頭屋(とうや・当家)と呼ばれる祭祀の(準備も含めた)責任者ですが。
一年神主って意味は二つあって一つは
>>40と同じそのまま一年交代の神主
>>39が言ってるのは一年で役目が終わって殺されちゃう人柱、生贄の方でいいかな?
まず俺の知識だと断っておくけど
これ諏訪信仰語りだと何か魅力的で結構流布してるけど
最近の地元研究者はあまり注目しない感じを受ける
大祝は違うから該当すると言えば風祝かな
十訓抄とかに出てくるけど鎌倉期の守矢文書や大明神画詞にも記載がないので
鎌倉期にはもうこの風習はとっくに廃絶されていたと言われている
あとは神使(おこう)様は御頭祭に生贄になった説もあるけどだいたい否定的
途中で生贄になったら一年間務めることができないしね
まあ、諏訪の信仰って謎が多くて分からないことだらけなので
十人十色かもしれないから一参考までに
そういえば諏訪湖の事を「諏訪の海」って書いてるものが何かあった気がする。
和歌だったか。
まぁ単なる見立てかもしれない。
そもそも、海と湖って昔はどれくらい違うものとして認識されてたのかな。
淡水海水だし全然違うっちゃ違うけど。
薙鎌は神長官守矢史料館の柱にいっぱい刺さってたわぁ。
信濃は昔から水薦の多い場所という事だったらしいから
普通に藻刈鎌が必需品だったんじゃないかね。
確か、御柱に使う木を選定したときも、薙鎌を突き立てるだかなんだかするんじゃなかったっけ。
御柱祭とかだんじり祭りとかの死人の出る祭りですけど。
あれって合法的に生贄とるためにやってるんですよね?
44 :
天之御名無主:2011/01/13(木) 17:13:19
おみわたりって温暖化だけではなく、護岸をコンクリートで固めてから出来にくくなったんだってさ。
45 :
天之御名無主:2011/01/14(金) 23:45:36
洋ゲの名作「オブリビオン(Oblivion)」中に、Akavir=The Land of Dragon という
国があり、その国軍の隊長の亡霊がMishaxiという名。
Akavir人は、人頭蛇身とか竜・蛇に関連した人種として説明されている。
それにしてもケト…じゃなくて西洋人がミシャグジってコアなモチーフ使うじゃん。
期待してた援軍が来なくて壮烈死しても、何年も亡霊として任地に留まっていた
義に厚い人物として描かれていて、ちょっと嬉しかったボクなのよ。
46 :
天之御名無主:2011/01/15(土) 08:33:00
諏訪の人間は閉鎖的で冷たい。
日本の聖地(神社)は独善的な一神教世界と違い、豊穣な多神教風土が残っているのは幸いだが、
実際そこに祭られてる信仰対象の歴史・正体が良く分からないケースが多すぎる
本来は日本の神様じゃないからじゃね
元々は土着のカミを祀る霊場に、官製神話(記紀)の祭神名を当てはめたり、
外来の様々な宗教・信仰がミックスされて分け分からない状態になったからだろ
50 :
天之御名無主:2011/01/16(日) 16:45:45
苗字に「澤」の字があって、家紋が沢潟の家は諏訪氏と関係があるというのは本当?
51 :
天之御名無主:2011/01/16(日) 21:34:25
頭いい人多いからそうだろ
52 :
天之御名無主:2011/01/17(月) 09:04:11
>50家紋も苗字も真に受けてはいけない。ほとんどは関係ない。
>>46 そうか? 当たり外れがあるのかな?
僕の時はめちゃめちゃ歓迎されたぞ?
意気投合して明け方まで飲んで、
「御柱のときは泊まりに来い」とまで言われてたぞ。
本当にとまりに行ったけれどw
単純に、君の性格じゃないのか?
>>46 諏訪人に知人がいるが、確かにそういう印象がある。
55 :
天之御名無主:2011/01/18(火) 09:55:04
>>46 諏訪というか長野県全般にその傾向があると感じる。
東北なんかも旅すると同様だから気象が厳しい寒冷地の特徴なのかも。
君こそ御柱前と言うグッドタイミングで運が良かったんだよ。
それにその性格は一般論であって、諏訪の人間全てが閉鎖的で冷たいわけではないからね、。
ちなみに見たのは上社or下社どっちの御柱?木落しは下社じゃないと駄目だよ。
56 :
天之御名無主:2011/01/18(火) 19:04:34
守屋さんて守屋山なの?
わけわからん
>>18 そして守矢神社では御柱を建てない。
>>32-33 上社本宮、下社春宮、下社秋宮の元になった神社?が、別々の氏族だった可能性も高い。
上社前宮は明治時代に格上げされた、歴史も謂れもない神社だから割愛。
>>42 薙鎌は風除けらしい。
風を切るか鎌。
風神としての側面の象徴。
でも、薙鎌は農業にも使うのと、農耕神としても信仰されていたから、こっちの意味合いもあるかもね。
>>56 そうだよ。守屋山が御神体。
59 :
天之御名無主:2011/01/19(水) 19:01:17
武田信玄嫌いですか?
60 :
天之御名無主:2011/01/20(木) 11:10:05
炊いたインゲン嫌いですか?
諏訪の人って物部守屋は嫌いですか?
62 :
天之御名無主:2011/01/20(木) 15:34:08
洩れやは縄文系で、タテミナカタは出雲=渡来系と言うことか。
63 :
天之御名無主:2011/01/20(木) 19:51:39
タテミナカタは秦氏だろ
64 :
天之御名無主:2011/01/21(金) 08:35:22
違うんじゃね? 秦氏も渡来人だが。
65 :
天之御名無主:2011/01/21(金) 18:12:34
御神体はモリヤ山ではないという話も有るが。
66 :
天之御名無主:2011/01/21(金) 19:10:38
こういう実生活で特しない金にもならない様な話題って面白いやな
神道って色々と曖昧でカオスで謎すぎる
それでも拝んじゃう不思議!
ところで春宮で御朱印お書きくださった若い神職のお方がめさめさ感じ悪かったです
68 :
天之御名無主:2011/01/22(土) 07:22:11
現地の人に聞いたら上社の御神体は裏山に岩があってそれという話。
69 :
天之御名無主:2011/01/22(土) 18:33:37
70 :
天之御名無主:2011/01/23(日) 07:59:49
職選びで神主になっただけだろ。
洩矢神と建御名方神の子供の系図がイマイチ理解できない。
あれはどういう事なんだろ
72 :
天之御名無主:2011/01/24(月) 09:02:33
具体的に何がどう理解出来ないんでしょうか?
洩矢神 →千鹿頭神 →児玉彦命
建御名方神 →片倉辺命 →児玉彦命
↑ここ
片倉辺命─(実子)→児玉彦命
↓
千鹿頭神─(養子)→児玉彦命
こういうこと??
74 :
天之御名無主:2011/01/25(火) 08:48:29
兼任だな。どんな血統も古く遡ればいい加減で信用できない。
75 :
天之御名無主:2011/01/25(火) 10:32:01
伝承されている血統を現実のものとして頭から鵜呑みに・・・?
76 :
天之御名無主:2011/01/28(金) 13:34:54
ROMってみたけど、ここってホントに血沸き肉踊りウキウキワクワクの楽しいスレだこと!うへぇ…
↑(^^)リアルで何かあった
>>75 事実かどうかを聞いてるんじゃないよ。
民俗学板なんだから、もう少しマシな頭を持って欲しい。
諏訪周囲の信仰で正史に近いであろうと思われるのは、建御名方神。
対する洩矢神、神長官守矢氏の系図は口伝による秘事だとして
少なくとも守矢氏は、正史と口伝に相違が有ることに気づくでしょ。
何しろ、長い家系図のどうでもいい途中が交雑するわけじゃなく
洩矢神から三親等というかなり直近で起こってる。
諏訪氏の方の系図を見ても、片倉辺命の跡を児玉彦命が継いでいるわけじゃない。
片倉辺命→児玉彦命 という流れを後代に残す意味があるとすれば
守矢氏の血統への介入・牽制かな と考えられなくもないが
肝心の守矢氏家系図は詳らかになっているわけではないし
やはり目的が今ひとつ不明。
「現実に起こったんじゃない?」は考えうる一つの筋道だし
「後代で何らかの利益の為に偽造されたのでは?」というのも発想の一つだ。
乙!
>>69 ムカツク態度とられたら文句言っていいんだろうか?
鳥居の中では気が引ける
81 :
天之御名無主:2011/01/28(金) 22:27:28
>>80 相手は鳥居の権威を背負っていても、人間同士。
人間として理不尽な事にはハッキリ抗議すべし。
南方熊楠も地元の神主の所に乗り込んだ。
私事ではありますが、私にもゴウツク僧侶に一喝し、やり合って追い返した経験あり。
83 :
天之御名無主:2011/01/29(土) 08:34:50
>>78 >74の言う兼任よりもキツイ守矢家乗っ取りとしか読めない。
>>80 神主なんぞ微塵も偉いもんじゃないんだから何言ってもOKだよ。
でも、微塵も偉くない事を自覚してっから
殴り返されてもしらんで。
>>82 なるほど。
>大神之御言之随千鹿頭神之跡乎継弖
ソッコーで洩矢系列終了のお知らせじゃないか。
えげつない。実にえげつない。
86 :
天之御名無主:2011/02/09(水) 08:56:52
87 :
天之御名無主:2011/02/14(月) 19:57:49
サマーウォーズの75って御頭祭の75頭の鹿のことですか?
永田鉄山伝説も語りたい
89 :
天之御名無主:2011/02/18(金) 17:05:02
>>28 >諏訪大社って諏訪湖の水辺にあると思ってたけど結構湖から離れてるんだね
いや、今の湖が小さくなったという事なのでは?
昔の諏訪湖はもっと大きかった。
(因みに、数十年前と比較しても、一部埋め立てられたりして年々小さくなってる。)
90 :
天之御名無主:2011/02/18(金) 17:10:53
古代の諏訪研究を極めれば日本の秘密がかなり解けるらしいが、
それをやっちゃうと今の皇室の存在がやばくなるんで、封印されてると言うか自粛してるとか、
そんな風潮があるのかなと思う。
91 :
天之御名無主:2011/02/18(金) 17:12:00
なんかケルト人に共感するな。
>>90 今更そんな事で皇室の存在がやばくなるわけがないだろう…
万世一系が真ん中でぶった切れてました とかいうと
それなりに問題になるだろうけど
神代の事なんて、今の皇室の存在と殆ど関係ない。
今でも神の子孫と思われてるわけないないしな。
逆に、どういう理屈で皇室の存在がやばくなるって思ってるのかを聞きたい
理屈ねぇ。
95 :
天之御名無主:2011/02/19(土) 17:35:44
諏訪大社に行ったら
「タケミカヅチとタケミナカタがずっとLOVEでいられますように」
って絵馬に書きたい。
97 :
天之御名無主:2011/02/21(月) 03:35:20.10
>>92 >逆に、どういう理屈で皇室の存在がやばくなるって思ってるのかを聞きたい
例えば、諏訪独立運動が起きるとかかな
縄文人の逆襲って奴
98 :
天之御名無主:2011/02/21(月) 03:38:09.10
天皇陵の調査も許さない宮内庁だから、神代の事にも神経質だと思う。
99 :
天之御名無主:2011/02/21(月) 07:32:55.40
鹿島様に惨敗した割りにお諏訪様の方が有名だよね。
>>99 その神話自体がウソ、ってことじゃないの、バレちゃまずいことって
北西岸は氷申さぬ異例にて御渡ござなく候
本年は「明けの海」でした
ぶっちゃけただの自然現象なんだが御神渡りが無いとなんだか残念な気分
堤防を築いて水質を悪化させた挙げ句に内側へ湖畔公園なんて
ものを整備して、ゆくゆくは人工の渚をさらに内側へ作っていこう
ってんだからいくら冷えたって…ねぇ。
ちなみに「当社神幸記」・「御渡帳」による約560年の記録で
今回を含めた明けの海だった回数
江戸時代(19)・明治(3)・大正(2)・昭和(15)・平成(17)
平成に入ってからは御神渡りが無いのが当たり前の状態・・・倦怠期ですかね
104 :
天之御名無主:2011/02/22(火) 08:50:26.00
>>102 水質は昭和の時代より改善しているでしょ。
湖周すべてをコンクリート壁で固めた事で氷が張っても岸にせり上がってしまう事。
&諏訪湖はそもそも浅い湖ですが、護岸工事の際に急深な岸にした事で凍結しにくなった事、が温暖化と合わせておみわたりの出来ない原因でしょう。
地元の方に聞くと工事以前は自然の渚が各所にあって、からす貝など沢山取れたそうですよ。
105 :
天之御名無主:2011/02/22(火) 18:47:10.06
関東日本王国と関係あんの?
106 :
天之御名無主:2011/02/24(木) 08:39:06.51
関東じゃないから関係ないっしょ。
107 :
天之御名無主:2011/02/25(金) 17:24:42.74
交流とかの意味なら判らないよね
というか関東日本王国なんて捏造ですから
諏訪産出の黒曜石の分布は関東全域
諏訪(和田峠、霧ケ峰)に限らず
神津島や伊豆箱根の黒曜石も東日本中心に広く分布してるけどね。
111 :
天之御名無主:2011/03/03(木) 02:27:08.03
関東、東北こそ日本
>>111 関東東北はあくまでもヤマト=日本に征服された土地でしょ 歴史の捏造はやめなよ
日本という国号の発祥地でなくたって縄文人や蝦夷など立派な祖先がいるじゃないか 本当の歴史に誇りを持ってほしいね
戊辰含めそこらへんを朝鮮小沢に利用されてめちゃくちゃにしたのが
単純馬鹿東北人?
114 :
天之御名無主:2011/03/03(木) 18:43:31.00
千葉・茨城から九州高千穂に、
宮城・岩手から奈良三輪山に
天孫降臨という噂もあるんだけど。
115 :
天之御名無主:2011/03/06(日) 08:24:49.85
茨城から高千穂なんて意味が無いからありえんでしょ?
朝鮮系の経路としても同様。
公認神話で、タイマンでボコボコ・いい所無しの敗残兵の役割を被って、
地元の者(特に神職関係)は汚名を晴らそうとは思わなかったんだろうか?
まったく健御雷神に歯が立たず、一矢も報いず両腕引きちぎられて、諏訪まで逃げて命乞いして止まったのが起源って・・・
あまりにも情けなさすぎる
地元信仰のプライドはなかったんだろうか?
朝廷の権力なんて後々まで続かないし、記紀の扱いへの批判や、従来の伝説や新説なんかを、
もっとアピールする機会はいくらでもあったのに
タケミナカタの汚名は晴らさず、新たに創った神話が甲賀三郎伝説でつ
119 :
天之御名無主:2011/03/31(木) 11:38:19.90
>>117 皇室批判に繋がるので戦後まで何も言えなかっただろうな。
戦後も神話など後の作り話と明白になった故そういう運動も起こっていない。
タテミナカタも地元にしたら侵略者でしょ。
神話で無残に敗れた神であるにも関わらず、戦神としてかなり信仰されていたのも謎
神話エピソードしか知らない者からすれば、理解できないくらい篤く信仰されてきた神
敗残した神という点から、祟り神や御霊信仰的に鎮められ、祭られていたならまだしも、
そういう形跡もない
>>120 それこそに建御名方大神、建御名方刀美大神さまの真髄がある。
ただ己の為だけに無為な闘いを大和朝廷に仕掛けたわけじゃ決してない。
そもそも目的を果たしたという意味では負けてなどいない。
>>120 少なくとも諏訪においては侵略者側だからじゃない?
勝って統治権を手に入れたんだから祟る必要がないじゃん。
坂上田村麻呂のおかげ
124 :
天之御名無主:2011/04/12(火) 10:58:30.10
ここまで読ませてもらって、また諏訪に行きたくなってきたなあ。
昔、上社本宮社頭で、自動筆記みたいな感じで勝手に祝詞みたいのが口から勝手に出てきて、トランスになってしまったことがあるんだ。
俺って戦闘的無神論者なんだけどなあ。不都合な真実だったわ。
お前もか!俺も以前左手が石神の意識体が憑依したことがあってな!
くっ、また。他のやつには秘密だぜ?
人それを中二病と言う。
127 :
天之御名無主:2011/04/15(金) 11:12:39.52
>>124戦闘的無神論者ってなんだ?説明してくれ。
128 :
天之御名無主:2011/04/16(土) 07:17:27.27
諏訪大社の御頭祭はユダヤ起源だと、久保有政というキリスト教の
牧師が主張してるんだな。
129 :
天之御名無主:2011/04/16(土) 09:40:24.30
人間の考える事など一緒だから世界各地で共通点が多いもんだ。
>>121 諏訪に限らず、日本神話ってのは
国津神が負けたけど、負けきってない話だからね。
本当に負けていれば、キリスト教みたいに悪魔化してしまう。
(足長・手長とかは妖怪扱いになってるけど)
日本神話では、侵略側が確かに勝ったという話ではあるけど
割りと平和的に平定して、共存していくってお話だし
各地にある神社や伝承は、国津神のモノも多いからねぇ。
>>130 > 本当に負けていれば、キリスト教みたいに悪魔化してしまう
ヘブライ人は別にそれらのメソポタミアの神々を負かしたわけじゃないけどな
むしろペルシャに助けてもらうまで虐め抜かれてジリ貧だったわけで
唯一絶対の神しか認めない排他的な一神教と違い、
多神教は敗者と共存する余地がある
特に日本は勝者の側が、敗残者の怨念を畏れて神として篤く祭る(御霊信仰)等、
善悪二元の一神教へブライズムには理解不能の価値体系、包容力を持つ
133 :
天之御名無主:2011/04/18(月) 22:03:55.17
>132そりゃ違う。130の理解が間違っている。
____
Y/ニニ|>o<|\
/ //\___\
|/ / === |  ̄ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| / ・ ・ | キリスト狂を信仰すると
\(6 (_λ_)\ 精神障害になるのだ
/ _ ||||||| _|
|(( \□ ̄□/| 我 ◆82SSORBSMoは毎晩
\  ̄ ̄ ̄ ノ 。。 錯乱状態なのだ。
/ ̄ ̄\ /  ̄ ̄ ̄ ̄。|了 \______
/ |: | ̄ ̄ ̄。。
| |______| 。
| | | | | | | | 。
| | | | | | | | †
★人類史上、最大最狂のカルト「キリスト教の歴史」
邪教だからぶっ殺せ!(十字軍の遠征)
自分がやられないためには他人に罪をかぶせろ!(魔女狩り)
土人は人間(=クリスチャン)じゃないからぶっ殺せ!(南米はじめ後進国を陵辱)
ベトナム戦争はフランス人宣教師から始まったのを知っていますか?
キリスト教の歴史は血まみれの殺戮の歴史。
右のほおを打たれたら、相手の息の根の止まるまで殴り続けるのがキリスト教の本質だ。
歴史を勉強しましょう。侵略の先兵は必ず宣教師だったことを。
(いまのアメリカはどうです?ピューリタンの国は戦争したくてしかたがありません)
日本がザビエルなどの言う妄想を信じなかったからこそ、八百万の神仏がまします豊穣な文化伝統を持つ日本がある。
キリスト教を受け入れなかった祖先に感謝します。
135 :
天之御名無主:2011/04/19(火) 16:40:01.06
宗教は皆妄想だかんな。馬鹿で羨ましい。
136 :
天之御名無主:2011/04/26(火) 14:35:57.49
ミシャグチを祭るところは信濃に多いのは確かだが、シャグジは関東近辺にも
ある。
縄文の神とする説があるが、だとすれば何故これらが東北に少ないのだろうか?
東北はシオツチ神信仰だからじゃないかな。
138 :
天之御名無主:2011/05/13(金) 11:11:24.85
139 :
天之御名無主:2011/05/15(日) 00:00:13.96
昨日、NHKの熱中っていう番組で奇祭特集で栃木県だっけかの諏訪神社で
ジャランポイ?かそんな感じの祭りやってんだけどもとはヒトミゴクウだった
のはいまは葬式的な祭儀としてかなり面白い感じにしてやってたな
モリヤの神とミシャグチ神ってどういう関係ですか?
個人的にはミシャグジ神祭祀を仕切っていた一族の神格化が洩矢神だと思っている
だけどなぜ洩矢だけの専売特許みたいになったのかは謎
公式神話に無様な敗残を晒した(改竄、貶められた)神が、
よりにもよって「日本第一の軍神」として堂々と崇拝されてきたのが謎過ぎる
「日本書紀」にこのエピソードがない事も関係してるんだろうか
(本居以前は「古事記」は「日本書紀」講書の際のサブテキスト扱いの立場で、もともと「紀」の方が重んじられてきた)
そーね、古事記は「国史」じゃないからね
伝承集みたいな扱いだった
藤原一族のゴリ押しがいかに酷いゴリ押しだったかという記憶は
江戸初期くらいまでは残ってたんじゃねえの?
タケミカヅチもフツヌシも、中央高地には全然無関係だからな
>>142 >よりにもよって「日本第一の軍神」として堂々と崇拝されてきたのが謎過ぎる
そら諏訪人が勝手にいうとるだけだろ
>>144 最低限の歴史を勉強してきてから、こういうとこで物言えよ
146 :
天之御名無主:2011/05/18(水) 22:00:57.82
その通りです。いちいち説明できんです。
147 :
天之御名無主:2011/05/21(土) 23:26:08.46
>よりにもよって「日本第一の軍神」として堂々と崇拝されてきたのが謎過ぎ
縁起とかってあるでしょ?多くの神様はその縁起で一つの神様に繋がってるのは理解できるしょ?
日本一の軍神=これは神さまの級長(シナツ)ヒコ=風神でありシナノ(信州)を治める神
なんだけど後に縁起でタケミナカタとなり(連なり)文字どうり負けはしてもシナズ(死なず)
つーことで弱いとかじゃないんだよね。それも縁起だから雷は親父格にあたるんじゃね?
もうちっと実利的な話なんだけどな
壬申の乱、田村麻呂、鎌倉幕府などが関係している
でも、いちおうカミカゼも関係している
平安時代の官牧の半数が信濃にあった意味を考えろといいたい
>本居以前は「古事記」は「日本書紀」講書の際のサブテキスト扱いの立場で、もともと「紀」の方が重んじられてきた
本居は筋金入のバカ。
この国に深刻な差別問題をもたらし、70年前にこの国を負け戦に導いた元凶。
江戸時代の三重県に行き惨殺したい。
150 :
天之御名無主:2011/07/03(日) 23:38:13.14
本居宣長に死を
というスレッドを立てようとしたら跳ね返された。どなたかお願いします。
時代背景を考えれば立派な人だけど、
彼以降の国学者もしくは右翼で、彼を信奉してるやつはたいてい馬鹿だね
ていうかもう死んでるから
信州人の血を引いてる自分には嬉しいスレだ。
しかしばあちゃんが諏訪出身だがあまりこのスレ向きの話は聞いたことないんだよな。
御神渡りが減ったのは工事のせいだったのね…。ばあちゃんが子供の頃はスケート出来るくらい厚い氷が張ったそうな。
このスレ見てたら諏訪大社行ってみたくなったよ。恥ずかしながら行ったことないw
御神渡りってモーゼの紅海割りのことなの?
なんでやねん
ばあちゃんの話で思い出したが、いぼ石とかはスレチなのかな?信仰とはちょっと違う気もするが…。
いわゆる「民間信仰」の範疇だね
だけど、いぼ石ってのは日本中どこにでもあるぞ
諏訪で比較的有名なのは児玉石神社かな
>>156 無知なもんで全国にあるのは知らなかった。神社の名前は聞いてなかったが、場所的に児玉石で間違いないと思う。レス有難い!
まあ全国共通なんだろうが、その神社の水を付けるといぼが取れるっていう民間信仰ですよね。
流石にオカルト好きでもうさんくせー!って思ったんだが、叔母が本当にいぼ取れたらしい。
個人的には何かいぼに効く成分でも含まれてるんかなーなんて思ってる。あと叔母は思い込み激しいからプラシーボ効果もあるのかもww
俺も去年いぼ治療(マジで痛い!)してたからそんときはすぐ諏訪に行けない自分を呪ったw
参道の石畳とか境内の磐座とかにくぼみがあって、そこに水が溜まってる
で、その水は一年中枯れることがない・・・ってのがいぼ石信仰のパターン
児玉石のやつはかなり深いくぼみで、確かに枯れてるのは見たことないな
効くかどうかは責任持てないw
児玉石って秩父の児玉党と関係ありますか?
関係ないです
いやまあ100%ないとはいえないけど、もしあるとしたら
平安時代以前の歴史の闇の中の話で、たぶん誰も論証できません
秩父
→朱+失、父
→ノ+木+三+人
→三+人+ノ+木
→秦爻
ああー、そういう種類の電波を強烈にネット上で撒き散らしてる爺さんがいるね
基本的に電波ではあるけど博覧強記で大したもんなんだ
後継者がいなくて嘆いているようだから立候補したら?
>>161
ちょっと奇妙な御柱の立て方をした神社を見かけたのでご意見お願いします。
一之柱は社に向かって右手前、二之柱は社の前の左脇、
三之柱は社の真後ろ(!)、四之柱は社の左後ろ奥の敷地の端辺り。
なお四之柱は木に囲まれていて一見みえませんでした。
通常御柱といえば社を四角く囲むものかと思っていましたが、
このような立て方をするというのは何か理由があるのでしょうか?
あるいは類例などがありましたらお聞かせ下さい。
文字だけだと把握しきれないが
その場所がどうしても御柱が建てれない立地条件とか
社殿が移築してたり本殿が別にあるとか
社殿と別に磐座みたいな物があるとかじゃないのかな?
諏訪地域外になると変則もありかもだが
まあ、そこの氏子衆に聞くのが手っ取り早いと思うけどね
ご意見ありがとうございます。
そういえば社と四之柱の間に何かありました。
三之柱は真後ろでなくても建てられたような気がしますが、
また行く機会があれば見てみますね。
>>163 ・実は社が移動した
・実はもう一つ社がある
諏訪大社上社の裏にある祠ってだれかしってるひといますか?
できればなんなのかも教えてください
ありがとうございます
自分の先祖と関係あるみたいなので
興味が沸きました
自分でも調べたんですけど
やっぱりそのサイトでした
予想通り堂々巡りになってるな〜
伝承や、信仰はとことんあやふやなのに、あれ程激しい祭は存続している理由はなんなのか?
>>130の>(足長・手長とかは妖怪扱いになってるけど)
ってアシナヅチ・テナヅチのことですか?
だとしたら何故妖怪になったんですか?
どういうことなのか説明してください><
>>171 信仰ってのは理屈じゃないってことの証明なんだろう
>>173 一般の市民や氏子にとっては様々な理屈じゃない「想い」を持ってると思うのですが。
統括している「真髄」みたいなものがなければ続かないと思うんです。
そこが一般の市民や端々の氏子には意図的に秘されていると思うのです。
表面的な伝統を守ることに腐心させられ、自分達が一体何を守っているのか、疑問に思わない訳がないです。
しかし、黒いものがあっても関係者は口をつぐまざるを得ない。そういう強固な縦社会が構築された世界です。
安易な考えかもしれないですが、相撲の世界や歌舞伎の世界と同じように
「人々の想いとの解離」が起きているのに、必死に取り繕ってるような状況に思うのです。
>>174 ええと、それは外から見た見解だよね?
諏訪の人は基本的にやりたくてアレやってるからね
古い伝統があるにもかかわらず、
「表面的な伝統を守ることに腐心させられ」ていないところが貴重なんだよ
進軍ラッパ吹いて伝統の祭もなにもあったもんじゃないだろ?w
進軍ラッパはもちろんのこと、お舟祭りに木遣りを鳴いてみたり
息杖を用いずに地べたへと長持を放り出してしまったりするのも
伝統になっているわけですよ…残念なことに。
近代以降の伝統を伝統として守る立場は、それはそれで貴重なんだよ。
なぜというに、現代の常識ではそういうものを伝統として扱わないからだ。
それをなぜ伝統として扱うかというと、自分らの爺さんが本気でやってた、
ということをリアルに知っているからだね。
本来は、その心持ちこそが伝統そのものなんだよ。
現代の文化的価値観、現代の常識とは違う、昔ながらの伝統の守り方なんだ。
>>148 現代は一括りにされているけれど、下社と上社は別物。
坂上田村麻呂の戦勝祈願(と諏訪の新兵の加勢)は、下社らしい。
夫婦神という扱いだけれど、上社は建御名方、下社は八阪刀売神の勢力圏。
つまり、本当の軍神は下社の八阪刀売神。
>>174 > 統括している「真髄」みたいなものがなければ続かないと思うんです。
> そこが一般の市民や端々の氏子には意図的に秘されていると思うのです。
個人的には、神様に生贄を差し出しているんだと思っている。
御柱祭のたびに人が亡くなっているからね。
木落としの当日ではなくても、数日後、病院などで。
諏訪と伊那は信濃の中でも独立王国みたいに思われてるらしいけど、
諏訪はわかるんですけど、伊那は何故そう言われるのですか?
>>178 奈良〜平安期、中央と諏訪の連絡を金刺が全面的に掌握していたのは確かだろうが、
千年の経緯と実情をすっ飛ばしてそういう言い方するのは乱暴。
>>180 伊那は中世まで諏訪の一部だったから・・・って話じゃないのかしら?
このスレで良いのかわからないけど、祝神って諏訪独特のもの?氏神とは違うの?
>>182 手塚治虫によれば祝殿(いわいでん)と言って
山梨と長野の一部で行われており「氏神様」を
文字通り解釈した神社とのこと。
祝神も先祖まつりも宅神祭の大規模なもの。
基本的に氏子全員の苗字が同一なので、直会
などの際には区別のため屋号が飛び交う。
…こんなところでしょうか。
>>181 > 千年の経緯と実情をすっ飛ばしてそういう言い方するのは乱暴。
これについては、それ以前レスも同じだよ。
軍神=建御名方で話を進めているのだから。
>>183 ありがとう。諏訪特有のものでもないのか
祖父母が諏訪出身で東京に移り住んだんだけど、うち含む非長野県民の同族一同が
建てた小さい社が諏訪にあって、調べてみたら祝神?らしいということで調べていたのです
ちなみに諏訪らしくミニ御柱が建っていたけど一本だけだったので最初、何この汚い杭?と思ったw
>>184 「軍神=建御名方」というのが中世以降の「実情」だと言ってるんだよ。
その実情が千年来どう形成されたのかも検証せずに、
「それは真実と違う」と断言するのが乱暴でなくてなんなんだ?
田村麻呂の件等が(後の?)下社方の仕切りである可能性は確かに高いが、
「八坂刀売が軍神だ」といえる歴史上の根拠はどこ探したってねえよ。
たとえロジックだとしても、乱暴すぎてデタラメの域だ。
>>185 同じ氏族で氏神的なものを祀る形式は全国どこでも見られますが、
諏訪で面白いのは、そういう集団もしくは集住地域を
「まき」と呼ぶところです。
だから祝殿や産土神のことを「まき神」と呼ぶこともあります。
>>187 そうなのか。確かに巻って聞いたこと無い
自分、諏訪人じゃないし苗字+巻って書いてあったから最初「巻」って名前かと思ってたよ
うちの祝神の建立者も多分知らなかったと見えて微妙に使い方間違えてるしw
教えてくれてありがとう
たぶん・・・だけど、「巻」じゃなくて「牧」が由来なんじゃないかと思うよ。
巻と牧、両方使うんじゃなかったっけ?
トーラーの方です
や、だから表記の問題じゃなくて由来の話。
あくまでも憶測だけど。
漢字表記なんて江戸時代まではいい加減なもんだったからね。
牧は古代からあるし、牧由来と考える方が憶測だと思うけど。
牧が由来だと昔から牧の字は放牧地って認識が有りそうだが
それだともっと広い範囲の字名とかにならないか?
字が牧→巻に変化している地域名とかならあるけどね
個人的には取り巻くとかの「巻」方がしっくりくるな
分からんので適当だけどw
少なくとも平安時代、信濃には官牧がたくさんあって、
諏訪にも三つ四つあったんだよね。全国で二十もない中で。
街道筋の宿場町になった時代でも、重要な馬宿であり続けたわけだし。
その管理集団がルーツなんじゃないかなあというホント憶測です。
いちおう。
牧の概念は古墳時代に海外から馬を導入してからつくられたもので、上代には遡れない。
「牧」を意味する「まき」は古語にはないわけで、仮に「牧」を由来とするなら建御名方命入訪以降の集団ということになる。
縄文時代は、諏訪湖や山の地形を利用して、鹿を囲い込んで狩りをしてた
「ま」は強調、「き」は境界、の意味で、狩りを中心とした共同体の単位だった
モレヤ神の仲間のチカト神は鹿を中心とした狩りの神
以上から、「まき」は意外と古くからあった概念で、官牧などの馬の牧はそれを上書きしたのかもしれないよ
>>196 よくわかんね・・・
上代ってのは主に奈良時代だろ?
古墳時代につくられた概念が上代に遡れないってどういう意味?
それが建御名方だかどうだかわかんねえけど、
もちろん牧の概念は、ヤマト勢力が入って以降だよね。
つか、当然だけど馬が入ってからってことだ。
古墳を見る限りでは、諏訪においては6世紀末くらいだな。
>>197 そういう語源説はなんとでもいえるからねえ。
少なくとも諏訪で境界の意味といったら、「き」じゃなくて
柳田言うところの「sk」の言葉だろ。サカとかサクとかスクとか。
千鹿頭の話はなにが関係あるんだか、よくわかんねっす。
でも、ケモノを囲い込むことを「マキ」だっていう解釈なら面白い。
狩猟でも牧畜でも同じに「マキ」だという。それはあるかも。
>>199 狩りをするときに巻という。
巻狩りとか巻き上げとか。
巻は狩りをするコミュニティの単位でもある。
長野、山梨以外で「巻」または「牧」と呼ぶ地域はありますか?
>>200 だからさ、個人的な思い込みだけ言うんじゃなくてさ、
なんかこう、参考になる材料を提示してくれよ
牧と巻どっちが一般的なんだろう
巻は見たことある
江戸時代までは、漢字をどう宛てるかなんて超いい加減だったからな
漢字に囚われるとなにも見えない
日本語は音なんだよ
マキがどう言う組織か書いてあるのは見たことはあるが
語源に関して研究している文書ってないのか?
だからね、語源説は学問になりにくいの。
結局、憶測以外なにも言えないから。
伊那は牧らしい。 何かの印か
牧って元々牧場って意味?
望月なんかの実態から考えると、馬の柵(まのき)じゃないのかと思うんだが
子羊
ズバリ諏訪信仰の魅力は?
212 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/12/02(金) 06:35:54.94
大阪府三島郡島本町の小学校や中学校は、暴力イジメ学校や。
島本町の学校で暴力やいじめを受け続けて、心も身体も
壊されて廃人同様になってしもうた僕が言うんやから、
まちがいないで。精神病院へ行っても、ちっとも良うならへん。
教師も校長も、暴力やいじめがあっても見て見ぬフリ。
そればかりか、イジメに加担する教師もおった。
誰かがイジメを苦にして自殺しても、「本校にイジメは
なかった」と言うて逃げるんやろうなあ。
僕をイジメた生徒や教師の名前をここで書きたいけど、
そんなことしたら殺されて、天王山に埋められるかもしれ
へん。それで誰にも発見されへんかったら、永久に行方不明のままや。
島本町の学校の関係者は、僕を捜し出して口封じをするな。
>>211 古さと歴史の長さじゃね?
ずっと今までつながってる所が。
>>214 諏訪神社に関して信用のおける研究対象は中世以降。なぜなら文献があるから。
それ以前に関しての言説はおおむね妄想。
考古学の成果をきちんと踏まえているのなら妄想レベルからは脱するが。
上社と下社の仲が悪かったせいで下社系の文献が充実してないのは痛手だね
下社が負けてなかったら信仰形態は変わっていたのかねー
金刺家が滅んでいなければ総領家も変わっていたかも、などと妄想
>>216 >>148は諏訪限定、信仰限定の話ではなく、文献から見た日本全体の治世の話だろ。
もちろんそれでも憶測レベルだが、妄想とまでは言えない。
そういう古い文献には、残念なことに、上古以前の諏訪で誰がどんな祭りを
していたかという情報は、また聞きの噂程度が2、3件しか残ってないんだよ。
>>217 1行目、まったくです。しかしまあ、歴史は常に勝者のものですから。
219 :
天之御名無主:2012/02/05(日) 04:03:42.39
221 :
天之御名無主:2012/02/20(月) 12:22:45.79
長野県下伊那郡豊丘村神稲の「佐原」(読みはサハラ)という集落に佐原諏訪神社(御手形神社)があります
ここの御祭神は、建御名方神と武甕槌神だそうです
佐原というと千葉県の佐原を連想しますが、ウィキによれば千葉県の佐原という地名の由来は
「古代から香取神宮が鎮座し神官の祭典の時に使用する土器、「浅原(さわら)」を造って納めていたので「サワラ」という地名がついたともいわれている」
偶然の一致かもしれないが面白いと思いました
個人的に日ユ同祖論はこじつけっぽいというか胡散臭く感じるなぁ…
そういえば大祝諏訪家出身の女の人がなんでも鑑定団に出てたな
諏訪家の名前を残そうと、息子に諏訪を名乗らせているらしい
大祝諏方家直系って平成に入って断絶したよね?娘さんがいて外に嫁いでたのか
明日諏訪行ってくるわ
諏訪大社4つと守矢資料館は
以前行ったことあるけど
ミシャグジ神、洩矢神関係で
見ておいたほうがいいスポット
ありますか?
↑書いたもんだけど、今日守矢資料館行ったら
たまたま当主の人がいて、横の家に上げてもらってお茶ご馳走になったわ。
当主のお姉さんにも会えた。
向こうはなんか教員の研修会みたいな感じの仕事中で、資料について
色々解説してるところを横で聞いてたら「何かの縁だから」って感じで
呼ばれただけなんだけど、さすが教職の人だけあって接しやすくて話し上手かった。
こっちは生きた伝説が目の前にいるってのでガチガチだったからキョドりまくってたけどな。
>>229 当主さんに普段は会うこと出来ないから良い出会いがあったねー
しかしこの過疎スレでは緊急のアドバイスを受けるのは厳しいぞw
南信濃村と上村は昔諏訪大社の社領だったみたいで、御頭祭につかう鹿を献上してたとか
その後天領となったみたいだけど
諏訪に限らず、善光寺の御開帳とか7年に一度の大祭って長野県は多いのかな
232 :
天之御名無主:2012/10/24(水) 00:49:03.26
今の2ちゃんねるの管理人は右翼団体とアダルトサイト運営しているヤクザな訳だよ
他の運営もそいつに小遣い貰ってる舎弟
心理学を応用したネット掲示板に依存してる人間は薬漬けにされたジャンキーと
何ら変わらない
今はほぼ全て運営による捏造情報の書き込み
ヤクザに雇われた中国人でまともな人間は居ない
それに2ちゃんはリアルタイムに実名が判るシステムなってる
2ちゃんねるはそのアクセスログを右翼団体、企業やマスコミやライターたちに
販売しているからアクセスする時は気を付けないとな。
233 :
天之御名無主:2012/10/25(木) 07:07:42.65
諏訪は養蚕の中心地だったから養蚕関係や猫神が多いんじゃね。
諏訪大社・御柱・建御名方命・洩矢神について調べています。
比較的手に入りやすい資料ってありますか?
235 :
天之御名無主:2012/10/26(金) 16:58:40.57
自治体史のコピー。
今読んでる精霊の王(中沢新一)に主にミシャグジについてだけど諏訪周辺の信仰について書かれてて興味深い。
辰野の鎮大神社ってところにも行ってみたい。
>>234 〈お諏訪さま 祭りと信仰〉
諏訪大社 監修 鈴鹿千代乃.西沢形一編
勉誠出版を図書館で見つけ、読んでみたけどかなり面白かったよ。
諏訪大社は何度か行ってるけど、守矢資料館にも行きたくなった。
>>234 地元の図書館か本屋だな。
それ用のコーナーあるし。
長野県には地名の由来がアイヌ語である場合が相当数ある。
ソースを御願いします
元は出雲の神様だし出雲の方言と似てたりするのかな
242 :
天之御名無主:2013/04/07(日) 06:42:38.73
>>234 遅レスですが
諏訪明神 カミ信仰の原像
寺田鎮子・鷲尾徹太著 岩田書院
自分の知りたいことのかなり核心に触れていて読んでいてわくわくした。
243 :
天之御名無主:2013/04/21(日) 18:12:10.84
244 :
天之御名無主:2013/04/22(月) 20:29:15.65
手塚治虫家系にも繋がっていて木曾義仲お供の美女武士の巴御前にも繋がる下諏訪の神主家系筋、断絶して残念だた。
今の守矢氏は78代目
79代目はあるのだろうか?それとも断絶してしまうのだろうか?実にもったいないことだな。
246 :
天之御名無主:2013/08/25(日) NY:AN:NY.AN
247 :
天之御名無主:2013/08/25(日) NY:AN:NY.AN
>>32 >最終的には衣に至ったが、壬申乱後、持統天皇の時代に大和朝廷に滅ぼされ・・・・・・
誰が滅ぼされた何という戦役のことなの?飯田街道(現在のR153)途中の
三河挙母町では、そんな伝承は聞かないんだが。
248 :
天之御名無主:2013/08/27(火) NY:AN:NY.AN
>>239 ハハハ 適当なこと言ってんじゃねぇよw(笑)
249 :
天之御名無主:2013/08/27(火) NY:AN:NY.AN
>>247 そもそも飯田街道が全線整備されたのって織豊期から江戸時代にかけて。
それ以前は足助平谷間あたりはほぼ不通。
少なくとも古代から交通路として使われたという根拠はない。
柳田國男も『東国古道記』で津島信仰や伊勢信仰との関係に触れて
>かつて中部山岳地帯と海岸を結び付ける道は秋葉街道だけであったが、
やがて浪合を通り飯田・根羽に連なる三州街道(飯田街道)が開けてきて、
>その段階で津島神社の御師たちが入り込み、【中略】山間に広く分布していった。
また長野県下伊那郡天龍村坂部に伝わる『熊谷家伝記』第四巻でも
R153にある治部坂峠の名の由来を、天正三年にあるとしているので、
少なくともそれ以前は峠のすらない、人の行き交うことすらまれな道だったことを傍証しているといえる。
あと、天武持統時代の信濃は壬申の乱以前から大海人皇子の領地があった関係から相当に優遇されており、
信濃の諸豪族は攻め滅ぼされるどころか舎人に登用せれる者が続出してる。
さらにいうと、天武天皇は信濃に絶大な安心感を抱いていて副都を置こうとすらしている。
具体的には、『日本書紀』の巻第二十九、天武天皇十三年二月庚辰の条で
>庚辰。遣浄広肆広瀬王。小錦中大伴連安麻呂及判官。録事。陰陽師。工匠等於畿内。令視占応都之地。
>是日。遣三野王。小錦下悉女臣筑羅等於信濃、令看地形。将都是地歟。
と記されるように適地を選定しており、天武天皇十四年の条では実際に行宮を造営してる。
>壬午。遣軽部朝臣足瀬。高田首新家。荒田尾連麻呂於信濃、令造行宮。蓋擬幸束間温湯歟。
この方針は持統天皇にも継承されていて
東国諸豪に度々饗を賜ったり木曽路を開くなど盛んに活動している。
どう考えても信濃の勢力と衝突していたようには思えない。
飯田街道の歴史から見ても天武持統朝の政策から見ても
>>32の書き込みは根拠なしとみなしていいと思う。
「伊那」の地名は、ホツマツタヱに書かれている。
すなわち、天八意ノ命(阿智彦)が身罷った去(辞)洞(いなほら=お隠れになった洞窟)の場所を
「イナ=伊那」と呼び、以来 阿智家の勢力範囲をイナ(伊那)と呼んだ。
当時の阿智家の勢力範囲について、大御食神社の「美しの杜社伝記」には、応神天皇(3世紀末)
から仁徳天皇(5世紀)に至るころの近郷〔伊那市西春近小出(小黒川南)〜中川村大草(小渋川北)
〜松川町上片桐(松川北)〕において、赤須彦が祭事を司っていたことがわかる。
天安2年(858)の記述からは、近郷〔伊那市西春近小出〜飯田市伊賀良〕には 三十二の里があり、
それぞれの里の規模についての記述がある。
このことから、少なくとも9世紀までの伊那郡と諏訪郡の境は 伊那市の「小黒川」であったことが推定される。
また、「伊那」の地名については、稲・井名・猪名部・建稲背命・アイヌの幣束「イナウ」などに因るとの
諸説があるが、倭名類聚鈔(10世紀)によれば 諸説が「伊那」の地名発祥の地とする現在の伊那部
などの地域は、当時 諏訪郡の範囲内であったと推定される。このことから諸説では「伊那」の地名由来
の説明に十分ではない。
現在では大御食神社の「美しの杜社伝記」は江戸時代に盛んに作られた偽社伝の一つとされている。
そもそも日本語音韻学の立場からすると使われている神代文字の音韻は、
せいぜい中世以降のものでありとてもではないが古代まで遡ることは出来ないもの。
とてもじゃないが古代史の資料にできるようなものではない。
文献学的には伊那の由来についての主張は否定せざるを得ない。
それに古代の伊那地方に阿智家などという怪しげな勢力の登場する余地はない。
伊那郡の郡司(大領)は科野国造氏、及びその末裔の金刺氏が世襲していたからね。
言うまでもなく金刺氏は諏訪下社大祝家の金刺氏の同族。
少なくとも上社のある下諏訪から伊那郡衙のある飯田辺りまでは金刺氏が抑えていたと考えられる。
このような状況下で郡名の由来になるほどの大勢力が上伊那に存在したとは考えにくい。
第一、郡の中心地におかれる郡衙が飯田市座光寺の恒川遺跡群で確定し、
これに比肩しうる遺跡群が存在していない以上、
考古学的にも阿智家の存在については否定的に見ざるをえない。
252 :
天之御名無主:2013/10/09(水) 12:50:42.95
穴巣始 復活きぼんぬ
というかなんで諏訪はスバルの地のトルコなりだって何時まで経っても周知されないんだろうな〜
ミシャグジ様自体はイザナミ神でヒノカグツチ関連でイザナギが両断な流れー
>>253の中では当たり前かもしれないけど初心者には何を言っているのかちんぷんかんぷんだよ
とりあえず土曜日行ってくる
どうだった?
257 :
天之御名無主:2013/10/13(日) 09:22:40.53
神無月はいつから?
諏訪の神様は、大きすぎて迷惑だから、来るなと言われてるそうだけど。
春宮〜秋宮〜前宮〜本宮と回ってきたよ。
本宮本殿屋根の葺き替え中でイマイチ
神長官守矢資料館良かった。
ミシャグジ総本宮も参拝
小さなお宮だけど鹿のツノ 栗 黒曜石が捧げてあった(笑)
259 :
天之御名無主:2013/10/13(日) 16:31:00.83
車で行ったのね
電車徒歩では2日がかりだった
ついたちに行くと、毎月神事やってるらし
守矢資料館は入るとおじさんがすごい勢いで展示物の説明をしてくれるよね
うちは先祖の家が本宮の近くで五官の祝の一人と同じ苗字だったから
子孫認定されて更にいろいろ説明してもらった。ただの近所の同姓さんなのにw
ミシャグジ総本宮は行ったことないなあ。墓参りついでに行ってみようかな
>>257 調べたら11/3だった。諏訪明神はでっかい蛇で、出雲の神様会議所の周りを7巻きしても
尻尾はまだ諏訪の松の木にかかっているとかそんな話だっけ?
そういえば去年上田の酒造からもらったカレンダーが神在月表記だったよ
そうそう、一生懸命説明していただいた。
郷土に誇りがあるんだね〜
とても楽しい諏訪めぐりでした
262 :
天之御名無主:2013/10/14(月) 09:43:50.67
>諏訪明神はでっかい蛇で・・・・・尻尾はまだ諏訪の松の木にかかっているとかそんな
そうそう、それそれ。
こういうのを読むと、建御名方神は建前なのかなあ。
wikiの諏訪神党に、自分の名字、発見!
諏訪、行ってきた。
大社4箇所まわったが、圧倒的におもしろかったのは
上社前宮。
でも地元の人こそが、「前宮なんか行っても何もないよ」とおしなべて言うんだよね。
その人が意識的に隠しているわけではない感じだったけど
もともと考えた賢者は、下社に観光客を集めさせて集金運営し
本当に聖なる場所は、あまり観光されないように秘して設計しているのではないかなと思った。
古代人の叡智を感じさせたな。
そして今では民家だらけの境内・・・
265 :
天之御名無主:2013/12/06(金) 22:38:41.10
大祝の男系子孫の方っていらっしゃるのでしょうか
御本家は断絶してしまい残念なことですが、天皇家や
出雲国造と同じ万世一系の家系
比較的近年に分家した諏方家はどちらにいらっしゃるのでしょう
直系は絶えてしまいました
>>263 自分も上社前宮が一番好きだわ、平日の朝方とかは人影もなくて気持ちいい
268 :
天之御名無主:2013/12/08(日) 22:46:11.91
分家はないのですか?
269 :
天之御名無主:2013/12/08(日) 22:47:06.30
分家はないのですか?
本宮にバイクを停めて前宮まで歩くのが好き。
途中で北斗神社の階段でガクブルしたり、
御頭御社宮司総社にも寄れる。
(神秘性という意味では個人的には前宮以上に何かを感じる。)
諏訪大社の摂社に分家さんいなかったっけ?
神奈川の真坂山ってとこに大蛇が住んでいて、日照りで池の水が少なくなると諏訪湖に飛んでいったらしい。
「諏訪大社 祭りと信仰」読みたくてずっと探してるけど、どこにもないわ
274 :
天之御名無主:2013/12/20(金) 16:05:07.33
元諏訪って言われてる神社が徳島にあるね。
かなり古いらしい。ここから現在の位置に移ったんじゃないかとも言われている。
275 :
ホントだ。福島県が村八分にされてる。:2013/12/20(金) 16:17:29.53
>>273 オカルトネタは一期一会だからな
ボケもユダヤ民族の歴史の一覧表とかエルメス神とか
新人類だか旧人類だかが男はマクロ、女はミクロに強いだか
トマトが悪魔の実と呼ばれていたとかもう一度見たいなと思ってても
見つからないもん
去年の新聞に次回の上社の御柱は辰野から調達って書いてあったけど、
地形的には宮処牧の山向こう…のような感じだからいいのかな?
いや、いまでも何らかの関わりがあるんだろうなと思った次第で。
>>273 タイトルが間違ってるからではない?
>>237には、<お諏訪さま 祭りと信仰>とあるが。
>>263 > でも地元の人こそが、「前宮なんか行っても何もないよ」とおしなべて言うんだよね。
> その人が意識的に隠しているわけではない感じだったけど
もともと、諏訪大社の一角ではないからね
明治の大編成で、地元民(前宮周辺)の強い要請で格上げされた
281 :
天之御名無主:2014/01/25(土) 00:26:09.29
>>281 それなら洩矢神社や守屋神社を大社に加えればいい話で
前宮は完全に地元のエゴだから、周りの住人の態度が
>>263
>>268 苗字に諏訪さんはいらしゃるのですが、その方達はどうなんでしょう?
諏訪の引用がわからないので私も知りたいです。
諏訪信仰は魅力たっぷりだな
>>278 先に客がいると無視される。その客が帰ると怒涛の説明ラッシュが始まる
あれさ、「すみません少し自分で見たいんで」って言ったらさ、
15秒後くらいして再開してきて正直うざかったから「けっこううるさいかな」って言っちゃったよ。
こっちもそんなこと言いたくないんだから言わせないでほしい。
287 :
おやじK:2014/05/09(金) 15:44:35.93
古代イスラエル色がありロマンテイックです。
288 :
天之御名無主:2014/05/10(土) 15:47:34.45
>>274 >元諏訪って言われてる神社・・・・・・・・・・・・・
社名は、何というのですか?鎮座地名も、やはりスワなのですか?
289 :
天之御名無主:2014/05/25(日) 16:15:03.42
点で区切ってしまうから混乱するのであって
答えは書いてありますよ?
諏訪信仰にも都都古和気信仰にもお田植え
行事はかかっているのです。
291 :
天之御名無主:2014/09/25(木) 17:13:57.98
日本古来の土着信仰ってだけでも興味があるのに
今年の筒粥神事は、昨年同様3分5厘。
春から夏に注意。