265 :
天之御名無主:
第二次世界大戦時に日本軍軍部が、国内のあらゆる宗派に
ルーズベルト呪詛祈願を依頼し、三種の神器を用いて禁断の祭事を
執り行なったと、教授から耳にしたのですが現実の話なんですか?
結果呪詛は成功しましたが、後任のトルーマンが原爆投下容認派でしたので
因果が廻った感じはいがめませんけど。
それって帝都物語じゃ・・・
>>265 常識で物考えてください。とそれを言ったらおしまいなので
>結果呪詛は成功しましたが
オカルトの話題はスレ違いどころか板違いです
できましたらそういった類の質問はオカルト板の方でなさって下さい
お願いします
268 :
天之御名無主:2008/03/28(金) 12:33:57
後段は個人的思想だが前段の事実確認はこのスレでも問題なかろう
呪詛祈願をしたのかどうかって話なら
このスレでも問題ないではないか?
禁厭の類は神話にも良く出て来る
あらゆる宗派に依頼って時点でもうありえない
271 :
天之御名無主:2008/03/29(土) 16:17:28
日本ではよくあること
真宗は呪術の類はやらないんじゃないの。少なくとも教団としては。
真言宗に同時にお願いしてたら、日蓮正宗系だと怒りそうだ。
>>265 政府の依頼で高野山の大阿闍利が大元帥法を行ってルーズベルトを呪殺したって話なら聞いたことある。
274 :
天之御名無主:2008/03/30(日) 08:35:29
>>265 これ知ってる確か真言密教だと思われる。
でもどうするのだろう?写真と本名わかるだけで出来るもんかな?
275 :
天之御名無主:2008/03/30(日) 14:46:53
>>274 まさにデスノートみたく呪いをかける、のかなぁ?
本当どうやってやるのかわからんが、もしそうだったら恐ろしいな。
当時の天台座主が引き受けたという話も読みましたが、はっきりしないそうで。
実行されたのであれば、承平・天慶の乱以降しばしば行われた四天王や大威徳
明王や降三世明王を本尊とした修法が行われた筈です。
五大明王を対象に五壇の修法が行われた可能性が高いと思いますが。
国家調伏は勿論のこと、個人相手の呪殺を密教僧や陰陽師や民間の巫女が行う
ことは、平安中期以降しばしば見られたようですからね。
就中院政期は盛んで、阿弥陀や観音といった本来は救済にしか動かない筈の仏
菩薩を本尊とした修法も行われ、「根拠を確認できない」と当時の碩学大江匡房
を驚かせています。
確か、危機を救うので不殺生戒の埒外に置かれた筈。
時代ごと、典拠ごとに諸説ありますけどね。認めるか否かということも含めて。
戦国時代には、当時の守護たちも盛んに仏神に戦勝を祈り、密教の僧侶や山伏
に修法を行わせています。そのための壇も城跡から発見されている。
信長・秀吉・家康もそうです。
逆に貴族社会ではこの時代になると修法よりは医薬で病気を治そうといった発
想が見られ、呪術性は薄まっているのですが。
(宮中行事として後七日の御修法はこの後も存続。現代は当時で行われる。)
この場合も、呪殺を本気で求めたというよりは、国民国家の一翼を担う組織と
しての行動を求められてのことでしょうね。
僧侶として活動している以上、僧侶として「総動員」の時代に相応しい協力が求
められたということ。「国民」に例外のない戦争でしたから。
この点は、諸外国も同様でしょう。聖職者も「国民」だったということです。
何も呪術が本当に求められたという「浪漫」のある話ではない。
>民間の巫女
陰陽道や仏教に、由来不明の信仰が混じったものを信仰していた類です。
神社に所属した神主や巫女が行ったという話は聞きません。
基本的に彼らが行ったのは、神主が祓と奉幣、巫女が神楽と託宣です。
神社で祈祷が行われる場合、社僧や山伏が読経を行っている。
託宣自体も記紀の時代に一旦途絶えてから、中世に復活したものでしょうが
長くなるので止めておきます。
いえ、長くなってもしっかり読ませてもらうのでお願いします
ああは言ったものの、書く方もしんどいので一例だけ挙げると。
伊勢の斎宮の託宣ですが、今は勿論途絶えているものの、中世のそれも日本紀
の時代から代々続いてきたものではありません。
天照の託宣は書紀に見える伊勢鎮座のものに始まりますが、その後長く絶えて
おり、技術や故事は廃れていたものと思われます。
『小右記』長元4年(1031)8月4日条に見えている託宣が、再び歴史に
姿を現した例ですが、託宣の内容は当時の政治と風俗への不満でした。
面白いのが、この内容が古代には(この時代もまだ厳密には古代ですがすでに
中世に足を踏み入れかけています)見られなかった要素を含んでいる点です。
第一に、京都という「都市」における風俗への関心。
『新猿楽記』などにも見られる(従来にはなかった)視点です。
第二に、天皇を批判していること。
かつては「現人神」であった天皇ですが、天皇そのものはこの頃から人間視
されるようになり、貴族側も理想から離れた人間天皇像を描くようになりま
す。『源氏物語』というのも、こうした時代の産物でしょう。
(天皇が再び「現人神」とされるのは、江戸期からで、全国的になるのが明治
以降でしょう。中世人なら「人間宣言」にもショックはなかった筈。)
この託宣、たとえトランス状態にあったにしても当時の政治色を帯びていた
ことは、いの一番に出てきた内容が当時の神宮内の人事に関することであっ
たことからも推測されます。
なお、ここでは斎宮にとりついたのは伊勢の別宮の荒祭宮であって、皇太神
宮そのものではないとされ、そもそも天照は高天原から降臨して以降は一度
も託宣を下しておらず、今後も下していないとされています。
その結果、従来託宣というか天照がついたとされた人物の権威が否定されて
荒祭宮がついたとされた側に権威が集中することになる。
実はそうすんなりともいかなかったようですが、託宣というもの自体が行わ
れたこと自体久しぶり(確か数世紀ぶりの筈)であり、その内容も人間天皇
や都市民の文化といった当時の時代状況を反映していたように、神祇祭祀に
関する文化も当時の状況と不可分の関係にあるのであって、古代から連綿と
同じものが続くとか、農耕に関わる内容を告げるといった牧歌的なものでは
なかったということが(一例ではありますが)言えると思います。
平安中期までに必要とされなかったから託宣は廃れた(もしくは記録されな
かった)。そして、寺社を含めた諸権門が勢力を増し、内外で対立が生じる
中で再び託宣が(中世的な闘争の具として質を変えて)必要とされたと。
この天照(仲介荒祭宮)、古代の天照ではありません。
祟りをなしていた古代的な神ではなく、天皇の崇敬に応じて国家を守護して
くれる恵の神へと変貌を遂げていました。
託宣は断絶していたのでしょうし、天照自身も変化しています。
ついでに申し上げておくと、この時代天皇の人間化に伴って出現してきたも
のが(天照と並んで)もう一つありました。
三種の神器です。特に内侍所の鏡ですが、10世紀までは安置場所が記録に
登場していません。天皇自体が神ならば、注目する必要もない訳です。
『平家物語』や『太平記』のように、神器の奪い合いが生じたということは、
裏を返せば天皇自体の権威が落ちていたということです。
何時の時代でも同様のことがあった訳ではない。
そもそも平安中期の時点で宮中の鏡と「三種の神器」の鏡が同一であったの
か疑わしいのですが、これより以前に失われていたのであれば、中世ほどの
ショックは受けなかったのではないでしょうか。
文化というものは時代によって変わるものですし、それによって事件の扱い
も変化するものです。
享保年間に「尊皇攘夷」を唱えても(幕府の弱体化以前に、天皇を神格化す
る思想が広まっていないために)誰もついてこないだろうとか、廃仏毀釈を
断行しようとしても(排仏思想が広まっていないために)全国規模での実施
は難しかったろうとか言われていますが、その時代ごとに意味があるのであ
って、見えもしない基層文化が機能していた訳ではありません。
託宣については称徳朝の宇佐八幡宮の事件が有名ですが、私も六国史以降の
例を丹念に調べた訳ではありません。
思いつきを並べたようなものですので、悪しからず。
本当に呪殺を試みたなら、なんとも皮肉なものだ
廃仏毀釈をし、復古神道を掲げながらも
最終的には仏教など、当時から見れば邪教の類を利用せねばならなかったのだからな
>>281 >平安中期の時点で宮中の鏡と「三種の神器」の鏡が同一であったのか疑わしい
疑わしいも何も、宮中の鏡は八咫の鏡の複製ですよ。つまり同一ではありません。
崇神紀にちゃんと書いてあります。
285 :
284:2008/03/31(月) 21:16:53
さらに言えば、伊勢の鏡と宮中の鏡は、その形式に於いても同一ではないと主張する学者もいます。
同じ役割を果たせばいいのであって、まったく同じものを作る必要はないわけです。
安本美典元産能大教授の考察によれば、伊勢の鏡は「長宜子孫」銘内行花文鏡、
宮中のは三角縁神獣鏡の可能性が高いということです。
287 :
284:2008/03/31(月) 22:13:06
つまり両者は個体として別物で、形式も必ずしも同じではないが、求められる役割は同じってこと。
>>283 「総動員」した中の一角でしょう。仏教だけに頼ったという訳ではなく、むし
ろ仏教の教団側も望んでいたことではないかと思います。
>>284 複製云々も実際には後付のようですが(古い話ですが井上光貞先生がまとめ
られていましたね)、事実はともかく役割としてということであれば、確か
に同一視されたでしょう。
しかし、中世の神鏡自体、そもそもそのレプリカ(とされた)鏡であったか
どうか分かりません。
つまり、伊勢の鏡、複製とされた宮中の鏡、複製とされた宮中の鏡とは別か
それも混ざった宮中の鏡(中世の三種の神器中の神鏡)があったということ。
貴方は「崇神紀」を引用されましたが、ここが現代人の悪いくせで、かつて
どれほどの人間が書紀を実際に参照できる環境にあったのか、読んでいたと
しても完本を手にする機会がどれほどあったのか、その内容についても異な
った解釈をしていたのではないかということについては、あまり考えられる
ことが無いように思います。
書紀成立時点でそうであったとしても、その後伝承が変わり、鏡自体も変わ
ったのではないかということは滅多に言われない。
近世の復古神道系の発想というか、記紀にあるというだけで、現状を古代に
直結させてしまう。
>>288 眠い頭で書いたので、悪い意味で適当なので申し訳ありません。
>>289 「三種の神器」とはそもそも概念ですから、その個体が同じものかどうかなどは本当はどうでもいいことなんですね。
あと記紀ですが、現在の訳および解釈は諸本の総合、これまでの研究の成果であって、現時点では信用していいのではないでしょうか。
少なくとも写本によって記紀の記述が著しく変化しているという研究はないはずですが。
>>291 あなたは何故「神器」が只の「器」でないか、考えた事がないのですね
>>289 まぁ俺が言いたかったのは、教団側が望んでいたとかではなく
排他したものに対して助けを請うという行為が情けない
中世のキリスト教が、支配した土着の神々を悪魔にした事は有名だけど
「願いを叶えてくれるなら悪魔で良い」という発想に近いものなるわけだしな
江戸時代や現在の感覚では、仏教は悪ではないが
廃仏毀釈運動当時は、仏教は他宗教であり、イスラムとユダヤくらいの憎しみがあったものだからね
ちょっとスレ違いになるけど、こないだ三越だったかに競り落とされた仏像は
廃仏毀釈運動の時に寺社から紛失してしまったものだとか
もしかしたら、もっと海外に流出してるのかもしれないな、重要な文化遺産が……
呪殺しようとした、という情報の最初の出典って何よ?
>>290 親鸞は著書でまじないに頼る風潮を嘆いていたし、
最近でも真宗系のホームページで否定的に言われてるんだけど
戦時中の浄土真宗はそうでもなかったの?
国内のあらゆる宗教といった場合、キリスト教も含まれるんだが
分かってるんだろうか…
まさか当時国内には一人のキリスト教徒もいなかったなんてバカなこと思ってるのか?
誰に向かって言ってるの?独り言?
すておけ
どこかの大学の先生のサイトだったとおもうのですが日本人の死生観について図入りで分かりやすく説明していたサイトを探しています
ニライカナイの話なんかもあったと思います
他にも色々な論文(?)のようなものがあったのですがよく覚えていません
もしご存じの方がいらっしゃったら教えてください・・・
300 :
天之御名無主:2008/04/03(木) 21:08:35
祭りと死に対して言及している論文かHPが見たい
特に死を穢れの対象として捉えている祭りの内容が知りたいんだが
断片的でもいいので何か情報があれば教えてくれ
303 :
天之御名無主:2008/04/04(金) 06:41:57
この前妖怪大作戦見ててふと思ったんだが、カッパってもともとどこの妖怪なの?
西遊記にも出てるけど…
西日本では大陸起源説
東日本では安倍晴明の護法童子説
西遊記の事は詳しく分からないけど、サゴジョウが河童ならやはり大陸起源なのかな?
304 :
天之御名無主:2008/04/04(金) 11:09:40
>>301 ご期待に添えるかどうかわからんが、水死体・エビス・波平恵美子・ハレ/ケ/ケガレなどで検索して見。
306 :
天之御名無主:2008/04/04(金) 11:50:17
>>304 ありがとございます
ある意味日本で一番愛されてる(?)妖怪が大陸起源では少し寂しいなと思っていたので、ホッとしました
307 :
天之御名無主:2008/04/04(金) 12:56:20
でも九州で大規模な紛争が記録されている河童は海洋系異民族の説があるのだけど
そういえばまともなカッパスレが無いよな。
今手元にちくま文庫版「河童千一夜」水木しげるがあるけど
資料としても面白い
初見は『下学集』で、成立が1444年。
16世紀中ごろの明人の記録『日本一鑑』にも日本固有のものとして
出て来ますし、『日葡辞書』にも記載があります。
原型はさておき、現代に知られている水棲の子供のような妖怪という
河童像は室町時代の日本でできたと考えてよいでしょう。
中国云々の伝承は近世に出来たもののようですし、その時代の河童観
や異国観を知る手がかりにはなっても、歴史的根拠はない筈。
海洋系異民族というのも眉唾物ですね。
309 :
天之御名無主:2008/04/05(土) 00:35:28
>>308 妖怪として各地に伝わる河童と九州に伝承される大規模な紛争を起した河童は
分けて考えるほうがよいと思われる。
紛争といっても、近世の伝承である以上、実在する「海洋系異民族」
なるものが大規模な「紛争」を起こした以上、記録されていい筈。
それがない以上、何かしらの史実を背景に考えることは困難かと。
古代まで遡ったものかもしれませんが、口承の内容を無条件に古代
や中世まで遡らせて考える根拠があるかというと正直疑問です。
桃太郎の鬼が古代の異国人であったとか、比較的近い時代の口承の
内容を古代まで一気に遡らせる説は、大概胡散臭い。
何時の時代も「民俗」の均一性・同質性があるという認識も働いて言
われていたことであろうと思いますが。
その地域特有の事情があるにせよ、確認できる情報としては「妖怪と
しての河童」が根底にあるのであり、情報の確認できない説を推し進
めることには、自ずから無理があります。
妖怪というか、単に珍しい動物扱いだけどなw
対象が架空であれば妖怪、対象が実在であれば動物
○子どもが河で溺れた
→他の子どもにも注意しなくては
→河には河童がいて泳いでいる子どもの足を引っ張ることがあるから注意しなさい
→河童伝承の成立
×河に変な生物がいるのを目撃
→河で子どもが溺れた
→あの変な生物の仕業に違いない
→河童伝承の成立
結局のところ、大昔には誰もが妖怪の存在を信じていたかといえばそうでもないのではないか
合理的な思考のできる大人なら、昔も今も幽霊妖怪物の怪神仏の存在を頭から信じてむやみに恐れたり祈ったりはしないものだ
(一種の合理的帰結としての哲学的な”中心的世界的存在”としての概念を除く)
逆に言えば、非合理を信じる人間が生まれ続けるからこそ、神や物の怪は昔も今も神であり物の怪でいられる
見なきゃ信じない類の人間には考察も無理だな
>>312 現在ならともかく、当時の庶民知識レベルでの「架空か実在」での分類は危険だろう
神様の存在が普通に信じられていた時代である事を
>>312は忘れている
例えば雨乞いなんてどうなんだ?って考えると
現在では南太平洋から現れる活発な雨雲が気流に乗って日本に上陸する=梅雨
なわけだが、そんなワールドワイドで科学的な考え方が出来なかった時代はどうなのか
空梅雨になった時の原因は、神様の怒りによるものではないかと考える
基本はそういう所、これは妖怪にも適用できる
お前さんの考え方は科学万来の時代の考え方に過ぎない
物事を多角的な視野で考察し、価値観の違いを認識すべきだ
つーか、神や妖怪なんてのはいちいち目撃して合理的に(笑)判断しているわけではなく、
世代から世代へと伝承しているものでもあるわけだからな。
過去の人間が合理的ならば、知識のまっさらな認識で正しい知覚と近代科学的推論を行なう、なんて間違っても考えてはいけない。
人間の世界認識が時代によってガラリとかわるのはミシェル・フーコー以来(実際は彼の言うほど構造的ではないにせよ)常識。
>>312はそれに加え典型的な進歩論者だな。人間正しい方向に向かえばおのずと自分と同じところに来るっていうセントリズム。
317 :
天之御名無主:2008/04/06(日) 05:09:29
>>304 確かに…一筋縄ではいかないっすね…
河童恐るべし
カッパ、本当にいたのかもしれないぞw
カブトガニって生物がいるんだけど、こいつは高度成長が始まる前までは
結構広い地域で観測されてたらしいんだけど、環境破壊とともに絶滅危惧I類に指定されるようになった
トキなんかも、日本トキは絶滅して、今や中国の一部にしかいなくなってるし
ホタルなんかも、昔はちょっと田舎にいけば見られたものだったのに
絶滅まではいかなくても、最近で見られる有名な場所と言えば四国くらいか
もしかしたらカッパって奴もそうだったのかもしれないぞw
昔から希少な生き物だったのが、知らないうちに絶滅していた
生き物では良くある事だから、もしかしたら……な
ロマンのある話だw
>>315-316 そういうのを古代人をアホ扱いするバイアスがかかってるというんだ
神話を未熟なテクノロジーだというのと大差ない感覚だな
>>319 現代の感覚から見るお前の方が、昔の人をバカにしてる
お前は昔の人の考え方や物の見方というものを、もっと勉強しないとね♪
まるで古代に生きていたような口ぶりだな
その音符がいかにも厨くさい
文化的相対主義というのは文化人類学で真っ先に学ぶ言葉だが
現象を観察し事実にいたる過程は地球人だろうが火星人だろうが
古代人だろうが観測者がロボットだろうが同じなのだ
科学哲学をかじっていなくとも相対性理論あたりから容易に推測がつきそうなもんだがな
さて、仮に現代人の3割が神仏を信じているとして
古代人の7割が神仏を信じているものだとしよう
現代に関してはアンケートをとれば容易にその割合がだせるが
古代に関してそんな資料があるなら提示してみろ
そういう基本的な資料がないなら
古代人みんなが神仏を無邪気に信じていたなどという主張は
現代人の妄想にすぎない
>>321 逆説もまた然り、だよ
君の言う
>そういう基本的な資料がないなら
>古代人みんなが神仏を無邪気に信じていたなどという主張は
>現代人の妄想にすぎない
と言う主張には、何の根拠もない
だから
基本的資料がないなら
古代人みんなが神仏を無邪気に信じていなかったなどという主張は
現代人の妄想にすぎない
と言える
君一人がどう考えようが、それは君の自由だが、恰も現代人の思想を代表する様な
口調で書き込むのは止めてくれ
第3者だが、その言葉はそのまま自分にも帰ってくるものだぞ
>>322 君一人がどう考えようが、それは君の自由だが、恰も古代人の思想を代表する様な
口調で書き込むのは止めてくれ
そして↓
○質問スレでの過度な論争は自粛してください。
>>321 古代人の思想の中に、先ず神があるのが当たり前になってる事
日本の吉野ケ里遺跡でも良いが、神を祀る大きな場所があり、そして卑弥呼などの「神の声を聞く者」が存在し
大衆を支配していた事
禁厭などが頻繁に行われていた事
これはギリシャのメガロポリスでも言える事だ
そういう基本的な資料も知らないのに、なぜそんなに断言出来るのか俺には解らない
>>323 なるほど
論争がダメというなら、質問すらしていない
>>312に、先ず謝罪させるべきだろうな
質問スレと言いながら、資料のない自分の妄想をひけらかしただけなのだからね
それと、この件に限らず論争は起こっている
言いたい事を言って話を強引に終わらせたいって事は、お前は
>>321だなw
>>321 神話や民俗は、人間を取り巻く環境に対して人間が抱いた感情と深く関わるものであり、
地理的条件等によって同じ現象であっても捉えられ方が異なる場合が多々ある。
しかし、相対性理論は物体の運動に関わる法則であって、世界の何処に於いても
差異は有り得ない。
両者は全然別個の事だ。
その程度の事もわからないなら、しばらくROMって勉強した方がいい。
君の書き込みは痛過ぎる。
お前等いじめすぎw
春だからなぁで終わらせておこうぜ。
論争と言っていいか判らないが、少し前から同じ様な人らが質問とは離れたことでgdgdとやってるね
言葉の端々に煽りが見られるし、冷静になって自重することを覚えたほうがいいと思うけど
そろそろ見るに堪えないわ
それと論争するなら判りにくいし名前欄に最初にレスした番号くらい入れたら?
若しくは別にスレ立ててそこでやれ
328 :
天之御名無主:2008/04/06(日) 23:04:28
とりあえず沙悟浄は河童じゃないよ。水虎という妖怪。
そもそも西遊記は小説だし。
>>324 なんか別人のスレにかみついてるようだが・・・
まあ、証明できない以上どうでもいいがな
ところで、現代において幽霊や神仏という非実在の存在を信じている人は実に多い
夜、口笛を吹けば幽霊が出ると本気で思っている人間もひょっとしたら3割くらいはいるのかもしれない
古代においても、そのような非合理を信ずる人の割合は、やはりそれなりにいたことだろう
大人になれば親が言っていたことの裏の意味が普通はわかるようになるものなのだが
夜口笛を吹けば幽霊が出るとか、川には河童がいるから子どもだけで遊ばせるのは危険だとか
いうことを無邪気に信じたまま我が子に語り継ぐ人もいたことだろう
教訓話が教訓の意味をなくして単なる伝承になりさがる可能性は、なくはない
教訓をもたらす「神」が零落して「遊び」の道具になりうるということは
今すらこのスレでは言うまでもないことだ
さほど難しいことではない
合理的に考えさえすれば、いつの時代にあっても容易に教訓にたどりつく
地獄を語り、仏の道を語り、衆生を救わんとする高僧ほど、教訓の意味を理解し
神仏の非実在性については議論する必要がないということをよく知っている
神の声を聞いたら信じていることになるのか?
なんの関係もねーよw
エリアーデは日本のシャーマンをついにシャーマンとは認めなかったが
まさに遊魂的なトランスが出来ずに憑依的な見せかけてきなトランスで
もっともらしい教訓を垂れる存在は自ら神を信じない宗教者の典型と言えるだろうな
そろそろ俺も控えるが、厨房が頑張って自演しているようなのでもう一つだけ
>>325 >しかし、相対性理論は物体の運動に関わる法則であって、世界の何処に於いても差異は有り得ない。
>両者は全然別個の事だ。
光速で互いに遠ざかるA地点からB地点を観測しても
あるいはB地点からA地点を観測しても
時がゆっくり流れているように見えるとしよう
そのさまはいかにも相対的であり、文化的相対主義と同じように
どちらが正でどちらが偽とも言いがたい
ところが、どちらもが行っている「事象を観察して確定する」という行為
その手続き自身はまさしく普遍的合理的な原理として共通であり、まったく同じものだと言える
この程度のこともわからんようでは(ry
「文化的相対主義」だとか「中心的世界的存在としての神」だとか
微妙に間違った言葉を使っているあたりwikipediaで勉強したつもりになってる厨房……かと思ったが
エリアーデや「科学哲学」についての本当にトンチンカンな理解を持ち出してくるところを見ると
いい年して体系的な勉強も議論もできないまま社会に出た大人っぽい気もする。
331
単なる罵声だな
読む価値なし
議論できない者は去れ
言葉の誤用や資料を出さない妄想理論の開陳といえば
「アーリア言語」
>>242や「スコラ時代」
>>252なるオモシロ用語を使う人と同じ人物なんだろうなw
>>332 いや、議論できない者は去れってさ、「質問スレでの過度な論争は自粛してください」って書いてるじゃん。
ここは議論スレじゃないっすよww
まじめな話、たとえばジョルジュ・デュメジルの比較神話学とそのベースとなる
印欧比較言語学の初歩の初歩でも勉強していれば
絶対に「アーリア言語」なんていう半世紀前の用語使うわけがないし、
少し勉強を深めれば中世ヨーロッパにおける残存例として何が挙げられているかもわかったはず。
文化人類学の入門書でも読んだことがあれば「文化"的"相対主義」ではなく「文化相対主義」であることは知っていて当然、
(アメリカで人類学を勉強して日本語でなんていうか知らないままなら仕方ないけどねw)
そして「非実在を信じているのも三割くらいいるかもね〜」なんて妄言は書きませんよ。
なぜなら文化人類学者は10割が「非実在」を信じている何百もの社会で調査をしてきているわけだからね。
もちろん現在でも。雑誌『文化人類学』を最近数年分読んでみろ。
なぜ信じているかについては、「教訓」なんて幼稚な理論、この手の理論研究の元祖デュルケームだって提唱してない。
エリアーデも『シャーマニズム』読めば彼の定義する「狭義の」シャーマニズムと日本が異なるとは書かれていても
「シャーマニズムではない」「シャーマンではない」とは一言も書かれていない。
また、「科学哲学をかじって」いれば、
「その手続き自身はまさしく普遍的合理的な原理として共通であり、」
とかいうのが、「観察」の手続きなのか「理論構築」の手続きなのか判然としないが、
せいぜい『ノヴム・オルガヌム』以降の展開でしかない、とか
疑似科学アンチが好きな反証可能性がポパー以降のものでしかない、とか理解できるだろ。
「現象を観察し事実にいたる」なんてカントやヒュームを知っていれば「科学哲学」と並べて言えるわけがない。
どうやら「科学哲学をかじっていな」いのは
>>321本人のようだけどねえ。
人類学にひきつけるならば、レヴィ=ブリュル『未開世界の思惟』、レヴィ=ストロース『野生の思考』という基本書を読めば
さまざまな「手続き」がこの世に存在するということが理解できるはず。
>>329 「可能性がなくはない」レベルの認識しかない人間が、
>>312のような断言的な書き方をしたり
実際に資料として存在している、遺跡を否定する事は不可能だ
合理的に考える云々なんてのも、今の時代の認識であって古代がどうであったのか、解らないだろう?
しかし、実際に遺跡として存在し、卑弥呼のような神の声を聞く巫女が重要な役割を担っていた事実は
お前さんの妄想以上の説得力を有するのではないかな?
古代にいたことがないから、古代の人の考え方は解らない
実際その場にいたのか?とかね
そんな事を言ってると、神話や民俗、考古学なんてものは、全く意味をなさないものになってしまう
発掘された遺跡などから、当時の状況を把握する学問を否定するのであれば、なぜこの板にいる?
お前さんがその合理的な考え方を信奉しているくらい、古代の人は神という存在を信奉していた
今の時代から見て、過去の時代を非合理と言っているが、それなら今の合理性の価値観は絶対のものと断言できるか?
つまり、お前さんが自分の考える「合理性」を信奉しているくらいのレベルで、古代の人たちは非合理性を信奉していたのさ
こう言えば解りやすいだろう
自分の知識や方法が実は膨大な量の歴史の上に成り立っているというのを知らずに
表層的な情報だけで物事を考えようとするとこうなっちゃうんだろうね。
経験科学の祖であるロジャー・ベーコンと魔術・錬金術は切っても切れない関係にあり、
フィチーノやパラケルスス、トリテミウスといったルネサンス最高の知性が大真面目に魔術と精霊を論じ、
ジャン・ボダンが魔女狩りの正当性を主張すればそれに反対したヨハン・ヴァイヤーが平然と悪魔学の書を物していた時代もあった。
ライプニッツだって一角獣の全身骨格をうれしそうに『プロトガイア』に掲載しているし
ニュートンも数秘術に執心していた。
その時代なにが「合理的か」なんていうのは時代の環境によって大きく違ってくるんだよ。
全くだな。
古代の合理性と、今の合理性を同一のものだとする考えは危険だ。
時代に即した多種多様な価値観を認められないものだろうか。
339 :
天之御名無主:2008/04/07(月) 07:40:34
朝鮮にも固有の妖怪とかいるんですか?
いや
朝鮮の妖怪=朝鮮ヒトモドキってのは無しで・・・
340 :
ダンの花:2008/04/07(月) 12:40:14
あなたみたいなレイシストに教える価値があるかどうかは別にして、片足の鬼「トッケピ」や鉄を食う「プルガサリ」なんてとこが有名。
日本に比べると妖怪の種類は少ないけど、それは妖怪という概念が日本で異常な発達を遂げたせいであり、朝鮮文化の貧困さの証明とか、レイシストが好みそうな意味付けをしないでほしい。
341 :
天之御名無主:2008/04/07(月) 13:02:30
純粋に近隣国の妖怪事情を知りたかっただけだから
ありがとね
妖怪ってのは妖精や悪魔や神獣とは別にどこの国にもありそうだね
一番古いのはメデューサかな?
古い妖怪に共通性みたいなのがあって、妖怪の元祖的なものがあるのだろうか?
もしかしたら
>>339は、「朝鮮 妖怪」でググってしまったのかもしれない
俺も助言出来るかと思ってやってみたら、結果の一部に唖然としてしまったからな……
日本、おかしな方向いってるぜw
ってスレチすまん
メデューサ恐す!
見つめられると、って視線恐怖かな?目の力の凄さ表してるよね。
確かに昆虫とかでもチラっと見つめると一瞬動き止まる時あるよね!?
しかし石?蛇?髪の毛?
おもしろす〜
345 :
天之御名無主:2008/04/07(月) 14:49:38
>>344 ああ、妖精は妖怪の一部かもね
・神獣
・悪魔
・妖怪 妖精 精霊
って感じかな?
346 :
天之御名無主:2008/04/07(月) 14:54:32
一番強いのはバクかな
どの部類に入ったとしても一番破壊力ありそうだ
日記はチラシの裏にでも書いてください。
348 :
天之御名無主:2008/04/07(月) 15:30:50
ツレと集まって妖怪大作戦をみる
↓
妖怪世界大戦の話題になる
↓
知識がないので極東限定になる
↓
日本VS中国になる
↓
日本圧倒的優勢
↓
中国が神獣部隊で日本妖怪を一掃
↓
日本勢八百万の神出動
↓
日本やや優勢
↓
中国が最凶最悪の最終兵器baku使用
↓
無
こんな流れで話してたんですわ
悔しいので日本にバクに勝てる神いないっすか?
ぬりかべでbakuを優しく包む!
確か鬼太郎にそんな話があったような。
なぜバクが最強なの?
352 :
天之御名無主:2008/04/07(月) 19:38:10
自由の女神像とはアメリカでも神の像扱いされてるんでしょうか?
>353
「神の像扱い」というのは具体的に言うとどういうこと?
神と認識され神として崇められてるのか
ただの女の像としか思われてないのかということです。
>>355 女神と言うのは呼称であって、神ではない。
キリスト教には女神は居ないし、もし神として信仰されているなら、とっくに
イスラム過激派辺りが爆破してるだろう。
だからアレは単なるモニュメント。
つか、自由の女神ってのは、神話とかに出て来る女神などや
信仰の対象ではなく、自由の象徴だ
まぁアメリカを象徴する像であり、自由や民主主義の象徴だな
確か、テロ以降は厳重な体制に置かれて観光が制限されてると聞いた事がある
「自由の女神」って言うのは日本での呼び方で向こうだとthe Statue of Libertyで
「自由の像」だからね。女神ではなくアレゴリーなんだね。
>>352 トンって何?
>>359 何も答えられなかったからって、そんなにひねくれなくていいじゃんw
河童の話題が有耶無耶になった気がするんだが、
「河(川)」ってもとは「カパ」って発音したんだよな。
つまりカッパは川そのもの?
河童:かは・わっぱ
河太郎:かは・たらう